弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
       事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二 事案の概要
 本件は、訴外株式会社茨城新聞社(以下「訴外会社」という。)に勤務していた
亡Aが、昭和六三年二月一九日、脳出血を発症して、その翌日死亡したことが、業
務に起因するものであるとして、被控訴人が、控訴人に対し、労働者災害補償保険
法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料の各支給を求
めたところ、控訴人が右死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして、
不支給の処分をしたことから、被控訴人が右処分の取消しを求めた事案であって、
その概要は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決の「事実及び理由」中の「第
二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決の訂正
 原判決七頁六行目の「実家に訪れていた」を「実家を訪れていた」と改める。
二 控訴人の当審における主張
 原判決には、以下のとおり、重大な法律判断及び事実認定の誤りがある。
1 因果関係についての証明の程度についての法律判断の誤り
 原判決は、最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決(民集二九巻九号一四
一七頁)を引用した上で、厳密な医学的判断が困難であったとしても、被災労働者
の業務内容、勤務状況、健康状態、基礎疾患の程度等を総合的に検討し、それが現
代医学の枠組みのなかで、当該疾患の形成及び発症の機序として矛盾なく説明でき
るのであれば、業務と発症との相当因果関係を肯定することができる旨判示してい
る。
 しかしながら、右最高裁判決の趣旨は、訴訟で争われるべき因果関係は、自然科
学的因果関係そのものではなく、一点の疑義も許されないまでに科学的に究明され
なければ因果関係の立証があったといえないとする立場に立つものではないという
にとどまるものであって、証明の程度を緩和するものではなく、科学的立証が困難
なため、間接事実を前提に経験則により事実上の推定を働かせて因果関係を認定す
る場合であっても、右事実上の推定は心証の程度において直接証拠による認定の場
合と少しも変わらないのである。しかも、ここでいう高度の蓋然性の証明は、自然
科学
的証明と無関係なものではなく、条件関係の証明の有無は、まず、科学的・医学的
確証が得られるか否かにより判断されるべきであり、右確証が得られない場合であ
っても、科学的証明がどこまで達しているかを見届けた上で、これを基礎として、
医学的経験則と矛盾しない、右確証と境界を接する高度の蓋然性の程度の証明がな
されなければならないのである。
 この点、原判決が、被災労働者の業務内容等を総合的に検討し、現代医学の枠組
みのなかで、当該疾患の形成及び発症の機序として矛盾なく説明できるのであれ
ば、それで足りるとするのは、右証明の程度を不当に緩和するものである。すなわ
ち、現代医学の知見に照らし、当該業務が当該疾患の形成及び発症に寄与したとす
る被控訴人の主張に矛盾が認められない場合であっても、それは単にその可能性を
完全には否定できないということを意味するにすぎず、業務起因性につき高度の蓋
然性をもって真実性の確信をもちうる程度に証明されたわけではなく、その程度の
立証では真偽不明の域を出ていないというべきである。
2 医学的知見についての認定の誤り
(一) 脳血管病変が降圧剤治療により回復・治癒する旨認定した誤り
 原判決は、B医師の意見書及び再意見書に基づき、血漿性動脈壊死は治癒に至る
ことがあり、その要因としては、血圧上昇の原因の除去、高血圧を降圧剤で治療、
時間の経過が考えられ、右中膜平滑筋細胞の病変は、血圧を適正に下げることによ
り急速に回復しうるものである旨認定している。
 しかしながら、その根拠として挙げられている各種動物実験は、健康なラットの
腎動脈をクリップで狭窄し、人為的、一時的に高血圧の状態にしたものにすぎず、
右実験結果を直ちに従前から長期にわたり高血圧症を有していたヒトの脳血管病変
にあてはめて同様の結論を導くことはできないといわなければならない。したがっ
て、ヒトの臨床病態を高度の蓋然性をもって推定するには、最低限、人に関する臨
床において、その推定を根拠付ける事実が認められる必要があるところ、原判決が
判示しているような事実を根拠付ける臨床報告は存在しないばかりか、むしろ、動
脈壊死に関連して起こるとされるラクナ病巣は、いったん生じると年余にわたりほ
とんど消失することがないことは公知の事実である。
 よって、原判決が判示するような事実は、到底高度の蓋然性をもって証明された
とはいえない。
(二) ストレス
と脳血管病変との関係についての認定の誤り
 原判決は、B医師の再意見書に基づき、過重負荷の最中や直後に脳出血が起こら
なくても、その時のストレスの影響は蓄積されるものであり、急性血管病変は必ず
しもストレスのピークに出現するものではなく、ときにはストレスからの離脱後に
出現する可能性がある旨認定している。
 過度の肉体的労働、精神的緊張の持続、興奮、不眠等の急性もしくは慢性の心身
への負担が脳血管病変の危険因子になりうるか否かについては、一般的には肯定的
に考えられているものの、その寄与の程度については一般的結論は下し難く、再現
性(科学的信頼度)に富む信頼すべき文献はほとんどないのが現状である。
 疲労とは、日常生活の中で労働のみならず人間関係のもつれや負担によって精神
的あるいは肉体的に疲れたという状態であり、人間が生命現象を維持する限り避け
て通ることのできない現象であるが、疲労のメカニズムと疲労物質の究明が十分に
なされていないため、精神面、身体面の両面にわたる疲労の蓄積度又は過労の程度
をその各々に分けて客観的に測定する確立された方法がなく、さらに、過労の感じ
方や訴えには個人差が考えられ、全ての症例に共通な判定用の物指しを作成するこ
とは医学的に困難である。
 また、B医師が根拠として挙げている動物実験におけるストレス試験は、ラット
を水につけて拘束する、あるいは無音室に入れる等という通常ありえない異常な環
境のもとで行われたものであり、その結果を直ちに通常人に当てはめることには慎
重を要するというべきである。
 逆に、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議の報告書によると、今
日における医学的経験則としては、著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動
や血管収縮を引き起こす過重負荷を受けてから症状出現までの時間的経過について
は、脳出血においてはまれに数日経過する場合があるが、通常は二四時間以内であ
るとされているのである。
 よって、このような過重負荷を受けた時から一か月以上も経過した後に、右負荷
によって脳出血等が起きるというヒトに関する医学的知見は存在しないというべき
である。
3 Aの業務と本件発症との条件関係を肯定した法律判断及び事実認定の誤り
(一) 原判決は、①Aの高血圧症は、昭和六一年九月からの水戸済生会総合病院
での治療により徐々に改善し、昭和六二年五月ころには概ね日常の勤務に耐えられ
る程度には安定し、Aの脳動脈病変も相当程度回復していた、②Aの昭和六二年一
○月から同年一二月までの間の出張校正業務は、高血圧症を有するAにとって極め
て過重な業務であり、この段階でかなりの肉体的・精神的疲労を蓄積していた、③
これによりAの血圧は異常に上昇し、Aの脳血管病変は徐々に進行したが、この時
期には降圧剤の服用により脳出血の発症はなかった、④昭和六三年二月になるとA
の所定外実労働時間は減少したが、Aは引き続き新たな企画に取りかかっており、
疲労が更に蓄積し続けていたところ、このころ降圧剤の服用が十分でなかった可能
性があり、これらの事情が重なって、Aの血圧は高い状態が続き、脳動脈瘤が形成
されつつあった、⑤本件発症前夜の会合における飲酒の影響が切れた際に、交感神
経が緊張し、血圧上昇や血管痙攣が起こって脳動脈瘤の破裂が生じ、脳出血の発症
に至ったとの事実をそれぞれ推認した上で、本件発症と業務との間の条件関係を肯
定することができると結論付けている。
(二) しかしながら、右各推認には、以下のとおり、通常人が疑いを差し挟む余
地があり、未だ本件業務と本件発症との間の因果関係を是認しうる高度の蓋然性が
証明されたとは到底いえない。
(三) ヒトの脳血管における血漿性動脈壊死が回復・治癒することは未だ確立さ
れた医学的知見とは認め難く、逆に治療期間におけるAの血圧は依然として高い状
態にあったから、Aの血管病変が相当程度回復・治癒したとするのは医学的経験則
に反する。また、高血圧により若年でも既に高度な中膜壊死を来すのであって、し
かも、若年時より二〇年以上もの期間にわたる高血圧の慢性的影響により形成され
たAの脳の血管病変が昭和六一年九月から昭和六二年五月までのわずか八か月の治
療により相当程度回復・治癒したと認定するのは極めて不合理である。
(四) Aは、出張校正業務の際には、専門の校正マンに対して指揮命令する立場
にあり、右指揮命令及びその作業のチェックが特別負荷のかかるものではない。ま
た、右期間中にAが病院で受診した日も出勤扱いとなっており、勤務時間もA自身
に相当の裁量権が与えられていた上に、実際の始業時間が午前一〇時や一一時であ
る日も多く見られること、昭和六〇年一一月の出版センターの設置の前後を通じて
業務量が増えたとは認められないこと、訴外会社からアルバイトの使用を自由に認
められていたこと、出張
校正中の通勤にはタクシーを使用していたこと、Aと同年齢でほぼ同じ内容の業務
に従事していたCは健康な状態にあること、Aが右期間中あるいはその直後に脳出
血を起こしていないことを合わせて考慮すれば、右期間中の業務負荷は未だAの血
管病変を自然経過を超えて急激に悪化させるに足りるものとは認められないという
べきである。
(五) 原判決は、過重な業務による肉体的・精神的疲労により、Aの血圧は異常
に上昇したとし、その根拠として、Aの業務が過重になった時期と血圧が異常に高
くなった時期とが符合することを挙げているが、Aの血圧が上昇したのはむしろA
が水戸済生会総合病院から投薬された降圧剤を比較的規則正しく服用していなかっ
たからであって、降圧薬療法が致死的あるいは非致死的脳卒中のリスクを三〇ない
し五〇パーセント減少させるものである上に、Aが高血圧のために何度も入院を勧
告されていたことをも考慮するならば、Aの高血圧治療のためには降圧剤服用が有
効かつ必須であったのに、これを医師から指示されたとおり服用せず、自己の血圧
コントロールを怠った結果というべきであって、それを過重労働があった根拠とす
るのは到底容認できない。さらに、医学的経験則によれば、著しく血管病変等を増
悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷を受けてから症状出現ま
での時間的経過については、通常は二四時間以内であるとされているのであるか
ら、原判決が、特段の医学的根拠を示すことなく、Aの脳血管病変が前記過重負荷
を受けながらも二か月を経過しても発症しないぐらい徐々にしか進行しなかったと
認定しているのは、医学的経験則に反することは明らかである。
(六) 血管病変等の著しい増悪を引き起こす特に過重な業務に従事した場合、過
重負荷を受けてから症状出現までの時間的経過については、せいぜい数日であると
するのが医学的知見であり、負荷を受けてから一、二か月後に発症するというヒト
に関する医学的知見は存在しない。Aの昭和六三年一月における業務は前年の東京
出張中に比べればかなり軽減されていたものであるにもかかわらず、東京出張中に
発症しなかったばかりか、この比較的軽減された勤務においても発症しなかったこ
とは、昭和六二年一二月までの東京出張中の業務が、血管病変を著しく増悪させる
ような過重なものでなかったことの証左というべきである。また、原判決は、昭和
六三年二
月になってからはAの所定外労働時間はかなり減少したことを認めながら、Aが新
たな企画に取りかかっており、Aの肉体的・精神的疲労は二月に入ってからも蓄積
し続けていたと認定しているが、その時期においては、人事録が既に一月末に入荷
したため、これからやる仕事はわずかなものしかないという状態であった上、発症
当日も早退し、死亡当日は休暇を取得することとなっており、時間的制約がなかっ
たことが明らかであるから、右のような認定が経験則に反することは明らかであ
る。
(七) さらに、原判決は、本件発症前夜の会合における飲酒の影響が切れた際
に、血圧上昇・脳動脈瘤の破裂が生じ、脳出血の発症に至ったと判示しているが、
右会合は訴外会社の下請会社が設けた慰労のための打ち上げ会であり、Aは招待を
受けた側であって、会合の費用も右下請会社が負担し、右会合への出席が業務上の
行為でないことは明らかであるにもかかわらず、それによって本件発症が起こった
としながら、業務起因性を認めた理由が何ら記載されていない点は全く不当であ
る。
4 A自身の血圧コントロール不良の影響についての認定の誤り
(一) Aが入院治療しなかったことが業務自体に起因するものであると認定した
誤り
 原判決は、当時Aが出版センターにおいて中心的立場にあり、Aが現場から離れ
て高血圧症の入院治療を受けるとなると、出版センターの業務全般に支障が生じる
可能性があったことにかんがみると、Aが入院治療に踏み切れなかったのは、業務
自体に起因すると判示している。
 しかしながら、Aは、比較的多忙であった東京出張よりかなり前の昭和六二年六
月の時点から既に自ら通院しなくなっていたばかりか、ついには、同年一二月一四
日に二八日分の薬を被控訴人に代理で受け取らせてから後は、仕事が一段落したと
されている昭和六三年二月早々に至っても受診しなかった上、脳出血の発症が冬季
に多く見られることは公知の事実であるにもかかわらず、本件発症前夜に飲酒した
上深夜一二時に帰宅し、翌日死亡していること等からすれば、Aが自己の血圧管理
に意を用いていなかったことは明らかであって、仮にAが訴外会社に対して主治医
から入院を指示されている旨申し出ていれば、訴外会社が入院を控えて人事録校正
業務に従事することを命じたとは到底考えられないのであるから、Aが入院して治
療することを希望しながら業務のために入院できなかったとい
う事情は何ら存在しないといわなければならない。
(二) 降圧剤服用懈怠を過小評価した判断の誤り
 原判決は、Aの疲労が本件発症当時かなりのものであったと認められることに照
らすと、降圧剤の服用不十分の可能性が本件発症に与えた影響は、Aの業務のそれ
に比べれば、小さかったと判示している。
 しかしながら、本件発症当時においては、人事録が昭和六三年一月末に入荷した
ため、これからやる仕事はわずかなものしかないという状態であった上、Aは、発
症当日も早退し、死亡当日は休暇を取得することとなっており、時間的制約がなか
ったばかりか、本件発症前日においても深夜一二時に帰宅するまで飲酒しているこ
とに照らせば、Aの疲労が本件発症当時かなりのものであったとの認定が経験則に
反していることは明らかである。
 さらに、Aのような重度の高血圧患者の治療には、降圧剤の服用が効果的である
とともに必須であるのは公知の事実であり、Aが高血圧のために何度も入院を勧告
されていたことをも合わせて考慮すれば、降圧剤を指示通り服用してしかるべきで
あるのに、それを怠ったAには重大な懈怠があったというべきであり、Aの血圧が
上昇したのは、むしろ本人が医師から指示されたとおり降圧剤を服薬せず、自己の
血圧コントロールを怠った結果というべきであるから、原判決が、降圧剤の服用不
十分の可能性が本件発症に与えた影響は、Aの業務のそれに比べれば小さかったと
判示しているのは、経験則に反している。
 しかも、右判断は、原判決が、極めて過重な業務と評価した労働による血圧の上
昇があっても、それによる脳出血の発症を抑えるだけの効果を降圧剤に認めている
こと(なお、この点の認定は正当というべきであって、被控訴人が前回から四〇日
経過した昭和六二年一二月一四日に最後に降圧剤を受け取っていることからすれ
ば、それと同様の間隔で服用したものと仮定した場合、早ければ昭和六三年一月二
五日には降圧剤は無くなっていたはずであり、Aはそれから約一か月間にわたり降
圧剤を服用しなかった後に本件発症に至ったことになる。)と全く矛盾している。
5 Aの業務と本件発症との相当因果関係を肯定した法律判断の誤り
 原判決は、Aの業務内容が肉体的、精神的に過重な業務であり、これが血圧上昇
の最も有力な原因であったと是認しうるのであるから、本件発症は、Aの業務に内
在する危険が現実化したことによるものとみ
ることができ、本件発症と業務との間に相当因果関係を認めることができると判示
している。
 しかしながら、Aの業務が過重で、その結果として同人の血圧が異常に上昇した
とは到底認められないばかりか、Aの業務による血圧上昇が、日常生活に伴う血圧
の変動値を大きく上回ることについては、何らの立証もされていない。しかも、本
件処分が取り消されるためには、Aの業務と本件発症との間に相当因果関係が認め
られなければならないのであるから、Aの業務内容が血圧上昇の有力な原因であっ
たというだけでは足りず、本件発症の相対的に有力な原因といえなければならない
ところ、本件においては、降圧剤により発症が抑えられていたところ、その服用が
されなくなって約一月足らずの間に本件発症が起こったことからして、本件発症の
有力原因は、降圧剤の服用懈怠であることは明らかである。
 そもそも、Aは一〇歳台から高血圧を指摘され、三九歳で死亡するまで二〇年以
上もの長期間継続していた高血圧により、同人の脳血管は脆弱な状態にあったとい
うことができるのであるから、Aが従事していた業務自体が同人の血管病変を悪化
させたというのであれば、著しく血管病変を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮
を引き起こす過重負荷を受けてから症状出現までの時間的経過については、脳出血
においてはまれに数日経過する場合があるが、通常は二四時間以内であるとする医
学的経験則に照らしても、多忙であった東京出張の間やその直後に発症してしかる
べきであるにもかかわらず、その後二か月足らずも経過した後に発症していること
からして、到底右業務が過重であり、それが相対的に有力な原因となって本件発症
が起こったということはできないといわなければならない。
6 その他
 原判決は、CがAが休暇を取りあるいは早退したと述べている日や、工務店との
契約等の私用で帰宅していると推認される日も勤務時間に含めており、その認定し
た労働時間数は、各証拠関係の整合性を十分吟味したものということはできない。
三 被控訴人の当審における主張
1 Aの勤務状況について
(一) Aの昭和六二年一月以降の勤務状況は以下のとおりである。
(1) 昭和六二年一月から同年一二月までの一年間
 所定外労働時間数 一二八一時間
 実労働時間数   三三七二時間三〇分
 深夜労働時間     六五時間三〇分
 休日取得日数     四六日
(2) 昭和六二
年七月から同年一二月までの六ヶ月間
 所定外労働時間数  八六九時間
 実労働時間数   一九四〇時間三〇分
 深夜労働時間     六二時間
 休日取得日数     一四日
(3) 昭和六二年七月一日から昭和六三年二月一九日までの二三四日間
 所定外労働時間数 九八二時間三〇分
 実労働時間数  二三三二時間三〇分
 深夜労働時間    七一時間三〇分
 休日取得日数    二二日
(二) 右の勤務状況から、Aの業務の過重性は明らかである。
 昭和六二年七月一日から昭和六三年二月一九日までの二三四日間の所定労働時間
数は、原判決の認定によれば一三五一時間(所定労働日数一九三日)であり、Aの
実労働時間数二三三二時間三〇分はその一・七二倍余りとなる(なお、訴外会社の
規定による休日(週一日、ただし月一回週二日となる。)並びに年末年始及び夏期
休暇(合わせて六日)を考慮して右期間の所定労働時間数を算定すれば、一二八一
時間(所定労働日数一八三日)となるから、Aの実労働時間はその一・八二倍とな
る。)。
 Aは、右期間に九八一時間三〇分もの所定外労働を行っている(訴外会社の規定
によれば一〇五一時間三〇分)のであり、その間に業務に従事しなかった取得休日
日数は二二日しかないのである。右期間中の所定休日日数は四一日(訴外会社の規
定によれば五一日)であるから、Aは一九日間(訴外会社の規定によれば二九日
間)の休日労働を行っているのである。特に、Aは、昭和六二年一〇月五日から同
年一二月二六日までの八三日間においては全く休日を取得できなかったのである。
そして、この間の実労働時間数は九七八時間であり、同期間の所定労働時間数四八
三時間の二・〇二倍(訴外会社の規定によれば所定労働時間数四六二時間であり、
その約二・一二倍)にも達していたのであった。
 Aの昭和六二年の一年間における実労働時間数は三二七二時間三〇分にも達して
いたのであるが、年間の所定外労働時間数一二八一時間のうち八六九時間が昭和六
二年七月以降の六ヶ月間に行われていること、年間の二二時以降の深夜労働時間数
六五時間三〇分のうち六二時間が昭和六二年七月以降の六ヶ月間に行われているこ
とに端的に示されるように、Aが従事していた業務は昭和六二年七月以降にその過
重性が集中しているのである。
 そして、Aは、年間三二七二時間三〇分もの長時間労働に従事した後も、必要十
分な休息を確保で
きないままの状態で、昭和六三年一月には九四時間もの所定外労働(そのうち深夜
労働時間九時間三〇分)を強いられ、同年二月においても一七日の所定労働日にお
いて一九時間三〇分の所定外労働を行っていたのである。
 昭和六三年二月においては、Aは右の労働時間数以上に職場又は自宅で業務を行
っていた。すなわち、Aは、当時「茨城人事録」の発送・集金業務と、「ふるさと
いばらきの川」に関する作業に追われながら、大きな売上げを期待できる次の企画
を早急に立ち上げなければならないという焦りの中で、山村暮鳥全集の企画立案の
責任者として自宅においてもその業務を遂行していたのである。
(三) 控訴人は、原判決のAの勤務状況についての認定を論難するが、仮に控訴
人の指摘に従ってAの労働時間を訂正しても、前記の時間数から一八時間が減少す
るに過ぎない。
(四) Aは、本件発症前日の昭和六三年二月一八日夜六時過ぎより訴外IBSサ
ービスの招きで打ち上げ会に出席し、同日一二時頃に帰宅しているのであり、この
うち午後一〇時までの四時間も労働時間に算入すべきである。
2 ストレス、疲労の蓄積と高血圧の増悪についての医学的知見
 以下の医学的知見は、精神的肉体的ストレスが高血圧の増悪を招くこと、長時間
の労働や残業、疲労の蓄積が、職場の有害因子として脳・心臓疾患の発症を惹起す
ることを明らかにするものである。
(一) アメリカの航空管制官四三二五人と二級操縦士八四三五人を比較した研究
で、高血圧症の発生頻度と有病率を調査したところ、そのいずれにおいても、航空
管制官の方が五・六倍高く、しかも、同じ管制官でも運行密度が高い管制塔に勤務
するグループの方が有病率が一・六倍高かったとの報告がされている。
(二) 国立公衆衛生院次長であったDは、一九八九年から一九九三年まで、一六
産業、二五八企業の三〇歳ないし五九歳の労働者約一万六七〇〇人を対象とした、
労働ストレスや生活習慣、健康状態に関する「ストレスと健康」総合調査を行い、
その結果、労働条件では「過労働六〇時間以上」と「月残業五〇時間以上」とが、
高血圧の新発症や悪化の要因として統計学的に有意であるとの報告をしている。
(三) 一九九六年日本産業衛生学会の循環器疾患の作業関連要因検討委員会は、
四〇〇以上の国内外の論文、報告書を基にまとめた「循環器疾患の作業関連要因検
討報告書」において、月五〇時間以上の残業
、週六〇時間以上の長時間労働を原則として禁止することを提唱しており、続い
て、同委員会がまとめた「職場の循環器疾患とその対策(一九九八年度)」におい
ても、長時間労働は健康に有害であり、月五〇時間以上の残業、週六〇時間以上の
長時間労働は原則として禁止されることが望ましいと明記している。
(四) 富山医科薬科大学の共同研究では、一九九〇年から一九九三年の間、三〇
歳ないし六九歳の日本人男性労働者一九五人を対象に、年齢と職業をマッチさせた
三三一例との症例対照研究をしたが、その結果によれば、一日平均労働時間が一一
時間以上の労働者は、七ないし九時間以上の労働者に比べて、急性心筋梗塞の発症
危険度が二・四四倍に増えており、労働時間の増加と心筋梗塞発症危険度には、統
計学的に強い相関関係が得られたとされている。
(五) 約二万人の労働者を対象とした「ストレスと健康」調査において、調査開
始以降に心疾患や脳血管疾患を新規に発症した男性労働者一〇二名と、性、年齢、
職種を一致させ、高血圧、糖尿病、心電図異常の状態を可能な限り一致させた対照
群とを比較した結果、発症群は対照群に比較して、休日が少なく、残業時間、外
泊、深夜勤がやや多い傾向があり、仕事量、時間圧迫等の職務ストレスをいつも感
じているとする者が多く、蓄積疲労徴候を訴える者、睡眠障害を訴える者が多い傾
向を示した。
(六) 一万人弱のサービス関連の従業員の健康調査結果では、残業時間が長くな
るに従って、疲労感、イライラ・ストレス感の増加、就寝時刻の不規則化、睡眠時
間の減少、疲労の蓄積の発生、健康法不実施率の増加、高血圧等の有病率の増加に
つながっているとの報告がされている。特徴的なことは、仕事の忙しさや休日日数
が自覚症状のみならず疾病の頻度にも影響しているということであった。ストレス
性疾患の代表ともいえる高血圧や胃炎・消化性潰瘍では、休日が少なくなるほど、
また仕事が慢性的に忙しいという人ほど有病率が高くなっている。
(七) 若年性又は境界域高血圧においては、特に初期軽症時に、交感神経活動亢
進状態が認められ、これが血圧上昇維持に一定の役割を果たしていると考えられ、
したがって、本態性高血圧の素因のある若年労働者に対しては、過度の精神的スト
レスや過度の作業負荷は避ける必要があるとの報告がある。
(八) 脳出血と脳梗塞患者について、危険因子と引き金因子を検討した結果
として、発症年齢の若いグループでは疲労・ストレスが発症に関与している可能性
が強く示唆されたこと、脳出血発症のメカニズムとして、高い血圧が脳出血発症の
直接的なキッカケと考えられること、疲労・ストレスが血圧を上昇させることはよ
く知られているが、そのほかにもヘマトクリットの上昇、耐糖能の低下、飲酒量や
喫煙量の増加を通じて動脈硬化症を進展させる方向に働くとの報告がされている。
(九) 高血圧性脳内出血発症と精神的ストレスとの関係について、高血圧性脳内
出血症例の発症直前の行動を調査してみると、運動中とか、重い荷物を運んでいる
最中の発症は意外に少なく、むしろ多忙で、疲労が重なり、更に睡眠が不足してい
た時などに、特別な直接的誘因なしに発症することが多いようであり、この点は同
じ脳血管障害でもクモ膜下出血とは明らかに異なっているとの報告がされている。
3 Aの過重業務と高血圧の増悪
(一) Aの業務の過重性が同人の高血圧症の増悪に与えた影響については、昭和
六二年七月以降の継続した長時間労働との関係で検討されるべきである。既に述べ
たとおり、Aの所定外労働時間数は、昭和六二年七月が一二八時間三〇分、八月が
一二八時間、九月が九九時間、一〇月が一四〇時間、一一月が二〇八時間三〇分と
なっており、長時間労働が継続しているのである。その結果Aの血圧は、同年一〇
月七日には二二〇/一四〇に上昇し、高血圧症が増悪したのである。
 これに対して、前年の昭和六一年一○月から昭和六二年五月までの間のAの所定
外労働時間数は合計で三三八時間であり、月平均では四二時間余りなのである。こ
れは、同年七月から九月までの三か月間の所定外労働時間数三五四時間、月平均一
一八時間の約三五パーセントの時間数である。そして、昭和六一年一二月から昭和
六二年五月までの間のAの血圧は、収縮期血圧一五四ないし一六四、拡張期血圧九
二ないし一一六と比較的安定していたのである。
(二) なお、Aは昭和六二年四月一七日から同年五月七日までの二一日間は薬切
れ期間となっているにもかかわらず、その直後の五月八日に測定された血圧は一六
四/九二であり、昭和六二年一月以降の血圧値との変動が僅かであることは、この
五月八日以前のAの労働時間数がそれ程過重でなかったことの結果であることを示
すものである。また、この事実は、二一日間の投薬切れのみでは血圧が上昇するも
のではないこと
を示すものである。これに対して、Aは昭和六二年九月二五日から一〇月二二日ま
での間投薬を受けているところ、一〇月七日及び一五日の血圧が高い値であるとい
うことは、投薬のみによって血圧を低下させることができないことを示すものであ
る。同時に、この時点の血圧が投薬中であるにもかかわらず上昇した事実は、長時
間労働による肉体的精神的過重負荷が高血圧を増悪させた事実を示すものなのであ
る。
(三) Aは、昭和六二年の一年間に三三五〇時間を超える長時間労働に従事した
後、昭和六三年-月にも九四時間(そのうち深夜労働時間九時間三〇分)もの所定
外労働を行ったのであり、その間の疲労の蓄積は著しいものであったことは容易に
認定されるのである。そして、その後の同年二月においても、Aは蓄積した疲労を
除去できるだけの十分な休息をとることができないままに二三時間三〇分(二月一
八日の四時間の所定外労働時間を含む。)の所定外労働を含む業務に従事したこと
から、その高血圧症が自然的経過を超えて増悪した結果、脳出血を発症したのであ
る。
 Aは、昭和六三年二月には、右労働時間数以上に職場又は自宅で業務を行ってい
た。すなわち、Aは、当時、「茨城人事録」の発送・集金業務と「ふるさといばら
きの川」に関する作業に追われながら、大きな売上げを期待できる次の企画を早急
に立ち上げなければならないという焦りの中で、山村暮鳥全集の企画立案の責任者
として自宅においてもその業務を遂行していたのであり、その精神的肉体的負担は
強いものがあった。
(四) かかるAの過重な労働負荷と、Aの健康状態の悪化の経過からすれば、A
の脳出血発症の業務起因性は明らかなものとして肯定されるべきである。
4 Aが降圧剤の服用を怠ったとの主張について
(一) 控訴人は、Aが降圧剤の服用を怠ったことは重大な懈怠であり、Aの血圧
が上昇したのは医師から指示されたとおり降圧剤の服薬をせず、自己の血圧コント
ロールを怠った結果である旨主張する。右主張がAに重過失があったという趣旨で
あれば、被控訴人としてはこれを争うものであるが、労基法七八条、労災保険法一
二条の二第二項は、労働者に重過失があった場合でも給付が制限されることがある
だけで、労災補償制度上使用者は完全には免責されない制度となっているのである
から、労働者の注意義務懈怠は業務起因性を否定する理由になり得ないものであ
る。
(二) また
、降圧剤の投薬期間が七か月以上の患者の五年間の脳卒中発生率は六・一パーセン
トであったのに対し、投薬期間が六か月以下の患者では脳卒中発生率が三四・四パ
ーセントと明らかな違いを認めたとの報告(甲四〇)がある。右報告の当時は、明
確な治療基準もなく、Aに投与されたカルシウム拮抗薬やACE阻害剤などの有効
な降圧剤もない時代の治療であったにもかかわらず、治療群と非治療群との間には
明確な差異が認められ、七か月以上の治療を受けた者で脳出血を発症した例は一例
もなかったのである。しかも、治療群の多くは不規則、断続的な治療であったが、
五年間の脳卒中予防効果は継続的治療を受けた者と差がなかったと報告されてい
る。これによれば、Aの通院治療、投薬治療が不十分であったから発症したとの控
訴人の主張は医学的根拠を欠くものである。
(三) 各種報告によると、三〇歳代での脳出血発症数は年間脳出血発症総数の数
パーセントであり、これによれば、Aの年齢での脳出血の発症が非常に少ないもの
であることが確認される。
 なお、控訴人の、Aの脳血管は、昭和六二年七月以降の長時間労働が開始される
以前の段階においても、八〇歳代の健康な者のそれよりも脆弱な状態であったとの
主張は、証拠の裏付けを欠くものである。
5 相対的有力原因説について
(一) 控訴人は、Aの業務と本件発症との間に相当因果関係が認められなければ
ならないのであるから、Aの業務内容が本件発症の相対的に有力な原因といえなけ
ればならない旨主張するが、右主張は法律判断を誤ったものである。
 労働基準法、労災保険法等が規定する法定補償制度は、憲法二五条及び二七条を
具体化するために設けられたものであって、労働者が人たるに値する生活を営むた
めの必要を満たすべき最低労働条件を確保して、被災労働者とその家族の生活を保
障することを目的とするものであり、社会に発生した損害を公平に填補することを
目的とする損害賠償制度とは制度目的を異にするものである。したがって、労災補
償制度においては、損害賠償の場合のように、加害者と被害者の立場の交換可能性
は全くないのであるから、損害賠償制度の救済対象の範囲よりも救済対象を拡大す
る必要性と合理性がある。また、法定補償制度の趣旨に照らせば、業務と関連性の
ある負傷、死亡、疾病のうち、通常の場合に生じる負傷、死亡、疾病だけを法定補
償の対象とするのでは、制度の目的を
達成することができない。そこで、労災保険法、労働基準法とも補償の対象を「業
務上の」負傷、疾病、障害又は死亡と規定し、「業務による」負傷等とは規定して
いないのであるから、その救済対象の範囲を損害賠償制度よりも拡大する趣旨と解
するほかないのである。このような事情から、旧工場法においても、労災保険法の
制定当初においても、「業務上」の意義を相当因果閑係説によっては解釈していな
いのであるから、控訴人の主張はその立法の沿革にも反する。
 右のような法定補償制度の目的に照らせば、業務上の負傷、死亡、疾病とは、労
働者保護の見地から、当該負傷、死亡、疾病が法定補償制度による法的救済を与え
ることが合理的か否かの総合的な実質的判断により決定されるべきであり、業務と
当該負傷等との合理的関連性の有無によって決せられるべきものなのである。
(二) 仮に業務と負傷等との間に相当因果関係を要するものとしても、その内容
はそれぞれの法律関係ごとに個別的に決められるべきものであって、労災保険法に
おける相当因果関係を損害賠償制度におけるそれと同一と解してはならない。
 労働基準法七八条は、労働者が重大な過失によって業務上負傷し、又は疾病にか
かり、かつ使用者がその過失について行政官庁の認定を受けた場合には、休業補償
又は障害補償を行わなくてもよい旨規定し、労災保険法一二条の二第二項も、労働
者が故意の犯罪行為若しくは重大な過失により、又は正当な理由がなくて療養に関
する指示に従わないことにより負傷等を生じさせたときは、政府は、保険給付の全
部又は一部を行わないことができる旨規定しているところ、これらの規定は、労働
者に重大な過失があり、これにより負傷等を負った場合でも、すなわち被災労働者
の重大な過失と比較して業務が相対的に有力な原因でない場合であっても、業務と
負傷との間の相当因果関係自体は肯定され、業務上の疾病等と認定した上で、給付
制限のみを行うことができることとしているのである。ところが、相対的有力原因
説によれば、傷病等の原因が業務と被災労働者の重大な過失と競合した場合には、
被災労働者の重大な過失と比較して業務が相対的に有力な原因でない限り、当該疾
病等が法定補償の対象となることは理論的にあり得ないことになる。労働基準法及
び労災保険法の右規定に照らすと、相対的有力原因説は、法定補償の対象を決定す
る法理として不相当といわなけ
ればならない。
(三) 被災者の疾病の発症、増悪につき、業務と関連性を有しない被災者の素
因、基礎疾患等が原因となった場合であっても、被災労働者の従事した業務が素因
等を誘発又は増悪させて発症等の時期を早めるなど、業務に内在する危険が現実化
して発症等の結果を招いたと認められる場合には、業務と発症との間に相当因果関
係が成立すると解するのが相当である。そして、右相当因果関係の判断に当たって
は、当該被災労働者の素因、基礎疾患などの一切の事情を考慮に入れて、すなわ
ち、基礎疾患を有し又は基礎疾患を発症している当該労働者を対象として、被災労
働者の従事した業務が素因等を増悪させて発症等の時期を早めるなど、業務に内在
する危険が現実化して発症等の結果を招いたと認められるか否かを判断すべきであ
り、これが肯定される場合には、当該発症等は業務上の疾病として、補償の対象と
されるべきである。
第三 当裁判所の判断
一 Aの業務内容、勤務状況、健康状況等について
 Aの業務内容、勤務状況、健康状況等については、次のとおり付加、訂正するほ
かは、原判決五八頁二行目冒頭から同七六頁五行目末尾までに記載のとおりである
からこれを引用する。
1 原判決五八頁五行目の「(一)Aは、」の後に「昭和四九年三月に大学を中退
後、家業手伝い、東京都内の出版社勤務を経て、昭和五五年五月に訴外会社開発局
出版課に嘱託として採用され、昭和五七年四月には正社員として採用された上、同
課に配属されたもので、右採用以来一貫して訴外会社の出版部門(昭和六〇年から
出版センターに改組)の仕事に携わってきた者である。出版センターにおいて、A
は、」を加える。
2 同五九頁一行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
「訴外会社に採用されて以来、Aは、茨城県大百科事典(昭和五六年)、高校野球
グラフ(昭和五七年)、一九八四年版茨城人事録(昭和五八年)、茨城県万能地図
(昭和五九年)、科学万博関連出版物(昭和六〇年)、科学万博記録誌(昭和六一
年)、一九八八年版茨城人事録(昭和六二年)の出版に相次いで携わった。」
3 同六〇頁八行目から九行目にかけての「大日本印刷株式会社」の後に「(以下
「大日本印刷」という。)」を加える。
4 同六〇頁一○行目冒頭から同六一頁一行目末尾までを「水戸から連れていった
アルバイトのほか、東京で雇い入れた一〇名前後の校正作業員を監督、管理し、印
刷所へ
の指示を出すほか、自らも右校正作業に従事するなどの業務に従事した。」と改め
る。
5 同六一頁五行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
「なお、Aは、人事録が完成した後も、その発送、集金、帳簿整理等の業務を行わ
なければならなかった。」
6 同六一頁七行目の「甲第九、」から同六二頁八行目末尾までを次のとおり改め
る。
「甲第二ないし第一〇、第一八、第一九、乙第一二、第一五号証、証人C及びEの
各証言及び被控訴人本人尋問の結果によると、昭和六二年七月一日から昭和六三年
二月一九日までの間のAの勤務時間は、以下のとおり訂正するほか、原判決添付別
表「A勤務時間実績表」のとおりであることが認められ、甲第二八号証、乙第一五
号証の記載及び証人Cの証言中右認定に反する部分は、十分な裏付けに欠けるもの
であり採用できない。なお、本件当時の出版センターにおける始業時間は午前九
時、終業時間は午後五時であり、訴外会社とその労働組合との間で労働基準法三六
条一項の協定は締結されていなかった。
(1) 昭和六二年一○月七日の退勤時刻欄に「17:00」とあるのを「13:
00」と、同じく実労働時間欄に「7」とあるのを「3」とそれぞれ改める。
(2) 同月八日の「出勤時刻」から「実労働時間」までの欄を「休み」と改め
る。
(3) 同月一五日の「出勤時刻」から「実労働時間」までの欄を「休み」と改め
る。
(4) 同年一一月二五日の「出勤時刻」欄に「09:00」とあるのを「14:
00」と、同じく実労働時間欄に「12」とあるのを「8」とそれぞれ改める。
(5) 昭和六三年一月一三日の退勤時刻欄に「2430」とあるのを「26:0
0」と、同じく「所定超え時間外労働時間」欄に「7.5」とあるのを「9」と、
同じく実労働時間欄に「14.5」とあるのを「16」と改める。
(6) 同月の「所定超え時間外労働時間」の「合計」欄に「92.5」とあるの
を「94」と改める。」
7 同六二頁一〇行目の「前記訂正後の」から一一行目末尾までを次のとおり改め
る。
「Aは、前記認定のとおり、訴外会社に採用されて以来多数の出版物の出版業務に
携わってきたが、右出版物の出版前の数か月から半年以上の期間、いずれも月間一
〇〇時間を超える時間外労働に就いていた。また、Aは、昭和六二年一月は合計三
七時間、二月は合計六七・五時間、三月は合計七五・五時間、四月は合計九五時
間、五月は合計六〇
・五時間、六月は合計七二・五時間の時間外労働を行った。なお、前記訂正後の原
判決添付の別表に従って、Aの昭和六二年七月以降本件発症までの勤務時間の状況
を整理すると、次のとおりである。」
8 同六四頁四行目の「四日(公休日)を除く三〇日間」を「四日、八日、一五日
を除く二八日間」と、五行目の「三二二時間」を「三〇四時間」とそれぞれ改め
る。
9 同六四頁九行目の「三六九・五時間」を「三六五・五時間」と改める。
10 同六六頁四行目末尾の次に「なお、この間Aは、一月一三日から一九日ま
で、人事録の最終校正のため東京に出張している。」を加える。
11 同六六頁一一行目の「乙第一五号証、証人Cの証言」を「乙第一五、第一六
号証、証人Cの証言、被控訴人本人尋問の結果」と改める。
12 同六七頁五行目から六行目にかけての「編集準備を行い」から同七行目末尾
までを「編集準備を行ったが、時間外労働はしていない。」と改める。
13 同六九頁二行目から三行目にかけての「「山村暮鳥全集」の」から四行目末
尾までを「人事録の残務整理や、「山村暮鳥全集」の企画立案の業務を、自宅に持
ち帰って午後一二時ころまで行うなどしていた。」と改める。
14 同七〇頁二行目の「甲第二八、第三〇」を「甲第六、第一四、第二八、第三
〇、第三三」と改める。
15 同七一頁一行目冒頭から八行目末尾までを次のとおり改める。
「(1) Aは十歳代のころから血圧が高かったが、特に治療は受けていなかっ
た。
(2) 昭和五九年六月、Aは左半身のしびれを覚えて水戸協同病院で受診し、血
液、尿、心電図、眼底、胸部X線等の検査を受けたところ、血圧が高いほかは特段
の異常は見つからなかったので、以後通院にて投薬治療を受けたが、その結果ひど
い頭痛を覚えたため、同年七月下旬で通院を取りやめた。また、Aは、同年一一月
一九日に行われた訴外会社の定期健康診断を受けており、その際血圧は一八二/一
二四と高い値を示したが、血液、尿、心電図、胸部X線の検査結果に異常はなかっ
た。
(3) Aは、昭和六〇年一一月にも訴外会社の定期健康診断を受けているが、そ
の際の結果も、血圧が一六四/一〇八と高かったほかは、血液、尿、心電図、胸部
X線の検査結果に特段の異常は見られなかった。」
16 同七一頁一一行目から同七二頁一行目にかけての「高度に上昇していたもの
の、」の後に「脈搏七二/分整、心音清、心雑音マイナ
ス、心電図正常、胸部X線上両側上野に陳旧性肺結核陰影、心肥大、大動脈硬化所
見を認めず、腎機能正常、肝機能正常、血清脂肪値正常という結果で、」を加え
る。
17 同七二頁四行目の「以後、」から八行目末尾までを次のとおり改める。
 「Aは、右の初診時の後、次に示すとおり六回にわたり医師の診断を受けたほ
か、昭和六一年一一月二八日及び昭和六二年二月一三日にも通院しており、初診時
を含め都合九回通院し、その都度降圧剤の投与(初診時は七日分、二度目の診察時
は一四日分、その後はいずれも二八日分。)を受けていた。」
18 同七三頁一行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「(なお、右同日行われた空腹時血糖の検査値は正常であった。)」
19 同七三頁四行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「(なお、右同日行われた胸部X線検査の結果は正常であった。)」
20 同七三頁五行目末尾の次に行を改めて次のとおり加える。
 「(なお、右同日行われた血液、尿検査の検査値は正常であった。)」
21 同七三頁七行目の「しかし、」から九行目の「(いずれも二八日分)。」ま
でを「Aは、昭和六二年六月ころから人事録の業務が忙しくなり、通院することが
困難になってきたことから、同年五月八日を最後に通院を中止し、以後は被控訴人
に降圧剤(いずれも二八日分。)を受け取りに行かせるようになった。また、A
は、このころから、仕事が忙しいため食事も不規則になり、昼食を取り損なって一
日二食になってしまうこともあったことから、一日三回服用すべき降圧剤の服用
も、一日二回となってしまうこともあった。」と改める。
22 同七四頁八行目の「同病院のF医師から」から同一〇行目末尾までを「同病
院のF医師は、循環障害を疑い、腹痛も腹部アンギーナの可能性が大きいものと考
え、とりあえず注射で応急処置として痛みを止め、異常高血圧によるこれからの危
険性をAに説明した上で、筑波大学附属病院で精査を受けるように勧め、紹介状も
書いて、同附属病院での外来日を確保した。」と改める。
23 同七五頁三行目から四行目にかけての「内分泌学的検査には異常は認められ
なかった。」を「それ以外には、心肺に異常なく、腹部にも血管雑音なしという状
態で、検尿、血中及び尿中カテコールアミン、血漿レニン、アルドステロンの測定
及び腹部超音波検査(同月二三日に実施)の結果からも、二次性高血圧は否定的と
の診断であった。」と改める。
24 同七五頁一○行目末尾の後に「また、Aは、同年一二月ころ、顔色が悪くな
り、仕事中立ち上がる際によろけるところを、大日本印刷水戸営業所のGによって
目撃されている。そのころ、被控訴人は、東京にいるAと電話で会話した知人か
ら、Aの声がとても疲れている様子で、呼吸も非常に苦しそうであったとの連絡を
受けた。」を加える。
25 同七六頁二行目冒頭から五行目末尾までを次のとおり改める。
「(五) 昭和六三年一月から二月にかけてのAは、ひどく疲れた様子であり、毎
朝起きるのもつらそうな様子で、休みの日には一日中寝ている状態であった。また
Aは、被控訴人に対し、疲れが取れない、体の力が抜けてしまったようだと話して
おり、発症の数日前からは、被控訴人に対してひどい頭痛を訴えていた。
(六) 本件発症前日である同年二月一八日夜、訴外株式会社IBSサービスの接
待で飲食した後に帰宅した際、Aは、顔色は悪く、大変疲れた様子であり、頭痛が
ひどい旨を被控訴人に告げて、すぐ就寝した。
(七) 発症当日の同月一九日朝、Aは、被控訴人が何度か起こしても起きられ
ず、ひどく疲れた様子であったが、午前八時三〇分ころ目を覚まし、朝食も取らず
に出勤した。午後六時ころ被控訴人が帰宅したところ、ふとんの上にAが下着姿で
横向きに倒れており、被控訴人が声をかけても応答しないという状況であったの
で、Aは救急車にて水戸済生会総合病院に搬入された。搬入時のAの状態は、対光
反射なし、除脳硬直を示す、CTスキャンにて中脳に及ぶ視床出血あり、最重症型
と考えられたので手術の適応はないと判断され、保存療法が行われたが、同月二〇
日午後六時一二分同病院においてAは死亡した。」
二 脳出血及び高血圧についての医学的知見
 証拠(甲三八、三九、四〇の一ないし九、四一の一ないし四、四五の一ないし
四、四六ないし四九、乙二三、三七ないし四三、四七ないし四九、五二、五三の一
ないし七、五三の一〇ないし一二、五四、五五)及び弁論の全趣旨によれば、脳出
血及び高血圧についての医学的知見に関し、以下の事実を認めることができる。
1 脳出血について
(一) 脳出血とは、脳内の血管が破綻した結果、脳実質内に出血を来す疾患であ
り、その原因としては、高血圧のほか、動脈瘤破裂、脳腫瘍内の出血、脳動静脈奇
形など様々なものがあるが、その大部分は高血圧性脳出血であると
されている。高血圧性脳出血は、脳底部の動脈のほか、線条体動脈や視床動脈等の
穿通枝系動脈に好発する(甲四〇の四、四八ほか)。
(二) 高血圧性脳出血の発症機序について、現在最も一般的に受け入れられてい
る見解は、中膜障害が先行した脳内動脈の内膜に血漿浸潤が生じたために、組織融
解と類線維素変性すなわち血漿性動脈壊死が起こり、それに起因して生じた小動脈
瘤が破綻するために脳出血が発生するとするものである(甲三九に添付の大根田玄
寿氏の論文)。一方、人工的に高血圧の状態にして中膜筋細胞壊死を生じさせた動
物を用いた実験において、高血圧の原因を除去することによって血庄を下げたとこ
ろ、中膜筋壊死が修復されたとの報告がされている(甲四一の二)。また、ヒトの
剖検例においても、動脈瘤が血管結節瘤となって瘢痕性に治癒することが確認され
ている(乙四八)。
(三) 高血圧性脳出血の最大の要因は、いうまでもなく高血圧であって、福岡県
粕屋群〈以下略〉における脳血管性障害の疫学的研究の結果によれば、調査対象と
された一六二一人のうち、昭和三六年一一月から昭和四二年一〇月の六年間に一八
例が脳出血を発症しているが、そのうち境界高血圧を含む高血圧の者はそのうち一
七例であり、正常血圧のものは一例しかなく、そのうちでも拡張期性高血圧の者が
一二例と最も多かったとの報告がされてい(甲四〇の六)。他方、ヒトの脳動脈が
高血圧にさらされた場合に、それが破綻するまでにどの程度の日時を要するのかと
いう点についての確立した知見はない(乙四八)。
(四) 高血圧以外の要因としては、性(男性に多い)、年齢(高齢者特に六〇歳
以上の者に多い)、家族歴(家族に脳血管障害を発症した者を有する者に多い)、
自覚症状(手足のしびれ、頭痛を訴える者に多い)、飲酒(多量飲酒者に多い)、
コレステロール(血清コレステロール値が低い者に多い)、季節(冬に多い)等が
指摘されているが、喫煙については、我が国における疫学調査では、脳出血の発症
に寄与するとの報告はされていない(甲四五の四、乙五三の三)。また、疲労の蓄
積と脳・心臓疾患に関する研究会は、疲労の蓄積ないし過労の状態は、過食、栄養
の偏り、運動不足、睡眠・休養不足等といったリスクファクターの形成を促進する
こと、疲労の蓄積ないし過労は上記過食等のリスクファクターに影響して、脳・心
臓疾患発生の基盤となる異常状態及び疾患
の形成を誘発したり、あるいは既に形成された疾患の程度を一層増悪したりする作
用を有するものと考えられること、さらに、疲労の蓄積ないし過労は、いわゆるト
リガーとなって、基盤となる異常状態及び疾患に作用し、脳・心臓疾患の発症を誘
発することがあると考えられること等の報告を行っている(甲五二)。
(五) 以上から、脳出血を含む脳血管疾患については、血圧の管理が非常に重要
とされており、特に後述する重症高血圧の場合には、直ちに降圧剤を投与するとと
もに生活習慣の修正を指導すべきものとされている。前記αにおける疫学調査の結
果によっても、昭和三六年一一月から昭和四一年一〇月までの五年間に発症した脳
血管疾患二四例のうち、二一例(八七・五パーセント)は降圧剤投与を受けなかっ
たかあるいは六か月以内の投与例からの発症であり、七か月以上の投与例からの発
症は三例(一二・五パーセント)にすぎず、特に、脳出血八例の全ては降圧剤投与
を受けなかったかあるいは六か月以内の投与例からの発症であるとの報告がされて
いる(甲四五の三)。また、若年性重症高血圧(二〇歳未満では拡張期血圧一一〇
mmHg以上、二〇歳以上四五歳未満では拡張期血圧が一二〇mmHg以上の高血
圧患者で、基礎疾患は本態性高血圧及び症候性高血圧の全てを含む。)四〇五例の
予後についての報告によると、一九五六年から一九七五年に入院した一二五例中の
五八例(四六・四パーセント)、一九七六年から一九八四年に入院した八五例中の
五例(五・九パーセント)、一九八五年から一九九五年に入院した六三例中の七例
(一一・一パーセント)がそれぞれ死亡したが、この死亡率の違いは、一九七〇年
代後半以降開発使用されるようになったカルシウム拮抗薬等の強力な降圧剤の使用
によるものと考えられている(乙四七)。
2 高血圧について
(一) 高血圧は、明らかな原因を持たない本態性高血圧と、慢性腎炎、原発性ア
ルドステロン症、クッシング症候群、褐色細胞腫、大動脈縮窄症等、血圧上昇の原
因が明らかな二次性高血圧とに分類され、高血圧の九〇パーセントは前者であると
されている。本態性高血圧の診断は、二次性高血圧を除外することによって行われ
る(甲四七)。
(二) 最近のものではあるが、日本高血圧学会高血圧治療ガイドライン作成委員
会が作成した高血圧治療ガイドライン二〇〇〇年版(乙五三の一二)によると、成
人における高血圧
の重症度の分類は次のとおりである。
      収縮期血圧       拡張期血圧
軽症  一四〇ないし一五九 又は  九〇ないし九九
中等症 一六〇ないし一七九 又は 一〇〇ないし一〇九
重症    一八〇以上   又は   一一〇以上
 そして、重症高血圧の者は、高リスク群に属するものとされ、高リスク群では、
直ちに降圧剤を投与し、生活習慣の修正を開始すべきものとされている。
(三) 高血圧の危険因子としては、遺伝的素因(親が高血圧である者は高い)、
年齢(加齢とともに高くなる)、性(男性は高い)、食塩摂取、肥満、運動不足、
アルコール、ストレス等が挙げられており、これに応じて、高血圧対策としては、
高リスク群に対する降圧剤の投与のほか、食塩制限、適正体重の維持、有酸素運動
療法、アルコール制限、コレステロールや飽和脂肪酸の摂取を控える、禁煙等の生
活習慣の修正を実施すべきものとされている(甲四七)。
三 Aの発症の業務起因性
1 Aの死因について
 Aの死亡直前のCT所見からみて、Aが脳出血で死亡したことは明らかである
が、右脳出血の原因については、本件において、Aに高血圧以外に脳出血の原因と
なるような疾患があったとの事情は見出せない上に、脳出血の大部分は高血圧性の
ものであるとされていることからみて、Aは高血圧性脳出血により死亡したものと
認めることができる。そうすると、本件における問題は、Aの本件発症を生じさせ
るに足りる高血圧の原因及びその業務起因性の有無ということに帰着することにな
る。
2 昭和六二年五月までの状況
 前記認定のとおり、Aの血圧値は、昭和五九年一一月の健康診断において一八二
/一二四、昭和六〇年一一月の健康診断において一六四/一〇八、昭和六一年九月
二四日の水戸済生会総合病院受診時に二一四/一四二と、いずれもかなり高い値を
示しており、特に、昭和五九年一一月と昭和六一年九月の血圧値は前記高血圧治療
ガイドラインの重症度分類によればいずれも重症に当たるものである。Aの右高血
圧が、既に十歳代から指摘されていたという高血圧が自然の経過で増悪した結果の
ものであるのか、あるいはそれがAの訴外会社入社以来の業務の負担によって更に
増悪したものであるのかという点はさておき、以上の事実からみて、Aが、一定の
負荷により高血圧を発症しやすい素因あるいは基礎疾患の持ち主であったことは明
らかである。そして、昭和
五九年一一月と昭和六一年九月の血圧値はいずれも重症に当たるものであり、直ち
に降圧剤の投与を要する状態にあったものと考えられ、現実にもAは、昭和五九年
には水戸協同病院において、昭和六一年九月からは水戸済生会総合病院において受
診し、降圧剤の投与を受けている。水戸協同病院においては、そこで投与された降
圧剤によりがまんできない程の頭痛が生じたために、Aは通院を中止しているが、
水戸済生会総合病院においては、昭和六一年九月から昭和六二年五月まで七回にわ
たり受診し、投薬のみの場合を含め合計九回の投薬を受けている。この間のAの通
院状況をみると、二回目と三回目の通院日の間隔(投薬一四日に対し通院間隔二七
日)と、六回目と最後の七回目の通院日の間隔(投薬二八日に対し通院間隔四八
日)とに開きがある点を除き、おおむね投薬日数に見合った間隔で通院している。
また、同年一月から五月までの間のAの勤務状況は、前記認定のとおり、四月に合
計九五時間の時間外労働があったほかは、おおむね六〇ないし七〇時間程度の時間
外労働を行っているものであり、特段過重なものであったとの事情も見出せない。
さらに、前記認定のとおりこの間に測定されたAの血圧も中等症又は軽症の水準に
まで徐々に低下し、特に脳出血の発症との関係が深いと考えられている拡張期血圧
については一貫して低下している。これらの事情を総合すれば、Aは相当以前から
血圧が高かったことがうかがえること及び右通院当時のAの年齢が三七歳であった
ことを考慮しても、昭和六二年五月当時のAの脳動脈が、その自然の経過によって
一過性の血圧上昇があれば直ちに破綻を来す程度にまで増悪していたと認めること
は到底できないというべきである。
3 昭和六二年一○月までの状況
 その後Aは、昭和六二年六月ころから人事録の業務が忙しくなり、通院すること
が困難になってきたことから、同年五月八日を最後に通院を中止している。そし
て、同年一〇月七日に腹痛を訴えて北水会病院で受診したところ、二二〇/一四〇
という異常な高血圧が測定されている。それまでの間Aは、被控訴人を水戸済生会
総合病院に赴かせて毎回二八日分の降圧剤を受け取っているが、その間隔をみると
四八日間(六月二六日)、三九日間(八月五日)、五〇日間(九月二五日)となっ
ており、それ以前と比べると間隔が大きくなっている。この間にAがどのように降
圧剤を服用していた
のか明らかではないが、被控訴人が毎日三回服用すべきところ一日二回の服用で済
ますことがあったと供述しているところからすると、全く服用しない日が一定期間
継続したとも考えられず、むしろ一日二回の服用で済ませるのが常態であったと推
測すると、服薬間隔についての一応の説明ができないではない。いずれにせよ、降
圧剤の服用状況がそれまでと比べると不良となっていることがうかがえる。しかし
ながら、Aは、右受診の一二日前の同年九月二五日に二八日分の降圧剤を被控訴人
を通じて受領しているのであって、これを右受診までの間に服用しなかったとは到
底考え難いことのほか、一六四/九二という血圧が測定された同年五月八日も、そ
の直前の通院日との間隔は四八日と開いていることにかんがみると、同年一〇月七
日の異常ともいえる程高い血圧値を降圧剤の服用懈怠と関連づけて説明することが
できるか疑問があるといわざるを得ない。他方において、Aが水戸済生会総合病院
への通院中止を余儀なくされたのは、同年六月から人事録の編集作業が忙しくなっ
たためであり、それに伴う時間外労働も、同年六月七二・五時間、七月一二八・五
時間、八月一二八時間、九月九九時間と、それ以前に比べてかなり増加しており、
同年七月には二日、八月には一日の休日労働を行っていることが認められるのであ
って、他に特段の事情の認められない本件においては、同年五月に軽症ないし中等
症の領域にあったAの血圧が一〇月七日に右のとおり上昇したのには、Aの右長時
間労働が相当程度寄与したというべきである。しかしながら、この時点において、
Aは、北水会病院のF医師から筑波大学附属病院における精査を勧められ、それに
従ってAは、同月一五日と二三日に同病院に通院して受診している。その際の血圧
の値は、若干緩和されたとはいえ、依然として重症というべき水準であった。しか
しながら、Aの血庄が、その五か月前までは比較的規則正しい通院と降圧剤の服用
のほか、勤務の負担が比較的軽かったことなどにより、かなり低下していたこと、
後記説示のとおり昭和六二年一○月以降もAの血圧は相当高い状態が継続していた
と推認されるにもかかわらず、同年末のかなり過重な労働の最中には脳出血を発症
していないことからみて、同年一〇月のAの血圧が非常に高かったことを考慮して
も、昭和六二年一〇月当時のAの脳動脈がその自然の経過によって一過性の血圧上

があれば直ちに破綻を来す程度にまで増悪していたと認めることは困難というべき
である。したがって、もしもAが、この時点で、筑波大学附属病院に継続して通院
し、あるいは入院して治療を受けるとともに、Aの勤務の状況が同年一月から五月
までの程度にとどまっていたならば、昭和六一年秋から昭和六二年五月までの間の
通院治療によりAの血圧が相当程度低下していることからみても、Aの基礎疾患が
本件発症にまでは至らないで経過した可能性があったと認めることができる。
4 昭和六三年一月までの状況
 Aは、昭和六二年一〇月二三日に筑波大学附属病院で受診し、腹部超音波検査を
受けた後、同月二九日に再診の予約をしていたが、現実には受診していない。Aが
右日時に受診していないのは、前記認定のとおり、Aが同月二五日から二か月余に
わたる長期出張に赴いたためであることは明らかである。そして、Aが右当時出版
センターの中心的役割を担っていた者であり、人事録の締切りが迫っていたという
当時の状況の下で、責任感の強いAに右出張に係る業務を放棄して筑波大学附属病
院に通院あるいは入院することを期待することは、現実問題として難きを強いるも
のといわざるを得ないから、Aは、右出張業務のために受診の機会を失ったものと
いうことができる。また、右出張期間中のAの勤務状況は、前記認定のとおり、同
年一二月二六日に水戸に帰るまでの間、一日も休日を取らず、その間の時間外労働
も同年一一月が二〇八・五時間、一二月が一六六・五時間であり、一一月の実労働
時間は三六五・五時間、一二月は三五五・五時間で、所定労働時間のそれぞれ二・
二七倍、一・八八倍であったのであり、このような異常ともいえる勤務状況による
過重な労働が、基礎疾患である高血圧症を有するAにとって極めて過酷なものであ
ったことは疑いのないところである。Aの昭和六三年一月の勤務状況も、前記認定
のとおり、時間外労働九四時間、休日勤務二日というものであって、しかも、一三
日から一九日にかけて人事録の最終校正のために再び東京に出張しているのである
から、前年末に比べれば若干緩和されているとはいうものの、人事録の発刊に向け
ての最終的な作業を行っていた時期であり、依然として相当の過重労働であるもの
と認められる。この間、Aは、昭和六二年一一月四日と一二月一四日の二回、被控
訴人を水戸済生会総合病院に赴かせてそれぞれ二八日分の
降圧剤を受け取っているが、この間のAの過重労働と、Aの血圧が昭和六二年一○
月に降圧剤の服用にもかかわらず異常な程の上昇を示している事実にかんがみれ
ば、同年一一月と一二月の降圧剤が適正に服用されていたとしても、Aの血圧が有
意に低下したものとは断定しがたいといわざるを得ない。そうして、前記認定のと
おり、疲労の蓄積ないし過労は、脳・心臓疾患のリスクファクターの形成を促進
し、あるいは、リスクファクターに影響して、脳・心臓疾患発生の基盤となる異常
状態及び疾患の形成を誘発したり、あるいは既に形成された疾患の程度を一層増悪
したりする作用を有するとされていることに照らせば、右過重労働は、Aの前記基
礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させたものと推認することができるというべ
きである。
5 本件発症に至るまでの状況
 昭和六三年二月に入ってからのAの業務が、人事録が一月末に完成し、その発
送、集金等の残務整理が残されていたとはいうものの、かなり軽減されたことは、
本件発症日である同年二月一九日までの時間外労働が一九・五時間であることから
もうかがうことができる。しかしながら、Aは、この間公休日以外の休暇をとって
いたわけではなく、少なくなったとはいいながらも残業を行いながら、通常の勤務
を続けていたのである。そして、前記認定のとおり、このころAは、朝起きるのが
つらそうな様子を示したり、休日になると一日中寝ていたりするなど、相当疲労が
蓄積していたことをうかがわせる状況にあったものであり、前年末からの過重労働
の影響を受けて極度の疲労状態にあったものと推認されるのである。そして、高血
圧性脳出血についての医学的知見のほか、前記認定のとおり、疲労の蓄積ないし過
労が、脳・心臓疾患発生の基盤となる異常状態を誘発し、あるいはそれを一層増悪
させたりする作用を有するとされていること、現実にもAが同年二月一九日に脳出
血を発症していることに照らせば、このころのAは、前年一〇月以降引き続いた高
血圧と右過重労働の影響により、何時脳出血を発症してもおかしくない状態にあっ
たものと推認することができる。また、Aが訴外会社の業務のために適時の高血圧
治療の機会を失ったものと評価すべきことは前記認定のとおりである。Aは、昭和
六三年二月一九日に脳出血を発症しているところ、その直接のきっかけが何である
のかについては、Aが本件発症の数日前からひど
い頭痛を訴えていたことから既にそのころAが不可避的に脳出血を発症すべき状態
にあったのか、あるいはその前夜に行われた飲酒(右飲酒は、Aが同僚とともに訴
外会社の下請会社から接待を受けたというのであるから、これをAにとっての業務
と見ることはできない。)が悪影響を及ぼした結果発症したのか、あるいはそれら
が複合した結果であるのかは、必ずしも明らかではない。しかしながら、そのいず
れであるにせよ、前記認定のとおり、そのころAは何時脳出血を発症してもおかし
くない状態にあったものと考えられるのであるから、仮にAの発症前夜の飲酒が本
件発症に影響を与えた可能性があるとしても、それは遅かれ早かれ生ずべき事態の
いわば引き金を引いたに過ぎないのであり、右のような事情があるからといって、
Aの前記過重業務と本件発症との相当因果関係を否定する根拠とはならないという
べきである。
 控訴人は、降圧剤を指示通り服用してしかるべきであるのにそれを怠ったAには
重大な懈怠があったのであり、Aの血圧が上昇したのはむしろ本人が医師から指示
されたとおり服薬せず、自己の血圧コントロールを怠った結果というべきである旨
主張する。なるほど、前記認定のとおり、Aが被控訴人を通じて水戸済生会総合病
院から二八日分の降圧剤を受け取っているのは、昭和六二年一二月一四日が最後で
あり、仮にAが降圧剤を前に判示したとおり一日二回服用していたものとしても、
昭和六三年一月末には降圧剤はなくなっていることになるのであるから、Aは、本
件発症当時降圧剤を服用してはいなかったものと推認することができる。しかしな
がら、昭和六二年末のAの過重労働と、Aの血圧が昭和六二年一○月に降圧剤の服
用にもかかわらず異常な程の上昇を示している事実にかんがみれば、仮に同年一一
月と一二月の降圧剤が適正に服用されていたとしても、長期間の過重労働の結果極
度の疲労状態にあったAの血圧が有意に低下したものとは推認しがたいことは前記
説示のとおりであり、そうであれば、仮にAが二月になって降圧剤を服用したとし
ても、Aの血圧が有意に低下して本件発症を防ぐことができたとはにわかに認めが
たいというべきであり、また、本件発症のころAについて改めて高血圧が指摘さ
れ、入院の指示を受けたという事情もないのであるから、控訴人の主張する事情
は、前記過重労働と本件発症との間の相当因果関係を肯定することの妨げに
はならないというべきである。
 さらに、控訴人は、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議の報告書
によると、今日における医学的経験則としては、著しく血管病変等を増悪させる急
激な血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷を受けてから症状出現までの時間的
経過については、脳出血においてはまれに数日経過する場合があるが、通常は二四
時間以内であるとされており、過重負荷を受けた時から一か月以上も経過した後に
右負荷によって脳出血等が起きるというヒトに関する医学的知見は存在しないか
ら、本件において過重負荷と本件発症との間の条件関係を認めた原判決は誤りであ
る旨主張する。しかしながら、控訴人の援用する専門家会議の報告は、発症の機序
や経過が必ずしも同一ではないことがうかがわれる種々の脳血管疾患及び虚血性心
疾患について、その過重負荷から発症に至るまでの時間的経過を概括的かつ一律に
述べるものであって、必ずしも一切の例外を許さない趣旨のものと解することはで
きないのである。そして、Aの本件発症に至るまでの前記認定のとおりの経過のほ
か、疲労の蓄積ないし過労が、脳・心臓疾患発症の基盤となる異常状態を誘発し、
あるいはそれを一層増悪させたりする作用を有するとする前記認定のとおりの報告
をも考慮するならば、控訴人の援用する専門家会議の報告は、Aが業務に従事した
ことにより受けた疲労の蓄積ないし過労と本件発症との間の因果関係を肯定するこ
との妨げにはならないものというべきである。
6 結論
 以上説示したところによれば、Aの本件発症は、昭和六二年一〇月末から一二月
末までの間の過重労働が、同年一〇月以降も引き続いたと推認される高血圧と並ん
で、Aの前記基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させた結果、生じたものとみ
ることができるというべきである。そして、Aの高血圧が同年一〇月以降も継続し
たのが、東京出張という業務のために治療の機会を失ったことに起因するものであ
ることは前記説示のとおりである。以上説示の事実を総合すれば、Aの前記業務に
よる疲労の蓄積ないし過労と本件発症との間に相当因果関係を肯定することができ
るものというべきであるから、Aが発症した本件脳出血は、労働基準法施行規則三
五条、別表第一の二第九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に
該当するというべきである。したがって、控訴人のした遺族補償給付及び葬祭料の
不支給処分の取消しを求める被控訴人の請求は理由がある。
四 以上の次第で、被控訴人の本件請求は正当として認容すべきであって、これと
同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文
のとおり判決する。
東京高等裁判所第二民事部
裁判長裁判官 森脇勝
裁判官 池田克俊
裁判官 藤下健

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