事案の概要
幼少時に交通事故にあい,長期間経過した後に症状が固定した女性について,後遺症逸
失利益を算定するにあたり,症状固定時の現価ではなく事故時の現価が算定された事例。
平成18年3月24日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成17年(ワ)第270号 交通事故による損害賠償請求事件
(口頭弁論の終結の日 平成18年2月1日)
判 決
主 文
1 被告は原告に対し2410万円とこれに対する平成2年8月28日から支払
いずみまで年5%の割合による金員を支払え。
2 原告のそのほかの請求を棄却する。
3 訴訟費用は40%を原告の60%を被告の負担とする。
4 この判決は第1項にかぎり仮執行をすることができる。
事実および理由
第1 請求
被告は原告に対し3799万5118円とこれに対する平成2年8月28日から支払い
ずみまで年5%の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 基本的事実関係(当事者間に争いがないか【】内の証拠により認める)
(1) 交通事故の発生
原告(昭和58年9月生まれの女性)は下記の交通事故にあい負傷した。
日 時 平成2年8月28日午後2時20分頃
場 所 甲府市○○先路上
事故概略 道路脇に停止した自動車から原告(当時6歳)が降り,道路を横断しよ
うとしたところ,反対車線を直進してきた被告運転自動車が原告に衝突した。
(2) 被告の責任
被告は前方不注視の過失により本件事故を起こしたので,不法行為に基づき原告に生じ
た損害を賠償する義務を負う。
(3) 入通院治療【甲5】
原告は傷害の治療のため下記のとおり入通院治療を受けた。
ア 治療期間 4901日(平成2年8月28日~平成16年1月27日)
イ 入院日数 271日
ウ 通院日数 84日
(4) 後遺障害【甲4の1・2,乙2】
原告は本件事故により後遺障害を負い,その症状は平成16年1月27日固定した。損
害保険料率算出機構は,同年8月11日,この後遺障害につき自賠等級併合第7級と判断
した。その理由は以下のとおりである。
ア 右足関節骨端線損傷による右足関節の可動域制限については,画像上で骨折
治癒後の右足関節面に明らかな不正像が認められ,関節面の変形が認められる。その程度
は,右足関節の運動可能領域が自動値・他動値ともに完全強直と認められるので,「右足
関節の用を廃したもの」第8級第7号該当と判断する。
イ 右下腿部から右足背部にかけての挫滅創による右下肢の瘢痕については,「
手のひらの大きさ」の3倍程度以上の瘢痕を残しているものと認められることから,自賠
法施行令別表備考6を適用し第12級相当とする。なお,左下肢の採皮痕については,そ
の大きさが「手のひら大」にいたらないものであり,自賠責保険の後遺障害には該当しな
いと判断する。
ウ 右下肢の短縮との訴えについては,現時点では両下肢に左右差がなく,短縮
障害として認められないものであり,自賠責保険の後遺障害には該当しないと判断する。
エ 上記ア,イの障害を併合して,併合第7級とする。
2 争点
(1) 事故態様(過失相殺)
【被告の主張】
原告は,片側1車線道路に停止した祖父の運転する車両から下車し,右側後方から来た
2台の車両が通過するのを確認した後,左側からは車両が来ないだろうと思いこみ,道路
の反対側にある商店に行こうとして,被告車両の至近距離で,祖父の車両後方のかげから
反対車線に飛び出した。幼児もしくは児童の加害者至近距離での急な飛出しとして最低で
も50%の過失相殺をすべきである。
【原告の主張】
祖父の運転する車両の助手席に乗っていた原告は,停車後,道路の反対側にあった自動
販売機に向かおうとして車両から降りた。祖父も運転席から降りようとしたが,対向車線
から被告運転車両が直進してきたのでドアを開けなかった。このとき,祖父運転車両の後
方に後続車が2台停止しており,被告運転車両が通過するのを待っていた。原告は,祖父
運転車両と後続車両の間から道路を横断しようとしたが,そのまま直進してきた被告運転
車両にひかれた。被告が前方の確認を怠って漫然と走行したことに事故の致命的原因があ
るのは明らかであるから,原告の過失はせいぜい15%である。
(2) 労働能力喪失率
【原告の主張】
原告の後遺障害の自賠等級は第7級であり,労働能力喪失率は56%である。
原告は高校卒業後英語の専門学校に2年通ったが現在にいたるまで定職につくことがで
きずにいる。専門学校卒業後CDショップでアルバイトをしたこともあったが,後遺障害
により約2か月しか続けることができなかった。
原告は,左足に負担をかけた結果背骨が湾曲してしまい,長時間立ち続けるのも不可能
である。補装具がなければ歩くこともできない。さらに,右足の醜状障害によりスカート
や水着を着ることができず,補装具のため女性らしい靴をはくこともできない。
【被告の主張】
原告の後遺障害のうち,労働能力の喪失に関係するのは右足関節の機能障害のみであり
,醜状痕は関係しない。原告の労働能力喪失率は,右足関節の機能障害に対応する自賠等
級第8級の45%を原則とすべきである。さらに,原告は実際にはアルバイトをするなど
して就業しているので,これも考慮すべきである。
(3) 損害額
【原告の主張】
本件事故により原告が被った損害は下記のとおりであり,損害残額は3799万511
8円である。よって原告は被告に対しこの金額とこれに対する不法行為の日(事故日)で
ある平成2年8月28日から支払いずみまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の
支払いを求める。
ア 治療費 347万0642円
イ 付添看護費 61万6500円
ウ 通院費 25万5130円
エ 入院雑費 32万5200円
オ 文書料 800円
カ 交通費 210万1610円
キ 装具代 121万7247円
ク 傷害慰謝料 263万円
ケ 後遺障害逸失利益 2853万4552円
コ 後遺障害慰謝料 1000万円
サ 過失相殺後の損害額 4177万8929円(ア~コの合計額の85%)
シ 損害の填補 ▲723万7912円
ス 弁護士費用 345万4101円
セ 損害残額 3799万5118円
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(事故態様)について
(1) 認定事実
証拠(甲6,9,10,乙1,3の1~8,証人A,原告,被告)と弁論の全趣旨によ
り以下の事実を認める。
ア 事故現場は,車両の通行量も歩行者の通行量も多くない,片側1車線(両側2車線
)の東西方向にのびる直線道路である。東方からも西方からも前方の見通しはいい。
イ 事故の前,原告は祖父の運転する普通乗用自動車の助手席に乗っており,この車両
は上記道路を東方から西方に向けて走行していた。原告が道路北側にある自動販売機でア
イスクリームか何かを買いたいというので,祖父はこの自動販売機を通過してすぐのとこ
ろで停車した。原告はただちに助手席から降り,祖父の車両の後方にまわった。そのとき
,この車両のうしろから2台の車両がついてきており,この2台の車両は,祖父の車両を
よけて反対車線に出て,そのまま西方に進行していった。原告は,この2台の車両が通過
した後,左方を確認しないで,道路の反対側の自動販売機に向かって道路を横断していっ
た。
ウ 被告は,事故の前,普通乗用自動車を運転して上記道路を西方から東方に向けて走
行していた。前方に原告祖父の車両が停止していること,そのうしろから車両が走行して
くることに気がつき,スピードをゆるめて進んでいった。原告祖父の車両をよけて被告進
行車線に入ってきた2台の車両が対向車線に戻ったので,被告はスピードをあげて原告祖
父の車両の横を通りすぎようとした。その直後,道路を横断中の原告に衝突した。
(2) 事実認定の説明
上記認定事実のうち,原告祖父の車両のうしろからついてきた2台の車両の動きについ
ては,被告の供述と原告の祖父(証人A)の証言が対立している(なお原告は記憶がない
と述べている)。当裁判所は被告の供述を採用してこれにそった認定をした。その理由は
次のとおりである。
原告の祖父は,自分の運転する車両のうしろからついてきた2台の車両は,追い越して
いったのではなくうしろで止まったままであったと証言する。しかし,この証言は,被告
の供述とくいちがうばかりでなく,本件訴訟における原告の当初の主張とも異なる。原告
は,訴状において「原告・・・が,2台の後続車を見送って道路を横断したため,折から
反対車線を直進してきた被告加害車両と衝突した」と主張していたし,平成17年11月
10日付けの準備書面・においても「本件事故は,被告が反対車線に停車中の車両を対向
車が2台通過したのを見て,安易にもう安全であると誤信して,前方の確認を怠って漫然
と走行したことにより横断中の原告を自車に衝突させたことにより起きた」と主張してい
たのである。原告がこう主張したことにはそれ相応の理由があったはずである。このよう
な主張をしたのが事故から15年もたったあとであることを考えれば,関係者のたんなる
記憶ちがいだとか原告訴訟代理人の聞き取り不足だとしてかたづけることはできない。ま
た,2台の車両が後方で停車していたのであれば,その運転者は事故の状況を間近で目撃
しているのであり,警察で事情聴取を受けるなどして事故後の処理に関与しているはずで
ある。しかし,原告の祖父はなぜかこの運転者についてまったく語ろうとしないのであり
,不自然である。以上の検討によれば,2台の後続車両の動きに関する原告祖父の証言は
信用できないといわざるをえない。
一方,被告の供述は事故後から現在まで一貫していてその内容もとくに不自然なところ
はなく,本件訴訟における原告の当初の主張とも一致するから,その信用性を肯定するこ
とができる。
(3) 過失相殺
上記認定事実によれば,本件事故は,交差点以外の場所で横断歩道のない道路を横断し
た歩行者に自動車が衝突したという事故類型であり,基本となる過失相殺の割合は20%
である。被告は原告が車両のかげから飛び出してきたことを強調するが,そのような歩行
者がありうることは自動車の運転者として予想すべきことであるから,この点をことさら
に重視することはできない。ただし,事故の状況からして,原告は被告運転車両の直前を
横断しようとしたと認められるし,被告運転車両が到達する前に原告祖父の車両のわきを
2台の車両が通過していったことは被告にとって有利に斟酌すべき事情である。一方,原
告が児童であったことは原告に有利に斟酌すべきである。これらの事情を総合的に考慮し
た結果,本件では,基本となる割合のとおり20%の過失相殺をするのが妥当であると判
断する。
2 争点(2)(労働能力喪失率)について
原告の後遺障害は,右足関節の障害が自賠等級第8級,右足の醜状痕が第12級で,併
合して第7級というものである。第7級の労働能力喪失率は56%,第8級のそれは45
%とされている。
まず,右足関節の障害は「関節の用を廃したもの」に該当し,原告の供述によれば,こ
の後遺障害による労働能力喪失率が通常の第8級の喪失率を下回るとは考えられない。し
たがって原告の労働能力喪失率が45%以上であることは優に認められる。
次に,醜状痕については,被告は,これは労働能力喪失率とは関係がないと主張するが
,原告の供述によれば,醜状痕のために着る服も制約される状況にあるというのであり,
その心理的負担感をも考えれば,この醜状痕が原告の労働能力を減殺する方向に強く影響
していることは明らかである。もっとも,醜状痕はその性質上身体機能を損なわせるもの
ではないし,右下腿部から右足背部にかけての瘢痕であるから,つねに人前にさらされる
部位ではない。これらのことを考慮すると,併合で第7級となるからといって,通常の第
7級の労働能力喪失率を適用するのはやはり妥当でないと考えられる。そこで,第7級と
第8級の中間的な数値を採用することとし,原告の労働能力喪失率は50%とする。
3 争点(3)(損害額)について
(1) 治療関係費
ア 入通院治療費 347万0642円
証拠(甲5)により認める。
イ 付添看護費 61万6500円
付添看護日数は証拠(甲5)により137日と認める。1日あたりの金額は4500円
とすべきであるから,合計で61万6500円である。
137×4,500=616,500
ウ 通院費 25万5130円
証拠(甲5)により認める。
エ 入院雑費 32万5200円
入院日数は合計271日であり,1日あたりの金額は1200円とすべきであるから,
合計で32万5200円である。
271×1,200=325,200
オ 文書料 800円
証拠(甲5)により認める。
カ 交通費 210万1610円
証拠(甲5)により認める。
キ 装具代 121万7247円
証拠(甲5)により認める。
(2) 後遺障害逸失利益 1584万8754円
基礎収入は,賃金センサス平成15年第1巻第1表産業計・企業規模計・女性労働者学
歴計全年齢平均の年収額349万0300円を採用する。原告は20~24歳の平均年収
を採用すべきであるとしているが,年少時の事故であること,労働能力の喪失は一生にわ
たって続くと認められることを考慮し,全年齢平均年収を採用することにした。
労働能力喪失率は,争点・で判断したとおり,50%である。
事故時6歳,症状固定時20歳であり,原告の供述によれば,原告は高校卒業後2年間
専門学校に通い,症状固定時まで就労していなかったが,その時点で就労可能な状態では
あったと認められる。したがって就労可能期間は20歳から67歳までとする。
以上の条件を前提に,中間利息控除のためにライプニッツ係数を用いて計算すると,後
遺障害逸失利益(事故時の現価)は次の計算式により求められ,1584万8754円で
ある。なお,18.9802は,61年(67-6)のライプニッツ係数であり,9.8
986は14年(20-6)のライプニッツ係数である。
3,490,300×0.5×(18.9802-9.8986)≒15,848,754
ここで症状固定時の現価ではなく事故時の現価を算定したのは次の理由による。すなわ
ち,逸失利益は,治療費や交通費などといった実際に支出を余儀なくされた損害項目とは
異なり,純粋に計算上の損害である。このような損害については,「不法行為に基づく損
害賠償債務は不法行為時に発生しかつ遅滞に陥る」とする確立した判例にしたがい,計算
により事故時の現価を求めるのが正当だと考えるからである。原告は,症状固定時の現価
を算定するのが実務の趨勢と考えるようであるが,必ずしもそのようにいうことはできな
い。現に,最近の裁判例を検討した本田晃「逸失利益の現価算定の基準時」東京三弁護士
会交通事故処理委員会・財団法人日弁連交通事故相談センター東京支部共編『民事交通事
故訴訟損害賠償額算定基準2003(平成15年)』(赤い本)303頁は,大多数の裁
判例は症状固定時を基準として逸失利益の現価を算定しているとしながらも,有力な異論
があるとし,事態はなお流動的であると結論づけている。
(3) 過失相殺後の財産的損害1906万8706円
上記(1),(2)の合計額に20%の過失相殺をすると1906万8706円である。
(3,470,642+616,500+255,130+325,200+800+2,101,610+1,217,247+
15,848,754)
×(1-0.2)≒19,068,706
(4) 慰謝料
ア 傷害慰謝料 210万円
事故態様,傷害の部位,程度,入通院期間,本件訴訟までの経緯等の事情を総合的に考
慮し(※),傷害慰謝料は210万円とする。
イ 後遺障害慰謝料 800万円
事故態様,後遺障害の部位,程度,本件訴訟までの経緯等の事情を総合的に考慮し(※
),後遺障害慰謝料は800万円とする。
※ 当裁判所は,慰謝料は,財産的損害において過失相殺の基礎とした事情を含
むすべての事情を考慮したものと考えるので,慰謝料についてあらためて過失相殺はしな
い。
(5) 損害の填補 ▲723万7912円
当事者間に争いがない。
(6) 損害残額 2193万0794円
上記(3),(4)の合計額から(5)の額を控除すると2193万0794円である。
19,068,706+2,100,000+8,000,000-7,237,912=21,930,794
(7) 弁護士費用と認容額
上記損害残額を基準にして,本件訴訟の経緯をふまえ,弁護士費用は216万9206
円とする。弁護士費用を加えた認容額は2410万円である。
21,930,794+2,169,206=24,100,000
4 結論
原告は被告に対し不法行為に基づき2410万円とこれに対する不法行為の日である平
成2年8月28日から支払いずみまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金を請求す
ることができる。原告の請求はこの限度で理由がある。
甲府地方裁判所民事部
裁判官 倉 地 康 弘
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