弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人梅田林平の上告理由第一点について。
 訴外Dは昭和三二年八月三〇日頃被控訴人(被上告人)との間で本件建物を代金
一三〇万六〇〇〇円で売り渡す契約を締結した旨の原審の認定は、原判決挙示の証
拠により、肯認することができ、本件記録を精査しても、上告人が原審で所論虚偽
表示による無効の抗弁を提出した形跡は認められない。したがつて、原判決に所論
の違法はなく、所論は、ひつきよう、原審の適法にした証拠の取捨判断ないし事実
の認定を非難するに帰するから、採用できない。
 同第二点について。
 本件売買契約締結当時、Dが心神喪失の状態にあつたことは認められない旨の原
審の判断は、証拠関係に照し、相当であり、本件売買契約は暴利行為ではなく、公
序良俗に反するものではない旨の原審の判断は、本件売買に関し原審の確定した事
情のもとにおいては、相当である。
 そして、売主およびその相続人の共有不動産が売買の目的とされた場合において、
売主が死亡し、相続人が限定承認をしなかつたときは、買主が当該不動産の共有者
を知つていたかどうかを問わず、相続人は、無限に売主である被相続人の権利義務
を承継するから、右売買契約成立当時、共有者の一員として、当該不動産に持分を
有していたことを理由とし、その持分について右売買契約における売主の義務の履
行を拒みえないものと解するのが相当である。ところで、原審の確定したところに
よれば、江黒住子は自己およびその相続人である上告人の共有に属する本件建物を
被上告人に売り渡し、その後江黒住子は死亡し、上告人は限定承認をしなかつたと
いうのであるから、上告人は被上告人に対し本件建物全部について所有権移転登記
手続をする義務の履行を拒みえないものといわねばならない。したがつて、本件建
物に対する上告人の三分の二の持分についても、本件売買契約による上告人の義務
は履行不能とはいえない旨の原審の判断は正当である。所論は、ひつきよう、原審
の専権に属する証拠の取捨判断ないし事実の認定を非難し、右と異なつた見解に立
つて原判決を攻撃するに帰するから、採用できない。
 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官山田作之助の補足意見お
よび裁判官奥野健一の反対意見あるほか、全裁判官一致の意見で、主文のとおり判
決する。
 裁判官山田作之助の補足意見は次のとおりである。
 第三者所有の物件を売買の目的とした場合でも、売主は、当該売買契約が民法五
六一条、五六二条等の諸規定により解除されないかぎり、買主に対しその物件の所
有権を移転する義務があるから、契約締結後売主の地位または物件所有権の変動に
より売主の地位と物件の所有権が同一人に帰するに至つたときは、売主はあたかも
当初から自己所有の物件を売買した場合と同様の地位に立ち、契約締結当時その物
件が第三者の所有に属したからといつて、買主にその物件の所有権の移転を拒むこ
とができないことはいうまでもない。されば、被相続人が、売主となり、相続人所
有の物件について売買契約を締結した場合において、被相続人の死亡により相続が
開始し、相続人が被相続人の売主たる地位を承継したときは、売主の地位と売買物
件の所有権とが同一人に帰することになるから、相続人としては、買主に対しその
物件を譲渡するという売主としての義務の履行の責を免れえないことは当然の帰結
といわねばならない。しからば、売主としての被相続人の義務を承継した相続人が、
売買物件が自己の所有であるにもかかわらず、右義務の履行を拒みうるとする見解
には同調することができない。
 裁判官奥野健一の反対意見は次のとおりである。
 上告代理人梅田林平の上告理由第二点について。
 一、本件不動産は訴外Dが三分の一、上告人が三分の二の持分を有する共有物で
あつたところ、訴外人は本件不動産を被上告人に代金一三〇万六〇〇〇円にて売り
渡したものである。従つて、本件不動産の三分の二の持分については所謂他人の物
の売買であり、右訴外人は右持分権を上告人より取得して、これを買主に移転する
義務を負担しているのであるが、第三者たる上告人は自己の持分権を移転する義務
を負つていなかつたのである。然るところ、右訴外人の死亡により、上告人が右訴
外人を相続した結果、右訴外人の権利義務を承継したものであるから、右訴外人の
負担していた上告人の持分権を取得して被上告人に移転すべき所謂第三者の物の売
買契約上の義務を承継することは疑を容れないところではあるが、上告人所有の三
分の二の持分権は固より相続の対象ではなく上告人は依然第三者として自己の持分
権の移転を承諾するか或はこれを拒否するかの諾否の権利を有しており、相続のた
め、この自己固有の権利まで奪われるものではなく、また勿論これを承諾する義務
もない。かかる諾否の権利は相続人たる地位とは無関係に自己本来の固有の権利と
して主張し得るものと解すべきである。けだし、相続人は被相続人の地位を承継す
るだけであつて、それ以上の義務を負担するものではなく、債権者も被相続人に対
して有する以上の権利を相続人に対して主張することは許されないからである。
 一、然るに原判決は「このような場合は自己所有の物の売買と同視すべき結果に
なつて履行不能の余地は生ぜず、被上告人が売買当時上告人の右持分を知つていた
とするも上告人は被上告人に対し右売買に基く所有権移転登記手続義務を免れない。」
と判示する。しかし、若し上告人主張の如く、被上告人が上告人の持分を知つてい
たとすれば、買主たる被上告人は第三者たる上告人がその持分権の移転に応じない
限り、契約の解除ができるだけであつて、損害賠償の請求権すらないのである(民
法五六一条)。然るに相続という偶然の事実のため、上告人の持分が当然被上告人
に移転し、上告人に対しこれが移転登記請求権を取得するとすれば、被上告人は、
被相続人に対して主張できなかつた権利まで相続人に対して新に取得することにな
る。また、原判示の趣旨によれば、仮に上告人が相続以前既に自己の持分の移転を
明白に拒否していたとしても、相続の結果自己の意思に拘らず、自己の持分権が当
然に被上告人に移転するのであろうか。
 一、昭和三七年四月二〇日言渡の当裁判所の判決(昭和三五年(オ)第三号集一
六巻四号九五六頁)は、被相続人が相続人所有の不動産を代理権限なきに拘らず、
恣に相続人の代理人として売り渡した後、相続人が被相続人の家督を相続した事案
について「相続人たる本人は被相続人の無権代理行為の追認を拒絶しても何ら信義
に反するところはないから、被相続人の無権代理行為は一般に本人の相続により有
効となるものではない。」と判示している。その趣旨は相続によつては当然に本人
自身の行為となり又は当然に無権代理行為の追認となるものではないことを判示し
たものと解せられる。本件において、若し訴外Dが上告人の代理人として上告人所
有の持分権を売却したと仮定すれば、右判例によれば売買契約は上告人本人が為し
たものと同視されることなく、その趣旨において上告人を拘束しなかつたのである。
然らば、始めから第三者の持分としてこれを売却した本件においては、一層強い理
由で、本件売買契約は第三者たる上告人を拘束しないものといわねばならないので
はなかろうか。
 一、これを要するに、相続人は被相続人の地位を承継するだけであるから、被相
続人の負担する義務以上のものを負担するものではないのであつて、若し本件にお
いて被相続人たる訴外Dが死亡してなかつたとしたら、上告人の承諾のない限り、
本件不動産上の上告人の持分権は、被上告人に移転する筈はなかつたものであると
ころ、偶々右訴外人の死亡による上告人の相続という事実のため、当然上告人の持
分権がその意に反して買主たる被上告人に移転し、その移転登記に応じなければな
らないということになれば被上告人が売主たる右訴外人に対して有していた以上の
権利を、その相続人に対して有することになり、相続の法理に反するものである。
よつて、論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    奥   野   建   一
            裁判官    山   田   作 之 助
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    石   田   和   外

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