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H14.8.30東京地方裁判所平成13年(ワ)第10524号損害賠償請求事件
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告らは,原告に対し,各自金1920万円及びこれに対する平成12年11月2
4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告学校法人B大学(以下「被告大学」という。)の設置するB大学付属
病院(以下「被告病院」という。)に入院中死亡した亡G(以下「亡G」とい
う。)の子である原告が,亡Gの遺体を解剖し,その後,臓器等を保存していた被
告大学に対し,①被告大学は,亡Gの剖検に際し,原告らの承諾を得ることなく,
椎体骨と胸骨を無断で採取した,②被告大学は,原告に対し,亡Gの剖検の条件で
あった,保存していた亡Gの臓器についての明細書を交付しなかった,③被告大学
は,原告が亡Gの肉眼標本及び顕微鏡標本のすべての返還を求めたのに,直ちに返
還しなかった,④被告大学は,原告のために保管中の亡Gの下垂体のプレパラート
1枚を破損し,また,胸骨を原告の承諾を得ることなく廃棄し,原告への返還を不
能にしたとして,被告大学に対しては,債務不履行(使用貸借契約若しくはこれに
類似する契約)又は使用者責任による不法行為に基づき,被告大学病理学教室教授
であった被告D(以下「被告D」という。)に対しては,被告病院の病理部の責任
者として,①ないし④の違法行為を行ったとして不法行為に基づき,被告病院病院
長であった被告E(以下「被告E」という。)及び被告F(以下「被告F
」という。)に対しては,Dの違法行為についての使用者責任による不法行為に基
づき,それぞれ精神的慰謝料等の損害賠償を請求している事案である。
1 争いのない事実等
(1)ア 原告は,被告病院に入院中に死亡した亡G(大正9年7月14日生)及びH
(平成7年9月22日死亡)(以下「H」という。)の子である(以下,Hと原告
を併せて「原告ら」という。)(争いのない事実)。
イ(ア) 被告大学は,僻地等の地域社会の医療の確保及び向上のために,高度な医
療能力を有する医師を養成するため,医学の教育及び研究を行うことを目的とする
学校法人であり,被告病院を設置している(争いのない事実)。
(イ) 被告Dは,昭和63年ころから被告大学病理学教室教授を務めており,平成
2年ころから被告病院病理部の責任者として,原告との間の交渉をしており,解剖
によって採取した遺体の臓器及び標本についての管理責任者であった(争いのない
事実,甲11の2,被告D本人)。
(ウ) 被告Eは,平成3年7月10日から平成9年7月9日まで,被告病院病院長
であった(争いのない事実)。
(エ) 被告Fは,平成12年4月1日から被告病院病院長を務めている(争いのな
い事実)。
(2) 亡Gは,昭和63年5月16日,被告病院に入院し,汎発性硬化症,強皮症腎
クリーゼと診断され,治療を受けていたが,同年6月20日午後10時51分,肺
出血による呼吸不全により死亡した(争いのない事実)。
(3) 亡Gの主治医であったI(以下「I」という。)は,原告らに対し,亡Gの死
亡後,死体解剖保存法に基づき,亡Gの遺体を解剖することについて承諾を求めた
ところ,原告らは同意したため,被告病院病理部のJ医師(以下「J」という。)
は,同月21日,亡Gの遺体を解剖し,その際亡Gの椎体骨及び胸骨等を採取した
(以下「本件剖検」という。)(争いのない事実)。
(4) 原告らは,被告病院から,同日,亡Gの遺体から採取され,同病院に保存され
た臓器等を除き,亡Gの遺体の引渡しを受けた。被告病院は,原告らに対し,その
後,本件剖検において採取した亡Gの臓器等の明細書を交付しなかった(争いのな
い事実)。
(5) 原告は,Iら被告病院担当医に対し,平成2年1月19日,標本等として保存
されている亡Gの死体のすべてについて,返還するよう求めた(甲10,21)。
(6) 被告病院は,原告らに対し,同年9月28日,亡Gから採取して,ホルマリン
溶液を入れたガラス瓶に固定して保存していた骨,臓器及び脳(以下これらを「保
存臓器」という。保存臓器には,パラフィンブロック及びプレパラートは含まな
い。)について返還し,パラフィンブロックに封入された下垂体を始めとするパラ
フィンブロック及びプレパラートについては,返還しなかった(争いのない事実,
乙20,証人D)。
(7) 被告Dは,平成6年7月ころから平成11年7月26日ころの間にかけて,亡
Gの下垂体のプレパラートについて破損ないし紛失した(甲15,乙17,19,
被告D本人)。
(8) 原告は,被告大学を被告として,平成10年9月24日,未返還の肉眼標本及
び顕微鏡標本等の返還を求めて訴訟を提起した(東京地方裁判所平成10年(ワ)第
21635号)(以下「別訴」という。)ところ,東京地方裁判所は,平成12年
11月24日,被告大学に対し,臓器等のパラフィンブロック61個及び臓器等の
プレパラート106枚を原告に返還せよとの判決を言い渡したため,被告大学は,
原告に対し,平成13年2月5日,上記パラフィンブロック及びプレパラートを返
還した(争いのない事実)。
(9) 被告大学は,原告に対し,平成14年7月17日の本件第4回口頭弁論期日に
おいて,原告の被告大学に対する本訴請求について,時効を援用するとの意思表示
をした(顕著な事実)。
2 争点
(1) 原告らは,被告大学に対し,本件剖検に際し,椎体骨及び胸骨を採取すること
について,承諾をしたか(骨の採取についての承諾)。
(2) 被告大学は,原告らに対し,本件剖検で採取し,保存していた亡Gの臓器等の
明細書を交付しなかったのは違法か。
(3) 被告大学が,原告から返還請求があったのに,臓器等を直ちに返還しなかった
のは違法か。
(4) 被告Dが,保存中のプレパラート1枚を破損ないし紛失させ,返還しなかった
のは違法と評価されるか。被告大学は,原告に対し,胸骨を返還したか。
(5) 原告の損害(判断する必要がなかった争点)
(6) 消滅時効の成否(判断する必要がなかった争点)
3 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)(骨の採取についての承諾)について
(原告の主張)
ア 原告は,被告大学担当医であったIから,本件剖検に際し,遺体の解剖と内
臓,脳及び指一本の保存についての承諾を求められたが,解剖の範囲を内臓及び脳
に限定して承諾し,亡Gのすべての骨の損壊と採取については明確に拒否した。
したがって,被告大学及び被告病院病理部の責任者であった被告Dにおいて,原告
の明確な拒否にもかかわらず,本件剖検に際し,亡Gの椎体骨及び胸骨を採取した
行為は,被告大学については債務不履行又は不法行為,被告Dについては不法行為
に該当する。
イ 被告らは,本件剖検に際し,その範囲を限定できるのは,Hだけであったと主
張するが,亡Gの相続人は,原告らであったから,原告も当然に,本件剖検に際
し,その範囲を限定する権能を有していた。
(被告らの主張)
ア 亡Gの主治医であったIは,主として,亡Gの診療期間中から亡Gに付き添っ
ていたHに対し,本件剖検について説明して承諾を得たのであり,また,原告の主
張する使用貸借契約又はそれに類似する契約についての目的物は亡Gの遺体である
ところ,遺体については,所有者しかそのような契約を結ぶことはできないと解す
べきであり,亡Gの遺体についての所有権は,祖先の祭祀を主宰すべき者であるH
に帰属するべきであるから,Hが上記契約の当事者であった。
したがって,本件剖検に際し,その範囲を限定することができるのは,上記契約の
当事者たるHのみであるところ,Hは,本件剖検に際し,胸骨や椎体骨の採取を拒
否しなかった。
イ 仮に,原告も契約当事者となるとしても,一般に,剖検は,着衣した遺体を外
から見ても傷が見えないように実施するのが原則であり,遺体の露出している部分
の傷については,傷が大きく,これを縫合し修正しても傷跡が容易に判明する場合
には,遺族から特に承諾を得ることになるが,骨髄は血液を作る最も重要な臓器の
一つであるので,骨や骨髄は剖検に際し必ず採取され,これについて改めて個別に
説明して遺族の同意を得ることはない。そこで,Iは,亡Gの指には特異な病変が
認められていたため,剖検する必要性が高いと考え,原告らに対し,本件剖検につ
いての承諾を求めるに際し,指1本の採取について承諾を求めたが,これについて
は,原告らにおいて拒否された。しかし,原告らにおいて,その他剖検部位を限定
してほしいとの話はなかった。
被告Dは,本件剖検について,何ら関与していない。
ウ したがって,そもそも,本件剖検においては,契約当事者であるHは,剖検の
範囲について,胸骨や椎体骨を除くように言っていないし,仮に,原告の意思をも
参酌するべきであるとしても,被告大学において,原告らから拒否された指1本の
採取はしておらず,その他,何ら剖検部位の限定がなかったことから,骨及び骨髄
の採取をしたものであって,これらの行為は違法であるということはできないし,
被告Dは,本件剖検に関与していないから,同剖検に関して不法行為責任は負うこ
とはない。
(2) 争点(2)(臓器等明細書交付義務の有無)について
(原告の主張)
ア 原告は,亡Gの保存臓器等の明細書の交付を条件として,本件剖検を承諾した
のにもかかわらず,被告大学は,明細書を交付しなかった。
イ 亡Gの遺体の所有権は,相続人である原告らに属するところ,原告らが,被告
大学に対し,本件剖検を承諾したのは,使用貸借契約又はこれに類似する契約に基
づくものと評価されるのであって,被告大学は,原告に対し,亡Gの保存臓器等の
明細書を交付する義務を負う。
(被告らの主張)
原告は,本件剖検に際し,亡Gの保存臓器等の明細書の交付を条件とはしなかった
し,原告の主張する使用貸借契約又はこれに類似する契約関係から,明細書の交付
義務は導かれず,被告大学において,これらを速やかに交付する義務は存在しな
い。
(3) 争点(3)(臓器等の返還請求に直ちに応じなかったことの違法性)について
(原告の主張)
原告において,亡Gの臓器等について返還請求をした場合,被告大学は,直ちに返
還する義務を負っていた。
しかし,前記1(5)(6)(8)のとおり,被告大学は,別訴によって,被告大学に返還義
務が認められるまで直ちに返還しなかったのであるから,被告大学及び被告病院病
理部責任者の被告Dのかかる行為は,被告大学については債務不履行又は不法行
為,被告Dについては不法行為に該当する。
(被告らの主張)
死体解剖保存法17条は,医学の教育又は研究のために特に必要があるときは,遺
族の承諾を得て,死体の全部又は一部を標本として保存することができる,と規定
しており,本件においては,遺族の承諾があったのであるから,被告大学において
亡Gの臓器の標本を保存していたことは,何ら違法とはならない。そして,被告大
学は,原告が,平成2年2月16日に初めて保存臓器の返還を請求してきたことか
ら,これに応じて,同年9月28日に,ホルマリン容器に保存されている保存臓器
全部を引き渡しており,原告の要求に対し,遅滞なく対応している。
仮に,本件において,死体解剖保存法18条が適用されるとしても,パラフィンブ
ロックやプレパラートは,同条の標本には含まれないから,被告大学において,遺
族から返還請求があってもこれに応じる義務はないし,実際に原告が,被告大学に
対し,パラフィンブロックやプレパラートすべてについて返還請求することを明確
にしたのは,別訴の訴え変更後であり,これに対して,被告大学は,別訴の判決後
に遅滞なくこれらを引き渡しているのであるから,被告大学の行為を違法であると
はいえない。
(4) 争点(4)(プレパラートの返還不能と胸骨の廃棄の有無)について
(原告の主張)
ア 被告Dは,過失により,亡Gの下垂体のプレパラートを破損し,原告に対する
返還を不能にした。
イ また,被告Dは,胸骨を原告に無断で廃棄して,原告に対する返還を不能にし
た。
ウ 被告Dのかかる行為は,不法行為に該当し,被告大学は,被告Dの使用者とし
て使用者責任を負う。
(被告らの主張)
ア 亡Gの下垂体のプレパラート1枚が紛失したことは認めるが,プレパラートは
ガラスでできており,取扱いに注意しても破損しやすいものであり,研究,教育目
的で使用する際,不可避的に破損が発生するものであるから被告Dの管理下にあっ
たプレパラートが破損又は紛失したことをもって,過失があるということはできな
い。
イ 被告大学は,原告に対し,平成2年9月28日に胸骨を引き渡したから,被告
Dが,胸骨を原告に無断で廃棄して返還を不能にしたという原告の主張は前提を欠
く。
(5) 争点(5)(原告の損害額)について
(原告の主張)
原告は,上記のとおりの被告らの違法行為ないし義務違反により,最愛の母である
亡Gの遺体が四分五裂されて返還を受けることができず,1500万円を下らない
精神的損害を被ったし,別訴の弁護士費用として120万円,本訴の弁護士費用と
して300万円の損害を被ったから,合計1920万円の損害を被った。
(被告らの主張)
争う。
(6) 争点(6)(消滅時効の成否)について
(被告大学の主張)
原告は,遅くとも平成2年12月末日までには使用貸借契約又はこれに類似する契
約は終了していたと主張するところ,原告が,被告大学に対し,本訴を提起したの
は,平成3年1月1日から起算して10年間を経過した平成13年5月23日であ
るから,原告の被告大学に対する本訴請求権は,前記1(9)の時効を援用するとの意
思表示により消滅した。
(原告の主張)
争う。
第3 争点に対する判断
1(1) 証拠によれば,被告病院における剖検の一般的方法及びIら被告病院担当医
が原告らから本件剖検についての承諾を得た経緯等について,以下の事実が認めら
れる。
ア 一般的に,剖検においては,脳,臓器,骨及び骨髄を採取して病理的観察を行
うものであるから,被告病院において,遺族に対し,剖検についての承諾を求める
際には,着衣しても傷が隠れない部分及び脳を除いては,身体の個別の部位につい
て特定して承諾を得ることはしていない。医師において,遺族に対し,内臓を解剖
することの承諾を求めた場合,骨髄は,血液を作る大切な臓器であるから,骨及び
骨髄は内臓に当然に含まれることを前提に承諾を求めるものである。これに対し,
脳については,特別の感情を持っている遺族もおり,また,頭蓋骨を切断するので
外から見える可能性もあり,必ず遺族に脳の解剖の是非を確認している。また,遺
体の露出している部分で,着衣をしても傷が隠れない部分について剖検するとき
は,遺族にその部分の解剖について個別の承諾を得ている(甲11の2,乙15な
いし17,19,証人I,被告D本人)。
イ 被告病院においては,入院中に死亡した全例について,遺族に対し,解剖の承
諾を求めることとされているところ,亡Gは,昭和63年6月20日午後10時5
1分死亡したため,被告病院の病棟医長であったI及び亡Gの主治医の一人であっ
たK(以下「K」という。)が,原告らに対し,亡Gの遺体の解剖について承諾す
ることを求めた。I及びKは,原告らに対し,亡Gの右手の人差し指の変色が強
く,亡Gの疾患の原発巣となっていると考えられたため,指1本の採取についても
特に承諾を求めたところ,原告らは,指の採取については拒否したが,剖検につい
ては承諾した。Iは,原告らに対し,骨及び骨髄を個別に取り上げて,解剖の承諾
を求めたことはなかった(乙15,16,18,証人I)。
ウ Iは,剖検について承諾を求めた際,脳は取らないでほしいとか,胸は切らな
いでほしいと言われた経験を有しているが,骨は取らないでほしいと言われた経験
はなく,遺族から解剖に際し特殊な要望を出された場合に,解剖に関する承諾書に
記載することもあった。I及びKが,本件剖検に際し,原告らに署名押印して作成
してもらった解剖に関する遺族の承諾書には,何ら条件の記載はない(乙15,1
8,証人I)。
エ 本件剖検は,Jが担当し,亡Gの主治医の一人であったLが立ち会っていたと
ころ,Jが,亡Gの骨を採取するに際し,Lは,骨を採取するのを止めるように申
し出たことはなかった(乙16)。
(2) 次に,証拠によれば,本件剖検終了後の,原告と被告大学との間の交渉につい
て,以下の事実が認められる。
ア 被告病院は,原告からの請求を受けて,平成元年8月10日,原告に対し,亡
Gの剖検所見のまとめ及び英文で作成された正式レポートを送付した。亡Gの剖検
所見のまとめと題する書面には,「PSSwithrenalcrisis」(強皮症腎クリーゼ)
又は「原発性悪性腎硬化症」との記載があり,そのほか,「hypercellularbone
marrow」(骨髄細胞数の過剰)との記載もあった(甲10,乙21)。
イ 原告は,被告病院に対し,同年10月10日,亡Gの剖検所見のまとめ及び正
式レポートの被告病院からの送付を受けて,①亡Gの病名について,進行性全身性
硬化症(P.S.S)と診断されているが,紅斑性狼瘡急性全身型と考えるべきであるこ
と,②本件剖検に際して,入院中の病状の変化,診療の経過及び解剖の結果を詳し
く報告することを要求したが,今回の報告は,その条件を満たしていないから,条
件を満たす報告をしてほしいこと,③皮膚生検の結果の到達又は了知の日時,シャ
ンテの必要性及び同意書の有無並びに副腎皮質ホルモン剤投与の日時について,詳
細な説明をしてほしいことを記載した書面を送付した。なお,同書面には,被告病
院において,骨及び骨髄を無断で採取したこと,及び亡Gの保存臓器等の明細書を
交付していないことについての異議は,何ら記載がされていない(甲10,乙
1)。
ウ 被告病院は,原告に対し,同月20日,原告からの疑問点についての回答書を
送付し,さらに,同月26日,被告病院において,口頭で説明をしたが,原告は,
被告病院に対し,同年11月18日,被告病院医師及び看護師が亡Gの胸にチュー
ブを縫いつけ,寝台の枠に右手を拘束したことについて理由の説明を求めた(乙
2,3)。
エ 原告は,同年12月18日,被告病院病院長に対し,同年8月10日に担当医
から送付された英文レポートには,骨髄の記載があるが,原告は,内臓及び脳の解
剖のみ認め,遺骨はすべて返還されるという前提で,本件剖検を承諾したのであ
り,指一本と背骨の一部については,剖検を同意しておらず,また,同年12月1
日にIから内臓には骨髄が含まれると説明を受けたが,それは一般人の理解する内
臓の概念とは異なるとする書面を送付した。なお,同書面には,亡Gの保存臓器等
の明細書が交付されていないことについての異議は,何ら記載がされていない(甲
10,乙4,15)。
オ 原告は,被告病院病院長に対し,平成2年1月8日,①病理解剖により死体よ
り切取したものの一覧及び現況の報告を求める,②承諾を与えた解剖範囲を逸脱す
る損壊行為の説明を求める,③死者を平穏のうちに丁重に弔いたいという情を侵害
しており受忍できないとする書面を送付した(甲10,乙5)。
カ 原告は,I及びKに対し,同月19日,標本等として,被告病院に保存されて
いる死体すべての引渡しのほか,標本の現況,数量及びその有無等の確認,解剖等
により切り取ったものの一覧並びに標本の保存記録のコピーの送付を要求する書面
を送付した(甲10,21)。
キ 原告は,被告病院病院長に対し,同年2月16日,標本等として保存されてい
るべき死体すべての引渡し及び追葬に必要な書類の交付を要求する書面を送付した
(甲10,乙6)。
ク 被告Dが,被告病院病院長に対し,保存臓器を返還するべきであると進言した
ため,被告病院病院長は,原告に対し,同月27日,亡Gの保存臓器を全部返還す
るとの通知をした(甲4,10,乙17)。
ケ 原告は,被告病院病院長に対し,同年3月30日,原告が標本等の引渡しを求
めるのは,背骨及び骨髄の採取については,説明がなかったため,原告らの承諾範
囲外であると考えているのに対し,被告病院は,内臓には背骨も含み,指の採取と
異なり,同意は不要と主張して,解剖範囲について意見の相違があるからであり,
被告病院による臓器全部の返還には,当然背骨も含まれるし,脳も含まれるとみな
すとする書面を送付した(甲10,乙8)。
コ 原告は,同年6月6日,被告病院に赴き,被告Dは,原告を案内して,保存臓
器を確認させた(甲10,乙17,被告D本人)。
サ 原告は,同年9月28日,被告病院に赴き,被告Dの説明の下,亡Gの保存臓
器について,返還を受けた。被告Dは,原告に対し,後記の引渡書記載の保存臓器
について確認をし,その際,脳下垂体は標本にしたので臓器としては残っていない
と述べたが,原告は,これに対し,異議を申し出ることはなかった。被告病院病院
長の原告あて引渡書と題する書面には,死体解剖保存法18条ただし書に基づき,
本件剖検時に摘出した亡Gの臓器すべてである①腎臓左右,②副腎左右,③肝臓
1,④胆のう1,⑤膵臓1,⑥脾臓1,⑦肺左右,⑧心臓1,⑨胃1,⑩食道1,
⑪大脳1,⑫小脳1,⑬骨,骨髄1,⑭小腸1,⑮大腸1,⑯舌,気管,甲状腺,
大動脈,子宮,膀胱,直腸,卵巣,卵管各1,⑯硬膜1,⑰筋肉,神経1を引き渡
すとの記載がある(甲5,10,乙17,20,被告D本人)。
シ 原告は,M警察署長に対し,同年10月12日,本件剖検の際し,亡Gの背骨
の一部を切取し保存しているのは遺族の真意と異なっており,また,被告病院は,
原告からの引渡し要求に対しても,亡Gの死体の引渡しに応じなかったのは,死体
領得罪に当たるとして,被告病院病院長N,I,K及び保健課長Oを告訴したが,
宇都宮地方検察庁検察官は,平成5年1月29日,不起訴処分とした(乙9,1
3)。
ス 原告は,平成2年11月14日,被告病院病院長に対し,同年9月28日の保
存死体の引渡しは,いくつかの臓器が細断されており,全量引き渡されたかが不明
であり,しかも,標本の一部は廃棄されていて返還されていないために,不完全履
行であるとともに,原告らは,標本の保存には当たらない損壊及び廃棄行為につい
ては承諾していないとする書面を送付した(乙10)。
セ 原告は,被告病院病院長に対し,平成5年5月20日,被告Dは,平成2年9
月28日,亡Gの標本のすべてを引き渡すべきであったのにもかかわらず,下垂体
を返還しなかったとして,改めて下垂体の返還を要求するとの書面を送付した(乙
11)。
ソ 被告病院病院長は,原告に対し,平成5年6月2日,亡Gのパラフィンブロッ
クに封入された下垂体標本を返還するから,受取方法について連絡するよう依頼し
た書面を送付した(乙12)。
タ 原告は,宇都宮地方検察庁に対し,同年6月28日,被告Dについて,平成2
年9月28日に亡Gの標本のすべてを引き渡すべきであったにもかかわらず,下垂
体を返還しなかったのは,死体領得罪に当たるとして告訴し,告訴状において,本
件剖検の承諾に際し,医師から,指と骨を標本にしたいと言われたが,これを拒否
したと記載した(甲7)。
チ 被告病院病院長は,宇都宮地方検察庁検察官に対し,平成5年8月9日,病理
解剖の目的は,臓器や組織をそのまま標本として保存することにあるのではなく,
臓器や組織から顕微鏡標本を作製し,詳細に検討することにあるところ,亡Gの場
合,脳下垂体の全部をパラフィンに埋め込んでパラフィンブロックを作成してお
り,被告Dは,原告に対し,平成2年9月28日,下垂体については,パラフィン
ブロックとなっていて,引渡し臓器としてはないと説明し了承を得たとする説明書
を提出した(乙14)。
ツ 原告は,被告病院病院長に対し,平成5年12月17日,①亡Gについて作成
した標本(肉眼標本及び顕微標本)すべての一覧表,②平成2年9月28日付け原
告名義の引取書,③現在被告病院において保管する標本すべての一覧書及びその標
本を客観的に特定できる資料,④被告病院における標本の作製から保管終了までの
規約書を交付するように要求した書面を送付した(甲22)。
テ 原告は,被告病院病院長に対し,平成6年1月21日,亡Gの標本について顛
末報告及び現存する標本の特定を拒否する被告病院病院長の意思表示に誤りがない
かを確認するとともに,錯誤があれば,8日以内に顛末報告及び特定するに足る資
料を送付するように要求する書面を送付した(甲23)。
ト 原告は,被告病院病院長に対し,同年4月19日,被告病院から,亡Gの標本
について,顛末報告及び未返還の標本を特定する資料を確認した後,下垂体その他
の未返還の標本を引き取る意向であり,被告病院が顛末報告及び資料の送付を拒否
したので,原告において亡Gの標本の引取りを拒絶したが,被告病院はどのような
返還方法を考えているかを回答してほしいとする書面を送付した(甲16)。
ナ 原告は,被告病院病院長に対し,同年5月10日,亡Gの下垂体はパラフィン
ブロックに封入されているとの被告病院病院長からの書面は,骨髄についても同様
のものが存在することを暗示し,顕微標本として費消されていることも示唆してい
るとして,標本の製作管理の詳細な顛末報告及び標本を特定した方法の説明資料を
送付するように要求する書面を送付した(甲17)。
ニ 原告は,被告病院病院長に対し,同年7月1日,標本の顛末報告及び特定する
に足る資料を送付するように要求する書面を送付した(甲18)。
ヌ 原告は,被告病院病院長に対し,同月28日,①パラフィンブロックに封入さ
れた下垂体標本は,下垂体の全量か一部か,②パラフィンブロックに封入された下
垂体を返還する意思があるか,③パラフィンに封入された骨髄標本及び同様の腎臓
の一部標本を返還するか,④それ以外にも標本が作成されているか,返還する意思
があるかを質問する書面を送付した(甲19)。
ネ 原告は,被告病院病院長に対し,同年10月11日,下垂体を引き渡すよう要
求する書面を送付した(甲6)。
ノ 原告は,被告病院病院長に対し,同年11月8日,亡Gにかかるすべての標
本,パラフィンブロックに封入された下垂体,骨髄及び腎臓の一部並びにそれらか
ら作成されたプレパラート類の特定及び引渡しを要求し,その他の標本作製の有無
の確認を要求する書面を送付した(甲20)。
ハ 原告は,被告病院病院長に対し,平成10年5月6日,亡Gの未返還の標本を
すべて返還するよう要求する書面を送付した(甲2)。
ヒ 原告は,被告病院病院長に対し,同月25日,亡Gの標本(パラフィンブロッ
クに封入された下垂体の標本及びプレパラート類)を返還するよう要求する書面を
送付した(甲3)。
フ 原告は,被告大学を被告として,平成10年9月24日,未返還の肉眼標本及
び顕微鏡標本等の返還を求めて訴訟を提起した(前記第2,1(8))
2 争点(1)(骨の採取についての承諾)について
(1) 原告は,Iから本件剖検について承諾を求められるに際し,解剖の範囲を内臓
及び脳に限定し,骨の損壊と採取については明確に拒否したにもかかわらず,被告
大学及び被告Dにおいて,骨及び骨髄を採取したのは,原告の承諾を得ずに解剖を
した違法行為であると主張し,原告本人は,これに沿う陳述(甲10,12,2
4,25)ないし供述をしている。
一方,被告らは,まず,本件剖検に際し,その範囲を限定することができるのは,
亡Gの遺体の所有者であるHのみであったと主張する。
(2) 前記第2,1(1)ア及び前記1(1)ウによれば,亡Gの相続人は,原告らである
こと,本件剖検の承諾書には,原告らの両名が署名押印していることが認められる
から,被告大学は,相続人である原告らの両名に対し,本件剖検の承諾を求めてい
たことが認められる。そして,死体解剖保存法7条には,病理解剖においては,遺
族の承諾を受けなければならないと規定されており,被告大学は,同条の規定に従
って,原告らの承諾を求めたものと認められる。
そうすると,死体解剖保存法に基づく死体の解剖について承諾を与え,その範囲を
限定することができるのは,遺族である相続人と解するべきであり,原告らの両名
共に,本件剖検に際し,解剖の範囲を限定することができたというべきである。
被告らは,遺体についての使用貸借契約は,遺体の所有者しか締結することができ
ず,遺体の所有権は祭祀を主宰すべき者が承継するから,契約の当事者は,Hのみ
であると主張するが,本件で問題とされているのは,上記のとおり,死体解剖保存
法に基づく本件剖検に際し,解剖の範囲を限定することができたのが誰かという問
題であるから,被告らの主張は採用できない。
(3) そこで,骨及び骨髄の採取について原告の承諾の有無を判断する。
ア 前記1(1)によれば,被告病院においては,剖検に際しては,遺族に対し,着衣
しても傷が隠れない部分については,身体の個別の部位について解剖の承諾を求め
るが,着衣すれば傷が隠れる部分については,脳を除いて個別の部位について承諾
を求めることはしていないこと,本件剖検の承諾に際し,Iは,亡Gの病気は,指
が原発巣になっていると考えられたため,原告らに対し,指の採取を承諾するよう
求めたが,これを断られたこと,本件剖検について,Hと原告の署名押印のある承
諾書には,何らの条件も付されていないこと,本件剖検に際し,立ち会った主治医
は,亡Gの骨を採取するについて,何らの異議を述べていないことが認められる。
イ また,前記1(2)アイウエケによれば,原告は,被告病院から,平成元年8月1
0日に,「PSSwithrenalcrisis」「hypercellularbonemarrow」との記載のあ
る剖検所見のまとめと題する書面の送付を受けて,被告病院に対し,同年10月1
0日,PSSが進行性全身性硬化症を意味することを理解した上で,亡Gの疾患は,紅
斑性狼瘡急性全身型と考えるべきであること,また,本件剖検に際しては,診療及
び解剖の結果の報告を要求したが,今回の書面ではそれが満たされていないことの
書面を送付したが,同書面では,骨又は骨髄を採取したことについて異議を述べて
おらず,背骨の一部については剖検を同意していない旨の書面を送付したのは,同
年12月18日になって初めてしたこと,そして,原告が平成2年3月30日に被
告病院に送付した書面においても,骨及び骨髄については説明がなく採取されたと
の趣旨の記載をしていたことが認められる。
ウ 前記アの事実に加えて,本件剖検の承諾に際して,骨及び骨髄の採取を明確に
拒否したという原告の主張を裏付ける証拠は,原告本人の陳述ないし供述以外には
存在せず,他方,前記イのとおり,本件剖検後の対応についても,PSSが何を意味す
るかを理解し,医師の診断に疑問を呈して他の病名を挙げるほどに剖検のまとめと
題する書面を精査していた原告において,bonemarrowが骨髄を意味することは理解
できたと考えられるのに,骨髄を採取したことは,原告の意思に反するとは直ちに
述べていないこと,その後,骨及び骨髄については説明がなく採取された趣旨のこ
とも述べていることなどからすると,I及びKは,本件剖検の承諾に際して,原告
らに対し,指の検索については,これを申し出て断られたものの,骨及び骨髄につ
いては,個別の承諾を求めることをせず,内臓の解剖について承諾を得たから,当
然に背骨についても承諾を得たものとして理解して,剖検担当医に対しては,何ら
の限定も付さなかったと認めることができ,原告が,骨の損壊及び採取について明
確に拒否したと認めることはできない。
(4) 次に,被告病院担当医師において,本件剖検に際し,骨及び骨髄を採取するに
ついて,原告らの個別の承諾を求めずに,内臓に対する承諾のみをもって,承諾が
あったとした対応が,違法であるかについて検討する。
原告本人が供述するように,一般人においては,骨及び骨髄は,内臓に含まれると
は理解されておらず,また,死体の解剖は,遺体にメスを入れ,この一部を採取し
て病理組織学的検索を行うという点において,遺族の故人に対する思いや宗教的感
情に対し,十分な配慮を行う必要があるという点にかんがみると,剖検の承諾を得
る医師においては,遺族に対し,剖検の方法,すなわち,着衣すれば傷が隠れる部
分については,脳を除いてすべての内臓を採取すること,内臓には骨及び骨髄も含
まれること,着衣しても傷が隠れない部分や脳を採取する場合には身体の個別の部
位について承諾を得ていること,採取した内臓等については固定用ホルマリン溶液
の入ったプラスチック容器に保存し,その一部又は全部を切り取って水と油を抜
き,その部分にパラフィンを埋め込んでパラフィンブッロクを作成し,パラフィン
ブッロクを薄切り,染色して顕微鏡標本のプレパラートを作成すること(乙17,
19,被告D本人)などをていねいに説明した上で,剖検についての承諾を求める
べきであったということはできる。
しかし,前記1(1)アウの事実並びに証拠(甲11の2,乙19,証人I,被告D本
人)及び弁論の全趣旨によれば,病理解剖においては,医師の間では,骨髄は血液
を作る重要な臓器として,内臓に含まれると理解されており,被告大学のみなら
ず,一般的に,剖検に際し,骨や骨髄の採取の承諾を特別に求めていなかったこ
と,Iにおいて,本件剖検が行われた昭和63年当時はもとより,本訴係属中の平
成14年に至るまで,骨は取らないでほしいと言われたことはないことが認めら
れ,これらの実情に併せて,病理解剖という言葉の意味からして,一般人において
も死体から内臓等を採取して病理組織学的観察を行い,死因等について考察を行う
ということはある程度理解が可能であること,遺族に対し,着衣しても隠れない部
分及び脳についてのみ,特別に解剖の承諾を求めるという対応は,我が国における
死者の葬式や埋葬の方法を考えた場合,一応の合理性が認められること,さらに
は,昭和63年当時,死者の病理解剖についての遺族に対するインフォームドコン
セント自体,観念されていなかったと考えられることなどの事情を総合考慮する
と,被告病院担当医師において,本件剖検に際し,骨及び骨髄を採取するについ
て,原告らの個別の承諾を求めずに,内臓に対する承諾のみをもって,当然に内臓
に含まれるものと理解されていた骨及び骨髄を採取した行為を,違法であるという
ことはできない。
(5) なお付言するに,別訴判決(甲1)は,原告本人の供述を根拠に,「原告ら
は,主治医らに対し,君の指1本と背骨の採取については明確に拒否の意思を伝え
た」ことを認定し,さらに,被告斎藤が本件剖検を担当したことを認定している
(甲1)が,前記(3)に判示したとおり,原告本人の供述によって背骨の採取を明確
に拒否したことは認定できないし,前記第2,1(3)認定の事実及び証拠(証人D)
によれば,本件剖検を行ったのは,Jであって,被告Dは本件剖検を担当していな
いと認められる。
(6) よって,被告病院において,亡Gの骨及び骨髄を採取したことは違法ではない
から,これが債務不履行又は不法行為に該当するとして損害賠償を求める原告の主
張は理由がないし,この点において被告Dの違法行為をいう点も理由がない。
3 争点(2)(臓器等明細書を交付する義務の有無)について
(1) 原告は,本件剖検を承諾するに際し,亡Gの保存臓器等の明細書の交付を条件
としたし,本件剖検の承諾は,原告らと被告大学との間の使用貸借契約又はこれに
類似する契約に基づくものであるから,被告大学は,原告に対し,保存臓器等の明
細書を交付する義務を負っていたと主張する。
(2)ア 原告本人は,本件剖検の承諾に際し,保存臓器等の明細書を交付することを
条件としたと陳述(甲10,12,24,25)ないし供述し,証人Iは,そのよ
うなことは言われていないと陳述(乙15)ないし証言している。
前記1(2)によれば,原告は,被告大学に対し,平成2年1月8日前には,亡Gの臨
床症状についての疑問や,本件剖検について,指一本と背骨の一部の解剖は同意し
ていないなどと主張しているにすぎず,同日に至って被告大学に送付した書面にお
いて,病理解剖により死体から切取したものの一覧及び現況の報告を求めるとして
いるが,同書面からも保存臓器等の明細書の交付が本件剖検の承諾の際の条件であ
ったことを前提としているとは読みとれないし,その後も,原告は,保存臓器等の
一覧の交付を要求する書面を送付しているものの,そのような約束があったことを
前提としていると読みとることはできない。
そうすると,原告本人の陳述ないし供述を裏付ける客観的証拠がない以上,原告本
人の陳述ないし供述のみによって,原告が,本件剖検の承諾に際し,保存臓器等の
明細書を交付することを条件としたと認めることはできない。
イ 次に,原告は,本件剖検の承諾により使用貸借契約又はこれに類似する契約が
成立するから,被告大学において,同契約に基づき,保存臓器等の明細書を交付す
る義務を負うと主張するが,仮に,本件剖検の承諾によって,原告らと被告大学と
の間に,使用貸借契約又はこれに類似する契約が成立したとしても,同契約から,
被告大学に対し,保存臓器等の明細書を交付する義務を導くことはできないから,
この点に関する原告の主張も理由がない。
ウ よって,被告大学において,原告に対し,保存臓器等の明細書を交付する義務
を負うとする原告の主張は理由がない。
4 争点(3)(臓器等の返還請求に直ちに応じなかったことの違法性)について
原告は,亡Gの遺体から採取した臓器等について,返還請求をしたのに,被告大学
が直ちに返還をしなかったのは違法であるとするので,検討する。
(1) 前記1(2)カないしサによれば,原告が,被告大学ないし被告病院担当医に対
し,被告病院に保存されている亡Gの遺体の標本等の引渡しを初めて求めたのは,
平成2年1月19日のことであり,被告大学は,これを受けて,内部の検討を経た
上,原告に対し,同年2月27日に,亡Gの保存臓器を全部返還すると通知し,そ
の後,亡Gの保存臓器の確認などを経て,同年9月28日に,保存臓器のすべてを
返還したこと,その際,被告Dは,原告に対し,下垂体は,標本となっているか
ら,保存臓器としては存在しないと説明し,原告は,これに異議を申し出なかった
ことが認められる(なお,このとき,胸骨を返還したか否かは,後記に検討すると
おりである。)。
また,前記1(2)セソツトネノによれば,原告は,被告病院病院長に対し,それから
3年ほど経過した平成5年5月20日になって初めて,下垂体についても返還する
よう請求したこと,被告病院病院長は,これを受けて,原告に対し,同年6月2
日,パラフィンブロックに封入された下垂体標本を返還するから受取方法を連絡す
るよう依頼したこと,原告は,被告病院病院長に対し,同年12月17日,亡Gに
ついて作成した標本すべての一覧表を交付するよう要求したこと,平成6年4月1
9日,標本を特定する資料を確認した後,下垂体その他の未返還の標本を引き取る
意向であったところ,被告病院において,顛末報告及び資料の送付を拒否したか
ら,引取りを拒否したのであり,返還方法を回答してほしいと要求したこと,同年
10月11日,下垂体を引き渡すよう要求したこと,同年11月8日,下垂体に加
え,亡Gの臓器から作成されたプレパラート類を含むすべての標本の引渡しを要求
したことが認められる。
(2) まず,保存臓器の返還について検討するに,前記(1)によれば,被告大学は,
原告から平成2年1月19日に返還請求を受けて,同年2月27日には,保存臓器
の全部の返還の意思を表明しているのであり,その後,原告の確認等を経て,同年
9月28日には保存臓器の返還を履行したのであるから,原告の請求に応じて遅滞
なく返還しているというべきであり,被告大学の対応が違法であるということはで
きないし,被告Dに違法行為があったと認められない。
(3) 次に,下垂体のパラフィンブロックについて検討するに,前記(1)(2)によれ
ば,被告大学は,同年9月28日に,被告Dをして,原告に対し,下垂体は標本と
なっており,保存臓器としては存在しないことを説明し,原告は,これに異議を申
し出なかったのであり,その後,下垂体の返還を請求したのは,3年ほど経過した
後であるし,これについては,被告病院病院長において,返還する意思を表示した
のに,原告において,未返還の標本等の一覧表や標本の製作管理の顛末書の交付が
なければ引き取れないと言ったり,すべての標本の交付を要求してこれを受け取ら
なかったのであるから,被告大学において,原告に対し,下垂体を返還しなかった
のは違法であるということはできないし,被告Dに違法行為があったとは認められ
ない。
(4) さらに,下垂体のパラフィンブロックを除くパラフィンブロック及びプレパラ
ートについて検討するに,原告は,平成2年1月19日に被告病院に保存されてい
るすべての標本の引渡しを求めており(原告本人),原告主張の標本の中には,パ
ラフィンブロックやプレパラートも含むものと理解されるし,その後平成6年11
月8日においても,原告は,被告病院病院長に対し,亡Gの臓器から作成されたプ
レパラート類を含むすべての標本について返還するよう請求したのに,被告大学に
おいて,これに対して何らかの対応をしたと認めるには足りず,前記第2,1(8)に
よれば,被告大学は,原告に対し,平成13年2月5日に至って,別訴の判決に従
ってパラフィンブロック及びプレパラートを返還したのであるが,かかる被告大学
の対応の違法性について検討する。
ア 死体解剖保存法17条は,死体解剖を行う者が「医学に関する大学又は医療法
の規定による地域支援病院若しくは特定機能病院の長」である場合には,「遺族の
承諾を得て,死体の全部又は一部を標本として保存することができる」とのみ規定
し,同法18条は,保健所長の許可を受けて「死体の解剖をすることができる者」
の場合には,「解剖をした後その死体の一部を標本として保存することができる。
但し,その遺族から引渡の要求があったときは,この限りでない。」と規定し,同
法19条は,「前2条の規定により保存する場合を除き,死体の全部又は一部を保
存しようとする者は,遺族の承諾を得,かつ,保存しようとする地の都道府県知事
の許可を受けなければならない」と規定している。
イ 本件においては,前記第2,1(1)イ(ア)のとおり,被告大学は,医学に関する
大学であり,被告病院は,その附属病院なのであるから,死体解剖保存法17条が
適用されるものである。
そして,同法17条には,同法18条のように,遺族から引渡しの要求があった場
合に死体を標本として保存することができないとの規定がないから,死体解剖保存
法上,遺族から引渡しの要求があったとしても,これを返還する義務はないと解さ
れる。
かかる公法である死体解剖保存法17条の解釈を前提にして,遺族と大学との間の
私法上の関係を考えると,遺族において,剖検及び死体の保存について承諾するこ
とは,解剖に付され採取された死体の臓器等の所有権について,遺族は大学に対し
て譲渡するという贈与契約を締結したものと解するのが相当である(なお,死体解
剖保存法上,遺族の承諾については,同法7条に定める解剖についての承諾と同法
17条に定める保存についての承諾の二つが存在するが,証拠(甲10,11の
1,2,原告本人)によれば,Iは,原告らから亡Gに対する剖検の承諾を得た
後,遺体から採取した臓器等の保存及び標本作製の承諾を得たことが認められ
る。)。
ウ ところで,証拠(甲9)によれば,旧厚生省において取りまとめた病理解剖指
針においては,病理解剖医の責務として,死体を保存する主体が誰であるかを特に
区別することなく,同法18条ただし書に基づき,標本について遺族から引渡しの
要求があったときは,遅滞なく遺族に引き渡さなければならないこと,また,医学
に関する大学の長は,遺族から引渡しの要求があったときは,遅滞なく遺族に引き
渡さなければならないことが定められていることが認められる。
上記指針によれば,死体を標本として保存する主体にかかわらず,遺族から引渡し
の要求があったときには,遅滞なく死体の標本を遺族に引き渡さなければならない
ところ,病理解剖について所轄する行政庁において,病理解剖の円滑な実施を図る
ために,行政指導としてこのように定めることは,合理性を有するものであり,こ
れに沿って運用することが望ましいといえる。
しかしながら,前記アイのとおり,死体解剖保存法が,死体を保存する主体によっ
て,保存を許す要件を異にして定めていることにかんがみれば,前記イのとおり解
釈するべきものであって,上記指針に反した取扱いをしたことをもって,損害賠償
請求権を生じさせるような違法行為であるということはできない。
エ 加えて,旧厚生省において,行政指導として定めた病理解剖指針において,遺
族から引渡しの要求があったときに遅滞なく引き渡さなければならないと定めた死
体の標本に,採取した臓器等のみならず,パラフィンブロックや顕微鏡標本である
プレパラートも,含まれるかという困難な解釈問題があるといわなければならず,
臓器の一部を切り取って,水と脂を抜き,その部分にパラフィンというろうの一種
を入れて作成するパラフィンブロックや顕微鏡で観察するために,パラフィンブロ
ックを3ないし4ミクロンの厚さに切ってガラス容器で密封したプレパラートは含
まれないとの見解も一概には否定できないところであると考えられる。
オ 以上のとおり,原告からのパラフィンブロックやプレパラートの引渡し要求に
ついては,死体解剖保存法17条によれば,医学に関する大学である被告大学とし
てはこれらを返還する必要がないと解釈されるし,旧厚生省の病理解剖指針に従っ
たとしても,パラフィンブロックやプレパラートは含まれないとの見解も一概に否
定できないのであり,このような場合において,別訴の判決(甲1)により,原告
と被告大学との間の信頼関係が破壊されたために,贈与契約が将来に向かって取り
消されたという判断が示されて初めて,被告大学にとって,パラフィンブロックや
プレパラートの返還義務が明らかになったといえるのであるから,別訴の判決まで
パラフィンブロックやプレパラートを返還しなかった被告の対応をもって,原告に
対し損害賠償義務を発生させるほどに違法であるということはできない。
また,上記のとおり,被告大学と原告との間の契約は,贈与契約と解されるが,当
裁判所の判断としては,前記2に判示したとおり,I及びKにおいて,原告の骨の
損壊及び採取についての明確な拒否にもかかわらず,違法に骨及び骨髄を採取した
とは認めることができず,原告と被告大学との間の贈与契約を取り消すことができ
るほどの信頼関係が破壊された事情は認められないから,パラフィンブロックやプ
レパラートを返還しなかったことをもって,債務不履行であり,同不履行に基づき
損害賠償請求権が発生すると解することもできない。
カ なお付言するに,当裁判所の上記解釈は,原告と被告大学間の,原告が,被告
大学に対し,口頭弁論終結日である平成12年8月30日において,所有権に基づ
き,パラフィンブロック及びプレパラートの返還請求権を有しているとする別訴の
既判力に何ら抵触するものではない。
キ よって,パラフィンブロックやプレパラートについて,原告から返還請求を受
けても,別訴の確定までこれを返還しなかった被告大学の対応を違法ということは
できないし,被告Dにも違法行為は認められない。
(5) よって,争点(3)についての原告の主張は理由がない。
5 争点(4)(プレパラートの返還不能と胸骨の廃棄の有無)について
(1) 原告は,被告Dにおいて,下垂体のプレパラート1枚を破損するなどして返還
し得なかったのは,違法であると主張する。
ア そこで検討するに,証拠によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 前記のとおり,剖検においては,剖検を行った後,臓器の一部について,水
と脂を抜き,その部分にパラフィンというろうの一種を入れてパラフィンブロック
を作成し,顕微鏡で観察するために,パラフィンブロックを3ないし4ミクロンの
厚さに切って,プレパラートを作成するものであり,そのようにして作成されるプ
レパラートは,1つのパラフィンブロックから1000ないし2000枚作成する
ことができる(被告D本人)。
(イ) 被告大学においては,プレパラートは,病理医が研究に使用するほか,学生
の授業のためにも使用するものであって,顕微鏡の操作を誤るなどして,破損して
しまうことがある。プレパラートが破損した場合,単なるゴミとしては扱わず,死
体に対する敬意をもって扱われている(乙17,19,被告D本人)。
(ウ) 亡Gの臓器のパラフィンブロックからは,合計107枚のプレパラートが作
成され,下垂体のパラフィンブロックからは,1枚のプレパラートが作成された
が,平成6年7月ころから,平成11年7月26日ころの間にかけて,下垂体のプ
レパラート1枚が紛失しており,その理由としては,破損した可能性が最も高い
(甲15,乙17,19,被告D本人)。
イ 前記4に判示したとおり,原告と被告大学間の,本件剖検についての承諾は,
遺体についての贈与契約と解すべきであり,被告大学は,亡Gの遺体について,贈
与を受けており,原告と被告大学との間の贈与契約を取り消すことができるほどの
信頼関係が破壊された事情は認められないから,亡Gの遺体については,自己の物
としての注意義務を尽くして管理すれば足りるというべきである。
そして,プレパラートについては,前記ア(イ)に認定した使用が行われていること
を考えると,十分な注意をしたとしても破損しやすいものと認められ,たとえ被告
大学において善管注意義務を負っていたとしても,破損したことをもって直ちに同
義務に違反した違法行為であるということはできず,本件においては,被告大学は
善管注意義務も負っていなかったのであるから,破損したことをもって違法である
ということはできない。
また,前記ア(ア)のとおり,プレパラート自体は,パラフィンブロックから何枚も
作成できるものであること,被告大学において,設立以来現在まで3800体以上
の遺体を解剖し,1年間で10万枚以上のプレパラートを作成していること(乙1
7,19)を考えると,自己の物として管理していた被告大学において,プレパラ
ート1枚を紛失したとしてもやむを得ないというべきであり,プレパラートを紛失
したことをもって違法であるということもできない。
なお,付言するに,前記のようなプレパラートの作成経過及び使用状況並びにそも
そも原告らが亡Gの遺体について剖検に付すことを承諾していることを考えると,
被告大学において,原告らの遺族に対する感情を殊更傷つける方法で破損ないし紛
失したというような特段の事情がない限り,プレパラートの破損ないし紛失によっ
て原告が損害を被ったとも認められない。
したがって,プレパラートを破損又は紛失したことが違法であるという原告の主張
は理由がなく,被告Dは不法行為責任を負わない。
(2) また,原告は,被告Dにおいて,原告に無断で廃棄し胸骨の返還を不能にした
のは違法であると主張し,被告らは,胸骨は,平成2年9月28日に返還したと主
張する。
ア そこで検討するに,証拠によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 被告大学が,原告に対し,平成2年9月28日に,亡Gの臓器について返還
した際に作成された引渡書には,骨及び骨髄の記載はあるが,胸骨との記載は存在
しないし,被告Dが,原告に対し,同日にした説明においても,骨及び骨髄につい
ては説明したが,胸骨と明示して説明はしなかった(甲5,乙17,20)。
(イ) ところで,血液の病気の際,骨髄を生検するときは,胸骨から取るのが一番
取りやすく,また,一般的な骨髄の状態は,胸骨を基準に考えることができるか
ら,本件剖検においても,骨髄の状態を検討するために,胸骨を採取したことが認
められる(甲11の2)。
(ウ) 被告Dは,亡Gの臓器を返還した際に作成した引渡書に胸骨の記載がないの
は,管理課のミスであり,平成2年9月28日,胸骨も引き渡していると陳述して
いる(乙17)。
イ 前記アによれば,胸骨を採取するのは,骨髄を検査するために行うのであるか
ら,引渡書にある骨及び骨髄の記載は,胸骨を含むものと解される。
そうすると,上記引渡書に,明示はされていないが,胸骨も同書面の記載に含ま
れ,被告大学は,原告に対し,平成2年9月28日に,胸骨も引き渡したものと認
めることができる。
なお付言するに,前記4に判示したとおり,原告と被告大学は,贈与契約を締結し
ていたと解釈され,被告大学は,原告に対し,そもそも胸骨を引き渡すべき義務を
負っていなかったというべきであるから,原告が胸骨の引渡しを受けていなかった
としても,そのことをもって債務不履行に基づく損害賠償請求権が発生すると解す
ることはできない。
ウ よって,この点についての原告の主張は理由がない。
(3) そうすると,争点(4)についての原告の主張は理由がない。
6 結論
以上によれば,原告の被告大学に対する債務不履行を主張する点及び被告Dの不法
行為を主張する点はいずれも認められず,そうすると,被告大学,被告E及び被告
Fに対する使用者責任による不法行為を主張する点も認められないから,その余の
争点について判断するまでもなく,原告の主張は,いずれも理由がないので,これ
を棄却することとし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第34部
                     裁判長裁判官   前田順司
                        裁判官   浅井 憲
                        裁判官   荒谷謙介

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◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
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応募方法
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残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
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連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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71期修習生 72期修習生 求人
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職種 事務職
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応募方法
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