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裁判例


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平成27年10月29日判決言渡
平成23年(行ウ)第738号,平成24年(行ウ)第174号,第249号ない
し第256号,第258号,第260号,第262号,第263号,第265号,
平成25年(行ウ)第94号,第336号原爆症認定申請却下処分取消請求事件
主文
1処分行政庁が別紙2主文関係目録「却下処分日」欄記載の日付で同目録「申
請者」欄記載の者に対してした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11
条1項の認定の申請を却下する旨の処分をいずれも取り消す。
2処分行政庁が平成22年3月19日付けで原告J1に対してした原子爆弾被
爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請を却下する旨の処分
(ただし,申請疾病を胃切除後障害としてのダンピング症候群とするものに限
る。)を取り消す。
3原告J1のその余の請求を棄却する。
4訴訟費用は,原告J1に生じた費用の2分の1と被告に生じた費用の34分
の1を原告J1の負担とし,その余は被告の負担とする。
事実及び理由
第1章請求
第1原告J2,原告J3,原告J4,原告J5,亡J6訴訟承継人原告J7,原
告J8及び原告J9,亡J10訴訟承継人原告J11,原告J12,原告J13,
原告J14,原告J15,原告J16,原告J17,原告J18,原告J19,
原告J20並びに原告J21
主文同旨
第2原告J1
処分行政庁が平成22年3月19日付けで原告J1に対してした原子爆弾被
爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定の申請を却下する旨の処分を取
り消す。
第2章事案の概要
第1紛争の概要
本件は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」と
いう。)1条の被爆者である原告J2,原告J3,原告J4,原告J5,J6,
J10,原告J12,原告J13,原告J1,原告J14,原告J15,原告J
16,原告J17,原告J18,原告J19,原告J20及び原告J21が,被
爆者援護法11条1項の規定による認定(以下「原爆症認定」という。)の申請
をしたところ(以下,上記17人を「本件申請者ら」という。),処分行政庁か
らこれらの申請をいずれも却下する旨の処分(以下,併せて「本件各却下処分」
という。)を受けたため,原告らが,被告に対し,本件各却下処分の取消しを求
めている事案である。なお,本文及び別紙中において定義した略称のうち,主な
ものは,別紙3「略語表」のとおりである。
第2法令の定め
1被爆者援護法の目的
被爆者援護法の前文は,被爆者援護法の目的について,「昭和20年8月,
広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の
尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,
生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらし
た。このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の
保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及
び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,医療
特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また,我らは,再
びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下,世界唯
一の原子爆弾の被爆国として,核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を
全世界に訴え続けてきた。ここに,被爆後50年のときを迎えるに当たり,我
らは,核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り
返されることのないよう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,
原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害
とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に
対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国と
して原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」
と規定する。
2被爆者
被爆者援護法において,「被爆者」とは,次の(1)ないし(4)のいずれかに該
当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(被爆者援護法
1条)。
(1)原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令
で定めるこれらに隣接する区域内に在った者(同条1号。なお,原子爆弾被
爆者に対する援護に関する法律施行令(以下「被爆者援護法施行令」という。)
1条1項,別表第一は,上記の「政令で定めるこれらに隣接する区域」とし
て,広島県安佐郡α1町(1号)等及び長崎県西彼杵郡α2村のうち,α3,
α4,α5,α6及びα7(5号)等を規定している。)
(2)原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に上記(1)の
区域のうちで政令で定める区域内に在った者(被爆者援護法1条2号。なお,
被爆者援護法施行令1条2項は,上記の「政令で定める期間」を,広島市に
投下された原子爆弾(以下「広島原爆」という。)については昭和20年8
月20日まで,長崎市に投下された原子爆弾(以下「長崎原爆」という。)
については同月23日までとしており,同条3項,別表第二は,上記の「政
令で定める区域」として,広島市のうちα8等(1号)及び長崎市のうちα
9等(2号),おおむね爆心地から2km以内の区域を規定している。)
(3)上記(1)及び(2)に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後
において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった
者(被爆者援護法1条3号)
(4)上記(1)ないし(3)に掲げる者がそれぞれに規定する事由に該当した当時
その者の胎児であった者(同条4号)
3被爆者健康手帳
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しな
いときは,その現在地とする。)の都道府県知事(広島市又は長崎市にあって
は,当該市の長(被爆者援護法49条)。以下同じ。)に申請しなければなら
ず(被爆者援護法2条1項),都道府県知事は,同申請に基づいて審査し,申
請者が上記2(1)ないし(4)のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被
爆者健康手帳を交付するものとする(同条3項)。
4被爆者に対する援護
(1)健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところによ
り,健康診断を行い(被爆者援護法7条),同健康診断の結果必要があると
認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行うものとす
る(被爆者援護法9条)。
(2)医療の給付
処分行政庁は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は,疾病にかか
り,現に医療を要する状態にある被爆者(ただし,当該負傷又は疾病が原子
爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の
放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。)
に対し,必要な医療の給付を行う(被爆者援護法10条1項)。
上記の医療の給付の範囲は,①診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医学
的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の管理及
びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院及びその療
養に伴う世話その他の看護,⑥移送であり(同条2項),これら医療の給付
は,処分行政庁が被爆者援護法12条1項の規定により指定する医療機関に
委託して行うものとする(同条3項)。
上記の医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病
が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の処分行政庁の認定(原爆症認定)を受
けなければならない(被爆者援護法11条1項)。
(3)一般疾病医療費の支給
処分行政庁は,被爆者が,負傷又は疾病(上記(2)の医療の給付を受けるこ
とができる負傷又は疾病,遺伝性疾病,先天性疾病及び処分行政庁の定める
その他の負傷又は疾病を除く。)につき,都道府県知事が被爆者援護法19
条1項の規定により指定する医療機関から上記(2)①ないし⑥に掲げる医療
を受け,又は,緊急その他やむを得ない理由により上記医療機関以外の者か
らこれらの医療を受けたときは,その者に対し,当該医療に要した費用の額
を限度として,一般疾病医療費を支給することができる(被爆者援護法18
条1項本文)。
(4)医療特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又
は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する(被爆者援護法2
4条1項)。
上記の者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,上記の要件に
該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない(同条
2項)。医療特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1
箇月につき13万5400円とする(同条3項。なお,上記の額は,後記(9)
の規定により,平成17年以降,ほぼ1年ごとに改定されている。)。医療
特別手当の支給は,上記の認定を受けた者が同認定の申請をした日の属する
月の翌月から始め,上記の要件に該当しなくなった日の属する月で終わる(同
条4項)。
(5)特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者に対し,その者が医療特別手当の
支給を受けている場合を除き,特別手当を支給する(被爆者援護法25条1
項)。
上記の者は,特別手当の支給を受けようとするときは,上記の要件に該当
することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない(同条2項)。
特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1箇月につき5
万円とする(同条3項。なお,上記の額は,後記(9)の規定により,平成17
年以降,ほぼ1年ごとに改定されている。)。特別手当の支給は,上記の認
定を受けた者が同認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,上記の要
件に該当しなくなった日の属する月で終わる(同条4項)。
(6)健康管理手当の支給
都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の
厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるもの
でないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものに対し,その
者が医療特別手当,特別手当又は原子爆弾小頭症手当の支給を受けている場
合を除き,健康管理手当を支給する(被爆者援護法27条1項。なお,原子
爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則(以下「被爆者援護法施行規
則」という。)51条は,上記の「厚生労働省令で定める障害」として,造
血機能障害(1号),肝臓機能障害(2号),細胞増殖機能障害(3号),
内分泌腺機能障害(4号)等を規定している。)。
(7)保健手当の支給
都道府県知事は,被爆者のうち,原子爆弾が投下された際に爆心地から2
kmの区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者に対し,これ
らの者が医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当又は健康管理手当の
支給を受けている場合を除き,保健手当を支給する(被爆者援護法28条1
項)。
(8)その他の手当等の支給
都道府県知事は,一定の要件を満たす被爆者等に対し,原子爆弾小頭症手
当(被爆者援護法26条),介護手当(被爆者援護法31条)等を支給する。
(9)手当額の自動改定
医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健手
当については,総務省において作成する年平均の全国消費者物価指数が平成
5年(上記各手当の額の改定の措置が講じられたときは,直近の当該措置が
講じられた年の前年)の物価指数を超え,又は,下るに至った場合において
は,その上昇し,又は,低下した比率を基準として,その翌年の4月以降の
当該手当の額を改定するものとし,その改定の措置は,政令(被爆者援護法
施行令17条)で定める(被爆者援護法29条)。
5原爆症認定の手続等
(1)原爆症認定の申請
原爆症認定を受けようとする者は,厚生労働省令で定めるところにより,
その居住地の都道府県知事を経由して,処分行政庁に申請書を提出しなけれ
ばならない(被爆者援護法施行令8条1項)。
上記申請書は,①被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆
者健康手帳の番号,②負傷又は疾病の名称,③被爆時の状況(入市の状
況を含む。),④被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要,⑤医療
の給付を受けようとする指定医療機関の名称及び所在地等を記載した所定の
様式の認定申請書によらなければならない(被爆者援護法施行規則12条1
項)。また,上記申請書には,医師の意見書及び当該負傷又は疾病に係る検
査成績を記載した書類を添えなければならず(同条3項),医師の意見書に
は,①疾病等の名称,②被爆者健康手帳の番号,③被爆者の氏名及び生年月
日,④既往症,⑤現症所見,⑥当該疾病等に関する原子爆弾の放射線起因性
等についての医師の意見及びその理由並びに⑦必要な医療の内容及び期間を
記載すべきものとされている(被爆者援護法施行規則様式第6号)。
(2)審議会等の意見聴取
処分行政庁は,原爆症認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病が原子
爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除
き,審議会等(国家行政組織法8条に規定する機関をいう。)で政令で定め
るものの意見を聴かなければならない(被爆者援護法11条2項)。そして,
被爆者援護法施行令9条は,上記の審議会等で政令で定めるものを,疾病・
障害認定審査会としている。
疾病・障害認定審査会は,厚生労働省に置かれ(厚生労働省組織令132
条),委員30人以内で組織される(疾病・障害認定審査会令1条1項)。
同審査会には,必要に応じて臨時委員及び専門委員を置くことができ,委員,
臨時委員及び専門委員は,学識経験のある者等のうちから処分行政庁が任命
する(同令1条2項,3項,2条)。同審査会には,被爆者援護法の規定に
より疾病・障害認定審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会とし
て,原子爆弾被爆者医療分科会(以下「医療分科会」という。)が置かれ(同
令5条1項),医療分科会に属すべき委員,臨時委員及び専門委員は,処分
行政庁が指名する(同条2項)。
(3)認定書の交付
処分行政庁は,原爆症認定の申請書を提出した者につき原爆症認定をした
ときは,その者の居住地等の都道府県知事を経由して,認定書を交付するも
のとする(被爆者援護法施行令8条4項)。
第3前提事実
証拠等の掲記がないものは当事者間に争いがない。
1原子爆弾の投下
米国軍は,昭和20年8月6日午前8時15分,広島市に広島原爆を投下し,
同月9日午前11時2分,長崎市に長崎原爆を投下した。広島原爆はウラン爆
弾であり,長崎原爆はプルトニウム爆弾であった(公知の事実)。
2「原爆症認定に関する審査の方針」の策定
医療分科会は,平成13年5月25日,以下のような内容の「原爆症認定に
関する審査の方針」(以下「旧審査の方針」という。)を策定し,原爆症認定
に係る審査は,これに定める方針を目安として行うものとした(乙A2)。
(1)原爆放射線起因性の判断
ア判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原因
確率(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考え
られる確率)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線を曝露しなけれ
ば疾病等が発生しない値)を目安として,当該申請に係る疾病等の原爆放
射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断する。
この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が,①お
おむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原
爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,②おおむ
ね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定した上で,当
該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案して判断を行う。
また,原因確率又はしきい値が設けられていない疾病等に係る審査に当た
っては,当該疾病等については原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知
見が立証されていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既
往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別に判断する。
イ原因確率
原因確率は,白血病,胃がん,大腸がん,甲状腺がん,乳がん,肺がん,
肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く。),卵巣がん,尿路系がん(膀
胱がんを含む。),食道がん,その他の悪性新生物及び副甲状腺機能亢進
症について,それぞれ,申請者の性別,被曝時年齢及び被曝線量に応じた
所定の率とする。
ウしきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75シーベルトとする。
エ原爆放射線の被曝線量
申請者の被曝線量は,初期放射線による被曝線量の値に,残留放射線(誘
導放射線)による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて
得た値とする。そして,①初期放射線による被曝線量は,申請者の被爆
地及び爆心地からの距離(2.5kmまで)の区分に応じた所定の値とし,
②残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離(広
島原爆については700mまで,長崎原爆については600mまで)及び
爆発後の経過時間(72時間まで)の区分に応じた所定の値とし,③放
射性降下物による放射線の被曝線量は,原爆投下の直後に所定の地域に滞
在し,又は,その後,長期間にわたって当該所定の地域に居住していた場
合についてそれぞれ所定の値とする。
(2)要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
3旧審査の方針の見直し
(1)「新しい審査の方針」の策定
医療分科会は,平成20年3月17日,以下のような内容の「新しい審査
の方針」を策定し,原爆症認定に係る審査は,「被爆者援護法の精神に則り,
より被爆者救済の立場に立ち,原因確率を改め,被爆の実態に一層即したも
のとするため」,これに定める方針を目安として行うものとした(乙A1の1。
以下,この「新しい審査の方針」を「新審査の方針」という。)。
ア放射線起因性の判断
(ア)積極的に認定する範囲
①被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者,②原爆投下から
約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者又は③原爆投
下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内の期間に,
爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者から,放射
線起因性が推認される以下の疾病についての申請がある場合については,
格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との
関係を積極的に認定する(以下,後記の改定後の新審査の方針及び再改
定後の新審査の方針を含め,このような認定方法による認定を「積極認
定」といい,積極認定の対象となる被爆態様及び疾病を,それぞれ「積
極認定対象被爆」,「積極認定対象疾病」という。)。
a悪性腫瘍(固形がんなど)
b白血病
c副甲状腺機能亢進症
d放射線白内障(加齢性白内障を除く。)
e放射線起因性が認められる心筋梗塞
この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請
者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料が
ない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考に
しつつ判断する。
(イ)それ以外の申請について
上記(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線
量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因
性を総合的に判断する(以下,このような認定方法による認定を「総合
認定」という。)。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
(2)新審査の方針の改定
医療分科会は,平成21年6月22日,新審査の方針を改定し,積極認定
対象疾病(前記(1)ア(ア)aないしe)に,「放射線起因性が認められる甲状
腺機能低下症」及び「放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変」を追加
した(乙A1の2。以下,この改定された新審査の方針を「改定後の新審査
の方針」という。)。
(3)新審査の方針の再改定
医療分科会は,平成25年12月16日,新審査の方針を以下のとおり再
改定した(乙A16。以下,この再改定された新審査の方針を「再改定後の
新審査の方針」という。)。
ア放射線起因性の判断
放射線起因性の要件該当性の判断は,科学的知見を基本としながら,総
合的に実施するものである。特に,被爆者救済及び審査の迅速化の見地か
ら,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定することの
できる範囲に加え,放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範
囲を含め,次のとおり積極認定の範囲を設定する。
(ア)積極認定の範囲
a悪性腫瘍(固形がんなど),白血病及び副甲状腺機能亢進症につい
ては,①被爆地点が爆心地から約3.5km以内である者,②原爆投
下から約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者又は
③原爆投下から約100時間経過後から,原爆投下から約2週間以内
の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した
者のいずれかに該当する者から申請がある場合については,格段に反
対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を
原則的に認定する。
b心筋梗塞,甲状腺機能低下症並びに慢性肝炎及び肝硬変については,
①被爆地点が爆心地から約2km以内である者又は②原爆投下から翌
日までに爆心地から約1km以内に入市した者のいずれかに該当する
者から申請がある場合については,格段に反対すべき事由がない限り,
当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に認定する。
c放射線白内障(加齢性白内障を除く。)については,被爆地点が爆
心地から約1.5km以内である者から申請がある場合については,
格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線と
の関係を積極的に認定する。
これらの場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,
申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資
料がない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参
考にしつつ判断する。
(イ)それ以外の申請について
上記(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線
量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因
性を総合的に判断する(総合認定)。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
4本件各却下処分の経緯等
(1)原告J2
ア原告J2は,昭和9年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手帳
の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dイ1・1177頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J2は,平成21年1月30日,下咽頭がんを申請疾病とする原爆
症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の
意見を聴いた上で,平成22年8月26日付けで原告J2の上記申請を却
下する旨の処分をした(乙Dイ1・1177頁,弁論の全趣旨・被告準備
書面(5)の認定資料1)。
ウ原告J2は,平成22年10月29日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料
1)。
エ処分行政庁は,平成23年12月22日,上記ウの異議申立てを棄却し
た(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
オ原告J2は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本
件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(2)原告J3
ア原告J3は,昭和8年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の
交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dロ1・239頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J3は,平成20年10月27日,右腎がん(腎細胞がん)を申請
疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障
害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年10月25日付けで原告J
3の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dロ1・239頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ原告J3は,平成23年1月12日,処分行政庁に対し,上記イの処分
に対する異議申立てをした。
エ原告J3は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本
件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オ処分行政庁は,平成24年4月27日,前記ウの異議申立てを棄却した
(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
(3)原告J4
ア原告J4は,昭和3年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手帳
の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dハ1・705頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J4は,平成21年7月31日,右腎がん(腎細胞がん)を申請疾
病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害
認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年11月26日付けで原告J4
の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dハ1・705頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウ原告J4は,平成23年1月31日,処分行政庁に対し,上記イの処分
に対する異議申立てをした(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エ原告J4は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本
件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オ処分行政庁は,平成24年4月27日,前記ウの異議申立てを棄却した
(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
(4)原告J5
ア原告J5は,昭和12年▲月▲日生まれの女性であり,被爆者健康手
帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dニ1・345頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J5は,平成20年3月28日,胃がんを申請疾病とする原爆症認
定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見
を聴いた上で,平成22年5月27日付けで原告J5の上記申請を却下す
る旨の処分をした(乙Dニ1・345頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)
の認定資料1)。
ウ原告J5は,平成22年8月12日,処分行政庁に対し,上記イの処分
に対する異議申立てをした(乙Dニ3・1頁,弁論の全趣旨・被告準備書
面(5)の認定資料1)。
エ原告J5は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本
件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(5)J6
アJ6は,昭和11年▲月▲日生まれの女性であり,被爆者健康手帳の交
付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dホ1・209頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(5)の認定資料1)。
イJ6は,平成20年8月29日,左乳がん術後皮膚潰瘍を申請疾病とす
る原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審
査会の意見を聴いた上で,平成22年10月25日付けでJ6の上記申請
を却下する旨の処分をした(乙Dホ1・209頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(5)の認定資料1)。
ウJ6は,平成22年12月22日,処分行政庁に対し,上記イの処分に
対する異議申立てをした(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
エJ6は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件訴
えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オJ6は,平成25年▲月▲日,死亡し,本件に係る権利関係は,J6
の長女J7(昭和45年▲月▲日生),長男J8(昭和47年▲月▲日
生)及び二女J9(昭和50年▲月▲日生)が承継した(以下,J7,J
8及びJ9を併せて「原告J6承継人ら」という。)(弁論の全趣旨・平
成26年3月19日付け訴訟手続承継の届出書)。
(6)J10
アJ10は,大正10年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手帳の
交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dヘ1・755頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イJ10は,平成22年6月30日,膀胱がんを申請疾病とする原爆症認
定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見
を聴いた上で,平成23年7月29日付けでJ10の上記申請を却下する
旨の処分をした(甲Dヘ3・11枚目,乙Dヘ1・755頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
ウJ10は,平成23年10月3日,処分行政庁に対し,上記イの処分に
対する異議申立てをした。
エJ10は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本件
訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
オJ10は,平成26年▲月▲日,死亡し,本件に係る権利関係は,J1
0の妻J11(昭和7年▲月▲日生)が承継した(以下,J11を「原告J
10承継人」という。)(弁論の全趣旨・平成26年11月28日付け訴
訟手続承継の届出書)。
(7)原告J12
ア原告J12は,昭和13年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康
手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dト1・387頁,弁論
の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J12は,平成18年10月6日,前立腺がんを申請疾病とする原
爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会
の意見を聴いた上で,平成22年4月27日付けで原告J12の上記申請
を却下する旨の処分をした(乙Dト1・387頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(5)の認定資料1)。
ウ原告J12は,平成22年7月23日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした(乙Dト1・8枚目,弁論の全趣旨・被告準
備書面(5)の認定資料1)。
エ原告J12は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(8)原告J13
ア原告J13は,昭和17年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康
手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dチ1・173頁,弁論
の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J13は,平成20年5月27日,前立腺がんを申請疾病とする原
爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会
の意見を聴いた上で,平成22年6月24日付けで原告J13の上記申請
を却下する旨の処分をした(乙Dチ1・173頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(5)の認定資料1)。
ウ原告J13は,平成22年8月27日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした。
エ原告J13は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(9)原告J1
ア原告J1は,昭和20年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手
帳の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dリ1・2837頁,弁論
の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J1は,平成20年6月6日,胃がんを申請疾病とする原爆症認定
申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見を
聴いた上で,平成22年3月19日付けで原告J1の上記申請を却下する
旨の処分をした(乙Dリ1・2837頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)
の認定資料1)。
ウ原告J1は,平成22年5月27日,処分行政庁に対し,上記イの処分
に対する異議申立てをした(乙Dリ1・5枚目,弁論の全趣旨・被告準備
書面(5)の認定資料1)。
エ原告J1は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める本
件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(10)原告J14
ア原告J14は,昭和6年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手
帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dル1・29頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
イ原告J14は,平成20年4月28日,心筋梗塞を申請疾病とする原爆
症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の
意見を聴いた上で,平成22年1月28日付けで原告J14の上記申請を
却下する旨の処分をした(乙Dル1・30頁,弁論の全趣旨・被告準備書
面(5)の認定資料1)。
ウ原告J14は,平成22年3月30日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした。
エ処分行政庁は,平成24年3月23日,上記ウの異議申立てを棄却した
(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料1)。
オ原告J14は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(11)原告J15
ア原告J15は,昭和7年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手帳
の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dワ1・79頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J15は,平成20年10月31日,狭心症を申請疾病とする原爆
症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の
意見を聴いた上で,平成22年5月27日付けで原告J15の上記申請を
却下する旨の処分をした(乙Dワ1・79頁,弁論の全趣旨・被告準備書
面(5)の認定資料2)。
ウ原告J15は,平成22年8月12日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした(乙Dワ1・7枚目,弁論の全趣旨・被告準
備書面(5)の認定資料2)。
エ原告J15は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(12)原告J16
ア原告J16は,昭和8年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手帳
の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dヨ1・1062頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J16は,平成20年4月21日,心筋梗塞を申請疾病とする原爆
症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の
意見を聴いた上で,平成22年3月19日付けで原告J16の上記申請を
却下する旨の処分をした(乙Dヨ1・1062頁,14枚目,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ原告J16は,平成22年6月2日,処分行政庁に対し,上記イの処分
に対する異議申立てをした。
エ処分行政庁は,平成23年9月30日,上記ウの異議申立てを棄却した。
オ原告J16は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(13)原告J17
ア原告J17は,昭和10年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手
帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dタ1・136頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J17は,平成18年6月9日,脳梗塞を申請疾病とする原爆症認
定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意見
を聴いた上で,平成22年2月23日付けで原告J17の上記申請を却下
する旨の処分をした(乙Dタ1・136頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)
の認定資料2)。
ウ原告J17は,平成22年4月26日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした。
エ原告J17は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(14)原告J18
ア原告J18は,昭和16年▲月▲日生まれの女性であり,被爆者健康
手帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dソ1・607頁,弁論
の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J18は,平成22年5月28日,甲状腺機能低下を申請疾病とす
る原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審
査会の意見を聴いた上で,平成23年8月26日付けで原告J18の上記
申請を却下する旨の処分をした(乙Dソ1・607頁,弁論の全趣旨・被
告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ原告J18は,平成23年10月28日,処分行政庁に対し,上記イの
処分に対する異議申立てをした。
エ原告J18は,平成24年3月27日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(15)原告J19
ア原告J19は,昭和3年▲月▲日生まれの女性であり,被爆者健康手帳
の交付を受けた広島原爆の被爆者である(乙Dネ1・1066頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J19は,平成18年6月9日,C型肝炎(C型慢性肝炎)を申請
疾病とする原爆症認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障
害認定審査会の意見を聴いた上で,平成22年1月28日付けで原告J1
9の上記申請を却下する旨の処分をした(乙Dネ1・1066頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
ウ原告J19は,平成22年3月30日,処分行政庁に対し,上記イの処
分に対する異議申立てをした(乙Dネ1・5枚目,弁論の全趣旨・被告準
備書面(5)の認定資料2)。
エ処分行政庁は,平成23年5月27日,上記ウの異議申立てを棄却した
(弁論の全趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
オ原告J19は,平成23年12月20日,前記イの処分の取消しを求め
る本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(16)原告J20
ア原告J20は,昭和11年▲月▲日生まれの男性であり,被爆者健康手
帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dナ1・3頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J20は,平成21年4月22日,脳梗塞を申請疾病とする原爆症
認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意
見を聴いた上で,平成24年7月27日付けで原告J20の上記申請を却
下する旨の処分をした(乙Dナ1・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(5)
の認定資料2)。
ウ原告J20は,平成25年2月20日,上記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
(17)原告J21
ア原告J21は,昭和6年▲月▲日生まれの女性であり,被爆者健康手
帳の交付を受けた長崎原爆の被爆者である(乙Dラ1・38頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(5)の認定資料2)。
イ原告J21は,平成23年6月24日,狭心症を申請疾病とする原爆症
認定申請をした。これに対し,処分行政庁は,疾病・障害認定審査会の意
見を聴いた上で,平成24年1月27日付けで原告J21の上記申請を却
下する旨の処分をした(乙Dラ1・38頁,弁論の全趣旨・被告準備書面
(5)の認定資料2)。
ウ原告J21は,平成24年4月6日,処分行政庁に対し,上記イの処分
に対する異議申立てをした(乙Dラ6・1頁,弁論の全趣旨・被告準備書
面(5)の認定資料2)。
エ処分行政庁は,平成24年12月14日,上記ウの異議申立てを棄却し
た。
オ原告J21は,平成25年6月10日,前記イの処分の取消しを求める
本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
5関連事件の訴訟終了
J22の相続人であるJ23,J24,J25,J26及びJ27(以下,
併せて「J22の相続人ら」という。),J28,J29,J30並びにJ3
1の相続人であるJ32(以下「J31の相続人」という。)は,平成24年
3月27日,原爆症認定申請を却下する旨の処分の取消しを求める訴えを提起
し,本件と弁論が併合されて審理されていた。
しかしながら,J28については,平成25年10月3日,J28が訴えの
取下げをし,同月21日,被告がこれに同意し,J22,J29,J30及び
J31については,処分行政庁がJ22,J29,J30及びJ31に対する
上記処分を撤回した上で,原爆症認定をしたことから,平成26年6月17日,
J22の相続人ら,J29,J30及びJ31の相続人が訴えの取下げをし,
同月26日,被告がこれに同意し,いずれも訴訟が終了した。
6放射線
(1)種類
原爆による被曝で問題となる放射線としては,アルファ線(α線),ベー
タ線(β線),ガンマ線(γ線)及び中性子線が挙げられる(乙B52・1
頁,乙B62,乙B63・28頁,29頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
11頁,12頁)。
アアルファ線
2個の陽子(プラスの電荷を帯びた粒子)と2個の中性子から成る粒子
線である。ラジウム,プルトニウム,ウラン,ラドンなどの特定の放射性
原子の自然崩壊によって生じる。物質との相互作用が強く,物質通過中に
急速にエネルギーを失っていくので,透過力(物質を通過する力)は極め
て小さい。空気中では数センチメートル程度しか飛ばず,薄い紙1枚で完
全に止めることができる。
イベータ線
陽子や中性子の質量の約2000分の1の質量を持つ高速度の電子(マ
イナスの電荷を帯びた粒子)から成る粒子線である。トリチウム(水素の
同位体),炭素14,リン32,ストロンチウム90など特定の放射性物
質の自然崩壊によって発生する。空気中では数十センチメートルないし数
メートルの距離まで届く。
ウガンマ線
粒子線であるアルファ線やベータ線と異なり,電磁波であり,質量や電
荷を持たないため,物質との相互作用の程度が弱く,物質を通過する際に
なかなかエネルギーを失わないため,透過力が大きい。コバルト60のガ
ンマ線は人体の深部まで透過することができるので,がんの放射線治療に
も広く使用されている。
エ中性子線
電荷を持たない中性子粒子から成る粒子線である。中性子粒子はウラン
やプルトニウムなどの核分裂によって発生する。原爆の爆発に至る原子核
の連鎖反応を引き起こすのは中性子線であるといわれる。中性子自体は電
荷を帯びていないので,細胞に損傷を与えることはほとんどないが,中性
子が水素の原子核,すなわち,正の電荷を帯びた陽子にぶつかると,体内
で電離を引き起こすとされる。中性子の質量は大きいが,電荷を持たない
ため,透過力は大きい。
(2)単位
放射線の量は,放射線が物質や人体に及ぼす作用や影響の大きさにより評
価され,どのような作用や影響に注目するかによっていくつかの線量とその
単位が定義されて用いられている(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)106頁
ないし108頁)。
ア吸収線量(グレイ,ラド)
吸収線量とは,放射線のエネルギーがどれだけ物質に吸収されたかを表
す単位であり,放射線が物質との相互作用を行った結果,その物質の単位
質量当たりに吸収されたエネルギーをいう。吸収線量は,放射線の種類や
物質の種類に関係なく使用される。1グレイは物質1kg当たり1ジュー
ルのエネルギー吸収があるときの吸収線量である。
1グレイは,100センチグレイ又は1000ミリグレイであり,ラド
は,1ラド当たり1センチグレイで換算される。
イ等価線量(シーベルト)
等価線量(シーベルト)とは,ある組織や臓器への影響はどのくらいあ
るかを表す単位である。人体に放射線が当たった場合,同一の吸収線量で
あっても,放射線の種類やエネルギーによって与えられる影響の程度は異
なることから,条件の異なった放射線照射により人体に与えられるリスク
(危険度)を,同一尺度で計算し,放射線防護の目的で比較したり,加え
合わせたりするために考え出された単位である。放射線の種類とエネルギ
ーによって与えられる影響の程度が異なることを考慮するため,吸収線量
(グレイ)に放射線荷重係数を掛けることになる。例えば,ベータ線やガ
ンマ線は1,アルファ線は20とされ,中性子線は,エネルギーにより,
5ないし20とされている。
なお,1シーベルトは,1000ミリシーベルト又は100万マイクロ
シーベルトである。
ウ実効線量(シーベルト)
実効線量(シーベルト)とは,等価線量に個別の人体組織についての放
射線感受性を表す組織荷重係数を掛けたものを,放射線を受けた組織につ
いて加え合わせたものであり,人体が受けるリスクの大きさを表す。人体
が放射線を受けた場合,等価線量が同じでもその影響の現れ方は人体の組
織や臓器によって異なるため,人体の様々な組織への影響を合計して評価
するために定義された単位である。
エ放射線を出す側,すなわち,放射能に着目した単位(ベクレル,キュリ
ー)
ベクレルとは,放射線源に含まれる放射性同位元素の量を表す単位であ
る。1ベクレルは,1秒間に1個の原子が崩壊するときの放射能の強さで
ある。1キュリーは370億ベクレルに相当する。なお,1キュリーの1
兆分の1が,1ピコキュリーである。
レントゲン(R)は,空気中に放射線(X線やガンマ線)を照射すると
原子がイオン化(電離)される放射線の総量であり,1レントゲンは,放
射線の照射によって標準状態の空気1c㎥当たりに1静電単位(esu)のイ
オン電荷が発生したときの放射線の総量と定義される。1レントゲンは,
ほぼ0.87ラドに相当する(乙B15・227頁)。
7原爆傷害調査委員会及び放射線影響研究所
原爆傷害調査委員会(ABCC。以下「ABCC」という。)は,昭和22
年,広島及び長崎の原爆被爆者の健康影響を調査するため,米国学士院により
広島市及び長崎市に設立された(甲A503・1頁)。
ABCCは,昭和30年,昭和25年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調
査から得られた資料を用いて,固定集団の対象者になり得る者の包括的な名簿
を作成した。具体的には,この国勢調査により,全国で28万4000人の日
本人被爆者が確認され,このうち,昭和25年当時に広島又は長崎のいずれか
に居住していた約20万人が基本群となり,この基本群から選ばれた副次集団
について被爆者調査が実施された(甲A503・6頁)。
そして,昭和50年,放射線影響研究所(放影研。以下「放影研」という。)
が日米両国政府の共同出資によって設立され,ABCCの被爆者調査は,放影
研に引き継がれている(甲A503・1頁)。
8原子放射線の影響に関する国連科学委員会
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR。以下「UNS
CEAR」という。)は,1950年(昭和25年)初頭に頻繁に行われた核
実験による環境影響及び人間への健康影響を世界的に調査するために,195
5年(昭和30年),国連に設置された委員会であり,現在では,1年に1回,
世界21箇国から各国政府の代表団として100人程度の科学者が集まり,放
射線による人体への影響についてその時点での最新の科学的知見を議論し,そ
の結果を報告書にまとめている。この報告書は,国際放射線防護委員会(IC
RJ。以下「ICRJ」という。)及び国際原子力委員会(IAEA。以下「I
AEA」という。)の基礎資料となり,世界各国の放射線防護の基準の参考と
なっている(弁論の全趣旨・被告準備書面(1)33頁)。
第4争点及び当事者の主張
1総説
本件における争点は,①原爆症認定における放射線起因性の判断基準,②
本件申請者らの原爆症認定要件該当性(放射線起因性及び要医療性)であり,
これらの争点に関する当事者の主張は,別紙4「原告らの主張」及び別紙5
「被告の主張」に記載のとおりであるが,その要旨は次のとおりである。
2原爆症認定における放射線起因性の判断基準
(1)原告らの主張の要旨
被爆者援護法の前文は,被爆者援護法制定の経緯,被爆者援護法の趣旨,
目的等について宣言しているが,この前文の精神こそが,被爆者援護法の解
釈及び適用に当たっての出発点でなければならない。そこに示されたものは,
核廃絶への願いであり,被爆者の置かれた状況への理解である。
そうであるならば,被爆者援護法を解釈するに当たっては,原爆被害の実
相を正しく受け止めるところから出発しなければならない。その上で,原爆
被害であることを公的に認定する唯一の制度である原爆症認定の在り方を問
うべきである。
そして,被爆者援護法の趣旨及び目的等から,原爆症認定の要件は,被爆
者に過重な負担を掛けることのないよう解釈,運用されなければならず,起
因性の要件に関しては,放射線被曝に関する当初の調査が不十分であったこ
と等からすれば,相当線量を被曝したと認められる事情にあり,当該被爆者
が,放射線に影響があることが疫学的に予測される負傷又は疾病にかかった
場合には放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が
認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとし
て原爆症認定がされるべきである。
その場合,残留放射線や疫学調査における影響を受ける疾病の範囲の拡大,
更には疾病発生の背景にある低線量部まで認められる炎症の持続や免疫の低
下を考慮すべきである。
(2)被告の主張の要旨
放射線起因性の要件該当性については,通常の民事訴訟と同様の立証の程
度が要求されるべきである。すなわち,放射線起因性の要件該当性が認めら
れるためには,「特定の被爆者の原爆放射線被曝」という特定の事実が,「特
定の被爆者の申請疾病の発症」という特定の結果発生を招来した関係を是認
し得る程度の高度の蓋然性を証明することが必要であり,その判定は,通常
人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることが必
要である。そして,その主張立証責任はいうまでもなく個別の原告らに帰せ
られるべきものである。
この立場に依拠しつつ,本件申請者らの申請疾病のように原爆放射線被曝
によらずに一般的に発症し得る疾病について放射線起因性の要件該当性を判
断する場合の論理的構造を考察すると,以下の3点を順次検討することが不
可欠ということになる。すなわち,①放射線と疾病の発症との関係に係る
疫学的な知見の的確な分析及び適用(因果関係判断の基礎となるべき疫学的
知見の有無及びその内容),②上記①の疫学的知見に特定の被爆者を当て
はめ,特定の被爆者について原爆放射線被曝による発症のリスクを導き出す
ための科学的な知見に基づく的確な線量評価,③原爆放射線に基づく罹患
リスクとそれ以外のリスク(原爆放射線被曝にかかわらずに発症することが
医学的に一般的に認められている場合の罹患リスク等)を対比した上で,な
お,高度の蓋然性をもって当該被爆者の原爆放射線被曝により当該被爆者の
申請疾病を発症したと評価し得るかというリスクの的確な評価という3段階
を経なければ,特定の被爆者が,当該被爆者が受けた原爆放射線に起因して
当該被爆者の申請疾病を発症したということを,高度の蓋然性をもって証明
したといえるか否かを判断することはできない。
3本件申請者らの原爆症認定要件該当性
(1)原告J2
ア原告J2の主張の要旨
(ア)原告J2は,平成20年9月,申請疾病である下咽頭がんと診断さ
れたものである。
(イ)下咽頭がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あるが,原告J2の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総
合認定の対象となるところ,原告J2の申請疾病には,以下のとおり,
放射線起因性が認められる。
a下咽頭がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J2は,広島原爆の投下から5日後,放射性降下物や誘導放射
化された物質により高度に汚染されていたと考えられる広島の爆心地
から約500mの地点近辺において,家族の捜索のため数時間滞在し,
スコップで地面を掘ったり,水を飲んだりしており,外部被曝だけで
なく,放射能に汚染された塵埃や水を体内に取り込んで内部被曝をし
た可能性が高い。しかも,原告J2は,その後も繰り返し爆心地付近
で家族の捜索を行っている。また,原告J2が広島市内で接した多数
の被爆者は,自らの体液や骨が誘導放射化された者や放射性降下物で
高度に汚染されていた者であると考えられる。さらに,原告J2には,
被爆後,胃腸が弱くなり下痢が多くなるという体調不良が生じている。
加えて,原告J2は11歳という若年時に被爆しており,被爆者調
査で報告されている発がんリスクが高い群に極めて近い。また,申請
疾病である下咽頭がんだけではなく,食道がんと胃がんにも罹患して
いるところ,こうした多重がんと放射線被曝との間には相関関係が認
められている。
よって,これらの事情からすれば,原告J2は,相当量の残留放射
線に被曝したということができる。
c改定後の新審査の方針においては,「原爆投下から約100時間以内
に爆心地から約2km以内に入市した者」を積極認定対象被爆とする
が,「約100時間以内に約2km」という数字の算出根拠(科学的根
拠)は不明であり,これを超える時期の放射線の影響については何ら
説明をしていない。むしろ「約」という表現自体が幅のある表現であ
り,100時間を超えれば途端に放射線影響が0になるわけではない
ことを表している。
そして,原告J2が「約100時間後」よりも僅か1日後ないし1
日半後に入市し,その後「約2km」よりもはるかに近距離(約50
0m以内)にまで到達したことからすれば,改定後の新審査の方針の
積極認定対象被爆に匹敵する入市者であるといえる。各種判決でも,
このような場合に放射線起因性を認めたものがある。
(ウ)原告J2は,現在でも,下咽頭がんの治療のために通院治療中であ
り,定期的な頚部超音波検査及び内視鏡検査を受けており,申請疾病に
は要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J2が広島市α10の自宅付近まで入市したことによる原告J
2の誘導放射線による推定積算線量は,0.003グレイを下回る。自
らの人体が誘導放射化されたり,放射性降下物で高度に汚染されたりし
ていた多数の被爆者に接したことによる被曝線量もごく僅かにすぎない。
内部被曝による被曝線量も微量にすぎない。
(イ)原告J2の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ)原告J2が若年被爆者であるとの主張は,放射線起因性を認める根
拠とはなり得ない。また,原告J2が多重がんであることも,原告J2
の下咽頭がんにつき放射線起因性を認める根拠とはならない。
(エ)原告J2には,下咽頭がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫
煙及び飲酒が存在している。
(オ)原告J2について放射線起因性の要件を満たすというためには,原
告J2において,被告が指摘する原告J2の危険因子(性差,加齢,喫
煙及び飲酒)の影響を超えて,原告J2の下咽頭がんの発症が原爆放射
線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実
性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要であ
る。
そして,原告J2の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(下
咽頭がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び喫煙,飲酒等の危険因
子の状況を総合考慮すれば,原告J2の申請疾病(下咽頭がん)が,危
険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常
人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の
蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,喫煙,飲酒等
の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J2の申請疾病については,被爆者援護法10条1
項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(2)原告J3
ア原告J3の主張の要旨
(ア)原告J3は,腎臓に腫瘍があることが分かったことから,平成17
年1月,右腎臓摘出手術を受け,申請疾病である腎細胞がんが確認され
たものである。
(イ)腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,かつ,原告J3は,長崎原爆の投下翌日に,爆心地から600m
ないし800mの地点まで入市したものであるから,積極認定対象被爆
に該当する。原告J3の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が
認められるはずである。
a腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J3の被爆態様は,積極認定対象被爆に当たることから,原告
J3の発症した腎細胞がんに放射線起因性が認められることも明らか
である。
c原告J3は,被爆後,屋外で自宅の周りの様子を見たり,片付けを
したりしている時,雨に体を打たれた。原告J3は,その雨が多少黒
かったと記憶している。また,原告J3は,長崎原爆の投下当日も,
長崎駅辺りまで入市している。
d原告J3は,被爆して1週間ないし10日後から,吐き気,下痢及
び発熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けるなどの症状を生じた。その後,
口内炎になり,喉の具合も悪くなった。また,体のあちらこちらに紫
斑が出現した。原告J3は,翌年(中学校の3学期),肺門リンパ腺炎
との診断を受け,休学した。原告J3は,この頃から,医師から貧血
状態であるとの指摘を受けるようになり,腰などが痛むようになった。
その後,成人した後も,慢性的に貧血状態にあり,腰や膝の痛みも
続いていた。また,喉の調子は悪くせきが出て,いつもたんが出るよ
うになり,せき払いが習慣になった。
平成21年10月,がんが肝臓に転移した疑いが持たれ,原告J3
は,同年11月に入院して抗がん剤治療を受けた。平成22年3月2
3日,肝部分切除手術を受け,肝臓にがんが転移していることが確認
された。原告J3は,同年6月,同年7月及び同年9月,抗がん剤治
療を受け,更に同年11月には再度,肝部分切除手術を受けた。原告
J3は,平成23年11月8日から同月29日まで,急性虫垂炎及び
腹膜炎で手術を受けた。さらに,原告J3は,同年12月7日から同
月22日までの間,肝がんの治療のため,肝臓に経皮的エタノール注
入手術を4回受けた。その後も経過観察をしていたが,平成24年4
月末に,肝臓にがん転移が確認された。
(ウ)原告J3の腎細胞がんは,肝臓に転移し,肝部分切除手術(平成2
2年11月16日)及び経皮的エタノール注入手術(平成23年12月
から平成24年1月まで)を受け,外来で経過観察中であり,申請疾病
には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J3が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実は認められ
ず,原告J3は「原爆投下から約100時間以内に爆心地から約2km
以内に入市した者」には当たらない。雨に打たれたことによる原告J3
の放射性降下物による被曝線量は微量にすぎない。原告J3の推定被曝
線量は,全体量としても約0.0003グレイにすぎない。
(イ)原告J3に紫斑が出現した事実は認められず,原告J3が挙げる各
身体症状が出現していたとしても,その身体症状は放射線被曝の影響に
よるものとは認められない。
また,原告J3は,被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾病等の
罹患が原告J3の腎細胞がんについて放射線起因性が認められることの
根拠となる理由について何ら主張,立証がされてないから,原告J3の
上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解する
ほかない。
(ウ)腎細胞がんは,他のがんと比較して放射線被曝との関連性の程度が
低い。
(エ)原告J3には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,喫
煙及び肥満が存在している。
(オ)原告J3について放射線起因性の要件を満たすというためには,原
告J3において,被告が指摘する原告J3の危険因子(性差,加齢,喫
煙及び肥満)の影響を超えて,原告J3の腎細胞がんの発症が原爆放射
線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実
性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要であ
る。
そして,原告J3の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(腎
細胞がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,喫煙等の危険因
子の状況を総合考慮すれば,原告J3の申請疾病(腎細胞がん)が,危
険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常
人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の
蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,喫煙等
の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J3の申請疾病については,被爆者援護法10条1
項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(3)原告J4
ア原告J4の主張の要旨
(ア)原告J4は,平成21年3月,申請疾病である腎細胞がんに罹患し
たものである。
(イ)腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,かつ,原告J4は,原爆投下から2週間以内の期間に,爆心地か
ら2km以内の地点に1週間以上滞在したものであるから,積極認定対
象被爆に該当する。原告J4の申請疾病には,以下のとおり,放射線起
因性が認められるはずである。
a腎細胞がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J4は,昭和20年8月11日に広島市に入市し,爆心地付近
を通り,広島市α11の自宅を経て,爆心地から約1.5kmの地点
にあるα12付近のJ33の自宅及び祖父の住む借家に合わせて同年
10月頃まで滞在した。これは,積極認定対象被爆に該当する。また,
α12のあるα13地区は黒い雨の降雨地域であった上,親族の安否
確認のため死傷者の収容所を訪問して顔を確認したり,死亡した親族
の遺体を素手で運んだりするなどして死傷者に直接接触し,遺体焼却
に伴って発生する粉塵等を吸引することで,内部被曝を含め相当程度
の残留放射線に被曝したことが認められる。さらに,被爆直後の疲れ
やすいという体調の変化や,多重がんに罹患した事実からも,原告J
4が相当量の被曝をしたことが推測される。
(ウ)原告J4は,平成24年10月に腎細胞がんが肺に転移したため手
術を受け,現在も定期検診を受けており,申請疾病には要医療性が認め
られる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J4が昭和20年8月12日から同年10月頃まで爆心地から
約1.5kmの地点にあるJ33の自宅及び祖父の住む借家に滞在した
とは認められず,原告J4の推定被曝線量は,全体量としても0.01
6グレイを下回る程度である。
(イ)原告J4の主張する身体症状は,放射線被曝を原因とする身体症状
とはいえない。
(ウ)多重がんであることは,原告J4の腎細胞がんにつき放射線起因性
を認める根拠とはならない。
(エ)原告J4には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,高
血圧,肥満及び喫煙が存在している。
(オ)原告J4について放射線起因性の要件を満たすというためには,原
告J4において,被告が指摘する原告J4の危険因子(性差,加齢,高
血圧,肥満及び喫煙)の影響を超えて,原告J4の腎細胞がんの発症が
原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程
度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが
必要である。
そして,原告J4の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(腎
細胞がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の危険
因子の状況を総合考慮すれば,原告J4の申請疾病(腎細胞がん)が,
危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通
常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度
の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血
圧等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J4の申請疾病については,被爆者援護法10条1
項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(4)原告J5
ア原告J5の主張の要旨
(ア)原告J5は,平成19年12月,食欲不振の症状により受診し,検
査を受けたところ,申請疾病である胃がんと診断されたものである。
(イ)胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病である
が,原告J5の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,総合認
定の対象となるところ,原告J5の申請疾病には,以下のとおり,放射
線起因性が認められる。
a胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,
放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J5は,直爆したのみならず,直後に黒い雨に全身を打たれて
おり,しかも,その汚れはなかなか落ちなかったというのであって,
直爆による放射線以外にも大量の放射線被曝をしたものと考えられる。
また,原告J5は,被爆後に急性症状としての下痢を発症しているこ
と,成人した頃から現在に至るまでの長期にわたり,後記dの被爆者
によくみられる体調不良に悩まされていることからすれば,相当程度
の放射線被曝をしたものと考えられる。
c原告J5の被爆地点は,長崎の爆心地から約3.6kmの地点であ
り,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「爆心
地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か100mほど離
れた場所にすぎない。そもそも,この「約3.5km」という数字の
算出根拠(科学的根拠)は不明であり,これを超える距離の放射線の
影響については何ら説明をしていない。むしろ「約」という表現自体
が幅のある表現であり,3.5kmの地点を僅かでも超えれば途端に
放射線影響が0になるわけではない。各種判決でも,3.5kmを超
える場合に放射線起因性を認めたものがある。
d原告J5は,被爆の約1年後には,右足のすねに出来物ができ,血
の膿が出た。この跡は今でも残っている。
その後,原告J5は,13歳頃から25歳頃まで,顔全体に赤黒い
吹き出物が出て,血が混じった膿だらけになるという症状に悩まされ
続けた。原告J5は,20歳前後の頃から,体温調節機能の異常を自
覚し,また,20歳代の頃から不眠に悩まされており,平成4年には,
これらの体温調節機能の異常と不眠について,自律神経失調症との診
断を受けている。そして,原告J5は,このような体調不良のほか,
これまで次のような病気に罹患している。原告J5は,昭和60年6
月,十二指腸潰瘍により17日間入院し,手術はせずに投薬治療によ
って進行を抑えた。原告J5は,平成元年,肺炎により,約1箇月入
院した。平成5年には痔核の手術が行われた。原告J5は,平成7年
頃,白内障の診断を受け,現在も投薬治療中である。平成15年には
平成5年の痔核治療の予後が悪く,痔核の再手術が行われた。
(ウ)原告J5は,胃がんの切除手術を受けた後も,再発予防のための経
過観察中であり,二,三箇月に1回,検査のため通院していることから,
申請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J5の推定被曝線量は,全体量としても約0.0007グレイ
にすぎない。
(イ)原告J5に下痢や血の膿が出現したとは認められないし,仮にこれ
らが認められるとしても,放射線被曝による急性症状の特徴を有すると
はいえない。
(ウ)原告J5は,原告J5の被爆後の病歴等を羅列するが,それらの疾
病等の罹患が原告J5の胃がんについて放射線起因性が認められること
の根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,原告J
5の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解
するほかない。
(エ)原告J5は若年被爆者であるが,そのことは放射線起因性を認める
根拠となり得ない。
(オ)原告J5には胃がんの重大な危険因子である加齢及びヘリコバクタ
ー・ピロリの感染が存在している可能性は否定することができない。
(カ)原告J5について放射線起因性の要件を満たすというためには,原
告J5において,被告が指摘する原告J5の危険因子(加齢及びヘリコ
バクター・ピロリの感染)の影響を超えて,原告J5の胃がんの発症が
原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程
度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが
必要である。
そして,原告J5の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(胃
がん)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢等の危険因子の状況を
総合考慮すれば,原告J5の申請疾病(胃がん)が,危険因子の影響を
超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し
挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明が
あるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,ヘリコバクター・ピロ
リの感染などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的
である。
したがって,原告J5の申請疾病については,被爆者援護法10条1
項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(5)J6
ア原告J6承継人らの主張の要旨
(ア)J6は,昭和59年5月,申請疾病である左乳がん術後皮膚潰瘍の
原疾病である乳がんと診断されたものである。
(イ)aJ6の申請疾病は,左乳がん術後皮膚潰瘍であり,かつ,J6は
爆心地から約3kmの地点にある長崎市α14の自宅で被爆している
ため,改定後の新審査の方針において積極認定の対象となるものであ
る。
bJ6の被爆態様は積極認定対象被爆であり,48歳の時に罹患した
乳がんにより乳房切除手術を受け,患部に放射線照射を受けた後に,
手術創の辺りに皮膚潰瘍が発生しているため,この皮膚潰瘍は,原疾
病である乳がん(手術)と局所への放射線治療による連続的,一体的
結果であって,積極認定対象疾病に当たる。よって,J6の申請疾病
である左乳がん術後皮膚潰瘍には放射線起因性が認められる。
(ウ)J6は,左乳がん術後皮膚潰瘍について平成19年12月からJ3
4医院で治療を受けている。治療を受けていた部位については,植皮に
よる手術の必要性も指摘されており,手術がされなかったのは当時うつ
病であったJ6の「手術をしたくない」との意向からであり,やむなく
塗り薬で対処していたものであり,仮に一時的に皮膚潰瘍に瘡蓋ができ
たとはいえ,完治というにはほど遠いものであった。実際に原爆症認定
申請直後の平成20年9月の診療録には,「ulcer(潰瘍)+」と記載さ
れており,その直前の原爆症認定申請時において,皮膚潰瘍が存在して
治療が必要な状態にあったことは明らかであり,申請疾病には要医療性
が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)J6の左胸部に皮膚潰瘍が生じたこと自体は認められるとしても,
更に上記皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳が
ん術後皮膚潰瘍」であることを認めることはできない。よって,J6の
申請疾病である左乳がん術後皮膚潰瘍が被爆者援護法10条1項の放射
線起因性の要件を満たすとはいえない。
(イ)J6の乳がんについて,再発,転移等による要医療性は認められな
い。また,皮膚潰瘍についても,少なくとも原爆症認定申請時において,
「現に医療を要する状態にある」皮膚潰瘍は存在しておらず,せいぜい
経過観察が行われていたにすぎないから,要医療性は認められない。
(6)J10
ア原告J10承継人の主張の要旨
(ア)J10は,平成20年,申請疾病である膀胱がん(膀胱腫瘍)と診
断されたものである。
(イ)膀胱がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であ
り,かつ,J10は,爆心地から約3.5kmの地点にある「○部隊」
の練兵場で被爆し,翌日,同爆心地から約1.5kmの地点であるJ3
5病院付近まで入市したものであるから,積極認定対象被爆に該当する。
J10の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められるはず
である。
a膀胱がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であ
り,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
bJ10の被爆態様は,積極認定対象被爆に当たることから,J10
の発症した膀胱がんに放射線起因性が認められることも明らかであ
る。
cJ10は,入市した後,発熱,嘔吐,下痢,貧血,めまい,食欲不
振といった症状に悩まされることになった。J10は,発熱や嘔吐な
どのために兵舎において休養しなければならないときもあり,そのよ
うな症状が発生すると3日ないし4日くらい悩まされることになっ
た。J10は,復員後の昭和25年頃から,体が重くなり,季節の変
化で風邪を引きやすくなった。医者にかかるようになり,医師の指示
によってレントゲン撮影を行ったところ,医師から心筋梗塞の気及び
心臓肥大の傾向があるとの診断を受けた。それ以来,J10は,心臓
の病気については通院を続けていた。
(ウ)J10は,平成20年の手術以降も治療や再手術を重ね,平成26
年▲月▲日に死亡するまで治療を継続した。よって,申請疾病には要医
療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)J10が爆心地から約3.5kmの地点にある「○部隊」の練兵場
で被爆したと認めることはできず,J10は,爆心地から約4.79k
mの地点にある陸軍船舶司令部で被爆したと認められる。
(イ)J10が広島原爆の投下翌日に爆心地から約1.5kmの地点であ
るJ35病院付近まで入市した事実は認められず,爆心地から約1km
の地点であるJ36病院付近まで入市した事実も認められない。むしろ,
J10が同日に入市した地点は,爆心地から約2.5kmの地点である
α15付近までであったと認定すべきである。
(ウ)膀胱がんについて,放射線被曝との有意な関連性が認められている
のは0.1グレイないし0.2グレイ以上の放射線被曝の場合であると
ころ,J10の被爆態様からすると,J10の推定被曝線量は,全体量
としても0.0001グレイを更に下回る程度にすぎず,膀胱がんの放
射線起因性が認められる程度の線量の放射線被曝を受けたとは認められ
ない。
(エ)J10に嘔吐及び食欲不振が出現したとは認められず,J10が挙
げる身体症状を全体としてみても,放射線被曝による急性症状とはいえ
ない。
(オ)原告J10承継人は,J10の被爆後の病歴等を羅列するが,それ
らの疾病等の罹患がJ10の膀胱がんについて放射線起因性が認められ
ることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていない。した
がって,原告J10承継人の上記主張は失当である。
(カ)J10には膀胱がんの重大な危険因子である性差及び加齢が存在し
ている。
(キ)J10について放射線起因性の要件を満たすというためには,原告
J10承継人において,被告が指摘するJ10の危険因子(性差及び加
齢)の影響を超えて,J10の膀胱がんの発症が原爆放射線により生じ
たことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持
ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,J10の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病(膀
胱がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに性差及び加齢という危
険因子の状況を総合考慮すれば,J10の申請疾病(膀胱がん)が,危
険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常
人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の
蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,性差,加齢な
どの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,J10の申請疾病については,被爆者援護法10条1項
の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(7)原告J12
ア原告J12の主張の要旨
(ア)原告J12は,平成15年8月,申請疾病である前立腺がんと診断
されたものである。
(イ)前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あるが,原告J12の被爆態様が積極認定対象被爆に該当しないため,
総合認定の対象となるところ,原告J12の申請疾病には,以下のとお
り,放射線起因性が認められる。
a前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J12は,長崎の爆心地から約3.8kmという距離で被爆し
ただけでなく,近距離で被爆し被爆後数日中に死亡した伯父のJ37
や,J37を7人で連れだって長崎市α16周辺まで捜索に行き連れ
帰った原告J12の母ら親族の身辺にいた。これらの親族は,爆心地
を通過し往復して戻ってきており,原告J12がJ37や7人の親族
の衣服,身体,頭髪等に付着した放射性降下物や誘導放射化された物
質に由来する多量の残留放射線により,放射線感受性の高い幼少期(7
歳)に被曝していることは明らかである。特に,救援には原告J12
の母も参加し,原告J12は母やその他の親族にまとわりつき,J3
7の様子を間近に見たであろうことは十分に考えられ,何よりJ38
の自宅で起居していた原告J12は,救援に行った7人中,3人と一
つ屋根の下で寝起きしたことになる。それ以外の親族も隣あって大家
族のように住んでいたものである。さらに,被爆後,ガス状や粉塵に
なって大気中に存在した放射性物質を吸引し,あるいは,飲食物と共
に摂取して内部被曝をしている可能性も大きい。被爆直後から強い倦
怠感や鼻出血があり,これらは典型的な放射線による急性症状であっ
た可能性が高いし,わざわざ母が保健所に連れて行くことや,白血球
減少を指摘されることも,日常的にはない出来事であり,母として放
っておけないような体調の変化や変調があったことの証左である。
そして,原告J12が前立腺がんの診断を受けたのが65歳と若い
時期の発症であることも,被曝の影響を疑わせるものである。
c原告J12の被爆地点は爆心地から約3.8kmの地点であり,総
合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「被爆地点が
爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か300mほ
ど離れた場所にすぎない。3.5kmの地点を超えれば途端に放射線
影響が0になるわけではなく,各種判決でも放射線起因性を認めたも
のがある。
d原告J12は,被爆の約半年後に,歯茎が腫れて切開手術を受け,
昭和28年頃と昭和33年頃の2回にわたって蓄膿症となり,手術を
受けた。また,原告J12は,平成10年頃,白内障と診断され,治
療を受けた。さらに,原告J12は,平成15年頃,頚椎ヘルニアと
診断された。原告J12は,前立腺がん摘出手術の3日後に脳梗塞を
発症した。
(ウ)原告J12は,前立腺がんの切除手術を受けた後,前立腺がんが再
発し,現在に至るまで治療を継続しており,申請疾病には要医療性が認
められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J12の主張を前提としても,原告J12の初期放射線による
被曝線量は,0.0003グレイを下回る程度である。近距離で被爆し
て数日中に死亡した伯父等の身辺にいたことによる被曝線量もごく僅か
にすぎない。内部被曝による被曝線量も微量にすぎない。
(イ)原告J12の身体症状は放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ)原告J12は,原告J12の被爆後の病歴を羅列して主張するが,
これらの疾病の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これらの
疾病等の罹患が原告J12の前立腺がんについて放射線起因性が認めら
れることの根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,
原告J12の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事
情と理解するほかない。
(エ)原告J12が若年被爆者であるとの主張は,放射線起因性を認める
根拠にならない。
(オ)原告J12には前立腺がんの重大な危険因子である加齢及び喫煙が
存在している。
(カ)原告J12について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J12において,被告が指摘する原告J12の危険因子(加齢及び
喫煙)の影響を超えて,原告J12の前立腺がんの発症が原爆放射線に
より生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の
確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要である。
そして,原告J12の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病
(前立腺がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢及び喫煙と
いう危険因子の状況を総合考慮すれば,原告J12の申請疾病(前立腺
がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したことに
ついて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに
足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,
加齢,喫煙などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理
的である。
したがって,原告J12の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(8)原告J13
ア原告J13の主張の要旨
(ア)原告J13は,平成19年11月,申請疾病である前立腺がんと診
断されたものである。
(イ)前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あるが,原告J13の被爆態様が積極認定対象被爆に当たらないため,
総合認定の対象となるところ,原告J13の申請疾病には,以下のとお
り,放射線起因性が認められる。
a前立腺がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病で
あり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J13は,放射線の影響を受けやすい2歳という幼少時の被爆
であり,かつ,直爆したのみならず,その後も昭和37年までその場
所に住み続けている。長崎では,地形などの影響から爆心地の南東方
向の原告J13の被爆地点にも相当量放射性降下物が飛散したと考え
られ,原告J13は相当程度の放射線被曝をしていると考えられる。
また,幼少時にしばしば下痢を発症し,幼少期を過ぎてからも,リ
ンパ腺が腫れるなどの症状が続き,成人になる頃まで倦怠感に悩まさ
れ続けるなど,体調不良状態が長く継続しており,被曝の影響が強く
体に現れているといえる。
さらに,本来高齢者に多い前立腺がんを,65歳という若年で発症
していることからしても,原告J13は,相当程度の放射線被曝をし
たものと考えられる。
c原告J13の被爆地点は,長崎の爆心地から約3.6kmの地点で
あり,総合認定の対象となるとはいえ,積極認定対象被爆である「被
爆地点が爆心地から約3.5km以内である者」と比較して,僅か1
00mほど離れた場所にすぎない。3.5kmの地点を超えれば途端
に放射線影響が0になるわけではなく,各種判決でも放射線起因性を
認めたものがある。
d原告J13は,成人後も,扁桃腺肥大で,風邪を引きやすい体質で
あった。原告J13は,55歳頃,風邪でJ39病院に1週間入院し
ている。原告J13は,平成9年頃からは,高血圧で2箇月に一度,
J40センターへの通院を続けている。平成19年か平成20年頃に
は,医師から腹部大動脈瘤が腫れているとの指摘があった。
(ウ)申請疾病の要医療性
原告J13は,前立腺がんの切除手術を受けた後も,再発予防のため
の経過観察中であり,2箇月に1回,検査のため通院していることから,
申請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J13の初期放射線による被曝線量は,0.0006グレイを
下回る程度である。放射性降下物による被曝線量も微量である。
(イ)原告J13に下痢及び倦怠感を含めて何らかの身体症状が出現した
とは認められず,原告J13が挙げる各身体症状が出現していたとして
も,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ)原告J13は,原告J13のこれまでの病歴を羅列し,原告J13
の健康状態をもって前立腺がんの放射線起因性が認められる根拠の一つ
としているが,これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じた
ことや,これらの疾病等の罹患が原告J13の前立腺がんについて放射
線起因性が認められる根拠となる理由について何ら主張,立証がされて
いないから,原告J13の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与え
ない単なる事情と理解するほかない。
(エ)原告J13が若年被爆者である旨の主張は,放射線起因性を認める
根拠とはなり得ない。
(オ)原告J13には前立腺がんの重大な危険因子である加齢,飲酒及び
喫煙が存在している。
(カ)原告J13について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J13において,被告が指摘する原告J13の危険因子(加齢,飲
酒及び喫煙)の影響を超えて,原告J13の前立腺がんの発症が原爆放
射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真
実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必要で
ある。
そして,原告J13の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病
(前立腺がん)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,飲酒及び
喫煙という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告J13の申請疾病(前
立腺がん)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症したこ
とについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得
るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,その発症
は,加齢,飲酒,喫煙などの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自
然かつ合理的である。
したがって,原告J13の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(9)原告J1
ア原告J1の主張の要旨
(ア)原告J1は,平成5年,申請疾病である胃がんと診断されたもので
ある。
(イ)a原告J1の申請疾病は,胃がんであり,かつ,原告J1は広島原
爆の投下翌日又は昭和20年8月8日に爆心地付近に入市しているた
め,改定後の新審査の方針において積極認定の対象となるものである。
なお,胃切除後障害は胃がんの摘出術の後遺症であるところ,「胃が
ん」での申請は,当然に「胃切除後障害」をも含めて原爆症認定を求
める趣旨であることは明らかである。かかる解釈は,別件同種訴訟や
認定実務においても実例がある。
b胃がんは,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であり,
放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
原告J1は,生後▲箇月という若年で,母に背負われ,昭和20年
8月8日(広島原爆の投下翌日である同月7日の可能性もある。)に,
正に爆心地至近(広島市α17,同市α18及び同市α19)を通過
して市内を東西に往復しており,原告J1が放射性降下物や土壌及び
がれき中の誘導放射化された物質による多量の残留放射線に被曝して
いることは明らかである。また,粉塵等の吸入や汚染された食べ物,
水の摂取により内部被曝をしている可能性も大きい。したがって,原
告J1が相当量の放射線被曝をしたことは明らかである。
c胃を切除しなければ胃切除後の後遺症は発症しないのであるから,
胃がん自体に放射線起因性が認められるのであれば,当然,胃切除後
の後遺症にも放射線起因性が認められる。平成20年6月5日付け認
定申請書の「被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要」の欄には,
「平成6年,胃がん手術,その後,今日まで,後遺症として,ダンピ
ング症候群,鉄分不足で悩まされ,現在治療中」との記載があり,同
申請書添付のJ41病院医師のJ42の平成20年5月23日付け意
見書(以下「J42意見書」という。)には,「現症所見」の欄に,
「現時点で,ビタミンB12の継続的な注射を行っているが,後遺症
としてダンピング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血がみられる」
との記載がある。
また,原告J1の胃切除後の上記症状が胃がんの治療として胃を切
除したことによるものであることは,胃切除後障害の医学的機序から
して明らかである。
さらに,原爆症認定申請は,原告J1が胃がんの摘出術を受けてか
ら14年が経過した時期にされたものであり,医療を要する状態にあ
るのは,胃がんの再発に対する経過観察のみならず,胃切除後障害の
治療のためでもある。
よって,原告J1に発症した胃がんのみならず,胃切除後障害にも
放射線起因性が認められる。各種判決からも明らかであり,別件同種
訴訟においても実例がある。
(ウ)a原告J1は,胃がんについては,1年に一度の再発予防と残胃が
んの確認のための胃カメラ検査を行っており,申請疾病のうち胃がん
については要医療性が認められる。
b(a)ダンピング症候群の治療には,原則として食事療法が行われ,苦
痛を緩和するための対症療法には,薬物療法が行われる。薬物療法
には,一般に消化剤や整腸剤が使用される。
原告J1は,継続的な食事療法のほか,約3箇月に一度の経過観
察のための通院,治療薬の○,○等の処方を受けており,原爆症認
定申請後は○の処方も受けている。
原告J1は,整腸剤や消化剤の服用のほか,医師から,とにかく
食事をゆっくり少量に分けて数回に,できれば1日6回とかそうい
う状況で食べて,胃を慣らすようにしてよくかんで,ゆっくり休み
ながら時間を掛けて食べるようにとの食事療法の指導を受けてい
るとしており,実際に退院後から現在まで,毎食時,医師から言わ
れた食事療法をできる限り心掛けて実行している。また,医師から
飲酒量を抑えるように言われており,原告J1は,その指示に従っ
て休肝日を週2回設けているとしているものであって,食事療法を
実行しているものである。
(b)逆流性食道炎の治療には,食事指導のほか,薬物療法が行われる。
薬物療法には,ヒスタミンH2受容体拮抗薬などが使用される。
原告J1は,3箇月に一度,経過観察のため通院し,治療薬とし
て,○等の処方を受けている。○は,胃酸分泌抑制薬(ヒスタミン
H2受容体拮抗薬)であり,逆流性食道炎の治療薬であることは明
らかである。
(c)鉄欠乏性貧血の治療には,鉄剤が経口投与される。
原告J1は,3箇月に一度,経過観察のため通院し,平成20年
5月8日には鉄剤である○の処方を受けている。
(d)巨赤芽球性貧血の治療には,巨赤芽球性貧血の予防の観点からビ
タミンB12の定期的な注射が行われる。
原告J1は,3箇月ないし6箇月に一度,経過観察のため通院し,
ビタミンB12を補うための○の注射を受け続けている。
(e)以上のとおり,原告J1の受けているこれらの治療は,胃がんの
ための胃切除に伴う必然的,不可避的な治療であり,胃がんに罹患
したことに起因して発症した後遺症に対する治療であることは明
白であり,原告J1が医療を必要とする状態にあることが明らかで
ある。したがって,申請疾病のうち胃切除後障害としての上記各疾
病についても要医療性が認められる。各種判決及び別件同種訴訟の
実例も同様である。
イ被告の主張の要旨
(ア)「現に医療を要する状態にある」にいう「医療」とは,原爆症認定
に係る負傷又は疾病について医療効果の向上を図るべく,医師による継
続的な医学的管理の下に,必要かつ適切な内容において行われる範囲の
医療をいうものと解するのが相当である。したがって,再発予防の治療
等も既に終了し経過観察をしているにすぎない場合や,医師による医療
であっても不必要,不適切な内容の医療は,上記医療には当たらない。
(イ)原爆症認定の要件としての要医療性についても原告J1が主張立証
責任を負っているところ,原告J1は,原告J1の要医療性について抽
象的な主張をするのみであり,申請疾病等の要医療性を基礎づける行為
の実施時期も,当該行為の具体的内容も,何ら主張,立証がされていな
い。したがって,このような原告J1の主張,立証の状況だけをみても,
原告J1の要医療性に係る主張は失当である。
(ウ)原告J1の胃がんに要医療性があるとはいえない。
(エ)原告J1が原爆症認定申請時においてダンピング症候群を発症して
いたか否か明らかでなく,仮にダンピング症候群を発症していたとして
も,要医療性があるとはいえない。
(オ)原告J1が原爆症認定申請時において逆流性食道炎を発症していた
とは認められない。また,仮に逆流性食道炎を発症していたとしても,
胃の部分切除に伴うものとは認められないし,要医療性があるとはいえ
ない。
(カ)原告J1が原爆症認定申請時において鉄欠乏性貧血を発症していた
とは認められず,仮に鉄欠乏性貧血を発症していたとしても,要医療性
があるとはいえない。
(キ)胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血の予防を目的とした投薬をも
って,巨赤芽球性貧血に要医療性があるとはいえない。
(10)原告J14
ア原告J14の主張の要旨
(ア)原告J14は,平成11年3月25日から2週間,通院して精密検
査を受け,申請疾病である心筋梗塞と診断されたものである。
(イ)心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であ
り,かつ,原告J14は,長崎の爆心地から約3.5kmの地点で直爆
を受け,また,長崎原爆の投下翌日には長崎市内に入市して爆心地付近
を通過したものであるから,再改定後の新審査の方針による積極認定対
象被爆にも該当する。原告J14の申請疾病には,以下のとおり,放射
線起因性が認められるはずである。
a心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であ
り,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J14は,被爆時年齢14歳で,爆心地から約3.5kmの地
点で遮蔽物のない状態で直爆を受けた。のみならず,原告J14は,
その後約20分にわたり黒い雨に打たれ,また,長崎原爆の投下翌日
に爆心地付近まで入市するなど,放射性降下物や誘導放射化された環
境に身を置いたことにより,残留放射線にさらされることとなった。
そのため,原告J14は,被爆前は健康体であったが,被爆直後から
吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急
性症状を発症した。加えて,原告J14は,その後も後記cの様々な
疾病に苦しんだ上で,今回の申請疾病である心筋梗塞の発症に至って
いる。
c原告J14は,昭和22年頃からは,慢性の下痢の症状が始まり,
その症状はその後約40年近く続いた。原告J14は,昭和27年,
肛門周囲膿瘍にかかり手術を受けたが,その後も膿みが止まらなかっ
たため入院し,退院するまで3回も同じ手術を受けた。原告J14は,
昭和31年及び昭和39年,内痔核の手術を受けたが,その後,再発
し,現在も座薬や軟膏などの薬で治療を受けている。原告J14は,
昭和31年,肺結核にかかり,その後2年間,治療のために国立療養
所に入院した。原告J14は,昭和54年,変形性脊椎症にかかり,
現在も治療している。原告J14は,平成14年,前立腺肥大症にか
かり,同年3月には温熱療法による治療を受けたが,症状は改善せず,
現在でも治療を続けており,さらに,平成24年1月6日,下腹部に
痛みを感じ,J43病院でMRI検査を受けたところ,前立腺がんの
可能性がある,骨転移の可能性もあると診断された。原告J14は,
同月17日,大量の下血があり,同月18日に同病院に入院し,同月
21日まで精密検査を受けたが,がんの特定には至らなかった。しか
し,同年8月27日,再び同病院でMRI検査を受けたところ,前回
検査より前立腺が軽度増大しており,前立腺がんの疑いとの診断がさ
れた。さらに,原告J14は,同年12月11日にも大量の下血があ
ったため,同月12日から同月18日まで同病院に入院して精密検査
を受けたが,がんの特定までには至らなかった。
(ウ)原告J14は,現在,J43病院には3箇月に1回の頻度で,J4
4クリニックには1箇月に1回の頻度でそれぞれ通院し,主治医の指示
による内服治療を継続していることから,申請疾病には要医療性が認め
られる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J14が長崎原爆の投下翌日に入市した事実を認めることはで
きず,昭和20年8月12日に入市したと認めるべきである。
(イ)原告J14の初期放射線による推定被曝線量は約0.0008グレ
イである。黒い雨に打たれたことによる原告J14の放射性降下物によ
る被曝線量は微量にすぎない。爆心地付近に入市したことによる原告J
14の誘導放射線による推定積算線量は0.0057グレイを下回る。
以上によれば,原告J14の推定被曝線量は,全体量としても,0.
0065グレイを大きく下回る程度にすぎない。
(ウ)原告J14に吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,脱毛及
び倦怠感が出現したとは認められないし,仮にこれらが認められるとし
ても,放射線被曝による急性症状の特徴を有するとはいえない。
(エ)原告J14が羅列する被爆後の病歴等については,それらの疾病等
の罹患が原告J14の心筋梗塞について放射線起因性が認められること
の根拠となる理由について何ら主張,立証がされていないから,放射線
起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(オ)原告J14には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,喫煙,
高血圧及び脂質異常症が存在している。
(カ)原告J14について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J14において,被告が指摘する原告J14の危険因子(加齢,喫
煙,高血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告J14の心筋梗塞の
発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟ま
ない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をする
ことが必要である。
そして,原告J14の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病
(心筋梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,喫煙,高血
圧及び脂質異常症という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告J14
の申請疾病(心筋梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線によ
り発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の
確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むし
ろ,その発症は,加齢,喫煙,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以
外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J14の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(11)原告J15
ア原告J15の主張の要旨
(ア)原告J15は,平成9年7月頃,自覚症状が出たことにより,精密
検査を受けた結果,申請疾病である狭心症と診断されたものである。
(イ)原告J15は,広島の爆心地から約1kmの地点で被爆しており,
改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,狭心症
は,発生機序など積極認定対象疾病である心筋梗塞と極めて類似した疾
患である。そして,原告J15の申請疾病は,以下のとおり,放射線起
因性が認められる。
a原告J15の狭心症は,動脈硬化性の狭心症である。心筋梗塞と動
脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じである。心臓の血管が閉塞に
まで進んで心筋の壊死に至るかどうかの違いしかない。病態的には何
ら差はなく,両者を区別することは科学的根拠に欠ける。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象
疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかであ
る。
よって,狭心症には放射線起因性が認められる。
b原告J15は,広島の爆心地から約1kmの地点で被爆し,出血し
た状態で傷口を保護することもなく広島市内を徒歩で移動している。
そして,被爆直後から血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐が続き,やけど
や外傷は化膿して1箇月以上治らず,顔面から首の左半分と右腕にケ
ロイドが残った。ケロイドは被爆後68年を経ても目視で確認するこ
とができるほどであり,以前は更にはっきりと跡が残っていたことか
ら,原告J15は人の目が気になって嫌な思いをしてきた。左腕には
今でもガラス片と思われる異物が残存している。しばらくして顔,腕
及び足に紫斑が出現し,常にだるさを感じ,疲れやすくなり,耐久力
もなくなった。このように,原告J15には,近距離での被爆者にみ
られる症状がそろっており,相当量の初期放射線及び残留放射線に被
曝したと考えられる。
c左足の外側や背中の左側は麻痺して感覚のない状態が被爆後10年
くらい(背中は20年くらい)続き,右手は今でもうまく握ることが
できない。その後,原告J15は,42歳の頃,十二指腸潰瘍でJ4
5病院に入院し,47歳の頃,糖尿病を患い,平成7年にインスリン
が導入された。また,平成21年頃からは,めまいが頻繁に起こるよ
うになった。平成23年12月頃,高熱が続いて入院し,それから数
箇月間,原告J15は入退院を繰り返した。この時の検査で脳梗塞が
3箇所発見された。左耳の難聴や左目の視力低下も顕著となった。原
告J15は,平成25年2月,急性腎盂腎炎で入院した。
(ウ)原告J15は,現在も主治医の指示による内服治療を継続中である。
また,原告J15は,平成24年3月にも経皮冠動脈形成術(JCI)
を施された上,日常の軽い労作でも胸痛を感じている。今後も毎月の定
期検査の結果を受けて,更に手術を受けることとなる可能性も高く,申
請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J15が直爆を受けた場所が広島の爆心地から約1kmの地点
である広島市α20付近であると認めることはできず,原告J15の直
爆の地点は爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前であると認
められる。
(イ)原告J15の初期放射線による被曝線量は約0.110711グレ
イである。傷口を保護することなく広島市内を徒歩で移動したことによ
り相当量の残留放射線に被曝したとの主張は全く不明確であり,その具
体的な根拠も示されていない。
(ウ)原告J15に血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現
した事実は認められない。原告J15に出現した血性でない下痢は,放
射線被曝の影響によるものとは認められない。また,原告J15が主張
する各症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(エ)原告J15が羅列する病歴のうち脳梗塞を除く各疾病については,
その一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に主張,
立証がされていない上に,これらの疾病等の罹患が原告J15の狭心症
について放射線起因性が認められることの根拠となる理由についても何
ら主張,立証がされていない。また,脳梗塞の既往についても,一般に
脳梗塞について放射線との関係は認められないし,そもそも,他の疾病
につき放射線との関係が認められるからといって,原告J15の狭心症
につき放射線起因性が認められることにはならない。
(オ)原告J15には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧,
脂質異常症及び糖尿病が存在している。
(カ)原告J15について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J15において,被告が指摘する原告J15の危険因子(加齢,高
血圧,脂質異常症及び糖尿病)の影響を超えて,原告J15の狭心症の
発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟ま
ない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をする
ことが必要である。
そして,原告J15の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病
(狭心症)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,糖尿病等の虚血
性心疾患(動脈硬化)の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告J15
の申請疾病(狭心症)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により
発症したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確
信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,
その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症,糖尿病などの原爆放射線以外
の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J15の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(12)原告J16
ア原告J16の主張の要旨
(ア)原告J16は,平成19年4月20日,自覚症状が出たことから,
病院に救急搬送された結果,申請疾病である心筋梗塞と診断されたもの
である。
(イ)原告J16は,広島の爆心地から約2.5kmの地点で被爆した。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病
であり,再改定後の新審査の方針においてもそれは維持されている。
ただし,再改定後の新審査の方針においては,「心筋梗塞」に関する
積極認定対象被爆が「被爆地点が爆心地から約2km以内である者」又
は「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者」に
限られ,これらに該当しない場合には,総合認定の対象であるとされて
いる。
しかしながら,原告J16の被爆態様が,悪性腫瘍等であれば積極認
定対象被爆となるのに,疾病が異なると積極認定対象被爆の対象外とな
るのは,何ら理由なく不合理である。
そして,原告J16に生じた具体的事情を総合的に考慮すれば,原告
J16の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病であ
り,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかである。
b原告J16は,11歳の時に,広島の爆心地から約2.5kmの屋
外で被爆し,被爆時に外傷を負い,更に周囲が暗くなるのを感じたり,
逃げる際に暗い中を逃げたりするなど,放射性粉塵や放射性降下物に
より内外部を被曝したものと考えられる。また,爆心地付近で被爆し
た母と広島原爆の投下当日から昭和20年8月11日までの6日間,
間近で寝泊まりをしていることなどから,かなり濃厚な放射性物質が
漂う空間におり,体表面や呼吸を通じて被曝したと考えられることか
らも,相当量の放射線に被曝したことが明らかである。
そして,被爆後外傷の治癒が遅延したこと,各所に湿疹が生じすぐ
には治らなかったことに加え,成人してからも,会社での検診で貧血
の指摘を受け,通学していた大学を休学するなどし,微量の炎症反応
や,免疫能の低下を思わせる状態が継続していた可能性がある。
また,被爆時,原告J16とほぼ同じ行動をとった弟は,31歳の
時に胃と十二指腸から出血して死亡した。また,妹も,平成20年に
狭心症の発作を起こして倒れ,以来,ニトログリセリンを服用してい
る。これらの事実は,原告J16と同様に,原爆放射線の影響が幼か
った弟や妹に影響を及ぼしたことを推測させるものである。
(ウ)原告J16は,2箇月に1回くらいの頻度で検査のために通院し,
心筋梗塞の治療を受け,また,二次予防のために利尿剤(平成21年5
月30日まで),降圧剤,脂質異常症治療薬,抗凝固薬など11種類の
薬を退院後継続して服用している。原告J16は,平成20年6月2日
ないし同月4日及び平成23年2月15日ないし同月17日に経過観察
のため,心臓カテーテル検査を受けている。よって,申請疾病には要医
療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J16の初期放射線による被曝線量は,0.0125199グ
レイ程度にすぎない。放射性粉塵や放射性降下物による外部被曝及び内
部被曝による被曝線量は微量にすぎない。広島原爆の投下当日から昭和
20年8月11日までの6日間,母の間近で寝泊まりをしたことによる
被曝線量もごく僅かにすぎない。
(イ)原告J16が,被爆後外傷の治癒が遅延したとか湿疹が治らなかっ
たとし,また,被爆後の病歴等を羅列する点については,これらが放射
線被曝の影響によるものであることについても,これらの疾病等の罹患
が原告J16の心筋梗塞について放射線起因性が認められることの根拠
となる理由についても,何ら主張,立証がされていないから,放射線起
因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(ウ)原告J16には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧
及び脂質異常症が存在している。
(エ)原告J16について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J16において,被告が指摘する原告J16の危険因子(加齢,高
血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告J16の心筋梗塞の発症が
原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程
度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが
必要である。
そして,原告J16の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病
(心筋梗塞)と放射線被曝に関する知見の状況並びに加齢,高血圧及び
脂質異常症という危険因子の状況を総合考慮すれば,原告J16の申請
疾病(心筋梗塞)が,危険因子の影響を超えて,原爆放射線により発症
したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を
持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。むしろ,そ
の発症は,加齢,高血圧,脂質異常症などの原爆放射線以外の要因によ
るとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J16の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(13)原告J17
ア原告J17の主張の要旨
(ア)原告J17は,平成17年1月,申請疾病である脳梗塞に罹患した
ものである。
(イ)原告J17は,長崎の爆心地から約1.5kmの地点で被爆し,ま
た,長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近まで入市した。これは,
改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆に該当する。しかし,
脳梗塞が積極認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となると
ころ,原告J17の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認め
られる。
a被爆者調査では,被爆者の脳梗塞を包含する「脳卒中」の死亡率の
有意な増加が報告されている。また,被爆者と被爆者以外を比較した
場合には被爆者の罹患率が高くなっていること,そして,脳梗塞の原
因は脳血管の動脈硬化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,
更には脳血管内膜に生じた無症状性の持続的炎症状態に関連している
ことは医学的に確立した知見であり,それらが放射線被曝に関連して
いることをも考えれば,脳梗塞が放射線起因性の認められる疾病であ
ることは明らかである。
b原告J17は,10歳の時に,長崎の爆心地から約1.5kmの地
点にある長崎市α21の小川の中で被爆し,同爆心地から約2.2k
mの地点にある自宅に徒歩で移動中に灰のようなものを浴びた。原告
J17は,長崎原爆の投下翌日からは連日,父に連れられて,爆心地
付近を通過する経路で長崎市α22へ行き,遺体の運搬や処理などを
行う父のそばにいた。原告J17は,飲み水は近くの小川の水を使い,
長崎原爆の投下後は炊き出しのおにぎりや近所からもらった野菜など
を食べていた。
このように,原告J17は近距離で被爆し,また,被爆翌日から爆
心地付近に連日入市しているが,いずれの被爆態様も,改定後の新審
査の方針における積極認定対象被爆である。また,自宅近くの小川の
水,炊き出しのおにぎり,野菜などを飲食しており,これらも放射能
に汚染されていたと考えられる。
したがって,原告J17は,放射線感受性の高い若年時に,初期放
射線に加え,放射性降下物や誘導放射化された物質による残留放射線
を外部及び内部から多量に浴びたことにより,相当量の被曝をしてい
るものである。
c原告J17は,平成13年,J41病院において両下肢静脈瘤の手
術をし,糖尿病と高血圧を指摘された。また,原告J17は,平成1
7年,脂質異常症と診断され,現在まで治療中である。平成21年1
1月12日,脳内出血があり,J46病院に入院することとなった。
原告J17は,その約1箇月後にJ47病院に転院して治療を行い,
平成22年1月15日に退院した。
(ウ)原告J17は,現在も内服治療を継続しており,申請疾病には要医
療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J17が直爆を受けた場所が爆心地から約1.5kmの地点に
ある長崎市α21の小川の中であると認めることはできず,原告J17
は,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市α23の自宅前の小川
の中で被爆したと認めるのが相当である。
(イ)原告J17が長崎原爆の投下翌日から連日,父に連れられて長崎市
α22と長崎市α23を往復し,その際に爆心地付近を通過したとの主
張に裏付けがあるとは認められない。
(ウ)原告J17の初期放射線による被曝線量は,0.002グレイを下
回る程度である。長崎市α23の自宅に帰宅する途中で灰のようなもの
を浴びたことによる被曝線量は微量である。入市被爆による放射線被曝
は認めることができない。遺体の運搬等を行っていた父のそばにいたこ
とによる残留放射線の被曝線量も微量である。内部被曝による被曝線量
も微量である。
(エ)原告J17は,原告J17のこれまでの病歴を羅列して主張するが,
これらの疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことや,これら
の疾病等の罹患が原告J17の脳梗塞について放射線起因性が認められ
ることの根拠となる理由についても何ら主張,立証がされていないから,
原告J17の上記主張は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事
情と理解するほかない。
(オ)原告J17には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧,脂質
異常症,糖尿病及び肥満が存在している。
(カ)原告J17について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J17において,被告が指摘する原告J17の危険因子(加齢,高
血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満)の影響を超えて,原告J17の脳
梗塞の発症が原爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差
し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明
をすることが必要である。
そして,原告J17の放射線被曝の程度,申請疾病(脳梗塞)と放射
線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧,糖尿病等の危険因子の状
況を総合考慮すれば,原告J17の申請疾病(脳梗塞)が,危険因子の
影響を超えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑い
を差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の
証明があるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,糖尿病
等の原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J17の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(14)原告J18
ア原告J18の主張の要旨
(ア)原告J18は,平成20年7月7日,検査を受けた結果,甲状腺機
能亢進が認められて投薬を受け,さらに,平成21年1月7日,診察を
受けた結果,申請疾病である甲状腺機能低下と診断されたものである。
(イ)原告J18は,長崎の爆心地から約2.3kmの地点で被爆した。
申請疾病は甲状腺機能低下であるが,原告J18は,原爆症認定申請時
に甲状腺機能亢進症の治療のために通院中で,その治療過程で申請疾病
である甲状腺機能低下状態にあったものであり,原告J18の抱える疾
患は甲状腺機能亢進症である。そして,甲状腺機能亢進症は積極認定対
象疾病に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告J18の
申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a甲状腺機能亢進症を含む甲状腺疾患については有意な線量反応関係
が認められ,甲状腺機能亢進症の有症率と放射線量の関連を示唆する
文献も存在する。甲状腺機能亢進症についての原爆被爆者と一般人口
の有病率比較によっても原爆被爆者の有病率が明らかに高率となって
いる。また,放射線起因性が認められている甲状腺機能低下症と甲状
腺機能亢進症には同質性,近似性も認められる。その他,放射線が甲
状腺機能亢進症の発症に影響を与えているという報告が複数存在する。
以上の前提において確定した各裁判例を基に判断するならば,甲状腺
機能亢進症に放射線起因性が認められると判断するのが相当である。
b原告J18は,3歳という幼年期に,爆心地から約2.3kmの地
点で直接被爆した上に,左肩に裂傷を受けながらその付近に約1時間
とどまっていた。その後,灰や塵が舞う中をより爆心地に近いα24
(爆心地から約1.6km)に登り,その途中で直接黒い雨に肌を打
たれた。その後,下痢や発熱といった急性症状もあった。そして,原
告J18は,α24で約1箇月生活した。
このような原告J18の被爆時及び被爆後の状況からすれば,黒い
雨を含む放射性降下物や誘導放射化された物質による多量の残留放射
線に被曝したことが明らかである。また,周囲の粉塵を直接体内に取
り込んだり,食生活などを通じたりして,多量に内部被曝をした可能
性が高い。
c原告J18は,四,五歳の頃はよく微熱が出ていた。被爆を境に急
に元気がなくなり,原告J18は,母や祖母から,虚弱体質になった
と言われていた。小学生になっても体調はよくならず,原告J18は,
貧血気味で授業にも集中することができず,小学校3年生くらいまで
はよく早退していた。運動場で行われる朝礼の間,立っていられなく
てうずくまることもあった。原告J18は,校庭での体育の授業には
参加することができなかった。その後は,原告J18は,昭和50年,
胆のう炎に罹患し,平成12年からは高血圧の治療をしている。
(ウ)原告J18は,原爆症認定申請時に,甲状腺機能亢進症の治療のた
めに通院中であり,原告J18が原爆症認定申請時に甲状腺機能低下状
態にあったのは,甲状腺機能亢進症の治療の過程での投薬の影響からで
ある。すなわち,原告J18は正に甲状腺機能亢進症の治療の最中であ
った。
したがって,原告J18は医療が必要な状態にあったものであり,申
請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J18が長崎原爆の投下当日に爆心地から約1.6kmの地点
にあるα24に登り,その後,約1箇月間,α24で生活した事実は認
められない。原告J18がα24に向かう途中で黒い雨に打たれた事実
も認められない。
(イ)原告J18の初期放射線による被曝線量は,約0.0465424
グレイである。原告J18は,昭和20年8月12日午前5時頃まで,
爆心地から約1.6kmの地点にあるα24や爆心地から約2.3km
の地点にある自宅付近に滞在していたものであるが,このことによる被
曝線量は0.0000291グレイを下回る程度にすぎない。内部被曝
による被曝線量も微量にすぎない。原告J18についてはそもそも黒い
雨に打たれた事実は認められないことから,その被曝線量を考慮する必
要はない。
(ウ)原告J18は,四,五歳の頃はよく微熱が出ており,また,貧血気
味で小学生の頃,運動場で行われる朝礼の間,立っていられなくてうず
くまることもあり,体育の授業にも参加することができなかった,小学
校3年生くらいまではよく早退していたなどとして健康状態に関する主
張をしているが,上記の事実主張に関しては,放射線起因性の要件との
関係すら何も主張されておらず,原告J18の上記主張は放射線起因性
の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ)原告J18に被爆直後に発熱が出現した事実は認められず,同期間
に下痢が出現した事実も認められない。原告J18に下痢や発熱が出現
したとしても,放射線被曝による急性症状であるとはいえない。
(オ)若年被爆者の場合にバセドウ病の発症が多いといった科学的知見は
見当たらず,原告J18が若年被爆者である旨の主張には理由がない。
(カ)前記のとおり,原告J18の推定被曝線量は,全体量としても,0.
0465715グレイを下回る程度にすぎない。これは,2回程度のC
T検査で受ける被曝線量程度の低線量である。
そして,バセドウ病については,原爆被爆者でなくても発症し得る一
般的な疾病であるから,当該被爆者の被曝線量の程度や,他の原因,症
状の具体的態様等にかかわらず,一律に原爆放射線によるものであると
いうことはできない。
そうすると,原告J18の放射線被曝の程度,バセドウ病と放射線被
曝に関する知見の状況等を総合考慮すれば,原告J18の甲状腺機能亢
進症が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟
まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があ
るとはいえない。
したがって,甲状腺機能亢進症の治療により生じた原告J18の申請
疾病である甲状腺機能低下については,被爆者援護法10条1項の放射
線起因性の要件を満たすということはできない。
(15)原告J19
ア原告J19の主張の要旨
(ア)原告J19は,平成8年頃,申請疾病であるC型慢性肝炎と診断さ
れたものである。
(イ)原告J19は,昭和20年8月8日に広島の爆心地から500m以
内に入市している。そして,C型慢性肝炎は,「慢性肝炎・肝硬変」の一
種として改定後の新審査の方針における積極認定対象疾病とされており,
再改定後の新審査の方針においてもそれは維持されている。
ただし,再改定後の新審査の方針においては,「慢性肝炎・肝硬変」に
関する積極認定対象被爆が,「被爆地点が爆心地から約2km以内である
者」又は「原爆投下から翌日までに爆心地から約1km以内に入市した
者」に限られ,これらに該当しない場合には,総合認定の対象であると
されている。
しかし,原告J19の被爆態様が,悪性腫瘍等であれば積極認定対象
被爆となるのに,疾病が異なると積極認定対象被爆の範囲外となるのは,
何ら理由なく不合理である。
そして,原告J19に生じた具体的事情を総合的に考慮すれば,原告
J19の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a原告J19の申請疾病はC型慢性肝炎である。C型慢性肝炎から肝
がんに至る医学的な分野におけるこれまでの全ての研究は,一連の関
係を被曝因子とC型肝炎ウイルス(HCV)因子の共同成因の過程と
して捉えており,その方向で研究が積み重ねられているというのが実
態である。放射線起因性と肝機能障害に関する現代医学や科学の到達
点は着実にこれまでの同種訴訟の判決に取り入れられ,その内容に反
映されており,肝機能障害の放射線起因性を否定した判決は一例も存
しない。したがって,C型慢性肝炎を含む慢性肝炎の放射線起因性は
認められる。
b原告J19は,広島原爆の投下当日や翌日に救護のために多くの重
傷者と接触し,誘導放射化された人体に接したことによる被曝をした。
また,原告J19は,昭和20年8月8日(原爆投下から約48時間
後以降)に入市し,爆心地付近を訪れ,それから五,六日間,爆心地
から500m以内の自宅に通い続け,がれきを掘り返しながら家族の
捜索を行った。この時,原告J19は,残留放射線にさらされたほか,
放射性降下物が堆積する場所で粉塵等を吸引し,内部被曝をした。さ
らに,原告J19は,重傷者である姉の看病を付添いで行った際にも,
被曝の影響を受けている。
そして,原告J19は,入市後や終戦後以降,下痢,紫斑,吐き気,
倦怠感,歯茎出血,生理不順など,いわば典型的ともいえる数々の急
性症状を発症している。また,その後も貧血気味である,若いうちか
ら歯が抜ける,倦怠感があるなどの体調不良状態が長く続いており,
被曝の影響が強く体に現れているといえる。
さらに,原告J19は,後記cのとおり,様々な疾病に罹患してお
り,中でも肺がんにより既に原爆症認定を受けているということから
すれば,原告J19の体に被曝の影響が生じていることを,被告自身
が認めているものである。
よって,これらの事情を総合すれば,原告J19は,内部被曝を含
め相当程度の残留放射線に被曝していることが推定される。
c原告J19は,今から25年くらい前に関節リウマチとなり,また,
20年くらい前に骨粗しょう症になった。さらに,原告J19は,高
血圧,脂質異常症,胃悪性リンパ腫などにもなっている。加えて,原
告J19は,平成21年7月,肺がんとなった。原告J19は,平成
23年,心臓の弁を人工弁に変える手術を行い,平成25年以降は座
骨神経痛に苦しんでいる。
(ウ)原告J19は,J48病院において現在もC型慢性肝炎に対する内
服治療を継続しており,定期的に腹部エコー検査及び血液検査を受けて
いる。また,平成24年8月頃,肝硬変の診断を受け,投薬が増えた。
よって,申請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J19が爆心地に接近した正確な距離は明らかでないが,広島
原爆投下の約二日後に広島の爆心地から500mの地点に入市し,その
後,無限時間同じ所にとどまっていたという仮定に基づいて算出した誘
導放射線の積算放射線量によれば,原告J19の誘導放射線の積算放射
線量は0.012グレイを下回るといえる。
また,原告J19は,誘導放射化された人体による被曝の影響を主張
するようであるが,このような主張は漠然とした抽象的なものであり,
これにより一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示さ
れていない。放射線により誘導放射化された人体に接したことによる被
曝線量はごく僅かにすぎない。衣服や身体に付着した放射性降下物によ
る被曝を受けた人体に接したことについても,放射性降下物の量自体が
極めて少ないことからすれば,同様である。
さらに,原告J19は,残留放射線による内部被曝を主張するようで
あるが,このような主張は,漠然とした抽象的なものであり,これによ
り一定程度高線量の被曝をしたことになる具体的な根拠も示されていな
い。かえって,仮に原告J19が内部被曝をしていたとしても,その被
曝線量は誤差の範囲に収まる程度の微量にすぎない。
(イ)原告J19の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(ウ)原告J19は,原告J19の被爆後の病歴等を羅列するが,これら
の疾病の一つ一つが放射線被曝によって生じたことについて何ら個別に
主張,立証がされていないから,原告J19の上記主張は放射線起因性
の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ)改定後の新審査の方針やC型慢性肝炎の放射線起因性を認める裁判
例の存在は,C型慢性肝炎の放射線起因性を認める根拠とはならない。
(オ)前記のとおり,原告J19の推定被曝線量は,全体量としても,0.
012グレイを下回る程度にすぎない。これは,1回のCT検査で受け
る被曝線量程度の低線量である。また,原告J19に発現したという下
痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順等の各身体症状が放射
線被曝による急性症状の特徴を有しているとはいえず,これらをもって
原告J19に放射線被曝による急性症状を発現し得る程度の線量の放射
線被曝があったということはできない。さらに,少なくとも原告J19
のような低線量の放射線被曝とC型慢性肝炎との関連性を認める科学的
な知見はない。むしろ,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染源は,C型
肝炎ウイルス(HCV)が混入(C型肝炎ウイルス(HCV)に感染)
したヒトの血液であり,そもそも放射線によって感染することなどとい
うことはあり得ない。そして,感染から平均10年で感染者の70%な
いし80%が慢性肝炎に至るとされており,更に感染から平均21年後
(平均的な慢性肝炎の発症から約11年後)に肝硬変に至るとされてい
る。原告J19がC型肝炎ウイルス(HCV)に感染した時期は不明で
あるが,C型慢性肝炎と診断されてから既に11年以上経過しているに
もかかわらず,いまだ肝硬変に進展していないということになり,上記
の一般的な慢性肝炎から肝硬変に至る経過に比して,むしろ,原告J1
9のC型慢性肝炎の進展の程度は緩やかであって,肝硬変の発症が促進
されているともいえない。
以上のような原告J19の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請
疾病(C型慢性肝炎)と放射線被曝に関する知見の状況等を総合考慮す
れば,原告J19の申請疾病(C型慢性肝炎)が原爆放射線により発症
したことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を
持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があるとはいえない。
したがって,原告J19の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(16)原告J20
ア原告J20の主張の要旨
(ア)原告J20は,平成16年6月8日,申請疾病である脳梗塞を発症
したものである。
(イ)原告J20は,長崎の爆心地から約3.7kmの地点で被爆した。
そして,申請疾病は,脳梗塞である。よって,改定後の新審査の方針に
おける積極認定対象被爆よりも若干距離があり,また,申請疾病が積極
認定対象疾病に当たらないため,総合認定の対象となるところ,原告J
20の申請疾病には,以下のとおり,放射線起因性が認められる。
a原告J17の主張の要旨において既に述べたとおり,脳梗塞は放射
線起因性が認められる疾病である。
b原告J20は,9歳の時に爆心地から約3.7kmの地点で被爆し
た。原告J20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中旬までの
間,数度にわたり爆心地に近い工場跡に行き,がれきをかき分けて,
拾ったボールベアリングを叩いてさびを落として遊んでおり,相当の
粉塵を吸い込んだと思われる。また,原告J20は,放射性降下物が
多かった長崎のα25地区のカボチャを日常的に食べていた。このよ
うなことから,原告J20は,誘導放射化された物質にさらされたり,
堆積した放射性降下物の粉塵等を吸引したり,放射性降下物により汚
染された野菜を口にすることにより体内に取り込んだりして,外部被
曝や内部被曝をした可能性が大きい。
そして,原告J20は,被爆後に下痢,発熱,倦怠感といった,い
わば典型的ともいえる数々の急性症状を発症している。また,その後
も倦怠感が続き,傷が化膿しやすいという被爆者によくみられる体調
不良が続いており,被曝の影響が強く体に現れている。
c原告J20は,昭和37年7月,激しいけいれんと共に意識を失う
という発作に襲われ,J49病院に入院し,治療を受けた。原告J2
0は,平成16年5月11日,めまいと吐き気,平衡感覚失調に襲わ
れて救急搬送された。
(ウ)原告J20は,現在でも,申請疾病である脳梗塞の治療のため,J
50病院に入院中であり,申請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J20の初期放射線による被曝線量は約0.0004グレイで
ある。原告J20が赴いたという工場跡について,工場の名称も場所も
全く特定されていないが,爆心地に近い工場跡に行ったことによる原告
J20の誘導放射線による推定被曝線量は0.00004グレイを下回
る。長崎のα25地区のカボチャを日常的に食べていたことによる被曝
線量も微量にすぎない。
(イ)原告J20について,倦怠感が被爆直後に出現していた事実を認め
ることはできない。原告J20に下痢,発熱及び倦怠感が出現したとし
ても,これらが放射線被曝による急性症状であるとはいえない。
(ウ)原告J20がこれまで罹患したという疾病等は,その一つ一つが放
射線被曝によって生じたことについても,これらの疾病等の罹患が原告
J20の脳梗塞に放射線起因性が認められることの根拠となる理由につ
いても,何ら主張,立証がされていないから,放射線起因性の判断に影
響を与えない単なる事情と理解するほかない。
(エ)原告J20には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧及び
心血管疾患が存在している。
(オ)原告J20について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J20において,被告が指摘する原告J20の危険因子(加齢,高
血圧及び心血管疾患)の影響を超えて,原告J20の脳梗塞の発症が原
爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度
に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが
必要である。
そして,原告J20の放射線被曝の程度,申請疾病(脳梗塞)と放射
線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の危険因子の状況を総合
考慮すれば,原告J20の申請疾病(脳梗塞)が,危険因子の影響を超
えて,原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し挟
まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明があ
るとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧等の原爆放射線以
外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J20の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
(17)原告J21
ア原告J21の主張の要旨
(ア)原告J21は,40歳ないし50歳の時に,申請疾病である狭心症
と診断されたものである。
(イ)原告J21は,長崎の爆心地から約1.3kmの地点で被爆してお
り,改定後の新審査の方針における積極認定対象被爆である。また,狭
心症は,発生機序など積極認定対象疾病である心筋梗塞と極めて類似し
た疾患である。そして,原告J21の申請疾病には,以下のとおり,放
射線起因性が認められる。
a原告J21の狭心症は,動脈硬化性の狭心症である。心筋梗塞と動
脈硬化性の狭心症の発生機序は全く同じである。
そして,心筋梗塞は,改定後の新審査の方針における積極認定対象
疾病であり,放射線起因性の認められる疾病であることは明らかであ
る。
よって,狭心症にも放射線起因性が認められる。
b原告J21は,爆心地から僅か約1.3kmの地点で被爆し,しば
らく近くの山に避難し,同所にとどまっていた。また,原告J21は,
被爆後から脱毛,血便,血尿,嘔吐,発熱など複数の急性症状を発症
し,一緒にいた同僚も同様の症状を発症し,近距離の被爆者にみられ
る症状を発症している。
その後も風邪を引きやすい,胃腸が弱くなる,貧血を起こしやすい
など虚弱な状態が続き,更には皮膚がんと診断され,原爆症認定を受
けたこともある。
以上の被爆態様及び被爆後の症状からすれば,原告J21は,相当
量の初期放射線及び残留放射線による被曝をしているものである。
なお,原告J21の狭心症は,動脈硬化性の狭心症であるところ,
血管造影検査の結果をみると,右冠状動脈#3の狭窄が進行して9
0%に達していたためステント留置が行われており,狭窄は強度でそ
のまま放置すれば心筋梗塞を発症してもおかしくない状態であったも
のである。
c原告J21は,30歳代に,高血圧と診断され,以後,高血圧の薬
を飲んでいる。原告J21は,狭心症と診断されて以後,ニトログリ
セリンを持ち歩くようになった。
そして,原告J21は,40歳代の時に,子宮筋腫と診断され,平
成16年頃,子宮筋腫の摘出手術を行った。原告J21は,胆のう炎
に罹患し,胆のうも摘出した。
(ウ)原告J21は,内服治療を継続しており,平成25年2月にはステ
ント留置術を行っている。よって,申請疾病には要医療性が認められる。
イ被告の主張の要旨
(ア)原告J21が狭心症と診断されたのは,平成22年2月である。
(イ)原告J21は爆心地から約1.4kmの地点で被爆したと認められ
るから,原告J21の初期放射線による被曝線量は1.4996グレイ
を下回る程度となる。そして,誘導放射線については,原告J21の主
張を前提にしても,その誘導放射線量(積算線量)は約0.00009
03グレイである。
(ウ)原告J21の身体症状は,放射線被曝による急性症状とはいえない。
(エ)原告J21は,原告J21の被爆後の病歴等を羅列するが,原告J
21が羅列する疾病等の一つ一つが放射線被曝によって生じたことにつ
いて何ら個別に主張,立証がされていないから,原告J21の上記主張
は放射線起因性の判断に影響を与えない単なる事情と理解するほかない。
被爆後,原告J21に血尿が出現したと認めることはできない。仮に
原告J21に血尿が生じていたとしても,放射線被曝の影響による症状
であると認めることはできない。
(オ)原告J21には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,高血圧
及び脂質異常症が存在している。
(カ)原告J21について放射線起因性の要件を満たすというためには,
原告J21において,被告が指摘する原告J21の危険因子(加齢,高
血圧及び脂質異常症)の影響を超えて,原告J21の狭心症の発症が原
爆放射線により生じたことについて,通常人が疑いを差し挟まない程度
に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明をすることが必
要である。
そして,原告J21の放射線被曝の程度,急性症状の有無,申請疾病
(狭心症)と放射線被曝に関する知見の状況及び加齢,高血圧等の虚血
性心疾患の危険因子の状況を総合考慮すれば,原告J21の申請疾病(狭
心症)が原爆放射線により発症したことについて,通常人が疑いを差し
挟まない程度に真実性の確信を持ち得るに足りる高度の蓋然性の証明が
あるとはいえない。むしろ,その発症は,加齢,高血圧,脂質異常症な
どの原爆放射線以外の要因によるとみるのが自然かつ合理的である。
したがって,原告J21の申請疾病については,被爆者援護法10条
1項の放射線起因性の要件を満たすということはできない。
第3章当裁判所の判断
第1原爆症認定における放射線起因性の判断基準
1放射線起因性の立証の程度等
被爆者援護法10条1項,11条1項の規定によれば,原爆症認定をするた
めには,①被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,
②現に医療を要する負傷若しくは疾病が原子爆弾の放射線に起因するもので
あるか,又は,上記負傷若しくは疾病が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起
因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けてい
るため上記の状態にあること(放射線起因性)が必要であると解される。
そして,被爆者援護法は,給付ごとにそれぞれ支給要件を規定しているとこ
ろ,健康管理手当及び介護手当の支給要件については,それぞれ「原子爆弾の
放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」(被爆者援
護法27条1項),「原子爆弾の傷害作用の影響によるものでないことが明ら
かであるものを除く。」(被爆者援護法31条)などと,いずれも原因と結果
の関係につき弱い因果関係があれば足りることが規定上明らかにされているこ
とと対比すると,上記の放射線起因性については,放射線と負傷若しくは疾病
の発症又は治癒能力の低下との間に通常の因果関係があることが要件とされて
いると解するのが相当である。
ところで,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,そ
の拒否処分の取消訴訟において原告がすべき因果関係の立証の程度は,特別の
定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして,
訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,
経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来し
た関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人
が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要と
すると解すべきである。
そうであるところ,原爆症認定の要件としての放射線起因性については,上
記の特別の定めはないから,原告において,原爆放射線に被曝したことにより,
その負傷若しくは疾病又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の
蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度
に真実性の確信を持ち得るものであることを要すると解すべきである(最高裁
平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事
198号529頁参照)。
2具体的な判断方法
放射線起因性について上記1のとおり解するとしても,人間の身体に疾病等
が生じた場合に,その発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連
しているのが通常であり,特定の要因から当該疾病等の発症に至った機序を逐
一解明することには困難が伴う。殊に,放射線が人体に影響を与える機序は,
科学的にその詳細が解明されているものではなく,長年にわたる調査にもかか
わらず,放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学的解析に
よる有意性の確認など,限られたものにとどまっており,これらの科学的知見
にも一定の限界が存する。
そこで,放射線起因性の判断に当たっては,当該疾病の発症等に至った医学
的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆者の放射
線への被曝の程度と,統計学的,疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被
曝との関連性の有無及び程度とを中心的な考慮要素としつつ,これに当該疾病
等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既往歴),当該
疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度等を総合的に考慮して,原
爆放射線の被曝の事実が当該申請に係る疾病若しくは負傷又は治癒能力の低下
を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照ら
して判断するのが相当である。
3被曝線量の評価方法
(1)検討対象
放射線起因性の判断に当たっては,当該被爆者の放射線への被曝の程度が
中心的な考慮要素の一つとなる。
今日の科学的知見においては,一般に,原爆に関する被曝として,外部被
曝と内部被曝がある。外部被曝には,初期放射線による被曝と残留放射線に
よる被曝があり,残留放射線による被曝については,放射性降下物による被
曝と初期放射線の中性子線によって誘導放射化された物質による被曝がある
と解されている。原爆症認定の審査においても,これらによる被曝の影響の
有無及び程度を考慮した上で審査がされているものである(弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)10頁)。
そこで,以下,これらの被曝について被曝線量や影響を検討するとともに,
上記の各点に関連するものとして,遠距離被爆者及び入市被爆者に被爆後に
生じた急性症状等について検討する。
(2)初期放射線の被曝線量
ア総説
初期放射線とは,原爆のウランあるいはプルトニウムが臨界状態に達し,
原爆が爆発する直前に瞬時に放出される放射線である(弁論の全趣旨・被
告準備書面(2)14頁)。その主要成分は,ガンマ線と中性子線であり,線
量としては,取り分けガンマ線の占める割合が高いといわれており(乙B
5・4頁,335頁,乙B9・129頁),原爆から放出された放射線の
90%以上はガンマ線で,残りは中性子線であるともされている(乙B6
4・2枚目)。
原爆症認定の審査においては,初期放射線による被曝線量評価方法に関
しては,旧審査の方針の下ではDS86(DosimetrySystem1986)が用い
られていたが,新審査の方針の下では,DS86を更新するDS02
(DosimetrySystem2002)に基づく線量推定方式により線量評価が行われ,
改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針においても,基本的に
はこれを踏襲しているものと認められる(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
15頁)。
イ各種知見
(ア)DS86
a1965年(昭和40年)に米国のオークリッジ国立研究所(OR
NL)の科学者によって線量評価システムであるT65D(Tentative
1965Doses)が提案され,放影研による被爆者の疫学調査においては,
この線量評価システムによって計算した線量が使用されていた。T6
5Dは,ネバダ砂漠にある米国ネバダ核実験場における長崎型原爆の
爆発テスト,高い鉄塔に設置した小型原子炉あるいは強力なコバルト
60源を用いた実験,日本家屋を建設して行った遮蔽実験等の結果を,
広島原爆及び長崎原爆に当てはめ,放射線量を推定したものであった
(乙B5・343頁,344頁,乙B6・1頁,2頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)15頁)。
しかしながら,1970年(昭和45年)代後半以降,T65Dに
対してその信頼性に対する疑問が提起されるようになったことから,
米国では,1981年(昭和56年)に線量再評価検討委員会,更に
その結果を評価,吟味するための上級委員会が設置され,これに対応
して日本側でも厚生省によって検討委員会と上級委員会が組織され,
米国と共同してこの問題に当たることとなった(乙B5・343頁,
乙B6・1頁,2頁,乙B7の1・2頁,弁論の全趣旨・被告準備書
面(2)15頁,16頁)。
昭和61年(1986年)に日米合同上級委員会において,新しい
線量評価システムであるDS86が策定された(乙B5・343頁,
乙B6・2頁,乙B7の1・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
16頁)。
bDS86は,広島原爆及び長崎原爆の物理学的特徴と,放出された
放射線の量及びその放射線が空中をどのように移動し,建築物や人体
の組織を通過した際にどのような影響を与えたかについての核物理学
上の理論的モデルとに基づいて,放射線量の計算値を算出したもので
あり,具体的には,原爆放射線を構成するガンマ線及び中性子線の光
子や粒子の1個1個の挙動や相互作用を最新の放射線物理学の理論に
よって忠実に再現し,最終的に全てのガンマ線と中性子線の動きを評
価するものである(乙B5・332頁ないし342頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)16頁)。
DS86は,当時としては,最高の大型コンピュータを駆使した膨
大な計算結果に基づいて作成されたものであり,その信頼性は高いも
のとされ,その線量推定方式は,後記の放影研を中心とした疫学調査
や,原子力発電所及び医療用放射線の線量推定にも応用されていた(乙
B8の1・ⅴ頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)16頁)。
cDS86では,放射線量を計算する前提として,広島原爆及び長崎
原爆の出力について,複数の推定方式を用いた結果,広島原爆の出力
は15kt(ktとは,原爆のエネルギーをTNT火薬の量で示した
ときの単位をいう。),誤差は±3ktの範囲に,長崎原爆の出力は
21kt,誤差は±2ktの範囲に,ぞれぞれあるとされた(乙B5・
333頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)17頁)。
その上で,DS86では,①爆弾から空気中を伝播してきた放射
線量で被爆者周囲の遮蔽を介する前の被曝線量である空気中カーマ,
②被爆者の周囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量である遮蔽
カーマ,③人体組織による遮蔽も考慮した被曝線量である臓器カー
マの計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して,初期放射
線による被曝量が計算された(乙B5・334頁ないし336頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(2)17頁)。
dDS86は,実際の被曝試料を用いたガンマ線及び中性子線による
検証がされ,それによって線量評価システムの客観性がおおむね裏付
けられたものであったが,その一方で,様々な問題が指摘されていた
(乙B8の1・ⅴ頁,13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)18頁)。
すなわち,DS86の精度を評価するに当たり,まず,線量として
占める割合の高いガンマ線の計算値を検証するために,熱ルミネセン
ス法(熱ルミネセンスとは,被曝した瓦やタイルに含まれている石英
に熱を与えると光を発生する性質であり,熱ルミネセンス法とは,こ
の光の量が被曝したガンマ線量に比例するため,この性質を利用して
原爆の放射線量を見積もる測定法をいう。)による直接測定の結果(測
定値)とDS86による計算結果(計算値)とを比較する方法が採ら
れたが,広島においては,爆心地から1km以遠で測定値は計算値よ
り大きく,近い距離においては逆に小さくなっており,長崎において
はこの関係は逆になった(乙B10・7頁,弁論の全趣旨・被告準備
書面(2)18頁,108頁)。
また,線量として占める割合が低い中性子線の計算値を検証するた
めに,広島又は長崎で原爆の中性子によって特定の物質(元素)中に
生成された放射性核種の放射線を測定し,この測定値から推定した中
性子線量を,DS86の計算値と比較するという方法が採られた。硫
黄が速中性子線(運動エネルギーの高い中性子線をいう。)により誘
導放射化されて生ずるリン32は半減期が14.26日と短いため,
DS86検討時には測定することができなかったが,原爆投下の数日
後に測定したデータを再検討したところ,DS86による計算値との
間には差がみられないとされた(乙B10・8頁,弁論の全趣旨・被
告準備書面(2)19頁)。しかしながら,コバルトが熱中性子線(運動
エネルギーの低い中性子線をいう。)によって誘導放射化されたコバ
ルト60については,爆心地から290mの地点においてDS86に
よる計算値が測定値の1倍ないし1.5倍,爆心地から1180mの
地点において上記計算値が測定値の3分の1倍であり(乙B10・8
頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)19頁),このような比較を他の
物質(元素)についても行った結果,熱中性子線によって誘導放射化
された放射性核種ユーロピウム152及び塩素36由来の放射線の測
定値と,これに対応するDS86による計算値との間に系統的な乖離
がみられ,爆心地から近距離では計算値の方が測定値より高く,遠距
離では逆に測定値の方が計算値より高くなっていた。この傾向は,D
S86が策定されて以降,測定値の数が増加するとともに特に広島に
おいて顕著なものとなっており,長崎においても広島と同様の乖離を
示すデータもあった(乙B10・9頁,弁論の全趣旨・被告準備書面
(2)19頁,20頁)。
(イ)DS02
a平成12年,DS86策定後の研究の成果を踏まえてその問題を解
決することを目的として日米合同実務研究班が設立され,DS86の
再評価が行われることとなった(乙B8の1・2頁,13頁,14頁,
弁論の全趣旨・被告準備書面(2)20頁)。
すなわち,日米合同実務研究班では,DS86における評価方法を
踏襲した上で,①広島原爆及び長崎原爆の放射線出力及び放射線輸
送の再計算を行う,②試料を用いた既存の放射線測定値を全て再評
価する,③新たに開発された測定方法により,ニッケル63を測定
することによる速中性子の測定とそのモデル化計算を行う,④超低
レベルバックグラウンドの測定施設でユーロピウム152の試料を再
測定する,⑤花崗岩試料を用いた塩素36の熱中性子による放射化
測定に関して,精度保証の伴った相互比較調査をする,⑥目印とな
る既知の場所を用いて,現在の新都市計画地図と1945年(昭和2
0年)の米国陸軍地図を合わせて爆心地を再決定する,⑦爆心地の
補正とその他の誤差を考慮して,被曝試料の採取位置を修正する,⑧
大きな地形の陰となったことによる遮蔽を放射線輸送計算に含める,
⑨学校など大型の木造建造物や長崎の大きな工場の遮蔽を含め,遮
蔽計算と遮蔽モデルを改良する,⑩被曝試料測定データを用いて出
力と爆発高度の適合度解析を実施する,⑪ガンマ線及び中性子線の
両方について一致が得られるような新たな線量推定方式のパラメータ
(原爆投下時の爆撃機の飛行方向,爆央,爆弾の出力及び爆発時の爆
弾の傾きといった条件)を再決定する,⑫被爆者ごとの被曝線量の
計算について誤差を解析するといったことが行われた(乙B8の1・
13頁ないし16頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)20頁,21頁)。
bDS86の再評価の焦点は,当初,熱中性子による放射化の計算値
と測定値の不一致の問題に関し,原爆からの放射線出力を再計算する
ことに当てられており,DS86策定時よりも更に進歩した最新の大
型コンピュータを駆使し,最新の核断面積(誘導放射化が起こる確率,
すなわち,毎秒f個の粒子が単位面積当たりN個の原子核を含む物質
の薄い層の標的に垂直に入射したとき,誘導放射化はσfN回起こる
ところ,このときの比例定数σを核断面積といい,誘導放射化の起こ
りやすさの指標となる。)データ等を使い,かつ,DS86策定後に
可能になった手法である離散座標法(放射線が進む状況を計算で推定
し,各位置における放射線量を推計する手法(乙B8の1・159頁
参照))とモンテカルロ計算(ガンマ線及び中性子が物質中を動き回
る様子を探るために考案された手法)等を用いるなどして,更に緻密
な計算が行われ,その結果,広島原爆については以前の出力推定値よ
りも1kt高い出力が推定されたものの,DS86における熱中性子
による放射化の計算値と測定値の不一致の問題を説明することはでき
ず,かかる不一致が原爆からの放射線出力の計算に起因するものでは
ないとされた(乙B8の1・16頁,17頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(2)21頁,108頁,109頁)。その上で,かかる不一致の
原因となり得る他の要因の検討が進められ,ニッケル63による速中
性子測定,超低レベルバックグラウンドでのユーロピウム152によ
る熱中性子測定,塩素36の精度保証付き相互比較測定等を実施した
ところ(乙B8の1・26頁ないし37頁,弁論の全趣旨・被告準備
書面(2)21頁,22頁),広島の爆心地から1km以遠における中性
子の不一致は,測定値における説明不可能なバックグラウンド値によ
るものであり,計算値の基本的問題によるものではなく(乙B8の1・
16,17頁),広島原爆の真下における中性子の過大計算は,爆発高
度が少し低く推定されていたためであるとされた(乙B8の1・17
頁)。
c上記検討と併せて,広島及び長崎両市におけるガンマ線量測定値の
再評価も行われ,各測定値の検証,バックグラウンドや熱ルミネセン
ス法による測定自体の誤差等が検討されたが,現行の熱ルミネセンス
法による測定値のうち,爆心地から約1.5km以遠の測定値につい
ては,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同量となるこ
とから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に大きく影響を与え
るため,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価することが不可
能であるとされた(乙B8の1・402頁,403頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)25頁)。
dこのような再評価の過程で,更に新しい線量評価システムであるD
S02が策定されるに至り(乙B8の1・46頁),科学的緻密性及び
厳密性の見地からは,DS02がDS86に勝るものとされ,その結
果,DS02は,平成15年3月以降放影研が実施する被爆者生存者
追跡調査で用いる新たな線量推定方式として承認された(弁論の全趣
旨・被告準備書面(2)26頁)。
ウ検討
(ア)DS86は,広島原爆及び長崎原爆の物理学的特徴と核物理学上の
理論的モデルに基づき放射線量の計算値を算出したものであり,当時と
しては,最高の大型コンピュータを駆使した膨大な計算結果に基づき作
成されたものであるところ,DS02は,このようなDS86における
評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最新の大型コンピュータを駆使
し,最新のデータやDS86の策定後に可能となった最新の計算方法を
用いるなどして,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能にし
たものであり,一方で,DS02の計算過程に疑問を抱かせる事情や,
より高次の合理性を備えた線量評価システムが他に存在することを認め
るに足りる証拠はない。
そうすると,DS02は,被爆者の初期放射線による被曝線量を高い
精度で算定することが可能な相当程度の科学的合理性を有するものであ
るということができる。
(イ)aもっとも,DS02は,コンピュータによるシミュレーション計
算の結果を基礎として策定されたものである以上,それに基づく被曝
線量の計算値(推定値)は,飽くまでも近似的なものにとどまらざる
を得ないものと認められる。
確かに,DS02以前においては,米国ネバダ核実験場における長
崎型原爆の爆発テスト,高い鉄塔に設置した小型原子炉あるいは強力
なコバルト60源を用いた実験,日本家屋を建設して行った遮蔽実験
等が行われている。しかしながら,このような実験において,距離以
外の初期放射線の減衰要因の計測時の状況は,当時の広島及び長崎に
おけるそれと同一とはいえないという問題があり,例えば,地形の変
化に乏しい乾燥したネバダ砂漠と違って,広島でも長崎でも水分量の
分布の変化は激しいとの指摘があるところである(甲A7・108頁)。
また,広島原爆については,広島原爆と同じ砲身式のウラン爆弾の爆
発実験は行われておらず,広島原爆のレプリカと呼ばれる模擬原子炉
の実験装置を用いた実験が行われたのみであり,現実の原爆の爆発で
起こった即発放射線の火薬部分による中性子の吸収及び散乱と,模擬
原子炉での吸収及び散乱とでは異なる可能性がある(甲A7・107
頁)。
b初期放射線のうちガンマ線については,DS86では,広島におい
ては,爆心地から1km以遠で測定値は計算値より大きく,近い距離
においては逆に小さくなっているとされている。この点については,
DS02でも,広島及び長崎両市において,爆心地から約1.5km
以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド
線量と同量となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量
に大きく影響を与えるため,その測定値をもって正確なガンマ線量を
評価することが不可能であるとされている。同様のことは,全体の線
量としてはさほど多いものとは認められないものの,広島の爆心地か
ら1km以遠における中性子についてもいえるのであって,これらに
照らすと,遠距離における過小評価の可能性は,DS02による検証
を経てもなお完全には否定することができないというべきである。
この点については,DS02自体も,被爆者線量の誤差が広島及び
長崎の両市とも30%程度であるが,合計線量の27%ないし45%
の範囲であるとしており(乙B8の1・45頁),一定の誤差が生じ
ていることを認めているものである。
(ウ)以上によれば,DS02においても,特に爆心地から約1.5km
以遠において初期放射線の被曝線量を過小評価している可能性を完全に
は否定することができない。もっとも,爆心地から遠距離における初期
放射線の被曝線量の測定値と計算値との相違については,線量が小さく
バックグラウンドとの区別が困難であることなどの測定値の不確実性等
によるものと考えられ,過小評価の可能性があるとしても,その絶対値
はそれほど大きなものであるとは考え難いから,これを過大視すること
はできないというべきである。
(エ)以上を総合すれば,DS02は相当の科学的合理性を有し,これに
よって初期放射線の被曝線量を推定することには一定の合理性があるが,
その適用については,上記の観点から一定の限界が存することにも留意
する必要があるというべきである。
(3)放射性降下物による放射線の被曝線量
ア総説
放射性降下物による放射線とは,原爆の核分裂によって生成された放射
性物質(放射性降下物。「フォールアウト」ともいう。)から発せられる
放射線である(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)27頁)。
核分裂により生ずる放射性物質は,質量数90及び140付近の物質で
約200種以上に及ぶが,核分裂によって生成される放射性物質の大部分
は短寿命核種であるため,その放射能は急速に減衰し,放射線量も急速に
減衰する(乙B5・352頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)27頁)。
旧審査の方針では,この放射性降下物の線量は,DS86を基にしてい
たところ,新審査の方針策定後の審査においては,従前の科学的知見に加
え,DS86策定後に現れた最新の科学的知見をも踏まえ,その線量評価
が行われることとなった(乙A6・2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
27頁,28頁)。
イ各種知見
(ア)放射性降下物の測定調査
広島及び長崎においては,次のとおり,広島原爆及び長崎原爆の投下
直後から複数の測定者が放射線量の測定調査をしており,広島ではα2
6地区,長崎ではα25地区で放射線の影響が比較的顕著にみられると
の調査結果が得られたとし,原爆の爆発後,α26地区及びα25地区
において激しい降雨があり,これによって放射性降下物が降下したもの
であることが確認された。
aJ51の調査
理化学研究所のJ51は,昭和20年8月8日,陸軍調査団と共に
広島市に入り,同月9日,爆心から5km以内の28箇所の地点にお
いて土壌試料を収集した。同試料は,理化学研究所において分析され,
銅線から放射能が検出されたことから,広島に原爆が投下されたこと
が確認された(乙B11・157頁)。
bJ52らの調査
大阪帝国大学教授のJ52らは,昭和20年8月10日,広島にお
いて原爆の調査に着手した。J52らは,同月11日,広島市内数箇
所から砂を採取し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定
したところ,α28駅付近及び爆心地付近(護国神社,西練兵場入口)
において比較的放射能が高いことを確かめた。具体的には,自然計数
が毎分27であるのに対し,α28駅付近のある地点では毎分90,
α28駅付近の別の地点では,自然計数より稍少,護国神社では毎分
120,西練兵場入口では毎分90であった(乙B11・157頁,
乙B13・1頁ないし4頁,乙B66・12頁)。
cJ53らの調査
京都帝国大学教授のJ53らは,昭和20年8月10日,広島にお
いて原爆の調査に着手した。J53らは,同月13日及び同月14日
には,広島市の内外約100箇所において数百の試料を採集し,ガイ
ガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,α28駅に
近いα27付近で採集された試料に比較的強い放射能を認めた。具体
的には,自然計数が毎分18程度であるのに対し,α27東詰では,
毎分106であった(乙B11・157頁,乙B12・5頁,6頁,
9頁,乙B66・13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)29頁)。
dJ54らの調査
理化学研究所のJ54らは,昭和20年9月3日及び同月4日の二
日にわたり,広島市内外に残留するガンマ線の強度を,ローリッツェ
ン検電器を用いて測定した。その結果は,爆央付近に極大値をもつバ
ックグラウンドのおよそ2倍程度のガンマ線が残留することを認めた
ほか,α28からα29に至る山陽道国道上において,α30に極大
を持つ上記爆央付近で見たと同程度のガンマ線の存在を確認したとい
うものであった(乙B14・25頁)。
eマンハッタン管区原子爆弾調査団の調査
米国のマンハッタン管区原子爆弾調査団は,昭和20年9月20日
から同年10月6日までの間,長崎に,同月3日から同月7日までの
間,広島に派遣され,原子爆弾の影響を調査し,1946年(昭和2
1年),調査結果を「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」
としてまとめた(甲A602・3頁,4頁)。「マンハッタン管区原
子爆弾調査団最終報告書」は,長崎のα25地区では1時間当たり1.
8ミリレントゲンが観測され(甲A602・4頁),爆心地の西側の
α31や野母半島でもそれぞれ1時間当たり0.014ミリレントゲ
ン,1時間当たり0.013ミリレントゲンが観測されたとしている
(甲A602・8頁)。
fJ55らの調査
J55らは,マンハッタン技術部隊が昭和20年9月21日から同
年10月4日までに長崎において行った調査に基づいて,α25地区
における原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点
での積算線量を算定し,これを29レントゲン又は24レントゲンな
いし43レントゲンと報告した(乙B15・215頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)30頁)。
また,J55らは,マンハッタン技術部隊が同月3日から同月7日
までに広島において行った調査に基づいて,α26地区における原爆
の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量
を算定し,これを1.2レントゲンと報告した(乙B15・217頁,
218頁・弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁)。
gJ56らの調査
J56らは,昭和20年9月,広島において,ローリッツェン検電
器を用いた放射線量の測定を行い,α26地区における原爆の爆発1
時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を算定
し,これを1レントゲンと報告した(乙B15・217頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(2)30頁,31頁)。
h日米合同調査団の調査
日米合同調査団は,昭和20年10月3日から同月7日までの間,
広島の100箇所及び長崎の900箇所においてガイガーミュラー計
数管を使用して調査を行い,両爆心地と風下に当たる広島のα32地
区,長崎のα25地区で放射能が高いことを確認した(乙B11・1
57頁)。
iJ57らの調査
J57らは,米国のNavalMedicalResearchInstitute(NMRI。
以下「NMRI」という。)が昭和20年10月15日から同月27
日にかけて長崎において行った調査に基づいて,α25地区における
原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算
線量を最大で42レントゲンと報告した(乙B15・215頁,弁論
の全趣旨・被告準備書面(2)30頁)。
また,J57らは,NMRIが同年11月1日及び同月2日に広島
において行った調査に基づいて,α26地区における原爆の爆発1時
間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を0.6レ
ントゲンないし1.6レントゲンと報告した(乙B15・217頁,
218頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁)。
jJ58らの調査
J58らは,昭和21年1月27日から同年2月7日にかけて広島
においてNeher宇宙線チャンバーを用いた測定を行い,α26地区に
おける原爆の爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点で
の積算線量を3レントゲンと報告した(乙B15・217頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(2)31頁)。
kJ59の調査
J59は,昭和57年,核実験による放射性降下物の影響が大きく
なる以前の昭和31年に採取されたセシウム137の測定データに基
づいて,長崎のα25地区における原爆の爆発1時間後から無限時間
を想定した地上1mの地点での積算線量を40レントゲンと報告した
(乙B15・216頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)31頁,32
頁)。
(イ)J60「広島及び長崎被爆生存者に関する放射線量測定」
昭和35年発表のABCCのJ60の「広島及び長崎被爆生存者に関
する放射線量測定」(以下「J60報告」という。)は,①原爆の一
次放射線を除けば,広島及び長崎の被爆生存者が有意線量を受けたとい
う証左はほとんどなく,中性子に誘発された放射能は存在したが,これ
は恐らく被爆者が受けた総線量にほとんど寄与しなかったものと思われ
る,②1954年(昭和29年)のビキニ核実験でマーシャル群島住
民及び日本漁船の第五福龍丸が受けた種類及び程度の降下物の局地的落
下は広島及び長崎にはなかった,③広島及び長崎における放射性降下
物が少量であったのは,二つの因子によるものであり,一つは,投下さ
れた原爆がキロトン級のもので,そのエネルギーはビキニ核実験のメガ
トン級の約1000分の1であったこと,もう一つは,ビキニ核実験に
おける局地的にみられた降下物は主として大気に吸い込まれた土及び破
壊物であり,それらが中性子によって放射能を持ち,その大きな粒が降
下物の形で大地に再び落下したが,広島及び長崎の場合,空中で爆発し
たので火球は大地に接触しなかったことから,上述のような事実はほと
んど惹起しなかったことであるとしている(乙B18・6頁,7頁)。
(ウ)J61らの調査
長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設のJ61らは,昭和44年か
ら昭和46年までの間,原爆による放射性降下物が長崎のα25地区の
住民に及ぼした細胞遺伝学的影響について3次にわたる染色体調査を実
施したところ,染色体数の分布に関しては,α25地区の住民の群と他
の群に余り差がなかったが,染色分体及び不安定型染色体異常はα25
地区の住民の群に高い傾向がみられ,安定型染色体異常は,直接被爆者
の群に最も高く,次いでα25地区の住民の群がやや高い傾向を示した。
J61らは,この差は統計的に有意を示すまでには至らなかったとしな
がらも,体内あるいは尿中のセシウム137に関する測定値と平行した
結果を示しており,放射性降下物による原爆直後の影響と共に長期微量
放射能の影響を示唆しているように思われるとしている(乙B177・
232頁,233頁,236頁)。
(エ)「予研-ABCC寿命調査,広島・長崎第5報1950年10
月-1966年9月の死亡率と線量との関係」
厚生省国立予防衛生研究所(予研)とABCCは,昭和25年から昭
和41年までの寿命調査(LSS)対象者10万人中における死亡者1
万5285人を調査し(なお,寿命調査(LSS)については,後記第
2の1参照),「予研-ABCC寿命調査,広島・長崎第5報19
50年10月-1966年9月の死亡率と線量との関係」(以下「LS
S第5報」という。)としてまとめ(乙B99・1頁),昭和45年に
発表した。
LSS第5報は,①原爆投下時市内にいなかったが,原爆投下後3
0日以内に入市したと報告した者を早期入市者,これ以後に入市した者
を後期入市者とし(乙B99・63頁),全死因について早期及び後期
入市の別,また,原爆投下時に市内にいたか,いなかったかの別によっ
て検討を加えると,早期入市者における死亡が相対的に少ないようであ
る(乙B99・65頁),②長崎では差はないが,広島においては早
期入市者と後期入市者とのがん死亡率に差があり,早期入市者の方が死
亡率が低いとしている(乙B99・69頁)。
(オ)「原爆被爆者の死亡率調査7.1950-78年の死亡率;第
2部.癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死亡率」
放影研は,昭和25年から昭和53年までの寿命調査(LSS)対象
者の死亡率を調査し,「原爆被爆者の死亡率調査7.1950-7
8年の死亡率;第2部.癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死
亡率」(以下「LSS第7報第2部」という。)としてまとめ(乙B1
00・193頁),昭和57年に発表した。
LSS第7報第2部は,①全死因による死亡率について,早期入市
者と後期入市者の間に有意差はない,②早期入市者の白血病及びその
他のがんの増加は認められなかった(乙B100・203頁),③こ
の調査対象中の早期入市者には,白血病又はその他の悪性腫瘍による死
亡の増加は認められないとしている(乙B100・193頁)。
(カ)「寿命調査第9報第2部原爆被爆者における癌以外の死因によ
る死亡率,1950-78年」
放影研は,昭和50年から昭和53年までの4年間の寿命調査(LS
S)対象者中の死亡者数を調べ,昭和25年からの28年間の死亡率を
算定し,がん以外の死因による死亡率も増加しているかどうか,あるい
は,放射線による非特異的な加齢促進が起こるかどうかを調べ,「寿命
調査第9報第2部原爆被爆者における癌以外の死因による死亡率,
1950-78年」(以下「LSS第9報第2部」という。)としてま
とめ(乙B208・1頁),昭和57年に発表した。
LSS第9報第2部は,①全死因による死亡率について,早期入市
者と後期入市者との間に有意差はない,②早期入市者の白血病は,被
爆群に白血病が多く現れた昭和25年から昭和33年までには現れず,
後になって現れたとしている(乙B208・19頁)。
(キ)国連環境計画(UNEJ)「放射線その線量,影響,リスク」
昭和63年発表の国連環境計画(UNEJ)の「放射線その線量,
影響,リスク」(以下「UNEJ報告」という。)は,①大気圏の核
実験により生じた放射性物質(破片)の一部は,爆発地点に近いところ
に降下し,一部は大気圏の低い層,すなわち,対流圏にとどまり,風と
共に地球の同緯度を移動し,その間に少しずつ大地に降下する,②対
流圏には,平均して約1箇月間とどまっているが,大部分のものは大気
圏の2番目の層である成層圏(約10kmから約50km)に打ち上げ
られ,そこに何箇月もとどまり,徐々に地上に降下してくるとしている
(乙B21・32頁)。
(ク)「原爆線量再評価広島および長崎における原子爆弾放射線の日米
共同再評価」第6章
平成元年発表の「原爆線量再評価広島および長崎における原子爆弾
放射線の日米共同再評価」(以下「DS86報告書」という。)第6章
は,前記(ア)の放射性降下物の測定調査を総括し,①放射性降下物に
よる累積的被曝の推定の大部分はよく一致しており,放射性降下物の累
積的被曝への寄与は,広島のα26地区では,恐らく1レントゲンない
し3レントゲンの範囲であり,長崎のα25地区では,恐らく20レン
トゲンないし40レントゲンの範囲である(乙B15・218頁),②
組織吸収線量に換算すると,広島については0.6ラドないし2ラド
(0.006グレイないし0.02グレイ),長崎については,12ラ
ドないし24ラド(0.12グレイないし0.24グレイ)になるとし
ている(乙B15・228頁)。
また,放射性降下物の線量評価は,Xt=X1・t-1.2
(Xtは測定被
曝率,X1は原爆の爆発後1時間目における計算被曝率であり,tは1
時間単位の爆発後の時間である。)の式で計算され,べき指数が-1.
2とされた(乙B15・213頁)。
もっとも,DS86報告書第6章は,①緊迫した状況であったこと
や,計器及び訓練された人員が不足していたことにより,関心のある地
域についてのグリッド測定ができていなかったので,放射性降下物地域
のデータがどれくらい代表的であるかは不明である,②原爆の爆発後
の3箇月間には広島で900mm,長崎で1200mmの大量の降雨が
あり,さらに,両市とも昭和20年9月17日に台風に遭い,広島は同
年10月9日に2回目の台風に遭ったものであり,放射性降下物が測定
の行われる前に風雨の影響により散乱されたかもしれない,③一般的
に,降雨は地表の物質を斜面から低地帯又は排水装置へ洗い落とす傾向
があるが,平坦な地域では放射性降下物を保持するかもしれない,④試
料採取場所についての詳細な知識なしには風雨の影響を評価するのは不
可能であり,それゆえ,測定データは風雨の影響に対する補正なしに使
用されたとしている(乙B15・213頁,214頁)。
(ケ)J62ら「長崎市α25地区住民の染色体調査(第2報)」
放影研のJ62らは,原爆の放射性降下物による残留放射線被曝の人
体に及ぼす影響が四十数年後にも染色体異常頻度を指標として検出可能
であるか等を目的とした研究を行い,「長崎市α25地区住民の染色体
調査(第2報)」(以下「J62ら報告」という。)としてまとめ(乙
B205・607頁),平成2年に発表した。
J62ら報告は,長崎のα25地区住民30人のうち,原爆被災時の
行動が判明している6人について,物理的な方法と細胞遺伝学的な方法
により被曝線量の再検討を試みたところ,上記30人の原爆の放射性降
下物による被曝線量を物理的方法では平均7.35ラド(0.0735
グレイ),細胞遺伝学的方法では平均6.25ラド(0.0625グレ
イ)と推算したとしている(乙B205・610頁)。
(コ)「黒い雨に関する専門家会議報告書」
広島県及び広島市が設置した黒い雨に関する専門家会議は,広島の残
留放射能による被曝が住民の健康に影響を与える量であったかどうか,
また,黒い雨の降雨地域が正しく判定されているかなどを検討し,「黒
い雨に関する専門家会議報告書」としてまとめ(乙B97・「はじめに」,
2頁),平成3年に発表した。
「黒い雨に関する専門家会議報告書」は,黒い雨に含まれる低線量放
射線の人体への影響について,赤血球のMN血液型決定抗原であるグリ
コフォリンA蛋白遺伝子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘
発された染色体異常頻度の検討を行ったところ,グリコフォンA蛋白遺
伝子に関しては,広島市α28,同市α33,同市α34,広島県安佐
郡α1町などの降雨地域に当時在住し黒い雨にさらされた40人(男性
20人及び女性20人)と広島市α35,同市α36,同市α37,同
市α38,同市α39,同市α40などの対照地域に当時在住し黒い雨
にさらされていない53人(男性21人及び女性32人)について調査
した結果,降雨地域に統計的に有意な体細胞突然変異細胞の増加を認め
ず,染色体異常に関しても,同様に降雨地域の60人(男性29人及び
女性31人)と対照地域の132人(男性65人及び女性67人)につ
いて検討したが,どの異常型においても統計的有意差は証明されなかっ
たとしている(乙B97・7頁)。
(サ)J63ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム13
7濃度と放射性降下物の累積線量評価」
広島大学工学部のJ63らは,広島原爆の投下3日後に爆心地から5
km以内で収集された土壌サンプル(J51の調査で収集された試料)
中のセシウム137濃度を測定し,放射性降下物が地表から1cmに分
布したと仮定して,単位重さ当たりの放射能を面積当たりのセシウム沈
着に換算することにより放射性降下物による累積被曝を評価し,「広島
原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下
物の累積線量評価」(以下「J63ら報告」という。)としてまとめ(乙
B16の1,乙B16の2・1頁,3頁,4頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(2)32頁,33頁),平成8年に発表した。
J63ら報告は,得られた放射性降下物による累積被曝は,強い放射
性降下物地域を除く爆心地から5km以内では,1kg当たり0.31
ミリキューリー(0.12±0.02レントゲン),広島のα26地区
の強い放射性降下物地域では1kg当たり1.0ミリキューリー(4レ
ントゲン)であるとしている(乙B16の1,乙B16の2・4頁)。
(シ)UNSCEAR2000年報告書
UNSCEAR2000年報告書は,大気圏内核実験に伴う被曝は実
験が行われた地点に限定されることなく,世界的に広がっており,現在
でも世界中に核実験によるバックグラウンドが検出されるとしている
(乙B20,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)37頁,39頁)。
(ス)J63「「黒い雨」にともなう積算線量」
平成17年発表の広島大学大学院工学研究科のJ63の「「黒い雨」に
ともなう積算線量」(以下「J63報告」という。)は,①広島のα3
2地区の家屋の壁に残っていた黒い雨の痕跡に含まれているセシウム1
37の濃度を測定したところ,J63ら報告の積算線量の前提となった
土壌サンプル(α41付近のもの)中のセシウム137の濃度とほぼ一
致している,②その濃度は,核実験フォールアウトのセシウム137
の濃度の8分の1であった,③セシウム137の測定データからの集
積線量の推定値も基本的には線量率からの推定値と一致すべき値であり,
長崎の場合,DS86報告書のセシウム137の測定データからの集積
線量の推定値は線量率からの推定値とよく一致している,④広島の場
合にはセシウム137の測定データからの集積線量の推定値がこれまで
報告されていなかったが,この報告でそのデータを得ることができ,そ
の値は3.7レントゲンとなり,線量率からの推定値よりやや高いがほ
ぼ一致している,⑤α26地区以外の広島市内のフォールアウトの線
量は平均約0.10レントゲンと推定され,この値は爆心付近の集積線
量の約100分の1であり,爆心から約2km付近における誘導放射線
による集積線量に相当するとしている(乙B11・159頁ないし16
2頁)。
(セ)放影研「原爆被爆者の長期健康影響調査に関する「Q&A」」
平成18年発表の放影研の「原爆被爆者の長期健康影響調査に関する
「Q&A」」は,放射性降下物について,①広島原爆及び長崎原爆は
地上500mないし600mの高度で爆発し,巨大な火球となり,上昇
気流によって上空に押し上げられた,②爆弾の中にあった核物質の約
10%が核分裂を起こし,残りの90%は火球と一緒に大気圏へ上昇し
たと考えられ,その後,火球は冷却され,放射線物質の一部がすすと共
に黒い雨となって広島や長崎に降ったが,残りのウランやプルトニウム
のほとんどは恐らく大気圏に広く拡散したと思われる,③当時,風が
あったので,雨は爆心地ではなく,広島では北西部(α26地区),長
崎では東部(α25地区)に多く降った,④プルトニウム汚染につい
ては,原爆後早期に長崎で行われた測定があるが,ウラン又はプルトニ
ウムが核分裂して生じる放射線原子の中で,フォールアウトによる線量
への寄与が最も大きい原子(セシウム137)からの放射能レベルより
もはるかに低いレベルであった,⑤広島におけるウランの測定につい
ては,放射能レベルが低いため,測定値の解釈は困難であるとしている
(乙B19・4頁目,5頁目)。
(ソ)J64ら「長崎市入市被爆者の死亡率と入市日の関連」
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設のJ64
らは,長崎市被爆者健康手帳保持者の中の入市被爆者について,残留放
射線の被曝線量が高いと思われる早期入市被爆者とそれ以外の入市被爆
者の死亡率を比較し,「長崎市入市被爆者の死亡率と入市日の関連」(以
下「J64ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A614の15・
198頁),平成22年に発表した。
J64ら第1報告は,原爆の爆発時に長崎市内にいなかったが,昭和
20年8月9日から同月23日までの間に長崎市内の爆心地付近(爆心
地からおおむね2km以内に区分される町域)に入った入市被爆者で,
昭和45年に生存し長崎市内に在住していた男性7980人及び女性7
230人(入市時の平均年齢は男性24.1歳,女性23.3歳)を対
象に,死亡を観察したところ(甲A614の15・198頁),長崎の
爆心地付近に同月9日又は同月10日に入った早期入市者は,同月11
日以降の入市者に比べて,全死因と脳血管疾患,心疾患の死亡率が高く,
残留放射線被曝による後障害の可能性が示唆されたとしている(甲A6
14の15・201頁)。
(タ)秋月辰一郎「死の同心円」
平成22年発表の長崎で被爆した医師の秋月辰一郎の「死の同心円」
(以下「秋月辰一郎著書」という。)は,①昭和20年9月17日の
枕崎台風の豪雨が去った朝,秋月辰一郎や他の被爆者が一様にすがすが
しい気持ちを味わった,②これは同月2日の豪雨の後に経験したもの
と同じものであり,更にそれ以上のさわやかさであった,③この台風
を境にして,急に病院付近の死亡者数が減少した,④秋月辰一郎や職
員らの悪心や嘔吐,血便も回復し,頭髪も抜けなくなったとしている(甲
A602の2の16・174頁,175頁)。
(チ)J65ら「歯エナメル質の電子スピン共鳴法による解析は大部分の
遠距離被爆者が多量の放射線に被曝したことを示唆しない」
放影研のJ65らは,残留放射線からの線量が現行のがんリスク推定
値や線量反応関係が無効になるほど大きい可能性があるという提言があ
ることを受けて(乙B200の1,乙B200の2・1頁),歯エナメ
ル質に含まれるCO2

ラジカルを電子スピン共鳴法(ESR)により測
定することで,遠距離被爆者(爆心地から約3km以遠の者)の大半が
大量に被曝したかどうかを検証する目的で調査を行い,その結果を「歯
エナメル質の電子スピン共鳴法による解析は大部分の遠距離被爆者が多
量の放射線に被曝したことを示唆しない」(以下「J65ら報告」とい
う。)としてまとめ(乙B200の1,乙B200の2・2頁),平成
23年に発表した。
J65ら報告は,①広島で爆心地から約3km以上離れた場所で被
爆し,DS02による推定線量(直接被曝線量)が5ミリグレイ(0.
005グレイ)未満である49人の被爆者から提供された56本の大臼
歯について,電子スピン共鳴法(ESR)による歯のエナメル質のCO


ラジカルの測定を行った結果,推定線量値は-200ミリグレイ(-
0.2グレイ)から500ミリグレイ(0.5グレイ)にわたり,中央
値は,頬側試料では17ミリグレイ(0.017グレイ),舌側試料で
は13ミリグレイ(0.013グレイ)であった,②以上の結果は,
遠距離被爆者の大多数が浸透力の大きい残留放射線によって大きな線量
(例えば1グレイ)を受けたという主張を支持しなかったとしている(乙
B201)。
なお,J65ら報告では,17歳から23歳までの非被爆者(一般人)
から寄付された20個の親知らず(永久歯になってからおおむね10年
程度)に放射線を照射して,その歯から得られた電子スピン共鳴信号を
グラフにして,被曝線量と電子スピン共鳴信号の換算グラフを作成する
手法が採られている。また,電子スピン共鳴信号は他の放射線(レント
ゲンなどの医療被曝)や紫外線などでもその量が増加することが知られ
ており,そのような状況から,一般人と比較して電子スピン共鳴信号が
低く出た被爆者については,-の被曝線量が結果として表示されること
になるものである(弁論の全趣旨・被告準備書面(21)31頁)。
(ツ)J64ら「長崎市遠距離被爆者の死亡率と残留放射線との関連」
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設のJ64
らは,長崎市被爆者健康手帳保持者の中の遠距離被爆者について,残留
放射線に被曝したと思われる群と残留放射線に被曝していない群の死亡
率を比較し,「長崎市遠距離被爆者の死亡率と残留放射線との関連」(以
下「J64ら第2報告」)としてまとめ(乙B234・268頁),平
成24年に発表した。
J64ら第2報告は,①長崎の爆心地から3km以遠で被爆後,残
留放射線への被曝が考えられる昭和20年8月10日までに爆心地付近
に立ち入った遠距離被爆者において,残留放射線被曝によると考えられ
る死亡率の増大は観察されなかった(乙B234・270頁),②こ
の研究では,残留放射線による被曝線量が高いと考えられる早い時期に
爆心地付近に立ち入った遠距離被爆者と立ち入らなかった遠距離被爆者
の死亡率に差は認められず,J64ら第1報告とは異なる結果が得られ
た,③その理由については現時点では不明であるが,低線量の放射線
を事前に照射すると,その後の放射線被曝による生物障害が軽減される
現象(適応応答)が知られており,遠距離被爆者の残留放射線被曝群で
死亡率の増大が観察されなかった理由の一つである可能性が考えられ
る,④この研究においても,交絡因子の影響を除外することができず,
今回得られた知見のみから,遠距離被爆者における残留放射線被曝によ
る後障害を論じることはできないとしている(乙B234・269頁)。
(テ)J66ら「リスク地図に基づく広島原爆被爆者の癌死亡の地理的分
布の円非対称性の調査:空間的生存データの分析」
広島大学のJ66らは,広島大学原子爆弾放射線医科学研究所に登録
された原爆被爆者のデータベースを用いて,場所により評価したリスク
に基づく地図を作成し,「リスク地図に基づく広島原爆被爆者の癌死亡
の地理的分布の円非対称性の調査:空間的生存データの分析」(以下「J
66ら第1報告」という)としてまとめ(甲A650の2の1,甲A6
50の2の2・2頁,弁論の全趣旨・原告ら最終準備書面81頁),平
成24年に発表した。
J66ら第1報告は,①爆心地から2kmの距離の危険率に焦点を
当てると,最高と最小の相対リスクは1.6であり,このことは,直接
被爆以外の原因による約0.6の過剰相対リスク(ERR)を示唆する,
②この値は,もし,この付加的なリスクが直接被爆に含まれない外部
被曝により生ずるとすれば相当大きな線量(1グレイ以上)となる,③
このことは,例えば,環境サンプルによる事後的な熱ルミネセンス法に
よる実験で証明された直接被曝線量ではなさそうであり,追加的な慢性
持続的被曝と内部被曝による個人的多様性が大きな影響を与えた可能性
があり得る,④社会経済的地位,生活スタイル及び環境要因により,
観察された非対称性を部分的に説明することができる,⑤利用するこ
とのできるデータが限られていることから,これらの要因を調査するこ
とは困難であるとしている(甲A650の2の2・4頁)。
(ト)J66ら「広島原爆被爆者における死亡危険度地図の推定範囲拡大
の試み」
県立広島大学経営情報学部のJ66らは,広島原爆被爆者コホートデ
ータベースの整備に伴い,新たに被爆時所在地の座標化が行われたコホ
ートデータを用いて,固形がん死亡危険度地図の推定範囲の拡大を行い,
また,固形がん死亡の年齢依存性について三相多段階発がん数理モデル
を用いて定式化し,年齢依存性を考慮した死亡危険度地図の推定を試み,
「広島原爆被爆者における死亡危険度地図の推定範囲拡大の試み」(以
下「J66ら第2報告」という。)としてまとめ(乙B242・222
頁),平成26年に発表した。
J66ら第2報告は,①爆心地から離れるにつれて死亡危険度は減
少しているが,西地域は減少が緩やかであり,他の方角に比べて死亡危
険度が高い傾向にあった,②爆心地から南の海岸線付近の死亡危険度
が高い傾向にあった,③爆心地から西の地域に死亡危険度が高いこと
は,黒い雨等による放射線降下物による間接被爆の影響であると考えら
れる,④爆心地から南の海岸線地域の死亡危険度が高いことについて
は,その理由に関して更に議論を積み重ねる必要があるとしている(乙
B242・224頁,225頁)。
(ナ)J67の意見
J68大学国際関係学部教授のJ67は,①広島原爆の爆発により
1核分裂破片当たり平均4種類ほどの核種が生成し,結果として,亜鉛
30からテルビウム65に至る36種類の元素,約300種類の放射性
核種が生み出され,これらの元素は様々な核特性を持ち,単体としての,
あるいは,化合物としての物理的,化学的性質は一様ではない(甲A3
03・7頁),②核分裂によって生み出された放射性原子核はプラズ
マ状態(周囲の電子を剥ぎ取られた裸の原子核の状態をいう。)で大気
中に放出されたが,温度の低下に従って大気中の酸素原子などと結合し,
例えばセシウム137が過酸化セシウムとなるように,様々な化合物に
変化していった,③それらの放射性核物質は火球と共に上昇するが,
熱線と爆風の作用によって作り出された火事嵐も強い上昇気流を発生さ
せ,大量の煤煙(不完全燃焼によって生じるすすなどの大気汚染物質)
を爆心地周辺の上空一帯に充満させた,④核爆発によって発生した多
種多様な放射性化合物は,大気中の水分子を付着させて細かい水滴にな
ったり,すすに付着したりして空気中を漂い,原子雲(キノコ雲)の流
動及び拡散に応じて複雑な挙動を示した,⑤これらの放射性粒子は,
条件次第では黒い雨などの降水となって地上に降り,土や構造物の表面
の放射能汚染をもたらした,⑥粒子の大きさが微細な場合には沈降速
度は極めて遅く,地表面に達するには何日も何週間も掛かる場合もあり,
その間に風に運ばれて爆心から遠く離れた地域に運ばれていった,⑦
これらの放射性核種は大気中を漂いながらもベータ線やガンマ線を放射
し,高さに応じて通過地域にいる者に大小の放射線被曝を与えた(甲A
303・8頁),⑧ベータ線は透過力がガンマ線に比して小さいため,
放射性物質が対外にある場合には被曝線量評価の上で軽視されがちであ
るが,ベータ放射体が体表面の近傍に存在する場合やベータ放射体が一
面を覆っている地面に被爆者が横たわっている場合などではベータ線に
よる被曝は無視することのできないレベルに達し得る(甲A303・9
頁),⑨広島原爆の爆発に伴って原子核分裂反応を起こしたウラン2
35は約1kgと僅かであり,残りの約50kgのウランは未分裂のま
ま周囲に放出された,⑩ウラン原子核から放出されるアルファ線の飛
ぶ距離は空気中でも数センチメートルにすぎないため,対外にウランが
存在している場合,アルファ線の外部被曝が問題となることはないが,
アルファ放射体が呼吸器系,消化器系,皮膚などを通じて体内に侵入し
た場合には,細胞レベルでの被曝が問題となり得るとしている(甲A3
03・10頁)。
(ニ)J69の意見
名古屋大学名誉教授のJ69は,①原爆が投下されたとき,広島及
び長崎上空では,100万分の1秒間という極めて短時間にウラン23
5及びプルトニウム239の原子核が次々と核分裂を起こす連鎖反応が
数十段階も繰り返され,広島では約800gのウラン235の原子核が,
長崎では約1kgのプルトニウム239の原子核が核分裂した,②
ウラン235及びプルトニウム239の核分裂の連鎖反応により作られ
た大量のガンマ線と中性子線が,爆弾容器を貫いて大気中に放出された
(甲A271・5頁,6頁),③放出されたガンマ線の大部分を吸収
した周辺の大気は,数百万度,数十万気圧という超高温,超高圧のプラ
ズマ状態の火球を作り出した,④火球の内部には,ウラン235及び
プルトニウム239の核分裂によって作られた核分裂生成物の原子核が
3兆の1兆倍個あるいは5兆の1兆倍個,核分裂しなかったウラン23
5の原子核が150兆の1兆倍個,核分裂しなかったプルトニウム23
9の原子核が20兆の1兆倍個,中性子を吸収して誘導放射化された原
爆機材及び容器の原子核が2兆ないし5兆の1兆倍個作られたと推定さ
れる,⑤火球の膨張によって,火球表面にショックフロントと呼ばれ
る大気の超高圧の層が形成され,ショックフロントの高圧層の伝搬速度
が火球の膨張速度を超えると,火球から離れて強い衝撃波となって外に
向かって伝搬した,⑥衝撃波と大気の圧力差によって外向きの強烈な
爆風が作られ,衝撃波の通過直後に爆風が襲って衝撃波で分解された建
造物を破壊し倒壊させた,⑦これらは原爆の爆発後10秒間で起こり,
衝撃波が発生して火球から離れたとき,大量の放射性物質は火球の内部
にあり,これら放射性物質が爆風によって吹き飛ばされたわけではない,
⑧火球が急上昇して冷却すると放射性原子核は電子を捉えて放射性の
原子になり,大気中の酸素や窒素と結合して分子になり,更に合体して
放射性微粒子になる,⑨放射性微粒子には大気中の水蒸気が吸着され
て水滴が作られ,原子雲が形成される(甲A271・6頁,7頁),⑩
原子雲の中央部分は圏界面(地上約10km前後)に達しても上昇を続
け,雨滴は氷塊になって結合して大きくなり,重くなっていわゆる激し
い黒い雨として降下した,⑪1時間後の広島原爆の原子雲は,高度が
約15km,横の広がりも約15kmであり,40分後の長崎原爆の原
子雲は,南側は爆心地から約20kmの長崎のα42地区まで,北側も
長崎県大村市付近まで広がっている(甲A271・7頁),⑫下降し
た水滴は温度の上昇によって水分を蒸発させ,放射性粒子となって下降
した(甲A271・7頁,8頁),⑬放射性物質の大部分は地表面を
流れた雨水と共に流失し,また,地表面に堆積して乾燥した放射性物質
は風によって運び去られたと考えられ,この可能性を考慮すると,土壌
への残留率は,地形や土壌の雨水吸収能力及び雨水保持能力に大きく依
存するとしている(甲A271・9頁)。
(ヌ)J70の意見
琉球大学理学部のJ70は,①放射性降下物が爆風によって四散し
たというのは間違った見解である(甲A278・7頁),②原爆の爆
発直後に爆風が地上に襲来する時には,地上で生じた中性子誘導放射化
原子を除いて,一切の放射能原子は上空の火球と火球が膨張,冷却して
原子雲になる前の気塊の内部にある,③高温の火球がゆっくり膨張し
ながら上昇し,原子雲ができる(甲A278・8頁),④水平方向に
広がる原子雲を形成した放射性原子は,その後,下降気流や雨と一緒に
なって地上に降り注ぐ(甲A278・9頁),⑤放射性物質を体に浴
びたり,飲み込んだり,吸い込んだりするのは,爆風の収まった後から
であり,降り注ぐ範囲も原子雲の広がった範囲全域であると考えられる,
⑥原子雲から降る雨には放射性物質が含まれているが,雨が降らない
地域であっても,下降気流に乗って放射性微粒子が降り注ぐ(甲A27
8・9頁,10頁),⑦黒い雨が降った地域ではセシウム137が確
認され,特に広島のα28地区の太田川縁で測定値が高い結果を示して
いる反面,逆に黒い雨が降らなかった地域にはセシウム137は確認さ
れていないか,計測量が僅かであるが,このことをもって放射性降下物
はあったとしても黒い雨の降雨地域に限られ,黒い雨の降らなかった所
には放射性降下物はなかったというのは誤りである,⑧放射性降下物
は,雨が降ることにより,雨に溶けたものが雨と共に土壌中に滲入する
のであり,空気中に放射性降下物が濃厚に存在しても,これらは土壌中
には滲入せず,原爆投下後3日目では,乾燥した放射性降下物はまだ空
中浮揚のものが多量であることが推測される(甲A278・13頁),
⑨核分裂生成原子は,1回ベータ線を出しても安定な状態になるとは
限らず,次々とベータ崩壊を繰り返し,これらが体内に入った場合は,
放射系列を無視して計算した場合の何倍もの被曝を与える(甲A27
8・21頁),⑩放射系列を形成する場合,いずれの場合も系列の中
の長い半減期に従うことになり,放射能の強度は,最初の原子の崩壊だ
けの場合よりもはるかに強いものになる,⑪1週間以上の崩壊系列最
長半減期は,核分裂生成原子の崩壊系列で62%を占めており,2週間
時点での放射線強度は,投下直後に比べて大して減少していないとして
いる(甲A278・23頁)。
(ネ)J71及びJ72の意見
J73大学放射線医学センター長のJ71及び大分県立看護科学大学
学長のJ72は,①放射性降下物が多かった例の代表であるビキニ核
実験では,大量の放射性降下物が地上に降下し,広範囲に影響を及ぼし
たが,これは地表面で核爆発を引き起こした結果,未分裂の核物質や核
分裂生成物が大量の土砂と共に巻き上げられ,放射性降下物として周辺
に降下したからであり,一方,広島原爆及び長崎原爆は,上空での爆発
であり,未分裂の核物質や核分裂生成物の大半は,瞬時に蒸散して火球
と共に上昇し,成層圏にまで達した後,上層の気流によって広範囲に広
がったものであり,広島市及び長崎市に降り注いだ放射性降下物は極め
て少なかったと考えられている,②黒い雨は,火災によりすすが巻き
上げられ,雨と共に降下したものであり,黒い雨と放射性降下物は必ず
しも同じものではない,③黒い雨の原因となる炭素は,吸収断面積が
3ミリバーンであり,放射化されにくい核種であるから,黒い雨が有意
な放射能を有するわけではなく,例えば,鉄の吸収断面積は2.81バ
ーンであり,炭素はその900分の1である(なお,バーンについては,
後記(4)アを参照),④放射性降下物が取り込まれた黒い雨が降った地
域は,広島のα26地区及び長崎のα25地区に限られており,これら
以外の地域においては極めて微量なものであったため,これが人体に付
着したとしても有意な被曝線源となることは考えられない(乙B17・
13頁),⑤広い範囲の地面にほぼ均等に付着した放射性降下物から
の外部被曝線量(線量率)は,地面からのどの位置(高さ)で計測した
としても異なるものではない(乙B17・14頁),⑥放射性降下物
が直接皮膚に付着して相当量の被曝があったとすれば,必ず,紅斑,水
疱などの放射線皮膚障害が生じたはずであるが,実際には,黒い雨を直
接浴びた場合であっても,放射線皮膚障害がみられたとの報告はない(乙
B17・14頁,15頁),⑦原爆の爆発後に行われた複数の調査結
果を基にして,原爆の爆発1時間後から現在に至るまでとどまり続けて
いたという仮定をした場合,α26地区で0.006グレイないし0.
02グレイ,α25地区で0.12グレイないし0.24グレイと想定
されており,これは放射性降下物による外部被曝線量を地上1mの高さ
で推定しているが,そのことは現在の線量評価の常識から考えて問題は
ないとしている(乙B3・13頁)。
(ノ)J72の意見
大分県立看護科学大学学長のJ72は,①黒い雨が人体に付着した
ことを重視する見解があるが,人の皮膚は常に新陳代謝が行われており,
あかと一緒に落ちるので,仮に汚染されて入浴もしなかったとしても,
だいたい1週間から10日経てば,あかとして落ちてしまう(乙B22
の1・111項),②放射線が距離の二乗に反比例して急激に低減す
るといった法則が当てはまるのは点線源の場合であるところ(乙B22
の1・149項),残留放射線は面線源である(乙B22の1・152項)
から,残留放射線について,地面すれすれのところで測定したとしても,
地面から1mの高さで測定したとしてもそう違いはないとしている(乙
B22の1・147項)。なお,上記②については,厚生労働省健康局
総務課作成の「点線源と面線源それぞれにおける,線源からの距離と被
曝線量との関係」も同旨である(乙B27)。
(ハ)J74らの意見
J75大学総合研究所教授のJ74らは,①雨が黒いことと放射性
降下物を含有していることとは必ずしも対応しない,②原爆の爆風に
よって舞い上がった粉塵及び原爆の熱線によって燃焼した火災煙は,必
ずしも原爆の中性子線によって放射化されておらず,爆発時においては,
爆心地から遠距離の地点では,放射性核種を含んでいないものが大部分
であったと考えられるとしている(乙B25・4頁)。
ウ検討
(ア)広島原爆及び長崎原爆の放射性降下物については,「原爆被爆者の
長期健康影響調査に関する「Q&A」」のように,そのほとんどが大気
圏に広く拡散したとする見解がある(J60報告,UNEJ報告及びU
NSCEAR2000年報告書も同趣旨)。また,J74らの意見は,
爆心地から遠距離の地点の降下物は放射性核種を含んでいないものが大
部分であったと考えられるともしている。
(イ)この点,広島及び長崎において,原爆投下の数日後から複数の測定
者による放射性降下物の測定調査が行われ,これらの調査の結果,広島
のα26地区及び長崎のα25地区において,それぞれ放射線の影響が
比較的顕著にみられることが判明し,これは,原爆の爆発後,α26地
区及びα25地区において激しい降雨があり,これによって放射性降下
物が降下したことによるものであることが確認されている。そして,D
S86報告書第6章は,これらの測定調査を総括して,放射性降下物の
累積的被曝への寄与は,α26地区では,恐らく1レントゲンないし3
レントゲンの範囲であり,α25地区では,恐らく20レントゲンない
し40レントゲンの範囲であるとし,組織吸収線量に換算すると,広島
については0.6ラドないし2ラド(0.006グレイないし0.02
グレイ),長崎については12ラドないし24ラド(0.12グレイな
いし0.24グレイ)になると結論付けている。DS86報告書第6章
は,上記のとおり原爆投下直後の複数の測定調査を総括したものであり,
その後の調査結果による推定値もこれと特に矛盾するものではないこと
等をも考慮すると,DS86報告書第6章の放射性降下物による放射線
の外部被曝線量の算定方法は,一定の科学的根拠に基づくものというこ
とができる。
(ウ)しかしながら,放射性降下物の測定結果については,DS86報告
書第6章自体が測定等の精度の非常に低いことを強調している。特に,
べき指数が-1.2とされたことについては,放射性降下物が風雨の影
響を全く受けず,その場にとどまった場合の理論値であり(甲A602・
17頁),風雨の影響により放射性物質の減衰が早まる場合には,崩壊
べき指数の-の数値は大きくなるように補正される必要があることが認
められる。実際,上記放射性降下物の調査の多くは風雨による影響を受
けた後に行われたものである。また,広島においては,J51の調査,
J52らの調査及びJ53らの調査のように早期の段階で調査が行われ
たものもあるが,これらの調査についても観測地点が限られているなど
の限界がある上,さほど離れているわけではないのに放射線量が大きく
異なっているものがあること(J52らの調査のα28付近の地点の調
査)が認められる。枕崎台風の後に被爆者の体調が回復したという秋月
辰一郎著書も実際の体験として軽視することはできないものである。
そして,J55は,①核分裂生成物からのベータ線とガンマ線の全
放射線の強度を求める関数について,べき指数の値は,実験室系におけ
る核分裂生成物では-1.2,ニューメキシコの核実験で地面に広がっ
た核分裂生成物では-1.5であった,②長崎のように放射性降下物
が雨などにより浸食を受けやすい場合には,べき指数の値はニューメキ
シコの核実験の-1.5に近い値と考えられた,③原爆から6週間後,
長崎のα25地区の水源地での最も強いガンマ線の線量率は1時間当た
り1.8ミリレントゲンであり,これは27レントゲン(べき指数の値
が-1.2の場合)ないし110レントゲン(べき指数の値が-1.5
の場合)の積算放射線量に相当するとしている(甲A602・18頁)。
J55が,α25地区での積算放射線量を27レントゲンないし110
レントゲンとしていることについては,その前提となっているマンハッ
タン管区原子爆弾調査団の調査のデータが,大地からの自然放射線を十
分に評価していない等の指摘からすれば(弁論の全趣旨・被告準備書面(1
8)13頁),そのまま採用することはできないものの,DS86報告書
第6章の算定よりも相当程度高くなっていた可能性は否定することでき
ない。
また,J76も,α25地区の生涯累積線量の計算において,原爆投
下二日目以降はべき指数の値を-1.5として,生涯累積線量を100
レントゲンと推定している(甲A602・19頁)。
加えて,DS86報告書第6章に対しては,①衣服や身体に付着し
た物の残留放射線による被曝による影響や,②残留放射線による被曝
線量は,地面から1mの高さで評価したものであるところ,放射線量は
放射線源からの距離の二乗に反比例して急激に低減するといった物理的
法則に照らしても,地面付近で作業をしたり,横たわったりなどした場
合や放射性物質が衣服や身体に付着した場合には,更に被曝線量が高か
ったことなどの指摘もされているのであって(弁論の全趣旨・被告準備
書面(2)38頁),J71及びJ72の意見,あるいは,J72の意見を
踏まえても,このような指摘が全く当たらないとはいえない。
そうであるとすれば,DS86報告書第6章の算定方法による放射性
降下物による放射線の外部被曝線量の算定については,上記のような測
定精度や測定試料等の制約から一定の限界が存するというべきである。
(エ)放射性降下物による累積被曝を少なく評価するJ63ら報告やJ6
3報告に対しては,まず,J63ら報告については,前記のとおり,報
告の前提であるJ51の調査について観測地点が限られているなどの限
界がある上,同調査により広島原爆の投下3日後に爆心地から5km以
内で収集された土壌試料についても,検出することのできたセシウム1
37が放射性降雨に含まれて地中に浸透することができたものだけであ
って,大部分は,地表面を流れて失われ,また,地表面に堆積したもの
は風によって運び去られたとの指摘があり(甲A303・6頁,7頁),
この点は,J69の意見やJ70の意見も同様の趣旨である。また,被
曝線量を算定するに当たって,原爆により生じた全核分裂生成物に換算
するとされてはいる(乙B22の1・112項,113項)ものの,実
際に測定されたのはセシウム137のみであることから,その換算にも
限界はあるものといわざるを得ない。
一方,J63報告については,黒い雨の痕跡の残る壁面は,昭和42
年に自宅改装の際にJ77資料館に寄贈されたものであり,その一部が
拭き取られるなどしており(乙B11・160頁),適切な保存状態に
あったとまではいえない。
したがって,これらの報告によっても,放射性降下物による被曝線量
が無視することのできる範囲であったと解することはできない。
(オ)LSS第5報,LSS第7報第2部及びLSS第9報第2部は,全
体として,早期入市者と後期入市者との間に死亡率には有意差がなかっ
たとしているが,飽くまでも死亡率のみの比較であり,有病率を比較し
たものではない上,LSS第5報においては,全死因について早期入市
者における死亡が相対的に少ない等とされていたところ,LSS第7報
第2部においては,全死因による死亡率について,早期入市者と後期入
市者の間に有意差はないとされ,更にLSS第9報第2部においても同
様とされているのであって,このような変化が生じている理由を後記の
健康者選択効果に求めるかどうかは考慮の余地があるとしても,少なく
とも,死亡率についても徐々に早期入市者と後期入市者の率に逆転がみ
られつつあったという事実は認めることができる。
(カ)遠距離被爆者の大多数が浸透力の大きい残留放射線によって大きな
線量を受けたという主張を支持しなかったとするJ65ら報告も,少数
の被爆者を対象としたものであって,これが本件申請者らを含めた他の
被爆者に同様に当てはまるかについては明らかでないといわざるを得な
い上,電子スピン共鳴法(ESR)はガンマ線のみ,300ミリグレイ
(0.3グレイ)以上しか測定することができないというのであって(甲
A653・8枚目),その測定にも限界があるというべきである。
(キ)かえって,J69の意見は,大量の放射性物質が爆風によって吹き
飛ばされずに原子雲を形成し,黒い雨として降下したとしており,1時
間後の広島原爆の原子雲は,高度が約15km,横の広がりも約15k
mであり,40分後の長崎原爆の原子雲は,南側は爆心地から約20k
mの長崎のα42地区まで,北側も長崎県大村市付近まで広がっている
としている。
J70の意見も同趣旨であり,さらに,J70の意見は,核分裂生成
原子が放射系列を形成する場合,いずれの場合も系列の中の長い半減期
に従うことになり,放射能の強度は,最初の原子の崩壊だけの場合より
もはるかに強いものになり,1週間以上の崩壊系列最長半減期は,核分
裂生成原子の崩壊系列で62%を占めており,2週間時点での放射線強
度は,投下直後に比べて大して減少していないとしている。
また,一方で,J67の意見は,広島原爆の爆発により1核分裂破片
当たり平均4種類ほどの核種が生成し,結果として,亜鉛30からテル
ビウム65に至る36種類の元素,約300種類の放射性核種が生み出
され,これらの元素は様々な核特性を持ち,単体としての,あるいは,
化合物としての物理的,化学的性質は一様ではないとしており,これは
長崎原爆の爆発においても同様に当てはまるものと考えられるところ,
このような多種の元素や放射性核種の中には半減期の極めて短い元素や
放射性核種もあったものと考えられる。そして,そのように半減期の極
めて短い元素や放射性核種については,その大半がすぐに消失してしま
うため測定することができないものである。
(ク)J64ら第1報告とJ64ら第2報告については,これらの報告を
総合すれば,被爆者に対する残留放射線の影響を必ずしも明確に示した
ものとまではいえないが,後記(6)の急性症状等において検討するとおり,
遠距離被爆者や入市被爆者において,初期放射線による被曝では説明す
ることのできないような放射線の影響によるものと思われる急性症状等
が生じているのも事実である。
(ケ)上記(ウ)ないし(ク)で検討した点に鑑みれば,広島原爆及び長崎原
爆の爆発によって,相当量の放射性降下物が広範囲に降下したことは否
定することができないというべきである。
なお,長崎のα25地区において,比較的早期の時期から染色体調査
が行われており(J61らの調査),同調査では,統計的に有意を示す
までには至らなかったとしている。また,J62ら報告も,放射性降下
物による被曝線量は僅かであると推算している。しかしながら,J61
らの調査は,同時に,放射性降下物による原爆直後の影響と共に長期微
量放射能の影響を示唆しているように思われるともしており,一方で,
J62ら報告については,対象者の数が少ないこと等を指摘することが
でき,上記の結論を左右する調査及び報告とまでは認められない。
(コ)さらに,J66ら第1報告やJ66ら第2報告によれば,放射性降
下物による被曝線量は必ずしも同心円状に減衰するわけではないという
ことができるのであって,地形や気象条件等によって,放射性降下物が
より遠くへ飛散し,降下したことにより,強い放射線を発した場合もあ
ったものというべきである。
この点,「黒い雨に関する専門家会議報告書」は,広島市α35,同
市α36,同市α37,同市α38,同市α39,同市α40などを対
照地域として,降雨地域における体細胞突然変異細胞の増加や染色体異
常の有意差を否定しているが,対照地域とされている地域にも放射性降
下物があった可能性は否定することができないのであって,その検討結
果について疑問を差し挟む余地がある。
(サ)以上の点を考慮すると,放射性降下物による放射線の被曝線量につ
いて,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,広島のα26
地区又は長崎のα25地区以外の地域にも放射性降下物が相当量降下し
又は浮遊していた可能性を考慮に入れ,かつ,当該被爆者の被爆後の行
動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,放射性降下物による様々
な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討
する必要があるというべきである。
(4)誘導放射線の被曝線量
ア総説
(ア)誘導放射線とは,地上に到達した初期放射線の中性子が,建物や地
面を構成する物質の特定の元素の原子核と反応を起こし((誘導)放射
化),これによって生じた放射性物質が放出する放射線である(弁論の
全趣旨・被告準備書面(2)49頁)。
(イ)放射化は,安定した原子核(非放射性)が中性子を吸収することに
よって生じるものであるが,吸収反応が起こる確率,すなわち,放射化
の程度(吸収断面積又は核反応断面積といい,物理量(バーン)で表さ
れる。)は,中性子のエネルギーと原子核の種類によって大きく異なり,
中性子を吸収しても,別の安定した核種となり,放射化しないものがあ
ることが知られている。瞬間的,すなわち,極めて短時間の間に誘導放
射化する元素は限られており,全ての元素が放射化するわけではないこ
とも知られている(乙B3・10頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
50頁,51頁)。
例えば,鉄(鉄56)の吸収断面積は,2.81バーンであるが,木
材を構成する炭素の吸収断面積は,3ミリバーンで鉄の900分の1に
すぎず,極めて放射化しづらい核種である(乙B17・13頁,弁論の
全趣旨・被告準備書面(2)51頁)。
(ウ)原爆中性子線の瞬間的な中性子照射によって起こりやすい反応とし
ては,アルミニウム28,マンガン56,ナトリウム24,鉄56とい
った金属元素が高速中性子(速中性子)を吸収することによって起こさ
れる反応(荷重粒子放出反応)がある(乙B3・10頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)51頁)。被曝に寄与する誘導放射性核種は,核種ごと
に半減期が物理的に決まっており,速中性子の吸収によって新たに生じ
た放射性核種の半減期は比較的短いことが特徴である(弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)51頁)。
中性子は,爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気等
との相互作用により,急速にエネルギーを低下させ熱中性子へと変化す
る。エネルギーが低くなった原爆中性子(熱中性子)の吸収によって生
ずる反応(捕獲反応)は,ホウ素,カドミウム,ユウロピウム,ガドリ
ニウムなどの元素にみられるが,これらは土壌中にはほとんど存在しな
い(乙B3・10頁)。
(エ)広島及び長崎の土壌中の組成で比較的高い誘導放射線を示す核種は,
アルミニウム28,マンガン56及びナトリウム24であるが,アルミ
ニウム28の半減期は,2.31分と極めて短い(乙B15・83頁,
85頁,220頁)。なお,鉄は,1g当たりの重量が比較的高いが,
その大半を占める鉄56の核種が中性子を捕捉しても,安定元素である
鉄57となるだけであるため,放射能を出さない。一方,中性子を捕捉
して半減期の短い鉄59となる鉄58は自然界にほとんど存在しないた
め,放射能量は極めて低い(乙B29,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
53頁)。
(オ)新審査の方針策定後の審査においては,誘導放射線について,DS
86策定後に現れた科学的知見を踏まえて,その線量評価が行われてい
る(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)49頁)。
イ各種知見
(ア)J78ら「広島・長崎における中性子誘導放射能からのガンマ線量
の推定」
ABCCのJ78らは,中性子によって土壌及び建築材料に誘導され
た放射能からのガンマ線量を実験データに基づいて推定し,「広島・長崎
における中性子誘導放射能からのガンマ線量の推定」(以下「J78ら報
告」という。)としてまとめ(乙B32・1頁),昭和44年に発表した。
J78ら報告は,①土壌中の誘導放射能からのガンマ線量は,主と
して,ナトリウム24及びマンガン56に負うものであることが判明し
た,②原爆投下後1日目に広島の爆心地付近に入り,そこに8時間滞
在した者の推定被曝線量は3ラド(0.03グレイ)である,③広島
の爆心地から500m及び1000mの距離における線量は,それぞれ
爆心地の線量の18%及び0.07%であった,④原爆の爆発直後か
ら無限時までの累積ガンマ線量は,広島では爆心地で約80ラド(約0.
8グレイ),長崎では同じく約30ラド(約0.3グレイ)であると推定
されたとしている(乙B32・1頁)。
(イ)J79らの線量評価
J79らは,昭和61年にDS86による原爆の初期放射線の被曝線
量評価が策定された際に,広島及び長崎の実際の土壌中の元素の種類,
含有量及びこれらの元素の吸収断面積を基に生成された放射能量を計算
し,その結果,原爆の爆発後1時間における誘導放射線量は,広島では
爆心地から700m,長崎では爆心地から600mの地点に至ると,ほ
ぼ0.001グレイにまで低減するとした(乙B5・349頁,351
頁,乙B31・7頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)53頁,54頁)。
また,J79らは,爆心地における土壌の放射化による線量率が時間
とともに減衰する様子を計算したが,線量率の変化は,見掛け上,三つ
のふくらんだ部分から成っていた。このうち,第一の部分は,主として
短寿命のアルミニウム28の寄与であり,約30分後からの第二の部分
は,マンガン56及びナトリウム24の寄与であり,1週間後からの第
三の部分は,鉄59及びスカンジウム46の寄与によるものであった。
そして,約1年後には,マンガン54(半減期312日)やセシウム1
34(半減期2.06年)の寄与が主となった(乙B5・350頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(2)55頁)。
鉄59やスカンジウム46による誘導放射線について,爆心地におい
て,1時間当たりの線量率は,0.00001グレイを下回っていた。
なお,アルミニウム28による1時間当たりの線量率は極めて高いもの
の,その半減期は2.31分と極めて短く(前記ア(エ)),爆心地にお
いて原爆の爆発直後からアルミニウム28による誘導放射線の被曝をし
ても,その最大積算線量は,広島において0.48グレイ,長崎におい
て0.336グレイであった(乙B30・6頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(2)55頁,56頁)。
(ウ)DS86報告書第6章
平成元年発表のDS86報告書第6章は,J78ら報告等を総括し,
爆心地での誘導放射能からの外部放射線への潜在的最大被曝は,広島に
ついて約80レントゲン,長崎について30レントゲンないし40レン
トゲンであると推定され(乙B15・227頁),組織吸収線量に換算
すると,広島では約50ラド(0.5グレイ),長崎では18ラドない
し24ラド(0.18グレイないし0.24グレイ)になるとしている
(乙B15・227頁,228頁)。
(エ)J80臨界事故
平成11年9月30日午前10時35分頃,α43村のJ80ウラン
加工工場で臨界事故が発生し,ウラン精製作業中の3人の従業員が大量
の放射線に被曝した(甲A280・ⅳ頁)。そのうち最も線量推定が大
きかった16グレイないし25グレイの被曝をした者(甲A280・4
8頁)の誘導放射化を調べたところ,その被曝線量は,一番高かった右
肩部でも1時間当たり10.1マイクロシーベルト程度であった(甲A
280・118頁)。
(オ)J81「DS02に基づく誘導放射線量の評価」
京都大学原子炉実験所のJ81は,J79らの線量評価をDS02に
応用することにより,誘導放射能による地上1mでの外部被曝を評価し,
「DS02に基づく誘導放射線量の評価」(以下「J81報告」という。)
としてまとめ(乙B9・150頁),平成16年に発表した。
J81報告は,①原爆の爆発1分後の爆心地での放射線量率は,広
島で1時間当たり約600センチグレイ(約6グレイ),長崎で1時間
当たり約400センチグレイ(約4グレイ)となっているが,広島,長
崎ともに,1日後には1000分の1に,1週間後には100万分の1
に減少している(乙B9・151頁),②原爆の爆発直後から無限時
間同じ場所に居続けたと仮定したときの放射線量(積算線量)は,爆心
地では広島で120センチグレイ(1.2グレイ),長崎で57センチ
グレイ(0.57グレイ),爆心から1000mでは広島で0.39セ
ンチグレイ(0.0039グレイ),長崎で0.14センチグレイ(0.
0014グレイ),爆心から1500mでは広島で0.01センチグレ
イ(0.0001グレイ),長崎で0.005センチグレイ(0.00
005グレイ)となり,これ以上の距離での誘導放射線被曝は無視して
構わないとしている(乙B9・152頁,153頁)。
(カ)J82ら「広島原爆の放射化土壌によるβ線及びγ線皮膚線量の評
価」
広島大学のJ82らは,皮膚被曝について,ベータ線及びガンマ線の
両方が関与し得たと考えられ,特に,放射化土壌が皮膚に付着した場合
にはベータ線の寄与が支配的になる例が考えられるとし,ベータ線及び
ガンマ線由来の皮膚線量を,放射化した地面による被曝及び皮膚に付着
した放射化土壌による被曝の両方について評価し,「広島原爆の放射化
土壌によるβ線及びγ線皮膚線量の評価」(以下「J82ら報告」とい
う。)としてまとめ(乙B28・33頁),平成19年に発表した。
J82ら報告は,①放射化土壌による皮膚線量は,原爆の爆発から
1週間の期間について,爆心で地面からの高さ1mにおいて0.84グ
レイと,脱毛が起こるとされている2グレイ程度よりも低い結果となっ
た,②このうち,放射化した地面による被曝は99%程度で,このう
ちガンマ線によるものは75%であり,一方,皮膚に付着した放射化土
壌による被曝は1%程度であり(乙B28・33頁),0.00936
グレイであった,③同様に,爆心地から500mの地点の皮膚線量は
0.001339グレイ,爆心地から1kmの地点の皮膚線量は0.0
0003294グレイであり,これに寄与する放射線は,ほぼベータ線
であった(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)48頁),④土壌の厚さの
ばらつきや放射性降下物などの要因を考慮すると,より大きな線量が算
出される可能性もあり,また,脱毛と被曝線量の相関の研究においては,
付着土壌の厚さや入市者の爆心からの距離の時間変化に加えて,内部被
曝の評価も必要と考えられるとしている(乙B28・33頁)。
(キ)J83ら「0.5Sv以上の残留放射線に被曝したと推定される事
例-白血球数と染色体異常率からの検証」
平成19年発表の広島大学名誉教授のJ83らの「0.5Sv以上の
残留放射線に被曝したと推定される事例-白血球数と染色体異常率から
の検証」(以下「J83ら第1報告」という。)は,原爆の中性子によ
り様々な金属が放射化され,例えば,1km以内の922本の電柱及び
電柱1本につきガラス10個ないし20個が焼失,折損で地上に落ちた
としている(甲A270添付資料・9枚目)。
(ク)J84ら「原爆放射線量に関する報告のワークショップ-残留放射
線被曝:今後の研究に関する最近の研究と示唆」
J85のJ84らは,広島と長崎における残留放射線被曝の最新の課
題を検討する必要性があるとの認識の下に2012年(平成24年)に
行われた,米国カリフォルニア州サクラメントでの第57回保健物理学
会年次会合の技術セッションにおける最近報告された研究を再検討し,
「原爆放射線量に関する報告のワークショップ-残留放射線被曝:今後
の研究に関する最近の研究と示唆」(以下「J84ら報告」という。)
としてまとめ(甲A606の1,甲A606の2・1頁),平成25年
に発表した。
J84ら報告は,①広島と長崎における爆心地域付近の最も考え得
る残留放射線の重要な被曝源は,㋐誘導放射化された土壌及びその環境
にあった物の,原爆の爆発の爆風の土壌への衝撃による大気への巻き上
げと㋑爆風によって地面や水から水平的にこすり取られたかすやくず
で,誘導放射化された物質がより遠い距離へと運ばれたものである(甲
A606の1,甲A606の2・6頁),②被爆者の皮膚は,㋐原爆
の爆発による爆風によって浮遊した土壌やその他の環境物質の大気中の
浮遊,㋑中性子で誘導放射化された放射性物質である地面や川の水塵の
爆風による遠距離への移動及び㋒汚染された物質を扱うことによる汚染
した身体の移動により汚染されたかもしれない(甲A606の1,甲A
606の2・7頁),③土壌粒子の大きさの分布と汽水の塩分濃度の
測定が勧告された今後の研究である(甲A606の1,甲A606の2・
8頁),④被爆者の生物学的影響の非対称性及び異常性を示唆するい
くつかの研究があり,これらはDS02では説明することができないも
のである(甲A606の1,甲A606の2・9頁),⑤日本と米国
の調査者ともに,DS02の計算による爆心地を囲む評価線量のシンメ
トリーと比較したときに,広島及び長崎の原爆の爆発に関するいくつか
の調査結果に例外がみられることを認めたが,この例外の可能な説明は,
多様で場所的に均一でない残留放射線による被曝である,⑥これらの
被曝の起源は,汚染された雨か,中性子線で活性化した土壌を削り取り
一掃する爆風の作用であるかもしれない,⑦現時点では,これらの特
異的事象を説明する量的証拠は僅かしかないが,このワークショップは,
残留放射線に関するよりよい理解を導くであろう更なる研究への多くの
アイデアを発展させており,放射線防護の分野に対して,原爆放射線量
の重要性を考えると,これらの理解は必須であるとしている(甲A60
6の1,甲A606の2・9頁,10頁)。
(ケ)J69の意見
名古屋大学名誉教授のJ69は,①起伏に富む広島及び長崎の地形
や建造物の存在は,ほとんど平坦とみなすことのできるネバダ砂漠とは
異なり,そのために生じる衝撃波及び爆風の非等方性が熱中性子や放射
性物質の移動にも影響を与えたことが考えられる,②ネバダ砂漠のよ
うな平坦な場所では,強烈な衝撃波による爆風は1秒以内に内向きの吹
き返しの風に変わり,衝撃波で巻き上げられた土砂や埃の移動は差し引
きほぼ0となる,③しかし,広島や長崎のように山に挟まれた吹き出
し口があると,衝撃波及び爆風は放射性物質を含んだ「黒い津波」のよ
うになって周辺部に向かって広がる,④その一方で,米国ネバダ核実
験場の核爆発実験でみられたような中心部に向かう吹き返しの風はそれ
ほど強くならず,その結果,放射能を含んだ空気や土砂,建造物の破片
は遠方に運ばれたまま残される,⑤全壊ないし半壊になった建造物が
密集していると,これらに囲まれた地表付近では,被爆者は放射能を帯
びた埃の中で呼吸し,放射能で汚れた飲食物を口にすることになり,山
が高く,接近している長崎ではこうした地形の効果はいっそう顕著に現
れるはずであり,事実,稲佐山の中腹から,長崎市α44のすぐ対岸の
長崎駅と長崎港付近を見ていて,この地域が黄色いもやのようなもので
しばらく覆われていたという証言があるとしている(甲A7・75頁,
甲A26・10頁,11頁)。
(コ)J86の意見
J86は,①爆心地から約7.5km離れた長崎のα45地区に住
む住民を調査したところ,黒い雨に遭ったとする者が相当数おり,脱毛
も認められた(証人J86・調書3頁ないし5頁),②九州帝国大学
理学部教授の(甲A602の2の2・53頁,65頁)J87は,長崎
のα25地区の水源地の南側で取れた泥のようなもののついた木の葉が
変色していたことから,α25地区を調査したところ,放射線が非常に
高い線量であるのを確認した,③α25地区において泥の雨が降った
とされており,放射性粉塵と思われる(証人J86・調書19頁,20
頁),④放射性粉塵の影響は,長崎のα46地区まで広がったと推測
される(証人J86・調書20頁),⑤放射性粉塵には距離依存性は
ないとしている(証人J86・調書28頁)。
ウ検討
(ア)J78ら報告等を総括したDS86報告書第6章が計算した誘導放
射線からの被曝量は極めて少ないところ,放射性降下物において検討し
たとおり,DS86報告書第6章に対しては,①衣服や身体に付着し
た物の残留放射線による被曝による影響や,②残留放射線による被曝
線量は,地面から1mの高さで評価したものであるところ,放射線量は
放射線源からの距離の二乗に反比例して急激に低減するといった物理的
法則に照らしても,地面付近で作業をしたり,横たわったりなどした場
合や放射性物質が衣服や身体に付着した場合には,更に被曝線量が高か
ったことなどの指摘もされており(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)38
頁),DS86報告書第6章が計算した誘導放射線からの被曝量を直ちに
採用することはできない。
(イ)J81報告は,J79らの線量評価をDS02に応用したものであ
り,誘導放射能による地上1mでの外部被曝を評価した結果,原爆の爆
発直後から無限時間同じ所に居続けたと仮定したときの放射線量(積算
線量)は,爆心地では広島で120センチグレイ(1.2グレイ),長
崎で57センチグレイ(0.57グレイ),爆心から1000mでは広
島で0.39センチグレイ(0.0039グレイ),長崎で0.14セ
ンチグレイ(0.0014グレイ),爆心から1500mでは広島で0.
01センチグレイ(0.0001グレイ),長崎で0.005センチグ
レイ(0.00005グレイ)となったとし,これ以上の距離での誘導
放射線被曝は無視して構わないとしている。
(ウ)しかしながら,初期放射線について,DS02自体も,被爆者線量
の誤差が広島及び長崎の両市とも30%程度であるが,合計線量の2
7%ないし45%の範囲であるとしているところであって(乙B8の
1・45頁),一定の誤差が生じていることを認めているものであり,
これを前提とした誘導放射線の線量評価についても,初期放射線の誤差
に従い誤差が生じてくることは否定することができない。
(エ)また,J82ら報告は,放射化土壌による皮膚線量は,原爆の爆発
から1週間の期間について,爆心で地面からの高さ1mにおいて0.8
4グレイであったとしているが,土壌の厚さのばらつきや放射性降下物
などの要因を考慮すると,より大きな線量が算出される可能性もあると
しており,また,内部被曝の評価も必要と考えられるとしているのであ
って,誘導放射線の線量評価に当たっては,初期放射線のみならず,こ
のような土壌の状態や後記(5)の内部被曝をも考慮する必要があるとい
うことができる。
(オ)さらに,J83ら第1報告は,原爆の中性子により様々な金属が誘
導放射化され,多数の電柱やガラスが焼失,折損で地上に落ちたとして
おり,土壌自体からの誘導放射線に加え,これらによる誘導放射線も考
慮する必要があるといえる。
(カ)誘導放射化されたのは,物に限らず,人体も想定することができる
というべきである。
この点,J80臨界事故の調査結果は,高線量被曝をした者の誘導放
射化による被曝線量について極めて低い数値となっている。しかしなが
ら,人体にはナトリウム23,リン31,カリウム39,カリウム41,
カルシウム44といった熱中性子により放射化されやすい核種が含まれ
ているところ,このうちナトリウム23から生成されるナトリウム24
は,生成放射能が多く,全身に均等分布し,半減期も14.96時間と
適度に長く,また,検出しやすい高エネルギーガンマ線を放出するとさ
れているところ(甲A280・17頁),臨界事故は,平成11年9月
30日午前10時35分頃に発生しているのに対し,測定は翌日の同年
10月1日午後4時53分に行われているのであって(甲A280・1
18頁),線量が減衰していた可能性は否定することができない。臨界
事故当日の同年9月30日午後3時25分頃のGMサーベイメータ測定
において,異常に高い数値であることが報告されたことは,このことを
裏付けるものといえる(甲A280・117頁)。また,TLD(熱ル
ミネセンス線量計)については,患者自身での装着が不可能であったた
め,布団の上から装着し,布団についても測定時間中必ず掛けていたわ
けではないとされている(甲A280・118頁)ことからすれば,1
0.1マイクロシーベルトとの測定結果自体についてもその正確性に疑
問を差し挟む余地がある。
(キ)さらに,J84ら報告やJ86の意見のように,広島原爆及び長崎
原爆の投下により放射性粉塵が発生し,これが周囲に降り注いだとする
見解もあるところ,かかる見解も相応の根拠に裏付けられているもので
あって,誘導放射線による被曝を検討するに当たり,このような放射性
粉塵による被曝の可能性について推測の域を出ないものとして一概に否
定することもできない。特に,放射性粉塵による誘導放射線については,
汽水の誘導放射化が重要であると認められる。
(ク)そして,放射性降下物において説示したことと同様に,後記(6)の急
性症状等において検討するとおり,遠距離被爆者や入市被爆者において,
初期放射線による被曝では説明することのできないような放射線の影響
によるものと思われる急性症状等が生じているのも事実であるし,残留
放射線の被曝線量について,同心円状に減衰していくわけではない(J
69の意見)ことも考慮すべきである。
(ケ)以上の点を考慮すると,誘導放射線の被曝線量について,実際に被
爆者の被曝線量を評価するに当たっては,爆心地から相当程度離れた地
域にも誘導放射化された物質が相当量存在していた可能性を考慮に入れ,
かつ,その被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等
に照らして,誘導放射化された物質による様々な形態での外部被曝及び
内部被曝の可能性を十分に検討する必要があるというべきである。
(5)内部被曝の影響
ア総説
(ア)内部被曝とは,呼吸,飲食,外傷,皮膚等を通じて体内に取り込ま
れた放射性物質が放出する放射線による被曝をいう。原爆で問題となる
内部被曝は,放射性降下物及び誘導放射線によるものである(弁論の全趣
旨・被告準備書面(2)62頁)。
(イ)内部被曝を検討するに当たっては,取り込まれた放射性核種の量の
みならず,その代謝による排出も考慮する必要がある。原爆の核分裂生
成物であるセシウム137とストロンチウム90の物理的半減期はそれ
ぞれ約30年,約29年であるが,体内に取り込まれた放射性核種は,
その物理的崩壊による減衰だけではなく,人体に備わった代謝機能によ
り,各元素に特有の代謝過程を経て,最終的には腎臓,消化管などから
体外に排泄される(乙B35,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)63頁)。
体内に取り込まれた放射性物質は,その臓器親和性に従って種々の臓
器や組織に分布し,その後,排出されるものであり,生物学的減少は実
際には複雑な過程をたどるが,指数関数的に減少するものと仮定し,排
泄機構により体内量が2分の1になるまでの時間を生物学的半減期とい
う。放射性物質の体内量の減少は,①放射性崩壊による物理的減衰と②
排泄機構による生物学的減少の二つに支配され,この両者による放射性
物質の体内量の減少を併せて表したものを有効半減期(実効半減期)と
いう(乙B36・294頁)。
例えば,セシウム137の生物学的半減期は,約110日とされてい
る(乙B35)。経口摂取されたセシウム137は,その全てが胃腸管
から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学
的半減期110日で体外へ排せつされるとされており,10年後には7.
3×10-11
,すなわち,100億分の1以下に減衰することになる。一
方,経口摂取されたストロンチウム90は,30%が血中に吸収され,
残りは便として排せつされるとされており,1ベクレルを経口摂取した
場合には,10年後には軟組織全体に残留しているのは1.2×10-4
ベクレル,すなわち,約8300分の1以下に減衰することになる(乙
B37・3頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)64頁,65頁)。
また,放射性物質の中には,それぞれ特異的に集積する臓器が決まっ
ているものがあり,例えば,ヨウ素131は甲状腺に,ストロンチウム
90は骨に集積する性質がある(乙B39,乙B22の1・177項)。
イ各種知見
(ア)内部被曝に関連する理論
内部被曝に関連する理論として,①逆線量率効果,②バイスタンダー
効果,③ゲノム不安定性及び④ホット・パーティクル理論の各理論が挙
げられる。
a逆線量率効果
(a)意義
逆線量率効果とは,同じ被曝線量であれば,長期にわたって被曝
した場合の方が,リスクが上昇することをいう(弁論の全趣旨・原
告準備書面(1)39頁)。
(b)低線量放射線影響分科会「低線量放射線リスクの科学的基盤-現
状と課題-」
平成16年発表の低線量放射線影響分科会の「低線量放射線リス
クの科学的基盤-現状と課題-」(以下「低線量放射線影響分科会
報告」という。)は,①高LET放射線(LETとはLinearEnergy
Transferの頭文字をとったものであり,日本語では線エネルギー付
与と訳され,放射線が物質中(生物体内など)を通過する際に,そ
の物質に与えるエネルギーを指す。LETの値の高低によって,放
射線を高LET放射線と低LET放射線に区別する(弁論の全趣
旨・被告準備書面(3)37頁)。),取り分け核分裂中性子線につい
ては,低線量率照射の方が高線量率照射よりも影響が大きい場合が
報告されている,②培養細胞での試験管内がん化を指標にした研
究では,核分裂中性子線による細胞照射について明らかな逆線量率
効果が報告され,低LET放射線でも,毎分0.1ミリグレイ(0.
0001グレイ)ないし1ミリグレイ(0.001グレイ)程度の
線量率で突然変異の誘発を指標に逆線量率効果がみられるとの報
告がある(乙B113・18頁),③多くの場合,培養系を用い
た実験で逆線量率効果がみられているが,これらの実験では,対数
増殖期の細胞群を数百時間にわたって照射するもので,このような
長期実験を緻密に制御する困難さや,微妙な細胞周期の偏りが突然
変異頻度や試験管内がん化頻度に影響すること,また,動物個体レ
ベルの発がん実験で逆線量率効果は一般的にはみられないことな
どから,これがヒトの低線量リスク評価に大きく寄与するものとは
現在のところ考えにくいとしている(乙B113・19頁)。
bバイスタンダー効果
(a)意義
バイスタンダー効果とは,被曝した細胞から周辺の被曝しなかっ
た細胞へ遠隔的に被曝の情報が伝えられ,被曝しなかった細胞にも
遺伝的影響が及ぶ現象をいう(弁論の全趣旨・原告準備書面(1)3
9頁)。
(b)低線量放射線影響分科会報告
平成16年発表の低線量放射線影響分科会報告は,①1990
年(平成2年)代半ばからアルファ線照射を受けた細胞に隣接し,
自身は照射を受けていない細胞に染色体異常,突然変異あるいは細
胞がん化などの遺伝的効果が生ずることが指摘されるようになっ
た,②バイスタンダー効果の存在は,放射線による遺伝的影響の
標的分子がDNAだけでない可能性を示唆している,③加えて,
低線量や低線量率照射の場合には,放射線を被曝しなかった細胞に
もDNAの損傷が生ずることから,高線量や高線量率照射に比べ単
位線量当たりの遺伝的効果リスクが高くなることを示唆するもの
であり,低線量放射線のリスク評価のために解決すべき重要な課題
であるとしている(乙B113・19頁)。
cゲノム不安定性
(a)意義
ゲノム不安定性とは,放射線被曝によって生じた初期の損傷を乗
り越え生き残った細胞集団に遺伝的不安定性が誘導され,長期間に
わたって様々な遺伝的変化が非照射時の数倍ないし数十倍高い頻
度で生ずる状態が続く現象をいう(弁論の全趣旨・原告準備書面(1)
40頁,41頁)。
ゲノム不安定性の特徴は,非標的性(DNAの損傷を受けていな
い部位において突然変異が生ずること)と遅延性(放射線を受けた
細胞において,何代もの分裂を経過しても,突然変異頻度が遅延的
に誘発され続けること)であるとされている(乙B114・87頁)。
(b)低線量放射線影響分科会報告
平成16年発表の低線量放射線影響分科会報告は,①近年にな
り,放射線による間接的な突然変異誘発機構としてのゲノム不安定
性の誘導が注目を集めるようになった,②哺乳類胎児培養細胞を
用いた実験で,100ミリグレイ(0.1グレイ)ないし200ミ
リグレイ(0.2グレイ)の低線量域では,培養細胞でDNA突然
変異の頻度よりも悪性形質転換の頻度の方が圧倒的に高いことか
ら,DNAではなく細胞膜の異変から発がん過程が始まるモデルが
提唱されている,③ゲノム不安定性などの間接的な発がん機構
は,その誘導にある一定以上の線量を必要とすることが十分に予想
され,その意味で低線量リスクにとって重要な意味をもつ,④ゲ
ノム不安定性誘導の分子機構がいまだに不明である現時点におい
てその低線量リスクへの関わりは明確ではないとしている(乙B1
13・20頁)。
dホット・パーティクル理論
(a)意義
肺や皮膚の発がんリスクは均一な被曝よりも非常に不均一な被曝
の方がずっと高いという考え方をいい,内部被曝についていえば,
体内に取り込まれた放射性微粒子による不均一な局所被曝の方が,
他の被曝より危険性が高いとする理論である(乙B48の1,乙B
48の2,弁論の全趣旨・被告準備書面(6)34頁)。
(b)J88らによる動物実験
J88らは,1988年(昭和63年)頃,ホット・パーティク
ル理論が,極小範囲に集中的に高線量を被曝すると発がんリスクが
高まるとしていることから,その真偽を確認するため,①均等被
曝(広範囲にまんべんなく均等な線量を被曝する態様),②不均
等被曝(極小範囲に集中的に高線量を被曝する態様)とそれぞれ被
曝態様を変え(ただし,両者の照射範囲内の総被曝線量は同一とす
る。),放射線を動物の皮膚組織に照射して,両者で皮膚がんの発
生率が変化するか否かを検証した。具体的には,①均一照射の場合
(均等被曝に相当する。面線源から照射)のほか,②32箇所線源
の場合(①と後記③の中間の被曝態様),③8箇所線源の場合(ホ
ット・パーティクル理論に最も近い被曝態様)の3通りの被曝態様
になるよう,ツリウム170線源(ベータ線,ガンマ線放出核種)
を配置して面積8c㎡の皮膚に放射線を照射したところ,累積腫瘍
発生率は①が最大で,③が最小であった(乙B47の1・乙B47
の2,乙B48の1・乙B48の2,弁論の全趣旨・被告準備書面
(2)73頁ないし77頁)。
(c)ICRJ1991年勧告
ICRJ1991年勧告は,①低線量での広い範囲の不均一照
射では,皮膚がんのリスクが被曝した面積,すなわち,照射された
細胞数,そして皮膚への平均線量に比例するということが合理的な
考えであり,ホット・パーティクル理論が知られてきたが,何年間
にもわたって均一被曝よりも不均一被曝の方が効果が弱いという
逆の考え方が同意されており,この主張はJ89らの研究で支持さ
れていた,②これらの研究者は電子線とベータ線を用いて,ふる
い状の照射で皮膚の腫瘍発生が低下し,格子状の場合に腫瘍発現が
遅延することでそのことを示した,③これらの研究者はまた,遮
蔽された領域が低線量被曝を受けると,その腫瘍発生は均一照射に
匹敵することにも注目した,④これらの結果は,照射されていな
い細胞が皮膚腫瘍の発生に,あるいは,恐らく成長に影響を与えて
いることを示している,⑤J88らによる動物実験は,均一被曝
が最も発がん性が高いことを明確に示した,⑥不均一被曝の余剰
効果が細胞不活性化の相違によって説明されるとは思われないと
している(乙B48の1,乙B48の2)。
(イ)内部被曝に関する事故
これまでに発生した内部被曝に関する事故としては,①トロトラスト
の事例,②ロッキーフラットでの内部被曝事例,③チェルノブイリ原発
事故及び④ゴイアニア事故が挙げられる。
aトロトラストの事例
トロトラストはアルファ線を放出する二酸化トリウムコロイドで
あり,1930年(昭和5年)代ないし1940年(昭和15年)代
において造影剤として用いられており,静注することで脳動脈撮影な
どにおける血管構造を可視化したが,肝臓,脾臓及び骨の網内系にお
いてトロトラストが長期間滞留したために,生涯にわたるアルファ粒
子被曝が引き起こされた。リスク評価に用いることができる主なコホ
ートは,トロトラストに曝露されたドイツ人,デンマーク人及び日本
人の患者であるところ,約3700例において,1999年(平成1
1年)までに681例の肝がんが報告されており,白血病(慢性リン
パ性白血病を除く。)の発生率は,5倍ないし20倍増加した(乙B
47の1,乙B47の2・19頁)。なお,トリウムの生物学的半減
期は400年であり(乙B84・7頁),また,トロトラストの1回
の標準的な注射の後では,1年当たりの被曝量は約400ミリグレイ
(約0.4グレイ)であると見積もられている(乙B85の1,2)。
bロッキーフラットでの内部被曝事例
1965年(昭和40年),米国のロッキーフラットで火災が発生
し,プルトニウムを肺に吸入したという内部被曝事例が発生したが,
40年以上経た後も,内部被曝者のうち肺がんを発症した者は,一人
もいなかった(乙B22の2・402項ないし411項)。
cチェルノブイリ原発事故
チェルノブイリ原発事故は,1986年(昭和61年)4月26日
に発生し,同年5月6日にかけて,300メガキュリーの放射性物質
が放出された。300メガキュリーの放射性物質のうち,ヨウ素13
1は40メガキュリーであり,短寿命放射性ヨウ素は100メガキュ
リーであった(乙B40・149頁)。
チェルノブイリ原発事故では,事故後10年後辺りから甲状腺がん
の有意な増加がみられるようになった。チェルノブイリ原発事故の一
般住民に対する身体的影響は,原爆被爆者の場合とは大きく異なって
おり,甲状腺がんの発生が顕著であるとされ,特に小児甲状腺がんが
多数発生した(乙B40・150頁)。これは,ミルク摂取等により
ヨウ素131が体内に入り,これによる内部被曝を受けたことが主因
であるとされている(乙B39,乙B40・151頁)。チェルノブ
イリ原発事故では原子炉が溶解したため,揮発性の放射性ヨウ素が拡
散し,これが牧草に取り込まれ,牧草から乳牛へ,乳牛から牛乳へ,
牛乳から人間へという食物連鎖を通じて人体内に取り込まれた結果,
放射性ヨウ素による内部被曝の影響が顕著に現れたものであった(乙
B42,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)71頁)。
dゴイアニア事故
ゴイアニア事故とは,1987年(昭和62年)9月,ブラジルの
ゴイアニア市の廃院に放置されていた放射線療法用の医療機器内の放
射線源格納容器が解体され,露出した線源からセシウム137が周囲
の環境に拡散して多数人が被曝し,うち4人が放射線障害で死亡した
という事故である(乙B34の2・45頁,46頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(2)82頁)。
ゴイアニア事故では,地面を掘り起こして土を廃棄したり,民家を
解体したりして,汚染除去作業が行われた(乙B34の2・45頁,
46頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)82頁)。
(ウ)J61らの調査
長崎大学のJ61らは,昭和44年,長崎のα25地区の住民を対象
とし,ホールボディカウンター(人間の体内に摂取された放射性物質の
量を体外から測定する装置)を用いて,セシウム137による放射線量
を実測し,内部被曝線量の評価をした。その結果,対照群と比較すると,
長崎原爆の放射性降下物による寄与は,男性で1kg当たり13ピコキ
ュリー,女性で1kg当たり10ピコキュリーであった(乙B15・2
19頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)65頁,66頁)。
また,J61らは,昭和56年にも,昭和44年の上記調査において
比較的高い線量値を示した者を対象として同様の測定調査を行ったとこ
ろ,昭和44年当時の平均値である1kg当たり48.6ピコキュリー
は,1kg当たり15.6ピコキュリーにまで低下しており,環境半減
期は7.4年となった。なお,環境半減期とは,土壌中のセシウム13
7が食物摂取に寄与する程度がどの程度減っていくかをみたものであ
り,身体に入った特定のセシウム137がどの程度の期間で体外に排出
されるかをみた生物学的半減期(セシウム137の場合は約110日と
されている。)とは異なるものである(乙B15・219頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(2)66頁)。
そして,J61らは,上記のデータを用いて,昭和20年から昭和6
0年までの40年間に及ぶ内部被曝線量を積算したところ,男性で0.
0001グレイ,女性で0.00008グレイであるとした(乙B15・
219頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)66頁)。
J61らの調査は,セシウム137のガンマ線量を基に,ベータ線量
も加算して内部被曝線量の積算をしたものであった。なお,セシウム1
37は,アルファ線を放出しない(乙B22の1・173項,乙B38・
19頁)。
(エ)J81報告
平成16年発表のJ81報告は,DS02に基づき,原爆当日に広島
で8時間の焼け跡の片付けに従事した人々の塵埃吸入を想定して,内部
被曝による線量評価を試みているが,0.06マイクロシーベルトにす
ぎず,外部被曝に比べ無視することのできるレベルであったとしている
(乙B9・153頁,154頁)。
(オ)J90ら「放射性物質による内部被ばくについて」
平成23年発表のICRJのJ90らの「放射性物質による内部被ば
くについて」(以下「J90ら報告」という。)は,内部被曝の健康影
響について,外部被曝と比較して線量が同じであれば同等かあるいは低
いことが示されており,内部被曝をより危険とする根拠はないとしてい
る(乙B83・40頁)。
(カ)放影研「「残留放射線」に関する放影研の見解」
平成24年発表の「「残留放射線」に関する放影研の見解」(以下「平
成24年放影研見解」という。)は,①広島及び長崎に投下された原
爆の放射線被曝線量については,放影研や,その他多くの研究者によっ
て解析されてきており,その結果,「残留放射線」の関与は「初期放射
線(直接放射線)」の被曝線量推定値の誤差範囲内にあることが示され
ている(乙B105・1頁),②放影研はこれまでに「残留放射線」
の影響が無視することのできる程度に少なかったと考えられる証拠を
種々の実測データ解析結果や調査報告例により提示してきた(乙B10
5・3頁),③平成24年放影研見解を出した理由について,放影研
は以前から「残留放射線」の関与は「初期放射線(直接放射線)」の被
曝線量推定値の誤差範囲内にあることを公表し,説明してきたが,「残
留放射線のデータが考慮されていない」との批判や疑問も繰り返し提起
されてきた(乙B105・1頁),④放影研での原爆放射線によるが
ん罹患,死亡等のリスク評価は,1グレイないし4グレイという高線量
に被曝した者のリスク推定値が被曝線量に対して明確な量反応関係を示
していることに立脚しており,10ミリグレイ(0.01グレイ)ない
し100ミリグレイ(0.1グレイ)程度と見積もられる残留放射線被
曝を受けた少数の者が,初期放射線量が0や低線量である多数の者の中
にある程度含まれていたとしても,主として100ミリシーベルトを超
える高線量被曝の結果から算出されたリスク推定値に対して大きな影響
を与えるものではない(乙B105・4頁),⑤依然として「内部被
曝は外部被曝よりも1000倍危険」などと心配されているが,これを
説明する科学的根拠はない,⑥重要なことは,どちらの場合でもリス
クの大きさは,がん発症の当事者たる細胞(組織の幹細胞と考えられる。)
が受ける放射線の量に依存し,被曝が外部か内部かの問題ではないとい
うことである,⑦ICRJは,体内に取り込まれた粒子からの放射線
(つまり「内部被曝」)によるがん化について,放射性物質が全身に均
等に分布した場合に「外部被曝」と同等になり,偏在した場合にはむし
ろ低下するのではないかと考えている,⑧これは,大量の動物を使っ
た高精度の動物実験において,放射性ヨウ素投与による「内部被曝」と
X線による「外部被曝」を比較して,甲状腺発がん頻度に差のないこと
で実証されている(乙B105・5頁),⑨以上のような観点から,
被曝線量を考慮せず,「内部被曝の方が外部被曝より危険だ」という単
純な主張には全く根拠がないことが分かるとしている(乙B105・6
頁)。
なお,平成19年発表の「原爆症認定の在り方に関する検討会報告」
も,内部被曝は,外部被曝に比して,同じ臓器線量であれば,影響は同
等であるとしている(乙A6・2頁)。
(キ)J91ら「放射線を科学的に理解する-基礎からわかる東大教養の
講義」
東京大学教養学部のJ91らは,一般の読者に放射線について科学的
に理解してもらうことを目的として放射線の知識を「放射線を科学的に
理解する-基礎からわかる東大教養の講義」(以下「J91ら教科書」
という。)としてまとめ(乙B207・ⅳ頁),平成24年に発表した。
J91ら教科書は,①トータルの被曝線量が同じでも,短時間で浴
びる急性被曝と,長期間で浴びる慢性被曝とでは,危険性や体への影響
が異なると考えられている,②同じ被曝線量を受けても低線量率で長
時間受ける方が影響は少ないと考えられている,③直感的には長期間
の被曝の方がむしろ大きな影響が出ると思うかもしれないが,ゆっくり
浴びるのであればその都度修復の作用が間に合うと考えられる,④一
度に浴びると修復が利く前にDNAの損傷の量が限度を超えてしまう可
能性があり,細胞が分裂することができなくなってしまうのが急性被曝
である(乙B207・140頁),⑤ICRJが内部被曝を考慮して
いないというのは正しくない,⑥内部被曝については,放射性核種が
どのように摂取された場合に,どの程度が体内に取り込まれ,全身に運
ばれるか,又は,特定の臓器に集まるかあるいは排泄されるかといった
モデルに基づいて計算を行い,放射能(ベクレル)から内部被曝線量(シ
ーベルト)への換算係数(実効線量係数)が導かれている,⑦内部被
曝量自体の計測が難しいこともあり,実際に精度よく評価することがで
きるわけではないことは確かである,⑧ICRJを批判するヨーロッ
パ放射線リスク委員会(ECRR)という名の市民団体が,ストロンチ
ウムの内部被曝の影響を600倍に見積もるなどして危険を説いている
が,科学的根拠に乏しく論理的整合性もないとして,大方の専門家から
は評価されていないとしている(乙B207・211頁)。
(ク)J67の意見
J68大学国際関係学部教授のJ67は,①現在,ICRRが採用
している内部被曝線量評価方法の原型は,アメリカ核医学会内に設置さ
れた医学内部放射線量委員会によって開発されたミルド法(MIRD法)
である,②ある放射性核種による体内汚染に伴って,ある臓器にどれ
だけの被曝線量がもたらされるかを評価するためには,㋐体内にいつど
れだけの放射性核種が入ってきたか,㋑その放射性核種が,注目する臓
器及び周辺臓器にどのような時間的変化で存在したか,㋒注目する臓器
内及び周辺臓器内での放射性核種の崩壊に伴って,内部被曝線量を評価
しようとする臓器にどれだけの放射線エネルギーが与えられたか及び㋓
当該臓器の質量の四つの情報が必要であるところ,ミルド法が発展させ
たのは㋒だけであり,原爆被爆者の場合,原爆投下直後の時期における
㋐についての実測的情報は皆無に等しく,仮説によらざるを得ない(甲
A303・11頁,12頁),③㋐が不明である以上,㋑の正確な情
報も望むことができず,また,放射性物質を体内摂取した場合,その体
内残留量は単純な時間の関数で減少するわけではなく,多くの核種の場
合,排泄速度の異なるいくつかの相から成る複雑な時間的推移を示す,
④㋓についても,例えば肝臓の質量は被爆者によって異なるのでミル
ド法によって標準化されたデータからは大きく乖離する場合があり(甲
A303・13頁),臓器質量の差が線量評価にもたらす誤差は無視す
ることのできる範囲を超えており,一般には,特定の臓器の被曝線量を
評価する場合には,当該臓器に取り込まれた放射性物質による被曝線量
だけでなく,他の臓器に沈着した放射性物質から放出される透過性の放
射線,主としてガンマ線やX線,エネルギーの強いベータ線などによる
被曝線量への寄与も評価しなければならない,⑤放射性核種別の体内
摂取量,各臓器への移行量やその時間変化などの情報も定かでない被爆
者について,ある仮説に基づいて内部被曝線量の評価を試みるにしても,
そこには極めて大きな誤差を伴うとしている(甲A303・14頁)。
(ケ)J93の意見
放射線医学総合研究所のJ93は,上記複数の研究者によるセシウム
137の降下量の調査を基に,浦上川の河川水を汚染した可能性のある
放射性核種の放射能について,①最も高い推定値は長崎のα25地区
における1c㎡当たり3.3ベクレルであり,爆心地付近での降下量は
α25地区の10分の1程度と考えられていることから,浦上川の水面
への降下量はα25地区の値である1c㎡当たり3.3ベクレルを超え
ていたとは考えにくい,②核分裂によるストロンチウム90の生成量
はセシウム137よりも少ないので,ストロンチウム90の水面への降
下量も1c㎡当たり3.3ベクレルを超えていたとは考えにくい,③被
爆者が飲んだ河川水の量を1リットルと仮定すると,この水中の放射能
は,セシウム137,ストロンチウム90のいずれの放射性核種につい
ても330ベクレル以下となる,④ICRJの線量換算係数によれば,
1ベクレル経口摂取したときに肝臓の受ける線量の50年間の合計は,
セシウム137では1.4×10-8
シーベルト,ストロンチウム90で
は6.6×10-10
シーベルトであるから,330ベクレル経口摂取し
た場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム137が4.
6×10-6
シーベルト,ストロンチウム90が2.2×10-7
シーベル
トと算出されるとしている(乙B37・2頁)。
(コ)J71及びJ72の意見
J73大学放射線医学センター長のJ71及び大分県立看護科学大学
学長のJ72は,①現在は,線量換算係数を用いて,摂取した放射性
核種の量から内部被曝線量を算定することができる,②体内に摂取し
た放射性核種の量は,ホールボディカウンターや肺モニター,体内から
排出される尿などを測定することによって把握することができ,このよ
うに放射性核種による内部被曝に関しては,かなり研究が進んでいる(乙
B3・14頁),③1グレイの被曝がもたらされる場合の1回の摂取
量は,例えば,広島原爆については,マンガン56であれば,土壌36
kgを,ナトリウム24であれば,土壌111kgを,それぞれ摂取す
る必要がある(乙B17・23頁。なお,J72について,乙B22の
1・163項ないし167項も同旨である。),④放射性核種の種類
によって,排せつされる速度や割合を生物学的半減期として測定するこ
とができるとしている(乙B2・19頁)。
また,J72は,放射性物質は50核種くらいであり,半減期等を考
慮すると,内部被曝が問題となる核種としては,セシウム137とスト
ロンチウム90を考えればよいとしている(乙B22の1・175項)。
ウ検討
(ア)J61らの調査は,昭和20年から昭和60年までの40年間に及
ぶ内部被曝線量を積算した結果,男性で0.0001グレイ,女性で0.
00008グレイであるとしており,J81報告は,DS02に基づき,
原爆当日に広島で8時間の焼け跡の片付けに従事した人々の塵埃吸入を
想定して,内部被曝による線量評価を試みた結果,0.06マイクロシ
ーベルトであるとしている。確かに,これらの調査や報告の示す線量は,
極めて僅かなものであって,それ自体は放射線被曝による影響をさほど
考慮しなくてもよい数値である。
この点,J94らは,1981年(昭和56年),J59は,198
2年(昭和57年),長崎のα25地区におけるセシウム137の降下
量を調査しているところ,その中でも最も高い推定値は,1k㎡当たり
900ミリキュリー(J94らの推定値。なお,J59の推定値では1
k㎡当たり130ミリキュリーである。),すなわち,1c㎡当たり3.
3ベクレルであり,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられてい
る(乙B15・216頁,乙B37・2頁)。そして,上記の調査を基
にすれば,広島では,放射性核種が高く検出されたα26地区において
も,セシウム137の降下量は1k㎡当たり3ミリキュリーないし10
ミリキュリーとされ,J94らの推定値と比較すると90分の1以下と
なり,爆心地付近ではこの10分の1程度と考えられているのであって
(乙B5・354頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)67頁),J94
ら及びJ59の調査は,J61らの調査やJ81報告を支持するものと
なっている。
(イ)しかしながら,まず,J61らの調査についてみると,調査が行わ
れたのは昭和44年以降であり,短期間で大きな内部被曝を生じさせる
可能性のある放射性物質(短半減期核種)による内部被曝線量が考慮さ
れていないという問題や,ホールボディカウンターで計測したセシウム
137から放出されたガンマ線を調査したにすぎず,このようなホール
ボディカウンターによる計測では標準以下のエネルギーしか有していな
いベータ線を測定することができない(甲A237・16頁,17頁,
甲A267の1・24頁,甲A602の2の25・11頁)という問題
を指摘することができるのであって,これをもって内部被曝の積算線量
の程度が上記のように僅少であると断定することはできない。一方,J
81報告についても,J81報告は,おおよその仮定を基にどの程度の
被曝になりそうか見積もってみたものにすぎず,吸入の対象とした放射
能は土壌中のナトリウム24とスカンジウム46に限られているのであ
って(乙B9・153頁),これをもって内部被曝の程度が上記のよう
に僅少であるともいえない。
J94ら及びJ59の調査も,セシウム137の降下量を測定したに
とどまるものである上,その推定値も,両者において大きな開きがある
ものである。
さらに,爆心地付近に限らず局地的に放射性降下物や誘導放射化され
た物質が集積するなどしている場合があり得ることも考慮すると,内部
被曝線量は無視し得る程度のものであると評価することには,なお疑問
が残るといわざるを得ない。
(ウ)内部被曝については,J90ら報告や平成24年放影研見解のよう
に,人体に与える影響では,外部被曝と余り違いがないとする見解や,
J93の意見やJ71及びJ72の意見のように,内部被曝の影響が生
ずるには飲食物の大量摂取が必要であるとする見解もある。
しかしながら,内部被曝に関係する理論は,内部被曝が人体に与える
影響が,外部被曝よりも大きいことを示唆するものである。
このうちホット・パーティクル理論については,ロッキーフラットで
の内部被曝事例やJ88らによる動物実験に整合せず,ICRJ199
1年勧告も,J88らによる動物実験が,均一被曝が最も発がん性が高
いことを明確に示したとしているが,内部被曝の機序について必ずしも
科学的に解明されているわけではない。
一方,逆線量率効果,バイスタンダー効果及びゲノム不安定性につい
ては,低線量放射線による継続的被曝が高線量放射線の短時間被曝より
も深刻な障害を引き起こす可能性を指摘するものであるところ,低線量
放射線による継続的被曝については,J91ら教科書のように同じ被曝
線量を受けても低線量率で長時間受ける方が影響は少ないと考えられて
いるとする見解や,放射線ホルミシスや適応応答のように,むしろ微量
放射線によって生体に刺激作用がもたらされるとか,生体の防御機能が
増強されるとする見解もあるものの(乙B114・131頁),低線量
放射線影響分科会報告は,逆線量率効果,バイスタンダー効果及びゲノ
ム不安定性の可能性を指摘しているのであって,このような科学的知見
を無視することはできないものというべきである。
また,トロトラストの事例は静注に基づく内部被曝であり,原爆によ
る内部被曝にそのまま当てはめることはできないとしても,チェルノブ
イリ原発事故の事例は,内部被曝が特定の臓器に影響を与えることを裏
付けるものであり,ゴイアニア事故では,土を廃棄したり,民家を解体
したりして汚染除去作業まで行われている。そうであるとすれば,やは
り,内部被曝については,外部被曝とは異なり,場合によっては外部被
曝よりも人体に大きな影響を与える場合があることは否定することがで
きないものというべきである。また,J67の意見のように,臓器の質
量等による個人差を考慮する必要もある。
(エ)確かに,放射線医療の現場においては,放射性核種を投与して診断
に役立てており(乙B43・151頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)
71頁),この核医学では体の特定の部位に集まる放射性核種を投与す
るということが行われている。そして,例えば,テクネシウム99mを
用いた場合は骨等に,ヨード125やヨード131を用いた場合は甲状
腺組織に集まることが分かっており,これを診断に役立てることになる
が,その場合の線量は,テクネシウム99mの場合,7.5ミリグレイ
(0.0075グレイ),ヨード131の場合,1405.4ミリグレ
イ(1.4054グレイ)などとなっている(乙B44・82頁,83
頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)71頁)。
しかしながら,このように放射線医療の現場において,相当量の放射
性核種が投与されているからといって,これにより内部被曝の影響が生
じていないとする根拠はないし,医療上の必要により放射性物質が投与
される場合には,現代の医療水準に基づき,放射性物質による影響をで
きる限り少なくするための処置が講じられていると考えられるのであっ
て,全く無防備で特段の事後対応もされなかった原爆被爆者の場合と同
視することはできないといわざるを得ない。
(オ)以上によれば,被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,当該被
爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた症状等に照
らして,放射性降下物及び誘導放射化された物質を体内に取り込んだこ
とによる内部被曝の可能性がないかどうかを十分に検討する必要がある
というべきであり,加えて,内部被曝による身体への影響には,一時的
な外部被曝とは異なる特徴があり得ることを念頭に置く必要があるとい
うべきである。なお,その際には,IAEAのレポートに,「放射性核
種は,洗浄,溶解あるいは,剥離物質の皮膚への塗布により,除去され
るべきである。全身への汚染の拡大は,是非とも防がなければならない。
ルールは,表皮剥離を避けるというものである。皮膚を通しての物質の
通過を促進する物質を使ってはならず,主要な皮膚の汚染除去は,その
部分だけで行われるべきである。」とあるように(甲A282の1,甲
A282の3・16頁),被爆者が外傷を負っているか否かについても,
内部被曝においては考慮すべき重要な事情であるというべきである。
(6)急性症状等
ア総説
(ア)下痢に関する一般的な医学的知見
a概要
下痢とは,元来,糞便中の水分の増加を意味する。日本人の1日の
糞便量は約150gで,水分含有量はその60%ないし70%である
が,80%ないし90%になると軟便から泥状便,90%以上では水
様便になる(乙B116・727頁)。下痢は,持続期間により,2
週間以内のものについては「急性」,2週間ないし4週間のものにつ
いては「持続性」,4週間を超過するものについては「慢性」と定義
されている(乙B117・261頁)。
下痢の原因としては,種々のものがあり,その症状も様々である(乙
B117・262ないし266頁,乙B118・83頁)。
b急性下痢症
急性下痢症は,90%以上が感染症によるものであり,感染性下痢
症は,一般的には,ヒトや動物の便に由来する病原体が,汚染された
食物や水を介して経口的に感染して起こるとされている。感染性下痢
症の症状としては,しばしば嘔吐,発熱及び腹痛を伴うことが挙げら
れる。腸管内には,500種類以上の細菌が常在しているが,これら
が下痢の原因となることはほとんどなく,感染性下痢症は,胃腸に侵
入した病原微生物が宿主の胃酸,消化酵素,粘液分泌,蠕動及び細菌
による抑制などの防御機能を圧倒あるいは回避することによって起こ
る(乙B117・262頁)。
c慢性下痢症
慢性下痢症の場合は,急性下痢症とは対照的に,その原因のほとん
どが非感染性である。また,慢性下痢症の原因を病態生理に基づいて
分類すれば,分泌性,浸透圧性,脂肪性,炎症性,腸管運動機能不全
等に大きく分類できる(乙B117・264頁)。
分泌性の下痢は,腸管において水分や電解質の分泌を促進して起こ
る下痢である。慢性分泌性下痢症の原因として最も多いのは,薬物や
特定の毒素(砒素など)の定期的な摂取による副作用であり,ほかに
も,腸管切除,腸管疾患,腸管瘻や,ホルモン等も原因として挙げら
れる。分泌性の下痢は,痛みを伴わず,絶食後も持続する水様で大量
の便排出によって特徴づけられている(乙B116・727頁,乙B
117・264頁)。
浸透圧性の下痢は,吸収されにくく浸透圧の高い物質が摂取されて
腸管内に多くの液体を吸い込み,その量が結腸の再吸収能を上回る場
合に起こる下痢である。便への水分排出は,溶質の摂取量に比例して
増加する。浸透圧性の下痢の原因としては,マグネシウムを含む制酸
薬,健康サプリメントや下剤の摂取によるものなどが挙げられる。浸
透圧性の下痢は,絶食や原因物質の摂取を止めることにより収まるの
が特徴である(乙B117・265頁)。
肪肪性の下痢は,脂肪の吸収不良による下痢である。油分が多く,
悪臭を伴う下痢を生じ,しばしば体重減少や栄養失調を引き起こす。
また,腸管内での消化不良を引き起こすこともある(乙B117・2
65頁)。
炎症性の下痢は,一般的に,疼痛,発熱,出血,その他の炎症所見
を伴う下痢である。炎症性の下痢では,炎症による滲出や腸管の運動
性亢進などが原因となり得る(乙B117・265頁)。
腸管運動機能不全による慢性下痢症は,腸管の内容物の通過時間の
異常を原因とするものである。腸の運動機能が低下した場合であれば,
腸管の内容物の停滞による細菌の過剰増殖が起こり,結果として下痢
を引き起こすことがある。また,腸の運動機能が亢進した場合(過敏
性腸症候群や甲状腺機能亢進症)も,結果として下痢を引き起こす。
非常に頻度の高い疾患である過敏性腸症候群は,腸管(特に大腸)の
機能的疾患であり,副交感神経系の持続的緊張亢進状態によって,腸
管の運動亢進や分泌亢進が起こり,腹痛,下痢,粘液便,便秘,腹部
膨満などを起こす状態をいう。便通の状態により,便秘型,下痢型及
び下痢便秘交代型に分けられるが,同一例に種々の型が出現する。こ
のうち,下痢型は,しばしば突発する腹痛と共に起こり,排便により
寛解する。過敏性腸症候群は,粘液便を伴うことが多く,青壮年層に
多くみられ,精神的ストレスや環境の変化によって増悪するとされて
いる(乙B116・410頁,727頁,乙B117・266頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)8頁)。
d乳幼児及び小児期の下痢
乳幼児及び小児期には,急性感染性下痢症や過食,風邪に伴う下痢
が多いとされており,その多くは原因が判明しないうちに治癒に至る。
急性下痢症の原因であるウイルス性胃腸炎は,乳幼児及び小児にも多
くみられることが特徴的であるとされている。現在,ウイルス性胃腸
炎を引き起こすウイルスとしては,ロタウイルス,アデノウイルス,
ノーウォークウイルス,ノロウイルス及びアストロウイルスの五つが
知られている(乙B116・1872頁,乙B119・1338頁,
弁論の全趣旨・被告準備書面(7)8頁)。
(イ)脱毛に関する一般的な医学的知見
脱毛症とは,正常に存在していなければならない毛が欠如しているか,
脱落してまばら又は消失している状態をいう。一般に脱毛症として問題
にされるのは毛髪に被われた頭部の毛であるところ,頭毛の数は,個人
差はあるが約10万本とされており,1日に50本程度の抜け毛は生理
的に生じる(乙B116・1573頁)。
器質的異常としての脱毛は,臨床上,先天性脱毛症と後天性脱毛症と
に大別される。先天性脱毛症にはびまん性(隅々まで広がる性質)のも
のと限局性のものとがあり,後天性脱毛症には症候性のものと非症候性
で他の皮膚病変を伴わないものとがある(乙B116・1573頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)9頁)。
後天性脱毛症のうち,主な類型としては,①円形脱毛症(遺伝的背
景や自己免疫,精神的ストレスが原因とされている。),②男性型脱
毛症(壮年性脱毛症。男性ホルモンが原因とされている。),③薬物
による脱毛症(抗腫瘍薬や抗精神薬等の薬物が原因とされている。),
④外傷性脱毛症(物理的外力が原因とされている。),⑤休止期脱
毛状態(成長期毛が休止期毛に移行して起こる脱毛をいう。持続性高熱,
難産,外科的ショック,ストレス,出血,急激なダイエットなどが原因
とされている。),⑥感染性脱毛症(種々の病原体の感染により毛や
毛包が傷害を受けて生じた脱毛の総称をいう。),⑦全身性疾患に伴
う脱毛症などが挙げられ,さらに,全身性疾患に伴う脱毛症としては,
栄養障害及び代謝障害に伴う脱毛,内分泌障害に伴う脱毛,膠原病に伴
う脱毛,全身性感染症(梅毒等)に伴う脱毛並びに腫瘍による脱毛が挙
げられる。このように,脱毛症の種類及び原因には様々なものがある(乙
B120・518ないし525頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)9頁)。
また,脱毛症の頻度としては,円形脱毛症と男性型脱毛症(壮年性脱毛
症)が多いとされている(乙B121・246,247頁)。
円形脱毛症は,脱毛の程度や部位などから主に四つに分類される。①
通常型は最も多くみられる型であり,孤立性の脱毛巣が一,二個できる
単発型と,脱毛巣がより多く出現する多発型とがある。通常型以外には,
②全頭脱毛症(頭髪のほとんどが脱落する型),③汎発性脱毛症(頭髪
のみならず,眉毛,睫毛,ひげ,腋毛,陰毛及び体毛も抜ける型)及び
④蛇行状脱毛症(後頭部から側頭部の毛の生え際に沿って境界鮮明な帯
状で不整形に脱毛する型)がある(乙B120・519頁,乙B122・
23頁,24頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)9頁,10頁)。
(ウ)出血傾向に関する一般的な医学的知見
出血傾向とは,正常にあるべき止血機構が障害された結果生ずる易出
血状態又は止血困難な状態をいう。一般的には,皮膚,粘膜などの紫斑,
組織内への自然出血,1箇所以上の出血,局所に異常がない鼻出血,産
婦人科的疾患がない過多月経や性器出血,軽度の打撲後の易出血性など
が挙げられる(乙B119・229頁)。
正常な止血機構は,血管,血小板,血漿蛋白(凝固線溶因子)などの
制御機構が正常に働くことによりされている。大きな動脈や静脈が損傷
を受けたときや局所に出血を引き起こす原因となる疾患がある場合は,
正常の止血機構が働いていても,多量の出血を来す。しかし,そのよう
な外傷や原因がなくても出血又は止血困難を呈する場合は,先天性又は
後天性に正常の止血機構が障害されており,血管,血小板,血漿蛋白(凝
固線溶因子)などの量的,質的異常が出血傾向を招来していると考える
ことができる(乙B119・229頁)。
出血傾向を引き起こす原因としては,血小板異常(血小板減少症及び
血小板機能異常症),血管異常及び血漿蛋白(凝固線溶因子)異常に分
けられ,それぞれ多種多様の疾患の存在が考えられる(乙B119・2
32頁)。
後天性の血管異常を引き起こす「壊血病」は,ヒトにおけるビタミン
C欠乏症として古くから知られている疾患である。壊血病は,点状出血,
歯肉の出血,毛嚢の角化症,毛包周囲の出血,関節痛,関節の浸出,疲
労感,抑うつ症や心気症によって特徴づけられ,また,感染に対する抵
抗力が低下するとされている。壊血病は,栄養状態が改善している現在
の日本ではほとんどみられないが,先進国であっても,アルコール中毒
症,栄養的無知及び貧困によって生じ得るとされている(乙B123・
213頁,乙B124・121頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)10
頁,11頁)。
また,後天性の血漿蛋白(凝固線溶因子)異常を引き起こす「ビタミ
ンK欠乏症」により,血液を凝固させる因子の合成に関わっているビタ
ミンKが欠乏すると,血が固まりにくくなり,出血傾向となる(乙B1
24・114頁,116頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)10頁,1
1頁)。ビタミンKには,緑葉に多いビタミンK1と細菌が産生するビ
タミンK2の2種が存在している(乙B116・2079頁)。ビタミ
ンK1は植物に広く分布しており,また,ビタミンK2はヒトの体内の
腸内細菌によって必要量にほぼ見合う量の産生ができるため,ビタミン
K欠乏症は健常人の間では一般的ではない(乙B123・200頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)11頁)。そのため,成人におけるビタミ
ンK欠乏の原因は,主として疾病あるいは薬物療法による二次的なもの
とされており,現在では,食事制限によりビタミンKの摂取が少ない患
者や,抗生物質を投与され非経口栄養に頼っている患者などにビタミン
K欠乏による出血傾向が一般に観察されやすいことが知られている。ま
た,成人とは異なり,新生児の場合は,胎盤を通してのビタミンKの輸
送が乏しいため,ビタミンKの貯蔵は出生直後には低く,また,新生児
の腸管は無菌状態であるため,しばらくの間はビタミンK1の合成がで
きないことに加え,母乳中のビタミンK含有量も低いことから,ビタミ
ンK欠乏による出血傾向が多くみられ,注意が必要であるとされている
(乙B123・200頁,201頁,乙B124・116頁,弁論の全
趣旨・被告準備書面(7)11頁,12頁)。
イ各種知見
(ア)急性放射線症候群
a総説
1グレイを超す急性被曝を全身に受けた場合に被曝した放射線量
の線量に応じて発現する骨髄障害,皮膚障害,口腔粘膜障害,消化管
障害,中枢神経障害などの放射線による確定的影響は,「急性放射線
症候群」として整理されている。この概念は,広島原爆及び長崎原爆
の被爆医療調査や米国における原子力の軍事応用の開発初期に起こっ
た被曝事故の診療経験をまとめる過程で出来上がったものとされてい
る(乙B130・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)16頁)。
上記のとおり,急性放射線症候群は,しきい値を超えて被曝した場
合に症状が出現する確定的影響に属するものとされており,しきい値
以下の被曝では症状が出現しないことが大きな特徴の一つである(乙
B52・2頁)。なお,同じ被曝線量であっても,分割照射による被
曝又は持続的であるが時間当たりの線量が低い被曝の場合には,しき
い値線量の値が高くなり,被曝線量の総量に比して症状は少なく,放
射線障害も軽いとされている(乙B52・2頁,乙B130・79頁)
また,急性放射線症候群は,①前駆症状と呼ばれる症状が一過性
に発現する「前駆期」(被曝後48時間以内),②前駆症状が消え
無症状となる「潜伏期」(被曝後3日ないし1箇月程度),③主症
状としての種々の症候群(骨髄障害,皮膚障害,消化管障害等)を発
症する「発症期」,④その後の「回復期」(又は死亡)という時間
的経過をたどるという大きな特徴がある(乙B52・3頁,4頁,乙
B130・75頁,77頁,79頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)
16頁)。
b前駆期の症状(前駆症状)の特徴
最低1グレイ以上(発熱は2グレイ以上)の放射線に被曝すると,
48時間以内に,悪心,嘔吐,下痢,発熱,初期紅斑,唾液腺の腫脹
等の前駆症状と呼ばれる症状が一過性に出現する。これらの前駆症状
は,消化管の蠕動運動が高まること(亢進)や,消化管ホルモンの分
泌が高まること,皮膚や粘膜の毛細血管の拡張及び透過性が高まるこ
と,神経血管反応が高まることなどの基礎病態に基づいている(乙B
130・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)17頁)。
出現する前駆症状の種類は,被曝線量により異なり,前駆症状の出
現時期も被曝線量により異なる。被曝線量が高くなれば前駆症状の出
現までの時間は早くなる(乙B130・79頁)。
この前駆症状自体は,日常的にもみられる非特異的な症状であるこ
とから,急性放射線症候群であるか否かを判断するためには,更に潜
伏期以降の症状の現れ方をみなければならない(乙B130・79頁,
弁論の全趣旨・被告準備書面(7)18頁)。
前駆症状として出現する下痢は,4グレイないし6グレイの全身被
曝であれば,被曝後3時間ないし8時間の間に一過性に出現し(発現
頻度は10%未満),6グレイないし8グレイの全身被曝であれば,
被曝後1時間ないし3時間の間に一過性に出現する(発現頻度は1
0%以上)が,4グレイ以下であれば,出現しない(乙B52・3頁,
4頁)。
この前駆症状として出現する下痢は,上記のとおり,毛細血管の透
過性や消化管の蠕動運動が高まることによって生じるものであること
から水様性であるという特徴があり,また,潜伏期に入るとすぐに軽
減することも明確な特徴ということができる(弁論の全趣旨・被告準
備書面(7)20頁)。
c潜伏期の特徴
潜伏期とは,放射線感受性が高い組織の細胞死に伴う細胞欠落症状
が発現するまでの,比較的無症状の期間をいう。すなわち,前駆期を
過ぎると,一時的に前駆期にみられた前駆症状は消え,無症状の時期
(潜伏期)に入る(乙B130・75頁)。これは,前駆症状は炎症
反応とされるところ,人の体の中には炎症反応が起きると,それを抑
えようとする恒常性を保つという反応が起きて,この炎症を抑えるこ
とができるようになることによるものである(乙B34の1・6頁)。
したがって,前駆期にみられる前駆症状としての下痢は,その後すぐ
に軽減し,消えてしまう(乙B34の1・10頁)。この潜伏期の存
在が,放射線被曝による急性症状の大きな特徴の一つとされている(弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)20頁)。
この潜伏期の長さも被曝線量に依存し,被曝線量が高いほど短くな
る(乙B130・75頁)。
d発症期の症状(主症状)の特徴
潜伏期を経て発症期に入ると,主症状としての種々の症候群(骨髄
障害,皮膚障害,消化管障害等)が発症する。主症状も,被曝線量に
応じて出現する種類及び時期が異なる。
もっとも,発症期における主症状も非特異的なものであることから,
単にこれらの症状がみられたというだけでは,その原因が放射線被曝
であると判断することはできない(乙B52・4頁,乙B130・7
9頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)21頁,22頁)。
発症期における主な主症状の特徴は,以下のとおりである。
(a)骨髄障害(出血傾向等)
1グレイ以上の全身被曝では,主症状としての骨髄症候群が発症
する。これは,放射線被曝によって骨髄の造血幹細胞の細胞死が加
速して減少することにより生じる病態であり,白血球が減少するこ
とによる易感染性,血小板が減少することによる出血傾向(歯茎か
らの出血,紫斑など)などが挙げられる(乙B130・75頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)22頁)。
このうち,出血傾向についてみると,例えば,4グレイないし5
グレイ以下の骨髄機能が回復する可能性のある放射線被曝の場合
は,おおよそ被曝後1時間以降(48時間以内)に嘔吐,微熱,更
には軽度頭痛などの前駆症状が出現し,2週間ないし3週間の潜伏
期を経て,血小板の減少に伴い出血傾向の症状が出現する(乙B1
30・75頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)22頁)。
この点,一般に,血小板数は2万/μLないし3万/μL(0.2
ないし0.3×1011
/L)以下にならなければ,日常生活で出血
傾向を来すことはまずないとされているところ,UNSCEAR1
988年報告書によれば,被曝線量に応じた被曝後の血小板数の変
化については,2グレイ程度以上被曝した場合に0.2ないし0.
3×1011
/Lを下回り,出血傾向が生じる(乙B130・79頁,
乙B132・2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)22頁)。
そして,2グレイ程度の被曝の場合であれば,血小板数は,被曝
後10日過ぎ頃から急激に低減し,被曝後3週間程度経過した頃に
最も低下するが,被曝後1箇月余りで回復に向かう(乙B52・4
頁,5頁,乙B130・79頁)。したがって,このような血小板
数の変化に伴い,出血傾向も,被曝後3週間程度経過した頃から出
現し,血小板数の回復に沿って消失することになる(弁論の全趣
旨・被告準備書面(7)23頁)。
このように,急性放射線症候群による主症状としての出血傾向
は,前駆期や潜伏期に相当する時期には出現しないということと,
出血傾向が長期間継続しないということが極めて大きな特徴であ
るということができる(弁論の全趣旨・被告準備書面(7)23頁)。
(b)皮膚障害(脱毛等)
急性放射線症候群による主症状としての皮膚障害としては,被曝
線量によっても異なるが,時間の経過とともに脱毛,色素沈着,落
屑,水疱等が生じる。また,ICRJ1991年勧告においても,
それぞれのしきい線量と出現時間が明らかにされている(乙B5
2・6頁)。
上記の皮膚障害のうち,脱毛は,3グレイ程度以上被曝した場合
に生じるとされており,このようなしきい値があることが大きな特
徴の一つである(乙B52・6頁)。
急性放射線症候群による主症状として生じる脱毛は,毛髪の元と
なる毛母細胞が放射線被曝により障害されて少なくなることによ
り,通常よりも成長しない細い毛髪が根本に生えることから既存の
太い毛髪を支えられなくなって生じる。3グレイ程度の全身被曝を
した場合,頭髪の一部だけが抜けたり,少量ずつ抜けたりすること
はない。また,3グレイ程度の被曝であれば,被曝後15日以降に
脱毛が生じ,8週間ないし12週間後には発毛がみられるが,7グ
レイ程度の被曝であれば,被曝後11日以降に生じ,永久脱毛とな
る。放射線被曝による主症状として生じる脱毛が,1年,2年,あ
るいは,十数年と継続した後で発毛することはない(乙B22の
1・46項ないし60項,乙B34の1・12頁ないし14頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)24頁)。
(c)消化管障害(主症状としての下痢等)
急性放射線症候群による主症状としての消化管障害は,約8グレ
イないし10グレイ以上の被曝で発症するとされている(乙B5
2・5頁)。急性放射線症候群による主症状としての消化管障害は,
放射線による粘膜上皮細胞(消化管の上皮細胞)の幹細胞が死滅し
て粘膜組織が欠落し,しかも,粘膜上皮細胞の再生が障害されるこ
とによって生じるものであり,腸管蠕動障害,吸収障害及び下痢が
出現し,更に粘膜組織の剥奪が進行すると血管がむき出しになる一
方で,上記のとおり,骨髄障害により血小板が減少していることか
ら,消化管内の血管が破綻し,制御不能の消化管出血が生じること
になる(乙B34の1・10頁,乙B52・5頁,乙B130・7
6頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)24頁,25頁)。
このように,放射線被曝による主症状としての下痢は,前駆症状
としての下痢とはその程度も内容も全く異なり,大量出血を伴う重
篤かつ血性の下痢であるという大きな特徴があり,主症状としての
下痢を発症するような事態に至れば,消化管の細胞を再生させる医
療技術がないため,現代の医学水準をもってしても救命可能性はな
いとされている(乙B34の1・10頁,11頁,乙B130・8
2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)25頁)。
また,主症状としての下痢は,6グレイ以上の極めて重傷ないし
致死的な急性放射線症候群の症状であり,4グレイないし6グレイ
の被曝による重傷の急性放射線症候群であっても,出現するのがま
れであるということも大きな特徴である(乙B130・77頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(7)25頁)。
(イ)被曝以外の原因による身体症状
被爆後に被爆者に生じた症状について,被曝以外の可能性のあるもの
として,①戦時下の栄養状態,②戦時下の生活環境,③当時よくみられ
ていた下痢及び腸炎の可能性並びに④心的なトラウマ体験が挙げられ
る。
a戦時下の栄養状態
戦時下においては,深刻な食糧難の状況にあり,国民の多くは,栄
養失調を来して体力の低下が著しい状況にあった(乙B125・68
頁ないし74頁,乙B126・74頁ないし82頁)。日本人一人当
たりのカロリー摂取量についてみると,戦前である昭和6年ないし昭
和15年を100とした場合,戦中の昭和18年は87,昭和19年
は86,昭和20年は60と急激に落ち込んでいった。その背景には,
農業人口の流失及び農業生産資材の窮乏等による農業生産高の減少や,
漁業における魚介類の水揚げ高の深刻な落ち込み(昭和14年を基準
とすると昭和20年にはその13%)があった(乙B125・68頁,
71頁)。
法制度上も,昭和13年4月に国家総動員法が公布され,国内の人
的物的資源が統制されることとなった。生活物資の統制については,
ガソリン,米穀,木炭,砂糖及びマッチの配給統制等が敷かれ,昭和
16年4月には,生活必需物資統制令が公布されるなど相次いで物資
の統制が進められた。このような状況の中で,国民生活は貧困を極め
ていき,食糧事情は終戦まで悪化の一途をたどり,国民は,配給制の
下,配給物資に欠乏する状態で,野草を食用とするなどしていた(乙
B125・72頁ないし74頁,乙B126・74頁ないし82頁)。
このような食糧難と栄養失調状態は,学童,妊婦,胎児,成人など
あらゆる世代の国民の体位や体力を低下させていた(乙B126・7
6頁ないし82頁)。
b戦時下の生活環境
戦時下においては,保健衛生の観点からみても劣悪な生活環境にあ
った。例えば,伝染病についてみると,昭和6年以降,赤痢,ジフテ
リア,狸紅熱などを中心として,年々増加の傾向を示し,昭和14年
を最高として以後次第に減少していったが,戦時下の昭和18年にな
ると,腸チフス,パラチフス及びジフテリアの増加が顕著となり,赤
痢及び狸紅熱も増加した。その他の疾病についても,戦争が長期化し,
本格化するにつれ,保健衛生のほか,国民の体力そのものの低下もあ
って,罹病者が増加する傾向を示していた(乙B126・68頁,6
9頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(7)13頁)。その一方で,医薬品
については元々輸入に頼っていた面が強いこともあり,極度の不足を
来していた(乙B126・51頁ないし55頁,弁論の全趣旨・被告
準備書面(7)14頁)。
c当時よくみられていた下痢及び腸炎の可能性
当時,下痢及び腸炎はよくみられる疾患であった。厚生省大臣官房
統計調査部による昭和28年の患者調査によれば,病院の1日におけ
る「下痢及び腸炎(新生児を除く)」は3492人,「新生児下痢」
は20人であり(乙B87・73頁),一般診療所の1日における「下
痢及び腸炎(新生児を除く)」は2588人,「新生児下痢」は8人
であり(乙B87・76頁),歯科診療所の1日における「下痢及び
腸炎(新生児を除く)」は6人,「新生児下痢」は1人であった(乙
B87・78頁)。そして,抽出間隔は,病院5.2734,一般診
療所50.2687,歯科診療所208.5044であることから(乙
B87・9頁),1日における下痢の患者数は,病院は,(3492
人+20人)×5.2734=1万8520人,一般診療所は,(2
588人+8人)×50.2687=13万0498人,歯科診療所
は,(6人+1人)×208.5044=1460人であり,合計1
5万0478人であった(弁論の全趣旨・被告準備書面(4)28頁)。
d心的なトラウマ体験
最近の精神医学における研究によれば,戦争体験等の心的なトラウ
マ体験が身体的健康に影響する可能性があるとされている(乙B12
8・465頁・466頁)。
具体的な例としては,次のようなものが挙げられる。
(a)大規模な自然災害
阪神・淡路大震災,中越沖地震などの自然災害の被災者において,
被災後,嘔吐,発熱,下痢,鼻出血,倦怠感,不眠といった様々な
身体症状の発症が確認されており,心身医学の分野では,これらが
被災後に発症したものである場合には,被災による精神的影響と考
えられている。なお,自然災害で脱毛がみられたとの報告はない(乙
乙B22の2・340項ないし344項,B49・3頁,4頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(2)80頁,81頁)。
(b)東京大空襲
東京大空襲の経験者には様々な発症時期の脱毛がみられたこと
が分かっており(乙B50・181項ないし186項),自然災害
では確認されない集団的な脱毛が,戦争体験では確認されているこ
とについては,心身医学の立場から自然災害と戦争体験とで受ける
精神的影響の格段の違いと,現代と昭和20年頃の衛生環境及び栄
養状態の格段の違いによるとされている(乙B22の2・346項
ないし351項,弁論の全趣旨・被告準備書面(2)81頁)。
(c)J80臨界事故のウラン加工工場の周辺住民
J80臨界事故のウラン加工工場の周辺住民は,事故後2年以上
を経過した段階において,様々な身体症状を発症しており,その発
症率はウラン加工工場から離れるに従って減少していくことが統
計的に有意に認められており,これらの身体症状は,自分も被曝を
しているのではないかといった不安や風評被害などに基づく精神
的影響によるものであり,その精神的影響がウラン加工工場から離
れるに従って低減し,その結果,身体症状の発現率もウラン加工工
場から離れるに従って減っていったとする見解がある(乙B22の
2・354項ないし360項,乙B51,弁論の全趣旨・被告準備
書面(2)81頁,82頁)。
(ウ)放射線被曝と多重がんとの関連についての報告
放射線被曝と多重がんとの関連についての報告としては,以下のもの
がある。
aJ95「原爆被爆者医療の最近の動向」
長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設のJ95は,平成14年,
平成14年度原子爆弾被爆者指定医療機関等医師研修会において,「原
爆被爆者医療の最近の動向」と題する講演(以下「J95講演」とい
う。)を行った(甲A41文献27・1枚目)。
J95講演は,①被爆者では一般集団のそれを上回る多重がんの
発生がみられるか調査が必要となってきた,②放射線の全身照射を
受けた被爆者では,複数の臓器が被曝していると容易に想像すること
ができ,被爆者のがん発生リスクを個体レベルで考える上で,この多
重がんの問題は大きな影響を与えるとしている(甲A41文献27・
2枚目)。
bJ96ら「長崎原爆被爆者の重複癌の発生に関する検討」
長崎大学医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設のJ96ら
は,長崎原爆被爆者の腫瘍に関する分子疫学研究の一環として,病理
学的診断の裏付けのある重複がん症例の病理学的検討を行い,「長崎
原爆被爆者の重複癌の発生に関する検討」(以下「J96ら報告」と
いう。)としてまとめ(甲A67・144頁),平成16年に発表し
た。
J96ら報告は,①昭和37年から平成11年までの37年間に
観察された長崎原爆被爆者の腫瘍症例から,668例の重複がん症例
を抽出し検討したところ,被爆距離に反比例して重複がんの頻度が高
かった,②頻度の増加は昭和63年以降顕著となった,③若年被
爆者に重複がんの頻度は高かった,④重複がんは胃がんと大腸がん
の組み合わせが最も多かったとしている(甲A67・150頁)。
cJ97ら「長崎原爆生存者における多重原発癌の発症率:放射線被
爆との関連」
長崎大学医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設のJ97ら
は,多重原発がん発症率への原爆放射線被曝の影響を評価するため,
長崎原爆生存者における第二原発がん発症率と被爆距離との関連を解
析し,「長崎原爆生存者における多重原発癌の発症率:放射線被爆と
の関連」(以下「J97ら報告」という。)としてまとめ(甲A29
0,弁論の全趣旨・原告主張要約書68頁),平成20年に発表した。
J97ら報告は,①長崎原爆生存者における第二原発がん発症率
と被爆距離との関連を解析したところ,7572人のがん発症生存者
において,511人の多重原発がんが認められ,粗発症率は10万人
年につき27.6であった,②第二原発がん発症率は爆心地からの
距離が増加するのに従って有意に減少し,相対リスクは1kmにつき
0.89(95%信頼区間は0.84ないし0.94)であった,③
第二原発がんの到達年齢に基づいて被爆時年齢が高齢であるほど第二
原発がん発症率は減少することも認められ,相対リスクは1年につき
0.91(95%信頼区間は0.90ないし0.92)であった,④
これらの所見は,被爆が多重原発がん発症率に影響を及ぼしたことを
示唆する,⑤さらに,第一原発がんと比較すると,生存者における
第二原発がん発症率へのより強力な距離効果が示唆された,⑥この
研究は,生存者における多重原発がんへの原爆被爆の有意な影響を示
唆するものであるとしている(甲A290)。
(エ)J98の事例
J98は,昭和20年8月6日午前9時30分頃,広島市α35に到
着した後,爆心地から1.5kmの位置にあるJ35病院に行き,救援
活動に当たった。J98は,部下と共に,J35病院の池の水を沸騰さ
せて飲んだところ,同月8日,全員に下痢の症状が出て,活動不能とな
った。J98は,その後,広島市α11の実家にいる家族の救出に当た
ることになり,同月9日,下痢の体調で,爆心地を通過した。J98は,
体に紫斑が出て,頭髪や体毛が脱毛した(甲A276・5頁ないし8頁)。
(オ)九州大学第二外科が実施した胃液検査
九州大学第二外科は,昭和20年9月頃,被爆者40人を対象として
胃液検査を実施したところ,その際に確認された白血球数について,2
km以遠で被爆した21人の被爆者のうち10人に白血球数減少が認め
られた(甲A602・67頁ないし69頁)。
(カ)J87ら及びJ99の調査
九州帝国大学理学部のJ87らは,昭和20年10月1日,同月15
日,同月28日,その後連続して4回の調査を長崎市α47の住民に対
して行ったところ(甲A602の2の42・990頁),各年齢を通じ
て白血球数が増加の傾向を有した(甲A602の2の42・998頁)。
一方,九州大学医学部のJ99は,その後も継続調査を行い,白血球
数の増加が被爆後8箇月頃を頂点として1年半余りにわたり明瞭に認め
られ,一次放射線被曝量によって分けた各群間には差を認めず,また,
二次放射能の被曝推定線量の大小によっては明らかな差異を認め得なか
った。J99は,この特異な現象は,核分裂生成物からの体外,体内照
射による影響であると考察した(甲A602の2の20・614頁,6
15頁,625頁,626頁)。
(キ)J100病院「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」
昭和20年作成のJ100病院の「原子爆弾による広島戦災医学的調
査報告」は,①陸軍軍医学校は,同年8月8日から広島市において救
護及び調査活動に従事したが(乙B96・285頁),脱毛患者の発生
地域は,爆心から半径約1.03kmの地点以内の地域であった(乙B
96・340頁),②陸軍船舶練習部第○教育隊のJ101隊(同月
6日夕刻から爆心から0.3kmの地点にある広島市α18に露営し,
同月11日まで,爆心から1km以内で死体発掘その他の作業に服し
た。)や,J102隊(同月8日から,爆心から0.2kmないし1.
5kmの地点で宿営しつつ,同月11日夜半まで清掃作業を行った。)
等,広島原爆の投下後1週間以内に爆心地付近に入り,作業を行った兵
員について,白血球数等の検査を実施したところ,同年9月24日に白
血球数が3200であった一人を除き,全く異常を認めなかった(乙B
56・387頁,388頁),③同月15日から同月30日までの間,
J103分院外来において,広島市α35で被爆した後中心地で行動し
た市民20人に血液検査を実施したが,白血球減少者はおらず(乙B5
6・388頁),同年8月10日に広島に帰り,爆心から500mの地
点において各種作業を行った一人については,白血球数が少なかったも
のの,すぐに回復し,脱毛等の症状もなかったとしている(乙B56・
389頁)。
なお,半径約1.03kmは,半径約1.3kmの誤記である可能性
がある(乙B96・339頁,340頁)。
(ク)「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」
1946年(昭和21年)作成の「マンハッタン管区原子爆弾調査団
最終報告書」は,①爆心地から2.25kmないし4.25kmで被
爆した男女46人中8人に脱毛がみられ,2.25kmないし3.35
kmで被爆した41人中14人に皮下出血がみられた(乙B182),
②生存した症例のうち放射線に起因する症状や所見を示したものの多
くは,爆心から1kmないし1.5kmで被爆したことが明らかである
が,長崎においては4kmまでの距離の被爆者に放射線の影響がみられ
たことを示唆する日本側のデータがあるとしている(乙B183・10
6頁)。
(ケ)日米合同調査団の報告書
昭和26年作成の日米合同調査団の報告書は,長崎において,脱毛は,
爆心地から3.1kmないし4kmの地点で1.3%,爆心地から4.
1kmないし5kmの地点で0.4%であり,紫斑は,爆心地から3.
1kmないし4kmの地点で1.4%,爆心地から4.1kmないし5
kmの地点で0.4%であるとしている(甲A19・93頁)。また,
遮蔽の有無によっても差が生じている(甲A19)。
(コ)J104「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」
山口県立医学専門学校教授のJ104は,山口県立医学専門学校研究
治療班が昭和20年9月14日から約1週間剖検を行った13例を検討
し,「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」(以下「J104報告」
という。)としてまとめ(甲A276資料36・1244頁),昭和2
8年に発表した。
J104報告は,①11歳の女性は,爆心地から約3kmの地点に
おいて木造家屋の下敷きとなって,右足を骨折した,②被爆後10日
程元気であったが,その後,咽頭痛,点状出血及び発熱があり,脱毛は
なかったが,更に歯根の腫脹出血と食欲不振が出た(甲A276資料3
6・1253頁),③同女性の卵巣について,graaf氏瀘胞の変性が
あり,やや多数の原始瀘胞を認め,約二層の顆粒層及び著明な卵丘を有
する卵胞を認めるが,顆粒層は卵胞膜から剥離している(甲A276資
料36・1254頁),④リンパ濾胞は減少している(甲A276資
料36・1272頁),⑤大腿骨骨髄の肉眼的所見は,骨幹部はおお
むね黄色脂肪髄であるが,時に赤色味を帯びており,これは充血や出血
の結果であると思われる,⑥通常造血の行われている骨端部の骨髄で
は反対に稍黄色を帯びた赤色で水腫性であるとしている(甲A276資
料36・1274頁)。
(サ)J105ら「原子爆弾症の臨床的研究(1)」
昭和28年発表の九州大学医学部教授のJ105らの「原子爆弾症の
臨床的研究(1)」(以下「J105ら報告」という。)は,①原爆の爆
発当日遠隔地に在り,数時間後ないし翌日から爆心地に居住する者10
人中成人8人の白血球数は最低4400,最高8200で,1人を除い
ては5400以上を呈し,成人8人の平均は6350で全く正常値であ
った,②爆発当日長崎市又はその近郊にあり,数時間後から爆心地に
居住する者7人中成人6人の白血球数は最低3000,最高7320,
平均4600であり,6人中3人は3200以下で明らかに減少してい
た,③九大救護班員13人についての成績は最低5200,最高82
00,平均6440で全く正常値であった(乙B58・1055頁),
④この成績からみて,原爆に直接被爆しなければ,現地に居住しても,
残存放射能によって大した障害を起こすものではなく,爆心地滞在によ
って少なくとも爆発1箇月後において,人体に影響が認められることを
証明することはできなかった(乙B58・1055,1056頁),⑤
救護班員として現地に滞在した後に,疲労感あるいは下痢を訴えた者が
あり,これを残存放射能の作用に帰し,また,白血球が減少したと危惧
した者もあったが,このような者らを再検査したところ正常であり,当
時の長崎市における食糧,宿舎及び仕事の量等を想起する時,むしろ,
かかる訴えは疲労,不摂生等によって起こったり,また,神経性で起こ
ったりしたものもあったと考えられるとしている(乙B58・1056
頁)。
(シ)J106ら「長崎市における原子爆弾による人体被害の調査」
昭和28年発表の九州帝国大学医学部教授のJ106らの「長崎市に
おける原子爆弾による人体被害の調査」(以下「J106ら報告」とい
う。)は,①爆心地から1000mないし1500mにあったJ10
7の従業員110人について,昭和20年9月10日及び同月11日に
白血球数の集団検診を行ったところ,33人が4000以下であった(乙
B59・949頁,950頁),②原爆の爆発当日に遠隔地にいて原
爆の直撃を受けず,その直後又は数日中に同工場に駆け付け同月10日
まで約1箇月間救護その他に当たった17人については,一人として白
血球数4000以下の者はいなかった(乙B59・954頁,956頁),
③爆心地並びにその付近の土地は人体に傷害を及ぼす程の残留放射能
を有していないとしている(乙B59・978頁)。
(ス)J108「医学の立場から見た原子爆弾の災害」
昭和29年発表の東京大学名誉教授のJ108の「医学の立場から見
た原子爆弾の災害」(以下「J108報告」という。)は,①原子爆
弾に遭った者らがその後何年か経た後に訴える特徴のない諸症状を一括
して「慢性原子爆弾症」と呼ぶ,②これは,主として,第一次放射能
の傷害により,身体の諸臓器にそれぞれある程度の影響を被ったものの,
その程度が軽かったために,中度以下の放射線病にかかったが,回復し,
又は,放射線病の症状は示さなかったが,いわゆる潜在性放射線病者と
して経過した者らで,それぞれの業務を営んではいるが,常に疲れやす
いことを訴え,業務に対する興味ないし意欲が少なく,しばしば感冒や
胃腸障害,特に下痢に悩んでいる者らのことをいい,健康者と病者との
中間に位置する(甲A41文献3・83頁),③慢性原子爆弾症の診
断は,㋐被爆当時,どのくらいの第一次放射能の傷害を受けたか,㋑
急性放射線病の症状を発したか,発症した場合には,その程度はどうで
あったか,㋒被爆直後1箇月ないし2箇月の間に第二次放射能の影響
を受ける機会が濃厚であったかから判断するほかない(甲A41文献
3・84頁),④以上の3点を調べて,相当の放射能傷害を被ってい
る疑いが濃厚である者が,後になって明らかに他の疾患又は状態で惹起
されたと考えられないような訴えがあったら,ひとまず慢性原子爆弾症
ではないかと判断するのが妥当ではないかとしている(甲A41文献
3・85頁)。
(セ)J109「原爆残留放射能障碍の統計的観察」
広島市α36のJ109は,広島市内の一定地区(爆心地から2km
ないし7km)に住む被爆生存者3946人について,被爆条件,急性
原爆症の有無及び程度,被爆後3箇月間の行動等を各個人ごとに調査し,
「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(以下「J109報告」という。)
としてまとめ(甲A20・21頁,22頁),昭和32年に発表した。
J109報告は,①原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場
合,㋐有症率は20.2%を示し,被爆距離別の有症率は被爆距離と
反比例し,被爆距離が短いほど高率であった,㋑急性原爆症の各症候
の発現率も被爆距離が短いほど高く,それが長いほど低率になっており,
その低下の具合はかなり整然としている,②原爆直後中心地に出入り
した屋内被爆者の場合,㋐有症率は36.5%を示し,被爆距離別の
有症率は被爆距離の延長に従って低率を示さなかった,㋑急性原爆症
の各症候の距離別発現率も被爆距離に反比例して整然と低下はしていな
い,③原爆直後中心地に入らなかった屋外被爆者の場合,㋐有症率
は44%を示し,屋内被爆者よりも高率であり,被爆距離別有症率は,
被爆距離に反比例して低下している,㋑急性原爆症の各症状の発現率
も被爆距離に反比例している,④原爆直後中心地に出入りした屋外被
爆者の場合,有症率は51%であり,被爆距離別有症率がその距離に反
比例して低率を示さなかった(甲A20・22頁,23頁),⑤原爆
直後入市した非被爆者の場合,㋐原爆直後から20日以内に中心地に
出入りした者に有症率が高く,1箇月後に中心地に入った者の有症率は
極めて低かった,㋑中心地滞在時間が4時間以下の場合は有症者が少
なく,10時間以上の場合は有症率が高いとしている(甲A20・23
頁,24頁)。
J69は,J109報告の急性原爆症の発症率を図にまとめていると
ころ,同図によれば,「屋外被爆,中心地出入りなし」,「屋内被爆,
中心地出入りあり」,「屋内被爆,中心地出入りなし」,「屋外被爆,
中心地出入りあり」のいずれも,爆心地からの距離が離れるにつれ,お
おむね急性症状の発症率が減少してきてはいるが,中心地に出入りした
被爆者は,4km以遠においても20%以上の有症率となっており,ま
た,中心地出入りなしの3km以遠で,屋外被爆が屋内被爆に比較して
有症率が増加している(甲A48・図15)。
(ソ)厚生省公衆衛生局「原子爆弾被爆者実態調査」
厚生省公衆衛生局は,昭和40年における被爆者の状況について実態
調査を実施し,「原子爆弾被爆者実態調査」(以下「実態調査」という。)
としてまとめ(甲A276資料30・1頁),昭和42年に発表した。
実態調査は,「病気にかかりやすい」,「体力がない」,「原爆ぶら
ぶら病」などの言葉はしばしば耳にするところであり,これらには一面
心理的要因が働いていることも想像されるが,調査の結果は,これらの
事実を肯定する資料も否定する資料も得ることはできなかったとしてい
る(甲A276資料30・46頁)。
(タ)α25地区の白血病及び甲状腺結節発症例
白血病の発生率は,10万人に約6人であるところ,長崎のα25地
区の人口約600人中,昭和45年までに慢性骨髄性白血病が2例発生
した(甲A602・52頁,53頁)。
また,平成元年,原爆投下後10年以上α25地区に居住している住
民247人のうち184人に甲状腺の超音波断層検査が行われ,9人に
甲状腺結節が見つかった。対照として行った非被爆者では,甲状腺結節
は,368人中3人であった(甲A602・53頁)。
(チ)J110ら「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄録)」
長崎医科大学教授のJ110らは,昭和20年10月から同年12月
までの3箇月長崎の各地区を訪問し,調査票を基にした聴取りにより,
各地区ごとの罹災状況を調査し,爆心からの距離と死亡率との関係等に
ついて統計的観察を試み,「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(抄
録)」(以下「J110ら報告という。」)としてまとめ(甲A602・
59頁,甲A602の2の52資料2・1頁),昭和57年に発表した。
J110ら報告は,①発熱,下痢,出血傾向及び脱毛について,い
ずれの症状も爆心地からの距離が遠くなるほど発現率が低くなる距離依
存性を示し,4kmを超えても0とはならない(甲A602・61頁,
甲A602の2の52資料2・69頁,75頁,80頁,87頁),②
下痢について,4kmを超えても0とならない理由は,普通の健康人で
も夏季中に1回くらい下痢をすることがあり,これも統計の中に入って
いるものと思われる(甲A602の2の52資料2・69頁),③発
熱について,生存者の頻度が4kmを超えても0とならないのは,他の
原因に基づくものが算入されたものと想像されるとしている(甲A60
2の2の52資料2・75頁)。
なお,J110は,脱毛について,調査時期が秋であり,自然脱毛も
統計の中に入っていると思われるとしている(甲A602の2の52・
86頁)。
(ツ)J111協議会「J111「原爆被害者調査」第1次報告」
昭和61年発表のJ111協議会の「J111「原爆被害者調査」第
1次報告」(以下「J111報告」という。)は,①いわゆる「原爆
ぶらぶら病」については,「あった」と答えた被爆者は60.5%,「な
し」と答えた被爆者は21.4%であった,②「被爆したために健康
状態が変わった」と答えた被爆者は,「すっかり」と「すこし」を合わ
せると43.4%であった,③現在の体調について,「病がち」と答
えた被爆者は44.7%,「元気」と答えた被爆者は4.3%であった,
④入通院しているか「仕事を休んでいる」と答えた被爆者は76.3%
であったとしている(甲A52の2・4頁)。
(テ)J112「ヒロシマ残留放射能の四十二年」
昭和63年発表のJ112の「ヒロシマ残留放射能の四十二年」は,
入市被爆者に生じたとされる急性症状に関する専門家の見解を次のとお
りであるとしている。
すなわち,J113大学教授(乙B101・178頁)のJ114は,
①細胞はいろいろな条件で死ぬものであり,脱毛を放射線に結びつけ
ることはない,②被曝はほとんどしていないかもしれないが,極限状
態で重労働をして,多数の死体を片付けるといったことをしており,過
度に働いたための疲れや精神的なストレスが脱毛の形で出ていると考え
られ,いろいろな程度や形の脱毛があっても不思議ではないとし(乙B
101・188頁),J115病院院長(乙B101・178頁)のJ
116は,①広島原爆及び長崎原爆は空中爆発であり,地表爆発であ
るビキニ核実験と比べてフォールアウトの量が桁違いに低く,ほとんど
誘導放射能だけであった,②広島及び長崎において,後々まで健康を
害するほどの影響を受けた者は少ないと考えてよいとし(乙B101・
189頁,190頁),放射線医学総合研究所(乙B101・178頁)
のJ117は,局所的に降った土を頭から被ったか,そのような土が混
じった水を被ったということで,ベータ線を入れれば,皮膚線量が10
0ラド(1グレイ)を超えた可能性もあると思われ,いずれにしても脱
毛を起こした原因として考えられるベータ線の問題やこれらを含む内部
被曝の問題をもっと細かくみていかなければならないとしている(乙B
101・188頁)。
(ト)J117「賀北部隊J118中隊の被曝線量の物理的計算」
昭和63年発表の放射線医学総合研究所のJ117の「賀北部隊J1
18中隊の被曝線量の物理的計算」(以下「J117報告」という。)
は,①DS86のデータから計算した中性子誘導放射能は,先発隊が
11.8ラド(0.118グレイ),第一小隊が3.4ラド(0.03
4グレイ),原子雲(フォールアウト)は,先発隊が0.08ラド(0.
0008グレイ),第一小隊が0.04ラド(0.0004グレイ),
衝撃塵(フォールアウト)は,先発隊が0.02ラド(0.0002グ
レイ),第一小隊が0.01ラド(0.0001グレイ),火災煙(フ
ォールアウト)は,先発隊が0.1ラド(0.001グレイ),第一小
隊が0.04ラド(0.0004グレイ)である,②先発隊,第一小
隊ともに内部被曝線量はいずれも約1.14マイクロラド(約0.00
00000114グレイ)と推定される,③この値は,土壌のナトリ
ウム24のみを考えており,実際の線量を過小評価している,④今後,
放射性降下物による被曝線量について検討する必要があり,その結果に
よっては,その被曝線量は修正されると思われるとしている(乙B19
6・222頁)。
なお,賀北部隊J118中隊は,広島県賀茂郡在住の部隊であり,昭
和20年8月7日に広島市内に入市し,西練兵場付近で救護活動などの
作業に4日間ないし7日間滞在して従事しており,入市被爆者の中で最
も多く被曝していると考えられるともされている(乙B199・238
頁)。
(ナ)J119ら「賀北部隊J118中隊の疫学的調査」
放影研のJ119らは,昭和62年に賀北部隊J118中隊99人を
対象に疫学調査を行い,「賀北部隊J118中隊の疫学的調査」(以下
「J119ら報告」という。)としてまとめ,昭和63年に発表した。
なお,調査方法は,アンケート形式であり,面会による聴取りを原則と
し,会うことができない場合は電話による聴取りを行い,死亡者につい
ては可能な限り近親者の答申を得るようにして行われた(乙B196・
226頁)。
J119ら報告は,①急性放射線症状としては,頭髪の脱毛,歯根
出血,皮膚の点状出血,口内炎,嘔吐,下痢などの胃腸障害などが典型
的なものであるところ,42年前の記憶を基に,面接又は電話による応
答でこのような急性放射線症状があったと答えた者は32人いた,②
下痢,歯根出血,口内炎などは被爆直後の栄養障害や過酷な肉体労働,
精神的ストレスを受けたことを考えれば,放射線に直接起因するもので
はなく,これらの異常環境要因で起きたことも充分に考えられることか
ら,症状の重症度(脱毛を例にとると,脱毛の範囲が頭髪の3分の2以
上,3分の2ないし4分の1,4分の1以下に分けている。),経過期
間などにより,それぞれ確実なものと不確実なものとに分けた,③ほ
ぼ確実な急性放射線症状があったと思われるものは,脱毛6人(うち3
分の2以上頭髪が抜けた者が3人),歯根出血5人,口内炎1人及び白
血球減少症2人であり,このうち2人は脱毛と歯根出血の両症状が現れ
ていた,④今回の調査対象者のような低線量被曝者では急性放射線症
状は現れないか,現れたとしても頻度は非常に小さい,⑤はっきりと
急性症状を示した者は数人みられたが,同様の症状は,放射線以外の栄
養障害や種々のストレスによっても起こると考えられるので,急性放射
線症状の頻度をここで問題にすることは適当ではなく,むしろ,このよ
うな低い推定線量(最大約12ラド(約0.12グレイ),全隊員平均
約1.3ラド(約0.013グレイ))の放射線に被曝したにもかかわ
らず,急性放射線症状を現したものがいる(らしい)という事実に注目
すべきである(乙B196・230頁,231頁),⑥もし,放射線
による急性症状とすれば,前述の特殊環境下における人体の放射線に対
する抵抗性の低下によることも考えられるし,また,飲食物による内部
被曝の影響の可能性も否定し切れない(ただし,フォールアウトによる
被曝線量はほとんど無視することができることが今回の調査で明らかに
なった。)としている(乙B196・232頁)。なお,J119ら報
告は,①死亡追跡調査について,42年間の総死亡率は99分の27
(27.3%)であり,日本全国の生命表の平均死亡率と差異は認めら
れなかった,②がんで死亡したと判断されたのは6人,その割合は2
7分の6(22.2%)であり,日本全国の死亡統計の28.7%とほ
とんど変わりはみられない,③調査対象者の被曝後42年間の死亡率
は日本全国の年平均死亡率とほとんど変わらなかったと結論付けること
ができる(乙B196・229頁,230頁)ともしている。
(ニ)J83「賀北部隊J118中隊における残留放射能被曝線量の推定
-染色体異常率を基にして-」
広島大学原爆放射能医学研究所のJ83は,昭和20年8月7日から
7日間,西練兵場付近で救護活動に従事し,調査当時広島県賀茂郡在住
の賀北部隊J118中隊員28人と,同年齢で同一地域(広島県賀茂郡)
に在住する10人(対照者)について,数回の個人面接を行い,広島市
内への入市日,行動経路,作業内容,当日の服装,帰省後の身体状況,
その後の体調,医療用放射線被曝の回数とその内容などを聴き取り,末
梢血10mlを採血して染色体分析を行い,「賀北部隊J118中隊に
おける残留放射能被曝線量の推定-染色体異常率を基にして-」(以下
「J83報告」という。)としてまとめ(乙B196・236頁),昭
和63年に発表した。なお,賀北部隊J118中隊員28人とその対照
者10人について,全員染色体標本の作製が可能であったが,面接調査
で判明した10回以上の胃,十二指腸透視をしている者や腰痛障害によ
って頻回のレントゲン線照射を受けている者26人(賀北部隊J118
中隊員18人及び対照者8人)は,当時受けた残留放射線とそれ以後受
けた医療用放射線の両方の影響が考えられるため対象外とされた(乙B
196・236頁)。
J83報告は,①賀北部隊J118中隊員の染色体異常率は非常に
少なく,不安定型細胞と安定型細胞を合計しても最低500観察細胞中
1細胞の者から18細胞の者しか認められなかった,②放射線により
傷つけられた染色体部位数(ヒット)は,1ないし36に分布していた,
③これらの資料により,既に求められている染色体異常数に基づく被
曝線量の推定式に当てはめてみると,5例が6ラド(0.06グレイ)
以上(13ラド(0.13グレイ)が1例,10ラド(0.1グレイ)
が3例及び6ラド(0.06グレイ)が1例)の被曝線量と推定され,
残りの5例は1ラド(0.01グレイ)未満であった,④対照群では,
いずれも2ラド(0.02グレイ)以下の被曝線量と推定された,⑤賀
北部隊J118中隊の入市被爆者の被曝線量はせいぜい10ラド(0.
1グレイ)前後と考えられたとしている(乙B196・236頁,23
7頁)。
(ヌ)J120ら「重度の脱毛に関する資料を用いての原爆放射線被曝線
量推定方式DS86の解析」
放影研のJ120らは,放射線被曝急性効果としての重度の脱毛に関
する広島及び長崎の資料を,DS86及びT65Dにより再解析し,「重
度の脱毛に関する資料を用いての原爆放射線被曝線量推定方式DS86
の解析」(以下「J120ら報告」という。)としてまとめ(乙B93・
1頁),平成元年に発表した。
J120ら報告は,脱毛の訴え率は,75ラド(0.75グレイ)辺
りから線量に伴って著しく増大し,250ラド(2.5グレイ)辺りか
ら横ばいとなり,最後には低下傾向を示すという非線形性を示したとし
ている(乙B93・1頁,6頁)。なお,この脱毛発症率は,医学的に
脱毛の診断を受けた者ではなく,記憶に基づいて重度脱毛を訴えた被爆
者の値を純粋プロットしたものであり,バックグラウンド発症頻度を差
し引く作業等は行われていない(乙B93・7頁,乙B94,弁論の全
趣旨・被告準備書面(4)42頁)。
(ネ)「原爆放射線の人体影響1992」
平成4年発表の「原爆放射線の人体影響1992」は,①賀北部隊
J118中隊員20人と原爆投下直後から3日以内に爆心地付近に入っ
た者20人を対象とし,長期入市滞在者(賀北部隊J118中隊員)1
0人(A群),長期入市滞在者で医療被曝の多い者(賀北部隊J118
中隊員)10人(B群),短期入市滞在者6人(C群)及び短期入市滞
在者で医療被曝の多い者14人(D群)の4群に区分し,染色体分析を
行ったところ,推定線量は,A群が1ラド(0.01グレイ)以下ない
し13.5ラド(0.135グレイ)で平均4.8ラド(0.048グ
レイ),B群が1ラド(0.01グレイ)以下ないし71.2ラド(0.
712グレイ)で平均13.9ラド(0.139グレイ),C群が1ラ
ド(0.01グレイ)以下,D群が1ラド(0.01グレイ)以下ない
し21.2ラド(0.212グレイ)で平均1.9ラド(0.019グ
レイ)であった(甲A37・238頁ないし240頁),②滞在期間
の差が染色体異常に反映された,③同じ群の中でもばらつきが大きい
が,これらの成績を単純に考えると長期滞在者の原爆放射能は4.8ラ
ド(0.048グレイ)以下で,短期滞在者のそれは1ラド(0.01
グレイ)以下となり,長期滞在者は短期滞在者と比べて3.8ラド(0.
038グレイ)ほど多く原爆放射能を受けたことになるとしている(甲
A37・241頁)。
(ノ)J121ら「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離の関係」
放影研のJ121らは,放影研で行っている寿命調査(LSS)対象
者について集められたデータに基づいて脱毛と爆心地からの距離との関
係を検討し,「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離の関係」(以
下「J121ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A91・251
頁),平成10年に発表した。
J121ら第1報告は,①爆心地から2km以内での脱毛の頻度は
爆心に近いほど高く,爆心地からの距離とともに急速に減少し,2km
から3kmにかけて緩やかに減少し(3%前後),3km以遠でも少し
は症状が認められているが(約1%),ほとんど距離とは独立である,
②脱毛の程度についてみると,遠距離にみられる脱毛はほとんど全て
が軽度であったが,2km以内では重度の脱毛の割合が高く,このよう
なパターンを総合すると,3km以遠の脱毛が放射線以外の要因,例え
ば被爆によるストレスや食糧事情などを反映しているのかもしれず,特
に低線量域では,脱毛と放射線との関係について論ずる場合や脱毛のデ
ータから原爆被曝線量の妥当性について論ずる場合には注意を要すると
思われる,③遠距離の脱毛が放射線以外の要因を反映しているのかも
しれないことが示唆されたとしている(甲A91・251頁・252頁)。
(ハ)J122ら「SCID-huMiceにおけるヒトの毛嚢の放射線感受
性」
放影研のJ122らは,重症免疫不全の22匹のマウスに対して5体
のヒトの胎児から採取した頭皮組織を移植し,移植の約5箇月後,1グ
レイ未満から6グレイまでの範囲で放射線を照射し,前後で約100本
の毛髪のうち何本が抜けるかを測定してヒトの毛嚢の機能に対する放射
線照射の効果を評価し,「SCID-huMiceにおけるヒトの毛嚢の放
射線感受性」(以下「J122ら報告」という。)としてまとめ(甲A
78資料4の1,甲A78資料4の2,乙B95),平成10年に発表
した。
J122ら報告は,①放射線照射後第1週目には抜けた髪はなかっ
た,②6グレイを照射された移植片でさえも同様の結果であったが,
基質の不活性化により毛球が明らかに縮小し,脂肪層における毛嚢の深
さは浅くなった,③放射線照射後第2週目には,2グレイ以上の大量
照射群において脱毛が観察され始めた,④放射線照射後第3週目には,
照射前の毛髪数と比較することにより脱毛率が計測され,1グレイまで
は脱毛は観察されず,2グレイないし3グレイ以降で脱毛率が急激に上
昇することが分かった,⑤3グレイ以上では半分以上の毛髪が脱落し,
4.5グレイないし6グレイの照射では10%に満たない毛髪しか残ら
なかった,⑥放射線照射後第5週目には,6グレイが照射された皮膚
移植片においても,毛嚢の一部が再生し始め,黒髪が生え始めた,⑦放
射線照射後第9週目には,6グレイを照射後再生した毛嚢も組織学的に
正常の毛嚢と異なるところはなく,1グレイ又は2グレイでは毛髪数は
ほぼ回復した,⑧放射線照射後第22週目にも,3グレイ及び6グレ
イでも,それぞれ7%,33%の毛髪が再成長しなかったとしている(乙
B95・2枚目)。
(ヒ)J123ら「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」
長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設のJ123らは,長崎の
被爆者3000人を対象に急性症状の頻度等の解析を行い,「長崎原爆
における被爆距離別の急性症状に関する研究」(以下「J123ら第1
報告」という。)としてまとめ(甲A107・247頁),平成10年
に発表した。
J123ら第1報告は,①脱毛の程度について,近距離ほど中等度,
重度の割合が多くなっている(甲A107・248頁),②2km以
遠の脱毛について,放射線を要因とするものか否かを判断するためには
更に詳細な調査が必要であるとしている(甲A107・250頁)。
(フ)J123ら「被爆状況別の急性症状に関する研究」
長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設のJ123らは,爆心地
からの距離が4km未満の1万2905人(男性5316人及び女性7
589人)を対象に,脱毛の発症頻度等を調査し,「被爆状況別の急性
症状に関する研究」(以下「J123ら第2報告」という。)としてま
とめ(甲A106・256頁),平成12年に発表した。
J123ら第2報告は,①脱毛の頻度について,爆心地から2km
以遠においても遮蔽の有無で明らかな差がみられ,脱毛の程度について,
爆心地から2km以遠においても被爆距離との相関がみられた,②た
だし,これらのことから直ちに要因が放射線であると判断することはで
きず,放射線との因果関係を調査するためには染色体分析調査などによ
り,個人レベルで放射線を受けたことを確認する調査を行う必要がある
としている(甲A106・257頁)。
(ヘ)J124の証人調書
平成16年作成の被爆後爆心地から約6kmの地点にある広島県安芸
郡α48村で診療に当たっていた医師のJ124の証人調書(以下「J
124調書」という。)は,1週間後に広島に入り,夫を探して1週間
歩いた後,広島県安芸郡α48村を訪れた松江の女性が,J124の診
察を受けた時の状況について,当初風邪と思って診察したが,同女性の
胸元に紫色の斑点が出ており,その後,二,三週間経ってから吐血をし
て,脱毛して死亡したとしている(甲A36の1・1頁,13頁ないし
15頁,81頁)。
(ホ)J125ら「J126高等女学校の入市被爆者についての調査報告
書」
平成18年作成の弁護士J125らの「J126高等女学校の入市被
爆者についての調査報告書」(以下「J125ら報告」という。)は,
①広島県立J126高等女学校から派遣された被爆者救護隊の一員と
して,昭和20年8月19日から同月25日までの間,広島市の爆心地
から350mの地点にあるJ127国民学校において,1週間の救護活
動に従事した救護隊二十数人のうち氏名等が判明したのは,死没者13
人,生存者10人の23人であった(甲A187・1頁,2頁),②平
成17年12月31日現在の生存者の年齢はおおよそ76歳であるとこ
ろ,平成16年簡易生命表によると,女性10万人の出生に対して76
歳の生存者数は8万3711人となっており,上記救護隊の生存者の割
合(10人÷23人=43%)は,上記簡易生命表における生存者の割
合(8万3711人÷10万人=83.7%)に比べ,非常に低い(甲
A187・9頁),③生存者について,ほとんど全員(10人中6人)
に急性症状をみることができたとしている(甲A187・10頁)。
(マ)J123ら「長崎原爆被爆者の急性症状に関する情報の確かさ」
平成18年発表の長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害
医療研究施設のJ123らの「長崎原爆被爆者の急性症状に関する情報
の確かさ」(以下「J123ら第3報告」という。)は,①被爆直後
の調査と被爆から15年ないし20年後の調査について両方の回答をし
ていた627人を対象に急性症状の有無に関する回答の一致率について
検討したところ,前者の調査を基準とした場合は脱毛と皮下出血の一致
率が高く,後者の調査を基準とした場合は下痢と嘔吐の一致率が高かっ
たが,いずれの場合も高い一致率を示したものはなく,回答は安定して
いなかった,②爆心地から2km以上の地点では,嘔吐,脱毛及び歯
茎出血の一致率が低かった(乙B60・228頁),③カッパ係数は
最大のものでも皮下出血の0.46であったとしている(乙B60・2
27頁)。なお,カッパ係数(カッパ統計量)は,1に近づくほど一致
率が高く,1になった場合は「完全な一致」,0.75超から1の間に
あれば「極めてよく一致」,0.4から0.75の間にあれば「比較的
よく一致」,0から0.4未満の間にあれば「一致性に問題あり」とさ
れている(乙B61・76頁)。
(ミ)J83ら「フォールアウトによると思われる3重癌と3つの放射線
関連疾患を持つ1症例」
平成20年発表の広島大学名誉教授のJ83らの「フォールアウトに
よると思われる3重癌と3つの放射線関連疾患を持つ1症例」(以下「J
83ら第2報告」という。)は,①爆心地から4.1kmの地点にあ
る広島市α33の29歳の女性は,被爆時,同町の藁葺き小屋内におり,
産後で動けないため,親戚から届けられた食物と小屋近くの畑にあった
野菜などを食べ,井戸の水を飲んで2週間を過ごし,その後,広島市α
29(広島のα32地区の隣町)の自宅に帰った,②同女性は,60
歳頃から骨粗しょう症となり,68歳の時に卵巣のう腫摘出手術を受け,
82歳の時に肺がんと胃がんの手術を,83歳の時に残胃がんの手術を,
84歳の時に大腸がんの手術をそれぞれ受けた,③組織型は,肺がん
が中分化型腺がん,胃がんが低分化型腺がん,大腸がんが高分化ないし
中分化型管状腺がんであった(乙B67・335頁),④同女性は,
87歳の時に甲状腺機能低下症となった(乙B67・336頁),⑤染
色体検査において,二動原体染色体,環状染色体,転座染色体,微小染
色体など染色体型異常が1142分裂細胞観察中25個(2.19%)
にみられ,特に二動原体染色体2個と環状染色体3個(計5個,出現率
0.44%)はそれぞれ断片を伴っており,被曝後間もない分裂細胞で
あることが想定された,⑥日本人60歳以上の正常人での染色体型異
常出現率の平均値が0.4%(二動原体染色体と環状染色体の和の出現
率が0.14%)と観察されており,同女性の値はかなり高率な出現で
あると考えることができるとしている(乙B67・338頁,339頁)。
(ム)J128「被爆地の一角から」
平成20年発表の元長崎大学学長で病理学を専門とするJ128の
「被爆地の一角から」(以下「J128エッセー」という。)は,昭和
20年8月10日午前5時頃,医師の兄と二人で佐賀から道ノ尾駅にた
どり着き,長崎で10日ほど救援活動に当たっていたところ,兄に急に
脱力や嘔吐,脱毛,鼻出血や皮下出血の症状が現れ,一時は生命も危ぶ
まれるほどの状態であったとしている(甲A286の1)。
(メ)J129ら「入市被爆者の亜致死的放射線急性症状」
J130病院のJ129らは,米国国立公文書館において確認された
医学専門学校の医学生の手記に基づいて入市被曝線量を推定し,「入市
被爆者の亜致死的放射線急性症状」(以下「J129ら報告」という。)
としてまとめ(甲A614の16・331頁),平成24年に発表した。
J129ら報告は,①同医学生は,昭和20年8月8日,広島市内
に入市し,親族の捜索の後,同月10日から,爆心地から0.3kmの
地点にあるJ127国民学校において救護や遺体の処理に従事したとこ
ろ,そのうちに吐き気,頭痛などの体調の変化が生じ,同月15日に意
識を喪失したため,郷里の父の医院に戻って治療を受けた,②臨床経
過中において,高熱,唾液腺痛,点状出血斑,更には歯茎の化膿,喉頭
壊死などの口腔症状が出現した,③救護活動後間もなく発症した同医
学生の一連の症状を急性放射線症候群とみれば,2グレイないし5グレ
イ相当の症状と理解することができる(甲A614の16・332頁),
④土壌の構成元素に限定した誘導放射線で残留放射線被曝量を推定す
るならば,同医学生が崩壊建造物に近接し,高線量被爆者の介護に当た
り,遺体を焼いたときの粉塵に当たる等の実際の行為に関わる外部被曝
及び内部被曝が看過されることになる,⑤土壌以外の誘導放射線の外
部被曝及び内部被曝の問題が残されているとの指摘もあるとおり,入市
被爆者の線量評価はより根本的な訂正が求められているといわざるを得
ないとしている(甲A614の16・333頁)。
(モ)「広島・長崎における原子爆弾の影響」
J131の記録映画である「広島・長崎における原子爆弾の影響」は,
広島市α49の自宅の2階で被爆した姉弟の事例を紹介しているとこ
ろ,同姉弟は,その外見にほとんど外傷が観察されないにもかかわらず,
脱毛が生じている(甲A602・56頁)。
(ヤ)J86の意見
J86は,①ABCCのJ132とオークリッジ国立研究所のJ1
33が,昭和47年,広島で爆心地から1600m以遠で被爆し,黒い
雨を浴びた236人について,放射線被曝による急性症状の発現率を分
析したところ,黒い雨を浴びた群では発熱が13.56%,下痢が16.
53%,脱毛が68.64%であり,高率に急性症状が認められた(甲
A615の1・1頁),②J132らの分析結果について,対象者が
236人と少なく,コンピュータリストにも不備があったことから正確
な結論を導き出すことができなかったため,放影研から提供を受けた資
料を基にJ132らの解析と同じ手法を用い,黒い雨の人体影響に関す
る再検証を行った(甲A615の1・6頁),③爆心地から1600
mないし2000mの地点の群の脱毛率は8.8%,爆心地から200
0mを超える地点の群の脱毛率は1.7%であり,有意な差がみられた
(甲A615の1・9頁),④2000mを境にストレスや栄養失調,
殺鼠剤等の薬物への曝露に違いがあるとは考えられない,⑤DS86
によれば,広島の初期放射線は,爆心地から1600mの地点で330
ミリグレイ(0.33グレイ),爆心地から2000mの地点で70ミ
リグレイ(0.07グレイ)であり,初期放射線の影響だけで説明する
ことはできず,残留放射線の影響によるものと考えるのが合理的である
としている(甲A615の1・10頁)。
ウ検討
(ア)遠距離被爆者に生じた症状について
a遠距離被爆者に生じた症状については,「原子爆弾による広島戦災
医学的調査報告」が,脱毛患者の発生地域は爆心から半径1km程度
の地点以内の地域であり,比較的近距離にのみ脱毛が発生したとし,
J121ら第1報告が,遠距離の脱毛が放射線以外の要因を反映して
いる可能性があることが示唆されたとするなど,原爆放射線による被
曝との関連性を否定する報告も存在する。
bしかしながら,J109報告は,爆心地からの距離が離れるにつれ,
おおむね急性症状の発症率が減少しており,中心地出入りなしの3k
m以遠で,屋外被爆が屋内被爆に比較して有症率が増加しているとし
ている。
同様に,「マンハッタン管区原子爆弾調査団最終報告書」や日米合
同調査団の報告書,J110ら報告,J123ら第1報告及びJ12
3ら第2報告も,被爆距離に応じて脱毛の症状の発生率等が減少する
が,2kmないし3km以遠においても症状が発生したとしているも
のである。
これらの報告の中には,自らの報告内容の正確性に一定の疑義を呈
しているものもあるが(J123ら第3報告等),これだけの報告が
遠距離被爆者における脱毛等の症状を報告し,しかも,おおむね爆心
地からの距離が離れるに従って,症状が減少していく傾向を示し,遮
蔽の有無によっても差が生じているなどとしている事実は重視すべき
である。
c個別の具体的な症例についてみても,「広島・長崎における原子爆
弾の影響」では,広島市α49で被爆した姉弟に脱毛が生じている。
同姉弟の被爆地点については,爆心地から約1kmであるとする文献
もある(乙B193,乙B194)。しかしながら,仮に爆心地から
約1kmであるとすれば,かなりの近距離被爆であるというべきとこ
ろ,このような近距離被爆であることは,同姉弟の外見にほとんど外
傷が観察されていないことと整合しないものというべきである。むし
ろ,記録映画のプロデューサーであるJ134の製作ノートは,同姉
弟の被爆地点については,爆心から西南2kmであるとしている(甲
A651・3枚目)ところ,その距離は,同姉弟の外見とも整合する
ものであり,同姉弟は,爆心地から2kmの地点で被爆したものと認
めるのが相当である。
J104報告は,爆心地から約3kmの地点において被爆した11
歳の女性について,卵巣や大腿骨骨髄等に変性がみられたとし,特に,
大腿骨骨髄の肉眼的所見は,骨幹部はおおむね黄色脂肪髄であるが,
時に赤色味を帯びており,通常造血の行われている骨端部の骨髄では
反対に稍黄色を帯びた赤色で水腫性であるなどとしている。この点,
J129は,放射線の障害性は物理的エネルギーの付与(障害)とし
て対象(臓器及び細胞)を制限しないのに対し,血液疾患,栄養障害,
感染症等の障害性はそれぞれ特有の関わり方をし,放射線のような臓
器(細胞)無差別的な障害性を持っていないとして(甲A301の1・
9頁),放射線の障害とそれ以外とは明確に区別することができると
しているところ,J104報告は,骨端部の黄色脂肪髄の変化につい
ては「赤色で水腫様である」としており,他原因による骨髄障害との
差異があるとしているのであって(甲A301の1・12頁,13頁),
J104報告も,残留放射線の影響が遠距離被爆者に及んでいること
を示唆するものである。
dJ95講演を始めとする放射線被曝と多重がんとの関連についての
報告は,放射線被曝と多重がんとの因果関係を強く推測させるもので
ある。多重がんの発症自体は被爆者固有のものではないということが
できるとしても(乙B69・2枚目),原爆による外部被曝が全身被
曝であり,全身の細胞に影響を与えるものであることから,被爆者に
多重がんが発生していることは,被爆者の放射線量が相当程度に上る
ことの徴表の一つであるというべきである。そうすると,J83ら第
2報告の多重がんの事例は,遠距離被爆者について多量の残留放射線
の影響を受けたことを示唆する重要な事実であるというべきである。
確かに,J83ら第2報告については,同女性について,転座染色体
に着目すると,その頻度は1142分裂細胞中7個であり,出現率は,
約0.61%となり(乙B67・337頁),70歳以上の者の出現
率が平均約1.07%であることや(乙B73の1,乙B73の2・
2枚目),92歳の者の出現率が2.31%であることと比べると(乙
B75の1・5枚目,乙B75の2・2枚目,弁論の全趣旨・被告準
備書面(21)60頁)むしろ低くなっているという事実があるものの,
全体としてみれば,同女性の染色体型異常出現率の値はかなり高率で
あるというべきである。この点,J72も,J83ら第2報告につい
て,同女性の染色体型異常出現率が原爆の影響であることを否定まで
はしていないものである(乙B22の2・132項)。
eそして,九州大学第二外科が実施した胃液検査やJ87ら及びJ9
9の調査にみられるように,白血球数の調査について遠距離被爆者に
おいて異常を示す結果が出ていることや,長崎のα25地区において
白血病や甲状腺結節が高率で発生していることも併せ考慮すれば,遠
距離被爆者に生じている脱毛,紫斑等の症状は,放射線による影響も
存するものと推認するのが相当である。
(イ)入市被爆者に生じた症状について
a入市被爆者に生じた症状についても,「原子爆弾による広島戦災医
学的調査報告」やJ105ら報告,さらには,J106ら報告が,入
市被爆者に白血球の減少がほぼなかったとし,「ヒロシマ残留放射能
の四十二年」の専門家の見解の中には,入市被爆者に生じたとされる
脱毛について,疲れや精神的なストレスを指摘するものがあるなど,
原爆放射線による被曝との関連性を否定する報告も複数存在する。
bしかしながら,「ヒロシマ残留放射能の四十二年」の専門家の見解
の中には,逆に,局所的に降った土を頭から被るなどして,ベータ線
を入れれば,皮膚線量が100ラド(1グレイ)を超えた可能性もあ
るとして,脱毛を起こした原因として考えられるベータ線の問題やこ
れらを含む内部被曝の問題を指摘するものもある。そして,J109
報告は,急性原爆症の発症率について,中心地に出入りした被爆者は,
4km以遠の被爆者においても20%以上の有症率であるとし,さら
に,原爆直後入市した非被爆者の場合,原爆直後から20日以内に中
心地に出入りした者の有症率が高い一方で,1箇月後に中心地に入っ
た者の有症率は極めて低いとし,また,中心地滞在時間が4時間以下
の場合は有症者が少なく,10時間以上の場合は有症率が高いとして
おり,爆心地に入った時期が早く,また,滞在期間が長いほど有症率
が高いとしているものである。
c個別の具体的な症例についてみても,J98の事例や,J124調
書,J125ら報告,J128エッセー及びJ129ら報告は,入市
被爆者に下痢,紫斑,脱毛等の症状が出たとしているのであって,こ
れだけの事例において症状が出ている事実は重視すべきである。
d賀北部隊J118中隊については,J117報告がDS86のデー
タからの計算により被曝線量を推定し,また,J83報告や「原爆放
射線の人体影響1992」が染色体異常を基に被曝線量を推定してい
るところ,これらによれば,被曝線量自体は非常に少ない結果となっ
ている。
しかしながら,J117報告については,DS86自体の問題点を
指摘することができる。また,J83報告や「原爆放射線の人体影響
1992」についても,不安定型染色体異常は,非被曝者にはほとん
どみられず,放射線に対する特異性が高いが,細胞分裂により失われ
ることから,被曝後長期間が経過すると指標として使うことができな
くなり,一方,安定型染色体異常は,放射線に対する特異性が低く,
バックグラウンド値が高いためにバックグラウンド値を無視すること
ができるほどの高線量被曝時(具体的には1シーベルト以上),又は,
被曝前のバックグラウンド値が分かっているときにのみ線量推定が可
能であることが明らかになっているというのであって(甲A652・
2枚目,弁論の全趣旨・原告最終準備書面66頁,67頁),さほど
高線量とはいえない放射線の影響を調べることは困難なものであると
いうことができる。そうであるとすれば,上記知見から直ちに入市被
爆者が健康に影響を及ぼすような線量の放射線に被曝していないとま
では認められないといわざるを得ない。
むしろ,J119ら報告は,脱毛や歯根出血等の急性放射線症状が
あったと答えた者が多数いたとしているのであって,賀北部隊J11
8中隊についても,疫学的な調査からこのような症状があったことを
重視すべきである。
以上によれば,入市被爆者に生じている脱毛,紫斑等の症状は,放
射線による影響も存するものと推認するのが相当である。
(ウ)急性放射線症候群との関係について
a被爆者にみられる被爆後の症状は,急性放射線症候群の概念からは
説明することができないものではある。
しかしながら,急性放射線症候群は,透過性の放射線の外部被曝を
念頭に置いているものと認められるところ(乙B34の1・6頁,7
頁),原爆による被爆者については,外部被曝に加えて,内部被曝も
軽視することができないというべきである。さらに,本件申請者らの
ような被爆者は,原爆の爆発等によって外傷を負っている場合もある
ところ,外傷によって放射性物質を体内に取り込みやすくなっている
場合もある(乙B34の2・12頁)。また,外部被曝についても,
ゴイアニア事故において,被爆者の線量評価をすることが非常に困難
であるとしている上(甲A281の1,甲A281の2・7頁),J
80臨界事故においても,線量の評価については,一定の幅がみられ
るのであって(甲A280・103頁,乙B34の1・2頁),その
評価自体も誤差が生じていることは否定することができない。
bJ120ら報告は,脱毛の訴え率が75ラド(0.75グレイ)辺
りから線量に伴って著しく増大しているものであるところ,J120
ら報告については,急性放射線症候群の見地から,脱毛についての3
グレイというしきい値に矛盾し(乙B52・6頁,7頁),現在の医
学的常識と異なり,また,不確かな記憶に依存しているとの批判もあ
り(乙B34の1・15頁),J122ら報告も,必ずしもJ120
ら報告と整合するものではない。しかしながら,脱毛についての3グ
レイというしきい値の根拠は,ブタ等の動物実験から得られたもので
あったというのであって(乙B34の2・18頁),人体に対するし
きい値として相当なものかについては疑問を差し挟む余地もある。ま
た,J120ら報告のデータは,放影研のデータで重度の脱毛(67%
以上)としてコード化されているものを使用している(甲A288の
2・3頁)というのであって,その情報の正確性についても一定程度
は認められるというべきである。
したがって,急性放射線症候群についても,いまだ科学的に不動の
概念であるとまではいえないというべきであって,被爆者にみられた
症状が急性放射線症候群とその特徴が異なるものであったとしても,
それが原爆による放射線の影響でないということはできない。
c倦怠感については,そもそも急性放射線症候群としてみられる症状
に含まれておらず,実態調査も「病気にかかりやすい」,「体力がな
い」,「原爆ぶらぶら病」などの言葉はしばしば耳にするところであ
り,これらには一面心理的要因が働いていることも想像されるが,調
査の結果は,これらの事実を肯定する資料も否定する資料も得ること
はできなかったとしている。
しかしながら,J108報告は,「慢性原子爆弾症」との名称で,
被爆者にみられる症状として倦怠感を挙げており,J111報告も,
いわゆる「原爆ぶらぶら病」については,「あった」と答えた被爆者
は60.5%にも上るとしている。さらに,「原子爆弾被爆者の医療
等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」(昭和33
年衛発第727号厚生省公衆衛生局長通知)も,被爆者の中には原爆
による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響
により急性又は悪急性の造血機能障害等を出現した者のほかに,被爆
後10年以上を経過した今日,いまだに原子爆弾後障害症というべき
症状を呈する者があり,特に,この種の疾病には被爆時の影響が慢性
化して引き続き身体に異常を認める者と,一見良好な健康状態にある
かにみえながら,被爆による影響が滞在し,突然造血機能障害等の疾
病を出現する者がある(甲A15・241頁)としていたのであって,
このような各種知見からすれば,被爆者にみられる倦怠感も,原爆放
射線による症状の一つとして考えるべきである。
(エ)他原因について
被爆者らの訴える身体症状について,戦時下の栄養状態や戦時下の生
活環境等,被曝以外の原因によって生じたものが存在する可能性は否定
することができないが,遠距離被爆者について爆心地からの距離や遮蔽
の存在等に応じて脱毛等の症状が減少するといった傾向や,入市被爆者
について,爆心地に入った時期が早く,また,滞在期間が長いほど有症
率が高いといった傾向がみられるのであって,このような傾向に照らす
と,当該症状の多くが放射線被曝以外の原因によるものと理解すること
は困難というべきであり,仮に,原爆放射線以外の原因によって一定割
合で身体症状が生じていたとしても,直ちに上記の評価を左右するもの
ということはできない。この点は,J86の意見も,爆心地から160
0mないし2000mの地点の群の脱毛率が爆心地から2000mを超
える地点の群の脱毛率に比べて有意な差がみられるところ,2000m
を境にストレスや栄養失調等に違いがみられないことから,これらの脱
毛が残留放射線の影響によるものと考えるのが合理的であるとしている
ところである。
エ小括
以上によれば,個別の遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた上記のよう
な症状が放射線被曝による急性症状であるか否かについては,これらの症
状が放射線被曝以外の原因によっても生じ得るものであること等を踏まえ
て慎重に検討する必要があるとしても,遠距離被爆者及び入市被爆者に生
じた症状が,およそ放射線の影響によるものではないとすることは不合理
であり,遠距離被爆者及び入市被爆者であっても有意な放射線被曝をする
ことによって急性症状を生じ得ることは否定することができないというべ
きである。なお,明確な急性症状がないからといって,直ちに有意な放射
線被曝をしていないということにはならないのも当然である。
(7)まとめ
以上によれば,被爆者の被曝線量を評価するに当たり,DS02等により
算定される被曝線量は,飽くまでも一応の目安とするにとどめるのが相当で
あって,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動,活動内容,被爆後に生じた
症状等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がないかど
うかを十分に検討した上で,被爆者において,健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたのかどうかについて判断していく必要があるというべきで
ある。
4再改定後の新審査の方針
(1)再改定後の新審査の方針の策定の経緯
ア前記のとおり,行政における原爆症認定審査の指針を定めたものとして,
新審査の方針(乙A1の1)及び改定後の新審査の方針(乙A1の2)が
策定されており,これらに基づき認定実務が運用されてきた。
その後,平成21年12月に「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の
解決のための基金に対する補助に関する法律」(平成21年法律第99号。
以下「基金法」という。)が制定され,その附則2条において,「政府は,
原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条の認定等に係る制度の
在り方について検討を加え,その結果に基づいて必要な措置を講ずるもの
とする。」とされた。これを受け,平成22年12月,処分行政庁の下,
医学,放射線防護学,法律,財政学等の専門家や被爆者団体の代表といっ
た有識者によって構成された「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」
(以下「在り方検討会」という。)が設置され,3年間にわたって検討が
続けられた。在り方検討会では,全ての被爆者を対象として手当を支給す
べきとする被爆者団体の代表による意見もある中,多数意見としては,引
き続き放射線起因性を要件とする必要があるとした。また,その多数意見
は,残留放射線については基本的に健康に影響を与えるような量が確認さ
れていないことや,非がん疾病(心筋梗塞,甲状腺機能低下症,慢性肝炎
及び肝硬変並びに白内障)はしきい値がないとはいえず,低線量での影響
は認められないことなどを,現時点における科学的知見の到達点として確
認した。そして,検討の最終的な結果として,平成25年12月4日,「原
爆症認定制度の在り方に関する検討会報告書」(以下「在り方検討会報告
書」という。)が取りまとめられた。在り方検討会報告書においては,従
来の行政認定と司法判断との乖離については,現在でも行政認定は救済の
観点から厳密な科学的知見を超えて放射線起因性を認めているのに対し,
判決を一般化して基準を設定するのは難しいとした上,3.5km以内の
直接被爆等の従来の基準は放射線の影響が不明確な範囲にまで広げており,
現状以上に緩和することは慎重に考えるべきであり,また,残留放射線に
着目して積極認定の範囲を現行以上に広げることも適当ではないが,非が
ん疾病については従来の基準が分かりづらいことから一定の距離等の外形
的な標準を示し,それを満たしているものは柔軟に認定することが適当で
あり,その標準を定めるに当たってはこれまでの認定範囲を狭めることが
あってはならないとされた。医療分科会では,この在り方検討会報告書及
びJ135党の議員連盟が行った決議等を踏まえて作成された再改定後の
新審査の方針の案について検討がされ,現在の科学的知見からは健康影響
を肯定することのできる範囲から相当拡大されているとの指摘があったも
のの,被爆者援護の精神に基づく提案であるとして了承され,同月16日,
基金法の附則2条の「必要な措置」として,原爆症認定に関する方針であ
る改定後の新審査の方針が再改定された(再改定後の新審査の方針。乙A
14ないし乙A16,弁論の全趣旨・被告準備書面(17)1頁ないし3頁)。
イ再改定後の新審査の方針は,「悪性腫瘍(固形がんなど),白血病及び
副甲状腺機能亢進症」,「心筋梗塞,甲状腺機能低下症及び慢性肝炎・肝
硬変」,「放射線白内障(加齢性白内障を除く)」という7種類の疾病の
カテゴリについては,被爆地点の爆心地からの距離や,原爆投下からの一
定の時間内に爆心地からの一定の距離の範囲内に入市し,又は,一定時間
滞在したことといった基準により,これに該当する場合に原則的に又は積
極的に原爆症と認定するとし(積極認定),積極認定に該当する場合以外
の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等
を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判断するとした(総合
認定)。なお,要医療性については,改定後の新審査の方針と同じく,当
該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとされている(乙A16)。
(2)検討
ア上記のとおり,再改定後の新審査の方針は,7種類の疾病のカテゴリに
ついて,被爆地点が爆心地から一定の距離の範囲内にある,あるいは,原
爆投下からの一定の時間内に爆心地からの一定の距離の範囲内に入市し又
は一定時間滞在したといった基準を設け,これに該当する場合に積極認定
とするものとしてその範囲を明確にしたことに意義があるということがで
きる。そして,かかる再改定後の新審査の方針は,専門家や有識者によっ
て構成された在り方検討会において長期間にわたって検討が続けられるな
どした結果,策定されたものであって,このような経緯により策定された
積極認定の範囲は,個々の被爆者の放射線起因性を判断する際の目安の一
つであるとはいえる。
イもっとも,原爆放射線による被曝を検討するに当たっては,初期放射線
に加えて,放射性降下物や誘導放射線,更に内部被曝といった残留放射線
の影響も十分に考慮しなければならないことは前記3で検討したとおりで
あり,また,後記で検討するとおり,若年被爆者にみられるように,放射
線に対する感受性には個人差があり,このような感受性の差異によって,
同一線量の放射線においても,被曝の影響が生じる場合と生じない場合が
あるのも事実であって,必ずしも,爆心地から同心円状に被曝の影響が徐々
に減衰していくものということはできない。
さらに,再改定後の新審査の方針は,積極認定対象疾病を限定している
ところ,狭心症等,再改定後の新審査の方針の積極認定対象疾病以外の疾
病についても一般に放射線起因性が認められる疾病があることは第2で検
討するとおりである。
そうであるとすれば,個々の被爆者が積極認定の範囲に該当しない場合
であっても,個々の被爆者の被爆状況等や被爆後の健康状況,被爆者の罹
患した疾病等の性質,他原因の有無等を個別具体的に検討した結果,当該
被爆者の放射線起因性が肯定される場合もあるものというべきである。
そして,この点については,再改定後の新審査の方針も,積極認定の範
囲に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,既往歴,
環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を総合的に判
断する(総合認定)としているところである。
第2申請疾病の放射線起因性
1疫学調査
(1)ABCC及び放影研による疫学調査
ABCC及び放影研は,疫学調査として,寿命調査(LSS)及び成人健
康調査(AHS)を行っている。
ア寿命調査(LSS)は死因調査を中心とするものであり,寿命調査(L
SS)集団は,基本群(昭和25年の国勢調査により確認された日本人被
爆者のうち,同年当時に広島又は長崎のいずれかに居住していた者)に含
まれる被爆者の中で,本籍が広島か長崎にあり,効果的な追跡が可能な条
件を満たす者の中から選ばれ,①爆心地から2000m以内で被爆した
「基本群」被爆者全員から成る中心グループ(近距離被爆者),②爆心
地から2000mないし2500mで被爆した「基本群」全員,③中心
グループと性及び年齢が一致するように選ばれた,爆心地から2500m
ないし10000mで被爆した者(遠距離被爆者),④中心グループと
性及び年齢が一致するように選ばれた,1950年(昭和25年)代前半
に広島及び長崎に居住していたが,広島原爆及び長崎原爆の投下当時に広
島,長崎両市内にいなかった者(原爆時市内不在者。入市被爆者も含まれ
ている。)の4群から構成されている(甲A503・6頁,7頁)。なお,
現在の解析では,原爆時市内不在者の群は,解析に含まれていない(弁論
の全趣旨・原告最終準備書面88頁)。
寿命調査(LSS)集団は,当初,9万9393人で構成されていたが,
その後,集団を拡大し,現在では,12万0321人となっている(甲A
503・7頁)。
イ成人健康調査(AHS)は,2年ごとの健康診断を中心とした臨床調査
プログラムである。その主な目的は原爆放射線の健康に及ぼす影響を調査
することにあり,寿命調査(LSS)集団の中から選ばれた1万9961
人について,昭和33年から追跡調査が行われている。そして,対象者の
健康診断により収集されたデータを用いて,各種疾患の有病率や発生率,
生理学的及び生化学的検査結果の変動について長期にわたる追跡調査を実
施しており,解析結果はある程度集計されるごとに公表されている(甲A
503・8頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)9頁)。
中心グループは,昭和25年当時生存していた爆心地から2000m以
内で被爆し,急性放射線症状を示した4993人である。このほかに,都
市,年齢及び性を一致させた三つのグループ(いずれも中心グループとほ
ぼ同数)から成る。三つのグループとは,①爆心地から2000m以内
で被爆し,急性放射線症状を示さなかった者,②広島では爆心地から3
000mないし3500m,長崎では3000mないし4000mで被爆
した者,③原爆投下当時,広島及び長崎にいなかった者であり,その後,
集団を拡大して,2万3418人となっている(甲A503・8頁)。成
人健康調査(AHS)集団でも,原爆時市内不在者の群は解析に含まれて
いない(甲A306文献1・7頁)。
(2)疫学調査の問題
アこのようなABCC及び放影研による疫学調査については,次のような
問題があると指摘することができる。
(ア)残留放射線の評価について
上記のABCC及び放影研による疫学調査においては,調査対象者に
割り当てられている線量は初期放射線だけであり,放射性降下物及び誘
導放射線といった残留放射線が考慮されていないところ(甲A601・
56頁),被曝線量の評価に当たっては,残留放射線も無視することが
できないというべきである。そして,残留放射線に被曝した者が対照群
に含まれてしまう結果,放射線による疾病の発症に係る超過リスクが現
れにくくなることになる。
(イ)調査開始までの死亡被爆者について
ABCC及び放影研による疫学調査については,調査が開始された昭
和25年における生存者のみを対象としているため,それまでの死亡者
に係るデータが反映されておらず,相対的に放射線に対する耐性の強い
者が調査対象として選別されてしまっているおそれがある。この点につ
いては,J136が,健康者選択効果として,被爆生存者は,例外的に
高いレベルの免疫的能力を持っていると提唱しているものである(甲A
130の2・2頁)。
健康者選択効果に対しては,現在寿命調査(LSS)で得られている
リスク推定は,「被爆者のうち昭和25年当時生存していた者」という
集団におけるリスク推定となるが,現時点において生存している被爆者
は,昭和25年の時点においても生存していたのであるから,昭和25
年時点での生存者に原爆放射線のリスク評価としてABCC及び放影研
による疫学調査の結果を応用することの問題は少ないとの批判もあるが
(乙B107・9頁),現時点において生存している被爆者が昭和25
年の時点においても生存していたからといって,当該被爆者が例外的に
高いレベルの免疫的能力を持っているとは限らないから,このような批
判は当たらないというべきである。
イ以上によれば,ABCC及び放影研による疫学調査については,申請疾
病の放射線起因性を判断するに当たって,その有用性は一定の範囲で肯定
することができるというべきであるが,上記のような問題により,原爆放
射線が人体に及ぼす影響を過小評価する結果に傾きがちになることも十分
踏まえた上で,検討するべきである。
(3)疫学調査を検討する上での留意点
さらに,ABCC及び放影研による疫学調査を検討するに当たっては,次
の点にも留意する必要がある。
ア疾患名について
(ア)ABCC及び放影研による疫学調査については,例えば,「固形がん」
や「心疾患」などといった大項目の疾患名に関して検討結果を報告して
いるものも存在する。
(イ)この点,心筋梗塞を例に挙げれば,確かに,心臓に生じた病態を細
分化した小項目の疾患名で認識することは,疾病を治療していく場合に
必要なことである(甲A649・9頁)。
しかしながら,一方で,病態を心臓疾患全体として統合的に理解する
ことは,放射線被曝の影響を適正に検出しようとする場合,特に有意義
なものであるということができる。細分化した小項目の疾患名では個々
の事例数が時に過小となり,むしろ放射線被曝の影響を適正に検出する
ことができなくなるおそれがある。また,現在の医療では,症例によっ
ては,冠動脈の完全閉塞を未然に防止し,部分的な心筋壊死や虚血状態
に押しとどめることができるため,被曝の影響は心筋梗塞の死亡率のリ
スクには反映せず,心不全や高血圧性心疾患の死亡率増加に反映するこ
とになるのであって,このような場合,「心疾患」という大項目の疾患名
で事例数を集約することで初めて被曝の有意の影響を見出すことができ
ることになる(甲A649・9頁)。さらに,後記で検討するとおり,循
環器系一般にも関連すると思料される心筋梗塞の危険因子についても,
放射線起因性が認められることからすれば,報告の対象である疾患を心
筋梗塞に特定していなくても,そのことから心筋梗塞の放射線起因性を
判断することに対する有用性が否定されることにはならないというべき
である。
(ウ)そうであるとすれば,小項目の疾患名の放射線被曝の影響を検討す
るに際しては,大項目の疾患名の放射線被曝の影響を検討することは有
意義であるというべきである。
イP値及び信頼区間について
ABCC及び放影研による疫学調査については,例えば,P値が基準で
あるとされる0.05未満でなかったり,過剰相対リスクの場合に信頼区
間が0をまたいでいたりするものもある。
しかしながら,P値についてみると,文献では,例えば,「臨床のための
疫学」は,0.05未満のP値で表される差は,しばしば統計学的に有意
とされているが,その区切り点を0.05に定めるのは全く便宜的なもの
であり,理論的な者は,より高い値を認容したり,より低い値を主張した
りするかもしれないが,それぞれの置かれた状況における偽陽性の結論の
重要性によって決めているようであるとしているし(甲A292の8・2
05頁),「数学いらずの医科統計学」も,P値が0.05とされている理
由は「習慣上」とされ,その根拠が必ずしも明確ではなく,0.10に設
定する場合もあるとしている(甲A292の10・107頁,108頁)。
このように,一般に「確からしさ」とは,あるかないかの二者択一ではな
く,元来,連続性を持った概念であり,P値が基準を上回っていても,放
射線起因性の法律判断の前提となり得る資料として採用することは許容さ
れるものというべきである。
そして,同じことは信頼区間にも当てはまるものである。
2本件申請者らの疾病
本件申請者らの申請疾病については,①固形がん,具体的には,下咽頭がん,
腎細胞がん,胃がん,膀胱がん及び前立腺がん,②乳がん術後皮膚潰瘍,③心
筋梗塞,④狭心症,⑤脳梗塞,⑥甲状腺機能低下(ただし,甲状腺機能亢進症
によるものであることから,検討の対象としては甲状腺機能亢進症となる。)
並びに⑦C型慢性肝炎に分類することができる。そこで,以下,これらの疾病
の放射線起因性について,個別に検討することとする。
3各疾病等の検討
(1)固形がんの放射線起因性
ア総説
(ア)腫瘍一般
人体は数十兆個の細胞から構成されているところ,この細胞に由来し,
進行性に増えたものを腫瘍という。腫瘍は,その生物学的性格に応じて,
良性と悪性に分類される。良性腫瘍は,局所に限局して増殖し,基本的
には宿主の死にはつながらない腫瘍である。一方,悪性腫瘍とは増殖が
局所にとどまらず,周囲組織に浸潤し,ひいては遠隔臓器にも転移して
宿主を死に至らしめるものである。固形がんは悪性腫瘍に含まれる(弁
論の全趣旨・被告準備書面(3)28頁)。
(イ)下咽頭がん
下咽頭は,喉の奥につながる部分を指し,この部分にできたがんを下
咽頭がんという(乙Dイ2・1枚目及び2枚目)。下咽頭がんは,喫煙
や飲酒との因果関係が強いとされており,喫煙量や飲酒量が多いほど下
咽頭がんにかかりやすく,これらの者は,下咽頭がんの「高危険群」と
されている。また,男性は女性の4倍から5倍の頻度で下咽頭がんが発
生し,年齢は50歳代から60歳代に多く,下咽頭がん全体の60%は
この年代に発症する(乙Dイ2・3枚目)。
また,下咽頭がんにかかった者の25%ないし30%に食道がんが
見つかっており,これは食道がんの発生が下咽頭がんと同様に,喫煙
や飲酒と関係があることが原因と考えられている(乙Dイ2・2頁,
乙Dイ3・1668頁)。一方,食道がんについては,頭頚部がんや
胃がんとの重複が比較的多いことが知られている(乙Dイ4・436
頁,乙Dイ5・A-24頁)。
(ウ)腎細胞がん
腎臓は,肋骨の下端の高さの左右両方にあるソラマメのような形をし
た臓器で,血液をこして尿を生成し,血圧のコントロールに関するホル
モンや,造血に関するホルモンを産生している(乙Dハ2・1枚目)。
腎臓にできるがんには,成人に発生する腎細胞がんと,腎盂がん,小児
に発生するウィルムス腫瘍があり,また,まれながんとして肉腫がある
(乙Dハ2・1枚目,乙Dハ3・3頁)。
腎細胞がんの年間発生患者数は1万人から1万2000人と推定され
ており(乙Dハ4・1枚目),年齢別にみた腎細胞がんの罹患率は,5
0歳から70歳まで増加し(乙Dハ2・1枚目),発生頻度は,男女比
2ないし3対1で,男性に多いがんとされる(乙Dハ3・4頁,乙Dハ
4・1枚目)。また,死亡率も,男性の方が女性より高く,男性の死亡
率は女性の約3倍である(乙Dハ2・1枚目)。
腎細胞がんの確立されたリスク要因は,喫煙と肥満とされている。そ
の他,高血圧,降圧薬服用,利尿剤の服用(特に女性)及びフェナセチ
ン含有鎮痛剤がリスク要因の候補に挙げられている。また,アスベスト
やテトラクロロエチレン曝露などの職業性曝露が可能性のあるリスク要
因として指摘されている。さらに,基礎疾患や発生しやすい家系がある
ことも判明している(乙Dハ5・10枚目)
喫煙という危険因子を保有している場合は,これを保有していない場
合に比べ,腎細胞がんの発症リスクが約2倍程度になるとされている(乙
Dロ12・1枚目)。また,肥満によって,腎細胞がんに罹患するリス
クは4倍になる(乙Dロ13・3頁)。
(エ)胃がん
悪性新生物(悪性腫瘍)が我が国の死亡率の第1位であるところ,そ
の中で,胃がんは,部位別のがん死亡率では肺がんに次いで第2位であ
る。また,胃がんの罹患数は,平成11年では10万3685人と,全
部位でのがん罹患数の19.6%と最も多い(乙Dニ6・832頁)。
年齢別にみると,40歳以上に好発するが,最近では70歳以上の高齢
者が占める割合が増加してきている(乙Dニ7・1700頁)。
胃がんの原因はいまだ明らかにされていないものの,その発生に関与
する要因は,宿主要因(内因)と環境要因(外因)の大きく二つに分け
ることができ,これらが互いに関与しているが,胃がんの場合,後者が
大きな要因であることが疫学的,統計学的に指摘されている(乙Dニ7・
1700頁)。
宿主要因としては,遺伝及び性が挙げられる。他方,環境要因として
最も大きいものは食物であり,そのリスクファクターとして,塩分の過
剰摂取,炭水化物,燻煙した肉類,焼け焦げた魚介類などが挙げられ,
また,その他のリスクファクターとして,喫煙,飲酒,ヘリコバクター・
ピロリの感染などが挙げられる(乙Dニ7・1700頁,1701頁)。
ヘリコバクター・ピロリは,胃を守っている粘液を減らし,酸の攻撃を
受けやすくする作用を有するほか,VacAという毒素を出したり,胃粘
膜に炎症を引き起こしたりするなど,様々な形で胃粘膜を傷つけること
で胃や十二指腸の粘膜がえぐられて消化性潰瘍を発症させる要因となる
とされており,こうした胃粘膜刺激の繰り返しにより胃がんになる場合
があるとされている。また,最近の研究では,ヘリコバクター・ピロリ
はCagAと呼ばれる蛋白を胃粘膜上皮細胞に注入することが分かってお
り,この蛋白は胃粘膜上皮細胞を変化させることで,前記のメカニズム
と併せ,胃のがん化を進めるのではないかとも考えられている。ヘリコ
バクター・ピロリの発がん性は医学的に明らかであることから,WHO/
IARC(世界保健機構の国際がん研究機関)においても,確実な発が
ん因子(grouJⅠ)と認定されている(乙Dニ8,乙Dニ9・316頁
ないし318頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(15)12頁)。
日本人のヘリコバクター・ピロリ感染率は,先進国の中では際だって
高率であり,世代別では,上下水道などの衛生環境が十分に整っていな
い時代に生まれ育った者ほど感染率が高く,50歳代以上では80%程
度である(乙Dニ14,乙Dニ15・71頁)。ヘリコバクター・ピロ
リの陽性者では,胃がんのリスクが5倍になるといわれており(乙Dニ
16の1,乙Dニ16の2),胃がんは60歳を超えると急速に発生が
増加する(乙Dニ15・74頁)。
(オ)膀胱がん
膀胱がんは,年齢別にみた罹患率では,男女とも60歳以降で増加し,
40歳未満の若年では低いとされる。また,女性よりも男性の方が罹患
率が高く,男性の罹患率は,女性の約4倍であるとされている。膀胱が
んの危険因子は,上記の加齢(高齢者)のほか,喫煙や職業性曝露によ
る,ナフチルアミン,ベンジジン,アミノビフェニル等があるとされて
いる(乙Dヘ4・1頁)。
(カ)前立腺がん
前立腺がんは,加齢とともに増加するがんの典型とされており,特に,
その罹患率は65歳以上で増加するとされている。前立腺がんの中には
比較的進行が遅く,寿命に影響を来さないであろうと考えられるがんも
存在しており,他の原因で死亡した日本人男性においても,70歳を超
える者の2割ないし3割,80歳を超える者の3割ないし4割に前立腺
がんが発生しているとされている。前立腺がんの発生には,IGF-1
といったホルモンバランスの変化が影響していると考えられている(乙
Dト3・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)13頁,14頁)。
前立腺がんの危険因子としては,加齢(高齢者)のほか,人種,家族
歴が一般的な医学的知見として確立されており,他にも脂質,乳製品,
カルシウム,喫煙,体格,アルコール,身体活動等も関連する可能性が
あるとされている(乙Dト3・2頁)。
イ各種知見
(ア)J137ら「広島大学原医研附属原爆被災学術資料センターに保存
されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」
広島大学原爆放射能医学研究所のJ137らは,前立腺がんと被爆と
の関連性を明らかにするために,広島大学原爆放射能医学研究所附属原
爆被災学術資料センターに保存されている被爆がん死亡者剖検例のう
ち,男性被爆者前立腺がん症例を用いて,年齢別,組織型別及び被爆距
離別に分類し,その特徴について検討し,「広島大学原医研附属原爆被
災学術資料センターに保存されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」(以
下「J137ら報告」という。)としてまとめ(甲A80文献7・37
3頁),平成4年に発表した。
J137ら報告は,①対照群の粗発生頻度は1.15%であるのに
対し,被爆者群の粗発生頻度は2.03%であり,統計学的に1%以下
の危険率で有意さを示し,被爆者群において粗発生頻度の高いことが示
された(甲A80文献7・373頁,374頁),②前立腺がん自体
が高齢者に多い疾患でもあり,被爆者全体に高齢者が多いので,年齢に
よる訂正が必要であると考えられるとしている(甲A80文献7・37
6頁)。
(イ)J138ら「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,
1958-1987年」
放影研のJ138らは,寿命調査拡大集団(LSS-E85)におけ
る原爆被爆者の充実性腫瘍罹患データとリスク推定を検討し,「原爆被
爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」
(以下「J138ら報告」という。)としてまとめ(甲A80文献4・1
頁),平成6年に発表した。
J138ら報告は,①死亡に関するこれまでの寿命調査(LSS)
所見と同様に,全充実性腫瘍について統計学的に有意な過剰リスクが立
証された(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.63),②胃(1シ
ーベルトでの過剰相対リスクは0.32),結腸(1シーベルトでの過剰
相対リスクは0.72),肺(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.9
5),乳房(1シーベルトでの過剰相対リスクは1.59),卵巣(1シ
ーベルトでの過剰相対リスクは0.99),膀胱(1シーベルトでの過剰
相対リスクは1.02)及び甲状腺(1シーベルトでの過剰相対リスク
は1.15)のがんにおいて,放射線との有意な関連性が認められた,
③放射線と肝臓(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.49),及び
黒色腫を除く皮膚(1シーベルトでの過剰相対リスクは1.0)のがん
罹患との関連性がみられた(甲A80文献4・2頁),④前立腺がんに
ついては,1.5グレイ未満では放射線の影響があることを示す証拠は
なく,有意な線形や非線型線量反応も認められず,年齢(被爆時又は到
達)あるいは時間による影響修飾を示す兆しもなかったとしている(甲
A80文献4・70頁)。
(ウ)J139ら「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」
J140病院のJ139らは,生検又は手術で組織学的に確認した顕
性前立腺がんを検討し,「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」(以
下「J139ら報告」という。)としてまとめ(甲A80文献6・33
3頁),平成10年に発表した。
J139ら報告は,①今回の検討でも前立腺がんは被曝線量に比例
していないことから,被爆との関係は否定的であるものの,臨床的に発
見される進行した前立腺がんはどの角度からみても遠距離被爆群に多く
発生していた,②推測の域を出ないものの,低線量の被曝が前立腺が
んに関わっている可能性は否定することができないとしている(甲A8
0文献6・335頁)。
(エ)UNSCEAR2000年報告書
UNSCEAR2000年報告書は,①放射線起因性がんについて,
最も単純な説明は線形関係であり,入手可能な機序面でのデータや量的
データのほとんどと一致する,②線形しきい値なし線量反応関係(L
NT仮説)は,低線量電離放射線によるがんリスク評価として一般的に
国内及び国際組織から受け入れられてきた,③この仮説は,線量増加
に伴って直線的にがん増加のリスクがあること,しきい値は存在しない
ことを意味しているとしている(甲A661の4の1,甲A661の4
の2・1頁,2頁)。なお,LNT仮説とは,低線量領域においても,
放射線被曝線量の増加に正比例してがんが発生するという見解である
(弁論の全趣旨・被告準備書面(3)37頁)。
(オ)「原爆被爆者の死亡率調査第13報固形がんおよびがん以外の
疾患による死亡率:1950-1997年」
放影研は,昭和25年から平成9年までの47年間の原爆被爆者集団
の死亡率を追跡調査し,固形がんとがん以外の疾患による死亡について
検討し,「原爆被爆者の死亡率調査第13報固形がんおよびがん以
外の疾患による死亡率:1950-1997年」(以下「LSS第13
報」という。)としてまとめ(甲A77資料11-1・1頁),平成1
5年に発表した。
LSS第13報は,①固形がんの過剰リスクは,0ミリシーベルト
ないし150ミリシーベルトの線量範囲においても線量に関して線形で
あるようだ,②子供の時に被爆した者は相対リスクが最も高い(甲A
77資料11-1・1頁),③前立腺がんの1シーベルト当たりの過
剰相対リスクは0.21(90%信頼区間は-0.3未満ないし0.9
6)であるとしている(甲A77資料11-1・43頁)。
(カ)UNSCEAR2006年報告書
UNSCEAR2006年報告書は,放射線被曝に伴って前立腺がん
リスクが統計学的に有意に増加することを示すものはないとしている
(乙Dト6・100頁)。
(キ)J121ら「原爆被爆者における固形がん罹患率:1958-19
98年」
米国J141CorJorationのJ121らは,広島及び長崎の原爆被
爆者から成る寿命調査(LSS)集団における固形がん罹患率に対する
放射線の影響に関する2回目の全般的な検討を行い,「原爆被爆者にお
ける固形がん罹患率:1958-1998年」(以下「J121ら第2
報告」という。)としてまとめ(甲A614の1の2・1枚目),平成
19年に発表した。
J121ら第2報告は,①1回目よりも追跡調査を11年間延長し,
市内不在群を新たに解析に含めた結果,がん症例が56%増加した(甲
A614の1の3・9頁),②0グレイないし2グレイの範囲では一
貫して線形の線量反応関係が認められ,さらに,被曝線量が0.15グ
レイ以下の対象者に解析を限定した場合にも,統計的に有意な線量反応
が認められた(甲A614の1の2・1枚目),③被爆時年齢が30
歳の場合,70歳における固形がん罹患率は,1グレイ当たり,男性で
約35%(90%信頼区間は28%ないし43%),女性で約58%(9
0%信頼区間は43%ないし69%)増加すると推定された(甲A61
4の1の2・1枚目,2枚目),④過剰絶対率は調査期間を通じて増
加するようにみられ,放射線に関連したがん罹患率の増加が,被爆時年
齢にかかわらず生涯を通じて持続することを更に裏付けている,⑤口腔
がん,食道がん,胃がん,結腸がん,肝がん,肺がん,黒色腫以外の皮
膚がん,乳がん,卵巣がん,膀胱がん,神経系がん及び甲状腺がんを含
む,ほとんどのがん部位について放射線に関連したリスクの有意な増加
が認められた,⑥膵臓がん,前立腺がん及び腎臓がんについては統計
的に有意な線量反応は示唆されなかったが,これらの部位の過剰相対リ
スクも,全固形がんを一つのグループとした場合のそれと一致していた,
⑦全ての組織型群(扁平上皮がん,腺がん,その他の上皮性がん,肉
腫及びその他の非上皮性がん)についてリスクの増加が認められたとし
ている(甲A614の1の2・2枚目)。
(ク)ICRJ2007年勧告
ICRJ2007年勧告は,①約100ミリグレイ(約0.1グレ
イ。低LET放射線又は高LET放射線)までの吸収線量域では,どの
組織も臨床的に意味のある機能障害を示すとは判断されない(乙C2
9・16頁),②ICRJが勧告する実用的な放射線防護体系は,約
100ミリシーベルトを下回る線量においては,ある一定の線量の増加
はそれに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の確率の増加を
生じるであろうという仮定に引き続き根拠を置くこととするとしている
(乙C29・17頁)。
(ケ)放影研の要覧
平成20年発表の放影研の要覧(以下「平成20年放影研要覧」とい
う。)は,①胃,肺,肝臓,結腸,膀胱,乳房,卵巣,甲状腺,皮膚
などの主要な固形がんの場合には,有意な過剰リスクが認められている,
②統計学的に常に有意であるわけではないが,他の多くの部位におけ
るがんにもリスクの増加が認められる,③したがって,被爆者のデー
タは,放射線が事実上全ての部位におけるがんの過剰リスクを増加させ
るという見解と合致しているとしている(甲A503・15頁)。
(コ)UNSCEAR2010年報告書
UNSCEAR2010年報告書は,固形がんの低線量における死亡
率に対する線量反応関係について,統計学的に有意なリスク上昇は10
0ミリグレイ(0.1グレイ)ないし200ミリグレイ(0.2グレイ)
又はそれ以上で観察され,疫学研究だけではこれらのレベルを大きく下
回る場合の有意なリスク上昇を同定することはできそうにないとしてい
る(乙Dイ11・9頁)。
(サ)「原爆被爆者の死亡率に関する研究第14報1950-200
3年:がんおよびがん以外の疾患の概要」
放影研は,昭和25年から平成15年までの原爆被爆者の集団である
寿命調査(LSS)集団での死亡状況を追跡調査し,「原爆被爆者の死
亡率に関する研究第14報1950-2003年:がんおよびがん
以外の疾患の概要」(以下「LSS第14報」という。)としてまとめ
(甲A614の3・1頁),平成24年に発表した。
LSS第14報は,①がんの死亡率が17%増加し,特に被爆時年
齢10歳未満の群で58%増加した,②固形がんに関する付加的な放
射線リスクは,線形の線量反応関係を示し,生涯を通して増加を続けて
いる,③全固形がんについて,線型モデルに基づく男女平均の1グレ
イ当たりの過剰相対リスクは,30歳で被爆した者が70歳になった時
点で0.42(95%信頼区間は0.32ないし0.53)であり,そ
のリスクは,被爆時年齢が10歳若くなると約29%増加した(95%
信頼区間は17%ないし41%),④全固形がんについて過剰相対リ
スクが有意となる最小推定線量範囲は,0グレイないし0.2グレイで
あり,定型的な線量しきい値解析(線量反応に関する近似直線モデル)
ではしきい値は示されず,0線量が最良のしきい値推定値であった(甲
A614の3・1頁),⑤主要部位のがん死亡リスクは,胃,肺,肝
臓,結腸,乳房,胆のう,食道,膀胱及び卵巣で有意に増加した一方,
直腸,膵臓,子宮,前立腺及び腎実質では有意な増加は認められなかっ
た(甲A614の3・1頁,2頁),⑥特定部位のがんにおける年齢
の影響は全固形がんの場合と類似していたが,大部分は統計学的に有意
ではなかったとしている(甲A614の3・9頁,10頁)。
(シ)J64ら「長崎市原爆被爆者の癌罹患率の被爆状況による比較と推
移(1970-2007年)」
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設のJ64
らは,放射線被曝の発がんへの影響を正確に評価するため,がん死亡率
ではなくがん罹患率を調べる必要があるとし,長崎県がん登録室の資料
を使用して,昭和45年から平成19年までの37年間の60歳以上の
長崎市原爆被爆者について,被爆状況別にがんの年齢調整罹患率を調査
し,「長崎市原爆被爆者の癌罹患率の被爆状況による比較と推移(19
70-2007年)」(以下「J64ら第3報告」という。)としてま
とめ(甲A614の5・191頁),平成24年に発表した。
J64ら第3報告は,①37年間で,男性8855人,女性848
7人ががんに罹患している(甲A614の5・191頁),②近距離
被爆者群は男女の全がん,男性の前立腺がん及び女性の乳がんの年齢調
整罹患率が遠距離被爆者群及び入市被爆者群よりも高い状態が続いてい
ることが示唆された,③前立腺がん及び乳がんの年齢調整罹患率は上
昇傾向にある(甲A614の5・193頁),④J121ら第2報告
では,被曝放射線量と罹患率との間の明確な関連は観察されなかったが,
罹患数が限られているなどの理由で結論が出されておらず,実際,J1
21ら第2報告の前立腺がんの罹患数が387例であるのに対して,対
象数と観察期間が少ないにもかかわらず,この研究では2倍以上の99
8例の罹患が報告されており,最近の罹患数の増加を考慮して評価する
必要があると思われるとしている(甲A614の5・192頁)。
(ス)「原爆放射線の人体影響改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響改訂第2版」は,①腎
細胞がんリスクと放射線量の間には量反応関係の存在が示唆されている
が,被曝線量1グレイ当たりの過剰相対リスクは0.13(90%信頼
区間は-0.25ないし0.75),過剰絶対リスクは0.08(90%
信頼区間は-0.16ないし0.44)であり,膀胱がんに比べてはる
かに小さく,腎細胞がんについては放射線被曝に起因して発生したと推
計されるがん症例数が少ないため,現段階ではその影響について断定的
な結論を下すことは困難といえる,②前立腺がんについても,被曝線
量と過剰リスクの間に量反応関係の存在が示唆されているものの,0.
005グレイ以上の放射線被曝における寄与割合は2.2%と小さく,
過剰相対リスクは被曝線量1グレイ当たり0.11(90%信頼区間は
-0.10ないし0.54),過剰絶対リスクは0.34(90%信頼
区間は-0.64ないし1.60)であり,いずれも統計学的に有意な
上昇は認められておらず,腎細胞がん同様,被曝による過剰発生と考え
られる症例数が限られており,放射線被曝のがん罹患リスクに対する影
響の有無はいまだ結論を出しにくい状況であるとしている(乙Dト5・
144頁,145頁)。
(セ)J142ら「日本人原爆被爆者における甲状腺がん:被爆後60年
の長期的傾向」
放影研のJ142らは,放射線に誘発される甲状腺がんリスクの長期
傾向や被爆時年齢による変動を特徴づけるため,日本人原爆被爆者の寿
命調査(LSS)対象者10万5401人における昭和23年から平成
17年までの甲状腺がん罹患データを解析し,「日本人原爆被爆者にお
ける甲状腺がん:被爆後60年の長期的傾向」(以下「J142ら報告」
という。)としてまとめ(甲A614の4の1,甲A614の4の2),
平成25年に発表した。
J142ら報告は,①1グレイの放射線被曝に対する甲状腺がんの
過剰相対リスクは,10歳時で急性被曝後の60歳時において,1.2
8(95%信頼区間は0.59ないし2.70)と推定された,②リ
スクは被爆時年齢とともに急速に減少し,20歳時以降に被爆した者に
対しては有意な甲状腺がんの上昇はみられなかった,③20歳未満で
被爆した者の甲状腺がんのうち,約36%が放射線被曝と関連している
と推定された,④過剰リスクの大きさは到達年齢の上昇あるいは被爆
後の経過時間とともに減少したが,小児期での被爆に関連した甲状腺が
んの過剰リスクは,被爆後50年以上を経てもなお存在するとみられる
としている(甲A614の4の1,甲A614の4の2)。
ウ改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は「悪性腫瘍(固形がんなど)」を積極認定対象
疾病としており,再改定後の新審査の方針も同様である。
エ検討
(ア)固形がんについては,J138ら報告が,全充実性腫瘍について統
計学的に有意な過剰リスクが立証されたとし,平成20年放影研要覧も,
主要な固形がんの場合には,有意な過剰リスクが認められており,統計
学的に常に有意であるわけではないが,他の多くの部位におけるがんに
もリスクの増加が認められるとしており,これらの知見を含めた前記各
種知見を総合し,改定後の新審査の方針は「悪性腫瘍(固形がんなど)」
を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も同様である
ことも併せ考慮すれば,固形がんは,一般的に放射線被曝との関連性が
認められる疾病であるというべきである。
この点,一部のがんについて,UNSCEAR2006年報告書が,
放射線被曝に伴って前立腺がんリスクが統計学的に有意に増加すること
を示すものはないとし,LSS第14報が,主要部位のがん死亡リスク
は,直腸,膵臓,子宮,前立腺及び腎実質では有意な増加は認められな
かったとするなど,放射線被曝との関連性に消極的と思われる報告が複
数あり,また,「原爆放射線の人体影響改訂第2版」も,腎細胞がん
と前立腺がんについて,放射線被曝のがん罹患リスクに対する影響の有
無はいまだ結論を出しにくい状況であるとして,これらのがんの放射線
被曝との関連性を留保している。
しかしながら,一方で,J137ら報告は,前立腺がんについて,被
爆者群は,対照群に比べ,粗発生頻度の高いことが示されたとし,J6
4ら第3報告も,近距離被爆者群は,男女の全がん,男性の前立腺がん
及び女性の乳がんの年齢調整罹患率が遠距離被爆者群及び入市被爆者群
よりも高い状態が続いていることが示唆されたとしている。また,J1
39ら報告は,前立腺がんは被曝線量に比例していないことから,被爆
との関係は否定的であるとしながらも,低線量の被曝が前立腺がんに関
わっている可能性は否定することができないとし,J121ら第2報告
も,膵臓がん,前立腺がん及び腎臓がんについて,統計的に有意な線量
反応は示唆されなかったとしながらも,これらの部位の過剰相対リスク
も,全固形がんを一つのグループとした場合のそれと一致していたとし
ている。LSS第14報も,全体としてみれば,全固形がんについて放
射線リスクを検討しているのであって,一部のがんについて放射線起因
性を排除するものとまでは認められない。
以上によれば,固形がんについては,全固形がんに放射線被曝との関
連性が認められると解するのが相当である。
(イ)固形がんのしきい値について,確かに,UNSCEAR2010年
報告書が,固形がんの低線量における死亡率に対する線量反応関係につ
いて,統計学的に有意なリスク上昇は100ミリグレイ(0.1グレイ)
ないし200ミリグレイ(0.2グレイ)又はそれ以上で観察されると
している。
しかしながら,一方で,J121ら第2報告は,0グレイないし2グ
レイの範囲では一貫して線形の線量反応関係が認められ,さらに,被曝
線量が0.15グレイ以下の対象者に解析を限定した場合にも,統計的
に有意な線量反応が認められたとしている。また,LSS第14報も,
全固形がんについて過剰相対リスクが有意となる最小推定線量範囲は,
0グレイないし0.2グレイであり,定型的な線量しきい値解析ではし
きい値は示されず,0線量が最良のしきい値推定値であったとしている。
LNT仮説については,フランス医学アカデミーが同仮説に反対する(乙
C30・33頁)など,いまだ定説がない状況にあるということができ
るものの,全米科学アカデミーのBEIR委員会が,発がんリスクは低
線量域でもしきい値なく線形で連続しているとの結論に達したとし(甲
A660・6頁,甲A661の7の1,甲A661の7の2,乙C30・
33頁),ICRJ2007年勧告も,その勧告する実用的な放射線防
護体系は,約100ミリシーベルトを下回る線量においては,ある一定
の線量の増加はそれに正比例して放射線起因の発がん又は遺伝性影響の
確率の増加を生じるであろうという仮定に根拠を置くこととするとして
いるのであって,かかる仮説を一概に否定することはできない。この点
については,UNSCEAR2000年報告書も,LNT仮説が,低線
量電離放射線によるがんリスク評価として一般的に国内及び国際組織か
ら受け入れられてきたとしているものである。
近時においても,1985年(昭和60年)から2008年(平成2
0年)までにCT検査を受けた22歳未満の者に対する後ろ向きコホー
ト研究において,17万6587人中135人が脳腫瘍と診断され,C
T検査による線量と脳腫瘍との間に正の相関を認めたとの英国での報告
もある(J143ら「幼児期CTスキャンによる放射線被曝と白血病及
び脳腫瘍リスク:後ろ向きコホート研究」。甲A661の8の1,甲A
661の8の2)。
これらの知見を含めた前記各種知見を総合すれば,固形がんのしきい
値は観念されないものというべきである。なお,固形がんが確率的影響
に係る疾病であること自体については,被告も積極的に争っていないも
のと認められる(弁論の全趣旨・被告準備書面(25)116頁)。
(ウ)若年被爆者への影響については,LSS第13報が,子供の時に被
爆した者は相対リスクが最も高いとし,LSS第14報も,過剰相対リ
スクは被爆時年齢が10歳若くなると約29%増加したとしており,さ
らに,甲状腺がんに限定してではあるが,J142ら報告も,リスクは
被爆時年齢とともに急速に減少し,20歳時以降に被爆した者に対して
は有意な甲状腺がんの上昇はみられなかったとした上で,小児期での被
爆に関連した甲状腺がんの過剰リスクは,被爆後50年以上を経てもな
お存在するとみられるとしており,これらの知見を総合すれば,若年で
の被爆はリスクを相当程度高めるものというべきである。
(2)乳がん術後皮膚潰瘍
ア総説
(ア)乳房は,母乳(乳汁)をつくる乳腺と,乳汁を運ぶ乳管,それらを
支える脂肪などからなる。それぞれの乳腺は小葉に分かれ,小葉は乳管
という管状の構造でつながっている。乳がんは,乳管や乳腺小葉の上皮
が悪性化したものである(乙C50の1・1頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(3)56頁)。
(イ)乳がんの治療には,外科療法,放射線療法及び薬物療法がある。外
科療法と放射線療法は治療を行った部分にだけ効果を期待することがで
きる「局所療法」であり,薬物療法は「全身療法」として位置づけられ
る(乙C50の1・5頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)59頁)。
(ウ)放射線治療について,乳がんでは,外科手術でがんを切除した後に
乳房やその領域の再発を予防する目的で行う術後照射と,胸壁再発や遠
隔転移に対して行われるものがある。放射線を照射する範囲や量は,放
射線治療を行う目的,病巣のある場所,病変の広さなどによって選択さ
れる(乙C50の1・6頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)62頁)。
(エ)乳がんの放射線治療後に副作用として皮膚障害が発生する可能性が
あるが,独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センターは,
①照射開始後2週ないし3週,照射量20グレイないし30グレイの
場合,第1度皮膚炎(赤み,脱毛及び皮膚乾燥)の症状が現れ,治療後
2箇月ないし3箇月で回復する,②照射開始後3.5週ないし4.5
週,照射量35グレイないし45グレイの場合,第2度皮膚炎(著明な
赤み,腫れ及び痛み)の症状が現れ,色素沈着及び皮膚の乾燥状態が残
るが,徐々に正常皮膚に回復する,③照射開始後5週ないし6週,照
射量50グレイないし60グレイの場合,第3度皮膚炎(水疱,びらん
及び易出血)の症状が現れ,皮膚の萎縮,色素沈着,永久的脱毛,毛細
血管の拡張,皮下硬結などが残る,④耐用量以上の照射量の場合,第
4度皮膚炎(回復不可能な皮膚潰瘍及び壊死(皮膚の欠損))の症状が
現れ,外科的切除及び皮膚移植が必要であるとしている(乙C50の2・
2枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)63頁)。
(オ)放射線治療による急性の皮膚障害は,治療中から治療終了直後に起
こるが,その多くは一時的な症状であり,治療終了後1箇月ないし3箇
月で回復する(乙C50の2・2枚目)。
また,放射線治療による皮膚障害は,頻度は低いものの,晩期障害と
しても起こり得るところであり,放射線治療終了後,数箇月から数年を
経過して潰瘍を形成する場合があるなど,回復に時間を要することもあ
る(乙C50の2・2枚目)。
(カ)皮膚組織は,外面に接している面から順次,表皮,真皮及び皮下組
織の三層に分けられる(乙C56・4頁)。皮膚潰瘍とは真皮ないし皮
下組織に達する深い組織欠損の状態をいい,表皮までの欠損を意味する
「びらん」よりも深い傷である。通常,潰瘍の底面に出血及び漿液浸出,
膿苔,痂皮を伴い,先行病変の一部が残存することが多い。びらんでは
治癒後に痕跡を残さず表皮が再生するが,潰瘍は痕跡を残して治癒する。
皮膚潰瘍は,一般に,膠原病や糖尿病,血管炎など血行障害を起こしや
すい病気に引き続いて起こることが多く,何らかの感染症で発生する場
合もある(乙C56・48頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)64頁)。
イ改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は「悪性腫瘍(固形がんなど)」を積極認定対象
疾病としており,再改定後の新審査の方針でも同様である。
ウ検討
(ア)乳がんは,固形がんに該当するところ,前記(1)のとおり,一般的
に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるというべきである。な
お,乳がんのしきい値については,固形がんにおいて検討したとおりで
あり,乳がんはしきい値が観念されない疾病であると解するのが相当で
ある。
(イ)乳がん術後皮膚潰瘍についても,乳がんの放射線治療によって生ず
る障害であるから,同様に,一般的に放射線被曝との関連性が認められ
る疾病であるというべきである。
(3)心筋梗塞
ア意義
(ア)心筋梗塞は,いわゆる虚血性心疾患の一種であり,冠動脈の部分的
な又は完全閉鎖によって,急激に冠動脈血流が減少し,これにより心筋
壊死を来す疾患をいう(乙Dカ5・585頁,乙Dカ6・503頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(8)19頁)。すなわち,心筋梗塞は,心筋虚
血(心筋への血液供給が阻害され,その結果,心筋細胞が酸素不足(虚
血)に陥った状態)が一定時間持続した結果,心筋が壊死(心筋細胞死)
するに至った不可逆的虚血である(乙Dカ6・503頁,乙Dカ7・9
頁ないし12頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)19頁)。なお,急性
期の状態は急性心筋梗塞症と称される(乙Dカ6・503頁)。
(イ)心筋梗塞は,大部分の症例で冠動脈硬化が原因と考えられている(乙
Dカ5・585頁)。動脈硬化病変のうち最も頻度の高い動脈硬化病変
が粥状(アテローム)動脈硬化であり(乙Dカ8・21頁),血管内に
形成されたアテローム(粥腫)により局所に血栓が形成され,血管が塞
がれることにより心筋梗塞に至ると考えられている(弁論の全趣旨・被
告準備書面(8)20頁)。
(ウ)虚血性心疾患の危険因子(動脈硬化の危険因子)としては,喫煙,
高血圧,脂質異常症及び糖尿病のいわゆる4大危険因子のほか,年齢(加
齢。男性45歳以上,女性55歳以上),肥満,家族歴(遺伝),スト
レスなどが挙げられ,保有している危険因子の数が多いほど冠動脈疾患
の発症リスクは上がることが知られている(弁論の全趣旨・被告準備書
面(8)20頁)。
a喫煙すると,血中の一酸化窒素(NO)が低下し,その結果,活性
酸素(O2-
)が増加して動脈壁(内皮)を繰り返し損傷し,その都
度,これを修復するために,平滑筋細胞の増殖が過度に促進され,コ
ラーゲンなどの基質を形成して内膜の肥厚を増大させる。また,血流
中の単球は内皮下に滑り込んだ後マクロファージに変換されるが,マ
クロファージは種々の炎症性サイトカイン等を放出し,低比重リポ蛋
白LDLを酸化して酸化LDLとして取り込み,さらに,これが多く
の単球及びマクロファージを引き寄せるとともに,ついには泡沫細胞
に変質して蓄積し,冠動脈の内膜にコレステロール状の層が次第に沈
着し,内膜が強く肥厚して血管の内腔が狭められ粥状動脈硬化の状態
となり,それが虚血性心疾患,すなわち,心筋梗塞をもたらす原因と
なる(乙Dカ13・106頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)22
頁)。
b血液が血管内を流れていく場合に血圧が高いことは,血管の壁に高
い圧力が掛かることを意味するところ(乙Dカ10・1枚目),一般
に高血圧によって血管に負担が掛かると,血管の内皮細胞に傷がつき,
内皮細胞が有する動脈硬化を防ぐ働きが失われるとされている。また,
高血圧は細動脈の硬化を促すほか,高血圧になると,心臓も高い圧力
で血液を全身に送らなければならなくなるので,心臓にもそれだけ余
計な負担が掛かることになる(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)21頁,
22頁)。
このような高血圧の要因としては,一般に塩分の取り過ぎや,年齢,
喫煙,肥満などがリスクファクターとなる(乙Dカ11,弁論の全趣
旨・被告準備書面(8)22頁)。
c動脈硬化予防の標準的診療を提示する日本動脈硬化学会によるガイ
ドラインでは,従来,動脈硬化の危険因子の一つとして「高脂血症」
という表現が用いられていたが,動脈硬化性疾患の危険因子として,
高LDLコレステロール血症のみならず,低HDLコレステロール血
症(低HDL-C血症)も含まれることは既に世界的な一般的知見と
して確立していた(乙Dカ9・7頁,13頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(8)20頁,21頁)。日本動脈硬化学会は,重要な脂質異常で
ある低HDLコレステロール血症(低HDL-C血症)を含む表現と
して,従前の「高脂血症」という表現は適切ではなく,また,諸外国
における表現との統一を図るという見地から,「動脈硬化性疾患予防
ガイドライン2007年度版」において,従前の「高脂血症」とい
う表現を変更し,①高LDLコレステロール血症,②低HDLコレス
テロール血症(低HDL-C血症)及び③高トリグリセライド(中性
脂肪)血症を総合した表現として「脂質異常症」という表現を用いる
こととし,脂質異常症の診断基準(空腹時採血)を定めた。これによ
れば,高LDLコレステロール血症は,LDLコレステロールが14
0mg/dl以上,低HDLコレステロール血症は,HDLコレステ
ロールが40mg/dl未満,高トリグリセライド血症は,トリグリ
セライドが150mg/dl以上である(乙Dカ9・5頁,6頁,1
1頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)21頁)。
従前の「高脂血症」である①高LDLコレステロール血症及び③高
トリグリセライド血症については,動脈壁への刺激となり,血管内膜
の組織障害が生じることで動脈硬化に発展することになるが,②低H
DLコレステロール血症も動脈硬化性疾患の危険因子である(乙Dカ
9・7頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(8)21頁)。
d糖尿病は,血液中の糖の濃度(血糖値)が異常に高くなる病気であ
り,食生活,運動不足等の生活習慣の変化により,最近増加している
病気である。糖尿病による高インスリン血症が動脈硬化に有意に関与
することになるほか,高血圧,低HDLコレステロール血症などもし
ばしば起こるようになる(乙Dカ12,弁論の全趣旨・被告準備書面
(8)22頁)。なお,糖尿病の患者は正常の患者と比較して心臓発作及
び脳卒中の発生率が3倍高いとの報告もある(乙Dカ10・2枚目)。
e肥満は,高血圧,脂質異常症,糖尿病と並び死に結び付きやすい重
要なリスクファクターとされる。肥満は,血液中の脂肪が過多になり
やすい状態となるほか,高血圧,高尿酸血症,糖尿病などを合併しや
すいため,血管内膜を傷害する危険因子となる(弁論の全趣旨・被告
準備書面(8)23頁)。
f心身にストレスを感じると,交感神経を異常に興奮させ,これによ
りホルモンバランスが崩れ,血圧上昇,不整脈及び腎臓病を来し,心
臓発作の引き金になることから,心筋梗塞の発症のリスクファクター
であるといわれ,阪神・淡路大震災等の世界中の大地震では心筋梗塞
の発生率が増加したとの報告もある(乙Dカ10・2枚目)。
また,几帳面で周りの社会や組織に気を配る性格のタイプの者(「タ
イプA」)とそうでない,のんびり型,マイペース型のタイプの者(「タ
イプB」)とを比較すれば,前者(タイプA)の方が心筋梗塞に罹患
する割合が2倍多いとの報告もある(乙Dカ10・3枚目,弁論の全
趣旨・被告準備書面(8)23頁)。
g過度の飲酒は,動脈硬化のリスクファクターとなると考えられてい
る(弁論の全趣旨・被告準備書面(8)23頁)。
h以上の危険因子は,多くなればなるほど有病率は加速度的に増加す
るとされているといわれ,中でも高血圧,高脂血症(脂質異常症)及
び喫煙は,動脈硬化の3大危険因子といわれる(乙Dカ14・6枚目)。
米国マサチューセッツ州フラミンガムで危険因子と心臓病の関係
を明らかにするための疫学調査が行われ,その結果,総コレステロー
ルに高血圧,喫煙,耐糖能異常(糖尿病),更に心電図異常(左室肥
大)が加わるにつれ,心筋梗塞や狭心症などの心疾患の頻度が高くな
った(乙Dカ14・6枚目)。
イ各種知見
(ア)LSS第9報第2部
昭和57年発表のLSS第9報第2部は,がん以外の特定死因で,原
爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとしている(乙B20
8・1頁)。
(イ)「寿命調査第11報第3部改訂被曝線量(DS86)に基づ
く癌以外の死因による死亡率1950-85年」
放影研は,寿命調査(LSS)集団における昭和25年から昭和60
年までの死亡調査を行い,がん以外の死因による死亡について被曝線量
との関連を調べ,「寿命調査第11報第3部改訂被曝線量(DS8
6)に基づく癌以外の死因による死亡率1950-85年」(以下「L
SS第11報第3部」という。)としてまとめ(甲A41文献29・1頁),
平成4年に発表した。
LSS第11報第3部は,①まだ限られた根拠しかないが,高線量
域(2グレイ又は3グレイ以上)において,がん以外の疾患による死亡
リスクの過剰があるように思われ,統計学的にみると,二次モデル又は
線形-しきい値モデル(推定しきい値線量1.4グレイ(0.6グレイ
ないし2.8グレイ))の方が,単純な線形又は線形-二次モデルよりも
よく当てはまる,②がん以外の疾患による死亡率のこのような増加は,
一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢40歳以下)におい
て認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆している(甲A41
文献29・1頁),③昭和25年から昭和60年までの循環器疾患によ
る死亡率は,線量との有意な関連を示し,脳卒中以外の循環器疾患は全
期間で有意な傾向を示した,④後期(昭和41年から昭和60年まで)
になると,被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体の
死亡率及び心疾患の死亡率は,線量と有意な関係を示し,線量反応曲線
は純粋な二次又は線形-しきい値型を示した,⑤心疾患群のうち最も
死亡者数が多い冠状動脈性心疾患の死亡率は,同じ期間,同じ被爆時年
齢区分の心疾患と同じ傾向を示しているとしている(甲A41文献2
9・12頁)。
(ウ)「原爆放射線の人体影響1992」
平成4年発表の「原爆放射線の人体影響1992」は,膵臓は放射線
感受性の低い臓器と考えられており,放射線被曝の急性期においても数
百ラドの放射線被曝では組織学的にも内分泌学的にも異常は報告されて
おらず,放射線被曝と糖尿病発症との関連については,インスリン分泌
低下,糖尿病頻度,糖尿病発症率及び合併症についての報告がみられる
が,いずれも否定的な見解が得られているとしている(甲A37・12
9頁)。
(エ)「成人健康調査第7報原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,
1958-86年(第1-14診察周期)」
放影研は,昭和33年から昭和61年までに収集された成人健康調査
(AHS)集団の長期データを用いて悪性腫瘍を除く19の疾患の発生
率と電離放射線被曝との関係を初めて調査し,「成人健康調査第7報
原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年(第1-
14診察周期)」(以下「AHS第7報」という。)としてまとめ(乙Dネ
6・1頁),平成6年に発表した。
AHS第7報は,①心臓血管系の疾患について,いずれにも有意な
線量反応関係は認められなかった,②しかし,近年,若年被爆者では
心筋梗塞の発生が増加しており,特に最近二,三年ではこの傾向はほか
の調査でも認められる,③成人健康調査(AHS)において心筋梗塞
と確認された症例は77例に限られ,この中には致死症例は含まれてお
らず,今回有意な結果が得られなかったのは症例数の不足のためかもし
れないとしている(乙Dネ6・2頁)。
(オ)「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部がん以外の死亡率:
1950-1990年」
放影研は,放影研の寿命調査(LSS)集団のうち被曝線量が推定さ
れている8万6572人の原爆被爆者におけるがん以外の死亡率調査を
し,「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部がん以外の死亡率:
1950-1990年」(以下「LSS第12報第2部」という。)とし
てまとめ(乙Dネ14・1頁),平成11年に発表した。
LSS第12報第2部は,①今回の解析結果は,放射線量とともに
がん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結
果を強化するものであり,有意な増加が循環器疾患に観察された,②1
シーベルトの放射線に被曝した者の死亡率の増加は約10%で,がんと
比べるとかなり小さかった,③今回のデータからはっきりした線量反
応曲線の形を示すことはできなかった,④統計的に非直線性を示す証
拠はなかったが,0.5シーベルト未満では,リスクを無視することが
できるほど小さいか0である線量反応曲線にも矛盾しなかった(乙Dネ
14・1頁),⑤潜在的な重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調
査(LSS)集団において放射線とがん以外の死因による死亡率との間
にみられる関連性は交絡に起因するものではないと思われるとしている
(乙Dネ14・16頁)。
(カ)J144ら「原爆被爆者の血清総コレステロール値の経時的変化に
おける放射線の影響」
平成11年発表の放影研のJ144らの「原爆被爆者の血清総コレス
テロール値の経時的変化における放射線の影響」(以下「J144ら報告」
という。)は,1グレイ当たりのコレステロールの最大の増加は,女性で
は昭和5年のコホートで52歳だった者にみられ,広島で2.5mg/
dl(95%信頼区間は1.6mg/dlないし3.3mg/dl),長
崎で2.3mg/dl(95%信頼区間は1.5mg/dlないし3.
1mg/dl)であり,男性では昭和15年のコホートで29歳だった
者にみられ,広島で1.6mg/dl(95%信頼区間は0.4mg/
dlないし2.8mg/dl),長崎で1.4mg/dl(95%信頼区
間は0.3mg/dlないし2.6mg/dl)であったとしている(乙
C61の1・736頁,乙C61の2)。
(キ)J145ら「原爆被爆者の血圧に対する加齢および放射線被曝の影
響」
放影研のJ145らは,成人健康調査(AHS)集団について連続的
に測定されたデータに混合影響モデルを当てはめることにより,血圧に
おける年齢に関連した変化の検討及び放射線影響の検出を目的とした研
究を行い,「原爆被爆者の血圧に対する加齢および放射線被曝の影響」(以
下「J145ら報告」という。)としてまとめ(乙C64の1,乙C64
の2・1頁),平成14年に発表した。
J145ら報告は,①今回の解析では,収縮期血圧と拡張期血圧の
縦断的変化のいずれにも,小さいが統計的に有意な電離放射線の影響が
認められ,この現象は電離放射線が血管の変性に影響を与えることを示
唆している(乙C64の1,乙C64の2・1頁),②昭和15年に生
まれ,1グレイの原爆放射線に被曝した男性の40歳における収縮期血
圧の平均値は,同様の条件の非被曝者男性よりも約1.0mmHg(9
5%信頼区間は0.6mmHgないし1.5mmHg)高かった(乙C
64の1,乙C64の2・9頁),③昭和15年に生まれ,1グレイの
原爆放射線に被曝した男性の40歳における拡張期血圧の平均値は,同
様の条件の非被曝者男性よりも約0.8mmHg(95%信頼区間は0.
2mmHgないし1.2mmHg)高かったとしている(乙C64の1,
乙C64の2・10頁)。
(ク)J146ら「原爆放射線のヒト免疫応答に及ぼす影響(第17報):
原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上昇」
放影研のJ146らは,原爆被爆者の免疫機能の低下がバクテリアな
どの感染を介して持続的な炎症を誘起しているのではないかとの仮説の
検証のために,炎症の指標と考えられているC-反応性蛋白(CRJ)
とインターロイキン(IL)-6の血漿中レベルに対する放射線の長期
的影響並びにそれら炎症マーカーの血漿中レベルとCD4ヘルパーT細
胞(ヘルパーT細胞とは,蛋白質やT細胞依存性抗原に対するB細胞の
抗体産生を助ける働きをするT細胞をいい,CD4ヘルパーT細胞は,
リンホカイン(リンパ球由来の活性因子で,遅延型アレルギーなどの細
胞免疫現象を仲介する一種の作用物質)を産生する。)の割合との関係
について調べ,「原爆放射線のヒト免疫応答に及ぼす影響(第17報):
原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上昇」(以下「J
146ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A98・231頁),平
成14年に発表した。
J146ら第1報告は,①前向き研究ではないために,要因ではな
く結果である可能性を否定することができないものの,心筋梗塞の既往
歴のある被爆者ではC-反応性蛋白(CRJ)レベルとインターロイキ
ン(IL)-6レベルの有意な上昇が認めている,②原爆放射線によ
る免疫機能の低下と炎症の亢進が被爆者に発症する心血管疾患の一部に
関連している可能性が示唆される,③今後,前向き研究を進めるとと
もに,腫瘍壊死因子(TNF)-αなどの他の炎症関連因子に及ぼす放
射線の影響を調べ,心血管疾患などに対する炎症反応の関与について,
更に検討する必要があるとしている(甲A98・233頁)。
(ケ)LSS第13報
平成15年発表のLSS第13報は,①がん以外の疾患による死亡
率に対する放射線の影響については,追跡調査期間中(昭和25年から
平成9年まで)の最後の30年間では,1シーベルト当たり約14%の
割合でリスクが増加しており,依然として統計的に確かな証拠が示され
た,②心臓疾患に関して統計的に有意な増加がみられたが,約0.5
シーベルト未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められ
なかった(甲A77資料11-1・2頁),③被爆者において,大動脈
弓石灰化,収縮期高血圧並びにコレステロール及び血圧の年齢に伴う変
動など,がん以外の疾患のいくつかの前駆症状について長期にわたる僅
かな放射線との関連が報告されており,最近の調査では,被爆者に持続
性の免疫学的不均衡及び無症状性炎症と放射線との関連が認められた,
④これらは,がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連
するかもしれない,⑤寿命調査(LSS)におけるがん以外の疾患に
関する所見は,これらの疾患の率に対する放射線影響の機序を同定ある
いは否定する上で役立つであろう更なる調査の必要性を強調していると
している(甲A77資料11-1・41頁)。
(コ)「成人健康調査第8報原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生
率,1958-1998年」
放影研は,昭和33年から平成10年までの成人健康調査(AHS)
受診者から成る約1万人の長期データを用いて,がん以外の疾患の発生
率と原爆放射線被曝線量との関係を調査し,「成人健康調査第8報原爆
被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998年」(以下
「AHS第8報」という。)としてまとめ(乙C7・25頁),平成16
年に発表した。
AHS第8報は,①高血圧(P値は0.028)と40歳未満で被
爆した者の心筋梗塞(P値は0.049)に有意な二次線量反応を認め,
喫煙や飲酒で調整してもその結果は変わらなかった(乙C7・1頁),②
血清総コレステロール値に関する成人健康調査(AHS)の縦断的解析
では,被爆者のコレステロール値が非被爆者より有意に高いことを示し
ており,同じ傾向が若年コホートの血圧傾向においてもみられた,③こ
れらの増加は,若年被爆者の心筋梗塞の発生率の上昇をある程度説明す
るのかもしれないとしている(乙C7・9頁)。
(サ)J147ら「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超
えて」
平成16年発表の放影研のJ147らの「原爆放射線が免疫系に及ぼ
す長期的影響:半世紀を超えて」(以下「J147ら報告」という。)は,
①原爆放射線が人体にどのような生物学的影響を与えるのか,また,
これらの影響ががんだけではなくがん以外の疾患を含む多くの異なる
病気をどのように引き起こすのかについては明確な解答はないが,最近,
原爆被爆者においてがん以外のほとんどの主要な疾患による死亡率と
放射線量との間にも明確な関連性が観察されている,②興味深い意見
として,これらの放射線関連疾患,特に,がん以外の疾患には免疫系へ
の放射線影響がある程度関係しているかもしれないという仮説がある,
③被爆者の免疫系には過去の放射線被曝の顕著な影響がリンパ系細
胞の構成や機能に観察されている,④これらの影響によって生じる変
化の大部分は,被曝線量1グレイ当たり数パーセントと小さいように思
われるので,免疫系におけるこの僅かな変化のために特定の疾患に罹患
するという筋書きは描きにくいかもしれないが,僅かな免疫学的変化で
さえ,その変化が数十年以上継続する場合には,原爆被爆者集団にしば
しば観察される疾患のリスクを増加させたかもしれないと考えること
は可能である(甲A87・7頁),⑤成人健康調査(AHS)対象者
においてこれまで実施した調査から得たデータを綿密に解析した結果,
広島で原爆に被爆した時に20歳未満だった者は,2型糖尿病の有病率
と放射線量との間に有意な正の相関関係が示唆された,⑥20歳未満
の若年高線量被爆者における糖尿病のリスクに強く関わる免疫系の何
らかの構成要素は,特定の遺伝子の影響を受けると考えられる(甲A8
7・11頁),⑦原爆放射線が長期にわたる炎症を誘発し,それが疾
患の発生につながったとの仮説も考えられ,放影研の多面的な研究環境
により,原爆被爆者における疾患発生の基盤を成す免疫学的機序につい
て包括的な研究を実施することができると考えており,原爆被爆者にお
ける糖尿病,冠状動脈性心疾患等の疾患の発生に関し,免疫,炎症の媒
体と生活習慣因子との相互作用の有無について調査する予定であると
している(甲A87・13頁)。
(シ)J148ら「原爆放射線のヒト免疫応答におよぼす影響第23
報:炎症マーカーの長期的上昇」
放影研のJ148らは,インターロイキン(IL)-6及びインター
ロイキン(IL)-6により誘導される炎症指標の一つであるC-反応
性蛋白(CRJ)以外の炎症マーカー及び免疫グロブリン(Ig)の血漿
レベルを測定し,被曝線量との関係を総合的に検討し,「原爆放射線のヒ
ト免疫応答におよぼす影響第23報:炎症マーカーの長期的上昇」(以
下「J148ら報告」という。)としてまとめ(甲A292の1資料8・
413頁),平成18年に発表した。
J148ら報告は,①カイ
ンの腫瘍壊死因子(TNF)-α,インターフェロン(IFN)-γ及
びインターロイキン(IL)Total
免疫グロブリン(Ig),免疫グロブリン(Ig)A及び免疫グロブリン(Ig)
Mレベルの各マーカーが統計学的に有意に上昇することを見出した,②
放射線被曝と加齢のどちらもこの研究で調べたほとんどの炎症マーカー
の上昇を伴っていたことから,放射線の影響を加齢に換算して検討を行
ったところ,1グレイの放射線被曝は,被爆者の赤血球沈降速度(ES
R)と腫瘍壊死因子(TNF)-α,インターロイキン(IL)-10
及びTotal免疫グロブリン(Ig)レベルから判断して,約9年の免疫
学的加齢に相当する効果を示すことが分かった,③これらの結果は,
原爆放射線が炎症状態の加齢による亢進を更に促進しているということ
を示しているのかもしれないとしている(甲A292の1資料8・41
5頁,416頁)。
(ス)UNSCEAR2006年報告書
UNSCEAR2006年報告書は,①約1グレイないし2グレイ
未満の線量域での致死的な心血管疾患と放射線被曝の関連を示す証拠は,
これまで日本における原爆被爆者のデータ解析から得られているだけで
ある,②その他の研究は,約1グレイないし2グレイ未満の放射線量
による心血管疾患のリスクに関する明確なあるいは一貫した証拠を提供
していない,③科学的データも,約1グレイないし2グレイ未満の線
量における電離放射線への被曝と心血管疾患の罹患との間に因果関係が
あると結論付けるには現在不十分である(乙Dル7・6頁),④冠状動
脈心疾患について,0.5シーベルト未満での過剰リスクの証拠もほと
んどなかった(乙Dル7・349頁),⑤被曝した対象において,いく
つかの炎症マーカーに関して統計的に有意な線量影響関係が認められた,
⑥電離放射線によって持続的に炎症が続く状態は,非がん疾患のリス
クを増加させるかもしれない,⑦被曝した者らに認められる心筋梗塞
などの心血管疾患の発症に炎症反応が重要な役割を果たしていることを
示しているとしている(甲A661の5の2・180頁,181頁)。
(セ)J149「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」
放影研のJ149は,放射線被曝の心血管疾患及びその危険因子に及
ぼす影響について,主に放影研で行われた調査を基に,これまでに分か
ったことを検討し,「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」(以
下「J149報告」という。)としてまとめ(甲A604・205頁),
平成20年に発表した。
J149報告は,①放射線が血圧に及ぼす影響については,193
0年(昭和5年)代以降に生まれた若年被爆者において,加齢に伴う収
縮期血圧及び拡張期血圧経過が上方に偏位している(甲A604・20
7頁),②高血圧,高脂血症及び炎症にも放射線被曝が関与しているこ
とも明らかになったとしている(甲A604・208頁)。
(ソ)J150ら「放射線被曝と循環器疾患リスク:広島・長崎の原爆被
爆者データ,1950-2003」
J150らは,昭和25年から平成15年までの寿命調査(LSS)
集団を対象として,原爆放射線と脳卒中及び心疾患を原因とする死亡率
との線量反応関係を調査し,「放射線被曝と循環器疾患リスク:広島・長
崎の原爆被爆者データ,1950-2003」(以下「J150ら報告」
という。)としてまとめ(乙Dタ10),平成22年に発表した。
J150ら報告は,①心疾患の1グレイ当たりの過剰相対リスクの
推定値は14%(95%信頼区間は6%ないし23%。P値は0.00
1未満)で線型モデルが最もよく適合し,低線量でも過剰リスクの存在
が示唆された,②0グレイないし0.5グレイに限定した場合,線量
反応は有意ではなかった,③前向き研究で得られた喫煙,飲酒,教育
歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,心疾患の放射線リスク推定にも
ほとんど影響を及ぼさず,がんが循環器疾患と誤診されることも,観察
された関係を説明することができなかった,④結論として,0.5グ
レイを超える被曝線量では,心疾患のリスクの増加がみられたが,低線
量でのリスクの程度は明らかでなく,被爆者において,脳卒中と心疾患
を合わせた放射線関連の過剰死亡数はがんによる過剰死亡数の約3分の
1である(乙Dタ10),⑤心疾患について,しきい値線量の最高の推
定値は0グレイであり,95%信頼区間の上限でおよそ0.5グレイで
あった(乙Dタ12・6頁),⑥2グレイ以下の放射線被曝が循環器疾
患を引き起こし得るメカニズムについての知識は非常に限定されており,
証拠といえることといえば,放射線に誘発されたような炎症反応,内皮
細胞の細胞喪失や機能変化あるいは微小血管性損傷などが,放射線関連
の心疾患の病理学的な変化につながる病原性変化の初期の現象といえる
かもしれないということである,⑦これらは,他の危険因子,例えば,
高血圧,高脂血症,喫煙,糖尿病や感染症など心疾患を促進する因子を
増加させているのかもしれない,⑧放射線被曝線量と炎症マーカーの
長期間レベルとの関連について,被爆者を対象として調査がされてきた
が,放射線が腎臓実質の微小血管や血管内皮細胞の障害を引き起こすこ
とが高血圧や虚血変化を促進しているかもしれないとしている(乙Dタ
12・11頁,12頁)。
(タ)UNSCEAR2010年報告書
UNSCEAR2010年報告書は,①放射線被曝に関連した致死
的な心血管疾患の過剰リスクを示す唯一の明確な証拠は,心臓への線量
が約1グレイないし2グレイ未満では,原爆被爆者のデータから得られ
ている,②約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患
の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことはでき
なかった,③これらの疾患の低線量における線量反応関係の形状はま
だ明らかでない,④1グレイないし2グレイ未満の線量,また,はる
かに低い線量の場合においても,非がん疾患のリスクが増加することを
示す最近の疫学調査からの新たな証拠があるが,関連するメカニズムは
いまだ不明瞭で,低線量におけるリスク推定には問題が残るとしている
(乙Dル9・16頁)。
(チ)ICRJ2011年勧告
ICRJ2011年勧告は,不確実性は残るものの,循環器疾患のし
きい吸収線量は,心臓に対しては,0.5グレイ程度まで低いかもしれ
ないことを医療従事者は認識させられなければならないとしている(乙
C12の1,乙C12の2)。
(ツ)LSS第14報
平成24年発表のLSS第14報は,①非腫瘍性疾患では,循環器
疾患で放射線によるリスクの増加が示されたが,放射線との因果関係に
ついては今後の研究が必要である(甲A614の3・2頁),②過剰
リスクの有意な増加が循環器系(0.11(95%信頼区間は0.05
ないし0.17))で認められた(甲A614の3・12頁),③追
跡調査の初期(昭和25年から昭和40年まで)におけるがん以外の疾
患の死亡率の線量反応関係には約1.5グレイ未満で放射線影響は基本
的には認められなかったが,後期(昭和41年から平成15年まで)に
おいては,全体的にがん以外の疾患についてほぼ線形の線量反応関係が
認められ,両期間における線量反応の形状の差異は有意であるが,循環
器疾患では両期間に差異は認められなかったとしている(甲A614の
3・12頁,13頁)。
(テ)J146ら「放射線と加齢の影響に特に関連した原爆被爆者の全身
性炎症指標の評価」
放影研のJ146らは,活性酸素(ROS),インターロイキン(IL)
-6,腫瘍壊死因子(TNF)-α,C-反応性蛋白(CRJ),インタ
ーロイキン(IL)-4,インターロイキン(IL)-10及び免疫グ
ロブリン(Ig)の血漿中レベル並びに赤血球沈降速度(ESR)から成
る8種類の炎症指標により,442人の原爆被爆者の無症候性の炎症状
態について調査し,これらの指標に対する過去の放射線被曝と自然老化
の影響を個々人について評価比較した上で,これらの指標の相互関係に
よって隠されていた炎症と放射線被曝又は加齢の生物学的に重要な関連
を評価するために,選択した指標の線形結合によるスコアを多変量統計
解析を用いて計算し,全身性炎症指標を評価し,「放射線と加齢の影響に
特に関連した原爆被爆者の全身性炎症指標の評価」(以下「J146ら第
2報告」という。)としてまとめ(甲A614の14の1の1,甲A61
4の14の1の2),平成24年に発表した。
J146ら第2報告は,①活性酸素(ROS),インターロイキン(I
L)-6,C-反応性蛋白(CRJ)及び赤血球沈降速度(ESR)の
線形結合によって炎症状態を最もよく表すことができることを示し,ま
た,そのスコアにより炎症に対する統計学的に有意な放射線量と加齢の
影響が明確に示されることが分かった,②これらの結果は,総合的に
判断して,放射線被曝が自然老化と共に原爆被爆者の持続的炎症状態を
亢進している可能性を示唆しているとしている(甲A614の14の1
の1,甲A614の14の1の2)。
(ト)ICRJ2012年勧告
ICRJ2012年勧告は,①最近更新された原爆被爆者データの
分析(J150ら報告)によると,心疾患の推定しきい線量は0グレイ
とされ,95%信頼区間の上限は0.5グレイであった,②しかしな
がら,0グレイないし0.5グレイの範囲を通して,線量反応関係は統
計学的に有意ではなく,低線量の情報が不十分であることを示している
(乙Dル11の1,乙Dル11の2・4頁),③0.5グレイ以下の線
量域における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然とし
て不確実であることが強調されるべきであるとしている(乙Dル11の
1,11の2・5頁)。
(ナ)「原爆放射線の人体影響改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響改訂第2版」は,①原
爆被爆後60年以上を経た今日においても,被爆者の免疫系,すなわち,
細胞集団の構成及び細胞機能に放射線被曝に関連した変化が観察されて
おり,それらは,Tリンパ球を中心とする適応免疫の低下と活性化され
た自然免疫によると考えられる軽度な炎症状態である,②放射線がど
のようにして免疫系に長期にわたる影響を及ぼすのか,その機序はほと
んど分かっていないが,放射線被曝に関連してみられる免疫系の変化の
多くは加齢に伴って免疫機能が衰退していく様相と類似しており,原爆
被爆者では過去の放射線被曝によって免疫老化が促進している可能性が
示唆される,③放射線被曝者では,免疫老化の促進に伴って炎症応答
が増強され,それにより炎症が関わる疾患発生のリスクが高くなる可能
性があると考えられるとしている(甲A614の14の2・284頁)。
(ニ)J129の意見
J130病院医師のJ129は,①非がん疾患でも,多種の細胞と
組織(血管,筋肉等)で構成される臓器(心臓)の機能低下が晩発的に
生じてくる場合,しきい値を有する確定的影響となるかどうかはアプリ
オリにはいえない,②心疾患という統合的機能低下は,単一細胞の遺
伝子変異の結果ではないが,心臓を構成する多様な細胞群及び心臓に影
響を与える全身を循環する様々な細胞(群),因子(群)を通じて,被曝
による多面的な影響を受けているとみられる,③心疾患と被曝との間
にみられた線形の相関性を非がん疾患だからとして否定することはでき
ないとしている(甲A649・9頁)。
ウ改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は,「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極
認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極
認定対象疾病としている。
エ検討
(ア)心筋梗塞については,LSS第9報第2部,LSS第11報第3部,
LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第14報,J150ら
報告等によって,疫学的知見が集積されてきている。これらの報告は,
当初は,LSS第9報第2部が,がん以外の特定死因で原爆被爆との有
意な関係を示すものはみられないとして,心筋梗塞と放射線被曝との関
連性について否定的であったが,その後は,例えば,LSS第14報が
循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたとし,J150ら報
告が心疾患の1グレイ当たりの過剰リスクの推定値は14%で線型モデ
ルが最もよく適合しているとするなど,おおむね心筋梗塞と放射線被曝
との関連性を肯定するものとなっている。
これらの知見を含めた前記各種知見を総合し,改定後の新審査の方針
は「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病とし,再
改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としているこ
とも併せ考慮すれば,心筋梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性が認
められる疾病であるというべきである。
(イ)a次に,心筋梗塞のしきい値について検討する。
bこの点,J150ら報告は,心疾患について,0グレイないし0.
5グレイに限定した場合,線量反応は有意ではなく,95%信頼区間
の上限でおよそ0.5グレイであったとし,UNSCEAR2010
年報告書も,約1グレイないし2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾
患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すことは
できなかったとしている。UNSCEAR2006年報告書,ICR
J2011年勧告及びICRJ2012年勧告も,少なくとも0.5
グレイ程度に満たない低線量の被曝についてはその影響を否定するか
のようなものとなっている。
cしかしながら,J150ら報告は,同時に,心疾患のしきい値線
量の最高の推定値は0グレイであったともしている。
一方,心筋梗塞に関する危険因子に関する知見として,J146ら
第1報告が,原爆放射線による免疫機能の低下と炎症の亢進が被爆者
に発症する心血管疾患の一部に関連している可能性が示唆されるとし,
「原爆放射線の人体影響改訂第2版」が,放射線被曝者では,免疫
老化の促進に伴って炎症応答が増強され,それにより炎症が関わる疾
患発生のリスクが高くなる可能性があると考えられるとし,さらに,
J146ら第2報告が,放射線被曝が自然老化と共に原爆被爆者の持
続的炎症状態を亢進している可能性を示唆しているとしている。また,
J148ら報告は,1グレイの放射線被曝は,約9年の免疫学的加齢
に相当する効果を示すことが分かったともしている。そして,J14
5ら報告は,電離放射線が血管の変性に影響を与えることを示唆して
いるとし,AHS第8報やJ144ら報告は,被爆者のコレステロー
ルの増加を指摘している。糖尿病については,「原爆放射線の人体影響
1992」が放射線被曝と糖尿病発症との関連についてインスリン分
泌低下,糖尿病頻度,糖尿病発症率及び合併症についての報告がみら
れるが,いずれも否定的な見解が得られているとしているものの,J
147ら報告は,これとは異なり,広島で原爆に被爆した時に20歳
未満だった者は,2型糖尿病の有病率と放射線量との間に有意な正の
相関関係が示唆されたとしているものである。加えて,J149報告
が,高血圧,高脂血症及び炎症には放射線被曝が関与していることが
明らかになったとし,J150ら報告も,放射線に誘発されたような
炎症反応,内皮細胞の細胞喪失や機能変化あるいは微小血管性損傷な
どが,放射線関連の心疾患の病理学的な変化につながる病原性変化の
初期の現象といえるかもしれず,これらは,他の危険因子,例えば,
高血圧,高脂血症,喫煙,糖尿病や感染症など心疾患を促進する因子
を増加させているのかもしれないとしているのであって,少なくとも
心筋梗塞に関する危険因子である高血圧,脂質異常症及び糖尿病につ
いては放射線被曝との関連性が認められる症状であるというべきであ
る。さらに,J129の意見も,心疾患という統合的機能低下は,心
臓を構成する多様な細胞群及び心臓に影響を与える全身を循環する
様々な細胞(群),因子(群)を通じて,被曝による多面的な影響を受
けているとしているのであって,これらの知見を含めた前記各種知見
を総合すれば,心筋梗塞についても,固形がんと同様,しきい値がな
いものとして考えるのが相当というべきである。
(ウ)若年被爆者への影響について,LSS第11報第3部が,がん以外
の疾患による死亡率の増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被
爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いこ
とを示唆しているとしている。また,AHS第7報が,若年被爆者では
心筋梗塞の発生が増加しているとし,AHS第8報も,若年コホートの
血圧傾向において被爆者が非被爆者より有意に高いとしており,これら
の知見からすれば,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいもの
と優に推認することができるものというべきである。
(エ)さらに,交絡因子については,LSS第12報第2部が,潜在的な
重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調査(LSS)集団において
放射線とがん以外の死因による死亡率との間にみられる関連性は交絡に
起因するものではないと思われるとし,AHS第8報が,喫煙や飲酒で
調整しても,高血圧と40歳未満で被爆した者の心筋梗塞の有意な二次
線量反応の結果は変わらなかったとし,J150ら報告も,前向き研究
で得られた喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,心
疾患の放射線リスク推定にほとんど影響を及ぼさないとしていることか
らすれば,心筋梗塞においてはそもそもその影響が極めて小さいもので
あることが認められる。
(4)狭心症
ア総説
狭心症は,一過性の心筋虚血を原因とし,胸部又はその周辺の不快感を
主症状とする臨床症候群であり,心筋梗塞と同じ虚血性心疾患の一つであ
るが,疾病経過としては可逆的である点が心筋梗塞と異なる。狭心症は,
発生機序,誘因及び経過の観点からそれぞれ分類があるが,大まかには,
主に動脈硬化が原因となり器質的に(物理的に)冠動脈が狭窄することに
よって起こるもの(器質性狭心症)と,必ずしも器質的な病変を伴わない
が冠動脈平滑筋が攣縮することによって起こるもの(冠攣縮性狭心症)と
に分けることができる(乙C14・9頁,10頁,12頁,乙C15・9
頁ないし12頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(10)21頁,22頁)。
このうち,器質的な病変を伴う場合の危険因子については,心筋梗塞と
共通しており(虚血性心疾患の危険因子),喫煙,高血圧,脂質異常症,
糖尿病,年齢(加齢。男性45歳以上,女性55歳以上),家族歴などが
危険因子とされる(弁論の全趣旨・被告準備書面(10)22頁)。
狭心症は,原爆に被爆していなくても,誰にでも発症し得る疾患であり,
一般的には生活習慣病の一つとされている。そして,発症要因が不明とさ
れる疾患も多数ある中で,狭心症は,上記のリスク要因(危険因子)が存
在し(特に喫煙,高血圧,脂質異常症(高脂血症)及び糖尿病が4大危険
因子と言われている。),これらの危険因子が多くなればなるほど有病率
が加速度的に増加するなど,そのリスク要因やリスク上昇の程度が,疫学
上もメカニズム上も比較的明瞭にされている疾患である(弁論の全趣旨・
被告準備書面(10)22頁)。
イ検討
狭心症そのものに対する疫学調査は存在しないと認められるものの(弁
論の全趣旨),LSS第14報及びJ150ら報告は,循環器疾患ないし心
疾患全体の検討の中で狭心症を含めて疫学調査をし,放射線被曝の影響を
指摘しているものである。そして,心筋梗塞が心筋虚血が一定時間持続し
た結果,心筋が壊死するに至った不可逆的虚血であるのに対して,狭心症
は一過性の心筋虚血を原因とし,胸部又はその周辺の不快感を主症状とす
る臨床症候群であり,心筋梗塞と同じ虚血性心疾患の一つであって,いわ
ば同質の疾病である。そうであるとすれば,狭心症についても,心筋梗塞
に準じて考えることができるものというべきである。
したがって,狭心症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾
病であり,しきい値もないものとして考えるのが相当である。さらに,狭
心症は,若年被爆者におけるほど放射線の影響が大きい疾病であって,交
絡因子の影響も極めて小さいものと認めるのが相当である。
(5)脳梗塞
ア総説
(ア)脳梗塞は脳血管障害の一つである。脳血管障害は,脳の一部が虚血
あるいは出血により一過性又は持続性に障害を受けるか,脳の血管が病
理的変化により一次的に侵される場合,又は,この両者が混在する全て
の疾患と定義され,脳卒中の同義語として用いられている(乙C1・1
761頁)。
(イ)脳梗塞は,米国立神経疾患・脳卒中研究所(NINDS)による脳
血管障害の臨床的分類によれば,脳出血,くも膜下出血及び動静脈奇形
による頭蓋内出血と共に,局所性脳機能障害の一つである脳卒中の一病
型として分類されている(乙C1・1762頁,弁論の全趣旨・被告準
備書面(3)7頁)。なお,脳出血,くも膜下出血及び動静脈奇形による頭
蓋内出血を総称して「出血性脳卒中」と呼び,脳梗塞を「虚血性脳卒中」
と呼ぶ場合もある(乙C2・11頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)
7頁)。
また,脳梗塞の臨床病型は,①心原性脳塞栓症,②アテローム血栓性
脳梗塞及び③ラクナ梗塞に分類されている(乙C1・1762頁)。
(ウ)脳梗塞は,何らかの原因で脳の虚血(動脈血量の減少による貧血)
が発生している状態をいう。そして,虚血の発生機序は,①血栓性(動
脈硬化により,その部分に血栓が形成され虚血を呈するもの),②塞栓
性(血流の上流から栓子が流入して,血流を塞いで虚血を呈するもの)
及び③血行力学性(灌流圧の低下により,灌流圧の最も低い部分(分水
嶺)が虚血となるもの)に大別される(弁論の全趣旨・被告準備書面(3)
7頁)。
(エ)上記の発症機序を前提に臨床病型をみると,心原性脳塞栓症は,心
臓由来の血栓(心房細動が主な原因となる。)により血管が詰まるもの
(塞栓性),ラクナ梗塞は,細い血管病変に血栓ができることで起きる
もの(血栓性)ということができる。また,アテローム血栓性脳梗塞は,
頭蓋内外の主幹動脈のアテローム硬化(コレステロールなどの脂質が動
脈壁内に沈着することによりできる粥状硬化)により血栓を生じるなど
するもの(血栓性),栓子が流れてきた際に詰まるもの(塞栓性),あ
るいは,血流不足が生じやすいなどの原因で当該部位が閉塞するもの(血
行力学性)ということができる(乙C2・12頁,13頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(3)8頁)。
(オ)脳卒中(脳血管障害)は生活習慣病の一つとされ(乙C3・1枚
目),悪性新生物,心疾患,肺炎に続いて国民の死因の上位(平成2
3年で4位,全死亡の9.9%)を占めている(乙C4・14頁)。
脳卒中データバンク2009によれば,脳梗塞は,入院加療となる脳
卒中の症例のうちの4分の3を占めており(乙C2・11頁),その
臨床病型は,アテローム血栓性脳梗塞,ラクナ梗塞,心原性脳塞栓症
の症例でほぼ3分されている(乙C2・13頁)。
脳梗塞を起こしやすくする危険因子としては,高血圧,脂質異常症,
糖尿病,心房細動,喫煙等が挙げられている(乙C5・21頁ないし3
6頁,C6・22頁ないし26頁)。
イ各種知見
(ア)LSS第9報第2部
昭和57年発表のLSS第9報第2部は,がん以外の特定死因で,原
爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとしている(乙B20
8・1頁)。
(イ)LSS第11報第3部
平成4年発表のLSS第11報第3部は,①まだ限られた根拠しか
ないが,高線量域(2グレイ又は3グレイ以上)において,がん以外の
疾患による死亡リスクの過剰があるように思われ,統計学的にみると,
二次モデル又は線形-しきい値モデル(推定しきい値線量1.4グレイ
(0.6グレイないし2.8グレイ))の方が,単純な線形又は線形-二
次モデルよりもよく当てはまる,②がん以外の疾患による死亡率のこ
のような増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被爆時年齢4
0歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆し
ている(甲A41文献29・1頁),③昭和25年から昭和60年まで
の循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示したが,脳卒中
による死亡率にはそのような関連は認められなかった,④後期(昭和
41年から昭和60年まで)になると,被爆時年齢が低い群(40歳未
満)では,循環器疾患全体の死亡率及び脳卒中の死亡率は,線量と有意
な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次又は線形-しきい値型を示し
たとしている(甲A41文献29・12頁)。
(ウ)LSS第12報第2部
平成11年発表のLSS第12報第2部は,①今回の解析結果は,
放射線量とともにがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加すると
いう前回の解析結果を強化するものであり,有意な増加が循環器疾患に
観察された,②1シーベルトの放射線に被曝した者の死亡率の増加は
約10%で,がんと比べるとかなり小さかった,③今回のデータから
はっきりした線量反応曲線の形を示すことはできなかった,④統計的
に非直線性を示す証拠はなかったが,0.5シーベルト未満では,リス
クを無視することができるほど小さいか0である線量反応曲線にも矛盾
しなかった(乙Dネ14・1頁),⑤潜在的な重要交絡因子の影響は極
めて小さく,寿命調査(LSS)集団において放射線とがん以外の死因
による死亡率との間にみられる関連性は交絡に起因するものではないと
思われるとしている(乙Dネ14・16頁)。
(エ)LSS第13報
平成15年発表のLSS第13報は,①がん以外の疾患による死亡
率に対する放射線の影響については,追跡調査期間中(昭和25年から
平成9年まで)の最後の30年間では,1シーベルト当たり約14%の
割合でリスクが増加しており,依然として統計的に確かな証拠が示され
た,②脳卒中に関して統計的に有意な増加がみられたが,約0.5シ
ーベルト未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められな
かったとしている(甲A77資料11-1・2頁)。
(オ)UNSCEAR2006年報告書
UNSCEAR2006年報告書は,①心血管疾患やがんとは異な
る全ての疾患群の死亡について,約1グレイないし2グレイ未満の線量
の放射線被曝との関連を示す証拠は,原爆被爆者データの解析から得ら
れているだけである,②その他の研究からの科学的な証拠は,約1グ
レイないし2グレイ未満の線量の放射線被曝との因果関係を推論するた
めには,その集団における心血管疾患に関する証拠よりも更に不十分で
ある(乙Dル7・6頁),③脳卒中について,0.5シーベルト未満
での過剰リスクの証拠もほとんどなかったとしている(乙Dル7・34
9頁)。
(カ)J150ら報告
平成22年発表のJ150ら報告は,①脳卒中の線形線量反応モデ
ルに基づく1グレイ当たりの過剰相対リスクの推定値は9%(95%信
頼区間は1%ないし17%。P値は0.02)であったが,上向きの曲
線傾向がみられることから,低線量では比較的リスクが少ないことが示
唆された,②0グレイないし0.5グレイに限定した場合,線量反応
は有意ではなかった,③前向き研究で得られた喫煙,飲酒,教育歴,
職歴,肥満及び糖尿病のデータは,脳卒中の放射線リスク推定にもほと
んど影響を及ぼさず,がんが循環器疾患と誤診されることも,観察され
た関係を説明することができなかった,④結論として,0.5グレイ
を超える被曝線量では,脳卒中のリスクの増加がみられたが,低線量の
リスクの程度は明らかでなく,被爆者において,脳卒中と心疾患を合わ
せた放射線関連の過剰死亡数はがんによる過剰死亡数の約3分の1であ
る(乙Dタ10),⑤脳卒中について,しきい値線量の最良の推定は0.
5グレイであり,95%の信頼限界の上限は2グレイであったが,下限
は0を超えるものではなく,しきい線量は存在しないかもしれないとし
ている(乙Dタ12・6頁)。
(キ)UNSCEAR2010年報告書
UNSCEAR2010年報告書は,①約1グレイないし2グレイ
未満の線量の被曝と心血管疾患以外の非がん疾患の過剰発生との間の直
接的な因果関係についての結論を下すことはできなかった,②これら
の疾患の低線量における線量反応関係の形状はまだ明らかでない,③
1グレイないし2グレイ未満の線量,また,はるかに低い線量の場合に
おいても,非がん疾患のリスクが増加することを示す最近の疫学調査か
らの新たな証拠があるが,関連するメカニズムはいまだ不明瞭で,低線
量におけるリスク推定には問題が残るとしている(乙Dル9・16頁)。
(ク)ICRJ2011年勧告
ICRJ2011年勧告は,不確実性は残るものの,循環器疾患のし
きい吸収線量は,脳に対しては,0.5グレイ程度まで低いかもしれな
いことを医療従事者は認識させられなければならないとしている(乙C
12の1・乙C12の2)。
(ケ)LSS第14報
平成24年発表のLSS第14報は,①非腫瘍性疾患では,循環器
疾患で放射線によるリスクの増加が示されたが,放射線との因果関係に
ついては今後の研究が必要である(甲A614の3・2頁),②過剰
リスクの有意な増加が循環器系(0.11(95%信頼区間は0.05
ないし0.17))で認められた(甲A614の3・12頁),③追
跡調査の初期(昭和25年から昭和40年まで)におけるがん以外の疾
患の死亡率の線量反応関係には約1.5グレイ未満で放射線影響は基本
的には認められなかったが,後期(昭和41年から平成15年まで)に
おいては,全体的にがん以外の疾患についてほぼ線形の線量反応関係が
認められ,両期間における線量反応の形状の差異は有意であるが,循環
器疾患では両期間に差異は認められなかったとしている(甲A614の
3・12頁,13頁)。
(コ)J151ら「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致死的脳卒中と
放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980-2003年)」
J151らは,原爆による放射線被爆者9515人について昭和55
年から24年間追跡を行い,日本人原爆被爆者における放射線被曝と脳
卒中発生の関連を調べ,「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致死的
脳卒中と放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980-20
03年)」(以下「J151ら報告」という。)としてまとめ(甲A6
14の8の1),平成24年に発表した。
J151ら報告は,①昭和55年から平成15年までの研究期間中
に,235人の出血性脳卒中及び607人の虚血性脳卒中が確認された,
②年齢及び危険因子の調整後,出血性脳卒中のリスクは,男性では被
曝線量が0.05グレイ未満の群から2グレイ以上の群に増加するに伴
い,直線的な線量反応関係で増加した(P値は0.009),③1グ
レイ未満の群においても,しきい値のない発生率の増加を認めた(P値
は0.004),④女性では被曝線量の増加に伴い出血性脳卒中のリ
スクが増加したが,しきい値1.3グレイ未満ではリスク増加は認めら
れなかった,⑤男女ともに被曝線量と虚血性脳卒中に関連は認めなか
ったとしている(甲A614の8の1)。
(サ)ICRJ2012年勧告
ICRJ2012年勧告は,①最近更新された原爆被爆者データの
分析(J150ら報告)によると,脳卒中に関しては,推定しきい線量
は0.5グレイとされ,95%信頼区間の上限は2グレイであった(乙
Dル11の1,乙Dル11の2・4頁),②0.5グレイ以下の線量域
における,いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不
確実であることが強調されるべきであるとしている(乙Dル11の1,
乙Dル11の2・5頁)。
(シ)J152らの意見
J153診療所医師のJ152らは,脳梗塞の原因が脳血管の動脈硬
化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生
じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した
知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発
生リスクの増加につながっていることは否定することができないとして
いる(甲A613・13頁)。
ウ検討
(ア)脳梗塞についても,心筋梗塞と同様,LSS第9報第2部,LSS
第11報第3部,LSS第12報第2部,LSS第13報,LSS第1
4報,J150ら報告等によって,疫学的知見が集積されてきている。
これらの報告は,当初は,LSS第9報第2部が,がん以外の特定死因
で原爆被爆との有意な関係を示すものはみられないとして,脳梗塞と放
射線被曝との関連性について否定的であったが,その後は,例えば,L
SS第14報が循環器疾患で放射線によるリスクの増加が示されたとし,
J150ら報告が脳卒中の線形線量反応モデルに基づく1グレイ当たり
の過剰相対リスクの推定値は9%であったとするなど,おおむね脳梗塞
と放射線被曝との関連性を肯定するものとなっている。
これらの知見を含めた前記各種知見を総合し,改定後の新審査の方針
は「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾病とし,再
改定後の新審査の方針も「心筋梗塞」を積極認定対象疾病としていると
ころ,脳梗塞は,心筋梗塞とは循環器疾患であるという点において共通
することも併せ考慮すれば,脳梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性
が認められる疾病であるというべきである。
(イ)この点,J151ら報告は,出血性脳卒中のリスクが,男性では直
線的な線量反応関係で増加したとしつつも,男女ともに被曝線量と虚血
性脳卒中に関連は認めなかったとしている。しかしながら,J151ら
報告に対しては,①死亡例に関して,線量反応関係でほとんど0に近
いとされているグループにおいて脳梗塞が一定程度認められる,②α
50町研究は,我が国における成人病の有病率の調査としては,非常に
国際的な評価の高い精緻な調査であるところ,全く被曝のない集団を対
象としたα50町研究と被爆者の集団とを比較した場合に,被爆者の集
団は,脳梗塞の有病率が高いことが認められるなどの批判があり(証人
J152・調書21頁ないし22頁),J151ら報告についても,疫学
調査の問題として指摘したところが当てはまるのであって,J151ら
報告が上記のような報告をしているからといって,前記各種知見の総合
に基づく脳梗塞の放射線起因性が否定されることにはならないというべ
きである。
(ウ)次に,脳梗塞のしきい値について検討するに,UNSCEAR20
06年報告書,UNSCEAR2010年報告書,J150ら報告,I
CRJ2011年勧告及びICRJ2012年勧告は,少なくとも0.
5グレイ程度に満たない低線量の被曝についてはその影響を否定するか
のようなものとなっている。
しかしながら,J152らの意見は,脳梗塞の原因が脳血管の動脈硬
化であり,その悪化要因が高血圧や慢性腎臓病,更には脳血管内膜に生
じた無症状性の持続的炎症状態に関連していることも医学的に確立した
知見であり,それらが放射線被曝に関連している以上,被爆者の疾病発
生リスクの増加につながっていることは否定することができないとして
いるのであって,脳梗塞についても,心筋梗塞で検討したところと同様
の理由から,しきい値がないものとして考えるのが相当というべきであ
る。
(エ)若年被爆者への影響について,LSS第11報第3部が,がん以外
の疾患による死亡率の増加は,一般的に昭和40年以降で若年被爆群(被
爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いこ
とを示唆しているとしている。また,脳梗塞は,心筋梗塞とは循環器疾
患であるという点において共通するところ,心筋梗塞について,若年被
爆者におけるほど放射線の影響は大きいものと推認することができるこ
とからすれば,脳梗塞についても,若年被爆者におけるほど放射線の影
響は大きいものと優に推認することができるものというべきである。
(オ)さらに,交絡因子については,LSS第12報第2部が,潜在的な
重要交絡因子の影響は極めて小さく,寿命調査(LSS)集団において
放射線とがん以外の死因による死亡率との間にみられる関連性は交絡に
起因するものではないと思われるとし,J150ら報告が,前向き研究
で得られた喫煙,飲酒,教育歴,職歴,肥満及び糖尿病のデータは,脳
卒中の放射線リスク推定にもほとんど影響を及ぼさないとしていること
からすれば,脳梗塞においてはそもそもその影響が極めて小さいもので
あることが認められる。
(6)甲状腺機能亢進症
ア総説
(ア)甲状腺機能亢進症とは,甲状腺自体の活動が亢進し,そのため甲状
腺における甲状腺ホルモンの合成,分泌が高まっている病態を指す。バ
セドウ病(グレーブズ病ともいう。)とは,自己免疫異常の関与により
甲状腺において過剰の甲状腺ホルモンが合成,分泌される疾患をいい,
甲状腺機能亢進症の最も代表的な疾患であり(乙Dソ2・1349頁,
1350頁),原告J18もバセドウ病との診断を受けていることから
(後記第3の14参照),以下,バセドウ病を中心に検討する。
(イ)バセドウ病は自己免疫疾患の一つであり,その発生機序としては,
TSH受容体に対する自己抗体(抗TSH受容体抗体。この抗TSH受
容体抗体には,受容体機能を刺激する甲状腺刺激抗体が含まれている。
なお,自己抗体が生じる詳細な機序は未解決とされている。)が,甲状
腺刺激ホルモン(TSH)の代わりにTSH受容体に結合してこれを持
続的に刺激することによりTSH受容体の機能が活性化し,抑制が効か
ない状態で,TSH受容体から甲状腺ホルモンが大量に生産,放出され
て体内に多くの甲状腺ホルモンが存在する状態(甲状腺機能亢進症)と
なるとされている(乙Dソ2・1350ページ,乙Dソ3・169ない
し171頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)9頁,10頁)。すなわ
ち,バセドウ病は,甲状腺自体に異常を来しているわけではなく,飽く
までも異常な物質(甲状腺刺激抗体が含まれている抗TSH受容体抗体)
がTSH受容体を刺激することで,甲状腺の働きを異常にしてしまうも
のである(弁論の全趣旨・被告準備書面(13)10頁)。
(ウ)バセドウ病の原因としては,環境的要因と遺伝的要因があると考え
られており,環境的要因(環境因子)としては,ストレス,喫煙,感染,
ヨード摂取量,ホルモン,妊娠などが重要であるとされている(乙Dソ
2・1350頁)。
(エ)バセドウ病の主な治療法としては,①薬物で甲状腺ホルモンの合
成を抑制する「抗甲状腺薬による治療」,②手術により甲状腺を減ら
し,残存甲状腺が正常人と同じ程度のホルモン生成及び分泌を行うよう
にする「手術療法」,③放射性ヨード(ヨウ素131)の内服によっ
て,放射線により甲状腺を破壊縮小して過剰のホルモン合成を抑制する
「放射線ヨード治療」の三つに大きく分けられる(乙Dソ2・1353
頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)10頁,11頁)。
(オ)一方,慢性甲状腺炎の発生機序は,甲状腺ホルモンを合成する甲状
腺そのものに慢性の炎症が起き,甲状腺が徐々に破壊された結果,甲状
腺ホルモンを十分に産生できなくなり,甲状腺機能低下症の症状に至る
ものであるとされている。慢性甲状腺炎では,自己免疫の結果として,
抗サイログロブリン抗体(抗Tg抗体(TgAb))や抗甲状腺ペルオ
キシダーゼ抗体(抗TJO抗体(TJOAb))などが検出され,これ
らは診断に活用されている(乙Dソ4・98頁,101頁,弁論の全趣
旨・被告準備書面(13)11頁)。しかし,これらの抗体は生体内で慢性
甲状腺炎の病態そのものに影響を与えるものではないと考えられてお
り(乙Dソ4・98頁,99頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)12
頁),細胞傷害性T細胞という免疫担当細胞の一種により直接甲状腺細
胞が破壊されることが病態の主要メカニズムとして考えられている(乙
Dソ6の1,乙Dソ6の2,弁論の全趣旨・被告準備書面(13)12頁)。
(カ)また,一般に内分泌腺は発育中あるいは増殖状態にある場合にはよ
り感受性が高くなり,甲状腺についても,成人よりも小児の方がより放
射線の影響を受けやすいとされている(乙C44・40頁)
イ各種知見
(ア)J154ら「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について」
J155病院のJ154らは,昭和33年から昭和35年までの約2
年5箇月の間に4回の定期検診を除き,何らかの愁訴をもって来院した
外来患者7735人中54人(0.69%)の甲状腺疾患患者を経験し
たことから,臨床的及び統計的観察をし,「原爆被爆者にみられた甲状腺
障碍について」(以下「J154ら報告」という。)としてまとめ(甲A
293文献4・750頁),同年に発表した。
J154ら報告は,①単純性甲状腺腫が25人で最も多く,以下,
甲状腺機能亢進症,悪性甲状腺腫及び甲状腺機能低下症の順であった,
②2km内外の被爆距離別発現頻度では,甲状腺機能亢進症と単純性
甲状腺腫においては,全く有意の差を認めることはできなかったが,甲
状腺機能低下症と悪性甲状腺腫では,2km以内の発現頻度が高かった
としている(甲A293文献4・750頁)。
(イ)J156ら「放射線照射に関連した甲状腺機能亢進症」
昭和58年発表のJ157医大のJ156らの「放射線照射に関連し
た甲状腺機能亢進症」(以下「J156ら報告」という。)は,甲状腺機
能亢進症が放射線療法後に散見され,放射線照射に関連した甲状腺機能
亢進症が,患者99人中10人に認められたことにより,甲状腺機能亢
進症の発症機序に放射線が重要な役割を果たすものと結論付けられると
している(甲A306文献12)。
(ウ)J158「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」
J159のJ158は,甲状腺機能に及ぼす原爆放射線の影響を検討
することを目的として,1.5km以内の直接被爆者と3km以遠の直
接被爆者を対象として,血中の甲状腺刺激ホルモン(TSH)値と抗甲
状腺抗体の検索を中心にして,両群における甲状腺刺激ホルモン(TS
H)レベル,甲状腺機能低下症の頻度並びにその成因について比較検討
し,「原爆被爆者の甲状腺機能に関する検討」(以下「J158報告」と
いう。)としてまとめ(甲A293文献5・18頁),昭和60年に発表
した。
J158報告は,甲状腺機能低下症の頻度は,1.5km以内の直接
被爆者の群及び3km以遠の直接被爆者の群について,男性ではそれぞ
れ1.22%,0.35%,女性ではそれぞれ7.08%,1.18%
であり,男女とも1.5km以内の直接被爆者の群で有意に高率であっ
たとしている(甲A293文献5・19頁)。
(エ)ICRJ「電離放射線の非確率的影響」
昭和62年発表のICRJの「電離放射線の非確率的影響」は,①核
実験による放射性降下物に5歳以下の時に被曝したマーシャル群島の5
人の少年のうち2人に甲状腺機能の著しい低下がみられ,この甲状腺機
能低下には発育遅滞が伴い,体外ガンマ線と体内に沈着した放射性ヨウ
素による7グレイないし14グレイの線量を甲状腺に受けたためとされ
た,②同様に,10歳以下の年齢で被曝したマーシャル群島の子供達
で甲状腺の線量が平均12グレイであったと推定される22人のうちの
7人にそれ以後顕性の甲状腺機能低下あるいは無症候性の甲状腺予備能
力の低下,すなわち,血清中の甲状腺刺激ホルモン(TSH)の基礎レ
ベルの増加,又は,サイロトロピン放出ホルモンに対するTSH反応の
亢進が起こった,③被曝時に10歳以上であった子供達で甲状腺の線
量が平均4グレイよりやや少ないと推定された45人のうち4人に甲状
腺予備能力の低下を示す,同様なある種の臨床症状として現れない証拠
が認められた,④頚部の腫瘍にX線分割照射を行った成人で,粘液浮
腫を伴う甲状腺損傷が26グレイないし48グレイの照射後4箇月以内
から3年間に発生したことが報告されている,⑤これらの観察から甲
状腺全体が照射された場合,正常な成人の甲状腺に対するこのような重
篤な機能的損傷のしきい値は,30日間の分割照射で約25グレイない
し30グレイ程度であると推定されるが,もっと低線量でも臨床症状と
して現れない損傷を受ける可能性はあるとしている(乙C44・40頁,
41頁)。
(オ)J160ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」
放影研のJ160らは,昭和59年から長崎の成人健康調査(AHS)
集団を対象とし,全ての甲状腺疾患の発生頻度について調査を行い,「長
崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」(以下「J160ら
報告」という。)としてまとめ(甲A293文献7・587頁),昭和6
3年に発表した。
J160ら報告は,①原爆被爆の人体に及ぼす長期影響として,高
線量被曝者に結節性甲状腺腫の発生頻度の増加を,低線量被曝者のみに
橋本病による甲状腺機能低下症の有意の増加を認めた,②今後は,高
線量被曝のみならず低線量被曝の人体に及ぼす影響を注意深く調査する
必要があると考えられたとしている(甲A293文献7・591頁)。
(カ)J161「放射線と甲状腺疾患」
昭和63年発表の米国ローデアイランド大学教授のJ161の「放射
線と甲状腺疾患」(以下「J161報告」という。)は,甲状腺へのX線
照射は,腺腫と甲状腺機能低下の高い発生率を含む他の組織学的異常を
誘発するだけではなく,自己免疫性甲状腺疾患の罹患率の増加と恐らく
眼球突出やグレーブズ病の発症と関係しているとしている(甲A306
文献11の1,甲A306文献11の2)。
(キ)J162ら「放射性降下物地域における甲状腺結節の高有病率」
J162らは,被爆後,長崎のα25地区に少なくとも10年以上住
み,調査時点で長崎市に住む247人のうち,184人について甲状腺
疾患を調査し,「放射性降下物地域における甲状腺結節の高有病率」(以
下「J162ら第1報告」という。)としてまとめ(甲A614の21
の1,甲A614の21の2),平成元年に発表した。
J162ら第1報告は,対照群では368人中1人に甲状腺機能亢進
症の病歴があったのに対し,α25地区では184人中4人に甲状腺機
能亢進症の病歴があり,うち1人は被爆前の病歴があったとしている(甲
A614の21の1,甲A614の21の2)。
(ク)AHS第7報
平成6年発表のAHS第7報は,①甲状腺疾患発生率と放射線との
有意な正の線量反応が認められた(乙Dネ6・16頁),②ただし,
甲状腺疾患とは,非中毒性結節性甲状腺腫,び慢性甲状腺腫,甲状腺中
毒症,甲状腺炎及び甲状腺機能低下症のうち一つ以上が存在する疾患で
あると広義に定義した,③特に若年者の甲状腺は悪性腫瘍だけでなく,
その他の甲状腺疾患をもたらすということでも電離放射線の影響に敏感
であることが示された,④電離放射線とがん以外の特定の種類の甲状
腺疾患の関係は,それを解明するために特別に企画された調査を通して
検討しなければならないとしている(乙Dネ6・22頁)。
(ケ)J162ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」
長崎大学医学部教授のJ162らは,放影研の長崎の成人健康調査(A
HS)集団における甲状腺疾患の現状を明らかにすることを目的として,
昭和59年から昭和62年にかけて実施された長崎の成人健康調査(A
HS)対象者2856人のうち2587人について調査研究をし,「長
崎原爆被爆者における甲状腺疾患」(以下「J162ら第2報告」とい
う。)としてまとめ(甲A306文献7・64頁),平成6年に発表し
た。
J162ら第2報告は,①がん,腺腫,腺腫様甲状腺腫及び組織学
的診断のない結節を含む充実性結節並びに抗体陽性特発性甲状腺機能低
下症(自己免疫性甲状腺機能低下症)においては有意な線量反応関係が
認められたが,他の疾患では認められなかった(甲A306文献7・6
4頁),②この調査によって,原爆被爆者において自己免疫性甲状腺
機能低下症の有病率が増加していることが初めて示され,線量反応曲線
は上に凸で,約0.7シーベルトで最大に達するが,これは比較的低線
量の放射線が甲状腺に及ぼす影響を更に研究することの必要性を示して
いるとしている(甲A306文献7・73頁)。
(コ)J163ら「北海道在住成人における甲状腺疾患の疫学的調査-ヨ
ード摂取量と甲状腺機能との関係-」
J164病院のJ163らは,札幌及び本道沿岸の5地域の住民につ
いて甲状腺疾患の疫学調査を行い,ヨード摂取量と甲状腺機能異常の頻
度との関係を検討し,「北海道在住成人における甲状腺疾患の疫学的調
査-ヨード摂取量と甲状腺機能との関係-」(以下「J163ら報告」
という。)としてまとめ(甲A614の20の2・614頁,615頁),
平成6年に発表した。
J163ら報告は,平均年齢46.0歳±10.0歳の男性及び平均
年齢44.9歳±10.2歳の女性の札幌群において,低血中甲状腺刺
激ホルモン(低TSH)の頻度は0.61%であり,バセドウ病の頻度
は0.39%であったとしている(甲A614の2の2・615頁,6
17頁)。
(サ)新内科書
平成8年発表の新内科書は,①バセドウ病は自己免疫性の甲状腺
疾患であり,TSH受容体に結合する自己抗体の存在によって甲状腺
が刺激されるため機能亢進が起こるものと考えられているが,甲状腺
に対する自己免疫の成立する機序についてははっきりしていない,②
バセドウ病と橋本病(甲状腺機能低下症)でみられる遺伝的,免疫学
的な特徴はほとんど共通しており,また,経過中に両者の間を移行す
る症例もみられることから,これらは実は本来同種の自己免疫性甲状
腺疾患であって,TSH受容体刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が
優位かによって現れ方が違うだけではないかという考え方があると
している(甲A620・1057頁)。
(シ)J165「ロシア領内のチェルノブイリ原発事故における放射線汚
染地域に住むGraves病の子どもにおける放射線被曝の臨床症状と病歴
についてのいくつかのデータ」
平成12年発表の卒後教育のためのロシア医学アカデミーのJ165
の「ロシア領内のチェルノブイリ原発事故における放射線汚染地域に住
むGraves病の子どもにおける放射線被曝の臨床症状と病歴についての
いくつかのデータ」(以下「J165報告」という。)は,①コホート
の中でグレーブズ病に罹患する平均相対リスクは,チェルノブイリ原発
事故以後最初の5年間と比較すると,最近の5年間(1995年(平成
7年)ないし1999年(平成11年))では約3倍に増加した,②1
986年(昭和61年)ないし1994年(平成6年)のグレーブズ病
の罹患率は低く,年当たり100分の0.45というごく少数の子供が
記録されたが,その後,1995年(平成7年)ないし1999年(平
成11年)の間に1.02に増加し,残りの多数が含まれる,③個体
発生の早期における低線量被曝は,小児の甲状腺自己免疫病態の進展に
おいて,発病前のリスクファクターであるかもしれないとしている(甲
A306文献10の1,甲A306文献10の2)。
(ス)UNSCEAR2000年報告書
UNSCEAR2000年報告書は,①労働者や小児に放射線被曝
に関連しない甲状腺結節の発生がみられる以外には,チェルノブイリ原
発事故の影響を受ける集団の中で甲状腺異常が生じる証拠はない,②
1991年(平成3年)から1996年(平成8年)までの間にJ16
6が実施した事故時に10歳未満の小児16万人を対象とした大規模な
スクリーニングプログラムにおいてさえ,電離放射線に関連する甲状腺
機能低下症,甲状腺機能亢進症及び結節性甲状腺腫のリスクは増加しな
かった,③いくつかのマイナーな研究とは矛盾するが,甲状腺抗体の
増加もみられなかったとしている(乙Dソ8の1,乙Dソ8の2)。
(セ)J167ら「総説環境による甲状腺被曝に伴う自己免疫性甲状
腺疾患」
平成15年発表の米疾病予防管理センター(CDC)のJ167ら
の「総説環境による甲状腺被曝に伴う自己免疫性甲状腺疾患」(以
下「J167ら報告」という。)は,①甲状腺機能の異常は,甲状
腺機能亢進症としても甲状腺機能低下症としても出現し得る,②両
コンディションの鑑別診断は大変広範囲に渡るが,臨床的に有意な甲
状腺機能障害の共通の原因は,自己免疫プロセスにおいて甲状腺特異
抗原に対する抗体によって仲介されることである,③TSH受容体
を刺激する抗体は,結果として甲状腺機能亢進状態を起こし,対照的
に,甲状腺内での慢性炎症性破壊過程に関与する抗体は,甲状腺機能
低下症を引き起こし得る(甲A306文献3の1,甲A306文献3
の2・2頁),④抗甲状腺抗体の発現は,多くの部分は被曝した者
の免疫機構によって決定されているので,放射線起因性の抗体形成は,
厳密に線量に相関した現象ではないであろう,⑤反応性に富む免疫
機構を持った患者では,低線量の被曝による少数の抗原への曝露です
らも大量の抗体形成の結果,甲状腺疾患の発症へと至ることができる
との仮説を立てることができ,環境被曝と個人被曝線量との線形の線
量反応関係がないことをもって,原因と効果の関係を除外することは
できない,⑥主に生態学的研究の形で,低線量の環境被曝は,期待
されるよりも高い抗甲状腺抗体発症率を伴うであろうということを
示すいくつかのエビデンスがあるとしている(甲A306文献3の1,
甲A306文献3の2・10頁)。
(ソ)AHS第8報
平成16年発表のAHS第8報は,①放射線と関連した甲状腺異常
が,延長された経過観察中に発生し続けた,②悪性,良性の甲状腺腫
瘍が原爆での被曝線量に伴い増加したにもかかわらず,大半の症例が複
数の甲状腺異常を有しており,また,甲状腺機能試験及び超音波検査法
が定期的に実施されなかったため,特定の甲状腺疾患に対する放射線の
影響はこの段階では評価することは不可能であった,③平成12年に
開始された広島及び長崎で進行中の成人健康調査(AHS)甲状腺研究
(後記のJ168ら報告を指す。)は,特定の甲状腺疾患への放射線の
影響を検証し,また,甲状腺機能低下症と自己免疫性甲状腺疾患に関す
る最近の成人健康調査(AHS)の知見を確証するために有用となるで
あろうとしている(乙C7・6頁)。
(タ)J168ら「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線
量反応関係」
放影研のJ168らは,J162ら第2報告が,長崎における昭和5
9年から昭和62年までの甲状腺調査で成人健康調査(AHS)集団に
おいて甲状腺結節と自己免疫性甲状腺疾患の線量反応を評価したことを
受けて,平成12年から平成15年までの平均年齢71歳の広島及び長
崎の成人健康調査(AHS)対象者3185人(男性1023人,女性
2162人)について甲状腺疾患の臨床調査を実施し,「広島・長崎の
原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」(以下「J168
ら報告」という。)としてまとめ(甲A306文献4の1・13頁,甲
A306文献4の2),平成17年に発表した。
J168ら報告は,①甲状腺抗体陽性率,甲状腺自己抗体陽性甲状
腺機能低下症及びバセドウ病の有病率は,それぞれ28.2%,3.2%
及び1.2%であった(甲A306文献4の1・13頁,甲A306文
献4の2),②バセドウ病有病率と放射線量の関連が示唆されたが,
統計的に有意なレベルには達しなかった(95%信頼区間は-0.06
ないし1.69。P値は0.10)(甲A306文献4の1・14頁,
15頁,甲A306文献4の2),③線量反応解析では,甲状腺自己
抗体陽性率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症のいずれについても
有意な放射線量反応関係は認められなかった,④この結果は,ハンフ
ォード核施設からのヨウ素131に若年で被曝した者らに関する最近の
報告結果及び原爆被爆者に関する以前の疫学調査結果と一致している,
⑤自己免疫性甲状腺疾患は放射線被曝には有意に関連していなかった
としている(甲A306文献4の1・16頁,甲A306文献4の2)。
(チ)第16回在北米被爆者健康診断
2007年(平成19年),ロサンゼルス,ホノルル,サンフランシス
コ及びシアトルの4都市において,被爆者426人(うち70人は被爆
二世)を対象に第16回在北米被爆者健康診断が行われた(甲A306
文献8・162頁)。診断の結果,被爆二世を除く被爆者356人のうち
7人に甲状腺機能亢進症の既往又は治療が認められたが(甲A306・
6頁),受診した被爆者について被爆状況別に検討した結果,被爆状況と
の間に統計的に有意な関連を認めた疾患や検査所見はなかった(甲A3
06文献8・162頁)。
(ツ)UNSCEAR2008年報告書
UNSCEAR2008年報告書は,①甲状腺線量と自己免疫性甲
状腺疾患との関連について,いかなる決定的証拠をも提供しなかった,
②この研究はハンフォード核施設及び広島と長崎の原爆投下によって
被曝した者らの研究の知見と一致する(乙Dソ19・176頁),③こ
れまでの証拠は,放射線被曝と臨床的に意味のある自己免疫性甲状腺炎
との関係を示唆していないとしている(乙Dソ19・185頁)。
(テ)ICRJ2012年勧告
ICRJ2012年勧告は,甲状腺機能亢進症は,35グレイを超え
る線量の分割照射の約8年後程度から発症する可能性があるが,それほ
ど一般的ではないとしている(乙Dソ20の1,乙Dソ20の2)。
(ト)「原爆放射線の人体影響改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響改訂第2版」は,①昭
和26年から昭和60年までの広島の原爆被爆者を対象として放影研が
行った3821例の剖検結果では,腺腫様甲状腺腫と甲状腺被曝線量と
の間に有意な関連は認められない(乙C49・211頁),②甲状腺
機能亢進症に関しては,現在のところ明らかな放射線被曝の影響を示唆
する結果はないが,研究自体が少なく今後の検討課題である,③甲状
腺機能亢進症に関しては,ホジキン病の放射線治療や甲状腺結節のヨウ
素131内照射治療による高線量被曝で発症のリスクが高まるとの報告
があるが,甲状腺被曝線量と線量反応関係は不明で,結論は出ていない
(乙Dソ9・213頁),④昭和59年ないし昭和62年に長崎の成
人健康調査(AHS)対象者に行われた甲状腺調査(J162ら第2報
告)では,甲状腺機能亢進症(TSH低値かつfT4高値)は有意な甲
状腺被曝線量(DS86)との関連を認めず,また,平成12年ないし
平成15年の広島及び長崎の成人健康調査(AHS)対象者における甲
状腺調査(J168ら報告)では,甲状腺機能亢進症の主な原因である
バセドウ病に関して解析が行われたが,長崎の結果と同様に甲状腺被曝
線量(DS02)との有意な関連を認めなかった(乙Dソ9・215頁),
⑤低ないし中線量の被曝による甲状腺機能亢進症の研究は少なく,ハ
ンフォード核施設周辺住民の調査(平均甲状腺線量0.17グレイ)及
びウクライナにおけるチェルノブイリ原発事故後の検討(平均被曝線量
0.77グレイ)では,いずれも甲状腺機能亢進症と甲状腺被曝線量と
の有意な関連を認めなかったとしている(乙Dソ9・216頁)。
(ナ)チェルノブイリ原発事故後の調査報告
チェルノブイリ原発事故後,高度汚染地区のベラルーシでは,甲状腺
機能亢進症が0.16%ないし0.18%にみられ,ロシアやウクライ
ナの0.05%ないし0.08%より多い(甲A306・8頁)。また,
甲状腺機能亢進症と甲状腺機能低下症について,ベラルーシのモギリョ
フにおける割合がそれぞれ0.16%,0.06%,ウクライナのキエ
フにおける割合がそれぞれ0.08%,0.05%となっており,甲状
腺機能低下症よりも甲状腺機能亢進症の患者数が多くなっている(甲A
306文献9の1・399頁)。
(ニ)J152の意見
J152は,①甲状腺機能低下症は甲状腺ホルモンが不足してい
る状態であるのに対し,甲状腺機能亢進症は,甲状腺ホルモンが過剰
になっている状態であり,臨床的には区別すべき問題である,②し
かしながら,その発生機序について考察すると,両者とも,自己免疫
疾患とされており,未解明な部分が数多くある,③甲状腺機能亢進
症と診断されている患者の中に甲状腺機能低下症の代表的な疾患で
ある橋本病の自己抗体を有している割合も一定程度あり,また,逆の
こともある,④甲状腺機能亢進症から同じ共通の自己免疫疾患であ
る橋本病に実際に病態が移行しているというケースもあるとの報告
があり,この二つの疾患は,自己免疫という現象では共通している,
⑤したがって,甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症を全く別の疾
患であると考えるのは一面しかみておらず,放射線の影響を考える際
には,もう少し様々な角度からこの二つの疾患の有する共通性を十分
に考える必要性があるとしている(証人J152・調書35頁)。
ウ改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は,「放射線起因性が認められる甲状腺機能低
下症」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も「甲
状腺機能低下症」を積極認定対象疾病としている。
エ検討
(ア)a甲状腺機能亢進症(バセドウ病)については,UNSCEA
R2008年報告書が甲状腺線量と自己免疫性甲状腺疾患との関
連について,いかなる決定的証拠をも提供しなかったとし,第1
6回在北米被爆者健康診断も,診断の結果,被爆二世を除く被爆者
356人のうち7人に甲状腺機能亢進症の既往又は治療が認められ
たが,受診した被爆者について被爆状況別に検討した結果,被爆状況
との間に統計的に有意な関連を認めた疾患や検査所見はなかった
としている。UNSCEAR2000年報告書も同趣旨であり,
また,「原爆放射線の人体影響改訂第2版」も,甲状腺機能亢進
症に関しては,甲状腺被曝線量との線量反応関係は不明で結論は
出ておらず,複数の報告でも,甲状腺機能亢進症ないしバセドウ
病と甲状腺被曝線量の有意な関連は認められていないとしている。
このように放射線被曝との関連性を否定するかのような知見が
複数ある一方で,「電離放射線の非確率的影響」やICRJ201
2年勧告のように,そもそも高線量被曝のみを前提としているよう
な知見もある。
しかしながら,AHS第7報は,甲状腺疾患を非中毒性結節性甲
状腺腫,び慢性甲状腺腫,甲状腺中毒症,甲状腺炎及び甲状腺機能
低下症のうち一つ以上が存在する疾患であると広義に定義した上
で,甲状腺疾患発生率と放射線との有意な正の線量反応が認められ
たとし,AHS第8報は,特定の甲状腺疾患に対する放射線の影響
を評価することは不可能であったとしながらも,放射線と関連した
甲状腺異常が発生し続けたとしている。このような報告を経た上で,
J168ら報告は,統計的に有意なレベルには達しなかったとしな
がらも,バセドウ病有病率と放射線量の関連が示唆されたとしてい
るものである。この点については,J156ら報告及びJ161報
告も同趣旨であり,また,J160ら報告は,甲状腺疾患に関し,
低線量被曝の人体に及ぼす影響を注意深く調査する必要があると
もしているものである。
一方,J163ら報告は,平均年齢46.0歳±10.0歳の
男性及び平均年齢44.9歳±10.2歳の女性の札幌群におい
て,バセドウ病の頻度は0.39%であったとしているところ,
J168ら報告は,平均年齢71歳の広島及び長崎の成人健康調
査(AHS)対象者について甲状腺疾患の臨床調査を実施したと
ころ,バセドウ病の有病率は1.2%であったとしており,両報
告には年齢に差異がある等の批判があることを考慮してもかなり
の高率であると認められる。同様に,J162ら第1報告も,長
崎のα25地区に少なくとも10年以上住んでいた184人のう
ち,4人に甲状腺機能亢進症の病歴があるとしているのであって,
うち1人は被爆前の病歴があったことを考慮しても,対照群が3
68人中1人にしか甲状腺機能亢進症の病歴が認められないこと
と比較してかなりの高率であると認められる。
さらに,J165報告やチェルノブイリ原発事故後の調査報告な
どにおいても,チェルノブイリ原発事故後に甲状腺機能亢進症の増
加が認められる。
bJ154ら報告やJ158報告は,甲状腺機能低下症と原爆放射線
との関連を示す報告をしており,また,J162ら第2報告も,原
爆被爆者において自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率が増加し
ていることが示されたとしているところ,改定後の新審査の方針
が「放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症」を積極認定対
象疾病とし,再改定後の新審査の方針も「甲状腺機能低下症」を
積極認定対象疾病としていることも併せ考慮すれば,甲状腺機能
低下症は,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であ
ると認めることができる。
一方,甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症(バセドウ病)との
関係について,新内科書は,甲状腺に対する自己免疫の成立する機
序についてははっきりしておらず,バセドウ病と橋本病(甲状腺機
能低下症)でみられる遺伝的,免疫学的な特徴はほとんど共通して
おり,また,経過中に両者の間を移行する症例もみられることから,
これらは本来同種の自己免疫性甲状腺疾患であって,TSH受容体
刺激性抗体が優位か細胞障害性免疫が優位かによって現れ方が違
うだけではないかとの考え方があるとしており,J152の意見も,
甲状腺機能低下症,甲状腺機能亢進症とも自己免疫疾患とされてお
り,未解明な部分が数多くあるとした上で,両者を全く別の疾患で
あると考えるのは一面しかみておらず,放射線の影響を考える際に
は,もう少し様々な角度からこの二つの疾患の有する共通性を十分
に考える必要があるとしている。この点は,J167ら報告もおお
むね同趣旨である。
これらの知見によれば,両疾病は,相互に関連性の高い疾病であ
ると認められる。
c以上の各種知見を総合すれば,甲状腺機能低下症と並んで甲状腺
機能亢進症(バセドウ病)も,一般的に放射線被曝との関連性が認
められる疾病であるというべきである。
(イ)次に,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)のしきい値について検討
するに,J162ら第2報告は,自己免疫性甲状腺機能低下症の線量
反応曲線が上に凸で,約0.7シーベルトで最大に達し,比較的低線
量の放射線が甲状腺に及ぼす影響を更に研究することが必要である
とし,J165報告も,個体発生の早期における低線量被曝は,小児
の甲状腺自己免疫病態の進展において,発病前のリスクファクターで
あるかもしれないとしている。また,J167ら報告は,抗甲状腺抗
体の発現は,多くの部分は被曝した者の免疫機構によって決定されて
いるので,放射線起因性の抗体形成は,厳密に線量に相関した現象で
はないであろうとした上で,反応性に富む免疫機構を持った患者では,
低線量の被曝による少数の抗原への曝露ですらも大量の抗体形成の
結果,甲状腺疾患の発症へと至ることができるとの仮説を立てること
ができ,環境被曝と個人被曝線量との線形の線量反応関係がないこと
をもって,原因と効果の関係を除外することはできないとしており,
甲状腺については,放射線被曝の影響との関係では,感受性の程度が大
きく影響していると考えられるとしている。さらに,甲状腺に対する自
己免疫の成立する機序についてははっきりしていないとされている
(新内科書)ことからすれば,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)につ
いても,固形がんと同様,しきい値がないものとして考えるのが相当
というべきである。
(ウ)若年被爆者への影響について,前記アのとおり,甲状腺について
は,成人よりも小児の方がより放射線の影響を受けやすいとされてい
るところ,AHS第7報が,若年者の甲状腺は悪性腫瘍だけでなく,
その他の甲状腺疾患をもたらすということでも電離放射線の影響に敏
感であることが示されたとし,J165報告が,個体発生の早期にお
ける低線量被曝は,小児の甲状腺自己免疫病態の進展において,発病
前のリスクファクターであるかもしれないとしていることからすれ
ば,若年被爆者におけるほど放射線の影響は大きいものというべきで
ある。
(7)C型慢性肝炎
ア総説
(ア)慢性肝炎は,慢性肝機能障害の一つであるところ,本来的には病理
学的な概念であり,持続性の炎症性病変としての肝門脈域を中心とした
単核球浸潤と繊維増殖がその基本であり,その成立には,ウイルス,自
己免疫,薬物,金属(銅など)のほか,先天性代謝異常(ウィルソン病
等)など幹細胞障害をもたらす因子が持続的に存在することが必須であ
るとされている(乙C35・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面
(3)43頁)
このうち,ウイルス性の慢性肝炎は,臨床的には6箇月以上の肝機能
検査値の異常とウイルス感染が持続している状態(新犬山分類)と定義
されており,慢性の肝障害の90%を占めている。現在知られている肝
炎ウイルスは五つ存在するが,持続感染によって慢性化するのは,B型,
C型及びD型の肝炎ウイルスである。全国における慢性肝炎の患者数は
150万人ないし200万人とされており,その4分の3はC型肝炎ウ
イルス(HCV)が原因であるとされている(乙C32・1845頁,
1846頁,乙C33・B-19頁,B-25頁,B-26頁,乙C3
4・16項,乙C35・1頁,2頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)
43頁)。
(イ)C型慢性肝炎とは,C型肝炎ウイルス(HCV)の感染によって起
こる慢性肝炎である(乙C39・9枚目)。
C型肝炎の感染源は,C型肝炎ウイルス(HCV)に感染しているヒ
トの血液であり,具体的な感染経路は輸血,刺青,人工透析,血液製剤,
滅菌が不十分な医療器具による医療行為,医療従事者の針刺事故,注射
器の回し打ち等が指摘されている(乙C33・B-25頁,乙C39・
26枚目,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)45頁)。
C型肝炎ウイルス(HCV)に感染すると,半月から半年以内に急性
肝炎症状を発症する。また,一旦感染すると,持続感染により慢性肝炎
を発症する例が多く,C型肝炎ウイルス(HCV)感染者の70%ない
し80%が慢性肝炎に至るとされており(乙C33・B-25頁,乙C
34・22項,46項,48項,230項,乙C35・2頁,4頁,弁
論の全趣旨・被告準備書面(3)45頁),C型肝炎ウイルス(HCV)の
キャリアは,感染後平均10年で繊維化が進行して慢性肝炎に至り,さ
らに,肝病変が徐々に進行して,ウイルス感染の時から平均21年後に
肝硬変に,平均29年後に肝細胞がんに進展したとの症例報告もある(乙
C38・25頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(3)45頁,46頁)。そ
して,C型肝炎ウイルス(HCV)初感染者の70%前後は持続感染状
態に陥り,C型肝炎ウイルス(HCV)持続感染者(C型肝炎ウイルス
(HCV)キャリア)100人が適切な治療を受けずに70歳まで過ご
した場合,10人ないし16人が肝硬変に,20人ないし25人が肝が
んに進行すると予測されている(乙C39・35枚目)。
イ各種知見
(ア)LSS第11報第3部
平成4年発表のLSS第11報第3部は,①昭和25年から昭和6
0年までの消化器疾患の死亡率には,線量に伴う有意な増加傾向が認め
られ,この傾向は後期(昭和41年ないし昭和60年)の被爆時年齢が
低い群で認められる,②消化器疾患のうち,肝硬変の死亡率は消化器
疾患全体と同じ線量反応を示しているとしている(甲A41文献29・
12頁)。
(イ)「原爆放射線の人体影響1992」
平成4年発表の「原爆放射線の人体影響1992」は,①昭和37
年に広島市の原爆医療認定申請書を用いて行った統計的調査において,
被爆者の肝疾患の頻度は国民健康調査と比べて3倍近く高率であり,近
距離被爆者で特に高い傾向を認めた(甲A37・181頁),②昭和
50年からの2年間に,成人健康調査(AHS)対象中の1グレイ以上
の高線量被爆者全員と,その対照者として性,年齢及び受診年月日を一
致させた0グレイないし0.9グレイ線量群の同数を選び,その総計2
566人についてHBs抗原と抗体の測定を行ったところ,HBs抗体
の陽性率に差はみられなかったが,HBs抗原の陽性率は1グレイ以上
の高線量群の方が対照群よりも有意に高く(3.4%対2.0%),そ
の傾向は被爆当時20歳以下の若年の者につきより明らかであり,高線
量被曝群での免疫能の低下を示唆するものではないかと考えられた,③
放影研の疫学的調査研究の結果,寿命調査(LSS)集団での昭和25
年から昭和60年までの非腫瘍性疾患の死亡調査では,肝硬変による死
亡が放射線量により明らかな増加を認め,この傾向は特に比較的若年被
爆者に最近みられるようであり,また,成人健康調査(AHS)集団に
おける発生率の解析でも,慢性肝炎又は肝硬変の発生と放射線被曝の関
連を示唆する結果が得られつつあり,一方,寿命調査(LSS)集団で
より確実な情報である腫瘍登録データを用いた解析では,初めて原発性
肝がんと放射線の有意な関連が示されてきているとしている(甲A3
7・182頁,183頁)。
(ウ)AHS第7報
平成6年発表のAHS第7報は,①放射線被曝との有意な正の関連
性(P値は0.05未満)が慢性肝疾患及び肝硬変にあることが判明し
た(乙Dネ6・14頁ないし16頁),②ウイルス性肝炎では,昭和
33年から昭和61年までの成人健康調査(AHS)対象者には統計的
に有意な放射線の影響はみられなかったとしている(乙Dネ6・16頁)。
(エ)J138ら報告
平成6年発表のJ138ら報告は,①死亡に関するこれまでの寿命
調査(LSS)の所見と同様に,全充実性腫瘍について統計学的に有意
な過剰リスクが立証された(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.6
3),②放射線と肝臓(1シーベルトでの過剰相対リスクは0.49)
のがん罹患との関連性がみられたとしている(甲A80文献4・2頁)。
(オ)J169ら「原爆被爆者の肝細胞癌におけるJ53突然変異の頻度」
放影研のJ169らは,原爆による肝細胞がんリスクの増加を説明す
る一助となる分子事象を究明するために,0ミリシーベルトないし15
69ミリシーベルト(肝臓線量)の様々な放射線量に被曝した原爆被爆
者120人の肝細胞がん組織試料におけるJ53遺伝子(がん抑制遺伝
子)を解析し,「原爆被爆者の肝細胞癌におけるJ53突然変異の頻度」
(以下「J169ら報告」という。)としてまとめ(乙Dネ16の1,乙
Dネ16の2・1頁),平成10年に発表した。
J169ら報告は,①腫瘍組織にJ53突然変異を有する肝細胞が
ん組織試料の割合には,統計学的に有意な線量反応があった(乙Dネ1
6の1,乙Dネ16の2・2頁),②放射線の直接の標的は,放射線誘
発突然変異によって突然変異誘発因子へと変化する遺伝子である可能性
が高い,③突然変異誘発遺伝子の誘発は線量に伴い増加すると考えら
れ,これにより単一の細胞又はその子孫が,正常細胞からがん細胞への
変換に必要な複数の突然変異を蓄積すると思われる,④J53突然変
異と細胞死,再生,損傷の慢性周期を導くB型及びC型肝炎ウイルス感
染(日本人の肝細胞がん患者集団で頻繁に観察される)の関連について,
更に被爆者集団を用いて調査することにより,放射線が誘発する肝がん
の病因についてより明確な手掛かりが得られるであろうとしている(乙
Dネ16の1,乙Dネ16の2・3頁)。
(カ)LSS第12報第2部
平成11年発表のLSS第12報第2部は,①慢性肝疾患がB型及
びC型肝炎ウイルス感染と関係があることはよく知られている,②放
射線被曝がB型肝炎ウイルス(HBV)・キャリアの率の増加に関連し
ていることは成人健康調査(AHS)において観察されているとしてい
る(乙Dネ14・27頁)。
(キ)J170ら「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性肝
疾患の有病率」
放影研のJ170らは,原爆放射線被曝がC型肝炎ウイルス(HCV)
感染陽性率を変化させるかどうか,あるいは,C型肝炎ウイルス(HC
V)感染後に慢性肝炎への進行を促進するかどうかを検討するため,広
島及び長崎の原爆被爆者から成る成人健康調査(AHS)対象者612
1人について血清抗HCV抗体陽性率を調査し,「原爆被爆者における
C型肝炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病率」(以下「J170ら報
告」という。)としてまとめ(甲A275添付資料3・1頁),平成1
2年に発表した。
J170ら報告は,①抗HCV抗体陽性率は,線量0の者に比べて
線量を持つ者では低かったが(相対有病率0.84。P値は0.022),
スムーズな線量反応関係はみられなかった,②しかし,これらのデー
タから,慢性肝疾患に対する放射線量反応関係は,抗HCV抗体陰性の
被爆者に比べて,抗HCV抗体陽性の被爆者において大きいことが示唆
された,③抗HCV抗体陽性率と被曝線量との間に線量反応関係はみ
られなかったが,抗HCV抗体陽性者において,慢性肝疾患に対する放
射線量反応の増加の可能性が示唆された(甲A275添付資料3・1頁,
乙Dネ21の2),④慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗体陽性の対
象者と陰性の対象者の両方について放射線量とともに増加し(95%信
頼区間は,陽性の場合,-1.05ないし9.02,陰性の場合,-0.
05ないし0,46),線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性
の対象者において20倍近く高い勾配を示したが,これは有意に近いが
有意ではなかった(P値は0.097)(甲A275添付資料3・9頁,
乙Dネ21の2),⑤結論として,放射線被曝は,C型肝炎ウイルス
(HCV)感染に関連した慢性肝疾患の進行を促進するのかもしれない
としている(甲A275添付資料3・1頁)。
なお,J170は,抗HCV抗体陽性における慢性肝疾患の有病率に
ついて,放射線の影響がみられていないともしている(乙Dネ20・1
35項)。
(ク)J171ら「主成分分析を用いた原爆被爆者における炎症性検査
の解析」
放影研のJ171らは,線量(DS86),喫煙など資料のそろっ
た成人健康調査(AHS)対象者6304人について,複数の炎症性
検査から成るデータに対し主成分分析を適応することにより得た個体
の炎症状態を最もよく反映する指標(主成分分析からの標準化スコア)
と線量との相関を調べ,「主成分分析を用いた原爆被爆者における炎
症性検査の解析」(以下「J171ら報告」という。)としてまとめ
(甲A275添付資料9・267頁),平成12年に発表した。
J171ら報告は,①慢性肝疾患に線量との有意な相関が認められ
た(甲A275添付資料9・268頁),②慢性肝疾患に線量との有
意な相関が認められたのは,各種肝炎ウイルスによる持続的炎症の存在
が考えられる,③被爆者の免疫障害が背景にあると考えられ,予備的
研究でCD4ヘルパーT細胞比と炎症性検査は有意な負の相関が認め
られ,自己抗体陽性者では特に強い負の相関が認められたとしている
(甲A275添付資料9・269頁)。
(ケ)LSS第13報
平成15年発表のLSS第13報は,①寿命調査(LSS)の肝が
ん罹患率に関する放影研での最近の解析結果は,肝がんの過剰相対リス
クが被爆時年齢に依存することを示唆しており,20歳代で被爆した者
に高いリスクが認められたが,10歳未満あるいは45歳以上で被爆し
た者に過剰リスクはほとんど認められなかった(甲A77添付資料11
の1・24頁),②消化器疾患に有意な過剰リスクが認められるとして
いる(甲A77資料11-1・36頁)。
(コ)J172ら「原爆被爆者における肝細胞癌:C型肝炎ウイルス感染
と放射線の有意な相互作用」
放影研のJ172らは,肝細胞がんのリスクに及ぼす放射線とB型肝
炎ウイルス(HBV)及びC型肝炎ウイルス(HCV)の同時効果につ
いて調査するため,原爆に被爆した日本人被爆者集団においてコホート
内症例対照調査を実施し,「原爆被爆者における肝細胞癌:C型肝炎ウ
イルス感染と放射線の有意な相互作用」(以下「J172ら第1報告」
という。)としてまとめ(乙Dネ17の1,乙Dネ17の2・1頁),
平成15年に発表した。
J172ら第1報告は,①肝硬変に罹患していない者について,肝
臓の放射線被曝とC型肝炎ウイルス(HCV)の間に肝細胞がんのリス
クにつき有意な正の相互作用がみられた(P値は0.017),②肝
硬変に罹患していないC型肝炎ウイルス(HCV)感染者の肝細胞がん
のリスクは肝臓線量1シーベルト当たり58倍増加するが,このオッズ
比の95%信頼区間は広い(1.99ないし無限大),③肝硬変を伴
う肝細胞がんの発症においてC型肝炎ウイルス(HCV)と放射線の間
に有意な相互作用はみられなかった(オッズ比は0.4。P値は0.6
7)(乙Dネ17の1,乙Dネ17の2・7頁),④C型肝炎ウイル
ス(HCV)感染者は特に放射線被曝に対する感受性が高く,逆もまた
同様であることを示唆しているとしている(乙Dネ17の1,乙Dネ1
7の2・12頁)。
(サ)AHS第8報
平成16年発表のAHS第8報は,①肝疾患における1シーベルト
での推定相対リスクは,1.15(95%信頼区間は1.06ないし1.
25。P値は0.001)であった,②慢性肝疾患には,アルコール
性肝疾患,慢性肝炎,飲酒歴のない肝硬変,胆汁性肝硬変及び他の非ア
ルコール性慢性肝疾患が含まれるところ,非アルコール性慢性肝疾患を
主として,昭和61年6月以降,大幅な症例数の増加を来たし,非アル
コール性慢性肝疾患は発症症例数の69%を占めていた,③平成3年
以降,超音波検査法がルーチンに行われ,脂肪肝の診断を劇的に増加さ
せる結果となったが,他の慢性肝疾患の診断に関しては顕著な変化はな
かった,④昭和61年以降に発生した脂肪肝単独と他の全ての慢性肝
疾患での放射線影響を調べたところ,全ての肝疾患で有意な線形線量反
応があり,1シーベルトでの推定相対リスクは,1.14(95%信頼
区間は1.0ないし1.32。P値は0.054)であった,⑤脂肪
肝の445症例のみでは1シーベルトでの推定相対リスクは1.16(9
5%信頼区間は0.99ないし1.37。P値は0.073)であり,
線形線量反応が考えられたが,他の慢性肝疾患の199症例では,1シ
ーベルトでの推定相対リスクは1.06(95%信頼区間は0.84な
いし1.40。P値は0.64)であり,放射線の影響は有意ではなか
った(乙C7・4頁),⑥成人健康調査(AHS)での放射線量に伴
う慢性肝疾患及び肝硬変の発生率の有意な上昇は,寿命調査(LSS)
での知見と一致している,⑦日本での慢性肝炎及び肝硬変の主因はC
型肝炎ウイルス(HCV),B型肝炎ウイルス(HBV)の各感染症及
び過度のアルコール摂取であるところ,平成5年から平成7年までの抗
HCV抗体陽性率に関する成人健康調査(AHS)は線量反応を示さな
かったが(全陽性率は9%),慢性肝疾患での放射線量に関連した上昇
の可能性が,抗HCV抗体陽性者の者にみられ,この研究での慢性肝疾
患及び肝硬変の線量に関係した発生率の上昇は,高線量の被爆者でのB
型肝炎ウイルス(HBV)持続感染,又は,活性化したC型肝炎ウイル
ス(HCV)感染の促進により,部分的には説明されるかもしれないと
している(乙C7・7頁)。
(シ)J173「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」
J174病院のJ173は,現時点における肝疾患に関する基礎的,
臨床的研究の成果を踏まえて,被爆が慢性肝障害の原因となり得るか,
ウイルス性慢性肝障害(慢性肝炎及び肝硬変)の発症及び進展に関わっ
ているかについて,被爆者における慢性肝障害に関する過去の研究によ
ってどこまで解明されたかを明らかにすることを目的とした研究を行
い,「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」(以下「J173報告」
という。)としてまとめ(乙Dネ8の1・2頁),平成18年に発表し
た。
J173報告は,C型肝炎ウイルス(HCV)感染に対する被爆の影
響について,①平成5年から平成7年までの2年間の成人健康調査(A
HS)受診者において,被爆者にC型肝炎ウイルス(HCV)持続感染
者の比率は多いという知見は得られず,むしろ有意に低率であり,C型
肝炎ウイルス(HCV)持続感染成立に関する被爆の促進的な効果につ
いては否定的な結果であった,②C型肝炎ウイルス(HCV)感染者
における肝障害発現についても,C型肝炎ウイルス(HCV)が持続感
染していると考えられるHCV抗体高力価陽性者において,慢性肝障害
有病率について有意の線量反応はみられず,C型肝炎ウイルス(HCV)
感染者において被爆が肝障害発現を促進する可能性を示す知見は得られ
なかった,③C型慢性肝炎成立には被爆は関わっていないと考えられ
るとしている(乙Dネ8の3・1頁)。
(ス)J175「原爆による放射線被爆と慢性肝疾患発症との関連性」
J176センターのJ175は,J170ら報告のデータセットを
用いて,ロジスティック回帰分析によりC型肝炎ウイルス(HCV)感
染者540人について線量カテゴリ別の調整オッズ比を算出し,肝障
害発現について線量しきい値の設定が可能かどうかについて検討し,
「原爆による放射線被爆と慢性肝疾患発症との関連性」(以下「J1
75報告」という。)としてまとめ(乙Dネ8の1・30頁),平成
18年に発表した。
J175報告は,①B型肝炎ウイルス(HBV)感染者,C型肝炎
ウイルス(HCV)感染者いずれにおいても,有意に肝障害発現頻度が
高い線量カテゴリはなく,統計学的有意性をもってしきい値の設定を考
えた場合,その設定は困難であった,②続いて,肝障害発現について
検討したところ,C型肝炎ウイルス(HCV)感染非被爆者及びC型肝
炎ウイルス(HCV)感染被爆者のオッズ比は,それぞれ15.057,
15.056であり,差はみられなかったとしている(乙Dネ8の1・
30頁)。
(セ)J172ら「電離放射線急性被曝と肝硬変との間に関連性はない」
放影研のJ172らは,広島及び長崎の原爆被爆者に関する以前の調
査には,急性放射線被曝による肝硬変リスクの有意な増加を示したも
のと,慢性肝疾患リスクの有意な増加を示したものがあるが,これら
の調査ではB型肝炎ウイルス(HBV)感染が考慮されていなかった
として,B型肝炎ウイルス(HBV)感染,併発する原発性肝がん及び
その他の交絡因子を調整した上で,電離放射線急性被曝と肝硬変との
関係を検討し,「電離放射線急性被曝と肝硬変との間に関連性はない」
(以下「J172ら第2報告」という。)としてまとめ(乙Dネ12
の1,乙Dネ12の2・1頁),平成18年に発表した。
J172ら第2報告は,①肝がんの有無にかかわらず,喫煙及び肝
臓線量は肝硬変に関連していなかった,②死亡年が昭和45年以前,
昭和45年から昭和54年まで,昭和54年以降の対象者について放射
線による肝硬変のリスクを検討したところ,被爆後経過時間にかかわら
ず,放射線被曝は肝硬変に関係していなかった,③線量1シーベルト
における調整していない粗のオッズ比は1.07であり,原発性肝がん
の有無,B型肝炎ウイルス(HBV),他の交絡となり得る因子につい
て調整した後は0.59に減少した(乙Dネ12の1,乙Dネ12の2・
8頁),④急性被曝とは対照的に,電離放射線への慢性被曝は肝硬変
リスクを有意に増加させるとしている(乙Dネ12の1,乙Dネ12の
2・10頁)。
(ソ)J177「原爆被爆者における肝細胞癌リスクへの放射線被曝と肝
炎ウイルス感染の影響」
放影研のJ177は,肝炎ウイルス感染,飲酒量,BMI及び喫煙習
慣の調整後でも,放射線被曝が肝細胞がんの独立リスク因子であるかを
究明するため,保存血清を用いて原爆被爆者におけるコホート内症例対
照研究を行い,また,放射線,飲酒量,BMIの増加及び喫煙習慣が非
B非C型肝細胞がんのリスク増加に寄与するかどうかについても評価し,
「原爆被爆者における肝細胞癌リスクへの放射線被曝と肝炎ウイルス感
染の影響」(以下「J177報告」という。)としてまとめ(乙Dネ1
9・21頁),平成23年に発表した。
J177報告は,①肝細胞がん診断前の6年以内に収集されていた
229例の血清試料のうち保存血清の状態が良好でなかった5例を除く
224例を調査対象とし,コホート内症例対照方式により,1症例当た
り3対照血清を,性,年齢,都市,血清保存の時期及び方法を一致させ,
放射線量に基づくカウンターマッチングによって選択した(乙Dネ1
9・21頁)結果,カテゴリ化飲酒量,BMI及び喫煙習慣の調整後で
も,肝細胞がんと放射線量若しくは肝炎ウイルス感染の間に有意な関連
が認められ,放射線と肝炎ウイルス感染を一緒に適合させてもほとんど
変わらなかった(乙Dネ19・23頁),②ウイルスによる放射線リ
スクの仲介がある場合には,ウイルス感染の有無を調整した場合にはリ
スクは減少するはずであるが,減少はしなかったとしている(乙Dネ1
9・24頁)。
(タ)LSS第14報
平成24年発表のLSS第14報は,肝硬変は,調査期間全体(昭和
25年から平成15年まで)と昭和40年以降のいずれでも放射線リス
クの増加を示さなかった(前者は1グレイ当たりの過剰相対リスク0.
11(95%信頼区間は-0.07ないし0.34),後者は1グレイ
当たりの過剰相対リスク0.17(95%信頼区間は-0.04ないし
0.42))としている(甲A614の3・12頁)。
(チ)「原爆放射線の人体影響改訂第2版」
平成24年発表の「原爆放射線の人体影響改訂第2版」は,①原
爆被爆者では,被曝線量が抗HCV抗体陽性者の増加に関連するという
知見は,現在のところ得られていない(乙Dネ9・243頁),②こ
れまでに報告された慢性肝疾患における線量反応関係の有意性が脂肪肝
と関連することを示唆しているとしている(乙Dネ9・247頁)。
(ツ)放影研の要覧
平成26年発表の放影研の要覧(以下「平成26年放影研要覧」と
いう。)は,①昭和61年以降に限ると,慢性肝疾患の相対リスク
は1.14(95%信頼区間は0.84ないし1.40)であり,有
意ではない,②慢性肝疾患を脂肪肝と脂肪肝以外に分類した場合,
脂肪肝のリスクのみ放射線量に示唆的関連を認めることから(相対リ
スク1.16(95%信頼区間は0.99ないし1.37)),慢性
肝疾患における線量反応関係の有意性が脂肪肝と関連する可能性が示
唆されているとしている(乙C73・25頁)。
ウ改定後の新審査の方針及び再改定後の新審査の方針
改定後の新審査の方針は,「放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬
変」を積極認定対象疾病としており,再改定後の新審査の方針も,「慢性
肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病としている。
エ検討
(ア)aC型慢性肝炎については,J173報告が,C型慢性肝炎成立
には被爆は関わっていないと考えられるとし,「原爆放射線の人体影
響改訂第2版」と平成26年放影研要覧が,慢性肝疾患における
線量反応関係の有意性が脂肪肝と関連することを示唆していると
するなど,放射線被曝との関連性を否定する報告もある。なお,肝
硬変についてであるが,LSS第14報は,放射線リスクの増加を
示さなかったとしている。
しかしながら,一方で,「原爆放射線の人体影響1992」は,
被爆者の肝疾患の頻度が高率であるとし,B型肝炎ウイルス(HB
V)に関してであるが,LSS第12報第2部は,放射線被曝がキ
ャリアの率の増加に関連しているとしている。B型肝炎ウイルス
(HBV)とC型肝炎ウイルス(HCV)とでは,肝硬変組織形成
能において,前者が後者よりも高いという違いはあるものの(甲A
275・15頁),両者は同じく持続感染によって慢性化する肝炎
ウイルスであり,C型慢性肝炎の放射線被曝との関連性を検討する
上では,B型肝炎ウイルス(HBV)に関する報告も参考になるも
のというべきである。
また,AHS第7報は,放射線被曝との有意な正の関連性が慢性
肝疾患及び肝硬変にあることが判明したとし,AHS第8報も昭和
61年以降に発生した脂肪肝単独と他の全ての慢性肝疾患での放
射線影響を調べたところ,全ての肝疾患で有意な線形線量反応があ
り,慢性肝疾患及び肝硬変の線量に関係した発生率の上昇は,活性
化したC型肝炎ウイルス(HCV)感染の促進により部分的には説
明されるかもしれないとしている。確かに,これらの報告は,C型
慢性肝炎に特定したものではないが,前記アのとおり,ウイルス性
の慢性肝炎は慢性の肝障害の90%を占めており,慢性肝炎の4分の
3はC型肝炎ウイルス(HCV)が原因であるとされているとされ,
C型肝炎ウイルス(HCV)感染者の70%ないし80%が慢性肝炎
に至るとされている。そして,C型肝炎ウイルス(HCV)のキャリ
アは,感染後平均10年で繊維化が進行して慢性肝炎に至り,さらに,
肝病変が徐々に進行して,ウイルス感染の時から平均21年後に肝硬
変に,平均29年後に肝細胞がんに進展したとの症例報告もあるので
あって,C型慢性肝炎が慢性肝疾患及び肝硬変の主要部分を占めるも
のであることは疑いのない事実である。この点,慢性肝炎以外の慢性
肝疾患についてみても,①慢性肝疾患のうち慢性肝炎の次に多いと
されているのはアルコール性肝障害であるが,全肝疾患の中でも1
0%前後とされ,②薬物性肝障害も更に稀少であり,当該薬物の中
止や適切な治療で改善することがほとんどであり,③近年その実態
が解明されつつある自己免疫性肝炎も独立した疾患としての頻度は低
く,治療効果も得られ,自然寛解するものも知られているとされてい
るのであって(甲A292の1・30頁,31頁),このことからも,
C型慢性肝炎以外の肝疾患の慢性肝疾患及び肝硬変に占める割合は
極めて低いものということができる。
一方,AHS第8報は,平成3年以降,超音波検査法がルーチン
に行われ,脂肪肝の診断を劇的に増加させる結果となったが,他の慢
性肝疾患の診断に関しては顕著な変化はなかったとし,慢性肝疾患の
うちC型慢性肝炎の占める割合が低いかのような結果となっているが,
この点についても,AHS第8報の後半の10年間において,血液製
剤のウイルス・スクリーニングが徹底されるようになったために新規
のウイルス性肝炎の発症が減少したことを反映していると考えられる
のであって(甲A292の1・33頁),C型慢性肝炎が慢性肝疾患
及び肝硬変の主要部分を占めるとの上記認定を左右するものではない。
また,AHS第8報は,前記のとおり,全ての肝疾患で有意な線形
線量反応があったとしつつも,脂肪肝では線形線量反応が考えられた
が,他の慢性肝疾患では放射線の影響は有意ではなかったともしてい
るところ,C型慢性肝炎は「他の慢性肝疾患」に含まれるものである
が,これは199症例と極めて少ない症例を対象としたことから生じ
たとも考えることができるのであって,このことをもってC型慢性肝
炎と放射線被曝との関連性を否定する根拠とはならない。
そうであるとすれば,AHS第7報やAHS第8報は,C型慢性
肝炎について,放射線被曝との有意な線形線量反応を示唆する有力
な報告であるというべきである。なお,このような前提に立てば,
LSS第11報第3部が,肝硬変の死亡率について線量に伴う有意
な増加傾向が認められるとしていることも,C型慢性肝炎の放射線
起因性を示唆するものということができる。
さらに,J170ら報告は,慢性肝疾患の有病率は,抗HCV抗
体陽性の対象者と陰性の対象者の両方について放射線量とともに増
加し,線量反応関係を示す曲線は,抗HCV抗体陽性の対象者におい
て20倍近く高い勾配を示したことにつき,これは有意に近いが有意
ではなかったとしつつ,結論として,放射線被曝は,C型肝炎ウイ
ルス(HCV)感染に関連した慢性肝疾患の進行を促進するのか
もしれないとしており,J170ら報告も,全体としてみれば,
C型慢性肝炎と放射線被曝との関連を裏付ける報告というべきで
ある。
加えて,J172ら第1報告も,C型肝炎ウイルス(HCV)感
染者は特に放射線被曝に対する感受性が高く,逆もまた同様であるこ
とを示唆しているとしているものである。
なお,J175報告は,肝障害発現について,C型肝炎ウイルス
(HCV)感染非被爆者及びC型肝炎ウイルス(HCV)感染被爆者
のオッズ比に差はみられなかったとしているが,そもそもJ175報
告の目的は,肝障害発現について線量しきい値の設定が可能かどう
かについて検討することにあったのであり,J175報告の上記結
果をもって,C型慢性肝炎と放射線被曝との関連性を否定すること
はできない。
b原発性肝がんの95.6%が肝細胞がんであり,その76.0%
が抗HCV抗体陽性のC型肝がんである(甲A292の1資料1・
240頁)ことからすれば,C型肝炎ウイルス(HCV)と放射線
被曝との関連性を検討するに当たっては,肝がんと放射線被曝との
関連性を検討することも有用であるというべきである。特に,C型
慢性肝炎による肝細胞がん発生の機序は,C型肝炎ウイルス(HC
V)によって生じる持続炎症により発生した活性酸素が直接遺伝子
を傷害し,炎症がもたらした肝細胞壊死が細胞周期を早め,このよ
うに炎症によって肝細胞の遺伝子異常が蓄積してくると考えられ
ているとされているところであり(甲A292の1・4頁),この
見解を前提とすれば,放射線被曝がC型慢性肝炎という経過を経て
肝がんに寄与する面も否定することができないというべきである。
そこで,肝がんと放射線被曝との関連性について検討するに,J
169ら報告は,腫瘍組織にJ53突然変異を有する肝細胞がん組織
試料の割合には,統計学的に有意な線量反応があり,放射線の直接の
標的は,放射線誘発突然変異によって突然変異誘発因子へと変化す
る遺伝子である可能性が高く,突然変異誘発遺伝子の誘発は線量に
伴い増加すると考えられ,これにより単一の細胞又はその子孫が正
常細胞からがん細胞への変換に必要な複数の突然変異を蓄積する
と思われるとしており,放射線ががん抑制遺伝子であるJ53遺伝
子に影響を与えるという機序があることを示唆しているものであ
る。
しかしながら,J169ら報告は,J53突然変異と細胞死,再
生,損傷の慢性周期を導くB型及びC型肝炎ウイルス感染の関連につ
いて,更に被爆者集団を用いて調査することにより,放射線が誘発す
る肝がんの病因についてより明確な手掛かりが得られるであろうとも
しているのであって,J169ら報告は必ずしも放射線被曝がC型慢
性肝炎の発症に寄与しないことを意味するものではないというべきで
ある。
また,J177報告も,肝細胞がんと放射線量若しくは肝炎ウイル
ス感染の間に有意な関連が認められ,放射線と肝炎ウイルス感染を一
緒に適合させてもほとんど変わらなかったとしているが,このことは
放射線被曝が肝細胞がんの独立リスク因子であることを指摘するにと
どまるものであって,J169ら報告と同様,必ずしも放射線被曝が
C型慢性肝炎の発症に寄与しないことを意味するものではないという
べきである。
そして,肝がんを含む固形がんについて放射線起因性が認められ
るのは前記(1)で検討したとおりであり,J138ら報告は,放射
線と肝臓のがん罹患との関連性がみられたとし,LSS第13報は,
寿命調査(LSS)の肝がん罹患率に関する放影研での最近の解析
結果は,肝がんの過剰相対リスクが被爆時年齢に依存することを示
唆しており,20歳代で被爆した者に高いリスクが認められたとし
ている。なお,LSS第13報は,10歳未満で被爆した者に過剰
リスクはほとんど認められなかったとしているが,過剰リスクを完
全に否定するものでもない。
cJ172ら第2報告は,電離放射線急性被曝と肝硬変との関係の有
無を調査した近年の報告であり,肝臓線量が肝硬変に関連していなか
ったとしているものの,調査集団は,原発性肝がんに罹患した335
人及び罹患していない776人に限られており(乙Dネ12の1,乙
Dネ12の2・2頁),母数として少ないものである。また,J17
2ら第2報告は,放射性降下物や放射性粉塵,内部被曝を考慮してい
ないという問題もある(甲A275・16頁)。そもそも,放射線被
曝をした方が肝硬変を発症しにくいという結果自体,奇異なものであ
り,このような結論は,上記調査集団の母数の問題や放射性降下物等
を考慮していないことから生じた可能性を否定することはできない
のであって,J172ら第2報告をそのまま支持することはできない
というべきである。なお,J172ら第2報告は,一方で,急性被曝
とは対照的に,電離放射線への慢性被曝は肝硬変リスクを有意に増
加させるとしているところ,このこと自体は,原爆放射線の内部被
曝による影響を受けていると思料される被爆者にとっては考慮すべ
き知見であるということができる。
また,J172ら第1報告も,肝硬変を伴う肝細胞がんの発症にお
いてC型肝炎ウイルス(HCV)と放射線の間に有意な相互作用はみ
られなかったとしているが,肝硬変に罹患しており,被曝情報が完全
である142人のみについて解析しているというのであって(乙Dネ
17の1,乙Dネ17の2・9頁),J172第2報告と同様,調査
集団の母数の問題があったことから生じた可能性を否定することはで
きないのであって,J172ら第1報告の上記結論をそのまま支持す
ることはできないというべきである。むしろ,J172ら第1報告は,
肝硬変に罹患していない者について,肝臓の放射線被曝とC型肝炎ウ
イルス(HCV)の間に肝細胞がんのリスクにつき有意な正の相互作
用がみられたという点に意義があるものというべきである。
dさらに,前記(3)で検討したJ148ら報告は,被曝線量の増加に伴
い,インターフェロン(IFN)-γが増加するとしている。確かに,
インターフェロン(IFN)-γは,C型慢性肝炎の治療に有用では
あるが,インターフェロン(IFN)-γは高力価製剤の大量投与に
よって初めてウイルス排除が可能となるものである上,現在でもイン
ターフェロン(IFN)-γの単独投与ではC型慢性肝炎の治癒を十
分に期待することができず,いくつかの製剤による多剤療法が進めら
れているというのであって(甲A662・10頁),上記の事象をも
って,C型慢性肝炎の放射線被曝との関連を否定することはできない。
e以上の各種知見を総合し,改定後の新審査の方針が「放射線起因性
が認められる慢性肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病とし,再改定後
の新審査の方針も「慢性肝炎・肝硬変」を積極認定対象疾病としてい
ることも併せ考慮すれば,C型慢性肝炎は,一般的に放射線被曝との
関連性が認められる疾病であるというべきである。
(イ)C型慢性肝炎のしきい値についてみるに,J171ら報告は,慢性
肝疾患に線量との有意な相関が認められ,各種肝炎ウイルスによる持続
的炎症の存在が考えられるとし,予備的研究でCD4ヘルパーT細胞比
と炎症性検査は有意な負の相関が認められるとしている。そして,J1
72ら第1報告も,肝硬変に罹患していない者について,肝臓の放射線
被曝とC型肝炎ウイルス(HCV)の間に肝細胞がんのリスクにつき有
意な正の相互作用がみられたとしていることやC型慢性肝炎にしきい値
があるとする有力な知見もないことからすれば,C型慢性肝炎について
も,固形がんと同様,しきい値はないものとして考えるのが相当という
べきである。
第3本件申請者らの原爆症認定要件該当性
1原告J2
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認
められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J2は,昭和9年▲月▲日生まれの男性であり,広島原爆
の投下当時,11歳であった。原告J2は,被爆前,健康状況に特段
の問題はなかった。原告J2は,学童疎開により,爆心地から約50
0mの地点にある広島市α10の自宅を離れ,爆心地から50km以
上離れた広島県双三郡α51村(以下「α51村」という。)で集団
生活をしていた(前提事実4(1)ア,甲Dイ1・1頁,甲Dイ2・1頁)。
(イ)原告J2は,昭和20年8月11日,その日の朝に岡山県から迎
えに来た伯父と共に,自宅で暮らしていた母,弟及び祖父母の安否を
確認するため,広島市に向かった。原告J2はα51村から汽車で矢
賀駅まで行き,矢賀駅から線路沿いに広島駅まで歩いた(甲Dイ1・
2頁,甲Dイ2・1頁)。
原告J2は,同日午後,広島駅に到着し,広島駅から線路沿いに○橋
と○橋を渡り,J178まで歩き,J178を南方向に曲がり,本通り
と思われる道を歩いた(甲Dイ2・1頁,原告J2本人・調書13頁)。
鉄筋の建物はところどころ残っていたが,ぼろぼろになった人々が歩い
ており,異臭が漂っていた(原告J2本人・調書3頁)。原告J2は,
暑さのため,歩く途中,広島市内の所々で壊れた水道管から出ている水
を持参した水筒に入れ,水分を補給することを繰り返した(甲Dイ2・
1頁,原告J2本人・調書4頁,5頁)。
広島市α10と思われる場所は一面が焼け野原となっており,自宅
がどこにあったのかも分からないような状況であった(甲Dイ1・2
頁,原告J2・3頁・4頁)。そのため,原告J2は,伯父と共に,
自宅があったと思われる場所を探し回ったり,スコップで地面を掘り
返したりして,土や埃の舞う中,家族の手掛かりを探し続けたが,燃
えかす以外は,何も出てこなかった。原告J2は,水道管から水を汲
んで飲むなどし,2時間余り滞在した(甲Dイ2・1頁,原告J2・
4頁)。
原告J2は,J179小学校などにも行き,重症を負った被爆者の
中に家族がいないかを探したが,家族のみならず,知り合いすら見つ
けることもできなかった。原告J2は,大勢の者が広島市α52方面
へと避難したという話を聞いたことから,広島市α10から広島市α
52方面へと歩きながら,各所にある救護所を回って,瀕死の重傷を
負った被爆者の中に家族がいないかを探し続けた。しかしながら,原
告J2は,家族を見つけることができず,α52の救護所で支給され
たサツマイモと麦飯を食べ,一晩を過ごした。救護所に収容されてい
た者らは,皆瀕死の重体であり,夜中に「水を飲みたい。」とか,「水
をくれ。」と言ってうめき声を上げていた(甲Dイ1・3頁,原告J
2本人・調書6頁)。
(ウ)原告J2は,昭和20年8月12日朝,再び広島市α10と思わ
れる場所に戻り,前日と同様,付近を歩き回ったり,スコップで地面
を掘り返したりして,家族を探したが,結局,誰も見つからず,昼に
一旦家族を探すのを中断し,行きと同様の道順でα51村に帰った(甲
Dイ1・3頁,甲Dイ2・2頁)。
(エ)原告J2は,終戦後の昭和20年8月16日から数日間,再びα
51村から広島市α10まで行き,一人で自宅があったと思われる場
所で家族を探したが,見つからなかった(甲Dイ1・3頁,甲Dイ2・
2頁,原告J2本人・調書7頁)
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J2は,被爆後,数年経ってから,胃腸が弱くなり,下痢が
多くなった(甲Dイ1・4頁,原告J2本人・調書20頁)。原告J
2の下痢の症状は,腹を冷やしたり,冷たいものを食べたりしたとき
に起こるものであり,病院に入院してもその原因が分からず,神経性
の下痢ではないかとの診断であった(原告J2本人・調書14頁,1
5頁)。
(イ)原告J2は,平成13年,食道がんとの診断を受けて入院し,化
学療法と放射線治療を受けた(甲Dイ2・2頁)。
(ウ)原告J2は,平成16年,早期胃がんとの診断を受け,胃粘膜切
除手術を受けた(甲Dイ2・2頁)。
(エ)原告J2は,平成20年,声帯腫瘍の切除手術を受けた(甲Dイ
2・2頁)。
(オ)原告J2は,平成20年9月,下咽頭がんとの診断を受け,切除
手術を受けた(甲Dイ2・2頁)。原告J2は,下咽頭がんの治療のた
め通院加療中であり,定期的な頚部超音波検査や内視鏡検査を受けてい
る(甲Dイ2・4頁)。
(カ)原告J2の伯父は,平成2年に肝がんで死亡した(甲Dイ1・5
頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J2は,11歳であったが,爆心地から500m
の地点に自宅があり,自宅にいた家族を探すということで,昭和20年8
月11日から入市している,②広島では,同日の時点で水道が復旧して
おり,水道管から水が出ていたが,この水は放射性物質に汚染された浄水
場から来たものであり,このような水をたくさん飲めば,当然,内部被曝
が起こる,③スコップで地面を掘り起こして遺骨を探す中で,粉塵等に
よる被曝をする,④救護所で様々な食料を支給されているところ,食料
にも一定程度放射線の汚染の可能性がある,⑤被爆後の症状は,下痢や,
その後の晩発性障害としての食道がんがあり,被爆者にみられる後遺症と
考えてよいとしている(証人J152・調書38頁)。
(2)原告J2の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J2は,広島原爆の投下当時,爆心地から約500mの地点にあ
る広島市α10の自宅を離れ,爆心地から50km以上離れたα51村
で集団生活をしていたことから,初期放射線による被曝はないものと認
められる。
イ放射性降下物
原告J2は,広島原爆の投下当時,α51村で集団生活をしており,黒
い雨に打たれたといった事情も認められない。
しかしながら,原告J2は,昭和20年8月11日に広島駅から徒歩で
爆心地付近まで入市し,家族を探すために数時間滞在し,同月12日も,
朝から昼に掛けて爆心地付近で家族を探している。原告J2は,家族を探
している間,スコップで地面を掘り返すなどしており,土や埃が舞うなど
している。また,原告J2は,家族を探すため,爆心地付近の小学校など
に行き,各所にある救護所を回り,救護所で一晩を過ごすなどしている。
さらに,原告J2は,同月16日,広島市α10に入市し,家族を探すた
めに数日間滞在している。原告J2は,この間,多数の被爆者とも接触し
ている。
原告J2が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もない
頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものとい
うことができる。接触した被爆者も放射性降下物に汚染されていたと考え
られる。
ウ誘導放射線
原告J2の上記のような被爆状況等からすると,原告J2が誘導放射化
された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと
認められる。原告J2が接触した多数の被爆者は,誘導放射化された物質
や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ内部被曝
原告J2の上記のような被爆状況等からすると,原告J2は,放射性降
下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。原告
J2は,放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染された
と考えられる爆心地付近の水を飲んでいる。また,原告J2が救護所で支
給されて食べたサツマイモと麦飯が,放射性降下物や誘導放射化された物
質,放射性粉塵に汚染されていた可能性もある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J2は,被爆後,胃腸が弱くな
り,下痢が多くなるという体調不良が生じている。また,原告J2は,多
重がんにも罹患している。
カその他
原告J2は,被爆当時11歳であり,比較的若年での被爆であると認め
られる。
また,原告J2と共に入市した原告J2の伯父も,肝がんで死亡してい
る。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J2は健康に影響を及ぼすような相当量
の被曝をしたものと認められる。
(3)申請疾病の放射線起因性
原告J2の申請疾病は下咽頭がんである。下咽頭がんは固形がんの一つ
であり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討した
とおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(4)他原因の検討
ア被告は,原告J2には,下咽頭がんの重大な危険因子である性差,加齢,
喫煙及び飲酒が存在している旨主張する。
イこの点,原告J2は男性であるところ,下咽頭がんの罹患率は女性の4
倍ないし5倍とされている。原告J2が下咽頭がんと診断されたのは,被
爆の63年後であって,好発期である50歳から60歳代を優に超えた7
4歳の時である。
原告J2は,20歳代から喫煙を始め,平成13年12月の時点で,喫
煙を40年間続けており,1日当たりの喫煙量も30本程度である(乙D
イ7・26頁,原告J2本人・調書19頁)。また,原告J2は,元々酒
が合わない体質であったが(原告J2本人・調書16頁ないし18頁),
20歳の時に上京する以前から飲酒を始め(原告J2本人・調書19頁),
ブランデーダブル約60mlを2杯ないし3杯飲むこともあったものであ
る(乙Dイ7・26頁)。さらに,原告J2は,下咽頭がんを発症した平
成20年9月の時点においても,禁酒することなく,1回当たりビール3
50ml及びワイン180mlを付き合い程度の頻度で摂取している(乙
Dイ6・10頁)。
ウところで,疾病の発症に関する放射線起因性については,前記第1の1
で説示したとおり,放射線と疾病の発症との間に通常の因果関係があるこ
とが要件とされていると解するのが相当であるところ,疾病の発症におい
ては,一般に,複数の要素が複合的に関与するものであるから,他の疾病
要因と共同関係があったとしても,原爆の放射線によって当該疾病の発症
が促進されたと認められる場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が
発症していたといえるような特段の事情がなければ,放射線起因性が否定
されることはなく,放射線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J2についてみると,前記(2)のとおり,原告J2は,健康に
影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(3)のとお
り,原告J2の申請疾病である下咽頭がんは,一般的に放射線被曝との関
連性が認められる疾病であるところ,原告J2の上記イの事情については,
上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆
の放射線によって下咽頭がんの発症が促進されたものと認めるのが相当で
ある。
(5)原告J2の下咽頭がんの放射線起因性
以上によれば,原告J2が発症した下咽頭がんの放射線起因性を認めるこ
とができるというべきである。
(6)申請疾病の要医療性
原告J2は,下咽頭がんの治療のため通院加療中であり,定期的な頚部超
音波検査や内視鏡検査を受けているから,申請疾病について要医療性が認め
られる。
(7)総括
以上のとおり,原告J2は,処分当時,原爆症認定申請に係る下咽頭がん
について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められる
から,原告J2に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消される
べきである。
2原告J3
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J3は,昭和8年▲月▲日生まれの男性であり,長崎原爆の
投下当時,12歳であった。原告J3は,被爆前,健康状況に特段の問
題はなかった。原告J3は,長崎市のJ180中学校に在籍していた。
自宅は,爆心地から約4kmの長崎市α53であり,母と生活していた
(前提事実4(2)ア,甲Dロ2・1枚目,甲Dロ4・1頁)。
(イ)原告J3は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,自宅1
階の東側にあるベランダの横の部屋にいたが,空襲警報が解除されたの
に爆音が聞こえてきたことから不審に思い,ベランダに出て北側を見
た。すると,爆音のする方角から「白いもの」が見えたので,原告J3
は,何かと思って一生懸命見ていると,それが激しく光り,目の前が一
瞬真っ白になった(甲Dロ6・2頁,3頁)。
原告J3は,驚いて部屋に戻り,走って部屋を駆け抜け,庭にある
防空壕に入った。防空壕に入る前に大きな音がし,背中に爆風が感じら
れたが,防空壕に入ることはできた(甲Dロ6・3頁)。防空壕に入る
直前に,自宅のガラスが散り散りに砕け散って,腕の付け根から手首の
辺りと,半ズボンでむき出しになっていたすねの横側に刺さった(甲D
ロ6・3頁,21頁)。ガラスの破片は,左右両側に刺さったが,右側
の方が特にひどかった(甲Dロ6・21頁)。
防空壕に入ってしばらくすると,辺りが静かな様子になったことか
ら,原告J3が外に出てみると,自宅の廊下のガラス戸や障子が吹き飛
ばされ,部屋の天井も50cmほど全体に吹き上がっていた。その後,
原告J3は,屋外で自宅の周りの様子を見たり,片付けをしたりしてい
たが,暗くなって雨が降り始めたことから,その雨に体を打たれた(甲
Dロ6・3頁,4頁,22頁)。雨は多少黒ずんでいた(甲Dロ6・2
3頁)。
当時自宅の2階には,長崎市立J181中学校の教員をしていた夫
とその妻(以下,教員をしていた夫を「教員の夫」,教員の夫の妻を「教
員の妻」という。)が間借りをしていた(甲Dロ6・6頁)。午後にな
り,教員の夫が,両手や肩の辺りにひどいやけどを負い,シャツもちぎ
れたような姿で帰宅したが,J182病院に行ったまま帰らない教員の
妻を心配して,爆心地から600mないし800mの地点にあるJ18
2病院に向かった(甲Dロ6・7頁,8頁,弁論の全趣旨・原告最終準
備書面221頁)。
原告J3は,教員の夫がやけどをしていたことから手助けになればと
思い,教員の夫に一緒について行くこととした(甲Dロ6・8頁)。
原告J3と教員の夫は,長崎駅まではたどり着いたものの,そこから
先は火の手が強かったため行くことができず,やむなく二人で自宅に戻
った(甲Dロ6・9頁)。
(ウ)原告J3と教員の夫は,教員の妻が自宅に帰って来なかったこと
から,長崎原爆の投下翌日も,J182病院に向かった。この時は既
に火の手も収まっていたが,J182病院までの道のりでは,全てが
破壊され焼かれており,あちらこちらに死体が転がっていた(甲Dロ
6・9頁,10頁)。
原告J3と教員の夫は,J182病院にたどり着くことができたもの
の,同病院は,コンクリートの壁が崩れて中は燃え尽きており,廃墟と
なっていた(甲Dロ4・2頁,3頁)。病院の中には死体が数多くあり,
死体の相当数はがれきの下敷きになっていた(甲Dロ4・3頁,甲Dロ
6・10頁)。原告J3と教員の夫は,時間を掛けて念入りに探したも
のの,教員の妻を見つけることはできなかった(甲Dロ6・11頁)。
(エ)教員の夫は,J182病院で教員の妻を探した翌日,高熱を発し
て寝たきりとなり,やけどの傷が腐ってウジが湧き,原告J3の母が
ウジを取り消毒するなどして看病したが,数日後に死亡した。原告J
3は,教員の夫の遺体を長崎市の中心部の焼け跡まで運び,材木を積
んで焼いた(甲Dロ6・11頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J3は,被爆7日ないし10日後から,吐き気,下痢及び発
熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けた。その後,口内炎となり,喉の具
合も悪くなった。また,体の様々な部分に紫斑が出た。昭和21年に
入ると,肺門リンパ腺炎との診断を受けて休学を余儀なくされ,この
頃,医師から貧血との指摘を受けるようになり,腰などが痛むように
なった(甲Dロ4・4頁)。
(イ)原告J3は,成人後も,慢性的に貧血状態にあり,腰や膝の痛み
も続いた。また,喉の調子が悪く,せきやたんが出るようになり,せ
き払いが癖になった(甲Dロ4・5頁)。
(ウ)原告J3は,平成16年11月には尿潜血反応の指摘を受け,精
密検査の結果,腎臓に腫瘍があることが分かった。平成17年1月に
右腎摘出手術を受け,腫瘍ががんであることも確認された。原告J3
は,東京に転居し,再発予防の治療を受けた(甲Dロ4・5頁)。
(エ)原告J3は,平成21年10月,がんの肝臓への転移の疑いが持
たれ,同年11月,入院して抗がん剤治療を受けた(甲Dロ4・5頁)。
(オ)原告J3は,平成22年3月23日,肝部分切除手術を受け,肝
臓にがんが転移していることが確認された(甲Dロ4・5頁)。
(カ)原告J3は,平成22年6月,同年7月及び同年9月に抗がん剤
治療を受け,更に同年11月16日,肝部分切除手術を受けた(甲D
ロ1,甲Dロ4・5頁)。
(キ)原告J3は,平成23年11月8日から同月29日まで,急性虫
垂炎及び腹膜炎で手術を受けた(甲Dロ4・5頁)。
(ク)原告J3は,平成23年12月7日から同月22日までの間,肝
がんの治療のため,肝臓に経皮的エタノール注入手術を4回にわたり
受けた(甲Dロ4・5頁,弁論の全趣旨・原告最終準備書面223頁)。
(ケ)原告J3は,経過観察中の平成24年4月末,肝臓にがんの転移
が確認された(甲Dロ4・5頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J3は,被爆時,初期放射線が届く距離ではなか
った,②原告J3は,長崎原爆の投下当日,爆心地の近くであるJ18
2病院に向かったが,長崎駅までしか行けなかった,③原告J3は,長
崎原爆の投下翌日,J182病院にたどり着いたが,その状況は残留放射
線の中を歩いて行ったというものであった,④被爆7日ないし10日後
に吐き気や下痢,発熱などの急性症状があり,脱毛も起こった,⑤これ
らの状況を考えると,原告J3が一定の線量を受けていることは間違いな
いとしている(証人J152・調書47頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア入市の有無について
(ア)被告は,原告J3が長崎原爆の投下当日及び翌日に入市した事実
は認められない旨主張する。
(イ)しかしながら,原告J3は,平成20年10月23日付け認定申
請書(乙Dロ1・239頁ないし241頁)のみならず,平成17年
5月26日付け認定申請書(甲Dロ2)においても,長崎原爆の投下
当日及び翌日に入市したとしているものであり,その内容も具体的な
ものである。また,原告J3は,両申請の間である平成20年5月1
5日に発行された機関誌「○」においても,長崎原爆の投下翌日に入
市したとしているものである(甲Dロ3)。
(ウ)確かに,昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書にお
いては,原告J3が入市した事実については記載がなく(乙Dロ1・
252頁),機関誌「○」においても,長崎原爆の投下当日に入市し
た事実については記載がない(甲Dロ3)。
この点,原告J3は,陳述書では,昭和32年6月6日付け被爆者
健康手帳交付申請書において原告J3が入市した事実の記載がないこ
とについて,①被爆者健康手帳の申請は,原告J3が入った勤務先
銀行の寮の管理人であるJ183,J184夫妻(以下「J183夫
妻」という。)の強い勧めによるものであった,②J183夫妻は,
役所で原告J3が被爆当時長崎市α53に居住していたことの証明人
となってくれた,③原告J3は,J183夫妻から「申請書に本籍,
住所,氏名及び被爆地を書いてとにかく出せ。」と言われており,被
爆者健康手帳を取得するためには長崎市α53で被爆したことをもっ
て十分であり,入市の事実まで書く必要はなく,当時は,J183夫
妻も原告J3も忙しかったことから直爆の事実のみを書いてJ183
夫妻に渡した,④寮は二,三人の相部屋であったが,長崎以外から
来た者が多く,原告J3としては被爆したことは余り言いたくないと
いう気持ちが強く,また,翌日,J182病院まで行ったことについ
て,興味本位で爆心地に行ったと思われたくなかったという気持ちが
あったとしており,機関誌「○」においても長崎原爆の投下当日に入
市した事実については記載がないことについて,二日にわたって市内
に行ったとなるとまるで物見遊山に行ったかのように思われかねず,
事実のとおりに書くことがはばかられたとしている(甲Dロ4・3頁,
4頁)ところ,このような理由はいずれも不自然,不合理なものとま
ではいい切れない。
むしろ,昭和32年6月6日付け被爆者健康手帳交付申請書におい
て,「中心地から二K以内の地域に,投下後二週間以内にはいりこん
だ時と場所とその理由」の欄は空欄になっているにすぎず(乙Dロ1・
252頁),一方,機関誌「○」において,「二階のご主人は上半身
に火傷を負い帰宅された。未だ帰られない奥さんを案じ,またα54
の方へ探しに行かれた。翌日は私も一緒に奥さんを探しに行ったが見
付からなかった。」と記載されており(乙Dロ1・261頁),これ
らはいずれも原告J3が原爆投下の当日及び翌日入市しなかった事実
を積極的に否定する内容とはなっていないことからすれば,上記認定
を左右するものとはいえないというべきである。
(エ)したがって,原告J3は,長崎原爆の投下当日及び翌日に入市し
たものと認められる。
イ紫斑の出現の有無について
(ア)被告は,原告J3に紫斑が出現した事実は認められない旨主張する。
(イ)確かに,昭和32年6月作成の原告J3の原爆被爆者調書票の「皮
下に血のはんてんがでた」の欄には何も記載されていない(乙Dロ1・
253頁)。
(ウ)この点,原告J3は,血の斑点が紫の斑点と同一ものかどうかが分
からなかったとしているところ(甲Dロ6・13頁),血の斑点と紫斑
とが同一の意義であると解さなかったとしても不自然,不合理なもので
はない。また,「その他」の欄にも何ら記載がないが(乙Dロ1・25
3頁),そうであるからといって,原告J3が当時,紫斑が生じていな
かったとの記憶の下で「その他」の欄をあえて空欄としたものとまでは
推認することはできない。むしろ,原告J3は,平成17年5月26日
付け認定申請書(甲Dロ2)以降,一貫して,紫斑が出たとしているの
であって,その信用性は高いものというべきである。
(エ)したがって,原告J3には紫斑が出現したものと認められる。
(3)原告J3の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J3は爆心地から約4kmの地点で被爆しており,DS02によ
る初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J3は,長崎原爆の投下直後,自宅付近で多少黒ずんでいる雨に
打たれているところ,この雨が放射性降下物を含んでいた可能性は高い
ものと認められる。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,
土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南
に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・3
7頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所に
も広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであ
り,爆心地から南南東方向の(乙D全3)原告J3の自宅付近にも飛散
した可能性も十分にあるというべきである。また,原告J3は,教員の
夫と共に,長崎原爆の投下当日に長崎駅に,翌日に爆心地から600m
ないし800mの地点にあるJ182病院に行っている。原告J3は,
この間,多数の死体とも遭遇している。さらに,原告J3は,教員の夫
の遺体を焼け跡まで運び,焼いている。
原告J3が爆心地付近に入市した時期は,長崎原爆の投下から間もな
い頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたもの
ということができる。遭遇した死体も放射性降下物に汚染されていたと
考えられる。原告J3が行動を共にし,その遺体も焼いた教員の夫が放
射性降下物に汚染されていた可能性もある。
ウ誘導放射線
原告J3の上記のような被爆状況等からすると,原告J3が誘導放射化
された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いもの
と認められる。原告J3が遭遇した多数の死体は,誘導放射化された物質
や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられ
る。教員の夫が誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導
放射化されたりしていた可能性もある。
エ内部被曝
原告J3の上記のような被爆状況等からすると,原告J3は,放射性降
下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸入したり,負傷部位からこ
れらが侵入したりした可能性がある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J3は,被爆7日ないし10
日後から,吐き気,下痢及び発熱が続き,前頭部分の頭髪が抜けたり,
口内炎になったりしている。また,原告J3は,体の様々な部分に紫斑
が出た上,肺門リンパ腺炎や貧血状態等にもなっている。
カその他
原告J3は,長崎原爆の投下翌日に,爆心地から600mないし80
0mの地点まで入市しており,積極認定対象被爆に該当する。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J3は健康に影響を及ぼすような相当量
の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J3の申請疾病は腎細胞がんである。腎細胞がんは固形がんの一つ
であり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討した
とおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J3には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,
喫煙及び肥満が存在している旨主張する。
イこの点,原告J3は男性であり,また,原告J3が腎細胞がんと診断
されたのは,被爆の59年後であって,好発年齢の71歳の時である。
原告J3は,1日40本程度の喫煙を22歳の頃から約10年程度続
けている(甲Dロ6・38頁,乙Dロ11)。また,原告J3は,身長
が165cmないし166cmであるのに対し,体重は重いときには七
十四,五キログラム程度である(甲Dロ6・38頁,39頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J3についてみると,前記(3)のとおり,原告J3は,健康に
影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとお
り,原告J3の申請疾病である腎細胞がんは,一般的に放射線被曝との関
連性が認められる疾病であるところ,原告J3の上記イの事情については,
上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆
の放射線によって腎細胞がんの発症が促進されたものと認めるのが相当で
ある。
(6)原告J3の腎細胞がんの放射線起因性
以上によれば,原告J3が発症した腎細胞がんの放射線起因性を認めるこ
とができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J3の腎細胞がんは,肝臓に転移しており,平成22年11月16
日,肝部分切除手術を受け,平成23年12月,肝がんの治療のため,肝
臓に経皮的エタノール注入手術を4回にわたり受けたが,経過観察中の平
成24年4月末,肝臓にがんの転移が確認されているのであって,申請疾
病について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J3は,処分当時,原爆症認定申請に係る腎細胞がん
について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められ
るから,原告J3に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消され
るべきである。
3原告J4
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J4は,昭和3年▲月▲日生まれの男性であり,広島原爆
の投下当時,17歳であった。原告J4は,被爆前,健康状況に特段
の問題はなかった(前提事実4(3)ア,甲Dハ2・1枚目,甲Dハ7・
1頁)。原告J4の自宅は広島市α11(399番地)にあったが,
原告J4は,米国のサンフランシスコで生まれ育ったため英語が堪能
であり,当時は,東京のα55付近の陸軍情報部で通信解読の任務に
従事していた(甲Dハ1・1頁)。
(イ)原告J4は,陸軍から広島に大きな爆弾が落とされたことを聞き,
家族の安否確認のため,帰省するように指示を受けた。そこで,原告
J4は,昭和20年8月7日又は同月8日,東京を出発し,列車内で
宿泊しつつ広島に向かった(甲Dハ1・1頁)。
(ウ)原告J4は,昭和20年8月11日早朝,広島駅に到着し,広島
駅から市電の線路上を歩いてα56を通過し,爆心地付近である原爆
ドームの脇を通り,さらに,○橋を渡った。原告J4は,広島市α1
9,α57を通過し,○橋を渡り,爆心地から約1.5kmの地点に
ある広島市α11の自宅付近に到着した(甲Dハ1・1頁,甲Dハ7・
1頁,弁論の全趣旨・原告最終準備書面230頁)。
自宅付近は,焼け野原となっていた。原告J4は,自宅付近にあった
個人経営の会社の従業員寮を目印に自宅を探し,建物が焼失している自
宅跡地にたどり着いた(甲Dハ1・1頁,2頁)。
原告J4は,隣家の者から,原告J4の家族が遠縁の衆議院議員であ
るJ33の自宅に身を寄せていることを教えられ,J33の自宅に向か
った(甲Dハ1・2頁)。J33の自宅は広島市α58(×番地の7)
にあり(甲Dハ8・2枚目),爆心地から約1.5kmのα12の付近
にあった(甲Dハ7・1頁,甲Dハ9・3枚目)。α12のあるα13
地区は,黒い雨の降雨地域であった(甲Dハ7・3頁)。
原告J4は,J33の自宅で,原告J4の父母と姉に再会することが
できた(甲Dハ1・2頁)。
原告J4の母は,自宅で被爆し,家屋の下敷きになったところを救助
されたとのことであり,全身が傷だらけになっていた(甲Dハ1・2頁)。
原告J4の父は,広島市α59のJ185の営業所敷地の屋外で被爆
した際,強い爆風により体が飛ばされたとのことであったが,目立った
怪我はなかった(甲Dハ1・2頁)。
原告J4の姉は,J35病院の待合室のドアの横に立っていた時に被
爆したとのことであったが,やけどはなかった(甲Dハ1・2頁)。
しかし,原告J4の弟は,広島市α19付近で建物疎開作業をしてい
る時に被爆し,▲日,死亡したとのことであった(甲Dハ1・2頁)。
原告J4は,再会した家族と共にJ33の自宅で世話になることにな
った(甲Dハ1・2頁)。
(エ)原告J4は,J33の自宅に滞在したまま,従兄弟のJ186と
共に,親族の安否確認のため,負傷者や遺体の収容所として使用され
ていた病院や学校等を訪れ,負傷者や遺体の顔を確認しながら2週間
にわたり親族を探し回った(甲Dハ1・2頁,甲Dハ4,甲Dハ5)。
原告J4は,福島川の川原において,親戚の遺体を焼くのを手伝っ
た(甲Dハ1・2頁,甲Dハ3・1頁,甲Dハ5)。その際,原告J
4は,遺体を手で運び,焼け残った木片などの上に遺体を積み重ねる
作業をした(甲Dハ1・2頁)。
(オ)その後,原告J4は,J33の自宅を出て,α12の広島市α6
0側で,α12から約100mの場所にある祖父の住む借家に移り住
んだ(甲Dハ1・2頁)。
(カ)原告J4は,米国軍が昭和20年10月7日頃に広島県呉市に上
陸すると(甲Dハ10・3頁),広島市役所の指示により,広島駅前
において,来日した外国人の通訳や案内をするようになった(甲Dハ
1・3頁,甲Dハ5)。
(キ)原告J4は,昭和20年10月頃まで,祖父の住む借家に住んで
いた(甲Dハ1・2頁,3頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J4は,被爆直後,1日が長く感じるようになり,夕方にな
ると疲れを感じるようになった(甲Dハ1・3頁)。
(イ)原告J4は,昭和30年,肝臓病に罹患した(甲Dハ1・3頁)。
(ウ)原告J4は,昭和61年,十二指腸潰瘍に罹患した(甲Dハ1・
3頁)。
(エ)原告J4は,平成4年,高血圧及び甲状腺がんになった(甲Dハ
1・3頁)。
(オ)原告J4は,平成8年,S字結腸がんに罹患した(甲Dハ1・3
頁)。
(カ)原告J4は,平成15年,多発性脳梗塞に罹患した(甲Dハ1・
3頁)。
(キ)原告J4は,平成21年2月,腎細胞がんに罹患し,下大静脈腫
瘍塞栓も発見されたため,手術を受けた。原告J4は,同年,帯状疱
疹,腸感染症及び多発性胃潰瘍を発症した(甲Dハ1・3頁,乙Dハ
6・152頁)。
(ク)原告J4は,平成22年,胃酸逆流の症状が現れた(甲Dハ1・
3頁)。
(ケ)原告J4は,平成23年2月頃,心不全に罹患した(甲Dハ1・
3頁)。
(コ)原告J4は,平成24年10月,腎細胞がんが肺に転移したため,
肺がんの手術を受け,現在も定期検診を受けている(甲Dハ7・3頁,
弁論の全趣旨・原告最終準備書面234頁,235頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J4は,17歳の時に入市しているが,広島市α
11の自宅に戻るときに,爆心地を通らざるを得なかった,②その後,
爆心地から約1.5kmの地点にある知人の自宅に身を寄せて親族の捜索
を行っており,その間に様々な遺体処理も手伝ったものであり,この中で
残留放射線による被曝は相当あると思われる,③被爆後の症状も,倦怠
感があり,甲状腺がん,S字結腸がん等のいわゆる異時多重がんであり,
これは被爆者によくみられる現象であるとしている(証人J152・調書
38頁,39頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア被告は,原告J4が昭和20年8月12日から同年10月頃まで爆心地
から約1.5kmの地点にあるJ33の自宅及び祖父の住む借家に滞在し
たとは認められない旨主張する。
イ確かに,昭和59年9月8日付け被爆者健康手帳交付申請書には,原
告J4がJ33の自宅に向かったとの記載があるのみであり,原告J4
がJ33の自宅や祖父の住む借家に滞在したとの記載はない(乙Dハ
1・722頁)。
しかしながら,原告J4の当時の行動を知る第三者が記載した被爆証
明書には,原告J4がJ33の家に世話になったことがあることや遺体
処理に当たって一定期間滞在していた旨が記載されている(甲Dハ3)。
また,原告J4の従姉妹である(弁論の全趣旨・原告最終準備書面23
3頁)J187が作成した陳述書にも,同旨の記載があるのであって(甲
Dハ5),原告J4がJ33の自宅に滞在した事実は優に認定すること
ができるというべきである。そして,原告J4の陳述書は,J33の自
宅への滞在の事実とともに,α12の広島市α60側で,α12から約
100mの場所にある祖父の住む借家に移り住んだとしており,その内
容に矛盾はない上,祖父の住む借家の場所も極めて詳細なものであるこ
とからすれば,その信用性は高いものというべきである。
ウしたがって,原告J4は,昭和20年8月12日から同年10月頃ま
で爆心地から約1.5kmの地点にあるJ33の自宅及び祖父の住む借
家に滞在したものと認められる。
(3)原告J4の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J4は,広島原爆の投下当時,東京にいたことから,初期放射線に
よる被曝はないものと認められる。
イ放射性降下物
原告J4は,昭和20年8月11日に爆心地付近である原爆ドームの
脇を通るなどして,爆心地から約1.5kmの地点にある自宅付近に行
き,その後,爆心地から約1.5kmの付近にあるJ33の自宅に2週
間滞在しているところ,J33の自宅のあった地域は,黒い雨の降雨地
域である。また,原告J4は,J33の自宅にいる間,負傷者や遺体の
収容所として使用されていた病院や学校等を訪れ,負傷者や遺体の顔を
確認したり,川原で遺体を焼くのを手伝ったりしている。さらに,原告
J4は,同年10月頃まで,J33の自宅の近辺の祖父の住む借家に住
んでいる。
原告J4が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もな
い頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたもの
ということができる。接触した負傷者や遺体も放射性降下物に汚染され
ていたと考えられる。
ウ誘導放射線
原告J4の上記のような被爆状況等からすると,原告J4が誘導放射化
された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと
認められる。原告J4が接触した負傷者や遺体は,誘導放射化された物質
や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ内部被曝
原告J4の上記のような被爆状況等からすると,原告J4は,放射性降
下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J4は,被爆後疲れやすくなり,
肝臓病,多重がん,多発性脳梗塞及び心不全に罹患している。また,後記
で検討するとおり,原告J4は,高血圧でもある。
カその他
原告J4は,昭和20年8月11日に入市し,爆心地付近を通り,爆心
地から約1.5kmの地点に同年10月頃まで滞在したものであり,積極
認定対象被爆に該当する。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J4は健康に影響を及ぼすような相当量
の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J4の申請疾病は腎細胞がんである。腎細胞がんは固形がんの一つ
であり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討した
とおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J4には,腎細胞がんの重大な危険因子である性差,加齢,
高血圧,肥満及び喫煙が存在している旨主張する。
イこの点,原告J4は男性であり,原告J4が腎細胞がんと診断されたの
は,被爆の六十三,四年後であって,80歳の時である。
原告J4は,平成4年に高血圧になり,更に平成15年4月からJ18
8医療センターにおいて高血圧の診療を受けており(乙Dハ7・106頁),
降圧剤を服用している(乙Dハ7・37頁)。原告J4の身長は,平成8
年当時,164cmであったが,体重は74.5kg,BMIは27.7
であり,肥満傾向にあったものである(乙Dハ7・44頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(27)141頁)。また,喫煙歴もある(乙Dハ6・44頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J4についてみると,前記(3)のとおり,原告J4は,健康に
影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとお
り,原告J4の申請疾病である腎細胞がんは,一般的に放射線被曝との関
連性が認められる疾病であるところ,原告J4の上記イの事情のうち,性
差,加齢,肥満及び喫煙については,上記特段の事情とまでは認められず,
むしろ,これらの事情の下で,原爆の放射線によって腎細胞がんの発症が
促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧については,そもそもこの症状が放射線被曝との関連性が
認められるものであって,この症状があることをもって原告J4の腎細胞
がんの放射線起因性を否定することはできないというべきである。
(6)原告J4の腎細胞がんの放射線起因性
以上によれば,原告J4が発症した腎細胞がんの放射線起因性を認めるこ
とができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J4は,平成24年10月,腎細胞がんが肺に転移したため,肺が
んの手術を受け,現在も定期検診を受けており,申請疾病について要医療性
が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J4は,処分当時,原爆症認定申請に係る腎細胞がん
について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められる
から,原告J4に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消される
べきである。
4原告J5
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J5は,昭和12年▲月▲日生まれの女性であり,長崎原
爆の投下当時,8歳であった。原告J5は,被爆前,健康状況に特段
の問題はなかった。原告J5は,J189国民学校に在籍していた。
原告J5の自宅は,長崎市α61にあり,爆心地から約3.6kmの
地点にあった(前提事実4(4)ア,甲Dニ1・1頁,甲Dニ2・1頁)。
(イ)原告J5は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下当時,J18
9国民学校に登校していたところ,空襲警報が発令されたため,同校
から自宅に帰った。空襲警報は間もなく解除されたが,原告J5は,
母から,爆音がかすかに聞こえるので自宅の庭にある防空壕に入るよ
うにと言われた。防空壕は,土を1mほど掘って上に板と土を乗せた
だけのものであり,三,四人くらいが入ることのできる程度の簡易な
ものであった。原告J5が姉と共に防空壕に入ったところ,すぐに長
崎原爆の投下を受けた(甲Dニ1・1頁)。閃光があり,原告J5は,
爆音と爆風を受けてしばらくの間気絶した(甲Dニ1・1頁,2頁)。
自宅は,爆風で壊れ,輪郭は残っていたものの,屋根は一部吹き飛び,
畳も飛んでいた(甲Dニ1・2頁)。
原告J5が防空壕からはい出ると,それまで晴れていた空が暗くな
り,その直後に黒い雨が降ってきた。原告J5は,自宅の縁側に座っ
たが,屋根がほとんどなくなっていたため,雨に全身を打たれた。原
告J5は,風呂の水もない状態だったことから,雨による汚れをしば
らく落とすことができなかった(甲Dニ1・2頁)。
(ウ)その後,原告J5は,昭和29年頃まで,自宅に住み続けた(甲
Dニ1・2頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J5は,長崎原爆の投下の1週間後くらい水様の激しい下痢
に見舞われ,このような下痢の症状は2週間くらい続いた(甲Dニ1・
2頁,乙Dニ1・346頁,乙Dニ3・3頁)。
(イ)原告J5は,13歳頃から25歳頃まで,顔全体に赤黒い吹き出
物が出て,血の混じった膿が大量に出るという症状が続いた(甲Dニ
1・3頁)。
(ウ)原告J5は,昭和60年6月,十二指腸潰瘍により17日間入院
し,投薬治療を受けた(甲Dニ1・3頁)。
(エ)原告J5は,平成元年,肺炎を患い,約1箇月間入院した(甲D
ニ1・3頁)。
(オ)原告J5は,20歳前後頃から,体温調節機能の異常を自覚する
ようになり,夏に寒さを感じたり,逆に,冬に暑さを感じたりし,不
眠もあったが,平成4年,これらの症状について,自律神経失調症と
の診断を受け,神経薬である○・○と精神安定剤である○を処方され
て服用するようになった(甲Dニ1・3頁)。
(カ)原告J5は,平成5年,痔核を患い,痔核の手術をした(甲Dニ
1・4頁)。
(キ)原告J5は,平成7年頃,白内障との診断を受けた(甲Dニ1・
4頁)。
(ク)原告J5は,平成15年,痔核の再手術をした(甲Dニ1・4頁)。
(ケ)原告J5は,平成19年12月,食欲不振の症状があったため,
受診し,内視鏡検査を受けたところ,胃がんの診断を受けた。原告J
5は,J190病院に40日間入院し,胃の約半分を切除する手術を
受け,その後も,経過観察のため,同病院に二,三箇月に1回の割合
で通院している(甲Dニ1・4頁)。
(コ)原告J5の母と姉は,自律神経失調症を患っている(甲Dニ1・
3頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J5は8歳での被爆である,②爆心地から約
3.6kmの自宅での被爆であり,初期放射線量はそれほどではないが,
その後に黒い雨に打たれる等している,③被爆直後に下痢を起こし,
そのほか,皮膚病に非常に悩まされ,20歳頃からは体温調節機能の異
常といったような症状が出ており,これらは被爆者の健康調査で指摘さ
れているところであり,一定の残留放射線の被曝を含めた被曝の状態に
あると考えられるとしている(証人J152・調書39頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア下痢の出現の有無について
(ア)被告は,原告J5に下痢が出現した事実は認められない旨主張する。
(イ)原告J5の被爆後の下痢については,平成20年3月3日付け認定
申請書において,下痢が何日間か続いたという抽象的なものであった
(乙Dニ1・346頁)が,平成22年8月11日付け異議申立書にお
いて,長崎原爆の投下後1週間後くらいから水様の激しい下痢に見舞わ
れ,それが2週間くらい続いた(乙Dニ3・3頁)とし,更に,陳述書
においては,長崎原爆の投下翌日くらいから10日間くらいにわたり,
激しい下痢に見舞われた(甲Dニ1・2頁)としている。
このうち,平成20年3月3日付け認定申請書と平成22年8月11
日付け異議申立書については,これらが相互に矛盾するものとまではい
えず,また,その信用性に疑いを差し挟むべき特段の事情も見当たらな
い。一方,陳述書については,同異議申立書よりも後に作成されたもの
であることから,当時の記憶が薄れている可能性を否定することができ
ず,その信用性が同異議申立書よりも高いものとはいえない。
(ウ)したがって,原告J5には下痢が出現したものと認められ,その
内容については,長崎原爆の投下後1週間後くらいから水様の激しい
下痢に見舞われ,それが2週間くらい続いたものと認められる。
イ血の膿の出現の有無について
(ア)原告J5は,被爆の約1年後には,右足のすねに出来物ができ,血
の膿が出た旨主張する。
(イ)しかしながら,原告J5は,陳述書において初めて血の膿の出現を
記載しているものであり(甲Dニ1・2頁),それ以前にかかる事実に
ついて全く触れなかったことについて,合理的,説得的な説明はしてい
ない。
(ウ)したがって,原告J5に,被爆の約1年後に右足のすねに出来物が
でき,血の膿が出た事実は認められない。
(3)原告J5の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J5は爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,DS02
による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J5は,長崎原爆の投下直後,自宅付近で黒い雨に全身を打たれ,
雨による汚れをしばらく落とすことができなかったものである。また,
原告J5は,その後も黒い雨の降った地域に住み続けている。この黒い
雨が放射性降下物を含んでいた可能性は高いものと認められる。
この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニ
ウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形
の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・
4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性
があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南東
方向の(乙D全3)原告J5の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあ
るというべきである。
ウ誘導放射線
原告J5の上記のような被爆状況等からすると,原告J5は,誘導放
射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性があ
る。
エ内部被曝
原告J5の上記のような被爆状況等からすると,原告J5は,放射性
降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
特に,原告J5は,黒い雨に全身を打たれ,また,黒い雨の降った地域
に住み続けているものである。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J5は,被爆後,1週間後く
らいから水様の激しい下痢に見舞われ,それが2週間くらい続いたもの
であり,また,13歳頃から25歳頃まで顔全体に赤黒い吹き出物が出
て,血の混じった膿が大量に出るという症状が続いている。さらに,原
告J5は,成人した頃から現在に至るまでの長期間にわたり,自律神経
失調症に悩まされている。
カその他
原告J5は,被爆当時8歳であり,若年での被爆であると認められる。
また,原告J5は,爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,
積極認定対象被爆に近い態様での被爆である。
さらに,原告J5の母と姉も,原告J5と同様,自律神経失調症を患
っている。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J5は健康に影響を及ぼすような相当
量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J5の申請疾病は胃がんである。胃がんは固形がんの一つであり,
積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,一
般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J5には胃がんの重大な危険因子である加齢及びヘリコバ
クター・ピロリの感染が存在している可能性は否定することができない旨
主張する。
イこの点,原告J5が胃がんと診断されたのは被爆の62年後であって,
胃がんの好発年齢である70歳の時である。
また,前記第2の3(1)ア(エ)のとおり,日本人のヘリコバクター・ピ
ロリの感染率は,50歳代以上では80%程度である。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があった
としても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められ
る場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよ
うな特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射
線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J5についてみると,前記(3)のとおり,原告J5は,健康
に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)の
とおり,原告J5の申請疾病である胃がんは,一般的に放射線被曝との関
連性が認められる疾病であるところ,原告J5の上記イの事情のうち,加
齢については,上記特段の事情とまでは認められず,原爆の放射線によっ
て胃がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
なお,ヘリコバクター・ピロリへの感染についてみれば,原告J5がこ
れに感染していると認めるに足りる証拠はない(乙Dニ10・6頁参照)。
(6)原告J5の胃がんの放射線起因性
以上によれば,原告J5が発症した胃がんの放射線起因性を認めることが
できるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J5は,胃がんについて切除手術を受け,その後も,経過観察のた
め,二,三箇月に1回の割合で通院していることから,申請疾病について
要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J5は,処分当時,原爆症認定申請に係る胃がんにつ
いて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるか
ら,原告J5に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべ
きである。
5J6
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
J6は,昭和11年▲月▲日生まれの女性であり,長崎原爆の投下当
時,9歳であった。J6は,長崎原爆の投下直前,爆心地から約3km
の地点にある長崎市α14(15-2)の自宅の玄関前の屋外にいた。
J6は,長崎原爆が爆発した瞬間,激しい光と爆風を感じ,真正面から
被爆した(前提事実4(5)ア,乙Dホ1・210頁)。
J6は,恐怖を感じて自宅に駆け込んだところ,J6の母は,J6の
妹を抱いてJ6の弟を探していた。J6の弟は,頭から血を流していた
(乙Dホ1・210頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)J6は,昭和59年5月,乳がんの診断を受け,同月末頃,J1
91病院に入院して左乳房切除手術を受け,乳房から胸筋,脇の下の
リンパ腺などを全て切除した(乙Dホ1・210頁,227頁)。J
6は,同年11月末頃まで,患部に放射線照射を受けるため,J46
病院に通った(甲Dホ1・2頁,甲Dホ9・2枚目,乙Dホ1・22
7頁)。出血は,放射線照射後2週間ほどで止まったが,その後,放
射線照射を受けた部位が崩れて皮膚潰瘍となり,二日に一度ほど50
ccくらいの血のようなものがたまるようになった(乙Dホ1・22
7頁)。J6が受診したところ,手術痕の下の毛細血管が切れている
との診断を受け,昭和60年1月上旬,再度入院し,止血のための再
手術を受けた(甲Dホ2・2頁,乙Dホ1・227頁,228頁)。
その後も左腕に力が入らない,手術痕が引きつれ違和感があるという
状態が続いた(甲Dホ2・2頁)。
(イ)皮膚潰瘍は小康状態を保っていたが,平成19年12月頃,皮膚
潰瘍の傷が広がった。J6は,同月,乳房切除手術の術前の診断を受
けた近所にあるJ34医院を受診した。受診後半年ほどしてから瘡蓋
ができ,皮膚潰瘍の広がりが一旦止まったものの,更に出血の状態は
続いた。J6は,平成20年9月,皮膚潰瘍について治療を受けた(甲
Dホ2・2頁)。
(ウ)この頃までに,J6は,うつ病のため,J192病院で入退院を
繰り返していた(甲Dホ1・2頁,甲Dホ2・2頁,甲Dホ7)。
(エ)J6の父は,J193で稼働していたが,長崎原爆投下の▲日後
に死亡した(乙Dホ1・210頁)。
(オ)J6の母は,昭和25年,胃がんで死亡した(甲Dホ2・1頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア被告は,J6の左胸部に皮膚潰瘍が生じたこと自体は認められるとして
も,更に上記皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じた「左乳
がん術後皮膚潰瘍」であることを認めることはできない旨主張する。
イこの点,確かに,平成20年8月27日付け認定申請書添付のJ19
4診療所医師のJ195の意見書によれば,同人自身は,J6の乳房切
除術の執刀医ではなく,乳房切除手術を受けた当時の診療録は焼却され
て存在していないことが認められる(乙Dホ1・211頁)。また,J
34医院の診療録には,J6から,乳がんが原爆に関連して発生したと
の証明ができないかとの質問があり,同医院医師のJ196が難しいの
ではないかとの回答をしたこと,この時,J6は,放射線治療を40回
受けたと述べたことが記載されていることが認められる(乙Dホ2・1
4頁)。
ウしかしながら,まず,J6が乳がんの手術を受けたことについて,J
6飾区の被爆者の会であるJ197の会合の記録をしていた手記に
は,昭和59年5月に左乳がんの手術を受けたことが記載されており(甲
Dホ9・2枚目,弁論の全趣旨・原告最終準備書面243頁),J6が
日常生活の記録をしていた手記も,乳がんの手術を受けるまでの詳細な
経緯が記載されている(甲Dホ3・4枚目)。J6の夫も,手術後に,
執刀医から,重い乳がんであり,広い範囲で切除したがいつ転移するか
分からないので,生命の保証はできないと言われている(甲Dホ2・1
頁,乙Dホ1・227頁)。
原告J7は,J6の手術に叔母と一緒に立ち会い,J6の病気が乳が
んであると聞いてショックを受けたことを覚えており,J6が昭和60
年に再手術のために入院していたことも覚えている(甲Dホ1)。
以上によれば,J6が乳がんの確定診断を受け,乳がんの手術をした
ことは疑いのない事実であるというべきである。
エ次に,皮膚潰瘍が乳がんの手術又は放射線治療の結果生じたものであ
ることについて,J196の平成22年4月24日付け意見書は,①左
前胸部の乳房は切除されており,左前胸部から左腋窩に至る手術創瘢痕
と皮膚瘢痕があり,同部に色素沈着を認める,②こうした状態は,乳
房切除術及び周術期に施行された放射線療法の結果生じたものと考えら
れる,③平成20年9月5日,乳がん術後皮膚瘢痕部に1cm大の不
正円形皮膚潰瘍が生じた,④同皮膚潰瘍の発生は,乳がん治療のため
に必要とした放射線治療の影響が考えられるとしているところ,同人は,
実際にJ6の皮膚潰瘍の治療に当たっていたものである(乙Dホ1・2
31頁)
また,J6の皮膚潰瘍については,左乳がん手術後の放射線治療によ
るもの以外には,その原因は特段見当たらないものである。
そうであるとすれば,J6の皮膚潰瘍は左乳がん手術後の放射線治療
の結果生じたものであると強く推認することができるというべきであ
る。
なお,確かに,J6の左乳がん術後皮膚潰瘍については,植皮による
治療等が行われていないものであるが,後記(6)で検討するとおり,これ
はJ6がこのような治療を望んでいなかったことによるものであるか
ら,治療方法が通常と異なっていたことによってJ6の皮膚潰瘍が左乳
がん手術後の放射線治療の結果生じたものであるとの推認が覆るもので
はない。
そうであるとすれば,J6は,乳がん手術後に受けた放射線療法によ
り左乳がん術後皮膚潰瘍となったものと認められる。
オそして,このような認定は,J6の疾病を左乳がん術後皮膚潰瘍とす
るJ195の意見書(乙Dホ1・211頁)やJ196の診断書(乙D
ホ1・214頁)の各記載にも沿うものである。
カしたがって,J6は,左乳がん術後皮膚潰瘍に罹患したものと認めら
れる。
(3)J6の放射線被曝の程度
ア初期放射線
J6は爆心地から約3kmの地点で被爆しており,DS02による初
期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
J6が黒い雨に打たれたといった事情は認められないものの,爆心地
から約3kmの地点にある自宅付近で被爆したことからすると,同所付
近が放射性降下物に汚染されていた可能性がある。この点,放射性降下
物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,
爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考
えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形
の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第
1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南東方向の(乙D全3)
J6の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
ウ誘導放射線
J6の上記のような被爆状況等からすると,J6は,誘導放射化され
た物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ内部被曝
J6の上記のような被爆状況等からすると,J6が放射性降下物や誘
導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性を否定することはで
きない。
オ急性症状等
J6に急性症状等が生じたか否かについては不明である。
カその他
J6は,爆心地から約3kmの地点で被爆しており,乳がんとの関係
で積極認定対象被爆に該当する。
また,被爆当時J6の近くにいたJ6の母も胃がんで死亡している。
キ小括
以上の事実を総合すれば,J6は健康に影響を及ぼすような相当量の
被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
J6の申請疾病は,左乳がん術後皮膚潰瘍である。乳がんは固形がんの
一つであり,積極認定対象疾病に該当し,前記第2の3(1)で検討したとお
り,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病であるところ,乳が
ん術後皮膚潰瘍も,前記第2の3(2)で検討したとおり,一般的に放射線被
曝との関連性が認められる疾病である。
(5)J6の左乳がん術後皮膚潰瘍の放射線起因性
以上によれば,J6が発症した乳がんについては,放射線起因性を認める
ことができ,また,J6は,乳がんを発症したことによって,その治療とし
て放射線治療を受けることを余儀なくされたものであり,J6の左乳がん
術後皮膚潰瘍は,乳がんの放射線治療によって生じたものであると認めら
れるから,J6が発症した左乳がん術後皮膚潰瘍の放射線起因性も認めるこ
とができるというべきである。
(6)申請疾病の要医療性
J6は,左乳がん術後皮膚潰瘍について,平成19年12月からJ34
医院で治療を受けている。
確かに,J6の左乳がん術後皮膚潰瘍について,植皮による治療等は行
われていない。しかしながら,J6は,うつ病でJ192病院の診療を受
け,入退院を繰り返していたものである。このような状況の中で,J34
医院医師のJ196は,平成20年12月3日,J192病院医師のJ1
98に対し,J6に植皮による治療を勧めたものの,J6が手術をしたく
ないとの意向であったため,局所の消毒のみ行った旨伝えているのであり
(甲Dホ8),植皮による治療等が行われなかったのは,うつ病を患って
いたJ6の意向によるものである。そして,J6の左乳がん術後皮膚潰瘍
は,一次的に皮膚潰瘍に瘡蓋ができたとはいえ完治には至っていなかった
ものであり,再発の可能性も否定することができないものであったという
ことができる(乙Dホ1・214頁)。
現に,この間の同年9月5月には,乳がん術後皮膚瘢痕部に1cm大の
不正円形皮膚潰瘍を生じ,同年12月3日まで治療したとされており(乙
Dホ1・231頁,乙Dホ2・3枚目),内服薬の処方として平成19年
12月26日と平成20年9月5日の2回,抗生物質製剤である○(乙D
ホ7)が5日ないし7日分処方され(乙Dホ2・9頁,14頁),診察の
際の処置として外用消毒剤である○(乙Dホ8)が塗布されており(乙D
ホ2・14頁),乳がん術後皮膚潰瘍はいまだ完治しておらず,治療が必
要な状態であったと認められる。
この点,J152も,①J6の乳がんの手術は恐らく拡大手術であり,
乳腺及び周辺組織を徹底的に取るものであった,②そのため非常に胸が
薄くなっていたが,その状況で放射線治療を行ったことで皮膚の状態が非
常に悪化した,③繰り返し腫瘍ができて困っていたところ,主治医とし
ては当然,植皮による治療を考えていたが,J6が同意しなかったもので
あるとしている(証人J152・調書43頁)。
以上によれば,申請疾病について要医療性が認められる。
(7)総括
以上のとおり,J6は,処分当時,原爆症認定申請に係る左乳がん術後皮
膚潰瘍について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認め
られるから,J6に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消され
るべきである。
6J10
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)J10は,大正10年▲月▲日生まれの男性であり,広島原爆の
投下当時,24歳であった。J10は,被爆前,健康状況に特段の問
題はなかった。J10は,昭和16年,20歳の時に徴兵検査を受け,
昭和17年4月から近衛歩兵部隊に入隊した。J10は,昭和18年
以降は,南方への輸送部隊として,輸送船で台湾,パラオ,フィリピ
ン,ラバウル等を転々とした(前提事実4(6)ア,甲Dヘ1・1頁,2
頁)。
J10は,昭和20年4月から,広島市α35の爆心地から約4.7
9kmの地点にある陸軍船舶司令部に配属され,兵器係として勤務して
いた(甲Dヘ1・2頁,乙Dヘ10の6)。陸軍船舶司令部には,本部
や兵舎,兵器庫,弾薬庫等の施設があった(乙Dへ1・763頁,J1
0本人・調書15頁)。
(イ)J10は,昭和20年8月6日,広島原爆の投下当日の朝,陸軍
船舶司令部の屋外東側におり,朝礼に参加していたところ,朝礼の途
中で空襲警報が鳴った(J10本人・調書2頁)。J10は,休憩の
号令によって休んでいたところ,雲の中から現れた爆撃機から落下傘
を付けた黒い物体が投下されるのを見た。強烈な光線及び熱線が目の
前を走り,顔や手が熱くなった(J10本人・調書2頁,3頁,21
頁)。
J10は,他の部隊員と共に兵舎や物陰に避難したが,その際,左側
の腰を強打して負傷した。J10が空を見上げると,晴れていた空は巨
大な黒い雲に隠れ,雲と共に真っ赤な炎が天に浮いて降りてくるように
見えた。やがて雷鳴がして,雨が降り始め,辺りは夕暮れのような暗さ
になった(甲Dヘ1・2頁)。
J10は,各自の勤務場所の状況を確認することとなったため,兵器
庫の事務室に戻った。兵舎は,ガラスの破片や落下物により負傷者が多
数出ており,J10は,窓の補修や兵舎の倒壊を修理する応援に出て,
夜まで仕事をした(甲Dヘ1・2頁,3頁)。
(ウ)J10は,広島原爆の投下翌日,朝礼後の午前9時半頃に,上司
の中隊長の命令により,上司の中隊長と共に自転車で防空隊のある広
島市α28に行くことになった(甲Dヘ1・3頁,J10本人・調書
3頁)。J10は,上司の中隊長を追い掛ける形となったが,間もな
く追いついた(J10本人・調書3頁)。J10と上司の中隊長は,
自転車で市電の電車道をたどりながら広島市α28に向かった(J1
0本人・調書4頁)。広島の町は一面焼け野原であり,遠くの山がか
すんで見えた(甲Dヘ1・3頁)。J10は,夢中で上司の中隊長に
ついて行き,α15を渡って,爆心地から約2.3kmの地点にある
α15の西詰めを通過した(甲Dヘ1・添付図面,甲Dヘ4,J10
本人・調書4頁)。
J10は,α15を渡ったところで,白い制服を着た女学生らしい集
団の死体を見た。死体は折り重なるようにして倒れており,白い制服の
半袖から出ていた細い腕が黒く焼け,半袖の布地に覆われている部分は
焼けていなかった(甲Dヘ1・3頁,J10本人・調書4頁,5頁)。
J10は,α15を渡った後も同様に広島市α28の方に向かった
が,α15を渡って5分ないし10分ほど走った地点で自転車のタイヤ
がパンクした。J10は上司の中隊長にパンクしたことを伝えようと呼
び掛けたが,上司の中隊長は,振り向きもせず自転車で先に進んでしま
った(J10本人・調書5頁)。J10は,上司の中隊長の命令には軍
人として従うほかなく,タイヤがパンクしてからも10分ないし15分
ほどの間は,自転車を引きながら歩いて上司の中隊長を追い掛けたが,
結局追いつけず,爆心地から約1.5kmの地点にあるJ35病院の付
近で陸軍船舶司令部に引き返すこととした(甲Dヘ1・4頁,添付図面,
J10本人・調書6頁,23頁)。
J10は,自転車を引きながら再びα15を渡り,午前11時半頃に
陸軍船舶司令部に戻った(J10本人・調書6頁,7頁)。
(エ)J10は,昭和20年8月8日,兵舎や担当の兵器庫の状態を見
て回るなどした(J10本人・調書7頁)。
また,仮の収容所となっていた兵器庫には,重症の被爆者が15人ほ
ど収容されており,衛生兵二,三人が治療に当たっていたが,陸軍船舶
司令部にいる兵士のうちの手の空いている者が救護の応援を行うこと
となり,J10も,救護に当たることとなった(J10本人・調書7頁,
8頁)。J10は,兵器庫の仕事をしながら救護の補助をし,3人くら
いの被爆者を救護した。救護は,仮設ベッドを雨戸や板で作り,軍用の
毛布や枕などを使用して行われた(甲Dヘ1・4頁,J10本人・8頁)。
重傷者らは黒く焼けており,男女の区別の付かない者もいた(甲Dヘ
1・5頁,J10本人・調書8頁)。J10は,衛生兵が重傷者の傷に
薬を塗った後に,包帯を巻くなどの作業を行った(J10本人・調書8
頁)。J10は,1回当たり2時間ほどの時間を掛けて,二,三回作業
を行った(J10本人・調書9頁)。
(オ)J10は,昭和20年8月15日,陸軍船舶司令部の営庭におい
て,他の兵士と共に玉音放送を聞き,同月25日頃から連合軍の兵器
接収の準備をした(甲Dヘ1・5頁)。
(カ)J10は,昭和20年9月1日,復員した(甲Dヘ1・5頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)J10は,広島原爆の投下翌日に入市した後,発熱,下痢,貧血,
めまい,吐き気,食欲不振といった症状があった。J10は,38℃
の発熱や嘔吐などのために兵舎で休養しなければならないこともあ
り,そのような症状は一旦発生すると,三,四日続いた(甲Dヘ1・
5頁,J10本人・調書10頁)。そのような時には,下士官の軍曹
が,J10を休ませてくれたこともあった(J10本人・調書10頁)。
しかしながら,陸軍船舶司令部は,負傷した市民の看護で手一杯だっ
たため,J10が医務室を利用したり,衛生兵から治療を受けたりす
る機会はなかった(甲Dヘ1・5頁)。
(イ)J10は,昭和25年頃から,体調の不調が著しくなり,季節の
変化で風邪を引きやすくなるなどした。J10は,医者にかかるよう
になり,医師の指示によってレントゲン撮影を行ったところ,心筋梗
塞の疑い及び心臓肥大の傾向があるとの診断を受けた。以後,J10
は,心臓の疾患について通院を続けた(甲Dヘ1・5頁,6頁,乙D
ヘ1・19枚目,J10本人・調書11頁)。
(ウ)J10は,平成20年,J199病院において,膀胱腫瘍の診断
を受け,通院治療を始めたが,症状が悪化したため,同年11月25
日,入院し,同月27日,経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受け,同年1
2月5日,退院した。なお,腫瘍はがんであった(甲Dヘ1・6頁,
乙Dヘ1・757頁,J10本人・調書12頁)。
(エ)以後,J10は,化学療法である動注化学療法を受けるなどした
が,平成21年8月20日,再び経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受けた
(甲Dヘ1・6頁)。J10は,手術後も,週に1回の割合で,膀胱
の内視鏡検査を受けたり,投薬治療を受けたりした(J10本人・調
書13頁)。
ウJ152の意見
J152は,①J10は24歳の被爆であるところ,被爆地点は,
爆心地から約3.5kmの地点の広島市α35であり,初期放射線は少
ない地域である,②自転車を使って北上し,α15の辺りで自転車が
パンクして先に行くことができずに戻り,また,その後,重傷者の看護
をするようになったことから,当然,放射能でまみれた重傷者からの被
曝もある,③入市後に,熱が出る,下痢を起こす,貧血症状が出ると
いう症状があり,およそ被爆者の急性症状の一つであると考えられるの
で,一定の被曝があったことは間違いないとしている(証人J152・
調書39頁,40頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア被爆地点について
(ア)J10が被爆した地点について,原告J10承継人は爆心地から
約3.5kmの地点にある「○部隊」の練兵場である旨主張し,被告
は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶司令部である旨
主張する。
(イ)この点,「○部隊」とは,船舶砲兵第一連隊の名称であり,同部
隊は,昭和16年7月26日に「軍令陸甲第四二号により船舶高射砲
連隊」として編成下令,同年8月5日に編成完結し,昭和17年7月
7日に「軍令陸甲第九七号により編成改正下令」,同月31日に編成
完結し,同日,船舶高射砲連隊から船舶砲兵第一連隊へ改称している
(乙Dヘ5・2枚目)。その後,同部隊は,昭和20年3月17日に
「軍令陸甲第五二号により編成改正下令」,同月20日に「福山にお
いて編成改正完結」となり,同年8月15日に「福山において停戦」
として,そのまま終戦を迎えている(乙Dヘ5・3枚目)。船舶砲兵
第一連隊は,昭和20年8月6日当時,広島のα62地区に所在した
陸軍部隊集団には含まれていない(乙Dヘ6)。
J10は,陳述書において,近衛歩兵部隊に入隊し,昭和17年12
月まで半年ほど皇居などで勤務した後,船舶砲兵第三部隊(○部隊)と
いう新しい部隊が編成されるということで,近衛歩兵部隊からJ10を
含めて30人ほどが広島の部隊に転属とされ,南方への輸送部隊として
各地を転々としたとしている(甲Dヘ1・1頁)ところ,「○部隊」は
船舶砲兵第三部隊を指す名称ではなく,その編成時期についても,昭和
17年12月以降に初めて編成されたものではなく,また,同月頃に編
成改正がされたとの証拠もない。
また,J10は,本人尋問等において,J10が被爆した地点付近に
は,本部や兵舎,兵器庫,弾薬庫等の施設があったとし(乙Dヘ1・7
63頁,J10本人・調書15頁),広島原爆が投下された時に本部に
残っていた者については,兵舎のガラスの破片や落下物で負傷者が多数
出ていたとしているが(甲Dヘ1・2頁,乙Dヘ1・16枚目),「在
広主要部隊配置図」(乙Dヘ7・36頁)には,船舶砲兵第一連隊に係
る記録はなく,船舶砲兵第一連隊は,「福山」において編成改正完結と
なり,そのまま終戦を迎えたものであり,広島市内に本部があったとも
考え難いものである。
さらに,J10の部隊の被災状況についてみるに,J10は,平成4
年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書において,三,四日で倒れ
た兵舎も修復することができて起居することができる状態になり,通常
と変わりなく勤務が続いたとし(乙Dヘ1・764頁),本人尋問にお
いても,昭和20年8月8日は兵舎やJ10が担当の兵器庫がどのよう
な状況か分からないので見回りをしたところ,異常がなかったようであ
ったが,兵舎の中には屋根がめくれたり,半壊したりしている兵舎もあ
ったとしている(J10本人・調書7頁)。しかしながら,広島市にお
いて,半壊又は半焼以上の被害を受けた建物の割合は,爆心地から3.
5kmの地点では76.9%,同4.5kmの地点では60.0%,同
5kmの地点では17.6%とされており(乙Dヘ8・732頁),J
10の部隊の被災状況とは隔たりがある。
以上によれば,爆心地から約3.5kmの地点に「○部隊」の練兵場
があったとは認められず,J10が同所で被爆したとも認められない。
(ウ)陸軍船舶司令部はα62地区に所在する部隊であり,その所在地
は,広島市α63付近であり,爆心地から約4.79kmの地点に位
置する(乙Dヘ7・36頁,乙Dヘ10の1・1枚目)。陸軍船舶司
令部は通称「○」部隊と呼ばれており(乙Dヘ9・706頁,乙Dヘ
10の1・1枚目),○部隊と一部名称が共通しているものである。
また,J10が原爆投下直後の情景を描いたものとしてJ77資料館
のホームページ上で公開されている複数の絵の説明書きによれば,J1
0が被爆した地点は,爆心地から約4.79kmの地点にある陸軍船舶
司令部であり,その所在地は,現在の「α64」ないし「α65」であ
ると明記されている(乙Dヘ10の1ないし6)。同じくJ10が描い
たものとしてJ77資料館のホームページ上で公開されている絵のう
ち,入市状況を描いた絵の裏側にJ10自身が記載したとされる説明書
きでは,昭和20年8月7日午前9時頃,上司の中隊長の後を追って,
被爆で焼け野原となった道を自転車で走り,破片が散乱した道を走って
タイヤがパンクし,3km余りの道を自転車を押しながら部隊へ帰った
とされており,爆心地から約2kmの地点にあるα15付近を描いたと
されていることからすれば(乙Dヘ10の7),J10は,昭和20年
8月7日,α15付近で自転車のタイヤがパンクし,その後部隊に引き
返したが,引き返した地点から部隊まで約3kmの距離があったと認め
られる。J10が引き返した地点は後記のとおり爆心地から約1.5k
mの地点にあるJ35病院付近であったと認められるところ,陸軍船舶
司令部は,爆心地から約4.79kmの地点にあることから,引き返し
た地点から部隊まで約3kmの距離があったということと整合する。
なお,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,被爆
地点について,爆心地から4kmの広島市α35であると記載されてい
るが(乙Dヘ1・761頁),このことはJ10が爆心地から約4.7
9kmの地点にある陸軍船舶司令部で被爆したことと矛盾するとまで
はいえない。
(エ)したがって,J10が被爆した地点については,爆心地から約4.
79kmの地点にある陸軍船舶司令部であると認められる。
イ入市地点について
(ア)被告は,J10が広島原爆の投下翌日にJ35病院付近まで入市し
た事実は認められない旨主張する。
(イ)この点,J10は,本人尋問において,どこまで入市したかとい
う点について,はっきり分からないとしながらも(J10本人・調書
23頁),α15から5分ないし10分ほど自転車で走行した後,自
転車のタイヤがパンクしたため,10分ないし15分ほど自転車を引
いて徒歩で向かったと供述しているものであり(J10本人・調書5
頁,6頁),その供述は具体的である。また,J10は,平成22年
6月26日付け認定申請書添付の申述書に,J35病院辺りまで行っ
た記憶がある旨記載しており(乙Dヘ1・756頁),この記載は上
記供述と整合する。なお,J10は,陳述書において,爆心地から1
km以内のJ36病院の辺りまで入市したとしており(甲Dヘ1・4
頁),上記申述書と齟齬がみられるが,大きな齟齬とまでは認められ
ない。
また,広島原爆戦災誌第五巻所収の「被爆者救済活動の手記集(暁部
隊)」によれば,広島原爆の投下当日及び翌日,陸軍船舶練習部の複数
の者が,救援等のため組織的に広島のα62方面から北上してα15を
渡っている(甲Dヘ5・429頁,433頁,497頁,542頁)。
特に,陸軍船舶練習部第○教育隊兵長のJ200は,α62方面から,
α15,J35病院へと北上しているのであって(甲Dヘ5・510頁),
この軌跡は,J10の主張する軌跡と一致するものである。
なお,平成4年3月25日付け被爆者健康手帳交付申請書には,J1
0がα15を渡って間もなく,釘や金物の破片が刺さってタイヤがパン
クしたため,上司の中隊長に同行することができなくなり,上司の中隊
長は広島市α28に向かって走っていったが,J10は自転車を引きな
がら部隊に帰ってきたとの記載がある(乙Dヘ1・764頁)が,この
記載によっても,J10がα15付近で直ちに引き返したかどうかは不
明であり,J10の本人尋問における供述と矛盾するものでもない。
(ウ)したがって,J10は,爆心地から約1.5kmの地点にあるJ
35病院付近まで入市したものと認められる。
ウ嘔吐及び食欲不振の出現の有無について
(ア)被告は,J10に嘔吐及び食欲不振が出現したとはいえない旨主張
する。
(イ)確かに,嘔吐及び食欲不振については,平成4年3月25日付け
被爆者健康手帳交付申請書の「(6ヶ月以内にあらわれた症状の有無)」
欄に記載がないが,そもそも嘔吐及び食欲不振については,同欄の項
目に挙がっておらず,仮にこれらを記載するとすれば,あえて「その
他」の欄に記載する必要があるものである(乙Dヘ1・762頁)。
そして,J10には様々な急性症状等が出現しており,それらの症状
については,該当する項目に丸印を付したり,記載をしたりしている
のであって,同欄に嘔吐及び食欲不振の記載がないことについては,
J10において,急性症状等が余りに多数であったため,記載漏れが
生じたと考えることも十分可能である。
そして,J10は,平成22年6月26日付け認定申請書添付の申述
書において,被爆後,食欲不振があったとしており(乙Dヘ1・756
頁),更に,陳述書及び本人尋問において,嘔吐,吐き気や食欲不振が
あったとしているものである(甲Dヘ1・5頁,J10本人・調書10
頁)。
(ウ)したがって,J10には嘔吐及び食欲不振が出現したものと認め
られる。
(3)J10の放射線被曝の程度
ア初期放射線
J10は,爆心地から約4.79kmの地点で被爆しており,DS0
2による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
J10は,広島原爆の投下翌日,自転車及び徒歩で爆心地から約1.
5kmの地点まで入市している。J10は,この間,多数の死体とも遭
遇している。また,J10は,陸軍船舶司令部に戻った後も,重症被爆
者らの救護に従事している。
J10が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もない
頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものと
いうことができる。遭遇した多数の死体も放射性降下物に汚染されてい
たと考えられる。救護に従事した重症被爆者らが放射性降下物に汚染さ
れていた可能性もある。
ウ誘導放射線
J10の上記のような被爆状況等からすると,J10が誘導放射化さ
れた物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いものと
認められる。J10が遭遇した多数の死体は,誘導放射化された物質や
放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
また,救護に従事した重症被爆者らが誘導放射化された物質や放射性粉
塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ内部被曝
J10の上記のような被爆状況等からすると,J10は,放射性降下
物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。救護
に従事した重症被爆者を通じて放射性降下物や誘導放射化された物質,
放射性粉塵を吸引した可能性もある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,J10は,入市後,発熱,下痢,
貧血,めまい,吐き気,食欲不振といった症状が現れ,嘔吐もあったも
のである。また,J10は,心筋梗塞の疑い及び心臓肥大の傾向がある
との診断を受けている。
カその他
J10は,広島原爆の投下翌日に,爆心地から約1.5kmの地点ま
で入市しており,積極認定対象被爆に該当する。
キ小括
以上の事実を総合すれば,J10は健康に影響を及ぼすような相当量
の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
J10の申請疾病は膀胱がんである。膀胱がんは固形がんの一つであり,
積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討したとおり,
一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,J10には膀胱がんの重大な危険因子である性差及び加齢が存
在している旨主張する。
イこの点,J10は男性であり,また,J10が膀胱腫瘍(膀胱がん)
と診断されたのは被爆の63年後の87歳の時である。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があった
としても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められ
る場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよ
うな特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射
線起因性を肯定するのが相当である。
これをJ10についてみると,前記(3)のとおり,J10は,健康に影響
を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)のとおり,
J10の申請疾病である膀胱がんは,一般的に放射線被曝との関連性が認
められる疾病であるところ,J10の上記イの事情については,上記特段
の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情の下で,原爆の放射線
によって膀胱がんの発症が促進されたものと認めるのが相当である。
(6)J10の膀胱がんの放射線起因性
以上によれば,J10が発症した膀胱がんの放射線起因性を認めることが
できるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
J10は,平成20年11月27日に経尿道的膀胱腫瘍摘出手術を受け
て以降,治療及び再手術を重ね,平成26年▲月▲日に死亡するまで治療
を継続していたのであるから,申請疾病について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,J10は,処分当時,原爆症認定申請に係る膀胱がんにつ
いて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるか
ら,J10に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消されるべき
である。
7原告J12
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J12は,昭和13年▲月▲日生まれの男性であり,長崎
原爆の投下当時,7歳であった。原告J12は,被爆前,健康状況に
特段の問題はなかった。原告J12は,国民学校に在籍していた。原
告J12は,長崎県佐世保市において,母及び長崎原爆の投下当時5
歳であった弟と共に生活していたが,空襲で焼け出されてしまったた
め,長崎市α66の父方の親族であるJ38の自宅に身を寄せていた
(前提事実4(7)ア,甲Dト1・1頁,乙Dト1・397頁,399頁)。
当時,J38の自宅には,原告J12,原告J12の母,原告J12
の弟のほかに,J38の子のJ201も同居していた(甲Dト4・1
頁)。J38の自宅は,爆心地から約3.8kmの地点にあった(甲
Dト2・1頁)。また,原告J12の伯父のJ37,J37の妻,子
等の原告J12の多数の親族は,被爆当時,原告J12の近所に集ま
って生活していた(甲Dト4・1頁,2頁)。
(イ)原告J12は,長崎原爆の投下直前,近所に住む友人から少年雑
誌を借りてJ38の自宅近くの路上で読んでいたが,上空から爆撃機
の爆音が聞こえてきたため,防空壕に避難しようと走り出したところ,
強烈な閃光があった。原告J12は,とっさに目の前の駄菓子屋に飛
び込んだが,ほぼ同時に猛烈な爆風に襲われた。駄菓子屋の中の陳列
品は飛び散り,原告J12は,両手で頭を抱えて座り込んだ(甲Dト
1・1頁,原告J12本人・調書2頁)。
しばらくすると,爆風が止み,原告J12は,防空壕に避難した。原
告J12は,防空壕の中で,母や弟と合流した(甲Dト1・1頁,2頁)。
J202に勤務していたJ37は,爆心地から約800mの地点に
あるJ203付近で被爆した(甲Dト1・2頁,甲Dト4・2頁,甲
Dト5)。
J37は,長崎原爆の投下翌日,原告J12の母やJ201らの7人
の親族に救助され,戸板に乗せられて帰宅した(甲Dト1・2頁,甲D
ト4・2頁ないし4頁)。7人の親族は,爆心地を通過してα67付近
まで至り,そこから引き返してJ203の境内でJ37を救助した後,
再び長崎市α66を目指し,体中埃や泥だらけになりながら汗だくの状
態でJ37を連れ帰ったものであった(甲Dト4・3頁,4頁)。原告
J12は,弟と共に,J37の救助に向かった親族を待っていた(甲D
ト4・2頁)。J37は,顔以外の全身が焼けただれるほどの重度のや
けどを負い,被爆後数日のうちに死亡したが(甲Dト4・4頁),原告
J12は,J37が寝ているそばでその様子を見ていた(原告J12本
人・調書5頁)。
(ウ)防空壕には近隣の住民など数多くの者が避難していたが,長崎原
爆の投下翌日か翌々日には,やけどをして皮膚がぼろぼろになった者
も来たことがあった(原告J12本人・調書3頁)。
原告J12は,しばらくの間,J38の自宅と防空壕とを行ったり来
たりしており,そのような者らを間近で見た(原告J12本人・調書3
頁,19頁)。
被爆者の遺体は,毎日,J38の自宅近くの広場において焼かれ,原
告J12は,その様子を見ていた(甲Dト1・2頁)。
(エ)原告J12は,被爆から1週間ほど経った頃,母や弟と共に,佐
賀県杵島郡α68村にある母の郷里に疎開することとなり,J38の
自宅から徒歩で長崎駅に行き,長崎駅から汽車で疎開先に向かった(甲
Dト1・2頁,原告J12本人・調書5頁)。原告J12は,汽車に
乗っているとき,車窓から,田の中に家畜の死体が数多く転がってい
るのを見た(甲Dト1・2頁,原告J12本人・調書5頁,6頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J12は,被爆後,全身がだるい状態が続き,また,よく鼻
血を出し,貧血気味であった(甲Dト1・3頁,甲Dト2・2頁)。
全身がだるい状態は被爆後3年程度継続し,原告J12の母が心配し
て原告J12を保健所に連れて行ったところ,白血球が減少している
とのことであった(甲Dト1・3頁,甲Dト2・2頁)。
(イ)原告J12は,被爆から半年ほどしてから,歯茎が腫れたため,
切開手術を受けた(甲Dト1・3頁)。
(ウ)原告J12は,昭和28年頃,蓄膿症で手術を受け,昭和33年
頃も同様に蓄膿症で手術を受けた(甲Dト1・3頁)。
(エ)その後も,原告J12は,結婚に際し,被爆していることを気に
してちゅうちょしたり,妻の出産の際に健康な子が生まれるかを気に
したりして,被爆のことを忘れることができなかった(原告J12本
人・調書9頁)。
(オ)原告J12は,平成10年頃,白内障と診断され,治療を受けた
(甲Dト1・3頁)。
(カ)原告J12は,平成15年頃,頚椎ヘルニアと診断された(甲D
ト1・3頁)。
(キ)原告J12は,平成15年10月,健康診断を受けたところ,前
立腺がんが発見された。診断は,針生検では,高分化腺がんであった
が,摘出した前立腺の病理組織診断では,増生する中ないし低分化腺
がんが主体で,前立腺被膜及び傍神経への浸潤が認められた進行がん
であった(甲Dト2・2頁)。
(ク)原告J12は,摘出手術の3日後,脳梗塞を発症した(甲Dト2・
2頁)。
(ケ)原告J12は,摘出手術後,3年程度にわたり,ホルモン注射を
受けた。原告J12の症状は,平成16年8月には,傷がややケロイ
ド状となっており,痛がゆいというものであった(甲Dト2・2頁)。
(コ)原告J12は,平成18年9月,一旦,注射を終了し,定期的に
経過観察となったが,徐々に腫瘍マーカーが上昇し,平成21年10
月から治療が再開された(甲Dト2・2頁)。
(サ)原告J12は,現在も,毎月1回,定期的に医師の診察を受け,
その都度,薬剤の処方を受けている(甲Dト2・2頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J12は,爆心地から約3.8kmで被爆してお
り,初期放射線による被曝はほとんどないと思われる,②その後,近距
離被爆者のJ37が重症の被爆により担ぎ込まれ,原告J12は,J37
のそばにずっといたことから残留放射線による被曝をした,③原告J1
2は,被爆時7歳であることから,若年被爆であり,被爆後の倦怠感や貧
血の症状,白血球の減少は被曝によるものであると思われる,④前立腺
がんは高齢者に多いがんであり,原告J12が発症時60歳代半ばである
ことからすると,若い時期の発症であると思われる,⑤前立腺がんは残
留放射線被曝でもかなり発症するとしている(証人J152・調書40頁,
41頁)。
(2)原告J12の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J12は爆心地から約3.8kmの地点で被爆しており,DS02
による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J12は,被爆後,爆心地付近で被爆したJ37や爆心地付近にい
たJ37を連れ帰った原告J12の親族の身近にいたものである。また,
原告J12は,防空壕に避難してきた被爆者を間近で見たり,毎日,被爆
者の遺体が焼かれる様子を見たりしている。接触したJ37及び原告J1
2の親族は放射性降下物に汚染されていたと考えられる。防空壕に避難し
てきた被爆者及び被爆者の遺体が放射性降下物に汚染されていた可能性も
ある。
ウ誘導放射線
原告J12の上記のような被爆状況等からすると,原告J12は,誘
導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性が
ある。J37は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘
導放射化されたりしていたと考えられ,原告J12の親族も誘導放射化さ
れた物質や放射性粉塵に汚染されていたと考えられる。また,防空壕に避
難してきた被爆者及び被爆者の遺体が誘導放射化された物質や放射性粉塵
に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ内部被曝
原告J12の上記のような被爆状況等からすると,原告J12が放射性
降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性を否定す
ることはできない。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J12は,被爆後,倦怠感や鼻
血があり,白血球も減少し,歯茎が腫れるなどしており,白内障や脳梗塞
にも罹患している。
カその他
原告J12は,被爆当時7歳であり,若年での被爆であると認められる。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J12は健康に影響を及ぼすような相当
量の被曝をしたものと認められる。
(3)申請疾病の放射線起因性
原告J12の申請疾病は前立腺がんである。前立腺がんは固形がんの一
つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討し
たとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(4)他原因の検討
ア被告は,原告J12には前立腺がんの重大な危険因子である加齢及び喫
煙が存在している旨主張する。
イこの点,原告J12が前立腺がんと診断されたのは,被爆の58年後で
あって,正に前立腺がんの好発年齢である65歳の時である。
また,原告J12は,20歳頃から60歳頃まで,1日当たり20本な
いし30本程度の喫煙をしていたことが認められる(原告J12本人・調
書18頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J12についてみると,前記(2)のとおり,原告J12は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(3)
のとおり,原告J12の申請疾病である前立腺がんは,一般的に放射線被
曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告J12の上記イの事情
については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情
の下で,原爆の放射線によって前立腺がんの発症が促進されたものと認め
るのが相当である。
(5)原告J12の前立腺がんの放射線起因性
以上によれば,原告J12が発症した前立腺がんの放射線起因性を認める
ことができるというべきである。
(6)申請疾病の要医療性
原告J12は,前立腺がんの治療として摘出手術を受け,一旦は経過観察
となったものの,徐々に腫瘍マーカーが上昇したため,平成21年10月か
ら治療が再開され,現在も,毎月1回,定期的に医師の診察を受け,その都
度薬剤の処方を受けており,申請疾病について要医療性が認められる。
(7)総括
以上のとおり,原告J12は,処分当時,原爆症認定申請に係る前立腺が
んについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められ
るから,原告J12に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消さ
れるべきである。
8原告J13
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J13は,昭和17年▲月▲日生まれの男性であり,長崎
原爆の投下当時,2歳であった(前提事実4(8)ア,甲Dチ1・1頁)。
原告J13は,被爆前,健康状態に特段の問題はなかった(原告J1
3本人・調書2頁)。原告J13の自宅は,長崎市α69(×番地)に
あり,被爆地点は,爆心地から約3.6kmの自宅前の路上であった
(甲Dチ1・1頁)。
(イ)原告J13は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,自宅
前のアスファルトと石畳の道路で,隣家の子らと共に,ろう石で絵を
描いて遊んでいた。原告J13は,長崎原爆の投下直後,爆風に襲わ
れたが,隣家の者が,原告J13を隣家に引っ張り込んで布団を被せ
たため事なきを得,特に怪我もしなかった(甲Dチ1・1頁,2頁)。
原告J13の自宅は,倒壊は免れたものの,瓦はほとんど飛んでしま
い,壁も破損した(原告J13本人・調書3頁)。
(ウ)原告J13は,昭和37年に大学進学のために長崎を離れるまで
自宅に住み続けた(甲Dチ1・2頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J13の被爆直後の健康状態やその後の健康状態については
不明であり,原告J13の母も,原告J13との間で,これらを話題
に出したことはなかった(乙Dチ1・173)。
(イ)原告J13は,自宅や病院で,貧血により失神することがよくあ
った(甲Dチ1・3頁)。原告J13は,小学校の低学年の頃,足の
付け根のリンパ腺が腫れ,病院で治療を受け,1週間ほど学校を休ん
で家で寝ていたこともあった。原告J13は,小学生の半ば頃までは,
体力がなく,病気にかかりやすかった(甲Dチ1・3頁,原告J13
本人・調書5頁)。原告J13は,20歳頃まで倦怠感にも悩まされ
た(甲Dチ2・2頁)。
(ウ)原告J13は,成人後,扁桃腺肥大により風邪を引きやすい体質
を有しており,55歳頃,風邪でJ39病院に1週間入院した(甲D
チ1・3頁)。
(エ)原告J13は,平成9年頃から2箇月に1度,高血圧でJ40セ
ンターに通院している(甲Dチ1・3頁)。
(オ)原告J13は,平成19年ないし平成20年頃,医師から腹部大
動脈瘤の腫れを指摘され,平成19年11月,J40センターで前立
腺がんと診断され,平成20年3月,J204病院で手術を受けた。
原告J13は,現在も,約2箇月おきに通院しており,腫瘍マーカー
等の検査による経過観察を継続している(甲Dチ1・3頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J13は,爆心地の南約3.6kmの地点で被
爆し,そこで生活し続けたものであり,同地域は,長崎のα25地区と
も近く,一定程度の残留放射線がある地域であると思われる,②原告
J13は,2歳であったことから,記憶がはっきりと残っているわけで
はないが,被爆後の病態として,下痢に悩まされる,貧血が続くなどの
症状があり,健康状態がよくなかったものである,③前立腺がんを6
5歳という若年で発症しているところ,長崎では最近でも前立腺がんの
発症が多いという報告があり,放射線の一定の被曝とその影響が十分考
えられるケースであるとしている(証人J152・調書41頁,42頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア下痢の発症の有無について
(ア)原告J13は,幼少時にしばしば下痢を発症していた旨主張する。
(イ)この点,昭和37年5月30日付け被爆者健康手帳交付申請書添
付の原爆被爆者調査表の「原爆による急性症状(おゝむね六ケ月以内)」
の欄には,下痢や脱毛等の身体症状について記載する欄が設けられて
いるところ,何も記載がされていないことが認められる(乙Dチ1・
181頁)。一方で,同調査表には,被爆前に,下痢の症状を通常伴
う赤痢に罹患していた旨も明記されている(乙Dチ1・181頁)。
原告J13は,平成20年5月23日付け認定申請書においても,
被爆直後の健康状態やその後の健康状態について,当時の身体的状況
は分からず,戦後の病状についても,母から特に聞いたことはないと
しているものである(乙Dチ1・173頁)。
確かに,平成22年8月27日付け異議申立書には,原告J13が
被爆直後の3歳頃から,しばしば下痢の症状で苦しみ,病院にも通院
したとの記載があり(乙Dチ1・10枚目),陳述書にも,被爆直後
3歳頃からよく腹を壊して病院に通院していたとの記載があり(甲D
ト1・2頁),原告J13は,本人尋問においても,原告J13の母
から下痢をして食事が取れずに何回も死にかけたといった話を聞かさ
れた旨供述している(原告J13本人・調書12頁)が,このような
変遷について,何ら合理的な説明はされていない。
(ウ)したがって,原告J13が幼少時にしばしば下痢を発症していた
事実は認められない。
イ下痢以外の倦怠感等の身体症状の出現の有無について
(ア)被告は,下痢以外についても,倦怠感を含めて何らかの身体症状が
出現したとは認められない旨主張する。
(イ)確かに,平成20年5月23日付け認定申請書には,倦怠感等の
身体症状に関する記載はない(乙Dチ1・173頁)。
しかしながら,同申請書は,これらの症状がなかったとまではしてお
らず,かえって,昭和37年5月30日付け被爆者健康手帳交付申請書
添付の原爆被爆者調査表では,「現在の健康状態」の欄の「つかれやす
い」との項目に丸印が付いており(乙Dチ1・181頁),平成22年
8月27日付け異議申立書(乙Dチ1・10枚目,11枚目)や陳述書
(甲Dチ1・3頁)では,貧血(気味)でよく失神することがあり,足
の付け根のリンパ腺が腫れて,病院で治療を受け,家で療養したことも
あったとし,さらに,陳述書(甲Dチ1・3頁)では,倦怠感に悩まさ
れ続けたともしており,その内容は一貫している。
(ウ)したがって,原告J13には認定事実記載のとおりの身体症状が
出現したものと認められる。
もっとも,原告J13は,本人尋問において,倦怠感の内容は登山し
た際に他人よりも早く疲れるというものであるとしているにすぎず(原
告J13本人・調書10頁),極めて抽象的で漠然としていることから
すれば,倦怠感については,その程度は軽かったものと認められる。
(3)原告J13の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J13は爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,DS02
による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J13が黒い雨に打たれたといった事実は認められないものの,
被爆後生活していた自宅が長崎のα25地区の付近に位置することから
すれば,同所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性がある。この
点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調
査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向
に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,
5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性がある
ことは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南東方向の
(乙Dチ3)原告J13の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあると
いうべきである。
ウ誘導放射線
原告J13の上記のような被爆状況等からすると,原告J13は,誘
導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性が
ある。
エ内部被曝
原告J13の上記のような被爆状況等からすると,原告J13が放射
性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引等した可能性を否
定することはできない。
オ急性症状等
原告J13が幼少時にしばしば下痢を発症していた事実を認めること
はできず,原告J13に急性症状が生じたか否かについては不明である。
しかしながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告J13は,貧血
により失神することがよくあり,小学生の低学年の頃,足の付け根のリ
ンパ腺が腫れ,病院で治療を受け,1週間ほど学校を休んで家で寝てい
たことがある。また,原告J13は,程度は軽いものの,倦怠感にも悩
まされている。さらに,原告J13は,成人後,扁桃腺肥大により風邪
を引きやすい体質を有しており,55歳頃,風邪で1週間入院したこと
もあり,高血圧で通院もしている。
カその他
原告J13は,被爆当時2歳であり,若年での被爆であると認められ
る。
また,原告J13は,爆心地から約3.6kmの地点で被爆しており,
積極認定対象被爆に近い態様での被爆である。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J13は健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J13の申請疾病は前立腺がんである。前立腺がんは固形がんの一
つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(1)で検討し
たとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J13には前立腺がんの重大な危険因子である加齢,飲
酒及び喫煙が存在している旨主張する。
イこの点,原告J13が前立腺がんと診断されたのは被爆の62年後で
あって,好発年齢である65歳の時である。
また,原告J13は,飲酒の習慣があり(原告J13本人・調書14
頁),58歳頃まで,1日当たり1箱ないし40本程度の喫煙もしてい
た(原告J13本人・調書15頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J13についてみると,前記(3)のとおり,原告J13は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)
のとおり,原告J13の申請疾病である前立腺がんは,一般的に放射線被
曝との関連性が認められる疾病であるところ,原告J13の上記イの事情
については,上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,上記イの事情
の下で,原爆の放射線によって前立腺がんの発症が促進されたものと認め
るのが相当である。
(6)原告J13の前立腺がんの放射線起因性
以上によれば,原告J13が発症した前立腺がんの放射線起因性を認める
ことができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J13は,前立腺がんの手術を受け,その後も,約2箇月おきに通
院して,腫瘍マーカー等の検査による経過観察を継続しており,申請疾病
について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J13は,処分当時,原爆症認定申請に係る前立腺が
んについて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認めら
れるから,原告J13に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消
されるべきである。
9原告J1
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J1は,昭和20年▲月▲日生まれの男性であり,広島原
爆の投下当時,生後▲箇月であった。原告J1は,乳児ではあるもの
の,被爆前の健康状況について特段の問題はなかった。原告J1は,
α51村α70に疎開していた(前提事実4(9)ア,甲Dリ1・1頁,
原告J1本人・調書5頁,6頁)。
(イ)原告J1は,広島原爆の投下翌日から昭和20年8月8日までの
間又は同日から同月9日までの間,原告J1の母や二人の姉と共に,
広島の造船所に勤務していた原告J1の父を探すため,爆心地付近に
入市した。原告J1は,母に背負われて,芸備線の汽車に乗って広島
駅に行き,広島駅からは広島市α71の自宅方面に向かって市電の線
路沿いを歩き,広島市α18,同市α17,同市α19辺りまで歩い
たが,周囲はがれきに埋もれ,それ以上歩いて進むことができなかっ
たことから,広島市α19を過ぎた辺りで来た道を再び引き返した(甲
Dリ1・1頁,2頁)。
その後も,原告J1,原告J1の母及び二人の姉は,広島市内に二
日ほどとどまり,原告J1の父を探した(甲Dリ1・2頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J1が乳児であったため,被爆による急性症状があったかど
うかは不明である(甲Dリ1・3頁)。
(イ)原告J1は,17歳の頃,腎臓病を発症し,40日間入院した(甲
Dリ1・3頁)。
(ウ)原告J1は,平成5年に人間ドッグを受けた際に,胃がんが発見
され,平成6年2月,幽門側胃切除術を受け,胃の3分の2を切除し
た(甲Dリ1・3頁,乙Dリ1・2838頁)。
原告J1は,経過観察として,1年に一度,定期的に,内視鏡検査
を受けるなどの再発防止のための通院を続けているが,再発は認めら
れない(甲Dリ2・4頁,原告J1本人・調書14頁)。
しかしながら,原告J1は,その後も,胃切除後障害を発症している
とされ,具体的には,ダンピング症候群,逆流性食道炎及び鉄欠乏性貧
血を指摘されている(甲Dリ1・3頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア原告J1の申請疾病について
原告J1は,認定申請に当たって,平成20年6月5日付け認定申請書
の「負傷又は疾病の名称」の欄に「胃がん」と記載している(乙Dリ1・
2837頁)。
しかしながら,原告J1は,同申請書の「被爆直後の症状及びその後の
健康状態の概要」の欄に,後遺症としてダンピング症候群があり,鉄分不
足で悩まされ,現在治療中である旨記載し(乙Dリ1・2837頁),同
申請書添付のJ42意見書も,「現症所見」の欄に,現時点で,ビタミン
B12の継続的な注射を行っているが,後遺症としてダンピング症候群,
逆流性食道炎及び鉄欠乏性貧血がみられる(乙Dリ1・2838頁)とし
ていることからすれば,胃がんのみならず,胃切除後障害としてのダンピ
ング症候群,逆流性食道炎,鉄欠乏性貧血及びビタミンB12の欠乏によ
る巨赤芽球性貧血についても申請疾病に含まれるものと解するのが相当
である。
イ胃切除後障害の発症の有無について
(ア)ダンピング症候群
a胃切除後障害(胃切除術後症候群)とは,胃切除に伴う食物貯留能
の低下や食物消化経路の変更などによって生じる機能的障害(早期及
び後期ダンピング症候群,消化吸収障害及び貧血,骨障害等)及び器
質的障害(逆流性食道炎等)をいう(乙Dリ4・129頁)。
ダンピング症候群とは,胃切除後の患者において食後にみられる
様々な症状を呈する病態を指し,食後20分ないし30分で生じる早
期ダンピング症候群と,食後2時間ないし3時間で生じる後期ダンピ
ング症候群に分類される(乙Dリ4・129頁)。
早期ダンピング症候群とは,胃切除後の患者において,腸蠕動亢進,
腹部不快感,腹痛,悪心及び嘔吐,下痢などの腹部症状と,全身倦怠
感,めまい,頻脈,発汗及び動悸を呈する血管運動性症状(全身症状)
が食後20分ないし30分で生じ,1時間ないし2時間持続するもの
をいう。早期ダンピング症候群の発症頻度は10%ないし20%とさ
れている。早期ダンピング症候群の発生機序としては,胃切除後,胃
の貯蔵能が低下して高張(浸透圧が高い状態)な食物が十二指腸や空
腸に急速に流入することにより,循環血漿量の減少,上部空腸の拡張
進展,消化ホルモン(血管作動体液性因子。セロトニン,ヒスタミン,
ブラジキニン等)の増加が生じ,上記の各症状が生じるとされている
(乙Dリ4・129頁,乙Dリ5・369頁,乙Dリ6・533頁,
534頁,乙Dリ7・A-54頁,乙Dリ8・81頁,弁論の全趣旨・
被告準備書面(9)16頁)。
b早期ダンピング症候群の診断は,①臨床症状,②ダンピング誘発試
験(チューブを空腸内に留置して50%ブドウ糖液を5分以内に急速
注入し,症状の発現,循環血流量及び消化ホルモン測定を行う。)及び
③食後の血糖や血清インスリン,C-ペプチド,IRI(免疫活性イ
ンスリン)の測定により行う(乙Dリ4・129頁,乙Dリ5・36
9頁,370頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)16頁)。また,J
229が昭和46年に提案した中間報告案によれば,食事との関連で
生ずる種々の症状や身体所見で診断が可能であるとされており,11
項目(①冷や汗をかく,②動悸がする,③めまいがする,④しびれや
失神がある,⑤顔色が赤くなる,⑥顔色が青くなる,⑦全身が熱くな
る,⑧全身がだるく力が抜けるようになる,⑨眠くてたまらなくなる,
⑩頭痛や頭重がある及び⑪胸苦しくなる)のうちの一つでも当てはま
れば早期ダンピング症候群と判定するとされている(甲Dリ7・11
7頁)。
cJ42意見書は,原告J1に胃切除後障害としてのダンピング症候
群がみられるとしている(乙Dリ1・2838頁)。
また,原告J1は,平成6年2月に胃切除術を受けたが,その後,
同年3月17日に下痢の症状があり(乙Dリ9・175頁),同月2
8日にも腹痛及び下痢の症状があることから,治療薬として○と○等
が継続的に処方されている(乙Dリ9・176頁)。原告J1は,同
年5月9日も下痢及び腹痛があり(乙Dリ9・176頁),平成12
年3月23日(乙Dリ9・182頁),平成13年4月5日及び同年
7月19日(乙Dリ9・183頁),ダンピングがあると診断され,
平成14年1月31日(乙Dリ9・183頁),胸焼けがあり,ダン
ピングがあると診断され,さらに,原爆症認定申請直前の平成20年
5月8日も食後の冷や汗があり,ダンピングがあると診断され(乙D
リ9・188頁),原爆症認定申請直後の同年8月7日も同様に冷や
汗があり,ダンピングがあると診断されている(乙Dリ9・189頁)。
原告J1の各症状は,胃切除術を受ける前には全くなかったもので
ある(原告J1本人・調書7頁)。
そして,上記のとおり,原告J1は,冷や汗があり,上記中間報告
案の早期ダンピング症候群の判定基準も満たしている。
dしたがって,原告J1は,胃切除後障害としての早期ダンピング症
候群を発症しているものと認められる。
(イ)逆流性食道炎
a逆流性食道炎は,胃液の食道内逆流によって発生する疾病である。
胃粘膜は,細胞傷害性及び消化力の強い胃液に対する防御機構を持っ
ているが,食道はそのような防御機構が弱いため,逆流した胃液に長
時間接すると,粘膜上皮が傷害を受け,傷害を受けた食道には強い炎
症が起こり,びらんや潰瘍が形成される。この状態が逆流性食道炎と
呼ばれる。逆流性食道炎は,極めて高頻度にみられる疾患であり,一
般人口の10%程度にみられる。また,最近,ヘリコバクター・ピロ
リ除去などによる日本人の胃酸分泌能の増加と食生活の欧米化(高脂
肪及び高蛋白食)に伴って増加傾向にある(乙Dリ12・800頁,
弁論の全趣旨・被告準備書面(9)22頁)。
胃切除後障害としての逆流性食道炎は,胃切除により噴門や下部食
道括約筋(LES)の機能障害を生じ,胃液などの消化液が食道に逆
流して起きる食道炎をいう(乙Dリ5・370頁)。胃全摘後であれ
ば胆汁や膵液が,胃部分切除後であればこれに胃液を混入したものが
食道内に逆流することになるが,手術術式の改善などによって,胃切
除後障害としての逆流性食道炎は減少傾向にあるとされている(乙D
リ12・801頁)。胃切除後障害としての逆流性食道炎は,術後1
年以内にみられるとされている(乙Dリ13・90頁)。
逆流性食道炎の治療は,生活及び食事指導,薬物治療並びに手術治
療の三つに分けられる。薬物治療では,主に胃酸分泌を抑制する胃酸
分泌抑制薬(ヒスタミンH2受容体拮抗薬やプロトンポンプ阻害薬)
と,分泌された酸を中和する酸中和剤(水酸化マグネシウム/水酸化
アルミニウムゲルなど)が用いられる(乙Dリ12・802頁,弁論
の全趣旨・被告準備書面(9)22頁,23頁)。胃切除後障害としての
逆流性食道炎の場合は,胃部分切除後の例では,胃酸分泌抑制薬や酸
中和剤も用いられているが,それ以外に膵液中のトリプシンの作用を
阻害して食道粘膜の損傷を防ぐために蛋白分解酵素阻害薬であるメシ
ル酸カモスタットの投与が行われる(乙Dリ12・802頁,803
頁)。
bJ42意見書は,原告J1に胃切除後障害としての逆流性食道炎が
みられるとしている(乙Dリ1・2838頁)。
しかしながら,上記のとおり,胃切除後障害としての逆流性食道炎
は,術後1年以内にみられるとされているところ,原告J1は,平成
6年2月に胃切除術を受けているが,原爆症認定申請直前の平成20
年5月8日,逆流性食道炎がないとの診断を受けており(乙Dリ9・
188頁),逆流性食道炎については,同年10月28日の内視鏡検
査で食道裂孔ヘルニア(滑脱型)と合わせて初めて診断を受けたもの
であって,その程度も軽度である(乙Dリ9・22頁)。また,食道
裂孔ヘルニア(滑脱型)は,逆流性食道炎を合併することがあるとさ
れていること(乙Dリ12・800頁)や,アルコールの摂取は逆流
性食道炎の原因とされているところ(乙Dリ22・1枚目),原告J
1がアルコールを継続的に摂取していたことも認められる(乙Dリ
9・182頁,184頁,192頁,原告J1本人・調書10頁,1
1頁,16頁ないし18頁)。
これらの点に鑑みると,原告J1が胃切除後障害としての逆流性食
道炎を発症した事実は認めることができない。
(ウ)鉄欠乏性貧血
a貧血とは,末梢血中のヘモグロビン濃度(Hb)が基準値以下に低
下した状態をいう。通常は末梢血中のヘモグロビン濃度が最もよい貧
血の指標とされている。WHOでは貧血の基準値を成人男性で13g
/dl未満,成人女性で12g/dl未満と定義しているが,高齢に
なると健常人でもヘモグロビン濃度が低下し,男女差が少なくなると
されている(乙Dリ14・14頁)。
貧血のうち,鉄欠乏性貧血とは,鉄の欠乏によって,ヘモグロビン
合成が低下して起こる貧血をいい,貧血の中では最も頻度が高い。鉄
欠乏性貧血を来す原因としては,胃切除後や鉄の摂取量が少ないこと
による「吸収低下」,妊娠や成長期などの「需要増大」,慢性消化管
出血などの「喪失亢進」に大別される(乙Dリ14・22頁,23頁)。
なお,胃切除後障害としての貧血には,鉄欠乏性貧血(小球性低色
素性貧血)のほかに,後記のビタミンB12の吸収障害による巨赤芽
球性貧血もある(乙Dリ5・370頁)。
鉄欠乏性貧血の診断は,血液検査から容易に行うことができ,①貧
血(貧血の指標であるヘモグロビン値が12g/dl以下)があり,
②小球性(平均赤血球容積(MCV)が82fl以下)で,かつ,③
鉄欠乏状態(体内貯蔵鉄の指標である血清フェリチン値が12ng/
ml未満)であれば,鉄欠乏性貧血と診断することができる(乙Dリ
15・587頁,乙Dリ23・13頁)。なお,血清鉄値が40μg
/dl以下であることも鉄欠乏性貧血の所見の一つに挙げられるが
(乙Dリ16・G-20頁),血清鉄は体内の鉄の貯蔵量を反映する
ものではなく,慢性炎症による貧血などでも低値となるため,必ずし
も鉄欠乏の指標にはならず,必ず血清フェリチン値をみて鉄剤投与の
必要性を判断するものとされている(乙Dリ15・587頁)。
鉄欠乏性貧血の治療は,鉄剤(フェリチン錠や○錠)の経口投与が
原則とされている(乙Dリ14・25頁,乙Dリ15・587頁,乙
Dリ16・G-20頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)25頁)。も
っとも,治療対象となる鉄欠乏性貧血の目安は,ヘモグロビン値10.
0g/dl未満,血清フェリチン値12ng/ml未満とされている
(乙Dリ17・38頁)。そして,鉄剤の経口投与による治療におい
ては,症状が改善しても,貯蔵鉄を反映する血清フェリチン値が正常
化するまで服用を続けることが重要であるとされている(乙Dリ1
4・25頁,乙Dリ16・G-20頁)。
bJ42意見書は,原告J1に胃切除後障害としての鉄欠乏性貧血
がみられるとしており(乙Dリ1・2838頁),また,J41病
院医師のJ205の平成6年3月30日付け診断書も,鉄欠乏性貧
血と診断し,今後も経過観察が必要であるとしている(乙Dリ9・
222頁)。
しかしながら,原告J1は,ヘモグロビン値が13g/dlを下
回ったことはあるものの,12g/dl以下であったことはなく,
平均赤血球容積(MCV)も82fl以下であったことはない。血
清フェリチン値も,平成23年10月6日の時点ではあるが,22
ng/mlである(乙Dリ9,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)別紙
2)。
cしたがって,原告J1が胃切除後障害としての鉄欠乏性貧血を発症
した事実は認められない。
(エ)巨赤芽球性貧血
a貧血のうち,巨赤芽球性貧血は,骨髄に巨赤芽球が出現する貧血の
総称をいう。成因は,①ビタミンB12欠乏と,②葉酸欠乏に大別さ
れるが,ビタミンB12欠乏によるものが最も多い。原因としては,
自己免疫が関与する胃粘液萎縮による貧血(悪性貧血)と,胃全摘に
よるものが大部分を占める。ビタミンB12欠乏に伴う症状として,
舌炎や神経症がある(乙Dリ14・28頁ないし31頁,乙Dリ16・
G-34頁ないしG-36頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)28
頁)。
巨赤芽球性貧血の診断には,特徴的な検査所見とされる血清ビタミ
ンB12の低下が参考となる(乙Dリ14・28頁,乙Dリ16・G
-35頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)28頁)。
巨赤芽球性貧血の治療としては,ビタミンB12製剤の○の筋肉注
射が一般的である(乙Dリ14・30頁,乙Dリ15・590頁,乙
Dリ16・G-35頁)。
b医師意見書では,原告J1が胃切除後障害としての巨赤芽球性貧
血の予防を目的として○の注射を3箇月から6箇月ごとに受け続け
ているとし(甲Dリ2・6頁),J152も,370台あったビタ
ミンB12がどんどんと減り,調べる度に減って250くらいにな
っており,これは何年か経って起こってくるものであるが,ビタミ
ンB12が欠乏し始めているということを示しているものであっ
て,主治医が巨赤芽球性貧血であると考えたことは間違いないとし
ている(証人J152・調書45頁)。
しかしながら,原告J1のビタミンB12の数値が正常値の範囲
外となったのは,平成22年10月21日の1回のみである上,そ
もそも,平成16年4月15日から平成22年10月20日までの
間は,ビタミンB12の測定すらされていないものであり(乙Dリ
9,弁論の全趣旨・被告準備書面(9)別紙2),○を注射しなければ
ビタミンB12が正常値を下回るほど減少してしまうような状況に
あったのかについて疑問がある。また,医師意見書やJ152の意
見も飽くまで巨赤芽球性貧血の予防を前提としており,その発症を
前提としているものではない。
cその他,原告J1が胃切除後障害としての巨赤芽球性貧血を発症し
た事実を認めるに足りる証拠はない。
(3)原告J1の胃がんの放射線起因性
原告J1が発症した胃がんの放射線起因性が認められることについて
は,当事者間に争いがない。
(4)原告J1の胃切除後障害としてのダンピング症候群の放射線起因性
上記のとおり,原告J1が発症した胃がんの放射線起因性を肯定するこ
とができるところ,原告J1は,胃がんを発症したことによって,その治
療として胃の切除手術を受けることを余儀なくされたものであり,原告J
1が胃がんを発症したことと胃の切除手術を受けたこととの間には因果関
係があるというべきである。そして,原告J1の胃切除後障害としてのダ
ンピング症候群は,その発症時期からしても,胃の切除手術によって発生
したものであることが明らかであるから,原告J1が発症した胃切除後障
害としてのダンピング症候群の放射線起因性を認めることができるという
べきである。
(5)申請疾病の要医療性
ア原告J1の胃がん
(ア)被爆者援護法10条1項は,処分行政庁は,原子爆弾の傷害作用に
起因して負傷し,又は,疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被
爆者に対して必要な医療の給付を行うと規定し,同条2項は,上記医療
の給付の範囲を,①診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医学的
処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の管
理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院
及びその療養に伴う世話その他の看護,⑥移送としている。これらの
規定に照らすと,疾病等が「現に医療を要する状態にある」(要医療性)
とは,当該疾病等に関し,同項の規定する医療の給付を要する状態にあ
ることをいうものと解するのが相当である。
そして,積極的な治療行為を伴わない定期検査等の経過観察について
は,広い意味での「診察」に含まれ得るとしても,「負傷し,又は疾病
にかかり,現に医療を要する状態にある」という文言の自然な意味内容
のほか,被爆者援護法が「健康管理」と「医療」とを区別し,健康管理
(第3章第2節)の内容として,都道府県知事が,被爆者に対し,毎年,
厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行うものとして(被爆
者援護法7条),一般検査の結果必要があれば精密検査を行うものとし,
その検査の方法は特に制限されていないこと(被爆者援護法施行規則9
条)等に照らすと,当該疾病につき再発や悪化の可能性が高い等の特段
の事情がない限り,上記の「医療」には当たらないと解するのが相当で
ある。
(イ)原告J1は,胃がんについて,平成6年2月に幽門側胃切除術を
受けた後,再発が全く認められていないものである。原告J1は,経
過観察として,1年に一度,定期的に,内視鏡検査を受けるなどの再
発防止のための通院を続けているものの,その程度は一般に実施され
る胃がん検診等(乙Dリ3の2・3頁)と同程度のものであるという
べきであって,原告J1の胃がんについては既に要医療性がないもの
というべきである。なお,一般に,悪性腫瘍の治癒判定については手
術後5年とされているものである(乙Dリ2・50頁)。
この点,J152は,原告J1は,定期的に胃カメラ検査を受けて
おり,主治医は,胃切除後の残胃に発生する胃がんを再発後見逃さな
いように細心の注意を払って指導していると思うとしているが(証人
J152・調書46頁),このことは一般に実施される胃がん検診等
であっても同様であるというべきであって,J152の意見によって
も,原告J1の胃がんの要医療性が否定されることは揺るがない。
(ウ)以上によれば,申請疾病のうち胃がんについて要医療性は認めら
れない。
イ原告J1の胃切除後障害としてのダンピング症候群
(ア)原告J1の胃切除後障害としてのダンピング症候群は早期ダンピ
ング症候群であるところ,早期ダンピング症候群の治療方法としては,
原則として食事療法が行われ,薬物療法は重症例等で行われる。薬物
療法には,一般に消化剤や整腸剤が使用される(甲Dリ2・5頁,甲
Dリ7・117頁,甲Dリ8,甲Dリ9・215頁,乙Dリ4・12
9頁,乙Dリ5・370頁,乙Dリ6・534頁,乙Dリ7・A-5
4頁,乙Dリ8・81頁,乙Dリ12・843頁)。
(イ)原告J1は,3箇月に1回ほどの割合で通院し(乙Dリ9,原告
J1本人・調書10頁),早く食べない,アルコールを減らす等の継
続的な食事療法(乙Dリ9・179頁,184頁)のほか,消化酵素
剤である○等の処方を受けており(乙Dリ9・176頁,乙Dリ10,
原告J1本人・調書10頁),原爆症認定申請後ではあるが,整腸剤
の○の処方も受けているのであって(乙Dリ9・145頁,乙Dリ1
1),原告J1のダンピング症候群の要医療性は認められる。
なお,食事療法により軽快するダンピング症候群は軽度のダンピング
症候群に限られ(乙Dリ8・81頁),全てのダンピング症候群に当て
はまらない上,原告J1のダンピング症候群が長期間にわたり継続して
いることからすれば,原告J1のダンピング症候群は,食事療法により
軽快するダンピング症候群ではないものと認められる。
この点,J152も,①ダンピングの治療の基本は食事療法であり,
1度に食事を取ると胃から小腸に急激に食物が移動し,多量の水分が出
て下痢を起こすことから,回数を細かく分けて食べるように指導をする
ものであり,原告J1に対してもこのような指導が行われていると判断
することができる,②同時に,原告J1に対して,胃の運動を押さえ
たり,腹痛を抑えたり,消化を助けたりといった,様々な本人の苦痛を
緩和するための胃腸薬が継続的に処方されていることが分かるとして
いるものである(証人J152・調書45頁,46頁)。
(ウ)以上によれば,申請疾病のうち胃切除後障害としてのダンピング
症候群について要医療性が認められる。
(6)総括
以上のとおり,原告J1は,処分当時,原爆症認定申請のうち胃切除後障
害としてのダンピング症候群については,放射線起因性及び要医療性の要件
を満たしていたものと認められるから,原告J1に係る原爆症認定申請却下
処分はその範囲において違法であり,取り消されるべきである。
10原告J14
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J14は,昭和6年▲月▲日生まれの男性であり,長崎原
爆の投下当時,14歳であった。原告J14は,被爆前,健康状況に
特段の問題はなかった。原告J14は,爆心地から約3.5kmの地
点にある長崎市α72(×番地)の原告J14の自宅で生活していた。
原告J14の家族も,同所において生活していたが,被爆当時,原告
J14の家族は,長崎県南高来郡α73町にある原告J14の母の実
家に疎開していた(前提事実4(10)ア,甲Dル1・1頁,乙Dル1・
29頁)。
原告J14は,被爆当時,J206学校に在籍しており,さらに,昭
和19年4月1日からは学徒動員でJ107に勤務し,原告J14の自
宅に残って生活していた。原告J14の自宅の一部は他人に賃貸してお
り,原告J14は,自宅の2階の1室に住んでいた(甲Dル1・1頁)。
(イ)原告J14は,長崎原爆の投下当日である昭和20年8月9日,
朝からJ107で働いていたが,警戒警報が発令されたため,会社か
ら,学生は警戒警報が解除されるまで工場から離れて自宅の町内の消
防団の仕事を手伝うようにとの指示を受けた。原告J14は,会社か
らの指示に従い,長崎市α72内の消防団の詰所に行ったところ,消
防団から,学生は空襲警報が発令されるまで自宅で待機するようにと
言われたため,原告J14の自宅に戻り,2階の自室で待機していた
(甲Dル1・1頁)。
午前11時頃,爆音が上空からしたため,原告J14は,自室の窓ガ
ラスを開け,窓際から上空を見上げた。すると,爆撃機が上空を飛んで
おり,爆撃機から落とされた落下傘がゆらゆらと落下してくるのが見え
た。その瞬間,落下傘の方向が,激しく光った(甲Dル1・1頁)。
激しい閃光があった直後,爆風が襲い,原告J14の自宅2階の自室
の隣の部屋の屋根が大きな音を立てて崩れ落ち,原告J14の自室にも
大量の粉塵が入ってきた。原告J14の自宅は,屋根が崩れるなどして
半壊したが,火事にはならなかった(甲Dル1・1頁,2頁)。
原告J14は,更なる空襲に備え,すぐに原告J14の自宅の敷地内
にあった防空壕に一時的に避難し,その後,正午過ぎ頃,近所の者らと
共に,長崎市α74にあった墓地の周辺の竹林に避難した。原告J14
が竹林に到着した頃,黒い雨が20分ほど降り,原告J14も黒い雨に
打たれてずぶ濡れとなった(甲Dル1・2頁)。
原告J14は,同日は,近所の者らと共に,竹林の中で野宿した(甲
Dル1・2頁)。
(ウ)原告J14は,昭和20年8月12日,長崎医科大学に通ってい
た友人の遺骨を探しに爆心地から約500mの地点にある同大学に行
った(甲A8の2,乙Dル1・36頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J14は,昭和20年10月頃から,強い倦怠感に悩まされ,
その症状は昭和21年3月頃まで続いた(甲Dル1・3頁)。
(イ)原告J14は,昭和22年頃から,慢性の下痢の症状が始まり,
その症状はその後40年近く続いた(甲Dル1・3頁)。
(ウ)原告J14は,昭和27年,肛門周囲膿瘍にかかり手術を受けた
が,その後も膿が止まらなかったため,入院し,退院するまで同じ手
術を3回にわたり受けた。原告J14は,昭和31年及び昭和39年,
内痔核の手術を受けたが,その後,再発し,現在も座薬や軟膏などの
薬剤での治療を受けている(甲Dル1・3頁,4頁)。
(エ)原告J14は,昭和31年,肺結核にかかり,その後2年間にわ
たり,治療のために国立療養所に入院した(甲Dル1・4頁,原告J
14本人・調書1頁)。
(オ)原告J14は,昭和54年,変形性脊椎症にかかり,現在も治療
を受けている(甲Dル1・4頁)。
(カ)原告J14は,58歳の時に脂質異常症を指摘された(乙Dル4・
7頁)。
(キ)原告J14は,平成11年3月6日,激しい胸痛等の発作が起こり,
同月10日から同月21日までの間,J207病院に入院し,その後,
同月25日から2週間,J43病院に通院して精密検査を受けた結果,
心筋梗塞と診断された(甲Dル1・4頁,5頁)。
なお,原告J14の血圧は,同月7日にJ207病院で受診した際の
収縮期血圧が140mmHgであり,高血圧であった(弁論の全趣旨・
被告準備書面(27)244頁)。
(ク)原告J14は,平成14年,前立腺肥大症にかかり,同年3月,
温熱療法による治療を受けたが,症状は改善せず,現在も治療を続け
ている(甲Dル1・4頁)。
(ケ)原告J14は,平成24年1月6日,下腹部に痛みを感じ,J4
3病院でMRI検査を受けたところ,前立腺がんの可能性があり,骨
転移の可能性もあると診断された(甲Dル1・4頁)。
同月17日,大量の下血があり,原告J14は,同月18日,同病院
に入院し,同月21日まで精密検査を受けたが,がんの特定には至らな
かった(甲Dル1・4頁)。
原告J14は,同年8月27日,再び同病院でMRI検査を受けたと
ころ,前回検査よりも前立腺が軽度増大しており,前立腺がんの疑いと
診断された(甲Dル1・4頁)。
さらに,同年12月11日,大量の下血があり,原告J14は,同月
12日から同月18日までの間,同病院に入院して精密検査を受けた
が,がんの特定までには至らなかった(甲Dル1・4頁)。
(コ)原告J14は,現在も3箇月に1回の割合でJ43病院に通院し
ている。また,原告J14は,平成16年3月16日から,併せて1
箇月に1回の割合でJ208クリニックに通院している。原告J14
は,いつ心筋梗塞の発作が起こるか分からないことから,外出する際
には,ニトログリセリン,健康保険証及び被爆者健康手帳を常に携帯
している(甲Dル1・5頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J14は,残留放射線の被曝であり,黒い雨に
打たれている,②原告J14は,長崎原爆の投下翌日,まだ火災煙や
粉塵が残っている中で爆心地付近を通って長崎医科大学まで行ってお
り,その中で誘導放射線や残留放射線の被曝を受けた,③その結果,
原告J14は,吐き気,下痢及び発熱の急性症状が出現し,10日ほど
後,脱毛が始まった,④これらからすると明らかな被曝の実態がある
としている(証人J152・調書15頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア入市状況について
(ア)原告J14は,原告J14が長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで
入市した旨主張している。
(イ)この点,原告J14は,陳述書や本人尋問において,入市の経緯
について以下のとおりであるとしている(甲Dル1・2頁,3頁,原
告J14本人・調書4頁ないし9頁)。
a原告J14は,長崎原爆の投下翌日,一緒に竹林に避難した近所の
者から,同人の息子が長崎医科大学に通っているが,大学から帰って
来ないので探しに行ってくれないかと頼まれた。
そこで,原告J14は,その息子を探すため,同日正午過ぎ頃に長
崎医科大学に向かって出発した。原告J14は,徒歩で,電車道を通
って北上し,長崎市α75の辺りで東の方に曲がり,爆心地付近を通
過して長崎医科大学にたどり着いた。
b長崎市内は,一面焼け野原であり,ほとんどの建物が崩れ落ちてお
り,まだ火がくすぶっている建物もあった。黒焦げになった人の死体
が,至る所に転がっていた。原告J14は,長崎駅を過ぎた辺りで,
2倍くらいの大きさにふくれあがった馬の死体を目撃し,また,浦上
駅の辺りは特に異臭が強く,何度も吐き気を催すほどであった。さら
に,原告J14は,J209の鉄骨が激しく折れ曲がっているのを目
撃し,爆弾の威力の大きさに衝撃を受けた。
c原告J14が長崎医科大学のあった辺りに到着すると,がれきの山
になっていた。原告J14が現地にいた大学関係者と思われる者に尋
ねると,爆弾が落ちた当時は木造校舎の中で授業中であったため,教
員も学生もほとんど即死したのではないかとのことであった。
d原告J14は,長崎医科大学で1時間ほど捜索を続けたが,近所の
者の息子を発見することはできなかった。原告J14は,やむを得ず,
来たときと同じ道順で長崎市α74に引き返し,午後5時頃,長崎市
α74の竹林にたどり着いた。
(ウ)しかしながら,原告J14が記載した昭和32年6月18日付け
被爆者健康手帳交付申請書添付の居所証明書には,「中心地から2K
以内の地域に,投下後二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」
の欄の「はいりこんだ時」の欄に「八月十二日」,「はいりこんだ場
所」の欄に「α22」,「その理由」の欄に「当時医専の学生であっ
た友人の遺骨さがし。医大の構内に。」と記載されている(乙Dル1・
36頁,原告J14本人・調書4頁,6頁)。同記載によれば,原告
J14は,長崎原爆の投下から3日後,爆心地付近に所在する長崎医
科大学の学生であった友人が既に死亡していることを前提に,その遺
骨を探すために入市をしたということになるところ,原爆投下から3
日を経て,爆心地付近の原爆による被害が極めて甚大であることにつ
いて,ある程度理解した上での行動としては整合的なものであり,内
容に十分な合理性があるものというべきである。
また,同証明書については,原告J14と同じ町内に居住していたJ
210とJ211の二人が証明人として署名押印しているものである
(乙Dル1・36頁)。
以上によれば,同証明書は極めて信用性が高いというべきであり,一
方で,原告J14は,供述等が変遷している理由について何ら合理的な
説明をしていないことからすれば(原告J14本人・調書5頁,6頁),
長崎原爆の投下翌日に入市した旨の原告J14の供述等を採用するこ
とはできないものというべきである。
(エ)したがって,原告J14が長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで入
市した事実は認められず,原告J14は,昭和20年8月12日に入市
したものと認められる。
イ急性症状の発症の有無について
(ア)原告J14は,被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,
下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した旨主張する。
(イ)しかしながら,原告J14は,昭和32年6月18日付け被爆者
健康手帳交付申請書添付の原爆被爆者調書票の「原爆による急性症状
(おゝむね六ヶ月以内)」の欄に,上記症状について一つも記載して
いないものである(乙Dル1・37頁)。この点につき,原告J14
は,本人尋問において,被爆の事実をできるだけ隠したいという気持
ちから特に記載しなかった旨供述するが(原告J14本人・調書10
頁,11頁,24頁,25頁),記載しなかったものが被爆者健康手
帳交付申請書の添付書類であることからすると,そのような理由に合
理性はないというべきである。
(ウ)したがって,原告J14が被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎
からの出血,下痢,脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した事実は認め
られない。
(3)原告J14の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J14は爆心地から約3.5kmの地点で被爆しており,DS0
2による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J14は,長崎原爆の投下直後,長崎市α74において,長時間に
わたり黒い雨に打たれているところ,この雨が放射性降下物を含んでいた
可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,長崎において
は,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆心地の真東から北
に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙
Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以
外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討した
とおりであり,爆心地から南南東方向の(乙Dル3)長崎市α74にも飛
散した可能性も十分にあるというべきである。
また,原告J14が長崎原爆の投下翌日に爆心地付近まで入市した事実
は認められないが,原告J14は,昭和20年8月12日に爆心地付近の
長崎医科大学に行っている。
原告J14が爆心地付近に入市した時期は,長崎原爆の投下から間もな
い頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものと
いうことができる。
ウ誘導放射線
原告J14の上記のような被爆状況等からすると,原告J14は,誘導
放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性がある。
エ内部被曝
原告J14の上記のような被爆状況等からすると,原告J14は,放射
性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
オ急性症状等
原告J14が被爆直後から吐き気,嘔吐,発熱,歯茎からの出血,下痢,
脱毛,倦怠感などの急性症状を発症した事実は認められない。しかしなが
ら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告J14は,しばらくしてから,
倦怠感や下痢などの症状に悩まされている。また,後記で検討するとおり,
原告J14は,高血圧があり,脂質異常症も指摘されている。さらに,原
告J14は,前立腺肥大症や前立腺がんの疑いと診断されている。
カ小括
以上の事実を総合すれば,原告J14は健康に影響を及ぼすような相当
量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J14の申請疾病は心筋梗塞である。心筋梗塞は積極認定対象疾病
に該当するところ,前記第2の3(3)で検討したとおり,一般的に放射線被
曝との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J14には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,喫
煙,高血圧及び脂質異常症が存在している旨主張する。
イこの点,原告J14が心筋梗塞と診断されたのは,被爆の54年後であ
って,68歳の時であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮する
45歳を大きく超えている。
また,原告J14は,20歳から50歳まで30年にわたり喫煙を続け
ている(乙Dル4・7頁)。
喫煙量について,原告J14が平成23年11月に受診したJ43病院
の診療記録によれば,1日20本である(乙Dル4・7頁)。なお,原告J
14は,本人尋問において,1日五,六本であり,多くても10本を超す
ことはなかったとしているが(原告J14本人・調書13頁),上記診療記
録に照らし,採用することはできない。
なお,原告J14は,50歳頃から,年に一,二回の頻度で胸痛発作が
みられており(乙Dル4・7頁),この時点で既に狭心症を発症していた可
能性が高いと認められる。
原告J14は,58歳の時に脂質異常症を指摘されており,平成23年
11月28日の栄養指導指示箋・指導記録によれば,この時点においても,
①食事以外は甘い物をよく食べている,②オレンジジュースと○を水
代わりに飲んでいる,③まんじゅう,カステラ,ピーナッツ,チョコレ
ートなどをよく食べているとのことであり(乙Dル4・172頁,原告J
14本人・調書31頁,34頁ないし36頁),①1日1食を二,三食に
する,②量とバランスに気をつけて食べる,③1800キロカロリー
食にする,④嗜好品を控える,⑤減塩するなどといった栄養指導がさ
れている(乙Dル4・172頁)。
原告J14の血圧は,平成11年3月7日にJ207病院で受診した際
の収縮期血圧が140mmHgであり,その後,同年8月24日に降圧剤
の処方が中止されたが(乙Dル4・13頁,弁論の全趣旨・被告準備書面
(27)244頁),その後の外来診療時においても収縮期血圧が140mmH
gを超える日が複数回認められる(乙Dル4・15頁)。「高血圧治療ガイ
ドライン2009」によれば,上記の血圧値は,血圧分類では「Ⅰ度高血
圧」の範疇に当たり,また,①心筋梗塞の発症当時,65歳以上であり,
②30年にわたる喫煙歴があり,③58歳の時に脂質異常症を指摘さ
れ,その後の食生活も良好なものであったとはいい難く,④狭心症を発
症させていた可能性も高いことから,「リスク第三層」に該当し,当時の脳
心血管リスクは高リスクであった(乙Dカ20・14頁ないし16頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J14についてみると,前記(3)のとおり,原告J14は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)
のとおり,原告J14の申請疾病である心筋梗塞は,一般的に放射線被曝
との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(3)のとおり,
心筋梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであ
るところ,原告J14の上記イの事情のうち,加齢及び喫煙については,
上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,これらの事情の下で,原爆
の放射線によって心筋梗塞の発症が促進されたものと認めるのが相当であ
る。
また,高血圧及び脂質異常症,更には狭心症については,そもそもこれ
らの症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの
症状があることをもって原告J14の心筋梗塞の放射線起因性を否定す
ることはできないというべきである。
(6)原告J14の心筋梗塞の放射線起因性
以上によれば,原告J14が発症した心筋梗塞の放射線起因性を認めるこ
とができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J14は,3箇月に1回の割合で,J43病院に,1箇月に1回の割
合でJ208クリニックに通院しており,ニトログリセリンの処方も受けて
いることが認められ,申請疾病について要医療性を認めることができる。
(8)総括
以上のとおり,原告J14は,処分当時,原爆症認定申請に係る心筋梗塞
について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められる
から,原告J14に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消され
るべきである。
11原告J15
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J15は,昭和7年▲月▲日生まれの男性であり,広島原爆
の投下当時,13歳であった。原告J15は,被爆前,健康状況に特
段の問題はなかった(前提事実4(11)ア,甲Dワ1・1頁)。原告J
15は,広島県立J212中学校に在籍しており,広島県呉市α76
(以下「α76」という。)にある親戚の家に住んでいた(甲Dワ1・
1頁,甲Dワ2・2頁)。
(イ)原告J15は,昭和20年8月6日,広島原爆の投下直前,学徒
動員で爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅前にいた(乙D
ワ9の2・19頁,22頁)ところ,写真機のストロボが目の前でたか
れたような強烈な閃光を感じるとともに,爆風で吹き飛ばされて気を
失った(甲Dワ1・2頁,甲Dワ2・1頁)。
気がつくと,原告J15は,気を失う前に倒れていた場所とは違う場
所に倒れていた。被っていた制帽はなくなっており,開襟シャツやズボ
ンも破れていた。原告J15は,特に左側の顔面が腫れ上がっているよ
うな感覚であった(甲Dワ1・2頁)。また,右腕が腫れ上がり,両足
もやけどを負っていた(甲Dワ1・2頁,原告J15本人・調書4頁)。
さらに,左腕は,ガラス片によって負傷していた(甲Dワ2・1頁)。
辺りには砂埃や黒煙が立ちこめていた(原告J15本人・調書4頁)。
原告J15は,とにかくα76にある親戚の家に帰らなければなら
ないと考え,広島駅の方に逃げることとした。多数の被爆者が列を作
って歩いていたことから,原告J15も,この列について行った(甲
Dワ1・2頁,原告J15本人・調書5頁)。
広島駅は破壊されており,列車の運行は不可能となっていた(甲D
ワ1・2頁)。原告J15は,駅の北口にある集会所のような建物に
避難したが,大怪我をした者が次々と押し寄せるように集まってきた
ことから,歩くことのできる者は出て行くようにとの指示を受け,広
島駅を出て線路に沿って歩き続けた(甲Dワ1・2頁,3頁)。
向洋駅の手前辺りには怪我人が集まっている建物があり,原告J1
5は,この建物の中に入ってしばらくの間休んだ(甲Dワ1・3頁)。
原告J15が建物の中で休んでいると,灰色の雨が降り始め,原告J
15は,その飛沫を浴びた(甲Dワ1・3頁,原告J15本人・調書
7頁,28頁)。
原告J15は,このままここで死んでしまうのではないかとの不安
に駆られたため,夕方頃,建物を出て,再び,海田市駅を目指して歩
き始めた。原告J15が海田市駅に着くと,列車は動いていなかった。
また,海田市駅にも多数の負傷者がいた。原告J15は,数時間ほど
列車が動くのを待ったところ,列車が折り返し運転を始めたので,周
囲の者に手助けしてもらって,呉駅行きの列車に乗せてもらった(甲
Dワ1・3頁,原告J15本人・8頁)。
原告J15が呉駅に着くと,心配した母が駅で待っていた。しかしな
がら,原告J15の顔が腫れ上がっていたため,原告J15の母は,原
告J15が近づいていっても自分の息子とは気付かなかった。原告J1
5が話しかけると,原告J15の母は,驚いた顔をした。原告J15は,
母に再会した途端,一歩も歩くことができなくなり,そのまま呉駅の近
くにあるJ213病院に運ばれて入院した(甲Dワ1・3頁)。
(ウ)原告J15は,病院では治療らしい治療を受けることはできず,
母が原告J15の右腕に湧いたウジを箸で1匹1匹取り除くような状
態であった。原告J15は,およそ1週間後,自力で歩くことはでき
なかったが,板の担架に乗せられて退院し,α76にある親戚の家に
戻った(甲Dワ1・3頁,4頁)。
(エ)原告J15は,終戦後は,広島県尾道市の奥の方に転居したが,
その時も動けるような状態ではなく,荷馬車に乗せられて移動し,同
所でも寝たきりの生活をしていた(原告J15本人・調書10頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J15は,被爆直後から血尿,血性下痢,発熱及び嘔吐が続い
た。しばらくすると,顔,腕及び足に紫斑が出現し,常にだるさを感じ,
疲れやすくなり,耐久力もなくなった(甲Dワ1・4頁)。発熱は,昭
和20年8月末か同年9月初め頃まで,血尿や血性下痢は,同月末頃
まで続いた(原告J15本人・調書12頁)。
(イ)やけどと外傷は,化膿して1箇月以上治癒せず,顔面から首の辺
りの左半分には目立つケロイドが残り,右腕にもケロイドが残った。
原告J15の左腕にはガラス片と思われる異物が残った(甲Dワ1・
4頁)。
(ウ)原告J15の左足の外側や背中の左側は,麻痺して感覚がなく,
そのような状態は左足の外側については10年ほど,背中の左側につ
いては20年ほど続いた。右手は今でもうまく握ることができないよ
うな状態である(甲Dワ1・4頁)。
(エ)原告J15は,42歳の頃,十二指腸潰瘍でJ45病院に入院し
た(甲Dワ1・5頁)。
(オ)原告J15は,47歳の頃,糖尿病を患い,平成7年からインス
リンが導入された(甲Dワ1・5頁,乙Dワ1・84頁)。
(カ)原告J15は,平成9年7月頃から,息苦しさを覚えるようにな
ったことから,J214病院で診察を受けたところ,同病院の紹介に
より,J215病院に入院し,精密検査を受けた結果,狭心症と診断
された(甲Dワ1・5頁,甲Dワ2・3頁)。この時の冠動脈造影検
査の結果は,冠動脈の主要な3本の血管である右冠動脈,左前下行枝,
左回旋枝のいずれにも狭窄が認められ,3枝病変であった。バルーン
拡張術(JOBA)と経皮的冠動脈再建術(JTCRA)が施行され
た(甲Dワ2・3頁)。
(キ)原告J15は,平成11年,冠動脈造影検査で前下行枝と回旋枝
に再狭窄が見つかったため,同年6月17日,J215病院で冠動脈
バイパス手術を受けた(甲Dワ2・3頁)。
(ク)原告J15は,平成19年,冠動脈造影検査を受け,右冠動脈に
ステントを挿入した。原告J15は,平成20年にも,同様にステン
トを挿入した(甲Dワ2・3頁)。
(ケ)原告J15は,平成21年頃から,頻繁にめまいが起こるように
なった(甲Dワ1・5頁)。
(コ)原告J15は,平成23年,ステントを挿入した(甲Dワ2・3
頁)。
(サ)原告J15は,平成23年12月頃,40℃の高熱が続いて入院
し,その後,数箇月間にわたり,入退院を繰り返した。この時の検査
により脳梗塞が3箇所発見された。また,左耳の難聴や左目の視力低
下も顕著であった(甲Dワ1・5頁,6頁)。
(シ)原告J15は,平成24年2月,冠動脈造影検査でステント内再
狭窄が判明し,同年3月13日,再度ステントを挿入した。以後,原
告J15は,少なくとも毎月1回,検査のためにJ215病院に通院
し,年に一,二回,心臓カテーテル検査を受けている。また,原告J
15は,薬の服用も継続している(甲Dワ2・3頁)。
(ス)原告J15は,平成25年2月,急性腎盂腎炎で入院した(甲D
ワ1・6頁)。
(セ)原告J15には,高血圧と脂質異常症がある(甲Dワ2・5頁,
原告J15本人・調書28頁)
ウJ152の意見
J152は,①1kmという近距離被爆である,②その後,被爆に
より受けた傷や,その後の症状も典型的な近距離被爆者のものといえる,
③狭心症という病名により却下処分がされたものと思われるが,実際に
は平成11年から平成24年まで5回にわたり手術を受け,ステントを入
れていることから,狭心症から心筋梗塞に進行しないように医療が救護し
た結果である,④ステントを入れることは,そもそも冠動脈狭窄がある
ということであり,動脈硬化性の狭心症であって,放置しておくと心筋梗
塞になるというケースであり,心筋梗塞と同様に放射線起因性は十分にあ
るとしている(証人J152・調書18頁,19頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア被爆地点について
(ア)原告J15が被爆した地点について,原告J15は爆心地から約1
kmの地点である旨主張し,被告は爆心地から約1.92kmの地点に
ある広島駅前である旨主張する。
(イ)この点,原告J15の被爆者健康手帳は,被爆の場所が,爆心地か
ら1kmの地点にある広島市α20であるとしている(乙Dワ1・13
5頁)。しかしながら,被爆者健康手帳は,後記のABCCの調査記録
よりも相当期間経過した後である昭和35年に作成されたものである。
広島市α20付近は,動員学徒等の約80%が死亡したとされており(乙
Dワ10・33頁),甚大な被害状況であったということができるが,
このような状況と原告J15の負傷状況とはやや一致しないものといわ
ざるを得ない。
(ウ)また,原告J15は,平成22年8月11日付け異議申立書(乙D
ワ1・8枚目)や陳述書(甲Dワ1・2頁)では,被爆地点が広島市α
20付近であったとしており,被爆者健康手帳と合致しているものの,
本人尋問では,爆心地から約900mの地点にある(乙Dワ6)J21
6の付近であったとしており(原告J15本人・調書18頁),変遷が
みられるものである。陳述書や本人尋問において,原告J15が被爆後
の経路として挙げている○橋についても,実際には,欄干の上の猿の彫
刻や欄干の猿の彫り物などなかったにもかかわらず(乙Dワ7,乙Dワ
12の1・2枚目),そのようなものがあったとしているものであり(甲
Dワ1・2頁,原告J15本人・調書5頁,21頁),実際の状況と一
致していない。
(エ)一方,ABCCの調査記録は,直爆の地点について,爆心地から約
1.92kmの地点にある広島駅前としている(乙Dワ9の2・19頁,
22頁)。確かに,ABCCの調査に対しては,被爆者において,AB
CCが治療をしないとの不信や,何度も検査を受けなければならなくな
ることへの嫌悪から,少なくとも急性症状については過小に申告するこ
とがあったことが認められ(甲A296の5・3頁,4頁),ABCC
の調査記録の信用性を検討するに当たっては,このような特殊性を考慮
すべきであるといえるところ,本件のような直爆の地点についての記録
部分に関しては,その懸念は小さいものということができる。そして,
ABCCの調査記録が,原爆投下の僅か8年後である昭和28年に行わ
れた調査に基づくものであり,しかも,原告J15に対する聴取りを情
報源とし,調査員もその内容の信頼度を「公正」としていることからす
れば(乙Dワ9の2・19頁,22頁),その信用性を肯定することが
できる。
(オ)したがって,原告J15が被爆した地点については,爆心地から約
1kmの地点ではなく,爆心地から約1.92kmの地点にある広島駅
付近であるものと認められる。
イ血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感の出現の有無
(ア)被告は,原告J15に血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠
感が出現した事実は認められない旨主張する。
(イ)この点,ABCCの調査記録は,昭和20年10月に二日間,血性
でない下痢があったとしているにとどまるものであり,血性下痢,発熱,
嘔吐及び紫斑については,むしろ症状がないとしている(乙Dワ9の2・
18頁,21頁,22頁)。
しかしながら,前記のとおり,ABCCの調査については,少なくと
も急性症状については過小に申告することがあったことが認められると
ころ,原告J15は,平成20年10月27日付け認定申請書添付の申
述書では血性下痢,発熱及び倦怠感があったとし(乙Dワ1・80頁),
陳述書(甲Dワ1・4頁)及び本人尋問(原告J15本人・9頁,12
頁)においては,一貫して,血尿,血性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦
怠感があったとしているものである。
更にいえば,血尿及び倦怠感については,ABCCの調査記録も症状
を訴えていないとしているにとどまるものである(乙Dワ9の2・18
頁)。
(ウ)以上のような証拠関係の下においては,原告J15には,血尿,血
性下痢,発熱,嘔吐,紫斑及び倦怠感が出現したものと認めるのが相当
であり,この認定を覆すに足りる証拠はない。
(3)原告J15の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J15は,爆心地から約1.92kmの地点で被爆しており,D
S02による初期放射線の被曝線量は0.1グレイ程度のものである(乙
Dワ14)。
ただし,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,
過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J15は,被爆後,気を失っているが,気がつくと,辺りには砂
埃や黒煙が立ちこめている。原告J15は,向洋駅付近で灰色の雨の飛
沫も浴びている。この砂埃や黒煙,灰色の雨の飛沫が放射性降下物を含
んでいた可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物は,広
島においては,爆心地から約3kmの距離で西に向けて発生したとされ
てはいるが(乙B15・210頁,211頁),地形の影響等により上
記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討
したとおりであり,爆心地から東の(乙D全2)広島駅付近や南東方向
の(弁論の全趣旨・被告準備書面(10)20頁)向洋駅付近にも飛散した
可能性も十分にあるというべきである。
また,原告J15は,広島駅付近や向洋駅付近,海田市駅において,
多数の被爆者や負傷者と接触している。接触した被爆者や負傷者は,放
射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ誘導放射線
原告J15の上記のような被爆状況等からすると,原告J15が誘導
放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高
いものと認められる。原告J15が接触した多数の被爆者や負傷者は,
誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化された
りしていたと考えられる。
エ内部被曝
原告J15の上記のような被爆状況等からすると,原告J15は,放
射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,体中の
負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J15は,被爆直後から,血尿,
血性下痢,発熱及び嘔吐が続き,また,顔,腕及び足に紫斑が出現し,
常にだるさを感じ,疲れやすくなり,耐久力もなくなっている。さらに,
原告J15は,十二指腸潰瘍や脳梗塞に罹患し,後記で検討するとおり,
高血圧や脂質異常症があり,糖尿病にも罹患している。
カ小括
以上の事実を総合すれば,原告J15は健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J15の申請疾病は,狭心症である。狭心症は,積極認定対象疾病に
該当しないが,前記第2の3(4)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との
関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J15には,虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,
高血圧,脂質異常症及び糖尿病が存在している旨主張する。
イこの点,原告J15は,平成8年12月頃から胸痛が出現している(乙
Dワ3・80頁,弁論の全趣旨・被告準備書面(27)281頁)。原告J
15は,当時64歳であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮
する45歳を大きく超えている。
また,原告J15は,胸痛が出現する20年ほども前の47歳の頃に
糖尿病に罹患しており,平成4年5月からJ217診療所を受診し,平
成7年からはインスリンが導入されている(乙Dワ3・80頁)。原告
J15は,少なくとも平成5年7月には,糖尿病による合併症である糖
尿病性網膜症に罹患している(乙Dワ3・2頁裏,原告J15本人・調
書28頁)。
加えて,原告J15には,高血圧と脂質異常症もある。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J15についてみると,前記(3)のとおり,原告J15は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)
のとおり,原告J15の申請疾病である狭心症は,一般的に放射線被曝と
の関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(4)のとおり,
狭心症については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものである
ところ,原告J15の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段の
事情とまでは認められず,原爆の放射線によって原告J15の狭心症の発
症が促進されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧,脂質異常症及び糖尿病については,そもそもこれらの
症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状
があることをもって原告J15の狭心症の放射線起因性を否定すること
はできないというべきである。
(6)原告J15の狭心症の放射線起因性
以上によれば,原告J15が発症した狭心症の放射線起因性を認めること
ができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J15には,ステントの挿入が繰り返されており,原告J15は,
少なくとも毎月1回,検査のためにJ215病院に通院し,年に一,二回,
心臓カテーテル検査を受けている。また,原告J15は,薬の服用も継続
している。なお,原告J15は,日常の軽い動作でも胸痛があり,毎月の
定期検査の結果によっては,今後,更に手術を受ける可能性もある(甲D
ワ2・5頁)。
以上によれば,申請疾病について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J15は,処分当時,原爆症認定申請に係る狭心症に
ついて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるか
ら,原告J15に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消される
べきである。
12原告J16
(1)認定事実
前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認めら
れる。
ア被爆状況等
(ア)原告J16は,昭和8年▲月▲日生まれの男性であり,広島
原爆の投下当時,11歳であった。原告J16は,昭和20年春,学
童疎開をしたが,梅雨明けの頃から体調不良のため,爆心地から約2.
5kmの地点にある広島市α77(α78×-2)の自宅に母,弟及び
妹と共に住んでいた(前提事実4(12)ア,甲Dヨ1・1頁,甲Dヨ2・
1頁)。
(イ)原告J16は,昭和20年8月6日,広島原爆の投下当日の朝,
自宅にいた(原告J16本人・調書2頁)。原告J16の母は,原告
J16の薬を処方してもらうため,早朝から爆心地の近くであるα5
6付近の医院に出掛けていた(甲Dヨ1・1頁,原告J16本人・調
書2頁)。原告J16は,爆音を聞いて,弟,妹と共に庭に飛び出し,
頭上を見上げたところ,北上する爆撃機の機体を見た。原告J16は,
一瞬,その機体に閃光が走ったのを見るとともに,顔の右側に熱風の
ようなものを感じ,意識を失った(甲Dヨ1・1頁)。
その後,原告J16は意識が戻り,暗闇の中で遠くに小さな光のよう
なものが見えたり,自分が自宅の薄暗い裏手にいると思ったりしつつ,
二度にわたり意識を失った(原告J16本人・調書3頁,4頁)。
原告J16は,意識が完全に戻り,隣組の防空壕に逃げたが,顔や手
足から血を流した隣組の者らが集まってくるなどした。原告J16自身
も,左足のかかとの出血がひどく,布きれでしばってもらい,表の道に
出ると,自宅周辺の道には人が倒れたり,うずくまったりしていた(甲
Dヨ1・2頁,原告J16本人・調書4頁)。原告J16は,自宅の中
にあった非常袋を取りに庭に入ったが,自宅内は損壊しており,障子と
ふすまが燃え始めていたため,怖くて中に入ることができなかった(原
告J16本人・調書4頁,5頁)。
原告J16は,隣組の者に連れられて,自宅から150m先にあるJ
218の森に避難した。原告J16が神社の高台から市内を一望する
と,神田川の向こう岸は,巨大な火柱が上がっていた(甲Dヨ1・2頁,
原告J16本人・調書5頁)。
(ウ)原告J16の母は,昭和20年8月6日の夕方,隣組の者に抱き
かかえられて戻ってきた。原告J16の母は,衣服やもんぺが焼け焦
げてぼろぼろになっていたものの,顔だけは真っ白であったが,翌日
になると,状況は一変し,顔,両手,両足など,服から出ているとこ
ろは全てひどいやけどとなっており,特に顔は崩れ落ちたようになり,
目や鼻が区別できないような状態であった(原告J16本人・調書6
頁,7頁)。原告J16の母は,同月▲日,死亡した。原告J16
は,この間,ずっと原告J16の母に付き添い,寝泊まりをしていた
(甲Dヨ1・2頁,3頁,原告J16本人・調書7頁)。水をあげる
ことは止められていたものの,原告J16の母が余りに水を欲しがる
ため,原告J16は,水差しを使って少しずつ飲ませた。原告J16
も,その水を飲んだ(原告J16本人・調書7頁)。原告J16の自
宅の周辺の道には黒焦げになった遺体が数多く散乱しており,何日も
放置され,異臭が立ちこめていた(甲Dヨ1・3頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J16は,被爆によって,左右のすねと左足のかかとを負傷
したが,かかとの傷は化膿がひどく,ウジが湧いた(甲Dヨ1・3頁)。
かかとの傷は,治るまでに三,四箇月を要し(原告J16本人・調書
9頁),現在でもすねの傷は残っており,左足のかかとのウジが湧い
た所はケロイド状となっている(甲Dヨ1・3頁)。
(イ)原告J16は,被爆後三,四箇月ほどしてから,全身が皮膚病の
ような状態となり,広島のα79にあるJ219病院で治療を受けた。
皮膚病のような状態となった箇所は,主に胸や背中であったが,それ
以外にも体中の様々な所に湿疹のような出来物ができ,所々化膿し,
風呂に入ることもできない状態であった。これらは,治るまでに3箇
月ないし5箇月を要した(甲Dヨ1・3頁,原告J16本人・調書9
頁)。
(ウ)原告J16は,上京し,夜間,大学に通いながら働いていたが,
昭和31年頃,当時勤務していた税務署の健康診断で嘱託医から貧血
を指摘された(甲Dヨ1・3頁)。原告J16は,嘱託医から余り無
理はしない方がいいとの指導を受けたため,同年4月から1年間大学
を休学したが,体調は余りよくならなかった(甲Dヨ1・3頁,4頁,
原告J16本人・調書10頁)。
(エ)原告J16の弟は,昭和46年,胃潰瘍と十二指腸潰瘍により大
量吐血と大量下血をし,31歳で死亡した。原告J16は,上京後,
周囲の者から顔色がよくなく,どこか悪いのではないかと言われてい
たこともあって不安になり,被爆者検診を受けることとなった(原告
J16本人・調書10頁,27頁)。なお,原告J16の妹は,平成
20年,61歳で狭心症の発作を起こして倒れ,現在もニトログリセ
リンを携行している(甲Dヨ1・4頁)。
(オ)原告J16は,平成16年頃から,時々胸が苦しくなることがあ
ったが,平成19年4月20日,朝から自宅で胸が苦しい状態が続き,
午後11時になっても症状が治まらず我慢することができなくなった
ため,救急車を呼び,J220病院に搬送された。入院時の同月21
日の血圧検査の結果は,収縮期血圧が158mmHg,拡張期血圧が
88mmHgであり,LDLコレステロール値は162mg/dlで
あった。原告J16は,心筋梗塞を発症しており,直ちにカテーテル
による治療を受け,同年5月8日及び同月14日,カテーテルによる
経皮的冠動脈形成術を受け,合計5箇所にステントを挿入した(甲D
ヨ1・4頁,甲Dヨ2・5頁,乙Dヨ2・200頁,355頁)。
原告J16は,退院後も,2箇月に1回ほどの割合で通院し,諸検査
(血液,心電図及びエコー)を受けるとともに,血栓ができるのを防ぐ
○など11種類の薬を継続して服用している(甲Dヨ1・4頁,5頁)。
また,原告J16は,平成20年6月2日から同月4日までの間及び
平成23年2月15日から同月17日までの間,経過観察のため,心臓
カテーテル検査を受けている(甲Dヨ1・5頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J16は若年被爆であるところ,爆心地から約
2.5kmの地点での被爆は,初期放射線が届く距離ではあるが,それ
だけでは僅かな被曝である,②しかし,その中で,原告J16は,周
囲が非常に薄暗かったとの記憶であり,このことは,放射性降下物ない
し放射性生成物による放射性粉塵のようなものが立ちこめている状況に
あったことを表現している,③爆心地から500mほどの地点にある
α56で原告J16の母が全身に大やけどを負って帰宅したところ,原
告J16は,母に付き添っていたものであり,原告J16の母が,放射
能によって非常に汚染されている状況であり,原告J16が付き添って
いたことによって受ける被曝も評価する必要がある,④原告J16は,
被爆後の健康状態も良好ではなく,免疫力の低下を思わせるような症状
があり,大学を1年間休学したことは体調が非常に悪かったことを示し
ている,⑤いわゆる「原爆ぶらぶら病」といわれるような全身倦怠感
に悩まされていた時期があったと思われ,原告J16の心筋梗塞の放射
線起因性は否定することができないとしている(証人J152・調書1
6頁,17頁)。
(2)原告J16の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J16は爆心地から約2.5kmの地点で被爆しており,DS0
2による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J16は,広島原爆の投下後,自宅付近において,周囲が暗闇な
いし薄暗い状況であったとの印象であり,同所付近が放射性降下物に汚
染されていた可能性がある。この点,放射性降下物は,広島においては,
爆心地から約3kmの距離で西に向けて発生したとされてはいるが(乙
B15・210頁,211頁),地形の影響等により上記以外の場所に
も広がった可能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであ
り,爆心地から北東方向の(乙D全2)の原告J16の自宅付近にも飛
散した可能性も十分にあるというべきである。
また,原告J16は,爆心地にほど近い所で被爆した母に付き添って
いる。原告J16の母は,放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ誘導放射線
原告J16の上記のような被爆状況等からすると,原告J16は,誘
導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性が
ある。原告J16の母は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染さ
れたり,誘導放射化されたりしていたと考えられる。
エ内部被曝
原告J16の上記のような被爆状況等からすると,原告J16は,放
射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,負傷部
位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J16は,被爆後三,四箇月
ほどしてから,主に胸や背中が皮膚病のような状態となり,それ以外に
も体中の様々な所に湿疹のような出来物ができ,所々化膿し,治るまで
に3箇月ないし5箇月を要している。また,原告J16は,健康診断で
貧血を指摘されたり,1年間大学を休学したりしており,体調不良の状
態が続いている。さらに,後記で検討するとおり,原告J16は,平成
19年4月21日の時点で,収縮期血圧が158mmHg,拡張期血圧
が88mmHgであり,LDLコレステロール値も162mg/dlで
あって,高血圧や脂質異常症もあったものである。
カその他
原告J16は,被爆当時11歳であり,比較的若年での被爆であると
認められる。
また,原告J16とほぼ同じ行動をした弟と妹について,弟は,胃潰
瘍と十二指腸潰瘍により31歳で死亡しており,妹も,61歳で狭心症
の発作を起こして倒れ,ニトログリセリンを携行している。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J16は健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたものと認められる。
(3)申請疾病の放射線起因性
原告J16の申請疾病は心筋梗塞である。心筋梗塞は,積極認定対象疾
病に該当するところ,前記第2の3(3)で検討したとおり,一般的に放射線
被曝との関連性が認められる疾病である。
(4)他原因の検討
ア被告は,原告J16には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,
高血圧及び脂質異常症が存在している旨主張する。
イこの点,原告J16が心筋梗塞と診断されたのは,被爆の62年後で
あって,73歳の時であり,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮
する45歳を大きく超えていたものである。
また,原告J16の血圧は,平成16年12月16日の時点で収縮期血
圧が140mmHg,拡張期血圧が76mmHg,平成17年6月14日
の時点で収縮期血圧が144mmHg,拡張期血圧が80mmHg(乙D
ヨ1・1071頁),原告J16が心筋梗塞を発症して救急車でJ220
病院に搬送され,入院した平成19年4月21日の時点で収縮期血圧が1
58mmHg,拡張期血圧が88mmHgであり,「高血圧治療ガイドラ
イン2009」によれば,上記の血圧値は,血圧分類では「Ⅰ度高血圧」
の範疇に当たる(乙Dカ20・14頁)。
さらに,原告J16の入院時の診療録には,「降圧剤内服していたが現
在自己中断」と記載されており(乙Dヨ2・200頁),その入院時に原
告J16の妻が記載したとされる「ご家族の皆様へ」と題する書面には,
これまでの傷病の有無や治療状況等に関する質問に対し,「2年ほど前,
風邪でかかった石岡市のJ221診療所で高血圧が分かり,血圧降下剤を
飲んでいたが,3カ月ぐらい前に服用を止めている。」と記載されている
ことからすれば(乙Dヨ2・279頁,原告J16本人・調書13頁),
原告J16は,心筋梗塞発症の2年ほど前に高血圧を指摘され,それ以降,
降圧剤を処方されていたが,途中で服用を自己中断し,そのまま放置して
いたものと認められる。
原告J16の平成19年4月21日の入院初日の時点のLDLコレステ
ロール値は162mg/dlである。同入院開始時には持参薬がなかった
ことなどからすると(乙Dヨ2・200頁,弁論の全趣旨・被告準備書面
(27)255頁),コレステロールに関する何らかの治療を受けていたとは
考えられず,高LDLコレステロール血症(140mg/dl以上)であ
ったことが認められ,「リスク第二層」に該当し,当時の脳心血管リスク
は中等リスクであった(乙Dカ20・15頁,16頁)。もっとも,原告
J16は,昭和31年から平成4年まで受診していた年2回の健康診断
やその後の人間ドック等において高コレステロールの指摘を受けていな
いものである(原告J16本人・調書15頁,22頁,23頁,25頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があった
としても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められ
る場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよ
うな特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射
線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J16についてみると,前記(2)のとおり,原告J16は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(3)
のとおり,原告J16の申請疾病である心筋梗塞は,一般的に放射線被曝
との関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(3)のとおり,
心筋梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものであ
るところ,原告J16の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段
の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって心筋梗塞の発症が促進
されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧及び脂質異常症については,そもそもこれらの症状が放射
線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があること
をもって原告J16の心筋梗塞の放射線起因性を否定することはできな
いというべきである。なお,原告J16には,喫煙歴はあるものの,そ
の程度については,23歳の頃にたばこを10本ほど吸った程度であり,
既往症といえるような喫煙歴ではないから(甲Dヨ1・5頁,原告J1
6本人・調書12頁,21頁,22頁),心筋梗塞の放射線起因性を否
定する事情とはいえない。
(5)原告J16の心筋梗塞の放射線起因性
以上の事実を総合すれば,原告J16が発症した心筋梗塞の放射線起因
性を認めることができるというべきである。
(6)申請疾病の要医療性
原告J16は,退院後も,2箇月に1回ほどの割合で通院し,諸検査(血
液,心電図及びエコー)を受けるとともに,血栓ができるのを防ぐ○など
11種類の薬を継続して服用している。また,原告J16は,平成20年
6月2日から同月4日までの間及び平成23年2月15日から同月17日
までの間,経過観察のため,心臓カテーテル検査を受けている。
以上によれば,申請疾病について要医療性が認められる。
(7)総括
以上のとおり,原告J16は,処分当時,原爆症認定申請に係る心筋梗塞
について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められる
から,原告J16に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消され
るべきである。
13原告J17
(1)認定事実
前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ
る。
ア被爆状況等
(ア)原告J17は,昭和10年▲月▲日生まれの男性であり,長崎原
爆の投下当時,10歳であった。原告J17は,被爆前,健康状況に
特段の問題はなかった。原告J17は,J222国民学校に在籍して
いた(前提事実4(13)ア,甲Dタ1・1頁)。
(イ)原告J17は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,爆心
地から約3.2kmの地点にある長崎市α23の自宅前の小川で水浴
びをしていたところ(甲Dタ1・1頁,乙Dタ1・137頁,147頁,
乙D全1),辺りが真っ暗になり,周りの草木が全てなくなり,荷物や
着替えも全てなくなった(甲Dタ1・1頁,原告J17本人・調書5
頁)。
原告J17は,海水パンツだけを着用したままの状態で自宅に戻った
(甲Dタ1・2頁,原告J17本人・調書5頁,10頁)。空は真っ暗
であり,周辺の家屋は燃えていた(原告J17本人・調書5頁)。原告
J17は,自宅に向かう途中,空から降ってくる灰のようなものを全身
に浴びた(甲Dタ1・2頁)。原告J17は,帰宅すると,家族から体
を洗ってくるようにと言われて自宅前の小川に戻り,体を洗い流した
(原告J17本人・調書6頁,14頁,15頁)。
(ウ)原告J17の父は,長崎原爆の投下翌日から連日,親戚や原告J
17の父の知り合いの安否確認のために爆心地から約0.7kmの地
点にある長崎市α22と長崎市α23を往復し,その際に爆心地付近
である長崎市α75及び長崎市α80を通過し,何人もの遺体を運び,
運んだ遺体を焼く作業を行うなどした(甲Dタ1・2頁,乙D全1,
原告J17本人・調書26頁,27頁)。
(エ)原告J17は,長崎市α23の自宅では,自宅近くの小川の水を
飲み,近所からもらった野菜やたぬきを食べた(原告J17本人・調
書9頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J17は,平成13年,J41病院で両下肢静脈瘤の手術を
受けたが,その際,糖尿病と高血圧を指摘された(甲Dタ1・2頁)。
(イ)原告J17は,平成17年,脂質異常症と診断され,現在まで治
療している(甲Dタ1・2頁)。
(ウ)原告J17は,平成17年1月25日から同年2月2日までの間,
脳梗塞を発症したことによりJ46病院に入院して治療を受け,その
後も,同月7日から同月16日までの間及び平成18年1月19日か
ら同年2月4日までの間の2回にわたり同病院に入院して脳梗塞の治
療を受けたが,平成21年11月12日,脳内出血により,同病院に
入院した。原告J17は,約1箇月後にJ47病院に転院して治療を
受け,平成22年1月15日,退院した(甲Dタ1・2頁,3頁)。
(エ)原告J17は,脳梗塞について,現在も内服治療を継続中である
(甲Dタ2・4頁,原告J17本人・調書9頁)。
ウJ152の意見
J152は,証人尋問において,①原告J17は,10歳での若年
被爆である上,爆心地から約1.5kmという近距離で被爆をしており,
直接受けた初期放射線量も相当のものであると思われる,②その後の
行動も,爆心地付近を通って知人の多い長崎市α22を繰り返し往復し
たということであり,その間に受ける残留放射線の被曝も相当あったと
思われる,③脳内出血や糖尿病,高血圧,高脂血症があったことを含
めても放射線起因性を否定することはできないとしている(証人J15
2・調書23頁,24頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア原告J17の被爆地点について
(ア)原告J17が被爆した地点について,原告J17は爆心地から約
1.5kmの地点にある長崎市α21の小川の中である旨主張し,被告
は爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市α23の自宅前の小川
の中である旨主張する。
(イ)この点,原告J17は,平成22年4月23日付け異議申立書(乙
Dタ1・7枚目),陳述書(甲Dタ1・1頁)及び本人尋問(原告J
17本人・調書2頁,5頁,13頁)において,近所の知り合い四,
五人と一緒に爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市α21の小
川で水遊びをしている最中に被爆したとしている。
(ウ)しかしながら,原爆が爆発した際の熱線は非常に強く,長崎原爆
の威力は,爆心地から3kmの地点においても黒い紙が自然発火して
燃えるほどの威力であるところ(弁論の全趣旨・被告準備書面(2)10
頁),原告J17はやけどすら負わなかったものである(乙Dタ1・
137頁)。
しかも,原告J17は,本人尋問において,当時,一緒に泳ぎに来て
いた知り合い四,五人が被爆直後にどのような状態であったか覚えてい
ない旨供述しており(原告J17本人・調書13頁),その供述は曖昧
である。
(エ)かえって,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申請書の
証明書(申述書)部分は,長崎原爆投下の12年後に作成されたもので
あるところ,「投下された當時の住所」の欄には「長崎市α23」と,
当時の原告J17の自宅が記載され,そのすぐ横の「投下された時居
た所」の欄には「家の外」と記載されている(乙Dタ1・147頁)。
同証明書(申述書)部分には,上記被爆状況についての記載内容の真実
性を担保するため,「昭和二十年八月九日長崎市に原子爆弾が投下され
た当時は次の通りであったことを証明(申述)します。」として,原告
J17の父が「証明人」として,署名押印をしている(乙Dタ1・14
7頁,原告J17本人・調書6頁)。また,同申請書には,原告J17
本人の作成名義により,「私は申述書のとおり原子爆弾被爆者であり申
述書に記載してあることは事実であることを誓約します。」と記載され,
署名捺印がされた誓約書が添付されている(乙Dタ1・148頁)。
原告J17の本人尋問における供述によっても,長崎市α23の原告
J17の自宅前には川があり(原告J17本人・調書3頁,9頁,11
頁),風呂代わりに同所で毎日水浴びをしていたことが認められる(原
告J17本人・調書12頁)。
また,平成18年5月8日付け認定申請書添付の申述書には,「原爆
が投下されたときにいた町名(わかれば番地も)」の欄に「長崎市α2
3」として自宅所在地が記載され,そのすぐ下の「屋外の場合/目標に
なる建物など」「屋内の場合/建物の名称,木造や鉄筋などを具体的に」
の欄に「上記の前には小川があり水浴の最中でした」として,自宅前の
小川で水浴していた際に直爆があった旨が記載されている(乙Dタ1・
137頁)。この申述書は,原告J17本人が記載したものである(原
告J17本人・調書12頁)。
(オ)以上の事実関係及び証拠関係の下では,原告J17が被爆した地点
については,爆心地から約1.5kmの地点にある長崎市α21の小川
の中ではなく,爆心地から約3.2kmの地点にある長崎市α23の自
宅前の小川の中であるものと認めるのが相当である。
イ入市の有無について
(ア)原告J17は,長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近を通過す
る経路で長崎市α22へ行った旨主張する。
(イ)この点,原告J17は,陳述書や本人尋問において,入市の経緯に
ついて以下のとおりであるとしている(甲Dタ1・2頁,原告J17本
人・調書7頁ないし9頁,16頁,26頁ないし28頁)。
a原告J17の家族は,長崎市α23に移り住む前は長崎市α22に
住んでおり,同町には親戚や原告J17の父の知り合いが多くおり,
また,原告J17の父は,地域の役員にもなっていた。そのため,原
告J17は,原告J17の父に連れられて,長崎原爆の投下翌日から
連日,親戚や原告J17の父の知り合いの安否確認や後片付けをする
ために長崎市α22と長崎市α23を往復し,その際に爆心地付近で
ある長崎市α75及び長崎市α80を通過した。
b自宅から長崎市α22までの道は,がれきにより歩くのが危ない状
況であり,火災の現場のようになっており,焦げたにおいや表現し難
いほどのにおいがしていた。溝には子供の死体があり,また,α67
付近の川は数多くの死体があった。以前住んでいた所は何もなくなっ
ており,がれきが散乱している状態になっていた。
(ウ)しかしながら,昭和32年8月17日付け被爆者健康手帳交付申
請書の証明書(申述書)部分の「爆心地から二k以内の地域に投下後
二週間以内にはいりこんだ時と場所とその理由」の欄は,いずれも空
欄となっている(乙Dタ1・147頁)。
また,原告J17は,入市期間について,平成18年5月8日付け認
定申請書添付の申述書(乙Dタ1・137頁),平成22年4月23日
付け異議申立書(乙Dタ1・8枚目)及び陳述書(甲Dタ1・2頁)で
は,長崎原爆の投下翌日である昭和20年8月10日から同月13日頃
までであるとしていたのに,本人尋問においては,長崎原爆の投下翌日
から連続して10日くらいだと思うなどとして,内容を変遷させている
ものであり(原告J17本人・調書7頁),変遷に合理的な理由も見当
たらない。
(エ)以上の証拠関係の下では,原告J17が長崎原爆の投下翌日から連
日,爆心地付近を通過する経路で長崎市α22へ行ったとは認められ
ず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(3)原告J17の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J17は,爆心地から約3.2kmの地点で被爆しており,DS0
2による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J17が長崎原爆の投下翌日から連日,爆心地付近を通過する経路
で長崎市α22へ行った事実は認められないが,長崎原爆の投下後,原告
J17の周囲は暗くなり,原告J17は,しばらくしてから,自宅付近
において,灰のような物を浴びているところ,この灰のような物が放射
性降下物である可能性は高いものと認められる。この点,放射性降下物
は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,爆
心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考え
られてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),地形の
影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1
の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から北東方向の(乙D全3)原
告J17の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきであ
る。
また,同居していた原告J17の父は,長崎原爆の投下翌日から連日,
親戚や原告J17の父の知り合いの安否確認のために長崎市α22と長
崎市α23を往復し,その際に爆心地付近である長崎市α75及び長崎
市α80を通過し,何人もの遺体を運び,運んだ遺体を焼く作業を行っ
ており,原告J17の父は放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ誘導放射線
原告J17の上記のような被爆状況等からすると,原告J17は,誘
導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性が
ある。原告J17の父は,誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染さ
れていたと考えられる。
エ内部被曝
原告J17の上記のような被爆状況等からすると,原告J17は,放
射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性があ
る。原告J17は,自宅近くの小川の水,近所からもらった野菜などを
飲食しているのであって,これらも放射性降下物や誘導放射化された物
質,放射性粉塵に汚染されていた可能性がある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J17は,脳内出血に罹患し
ており,また,後記で検討するとおり,原告J17は,高血圧や脂質異
常症があり,糖尿病にも罹患している。
カその他
原告J17は,被爆当時10歳であり,若年での被爆であると認めら
れる。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J17は健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J17の申請疾病は脳梗塞である。脳梗塞は積極認定対象疾病に該
当しないが,前記第2の3(5)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との
関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J17には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血圧,
脂質異常症,糖尿病及び肥満が存在している旨主張する。
イこの点,原告J17は,平成17年1月26日のMRI検査で多発性
脳梗塞との所見であり,アテローム血栓性脳梗塞と診断されている(乙
Dタ6・165頁裏)。原告J17がこのように診断されたのは被爆の
五十九,六十年後であって,69歳の時であり,加齢による動脈硬化の
進展がうかがわれる。
また,原告J17は,平成13年の時点で高血圧及び糖尿病を有して
いたことが認められ,脂質異常症も,平成17年に有していたことが認
められるだけでなく,その10年前から有していたことがうかがわれる
(乙Dタ6・174頁)。
さらに,原告J17は,上記入院当時,身長は168cm,体重は7
8kg,BMIは27.64であり,肥満であった(乙Dタ6・165
頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があった
としても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められ
る場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよ
うな特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射
線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J17についてみると,前記(3)のとおり,原告J17は,
健康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)
のとおり,原告J17の申請疾病である脳梗塞は,一般的に放射線被曝と
の関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(5)のとおり,
脳梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものである
ところ,原告J17の上記イの事情のうち,加齢及び肥満については,
上記特段の事情とまでは認められず,むしろ,これらの事情の下で,原
爆の放射線によって脳梗塞の発症が促進されたものと認めるのが相当で
ある。
また,高血圧,脂質異常症及び糖尿病については,そもそもこれらの
症状が放射線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状
があることをもって原告J17の脳梗塞の放射線起因性を否定すること
はできないというべきである。
(6)原告J17の脳梗塞の放射線起因性
以上によれば,原告J17が発症した脳梗塞の放射線起因性を認めること
ができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J17は,脳梗塞について,現在も内服治療を継続中であり,申請
疾病について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J17は,処分当時,原爆症認定申請に係る脳梗塞に
ついて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるか
ら,原告J17に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消される
べきである。
14原告J18
(1)認定事実
前提事実に加え,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認め
られる。
ア被爆状況等
(ア)原告J18は,昭和16年▲月▲日生まれの女性であり,長崎
原爆の投下当時,3歳であった。原告J18は,被爆前,健康状況に
特段の問題はなかった(前提事実4(14)ア,甲Dソ1・1頁)。
(イ)原告J18は,昭和20年8月9日,長崎駅の東側の爆心地から
約2.3kmの地点にある長崎市α81(×番地)の原告J18の自
宅の2階で被爆した。原告J18は,長崎原爆の投下直前,同所で母,
弟と共に昼寝をしていた(甲Dソ1・1頁,原告J18本人・調書2
頁)。
原告J18の自宅は倒壊し,土壁が覆い被さったが,原告J18の
母が支えになり,原告J18や原告J18の弟が押しつぶされないよ
うにしてくれた。原告J18は,この時,肩にかすり傷を負った(甲
Dソ1・1頁)。
原告J18は,約20分後,近所の者に助け出され,自宅近くの放
送局の下に掘られていた防空壕に避難し,その日は,その場所で一泊
した(甲Dソ1・1頁,乙Dソ17・1枚目)。
(ウ)原告J18は,長崎原爆の投下翌日,α24に登った。原告J1
8は,そこで一泊した後,昭和20年8月11日,焼け跡に戻って,
一泊し,更に,同月12日早朝,長崎県南高来郡α82町に向かい,
同町において,しばらく生活した(乙Dソ17・1枚目,2枚目,原
告J18本人・調書3頁)。
(エ)その後,原告J18,原告J18の母及び弟は,祖父母(母方)
と共に,長崎市α81に戻り,自宅跡近くの高台の憲兵隊の敷地に高
さ2mほどの石垣があったことから,祖父がこれを利用してバラック
小屋を作り,原告J18は,このバラック小屋で小学校6年生の頃ま
で生活した(甲Dソ1・2頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J18は,昭和20年9月下旬頃,軽度の無血液性下痢が1
週間くらい出現した。(乙Dソ17・5枚目)
(イ)原告J18は,四,五歳の頃,時々風邪をひどくこじらせるなど
した(原告J18本人・調書17頁)。原告J18は,母や祖母から,
虚弱体質になったと言われた(甲Dソ1・2頁)。
(ウ)原告J18の体調は,小学生になっても改善せず,貧血気味で授
業にも集中することができず,小学校3年生の頃まではよく早退して
いた(甲Dソ1・2頁,3頁)。原告J18は,運動場で行われる朝
礼の間,立っていることができずにうずくまることもあり,体育の授
業に参加することもできなかった(原告J18本人・調書5頁)。
(エ)原告J18は,昭和50年,胆のう炎に罹患した(甲Dソ3・2
頁)。
(オ)原告J18は,平成12年頃から,高血圧の治療を継続して受け
ている(甲Dソ3・2頁)。
(カ)原告J18は,平成20年7月,J223診療所において,検査
の結果,甲状腺に異常が見つかり,治療を受け始めた。原告J18は,
同月7日,採血を受け,その結果,甲状腺機能亢進があることが判明
し,投薬治療を受けた結果,甲状腺ホルモンは低下した。その後,J
223診療所が閉鎖されたことから,原告J18は,平成21年1月
7日,J224医院で診察を受け,J223診療所から渡されて持参
した検査データとメモにより甲状腺機能低下と診断され,甲状腺機能
低下に対する薬剤が処方された。その後,甲状腺ホルモンの値は,機
能亢進と機能低下を繰り返してコントロールが困難となり,平成22
年8月,甲状腺疾患専門のJ225病院を紹介され,同病院において,
甲状腺機能亢進症であるバセドウ病との診断を受け,同病院において,
治療を継続して受けている(甲Dソ3・2頁,3頁)。
(キ)原告J18の弟は,被爆直後,高熱が出て目が飛び出し,約1箇
月後に死亡した(甲Dソ1・2頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J18は,3歳での若年被爆である,②爆心
地から約2.3kmの地点にいたことも,初期放射線を一定程度受ける
距離にいたということができる,③その後,原告J18は,黒い雨の
地域にも入っており,残留放射線の影響も受けていることから,相当の
被曝を受けているとしている(証人J152・調書36頁,37頁)。
(2)事実認定の補足説明
アα24で生活した事実及びα24に登る途中で黒い雨に打たれた事
実の有無について
(ア)原告J18は,灰や塵が舞う中を爆心地に近いα24に登り,その
途中で直接黒い雨に肌を打たれた,また,α24で約1箇月生活した旨
主張する。
(イ)原告J18は,陳述書や本人尋問において,α24で生活した経
緯について以下のとおりであるとしている(甲Dソ1・1頁,2頁,
原告J18本人・調書2頁ないし4頁,6頁ないし12頁)。
a原告J18は,被爆の約1時間後に通りがかりの者によって救出
された。原告J18は,原告J18の弟を抱えていた母から,「あ
なた一人だけでも逃げなさい。町内会の防空壕に行きなさい。」と
言われ,一人で原告J18の自宅近くの放送局の下にあった防空壕
まで行き,そこで,祖父母(母方)と再会した。祖父は,町内会長
をしていたが,原告J18と祖母に対して,煙が来るようであり,
また,防空壕には人が数多くいて入ることができないため移動した
方がよいと言い,原告J18は,祖母に連れられて,○高射砲隊の
兵舎のあったα24に避難した。一方,祖父は,防空壕に残った。
b原告J18は,α24に登る途中,コールタールのような黒い粘
り気のある雨に遭った。原告J18は,当時,袖のない薄手の服を
着ており,雨が直接顔や手に当たり,いくらぬぐってもとれず,皮
膚に残っているような様子であった。原告J18が祖母にこれが雨
なのかどうか聞くと,祖母は,これは雨ではないと答えた。
c原告J18と祖母がα24に着いてから1時間ほどすると,原告
J18の母と弟が追いつき,また祖父も追いついた。
d祖父の知り合いが兵舎にいたことから,原告J18は,原告J1
8の母,弟及び祖父母(母方)と共に,約1箇月間,避難生活を送
った。なお,兵舎は,爆心地から約1.5kmの地点にあった。
(ウ)しかしながら,原爆投下から1時間程度しか経っていない時期に
自宅が倒壊しているような中で,原告J18の母が僅か3歳の原告J
18に対し,一人で防空壕に行かせるのは,明らかに不自然かつ不合
理である。
むしろ,ABCCの調査記録には,前記認定事実の内容が記載され
ているところ(乙Dソ17・1枚目),同記録の内容は,極めて具体
的で自然なものというべきである。
(エ)また,α24に登る途中で黒い雨に打たれたとの点について,上
記ABCCの調査記録では,雨に降られたかとの質問に対して,降ら
れていない旨記載されている上(乙Dソ17・1枚目),原告J18
が陳述書や本人尋問で記載ないし供述している原告J18と原告J
18の祖母の会話も,抽象的なものである。加えて,原告J18は,
平成22年5月26日付け認定申請書添付の申述書においては,陳述書
や本人尋問とは異なり,被爆後,救出された後1時間ほど自宅の辺りに
いたときに黒い雨に打たれたとしているものである(乙Dソ1・608
頁)。
(オ)以上の証拠関係の下では,原告J18がα24で約1箇月間生活
した事実やα24に登る途中に黒い雨に打たれた事実は認められな
い。
イ下痢及び発熱などの急性症状の有無について
(ア)原告J18は,下痢や発熱といった急性症状があった旨主張する。
(イ)確かに,昭和32年6月付け被爆者健康手帳交付申請書添付の原
爆被爆者調書票には,下痢については昭和20年8月11日頃から同
月20日頃まで続いた旨の記載がある(甲Dソ5・619頁)。
(ウ)しかしながら,上記調書票は,微熱についてはこれがあったとは
しているものの,その期間が明記されていない(甲Dソ5・619頁)。
さらに,ABCCの調査記録においては,原告J18は昭和20年9
月下旬に軽度の無血液性下痢が1週間くらい出現した旨記載されて
いる反面,熱についてはなしと記載されている(乙Dソ17・5枚目)。
ABCCの調査記録の信用性については,原爆被爆者調書票の二,
三年ほど前の昭和29年3月26日及び昭和30年9月27日の原
告J18の母からの聴取結果を記載したものであるところ,原告J1
8の母の調査態度が協力的であるとされていることからすれば,前記
で検討したABCCの調査記録の問題点を勘案したとしても,その信
用性を肯定することができるというべきである。
(エ)以上の証拠関係の下では,原告J18に発熱があったとは認めら
れず,また,下痢については,昭和20年9月下旬に軽度の無血液性
下痢が1週間くらい出現したにとどまるものと認められる。
(3)原告J18の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J18は爆心地から約2.3kmの地点で被爆しており,DS0
2による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J18がα24で約1箇月間生活した事実やα24に登る途中
に黒い雨に打たれた事実は認められない。しかしながら,原告J18の
被爆地点は,爆心地から約2.3kmの地点にある自宅であり,原告J
18は,被爆後,自宅近くの防空壕に一泊した後,α24に登って一泊
し,更に焼け跡に戻って一泊している。これらの場所付近が放射性降下
物に汚染されていた可能性は高いものと認められる。この点,放射性降
下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルトニウム調査の結果から,
爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇形の方向に広がったと考
えられており(乙Dタ4・37頁,乙Dタ5・4頁,5頁),爆心地から
東方向の(乙D全3)α24にも飛散したものと認められる。また,地形
の影響等により上記以外の場所にも広がった可能性があることは前記第1
の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から南南東方向の(乙D全3)原
告J18の自宅付近にも飛散した可能性も十分にあるというべきである。
ウ誘導放射線
原告J18の上記のような被爆状況等からすると,原告J18は,
誘導放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能
性がある。
エ内部被曝
原告J18の上記のような被爆状況等からすると,原告J18は,放
射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,負傷部
位からこれらが侵入したりした可能性がある。
オ急性症状等
原告J18に発熱の事実は認められない。しかしながら,放射線被曝
を裏付けるものとして,原告J18は,被爆から間もない頃,軽度の無
血液性下痢があったことが認められる。また,原告J18は,幼い頃,
時々風邪をひどくこじらせるなどし,貧血もあり,学校の授業にも十分
に参加することはできなかったものである。さらに,原告J18は,平
成12年頃から,高血圧の治療を継続して受けている。
カその他
原告J18は,被爆当時3歳であり,若年での被爆であると認められ
る。
また,被爆した時に一緒にいた原告J18の弟は,被爆直後,高熱が
出て目が飛び出し,約1箇月後に死亡している。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J18は健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J18の申請疾病は甲状腺機能低下であるが,上記の認定事実の
とおり同疾病は甲状腺機能亢進症(バセドウ病)に由来していることか
ら,放射線起因性の有無の判断の対象となる疾患は,甲状腺機能亢進症
(バセドウ病)である。甲状腺機能亢進症(バセドウ病)は積極認定対
象疾病に該当しないが,前記第2の3(6)で検討したとおり,一般的に放
射線被曝との関連性が認められる疾病である。
(5)原告J18の甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の放射線起因性
以上によれば,原告J18が発症した甲状腺機能亢進症(バセドウ病)
の放射線起因性を認めることができるというべきである。
(6)申請疾病の要医療性
原告J18は,甲状腺機能亢進に対する投薬治療を受けた結果,甲状腺
ホルモンが低下し,平成21年1月7日には甲状腺機能低下と診断されて
いる。そして,原告J18は,甲状腺機能低下に対する薬剤を処方され,
甲状腺ホルモンの値は,機能亢進と機能低下を繰り返してコントロールが
困難となり,平成22年8月,甲状腺機能亢進症であるバセドウ病と診断
されて,治療を継続して受けている。甲状腺機能低下の状態にあったのは,
甲状腺機能亢進症の治療による投薬の影響からであったということができ
る。
したがって,申請疾病について要医療性が認められる。
(7)総括
以上のとおり,原告J18は,処分当時,原爆症認定申請に係る甲状腺機
能亢進症(バセドウ病)について放射線起因性及び要医療性の要件を満たし
ていたものと認められるから,原告J18に係る原爆症認定申請却下処分は
違法であり,取り消されるべきである。
15原告J19
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実
が認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J19は,昭和3年▲月▲日生まれの女性であり,広島
原爆の投下当時,16歳であった。原告J19は,被爆前,健康状況
に特段の問題はなかった。自宅は元々広島市α20にあったが,原告
J19は,建物疎開のため広島市α83の借家に転居していた。原告
J19は,毎日自宅から市電に乗り,α28まで行き,α28から国
鉄で爆心地から約7kmの地点にある広島県安佐郡α84村(以下
「α84村」という。)の公会堂まで通い,挺身隊員として飛行服の
製作に関わっており,広島原爆の投下当日も同様であった(前提事実
4(15)ア,甲Dネ1・1頁,乙Dネ1・1067頁,乙Dネ2)。
(イ)昭和20年8月6日,原告J19が公会堂内の朝礼で話を聞いて
いる時に広島原爆の投下があった(甲Dネ1・1頁)。
大きな音と爆風があり,窓ガラスが割れたため,原告J19は,腕
に軽い怪我を負った(甲Dネ1・1頁)。原告J19が外に出ると,
真っ白な入道雲のようなものが湿布薬を剥ぐように爆風で次々とめ
くれている様子が見えた(原告J19本人・調書1頁,2頁)。
その後,原告J19は,竹藪に避難したが,途中で転んで足を痛め
た(甲Dネ1・1頁)。
原告J19は,広島原爆の投下当日は,徹夜で,公会堂内において
広島から逃げてきた者らの看病をした。原告J19は,やけどを負っ
てただれきった者の体に触って運ぶのを手伝ったり,重症の母に代わ
って,その乳飲み子を抱いてなだめたりした(甲Dネ1・1頁)。
(ウ)原告J19は,広島原爆の投下翌日もα84村にとどまり,公会
堂に運ばれた怪我人の看病を続けていた(甲Dネ1・1頁)。
(エ)広島県安佐郡α85町(以下「α85町」という。)に住んでい
るおじが昭和20年8月8日に原告J19を訪ねたことをきっかけ
として,原告J19は,広島に戻って家族を探しに行くことになった
(甲Dネ1・1頁)。原告J19は,α28か横川駅まで行き,そこ
から市電の線路に沿って爆心地から500m以内の地点にある広島
市α83の自宅まで歩き,同所付近で,行方不明の父母と姉の捜索を
した(甲Dネ1・1頁,原告J19本人・調書3頁)。
自宅の場所は,焼け野原となっていたため,すぐには分からず,原
告J19は,まず,焼けただれたまま道路に寝転がっている者のむし
ろを1枚1枚剥いだり,銀行の壁に書かれた消息を見たりした。○橋
の下は,死体で埋まっており,川の水が見えないほどであった(原告
J19本人・調書4頁)。釣り上げたマグロを引っ掛けるように,か
ぎ爪で死体を陸に上げている兵士もいた。死体があちらこちらに山の
ように積んであり,焼くと魚のようなにおいが立ちこめた(甲Dネ
1・1頁,原告J19本人・調書4頁)。
原告J19は,その日には家族を見つけることはできなかった(甲
Dネ1・1頁)。
(オ)原告J19は,昭和20年8月9日以降も毎日,α85町のおじ
の家に宿泊しつつ,日中は捜索のため広島市内に出掛けた(甲Dネ
1・1頁)。原告J19は,このように何日か出掛けるうち,自宅の
倉の白い壁と戸のレールの近くに父の遺骨を発見した(甲Dネ1・1
頁,2頁)。さらに,原告J19は,病気で寝ていた母の頭蓋骨と思
われるものを枕と水差しの間に発見した。原告J19は,台所跡に割
れたすり鉢と4番目の姉のものと思われる大腿骨を発見した(甲Dネ
1・2頁,原告J19本人・調書5頁)。原告J19は,おじと共に,
遺骨を拾って入れ物に入れた(原告J19本人・調書5頁)。遺骨を
探す作業は,自宅付近のがれきをひっくり返したり,地面を掘ったり,
灰を両手で払いのけたりしながらのものであり,毎日,土埃を浴びな
がらの作業であった(甲Dネ1・2頁,原告J19本人・調書6頁)。
(カ)原告J19は,昭和20年8月14日頃以降は,広島のα86(広
島駅付近)に嫁いでいた2番目の姉の捜索を行った。原告J19は,
道ばたに並べられた死体に掛けてあるむしろをめくったり,壁に書か
れた消息を見たりした(甲Dネ1・2頁,原告J19本人・調書5頁)。
そうしているうちに,原告J19は,崩れていた2番目の姉の自宅
をようやく見つけることができた。2番目の姉の自宅には同姉の親戚
がおり,同姉は,背中に大やけどを負い,海田市駅付近の寺院に収容
されているとのことであった(甲Dネ1・2頁)。
原告J19は,直ちに同寺院に行ったが,姉は寝たきりの状態であ
り,膿が背中からあふれていた(甲Dネ1・2頁,原告J19本人・
調書6頁)。原告J19は,同寺院にしばらく泊まり込み,化膿した
部分を油で洗い,きゅうりを置いてガーゼを被せ,それを剥ぐなどの
看病をした(甲Dネ1・2頁,原告J19本人・調書6頁)。腕から
出てきたウジを数えながら取ったが,その数は50匹以上にもなった
(甲Dネ1・2頁)。原告J19は,同寺院で姉の看病をしながら玉
音放送を聞いた(原告J19本人・調書7頁)。
その後,2番目の姉は回復したが,ケロイドが残り,20年ほど前
に肺がんで死亡した(甲Dネ1・2頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J19は,広島市α83で家族の捜索をしている時,下痢や
紫斑,吐き気などを発症した(甲Dネ1・2頁,原告J19本人・調
書17頁)。下痢は水気の多いものであり(原告J19本人・調書8
頁),捜索を終えてからは,1日に五,六回の割合であった(原告J
19本人・調書7頁,14頁)。下痢の症状は,二,三年は続いた(原
告J19本人・調書13頁)。紫斑は,それほど目立つものではなか
ったが,まだらな斑点が両手や両足一杯に生じた。吐き気は食事をし
ようとすると生じ,食欲が出なかった(原告J19本人・調書8頁)。
吐き気のみならず嘔吐をすることもあった(原告J19本人・調書1
7頁)。
(イ)原告J19は,終戦後頃から,倦怠感,歯茎出血,生理不順など
を発症した(甲Dネ1・2頁)。生理不順は,月経が不定期であると
いった症状であり,異常な状態は他の症状に比べて長く続いた(原告
J19本人・調書16頁)。
(ウ)原告J19は,一旦,神奈川の鎌倉に引っ越したものの,1年後
に広島に戻り,α86に下宿しながら,放送局に六,七年勤務した。
原告J19は,入市した友人の中に髪が抜けてすぐ死亡した者もいる
との話を聞いた(甲Dネ1・2頁)。放送局の何人かの同僚も,被爆
した後,死亡した(原告J19本人・調書8頁)。
(エ)原告J19は,被爆者である夫と婚姻して退職し,広島県廿日市
市に移り住んだ。原告J19は,仕事に復帰することなく,子ができ
てしばらくしてからは東京に移り住んだ(甲Dネ1・2頁)。家事と
体の弱い長男を含めた二人の息子の子育ての毎日であったことから,
不安を感じている暇はなかったが,体調は常時不良であり,貧血気味
であった(甲Dネ1・2頁,原告J19本人・調書9頁)。20歳頃
からは,歯が次々と抜けるようになった(甲Dネ1・3頁,原告J1
9本人・調書16頁)。何もする気が起こらなくなる強い倦怠感も治
らず,現在でも疲れやすい症状が続いている(甲Dネ1・3頁)。
(オ)原告J19は,平成8年頃,関節リウマチになり,その後,骨そ
しょう症にもなった。また,原告J19は,同年頃,歯科治療のため
の血液検査を受けたところ,C型慢性肝炎に罹患していることが判明
した(甲Dネ1・3頁)。
原告J19は,高血圧,脂質異常症,胃悪性リンパ腫などにも罹患
しており,さらに,平成21年7月には肺がんに罹患した(甲Dネ1・
3頁)。
これらの疾患は,全て現在も治療中であり,肺がんについては,原
爆症認定がされている(甲Dネ1・3頁)。
(カ)原告J19は,平成23年,心臓の弁を人工弁に変える手術を受
けた。原告J19は,平成25年,座骨神経痛と診断された(原告J
19本人・調書11頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J19が,被爆後,行方不明の両親や姉の捜索
のために爆心地付近に行っている,②原告J19の自宅の焼け跡のが
れきをひっくり返すなどして,遺骨を拾う作業をしており,そのような
中で残留放射線の含まれた粉塵を吸い込んでいると思われ,また,当時,
誘導放射線もあり,そのような中で被曝をしている,③被爆者である
姉に付き添って看病をしているところ,直接,放射線で汚染された姉か
らの被曝を受けたと思われる,④被爆後の下痢,紫斑,吐き気及び倦
怠感は被爆者の急性症状と考えてよく,その後の長く続いた倦怠感や貧
血は被爆者の後遺症と理解することができるとしている(証人J15
2・調書37頁,38頁)。
(2)原告J19の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J19は爆心地から約7kmの地点で被爆しており,DS02に
よる初期放射線の被曝線量は極めて僅少であると認めることができる。
イ放射性降下物
原告J19は,広島原爆の投下当日及び投下翌日,救護のため多くの負
傷者と接触している。原告J19は,昭和20年8月8日に入市し,爆心
地付近を訪れ,負傷者や死体と接触し,さらに,その後,五,六日間,爆
心地から500m以内の地点にある自宅に通い続け,土埃を浴びながら家
族の捜索を行っている。また,原告J19は,2番目の姉の捜索をし,重
傷者である同姉の看病もしている。
原告J19が爆心地付近に入市した時期は,広島原爆の投下から間もな
い頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたものと
いうことができる。接触した負傷者や死体も放射性降下物に汚染されてい
たと考えられる。2番目の姉が放射性降下物に汚染されていた可能性もあ
る。
ウ誘導放射線
原告J19の上記のような被爆状況等からすると,原告J19が誘導放
射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高いも
のと認められる。原告J19が接触した多くの負傷者や死体は,誘導放射
化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化されたりしていた
と考えられる。2番目の姉が誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染さ
れたり,誘導放射化されたりしていた可能性もある。
エ内部被曝
原告J19の上記のような被爆状況等からすると,原告J19は,放射
性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性がある。
オ急性症状等
放射線被曝を裏付けるものとして,原告J19は,入市後や終戦後以降,
下痢,紫斑,吐き気,倦怠感,歯茎出血,生理不順など,数々の急性症状
を発症し,貧血気味である,若い頃から歯が抜ける,倦怠感があるなどの
体調不良が長く続いている。さらに,原告J19は,高血圧,脂質異常症
及び胃悪性リンパ腫などにもなり,肺がんにもなっている。
カその他
原告J19は,肺がんについては,原爆症認定を受けている。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J19は健康に影響を及ぼすような相当
量の被曝をしたものと認められる。
(3)申請疾病の放射線起因性
原告J19の申請疾病はC型慢性肝炎である。C型慢性肝炎は慢性肝
炎の一つであり,積極認定対象疾病に該当するところ,前記第2の3(7)
で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連性が認められる疾病で
ある。
(4)原告J19のC型慢性肝炎の放射線起因性
以上によれば,原告J19が発症したC型慢性肝炎の放射線起因性を認め
ることができるというべきである。
なお,C型慢性肝炎発症から肝硬変発症までの期間が長いことは,必ずし
もC型慢性肝炎の放射線起因性に影響を与えるものとはいえない。
(5)申請疾病の要医療性
原告J19のHCV-RNA定量は高値を示しており,C型肝炎ウイルス
(HCV)の持続感染状態にあることが認められる。また,原告J19は,
血液検査において,膠質反応(ZTT,TTT)が高値を占めており,腹部
エコー検査において肝臓の辺縁が鈍,内部が粗との所見であり,肝臓に慢性
炎症があると診断されている。血清ヒアルロン酸値が上昇しており,腹部エ
コー検査において門脈圧亢進が認められることから,慢性炎症のために肝臓
の線維化が進み,C型慢性肝炎からC型肝硬変に至る過程であった。原告J
19は,現在もC型慢性肝炎に対する内服治療を継続しており,同時に,C
型慢性肝炎,肝硬変に高率に発症するとされている肝細胞がんの早期発見の
ため,定期的に腹部エコー検査や血液検査を受けている(甲Dネ2・3頁)。
さらに,原告J19は,平成25年8月頃,定期検査を受けた際,肝硬変
の診断を受け,○や○を投薬されるようになった(原告J19本人・調書1
8頁,19頁)。
以上によれば,原告J19がC型慢性肝炎に罹患し,現在もその治療を継
続していることが認められ,申請疾病について要医療性が認められる。
(6)総括
以上のとおり,原告J19は,処分当時,原爆症認定申請に係るC型慢性
肝炎について放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認めら
れるから,原告J19に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消
されるべきである。
16原告J20
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実
が認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J20は,昭和11年▲月▲日生まれの男性であり,長崎原
爆の投下当時,9歳であった。原告J20は,被爆前,健康状況に特
段の問題はなかった。原告J20は,爆心地から約3.7kmの地点
にある長崎市α87の自宅で生活していた(前提事実4(16)ア,甲D
ナ1・3頁)。
(イ)原告J20は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,兄と
共に自宅茶の間にいたところ,強い光があり,台所にいた母から,防
空壕に逃げるように言われ,屋外の防空壕に向かったが,隣家の庭で
強い爆風を受けた(甲Dナ1・3頁)。
(ウ)原告J20は,長崎原爆の投下後も,自宅で生活し続けた。原告
J20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中頃までの間,兄と
一緒に,数度にわたり,○橋を越えて北に1kmの付近にある工場跡
に遊びに出掛け,がれきをかき分けてボールベアリングを探しては拾
い,さびたボールベアリングを叩いてさびを落として回るようにする
という遊びをしていた(甲Dナ1・3頁)。
(エ)原告J20とその家族は,長崎原爆の投下の前後を通じて,長崎
のα25地区で農業をしていた父の部下から譲り受けたカボチャを
食べていた(甲Dナ1・3頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J20は,長崎原爆の投下翌日,下痢及び発熱を発症したが,
症状はさほどひどいものではなく,間もなく治った(乙Dナ1・12
頁,17頁)。また,眼痛及び胸部痛もあり,原告J20は,J22
6病院に通院した。貧血や白血球の増加があり,少しの傷でも化膿し
やすい状態も続いた(乙Dナ1・6頁)。
(イ)原告J20は,昭和37年7月,激しいけいれんと共に意識を失
うという発作に襲われ,J49病院に入院し,治療を受けた(乙Dナ
1・5頁)。
(ウ)原告J20は,平成16年5月11日,めまいと吐き気,平衡感
覚の失調に襲われ,救急搬送された(乙Dナ1・5頁)。
(エ)原告J20は,平成16年6月8日,脳幹部脳梗塞を発症し,救
急搬送されたが,首から下にほぼ全麻痺があり,症状が回復せず,J
50病院に入院中である(甲Dナ2・2頁)。
なお,原告J20は,脳梗塞発症前に,高血圧及び狭心症の診療を
受けており,高血圧については服薬もしていたが(乙Dナ3・40頁,
乙Dナ4,乙Dナ5),同日の血圧は収縮期血圧が148mmHg,
拡張期血圧が82mmHgであった(乙Dナ3・10頁)。
ウJ152の意見
J152は,①原告J20は,被爆当時9歳であり,若年被爆であ
った,②被爆地点は爆心地から約3.7kmの地点であり,長崎でも
初期放射線はほとんどないものと思われる,③○橋から北に1kmの
地点は爆心地付近であるところ,原告J20は,被爆後の行動として,
○橋から北に行って,工場跡で遊んでおり,特にがれきの中で遊んでい
る,④ホールベアリングは金属であり,初期放射線の中性子線によっ
て誘導放射化するし,がれきの中には様々な誘導放射化された物質や放
射性降下物もあったと思われる,⑤長崎のα25地区は,残留放射線
の高濃度汚染地域であり,同地区の農作物を食べたということであれば,
それによる内部被曝もある,⑥このような被曝の状況をみれば,遠距
離で被爆しているといっても,被爆後の行動から相当量の被曝があった
と考えてよいとしている(証人J152・調書24頁,25頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア入市の有無について
(ア)被告は,原告J20が赴いたという工場跡について,工場の名称も
場所も全く特定されていない旨主張する。
(イ)しかしながら,原告ら代理人作成の平成25年9月30日付け聴
取り報告書(甲Dナ1・3頁)には,上記認定事実の内容が記載され
ているところ,同報告書の内容は,確かに,工場の名前等について具
体的に挙示はされていないものの,全体としてみれば,極めて具体的
である。聴取りの方法は,原告J20が話すことができず,手を動か
すこともできないため,透明アクリル板に50音の文字等を記載した
ボードに原告J20が視線を向けて,向けた先の文字を1文字ずつ読
み取る方法で行われるなどしたものであるが,ボードの扱いに慣れた
看護師を立ち会わせたり,二日に分け,休憩を挟んだりして行われた
ものであり,正確さが担保されるような配慮がされている。さらに,
補充的に,原告J20と行動を共にした原告J20の兄からの聴取り
も行われている。一方で,入市の事実がなかったことを疑わせるよう
な事情は何ら存しない。
そうであるとすれば,上記聴取り報告書は信用性が高いというべき
である。
(ウ)したがって,原告J20は,昭和20年8月15日頃から同年9
月中頃までの間,数度にわたり,稲佐山を越えて北に約1kmの地点
の付近にある工場跡に行き,ボールベアリングを拾って遊んだものと
認められる。
イ倦怠感を発症した事実の有無について
(ア)原告J20は,被爆後に倦怠感を発症した旨主張する。
(イ)確かに,原告ら代理人作成の平成25年9月30日付け聴取り報
告書には,長崎原爆投下後1週間後くらいからだるさがあり,このだ
るさは20歳代頃までずっと続いた旨の記載がある(甲Dナ1・3頁)。
(ウ)しかしながら,平成2年10月25日付け被爆者健康手帳交付申
請書には,下痢及び発熱の記載はあるものの,倦怠感についての記載
はない(乙Dナ1・12頁,17頁)。そして,同申請書は,上記聴
取り報告書の20年以上前に作成されたものであり,信用性は高いも
のと認められる。
(エ)以上の証拠関係の下では,原告J20が被爆後に倦怠感を発症し
た事実は認められず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(3)原告J20の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J20は爆心地から約3.7kmの地点で被爆しており,DS0
2による初期放射線の被曝線量は僅少であると認めることができる。
しかしながら,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差
があり,過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J20は,昭和20年8月15日頃から同年9月中旬頃までの間,
数度にわたり爆心地付近の工場跡に行っている。
原告J20が爆心地付近に入市した時期は,長崎原爆の投下から間も
ない頃であり,爆心地付近は放射性降下物に相当程度汚染されていたも
のということができる。
ウ誘導放射線
原告J20の上記のような被爆状況等からすると,原告J20が誘導
放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は
高いものと認められる。原告J20は,爆心地付近の工場跡において,
がれきから拾ったボールベアリングで遊んでいるところ,ボールベアリ
ングやがれきは誘導放射化されていたものと認められる。
エ内部被曝
原告J20の上記のような被爆状況等からすると,原告J20は,放
射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引した可能性があ
る。また,原告J20が日常的に食べていた長崎のα25地区のカボチ
ャが放射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵に汚染されてい
た可能性もある。
オ急性症状等
原告J20が被爆後に倦怠感を発症した事実は認められない。しかし
ながら,放射線被曝を裏付けるものとして,原告J20は,長崎原爆の
投下翌日,下痢及び発熱を発症し,眼痛及び胸部痛もあり,通院してい
る。また,原告J20は,貧血や白血球の増加があり,化膿しやすい状
態も続いている。さらに,原告J20は,激しいけいれんと共に意識を
失うという発作に襲われたり,めまいと吐き気,平衡感覚の失調に襲わ
れ,救急搬送されたりし,後記で検討するとおり,高血圧と狭心症にも
なっている。
カ小括
以上の事実を総合すれば,原告J20は,健康に影響を及ぼすような
相当量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J20の申請疾病は脳梗塞である。脳梗塞は積極認定対象疾病に
該当しないが,前記第2の3(5)で検討したとおり,一般的に放射線被曝
との関連性が認められる疾病である。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J20には脳梗塞の重大な危険因子である加齢,高血
圧及び心血管疾患が存在している旨主張する。
イ原告J20は,脳梗塞と診断されたのは被爆の59年後であって,68
歳の時であり,加齢による動脈硬化の進展がうかがわれる上,脳梗塞発症
前から,高血圧と狭心症の診療を受けていたものであり,高血圧について
は,服薬にもかかわらず,原告J20が脳梗塞を発症した時点では,収縮
期血圧は148mmHg,拡張期血圧は82mmHgであり,「高血圧治
療ガイドライン2009」によれば,「Ⅰ度高血圧」の範疇以上の血圧で
あったことがうかがわれる。狭心症は心血管病(心血管疾患)に該当する
ことから「リスク第三層」に該当し,当時の原告J20の脳心血管リスク
は「高リスク」であった(乙Dカ20・14頁ないし16頁)。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があったと
しても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められる
場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよう
な特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射線
起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J20についてみると,前記(3)のとおり,原告J20は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)
のとおり,原告J20の申請疾病である脳梗塞は,一般的に放射線被曝と
の関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(5)のとおり,
脳梗塞については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものである
ところ,原告J20の上記イの事情のうち,加齢については,特段の事情
とまでは認められず,原爆の放射線によって脳梗塞の発症が促進されたも
のと認めるのが相当である。
また,高血圧及び心血管疾患については,そもそもこれらの症状が放射
線被曝との関連性が認められるものであって,これらの症状があること
をもって原告J20の脳梗塞の放射線起因性を否定することはできない
というべきである。
(6)原告J20の脳梗塞の放射線起因性
以上によれば,原告J20が発症した脳梗塞の放射線起因性を認めること
ができるというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J20は,脳梗塞の症状が回復せずにJ50病院に入院中であり,
申請疾病について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J20は,処分当時,原爆症認定申請に係る脳梗塞に
ついて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められるか
ら,原告J20に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消される
べきである。
17原告J21
(1)認定事実
前提事実に加え,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が
認められる。
ア被爆状況等
(ア)原告J21は,昭和6年▲月▲日生まれの女性であり,長崎原
爆の投下当時,14歳であった。原告J21は,被爆前,健康状況に
特段の問題はなかった(前提事実4(17)ア,甲Dラ1・1頁)。
(イ)原告J21は,昭和20年8月9日,長崎原爆の投下直前,爆心
地から約1.4kmの地点にあるJ107で稼働しており(甲A8の
2,甲Dラ1・1頁),昼食の弁当を取りに行こうとして,同工場の
建物入口付近で立ち止まっていた時に被爆した(甲Dラ1・1頁,原
告J21本人・調書3頁)。
長崎原爆投下の瞬間は,突然,閃光が走り,大きな音がした。原告J
21のいた建物は崩れ落ち,原告J21は,がれきの下敷きになって意
識を失った。その後,原告J21は,同僚に声を掛けられて意識を取り
戻し,がれきの中からはい出してJ107近くの線路を渡って向かいの
山に避難した。原告J21のいた建物は全て崩れ,柱もひどく折れ曲が
っていた(甲Dラ1・1頁,原告J21本人・調書4頁)。
原告J21が山に逃げる途中,周囲には真っ黒に焦げ,男女の区別も
つかなくなったような負傷者が数多くいた。同様に,真っ黒に焦げ男女
の区別もつかなくなったような死体も数多くあった。原告J21は,7
歳くらいの女児から,家がつぶれてしまい,中にいる母を救い出してほ
しいと言われたが,女児の母を救い出すことはできなかった(甲Dラ
1・1頁,2頁,原告J21本人・調書5頁)。
原告J21の避難した山は,負傷者であふれていた。原告J21の頭
は,大量のガラスの破片が突き刺さっており,出血していた。また,原
告J21の足は,切り傷ができていた(甲Dラ1・2頁,原告J21本
人・調書16頁)。
(ウ)原告J21は,長崎原爆の投下当日の夜まで避難した山にいたが,
その後,線路伝いに道ノ尾駅まで歩いて行き,道ノ尾駅から負傷者で
一杯になった汽車に乗って相浦駅まで行った。その後,原告J21は,
迎えに来た船に乗って長崎の五島の実家に向かい,昭和20年8月1
4日までには,実家に着いた(甲Dラ1・2頁,原告J21本人・調
書16頁)。
イ被爆後の健康状況等
(ア)原告J21は,実家に着いた後,数日経つと頭髪が抜け出し,最
終的には頭髪の3分の2が抜けた(甲Dラ1・2頁,原告J21本人・
調書8頁)。また,原告J21は,2週間ないし4週間にわたって,
血便,嘔吐,発熱等の症状に苦しんだ(甲Dラ1・2頁)。原告J2
1は,頭髪の大半が抜けたため,周辺の住民から原爆症であると気づ
かれないように日中は家の地下で過ごし,外出するときは頭巾を被っ
て頭部を隠した(原告J21本人・調書10頁)。頭部に突き刺さっ
た大量のガラスの破片が取り除かれるには半年以上を要し,ガラスの
破片は,被爆から20年以上経過した後にも頭部から出てきたことが
あった(甲Dラ1・2頁)。
(イ)原告J21と同じ場所で被爆して一緒に五島に帰った二人の同僚
も,原告J21と同様に頭髪の大半が抜け,血便や嘔吐などの症状が
出た(甲Dラ1・3頁)。
(ウ)原告J21は,風邪を引きやすくなり,一度風邪を引くと完治す
るのに一,二箇月はかかった(原告J21本人・調書10頁)。また,
胃腸が弱い,貧血を起こしやすいなどの体調不良も続いた(甲Dラ1・
3頁)。原告J21は,18歳の時から10年ほど銀行で勤務したが,
風邪を引きやすく,熱が出て欠勤することが多く,支店長に配慮して
もらうことが多かった(原告J21本人・調書11頁)。
(エ)原告J21は,30歳前後であった昭和33年ないし昭和34年
頃,高血圧及び脂質異常症と診断され,以後,高血圧の薬を服用して
いる(甲Dラ1・3頁,原告J21本人・調書20頁)。原告J21
は,夫と婚姻した時,被爆者であることについては,体が弱いとか,
生まれてくる子にも影響があるなどと思われることを懸念して話すこ
とができなかったが,妊娠した時,被爆者であることを告白し,結局,
子を産むことはできなかった(原告J21本人・調書13頁)。
(オ)原告J21は,40歳代の時,子宮筋腫と診断され,平成16年
頃,子宮筋腫の摘出手術を行った。原告J21は,胆のう炎にも罹患
していたため,胆のうも摘出した(甲Dラ1・3頁)。
(カ)原告J21は,平成17年,皮膚がんと診断され,原爆症認定を
受けた(甲Dラ1・3頁)。なお,この原爆症認定は,平成26年6
月20日,要医療性が失われたとして,同月から特別手当に切替えと
なった(甲Dラ6)。
(キ)原告J21は,狭心症については,平成22年2月に胸痛を訴え,
J227医院を受診し,冠動脈造影検査で狭窄病変が確認されたため,
同年3月30日に冠動脈ステント留置術を受けた。また,その後も狭
窄が進行したことから,原告J21は,平成25年2月19日,冠動
脈ステント留置術を受けた(甲Dラ2・2頁)。原告J21は,現在,
主治医の指示による内服治療を継続している(甲Dラ2・4頁)。
ウJ152の意見
J152は,①爆心地から約1.3kmの地点での被爆であり,近
距離被爆ということができ,相当な放射線量である,②被爆後,脱毛
が始まって血便や発熱があり,典型的な急性症状を示している,③皮
膚がんにもかかり,皮膚がんでは原爆症認定を受けていたようであるが,
この既往態様からみれば,明らかな放射線被曝であり,かなり高線量の
被曝をしていることは間違いないとしている(証人J152・調書19
頁,20頁)。
(2)事実認定の補足説明
ア血尿を発症した事実の有無について
(ア)原告J21は,原告J21が被爆後血尿を発症した旨主張する。
(イ)この点,原告J21は,本人尋問において,長崎の五島の実家に
戻ってすぐ血尿があったとしている(原告J21本人・調書7頁,8
頁)。
(ウ)しかしながら,原告J21が血尿を発症したことについては,平
成23年6月23日付け認定申請書添付の申述書(乙Dラ1・39頁),
平成24年4月3日付け異議申立書(乙Dラ6・2頁,3頁),陳述
書(甲Dラ1・2頁)のいずれにも記載がなかったものであって,そ
の変遷に合理的な理由もない。
(エ)以上の証拠関係の下では,原告J21が被爆後血尿を発症した事
実は認められない。
イ狭心症発症の時期について
(ア)原告J21は,原告J21が40歳ないし50歳の時に狭心症と診
断された旨主張する。
(イ)確かに,陳述書では,原告J21が50歳になってから狭心症と診
断されたとしており(甲Dラ1・3頁),原告J21は,本人尋問におい
て,40歳の頃,狭心症と言われたとしている(原告J21本人・調書
22頁)。また,原告J21がニトログリセリンを携行し,心臓が痛むと
きにこれを服用している事実も認められる(甲Dラ1・3頁,原告J2
1本人・調書22頁)。そうであるとすれば,原告J21が,40歳ない
し50歳になってから,狭心症と診断されたことがあったことは否定す
ることができない。
(ウ)しかしながら,原告J21は,その後も心臓肥大症との診断を受け
(乙Dラ3・37頁,原告J21本人・調書22頁,23頁),平成16
年8月5日には,J227病院医師のJ228から狭心症であることを
否定されているものである(乙Dラ3・37頁)。
(エ)以上の証拠関係の下では,少なくとも,原告J21が平成22年2
月以前に狭心症を発症していた事実は認められない。
(3)原告J21の放射線被曝の程度
ア初期放射線
原告J21は爆心地から約1.4kmの地点で被爆しており,DS02
による初期放射線の線量は1.5グレイ弱程度のものである(乙B8の1・
201頁,乙B138)。
ただし,DS02による初期放射線の被曝線量には一定の誤差があり,
過小になっている可能性があることは考慮すべきである。
イ放射性降下物
原告J21は,被爆後,被爆地点の近くの山に避難し,そこにとどま
っているところ,同所付近が放射性降下物に汚染されていた可能性があ
る。この点,放射性降下物は,長崎においては,一般に,土壌のプルト
ニウム調査の結果から,爆心地の真東から北に15度,南に10度の扇
形の方向に広がったと考えられてはいるが(乙Dタ4・37頁,乙Dタ
5・4頁,5頁),地形の影響等により上記以外の場所にも広がった可
能性があることは前記第1の3(3)で検討したとおりであり,爆心地から
北方向の(乙D全3)原告J21の被爆地点の近くの山付近にも飛散し
た可能性も十分にあるというべきである。
また,原告J21は,近くの山に避難する途中,真っ黒に焦げた多数
の負傷者と接触し,多数の死体にも遭遇している。さらに,原告J21
は多数の負傷者と汽車に乗り合わせている。接触した負傷者や遭遇した
死体は,放射性降下物に汚染されていたと考えられる。
ウ誘導放射線
原告J21の上記のような被爆状況等からすると,原告J21が誘導
放射化された物質や放射性粉塵による誘導放射線に被曝した可能性は高
いものと認められる。原告J21が接触した負傷者や遭遇した死体は,
誘導放射化された物質や放射性粉塵に汚染されたり,誘導放射化された
りしていたと考えられる。
エ内部被曝
原告J21の上記のような被爆状況等からすると,原告J21は,放
射性降下物や誘導放射化された物質,放射性粉塵を吸引したり,体中の
負傷部位からこれらが侵入したりした可能性がある。原告J21の体内
にはガラスの破片が残り,その大半が取り除かれるには半年を要し,被
爆から20年以上が経過した後にも,頭部からガラスの破片が出てきて
いるところ,同破片は誘導放射化していた可能性がある。
オ急性症状等
原告J21が血尿を発症した事実は認められない。しかしながら,放
射線被曝を裏付けるものとして,原告J21は,被爆後から脱毛,血便,
嘔吐,発熱など複数の急性症状を発症している。その後も,原告J21
は,風邪を引きやすい,胃腸が弱い,貧血を起こしやすいなどの状態が
続いている。また,原告J21は,皮膚がんにも罹患し,後記で検討す
るとおり,高血圧や脂質異常症とも診断されている。
カその他
原告J21は,皮膚がんについては,原爆症認定を受けている。
また,原告J21と同じ場所で被爆した二人の同僚は,原告J21と
同様,頭髪が抜ける等の症状が出ている。
キ小括
以上の事実を総合すれば,原告J21は健康に影響を及ぼすような相
当量の被曝をしたものと認められる。
(4)申請疾病の放射線起因性
原告J21の申請疾病は狭心症である。狭心症は積極認定対象疾病に該当
しないが,前記第2の3(4)で検討したとおり,一般的に放射線被曝との関連
性が認められる疾病である。なお,原告J21は,冠動脈造影検査で狭窄病
変が確認されたため,平成22年3月30日に冠動脈ステント留置術を受
けたものであって,心筋壊死までは認められないとしても,その病態とし
ては必ずしも軽いものとはいえなかったものと認められる。
(5)他原因の検討
ア被告は,原告J21には虚血性心疾患の重大な危険因子である加齢,
高血圧及び脂質異常症が存在している旨主張する。
イこの点,虚血性心疾患の危険因子として加齢を考慮するのは女性では
55歳とされるところ,原告J21が狭心症と診断されたのは,被爆の
六十四,五年後であって,79歳頃の時である。
原告J21は,昭和33年ないし昭和34年頃に高血圧と診断されて
いるところ,ふだんから塩分が多く,加工食品が多い食生活であった(乙
Dラ3・2144頁,2237頁,2271頁,2291頁)。原告J
21は,同じ頃,脂質異常症にもなっている。
なお,原告J21には,糖尿病(乙Dラ3・768頁),発作性心房
細動等(乙Dラ1・40頁)の虚血性心疾患の危険因子を重畳的に有し
ていたことが認められる。
ウしかしながら,前記1(4)のとおり,他の疾病要因と共同関係があった
としても,原爆の放射線によって当該疾病の発症が促進されたと認められ
る場合には,放射線の影響がなくとも当該疾病が発症していたといえるよ
うな特段の事情がなければ,放射線起因性が否定されることはなく,放射
線起因性を肯定するのが相当である。
これを原告J21についてみると,前記(3)のとおり,原告J21は,健
康に影響を及ぼすような相当量の被曝をしたと認められ,また,前記(4)
のとおり,原告J21の申請疾病である狭心症は,一般的に放射線被曝と
の関連性が認められる疾病であり,さらに,前記第2の3(4)のとおり,
狭心症については,そもそも交絡因子の影響が極めて小さいものである
ところ,原告J21の上記イの事情のうち,加齢については,上記特段
の事情とまでは認められず,原爆の放射線によって狭心症の発症が促進
されたものと認めるのが相当である。
また,高血圧及び脂質異常症,更に糖尿病や発作性心房細動等につい
ては,そもそもこれらの症状が放射線被曝との関連性が認められるもの
であって,これらの症状があることをもって原告J21の狭心症の放射
線起因性を否定することはできないというべきである。
(6)原告J21の狭心症の放射線起因性
以上によれば,原告J21の狭心症の放射線起因性を認めることができ
るというべきである。
(7)申請疾病の要医療性
原告J21は,平成22年3月30日に冠動脈ステント留置術を受けた
後も狭窄が進行し,平成25年2月19日,冠動脈ステント留置術を受け,
現在,主治医の指示による内服治療を継続しているものであり,申請疾病
について要医療性が認められる。
(8)総括
以上のとおり,原告J21は,処分当時,原爆症認定申請に係る狭心症に
ついて放射線起因性及び要医療性の要件を満たしていたものと認められる
から,原告J21に係る原爆症認定申請却下処分は違法であり,取り消され
るべきである。
第4章結論
以上によれば,処分行政庁が別紙2主文関係目録「却下処分日」欄記載の日付
で同目録「申請者」欄記載の者に対してした原爆症認定申請を却下する旨の処分
及び処分行政庁が平成22年3月19日付けで原告J1に対してした原爆症認定
申請を却下する旨の処分(ただし,申請疾病を胃切除後障害としてのダンピング
症候群とするものに限る。)の取消しを求める部分は理由があるから,これらを
認容し,原告J1のその余の請求は理由がないから,これを棄却することとし,
主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官増田稔
裁判官齊藤充洋
裁判官佐野義孝
別紙2
主文関係目録
原告申請者却下処分日
原告J2原告J2平成22年8月26日
原告J3原告J3平成22年10月25日
原告J4原告J4平成22年11月26日
原告J5原告J5平成22年5月27日
(亡J6訴訟承継人)原告
J7
原告J8
原告J9
J6平成22年10月25日
(亡J10訴訟承継人)原
告J11
J10平成23年7月29日
原告J12原告J12平成22年4月27日
原告J13原告J13平成22年6月24日
原告J14原告J14平成22年1月28日
原告J15原告J15平成22年5月27日
原告J16原告J16平成22年3月19日
原告J17原告J17平成22年2月23日
原告J18原告J18平成23年8月26日
原告J19原告J19平成22年1月28日
原告J20原告J20平成24年7月27日
原告J21原告J21平成24年1月27日

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