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裁判例


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逗子市が,同市,国及び神奈川県との間でされた合意に基づいて,国に,逗子市と横
浜市にまたがって所在する「池子住宅地区及び海軍補助施設」のうち横浜市域に所在す
る土地において,米軍家族住宅を建設してはならない義務及び「緑地の現況」を変更して
はならない義務があることの確認を求める訴えは,裁判所法3条1項の「法律上の争訟」
に当たらず,不適法であるとされた事例。
平成18年3月22日判決言渡
平成16年(行ウ)第51号米軍家族住宅を追加建設してはならない義務等確認
請求事件
口頭弁論の終結の日平成17年12月14日
主文
1本件訴えをいずれも却下する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
1被告に,別紙物件目録記載の土地上に米軍家族住宅を建設してはならない義
務があることを確認する。
2被告に,別紙物件目録記載の土地について,「緑地の現況」を変更してはな
らない義務があることを確認する。
第2事案の概要
1事案の骨子
本件は,原告が,平成6年11月17日に原告,被告及び神奈川県の間でさ
れた合意(以下「本件合意」という。)に基づいて,被告に,逗子市と横浜市
にまたがって所在する「池子住宅地区及び海軍補助施設」のうち横浜市域に所
在する別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)において,米軍
家族住宅を建設してはならない義務及び「緑地の現況」を変更してはならない
義務(以下「本件各義務」という。)があることの確認を求めた事案である。
本判決は,本件訴訟における本案前の争点(本件訴えが適法であるかどう
か)についての当裁判所の判断を示すものである。
2基礎となる事実
(1)「池子住宅地区及び海軍補助施設」について
ア「池子住宅地区及び海軍補助施設」(以下「池子住宅地区」という。)
は,逗子市の北東部から横浜市の南西部にまたがって位置する総面積約2
88ヘクタールの地域であり,その土地の約87%は逗子市域内に所在し,
残りの約13%(本件土地)は横浜市域内に所在する(甲1号証)。
イ池子住宅地区に所在する土地の大部分は被告が所有する国有地であり,
一部に被告が賃借している民有地がある(甲1号証,弁論の全趣旨)。
(2)池子住宅地区に関する事実経過について
ア(ア)池子住宅地区は,昭和13年ころから,旧日本軍が倉庫や工場を設
置し,弾薬庫として使用していたが,昭和20年に連合軍に接収され,
その後,米軍によって弾薬庫として使用されるようになった。
なお,池子住宅地区は,昭和60年11月29日に,「池子住宅地区
及び海軍補助施設」に名称が変更されるまでは「池子弾薬庫」と呼ばれ
ていた(甲5号証)。
(イ)原告,横浜市及び神奈川県は,昭和20年代から池子住宅地区を含
む米軍提供地域の返還運動を行っており,昭和41年から同57年まで
の間に,その一部が順次返還されるなどした。
イ池子住宅地区は,昭和52年末ころには弾薬庫としての使用は休止され,
補給品置場などとして使用されるようになった。そこで,原告は,被告に
対し,池子住宅地区の早期返還を要求するなどしていた。
ところが,昭和55年5月ころから,池子住宅地区に米軍家族住宅を建
設する計画のあることが報道されるようになった(甲6号証,弁論の全趣
旨)。
そして,横浜防衛施設局長は,昭和57年8月26日付けの「米軍家族
住宅の建設について」と題する文書(甲7号証)により,逗子市長に対し,
池子住宅地区を横須賀地区における米軍家族住宅建設の有力候補とし,住
宅の規模,配置,工事計画等のための調査,環境影響評価のための調査等
を進める考えであるとして,協力を要請した。
ウ横浜防衛施設局長は,昭和58年7月20日付けの「米軍家族住宅の建
設について」と題する文書(甲8号証)により,逗子市長に対し,調査の
結果,池子住宅地区が米軍家族住宅建設の適地であるとの結論に達し,池
子住宅地区の一部(逗子市域部分)に住宅1000戸程度及び関連施設を
建設する計画(以下「本件住宅建設計画」という。)であるとして,協力
を要請した。
エ上記のような横浜防衛施設局(被告)の意向に対して,原告は反対の意
思を表明し,市民からも反対の意思表示があった。
しかし,当時の逗子市長であったA(以下「A市長」という。)は,諸
般の事情から,昭和59年6月5日付け「米軍家族住宅の建設について
(回答)」と題する文書(甲9号証)で,横浜防衛施設局長に対し,33
項目からなる条件(以下「本件各条件」という。)を付して本件住宅建設
計画に協力する旨回答した。
これに対し,横浜防衛施設局長は,昭和59年9月5日付け「FAC3
087池子弾薬庫における米軍家族住宅の建設について(回答)」と題す
る文書(甲3号証)で,逗子市長に対し,本件各条件について回答した
(以下「本件回答」という。)。
オ(ア)しかし,A市長は同年10月に辞職し,新たに逗子市長に就任した
(以下「B市長」という。)は,昭和60年1月,被告に対し,本件各
条件付きで本件住宅建設計画に協力する旨のA市長の対応はすべて白紙
とする旨通知した。
その後,原告においては,本件住宅建設計画の受入れについて市民の
間でも意見が分かれ,市議会が解散するなどした。
(イ)また,昭和62年3月25日及び同年4月26日に,B市長,当時
神奈川県知事であったC(以下「C知事」という。)及び防衛施設庁長
官による三者会談が開かれたが,合意には至らなかった。
さらに,C知事は,B市長及び防衛施設庁長官に対し,同年5月8日
付けの文書(甲10号証)で調停案を提示したが,B市長は,同年10
月27日,C知事に対し,上記調停案を返上する旨回答した。
(ウ)そして,被告は,昭和62年9月,池子住宅地区における米軍家族
住宅の建設に着工した。
カ(ア)その後も原告は,本件住宅建設計画に反対の立場を表明していたが,
平成4年に逗子市長に当選したD(以下「D市長」という。)は,平成
6年5月26日付け「池子米軍家族住宅建設事業に係る解決について
(要請)」と題する文書(乙10号証)で,C知事に対し,以下の5項
目を基本として被告と話合いをすることを希望し,その仲介を要請した。
a緑地の保全
住宅の高層化により,東側部分の緑地の拡大を図る。
b返還
米軍家族住宅が不要となった場合は,全面返還に努めるものとし,
当面は,米軍家族住宅用地以外の地域について,逗子市が計画してい
る池子の森生態園の実現に向け協議する。
cA市長受入れ表明時の33条件(現実には27項目)については,
その後の状況を加味しながら実現を図る。
dシロウリガイ類化石及び埋蔵文化財のための資料館を建設する。
e地域社会における良好な関係の形成と親善交流の促進のため,逗子
市と日米当局の間で適当な協議機関を設置する。
(イ)上記要請を受けたC知事は,同年8月23日付け「池子米軍家族住
宅建設事業について(依頼)」と題する文書(乙11号証)で,防衛施
設庁長官に対し,上記原告の要請を伝え,本件住宅建設計画について,
原告,被告及び神奈川県による三者会談を開催するように依頼した。
その結果,原告,被告及び神奈川県によって,同月31日から同年1
1月17日までの間に,2回の三者会談と6回の検討会議(以下「本件
検討会議等」という。)が開催された(乙12号証の1ないし8)。
キそして,原告,被告及び神奈川県との間において,平成6年11月17
日,「合意書」と題する書面(以下「本件合意書」という。甲2号証)が
取り交わされ,本件合意が成立した(甲2号証)。
本件合意書の記載は以下のとおりである。
「合意書
防衛施設庁,逗子市及び神奈川県は,「池子住宅地区及び海軍補助
施設」の米軍家族住宅をめぐる懸案の円満な解決のため,本住宅建設
事業に係る逗子市要請事項につき協議を進めてきたところ,次のとお
り合意した。
1.防衛施設庁は,平成7年度予算により建設を予定している低層住
宅146戸のうち,108戸を高層化し,東側地区の緑地の拡大を
図る。
2.本施設の返還は難しい現状にあるが,将来返還された場合には,
逗子市を含めた関係諸機関で意見を調整し,緑の保全その他土地利
用に関する諸条件にも配慮し,適切な利用計画を策定する。
防衛施設庁は,本施設の米国への提供にあたって,施設・区域内
の緑地の現況保全に配慮する。
3.防衛施設庁は,逗子市要望のいわゆる33項目について,次によ
るほか,将来必要が生じたとき,昭和59年の横浜防衛施設局長回
答を基本とし,事情の変更を考慮しつつ対応する。
防衛施設庁は,施設・区域入口からa地区方面への進入路以西の
運動施設の逗子市民による利用につき,米国政府及び逗子市とその
使用形態を協議の上,必要な措置をとる。
防衛施設庁は,a小中学校共同運動場への近道を確保するため,
米国政府及び逗子市とその具体的位置等につき協議の上,必要な措
置をとる。
施設・区域内から排出されるごみについては,施設・区域内にお
いて分別されたものを,逗子市は,同市の焼却場において処理する。
施設・区域内から排出される汚水については,施設・区域内にお
いて一次処理されたものを,逗子市は,同市の下水処理場において
処理する。
逗子市及び神奈川県は,ごみ及び汚水の処理に必要となる事務を
遅滞なく行う。
4.防衛施設庁は,シロウリガイ類化石及び文化財の一部を施設・区
域内において保管・展示するため,逗子市及び神奈川県の協力を得
て必要な措置をとる。
5.地域社会における日米の良好な関係の形成と親善交流の促進のた
め,逗子市,在日米軍,防衛施設庁及び神奈川県による協議機関を
設ける。」
クそして,原告は,池子住宅地区の逗子市域部分における米軍家族住宅の
建設を受け入れ,平成10年3月までに,合計854戸の米軍家族住宅が
完成し,約3300名の米軍人及びその家族が入居した。
ケ平成15年7月18日,日米合同委員会第2回施設調整部会における
「神奈川県における在日米軍施設・区域の整理等に関する協議」において,
池子住宅地区の横浜市域部分(本件土地)に米軍家族住宅を建設すること
について日米両国間の認識が一致したとされ,800戸程度の建設計画が
発表された(甲16号証,弁論の全趣旨)。
上記発表を受けて,原告は,平成16年4月26日付け「池子住宅地区
及び海軍補助施設に係る米軍家族住宅建設計画について(照会)」と題す
る文書(甲17号証)で,防衛施設庁長官に対し,上記建設計画の白紙撤
回を求めるとともに,本件合意の合意内容に関する被告の認識について照
会した。
これに対し,横浜防衛施設局長は,平成16年6月22日付け「池子住
宅地区及び海軍補助施設に係る米軍家族住宅建設計画について(回答)」
と題する文書(甲18号証)で,逗子市長に対し,住宅建設を撤回する考
えはないこと,上記建設計画に基づく住宅建設が本件合意の合意内容及び
その成立に至る経緯に反しているものとは考えていないことなどを回答し
た。
そこで,原告は,平成16年8月3日付け「米軍家族住宅追加建設計画
について(通知)」と題する文書(甲19号証)で,防衛施設庁長官に対
し,改めて,上記建設計画を白紙撤回する意向の有無について回答を求め
たが,横浜防衛施設局長は,同年8月23日付け「池子住宅地区及び海軍
補助施設における米軍家族住宅の建設について(回答)」と題する文書
(甲20号証)で,逗子市長に対し,上記建設計画を撤回する意思のない
旨を回答した。
3争点
本件の本案前の争点は,以下の各点である。
①本件訴えが,裁判所法3条1項の「法律上の争訟」に当たるかどうか。
②本件訴えに,確認の利益があるかどうか。
4争点に関する当事者の主張
(1)争点①について
【被告の主張】
ア「法律上の争訟」の意義について
(ア)行政事件を含む民事事件において,裁判所がその固有の権限に基づ
いて審判することのできる対象は,裁判所法3条1項にいう「法律上の
争訟」,すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に
関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決する
ことができるものに限られる(最高裁判所昭和56年4月7日第三小法
廷判決・民集35巻3号443頁参照)。
(イ)a最高裁判所昭和49年5月30日第一小法廷判決(民集28巻4
号594頁。以下「昭和49年最高裁判決」という。)及び最高裁判
所平成13年7月13日第二小法廷判決(判例地方自治223号22
頁。以下「平成13年最高裁判決」という。)からすると,判例は,
行政主体が原告となる訴訟につき法律上の争訟性を肯定するためには,
行政作用を担当する行政主体としての地位ではなく,自己の主観的な
権利利益に基づいて保護救済を求めるものであることが必要との考え
方を採用しているものということができる。
b最高裁判所平成14年7月9日第三小法廷判決(民集56巻6号1
134頁。以下「平成14年最高裁判決」という。)は,上記の判例
理論をより明確にして,「国又は地方公共団体が提起した訴訟であっ
て,財産権の主体として自己の財産上の権利利益の保護救済を求める
ような場合には,法律上の争訟に当たるというべきであるが,国又は
地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の
履行を求める訴訟は,法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目的
とするものであって,自己の権利利益の保護救済を目的とするものと
いうことはできないから,法律上の争訟として当然に裁判所の審判の
対象となるものではなく,法律に特別の規定がある場合に限り,提起
することが許されるものと解される。」と判示している。
同判決の趣旨は,国又は地方公共団体等の行政主体が行政上の義務
の履行を求める訴訟だけでなく,行政主体が行政権の主体たる地位に
おいて提起する争訟全般において妥当するということができる。
イ本件訴えが不適法であること
(ア)本件合意書の文言
a本件合意書の「2」の2項には,「防衛施設庁は,本施設の米国へ
の提供にあたって,施設・区域内の緑地の現況保全に配慮する。」と
記載されているが,防衛施設庁が緑地の現況を保全するために何らか
の措置を執るか否か,何らかの措置を執るとして具体的にいかなる措
置を執るか,という点について明記されていない。したがって,被告
に対して具体的な義務を負わせたものと解することはできない。
むしろ,「配慮する」という文言が端的に示すとおり,あくまで,
緑地の現況保全という原告の一般公益に配慮するとの行政上の施策な
いし方針を表明したもので,その実施は,防衛施設庁の判断にゆだね
られているものである。
b本件合意書の「3」の1項には,「防衛施設庁は,逗子市要望のい
わゆる33項目について,次によるほか,将来必要が生じたとき,昭
和59年の横浜防衛施設局長回答を基本とし,事情の変更を考慮しつ
つ対応する。」と記載されているが,将来の事情変更のいかんを問わ
ず,防衛施設庁が本件回答に沿った措置を執る旨が明記されているわ
けではない。したがって,被告に対して具体的な義務を負わせたもの
と解することはできない。むしろ,本件合意書の「3」の1項は,あ
くまで,本件各条件について,本件回答を基本とし,事情の変更を考
慮した対応を執るとの行政上の施策ないし方針を表明したもので,そ
の実施は,防衛施設庁の判断にゆだねられているものである。
また,本件各条件及び本件回答は,その内容からも明らかなとおり,
原告の自然環境の保護,基地関係交付金の増額,地域経済の振興,住
民の墓参,医療施設・運動施設・文化施設等の確保,水害の防止,汚
水・ごみ処理の方法,交通・治安・防災・防火対策等に関するもので
あって,専ら原告の一般公益の維持・確保を目的とするものにほかな
らない。したがって,本件合意書の「3」の1項も,専ら原告の一般
公益の維持・確保を目的とするものであることが明らかである。
cさらに,本件合意書の他の内容を見ても,「3」の2項及び3項は,
いずれも「防衛施設庁は・・・(関係機関と)協議の上,必要な措置
をとる」とされているにすぎないし,「4」においても,「防衛施設
庁は・・・逗子市及び神奈川県の協力を得て必要な措置をとる」とし
ているにすぎず,防衛施設庁が行うべき事項を具体的に定めてはいな
い。
また,本件合意書が引用する本件回答の他の内容においても,その
多くは「調整いたしたい」,「協議いたしたい」,「努力する」など
とされているにすぎない。
(イ)本件合意に関する事実経過
a本件合意成立に至る検討会議において提供中の施設・区域に制約を
加えるのは極めて困難である旨明らかにされていること
本件検討会議等のうち,第1回検討会議において,D市長が「住宅
が不要となった場合の全面返還を望むが,全面返還への第1歩として,
これ以上転用されることのないよう,残余地が森として残される保証
が欲しい。」,「そのため,返還跡地の利用計画である生態園構想の
実現を要望する。」などと要望したのに対し,被告側は,「昭和62
年の知事調停を基本に協議を進める。」との基本認識を示した上で,
「池子の森生態園は具体的内容が明らかでないが,提供中の施設・区
域に制約を加えるのは極めて困難。」などと回答し,また,第2回検
討会議において,原告側が,米軍家族住宅が建設された後の「残余
地」について,原告の生態園の名前を使用したいとの希望を表明する
とともに,「市民に緑が3分の2守られたと言いたい。」などと要望
したのに対し,被告側は「当面,残余地での住宅建設計画はないが,
将来を縛る約束は不可」,「提供中の施設・区域の管理は米軍であり,
制約を加えるのは極めて困難。米側の意向に大きく関わる問題で,こ
の要請に応ずるのは不可能。」などと回答しているのであるから,被
告が,本件合意において,今後米軍家族住宅の建設を一切行わないと
か,緑地の現状を一切変更しないなどと合意することはあり得ない。
また,第6回検討会議において,原告側が,合意書案の第2項第2
文に関して,「保全」の前に「現況」を入れてほしい旨要望したため,
案文は「防衛施設庁は,本施設の米国への提供にあたって,施設・区
域内の緑地の現況保全に配慮する。」と修正されたが,仮に,被告が
原告側の要望を受け入れ,現状保存を確約したのであれば,あえて
「配慮する」との文言を使用するはずはなく,被告が原告側の要望を
全面的には受け入れ難いとの姿勢を固持したことは明らかである。
b本件合意が私法上の和解に当たらないこと等をD市長が明言してい
ること
D市長は,本件合意が行われた直後である平成6年11月25日に
開催された逗子市議会の基地対策特別委員会において,E委員からの
「『施設区域内の緑地の現況保全に配慮する。』と,この配慮すると
いう表現になっていますけれども,どうして保全するという形で終わ
らなかったんでしょうか。」との質問に対し,「その言葉そのものに
関しましては,保全するというと現況の米軍提供施設というものに対
して制限を加えることになるということで言い切るという形は無理だ
ということでございました。」と答弁している。また,D市長は,同
委員会において,F委員から本件合意の法的性質について質問された
のに対し,「これは裁判があってとか,あるいはということの中での
和解ということではございません。そういう意味では法的な位置付け
という直接の契約ということではない。話し合い協議の結果の合意文
書ということでございます。」と答弁している。
以上のように,本件合意の当事者であるD市長自身が,本件合意は
私法上の和解に当たる法的合意などではないことを認識し,その認識
を外部に表明している。
(ウ)小括
上記のところからすると,本件合意は,法的な合意ではなく,防衛施
設庁において,その所管事項について執るべき行政上の施策ないし方針
を表明し,これに対し,原告が,逗子市域の緑地の現況保全や逗子市民
の生活の利便等,原告の一般公益の維持・確保の観点から,上記防衛施
設庁の行政上の施策ないし方針の受入れを表明したものというべきであ
り,原告は,行政権の主体たる地位において本件合意をしたことが明ら
かであるといえる。
そうすると,本件合意における被告の義務の確認を求める本件訴えは,
原告が,行政権の主体たる地位において,防衛施設庁に行政上の施策な
いし方針を遂行する義務があることの確認を求めるものと解するのが相
当である。
したがって,本件訴えは,行政主体が行政権の主体たる地位において
一般公益の維持・確保のために提起したものにほかならないから,本件
訴えは法律上の争訟に当たらず不適法である。
【原告の主張】
ア「法律上の争訟」の意義について
(ア)a地方公共団体は,住民の福祉の増進を図ることを基本として,地
域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う(地方
自治法1条の2第1項)存在であり,そのような「公益」を目的とす
る法人(同法2条1項)であるところ,このような立場にある行政主
体が様々な形で私人,あるいは他の行政主体と契約関係に入ることは
広く存在し,行政主体間においても,民法上の契約関係が成立するこ
とがある。
そして,行政主体が,地方自治法に規定するその役割を広く担う
立場から一般公益の維持・確保を目的として契約関係に入ったとし
ても,当該契約関係について紛争が発生した場合には,当該紛争は
「当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争
であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することの
できるもの」であり,「法律上の争訟」であるから,司法審査の対
象となる。
b平成14年最高裁判決は,「財産権の主体として自己の財産上の権
利利益の保護救済を求めるような場合には,法律上の争訟に当たる」
と判示しているが,上記「財産権」とはすべての財産的権利をいうの
であり,債権がこれに含まれることはいうまでもない。また,「財産
権」の性格によって,法律上の争訟性が否定されることはない。
そして,最高裁判所平成6年2月8日第三小法廷判決(民集48巻
2号123頁)は,国による国民金融公庫に対する不当利得返還請求
権の存否について実体判断をしており,また,東京地方裁判所昭和5
4年2月19日判決(行裁集30巻2号249頁)は,国が横田基地
の一部として米軍に提供してきた土地の使用許可の更新の拒否処分に
対してした審査請求について,都知事が何らの裁決を行わなかったの
で,その不作為の違法確認を求めて国が出訴した事案であるが,この
事案において裁判所は,国の請求を「国が私人と同様の立場で普通地
方公共団体の行政財産の使用を求め」る場合であるとし,その請求を
認めている。さらに,福岡地方裁判所昭和55年6月5日判決(判例
タイムズ417号51頁)は,大牟田市が,国に対して,電気課税権
を根拠に,減収相当分の金銭の支払を求めた事案であるが,このよう
な事案においても,裁判所は法律上の争訟性を否定することなく,実
体判断を行っているし,東京高等裁判所昭和55年7月28日判決
(行裁集31巻7号1558頁)は,摂津市が,国に対して,地方財
政法,児童福祉法,同法施行令を根拠に,補助金の支払を求めた事案
であるが,これについても,法律上の争訟性は疑われていない。
(イ)昭和49年最高裁判決と平成13年最高裁判決について
a昭和49年最高裁判決は,自立性・独立性が認められた地方公共団
体であっても,市町村等が「国の事務を法の規定に基づいて遂行して
いる」,「専ら法の命ずるところにより国の行政作用を担当する」場
合には,上級・下級の行政組織法理が適用され,裁判所への訴えが認
められないことがあり得るということを判示しているものであり,一
般的に,地方公共団体の訴訟が,「自己の主観的な権利利益に基づき
保護救済を求めている場合に限り法律上の争訟性を肯定することがで
きる」と判示してはいない。また,平成13年最高裁判決は,行政主
体の提起した訴訟について法律上の争訟性が肯定されるのは,「自己
の主観的な権利利益に基づき保護救済を求めている場合に限られる」
などと判示していない。これらの事案に共通しているのは,国又は地
方公共団体という「行政主体」が提訴した訴訟であるという点のみで
あって,内容も争点も全く異なっているから,被告が主張するような
「判例理論」を導くことは不可能である。
bそして,平成14年最高裁判決は,国又は地方公共団体が「専ら行
政権の主体として」私人に対し,法令又は法令に基づく行政処分によ
り私人に課した「行政上の義務の履行を求める場合」である事案につ
いて判示したものであって,「行政主体が,自己の主観的な権利利益
に基づき保護救済を求めている場合に限り,法律上の争訟性を肯定す
ることができる」などとは判示していない。昭和49年最高裁判決及
び平成13年最高裁判決の各判示と併せて考慮したとしても,平成1
4年最高裁判決の「国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国
民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は法律上の争訟性が認め
られない」旨の判示が,「行政主体が,行政権の主体たる地位におい
て提起する争訟全般」に妥当し,法律上の争訟性が認められないこと
になるなどということはできない。
イ本件訴えが「法律上の争訟」に当たること
(ア)本件合意書の文言
a本件合意は,独立した法的主体が互いに合意事項についてその意
思を確認した「合意」であり,原告と被告との間における「池子住
宅地区及び海軍補助施設の米軍家族住宅をめぐる懸案の円満な解決
のため」に合意されたものであることが,本件合意書の文言そのも
のからも明らかである。したがって,本件合意は,単に,「行政上
の施策ないし方針を表明したもの」ではなく,「懸案の円満な解決
のため」,「合意した」ものであることは,本件合意書の文言上も
明らかである。また,本件合意は,本件合意成立時に,被告が原告
に対して表明した事項について,原告がこれを受け入れて同意する
ことによって「合意した」合意事項であるから,被告が主張するよ
うに「その実施は,防衛施設庁の判断にゆだねられているもの」で
はない。
b本件合意における合意内容の根幹部分は,池子住宅地区には,米軍
家族住宅の計画区域に854戸の住宅が建設されるほかは,米軍家族
住宅の追加建設がなく,池子住宅地区全体について「緑地の現況保
全」がなされるということであった。したがって,本件合意書の
「2」の第2項「施設・区域内の緑地の現況保全に配慮する。」とは,
池子住宅地区の緑地の現況を保全するということであり,また,本件
合意書の「3」の第1項「昭和59年の横浜防衛施設局長回答を基本
とし,事情の変更を考慮しつつ対応する。」とは,住宅建設戸数の限
度を遵守することについては,池子住宅地区にこれ以上の家族住宅を
追加建設する考えはない(甲3号証)ということなのである。
(イ)本件合意に関する事実経過
a本件合意は,原告が池子住宅地区での米軍家族住宅の建設に強く反
対し,池子住宅地区の返還を受けてこれを自然公園として活用してい
くことを希望して活動してきた経緯を踏まえて,被告が本件各義務の
存在とその遵守を認めるという事実を受けて,原告が池子住宅地区に
米軍家族住宅854戸の建設を容認するに至ったことを確認した合意
である。
すなわち,本件合意が成立した時点では,すでに住宅建設の工事が
被告によって開始されており,このような切迫した時期に,被告に対
する歯止めをかけようとして,池子住宅地区の全面返還を求めてきた
原告が,残余地について緑の保全や追加建設がないことを被告に約束
させ,この約束の拘束力を確実なものにしようとして成立させた合意
が,本件合意である。また,本件合意の締結に至るまでの過程及びそ
の締結後において,原告では市長が何度も代わるなど,原告にとって
池子住宅地区に関する本件合意は極めて重大かつ深刻な課題であった。
したがって,本件合意が,防衛施設庁の行政上の施策ないし方針と原
告におけるその受入れをそれぞれ表明したものなどではないことは明
らかである。
b本件検討会議等での交渉・協議について
本件検討会議等のうち,第2回検討会議において,被告が「将来を
縛る約束は不可」,「提供中の施設・区域・・・(に)制約を加える
のは極めて困難」と発言した理由は,同会議の会議録に記載されてい
るとおり,「提供中の施設・区域の管理は米軍であり」,「米側の意
向に大きく関わる問題」であったからである。
そして,第4回検討会議では,被告から,生態園について,「市
の緑の保全という意向に配慮して」原告の要望を米国側に伝えたと
の報告がなされているが,その後,防衛施設庁長官が訪米し,ハワ
イにおける米軍太平洋軍総司令部副司令官等との面会で,「地元と
の融和を大切に考えている。最大限,好意的に対応すべく努力す
る。」という米軍側の感触を得ており(乙12号証の6),また,
ワシントンでのホワイトハウス大統領特別補佐官らとの会談では,
「ハワイからのものと同様」との感触が得られ,「近々回答がある
予定」ということであった(乙12号証の6)。
その後,米軍からの「回答」が得られ,第6回検討会議において,
被告は,「住宅地以外の緑地の保全への配慮」等について「ほぼ満
足できる回答を得た」,「市側の要望をほとんど満足させられたと
思う」などと説明している。さらに,「『本提供施設内に米軍住宅
の追加建設はない。』ということについては,国としては,提供中
の施設・区域に制限を加えることは難しいが,いわゆる33項目に
含まれている」として,既に本件回答において,約束されている事
項であることを確認する旨を回答している。なお,その際,「提供
中の施設・区域に制限を加えることは難しい」と説明されているの
は,生態園構想に関しての発言であって,追加建設がないことにつ
いての言及ではない。
以上のとおり,被告が「将来を縛る約束は不可」,「提供中の施設
・区域・・・(に)制約を加えるのは極めて困難」と発言していた理
由ないし障害であった米軍の意向については,防衛施設庁長官による
訪米などによって問題のないことが確認され,障害が克服されたから
こそ,本件回答中の「追加建設する考えはない」という回答が本件合
意に盛り込まれたのである。したがって,被告が上記のように発言し
ていた事実は,逆に,そのような困難・障害が克服されて成立した本
件合意の法的拘束力を認める根拠となる事実というべきである。
cD市長の逗子市議会の基地対策特別委員会での答弁等について
(a)本件合意の締結後である平成6年11月25日及び同月28日
に開かれた逗子市議会の基地対策特別委員会において,D市長は
「緑地からきますと,いわゆる事業用地外の残余地と言われるとこ
ろにつきまして,現況の緑地保全,つまり206ヘクタール現況緑
地保全という形で残ったということは私は非常に大きいことである
と思っております。」,「もう一つ33項目にも追加建設はないと
いうことございまして,このことも一つは返上していたのをもう一
度確認したということがあるわけでございますから,やはりそうい
う意味でいけば今後追加建設されることはなく,緑地は現況のまま
残ると,そして返還された場合にはその後の利用については協議を
していくということで出ているわけですから,私はこれは大きな返
還への道筋というふうにとらえております。」,「緑地の面からい
いましても,いわゆる住宅地外の残余地と呼ばれるところの部分に
つきましては,現況の緑地保全という形で,合意書に改めてこの項
が載せることができたということは,私は非常に大きな成果だった
と思っております。」,「まず,実質的には現況の緑地保全という
ところからと,もう一つは33項目調停案にもございました,米軍
家族住宅の追加建設はないということを,これも返上していたもの
を改めて確認をして入っておりますので,このことからこの残余地
についてもほかに住宅としても使うことはない,現況の緑地保全で
いくということがとれたということは,非常に私としては大きいと
いうふうに思っております。」などと答弁している。
また,本件検討会議等のうち,第6回検討会議において,「緑地
の保全を強調するために,『保全』の前に『現況』を入れてほし
い。」という原告の要望が受け入れられて,実際に「現況」という
文言が本件合意に取り入れられたという経緯がある。
以上のような事実は,D市長が,施設・区域内の緑地の現況保全
がなされ,そのことについて法的な拘束力があると認識していたこ
と,そして,本件合意書の文言は,そのような認識を反映するもの
として作成されたという事実を示している。
(b)なお,上記【被告の主張】イ(イ)bの,F氏の質問に対するD
市長の答弁は,「自治法の第96条の第12項ですか,の中にだけ
和解というような言葉が入っているんですよね。だけれども,これ
はちょっとこの場合に当てはまりませんし,そういうことでいくと
この正確な位置付けというものを,この際きちっと御見解を示して
いただきたいと存じます。」という質問に対する答弁であり,本件
合意が地方自治法96条12項が規定する和解ではないと認識して
いるという趣旨の答弁ではあっても,法的効力を否定する趣旨の答
弁ではない。また,D市長は,その直後の答弁で,法的効力が認め
られるか否かという観点からは,「これは公にされた合意内容でご
ざいますから,双方ともに履行する責任があるというものだと思い
ます。」と答弁している。
さらに,当時の逗子市都市政策室長であり,本件合意の経過と成
立に事務担当者として関与したG氏も,「法的な拘束力というよう
なことにつきましてはあれですけれども,やはり行政の長がその責
任において相手の機関と約束事をしたわけですから,やはりそう軽
いものではないはずでありますし,それから法律的な効果を欲して
行った行為でもありますし,法的な効果について疑いを持つような
ものじゃないと思っております。」と答弁しているのであって,本
件合意に法的拘束力があると認識していたことは明らかである。
d小学校建設を巡る交渉・協議での被告の見解
被告は,池子住宅地区における小学校建設に関して,逗子市長にあ
てた平成13年7月9日付け「FAC3087池子住宅地区及び海軍
補助施設における小学校の建設について」と題する文書(甲24号証
の4)において,「今回の協議において確認された別紙の項目並びに
いわゆる33項目及び合意5項目の未達成事項について,誠実に履行
する旨通知します。」としており,その別紙では,「池子住宅地区に
おける米軍家族住宅の追加建設については,昭和59年のいわゆる3
3項目の回答の中で,『家族住宅を建設する考えはない』と回答して
おり,現在でも同じ認識であります。」としている。
(ウ)小括
上記のところからすると,本件合意は,本件土地を含む池子住宅地区
に関する「懸案」の「円満な解決のため」に,被告が米軍家族住宅の建
設戸数を遵守しなければならない義務を負うことを主な内容とし,他方,
原告が米軍家族住宅の建設及び建設後の運営に関して協力する義務を負
うことを主な内容として,それぞれが負担すべき義務内容を具体的に明
らかにした上で合意された和解的な性格を有する私法的合意であり,原
告は,前記「住民の福祉の増進を図ることを基本として,地域における
行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」目的で,本件合意
を行ったものである。
なお,被告が,本件合意に基づく義務を履行することによって,被告
の行政権の行使内容が変容されるとしても,合意の当事者が自らの合意
に拘束されることは,合意の当然の効果であり,私法上の義務と同様で
ある。
したがって,本件訴えは,行政主体である原告が,本件合意において
表明され,原告との間で合意された被告の個別的・具体的な義務の確認
を求める訴えであり,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」,すな
わち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争で
あって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することのできる
もの(前記最高裁判所昭和56年4月7日第三小法廷判決等参照)に該
当する。
(2)争点②について
【被告の主張】
ア確認訴訟は,確認の利益がある場合,すなわち原告の権利又は法律的地
位に不安が現に存在し,かつその不安を除去する方法として原告被告間で
その訴訟物たる権利又は法律関係の存否の判決をすることが有効適切であ
る場合に認められるところ,この点は,確認訴訟が民事訴訟として提起さ
れる場合と公法上の当事者訴訟として提起される場合とで異なるものでは
ない。
イ本件において,原告は,公行政一般の公益と区別される自己の私法上の
権利利益に対する不安を除去するために,本件合意に基づく義務の存在を
確認することが必要であることについて何ら主張するものではないから,
本件訴えは確認の利益がないというべきである。
ウまた,普通地方公共団体は,その区域(地方自治法5条1項)を限界と
して種々の公法上の権限が認められるから,その区域外の他の普通地方公
共団体の公益上の問題にまで容喙することができないことが原則である。
今回被告が住宅建設を予定しているのは池子住宅地区の横浜市域部分であ
って,原告の権限の及ばない地域であり,当該地域における住宅建設に伴
う自然環境の保護等の公益上の問題は,横浜市等の他の普通地方公共団体
等が決定すべき問題で,原告が容喙できる問題ではない。
したがって,原告が本件訴えにおいて保護を求めようとする事項は,本
来原告の権利又は法律的地位には何ら影響を及ぼすものではないから,本
件訴えにつき,原告の権利又は法律的地位に不安が現に存在し,かつその
不安を除去する方法として原告被告間でその訴訟物たる権利又は法律関係
の存否の判決をすることが有効適切であるなどということはできず,確認
の利益はない。
【原告の主張】
ア確認の利益が認められるためには,原告の法的地位に不安や危険が現存
し,これを解消するために,当該請求につき確認判決を得ることが必要か
つ適切であることを要するとされ,通常は,原告の法的地位を被告が否定
したり,原告の法的地位と抵触する法的地位を主張したりする場合に原告
に不安・危険が生じると解されている
本件において,原告は,本件合意の当事者として,当該合意によって,
被告から池子住宅地区において米軍家族住宅を追加建設しない旨の確約を
得ているにもかかわらず,本件合意の対象は逗子市域に限定されており本
件土地は対象外であるとする被告によって,その具体的・現実的な固有の
法的地位を否定され,原告の法的地位に不安や危険が現存するため,これ
を解消するために本件訴えを提起している。
したがって,原告の本件訴えには確認の利益が認められる。
イ被告は,本来原告が容喙できない地域について本件訴えを提起している
旨主張している。
しかし,本件各義務は,本件合意の当事者である原告と被告との間に
おける義務であり,かつ,被告の所有地(一部借地を含む。)である本
件土地の利用方法に関するものであるから,本来原告が容喙できない地
域について本件訴えを提起しているものではない。
第3当裁判所の判断
1争点①について
(1)司法審査の対象
裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は,裁判所
法3条1項にいう「法律上の争訟」,すなわち当事者間の具体的な権利義務
ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用によ
り終局的に解決することができるものに限られる(前記最高裁判所昭和56
年4月7日第三小法廷判決)。
そして,本件訴えは,原告が,原告,被告及び神奈川県との間でされた本
件合意により,被告は原告に対し本件各義務を負っているとして,その確認
を求めるというものである。
そこで,本件訴えが,原告と被告との間の具体的な権利義務ないし法律関
係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解
決することができるものであるかどうか,すなわち,本件合意が,原告と被
告との間に,上記のような具体的な権利義務ないし法律関係を発生させるも
のであるかどうかについて検討することとする。
(2)検討
ア本件合意がされるに至った経緯について
前記第2,2(2)のとおり,原告は,昭和20年代から池子住宅地区の
返還運動を行い,本件住宅建設計画が計画されてからは,同計画の受入れ
の是非を巡って意見が対立し,これが原因で市長が何度も交代し,市議会
も解散するなどしながら,基本的には本件住宅建設計画に反対の立場に立
って,10年以上にわたって被告と交渉を続けてきたが,最終的には,本
件合意がされたことによって,本件住宅建設計画を受け入れている。した
がって,原告が本件住宅建設計画を受け入れるについて,本件合意が成立
したことが重要な意味をもっていたことは明らかである。
しかし,原告は池子住宅地区内の土地等について所有権等の具体的な権
利を有していたわけではなく,上記のように本件住宅建設計画に反対の立
場をとり,被告と交渉してきたのは,池子住宅地区の緑地を保全し,自然
公園等として整備するとともに,返還跡地を市民のために有効利用したい
等,行政主体として,いわば公益を図るための活動であったことも明らか
である。
このような経緯に照らすと,原告が本件合意をしたのは,当時の市政に
おける懸案事項であり,既に建築工事が着工されていた本件住宅建設計画
をめぐる行政上の問題を解決するのが目的であったということができる。
イ本件合意書の記載内容について
(ア)まず,本件合意書に記載されている文言をみると,その内容は前記
第2,2(2)キのとおりである。
これによれば,その記載は「防衛施設庁は・・・108戸を高層化し,
東側地区の緑地の拡大を図る。」(「1」),「将来返還された場合に
は,逗子市を含めた関係諸機関で意見を調整し,緑の保全その他土地利
用に関する諸条件にも配慮し,適切な利用計画を策定する。」,「防衛
施設庁は,本施設の米国への提供にあたって,施設・区域内の緑地の現
況保全に配慮する。」(以上「2」),「防衛施設庁は・・・将来必要
が生じたとき,昭和59年の横浜防衛施設局長回答を基本とし,事情の
変更を考慮しつつ対応する。」,「防衛施設庁は・・・米国政府及び逗
子市とその使用形態を協議の上,必要な措置をとる。」,「防衛施設庁
は・・・米国政府及び逗子市とその具体的位置等につき協議の上,必要
な措置をとる。」(以上「3」),「防衛施設庁は・・・逗子市及び神
奈川県の協力を得て必要な措置をとる。」(「4」)などというもので
あって,被告(防衛施設庁)が行うべき行為ないし措置の内容は,すべ
てが抽象的に表現されていて,具体的な法的義務を規定したものと解す
るのは困難な表現振りとなっている。また,原告が行うべき行為ないし
措置の内容についても,「施設・区域内から排出されるごみについては,
施設・区域内において分別されたものを,逗子市は,同市の焼却場にお
いて処理する。」,「施設・区域内から排出される汚水については,施
設・区域内において一次処理されたものを,逗子市は,同市の下水処理
場において処理する。」,「逗子市及び神奈川県は,ごみ及び汚水の処
理に必要となる事務を遅滞なく行う。」(以上「3」)などと記載され
ているだけであり,ある程度具体的な記載となってはいるものの,具体
的な法的義務を規定したものとまでは認められない。
特に,原告が本件各義務の根拠であると主張する条項についてみてみ
ると,本件合意書の「2」は,「防衛施設庁は,本施設の米国への提供
にあたって,施設・区域内の緑地の現況保全に配慮する。」と記載され
ているだけであって,被告は「緑地の現況保全」のために何らかの措置
を執らなければならないのか,執るとして具体的にいかなる措置を執る
のか,などについて全く記載されておらず,上記の「配慮する」という
文言から,この規定が被告に「緑地の現況を変更してはならない」とい
う具体的な法的義務を負わせたものと解することは困難である。
また,本件合意書の「3」には,「防衛施設庁は,逗子市要望のいわ
ゆる33項目について,次によるほか,将来必要が生じたとき,昭和5
9年の横浜防衛施設局長回答を基本とし,事情の変更を考慮しつつ対応
する。」と記載されている。上記横浜防衛施設局長回答とは,前記第2,
2(2)エのA市長が付した本件各条件に対する回答(本件回答)をいう
ものと認められるが,この回答自体がそこに記載された内容の法的義務
を負う趣旨とは解し得ない上に,上記のとおり,本件合意書の「3」に
は,「将来必要が生じたとき」,昭和59年の横浜防衛施設局長回答を
「基本とし」,「事情の変更を考慮しつつ対応する。」と不確定な要素
が多く,この記載自体が被告において常に本件回答に従った措置を執ら
なくてはならないことを表現しているとは読み難い。このような本件合
意書の「3」の記載をもって,被告に「米軍家族住宅を建設してはなら
ない」という具体的な法的義務を負わせたものと解することは困難であ
る。
上記のように,本件合意書における記載には,不確定であいまいな表
現が多用されており,一義的に明確であるべき法的な義務を規定したも
のとは解し難く,かえって,将来の状況の変化等に応じて柔軟に適宜の
措置等が執れるように,関係者それぞれの行政的な責務を規定したもの
と理解する方が自然であるといえる。
(イ)原告が,行政主体としての立場で,その行政施策上の懸案を解決す
る目的で本件合意をしたものと認められることは,上記アのとおりであ
る。そして,本件合意書の内容をみると,前記第2,2(2)キのとおり,
本件合意書には,被告が池子住宅地区に米軍家族住宅を建設するに当た
って,建設する米軍家族住宅の規模,池子住宅地区の土地の利用方法,
排出されるごみ及び汚水の処理方法等について,原告,被告及び神奈川
県が行うべき行為ないし措置等が定められているが,いずれも行政主体
として行うべき行政上の施策であるとみるのが自然なものばかりである。
ウ原告が主張するその余の事実について
(ア)原告は,本件検討会議等において,被告が当初「将来を縛る約束は
不可」,「提供中の施設・区域・・・(に)制約を加えるのは極めて困
難」と発言していたが,その理由ないし障害であった米軍の意向につい
て,防衛施設庁長官による訪米などによって問題のないことが確認され,
障害が克服されたからこそ,本件回答中の「追加建設する考えはない」
という回答が本件合意に盛り込まれたのであるから,被告が上記発言を
していた事実は,かえって本件合意の法的拘束力を認める根拠となる事
実である旨主張する。
確かに,本件検討会議等のうち,第2回検討会議において,原告が,
「残余地を転用しない,緑を守ることを確証するために,市の生態園の
名前を使用したい。市民に緑が3分の2守られたと言いたい。」旨述べ
たのに対し,被告が「当面,残余地での住宅建設計画はないが,将来を
縛る約束は不可。」,「提供中の施設・区域の管理は米軍であり,制約
を加えるのは極めて困難。米側の意向に大きく関わる問題で,この要請
に応ずるのは不可能。」と回答していること(乙12号証の3),第4
回検討会議において,被告が,上記生態園について,「市の緑の保全と
いう意向に配慮して,市からの要望を(米国側に)伝えた。」旨述べて
いること(乙12号証の5),第5回検討会議において,被告が,防衛
施設庁長官の米軍太平洋軍総司令部副司令官等との面会で,「地元との
融和を大切に考えている。最大限,好意的に対応すべく努力する。」旨
の反応を得たと報告していること(乙12号証の6),第6回検討会議
において,被告は,「住宅地以外の緑地の保全への配慮」等について米
国側から「ほぼ満足できる回答を得たと思っている。」,「市側の要望
をほとんど満足させられたと思う。」旨述べていること(乙12号証の
7)が認められる。
しかし,政治的,行政的な合意であっても,それが守られるべきこと
は当然なのであって,本件合意がされる過程で上記のような経過があっ
たとしても,このような事情は本件合意が原告と被告との間に法的な権
利義務を発生させるものであることの根拠になるものではない。
(イ)原告は,D市長等の,本件合意の締結後に開かれた逗子市議会の基
地対策特別委員会における答弁,及び,第6回検討会議において,「緑
地の保全を強調するために,『保全』の前に『現況』を入れてほし
い。」という原告の要望が受け入れられて,実際に「現況」という文言
が本件合意に取り入れられたという経緯からすれば,D市長は本件合意
に法的な拘束力があると認識しており,本件合意書の文言は,そのよう
な認識を反映するものとして作成された旨主張する。
確かに,平成6年11月25日及び同月28日に開かれた逗子市議会
の基地対策特別委員会において,D市長は,「緑地からきますと,いわ
ゆる事業用地外の残余地と言われるところにつきまして,現況の緑地保
全,つまり206ヘクタール現況緑地保全という形で残ったということ
は私は非常に大きいことであると思っております。」,「もう一つ33
項目にも追加建設はないということございまして,このことも一つは返
上していたのをもう一度確認したということがあるわけでございますか
ら,やはりそういう意味でいけば今後追加建設されることはなく,緑地
は現況のまま残ると,そして返還された場合にはその後の利用について
は協議をしていくということで出ているわけですから,私はこれは大き
な返還への道筋というふうにとらえております。」,「緑地の面からい
いましても,いわゆる住宅地外の残余地と呼ばれるところの部分につき
ましては,現況の緑地保全という形で,合意書に改めてこの項が載せる
ことができたということは,私は非常に大きな成果だったと思っており
ます。」,「まず,実質的には現況の緑地保全というところからと,も
う一つは33項目調停案にもございました,米軍家族住宅の追加建設は
ないということを,これも返上していたものを改めて確認をして入って
おりますので,このことからこの残余地についてもほかに住宅としても
使うことはない,現況の緑地保全でいくということがとれたということ
は,非常に私としては大きいというふうに思っております。」などと答
弁し,また,G都市政策室長は,委員からの「(中略)実際には法的な
拘束力もないんじゃないかと考えているんですけど,その見解をお伺い
したいと思います。」との質問に対して,「法的な拘束力というような
ことにつきましてはあれですけれども,やはり行政の長がその責任にお
いて相手の機関と約束事をしたわけですから,やはりそう軽いものでは
ないはずでありますし,それから法律的な効果を欲して行った行為でも
ありますし,法的な効果について疑いを持つようなものじゃないと思っ
ております。」と答弁していること(甲26号証),本件検討会議等の
うち,第6回検討会議において,本件合意書の「2」第2段落の文言に
ついて,原告が「緑地の保全を強調するために,『保全』の前に『現
況』を入れてほしい。」と要望した結果,そのとおり上記文言が修正さ
れていること(乙12号証の7)が認められる。
しかし,D市長は,上記各答弁の中で,本件合意が法的拘束力を持つ
ものかどうかについては何も述べていないし,また,上記G都市政策室
長の答弁は,委員からの質問に答える形で本件合意についての自己の見
解を述べたものに過ぎない。そして,上記第6回検討会議における経緯
についても,原告が本件合意に法的拘束力を持たせることを要望した結
果,その趣旨で修正が行われたというものでもない。
したがって,上記の各事実から,D市長が本件合意に法的な拘束力が
あると認識しており,本件合意書の文言がそのような認識を反映するも
のとして作成されたなどとは認められない。
(ウ)原告は,被告が,本件合意後に行われた池子住宅地区における小学
校建設に関する交渉ないし協議において,本件回答に従い,池子住宅地
区に米軍家族住宅を追加建設しないことを明らかにしていた旨主張する。
確かに,横浜防衛施設局長が逗子市長にあてた平成13年7月9日付
「FAC3087池子住宅地区及び海軍補助施設における小学校の建設
について」と題する文書(甲24号証の4)には,「今回の協議におい
て確認された別紙の項目並びにいわゆる33項目及び合意5項目の未達
成事項について,誠実に履行する旨通知します。」と記載され,その別
紙には,「池子住宅地区における米軍家族住宅の追加建設については,
昭和59年の貴市に対するいわゆる33項目の回答の中で,『家族住宅
を建設する考えはない』と回答しており,現在でも同じ認識でありま
す。」と記載されている。
しかし,上記の各記載は,被告が本件回答や本件合意を守っていくこ
とを明らかにしただけものであり,本件合意の内容が原告,被告間の法
的権利義務を定めたものかどうかということと直接の関係はなく,これ
をもって被告が池子住宅地区に米軍家族住宅を追加建設しない法的義務
を負っていることを認めたものと解することもできない。
(エ)原告が主張する上記(ア)ないし(ウ)の事実は,原告の主張を裏付け
るものとは認められない。
エまとめ
以上検討したところからすると,本件合意は,原告,被告及び神奈川県
が,それぞれ行政主体としての立場で,今後執るべき行政上の施策ないし
方針について合意したものであって,政治的,行政的意味での拘束力はあ
るとしても,原告と被告との間に本件各義務を含む法的な権利義務を発生
させるものではないと認めるのが相当である。
原告は,本件合意は,独立した法的主体が互いに合意事項についてその
意思を確認した「合意」であり,原告と被告との間における「懸案の円満
な解決のため」に合意されたものである旨,再三強調して主張しているが,
問題は,そのような本件合意の内容であって,その内容が原告と被告間の
法的権利義務を発生させるものであるかどうかということである。当裁判
所は,この点について否定的に考えるものである。
そうすると,本件は,原告が被告に対して,本件合意の対象となった地
域は横浜市域に存する本件土地を含んでいるのに被告がこの点を争ってい
るとして,被告が本件土地についても本件合意に基づく本件各義務を負っ
ていることの確認を求めるものであるから,本件訴えは当事者間の具体的
な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争ではなく,法令の適用によ
り終局的に解決することができるものではないというべきであり,本件訴
えは裁判所法3条1項の「法律上の争訟」に当たらない。
したがって,本件訴えはいずれも不適法である。
第4結論
以上のとおりであって,本件訴えはいずれも不適法であるから,これらを却
下することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法61条を適用して,主文
のとおり判決する。
横浜地方裁判所第1民事部
裁判長裁判官河村吉晃
裁判官植村京子
裁判官諸岡慎介
(別紙物件目録省略)

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〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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71期修習生 72期修習生 求人
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職種 事務職
時給 当社規定による
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シフトは週40時間以上
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