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裁判例


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       主   文
一 被告が中労委平成二年(不再)第四五号事件について平成九年六月一八日付け
でした命令を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とし、補助参加によって生じた費用は被告補助参加人の
負担とする。
       事実及び理由
第一 請求
 主文第一項と同旨。
第二 事案の概要
 本件は、原告会社の管理職による被告補助参加人(以下「補助参加人」とい
う。)組合の組合員である原告会社の社員に対する発言に不当労働行為があるとし
て千葉県地方労働委員会が発した命令(初審命令)を維持した被告の命令(再審査
命令)について、原告会社がこれを違法としてその取消しを求めるものである。
一 争いのない事実
1(一) 原告会社は、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法(昭和六一年法
律第八七号)及び旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(同年
法律第八八号)に基づき、主として東北及び関東の各地方において日本国有鉄道
(以下「国鉄」という。)が経営する旅客鉄道事業を引き継ぐ旅客会社として設立
された法人である。
 原告会社は、設立時、首都圏の列車・電車の運行を管理する東京圏運行本部を設
け、その地方機関として、国鉄千葉鉄道管理局管内に相当する線区(総武本線、内
房線、外房線、久留里線、成田線、鹿島線、京葉線及び武蔵野線(一部))の運行
を管埋する千葉運行部を置いたが、昭和六三年四月一日東京圏運行本部からこれを
独立させて千葉支社とし、現在に至っている。
(二) 補助参加人組合は、昭和五四年三月三〇日結成された労働組合で、昭和六
二年三月三一日までは国鉄の職員らのうち、同年四月一日以降は原告会社、日本貨
物鉄道株式会社等の社員らのうち、それぞれ国鉄千葉鉄道管理局管内ないしこれに
相当する区域の動力車乗務員らを構成員とする労働組合である。
(三) 原告会社には、補助参加人組合のほか、東日本旅客鉄道労働組合(以下
「東鉄労」という。)、国鉄労働組合(以下「国労」という。)、東日本鉄道産業
労動組合、全国鉄動力車労働組合等の労働組合がある。
2(一) 補助参加人組合は、昭和六〇年五月一六日、国鉄との間で、職員の派遣
(職員としての身分を保有したまま関連企業等において総裁の命ずる業務に従事す
るもの)に関し、「職員の派遣の取扱いに関する協定」(以下「派遣協定」とい
う。)を締結したが、同協定は、派遣職員の決定に当たっては同意書を提出
させ、また、派遣の終了後は原則として派遣前の所属・職名に復帰させる旨の定め
を置いていた。以上のような派遣協定の定めの下で、所属長から派遣職員に対し、
派遣終了の後には派遣前の所属・職名に復帰することになる旨の文書(以下「保証
書」という。)が交付される運用が行われていた。
(二) 原告会社は、その設立とともに国鉄当時の派遣協定が失効したものとし、
就業規則の関係条項に基づき、新たに出向規程を設けたが、同規程は、出向(社員
としての地位を保有したまま、会社の命により、関連会社又は団体等に勤務するも
の)を命ずるに当たって同意書を提出させるものとはせず、出向期間の経過後原告
会社に復帰する場合の配属先についても、原則として原職に配属させるものとはし
なかった。
 この場合、原告会社は、派遣協定に基づく派遣職員であった者については出向規
程に基づく出向社員として取り扱うこととしたが、復帰時の配属先については、国
鉄当時、派遣職員に対して保証書が交付されている等の経緯を尊重し、原職と異な
る職場への配属をするに当たっては本人の納得を得た上で行うこととしていた。
3(一) P1は、昭和五〇年三月臨時雇用員として国鉄に採用され、昭和五四年
二月千葉運転区電車運転士となり、昭和六一年四月当時も同様であった。P1は、
昭和五〇年五月国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)に加入したが、昭和
五四年三月補助参加人組合が結成された際、補助参加人組合に加入した。
(二) P1は、昭和六一年三月三日、千葉鉄道管理局に対し、派遣に応じる旨の
申し出を行い、同年四月一日から昭和六三年三月三一日までの二年間、京神倉庫株
式会社に派遣され、同会社において配送業務に従事した。P1は、右派遣に当た
り、千葉鉄道管理局から、同年四月一日付けで「派遣終了の後には、千葉運転区電
車運転士に復帰することになる」旨の保証書の交付を受けていた。
4(一) 原告会社において、千葉運行部は、派遣から復帰する者に対して派遣中
の労をねぎらい、派遣先での経験や復帰後の本人の事情等を聞く必要から、個々に
面談を実施することとしていた。
(二) P1との復帰時面談は、千葉運行部運輸課車務担当課長P2(昭和六三年
四月一日から千葉支社運輸部車務課長。)及び千葉運行部運輸課人事係長P15に
よって、昭和六三年三月一五日(以下「第一回面談」という。)、同月一七日(以
下「第二回面談」
といい、第一回面談と併せて、以下「本件各面談」という。)の二回実施された。
5 その後、P1は、同月二三日、千葉運行部から、同年四月一日付けで千葉運転
区運転士に配属する旨の事前通知を受け、次いで、同月二八日、その旨の配属発令
を受けた。
6 補助参加人組合は、本件各面談においてP2課長がP1に対してした発言に、
補助参加人組合からの脱退を勧奨するという、労働組合法七条三号に該当する不当
労働行為があると主張して、同年四月二八日、千葉県地方労働委員会に対し、原告
会社及びP2課長を被申立人として救済申立てをしたところ(千労委昭和六三年
(不)第一一号不当労働行為救済申立事件)、同委員会は、原告会社に対し、平成
二年六月一八日付けで別紙(一)のとおりの命令(以下「初審命令」という。)を
発した。
7 同年七月四日、初審命令を不服とした原告会社が、被告に対し、補助参加人を
再審査申立人として再審査申立てをしたところ(中労委平成二年(不再)第四五号
事件)、被告は、平成九年六月一八日付けで、これを棄却する旨の、別紙(二)の
とおりの命令(以下「本件命令」という。)を発した。
二 争点
 P2課長の発言の内容及びその不当労働行為該当性の有無
三 当事者の主張の骨子
1 原告
(一) 本件命令は、原告会社の管理職が派遣先から帰任する予定の社員と面談し
て復帰後の配属先についての社員の希望を聞き、さらには、原告会社が検討してい
る配属先の業務内容・職場環境等を説明するという、幅広い意見交換をしている際
における管理職の発言につき、所属労働組合からの脱退を勧奨したものであると認
定・判断するものであるが、本件命令は、企業の人事運用における総合・裁量判断
の必要性への理解を欠く不当なものであって、事実認定に誤りがあり、かつ、不当
労働行為成立に係る法令の解釈・運用にも違法がある。
(二) P2課長は、P1との第一回面談において、派遣期間を終えて原告会社に
復帰するに当たり、国鉄ひいては原告会社の施策に快く応じて派遣期間を無事に勤
め上げてくれたことに対してねぎらいの言葉をかけてから、原告会社においては、
かつての国鉄におけるような、いわゆる「親方日の丸」意識を払拭した経営理念の
下で社員に業務への取組みを求めている状況を説明するとともに、復帰後のP1の
配属に関する原告会社の意向について応諾の可否を打診した。
 社員の業務への取組みに関して、P
2課長は、千葉運行部では社員に対して日常の業務の遂行上で気付いたことに関す
る業務改善についての提案を積極的に求めていること、より良い民間会社に成長さ
せて行く上で社員の自主的活動として小集団活動への参加を求めていること、余力
人員対策もからめて関連事業の展開に向けて人材の育成等のため社員の出向施策を
継続していること、運転士には電車運行上の安全確保のために動力車乗務員作業標
準の遵守を厳しく求めていること等の現況を説明するとともに、P1に対し、原告
会社の業務に復帰後には会社の諸施策に積極的に協力してくれるよう要請した。
 P1の復帰後の配属に関しては、京葉線の延長等が計画され、新たに京葉線の運
転士要員として約二〇名程度が必要となる見込みであるため、P1に対して京葉線
への配属を打診し、これに応諾してくれるように説得すべく、京葉線の発展性を説
明し、京葉線の職場が千葉運行部の運転士にとって将来必ず魅力ある職場となるこ
とをるる説明した。
 本件命令は、P2課長が右の説明の中で現在の社員で会社の施策に反対し、ある
いは業務指示にも率直に従わない者もいることを話し、社長であったらこれをどう
扱うかなどと問いかけた旨認定し、これらを組合脱退勧奨を推認できる根拠である
としている。
 しかし、およそ会社というような企業において、その経営上の施策に反対し、正
当な業務指示に従わない社員が存在することは、当該企業の正常な運営にとって由
々しき事態であるから、企業経営者としては、社員をしてその施策への協力を求め
るため、社員を説得・指導し、協力的に育成していくことは極めて当然のことであ
り、P2課長の右の発言も、会社施策に反対し、非協力的な社員のいる現実を例に
とって、会社経営者の立場から、P1にそのような行動に出ないことの自覚を求め
た発言にすぎない。
 要するに、P2課長の右の発言は、単に、特定組合の主義・主張を中傷的にひぼ
うしたとか、批判したとか言われる筋合いのものではなく、いわんや、その発言が
P1にその所属組合からの脱退を勧めているといわれる筋合いのものではない。
 さらに、本件命令は、P2課長が、京葉線への配属を勧める経過で、組合批判、
脱退勧奨発言に当たる発言をした旨の認定・判断をしているが、これらP2課長の
発言にかかわる事実認定は、審問段階におけるP1の想像を交えての極めてあいま
い、不確かな発言等に基づくもので
、特定の組合批判とか脱退勧奨発言と言われる筋合いになく、本件命令の認定・判
断には誤りがある。
(三) P1に対する第二回面談は、P1の復帰後の配属先として原告会社が構想
していた京葉線配属に関してP1の納得が得られなかったことから、再度、京葉線
への配属を説得し、納得を得るために持たれたものであった。
 ところが、本件命令は、第二回面談におけるP2課長とP1のやり取りに関し
て、P2課長が、「組合を辞める意思はあるか。」 「千葉運転区に行きたいな
ら、何か確証を見せて下さい。」と述べて、P1に所属組合からの脱退を迫り、P
1の希望どおりの配属の見返りに組合脱退の確証を求めるなどして、所属組合から
の脱退を勧奨したとの認定・判断をしている。
 本件命令は、P1の極めてあいまい、不確かな審問段階における証言等の内容の
真実性につき合理的検討を加えないまま、右証言をそのまま真実と前提した事実認
定の下に、P2課長に組合脱退勧奨発言があると判断したものであって、右認定・
判断は誤りである。
 京葉線配属の説得は、それら社員が所属組合を替わるか否かとは全くかかわりの
ないことであったし、いわんや、P1が組合を替わらなければ不利益的に京葉線に
配属するというような趣旨で説明されたものでもない。また、P1に対して、その
所属組合を変われば千葉運転区に配属すると説明されたような経過もない。国鉄当
時において派遣に応じた者に対しては、原則として元の職場に復帰させることが約
束されており、途中で国鉄改革があって原告会社が発足したものの、P1は、他へ
の配属を了解した場合でない限り、原則として元職場である千葉運転区に復帰・配
属される関係にあった。したがって、所属組合を替わらなければ他へ配属されると
か、所属組合を替わったから千葉運転区への配属希望がかなえられたというような
関係はなかったのである。
 しかるに、P1は、第二回面談の途中において、P2課長の説得を受けようとし
ないで、突然、「組合を替わるから千葉運転区にしてくれ。」との趣旨を一方的に
述べたのである。P2課長としては、組合所属を復帰後の配属措置と関連づける認
識の誤りを指摘する意味で、「組合を替わる替わらないといったことは自分自身で
決める問題であり、配属措置とは関連がない。」旨をP1にはっきりと伝えるとと
もに、そのような誤った認識を持つ者に、それ以上に京葉線への配属の説得活
動を継続することを止め、面談を打ち切ったのである。
(四) ところで、第二回面談が終わった後、P1は、社員P3と共に東鉄労千葉
地方本部に赴き、同組合幹部の勧めもあったようであるが、補助参加人組合からの
脱退届を作成するとともに東鉄労への加入届を作成し、これら届出書を同組合幹部
に渡しているのである。そして、その直後から補助参加人組合の役員と連絡を取り
合い、昭和六三年四月一日配属発令が行われてから再びに補助参加人組合に戻るこ
とを約束している経過が判明している。
 以上のようなP1の特異な行動から推測するに、P1は、「所属組合を替わらな
ければ京葉線に配属となる、所属組合を替われば希望する千葉運転区に配属しても
らえる。」との誤った独断的な思込みにより、自ら組合を替わると言い出し、東鉄
労組合事務所において補助参加人組合からの脱退届、東鉄労への加入届を作成して
提出し、補助参加人組合には四月一日復帰時の実際の配属発令を待ってから再び復
帰するというシナリオによる芝居気のある行動に出たもので、P1作成の陳述書や
審問段階での証言は、一方的な自己の思い込みに想像を交えて、面談の経過を述べ
ているものというべく、全く信頼できないものである。
(五) 本件命令が、千葉運行部千葉運転区長P4(昭和六三年四月一日から千葉
支社運輸部輸送課長)ら、P2課長以外の管理職の言動として認定するところも誤
りであるが、そもそも、これらの言動があったと認定されるのは、昭和六三年四月
一日におけるものである。
 ところで、本件命令がP2課長の脱退勧奨行為としてとらえるのは同年三月一五
日及び同月一七日の本件各面談時における発言であり、一方、P1による所属組合
への脱退届と新たな組合への加入届が作成・提出されたのも同月一七日であること
が明らかである。にもかかわらず、何故に、既にP1による組合脱退届が作成提出
された後である同年四月一日の言動をとらえて、これが、それ以前の同年三月一七
日に既に組合脱退がされている行為に係る脱退勧奨を補強する言動と評価され得よ
うか。その評価・判断の不当であることは、以上の時的関係を指摘するだけで明白
である。
(六) よって、本件命令の認定・判断には誤りがあるので、その取消しを求め
る。
2 被告
 本件命令は、労働組合法二五条及び二七条並びに労働委員会規則五五条の規定に
基づき適法に発せられた行政処分であって、処分の
理由は本件命令の理由記載のとおりであり、被告が認定した事実及び判断に誤りは
なく、原告会社の主張には理由がない。
3 補助参加人
(一) 原告会社は、本件命令の認定・判断を非難する。しかし、原告会社の労務
政策の最高責任者であった常務取締役P5が、「昭和六二年度経営計画の考え方等
説明会」(昭和六二年五月二五日)において、「会社にとって必要な社員、必要で
ない社員の峻別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り、特に
東日本は別格だが、穏やかな労務政策をとる考えはない。反対派は峻別し断固とし
て排除する。等距離外交など考えてもいない。」と述べるなどして、「会社の方針
派」、すなわち、国鉄の分割・民営化に賛成し「労使共同宣言」に応諾した動労、
鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)、全国施設労働組合(以下「全施労」とい
う。)等の労働組合と、「反対派」、すなわち、これに反対し、ないしこれに応諾
しない国労、補助参加人組合等の労働組合とを峻別し、国労、補助参加人組合等の
労働組合を排除しようとする姿勢を明確に打ち出していたこと、同じく、原告会社
社長P6が、原告会社と親密な関係にある東鉄労(動労、鉄労及び全施労が合体し
たもの)の第二回定期大会(昭和六二年八月)の来賓として、「一企業一組合とい
うのが望ましい。」、「東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営
分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあ」り、「このような人たちが残っている
ということは会社の将来にとって非常に残念」、「この人たちはいわば迷える子
羊」で「このような迷える子羊を救ってやって頂きたい。」、「名実共に東鉄労が
当社における一企業一組合になるようご援助いただくことを期待」する旨述べたこ
となどに表れているように、補助参加人組合は、原告会社から排除及び弱体化の対
象と目されていたものである。
(二) 右のような原告会社の労務政策の下、原告会社では、補助参加人組合が排
除及び弱体化の主な攻撃対象となっていたのであり、P2課長は、派遣に応じたに
もかかわらず、相変わらず補助参加人組合の組合員であったP1に注目していたも
のである。
 P2課長が管理職となった国鉄時代末期は、P5常務が前述の発言の際「職場管
理も労務管理も(昭和六二年)三月までと全く同じ考えであり、手を抜くとか卒業
したとかいう考えは毛頭持っていない。」と述べていることからも明ら
かなように、国労・補助参加人組合の排除の労務政策が鮮明に打ち出され実行され
ていたのであり、P2課長は、その渦中の昭和六二年二月に千葉鉄道管理局運転部
付となり、同局の労務政策実践の担い手として赴任したのである。
 同年一二月一六日、補助参加人組合津田沼支部が支部大会を開催する際、P2課
長は、津田沼支部組合事務所前に数十人の管理職を動員し、ピケを張らせ、組合員
が集まることを阻止し、同年五月一七日、組合員らが三里塚の集会に参加する前
に、旧成田運転区庁舎前に集合しようとするのを管理職を陣頭指揮して組合員の立
入りを妨害し、昭和六三年初頭、社員全員が補助参加人組合の組合員であった幕張
電車区木更津支区に一か月にわたり通い詰め、組合員の点呼時の服装、バッジの着
用等を問題にし、他方、同年一月二三日走行中の電車運転室に泥酔状態で乱入した
P7木更津支区長を厳重注意にとどめるなど、原告会社の労務政策を先頭に立って
担ってきた。
 P2課長は、常に労務政策の中心にいて、乗務員たる社員の労働組合所属につい
ては、高い関心を持っていたものであるが、原告会社においては、各現場における
社員の組合所属をこと細かく調査しており、総務課長の下で、集計整理されていた
ものである。「組合所属別人員報告」の調査票においては、社員の労働組合の移動
もきちんと把握されるようになっており、原告会社においては、常に現在の組合組
織状況を把握し、誰がどの組合に所属しているかを把握しており、それは現場ごと
の一覧表として各管理職の知るところとなっていたものである。そして、その資料
が積極的に利用されていたことは、昭和六二年五月二五日行われた「昭和六二年度
経営計画の考え方等説明会」において、P5常務が行った前述の発言でも明らかで
ある。P2課長は補助参加人組合との関係で常に先頭に立って、組合活動に対し積
極的な干渉を行ってきたことから、運転職場における社員の組合所属をつぶさに把
握していたものである。
(三) そして、P2課長は、以下のとおり数々の個別の不当労働行為に手を染め
ている。
(1) P2課長は、昭和六二年一月、昭和五七年採用予科生にハンドル訓練を受
けさせるための面接を行ったが、その際補助参加人組合の組合員に対し、「動労千
葉は会社の方針にことごとく逆らっている。それについてどう思うか。」といっ
て、補助参加人組合を批判し、その批判に同意を強要し、
もし同意しなければ不利な扱いをすることを示唆したり、さらに「組合をやめれば
ハンドル訓練を優先してできる。」といった、本件と同様な露骨な脱退勧奨を行っ
た。
(2) そして、さらに右昭和五七年採用予科生にハンドル訓練を受けさせるにつ
いて、本来鉄道学園本科を昭和六一年一一月に終了した者全員について実施すべき
ものであるのに、P2課長は、全日本鉄道労働組合総連合会(以下「鉄道労連」と
いう。)の組合員及び補助参加人組合から脱退して鉄道労連に移った組合員を優先
してハンドル訓練を開始した。
(3) P2課長は、車務担当課長ないし車務課長として、補助参加人組合の組合
員に対し、ことさらに事実と処分の均衡を欠く極めて重い処分を科していた。
 すなわち、P8補助参加人組合千葉運転区書記長は、乗務中に帽子のあごひもを
かけず、背面の背面カーテンを下ろしていたことを理由に昭和六二年一一月一日か
ら翌昭和六三年五月七日まで乗務停止となった。
 もともと背面カーテンを上げることやあごひもをかけることについては決まりは
なかったのであるが、国鉄の分割・民営化前ころに鉄道労連が提唱し、国鉄の分
割・民営化に当たって動力車乗務員作業標準に盛り込まれたものである。しかし、
何らかの必要があって決められたものではなく、背面カーテンを上げていたのでは
かえって気が散り運転に集中できない面があり、トンネルに入るたびに下ろすなど
というのは安全運転の観点からほど遠い考え方であることは明らかである。あごひ
もについても、運転室内で風に飛ばされることはないから、あごひもをかけること
は無意味であり、煩わしいだけである。安全確保のためには、乗務員が運転しやす
いように判断して運転することが重要であり、これらを規則で強制すること自体有
害無益であるが、それに違反したとして半年問に及ぶ乗務停止処分を行うとは、常
軌を逸したものというほかない。
 P9千葉運転区支部支部長は、昭和六三年五月三日、勝浦駅出発列車を一分間出
場遅延させたとして、その遅れはすぐ回復されたのに、翌四日から同年一二月二五
日まで乗務停止となった。その他、P10津田沼支部書記長がやはりあごひもと背
面カーテンを理由に一か月の乗務停止を受けている。
 しかし、これとは対照的に、P2課長は、東鉄労の組合員の重大な事故に対して
は、軽い処分を行っている。すなわち、銚子運転区所属の東鉄労千葉地方本部P1

執行委員が、昭和六三年八月東千葉駅に停止せずに通過してしまうという通過事故
を起こしたことについて、行った処分は、乗務停止五日ないし六日にすぎなかっ
た。また、補助参加人組合の脱退者で鉄道労連組合員のP12が、平成元年一分程
度の出場遅延をした際には、乗務停止処分を行わなかった。
(四) 原告会社は、昭和六三年四月、補助参加人組合木更津支部の副支部長、書
記長、青年部長、執行委員ら五名の役員・活動家を売店へ強制配転したが、これら
の強制配転にもP2課長がかかわっていた。P2課長は、同年初頭、木更津支区に
一か月ほど通い詰めたが、この際、誰をどこに配転するかの構想を練ったものであ
る。というのは、他の配転者は駅長のいる駅に配転され、駅長の判断で、その駅長
が管轄する複数の駅を移動する可能性があったのに対し、P13副支部長は南船橋
駅売店、P14支部書記長は千葉みなと駅売店と、いずれも両端の駅に張り付ける
かたちで配転され、それぞれの駅に固定化されてしまった。
 これらは、補助参加人組合木更津支部の役員を他の組合員から隔離することを企
図したものであるが、P2課長が、木更津支区に通い詰めることにより、補助参加
人組合木更津支部の組合員役員らの活動を抑圧するために有効な方法として考え出
し、実行したものである。
(五) P2課長は、補助参加人組合の組合員に対する右の不当労働行為のほか、
労働者の安全衛生を無視する指示、命令などを発した責任者でもある。
 昭和六二年七月から八月にかけて、有毒な鉛ガスの発生するおそれのある貨車の
解体を何ら危険についての事前説明をせずに指示し、鉛毒に備えた健康診断をその
目的をひた隠しにし、鉛ガスを防御できないマスクを使用させるなどしたし、ま
た、昭和六三年一二月五日発生した東中野事故(乗客と運転士の二名が死亡、重軽
傷者二六名)の原因となった停止信号への対応に関する指導文書の責任者でもあっ
た。
(六) 本件各面談におけるP2課長の脱退強要の事実の存在は、原告会社が国鉄
の分割・民営化以降一貫して補助参加人組合を敵視・排除しようとしてきたこと、
原告会社に協力的な東鉄労と一体となって労務政策を進めてきたこと、本件でP1
の配属先として説得しようとしてきた京葉線区は会社側が補助参加人組合の影響力
から徹底的に遮断・隔絶していわば純粋培養的に社員を配置しようとしてきたこ
と、P2課長が労務政策の内容と
人事配置に実質的影響力を持つ立場にあったこと、P1が補助参加人組合に所属し
ながら派遣に応じたことから会社としては積極的組合活動家ではないと評価してい
たこと、本件各面談は、派遣先からの復帰という労働者にとっては自らの命運が決
まる決定的局面での会社担当者との面談であること等の事実からすれば明白に認め
られるべき事柄であり、初審命令や本件命令が補助参加人の救済申立てをすべて認
容したのは極めて当然の判断であり、いささかも変更する必要を見ない。
 本件命令が「復職時配属先を決定する復職時面談の機会に、P1の原職復帰への
こだわりを利用してその脱退を勧奨したものであり、P2課長の職責・地位からす
れば、会社が組合の弱体化を企図し、その運営に支配介入したものといわざるを得
ない。」と判断したことは、正当であり維持されるべきである。
第三 当裁判所の判断
一 争いのない事実、証拠(甲一、二、乙七九、一五三・一五四の各1、一五七の
1、2、二三四の2、二三六、二三八、三二六の1、2、三二八、証人P2)及び
弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1(一) P2課長とP15係長は、昭和六三年三月一五日午後、千葉運行部運輸
課会議室でP1との第一回面談を実施した。
(二) 第一回面談において、P2課長は、派遣中のP1の労をねぎらった後、P
1に対し、まず、(1) 原告会社は、国鉄から民間会社になって、様々な面で大
きく変わってきていること、一人ひとりが会社を良くしていこうという気持を持っ
て行動することが大切であり、上司から言われたことをやっていればよいという時
代ではないこと、民間会社として、提案、小集団活動に対する取組みも大切である
こと等、復帰に当たっての心構え等を述べた。
 次いで、P2課長は、(2) このような状況下においても、提案や小集団活動
に反対する社員がいること、会社で定めた動力車乗務員作業標準すら守らない社員
がいること、今後の関連事業の展開や人材の育成等に必要な出向等に対しても、こ
れをストライキで阻止するというような一部の社員がいること等、会社の右方針に
反対する者が存在すること、提案や小集団活動に反対したり、このような会社の施
策をストライキで阻止したりする状況は、民間会社の社員として望ましくなく、ま
た、会社を発展させるとは思えないこと、提案や小集団活動についても積極的に取
り組んでもらいたいことを述べ
た。
 さらに、P2課長は、(3) ネクタイ着用、運転室背面カーテンの開放等の会
社の指示に従わない社員がいることを挙げ、P1に対し、「あなたが社長であった
ら、そういう社員に対してどうするか。」と問いかけた。
(三) 続いて、P2課長は、昭和六一年三月から千葉みなと駅・西船橋駅間で一
部開業していた京葉線が、昭和六三年一二月には東京方面では新木場駅まで延長さ
れ、さらに東京駅までの乗入れが計画されており、反対方面では蘇我駅までの延長
が計画されている状況にあること、このため、京葉線の運転士要員として新たに約
二〇名程度が必要となること、京葉線は千葉運行部の運転士にとって将来必ず魅力
ある職場となるであろうことなどを詳細に説明し、P1に対して京葉線への配属を
勧め、これに応ずるよう繰り返し説得を重ねたが、P1の納得は得られなかった。
(四) 以上で、第一回面談は終わったが、P2課長とP15係長は、P1に対し
てもう一度京葉線への配属の説得を試みることに決め、P1にその旨の連絡をとる
よう手配した。
2(一) P2課長とP15係長は、同年三月一七日午後、現業庁舎会議室でP1
との第二回面談を実施した。
(二) 第二回面談において、P2課長は、P1に対して再び京葉線への配属を熱
心に勧め、京葉線は、現在、津田沼運転区新習志野派出という形になってはいる
が、もっと東京まで伸びていくので、全線開業した暁にはかなりの規模になり、い
ずれは独立した電車区になる見通しであることなどを挙げ、京葉線で働く意義を繰
り返し説明して、P1の理解を求めた。
 しかし、これら働きかけにもP1が応じようとしなかったので、P2課長がどう
して京葉線が嫌なのかを尋ねると、P1は、千葉運転区ならばかなりの運転線区に
行けること、特急の運転が好きなので、特急がない京葉線でなく、特急のある千葉
運転区で働きたいことを、理由として述べたほか、派遣時に千葉鉄道管理局長から
千葉運転区への復帰を内容とする保証書の交付を受けていることを挙げた。
 このため、P2課長は、もうこれ以上説得しても無理ではないかという気持に傾
いた。
(三) ところが、面談がほぼ終わりに近づいたころ、P1が、P2課長に対し、
唐突に、組合を替わるから千葉運転区にしてほしい旨述べるということがあった。
この発言を聞いたP2課長は、京葉線への配属を説得すればするほど、P1の方は
所属組合を替わらない
と千葉運転区にしてくれないというような一方的な誤解をするに至っていることを
知ったので、P1に対し、組合を替わるとか替わらないというのは、私がどうこう
いう話ではなくて、自分の問題であるから自分で考えて決めることである旨答え
て、面談を終わることにした。その際、P2課長は、P1に対し、あなたの希望も
踏まえて配属は後ほど連絡する旨、付け加えた。
(四) P2課長とP15係長は、第二回面談の後、P1に対してこれ以上京葉線
配属を勧めることを断念するべき旨話し合い、P15係長は、この話合いの結果を
千葉運行部総務課人事担当課長に連絡した。
3 P1は、同日の第二回面談の後、一緒に来ていた東鉄労の組合員である友人の
P3と共に、その足で、東鉄労千葉地方本部事務所に赴き、その場で、東鉄労への
加入届と補助参加人組合からの脱退届を作成して同本部に提出したが、その際、P
1が印鑑を持ち合わせていなかったので、P1の依頼で、同本部の役員が、翌日千
葉運行部人事担当課に行き、出向担当者の了解を得て右各届出書に押印した。
 なお、P2課長は、P1が補助参加人組合の組合員であるらしいとの認識を持っ
てはいたが、第二回面談の前後にP1のことで東鉄労千葉地方本部と連絡を取り合
ったりしたことはなかった。
4 東鉄労組合員のP3は、P1と同一時期に千葉運転区電車運転士から京神倉庫
株式会社に派遣され、同一時期に派遣先から運転職場に復帰することが予定されて
いたため、P2課長は、P3に対しても、P1の第一回面談と同一日に復帰時面談
を行い、京葉線への配属を勧めた。P3は、P1が第二回面談に赴くことを知り、
自らも配属等につきさらに希望を述べたいと考え、自発的にP1に同行し、P2課
長に面談を求めたが、P3がP1に同行して来たことは、P2課長にとって全く予
想外のことであった。
5 P1は、同年四月一日付けで、千葉運転区運転手に配属され、同日出社した
が、それから約一週間後に、補助参加人組合の役員が、P1の東鉄労からの脱退届
を東鉄労千葉地方本部事務所に持参した。
 これに対し、乙第七八号証、第二二二号証、第二二四号証、第二二六号証、第二
四〇号証の1、第三三〇号証中には、第一回面談において、P2課長が、ネクタイ
着用や運転室背面カーテンの開放等の会社の指示に従わない組合や国労の組合員を
批判したり、「あなたが社長であったら、このような組合員をどう扱い
ますか。」というように、「組合」ないし「組合員」を問いかけの対象としたこ
と、P2課長が、京葉線について、「動労千葉の組合員もいないからあそこがいい
んじゃないか。」、「これからの京葉線は発展する所だから、動労千葉組合員が希
望しても回さない。」、「今いる動労千葉組合員も何とかするつもりだ。」などと
述べたこと、第二回面談において、P2課長が、冒頭、「組合に話をしたか。」と
聞き、「組合から約束通り、千葉運転区に戻すようにとの話があった。」と述べた
こと、さらに、P2課長が、「これからどうするつもりか、組合を辞める意思はあ
るか。」、「国労では同じことだ。もっとも、東鉄労に入っても、いったん東鉄労
に入り、また動労千葉へ戻ったら、人間としての会社の信用がなくなります
よ。」、「あなたが千葉運転区へ行きたいなら、何か確証を見せて下さい。」など
と述べ、P1が「この場で脱退届を書けばよいのか。」と問うと、P2課長の対応
は「・・・・」というものであったことなどをいう部分が存在するが、これらは、
乙第二三四号証の2、第二三六号証、第二三八号証、第三二八号証、証人P2の証
言に対比すると、いずれも採用の限りではなく、他に、本件各面談等が、前記認定
と異なる経過であったことを認めるに足りる適確な証拠はない。
二1 前記一1認定の事実によれば、第一回面談において、P2課長は、① 提案
や小集団活動に反対する社員がいること、会社で定めた動力車乗務員作業標準すら
守らない社員がいること、今後の関連事業の展開や人材の育成等に必要な出向等に
対しても、これをストライキで阻止するというような一部の社員がいること等、会
社の右方針に反対する者が存在すること、提案や小集団活動に反対したり、このよ
うな会社の施策をストライキで阻止したりする状況は、民間会社の社員として望ま
しくなく、また、会社を発展させるとは思えないこと、などを述べ、さらに、② 
ネクタイ着用、運転室背面カーテンの開放等の会社の指示に従わない社員がいるこ
とを挙げ、P1に対し、「あなたが社長であったら、そういう社員に対してどうす
るか。」と問いかけるなどの発言をしており、弁論の全趣旨によれば、補助参加人
組合は、提案や小集団活動の遂行、動力車乗務員作業標準の遵守、出向等の推進、
ネクタイ着用、運転室背面カーテンの開放の励行などの会社の方針に対して、協力
的な運動方針を採ってはいな
いことが認められるから、P2課長の右発言は、間接的にもせよ、補助参加人組合
の運動方針に対する批判的見解を示したものであることは否めない。
 しかし、使用者は、労働者の団結権との関係において、客観的に見て、組合活動
に対して萎縮的ないし威嚇的な態様程度にわたらないものである限り、従業員に対
し、企業経営上の種々の事項に関する自己の見解を表明し、これに対する協力を求
める等の言論活動をする言論の自由を保障されているものということができ、この
ような言論活動をもって、労働組合法七条三号にいう支配介入に該当する不当労働
行為と見ることはできないものというべきである。P2課長の前記発言は、前記認
定のとおりの内容のものであり、発言のされた場所、方法、時期等を総合的に勘案
すれば、原告会社の業務の適正な遂行を訴える穏当な内容のものであって、その態
様程度において、客観的に見て、組合活動に対して萎縮的ないし威嚇的なものに当
たらないことは明らかであるから、使用者の言論の自由の範囲内のものということ
ができ、これを右にいう不当労働行為に当たるものということはできないというべ
きである。
2 また、前記一2認定の事実によれば、第二回面談において、P2課長は、P1
が、組合を替わるから千葉運転区にしてほしい旨述べたのに対し、組合を替わると
か替わらないというのは、私がどうこういう話ではなくて、自分の問題であるから
自分で考えて決めることである旨答えているのであるが、P2課長の右発言は、P
1の所属組合の選択への関与を回避しようとしたものにすぎないから、何ら、労働
組合法七条三号にいう支配介入に該当する不当労働行為と見ることはできない。
3 その他、前記一1、2認定の事実関係の下において、P2課長の発言につい
て、これを労働組合法七条三号にいう支配介入に該当する不当労働行為と目すべき
ものは見当たらない。もっとも、P1は、第二回面談の後、補助参加人組合からの
脱退届を東鉄労地方本部に提出しているが、このような事実があるからといって、
そのことから、本件各面談におけるP2課長の発言をもって右にいう不当労働行為
に当たるとすることはできないというべきである。
三 以上の次第で、その余の点について検討するまでもなく、本件命令は違法であ
って取消しを免れず、原告の本訴請求は理由があるから認容し、主文のとおり判決
する。
東京地方裁判所民事第一一部
裁判
長裁判官 福岡右武
裁判官 矢尾和子
裁判官 西理香は、転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 福岡右武
・別紙(一)
       命令書
上記当事者間の千労委昭和63年(不)第11号不当労働行為救済申立事件につい
て、当委員会は平成2年6月11日第997回公益委員会議において、会長公益委
員P16、公益委員P17、同P18、同P19及び同P20が出席して合議のう
え、次のとおり命令する。
       主   文
1 被申立人東日本旅客鉄道株式会社は、千葉支社の管理職らをして、申立人組合
の組合員に対し、申立人組合からの脱退勧奨をするなどして、申立人組合の運営に
支配介入してはならない。
2 被申立人東日本旅客鉄道株式会社は、本命令受領後速やかに、申立人に対し、
下記の文書を手交しなければならない。

平成 年 月 日
国鉄千葉動力車労働組合
執行委員長 P21殿
               東日本旅客鉄道株式会社
                代表取締役 P6
 当社千葉支社の車務担当課長が、貴組合員P1氏の出向解除による当社への復帰
に際し、同氏に対し貴組合からの脱退を勧奨したことは、労働組合法第7条第3号
に該当する不当労働行為であると千葉県地方労働委員会において認定されましたの
で、今後このような行為を繰り返さないようにいたします。
(注 年月日は、手交の日を記載すること。)
3 被申立人P2に対する申立ては、却下する。
4 その余の申立は、棄却する.
       理   由
第1 認定した事実
1 当事者等
(1) 被申立人東日本旅客鉄道株式会社(以下「会社」という。)は、昭和62
年4月1日、日本国有鉄道改革法に基づき、日本国有鉄道(以下「国鉄」とい
う。)が経営していた旅客鉄道事業及びその附帯事業のうち、東日本地域における
鉄道事業及びその附帯事業を承継して設立された会社であって、肩書地に本社を置
き、職員数は本件申立時(昭和63年4月28日)約82,000名である。
 会社は、発足と同時に首都圏の列車、電車の運行を司る東京圏運行本部を設け、
その下部組織として旧国鉄千葉鉄道管理局管内の地域を管轄する千葉運行部を置い
ていた。その後、千葉運行部は、昭和63年4月1日の組織変更により東京圏運行
本部から独立し、千葉支社となり現在に至っている。
(2) 被申立人P2(以下「P2課長」という。)は、昭和53年4月
国鉄に入社後、昭和62年2月に千葉鉄道管理局運転部車務課長事務取扱となり、
同年4月の会社発足によって、千葉運行部運輸課車務担当課長になり、その後、昭
和63年4月千葉支社運輸部車務課長となり、更に、平成元年2月に本社鉄道事業
本部車両部運用課課長代理となった。(3) 申立人国鉄千葉動力車労働組合(以
下「申立人」という。)は、昭和62年3月31日までは国鉄の、同年4月1日以
降は国鉄の承継法人である会社及び日本貨物鉄道株式会社の職員等のうち、旧国鉄
千葉鉄道管理局管内の動力車に関係のあるもので組織された労働組合であり、その
組合員数は、本件申立時750名である。
(4) なお、会社には、申立人のほか、国鉄労働組合(以下「国労」とい
う。)、全日本鉄道労働組合総連合会所属の東日本旅客鉄道労働組合(以下「東鉄
労」という。)、日本鉄道産業労働組合総連合所属の東日本鉄道産業労働組合等の
労働組合がある。
2 国鉄分割・民営化に至るまでの労使関係
(1) 申立人は、昭和54年春闘ストライキ及び同年10月と11月にジェット
燃料貨物輸送の増送に反対するストライキを実施した。これに対し、国鉄は申立人
組合書記長を公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)第18条により
解雇した。
(2) 申立人は、昭和56年3月にジェット燃料貨車輸送の期間延長に反対して
乗務員の指名ストライキを実施した。これに対し、国鉄は申立人組合本部執行委員
4名を公労法第18条により解雇した。
(3) 昭和60年11月28日から29日にかけて、申立人は雇用安定協約の締
結を求めるとともに、国鉄の分割・民営化に反対するために、24時間の総武線千
葉以西の乗務員の指名ストライキを実施した。このストライキに対し、国鉄は公労
法第18条により申立人組合員20名を解雇した。
(4) 同年11月30日、国鉄は、申立人に対し、国鉄と申立人との間で申立人
の組合員は休職・派遣・出向に応じる旨の合意が成立していたにもかかわらず、申
立人はこれに積極的に応ぜず、前記(3)のストライキを実施するなど国鉄の分
割・民営化に反対したとして、昭和57年6月1日に締結された「機械化、近代化
及び合理化等の実施に当たっては、①雇用の安定を確保するとともに、労働条件の
維持改善を図る。②本人の意に反する免職及び降職は行わない。③必要な転換教育
等を行う。」旨の協約(以下「雇用安定協約」とい
う。)の継続を拒否し、このため昭和60年12月1日以降、雇用安定協約は失効
した。
(5) 昭和61年2月15日、申立人は、昭和61年3月のダイヤ改正に伴う東
京三局(東京北鉄道管理局、東京南鉄道管理局及び東京西鉄道管理局をいう。以下
同じ。)への業務移管等によって生ずる申立人組合員の「余剰人員化」に反対して
乗務員の指名ストライキを実施した。このストライキに対し、国鉄は申立人組合員
8名を解雇した。
(6) 同年3月に実施された千葉鉄道管理局から東京三局への業務移管問題に関
連して、当時の国鉄千葉鉄道管理局のP34運転部長は、次のような発言を行っ
た。
「今回の決定がなされた原因は、ストヘの報復がすべてではないが皆無とはいえな
い。」
(7) 同年8月27日、国鉄は、国鉄の分割・民営化に協力する立場から、鉄道
労働組合、国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)、全国鉄施設労働組合が
結成した国鉄改革労働組合協議会と第2次労使共同宣言を発表した。申立人組合
は、この労使共同宣言には反対の見解をとっており、参加しなかった。
3 会社設立後の労使関係
(1) 昭和62年4月25日、会社のP5常務は、昭和62年度経営計画の考え
方等の説明会において、「会社にとって必要な社員、必要でない社員の峻別は絶対
必要なのだが、会社の方針派と反対派が存在する限り、特に東日本は別格だが、お
だやかな労務政策をとる考えはない。反対派は断固として峻別する。等距離外交な
ど考えてもいない。」などと述べた。
(2) 申立人は以前から年2回程度、組合員が集会参加するのに先立って、旧成
田運転区庁舎前に集合して出発することとしていたが、同年5月17日、会社は、
組合が三里塚で行われる集会へ参加するために旧成田運転区庁舎前に集合しようと
する組合員の立ち入りを認めず、組合員が庁舎前で集合することを禁止した。
(3) 同年8月6日、会社の代表取締役P6(以下「P6社長」という。)は、
東鉄労の単一組織の大会に出席し、あいさつに立ち、そのあいさつで、「残念なこ
とは東鉄労以外にも組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代
錯誤の組合もあります。皆さんにお願いしたいのは、このような迷える子羊を救っ
てやっていただきたい。皆さんの仲間に迎え入れてもらいたい。名実共に東鉄労が
当社における一企業一組合になるようご援助頂くことを期待する。」と述べた。
(4)
 会社は、申立人が支部大会等を開くための組合事務所の使用を認めないという方
針であったが、昭和62年12月16日、支部組合事務所で支部大会を開こうとし
た際、会社は津田沼支部組合事務所前に数十人の社員らを動員しビケを振り、組合
員が集まるのを阻止した。
(5) 申立人は、職員の不採用をめぐり、会社及び日本貨物鉄道株式会社を被申
立人として、当委員会に対して不当労働行為の救済申立てをし(昭和63年(不)
第7・8号併合事件)、これについて当委員会は、不当労働行為と判断し救済命令
(平成2年2月13日決定)を発した。4 派遣制度
(1)派遣制度導入の経緯
 昭和59年2月に実施されたダイヤ改正に伴って、国鉄の在職職員数が事業の運
営に必要な要員数を大幅に上回るという状況になり、国鉄は余剰人員調整策として
 ①退職制度の見直しによる退職勧奨 ②一時休職制度の導入 ③派遣制度の一般
職員への拡充を内容とする提案を各組合に昭和59年7月10日に提示した。申立
人と国鉄は、職員の派遣の取扱いに関する協定(以下「派遣協定」という。)を昭
和60年5月16日に締結した。
(2) 派遣の条件
 派遣協定は派遣の終了・復帰時の取り扱いについて次のように定めていた。
①派遣の終了
 派遣職員が次のいずれかに該当する場合、派遣を終了する。
ア 派遣期間が満了したとき
イ 業務上の理由により、派遣職員を復帰させる必要が生じたとき
ウ その他、派遣を継続することが不可能などと認められるとき
②復帰時の取扱い
ア 派遣の終了後は、原則として派遣前の所属・職名に復帰させるものとする。な
お、資格要件及び派遣経歴等を考慮して、適職につけることができるものとする。
イ 復帰にあたっては、必要に応じ教育・訓練等を行うものとする。
 また、協定付属了解事項において、派遣に際しては、当時、千葉鉄道管理局は局
長名で、派遣前の所属・職名に復帰させるという趣旨の文書を派遣者に渡してい
た。
(3) 会社移行に伴う措置
 昭和62年4月に国鉄から会社に移行したことにより、それまでの派遣協定は失
効し、4月1日以降に派遣期間が満了する者については、そのまま会社の就業規則
に定める出向と読み替えて期間満了まで出向の取扱いをすることになった。
 これにより、復帰する場合は会社における就業規則ないし出向規程が適用され、
原則として原職に戻すという扱いはされなくなった。
5 P1の派遣
(1)
 P1の経歴・組合歴
ア P1は昭和50年3月に臨時雇用員として国鉄に採用、千葉鉄道管理局新小岩
機関区に配属され、同年11月に正職員になり、昭和51年4月幕張電車区車両検
修係、昭和53年9月に津田沼電車区の電車運転士見習を経て、昭和54年2月に
電車運転士に発令され千葉運転区に勤務し、それ以降、昭和61年4月に派遣に出
るまで千葉運転区で電車運転士をしていた。
イ P1は昭和50年5月に動労に加入、昭和52年3月に申立人が動労から分離
独立した際にもそのまま申立人組合に所属していた。P1は昭和57年秋から派遣
に出るまで申立人組合千葉運転区支部の乗務員分科会タイヤ検討委員を経験した
が、組合の役職に就いたことはなかった。(2) P1の派遣の申し出
ア P1が派遣を決意するきっかけとなったのは、昭和61年2月頃、以前からの
知り合いである、当時動労本部役員のP33から、派遣に行けば新会社に残れると
いう話を聞いたことによる。当時、P1自身も、国鉄の分割・民営化のなかで「3
人に1人は首」と認識しており、家庭の事情からどうしても首になるわけには行か
ない状況だったこともあり、派遣に協力しようと決意した。
イ 昭和61年3月3日、P1はP4千葉運転区長(以下「P4区長」という。)
に派遣を申し出るため、区長室を訪れた。P4区長はP1に対し、乗務員休養室6
30号室へ行くように指示し、同室において面接した。P1は、京神倉庫株式会社
に派遣に行く旨と派遣先に近い宿舎への変更を希望する旨を申し出た。
ウ 面接後、P4区長は、P1の派遣と宿舎の変更について事務助役を通じて手続
きをとった。
6 面談
(1) 復職時の面談
 千葉運行部は、昭和63年3月31日をもって出向期間が満了となる15名につ
いて、出向中の慰労をし、出向先での経験や出向後の本人の事情を聞く必要から、
個々に面談を実施した。出向終了予定者に対する面談は、本人の出身系統、派遣先
の業務内容あるいは面談担当者の都合により人事担当課の係長が実施したり、出身
系統の課長や係長が実施したり、あるいは両方で実施することもあった。
(2) P2車務担当課長による面談
 運輸課では、復帰者のうち運転関係出身者について面談を実施することとし、総
務課人事担当者と運輸課人事担当者が調整した結果、P2課長らが面談を実施する
ことにした。
 昭和63年3月末時点で出向から復帰を予定している者の
うち運転関係者はP1を含めて4名おり、P2課長はこの4名全員に対して面談を
実施することとした。
 運輸課車務担当課長による面談は、同課長の事務分掌事項である「動力車乗務員
及び列車乗務員の指導・教育」を根拠とするものであり、その目的は、近い将来動
力車乗務員としてP2課長が指導担当する職場に来る者に対し、新会社設立後にお
ける会社の状況及び会社の目指している目標や職場の状況、復帰にあたっての心構
えについて話をするためであった。
 また、運転職場への復帰が予定されていたP1とP3に対しては、これらの目的
に加え、出向終了後京葉線へ配属したい旨の打診をするということも目的とされて
いた。
7 第1回面談
(1) 昭和63年3月初め、千葉運行部総務課人事担当係員は、電話でP1に対
し、3月20日までに配属先を決めたいので面談に来るように連絡した。
(2) P1は、3月15日午後3時、同じく派遣に出ていた、友人で東鉄労組合
員のP3と共に千葉運行部に赴き、4階の応接室においてP2とP15運輸課人事
係長(以下「P15係長」という。)と面談した。面談はまずP3から始められ、
10分程度で終了した。
(3) 面談でP2課長がP1に対して話した内容は、先ず、派遣・出向中の労を
ねぎらい、国鉄から民間会社になり様々な面で大きく変わってきていること、一人
一人が会社をよくしていこうという気持ちを持って行動することが大切であり、上
司からいわれたことをやっていればよいという時代ではないということ、民間会社
として提案、小集団活動に対する取組みも大切であることなど、復帰にあたっての
心構え等であった。さらに、このような状況下においても提案や小集団活動に反対
し、会社で定めた作業標準すら守らない社員がいること、今後の関連事業の展開や
人材の育成等に必要な出向等に対してもストライキで阻止する人たちがいること
等、会社の方針に反対する組合を批判した内容の話をし、「あなたが社長であった
ら、このような組合をどう扱いますか」と質問した。
(4) さらに、P2課長は、昭和63年12月に予定されている京葉線の暫定開
業の意義についても話をし、P1の復帰後の配属先として、原職ではなく京葉線の
運転士を勧めた。このときのやりとりは次のとおりであった。
P2 「京葉線を考えているがどうか」
P1 「千葉運転区以外はいやだ」
P2 「京葉線と千葉運転区とでは仕事の意欲
はどちらが涌くか
P1 「千葉運転区のほうが意欲は涌く。ところで、他の人は新しい制服をもらっ
ているのになぜ自分のはできないのか」
P2 「どこに配属になるかわからないからだ」
P1 「2年前に局長からもとの職場に帰すという書類までもらっている。そうい
う約束はどうなるのか」
P2 「京葉線は今から開業する新しい線区であって、将来的な展望も明るい線区
で、動労千葉の組合員もいないからそこがいいんじゃないか」
P1 「動労千葉の組合員が希望したらどうするのか」
P2 「希望しても回さない」
P1 「京葉線に回されるのだったら動労千葉のままでいく。千葉運転区以外への
配属は絶対にいやだ」
P2 「今日の話はまだ予定の話だから組合とか他の人には絶対にいわないでく
れ」。
(5) P1に対する面談は約1時間行われ、P3の面談時間に比べ、長時間を要
した。
(6) P1は、この面談におけるP2課長の申立人組合に対する批判的言辞か
ら、申立人組合所属のままでは自分が希望する千葉運転区に復帰できないのではな
いかと考え、同日の夕刻、申立人組合千葉運転区支部書記長のP8に電話をし、復
帰について組合として取り組んでもらうよう要請した。
8 第2回面談
(1) 3月16日、千葉運行部人事担当者は、P1に対し、出向終了後京葉線の
乗務員として働くことの意思の有無を確認するため、再度来るように連絡した。
(2) 同月17日午後、P1は派遣先からP3と共にP3の車で千葉運行部に赴
き、現業庁舎4階の会議室においてP2課長とP15係長と面談した。
(3) 面談が始まると、P1は、P2課長からいきなり「組合に話をしたか」と
聞かれ、「していない」と答えたところ、「組合から約束通り千葉運転区に戻すよ
うにとの話があった」と言われ、P1は返答に窮した。
(4) P2課長は、P1に、津田沼運転区新習志野派出で検討するとの打診を
し、続いて次のやりとりがあった。
P2「これからどうするつもりか。組合をやめる意思はあるか」
P1「千葉運転区に帰れるなら。国労ではだめか」
P2 「国労では同じだ。千葉運転区は乗り入れも含めて動労千葉が大半を占めて
いるから大変だ。動労千葉に対しては会社がサポートするが、外周区などへ行くと
大変だ。組合をやめるのなら、動労千葉もいないし、京葉線のほうが良いのではな
いか。いったん、東鉄労に入り、また動労千葉へ戻ったら、人間としての、会社か
らの
信用がなくなりますよ」
P1 「いや、千葉運転区の方がよい」
P2 「何で京葉線が嫌いなのか」
P1 「運転線区と車両が嫌いだ。なぜ、千葉運転区へ配属すると言わないのか」
P2 「じゃあそういう方向で検討します。あなたが東鉄労に入るという確証を見
せて下さい」
P1 「この場で脱退届を書けばよいのか」
P2 「・・・・」
(5) P1に対する面談の後、P3についても行われた。P3については第2回
面談の予定はなかったが、P3自身が原職への復帰を希望する旨を伝えるため、自
分から面談を希望したため行われた。
(6) P3の面談が終わり、P1とP3が帰ろうとすると、運輸課係員のP35
がP3に対して、「組合から来てくれと電話があった」と伝えたため、P1はP8
と会う約束があったが、P3の車に同乗して面談に来ていたためP3とともに東鉄
労千葉地方本部へ行った。P1は車の中で待っているつもりであったが、一緒に来
てくれとP3が呼びに来たので車を降りて事務所に入った。
(7) 東鉄労の事務所には、P36東鉄労千葉地方本部執行副委員長らがおり、
P1があいさつをすると、P36らは、「いろんなことをすっきりして東鉄労に入
ろう」と言いながら、加入届用紙と脱退届用紙をP1の前に置いた。P1は、面談
時間に合わせて東鉄労から会社に電話が入っていることから、自分の配属について
会社と東鉄労の間で何か話が出来ているかもしれないと思いながら、所属欄につい
て、「まだ配属が決まっていないのにここにはどう書けばいいんだ」と言うと東鉄
労役員のうち某が「今、運行部から電話があって、千葉運転区に配属になると言っ
ていたので、千葉運転区と書いてよい」と言ったため、P1は自分の思ったとおり
千葉運行部と東鉄労との間で話が通じていることを知り、今ここで千葉運転区と書
き入れて届を出さなければ、千葉運転区への配属がだめになると考え、その場で東
鉄労への加入届と申立人への脱退届を書いた。
(8) 同月23日、会社はP1に対して千葉運転区へ電車運転士として配属され
る旨の事前通知をなし、昭和63年4月1日をもってP1を千葉運転区運転士に発
令した。
9 昭和63年4月1日の状況
(1) 昭和63年4月1日朝、P1は千葉支社に赴任するため出社した。当日
は、まず出向先から復帰した職員の報告会が行われ、報告会が終わって千葉運転区
に行くまでの待機中に、P4輸送課長(以下「P4課
長」という。)、P37輸送課長代理らが入れ替わり立ち替わり現れ、P1に対
し、「動労千葉を脱退したのはいいことだ」、「色々なことを言ってくるが、自分
の気持ちがしっかりしていれば大丈夫だから」等と言った。
(2) このなかでP4課長は、動労千葉はどうしょうもないというような話をし
たので、P1は「動労千葉でも真面目にやっている人はどうするのか」と質問した
ところ、P4課長は「真面目に仕事をやっていれば、そのこと自体は否定しない
が、動労千葉組合員であることを勘案して差し引きゼロと評価する。例えば動労千
葉組合員であればボーナスの5%アップはさせないし、試験なども少しくらい点数
がよくても合格させない」と言った。
(3) 運転区に着くと、P1は区長室で着替えをするように言われ、昼食につい
ても友人と約束があったにもかかわらず、区長や助役らがついてきて、同席した。
(4) 同日午後5時過ぎ、P1は当直室で終了点呼を受けた際、「まっすぐ帰っ
て下さい」「何か言ってきても相手にする必要はない」と言われた。
(5) P1は帰りにP8と会い、申立人への復帰を説得され、P1はその場で東
鉄労の脱退届と申立人の加入届に署名押印した。
第2 判断
1 当事者の主張要旨
(1) 申立人は、次のとおり主張する。
 P2課長が、P1に対する2回にわたる面談のなかで、同人に出向終了後、同人
が希望している千葉運転区に配属するのと引き換えに、申立人組合から脱退するこ
とを勧めたことは申立人の組合運営に支配介入するものであって、労働組合法第7
条第3号に該当する不当労働行為である。
(2) 会社は、次のとおり主張する。
ア 昭和63年3月15日のP1に対する第1回面談のとき、P2課長がP1に話
した内容は、①派遣・出向中の労のねぎらい、②会社に移行してからの状況、③社
員としての心構え、④提案・小集団活動への取組みの必要性、⑤出向から復帰する
にあたっての心構え、⑥提案・小集団活動に反対し、会社の作業標準すら守らない
社員がいること、⑦出向に対しストライキをもって阻止しようとする者がいること
等について事実を客観的に話したのにすぎず、P3に対しても同内容の話をした。
また、出向先からの復帰にあたっては、必ずしも全員が原職に復帰していたわけで
はなかったので、京葉線暫定開業のための要員需給を考慮し、P1、P3の両者に
対しても本人の理解を得たうえで京葉線運転
士として働いてもらいたいと考えてその意思を打診したものである。P3よりP1
の方が面談に長い時間を要したのは、P1は京葉線について理解を得られないため
であり、申立人主張のように同人に対し申立人から脱退することを勧めた事実はな
い。
イ 3月17日のP1に対する第2回面談は、第1回の面談で京葉線に配属するこ
とについてP1の理解を得られなかったため、再確認のため行ったものであり、こ
のときも、P1に申立人組合からの脱退を勧奨したような事実は全くないのみなら
す、かえって、この面談においてP1の方から進んで、組合を変わるから千葉運転
区にして欲しい旨の申し出があり、これに対し、P2課長は組合を変わる変わらな
いというのは自己の問題であると答えたくらいである。
ウ 面談後のP1の行動については会社の何ら関知するところではないが、P1は
自分の意思をもって動労千葉脱退届けを提出したことは明らかであり、会社やP2
課長が脱退を勧奨したという事実はないし、会社はP1がP3と東鉄労事務所へ行
くことについて何ら関知していない。
2 判断
(1) 第1回面談について
ア 前記第1の7(3)認定のとおり、P2課長は、第1回面談において、会社を
とりまく情勢を述べ、新会社の下においても提案や小集団活動反対したり、会社の
施策に対してストライキをもってこれを阻止しようとする者がいるのは民間会社の
社員として望ましくなく、会社を発展させるとは思えないと述べたうえで、P1に
対し、「あなたが社長であったらこのような組合をどう扱いますか」と質問してい
る。これらは、単なる会社をとりまく客観的情勢の説明というものにとどまらず、
復帰者の面談の時という発言の時期を考えると、その発言の真意は、P2課長が管
理職の地位を利用して、P1に対して申立人組合に所属していることについて再考
を求め、もって申立人組合からの脱退を勧めたものと解するのが相当であり、した
がって、脱退を勧めたことはないとの会社の主張は採用できない。
イ 前記第1の7(4)、(5)認定のとおり、P2課長は、この面談で、P1の
復帰後の配属先として京葉線を勧め、その説得に多くの時間を費やしており、ま
た、やりとりのなかでP2課長は、たとえ申立人組合員が希望しても京葉線には配
属しないと述べている。このように、P2課長は申立人の組合員への差別の意向を
明らかにすると同時に、P2課長自身、乗務員の
人事配置に関与していることを示唆するもので、結局、P2課長による京葉線への
執拗な説得と、申立人組合への批判的言動がその後、P1の申立人組合をやめるき
っかけとなったものといわざるをえない。
(2) 第2回面談について
 前記第1の8(4)認定のとおり、
ア P2課長は、P1の京葉線配属について再確認するために行われた第2回面談
において「組合をやめる意思はあるか」とP1に質し、P1が「国労ではだめか」
と答えると、「国労では同じだ」、「一旦、東鉄労に入り、また動労千葉へ戻った
ら、人間としての、会社からの信用がなくなりますよ」と言っていること。
イ また、P1が千葉運転区への配属を強く希望すると、P2課長は、希望に沿う
ように検討すると述べたうえで、「東鉄労に入るという確証を見せ」るように言っ
ていること。
ウ 以上、ア、イを総合すると、P2課長の発言は、申立人組合員であるP1に対
して露骨に、申立人組合からの脱退を勧奨し、東鉄労への加入を働きかけたものと
解するのが相当である。
 なお、会社は、第2回面談においてP1の方から進んで組合を変わるから千葉運
転区にして欲しい旨の話があり、これに対してP2課長は組合については自分自身
が考えて決めることだと答えた、とも主張するが、しかし、仮にP1が組合をやめ
ると申し出たとしても、第1回面談におけるP2課長の発言を考え合わせると、P
1にやめると言わしめるだけの働きかけないし心理的圧力があったとみるのが自然
であり、むしろ会社側の脱退勧奨行為があったことを推測させるものである。した
がって、会社の主張は採用できない。
(3) 面談後の状況
 前記第1の8(6)、(7)認定のとおり、
ア 第2回面談後、P1はP3に同行して東鉄労千葉地方本部事務所に行くと、東
鉄労の役員に説得されて、東鉄労への加入届と、動労千葉への脱退届とを書いた。
届に記入する際、用紙の所属欄についてP1が質問すると、東鉄労役員のうちのひ
とりが、「運行部から電話があって、千葉運転区に配属になると言っていたので、
千葉運転区と書いてよい」と言われたこと。
イ P1が、自分の配属について会社と東鉄労との間で話が通じており、ここで断
れば千葉運転区への配属がだめになると考えたのは無理もないことであること。
ウ 以上、ア、イを総合すると、東鉄労役員らに説得されたにせよ、千葉運転区へ
の配属を希望しているP1にとって、動労
千葉脱退届に記入する決心をしたきっかけは、これまでのP2課長の面談における
言動に起因するものであり、これによりP1が千葉運転区に戻れなくなることをお
それたためであると解するのが相当である。したがって、P1は自分の意思で申立
人の脱退届を提出したものであり、脱退勧奨によるものではないとの会社の主張は
採用できない。
3 不当労働行為の成否
 会社の管理者であるP2課長が面談において申立人組合員P1に対して行った言
動は、前記第1の2及び3において認定したとおりの労使の厳しい対立関係のもと
において、P6社長の、会社において東鉄労が名実共に一企業一組合になることの
期待(前記第1の3の(3)参照)の趣旨を体して、申立人の活動を嫌悪している
同人が、職務上の地位を利用して、社長の上記趣旨に沿い申立人からの脱退勧奨を
行ったものというべく、その責任は、同人の地位、権限からして会社に帰属され
る。以上のとおり、会社のこの脱退勧奨行為は、申立人の弱体化を企図し、その運
営に支配介入するものであり、労働組合法第7条第3号に該当する不当労働行為で
ある。
4 申立人はP2課長をも被申立人としているが、同人は、前記第1の1(2)に
認定のとおり、昭和63年3月のP1との面談当時は千葉運行部運輸課車務担当課
長の職にあった会社の一従業員であるので、労働組合法第7条の使用者に該当せ
ず、被申立人適格を欠くので、同人に対する救済申立は却下するのが相当である。
5 救済の方法
 申立人は、謝罪文の掲示及び新聞各紙への謝罪広告の掲載をも求めるが、主文の
救済をもって足りるものと思料する。
第3 法律上の根拠
 以上のとおりであるから、労働組合法第27条並びに労働委員会規則第34条及
び第43条に基づき、主文のとおり命令する。
平成2年6月18日
干葉県地方労働委員会
会長 P16 印
別紙(二)
       命令書
 上記当事者間の中労委平成2年(不再)第45号事件(初審千葉地労委昭和63
年(不)第11号事件)について、当委員会は、平成9年6月18日第1240回
公益委員会議において、会長公益委員P22、公益委員P23、同P24、同P2
5、同P26、同P27同P28、同P29、同P30、同P31、同P32出席
し、合議の上、次のとおり命令する。
       主   文
 本件再審査申立てを棄却する。
       理   由
第1 事案の概要
 本件は、東日
本旅客鉄道株式会社(以下「会社」という。)の昭和63年3月当時の千葉運行部
運輸課車務担当課長P2(以下「P2課長」という。)が、国鉄千葉動力車労働組
合(以下「組合」という。)の組合員P1が出向先から会社に復帰する際、2回に
わたり実施した面談において、組合からの脱退を勧奨したことが不当労働行為に当
たるとして、昭和63年4月28日に申立てのあった事件である。
 初審千葉県地方労働委員会(以下「千葉地労委」という。)は、平成2年6月1
8日付けで、会社に対し、管理職らをして、組合員に組合からの脱退を勧奨するな
どして組合の運営に支配介入させてはならない旨及び文書手交を命じたところ、会
社は、これを不服として同年7月4日、当委員会に本件再審査を申し立てたもので
ある。
第2 当委員会の認定した事実
1 当事者等
(1)会社は昭和62年4月1日、日本国有鉄道改革法及び旅客鉄道株式会社及び
日本貨物鉄道株式会社に関する法律に基づき、日本国有鉄道(以下国鉄」とい
う。)の承継法人の一つとして設立されたものであり、肩書地に本社を置き、職員
約82、000名(同63年4月28日本件初審申立時)を雇用し、東日本地域に
おいて旅客鉄道事業及びその関連事業を営むものである。
 会社は、設立時、首都圏の列車・電車の運行を管理する東京圏運行本部を設け、
その地方機関として国鉄千葉鉄道管理局管内に相当する線区(総武本線、内房線、
外房線、久留里線、成田線、鹿島線、京葉線及び武蔵野線(一部))における運行
を管理する千葉運行部を置いていた
 なお、同36年4月1日、千葉運行部は東京圏運行本部から独立して千葉支社と
なり、現在に至っている。
(2)組合は、昭和62年3月31日までは国鉄の職員、同年4月1日以降は会社
及び日本貨物鉄道株式会社等の社員らのうち、国鉄千葉鉄道管理局管内に相当する
区域の動力車乗務員らによって組織される労働組合であり、その組合員数は、75
0名(本件初審申立時)である。
 なお、組合は同54年3月30日に当時の国鉄動力車労働組合(以下「動労」と
いう。)から、分離独立したものである。
(3)会社には、本件再審査結審時、組合のほか、東日本旅客鉄道労働組合(会社
発足直前に、動労ほか3組合を母体として結成されたもの。以下「東鉄労」とい
う。)、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の東日本本部、東日本鉄道産業労
働組合、全国鉄動力車労
働組合の東日本地方本部等の労働組合があった。
2 国鉄及び会社における労使事情
(1)組合によるストライキ等と国鉄の対応
 組合は、動労から分離独立した昭和54年3月以降同61年3月までの間に、春
闘、成田空港へのジェット燃料輸送、雇用安定協約締結、国鉄分割民営化、千葉鉄
道管理局から東京北・南・西鉄道管理局への業務移管に伴う余剰人員問題等に関
し、数次のストライキを実施した。
 これらのストライキに関し、国鉄は、公共企業体等労働関係法第18条に基づ
き、組合の役員ら33名の組合員を解雇した。
 また、組合は、会社設立後においても、国鉄分割民営化に反対する方針を掲げて
運動を行っていた。
(2) 会社幹部らの発言
イ 会社の当時の人事部等の担当であった常務取締役P5(現代表取締役社長)
は、昭和62年5月25日に開催された会社の「昭和62年度経営計画の考え方等
説明会」において、「職場管理も労務管理も3月までと同じ考えであり、手を抜く
とか卒業したとかいう考えは、毛頭持っていない。・・・会社にとって必要な社
員、必要でない社員の峻別は絶対に必要なのだ。特に東日本は別格だが、穏やかな
労務政策をとる考えはない。反対派は峻別し、断固として排除する。等距離外交な
ど考えてもいない。」などと述べた。
ロ 会社の当時の代表取締役社長P6は、同年8月6日、東鉄労の第2回大会に来
賓として出席し、「残念なことは東鉄労以外にも組合があり、その中には今なお民
営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。・・・皆さんにお願いしたい
のは、このように迷える子羊を救ってやっていただきたい。皆さんの仲間に迎え入
れてもらいたい。名実ともに東鉄労が当社における一企業一組合になるようご援助
頂くことを期待する。」旨の挨拶を行った。
(3)小集団活動等に対する組合の対応
イ 小集団活動に対する組合の対応
(イ)会社は、設立後、業務改善手法の一環として小集団活動を採り入れ、その推
進を図っていた。
 なお、この小集団活動は、職員が自主的に行うものとの位置付けの下に勤務時間
外に行われていたが、当該活動への関与の程度が勤務成績評価の対象とされる一
方、当該活動時間に対応する賃金は支給されていなかった。
(ロ)この点を組合は問題視し、昭和62年8月11日付け機関紙には、「(会社
は、)職場に小集団なるものを組織し、増収活動、便所掃除を『自発的』と称する
明けや公休を
使ったタダ働きをもって強制し、これを勤務成績に反映させ」ており、再三「団体
交渉を申し入れても会社が応じない」旨を記載した。
ロ 動力車乗務員作業標準に対する組合の対応
(イ)会社は、会社設立時に、動力車乗務員作業標準(以下「作業標準」とい
う。)の中で、「ネクタイ、靴は服装に調和したものとする」、「乗務中は姿勢を
正しアゴヒモをかける」、「運転室カーテンは開放する(夜間、トンネル等を除
く)」等と定めた。
 なお、この作業標準の定めは、同60年ころから国鉄が順次導入していた同様の
取扱いを、会社が成文化したものであった。
(ロ)組合の組合員(以下、単に「組合員」という。)らの間には、その導入当初
から、この作業標準の定めの合理性等に疑問があるとして、管理職らからこの定め
に従うよう指示されても、反発し、従わない風潮が生まれていた。
 もっとも、組合として、この作業標準の定めへの対応を組合員に指令したもので
はなかった。
 また、組合員の中には、この作業標準の定めに従わなかった等として、一定期
間、予備勤務(病休者や車両故障等が生じた際の乗務に備えて待機する勤務)にの
み就かされた者があった。
3 派遣・出向制度の経緯と組合の対応
(1)派遣制度の経緯と組合の対応
 昭和60年5月16日、組合は、ダイヤ改正に伴う余剰人員調整策の一環として
国鉄から提案されていた派遣(国鉄職員の身分を保有したまま関連企業等において
業務に従事するもの)の対象者を管理職から一般職員に拡充することに関し、職員
の派遣の取扱いに関する協定」(以下「派遣協定」という。)を、国鉄と締結し
た。
 なお、この派遣協定締結に付随して、千葉鉄道管理局では、「派遣終了後は、派
遣前の所属・職名に復帰させる。」旨の同局長名の文書(以下「保証書」とい
う。)を交付していた。
 また、この派遣協定に基づく派遣(以下「派遣」という。)は、本人の同意が前
提条件とされていた。
(2)出向制度の経緯と組合の対応
イ 会社は、会社設立とともに国鉄当時の派遣協定は失効したとし、新たに、出向
規程を設け、これに基づき出向制度を運用することとした。
 また、出向規程では、派遣の場合と異なり、本人の同意が前提条件ではなく、出
向期間を満了して会社に復帰する場合の配属先(以下「復帰時配属先」とい
う。」)も、原職に配属させるという扱いは、原則としてされないこととなった。
 なお、会社設立前から
の派遣者については、会社の出向規程に基づく出向として取り扱うこととしていた
が、復帰時配属先に関しては、保証書が交付されている等の経緯を尊重し、原職と
異なる職場に配属する場合は本人の納得を得たうえで行うこととしていた。
ロ この出向制度の運用に関し、組合は、同62年8月ころに至り、「首切り出向
攻撃を粉砕しよう―スト権一票投票の成功のため―」と題する職場討議資料用パン
フレットを作成し、組合員に配布した。このパンフレットの内容は組合員に、出向
制度の運用に関し、全員投票による100%のスト権の確立を訴えるものであり、
出向は原則として労働者の合意が必要とする判決例を紹介したり、また、会社設立
後の出向者の7割以上が国労組合員であって国労を狙い打ちしており、強制出向の
狙いは組合、国労など闘う労働組合の組織破壊攻撃そのものであるとして、出向の
意向打診や事前通知を拒否することの正当性を主張したものであった。
4 P1の派遣の経緯
(1)P1の経歴・組合歴
 P1は、昭和50年3月に臨時雇用員として国鉄に採用され、同54年2月に同
千葉運転区電車運転士となり、同61年4月の本件派遣に至るまで同運転士をして
いた。
 同人は、同50年5月に動労に加入したが、同54年3月に組合が勤労から分離
独立した際、組合に加入した。なお、同人は、同57年秋から、組合千葉運転区支
部の乗務員分科会ダイヤ検討委員を務めたことはあるが、組合の役職に就いたこと
はなかった。
(2)P1の派遣に至る経緯
イ 昭和61年2月ころ、P1は、「国鉄の分割民営化に伴い3人に1人は首」と
の旨の報道等に接し、自らの雇用に不安を抱き、確実に会社に残るにはどうしたら
良いかと悩んでいた。そのころ、P1は、当時、動労千葉地方本部業務部長であっ
たP33(後に、東鉄労千葉支部書記長。)から、数回にわたり、「組合を替わっ
た方が残れる可能性が高い。」として動労への転籍を勧められるとともに、「派遣
に行った方が残れる可能性がある。」として派遣に応じることを勧められ、派遣に
応じる決意をした。
ロ P1は、組合員で友人の津田沼電車区運転士P3と相談した上、一緒に派遣に
応じることとし同61年3月3日、千葉運行部千葉運転区長P4(同63年4月1
日からは千葉支社運輸部輸送課長。以下「P4課長」という。)に派遣に応じる旨
を申し出、同63年3月31日までの2年間、P3とともに京神倉
庫株式会社に派遣されることとなった。
ハ P1は、「派遣終了後、千葉運転区電車運転士に復帰することになる」旨の保
証書を受け取った上、同61年4月1日から、同社において、配送業務に従事し
た。
ニ 派遣協定締結から会社設立までの間に、12名の組合員が派遣に応じたが、こ
のうち、P3をはじめ10名が派遣に前後して組合を脱退し、派遣に際し組合を脱
退しなかったのは、P1と、派遣終了時に退職することを前提としていた1名の2
名だけであった。
 なお、P1は、P3が派遣に際し組合から動労へ転籍した後も、P3と親しく付
き合っていた。
 また、P1の妻は、P1が派遣に応じた後の昭和62年夏ころ、共済貯金の手続
のために千葉運行部総務課を訪れた際、担当者から「折角出向に行っても、動労千
葉を辞めなければ意味がない。」との趣旨の話をされたことがあった。
5 第1回復帰時面談(昭和63年3月15日)
(1)第1回復帰時面談に至る経緯
イ 千葉運行部は、派遣・出向(以下、これらを総称して単に、「出向」とい
う。)から復帰する者に対し、出向中の労をねぎらい、出向先での経験や出向後の
本人の事情を聴く必要から、個々に面談(以下「復帰時面談」という。)を実施す
ることとしていた。
ロ P1とP3の復帰時面談は、P2課長と千葉運行部運輸課人事係長P15(以
下「P15係長」という。)とが行うこととなった。
ハ P2課長らによる復帰時面談の目的には、上記イのほか、近い将来、P2課長
が指導教育を担当する職場に配属される動力車乗務員に対し、設立後間もない会社
の目標職場の状況、復帰に当たっての心構え等を話すことが含まれていた。
 また、当時、千葉運行部運輸課(以下「運輸課」という。)内においては、昭和
63年12月に予定されていた京葉線暫定開業路線の延伸に伴う人員配置につい
て、名簿を作成するなど具体的な検討が進められていたが、P1とP3もその名簿
に登載されており、復帰時配属先が原職(それぞれ、千葉運転区、津田沼電車区の
運転士)とは異なる配属(津田沼運転区新習志野派出所(当時、京葉線の運行を担
当していた部署)の運転士)となることから、これを説得することも予定されてい
た。
ニ 同63年3月20日までに復帰時配属先を決める必要があるところから、P1
の復帰時面談は同月15日に千葉運行部において行われることとなった。
ホ 同月15日、P1は、P3とともに千葉
運行部に赴き、午後3時から、河一野課長らによる復帰時面談が、P3から先に行
われた。
(2)第1回復帰時面談の内容
イ P3に続いて行われたP1に対する復帰時面談で、P2課長は、出向中の労を
ねぎらった後、まず、
(イ)会社は、国鉄から民間会社になり様々な面で大きく変わってきていること
(ロ)一人ひとりが全社を良くしていこうという気持ちを持って行動することが大
切であり、上司から言われたことをやっていればよいという時代ではないこと
(ハ)民間会社として、提案、小集団活動に対する取組みも大切であること等、復
帰に当たっての心構え等を話した。
ロ 次いで、P2課長は、
(イ)このような状況下においても、提案や小集団活動に反対する社員がいること
(ロ)会社で定めた作業標準すら守らない社員がいること
(ハ)今後の関連事業の展開や人材の育成等に必要な出向等に対しても、これをス
トライキで阻止するというような一部の社員がいること
等、会社の方針に反対する者が存在することを話した。
ハ さらに、P2課長は、
(イ)提案や小集団活動に反対したり、会社の施策に対しストライキで阻止したり
する状況は、民間会社の社員として望ましくなく、また、会社を発展させるとは思
えないこと
(ロ)提案や小集団活動についても積極的に取り組んでもらいたい旨を話した。
 なお、P2課長は、以上の話のほか、ネクタイ着用や運転室背面カーテンの開放
等の会社の指示に従わない組合や国労の組合員を批判し、「あなたが社長であった
ら、このような組合員をどう扱いますか。」と問いかけた。
 この問いかけに対し、P1は、それまでのP2課長の発言の内容から、正直に答
えたのでは復帰時配属先について不承益な取扱いを受けるのではないかと考え、や
むをえず、「立場上、社長になれば、そういう組合員は、会社には好ましくない組
合員だ。」と答えたところ、P2課長は、これに黙ってうなずいた。
ニ 続いて、P2課長は、京葉線の暫定開業区間の延伸の意義等を話し、復帰時配
属先として、原職の千葉運転区電車運転士ではなく京葉線の運転士を勧めた。
 この時、京葉線について、次のような趣旨を含むやりとりがあった。P2課長 
「京葉線は、今から開業する、新しく将来的な展望も明るい線区であって、動労千
葉の組合員もいないからあそこがいいんじゃないか。」、「これからの京葉線は発
展する所だから、動労千葉組合員が希望しても回
さない。」
P1 「では、今いる動労千葉組合員はどうするのか。」
P2課長 「今いる者も何とかするつもりだ。」
 これに対し、P1は、京葉線に回されないためには「京葉線に回されるのだった
ら動労千葉のまま行きますから。」と答えるのが一番良いと考え、その旨を答えた
ところ、復帰時配属先についての話はそれで終わりとなった。
(3)第1回復帰時面談終了後のP1の行動
 P1は、この復帰時面談におけるP2課長の発言の内容から、保証書を受け取っ
ていたにもかかわらず、組合に所属したままでは原職復帰できないのではないかと
不安になった。このため、P1は、面談の内容についてP2課長に口止めされてい
たが、同15日夕刻、組合千葉運転区支部書記長P8に、原職復帰について、組合
として取り組んでくれるよう電話で要請した。
6 第2回復帰時面談(昭和63年3月17日)
(1)第2回復帰時面談に至るまでの経緯
イ 同月16日、千葉運行部人事担当者からP1に対し、翌17日面談のため再び
千葉運行部へ出社するよう連絡があり、同日午後、P1は、P3とともにP3の車
で千葉運行部に赴いた。
 なお、P3には面談の連絡はなかったが、P3も原職復帰を希望していたため、
自分の所属組合である東鉄労に原職復帰に向けての取り組みを要請し、また、P2
課長に、原職復帰の希望を伝えるため同行したものであった。
ロ このため、P3は千葉運行部に先んじて、東鉄労事務所に立ち寄った。この
時、東鉄労の役員らは、P1がP3とともに第2回復帰時面談に千葉運行部に向か
う途中であることを知った。
 P3が退出した後、P33を含む東鉄労の役員らは、P1に対し東鉄労への加入
を説得しようと考え、電話で東鉄労組合員である運輸課係員に、「面談終了後、二
人とも事務所に立ち寄るように。」とのP3への伝言を依頼した。
(2)第2回復帰時面談の内容
イ P1に対する第2回復帰時面談は、第1回同様、P2課長とP15係長により
行われた。
 この面談の冒頭、P2課長はP1に、「組合に話をしたか。」と聞いた。P1
は、上記5のとおりの経緯があったが、「していない。」と答えると、P2課長
が、「組合から約束通り、千葉運転区に戻すようにとの話があった。」と言ったた
め、P1は言葉を濁した。
ロ 続いて、P2課長は、P1に復帰時配属先は津田沼運転区新習志野派出所で検
討すると伝え、その後、次のような趣旨のやりとりが
あった。P2課長 「これからどうするつもりか。組合を辞める意思はあるか。」
P1 「千葉運転区に帰れるなら。・・・国労では駄目か。」
P2課長 「国労では同じことだ。もっとも、東鉄労に入っても、いったん東鉄労
に入り、また動労千葉へ戻ったら、人間としての会社の信用がなくなりますよ。」
P1 「千葉運転区に行くのに組合を辞めなければいけないのなら、仕方がな
い・・・」
P2課長 「何で京葉線が嫌いなのか。」
P1 「運転線区と車両が嫌いだ。なぜ、千葉運転区へ配属すると言わないの
か。」
P2課長 ・・・苦笑・・・「では、そういう方向で検討します。あなたが千葉運
転区へ行きたいなら、何か確証を見せてください。」
P1 「この場で脱退届けを書けばよいのか。」
P2課長 「・・・・」
ハ こうしたやりとりの後、面談の終了間際に、P1は、P2課長に、「組合を替
わりますから、千葉運転区にして下さい。」と申し出た。
 これに対し、P2課長は、「組合を替わる替わらないは、私がどうこういう話で
はなく、自分自身の問題ですので自分で考えて決めることです。」と答え、面談は
終了した。
(3)第2回復帰面談終了後のP1の行動等
イ P3の復帰時面談終了後、運輸課係員がP3に、「東鉄労から来てくれと電話
があった。」旨を伝えた。
 P1は、P8と会う約束をしていたが、P3の車に同乗して来ていたことから、
P3とともに東鉄労千葉地方本部へ向かった。当初、P1は、車中で待っていた
が、「一緒に来てくれ。」とP3が呼びに来たため、P1も同本部の事務所へ入っ
た。
ロ 東鉄労の事務所には、東鉄労千葉地方本部執行副委員長P36らがおり、P1
が挨拶をすると、P36らは、「いろんなことをすっきりして東鉄労に入ろう。」
と言いながら、加入届と脱退届の用紙をP1の前に置いた。
 ところが、P1が、加入届の所属欄について、「まだ配属が決まっていないのに
ここにはどう書けばいいんだ。」と問いかけたところ、東鉄労の某役員が、「今、
運行部から電話があって、千葉運転区に配属になると言っていたので、千葉運転区
と書いてよい。」と答えた。
 なお、この時点では、第2回復帰時面談が終了してから20分程度が経過してい
るに過ぎなかった。
 このため、P1は、今ここで東鉄労への加入届を出さなければ、自分の希望する
千葉運転区へ配属されないと考え、その場で、東鉄労への加入届と組合からの脱退
届を
、共に昭和63年4月1日付けで書いた。ハ 同日夜、P1は、脱退を伝え聞いた
P8から電話で再加入の説得を受け、同年4月1日時点での組合への再加入の意向
は表明したものの、実際に千葉運転区に復帰してからでないと安心できないとし
て、確約はしなかった。
7 P1らの配属と赴任日(昭和63年4月1日)の状況
(1)P1らの配属
 昭和63年3月23日、P1は、千葉運転区電車運転士として配属される旨の事
前通知を受け、同月28日、同旨の配属辞令を受け取った。
 同28日、P1はP8と会い、再加入の説得を受けたが、その態度は、上記6の
(3)のハと同様であった。
 なお、P3も、原職である津田沼電車区の運転士に配属されることとなった。
(2)赴任日における千葉支社管理職らの言動等
イ 昭和63年4月1日、P1は、機構改革により同日付けで独立した千葉支社
に、午前8時半までに出社した。
 出向から復帰した職員の報告会が終了した後、P1とP3が、それぞれの運転区
に移動するため千葉支社で待機していたところ、P4課長、輸送課長代理土岐禎ら
が、P1に対し、働労千葉を脱退したのは良いことだ。」、「色々なことを言って
くるが自分の気持ちがしっかりしていれば、大丈夫だから・・・」等と言った。
 この時、P4課長が、動労千葉はどうしようもない旨を話したため、P1は、
「動労千葉でも真面目にやっている人はどうするのか。ボーナスの5%アップは絶
対ないのか。」と質問した。これに対し、P4課長は、真面目に仕事をやっていれ
ば、そのこと自体は否定しないが、動労千葉組合員であることを勘案して差し引き
ゼロと評価する。例えば、動労千葉組合員であればボーナスの5%アップはさせな
いし、試験なども少しくらい点数が良くても合格させない。」と答えた。
ロ 同日昼前、千葉運転区に着任したP1は、通常と異なり、区長室で着替えをす
るよう指示されたり、また、組合員某との昼食の約束があったため一人で出ようと
すると、千葉運転区の助役P38(以下「P38助役」という。)から、「いや、
一緒に行こう。」と昼食に誘われ、千葉運転区長や、助役ら数名だけと食事をする
こととなった。
 また、午後からは、運転職場を離れていたP1に対する1対1の講習が行われた
が、その講習室には、講習中は内鍵が掛けられ、講師交替時等には、P1を室内に
1人残して外鍵が掛けられた。
ハ 同日、P8は、午前8時半
ころ千葉運転区に出勤し、P1と連絡を取ろうと午前10時までの間に2度、千葉
支社に電話をしたが、P1には取り次がれなかった。
 また、P8は、同日、線見(乗務に備えて、線区ごとに、信号・駅の配置や線路
の状態を列車に添乗して確認する作業)を指示され、線見に出る前に再びP1あて
に電話をしたが、同じくP1には取り次がれなかった。
 なお、同日午前11時ころ、P1は、千葉支社から千葉運転区への移動の車中
で、P38助役から、「P8は今日は線見にして職場から外に追い出してある。」
と言われた。
(3)P1の退社前後の出来事と再加入
 同じく4月1日午後5時過ぎ、終了点呼の際に、P1は、管理職から、「まっす
ぐ帰って下さい。」、「何か言ってきても相手にする必要はない。」と言われた
が、P1は、「千葉支社に預けてある印鑑を取りに行く。」旨答えて退社した。
 退社後、P1は、印鑑を取りに千葉支社に寄った後、喫茶店でP8らと話し合
い、その場で、東鉄労からの脱退届と組合への加入届に署名押印した。
第3 当委員会の判断
 会社は、2回にわたる復帰時面談におけるP1に対するP2課長の発言は、脱退
勧奨を企図したものであり、不当労働行為に当たるとした初審命令を不服として、
再審査を申し立て、要旨次のとおり主張する。
 すなわち、P2課長は、出向の労をねぎらうとともに、民営化後の会社内外の状
況の変化や会社が社員に求める業務取組み姿勢の変化を話した後、会社の施策であ
る提案や小集団活動の推進、作業標準の遵守、出向制度の運用に反対するなどの対
応をする社員が、いまだに存在することを事実に基づき客観的に話した上で、この
ような対応が会社を発展させるものとは思えず、提案や小集団活動に積極的に取り
組んで貰いたい旨を話し、更に、復帰時配属先として予定している京葉線の暫定開
業区間の延伸の意義について話して原職と異なる配属について理解を得ようとした
にすぎず、初審命令が認定するような脱退を勧奨する発言を行ったものではない。
 よって、以下判断する。
(1)確かに、第1回復帰時面談におけるP2課長の発言には、前記第2の5の
(2)認定のとおり小集団活動、作業標準の遵守、出向等の会社の施策に反対する
などの社員の存在を指摘し、提案や小集団活動に積極的に取組むよう述べるなど、
会社が主張するような発言があったことが認められる。しかしながら、同課長は、
同5の(2)
のハ及びニ認定のとおり、「あなたが社長であったら、このような組合員をどう扱
いますか。」と問いかけ、更に、「これからの京葉線は発展する所だから、動労千
葉組合員が希望しても回さない。」、「今いる者も何とかするつもりだ。」と述べ
ており、同課長の発言は、単に事実に基づき客観的に話したというよりは、小集団
活動等の会社の施策に反対する社員を批判することによって、同2の(3)及び同
3の(2)のロ認定のとおり、これと同様の対応を取っていた組合を暗に批判し、
その組合員であるP1の組合からの脱退を勧奨しようとしたものであることが推認
される。
 また、P2課長は、第2回復帰時面談において、同6の(2)のロ認定のとお
り、「これからどうするつもりか。組合を辞める意思はあるか。」と聞き、また、
「あなたが千葉運転区へ行きたいなら、何か確証を見せてください。」と述べて、
P1に組合からの脱退を迫り、P1の希望どおりの見返りに脱退の確証を求めるな
どして、脱退を勧奨している。
(2)更に、前記第2の7の(2)のイ認定のとおり、P1の赴任日に、P4課長
らが「動労千葉を脱退したのは良いことだ。」等と述べ、真面目に仕事をやってい
る組合員のボーナスについてのP1の質問に対して、P4課長が「動労千葉組合員
であることを勘案して差し引きゼロと評価する。例えば、動労千葉組合員であれば
ボーナスの5%アップはさせないし、試験なども少しくらい点数が良くても合格さ
せない。」と答えたり、同7の(2)のロ及び認定のとおり、千葉運転区の管理職
らは、P1とP8ら組合員との接触を妨げようとするなど、上記(1)のP2課長
の脱退勧奨を補強する言動を行っていることが認められる。
(3)また、当時、組合と会社の間には、前記第2の2の(1)認定のとおり、組
合が会社設立前には種々の課題をめぐってストライキを実施し、会社設立後も国鉄
分割民営化に反対したり、同2の(3)及び同3の(2)のロ認定のとおり、会社
の施策に反対する等の立場をとる一方、会社は、同2の(2)認定のとおり、会社
幹部らが「反対派は峻別し、断固として排除する。等距離外交など考えてもいな
い。」、「今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。」と発言
するなど、厳しい対立関係があったことが認められる。
(4)以上総合すれば、復帰時面談におけるP2課長の発言は、組合と会社が厳し
く対立している
中で、組合員であるP1に対し、復帰時配属先を決定する復帰時面談の機会に、P
1の原職復帰へのこだわりを利用してその脱退を勧奨したものであり、P2課長の
職責・地位からすれば、会社が組合の弱体化を企図し、その運営に支配介入したも
のといわざるをえない。
(5)なお、会社は、P1の東鉄労への転籍は、組合員の獲得をめぐる労働組合間
の対立の中で、P1が日和見的に選択したものであり、P2課長の発言とは関連が
ないとも主張する。また、その証左として、P1の唐突な転.籍の申し出と、これ
に対する、組合所属は本人の問題である旨のP2課長の説示を挙げる。
 しかしながら、前記第2の6の(2)のロ認定のとおり、P1が「この場で脱退
届を書けばよいのか。」と述べたのは、上記(4)で判断したP2課長の脱退勧奨
があった後のことであり、また、同6の(3)のロ認定のとおり、脱退届を東鉄労
の事務所に提出したのも、第2回復帰面談の直後に、「今、運行部から電話があっ
て、千葉運転区に配属になると言っていた」旨の東鉄労役員の発言を聞いたP1
が、同面談における同課長とのやりとりと考え合わせて決断したものと考えられ
る。
 以上のことからすれば、P1の組合脱退は上記労働組合間の対立の結果とは認め
られず、また、組合所属は本人の問題であるとのP2課長の説示は、余りに直截な
脱退勧奨となることを避けるために行ったものにすぎないと認めるのが相当であ
る。
 以上のことから、これと結論を同じくする初審判断は相当であり、本件再審査申
立てには理由がない。
 よって、労働組合法第25条及び第27条並びに労働委員会規則第55条の規定
に基づき、主文のとおり命令する。
平成9年6月18日
中央労働委員会
会長 P22 印

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