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平成26年(わ)第60号殺人被告事件
平成26年10月22日千葉地方裁判所刑事第5部判決
主文
被告人を懲役7年6月に処する。
未決勾留日数中180日をその刑に算入する。
千葉地方検察庁で保管中のシースナイフ(平成26年千葉検領第263号符
号1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
1被告人は,指定暴力団A会六代目B一家(以下「B一家」という。)に所属
する暴力団員であるCから貸していた金を返してもらおうと考え,同人と連絡
をとるため,平成26年1月2日午後8時48分頃及び同日午後9時3分頃の
二度にわたり,B一家の本部事務所に電話をかけた。
B一家に所属する暴力団員であるD(以下「被害者」という。)及びEは,
被告人が正月早々に本部事務所に電話をかけてきたことを聞いて腹を立て,同
日午後9時12分頃,被告人との電話で怒鳴ったところ,被告人は,被害者及
びEに対し,B一家を軽んずるような発言や「今から来い」という趣旨の発言
をした。これに憤激した被害者及びEは,Cを呼び出して被告人方まで案内さ
せ,同日午後9時30分頃,千葉県松戸市FG番地のH所在の被告人方敷地内
に普通乗用自動車で乗り入れた。
一方,被告人は,同日午後9時14分頃,被告人の弟でI会J一家K組に
所属する暴力団員であるMに対し,B一家の者と電話で言い合いになり,来る
かもしれない旨を伝え,Mが被告人方に来ることになった。
2被害者は,上記自動車から降りると,被告人方敷地内にいたMの名字がLで
あることを確認するやいなや,その場で同人の頭部及び顔面を複数回殴りつけ,
その腰や大腿部付近を蹴りつけて同人を地面に倒し,さらに,その背中付近を
足で踏みつけるようにして蹴るなどの暴行を加え,Mはうつぶせの状態になっ
た。同じ頃,Eは,物音を聞きつけて被告人方家屋の北東側勝手口に出てきた
被告人の頭部及び顔面を複数回殴りつける等して被告人を地面に倒し,さらに,
その左半身を殴る蹴る等の暴行を加え,うつぶせになった被告人の背中を手で
押さえ,さらにEに代わってCが被告人の背中を手で押さえた。その頃,被告
人は,Mが被害者から暴行を受けている状況などを見て,Mの身の危険を感じ,
被告人方家屋内の勝手口付近にあらかじめ置いていたシースナイフ(刃体の長
さ約20センチメートル,平成26年千葉検領第263号符号1)を持ち出し,
同日午後9時35分頃,被告人方敷地内において,Mの身体を防衛するため,
防衛の程度を超え,うつぶせになっているMの背に右足を乗せて立っていた被
害者(当時46歳)に対し,殺意をもって,その右側腹部を上記シースナイフ
で突き刺し,よって,同日午後11時32分頃,同市NO番地所在の医療法人
社団P会Q病院において,同人を腹部刺創による出血性ショックにより死亡さ
せて殺害した。
(証拠の標目)
記載省略
(争点に対する判断)
第1争点
本件の主たる争点は,殺意の有無と正当防衛の成否であるところ,当裁判
所は,被告人に殺意があったと認定し,過剰防衛が成立すると判断したので,
以下,それらの点につき補足して説明する。
第2前提となる事実関係
関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
1本件関係者について
被告人は暴力団に所属したことはないものの,元I会系暴力団員であるR
やCなど複数の暴力団員と交友があった。また,被告人の弟であるMはJ
一家に所属する暴力団員である。
⑵被害者,E,C,S及びUはB一家の組員であり,SはV付近の地域を取
り仕切るT組の組長である。WV付近の暴力団員の間では「W」と言えば
B一家を指すと理解されていた。
⑶被告人及びMと被害者及びEは,本件に至るまで直接の面識はなかった。
⑷本件犯行時直近において,被告人は身長161センチメートル・体重56.
5キログラム,Mは身長164センチメートル・体重48キログラム,被
害者は身長178センチメートル・体重94キログラム,Eは身長168
センチメートル・体重85キログラムであった。
2被害者らが被告人方に来るまでの経緯について
被告人は,平成26年1月2日(以下,特に断らない限り日付はすべて平
成26年1月2日である。)の昼頃からM及びRと被告人方で酒を飲んでい
た。Rは午後2時頃に,Mは午後5時過ぎ頃にそれぞれ被告人方から帰宅
した。
⑵被告人は,Cに対して約60万円を貸していたことから,貸していた金を
返してもらおうと考え,Cと連絡をとるために,午後8時48分,B一家
の本部事務所に電話をかけた。
同事務所では,1月2日から1月3日にかけての夜にかかってくる電話は
総長秘書をしているUの携帯電話に転送されるよう設定されており,上記
被告人からの電話もUの携帯電話に転送された。
被告人は,同電話において,「Lですけど。Cと連絡が取れないんで,連
絡とれますか。」と述べ,Uは「じゃあ,Cに伝えます。」と言って電話を
切った。
⑶被告人は,Cと連絡がとれないまま,午後9時3分に再度B一家の本部事
務所に電話をしたところ,Uから一方的に「正月早々,夜中に事務所に電
話をかけてくるな。失礼じゃないか。後は相対でやれ。」と怒鳴られるなど
した。
⑷Uは,午後9時9分にEの携帯電話に電話をかけ,「Lというやつから,
本部に電話がありました。このLって,どんな人間ですか。」と尋ねたとこ
ろ,EからLの電話番号を教えるよう言われたため,被告人の電話番号を
Eに伝えた。
このとき,Eは被害者と共に飲食店で酒を飲んでいた。
⑸被害者及びEは,午後9時11分に被害者の携帯電話から被告人に電話を
かけたが,通話料金が発生する通話時間は2秒であった。その直後の午後
9時12分,被告人は,被害者の携帯電話に折り返しの電話をかけ,被害
者らと1分41秒間通話をした(以下,この電話を「本件電話」という。)。
本件電話の後,被害者及びEは被告人に対し憤激した。
⑹その後,被告人はMに電話をかけたがつながらず,被告人からの着信に気
がついたMが午後9時14分に折り返しの電話をかけ,両名は39秒間通
話をした。
⑺被害者は,午後9時14分,Sに電話をかけ,「一応Vの貸し元には断り
を入れておこうと思いまして。」などと発言した。
⑻Eは,午後9時14分,Rに電話をかけ,「被告人と電話でもめて,こっ
ちに来いと言われたので今から行かなければならない」という趣旨の発言
をした。
⑼Mは,午後9時16分,Rに電話をかけ,「被告人がWの人と電話で言い
合いになり,Wの人が家に来るようだ」という趣旨の発言をした。
⑽Eは,午後9時18分,Cに電話をし,被告人方まで道案内をするよう命
じた。被害者及びEは,午後9時27分頃にCと合流し,Cの道案内のも
と,午後9時30分頃に被告人方に到着した。
3被告人による刺突行為とその後の事情等
被告人は,午後9時35分頃,被告人方敷地内において,判示シースナイ
フ(以下「本件シースナイフ」という。)で,被害者の右側腹部を突き刺し
た(以下「本件刺突行為」ともいう。)。突き刺された被害者には,右下腹
部に長さ約4.5センチメートル,深さ約20センチメートルの切創があ
り,傷口はほぼ水平方向で,傷の形状から凶器の刃先が背中側,刃の背部
分が腹側であった。
⑵本件シースナイフの刃体の長さは約20センチメートル,刃体の幅は最大
約4センチメートルであり,刃体上面部分にスウェッジと呼ばれる物を突
き刺しやすくするために加工された鋭利な部位がある。
⑶平成26年1月4日午後11時18分頃,被告人は後頭部挫創,左頬部打
撲で全治約10日間との診断を受けた。翌5日午前零時5分頃,Mは後頭
部挫創,左頬部打撲,左耳介上部化膿性挫創,左上腕及び左大腿部打撲で
全治約2週間との診断を受けた。
⑷平成26年1月4日から9日にかけての捜査の際,被告人方家屋内の勝手
口,台所及び居間には被告人の血痕が複数存在したが,居間の北側窓側下
の引き戸(以下「本件引き戸」という。)及びその周辺に血痕は存在しなか
った。
第3被害者らが被告人方に到着するまでの経緯について
1被告人と被害者らの電話でのやりとり
本件電話でのやりとりについて,検察官は被告人が被害者らに対して「B
上等。今から来い。」などと言ったと主張するのに対し,弁護人はそのような
発言はなかったと主張する。
前提となる事実関係によれば,本件電話の後,被害者らは被告人に対して
憤激して被告人方に赴いたと認められるところ,被告人がB一家の本部事
務所に2回電話をかけただけで,直接その電話を受けたわけでもない被害
者らが,本件電話のすぐ後にわざわざCを呼び出して道案内をさせてまで
被告人方に乗り込む程に憤激するとは考えられないことからすると,本件
電話において被告人が被害者らを相当憤激させる発言をしたと推認できる。
⑵以上に加えて,午後9時14分の電話におけるRに対するEの発言内容
「被告人方に向かう際,LにB一家をなめら
れたという話をEから聞いた」という趣旨のC供述も考え合わせると,本
件電話において被告人がB一家を軽んずるような発言及び「今から来い」
という趣旨の発言をしたことが認められる(なお,被告人から「B上等」
というようなことを言われたという認識のもとで被害者が憤激していたと
いう心理状態にあったことから,被告人の被害者に対する「B上等」とい
う発言があったと認めるのは,伝聞法則をせん脱するもので許されないし,
被害者は死亡しているものの,そもそもEではなく被害者が被告人から
「B上等」という発言を直接聞いたとも証拠上確定できないことからする
と,上記のS供述は,検察官が主張する伝聞例外(刑訴法321条1項3
号)に該当するとも考えられない。その他,「B上等」という発言があった
と認めるに足りる証拠もない。)。
2被告人とMの電話でのやりとり
M及び被告人は,両名の電話での会話について,公判廷において,「被告
人が持って帰るように言っていたおかずを忘れたことやCが来るかもしれ
ないという話はしたが,C以外のB一家の人間が被告人方に来るかもしれ
ないといった話は一切していない」旨供述している。
しかし,前提となる事実2⑼のとおり,Mは被告人との電話の後に,Rに
対して「被告人がWの人と電話で言い合いになり,Wの人が家に来るよう
だ」という趣旨の発言をしていることからすると,被告人が前提となる事
実2⑹の電話において,Mに対して,B一家の人間と電話でもめたこと及
びB一家の人間が被告人方に来る可能性があることを伝えたことは明らか
である。
3結論
以上1及び2で検討したところに加え,上記前提となる事実関係によれ
ば,被害者らが被告人方に来るまでの経緯については,罪となるべき事実
1記載の各事実が認められる。
第4被害者らが被告人方に到着してからの状況について
1C供述の要旨
被害者のMに対する暴行について
ア被害者,E及びCは,被告人方敷地内の玄関前に勝手口方向を向けて
車を停めたところ,勝手口前の植え込みの南端付近にMが被害者使用車
両の方を見て立っていた。
被害者は車を降りてMに近寄り,「B一家のXだ。てめーかB上等かけ
たのは。」と言い,これに対しMは「J一家のLだ」と返事をした。その
後,被害者が先にMをつかみ,これに対してMも被害者の服をつかみ返し
た。
イ被害者は,Mの頭部及び顔面を5回前後殴り,Mの襟首をつかんだまま
勝手口前の棚付近まで同人をひっぱって移動し,再び同人の顔面及び頭部
を5回前後殴った上,同人の腰や太もも付近を5回前後蹴った。
Mは,被害者の方に向かって1回こぶしを伸ばしていたが,Mは後ろを
向いていたため被害者に当たったかはわからない。
ウ被害者に蹴られたMは崩れ落ち,尻あがりの四つんばいのような姿勢に
なった。被害者は,Mの襟首をもって2回程ゆさぶった後,踏みつけるよ
うに同人の背中付近を蹴っていた。このときMは,手で頭を抱えていた。
エその後,Mは足を伸ばしてうつぶせになり,被害者はMの背中に右足を
乗せ,左手でMの頭を押さえた。Mは「ごめんなさい,すみません。」と
繰り返し謝っていた。被害者は,Mがうつぶせになってからは殴る蹴るの
暴行は止め,Mを抑えつけたまま「このやろう,連れていっちゃう。」と
いうことを繰り返し言っていた。
⑵Eの被告人に対する暴行について
ア被害者が被害者使用車両から降車した後,Eも同車から降り,被告人方
勝手口に向かっていったところ,被告人が勝手口付近で「何だてめえ。」
「てめえら何だ。」というようなことを何回か言っていた(なお,このと
き被害者とMは勝手口前の棚付近に移動している最中又は移動し終えたと
ころであった。)。
Eが先に被告人をつかみ,被告人もEの胸ぐらをつかみかえした。
イEは,被告人の頭部及び顔面を5回前後殴り,被告人をひっぱって勝手
口から出し,被告人の足を5回程度蹴っていた。
Eは植え込みの方に移動し,被告人に足を掛けて同人を横向きに倒し,
さらに同人を蹴ってうつぶせにさせた。
Eは,うつぶせになっている被告人の背中や腰,頭部などを足で踏みつ
けるように5回前後蹴った後,被告人の背中を手で押さえつけた。
ウEは,被害者とMの会話を聞いて,電話をするため被害者使用車両に向
かった。Cは,Eから「押さえておけ。」と言われたため,Eに代わって
被告人の背や腰付近を両手で押さえた。
⑶被告人が被害者を刺すに至るまで
ア被告人はうつぶせのまま,ほふく前進で勝手口に向かった。Cは,被告
人が家の中に逃げるのだと思い,被告人が勝手口のたたきに入るときには
手を離した。
被告人は勝手口のたたきでほふく前進を止め,左手を伸ばして右方の台
所のテーブル下あたりから本件シースナイフをつかんで取り出し,立ち上
がった。
イ被告人は,Eを探すそぶりやCを見たりすることなく,Mの背中付近に
右足をのせて立っていた被害者の方に向かった。被告人は,被害者の右後
方に立ち,刃が地面と水平になるようにして本件シースナイフを右手で持
ち,左掌を柄じりにそえ,自分の腹で押し出すようにして被害者の右脇腹
を刺した。
2被告人供述の要旨
被告人方家屋内にいたところ,勝手口の外からゴトゴトという物音と大き
な声がしたため,勝手口のたたきに降りたところ,Eに外に引きずり出さ
れた。被害者からは頭を殴る蹴るの暴行を受け,Eからは顔面を五,六発
殴られた。被告人がEをつかみ返したりすることはなく,両名に一方的に
暴行を加えられた。
その後,被告人は右半身を下にして横向きに倒れ,左半身に殴る蹴るの
暴行を受けた。
⑵被告人が暴行を受けながらMの方を見ると,倒れているMに被害者が馬乗
りになってめちゃくちゃに暴行をしていた。
⑶そのため,このままでは自分もMも殺されてしまうと思い,蹴る等の暴行
を受けながらほふく前進で勝手口に向かい,台所から居間に入り,本件引
き戸を開けて,中から本件シースナイフを取り出した。
家の中に入ってからは暴力を受けてはいないが,血が目の中に入ったこ
とから自分の頭から血が出ていることがわかった。
⑷本件シースナイフを手にした後,勝手口から降りて,Mの上に競馬の騎手
のようにまたがり,Mを殴っている被害者のところへ向かい,被害者の腰
あたりを1回蹴ったが,被害者は動じなかった。被告人は,後ろから何者
かに蹴られたため,被害者の右側背部にかぶさるようになり,被害者の右
側から刃を下にして右手で本件シースナイフをまっすぐ前に突き出し,被
害者を刺した。
3C及び被告人の各供述の信用性
C供述について
ア被害者らが被告人方に到着してからの状況に関するCの供述は,犯行当
時の現場の明るさや,C自身が述べるCの立ち位置等から考えても,全体
としてその内容自体において格別不自然な点が見当たらない。
また,核心部分である,被害者らによる被告人及びMに対する暴行態様
や被告人が被害者を刺した際の態様や両者の体勢に関する供述部分は,被
告人及びMの負傷の状況や被害者の切創の部位や形状とよく整合している。
被告人が本件シースナイフを勝手口付近から取り出したという供述部分
も,Cにおいて作出しなければならないようなものとは考え難い上に,血
の付着したジャンパーが台所内に脱ぎ捨ててあったことなどから,被害者
を刺した後に被告人が家屋内に入ることは十分あり得ると考えられること
からすると,被告人方家屋内の血痕の状況と矛盾するものではない。
イC自身は被害者と長い付き合いで同じB一家に現在も所属しており,
被告人に多額の借金がある一方,被告人とも長年にわたって親しい間柄
にあったもので,借金の額に違いはあるもののその存在は認めており,
被告人に不利な虚偽の供述を殊更にする立場にあるとは直ちには認め難
い。そして,その供述内容もCは被害者及びEによる被告人及びMに対
する暴行が激しいものであったことを述べる一方,被告人及びMの反撃
はわずかなものだったと述べており,殊更被告人が不利になるような供
述をしているとはうかがわれない。
ウ以上のとおり,Cの供述には,特に信用性を否定すべき点は見当たらな
い。
被告人供述について
アこれに対し,被告人供述を前提にすると,Mの上に競馬の騎手のよう
な姿勢でまたがって被害者の右側から,被告人から見て刃を下にして本
件シースナイフをまっすぐ前に突きだして被害者を刺したということに
なるが,そのような被告人が述べるナイフの刃の向きや両者の体勢から
すると,上記認定のような被害者の切創ができることは考え難く,被告
人の供述は被害者の切創の部位及び形状と整合しない。
イ本件シースナイフを居間の引き戸から取り出したという点についても,
障子に付着した手の形をした血痕から少なくとも被告人のいずれかの手
には被告人の血が付着していたことが認められるところ(なお,被告人
供述を前提にすると,被害者らが来てから被告人が家屋内に入ったのは
本件シースナイフを取りに行った1回のみである。),低い位置にある引
き戸を開けて本件シースナイフを取り出す際に本件引き戸又はその周辺
の床等に血痕が全く付かないということは想定しにくい。
ウさらに,被告人の供述を全体として見ても,被害者はまずMに暴行を
加えた後,Mを放置してEと共に被告人に暴行を加え,再びMのもとに
戻って暴行を加えたことになるという点や,被害者を刺す直前に,まず
1回被害者の腰あたりを蹴ったとしながら,何者かに背後から蹴られる
や被害者にナイフの存在を気付かせることなくいきなり刺したというの
であって,本件刺突行為に及んだのはあまりにも唐突であるという点に
おいて,被告人が供述するところは事柄の流れとしてやや不自然との感
が否めない。
エなお,Mは被害者らによる暴行について被告人供述に沿う供述をして
いるが,暴行を受けていた状況について供述の変遷が認められ,その合
理的な説明は何らしていない上,既に検討したとおりMが被告人方に戻
った理由等についても信用し難い供述をしており,Mには兄である被告
人を守るために虚偽の供述をする動機が十分に認められることも考え合
わせると,その供述には,被告人の供述を裏付けるほどの証拠価値があ
るとは認められない。
また,Eも,被害者が被告人に対し暴行を加えた旨の供述をするが,E
の供述は全体としてあいまいで記憶していない部分が多く,刺された被害
者が自らの足で車まで戻ってきたなどという直ちには信用し難い内容も含
んでいる上,Eだけではなく被害者も被告人に暴行を加えたか否かはE自
身の刑事責任にも関わると考えられることも考え合わせると,Eの上記供
述部分が真に記憶しているところを述べているとは認め難い。
4結論
以上のとおり,被害者らが被告人方に到着してからの状況に関するC供述
は全体として不自然な点がなく,重要な部分において客観的証拠ともよく整合
するのに対し,被告人供述は供述内容自体に不自然な面がある上,重要な部分
において客観的証拠と整合しないし,信用できる証拠による裏付けもない。
よって,被害者らが被告人方に到着してからの状況に関するC供述は基本
的に信用することができ,これに反する被告人の供述部分は信用性に乏しい。
第5殺意の有無の検討
本件シースナイフは刃体の長さが約20センチメートルで,刃体上面には物を
突き刺しやすくするために加工がされていることから,殺傷能力が非常に高い。
被告人は本件シースナイフをあらかじめ勝手口付近に準備していたのであるから,
本件シースナイフの形状等を十分に認識していた。また,被害者の切創の深さか
ら,被告人は本件シースナイフを相当の力で突き刺していることが認められる。
これらの点を考え合わせると,被告人は,殺傷能力十分な本件シースナイフを
使って,被害者の身体の枢要部をめがけて相当の力で突き刺していると認められ,
人を死亡させる危険性の高い行為であることを認識した上で,本件刺突行為に及
んだもので,殺意があったものと認められる。
第6正当防衛の成否の検討
1正当防衛状況の有無及び防衛行為性について
信用できるC供述によれば,被告人が本件刺突行為に及ぶ直前には,被害者
はMに対し殴る蹴るという暴行を加えた後にMの背中に足を乗せて押さえつけ
ているという状態にあったと認められ,被害者によるMの身体に対する侵害が
認められる状況にあったということができる。そして,本件刺突行為はそのよ
うなMの身体に対する侵害からMを守るための行為としての性質を有し,被告
人に防衛の意思があったことは証拠上明らかである。
これに対し,検察官は,①被害者とEが被告人及びMに暴力を振るったのは,
被告人の言動が原因であること,②被告人は被害者らが押しかけてくることを
予期して,それに対抗するための準備をして待ち構えていたこと,③被告人及
びMと被害者らは,けんか闘争状態にあったことを理由に,被告人は正当防衛
が認められる状況にはなかったと主張する。しかし,以下のとおり,正当防衛
が認められる状況にはなかったと認めることはできない。
被告人の言動について
上記のとおり,被告人は被害者らに対して,B一家を軽んずるような発言
及び「今から来い」という趣旨の発言をしたことが認められ,かかる発言
が被害者らによる暴行を招く要因となったことは明らかである。
しかし,被害者らは本件当時相当酒に酔っていたと証拠上うかがえること,
本件電話の直前に被害者側から被告人に電話がかけられていること,被告
人はUとの電話での会話の中では特にけんか腰の対応をしていたとは認め
られないことに照らすと,被告人が正月に本部事務所に電話をかけたこと
に腹を立てた被害者らの方から先に被告人に対し荒っぽい言葉や激しい口
調で被告人に絡んでいったという流れは何ら不自然ではない。これに加え
て,被告人は被害者らが暴力団組員であることを認識していたとしても,
それまで何ら面識もない人物であり,被告人としては,被害者らが被告人
方の場所を知らないと考えても不自然ではないことも考え合わせると,被
告人の上記発言は,被告人からけんかを売ったというよりは,被告人から
見れば理不尽な怒りに基づく被害者らの発言に対して,いわば売り言葉に
買い言葉として誘発されたものと見る余地が多分にあるというべきである。
したがって,被告人の上記発言をもって,被告人の方から被害者らに対
し挑発を仕掛けたものとは認められず,自ら侵害を招いたものとして正当
防衛が許される状況にはなかったというべき根拠となるほどの落ち度とは
評価できない。
被告人が押し掛けてくる被害者らを予期していたことについて
ア被告人は,Eから「今から行くから待ってろ。」と言われ,これに対し
自ら「今から来い」という趣旨の発言をした上,Mに対しB一家の人間が
被告人方に来る可能性を告げているのであるから,被害者らが被告人方に
来る可能性があることを認識していたことは明らかである。
イしかし,上記のとおり,被害者らは,被告人と面識はなく,被告人方
の場所も知らないのであって,Eの上記発言は,酒に酔った勢いによる
単なる脅しであってわざわざ被告人方に本当に来ることはないのではな
いかと被告人において考えた可能性は十分にある。
また,被害者らが被告人方に到着した際,Mは特に武器等を所持するこ
となく勝手口付近に立っていただけであり,被害者らが被告人方に押しか
けて来ることを確実に予期して待ち受けていたにしては無防備であるとの
感を否めない。
以上によれば,被告人は,被害者らが被告人方に来る可能性があること
は認識しながらも,その程度としては,確実と認識していたとまでは認め
られず,来るかもしれないし来ないかもしれないといった程度にとどまる
というべきである。このような被告人の予期の程度を前提にすれば,被告
人は警察へ通報すべきであったとか,被告人の生活拠点である被告人方か
ら逃げることをすべきであったというのは甚だ酷であり,このような行動
をとらなかったが故に正当防衛が許される状況であったことを否定するこ
とは相当ではない。
ウさらに,被告人が本件シースナイフを勝手口付近に準備していた点に
ついても,被告人の予期の程度は上記のとおりである上,被告人ははじ
めから本件シースナイフを持って被害者らに応対しているわけではない
ことからすると,万が一に備えて準備していたにすぎないと認めるのが
相当であり,本件シースナイフを使用して積極的に被害者らに対する殺
傷行為に及ぼうとしていたとも認められない。
被告人及びMと被害者らがけんか状態にあったかについて
上記のとおり,被告人は被害者らが被告人方に来ることを強く予期して
いたわけではなく,また,MにB一家ともめたことを伝えたり,本件シー
スナイフを勝手口付近に準備したりしたのも,万が一に備えてのことであ
って,被告人及びMにおいて,被害者らが被告人方に来ることを待ち構え
て被害者らとけんかをする気でいたとは認められない。確かに,Cの供述
によれば,Mは,B一家のXだと名乗った被害者に対し,J一家のLだと
名乗っていることや,被害者又はEから暴行を受けたのに対し被告人又は
Mが被害者らをつかんだりこぶしを突き出すような行動に出たことが認め
られる。しかし,Mは無防備な状態で立っていただけであり,属する暴力
団組織や名前を名乗り合ったことから直ちにけんかに及ぶ気満々だったと
は認め難い。また,被告人又はMの被害者らに対する上記行動は被害者ら
の先制攻撃に応じたものである上,その態様も被害者らの攻撃と比較して
微弱であって,そのような行動から被告人及びMと被害者らが対等な立場
でけんかをしていたとも認められない。
以上のとおり,検察官が主張する諸点はいずれも正当防衛が認められる状
況にあったことを否定するようなものではない上,それらの点を総合して
考慮してもなお,被告人に正当防衛が認められる状況になかったというこ
とはできない。
2防衛行為の相当性の検討
被害者らは凶器を用いてはいないものの,被害者は被告人よりも約17セ
ンチメートルも身長が高く体格において格段に優れていたことや,現に本件刺
突行為に至るまでの間,被告人及びMは被害者及びEにまともな反撃をするこ
ともできずに一方的に殴る蹴るの暴行を受けていたこと,被告人は万が一に備
えて本件シースナイフを準備していたことなどからすると,被告人が本件シー
スナイフを手に持って防衛行為に出たこと自体は必ずしも不当であるとはいい
難い。
しかし,本件刺突行為の直前の時点では,被害者はMの背中に足を乗せて
いるにとどまり,現に殴る蹴るの暴行を加えていたわけではなかったことを考
慮すれば,被告人において,殺意をもって被害者を死亡させる可能性が極めて
高い行為に及ぶことは,当時のMの身体に対する危険の切迫した状況からして
必要最小限度の行為とはいえず,被害者らは被告人方敷地内に不法に侵入した
ものであって,本件が盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律1条1項3号に該当す
ることから,刑法第36条1項における防衛手段としての相当性よりも緩やか
に相当性を判断することを踏まえても,防衛行為として許容される限度を超え
たものであって,正当防衛は成立しない。
なお,上記のとおり,Mの身体に対する現在の危難は存在していたと認め
られる上,倒れているMに被害者が馬乗りになってめちゃくちゃに暴行をして
いるのを見たためMが殺されると思った旨の被告人供述は信用できないから,
盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律1条2項該当性は問題にならない。
3結論
以上によれば,被告人が被害者を殺害した行為は,正当防衛が認められる状
況でなされたものではあるが,防衛行為として許容される限度を超えていると
いえるから,過剰防衛が成立する。
(法令の適用)
罰条刑法199条
刑種の選択有期懲役刑
未決勾留日数の算入刑法21条
没収刑法19条1項2号,2項本文
訴訟費用の不負担刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
過剰防衛が成立すること自体は被告人のために大きく酌むべき事情にはなる。
しかし,被告人の挑発的な言動が正当防衛状況を招く一因になっていること,被
害者らの来訪を全く予期していなかったわけではない上,万が一に備えてとはい
えわざわざ殺傷能力の高い本件シースナイフを準備するなどしていること,殺意
をもって本件シースナイフで被害者を背後からいきなり刺すという行為は防衛行
為として許容される限度を大きく超えるものであることからすると,単独犯の殺
人罪1件で刃物類を凶器とし,過剰防衛が成立する事案の中でも重い部類に属す
るといえる。
以上に加えて,被告人の前科関係,被告人の供述内容及び態度からは深い反省
の態度は認められないことなどを考慮して,主文の刑が相当であると判断した。
(求刑懲役18年,シースナイフ1本没収)
(裁判長裁判官西野吾一裁判官鈴木敦士裁判官岡井麻奈美)

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