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裁判例


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○ 主文
一 原告の請求を棄却する。ただし、昭和五八年一二月一八日行われた衆議院議員
選挙の京都府第二区における選挙は、違法である。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
○ 事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 昭和五八年一二月一八日行われた衆議院議員選挙の京都府第二区における選挙
を無効とする。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
1 本案前の申立
本件訴えを却下する。
2 本案の申立
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和五八年一二月一八日行われた衆議院議員選挙(以下「本件選挙」
という。)の京都府第二区における選挙人である。
2 本件選挙は、公職選挙法(以下「公選法」という。)一三条、別表第一並びに
同法附則七項ないし九項による選挙区及び議員定数の定め(以下「議員定数配分規
定」という。)に従つて実施されたものであるところ、右規定による各選挙区間の
議員一人当りの有権者分布差比率は、最大四・四一(千葉県第四区)対一(兵庫県
第五区)にも及んでおり、原告の選挙区と兵庫県第五区とのそれは、二・八二対一
に及んでいる。
これは、なんらの合理的根拠に基づかないで、住所(選挙区)のいかんにより、一
部の選挙人を差別し、不平等に取り扱つたものである。
3 それ故、右のような各選挙区間における選挙人の投票価値に著しい較差のある
議員定数配分規定に基づく本件選挙は、どの選挙人の一票も他の選挙人のそれと均
等な価値を与えられることを要求する憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条
に違反し、無効というべきである。
なお、その詳細は別紙(一)記載のとおりである。
4 よつて、原告は、公選法二〇四条に基づき、京都府第二区における本件選挙を
無効とする旨の判決を求める。
二 被告の本案前の主張
議員定数配分規定の違憲無効を理由とする選挙無効の訴えは、公選法二〇四条の予
想するところではなく、現行法における民衆訴訟の本質に反するところであるか
ら、同条の訴訟形式を藉りて選挙無効の訴えを提起することはできず、そのような
訴えのための実定法規が制定されていない現行法制度の下においては、本件訴え
は、不適法として却下されるべきである。
なお、その詳細は別紙(二)記載のとおりである。
三 請求原因に対する被告の認否と反論
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実のうち、第一段は認め、第二段は争う。
3 同3の主張は争う。
4 本件議員定数配分規定は憲法に違反するものではないし、仮に、本件選挙時の
選挙区間における議員一人当りの選挙人数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反
する状態にあつたとしても、いまだ議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期
間内に是正がなされなかつたとはいえず、本件選挙は有効である。
なお、その詳細は別紙(三)記載のとおりである。
第三 証拠(省略)
○ 理由
一 原告が昭和五八年一二月一八日に行われた本件選挙の京都府第二区における選
挙人であることは当事者間に争いがなく、原告が本件選挙の日から公選法二〇四条
所定の三〇日以内である昭和五九年一月一四日当裁判所に本訴を提起したことは、
本件記録に徴し明らかである。
二 被告は、議員定数配分規定の違憲無効を理由とする本件訴えは、公選法二〇四
条の予想するところではなく、現行法体系の規定の仕方や民衆訴訟の本質に反して
おり、不適法である旨主張するが、議員定数配分規定そのものの違憲を理由とする
選挙の効力に関する訴訟が公選法二〇四条の規定に基づく訴訟として許されること
は、夙に最高裁判所の判例(最高裁判所昭和五一年四月一四日大法廷判決、民集三
〇巻三号二二三頁、同昭和五八年一一月七日大法廷判決、民集三七巻九号一二四三
頁)とするところであつて、これと別異に解すべき理由はないから、被告の主張は
理由がない。
三 原告は、本件選挙における各選挙区間の議員一人当りの有権者分布差比率が、
最大四・四一対一に、原告の選挙区のそれは二・八二対一に及んでおり、これはな
んらの合理的根拠に基づかないで、住所(選挙区)のいかんにより一部の選挙人を
不平等に取り扱つたものであるから、憲法一四条一項、一五条一項、三項、四四条
に違反する旨主張するので、この点について判断する。
1 議会制民主主義を採る日本国憲法の下において、国会議員を選挙する権利は、
国民の国政への参加を保障する基本的権利であつて、法の下の平等を定めた憲法一
四条一項の政治的領域における適用として憲法一五条一項、三項は国会の両議院の
議員を選挙する権利を成年たる国民のすべてに保障し、同法四四条但し書は選挙人
資格について、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつ
て差別してはならないものとしている。右各規定の文言上は、単に選挙人資格にお
ける差別の禁止が定められているに過ぎないけれども、憲法前文等に明記された国
民主権主義の理念に照らせば、憲法一四条一項に定める法の下の平等は、選挙権に
関しては、国民はすべて政治的価値においても平等であるべきであるとする徹底し
た平等化を志向するものであつて、選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値
の平等もまた憲法の要求するところであると解するのが相当である。そうであれ
ば、憲法は、異なる選挙区間における投票価値の平等をも要求しているものであつ
て、単に同一選挙区内における投票価値の平等を要求しているに過ぎない旨の被告
の主張のとり得ないことは明らかである。
しかしながら、投票価値は選挙制度の仕組と密接に関連し、その仕組のいかんによ
り、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生ずることがあるのを免れ
ないから、右の投票価値の平等は、各投票が選挙に及ぼす影響力が絶対的、数字的
に同一であることまでも要求するものと考えることはできない。右の選挙制度の仕
組については、代表民主制の国家においても、論理的に要請される一定不変の形態
があるわけではなく、要は、選挙された代表者を通じて国民の利害や意見が公正か
つ効果的に国政は反映されることを目標とし、他方、政治における安定の要請をも
考慮しながら、実情に即して具体的に決定されるべきものであるから、憲法は、国
会両議院の議員の選挙について、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関
する事項は法律で定めるべきものとし(四三条二項、四七条)、その具体的決定を
原則として国会の裁量に委ねているのであり、前記投票価値の平等についても、こ
れをそれらの選挙制度の決定について国会が考慮すべき唯一絶対の基準としている
わけではなく、国会が正当に考慮することのできる他の政策目的ないし理由との関
連において調和的に実現されるべきものと解すべきである(前掲最高裁判所昭和五
一年四月一四日大法廷判決参照)。
もつとも、衆議院議員の選挙制度においては、選挙区の人口と配分された議員数と
の比率の平等が最も重要かつ基本的な基準であることは、公選法制定の過程及び衆
議院議員が国民代表的性格を有することに鑑みて明らかであり、前記の憲法の理念
に照らせば、国会において通常考慮し得る諸般の要素(従来の選挙の実績、選挙区
としてのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構
成、交通事情、地理的状況、あるいは人口の都市集中化や地方の過疎化問題とその
対策等)も自から合理的範囲内のものであるときに限り許容されるに過ぎないとい
わなければならず、右非人口的要素を考慮することによつて、憲法の要求する平等
の原則に反することになつてはならないことはいうまでもない。
2 そこで、本件選挙における各選挙人の有した投票価値が、憲法の保障する平等
の原則に合致するか否かを検討する。
本件選挙は、昭和五〇年法律第六三号による改正後の議員定数配分規定に従つて実
施されたものであるところ、右改正においては、直近の昭和四五年一〇月実施の国
勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当りの人口の較差が最大四・
八三対一にも及んでいたのを是正するため、右改正前の衆議院議員定数四九一人に
二〇人を増員してこれを議員一人当りの人口の著しく多い一一の選挙区に配分し、
これによつて議員数が六人以上となる選挙区を分割することとされたもので、右改
正の結果、前記国勢調査による人口を基準とする右較差は最大二・九二対一に縮小
されたことは右改正の経過から明らかであり、また、本件選挙当時、選挙区間にお
ける議員一人当りの選挙人数の較差が最大四・四一対一 (千葉県第四区と兵庫県
第五区との対比、小数点以下第二位未満四捨五入)に及んでいたことは当事者間に
争いがない。
本件選挙当時の選挙区間における右較差は、右改正の前後を通じた人口の異動(特
に大都市周辺への人口移動の激増)の結果によるものと推定されるが、前記のとお
り、衆議院議員の選挙の制度においては、選挙区の人口と配分された議員数との比
率の平等が最も重要かつ基本的基準であることからすれば、右最大較差が示す四・
四一対一という選挙区間における投票価値の著しい不平等は、国会において通常考
慮し得る諸般の要素を斟酌しても、なお一般的に合理性を有するものとは考えられ
ない程度に達していたというべきであり、国会の裁量権の行使として合理性を是認
し得ない。そして右較差を正当化する特別の理由がない限り、選挙区間における本
件選挙当時の右投票価値の較差は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至つ
ていたものというべきところ、本件全証拠によつても、これを正当化すべき特別の
理由を見出すことはできない。
3 しかも、前記のとおり、本件議員定数配分規定は、昭和五〇年法律第六三号に
よつて改正された当時において既に約三対一の較差が存在しており、昭和五〇年の
国勢調査の結果は昭和五一年四月一五日には判明したが、右国勢調査による人口を
基準とする選挙区間における議員一人当りの人口の較差は最大三・七一対一であつ
て、右法改正当時現実的には憲法が許容し得る最大較差三対一を優に超えるもので
あり、さらに昭和五五年の国勢調査の結果に基づけば、その最大較差は四・五四対
一にまで及んでいること、またその間に行われた衆議院議員選挙の選挙区間におけ
る議員一人当りの選挙人数の較差の最大値は、昭和五一年一二月五日選挙で三・四
九対一、昭和五四年一〇月七日選挙で三・八七対一、昭和五五年六月二二日選挙で
三・九四対一にも及んでおり、右較差はそれぞれの国勢調査の結果や自治省または
各都道府県選挙管理委員会の発表する有権者数から計算上明らかであつて、右較差
の存在及びその増大傾向は種々の方法で把握可能であつたにもかかわらず、本件選
挙までの間、長期にわたり何らの措置も構じられなかつたのであるから、本件定数
配分規定は、憲法上要求される合理的期間内にその是正がなされなかつたものとい
わざるを得ず、本件全証拠によつても、合理的期間内に是正されなかつたことを正
当化する特段の事由を見出すことはできない。
4 そうすると、本件議員定数配分規定は、本件選挙当時、合理的に是認できない
投票価値の不平等が存し、憲法に違反していたものというべきである。
そして、選挙区割及び議員定数の配分は、議員総数と関連させながら、国会がその
委ねられた裁量権の合理的な範囲内において、諸般の事情を考慮しながら、いかに
して国民の意思を公正かつ効果的に反映させるかという観点から決定すべきもので
あつて、一旦このようにして決定されたものは、一定の議員総数の各選挙区への配
分として、相互に有機的に関連し、一の部分における変動は他の部分にも波動的に
影響を及ぼすべき性質を有するものと認められ、その意味において不可分の一体を
なすと考えられるから、本件配分規定は、単に憲法に違反する不平等を招来してい
る選挙区についてのみでなく、全体として違憲の瑕疵を帯びるものと解すべきであ
る。
四 右のように、本件議員定数配分規定は、本件選挙当時においては全体として違
憲とされるべきものであり、従つて右規定に基づいて行われた選挙が憲法の要求に
沿わないものであることは前記のとおりであるが、しかし右規定及びこれに基づく
選挙を当然に無効であると解した場合、これによつて憲法に適合する状態が直ちに
もならされるわけではなく、かえつて、右選挙により選出された議員がすべて当初
から議員としての資格を有しなかつたこととなる結果、既に成立した法律等の効力
に問題が生じたり、今後における衆議院の活動が不可能となることも予想され、ま
た仮に公選法二〇四条によつて京都府第二区の選挙のみ無効とすると、当該選挙区
のみ選出議員を失うことになるなど、いずれにしても憲法の所期するところに必ず
しも適合しない結果となるといわざるを得ない。これらの事情等を考慮するとき
は、本件においては、行政事件訴訟法三一条一項に示された一般法の原則に従い、
本件選挙は憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた点において違法で
ある旨を判示するにとどめ、選挙自体はこれを無効としないこととするのが相当で
ある。
五 よつて、原告の本訴請求を棄却するとともに、本件選挙のうち原告の属する選
挙区である京都府第二区の選挙が違法であることを宣言することとし、訴訟費用の
負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九二条但書を適用して主文のとおり判決す
る。
(裁判官 大野千里 田坂友男 島田清次郎)
別紙(一)
一 本件訴訟の命題
昭和五八年一二月一八日に行われた衆議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)
は、各選挙区間における選挙人の投票の価値に著しい較差のある議員定数配分規定
に基づいて行われ、それ故、京都府第二区の選挙人である原告は、なんらの合理的
根拠に依らずして住所(選挙区)がどこにあるかという理由だけで、他の選挙区の
選挙人との間に不当不法な差別を受け不平等に取り扱われたために、本件選挙は無
効であるとするのが、この訴訟の命題である。
ところで、原告が右に述べた選挙人の「投票の価値」というのは、講学上、一人一
票の基礎である「数的価値」をいうばかりでなく、すべての投票が選挙の結果に及
ぼす影響力(より厳密には、影響力の可能性)である「結果価値」をも含むもので
ある。すなわち、それは、昭和四七年一二月一〇日施行の衆議院議員選挙千葉県第
一区に関する選挙無効請求上告事件において、最高裁判所大法廷が判示したところ
の「各選挙人の投票の価値、すなわち各投票が選挙の結果に及ぼす影響カ」(昭和
五一年四月一四日最高裁大法廷・民集三〇巻三号二二三頁)という文言と同義であ
るといつてよい。
しかしながら、後述するように、この「投票の価値」のうちの「数的価値」の平等
は、いわゆる一人一票制の採用として、わが憲法、公職選挙法(以下「公選法」と
いう。)ですでに解決されており、それ故本訴訟において主として問題となるの
は、右のうちの「結果価値」の平等についてである。
有権者が投票によつて政治的手続に参加する度合は等しくなければならない、有権
者の発言権は等しい政治的効果をもたらすものでなければならない、有権者の一票
は等しい重さを持つていなければならない-これが「結果価値」の平等の端的な表
現である。それは、より具体的には、各選挙区における議員定数と有権者数との比
率で以て表わされる。
本件選挙の実態は、別表の定数不均衡状態一覧表を参照すれば一目瞭然であるが、
特に本件訴訟にとつて重要と思われる事項についてのみ、右の表から必要な数字を
指摘すると次のとおりである。
(一) 議員一人当りの全国平均有権者数
一六 四、八七七
(当日確定有権者数八四、二五二、六〇八を議員定数五一一で除す)
(二) 議員一人当り京都第二区有権者数の議員一人当り全国平均有権者数に占め
る比率
一三 九・八八%
(京都第二区の議員一人当りの有権者数二三〇、六三七を議員一人当り全国平均有
権者数一六四、八七七で除したものに一〇〇掛ける)
(三) 議員一人当りの有権者数の最大値と最小値の比率 四・四一対一
(千葉第四区と兵庫第五区の議員一人当りの有権者数の比率)
(四) 京都第二区と兵庫第五区の議員一人当りの有権者数の比率 二・八二対一
つまり、公選法別表第一、並びに同法附則七項ないし九項の定めた議員定数配分に
よれば、各選挙区間の議員一人当りの有権者分布差比率は最大四・四一対一にも及
び、京都第二区の兵庫第五区に対するそれも二・八二対一であつて、その偏差は著
しいものである。
本事案における「投票の価値」は、結局において、各選挙区間の議員定数と有権者
数との比率で端的に表わされることになるのであるが、以上を瞥見しただけで、わ
が国の選挙がいかに投票の価値、なかんづく、その結果価値の面において、較差を
設けた不合理なものであるかが一見極めて明白であろう。
二 議員定数不均衡問題の憲法上の位置づけと歴史的認識
(一) 日本国憲法は、その前文において、「主権が国民に存することを宣言し」
ており、これは憲法の他の条文、例えば一条の「主権の存する日本国民」とか、四
一条の「国会は、国権の最高機関」である等の文言と相俟つて、わが憲法が国民主
権の原理に基づくことを明らかにしている。すなわち、国民主権主義は、基本的人
権尊重主義、永久平和主義と並ぶ、わが憲法の基本原理の一である。
この国民主権主義の理念それ自体を具体化し、これを現実的実効的に保障するため
に、国民が能動的立場において国政に参加する権利が、すなわち、選挙権である。
選挙権は、国民の政治的自治ないし自律を認めるわが憲法のような民主制の下にあ
つては、国政の担当者に対する信任の表示というすぐれて人格的個人主義的要素を
有するところの権利であるため、権利の内容、行使の態様、享有者の資格等の諸要
件について、これを厳密に法定化し客観化して、侵害から保護することが要請され
義務づけられてきた。そうすることが、主権者である国民の国政関与を恣意的専断
的な政治勢力の介入から阻止し、選挙という重大事の公正を担保し、ひいては民主
制の制度的保障に寄与すると考えられたのである。
歴史的経験によれば、選挙制度は、普通、平等、自由、秘密という投票に関する諸
原則を逐次保障することにより、次第に民主化され進化してきた。そうして、今
や、これらの保障がどの程度にまで充たされているか、投票手続が厳正、かつ、客
観的な基準にもとづいて行われているかどうかということが、国家における民主政
実現の程度をはかるバロメーターであるとさえいわれている。つまり、ケルゼンが
いみじくも述べているように、選挙制度は一見極めて技術的にみえながらも、「民
主政実現の程度にとつては決定的」である。
その意味からすれば、わが憲法前文冒頭の「日本国民は、正当に選挙された国会に
おける代表者を通じて行動」するという文言は、単に憲法が民主制の原理を採用す
ることを標傍したというばかりでなく、むしろ一歩を進めて、国民の代表者である
国会議員の選出は、いやしくも不公平不平等な手続や方法で行われてはならないと
いう原則を広く内外に宣言したものと解することができよう。これは衆議院である
と参議院であるとを問わず、およそ国会議員の選挙に共通するところの大原則であ
る。
わが憲法一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等」であるとする平等保障条
項を掲げ、一五条一項、同条二項が、それぞれ、「公務員を選定し、及びこれを罷
免することは、国民固有の権利である。」「すべて公務貝は、全体の奉仕者であつ
て、一部の奉仕者ではない。」と明記し、また、四三条一項が、「両議院は、全国
民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と明定したのは、まさに憲法が
国会議員の選挙について、右の大原則を実効化たらしめようとしたことの意思の表
れである。
さらに、憲法一五条三項、四四条但書は、成年者による無差別の普通選挙を保障し
ている。そして、憲法四七条の委任をうけた公選法の各条項も、選挙手続に関する
具体的細則に関して、直接選挙制、一人一票制、秘密投票制等の諸制度を明定し
て、選挙制度の民主化に寄与してきた。とはいうものの、憲法、公選法のこれらの
条項は、選挙権の「資格要件」の平等と、「投票の数」に関する平等についての消
極的例示的な保障規定であるにとどまり、各選挙人における「結果価値」をも含む
「投票の価値」の平等の重要性についてまで明言してはいなかつた。
しかしながら、一国における選挙権の平等は、「数的価値=一人一票」(one 
man、one vote)の保障ばかりでなく、「結果価値=一票一価」(on
e vote、one value)の保障が確立せられてこそ、はじめて実現さ
れるものである。もし「結果価値」の平等が確保せられないならば、表面上一人一
票制を保障したといつても、その実、ある者の一票が他の者の数票に相当する価値
を有することになり、そのある者には数票を他の者には一票を与えたと全く同一の
政治的効果が生じることになろう。それはまさしく複数投票制の現代版である。こ
のように、一票の実質的価値に明らかな差異が生じると、有権者の意思を公平に、
かつ、合理的に立法府に反映するところの平等選挙制の機能は甚しく阻害されるこ
ととなり、選挙権の平等は全く名目化形骸化されることになるであろう。
昭和五一年四月一四日付の前掲大法廷判決が、「選挙権の内容、すなわち各選挙人
の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところである」との公権的解釈を明ら
かにしたのは、まさにこのような意味においてであつた。
(二) わが憲法の志向する民主政治においては、手続の保障はことのほか重要で
ある。国権の最高機関である国会の構成を定める選挙がいかなる手続で行われる
か、国民の投票が国法上いかに取り扱われているかは、前述したようにまさにわが
国の民主政治の程度をはかるバロメーターである。
古代ギリシヤにおけるデモクラシイという文言の原初的な意味は、デモス(人民)
がクラテイン(支配)する、つまり、「人民による政治」ということを意味した。
すなわち、この文言の本質は、被治者の政治への参加、政治上の自己決定という原
理であつた。その意味で、民主政治の第一義とは、まず「人民による政治」という
ことであり、この治者と被治者の政治的自治ないし自律という要素こそがデモクラ
シイの本質であると考えられる。すなわち、デモクラシイとはまず政治参加の手続
であり、社会秩序を創設したり、これに参加する方法を客観的に法定することを意
味する。したがつて、人民の利益ないし幸福という「人民のための政治」がたとえ
ヂモクラシイの窮極の目標であるにせよ、それは「人民による政治」という手続を
遵守することなくしては求め得ないのである。
さて、治者と被治者の政治的自治ないし自律が民主政治の本質であり、理念である
とするならば、今度はその制度を厳正に手続化し、よく仕組むということが必要と
なる。もし、その手続ないし仕組に欠陥やひずみが存するならば、民主政治自体に
欠陥とひずみが生ずるのは必至であろう。投票の価値の不平等とは、まさしくこの
種の欠陥の最たるものであると原告は確信するものである。
民主政治においては、過半数の国民が過半数の議会代表を選出できるように手続化
され、仕組まれることこそが、平等の理念からいつても合理的である。もし、過半
数に充たない国民が過半数の議会代表を選出し得ることになれば、それは議会にお
ける少数者支配を是認することとなろう。各選挙区別の有権者の投票の価値に差等
を設け、ある地区で当選できる票数の何倍もの票数を集めても、なお、他の地区で
は落選するという選挙法制を採る限り、ある地区の少数者が過大代表を形成し、他
の地区の多数者の過小代表を押えて、優に議会における過半数を制することも可能
となる。すなわち、ある地区の少数者グループが他の地区の多数者グループの犠牲
において、議会を支配することが可能となるのである。
しかしながら、右のような立法部における代表ギヤツプという病理現象は、わが国
においてはすでに顕著なものとなつて久しいのである。すなわち、昭和二〇年代後
半からの戦後の復興期において、人口が大都市に集中したにもかかわらず、国会議
員の選挙区割と議員定数は不変のままに放置されたため、国会では過疎地域の少数
者が過大代表を形成し、過密地域の多数者の過小代表の犠牲において、政党の議席
占有率と得票率は大巾な不一致を招いていた。
かかる現象が不健全不公正であることはいうまでもないが、それ以上に真に憂うべ
きことは、自分たちの投票した者が他の選挙区においてなら悠々当選し得る票数を
獲得したにもかかわらず、投票価値の不平等という制度のために落選し、こういう
代表機能の低下現象を通じて、自分たちは結局他の地区の代表らによつて支配せら
れる関係に陥る、ということである。つまり、治者と被治者の政治的同一性、すな
わち、自律の政治が命題であるところの民主政治において、治者と被治者の関係が
構造的に分離切断せられ、他律の政治の要素が介入する結果となる。これがわが憲
法の採る民主制の根本原理に矛盾するものであることは、論を俟たないところであ
ろう。
国民は、このような民主政治の根幹である多数決原理を否定し、さまざまなルール
を共存させて立法府の党利党略のために恣しいままにこれを利用させているような
選挙制度に対して、はたして信頼と尊敬の念を抱くことができるであろうか。いか
なる理由によろうとも、公民を等価値に取り扱おうとはしない制度がおよそ民主政
治の一翼を担うことはあり得ないし、また、そのような衆愚政治に対しては国民自
身がやがてはこれを軽んじ、そのものを自壊に遵くであろう。
三 わが国の選挙制度の沿革と主要な問題点
(一) 諸外国の例にあつては、議員定数や行政区画などの配分基準とともに、偏
差の限界およびその是正の方法についても、憲法や選挙法で明定しており、主権者
たる国民の国政参加を恣意的専断的な外部勢力の介入から阻止し、選挙という重大
事の公正を担保しようとしている。ところが、わが国の憲法や公選法においては、
議員定数配分の方法、偏差の限界、その是正方法等はいうに及ばず、議員定数配分
の基準についてさえなんら明規するところがなく(後述の公選法別表第一末文にい
う国勢調査の結果による更正規定は、曖昧ながらこれに触れた唯一の規定であ
る。)、このような無原則無限定な規範意識の国は世界の文明国の中でもあまり例
がない。現象的にみても、わが国のあまりにルーズな定数配分の不均衡状態は、も
はや悲劇的なまでに、立法措置によつては治癒し得ない慢性的病理現象を呈してい
るものと極論するの他はない。
わが国の選挙法における選挙区の決定は、歴史的には、行政区画主義と人口主義の
二つの原則に依つていた。すなわち、わが国の選挙法は、議員定数の不均衡を人口
変動に応じて是正する旨の明規をもうけていたわけではないが、明治二二年衆議院
議員選挙法を制定以来、幾つかの紆余曲折を経つつも、ほぼ伝統的に人口一二、三
万人に対して議員一人を配分するという制度をとり、戦後、衆議院議員選挙法を改
正(昭和二二年法律四三号)したさいにも、総定数を四六六人とし、人口一五六、
八九七人に対して議員一人を配分したのであつた。
ところで、これが本件選挙当時においては、一議席あたりの全国平均有権者数が一
六四、八七七人に増えていたのはまだよいとしても、たとえば千葉第四区の一議席
あたり有権者数は実に三六〇、八八九人、また、本件京都第二区のそれも二三〇、
六三七人と、全国平均有権者数に対して、それぞれ、二八一・八八パーセント、一
三九・八八パーセントもの著しい偏差を示すにいたつている。
わが国の選挙が永年の歴史的伝統に反して、何故に、このような不公平不平等な事
態を招くにいたつたかという原因についていうならば、それは結局、公選法規の曖
昧さと議員定数是正に対する国会の裁量権の故であつたと結論することができるで
あろう。
すなわち、衆議院議員の定数を定めた公選法別表第一末文は、「本表はこの法律施
行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを例と
する。」と規定してはいるが、この明文にもかかわらず、右は単なる訓示規定であ
るとして、同法施行以来、三十有余年の間に現実に弥縫的な更正が行われたのは、
昭和三九年(一九名増員)、同五〇年(二〇名増員)の二回のみであつた。また、
国会の裁量権そのものも現在のところは全く無原則無限定のままに放置し座視され
ており、その恣意性と怠慢さの故に日本の民主政治はまさにこの選挙制度の不平等
という一角から変質しようとさえしている。
しかしながら、諸外国における厳正な選挙制度と対比するとき、このような明規や
判例法をもたないわが国であるからこそ、議員定数配分における明確にして客観的
な基準の設定と、国会の裁量権に対する合理的規整が最小限必要となるのである。
(二) 議員定数配分の合理性を判断する基準
選挙民の投票の価値は、あくまで一人一票対一人一票、一票一価対一票一価である
べきである。しかし、人口の継続的変動とかその精密な調査の不可能というよう
な、止むを得ない理由に基づいて、投票の価値の不平等が存在するにいたる場合の
あることも歴史的には否定できない。そのような場合、投票の価値の不平等が恣意
的、かつ、無限定に流れないためには、法的に明確な許容基準と許容限界を設定し
ておくことがどうしても必要となる。
このように、議員定数配分の合理性を判断する客観的基準を設定することは、選挙
権の平等な行使を公的に担保する機能をはたすであろう。それは単に、国会が議員
定数を配分し、あるいはこれを是正するにさいして重要な指針となるばかりでな
く、裁判所が現行の議員定数配分規定の違憲合憲を判断するにあたつても、そもそ
も投票価値の不平等の限界値、ないしは許容限度が前提とされてこそ、はじめて事
案についての恣意を排した判断が合理的になされ得るからである。
原告は、この許容基準ないし許容限界として、投票価値の実質的不平等は、止むを
得ない場合であつても、その最大値最小値の較差を「二対一」の比率内にとどめな
ければならないと考える。もし、ある者の一票が他の者の二票に相当する価値を有
することになるならば、そのある者には二票を、他の者には一票を与えたと同一の
政治的効果が生じることは自明の理だからである。選挙権平等化の歴史が、いかに
複数投票制、等級選挙制などの不平等選挙を制度上において克服し得たとしても、
投票の実質的価値を不平等のまま無限定に放置するならば、それぞれの投票の政治
的効果が異なる制度--つまり、複数投票制の現代版を棲息せくめるという結果を
生ずることになるだけである。
それでは、何故、「二対一」の比率内でなければならないのか。
原告は、各人の投票の価値は元より等価値でなければならないと考えてはいるが、
ただ、人口の継続的変動と一定期間の巨視的観察の必要という、選挙人数と議員定
数との比率を数字的に一致させることの技術的困難さをも考慮し、さりとて一部の
国民にだけ一人二票を許すことは国民の平等権の受忍し得る限度を超えた不平等に
なるという確信を抱きつつ、複数投票制を実質的に否定する意味でこの数値を導き
出したのである。それは、「一人に二人前以上を与えるべきではない」、換言すれ
ば、「一人を半人前以下に扱うことは断じて宥されない」という、人格の尊厳、個
人の尊重を求める憲法感覚にもとづいている。
「二対一」の基準は、現在では歴史的理想的要請と実質的個別的考慮とをほぼ調和
せしめたところの合理的数値と考えられる。何故ならば、この「二対一」基準は、
大阪弁護士会が昭和五三年一二月に、日本公法学会所属の公法学者を対象に実施し
た国会議員定数問題アンケートの回答結果(七四・五七パーセント)によつても、
また、日本弁護士連合会が昭和五六年一二月に、同じく公法学者を対象に実施した
国会議貝定数問題アンケートの回答結果(八八・三七パーセント)によつても、と
もに憲法上の最低限の要請として公法学界において認識されていることが明らかだ
からである。
投票の価値の平等を憲法の要請であるとしながら、なお他方において、各選挙区間
の投票の価値に二倍以上の偏差をもつ事態を無原則無限定に放置することは、一人
一票制の冒涜以外の何物でもない。このような意味からも、「二対一」の基準が選
挙権平等の公的担保のために堅持せられるべきであると原告は考えるものである。
昭和五五年六月二二日に行われた第三六回衆議院議員選挙に関する最高裁判所大法
廷判決において、A裁判官が、少数意見ではあるが、「人口の較差が一対二を超え
る定数配分は許されないと思う。なぜならば、それを許すと、ある選挙区の選挙人
には一票を、他の選挙区の選挙人には二票以上の投票権を与えることになるからで
ある」(最大判昭和五八年一一月七日)と述べておられるのは、まさに右の原理を
最高裁レベルにおいて確認したものであり、判例法の嚆矢としての意義が大きいと
考えられる。
(三) 議員定数配分における国会の裁量権
1 わが国の国政選挙における一票の重みが平等でなければならないことは、憲法
一四条一項の平等保障条項の当然の帰結である。
そして、昭和五一年四月一四日付の前掲大法廷判決が、衆議院議員選挙に関して、
「各選挙人の投票の価値の平等は憲法の要求するところである」と判示したのは、
まさにこの選挙権平等の原理を内外に宣言したものであり、この原則は、同じ衆議
院議員選挙に関する昭和五八年一一月七日付の大法廷の合憲判決においても踏襲さ
れたところである。
しかしながら、右両判決はともに、憲法が選挙に関する事項を法津で定めるべきも
のとした(四三条二項、四七条)ことを根拠に、両議院の議員の各選挙制度の仕組
の具体的決定は原則として国会の裁量にゆだねられているから、国会の具体的に決
定したところのものが、その裁量権行使として非合理でない限り、投票価値の平等
を損なうこととなつても止むを得ないとして、憲法原則に比し国会の裁量権を過重
に評価している。
2 また、従来の大法廷の諸判例は、遺憾ながら、国会が議員定数を配分するにさ
いし考慮すべき事項としての非人口的要素を、あまりにも大幅に認めすぎる傾向に
あつた。
例えば、かの昭和三九年二月五日付の参議院議員選挙に関しての大法廷判決にして
も、「議員数を選挙区に配分する要素の主要なものは、選挙人の人口比率であるこ
とは否定できないところである」としながらも、「他の幾多の要素」を考慮すべき
非人口的要素として列挙する。すなわち、「選挙区の大小、歴史的沿革、行政区
画、議員数の振分等の諸要素」が、人口的要素以外の考慮すべき要素として例示さ
れる。
同様に、昭和五一年四月一四日付大法廷判決においても、人口的要素が「最も重要
かつ基本的な基準」であることを認めつつも、それ以外に「実際上考慮され、か
つ、考慮されてしかるべき要素」は少なくないとし、その例示として、都道府県は
いうに及ばず、従来の選挙の実績、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の
行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等が掲げら
れ、さらには人口の都市集中化等の社会の急激な変化までをも、「国会における高
度に政策的な考慮要素」の一つであるとするのである。すなわち、三九年判決にお
いて「他の幾多の要素」として考慮すべきことが要請されていた非人口的要素の例
示は、五一年判決にいたつて一段と広範囲にして精緻なものとなり、その反面、人
口的要素に対する考慮そのものは相対的に逓減する傾向され窺われる。
しかしながら、このような政治的、歴史的、あるいは社会学的諸要素を実質的に考
慮して、本来公民の権利であるべき選挙権の平等を侵犯する合理的理由に奉仕させ
ようとするならば、それは投票価値の平等を志向する憲法原則を立法政策の中に相
対化せしめることとなり、例外を重んじて原則に悖るという結果を招き、遂には憲
法原則それ自体をも空文化させるのみであろう。それはまた、徒らに政党間の利害
得失論を跳梁させることともなり、選挙制度の是正論議を長期サポタージユへと導
くであろう。現に選挙民は、立法措置によつては治癒し得ない定数不均衡の慢性的
病理現象に悩まされつづけているのである。
そして、定数是正の論議が提起されると、必ずといつていいほど、他の制度改革、
たとえば小選挙区制や比例代表制などの区制改革と絡めてこれを処理しようとする
動きが国会内に出て来ることは、今や衆知の事実である。しかしながら、これらは
いずれも国会の立法裁量そのものに内在するところの宿弊ともいうべきものであつ
て、つまりは「悪い議員配分は、立法的な医薬によつては治らない」という言辞
の、あまりにも正鵠を射ていることに驚かされるだけである。
定数問題は定数問題それ自体として、政治的介入を一切斥けて処理されなければな
らない。それがためには、国会の恣意的な立法裁量を許すべきではない。「国会に
おける高度に政策的な考慮要素」という判例用語は、それが一たび国会内に棲みつ
くとき、単なる美辞麗句に名を藉りた政治的利害の好餌となることをわれわれは銘
記すべきであろう。
四 立法裁量の範囲と限界についでの厳格性
(一) 議員定数配分における考慮要素としての人口比率と国会の裁量権の問題を
論究するにさいして、有益な手懸りを与えてくれるのは、西ドイツにおける学説判
例の動向であろう。
すなわち、西ドイツにおいては、平等選挙の原則はその形式的性格において一般的
平等原則から区別されるのである。一般的平等原則においては実質的平等の理念が
妥当し、「等しいものを等しく、異なるものを異なつて」取り扱い、したがつて実
質的理由のあるときには差別的取り扱いが可能であるのに対し、平等選挙の原則に
あつては形式的平等の理念が妥当し、ひたすら平等の「ラデイカルな普遍化」「ラ
デイカルな性向」を志向する。それは否定することのできない個々の国民の事実上
の相違にもかかわらず、夫々の政治的事情、洞察能力、判断能力を顧慮することも
なく、また、社会的評価とも関係なく、ただ各人を平等に評価することのみを要請
する。
つまり、形式的平等とは、個々人の事実上の相違をなんら顧慮することなく各人を
等しく取り扱い、画一的平等ないし算術的平等を要請する。
一般的平等原則がさまざまの相違を属性とする国民個々人を前提とし、国民をいわ
ば「人間」として把握するのに対して、平等選挙の原則は政治的権利の担い手とし
ての国民を一般的抽象的な権利主体としての「公民」として把握するのである。
この理論はすでにマウンツによつて指摘されたところで、「デモクラシーは、少な
くとも選挙権に関する限り、公民のみを識る」ことに由来し、それ故、政治的意思
形成の領域においては、すべての国民は、各々の社会的諸条件の相違にもかかわら
ず、絶対的に平等な評価を受けなければならないものとされる。換言すれば、選挙
の平等は、その徹底的な形式化を媒介としてのみ実質化され得るのである。
ところで、このような西ドイツにおける平等選挙の原則は、わが日本国憲法の場合
にも妥当するものと解すべきである。何故ならば、国民の選挙権平等化への趨勢は
歴史的にも動かしがたく、今やそれは普遍的なものとなつており、かつ、わが憲法
の条項においてもなんらこの原則を排斥する排他的な障害が見出せないからであ
る。のみならず、そもそも投票価値の平等がわが国の憲法上の原則であることを公
権的解釈が明定しているときに、これより下位に立つところの法律事項を律する国
会の裁量権が、憲法の原則を阻害しこれに逆行する態度をとることは、ひとえに論
理の自殺であり、ひいては法秩序の崩壊をもたらすであろうからである。それ故、
わが国においても、選挙権の平等を論ずるにあたつては、一般的平等原則における
ような実質的平等や相対的平等の理念は作用せず、画一的平等ないしは算術的平等
を志向するところの形式的平等の原理こそが妥当するものと解すべきである。
(二) 以上のことを前提とすれば、平等選挙原則の適用に例外をもうけるについ
ては特に慎重でなければならない。平等選挙原則の形式的性格は、当然の帰結とし
て、立法裁量の範囲と限界について厳格性を要求するからである。
西ドイツ憲法(基本法)三八条三項は、選挙法の具体的形式については、日本国憲
法の場合と同じく、「詳細は、連邦法律で、これを定める」として、立法府に選挙
立法を委任しているのであるが、その委任にもとづく立法権限を行使するにさいし
て、立法府は憲法上の原則を変更してはならず、ただこれを具体化し、あるいは補
完することのみが許されるだけである。
ところがわが国にあつては、かような点がまことに曖昧であつて、従来の最高裁判
所の諸判例においても、平等選挙原則と一般平等原則との原理的質的相違などは全
く認識されてはおらず、むしろ定数配分にさいしての考慮すべき事項として非人口
的要素を殆ど無限に近く認める傾向にさえあつたのである。
しかし、このように極度に緩和された解釈は、それこそ国会の裁量権を無原則無限
定のままに放置することともなり、前述したようにわが国の民主政治をまさに投票
価値の不平等ないしは代表機能の病理化という観点から変質させ、やがてはこれを
自壊せしめる契機を形作ることになろう。
諸外国における厳正な選挙制度と対比して、かかる明規や判例法をもたないわが国
であるからこそ、議員定数配分における明確にして客観的な基準の設定と、国会の
裁量権に対する合理的規整が最小限必要であると原告が主張するのは、まさにこの
意味においてである。
すなわち、選挙法運用に関する立法裁量の範囲としては、憲法の平等原則を具体化
し補完するための諸要素に対する考慮のみが許され、また、立法裁量の限界として
は、「他の者に二票を与えてはならない」という、いわゆる「二対一」の許容基準
を超えることはできず、さらに、平等原則からの乖離を正当化する理由の挙証責任
はその差別を主張する側に課するという大原則を打ち樹てることの必要性が存する
のである。かように解してこそ、立法府に対して選挙に関する諸原則の具体化形象
化を委ねた憲法の規範的要請が充たされるものというべきである。
別紙(二)
本件訴えは、公職選挙法(以下「公選法」という。)二〇四条を根拠とする選挙無
効の訴えであり、その主張の要旨は、昭和五八年一二月一八日に行われた衆議院議
員選挙は公選法一三条一項、別表第一、同法附則七ないし九項による選挙区及び議
員定数の定めに従つて実施されたが、この選挙区別定数は憲法一四条一項、一五条
一項三項、四四条に反し違憲であるから右選挙は無効であるというものである。
しかしながら、このような訴えは、以下のとおり、不適法な訴えとして却下される
べきである。
一 公選法の「選挙訴訟」の法的意義
公選法二〇三条ないし二〇五条の選挙の効力に関する訴訟は、選挙の管理執行機関
の公選法規に適合しない行為を是正し、選挙の執行の公正の維持を目的とする典型
的な民衆訴訟であるから、行訴法四二条により「法律に定める場合において、法律
に定める者に限り提起することができる。」ものであることはいうまでもないとこ
ろ、選挙の効カに関する訴訟はそれ自体当然に個人の具体的権利義務に関するいわ
ゆる「法律上の争訟」として司法権の範囲に属するものではないのであるから、法
律において特に裁判所の権限として裁判所に付与されたところの特別の訴訟(裁判
所法三条一項)なのである。しかも、右訴訟の性格上、裁判所の右権限は、一般の
民事、刑事、行政事件訴訟に関する司法本来の裁判権に比較して特に狭く限定され
ているのである。
二 本件訴訟の公選法上の問題点
右のとおり、公選法の予定する衆議院議員の選挙の効力に関する訴訟は、公選法二
〇四条による場合のみであつて、現行法体系の下においては、同条による以外の方
法の選挙訴訟の提起は許されていないのであり、しかも、右許された訴訟において
も裁判所は、公選法二〇五条により当該選挙が「選挙の規定に違反」し、かつ「選
挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り」選挙の全部又は一部の無効を判決す
ることができるに過ぎないのである。
しかるに、現行法の予定する選挙の効力に関する訴訟は、民衆訴訟としての本質及
び公選法一〇九条の規定の解釈からして、選挙法規の無効、したがつてこれに基づ
く選挙の無効を確定する趣旨のものではなく、選挙管理委員会が法規に適合しない
行為をした場合にその是正のため当該選挙の効力を失わせ、改めて再選挙を義務づ
けるところにその本旨があるのであるから、選挙の効力に関する訴訟で争い得る当
該選挙が「選挙の規定に違反」したとのことは、当該選挙区の選挙管理委員会が選
挙法規を正当に適用することによりその違法を是正し適法な再選挙を行いうるとこ
ろの「選挙の規定に違反」したというものでなければならないことはいうまでもな
い。したがつて、当該選挙管理委員会において当該選挙を是正し、適法な再選挙を
実施することができる余地のない議員定数配分規定自体の違憲を主張して当該選挙
の効力を争うことは、公選法二〇四条は認めていないものというべきなのである。
このことは次のことからも明らかということができる。すなわち、公選法二〇四条
の訴訟により選挙が無効とされた場合、再選挙はこれを行うべき理由が生じた日か
ら四〇日以内に行わなければならず(同法一〇九条四号、三四条一項)、しかも再
選挙の期日は少なくとも二三日前に告示しなければならない(同法三四条六項二
号)のであるから、仮に、議員定数配分規定の違憲無効を理由として選挙が無効と
されて再選挙を行わなければならない場合には、違憲無効とされた定数配分規定に
基づいて再選挙を行うことは許されない(同法四三条一項、三三条一項)し、違法
な選挙を繰り返すこととなつて不合理であるので、まず、右配分規定の改正を行わ
なければならないところ、議員定数の配分を是正することは種々の政治的利害の対
立を伴う極めて困難な問題であることから、わずか一七日間で右改正が行われるこ
とは到底不可能であることはみやすい道理であるので、選挙管理委員会としては、
公選法の右再選挙に係る手続規定に違反して議員定数配分規定が憲法に適合するよ
うに改正されるまで再選挙を延期せざるを得ないこととなるばかりでなく、その場
合には、その間、国権の最高機関の一部の存立を否定する結果となり、国権の最高
機関たる国会の正常な運営が著しく阻害されることとなるのである。しかし、公選
法の右再選挙に係る手続規定が訓示規定であるとしても、同法自体がおよそ不可能
な再選挙を実施するための手続的規定を規定するとは到底考え難いことであるの
で、このことからしても、公選法は議員定数配分規定の違憲無効を理由としての選
挙の効力を争う訴訟を認めていないものと解することが優にできるのである。
以上のとおり、現行法体系の規定の仕方、民衆訴訟の本質からして、公選法は、本
件のような議員定数配分規定自体の違憲無効を主張する訴訟を認めていないという
べきであり、公選法の諸規定を全く無視することとなる本件のような訴訟は公選法
二〇四条の拡張解釈をしてもその限界をはるかに超えるものとして許容されないも
のといわなければならないのである。
なお、前記最高裁昭和五一年大法廷判決は、本件のような訴訟につき、公選法二〇
四条に基づく出訴を容認し、その理由として、疑義を抱きつつも「公選法の規定
が、その定める訴訟において、同法の議員定数配分規定が選挙権の平等に違反する
ことを選挙無効の原因として主張することを殊更に排除する趣旨であるとすること
は」、当を得た解釈ではないとしている。しかしながら、このような考え方は、公
選法二〇四条の立法目的、趣旨に反するものであり、到底正当であるとはいい難
い。すなわち、前述したとおり、選挙訴訟は典型的な民衆訴訟であり、法律に定め
る場合においてのみ提起できるのであるから、法律の規定のない以上訴訟提起の道
がないことはいうまでもないのである。裁判所が国民の期待に応じようとしても、
それは法廷の権限に基づきその範囲においてのみなし得ることであつて、これを踏
み越えることはできないのである。三権分立の原理は、司法の逸脱、独走を許すも
のではなく、司法権の独立を容認しつつも法治主義を基本とする法治国家原理にと
つてかわるものではないのである。
三 本件訴訟を司法権の対象としない理由
1 アメリカ、西ドイツの裁判制度との対比において-
1 そもそも、本件のような事態に対して、現行法上、救済手段が存在しないこと
については、それなりの正当な理由がある。
すなわち、議員定数配分規定の問題は、元来、高度の政治的、技術的要素が絡むも
のであるから、本来的に立法による解決が期待され、司法もこれを尊重し、自己抑
制作用の強く働く分野である。更にわが国における伝統的な司法制度及び現在の裁
判所の権限から選挙訴訟制度をみるに、法律は、裁判所がこの問題に立ち入ること
を回避すべきであるとしたものと思われるのである。
2 (一)西ドイツの連邦選挙法、更にはアメリカにおいては、議員定数配分規定
の違憲無効を理由とする選挙訴訟が認められ、裁判所も憲法判断を行つている。し
かし、以下のとおりこれら諸外国の選挙訴訟制度は、わが国のそれとは根本的に異
なるのであるから、これらの国において是認されているとの理由によつて、直ちに
わが国の裁判制度においてもこの種の訴訟が是認されて然るべきであるということ
にはならないのである。すなわち、わが国における選挙訴訟は既に施行された選挙
の効力を争い、再選挙の実施を求めるものであつて、裁判所の権限も無効を宣言す
るにとどまるものである。
(二) しかるに、まずアメリカにおいては、いわゆる配分法(議員定数、選挙区
割等を定めている)の効力を裁判所において争うことができるが、この場合、出訴
者たる原告は、具体的な選挙と関係なく配分法の規定自体の合憲、違憲を争うこと
ができ、このため、裁判所は、いわゆる職務執行命令や差止命令等の衡平法上の救
済権限を与えられている。したがつて出訴者は当該配分法によつて行われた選挙の
効力を争うのではなく、配分法自体の無効宣言とその定めに従つて行われる次の選
挙を阻止するための差止命令を訴求するのが通常である。しかもその救済方法は極
めて弾力的であつて、例えば、現行の議員定数配分を違憲と判断した場合において
も、その定数配分によつて選出された現に議員である者の地位を奪うことはほとん
どなく、違憲とされた当該定数配分によつて次の選挙が行われることを禁止するに
とどまる。そして、仮に次の選挙が差し迫つているときは、違憲とされた定数配分
による選挙を許すとともに、違憲とされる選挙によつて選出された議員の任期を制
限し、更にはそれら議員による議会の権限を定数配分のための立法措置を講ずるこ
とに限定することもできるのである。あるいはまた右のように救済の延期を許さな
いで裁判所が自ら配分表を定め、それによつて選挙を行うことを命ずることさえで
きるとされている。
(三) 次いで西ドイツにおいては、連邦選挙法において、選挙区の平均人口の差
が多くても少なくても三分の一を超えてはならないとの実体法上の客観的基準が明
定されている(同法三条三項)。そして、現実の定数配分が同法に違反し、更には
違憲でもあると選挙人が考えた場合、選挙人は、連邦憲法裁判所法に基づき、この
種の定数配分の違憲無効を、いわゆる憲法訴願手続の中で争うことができるのであ
るが(同法九五条一項、なお連邦憲法裁判所一九六三年五月二二日第二部決定)、
その場合、当該定数配分が、連邦選挙法ないし基本法に違反すると連法憲法裁判所
が認めれば、同裁判所は同配分が基本法を侵犯している旨確認することができるの
である(同法九五条一項)。そして、ラント選挙法が、連邦選挙法に違反し、連邦
選挙法が基本法に違反するなど法律が基本法等に違反するとの憲法訴願が認容され
る場合には、当該法律の無効も宣言できるのであり(同法九五条三項)、その場
合、右無効宣言は法律的効力を有する旨、明定されている(同法三一条二項、一三
条八号a)。このように西ドイツにおける選挙訴訟制度は、あらかじめ明文の規定
によつて、実体法上、違憲かどうかの判断基準が設定されている上、手続法上その
訴訟の方式、判決(決定)の効果等も定められているのである。しかも、解釈論と
しては、連邦憲法裁判所は、連邦憲法裁判所法三五条に基づき、新しい選挙法を作
成し、新しい選挙を施行することも可能であるとされているのである。
以上のごとくこれら諸外国においては、わが国とは異なり、この種の選挙訴訟が制
度的に認められているものである。
四 結び
以上の次第で、議員定数配分規定の違憲無効を理由とする選挙無効の訴えは、公選
法二〇四条の予想するところではなく、現行法における民衆訴訟の本質に反すると
ころであるから、同条の訴訟形式を藉りて選挙無効の訴えを提起することはでさ
す、そのような訴えのための実定法規が制定されていない現行法制度の下において
は、本件訴えは、不適法として却下されるべきである。
別紙(三)
原告の本訴請求は以下のとおり理由がない。
一 選挙権の平等(投票価値の平等)について
原告は、昭和五八年一二月一八日に行われた衆議院議員選挙(以下「本件選挙」と
いう。)は、公職選挙法(以下「公選法」という。)一三条、別表第一、附則七な
いし九項による衆議院議員の議員定数の配分に関する定め(以下「議員定数配分規
定」という。)に従つて実施されたものであるが、本件選挙当時、選挙区間におけ
る議員一人あたりの選挙人数ないし人口の較差は、憲法一四条一項等の定める選挙
権の平等(投票価値の平等)の要求に反する状態にあつた旨主張する。
しかしながら、憲法の定める選挙権の平等が投票価値の平等(各選挙人の投票の有
する影響力の平等)を要求するものとしても、これは同一選挙区における要求にと
どまり、異なる選挙区間における投票価値の平等までをも要求するものではないと
解するのが相当である。
すなわち、平等選挙制とは、もともと複数投票制、等級別投票制に対するものであ
り、票数の平等を意味するものである(公選法三六条)。異なる選挙区間における
投票価値の平等をも、憲法上の要請とするならば、選挙制度として完全比例代表制
を採らざるを得ないことになる。
しかし、憲法は、四三条二項、四七条に、議員の定数、選挙区、投票の方法その他
選挙に関する事項を法律で定める旨規定し、四四条但し書(人種・信条・性別・社
会的身分・門地・教育・財産・収入による差別の禁止)に反しない限り選挙に関す
る事項の決定を国会の裁量的権限に委ねている。つまり、わが国の選挙制度とし
て、憲法は、完全比例代表制を要請することなく、比例代表制、少数代表制あるい
は多数代表制等のいずれを選択するかの裁量権を国会に与えているのである。(ち
なみに、国会は、これを受けてわが国の選挙制度として、異なる選挙区間における
投票価値の平等を満たすことの極めて困難な中選挙区単記投票制を採用してい
る。)
そもそも、異なる選挙区間における投票価値の平等については、衆議院議員選挙に
つき、一の選挙区において、有権者の投票が計算において平等に取り扱われれば充
分であると考える。すなわち、一選挙区において、選挙人の投票が当該選挙区にお
ける候補者の当落という結果に影響するために平等な価値を持てば、投票における
価値の平等は充分に保障される。日本国憲法の定める平等の原理が要請するのはこ
こまでであり、それ以上に立ち入らないと思われる。他の選挙区との比較におい
て、投票の計算における平等はなんら要請されないといえるのである。
このようにして、憲法が、異なる選挙区間における投票価値の平等まで要求してい
ると解することはできないのである。
したがつて、原告が、選挙区間における議員一人当りの選挙人数あるいは人口の較
差をもつて、憲法の選挙権の平等の要求に反するとするのは、その立論の前提に誤
りがあるといわねばならない。
二 合理的期間の未経過について
仮に、異なる選挙区間における投票価値の平等も又憲法の保障するところであり、
本件選挙時の選挙区間における議員一人当つの選挙人数あるいは人口の較差が憲法
の選挙権の平等の要求に反する状態にあつたとしても、右状態は、昭和五〇年にお
ける議員定数配分規定の改正後(右改正時の議員定数配分規定の下における議員一
人当りの人口数の較差が憲法の選挙権の平等の要求に反しない状態にあつたことに
ついて後記昭和五八年一一月七日の大法廷判決参照)における人口の漸次的異動に
よつて生じたものであり、右状態に達した時から本件選挙までの間に、一連の大法
廷判決(最判昭和五一年四月一四日民集三〇巻三号二二三頁、最判昭和五八年四月
二七日民集三七巻三号三四五頁、最判昭和五八年一一月七日判例時報一〇九六号一
九頁)が議員定数配分規定を違憲とする要件として掲げる、右配分規定が「憲法上
要求される合理的期間内に是正がされなかつた」とはいえないものである。以下、
その理由を述べる。
1 前記昭和五八年一一月七日の大法廷判決は、昭和五五年六月二二日実施の衆議
院議員選挙当時、選挙区間における投票価値の較差は憲法の要求する選挙権の平等
の要求に反する状態にあつたとするが、議員定数配分規定が憲法の要求する合理的
期間内に是正されたかどうかについて、昭和五〇年の右規定の改正により前記昭和
五一年四月一七日の大法廷判決により違憲と判断された投票価値の不平等状態は解
消されたが、その後の人口の異動により不平等状態に至つたとし、その時点は判然
としないけれども、右選挙当時よりある程度以前に右状態に達していたものと推認
せざるをえないと判示したのに続いて「以上の事実と次の諸点、すなわち、選挙区
間における議員一人当りの選挙人数又は人口の較差が憲法の選挙権の平等の要求に
反する程度に達したかどうかの判定は、前記のとおり、国会の裁量権の行使が合理
性を有するかどうかという極めて困難な点にかかるものであるため、右の程度に達
したとされる場合であつても、国会が速やかに適切な対応をすることは必ずしも期
待し難いこと、人口の異動は絶えず生ずるものである上、人口の異動の結果、右較
差が拡大する場合も縮小する場合もありうるのに対し、議員定数配分規定を頻繁に
改正することは、政治における安定の要請から考えて、実際的でも相当でもないこ
と、本件選挙当時、選挙区間における議員一人当りの選挙人数の較差の最大値が前
記大法廷判決の事案におけるそれを下回つていること、などを総合して考察する
と、本件において、選挙区間における議員一人当りの選挙人数の較差が憲法の選挙
権の平等の要求に反する程度に達した時から本件選挙までの間に、その是正のため
の改正がされなかつたことにより、憲法上要求される合理的期間内における是正が
されなかつたものと断定することは困難であるといわざるをえない。」と述べて、
右選挙当時、議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期間内に是正がされなか
つたとはいえないとしている。
ところで、議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期間内に是正されなかつた
ものといえるかどうかについて右大法廷判決の判示するところを探求してみると、
選挙区間における議員一人当りの選挙人数又は人口の較差が憲法の選挙権の平等の
要求に反する程度に達したかどうかの判定は、憲法上の投票価値の平等の要求と国
民の利害や意見を公正かつ効果的に反映させるための代表を選出するという選挙制
度の目的とに照らし、右不平等が国会の裁量権の行使として合理性を是認しうるも
のであるかどうかにつき、検討を加えなければならないものであるから、極めて困
難なものであり、したがつて、客観的には右程度に達したと判断される場合であつ
ても、「国会が速やかに適切な対応をすることは必ずしも期待し難い」ものである
と判示し、かつ、右判示に続いて係争の選挙時には、いわば違憲判断の目安として
は昭和五一年四月七日の大法廷判決に示された選挙区間における議員一人当りの選
挙人数の最大較差約一対五しかなく、これを下回る係争選挙時の較差の状態の下で
の国会の対応を期待することはより困難であることを述べているものであるとこ
ろ、右大法廷判決は、要するに、客観的に定数配分規定が違憲状態にあるとされる
場合において、国会がこれを是正するための措置をとることについての期待可能性
の有無をとりわけ重視しているものということができるのである。
前述したところから明らかなごとく、右大法廷判決は、客観的に違憲状態にあると
される定数配分規定を是正するための措置をとることについての期待可能性の有無
を問題とする前提には、選挙区間における議員一人当りの選挙人数あるいは人口の
較差が憲法の選挙権の平等の要求に反する状態に達したかどうかの判定が困難であ
ることから、当然のこととして国会において右状態に達したことの認識を持つこと
が困難であると解しているものといえる。すなわち、右大法廷判決は、国会におい
て、定数配分規定が違憲状態に達したことの現実の認識あるいは少なくとも、右認
識が容易であつたかどうかを、議員定数配分規定が憲法上要求される合理的期間内
に是正されたかどのかを判断する上での重要な要素とすべきことを判示しているも
のと解するのが相当である。そもそも、憲法の要求する合理的期間内に是正がされ
なかつたとは、いわば立法の不作為が一定期間の経過により違憲と評価される場合
であり、右期間を考えるにあたつては立法義務の存在あるいはその契機となる事情
を立法府が認識していたかどうか(議員定数配分規定についていえば投票価値の不
平等状態が憲法の要求に反する状態になつているかどうかの認識)を重視すべきは
当然のことといわなければならない。
2 以上の見地にたつて、本件について議員定数配分規定が憲法上要求される合理
的期間内に是正がされなかつたかどうかについて、以下検討する。
(一) まず、昭和五〇年に憲法に適合させるべく改正された定数配分規定がいつ
の時点において違憲の状態になつたかを確定することは、国会の裁量権の行使が合
理性を有するかどうかという困難な点と関連していることから容易ではないとこ
ろ、ことに昭和五〇年の議員定数配分規定の改正後本件選挙時までにおいて、選挙
区間における議員一人当りの選挙人数あるいは人口の較差が投票価値の平等に反す
る状態にあつたとして衆議院議員選挙の効力が争われた事案に対する最高裁判所の
判断は、本件選挙の約一カ月前に前記昭和五八年一一月七日の大法廷判決が、昭和
五五年の選挙当時における右選挙人数の最大較差約一対四の事案について右状態に
あつたと判断するまでは、右最大較差約一対五の事案について右状態にあつたとす
る前記昭和五一年四月一四日の大法廷判決の判断しかなかつたのであり、右大法廷
判決も投票価値の不平等を判断する基準については、諸般の要素をしんしやくした
国会の合理的裁量に委ね、具体的な基準については何ら言及していなかつたのであ
る。この間、高裁段階ではあるが右最大較差約一対三・五に達していた事案につい
て、異なつた視点(全国平均値との較差)からではあるが違憲状態にはないとする
判断を示している例(東京高裁昭和五三年九月一一日判決・判例時報九〇二号二四
頁)もあり、このような事情の下では、国会としては、右昭和五八年一一月七日の
大法廷判決が下されるまでは、右昭和五一年四月一四日の大法廷判決の示した最大
較差約一対五を下回る較差について、右違憲状態にあつたとの現実の認識を持つこ
とは到底できなかつたし、高裁段階ではあるが合憲判決の出ていること、本件較差
の程度などを考慮すると右認識が容易であつたとも言い難い。
(二) また、定数配分規定を是正することは以下のとおり困難を伴うものであ
る。すなわち、衆議院議員の選挙制度として採用されている一選挙区の議員配分定
数を三ないし五人とする、いわゆる中選挙区単記投票制は、「選挙人の多数の意思
の反映を確保しながら、少数者の意思を代表する議員の選出の可能性をも残そうと
する趣旨に出たもの」(前記昭和五一年四月一四日大法廷判決)であるが、定数を
配分するに当たつて較差を少なくする方法としては、議員総数をそのままにして過
疎区の議員数を減らすとともに過密区の議員数を増やすこと、あるいは過疎区の議
員数をそのままにして過密区の議員数を増やすこと等もあり得るが、一選挙区の議
員数が多れなればなる程少数者の擁護という趣旨が強くなり、反対にその数が少な
くなる程右趣旨が弱くなり、この均衡をどのように計るかは国会の高度に政治的な
裁量に属する事柄であつて、軽々にその増減を決することはできないこというまで
もない。また、選挙区の統合・分割を行うことにしても、当該地域の歴史的沿革、
地域住民の生活感情、経済生活、社会生活の実態等を無視することはできないので
ある。昭和五〇年法律第六三号により改正された定数配分規定は、(一)総定数を
二〇人増員し、選挙区別定数の不均衡を是正する、(二)選挙区別定数の減員は行
わない、(三)六人区以上となる区は分割する、(四)区割りについては、人口
比、自然的条件を勘案し従来の行政区を尊重する、との基準を基本として決定され
たものであるが、このことからも明らかなとおり、議員定数の配分と選挙区割りの
決定には、極めて多種・多様で複雑・困難な政策的・技術的諸要素をどの程度考慮
し、これを具体的決定にどの様に反映させて是正すべきかは極めて困難であること
は明らかである。
しかるに、本件議員定数配分規定の下における議員一人当りの選挙人数ないし人口
の較差が投票価値の平等に反する状態に達したとされる時点から本件選挙までの経
過期間についてみると、前記昭和五八年一一月七日の大法廷判決の認定によると、
前回選挙時(昭和五五年六月二二日)よりある程度以前に右状態に達していたとい
うことであるから、本件選挙時(昭和五八年一二月一八日)においては、右状態に
達して後約三年六月にある程度の期間を加算した期間が経過していることになる
が、右に述べたとおり、議員定数配分規定の是正の困難さを考慮すれば、右程度の
期間は必ずしも十分な期間であるともいい難いといわなければならない。
(三) しかも、人口の異動は不断に生しるものであるところ、これに合わせて議
員定数配分規定を頻繁に改正することは、政治における安定の要請から考えて相当
ではなく、そして、本件選挙当時の選挙区間における議員一人当りの選挙人数ある
いは人口の較差の最大値が昭和五一年大法廷判決の事案におけるそれを下回つてい
たのであるから、国会において議員定数配分規定の是正措置を講じなかつたとして
も、これを非難することはできずやむを得なかつたものというべきである。
(四) 以上の点に加えて、国会は右昭和五八年一一月七日の大法廷判決後二〇日
余りで解散したため、解散前に議員定数配分規定の改正を行う余裕がなかつたが、
本件選挙後の新たな議員構成の下において逐次改正作業に着手していて、是正のた
めの努力をしていることは公知の事実であるところ、右実現の可能性が全くないと
の状況にはないのであるから、国会において是正のための国民的合意を創設するこ
とに傾注させ、国会の適切な対応に委ねることが憲法の代表民主制の趣旨に合致す
るものということができるのであつて、右是正の実現のためになお相当の期間の猶
予を認めるのが必要であり、かつ、相当である。
(五) 以上の事情を総合勘案すると、本件選挙時、いまだ議員定数配分規定が憲
法上要求される合理的期間内に是正がされなかつたとは到底言い難いものというべ
きである。
このことは、昭和五八年一一月七日大法廷判決が係争の選挙時である昭和五五年六
月二二日までに定数配分規定が是正されなかつたことについて、いまだ合理的期間
を経過したとはいえないと判断し、そして、その後の同判決の判決時である昭和五
八年一一月七日の時点においても、同判決は、特になお書として「なお、前述のと
おり、選挙区間における本件選挙当時の投票価値の較差は憲法の選挙権の平等の要
求に反する程度に至つていたものであるから、議員定数配分規定は、公職選挙法別
表第一の末尾に、五年ごとに直近に行われた国勢調査の結果によつて更正するのを
例とする旨規定されていることにも照らし、昭和五〇年改正法施行後既に約七年を
経過している現在、できる限り速やかに改正されることが強く望まれるところであ
る。」と判示して、右判決時点においても「できる限り速やか」といつた比較的幅
のある表現でもつて議員定数配分規定の是正を国会に対して勧告しているのである
から、最高裁自身、右判決時点においては、いまだ合理的期間を経過してはいない
と考えているものと認められるのである。そして、右判決より一か月余りのわずか
の期間内に議員定数配分規定を是正することは不可能に近いことからしても、本件
選挙時までに右議員定数配分規定を是正しないからといつて、憲法上要求される合
理的期間内に是正がされなかつたとはいえないことを裏付けるものといえるのであ
る。
三 事情判決について
仮に、被告の主張が理由がなく、議員定数配分規定が違憲であり、本件選挙が無効
と判断されることがあつたとしても、右判断によつて違憲状態が是正されるわけで
はなく、かえつて憲法の所期するところに適合しない結果を生ずることは明らかで
あるから、行政事件訴訟法三一条の法理にしたがい事情判決が相当であるので、本
訴請求は棄却されるべきである(前記昭和五一年四月一四日大法廷判決参照)。

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