弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人佐藤武夫、同保津寛の上告理由第一点について。
 原審の確定した事実によれば、本件約束手形振出の当時、上告会社には、別に会
社を代表すべき取締役が定められていて、本件手形を振出したDには会社を代理し
てこれを振出す権限はなかつたのであるが、当時同人は上告会社の取締役であつた
ばかりでなく、その約一ヶ月前までは経理部長の職にあつて金銭出納事務を担当し、
ことに上告会社と取引のあつたE銀行F支店(本件手形の最初の支払場所)、G銀
行本店(本件手形の支払場所)その他の取引銀行に対しては、上告会社との間に締
結された当座勘定取引契約に基づいて、上告会社を代理して小切手を振出し、これ
によつてそれら銀行から預金を引出す等契約所定の当座勘定取引をなす権限を附与
されていた上、上告会社より右各銀行に対し、Dを上告会社の代理人とする旨の届
出とともに同人の印鑑届が提出されていたこと、しかもその代理権も、その約一ヶ
月前、同人が経理部長から企画部長への転出に伴つて消滅していたこと、一方本件
手形の受取人であるHは、知人に伴われて上告会社に赴き、同所においてDを紹介
されて経理部長の肩書ある名剌を貰い受けた上、同人より上告会社のために手形割
引による金融を依頼されて本件手形を交付されたのであるが、同人は、念のため人
を介して、手形の支払場所であるE銀行F支店について、振出人の資格等を調査し
たところ、偶々上告会社の同銀行に対するDの代理人解任届が遅れていたため、同
銀行では、さきに上告会社から提出されていた前記代理人届と印鑑届によつて照合
し、一致することを認めてその旨Hに回答した結果、Hは安心して、本件手形を受
取るに至つたというのである。
 果して、然りとすれば、本件手形の受取人であるHは、前示Dにおいて何ら手形
振出の権限のないものであること、しかもDが有していた前示代理権限も手形振出
当時はすでに消滅していたことについて善意無過失であり、Dに手形振出の権限あ
るものとのみ信じ、かく信ずるについて正当の事由あつたものと認めるを相当とす
べく、従つてHから本件手形の裏書譲渡を受けた被上告人に対し上告会社は民法一
一〇条、一一二条の法意に従い本件手形につき支払の責を免れ得ない筋合である(
昭和三〇年(オ)第二九九号、同三二年一一月二九日当裁判所第二小法廷判決、集
一一巻一二号一九九四頁、昭和一八年(オ)第七五九号同年一二月二二日大審院民
事聯合部判決、民集二三巻六二六頁各参照)。されば右と同趣旨に出た原判決の判
断は正当であつて、何ら所論のかきんあるを認め得ない。所論は叙上に反する独自
の見解に座するものであつて採るを得ない。
 そして右の如き場合本人たる上告会社は、民法一一二条、一一〇条両規定の法意
により、Dの振出した本件手形につき、受取人たるHに対し、振出人としての責を
免れ得ないものであることは右判示のとおりであるから、これと同趣旨の原判決に
は所論の違法があるとは認められない。また上告会社が右Hに対し本件手形につき
振出人としての責を免れ得ないものである以上、Hからこれが裏書譲渡を受けた被
上告人に対してもまた同様の責を負うべきものと解されるから(この点については
なお後記第三点の判旨参照)、これと同じ見解に立つ原判決には所論のかきんあり
とは認められない。
 なお論旨は、Dの従前有した代理権は、ただ単に上告会社と前記特定の取引銀行
との間に締結された契約に基づく当座勘定取引に関してのみ与えられたものであつ
て、それ以外の取引に関して与えられたものではなく、況んや右銀行以外の不特定
多数人を相手方とする取引に与えられたものではないから、民法一一〇条、一一二
条によつて保護される者は、右取引銀行に限らるべきであり、右代理権に何のかか
わりもない本件約束手形の振出につき、銀行はもとより銀行以外の者までその保護
を受くべきものではない旨主張するが、民法一一〇条の規定は、代理人の行為がそ
の代理権のある事項と関係があると否とに拘らず適用があるものと解され(昭和四
年(オ)第八七〇号、同五年二月一二日大審院第四民事部判決、民集九巻一四三頁、
同一五年(オ)第八一五号、同一六年二月二八日同第五民事部判決、民集二〇巻二
六四頁参照)、民法一一〇条と一一二条が競合する場合もまた同様と解されるから、
上告会社は右当座勘定取引に関係のないDの本件約束手形の振出しについてもその
責に任すべきであり、また同人にその権限ありと信じ、かく信ずるにつき正当の理
由をもつ銀行以外の者に対しても同様の責任を免れ得ないものといわなければなら
ない。何となれば、所論の事実は、相手方が当該取引につき代理人に、民法一一〇
条にいわゆる「その権限ありと信ずべき正当の理由」を有していたと認め得るかど
うかを判定するにつき参酌さるべき事項に過ぎないからである。
 この趣旨において、本件Hもまた所論法条の保護を受くべきものであると解した
原判示は正当であり、所論の違法は認められない。
 同第二点について。
 しかし民法一一〇条にいわゆる「信ずべき正当の理由」とは、かく信ずることが、
前後諸般の事情に照し、普通の注意力を有する者の挙措として無理ではないとの謂
いに外ならないと解されるから、(昭和九年(オ)第九一六号、同年一一月一三日
大審院第五民事部判決、集一三巻二〇七三頁参照)、原判示が判示諸般の事情に鑑
み、Hにはかくの如く信じたについて正当の理由があつたものと判断したのは正当
であり(原判示参照)、その場合、さらに、もつと手を延ばして所論の如き点まで
調査しなかつたとしても、これを以て同人に過失があつたものとすることはできな
い旨判断したのもまた正当として是認できる。それゆえ論旨は採るを得ない。
 同第三点について。
 しかし約束手形の裏書譲渡があつたときは、その裏書によつて、手形から生じた
一切の権利は、被裏書人に移転するものと解されるから、振出人が受取人に対し民
法一一〇条、一一二条の適用により手形上の責任を免れ得ないときは、振出人は被
裏書人に対しても、その手形につき振出人としての手形上の責任を免れ得ないもの
と解するのを相当とする(昭和八年(オ)第二二五〇号、同年一一月二一日大審院
第五民事部判決、法律新聞三六九八号一五頁、大正一二年(オ)第一九九号、同年
六月三〇日同第三民事部判決、民集二巻四三二頁等参照)。
 されば原判決が、その確定した事実関係の下において、上告会社は民法一一二条、
一一〇条によつて、Dの振出した本件手形につき、受取人たるHに対し、振出人と
しての責を免れ得ないものである以上、Hから右手形の裏書譲渡を受けた被上告人
に対してもまた同様の責任ある旨判断したのは正当であり、論旨はひつきようこれ
と相容れない独自の見解を前提とするものであるから採るを得ない。
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のと
おり判決する。
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    高   木   常   七
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫

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