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裁判例


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平成28年3月25日判決言渡
平成27年(行ケ)第10014号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成28年2月5日
判決
原告DKSHジャパン株式会社
原告岩城製薬株式会社
原告高田製薬株式会社
原告株式会社ポーラファルマ
上記4名訴訟代理人弁護士新保克芳
同髙﨑仁
同井上彰
同酒匂禎裕
同弁理士今村正純
同渡辺紫保
同室伏良信
同井上香織
被告中外製薬株式会社
被告ザトラスティーズオブコロ
ンビアユニバーシティイン
ザシティオブニューヨーク
上記両名訴訟代理人弁護士尾崎英男
同日野英一郎
同江黒早耶香
同弁理士津国肇
同小國泰弘
同膝舘祥治
主文
1原告らの請求を棄却する。
2訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が無効2013-800222号事件について平成26年12月15日に
した審決を取り消す。
第2前提となる事実
1特許庁における手続の経緯等(争いがない事実又は文中掲記の証拠により容
易に認定できる事実)
被告らは,発明の名称を「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体お
よびその製造方法」とする特許第3310301号(平成9年9月3日出願〔優先
権主張日平成8年9月3日〕,平成14年5月24日設定登録。以下「本件特許」
という。)の特許権者である。
原告らは,平成25年12月10日,本件特許の特許請求の範囲の請求項1,2,
4,6~14,16,18~30に係る発明の特許について,特許無効の審判請求
をし(甲48),特許庁は,この請求を無効2013-800222号事件として
審理をした。被告らは,その手続中の平成26年4月30日付け訂正請求書(甲5
1)で,請求項1,2,4ないし14,16ないし30について,特許請求の範囲
の減縮を目的とする訂正請求(以下「本件訂正」という。)をした。
特許庁は,審理の結果,平成26年12月15日,「請求のとおり訂正を認める。
本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同月26日,原
告らに送達した。
2特許請求の範囲
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲(請求項の数は28)の請求項1及び1
3は,以下のとおりである(以下,本件訂正後の各請求項に係る発明を,請求項に
対応して「本件発明1」,「本件発明2」などといい,請求項1,2,4,6~1
4,16,18~28に係る発明を併せて「本件発明」という。また,本件訂正後
の明細書を「本件明細書」という。なお,本件訂正により,請求項29及び30は
削除された。以下の請求項1及び13のうち,本件訂正による訂正部分には,下線
を付した。)。
「【請求項1】下記構造を有する化合物の製造方法であって:
(式中,nは1であり;R1およびR2はメチルであり;WおよびXは各々独立
に水素またはメチルであり;YはOであり;そしてZは,式:
のステロイド環構造,または式:
のビタミンD構造であり,Zの構造の各々は,1以上の保護または未保護の置換基
および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく,Zの構造の環はい
ずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)
(a)下記構造:
(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)
を有する化合物を塩基の存在下で下記構造:
または
(式中,n,R1およびR2は上記定義の通りであり,そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて化合物を製造すること;並びに
(b)かくして製造された化合物を回収すること,
を含む方法。」
【請求項13】
「下記構造を有する化合物の製造方法であって:
(式中,nは1であり;R1およびR2はメチルであり;WおよびXは各々独立
に水素またはメチルであり;YはOであり;そしてZは,式:
【判決注:化学式は,請求項1のステロイド環構造と同じなので省略する。】
のステロイド環構造,または式:
【判決注:化学式は,請求項1のビタミンD構造と同じなので省略する。】
のビタミンD構造であり,Zの構造の各々は,1以上の保護または未保護の置換基
および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく,Zの構造の環はい
ずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)
(a)下記構造:
【判決注:化学式は,請求項1の対応する出発化合物と同じなので省略する。】
(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)
を有する化合物を塩基の存在下で下記構造:
【判決注:化学式は,請求項1の対応する反応化合物(エポキシ)と同じなので省
略する。】
または
【判決注:化学式は,請求項1の対応する反応化合物(アルコール)と同じなので
省略する。】
(式中,n,R1およびR2は上記定義の通りであり,そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて,下記構造:
【判決注:化学式は,請求項1の対応するエポキシド化合物と同じなので省略す
る。】
を有するエポキシド化合物を製造すること;
(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;および
(c)かくして製造された化合物を回収すること;
を含む方法。」
3審決の理由
審決の理由は,別紙審決書写しに記載のとおりである。その要旨は,①本件訂
正は,特許法134条の2第1項,3項の規定に適合し,同法134条の2第9項
の規定によって準用する同法126条5項,6項の規定に適合するとともに,無効
審判の請求がされていない訂正後の請求項3,15に係る発明については,同法1
34条の2第9項の規定で準用する同法126条7項の規定に適合するので,訂正
を認める,②本件訂正後の本件発明は,甲1(ChemistryofHe
terocyclicCompounds,Vol.17,No.7,pp.
642-644,1982年登載の論文。以下「甲第1号証」という。)に記載さ
れた発明及び本件優先日前の周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることが
できたものであるとはいえないから,本件発明についての特許が特許法29条2項
に違反してされたものということはできない,③本件発明は,甲7及び甲第1号
証に記載された発明並びに本件優先日前の周知技術に基づいて当業者が容易に発明
をすることができたものとはいえないから,本件発明についての特許が特許法29
条2項に違反してされたものということはできない,④本件発明は,甲4(有機
合成化学協会誌第54巻第2号第139-145頁(第73-79頁),1996
年登載の論文。以下「甲第4号証」という。)及び甲第1号証に記載された発明並
びに本件優先日前の周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたも
のとはいえないから,本件発明についての特許が特許法29条2項に違反してされ
たものということはできない,⑤本件発明についての特許が特許法36条4項の
要件を満たしていない特許出願に対してされたものとはいえない,⑥本件発明に
ついての特許が特許法36条6項の要件を満たしていない特許出願に対してされた
ものということはできない,したがって,原告らが主張する無効理由によって本件
発明の特許を無効とすることはできない,というものである。
上記④の無効理由に関し,審決がした認定判断の内容は,次のとおりである(後
記原告らの主張のとおり,本件訴訟において,原告らは,上記④についての相違点
の判断の誤りのみを主張して,審決の取消しを求めている。)。
(1)甲第4号証記載の発明の認定(当事者間に争いがない)
ア甲4発明1の認定
「下記の20(S)-アルコール(8)
(式中,TBSは,t-ブチルジメチルシリルである。)
と,下記臭化物
(式中,THPはテトラヒドロピラニルである。)
とを水素化カリウムの存在下に反応させて,下記のエーテル化合物
(式中,R1
=THP,R2
=TBS)を生成し,エーテル化合物のR1
のTHP部
分と,R2
のTBS部分をピリジニウムp-トルエンスルホネートで切断して下記
アリルアルコール化合物
(式中,R1
=R2
=H)
を生成し,引き続き,tert-ブチルハイドロパーオキシドにより上記化合物を
エポキシ化して,
下記のエポキシド化合物(18または19)
(環構造は反応前と同じである。)を得る方法。」
イ甲4発明2の認定
「20(S)-アルコール(8)【判決注:甲4発明1と同じなので化学式は省
略する。】と,
臭化物【判決注:甲4発明1と同じなので化学式は省略する。】
とを水素化カリウムの存在下に反応させて,
エーテル化合物【判決注:化学式は,甲4発明1と同じなので省略する。】を生
成し,
エーテル化合物のR1
のTHP部分と,R2
のTBS部分をピリジニウムp-トル
エンスルホネートで切断してアリルアルコール化合物【判決注:化学式は,甲4発
明1と同じなので省略する。】を生成し,
引き続き,tert-ブチルハイドロパーオキシドにより上記化合物をエポキ
シ化して,
エポキシド化合物(18または19)【判決注:化学式は,甲4発明1と同じな
の省略する。】を得て,
エポキシド化合物(18)及び(19)をジイソブチルアルミニウムハイドライ
ドでエポキシ基を開裂し,
下記のトリオール化合物
(式中,R1
=CH3,R2
=OH,R3
=TBS)
(式中,R1
=OH,R2
=CH3,R3
=TBS)
を得る方法。」
(2)本件発明1,2,4,6ないし12についての判断(一致点及び相違点に
ついては,いずれも当事者間に争いがない。)
ア本件発明1と甲4発明1との一致点
「下記の構造を有する化合物の製造方法であって:
(式中,nは1であり;R1およびR2は各々独立に,所望により置換されたC1
~C6アルキルであり;WおよびXは各々独立に水素またはメチルであり;YはO
であり;そしてZは,ステロイド環構造,またはビタミンD構造であり,Zの構造
の各々は,1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所
望により有していてもよく,Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望に
より有していてもよい)
(a)下記構造:
(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)を有する化合物を塩基の
存在下で下記構造:
E-B
を有する化合物(式中,Eは脱離基である)と反応させて化合物を製造すること;
(b)かくして製造された化合物を回収すること,
を含む方法」
イ本件発明1と甲4発明1との相違点
(相違点3-i)「R1およびR2」が,本件発明1では,ともに「メチル」であ
るのに対して,甲4発明1では,「メチルとヒドロキシメチル」である点
(相違点3-ii)「E-B」の「B」に対応する部分構造が,本件発明1では,
「2,3-エポキシ-3-メチル-ブチル基」または,「2-脱離基-3-メチル
-3-ヒドロキシ-ブチル基」であるのに対して,甲4発明1では,

(式中,THPはテトラヒドロピラニルである。)」(以下「3-メチル-4-テ
トラヒドロピラニルオキシ-2-ブテニル基」という。)である点
(相違点3-iii)工程(a)が,本件発明1では,「E-B」と反応させて化
合物を得ているのに対して,甲4発明1では,「E-B」と反応させた後,「得
られたエーテル化合物(判決注:化学式は省略する。)をピリジニウムp-トルエ
ンスルホネートで処理して,アリルアルコール化合物(判決注:化学式は省略す
る。)を生成し,引き続き,tert-ブチルハイドロパーオキシドによりアリル
アルコール化合物をエポキシ化して」化合物を得ている点
ウ上記相違点についての判断の概要
相違点3-iiにおける「E-B」の「B」構造を,「3-メチル-4-テトラヒ
ドロピラニルオキシ-2-ブテニル基」から,「2,3-エポキシ-3-メチル-
ブチル基」又は「2-脱離基-3-メチル-3-ヒドロキシ-ブチル基」にするこ
と(「B」構造の置換)によって,相違点3-i及び3-iiiに係る構成を備えるこ
とになるから,相違点3-iiについて検討する。
甲4発明1において,相違点3-iiの「E-B」の「B」を「3-メチル-4-
テトラヒドロピラニルオキシ-2-ブテニル基」から,「2,3-エポキシ-3-
メチル-ブチル基」または「2-脱離基-3-メチル-3-ヒドロキシ-ブチル基」
に置換する動機付けがあると認めることはできない。
また,甲4発明1の目的化合物を本件発明1と同じ最終的な目的化合物に対応す
る中間体としてのエポキシ化合物に代える動機付けがあり,その際,甲4発明1に
おいて,一段階の反応を採用しようとする動機付けがあると仮定しても,甲4発明
1において,「B」構造を,「3-メチル-4-テトラヒドロピラニルオキシ-2
-ブテニル基」から,「2,3-エポキシ-3-メチル-ブチル基」とするために,
甲第1号証に記載される「1-ブロモ(またはクロロ)-3-メチル-2,3-エポキシブ
タン」を使用することを当業者が容易に想到し得たとは認めることができない。
したがって,本件発明1は,甲第4号証及び甲第1号証記載の発明並びに本件優
先日前の周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものというこ
とはできない。
エ本件発明2,4,6ないし12は,本件発明1をさらに限定したものである
から,本件発明2,4,6ないし12も,本件発明1と同様の理由により,当業者
が容易に発明をすることができたものということはできない。
(3)本件発明13,14,16,18ないし28についての判断
ア本件発明13と甲4発明2との一致点
「下記の構造を有する化合物の製造方法であって:
(式中,nは1であり;R1およびR2は各々独立に,所望により置換されたC1
~C6アルキルであり;WおよびXは各々独立に水素またはメチルであり;YはO
であり;そしてZは,ステロイド環構造,またはビタミンD構造であり,Zの構造
の各々は,1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所
望により有していてもよく,Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望に
より有していてもよい)
(a)下記構造:
(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)を有する化合物を塩基の
存在下で下記構造:
E-B
を有する化合物(式中,Eは脱離基である)と反応させてエポキシド化合物を製
造すること;
(b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;および
(c)かくして製造された化合物を回収すること,
を含む方法」
イ本件発明13と甲4発明2との相違点
(相違点3-i’)「R1およびR2」が,
本件発明13では,ともに「メチル」であるのに対して,
甲4発明2では,「メチルとヒドロキシメチル」である点
(相違点3-ii’)「E-B」の「B」に対応する部分構造が,
本件発明13では,「2,3-エポキシ-3-メチル-ブチル基」または,「2
-脱離基-3-メチル-3-ヒドロキシ-ブチル基」であるのに対して,
甲4発明2では,「3-メチル-4-テトラヒドロピラニルオキシ-2-ブテニ
ル基」である点
(相違点3-iii’)工程(a)が,
本件発明13では,「E-B」と反応させて化合物を得ているのに対して,
甲4発明2では,「E-B」と反応させた後,「得られたエーテル化合物【判
決注:化学式は省略する。】をピリジニウムp-トルエンスルホネートで処理して,
アリルアルコール化合物【判決注:化学式は省略する。】を生成し,引き続き,t
ert-ブチルハイドロパーオキシドによりアリルアルコール化合物をエポキシ化
して」化合物を得ている点
ウ上記相違点についての判断
相違点3-ii’は,前記相違点3-iiと実質的に同じであるから,前記(2)ウと
同様の理由により,甲4発明2において,本件優先日前に相違点3-ii’に係る構
成を備えたものとすることが当業者にとって容易になし得たものとはいえない。
したがって,本件発明13は,甲第4号証及び甲第1号証記載の発明並びに本件
優先日前の周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものという
ことはできない。
エ本件発明14,16,18ないし28は,本件発明13をさらに限定したも
のであるから,本件発明14,16,18ないし28も本件発明13と同様の理由
により,当業者が容易に発明をすることができたものということはできない。
第3原告ら主張の取消事由(相違点についての判断の誤り)
1本件発明1の容易想到性について
本件発明1と甲4発明1との相違点は,以下のとおり容易に克服することができ
る。
(1)甲第4号証は,全体としてマキサカルシトールの合成方法を検討した文献
であり,マキサカルシトールを工業的に効率的に製造する方法が技術課題であるこ
とが明記されている。
(2)また,甲第4号証の図9には,下図1のとおり,エポキシド化合物から還
元によりエポキシ基を開環する反応が記載され,マキサカルシトールの予想代謝物
が高収率で得られたことが記載されている。
(図1)
還元(開環反応)
(エポキシド化合物)(予想代謝物)
この予想代謝物の側鎖は,マキサカルシトールの「構造を眺めて代謝を受けやす
い部分を想定して」,マキサカルシトールの側鎖の末端の一方のメチル基がヒドロ
キシメチル基に変化する可能性のあることを想定して合成されたものであり,マキ
サカルシトールの側鎖と異なるのは,末端のメチル基(CH3上記図1の青色部
分)のうちの一つがヒドロキシメチル基(CH2-OH上記1の赤色部分)に
なっている点のみである。
(3)有機合成の研究では,類似構造を有する化合物の合成方法から着想を得る
のが常道であり,甲第4号証記載のマキサカルシトールを効率的に製造する方法を
課題として解決しようとする当業者は,甲第4号証の図9の記載に接して,甲4発
明1の予想代謝物であるビタミンD誘導体及びその前駆体となるステロイド化合物
の側鎖と,マキサカルシトールの側鎖の構造が,上記のとおり酷似していることに
着目して,甲4発明1の合成方法をマキサカルシトールの合成にも応用し,エポキ
シド化合物におけるヒドロキシメチル基をメチル基に変更することを動機付けられ
る。
上記図1の開環反応では,エポキシド化合物の末端のヒドロキシメチル基とメチ
ル基がそのまま予想代謝物に保存されており,当業者であれば,甲4発明1のエポ
キシド化合物においてヒドロキシメチル基をメチル基に置き換えても,下図2のと
おり,メチル基がいずれも保存され,エポキシ基の開環反応によりマキサカルシ
トールを合成できることを容易に理解し,想到する。
(図2)
エポキシ基の開環後も,ヒドロキシメチル基とメチル基がそのまま保存されるこ
とは,当業者の技術常識とも合致している(甲16)。
しかも,ステロイド環構造を有するエポキシド化合物のエポキシ基を還元剤で開
環して,マキサカルシトールと同様に,末端に2個のメチル基の結合した側鎖を構
築する方法は,下図3のとおり,本件特許の優先日前において当業者に知られてい
る(国際公開公報第93/21204号〔甲8〕。以下「甲第8号証」という。)
ただし,下図3の側鎖は,22位の原子が酸素原子ではなく,炭素原子である点が
マキサカルシトールの側鎖と異なる。)。
(図3)
本件発明の発明者自身,カルシトリオールの側鎖の22位の炭素原子を酸素原子
に置換することによりマキサカルシトールを想到している(甲4)。しかるところ,
甲第8号証では,このカルシトリオールと同じ側鎖を構築する際にエポキシド化合
物を用いることが記載されており,当業者は,甲第4号証の図9記載のマキサカル
シトール予想代謝物の側鎖構築法が,甲第8号証の側鎖構築法に酷似していること
を直ちに理解する。甲第8号証のような技術知見を有する当業者にとって,甲第4
号証の図9のエポキシド化合物からマキサカルシトール前駆体(エポキシド化合物)
の合成を着想することには,何の困難もない。
したがって,前記(1)の課題を認識する当業者は,甲第4号証の図9から,マキ
サカルシトールの合成をするために,その前駆体として,図9のエポキシド化合物
のヒドロキシメチル基をメチル基に置き換えたエポキシド化合物を用いることを容
易に着想し,動機付けられる。
(4)そして,上記図2のエポキシド化合物から,甲第1号証記載の試薬(以下
「本件試薬」という。)及び出発物質としてのステロイド20位アルコールを想到
することは,以下のとおり,容易である。
ア既知の物質の合成ルートを検討するに当たっては,目的化合物からスタート
して,反応を逆行して合成法を検討する「逆合成法」が有機合成の分野における研
究者の常套手段であり(甲59,60),本件優先日当時,有機合成化学に携わる
者であれば誰でも必ず身に着けている合成法であった。マキサカルシトールという
既知の物質を効率的に作るという課題を解決するために,当業者が逆合成法を用い
るのは自然である。
逆合成法は,なるべく効率的にマキサカルシトールの合成前駆体となるエポキシ
ド化合物を合成するために適用されるのであり,最初に考慮されるのは,一段階の
反応でエポキシド化合物を合成できないか,ということである。
前記図2のエポキシド化合物を見ると,下図4のとおり,エーテル結合の酸素原
子とその右側の炭素原子との間で切断することが可能であり,有機合成の観点から
も合理的である(甲61A意見書)。
(図4)
上記のように切断した場合,エーテル結合部分の酸素原子は電子的にマイナスに
チャージするため,これを打ち消すために電気陰性度の小さな水素原子を付加し,
一方,切断されたもう一方の炭素原子は電子的にプラスにチャージするため,これ
を打ち消すために電気陰性度の高いBrなどのハロゲン原子を付加するのは技術常
識である。実際,甲4発明1においても出発物質と試薬との関係は同様であり,こ
の切断後のステロイド構造体の22位を水酸基としたものは,甲4発明1の出発物
質そのものである。
イ上記部位で切断することは,当業者の技術常識とも合致する。すなわち,出
発物質の22位水酸基をアルキルブロミドによりアルキル化するような手法は,本
件優先日当時,当業者に周知かつ慣用の技術であり(甲23),また,ある化合物
をアルキル化する際に,エピブロモヒドリンなどのエポキシ基を有する化合物をア
ルコールと反応させることにより,グリシジルエーテル化合物を合成できることは,
本件優先日当時,周知であった(甲10ないし12,25ないし27。立体的に複
雑な3員環骨格に結合する2級アルコールについて,甲27。立体的に複雑なステ
ロイドアルコールについて,甲63,64)。
ウ以上から,マキサカルシトールの効率的な製造方法を検討する当業者は,逆
合成法を適用して,上記図4の部位でエポキシド化合物を切断した上,炭素原子側
にBrを付加して得られる試薬(同図の右下の化合物。本件発明1の試薬のうち,
エポキシ体の構造を有する試薬の脱離基としてBrを付加したものと同じ。本件試
薬)を,酸素原子側に水素原子を付加して得られる甲4発明1の出発物質(図4の
右上の化合物。本件発明1の出発物質の炭素骨格がステロイド構造のものと同じ。
以下「本件ステロイド出発物質」ということがある。)に適用することを想起する。
また,甲4発明1では,側鎖にエポキシ基を導入するためにプレニルの導入と香
月-シャープレス反応の二工程が必要であるが,本件試薬を用いれば,一工程で側
鎖にエポキシ基を導入することができ,工程数を短縮できることも容易に理解でき
る。
エ上記のように本件試薬を想起した当業者は,文献検索を行った結果,本件試
薬を掲載した甲第1号証を発見することができる。
甲第1号証は,10種類の異なる構造を有するアルコール類について本件試薬が
反応することを報告するものであり,そのうち,イソプロパノールが,最適化され
ていない条件であるにもかかわらず,本件試薬と約50%という高い収率で反応す
ることが記載されている。
イソプロパノールと本件試薬との反応は,SN2反応である。SN2反応におい
て,目的とする生成物が得られることを予測できるかで問題となるのは,反応部位
となる官能基構造の類似性や,アルコール類であれば,反応点の構造が何級アル
コールかというような,反応点のごく近傍の環境の類似性である。反応に供される
化合物の全体としての分子量や,反応部位から遠隔にある,反応とは関係のない箇
所の分子構造などは問題とされない(甲61A意見書,甲77)。
そして,イソプロパノールは,本件発明1の出発物質と同じ2級アルコールで
あって,両者は,反応部位の部分構造(下図5の青色で囲んだ部分)が酷似するか
ら,当業者は,本件発明1の出発物質と本件試薬とのSN2反応性も,良好に進行
することが理解できる。
(図5)
(イソプロパノール)(本件発明1の出発物質)
このことは,反応を考える際の当業者の常套手段である分子模型を見ても,本件
試薬には求核剤(反応の対象となる物質)の進路に大きな空間があるため,訂正発
明の出発物質(ステロイド環構造のもの)との反応が容易に進行し,ステロイド環
構造は,本件試薬との反応に際して立体的障害に全くならないことが分かる。
オそして,甲第1号証には,ブタノールと本件試薬を反応させて得たエポキシ
エーテル化合物のエポキシ基を,還元剤で所望の方向に開環する工程も記載されて
おり,開環すると,マキサカルシトールの側鎖と同一の側鎖が形成されることも記
載されている。ブタノールに代えて,イソプロパノールの場合でも,エポキシ基を
開環すれば,側鎖が同一構造(マキサカルシトールの側鎖)になるのは自明である。
したがって,当業者は,高い蓋然性をもって,本件試薬と本件ステロイド出発物
質とのエポキシアルキル化反応が進行する可能性が高いと考えて,本件発明1のエ
ポキシド化合物を合成することを動機付けられるというべきである(甲61A意見
書)。
(5)被告らの主張について
ア甲第4号証の図9のエポキシド化合物のヒドロキシメチル基をメチル基に置
き換えたエポキシド化合物を用いるという着想の容易想到性について
被告らは,甲4発明2の目的物のビタミンD誘導体には2種類の異なる立体配置
が存在するために香月-シャープレス反応を用いているから,甲4発明1のエポキ
シ体の還元反応の部分だけに着目する理由は存在しないと主張する。しかし,いず
れのビタミンD誘導体もマキサカルシトールの側鎖と構造が酷似しており,エポキ
シ基の開環により高収率で得られているから,いずれに着目しても当業者はマキサ
カルシトールの合成に応用することを想到するし,甲第4号証で香月-シャープレ
ス反応を用いていることの目的は当業者に容易に理解され,当業者はマキサカルシ
トールでは立体配置の問題が生じず,一種類だけの前駆体エポキシド化合物を利用
するだけで効率的にマキサカルシトールを製造できることを理解するから,図9に
おいて二種類の異性体が存在することは,原告らの主張する着想の容易想到性の妨
げにならない。
また,被告らは,甲4発明1をマキサカルシトールの合成に応用するのであれば,
試薬を臭化プレニルに代えるのが素直であると主張する。しかし,逆合成の手法は,
なるべく効率的に前駆体であるエポキシド化合物を合成するために適用するのであ
り,工程数の多い迂遠な合成方法を当業者がわざわざ採用するはずがなく,被告ら
の主張は失当である。
イ本件試薬と本件ステロイド出発物質との反応の予測可能性について
被告らは,本件試薬と本件ステロイド出発物質との反応が進むことを当業者が予
測することはできないと主張し,その根拠として,①本件試薬には反応点の候補が
3か所あるので,副反応が生じる可能性があること,②本件試薬のエポキシ基が開
環する可能性があること,③本件試薬の電荷分布の点からは後記反応点1で反応が
進むと予測できないこと,④エピハロヒドリンの反応性に関する知見からは直接置
換反応で反応が進むと予測できないこと,⑤本件ステロイド出発物質の反応は,本
件試薬の立体の影響を受けることなどを挙げる。
しかし,上記①及び②については,甲第1号証自体から,エポキシ基が開環する
ことなく,直接置換反応により反応点1で反応が進行することが明らかである。
また,上記③については,本件試薬において,反応点の炭素原子とその隣の炭素
原子がいずれもプラスに荷電しているとの被告らの主張は誤りである。
上記④については,ウィリアムソン反応において,エピハロヒドリンも反応点1
で反応することが知られている(甲69)。
さらに,上記⑤については,被告らの研究者が個人的に有していた知見にすぎず,
技術常識ではない。本件ステロイド出発物質の水酸基が,本件試薬と同等の分子量
や類似構造を有する種々のハロゲン化アルキル試薬と容易にSN2反応することは,
本件優先日当時周知であった(甲5,21,63,乙2)。
(6)以上のとおり,マキサカルシトールの効率的な製法を見いだそうとする当
業者であれば,甲4発明1のマキサカルシトールの予想代謝物をマキサカルシトー
ルとするために末端のヒドロキシメチル基をメチル基に変えること(相違点3-
i),甲4発明1の試薬に代えて本件試薬を本件ステロイド出発物質に適用するこ
と(相違点3-ii),そして,本件ステロイド出発物質に本件試薬を適用して本件
発明1のエポキシド化合物を得ること(相違点3-iii)をいずれも容易に想起す
る。
したがって,本件発明1は,甲4発明1及び甲第1号証の技術的事項に基づいて
当業者が容易に想到することのできるものである。
2審決の誤りについて
(1)審決は,相違点(3-ii)に関し,甲4発明1のヒドロキシメチル基を変更
する動機付けがあるか,(動機付けがあるとして)甲第1号証に記載される試薬
(本件試薬)を容易に想到し得たか,という二つに分けて判断している。
しかし,前記1のとおり,ヒドロキシメチル基をメチル基に変更することが容易
だからこそ,当業者は甲4発明1からマキサカルシトールを合成することを着想す
るのであり,「ヒドロキシメチル基を変更する動機付け」だけを別個に取り出して
議論すること自体が誤りである。
(2)また,本件試薬を容易に想到し得ない理由として審決が指摘する以下の点
も,誤りである。
ア審決は,甲第1号証では「ステロイド環構造又はビタミンD構造の20位ア
ルコール」を選択することについて記載も示唆もないと述べる。しかし,当業者は
甲4発明1から試薬の構成に容易に想到し,甲第1号証は当該試薬について文献調
査をすれば必ず発見する文献であるから,同号証に記載や示唆のないことは進歩性
の判断に影響を与えない。
イ審決は,原告らが提出する公知文献(甲4ないし7,21ないし23)で使
用されている反応剤はいずれもエポキシ環構造を有さない化合物であると述べる。
しかし,そのことは,甲4発明1から本件試薬を想到することの障害にも,当該試
薬を用いてマキサカルシトールを合成する動機付けの阻害事由にもならない。
ウ審決は,ステロイド環構造の20位アルコールは立体障害によって水酸基と
反応剤反応性が低いことが知られているとか,甲5ないし21によれば20(S)
-アルコールと環構造を有する臭化物とのエーテル化反応が進行しない場合もある
などと述べる。しかし,大きな立体障害を有する水酸基とエポキシ基を有する試薬
とが反応してエポキシエーテルを与える例は本件優先日前に複数知られており,こ
れらの先行技術が存在する以上,本件試薬を用いてマキサカルシトールを合成しよ
うとする動機付けが阻害されることはない。
エ審決は,甲10~14,25~27のアルコールの中にはステロイド環構造
又はビタミンD構造の20位アルコールは示されておらず,これらの証拠にメチル
基とステロイド環構造のような大きな置換基が置換したアルコールは記載されてい
ないと述べる。しかし,本件優先日前の公知技術として,ステロイド構造の20位
にイミノ基を介して結合した22位の水酸基に対してエピブロモヒドリンが反応し
てエポキシエーテルが得られている例(甲63),環構造の炭素に直接結合してい
る水酸基にエポキシ基を有する試薬が反応している例(甲27,64)がある。
オ審決は,甲第1号証のイソプロパノールと甲4発明1の本件ステロイド出発
物質とが,ウィリアムソン・エーテル合成反応において反応類似性があることを示
す具体的な証拠がないと述べる。しかし,甲第1号証では,報告されている反応の
適用範囲を明示するために官能基の例を記載しており,これは,列挙された官能基
の構造を有する化合物であれば,(その化合物がビタミンD構造であるか否か等に
は関わりなく)その文献に記載された反応が進行するという趣旨の記載である。
カ審決は,4-ブロモ-2,3-エポキシ-2-メチルブタンが4-ブロモ-
2-メチル-2-ブテンにO-THP残基が付加されたものと同様に反応するとい
えないから,一段階で4-ブロモ-2,3-エポキシ-2-メチルブタンを導入す
るほうが必ずしも有利になるとはいえないと述べる。しかし,前記のとおり,甲第
1号証には,イソプロパノールと本件試薬が高収率で反応することが記載されてい
おり,類似構造の物質についてこの程度の収率があれば,マキサカルシトールの合
成に本件試薬を用いることの動機付けとしては十分であり,反応が進む限り,工程
数の減少を期待できる。
3本件発明2以下について
本件発明13に関する審決の判断は,本件発明1と同様に本件試薬に容易に想到
できないとするものであり,上記で述べたのと同じ理由から,取消しを免れない。
本件発明2,4,6~12は本件発明1を限定したものであり,本件発明14,
16,18~28は本件発明13を限定したものであり,上記各発明に関する審決
の判断も取消しを免れない。
第4被告らの主張
1本件発明1の容易想到性について
(1)甲4発明1の反応工程は,以下の図のとおりである。
本件発明1と甲4発明1は,出発物質は一致しているが,目的物質が異なり,反
応させる試薬が異なっており,したがってすべての反応が異なっている。
(2)原告らは,甲4発明1の反応工程のうち,最終目的物である予想代謝物
(12),(13)が,エポキシド化合物(18),(19)のエポキシ基を開環
することで得られていることに着目し,このエポキシド化合物のヒドロメチル基を
メチル基に置換したものをマキサカルシトールの前駆体とすることは容易であると
主張する。
しかし,甲4発明1の反応工程において,エポキシド化合物(18),(19)
の反応が用いられるのは,最終目的物(12),(13)を,側鎖末端の立体配置
を選択的に製造することを可能とするために,香月-シャープレス反応を含む特別
な反応工程を採用しているからである。すなわち,エポキシド化合物を(18)に
するか(19)にするかで,最終目的物が(12)あるいは(13)になる。立体
構造の制御の目的がなければ,エポキシド化合物を経由することはない。これに対
して,マキサカルシトールの側鎖末端には異なる立体配置構造は存在しないから,
マキサカルシトールの製造方法を開発するときに,甲4発明1の反応工程から,エ
ポキシ体の還元反応の部分だけに着目する理由は全くない。原告らが甲4発明1の
エポキシ体の還元反応の部分だけに着目するのは,本件発明1をみた後知恵である。
仮に,甲4発明1の予想代謝物とマキサカルシトールの構造の類似性に着目して,
甲4発明1をマキサカルシトールの合成に応用するとしたら,エポキシ基に結合し
たヒドロキシメチル基をメチル基に置換するのではなく,甲4発明1で出発物質
(8)と反応させる試薬を,下右図の構造を有する臭化物(臭化プレニル)に変え
るのが素直である。
右図の試薬は出発物質と反応するが,エポキシド化合物は生成しない。目的物質
の側鎖末端がマキサカルシトールの側鎖になれば,香月-シャープレス反応を用い
てエポキシ体を生成する理由はない。
甲第4号証は,20位アルコールとのウィリアムソン反応でエポキシ試薬を用い
ることは示唆しておらず,マキサカルシトールの側鎖の導入において,エポキシ体
の開環反応を用いることを示唆する記載は存在しない。甲4発明1から,本件試薬
が導きだせるという主張は,甲4発明1の反応工程の技術的意義を無視したもので
ある。
(3)また,本件発明1の出発物質のような20位アルコールと本件試薬との反
応は,以下のとおり,有機化学の技術常識に基づけば,困難であると予想されてい
たものである。
ア本件試薬側の予測困難性
(ア)本件発明1の反応であるウィリアムソン反応は,ハロゲン化アルキルR’
X側の反応点が正に荷電(δ+)する度合いが高いほど,またその正の荷電が安定
化されるほど,反応が進行しやすい(甲66)。
有機化学の常識からは,本件発明1の試薬の構造を考えた場合,下図に示すよう
に,反応点であるα炭素原子も,その隣のβ炭素原子も,それぞれBr原子,酸素
原子という陰性原子と結合するため,正に荷電するはずであるが,隣り合う炭素原
子がいずれも正荷電で反発するため,反応点の炭素原子の正の荷電は安定化されに
くく,ウィリアムソン反応も進行しにくいと予想される。
(イ)また,本件試薬には反応点の候補が3か所あるため,副反応が生じる可能性
が予想される。
(ウ)さらに,一般に,エポキシ基を分子内に有するエポキシド化合物は,反応
性に富み,開環しやすいから,反応による開環が予想される。
(エ)本件試薬と構造が類似しているエピハロヒドリンに関する多くの研究によ
れば,エピハロヒドリンは求核試薬と反応してエポキシ基の開環が生じるケースが
多く(直接置換反応が起こるケースは少ない。),その条件や反応経路(直接置換
反応が起こるか否か)は予測困難である(乙1)。エピハロヒドリンの知見から,
本件試薬の直接置換反応を予測することはできない。
イ20位アルコール側の予測困難性
一方,20位アルコールは,反応相手の試薬の立体の影響(試薬の環の位置など
の嵩高さ)を敏感に受ける。20位アルコールにマキサカルシトールの側鎖を直接
導入することはできていないし,20位アルコールと,乙2の化合物9や,甲21
の試薬13などとの反応はまったく進行しない。20位アルコールには,マキサカ
ルシトール側鎖を導入しうる構造のウィリアムソン反応試薬との反応を妨げる立体
障害が存在すると推測される。
(4)甲第1号証は,上記ウの有機化学の技術常識に基づく予想が,本件試薬と
イソプロパノールのような低分子アルコールとの反応に関しては,当てはまらない
結果を記載しているものである。しかし,なぜ,甲第1号証の出発物質と試薬の反
応が進むのかは,解明されているわけではなく,甲第1号証には,その理由が理解
できる記載はない。また,甲第1号証の反応収率(40.6~76.4%)と反応
条件(40ないし80℃で8ないし10時間の加熱還流を要している。)に鑑みる
と,本件試薬には立体障害が存在することを示唆している。そうすると,本件試薬
には,一方で,一般的に反応の困難を予想させる理由が存在し,他方,甲第1号証
には,理由はわからないが,低分子アルコールとの反応では,反応を困難とする作
用を上回る,反応を促進させる作用が存在することが示唆されている。
しかし,甲第1号証は,低分子アルコールとは構造を大きく異にする20位アル
コールとの反応については,反応性を予測させるものではなく,本件試薬との反応
も困難と予測し,又は反応するかどうかは実験をしてみなければわからないと考え
るのが合理的である。また,甲第1号証以外には,本件試薬の反応性を予測し得る
根拠となる知見は存在せず,本件試薬の側からも,本件発明1の反応の予測は困難
である。
本件発明1は,技術常識に基づく上記予想とは異なり,実際に実験を行ってみる
と非常に高い収率で反応するという組み合わせであることを見出したものである。
特許制度の趣旨に鑑みれば,実験をしなければ,反応が進むかどうかわからない反
応について,初めて実際に実験をして反応性が見いだされた反応については,進歩
性のある発明がなされたと評価されるべきである。
2原告らの主張する審決の誤りについて
(1)原告らは,甲4発明1のヒドロキシメチル基をメチル基に変更する動機付
けがないとした点について審決は誤りであると主張する。しかし,前記のとおり,
甲4発明1の反応は,立体配置選択性に目的化合物(12),(13)を作り分け
ることを目的としているのに対し,側鎖末端の両方の置換基ともメチル基である場
合は,立体配置は一通りとなるので,甲4発明1の反応を必要としない。したがっ
て,甲4発明1の反応において,ヒドロキシメチル基をメチル基に変更する動機付
けがないとした審決の判断に誤りはない。
(2)原告らは,逆合成法で本件発明1の試薬が容易に想到することができると
いうことを前提として,審決が指摘する各点は誤りであると主張する。
しかし,逆合成法は,新しい合成ルートの仮説を考えるための手法であり,実際
に反応が進むかどうかは実験による検証を必要とし,実験をすることなく予測でき
る反応でなければ容易想到性を示すことはできず,前記のとおり,甲第4号証から
本件試薬が容易に想到することができるという主張は理由がない。そして,原告ら
が主張する各点は,いずれも本件発明の反応試薬の反応性に関して示唆し,又は反
応を予想させるものではない。また,原告らが,甲第1号証の記載から,あらゆる
アルコールと本件試薬の反応性が予想可能と主張している点は,原告らが,本件で,
審決における無効理由1(甲第1号証を主引例とする無効理由)に関する取消事由
を主張していないことと整合しない。原告らが無効理由1の取消事由を主張しない
のは,甲第1号証の記載から,あらゆるアルコールと甲第1号証記載の本件試薬の
反応性が予想可能との主張が成り立たないことを事実上認めているからである。
3本件発明2以下について
本件発明13に関する審決の判断は,本件発明1と同様の理由により,正当であ
る。本件発明2,4,6~12は本件発明1を限定したものであり,本件発明14,
16,18~28は本件発明13を限定したものであり,上記各発明に関する審決
の判断も正当である。
第5当裁判所の判断
1本件発明について
(1)本件明細書中の【発明の詳細な説明】欄には,次の記載がある(甲51。
なお,各文末に引用する明細書の行数は,化学式を含まない数である。)。
ア「発明の背景」
「ビタミンDおよびその誘導体は,重要な生理学的機能を有する。例えば,1α,
25-ジヒドロキシビタミンD3は,カルシウム代謝調節活性,増殖阻害活性,腫
瘍細胞等の細胞に対する分化誘導活性,および免疫調節活性などの広範な生理学的
機能を示す。しかし,ビタミンD3誘導体は高カルシウム血症などの望ましくない
副作用を示す。
特定の疾患の治療における効果を保持する一方で付随する副作用を減少させるた
めに,新規ビタミンD誘導体が開発されている。
例えば,日本特許公開公報昭和61-267550号(1986年11月27日
発行)は,免疫調節活性と腫瘍細胞に対する分化誘導活性を示す9,10-セコ-
5,7,10(19)-プレグナトリエン誘導体を開示している。さらに,日本特
許公開公報昭和61-267550号(1986年11月27日発行)は,最終産
物を製造するための2種類の方法も開示しており,一方は出発物質としてプレグネ
ノロンを使用する方法で,他方はデヒドロエピアンドロステロンを使用する方法で
ある。
1α,25-ジヒドロキシ-22-オキサビタミンD3(OCT;【判決注:マ
キサカルシトール】),即ち,1α,25-ジヒドロキシビタミンD3の22-オ
キサアナログ体は,強力なインビトロ分化誘導活性を有する一方,低いインビボカ
ルシウム上昇作用(calcemicliability)を有する。OCTは,
続発性上皮小体機能亢進症および幹癬の治療の候補として臨床的に試験されている。
日本特許公開公報平成6-072994(1994年3月15日発行)は,22
-オキサコレカルシフェロール誘導体およびその製造方法を開示している。この公
報は,20位に水酸基を有するプレグネン誘導体をジアルキルアクリルアミド化合
物と反応させてエーテル化合物を得て,次いで得られたエーテル化合物を有機金属
化合物と反応させて所望の化合物を得ることを含む,オキサコレカルシフェロール
誘導体の製造方法を開示している。
日本特許公開公報平成6-080626号(1994年3月22日発行)は,2
2-オキサビタミンD誘導体を開示している。この公報はまた,出発物質としての
1α,3β-ビス(tert-ブチルジメチルシリルオキシ)-プレグネ-5,7
-ジエン-20(S又はR)-オールを塩基の存在下でエポキシドと反応させて2
0位からエーテル結合を有する化合物を得ることを含む方法を開示している。
さらに,日本特許公開公報平成6-256300号(1994年9月13日発行)
およびKubodera他(Bioorganic&MedicinalC
hemistryLetters,4(5):753-756,1994)は,
1α,3β-ビス(tert-ブチルジメチルシリルオキシ)-プレグナ-5,7
-ジエン-20(S)-オールを4-(テトラヒドロピラン-2-イルオキシ)-
3-メチル-2-ブテン-1-ブロミドと反応させてエーテル化合物を得て,それ
を脱保護し,そして脱保護されたエーテル化合物をシャープレス酸化することを含
む,エポキシ化合物を立体特異的に製造する方法を開示している。しかし,上記方
法は,ステロイド基の側鎖にエーテル結合およびエポキシ基を導入するのに1工程
より多くの工程を必要とし,従って所望の化合物の収率が低くなる。
さらに,上記文献のいずれにも,アルコール化合物を末端に脱離基を有するエポ
キシ炭化水素化合物と反応させて,それによりエーテル結合を形成する合成方法は
開示されていない。また,上記文献には,側鎖にエーテル結合およびエポキシ基を
有するビシクロ[4.3.0]ノナン構造(本明細書中以下においてCD環構造と
称する),ステロイド構造またはビタミンD構造は開示されていない。」(15頁
6行~16頁13行)
イ「発明の詳細な説明」
(ア)「本発明は,下記構造を有する化合物の製造方法であって:
(式中,nは1~5の整数であり;R1およびR2は各々独立に,所望により置換さ
れたC1-C6アルキルであり;WおよびXは各々独立に水素またはC1-C6ア
ルキルであり;YはO,SまたはNR3であり,ここでR3は水素,C1-C6アル
キルまたは保護基であり;そしてZは,
であり,R4,R5,R8,・・・R17は各々独立に水素,置換または未置換の低級
アルキルオキシ,アミノ,アルキル,アルキリデン,カルボニル,オキソ,ヒドロ
キシル,または保護されたヒドロキシルであり;そしてR6およびR7は各々独立に
水素,置換または未置換の低級アルキルオキシ,アミノ,アルキル,アルキリデン,
カルボニル,オキソ,ヒドロキシル,保護されたヒドロキシルであるか,または一
緒になって二重結合を形成する);
(a)下記構造:
(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)
を有する化合物を塩基の存在下で下記構造:
または
(式中,n,R1およびR2は上記定義の通りであり,そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて化合物を製造すること;並びに
(b)かくして製造された化合物を回収すること,
を含む方法を提供する。・・・・
下記構造:
を有する化合物の製造方法は新規であり,細胞に対する分化誘導活性および増殖阻
害活性などの多様な生理学的活性を有することができるビタミンD誘導体の合成に
有用である。」(24頁6行~25頁下から2行)
(イ)「本発明はまた,下記構造:
(式中,ZはCD環構造,ステロイド構造またはビタミンD構造を示し,これらは
各々,1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望に
より有していてもよい)
を有する化合物を提供する。本発明に関するCD環構造,ステロイド構造およびビ
タミンD構造は各々,特には下記する構造を意味し,これらの環は何れも1以上の
不飽和結合を所望により有していてもよい。ステロイド構造においては,1個また
は2個の不飽和結合を有するものが好ましく,5-エンステロイド化合物,5,7
-ジエンステロイド化合物,またはそれらの保護された化合物が特に好ましい。
CD構造,ステロイド構造,またはビタミンD構造であるZ上の置換基は特に限
定されず,水酸基,置換または未置換の低級アルキルオキシ基,…およびオキソ基
(=O)などを例示することができ,水酸基が好ましい。これらの置換基は保護さ
れていてもよい。」(25頁末行~27頁5行)
(ウ)「式Iの化合物の製造について本明細書に開示した反応の概略を以下の反応
図Aに示す。
」(29頁下から2行)
(エ)「本発明は,本明細書中上記した新規な中間体を経てビタミンDまたはステ
ロイド誘導体を製造する方法に関する。この反応の概略を以下の反応図Bに示す。
本発明による上記2工程の反応の工程(1)の反応は,本明細書中に既に記載し
た反応図Aの方法と同様に実施できる。
工程(2)の反応は工程(1)で得られたエポキシ化合物中のエポキシ基を開環
する反応であり,これは還元剤を使用して実施される。工程(2)で使用できる還
元剤は,工程(1)で得られたエポキシ化合物の環を開環して水酸基を生成できる
もの,好ましくは第3アルコールを選択的に形成できるものである。」(39頁5
行~12行)
(2)上記(1)の本件明細書の記載によれば,本件発明は,下図の側鎖(以下「マ
キサカルシトールの側鎖」という。)を有するビタミンD誘導体又はステロイド誘
導体の製造方法(ビタミンD構造又はステロイド環構造化合物へのマキサカルシ
トールの側鎖の導入方法)として,従来技術に開示されていなかった新規な製造方
法を提供することを課題とするものであり,当該課題を解決する具体的な解決手段
として,ビタミンD構造又はステロイド環構造の20位アルコール化合物(出発物
質)を,塩基の存在下で,末端に脱離基を有するエポキシ炭化水素化合物である試
薬と反応させることによりエーテル結合を形成し,側鎖にエーテル結合及びエポキ
シ基を有するビタミンD構造体又はステロイド環構造体であるエポキシド化合物
(中間体)を合成するという方法(本件発明1),同方法の工程に加えて,その後,
還元剤で処理をしてこの側鎖のエポキシ基を開環して水酸基を形成することにより,
マキサカルシトールの側鎖を有するビタミンD誘導体又はステロイド誘導体(目的
物質)を製造するという方法(本件発明13)を採用したものである。
2取消事由(相違点についての判断の誤り)について
(1)甲4発明1及び甲4発明2について
ア甲第4号証の記載内容
甲第4号証は,本件優先日(平成8年9月3日)前である平成8年2月1日に頒
布された「有機合成化学協会誌第54巻第2号」に登載された,本件発明の発明者
の1人である久保寺登の「活性型ビタミンD誘導体-医薬品開発の過程で合成研究
者が担当する多彩な役割」と題する論文であり,以下のとおりの記載がある(なお,
注10を除く注の記載は省略した。)。
(ア)「1.はじめに
活性型ビタミンD,1α,25-dihydroxyvitaminD3(1)
(Calcitriol;以下1,25(OH)2D3と略す)の種々の生理作用
を構造修飾により分離することを目的として生まれてきた1α,25-dihyd
roxy-22-oxavitaminD3(2)(22-oxacalcitr
iol;以下OCT【判決注:マキサカルシトール】と略す。)は,白血病細胞等
の腫瘍細胞に対して強い分化誘導・増殖抑制作用を有する反面,血中カルシウム上
昇作用は弱いと言う特徴を持っており,現在までのところ,1,25(OH)2D
3の作用分離の最も進んだ誘導体の1つとされている。・・・
ところで,製薬会社の合成研究室に身を置く研究者の仕事に関しては,初期の活
性物質の探索研究に注意が向きがちであるが,実は探索研究にとどまらず,大量合
成法確立のための製法検討やアイソトープラベル体,予想代謝物等の関連物質の合
成等々,医薬品を生み出していく過程において“縁の下の力持ち”とも言える種々
の役割に及んでいる。・・・筆者達がOCTの開発研究という創薬の過程で,ここ
数年間にかかわってきた合成上のいくつかの項目に焦点をあてながら,医薬品開発
の中で合成研究者が担当する多彩な役割について触れてみたい。」(139頁左欄
1行~右欄12行)
(イ)「3.大量合成法の検討-従来法の問題点と改良点
さて,候補検体が絞られ開発の方向性が決定される頃になると,大量の検体供給
が必要となる。・・・
当初,OCTの合成を行っていた工程を図5に示した。この方法の欠点はアル
コール(8)のアルキル化の際に副生成物(9)を生成する点にある。9は次のW
acker酸化の際,未反応物として分離されるが,ロスとして痛手であった。こ
の副生成物(9)の生成は8の水酸基の立体障害に起因する反応性の低さから生じ
ている。8のアルキル化反応を数十系統の反応で検討した結果,図6に示すように
Michael付加反応-メチル化反応を経由する改良法が効率的であることが判
明し,現在はこの方法を採用している。しかしこのメチル化反応においても,Ce
Cl3・7H2Oを250℃のオーブンで脱水・無水化して用いており,実験室レ
ベルでは何ら問題はないが大量合成には不利なことからさらに改良が検討されてい
る。」(140頁右欄下から5行~142頁左欄8行)。
(ウ)「4.関連化合物の合成
4.1予想代謝物の合成
代謝物の構造決定に際しては,実際に生体試料中から抽出・単離されたものと化
学合成されたものを直接比較することが近道で重要である。薬物の構造を眺めて代
謝を受けやすい部分を想定し,予想代謝物を合成して提供することが,代謝の実験
を行う研究者には大きな手助けとなる。
1,25(OH)2D3の場合は23,24,および26位が水酸化され,最終
的にcalcitroicacidに代謝されることが良く知られている。そこ
でOCTの場合も図7に示すように24-hydroxylatedOCT(1
0)および(11),26-hydroxylatedOCT(12)および
(13)【判決注:マキサカルシトールの側鎖の26位が水酸化されたもの】さら
に23位が水酸化されて生ずるhemiacetal(14)由来のpentan
orOCR(15)の合成を検討した。」(142頁左欄17行~右欄12行)
【図7】
(エ)「さらに26-hydroxylatedOCT(12)および(13)
は図9に示すようにkeystepにKatsuki-Sharpless反応
を用いてepoxide(18)および(19)を得,それぞれ25位がR配位
(12)およびS配位(13)の26-hydroxylatedOCTに導い
た。・・・(図9)」(142頁右欄行16行~143頁左欄2行)
【図9】
イ甲4発明1及び甲4発明2の内容
上記アの記載によれば,甲第4号証の図9には,審決が認定したとおりの甲4発
明1及び甲4発明2が記載されており,甲4発明1は,20位アルコールのステロ
イド化合物(出発物質)に試薬(4-ブロモ-2-メチル-テトラヒドロピラニル
オキシ-2-ブテン)を反応させて,二重結合を有する側鎖を導入したステロイド
化合物を生成し,これに香月-シャープレス反応(具体的には,化合物をtert
-ブチルハイドロパーオキシドなどと反応させることをいい〔甲21〕,同反応を
用いると,二重結合を含む側鎖が不斉エポキシ化され,立体配置の異なる二種類の
化合物を構成することができる。)を用いるという二段階の反応を行うことにより,
二重結合をエポキシ基に変換した中間体であるエポキシド化合物(18)又は(1
9)を合成するという工程であり,甲4発明2は,同工程に加えて,その後,この
側鎖のエポキシ基を開環(還元処理)することにより,エポキシ基を開環した図9
の右下のステロイド化合物(目的物質)を生成するという一連の工程である。
(2)本件発明1と甲4発明1の相違点の容易想到性について
ア本件発明1と甲4発明1を対比すると,審決が認定したとおり,前記第2の
3(2)アの点で一致し,前記第2の3(2)イの点で相違する。すなわち,本件発明1
と甲4発明1とは,出発物質は一致するが,目的物質(エポキシド化合物)の側鎖
構造(相違点3-i),出発物質に反応させる試薬(相違点3-ii),目的物質で
あるエポキシド化合物を製造する工程(相違点3-iii)において相違する。
原告らは,甲4発明1に甲第1号証記載の発明(本件試薬)を組み合わせること
により,本件発明1に係る構成に容易に想到することができる旨を主張している。
しかし,甲4発明1の試薬は本件発明1の試薬とは異なるから,甲4発明1から
本件発明1に想到するには,本件発明1の試薬を甲4発明1の試薬に代えて使用す
る動機付けが必要となる。この点,本件試薬の構造自体は公知であった(甲1)が,
前記(1)アの記載によれば,そもそも甲第4号証の図9記載の工程は,マキサカル
シトールとは異なり,二種類の立体配置が存在する側鎖末端構造を有するマキサカ
ルシトールの予想代謝物(12),(13)を選択的に合成するための製造方法で
あって,甲4発明1はその一連の工程の一部である。そして,甲4発明1において
は,上記二種類のマキサカルシトールの予想代謝物の合成のため,二種類のエポキ
シド化合物(18)又は(19)(両者は,側鎖末端の立体配置〔R体とS体〕が
異なる異性体である。)を選択的に作り分けることを目的として,香月-シャープ
レス反応を用いており,その香月-シャープレス反応に必要な二重結合を出発物質
の側鎖に導入するための試薬として,二重結合を側鎖に有する特定の試薬(4-ブ
ロモ-2-メチル-テトラヒドロピラニルオキシ-2-ブテン)を選択しているも
のであって,当該試薬に代えて本件試薬を用いることについては,甲第4号証にも,
甲第1号証にも記載されておらず,その示唆もない。
そうすると,当業者において,本件試薬を甲4発明1と組み合わせる動機付けが
あるとはいえないから,相違点3-ii(試薬の相違)に係る本件発明1の構成は,
当業者において容易に想到することができたものとはいえない。
イ以上に対し,原告らは,①甲第4号証記載のマキサカルシトールの効率的な
製造方法を検討する当業者は,甲第4号証の図9に接すれば,同図のマキサカルシ
トールの予想代謝物及びその前駆体となるステロイド化合物の側鎖と,マキサカル
シトールの側鎖の構造が酷似していること,及び同図の側鎖構築法が甲第8号証の
カルシトリオールの側鎖構築法に酷似していることに着目して,マキサカルシトー
ルの合成をするために,エポキシド化合物(18)及び(19)のヒドロキシメチ
ル基をメチル基に置き換えることを着想し,動機付けられる(以下「主張①」とい
う。),②この置き換えたエポキシド化合物に逆合成法及び技術常識を適用すると,
エーテル結合の酸素原子とその右側の炭素原子との間で切断した上,切断によって
得られる本件試薬と甲4発明1の出発物質とを反応させることを想起し,かつ,両
物質の反応は良好に進むと考えるから,相違点3-i,3-ii,3-iiiに係る本件
発明1の構成に想到することはいずれも容易である(以下「主張②」という。)旨
主張する。そこで,以下,原告らの同主張について検討する。
(ア)原告らは,主張①のとおり,マキサカルシトールの効率的な製造方法を検
討する当業者は,甲第4号証の図9から,エポキシド化合物(18)及び(19)
のヒドロキシメチル基をメチル基に置き換えることを着想し,動機付けられると主
張する。
しかし,前記のとおり,甲第4号証の図9記載の工程は,25位の立体配置が異
なる二種類のマキサカルシトールの予想代謝物(12)又は(13)を選択的に合
成するための製造方法であり,まず,出発物質に試薬を適用して二重結合を有する
側鎖を導入し,次いで,これに香月-シャープレス反応を用いるという二段階の反
応を行うことにより,二重結合をエポキシ基に変換した中間体である二種類のエポ
キシド化合物(18)又は(19)を選択的に生成し,さらに,各エポキシド化合
物のエポキシ基を開環することにより図9の右下に図示される2種類のステロイド
化合物を製造し,最後に,各ステロイド化合物を光照射及び熱異性化して,それぞ
れから最終目的物である上記予想代謝物(12)又は(13)を生成するという一
連の工程である。原告らの主張①は,この一連の工程のうち終盤の,中間体(前駆
体)としてエポキシド化合物を経由するという点のみを取り出して,そのエポキシ
ド化合物を得るまでの工程は,甲4発明1とは全く違うものに変更するというもの
であるから,甲4発明1の一連の工程のうち,特にエポキシド化合物を経由すると
いう点に着目するという技術的着想が必要である(仮に,この甲4発明1をマキサ
カルシトールの合成にも応用しようとするのであれば,甲4発明1の試薬を,4-
ブロモ-2-メチル-テトラヒドロピラニルオキシ-2-ブテンに代えて,マキサ
カルシトールの側鎖にとって余分なテトラヒドロピラニルオキシ基〔OTHP基〕
のない下図の4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン(臭化プレニル)を用い,それ
以外は,甲4発明1と同様の一連の側鎖導入工程,エポキシ化工程,エポキシ基の
開環工程を経る製造方法に想到することが自然である。)。
甲第4号証記載の試薬4-ブロモ-2-メチル-2-ブテン
この点,甲第4号証には,図9の一連の工程が,特にエポキシド化合物を経由す
る点に着目したものであることを示唆する記載はなく,むしろエポキシド化合物は,
26位が水酸化された側鎖末端の立体配置構造が異なる2種類のマキサカルシトー
ルの予想代謝物(12)又は(13)を選択的に製造するという目的のために,香
月-シャープレス反応を採用した結果,工程中において生成されることとなったも
のにすぎないものと理解される。また,甲第4号証には,図9の合成方法によって
マキサカルシトールの予想代謝物が高収率で得られたことが記載されているのみで,
問題点の記載もなく,甲4発明1の一連の工程の改良(変更)をする際に,どの点
は変更する必要がなく,どの点を改良すべきかを示唆する記載もない(なお,仮に
改良すべき点として工程数を取り上げたとしても,側鎖導入工程,エポキシ化工程,
エポキシ基の開環工程のいずれを短縮すべきなのかについての示唆もなく,二重結
合からエポキシ化を経由せず直接水酸化するという選択肢なども想定は可能であ
る。)。
そうすると,当業者が,仮に甲第4号証の図9のマキサカルシトールの予想代謝
物(又はその前駆体となるステロイド化合物)とマキサカルシトールの側鎖の類似
性から,甲4発明1をマキサカルシトールの合成に応用することを想到し得たとし
ても,その際に,一連の工程のうち,特にエポキシド化合物を経由するという点に
着目して,最終工程であるエポキシド化合物のエポキシ基を開環する工程の方を変
更せずに,その前段階である側鎖導入工程とエポキシ化工程は変更することを前提
として,マキサカルシトールの前駆体となるエポキシド化合物を製造しようとする
ことを,当業者が容易に着想することができたとは認められない。
(イ)この点,原告らは,主張①の根拠として,甲第8号証(国際公開公報第9
3/21204号)には,カルシトリオールと同じ側鎖を構築する際にエポキシド
化合物を用いることが記載されており,本件発明の発明者自身,カルシトリオール
の側鎖の22位の炭素原子を酸素原子に置換することによりマキサカルシトールに
想到しているのであるから,甲第8号証の技術的知見を有する当業者にとって,甲
4発明1のエポキシド化合物からマキサカルシトール前駆体(エポキシド化合物)
の合成を着想することは何の困難もないとも主張する。
しかし,甲第8号証には,下図のとおり,側鎖の22位が酸素原子ではなく,炭
素原子によって結合している(マキサカルシトールの側鎖のようにはエーテル結合
をしていない。)カルシトリオールの合成方法が記載されているものであり(甲8,
弁論の全趣旨),20位アルコールと反応試薬とのウィリアムソン反応を行うもの
でもないし,目的物質はマキサカルシトールではない。
その上,甲第8号証に記載されている製造方法は,上記のとおり,まず出発物質
の側鎖の二重結合を酸化することにより,側鎖にエポキシ基を導入した上,エポキ
シド化合物のエポキシ基を還元剤で開環して,目的物質の側鎖を生成するという一
連の工程であり,同工程のうち中間体としてエポキシド化合物を経由するという点
のみに着目することを示唆する記載があるとは認められない。
そうすると,甲第8号証のような技術的知見を有する当業者であっても,甲第4
号証の図9の一連の工程から,エポキシド化合物を前駆体とする点のみに着目し,
その前段階である側鎖導入工程とエポキシ化工程は変更することを前提として,マ
キサカルシトールの前駆体となるエポキシド化合物を製造しようとすることを,容
易に着想することができたとはいえない。
なお,原告らは,本件発明の発明者自身が,カルシトリオールから,その22位
の炭素原子を酸素原子に置換した物質の合成を検討し,マキサカルシトールを発明
した旨述べている(甲4)とも指摘するが,発明者らがそのような検討をしたから
といって,カルシトリオールの上記製造方法のうちの最終段階の工程であるエポキ
シド化合物を前駆体とする点のみに着目して,その前段階の工程はまったく異なる
マキサカルシトールの製造方法を想到することが当業者にとって容易であることを
根拠付けるものとはいえない。
(ウ)原告らは,(a)甲第4号証の図9に接した当業者は,香月-シャープレス
反応は二種類の異なる立体配置が存在するために用いられているものであり,マキ
サカルシトールでは立体配置の問題が生じないことを理解するから,図9において
二種類の異性体が存在することは,原告らの主張する着想の容易想到性の妨げにな
らない,(b)工程数の多い迂遠な合成方法を当業者がわざわざ採用するはずがない
から,甲4発明1をマキサカルシトールの合成に応用する際に臭化プレニルに代え
るという方法を採用することはない,とも主張する。
しかし,上記(a)の主張については,そもそも原告らが着想の容易想到性の根拠
として主張する側鎖構造の類似性及び甲第8号証によっては,甲第4号証の図9記
載の一連の工程のうち中間体(前駆体)としてエポキシド化合物を経由するという
点のみを取り出して,そのエポキシド化合物を得るまでの工程は,甲4発明1とは
全く違うものに変更するということを着想させるとは認められないことは前記(ア),
(イ)判示のとおりであり,甲第4号証の図9の工程を見た当業者が,原告らの上記
主張のような理解をするとしても,そのことは,一連の工程のうち中間体としてエ
ポキシド化合物を経由するということに着目させることを示唆するものとはいえず,
同判示内容を左右するものではない。
また,上記(b)の主張についても,前記判示(ア)のとおり,仮に甲4発明1をマキ
サカルシトールの合成に応用しようとすれば,最終目的物質の側鎖構造の違いに伴
い,その限度で試薬の側鎖構造の変更を想到することは自然であるといえても,そ
れ以上に,工程数の改良をしようとして,一連の工程のうちエポキシ基を経由する
部分のみを維持し,その前段階の合成工程をまったく別のものに変更する動機付け
があるとは認められないのであり,原告らの同主張も,同判示内容を左右するもの
ではない。
(エ)以上によれば,原告らの主張は,そもそも主張①が認められないから,そ
の余の主張②について検討するまでもなく,甲4発明1から,相違点3-iiに係る
本件発明1の構成を当業者が容易に想到することができたとは認められない。
ウ原告らの主張する審決の誤りについて
原告らは,審決が,相違点3-ii(試薬の相違)に関し,甲4発明1のヒドロキシ
メチル基を変更する動機付けがあるか,(動機付けがあるとして)甲第1号証に記
載される試薬(本件試薬)を容易に想到し得たか,という二つに分けて判断したこ
とについて,原告らの主張するとおり,ヒドロキシメチル基をメチル基に変更する
ことが容易だからこそ,当業者は甲4発明1からマキサカルシトールを合成するこ
とを着想するのであり,「ヒドロキシメチル基を変更する動機付け」だけを別個に
取り出して議論すること自体が誤りであると主張する。
しかし,原告らの主張を採用することができないことは前記イのとおりであり,
当業者において,甲4発明1において,本件試薬を採用する動機付けがあったとは
認められないから,甲4発明1において,相違点3-iiの「E-B」の「B」を
「3-メチル-4-テトラヒドロピラニルオキシ-2-ブテニル基」から,「2,
3-エポキシ-3-メチル-ブチル基」または「2-脱離基-3-メチル-3-ヒ
ドロキシ-ブチル基」に置換する動機付けがあると認めることはできないとした審
決の判断(前記第2の3(2)ウ)が誤りであるとは認められない。
エ以上によれば,相違点3-iiに係る本件発明1の構成に想到することは容易
ではないとの審決の判断に誤りはない。
(3)本件発明13と甲4発明2の相違点の容易想到性について
本件発明13と甲4発明2を対比すると,審決が認定したとおり,前記第2の3
(3)アの点で一致し,前記第2の3(3)イの点で相違する。すなわち,本件発明13
と甲4発明2とは,その目的物質(ステロイド化合物)及びエポキシド化合物の側
鎖構造(相違点3-i’),出発物質に反応させる試薬(相違点3-ii’),エポ
キシド化合物を製造する工程(相違点3-iii’)において相違する。
原告らは,甲4発明2に甲第1号証記載の発明(本件試薬)を組み合わせること
により,本件発明13に係る構成に容易に想到することができる旨を主張する。
しかし,甲4発明2の試薬は本件発明13の試薬とは異なるから,甲4発明2か
ら本件発明13に想到するには,本件発明13の試薬を甲4発明2の試薬に代えて
使用する動機付けが必要となるところ,そのような動機付けがあるとは認められな
いことは,前記(2)ア,イと同様であるから,相違点3-ii’(試薬の相違)に係
る本件発明13の構成は,当業者において容易に想到することができたものとはい
えない。
したがって,相違点3-ii’に係る本件発明13の構成に想到することは容易
ではないとの審決の判断に誤りはない。
(4)本件発明2,4,6ないし12,14,16,18ないし28について
本件発明2,4,6ないし12は本件発明1の従属項であり,本件発明14,1
6,18ないし28は本件発明13の従属項であるから,それぞれ本件発明1及び
13をその構成に含むものであり,上記(2),(3)で述べたところと同様の理由によ
り,甲第4号証に記載の発明及び甲第1号証並びに周知技術に基づいて当業者にお
いて容易に想到することができたものとはいえず,審決の判断に誤りはない。
(5)以上によれば,原告らの主張する取消事由は理由がない。
第6結論
よって,原告らの本件請求は理由がないから,これを棄却することとして,主文
のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第1部
裁判長裁判官設樂一
裁判官大寄麻代
裁判官岡田慎吾

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