弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

主       文
被告人を懲役4年に処する。
未決勾留日数中300日をその刑に算入する。
理       由
(罪となるべき事実)
 被告人は,「Aタイル工事店」の屋号でタイル工事業を営んでいたものである
が,その業績が悪化し,消費者金融会社からの借入金の返済に窮したことから,将
来を悲観し,農薬等を飲んだ上,自宅に放火して自殺しようと決意し,平成16年
3月29日午後1時25分ころ,妻のA3と居住していた神戸市a区b町cd番地
所在の木造瓦葺真壁造2階建家屋(床面積合計184平方メートル)1階居間にお
いて,同所にあった点火中の石油ストーブの天板にジャンパー及びズボンを載せて
着火し,これを同家屋1階納戸の床上に置かれていた衣類の上に放り投げて放火
し,その火を同衣類を介して同納戸の畳及び柱等に燃え移らせ,よって,現にA3
らが住居に使用する同家屋の2階部分全部及び1階部分の一部(焼損面積合計約1
44平方メートル)を焼損したものである。
(証拠の標目)
 省 略
(争点に対する判断)
第1 弁護人は,判示の放火行為(以下「本件犯行」という。)を認める旨の被告
人の捜査段階における警察官調書(乙5ないし7)及び検察官調書(乙8ないし
10)(以下,これらを併せて「自白調書」という。)が存在するものの,被告人の
自白には任意性及び信用性がなく,それら以外の証拠からは,被告人が放火の実行
行為を行ったことや被告人に放火の故意があったことが証明されていないから,被
告人は無罪である,判示家屋(以下「本件建物」という。)の焼損(以下「本件火
災」という。)が被告人の行為に起因する失火であるとしても,出火当時,被告人
には,アルコール,睡眠導入剤及び農薬を併せて摂取した影響により,意識障害等
が生じていた疑いがあるから,被告人は心神喪失ないし心神耗弱の状態にあった蓋
然性が否定できない旨主張している。
   本件においては,被告人が本件犯行を行ったこと及び被告人に放火の故意が
あったことが証拠により認定できるか否かという点が最大の争点となるところ,弁
護人も指摘するように,被告人の自白調書以外に被告人が本件犯行を行ったことを
示す直接証拠が存在しない上,被告人の自白については,信用性に争いがあるにと
どまらず,任意性の有無も争点となっている。
   そこで,以下では,まず,被告人の自白調書を除外した証拠によって認定す
ることのできる情況事実を精査し,その後に,被告人の自白について,その任意性
の有無を検討した上で,前記の情況事実等も踏まえてその信用性を判断し,さら
に,被告人の公判での弁解の真偽に検討を加えて,被告人が故意に,本件犯行を行
ったと認められるか否かについての結論を示し,最後に,被告人の責任能力の有無
及び程度について検討することとする。
第2被告人の自白を除いて認定できる事実
被告人の自白調書を除いた関係証拠によれば,以下の各事実を認定すること
ができる。
 1本件火災の出火状況等
   本件建物は,昭和21年ころに建てられた木造瓦葺真壁造2階建家屋(床面
積合計184平方メートル)であり,平成16年3月29日午後1時25分ころに
出火した火災により,2階部分の全部及び1階部分の一部(焼損面積合計約144
平方メートル)が焼損したものであるが,翌日に神戸市a消防署が実施した火災調
査によれば,本件建物や物品の焼損状況等から,本件火災の出火部位は本件建物の
1階納戸東側付近であり,同所付近の床上には出火前から衣類があったことが認め
られる。
 2 本件火災に至るまでの被告人の生活状況等
(1)  被告人の経歴及びA3らとの関係等
被告人は,神戸市内において,父C,母Dの第四子(三男)として出生
し,同市内の中学校を卒業した後,同市内のタイル職人のもとで見習いとして稼働
し,その後,兵庫県明石市でタイル職人として稼働していたが,昭和45年2月,
A1,A2夫婦と養子縁組するとともに,その長女であるA3と婚姻して入籍し,
以後,A姓を名乗り,本件建物においてA3らと同居するようになり,A3との間
に4人の男子をもうけた(なお,次男は幼少時に死亡した。)。
被告人は,A3との婚姻後,本件建物が所在する神戸市a区b町cd番地
において,Aタイル工事店の屋号でタイル工事業を営んでいたところ,平成7年1
2月にA1が,平成12年2月にA2がそれぞれ亡くなり,また,長男と三男(A
4)がそれぞれ婚姻して本件建物を出たため,本件火災当時,本件建物には被告
人,A3及び四男が居住していたが,四男は,食事や入浴等の際に本件建物に来る
だけで,それ以外の時は,本件建物の敷地内にある別の建物(以下「離れ」とい
う。)の1階で生活していた。
被告人とA3は,平成14年ころから,夫婦生活がほとんどなくなり,そ
れまでは2人で本件建物の2階10畳間で寝ていたが,そのころから,A3は1階
応接間で1人で寝るようになり,本件火災に至るまでそのような状態が続いてお
り,2人の仲はそれほど良好ではなかった。
A3は,平成16年6月2日になって,被告人が放火の犯人であるとする
内容の被害届を兵庫県神戸a警察署に提出した。
(2)被告人の資産及び負債等
  被告人は,相続により,A1が所有していたアパート1棟(以下「ハイ
ツ」という。)を取得し,田畑についてもA3と共有するようになったものの,本
件建物については,A3が相続して所有していた。
  一方,被告人は,Aタイル工事店の運転資金を工面するため,平成12年
ころから,消費者金融会社から借金を繰り返すようになり,本件火災当時の借入額
は4社合計で278万円余りにのぼり,平成16年3月末から同年4月初めにかけ
ての請求額は4社合計で12万円余りであった。
(3)火災保険契約の締結状況等
  本件建物についての火災保険契約としては,昭和57年7月20日,被告
人名義で,家屋補償額1000万円,動産補償額250万円のものが,A2を受取
人として締結されていた(A2の死亡に伴い,A3が保険金の受取人となってい
る。)ところ,さらに,平成8年8月26日,A3名義で,家屋補償額2000万
円のものが,A3を受取人として締結されたが,被告人は,本件火災当時,後者の
火災保険契約の存在については認識していなかった。
なお,前記各火災保険契約においては,事故や失火については,保険金が
支払われるが,故意による放火については,保険金が一切支払われないとする旨の
約款が付されている。
 3本件火災前後の被告人の言動等
(1)まず,捜査復命書3通(甲11,22,30),A4の警察官調書抄本(甲23)
及び被告人の警察官調書(乙4)によれば,被告人は,本件火災当日の朝,長男と
三男に電話をかけて,話をしていること,神戸市a区内の喫茶店で,仕事を紹介し
てくれた知人と会って,工事代金の集金に関する話をしたこと,以前から通院して
いた病院に行き,医師に不眠を訴えて(なお,これは虚偽の訴えである。),睡眠
導入剤マイスリー7錠と精神安定剤コンスタン7錠の処方を受けたこと,被告人
は,本件火災の直前に,日本酒ワンカップを4本程度飲んだ上,睡眠導入剤マイス
リー7錠と農薬スミチオンを摂取して,自殺を図ったことが認められる。
(2)  また,本件火災前後の被告人の言動等について,A3は,捜査段階及び
公判において,概ね以下のとおり供述している(以下「A3供述」という。)。
 ア被告人は,本件火災の1週間ほど前から,1人で夕食を済ませて2階の
自室にこもってしまうようになったところ,本件火災の2,3日前に,被告人が,
何度か「火災保険は入っているんやろうな。」などと尋ねてきたので,おかしいと
思い,なぜそのような話をするのか聞いてみたものの,被告人は何も答えなかっ
た。
   また,本件火災の前に,被告人が「ハイツのスペアキーはわしが持って
るから。」などと言ってきたこともあった。
イ 本件火災当日の午後1時23分ころ,昼食をとるため,パート先から自
宅に戻ったところ,被告人が帰宅しており,玄関から中に入ると,「おまえ,今日
は早かったんやな。」と声をかけられたので,「うん。」と返事をするとともに,
「お父さん,もう御飯食べた。」と尋ねると,被告人から,「うん。食べた。」と
返事があった。
   そのまま1階台所に向かったところ,鼻に刺すようなナイロン系のにお
いがしたので,1階居間に行くと,石油ストーブが納戸の入口のふすまの近くにあ
り,被告人がストーブに向かってあぐらをかいて座っていた。
   わずかに開いていた納戸の入口のふすまの間から,火が見えたので,ふ
すまを開けたところ,南側にあるブレザータンスの扉が全開になっており,普段そ
の中にしまっていた自分の服が外に出ていた上,これに火がついており,15から
20センチメートルぐらいの高さまで火が上がっていた。
ウ 火を見て驚いたものの,本件火災の2,3日前に,被告人が何度か火災
保険に入っているかどうかを聞いてきたことなどから,被告人が火をつけたのだと
思い,被告人に対し,「なんでこういうことしたの。」と問い質すと,被告人は,
「してもた。」と答えた。
被告人がその場に座ったまま動こうとしなかったので,「お父さん,何
しとん,早く出な。」と言うとともに,被告人の腕を引っ張って連れ出そうとした
ところ,被告人は,「わしゃあもうええ。おまえだけ1人,早よ逃げ。」と言っ
て,その場を動こうとしなかったものの,その時は普通に会話ができる状態であっ
た。
  火の大きさから,まだ自分で消せると思ったので,台所に行き,バスタ
オル2枚を水で濡らして,これを持って納戸に戻ったところ,火が大分回ってお
り,消火しようとして,その火の上に濡れたバスタオル2枚を放り投げたものの,
かえって火の勢いが強まってしまったため,電話の子機を持って玄関の外に出て,
自ら119番通報し,その際,「お父さんが火をつけた。」などと申告した。
エその後,病院に入院した被告人から,小切手帳,実印,財布等が離れの
建物に置いてあるから持っておいてほしいと言われ,三男が確認したところ,これ
らの物が離れの部屋にあるタンスの中にあったほか,自動車の鍵やハイツのスペア
キーもそこに置いてあったが,小切手帳と実印は普段は自宅に置いていたものであ
り,また,自動車の鍵と財布は被告人のものであり,普段は被告人が身に着けてい
た。
オ 今度の件は家庭内の出来事なので,被告人が真実を話してくれるのであ
れば,あえて処罰などしてほしくないと思い,警察にその旨を説明して被害届を出
さないでいたものの,その後も,被告人は,火事のことについて,「覚えていな
い。」と開き直るばかりで,詫びの一言もなかったので,次第に被告人に対する不
信感が高まっていき,平成16年6月2日,警察に被害届を提出した。
(3)  A3供述の信用性について
  A3供述は,本件火災前後の被告人の言動等について,具体的に述べてお
り,特に,出火当時の被告人や自己の言動等に関する部分は真に迫るものがあっ
て,格別不自然,不合理な点はみられない。前記のとおり,A3と被告人の仲がさ
ほど良好でなかったのは確かであるが,A3が警察に被害を申告するに至った経過
について述べるところはごく自然なものである上,A3は,公判においても,被告
人の処罰については裁判所の判断に任せる旨述べており,被告人を陥れるため,あ
えて虚偽の事実を述べている様子はうかがわれない。
弁護人は,A3供述について,出火当時の被告人の言動に関する部分は,
言葉の内容のみが明確で,ニュアンス等は全く不明であるとか,自己の行動に関す
る部分も極めて曖昧であるなどとして,その信用性に疑問を呈しているが,A3
は,不意に自宅内からの出火という異常な事態に直面し,動揺していたことは想像
に難くなく,その時の出来事全てを詳細に知覚し,明瞭に記憶していなかったとし
ても不自然でないから,弁護人が指摘する点は,A3供述の信用性を揺るがすもの
ではない。
むしろ,A3が,公判において,明確な記憶がない部分等については,そ
の旨をはっきりと述べていることは,A3の供述態度が真摯なものであることを示
しているといえる。
 以上によれば,A3供述は信用することができ,本件火災前後の被告人の
言動等については,A3供述のとおりに認定するのが相当である。
4 情況事実の検討
(1)火災保険の加入状況の確認について
A3供述によれば,被告人は,本件火災の2,3日前に,A3に対し,火
災保険に加入しているかどうかを何度か尋ねており,火災保険の加入状況に強い関
心を寄せていたことが認められる。
その理由について,被告人は,第7回公判期日において,火災保険を解約
して,その返戻金を借金の返済にあてようと考え,火災保険が解約されていないか
どうかを確認しようとしたからであるなどと供述している。
しかし,被告人が実際に火災保険の解約手続をとろうとした事実はないこ
と,捜査段階においては,そのようなことは述べていなかったこと,本件火災当日
の朝,知人と会って工事代金を直接集金できないことが分かり,そのショックで火
災保険のことは頭の中からなくなってしまったという説明には不自然な感があるこ
とからすると,被告人の前記供述を信用することはできない。
そうすると,被告人が火災保険の加入状況に強い関心を寄せていたことに
ついては,本件火災の発生と時期が近接していることを考慮すれば,被告人が本件
建物への放火を考えていたことを推認させる事実として理解することができる。
(2)貴重品の移動について
A3供述によれば,被告人は,本件火災の前に,小切手帳,実印,財布等
を離れの部屋にあるタンスに移動させていたことが認められるが,一方で,A3
は,公判において,ハイツの権利証等を入れていた耐火金庫は1階応接間に置かれ
たままであったなどとも供述している。
この点,被告人は,小切手帳等を移動させた理由について,公判において
は,自宅2階の寝室を使っていると,A3と顔を合わせて気まずい思いをするの
で,それを避けるため,離れの2階に寝室を移そうと考えていたなどと供述してい
る。
前記のとおり,被告人とA3の仲はそれほど良好ではなかったことを考慮
すると,前記のような被告人の説明が直ちに不合理であるとはいえないものの,小
切手帳について,「何か分からん間に持っていっとった。」と供述するなど,被告
人の説明には具体性に欠けるところもみられることからすれば,被告人の前記供述
をそのままに信用することはできない。
少なくとも,被告人が本件火災の前に一部の貴重品を本件建物から離れに
移動させていたことは,被告人が放火した事実と矛盾する行動ではなく,被告人が
本件建物への放火を考えていたものとすれば,その行動を合理的に説明しうるとい
う限度においては,意味を有するものというべきである。
(3)出火直後の被告人の言動等について
  前記1ないし3で認定した各事実の中でも,出火直後に,A3が,「なん
でこういうことしたの。」と問い質したのに対し,被告人が,「してもた。」と返
事をしたという事実は,被告人が放火したことを強く推認させるものである。
この点,弁護人は,①A3が「火事」とか「火」などの言葉を使っていな
いことから,被告人が火事を意識していなかった場合,自殺を図ったことを肯定す
る意味合いでそのように答えた可能性がある,②被告人が,火災保険金目当てに放
火し,A3に対し火をつけた旨認めていたのであれば,A3に消火するなと指示す
るのが自然だが,A3は,被告人から消火しようとするA3を止めるような言動は
なかった旨証言している,③被告人が,故意に放火し,自殺するつもりであれば,
A3に邪魔されないよう,A3が帰宅する昼休みの時間前に実行するはずである
が,出火したのは,いつもより遅れてA3が帰宅した後である旨主張する。
しかし,①の点については,被告人が前記発言の際に火が上がっている事
実を十分に認識していたことは,その直後に,「わしゃあもうええ。おまえだけ1
人,早よ逃げ。」と発言していることからも明らかであり,被告人の前記発言を,
弁護人が主張するような意味に理解することはできない。②の点については,その
ような指示をすれば,被告人が放火したことが明白になるから,そのような指示を
しなかったからといって,必ずしも不自然ではない。③の点については,決行する
のを逡巡しているうちにそのような時間帯になってしまったものとみて不合理では
ない。
(4)以上のとおり,前記(1)ないし(3)の各事実は,いずれも,本件火災が被告
人による放火であることをうかがわせるものとみることができ,これらを総合すれ
ば,自白調書を除いた関係証拠から認定できる事実の中にも,被告人が故意に放火
したことを疑わせる情況事実が存するということができる。
第3 自白の任意性及び信用性等
 1 弁護人の主張の要旨
   被告人の自白調書について,弁護人は,警察官に対する自白は,被告人に暴
言を浴びせるような厳しい取調べが連日にわたって長時間行われ,強い精神的圧迫
を受けた結果,被告人は心身ともに疲労困憊し,警察官が勝手に作った本件犯行を
認める内容の調書に署名,指印してしまったものであるとか,検察官に対する自白
も,このような警察官の不当な取調べの影響下においてなされたものであるなどと
して,このような経過で作成された被告人の自白調書には任意性がなく,信用性に
ついても認められない旨主張する。
そこで,以下,自白の任意性及び信用性について検討する。
2 自白の任意性について
まず,被告人の供述経過や取調べ状況等をみると,被告人は,捜査段階にお
いて,任意の取調べを受けた平成16年4月29日(以下,いずれも平成16年で
あるので月日のみで記載する。)や,本件により逮捕された6月29日から勾留期
間の途中である7月8日までは,警察官及び検察官に対し,本件火災当日,借金返
済の最後の望みを託していた工事代金の集金ができないことが分かり,もうだめだ
と思い,自殺しようと決意し,前から考えていたとおり,まず酒を飲んでから,睡
眠薬を飲み,最後に農薬を飲んだところ,妻が自宅に帰ってきたので,少し話をし
たが,その後のことは記憶がなく,自宅に火をつけた覚えもないなどと供述して,
本件犯行を否認していた(乙2ないし4,13,14)。
しかし,7月9日,警察官に対し,自宅に火をつけたことを認める供述をす
るに至り(乙5),さらに,同月12日及び同月14日,警察官に対し,判示の事
実に沿う詳細な自白をし(乙6,7),同月15日及び同月16日には,検察官に
対しても,警察官にしたのとほぼ同内容の詳細な自白をしている(乙8,10)。
被告人は,第3回公判において,勾留質問(7月1日)から5日ほどして検
察庁に行き,そこで検察官の取調べを受けた後から,警察の取調べが厳しくなり,
朝9時半か10時ころからお昼まで,昼1時か2時ころから5時か6時ころまで,
7時ころから9時半か10時ころまで,という具合に,長時間の取調べが4日ほど
続き,しんどくなって自白してしまった,警察官に対して自白した翌日に,検察庁
に行って検察官の取調べを受けたなどと供述するところ,被告人に多少の記憶違い
があることを考慮したとしても,被留置者出入簿等(甲44,45)によれば,7月8
日は午後10時10分に留置場に戻っているが,同月6日は午後5時46分に,同
月7日は午後5時53分に,同月9日は午後6時35分にそれぞれ留置場に戻って
いることが認められるのであり,同月8日は遅くまで取調べがあったといえるが,
被告人がいうような長時間の取調べが4日ほど続いたものとは認められない。
また,被告人は,第3回公判において,取調べ担当の警察官から暴言を浴び
せられたとか,厳しい取調べの末に,「もう好きなように書いて,わし,サインす
るから。」などと言ったら,警察官が勝手に調書を作ったので,違うと思ったけ
ど,もうええわと思ってサインしたなどとも供述するが,被告人の公判での供述は
全般的に信用性が乏しいことを考慮すると,裏付けもないこのような供述をそのま
ま信用することはできない。
そして,自白調書中で述べられている放火の手段は,判示のように,着火に
ストーブと衣類を用いるなどという特殊なものであって,体験したものでなければ
容易には供述し難いことからすれば,被告人が実際に体験した事実を自ら述べたも
のとみるのが自然であって,警察官がことさらにこのような特殊な放火手段を内容
とする自白調書を作り上げて,被告人に押しつけたとは考え難い。
さらに,被告人の自白調書とA3供述を対比すると,前記のとおり,被告人
が放火した事実を強く推認させる「してもた。」という言葉については,いずれの
自白調書にも記載されていないこと,被告人の自白調書のうち,警察官調書と検察
官調書を対比しても,犯行状況等について,多少の相違がみられることからすれ
ば,被告人の自白調書は,いずれも,警察官や検察官において,被告人が供述する
内容をそのまま録取したものとみるのが相当である。
以上を総合すれば,被告人の警察官に対する自白調書の任意性には疑いがな
く,その後に作成された検察官に対する自白調書についても,任意性が優に認めら
れるというべきである。
 3 自白の信用性について
被告人の自白のうち,まず,犯行に至る経緯や動機の部分をみると,犯行に
至る経緯については,第2で認定した各事実とよく符合している上,被告人の自白
調書中で述べられている放火の動機は,要約すると,消費者金融会社から借りた多
額の借金の返済に窮した結果,生きる望みを失い,農薬を飲んで自殺しようと考え
たが,服毒自殺したことが身内の者や近所の人達に知られてしまうと,恥ずかしい
し,みっともないので,火災に遭って死亡したようにみせることで,服毒自殺した
ことが誰にも知られないようにしたかったというものであって,このような動機に
格別不自然なところはない。
なお,被告人の自白調書中には,家が燃えれば,火災保険金をA3らに残せ
るので,そのお金で借金を返済してもらうことができるだろうと考えたなどという
部分もみられ,検察官はこの点も犯行動機であるとみているようであるが,被告人
の供述全体を子細にみれば,前記の部分は結果としてそうなればよいとの被告人の
期待を述べたにすぎないものとみるべきであって,これを犯行動機とまで解するの
は相当でないと思われる。
そして,犯行状況に関する部分をみても,1階居間にあった点火中の石油ス
トーブの天板にジャンパーとズボンを載せて着火し,これを衣類が置かれていた納
戸の方に向かって放り投げたというものであって,前記のとおり,これが捜査官に
よる想像の産物であるとは考え難い上,第2で認定した各事実と矛盾するところも
なく,ジャンパーとズボンに火がついた際の様子を述べる部分等は,具体的で臨場
感にあふれているといえる。警察官に対する自白調書中には,ズボンにも着火した
との記載は見当たらないものの,ジャンパーに着火したという部分は一貫していて
動揺がみられず,放火の手段そのものが変遷したというわけでもないから,この点
が自白の信用性を減殺させる事情になるとはいえない。
また,被告人が否認から自白に転じた理由は,服毒自殺を図った上,自宅に
放火したなどということを周囲の人に知られるのが恥ずかしく,できることなら隠
し通したいと思っていたが,いつまでも嘘をつき続けるのは無理だと思い,真実を
話すことにしたというものであって(乙9),自然で合理的である上,前記のとお
り,被告人は,自白に転じた後,ほぼ同内容の供述を維持しているのである。
以上を総合すれば,被告人の自白調書には,信用性が認められるというべき
である。
 4 公判での弁解について
これに対し,被告人は,出火当時の状況について,第3回公判では,暑くな
ってジャンパーを後ろに放ったところ,においがしてきたので,後ろを見ると,石
油ストーブの上でズボンとジャンパーが燃えていたため,消そうと思い,ストーブ
の上から払いのけた,すると,火がついたままのズボンとジャンパーが1階納戸東
側付近に落ちたので,座布団でたたいて火を消そうとしたものの,体が動かなくな
ってしまった,そのときは火は消えたと思っていたなどと供述している。
しかし,被告人は,第1回公判における罪状認否の際には,ジャンパーを後
ろに放り投げたことはあったが,火がついていたかどうかは分からないと陳述して
いたのに,公判の途中になって,前記のように供述し,その後,衣類が燃えていた
ので払いのけたと認否を変更している(第7回公判)のであって,被告人の公判で
の供述内容はその核心部分が大きく変遷していること,火事に関する具体的な記憶
があったのであれば,当初からその旨供述すればよいのに,前記のとおり,被告人
は,任意の取調べを受けた時から勾留期間の途中に至るまで,火事に関する記憶が
ない旨の供述を繰り返していたのであって,この点につき,被告人から納得しうる
説明がされていないことからすると,被告人の前記供述は到底信用することができ
ない。
第4 結論
以上検討してきたところからすると,被告人が本件犯行を行ったこと,被告
人に放火の故意があったことは,これを認める被告人の自白と第2で認定した各事
実を総合すれば,優に認定することができ,これに合理的な疑いを容れる余地はな
いというべきである。
第5 被告人の責任能力
被告人の自白を含めた関係各証拠によれば,被告人は,本件犯行の直前に,
日本酒ワンカップを4本程度飲んだほか,睡眠導入剤マイスリー7錠と農薬スミチ
オンを摂取していたこと,出火後,本件建物の玄関上がり框の廊下付近で,意識を
失って倒れていたこと,睡眠導入剤マイスリーには,相互作用として,アルコール
と併用した場合,精神機能・知覚・運動機能等の低下が増強することがあるほか,
重大な副作用として,精神症状,意識障害,一過性前向性健忘があること,農薬ス
ミチオンには,中毒症状として,重症の場合,意識混濁があることが認められる。
しかし,A3供述のうち,出火直後の被告人とA3の会話内容からすると,
被告人に意識障害等が生じていた様子はうかがわれないこと,被告人の自白調書に
よれば,被告人は,自宅に火をつけるため,点火中の石油ストーブの天板にジャン
パーとズボンを載せて着火し,これを衣類が置かれていた納戸の方に向かって放り
投げているのであって,その一連の行動は合目的的であるといえること,被告人
は,少なくとも,本件犯行に及んだ後,A3と会話した辺りまでは,時系列に従っ
た記憶を保持しており,意識も清明であったこと,被告人は,火勢が強くなった
後,自力で玄関先まで退避していることからすれば,本件犯行当時,その直前に摂
取した睡眠導入剤等の影響によって,仮に,被告人に意識障害等が生じつつあった
としても,少なくとも,本件犯行に及んだ時点では,その影響はさほど強いもので
はなかったと認めるのが相当である。
  この点,弁護人は,被告人の弁解内容が捜査段階から公判段階にかけて変遷
しているのは,アルコール,睡眠導入剤及び農薬を併せて摂取した影響により,本
件火災の当時,被告人に記憶障害等が生じていたためである旨主張する。
   しかし,前記のように,被告人の供述は,A3に火災保険の加入状況を尋ね
た理由の点をはじめ,睡眠導入剤等の摂取による影響とは何ら関係のないそれ以前
の経緯に関する部分についても,一貫していないことからすれば,被告人の弁解内
容が変遷している理由は,記憶障害等に起因するものではないとみるのが相当であ
る。
   以上によれば,被告人は,本件犯行当時,行為の是非善悪を弁別しこれに従
って行動する能力が著しく減退した状態にまでは陥っていなかったものと認められ
るから,心神喪失にも心神耗弱にも該当しない。
(法令の適用)
 省 略
(量刑の理由)
 被告人が本件犯行に及んだ動機は前記のとおりであるが,短絡的で自己中心的な
動機に酌量の余地は乏しい。被告人は,あらかじめ貴重品を移動させるなどした上
で,妻らと同居する本件建物に放火しており,犯行態様は計画的で悪質である。本
件建物は住宅密集地域に所在しており,隣接する建物の外壁の一部が焼損するな
ど,消火が遅れていれば,周辺建物にまで延焼するおそれが高かったといえるし,
また,一歩間違えれば,帰宅した妻を巻き添えにするおそれもあったものであり,
危険性も高い。本件建物は被告人の自宅であるとはいえ,所有者は妻であり,本件
犯行によって,その大部分が焼損した結果,解体せざるを得なくなった上に,その
解体費用として200万円の出費を余儀なくされるなど,妻が被った財産的損害は
大きい。にもかかわらず,被告人は,妻に対し,これまでに十分な被害回復の措置
を講じているとはいえない。また,被告人は,捜査段階の途中から事実を認めてい
たものの,公判では,供述を変遷させながら,不合理な弁解に終始しており,その
供述態度からは,自己の刑事責任を免れ又は軽減させようとする意図もうかがわれ
るのであって,反省の情は乏しいといわざるを得ない。
 以上の諸点に照らすと,被告人の刑事責任は重い。
 他方,本件は,被告人が妻に隠れてしていた借金の返済に窮して自殺を図るな
ど,精神的に追い詰められた末の犯行であって,家庭内での立場などその背景には
同情すべき点もあること,本件では幸いにして,人的被害は生じていないこと,本
件建物は妻の所有物であって,第三者の建物に放火したわけではないこと,そし
て,被告人は,養父母から相続した財産をすべて妻に譲渡する意向を示しており,
これによって,妻の被った財産的損害が一定程度填補されるものといえること,妻
や子供達に悲しい思いをさせた旨を述べていること,業務上過失傷害罪による罰金
刑のほかには前科がないこと,これまで社会人としてそれなりに真面目に生活して
きたこと,妻の処罰感情がさほど厳しくないことなど酌むべき事情も認められる。
以上の諸事情を総合考慮し,酌量減軽をした上,主文の刑に処することとする。
(求刑 懲役5年)
(国選弁護人 F)
  平成17年6月13日
神戸地方裁判所第2刑事部
裁判長裁判官  佐の哲生
裁判官  川上 宏
裁判官  酒井孝之

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛