弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人は無罪。
理由
第1訴因変更後の公訴事実(以下「本件公訴事実」という。

本件公訴事実の要旨は,被告人が,平成25年3月25日午前8時頃から同
日午前10時31分頃までの間に,実子であるA(以下「被害児」という。
)の
頭部に強い衝撃を与える何らかの暴行を加え,同人を死亡させたというもので
ある。
第2争点及び争点に関する当事者の主張
1証人B医師の公判供述及び被害児の死因・遺体の状況等についての検察官作
成の報告書によれば,被害児の死因は,外傷性急性くも膜下出血・脳腫脹(以
下,これらを「本件脳損傷」という。
)である。そして,何らかの外力が加わっ
て本件脳損傷が生じたことについては当事者間に争いがない。
2検察官は,被告人が被害児と二人きりになった平成25年3月25日午前8
時頃以降に被害児に暴行を加えたと主張し,これに対して,弁護人は,その時
点で既に脳に外傷行為を受けていた可能性があるとして,被告人は無罪である
と主張する。
したがって,本件の争点は,平成25年3月25日午前8時頃より前に既に
被害児が死に至るような受傷をしていた可能性がないと認められるかどうかで
ある。
なお,以下にかかげる事実は,特記しない限り,平成25年のものである。
第3受傷時期に関して
1(1)B医師の公判供述や鑑定書等によれば,
亜急性死に該当する所見がみられ
ることや脳の損傷の程度,脳などの各検査の結果などからすると,法医学的
観点からは,本件脳損傷の受傷から死亡(医師による死亡確認は3月25日
午後8時32分頃)までの期間は大まかに半日程度と推定され,少なくとも
1日は超えていないと考えられる。そうすると,被害児が受傷した可能性の
ある時間帯としては,3月24日の夜から被告人が119番通報をした同月
25日午前10時31分までの間が考えられる。これは,B医師と同じ法医
学を専門とする医師である証人C医師の公判供述にも符合している。
(2)B医師は,
さらに,
3月25日午前10時36分頃の救急隊の現場到着時
に被害児が心肺停止状態にまで至っていたこと(以下,被害児が心肺停止状
態に至っていた救急隊の現場到着時について,
「午前10時半」とする。
)に
ついて,その時点で人工呼吸器(レスピレーター)を装着されていたとする
と,その時点で脳の血流が途絶えていた可能性が高く,脳の中の出血部の炎
症反応は少なくとも6時間から8時間前に起こっていないといけないことに
鑑みると,受傷した時期は午前10時半を起点にして6時間から8時間より
前に遡る必要があり,3月24日の夜間から翌25日未明にかけてであると
考えるのが符合すると述べる。これに対し,C医師は,被害児が一時は心肺
停止に至ったとはいえ,その後心拍を再開していることに鑑みると,3月2
5日午前10時半を起点として遡って考えるべきとまでは言い難く,被害児
が3月25日午前8時頃以降に受傷したということが法医学的に排斥される
わけではないと述べる。確かに,B医師も,被害児が脳死に近い状態であっ
たとすればなどの留保をつけている上,その後の心拍再開の事実を考慮した
場合の見解は不明であることからすると,3月25日午前8時頃以降に受傷
した可能性を否定することまではできない。
しかしながら,C医師が当初の心肺停止以後は死亡に近い状態であったと
考えられ,炎症細胞の浸潤やエリスロポエチンの変化があるとしても微弱で
あった可能性があると述べていることや,B医師において前記見解のほかに
も受傷から二,三時間後といった急速に症状が出てきたとは考え難いと述べ
ていることに鑑みると,3月25日午前8時頃以降に受傷したと考えること
について疑問が残ることは指摘せざるを得ない。
2(1)被害児は,救急搬送された先の病院で,3月25日午前11時27分頃,
頭部CT及び体幹CTが実施され,頭部CTではびまん性脳浮腫・外傷性く
も膜下出血及び脳挫傷が確認された(以下,このとき撮影された頭部CTの
画像を「本件CT画像」と呼ぶことがある。

。本件CT画像では脳の構造物
が判別できず,いわゆる低吸収域が全体に広がっている状態になっている。
(2)脳が受傷した後,
本件CT画像のように全体に低吸収域が広がるほどの脳
腫脹(脳浮腫)が生じるには,通常受傷から6時間以上経過していると考え
られるとする点については,脳神経外科の専門医である証人D医師及び証人
E医師が一致して供述するところであり,救急搬送された病院で被害児の治
療に当たった医師も,脳の浮腫の程度より,脳の外傷は心肺停止に至る数時
間以上前から生じていたと推定した旨をカルテに記載している。このことか
らすると,3月25日午前8時頃より前の同日未明頃には既に本件脳損傷が
生じていたのではないかと疑われる。
なお,D医師,E医師ともに,受傷後二,三時間で本件CT画像のような
脳損傷が生じる可能性もある旨供述する。しかし,E医師は,そのような事
例は激しい頭部外傷があったり,首絞めがあったりなどの即死に近いような
場合であり,本件はそのような場合には当てはまらないと述べる。D医師は
受傷から4時間後に本件CT画像のような状態になった事例を経験したこと
があるし,受傷後5時間以内に同様の状態になった症例が報告されている論
文がある旨述べるが,D医師の経験した事例がどのような事例であったのか
不明である上,言及する論文も自動車事故や転落などの症例についてのもの
である。
そうすると,本件CT画像からして検察官の主張する3月25日午前8時
頃以降の暴行の可能性はあり得ないとまではいえないかもしれないが,相当
程度その整合性に疑問を持たざるをえない。
3以上検討したとおり,被害児が受傷した時間帯が,本件公訴事実記載の3月
25日午前8時頃以降であると医学的には断定できず,かえって,その時間帯
より以前に受傷していたと考える方がより整合的ではないかと考えられる。し
かし,3月25日午前8時頃以降の暴行によって本件脳損傷が生じたと認めら
れる余地がないとはいえないため,次に,被害児の死亡前日の様子や被告人以
外の者の暴行による受傷の可能性などについて検討する。
第4被害児の死亡前日の様子について
1被害児の実母であるFは,3月24日の午後9時頃に被害児を寝室で寝かし
つけた,その後,被害児が夜泣きをした際にその首元や服が濡れていたので嘔
吐しているのが分かり,被告人とFが被害児の服を着替えさせてミルクを飲ま
せたことが2回あった,嘔吐の量が普段とは違ったので,病院に連れて行かな
くて大丈夫かなと心配になったが,朝まで様子をみることにした,3月25日
朝になって被害児が泣いたので,
被告人が被害児を連れて寝室を出たと述べる。
この限りでは,
被告人の供述や被告人方の状況についての報告書とも符合する。
2(1)被害児の嘔吐について,
Fは被害児を病院に連れて行かなくても大丈夫か
なと思ったのはこのときが初めてである旨述べていることにも鑑みると,嘔
吐の態様の如何はさておき,その量だけからみても,被害児にはこの時点で
何らかの異変が生じていたのではないかとの疑問が生じる。
(2)とりわけ,
各医師が公判廷で述べたように,
嘔吐は脳に関する異常を示す
重要な所見である。もちろん,乳児が嘔吐したことが必ずしも脳の異常を示
すものではないが,前記のとおり嘔吐の量が通常とは異なる上,本件では本
件脳損傷が実際にあったのであるから,被害児が嘔吐をしていた時点で既に
本件脳損傷に至るような受傷があったのではないかと疑われる。
3被害児は,
嘔吐した以降も,
泣いたりミルクを飲んだりしているが,
B医師,
C医師及びE医師が述べるように,乳児の頭部外傷は症状が出るのが遅く,頭
蓋骨が癒合していないため脳が腫れたとしても緩衝力があり,症状に波がある
ことから,脳が受傷していたとしても,泣いたりミルクを飲んだりすることは
あり得ることからすると,泣いたりミルクを飲んだりしていたことが,その時
点で既に受傷していた可能性を排斥するものではない。
この点について,検察官は,3月25日朝(午前8時頃)に被害児がいつも
どおり泣いたことをもって,被害児が嘔吐した時点で本件脳損傷を受傷してい
たとしたら3月25日朝にはそのような泣き方はしないはずであると主張する。
しかし,検察官が論拠とするE医師の供述は,泣くことができないことも考え
られるし,悲鳴や断末魔的に最後の力を振り絞って泣いたということもあり得
る,とするものであり,
「悲鳴や断末魔的に」という意味が,通常と異なる激し
いなどの特徴のある泣き方であるという趣旨であったとは考えられないし,結
局泣いたことが受傷していた可能性を排斥するものではない。
4以上検討したとおり,被害児が夜中に嘔吐していたという点に照らすと,そ
の時点で既に本件脳損傷に至る受傷をしていた可能性が排斥できないというべ
きである。それにもかかわらず,3月25日午前8時頃までの間に被告人以外
の者によって暴行が加えられて被害児が受傷した可能性が排除されるのかにつ
いてさらに検討する。
第5被告人以外の者の暴行による受傷の可能性
1前記のとおり,被害児には何らかの外力が加わって本件脳損傷が生じたと推
認され,B医師及びC医師の各公判供述などによれば,頭部への複数回の打撲
ないし圧迫やゆさぶりなどの故意の暴行があったと考えられる。もっとも,そ
れらがすべて同一機会に加えられたものなのか,その先後関係などは明らかで
はない。
2Fの公判供述によれば,前記のとおり,3月24日午後9時頃にFは被害児
を寝室で寝かしつけてそのまま自身も就寝しており,このときには被告人はリ
ビングにいたのであって,この供述は被告人の公判供述とも一致する。したが
って,あくまでも可能性の問題ではあるが,3月24日夜から翌25日朝にか
けての間に,被害児と二人きりで寝室にいた時間があるFにも前記1のような
暴行を加える機会があったといえる。さらに,想定される被害児への暴行の一
つであるゆさぶりが行われた時期については,その所見の根拠となる眼底出血
からは,二,三日以内という程度にしか限定できないので,被告人が夜勤で家
を空けていた3月23日夜以降に受傷したと考えても整合しており,これにつ
いても,あくまでも可能性の問題ではあるが,被害児と二人きりでいたFにも
このゆさぶりを行う機会があったといえる。
3この点について,Fは,前記2の各場面で,被害児に暴行を加えていない旨
供述する。
しかし,
①2月から3月にかけての被害児への暴行の有無について,
Fは被告人や父親に対して被害児を叩いたなどのメールを多数送っているにも
かかわらず,そのほとんど大部分について,不安な気持ちを相手に伝えたかっ
たのであえて虚偽の内容を送ったと述べているところ,その内容は,客観的な
証拠である電話の発着信の履歴に反しているし,前後のメールのやり取りに照
らして不自然なものであって,この点に関するFの供述は信用できない。②ま
た,3月24日,25日の状況についても,Fには暴行の契機となるような精
神的不安があったことをうかがわせるメールの履歴や被告人とけんかをしたと
いう状況があった上,本音を言えば,自分のやった行為が積み重なって死亡し
たのではないかと思ったが,被害児の死因が外傷性急性くも膜下出血であると
知って,急性ということであれば私のせいではないと思ったと述べていること
からしても,F自身,何かしら本件脳損傷の原因となるような行為に心当たり
があることがうかがわれる。
以上からすると,F供述に基づいて,3月25日午前8時頃以前の被告人以
外の者による暴行の可能性を排除することはできない。
第6小括
1以上検討したとおり,被告人にのみ犯行可能性のある本件公訴事実記載の時
間帯以前の時点で,既に本件脳損傷が生じ,それが進行して死に至った可能性
はないと認めることはできない。
2なお,被害児に3月25日午前8時頃の時点で既に本件脳損傷に至るような
受傷があったとしても,その後被告人が,公訴事実の日時・場所で被害児に暴
行を加えたことが認められれば暴行罪や傷害罪が成立し,これによって被害児
の死期を早めるなどしたのであれば,傷害致死罪が成立するので,念のため付
言しておく。この点について,被告人の暴行に関する目撃証言などはなく,被
害児の解剖結果に関するB医師及びC医師の各公判供述によっても,3月25
日午前8時頃以降に暴行があったことをうかがわせる所見はなく,被告人が暴
行を加えたと考えなければ説明のつかない(あるいは,困難な)事実は見当た
らない。
3また,被告人は,3月25日午前10時過ぎ頃に被害児を誤って落下させた
と述べているところ,この供述が虚偽であると断定する医学的な所見は見当た
らず,当初,Fや救急隊,搬送先の医師などにこの事実を話していなかったな
どの事情があるからといって,この供述が虚偽であると断定することはできな
い。また,仮にこの供述が虚偽であったとしても,被告人の故意の暴行があっ
たと認められないことは前記のとおりである。
第7結論
以上の次第で,
本件公訴事実については,
犯罪の証明がないことになるから,
刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
(検察官青木裕史,同佐藤かよ各出席。求刑-懲役8年)
平成28年2月26日
大阪地方裁判所第6刑事部
裁判長裁判官田村政喜
裁判官田中伸一
裁判官池内雅美

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