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平成25年12月19日判決言渡
平成24年(ネ)第10054号損害賠償請求控訴事件
(原審東京地方裁判所平成21年(ワ)第31535号)
口頭弁論終結日平成25年10月3日
判決
控訴人アンティキャンサー
インコーポレイテッド
訴訟代理人弁護士林いづみ
星野隆宏
三浦修
和田宣喜
岡田裕貴
小口智
補佐人弁理士柴田富士子
被控訴人大鵬薬品工業株式会社
訴訟代理人弁護士内田公志
鮫島正洋
高見憲
宅間仁志
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と
定める。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1原判決を取り消す。
2被控訴人は,控訴人に対し,8800万円及びこれに対する平成21年9月
17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人の負担とする。
第2事案の概要
1事案の要旨
(1)本件請求の要旨
控訴人は,発明の名称を「ヒト疾患に対するモデル動物」とする発明についての
本件特許(特許第2664261号,平成元年10月5日出願,平成9年6月20
日設定登録,平成21年10月5日存続期間満了)の特許権者であるが,被控訴人
が作製をしている原判決別紙マウス説明書記載のヌードマウス(本訴マウス)が本
件特許権に係る次のとおりの請求項1の発明(本件発明)の技術的範囲に属すると
主張して,本件特許権侵害の不法行為(単独不法行為又は国立大学法人浜松医科大
学との共同不法行為)に基づく損害賠償として8800万円及び遅延損害金の支払
を求めている。
本件発明は,次のとおりである。
【A】ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモデル動物であって,
【B】前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外のヒト器官から得
られた腫瘍組織塊を有し,
【C】前記移植された腫瘍組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有する
【D】モデル動物
(2)原審の判断
原判決は,①控訴人は,訴訟上の信義則により,本件訴訟において,前訴(控訴
人と国及び被告外2名との間の特許権侵害差止請求事件〔東京地方裁判所平成11
年(ワ)第15238号,東京高等裁判所平成14年(ネ)第675号,最高裁判所
平成15年(オ)第197号・同裁判所平成15年(受)第210号〕)において判示さ
れた構成要件Bの文言解釈を争うことは許されず,かつ,均等侵害の主張をするこ
とは許されない,②本訴マウスは構成要件Bを充足せず,本件発明の技術的範囲に
属さない,③本件発明の特許請求の範囲の記載はサポート要件(平成2年法律第3
0号による改正前の特許法36条3項)に適合しないから,本件特許は無効審判に
よって無効にされるべきものである,④仮に構成要件Bの文言解釈を控訴人の主張
のとおりであるとすると,本件発明は,「ヒト肝癌のヌードマウスへの移植に関する
研究可移植系の樹立とその性格,肝臓,213号,39~51頁,1980年」
(乙14)に記載された発明(乙14発明)に,「ヒト肝癌のヌードマウス肝への移
植,医学のあゆみ,第104巻第1号,31~33頁,昭和53年1月7日」(乙2
7)に記載された知見を適用して容易に想到することができたものであるから,本
件特許は無効審判によって無効にされるべきものである,⑤仮に控訴人に均等侵害
の主張を許しても,本訴マウスは乙14発明に乙27に記載された知見を適用して
当業者が容易に推考することができたから,本件発明と均等の範囲にはない,とし
て控訴人の請求を棄却した。
2前提となる事実
本件の前提となる事実及び争点は,次のとおりに付加訂正削除するほかは,原判
決の「事実及び理由」欄の第2の2争いのない事実等(原判決2頁20行~6頁2
5行目)及び同第2の3争点(原判決6頁26行~7頁13行目)に記載されたと
おりである。
①原判決4頁11・12行目の「(メタマウス)」を削る。
②原判決5頁3行目の「16行」を「18行」に改める。
③原判決6頁20行目の「及び前訴控訴審判決」を削り,同25行目末尾に行
を改め「本訴マウスは,前訴に係る最高裁判決がされた平成15年3月25日より
後に作成された。」を加える。
④原判決7頁3行目の「反するか,その結果,本件訴えは,不適法といえるか」
を「反するか(争点1-1),又は,本訴における控訴人の主張が訴訟上の信義則に
より制限を受けるか(争点1-2)」に改める。
第3当事者の主張
当事者の主張は,下記1のとおりに付加訂正削除し,下記2~4に当事者の主張
反論を補充(原判決引用部分と重複することがある。),追加するほかは,原判決の
「事実及び理由」欄の第3争点に関する当事者の主張(原判決7頁16行~42頁
25行目)に記載されたとおりである。
1原判決の付加訂正削除部分
①原判決7頁16行目の「争点1」を「争点1-1」に,同21・22行目の
「違法なものであり,当該訴えは,不適法であるから,却下すべきである。」を「違
法なものである。」にそれぞれ改める。
②原判決9頁15行目を削る。
③原判決13頁26行目から同14頁1行目にかけての「反するということは
できず,本訴を不適法なものとして却下すべきであるとする被告の主張は,理由が
ない。」を「反するということはできない。」に改める。
④原判決14頁12・13行目の「本件特許に係る明細書(本件訂正による訂正
後の訂正明細書。以下『本件明細書』という。)(甲5の2,26)」を「特許異議決
定公報(甲26)中の本件特許に係る本件訂正による訂正後の明細書(以下『本件
明細書』といい,引用箇所の特定は同公報のものによる。)」に改める。
⑤原判決15頁16行目の「甲30ないし33,34の1,2」を「甲30,
31,32から34の各1・2」に改める。
⑥原判決17頁2行目冒頭から同5行目末尾までを削り,同21行目の「S字
結腸」を「S字結腸癌」に改める。
⑦原判決35頁5行目の「肝転移」を「肺転移」に,同20行目の「単利細胞」
を「単離細胞」にそれぞれ改める。
⑧原判決42頁12行目の「前訴控訴審判決」を「前訴1審判決」に改める。
2控訴人の補充・追加の主張反論
(1)信義則違反による主張制限(争点1-2)に対して
①後記3(1)①の被控訴人の主張は争う。
②民事訴訟は,当事者間に生じた具体的な紛争を解決するための制度であって,
その目的を超えて,その当事者間における抽象的な規範を定立する制度ではない。
前訴の対象となった侵害事実と本訴の対象となった侵害事実とは全く別な事実であ
って,前訴における具体的な紛争を解決するためになされた前訴判決における理由
中の判断が,本訴を解決するための民事訴訟手続を拘束することはないし,相手方
当事者にもその保護に値すべき合理的な期待は生じない。
③そのほか,控訴人が前訴における判断と異なる文言解釈を本訴において主張
でき,あるいは,本訴において均等侵害を主張できるとする理由は,争点1-1(本
件訴えの提起の信義則違反の有無)における控訴人の主張のとおりであるから,こ
れを援用する。
(2)構成要件Bの充足性(争点2-1)
本件発明の構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,脳以
外のヒト器官から採取された腫瘍組織塊そのものだけではなく,脳以外のヒト器官
から採取されてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織塊も含まれる。
そうすると,原判決別紙マウス説明書記載のヒト大腸癌から得られ皮下継代の方
法によって維持されてきた高転移性を有するヒト大腸癌株TK-4の腫瘍組織の1
20mgの腫瘍片は,構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」
に該当する。
ア特許請求の範囲の記載からの解釈
構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」中の「から」との用語は,場
所を示す語について出発点や経緯点を表す格助詞であるから(広辞苑第三版503
頁),「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」とは「ヒト器官に由来する腫瘍組織塊」
を意味するものと解釈される。
したがって,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織
塊も,ヒト器官に由来する腫瘍組織塊であるから,ヒト器官から採取されてヌード
マウスの皮下で継代された腫瘍組織塊は「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」に含
まれる。
イ本件明細書の発明の詳細な説明の記載からの解釈
①本件明細書には,ヌードマウスに移植する材料について,ヒト器官から採取
した腫瘍組織塊そのものに限られるという限定をした記載はなく,また,ヒト器官
から採取されてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織塊は除外するとした記載
もない。
②本件明細書には,「(14頁11~13行目)使用されるヒト腫瘍組織は,細
胞ごとに分解せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫
瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性の高いヒト腫瘍モデ
ル動物が得られる」との記載がある。
しかしながら,「三次元的構造」との用語は,単離細胞を移植していた従来技術と
異なって本件発明は腫瘍組織塊をそのまま組織という立体の状態で移植するもので
あることを説明するものにすぎない。したがって,「三次元的構造」には「立体構造」
という以上の特別な内容はなく,ヒト器官から採取された腫瘍組織塊がヒトの体内
にあったときのままの構造を維持しているということを意味するものではない。そ
もそも,ヒト腫瘍組織塊をヌードマウスの体内に移植すると,ヒトの腫瘍細胞はヒ
ト腫瘍細胞のままヌードマウスの体内で増殖,転移をするが,それ以外のヒトの間
質組織はヌードマウスの間質組織に置換されるのであり,ヌードマウスの体内に移
植したヒト腫瘍組織塊がそのままの構造をヌードマウスの体内で維持するようなこ
とはない。
③本件明細書には,実施例Ⅰの説明中に「(17頁6行目)ヒト腎臓から切除し
た組織の外科的に得られた新鮮な試料」との記載がある。
しかしながら,「新鮮な」(fresh)とは,凍結保存されていないという意味であり
(甲70,103),ヒト器官から採取された組織そのものを指し示すものではない。
上記記載は,ヒト器官から外科的に得られた凍結保存されていない試料をヌードマ
ウスに移植することを述べているものである。したがって,本件明細書の「(14頁
17行目)組織はこの方法で約24時間維持できる」という記載も,移植する組織
の凍結保存を前提としていないことを示すものにすぎない。
一方で,本件明細書には,「(14頁8~9行目)外科的に得られた新鮮な試料が
含まれる」という記載がある。
「が含まれる」というのであれば,当然にそれ以外の試料も存することを意味す
ることになるから,ヌードマウスに移植される試料は「外科的に得られた新鮮な試
料」には限られてはないことにほかならない。
④本件明細書には,本件発明のモデル動物の用途に関連して,本件発明のモデ
ル動物を新たな転移抑制効果を持つ抗がん剤の効能評価試験に用いることの有用性
が記載されている(12頁12~18行目,16頁15行~17頁1行目)。抗がん
剤の効能評価試験においては,統計的に有意な薬効の証明が要求されるため,必然
的に,長期にわたって大量の実験動物が必要となる。この場合,本件発明のモデル
動物に移植する材料を外科手術時に患者から採取した腫瘍だけとしたのでは,十分
な量の移植材料を確保できないから,上記記載は,ヌードマウスの皮下で継代する
ことによって均一性が確保されかつ十分な量の移植材料を確保することを当然の前
提としている。そうであれば,当業者は,「ヒト器官から得られたヒト腫瘍組織塊」
には,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織塊を含む
と読む。
ウ出願経過の参酌
本件発明に係る出願経過において,控訴人が,ヌードマウスに移植する材料につ
いて,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものに限られるとの限定をしたことは
なく,また,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織塊
を除外するとしたこともない。
かえって,控訴人が本件特許異議の申立ての手続において提出した上申書(甲2
9)には,本件発明が特許異議申立書添付の甲1から甲5までの文献(甲28の1)
に記載の方法に対して有意に優れていることを示すデータとして,ヒトの器官から
採取された腫瘍組織塊そのものではないヒト腎臓細胞癌SN12Cという腫瘍株を
利用した組織断片を用いた場合のデータを示している。そして,異議申立人である
武田薬品(武田薬品工業株式会社)も,特許庁も,上記腫瘍株が「脳以外のヒト器
官から得られた腫瘍組織塊」に含まれないという指摘はしていない。むしろ,武田
薬品の異議申立書(甲28の1)には,「甲第5号証が『腫瘍細胞』株であるのに対
し,本願発明が『腫瘍組織』塊である点では相違するが,甲第1号証からも明らか
な様にこの分野では両者は実質的に同様に用いられており,本願明細書中にも顕著
に区別すべき証拠データは何もない。」(異議申立書11頁)と記載されている。
エ本件出願の優先権主張日当時の技術常識
①本件出願の優先権主張日前から,当業者は,継代は移植材料であるヒト腫瘍
の維持,保存及び培養のための周知慣用技術として,実験動物を用いた実験におい
て広く一般的に用いてきた。
したがって,そのような周知慣用な事項を明細書に記載する必要はそもそもなか
った。
②本件出願の優先権主張日当時,当業者には,ヌードマウスの体内で成長した
ヒト腫瘍は,多数回の継代によっても腫瘍の原型の完全無欠性が合理的に維持され
ると理解されていた。
また,本件出願の優先権主張日当時,当業者には,ヒト器官から採取したヒト腫
瘍組織を直接に移植されたヌードマウスであっても,移植されたヒト腫瘍組織中の
間質組織は,ヒト由来ではなくヌードマウス由来の間質組織に置換されていると理
解されていた。
そして,当業者は,ヌードマウスの皮下で継代を重ねると,ヒト腫瘍組織中の間
質組織はヌードマウスのものに置換されるとしても,ヒト腫瘍の組織学的特性は維
持されるとの上記知見を前提に,ヒト癌の研究のためにヌードマウスの皮下で継代
して培養したヒト腫瘍を実験に用いてきた。
③本件出願の優先権主張日当時,当業者には,ヌードマウスの皮下に移植され
たヒト腫瘍組織はその状態では転移能を欠いており,ヒト癌の転移過程を再現する
ことができないと理解されていた。
したがって,ヌードマウスの皮下での継代を経ようが経まいが,ヒト腫瘍の転移
実験の目的や作用に変化は生じないのであるから,ヒト腫瘍の転移過程を再現する
モデル動物への移植材料たる腫瘍組織が,ヒト器官から採取した腫瘍組織そのもの
であるか,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織であ
るかは問題とはならない。
④本件出願の優先権主張日当時,当業者には,ヌードマウスの皮下で継代をし
てもヒト腫瘍細胞の転移能は失われないと理解されていた。そのため,ヌードマウ
スを用いたヒト癌の転移実験においては,移植材料としてヌードマウスの皮下で継
代をしたヒト腫瘍組織を用いることは,ごく一般に慣用されていた。
[1]「MetastaticBehaviorofTumorCellsIsolatedfromPrimaryandMet
astaticHumanColorectalCarcinomasImplantedintoDifferentSitesinNude
Mice(ヒト結腸直腸癌の原発巣及び転移巣から分離しヌードマウスの異なる箇所に
移植された腫瘍細胞の転移挙動),キャンサーリサーチ46,1928~1933頁,
1986年4月」(甲114の1訳文は甲114の2の1)について
この論文に発表された研究は,ヌードマウスの異なる箇所に移植されたヒト結腸
癌の転移の挙動を調べたものである。この研究において,転移の挙動を調べるヒト
結腸癌として移植に使用されているのは,ヒト結腸癌の原発巣から得られた4個の
腫瘍株,肝転移巣から得られた3個の腫瘍株,腸管リンパ節転移巣から得られた1
個の腫瘍株であるが,これらの腫瘍株は,いずれも,ヌードマウスの皮下に移植し
継代を繰り返して樹立されたものである。
さらに,この研究における実験結果においては,異なる継代の世代でも転移性の
表現型は維持されており,こうした腫瘍細胞の性質は継代によっても失われないこ
とが証明されている。原文1932頁のTable4(表4)では,初代HCCとヌード
マウス体内で3~6代継代した後の転移性のHCCの転移の可能性を定量的に測定
した結果が,1932頁右欄31~44行目では,ヌードマウスにおけるヒト腫瘍
の連続的継代は,転移の可能性に影響しないという過去の報告(11,13,15,30)
と一致し,腫瘍細胞の性質は継代によって変化せず,異なる継代の世代においても
腫瘍細胞の転移性の表現型が維持されている,とそれぞれ記載されている。
[2]「GrowthandMetastasisofTumorCellsIsolatedfromaHumanRenalCell
CarcinomaImplantedintoDifferentOrgansofNudeMice(ヌードマウスの異な
る器官に移植されたヒト腎臓癌細胞から分離された腫瘍細胞の生長と転移,キャン
サーリサーチ46,4109~4115頁,1986年8月」(甲115の1訳文は
甲115の2の1及び甲115の3)について
この論文の研究の目的は,ヒト腎癌(HRCC)から腫瘍細胞を分離する方法が,
その腫瘍細胞の生物学的な挙動に影響するか否かを定量的に測定することであり,
腫瘍細胞の潜在的な転移能がどのように表現(発現)されるかを検討している。こ
の研究において,生物学的挙動を調べるヒト腎臓癌として移植に使用しているのは,
外科手術で得られたヒト腎癌(HRCC)を起点として,5つの異なる分離条件か
ら得られた腫瘍細胞株(培養,皮下腫瘍,腎癌,腎癌の肝転移,腎癌からの腹水)
である。まず,外科手術で得られたヒト腎癌(HRCC)の細胞懸濁液を3つに分
けて,invitroの培養,ヌードマウスの皮下への移植,ヌードマウスの腎への移
植を行い,このうち,腎へ移植された細胞は,その後更に3つの株として樹立され
ている。原文4112頁のTable1(表1)によれば,SN12S1系の株を含む
いずれの株についても,皮下移植の結果,肺転移が出現している。
(3)均等侵害(争点2-2)
仮に本訴マウスが構成要件Bを充足していないとしても,本訴マウスは本件発明
と均等なものとして,その技術的範囲に属する。
ア相違部分が本件発明の本質的部分でないこと(第1要件)
本件発明の課題は,ヒト中に生ずるようなヒト腫瘍疾患の進行,転移のプロセス
をよりよく再現するモデル動物の作製方法を開示することである。そして,この課
題解決のための特徴的原理は,腫瘍組織を壊さずに(ばらばらの単離細胞ではなく)
腫瘍組織の塊のまま外科的に同所移植することにあり,これが本件発明の本質的部
分である。
一方で,ヌードマウスの皮下での継代は,ヒト腫瘍組織の同一性を維持しながら
増殖するための培養方法であるにすぎず,転移過程を再現するものではないから,
本件発明の本質的部分に関係するものではない。
したがって,本件発明と本訴マウスとの本件相違部分(「脳以外のヒト器官から得
られた腫瘍組織塊」の構成)は,本件発明の本質的部分には当たらない。
イ作用効果の同一性(置換可能性)(第2要件)
本訴マウスは,原判決別紙マウス説明書記載のとおり,本件発明の課題解決のた
めの特徴的原理である腫瘍組織を壊さずに(ばらばらの単離細胞ではなく)腫瘍組
織の塊のまま外科的に同所移植するのと同一の原理で作製されており,新規抗転移
剤TSU68の効能実験のために,ヒト腫瘍の転移過程をヌードマウスにおいて再
現する効果を奏している。このような効果の達成は,本件発明の特徴的原理を用い
たことによる目的,作用効果と同一である。
ウ置換容易性(第3要件)
ヒト器官から採取された腫瘍組織そのままのものを,ヌードマウスの皮下で継代
したヒト腫瘍組織に置き換えることは,本件明細書の記載から自明であるばかりで
なく,本件出願の優先権主張日後に最初に公表された論文(甲91991年)や
早期審査申請時に提出した説明書(甲271996年)において,本件発明の方
法としてヌードマウスの皮下で継代したヒト腫瘍組織を用いた実験が説明されてお
り,本件発明の方法の移植材料としてヌードマウスの皮下で継代したヒト腫瘍組織
を用いることができることが紹介されている。
したがって,本訴マウスの作製の時点において,当業者が本訴マウスを想到する
ことは容易であった。
エ公知技術からの容易推考性の不存在(第4要件)
(ア)容易推考性について
本訴マウスは,本件出願の優先権主張日当時における公知技術と同一又は当業者
が同公知技術から容易に推考できたものではない。
(イ)乙14について
①乙14には,使用したヌードマウスが「雄および雌」と記載されており(3
9頁右欄12~13行目),雌雄を混ぜて実験をしている。実験中の自然繁殖を防ぐ
観点から,通常の実験では雌雄を使い分けるのが通常であり,雌雄を混ぜることは
考えられない。また,使用したヌードマウスの週令も「5~7週」と記載されてお
り(39頁右欄13行目),週令にばらつきがある。ヌードマウスは成長が早く短命
なので,週令が1週違っても実験条件が大きく異なるので,実験をする場合は,週
令をそろえたマウスを用いるのが普通である。
②乙14には,初代継代でヌードマウスに移植した組織片が「2mm角以下」「1
ないし数個を」と記載されているが(40頁左欄14~15行目),これでは何グラ
ムの組織片を移植したのか全く特定できない。移植実験においては移植する腫瘍の
量も重要な条件であるため,移植する腫瘍細胞の数を特定したり,組織片であれば
その大きさを特定するのが普通である。
③乙14には,ヌードマウスへの移植方法について,「肝右葉外側区に腫瘍組織
片を接触するようにして行った」と記載されているが(40頁左欄38~39行目),
腫瘍組織片を肝右葉外側区の被膜(肝臓の外側)の上に置いただけでは肝臓内部に
移植したことにはならないから,同所移植をしたとはいえず,また,本当に肝右葉
外側区に移植が行われたのかどうかも疑わしい。
④乙14には,ヌードマウスの移植方法について,「ヌードマウス右側腹部
肋骨弓下に移植針を挿入し,・・・・・行った」と記載されており(40頁左欄37~3
9行目),移植方法は,ヌードマウスを開腹せずに,ヌードマウスの体外から手探り
の感覚で移植針を挿入しているものである。
マウスの肝は全長1.5㎝程度の小さいものがさらに5葉に分かれており(甲7
6),手探りの感覚では挿入する移植針の角度や深さをミリ単位で操作することは不
可能であるから,上記方法では同所移植(肝臓内だけに移植)はできない。マウス
の解剖図(甲77,78の1・2)によれば,マウスの肺と肝臓は,肋骨の下で部
分的に重なり合っている上に,マウスの肺は,移植針を挿入したという肋骨弓下に
ある。
そうすると,移植針の使用により,移植の過程で腫瘍組織が損傷し,それに
よって腫瘍細胞や腫瘍組織の小片が肝臓以外の腹腔中の他の器官の場所に漏
出する可能性があり,かかる漏出の結果,肺への移植が生じたともいえる。
⑤乙14には,ヌードマウス屠殺後に「肝腫瘍の存在が確認された」と記載さ
れているが(42頁左欄21~22行目),腫瘍組織写真はおろか,腫瘍の大きさも
状態も一切何も報告されておらず,当該腫瘍が移植針で挿入された腫瘍が生着した
ものであるのか,それ以外の別の種類や別の原因による腫瘍なのかも分からない。
⑥乙14には,「右肋骨弓下に移植したHc-3の2代目に,肺転移が認められ
た」と記載されているが(42頁左欄22~23行目),AFP産生も核型も確認し
ておらず,転移の仕組みによる自然転移であるのか,人為的な移植の結果であるの
か判別できない。
⑦腫瘍組織片を移植された10匹のヌードマウスの1匹について,たまたま肺
に転移したような結果があったとしても,実験の母数が少なく,統計的には意味を
なさない。
(ウ)乙27について
①乙27には,「継代2代目のラット」と記載されており(31頁右欄18行目),
また,マウスについては「ヌードマウス」と記載され,「ヌードラット」との記載は
ない。そして,乙27の原稿受付は昭和52年(1977)9月16日であり,ヌ
ードラットは昭和54年(1979)から我が国へ実験中央動物研究所を通して入
ってくるようになったものである(甲79)。そうすると,乙27の「ラット」とは,
免疫機能を有する通常のラットということになる。免疫欠損を有していない普通の
ラットでは,拒絶反応を起こすためヒト腫瘍の継代はできないはずであるから,乙
27には免疫学上あり得ないことが記載されている。
②乙27には,「継代2代目のラットで,右側腹部深部に移植した腫瘍が肝に移
植されたことで,約1.5cmの腫瘤を形成した(図1)。」との記載があるが(31
頁右欄18行~32頁左欄2行目),移植の手段の記載がなく,どうやって移植され
たか,具体的な手段が全くわからない記載である。そうすると,乙27は,追試が
できないものであり,一定の確実性をもって同一結果を反復できないから,発明で
はない。
③乙27には,「右肺下葉に直径約2mmの球状の転移を認めた」と記載されて
いるが(32頁左欄4行~右欄1行目),核型分析等も,AFP産生も確認していな
いから,その「球状の転移」が,移植した株のHc-4と同じ核型の腫瘍が転移し
たものといえるのか,それとも人為的移植の結果によるものか,そもそも,ヒト腫
瘍ではなくマウス由来の腫瘍なのか(乙15)も確認されていない。
オ意識的除外の不存在(第5要件)
本件特許の出願経過及びその過程で提出された手続補正書や意見書等において,
控訴人が,本件発明の構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」
を,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものに限られると意識的に限定を
したことはなく,また,そこから,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で
継代された腫瘍組織塊をヌードマウス皮下で継代培養されたヒト腫瘍組織塊を意識
的に排除したこともない。
3被控訴人の補充・追加の主張反論
(1)信義則違反による主張制限(争点1-2)
①本訴において,前訴における構成要件Bの解釈について前訴と同様の主張を
すること及び前訴で主張することができた均等侵害の主張をすることは,訴訟上の
信義則に反し許されない。
②本訴マウスは,本件発明の各構成要件の充足性の有無との観点からみると,
前訴マウスの構成と実質的に同一の構成といえるマウスであり,特に前訴における
争点であった前訴マウスの構成要件Bの充足の関係でも,ヒト器官から採取しマウ
スの皮下で継代された腫瘍組織塊を有する点で前訴マウスと共通している。そして,
前訴マウスと本訴マウスとの相違点は,単にその作製時期等の点のみであるところ,
それら相違点は,本件発明の技術的範囲の属否には全く影響を及ぼさない。したが
って,前訴マウスが本件特許権を侵害しないとの確定判決を得た被控訴人が,本訴
マウスについても本件特許権を侵害しないと考えることは社会常識に沿っており,
本訴マウスが本件特許権を侵害するとしたら,裁判制度による紛争解決機能に疑問
が生じることに帰する。
③そのほか,控訴人が前訴における判決の判断と異なる文言解釈を本訴におい
て主張できず,かつ,本訴において均等侵害を主張できないとする理由は,争点1
-1(本件訴えの提起の信義則違反の有無)における被控訴人の主張のとおりであ
るから,これを援用する。
(2)構成要件Bの非充足(争点2-1)
構成要件Bの「脳以外のヒト器官から得られた腫瘍組織塊」とは,脳以外のヒト
器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものをいい,脳以外のヒト器官から採取さ
れてヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織塊は含まれない。
ア本件明細書の発明の詳細な説明の記載からの解釈に対して
①本件明細書には,「(14頁6~9行目)ここに使用されるヒト腫瘍組織には,
例えばヒトの腎臓,肝臓,胃,膵臓,結腸,胸部,前立腺,肺,睾丸及び脳中に生
ずる病理学的に診断される腫瘍である外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれ
る。」との記載がある。上記記載において,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」が,
ヒト器官から外科的手術により採取された腫瘍組織塊そのものを意味することが明
示されている。
②本件明細書の発明の詳細な説明には,「(14頁11~13行目)使用される
ヒト腫瘍組織は,細胞ごとに分離せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移
植することにより腫瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性
の高いヒト腫瘍モデル動物が得られる。」との記載がある。この記載は,ヒト器官か
ら採取した腫瘍組織塊そのままのものをモデル動物に直接移植することにより,当
該腫瘍組織が本来もつ三次元的構造,すなわち,腫瘍組織の腫瘍細胞やその周辺の
間質組織を含めたヒト腫瘍組織の環境が維持される結果,ヒト腫瘍に対するモデル
動物としての信頼性が高くなることを説明したものといえる。
間質組織には,多種多様な間質細胞が含まれており,間質細胞は,癌細胞に作用
し,癌細胞の増殖や運動能を亢進させ,また,癌細胞も間質細胞に働きかけ,癌細
胞にとって必要な物質を細胞外基質中に産生させる誘導能を有している。そして,
このような癌細胞と間質細胞の相互作用は,癌細胞の生存のために不可欠であり,
癌細胞の増殖能,転移能などに大きな影響を与える。すなわち,間質組織(特に間
質細胞)は,癌細胞の生存にとって重要な役割を果たすものである(乙23)。そし
て,ヒト腫瘍組織塊とは,ヒト腫瘍細胞,ヒト間質細胞及びヒト細胞外基質を含む
腫瘍組織塊であるのに対して,ヌードマウスの皮下で継代を繰り返した腫瘍組織は,
ヒト間質細胞及びヒト細胞外基質が失われてヒト腫瘍細胞,マウス間質細胞及びマ
ウス細胞外基質を含む腫瘍組織塊となってしまっている。このように,ヒト腫瘍組
織塊をヌードマウスの皮下で継代すると,極めて重要な働きをしているヒトの間質
組織がマウスの間質組織に置換されていくのである。
③本件明細書に記載された実施例Ⅰ~Ⅲは,いずれもヒト器官から採取した腫
瘍組織そのままのものを直接モデル動物の相当する器官に移植したものであり,本
件明細書には,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊
を使用した実施例の記載はない。
「新鮮な」(fresh)という用語は,単に「継代を経ていない」という意味である。
腫瘍組織塊のヌードマウスへの移植時に当該腫瘍組織塊が凍結保存されていないの
は極めて通常のことであるから,「fresh」の用語でもって当該腫瘍組織塊が凍結保
存されていないことを敢えて示す必要性はない。
④本件明細書には,「癌患者の腫瘍の個別化した化学的敏感性試験に使用できよ
う。」との記載があるが(12頁16~17行目),腫瘍組織をヌードマウスの皮下
で継代した場合には上記使用目的を達成することはできない。
イ出願経過の参酌に対して
控訴人が特許庁に提出した早期審査に関する事情説明書(甲27の1)には,本
件発明と先行技術との相違について,当該先行技術が移植に用いる細胞を移植前に
マウスの体内又は培地中で定着及び維持しているが,本件発明は腫瘍組織塊を移植
している旨の記載があり,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」には,ヒト器官から
採取されてヌードマウスの皮下において継代した腫瘍組織塊が含まれないことを明
らかにしている。
ウ本件出願の優先権主張日当時の技術常識に対して
①一般的にヒト腫瘍組織をヌードマウスの皮下で継代することが知られていた
としても,それは,単に当該皮下継代という技術が知られているにすぎない。それ
だけでは,当該技術をどのような実験に対しても一般に用いることができるとか,
又はどのような実験には用いることができ,どのような実験に用いることができな
いと直ちにいい得るものではない。
②本件出願の優先権主張日当時,ヒト腫瘍組織塊をヌードマウスの皮下で継代
した場合に,ヒト腫瘍組織塊にどのような性質(組織学的特性,生化学的特性,生
物学的特性,生着率や増殖率の変化等)の変化が起きるのか又は起きないのか,当
該ヒト腫瘍組織塊を継代したものはどのような実験には用いることができるのか又
は用いることができないのか,について調査研究をしている段階であり,ヒト腫瘍
研究の分野において,特に腫瘍転移研究においては,ヌードマウスの皮下で継代さ
れたヒト腫瘍組織塊の性質が維持されていたことが当業者に知られていたとはいえ
ない。
③「BriefCommunication:GrowthofHumanNormalandNeoplasticMammary
TissuesintheClearedMammaryFatPadoftheNudeMouse」,JOURNALOFTHE
NATIONALCANCERINSTITUTE,VOL.55,NO.6,DECEMBER1975年」(乙28)及び
「BRIEFREPORTSHETEROTRANSPLANTAIONOFAHUMANMAMMARYCARCINOMATOTHEM
OUSEMUTANTNUDE,Actapath.microbiol.scand.Sect.A,84,350~352頁,
1976年」(乙29)には,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのままのものを正
位移植(同位移植)する技術が記載されており,本件出願の優先権主張日当時,ヒ
ト器官から直接ヌードマウスへ移植することが一般的であった。
④本件出願の優先権主張日当時,当業者には,ヒト腫瘍組織がヌードマウスの
皮下で継代されると転移能が失われると理解されていた。そのため,癌の転移を前
提とした研究に,ヌードマウスの皮下で継代されたヒト腫瘍組織を用いることは一
般的ではなかった。
[1]本件明細書それ自体に,「(13頁5~9行目)これらのモデル動物において,
生着した腫瘍はしばしば,大部分移植の部位で増殖し,もとの腫瘍が供与体中で非
常に転移性であってもまれにしか転移しなかった。従って,皮下ヌードマウスのヒ
ト腫瘍モデル動物は,前記齧歯動物のモデル動物よりも良好であるけれども,なお
実質的な欠点を有し,すなわち,皮下移植組織は転移する能力を欠いた。」との記載
がある。
[2]甲114の1及び甲115の1は,ヒト器官から採取したヒト腫瘍組織塊を
細胞一つ一つにばらばらにして,当該細胞を培養した上で皮下に移植する実験を行
っているものである。これらは,ヒト器官から採取されたヒト腫瘍組織塊そのもの
をヌードマウスに移植してその皮下で継代をしたものではない。
(3)均等侵害の不成立(争点2-2)
本訴マウスは,本件発明と均等なものとはいえない。
ア第1要件の非充足
①本件発明は,ヒト腫瘍疾患のためのモデル動物として,ヒト腫瘍を皮下移植
したヌードマウスが有していた転移能を欠くというような欠点がなく,ヒト中に生
ずるような腫瘍疾患の進行に全くよく似た能力を有するモデル動物を提供するとい
うことを課題とし,これを解決するために,ヒト器官から直接採取された腫瘍組織
塊そのものをモデル動物の相当する器官中へ移植する構成をとり,これによって腫
瘍組織の増殖性及び転移性という効果を得るものである。
したがって,ヒト器官から採取された腫瘍組織塊そのものを移植することは本件
発明の本質的部分であり,本件相違部分は本件発明の本質的部分である。
②腫瘍組織を壊さずに塊のまま外科的に同所移植することは,乙28,乙29
及び「日本癌学会記事第35回総会,演題624,1976年2月7日発行」(乙5
0)より本件出願の優先権主張日時に公知であったから,控訴人の主張する本件発
明の本質部分は当該時の公知技術にほかならないところ,公知技術を発明の本質的
部分とすることはできない。
したがって,控訴人において本件発明の本質的部分を主張立証できていないから,
本訴マウスは第1要件を満たさない。
イ第3要件の非充足
本件出願時又は本件出願の優先権主張日当時以降,ヌードマウスの皮下での継代
に係る知見や技術は,多くの研究者や研究機関・企業が鋭意研究してきたことによ
り蓄積されてきたものであるが,それらは,本件出願時又は本件出願の優先権主張
日当時において到底想定することができなかったものである。上記のような事情に
かんがみれば,置換容易性を出願時等を基準に判断することには具体的妥当性があ
る。
しかるに,本件出願時又は本件出願の優先権主張日当時,ヒト腫瘍組織塊をヌー
ドマウスの皮下で継代したものがヒト器官から採取したヒト腫瘍組織塊そのものと
比べて性質が変化していないという技術常識はなかったから,ヒト器官から採取さ
れた腫瘍組織塊そのものを,ヒト器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代さ
れた腫瘍組織塊に置換することは,容易に想到できるものではなかった。
ウ第4要件の非充足
(ア)容易推考性について
①本訴マウスは,ヒト大腸癌の肺転移腫瘍をヌードマウスの皮下に移植し,皮
下継代を経て得られた腫瘍組織塊を,盲腸壁(大腸の一部)に同所移植によって移
植して得られたヌードマウスである。他方,乙14発明のヌードマウスは,ヒト肝
癌の腫瘍をヌードマウスの皮下に移植し,皮下継代を経て得られた腫瘍組織塊を,
肝中葉(肝臓の一部)に同所移植によって移植して得られたヌードマウスである。
そして,本訴マウスと乙14発明のヌードマウスとを対比すると,いずれもヒト
腫瘍をヌードマウスの皮下に移植し,皮下継代を経て得られた腫瘍組織塊を,同所
移植によって移植して得られたヌードマウスである点で一致する。よって,本訴マ
ウスは,本件出願の優先権主張日当時における公知技術である乙14発明のヌード
マウスと同一であり,均等の第4要件を充足しない。
②仮に,乙14発明のヌードマウスが「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒトモ
デル動物」とはいえない点で本件発明と相違するとしても,乙27には,ヒトの肝
癌組織片を原発臓器であるヌードマウスの肝臓に同所移植することによって肺転移
が生じるヌードマウス(モデル動物)が得られるとの知見が開示されている。そし
て,①乙14発明のヌードマウスと乙27に記載のヌードマウスは,いずれも,肝
癌患者の肝臓から採取した肝腫瘍組織片をヌードマウスの皮下で継代して得られた
腫瘍組織塊をヌードマウスに移植することによってヒト肝癌を担ったモデル動物を
作製する技術に係るものであるから,同一の技術分野に属するものであり,さらに,
当該技術分野において,本件出願の優先権主張日当時,転移過程を再現できるヒト
肝癌を担ったモデル動物の作製は共通の技術課題とされていたこと,②乙14は,
ヌードマウスに肺転移が認められたことに関し,乙27を参照文献として引用して
いること,に照らすならば,乙14及び乙27に接した当業者であれば,乙14発
明のヌードマウスに,ヒトの肝癌組織片を原発臓器であるヌードマウスの肝臓に同
所移植することによって肺転移が生じるヌードマウス(モデル動物)が得られると
の乙27の知見を適用する動機付けがあることは明らかである。
したがって,当業者であれば,乙14発明のヌードマウスに乙27記載の知見を
適用して相違点に係る本件発明の構成を容易に想到することができた。
(イ)乙14について
①通常,実験中の自然繁殖を防ぐ観点より雌雄の個体を飼育するゲージを当然
に分けるのであるから,乙14に1つの飼育用ケージ内に雌雄の個体を混ぜて実験
したなどと記載されているのでない限り,当然に雌雄は分けて飼育されていたと考
えるのが妥当である。
また,乙14の実験当時(乙14の論文受付日は昭和54年(1979年)8月
15日である。),ヌードマウスの大量生産は困難であり,週令をそろえることが通
常であったとはいえない。
なお,本件発明の実施例I~Ⅲにおいても,使用されたヌードマウスの雌雄の区
別は全くされていないし,使用されたマウスの週令は4~6週令となっている。
②移植した組織片の大きさを「2mm角以下」と,その数量を「1ないし数個」
としたことが特定にならないとする技術常識はない。
③同所移植に当たっては,腫瘍組織が適所に確保されさえすれば縫合までする
必要はないものであるところ,ヌードマウスの皮膚は薄くて中が透けて見えるため,
組織片が肝臓に接触していることは実験者にとって十分に確認できることである。
④ヌードマウスの肺は横隔膜によって保護されているところ,肝臓の側から挿
入した移植針が肺に到達するということは,横隔膜を破るということであり,横隔
膜が破れたヌードマウスは呼吸ができなくなりすぐに死亡してしまう。
⑤乙14には,「肺転移が認められた」(42頁左欄22~23行目),「転移は
肝に浸潤性腫瘍を形成した1匹のみにみられ,肺転移であった。」(48頁右欄14
~15行目)と明確に記載されている。
(ウ)乙27について
①乙27には,「継代2代目のラット・・・・・(図1)・・・・・(図2)」と記載され
ているが(31頁右欄18行~32頁右欄7行目),ここで引用されている図1には
「図1ヒト肝細胞癌移植ヌードマウス肝(割面)」と記載され,また,同じく引用
されている図2には「ヌードマウス肝発育腫瘍」と記載されているほか,「ヒト肝癌
のヌードマウス肝の移植に成功したので報告した。皮下移植のものと発育様式はや
や異なり,腫瘍線維性皮膜はなく,肺転移をきたしていた。」(33頁右欄2~4行
目)との記載もあるのであり,上記「ラット」はヌードマウスの単純な誤記にすぎ
ない。
②乙27には,「原発臓器に移植されれば同じような転移を示す可能性もあり,
われわれの肝移植肝細胞癌が肺転移を惹起したことはこれを明確に証明したものと
考えたい」と記載され(33頁左欄16行~19行),肺転移があったことが断定的
に記載されている。そのほかにも,「右肺下葉に直径約2mmの球状の転移を認めた」
(32頁左欄4行~右欄1行目),「われわれの肝移植例では・・・・・肺転移を伴ってい
た」(33頁左欄2~5行目)と,明確に肺転移があったことが記載されている。
エ第5要件の非充足
控訴人は,本件出願において,請求項1の「腫瘍組織」を「腫瘍組織塊」と限定
した上で,当初明細書(乙8)には存在しない「また,使用されるヒト腫瘍組織は,
細胞ごとに分離せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより
腫瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性の高いヒト腫瘍モ
デル動物が得られる。」との記載を追加し,これにより特許を付与されている。本件
特許異議の申立てにおける特許維持決定は,上記限定や追加記載を根拠としてされ
たことが明白である。したがって,控訴人は,皮下継代の方法によって維持された
腫瘍組織塊については本件発明の技術的範囲に属しないことを承認し,又は外形的
にそのように解される行動をとったものに該当する。
4当審における被控訴人の新たな主張
(1)無効理由10(乙50に基づく新規性・進歩性欠如)
本件出願の優先権主張日前に頒布された刊行物である乙50(日本癌学会総会記
事第35回総会,演題624,171頁,昭和51年10月)には,以下の構成【a】
~【d】を有するヌードマウスが記載されている(171頁左下欄5~13行目,
20~24行目)
【a】ヒト胃癌に対するモデル動物であるヌードマウスであって,
【b】前記ヌードマウスが前記ヌードマウスの相当する器官中へ移植されたヒト胃
から得られた腫瘍組織塊を有する
【c】前記移植された腫瘍組織塊を増殖させるに足る免疫欠損を有する
【d】ヌードマウス。
本件発明と乙50記載のヌードマウスに係る発明(乙50発明)とを対比すると,
乙50発明のヌードマウスは,「転移」及び移植された腫瘍組織を「転移させるに足
る」の点を除いて,本件発明の構成要件A~Dの各構成を備えている。
しかしながら,上記「転移」及び移植された腫瘍組織を「転移させるに足る」は,
本件発明の効果であって,構成ではないから,乙50発明と本件発明との実質的な
相違点とはなり得ない。
したがって,本件発明は乙50発明であり,又は少なくともそれに基づいて当業
者が容易に想到し得たものである。
(2)無効理由11(乙50を主引用例とする進歩性欠如)
本件発明と乙50発明とを対比すると,乙50発明のヌードマウスは,「転移」
及び移植された腫瘍組織を「転移させるに足る」の点を除いて,本件発明の構成要
件A~Dの各構成を備えている。
乙14,又は乙14及び乙27は,「転移」,「増殖及び転移」並びに「転移モデル」
が記載され又は少なくとも示唆をする。
乙50発明は,乙14,又は乙14及び乙27に記載の技術と共通するものであ
る。したがって,当業者が,乙50発明に,乙14,又は乙14及び乙27に記載
された技術を組み合わせる動機付けがあるといえるから,その組合せは容易想到で
ある。
(3)無効理由12(乙14,又は乙14及び乙27を主引用例とする進歩性欠
如)
乙14発明,又は乙14及び乙27に記載された発明(乙27発明)には,「ヒト
器官から採取した腫瘍組織塊をそのまま移植する」点を除く本件発明のすべての構
成が記載されている。
乙50には,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊をそのまま移植する点が記載され
ている。
乙14発明,又は乙14及び乙27発明は,いずれも「ヒト腫瘍疾患に対する
非ヒトモデル動物」に関し,かつ,正位移植をするという点で,乙50発明と共通
するものである。したがって,当業者が,乙14発明,又は乙14及び乙27に記
載された発明に乙50発明を組み合わせる動機付けがあるといえるから,その組合
せは容易想到である。
5当審における被控訴人の新たな主張に対する控訴人の反論
乙50の記載内容は,腹腔内等の皮下以外の部位に移植したヒト胃癌細胞が生着
するか否かに焦点が絞られており,本件発明の「ヒト腫瘍疾患の転移に対する非ヒ
トモデル動物」を作製するという技術的思想は全くなく,そのことに関する記載も
ない。
また,乙50は,ヒトの胃癌を,ヌードマウスの腹壁筋層内,筋層-腹膜間部,
腹腔内及び胃壁内の4箇所に移植しており,どこにどのような腫瘍組織片(皮下継
代したものか,していないものか)を移植したのかも不明であり,乙50に,同所
移植をするという観点はない。上記4箇所の移植場所の癌浸潤状態の観察について
の記載も観察結果を列挙しているだけなので,癌浸潤状態が上記の4箇所のうちの
どの移植場所についてのものであるかが特定できない。その上,浸潤が認められた
からといって,転移に関する知見が示されたとはいえない。
したがって,乙50から読み取れるのは,胃癌の腫瘍組織片を,ヌードマウスの
皮下ではなく,腹腔内の色々な場所に移植した結果,浸潤が認められたということ
にとどまる。
第4当裁判所の判断
1争点1-1(本件訴え提起の信義則違反の有無)について
当裁判所も,控訴人による本訴の提起が前訴の蒸し返しであって訴訟上の信義則
に反して違法である,とまで認めることはできないと判断する。その理由は,原判
決が,その43頁9行目から51頁16行目末尾までに認定判断するとおりである
から,これを引用する。ただし,原判決45頁16行目及び同21行目の各「及び
前訴控訴審判決」を削除し,同46頁14行目の「(争点1)」を「(争点1-1)及
び信義則違反による主張制限の可否(争点1-2)」に改める。
上記認定判断に反する被控訴人の主張は,採用することができない。
2争点1-2(信義則違反による主張制限の可否)について
(1)文言解釈につき
上記1の原判決引用部分によれば,①前訴の第1審においては,本件発明の構成
要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈及び前訴マウスのその構成要
件の充足性が主たる争点となり,前訴1審判決は,上記「ヒト器官から得られた腫
瘍組織塊」は,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そのものをいい,ヒト器官から
採取しヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含まないと解すべきであるとし
た上で,前訴マウスは上記「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有せず,構成要
件Bを充足しないと判断したこと,②前訴の控訴審においても,本件発明の構成要
件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈及び前訴マウスのその構成要件
の充足性が主たる争点となり,前訴控訴審判決は,前訴1審判決と同旨の認定判断
をしたこと,③控訴人は,前訴控訴審判決を不服として上告及び上告受理の申立て
をしたが,最高裁判所は,上告棄却及び上告不受理の決定をしたこと,④本訴にお
いて,控訴人は,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」にはヒト器官
から採取しヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊を含むと解すべきであるとい
う前訴でしたものと同旨の主張をしていること,⑤[1]本件発明はヒト腫瘍組織の種
類や同所移植される部位,移植される腫瘍組織片の大きさ,移植手法を特定するも
のではなく,前訴1審判決及び前訴控訴審判決の上記「ヒト器官から得られた腫瘍
組織塊」の解釈がこれらの差異により変動することはないことから,[2]前訴マウス
と本訴マウスとの間にはヒト腫瘍組織塊の種類や同所移植された部位等の構成の差
異が存するものの,[3]この構成が異なる部分は前訴1審判決及び前訴控訴審判決に
おける上記「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」の解釈及び充足の判断の結論に影
響を及ぼすものではないこと,⑥控訴人が前訴において構成要件Bの「ヒト器官か
ら得られた腫瘍組織塊」にヒト器官から採取しヌードマウスの皮下で継代した腫瘍
組織塊が含まれるとの主張立証をするに際し,その攻撃防御を尽くしていないと評
価できる事情は認められないこと,⑦控訴人が構成要件Bの「ヒト器官から得られ
た腫瘍組織塊」にはヒト器官から採取しヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊
が含まれるという前訴における各判決の判断と矛盾する主張をすることを正当化で
きる事情は認められないこと,⑧被控訴人が前訴マウスの構成と実質的に同一の構
成を有するヌードマウスが構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を有
するものではないとの期待を有することを合理的でないとする事情はないこと,が
それぞれ認められる。
しかるところ,特許権侵害の有無は,特許権者が有する特許発明の技術的範囲を
定め,相手方がその技術的範囲に属する特許発明を実施したか否かによって決せら
れるものであり(特許法70条1項,2項,68条,2条3項参照),特許発明の技
術的範囲の確定(均等の範囲を除く。),すなわち,特許発明の構成要件の解釈は,
特許権侵害の有無の判断に当たって必須の前提として明示又は黙示にされている事
実判断である。しかし,この判断は,一般的抽象的な規範としての性質をも有する
ものであり,それゆえに,ひとたび特許発明の構成要件の解釈として裁判所によっ
て確定した公権的判断として示された場合には,これによって関係当事者間の過去
の特許権侵害の有無が確定されこれを拘束することは当然であるが,それとともに,
当該判断は関係当事者の将来の行動規範としての作用をも有することになる。この
こともかんがみた上,本件証拠上に顕れた上記諸事情,特に前訴における当事者双
方の主張立証の程度及び内容を総合考慮して勘案すると,控訴人が被控訴人に対し
て本件発明の構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」について前訴にお
ける各判決に示された判断と異なる解釈を主張することは,安定的に形成された被
控訴人の法的関係に対する合理的な期待を害し,応訴において不相当な反論の負担
を強いるものとして,信義則に反し許されないものと解するのが相当である。この
判断に反する控訴人の主張は,いずれも採用することができない。
そうすると,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」とは,前訴にお
ける各判決の判断において示されたとおり,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊そ
のままのものをいい,ヒトの器官から採取しヌードマウスの皮下で継代させた腫瘍
組織塊は含まないものと解釈すべきことになる。
しかるに,本訴マウスが有する腫瘍組織塊は,ヒトの器官から採取しヌードマウ
スの皮下で継代したものであって,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのものでは
ないから,本訴マウスは,構成要件Bを充足しない。
(2)均等侵害の可否につき
被控訴人は,控訴人が本訴マウスを本件発明と均等なものであることを主張する
ことは訴訟上の信義則に反して許されない旨を主張する。
しかしながら,前訴における各判決に示された判断は,本件発明の構成要件Bの
「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」は,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊その
ままのものをいい,ヒトの器官から採取しヌードマウスの皮下で継代させた腫瘍組
織塊は含まないということと,その解釈を前提として,前訴マウスは構成要件Bの
「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」を充足しないということである。ヒトの器官
から採取しヌードマウスの皮下で継代させた腫瘍組織塊を有するヌードマウスが本
件発明と均等であるか否か,あるいは,ヒト器官から採取しヌードマウスの皮下で
継代させた腫瘍組織塊を有する前訴マウスが本件発明と均等であるか否かなどにつ
いては,前訴各判決においては何らの判断も示されていない。したがって,その点
については当事者間には前提とすべき事情はない。
確かに,控訴人が,前訴において均等論の主張をすることが可能であったか否か
の点が,一般的な紛争の一回的な解決の要請の観点から,前訴マウスについての均
等侵害を後訴で主張することの妨げとなる余地はある。しかしながら,具体的に存
在する対象製品との関係において発明と均等であるか否かを論ずる均等論は,対象
製品が主張時に存しなければこれを論ずる余地がないのであるから,前訴時に存在
していなかったと認められる本訴マウスについては(前記第2,2(3)),その性質
上,前訴で本件発明と均等であると主張できず,紛争の一回的な解決の要請が生ず
る余地はない。また,同様の理由により,前訴上告審において,上告受理申立人で
ある本訴控訴人が,上告受理申立理由として,前訴控訴審判決が均等論の適用に関
する審理を尽くさなかったこと等を主張したことによって,本訴における均等論の
主張が許されなくなるものではない。
さらに,被控訴人は,控訴人において均等侵害を主張することが訴訟上の信義則
に反することの根拠として,前訴マウスと本訴マウスとの構成が同一であることを
挙げる。しかしながら,そもそも前訴マウスが本件発明と均等であるか否かについ
て確定した公権的判断が示されていないのであるから,前訴マウスと本訴マウスと
の構成が同一であるからといって,本訴マウスが本件発明と均等ではないとの合理
的期待が被控訴人に生じる余地はない。
以上のとおりであるから,控訴人が本訴マウスについて均等侵害を主張すること
が訴訟上の信義則に反するとはいえない。
したがって,被控訴人の上記主張は,理由がない。
3争点2-1(本訴マウスが構成要件Bを充足するか)について
(1)はじめに
上記2(1)における認定判断によっても本訴マウスは構成要件Bを充足しないも
のではあるが,以下,念のため,争点2-1(本訴マウスが構成要件Bを充足する
か)についても判断を加えることとする。
まず,構成要件Bは,「前記動物が前記動物の相当する器官中へ移植された脳以外
のヒト器官から得られた腫瘍組織塊を有し,」と規定されているところ,「ヒト器
官から得られた腫瘍組織塊」を直接定義する内容の記載は,特許請求の範囲はもと
より本件明細書全体をみても存在しない。そこで,上記「ヒト器官から得られた腫
瘍組織塊」の意義は,本件明細書の個別の記載を総合的に考慮して解釈するほかな
い。
(2)本件明細書の記載事項
本件明細書には,次の記載がある。
「(12頁8~11行目)発明の背景
本発明はヒト腫瘍疾患に対する非ヒトモデル動物に関する。より詳しくは,本発明はヒトの
器官から得られ,動物の相当する器官中へ移植された腫瘍組織をもつ非ヒトモデル動物に関す
る。」
「(12頁12~18行目)ヒト腫瘍疾患に代る代表的モデル動物に対する要求が長い間存在
した。そのようなモデル動物は多くの目的に役立つことができよう。例えばそれは,ヒトにお
ける腫瘍疾患の進行を研究して適当な治療形態の発見を援助するために使用できよう。そのよ
うなモデル動物はまた提案された新抗腫瘍物質の効力の試験に使用できよう。さらに,それは
癌患者の腫瘍の個別化した化学的敏感性試験に使用できよう。そのようなモデル動物の存在は
薬物スクリーニング,試験及び評価を一層効率的にかつ非常に低コストにするであろう。」
「(12頁19~25行目)ヒトの腫瘍疾患に対するモデル動物の作製における若干の以前の
試みは移植可能な動物腫瘍を用いた。これらは齧歯動物中に作製し,通常近交集団において,
動物から動物へ移植された腫瘍であった。他の腫瘍モデル動物は少なくとも動物系中で,発癌
性であった種々の物質により動物中に腫瘍を誘発させることにより作製された。なお他の腫瘍
モデル動物は自然発生腫瘍をもつ齧歯動物であった。しかし,これらの齧歯動物のモデル動物
はしばしば,同じ物質を受けるヒト被験者とは非常に異なって化学療法剤に応答した。」
「(12頁26行~13頁12行目)約20年前に始められて開発された他の腫瘍モデル動物
は胸腺のないマウスを用いた。これらの動物は細胞に欠陥があり,その結果外来移植組織を拒
絶する能力を失なった。該マウスは明確に理解されていない理由のために,実質的に毛がなく,
『ヌード』又は『無胸腺』マウスと称されるようになった。
これらのヌードマウスの皮膚の下に皮下的に移植されたときにヒト腫瘍がしばしば増殖する
ことが見いだされた。しかし,そのようなヒト腫瘍組織が実際にマウス中に腫瘍を形成した生
着率又は頻度は個々の供与体及び腫瘍の型により変動した。これらのモデル動物において,生
着した腫瘍はしばしば,大部分移植の部位で増殖し,もとの腫瘍が供与体中で非常に転移性で
あってもまれにしか転移しなかった。従って,皮下ヌードマウスのヒト腫瘍モデル動物は,前
記齧歯動物のモデル動物よりも良好であるけれども,なお実質的な欠点を有し,すなわち,皮
下移植組織は転移する能力を欠いた。
前記不足のないヒト腫瘍疾患のモデル動物に対する要求を満たすために,本発明はヒト中に
生ずるような腫瘍疾患の進行に全くよく似た能力を有する新規モデル動物を開示する。」
「(13頁13~22行目)発明の概要及び目的
本発明の主目的はヒト腫瘍疾患に対する改良された非ヒトモデル動物を提供することである。
本発明の主観点によれば,ヒト器官から得られて動物の相当する器官中へ移植された腫瘍組織
塊を有し,移植された組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有するヒト腫瘍疾患に対す
る新規非ヒトモデル動物が提供される。本発明の他の観点はヒト腫瘍疾患に対する非ヒトモデ
ル動物を作製させる方法を提供し,該方法は移植されたヒト腫瘍組織を前記動物中で増殖及び
転移させるに足る免疫欠陥を有する実験動物を準備し,ヒト器官からの腫瘍組織塊の試料を免
疫欠損動物の相当する器官中へ移植することを含む。」
「(13頁23~25行目)発明の詳細な説明
本発明のモデル動物は,移植された組織を増殖及び転移させるに足る免疫欠損を有する実験
動物中へヒト腫瘍組織塊を移植することにより作製される。」
「(14頁3~13行目)本発明による免疫欠損実験動物中の腫瘍組織の配置は正位移植によ
り行なわれる。これは,その組織塊が以前に占有していた位置に移植される移植組織塊に関す
る。本発明において正位移植という語はヒトの器官の新生物腫瘍組織を免疫欠損実験動物の相
当する器官中へ移植することを示すために使用される。ここに使用されるヒト腫瘍組織には,
例えばヒトの腎臓,肝臓,胃,膵臓,結腸,胸部,前立腺,肺,睾丸及び脳中に生ずる病理学
的に診断される腫瘍である外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。そのような腫瘍に
は癌腫並びに肉腫が合まれ,ここに行なわれるそれらの移植はすべての段階,等級及び型の腫
瘍を包合する。また,使用されるヒト腫瘍組織は,細胞ごとに分離せず,塊のまま移植する。
腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織が本来もつ三次元的構造が維持されるので,
より信頼性の高いヒト腫瘍モデル動物が得られる。」
「(16頁15行~17頁4行目)本発明のモデル動物はヒト腫瘍疾患の進行の研究において
殊に有用である。これらの研究は,他の臨床試験モダリティ例えば診断映像化と組合せて,治
療の最も適切な形態の選択に役立つ。
例えば,本発明のモデル動物を腫瘍映像化にかけると,臨床医は腫瘍増殖の一次及び二次両
部位を確認し,動物上の腫瘍の全体的な広がりを推定することができる。腫瘍映像化は動物に
標識抗腫瘍抗体例えば放射性同位体で標識された抗体を注入し;抗体に腫瘍内で局在する時間
を許し;次いで放射線デテクターを用いて動物を走査することにより普通に行なわれる。コン
ピューターを動物の体中に検出された放射能の映像のコンパイルに使用するときコンピュータ
ーは放射線の強度に従って映像をカラーコードすることができる。抗体又はその代謝物質の蓄
積が予想されない体の領域中の高い放射能の帯域は腫瘍の存在の可能性を示す。
本発明のモデル動物はまた新抗腫瘍剤をスクリーニングして一次部位及び遠い転移部位にお
ける腫瘍に作用するか又は遠い転移の発生を防ぐそのような物質の能力を決定するために使用
できる。該モデル動物はまた癌患者の腫瘍の個別化した化学的敏感性試験に有用であろう。
さらに本発明のモデル動物はヒト腫瘍疾患の進行に対するミトルション(mitrution)の効果
の研究に有用である。これらの研究は健康な被験者に対する種々の欠失の実証衝撃を考えると
殊に重要であることができる。」
「(17頁5~25行目)実施例Ⅰ
ヒト腎臓から切除した腫瘍の組織の外科的に得られた新鮮な試料を5匹の動物受容体の腎臓
中へ移植した。腎細胞癌として病理学的に診断された組織試料は前記引き裂き操作により適当
な大きさに調製した。
4~6週令の5匹の無胸腺ヌードマウスを移植のための動物受容体として選んだ。
・・・・・各受容体腎臓の腎皮質の切除によりくさび状腔を形成し,約0.5×0.2cmの腫瘍組
織の塊を欠損腔中に置いた。次いでマットレス縫合を用いて移植組織を適所に確保した。
この実施例の5匹のマウスはその後なお6か月生存している。組織移植の約1か月後にマウ
スを外科的に切開し,移植腫瘍を観察した。各事例において腫瘍が生着したと認められた。こ
れは移植腫瘍組織が隣接組織に侵潤したことを意味する。
組織学的分析は,受容体動物中の組織が(1)その構造及び組織型を保持し,(2)ヒト供与体中
の疾患の進行によく似ていることを示した。」
「(17頁26行~18頁9行目)実施例Ⅱ
胃から切除し,胃癌として病理学的に診断されたヒト組織の試料を前記切り裂き操作により
適当な大きさに調製した。4~6週令の5匹の無胸腺ヌードマウスを移植のための動物受容体
として選んだ。
・・・・・小刀を用い,粘膜層に侵入しないように注意して胃壁中に切り口を作った。約0.5×
0.2cmの腫瘍塊を受入れるに足る大きさのポケットを形成した。近似的にこの大きさの腫瘍
を選び,ポケット中へ挿入し,切り口を7-0縫合糸を用いて閉じた。
この実施例の5匹のマウスは約3~4か月間生存し,他の点では異常がないと思われる。こ
れらのマウスの胃の以後の外科切開は腫瘍が生着したことを証明した。」
「(18頁10~21行目)実施例Ⅲ
ヒト結腸から取出され,結腸癌として病理学的に診断されたヒト組織の試料を前記切り裂き
操作により適当な大きさに調製した。4~6週令の5匹の無胸腺マウスを移植のための動物受
容体として選んだ。
・・・・・マウスを切開して結腸に到着した。・・・・・約0.5×0.2cmの選んだ腫瘍塊をポケット
中へ挿入し,次いでそれを縫合で閉じた。
この移植外科を行なった5匹のマウス中の4匹は3~4か月生存し,良好な健康であると思
われる。組織移植の約1か月後にマウスを外科的に切開し,腫瘍が生着したことが観察された。
腫瘍はいずれも,このとき他の器官に転移しなかったと思われなかった。」
(3)本件発明の特徴
上記(2)の本件明細書の記載事項を考慮すると,次のとおりに理解される。
外来移植細胞を拒絶する能力を失った胸腺のないマウス(ヌードマウス,無胸腺
マウス,無胸腺ヌードマウス)にヒト腫瘍を皮下移植したモデル動物は,従来の齧
歯動物のモデル動物よりも良好であるけれども,ヒト腫瘍組織が実際にマウス中に
腫瘍を形成した生着率又は頻度は,個々の供与体及び腫瘍の型により変動したこと
のほか,大部分が移植の部位で増殖し,もとの腫瘍が供与体中で非常に転移性であ
ってもまれにしか転移しなかったという実質的な欠点,すなわち,皮下移植された
ヒト腫瘍組織が転移能力を欠くという欠点があった。そのため,ヒト中に生ずるよ
うな腫瘍疾患の進行に全くよく似た能力,すなわち,増殖に加えて転移をするヒト
腫瘍組織を有するヒト腫瘍疾患に対するモデル動物の作製という課題があった。そ
こで,本件発明は,上記課題を解決するために,脳以外のヒト器官から得られたヒ
ト腫瘍組織を,細胞ごとに分離せず,塊のまま腫瘍組織が本来もつ「三次元的構造」
を維持し,免疫欠損動物の相当する器官へ移植(同所移植,正位移植)するという
構成を採用することによって,ヒト中に生ずるような腫瘍疾患の進行に全くよく似
た能力,すなわち,増殖に加えて転移するヒト腫瘍組織を有する転移に対する非ヒ
トモデル動物を作製した点に技術的意義がある。
(4)構成要件Bの解釈
ア本件明細書の記載の参酌
そこで,上記(2)の本件明細書の記載事項を検討してみると,次のとおりである。
①本件明細書には,「(14頁3~13行目)・・・・・本発明において正位移植とい
う語はヒトの器官の新生物腫瘍組織を免疫欠損実験動物の相当する器官中へ移植す
ることを示すために使用される。ここに使用されるヒト腫瘍組織には,例えばヒト
の腎臓,肝臓,胃,膵臓,結腸,胸部,前立腺,肺,睾丸及び脳中に生ずる病理学
的に診断される腫瘍である外科的に得られた新鮮な試料の組織が含まれる。そのよ
うな腫瘍には癌腫並びに肉腫が合まれ,ここに行なわれるそれらの移植はすべての
段階,等級及び型の腫瘍を包合する。また,使用されるヒト腫瘍組織は,細胞ごと
に分離せず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織
が本来もつ三次元的構造が維持されるので,より信頼性の高いヒト腫瘍モデル動物
が得られる。」とある。
したがって,移植のために「使用されるヒト腫瘍組織」が,ヒト器官から「外科
的に得られた新鮮な試料」であるというからには,当該試料はヒト器官から得られ
た腫瘍そのものをいうのである。そして,当該外科的に得られた「使用されるヒト
腫瘍組織」が「本来もつ三次元構造」を維持しているというからには,「本来もつ」
とはヒトの腫瘍組織が従前から有することをいうものである。そうであれば,移植
される「ヒト腫瘍組織」とは,ヒト器官から得られた腫瘍組織そのものをいうこと
は明らかである。
②本件明細書には,実施例Ⅰについて,「(17頁5~25行目)・・・・・ヒト腎臓
から切除した腫瘍の組織の外科的に得られた新鮮な試料を5匹の動物受容体の腎臓
中へ移植した。腎細胞癌として病理学的に診断された組織試料は前記引き裂き操作
により適当な大きさに調製した。」と,実施例Ⅱについて,「(17頁26行~18
頁9行目)・・・・・胃から切除し,胃癌として病理学的に診断されたヒト組織の試料を
前記切り裂き操作により適当な大きさに調製した。」と,実施例Ⅲについて,「(1
8頁10~21行目)・・・・・ヒト結腸から取出され,結腸癌として病理学的に診断さ
れたヒト組織の試料を前記切り裂き操作により適当な大きさに調製した。」とされ,
ヒト器官から採取した腫瘍組織を,直接,動物の相当する器官に移植している。
③一方で,本件明細書には,移植される「ヒト腫瘍組織」がヌードマウスの皮
下で継代したものであることを示唆するような記載は一切認められない。
イ出願経過の参酌
控訴人が特許庁に提出した平成8年10月31日付け早期審査に関する事情説明
書(甲27の1)には,ヌードマウスにおいて既に樹立され維持された2つの大腸
腫瘍をヌードマウスの腸壁に移植するという同説明書添付文献(2)((ロ))(198
2年訳文は甲27の2)の発明は,「ヒト腸の腫瘍細胞を無胸腺マウスの腸壁に
移植する方法なので,『ヒト腫瘍組織を採取した器官に相当する器官に移植する』
という請求項1に係る発明には該当しない。また,移植に用いる細胞を,移植前に
マウスの体内又は培地中で定着及び維持しているので(331左欄3~4行),腫瘍
組織塊を用いていないという点においても請求項1に記載の発明と異なる。」と主張
し,上記文献(2)の発明と本件発明との相違点として,本件発明のモデル動物にはヌ
ードマウスの皮下で継代をした腫瘍細胞は含まれないとしている。
「腫瘍細胞」と「腫瘍組織塊」との差異をいうだけならば,わざわざ継代に触れ
る必要はないのであるから,上記記載は,控訴人自らが,本件発明で用いる「ヒト
腫瘍組織塊」にはヌードマウスの皮下で継代したものが含まれないとの認識であっ
たものと理解できる。
ウ小括
以上の点に加えて,前記(3)のとおり,本件発明が,皮下移植されたヒト腫瘍組織
の転移能が不十分か又は欠くという認識の下に,転移するヒト腫瘍組織を有する転
移に対する非ヒトモデル動物を提供するという課題についての発明であることを考
慮すれば,構成要件Bの「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」とは,ヒトの器官か
ら採取した腫瘍組織塊そのままのものをいい,ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊
をヌードマウスの皮下で継代させた腫瘍組織塊は含まないことが明らかである。す
なわち,本件発明は,転移をするヒト腫瘍組織を有するヒト腫瘍疾患に対するモデ
ル動物の作製という上記課題に対して,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのまま
のものをヌードマウスの皮下で継代することなく直接モデル動物に移植する構成を
とって解決手段としたところに,その特徴を有する発明というべきものである。
以上のとおりであり,更にその余の点について検討を加える必要はない。
(5)構成要件Bの充足の有無
本訴マウスが有する腫瘍組織塊は,ヒトの器官から採取した腫瘍組織をヌードマ
ウスの皮下で継代したものであって,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊そのもので
はないから,本訴マウスは,構成要件Bを充足しない。
(6)控訴人の主張に対して
ア「三次元的構造」の点について
控訴人は,本件明細書の「三次元的構造」の記載は,ヌードマウスに移植される
ものが腫瘍細胞ではないことを明らかにするにすぎないものである旨の主張をする。
上記控訴人の解釈による「三次元的構造」の積極的意義は明らかにされていない
が,その主張を忖度すれば,本件明細書にある「三次元的構造」とは,何らかの具
体的な組織構造を前提としないものであって,ヒトの器官から採取された腫瘍組織
塊そのものの構造と,ヒトの器官から採取されてヌードマウスの皮下で継代した腫
瘍組織塊の構造とを横断するような抽象的な共通構造をいうものと解するほかない
が,本件明細書にそのような技術思想を見出すことはおよそ不可能である。本件明
細書に「(14頁3~13行目)・・・・・使用されるヒト腫瘍組織は,細胞ごとに分離せ
ず,塊のまま移植する。腫瘍組織を塊のまま移植することにより腫瘍組織が本来も
つ三次元的構造が維持される」との記載の自然な解釈として,「腫瘍組織」は,直
前にある「外科的に得られた新鮮な試料の組織」を指し示しているのは明らかであ
り,「本来もつ三次元的構造」はヒトの器官から採取された腫瘍組織塊そのものの
構造を指していることは明らかである。なお,この解釈は,客観的見地からみてヌ
ードマウスに移植されたヒト腫瘍組織塊の構造が移植後も全く変化しないことまで
を含意するものではないが,だからといってその変化したものもすべて本件発明の
技術的範囲に含まれるという解釈は採り得ない。
以上のとおりであり,控訴人の上記主張は失当というほかない。
イ「新鮮な」の点について
①控訴人は,本件明細書にある「新鮮な」の記載は,凍結保存されていないと
いうことを明らかにするにすぎないものである旨の主張をする。
控訴人の上記主張に依ったからといって構成要件Bの解釈が変わるものではない
が(ヒト器官から採取されたヒト腫瘍組織塊そのものも採取時には凍結保存されて
はいない。),その主張を忖度すれば,本件明細書に記載されたヒト器官から外科的
に得られた試料と本件明細書に記載された移植された試料とは別なものであり,そ
の間に継代が介され得るとの趣旨と解される。
しかしながら,本件明細書の実施例Ⅰには,ヒト器官から「外科的に得られた新
鮮な試料」を直接「移植する」と記載されているのであり(17頁6~7行目),移
植される新鮮な試料とはヒト器官から外科的に得られたものであるから,上記のよ
うな解釈はおよそ採り得ない。
②また,控訴人は,本件明細書に「(14頁6~9行目)ここに使用されるヒト
腫瘍組織には,例えばヒトの腎臓,肝臓,胃,膵臓,結腸,胸部,前立腺,肺,睾
丸及び脳中に生ずる病理学的に診断される腫瘍である外科的に得られた新鮮な試料
の組織が含まれる。」との記載があることを根拠として,本件発明の「ヒト腫瘍組織」
にはヒト器官から採取された腫瘍組織以外のものもある旨を主張する。
しかしながら,上記部分に「が含まれる」とあるのは,上記部分で各種例示され
たものが「新鮮な試料の組織」の要素になることを単純に明示したにすぎないので
あり,他にそれ以外の要素が存在することを示唆するものとは解し難い。
③以上のとおりであり,控訴人の上記各主張は,いずれも失当である。
ウ効能評価試験への対応の点について
控訴人は,本件明細書には,本件発明のモデル動物が抗がん剤の効能評価試験に
用いることができる旨が記載されており,そのためにはヌードマウスでの皮下継代
を用いて十分な量の腫瘍組織を確保する必要があるから,ヒト器官から採取されて
ヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織も「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」
に含まれる旨を主張する。
しかしながら,上記部分は,本件明細書の「発明の背景」において「(12頁12
~18行目)ヒト腫瘍疾患に代る代表的モデル動物に対する要求が長い間存在した。
そのようなモデル動物は多くの目的に役立つことができよう。例えばそれは,ヒト
における腫瘍疾患の進行を研究して適当な治療形態の発見を援助するために使用で
きよう。そのようなモデル動物はまた提案された新抗腫瘍物質の効力の試験に使用
できよう。さらに,それは癌患者の腫瘍の個別化した化学的敏感性試験に使用でき
よう。そのようなモデル動物の存在は薬物スクリーニング,試験及び評価を一層効
率的にかつ非常に低コストにするであろう。」という箇所における記述であり,新
抗腫瘍物質の効力の試験に使用できることは,上記部分中の「そのようなモデル動
物」という一般的に要請されるモデル動物に関する記載であって,本件発明に係る
モデル動物が有する具体的効用に関する記載ではない。本件明細書では,本件発明
に係るモデル動物について,各個別の患者又は被験者に対する有用性も強調されて
いる(16頁15行~17頁4行目)ものであり,発明の有用性をもって構成要件
Bに関する前記(4)の客観的解釈が左右されるものではない。
したがって,控訴人の上記主張は,前提を欠くものであり,失当である。
エ出願経過の点について
控訴人は,本件特許異議の申立ての手続において,「ヒト器官から得られた腫瘍組
織塊」にヒト器官から採取されヌードマウスの皮下で継代された腫瘍組織塊が含ま
れることが前提とされていた旨の主張をするが,当該手続において当事者が争わず
に前提とした事項が客観的に正当な事実となるものではないから,当該手続過程で
前提とされていた事項によって本件訴訟の認定判断が直ちに左右されることはない。
なお,控訴人が本件異議の申立ての手続で提出した上申書(甲29)に記載され
た実験は,本件出願の優先権主張日後にされたものと認められ(甲9の2〔199
1年訳文は甲9の2の2〕,甲29,甲35〔1991年訳文は甲35の2の2〕),
当該実験においてヒト器官から採取されヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組織塊
を用いていたとしても,本件発明の特許請求の範囲についての解釈に影響を与える
ものではない。
したがって,控訴人の上記主張は,失当である。
オ技術常識の点について
この点に関する控訴人の主張は理解が困難であって,趣旨の異なる主張を混在さ
せているものとうかがわれるが,一応,以下のとおり整理される。
①控訴人は,まず,本件出願の優先権主張日当時,継代が周知慣用技術であっ
たとの趣旨を主張する。
しかしながら,ただ単に継代という手法が周知慣用技術であるからといって,そ
のことによって当然にヒト器官から採取されヌードマウスの皮下で継代した腫瘍組
織塊が本件発明の技術的範囲に取り込まれるものではないから,この趣旨での控訴
人の主張は失当である。
②控訴人は,次に,[1]本件出願の優先権主張日当時,ヌードマウスの皮下で継
代されたヒト腫瘍組織は,継代を経てもヒト腫瘍組織の組織学的特性が維持される
ことが技術常識であった,[2]ヒト器官から直接採取した腫瘍組織を最初に移植され
たマウスであっても,腫瘍組織塊中の間質組織は,ヒト由来ではなくヌードマウス
由来の間質組織に置換されていることが当業者の技術常識であったとの趣旨を主張
する。
[1]しかしながら,仮に継代を経ても組織学的特性が維持されるとしても,そのこ
とから当然にヒト器官から採取されヌードマウスで皮下継代した腫瘍組織塊が本件
発明の技術的範囲に取り込まれるものではない。特許発明の技術的範囲の確定のた
めには,具体的に維持される特性は当業者に何であると理解されていたのかを主張
立証せねばならず,それは本件発明の場合,その特徴である転移能について,ヒト
器官から採取された腫瘍組織塊そのものと,ヒト器官から採取されヌードマウスの
皮下で継代された腫瘍組織塊とが同等であることが技術常識として確立していた必
要があるが,後記④のとおり,この点を認めるに足りる証拠はない。
[2]また,本件出願の優先権主張日当時,ヒト器官から採取した腫瘍組織塊を最初
に移植されたマウスであっても腫瘍組織塊中の間質組織がヒト由来ではなくマウス
由来の間質組織に置換され,ヒト器官から採取しヌードマウスの皮下で継代した腫
瘍組織塊と同等であることが技術常識であることを認める足りる証拠もない(甲8
の実験は,本件出願後の技術に基づくものであり,また,移植元のヌードマウスの
間質組織が移植先のヌードマウスの間質組織に置換されることを明らかにしている
にすぎない。)。
したがって,控訴人の上記主張は,いずれも失当である。
③控訴人は,さらに,本件出願の優先権主張日当時,ヌードマウスの皮下に移
植されたヒト腫瘍組織が転移能を欠くのは公知の科学的事実であったから,転移に
関しては皮下継代の有無はそもそも何らの関係はないとの趣旨を主張する。
しかしながら,前記(3)に説示のとおり,本件発明は,皮下移植されたヒト腫瘍組
織の転移能が不十分か又は欠くという認識の下に,転移する能力が十分なヒト腫瘍
組織を有する非ヒトモデル動物を提供するという課題についての発明であるから,
皮下継代の有無は本件発明の構成に大きく関わるものである。
したがって,控訴人の上記主張は,失当である。
④控訴人は,そこで,本件出願の優先権主張日当時,ヌードマウスで皮下継代
をしてもヒト腫瘍細胞の転移能は失われないとする技術常識があった旨を主張する。
しかしながら,「ヒト器官から得られた腫瘍組織塊」という文言の中に,技術常識
を踏まえれば「ヒトの器官から採取しヌードマウスの皮下で継代させた腫瘍組織塊」
が含まれるといえるには,本件特許権の優先権主張日当時において,当業者が「ヒ
ト器官から得られた腫瘍組織塊」と「ヒトの器官から採取した腫瘍組織塊をヌード
マウスの皮下で継代させた腫瘍組織塊」とが転移能の点について同じであるとの知
見があった場合であって,ヌードマウスの皮下で継代させてもヒト腫瘍細胞の転移
能が失われないとの知見があったにすぎない場合ではない。加えて,各文献に当た
ってみても,[1]甲27の1添付文献(3)(1981年訳文は甲27の3),甲47
の1(1978年訳文は甲47の2),甲50の1(1975年訳文は甲50の
2・3),甲51の1(1978年訳文は甲51の2・3),甲52の1(198
0年訳文は甲52の2),甲53の1(1984年訳文は甲53の2・3),甲
54の1(1984年訳文は甲54の2)及び甲56の1(1985年訳文は
甲56の2)には,継代と転移能との関係についての言及はなく,[2]甲28の1添
付甲2(1986訳文は甲28の3の2)は,ヌードマウスの皮下又は筋肉内に
移植されたヒトの腫瘍は稀にしか転移を起こさないことが十分に証明されていると
しており,[3]甲28の1添付甲5(1988年訳文は甲28の6)は,ヌードマ
ウスの皮下に注入された腫瘍細胞株が,転移性の高い細胞株として選別されて転移
に関する実験に供されているとは認められず,[4]甲104の1(1988年訳文
は甲104の2の1。乙6添付資料3と同じ)は,ヌードマウスの皮下で継代した
腫瘍細胞を転移に関する実験に供したとは記載されておらず,[5]甲74(昭和57
年)には,転移能について,皮下に移植した場合には転移は比較的少なく,継代を
重ねると転移が見られなくなる旨の記載があるものであり,[6]乙15(昭和61年)
には,転移についての言及はあるものの,転移モデルとしては腫瘍株の選択が必要
と記載されており,ヌードマウスに皮下移植したヒト腫瘍は必ずしも転移能が維持
されるわけではないことを前提としている。したがって,本件出願の優先権主張日
当時,ヌードマウスで皮下継代をしてもヒト腫瘍細胞の転移能が失われないとの技
術常識があったとまでは認められない。
もっとも,甲114の1(1986年訳文は甲114の2の1)には,ヌード
マウスの皮下に移植し,継代を繰り返して樹立された腫瘍株を転移の挙動を調べる
のに使用したことが記載され,甲115の1(1986年訳文は甲115の2の
1,115の3。甲27の1添付文献(1),甲28の1添付甲3及び乙6添付資料2
と同じ。)は,5つの異なる分離条件から得られた腫瘍細胞株の腫瘍の生長と転移の
発生を調べたものであり,そのうちの1つの条件が皮下継代(ただし,一度ヌード
マウスの皮下での成長を経ただけである。)を経たものであることが認められる。し
かし,これらのみでは,ヌードマウスで皮下継代してもヒト腫瘍細胞の転移能が失
われないことを示唆する実験結果についての公知文献があったというだけであって,
ヌードマウスで皮下継代してもヒト腫瘍細胞の転移能が失われないとの技術常識が
確立していたとはいい難い。なお,控訴人は,甲114の1中に「・・・・・ヌードマウ
スにおけるヒト腫瘍の連続的継代は,転移の可能性に影響しないという過去の報告
(11,13,15,30)と一致した・・・・・」との記載がある旨を主張するが,甲114
に記載されているのは「・・・・・ヌードマウスにおけるヒト腫瘍の連続的継代は,転移
の可能性を有意に上昇させないという過去の報告(11,13,15,30)と一致した・・・・・」
というものにすぎない。
そのほか,本件出願の優先権主張日当時に,ヌードマウスで皮下継代をしてもヒ
ト腫瘍細胞の転移能が失われないとの技術常識があったことを示すに足りる資料は
提出されていない。
以上のとおりであり,控訴人の上記主張は,採用することができない。
(7)まとめ
よって,本訴マウスについて文言侵害は成立しない。
4争点2-2(本訴マウスは本件発明と均等なものであるか)について
(1)第4要件の非充足につき
ア本訴マウス
本訴マウスは,原判決別紙マウス説明書に記載された次のとおりのものである。
「(ア)被告が製造販売認可申請試験中の新規抗がん剤TSU68の大腸癌転移に
及ぼす阻害効果等の動物評価実験目的で作成された非ヒトモデル動物であって,
(イ)ヒト大腸癌から得られ,皮下継代の方法によって維持されてきた高転移性を有
するヒト大腸癌株TK-4(ただし,国立大学法人浜松医科大学医学部第二外科に
おいて,S字結腸癌に罹患した50歳の日本人男性の転移した肝臓の病変から,1
993年に確立されたもの。)の腫瘍組織を,(ウ)120mgの腫瘍片(塊)とし
て,(エ)6週令のオスのヌード・マウス(BALB/cnu/nu:日本クレア)
の,(オ)盲腸壁に6-0のポリソーブ縫合糸(タイコ・ヘルスケア社製)で縫い付
けて同所移植することによって作成された,(カ)モデル動物。」
イ乙14の記載事項
乙14(ヒト肝癌のヌードマウスへの移植に関する研究可移植系の樹立とその
性格,肝臓,21巻3号,39~51頁,昭和55年(1980)3月25日)に
は,次の記載がある(引用部分の特定は原著のものによる。)。
「(39頁左欄2~11行目)ヒト癌の生物学的特性の研究や種々の制がんの研究には細胞培
養あるいは動物移植による方法が用いられるが,腫瘍の種類によってはこれらは必ずしも可能
ではない。・・・・・とくにヒトがんを担った動物は,その腫瘍の生物学的特性や種々の治療効果を
研究するうえに理想的なモデルであるが,移植されたヒトがんが宿主動物により本来の性格が
変わらないことが必要条件である。」
「(39頁左欄20行~右欄2行目)一方,ヒト肝癌の研究はその細胞培養株の確立が困難で
あることより,臨床的研究と動物発生の肝癌により行われてきた。」
「(39頁右欄3~8行目)このような観点より,著者はヒト肝癌をヌードマウスへ移植し,
その継代を試みたところ,今回1継代移植系統を確立しえた。そこで,ヌードマウス移植ヒト
肝癌の生物学的性格およびヒト肝癌研究の対象としての適否などについて,継代移植したが系
統化できなかった他の14例とともに検討を加えた知見について報告する。」
「(39頁右欄10~13行目)1.実験動物
実験動物中央研究所においてSpecificPathogenFree下で飼育されたBALB/c系ヌード
マウス(nu/nu)の雄および雌で,生後5~7週のものを用いた。」
「(39頁右欄19行~40頁2行目)2.実験方法
北大第1外科に昭和51年11月より53年5月入院し,開腹手術を行った肝癌患者は1
6例であるが,このうち術中または切除標本よりヌードマウスに移植可能な肝腫瘍組織片を採
取しえたのは14例15個あった。これらの組織片をヌードマウスへ初代移植し,生着したも
のはさらに継代移植した。」
「(40頁8~9行目)なお,移植系統は肝細胞癌をHc,肝芽腫をHbと記載し,移植した
順にそれぞれ番号を付した。」
「(40頁左欄11~17行目)(a)初代移植
腫瘍の部分切除あるいは肝切除標本より無菌的に肝腫瘍組織を採取し,・・・・・壊死部と血液成
分を除去後2mm角以下に細切する。ついで,その組織片の1ないし数個を移植針を用いて,ヌ
ードマウスの側腹部あるいは背部の皮下に移植した。」
「(40頁左欄23~33行目)(b)継代移植
初代あるいは継代移植した腫瘍が一定の大きさに達した時期に,そのヌードマウスをエーテ
ル麻酔下に心臓穿刺し,採血後無菌的に腫瘍を摘出した。この腫瘍はただちに生理的食塩水内
に入れ,約2mm角に細切し,その1ないし数個を移植針を用いて,他の新しいヌードマウス
の側腹部あるいは背部の皮下に移植した。・・・・・これらの継代移植は腫瘍の出血,中心壊死,潰
瘍形成などが少ない,直径が約1cmを越えた時点で行った.」
「(40頁左欄34~39行目)(c)ヌードマウス肝への移植
ヌードマウスをエーテル麻酔下に開腹し,前述の方法で作製した1~2mm角の組織片を外径
2.5ないし1.5mmの移植針を用いて,肝中葉に移植した。また,ヌードマウス右側腹部肋骨
弓下に移植針を挿入し,肝右葉外側区に腫瘍組織片を接触するようにして行ったものもある。」
「(40頁右欄13~16行目)3)肉眼的所見
継代移植のため腫瘍を摘除した後および他の原因で死亡したものは剖検し,腫瘍の性状と遠
隔転移の有無などを肉眼的に観察した。」
「(41頁右欄6行~42頁23行目)1.移植腫瘍の生物学的特性と初代移植成績
・・・・・右側腹部肋骨弓下に移植針を挿入して肝に移植を行ったのは10匹あるが,Hc-3の
2代目とHc-5の3代目の2匹に成功したにすぎなかった。開腹下の肝への移植はHc-4
の6代目の2匹に行った。いずれも生着したが,・・・・・屠殺した。4匹とも屠殺後肝腫瘍の存在
が確認された。また右肋骨弓下に移植したHc-3の2代目に,肺転移がみとめられた27)
。」
「(49頁右欄)文献
・・・・・
27)内野純一,桑原武彦他:ヒト肝癌のヌードマウス肝への移植,医学のあゆみ,10
4:31,1978。」
上記文献「27)」とは,乙27のことである。
「(42頁左欄24行~42頁右欄2行)2.継代移植
初代移植成立した6例はいずれも継代し,全例2代目移植にも成功し,さらに継代移植を続
けた」
「(48頁左欄26行~31行)また,肝に直接移植したもののAFP値がその他のものに比
し10倍以上の高値を示したのは興味深く,腫瘍発生母地とAFP値については今後検討すべ
き問題であろう。肝癌を皮下と肝に移植するのでは,移植腫瘍の生着率や生物学的特性のうえ
でも何らかの相違があることが推測される。」
「(48頁右欄3~18行目)Ⅴ.結論
14症例より採取した15個の腫瘍組織塊をヌードマウスに継代移植した結果,つぎの結論
がえられた。1)初代移植成功は肝細胞癌13例中5例,肝芽腫2例中1例であった.・・・・・4)
生着した6例全例よりAFPが検出された。5)移植された肝細胞癌は胞巣形成が著明でないほ
かは原腫瘍に類似した像を示した。6)転移は肝に浸潤性腫瘍を形成した1匹のみにみられ,
肺転移であった。7)核型分析,血清吸収試験,抗ヒトAFP血清による沈降反応などにより
ヒト由来のものであることが同定された。」
ウ乙27の記載事項
乙27(ヒト肝癌のヌードマウス肝への移植,医学のあゆみ,第104巻,第1
号,31~33頁,昭和53年(1978)1月7日)には,次の記載がある。
「(31頁左欄1~5行目)ヒト癌を担った動物は,その腫瘍の生物学的特性や種種の治療効
果を研究するうえに理想的なモデルであるが,移植されたヒト癌が宿主動物で本来の性格が変
わらないことが必要条件であり,原発臓器に発育することが望ましい。」
「(31頁左欄9~15行目)「以来,種々なヒト癌のヌードマウスへの移植が試みられてお
り,筆者らの1人は膵癌の移植に成功した2)
。しかし,これらはすべて皮下組織へ移植されて
いる。
われわれは1976年以来主として肝癌のヌードマウスへの移植を試みてきたが,最近はじ
めてヌードマウス肝へのヒト肝癌移植に成功したので報告する。」
「(31頁左欄16~28行目)実験方法
1976年10月より翌年7月まで当科で手術を行った肝癌8例中,切除を行った3例およ
び試験切除のみに終わった4例の肝癌組織片を移植した。使用したマウスは雄あるいは雌のヌ
ードマウスで,BALB/Cを遺伝的背景としており,実験動物中央研究所より供給されたもの
である。・・・・・
移植方法は,切除あるいはneedleで採取した肝癌組織を生理食塩水内で2mm角の組織片と
し,これを両側の腹部ないし背部の皮下に,右側のものは肝外側区に近く移植針により移植し
た。」
「(31頁左欄31行~同頁右欄3行目)実験成績
現在までに移植した肝癌組織は6症例からえられた7コで,肝芽腫1例,肝細胞癌5例であ
る。このうち生着し継代移植可能となったものは3例あり,45歳男性の硬変合併肝癌で化学
療法の前後に採取したもの(Hc-3,4),70歳男性の分化型肝癌(Hc-5)及び3歳男児
の肝芽腫(Hb-1)で,それぞれ6代,2代および4代目累代中である。」
「(31頁右欄11~14行目)AFP値は患者血清ではHc-4で8.2μg/mlであったが,
移植ラットではSRIA法で陽性のものと陰性のものがあり,陽性例ではHb-4で2代目,
3代目にのみ検出され,それぞれ10.1μg/ml,9μg/mlであった。」
なお,上記「ラット」は「ヌードマウス」の誤記と認める。
「(31頁右欄18行~32頁右欄7行目)特記すべきことは継代2代目のラットで,右側腹
部深部に移植した腫瘍片が肝に移植されたことで,約1.5cmの腫瘤を形成した(図1)。腫
瘤は塊状型で,左外側葉を残すのみで全葉にわたっていた。腹水,肝門部リンパ節転移は認め
なかったが,右肺下葉に直径約2mmの球状の転移を認めた。
組織学的所見では肝内発育のものは皮下組織のものと異なり,腫瘍周囲の線維性被膜は薄く,
出血性のところもあり多数のミトーゼがみられた(図2)。
肺転移巣の被膜は繊維細胞が一層にみられるにすぎず,周囲肺組織にはほとんど反応性変化
はない。中心部は壊死に陥っていた(図3)。」
なお,上記「ラット」は「ヌードマウス」の誤記と認める。
「(31頁図1の説明部分)図1ヒト肝細胞癌移植ヌードマウス肝(割面)
一部出血性で左外側葉を除いた全葉をしめる塊状型のものであった。」
「(32頁図2の説明部分)図2組織的所見(Hc-4)
○A移植前の肝腫瘍○Bヌードマウス肝発育腫瘍H-E染色」
「(32頁図3の説明部分)図3組織所見(Hc-4)
肺転移巣H-E染色」
「(32頁右欄26行~33頁左欄10行)従来移植部位は背部,下肢などの皮下が用いられ
ているが,これは腫瘍の周囲組織の反応様式が原発臓器とは異なってくることも考えられる。
すなわち,通常皮下に発育したヒト肝細胞癌は球状を呈し,比較的厚い線維性の被膜により覆
われているが,われわれの肝移植例では線維性被膜形成はほとんどなく,ところによっては出
血性のみられるもので,皮下に発育したものとはやや様相を異にしており,しかも肺転移を伴
っていた。
ヒト癌のヌードマウス移植では転移を認めなかったという報告がほとんどで5)-8)
,わずか
にAの転移報告9)
をみるのみで,継代2代目の肝細胞癌例で局所リンパ節に顕微鏡的な転移巣
が発見されているが,肺転移例の報告はない。」
「(33頁左欄11~19行目)ヌードマウスに移植されたヒト癌に転移がほとんどないのは
免疫欠如動物であるためか,移植腫瘍の生物学的性格が変わったのか,あるいはSPF環境下
でなかったため長期生存例が少なく,転移する以前に死亡したことなどが考えられるが,移植
部位が皮下組織であることも1つの大きな要因となりうる.すなわち,原発臓器に移植されれ
ば同じような転移を示す可能性もあり,われわれの肝移植肝細胞癌が肺転移を惹起したことは
これを明確に証明したものと考えたい.」
「(33頁右欄1~4行目)まとめ
ヒト肝癌のヌードマウス肝の移植に成功したので報告した。皮下移植のものと発育様式はや
や異なり,腫瘍線維性被膜はなく,肺転移をきたしていた。」
エ乙14発明の要旨認定
上記イの記載を総合すると,乙14発明は,次のとおりであると認められる。
「ヒト肝細胞癌Hc-3を継代用ヌードマウスで皮下継代したヒト肝細胞癌Hc
-3の2代目の腫瘍を摘出し,1~2mm角の組織片としたものを,被移植用ヌード
マウスの右側腹部肋骨弓下に移植針を挿入して肝に移植を行うことで,浸潤性の腫
瘍が形成されるとともに肺転移が認められたヌードマウス。」
オ対比・相違点
乙14発明と本訴マウスとを対比すると,乙14発明の「ヒト肝細胞癌Hc-3
を継代用ヌードマウスで皮下継代したヒト肝細胞癌Hc-3の2代目の腫瘍」は,
本訴マウスの「ヒト大腸癌から得られ,皮下継代の方法によって維持されてきた高
転移性を有するヒト大腸癌株TK-4(ただし,国立大学法人浜松医科大学医学部
第二外科において,S字結腸癌に罹患した50歳の日本人男性の転移した肝臓の病
変から,1993年に確立されたもの。)の腫瘍組織」に相当し,以下,それぞれ,
「1~2mm角の組織片」が「120mgの腫瘍片(塊)」に,「被移植用ヌードマ
ウス」が「6週令のオスのヌード・マウス(BALB/cnu/nu:日本クレア)」
に,「(被移植用ヌードマウスの)右側腹部肋骨弓下に移植針を挿入して肝に移植
を行なうこと」が「(6週令のオスのヌード・マウス(BALB/cnu/nu:日
本クレア)の)盲腸壁に6-0のポリソーブ縫合糸(タイコ・ヘルスケア社製)で
縫い付けて同所移植すること」に,「モデル動物」が「ヌードマウス」にそれぞれ
相当する。そして,乙14発明のヌードマウスには肺転移が認められている。
しかしながら,乙14発明のヌードマウスの肺転移が,非ヒトモデル動物におけ
る肝臓癌の転移であることの明示の記載はないから,乙14発明は,ヒト腫瘍疾患
の転移に対する非ヒトモデル動物であるか不明である点で,本訴マウスと相違部分
がある。
カ容易推考性
上記ウのとおり,乙27には,ヒトの肝癌組織片をヌードマウスで継代した肝癌
腫瘍の継代2代目を,ヌードマウスの肝に移植したことで,右肺下葉に直径約2mm
の球状の転移を認めた旨の記載があり(31頁右欄18行~32頁右欄7行目),そ
の上で,肝移植肝細胞癌が肺転移を惹起したことを明確に証明したものとする記載
があるのであるから(33頁左欄11~19行目),乙27には,ヒトの肝癌組織片
を原発臓器であるヌードマウスの肝臓に同所移植することによって肺転移が生じる
ヌードマウス(モデル動物)を得られるとの知見が開示されているものと認められ
る。
そして,①乙14発明と乙27発明は,肝癌患者の肝臓から採取した肝腫瘍組織
片をヌードマウスの皮下で継代移植して得られた腫瘍組織塊をヌードマウスに同所
移植することによってモデル動物を作成するという同一の技術分野に属するもので
あり,その技術分野において,本件出願の優先権主張日当時,転移過程を再現でき
るヒトモデル動物を作製することは共通の技術課題とされていたこと,②その技術
課題に直接関するヌードマウスに肺転移が認められたとする部分について,乙14
は乙27を参照文献として引用していることに照らすならば,乙14及び乙27に
接した当業者であれば,乙14発明に乙27に記載された知見を適用して本訴マウ
スの構成とすることは,容易であるものと認められる。
キ小括
以上のとおりであるから,本訴マウスは,本件出願の優先権主張日当時における
公知技術から容易に推考できたものであり,均等の第4要件を満たさない。
(2)控訴人の主張に対して
ア乙14について
(ア)マウスの点につき
控訴人は,乙14発明では,ヌードマウスが雌雄を区別されず,その週令も統一
されていない旨を主張をする。
しかしながら,乙14にたまたま「雄および雌」と記載されていることのみに基
づいて,当業者が,乙14発明では自由に繁殖できるように雌雄を混在させて実験
を行ったなどと理解するものではない。また,ヌードマウスの週令が殊更に統一性
を欠いているものとも認められない。
控訴人の上記主張は,採用することができない。
(イ)組織片の点
控訴人は,乙14発明では,移植した腫瘍組織片の大きさや数量が特定されてい
ない旨を主張するが,乙14の記載や,ヌードマウスの肝への移植との関係におけ
る継代の目的に照らして,移植した組織片の大きさや数量が特定されていないとは
認められない。
したがって,控訴人の上記主張は,採用することができない。
(ウ)同所移植及び肝腫瘍の点
控訴人は,乙14からでは,ヌードマウスの肝に腫瘍片を移植したとはいえない,
肝腫瘍が移植により生じたかも不明である旨を主張する。
しかしながら,乙14には,「(41頁右欄6行~42頁23行目)・・・・・右側腹部
肋骨弓下に移植針を挿入して肝に移植を行ったのは10匹あるが,Hc-3の2代
目とHc-5の3代目の2匹に成功したにすぎなかった。開腹下の肝への移植はH
c-4の6代目の2匹に行った。いずれも生着したが,・・・・・屠殺した。4匹とも屠
殺後肝腫瘍の存在が確認された。また右肋骨弓下に移植したHc-3の2代目に,
肺転移がみとめられた」と現に肝腫瘍が存在したことが明記されているのであるか
ら,移植針を使用して肝右葉外側区に腫瘍組織片を接触するようにして行った移植
方法でも,腫瘍片が肝臓に移植されたことは明らかである。
よって,控訴人の上記主張は,いずれも採用することができない。
(エ)転移の点
控訴人は,乙14からでは,肝臓外での腫瘍の増殖が転移によるものかどうかを
判別できない旨を主張する。
しかしながら,乙14には,「1~2mm角の組織片を外径2.5ないし1.5mmの
移植針を用いて」移植したと記載されているところ,株式会社夏目製作所動物実験
機器カタログ(乙24)の66頁)の記載に照らすと,外径2.5mm及び1.5mm
の移植針の内径は,それぞれ2.0mm及び1.1mmであることが認められる。そ
して,乙14には,移植針の外径よりも大きな腫瘍組織片を注入することを示唆す
る記載はない。そうであれば,乙14に接した当業者は,乙14の上記記載は,1
~2mm角の組織片をこれらの移植針を用いて移植する際に腫瘍移植片の大きさに
適合する移植針を用いることを記載したものと理解するのが自然である。
また,腫瘍組織片は弾力を有し,ピンセットによる物理的な圧縮に対しても,そ
の外形が壊れたり著しく変形したままとなったりすることはなく,さらに,1.5mm
の腫瘍組織片を直径約1.5mm,内径1.1mmの外套針の内部に保持させた後に中押
棒で押し出すという操作を行っても腫瘍組織片は塊として形状を保つことが認めら
れる(乙26)。したがって,通常の操作方法に従い腫瘍組織片を移植針を用いて移
植した場合に,腫瘍組織片から分離した腫瘍細胞や腫瘍組織の小片が放出されるこ
とは考えにくい。
そして,乙14には,「肺転移が認められた」(42頁左欄22~23行目),「転
移は肝に浸潤性腫瘍を形成した1匹のみにみられ,肺転移であった。」(48頁右欄
14~15行目)と明確に記載されており,上記のとおり肝臓に腫瘍組織片を移植
したヌードマウスの肺に腫瘍が存在したということは,肝臓に移植したヌードマウ
スの腫瘍が肺に転移したものと考えるのが自然である。なお,移植針の操作を誤り
移植片を肝側から肺に移植したというのであれば,ヌードマウスは直ちに死亡する
ものと考えられる(甲77,78の1・2参照)。
以上によれば,控訴人の上記主張は,採用することができない。
(オ)発生数の点
控訴人は肺に転移したヌードマウスの数が少なすぎる旨を主張するが,10匹の
ヌードマウスに移植された肝腫瘍組織片は同一患者から採取されてヌードマウスの
皮下で継代されたものではないのであって,その前提を誤るものであり,控訴人の
主張は失当である。
イ乙27について
(ア)「ラット」との記載の点
控訴人は,乙27の移植方法には移植の不可能な普通のラットを用いた旨を主張
する。
しかしながら,「ラット」と記載された部分(31頁右欄18行~32頁右欄7行
目)が引用する図1及び図2には「ヌードマウス」と記載されており,乙27のま
とめと部分にも「ヒト肝癌のヌードマウス肝の移植に成功したので報告した。皮下
移植のものと発育様式はやや異なり,腫瘍線維性被膜はなく,肺転移をきたしてい
た。」(33頁右欄1~4行目)との記載があるほか,乙27の全体を見れば,移植
対象がヌードマウスであることは一目瞭然であり,乙27に「ラット」とあるのは,
上記外の部分での記載(31頁右欄11~14行目)も含めて,「ヌードマウス」の
明白かつ単純な誤記であると解される。
したがって,控訴人の上記主張は,採用することができない。
(イ)移植方法の点
控訴人は,乙27の移植方法が不明である旨を主張する。
しかしながら,乙27には「(31頁左欄25~28行目)移植方法は,切除ある
いはneedleで採取した肝癌組織を生理食塩水内で2mm角の組織片とし,これを両
側の腹部ないし背部の皮下に,右側のものは肝外側区に近く移植針により移植し
た。」と記載されているから,移植方法は明らかである。
したがって,控訴人の上記主張は,採用することができない・
(ウ)転移の点
控訴人は,乙27では,転移が確認できない旨を主張する。
しかしながら,乙27には,「(33頁左欄16行~19行)原発臓器に移植され
れば同じような転移を示す可能性もあり,われわれの肝移植肝細胞癌が肺転移を惹
起したことはこれを明確に証明したものと考えたい」「(32頁左欄4行~右欄1行
目),右肺下葉に直径約2mmの球状の転移を認めた」「(33頁左欄2~5行目)わ
れわれの肝移植例では・・・・・肺転移を伴っていた」と,明確に肺転移があったことが
記載されており,また,肝臓に腫瘍を移植したヌードマウスの肺に腫瘍が存在した
ということは,肝臓に移植したヌードマウスの腫瘍が肺に転移したものと考えるの
が自然である。なお,移植針の操作を誤り移植片を肝側から肺に移植したというの
であれば,ヌードマウスは直ちに死亡するものと考えられる(甲77,78の1・
2参照)。
したがって,控訴人の上記主張は,採用することができない。
(3)小括
よって,本訴マウスについて均等侵害は成立しない。
5まとめ
前記2又は3によれば,いずれにしても本訴マウスについて文言侵害は成立せず,
上記4によれば,本訴マウスについて均等侵害も成立しない。
したがって,その余の点について判断するまでもなく,本件請求は理由がなく棄
却されるべきものであることが明らかである。
第5結論
よって,本件請求を棄却した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから棄
却することとして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官
清水節
裁判官
中村恭
裁判官
中武由紀

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