弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
       事実及び理由
第一 請求
一 被告らは別紙記載の謝罪文を原告らに交付せよ。
二 被告らは各自原告P1に対し、金一八九一万一六〇〇円及び内金一七九一万一
六〇〇円について平成一〇年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員
を支払え。
三 被告らは各自原告P2に対し、金一八九八万二八〇〇円及び内金一七九八万二
八〇〇円について平成一〇年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員
を支払え。
第二 事案の概要
 本件は、原告らが、第二次世界大戦時に、当時の日本製鐵株式会社(以下「日本
製鐵」という。)の労務者募集に応募して朝鮮半島から日本製鐵の経営する大阪製
鉄所まで強制連行され、強制労働に従事させられた、被告国は日本製鐵の事業を国
策として推進・支援したなどと主張し、被告新日本製鐵株式会社(以下「被告新日
鐵」という。)に対し、未払賃金ないし相当損害金、慰謝料、弁護士費用の支払と
謝罪文の交付を、被告国に対し、未払賃金相当損害金、慰謝料、弁護士費用の支払
と謝罪文の交付をそれぞれ求めた事案である。
一 主たる争点
Ⅰ 原告らの強制連行、強制労働の事実の有無
Ⅱ 原告らの強制連行、強制労働に関する被告らの責任の有無
1 日本製鐵の責任の有無
2 被告国の責任の有無
3 被告新日鐵の責任の有無-日本製鐵の債務の承継の有無
Ⅲ 原告らに関する被告らの供託行為についての不法行為責任の有無
1 日本製鐵の責任の有無
2 被告国の責任の有無
3 被告新日鐵の責任の有無-日本製鐵の債務の承継の有無
Ⅳ 損害等
Ⅴ 原告らの請求権の消滅の可否
1 日韓協定等による請求権の消滅の可否
2 消滅時効ないし除斥期間による請求権の消滅の可否
Ⅵ 原告らの謝罪文交付請求権の有無
二 争点に関する当事者の主張
Ⅰ 原告らの強制連行、強制労働の事実の有無
(原告らの主張)
 原告らは、昭和一八年(一九四三年)九月(以下、年の表示については元号によ
る。)、朝鮮平安南道平壌市において募集方式によって徴用された。この方式は、
もともと、昭和一四年四月の日本国政府の閣議決定により厚生省、朝鮮総督府の統
制下で、朝鮮における地域割当に基づき事業主が募集許可を受けて朝鮮人労務者を
募集し、集団渡航で日本に連行することを認めたもので、内務・厚生両次官通牒
「朝鮮人労務者
内地移住に関する件」(昭和一四年七月二九日)に基づく「朝鮮人労務者募集並び
に渡航取扱要綱」(同年九月一日)に従って実施されていた。
 しかし、原告らが応募した昭和一八年九月段階では、既に昭和一七年二月一三日
閣議決定「朝鮮人労務者活用に関する方策」に基づく「朝鮮人内地移住斡旋要綱」
が発令されており、この方式では、割当地域に派遣された事業主の補導員が、地方
行政機関、警察そして朝鮮労務協会等の連携した協力を得て、短期間に目的人数を
確保し、確保した朝鮮人労務者は、事業主の補導員に引率され、日本の事業所に連
行される、官斡旋方式という方式が実施されており、原告らの徴用はむしろこの官
斡旋方式によって行われたと考えられる。
 いずれにせよ、原告らは募集に応じて事務所に出頭し、直ちに協和訓練隊に編入
され、約一週間、大阪製鉄所属の軍事教官により、平壌市で軍事教練を受け、その
あと、約一〇〇人の部隊として日本に連行され、大阪製鉄所に到着後は朝鮮人労務
者専用の寄宿舎に入れられ、約二〇日間の軍事教練と現場研修を受けた後に、事業
場に配属されて就労したのであり、原告らの日本製鐵における就労は、通常の雇用
契約に基づくものではなく、当時の日本国政府の朝鮮人労働力の重要企業への導入
方針に基づき、日本人労働者の労働力を補完する労働力提供者として日本製鐵の生
産機構に編入された。
 こうした状況下において、原告らは同時に連行された約一〇〇名の朝鮮半島出身
者とともに、完全に同一の就労体制を義務づけられ、起床から就寝に至るまで軍隊
的規律下にあり、個人的な行動は一切認められず、もとより就労からの離脱は厳禁
され、逃亡とみなされた場合には、生命に関わる苛酷な制裁を受けた。また、原告
らは、日本製鐵に連行されて七、八か月後に徴用手帳を交付されてからは、就労に
関し個人的自由は全く存在しなかった。就労条件は苛酷で、特に給料の支払は著し
く恣意的に取り扱われ、給料額は明示されず、また通帳らしきものを示されて、了
解抜きで一方的に給料から預金させられ、ごくわずかの金員しか渡されなかった。
 さらに、昭和二〇年三月、大阪製鉄所が爆撃を受けて破壊され就労継続が不可能
になったことから、原告らは、同年六月、朝鮮清津の製鐵所建設予定地に連行さ
れ、ソ連軍の侵攻により離散逃亡するまで、建設基礎工事に従事させられた。この
間の労働は、大阪製鉄所での就労よりもさ
らに苛酷であり、その間の給料は全く支給されなかった。
 したがって、原告らの大阪製鉄所への連行及び同所での就労並びに朝鮮清津の製
鐵所建設予定地への連行及び同所での就労就業は、実質的には強制徴用、強制連行
以外の何ものでもなかった。
Ⅱ 原告らの強制連行、強制労働に関する被告らの責任の有無
1 日本製鐵の責任
(一) 国際法に基づく直接請求権
(原告らの主張)
 原告らの強制連行、強制労働は被告国に関して後述するように国際法に違反して
おり、右違反行為に関与した日本製鐵に対し、原告らは、国際法上、直接の損害賠
償請求権を有する。日本製鐵の関係で特記すべきことは以下のとおりである。
(1) 原告P2の場合には、P3(中尉)及びP4(軍曹)らによる募集活動に
より、軍事教練を経て大阪製鉄所まで連行され、また、原告P1の場合にも、同様
の募集活動により、協和訓練隊における軍事教練を経て大阪製鉄所まで連行され
た。
 右の各連行は、逃亡したら酷い目に遭うという威嚇及び監視(原告P2の場合に
は監視員は募集活動をした四名であった。)の下に実行されたものである。これら
募集活動及び連行を実施した者らの行為は、強制労働条約、「人道に対する罪」、
国際人権規約に違反する。
(2) 原告らは大阪製鉄所において、その全生活過程を監視員らによって把握さ
れており、その特質は逃亡の禁止と就労の強制ということができる。
(3) 原告P2の場合、一緒に連行された九九名は同一の寮に入れられ、そこで
朝夕の点呼を受け、点呼に参集できなかった者は前記P4らによって叩かれるなど
の暴行を受けていたことを見知っている。そして、実際に逃亡をした者に対しての
制裁としての暴行は激しく、一緒に連行された者のうち半分死にかけるまでの暴行
を受けたうえ、「強制送還」させられた者もいた。
 原告P1の場合には、徴用された後、逃亡しようとして密告され、寮の舎監に木
材で腎部を殴られるという酷い暴行を受けたことがある。
 右のような原告らの大阪製鉄所での労働は、強制労働条約によって禁止されてい
る「強制労働」に該当する。
(4) これら募集活動、連行及び日本製鐵での原告らの逃亡の防止と就労の強制
をした者らは、いずれも日本製鐵の構成員であり、日本製鐵の利益のために行為し
たのであるから、日本製鐵ひいては被告新日鐵が国際法違反行為の責任を負担する
ことになるのは当然である。
(二) 国内
法違反に基づく各請求権
(1) 民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償請求権について
(原告らの主張)
① 日本製鐵が、原告らを強制連行し、強制労働に従事させたことは、民法上の不
法行為を構成する。
 原告らは、日本製鐵の構成員による軍事教練を受け、厳重な監視の下に大阪製鉄
所まで連行されてきたものであり、連行過程が原告らの意思を抑圧する態様のもの
であることは明白であるから、日本製鐵の行為は民法上の不法行為を構成する。
② また、原告らの大阪製鉄所での労働は次のようなものであった。
 原告らは、大阪製鉄所に連行された後、約二〇日間の軍事教練を経て、見習い及
び軍事教練を並行する期間を過ごした後、現場配属として起重機の操作や瓦斯工場
の工員を担当させられた。勤務は三交代制であった。また、就労時間以外は全員同
じ寮に入れられ、そこでの状況も常時の監視の下にあり、自由な行動も許されず、
就労を強制され、賃金の支払を受けなかった。
 以上のとおり、大阪製鉄所での原告らが従事させられていた労働も、およそ近代
法の予定する労働とはほど遠く、苦役そのものという外ない。
③ 日本製鐵は、原告らの起臥寝食の一切を管理し、原告らに就労の強制を行い、
それによって利益、利得を得ていた。このような関係にある以上、日本製鐵は原告
らの生命身体の安全はもとより、原告らに対して適当な宿舎、寝食を整えるなどし
て原告らが安全かつ適当な環境を享受できるよう必要な措置を講じるべきであるこ
とは当然であった。
 そうであるにもかかわらず、日本製鐵は原告らに適当な環境を整備せず、むしろ
暴力を究極の背景とした監視体制を敷き、これによって原告らを畏怖させ、反抗と
不満の抑圧を図っていた。
 また、日本製鐵は原告らを寮に収容せしめていたものであるが、これは日本人労
働者の寄宿舎とは全く別のものであり、その目的は福利厚生の付与ではなく、逃亡
の防止の一点に尽きるものであった。これらの日本製鐵の原告らに対する処遇は、
日本人労働者・徴用者と全く異なる差別的な劣悪なものであった。
④ 以上のとおり、日本製鐵が原告らを強制連行したこと、強制労働に従事させた
こと、原告らを日本人労働者、徴用者とは異なった差別的な処遇をしたことはそれ
ぞれ不法行為を構成する。
(2) 債務不履行に基づく損害賠償請求権について
(原告らの主張)
① 原告らの大阪製鉄所における労働は、通常の労働契約関係
の成立に見られるように提供する労働とその対価としての賃金が当事者の意思表示
によって約定されたことはない。しかし、そのことの故に日本製鐵が原告らに対し
て何らの法的義務を負っていなかったとするのは正当な考察ではない。このこと
は、例えば現在の労働基準法第五条は刑法上の脅迫罪、強要罪を上回る法定刑を定
めて「暴行、脅迫、監禁その他精神または身体の自由を不当に拘束する手段によっ
て労働者の意思に反した労働を強制」することを禁止しているが、ある労働関係が
右の労働基準法所定の強制労働に該当することになったときにおいても、そのこと
によって使用者が負っていた賃金支払義務その他法的義務を果たさなくてよいとい
うことにはなり得ないことからも明らかである。
右のようにして成立する関係を「事実的労働関係(faxtische Arbe
it verhaltness)」と呼称することができる。この「事実的労働関
係」とは、当事者の間に法的に有効な契約が成立していないけれども、労働の提供
と受領という関係が通常の労働契約と同様に成立している場合を指しているもので
あり、ドイツの学説から提起されてきた観念である。そして、この「事実的労働関
係」が成立している場合、使用者において労働の提供を受領していながら、その対
価の支払を免れることは許されず、むしろ有効な労働契約関係が成立しているとき
と同様の義務を負担するものとされている。
 また、安全配慮義務を承認したリーディングケースたる最高裁判所昭和五〇年二
月二五日判決(民集二九巻二号一四三頁)は、「安全配慮義務はある法律関係に基
づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において当該法律関係の付随義務
として当事者の一方または双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に
認められるべきものであって・・・」と論じているが、右の判例の射程は、前記し
たような「事実的労働関係」が成立している場合はもとより「特別な社会的接触の
関係」がある当事者間に及ぶものと解される。
 以上のとおり、原告らと日本製鐵との間には労働契約締結という事実はなかった
としても、両者間には「事実的労働関係」の成立が認められ、これに基づいてまた
は信義則に基づいて、日本製鐵は原告らに対し、以下のような義務を負担していた
ものと解されなければならない。
a 賃金支払義務
 日本製鐵は、前記のように就労した原告らに対して、賃金
その他就労の対価の支払をするべき義務を負っていた。
 原告P2の場合、賃金の支払に関して、日本製鐵はその事務所において貯金した
といって通帳様の書類を示したことはあったが、実際の支払を受けたことはない。
さらに煙草代や寮での生活費等については、賃金から天引きするという扱いである
と説明されたが、そのような取り扱いがされていたのかどうか、されていたとして
適正な計算に基づいてなされていたのか全くわからない。
 原告P1の場合、初めての賃金支払日に強制的に貯金に加入させられ、その後、
その記帳されたものを示されただけであり、また、天引き等の計算関係もそれがど
のようになされていたのか、それが適正であるか全く説明されていない。また、原
告P1が逃亡を試みて発覚して舎監から暴行を加えられた後には、それまでは手渡
されたことのあった小遣い銭の支払を受けることもなかった。
 また、日本製鐵は、原告らが大阪製鉄所から清津に転傭になるときに日本製鐵か
ら未払となっている賃金について支払がされるということを聞いたのであるが、そ
れが履行されたことはもとより、履行のために協力を求められたことすら全くな
い。
 さらに、原告らが、清津に転傭された後において、そこで従事した労働は大阪製
鉄所における就労内容とは異なった肉体的に苛酷で単純なものが多かったのである
が、これに対して賃金の支払は一銭もなされていない。
 右に見たように、日本製鐵は原告らに対して、その就労と対価的意義を有する金
員の交付をなすべきことは認識していたものである。その基礎に立って日本製鐵は
「貯金」「天引き」等の操作をしてきたと認められる。そうであれば、その金員の
交付を原告らに対してすることは、通常の労働契約関係における賃金の支払と同様
に、日本製鐵に法的な義務となっていたものと解すべきである。
b 安全配慮義務違反
 日本製鐵の不法行為責任に関する主張は、そのまま安全配慮義務違反をも構成す
る。
c 送還、帰郷義務
 原告らは、昭和二〇年六月に、大阪製鉄所から清津に転傭された。このような配
転ともいうべき措置を講じながら、日本製鐵は清津において原告らに対し、何らの
賃金の支払をもせず、糧食その他の生活必需品の提供もしなかった。日本製鐵には
配転に際しての安全義務を放擲していたといえる。
 また、原告らは、昭和二〇年八月、ソビエト連邦軍が侵攻してくるという状況下
において、右清津
において日本製鐵から何らの指示もないままに放置された。日本製鐵は、原告らを
その自由な意思を抑圧して、強制連行し、かつ強制労働に従事させてきたものであ
るから、その関係が終了したときには、原告らを元の居住地に送還、帰郷させる義
務を負担していたと解すべきである。また、このような送還、帰郷義務は、当時の
国民徴用令一六条に明確に定められていたところである外、昭和二〇年九月一日に
発せられた通達(「朝鮮人集団移入労務者等ノ緊急措置ニ関スル件」警保局発甲第
三号、甲二六)においても表現されているものである。しかるに、日本製鐵はかか
る義務を怠った。
(被告新日鐵の主張)
 原告ら主張の事実関係は知らない。被告新日鐵の法的責任についてはいずれも争
う。
2 被告国の責任
(一) 国際法に基づく直接請求権について
(原告らの主張)
 原告らの強制連行、強制労働は以下のとおり国際法に違反しており、右違反行為
に関与した日本製鐵及び被告国に対して、原告らは、国際法上、直接の損害賠償請
求権を有する。
(1) 強制労働に関する条約(ILO第二九号条約)違反
 原告らは日本国政府の直接の関与の下に、日本製鐵により強制連行され、就労か
らの離脱を図った場合には生命に拘わる拷問を加えられるとの脅迫の下に苛酷な労
働に従事することを強要され、また、原告らの日本製鐵での就労期間は無期限であ
って、しかも、その間、原告らに支給されるべきであった賃金は日本人(内地人)
労働者に比して格段に安いだけでなく、現実にはその一部しか支給されなかったも
のである。
 ところで、昭和五年六月二八日ILOの第一回総会において、「強制労働に関す
る条約第二九号」(以下「強制労働条約」という。)が採択され、日本国は、昭和
七年一一月二一日、これを批准したが、同条約にいう強制労働とは、「あるものが
処罰の脅威の下に強要せられ、且つ右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の
労務をいう」ものと定義され、「権限ある機関は私の個人、会社または団体の利益
のため強制労働を課し、または課することを許可することを得ず」、「行政庁の職
員はその責任の下にある住民に何らかの形式の労働に従事することを奨励するの職
務を有する場合にも該住民の全部またはその中の何人かに対し、私の個人、会社ま
たは団体の為に労働せしむるため強制を加えることを得ず」と規定され、また、強
制労働に徴集せられうべき最長期間は
労務場所に往復するに要する期間を含み六〇日を超えてはならないこと、一切の種
類の強制労働は労力が使用される地方における類似の労務に通常行われる率より低
くない率で現金をもって報酬を与えられるべきことなども規定されているうえ、強
制労働の不法な強要は刑事犯罪とし処罰されるべきことが条約を批准する締結国の
義務であるとも宣言しているから、原告らに対する強制連行、強制労働は強制労働
条約に違反している。
(2) 国際的人権規範違反
 昭和三一年一二月一六日国連第二一回総会で採択され、昭和五一年八月二三日に
発効し、昭和五四年九月二一日、日本国について発効した市民的及び政治的権利に
関する国際規約(国際人権規約B規約八条。以下右条約を「国際人権現約B規約」
という。)は、何人も隷属状態に置かれず、また何人も強制労働に服することを要
求されないとし、この規約において認められる権利または自由を侵害された者が、
公的資格で行動する者によってその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を
受けることを確保することを締約国が約束する(三条三項)としている。国際人権
規約B規約は第二次世界大戦俊一一年を経過した段階で国連総会で採択され、以
後、全世界のほとんどの国によって採択されている国際人権規範であり、日本国政
府もその拘束を受けているものである。
 また、昭和二三年一二月一〇日、第三回国連総会において採択された世界人権宣
言は、何人も、奴隷にされ、または苦役に服することはない、何人も非人道的な若
しくは屈辱的な取扱いを受けることはないとし、また全ての人は、憲法または法律
によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所に
よる効果的な救済を受ける権利を有するとしている。
 国際人権規約B規約及び世界人権宣言は、日本国を含む全ての国家がその遵守を
義務づけられている国際人権規範であり、その採択は、本件強制連行、強制労働が
なされた時点以降になされたものであるが、その規範性は、採択以前の、特に、大
戦中になされた人権侵害行為にも向けられているものであり、人権侵害が救済措置
の不作為として継続している場合には、右不作為自体を違法とする意味で、救済措
置が完了するまで機能し続けており、日本国は、本件強制連行、強制労働及び救済
措置の懈怠について、国際人権規約B規約、世界人権宣言に明示されている国際人
権規範の違法評価を受け
る。
 なお、国際人権規約B規約は遡及的に解釈適用されるべきだという解釈論は、著
名な国連NGOである国際法律家委員会(ICJ)も採用している。
(3) 「人道に対する罪」違反
 原告らは、脅迫、監視の下で言語も異なる日本に連行され、乏しい食糧しか与え
られず、健康保持に対する配慮もなく、外出の自由もなく、逃亡防止のため監視さ
れた生活下において、長期間に亘る労働を強いられていたのであるから、まさに
「奴隷的虐待」状態にあった。
 原告らに対する強制連行、強制労働は、これを直接行った行為者個人について国
際法上の戦争犯罪として極東軍事裁判所条例五条(C)の定める「犯行地の国内法
違反たると否とを問わず、本栽判所の管轄に属する犯行の遂行として、または之に
関連して為されたる戦前または戦時になされたる殺戮、せん滅、奴隷的虐待、追放
その他の非人道的行為、若しくは政治的または人種的理由に基づく迫害行為」と規
定する「人道に対する罪」に該当し、被告国は「奴隷的虐使」状態に原告らを送り
込み、利用した国家行為(立法行為、法適用行為)は、国際法上の違法性を構成す
るものである。
 なお、被告国は、サンフランシスコ平和条約で、極東軍事裁判所の判決を受諾し
(同条約一一条)、「人道に対する罪」の規範性は、被告国自身の承認するところ
であり、また、第二次世界大戦後の国際社会も「人道に対する罪」の規範性を明確
に承認しており、一般法常識に照らしても、刑事罰に問われる行為が民事的責任を
問われるのは当然である。
(4) 国際慣習法違反
 国際社会においては、国際法上の違法行為は、国内私法上の不法行為に類するも
のとして取り扱われてきており、国際違法行為を行った国が現状回復ないし損害賠
償義務を負うとされてきた(ホルジョウ工場事件判決同旨)。しかも、被告国も締
結した「陸軍ノ法規慣例ニ関スル条約」(第四ヘーグ条約、日本の批准は明治四四
年)は、戦争の法規と慣例の違反に賠償を支払う国家の義務を規定している(第三
条)。この条項は、ジュネーブ条約(昭和二四年)で再言され、さらに同条約の共
通条項として、いかなる国も諸ジュネーブ条約に記されている重大な侵害に関し
て、自国あるいは他の国が侵した責任を免れさせることはできないという規定が置
かれた。右ジュネーブ条約での再言は、人道法上の違反行為に関する賠償義務が既
に国際慣習化していることを確認したものに外な
らない。
 また、①国家の行為や怠慢からなる行動は国際法の下に国家に責任を帰される、
②国家の行動が国際的な義務違反となるとき、国家による国際的に不法な行為があ
るとされる、③この国家による不法な行為は、国際的な義務の侵害が結果として危
害をもたらす場合には適切な損害賠償の義務を生じさせる、ということは確立した
国際法の原則である。
 すなわち、国連事務総長による戦争犯罪と人道に対する罪に関しての研究、国連
社会経済理事会における昭和二六年三月一九日決議三五三、また、国連総会におけ
る「戦後問題」の名の下での一連の決議は、明文の規定がないにもかかわらず、国
際義務に違反した国家に損害賠償を求めることを支持した。また、国際人権規約や
ヨーロッパ人権条約、米州人権条約、「拷問及びその他の残虐な、非人道的な若し
くは品位を傷つける取扱いまたは刑罰を禁止する条約」など第二次世界大戦後成立
した主要な人権条約、規約では、これに定める人権の侵害について損害賠償ができ
るものとされた。右にいう国連の幾多の決議や研究は賠償の明文規定のないもので
あり、とすれば、人権規約、ヨーロッパ人権条約、米州人権条約などの規定も、権
利の創設的規定ではなく、原則としての条約違反への損害賠償の権利を確認し、そ
れ故に定められたものといえ、国際人権法や人道法の義務に違反する国家は損害賠
償の義務を負うということは、実定法の規定の有無にかかわらず認められるものと
いうべきである。
 人権の侵害、人道に対する罪が国際法違反として損害賠償をなすべきことが国家
に義務づけれられていることは累次に亘って国連その他国際社会において確認され
ており、このことによって右の国際法の原則が法規範となっている。
 ヘーグ条約の内容は、第二次世界大戦までに慣習法化していた。ニュールンベル
グ、東京の両国際軍事裁判や各戦争犯罪法廷なども右のような見解を採用してお
り、日本政府も昭和二六年に署名した平和条約がその第一一条において、「極東国
際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」
と規定していることからすれば右見解を公的に受容したと解される。また、ヘーグ
条約を理解するには、その背景に交戦法規一般を想定しなければならないが、交戦
法規には、主権国家のみが国際法の主体であるとの観念が一般的であった第二次世
界大戦前においても、交戦法規上では特別のレジー
ムとして個人に対する権利の付与と義務の賦課が長期に亘って承認されてきたとい
う特殊性があるところ、ヘーグ条約が「交戦者相互間ノ関係及人トノ関係」(前文
二段)を想定していることからすれば、同条約が交戦法規一般の発展を自己の中に
取り込んで個人の権利を保障するものとして策定されたと解すべきであることは明
らかである。ヘーグ条約三条(平成九年の第一追加議定書九一条に若干の修正をほ
どこして再現された)についての赤十字国際委員会コンメンタールは、「賠償を受
ける権利を有する者は、通常は、紛争当事国またはその国民である」と記述され、
個人の賠償請求資格を明瞭に認めているが、右コンメンタールは、ハーグ条約三条
と第一追加議定書九一条が、昭和二四年ジュネーブ諸条約の共通条項と同じ原則に
立脚していることを明らかにし、その趣旨は「締約国は・・・ジュネーブ諸条約及
びこの議定書の規則の被害者が賠償を受ける権利を否定することはできない」とい
うものと記述しており、個人は固有の賠償請求をなし得ることを明瞭に確認してい
る。そうしてみれば、右に記したとおりヘーグ条約が個人の損害賠償請求をなし得
る旨を記述していることは最大限に尊重されなければならないはずである。
(被告国の主張)
 原告らの国際法に基づく直接請求権に関する各主張は、原告ら個人が国際法上の
法主体性を有することを前提としているように思われるが、仮にそうだとすれば、
原告らの主張は、国際法上の基本的な考え方から離れた独自の立論というほかな
い。
 すなわち、国際法は、国家と国家との関係を規律する法であり、条約等は第一義
的には国家間の権利義務を定めるものであり、国際法が個人の生活関係、権利義務
関係を規律の対象としたとしても、それは、国家が他の国家に対し、そのような権
利を個人に認めること、あるいは、そのような義務を個人に課すことを約するもの
であって、そこに規定されているのは、直接的には国家と他の国家との国際法上の
権利義務であって、国際法が、個人の生活関係、権利義務を対象とする規定を置い
たということから、直ちに個人に国際法上の権利義務が認められ、あるいはこれに
よって個人が直接国際法上何らかの請求の主体となることが認められるものではな
い。
 国際法が国家間の権利義務を規律するものである以上、ある国家が国際法に違反
する行為により国家責任を負うべき場合、その国家に対し、右責任
を追及できる主体が国家であることは当然である。このことは、相手国国家から直
接被害を受けたのが個人であったとしても、同様である。この場合に、当該国家に
責任を問い得るのは、被害者個人やその関係者ではなく、被害を受けた個人の属す
る国家であり、外交保護権を行使することによって、右被害者等の救済が図られる
べきものである。
 原告らは、国際社会において、国際法上の違法行為が、国内私法上の不法行為に
類するものとして取り扱われていることを示す例として、ホルジョウ工場事件判決
を挙げているが、同判決は、ある国家の条約違反等の不法行為によって、他の国家
の私人が損害を受けた場合について、右損害を受けた私人の権利、利益と、その私
人の属する国家が侵害された権利とは異なるものであって、私人の受けた損害は、
その属する国家に支払われるべき賠償金額を計算するための便宜的尺度を提供する
にすぎないとして、国家間の賠償問題として処理されることを明らかにした判決で
あり、国家の個人に対する賠償義務を論じたものではない。したがって、同判決は
被告国の原告らに対する賠償義務の根拠となるものではない。
(1) 国際的人権規範違反の主張について
 国際人権規約B規約は、昭和五一年三月二三日に効力が発生し、我が国について
は昭和五四年九月二一日に効力が生じているが、一般に、条約が遡及的に適用され
るか否かは、別段の意思が条約自体から明らかであるか、他の何らかの方法によっ
て確認される場合を除くほか、条約の効力が当事国について生ずる日より前に行わ
れた行為または発生した事実については、当事国を拘束しないと解されている(ウ
ィーン条約法条約二八条参照)。
 国際人権規約B規約については、明文上遡及的な適用は認められておらず、本件
のような第二次世界大戦中の事実についての適用はないというべきである。
 なお、原告らは、世界人権宣言を「日本国を含む全ての国家がその遵守を義務づ
けられている国際人権規範」として挙げているが、世界人権宣言は、それ自体法的
拘束力を持たないものと解されており、賠償義務等の根拠とはなり得ないものとい
うべきである。
(2) 「人道に対する罪」違反の主張について
 「人道に対する罪」は、ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例六条及び極東軍事
裁判所条例五条において定められた戦争犯罪であって、第二次世界大戦に関連して
行われた非人道的行為、迫害行為
を行った行為者個人の刑事責任を明らかにし、これを処罰するために設けられた条
項である。したがって、「人道に対する罪」によって、違反者の属する国家の民事
責任を基礎づけ、当該国家の賠償義務を認めることはできないというべきである。
(3) 国際慣習法違反の主張について
 原告らは、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(ヘーグ陸戦条約)を引いて、人道
法上の違反行為についての国家の損害賠償義務が国際慣習化していることが確認さ
れていると主張するが、国際法上の違反行為がされた場合に、違法行為を行った国
家が、被害を受けた個人に対して直接に賠償義務を負うとの国際慣習法が成立して
いると主張するものであるとすれば、国際慣習法の成立については、①国家実行の
反復による不断かつ均一の慣行(一般慣行)の存在と、②国家が特定の行為を国際
法上義務的なものとして要求されていると認識して行うという法的確信という二つ
の要件が必要であるところ、かかる要件は満たされていない。ヘーグ陸戦条約三条
は、交戦当事者である国家が直接個人に対して賠償責任を負うことを定めたもので
はなく、国家間の権利義務を規定したものであるし、さらに、国際人道法違反行為
をした者を構成員とする国家が、右違反行為によって被害を受けた個人に対して直
接損害賠償を行った事例は存在しないから、原告らの主張に係る国際慣習法の成立
を認める前提である一般慣行自体が存在せず、法的確信が成立する余地もない。
(二) 国内法違反に基づく各請求権の有無
(1) 損失補償の法理に基づく請求権について
(原告らの主張)
 大日本帝国憲法下においては「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」(二
七条一項)との財産の保障原則の規定は存するが、日本国憲法二九条三項のような
損失補償に関する明文規定は置かれていない。しかし、日本国憲法二九条三項の定
める損失補償は、恩恵としてではなく、公益のために特定の者が特別の犠牲を払う
場合に、正義公平の見地から要求されるものであり、財産権保障の反面でもあるの
である。大日本帝国憲法下においても、法律による財産権の留保が予定されながら
も(二七条二項)、財産権を不可侵とすることは明確に唱われており(同条一
項)、両者の間の調整として条理上損失補償が行われることは憲法自身の精神とも
いえる。
 したがって、日本国憲法二九条三項が定める損失補償法理は、大日本帝国憲法下
においても財
産権補償の原則に基づき条理上認められていた権利であり、大日本帝国憲法下の国
家の行為により特別な損害を受けたものは、損失補償を請求できるというべきであ
る。
 そして、この損失補償の対象となる損害は、財産上の損害が対象となるのであれ
ば、より絶対視されるべき生命身体に対する損害が、その対象となることは当然で
ある。被告国は原告らに対し、逃亡すれば酷い目に遭うと脅し、完全な監視のもと
身体の自由を侵害して日本へ連行し、逃亡に対する拷問、処罰の脅威、逃亡しても
生きる術がないとの脅威、飢餓のもとで有無を言わせず労働させていた。かかる原
告らの生命身体に対する損害について、被告国は損失補償の責任を負う。
 被告国は損失補償について、大日本帝国憲法下では財産権の侵害について明文の
規定がなく、法律によっていかなる定めでも可能であり、その法律がない以上損失
補償は請求できず、裁判上、国の損失補償を請求する手続がなかったので、国の損
失補償の責任は予定されていなかったと主張しているが、前者の点について、被告
国の主張は歴史的経過を全く無視した議論である。すなわち、大日本帝国憲法は様
々な問題を抱えながらも、近代自由国家として日本が成立し、その中で市民階級が
演じた重要な役割の結果制定されたものであり、私有財産制はその根幹ともいうべ
きものであった。それ故、損失補償は単なる恩恵ではなく、正義公平の見地より特
別の犠牲に対する調整として認められると解されるべきである。したがって、法が
明文でもってその補償を否定していない限り、補償が認められるべきである(東京
地方裁判所昭和三二年(ワ)第三二三七号同三三年七月一九日判決も同旨)。ま
た、後者の点についても、行政裁判所法一六条の文言からは行政裁判所が国に対す
る損害賠償請求訴訟を受理しないことは明らかであるとしても、司法裁判所の権限
については必ずしも文面上明らかではない。また、大日本帝国憲法下の司法裁判所
が国家に対する損害賠償請求がなされた場合、本案審理を行ったうえ、「却下」で
はなく「請求棄却」の判決をしている事案は、右訴訟の司法裁判所の管轄権自体を
否定しているのではないことを表している。したがって、被告国がいう如く、制度
上の問題から大日本帝国憲法下で国に対する損失補償請求権が存在しなかったとい
うことはできない。
(被告国の主張)
 原告らが損失補償の法理に基づく請求として主張す
る発生根拠、主張内容からすれば、その求めるものは違法行為に基づく損害賠償で
あって、適法行為に基づく損失を補償する損失補償の範ちゅうに属さないから、原
告らの請求は、その立論において失当である。
 のみならず、日本国憲法二九条三項に基づく請求については、原告らが、本訴に
おいて、「補償」の対象と主張する損害の原因となる行為は、その施行以前のもの
であるところ、日本国憲法は、昭和二一年一一月三日に公布され、昭和二二年五月
三日から施行されたものであって、憲法上遡及効を認めた規定はないから、法律不
遡及の原則により、原告ら主張に係る被告国の違法行為の存否を論ずるまでもな
く、これに対して日本国憲法の適用や類推適用の余地は全くないというべきであ
る。
 さらに、大日本帝国憲法は、公益のためにする所有権等の財産権の制限につき、
公益のためにする必要な処分は法律をもって定められるべきことを要件とするにと
どまり、一般的に補償を与えるべきものであるか否かに関しては明文の規定を欠い
ていたから、どのような場合にどの程度の損失補償を認めるかは全く立法政策の問
題であったというべきであり、そのような補償立法が存在しない以上、公益のため
財産権に対する処分、制限がされたとしても、国民は損失補償の請求をすることが
できないというべきである。
 そして、権力的作用に基づく違法行為による損害賠償についても、大日本帝国憲
法下ではいわゆる「国家無答責の法理」によって賠償責任を負わないと解されてい
たのであるから、まして適法行為による損失補償責任が認められるはずのないこと
は、自明というべきである。
 視点を変えて、大日本帝国憲法下の裁判制度における損失補償請求についてみて
も、法律に定めのあるものを除き、裁判上損失補償を請求する手続がそもそも存在
しなかったのであるから、もともと手続面においても、同憲法下における損失補債
責任は予定されていなかったというべきである。すなわち、「行政裁判所ハ損害要
償ノ訴訟ヲ受理セス」(行政裁判法一六条)と定められていたことから、行政裁判
所に損失補償を求める訴えを提起することはできず、補償を認める法律があってこ
れに基づき損失補償を求める場合に初めて、訴願または通常裁判所への出訴が許さ
れていた。そして、訴訟を認める法律がない場合は、損失補償請求権が公権に属す
るということから、通常裁判所へ出訴をすることができないと
いうのが通説であり、確立した判例の立場でもあった(大審院明治四〇年五月六日
判決・民録一三揖四七六頁参照)。
 以上によれば、大日本帝国憲法下における損失補償は、法律の明文規定があって
初めて認められる制度であったというべきであり、補償立法がないことを前提とし
ながら、「損失補償の法理」に基づいて請求権が発生するとする原告らの主張は、
失当というべきである。
 なお、原告らは、原告らに加えられた強制労働は、「歴史的犯罪というべき太平
洋戦争の継続のために」されたとも主張しているところ、このような戦争犠牲ない
し戦争損害に対する補償は、憲法の全く予想しないところであって、憲法二九条三
項を根拠として補償を求めることはできないとされている(最高裁判所昭和四三年
一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁、最高裁判所平成四年四月
二八日第一小法廷判決・判例時報一四二二号九一頁)。
 したがって、原告らの受けた損害が、日本国憲法二九条三項の定める損失補償の
対象となることを前提とした原告らの主張は、その前提において誤ったものといわ
ざるを得ない。
(2) 民法七〇九条に基づく損害賠償請求権について
(原告らの主張)
 被告国は、原告らを朝鮮半島から強制連行し、被告新日鐵(当時は日本製鐵)と
共同して原告らを強制労働させた上、郷里への帰還義務を果たさなかったものであ
る。したがって、被告国は、原告らに違法に損害を与えたものであり、民法七〇九
条に基づき損害賠償責任を負う。
 被告国は、大日本帝国憲法六一条及び行政裁判所法一六条の存在を国家無答責論
の根拠としているようであるが、司法裁判所が管轄権を認めて請求棄却判決を下し
た判例が存在する。
 また、司法裁判所は、当初から、行政権の活動のうち、国家や公共団体が私人と
同様の立場で実施する経済的取引とか営利的な事業活動に関わる不法行為について
は民法の適用を認めていた。しかし、公益に関する活動については、民法の規定は
適用されないとして請求を棄却していた。もっとも、大審院大正五年六月一日判決
で、小学校の校庭に設置した遊具の瑕疵に基づく児童の人身事故に関して初めて民
法七一七条の適用を認めた。そしてこれを契機に、司法裁判所は、公益的な行攻活
動であっても、道路、河川、下水道など公共事業の実施や公物の管理の瑕疵に基づ
く不法行為については、国家、公共団体の損害賠償責任を肯定するに至っ
た。そして、大審院昭和七年八月一〇日判決(法律新聞第三四五三号)は、陸軍施
設の温泉利用工事によって温泉利用権の侵害を受けた者からの仮処分申請事件にお
いて、傍論ながら権力的行政作用についても、不法行為責任を肯定するような態度
を見せた。
 結局、国家無答責の法理の法律上の根拠はなく、大日本帝国憲法下において、当
時の民法の解釈上、権力的行政作用であること等が責任阻却事由として取り扱われ
てきたにすぎないものであり、しかも右責任阻却事由の範囲は大日本帝国憲法下に
おいてすら限定的に解釈されるようになっていた。
 日本国憲法一七条は、国家無答責の法理を明確に否定しており、現在そのような
法理に導かれて民法を解釈することは許されない。そして、法令の解釈は、過去の
時点の解釈にしたがうべきではなく、現時点における法令の解釈を適用しなければ
ならないから、現時点における民法の解釈としては、国家無答責の法理を当てはめ
る余地はない。
 本件において原告らは、現時点において、被告国の行為について民法の適用を主
張しているものである。したがって、被告国が主張する国家無答責の法理が現時点
の民法の解釈に適用される余地がなく、被告国は民法に基づく不法行為責任を免れ
ない。
(被告国の主張)
 大日本帝国憲法下においては、行政裁判法一六条は「行政裁判所ハ損害要償ノ訴
訟ヲ受理セス」と規定して、行政裁判所に対して国家賠償訴訟を提起する途は閉ざ
されていた。また、ボアソナードの起草した旧民法草案においては、国は私人と同
様に使用者責任を負うことと規定されていたが、後にその規定は削除され、国の権
力活動についての「国家無答責」の基本政策が確立された。
 その後の大審院の判例も、権力的な作用に関する事項については、国の損害賠償
責任を否定するという態度で一貫している(大審院昭和一六年二月二七日判決・民
集二〇巻二号一一八頁、大審院昭和四年一〇月二四日判決・法律新聞三〇七三号九
頁、大審院昭和一六年一一月二六日判決・民集一七巻二四号二六八九頁、大審院昭
和一三年一二月二三日判決・民集一七巻二四号二六八九頁、大審院昭和八年四月二
八日判決・民集一二巻一一号一〇二五頁)。
 また、最高裁判所昭和二五年四月一一日第三小法廷判沢(裁判集民事三号二二五
頁)も「国家賠償法施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の
根拠のなかったことは前述のとおりであっ
て、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国の賠償責任のないこと
を判示してきたのである。」として、大審院判例の立場を踏襲している。
 このように、大日本帝国憲法下では、権力的作用に基づく加害行為による国の損
害賠償責任は認められておらず、判例及び学説において、右原則に何らの留保も付
されていなかったものであるから、民法七〇九条に基づく原告らの請求は、主張自
体失当である。
(3) 事実的労働関係に基づく債務不履行責任等について
(原告らの主張)
 被告国は、その国策において、原告らを含む朝鮮人を労働者として日本製鐵ら戦
時重要産業である鉄鋼業等に投入し、後には徴用令を適用してその雇用を固定化
し、給与額から雇用期間に至るまでを決定して原告らの労務管理に積極的に関与し
てきた。日本製鐵と原告らは前記のとおり「特殊な社会的接触において発生した権
利関係」ともいうべき「事実的労働関係」にあるが、被告国もまた、この債権債務
関係にあっては、事実上の雇用者の立場に立ち、日本製鐵と連帯して未払賃金相当
額の支払義務を有する。
 仮に、被告国と原告らとの間に「事実的労働関係」が成立していないとしても、
被告国は、その国策によって原告らを被告新日鐵に投入し本件強制労働に付したこ
とについて不法行為が成立し、原告らにおいて発生した損害について賠償責任を負
う。
(4) 条理に基づく損害賠償請求について
(原告らの主張)
 仮にこれらの各法が適用されなかったとしても、被告国は条理に基づく損害賠償
請求責任を負う。
 条理とは、正義公平の理念であり、理性による道筋であるとされているが、成文
規範が存在しない場合には独立の法源となる。この条理の法源性については、明治
八年太政官布告第一〇三号裁判官事務心得に「民事裁判ニ成文ノ法律ナキモノ習慣
ニヨリ、習慣ナキモノ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ」と規定されており(三条)、本
件強制連行、強制労働、送還義務の不履行が行われた当時、既に右の裁判基準は定
められていたのである。
 被告国が行った官斡旋名下による連行とその後の徴用、就労、送還義務の不履行
により発生した損害は、被告国が賠償ないし補償する責任を有するのは、正義公平
の理念に照らせば、あまりにも当然である。
 さらに、近代社会においては、国民生活の中における国家の役割が増大し、その
ことによって国民の特定の部分に無視し得ないような損害がしばしば発
生するようになった。そのため、明文規定に基づく損害賠償法理や損失補償法理の
適用による救済が不可能もしくは著しく困難な場合であっても、正義公平の理念に
照らして国家補償を行うべきだとする法理が生じてきた(一種の結果責任の法
理)。この国家補償責任の法理は、国家の役割が飛躍的に増大し、統治行為が国民
生活に及ぼす影響が極端に大きくなった第一次世界大戦以降、既に成立しており、
例えば日本国憲法四〇条が定める刑事補償規定は、右法理の一部を戦後明文化した
ものにすぎないといわれている。
 原告らの損害は、植民地化の過程において国家が特定の個人に対して、特に大き
な損害を与えたものであり、刑事手続において右国家補償責任の法理が適用される
のであれば、本件での被害者たる原告らに対しても右の法理は適用され、救済措置
がとられて当然である。
 被告国が条理の具体的法規範性を否定したものとして引用する最高裁判所昭和三
五年一〇月一〇日大法廷判決(民集一四巻一二号二四四一頁参照)は、「原判決が
上告人主張の条理の存在はただちに肯定することはできない旨判示したことは正当
である」というが、条理が具体的法規範性を有しないと判示するわけではなく、む
しろ、「訴訟係属中に原告の上告人が準拠すべき法律が制定されたので、これに準
拠して請求すべきであり、直ちに条理に基づいて請求することは容認できない」と
判示しており、法律がない場合は条理に基づいて請求できることを予定している。
また、最高裁判所平成三年四月二六日第二小法廷判決(民集四五巻四号六五三貢)
は、条理に基づく処分庁の作為義務を認め、条理に具体的な法規範性を認めた。日
本国憲法三二条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規
定して裁判を受ける権利を保障し、右保障の内容には、何人も裁判所に訴訟を提起
し裁判を求める権利を有するということを含むのであり、裁判を求めた当該問題に
関して適用すべき法規がない場合、条理に基づき判断される外ない。したがって、
条理による裁判は現行憲法上の要請である。
 被告国は、いわゆる戦争損害ないし戦争犠牲に対する補償は、現行憲法の全く予
想しないところで専ら立法政策に委ねられるところであり、国の政策的裁量判断を
介することなく、裁判所の司法判断によって請求権を基礎づけようとする原告らの
請求は採用できないと述べ、最高裁判所昭和四三年一一月二七日大法
廷判決、同平成四年四月二八日第三小法廷判決、同平成九年三月一三日第一小法廷
判決を引用する。しかし、被告国が引用する右判例は、いずれも日本国憲法一四
条、二九条三項等に基づき補償等を請求したのに対し、「憲法の全く予想しないと
ころであり、同条項の適用の余地はない」あるいは「憲法二九条三項等に基づいて
これを一義的に決することが不可能である」等として、立法府の政策的裁量判断に
委ねざるを得ないと判示したものにすぎず、本件における条理に基づく請求は、万
一民法の不法行為規定の適用が認められなかった場合に、本件具体的事案について
正義公平の理念に基づく救済を求めるものであり、憲法判断を求めるものでも、立
法政策的な判断を求めるものでもない。
(被告国の主張)
 条理は、抽象的、多義的、相対的なものであって、直ちに補償請求権の根拠とな
るものではない。条理は、裁判規範として機能する法規範としては不完全なもので
あって、実定法に不備、欠陥等の不完全がある場合の解釈原理にとどまり、これを
超えて実体的法規性を有するものではない。最高裁判所昭和三五年一〇月一〇日大
法廷判決(民集一四巻一二号二四四一頁)も、条理に基づく損失補償請求を否定し
た原判決(東京地裁昭和二六年三月一日判決・民集一四巻一二号二四六四頁)を是
認している。したがって、条理を根拠として補償請求できることを前提とする原告
らの主張は、失当というべきである。
 いわゆる戦争損害ないし戦争犠牲に対する補償は、憲法の全く予想しないところ
であり、専ら立法政策にゆだねられるところであり(前掲最高裁判所昭和四三年一
一月二七日大法廷判決及び最高裁判所平成四年四月二八日第三小法廷判決)、「そ
の補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般に
わたった総合的政策を待って初めて決し得るものであって、憲法の各条項に基づい
て一義的に決することは不可能というほかなく、これについては、国家財政、社会
経済、戦争によって国民が受けた被害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立
法府の裁量的判断にゆだねられたもの」(最高裁判所平成九年三月一三日第一小法
廷判決・判例時報一六〇七号一一頁)というべきである。したがって、原告らの条
理に基づく補償請求は、このような国の政策的裁量判断を介することなく、裁判所
の司法判断によって請求権を基礎づけようとするものであって、この点か
らも採用できないものというべきである。
3 被告新日鐵による日本製鐵の債務の承継の有無について
(原告らの主張)
 被告新日鐵は、昭和二五年四月一日に設立された八幡製鐵株式会社が同日に設立
された富士製鐵株式会社(以下、八幡製鐵株式会社を「八幡製鐵」、富士製鐵株式
会社を「富士製鐵」、八幡製鐵と富士製鐵を併せて「第二会社」という。)を吸収
合併し商号変更を行って成立している会社であって、昭和二五年四月一日に解散し
た日本製鐵からは義務(債務)を承継していない旨主張するが、被告新日鐵の前身
である八幡製鐵及び富士製鐵は、日本製鐵と実質的に同一であり、さらに第二会社
が設立されるに至った手続等を規定した会社経理応急措置法と企業再建整備法から
は、第二会社は、原告らが本件において請求している未払賃金債務及び慰謝料債務
を日本製鐵から承継していることが明らかであり、被告新日鐵の主張は失当であ
る。
 日本製鐵は、昭和二三年二月八日、過度経済力集中排除法に基づき設置された持
株会社整理委員会により、「過度の経済力の集中」との指定を受け、同年一〇月九
日付の「日本製鐵再編成計画に関する司令案(以下「司令案」という)」をもっ
て、二社分割の指令を受け、八幡製鐵、富士製鐵の両第二会社に分割されたが、そ
の際、日本製鐵の保有していた八幡、γ、釜石、富士、δの各製鐵所のうち、八幡
製鐵所を八幡製鐵が、他の四製鐵所を富士製鐵がそのまま承継した。その後、昭和
二五年四月一日、日本製鐵は解散したが、八幡製鐵、富士製鐵は、昭和四五年に至
って合併し、被告新日鐵が誕生した。
 以上によれば、分割して別法人を設立したとはいえ、日本製鐵と八幡製鐵、富士
製鐵両第二会社は実質的において同一であり、八幡製鐵、富士製鐵両者の合併によ
り設立された被告新日鐵と日本製鐵の両者も、実質的に同一なのであり、被告新日
鐵の主張は失当であることは明らかである。
(1) 実質的同一性
① 営業財産の同一性
 第二会社は日本製鐵の各製鐵所を引き継ぎ、物的設備において日本製鐵と変わる
ところは全くなかった。
 第二会社の営業に要するすべての日本製鐵保有資産は、GHQの指令により賠償
指定を受けていた設備(賠償資産)を除いて第二会社に現物出資ないし譲渡され
た。また、賠償資産も形式上は日本製鐵に帰属するものとされながら、第二会社が
日本製鐵から貸与を受けることで実質的に受け継がれた。
 さ
らに、昭和二七年には、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い、賠償指定が解除
された。このため、あらためて八幡製鐵所関係の賠償資産は八幡製鐵に譲渡され、
δ、室蘭、富士製鐵所分は富士製鐵に現物出資され、旧賠償資産も含め、全面的に
第二会社に帰属することが確定した。
 その他、日本製鐵保有の特許権、実用新案権は第二会社が機会均等に無料使用で
きるものとされた。
② 取締役
 取締役や従業員などの人的関係面においても、第二会社は、日本製鐵と全く同一
であった。八幡製鐵及び富士製鐵の取締役はいずれも元日本製鐵の取締役であり、
その他の役員もすべて、日本製鐵の幹部従業員で占められていた。
③ 従業員
 日本製鐵における雇用関係はすべて第二会社に承継されて、従業員関係も日本製
鐵時代と何ら変わるところがなかった。現に、日本製鐵時代から八幡製鐵、富士製
鐵時代を通じ八幡製鐵所において勤務していたある元社員は、昭和二五年四月一日
の新会社移行にあたっては従業員に対し辞令一つ交付されなかった、と証言してい
る。
④ 社標
 八幡製鐵は日本製鐵の社標をそのまま社標として使用しており、富士製鐵につい
ても富士山の形をモチーフにしながらも、日本製鐵の社標を若干アレンジしただけ
のデザインが社標となっている。
⑤ 朝鮮人元徴用工遺族らに対する慰霊費等の支払被告新日鐵は、東京地方裁判所
に継続していた朝鮮人元徴用工遺族らによる遺骨引渡等請求事件において、釜石市
における慰霊の実施及び旅費の負担、韓国における合同慰霊への旅費の負担、個別
慰霊に関わる費用の一部拠出等を内容とする和解をした。これにより被告新日鐵
は、遺骨が返還されていない原告には二〇〇万円、遺骨が返還された原告には五万
円を支払った。被告新日鐵が、真に日本製鐵と別会社であれば、そのような慰霊金
等の支払をする必要もなかったものであり、被告新日鐵がこのような支払をしたこ
と自体が、日本製鐵債務の承継を自認していることを示すものである。
(2) 法的同一性
① 会社経理応急措置法と企業再建整備法は、国が企業等に対する戦時補償の打切
りを決定したに際して、企業がこれにより莫大な損失を抱え込み破産のやむなきに
至ることを考慮し、戦時補償打切りで著しい影響を受ける企業において特別の経理
処理を行うことを指示し、さらには、急激な事業の建て直しを図った法律であり、
基本的な内容は、会社経理応急措置法では、昭和
二一年八月一一日午前零時現在(指定時)の会社の資産を、事業の継続及び戦後産
業の回復振興に必要なものとそれ以外のものに区分し、前者を「新勘定」に、後者
を「旧勘定」にそれぞれ所属させ、以後の企業の活動は専ら新勘定において行い
(同法七条)、旧債務は原則として弁済を禁止し(同法一四条)、企業再建整備法
では、指定時以前の原因に基づいて生じた収入および支出は、旧勘定の収入および
支出として経理することとし(同法一一条三項)、企業に整備計画を提出させて、
日本製鐵のように第二会社を設立して事業継続を行う場合には、第二会社は新勘定
に区分された全ての債権債務を承継するというものであった(同法施行令三条)。
② そこで、原告らの請求する未払賃金債権及び慰謝料請求権が、新旧どちらの勘
定に区分されたか、第二会社に承継されたか等が問題となるが、第一に、会社経理
応急措置法自身が、旧勘定に属する「指定時以前に確定した給料その他命令で定め
る定期的給与債権」「従業員の預り金」「指定時以前に確定した退職金その他命令
で定める臨時的給与債権」等々については、新勘定からの支払を認めていること
(同法一四条)、第二に、企業再建整備法では、日本製鐵の従業員が第二会社設立
後に退職する場合には、日本製鐵の在職期間を通算して退職金を支払うこととさ
れ、その支払を確保するために、日本製鐵において積み立てられていた退職給与引
当金に相当する資産を第二会社に譲渡しなければならないとするなど(同法三四条
の三、四)、旧勘定と新勘定の区分は、日本製鐵と第二会社との実体的同一性を認
めざるを得ないことを反映して非常に弾力的なものとなっていること、第三に、旧
勘定と新勘定は、第二会社の設立登記時に併合され(企業再建整備法三六条)、新
旧勘定併合時には、旧勘定所属債務を被担保債権とする新勘定所属資産上の先取特
権、質権、抵当権が、右新旧勘定併合時に再度設定されたものと見なされること
(会社経理応急措置法一二条)、第四に、外国を履行地とする在外負債が存する場
合は、資産処分に伴う特別損失を処理するための仮勘定を閉鎖した後、主務大臣の
認可を得て、在外負債引当額に相当する金銭を特殊管財人に引き渡し、管理を委託
することになっているが(企業再建整備法施行令二条)、そのような措置がとられ
た形跡は存しないこと、第五に不法行為債権については新旧いずれの勘定に区分さ
れるべきか
明文の規定がなくその所属が明らかでないことなどからすれば、第二会社は原告ら
の請求する債権を承継しており、被告新日鐵が本件行為当時未だ会社として存在し
ていなかったという理由のみでは、本件請求を否認する根拠たりえないことは明ら
かである。
③ 被告新日鐵は債務の承継を否定する理由として、原告らの請求にかかる債務
は、すべて指定時以前の原因に基づいて生じた債務(いわゆる旧債務)であること
を掲げるが、基本的な前提として、特定の企業が解散し、その営業実体が全部第二
会社に移行する場合、日本製鐵の資産が新会社に移行する際に、債務だけが処理の
対象とならずに、自然的に消滅させられるごときことは、法の世界においてはあり
えないことである。その場合には必ず企業と債権者の間において、債権消滅ないし
変更にかかる合意がなされるべきであり、このような合意がなされないかぎり、企
業に対する債権は営業実体を全部譲り受けた第二会社に自動的に移行すべきことは
当然である。したがって、企業再建整備法一〇条が、新勘定の負担となった債務の
みを承継し、これ以外の債務(旧債務)を承継しないことを規定したものとすれ
ば、右条項は明らかに違法かつ不当である。したがって、同条項の解釈としては、
新勘定の負担となった債務の承継のみを規定している点において、誤解を招く立法
上の不備があるが、これ以外の債務の承継については明文による規定をなさなかっ
たとみるべきであり、法の一般原則によって、当然に旧債務も第二会社によって承
継されていると解すべきである。
 特に、本件原告は、実質的にみて、同法制定当時ならびにそれ以降において外国
人であり、同法の立法化過程において全く発言の機会を奪われていた。原告らの本
件債権は、日本製鐵に対する実体を持つ権利であるから、第二会社である被告新日
鐵がこの債務を承継していることは明らかである。
 そして、右事情を前提とする限り企業再建整備法の解釈としては極めて限定的に
なされるべきである。企業再建整備法五条は、特別経理株式会社の特別管理人は、
整備計画を立案し、主務大臣の許可を申請するものとし、整備計画に第二会社を設
立する場合、同法一〇条の規定による債務の承継と資産の譲渡に関する事項が含ま
れており、同法一〇条には第二会社は特別経理会社の新勘定の負担となった債務を
承継する旨を定めているものにすぎない。すなわち、同法五条は特別管理人
が作成し許可を求める整備計画の記載事項にかかる規定であり、同法一〇条一項
は、「特別経理株式会社が新勘定に所属する資産の全部または一部を出資する場合
においては、その出資を受けるものは、命令の定めるところにより、指定時後特別
経理株式会社の新勘定の負担となった債務を承継する」と規定しているが、これは
整備計画の記載事項についてその内容として必要な事項を記載したものであって、
これらから実体的に、第二会社が新勘定の負担債務だけを承継し、旧債務について
はこれを承継しない旨の結論を引き出すことは見当違いである。
④ 被告らの主張においても、以下のとおり、原告らの請求権の承継は否定されて
おらず、また、責任を免れるものではない。
 被告新日鐵の主張する「別会社論」とは、会社経理応急措置法及び企業再建整備
法(以下、一括して「両法」という。)上、第二会社は、日本製鐵の旧勘定に所属
する債務を承継せず、第二会社から商号変更、合併を経て成立した被告新日鐵は日
本製鐵の旧勘定に属することになる原告らの請求権を承継していないというもので
あるが、その内容は、両法上、第二会社は日本製鐵の債務を包括承継することには
なっていないという一般論を述べるにとどまっている。両法は旧勘定に属する債務
についても、第二会社がこれを承継する場合を認めており、加えて、本件のような
労働関係債務については債務の承継に関してかなり弾力的な条項を置いてその保護
を図り、在外負債については引当金としてその相当資産を引き渡す処理をしなけれ
ば旧勘定を閉鎖できないとしているのであるから、日本製鐵および第二会社が両法
においてどのような処理を行ってきたのかを明らかにされることなく、法人格上の
「別会社」であるとの一事のみでは、本件原告らの請求債権に対する責任の有無は
決せられない。
 日本製鐵と第二会社との実体的同一性を踏まえて、前述したように両法において
労働債権は弾力的に取り扱われており、不法行為債権についてはその帰趨が必ずし
も一義的ではなく、原告らの請求の承継が否定されていないことに加え、そもそ
も、会社の経営主体の変更等において労働債権を新日鐵の一方的な処理にかからし
めることができないこと、また、第二会社が設立された当時、既に再合同が予定さ
れており、日本製鐵と実質的に同一で継続性を有する会社となることが予定されて
いたことからすれば、被告新日鐵は責任を負う

 すなわち、被告新日鐵側の一方的処理により労働債権の責任主体を変動させるこ
とはできないというべきである。企業再建整備法下における第二会社の設立の実態
は、政策的に企業分割という要素が加味されたものの、営業継続を目的としてこれ
に要する全ての資産(および一部の負債)を現物出資する等してこれを承継させる
というというものであるから、実質的には企業の経営主体の変更ないし組織変更、
もしくはこれと同視しうるような営業の全部または一部譲渡ということができる
が、このような企業の経常主体の変更ないし組織変更、営業譲渡がなされた場合に
おける労働契約関係の扱いについては、裁判例上も、正義公平の観点から信義則上
新会社が旧会社と別人格であるとの主張は許されず、労働関係は承継されるものと
されているところ、かかる正義公平の観点からすれば、原告らの請求権については
責任主体を変動させることはできないことは同様である。
 しかも、第二会社の設立時においては、両法制定当時とは大きく社会情勢を異に
し、財閥解体方針は既に緩和され、分割されて設立された第二会社は将来的に再合
同することが予定されていた。そのような状況下で発足した第二会社は、実質的に
日本製鐵と同一の会社として存続していくことが既に見込まれていた。そのような
見込みにおいて設立された新会社が、補償打切りから除外されていた在外負債に属
する本件原告らの請求に対してまでも責任を負わないとするのは、まさに、第二会
社が形式上別人格であることを奇貨として義務を免れようとする行為に他ならな
い。
(被告新日鐵の主張)
(1) まず、原告も指摘する被告新日鐵の設立過程のとおり、被告新日鐵の法人
格は、日本製鐵のそれとは全く別個である。
(2) 仮に日本製鐵が原告らの主張にかかる債務(義務)を負担していたことを
前提としても、被告新日鐵は、これを承継していない。
 原告らの主張する、第二会社が旧債権としての原告らの債務を承継する根拠はい
ずれも理由がない。
 原告らは、第一の根拠として会社経理応急措置法一四条二項が「指定時以前に確
定した給料…」につき新勘定による支払を認めることをあげる。しかし、同規定
は、「旧勘定から弁済することができない場合に限り、特別管理人の承認を受け」
た場合に限り適用されるものであるところ、仮にその場合であっても、同法九条か
ら窺えるとおり、新勘定が当該旧勘定に属する債
務を承継するというものではなく、未整理支払勘定を介していわば当該債務を代位
弁済することを意味するだけのものである。したがって、同法一四条二項の規定
は、第二会社による債務の承継の一般的根拠にはなり得ない。
 原告らは、第二の根拠として、企業再建整備法が再建整備計画認可の日後の退職
者の退職金につき、それ以前の分を通算して第二会社が支払うこととしている点を
あげて、特別経理会社と第二会社は実体的に同一であるとする。しかし、原告も認
めるとおり、同法は、その場合も、特別経理会社は第二会社に対しその通算にかか
る退職給与引当金に相当する資産を第二会社に譲渡することとし、これを前提とし
て退職金通算の取扱いを規定しており、債務が当然に承継されるとしているわけで
はない。右取扱いは、かえって同法が両社の別会社性を前提として組み立てられて
いることを示すものである。
 第三に、原告らは、会社経理応急措置法一二条四項本文が、新旧勘定併合時に、
旧勘定所属債務を被担保債権とする新勘定所属資産上の先取特権等が再度設定され
たものとみなされることをもって承継の根拠とするが、かかる取扱いは、当該資産
が第二会社に帰属した場合(日本製鐵の場合はこれに該当する。)は除外されてい
る(同項但書)。
 原告らは、日本製鐵が、原告らに対して 未払賃金と慰謝料の支払債務を負担す
ることを前提とした上で、両法においてかかる債務の第二会社への承継が否定され
ていないこと、会社の経営主体の変更等において労働債務を新日鐵の一方的な処理
にかからしめることができないこと、第二会社は、設立当初から既に再合同をし
て、日本製鐵と実質的に同一で継続性を有する会社となることが予定されていたこ
となどから、被告新日鐵は、日本製鐵が原告らに負担する債務を承継していると主
張するが、かかる立論は、両法に対する正しい理解を欠くものである。
 第一に、企業再建整備法の下で成立した第二会杜は、新債権だけを承継するので
あり(同法一〇条一項)、第二会社は、特別経理会社の債務を当然に引き継ぐもの
ではなく、ただ第二会社が特別経理会社の新勘定所属財産の全部または一部の出資
を受ける場合には、その旧債権者を保護する必要があり、ここから一〇条一項がこ
の堤合に限り第二会社は旧債権を承継する旨を法定したのであるから、この理は特
別経理会社とその従業員との雇用関係に基づく債権についても同様に当て
はまるのであって、第二会社の設立及びこれによる旧債権の不承継は、両法の規定
にしたがって行われたものであるから、その実質の如何を問うまでもなく、債務の
不承継に関し、経営主体の変更等の一般法理の働く余地は全くないし、また、その
こと自体に信義則等の適用の余地もない。そもそも、両法は、政府による戦時補償
の実質的打切り措置への対処に端を発したものではあるが、そのこと自体に悪性イ
ンフレの回避という大目的があったことから知られるように、究極的には国民経済
の建て直し策の一環として、とりわけ民需生産の継続とインフレの回避という戦後
日本経済の再建という公益的な目的をもって作られた法律である。一企業が一債権
者の債権を切り捨てるために制定された等の事情のないこともちろんであり、第二
会社には同法に従ってなされた第二会社の設立と旧債権の不承継に関して、何ら信
義則に違反する等の事実はない。
 なお、具体的に日本製鉄の再建整備計画について論ずると、乙ロ四(整備計画認
可申請書)及び乙ロ五(整備計画修正申請書)(因みに、これらの書類は、被告新
日鐵が同法の事務の取扱い窓口である日本銀行に依頼をして取り寄せた文書であ
る)は、いずれも整備法第五条に基づき、日本製鉄が主務大臣(大蔵大臣、商工大
臣、運輸大臣)に提出した整備計画認可申請書の写しであるが、いずれの書類上
も、第二会社である八幡製鐵及び北日本製鐵株式会社(この商号は、昭和二五年三
月二八日の変更申請認可により、富士製鐵に改められた。)の該当事項欄には、旧
債権の承継につき「該当事項なし」と記載されている(乙ロ四「整備計画」の六、
一二貢、乙ロ五「整備計画」の七、一三頁)。乙ロ五の整備計画修正申請書は、そ
のまま昭和二四年一二月三一日付にて認可されており、したがって第二会社たる八
幡製鐵及び富士製鐵が旧債権を承継しなかったことは明らかである。
 また、原告は、第二会社は、設立当初から既に再合同する予定であったという
が、そのような事実はない。
Ⅲ 原告らに関する被告らの供託行為についての不法行為責任の有無
(原告らの主張)
 原告らは、日本製鐵に対して未払賃金請求権を有していたところ、日本製鐵は、
原告らに対し、昭和二二年三月一八日、原告P1について四六七円四四銭(給料五
七円四四銭、預り金四一〇円)、原告P2について四九五円五二銭(給料五〇円五
二銭、預り金四四五円)の未払金を供
託した(以下「本件各供託」という。)
 被告ら(被告新日鐵については当時は日本製鐵)の行った本件各供託は、債権者
への通知がないこと、債権者の住所が不正確であること、金額について不正確であ
ることなどから、供託の要件はなく、供託そのものは無効であるが、供託行為によ
り、原告らの未払賃金支払請求権の行使が困難な状況に置かれ、供託自体が無効で
あるという手続を採らざるを得なくなった上、供託の経緯は、宮城県内部部長の斡
旋により朝鮮人連盟との交渉によって未払金の交付の可能性があったにもかかわら
ずこれを妨害し、債権者への通知が不可能であることを知った上でなされたもので
あって、債権の実現そのものを困難に陥れたという点で債権侵害というべきであっ
て、不法行為が成立する。少なくとも、原告らは、財産権侵害はともかくとしても
慰謝料請求権を取得する。
 また、仮に本件各供託が有効であったとしても、供託法上、被告国は供託通知を
原告らに送付すべき義務を負っているところ、かかる義務が尽くされていない以
上、被告国は、供託通知義務違反により、未払金相当額の金銭の受領を困難ならし
めているから、その点については不法行為が成立し、現在もその状態が継続してい
るものというべきである。
 また、原告らに関して供託行為が行われた昭和二二年三月一八日の時点において
は、既に日本国憲法が公布されており、供託官は、供託を受理した後に、日本銀行
から供託物受領の証券を受け取ったときあるいは供託書とともに供託金の受領を受
けたときには、被供託者に対して、供託通知書を発送しなければならない義務を負
っているにもかかわらず(民法四九五条、供託規則第一九条、第二〇条、第一六
条)、右供託官の被供託者である原告らに対する供託通知書の発送義務は憲法施行
後さらには国家賠償法施行後においても懈怠されている。
 供託通知書発送義務に関して、被告国は、民法四九四条に定める債権者の受領不
能であるときには供託者の被供託者に対する通知義務は発生しない、と述べるが、
右のような解釈は恣意的である
 まず、民法四九四条は、債権者が弁済の受領を拒んでいることと受領することが
不能であるときに弁済者が供託することができる、としており、受額拒絶と受領不
能とを区別していないし、このことは民法四九五条三項においても同一である。ま
た、解釈上、民法四九四条の「受領不能」については、電話で債権者の
所在を聞いたが、その家人がわからないと言ったというような場合をも含めて広く
理解されている(大審院昭和九年七月一七日判決など)が、そのようなときのすべ
てに被供託者に対する通知の義務が発生しないということは到底ある得べからざる
解釈というしかない。被告国は、債権者が居所不明ないし通信不能であったと述べ
るが、そもそも本件供託当時においてもその後においても居所不明ないし通信不能
であったということはまったく証明されていない(証人P5が試みた連絡ができた
ことは本件審理の上で証拠上明らかである)上、自ら強制的に連行し、大阪におい
て就労させた上、清津に転傭させて、その後何らの手当をもしなかったというので
あるから、居所不明ないし通信不能という理由で通知義務がなかったなどのことを
主張すること自体信義則に反するといわなければならないのであり、前記のような
主張は失当極まりない。
 したがって、本件各供託が、「供託者が被供託者に供託の通知をしなければなら
ない場合」であることは、民法四九五条三項の規定により明確であり、そうである
にもかかわらず、供託規則第一九条または第二〇条に定める供託官の供託通知書発
送義務を懈怠し続けたことは、明らかに供託官の違法行為であり、供託官が公権力
の行使をする公務員であることも明らかである。そして、供託官が原告らに対して
供託通知書の発送をしていれば、原告らは供託物還付請求権を行使し得たと考えら
れるのであって、供託官の前記違法行為と原告らが供託物還付請求権の行使を侵害
されたという損害とは相当因果関係に立つことも明らかである。
 よって、被告国は、原告らに対して国家賠償法に基づいて前記損害を賠償する義
務を負担する。
(被告国の主張)
 弁済供託は、債務者が、弁済の受領拒絶あるいは受領不能等の場合に、債務を免
れるためになすものであって(民法四九四条)、債務の本旨に従ってなされた弁済
供託そのものが債権侵害となるものではないことは明らかである。
 また、債権者が居所不明ないし通信不能である場合には、受領不能を原因として
弁済供託ができることになる(民法四九四条)が、そのような場合には、供託通知
書の送付は不可能であるから、供託者の通知義務(民法四九五条三項)は発生しな
いことは明らかであり、また、そうである以上供託官に供託通知書の送付義務も発
生しない。
(被告新日鐵の主張)
 本件各供託をめぐる不法
行為が成立しても、これに基づく債務について、第二会社である八幡製鐵及び富士
製鐵のいずれも、その設立に際し、これを引受承継していないから、被告新日鐵に
は責任はない。
Ⅳ 損害等
(原告らの主張)
1 未払金について
 原告P1についていえば、日本製鐵は給料として金五七円四四銭及び預り金とし
て金四一〇円の合計金四六七円四四銭を未払金として供託した。また、昭和二〇年
六月一四日付で清津へ転傭になっているものの、その間終戦までの間の二か月間給
料を受領していないものであるから、二か月分合計金一一四円八八銭が右の供託金
に加算されたもの(計金五八二円三二銭)が日本製鐵の原告P1への未払金とな
る。
 原告P2については、日本製鐵は給料として金五〇円五二銭、預り金として金四
五五円の合計金四九五円五二銭を未払金として供託した。また、原告P1と同様清
津でも二か月分の給料として金一〇一円〇四銭が加算されたもの(計金五九六円五
六銭)が日本製鐵の原告P2への未払金となる。
 そして、総理府統計局が発行する日本統計年鑑から、昭和二〇年八月以降の消費
者物価指数の推移を見ると、昭和二〇年八月を一〇〇とした時、平成五年一二月に
は、一万八四〇〇となっており、一八四倍になっている。また、同じ時期において
賃金(製造業)の指数の変動を見ると、一〇〇から五二万九〇六九に上昇してお
り、約五二九一倍になっている。原告らの未払金のほとんどは賃金であることを考
慮すると、貨幣価値の変動に対する修正としては五〇〇〇倍にすることが相当であ
る。
 したがって、原告P1にあっては金五八二円三二銭×五〇〇〇=二九一万一六〇
〇円、原告P2にあっては金五九六円五六銭×五〇〇〇=二九八万二八〇〇円が未
払金として計上されるべきである。
2 慰謝料
 被告らの強制連行、強制労働によって原告らが被った精神的損害は実に重大であ
る。原告らは被告らによって、日本国の圧倒的支配体制の中で強制連行、強制労働
させられ、朝鮮民族の解放と全く相反する帝国主義戦争の継続のための道具とし
て、問答無用に酷使され、また母国から引き離されて、家族との断絶を含む社会的
不利益を強制されたが、原告らが被った損失は金銭に評価できないほど大きい。ま
た、原告らが受けた賃金の未払という言語道断の事態に対して被告らは、それが自
らの責任に帰着するものであるにもかかわらず、全くこれを顧みず、原告らを放置
し続
けた。被告らの行為により原告らの受けた精神的損害を金銭的に評価すると、各一
五〇〇万円を下らない。
3 弁護士費用
 本件訴訟において原告らの支払うべき弁護士費用のうち、被告らの責任と相当因
果関係のある金額は、それぞれ一〇〇万円である。
(被告新日鐵の主張)
 原告ら主張の事実はいずれも不知。
Ⅴ 被告らの責任の消滅の可否
1 日韓協定等による消滅の可否
(被告新日鐵の主張)
 日本国と大韓民国(以下「韓国」という。)との間では、昭和四〇年六月二二日
に「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国
との間の協定(昭和四〇年一二月一八日条約第二七号。以下「日韓請求権協定」と
いう。)が締結された。
 その二条一項及び二項では、「①両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含
む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問
題が、昭和二六年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条
約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととな
ることを確認する。②この条の規定は、次のもの(この協定の署名の日までにそれ
ぞれの締約国が執った特別の措置の対象となったものを除く。)に影響を及ぼすも
のではない。(a)一方の締約国の国民で、昭和二二年八月一五日からこの協定の
署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがある者の財産、権利及び利益、
(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって昭和二〇年八月一
五日以後における通常の接触の過程において取得されまたは他方の締約国の管轄の
下にはいったもの」と規定されるとともに、同条第三項には「③②の規定に従うこ
とを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協
定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約
国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日
以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないも
のとする。」と規定された。
 そしてその後、日本国では、日韓協定内容の具体的実現のため、「財産及び請求
権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二
条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和四○年一二月
一七日公布法律第一四四号)」(以下「
財産権措置法」という。)が制定されたが、その一項本文及び一号では、「次に掲
げる大韓民国またはその国民(法人を含む。以下同じ。)の財産権であって、協定
第二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、次項の規定の適用があるものを
除き、昭和四〇年六月二二日において消滅したものとする。ただし、同日において
第三者の権利(同条3の財産、権利及び利益に該当するものを除く。)の目的とな
っていたものは、その権利の行使に必要な限りにおいて消滅しないものとする。一
 日本国またはその国民に対する債権」と規定されている。
 したがって、原告らが日本製鐵に対し原告ら主張の如き請求権を有していたとし
ても、同請求権は日韓請求権協定二条三項及び財産権措置法一項本文及び一号によ
り昭和四〇年六月二二日に消滅した。
(原告らの主張)
(一) 財産権措置法の効力
 被告新日鐵の主張する財産権措置法は、以下の点において無効である。
 第一に、日本の統治権の及ばない他国の領域内にある者に対して、その者の日本
国または日本国民に対する財産権を一方的に消滅させる措置を、日本の国内法とし
て制定しても、その他国人に効力は及ばない。第二に、財産権措置法の根拠となっ
た日韓請求権協定については、その効果は、日本国が相手国に対し外交保護を放棄
したものにすぎず、個人の請求権を放棄したものではない、とされており、したが
ってそれに基づく財産権措置法は個人の請求権を消滅させる効力を持たない。第三
に、もし財産権措置法により一方的に韓国人の財産が奪われることになると、それ
は、何らの補償なく個人の財産権を国家が侵害することになり、それは、日本国憲
法二九条に違反する。
(二) 日韓請求権協定の締結の経緯
 第二次世界大戦における日本の敗北を受けて、戦後日韓両国間の協議・交渉が行
われたが、その交渉における基本的な主張の対立点は、韓国が日本の植民地支配に
よる損害も含めて全面的な賠償を求めたのに対し、日本が、「植民地支配は合法で
あった」、すなわち明治四三年の韓国併合条約は有効に締結された、との前提で、
韓国に対する賠償としては拒否をし、韓国に対する「独立祝賀金」あるいは韓国に
対する経済援助として幾ばくかの経済的支出を検討する、というものであった。検
討項目には、「戦争による被徴用者の被害に対する補償」という項目も含まれ、韓
国側の基本的態度は、「経済協力」等の問題は賠償問
題が解決され日韓両国の国交が正常化された後の問題である、というものであった
のに対し、日本政府の態度は極めて低額の金銭支払を検討する、というものであっ
た。
 こうした会談における根本的な態度の相違から、会談はしばしば暗礁に乗り上
げ、容易に合意に達することができなかったが、朴正熙政権誕生後政治的決着が目
指されるようになり、一九六二年における大平外相と金鐘泌特使(韓国中央情報部
長)の会談の後、最終的に金特使が折れて事実上の合意に至った。その合意内容が
記載されたものがいわゆる「金・大平メモ」であるが、池田首相及び朴大統領(当
時)がこれを承諾し、この後同年一二月、大野自民党副総裁が訪韓し、対日請求権
を経済協力という形で解決するという案を正式に示し、韓国側も同意する、という
運びとなった。このように、結局、韓国側の求めた請求権論議は打ち切られ、その
後は、「日本の韓国に対する経済援助」の額の問題が論議されていくことになり、
最終的には、金額的には、三億ドルの無償供与、二億ドルの有償供与を内容とする
協定が、一九六五年六月二二日に調印されたが、その過程では、従軍慰安婦問題、
BC級戦犯問題、在韓被爆者問題、サハリン残留韓国人間題などについては、全く
論議されなかった。
(三) 日韓請求権協定の意味
 日韓請求権協定の締結経緯及び内容からすると、同協定の持つ意味は以下のとお
りに理解されるべきである。
 まず、締結経緯と締結結果からすると、請求権協定一条が「前記の供与及び貸付
けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」とするように、供
与金の趣旨は、韓国側が求めていた日本国あるいは日本国民に対する請求権に対応
する賠償では全くなかった。
 また、請求権協定二条一項においては、「両国及びその国民の財産、権利及び利
益並びに両国及びその国民間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決され
たこととなることを確認する」との規定がおかれたが、この「完全かつ最終的に解
決済」という規定の持つ意味については、当初からそれは、国家としての外交保護
権の放棄を意味すると理解され、その趣旨は、その後の国会においても確認されて
いる(平成三年八月二七日の参議院予算委員会における柳井条約局長答弁)。
 そして、日韓請求権協定二条三項は、両国は、互いに相手国のとる国内的な措置
について何ら主張しない、と前記の趣旨を確認している。財
産権措置法は、この規定に基づく日本における国内的措置である。したがって、同
法の解釈においても、この協定の意味が当然の前提となる。
(四) 財産権措置法の意味とその効力について
 財産権措置法は、韓国在住の大韓民国国民の権利について「消滅した」と規定し
ており、日本の国家としての統治権が及ばない地域と国民について、日本がその国
内法で、当該外国の国民の権利の消滅したことを規定しているが、常識的に、こう
した国内法が当該外国人に効果が及ぶと理解することは不可能である。当該外国人
は、その法律に関して何らの関与もすることはできないにもかかわらず、一方的に
その有する権利を消滅させられるという事態は原理的に理解しがたい。同法は日本
の国内法として定められたものであり、したがって、その意味は、債務者である国
とその国民が、相手国あるいは相手国国民に対して負っている債務を、その債務者
だけで、一方的に「その債務は消滅した」、と宣言したものとしか理解できない。
そして、そのような立法によって、その債権者の有する債権を一方的に消滅させ得
る法的根拠はどこにも存しない。
 さらに、財産権措置法は、昭和四〇年一二月一七日に制定されながら、権利の消
滅について、同年六月二二日に遡るとされているが、法により遡及的に権利が消滅
するとされながら、それに対しては何らの補償の措置もとられていない。もし同法
が実体的にも韓国国民の請求権を消滅させるだけの効力をもつと理解するとするな
らば、何らの補償なく、国家が一方的に個人の権利を奪う結果を承認することにな
り、明確に日本国憲法二九条に反する。財産権を一方的に奪う法律は在外の外国人
に適用し、財産権を補償したその上位規範は適用しない、等との便宜的な取り扱い
は断じて許されない。
 財産権措置法は、その規定自体から明らかなように、日韓請求権協定二条を根拠
として制定された。すなわち、「韓国の国民」の請求権が「消滅した」とされる根
拠は、日韓請求権協定において「完全かつ最終的に解決済み」とされたからであっ
て他の理由は存在しない。一般的に債権の消滅事由としては、弁済、相殺、更改、
免除、混同が民法四七四条以下で定められているが、同協定締結の過程で、その債
権者たる韓国国民が債務を免除するような何らかの意思表示をしたこともないし、
また、債権の弁済に該当するような事実もない。ただ、協定によって「解決済み」

されたのみである。すなわち、同法はあくまでも協定の砕からは一歩も抜け出して
いない。したがって、財産権措置法が制定されたからといって、個人の請求権は消
滅させられたことにはならず、そうした国内法を日本が制定することについて韓国
政府としては何らの異議を述べない、ということを意味しているに過ぎない。
 以上からすると、同法における「権利消滅」の意味は、結局は協定における「完
全かつ最終的に解決済み」との文言の解釈以上のものはない、すなわち、韓国人の
日本国または日本国民に対する個人の請求権を消滅させるものではない、と解釈せ
ざるを得ない。法案の審議過程でその趣旨について特に審議が尽くされていない点
からも、日韓条約及びその下の諸協定の承認に付随する些末な問題であると捉えら
れ、財産権措置法は、日韓請求権協定二条三項を受けて、その趣旨に沿った国内法
を制定することにより、日本政府が国内的に日韓請求権協定を締結したことを宣言
する趣旨のいわば政治的マニフェストにすぎないといえる。
 また、財産権措置法が、そもそも実体的に特定の個人の権利を消滅させる効力を
もたないこと、少なくとも韓国国民に対して効力の及ばないこと、等から、原告ら
の請求を否定することができないことは、富山地方裁判所平成八年七月二四日判決
からも明らかである。
(五) 以上から、財産権措置法を根拠に原告らの被告新日鐵に対する請求を否定
することは許されない。
2 消滅時効の援用及び除斥期間について
(被告新日鐵の主張)
(一) 不法行為に基づく請求権について
 仮に、被告新日鐵が原告ら主張の債務を負担するとしても、原告らが主張するこ
とのできる最終の不法行為日と思われる昭和二〇年八月一五日の翌日から起算して
満三年が経過した。よって、被告新日鐵は民法七二四条による消滅時効を援用する
(なお、原告主張にかかる国際法違反の請求も、その実質は不法行為請求であるの
で、ここでの消滅時効及び除斥期間の経過による請求権の消滅の対象になる。)。
 仮に時効消滅が認められないとしても、原告らが主張することのできる最終の不
法行為日と思われる昭和二〇年八月一五日の翌日から起算して満二〇年が経過した
ので、原告ら主張の債権は除斥期間の経過により消滅した。
(二) 債務不履行に基づく請求権について
 仮に、被告新日鐵が原告ら主張の債務を負担するとしても、未払賃金の点につい
ては、その債務履
行日たる昭和二〇年八月から起算して満一年が経過した。よって、被告新日鐵は民
法一七四条一項による消滅時効を援用する。
 また、安全配慮義務違反の点についても、その不履行が生じたもっとも遅い月と
思われる昭和二〇年八月から起算して満一〇年が経過した。よって、被告新日鐵は
民法一六七条一項による消滅時効を援用する。
(原告らの主張)
(一) 被告新日鐵の主張は、不法行為債権に関する除斥期間の主張については、
民法七二四条後段を除斥期間と解する点で誤っており、仮に除斥期間であると解さ
れるとしても、本件においては、信義則違反、権利濫用等を理由とする適用制限が
認められるべきであるので、除斥期間の適用はない。また、不法行為及び債務不履
行のいずれに基づく債権にしても、被告新日鐵が時効を援用することは、信義則違
反、権利濫用である。また、仮に被告新日鐵による時効援用が許されるとしても、
被告新日鐵の主張は、時効の起算点を誤ったものである。
(二) 民法七二四条後段は消滅時効を定めたものというべきである。
(1) 同条後段を除斥期間と解することは次の理由から誤りである。第一に、長
期消滅時効と解しても前段のように起算点に主観的認識を含めないのであるから、
そこに二重規定の意義を認めることができる。第二に長期時効説に立ち二〇年の期
間の中断を考えた場合も、中断の前提として損害及び加害者を知っているわけであ
るから、その時から短期の三年間の時効が進行するはずであり、浮動性の排除の点
でそれほどの差異はない。第三に、この短期時効の中断を永続化していけば確かに
権利は永続するかもしれないが、それは権利一般に当てはまることで、なぜ不法行
為に基づく損害賠償請求権の場合だけ、権利一般に認められることが許されないの
かが問題となる。第四に、この規定の淵源となったドイツ民法典八五二条において
は、三年の短期時効とともに規定されている長期期間は明文上時効であるとされて
いるし、しかもその期間が我が国よりも長い三〇年であること、時効であるが故
に、この長い三〇年の期間の中断や停止も当然に前提とされていることも留意に値
する。この点については、最高裁判所平成一〇年六月一二日判決の反対意見も、同
様の見解を示している。
(2) これに対し、文言上は民法七二四条後段の期間は消滅時効を定めたものと
解するのが素直であり、立法者の意思も右期間は時効期間と解するもの
であったこと、除斥期間説は時効説に比して浮動性排除をより達成するかもしれな
いが、それも程度問題にすぎないこと、公害や労災など構造的、潜在的な被害発生
の多発する今日において、既存の除斥期間説による画一的な処理は、いたずらに被
害者切り捨て機能を果たすだけであることからすれば、民法七二四条後段の期間
は、長期の消滅時効を定めたものと解するのが妥当である。
(3) 以上より、民法七二四条後段の期間は時効期間であるから、その適用にあ
たっては、当事者の援用が必要である。そして、本件において被告新日鐵が、右援
用を行うことは、信義則違反、権利濫用となる。
(三) 除斥期間に対する信義則違反、権利濫用による適用制限の存在
 民法七二四条後段の期間が、仮に除斥期間であるとしても、その適用に際して
は、信義則違反、権利濫用等を理由とする適用制限が認められるべきである。同条
後段について連用制限が存することは、最高裁判所平成一〇年六月一二日判決、下
級審判決(京都地方裁判所平成五年一一月二六日判決・判例時報一四七六号三頁)
においても認められているところである。
 最高裁判所平成一〇年六月一二日判決は、民法七二四条後段の適用制限を民法一
五八条の法意に照らして認めており、これは右適用制限を右範囲に限定するかのよ
うであるが、その根底には、停止事由に該当する被害者の心神喪失の状況が、当該
不法行為の結果として発生している事実を重視したことが存することから、民法七
二四条後段の連用制限は、右場合に限定されるべきものではなく、不法行為者が被
害者の権利行使を困難にした場合等、同条後段の適用を認めることが「著しく正
義、公平の理念に反する」場合に広く同条後段の連用制限が認められることを示し
たものと解すべきである。
 そもそも、除斥期間という性質を根拠に濫用論を一律に排斥すべき論理的必然性
はない。例えば、ドイツでは消滅時効の抗弁に対する許されない権利行使の抗弁の
原則が、それぞれの除斥期間の意義と目的に反しない限りで、除斥期間にも適用さ
れうるとされている。また、除斥期間制度における画一性の要請もそもそも程度問
題であり、早期確定が唯一、絶対の基準ではなく、それも正義と信義の枠内での規
範的判断に服すべきである。よって、最高裁判所平成元年判決があたかも除斥期間
が濫用論を一律に排斥するかのような帰結は、理論的に誤りである。
 以上より、仮に民
法七二四条後段の期間が除斥期間と解されるとしても、その適用には信義則及び権
利濫用の法理ないし正義公平の理念が適用される。
(四) 本件における被告新日鐵の主張の信義則違反、権利濫用の実情
 そして、前述した被告らの強制連行、強制労働に至る経緯、その態様、原告らの
受けた精神的損害、被告らの賃金未払の態度、供託に至る過程、日韓条約の制定過
程、その他、平成七年に戦後五〇周年の節目を迎え、国会においても戦争被害者へ
の謝罪と補償問題が議論され、そこにおいて、朝鮮人徴用工に労働を強いた企業の
責任も問題外ではなかったが、被告国も被告新日鐵も、原告ら被害者に対しては、
なお、何らの調査も行わず、未払金を供託していた事実を知らしめようともしなか
ったこと、結局、原告ら外国にある外国人被害者にとっては、日本と当該国におい
て支援体制が組まれ、請求方法を検討し、実際に請求、提訴できたときになって初
めて、その請求権を行使しうる客観的状況に至ったことなどに鑑みると、被告新日
鐵が除斥期間を主張することは信義則に反し、権利濫用である。
(五) 本件においては以下のとおり民法七二四条は適用されるべきではない。
(1) 時効、除斥期間の本来の趣旨は、権利行使が十分可能でありながら、その
権利を長期間行使せず、あるいはその権利の不行使につき権利者に基本的な責任が
ある場合に、いわば「権利の上に眠る」者の権利をいつまでも保護する必要がな
い、という考えである。そして、一方で義務者側の防御権の行使が、その期間の経
過故に妨げられる、という結果となることから、正義、公平の理念から認められて
きた制度である。こうした観点からするとき、原告らが本件訴訟に踏み切るまでの
以上の状況を見れば、期間遵守は客観的に不能であり、それは、到底「権利の上に
眠る」という評価がなされるべき状態ではない。逆に、被告らは、原告らが外国に
ある外国人であることを奇貨として、何らの催告、通知も行うことなく、無効な供
託を行い、会社経理応急措置法、企業再建整備法をもって、日本製鐵と実体的に同
一である被告新日鐵と原告らに対する債務は法形式上無関係であるとの外形を作出
していたのである。
 こうした状況からすれば、原告らが、韓国在住の韓国人被害者であることを考え
合わせると、被告新日鐵が消滅時効を援用し、除斥期間を主張することは、明らか
な権利濫用であり、著しく信義に反するものと
いわざるを得ない。
(2) 以上により、被告新日鐵が民法七二四条後段の時効を援用することは信義
則違反、権利濫用であり排斥されるべきである。また、仮に右期間を除斥期間と解
しても、除斥期間の適用にも信義則違反及び権利濫用の法理の適用があるというべ
きであって、本件における除斥期間の適用は信義則違反、権利濫用として排斥され
なければならない。
 よって、本件においては民法七二四条後段の期間制限の適用はない。
(六) 原告らの債務不履行に基づく請求に対する消滅時効の援用は以下のとおり
信義則違反となる。
 本件提訴に至るまでの原告らと被告新日鐵の客観的状況は、民法七二四条の適用
をめぐる実情として述べたとおりである。かかる経緯、状況は、債務不履行請求に
おいても同様である。
 したがって、原告らの債務不履行に基づく請求(賃金、安全配慮義務等)に対す
る、被告新日鐵による時効援用も、前項までにおいて述べたところと同様にして、
信義則違反、権利濫用として許されない。
(七) 被告新日鐵の消滅時効の起算点に関する主張は以下のとおり誤りである。
 すなわち、消滅時効の時効期間は、一般的に、「権利を行使することを得る時」
から進行するとされている。原告らの場合、日本の戦争責任に関わる戦争被害者で
あるうえ、韓国にある韓国人であるという特殊性から、前述したとおり、客観的に
「権利を行使することを得る時」に至ったのは、韓国及び日本の双方において、権
利行使方法を検討し、具体的に訴訟提起の準備を行う支援体制ができたときであ
り、そのような状態に至って初めて、その権利を行使しうる状態になったのであ
る。それまでは、原告らにおいて権利行使しようにも、その行使は不能であった。
 したがって、消滅時効の起算点は、韓国及び日本において支援体制が組まれ、国
境を越えて実際に訴訟提起ができる時点に求められるべきであり、本件において
は、それは、平成九年一二月の提訴時点になってからである。
Ⅵ 謝罪文の交付について
(原告らの主張)
 原告らは、被告らの強制連行、強制労働により、その人格権を著しく侵害された
ものである。当時、被告国は、侵賂戦争、植民地支配のなか、朝鮮民族を、「半島
人」「二等国民」と呼んでおきながら、侵略者である日本の天皇の名の下にすべて
をなげうって働くことを要求し、原告らについても有形無形に力づくでこれに従わ
せ、あげくには賃金の支給もせずに
見知らぬ土地で放置した。このような原告らに対する処遇は人格権を著しく侵害し
たものといえるうえ、被告らはこのような状態を永年放置し続けたものであり、被
告らの行為は歴史的背景を持つものであるとはいえ、決して正当化できるものでは
ない。このような原告らの心情を考えた場合、本件においては別紙謝罪文記載のと
おりの謝罪文が被告らより原告らに交付されるべきである。
 不法行為に対する被害(損害)回復方法としては、民法上、金銭賠償を原則とす
ることが定められている(民法七二二条一項)が、同条は現代社会において一般的
に合理的と解されるところを規定しただけであって、必要に応じて適当な原状回復
の方法によって被害が救済されることを排斥するものでないことは広く承認されて
おり、名誉毀損事例においては、民法七二四条に基づき、判例上も事案の被害救済
にふさわしい原状回復方法として謝罪広告、謝罪文の交付などが認められている。
本件訴訟は、まさに原告らの受けた人格の名誉回復を求めたものであるが、このよ
うな被害に対する救済方法としては、金銭賠償のみで救済されるものではない。そ
こで、原告らは、民法七二四条を類推して、金銭賠償に併せて、謝罪文の交付を請
求する。
 なお、植民地支配における被告国の行為については、これまで、被告国自身が、
外交関係においてこれまで幾度も謝罪文言を検討し述べてきたところであるが、植
民地支配下の行為について明確な謝罪文言を述べることによって初めて国家間の正
常な関係を築いていくことができることの現れであり、外交関係における原状回復
の重要な要素であることを被告国自身が自認しているものに他ならず、直接の被害
当事者である原告の被害救済においては、なおさら明確な謝罪を伴う原状回復方法
がとられるべきことは当然であり、謝罪文の交付は本件における適切な原状回復方
法といえる。
第三 当裁判所の判断
一 前提事実関係
 証拠(甲一ないし四、六ないし一二、一四ないし二四、二六ないし三八、乙ロ一
ないし五、証人P5、原告P1、原告P2)及び弁論の全趣旨によれば、原告らの
大阪製鉄所での労働に関する前後の経緯から本訴提起に至るまでの事情として以下
の事実が認められる。
1 原告らの就労状況等
(一) 原告らの朝鮮での生活状況等
 原告P1は、昭和元年一一月二一日、朝鮮半島全羅南道にある農村に八人兄弟姉
妹の四番目(長男)として生まれた。同原
告の創氏改名による日本名は「P6」であった。
 原告P1は、同所で小学校に通学した後、父が事業に失敗したため、昭和一七年
に一六歳で京城に出稼ぎに行き、喫茶店や酒場で働き、昭和一八年に平壌に移り、
日本人の経営する食堂で働くようになった。
 原告P2は、大正一二年六月八日に朝鮮半島全羅北道で二人兄弟の二男として生
まれた。同原告の創氏改名による日本名は「P7」であった。
 原告P2は、四歳の時に、兄とともに忠清南道論山郡〈以下略〉の伯父の家に預
けられ、伯父夫婦に養育されたが、伯父夫婦が貧しかったため、幼い頃から農作業
を手伝わされ、学校には行かせてもらえなかった。原告P2は、一三、四歳頃にな
ってようやく簡易学校(一五歳から二〇歳ぐらいの朝鮮人を対象に二年間日本語を
教える学校)に通いはじめ、三か月程日本語を学んだ後、日本人の経営する食料品
店で二年間働いた。その後、朝鮮無煙炭株式会社が平壌で旋盤工、鋳物工等の工員
を募集していることを知り、平壌に行って同社に就職し、炭鉱の鉱夫として就労し
た後、鋳物工として一年就労し、一九歳で同社を辞めて日本人の経営する理髪店に
就職した。
(二) 日木製鐵の労務者募集、原告らの応募の状況等
 日本製鐵は、昭和一八年、平壌において、大阪製鉄所の労務者を募集し、そのた
めの新聞広告等を出した。右広告には、大阪製鉄所で二年間訓練を受ければ、技術
を習得することができ、訓練終了後は朝鮮半島内の製鐵所に技術者として就職でき
ること、募集人員は一〇〇名であること、応募資格は、二五歳未満の国民学校を終
了した日本語の話せる独身者であること等が記載されていた。
 原告らは、右広告を見て、訓練によって技術を習得することができ、訓練終了後
は朝鮮半島内の製鉄所で技術者として雇用される点に惹かれて、上記募集に応募す
ることにし、右広告に記載された募集場所に赴いた。
 募集場所には、一〇〇名の募集人員に対し約五〇〇名の応募者が来ていた。原告
らは、右募集場所で身体検査を受けたほか、日本製鉄の担当者であるP3及びP4
等と面接し、日本語の会話能力、家族構成、思想内容に関する調査を受け、募集審
査に合格した。
 P3らは、原告ら合格者に対し、契約期間は二年間であること、一回目の募集の
応募者(一期生)は既に日本で訓練を受けており、二回目の募集の応募者(二期
生)である原告らが日本に行けば、一期生は朝鮮に帰ってくる
こと、大阪製鉄所における訓練中は食事、宿舎は支給されること、二年間訓練を受
けて技術を習得した後は、朝鮮半島内の製鉄所に技術者として就職することができ
ること等を述べた。
(三) 大阪製鉄所到着までの経緯
 原告らは、募集審査に合格した翌日頃、指定された場所に出頭し、他の合格者と
ともに、P3やP4の指導のもと、二、三日間にわたって、整列、歩行等に関する
団体行動の訓練を受けた。P3らは、原告らに対し、原告ら合格者は「協和訓練
隊」と呼ばれることになったと述べた。
 原告らは、右訓練後、P3らから、団体行動を守るよう厳しく注意を受けた上
で、同人らの引率のもと、他の合格者とともに、平壌から列車で釜山に向かい、釜
山で一泊した後、船で下関に渡り、下関から列車で大阪に向かい、大阪駅からトラ
ックで、αの木津川の西に隣接していた大阪製鉄所の寮(以下「本件寮」とい
う。)まで移動し、昭和一八年九月一〇日、同寮に入寮した。
 原告らは、日本で技術を習得することに大きな期待を抱いていたため、右移動の
間、逃亡したい等とは考えなかった。
(四) 本件寮の状況
 本件寮は、木造二階建てで、一階の窓には鉄格子が嵌められており、一階の出入
口は日本人の舎監が常時監視し、夜間は出入口に鍵をかけ、舎監が出入口の内側で
就寝してこれを監視した。寮の門にも見張りがおり、夜間は門に鍵がかけられた。
本件寮に入寮したのは、朝鮮半島から来た原告ら訓練工のみであり、入寮当初は、
外出は許されなかった。原告らはそれぞれ、四人部屋に入れられ、八畳間で他の三
人の訓練工と寝起きを共にすることになった。
(五) 大阪製鉄所における就労状況等
 原告らは、入寮の翌々日頃から、他の訓練工とともに、木銃を使った銃剣術等を
含む軍事教練を受けた後、訓練工として就労するようになったが、就労開始後も最
初のうちは、午前中に軍事教練があり、午後のみ就労する状況であった。
 大阪製鉄所における原告らの勤務体制は、一勤務八時間の三交替制で、休日も月
一、二回しか与えられなかった。
 原告P1は、石炭を炉に投入し、投入後の石炭を鉄棒で砕いて掻き混ぜる労務に
従事した。右労務は、高温で燃焼している炉の急な傾斜のついた石炭の落とし口に
立ち入って、石炭を鉄棒で突き落とすという危険な作業を伴う重労働であった。ま
た、原告P1は、数日間に一回の割合で、内径約一・五メートル、長さ約一〇〇メ
ートルの鉄
パイプの中に入り、一日がかりでパイプ内に付着した石炭滓と煤を取り除く労務に
従事した。右労務は、溶鉱炉の火が落とされているとはいえ未だ熱気の残っている
パイプの中で、熱気と粉塵に耐えながら、腰をかがめた状態で、手でパイプから石
炭滓等を取り除くという、危険な重労働であった。
 原告P2は、日本人工員の指導のもと、起重機を操作して銑鉄や古鉄等を平炉に
投入する労務に従事した。右労務に従事していた工員は、大阪製鉄所全体で約二〇
名おり、そのうち四人が原告P2ら朝鮮人訓練工であった。右労務は、高温で燃焼
している炉の近くで起重機を操作する危険な作業であり、原告P2は、就労中に、
日本人工員の操作した起重機の高圧線が手に当たって感電したり、銑鉄等が入った
高温の容器に右脚が当たってやけどを負ったことがあった。原告P2は、早く起重
機の操作を覚えたので、模範工員に選ばれ、表彰された。
 なお、原告P2の創氏改姓による日本名は、前記認定のとおり、「P7」であっ
たが、原告P2は、日本製鐵の担当者から「P8」の方が縁起がよいとの理由で、
「P8」と名乗るように勧められ、大阪製鉄所では「P8」と呼ばれるようになっ
た。
 原告ら訓練工の食事は、寮内の食堂で提供され、就労時間中は、寮の食堂で支給
される弁当を摂ることとされていたが、量が少なく、原告らは、常に空腹を感じる
状態であった。
 原告らは、雇用後七、八ケ月経過した頃から、五、六名の同僚同士で、本件寮の
舎監の許可を得て外出することが許されるようになり、月に一、二回外出して、工
場近くの浜や中之島公園等に行ったり、本件寮の近くで売っている粥を買って食べ
たりしたが、舎監から、逃げても捕まえると言われており、また、大阪製鉄所近く
のβ警察署の警察官が、毎月一、二回、大阪製鉄所を訪れ、原告ら訓練工に対し、
逃げてもすぐに捕まるので逃亡など考えるなと話していたため、逃亡してもすぐ捕
まえられると思い、逃亡はしなかった。
(六) 大阪製鉄所における賃金支払状況等
 日本製鐵は、原告らの就労開始後、原告ら訓練工に対し、賃金を支給する旨を告
げたが、賃金額や内訳については説明をせず、原告らには月に二、三円の小遣い程
度の現金を手渡すのみで、賃金のほとんどを、日本製鐵が原告らに無断で開設した
各工員名義の郵便貯金口座に、原告らの同意を得ずに一方的に入金し、その貯金通
帳と届出印を、寮の舎監に保管させ
、原告らに対しては、原告らは独身者であるため、賃金全額を渡すと無駄遣いする
おそれがあるので、貯金しておくと説明した。
 なお、右の各工員名義の貯金額は、本件寮内の壁に、棒グラフで表示されて貼り
出されていた。また、原告P1は、本件寮の舎監から、同原告の賃金の明細が記載
された給与袋を見せてもらったことがあり、原告P2も、本件寮の舎監から、同原
告名義の貯金通帳を見せてもらったことがあった。
(七) 原告らの徴用及び原告P1の徴兵
 原告らは、昭和一九年二月か三月頃、本件寮の舎監から、原告らが徴用された旨
の告知を受けた。右徴用後は、原告ら工員に対する監視が厳しくなり、外出も制約
されるようになった。
 原告P1は、同年秋頃、徴兵のための身体検査を受け、海軍航空整備兵に徴兵さ
れることになったとの告知を受けた。原告P1は、戦場に行けば間違いなく死ぬだ
ろうと思い、従前から職場や空腹に耐えなければならないことに不満を抱いていた
ことから、友人と二人で逃亡を計画したが、実行前に右計画が発覚し、本件寮の舎
監から棍棒で、臀部や腰部を二〇回殴打される暴行を受けた上、舎監の部屋で約一
時間にわたって、跪いて手を上に挙げる姿勢を強いられる体罰を受け、始末書を書
かされ、その後二か月間、それまで支給されていた小遣い程度の現金の支給も停め
られた。
(八) 大阪製鉄所の破壊と原告らの転傭
 大阪製鉄所の工場は、昭和二〇年三月一九日の大阪大空襲によって破壊され、日
本製鐵は、同年六月、大阪製鉄所で就労していた朝鮮人工員を、朝鮮半島の清津に
建設予定の製鐵所に配置換えすることにし、同人らを三回にわけて、清津に移動さ
せた。
 原告らは、同年六月下旬頃、本件寮の舎監の引率のもと、第一回目の転属者とし
て、他の工員らとともに、大阪から列車で下関に向かい、下関から船で釜山に渡
り、釜山から列車で清津に移動した。
 原告P2は、大阪製鉄所を離れる際、本件寮の舎監に対し、同原告名義の貯金通
帳を渡してほしいと申し出たが、舎監は、清津に着いたら貯金通帳を渡すと述べた
ため、清津に到着した後、再度、貯金通帳を渡して欲しいと申し入れたが、舎監
は、次の転属者を清津に引率して来るときに、持って来ると述べて、貯金通帳を渡
さなかった。原告P1も、清津で、本件寮の舎監に対し、日本で働いた分の賃金を
渡してほしいと申し出たが、同人は、同原告に対しても、いったん日本に戻り
、次の転属者を清津に引率して来る時に、持参すると答え、賃金の支私をしなかっ
た。
(九) 清津での勤労状況と終戦
 原告らは、清津では、一日一二時間、製板工場及び製條工場の建設のための土木
工事に従事させられた。右労務は、これに従事していた他の労働者が土砂崩れのた
めに死亡する等、危険で苛酷な労務であった。
 原告らは、日本製鐵の宿舎に寝泊まりし、食料の支給を受けたが、食事の量や内
容は、大阪製鉄所の時よりも乏しいものであった。
 同年八月一三日、ソビエト連邦軍による清津の日本軍施設に対する攻撃が始ま
り、原告P1は、徒歩で茂山に避難した後、茂山から京城に避難した。原告P1
は、京城で八月一五日を迎えた後、同所の日本製鐵事務所に行ったが、誰もいなか
った。
 原告P2は、大阪製鉄所起重機課の責任者であった日本人のP9及びその家族と
ともに、清津の山中に避難し、数日間を山中で過ごした後、単独で茂山を経由して
成津に向かったが、同所でソ連兵から日本人に間違われ、捕らわれそうになって地
元民に助けてもらった後、京城に避難し、同年九月初め頃、故郷の忠清南道論山郡
〈以下略〉に戻った。
 原告らは、清津で労務に従事した二か月間、全く賃金の支給を受けられなかっ
た。
 原告らは、その後も、日本製鐵から未払賃金の支給等について連絡を受けたこと
はなかった。
2 日本製鐵の分割、解散と第二会社の設立等
(一) 日本製鐵は、昭和二一年八月一五日に制定された会社経理応急措置法によ
り、特別管理人の管理する特別経理会社とされ、指定時である昭和二一年八月一一
日午前零時現在(同法一条一号)において、会社の計算を新勘定(現に行っている
事業の継続及び戦後産業の回復復興に必要な会社財産)と旧勘定(新勘定以外の会
社財産)に区分経理された(同法七条一項)。
 特別経理会社の財産目録上の動産、不動産、債権その他の財産は、「会社の目的
たる現に行っている事業の継続及び戦後産業の回復振興に必要なもの」に限り、指
定時において、新勘定に属するものとされ、それ以外は、原則として、指定時にお
いて、旧勘定に所属するものとされ(同法七条二項)、指定時後の原因に基づいて
生じた収入及び支出を新勘定の収入及び支出として、指定時以前の原因に基づいて
生じた収入及び支出を旧勘定の収入及び支出として経理しなければならないものと
された(同法一一条一項、二項)。
 また、指定時以前の原因
に基づいて生じた特別経理会社に対する債権(旧債権)については、同法一四条一
項に定める例外を除き、弁済その他の消滅行為(但し、免除を除く。)をすること
ができないものとされ(同項各号列記以外の部分)、「指定時以前に確定した給料
その他命令で定める定期的給与の債権」(同法一四条一項二号)、「従業員の預か
り金その他これに準ずる債権(命令で定める制限を超えないものに限る。)」(同
項三号)等は、右例外とされたものの、これらの債権について新勘定から弁済する
ことができるのは、旧勘定から弁済することができない場合に限られるものとさ
れ、かつ、特別管理人の承認を受けて、同法九条の規定によって設けた新勘定の貸
借対照表の負債の部の未整理支払勘定に計上した金額の限度において、弁済するこ
とができるものとされた(同条二項)。
(二) 昭和二一年一〇月一九日に制定された企業再建整備法は、特別経理会社な
どの会社経理応急措置法の適用を受けるものについて、戦時補償特別税を課せられ
ること等により生じた損失を適正に処理し、速やかな再建整備を促進し、産業の健
全な回復及び振興を図ることをその目的とし(同法一条)、特別経理株式会社(企
業再建整備法上の特別経理会社に当たる株式会社)の損失の処理及び会社の再建に
ついて、要旨、以下のとおり定めた。
 すなわち、同法は、特別経理会社の特別管理人は、特別経理株式会社の存続又は
解散の別、存続する場合の会社の整理の方法、解散する場合の手続、特別損失の
額、特別損失を負担する旧債権の総額、負担割合等を定めた整備計画を所定の期間
内に立案し、主務大臣の認可を申請しなければならないものとした(同法五条、六
条一項)。
 また、特別経理株式会社は、戦時補償特別税が課せられることにより生じる損失
額、在外資産についての損失額、会社経理応急措置法五条の財産目録に記載した金
融機関に対する預貯金等が金融緊急措置令施行規則一条ノ三の規定により第二封鎖
預金等となり、支払を受けることが不能となることにより生じる損失額その他の損
失額を計算しなければならないものとし(同法三条一項)、これを、特別経理株式
会社の指定時をもって終了する事業年度の利益金、繰越利益金、法定積立金、指定
時後旧勘定と新勘定との併合時までに旧勘定に生ずる総益金等(同法三条二項)か
ら差し引き、なお損失が残るときはその残額を「特別損失」として決算に計上する
こととした上で(同法三条、四条)、右特別損失のうち資本金の一○分の九に相当
する額は、株主の負担とし、なお、特別損失の額が残るときには、同法七条二号所
定の旧債権(知れたる特別損失負担債権)の債権額の一〇分の七に相当する額を債
権者の負担とし、なお、特別損失の額が残るときは、さらに資本金の一〇分の一に
相当する領を株主の負担とし、それでもなお特別損失の額が残るときは、前記の知
れたる特別損失負担債権の債権額の一〇分の三に相当する額を、同債権者に負担さ
せることとして(同法七条)、特別損失を処理すべきものとし、右のとおり、損失
を負担した債権は、整備計画が認可された日に消滅することとした(同法一九条一
項)。
 また、同法は、右整備計画において取ることのできる特別経理株式会社の再建整
備の方法の一つとして、第二会社を設立し、第二会社に特別経理会社の資産を出資
もしくは譲渡する方法を挙げ(同法六条一項七号)、特別経理会社が新勘定に所属
する資産の全部又は一部を出資する場合には、その出資を受ける者(右の場合には
第二会社)は、命令の定めるところにより、指定時後特別経理会社の新勘定の負担
となった債務を承継し(同法一〇条一項)、その場合には、特別経理株式会社は、
債務を承継する者に対し、当該債務の額に相当する資産を譲渡しなければならない
ものとした(同条二項)。
 なお、同法施行規則(昭和二一年商工、大蔵、司法、農林、運輸、厚生省令第一
号)七条一項七号リは、第二会社が旧債権を承継する場合には、整備計画におい
て、その債務の額、条件並びに当該債務の承継に伴い譲渡する資産の範囲及び価格
を、定めなければならないものとした。
(三) 日本製鐵は、昭和二三年二月八日、過度経済力集中排除法に基づき設置さ
れた持株会社整理委員会により「過度の経済力の集中」の指定を受け、同年一〇月
九日付けの日本製鐵再編成計画に関する司令案により分割されることとなり、八幡
製鐵株式会社(以下「八幡製鐵」という。)、北日本製鐵株式会社(昭和二五年三
月二八日に富士製鐵株式会社に商号変更。以下「富士製鐵」という。)、日本製鐵
汽船株式会社、播磨耐火煉瓦株式会社の四社を設立して、資産を現物出資して解散
する旨の整備計画が立案され、昭和二四年一二月三一日、大蔵大臣によって右整備
計画が認可されたが、右整備計画認可申請書には、企業再建整備法施行規則七条一
項七号リに定
める、第二会社が旧債権を承継する場合の債務の額、条件等の項目については、
「該当なし」と記載されていた。
 昭和二五年四月一日、企業再建整備法により八幡製鐵株式会社、富士製鐵株式会
社が設立され、日本製鐵は、同日、解散するに至った。
 日本製鐵が八幡製鐵、富士製鐵の両第二会社に分割されるに際しては、日本製鐵
の保有していた八幡、γ、釜石、富士、δの各製織所のうち、八幡製鐵所を八幡製
鐵が、他の四製鐵所を富士製鐵がそのまま承継した。
 その後、八幡製鐵、富士製鐵は、昭和四五年に合併し、被告新日鐵が誕生した。
3 日本製鐵による本件各供託と右供託に至る経緯
 戦後、日本製鐵により、原告らの未払賃金等が大阪供託局に供託されることとな
り、昭和二二年三月一八日、原告P1(雇用期間は昭和一八年九月一〇日から昭和
二〇年六月一四日、供託上の本籍地は平安南道平壌府〈以下略〉)については、四
六七円四四銭(給料五七円四四銭、預り金四一〇円)、原告P2(雇用期間は昭和
一八年九月一〇日から昭和二〇年六月一一日、供託上の本籍地は平安南道平壌府
〈以下略〉)については四九五円五二銭(給料五〇円五二銭、預り金四四五円)が
供託された。
4 日韓関係
 朝鮮は、明治四三年の日韓併合条約が締結された後、日本国の統治下にあった
が、昭和二〇年八月一五日、第二次世界大戦の終結と同時に独立し、日本との国交
が絶たれたが、昭和二三年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
 その後、日本国と大韓民国との間では、昭和四〇年六月二二日に日韓基本関係条
約、日韓請求権協定が締結され、同協定内容の具体的実現のため、同年一二月一七
日、財産権措置法が制定された。
5 原告らの本訴提起
 原告らは、平成七年に戦後五〇周年の節目を迎えた後の平成九年一二月二四日に
本訴を提起するに至った。
二 主たる各争点の検討
1 原告らに対する強制連行、強制労働の有無(争点Ⅰについて)
 原告らは、日本製鐵及び被告国が原告ら朝鮮人労働者を官斡旋方式ないし自由募
集方式の名の下に日本に強制連行して労務に従事させたものであると主張し、原告
らの場合は都市型官斡旋によるものであるから強制連行に当たるとの意見を述べる
証人P5の証言を援用するが、当時、日本国政府、朝鮮総督府などが、戦時下の労
務動員のための積極的な政策を打ち出していたことが認められるとしても、前記認
定のとおり、原告P1及び原告
P2はいずれも、日本製鐵の二年間の技術訓練により技術を習得し、その後は朝鮮
半島の製鉄所で技術者として就職できるとの労働者募集の際の説明に応じて、その
意思によりこれに応募し、大阪製鉄所で労働するに至ったものであって、大阪製鉄
所に付属した本件寮への入寮までの経緯、原告らの対応などからみても、原告らの
意思に反して原告らを大阪製鉄所まで連行して労働に従事させたものとまでは認め
られず、日本製鐵及び被告国が強制連行したとする原告らの主張及びこれに沿う意
見を述べる証人P5の証言はにわかに採用できない。
 次に、原告らは、日本製鐵及び被告国により原告らが日本製鐵の経営する大阪製
鉄所及び清津において強制労働に従事させられたと主張する。
 ところで、前記認定のとおり、日本製鐵の経営する大阪製鉄所に付属する本件寮
における原告らの居住状況と大阪製鉄所での労働内容は、技術を習得させるという
日本製鐵の事前説明から予想されるものとは全く異なる劣悪なものであって、原告
らは、一部賃金の支払を受けたものの、具体的な賃金額も知らされないまま、残額
は強制的に貯金させられ、多少の行動の自由が認められた時期もあったものの、常
時、日本製鐵の監視下に置かれて、労務からの離脱もままならず、食事も充分には
与えられず、劣悪な住環境の下、過酷で危険極まりのない作業に半ば自由を奪われ
た状態で相当期間にわたって従事させられ、清津においても、短期間とはいえ、一
日のうち一二時間も土木工事に携わるというさらに過酷な労働に従事させられ、賃
金の支払は全くなされていないことが認められ、右は実質的にみて、強制労働に該
当し、違法といわざるをえない。
2 原告らの強制労働に関する被告らの責任の有無(争点Ⅱについて)
 原告らの被告らに対する強制連行に対する責任は認められないから、以下、原告
らの強制労働に関する被告らの責任の成否につき検討する。
(一) 国際法上の日本製鐵及び被告国の責任の有無
(1) 国際法違反
 そもそも、国際法は、国際社会を構成する国家間の関係を規律し、権利義務を定
めるものであるから、国家の構成員である個人の生活関係や権利義務関係を規律の
対象としたとしても、直ちに個人に国際法上の権利義務が認められたり、個人とし
ての請求主体性が認められるものではなく(個人が他国から受けた被害等について
は所属国の外交保護権の行使により国家間の問題として処理
されるべきが原則である。)、個人の請求主体性が認められるためには、特別に個
人が当事者として自ら権利行使できる適格が認められるとともに、これを実現する
ための手続が国際法上も定められていることが必要であるというべきである。原告
らが主張する強制労働条約やヘーグ陸戦条約が被害者個人である原告らが加害国と
される被告国ないし加害企業とされる日本製鐵に直接の請求権を認めたものとは解
し得ない。
 また、条約の効力についての時間的適用範囲については特別の合意がなければ遡
及しないものと解されており(ウィーン条約法条約二八条)、効力発生日よりも前
に生じた行為に関しては、当事国は条約に拘束されることはないものといわなけれ
ばならないところ、国際人権規約B規約を日本国が批准したのは昭和五四年六月二
一日、発効したのが同年九月二一日であり、他方、原告らに対する強制労働による
違法行為は遅くとも昭和二〇年八月までのことであり、国際人権規約B規約の効力
発生前になされた行為であることは明らかであるから、国際人権規約B規約違反を
理由とする原告らの請求は理由がない。
 さらに、世界人権宣言はその前文からも明らかなように「すべての人民とすべて
の国とが達成すべき共通の基準」を定めたものにすぎず、具体的な法規範性までは
認められず、個人の損害賠償請求権の発生要件及びその履行を厳格に義務づけてい
ると解することもできないから、やはり、世界人権宣言違反を直接の根拠として個
人が加害国家とされる被告国に対して直接に損害賠償、損失補償を求めことはでき
ないといわなければならない。
 さらに、「人道に対する罪」違反の点についても、これを定めた極東国際軍事裁
判所条例及びニュールンベルグ国際軍事裁判所条例によれば、非人道的行為等を行
った行為者個人の刑事責任の追及を目的としていることが明らかであり、右条例の
規定からは当該個人の国際法上の刑事責任が発生するにとどまり、当該個人の属す
る国家の被害者個人に対する民事責任まで定めたものということはできないから、
被害者個人が国家に対して(これに対する名誉回復手段としての謝罪文の交付を含
む。)、損失補償を求めることはできないといわなければならない。
 したがって、各条約を直接の根拠とする請求権の発生を主張する原告らの請求は
いずれも理由がない。
(2) 国際慣習法違反
 また、原告らは、被告らに確立した国際法の原則
に基づく損害賠償義務があると主張し、右は国際慣習法に基づく請求権を主張する
ものとも解されるところ、国際慣習法とは「法として認められた一般慣行の証拠と
しての国際慣習」(国際司法裁判所規程三八条一項b)であるから、これが認めら
れるためには、国際法主体である国家の実行が恒常的で均一の慣行になったという
一般慣行と、一般慣行を国際法上の義務として認識して確信して行うという法的確
信の存在が必要であるにもかかわらず、一件記録によってもかかる一般慣行の存在
及び右慣行に関する法的確信の存在を認めるに足りる証拠はないといわざるをえな
いから、この点に関する原告らの主張も理由がない。
(二) 被告国の国内法上の責任
(1) 損失補償の法理に基づく請求権について
 大日本帝国憲法には「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」(二七条一
項)との規定は存在するが、日本国憲法二九条三項のような損失補償の規定は存在
しない。私有財産制を前提とする資本主義社会においては、私人が財産権に関し特
別の犠牲を受けた場合には、これに対する相当額の補償をなすのが望ましいことは
いうまでもないが、右犠牲が公共の福祉目的のために利用される側面があることを
合わせ鑑みると、右犠牲に対していかなる補償をすべきか否か、その要件、効果は
実定法上の根拠なくして一義的に明らかではなく、まして、本件における原告らの
損害が戦争犠牲、戦争損害ともいうべきものであって、右損害に対する補償の要否
の判断は政治的判断を伴うものとして広範な立法裁量を含むべきだものであること
から、何らの明文なくして当然に損失補償を請求しうるものと解することはできな
い。
 また、日本国憲法は昭和二一年一一月三日に公布され、翌二二年五月三日に施行
されたが、法律の効力の時間的適用範囲については特別の規定のない限り遡及適用
することができないから、原告らの問題とする行為については損失補償を定めた日
本国憲法二九条三項を遡及適用することもできず、同条項を根拠として原告らの請
求権を基礎づけることはできない。したがって、右法理を理由に損害賠償を求める
原告らの請求は理由がない。
(2) 民法七〇九条、七一五条に基づく請求権について
 原告らは、被告国に対し、強制労働があったとして、民法七〇九条及び七一五条
に基づく責任がある旨主張する。しかし、昭和二二年一〇月二七日に施行された国
家賠償法附則六条では、
「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」とし
て、同法施行前の行為についていわゆる旧法主義を採用している。そして、国家賠
償法の施行前においては、一般的に国の賠償責任を認める法令上の根拠はなく、大
日本帝国憲法下においては、国の公法上の行為のうち権力作用による個人の損害に
ついては、行政裁判所において「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされてお
り(行政裁判法一六条)、国は責任を負わないといういわゆる国家無答責論が妥当
するとされていた。このため、権力作用によって個人の損害が発生したとしても、
私法すなわち民法上の不法行為責任に関する規定の適用はなく、国家賠償法のよう
な一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかったことから、国の賠償責任を追及す
ることはできないものと解されていた(大審院昭和四年一〇月二四日判決・法律新
聞三〇七三号九頁参照)。したがって、国家無答責論自体が今日において妥当なも
のといえないことは当然としても、右国家賠償法附則六条の経過規定が存在してい
ることなどに照らせば、現時点における解釈としても、国家賠償法施行以前の権力
作用であることが明らかな原告ら主張前記認定の各行為については権力作用との関
係を規律していない民法の適用はないものというべきであって、被告国が私人であ
る原告らに対して直接民法上の損害賠償責任を負うとの解釈を採ることはできない
(なお、強制労働が戦時政策の一環で行われたことから、直ちに被告国が日本製鐵
の使用者的な立場になるとはいえず、民法七一五条を原因とする原告らの主張はこ
の点でも失当である。)。
 よって、この点に関する原告らの主張はいずれも理由がない。
(3) 債務不履行責任
 次に、原告らの主張する債務不履行責任について論じると、日本製鐵と原告らに
は、契約書は交わしていないものの、原告らは、日本製鐵の労務者募集に応じて、
朝鮮を離れて大阪にあった日本製鐵の本件寮に寝泊まりした上で日本製鐵の大阪製
鉄所で一年余りにわたって労働していたのであるから、黙示の労働契約が成立した
と認めるのが相当であり、右契約に基づいて、日本製鐵側には、当然に、原告らに
対し、安全に労働をしうる環境下で労働をさせ、労働の対価として相当額の賃金を
支払う義務があったというべきであるが、あくまでも右関係は日本製鐵と原告らの
間にあるというべきであって、被告国の戦時政策の一
環として行われた自由募集方式で原告らが日本製鐵と労働関係に入ったとしても、
そのことをもって直ちに原告らが被告国との関係でも契約類似の関係に入ったもの
ということはできず、被告国に対する債務不履行を理由とする原告らの主張は失当
である。したがって、この点に関する原告らの主張も理由がない。
(4) 条理に基づく責任
 さらに、原告らの主張する条理に基づく損害賠償請求権についても、原告らは、
第二次世界大戦中の戦時政策の一環としての日本製鐵での労働によって損害を被っ
たから損害を賠償すべきとするが、損害賠償請求権を認めるべき主体、損害額等は
どのように定めるのが相当か、損害賠償請求権はいつまで存続するかなど、その要
件や効果等については、広範な立法裁量が認められるべきであるから、実定法の規
定がないにもかかわらず当然に損害賠償請求権が発生するものということはでき
ず、この点に関する原告らの主張も理由がない。
(5) 不作為に関する責任
 なお、原告らは、現在に至るまで未だ原告らに対する補償が行われないという被
告国の不作為をも問題とするが、戦争被害をどのように賠償すべきかは広範な政治
的な判断を伴うものであり、立法府の広範な裁量が認められるから、被告国が、原
告らに対し、戦時政策によって被った被害の賠償を認める実定法を定めないこと
が、直ちに違法であるということはできず、国家賠償法上の責任は認められないと
いうべきであって、この点についても原告らの主張は理由がない。
(三) 被告新日鐵の国内法上の責任-債務の承継
 前記認定事実によれば、日本製鐵が原告らに対し賃金を一部支払わなかったこと
及び違法な強制労働に従事させたことが認められるから、日本製鐵には、賃金未
払、強制労働、それぞれに関して債務不履行及び不法行為に基づく損害賠償責任が
認められることになる。そこで、右責任が被告新日鐵に承継されたか、すなわち右
債務が第二会社に承継されたか否かについて、以下検討する。
 前記認定のとおり、日本製鐵は、会社経理応急措置法上の特別経理会社及び企業
再建整備法上の特別経理株式会社に当たり、同社は、企業再建整備法に基づき、同
社の新勘定に属する資産を出資して、昭和二五年四月一日、八幡製鐵、富士製鐵、
日本製鐵汽船株式会社、播磨耐火煉瓦株式会社の四社を設立し、解散し、昭和四五
年に八幡製鐵と富士製鐵が合併して被告新日鐵となったものであると
ころ、原告らの賃金債権及び強制労働による債務不履行ないし不法行為に基づく損
害賠償債権は、会社経理応急措置法上の指定時(昭和二一年八月一一日午前零時
〔会社経理応急措置法一条一号〕)以前に生じた原因に基づいて生じた日本製鐵に
対する債権であるから、右各法上の「旧債権」に当たる。
 ところで、特別経理会社に対する旧債権が新旧いずれの勘定に属するのか、及
び、特別経理株式会社が第二会社を設立して資産を出資又は譲渡する再建方法を選
択した場合に、旧債権が第二会社に承継されるかどうかに関しては、これを直接明
示して定めた規定は、会社経理応急措置法と企業債権整備法のいずれにも見当たら
ない。
 しかしながら、会社経理応急措置法が、旧債権については、原則として、弁済そ
の他の債権消滅行為を禁止し(同法一四条一項)、例外的に弁済等を認める同項所
定の給与債権等についても、まず旧勘定から弁済すべきものとし、新勘定からの弁
済は、旧勘定からの弁済ができない場合に限り、特別管理人の承認のもとに、新勘
定の貸借対照表上の未整理支払勘定に計上した金額の限度で、可能であるとしてい
ること(同条一項、二項)、指定時以前の原因に基づいて生じた収入及び支出は、
旧勘定の収入及び支出として経理しなければならないとしていること(同法一一条
一項、二項)からすれば、同法は、旧債権が旧勘定に属することを前提とするもの
と解するのが相当である。したがって、原告らの日本製鐵に対する賃金債権及び強
制労働にかかる債務不履行ないし不法行為に基づく損害陪償債権もまた、同法上の
「旧債権」として、旧勘定に属するものとなったというべきである。
 そこで、旧勘定に属する原告らの日本製鐵に対する右各債権が、第二会社に承継
されたかについて検討するに、企業再建整備法は、特別経理株式会社が、新勘定に
所属する資産を出資する場合には、出資を受ける者は、指定時後特別経理株式会社
の新勘定の負担となった債務を承継する旨を定める(同法一〇条一項)にとどま
り、旧勘定に属する債務の承継の有無については、何ら明文の規定を置いていな
い。このことに加え、企業再建整備法が、戦時補償特別税を課せられること等によ
り特別経理会社等に生じた損失を適正に処理し、速やかな再建整備を促進し、産業
の健全な回復及び振興を図ることを目的(同法一条)とする法律であり、そのため
の方策として、特別経理株式会社について
、指定時までに生じた戦時補償特別税の課税等による損失合計額と、利益金及び積
立金その他の益金等の合計額をそれぞれ計算させ(同法三条)、前者が後者を上回
る場合にはその超過額を特別損失の額とし(同法四条)、一定の基準に基づいて株
主、債権者にこれを負担させてその償却を図り(同法七条)、右の特別損失を負担
する旧債権は、整備計画に定められた損失負担割合に従って、整備計画が認可され
た日に消滅するものとしていること(同法一九条一項)に鑑みれば、同法は、第二
会社が、当然に、特別経理株式会社の旧勘定に属する旧債権を包括的に承継するこ
とを前提とするものではなく、むしろ、特別経理株式会社とは別の法人格である第
二会社は、原則として、特別経理株式会社の債権債務を承継しないことを前提とし
て、特別経理株式会社から新勘定に属する資産の出資を受ける場合について、債権
者保護の見地から、特に、指定時後特別経理株式会社の新勘定の負担となった債務
を承継するものとし(同法一〇条一項)、併せて、特別経理株式会社は、右債務の
額に相当する資産を右債務を承継する者に対し譲渡しなければならない(同条二
項)旨を定めたものと解すべきである。同法施行規則(昭和二一年商工、大蔵、司
法、農林、運輸、厚生省令第一号)七条一項七号リが、第二会社が旧債権を承継す
る場合には、整備計画において、その債務の額、条件並びに当該債務の承継に伴い
譲渡する資産の範囲及び価格を定めなければならない旨を規定しているのも、第二
会社は当然かつ包括的に特別経理株式会社の旧債権を当然かつ包括的に承継するも
のではないことを前提として、第二会社が旧債権を承継する旨の意思表示をするよ
うな場合について、承継される旧債権の額、条件等を整備計画に明示すべきことを
求めたものとみるべきである。したがって、日本製鐵の旧勘定に属していた原告ら
の日本製鐵に対する賃料債権及び強制労働にかかる債務不履行ないし不法行為債権
は、企業再建整備法に基づいて設立された同社の第二会社である八幡製鐵、富士製
鐵、日本製鐵汽船株式会社、播磨耐火煉瓦株式会社の四社に、当然に承継されたと
はいえない。
 また、前記認定のとおり、日本製鐵は、整備計画認可申請書の同法施行規則七条
一項七号り所定の項目に「該当なし」と記載した上、右申請書を大蔵大臣に提出
し、昭和二四年一二月三一日、右申請について認可を得たこと(乙ロ四、五
)に照らすと、第二会社四社が、日本製鐵に対する旧債権を承継する旨の意思表示
をしたともみる余地もないものといわなければならない。
 そうすると、日本製鐵に対する旧債権は、第二会社四社には承継されなかったも
のといわざるを得ないから、原告らの未払賃金債権及び損害賠償債権もまた、第二
会社四社には承継されないまま、昭和二五年四月一日、その債務者である日本製鐵
が、解散するに至ったものといわなければならない。
 もっとも、不法行為による損害賠償債権については、その内容や金額などを予め
明らかにすることが困難であるという特殊性を有しており、整備計画への記載を求
めることは、不法行為の被害者に対しての救済を事実上不可能にせしめることにな
り、過酷なようにも思われる。しかしながら、前述した会社経理応急措置法及び企
業再建整備法の目的には、その当時の社会情勢としては合理性が認められ、その手
段として整備計画への記載を求めた点についても相当性が認められる以上、戦後処
理の一環としてやむをえない措置であったといわざるをえない。
 したがって、原告らの主張する日本製鐵の原告に対する不法行為に基づく損害賠
償債務及び未払賃金債務についての第二会社に対する承継は認められないといわざ
るを得ない。
 また、原告らは、営業財産、取締役、従業員、社標の同一性と朝鮮人元徴用遺族
らに対する慰霊費等の支払の事実から、被告新日鐵は日本製鐵と経済的、実質的に
同一であることを理由に債務の承継が認められるべきであるとも主張するが、被告
新日鐵が承継することとなった八幡製鐵、富土製鐵は、企業再建整備法上の第二会
社として、日本製鐵から営業譲渡ないし出資を受けて日本製鐵とは別個の法人格を
有する会社として成立した以上、原告らの指摘する点について共通するところはむ
しろ当然であり、このことから直ちに、法律上も八幡製鐵、富士製鐵、ひいては被
告新日鐵への債務の承継があるものとは認めることはできないから、原告らの右主
張も採用できない。
 このように、原告らの主張するいずれの請求権も、法律上は被告新日鐵へ承継し
ていないといわざるを得ない。
4 供託に関する被告らの責任の有無(争点V2について)
(一) 本件各供託に関する被告国の責任の有無について
 原告らに対する本件各供託は、終戦後の、朝鮮との国交がなかった混乱期に当た
る昭和二二年三月一八日(なお、日本国憲法は、昭和二
一年一一月三日に公布され、翌二二年五月三日に施行されている。)になされ、直
後の昭和二三年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が成立しており、供託の要件
とされる受領不能であったことは窺えるものの、供託額が正当な賃金をもとに算出
されて正確な金額が記載されているとは考えられないから(甲二〇、証人P5)、
本件各供託は本来の債務消滅の効力を生じないというべきである。したがって、本
件各供託は無効であり、被告国に債権者に対する供託の通知義務があったとはいえ
ず、原告らの供託金返還請求権の発生も認められないから、本件各供託が有効なも
のであることを前提として被告国の右通知義務違反による供託金返還請求権の侵害
をいう原告らの主張は、通知義務違反及び権利侵害のいずれの点においても、失当
なものといわざるを得ない。
 仮に、本件各供託を有効とみる余地があるとしても、債権者を確知できない場合
には、供託の通知が不可能であるから通知も要しないと解すべきところ、本件で
は、供託報告書記載の原告らの本籍の記載は曖昧であり(甲一)、右時点では、原
告らの住所を覚知しえなかったものといえるから、供託官に債権者とされる原告ら
に対する通知義務まであったものとはにわかに認めがたい。
 なお、原告らは、本件各供託が有効であることを前提として、日本製鐵の本件各
供託により原告らの有する未払賃金等請求権の行使が困難となったから、これに関
与した被告国による債権侵害があったとも主張するが、前記のとおり、本件各供託
は無効であるうえに、原告らの主張するように本件各供託が有効であるならば、原
告らの未払賃金等請求権は供託によって消滅するのであるから、そもそも原告らが
本件各供託によって侵害されたと主張する債権そのものが存しないことになるので
あって、この点に関する原告らの主張は、失当なものというべきである。
(二) 本件各供託に関する被告新日鐵の責任の有無について
 被告新日鐵は、本件各供託に関し日本製鐵に何らかの不法行為が成立したとして
も、第二会社である八幡製鐵等は、これを承継しないから、同被告には右不法行為
に基づく損害賠償責任はないと主張する。
 しかしながら、前記認定のとおり、本件各供託は、会社経理応急措置法上の指定
時である昭和二一年八月一一日の後の昭和二二年三月一八日になされたものである
から、仮に本件各供託に関し日本製鐵に何らかの不法行為が成立し
たとすれば、これによる原告らの日本製鐵に対する債権は、同法上にいう「旧債
権」には当たらず、日本製鐵の新勘定に属する債権として、第二会社四社に承継さ
れたとみるべき余地がある。
 そこで、日本製鐵に本件各供託に関し不法行為による損害賠償債務が生じたかど
うかについて検討するに、前記のとおり、本件各供託は無効であり、原告らの日本
製鐵に対する未払賃金債権は、本件各供託によっては消滅しなかったものとみるべ
きところ、原告らは、無効な本件各供託によって、未払賃金債権を行使するために
供託自体が無効であるという手続を採らざるを得なくなり、未払賃金債権の行使が
困難になったと主張する。
 しかしながら、本件全証拠をもってしても、本件各供託後、原告らが、日本製鐵
に未払賃金あるいは供託金の支払を求めたのに、無効な本件各供託がされていたた
めに、実際にその権利行使を妨げられた等の経緯は認められないから、日本製鐵が
無効な本件各供託をしたことによって、原告らの未払賃金債権の行使を困難ならし
め、これによって右未払賃金債権の実現が困難になった旨の原告らの主張は、採用
することができず、右主張に基づく原告らの被告新日鐵に対する損害賠償請求は、
理由がない。
5 結論
 したがって、原告らの請求は、理由がないといわざるをえない。
第四 結語
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は、損害
賠償請求権を前提とする謝罪文交付請求権も含めて、いずれも理由がないからこれ
を棄却し、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六五条一項を適用して、主文の
とおり判決する。
大阪地方裁判所第二〇民事部
裁判長裁判官 岡原剛
裁判官 武田美和子
裁判官新谷貴昭は転補につき署名押印できない。
裁判長裁判官 岡原剛

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