弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を懲役3年に処する。
この裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予する。
被告人をその猶予の期間中保護観察に付する。
神戸地方検察庁で保管中の牛刀1本(平成17年領第1618号符号1)を没収
する。
理由
(犯罪事実)
 被告人は,
第1 夫及び長女が被告人を自宅に残して夫の母であるA(当時66歳)方で生活するこ
とが多くなったことから,同女さえいなければ,夫や長女と一緒に生活できるなどと考え
て,上記Aを殺害しようと決意し,平成17年8月13日午前10時20分ころ,兵庫県
淡路市ab番地c所在の同女方浴室において,浴槽を清掃中の同女に対し,殺意をもって
,持参した牛刀(刃体の長さ16センチメートル,平成17年領第1618号符号1)で
同女の背後から,その背中,両腕及び左側胸部等を数回突き刺したが,騒ぎを聞きつけて
駆けつけた被告人の夫に取り押さえられたため,同女に約6週間の加療を要する背部,左
側胸部刺創,右正中神経損傷,右上腕二頭筋部分断裂及び気胸等の傷害を負わせたにとど
まり,殺害の目的を遂げず
第2 業務その他正当な理由による場合でないのに,上記日時場所において,上記牛刀1
丁を携帯した
が,判示第1及び第2の各犯行当時,急性一過性精神病性障害のため心神耗弱の状態にあ
った。
(証拠の標目)
 省略
(事実認定の補足説明)
 弁護人は,被告人には被害者に対する殺意がなかったと主張し,被告人もこれに沿う供
述をする。
 そこで,検討すると,関係各証拠によれば,被告人が本件犯行に使用した凶器は,刃体
の長さ約16センチメートルの先端の鋭利な牛刀であり,十分な殺傷能力を有するもので
あること,被告人は,その牛刀を自宅の台所から持ち出したもので,牛刀の形状・性能に
ついて十分認識していたと考えられること,被告人は被害者の背後から上記牛刀で数回に
わたって被害者を突き刺しており,これにより被害者は,背部に4か所,左側胸部に1か
所の刺創を負い,被害者の背部の傷の深さは最大約4センチメートルにも及んでいること
,被害者が振り向き被告人と向かい合う形になった後もなお攻撃を継続していることが認
められ,このような凶器の形状,性能,被告人のこれらに対する認識,凶器の使用方法,
被害者の創傷の部位,程度に捜査段階における被告人の供述を総合すると,被告人が被害
者に対して殺意を有していたことは明らかである。
(法令の適用)
被告人の判示第1の行為は刑法203条,199条に,判示第2の行為は銃砲刀剣類所
持等取締法32条4号,22条にそれぞれ該当するところ,各所定刑中判示第1の罪につ
いては有期懲役刑を,判示第2の罪については懲役刑をそれぞれ選択し,判示の各罪はい
ずれも心神耗弱者の行為であるから刑法39条2項,68条3号により法律上の減軽をし
,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重い判示第
1の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で,被告人を
懲役3年に処し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から5年間
その刑の執行を猶予し,なお同法25条の2第1項前段を適用して被告人をその猶予の期
間中保護観察に付し,神戸地方検察庁で保管中の牛刀1本(平成17年領1618号符号
1)は判示第1の殺人未遂の用に供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条
1項2号,2項本文を適用してこれを没収し,訴訟費用については刑事訴訟法181条1
項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(弁護人の主張に対する判断)
第1 弁護人の主張
   弁護人は,本件各犯行当時,被告人はストレスにより幻覚や幻聴があり,心神喪失
又は心神耗弱の状態であったと主張するので,以下,この点について検討する。
第2 当裁判所の判断
 1 関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
 (1) 被告人は,d国出身であり,平成7年に被害者の長男であるBと結婚し,平
成8年ころからは日本で暮らすようになり,平成12年にはBとの間で長女Cをもうけ,
さらに,平成15年12月に日本に帰化した。
 被告人には,少なくとも日本における前科・前歴はなく,夫の知る限り,精神科
への通院歴もない。
  (2) 被告人は,来日当初は被害者と同居し,家事を手伝っていたが,その後,外に
働きに出るようになってからは,もともと得意ではなかったこともあって,家事をほとん
どしなくなり,平成9年ころに被害者と別居した後も,同様であったため,Bは,母であ
る被害者に家事を頼るようになり,平成17年7月1日からは,ほとんど被害者の家で生
活をしていた。また,長女も,被告人が働いていたことから,被害者に預けられることが
多かったため,被告人は,長女が被告人よりも被害者になついていると感じるようになっ
た。
 さらに,当時,被告人は,勤めていた会社で,期待されたように仕事をこなせな
かったことからストレスをためていた。
 そして,被告人は,このような家庭や仕事でのストレスについて,Bに相談しよ
うにも,同人の帰宅時間が遅かったためになかなかその機会がなく,また,同人に話をし
ても十分聞いてもらえずにストレスを蓄積させていくうち,同年8月初めには,勤めてい
た会社に行くのも嫌になって退職した。
(3) 被告人は,上記のように会社を退職した後,Bや長女が被害者の家で過ごすこ
とが多かったことから,自宅で1人で過ごすことが多くなり,次第に孤独感を募らせ,そ
れを誰にも相談できずに独りで悩み苦しむうちに,「Cと一緒に暮らしたい。」「Cをお
ばあちゃん(被害者)に取られてしまう。」「おばあちゃんがこの世からいなくなってし
まえばいい。」と考えるようになった。
(4) 被告人は,同年8月9日の夜,Bに対し,被告人の携帯電話に電話番号を表示
して,「この人に電話をかけて。会社のテストで精神的に異常があると書かれた。この人
はおかしい。刃物を持って刺しに来るかもしれない。おばあちゃんのところに泊まりたい
。」などと言い,また,同月11日には,「おばあちゃんの家に泊めてほしい。」と興奮
した様子で頼み,その後,被害者に対し,「怖い。会社の偉いさんにストーカーされてい
る。夜中に戸を叩いたりブザーを押したりする。幽霊が出る。泊めてほしい。」などと言
っていた。
 そして,被告人は,本件犯行当日である同月13日午前0時ころ,帰宅したBに
対し,突然「おばあちゃん死ぬよ。」「おばあちゃん,死んでもらう。」などと言い,さ
らにその後,同日午前4時ころには,寝ていたBを起こし,自分は一睡もしていない様子
で,「これから3人でやっていこな。」と言ったり,どこかに電話をかけるなどしていた

(5) 同日午前6時ころ,Bが長女と一緒に墓参りのために被害者方に行こうとした
際,被告人も一緒に行こうとしたが,Bから拒否されたため,「このままでは本当に主人
もCも自分の下から去ってしまう。」「おばあちゃんさえいなくなれば,これからも主人
やCと一緒に生活して行ける。」などと思い詰め,被害者の殺害を決意するに至った。
(6) 被告人は,同日午前10時ころ,被害者宅に電話を掛け,被害者を自宅に呼ぼ
うとしたが,電話に出たBから,話があるのであれば,被告人が被害者方に来るように言
われたことから,自宅から包丁を持ち出した上,裸足で車を運転して被害者方に行き,当
初は,居間で長女にそろばんを教えていたBの横で,土下座するようにうずくまっていた
が,しばらくして立ち上がり,居間から出ると,何かを叫びながら走って風呂場に行き,
無言で判示第1の犯行に及んだ。
 なお,被告人は,犯行後,その動機を形成した経緯及び犯行状況に関する記憶を
概ね保ち,捜査官に供述している。
  (7) 被告人は,上記犯行後,Bに襟首をつかまれて風呂場の外に出されると,「お
母さんごめんなさい。」と言って被害者に抱きついたり,辺りをうろうろしたりしていた
が,Bから,「D先生に連絡しろ。」と言われ,家から出て行ったもののすぐに戻ってき
た。
 そして,被告人は,Bの足にしがみついて,Bや被害者に対し,「みんなでやっ
ていきましょう。今度から仲良くやりましょう。」などと言ったが,Bが救急車を呼ぶた
めに電話をしようとしたところ,被告人は受話器を引っ張って電話をさせないようにする
などした上,駆けつけた警察官に殺人未遂の現行犯として逮捕された際にも,「私はここ
にいるんや。」等と奇声を発し,手足をばたつかせて抵抗した。
(8) 被告人は,逮捕後の同月28日,医師Eの診察を受けたところ,同医師は,被
告人が上記犯行の数日前には急性一過性精神病性障害を発病していたものと考えられる旨
の精神診断をした。
2 被告人の責任能力についての検討
 上記認定のとおり,被告人が,本件犯行時までに重篤な精神疾患に罹っていた事実
はなく,また,本件犯行後も,その動機を形成した経緯及び犯行状況について概ね記憶を
保持していたこと,そして,本件犯行の動機も一応筋道が通っていることからすると,被
告人が精神の障害のため物事の是非善悪を弁識し,これに従って行動する能力を完全に喪
失してはいなかったことは明らかである。
 しかしながら,被告人は,本件犯行前,家庭や職場でのストレスを蓄積させるとと
もに,家族から取り残された孤独感にさいなまれ,独りで悩み苦しんでいたこと,また,
犯行の数日前から被害妄想にとらわれていた上,犯行当日も,被害者の死を予言ないし祈
念したり,未明にもかかわらず,夫を起こして話しかけ,さらに,犯行を決意した後も裸
足で車を運転したり,被害者方居間でうずくまるなどの異常な言動が見られたことが認め
られる。そして,犯行の動機も,一見了解可能なようであるが,被害者を殺害することに
よって,その親族である夫や長女との平穏な生活が取り戻せるはずもないことからすれば
その不合理さは否めず,当時,被告人の視野は,著しく狭められていたことがうかがわれ
る。さらに,犯行直後の言動も,反省・後悔の情を示したかと思えば,加害者としての認
識を欠くかのような言動も見られ,必ずしも一貫していないことに加え,上記E医師の精
神診断をも併せ考慮すると,被告人がストレスの蓄積に極度の孤独感が加わったことによ
り,急性一過性精神病性障害を発病し,そのため,本件犯行当時,物事の是非善悪を弁識
し,これに従って行動する能力が著しく減退し,心神耗弱の状態にあったものと認めるの
が相当である。
 したがって,弁護人の主張は,被告人が本件犯行当時,心神耗弱の状態にあったとする
限度で理由がある。
(量刑の理由)
 本件は,被告人が,自宅から牛刀を持ち出した上,その牛刀で,夫の母親である被害者
を突き刺して殺害しようとした事案である。
 被告人は,被害者に対しその背後から,突然牛刀で数回にわたって突き刺し,驚いて振
り返った被害者の右腕を更に1回突き刺したもので,その犯行態様は危険かつ執拗であり
,被害者は,特段の落ち度もないのに加療6週間もの傷害を負わされ,現在でもリハビリ
生活を強いられているのであって,生じた結果も重大である。
 他方,本件は心神耗弱の状態下での犯行であること,被害者が孫のことなどを考え,複
雑な心境をのぞかせながらも厳しい処罰までは望んでいないこと,被告人の夫は,被告人
を自宅に引き取ることは拒んでいるものの,被告人をどこか適当な場所に住まわせ,必要
に応じて病院に通わせることを考えており,同人による被告人の社会生活や治療に対する
援助がある程度期待できることのほか,被告人には前科・前歴がないことなど,被告人の
ために酌むべき事情も認められる。
 そこで,以上の事情を総合的に考慮し,被告人に対しては主文の刑を科した上,その刑
の執行を猶予することとし,保護司による監督のもとで社会内での更生の機会を与えるた
め,その猶予の期間中保護観察に付することとした。
(求刑 懲役5年及び牛刀1本の没収)
(検察官大原裕吉 出席)
    平成18年2月1日
神戸地方裁判所第4刑事部
裁判長裁判官  笹野明義
裁判官  佐茂 剛
裁判官  姥迫浩司

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