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平成27年(あ)第741号業務上過失致死傷被告事件
平成29年6月12日第二小法廷決定
主文
本件各上告を棄却する。
理由
検察官の職務を行う指定弁護士河瀬真,同奥見はじめ,同佐々木伸の上告趣意の
うち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に
適切でなく,その余は,単なる法令違反,事実誤認の主張であって,刑訴法405
条の上告理由に当たらない。
所論に鑑み,職権により判断する。
1本件公訴事実の要旨
(1)被告人Aは平成4年6月から平成9年3月までの間,被告人Bは平成9年
4月から平成15年4月までの間,被告人Cは平成15年4月から平成18年2月
までの間,それぞれ西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の代表取締役社長とし
て会社の業務執行を統括し,運転事故の防止についても経営会議等を通じて必要な
指示を与えるとともに,社内に設置された総合安全対策委員会委員長として,運転
事故対策についての基本方針や特に重大な事故の対策に関する審議を主導して鉄道
の運行に関する安全体制を確立し,重大事故を防止するための対策を講ずるよう指
揮すべき業務に従事していた。
(2)JR西日本では,東西線開業に向けて,福知山線から東西線への乗り入れ
を円滑にする等の目的で,福知山線と東海道線を立体交差とするなどの尼崎駅構内
の配線変更を行い,これに付帯して,福知山線上り線路の右方に湾曲する曲線(以
下「本件曲線」という。)の半径を600mから304mにし,その制限時速が従
前の95kmから70kmに変更される線形変更工事(以下「本件工事」とい
う。)を施工した(平成8年12月完成,平成9年3月運行開始)。本件工事によ
り,通勤時間帯の快速列車の本件曲線における転覆限界速度は時速105kmから
110km程度に低減し,本件曲線手前の直線部分の制限時速120kmを下回る
に至った。加えて,前記運行開始に伴うダイヤ改正により,1日当たりの快速列車
の本数が大幅に増加し,運転士が定刻運転のため本件曲線の手前まで制限時速12
0km又はこれに近い速度で走行する可能性が高まっていたので,運転士が何らか
の原因で適切な制動措置をとらないままこのような速度で列車を本件曲線に進入さ
せた場合には,脱線転覆する危険性が差し迫っていた。
(3)被告人らは,以上の各事情に加え,JR西日本では半径450m未満の曲
線に自動列車停止装置(ATS)を整備しており,本件工事によって本件曲線の半
径がこれを大幅に下回ったことや,過去に他社の曲線において速度超過による脱線
転覆事故が複数発生していたこと等を認識し,又は容易に認識することができたか
ら,運転士が適切な制動措置をとらないまま本件曲線に進入することにより,本件
曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危険性を予見できた。
(4)したがって,被告人Aは本件工事及び前記ダイヤ改正の実施に当たり,被
告人Bは平成9年4月の社長就任後速やかに,被告人Cは自ら福知山線にATSを
整備する工事計画を決定した平成15年9月29日の経営会議又は遅くとも同年1
2月以降に行われたダイヤ改正の際,それぞれ,JR西日本においてATS整備の
主管部門を統括する鉄道本部長に対し,ATSを本件曲線に整備するよう(被告人
CはATSを本件曲線に優先的に整備するよう)指示すべき業務上の注意義務があ
ったのに,被告人らはいずれもこれを怠り,本件曲線にATSを整備しないまま,
列車の運行の用に供した。
(5)その結果,平成17年4月25日午前9時18分頃,福知山線の快速列車
を運転していた運転士が適切な制動措置をとらないまま,転覆限界速度を超える時
速約115kmで同列車を本件曲線に進入させた際,ATSによりあらかじめ自動
的に同列車を減速させることができず,同列車を脱線転覆させるなどして,同列車
の乗客106名を死亡させ,493名を負傷させた(以下,同事故を「本件事故」
という。)。
2前提事実
原判決及びその是認する第1審判決の認定並びに記録によれば,本件の事実関係
は次のとおりである。
(1)本件事故の直接の原因は,運転士が,本件曲線の制限時速70kmを大幅
に超過し,転覆限界速度をも超える時速約115kmで本件曲線に進入したことに
ある。
(2)ATSは,線路上に設置された地上子と車両に装備された車上子の間で,
進路前方の信号現示や速度制限箇所などの情報をやり取りし,運転室内に警報ベル
を鳴らして運転士に注意を喚起したり,自動的にブレーキを作動させたりする保安
装置である。昭和37年,列車が停止信号に従わなかったため生じた重大死傷事故
を契機として,かかる信号冒進を防止するため,ATSが全国的に整備された。そ
の後,列車の速度を照査し,一定の速度を超過すれば自動的に列車の運行をブレー
キ制御する速度照査機能を付加するなどした改良型ATSが開発され,昭和62年
以降,順次整備されてきた。
速度照査機能を備えたATSは,信号冒進のみならず,曲線等での速度超過の防
止に用いることが可能であり,本件事故後に改正された国土交通省令及びその解釈
基準等(以下「新省令等」という。)では,転覆危険率を指標として,駅間最高速
度で進入した場合に転覆のおそれのある曲線にかかるATS等を整備すべきことと
されたが,本件事故以前の法令上は,ATSに速度照査機能を備えることも,曲線
へのATS整備も義務付けられてはいなかった。また,本件事故以前に曲線にAT
Sを自主的に整備していた鉄道事業者は,JRではJR西日本を含む3社,私鉄で
は113社中13社に止まっており,大半の鉄道事業者は,曲線にATSを整備し
ていなかった。本件事故前に曲線にATSを整備していた鉄道事業者の設置基準は
まちまちで,新省令等で示された転覆危険率のような統一的な尺度は存在せず,各
鉄道事業者における本件事故以前の実際の整備対象も,転覆危険率により導かれる
転覆の危険の有無とは必ずしも相関していなかった。
(3)JR西日本の職掌上,保安設備であるATSの整備計画は,鉄道本部安全
対策室が所管し,鉄道本部長が統括することとされており,曲線へのATS整備も
鉄道本部長に委ねられていた。鉄道本部では,改良型ATSの整備を線区単位で順
次進めてきており,福知山線についても本件曲線を対象に含めて整備が進められて
いたものの,本件事故当時はまだ完成しておらず,実際に供用が開始されたのは本
件事故の約2か月後の平成17年6月であった。
(4)本件曲線の転覆危険率は,駅間最高速度で曲線に進入したときに曲線外側
に転覆するおそれがあるとされる数値を上回っており,新省令等によれば,本件曲
線も速度照査機能を備えたATSを設置すべき対象に当たる。
しかしながら,JR西日本はもとより,本件事故以前から曲線にATSを整備し
ていた国内の他の鉄道事業者においても,整備対象の選定に当たり転覆危険率を用
いた脱線転覆の危険性の判別は行われていなかった上,JR西日本管内に半径30
0m以下の曲線は2000か所以上存在しており,それ自体珍しいものではなく,
その中で特に本件曲線における脱線転覆の危険性が他の曲線に比べて高いという認
識がJR西日本の組織内で共有されたことはなく,被告人らも本件曲線を脱線転覆
の危険性のある曲線として認識したことはなかった。
3当裁判所の判断
(1)本件公訴事実は,JR西日本の歴代社長である被告人らにおいて,ATS
整備の主管部門を統括する鉄道本部長に対し,ATSを本件曲線に整備するよう指
示すべき業務上の注意義務があったのに,これを怠ったというものであり,被告人
らにおいて,運転士が適切な制動措置をとらないまま本件曲線に進入することによ
り,本件曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危険性を予見できたことを前
提とするものである。
しかしながら,本件事故以前の法令上,ATSに速度照査機能を備えることも,
曲線にATSを整備することも義務付けられておらず,大半の鉄道事業者は曲線に
ATSを整備していなかった上,後に新省令等で示された転覆危険率を用いて脱線
転覆の危険性を判別し,ATSの整備箇所を選別する方法は,本件事故以前におい
て,JR西日本はもとより,国内の他の鉄道事業者でも採用されていなかった。ま
た,JR西日本の職掌上,曲線へのATS整備は,線路の安全対策に関する事項を
所管する鉄道本部長の判断に委ねられており,被告人ら代表取締役においてかかる
判断の前提となる個別の曲線の危険性に関する情報に接する機会は乏しかった。J
R西日本の組織内において,本件曲線における脱線転覆事故発生の危険性が他の曲
線におけるそれよりも高いと認識されていた事情もうかがわれない。したがって,
被告人らが,管内に2000か所以上も存在する同種曲線の中から,特に本件曲線
を脱線転覆事故発生の危険性が高い曲線として認識できたとは認められない。
(2)なお,指定弁護士は,本件曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危
険性の認識に関し,「運転士がひとたび大幅な速度超過をすれば脱線転覆事故が発
生する」という程度の認識があれば足りる旨主張するが,前記のとおり,本件事故
以前の法令上,ATSに速度照査機能を備えることも,曲線にATSを整備するこ
とも義務付けられておらず,大半の鉄道事業者は曲線にATSを整備していなかっ
たこと等の本件事実関係の下では,上記の程度の認識をもって,本件公訴事実に係
る注意義務の発生根拠とすることはできない。
(3)以上によれば,JR西日本の歴代社長である被告人らにおいて,鉄道本部
長に対しATSを本件曲線に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったと
いうことはできない。したがって,被告人らに無罪を言い渡した第1審判決を是認
した原判断は相当である。
よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,
主文のとおり決定する。なお,裁判官小貫芳信の補足意見がある。
裁判官小貫芳信の補足意見は,次のとおりである。
私は,法廷意見に賛同するものであるが,所論に鑑み,意見を付加しておきた
い。
1本件は,被告人らが,「ATS整備の主管部門を統括する鉄道本部長に対
し,ATSを本件曲線に整備するよう(被告人CについてはATSを本件曲線に優
先的に整備するよう)指示すべき業務上の注意義務」を負っていたのに,これを怠
ったとされる事案である。このような注意義務ないし結果回避義務があるというた
めには,被告人らにその義務を課すに足りる程度の認識ないし予見可能性がなけれ
ばならない。この点,本件公訴事実は,「被告人らは,運転士が適切な制動措置を
とらないまま本件曲線に進入することにより,本件曲線において列車の脱線転覆事
故が発生する危険性を予見できた。」としているところ,これは,JR西日本管内
に数多くある曲線のうち,本件曲線に特化された脱線転覆事故発生の危険性の認識
と考えるのが相当である(脱線転覆事故発生の危険性の認識があれば,それによる
乗客等の死傷の結果についても当然予見可能といえる。)。
2以上を前提として,本件における予見可能性の有無について検討してみる
と,以下のとおりである。本件公訴事実には,被告人らが前記のような予見可能性
を有していたことを基礎付ける事実として,①尼崎駅構内の配線変更に伴う本件工
事により,本件曲線の半径が減少し,制限速度が低減したこと,②JR西日本で
は,半径450m未満の曲線にATSの整備を進めており,本件工事によって本件
曲線の半径がこれを大幅に下回ったこと,③過去に他社の曲線において速度超過に
よる脱線転覆事故が複数発生していたこと,④ダイヤ改正により,快速列車の本数
が大幅に増加したことが挙げられている。しかし,被告人らが仮にそのような事実
を認識していたとしても,本件曲線より半径が短い曲線が2000か所以上も存在
する中で,それらの曲線に比べて,特に本件曲線に対する危険性ないしATS設置
の必要性を認識できたことに直ちに結びつくとはいえないように思われる。
かえって,本件には,法廷意見が説示するように,本件事故以前の法令上,AT
Sに速度照査機能を備えることも,曲線にATSを整備することも義務付けられて
おらず,大半の鉄道事業者は曲線にATSを整備していなかった等々,本件曲線に
おける事故発生の危険性を認識し,鉄道本部長にATS整備を指示すべき義務があ
ったというには障害となる諸事情が存在する。さらに,JR西日本においては,本
件曲線を含めた線区に対するATS整備工事の施工途中であったことに照らすと,
本件曲線の危険性を認識しながらあえて安全性を無視して本件曲線へのATS整備
を先送りし,あるいはその危険性を認識すること自体を避けなければならない事情
があったとは考えられない。
以上によれば,被告人らに本件曲線に特化された予見可能性を認めることは困難
である。
3ところで,所論は,大規模火災事例に関する当審判例を援用して,本件の原
因事象に関する予見可能性も,「運転士がひとたび大幅な速度超過をすれば脱線転
覆事故が発生する」という程度の危険性の認識があれば足りる旨も主張している。
一般に,運転士の曲線における制動の懈怠はあり得ることであり,したがって,
転覆事故もあり得る事態であるという程度の認識をもって,曲線にATSを整備す
るよう指示すべき義務が生じるとすれば,JR西日本管内の数多くの曲線が同時に
ATSを整備すべき曲線に該当することとなる。しかし,そのように数多くの曲線
に同時にATSを整備するよう刑罰をもって強制することは,本件事故以前の法令
上,曲線にATSを整備することは義務付けられていなかったこと,大半の鉄道事
業者は曲線にATSを整備していなかったこと等の本件事実関係の下では,過大な
義務を課すものであって相当でない。どの程度の予見可能性があれば過失が認めら
れるかは,個々の具体的な事実関係に応じ,問われている注意義務ないし結果回避
義務との関係で相対的に判断されるべきものであろう。これを所論が援用する判例
との関係でみると,火災発生の危険があることを前提として法令上義務付けられた
防災体制や防火設備の不備を認識しながら対策を怠っていた等,一定の義務発生の
基礎となる事情が存在する大規模火災事例における予見可能性の問題と,そのよう
な事情が存在したとは認められない本件のそれを同視することは相当ではないと思
われる。
(裁判長裁判官山本庸幸裁判官小貫芳信裁判官鬼丸かおる裁判官
菅野博之)

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