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平成23年11月24日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成23年(行ケ)第10047号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成23年11月10日
判決
原告JFEスチール株式会社
訴訟代理人弁理士杉村憲司
塚中哲雄
川原敬祐
被告新日本製鐵株式会社
訴訟代理人弁理士影山秀一
富田和夫
主文
特許庁が無効2010-800045号事件について平成23年1月6
日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の求めた判決
主文同旨
第2事案の概要
原告は,被告の有する本件特許について無効審判請求をしたが,請求不成立の審
決を受けた。本件はその取消訴訟であり,争点は,新規性の有無,進歩性の有無及
び実施可能要件違反の有無である。
1特許庁における手続の経緯
被告は,平成16年3月8日に,名称を「低鉄損一方向性電磁鋼板」とする発明
について特許出願をし,平成21年7月17日に,本件特許第4344264号と
して特許登録を受けた(請求項の数3)。
原告は,平成22年3月15日に,本件特許について無効審判請求をした(無効
2010-800045号)。被告は,その手続中の平成22年5月31日付けで
訂正請求をしたところ,特許庁は,平成23年1月6日,「訂正を認める。本件審
判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は平成23年1月14日に
原告に送達された。
2本件発明の要旨
平成22年5月31日付け訂正による本件特許の請求項1~3(本件発明1~3)
は次のとおりである。
【請求項1】
鋼板表面に形成された引張残留応力と塑性歪からなる歪領域のうち,圧延方向の
前記引張残留応力の最大値が70~150MPaであり,かつ,前記塑性歪の圧延
方向の範囲が0.5mm以下であることを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。
【請求項2】
前記歪領域間の圧延方向の間隔が7.0mm以下であることを特徴とする請求項
1に記載の低鉄損一方向性電磁鋼板。
【請求項3】
前記歪領域は,鋼板の圧延方向に対して60~120°の方向に連続的または所
定間隔で形成されていることを特徴とする請求項1または2に記載の低鉄損一方向
性電磁鋼板。
3審判における原告主張の無効理由
(1)無効理由1(特許法29条1項3号,同条2項)
本件発明1~3は,「材料51巻7号(2002年7月)730~735頁」
(甲1)に記載された発明であるか,甲1に記載された発明に基づいて,当業者が
容易に発明をすることができたものである。
(2)無効理由2(特許法29条1項3号,同条2項)
本件発明1~3は,「鉄と鋼第69年8号(1983年)895~902頁」
(甲2)に記載された発明であるか,甲2に記載された発明に基づいて,当業者が
容易に発明をすることができたものである。
(3)無効理由3(特許法36条4項1号)
本件明細書には,本件発明1~3に係る低鉄損一方向性電磁鋼板の引張残留応力
の最大値や塑性歪の範囲に影響を及ぼし,その製造を行うために必要な条件である,
レーザの種類,レーザ波長,パルス周波数,パルス時間幅,パルスの持続時間,レ
ーザビームの強度分布の形状などのレーザ照射条件については何ら記載されておら
ず,これらの条件が,本件出願時の技術常識から明らかなものであるとはいえない。
本件発明1~3を充足するかどうかの確認には,煩雑な作業を必要とする単結晶
X線応力解析法やマイクロビッカース硬度計による測定を用いなければならず,当
業者に過度の負担を強いるものである。
また,レーザ照射対象鋼板は,一方向性電磁鋼板と記載されているのみで,具体
的にどのような組成の鋼板を用いれば,本件発明1~3に係る特性を実現すること
ができるのか不明であり,そのことは,本件出願時の技術常識でもない。
そうすると,本件明細書の記載は,本件発明1~3を当業者が実施することがで
きる程度に明確かつ十分な記載であるとはいえず,本件特許は,特許法36条4項
1号の要件を満たしていない。
4審決の理由の要点
(1)平成22年5月31日付け訂正は,訂正要件を充足するので,訂正を認め
る。
(2)無効理由1について
ア甲1に記載された甲1発明,本件発明1と甲1発明との一致点及び相違
点は次のとおりである。
【甲1発明】
鋼板表面において,レーザスポット直径が0.18mmであるレーザを圧延方向
に対し垂直方向に0.3mm間隔にて照射し,レーザ照射した列の間隔は5mmで
ある,方向性電磁鋼板であって,少なくともレーザ照射位置から圧延方向0.25
mmの範囲において,レーザ照射後応力除去焼なまし前,引張残留応力が生じてお
り,その範囲における圧延方向の引張残留応力の最大値は,単結晶X線応力測定法
により測定された,レーザ照射位置における120MPaであり,また,レーザ照
射後応力除去焼なまし前,少なくともレーザ照射位置から圧延方向0.25mmの
位置までにおいて,211回折の回折線の半価幅が前記圧延方向0.25mmを超
えた位置における211回折の回折線の半価幅に対して大きくなっている,低鉄損
方向性電磁鋼板。
【一致点】
鋼板表面に形成された引張残留応力と塑性歪からなる歪領域を有し,前記歪領域
において,圧延方向の引張残留応力の最大値が120MPaである,低鉄損一方向
性電磁鋼板。
【相違点】
引張残留応力と塑性歪からなる歪領域において,本件発明1は,塑性歪の圧延方
向の範囲が0.5mm以下であるのに対し,甲1発明は,レーザ照射後応力除去焼
なまし前,少なくともレーザ照射位置から圧延方向0.25mmの位置までにおい
て,211回折の回折線の半価幅が前記圧延方向0.25mmを超えた位置におけ
る211回折の回折線の半価幅に対して大きくなっているものの,塑性歪の圧延方
向の範囲が0.5mm以下であるか不明である点。
イ相違点について検討するに当たり,その前提となる本件発明1と甲1発
明の技術的思想の相違について検討する。
本件発明1は,従来法では,一方向性電磁鋼板表面に局部的な塑性歪領域(高転
位密度領域)を積極的に生成させることにより,磁区の芽を生成して磁区の細分化
を行なうことを技術的思想としていた点について,弾性歪である引張残留応力は,
一方向性電磁鋼板における圧延方向に向いた磁化容易軸方向の磁気異方性を高め,
磁区細分化を引き起こす作用により,鉄損の一部である渦電流損,特に異常渦電流
損を減少させる効果があるものの,塑性歪はピンニングサイトとして磁壁の移動を
妨げる作用により,鉄損の一部であるヒステリシス損を逆に増加させることを見出
し,これを解決すべき課題とし,一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電
流損に分けて,鋼板表面に形成される塑性歪の領域を制限してヒステリシス損を低
減し,また,鋼板表面に適正な引張残留応力(弾性歪)を形成して渦電流損を低減
させ,従来の一方向性電磁鋼板に比べて大幅に鉄損を低減させることを技術的思想
とするものである。そして,歪領域において,圧延方向における引張残留応力の最
大値を70~150MPaに規定するとともに,塑性歪の圧延方向の範囲を0.5
mm以下に規定することにより,前記課題を解決したものである。
これに対し,甲1発明は,電磁鋼板の表面にレーザ照射を施すことで磁区を細分
化し鉄損を減少させることが可能であるものの,結晶粒内における局所的な残留歪
や残留応力分布の定量的な測定は困難であり,磁区細分化のメカニズムが解明され
ていない点について,単結晶X線応力測定法を,電磁鋼板の一結晶粒内におけるレ
ーザ照射位置近傍の残留応力分布測定に適用し,磁区細分化に及ぼすレーザ照射の
効果について検討を行うものであって,レーザ照射により導入された残留応力が磁
区細分化の主要因であることを確認し,これまで局所的に導入された塑性変形によ
り生じた弾性歪により,磁区が細分化されると報告されてきた点について,実験的
にこれを証明したものである。
そうすると,本件発明1と甲1発明とは,いずれも,弾性歪である引張残留応力
が,磁区の細分化を引き起こし,ひいては鉄損の減少をもたらすことを知見した点
において共通するものの,甲1発明は,レーザ照射による磁区の細分化の要因を実
験的に確認したにとどまるものであり,圧延方向における引張残留応力の最大値を
特定の範囲に規定し,かつ,塑性歪の圧延方向の範囲を規定することにより,鉄損
の低減を図るという本件発明1の発明特定事項を何ら有するものではないから,本
件発明1と甲1発明とは,その技術的思想において相違するものである。
ウ塑性歪の圧延方向の範囲について検討するに,本件発明1と甲1発明と
は,その前提となる塑性歪の測定法が異なる。すなわち,本件発明1は,レーザ照
射前後において,マイクロビッカース硬度を測定し,その前後における硬度上昇量
変化が5%以上の範囲を塑性歪の発生範囲と定めるものである。
これに対し,甲1発明は,塑性歪を含む不均一歪と残留応力の発生状況の関係を
確認するために,レーザ照射位置近傍の不均一歪の発生状況については回折線の半
価幅を用いるものであって,レーザ照射位置近傍において,応力除去焼なまし前後
の回折線の半価幅を測定し,「応力除去焼なまし前では,レーザ照射位置に近づく
ほど半価幅が大きくなり,不均一歪が大きいことを示して」おり,「応力除去焼な
まし後の半価幅については,測定位置に関わらずほぼ一定」であるとするものであ
る。そして,甲1のFig.10の記載によれば,レーザ照射後で応力除去焼なま
し前の回折線の半価幅は,レーザ照射位置では,約0.61であり,レーザ照射位
置から0.25mmの位置では約0.42であり,0.5mm以上の位置では約0.
4と一定である。また,レーザ照射後で応力除去焼なまし後の回折線の半価幅につ
いては,レーザ照射位置よりレーザ照射位置から2mmまでの位置まで,約0.4
1~0.44である。
ところで,鋼板表面の回折線の半価幅は,鋼板の表面硬度と相関があるから,本
件発明1及び甲1発明で用いる塑性歪の測定法は,いずれも,「鋼板表面における
塑性歪の形成による硬度変化」という同一の物理現象を測定する一般的な方法であ
り,硬度の測定法として対比が可能なものである。しかしながら,甲1のFig.
10の記載からみて,甲1発明におけるレーザ照射後で応力除去焼なまし後の回折
線の半価幅の値が,レーザ照射位置より2mmの範囲まで仮にほぼ一定の約0.4
であって,レーザ照射前の半価幅と同等であり,これとレーザ照射後応力除去焼な
まし前の回折線の半価幅の値との変化量が,本件発明1におけるビッカース硬度の
上昇量に対応するとしても,甲1発明におけるレーザ照射位置や,当該位置から0.
25mmや0.5mm以上の位置における具体的な半価幅の上昇量が,本件発明1
における塑性歪の発生範囲を定める要件となるビッカース硬度の5%以上の上昇量
に対応するか否かは,回折線の半価幅の値とビッカース硬度の値との具体的な対応
が何ら示されていない甲1の記載からは,不明であるといわざるを得ない。
したがって,甲1発明における半価幅の変化量に基づいて,甲1発明における塑
性歪の範囲が,ビッカース硬度の5%以上の上昇量に対応して規定される本件発明
1における塑性歪の範囲と同等であるということはできない。
エこのように,本件発明1と甲1発明において,塑性歪の範囲を定めるた
めに用いた測定法が相違するため,それぞれの方法により求められる塑性歪の範囲
を直接対比することはできないが,念のため,甲1に記載されたFig.10から
読み取れる塑性歪の範囲を検討する。
甲1発明は,「レーザ照射後応力除去焼なまし前,少なくともレーザ照射位置か
ら圧延方向0.25mmの位置までにおいて,211回折の回折線の半価幅が前記
圧延方向0.25mmを超えた位置における211回折の回折線の半価幅に対して
大きくなっている」のに対し,レーザ照射位置から圧延方向0.5mmの位置より
圧延方向2mmまでの位置においては,前記半価幅は一定であるから,レーザ照射
位置から圧延方向0.25mmまでの位置においては,塑性変形が生じ,塑性歪が
発生しているものと認められる一方,レーザ照射位置から圧延方向0.5mm以上
の位置においては,塑性歪が発生していないものと認められる。そして,レーザ照
射位置の圧延方向の両側にこのような現象が生じることを考慮すれば,塑性歪は,
圧延方向1.0mm以上には,発生していないとはいえるものの,塑性歪の圧延方
向の範囲が0.5mm以下であるとまではいうことはできない。
オ本件発明1と甲1発明とは,レーザの種類,パルス当たりのエネルギー,
鋼板幅方向及び圧延方向の照射間隔,鋼板の圧延方向に対する照射方向については
一応一致するものの,前記圧延方向における引張残留応力の最大値や塑性歪の圧延
方向の範囲に影響を及ぼすと認める,その他のレーザ走査条件,すなわち,レーザ
スポット形状,レーザ波長,レーザパルス繰り返し周波数,パルス時間幅について
は,甲1には,具体的な記載はなく,したがって,甲1発明は,これらの条件につ
いては不明であるといえる。そうすると,前記塑性歪の圧延方向の範囲に影響を及
ぼすレーザ走査条件が不明である甲1発明が,本件発明1の所定の塑性歪の圧延方
向の範囲を満たしているとまではいえない。
カ本件発明1において得られる鉄損値は,発明特定事項ではないものの,
0.70W/kg以下の鉄損値を達成するものであるところ,甲1には,鉄損値の
減少についての記載はあるが,具体的な鉄損値の記載がない。そうすると,甲1発
明は,奏する効果の点からみても,本件発明1と同一の一方向性電磁鋼板であると
まではいうことはできない。
キ以上のとおり,本件発明1は,その技術的思想の点,塑性歪の測定法の
点,実施例におけるレーザ走査条件,及び,鉄損値からみた効果の点のいずれにお
いても,甲1発明と一致するとまではいえないのであるから,前記相違点を実質的
なものでないとすることはできない。よって,本件発明1は,甲1発明であるとす
ることはできない。
ク甲1には,本件発明1の圧延方向における引張残留応力の最大値を特定
の範囲に規定し,かつ,塑性歪の圧延方向の範囲を規定することにより,鉄損の低
減を図るという技術的思想については記載されているとはいえないのであるから,
甲1発明において,レーザ走査条件を適宜調整して,本件発明1に係る圧延方向に
おける引張残留応力の最大値を所定の範囲内に維持したまま,塑性歪の圧延方向の
範囲を特定の数値範囲に規定することは当業者が容易になし得るものとすることは
できないし,また,0.70W/kgを下回る鉄損値の鋼板を得ることは容易にな
し得るものとすることはできない。したがって,本件発明1は,甲1発明に基いて
当業者が容易に発明をすることができたものでもない。
ケ本件発明2,3についても,本件発明1と同様の理由から,甲1発明で
あるということはできず,甲1発明に基づいて容易に発明することができたもので
もない。
(3)無効理由2について
ア甲2に記載された甲2発明,本件発明1と甲2発明との一致点及び相違
点は次のとおりである。
【甲2発明】
鋼板表面において,スポット直径が0.15mmであるレーザを圧延方向に対し
て直角方向にスポットの中心間間隔を0.3mmとして走査させたレーザ走査線を
圧延方向に5mmの間隔をもって設けることにより,レーザ照射部分及びその極く
近傍に限定されて塑性変形が発生し,レーザ走査線にはさまれた領域において圧延
方向に張力が発生している,低鉄損方向性珪素鋼板。
【一致点】
鋼板表面に形成された引張残留応力と塑性歪からなる歪領域を有する,低鉄損一
方向性電磁鋼板。
【相違点】
引張残留応力と塑性歪からなる歪領域において,本件発明1は,圧延方向の引張
残留応力の最大値が70~150MPaであり,かつ,塑性歪の圧延方向の範囲が
0.5mm以下であるのに対し,甲2発明は,圧延方向の引張残留応力の最大値が
不明であり,また,塑性歪の圧延方向の範囲が0.5mm以下であるか不明である
点。
イ本件発明1と甲2発明とは,いずれも鉄損の低減を図ることを目的とす
るものではあるものの,甲2発明は,特定の条件で行われたレーザ走査や張力絶縁
皮膜の付与によって鉄損が低減できることを単に確認したにすぎないものであり,
圧延方向における引張残留応力の最大値を特定の範囲に規定し,かつ,塑性歪の圧
延方向の範囲を規定することにより,鉄損の低減を図るという本件発明1の発明特
定事項を何ら有するものではないから,本件発明1と甲2発明とは,その技術的思
想において相違するものである。
ウ相違点についてみるに,甲2には,具体的に,圧延方向における引張残
留応力の最大値が70~150MPaの範囲の数値となることや,塑性歪の圧延方
向の範囲が0.5mm以下となることについては明示されておらず,これを示唆す
る記載も認められない。また,本件発明1と甲2発明とは,レーザの種類,レーザ
スポット形状,パルスあたりのエネルギー,鋼板幅方向及び圧延方向の照射間隔,
鋼板の圧延方向に対する照射方向については一応一致するものの,前記圧延方向に
おける引張残留応力の最大値や塑性歪の圧延方向の範囲に影響を及ぼすと認める,
その他のレーザ走査条件,すなわち,レーザ波長,レーザパルス繰り返し周波数,
パルス時間幅については,甲2には,具体的な記載はなく,したがって,甲2発明
は,これらの条件については不明であるといえる。そうすると,前記圧延方向にお
ける引張残留応力の最大値や塑性歪の圧延方向の範囲に影響を及ぼすレーザ走査条
件が不明である甲2発明が,本件発明1の所定の圧延方向における引張残留応力の
最大値及び所定の塑性歪の圧延方向の範囲を満たしているとまではいえない。
エ本件発明1において得られる鉄損値は,発明特定事項ではないものの,
0.70W/kg以下であるところ,甲2に具体的に記載された鉄損値は,本件発
明1に対応する,張力絶縁被膜を設けていない方向性珪素鋼板のレーザ走査後にお
いて,最も低いものでも1.00W/kgであり,本件発明1に比べて,0.3W
/kg以上も大きい点からみて,本件発明1と甲2発明とが同一の一方向性電磁鋼
板ということはできない。
オ以上のとおり,本件発明1は,その技術的思想の点,引張残留応力の最
大値を特定の範囲に規定するとともに塑性歪領域の範囲を規定した点,実施例にお
けるレーザ走査条件,及び,鉄損値からみた効果の点のいずれにおいても,甲2発
明と一致するとまではいえないのであるから,前記相違点を実質的なものではない
とすることはできず,本件発明1は甲2発明であるとすることはできない。
カ甲2には,本件発明1の圧延方向における引張残留応力の最大値を特定
の範囲に規定し,かつ,塑性歪の圧延方向の範囲を規定することにより,鉄損の低
減を図るという技術的思想については記載されているとはいえないのであるから,
甲2発明において,レーザ走査条件を適宜調整して,本件発明1に係る圧延方向に
おける引張残留応力の最大値を所定の範囲内に維持したまま,塑性歪の圧延方向の
範囲を特定の数値範囲に規定することは当業者が容易になし得るものとすることは
できないし,また,0.70W/kgを下回る鉄損値の鋼板を得ることは容易にな
し得るものとすることはできない。そうすると,本件発明1は,甲2発明に基いて
当業者が容易に発明をすることができたものでもない。
キ本件発明2,3についても,本件発明1と同様の理由から,甲2発明で
あるということはできず,甲2発明に基づいて容易に発明することができたもので
もない。
(4)無効理由3について
ア本件発明1~3は,歪領域において,圧延方向における引張残留応力の
最大値を70~150MPaに規定するとともに,塑性歪の圧延方向の範囲を0.
5mm以下に規定することにより,課題を解決したものであって,これらの条件を
満足するように,具体的には,実施例において示すように,一手法として,パルス
レーザ照射法を用い,その条件である,レーザ出力,レーザ照射スポット形状,レ
ーザ照射スポット間隔,レーザ走査線間隔(以上,本件明細書及び図面を参照),
レーザの種類,レーザ波長,パルス周波数,パルス時間幅(被告が本件出願時の拒
絶査定不服審判手続で提出した平成21年6月11日付け手続補正書(甲3)の参
考表1を参照)を具体的に設定,調整し,発明をなしたものと認められる。そして,
ここで定めた個々のレーザ条件自体は,格別新規なものではなく,一般的にレーザ
照射法を用いて磁区調整を行う際に普通に用いているレーザ装置において,前記規
定値を満足するよう,それぞれの照射条件について適宜調整を行えば,実施例で示
すように実験的に定め得るものであって,その実施例も十分に記載されているので
あるから,本件明細書の記載は,本件発明1~3を当業者が実施することができる
程度に明確かつ十分な記載ではないとまではいえない。
パルスの持続時間やレーザビームの強度分布の形状については,前記したレーザ
照射条件等が開示されていれば,前記規定値を満足するように調整可能なものと認
められる。
イ本件発明1~3を充足するかどうかの確認に煩雑な作業を必要とすると
しても,単にその作業が煩雑であるということをもって当業者が実施することがで
きないとすることはできない。
ウ一方向性電磁鋼板は,珪素を3.5質量%以下含有するものであって,
珪素を3.0質量%含有するものが一般的であることが技術常識であるといえる。
本件発明1~3のように,その発明特定事項である,特定の特性や性質,あるいは
製造方法が電磁鋼板全般に共通した効果をもたらすものの場合には,珪素を含めて
成分組成の規定を行わないことは,電磁鋼板の分野において,普通に行われている
ことである。したがって,一方向性電磁鋼板の成分組成が明示的に記載されていな
いことのみをもって,本件明細書の記載は,本件発明1~3を当業者が実施するこ
とができる程度に明確かつ十分な記載ではないとまではいえない。
エ以上のとおりであるから,本件明細書の記載は,本件発明1~3を当業
者が実施することができる程度に明確かつ十分な記載ではないとまではいえない。
第3原告主張の審決取消事由
1取消事由1(甲1発明の認定の誤り)
(1)審決は,甲1のFig.10の記載内容について,「応力除去焼なまし前
の半価幅は,黒丸●にて表示され,X=0.5,1,2mmの三点ではほぼ0.4
の一定値を示し,X=0.25mmでは,約0.42,X=0mm,すなわち,レ
ーザ照射位置では,約0.61を示すことが図示され,また,応力除去焼なまし後
の半価幅は,白丸○にて表示され,X=0,0.25,0.5,1,2mmでは,
約0.41~0.44であり,また,X=0.25,0.5,1,2の4点では,
応力除去焼なまし前の0.4を上回って図示されている。また,上記黒丸●及び白
丸○に重ねてそれぞれのエラーバンドが図示されている。」(11頁3行~12行)
と認定する。
しかしながら,審決の認定は,応力除去焼なまし前の黒丸●については5つの測
定点についてそれぞれ具体的な半価幅の値を認定しながら,応力除去焼なまし後の
白丸○については約0.41~0.44と一括りにしている。また,甲1のFig.
10においては,応力除去焼なましが行われると,塑性歪が解消されて,塑性歪が
生じていた箇所では半価幅の値が減少するのであるから,甲1発明における塑性歪
が生じている範囲を認定し,本件発明1と対比するためには,半価幅の値の減少に
ついて認定すべきであるのに,審決は,その点を認定していない。したがって,審
決の上記認定の「また」以降の部分は,「また,応力除去焼なまし後の半価幅は,
白丸○にて表示され,X=0mmで約0.44,X=0.25mmで約0.43,
X=0.5mmで約0.41,X=1mmで約0.43,X=2mmで約0.41
であり,このことから,X=0mmの位置では,応力除去焼なまし後には応力除去
焼なまし前に比べて半価幅の値が減少しているものの,X=0.25,0.5,1,
2の4点では,応力除去焼なまし後に応力除去焼なまし前と比べて半価幅の値が減
少していないことが図示されている。」と認定されるべきであった。
このような認定の誤りは,甲1発明の認定,本件発明との対比を通じて,審決の
結論に影響を与えるものである。
(2)審決は,甲1発明を認定する前提として,甲1のFig.10に,「応力
除去焼なまし前において,211回折の回折線の半価幅が,少なくともレーザ照射
位置から圧延方向0.25mmの位置において,圧延方向0.25mmを超えた位
置よりも大きくなっていることが図示…されている」(16頁28行~31行)と
認定し,これに伴い,甲1発明について,「レーザ照射後応力除去焼なまし前,少
なくともレーザ照射位置から圧延方向0.25mmの位置までにおいて,211回
折の回折線の半価幅が前記圧延方向0.25mmを超えた位置における211回折
の回折線の半価幅に対して大きくなっている」(17頁8行~11行)と認定する。
しかしながら,甲1には,応力除去焼なまし前の測定では塑性歪が生じている位
置の半価幅が大きくなっており,一方,応力除去焼なまし後では塑性歪が緩和され
る結果,測定位置に関わらず半価幅はほぼ一定となることから,塑性歪の有無は応
力除去焼なまし前後における半価幅の変化で決定することができることが記載され
ている。そして,甲1のFig.10におけるX=0.25の位置では,応力除去
焼なまし後に応力除去焼なまし前と比べて半価幅の値が減少していないから,応力
除去焼なまし前に塑性歪は発生していない。
また,甲1のFig.10における応力除去焼なまし後の白丸○については約0.
41~0.44の範囲でばらつきがあり,この程度のばらつきは誤差と考えるべき
である。そうすると,応力除去焼なまし前のX=0.25mmの半価幅が,X=0.
5,1,2mmの半価幅よりも0.02大きいとしても,上記の誤差を勘案すると,
半価幅が大きいとはいえない。
なお,甲1には,応力除去焼なまし後に不均一歪が「緩和された」との表現が用
いられているが,応力除去焼なましに関する技術常識からすると,甲1で行われた
応力除去焼なましの温度・時間等の条件は,内部応力を解消させるものであるし,
甲1には,「解消された」との記載はなく,「緩和された」の表現を「解消された」
と対比して用いているものではないから,当業者は,「緩和された」との記載が「解
消された」ことを意味すると理解するものである。
以上のとおり,審決の上記認定は誤りである。
2取消事由2(本件発明1と甲1発明との相違点の認定誤り)
審決は,本件発明1と甲1発明との相違点について,「甲1発明は,レーザ照射
後応力除去焼なまし前,少なくともレーザ照射位置から圧延方向0.25mmの位
置までにおいて,211回折の回折線の半価幅が前記圧延方向0.25mmを超え
た位置における211回折の回折線の半価幅に対して大きくなっているものの,塑
性歪の圧延方向の範囲が0.5mm以下であるか不明である」(18頁21行~2
6行)と認定する。
しかしながら,取消事由1で主張したとおり,甲1発明については,レーザ照射
位置から0.25mmの位置において塑性歪は発生していない。レーザ照射位置を
中心として圧延方向の前後に0.25mmの位置をとると,圧延方向0.5mmの
範囲と等しくなるから,甲1発明においても,圧延方向0.5mmの範囲において
塑性歪は発生していないのであって,審決の上記認定は誤りである。
3取消事由3(本件発明1と甲1発明との相違点の判断の誤り)
(1)審決は,本件発明1の塑性歪の測定方法について,「レーザ照射前後にお
いて,マイクロビッカース硬度を測定し,その前後における硬度上昇量変化が5%
以上の範囲を塑性歪の発生範囲と定めるものである。」と認定した上で,本件発明
1と甲1発明とは塑性歪の測定方法が異なるとした。
しかしながら,本件発明1においては,請求項に「塑性歪の圧延方向の範囲」の
測定方法を限定する記載はなく,また,本件明細書の記載を参酌しても,「…本発
明において前記鋼板表面に形成された塑性歪の圧延方向の範囲(最大長さ)は,例
えばマイクロビッカース硬度計を用いて鋼板表面の硬さを測定し,加工硬化による
硬度上昇量が5%以上の範囲を塑性歪の範囲と定義し,その塑性歪の圧延方向の範
囲(最大長さ)から求められる。」(段落【0023】)とあるように,マイクロ
ビッカース硬度を測定する方法は一例を示したものである。したがって,測定方法
については,本件出願時の技術常識に基づいて解釈されるべきものである。そして,
本件出願時には,塑性歪の圧延方向の範囲の測定方法としては,マイクロビッカー
ス硬度を測定し,その前後における硬度上昇量変化による測定方法が唯一の測定方
法ではなく,211回折の回折線の半価幅の応力除去焼きなまし前後の変化から測
定する方法も使われていた。したがって,本件発明1と甲1発明とで測定方法に差
異はない。
(2)審決は,甲1に記載されたFig.10から読み取れる塑性歪の範囲につ
いて,「レーザ照射位置から圧延方向0.25mmまでの位置においては,塑性変
形が生じ,塑性歪が発生しているものと認められる一方,レーザ照射位置から圧延
方向0.5mm以上の位置においては,塑性歪が発生していないものと認められる。
そして,レーザ照射位置の圧延方向の両側にこのような現象が生じることを考慮す
れば,塑性歪は,圧延方向1.0mm以上には,発生していないとはいえるものの,
塑性歪の圧延方向の範囲が0.5mm以下であるとまではいうことはできない。」
(22頁28行~35行)と認定するが,取消事由1,2で主張したとおり,誤り
である。
(3)審決は,「前記圧延方向における引張残留応力の最大値や塑性歪の圧延方
向の範囲に影響を及ぼすと認める,その他のレーザ走査条件,すなわち,レーザス
ポット形状,レーザ波長,レーザパルス繰り返し周波数,パルス時間幅については,
甲1には,具体的な記載はなく,したがって,甲1発明は,これらの条件について
は不明であるといえる。そうすると,前記塑性歪の圧延方向の範囲に影響を及ぼす
レーザ走査条件が不明である甲1発明が,本件発明1の所定の塑性歪の圧延方向の
範囲を満たしているとまではいえない。」(23頁16行~24行)と判断する。
しかしながら,レーザスポット形状,レーザ波長,レーザパルス繰り返し周波数,
パルス時間幅については,本件明細書にも記載されていないのであって,甲1に記
載がないことは,甲1発明が本件発明1の塑性歪の圧延方向の範囲を満たしていな
い理由にはならない。
(4)審決は,甲1発明について,鉄損値の記載がないことをもって「甲1発明
は,奏する効果の点からみても,本件発明1と同一の一方向性電磁鋼板であるとま
ではいうことはできない。」(23頁32行~33行)と判断する。
しかしながら,本件発明1は,鉄損値を発明特定事項とするものではなく,甲1
に鉄損値が記載されていないことは,本件発明1と甲1発明の同一性を否定する理
由になり得ない。
4取消事由4(本件発明1と甲2発明との相違点の認定誤り)
審決は,本件発明1と甲2発明との相違点について,甲2発明は「塑性歪の圧延
方向の範囲が0.5mm以下であるか不明である」と認定する。
しかしながら,審決が認定した甲2発明からすると,甲2発明は「塑性歪の圧延
方向の範囲がレーザ照射部分およびその極く近傍に限定されている」と認定される
べきであり,審決の認定は誤りである。
5取消事由5(本件発明1と甲2発明との相違点の判断の誤り)
(1)審決は,甲1発明に関する取消事由3(3)と同様に,甲2発明についても,
レーザスポット形状等のレーザ走査条件に関する具体的な記載がないことを指摘
し,それ故に,本件発明1の所定の塑性歪の圧延方向の範囲を満たしているとまで
はいえないと判断する。しかしながら,取消事由3(3)と同様の理由から,審決の判
断は誤りである。
(2)塑性歪の圧延方向の範囲は,本件発明1では0.5mm以下であるのに対
し,甲2発明では,レーザ照射部分およびその極く近傍に限定されている点で一応
相違する。
しかしながら,甲2発明では,レーザ照射のスポット直径が0.15mmであり,
塑性歪の圧延方向の範囲は,レーザ照射部分およびその極く近傍に限定されている。
そして,「レーザ照射部分およびその極く近傍」とは,レーザ照射のスポット直径
を僅かに超える範囲であるから,レーザ照射のスポット直径の3倍以上である,「0.
5mm」以下の範囲であることは明らかである。
したがって,「甲2発明が,本件発明1の所定の塑性歪の圧延方向の範囲を満た
しているとまではいえない」との判断は誤りである。
(3)審決は,甲2発明について,鉄損値の数値が本件発明1とは異なることを
もって,本件発明1との同一性を否定する。しかしながら,本件発明1は,鉄損値
を発明特定事項とするものではないから,この点を理由に同一性を否定した審決の
判断は誤りである。
6取消事由6(本件発明2及び3と甲1発明又は甲2発明との対比・判断の誤
り)
(1)本件発明2及び3のうち,本件発明1と同じ構成については,取消事由1
~5のとおり,審決の判断は誤りである。
(2)本件発明2は,本件発明1の構成に,「前記歪領域間の圧延方向の間隔が
7.0mm以下であること」の構成を付加したものである。
甲1の732頁左欄33行及び甲2の899頁右欄28行には,レーザ照射した
列の間隔が5mmであることが記載されている。歪領域間の圧延方向の間隔は,レ
ーザ照射した列の間隔以下であるため,歪領域間の圧延方向の間隔は最大でも5m
mである。
したがって,本件発明2は,甲1発明及び甲2発明と同一である。
(3)本件発明3は,本件発明1又は2の構成に,「前記歪領域は,鋼板の圧延
方向に対して60~120°の方向に連続的または所定間隔で形成されているこ
と」との構成を付加したものである。
甲1の732頁左欄30行~31行には,圧延方向に垂直に0.3mm間隔でレ
ーザ照射したことが記載されており,歪領域は,鋼板の圧延方向に対して90°の
方向に形成されている。また,甲2の899頁右欄5~6行及びFig.8には,
圧延方向に直角方向にレーザ照射したことが記載されており,歪領域は,鋼板の圧
延方向に対して90°の方向に形成されている。
したがって,本件発明3は,甲1発明及び甲2発明と同一である。
7取消事由7(特許法36条4項1号に関する判断の誤り)
審決は,レーザの種類,レーザ波長,パルス周波数,パルス時間幅が記載されて
いる甲3の参考表1を参照した上で,規定値を満足するよう,それぞれの照射条件
について適宜調整を行えば,実施例で示すように実験的に定め得るから,本件発明
1は実施可能である旨判断する。
しかしながら,レーザの種類等が記載されている甲3の参考表1は,本件出願後
に提出されたものであり,この参考表をもって,本件明細書の記載が実施可能要件
を満たさないとの不備を補うことはできない。
また,たとえ,個々のレーザ条件自体は格別新規なものではないとしても,無数
あるそれらの組み合わせの中から,規定値を満足するような特定の組み合わせを選
択することは困難な場合も多いのであるから,個々のレーザ条件自体は格別新規な
ものではないことを理由として,規定値を満足するようなレーザ条件の組み合わせ
を選択することは当業者が容易にすることができるとすることはできない。
審決は,「本件発明を充足するかの確認…の作業が煩雑であるということをもっ
て当業者が実施することができないとすることはできない。」と判断するが,本件
発明を実施するためには,多数の実験を繰り返すことが必要となるのであるから,
その実験(作業)に過度の負担があれば,実施可能要件を満たさないことは明らか
である。
一方向性電磁鋼板の組成が記載されていないことについて,審決は,珪素を含め
て成分組成の規定を行わないことは,電磁鋼板の分野において,普通に行われてい
ることであるから,一方向性電磁鋼板の成分組成が明示的に記載されていないから
といって,実施可能要件を満たさないとはいえないとするが,一方向性電磁鋼板の
成分組成が記載されていなくても,実施可能要件を満たすと判断する正当な理由が
記載されておらず,理由不備である。
第4被告の反論
1取消事由1に対し
(1)審決は,甲1のFig.10に関して,応力除去焼なまし後の白丸○にて
示される5つの測定点の具体的な半価幅を数値として記載していないが,これは,
本件発明についての無効理由の有無を判断する上では,特段必要とされない事項で
あったから記載しなかったもので,甲1の認定の誤りには当たらない。約0.41
~0.44と一括りにした数値範囲についても,Fig.10から十分に読み取れ
る数値範囲であるから,これが誤りであるとはいえない。
原告は,審決が,半価幅の値の減少について認定していないと主張する。しかし
ながら,審決は,応力除去焼なまし前後の半価幅を認定した上で,応力除去焼なま
し後の半価幅は,「X=0.25,0.5,1,2mmの4点では,応力除去焼な
まし前の0.4を上回って図示されている。」と認定している,すなわち,応力除
去焼なましを行った結果としての半価幅の変化(減少及び増加)が認定されている
のであって,審決に誤りはない。
(2)甲1には,「…応力除去焼なまし後の半価幅については,測定位置に関わ
らずほぼ一定であり,レーザ照射位置近傍に生じていた不均一歪が緩和されたこと
が確認できる。」と記載されているのみであり,「不均一歪が解消されたことが確
認できる。」と記載されているわけではない。そうすると,「不均一歪が緩和され
た」圧延方向の範囲とは,あくまでも,不均一歪の程度が低減された圧延方向の範
囲にすぎないから,応力除去焼なまし後の半価幅の値が減少していないとしても,
これにより応力除去焼なまし前に塑性歪が発生していないとはいえない。加えて,
上記(1)のとおり,X=0.25,0.5,1,2mmの4点では,応力除去焼なま
し後の半価幅は,応力除去焼なまし前の半価幅より減少していないというにとどま
らず,むしろ大きくなっており,このような現象が何故生じるのか,また,これに
よる塑性歪の圧延方向の範囲への影響があるのか無いのか,明確な説明がなされな
い限り,塑性歪の圧延方向の範囲を特定することはできない。
2取消事由2に対し
取消事由1に対して反論したのと同様に,審決の相違点認定に誤りはない。
3取消事由3に対し
(1)塑性歪の圧延方向の範囲の測定方法について,原告が主張する「211回
折の回折線の半価幅の応力除去焼きなまし前後の変化による測定方法」は,本件出
願前の技術常識であったとはいえない。
そもそも,本件明細書の段落【0023】の記載は,換言すると,「本発明にお
いて前記鋼板表面に形成された塑性歪の圧延方向の範囲(最大長さ)は,鋼板表面
の硬さを測定し,加工硬化による硬度上昇量が5%以上の範囲を塑性歪の範囲と定
義し,その塑性歪の圧延方向の範囲(最大長さ)から求められる。そして,鋼板表
面の硬さ測定は,例えばマイクロビッカース硬度計を用いて行うことができる。」
という意味内容である。
したがって,審決が,本件発明1における塑性歪の圧延方向の測定について,「レ
ーザ照射前後において,マイクロビッカース硬度を測定し,その前後における硬度
上昇量変化が5%以上の範囲を塑性歪の発生範囲」と定めたものと認定したことに
誤りはない。
(2)甲1のFig.10から読み取れる塑性歪の範囲の認定については,取消
事由1に対して反論したのと同様に,審決の判断に誤りはない。
(3)レーザ走査条件に関する審決の判断は,塑性歪の測定方法や発生範囲につ
いて,甲1発明が,本件発明1の所定の塑性歪の圧延方向の範囲を満たしていると
いえないなどとする判断を前提として,甲1に記載されているレーザ走査条件に関
する記載を参酌したとしても,上記判断を覆すことができる根拠は見出し得ないと
いうことを示したもので,レーザ走査条件に関する審決の判断に誤りはない。
(4)鉄損値についても,レーザ走査条件の場合と同様,審決は,念のために,
鉄損値の観点からも,甲1発明と本件発明1との異同を検討し,甲1発明が,本件
発明1で規定する塑性歪の圧延方向の範囲を満たしているといえないという判断を
覆すことはできないとの趣旨を述べたものであるから,審決の判断に誤りはない。
4取消事由4に対し
審決は,本件発明1と甲2発明との相違点として,甲2発明では「塑性歪の圧延
方向の範囲が0.5mm以下であるか不明である点。」を認定しているが,これは,
「塑性歪の圧延方向の範囲がレーザ照射部分およびその極く近傍に限定されている
のみであって,0.5mm以下であるか不明である点。」という認定を単に省略し
て記載したにすぎない。現に,審決は,相違点の判断において,甲2発明の「レー
ザ照射部分およびその極く近傍」が,本件発明1でいう0.5mm以下の範囲に該
当するか否かを判断しているのであって,審決の相違点認定に実質的な誤りはない。
5取消事由5に対し
(1)審決は,甲2には,圧延方向における引張残留応力の最大値が70~15
0MPaの範囲の数値となること,また,塑性歪の圧延方向の範囲が0.5mm以
下であることの開示がないことを判断した上で,念のために,レーザ走査条件とい
う他の観点からも判断を加えたものであって,審決の判断に誤りはない。
(2)原告は,「レーザ照射部分およびその極く近傍とは,0.5mm以下の範
囲であることは明らかである。」と主張するが,何らの根拠もない原告独自の見解
であるにすぎない。
(3)鉄損値についても,上記(1)と同様に,他の事項について判断した上で,
念のため鉄損値の観点からも検討を加えたもので,審決の判断に誤りはない。
6取消事由6に対し
本件発明2及び3は,本件発明1の構成をすべて含むものであるから,本件発明
1について取消事由1~5で主張したのと同様に,本件発明2及び3は,甲1発明
又は甲2発明と同一であるとはいえない。
7取消事由7に対し
審決は,甲3の参考表1によって,実施可能要件が充足されるようになったと判
断しているのではない。この参考表1は,本件出願の際の拒絶査定不服審判におい
て提出された手続補正書(方式)の添付資料であり,審査段階の拒絶理由通知書で
引用された特開昭61-235511号公報と本件発明とのレーザ照射条件の違い
を明らかにするために提出した対比表であって,これによって,実施可能要件の不
備を補おうとするものではない。
原告は,レーザ条件の組み合わせの選択の困難性を主張するが,本件明細書には,
レーザ照射条件のうちの少なくとも,レーザ出力,レーザ照射スポット形状,レー
ザ照射スポット間隔,レーザ走査線間隔については開示されており,しかも,圧延
方向の引張残留応力の最大値,また,塑性歪の圧延方向の範囲について,その目標
値が分かっているのであるから,この目標値を得るべく,より具体的な条件(例え
ば,甲3の参考表1に示されるような条件)を設定,調整することにより本件発明
の表面構造を得ることは,当業者にとって格別困難なことではない。
また,本件発明1~3は,電磁鋼板の表面構造を特定することによって特性の改
善を図っているのであるから,電磁鋼板の分野に携わる当業者にとっては,本件明
細書に電磁鋼板の成分組成が限定されていなくても,本件発明1~3を実施するこ
とができる程度に明確かつ十分な記載があるといえる。
第5当裁判所の判断
1本件発明1~3について
平成22年5月31日付け訂正による本件明細書及び図面(甲11,14,15)
によれば,本件発明1~3について,次のとおり認められる。
本件発明1~3は,トランスの鉄心などに利用される低鉄損一方向性電磁鋼板に
関するものである(段落【0001】)。一方向性電磁鋼板における鉄損は,一般
にヒステリシス損と渦電流損に大きく分けられるところ,従来技術では,ヒステリ
シス損低減のための結晶方位制御手法には限界があることから,渦電流損低減を目
的として,一方向性鋼板表面にレーザを照射する等の方法により,鋼板表面に塑性
歪領域を生成させ,磁区の芽を発生させて磁区の細分化を行なうことで,鉄損を低
減する方法が提案されていたが,この方法による鉄損は0.80~0.78W/k
g程度が限界であり,他方,鋼板表面に張力皮膜をコーティングすることにより弾
性歪を付与することで鉄損を低下させる方法も提案されているが,この方法による
鉄損も1.03W/kg程度であった(段落【0003】~【0007】)。
このように,従来技術の一方向性電磁鋼板表面に塑性歪又は弾性歪を付与する方
法により達成される鉄損値の向上効果には限界があったことから,本件発明1~3
は,一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分けて,それぞれの観
点から塑性歪と弾性歪を適正な条件に制御することにより,従来に比べて鉄損に優
れた低鉄損一方向性電磁鋼板を提供することを目的とするもので(段落【000
9】),本件発明1の構成によって,鉄損値が0.70W/kg以下の一方向性電
磁鋼板を得ることができ(段落【0022】,【0024】),また,安定して鉄
損を低減するためには,本件発明1の構成に加えて,本件発明2,3の構成を満た
すことが好ましいことを確認したというものである(段落【0024】~【002
9】)。
2取消事由1~3(甲1発明の認定の当否,本件発明1と甲1発明との相違点
認定の当否,相違点に関する判断の当否)について
原告の取消事由1~3における主張は,要するに,審決が,甲1発明について,
レーザ照射位置から0.25mmの位置(レーザ照射位置を中心として,圧延方向
の前後にそれぞれ0.25mmの位置をとると,その範囲内は,本件発明1におけ
る圧延方向の範囲0.5mm以下という範囲と同じになる。)において塑性歪・不
均一歪が発生していると認定したことは誤りであり,これに伴い,その点を相違点
として認定し,相違点の判断においてもその点が実質的な相違点であると判断した
ことは誤りであるというものであるので,以下でまとめて検討する。
(1)「材料51巻7号(2002年7月)730~735頁」(甲1)には,
電磁鋼板にレーザ照射した場合の残留応力の発生等に関して,次の記載がある。
「1緒言
鉄に合金元素として珪素を加えたり,結晶方位や磁区の幅をコントロールしたりす
ることで,磁気的な性質を改良した鉄板のことを電磁鋼板といい,発電機,変圧器,
モータ等の鉄心として使用されている。…本研究では,著者らが,これまでに開発し
てきた単結晶X線応力測定法を,電磁鋼板の一結晶粒内におけるレーザ照射位置近傍
の残留応力分布測定に適用し,磁区細分化機構解明の第一段階として,レーザ照射に
よる磁区細分化の主要因を検討した。」(730頁左欄1行~右欄17行)
「4実験方法
レーザ照射により導入された残留応力が,磁区の細分化に及ぼす影響を検討するた
めに,レーザ照射後,応力除去焼なまし前後における磁区観察,レーザスポット近傍
の表面観察および形状測定,さらに残留応力分布測定を行った。以降に示す応力除去
焼なましの全ては,水素雰囲気中,800℃,2時間の条件で行った。
4・1供試材および試験片
結晶粒径が20mm程度で,板厚0.23mmの3%Si鉄の鋼帯より,試験片内
に一結晶粒のみを含む15mm×15mmの試験片を切り出し(Fig.4),応力
除去焼なましを行った。次に,磁区の細分化を目的とし,室温大気中において,圧延
方向に対し垂直方向に,3.3mJ/PulseのYAGレーザを0.3mm間隔で試験片
表面に照射した。レーザスポットサイズは,直径約0.18mmである。また,レー
ザ照射した列の間隔は5mmである。」(732頁左欄18行~33行)
「5・3・2レーザ照射位置近傍の半価幅変化
回折線の半価幅は,不均一歪のレベルを示すパラメータであり,その値が大きいほ
ど,不均一歪が大きいといえる。また,塑性歪の増大に伴って,半価幅が増大するこ
とも知られている。レーザ照射位置近傍における応力除去焼なまし前後の半価幅変化
をFig.10に示す。プロットは,各測定位置における,全回折面の3回測定の平
均半価幅を示しており,エラーバンドはばらつき範囲を示している。応力除去焼なま
し前では,レーザ照射位置に近づくほど半価幅が大きくなり,不均一歪が大きいこと
を示している。これは,レーザ照射に伴う衝撃波により生じた塑性変形や,溶融・冷
却・収縮によるレーザスポット近傍における局所的塑性歪の発生を示していると考え
られる。これら不均一歪は,残留応力発生の要因になると考えられる。一方,応力除
去焼きなまし後の半価幅については,測定位置に関わらずほぼ一定であり,レーザ照
射位置近傍に生じていた不均一歪が緩和されたことが確認できる。」(733頁右欄
12行~734頁左欄8行)
「一方,応力除去焼なまし後のレーザ照射位置近傍の残留応力分布は,Fig.11
(b)に示すように,全ての応力成分において,ほぼ-10~50MPaの範囲のバ
ンド内に含まれており,応力除去焼なましにより,残留応力が緩和したことが確認で
きる。」(734頁右欄8行~12行)
「以上に示した結果のように,応力除去焼なましにより,レーザ照射位置近傍におい
て生じていた引張残留応力は緩和され,また,レーザ照射により細分化していた磁区
は,レーザ照射前の磁区幅に戻った。したがって,レーザ照射により導入された残留
応力が,磁区細分化に寄与していることは明らかである。これまで,局所的に導入さ
れた塑性変形により生じた弾性歪場により,磁区が細分化すると報告されてきたが,
本研究により,それを実験的に証明したことになる。」(734頁右欄13行~73
5頁左欄2行)
(2)上記記載及び甲1のFig.10の記載によれば,甲1発明においては,
レーザ照射に伴う衝撃波により生じた塑性変形や,溶融・冷却・収縮によるレーザ
スポット近傍における局所的塑性歪により不均一歪が生じ,それに起因して残留応
力が生じることが開示されており,少なくとも不均一歪が生じていない部分では,
塑性歪も生じていないものと認められる。また,上記記載によれば,応力除去焼な
まし後には,測定位置にかかわらず半価幅がほぼ一定である,すなわち,レーザ照
射位置近傍とそれ以外の場所とで半価幅の差がなくなっており,かつ,磁区幅がレ
ーザ照射前の状態に戻っているというのであるから,不均一歪や残留応力は解消さ
れているものと認めるのが相当であり,これらが「緩和された」との甲1の記載も,
「解消された」という趣旨の記載であると認められる。
そして,甲1のFig.10のとおり,不均一歪のレベルを示すパラメータであ
る半価幅の値は,レーザ照射位置から0,0.25,0.5,1,2mmの各位置
において,応力除去焼なまし前は,それぞれ約0.61,約0.42,約0.40,
約0.40,約0.40であるのに対し,応力除去焼なまし後は,約0.41~0.
43であるところ,上記(1)のとおり,甲1において,応力除去焼なまし後の半価幅
の値がほぼ一定であると記載され,審決もこれと同様の認定をしているように,甲
1のFig.10における半価幅の値として,0.43と0.41との差(0.0
2程度の差)は,誤差の範囲内であり,有意の差ではないというべきである。そう
であれば,応力除去焼なまし前のレーザ照射位置から0.25mmの位置における
半価幅の値0.42も,それ以上離れた0.5,1,2mmの位置における半価幅
の値0.40と比べてわずか0.02の差しかないから,有意の差はないというべ
きであり,さらに,上記の半価幅の値0.42は,不均一歪が解消された状態であ
る応力除去焼なまし後の半価幅の値である0.41~0.43の範囲に含まれ,こ
れらと数値の差がないのであるから,結局,応力除去焼なまし前のレーザ照射位置
から0.25mmの位置においては,不均一歪,ひいては塑性歪は生じていないと
認めるのが相当であり,これを圧延方向の前後についてみると,甲1発明における
塑性歪の範囲は圧延方向0.5mmの範囲内であることになる。
(3)アなお,審決は,本件発明1における塑性歪の範囲については,マイクロ
ビッカース硬度を測定し,その前後における硬度上昇量変化が5%以上の範囲を塑
性歪の発生範囲と定めるものであり,甲1発明とは塑性歪の測定方法が異なるとし
て,本件発明1と甲1発明の塑性歪の範囲を対比することができないと判断し,被
告もこれと同様の主張をしている。
しかしながら,本件特許の請求項1は,塑性歪の範囲の測定方法について何ら特
定しておらず,本件明細書においても,「本発明において前記鋼板表面に形成され
た圧延方向の引張残留応力の最大値は,例えば単結晶X線応力解析法…を用いて圧
延方向の残留応力(弾性歪)を測定し,その最大値から求めることができる。また,
本発明において前記鋼板表面に形成された塑性歪の圧延方向の範囲(最大長さ)は,
例えばマイクロビッカース硬度計を用いて鋼板表面の硬さを測定し,加工硬化によ
る硬度上昇量が5%以上の範囲を塑性歪の範囲と定義し,その塑性歪の圧延方向の
範囲(最大長さ)から求められる。」(段落【0023】)と記載されており,こ
の段落の記載を全体としてみると,引張残留応力の最大値の測定方法と塑性歪の範
囲の測定方法はいずれも例示であると解するのが自然である。したがって,本件発
明1における塑性歪の測定方法が限定されていることを前提とする審決の上記判断
は誤りであり,これと同趣旨の被告の主張を採用することもできない。
イまた,審決は,甲1にはレーザスポット形状,レーザ波長,レーザパル
ス繰り返し周波数等のレーザ走査条件に関する記載がないことをもって,甲1発明
が本件発明1の塑性歪の範囲を満たしているとはいえないと判断している。しかし
ながら,本件発明1においてもレーザスポット形状は特定されておらず,レーザパ
ルス繰り返し周波数等のレーザ走査条件については,そもそも本件明細書にも記載
がないのであるから,甲1にこれらの記載がないことをもって,甲1発明と本件発
明1とが同一でない根拠とすることは不当である。
ウ審決は,本件発明1と甲1発明との技術的思想の相違や,甲1に具体的
な鉄損値の記載がないことを指摘するが,本件発明1の解決課題と甲1に記載され
た課題が異なることや,甲1に発明の効果に関する具体的な数値の記載がないこと
は,物の発明としての同一性の判断に影響を及ぼすものとはいえない。
(4)以上のとおりで,審決が,甲1発明の認定において,「レーザ照射後応力
除去焼なまし前,少なくともレーザ照射位置から圧延方向0.25mmの位置まで
において,211回折の回折線の半価幅が前記圧延方向0.25mmを超えた位置
における211回折の回折線の半価幅に対して大きくなっている」と認定したのは
誤りであり,これに伴い,本件発明1と甲1発明との相違点として,甲1発明では,
塑性歪の圧延方向の範囲が0.5mm以下であるか不明である点を認定したのも誤
りであり,相違点における判断として,上記の点を実質的相違点であると判断した
のも誤りである。
そして,その余の本件発明1の構成については,審決において一致点として認定
されており,この認定については,被告も争っておらず,甲1により認めることも
できるから,結局,本件発明1は甲1発明と同一であると認められることになる。
3取消事由6について(本件発明2及び3について)
本件発明2及び3は,本件発明1の構成に加えて,歪領域の圧延方向の間隔が7.
0mm以下であるという構成,又は,鋼板の圧延方向に対して60~120°の方
向に連続的または所定間隔で形成されているという構成からなるが,甲1には,レ
ーザ照射した列の間隔が5mmであること,圧延方向に対し垂直方向に0.3mm
間隔でレーザ照射することが記載されており,甲1発明は,これらの構成も有して
いるものと認められる。
したがって,本件発明2及び3も,甲1発明と同一である。
第6結論
以上のとおりであって,その余の取消事由について判断するまでもなく,無効理
由1に基づく本件無効審判請求は理由がある。この請求を成り立たないとした審決
は誤りであって,取り消されるべきものである。よって,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官
塩月秀平
裁判官
古谷健二郎
裁判官
田邉実

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