弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     被告人を懲役二年六月に処する。
     この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
         理    由
 弁護人大貫大八の上告趣意中違憲をいう点について
 所論は、刑法二〇〇条は憲法一四条に違反して無効であるから、被告人の本件所
為に対し刑法二〇〇条を適用した原判決は、憲法の解釈を誤つたものであるという
のである。
 よつて案ずるに、憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定で
あつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、
事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いを
することを禁止する趣旨と解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和三七年(オ)
第一四七二号同三九年五月二七日・民集一八巻四号六七六頁)の示すとおりである。
そして、刑法二〇〇条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無
期懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係
の存在に基づき、同法一九九条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対して
その刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて(最高裁昭和三〇年(あ)
第三二六三号同三一年五月二四日第一小法廷判決・刑集一〇巻五号七三四頁)、こ
のように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味
における差別的取扱いにあたるというべきである。そこで、刑法二〇〇条が憲法の
右条項に違反するかどうかが問題となるのであるが、それは右のような差別的取扱
いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるわけである。
 当裁判所は、昭和二五年一〇月以来、刑法二〇〇条が憲法一三条、一四条一項、
二四条二項等に違反するという主張に対し、その然らざる旨の判断を示している。
もつとも、最初に刑法二〇〇条が憲法一四条に違反しないと判示した大法廷判決(
昭和二四年(れ)第二一〇五号同二五年一〇月二五日・刑集四巻一〇号二一二六頁)
も、法定刑が厳に過ぎる憾みがないではない旨を括弧書において判示していたほか、
情状特に憫諒すべきものがあつたと推測される事案において、合憲性に触れること
なく別の理由で同条の適用を排除した事例も存しないわけではない(最高裁昭和二
八年(あ)第一一二六号同三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八二四頁、
同三六年(あ)第二四八六号同三八年一二月二四日第三小法廷判決・刑集一七巻一
二号二五三七頁)。また、現行刑法は、明治四〇年、大日本帝国憲法のもとで、第
二三回帝国議会の協賛により制定されたものであつて、昭和二二年、日本国憲法の
もとにおける第一回国会において、憲法の理念に適合するようにその一部が改正さ
れた際にも、刑法二〇〇条はその改正から除外され、以来今日まで同条に関し格別
の立法上の措置は講ぜられていないのであるが、そもそも同条設置の思想的背景に
は、中国古法制に渕源しわが国の律令制度や徳川幕府の法制にも見られる尊属殺重
罰の思想が存在すると解されるほか、特に同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含
している点は、日本国憲法により廃止された「家」の制度と深い関連を有していた
ものと認められるのである。さらに、諸外国の立法例を見るに、右の中国古法制の
ほかローマ古法制などにも親殺し厳罰の思想があつたもののごとくであるが、近代
にいたつてかかる思想はしだいにその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を当初から有
しない国も少なくない。そして、かつて尊属殺重罰規定を有した諸国においても近
時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあり、また、単に尊属殺のみを重く罰す
ることをせず、卑属、配偶者等の殺害とあわせて近親殺なる加重要件をもつ犯罪類
型として規定する方策の講ぜられている例も少なからず見受けられる現状である。
最近発表されたわが国における「改正刑法草案」にも、尊属殺重罰の規定はおかれ
ていない。
 このような点にかんがみ、当裁判所は、所論刑法二〇〇条の憲法適合性につきあ
らためて検討することとし、まず同条の立法目的につき、これが憲法一四条一項の
許容する合理性を有するか否かを判断すると、次のように考えられる。
 刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつ
て一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場
合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解され
る。ところで、およそ、親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な
敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任
の分担に伴う一定の秩序が存し、通常、卑属は父母、祖父母等の直系尊属により養
育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義
上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義と
いうべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値す
るものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害す
るがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる
行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる。
 このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的
道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、
あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを犯情のひ
とつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さ
らに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、か
かる差別的取扱いをもつてただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、
したがつてまた、憲法一四条一項に違反するということもできないものと解する。
 さて、右のとおり、普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重
すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰
加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはい
えない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段
として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、そ
の差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項
に違反して無効であるとしなければならない。
 この観点から刑法二〇〇条をみるに、同条の法定刑は死刑および無期懲役刑のみ
であり、普通殺人罪に関する同法一九九条の法定刑が、死刑、無期懲役刑のほか三
年以上の有期懲役刑となつているのと比較して、刑種選択の範囲が極めて重い刑に
限られていることは明らかである。もつとも、現行刑法にはいくつかの減軽規定が
存し、これによつて法定刑を修正しうるのであるが、現行法上許される二回の減軽
を加えても、尊属殺につき有罪とされた卑属に対して刑を言い渡すべきときには、
処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべ
き情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の
場合とは著しい対照をなすものといわなければならない。
 もとより、卑属が、責むべきところのない尊属を故なく殺害するがごときは厳重
に処罰すべく、いささかも仮借すべきではないが、かかる場合でも普通殺人罪の規
定の適用によつてその目的を達することは不可能ではない。その反面、尊属であり
ながら卑属に対して非道の行為に出で、ついには卑属をして尊属を殺害する事態に
立ち至らしめる事例も見られ、かかる場合、卑属の行為は必ずしも現行法の定める
尊属殺の重刑をもつて臨むほどの峻厳な非難には値しないものということができる。
 量刑の実状をみても、尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんど
なく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽
を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の
宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に
大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失して
いることをも窺わせるものである。
 このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限ら
れている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)にお
いてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に
対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつ
てしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠
に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。
 以上のしだいで、刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみ
に限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通
殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと
認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、
尊属殺にも刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判
例はこれを変更する。
 そこで、これと見解を異にし、刑法二〇〇条は憲法に違反しないとして、被告人
の本件所為に同条を適用している原判決は、憲法の解釈を誤つたものにほかならず、
かつ、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、所論は結局理由が
ある。
 その余の上告趣意について
 所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらな
い。
 よつて、刑訴法四〇五条一号後段、四一〇条一項本文により原判決を破棄し、同
法四一三条但書により被告事件についてさらに判決することとする。
 原判決の確定した事実に法律を適用すると、被告人の所為は刑法一九九条に該当
するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱の状態における行為である
から同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、その刑期範囲内で被告
人を懲役二年六月に処し、なお、被告人は少女のころに実父から破倫の行為を受け、
以後本件にいたるまで一〇余年間これと夫婦同様の生活を強いられ、その間数人の
子までできるという悲惨な境遇にあつたにもかかわらず、本件以外になんらの非行
も見られないこと、本件発生の直前、たまたま正常な結婚の機会にめぐりあつたの
に、実父がこれを嫌い、あくまでも被告人を自己の支配下に置き醜行を継続しよう
としたのが本件の縁由であること、このため実父から旬日余にわたつて脅迫虐待を
受け、懊悩煩悶の極にあつたところ、いわれのない実父の暴言に触発され、忌まわ
しい境遇から逃れようとしてついに本件にいたつたこと、犯行後ただちに自首した
ほか再犯のおそれが考えられないことなど、諸般の情状にかんがみ、同法二五条一
項一号によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、第一審および原審
における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこと
として主文のとおり判決する。
 この判決は、裁判官岡原昌男の補足意見、裁判官田中二郎、同下村三郎、同色川
幸太郎、同大隅健一郎、同小川信雄、同坂本吉勝の各意見および裁判官下田武三の
反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
 裁判官岡原昌男の補足意見は次のとおりである。
 一、本判決の多数意見は、刑法二〇〇条が普通殺のほかに尊属殺という特別の罪
を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲とはいえないけれども、その加
重の程度があまりにも厳しい点において同条は憲法一四条一項に違反するというの
であるが、これに対し、(一)刑法二〇〇条が尊属殺という特別の罪を設けている
ことがそもそも違憲であるとする意見、および(二)刑法二〇〇条は、尊属殺とい
う罪を設けている点においても、刑の加重の程度においても、なんら憲法一四条一
項に違反するものではないとする反対意見も付されているので、わたくしは、多数
意見に加わる者のひとりとして、これらの点につき若干の所信を述べておきたい。
 二、右(一)の見解は、要するに、刑法二〇〇条は、(1)親子のほか、夫婦、
兄弟姉妹その他の親族の結合のうち、卑属の尊属に対する関係のみを取りあげてい
る点、および(2)日本国憲法の基本理念に背馳する特異な身分制道徳の維持存続
を目的とすると認められる点において、憲法一四条一項の許容する合理的差別を設
けるものとはいえないとするのである。
 しかし、まず(1)についていえば、本件で当裁判所のなすべきことは、本件具
体的争訟における憲法上の論点、すなわち現行の実定法たる刑法二〇〇条の合憲性
についての判断であつて、親族間の殺人につきいかなる立法をすることがもつとも
適切妥当であるかの考察ではない。多数意見は、このことを当然の前提とし、あえ
て同条の立法政策としての当否に触れることなく、同条の合憲性のみを検討したう
え、同条の設ける差別は、憲法上、それ自体としてまつたく正当化できないものと
はいえないとするにとどめたのである。(1)の点を、実定法の合憲性が争われて
いる本件憲法訴訟における判断の理由に加えることは適切でないものと考える。
 つぎに、(2)で説かれる諸点は、いずれも正当であり、わたくしも、刑法二〇
〇条が、往時の「家」の制度におけるがごとき尊属卑属間の権威服従関係を極めて
重視する思想を背景とし、これに基づく家族間の倫理および社会的秩序の維持存続
をはかるものたる性格を有することを認めるにやぶさかでない。しかしながら、わ
たくしは、刑法二〇〇条のかかる性格は、尊属殺なる罪を設け、その刑を加重する
ところに示されているのではなく、その法定刑が極端に重い刑のみに限られている
点に露呈されていると考えるのであり、多数意見が、尊属殺の法定刑は「尊属に対
する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつて
してはこれにつき十分納得すべき説明がつきかねる」としているのもまた同様の見
地に立つて言外にこの理を示すものにほかならないと解する。換言すれば、(2)
を論ずる各意見の趣旨にはいずれも賛同を惜しまないけれども、これをもつて刑法
二〇〇条が尊属殺を設けること自体の違憲性の根拠とすることは当たらず、同条の
法定刑の不合理性の根拠として取り扱うべきものと考えるのである。
 三、さらに、(二)の反対意見は、主として、刑法二〇〇条の法定刑は極端に重
いものと解すべきか否かの点で多数意見と見解を異にするのであるが、その論述の
うち、立法の沿革および裁判所の憲法判断のあり方等についての言及に関して一言
したい。
 同意見の指摘する立法の沿革は歴史的事実として明らかなところである。また、
国の立法権は国権の最高機関たる国会に属すること(憲法四一条)、および国会議
員は憲法を尊重し擁護する義務を負う(憲法九九条)から、立法府たる国会は法律
の制定にあたり憲法に適合するようその内容を定めているはずであり、旧憲法下に
おいて制定された法律中、今日まで改廃されていない規定についても、立法府は暗
黙のうちにこれらが日本国憲法に適合すると判断しているものと考えて然るべきこ
とも右意見が説くとおりである。そして、裁判所は、具体的争訟において特定の法
規の合憲性が争われた場合に、これにつき審査をする権限を有するのであるが、当
該法規の内容の当否が立法政策の当否の問題であるにとどまると認められるかぎり、
かかる法規を違憲とすることが許されないこともちろんである。さらに法規の内容
の当否が立法政策当否の範囲にとどまるか否かを判断するにあたつては、裁判所は
前記のような憲法適合性についての立法府の判断を尊重することが三権分立制度の
下における違憲立法審査権行使のあり方として望ましいということができよう。
 しかし、ことがらによつては、憲法上の効力が争われる特定の法規の内容が、立
法の沿革、運用の実情、社会の通念、諸国法制のすう勢その他諸般の状況にかんが
み、かなりの程度に問題を有し、その当否が必ずしも立法政策当否の範囲にとどま
らないのではないかとの疑問を抱かせる場合がないとはいえない。さらにまた、た
とえば刑法のように社会生活上の強行規範として価値観と密接な関係を有する基本
法規にあつては、時代の進運、社会情勢の変化等に伴い、当初なんら問題がないと
考えられた規定が現在においては憲法上の問題を包蔵するにいたつているのではな
いかと疑われることもありうるところである。このような場合、裁判所は、もはや
前記謙抑の立場に終始することを許されず、憲法により付託されている違憲立法審
査の権限を行使し、当該規定の憲法適合性に立ち入つて検討を加えるべく、その結
果、もし当該規定の不合理性が憲法の特定の条項の許容する限度を超え、立法府の
裁量の範囲を逸脱しているものと認めたならば、当該規定の違憲を宣明する責務を
有するのである。
 本判決の多数意見が、刑法二〇〇条の合憲性に関する当裁判所の先例のほか、同
条の立法の沿革、諸外国立法例、近時の立法傾向等に触れ、これらの点にかんがみ、
同条の憲法適合性につきあらためて考察する旨を述べたのち、はじめて実質的な判
断に入つているのは、右のような見地に立つて、専断恣意を排除しつつ慎重な検討
が加えられたことを示すものにほかならない。また、多数意見が、同条を違憲とす
るにあたり、その法定刑につき「十分納得すべき説明がつきかねる」としているの
は、説明できないゆえんを説明するの煩を避けたもので、ことがらの性質上やむを
えないところであるのみならず、その言外に含蓄するところは前述のごとくであつ
て、その判断は十分な根拠を有するものと解すべく、決して軽々に違憲の判断がな
されたものではないのである。
 反対意見が多数意見と結論を異にしたことは、立脚点の相違に基づき、やむをえ
ないとしても、多数意見をもつて慎重を欠く判断であるかのごとくいう点には、必
ずしも承服しがたいものがある。
 裁判官田中二郎の意見は、次のとおりである。
 私は、本判決が、尊属殺人に関する刑法二〇〇条を違憲無効であるとして、同条
を適用した原判決を破棄し、普通殺人に関する刑法一九九条を適用して被告人を懲
役二年六月に処し、三年間刑の執行を猶予した、その結論には賛成であるが、多数
意見が刑法二〇〇条を違憲無効であるとした理由には同調することができない。す
なわち、多数意見は、要するに、刑法二〇〇条において普通殺人と区別して尊属殺
人に関する特別の罪を定め、その刑を加重すること自体は、ただちに違憲とはいえ
ないとし、ただ、その刑の加重の程度があまりにも厳しい点において、同条は、憲
法一四条一項に違反するというのである。これに対して、私は、普通殺人と区別し
て尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺人なるがゆえに差別的取扱いを認めること
自体が、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に違反するものと解すべきであると
考える。したがつて、私のこの考え方からすれば、本件には直接の関係はないが、
尊属殺人に関する刑法二〇〇条の規定のみならず、尊属傷害致死に関する刑法二〇
五条二項、尊属遺棄に関する刑法二一八条二項および尊属の逮捕監禁に関する刑法
二二〇条二項の各規定も、被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別
的取扱いを認めたものとして、いずれも違憲無効の規定と解すべきであるというこ
ととなり、ここにも差異を生ずる。ただ、ここでは、尊属殺人に関する刑法二〇〇
条を違憲無効と解すべき理由のみについて、私の考えるところを述べることとする。
それは、次のとおりである。
 一 日本国憲法一三条の冒頭に、「すべて国民は、個人として尊重される」べき
ことを規定しているが、これは、個人の尊厳を尊重することをもつて基本とし、す
べての個人について人格価値の平等を保障することが民主主義の根本理念であり、
民主主義のよつて立つ基礎であるという基本的な考え方を示したものであつて、同
一四条一項に、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会
的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
と規定しているのも、右の基本的な考え方に立ち、これと同一の趣旨を示したもの
と解すべきである。右の条項には、人種、信条、性別などが列記されているが、多
数意見も認めているように、これらの列記は、単にその主要なものの例示的列記に
すぎず、したがつて、これらの列記事項に直接該当するか否かにかかわらず、個人
の尊厳と人格価値の平等の尊重・保障という民主主義の根本理念に照らして不合理
とみられる差別的取扱いは、すべて右条項の趣旨に違反するものとして、その効力
を否定すべきものと考えるのである。
 近代国家の憲法がひとしく右の意味での法の下の平等を尊重・確保すべきものと
したのは、封建時代の権威と隷従の関係を打破し、人間の個人としての尊厳と平等
を回復し、個人がそれぞれ個人の尊厳の自覚のもとに平等の立場において相協力し
て、平和な社会・国家を形成すべきことを期待したものにほかならない。日本国憲
法の精神もここにあるものと解すべきであろう。
 もつとも、私も、一切の差別的取扱いが絶対に許されないなどと考えているわけ
ではない。差別的取扱いが合理的な理由に基づくものとして許容されることがある
ことは、すでに幾多の最高裁判所の判決の承認するところである。問題は、何がそ
こでいう合理的な差別的取扱いであるのか、その「合理的な差別」と「合理的でな
い差別」とを区別すべき基準をどこに求めるべきかの点にある。そして、この点に
ついて、私は、さきに述べたように、憲法の基調をなす民主主義の根本理念に鑑み、
個人の尊厳と人格価値の平等を尊重すべきものとする憲法の根本精神に照らし、こ
れと矛盾抵触しない限度での差別的取扱いのみが許容されるものと考えるのである。
したがつて、本件においては、尊属殺人に関し、普通殺人と区別して特別の規定を
設けることが、右の基準に照らし、果たして「合理的な差別」といえるかどうかに
ついて、検討する必要があるわけである。
 二 ところで、多数意見は、(1)尊属殺人について、普通殺人と区別して特別
の規定を設けることには合理的根拠があるから、憲法一四条一項には違反しないと
し、ただ、(2)刑法二〇〇条の定める法定刑があまりにも厳しすぎる点において、
憲法一四条一項に違反するというのである。しかし、右の(1)の見解は果たして
正当といい得るであろうか、これはすこぶる問題である。また、かりに、(1)の
見解が是認され得るとした場合において、(2)の見解が果たして十分の説得力を
有するものといい得るであろうか。この点についても、いささか疑問を抱かざるを
得ないのである。順次、私の疑問とするところを述べることとする。
 (1) 刑法二〇〇条の尊属殺人に関する規定が設けられるに至つた思想的背景
には、封建時代の尊属殺人重罰の思想があるものと解されるのみならず、同条が卑
属たる本人のほか、配偶者の尊属殺人をも同列に規定している点からみても、同条
は、わが国において旧憲法時代に特に重視されたといわゆる「家族制度」との深い
関連をもつていることを示している。ところが、日本国憲法は、封建制度の遺制を
排除し、家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を確立することを根本の
建前とし(憲法二四条参照)、この見地に立つて、民法の改正により、「家」、「
戸主」、「家督相続」等の制度を廃止するなど、憲法の趣旨を体して所要の改正を
加えることになつたのである。この憲法の趣旨に徴すれば、尊属がただ尊属なるが
ゆえに特別の保護を受けるべきであるとか、本人のほか配偶者を含めて卑属の尊属
殺人はその背徳性が著しく、特に強い道義的非難に値いするとかの理由によつて、
尊属殺人に関する特別の規定を設けることは、一種の身分制道徳の見地に立つもの
というべきであり、前叙の旧家族制度的倫理観に立脚するものであつて、個人の尊
厳と人格価値の平等を基本的な立脚点とする民主主義の理念と抵触するものとの疑
いが極めて濃厚であるといわなければならない。諸外国の立法例において、尊属殺
人重罰の規定が次第に影をひそめ、これに関する規定を有していたものも、これを
廃止ないし緩和する傾向にあるのも、右の民主主義の根本理念の滲透・徹底に即応
したものということができる。最近のわが国の改正刑法草案がこの種の規定を設け
ていないのも、この流れにそつたものにほかならない。
 私も、直系尊属と卑属とが自然的情愛と親密の情によつて結ばれ、子が親を尊敬
し尊重することが、子として当然守るべき基本的道徳であることを決して否定する
ものではなく、このような人情の自然に基づく心情の発露としての自然的・人間的
情愛(それは、多数意見のいうような「受けた恩義」に対する「報償」といつたも
のではない。)が親子を結ぶ絆としていよいよ強められることを強く期待するもの
であるが、それは、まさしく、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立つて、
個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であつて、決して、法律をもつて
強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによつて遵守させようとしたりすべき
ものではない。尊属殺人の規定が存するがゆえに「孝」の徳行が守られ、この規定
が存しないがゆえに「孝」の徳行がすたれるというような考え方は、とうてい、納
得することができない。尊属殺人に関する規定は、上述の見地からいつて、単に立
法政策の当否の問題に止まるものではなく、憲法を貫く民主主義の根本理念に牴触
し、直接には憲法一四条一項に違反するものといわなければならないのである。
 (2) 右に述べたように、私は、尊属殺人に関し、普通殺人と区別して特別の
規定を設けること自体が憲法一四条一項に牴触するものと考えるのであるが、かり
に、多数意見が説示しているように、このこと自体が憲法一四条一項に牴触するも
のではないという考え方に立つべきものとすれば、尊属殺人に対して、どのような
刑罰をもつて臨むべきかは、むしろ、立法政策の問題だと考える方が筋が通り、説
得力を有するのではないかと思う。
 多数意見は、「尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難
を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不
合理であるとはいえない」としながら、「尊属殺の法定刑は、それが死刑または無
期懲役刑に限られている点においてあまりにも厳しいものというべく、(中略)尊
属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみを
もつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的
根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない」というので
ある。しかし、もし、尊属殺害が通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非
難を受けて然るべきであるとしてこれを処罰に反映させても不合理ではないという
観点に立つとすれば、尊属殺害について通常の殺人に比して厳しい法定刑を定める
のは当然の帰結であつて、処断刑三年半にまで減軽することができる現行の法定刑
が厳しきに失し、その点においてただちに違憲であるというのでは、論理の一貫性
を欠くのみならず、それは、法定刑の均衡という立法政策の当否の問題であつて、
刑法二〇〇条の定める法定刑が苛酷にすぎるかどうかは、憲法一四条一項の定める
法の下の平等の見地からではなく、むしろ憲法三六条の定める残虐刑に該当するか
どうかの観点から、合憲か違憲かの判断が加えられて然るべき問題であると考える
のである。
 三 日本国憲法の制定に伴つて行なわれた刑法の改正に際し、「忠孝」という徳
目を基盤とする規定のうち、「忠」に関する規定を削除しながら、「孝」に関する
規定を存置したのは、憲法の根本理念および憲法一四条一項の正しい理解を欠いた
ためであると考えざるを得ない。そして、昭和二五年一〇月一一日の最高裁判所大
法廷判決(刑集四巻一〇号二〇三七頁)が、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二
項は憲法一四条に違反しない旨の判断を示した(その趣旨は刑法二〇〇条にもその
ままあてはまるものと解される。)のも、私には、とうてい、理解することができ
ない。ところで、右に述べたような最高裁判所の指導的判決のもとで、刑法二〇〇
条が実際上どのように運用されてきたかということも、右の規定の存在意義を反省
するうえに若干の参考となるであろう。
 そこで、尊属殺人事件についての第一審判決の科刑の実情をみるに、統計の示す
ところによれば、昭和二七年から昭和四四年に至る一八年間の尊属殺人事件総数六
二一件のうち、死刑の言渡がされたものは僅かに五件(〇・八一%)、無期懲役刑
の言渡がされたものは六一件(九・八二%)にすぎず、大多数は減軽措置により一
五年以下の懲役刑の言渡がされており、なかでも、五年以下の懲役刑の言渡がされ
たものが一六四件(二六・四%)に達し、最高の率を示している。このことは、多
数意見が、尊属殺人は一般殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然
るべきであるとしているのにかかわらず、現実には、本件の場合ほど極端な例はな
いにしても、やむにやまれぬ事情のもとに行なわれた犯行として強い社会的道義的
非難を加えることの妥当でない事例が少なくないことを示している。のみならず、
刑法二〇〇条の存在が具体的事案に即した量刑を著しく困難にし、裁判官を苦慮さ
せ、時には、あえて、同条の違憲無効を断ぜざるを得ない破目に陥らせているのが
実情である。最高裁判所自体も、昭和三二年二月二〇日の大法廷判決(刑集一一巻
二号八二四頁)において、冷遇に苦しめられ、亡夫の父母等を殺害しようとした未
亡人に刑法二〇〇条を適用した原判決を破棄し、同条の「配偶者の直系尊属」とは
現に生存する配偶者のそれを指すものとし、刑法二〇〇条の適用を否定せざるを得
なかつたのである。その結論は妥当として支持すべきものであろうが、同条の解釈
としては問題のあるところで、右の結論を引き出すためには、根本に立ち帰つて、
刑法二〇〇条そのものの合憲性について検討を加えるべきではなかつたかと思う。
たしかに、尊属殺人のなかには、天人ともに許さない悪逆非道なものがあり、極刑
をもつて臨まざるを得ないような事案もあるであろう。しかし、それは、必ずしも
尊属殺人なるがゆえをもつて特別の取扱いをすることを根拠づけ又はこれを合理化
するものではなく、同様の事案は普通殺人についても、しばしば、みられるのであ
るから、その処罰には普通殺人に関する法定刑で事足りるのであつて、改正刑法草
案が尊属殺人に関する規定を廃止しているのも、こういう見地に立つものにほかな
らない。
 四 多数意見が尊属殺人について合理的な程度の加重規定を設けることは違憲で
ないとの判断を示したのは、それを違憲であるとする判断を示すことの社会的影響
について深く憂慮したためではないかと想像されるが、殺人は、尊属殺人であろう
と普通殺人であろうと、最も強い道義的非難に値いする犯罪であることはいうまで
もないところであつて、尊属殺人に関する規定が違憲無効であるとする判断が示さ
れたからといつて、この基本的な道徳が軽視されたとか、反道徳的な行為に対する
非難が緩和されたとかと、受けとられるとは思わない。それは、むしろ、国民の一
般常識又は道徳観を軽視した結果であつて、杞憂にすぎないといつてよいであろう。
 五 最後に、下田裁判官の反対意見について、一言附け加えておきたい。
 下田裁判官の反対意見は、その結論および理由の骨子ともに、私の賛成しがたい
ところであるが、そのことは、すでに述べたところから明らかであるから、ここに
重ねて述べることを省略し、ここでは、下田裁判官のとられる裁判所の違憲審査権
に関する考え方についてのみ私の意見を述べることとする。
 右の点に関する下田裁判官の意見は、国民多数の意見を代表する立法府が制定し
た実定法規はこれを尊重することが「憲法の根本原則たる三権分立の趣旨にそう」
ものであり、裁判所がたやすくかかる事項に立ち入ることは、「司法の謙抑の原則
にもとる」こととなるおそれがあるという考え方を基礎とするもので、刑法二〇〇
条についても、昭和二二年に刑法の一部改正が行なわれた際、ことさらにその改正
から除外されたのであつて、右は、「当時立法府が本条をもつて憲法に適合するも
のと判断したことによると認むべきである」とされ、その後種々の論議が重ねられ
たにかかわらず、「今日なお同条についての立法上の措置を実現していないことは、
立法府が、現時点において、同条の合憲性はもとより、立法政策当否の観点からも、
なお同条の存置を是認しているものと解すべきである」とし、「かかる経緯をも考
慮するときは、司法の謙抑と立法府の判断の尊重の必要は、刑法二〇〇条の場合に
おいて一段と大であるといわなければならない」とされ、さらに、立法論としても、
「将来いかなる時期にいかなる内容の尊属殺処罰規定を制定あるいは改廃すべきか
の判断は、あげて立法府の裁量に委ねるのを相当と考えるものである」と述べてお
られる。
 私も、事柄の性質によつては、立法府に相当広範な裁量権が認められる場合があ
ること、そして、その裁量権の範囲内においては、立法政策の問題として、裁判所
としても、これを尊重することを要し、これに介入することができないものとすべ
き場合が少なくないことを認めるに吝かではないし、裁判所が安易にそのような事
項に立ち入つてその当否を判断すべきでないことも、下田裁判官の主張されるとお
りであると思う。また、立法府が制定した法律の規定は、可能な限り、憲法の精神
に即し、これと調和し得るよう合理的に解釈されるべきであつて、その字句の表現
のみに捉われて軽々に違憲無効の判断を下すべきでないことも、かねて私の主張し
てきたところで、当裁判所の判例のとる基本的な態度でもあるのである。
 ところが、下田裁判官の意見は、「憲法の根本原則たる三権分立の趣旨」と「司
法の謙抑の原則」をふりかざし、立法府の裁量的判断に委ねられるべき範囲を不当
に拡張し、しかも、立法府が合憲と判断した以上、これに対する裁判所の介入は、
もはや許されるべきでないかのごとき口吻を示されている。その真意のほどは必ず
しも明らかではないが、本件について下田裁判官の主張されるところに限つてみて
も、私には、とうてい、賛成することができないのである。
 およそ立法府として(行政府についても同様のことがいえる。)、その行為が違
憲であることを意識しながら、あえてこれを強行するというようなことは、ナチ政
権下の違憲立法のごとき、いわば革命的行為をあえてしようとするような場合は別
として、わが国においては、通常、あり得ないことであり、また、あつてはならな
いことである。しかし、現実には、立法府の主観においては合憲であるとの判断の
もとにされた立法についても、これを客観的にみた場合に、果たして合憲といえる
かどうかが問題となる場合もあり得るのであつて、その場合の合憲か違憲かの審理
判断を裁判所の重要な権限として認めようとするのが裁判所の違憲立法審査制の本
来の狽いなのである。したがつて、裁判所の違憲立法審査権が明文で認められてい
る現行憲法のもとでは、立法府自体が合憲であると判断したということは、裁判所
の違憲立法審査権の行使を否定しこれを拒否する理由となし得るものでないことは
いうまでもない。殊に、現在のように、基本的人権の尊重確保の要請と公共の福祉
の実現の要請とをどのように調整すべきかの問題について、政治的・思想的な価値
観の対立に基づき、重点の置きどころを異にし、利害の対立もからんで、見解の著
しい差異が見られる時代においては、国会の多数の意見に従つて制定された法律で
あることのゆえのみをもつてただちに常に合憲であると断定するわけにはいかない
のである。もちろん、法律には、一応、「合憲性の推定」は与えられてよいが、そ
れが果たして合憲であるかどうかは、まさに裁判所の審理判断を通して決せられる
べき問題にほかならない。したがつて、司法の謙抑の原則のみを強調し、裁判所の
違憲立法審査権の行使を否定したり、これを極度に制限しようとしたりする態度は、
わが現行憲法の定める三権分立制の真の意義の誤解に基づき、裁判所に与えられた
最も重要な権能である違憲立法審査権を自ら放棄するにも等しいものであつて、憲
法の正しい解釈とはいいがたく、とうてい賛成することができないのである。
 裁判官小川信雄、同坂本吉勝は、裁判官田中二郎の右意見に同調する。
 裁判官下村三郎の意見は、次のとおりである。
 わたくしは、本判決が、原判決を破棄し、刑法一九九条を適用して、被告人を懲
役二年六月に処し、三年間刑の執行を猶予した結論には賛成であるが、多数意見が
原判決を破棄すべきものとした事由には同調し難いものがあるので、次にその理由
を述べる。
 憲法は、その一四条一項において、国民に対し法の下の平等を保障することを宣
明した。これは、国民が、それぞれ平等の立場において、相互に敬愛し、扶助し、
協力して平和な国家の建設に貢献すべきことを期待したものであるということがで
きる。そして、その趣旨に従つて、民法においては、家、家督相続、戸主等の制度
が廃止されるなど、各法律にも所要の改正が加えられたが、刑法二〇〇条のような
規定もなお残存しており、その存置を支持する者も多く、当裁判所も、従来、尊属
殺人と普通殺人とを各別に規定し、尊属殺人につき刑を加重していることは、身分
による差別的取扱いではあるが、合理的な根拠に基づくものとして憲法一四条一項
に違反するとはいえないと判断して来たのである。しかし、その後の時世の推移、
国民思想の変遷、尊属殺人事件の実情等に鑑みれば、尊属卑属間の相互敬愛、扶助、
協力等の関係の保持は、これを自然の情愛の発露、道義、慣行等に委せるのが相当
であり、尊属殺人について特別の処罰規定を存置し、尊属殺人の発生を防遏しよう
とする必要は最早なくなり、かような規定を存置することが却つて妥当な量刑をす
る妨げとなる場合もあるに至つたといわなければならない。かように解すれば、普
通殺人に対し特に尊属殺人に対する処罰規定を存置し、その刑を加重することは、
その合理的な根拠を失なうこととなり、刑法二〇〇条は憲法一四条一項に違反し無
効なものというべきである。したがつて、刑法二〇〇条は憲法に違反しないとして
被告人の本件所為に対し刑法二〇〇条を適用している原判決は、憲法一四条一項の
解釈を誤つたものにほかならず、かつ、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明ら
かであるから、これを破棄すべきものとすべきであると考える。
 裁判官色川幸太郎の意見は次のとおりである。
 一、多数意見は、これを要約すると、刑法二〇〇条が、尊属殺人を普通殺人と区
別して規定しているのは、一般的にいうと、身分による差別的取扱いであるが、し
かし、尊属殺人は背倫理性が顕著であるから、かかる所為を禁圧する目的で特別の
罪を設けてその刑を加重することは、憲法上許される合理的な差別であり、ただち
には違憲とはいえない、もつとも右法条は、加重の程度が極端であつて、右のごと
き立法目的達成の手段としては甚だしく均衡を失するが故に、憲法一四条一項に違
反する、と説示している。右のうち、刑法二〇〇条が身分による差別的取扱いの規
定であるとする点、および、これが憲法一四条一項に違反するとの結論には私も賛
成であるが、尊属殺人につき普通殺人と異なる特別の罪を規定することが、憲法上
許容された範囲の合理的差別であるという見解には、同調することができないので
ある。
 二、右に見るごとく、多数意見は尊属殺人が普通殺人に比して、それ自体、特に
重い非難に値するものであるとなし、その一点に、右両者の間の差別的取扱いの合
理性を見出そうとしているのであり、その論理はおよそ次のように展開されている。
  (1) 尊属と卑属(以下概括して親と子と略称する。)は婚姻と血縁とを主
たる基盤とした親族である。
  (2) 親族は自然の敬愛と親密の情で結ばれている結合である。
  (3) その結合には長幼の別や責任の分担に伴う秩序が存する。
  (4) 親は子を養育成長せしめ、また子の行為につき法律上、道義上の責任
を負う。
  (5) 親に対する尊属報恩は社会生活上の基本的道義であり普遍的倫理であ
る。
  (6) 前記情愛と右の倫理は刑法上の保護に値する。
  (7) 尊属殺人は前記結合の破壊であり人倫の大本に反する。
  (8) 尊属殺人はこのように高度の社会的道義的非難を受けるものであるゆ
え、これを量刑の情状とすることは不合理ではなく、そうである以上、一歩進めて
類型化し、これを法律上の加重要件とすることは当然許される。
以上である。
 三、これを要するに、多数意見は、子の親に対する殺人をもつて、普通殺人とは
比ぶべくもない背倫理性ありとする所以を、その行為が、自然的愛情を紐帯とし一
定の秩序のある親族結合の破壊であり、かつ親に対する忘恩の所業であるという二
点に求めたわけである。しかし、「婚姻と血縁とを主たる基盤とし互いに自然的な
親密の情によつて結ばれている」親族は、ひとり親子だけではない。夫婦しかり、
兄弟姉妹またしかりなのである。夫婦はもともと他人同志が結ばれたものではある
が、その間の自然的情愛は血のつながる親子に比してはたして劣るといえるであろ
うか。いわんや夫婦とその一方の親との関係とでは、いずれが強く結ばれているか
いうまでもあるまい。しかも夫婦関係は親子関係と並んで否むしろ一層強い意味合
をもつて、社会の根源的な基礎構造を形成しているのである(のみならず、子が成
人し独立したのちには、後者の関係はほとんど分解し、社会の基礎構造たる実質を
失うのが常であろう。過去一〇年間におけるいわゆる核家族の激増ぶりは欧米をも
凌ぐものがあるといわれている。それは、良いか悪いか、好ましいか、好ましくな
いかの問題を超えた、現代社会の必然的傾向なのである。)。多数意見は、親族の
間柄における「長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序」を強調する。しかしこれ
また、親と子の関係だけに特有なものではない。夫婦には親子の間よりも明らかな
「責任の分担」が存在し、また、兄弟姉妹にはいうまでもなく長幼の別がある。そ
れらの親族関係には「一定の秩序」が厳存するのである。だから、その間に殺人行
為があつたならば、それが「かかる結合の破壊」であること、もとよりいうをまた
ない筈であるのに、これについて普通殺人とは別異な罪が特に定められているわけ
ではない。それのみか、親子間においても、子が被害者の場合には同様なのである。
近時頻発している親の子に対する殺人などは、まさに、自然の情愛に基づく結合の
破壊であり、また、その大部分は許し難い非人間的な犯罪であるけれども、わが国
には従来この種の殺人について加重規定のなかつたのはもちろん、かかる立法への
要請さえ絶えて聞かないところである。以上のように考えてくると、多数意見の指
摘する、背倫理性が特に重いとする所以は、これを主として上告後段の理由、すな
わち親に対する忘恩の所業であるとするところに求めるほかないであろう。
 四、この点につき、多数意見は、私の理解するところでは、親は子を育て、その
上、子の「所為につき法律上、道義上の責任を負う」のであるから、子は、これに
対し「報恩」の念を持つ義務があり、この恩に酬ゆる意味で親を尊重することが「
社会生活上の基本的道義」であり「普遍的倫理」だとしているごとくである。しか
し、はたしてそういう考え方がそのまま承認され得るものであろうか。
  (イ) まず、親が子の所為につき社会的に責任を負う、という意味を検討し
てみたい。こと、法律上の責任に関するかぎり、仮に誤りでないとしても、その立
言は、甚だしく不正確である。いうまでもなく刑法は責任原則で貫かれている。な
に人も、自己の行為によつてのみ、刑罰を科せられるにとどまり、他人の行為で罰
せられるごときことはあり得ないのである。行政刑法においてはなるほど両罰規定
があるけれども、その本質は監督上の不作為責任の追究であり、純然たる他人の行
為による刑事責任ではない。いわゆる両罰が科せられるのは使用者その他監督者な
るが故であつて、親なるが故の責任を問う規定は存在しないのである。罪九族に及
んだのは、遠い昔の話であり、近代刑法のおよそ想像もできないところに属する。
もつとも、民事上は、不法行為法の分野においてのみではあるが、親の監督責任を
認める場合(民法七一四条)もないわけではない。しかしそれは、子が未成年であ
り、かつ行為の責任を弁識できないときで、しかもその親が監督上の義務を怠つた
というきわめて例外の場合に限られているのである。被害者の救済という見地から
は問題の存するところであるかも知れないが、それはそれとして、民事上でもまた、
自己責任が原則だということができよう。
 道義上の責任について説くところは、一応もつとものようでもあるが、しかし道
義上の責任を負うべきか否かは子の所為の態様にもよるし、また、各人の責任観念
のいかんで左右される、きわめて個性的な、結局は各人の考えによるものである。
万人にひとしく適用されるような社会的倫理規範はないのであるし、責任を強く感
じないからといつて一概に非難はできないものがあろう。むしろ、子の所業につき
親を厳しく糾弾したのは実は近代以前に見られた社会事象であつて、個人の独立と
人格の尊厳を基調とする現代の道理の感覚からすれば、その風潮は、抑制こそ望ま
しく、決して助長鼓吹さるべきものではないのである。
 (ロ) 多数意見は、親による養育とそれに対する「報恩」を説いている。たし
かに親が子を一人前に育てあげることには並並ならぬ労苦を伴うものであり、時と
しては自己犠牲さえも敢えていとわないのが親のあり方である。子が親の庇護と養
育の努力に感謝の念をいだくのはまことに自然ではあるが、これを「恩」であると
名づけ、子が親の「恩」に酬ゆることこそ社会生活上の「基本的道義」「普遍的倫
理」であり、一旦これに背く場合には、社会的にはもとより法律的にも重い非難が
加えられてしかるべきだとすることは(多数意見の説示はきわめて簡潔であるが、
敷衍すれば上述のとおりであろう。)まさしく、旧来の孝の観念から、いささかも
脱却していないことを示すものにほかならない。そしてまた、多数意見は、その強
調する右の徳目が旧来の孝と異なるものであるとはいつていないのであるから、右
のごとく措定して、以下、議論を進めることは、当然許されると考える。
 ところで、孝はいうまでもなく儒教において最も重しとされた道徳である。古代
儒教の説いた孝は、やや変容は受けたものの、「忠」とならんで徳川時代の武家社
会を支配するゆるぎなき根幹の道徳となり、さらに、徳川末期には、心学の普及な
どに伴い、農工商の庶民にもある程度浸潤するところがあつた。もつとも結局にお
いては、一部富裕な階級を除き、一般町民や農民を完全に把握するにはいたらず、
孝の観念を基調とする家族制度も庶民層の間においてはついに確立しなかつたとい
われている。ところが明治初頭、政府の重要な教化政策としてとりあげられ、国民
に対し、あらゆる方法をもつて徹底せしめられた結果、封建的な孝という徳目は、
あたかも万古不易の普遍的倫理であるかのごとく考えられるにいたつたのである。
だが、それは錯覚にしかすぎず、要するに、歴史的な一定時期の、特殊な家族制度
を背景としてつちかわれ、そしてまた逆に、かかる家族制度の精神的な支柱を形成
していたものであり、決して、古今東西を通じて変るところなき自然法道徳ではな
いというべきである。
 刑法二〇〇条の立法趣旨が、封建的時代からの伝承にかかる家族制度の維持、強
化にあつたことは、配偶者の直系尊属に対して犯された場合をも尊属殺人とする最
初の提案、すなわち明治三四年刑法改正案につき、その趣旨を明らかにした公的な
「参考書」(法典調査会編)と称する文献や、その後現行法となつた明治四〇年改
正案に関する政府の刑法改正理由書中に歴歴として見ることができ、またその当時
における指導的な刑法体系書の明らかに指摘するところであつた。かくのごとき家
族制度が、すでに、憲法の趣旨に背馳するものとして否定された今日、孝をもつて
刑法の基礎観念としようとするものであるならば、時代錯誤と評せられてもやむを
得ないのではあるまいか。
 (ハ) 憲法との関連においては、なお、いうべきことがある。儒教にいう孝は、
子に独立の存在を認めていない。そこにおける親と子の間は、相互に独立した人格
対人格の関係とはおよそ対蹠的な、権威と服従の支配する世界にほかならず、尊卑
の別(現行民法が折角の改正にもかかわらず、尊属卑属の称呼を踏襲したことには
批判の余地があるであろう。)は永久に存在し、越ゆべからざるその間の身分的秩
序の厳守が絶対的な要請とされている。一言でつくせば、孝は親に対する子の隷従
の道徳なのである。親の恩は山よりも高く海よりも深しとし、これに無定量、無限
定の奉仕の誠をささげ、親を絶対者として尊重服従し、己れをむなしくし力をつく
して親に仕える、それが儒教における孝であつて、そのきわみは親、親たらずとも
子、子たらざるべからずという孝となる。これは中国廿四孝の説話に余すところな
く描かれているところである。現代の常識に反した、このような盲目的な絶対服従
を内容とする孝が、個人の尊厳と平等を基底とする民主主義的倫理と相いれないも
のであることは多言を要しないところであろう。そしてこの後者の倫理こそが、憲
法の基調をなすものであると考えたとき、多数意見の立脚地そのものに根本的な疑
問を感ぜざるを得ない。
 かくいうからといつて、私は、親を重んじこれを大事にすることが、子にとつて
守るべき重要な道徳であることを毛頭否定するものではない。しかしながら、もと
もと道徳は、独立した人格の、自発にかかる内面的な要請ないし決定によつて遵守
せられてこそ、はじめて高い精神的価値をもつものであるから、法律をもつて道徳
を強制せんとするのは道徳の真価を損うことなしとしないのである。もつとも、法
律を通じての道徳の高揚も、策として已むを得ない場合があり、一概に両分野を峻
別することのみ主張するわけではない。ただ、仮にその必要があるとしても、道徳
的価値を保護法益とする立法にあたつて、何よりも留意されなければならないこと
は、その道徳が憲法の精神に適合するか否かを慎重に吟味することの必要性である。
当該道徳が、憲法の建前とする個人の尊厳と人間の平等の原理に背反するものであ
るときは、その立法化はもとより許されないところというべきである。孝の道徳は
なるほど日本の、ある意味では、美わしい伝統であるかも知れない。然し自然の愛
情と相互扶助を基調とする近代的な親子関係(これが憲法の予定する親子関係であ
ろう。)にまで昇華していない、廃絶された筈の古い家族制度と結びついたままの
道徳を、ひたすら温存し、保護し、強化しようとする法律(刑法二〇〇条がその一
つであるが)は、憲法によつて否定されなければならない運命にあると考えるので
ある。
  (二) なお、ついでながら親の「恩」について一言しておきたい。恩を受け
たからそれ故に反対給付として忠勤を励むというギブアンドテークの関係は、洋の
東西を問わず、封建時代における主君と武士との関係に見受けられるのであるが、
子が親を敬愛しこれを大事にしなければならないという感情ないし道徳感は、それ
とは質を異にした、人間の情として自然に流れ出てくるところのものではないであ
ろうか(儒教にしても古代のそれの教える孝は、給付、反対給付の関係ではないよ
うに思われる。)。本当の孝は恩を受けたからそれに酬ゆるという、水臭いもので
あつてはなるまい。第一、親が子のために心を砕くのも、親としては、恩を売つて
他日その反対給付を受けようという底意のあつてのことでは、まず、ないのである。
それは報償を期待することのない、子を思う惻惻たる自然の人情の発露なのである。
法律の面からいつても、親の子に対する「監護及び教育」は、親の権利であるとと
もに義務であり(民法八二〇条)、子を一人前の社会人に育てあげることは親の職
分にほかならず、それなればこそ、養育の費用も、子に特別な財産がある場合を除
いては、当然親の負担に帰するのである。「子供の育成及び教育は、両親の自然の
権利であり、かつ何よりも両親に課せられている義務である」(ドイツ連邦共和国
基本法六条二項)。それであるから、これを恩と考えるべきものとなし、親に対す
る「報恩」を子の至高の義務であると断じて、ここに刑法二〇〇条の主たる存在理
由を求めようとするのは、現行法の建前にも合わず、所詮は無理というものであろ
う。
 五 多数意見は、量刑に際して被害者が親であることを重視するのは当然である
し、そうである以上、これを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けて
も合理性を欠く差別的取扱いにはならないと説く。しかし被害者が親であるという、
ただそれだけのことをもつて、量刑上不利に扱うことは、結局違憲のそしりを免れ
ることはできない。理由としては、上述したところをすべて援用すれば足りると考
える。
 親に格別咎むべきところがないにかかわらず、子が放縦無頼の極、これを殺害す
るにいたつたような場合には、それこそ社会の健全な情緒的感覚をさかなでするも
のであつて、その際、裁判所においてこれを情状重しとするに何の躊躇もあり得な
いであろう。しかしこれは親殺しであるという一事のみに依拠した判断ではない。
量刑における情状の勘酌は、極めて具体的、特殊的でなければならないのであり、
この場合、その特別な背景が考慮されたにすぎないと考えるべきである。過去にお
ける尊属殺人事件の量刑の実際を見ても、多数意見のいうとおり、他の犯罪と併合
罪の関係になつたときは格別、「尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例は
ほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二
回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六
月の刑を宣告される場合も決して稀ではない」のであるから、被害者が親であると
いうだけで、従来、重い刑が科せられたわけではない。多数意見の前述の見解は、
過去の実例に徴したとき、説いてつくさざるものあるを感ずる。
 六 以上、私は、多数意見に同調し難いとする、私なりのいくつかの理由を率直
に披瀝した。しかし、本判決の有する劃期的な意義はこれを評価するに吝かではな
いのであつて、私は、多数意見が、当審の多年に亘つて固持した見解を一擲し、刑
法二〇〇条をもつて違憲であるとしたその勇断には深く敬意を表したいと考える。
ただ、百尺竿頭さらに一歩をすすめ、親であり子であることの故に、刑法上差別し
て扱うこと自体、憲法に副わぬ立法である、とまで踏みきらなかつたところに、な
お遺憾の念を禁じ得ないものがあるのである(刑法二〇〇条は合憲であるという下
田裁判官の反対意見については特に言及しなかつたが、上述した私見は、移しても
つてその批判になるであろう。下田裁判官の意見は、差別の合理性を主張する点に
おいても、裁判所の謙抑を説く点においても、あまりに憲法の原点を離れ去つた感
があり、これには到底賛成することができない。)。
 裁判官大隅健一郎の意見は、次のとおりである。
 私は、刑法二〇〇条の規定が憲法一四条一項に違反して無効であるとする本判決
の結論には賛成であるが、その理由には同調しがたいので、その点について意見を
述べる。
 (一)多数意見によると、普通殺人に関する刑法一九九条のほかに尊属殺人につ
いてその刑を加重する同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における
差別的取扱いにあたるが、憲法の右条項は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に
基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきで
あるから、刑法二〇〇条が憲法の右条項に違反するかどうかは、その差別的取扱い
が合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるところ、尊属殺人
は背倫理性がとくに強いから、右のような差別的取扱いをすることが、ただちに合
理的根拠を欠くものとはいえない、しかし、刑法二〇〇条は、尊属殺人の法定刑を
死刑および無期懲役に限つている点において、その立法目的達成のために必要な限
度を遙かに超え、普通殺人の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするもの
であつて、憲法一四条一項に違反する、というのである。
 私は、このうち、刑法二〇〇条の規定をおくことが憲法一四条一項の意味におけ
る差別的取扱いにあたるとする点、憲法一四条一項のもとでも合理的な根拠に基づ
く差別は許されるとする点には異論はないが、尊属殺人につきその刑を加重する刑
法二〇〇条の規定をおくこと自体が憲法上許された合理的差別であるとする点には、
賛成することができない。
 (二) 多数意見が、尊属殺人という特別の罪を設け、その刑を加重すること自
体がただちに不合理な差別的取扱いにあたらないとする理由は、(1)親族は、婚
姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれてい
ると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、(
2)通常、卑属は、父母、祖父母等の直系尊属に養育されて成人するのみならず、
尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上責任を負うのであつて、尊属
に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、自己または配偶者の直
系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であり、高度の社会的道義的非
難を受けるべきもので、尊属に対する尊重報恩のような自然的情愛ないし普遍的倫
理の維持は、刑法上の保護に値するものである、というにある。
 このうち、(1)において述べているところは、直系の尊属と卑属との間におい
てのみ存する関係ではなくして、夫婦や兄弟姉妹等の間にもひとしく認められる関
係であつて、それが尊属殺人についてのみ特別の差別的取扱いをすることの合理的
根拠となりえないことは、ほとんどいうをまたないであろう。したがつて、多数意
見が尊属殺人につき特別の差別的取扱いをすることを不合理でないとする理由は、
(2)において述べるところに帰するものといわなければならない。
 (三) おもうに、刑法二〇〇条設置の思想的背景には、中国古法制に渕源しわ
が国の律令制度や徳川幕府の法制に見られる尊属殺重罰の思想があるものと解され
るほか、とくに同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含している点は、日本国憲法
により廃止された「家」の制度と深い関連を有するものと認められ、また、諸外国
の立法例をみても、近代においては親殺し重罰の思想はしだいにその影をひそめ、
尊属殺重罰の規定を初めから有しない国が少なくないのみならず、かつてこれを有
した国においても近時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあるのが現状である
ことは、本判決の述べているとおりである。すでに、このことが、刑法二〇〇条の
規定の根底にある尊属殺重罰の思想ないし多数意見がその合理的根拠として述べる
尊属に対する尊重報恩なる道徳観念が、必ずしも普遍性を有するものではなく、特
定の歴史的社会的状況のもとに存立するものであることを窺わしめるに足りるので
ある。そして、刑法二〇〇条は、被害者が加害者またはその配偶者の直系尊属であ
るということのみにより、尊属殺人を普通殺人に比してとくに重く罰しようとする
ものであるから、直系尊属は、直系尊属であるということだけで、常に無条件に尊
重されるべきものとしているのであつて、一種の身分制道徳の見地に立つものとい
える。すなわち、それは、主として尊属卑属間における権威服従ないし尊卑の身分
的秩序を重んずる戸主中心の旧家族制度的道徳観念を背景とし、これに基づく家族
間の倫理および社会的秩序の維持をはかることを目的とするものと考えられる。そ
の意味で、それは、国民に対し法の下における平等を保障する憲法一四条一項の精
神にもとるものであり、この憲法の理念に基づいて行なわれた昭和二二年法律第一
二四号による刑法の一部改正に際し、当然削除さるべき規定であつたといわなけれ
ばならない。
 もとより、直系尊属と卑属とは、通常、互いに自然的敬愛と親密の情によつて結
ばれており(この自然的情愛は普遍的なものであるが、多数意見のように、これと
同意見のいわゆる尊属に対する尊重報恩の倫理とを同視することは、妥当でない。)、
かつ、子が親を重んじ大切にすることは子の守るべき道徳であるが、しかし、それ
は個人の尊厳と人格の平等の原則の上に立つて自覚された強いられない道徳である
べきであり(それは、多数意見のいうように受けた恩義に対する報償的なものでは
なく、人情の自然に基づく心情の発露であると思う。)、当事者の自発的な遵守に
まつべきものであつて、法律をもつて強制すべき性質のものではない。もちろん、
道徳的規範が法律的規範の内容となりえないものでないことはいうまでもないが、
子の親に対する右のごとき道徳は、法律をもつて強制するに適しないばかりでなく、
これを強制することは、尊属は尊属であるがゆえにとくにこれを重んずべきものと
し、法律をもつて合理的理由のない一種の身分的差別を設けるものであつて、すで
に述べたとおり、憲法一四条一項の精神と相容れないものといわなければならない
のである。
 以上のようにして、私は、尊属殺なる特別の罪を認め、その刑を加重する刑法二
〇〇条の規定を設けること自体が憲法一四条一項に違反する不合理な差別的取扱い
にあたると解するものであつて、その法定刑が不当に重いかどうかを問題とするま
でもないと考えるのである。
 四 なお、上述のように、私は、尊属に対する卑属の殺害行為についてのみその
刑を加重する刑法二〇〇条の規定は憲法一四条一項に違反するものと解するが、こ
のような一方的なものでなく、夫婦相互間ならびに親子等の直系親族相互間の殺害
行為(配偶者殺し、親殺し、子殺し等)につき近親殺というべき特別の罪を設け、
その刑を加重することは、その加重の程度が合理的な範囲を超えないかぎり、必ず
しも右の憲法の条項に反するものではないと考えることを附言しておきたい。もつ
とも、そのような規定を設けることの要否ないし適否については私は消極的意見で
あるが、それは法律政策の問題である。
 裁判官下田武三の反対意見は、次のとおりである。
 わたくしは、憲法一四条一項の規定する法の下における平等の原則を生んだ歴史
的背景にかんがみ、そもそも尊属・卑属のごとき親族的の身分関係は、同条にいう
社会的身分には該当しないものであり、したがつて、これに基づいて刑法上の差別
を設けることの当否は、もともと同条項の関知するところではないと考えるもので
ある。しかし、本判決の多数意見は、尊属・卑属の身分関係に基づく刑法上の差別
も同条項の意味における差別的取扱いにあたるとの前提に立つて、尊属殺に関する
刑法二〇〇条の規定の合憲性につき判断を加えているので、いまわたくしも、右の
点についての詳論はしばらくおき、かりに多数意見の右の前提に立つこととしても、
なおかつ、安易に同条の合憲性を否定した同意見の結論に賛成することができない
のであつて、以下にその理由を述べることとする。
  一、まず、多数意見に従つて、刑法一九九条の普通殺の規定のほかに、尊属殺
に関する刑法二〇〇条をおくことが、憲法一四条一項の意味における差別的取扱い
にあたると解した場合、同意見がかかる取扱いをもつてあながち合理的な根拠を欠
くものと断ずることはできないとし、したがつて尊属殺に関する刑法二〇〇条は、
このゆえをもつてしてはただちに違憲であるとはいえないとする点は、相当と思料
されるのであるが、多数意見がさらに進んで、同条はその法定刑が極端に重きに失
するから、もはや合理的根拠に基づく差別的取扱いとしてこれを正当化することが
できないとし、このゆえをもつて同条は憲法一四条一項に違反して無効であるとす
る結論に対しては、わたくしは、とうてい同調することができないのである。
 すなわち右の点に関する多数意見の骨子は、尊属殺に対し刑法二〇〇条が定める
刑は死刑および無期懲役刑のみであつて、普通殺に対する同法一九九条の法定刑に
比し、刑の選択の範囲が極めて限られており、その結果、尊属殺をおかした卑属に
科しうる刑の範囲もおのずから限定されることとなり、とくにいかなる場合にも執
行猶予を付することができないこととなるなど、量刑上著しい不便が存することを
強調し、かかる法定刑の設定については、「十分納得すべき説明がつきかねる」と
いうにあるものと解される。
 しかしながら、そもそも法定刑をいかに定めるかは、本来、立法府の裁量に属す
る事項であつて、かりにある規定と他の規定との間に法定刑の不均衡が存するごと
く見えることがあつたとしても、それは原則として立法政策当否の問題たるにとど
まり、ただちに憲法上の問題を生ずるものでないことは、つとに当裁判所昭和二三
年(れ)第一〇三三号同年一二月一五日大法廷判決・刑集二巻一三号一七八三頁の
示すとおりである。
 そして、多数意見も説くとおり、尊属の殺害は、それ自体人倫の大本に反し、か
かる行為をあえてした者の背倫理性は、高度の社会的道義的非難に値するものであ
つて、刑法二〇〇条は、かかる所為は通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて
強くこれを禁圧しようとするものにほかならないから、その法定刑がとくに厳しい
ことはむしろ理の当然としなければならない。
 もつとも、多数意見も、尊属殺の場合に法定刑が加重されること自体を問題とす
るものではなく、ただ、加重の程度が極端に過ぎるとするものであるが、極端であ
るか否かは要するに価値判断にかかるものであり、抽象的にこれを論ずることは、
専断、恣意を導入するおそれがある。けだし、かかる価値判断に際しては、国民多
数の意見を代表する立法府が、法律的観点のみからでなく、国民の道徳・感情、歴
史・伝統、風俗・習慣等各般の見地から、多くの資料に基づき十分な討議を経て到
達した結論ともいうべき実定法規を尊重することこそ、憲法の根本原則たる三権分
立の趣旨にそうものというべく、裁判所がたやすくかかる事項に立ち入ることは、
司法の謙抑の原則にもとることとなるおそれがあり、十分慎重な態度をもつて処す
る要があるものとしなければならない。
 二、いま刑法における尊属殺の規定の沿革をかえりみるに、現行刑法はいわゆる
旧刑法(明治一三年太政官布告第三六号)を改正したものであるが、その改正の一
重要眼目は、一般に法定刑の範囲を広め、裁判官の裁量によつて妥当な刑を科する
余地を拡大するにあつたのであり、この趣旨にそい、現行法の二〇〇条は、旧法三
六二条一項が尊属殺の刑を死刑のみに限り、かつまた、その三六五条が、右の罪に
ついては宥恕・不論罪すなわち刑の減免等に関する規定の適用を一切禁じていたの
をあらため、尊属殺の法定刑に新たに無期懲役刑を加え、かつ、減免規定等の適用
をも可能としたものであつて、旧法に比し著しく刑を緩和したあとが認められるの
である。しかも、当時の帝国議会議事録によれば、一部議員からは、孝道奨励のた
め法定刑を依然死刑のみに限定すべき旨の強硬な主張があり、長時間の討議の末、
ようやくこの主張を斥けて現行法の成立となつたことを知りうるのである。刑法二
〇〇条の法定刑は極端に重いとする多数意見が必ずしもあたらないことは、このよ
うな沿革に徴しても明らかであり、したがつてまた、同条をこの理由をもつてただ
ちに違憲と ずるその結論も、前提を欠くに帰するのではあるまいか。
 さらに、多数意見も指摘するとおり、昭和二二年、第一回国会において、刑法の
規定を新憲法の理念に適合せしめるため、その一部改正が行なわれた際にも、同法
二〇〇条は、ことさらにその改正から除外されたのであつて、右は当時立法府が本
条をもつて憲法に適合するものと判断したことによると認むべきである。爾来わず
かに四半世紀を経過したに過ぎないのであるが、その間多数意見の指摘するとおり、
同条のもとにおける量刑上の困難が論議され、さらに同条の違憲論すら公にされ、
最近には同条の削除を含む改正刑法草案も発表されるに至つたのは事実であるが(
もつとも右草案はいまだ試案の域を出でないものである。)、今日なお同条につい
ての立法上の措置が実現していないことは、立法府が、現時点において、同条の合
憲性はもとより、立法政策当否の観点からも、なお同条の存置を是認しているもの
と解すべきである。かかる経緯をも考慮するときは、司法の謙抑と立法府の判断の
尊重の必要は、刑法二〇〇条の場合において一段と大であるといわなければならな
い。
 しかるに、多数意見のこの点に関する判示は極めて簡単であり、「尊属殺の法定
刑は、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観
点のみをもつてしては説明がつきかねる」とするのであつて、これのみでは恣意を
排除した客観性のある結論とはいいがたいように思われる。
 もつとも、多数意見の指摘するように、尊属殺重罰規定が時代とともに緩和せら
れつつある内外の立法傾向については、わたくしも決して眼を閉じようとするもの
でなく、かつ、将来の立法論としてなら、わたくしにも意見がないわけではないが
(現行刑法二〇〇条に、同条の法定刑の下限たる無期懲役刑と普通殺に関する同法
一九九条の下限たる三年の懲役刑との間に位置する中間的な有期懲役刑を追加設定
し、現行法の尊属殺重罰を多少緩和するとともに、あわせて科刑上の困難を解決す
ることは、立法論としては十分考慮に値するところであろう。)、もとより裁判官
としては立法論をいう立場にはなく、将来いかなる時期にいかなる内容の尊属殺処
罰規定を制定あるいは改廃すべきかの判断は、あげて立法府の裁量に委ねるのを相
当と考えるものである。刑事法の基本法規たる刑法の重要規定につき、前述のごと
き沿革のあることをも顧慮することなく、前回の改正よりさして長い年月も過ぎな
い現在、何故裁判所が突如として違憲の判断を下さなければならないかの理由を解
するに苦しまざるをえないのである。
 三、なお、本判決には、尊属殺を重く罰する刑法二〇〇条の立法目的自体を違憲
とする意見も付されているので、この点につき一言したい。これは同時に同条の法
定刑につき「十分納得すべき説明」が可能であることの論証ともなるものと考える。
 そもそも親子の関係は、人智を超えた至高精妙な大自然の恵みにより発生し、人
類の存続と文明伝承の基盤をなすものであり、最も尊ぶべき人間関係のひとつであ
つて、その間における自然の情愛とたくまざる秩序とは、人類の歴史とともに古く、
古今東西の別の存しないところのものである(そして、そのことは、擬制的な親子
関係たる養親子関係、ひいては配偶者の尊属との関係についても、程度の差こそあ
れ、本質的には同様である。)。かかる自然発生的な、情愛にみち秩序のある人間
関係が尊属・卑属の関係であり、これを、往昔の奴隷制や貴族・平民の別、あるい
は士農工商四民の制度のごとき、憲法一四条一項の規定とは明らかに両立しえない、
不合理な人為的社会的身分の差別と同一に論ずることは、とうていできないといわ
なければならない。
 そこで、多数意見もいうように、かかる自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重
の観点に立つて、尊属に対する敬愛報恩を重視すべきものとし、この点に立脚して、
立法上の配慮を施すことはなんら失当とするところではなく、その具体化として現
行の刑法二〇〇条程度の法定刑を規定することは、同条の立法目的実現の手段とし
て決して不合理なものとは考えられないのである。
 そして、このような尊属に対する敬愛・尊重が、人類の歴史とともに始まつた自
然発生的なものであり、かつ合理的で普遍性を有するものである以上、刑法二〇〇
条の規定をもつて、歴史上の一時期における存在に過ぎない封建道徳をいまさら鼓
吹助長するための手段であるかのごとく論難するのあたらないことは多言を要せず、
また右規定は、もとより親不孝なる刑事法上の特別の行為類型を設けて、その違反
を処罰しようとするものではないから、「孝道」を法的に強制するものとして非難
するのあたらないことも言をまたない。なお、刑法二〇〇条の立法にあたつて、当
初、旧家族制度との関連が考慮されていたことは歴史的の事実と見られるところ、
同条が家族制度と一体不離の関係をなすものでないことはもちろんであり、とくに
かかる制度の廃止された新憲法下の今日において、同制度との関連より生ずべき弊
害なるものを、強いて憂える必要もありえないところである。さらにまた、親族関
係のうち卑属の尊属に対する関係のみを取り出して特別規定の設けられていること
を問題とする見解もあるが、同じく近親であつても、夫婦相互間、兄弟姉妹間等に
おける親愛、緊密の情は、卑属の尊属に対する報恩、尊敬の念とは性質を異にする
ものであつて、たやすくこれを同一視して論ずることができないものであることは
いうまでもなく、また本件で争われているのは、尊属殺を定めた刑法二〇〇条の合
憲性であるから、これが合理的な差別といいうるか否かの点を問えば足りるのであ
つて、他に尊属殺と同様に強く非難さるべき行為類型が存するか否かは、本件の論
点とは直接の関係がないものといわなければならない。
 四、なお多数意見は、刑法二〇〇条のもとにおける科刑上の困難を強調するので
あるが、たしかに現実の事案についての具体的判断を任務とする裁判とは異なり、
立法は将来の事象についての予測に立脚するものであるから、特殊例外の事案につ
いて、立法府の策定した実定法規をもつてしては、適切な量刑に困難を感ずること
がありうることは否定しえないところであり、本件のごときもまさにその例外的事
例ということができるのであつて、被告人のおかれた悲惨な境遇を深く憐れむ点に
おいて、わたくしもまた決して人後に落ちるものではない。しかしながら、情状の
酌量は法律の許容する範囲内で行なうことが裁判官の職責であり、その範囲内でい
かに工夫をこらしてもなお妥当な結果に導きえない場合が生じたとすれば、これに
対しては、現行法制のもとにおいては、恩赦、仮釈放等、行政当局の適切な措置に
まつほかはないのであつて、多数意見のごとく、憐憫に値する被告人の所為であり、
かつ、科刑上も難点の存するがゆえに、ただちにさかのぼつてその処罰規定自体を
違憲、無効と断ずることによりこれに対処せんとするがごときは、事理において本
末転倒の嫌いがあるものといわざるをえないのである。
 五、最後に、田中裁判官は、その意見のうちに、違憲立法審査権に関するわたく
しの見解に触れておられるので、この点につき、さらに補足することとしたい。わ
たくしは、ある法律の規定を「立法府が合憲と判断した以上、これに対する裁判所
の介入は、もはや許さるべきでない」とするものでもなく、また「国会の多数の意
見に従つて制定された法律であることのゆえのみをもつてただちに常に合憲と断定
する」ものでもない。いうまでもなく、憲法は、最高裁判所に対し、一切の法令お
よび処分の憲法に適合するか否かを決定する最終的権限を与えており(憲法八一条)、
この点において、司法は立法および行政に対し優位に立つものとされているところ、
わたくしは、司法がこのような優位に立つものであるがゆえに、またそのゆえにこ
そ、裁判所としては、この権限の行使にあたり、慎重の上にも慎重を期さなければ
ならないと考えるものである。とくに道徳的規範と密接な関係を有する刑法の規定
について、違憲審査を行なうに際しては、裁判所の判断のいかんは、ただに当該事
案の当事者の利益にかかわるのみでなく、広く世道人心に深刻な影響を及ぼす可能
性があるだけに、最も慎重を期する要があるものと考えるのである。
 現今尊属殺の問題のほか、たとえば死刑の存廃、安楽死幇助の可否等刑法上の諸
問題をめぐつて、内外に多くの論議が行なわれており、なかには戦後の思想的混乱
に乗じて行き過ぎの議論の行なわれるのを見るのであるが、かかる時代に、刑法の
関連法規について、裁判所が違憲立法審査権を行使するにあたつては、もとより時
流に動かされることなく、よろしく長期的視野に立つて、これら法規の背後に流れ
る人類普遍の道徳原理に深く思いをいたし、周到かつ慎重な判断を下すべきことが
要請されるものといわなければならない。また、これらの問題についての判断は、
国民感情、伝統、風俗、習慣等を十分考慮に入れ、さらに宗教、医学、心理学その
他各般の分野にわたる見解と資料を参酌して綜合的に行なうことを必要とするもの
であるから、広く国民各層、各界の意見を代表し、反映する立場にある立法府の判
断は、裁判所としても十分これを尊重することが、三権分立の根本趣旨に適合する
ものといわなければならない。
 さらに、立法上の措置がまつたく予見されていない時期においてならばともかく、
現在のように、法制審議会を中心として、刑法改正案作成の作業が進捗中であり、
これに基づき、さして遠からざる将来に、政府原案が作成され、国会提出の運びと
なることが予想され、しかもその場合、これを受けた立法府における討議の帰趨は、
いまだまつたく予見することができない時期において、にわかに裁判所が、立法府
の検討に予断を与え、あるいは立法の先取りをなすものとも見られるおそれのある
判断を下すことは、はたして司法の謙抑の原則に反することなきやを深く憂えざる
をえないのである。
 以上の次第により、結論として、わたくしは、尊属殺に関する刑法二〇〇条の立
法目的が憲法に違反するとされる各裁判官の意見(目的違憲説)にも、また立法目
的は合憲であるとされながら、その目的達成の手段としての刑の加重方法が違憲で
あるとされる多数意見(手段違憲説)のいずれにも同調することができないもので
あつて、同条の規定は、その立法目的においても、その目的達成の手段においても、
ともに十分の合理的根拠を有するものであつて、なんら憲法違反のかどはないと考
えるものである。よつて本件上告趣意中違憲をいう点は理由がないものと思料し、
その余はいずれも適法な上告理由にあたらないのであるから、本件上告は、これを
棄却すべきものと考える。
 検察官横井大三、同横溝準之助、同山室章 公判出席
  昭和四八年四月四日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    石   田   和   外
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    関   根   小   郷
            裁判官    藤   林   益   三
            裁判官    岡   原   昌   男
            裁判官    小   川   信   雄
            裁判官    下   田   武   三
            裁判官    岸       盛   一
            裁判官    天   野   武   一
            裁判官    坂   本   吉   勝
 裁判官田中二郎、同岩田誠、同下村三郎、同色川幸太郎は、退官のため署名押印
することができない。
         裁判長裁判官    石   田   和   外

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