弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     被告人は無罪。
         理    由
 弁護人青木英五郎の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、引用の各判例はいず
れも事案を異にし本件に適切でなく、同第二点は、単なる法令違反の主張であり、
同第三点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、すべて上告適法の理由に
当らない。
 しかし、所論にかんがみ職権によつて調査すると、原判決は、後記のとおり、刑
訴法四一一条一号により破棄を免れないものと認められる。
 本件公訴事実について、原判決に示された事実関係とこれに対する法律判断は、
おおむね次のとおりである。すなわち、被告人は、原動機付自転車の運転業務に従
事するものであるところ、昭和三九年四月二七日のいまだ灯火の必要がない午後六
時二五分ごろ、第一種原動機付自転車を運転して、京都市a区b通を南進し、幅員
約一〇メートルの一直線で見通しがよく、他に往来する車両のない同区c上るd町
e番地先路上において、進路の右側にある幅員約二メートルの小路にはいるため、
センターラインより若干左側を、右折の合図をしながら時速約二〇キロメートルで
南進し、右折を始めたが、その際、右後方を瞥見しただけで、安全を十分確認しな
かつたため、被告人の右後方約一五メートルないし一七、五メートルを、第二種原
動機付自転車を時速約六〇キロメトルないし七〇キロメートルの高速度で運転して
南進し、被告人を追抜こうとしていたA(当時二〇年)を発見せず、危険はないも
のと軽信して右折し、センターラインを越えて斜めに約二メートル進行した地点で、
同人をして、その自転車の左側を被告人の自転車の右側のペタルに接触させて転倒
させ、よつて、翌二八日に、同人を頭部外傷等により死亡するに至らせたものであ
る。そして、もし、被告人が、右折開始の直前に、右後方を十分注意して見ておれ
ば、Aの自転車を発見することができたはずであり、その発見と同時に、被告人が、
Aの動向ならびに彼我の距離、速度等を的確に判断して、右折の安全を確認してお
りさえすれば、Aが前記のごとく暴走して接近してきていることに気付きえたはず
であり、これとの衝突を避けるため右折を一時中止することにより、本件事故の発
生を防止しえたものと考えられるから、本件について、被告人の過失を全く否定す
ることはできない、というのである。
 たしかに、被告人が原判断のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかつ
たか、少なくとも本件事故とは異なる事故になつていたであろうと思われる。問題
は、被告人に右のような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実
関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する原判断の当否について考えることと
する。
 被告人は、進路右側にある小路にはいるため、原判示のように、センターライン
より若干左側を、右折の合図をしながら時速約二〇キロメートルで南進し、右折を
始めたというのであるから、その後方にある車両は、被告人の自転車の進路を妨げ
てはならないのである(本件当時の道路交通法三四条四項参照)。また、このよう
な状態にある被告人の自転車を追越し、もしくは追抜こうとする車両は、被告人の
自転車の速度および進路に応じて、できるだけ安全な速度と方法で進行しなければ
ならない(同二八条三項参照)のみらず、本件現場は、センターラインの左側の部
分が約五メートルあるのであるから、センターラオンの右側にはみ出して進行する
ことは許されないわけである(同一七条四項参照)。ところで、被害者Aは、被告
人が右折を始めた当時、その十数メートル後方にいたのであるから、被告人の動向、
ことに被告人が右折しようとしているものであることを十分認識しえたはずである。
したがつて、Aとしては、右法規に従い、速度をおとして被告人の自転車の右折を
待つて進行する等、安全な速度と方法で進行しなければならなかつたものといわな
ければならない。しかも、右距離は、このような行動に出るために十分なものと認
められる。しかるに、Aは、時速約六〇キロメートルないし七〇キロメートルの高
速度で、右折しようとしている被告人の右側から、被告人の自転車を追越そうとし
て、すでにセンターラインを越えて約二メートルも斜め右に進行している被告人の
自転車の右側に進出し、これと接触したというのであるから、Aの右追越し(原判
決は、Aは、被告人を追抜こうとしたものであつて、追越しをしようとしたもので
はないとしているが、Aは、右のとおり、センターラインを越えた被告人の右側に
進出し、その前方に出ようとしていたのであるから、むしろ追越しに当るものとみ
るのが相当である。)は、交通法規を無視した暴挙というほかはなく、これが本件
衝突事故の主たる原因になつていることは、原判決も認めるところである。
 ところで、車両の運転者は、互に他の運転者が交通法規に従つて適切な行動に出
るであろうことを信頼して運転すべきものであり、そのような信頼がなければ、一
時といえども安心して運転をすることはできないものである。そして、すべての運
転者が、交通法規に従つて適切な行動に出るとともに、そのことを互に信頼し合つ
て運転することになれば、事故の発生が未然に防止され、車両等の高速度交通機関
の効用が十分に発揮されるに至るものと考えられる。したがつて、車両の運転者の
注意義務を考えるに当つては、この点を十分配慮しなければならないわけである。
 このようにみてくると、本件被告人のように、センターラインの若干左側から、
右折の合図をしながら、右折を始めようとする原動機付自転車の運転者としては、
後方からくる他の車両の運転者が、交通法規を守り、速度をおとして自車の右折を
待つて進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれ
ば足り、本件Aのように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センターライン
の右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、
右後方に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意
義務はないものと解するのが相当である(なお、本件当時の道路交通法三四条三項
によると、第一種原動機付自転車は、右折するときは、あらかじめその前からでき
る限り道路の左端に寄り、かつ、交差点の側端に沿つて徐行しなければならなかつ
たのにかかわらず、被告人は、第一種原動機付自転車を運転して、センターライン
の若干左側からそのまま右折を始めたのであるから、これが同条項に違反し、同一
二一条一項五号の罪を構成するものであることはいうまでもないが、このことは、
右注意義務の存否とは関係のないことである。)。
 そうすると、本件において、被告人に過失責任を認めた原判決は、法令の解釈を
誤り、被告事件が罪とならないのに、これを有罪としたものというべく、右違法は
判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号によりこれを破棄し
なければ著しく正義に反するものと認められる。
 よつて、同四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一
致の意見で、主文のとおり判決する。
 検察官 布施健公判出席
  昭和四二年一〇月一三日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    石   田   和   外
            裁判官    色   川   幸 太 郎

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