弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を懲役10年に処する。
未決勾留日数中160日をその刑に算入する。
理由
(犯罪事実)
被告人は,平成12年頃から異常な行動を見せるようになり,統合失調症の疑い
があると診断され,その後精神科への入通院を繰り返していたところ,千葉県内に
所在するA病院に医療保護入院中の平成23年4月2日,入院患者を殺害する事件
(以下「千葉事件」という。)を起こし,精神鑑定の結果,妄想型統合失調症に罹
患しており,犯行時には心神喪失の状態にあったと判断され,同年11月1日,千
葉地方裁判所において,心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び
観察等に関する法律(以下「医療観察法」という。)による入院決定を受け,同日,
神奈川県横須賀市ab丁目c番d号Bセンター(名称は当時)に入院することとな
った。
被告人は,自分がキリストであり,社会の役に立たないのに多額の税金が投入さ
れている精神病患者(被告人は「害人」と称している。)は殺すべきだとの妄想を
もっていたところ,同月3日午後1時頃,前記BセンターC病棟106号室におい
て,同センターの入院患者であるD(当時56歳)は,身寄りもなく,愛と絆がな
い「害人」であると考えたことなどから,同人に対し,殺意をもって,同人の背後
からその頸部を両腕で絞め付け,同室内ベッドに仰向けに倒した上,さらにその頸
部を両手で絞め付けるなどし,よって,その頃,同所において,同人を頸部圧迫に
より窒息死させて殺害したものである。
なお,被告人は,本件犯行当時,妄想型統合失調症のため心神耗弱の状態にあっ
たものである。
(証拠の標目)省略
(法令の適用)
罰条刑法199条
刑種の選択有期懲役刑
法律上の減軽刑法39条2項,68条3号(心神耗弱のため減軽)
未決勾留日数の算入刑法21条(160日を算入)
訴訟費用刑訴法181条1項ただし書(不負担)
(争点に対する判断)
本件犯行当時,被告人が心神喪失の状態にあったのか,心神耗弱の状態にとど
まるのかが,本件の争点である。当裁判所は,以下の理由に基づいて,本件犯
行当時,被告人は,善悪を判断し,これに従って行動をコントロールする能力
が著しく減退していたが,失われてはいなかったと判断した。
1被告人の精神状態
被告人の捜査段階の精神鑑定を担当したE医師の証言及び同人作成の精神
鑑定書(甲2),捜査報告書(甲9)等によれば,被告人は,本件犯行当時,
妄想型統合失調症に罹患し,反社会性パーソナリティ障害を有しており,妄
想型統合失調症による誇大的で奇異な妄想(キリストである自分(被告人は,
自分がキリストでありかつ天皇であるとの血統妄想を有しているが,殺害の
関係ではキリストと称していることが多いように窺われる。)は,将来第三
次世界大戦の際に大勢の人が死ぬので,率先して「害人」を殺すべきである
などというもの)を抱いていたが,妄想以外の統合失調症の精神症状は千葉
事件当時よりも改善していたこと,千葉事件以降に行われた治療の効果によ
り,本件犯行当時,被告人は,前記の精神病等ではあったが,現実を正しく
見て検討する力がそれなりにあり,その場にあった行動がとれるようになっ
ていたことが認められ,これらによれば,妄想による支配力も千葉事件当時
より弱まっていたということができる。
2本件犯行の動機
被告人の捜査段階及び公判での供述等によれば,本件犯行動機は,前記のとお
り,被告人が抱いていた自分がキリストであり「害人」は殺すべきだという妄想
に基づくものと認められる一方,もう一度殺人事件を起こし,警察に捕まること
で病院から出たいということがあったことも認められる。前者の動機が了解不能
であることは明らかであるが,後者についても,キリストであり天皇である自分
が「害人」と同じ病院に入院させられていることに耐えられないという意味もあ
って,被告人の前記妄想に影響されている面があり,その点では了解不能といわ
ざるを得ない。もっとも,被告人は,本件犯行の2日前に,鑑定入院先であるF
病院から退院できると考えていたにもかかわらず,転院当日である11月1日に
なってからBセンターへの入院を知らされたものであり,落胆や憤りの感情によ
って病院から出たいと考えた蓋然性があることや,たばこを自由に吸いたかった
とか残りの所持金の額が少ないので早く出たかった旨述べていることなどに照ら
して,現実的欲求に基づく動機と考えられる面もある。病院から出たいという欲
求から殺人を犯すという発想には飛躍があるものの,病院より刑務所の方が良い
として,殺害すれば警察に通報され,刑事手続に乗る,そうすれば病院からは出
られる旨の考え方はそれなりに筋が通っており,前記の感情や現実的欲求に基づ
く動機は了解不能とまではいえない。しかし,全体としては,被告人の本件犯
行動機は了解が不能な面が多いと考えられる。
3違法性の認識等
被告人は,一般的には殺人が違法なものであることは認識していたと述べる
一方,前記妄想に基づき,自分はキリストだから「害人」を殺しても釈放さ
れると思っていたなどと述べている。しかしながら,千葉事件では,不起訴
にはなったものの,医療観察法に基づく入院決定を受けて本件犯行直前にB
センターへ入院するに至っていたのであるから,被告人自身が公判廷で述べ
たとおり,自分の行為が社会的に許されず,処罰や処分を受ける可能性があ
ることも認識していたと考えられ,また,被告人が本件犯行にあたり葛藤が
あったと述べていることも,殺人が違法なものであることを認識していたた
めに生じたものと考えられるから,被告人が,キリストである自分の行為は
許されると固く信じて疑わなかったとは認められない。
また,被告人の供述等によれば,被告人は,被害者の他にも,入院患者であ
り「害人」である20代の男性及び71歳の老女を殺害する候補として選び,
本件犯行前に,それぞれと「面談」した上,おばあちゃんはとてもいい人だ
し,20代の男性は家族の支えがあり,社会復帰を目指しているなどという
理由で殺害の対象から除外する一方,被害者は飯を食って寝転がっているば
かりで,身寄りがなく,愛と絆がないことを理由に殺害対象に選んだという
のである。そのような基準に基づく判断は,キリストや天皇であるという被
告人の妄想に基づく判断とは認められず,殺人は悪いことだ,あるいは殺人
をするにしても,その結果により悲しむ者が現れるのをできるだけ避けるべ
きだという通常の人間としての自らの価値観に基づく判断といえる。
以上の事情は,被告人の善悪を判断する能力が全く失われていたわけではな
いことを裏付ける事情といえる。
4行動をコントロールする能力
証拠によれば,被告人が,看護師が少なく,医師も当直医のみである祝日の午
後1時頃という,看護師が休憩に入っていると思われる時間に本件犯行に及んで
いること,被告人は,被害者に騒がれないように柔道の技で気絶させた上,首を
絞めた後,死亡を確認するために部屋に戻ってきた上で,息を吹き返していた被
害者の首を再度絞め,さらに足で被害者の喉付近を踏み付けて被害者を殺害して
いることが認められる。これらによれば,被告人は,衝動に身を任せることなく,
また,不必要で無駄な行動を一切とることなく,被害者を確実に殺害するために,
計画的に,一貫性・合目的性のある行動をとっていたといえる。このことは,被
告人の,善悪の判断は別として,自己の認識や判断に従って自己の行動をコント
ロールする能力が全く失われていたわけではないことを示す事情といえる。
5平素の人格との親和性
被告人は,小中学校時代から,家庭内暴力や小動物への虐待,窃盗等を繰り返
すなどしていて,前記のとおり反社会性パーソナリティ障害を有しており,暴力
的,反社会的な本件犯行と被告人の平素の人格とは親和性があり,異質な点があ
ったなどの事情は認められない。
6小括
以上を総合すると,被告人の犯行動機は了解が困難な部分は多いものの,被告
人の統合失調症の症状は千葉事件当時よりも改善されており,妄想の内容は「人
を殺せ。」などと殺害を直接命じるものではない上,被告人は,「害人」の中か
ら,通常人でも理解できる基準で殺害対象を選び,計画的,合目的的に犯行に及
んでいるのであり,キリストだから殺人も許される旨の考えも,許されない場合
があることも分かっているなど確固たるものではなく,本件犯行が平素の人格と
異質な点もないのであるから,被告人が,犯行当時,妄想型統合失調症による妄
想に完全に支配されていたとまではいえず,被告人には,自らの意思と判断で犯
行に及んだ部分が残っていたと認めることができる。よって,被告人の,善悪
を判断し,これに従って行動をコントロールする能力は著しく減退していた
ものの,未だその能力は残っていたと認められる。
7弁護人の主張について
本件犯行が千葉事件と同じであること
弁護人は,本件犯行の動機,犯行態様や,犯行後の行動が千葉事件と共通
点が多いことや,千葉事件の鑑定から本件犯行までの期間が短いことなどか
ら,責任能力に関する判断も千葉事件と同じになるべきであると主張する。
しかしながら,千葉事件と本件とでは,犯行前の被告人の言動,特に周囲
に対する暴力行為の有無や,犯行直後に看護師に対し犯行を告白した際の被
告人の言葉使い等,明らかに相違する点もある上,前記のとおり,E医師の
証言や捜査報告書(甲9)等によれば,本件当時,被告人の精神状態が千葉
事件当時よりも改善していたことは明らかであるし,妄想による支配力も弱
まっていたと認められるから,犯行態様等に共通点が多くても責任能力につ
いての判断が異なることには何ら問題はなく,弁護人の主張には理由がない。
E医師の鑑定に疑問があること
弁護人は,本件当時は千葉事件当時より妄想の支配力が弱まっていたとす
るE医師の鑑定,証言に対し,千葉事件の捜査段階で被告人の精神鑑定を行
ったG医師の証言に基づき,E鑑定は合理的な論拠が欠けていると主張する。
しかしながら,E医師は,千葉事件後と本件犯行後の両方でなされた被告
人の面談時の様子や心理検査の結果及び千葉事件前から本件犯行までの診
療録(カルテ)の記載等について,被告人の症状が改善したと認められる
点を具体的にあげて説明し,その上で妄想による支配力についても千葉事
件当時よりも弱まったと考えられると述べており,医療観察法による精神
鑑定を行い,被告人が千葉事件当時心神喪失の状態にあった旨鑑定したH
医師も,その鑑定書(甲8)で,被告人は,「鑑定入院中の治療で妄想の
表出が少なくなり,攻撃性も軽減しており,一定の治療効果は期待でき
る。」と記載しているのであるから,妄想の内容自体が同じであっても,
その支配力は軽減していたと考えて格別おかしくない。G医師は,E医師
の指摘するような妄想以外の精神症状の改善が認められても,直ちに妄想
による支配力が弱まるとはいえないと証言しているが,他の精神症状が変
化し,妄想の表出も変化しているのに,妄想の支配力だけは変化しないと
考えるのはいささか不自然であって,その証言は,本件犯行後に鑑定人と
して実際に被告人と面談を重ねた上で意見を述べているE医師の証言の信
用性を損なうものではなく,E医師の意見は十分信用できる。
したがって,この点の弁護人の主張にも理由はない。
被告人の葛藤はキリストとしての葛藤であること
弁護人は,被告人が本件犯行の際に葛藤があったと述べているのは,「害
人」を殺すことと,キリストとして「害人」を救うこと(ユートピア思想)
との間に生じた葛藤のことであって,通常の葛藤とは異なるのであり,葛藤
があったことから被告人が違法性の認識をもっていたとはいえないと主張す
る。
しかしながら,被告人の葛藤が弁護人主張のような内容であるとは証拠上
直ちには認め難い上,仮にキリストとしての葛藤であったとしても,被告人
は3人の殺害候補者の「害人」の中から前記のような基準で殺害の対象者を
選択したのである。2人を殺害対象に選ばなかったことについては,キリス
ト妄想に基づくものではなく,被告人自身の人間的価値観で判断していたと
認められ,そこには人間的な葛藤があったはずである。そうすると,被害者
を殺害することについても,少なくとも一般人と同様の葛藤が生じる「可能
性」はあった(違法性の意識の可能性はあった。)と考えられるし,そうで
あれば,他の2人の殺害を思いとどまったのと同様,被害者の殺害も思いと
どまることができたと考えられるから,いずれにしても弁護人の主張には理
由がない。
よって,弁護人の前記各主張は,いずれも前記の責任能力に関する判断を
覆すものではない。
8結論
以上により,本件犯行当時の被告人の精神状態は,心神耗弱の状態にとどまっ
ていたものと認めた。
(量刑の理由)
1たまたま医療観察法に基づく入院患者病棟の入院患者同士となった被害者には
格別の落ち度はなく,その生命を奪ったという結果は重大である。本件は,隔離
されてはいないものの,閉鎖病棟内で監視の目をかいくぐってなされた計画的犯
行であり,被害者を気絶させて首を絞めた上,一度息を吹き返した被害者の首を
再度絞め,さらに足で被害者の頸部を踏み付けて確実に息の根を止めたという殺
害の態様は,執拗,冷酷,かつ強固な殺意が窺われるもので,悪質である。被告
人が合理的に淡々と犯行を遂行している点も看過できない。病院から出たいがた
めに殺人を犯すという犯行動機も,誠に身勝手なものである。殺人や放火などを
行った者に対する入院治療を目的とする医療観察法の閉鎖病棟内で発生した殺人
事件であり,社会に与えた影響も大きい。
一方で,前記のとおり,被告人は,本件犯行当時,心神耗弱の状態にあったの
であり,犯行動機の主要な部分が了解困難なものであることは,妄想の影響が強
いといえる。そうすると,前記の犯行動機の身勝手さ,特異性をそのまま量刑に
反映させることはできず,相当程度被告人に対する非難は減じる必要がある。
2その上で,他の事情について検討すると,被告人が千葉事件からわずか7か月
余りで本件犯行に及び,公判に至っても全く反省の態度を示すことなく,死亡し
たことは被害者にとって結果として良かったなどと公開の法廷で述べていること
や被告人の具体的病状などからすれば,再犯の可能性は極めて大きい。他方で,
被告人が,犯行直後に自ら看護師に本件犯行を告げたことは,その目的はともあ
れ,自首に準ずる行為として,被告人に有利に考えることができる。
3以上の事情を総合考慮すると,被告人の刑事責任は重大ではあるものの,検察
官の求刑(懲役20年)の論理的前提となるように,刑種として無期懲役刑を選
択する事案とまではいえないものである(そもそも,必要的減軽がなされるから
といって,10年を超える刑を宣告したいがために無期懲役刑を選択することが
許されるかは問題であろう。)。
当裁判所は,有期懲役刑を選択した上で心神耗弱による減軽をし,犯行態様の
悪質さや被告人の再犯可能性の高さに加え,被告人が早期に社会復帰することに
対し,実母を始めとして社会一般が感じる不安感などを可能な範囲で考慮し,主
文のとおり,その上限により処断するのが相当と判断した。
(公判出席)検察官福唯司
弁護人小川恵司(主任),新穂均,深沢篤嗣,山田瞳(副主任)
(求刑検察官:懲役20年)(裁判員参加)
平成24年10月26日
横浜地方裁判所第4刑事部
裁判長裁判官久我泰博
裁判官忠鉢孝史
裁判官髙市惇史

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