弁護士法人ITJ法律事務所

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主文
被告人を懲役12年に処する。
未決勾留日数中280日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
 被告人は,平成15年10月28日午後11時過ぎころ,神戸市a区b地内で普通
乗用自動車を運転中,その後方から,A(当時45歳)が運転し,B(当時35歳)
が同乗する普通貨物自動車に前照灯を点滅されるなどして追跡され,憤激の上,
第1 同日午後11時30分ころ,神戸市a区bc丁目d番e号先路上において,前記
Bに対し,殺意をもって,所携の包丁(刃体の長さ約15.4センチメートル。平成
16年押第30号の1)で同人の左側胸上部,左側胸下部及び左側頚部等を多数回
にわたり突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を左鎖骨下静脈
及び脾静脈・膵臓切損により失血死させて殺害した
第2 第1記載の日時場所において,前記Aに対し,前記包丁で同人の顎を1回切り
付け,よって,同人に全治約14日間を要する下顎切創の傷害を負わせた
ものである。
第1 争点の整理
   弁護人は,被告人は,Bから因縁を付けられ,胸倉を掴まれて判示包丁(以下
「本件包丁」という。)を突き付けられたため,自己の生命,身体に危険を感じ,
その攻撃を免れるために反撃し,その包丁で同人を突き刺して死亡させたものであ
るとして,①判示第1の被害者Bに対する殺人については正当防衛が成立するから無
罪である旨,②判示第2のAに対する傷害についても正当防衛が成立し,そうでない
としても誤想防衛により傷害の故意がないから傷害罪は成立しない旨主張する。
   当裁判所は,関係証拠によれば,被害者Bが本件包丁を持ち出して被告人に攻
撃を加えた事実はなく,被告人はその所持にかかる本件包丁で本件犯行に及んだも
のと認められるから,弁護人の前記主張はいずれも理由がないと判断した。その理
由について,以下,補足説明する。
第2 関係各証拠によれば,以下の事実が認められる(これらの事実は,被告人及
び弁護人において格別争っていない。)。
1 本件犯行に至るまでの被告人の生活状況等
   被告人は,かねて,暴力団組員であるCの妻D(その後離婚。)と親しくして
いたが,平成10年ころ,CにDとの仲をとがめられ,包丁を突き付けられて傷害を
負い,あるいは,平成13年6月ころ,DにつきまとっていたEを鉄パイプで殴打す
る殺人未遂事件を起こして中等少年院に入院したが,平成14年11月に仮退院
し,平成15年1月ころからDやその子らと同居していた。Dは,そのころ以降,神
戸市a区bc丁目所在のスナックに勤めていたが,被告人は,その後,前記EがDの携帯
電話に電話してきたり,同Cから「命とる覚悟がある。」などと脅され,それらの者
らから危害を加えられることをおそれ,毎日,判示普通乗用自動車(以下「被告人
車両」という。)でDを勤務先である前記スナックに送迎していた。
 2 本件犯行に至る経過
   被害者Bは建築業を営む者であり,被害者Aはその従業員であるが,BとAは,
平成15年10月28日午後5時ころ仕事を終え,神戸市c区内のスナックやお好み
焼屋等で飲酒し,同日午後11時ころ前記お好み焼屋を出て,さらに同区bc丁目の
商店街「bセンター」にある飲食店に向け,Aが助手席にBを同乗させて判示普通貨物
自動車(以下「被害者車両」という。)を運転して走行し,前記bセンター前道路に
同車を停め,車内から同店が営業しているか確認するなどしていた。
   一方,被告人は,同日午後11時ころ,被告人車両を運転してDをその勤務す
る前記スナックに迎えに向かい,前記bセンター前道路にさしかかった。その際,被
害者車両が同所の道路を一部ふさぐように停車していたため,被告人はその横を通
過するのに著しい困難を感じながら,被害者車両の横を通過したところ,Bは,これ
に立腹して,Aに被告人車両を追跡するように命じ,Aは被害者車両を発進させて,
途中Bの指示どおりパッシングするなどしながら被告人車両を追跡した。
   これに気付いた被告人は,その後,被害者車両の追跡を振り切ることに成功
したが,同区bc丁目d番e号先路上(「以下「本件現場」という。)付近に被告人車
両を停車させた。
   その後,被告人車両を探していた被害者Aは,停車している被告人車両を発見
して,その前方に被害者車両を停車させた。被害者Bは,その直後降車し,徒歩で被
告人車両に近付いた。
 3 本件犯行状況
   被告人は,その後,被害者Bを本件包丁で多数回にわたり突き刺すなどし,被
害者Bは死亡した。他方,被害者Aは,Bが被害者車両から降車した後,同人の指示に
従い被害者車両を近くの交差点付近に移動させて本件現場に戻ったところ,被告人
からその下顎部付近を本件包丁で切り付けられ判示の傷害を負った。
 4 本件犯行後の状況
  (1) 被告人は,その後本件現場から逃走し,ほどなく,母と姉に対し,それぞ
れ電話で,「人を刺してもうた。」などと話し,その後,本件犯行をニュースで知
った姉から問いつめられた際にも,同女に対し,「fで喧嘩になって刺しただけ。」
などと話した。
  (2) 被告人は,同年11月28日,友人であるFに,携帯電話で,「俺,人を
殺してもうた。」「車が停まってて,追い抜かしたら,パッシングしながら追いか
けられてん。その車から相手が降りてきたんや。それで,相手の方から喧嘩売って
きて,腹が立ったから,刃物で相手を十数か所刺したんや。」などと話した。
  (3) 被告人は,本件犯行後同年12月2日逮捕されるまでの間に,本件包丁を
同市g区h町i丁目j番所在のk公園南側植え込みに投棄した。なお,本件包丁は,被告
人が逮捕された当日,被告人の供述に基づいて,同所から発見押収された。
 5 本件包丁の性状等
   本件包丁は,全長約27.2センチメートル,刃体の長さ約15.4センチ
メートルの鋭利な刃物であり,人血の付着が認められた。
 6 被害者Bの受傷の部位,程度
  (1) 被害者Bは,その顔面及び頭部,頚部,左側胸部,左側腕部等の各部位に
11か所の刺創と5か所の切創,合計16か所の創傷を負った。
    すなわち,顔面には,左側に3か所の刺創(うち1か所は刺切創)と2か
所の切創のほか,右耳前部に1か所の切創がある。そのうち鼻左側の刺創は,左鼻
骨と左上顎骨の境目部分を貫通しており,また,左頬骨部の刺創は,骨の中に約
0.6センチメートルまで達している。頭部には,左前頭部にいずれも前頭骨に刺
入する2か所の刺創と左後頭頭頂部に弁状切創があり,頚部には,その左側に長さ
約3.2センチメートルの刺創がある。左側胸部には,上部,後部,下部の3か所
にそれぞれ刺創があり,このうち,左側胸上部の刺創は,左側胸上部の左下から右
上に向かう深さ約16.5センチメートルのもの,左側胸下部の刺創は左側胸下部
やや後ろから前やや右に向かう深さ13ないし14センチメートルのものである。
背部には,左胸背上部に左肩胛骨を貫通する刺創が,さらに,上肢部には,左右上
腕上部に切創各1か所のほか,左上腕部に貫通刺創がある。
  (2) 被害者Bの司法解剖を行ったG医師の所見(以下「G所見」という。)によ
れば,左側胸上部の刺創による左鎖骨下静脈の切損,左側胸下部の刺創による脾臓
の静脈等の切損が致命傷となったもので,これらの傷害に基づく失血が直接の死因
であり,また,これらの創傷のほか,前記鼻左側及び左頬骨部の各創傷はかなり強
い力を込めて刺突したことを示す刺創である。
 7  被害者車両は作業用の貨物自動車であり,その後部座席には,カッターナ
イフ,のこぎり,大型の釘抜きなどが,また荷台には金槌,スコップ,金属製の角
材等が積載されていた。
第3 本件包丁の所持者及び犯行状況について
 1 ところで,本件においては,本件包丁を誰がもともと所持していたのかとい
う,争点判断についての重要な間接事実について争いがあり,検察官は本件包丁は
被告人が所持していたものであるとし,被告人及び弁護人は被害者Bが所持していた
と主張しているので,まず,この点について検討する。
 (1) 証人Aは,被害者Bが本件現場付近で降車する際,包丁を持っていなかった
旨当公判廷で供述するところ,弁護人は,Aの公判供述は信用できないと主張する。
 しかし,Aの公判供述中,被害者Bが被害者車両を降車して被告人車両に向
かった際包丁を持っていなかった旨の供述部分は,反対尋問によっても動揺するこ
とのない一貫した明確な供述であり,その内容自体や供述態度にも不自然な点はな
い。なるほど,Aは,弁護人主張のとおり,被告人に雇い主を殺害され,自らも傷害
を負わされた被害者として,一般論としては被告人に不利益な虚偽供述に及ぶ動機
を有する者であるとはいえるが,他に目撃者等がない本件にあっては,公判廷での
証言段階ではもちろん,捜査段階においても,たとえば被告人が被告人車両から降
車する際包丁を所持していたなどと被告人に不利益な供述に及ぶことも可能であっ
たのにそのような供述に及んだ形跡は全くないし,むしろ逆に,他に証拠のない被
害者Bの酒癖の悪さや粗暴な傾向についても詳しく供述し,あるいは,Bが降車後Aに
おいてBが被告人に暴力をふるう可能性を認識できたにもかかわらず同人を制止せず
同人から命じられるまま被害者車両を移動させたことなど,B及び自己に不利益な供
述や被告人に有利な多くの供述もしているのであって,ことさら被告人に不利益な
虚偽の供述をしていないと認めるに十分である。また,Aの公判供述中には,弁護人
の指摘するような他の証拠と一致せず,あるいは反対尋問であいまいになった供述
部分がないわけではないが,これらの事情を考慮しても,被害者Bが降車した際包丁
を持っていなかった旨の前記Aの公判供述の信用性が減殺されるものではない。
(2) 次に,本件犯行後逮捕されるまでの約1か月の間に,被告人が親族や友人
に対し本件犯行の概要を電話等で話した内容は,前記第2の4(1),(2)認定のとお
りであるが,いずれの場合も,被害者Bが包丁を持っていたとか,同人の包丁を取り
上げて刺してしまったなどと,Bが持っていた包丁で先に攻撃してきたことを窺わせ
るような発言をした形跡は全く認められない。弁護人は,これらの事実は本件包丁
の所持者認定の資料にならないと主張するが,相手方に包丁で攻撃され,あるいは
その包丁がもともと相手方が持っていたなどという事実は,被告人が本件犯行につ
いて他者に語る場合に,意識的にせよ,無意識的にせよ,これをことさら除外する
理由は全くないのであって,そのことに触れていない前記認定にかかる被告人の発
言内容は,被告人が本件包丁を所持していたもので,これにより相手方を刺突した
ことを推認させる有力な間接事実となることは否定し難い。
(3) また,被告人は,前認定のとおり,自己やDが危害を加えられる具体的危
険を感じ,これに脅える状況にあったというのであるから,日頃,反撃用あるいは
護身用として本件包丁を携帯していたと考えても格別不思議のない状況にあったと
認められる。弁護人は逆に,粗暴で酒癖が悪く飲酒しては喧嘩になることのあった
被害者Bが包丁を携帯していたと考えて不思議はない旨主張するが,Bがこれまで包
丁を用いて何らかの事件を起こした形跡は全くないし,酒癖が悪く喧嘩になること
もあったというだけで,同人が喧嘩の相手を威迫するために日頃包丁を持っていた
と考えることには論理の飛躍がある。
(4) 加えて,Bの親族やAは被害者車両に包丁が積載されていなかった旨供述し
ていること,前認定のとおり,被告人が犯行後本件包丁を持って逃走しているこ
と,さらに,被告人の供述によれば,被告人は血の付いた衣類等を投棄した際に本
件包丁を投棄せず,逮捕される直前までの約1か月間実家の台所の包丁立てに保管
していたというのであるが,被告人がこのような行動に出たことは,被告人がもと
もと本件包丁を自己の物として扱っていたことを示すと考えるのが自然であるこ
と,また,被告人の供述によれば,犯行後実家に本件包丁を保管中,母親から,
「こんな包丁うちにあったかな。」などといわれた際,「おかん,ぼけとんか。」
などといってごまかしたというのであるが,すでに本件犯行を知っていた母親に対
し,本件包丁が凶器であることを隠し,あるいは被害者が持っていた包丁であるこ
とを告げていないのは不自然であること,被告人が現に本件包丁を用いてBに対し一
方的な攻撃を加えて致命傷を含む判示の傷害を負わせ,他方で,被告人はその供述
によっても右手の人差し指から出血があったという以外は負傷していないこと等の
事実を併せ考慮すれば,本件包丁は被告人が携帯していたもので,被害者Bが所持し
ていたものを被告人が奪ったものではないと認められる。
2 被告人は公判供述等において,被告人車両に乗車中被害者車両に追跡される
などして恐怖を感じ,本件現場付近に被告人車両を停止させていたところ,付近に
被害者車両が停止し,同車から被害者Bが降りてきて被告人車両のそばまできて絡ん
できた,被告人が被告人車両から降車すると,Bは,突然「殺すぞ。」といいながら
本件包丁を左腹部付近に突き付けてきたため,危険を感じBにタックルし,あるいは
前蹴りしたところ,同人が転倒し本件包丁を落としたので,これを拾って腰のあた
りで構えた,Bに「もう行ってくれ。」などといったのに,同人は被告人に飛びかか
り両脇腹を掴んできた,その際本件包丁が1回Bの身体に刺さった,同人はなおも被
告人の両脇腹を掴んだまま振り回してきたので,本件包丁を奪われれば殺されると
思い,Bが死亡しても構わないという心情で,抵抗できなくなるまで同人の身体を本
件包丁で刺すなどした,また,被告人は,被害者Aが加勢に来ると思っていたとこ
ろ,背後から「やめたってえな。」という声が聞こえると同時にAがあらわれたの
で,本件包丁を取り返されたら殺されるなどと思い,同人の顎を切りつけたなどと
供述する。
 しかし,被害者Bが被告人に対し包丁を突き付けた具体的状況に関する被
告人の供述は,その重要部分が合理的な理由なく変遷しており,その内容も次第に
被告人に有利になる方向でのみ変化しているところ,捜査段階においてその不自然
さを検察官に指摘されて返答に窮するなど,先にみた家族や友人への発言等なども
併せ考慮すると,その供述の変遷は,不自然,不合理というほかはない。
 また,被告人は,ズボンの後ポケットに手を当てていた被害者Bが,そこから
本件包丁を取り出した旨供述するが,刃体の長さのみでも15センチメートルを超
える全長約27.2センチメートルの本件包丁の形状からすれば,その最終の供述
内容も極めて不自然,不合理である。
 さらに,Bが掴みかかってきたため同人に本件包丁が突き刺さったと供述する
点についても,同人の身体前面に創傷がないことに照らせば,明らかに不自然,不
合理である。弁護人は,Bの左上肢の刺創がこのときの創傷にあたるとし,そうでな
いとすれば本件包丁が刺さっていないのに刺さったと感じたに過ぎない可能性もあ
るなどと主張するが,同刺創は被害者Bの左腕外側上部にあり,被告人が供述する
「両手で被告人の両脇腹部分の服を掴んできた」旨のBの攻撃態様で生じる創傷であ
るとは考えられず,刃物が深く刺さった感触を取り違えるということも通常あり得
ない。なお,被告人がBにおいて抵抗し続けたという供述部分も,Bは,G所見によれ
ば,そもそも強度の酩酊状態にあった上(Bの血液1ミリリットル中約3.1グラム
のアルコールが検出
された。),致命傷の受傷後は激しい抵抗をする運動能力は残っていなかったと考
えられること等照らすと,これまた不自然,不合理である。
 そして,被告人は,公判段階に至り,自分には包丁に対する強いトラウマ
(精神的外傷)があり,包丁を持ち歩くようなことはしないとも弁解するが,その
ような強いトラウマがあったのであれば,本件包丁で執拗な攻撃を行っていること
や,その際の自己の心理状態や行動をよく記憶し,供述していることと著しく齟齬
するのであって,不自然,不合理である。
3 以上のとおりであって,犯行状況に関する被告人の供述中,多くの部分は信
用できないというほかはなく,従って,その直前の状況を含めて犯行状況の詳細は
不明であり,また,酒癖の悪さから被害者Bが被告人と対峙した際,被告人に対し何
らかの挑発的言辞等に及んだ可能性は残るものの,Bに本件包丁を左腹部に突き付け
られ「殺すぞ。」などと脅されたという被告人の弁解が虚偽供述であると断じてよ
いことは,これまで検討したところから明らかというべきである。
  そうすると,以上の証拠関係からは,被告人は,被害者車両から追跡され,
いったんこれを振り切りながら,被害者らが被告人車両を覚えているか否かを確認
するためであるとして,犯行現場で被告人車両を停車させて被害者Bらを待ち受けて
いたものであるが,被告人において,場合によっては被害者らと喧嘩になることを
十分予想した上でこのような行動に出たものであり,Bが被告人車両に近付いてきた
際,自車を運転して逃げることも可能であったのに,敢えて,被告人は本件包丁を
持って降車し,直ちに,あるいはわずかのやりとりの直後,本件包丁でBに対する攻
撃を開始し,本件犯行に及んだものと認められる。
第4 殺意及び正当防衛等について
1 被害者Bに対する殺意について
 被告人及び弁護人は,被害者Bに対する殺意は当初からのものではなく途中か
ら生じたものであり,また未必の殺意にとどまると主張する。
 しかしながら,前認定のとおり,本件包丁が刃体の長さ約15.4センチメ
ートルの殺傷能力が高い鋭利な刃物であり,もとより,その凶器の性状を被告人に
おいて認識していたものと認められること,被告人はこの包丁で被害者Bの身体の1
6か所に刺創あるいは切創を負わせたもので,ことに,頸部,左側胸部といった死
に直結する人体の枢要部に致命傷となった刺創を含め多くの創傷が認められるこ
と,これらは深い創傷であるほか,左顔面の刺創等は骨を損傷するなど,被告人は
短時間の間に相当強い力で多数回にわたり被害者Bを刺突するなどしたと認められる
こと,顔面に多数の激しい攻撃を加えていることからは激高の上犯行に及んだもの
と推認できるところ,前記のとおり本件の経緯からみても,被告人において被害者
Bに対し激しく立腹したと考えて矛盾はないこと等の諸事情にかんがみれば,被告人
に被害者Bに対する確定的殺意のあったことを認めるに十分である。
2 被害者Bに対する正当防衛の成否について
 被告人及び弁護人は,被害者Bが本件包丁を持ち出して攻撃を加えてきた旨の
被告人の供述を前提に,被告人に対する急迫不正の侵害があったと主張するが,こ
の前提が採用できないことはすでに述べたとおりであり,被告人は,急迫不正の侵
害に対する防衛行為としてではなく,被害者Bを殺害したものと認められるから,正
当防衛が成立しないことは明白である。
3 被害者Aに対する正当防衛等の成否について
   被告人の弁解は前述のとおりであるが,前認定のとおり,被告人は正当防衛
とは無縁の被害者Bに対する犯行の直後に,凶器を持っていたわけでもなく,被告人
の供述によっても被告人に対する攻撃的な態度をみせていない被害者Aに対し,本件
包丁でいきなり切り付けたものであるから,正当防衛はもちろん誤想防衛の成立し
ないことは明白である。
(法令の適用)
 被告人の判示第1の所為は,行為時においては平成16年法律第156号による
改正前の刑法(以下「改正前刑法」という。)199条に,裁判時においてはその
改正後の刑法199条に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があっ
たときにあたるから刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によることとし(そ
の有期懲役刑の長期は行為時においては改正前刑法12条1項に,裁判時において
はその改正後の刑法12条1項によることになるが,これは犯罪後の法令によって
刑の変更があったときに当たるから刑法6条,10条により軽い行為時法の刑によ
る。),判示第2の所為は同法204条にそれぞれ該当するところ,各所定刑中判
示第1の罪について有期懲役刑を,判示第2の罪について懲役刑をそれぞれ選択
し,以上は刑法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重
い判示第1の罪の刑に改正前刑法14条の制限内で法定の加重した刑期の範囲内で
被告人を懲役12年に処し,刑法21条を適用して未決勾留日数中280日をその
刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負
担させないこととする。
(量刑の理由)
 本件は,被告人が,激高の上,包丁を用いて,被害者Bを殺害し,被害者Aに傷害
を負わせた殺人,傷害の事案である。
 被告人は,被告人車両を運転中,被害者車両から追跡されたことを契機に,激高
して本件各犯行に及んだものであるが,被告人が当初被害者らを自分や内妻に危害
を加えようとしている者と考えていた可能性があることや,泥酔していたと思われ
る被害者Bが犯行直前に被告人に対し何らかの挑発的言辞に及んだ可能性を考慮して
も,その残虐な犯行と対比すると,その犯行動機は著しく短絡的であって,酌量の
余地はない。
 被告人は,強度の酩酊状態にあったためほとんど抵抗できない状態にあったと考
えられる被害者Bに対して,殺傷能力が高い包丁をもって,手加減することなく一方
的に身体の枢要部である胸部,頸部,顔面等を多数回にわたり刺突するなどして,
11か所の刺創と5か所の切創を負わせて殺害したものであり,その犯行態様は執
拗で残虐である。被害者Aに対する傷害について見ても,同被害者は全治約14日間
を要する下顎切創の傷害を負っており,その結果自体が重いばかりでなく,その犯
行態様は,一歩間違えば,頸部等を損傷し同人を死亡させる結果を生じさせかねな
い危険なものであり,犯情は悪質である。
 犯行に至る経緯を見ると,酒癖の悪かった被害者Bが酒に酔ったためかAに指示し
て被告人車両の追跡を続けたことが本件犯行の契機となっていることは事実であ
り,その限りで被害者Bらに落ち度はなかったとはいえないが,いったん追跡を振り
切ったにもかかわらず,被告人はあえて犯行現場に被告人車両を停車させて被害者
らを待ち受けた上本件犯行に及んだものであることのほか,危険かつ残虐な本件犯
行との対比で考えれば,被害者両名にそれぞれ本件被害を甘受すべき落ち度がなか
ったことは明らかというべきである。
 ところが,被告人は,捜査公判を通じて,犯行に使用した包丁は被害者Bが所持し
ていたもので,自分は同被害者からこれを突き付けられやむを得ずこれを取り上げ
て本件犯行に及んだものであるなどと正当防衛が成立する旨,事実をねじ曲げ,被
害者らに責任を転嫁する見苦しい弁解に終始して恥じるところがないのであり,被
害者Bが死亡するまでに味わったであろう心身の苦痛等を真摯に見つめるなど,本件
犯行を直視してこれを省みる態度は見られない。
 本件犯行により,突然生命を奪われた被害者Bの無念さは想像に難くなく,同被害
者の前妻(その間に子供らがいる)やその姉の悲しみと憤りの念は深く,被害者Bの
遺族等や被害者Aの処罰感情には厳しいものがあるにもかかわらず,被害弁償等慰謝
の措置は一切なされていない。
 さらに,被告人には,覚せい剤取締法違反の前歴のほか,平成13年7月に殺人
未遂事件で少年院送致となった同種前歴があり,それから2年余り,少年院仮退院
後1年も経ないで本件各犯行に及んだもので,その規範意識の乏しさやゆがみは深
刻で,その危険な犯罪性向には憂慮すべきものがある。
 そして,本件のような凶悪で残忍な犯行が地域住民に与えた不安感や恐怖感な
ど,本件が社会に与えた影響も軽視することはできない。
 以上のとおりであって,被告人の刑事責任はまことに重大である。
 そうすると,前記のとおり被害者らの追跡行為が契機となって本件犯行に至った
という限りでは被害者Bらに落ち度がないとはいえないこと,雇い主が社会復帰後の
雇用を約束していること,若年であること,その家庭状況など,被告人のために酌
むべき事情をいかに考慮しても,被告人は主文掲記の刑を免れない。
 よって,主文のとおり判決する。
  平成17年1月13日
神戸地方裁判所第1刑事部
裁判長裁判官  杉  森  研  二
   裁判官橋  本     一
   裁判官高  橋  信  幸

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