平成24年12月19日判決言渡
平成23年(行ケ)第10448号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成24年12月5日
判決
原告X
訴訟代理人弁理士廣田雅紀
小澤誠次
東海裕作
大高とし子
高津一也
堀内真
山内正子
君野憲明
藤本昌平
被告特許庁長官
指定代理人前田佳与子
今村玲英子
瀬良聡機
田村正明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1原告が求めた判決
特許庁が不服2008-28310号事件について平成23年11月22日にし
た審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,拒絶審決の取消訴訟である。争点は,発明の進歩性の有無である。
1特許庁における手続の経緯
原告は,平成14年2月8日,名称を「血管新生抑制剤」とする発明につき,特
許出願し(特願2002-32844号),平成20年9月29日,拒絶査定を受け
たので,同年11月6日,不服審判請求をするとともに,同年12月8日,請求項
1の特許請求の範囲の記載及び明細書の発明の詳細な説明の記載の一部をそれぞれ
改める旨の補正をしたが,拒絶理由通知を受けたので,平成23年8月29日,請
求項1の特許請求の範囲の記載及び明細書の発明の詳細な説明の記載の一部をそれ
ぞれ改める旨の補正をした。
特許庁は,平成23年11月22日,「本件審判の請求は成り立たない。」との審
決をし,この謄本は同年12月5日に原告に送達された。
2本願発明の要旨
本願発明は,血管の新生を抑制する薬剤及び血管新生抑制剤を用いた悪性腫瘍等
の予防・治療等に関する発明で,出願時の請求項の数は14であり,うち上記補正
後の請求項1の特許請求の範囲は以下のとおりである。
【請求項1(本願発明)】
「テトラブチルアンモニウム塩を有効成分とすることを特徴とする腫瘍細胞増殖
抑制剤。」
3審決の理由の要点
本願発明は,下記引用例1に記載の引用例1発明に,下記引用例2に記載の引用
例2発明を適用することで,本件出願当時,当業者において容易に発明することが
できたもので,進歩性を欠く。
【引用例1】X.YAO,etal.,Activityofvoltage-gatedK+
channelsisassociatedwith
cellproliferationandCa2+
influxincarcinomacellsofcoloncancer,LifeSci.,1999,Vol.65,
No.1,55ないし62頁(甲1)
【引用例2】M.Rapacon,etal.,Contributionofcalcium-activatedpotassiumchannels
tothevasodilatoreffectofbradykininintheisolated,perfusedkidneyoftherat,British
JournalofPharmacology,1996,Vol.118,1504ないし1508頁(甲2)
【引用例1発明】
「非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラエチルアンモニウム塩を有効成分と
して含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」
【引用例1発明と本願発明との一致点】
「非選択的K+
チャネル阻害剤を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」
である点
【引用例1発明と本願発明との相違点】
本願発明の非選択的K+
チャネル阻害剤は「テトラブチルアンモニウム塩」であ
るのに対し,引用例1発明の非選択的K+
チャネル阻害剤は「テトラエチルアンモ
ニウム塩」である点
【相違点に係る構成の容易想到性判断(5頁)】
「引用例1には,TPeA(テトラペンチルアンモニウム)およびTEA(テトラエチルア
ンモニウム)のような非選択的K+
チャネル阻害剤が,直腸がん由来のカルシノーマ(癌腫)細
胞DLD-1の増殖を抑制すること・・・,K+
チャネルの動作が大腸癌細胞の増殖を制御して
いる可能性が示唆されていること・・・,さらに,K+
チャネルが癌細胞の増殖速度の加速に関
連していることが報告されていること・・・,が記載されている。
ここで,腫瘍治療に有効な成分の開発に繋がることを期待して,腫瘍細胞増殖抑制作用を有
する新たな化合物を探索することは,医薬分野において自明の課題である。
よって,引用例1に接した当業者は,TPeAおよびTEAと同様に腫瘍細胞増殖抑制作用
が得られることを期待して,非選択的K+
チャネル阻害剤の範疇に包含される他の化合物につい
ても,腫瘍細胞増殖抑制作用の測定を試みることを自然に想起するものである。
そして,引用例2には,TEAおよびTBA(テトラブチルアンモニウム)がいずれも非選
択的K+
チャネル阻害剤であり,K+
チャネルを効率的に阻害することが記載されているのであ
るから・・・,引用例1発明におけるTEAと同様に腫瘍細胞増殖抑制作用が得られることを
期待して,TEAの代わりに,TEAと同様に非選択的K+
チャネル阻害活性を有することが本
願出願日前に知られているTBAを用い,本願発明の構成を得ることは,当業者が容易に想到
しえた事項である。
また,本願明細書の実施例1(【0030】~【0033】)においてTBAが腫瘍細胞増殖
抑制作用効果を有することが確認され,実施例2(【0034】~【0035】)において血球
への影響が少ないという効果が記載されているが,本願明細書には,非選択的K+
チャネル阻害
剤の範疇に包含されるTBA以外の化合物を用いた比較例が記載されていないので,TBAか
ら得られた前記のような効果が,引用例1に記載されている事項からみて当業者が予測し得る
範囲を超えるほど顕著であるか否かについて,当業者が客観的に判断し得る根拠は何ら存在し
ない。
よって,本願発明により得られた効果は格別顕著な効果ではない。」
第3原告主張の審決取消事由
1取消事由1(引用例1発明の認定の誤り)
(1)引用例1には,結腸癌に由来する腫瘍細胞(癌細胞)DLD-1に[3
H]
チミジン(トリチウムチミジン)を取り込ませる実験において,テトラエチルアン
モニウム(TEA)のような非選択的(非特異的)カリウムイオン(K+
)チャネ
ル阻害剤が,[3
H]チミジンの取込みを阻害したという実験結果を得たことや,か
かる実験結果から,カリウムイオンチャネル活性が結腸癌細胞(結腸腫瘍細胞)へ
のカルシウムイオン(Ca2+
)の流入を調整し,細胞の増殖を調整する可能性があ
ること(カリウムイオンチャネルの活性とカルシウムイオンの細胞内への流入の関
係の点から考察した,腫瘍細胞増殖におけるカリウムイオンチャネル活性の作用機
序)が記載されているにすぎず,テトラエチルアンモニウム塩を腫瘍細胞増殖抑制
剤の用途に用いることは記載されていない。
引用例1の実験で腫瘍細胞DLD-1の増殖を強く抑制(減少)させたのは,電
位依存性K+
チャネル阻害剤である4-アミノピリジンであるから,引用例1に腫
瘍細胞増殖抑制剤に係る実験が記載されているのであれば,当業者はテトラエチル
アンモニウム塩よりも阻害作用が強い4-アミノピリジンを選択するはずである。
また,引用例1に記載されているのは腫瘍細胞を用いた実験の結果にすぎないし,
薬剤の投与濃度が変われば,薬理作用は大きく変わるところ,引用例1の阻害剤は
生体への重大な障害が避けられないほど高濃度で投与されている(例えば,20m
Mでは,体重40gのマウスは致死する)。したがって,引用例1に記載の実験は,
生体内組織で腫瘍細胞が増殖する機構に阻害剤が関与してされたものではないし,
生体に投薬(ドラッグデリバリー)したときに有効に作用する抗腫瘍物質を探索す
る実験に係るものとはいうことができない。当業者が一次スクリーニングの結果か
ら,当該薬剤の投与径路や投与量等を適宜変更して二次スクリーニングを行い,抗
腫瘍活性を評価するのが当業者の技術常識であるともいえないし,そもそも引用例
1の実験は一次スクリーニングとしての実験ではない。
なお,引用例1で用いられた培地にテトラエチルアンモニウム塩が存在するか否
かは確認されていない。
そうだとすると,引用例1には「非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラエチ
ルアンモニウム塩を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」の発明(引用例
1発明)が記載されているとの審決の認定(3頁)は誤りである。
(2)当業者は,まず生体外で腫瘍細胞を用いて抗腫瘍活性を評価し(一次スク
リーニング),良好な成績を示した薬剤につきさらに生体内の腫瘍組織に対する実験
を行って抗腫瘍活性を評価する(二次スクリーニング)という決まった手順を踏ま
なければならないわけではなく,かかる手順を踏んで抗腫瘍活性を評価するという
技術常識はない。抗腫瘍活性を評価するのにかかる手順を踏むかどうかは,当業者
において適宜選択できる事柄にすぎない。抗腫瘍薬剤の効果は相対的なものである
から,腫瘍細胞を用いた生体外の実験で抗腫瘍活性を評価するだけでは,腫瘍細胞
の増殖に対する作用と正常細胞の増殖に対する作用の差異を確認することは困難で
ある。また,生体外の実験では,投薬によって有効に作用するとともに,正常細胞,
正常な生体組織に対する悪影響を回避できる抗腫瘍物質を探索することは困難であ
る。そこで,本願発明においては,生体内組織で腫瘍細胞が増殖する機構に着目し,
正常細胞,正常な生体組織に対する作用の差異に着目して,極力,正常細胞,正常
な生体組織を傷付けることなく作用する抗腫瘍物質を探索すべく,当初から生体組
織に投薬する方法により抗腫瘍活性を評価するという手法を採用した。そして,実
験の結果,最も影響を受ける血液の細胞に影響がない一方,腫瘍細胞に影響がある
ことを確認している。
また,結腸癌由来の腫瘍細胞DLD-1や培地RPMI1640が当業者におい
てよく用いられるものだとしても,引用例1でかかる腫瘍細胞等が用いられている
のは普通の事柄にすぎず,引用例1の実験を生体内組織でも有効に作用する腫瘍細
胞増殖抑制剤の実験と結びつける論拠となるものではない。
したがって,被告主張のように二段階で抗腫瘍活性を評価する手法があるとして
も,引用例1にテトラエチルアンモニウム塩を腫瘍細胞増殖抑制剤の用途に用いる
実験が記載されていることになるわけではない。
2取消事由2(一致点・相違点の認定の誤り)
前記1のとおり,引用例1に記載されているのは腫瘍細胞を用いた実験の結果に
すぎず,審決がした引用例1発明の認定は誤りである一方,本願発明は,生体への
投薬上,有効な抗腫瘍医薬である「テトラブチルアンモニウム塩を有効成分とする
腫瘍細胞増殖抑制剤」を開示するものである点が異なる。
また,テトラブチルアンモニウム塩が非選択的K+
チャネル阻害剤に分類される
としても,本願発明の腫瘍細胞増殖抑制剤は,腫瘍細胞が増殖する際の血管新生に
関与する,血管内皮から遊離される内皮由来過分極因子(Endothelium-derived
hyperpolarizingfactor,EDHF)の作用を阻害し,腫瘍新生血管の収縮,腫瘍の梗
塞を生じさせ,その結果,腫瘍細胞の増殖を抑制するという,生体内における腫瘍
細胞の増殖に対する作用機序に着目して発明されたものであって,単にカリウムイ
オンチャネルの機能を阻害することに着目して発明されたわけではない。そうする
と,引用例1発明と本願発明とは作用機序が異なる。
したがって,引用例1発明と本願発明とは,「非選択的K+
チャネル阻害剤を有効
成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」である点で一致するとの審決の認定は誤
りであるし,両発明の相違点が,本願発明の非選択的K+
チャネル阻害剤は「テト
ラブチルアンモニウム塩」であるのに対し,引用例1発明の非選択的K+
チャネル
阻害剤は「テトラエチルアンモニウム塩」である点であるのみとする審決の認定は
誤りである。
3取消事由3(相違点に係る構成の容易想到性判断の誤り)
(1)前記1のとおり,引用例1に記載の実験は,生体内組織で腫瘍細胞が増殖
する機構に阻害剤が関与してされたものではないし,生体に投薬したときに有効に
作用する抗腫瘍物質を探索する実験に係るものとはいうことができないから,引用
例1に接した当業者がテトラエチルアンモニウム(TEA)やテトラペンチルアン
モニウム(TPeA)と同様の腫瘍細胞増殖抑制作用が得られることを期待して,
非選択的K+
チャネル阻害剤の範疇に属する他の化合物を試みようとする動機付け
があるとはいえない。
また,引用例1にも引用例2にも,テトラエチルアンモニウム塩に代えてテトラ
ブチルアンモニウム塩を採用することを想起させるような記載はないし,腫瘍治療
に有効な成分の開発につながることを期待して,腫瘍細胞増殖作用を有する新たな
薬剤を探索するという,医療分野の当業者に自明な技術的課題が,引用例1,2の
記載に基づいて本願発明に想到する動機付けとなるものではない。
そうすると,「引用例1に接した当業者は,TPeAおよびTEAと同様に腫瘍細
胞増殖抑制作用が得られることを期待して,非選択的K+
チャネル阻害剤の範疇に
包含される他の化合物についても,腫瘍細胞増殖抑制作用の測定を試みることを自
然に想起するものである。」との審決の認定判断(5頁)は誤りである。
(2)前記2のとおり,本願発明はEDHFの作用の阻害等による腫瘍細胞増殖
抑制効果に着目してされたものであるところ,非選択的K+
チャネル阻害剤である
ことと抗EDHF作用を有することとは必ずしも連関しない(すべてのカリウムイ
オンチャネル阻害剤が抗EDHF作用を有するわけではないし,カリウムイオンチ
ャネル阻害剤以外の薬剤が抗EDHF作用を有することもある)。
したがって,テトラエチルアンモニウム(TEA)とテトラブチルアンモニウム
(TBA)とがいずれも非選択的K+
チャネル阻害剤であることを示すにすぎない
引用例2の記載内容は,生体に投薬したときに有効に作用する抗腫瘍物質としてテ
トラブチルアンモニウムを選択する動機付けとなるものではない。仮に本願発明の
腫瘍細胞抑制効果が非選択的にカリウムイオンチャネルを阻害することにあるので
あれば,テトラブチルアンモニウムよりテトラペンチルアンモニウムの方が効果が
大きいことになるはずである。
そうすると,「引用例1発明におけるTEAと同様に腫瘍細胞増殖抑制作用が得ら
れることを期待して,TEAの代わりに,TEAと同様に非選択的K+
チャネル阻
害活性を有することが本願出願日前に知られているTBAを用い,本願発明の構成
を得ることは,当業者が容易に想到しえた事項である。」との審決の判断(5頁)は
誤りである。
なお,審決は本願発明の作用効果を正しく認定・評価していない。
第4取消事由に対する被告の反論
1取消事由1に対し
引用例1の[3
H]チミジン取込み及び細胞増殖の実験に係る記載(訳文3頁下
から6行~4頁上から5行)及び本件出願当時の技術常識(甲3の10頁,乙1の
27~29頁)によれば,引用例1で用いられた培地RPMI640にテトラエチ
ルアンモニウム塩が存在することは明らかである。また,引用例1の55頁
「Summary」(要約,訳文の1頁1~6行),57,58頁「Results」(結果,訳文6
頁19~21行)にも,非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラエチルアンモニ
ウムが腫瘍細胞の増殖を抑制したことが記載されている。そうすると,引用例1に
テトラエチルアンモニウム塩を腫瘍細胞増殖抑制剤の用途に用いることが記載され
ていることは明らかである。
そして,本願発明の請求項1の特許請求の範囲では,投薬により生体内組織で友
好に作用する腫瘍細胞増殖抑制剤に限定しているわけではない一方,生体内組織で
有効に作用する腫瘍細胞増殖抑制剤の一次スクリーニングとして,生体外(invitro)
で腫瘍細胞を用いて実験し,抗腫瘍活性を評価するという手法を用いることは当業
者の常識である。培地RPMI1640及び結腸癌由来の腫瘍細胞(癌細胞)DL
D-1を用い,抗腫瘍活性を評価することも,抗腫瘍活性の評価において[3
H]
チミジン取込みの実験結果を利用することも,いずれも当業者がよく用いる試験法
にすぎない。しかるに,引用例1では非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラエ
チルアンモニウム塩が生体外ではあっても腫瘍細胞の増殖を抑制したことが記載さ
れているから,引用例1に接した当業者は,テトラエチルアンモニウム塩が,生体
外の腫瘍細胞に止まらず,生体内組織でも有効に作用する腫瘍細胞増殖抑制剤の実
験が記載されていると認識することができる。
なお,腫瘍細胞増殖抑制剤の候補物質を生体内組織に適用するに当たって(2次
スクリーニング),生体の重大な障害が生じないようにすることは当業者が当然に考
慮するべき事項にすぎない(乙2参照)。そうすると,生体外の腫瘍細胞に対して用
いられた腫瘍細胞増殖抑制剤の候補物質が高濃度であったとしても,当業者が投与
径路,投与スケジュール,投与量を適宜調整して生体への適用を試みるのは当然で
あって,引用例1に接した当業者が,テトラエチルアンモニウム塩が,生体外の腫
瘍細胞に止まらず,生体内組織でも有効に作用すると認識する上で格別支障になら
ない。
よって,引用例1に「非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラエチルアンモニ
ウム塩を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」の発明(引用例1発明)が
記載されているとした審決の認定に誤りはない。
2取消事由2に対し
(1)審決は,本願発明と引用例1発明とが腫瘍細胞の増殖を抑制する作用機序
の点で一致すると認定したわけではなく,本願発明の有効成分「テトラブチルアン
モニウム塩」と引用例1発明の「テトラエチルアンモニウム塩」とが「非選択的K
+
チャネル阻害剤」の範疇に属する薬剤として一致する旨を認定したにすぎない。
したがって,両者の間に腫瘍細胞の増殖を抑制する作用機序の点で差異があるとし
ても,引用例1発明に基づく進歩性の有無の判断に影響しない。
ところで,本願明細書(甲4)の段落【0007】には,「非選択的K+
チャネル
阻害剤であるテトラブチルアンモニウム」との記載があるから,本願発明にいう「テ
トラブチルアンモニウム塩」が「非選択的K+
チャネル阻害剤」であることは明ら
かである。他方で,引用例1の「テトラエチルアンモニウム塩」は「非選択的K+
チャネル阻害剤」であることが明らかであるから(甲1の55頁「Summary」(要約),
訳文の1頁3,4行),審決がした本願発明と引用例1発明の一致点の認定に誤りは
ない。
(2)前記1のとおり,引用例1には「非選択的K+
チャネル阻害剤であるテト
ラエチルアンモニウム塩を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」の発明(引
用例1発明)が記載されているから,審決には本願発明と引用例1発明の相違点の
看過はない。
3取消事由3に対し
(1)そもそも,腫瘍治療に有効な薬剤の開発につながることを期待して,腫瘍
細胞増殖抑制作用を有する新たな薬剤(化合物)を探索することは,医療分野の当
業者に自明な技術的課題である。
そして,引用例1(甲1)には,非選択的K+
チャネル阻害剤の範疇に属する薬
剤(化合物)のうち,テトラペンチルアンモニウム,テトラエチルアンモニウムと
いう複数の薬剤が,結腸癌由来の腫瘍細胞(癌細胞,カルシノーマ)DLD-1の
増殖を抑制したとの実験結果(57,58頁「Results」(結果),訳文6頁19~2
1行)や,カリウムイオンチャネル活性が上記腫瘍細胞の増殖に重要な関与を果た
していること(61頁「Discussion」(考察),訳文15頁18~23行)が記載され
ている。
そうすると,引用例1に接した当業者は,非選択的K+
チャネル阻害剤の範疇に
属するテトラペンチルアンモニウム,テトラエチルアンモニウム以外の薬剤のなか
に,腫瘍細胞増殖抑制作用を有する新たな化合物があることを容易に理解すること
ができ,したがって,テトラペンチルアンモニウム,テトラエチルアンモニウム以
外の非選択的K+
チャネル阻害剤を探索しようとする動機付けがある。
ところで,引用例2(甲2)に記載されているとおり,テトラブチルアンモニウ
ムも非選択的K+
チャネル阻害剤であり,かつテトラエチルアンモニウムと化学構
造が酷似しているから,引用例2に接した当業者であれば,引用例1の腫瘍細胞増
殖抑制効果の実験において,テトラエチルアンモニウムに代えてテトラブチルアン
モニウムを採用することを自然に想起するものである。
(2)前記2のとおり,審決はテトラエチルアンモニウムとテトラブチルアンモ
ニウムがいずれも非選択的K+
チャネル阻害剤である点に着目して進歩性判断を行
ったもので,当業者が本願発明の抗EDHF作用に着目しなければ,引用例1発明
から本願発明に想到できないわけではない。また,引用例1の記載からは,本願発
明にいうテトラブチルアンモニウム塩がテトラペンチルアンモニウム塩よりも腫瘍
細胞増殖抑制作用が小さいか否かは不明である。
(3)以上のとおり,本件出願当時,引用例1発明に引用例2発明を適用するこ
とにより,当業者において本願発明と引用例1発明の相違点に係る構成に容易に想
到することができたというべきであり,この旨の審決の判断に誤りはない。
そして,引用例1にはカリウムイオンチャネル活性が腫瘍細胞の増殖に重要な関
与を果たしていることが記載されているから,非選択的K+
チャネル阻害剤の範疇
に属するテトラブチルアンモニウム塩がテトラエチルアンモニウム塩,テトラペン
チルアンモニウム塩と同様に,腫瘍細胞増殖抑制作用を有することは当業者が容易
に予測できる事項にすぎない。他方,本願明細書にはテトラブチルアンモニウム塩
がテトラエチルアンモニウム塩,テトラペンチルアンモニウム塩に比して際だって
優れた腫瘍細胞増殖抑制作用を有することを示す記載はなく,本願発明の作用効果
は格別顕著なものではない。
第5当裁判所の判断
1取消事由1(引用例1発明の認定の誤り)について
(1)原告は,審決が引用例1には「非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラ
エチルアンモニウム塩を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」の発明が記
載されているとした認定に誤りがあると主張するところ,「Activityofvoltage-gated
K+
channelsisassociatedwithcellproliferationandCa2+
influxincarcinomacellsof
coloncancer」(電位依存性K+
チャネルの活性と,結腸癌の癌細胞の細胞増殖及びC
a2+
流入との関連)と題する学術文献である引用例1には,次のとおりの記載があ
る。
・55頁「Summary」(要約)(訳文1頁要約部分)
「CellproliferationofcarcinomacellsDLD-1derivedfromcoloncancerasmeasuredby
[3
H]thymidineincorporationwasdrasticallyreducedinthepresenceof4-aminopyridine,
aninhibitorsofvoltage-gatedK+
channel.AnumberofnonspecificK+
channelinhibitors
includingTPeA,TEA,verapamilanddilitiazemalsoinhibited[3
H]incorporationatthe
concentrationreportedtoinhibitvoltage-gatedK+
channels.Thepresenceof
voltage-gatedK+
channelswasconfirmedbyreversetranscription-PCRandcDNA
sequencing.Charybdotoxinandiberiotoxin,inhibitorsforCa2+
-sensitiveK+
channel,and
glibenclamide,aspecificinhibitorforATP-sensitiveK+
channel,didnothaveeffectoncell
proliferation.Theseexperimentssuggestedacriticalroleofvoltage-gatedK+
channelsin
proliferationofcoloncancercells.MechanismofactionofK+
channelactivityincell
proliferationwasexploredbystudyingtherelationshipbetweentheK+
channelactivityand
Ca2+
entry.TheresultsfromexperimentsindicatedthatK+
channelinhibitorsblocked
[Ca2+
]iinflux.Therefore,itislikelythatK+
channelactivitymaymodulateCa2+
influxinto
coloncancercells,andsubsequentlymodulatetheproliferationofthesecells.」
([3
H]チミジン取り込みにより測定された場合の結腸癌由来の癌細胞(カルシ
ノーマ)DLD-1の細胞増殖は,電位依存性K+
チャネルの阻害剤である4-ア
ミノピリジンの存在によって強く減少した。TPeA(テトラペンチルアンモニウ
ム),TEA(テトラエチルアンモニウム),ベラパミルやジルチアゼムを含むいく
つかの非特異的K+
チャネル阻害剤もまた,電位依存性K+
チャネルを阻害すると報
告された濃度において,[3
H]チミジン取り込みを阻害した。電位依存性K+
チャ
ネルの存在は,逆転写PCR及びcDNAシークエンシングにより確認した。Ca
2+
感受性K+
チャネルの阻害剤であるカリブドトキシン及びイベリオトキシン,並
びにATP感受性K+
チャネルの特異的阻害剤であるグリベンクラミドは,細胞増
殖に影響しなかった。これらの実験は,電位依存性K+
チャネルが結腸癌細胞の増
殖に重要な役割を演じていることを示唆した。細胞増殖におけるK+
チャネル活性
の作用機序を,K+
チャネル活性とCa2+
流入との関係を研究することによって調
査した。実験結果によりK+
チャネル阻害剤が[Ca2+
]i流入を遮断することが
示された。したがって,K+
チャネル活性が結腸癌細胞へのCa2+
流入を調整し,
それによって,それらの細胞の増殖を調整するかもしれない。)
・55頁本文1~3行(訳文2頁1~3行)
「K+
channelshavebeenreportedtobeinvolvedintheproliferationofmanytypesof
cells,includingtumorcelllines.Increasedpotassiumchannelactivityisassociatedwith
increasedproliferationrates.」
(K+
チャネルは,腫瘍細胞株を含む多くの種類の細胞の増殖に関与しているこ
とが報告されてきた。カリウムチャネル活性の増加は,増殖速度の増加と関連して
いる。)
・56頁26~35行(訳文3頁下から6行~4頁上から5行)
「[3
H]thymidineuptakeandcellgrowth
cellsperwellwereculturedinflat-bottomed96-wellcultureplatesin0.25mlof90%
RPMI1640supplementedwith10%FBScontaining100U/mlpenicillinand100μg/ml
streptomycin.Cellswereincubatedfor24hourswithorwithoutK+
channelinhibitorsinan
atmosphereof37℃and5%CO2inair.Cultureswerepulsedwith1μCi/wellof[3
H]
thymidine,anduptakewasmeasured6hourslaterbyharvestingthecellswithamultiple
cellharvester(CambridgeTechnology,Inc.USA).Theamountof[3
H]thymidine
incorporatedintocellularDNAwasmeasuredbyaliquidscintillationcounter(Beckman
LS1801).Somecellswithout[3
H]thymidinepulsewereharvesteddirectlyfromthe
monolayerandcountedunderphasecontrastinahaemocytometer.」
([3
H]チミジン取込み及び細胞増殖
1ウェルあたり105
細胞が0.25mlの100U/mlペニシリン及び10
0μg/mlストレプトマイシンを含む10%FBS添加90%RPMI1640
中で,平底96ウェル培養皿上で培養された。細胞は37℃,大気中5%CO2の
雰囲気下で24時間,K+
チャネル阻害剤の存在下又は非存在下で培養された。培
養物を,[3
H]チミジンの1μCi/ウェルで刺激し,multiplecellharvester(細胞
収集器,CambridgeTechnology,Inc.USA製)で収集して,取込み(uptake)を6時
間後に測定した。細胞のDNAに取り込まれた[3
H]チミジンの量を液体シンチ
レーションカウンター(Beckman,LS1801)で測定した。[3
H]チミジン刺激なしの
いくつかの細胞を,単分子層から直接収集し,ヘモサイトメーターの位相差で計測
した。)
・57頁下から2行~58頁8行(訳文6頁下から12行~最終行)
「Tetraethylammonium(TEA)andtetrapentylammonium(TPeA)arenonspecificK+
channelblockerswhichinhibitKCa,KATPandKV.Wefoundthat50μMTPeAalmost
completelyblockedcellproliferationwhile20mMTEAinhibitedcellproliferationto66%of
itsoriginalvalue.Table1showsthat[3
H]thymidineincorporationisalsosignificantly
reducedinthepresenceof100μMverapamilor100μMdiltiazem.TheeffectofK+
channelinhibitorsoncellproliferationwasfurtherconfirmedbycountingthecellnumber
after30hoursofinhibitortreatment,thecellgrowthwasinhibitedtoapercentagecloseto
thatin[3
H]thymidineincorporationstudy(datanotshown).Theculturedcellsappeared
tobehealthyaftertreatingwithchannelinhibitorssincecellsretainedtheirnormal
morphologyandmorethan95%ofcellswereviableasindicatedby0.2%trypanbluetest.」
(テトラエチルアンモニウム(TEA)及びテトラペンチルアンモニウム(TP
eA)は,KCa,KATP,及びKVを阻害する非特異的K+
チャネル阻害剤である。
我々は,50μMのTPeAがほぼ完全に細胞増殖を阻害するのに対し,20mM
のTEAは細胞増殖を本来の66%に阻害することを見いだした。表1は[3
H]
チミジンの取込みが100μMのベラパミル又は100μMのジルチアゼムの存在
下で著しく減少することを示す。細胞増殖へのK+
チャネル阻害剤の作用は,さら
に30時間の阻害剤での処理後に細胞数を計測することによっても確認し,細胞増
殖は[3
H]チミジンの取込み実験と近い割合で阻害された(データ示さず)。細胞
は正常な形態を維持し,0.2%トリパンブルー検査で示されるように95%を超
える細胞が生存していたので,チャネル阻害剤で処理した後も培養細胞は健康であ
るように見受けられた。)
・61頁46~52行(訳文15頁18~26行)
「Throughtheseexperiments,asolidlinkagehasbeenestablishedbetweenK+
channel
activityandCa2+
influx.ModulationofCa2+
influxcouldtheninfluencethetransitionfrom
G1toSduringmitosisandaffectthecellproliferation.
Inconclusion,wehavedemonstratedthatvoltage-gatedK+
channeliscriticallyinvolved
intheproliferationofcolorectalcarcinomacelllineDLD-1.ItislikelythatK+
channel
activitymaymodulateCa2+
influxintothesecells,andthereforeaffecttheproliferationof
thesecells.」
(これらの実験を通して,K+
チャネル活性とCa2+
流入との間の強い関連が確
立された。Ca2+
流入の調節は,次いで有糸分裂中のG1からSへの移行に影響し,
細胞増殖に影響する可能性がある。
結論として,我々は,電位依存性K+
チャネルが,結腸癌細胞株DLD-1の増
殖に重要な関与をしていることを示した。K+
チャネル活性が,これらの細胞への
Ca2+
流入を調節し,そのためにこの細胞の増殖に影響する可能性がある。)
(2)前記(1)の記載によれば,引用例1には,非選択的(非特異的)カリウムイ
オンチャネル阻害剤であるテトラペンチルアンモニウムやテトラエチルアンモニウ
ムが結腸癌由来の腫瘍細胞(癌細胞)であるDLD-1の増殖を抑制することが記
載されていることが認められる。ここで,腫瘍細胞DLD-1を用い,[3
H]チミ
ジン取込みの実験を行って候補物質の抗腫瘍活性を評価するという手法は,当業者
が一般的に採用する程度の事柄にすぎない(乙2,4,5)。そして,この種の細胞
の培養に一般的に使用され,引用例1の実験においても使用された培地RPMI1
640は,塩化ナトリウムや塩化カリウム等の無機塩を含有するから(乙1),引用
例1の実験において用いられたテトラペンチルアンモニウムやテトラエチルアンモ
ニウムが,実験系内で無機塩から遊離した例えば塩化物イオンと塩を構成すること
は当業者にとって明らかである。
そうすると,引用例1には,「非選択的K+
チャネル阻害剤であるテトラエチルア
ンモニウム塩を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」の発明(引用例1発
明)が記載されているとした審決の認定に誤りはない。
(3)この点,原告は,本願発明が生体内の腫瘍組織に対する実験を経てされた
ものであるのに対して,引用例1では腫瘍細胞を用いて実験を行っているにすぎず,
引用例1にはテトラエチルアンモニウム塩を腫瘍細胞増殖抑制剤の用途に用いる発
明は記載されていない旨を主張する。
確かに,引用例1には腫瘍細胞DLD-1に生体外でテトラエチルアンモニウム
等を投与した実験の結果が記載されているにすぎず,生体内の腫瘍組織に対する投
与については言及されていない。しかしながら,生体外で腫瘍細胞に候補物質を投
与して,腫瘍細胞増殖抑制作用といった抗腫瘍作用を確認,評価することも,例え
ば本願明細書のようにマウスの生体に候補物質を投与して,腫瘍組織の増減から抗
腫瘍作用を確認,評価することも,望ましい候補物質を探索するためのスクリーニ
ングである点に変わりはないのであって,引用例1に接した当業者であれば,引用
例1の記載から例えばテトラエチルアンモニウム(塩)が,腫瘍細胞の増殖を抑制
し得る候補物質として有望であることを認識することができる。したがって,生体
内の腫瘍組織に対する実験を経ていないからといって,引用例1の記載が腫瘍細胞
増殖抑制剤の発明に関するものでなくなるわけではない。
他方,本願発明の特許請求の範囲では,生体外の腫瘍細胞に対して増殖抑制効果
を有する構成が除外されているわけではないし,本願明細書(甲4)中には血管内
皮細胞が産生する内皮由来過分極因子(EDHF)の作用に着目して発明に至った
旨の記載があるが(段落【0012】~【0017】),本願明細書の実施例に係る
記載(段落【0030】~【0035】)にも,マウスの大腿の腫瘍重量の大小を計
測した旨の記載があるだけで,腫瘍組織の血管新生の増減等を実験を通じて検証し
たことを窺わせる記載は存しない(EDHFの作用の阻害によって腫瘍細胞の血管
新生を抑制し,腫瘍組織の増殖を抑制するという機構を検証する実験が記載されて
いるということができないのはもちろんである。)。そうすると,引用例1記載の実
験と本願明細書(甲4)記載の実験との間に,原告が主張するような明瞭な技術的
な階梯があるかは疑問であるし,いずれにしても審決がした引用例1発明の認定に
誤りがあることにはならない。
また,原告は,引用例1の実験では高濃度で抗腫瘍物質が使用されており,生体
内に投薬したときに有効に作用する抗腫瘍物質を探索する実験が記載されていると
はいえないなどと主張する。しかしながら,当業者が引用例1発明に基づいて新た
な発明に想到する場合には,抗腫瘍物質(例えばテトラエチルアンモニウム塩)の
投与量を増減して生体へ投与した場合の安全性を確保することが当然に予定されて
いるから,引用例1の実験における抗腫瘍物質の濃度が大きいという一事をもって,
引用例1の記載が腫瘍細胞増殖抑制剤の発明に関するものでないとはいえない。本
願発明のテトラブチルアンモニウム塩でも,マウスに過剰な量を投与すると,マウ
スが致死するところ(甲4の段落【0030】),本願発明の特許請求の範囲でも,
人体等の生体において望ましい腫瘍細胞増殖抑制効果を奏するテトラブチルアンモ
ニウム塩の量的範囲が特定されているわけではない。
なお,引用例1中に他の非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤の方がより高い
腫瘍細胞増殖抑制効果を奏する旨の記載があるとしても,テトラエチルアンモニウ
ム塩が腫瘍細胞増殖抑制効果を奏することが記載されていることに変わりはないの
であって,引用例1からテトラエチルアンモニウム塩に係る引用例1発明を認定し
た審決の判断に誤りがあるとはいえない。
したがって,上記原告の各主張をもってしても,審決がした引用例1発明の認定
に誤りがあるとはいえない。
(4)結局,審決がした引用例1発明の認定に誤りはなく,原告が主張する取消
事由1は理由がない。
2取消事由2(一致点・相違点の認定の誤り)について
前記1のとおり,審決がした引用例1発明の認定に誤りはないから,この認定を
前提とする引用例1発明と本願発明の一致点・相違点の認定にも誤りはない。
そして,審決は引用例1発明と本願発明の各有効成分の作用機序に着目して両発
明の一致点・相違点を認定したわけではなく,「非選択的K+
チャネル阻害剤である
テトラエチルアンモニウム塩を有効成分として含有する腫瘍細胞増殖抑制剤」の発
明である引用例1発明に,同じく「非選択的K+
チャネル阻害剤」である「テトラ
ブチルアンモニウム塩」に関する引用例2発明を適用して容易想到性判断を行った
ものであるから,引用例1発明と本願発明の各有効成分の作用機序の違いをいう原
告の主張は理由がない。
したがって,審決がした引用例1発明と本願発明の一致点・相違点の認定に誤り
はなく,原告が主張する取消事由2は理由がない。
3取消事由3(相違点に係る構成の容易想到性判断の誤り)について
(1)審決も認定するとおり(5頁),引用例2にはテトラエチルアンモニウム,
テトラブチルアンモニウムのいずれもが非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤で
あり,効率的に阻害作用を発揮することが記載されているから,引用例2に接した
当業者において,非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤としてテトラエチルアン
モニウム塩だけでなくテトラブチルアンモニウム塩も選択することができることを
認識し得ることは明らかである。
そして,抗腫瘍効果,腫瘍細胞増殖抑制効果を有する抗腫瘍物質を探索すること
は,医療分野の当業者にとってごく一般的な技術的課題であるところ,引用例1中
には,腫瘍細胞のカリウムイオンチャネル活性が腫瘍細胞の増殖に影響する可能性
があるという作用機序(61頁46~52行),テトラエチルアンモニウムのような
非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤が腫瘍細胞の増殖を抑制したという実験結
果(57頁最終行~58頁8行)が記載されている。加えて,引用例1発明にいう
テトラエチルアンモニウム塩と本願発明にいうテトラブチルアンモニウム塩とは,
アンモニウムイオンの4つの水素原子をいずれもアルキル基(前者ではエチル基(-
CH2CH3),後者ではブチル基(-CH2CH2CH2CH3))に置き換えた化学
構造を有するテトラアルキルアンモニウム塩である点で共通するから,引用例1の
記載による限り,当業者が化学構造の類似性に着目して,テトラエチルアンモニウ
ム塩に代えてテトラブチルアンモニウム塩を採用する着想を否定することができな
い。すなわち,引用例1に接した当業者が,テトラエチルアンモニウム塩に代えて
他の非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤を採用して腫瘍細胞増殖抑制効果を検
証するのは,自然な発想ということが可能であるから,このような引用例1及び2
における文献上の記載があって,着想容易性の可能性があるのに対して,これを覆
し,医療分野の当業者にとっての腫瘍細胞増殖抑制剤の進歩性を肯定するには,本
願発明の実施例に現れる実験結果を参照しなければならない。
この点を本願明細書(甲4)についてみると,前記認定のように,マウスの大腿
の腫瘍重量の大小を計測した旨の記載があるだけで,腫瘍組織の血管新生の増減等
を実験を通じて検証したことを窺わせる記載は存しない。また,本願明細書中には,
テトラブチルアンモニウム塩がテトラエチルアンモニウム塩等よりも顕著な腫瘍細
胞増殖抑制効果を発揮した旨の記載はない。他方,引用例1にはカリウムイオンチ
ャネル活性が腫瘍細胞の増殖にとって重要である旨が記載されているから,等しく
非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤であるテトラエチルアンモニウム塩の構成
(引用例1)をテトラブチルアンモニウム塩の構成(本願発明)に置換することに
よって奏される腫瘍細胞増殖抑制効果は,引用例1,2から当業者が予測できる範
囲を超えるものではない。
そうすると,本件出願当時,医療分野の当業者において,引用例1発明に引用例
2発明を適用し,引用例1発明と本願発明の相違点に係る構成に容易に想到するこ
とができたというべきである。
(2)原告は,腫瘍治療に有効な成分の開発につながることを期待して,腫瘍細
胞増殖作用を有する新たな薬剤を探索するという,医療分野の当業者に自明な技術
的課題が,引用例1,2の記載に基づいて本願発明に想到する動機付けとなるもの
ではないと主張するが,前記(1)のとおり,引用例1には,腫瘍細胞のカリウムイオ
ンチャネル活性が腫瘍細胞の増殖に影響する可能性があるという作用機序も,非選
択的カリウムイオンチャネル阻害剤が腫瘍細胞の増殖を抑制したという実験結果も
記載されているから,引用例1,2との対比において,本願発明の容易想到性を否
定することはできない。
また,原告は,本願発明の腫瘍細胞増殖抑制剤と引用例1発明の腫瘍細胞増殖抑
制剤の作用機序の違いを主張するが,本願明細書(甲4)自体に「このように命名
されたEDHFは,生理学的ならびに病態生理学的に重要であることが近年認識さ
れてきているが,その本体はもとより標的分子についても不明な点が多いとされて
いる。」(段落【0012】)との記載があるし,前記のとおり,本願明細書において
も,腫瘍組織の血管新生の増減等を実験を通じて検証したことを窺わせる記載は存
しない。また,本願明細書の段落【0020】には,「本発明の血管新生抑制剤とし
ては,内皮由来過分極因子(EDHF)の作用,すなわち,内皮依存性過分極反応
(Endtheliumdependenthyperpolarization)を阻害し,血管新生を抑制する物質を有
効成分とするものであれば特に制限されるものではないが,微小血管収縮作用を有
するものが好ましく,ここで内皮依存性過分極反応とは,内皮のない血管平滑筋に
は生起せず,内皮のついた血管平滑筋には生じる過分極反応をいう。かかる本発明
の血管新生抑制剤としては,内皮細胞等におけるK+
チャネルをブロックするK+
チ
ャンネルブロッカーや,局所におけるK+
濃度を高めることができるK+
遊離物質
や,・・・を挙げることができ,」との記載があり,段落【0021】には,「上記K
+
チャネルブロッカーとしては,テトラブチルアンモニウム(tetrabutyl-ammonium)
塩,テトラエチルアンモニウム(tetraethyl-ammonium)塩,・・・などを挙げること
ができ,」との記載があるから,本願発明の腫瘍細胞増殖抑制剤と引用例1発明にい
う非選択的カリウムイオンチャネル阻害剤たるテトラエチルアンモニウム塩との間
でどの程度の作用効果や具体的な作用機序の相違があるのかにつき,本願発明の発
明者においても十分に認識していたかは不明である。そうすると,本願発明がED
HFの作用に着目してされたものとしても,このことの一事をもって本願発明の容
易想到性を否定することは困難である。
(3)結局,審決がした容易想到性判断にも,引用例2の評価にも誤りはなく,
原告が主張する取消事由3は理由がない。
第6結論
以上によれば,原告が主張する取消事由はいずれも理由がないから,主文のとお
り判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官
塩月秀平
裁判官
真辺朋子
裁判官
田邉実
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