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裁判例


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○ 主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
○ 事実
一 当事者の求めた裁判
1 控訴の趣旨
(一) 原判決を取り消す。
(二) 被控訴人が控訴人の昭和四七年三月一五日付在学期間延長申請に対してな
した同月三〇日付不許可処分を取り消す。(第一次請求)
(三) 右不許可処分は無効であることを確認する。(第二次請求)
(四) 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
2 控訴の趣旨に対する答弁
主文同旨。
二 当事者の主張
1 控訴人の本案前の主張
(一) Aら六名は、原審判決言渡期日において、判決の言渡に先立ち、書面によ
り、本件に対する共同参加の申立と同時に関与裁判官全員に対して忌避を申し立て
た。そして、控訴人も右申立と相前後して、口頭により同様に忌避を申し立てた。
(二) しかるに、原裁判所は、右各忌避の申立をいずれも無視して判決の言渡を
了したが、忌避の申立があれば、訴訟手続は停止されなければならないのであるか
ら、右判決の言渡は民訴法四二条に反した違法なものであり、原判決は取消を免れ
ない。
2 控訴人の請求原因
(一) 控訴人は、昭和三五年四月徳島大学医学部医学科に入学し、同四一年三月
同学科を卒業、同四二年四月同大学院医学研究科博士課程に入学し、同四六年三月
三一日に、同四七年三月三一日までの同課程在学期間の延長を許可された。
(二) 控訴人は、同四七年三月一五日付で更に同四八年三月三一日までの在学期
間の延長の許可申請(以下「本件申請」という。)を被控訴人にしたところ、被控
訴人は同四七年三月三〇日付で、右延長を許可しない旨の処分(以下「本件処分」
という。)をなした。
(三) しかしながら、本件処分には次のとおり瑕疵があり、この各瑕疵は、本件
処分の取消事由に当たり、また、重大、かつ、明白で無効事由にも当たるものであ
る。
1 ア 徳島大学大学院学則(以下「大学院学則」という。)二〇条二項によれ
ば、同大学院医学研究科については「博士課程の最短在学年限は四年とする。ただ
し、特別の事情がある場合は、更に四年を限り在学を許可することがある。」旨規
定されている。
イ 右の趣旨は、徳島大学大学院生(以下「院生」という。)の最短在学年限は四
年であるが、必要な単位修得や博士論文を作成しての最終試験に合格しない場合に
は、在学年限は自動的に更新され、院生は更に四年間その身分を保有できることを
定めていると解される。
ウ 右のような解釈は、大学院は、学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥を
究め、もつて、文化の進展に寄与する有為な人材を養成することを目的とするもの
であるところ(学校教育法六五条)、徳島大学においてすら、その学則(以下「大
学学則」という。)二八条で、大学学部につき「在学八年(医学部医学科学生は一
二年)に及んでも、なお、所定の試験に合格しない者に対しては、学長は、これを
除籍する。」旨を規定し、大学生は八年もの身分を保障されているのであり、前記
のような目的を達成するために、院生の自主的な研究活動が保障されなければなら
ない大学院においては、大学との比較においてしごく当然に最短在学年限四年を超
えて、更に四年間の身分を保障されるべきものであること、右に加えて、全国のそ
の他多数の大学院において、その院生は最低六年の在学を保障されていること、大
学院学則二〇条二項の在学年限につき最短と規定されていること、大学学則に大学
生に対する除籍の定めがあるのに、大学院学則は同様の規定がないことからして、
当然支持されるべきである。
エ そして更に、右のような見地に立てば大学院学則二〇条二項にいう「特別の事
情」とは、研究活動を継続するために院生が在学期間延長の申請さえすれば、それ
で足りるというべきである。
オ したがつて、同項のいう「許可」とは講学上の許可もしくは認可とは異なり、
自動的に継続されている院生の身分を確認する手続行為にほかならず、同項にいう
「不許可」とは自動的な更新に対する拒絶処分であり、大学院学則には大学学則に
定める懲戒や退学を命じる規定がないことに鑑みると、右拒絶処分は院生に懲戒処
分としての退学ないし疾病による退学にも比肩すべき事由のある場合にのみなしう
るところの剥権処分と解すべきである。そして、控訴人には右のような事由は一切
なかつた。
(2) 本件処分は本件申請の手続経過をつぶさに検討すれば、控訴人が本件申請
をするに際し、当時徳島大学における闘争(以下「徳大闘争」という。)により停
職処分をうけていたBを保証人に立てたこと、その後当局の意向に反して保証人を
替えなかつたことを最大の理由としていることが明白である。
しかし、このような理由は前記のとおり大学院博士課程の設置目的に全く反するも
のである。
(3) 本件処分は昭和四四年ころより続いた一連の徳大闘争を嫌悪した被控訴人
が、徳大闘争の結果六か月の停職処分を受けたBを守る会の一員として活動してい
た控訴人に対し、その報復としてなしたものであるから、思想信条に基づく差別と
して憲法一四条に違反している。
(4) 本件処分は実質的には博士論文を作成するなど学問中であつた控訴人に対
する退学処分であつて、控訴人の能力に応じた教育を受ける権利及び学問の自由を
侵害するものであるところ、大学院は学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥
を究めて、文化の発展に寄与することを目的とするものであるから、在学期間の延
長の許否はかかる教育目的から決定されるべきであつて、本件処分は控訴人の右権
利を無視し、かつ、教育目的を逸脱してなされた権利濫用にわたるものといわなけ
ればならない。
(四) よつて、控訴人は被控訴人に対し、第一次的に本件処分の取消を求め、第
二次的に本件処分が無効であることの確認を求める。
3 控訴人の本案前の主張及び請求原因に対する被控訴人の認否及び主張
(一) 控訴人及びAらが原審判決言渡期日において原審関与裁判官に対し民訴法
所定の手続により、忌避の申立をなした事実はない。
(二) 請求原因(一)及び(二)の事実は認める。同(三)のうち(1)アの事
実は認め、その余の大学院学則二〇条二項の解釈に関する控訴人の主張は争う。同
(三)の(2)は否認する。
本件処分理由は控訴人主張のように控訴人が本件申請につきBを保証人にしたこと
に関するものではなく、後述のとおり控訴人に成業の見込みがなかつたことを直接
の理由とするものである。被控訴人の主張は次のとおりである。
(1) 大学院学則二〇条二項の趣旨について
ア 同条項は徳島大学大学院医学研究科博士課程の最短在学年限は四年であて、同
課程の院生は右四年が経過すれば、特に同条項所定の在学期間延長の許可がない限
り、当然に院生としての身分を喪失することを規定したものと解すべきである。そ
の理由は同条項の素直な文理解釈の他に次のような根拠を有する。
イ 同条項にいう在学年限は学校教育法五五条にいう修業年限に該当するところ、
大学院の修業年限については大学のそれと同様、国の法令で規定される事項である
ものの、大学院に関しては大学についての学校教育法五五条(医学及び歯学の部に
おいて医学又は歯学を履修する課程についてはその修業年限は六年以上)のような
規定が同法上に直接規定されていない。しかし、大学院は博士その他の学位を授与
する機関であり(同法六八条)、それらの学位を授与する要件としての在学年数に
関する「学位規則」(昭和二八年文部省令第九号)の定めとの関連上、その修業年
限は博士課程にあつては五年以上(医学又は歯学の研究科にあつては四年以上)と
されているのである。そして、右年限のうち、「六年」、「四年」が最低修業年限
ということになるのであるが、これが大学院学則二〇条二項にいう最短在学年限と
同意語であり、大学生ないし大学院生が、所定の教育課程に基づいて、通常の勉学
をするならば右六年ないし四年で当該大学を卒業しあるいは大学院を修了すること
ができるということ、すなわち、大学学生又は大学院生は少なくとも右年限は修業
し在学すべき期間を意味しているに過ぎず、右学生らが右各年限を超えて大学又は
大学院に在学しうることを定めたものではない。
ウ 右の作業年限については一律に国の法令で定められるところであるが、一方、
学生の在学関係等身分取扱いに関する事項(例えば学生の入・退学、進学の課程の
終了及び卒業等)を定めるについては、学校教育法及び関係法令で規定した範囲内
で大学に広い裁量権が与えられており、多くの大学ないし大学院では、教育的配慮
に基づき、最低修業年限としての期間を超えてもなお一定の年数の範囲内におい
て、大学生ないし大学院生が在学しうるようにその学則で定めている。そして、前
記修業年限を含めて大学生らが在学しうると定められた期間を在学期間あるいは在
学年限というのである。
エ 徳島大学では右裁量権に基づき大学院学則二〇条二項において大学院医学研究
科博士課程の最短年限(在学すべき期間)を四年とし、特別の事情があれば更に四
年の限度内で在学を許可することがあると定めて、同課程における在学期間を合計
八年までと規定しているのである。
右のような大学院学則の定めは大学学則一四条の定めよりも厳しいものであるが、
これは、大学院博士課程は大学よりも水準の高い「独創的研究によつて従来の学術
的水準に新しい知見を加え、文化の進展に寄与するとともに専攻分野に関し、研究
を指導する能力を養うことを目的とする。」ものであるから、一年毎に成業の有無
を含めて教育的配慮を加えるべき特別の事情の有無を点検することを定めているの
であつて、他の大学が右裁量権に基づいて在学年限をどのように定めているかには
関係なく、これが合理的であることはいうまでもない。したがつて、前記二〇条二
項の定めは徳島大学の有する裁量権の範囲内のものであることは明らかである。
オ なお、控訴人は大学院学則に、大学学則に定める除籍の規定がないことをもつ
て、その主張の根拠の一つとしているが、右除籍とは大学学則一四条に定める在学
期間(医学部医学科は一二年)一杯在学したが、所定の試験に合格しないため、当
然に学生の身分を喪失した者につき、学長が事務手続上そのことを明らかにする行
為に過ぎず、それにより、学生の身分を喪失させる効果を有する行為ではない。し
たがつて、大学院学則に除籍の規定がないことが控訴人の主張の根拠にはなりえな
い。
カ したがつて、右在学期間延長の許可とは、本来であれば院生としての身分を喪
失する者に対し、特別の事情があることを理由としてその身分を継続して保有させ
るところの講学上の特許に当たる行政処分であるから、被控訴人としては右最短在
学年限を超えて在学を希望する院生に対して当然にその許可を与えなければならな
いものではなく、右許可を申請する者につき懲戒処分としての退学に比肩すべき事
由がないとしても、なお、同条所定の「特別の事情」がないと認めれば右許可をし
ないことができるのである。
キ そして、「特別の事情」とは在学期間延長の制度が本来恩恵的なもので、最短
在学年限でやむをえず大学院を修了しえなかつた者にできる限り所定の課程を修了
させようとの教育的配慮に基づいて設けられたものであるから、最短在学年限の四
年で大学院医学研究科博士課程を修了しえなかつたことが当該院生の責に帰すべか
らざる事由に基づくものであり、かつ、今後一定期間内に成業の見込みのあるこ
と、が明らかであることを意味するというべきである。そして、右「成業」とは所
定の単位を修得し、博士論文を完成し、最終試験に合格するに止まらず、博士課程
における教育目的(前記大学院学則三条三項)に照らし、教育研究の指導者たるに
ふさわしい能力と研究態度を身につけることをも含むというべきである。
(2) 被控訴人は控訴人の本件申請に対し大学院医学研究科委員会の審議を経
て、控訴人においては前記特別の事情はないものと認め、本件処分をなしたもので
あるが、その間の事情は次のとおりである。
ア 控訴人は昭和四二年四月院生となつて以来、しばしば指導教官の指導に従わな
かつた。すなわち、控訴人は院生として指導教官の指導に従わなければならないの
に、入学当時指導教官であり主任教授であるC(以下「C教授」という。)の勧め
る研究テーマを拒否してその指導に従わず、同四四年七月一二日徳島大学医学部基
礎医学棟が封鎖されて以降は右封鎖が三週間で解除されて研究可能な状態に復した
にもかかわらず、同四六年三月末まで全く研究活動をなさず、同年四月に一年間の
在学延長を許可されるや、C教授からの、従来のテーマによる研究を完成せよとの
指導に従わず、勝手に研究テーマを変更し、かつ、同教授の再三の勧めにもかかわ
らず、大学院入学以降同四七年三月までの五年間に一度も学会発表をなさず、同年
四月末にようやく薬理学会において、右変更したテーマにつき、ごく一部の研究結
果を発表したにすぎない。そして、控訴人は取得すべき単位さえも残していた。
イ 控訴人は、昭和四六年四月一日から同四七年三月三一日までの在学期間延長に
際し、医学研究科委員長である教授D(以下「D教授」という。)及びC教授から
研究態度等につき厳重な注意を受けたにもかかわらずこれを守らなかつた。すなわ
ち、右延長申請は単位未修得を理由とするものであつたが、これは控訴人において
前記のとおり、同四四年七月から四六年三月まで故なく研究を放棄した結果である
から、本来は延長を認めるべき筋合ではなかつたものの、控訴人から従来の態度を
反省しており、今後一年間C教授の指導の下に研究に努め、未修得単位を修得する
旨の申し出があつたため、披控訴人は右延長を許可した。しかし、その際D教授及
びC教授は控訴人に対し特に延長が許可されたのであるから、C教授の指導に従つ
て研究に専念するよう厳重に注意した。しかるに、控訴人は出校状況も悪く、わず
かとはいえいまだ未修得単位を残し、博士論文は未着手のままになつていた。
ウ 前記Bが保証人として不適当であることが、本件処分理由になつていないこと
は前記のとおりであるが、右保証人に関する事実も成業の見込みがないことの事情
として考慮されるべきである。すなわち、Bは徳島大学において懲戒処分により停
職処分を受けていたものであり、このような人物が保証人として不適当であること
は多言を要しない。しかるに、控訴人はC教授が控訴人の研究、勉学の真の保証人
となり得る者を保証人として立てるように示唆し、現に控訴人の属する薬理学教室
の助教授E(以下「E助教授」という。)から保証人になろうという申し出さえ受
けながらこれを拒否し、しかも停職中のBを保証人に立てたものであり、このよう
な控訴人の態度は大学院において教官からの指導を受けつつ研究、勉学しようとす
る意思のないことを表明しているというべきである。
エ 控訴人は本件処分により院生の身分を喪失しもはや大学施設の利用ができなく
なつたにもかかわらず、その後も引き続いて大学構内に立ち入り、大学関係者の退
去通告を無視し、原判決別紙(一)ないし(四)記載のとおり各種の妨害行為を重
ね、もつて学内の教育的環境の維持を困難にした。
右は本件処分後のことであるが、本件処分の違法性判断の基準時は口頭弁論終結時
と解すべきであり、しからずとしても、本件処分の適法性、すなわち、成業の見込
みがなく前記特別の事情はないと判断したことの適法性を裏付ける事情として考慮
しうるものである。
4 被控訴人の主張に対する控訴人の反論
(一) 被控訴人の主張(二)(1)について
仮に、大学院学則二〇条二項所定の「特別の事情」を被控訴人の見解のとおり成業
の有無によつて判断すべきであるとしても、「成業の見込み」が教育研究の指導者
たるにふさわしい能力を身につけることを含むというのは、右成業の意味を余りに
も狭く解釈するもので不当である。なぜならば、大学院学則三条三項では「博士課
程は独創的研究によつて従来の学術水準に新しい知見を加え、文化の進展に寄与す
る。」とあるが、これは、学問や研究のあり方を問い、問題意識や批判精神をもつ
て主体的に研究活動を行う機会を提供することを前提にしているのであつて、大学
の教官になることを指すものではないからである。
(二) 同(二)(ア)について
控訴人が昭和四二年四月薬理学教室に入室した際C教授から与えられたテーマは
「放射能の生体に与える影響」というものであつたが、これはいかにも荒唐無稽で
同教室員の誰もが本気で手を付けず、C教授自身ですらこれを放置していたもので
ある。
控訴人は入室に際し自ら行動薬理(薬物による中枢神経系ないし行動に対する影
響)のテーマを選択し、C教授の承認の下に研究を続け、「行動異常催起薬として
のD―サイクロセリンの検討」と題するレポートの第一稿を昭和四四年二月、第二
稿を同四五年九月一八日、最終稿を同四六年夏すぎころそれぞれC教授に提出し、
その都度同教授の助言と指導を仰いだ。また、控訴人は右テーマの研究とは別に、
昭和四四年秋ころから同四七年四月まで同教室員のF助手らと共に抗炎剤の甲状腺
に対する影響に関する共同研究を行い、その結果について控訴人は同四七年四月二
九日第四五回日本薬理学会で発表し高い評価を得ている。右共同研究は主従の別な
く同教室員らが対等の立場で研究したもので、C教授においてもこれを承認し、実
験試薬や実験動物の購入、施設の使用についてその都度許可を与えている。そし
て、右共同研究を熱心に行つたことは徳島大学医学部の同位元素研究室の使用回数
が昭和四六年三月から同年一〇月までに合計七〇回に及んでいることからして明ら
かである。
加えて、控訴人は同四五年度に合計一二単位を取得しており、これが特に劣つてい
るということはない。
したがつて、控訴人が同四四年七月以降同四六年三月末まで全く研究活動をなさな
かつたという被控訴人の主張は全く事実に反するものである。むしろ、C教授は控
訴人が研究していた行動薬理に関し門外漢で、控訴人に対する指導能力は全くな
く、控訴人が提出し指導を求めたレポートについても、長期間ただ放置しているだ
けであつた。C教授の関心事は教室員がその研究成果を学会あるいは論文として発
表することのみであつて、控訴人に対してもこの点を指導しようとしただけであ
る。しかし、これこそが医局講座制の本質的な問題点であり、講座の頂点に立つ教
授は研究する人間よりも教室員が出した実験結果が大切なのであり、その上前をは
ねて自己の業績とするのである。このような教授の指導ないし講座制の本質こそ問
題にされなければならない。
(三) 同(二)(2)イについて
控訴人が被控訴人から昭和四六年三月第一回目の在学延長許可を受けた際D教授か
ら将来の研究等について具体的に注意、指導を受けたことはない。同教授は在学延
長後の研究方向について控訴人の意思を確認した程度にすぎない。当時、被控訴人
は在学期間延長を申請する院生の希望ないし意思をそのままに尊重する扱いであ
り、その際に格別の指導ないし条件を付してはいなかつた。
控訴人がその研究を放棄した事実がないことは前述のとおりであり、その研究活動
からすれば出校状況が悪いとの評価を受けるはずはない。ただ、博士論文について
は本件申請の際の理由の一つとして右論文の未完成を挙げているが、これは単なる
名目的なもので、控訴人は同教室に入室する時から本件申請まで一貫して「学位は
目的ではない。」と明言しているところであつて、博士論文完成を目的とはしてい
なかつた。しかし、これが前記「成業の見込み」の有無を左右するものでないこと
は、控訴人の従前の主張から多言を要しない。
(四) 同(二)(2)ウについて
本件処分の真相は徳島大学が大学闘争のいわゆる正常化過程において大学に対して
批判的な活動を行う者に対する報復の一環としてなされたものであり、Bを処分し
たのと軌を一にするものである。すなわち、Bの停職処分の理由について被控訴人
は種々掲げているが、「医学部付属病院中央病歴予定室の占拠に関与した行為」に
ついてはBが関与したと認定するのに無理があり、したがつて、「ハンガーストラ
イキと称する行為」等にかこつけてBをあえて停職処分に付した。しかし、右停職
処分については教授会でも意見が分かれ、賛成者二九人に対し反対者も八人を数え
るのである。控訴人がこのようなBを本件申請の保証人としたのは自己の学問研究
上の良心から大学のあり方を問い、大学の講座制に対する批判的な見解を表明した
ものであつて、まさにこれは大学院において学問に従事する者の学問の自由に関す
る事柄であつて、大学院における研究という奥深い作業に対し安易に消極的な評価
をすることはできず、これをもつて本件処分のわずかな理由ともされてはならない
ものである。
(五) 同(二)(2)エについて
本件処分後の泥沼状態は本件の不当処分がなければ存在しなかつたもので、その責
任は挙げて本件処分をなした被控訴人に有り、本件処分を正当化する理由にはなら
ない。
三 証拠関係(省略)
○ 理由
一 まず、控訴人の本案前の主張について判断する。
原本の存在と成立ともに争いのない乙第一一一号証の別紙1、弁論の全趣旨により
原本の存在と成立が認められる同号証の別紙2及び3、当審における控訴本人尋問
の結果(第一回)に弁論の全趣旨を総合すれば、原審判決言渡期日において、控訴
人及び控訴人の訴訟を支援しようとしていたAらは同期日における判決言渡を不服
として、裁判長が判決言渡を始め主文の朗読が終わる寸前、右Aにおいて何事か言
いながら裁判官席の前に歩み寄り共同参加と忌避の各申立を含むような内容の書面
(乙第一一一号証の別紙1はその写し)を右裁判官席の机上においたが、裁判長は
これに取り合わず朗読を続けたため、控訴人においても右Aの右行為と相前後して
裁判長に抗議しつつ手にしていたボールペンを裁判官目掛けて投げつけたこと、し
かし、裁判長は朗読を続け言渡を終えた後直ちに退廷し、右書面はそのまま右机上
に残されたことが認められ、右認定に反する右控訴人本人尋問の結果の一部及び甲
第三九号証の一は措信できない。右認定事実によれば、右Aの右書面提出行為はも
ち論、仮に右A及び控訴人において裁判長に歩み寄つたり抗議した際忌避を内容と
するような発言があつたとしても、これらはすべて単に判決の言渡を妨害するため
の行為にすぎず、訴訟行為としての忌避申立があつたとはとうてい認められるもの
ではない。それ故に原審第二〇回口頭弁論調書(判決言渡期日)にも控訴人及び右
Aら六名が原審裁判官を忌避する申立をなした旨の記載は一切なく、またこれをう
かがわせる記載もないのである。本主張は採用できない。
二 請求原因(一)、同(二)及び同(三)(1)アの事実については当事者間に
争いがない。
三 そこで、大学院学則二〇条二項の趣旨について判断する。
1 成立に争いのない乙第一ないし第六、第一七号証に学校教育法の修業年限及び
学位等に関する規定によれば、大学及び大学院における修業年限については法令上
所定の年限が定められており、大学医学部については六年以上、大学院医学研究科
博士課程については四年以上とされていること、そして、右修業年限とは修業すべ
き年限、すなわち、在学すべき年限の意味であり、右六年以上あるいは四年以上と
されているのもその範囲で当該学校の修業すべき年限が定められていれば足りると
の意味にすぎず、各大学及び大学院に対して修業すべき年限を定めるにあたつての
下限を六年あるいは四年と制限したものであること、したがつて、当該学校の学生
が六年以上あるいは四年以上修業ないし在学しうることを定めたものでないこと、
大学院学則二〇条二項の最短在学年限というのは修業年限としての六年以上あるい
は四年以上という場合の六年ないし四年を意味するものであること、一方、大学及
び大学院に在学して修業しうる上限としての最長在学年限については当該学校の裁
量により定めるとされていること、徳島大学大学院は右のような法令の要請により
大学院学則二〇条二項において博士課程の修業すべき年限につき医学研究科におい
ては四年と定め、その一方、最長在学年限について、特別の事情がある場合は、医
学研究科にあつては四年を限り在学を許可する、と定めていること、右のような大
学院学則の定めは大学学則の定め(大学学則一三条は医学部医学科の修業年限は六
年とし、同一四条において在学期間は修業年限の二倍を超えることができない、と
定めている。)よりも厳しいものであるが、徳島大学大学院においては法令により
認められた裁量権に基づき、大学院博士課程が大学よりも水準の高い「独創的研究
によつて従来の学術的水準に新しい知見を加え文化の進展に寄与するとともに、専
門分野に関し研究を指導する能力を養うことを目的とする(大学院学則三条三
項)。」ものであることに鑑み、一年毎に成業の有無を含めて教育的配慮を加える
べき特別の事情の有無を点検することにしていることがそれぞれ認められる。
2 以上によれば、大学院学則二〇条二項の趣旨は、医学研究科の院生は最短在学
年限の四年が経過すれば同条項の在学期間延長の許可がない限り当然に院生として
の身分を喪失するが、特別の事情があればその在学期間を延長し同課程修了の便宜
を図ることを定めているというべきで、したがつて、同条項にいう「許可」はこの
ような見地から右特別の事情があると判断される場合に与えられるものとして、自
由裁量に属する行為と解される。
3 控訴人は、大学院学則二〇条二項に定める在学年限が最短と表現されているこ
と、大学よりも研究活動が強く保障されるべき大学院においてその最長在学年限が
厳しく規制されるとするのは不当であること、大学においては除籍の規定があるの
に大学院においてはこれがないこと、他の国立大学院においてはその院生が在学し
うる年限はすべて六年ないし八年とされており均衡を失していることなどから、前
記「許可」は手続確認的なもので、その「不許可」は当然保有する院生の身分を奪
う剥権処分である旨主張する。
しかしながら、最短在学年限の意味については既に述べたとおりであり、また、徳
島大学がその有する裁量権に基づき、大学院学則の在学しうる年限を大学学則のそ
れよりも厳しくしたことも既に述べたとおりであるが、その根拠も合理的である。
確かに、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる甲第一一ないし第一五
号証によれば、東京大学大学院など他の国立大学院においてはその院生が在学しう
る期間を短かくても六年としていることが認められるが、しかし、これは各大学に
おける裁量権の行使の結果であつて、これが直ちに大学院学則二〇条二項の解釈に
影響を与えるものとは認め難い。
なお、控訴人は大学院学則に除籍の規定がないことを挙げるが、大学学則に定める
除籍は大学生が大学学則一四条に定める在学期間(医学部医学科は一二年)一杯在
学したが、所定の試験に合格しないため当然に学生の身分を喪失した際学長が事務
手続上そのことを明らかにする行為にすぎず、それにより、学生の身分を喪失させ
る効果を有する行為でない。したがつて、あたかも大学生は除籍によつて初めてそ
の身分を喪失するものとしたうえ、この規定のない院生はその最短在学年限を超え
てもその身分を喪失しないとするのは失当である。以上により控訴人の主張は採用
できない。
4 次に、大学院学則二〇条二項にいう「特別の事情」がどのようなものであるか
について検討すると、大学院設置の目的や同条項の前記趣旨に鑑みれば、特別の事
情とは、法令にいう修業すべき年限である最短在学年限の四年で徳島大学大学院医
学研究科博士課程を修了できなかつたことにつき合理的な理由があり、かつ、在学
期間を延長して修業することにより同課程修了の見込みがあることをいうものと解
される。そして、前記乙第二号証によれば、同課程の修了は専攻科目につき五〇単
位以上を修得し、かつ、学位論文を提出し、所定の最終試験に合格する必要があり
(大学院学則一〇条一項)、また、同課程は、前記大学院学則三条三項の趣旨から
も明らかなとおり、教育研究の指導者たりうる人材の養成をも目的とするものであ
ることからすれば、結局、同課程終了の見込みとは、右一〇条一項所定の事項を修
学完了すると共に、教育研究の指導者たるにふさわしい能力をも修める見込み(以
下「成業の見込み」という。
)をいうと解するのが相当である。
5 右の点に関し、控訴人は同課程修了の見込みの中に教育研究の指導者たるにふ
さわしい能力を修めることを含めるのは不当である旨主張する。
しかしながら、大学院設置の目的ないし法令の定め(前記乙第六号証大学院設置審
査基準要項二条二項)や前記大学院学則三条三項及び弁論の全趣旨により真正に成
立したものと認められる乙第一〇号証からうかがわれる院生に対する指導状況に照
らせば、徳島大学大学院においては教育研究の指導者の養成も重視しているものと
認められる。したがつて、成業の見込みの中にはこれをも含むというべきであるか
ら、控訴人の右主張は失当である。
四 次に、控訴人の修学状況及び本件処分の経緯等について判断する。
前記争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証の一ないし四、第二号証、第
六ないし第九号証、第三〇、第三一号証、第四一ないし第四三号証、第四八号証の
一ないし八(ただし、同四の書き込み部分を除く。)、乙第七号証の一ないし四、
第九号証の一ないし三、第一五、第一六、第一一〇号証、原本の存在成立ともに争
いのない甲第二三ないし第二九号証、第三三ないし第三六号証、第四〇号証の一、
二、原審証人Cの証言により真正に成立したと認められる乙第八号証の一、二、第
一〇ないし第一二、第一四号証、当審証人Fの証言により真正に成立したと認めら
れる甲第一九号証、当審証人Gの証言により真正に成立したと認められる甲第二〇
号証、当審における控訴人本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認め
られる甲第三ないし第五、第一六、第一七号証、右本人尋問の結果(第二回)によ
り真正に成立したものと認められる甲第四七号証の一ないし三、弁論の全趣旨によ
つて真正に成立したと認められる乙第一八号証、原審証人C、同E、同H、当審証
人G、同Fの各証言及び当審における控訴人本人尋問の結果(第一、二回)(ただ
し、右各証言及び本人尋問の結果については後記措信しない部分を除く。)を総合
すれば、次の事実を認めることができ、右各証言等中この認定に反する部分は右採
用の各証拠に照らし措信できず、他にこれを動かすに足りる証拠はない。
1 控訴人は昭和四二年四月精神科と治療学に対する興味から徳島大学大学院医学
研究科博士課程に入学し、同時に薬理学教室に入室した。同教室は、生薬、漢方薬
の研究者であるC教授を中心にE助教授及び他一名の講師と、I(以下「I助手」
という。)、F(以下「F助手」という。)の両助手らで構成されていた。
2 控訴人は同教室に入室後もつぱらE助教授の指導の下に、一般薬理と称される
薬理学一般の知識と基礎的な実験技法を修得した。やがて、C教授は控訴人の研究
テーマについて放射能の生体細胞の染色体に及ぼす影響に関する研究を希望した
が、控訴人は前記学問に対する興味から薬物による中枢神経系への影響ないしは行
動に対する影響(以下「行動薬理」という。)について研究したいと希望し、同教
授もこれを了承した。そこで、控訴人は同年暮ころから薬物としてD-サイクロセ
リンを選び、これを投与されたマウスの異常行動に関する研究を開始した。
3 控訴人は研究の結果につき昭和四四年二月ころD―サイクロセリンがマウスに
異常を及ぼす薬物となる可能性があるという内容の中間総括を行い原稿用紙にまと
めて(以下「第一稿」という。)これをC教授に提出した。そして、同四五年九月
ころD-サイクロセリンを投与されたマウスの脳内のある物質の変動がその行動の
質量の変化と対応して起こつているという内容のレポート(以下「第二稿」とい
う。)を、同四六年九月ころ興奮作用のある薬物を大量投与すれば起こるけいれん
という要素をD-サイクロセリン投与マウスから除外できるかという内容を含むレ
ポート(以下「第三稿」という。)をそれぞれ同じく原稿用紙にまとめてC教授に
提出した。
4 昭和四三年暮ころから各地でいわゆる大学紛争が始まり、徳島大学においても
控訴人が右第二稿を提出する前の昭和四四年七月一部学生による医学部基礎医学棟
の封鎖が実行され、三週間後に封鎖反対派学生によりこれが解除されるなどの事態
が起こり、その後大学当局による学生らの処分、これに対する処分撤回闘争などの
紛争(以下「徳大紛争」という。)が続いた。控訴人もこの影響を強く受け大学改
革の観点から大学当局やC教授を激しく攻撃し、そのような内容を記載したビラを
薬理学教室にはるなどの行動を取り、C教授と激しく対立した。そして、同四五年
三月には(文責、J)と表示して、「C教授における教室員処分の思想を告発す
る。」と題する書面を広く学内に配布した。
右書面は控訴人がC教授に対し同四四年一一月に辞職したI助手の後任として自分
を充てるよう要求し、同教授がとんでもないこととしてこれを拒否したことを内容
とするものであるが、全体として著しくC教授を中傷するものであつた。
5 昭和四四年七月九日控訴人を含む院生や助手ら一七名は研究放棄を宣言し、こ
れを契機として各所で自主講座ないし自主学習と称する勉強会を始めたが、控訴人
も右講座に参加すると同時に薬理学教室においてもC教授らの承諾を得ずにI、F
両助手と自主学習を始め、やがて三名が対等の立場で各人の従来の実績の中から互
いに関連する分野での共同研究をすることを決め、そのテーマとして「非ステロイ
ド性抗炎剤のラツト甲状腺機能に及ぼす影響」(以下「抗炎剤の研究」という。)
を選び同四四年夏ころから同四五年夏ころまでその実験計画を練り、その後同四六
年三月ころまで予備実験を行い、それ以降本実験を重ねその結果をまとめ、本件処
分後である同四七年四月第四五回日本薬理学会総会において控訴人により学会発表
がなされ、その内容は一応評価すべきものがあつた。なお、右自主学習については
当初、C教授はこれを無視していたものであるが、控訴人らは予備実験に掛かるこ
ろからE助教授に相談するようになり、同人から実験動物・試薬、その他施設の利
用等の便宜を受け始めたため、C教授もこれを黙認したような形になり、ついに本
実験に掛かるころから右共同研究を正式に同教室の研究として認めざるをえなくな
つた。
6 控訴人とC教授の関係は昭和四三年末ころまで良好であつたが、各地の大学紛
争を契機として控訴人の方から大きく変化していつた。控訴人は同四四年二月に提
出した第一稿について、このような場合に院生はその教授の校閲を受けるために直
ちに印刷所に回せるように清書し図表等もレタリングするのが当然とされていた
が、右控訴人の場合には原稿用紙に乱雑に記載され図表等も鉛筆書きのままであつ
た。これは控訴人が学会誌その他雑誌への掲載を拒否するために意図的に行つたも
のであるが、その理由とするところは学会の回数が多く研究の期間がない学会のあ
り方に疑問を持つたこと、雑誌の発表については教授や助教授の業績のように掲載
され、院生は単にこれを手伝つた体裁になることが不当であるとするものであつ
た。控訴人のこのような考え方は一貫して持続され、普通の院生なら入学後二、三
年経れば年に一、二回は学会等に発表するところ、控訴人は以後ことあるごとにC
教授やE助教授から勧められてもこれを拒否し、その指導に従わなかつた。また、
博士論文の作成についても学位の取得が目的でないとして同じくC教授らの指導に
従わなかつた。そして、徳大紛争がし烈になり前記のように控訴人がC教授に反
抗、敵対したことから、ますます二人の間の信頼関係は崩壊しその交流関係も断絶
した。第一稿提出後このような断絶の中で第二稿、第三稿が提出されたが、その提
出の仕方は勝手にC教授の机に置いておくという類いのもので、C教授には第一稿
と同じく原稿用紙に乱雑に書かれているその形式からしてこれが行動薬理に関する
論文であるとの認識ができず、その内容の検討も十分しなかつた。
7 控訴人が履修しなければならない博士課程の単位は、主科目四〇単位、副科目
一科目の六単位、選択科目一科目の四単位、合計五〇単位以上となつているとこ
ろ、控訴人の単位履修状況は次のとおりである。
昭和四二年度 主科目一五、副科目の生化学二、選択科目の神経精神医学二
同 四三年度 主科目一三、副科目の生化学二、選択科目の神経精神医学二
同 四四年度 副科目の病理学第一、一
同 四五年度 主科目一〇、副科目の病理学第一、二
同 四六年度 主科目二、副科目病理学第一、二
以上を要約すれば、修了予定の同四五年度末では、主科目三八単位を取得し、不足
二単位、副科目を生化学とすれば四単位を取得し、二単位不足、病理学第一とすれ
ば三単位を取得し、三単位不足、選択科目の四単位はすべて履修となり、同四六年
度においては、主科目及び選択科目はすべて履修、副科目病理学第一で一単位不足
となる。
8 控訴人は昭和四六年二月ころ単位未修得を理由にE助教授を通じてC教授に対
して一年間の在学期間延長に関する意向を打診した。同教授は控訴人が自己に反抗
ないし敵対しその指導に従わないこと、大学紛争を境にして出校状況も悪いこと、
薬理学教室内の秩序を著しく乱すことなどからその延長に懸念を抱いたが、同年初
めころから控訴人の態度が少し変化し神妙になつたことを考慮し、控訴人に対して
自己の指導に従い未修得単位を取得し、行動薬理に関する論文を完成するよう注意
したうえ、控訴人の意向に沿うことにした。また、在学期間延長の許可の当否を審
議する大学院医学研究科委員会の委員長D教授は右審議に先立ち控訴人とC教授を
一緒に医学部長室に呼び出し、控訴人に対して従来の態度、行動を注意したうえ、
なお控訴人が真面目に研究する意思を有しているかを確認した。控訴人の右第一回
目の在学許可申請は系列委員会(大学院医学研究科における病理系、内科系等の系
列毎に構成される委員会で、この長は前記大学院医学研究科委員会の委員とな
る。)、大学院医学研究科委員会での審議を経て、控訴人と同様大学紛争に関与し
控訴人と同様の申請をしていた他二名と共に許可された。しかし、右審議の中で申
請者三名から「本学の教育方針に従つて、学則を守り、学術の研究に専念し、人格
の陶冶に努めることを誓う。」旨の宣誓書を徴収することが決議され、控訴人もこ
の宣誓書に署名押印して提出した。右許可を受けた控訴人は前記共同研究と行動薬
理の研究は続けた。しかし、大学及び薬理学教室ないしはC教授に対する態度は右
延長許可を受けるとすぐ元に戻り、従前どおりの態度を一貫して取つた。また、当
時徳大紛争における活動に関し懲戒停職処分中であつたB助手を守る会の支援行動
をするなどしてその出校状況も悪かつた。
9 控訴人は昭和四六年末ころから単位未修得、博士論文未完成を理由に二回目の
在学期間の延長を考えるようになり、翌四七年二月末ころ再びE助教授を通じてC
教授にその意向を打診した。これに対してC教授は従来からの控訴人の態度及び一
回目の延長後の態度からみて不相当と考えたが、一応薬理学教室の属する系列委員
会に右延長の件をはかつたところ、委員の中には不本意ながら再度の延長を認めた
らどうかという意見を述べる者もおり、にわかに決着しなかつた。しかしその後控
訴人は本件申請手続上必要な延長願書中の保証人欄に前記Bと記入して本件申請を
なしたことが判明した。そのため、C教授は控訴人に対し保証人が不適当であるか
ら変更するように注意し、E助教授もまた自分が保証人になつてよいとして控訴人
に右変更を促した。これに対し控訴人は保証人をBにすることに意義があるとして
拒否した。C教授はその後の系列委員会において右事情を報告し、とにかく、控訴
人の指導ができないこと、わずかながら未履修単位があることなどを説明した(な
お、控訴人のように在学五年に及んでもなお未修得単位があるというのは前例がな
い。)。その結果同委員会においても再延長は不適当との結論に達し、同年三月二
三日開催の大学院医学研究科委員会にその旨報告をなし、同委員会は控訴人の従前
の研究態度、行動等につき審議した後に票決し、その結果圧倒的多数で再延長不承
認の議決がなされた。そして、同委員会は被控訴人に対し次の内容の添付書類を添
えて、その議決を報告した。
「再延長不承認理由書
一 大学院学生として、指導教官の指導に従わないことがあつた。
二 昭和四六年四月一日から昭和四七年三月三一日までの在学期間の延長に際し医
学研究科委員長及び指導教官C教授から研究態度等につき厳重な注意を与えたにも
かかわらず、これを履行しなかつた。
三 昭和四七年四月一日から一年間の延長を認めても、成業の見込みがあるとは考
えられない。
以上により、教育的見地から在学期間の延長は適当でないと判断された。」
五 右認定事実に基づき、前記特別の事情の有無について判断すると、控訴人が行
動薬理の研究及び抗炎剤に関する共同研究についてその内容としては一応の成果を
挙げたことは否定できないが、院生は大学院における独立の研究者ではなく、その
属する講座の指導教官の元で勉学研究することが本来的に予定されているのであ
り、その研究の成果についても学会の発表や論文の公表を通じてこれを公にするこ
とが更に発展するための足掛かりとして当然に期待された行為であるにもかかわら
ず、偏狭、独自の考えからこれを拒否し、これを勧める指導教官の指導に従わず、
しかも、学問研究のあり方を問うこと自体になんら異議はないものの、これを追及
するに急な余り、指導教官であるC教授をいたずらに敵視し、同人との信頼関係を
決定的に崩壊させ、回復の見込みがない状況に至らせていたこと、第一回目の在学
期間延長申請の理由として単位未修得を挙げ、この点についてC教授らから注意を
受けながら、わずか一単位とはいえこれを修得するに至らなかつたこと、控訴人は
本件処分後前記共同研究の結果につき学会で発表しているが、これは自主学習と称
するものの延長線として認識してのうえであつて、学会発表や論文作成に関する控
訴人の従来の考えを変更したものではないことなどに鑑みれば、本件処分時におい
て控訴人が院生の本分に則り、延長された一年間の在学期間において指導教官の指
導に従つて研究、勉学に専念し、もつて未習得単位を履修し、かつ、学位論文を作
成、提出し、最終試験に合格すると共に教育研究の指導者なるにふさわしい能力を
身につけることは困難であるから、前記成業の見込がないとした被控訴人の判断
は、本件処分後の控訴人の態度、言動につき判断するまでもなく相当であつて、そ
の間に裁量権を濫用し、これを逸脱した違法はないと認められる。
以上によれば、控訴人に大学院学則二〇条二項所定の特別の事情がないとしてなさ
れた本件処分は適法であり、控訴人の主張は理由がない。
六 控訴人の請求原因(三)(2)(本件処分はその保証人をBにしたことが最大
の理由であるとの主張)及び同(3)、(4)(憲法違反等の主張)について判断
すると、前記認定事実によれば、被控訴人は在学期間の延長を許可すべき特別の事
情の有無について控訴人のこれまでの在学期間中の研究態度、勉学状況等を総合的
に評価して決定したものであつて、保証人の問題のみを重視したとは到底認められ
ないし、既に判示したところから明らかなとおり被控訴人のなした本件処分は徳大
紛争に関与したうえ前記Bの支援活動をしていた控訴人を嫌悪した結果、その報復
としてなしたものとは認められず、また、被控訴人は教育目的から本件処分をなし
たものであつて裁量権を濫用したものではなく、不当に控訴人の教育を受ける権利
及び学問の自由を奪つたものではないから憲法一四条に反したものとは認められな
い。右主張はいずれも失当である。
七 よつて、右と同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却
し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文の
とおり判決する。
(裁判官 高田政彦 孕石孟則 溝淵 勝)

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