弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件抗告を棄却する。
     本決定に対する即時抗告の提起期間を参拾五日とする。
         理    由
 本件抗告の要旨は、日本国との平和条約は、その第十七条(b)において、「日
本国政府は、いずれかの連合国の国民が原告又は被告として事件について充分な陳
述ができなかつた訴訟手続において、千九百四十一年十二月七日から日本国と当該
連合国との間にこの条約が効力を生ずるまでの期間に日本国の裁判所が行つた裁判
を、当該国民が前記の効力発生の後一年以内にいつでも適当な日本国の機関に再審
査のため提出することができるようにするため、必要な措置をとらなければならな
い」と規定している。原裁判所が、抗告人の再審査請求を棄却するに当り適用した
刑事判決の再審手続に関する法律及び規則、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の規定等
は、すべて右条約により日本国の負うた右の条約上の義務を履行するために設けら
れたいわゆる「必要な措置」の一と解するべきである。従つて、これらの法律及び
規則の解釈によつて、条約上の義務の実施を困難にしたり又は制限することは許さ
れないと信ずる。抗告人の詩求が棄却された事実上の理由は、抗告人が原判決の謄
本を提出しないということである。抗告人は、原判決の当時判決謄本の下附を受け
ていなかつたので、本件請求をなすに当り、判決謄本の下附を受ける目的で、神戸
地方裁判所並びに検察庁に対し書面をもつて問い合わせをしたところ、判決原本は
存在しないという回答を受けた。従つて、抗告人が手続規則の要求する判決謄本を
提出できなかつたのは、日本国官庁が判決原本を失つたためであつて、請求人の責
に帰するべき理由によるものではない。日本国の裁判所は、前記平和条約に基く裁
判再審査に関する日本国の義務を遂行する責務を負う日本国の機関であつて、その
裁判機関が本件決定をなすに当り、判決原本保管の義務ある日本国の他の機関が、
判決原本を失つたことから生じた已むを得ざる事実上の欠点を理由として、連合国
人たる抗告人が再審査請求をする途を塞ぐということは、人がその足を用いて他人
を傷つけ、手はこれを知らずとしてその責任を回避するに似て、理由なき裁判の拒
否である。かようなことは、統一体である独立国家機関の行為として到底是認し難
く、なおまた手続法規の解釈に当つては、いたずらに法規の字句にとらわれ、立法
の背景理由である日本国に課せられた条約義務履行の必要を全然閑却した誤ありと
確信する、というのである。
 よつて案ずるに、日本国との平和条約第十七条(b)項に基いて制定された「平
和条約の実施に伴う刑事判決の再審査等に関する法律」(昭和二七年法律第一〇五
号、以下刑事判決の再審査法と略称する)による再審査は、当該事件が現行刑事訴
訟法施行前に公訴が提起されている場合には、前記刑事判決の再審査法第六条、刑
事訴訟法施行法第二条により、旧刑事訴訟法(大正一一年法律第七五号)及び日六
国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律(昭和二二年法律第七六
号)の定めるところによるべきところ、抗告人が再審査を請求している事件が、い
ついかなる罪名で起訴せられ、いついかなる判決がなされたものか、記録上これを
確認する資料は存しないが、抗告人の主張するところによれば、抗告人は、軍機保
護法違反罪により神戸地方裁判所に起訴せられ一九四一年(昭和十六年)十二月二
十九日頃懲役三年の判決を受け、上告したが、一九四二年(昭和十七年)四月二日
上告棄却によつて判決が確定した、というのであるから、同事件は現行事訴訟法施
行前に公訴が提起されているものとみなければならない。そして、旧刑事訴訟法第
四百九十七条によれば、再審査の請求をするには、その趣意書に原判決の謄本、証
拠書類及び証拠物を添えて差し出さなければならないことになつている。そこで本
件再審査請求記録を調査すると抗告人たる再審査請求人は、請求に当り右の添附書
類を差し出さないので、原裁判所は、弁護人に対しその提出を催告したところ、抗
告人から原判決の謄本を提出せず、ただ抗告人作成名義の「一九四一年七月十三日
より一九四五年八月十六日に至る期間日木官憲による私に対する勾引、判決、有罪
の決定、拘禁の事情に関する報告書」と題する手記の原文を、ついでその訳文を提
出しただけであつたから、更に弁護人に対し「原判決の謄本、証拠書類及び証拠物
を差し出すことができないときは原判決の内容を明らかにする書面と、証拠書類又
は証拠物に代るべき疎明資料を提出するよう」催告したところ、弁護人から「本人
及び神戸地方検察庁検事正あてに照会したところ、後者からは原判決は戦災により
焼失現存せぬ旨の回答に接し、本人も御要求の書面及び証拠物を今のところ持ち合
わせぬ」旨回答して来たので、原裁判所は、職権をもつて神戸地方検察庁及び大阪
刑務所へそれぞれ照会したのに対し、同検察庁からは「該当判決書に見当らず、当
庁は昭和二十年空襲により当時保管中の書類を焼失しており調査不能である」旨の
回答あり、大阪刑務所からは、抗告人が同刑務所において「刑の執行を終了したこ
とは収容者名簿によつて認め得られるが、判決謄本を編綴した身分帳簿は昭和二十
年七月十日戦災のため焼失したので謄本を作成することができない」旨の回答があ
つた。そこで、原裁判所は、再審査の請求をするには、平和条約の実施に伴う刑事
判決の再審査の手続に関する規則、刑事訴訟規則第二百八十三条の定めるところに
より、再審査請求趣意書に原判決の謄本の添附を要するにかかわらずこれを添附し
ないのは、法令上の方式に違反するとして前記の刑事判決の再審査法第六条、現行
刑事訴訟法第四百四十六条により本請求を棄却したことを認め得られる。右のよう
に、原裁判所が、本再審査請求について、旧刑事訴訟法によらないで現行刑事訴訟
法及び同規則を適用したのは、法令の解釈適用を誤つていると言わなければならな
いが、その適用法令の内容は前記の旧刑事訴訟法の規定とまつたく同趣旨であるか
ら、この点で原決定を取り消す必要はない。しかし、この法律の規定する再審査
は、通常十年前後を経過した事件を対象としているから、その間、戦災等により、
判決原本、証拠書類、証拠物が滅失しているため所定の資料を提出することができ
ない場合が少くないと思われるがそのような場合に再審査の請求を不適法として棄
却することは平和条約の趣旨に反するのみならず、判決原本保管の責任ある日本国
の機関がこれを滅失したため判決謄本の交付を受けることができない場合におい
て、たとえその滅失の原因が不可抗力であろうとも、再審査請求人が原判決の謄本
を提出しないことを理由として再審査の請<要旨>求を棄却するのは妥当でないこと
は所論のとおりである。右のように、詩求人の責に帰することのできない理
由によつて所定の添附するべき書類を差し出すことができないときは、これに代つ
て原判決の内容を確認するに足るだけの信用性ある書面及び証拠書類又は証拠物に
代るべき疎明資料を提出することによつて、方式の不備を補うことができると解釈
するべきである。しかし、原判決の謄本、証拠書類並びに証拠物に代るべき書面や
疎明資料が提出されないときは、原判決の内容を知ることができないし、また訴訟
手続において被告人として充分な陳述ができなかつたかどうか、そのことが原判決
に影響々及ぼしたかどうかという再審査開始の原由の有無を判定することができな
いから、その再審査請求は不適法となるのである。抗告人が原裁判所において提出
したいわゆる「報告書」なるものをみると、抗告人は、A会社の日本代理人であつ
て、一九四〇年九月以来B将軍の日本代表者であり、フランス政府から交通情報官
を命ぜられ、独、伊船舶監視官の任務を有するものであつたところ、一九四一年七
月十三日突然兵庫県警察部外事課の取調を受け、同月二十五日以降監房に拘禁され
たが、警察は、当初の嫌疑をいずれも放棄し、抗告人が中立国や印度支那の新聞報
道を読むか又は汽船の船客や乗組員から聞いたことで、一九四〇年十一月日本が仏
印平和進駐に当りC飛行場を一部占拠したこと、日本広西軍の一部を日本に呼びも
どすことになつていたことを、神戸在住の外国人数名に話した(氏名記憶なし)こ
とが、神戸の英国総領事に日本軍に関する情報を与えたものとして、軍機保護法違
反事件としてでつちあげられた顛末に関する起訴前の捜査手続における警察官や検
察官に対する不満を主として記述したものであり、被告人としての訴訟手続に関す
る部分としては、弁護人の選任が所定の許された範囲の弁護士群に限られていたた
め、その指定弁護人であるD弁護士を選任したこと、拘置所における同弁護士との
面会において、検察官から署名を強制された抗告人に対する検察官の聴取書を飜訳
するよう検察官への伝達方を依頼しようとしたところ、その会話を拘置所の看守に
阻止されたこと、公判の審理(一九四一年十二月十九日)において、好意的でない
しかも英語の通訳を通じ、裁判官に対し、検察官の聴取書の飜訳が示されない以上
これを正確なものとして認めることができないこと、話した内容が日本の開戦から
一年余も前の事がらであり、かつ誰にも知られ、新聞にも発表されたことである点
を力説し、検察官の論告求刑を反ばくしたこと、然るに懲役三年の判決言渡を受
け、大審院へ上告したこと、フランス語で覚書を書いてこれを日本語に飜訳させ、
弁護士に廻付させるため検察官に交付したが、その結果を聞かないこと、右の上告
は棄却となつて大阪刑務所へ収容されたという趣旨を記述してあつて要するに、右
の書面は、再審査申立のために抗告人の主張を書いたものであり、それ自体原判決
の謄本に代るべき書面ではないし、また、法第三、第四条に定める再審開始の原由
があるかどうかを判定するに足る証拠書類又は疎明資料とは言えない。
 そこで、当裁判所は職権をもつて、原判決の謄本、証拠書類及び証拠物又はこれ
に代るべき書面等の有無及びなお念のため、抗告人が被告人として充分な陳述がで
きなかつたかどうかという点について事実の取調をした結果、神戸地方裁判所長E
から、抗告人に対する軍機保護法違反事件の担当裁判官の氏名は庁舎の戦災により
関係帳簿書類を焼失したため不明である旨の回答、神戸地方検察庁次席検事Fか
ら、当該判決原本及び関係記録は空襲による庁舎炎上のため調査不能である旨の回
答があり、当時の事件担当検察官で現在弁護士たるGから、原判決の謄本又はこれ
に代るべき書面その他証拠書類、証拠物等一切所持しない旨及び起訴事実の概要
は、抗告人は、仏汽船会社H支店長として在職中熱烈なB派であつて、B派に利益
を与える目的で同派の宣伝活動を継続中、昭和十六年五月頃前記汽船会社H支店内
において自己の知人なる仏人五名等に対し、自己が偶然の原由により知得した日本
軍がその頃仏印に進駐した軍事基地の個所地名その各兵力量がわが国の軍事上の秘
密なることを知りながらこれらの事実を語り聞かせて他人に漏泄したものである、
というのであつて、犯行の月の記憶は正確でない、相手の仏人も調書をとつた記憶
はあるが氏名は忘失した、軍事基地の地名、個所、兵力量も忘失した、本件は司法
省に禀請して起訴した、適当な仏語の通訳がなかつたし、抗告人は英語に通じてい
るので抗告人諒解のうえ英語の通訳を使用した、検事調書についての抗告人の不満
や要求は記憶がない、いかに戦時中といえどもわが国の公判審理において被告人の
合法的な陳述が制限されたような経険は一度もない旨各回答し、当時の担当弁護人
でその頃神戸弁護士会長であつたDから、右事件の記録は戦災によつて全部焼失し
たので何一つない旨並びに判決内容は記憶がない、当時は軍部万能の時代であつた
が、裁判所にはその勢力は入りかねていた、しかし被告人としては普通事件ほどに
は充分な陳述ができなかつたと思う、通訳は本人承諾のもとに英語の通訳をつけ
た、抗告人は、最初の通訳はアメリカのなまりがあるので不愉快だと言うので英国
に居たことのある通訳をつけた、弁護はもちろん制限はなかつたが傍聴禁止事件で
あり多少窮屈な感はあつた旨及び右事件の担当裁判長はI判事であつた旨各回答
し、現在大阪高等裁判所勤務I判事は、神戸地方裁判所在職中フランス人に対する
軍機保護法違反被告事件は二件ほど審理した記憶があるが、その氏名内容等全然記
憶がなく、当時の書類も全然残つていない、陪席判事はJ、K各判事であつたと思
う旨回答して来た(現在弁護士たるJからは、その頃自分は予審判事であつて当該
事件の審理に関与していない旨の回答あり)。以上要するに、当裁判所が職権をも
つて可能なかぎりの調査をしても法令の要求する方式を具備することができず、従
つて再審査開始の原由があるか否かを判断する方法もないわけである。言うまでも
なく、裁判所は、再審査請求の手続について日本の国法に従つて裁判するほかはな
いから、本請求は、法令上の方式に違反するものとして前記刑事判決の再審査法第
六条によつて本件に適用される旧刑事訴訟法第五百四条によつて棄却するほかはな
い。これと同趣旨に出た原決定は結局正当であるから、同法第四百六十六条第一項
により本件抗告を棄却する。
 なお、本決定に対する即時抗告(旧刑事訴訟法第四百六十九条)の提起期間を旧
刑事訴訟法第八十二条第三項により三十五日と定める。
 よつて、主文のとおり決定する。
 (裁判長判事 山崎薫 判事 西尾貢一 判事 藤井政治)

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