弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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  主       文
    被告人を懲役3年に処する。
    未決勾留日数中150日をその刑に算入する。
    この裁判が確定した日から4年間その刑の執行を猶予する。
            理       由
(罪となるべき事実)
 被告人は,中国での中国人女性との見合いにより知り合ったAと平成13年3
月15日,中国において,中国の方式により婚姻の届出を行い,同年8月14日か
ら同女とともに岐阜県a郡b町c d番地所在の木造2階建家屋(床面積合計12
3.99平方メートル,以下「本件家屋」という)に居住して結婚生活を送っていた
が,同年9月2日夜,性交渉を拒んだAに対し,被告人が掛け布団を投げつける
などしたことなどから,翌3日,同女は,しばらくの間,東京に住む従兄の家に滞
在するつもりで,中国から持参した荷物をすべて持ち出して本件家屋から出て行
った。被告人は,Aが家出をしたことを悲しみ,仕事にも行かず,家に閉じこもるな
どしていたが,Aが同月8日になっても戻ってこなかったことから,「Aはもう戻って
こないであろうから生きていても仕方がない,本件家屋に放火して自分も一緒に
焼け死のう」などと考えて,非現住建造物等放火の限度の犯意をもって,同月8
日午前11時30分ころ,被告人の所有する本件家屋の2階洋室において,床板
上に灯油を撒き,これに所携の着火装置で点火して火を放ち,上記洋室の床板,
壁板,天井板,柱等に燃え移らせ,よって,現にAが住居に使用している被告人
所有の本件家屋の前記洋室の一部等合計約50.09平方メートルを焼損した
上,そのまま放置すると隣接する同町c e番地B方住宅に延焼するおそれのあ
る状態を生ぜしめ,もって公共の危険を生ぜしめたものである。
(補足説明)
1 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,妻Aが家出したことから前途を悲観
し,自宅を焼損して焼身自殺しようと企て,平成13年9月8日午前11時30分
ころ,Aが現に住居に使用している本件家屋の2階洋室において,床板上に灯
油を撒き,これに所携のライターで点火して火を放ち,同洋室の床板,壁板,
天井板,柱等に燃え移らせ,よって,同洋室の一部等合計約50.09平方メー
トルを焼損した」というものであり,これに対し,弁護人は,①本件家屋は非現
住建造物である,②仮に本件家屋が現住建造物であるとしても,判示犯行当
時,被告人には非現住建造物等放火の故意しかなかった,と主張するところ,
当裁判所は,上記公訴事実のうち外形的事実は認められるが,その際,被告
人は非現住建造物等放火の犯意を有するにとどまっていたと判断したので,
以下理由を述べる。
2 本件家屋の現住性について
 (1) 関係証拠によれば,以下の事実が容易に認められる。
  ① 被告人は,平成12年5月か6月ころ,知人から,日本人男性と中国人
女性を対象とする結婚相談所を紹介されて登録し,その後,3回にわたり
見合いをするため中国に行ったところ,平成13年(以下,特記しない限り
同じ)1月下旬ころ3回目に中国に行った際,Aと知り合って同女が気に入
り,3月10日,同女と中国で結婚式を挙げ,同月15日,中国の方式によ
る婚姻の届出を行った。被告人は,結婚式の後,数日間中国に滞在した
後に1人で帰国し,同月29日,岐阜県a郡b町に対し,上記婚姻の証書提
出を行った。
  ② Aは,日本への入国手続が必要であったことなどから直ちに来日せず,
8月14日に来日し,同月27日まで,本件家屋で被告人とともに生活し
た。
    Aは,同月23日ころ,名古屋市内の中華料理店に1週間住み込みで働
きたいと申し出た。被告人は一旦は反対したものの,最終的には了承し
た。
    そこで,Aは,同月27日から9月2日までの間,上記中華料理店で住み込
みで働いたが,その際の持ち物は,1週間分の着替えと洗面用具だけだ
った。その間,被告人とAは毎日のように電話で連絡を取っていた。
  ③ Aは,9月2日,本件家屋に帰宅し,その夜,被告人は,Aに性交渉を求
めたが,同女は生理中であったためこれを拒絶した。しかし,被告人は,
同女が拒絶した理由が分からず,怒って同女に夏用の掛け布団を投げつ
け,1階に降り,酒を飲み,椅子を1回蹴った後,1階のソファーの上で就
寝した。
 ④ 翌3日朝,被告人が仕事に出かけた後,Aは,被告人に何も言い残すな
どすることなく,本件家屋を出て,東京に住む従兄の家に行った。
  ⑤ 被告人は,同月7日,Aの持っていた携帯電話に電話したところ,Aが出
たが,すぐその従兄の妻で日本語を話せるCに代わり,同女がAの「今東
京にいるので心配しないでほしい。1週間後には帰る」旨の言葉を被告人
に伝えた。
⑥ Aは,同月10日,本件家屋が火事になって被告人が怪我をしたことを
上記結婚相談所の主宰者であるDから知らされ,同人とともにE病院に被
告人を見舞いに行った。また,Aは,被告人が本件により起訴された後,
Dとともに2回拘置所に行って被告人に面会したり,被告人に中国語の手
紙を送付するなどした。
 (2) 以上によれば,まず,8月14日から9月3日までの間,Aは,被告人の妻と
して,本件家屋を住居に使用していたと明らかに認められる。
   そこで,9月3日にAが本件家屋を出たことにより,本件家屋がAの住居た
る性質を失ったといえるか否かについて検討するに,Aは,平成14年1月1
1日の第2回公判期日に証人として出廷し,「被告人が本件家屋に火を付け
た9月8日当時,本件家屋に戻る意思があり,現在でも被告人との結婚生活
を続けたいと考えている」旨供述したところ,前示のとおり,Aが本件家屋か
ら出て東京の従兄の家に行ったことについては,前夜被告人がAの行動に
怒って同女に布団を投げつけたり,椅子を蹴るなどしたためであるという合
理的な理由があること,Aは,判示犯行前日の同月7日には電話で前記Cを
介し,被告人に対し,一週間後に本件家屋に戻る旨伝えていたこと,判示犯
行の後も,病院に被告人を見舞いに行ったり,拘置所に面会に行ったりして
いること等が認められるのであって,Aの上記供述は,これら同女の行動等
に整合していて信用することができる。
   もっとも,関係証拠によれば,Aが9月3日に本件家屋を出た際,干してあ
った自分の洗濯物も含めて,中国から持参した荷物も全部持ち出した事実
が認められるものの,一方,Aが中国から持参した荷物は,小さめのスーツ
ケース1個であり,中身は夏物衣類や下着等であって,秋,冬物の衣類はな
かったと認められるから,しばらくの間東京の従兄の家に滞在するにあたっ
て,これらを全部持って行ったとしても不自然とはいえず,その他の弁護人
が指摘する事情も,Aの上記行動等に照らし,上記認定を覆すものとまでは
いえない。
   したがって,Aは,9月3日に本件家屋から出て東京の従兄の家で生活し
ていたものの,判示犯行時である同月8日においては,近いうちに本件家屋
に戻る意思を有していたというのであるから,一時的に家出をしていたにす
ぎず,本件家屋は,判示犯行の際にも,依然として被告人の妻であるAの住
居たる性質を失うには至っていなかったというべきである。
3 判示犯行時における本件家屋の現住性に関する被告人の認識について
 (1) 被告人の捜査段階における供述調書には,判示犯行時,本件家屋にAが
帰ってくると思っていた旨認めている部分があるものの,被告人は,公判で
は,判示犯行の動機として,「Aは自分といわゆる偽装結婚をしたのであっ
て自分は騙されていたのではないか,前妻が家出をして戻ってこなかったよ
うに,Aも戻ってこないだろうなどと考え,Aの『一週間後には帰る』という言
葉も信じられず,生きていても仕方がないので自殺しようと思ったためであ
る」旨供述している。
 (2) そこで,検討するに,上記(1)に摘示した部分を除く被告人の捜査段階及
び公判における供述部分(この部分については,これに反する証拠はない
上,内容も具体的で作りごとでは供述し難いもので十分信用できる。)を含
む関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
  ① 被告人は,3月10日,Aと中国で結婚式を挙げたが,結婚に際して,旅
費,見合いの費用,結婚披露宴の費用等すべてを含めて350万円を結
婚相談所の主宰者に支払った。
    被告人は,結婚式の後,数日間中国に滞在し,その間,同女と数回性
交渉を持った。
  ② Aは,8月14日に来日したが,来日までの間に挨拶程度の日本語も覚
えておらず,本件家屋で生活するようになってからも,被告人から日本語
を教わろうとする様子は全くなく,意思疎通は,筆談や被告人が覚えた
範囲の中国語で行っていた。8月14日から27日までの間,被告人は,朝
7時ころ大工の仕事に出かけ,夜7時ころ帰宅し,Aは,昼間,本件家屋で
1人で掃除や洗濯をして過ごしていた。Aは,朝食を作らず,夕食は作っ
たものの,作った後に2階に上がってしまうことから,被告人は,1階で1
人で夕食を食べていた。被告人が2人で一緒にテレビを見ようとしても,A
は拒絶し,被告人に別の部屋でテレビを見るように求めた。また,被告人
とAは,本件家屋の2階洋室でともに就寝しており,性交渉を2,3回持っ
たが,被告人が求めて拒絶されたことも3回ほどあった。
  ③ Aは,同月27日から9月2日までの間,名古屋市内の中華料理店で住
み込みで働き,同日本件家屋に帰宅した。その夜,被告人は,Aに性交
渉を求めたが,同女はこれを拒絶した。
  ④ 翌3日朝,被告人が仕事に出かけた後,Aは,被告人に黙って,本件家
屋を出て,東京に住む従兄の家に行った。その際,Aは,干してあった自
分の洗濯物も含め,中国から持参した荷物をすべて本件家屋から持ち出
した。
    被告人は,昼ころ,Aのことが心配になり,仕事を中断して帰宅すること
にし,帰宅途中に同女の携帯電話に電話をかけたが,同女は,一言「分
からない」とだけ言って電話を切った。
  ⑤ 被告人は,Aが家出してしまったことから,同日以降,仕事にも行かず,
家に閉じこもったり,気を紛らわせるため1人で車で走り回ったりして過ご
していた。被告人は,同月7日,Aに電話をしたが,言葉が通じないため,
日本語を話せる同女の従兄の妻を介してしか話をすることができなかっ
た。
  ⑥ 被告人は,同月8日午前7時に起床し,Aのことを考えるうち,自殺しよ
うと決意するに至り,午前8時ころ,首吊り自殺を試みたが,怖くなり,断
念した。その後,更に思い悩んだ末,午前10時か11時ころ,本件家屋に
火を付けて燃やし,自分も一緒に焼け死んで自殺しようと考え,1階に置
いてある石油ファンヒーターから灯油タンクを取り出し,2階洋室のベッド
の北側付近からベッドの下に向けて床板に上記灯油タンク内の灯油をす
べて撒き,着火装置で点火したところ,火が5,60センチメートルの高さま
で上がり,窓のカーテンに燃え移ってこれが焼け落ちるなどしたが,急に
怖くなり,1階の倉庫から消火器を取ってきて,火に向かってこれを噴射し
た。しかし,これだけでは火が収まらなかったことから,被告人は,1階の
風呂場からバケツで残り湯を汲んできて,上記ベッドの北側からベッドの
下に向けて残り湯を流し,この作業を5,6回繰り返したところ,火は見え
なくなったが,ベッドの下から白い煙は出続けていた。
  ⑦ 被告人は,1階に降りて日本酒をコップ1杯飲み,ソファーの上に横にな
って寝たところ,再び2階洋室で火が上がった。被告人は,目を覚まし,こ
れに気付いたが,まだ自殺したいという気持ちが残っていたため,「このま
ま寝ていて家と一緒に焼け死のう」と考えているうちに気を失い,その後,
消防署員に救出されて,E病院に入院した。上記のとおり再び火が上がっ
たことにより判示のとおり本件家屋の2階洋室の一部等が焼損した。
  ⑧ 被告人は,Aとは再婚であり,昭和59年に前妻と結婚し,本件家屋で父
と前妻とともに生活していたが,昭和63年1月初旬に同女が家出し,その
後同女が1度も本件家屋に戻らないまま,平成4年に離婚が成立した。平
成7年に被告人の父が病死し,その後,Aが来日するまで,被告人は本
件家屋に1人で暮らしていた。
 (3) 以上によれば,まず,被告人は,首吊り自殺をあきらめ,判示犯行に及ん
だ後,1階で寝ており,その後目を覚まして2階で再び火が上がったことに気
付いたが,あえて逃げようとしなかったのであって,自殺に向けて強固な意
思を有していたことが認められる。また,被告人とAとの結婚生活の実態も,
前記のとおり,同女は被告人と結婚し,来日してともに生活するようになって
から2週間も経たないうちに約1週間住み込みで働きに出てしまい,その
後,本件家屋に帰宅したものの,わずか1日でまたしても本件家屋を出て,
東京に住む従兄の家に行ってしまったもので,その際,中国から持参した荷
物もすべて本件家屋から持ち出してしまったのであり,本件家屋において
安定した同居生活を送っていたとはいい難い状況にあったことや,Aが,日
本語を覚えようとせず,性交渉を拒否することが度々あったばかりか,被告
人と一緒に食事をしたりテレビを見たりすることさえも嫌がるなど,夫婦間の
愛情を育むどころか,意思の疎通を図ることすら満足にできていなかったこ
とが認められるのであり,これらの事情に,被告人の前妻が家を出たきり一
度も帰らずに離婚に至った被告人の過去の経験などを併せ考えると,被告
人が,「大金を支払って結婚したにもかかわらず,Aには,もともと自分と結
婚生活を続ける気などなかったのだ,日本に来るための方便にされたにす
ぎなかったのだ」などと考え,同女は二度と戻ってこないと悲観して,自殺し
ようという心境になったとしても無理からぬことであり,これに沿わない内容
の被告人の捜査段階の供述調書が存在することをもってしても,被告人の
前記(1)に摘録した公判供述の信用性を一概には否定できないというべきで
ある。
   そうすると,自己が居住していない建造物に対する放火と異なり,被告人
が居住していて,その現状を知悉している本件家屋について,被告人が判
示犯行の際,確定的にも未必的にも,妻Aが現に住居に使用している建造
物に対する放火であるとの認識,すなわち現住建造物等放火の故意で火を
放ったと認めるには合理的な疑いが残るというべきであり,被告人は,判示
犯行の際,自分以外の人が現住も現在もしていない非現住建造物等の放
火の限度の犯意をもって火を放ったと認めるのが相当である。
4 被告人に成立する犯罪について
  被告人は,前記のとおり,非現住建造物放火の犯意をもって,被告人が所
有する本件家屋の2階洋室の床板上に灯油を撒き,これに着火装置で火を放
ったというのであり,また,関係証拠によれば,本件家屋は,農村部に位置す
るが,周囲には数十件の家が建っており,本件家屋から6.5メートル離れた場
所にはBが現に居住する住居があったことが認められ,本件家屋に居住して
いた被告人としては,当然これを認識していたといえるところ,被告人の上記
行為は,被告人所有の本件家屋を焼損し,ひいては人が現に居住する隣家に
延焼させる危険性を有する行為といえるから,これが自己所有非現住建造物
放火の実行行為に該当することは明らかであり,かつ,故意に欠けるところも
ない。
  そして,被告人の上記行為の結果,判示のとおり本件家屋の2階洋室の一
部等合計約50.09平方メートルが焼損し,隣家に延焼させる危険を生じさせ
たといえるから,被告人に非現住建造物等放火罪が成立することは明らかで
ある。
  なお,弁護人は,被告人が火を放った後,消火作業を行ったことなどから,
被告人には非現住建造物等放火罪も成立せず,失火罪が成立するにすぎな
いなどと主張するが,上記のとおり被告人の判示行為が非現住建造物等放火
罪に該当することは明らかであって,被告人が判示行為後,結果発生までの
間に消火作業を試みたことは,なんら上記犯罪の成立を妨げるものではない
から,弁護人の主張は採用することができない。
  さらに,検察官及び弁護人のその余の主張にかんがみて,記録を再検討し
ても,上記判断は動かない。
  よって,被告人の判示行為については,被告人の犯意の限度で,非現住建
造物等放火罪が成立するというべきである。
(法令の適用)
 被告人の判示所為は刑法109条2項本文,1項に該当するので,その所定刑
期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中1
50日をその刑に算入し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判確定の日
から4年間その刑の執行を猶予し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし
書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
 本件は,被告人が,判示の経緯で自己所有の本件家屋に放火した非現住建
造物等放火の事案である。
 犯行態様は,自宅洋室の床に灯油を撒いて火を放ったという危険なものであっ
て,その結果,本件建物のうち約50.09平方メートルを焼損したもので結果は
重大である上,本件家屋の周辺には数十件の建物が建っており,本件家屋に近
接した場所にも住宅があったのであるから,近隣住民に与えた恐怖感も大きく,
これらによれば,被告人の刑事責任を軽視することはできない。
 しかしながら,幸いにして被告人所有の本件家屋の一部を焼損したにとどま
り,隣家に延焼等の被害は生じなかったこと,被告人が自殺を試みた経緯には
同情の余地がないとはいえないこと,被告人は,放火した後,結果発生を回避す
るには至らなかったものの,一旦は消火作業を試みていること,被告人が反省の
情を示していること,被告人は,これまで大工として真面目に稼働してきており,2
0年以上前の交通関係の罰金前科1犯を除いて前科がないこと,当公判廷にお
いて,Aが今後も被告人と結婚生活を続けたいと供述していることなど,被告人
のために斟酌すべき事情も認められるので,これら一切の事情を総合考慮し,被
告人に対し,主文の刑を科すが,今回限り社会内での更生の機会を与えるた
め,刑の執行を猶予することとする。
 よって,主文のとおり判決する。
(求刑 懲役5年)
 平成14年5月30日
    岐阜地方裁判所刑事部
           裁判長裁判官   河   村   潤   治
              裁判官   古   閑   美 津 惠
              裁判官   宮   﨑   朋   紀

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