弁護士法人ITJ法律事務所

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       主   文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
       事実及び理由
第一 請 求
 被告が平成八年一一月二六日付で原告らに対してなした労働者災害補償保険法に
よる遺族給付及び葬祭給付を支給しない旨の処分を取り消す。
第二 事案の概要
 本件は、通勤途上でオウム真理教の信者らから殺害された会社員の両親である原
告らが、右災害が通勤災害に当たるとして被告に遺族年金及び葬祭給付の支給を申
請したところ、被告が不支給の処分をしたため、その取消しを求める事案である。
一 前提事実(当事者間に争いがない事実及び弁論の全趣旨により容易に認められ
る事実)
1 本件災害の発生
(一) 本件犯行の共謀状況
 宗教法人オウム真理教(以下「教団」という。)は、rことaを教祖として、平
成元年八月、東京都から宗教法人として認証され、山梨県〈以下略〉にサティアン
と称する施設群を建設し、一万人を超える信徒を有し、全国各地に道場や支部を置
く宗教団体であるが(ただし、その後、東京地方裁判所によって解散を命じられ、
平成八年三月、破産宣告を受けた。)、平成六年五月ころ、信者獲得の手段として
雑誌の読者コーナーに教団名を秘して文通相手を募集する記事を載せたりしていた
ところ、原告bと原告c(以下、両名を併せて「原告ら」という。)との子である
亡dが、その記事を読んで文通に応じてきたことから、教団信者のeやfにおいて
dに対し入信の勧誘をすることになった。dは、同女らの熱心な勧誘にもかかわら
ず、入信を拒否していたが、そのころ、教団大阪支部信者のgによって分派活動が
されたことがあり、aは、dが警察の道場で柔道の練習をしていたことなどを知っ
て、dを教団分裂を画策している公安警察のスパイと誤信し、VX(有機リン系神
経剤。化学名を、O‐エチルS‐〔2‐ジイソプロピルアミノエチル〕メチルホス
ホノチオレートといい、人には刺激症状がないままに皮膚から吸収され易く、意識
障害、呼吸停止、心肺停止などをもたらすとされ、その毒性は神経剤の中では最も
強く、致死量は液体で二ないし一〇ミリグラムとされている。)を使って同人を殺
害しようと決意した。aは、平成六年一二月八日ころ、教団幹部であるhとiを呼
び、同人らに対し、「gが悪業を積んでいる。gは教団分裂を図った。そのgを裏
で操っているのは大阪の柔道家でdという男だ
。dが公安のスパイであることは間違いない。VXを一滴垂らしてdをポアしろ。
あとは、おまえたちに任せる。」などと、dの殺害を命じ、hとiはこれを了承し
た。その後、教団施設である第六サティアン二階のhの部屋で、犯行の具体的な打
ち合わせが行われ、h、i、j、k、l及びmの六名が犯行現場へ行くこと、kを
実行役とすること、同月一一日に予定されていたiの札幌市での信者勧誘ワークが
終了後、犯行を実行すること、そのため、hがiの部下のlを連れて先に大阪入り
し、dの自宅、勤務先を下見すること、犯行に使うVXはiがjと相談して準備す
ることなどを取り決めた。iは、その後、l及びnに対し、hの指示に従って大阪
へ同行するよう指示した。
(二) hらによる犯行現場の下見と犯行用車両の準備等
 hは、平成六年一二月一〇日、l及びnと共に、山梨県〈以下略〉にある教団施
設を出発し、JR新富士駅から新幹線で大阪に行き、教団大阪支部からの情報を基
に、大阪の市内地図を見ながら、dの勤務先である株式会社佐武大阪営業所(大阪
市〈以下略〉)、同人が所属していた大阪市立修道館の柔道クラブの道場(大阪市
〈以下略〉)及び同人の自宅(大阪市〈以下略〉)を順次下見したhは、実行役を
させるkが同日午後に大阪市内で開催されるコンサートの警備のために来阪してい
ることを知っていたので、kに連絡を取り、コンサートの警備終了後、教団大阪支
部で待機するよう指示した。
(三) VXの準備等
 iは、平成六年一二月一一日早朝、mに対し犯行計画を打ち明け、jと共にVX
を持って大阪へ行き、犯行に加わるよう指示した。その後、iは札幌市に行き、同
日夕方、札幌市からαのjに電話をかけ、mが訪ねていくので、同人の指示に従う
よう伝えた。そこでmは、まず大阪に行くために、教団の在家信者から普通乗用自
動車フォルクスワーゲンを借り受け、教団信者のoに運転させて富士宮市内で待機
させ、自ら別の普通乗用車日産マーチを運転してαに向かい、同日夜、一人でαの
教団施設に入り、jに対し、VXを準備して大阪に行って欲しいとのiの指示を伝
えた。jは、iらがaに指示されて大阪での殺人を計画していることを知り、直ち
に第六サティアンから、殺害実行役が誤って自らVXを浴びた場合の治療のために
有機リン中毒の治療薬であるパム等を入れた医療用の鞄や酸素ボンベを持ち出して
マーチに積み込むとともに、教
団施設のクシティガルバ棟へ行き、教団幹部であるpから、VX溶液の入った耐熱
瓶を受領し、同棟のスーパーハウス内で、同瓶から二・五又は三ミリリットル用の
注射器二本にVX溶液一ないし一・五ミリリットルを吸入し、注射針とキャップを
付けた上、それぞれビニール袋に入れ、これらをクーラーボックスに入れて使用の
ための準備をした。そして、jは、右クーラーボックスを同車に積み込み、mと同
乗して、同日午後一〇時三〇分ころ、αを出発して、同日午後一一時、富士宮市内
のスーパーの駐車場でoと合流し、右クーラーボックスなどの荷物をフォルクスワ
ーゲンに積み替えた上、同車に乗り、東名高速道路を通って大阪に向かい、oはマ
ーチで東京に引き返した。
(四) 犯行現場の下見等
 iは、平成六年一二月一一日、札幌市での信者勧誘のワークを終え、同日午後一
〇時ころ、関西国際空港に到着し、ハイエースで迎えに来たhらと合流した。i
は、hから前日の下見の状況などを聞いた後、i自身も現場の状況を確認すること
とし、h及びnと共に、まず、dの勤務先会社を下見に行き、dの使用車両がその
勤務先にあることを確認した。その後、iらは、dの人相を確認していなかったこ
とから、これを確認しようと考え、同月一二日午前○時ころ、教団大阪支部のqを
電話で呼び出し、qからdの人相及び特徴を聞き出そうとしたが、qは、dががっ
ちりした体格で、眼鏡をかけていることしか覚えていなかったため、詳細な人相の
確認はできなかった。
 iらは、さらに、dの自宅を確認するため、同日午前一時ころd方付近まで行っ
た。そして、同人方前にある三階建の武長マンションが空き家であったことから、
i及びhは、同マンションに侵入して屋上まで上がり、そこからd方を見下ろし
て、同人方の二階の部屋の中にうつ伏せの状態で本を読んでいたdを認め、そのが
っちりした体格から、同人がdであると確信した。
 その後、iらは、予約してあったホテルコンソルトヘ向かい、その途上、i及び
hにおいて、dの使用車両が勤務先会社に置いてあったことやd方が新大阪駅に近
いことなどから、dは翌朝、出勤のため徒歩で新大阪駅へ向かうのではないかと予
想し、その途中でジョギングを装ってdに近付き、VXをかけるという殺害方法を
とることを相談した。他方、kも、lと共に、同月一一日午後八時ころ、ホテルコ
ンソルトに到着し、偽名を使って宿泊した。
iとnは、同日午前四時ころ、新大阪駅においてj及びmと合流し、jらを連れて
d方前まで行き、同人方を確認させた後、これを見張るのに適当な場所として、一
一階建のマンシヨン「GSハイム新大阪」(以下「GSハイム」という。)を見つ
け、その屋上に上がり、そこからd方を監視できることを確認し、ホテルコンソル
トに戻った。
(五) 犯行直前の打ち合わせ状況等
 h、i、j、m、k及びlの六名は、平成六年一二月一二日午前五時ころ、ホテ
ルコンソルトの一室に集まり、h及びiが、kら四名に対し、「dという男は公安
のスパイだから、VXをかけてポアする。dは三〇歳くらいで、柔道が強いらし
い。dが朝自宅を出て会社に出勤する途中にジョギングを装って近付き、VXをか
ける。」などと犯行計画を説明した後、kがdにVXをかける実行役、hがkに付
き添って実行を援助する役、i及びmがdの動向を監視して実行役に知らせる見張
役をそれぞれ務め、Jは実行役などが誤ってVXを自分にかけた場合などの治療
役、Lは犯行用車両のハイエースの運転役として現場近くで待機することなど、各
自の役割分担等を確認し合った。右謀議において、iが、d宅周辺の住宅地図を広
げ、d宅の位置やdの通勤時刻、dが自宅を出てからの予想される通勤経路につい
てを説明した上で、実行役のkに、「どっちにしてもこのへんでやってくれ。」と
通勤途上での実行を指示した。また、iは、ハイエースの待機場所などを説明し、
見張役がdを発見した場合の無線機による連絡方法などを取り決めた。
 h及びkが、用意していた灰色フード付きスウェットパンツに着替えた後、六名
は同ホテルの地下駐車場に降り、VX溶液入りの注射器を入れたクーラーボックス
等の荷物をハイエースに積み込んだ上、同車に乗り込み、lが運転して、同日午前
六時ころ、ホテルコンソルトを出発した。
(六) 犯行状況及び本件災害
 右六名は、平成六年一二月一二日午前六時すぎころ、GSハイム前に到着し、ハ
イエースを同所付近の路上に停めて、iとmは、予定どおり、無線機を持ってGS
ハイム屋上に上がり、双眼鏡を使ってd方の見張りを開始した。また、h及びk
は、準備運動と犯行後の逃走経路の確認を兼ねて、dの出勤経路と予想される道路
をジョギングで一回りしてハイエースに戻った。その後、jは、ハイエースの車内
で、クーラーボックスからビ二ール袋に入れたVX溶液入り
注射器一本を取り出して、kに手渡し、kはこれをビニールの買い物袋に入れ、そ
の買い物袋の中で注射器を入れていたビニール袋を取り外し、買い物袋から直ちに
同注射器を取り出せるよう準備した。そして、kは、hとの間で、ジョギングで走
って行き、hがdの前に出て注意を引く間に、kがVXをかけるという犯行方法の
最終確認をした上、ハイエース内で、i及びmからの連絡を待って待機していた。
折りから、dは、同日午前七時一〇分ころ、通勤のために自宅を出て、地下鉄御堂
筋線の新大阪駅に向かって歩き出し、GSハイム屋上からこれを認めたmは、直ち
に無線機でhに対し、dが自宅を出て新大阪駅の方へ向かったこと、dの服装は黒
色ジャンパーで鞄を持っていることを連絡した。hは、その連絡を受けて間もな
く、d方から新大阪駅の方に向かって歩いていくdの姿を発見し、kに対し、「あ
れだ、行くぞ。」と合図し、同人と共にハイエースから降り、dを追った。kは、
左手に持った買い物袋の中に右手を入れ、VX溶液入り注射器を逆手につかみ、同
注射器のキャップを取り外して、駆け足でdの背後から同人に近づき、大阪市β区
〈以下略〉付近路上で、同注射器を持った右手を目の高さに振り上げてdに接近
し、hにおいてdを追い越してその前方に割り込み、dの進路を遮るや、同人の背
後から同注射器を同人の後頸部付近に近づけてVX溶液をかけようとした。その
際、kは、注射針を、キャップと一緒に取り外したつもりでいたが、これを同注射
器に付いたままとしており、しかも、これをdの首筋に接触させてしまい、dが
「痛い。」と大声を出すことになった。そのためkは、一瞬動揺したが、すぐに右
手を少し手前に引くと同時に、親指で同注射器のピストンを押し込んで、中のVX
溶液全部をdの後頸部付近にかけた。そして、kは、dを追い越し、hと共に全速
力で走って逃走した(以上の、aによる殺害指示、謀議に始まる一連の犯行を、以
下「本件犯行」という。)
 dは、VX溶液をかけられた直後、hらを追跡したが、同区〈以下略〉付近の路
上に至り、VX中毒により、その場に転倒した。これを目撃した者の一一〇番通報
により、同日午前七時二七分、救急隊が現場に到着し、同日午前七時五一分、大阪
府吹田市〈以下略〉所在の大阪大学医学部付属特殊救急部にdを搬送した。しか
し、dは、同月二二日午後一時五六分ころ、大阪大学付属病院におい
て、VX中毒により死亡した(以下「本件災害」という。)。
2 本件処分
(一) 原告らは、本件災害が労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」とい
う。)に規定する労働者の通勤による死亡(同法は、死亡のほか通勤による負傷、
疾病、障害をも保険対象とするところ、以下、右各対象を含めて「通勤災害」とい
う。)に該当するとして、平成七年一一月九日、被告に対して遺族年金給付及び葬
祭給付の請求をしたところ、被告は平成八年一一月二六日、本件災害の通勤起因性
を認めず、不支給の決定をなした(以下「本件処分」という。)。
(二) 原告らはこれに対して審査請求をしたが、平成九年一〇月三〇日、大阪労
働者災害補償保険審査官はこれを棄却した。
(三) 右の棄却に対して、原告らは労働保険審査会に対して、平成九年一二月五
日付で再審査請求を行ったが、本件訴訟提起の時点で右再審査請求の申立てから三
か月以上が経過している。
二 争点
 本件災害の通勤起因性の有無
三 争点に関する当事者の主張
1 原告らの主張
 本件災害は、「通勤による」(労災保険法七条一項二号)ものであるから、通勤
起因性を否定した本件処分は違法なものとして取消しを免れない。
(一) 通勤災害制度の趣旨及び通勤起因性の判断要素
 通勤災害に対して補償がなされるのは、労働者が通勤途上において所定通退勤時
間を媒介として拘束され、通勤が業務遂行に関する個別企業の労働者としての行動
に他ならないからである。通勤災害とは、個別企業の労働者として拘束された行
動・状態に作用した危険の現実化と認められる災害を包摂するものとして考えるべ
きである。よって、当該災害の危険が通勤に通常伴うものであるか、通勤に通常伴
うものとはいえない被災者から見て偶発的なものであるかを問わず、法所定の「通
勤」状態になければ被らなかったであろう災害は、通勤による災害と認定されるべ
きである。
 通勤起因性の判断において重要なのは、災害を発生させた競合する諸条件の中で
通勤が共働原因となっているかということ、また、共働原因の中で通勤が占める位
置づけである。それらを以下の観点から具体的に検討するべきである。
(1) 通勤と犯行の結びつき
 通勤が共働原因と評価されるためには、通勤が犯行を誘発したという程度の関係
が必要である。ここで「誘発」という場合、犯行多発地域での犯行に限られず、多
発していない地域でも、それまで犯行が起き
ていなくても、当該通勤経路が犯行に利用しやすい地域であれば、通勤が犯行の動
機づけに大きく影響し、犯行を誘発したと評価できることがある。
 すなわち、通勤経路、場所、時刻等の通勤に関する諸要素が、当該犯行の可能性
を高めて、その実行を容易にするなどの犯行の誘因となった場合には、被災者にと
って「場に拘束される」という意味でリスクが存在することもありうるから、通勤
が災害発生の共働原因といえ、当該災害は通勤に内在する危険の現実化ということ
ができる。
(2) 被災者と加害者の関係
 「怨恨」や加害行為の「計画性」が直ちに通勤起因性を否定するものではない。
当事者間になんらかの私的関係があっても、それが故に全て通勤起因性が否定され
るのではなく、被災者自らが危険を惹起していないのであれば、いわゆる私怨とは
区別される社会的リスクといえるから、通勤起因性は認められる。
(二) 本件災害の通勤起因性
(1) 本件通勤と本件犯行の結びつき
 ①本件通勤経路は、逃走車両を待機させ、加害者らがd宅前の空屋(武長マンシ
ョン)や一一階建マンション(GSハイツ)の屋上からdの動向を監視し犯行に備
えるのに最も適していたこと、②不特定多数人が通行する公道である上に、道幅も
広く、少し走行すれば容易に他の車両と紛れることができ、犯行後の逃走に適して
いたこと、③被害時刻も、午前七時一〇分であり、人通りが少ないこと、④柔道ク
ラブの練習場である大阪府警福島警察署の柔道場の往復と異なり、犯行が警察に発
覚しにくいこと、⑤dが柔道クラブに通っていたのは不定期であり、加害者らもd
の通勤時刻であれば予想でき、犯行計画を立て実行に移すことができたこと、⑥d
は、一週間のうち、本件通勤経路を徒歩で新大阪駅に向かい、電車通勤するのは通
常月曜日のみであり、他の日は会社の営業車両を用いて通勤していたことなどから
して、加害者らが人知れず本件犯行を計画どおり確実に実行するのは、dが徒歩で
新大阪駅まで通勤する月曜日の早朝で、本件通勤経路の本件犯行場所しかありえな
かった。また、⑦本件犯行場所は、新幹線・東海道本線の新大阪駅から徒歩で数分
の距離にあり、テロの要警戒地域で、もともと地域的危険性があったことからする
と、本件災害において、通勤は単なる機会の提供にとどまらず、有力な共働原因と
なっていたというべきであるから、通勤に内在し、通勤に伴う危険が現実化、具体

したものである。
 また仮に相対的有力原因説に立つとしても、本件通勤経路は加害者らの殺害行為
の共働原因であっただけではなく、「有力・重要な原因」であったから、その通勤
起因性は肯定される。
(2) 被災者と加害者の関係
 加害者らが本件犯行に至ったのは、教団がdを一方的にスパイであると誤信した
結果にすぎず、加害者とdとの間に特別な怨恨関係があるわけではなく、しかもd
には本件災害を招いたことについて何の落ち度もない。それが仮にdを狙った計画
的犯行であったとしても、私的な怨恨関係と評価されるべきではないし、自らが危
険を惹起したものとはいえないから、社会的なリスクが発現したと評価すべきであ
る。
(3) 本件災害の通勤起因性
 以上のとおり、本件では、被災者と加害者らの関係及び加害者らが本件犯行場
所、時刻を決定した経過を検討すれば、加害者らが確実にしかも加害者らの犯行で
あると気付かれずに実行するには、本件通勤経路における本件犯行場所、時刻をお
いて他になかったのであり、本件通勤が決定的に重要な役割を果たしており、本件
災害発生の有力ないし重要な共働原因となっており、通勤起因性が認められる。
(三) 他の事例との均衡
 通勤起因性が認められた次の事例と、本件との間には何ら論理的な相違はない。
いずれの事例も、通勤経路そのものが災害の誘因となっているという点で同じであ
る。
(1) 地下鉄サリン事件
 本件と同じく、教団による地下鉄サリン事件では、労働省は「『危険の内在』を
できるだけ幅広く認めることで、救済対象者の枠を広げるなど認定基準の緩和を含
めて見直しを検討したい」とし、通勤途上および出張中や既に出勤して仕事先に向
かう途中の被災者について「霞が関周辺には危険が内在していた」という論理で通
勤起因性を認めている。不特定多数ではあっても確実に殺害の意図をもって犯行が
行われたケースであり、霞が関を狙い利用する必要性が小さければ通勤起因性は認
定されなかったと思われるが、これは犯行と場所に不可欠な結びつきがあれば通勤
起因性が認められやすくなることを示す。
(2) 薬剤師事件
 大阪府豊中市の阪急電車庄内駅のホームで帰宅途中のダイエー庄内ダイエードラ
ッグ薬剤師の被災者である女性が、店に出入りするうちに女性に好意を持ち、交際
を申し込んで断られた男に刺殺された事件につき、β労働基準監督署は、不特定多
数の人間が集まり、犯罪の
危険が内在していたこと、加害者が被災者を好きになったとしても、被災者にすれ
ば多数の中の一人にすぎず、二人の間には恨みなどのつながりはないことから通勤
に伴う危険が現実化したとして通勤起因性を認めている。
 加害者が被災者という特定の個人を計画的に狙ったものであり、動機においても
被災者が、加害者から一方的に片思いされたケースであり、教団から一方的にスパ
イであると誤信された本件と全く同様である。
2 被告の主張
 本件災害に通勤起因性は認められないから、本件処分は適法である。
(一) 通勤起因性の判断要素
 通勤災害といえるためには、通勤起因性、すなわち、災害が通勤に通常内在する
危険が具体化(現実化)したものと認められなければならず、通勤起因性の判断
は、災害の発生に不可欠な条件となった諸事情の下において通勤が災害の発生に相
対的に有力な原因であるかどうか、すなわち、経験則に照らし、当該通勤には当該
災害を発生させる具体的危険性があったと認められるかどうかを客観的な事後予測
のもとに行う必要がある。
 本件災害のように第三者の犯罪又は加害行為によって被災した場合に、通勤に内
在する危険が具体化した災害といえるかどうかの判断に当たって考慮すべき要素と
して、次の事情が挙げられる。
(1) 災害を被りやすい環境にあったかどうか
 災害発生場所付近の状況、時刻、地域における災害の発生頻度、被災者の性別な
どを勘案して当該災害を被りやすい環境下にないと判断される場合は、通勤に内在
する危険が具体化した災害であるといえず、通勤起因性は認められない。
(2) 当事者間の怨恨等の特別な関係、計画性の有無
 犯罪や加害行為に計画性があったり、被災者と加害者との間に怨恨等の特別な関
係がある場合には、その加害行為は通勤と直接関係のない原因により、単に通勤を
機会として行われたにすぎないと考えられることから、通勤に内在する危険が具体
化した災害であるといえず、通勤起因性は認められない。
(二) 本件における通勤起因性
(1) 本件通勤経路の環境
 本件災害発生前に、早朝の本件災害発生地域において、dのごとく男性に対する
第三者による殺害のような犯罪行為が多発していたという事実が認められないこと
から、経験則上一般的にdの通勤途上が本件のような災害が発生し得る環境下にあ
ったとはいえず、本件災害と場所に不可欠な結びつきがあったとはいえない。
(2)
 私的関係に起因する怨恨、計画性等の有無
 加害者らの加害行為の目的及び事件の経過からみれば、dを公安警察のスパイと
誤信したとはいえ、加害行為には計画性があり、dと加害者らとの間には私的関係
に起因する怨恨等があったといえる。そして、加害者らはこのような私的関係に起
因する怨恨等の下に、dという特定の個人を対象として、殺意をもって、あらかじ
め準備していた注射器内のVX溶液をdの身体にかけて殺害するという計画を立
て、その計画を実行したものである。
 右のように、本件犯行が、教団の利益のためであれば手段を選ばないという教団
特有の体質に基づく計画的なものであることや、dが一週間に二回くらいは退勤後
に柔道クラブに通っており、その場合の帰宅時刻は午後九時ころであったことを考
えれば、加害者らが、下見の結果から、本件災害当日におけるdの通勤途上が好都
合であると判断して、dの通勤行為を機会として利用したにすぎず、下見をした時
期や期間によっては、柔道クラブとの往復行為、事業場外における営業活動、所用
のための自宅から目的地までの往復行為など、dの通勤行為以外の外出中であって
も襲撃が行われ得た。
(3) 本件災害の通勤起因性
 右のとおり、本件災害は、一般的に災害を被りやすい状況にあったといえない環
境下において、私的関係に起因する怨恨等の下に、dという特定の個人を対象とし
た殺害計画を実行するため、単に通勤を機会として利用したことによって発生した
災害であって、本件通勤がなければ本件災害を被らなかったであろうということは
できない。通勤に内在する危険が具体化した災害であるといえず、通勤起因性は認
められない。
(4) なお、原告らは、dが電車通勤するのは通常月曜日のみであり、他の日は
会社の営業車両を用いて通勤していたと主張するが、原告らの労災給付支給申請時
における被告への報告や、原告らのその後の労働基準監督署の担当官への申述で
は、dが通勤に会社の営業車両を用いていたことについては言及していないし、d
の勤務先事業場においても、通勤経路は電車等を乗り継ぐものであるとの前提で、
通勤費も支払われている。
(三) 他の事例との均衡
 いずれの事案もそれぞれの災害発生状況等を踏まえ、労災保険法上の通勤災害に
該当するかどうかという観点から個別的に判断したと考えられ、本件災害に通勤起
因性を認めなくても何ら均衡を失しない。
(1)地
下鉄サリン事件
 地下鉄サリン事件は、教団施設への警察の強制捜査を阻止するため、朝の通勤時
間帯に警視庁に近い霞が関駅を通る地下鉄の車内にサリンがまかれたものであり、
国会及び官庁周辺において通勤時間帯を狙った犯罪である。加害目的を持った者か
ら狙われていた特定の被災者はおらず、しかも当該地域においては、従来から襲撃
等暴力を伴う行為の発生もみられることから、このような場所を通勤する者は、災
害を被りやすい環境下にあったものと判断して、通勤起因性が肯定された。
 本件災害の場合は、私的関係に起因する怨恨等の下に特定の個人であるdを殺害
するという目的を達成するため通勤を機会として計画的に行われた犯行の結果であ
って、霞が関駅を通る地下鉄を利用する不特定多数人の殺害を意図する行為である
地下鉄サリン事件と同一に論ずることはできない。
(2) 薬剤師事件
 薬剤師に係る通勤災害事案については、夜間における庄内駅周辺地区は、従来か
ら引ったくり、痴漢等の行為の発生がみられ、被災者もハンドバックを奪われてい
ることから、そのような場所を通行する者は災害を被りやすい環境下にあったもの
として、通勤起因性が肯定された。また、当該事案において被災者と加害者とは、
ドラッグストアーにおいて接客業務に従事する店員と一顧客との関係にすぎないこ
とから、面識はあったが私的関係に起因する怨恨等はなかったと考えられ、計画的
な犯行でもなかった。
第三 争点に対する当裁判所の判断
一 通勤起因性の意義
1 労災保険法は、通勤災害を、労働者災害補償保険の対象とする。これは、昭和
四八年の同法改正によって設けられたものであるが、通勤が特別の場合を除いて一
般に使用者の支配下にあるものではないから、通勤災害を業務上の負傷、疾病、障
害又は死亡(以下「業務災害」という。)ということはできないものの、通勤は、
労働者が労務を提供するための不可欠な行為であって、単なる私的な行為とは異な
るものであること、通勤途上の災害が、産業の発展や通勤の遠距離化等によってあ
る程度不可避的に生じる社会的な危険となっており、これを労働者の私的生活上の
損失として放置すべきものではない等の理由によって規定されたものである。
 労災保険法によれば、通勤災害についても業務災害とほぼ同様の保護が与えられ
るが、業務災害は、業務すなわち労働者が労働契約の本旨に従って行うところの使
用者の支配
下における行為に起因する災害であるのに対し、通勤は、労働者によるその住居と
就業場所との往復行為であって、使用者の支配下に入る前又はこれから脱した後の
行為であり、また、住居の選定、通勤経路手段の選定等は労働者の自由意思による
ところであり、その通勤という過程において生じた労働者の損害を使用者がすべて
負担しなければならない理由はなく、業務災害と通勤災害とは、その性格を異にす
るものである。
2 そこで、通勤災害は、「通勤による」ものでなければならず、通勤とは、労働
者が、就業に関し、住居と就業の場所との間を、合理的な経路及び方法により往復
することをいい、業務の性質を有するものを除くと規定されている(同法七条二
項)。
 また、「通勤による」とは、通勤と負傷等との間に相当因果関係があることを必
要とする趣旨であり、これは、通勤に内在する危険が現実化したことを指す。そし
て、通勤途上の交通事故のように一般的に通勤に内在する危険と目されるものにつ
いては、これが生じれば通勤に内在する危険が現実化したといえるが、単に通勤中
に災害が生じたというだけでは足りない。また、通勤途上に第三者による犯罪の被
害を受けたというような場合では、通勤がその犯罪にとって単なる機会を提供した
に過ぎない場合は、これを通勤に内在する危険が現実化したとはいえないというべ
きである。原告らは、通勤が災害の誘因となっていれば通勤起因性を肯定できる旨
主張するが、通勤途上が犯罪実行のために都合よかったという程度で誘因となるの
であれば、通勤途上の犯罪行為はその殆どが通勤災害となるものであり、単に災害
が通勤中に生じたというだけで保険の対象とするのと異ならなくなり、通勤災害を
通勤に内在する危険の現実化したものに限定する労災保険法の趣旨にそぐわず、採
用できないところである。
二 本件災害の通勤起因性
1 本件災害は、前述のように、教団の代表者であったaがdを公安警察のスパイ
と誤信してVXを使って同人を殺害しようと決意し、教団幹部であるhとiにこれ
を命じたことに発し、hとiにおいて、h、i、j、k、l及びmの六名で犯行を
実行することなどの犯行の具体的な打ち合わせを行い、jにVXを準備させ、hに
おいて、次いで、i、h及びnにおいて、dの勤務先や自宅を下見し、その後、i
とhにおいて、dの使用車両が勤務先に置いてあったことやd方が新大阪駅に近い
ことなどか
ら、dが翌朝出勤のため徒歩で新大阪駅へ向かうのではないかと予想し、その途中
でジョギングを装ってdに近付き、VXをかけるという殺害方法をとることを相談
し、犯行当日午前五時ころ、他の四名をホテルコンソルトの一室に集め、「dの出
勤途中にジョギングを装って近付き、VXをかける。」旨の犯行方法を説明し、右
六名において、実行役等の役割分担等を確認したうえ、同日午前六時ころ、本件現
場付近に赴いて、kにおいて、VXを充填した注射器を準備して待機し、通勤途上
のdを認めるや、予定どおりに、ジョギングを装って近付き、VX溶液全部をdの
後頸部付近にかけて、殺害したというものである。
 これによれば、dの殺害とその手段がまず決定され、殺害の場所についてはその
後の下見によって決定されたものであるが、そうすると、本件犯行がdの通勤途上
に行われたのは、単なる機会として選択されたに過ぎず、通勤途上が犯行場所とな
る必然性はない。
 以上によれば、本件災害を通勤の危険性が現実化したものとは認め難く、これが
通勤によって生じたものということはできない。
2 原告らは、本件通勤経路の諸条件が、本件犯行を確実に実行することを容易に
しており、加害者らが人知れず確実に実行するには、dが徒歩で新大阪駅まで通勤
する月曜日の早朝で、本件犯行場所しかあり得なかった旨主張する。
 確かに、人を殺害するという犯罪を計画的に実行する場合、犯人とすれば、最も
発覚しにくく確実に計画を遂行できる条件を選択するのが通常であり、本件犯行に
おいても、事前に検討された様々な日時、場所及び方法のうち、加害者らは本件犯
行のとおりの日時、場所及び方法を最も都合の良いものと考えて選択したと考えら
れる。
 しかし、dが自宅から外出するのが常に通勤のために本件通勤経路を徒歩で通る
場合だけではなく、現実には柔道クラブからの帰路で本件の通勤経路を通ることが
あることや、休日に外出することも十分考えられることからも明らかなように、単
に本件犯行が実行された日時、場所が、加害者らにとって都合がよかったというだ
けで、加害者らによるdの殺害が、本件通勤経路で、しかも月曜日の早朝でなけれ
ば起こり得なかったということはできない。
 なお、原告らは、dが本件通勤経路を徒歩で新大阪駅に向かい、電車通勤するの
は月曜日だけであったと主張するが、乙三、五及び六に照らし、その主張は採用で
きないし、
仮に原告らの主張どおりであったとしても、本件犯行の加害者らがその事実を認識
しており、本件犯行の実行に当たってそれを参考にしたことを認めるに足りる証拠
はない。
 また、原告らは、本件犯行場所が、テロの要警戒地域で、もともと地域的危険性
があったとも主張するが、これを認めるに足りる証拠はない上、仮に右事実が認め
られるとしても、dという特定の人物を狙った本件犯行における通勤起因性の判断
とは無関係というべきである。
3 原告らは、加害者らとdとの間には特別な怨恨関係がなく、加害者らが本件犯
行に及んだことについてdに何の落ち度もないから、社会的なリスクが発現したも
のとして評価すべき旨を主張する。
 確かに、教団とdとの関係を怨恨関係と表現するのは必ずしも適切ではないし、
教団がdを公安警察のスパイと誤信し、殺害しようと計画したことについてdに落
ち度があり、自ら本件災害を惹起したということはできない。
 しかし、怨恨関係があったことそのものが重要なわけではなく、教団は当初から
dという特定の個人を教団にとって危険な人物と目して殺害することを計画したの
であって、通勤と関係なく殺害が計画されたことからすると、怨恨関係がないこと
をもって通勤起因性を肯定することにはならない。また、教団による本件犯行を社
会的リスクということができるとしても、社会的リスクの全部が労災保険法によっ
て保護されるものではないから、そのことだけで通勤起因性を肯定できるものでは
ない。
4 原告らは、その主張する他の事例と比較すれば、本件災害についても通勤起因
性を肯定すべき旨を主張するが、他の事例における判断が当裁判所の判断を拘束す
るものではないうえ、地下鉄サリン事件については、特定の人物を狙ったものでは
ないという点で本件とは大きく事案が異なるというべきであるし、その主張する薬
剤師事件については、事実関係が必ずしも明らかでなく、これと本件災害とを同じ
に扱わなければ公平を害するといった事情も認められない。
第四 結 論
 以上の次第であるから、本件災害の通勤起因性を認めず、遺族年金及び葬祭給付
を不支給とした本件処分に違法はなく、原告らの請求はいずれも理由がない。よっ
て、主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第五民事部
裁判長裁判官 松本哲泓
裁判官 川畑公美
裁判官 和田健

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