弁護士法人ITJ法律事務所

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        主         文
  1 原判決を取り消す。
  2 被控訴人法務大臣が,控訴人に対し,平成14年2月20日付け通知書により通知した難民の認定をし
ない処分を取り消す。
  3 被控訴人法務大臣が,控訴人に対し,平成14年2月22日付け裁決通知書により通知した出入国管理
及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの)49条1項の規定による控訴人の異議申出は理
由がない旨の裁決を取り消す。
  4 被控訴人大阪入国管理局神戸支局主任審査官が,控訴人に対し,平成14年2月22日付けでした退
去強制令書発付処分を取り消す。
  5 被控訴人法務大臣が,控訴人に対し,平成14年6月13日付け通知書により通知した出入国管理及び
難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの)61条2の4の規定による控訴人の異議申出は理由
がない旨の裁決の取消しを求める訴えを却下する。
  6 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
        事 実 及 び 理 由
第1 控訴の趣旨
 1 主文第1項ないし第4項と同旨
 2 被控訴人法務大臣が,控訴人に対し,平成14年6月13日付け通知書で通知した出入国管理及び難民
認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下,単に「法」という。)61条の2の4の規定による控訴
人の異議申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
第2 事案の概要
 1 次のとおり改めるほかは,原判決「第2 事案の概要」の記載を引用する。
  (1) 2頁下から5行目の「以下」の前に「控訴人は,ビルマという名称を用いているが,控訴人の主張部分も
含めて」を加える。
  (2) 2頁末行の「被告主任審査官」を「被控訴人大阪入国管理局神戸支局主任審査官(以下「被控訴人
主任審査官」という。)」と改める。
  (3) 4頁下から9行目の「報告」を「報道」と改める。
  (4) 5頁(4)の3行目の「○○」を「○○」と改める。
  (5) 5頁末行の「入国審理官」を「神戸支局入国審査官」と改める。
  (6) 7頁7行目の「UNHCR」を「国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)」と改める。
  (7) 8頁下から10行目の「難民議定書」を「議定書」と改める。
2 控訴人の当審における補充主張
  (控訴人の難民該当性について)
  (1) 同じ反政府組織のメンバーであっても,指導者ではない単なる平のメンバーは,政府から迫害に遭う
可能性が低いので,難民とは認められないとの考えは誤った考えである。
    確かに,難民認定申請者の反政府活動が著名であり,本国政府に個別に認識されていることが明らか
な場合には,それは同人への今後の迫害可能性を高める要素となる。
    しかし,むしろ迫害を受けやすいのは,迫害することで自国内や国際社会の非難を受けやすい著名人
物よりも,何の力もない一市民の方であるともいえるのである。
    したがって,難民認定申請者が著名な活動家である必要はなく,本国政府にとって反政府的な活動と
みなされる行動を行っているのであれば,事後迫害を受けるおそれが認められるというべきである。
  (2) 難民該当性の判断において申請者が本国政府に個別に把握されていることを要するとする考えは難
民条約の解釈としては誤った考えであり,国際的には克服された考えである。
    このことは,①本国政府から申請者が把握されているかどうかを外部から正確に判断することは極めて
困難であること,②政府による政治的反対派に対する迫害は,必ずしも法則的になされるものではなく,誰が
迫害対象になるかについては恣意と偶然の要素が介在すること,③氏名や身分事項が特定できないから迫
害のおそれが認められないとの考えについては,それは本国に帰国しても一切反政府活動など自己の政治
的意見を外部に表明する行動をとらないという前提思考が働いている点で根本的に誤っていることから明らか
である。
    したがって,過去及び現在,自国において迫害の対象として当局から認識されていなくとも,自国の状
況その他を総合的に判断して迫害を受ける可能性を有する者については,難民として保護の対象とされるべ
きである。
 3 被控訴人らの控訴人の当審における補充主張に対する反論
  (1) 控訴人の主張(1)に対して
    難民該当性は,そもそも個々人ごとに判断されるべきものである。そして,その判断に当たっては,その
者の本国及び第三国での反政府活動の実態(反政府活動組織への加入の有無,当該組織における地位・具
体的役割,デモ等具体的な反政府活動への参加状況や政治的意見表明の状況ほか)などを総合考慮し,個
別に判断すべきものであって,当該申請者の反政府活動組織における地位,役職等が単なる平メンバーであ
ることのみをもって難民該当性を判断しているわけではない。
  (2) 控訴人の主張(2)に対して
    難民というためには,当該申請者が,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的
事情のほかに,通常人が当該申請者の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような,個別,具体的な客
観的事情が存在していることが必要である。
    そして,いかなる場合に,上記の個別,具体的な事情が認められるかについては,例えば,政治的意
見を理由とする迫害のおそれを認定するに当たっては,ある国の政府によって,一定の政治組織に属する者
の一部が逮捕・訴追されているような状況があったとしても,当該政府が当該政治組織そのものの存在を容認
しているなどの事情があれば,当該申請者における個別,具体的な事情としては足りず,当該申請者が現に
行った又は行ったとされる政治活動が,当該国における犯罪行為に該当するとして現に訴追されているか,
又は既に逮捕状が発付されている等の事情が必要であるというべきである。
    本件では,控訴人にこのような事情は認められない。
第3 当裁判所の判断
 1 本件不認定処分について
  (1) 難民該当性
   ①上記のとおり,難民とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治
的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる
ものであって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国
の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を
有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰る
ことを望まないものとされている。
     そして,ここにいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であっ
て,生命又は身体ないしその自由の侵害又は抑圧をもたらすものを意味し,「迫害を受けるおそれがあるとい
う十分に理由のある恐怖を有する」というためには,その者が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いてい
るという主観的事情のみならず,通常人がその者の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的
事情が存在していることが必要であると解される。
   ② 立証責任について
     原判決11頁下から5行目から13頁7行目までの記載を引用する。
   ③ 控訴人は,控訴人が難民条約及び議定書の難民の要件のうち,政治的意見を理由に迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者に該当する旨主張するので,以上を前提として,本件不
認定処分がされた平成14年2月当時,控訴人が難民に該当していたと認められるか否かについて検討する。
  (2) 本件不認定処分がされたころのミャンマーの情勢について(本項では,便宜上西暦のみを用いることと
する。)。
   ① 米国国務省(民主主義・人権・労働局)作成の2002年3月4日付けの各国人権情報(甲13の1・2)
の前文には,ミャンマーの状況について次のような記載がある。
    「 ビルマは極めて権威主義的な軍事政権によって支配されている。多数派のビルマ民族集団のメン
バーにより支配されている抑圧的な軍事政権は,ネーウィン将軍率いるクーデターが選挙で選ばれた文民に
よる政府を転覆させた1962年以来,民族学的にビルマ民族の多い中央部と,いくつかの少数民族地域を支
配してきた。軍隊が大規模な民主化要求デモを残酷なやり方で鎮圧した1988年9月以来,軍の上級幹部で
構成される軍事政権・国家平和開発評議会(SPDC)が布告によって支配し,憲法も立法府も存在しない。政
府はタンシュエ将軍によって率いられているが,1988年の民主化要求デモの最中に公職を退いたネーウィン
は,非公式の影響力を行使し続けた。1990年,軍事政権は,権力をそこに委譲すると約束した議会の開催
に向けて,比較的自由な選挙を許可した。投票者は反政府政党を圧倒的に支持し,国民民主連盟(NLD)
は大衆票の60%以上,そして議席の80%を勝ち取った。1990年代以来,軍事政権は,NLDを含めた民主
化運動を鎮圧するために,国内で組織的に人権侵害を行い,1990年に選出された代表達による国会召集
の度重なる努力を妨害した。その代わり,軍事政権は,国軍の支配的な役割を確かなものとするための憲法
を承認するために企図された,政府が管理する「国民会議」を開催した。1995年以来,NLDは,その構成と
議題が軍事政権によって厳密に管理されているとして,国民会議に参加することを拒み続けた。2000年10
月以来,政府は将来的な民主主義への移行の条件に関して,NLD書記長であり,ノーベル賞受章者のアウ
ン・サン・スー・チーと面談を行ってきた。これらの会談の内容は秘密にされているが,その成果はNLDの活
動に対する政府による制限のいくらかの緩和措置を含んでいる。1989年から1995年の間に軍事政権と話し
合いがなされた様々な停戦協定に基づいて,周辺部の少数民族地域では,12以上の武装民族集団が支
配,あるいは政府機能の一部を行使している。司法権は軍事政権から独立したものではない。」
     前提事実及び上記記載によると,ミャンマーの現政権(以下「ミャンマー政府」ないし「現政権」とい
う。)は,1990年の総選挙でNLDが勝利したにもかかわらず,政権を委譲せず,NLDを含めた民主化運動
を鎮圧するために,組織的に人権侵害を行い,NLD関係者の拘束などをしていることが窺える。
   ②ただし,上記記載中には,ミャンマー政府は,2000年10月以来,NLDの活動に対していくらかの緩
和措置を講じてきたとの部分もあるので検討する。
     証拠(甲9の1・2,10の1・2,11の1・2,13の1・2,56ないし67,70,95,198)及び弁論の全趣旨
によれば,現政権はNLDとの信頼関係構築のため,2001年にはNLD関係者の拘留や脅迫を控え,政治囚
の釈放を開始したものの,年末には依然として1500人程度の政治囚や拘留者が存在したこと,同時点にお
いて市民の言論・出版・集会・活動等の自由が多くの場面で制限されていること,軍は一般市民や政治活動
家の拘留を続けており,治安権力による失踪事件は相次いで起こっていること,治安警察は囚人や拘留者,
一般市民に対して拷問等を日常的に行っていること,現政権はNLDに対し,ある程度の重要公開集会を開く
ことを認めているが,集会の規模や参加する個人を制限していること,法的根拠のないまま,NLDの党事務
所を閉鎖し,党員すべての自由な活動を抑圧していること,2003年4月には,アムネスティ・インターナショナ
ルが人権状況に改善努力がみられないと述べ,ミャンマー政府を非難したこと,同月,アウン・サン・スー・チー
は現政権の対話への取組を疑問視する見解を発表したこと,同年5月30日,ディベーイン郡で,アウン・サン・
スー・チーとその支持者に対する組織的な攻撃が起き,多数の死傷者がでたこと,その後アウン・サン・スー・
チーは身柄を拘束され,同人に国家防御法が適用され,インセイン刑務所に収容されたことがそれぞれ認め
られる。
     これらの事実によれば,平成14年当時,ミャンマーでは,現政権とNLDとの対話の動きはあったもの
の,現政権の本質は従前と変わらず,NLD関係者等を含めた民主化運動家に対する身柄拘束等,身体の自
由の侵害又は抑圧をもたらす行為や市民の人権侵害が多くの場面でなされていることを指摘することができ
る。
   ③ さらに,前提事実に証拠(甲141ないし144,160,167,187ないし190,証人P1及び弁論の全趣
旨によれば,1997年4月のP2中将の自宅に届いた小包が爆発した事件について,在日ビルマ人協会所属
のP3及びP4が犯人として特定されたこと,2003年,2004年当時の現政権要人の記者会見では,国外の反
政府活動家についてテロリストとみなすとの表現をしていることがそれぞれ認められ,平成14年当時ミャンマ
ー政府は,国外の反政府活動について,関心を有し,それを現政権に対する深刻な脅威と感じていたことを
推認することができる。
   ④ また,証拠(甲167,192,証人P1)及び弁論の全趣旨によれば,民間の支援組織である「政治囚支
援協会(ビルマ)」が掲載したミャンマー国内に収監されている政治犯リストには,必ずしも政治組織のメンバ
ーの指導的な地位にある人に限らず,何らの組織に属していない者やよく知られていない組織のメンバー,
学生なども多数収監されていること,NLDへの弾圧は無差別的に行われ,地位の低い党員が多数逮捕され
ていることがそれぞれ認められ,政治組織の指導的メンバー以外の者も迫害の対象となっている可能性を指
摘することができる。
  (3) 控訴人のミャンマーでの政治的活動について
   ① 控訴人は,ミャンマーでの政治的活動等について,大要次のとおり供述する(甲72,控訴人本人
〈原,当審〉)。
    (ア) 控訴人は,○年(昭和○年)○月○日,ミャンマーのヤンゴン市で生まれた。家族は,衣料品店を
営んでいた父P5(1992年〈平成4年〉に死亡)と母P6及び5歳上の兄であった。
    (イ) 控訴人は,20歳になった高校3年生のころから,ミャンマーの軍事政権に対する反政府活動を始
めた。
      1988年(昭和63年)4月か5月ころ,学生達が大学の構内において,昼夜政府に対する抗議行動
を続けていたが,控訴人は,学生達を支援するために,α地区内で支援物資を集める車に乗り,弁当,たばこ
などを集めて送り届けていた。
    (ウ) 同年8月8日,控訴人は,ミャンマー全土で行われた民主化要求デモに初めて参加した。当日,控
訴人は,午前9時ころから,α地区にある教員養成単科大学前に友人とともに集合し,友人のP7とともに「軍
事独裁政権に用はない!」「民主主義の獲得こそ我らの望み!」「拘束されている学生を即刻釈放せよ!」な
どと叫びながら,市内へと行進した。
      道路には,兵士,警察が完全武装して立ち並び,監視していた。
      市庁舎の前のステージでは,労働者が壇上に上がって演説するのを皆が拍手し,応援していた。
      日が沈んだころ,監視していた兵士たちや機動隊員が市民にめがけて発砲し,控訴人ら市民が家
に走って逃げ込むなどした。
    (エ) 翌9日も,控訴人は教員養成単科大学前に集まってデモに出発した。ところが,兵士が道路を閉
鎖し,デモの前列にいた控訴人らに対して,銃の台尻,ゴム製のこん棒で殴打し始め,倒れた者たちを軍靴で
蹴りつけ,軍用車に乗せて連行した。その際,控訴人は,手と頭に傷を負った。
    (オ) 3日目(8月10日)も,控訴人は朝からデモ行進に参加したが,武装した兵士たちがこん棒,ベル
トなどで市民を殴りつけ,人々を退散させた。その際,控訴人は,兵士から殴られたり,蹴られたりしたため,左
手の小指は曲がり,右手も切れる傷害を負うとともに,右太股も内出血し,2週間くらい痛みが続き,手術を受
けた。
      その日以後,控訴人は,自宅には帰らず,友人の家で1週間から10日程度過ごした。
    (カ) その後,同年9月ころまで,控訴人は,総合病院の前での演説集会,アウン・サン・スー・チーの家
の前での集会等に参加した。このころ,NLDが正式に結成されたことは知っていたが,党員にはならなかっ
た。
    (キ) 控訴人は,1989年(平成元年)3月ころ,P7の母親に会い,兵士が家にやって来てP7を逮捕し
たこと,同人が10年の刑に処せられたこと,同人は民主化運動のときのデモ行進の写真を証拠に逮捕され投
獄されたこと,その写真にはP7とともに控訴人が写っていたことなどを聞いた。
    (ク) 控訴人は,P7の母親から,αにいると逮捕されてしまうから,どこかへ行って身を隠した方がいいと
言われたため,同年6月ころ,ヤンゴンから2日かけて北部のモーゴウッ市へ逃げた。控訴人は大学に進学す
る希望を有していたが,これを諦めた。
    (ケ) その後,控訴人は,同市からβへ行き,そこで農家の使用人や衣類を売る仕事をして生計を立て
た。
      βでの生活は約8年続いた。控訴人は,ミャンマーの民主化のために活動したいという気持を持ち
続けていたが,逮捕されることを恐れていたため,何もできないままであった。
    (コ) その後控訴人は,海外に行くことを決意し,母親に海外へ行って仕事をしたい旨話し,母親の賛
成を得て,αのアパートを売り,資金を作った。そして,友人を通じてブローカーを探し,同人にパスポート等
を手配してもらい,1997年(平成9年)8月19日にタイへ出国した。
   ② 上記控訴人の供述のうち,1988年(昭和63年)8月8日から10日までの3日間のヤンゴンでの民主
化要求デモに参加したとの点は,供述が具体的である上,当時のミャンマーの情勢(甲99,114,115)にも
符合し,また,負傷したとの点については,客観的な証拠(甲73ないし76,96,97)もあり,信用することがで
きる。
     被控訴人らは,控訴人が難民調査官の調査(乙19)において,デモに参加した日を8月6日から8日
までと供述した点を供述の変遷であるとして指摘するが,10年以上も前のことについて,僅か2日程度の食い
違いがあるからといって,控訴人が民主化要求デモに参加したとの供述を否定することはできない。
     次に,被控訴人らは,控訴人の友人のP7が控訴人の写っている写真を根拠に逮捕され,10年の刑
に処せられたとの控訴人の供述についてはこれを裏付ける証拠は何ら存在しない旨指摘する。確かに,被控
訴人らの指摘は相当ではある。しかし,当時のミャンマーの政治状況からミャンマー政府がデモ参加者を弾圧
したことも十分考えられること,控訴人も兵士から暴行を受け,傷害を負ったこと,当時控訴人が20歳の若者
で大学進学の希望を有していたにもかかわらず,大学進学を諦め,首都ヤンゴンを離れて北方のβでその後
約8年を過ごしたことなどの経過にかんがみれば,控訴人の上記供述には信用性があるといわざるを得ない。
     被控訴人らは,控訴人の供述を前提としても,P7の母親から話を聞いた後,約3か月間ヤンゴンにと
どまり,すぐに逃げなかったのは不自然である旨主張する。しかし,控訴人は当時20歳の若者であり,母親の
いるヤンゴンを離れるについては相当の覚悟が必要であったと考えられることなどに照らすと,このような点を
もって,P7に関する話自体を信用できないものということはできない。
     確かに,控訴人の供述中には,不自然な部分やあいまいな部分も散見されるが,控訴人が同供述を
裏付ける資料を収集することは困難であると考えられることなどをも考慮すれば,控訴人の供述の根幹的な部
分は排斥し難いものというほかない。
   ③ 以上によれば,控訴人のミャンマーでの政治的活動についての供述は信用することができる。そして
同事実によれば,控訴人は,政治的活動の結果,逮捕を恐れてミャンマーを出国したものということができる。
     ところで,被控訴人らは,控訴人が真正な身分事項が記載され自らの顔写真の貼付された有効なミャ
ンマー旅券を取得してミャンマーを出国した事実を指摘するが,証拠〈甲101,110〉によると,ミャンマー国籍
を有する者で,日本で難民認定を受けた54名のうち,50名について入国時のパスポートないし船員許可証
が真正なものであったこと,平成13年4月に日本で難民認定を受けたP8もブローカーにお金を支払って本名
のパスポートを作り,ミャンマーを出国したことがそれぞれ認められ,控訴人が有効な旅券を取得して出国した
という事実は控訴人の難民該当性を否定する事情として重視することはできない。
  (4) 控訴人の韓国における政治的活動等について
   ① 控訴人は,韓国における政治的活動等について大要次のとおり供述する(甲72,控訴人本人〈原
審〉)。
    (ア) タイで1か月余り暮らした後,ブローカーが韓国のビザを取ってくれ,1997年(平成9年)9月24日
に韓国に着いた。
      韓国ですぐに難民認定申請をしようとしたが,どうすればいいか分からず,できなかった。
    (イ) 韓国入国後,NLDのことを聞いたが,周りに知っている人がおらず,見つからなかった。
      韓国入国後3,4か月して,NLD韓国支部の事務所の住所を聞き,同事務所を訪れた。そしてすぐ
にミャンマー大使館前でのデモやビラ配り等の活動に参加した。NLDのメンバーからは勧誘はなかったが,
控訴人は毎月3万ウォンの党費を納めるようになり,1998年(平成10年)6月に正式にNLD韓国支部のメン
バーとなった。
    (ウ) そして,ミャンマーの独立記念日,殉教者の日,連邦記念日等重要な日にはミャンマー大使館の
前で,「軍事独裁政権打倒!」「真の民主主義と十全なる人権の獲得!」「国内における表現の自由の獲
得!」「政治犯全員を釈放せよ!」などと叫び,デモ行進をしてきた。
      デモ行進については必ず大使館員がビデオ撮影をしていた。
    (エ) 控訴人は,NLD韓国支部の事務所で毎週日曜日に開かれる,活動方針を決める会議に参加し
た。NLD韓国支部の活動内容は,ミャンマー大使館前でのデモのほか,人通りの多いところでのビラまき,メ
ディアへの訴え,韓国のNGOや大学生を招いての支援要請等であり,控訴人はほとんどの活動に参加した。
    (オ) 控訴人は,他のメンバー約18名とともに,2000年(平成12年)5月16日ころ,韓国の入国管理局
とUNHCRに難民認定申請をした。
      しかし,1年半経っても何の回答もなかったことなどから,控訴人は日本で難民認定申請をしようと考
え,ブローカーに4000ドルを支払い,2001年(平成13年)10月7日に韓国釜山港を出港した。
   ② 控訴人の上記供述は具体的である上,これに沿う証拠(甲1の1ないし3,2,5,6の1・2,7の1ない
し12,17の1ないし4,18,89の1・2,90,109,証人P9)があり,信用することができる。
  (5) 上記認定の控訴人のミャンマー及び韓国での政治的活動を基に控訴人の難民該当性について,検
討する。
   ① 上記のとおり,控訴人は,(ア)1988年(昭和63年)8月8日から10日までの民主化要求デモに参加
し,負傷したこと,(イ)友人のP7が控訴人とともに写っている写真を証拠に逮捕され,10年の刑に処せられた
ことなどを根拠に,控訴人が難民にあたる旨主張する。
     しかし,控訴人が民主化要求デモに参加したのは一学生としてであり,指導的役割を担ったものでは
ないこと,控訴人の受けた暴行もデモの参加者に対するもので,控訴人を特定して加えられたものとは認めら
れないこと,上記のとおり控訴人は,その後ミャンマーにおいて反政府活動組織に属して反政府活動をするこ
とはなく,ミャンマー出国までの約8年間βで比較的平穏に過ごしてきたことなどによれば,控訴人がミャンマ
ーにおける政治的活動を理由に迫害を受ける客観的なおそれがあるとまでは認めることはできない(ただし,
上記認定の控訴人のミャンマーでの政治的活動自体はその後の控訴人の行動や信条を裏付けるものとして
評価することができる。)。
   ② 次に控訴人の韓国での政治的活動については上記のとおりであり,控訴人はNLD韓国支部の構成
員として,在韓ミャンマー大使館前でのデモや繁華街でのビラ配り等の反政府活動に積極的に参加していた
ことが認められる。
     そして,NLD韓国支部は,ミャンマーにおける現軍事政権を打倒し,真の民主主義政体を誕生させ
ることを目的とする団体で,その構成員は約20名であること(甲5,6の1・2,149),控訴人は同支部の構成
員を3年以上継続し,その活動に積極的に参加してきたこと,ミャンマー大使館前でのデモでは,大使館員が
ビデオ撮影をしていたこと,デモ行進の際に叫んでいるのは,軍事政権の打倒等であり,現政権にとって,好
ましくないスローガンと思われること,上記のとおり,ミャンマー政府は国外での反政府活動について関心を有
しており,平成14年当時国外で反政府活動をしている者に対して寛容であったとは考え難いこと,現政権は
国内にいるNLDの党員や支援者の多くを政治囚として拘束し続けていることなどを総合考慮すれば,控訴人
は,NLD韓国支部の構成員として韓国で積極的な反政府活動を続けたことにより,ミャンマー政府に把握さ
れている可能性が高いものということができる。
     ところで,証人P9の証言中には,NLDの海外活動家がおよそ100万人存在するとの部分があるが,
この数字はそれ自体から誤解に基づくものであると考えられ,採用できないというべきところ,証拠(甲149)に
よれば,NLDの海外での党員数は500名以上であること,うち日本は約150名,韓国は約20名であることが
認められ,この程度の人数で,かつ積極的に反政府活動に参加をしているものであれば,ミャンマー政府に
把握されているものと考えられる。
     この点について,被控訴人らは,控訴人がNLD韓国支部において役職に就くことなく,単なるメンバ
ーの1人であった旨主張するが,上記認定のとおり同支部の構成員はせいぜい約20名にすぎないことに照ら
せば,その中で3年余にわたり,積極的にデモやビラ配付等反政府活動に参加していた控訴人が役職に就
いていないとの理由だけで,ミャンマー政府に把握されていないとみることはできない。
     また,被控訴人らは,大使館員がビデオ撮影をしていたからといって,それが本国政府に送付,報告
されている事実は認められない旨主張する。しかし,ビデオ撮影の目的(あるできごとを記録し,保存する目
的)に照らすと,これを単に示威運動に対する牽制のためのみに用いるとは認め難い上,上記認定のミャンマ
ー政府の国外での反政府活動に対する関心の程度などを考えると,撮影されたビデオの少なくとも一部はデ
モ参加者の特定のために利用しているものと推認することは可能であり,被控訴人らの上記主張も失当であ
る。
   ③ 以上のとおり,控訴人は,ミャンマーでの1988年(昭和63年)8月の民主化要求デモで傷害を負うと
ともに,友人のP7が逮捕され,10年の刑に処せられたと聞き,ヤンゴンを離れ,βで過ごした後,逮捕を恐れ
て,タイに出国し,1997年(平成9年)9月に韓国に入国したこと,そして韓国に入国して3,4か月してNLD
韓国支部の事務所を訪れ,以後在韓国ミャンマー大使館前のデモ行進やビラ配り等の反政府活動に積極的
に参加したのであり,このような控訴人の一連の政治的活動に,平成14年2月当時のミャンマー国内の政情,
ミャンマー政府が国外での反政府活動に関心を有していること,ミャンマー国内ではNLD関係者の多数が政
治囚として拘留されていることなどを総合考慮すると,控訴人は,本件不認定処分時には,ミャンマー政府に
対して反政府活動を積極的に行うものとして把握され,現政権による取調べや身柄拘束の対象とされていた
可能性が高いものと認められる。
確かに,ミャンマー政府は,NLDの組織そのものの存在自体を否定しているものではないが,上記認
定のNLDとの対話の経緯やアウン・サン・スー・チーに対する自宅軟禁や身柄拘束などの措置に照らすと,N
LD関係者に対する迫害のおそれは十分に窺われる上,上記のとおり,ミャンマー国内で拘留されている政治
囚には,何らの組織に属していない者,地位の低い党員,学生なども多いこと,平成14年当時ミャンマーでは
司法権が現政権から独立しているものとは認められず,有効に機能しているとは考えられないことなどに照ら
せば,NLD韓国支部の構成員であって,反政府活動をしていた者について,難民該当性の判断にあたり,
個別,具体的な客観的事情として,訴追されていることや逮捕状が発付されていることまでをも求めることは相
当とはいえない。
     この意味で,被控訴人らの個別,具体的な事情に関する主張は少なくともミャンマー政府に対する反
政府活動を理由とする難民認定申請には採用し難い。
     以上によれば,仮に控訴人がミャンマーに帰国すれば,現政権によって,身体的,精神的な危害を加
えられることが容易に予想されるというべきであるから,控訴人が政治的意見を理由に迫害の恐怖を抱くことに
ついて,客観的な事情が存在するものというべきである。
   ④ さらに,証拠(甲8の1・2,54,68,69,72,98,103の1ないし8,104の1ないし5,116,119)及
び弁論の全趣旨によれば,本件不認定処分後の事情として次の事実を認めることができる。
    (ア) 日本の労働組合の代表が国際労働機関の会合で,平成14年5月に,日本で収容されている7人
のミャンマー人について報告をしたが,その中に控訴人も含まれていた。
    (イ) 控訴人は,平成15年4月に仮放免された後,ミャンマーの民主化を訴え,街頭に出るなどの活動
に積極的に参加した。また,控訴人は,同月,UNHCRにより難民と認定された。
    (ウ) その後も控訴人は,日本でミャンマーの民主化運動をしていることが度々報道され,また,平成16
年5月にはNLD日本支部の正式党員となった。
     これらの事実によれば,控訴人については,現時点においてミャンマー政府により反政府活動家とし
て身分関係も含めてより一層把握されているものということができる。
     もとより,この事情は本件不認定処分後の事情ではあるが,処分時に難民該当性が認定できる本件
のような場合に,その後の事実関係から,ますます難民該当性が強まった場合には,尚更本件不認定処分を
維持することは許されないものということができる。
  (6) 以上の説示のとおり,控訴人は,難民条約上の難民に当たるものというべきであるから,本件不認定処
分は,その余の点を判断するまでもなく,違法であり,取消しを免れない。
 2 本件難民裁決について
   上記のとおり,本件不認定処分が取消しを免れない以上,本件難民裁決の取消しを求める訴えは,訴え
の利益を欠くものとして却下すべきである。
 3 本件退去強制裁決について
   上記のとおり,控訴人は,平成14年2月22日付けで被控訴人法務大臣から法49条1項の規定による控
訴人の異議申出は理由がない旨の本件退去強制裁決を受けたものである。
   ところで,法24条各号所定の退去強制事由の一に該当する旨の入国審査官の認定(法47条2項),これ
に対する容疑者からの口頭審理の請求を受けてするその認定に誤りがない旨の特別審理官の判定(法48条
7項)を経て,これに対する異議の申出が理由がない旨を被控訴人法務大臣が裁決した場合,その通知を受
けた主任審査官は,退去強制令書を発付しなければならないとされている(法49条5項)が,その送還先は,
原則としてその者の国籍又は市民権を有する国とされており(法53条1項),本件退令処分でも送還先はミャ
ンマーとなっている。
   確かに,前提事実によれば,控訴人について法24条1号(不法入国)に該当することを前提になされた
本件退去強制裁決には違法な点は認められないとも考えられる。しかしながら,本件退去強制裁決当時,控
訴人は難民に該当していた(法61条の2の5,61条の2の6,61条の2の8などの利益的取扱いを受ける要件
を充たしていた)にもかかわらず,同裁決は難民ではないとの判断を前提になされたものというべきであるか
ら,同裁決は,その判断の基礎について重大な事実の誤認があったものといわざるを得ない。
   また,法50条1項には,被控訴人法務大臣は法49条3項の裁決にあたり,当該容疑者の異議の申出が
理由がないと認める場合でも,一定の場合にはその者の在留を特別に許可することができる旨定めているとこ
ろ,本件のような「政治的意見を理由に迫害を受けるおそれ」がある難民の場合に,特別在留許可を認めず,
本国への送還を原則とする退去強制令書の発付の前提となる本件退去強制裁決を行うことは,拷問等禁止
条約3条(ノンルフールマン原則)等の趣旨からも,裁量権の逸脱ないし濫用に該当し,違法といわざるを得な
い。
   以上のとおり,本件退去強制裁決は違法であり,取消しを免れない。
 4 本件退令処分について
上記のとおり,本件退去強制裁決は違法であって,取り消されるべきものである以上,この通知を受けた
後に発付され,退去強制という目的を達成させる効果を有する本件退令処分も,違法として取り消されるべき
である。
 5 結論
   以上の次第で,控訴人の本件請求のうち,本件不認定処分,本件退去強制裁決及び本件退令処分の
各取消しを求める部分は理由があるから認容し,本件難民裁決の取消しを求める部分は不適法であるからこ
れを却下すべきである。
   よって,控訴人の本件請求をいずれも棄却した原判決を取り消し,主文のとおり判決する。
        大阪高等裁判所第7民事部
            裁判長裁判官  竹  中  省  吾
               裁判官  竹  中  邦  夫
               裁判官  矢  田  廣  高

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