弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 被告が原告に対して平成五年六月二四日付けでした労働者災害補償保険法によ
る遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
       事実及び理由
第一 請求
 主文同旨
第二 事案の概要
 本件は、住友電設株式会社(以下「住友電設」という。)の従業員であった亡a
が気管支喘息(以下「本件疾病」ともいう。)の重篤な発作による呼吸不全により
死亡したことが業務に起因するものであるとして、亡aの妻である原告が、被告に
対し、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給
付及び葬祭料の各給付を請求したところ、被告が、本件疾病は業務上の事由による
ものとは認められないとして、右各請求につき不支給処分をしたため、これを不服
として審査請求の申立てをしたが、右審査請求の申立日から三か月以上経過しても
裁決がなされないことから、被告の右不支給処分の取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実等(特に証拠を掲げたもの以外は、当事者間に争いがない。)
1 亡a(昭和二二年四月三日生)は、名城大学を卒業後、昭和四五年四月、住友
電設の前身である太陽工藤工事株式会社に入社し、同社の電気設備工事技師として
働いていた者であり、原告は亡aの妻である。
2 住友電設の業務内容等及び就業時間
(一) 業務内容等
 亡aの勤務していた住友電設は、昭和二五年四月に太陽電設工業株式会社として
創立され、昭和四四年三月に太陽工藤工事株式会社と社名を変更し、昭和六〇年七
月に現在の社名に変更されたものであり、同社の主な事業内容は、電気設備、空
調、給排水、衛生設備、情報通信設備、電気、計装設備、プラント、電力流通設備
等の設備工事である。
(二) 就業時間
 住友電設の就業時間は、月曜日から金曜日までが一日七・五時間であり、土曜日
が六・七五時間であった。そして、現場での始業時刻は午前八時とされていた。
 なお、亡a死亡当時、土曜日については一か月に二回交替で休日が付与されてい
た。
3 亡aの住友電設入社後の経歴は、以下のとおりである。
昭和四五年九月 名古屋支店 工務課 実習
昭和四六年一月 名古屋支店 工務課
昭和五三年二月 東部施設工事本部 中部支社 工務部
昭和五六年一〇月 施設工事本部 中部工務部
昭和五七年二月 施設工事本部 中部工務部 主任
昭和五八年二月 施設工事
本部 中部工務部 工事課 技師
昭和五八年九月 施設本部 中部支社 静岡営業所 技師
昭和五九年九月 施設本部 中部支社 第一工事課 技師
昭和六〇年七月 中部支社 第一工事課 技師
昭和六一年四月 中部支社 第一工事課 三洋岐阜作業所 技師
昭和六一年七月 中部支社 第一工事課 技師
昭和六二年一〇月 中部支社 工事課 技師
平成元年二月 中部支社 工事部 第一工事課 技師
4 亡aの従事していた業務
 亡aが住友電設において担当した電気設備等の工事の経歴は、以下のとおりであ
る(ただし、期間は工期。甲第一四、第四一、第四二号証)。
昭和四六年九月から四七年二月 十六銀行
昭和四六年七月から四七年一月 丸糸商店
昭和四七年一月から同年三月 御園小学校
昭和四七年三月から四八年三月 藤枝電報電話局増築電気設備工事
昭和四七年七月から四八年三月 静岡公営住宅
昭和四八年四月から同年五月 武田薬品
昭和四七年一二月から四九年五月 静岡南郵便局電気設備工事
昭和四九年六月から五〇年三月 鈴鹿郵便局電気設備工事
昭和五〇年三月から同年六月 大幸住宅幹線工事
昭和五〇年七月から五一年三月 静岡市営中央卸売市場冷蔵庫棟
昭和五一年一一月から五二年一一月 平和ビル受変電設備
昭和五三年五月から五四年八月 中央卸売市場北部市場管理エネルギー棟
昭和五四年八月から五五年五月 藤森西第一、二次積立分譲住宅新築電気工事
昭和五五年三月から同年四月 マツダオート名古屋本社改装工事
昭和五五年七月から五六年一二月 磐田グランドホテル増築工事
昭和五六年八月から同年九月 中京CCBライン改造電気工事
昭和五六年一二月から五八年一月 有楽・河合共同ビル電気設備工事
昭和五七年一月から五八年一月 住生・日建共同ビル
昭和五八年二月から同年九月 安藤電気浜北工場新築電気工事
昭和五八年一〇月から五九年四月 大阪ダイヤモンド第一工場増築工事
昭和五九年一二月から六一年一〇月 三洋岐阜GI棟建設電気設備工事
昭和六一年一月から同年二月 三興製紙変電所改修工事
昭和六一年六月から同年七月 丸紅飼料改修工事
昭和六一年七月から同年八月まで 加藤化学株式会社工場増設その他工事
昭和六一年一二月から六二年三月 ワシノ機器星崎工場増設工事
昭和六一年一二月から六二年三月 浅井外科新築電気設備工事
昭和六一年一二月から六三年三月 恵那市まきがね公園体育館建設工事
昭和六二年七月から同年一二
月 近藤紡績津島工場増設工事
昭和六二年八月から六三年三月 サンコー鞄本社ビル新築電気設備工事
昭和六三年三月から平成元年六月 白鳥住宅電気設備工事
平成元年八月から同年一一月 東郷サービスエリア電気設備工事
5 現場代理人の一般的な業務の概要
 亡aは、死亡当時、住友電設中部支社工事部第一工事課に技師として所属し、社
内における設計業務及び工事現場における現場代理人業務に従事していたが、その
うち主として従事していた現場代理人業務の業務内容は、請け負った工事について
同社を代表し、概ね左記内容の業務を行うものであった。
(一) 打合せ
(イ)作業指示、連絡、安全指示、(ロ)業者間連絡調整打合せ、(ハ)客先、設
計事務所等打合せ、(ニ)定例総合打合せ
(二) 現場巡視
(イ)工事進捗状況チェック、(ロ)品質チェック、(ハ)安全チェック
(三) 事務処理
(イ)実行予算検討、作成及びトレース、(ロ)外注検収、(ハ)日報等必要書類
作成、予算
(四) 労務、資材等の手配
(イ)資材手配及び管理、(ロ)作業員手配、(ハ)その他
(五) 提出書類作成
(イ)着工時必要書類、(ロ)施工計画、工程表、(ハ)諸官庁等提出書類作成
(六) 承認図作成
(イ)施工図作成、(ロ)機器承認図作成
(七) 社内会議
(イ)工事部会、課会等、(ロ)TQCその他
6 亡aの気管支喘息の発症
 亡aは、当初は風邪をこじらせたような症状であったが、昭和五二年九月二三
日、夜中に喘息発作を起こしたため、翌日、j病院で診察を受けたところ、気管支
喘息と診断され入院した。
7 亡aの死亡
 亡aは、平成元年一一月六日午前三時ころ、自宅において就寝中に重篤な喘息発
作を起こし、原告が呼んだ救急車で搬送されたが、同日午前五時五四分、b医師に
より死亡を確認された。
 亡aの直接死因は、気管支喘息の重篤な発作による呼吸不全であり、死亡時の年
齢は四二歳であった。
8 不支給処分等の経緯
(一) 原告は、平成二年四月二七日、被告に対し、亡aの死亡は業務上の事由に
よるものであるとして、労災保険法に基づいて遺族補償給付及び葬祭料の各給付を
請求したが、被告は、平成五年六月二四日、本件疾病は業務上の事由によるものと
は認められないとして、右各保険給付を不支給とする旨の処分(以下「本件処分」
という。)をなし、原告にその旨通知した。
(二) 原告は、本件処分を不服として、平成五年七月二〇日、愛知労
働者災害補償保険審査官に対し、審査請求を申し立てたが、請求後三か月を経過し
ても裁決がなかった。
二 争点
1 業務起因性を肯定するためには、業務と疾病の発症若しくは増悪との間に相当
因果関係の存在が必要か否か。
2 仮に1が肯定されるとして、相当因果関係の立証責任は、原告、被告のいずれ
が負担するのか。
3 本件疾病の発症若しくは増悪による死亡に業務起因性が認められるか否か。
三 争点に関する当事者の主張
1 争点1について
(一) 原告の主張
(1) 合理的関連性論
 労働者災害補償制度(以下「労災補償制度」という。)の趣旨は、労働基準法
(以下「労基法」という。)一条に規定されている「労働者が人たるに値する生活
を営むための必要を充たすべき」労働条件の最低基準を定立することを目的に、負
傷、死亡又は疾病が「業務上」であることのみを要件として各種の労災補償給付等
を行う法定救済制度であるところに求められるべきものであり、被害者、加害者間
の公平な損害の填補を目的とする民事損害賠償制度とは制度目的を異にするから、
労災補償においては、民事損害賠償の場合よりも、その救済対象を拡大する必要が
ある。
 それゆえ、業務起因性の判断において、民事損害賠償制度における相当因果関係
論を持ち込むのは相当でなく、労基法七六条、七五条にいう「業務上負傷し、又は
疾病にかかった場合」とは、業務と負傷、又は疾病の発症との間に合理的関連性が
あれば足り、当該業務に従事したために基礎疾病を悪化させ、死亡に至ったことが
推定されれば足りると解すべきである。
 仮に、右「業務上」の要件が、業務と負傷、疾病の発症との間に相当因果関係の
存することをいうと解するとしても、前述のとおり、被災労働者の救済の範囲は拡
張して解する必要があるのであるから、労災保険法上の相当因果関係は、民事損害
賠償制度における相当因果関係論とは区別され、それよりも救済対象を拡大したも
のであって、前述の合理的関連性と同義に解すべきである。
(2) 共働原因論
 仮に、労災保険法上の業務性を、労働者の負傷、疾病と業務との間に相当因果関
係が存在しなければならないと解するとしても、被告の主張する客観的相対的有力
原因説は、業務と他の共働原因が量的に比較不能であるときは成り立ち得ないし、
また、業務の負担と基礎疾患の増悪は密接に関連する場合がほとんどであるから、
そもそも競合する原因を別個独立
のものとして対立的に捉え、業務と他の共働原因のいずれが有力であるかを比較す
るという考え方自体が誤りである。
 それゆえ、相当因果関係の存否の判断基準としては、業務と関連性を有しない基
礎疾患等が発症の原因となった場合であっても、業務が基礎疾患等を誘発又は増悪
させて発症の時期を早める等、それが基礎疾患とともに共働原因となって発症を招
いたと認められる場合には、業務と疾病との間に相当因果関係があると解すべきで
ある。
(二) 被告の主張
(1) 労災保険法に基づく保険給付は、業務上の事由又は通勤による労働者の負
傷、疾病、障害又は死亡に関して補償するものであり、右業務上の事由による疾病
については労基法七五条二項が命令で定めると規定しており、これを受けた労基法
施行規則三五条がその疾病を具体的に定めているところ、本件疾病が業務上の疾病
と認められるためには、右規則三五条別表第一の二の九号の「その他業務に起因す
ることの明らかな疾病」に該当する必要がある。
 ところで、労災保険法は、労基法の定める使用者の災害補償責任を担保し、労働
者の保護・救済を図った制度であるところ、労基法上の災害補償制度は、使用者の
過失の有無を問わず、企業に存在する各種の危険の現実化として労働者が負傷し又
は疾病にかかった場合に、その損害を填補することを内容とするものであって、民
事上の無過失損害賠償理論に基づく補償の一形態というべき制度であるから、労基
法施行規則三五条別表第一の二の九号の労災給付の要件である業務に起因すること
が明らかな疾病といえるためには、使用者に無過失責任を認めるに足りる関係、す
なわち、業務と傷病等の間に条件関係があり、かつ当該傷病等が当該業務に内在な
いし通常随伴する危険の現実化と認められ、法的にみて労災補償を認めるのを相当
とする関係(相当因果関係)があることが必要というべきである。
 けだし、条件関係の存在のみをもって業務起因性を認めるとすると、業務の寄与
率が極端に低いときでも条件関係が肯定される限り、事業主は労基法一一九条によ
り全額損失補償責任を負い、その履行が罰則をもって強制されることにならざるを
得ないが、他方、労災保険法では、保険給付の原資はそのほぼすべてが事業主の負
担する保険料とされているのであるから、右の場合にその全額が労災保険により填
補されるべきであるとすると、事業主に過大な負担を強いることになり
、保険制度の存続基盤自体を危うくするおそれがあるからである。
 したがって、仮に、業務との間の条件関係が認められる場合でも、単に業務が機
会となっているにすぎないもの、日常生活、一般の社会生活においても生じ得る疾
病は、労災給付の対象たる「業務上の疾病」から除外されるべきであり、右「業務
上の疾病」であることを肯定し得る「業務」とは、その業務に当該傷病等を発生さ
せる有害因子・危険が一般的、客観的に内在する場合に限定されるべきである。
(2) そして、傷病の発生には種々の要因が競合しているのが通常であるとこ
ろ、もともと重篤な基礎疾患を持つ労働者が軽作業に従事して発症したような場合
にまで保険給付を認めるのは、使用者の無過失責任を基礎とする災害補償の担保と
しての労災保険制度の本質に照らし相当でない。それゆえ、当該業務が、当該傷病
に対して、他の原因に比較し相対的に有力な原因となっている場合に、相当因果関
係を肯定するべきである。
 そして、当該業務が当該疾病の発症について相対的に有力であるか否かは、当該
業務が当該被災者にとって有力原因であるだけでは足りず、客観的に一般的な労働
者に当てはめても発症の有力な原因であることが必要というべきである(客観的相
対的有力原因説)。
(3) ところで、労基法七五条二項、労基法施行規則三五条、同別表の一の二
は、「木材の粉じん、獣毛のじんあい等を飛散する場所における業務・・によるア
レルギー性の・・・気管支喘息等の呼吸器疾患」(同別表第一の二第四項五号)及
び「落綿等の粉じんを飛散する場所における業務による呼吸器疾患」(同項六号)
を業務上の疾病と規定する。
 しかし、右別表の列挙疾病は、業務に伴う有害因子によって発症しうることが医
学的知見において一般的に認められているものを具体的に示したもので、列挙され
た環境で業務に従事したこと及び所定の疾病に罹患したことの二点が立証されれ
ば、特段の反証がない限りこれを業務に起因するものと事実上推定されるにすぎな
い(最高裁判所昭和六三年三月一五日判決・体系労災保険判例総覧[平成三年一月
一八日発行]三〇九頁)。
 したがって、右各疾病の発症、増悪に業務との関連性が認められないときは、こ
れを業務上の疾病と扱わないことも何ら違法ではないというべきである。
2 争点2について
(一) 原告の主張
 民事損害賠償訴訟において、労働契約上の安全配慮義務
違反の債務不履行責任が問題とされる場合、右安全配慮義務違反がないことの立証
責任は使用者側にある。しかして、前記1(一)(1)記載の労災補償制度の趣旨
に照らせば、行政訴訟において労災補償給付の不支給処分の適法性が問題とされる
場合の立証責任が原告にあるとすれば、民事損害賠償訴訟における水準以下となり
極めて不合理である。
 立証責任の分配は、各法条の解釈及び法条相互の関係から導き出される実体法上
の問題であるところ、労災補償制度の目的及び労災補償を請求する申請人と労働基
準監督署長との間の公平及び紛争の迅速な解決への要請並びにその権利をなるべく
主張しやすくすることが望ましいという政策目的等の諸事情からすれば、被告に相
当因果関係がないことの立証責任があるというべきである。
(二) 被告の主張
 業務と疾病との間に相当因果関係があることの立証責任は原告にある。
3 争点3について
(一) 原告の主張
(1) 亡aの従事していた現場代理人業務の内容と特色
 亡aは、実習を終了した昭和四六年一月以降、原則として現場代理人の業務に従
事していたが、右の現場代理人は、作業現場における住友電設の責任者であり、現
場事務所開設からビル・工場等の竣工に至るまでの間、労務・安全衛生・品質・予
算・工程の管理等、住友電設が施工する電気設備工事に関する一切の業務を担当す
る。このように、現場代理人は極めて責任の重い業務であったため、亡aは多大の
精神的ストレスに曝されていた。
 また、現場代理人業務は納期の厳守が要求され、納期間際には、早朝から深夜に
及ぶ長時間作業を強いられることがあり、特に、後述の白鳥住宅電気設備工事のよ
うなイベント絡みの現場の場合には、納期の一層の厳守が要求されるため、亡aの
身体的、精神的ストレスは過重なものであった。
 さらに、新築ビルが作業現場の場合は、気管支喘息の発作誘因となりうる粉塵が
多発するうえ、現場巡視のために階段を上り下りしなくてはならないし、現場事務
所の中には、満足な暖房装置もないため冬季寒いものもあった。
(2) 平和ビル受変電設備工事に伴う気管支喘息発症の業務起因性
Ⅰ 亡aは、昭和五二年七月ころに気管支喘息を発症したが、その当時勤務してい
た平和ビル(岐阜高島屋ビル)電気設備工事現場は、再開発ビルのため移転先の決
まらない店舗がオープン二週間前まで仮設ハウスで営業しており、店舗が閉店して
からの
工事が夜遅くまである突貫工事であった。亡aは、現場代理人cとともに、現場副
代理人として右の工事現場を担当していたが、竣工に間に合わせるため過重な労働
に従事させられた。
 また、右工事現場はデパートのため、窓がないか、あってもはめ殺しの窓であ
り、換気が悪く常時粉塵が漂う状態であり、特に、各フロアーで躯体工事が完了し
仮枠を撤去した後は、数時間ほこりが舞い上がっている状態であった。また、屋上
の特別変電室の壁には石綿が吹き付けてあり、その石綿がとれて空中を飛び交って
いた。亡aは、現場巡視のため、一日の労働時間の二〇パーセントをこのような粉
塵の舞う現場で過ごさざるを得なかった。
Ⅱ 亡aは、同工事の業務による疲労の蓄積から風邪に感染したが、十分な治療の
機会を確保できないような突貫工事による過重な業務に従事するなかで、また、多
量の粉塵に日常的に暴露されるなかで、気管支喘息を発症した。
Ⅲ 右のとおり、亡aの気管支喘息は、平和ビル受変電設備工事における過重な業
務並びに多量の粉塵への暴露等の職場環境によって発症したものである。
(3) 平和ビル受変電設備工事以後の業務について
 aは、平和ビル受変電設備工事終了後は、前記争いのない事実等4記載のとおり
の業務に従事したが、それらの工事の中で、件名工事と呼ばれる大規模で工期の長
い工事は、三洋岐阜GI棟建設電気設備工事(現場副代理人)と恵那市まきがね公
園体育館建設工事(現場代理人)だけであり、それ以外は、亡aの体調が思わしく
なかったことから、規模の小さな現場ばかりであった。
 そして、亡aは、この間も気管支喘息の通院治療を受け、症状が悪化して喘息発
作が出た場合には、通院して点滴治療を受けていた。
(4) 白鳥住宅電気設備工事における業務の過重性
Ⅰ 亡aの気管支喘息の症状が一段と悪化し、それまで中等症であったものが重症
となったのは、以下のように、白鳥住宅電気設備工事(昭和六三年三月から平成元
年六月三〇日まで)における現場代理人業務に従事していたときであった。
 亡aの当時の健康状態では、白鳥住宅電気設備工事の現場代理人業務は過重なも
のであったが、当時はいわゆるバブル経済の真っ直中であり、三〇名程度の現場代
理人しか確保できない住友電設では、亡a以外に白鳥住宅電気設備工事の現場代理
人を確保できない状況にあった。
Ⅱ 白鳥住宅電気設備工事においては、協力会社である
大晃電気工事株式会社に昭和六三年四月に入社したdが、現場副代理人に選任され
て亡aを補助した。しかし、dは高校を卒業したばかりで、見習いのようなものに
すぎなかった。
 白鳥住宅電気設備工事は、名古屋デザイン博が平成元年七月に開催予定であり、
そのコンパニオンの宿舎に右住宅が使用されることになっていたため、格別に完成
時期の厳守が要求され、亡aは工期に追われていた。
 そのため、亡aは、前記(1)で述べた一般的職務に加え、電線架設のための穴
掘り作業や、仕上段階での電源の回路チェックやコンセント・スイッチのプレート
の取付等の、本来職人が行うべき現場作業にも従事せざるを得なかった。
 また、亡aは、一日一回現場巡視をしていたが、作業用エレベーターが使えない
ときは、一四階まで徒歩で上がらなければならず、特に平成元年四月ころからは、
仕上げの時期に入って、毎日のように一四階まで徒歩で上がらなければならない状
態となった。
Ⅲ 亡aの気管支喘息の症状は、白鳥住宅電気設備工事に従事するようになった昭
和六三年三月当時は中等症の段階にあったが、右過重な業務により著しく増悪し
た。
 dは、亡aが作業中に気管支喘息発作を起こしたり、気管支拡張剤であるメジヘ
ラを一日何回も使用している状況や、階段の上り下りで苦しそうにしている状況を
何度も目撃した。また、亡aが喘息発作を起こし、しゃがみ込んで苦しそうにして
息もできないため、救急車を呼ばなければならないと思うような発作を、昭和六三
年春以降三回ほど目撃している。
 また、亡aは、昭和六三年八月八日には、自動車で帰宅途中に喘息発作を起こ
し、救急車でj病院に運ばれて入院したことがあり、同年一〇月末か一一月初めこ
ろにも、気管支喘息の発作のため運転をあやまり、電柱に自動車を衝突させる事故
を起こしたりした。
 ところで、亡aは、昭和六三年春ころから、頻繁に自宅に仕事を持ち帰り、帰宅
後や日曜日も自宅で業務に従事するようになったが、これは作業量が多かっただけ
でなく、頻繁に喘息発作に見舞われていたことから、現場事務所において深夜一人
で残業している際に、重い発作に見舞われた場合の身の危険を感じていたためと推
測される。
Ⅳ 亡aは、昭和六三年四月ころまでは、残業しても三〇分程度のことが多かった
が、同年五月後半からは、連日平均一時間半程度の残業をし、同年六月後半から
は、それが連日約二時間の残業
となり、さらに同年七月になると三時間半の残業もするようになった。そして、前
記同年八月八日の入院・静養から復帰した同年八月二二日以降も、連日二時間半程
度の残業が続き、同年九月一二日まで定時で仕事を終えたことはなく、その後、同
月中も定時で仕事を終えた日は一日のみで、一時間ないし二時間程度の残業が続い
た。
 そして、同年一〇月以降は休日出勤をするようになり、同月一日及び同月八日か
ら一〇日までの三日間、休日出勤を繰り返している。このころより、定時に仕事を
終える日はほとんどなくなり、一時間半、二時間、二時間半といった残業時間がほ
ぼ毎日続くようになった。
Ⅴ 現場事務所は、昭和六三年冬ころ、プレハブの現場仮事務所から白鳥住宅一階
の三LDKの部屋に移転した。この部屋は、一〇畳分くらいのコンクリートの床の
上に板を敷き、机や椅子を持ち込んで事務所としたものであり、窓や扉にはサッシ
が入っていたものの、内装はなされておらず、しかも暖房器具はだるまストーブ一
台しかなく、冬季は底冷えのする大変寒い部屋であり、防寒着を着なければ作業が
できないような環境であった。
 亡aは、このような寒い現場事務所と、寒風の吹く一四階建てマンションの現場
を、一日に何回も往復せざるを得なかった。
Ⅵ 亡aは、平成元年三月三〇日、発注者である住宅都市整備公団の中間検査の
際、現場見回り中に具合が悪くなって現場事務所に戻らざるを得ない状態となっ
た。このように、責任感の強い亡aが大事な住宅都市整備公団の中間検査に立ち会
えないほど、当時の亡aの気管支喘息は増悪していた。
 また、平成元年四月五日、原告の妹の義父が死亡し、通夜・葬儀が営まれた際
も、亡aは、本来手伝わなければならなかったが、体調が極めて悪かったことか
ら、通夜には出席できず、葬儀にも最後の方に出席して、焼香するだけという有様
であった。
Ⅶ このように、平成元年三月末から同年四月初めにかけて、亡aは、頻発する喘
息発作により体調が極めて悪い状態にあり、しかも工事も仕上げ、内装等の段階に
なり現場巡視回数が増える状況の中で、それまで亡aを補助し、亡aの健康状態を
憂慮して代わりに現場に出ていたdが、平成元年四月四日から同年五月二〇日ころ
まで、大阪に研修を受けに行くことになった。
 このため、亡aは、それまでdが担当していた職人に対する指示の伝達、施工図
の手伝い、現場内のチェック等の業務
をすべて行わなければならなくなったが、住友電設は、常駐の現場副代理人を応援
に出すことはなく、他の現場代理人を何日間か交代で手伝わせるというようなこと
しかしなかった。
 さらに、このような人手不足に加えて、平成元年五月のゴールデンウィークのこ
ろには、下請業者が替わるという事態が発生した。工事がピークを迎えようとする
時期に、それまで現場になれた下請業者から新しい下請業者に替わるということ
は、現場代理人である亡aの苦悩を増すことになった。
Ⅷ 完工直前の平成元年五、六月には、工事はピークを迎え、亡aは多忙を極め
た。
 亡aは、平成元年のゴールデンウィーク期間中の同年四月二九日、同年五月一日
及び同月三日と休日出勤し、その後も同月九日から二〇日まで連続して勤務した。
しかも、その間は、連日二時間から三時間の残業であった。さらに、同月二一日に
休みをとった後も、同年六月一八日に休みを取るまで、二七日間も休日なしの連続
勤務に従事したが、この間、三時間以上の残業をした日は一三日間もあり、特に、
同月六日及び七日は六時間、同月一四日は七時間の残業をしている。住宅都市整備
公団の竣工検査は同月一二日及び一三日の両日であり、亡aは、これに向けて、疲
労を蓄積させ重度の喘息発作を頻発させながらも、無理に無理を重ねて時間外労働
に従事していた。
 ところで、亡aは、深夜、喘息発作に見舞われると、その朝、近所のg内科で点
滴治療を受けてから出勤していたが、g内科の開院時刻の関係から、点滴治療を受
けた場合は午前八時の始業時刻に間に合わなくなるため、工事の都合で朝遅れるこ
とができない場合は、夜間発作があっても点滴治療を受けることができなかった。
そのため、右期間中は合計六日間しか受診することができず、メジヘラを使用する
ことにより、なんとか激務を乗り切った。なお、亡aは、平成元年五月八日に点滴
治療を受けた後、同年六月一六日までの間点滴治療を受けていないが、これはその
間喘息発作が起きなかったのではなく、右のとおり点滴治療を受ける時間的余裕が
なかったためである。
 また、平成元年六月一二日及び一三日の竣工検査も、検査後に住友電設中部支社
のe検査部長が呼ばれるという異例の事態となり、険悪な雰囲気の中で、右eに対
して公団関係者から各種の指示がなされるなど、亡aに多大なストレスを招くもの
であったと推測される。亡aが、竣工検査後の平成元
年六月一四日に二四時まで残業していることは、この公団の指示事項を遵守するた
めに、長時間の残業を余儀なくされたものと推察できる。
Ⅸ 平成元年五、六月当時、亡aは、帰宅しても疲労がほとんど回復しないまま衰
弱していくという様子であった。亡aは、帰宅しても風呂に入らず就寝するが、深
夜、喘息発作で目が覚め、そのまま朝まで眠れない日が多くなった。そのため、食
欲が極端に減退し、朝食もとれなくなり、パンも喉を通らず、コーンスープすら飲
めないと言いだし、温めた牛乳を一杯飲むのがやっとという日が多くなっていっ
た。
 しかして、白鳥住宅電気設備工事終了後の平成元年七月当時の亡aの顔色は、ど
す黒く、目が真っ赤に充血し、声もしゃがれた感じであった。
Ⅹ このような状況からして、白鳥住宅電気設備工事の業務が気管支喘息に罹患し
ていた亡aにとって過重負荷であり、中等症であった気管支喘息を悪化させて、重
症に至らせたことは明らかである。
(5) 無視された配置転換の申出
Ⅰ 亡aは、業務に体がついていかなくなったため、配置転換を希望し、その実現
のめどがついたことから、昭和六三年九、一〇月ころ、dに対し、「この工事が終
わったら、設計課の方へ移してもらえそうだ。」と話していた。
 また、亡aは、白鳥住宅電気設備工事終了後、これ以上現場代理人の業務には耐
えられないと判断し、cに対して、体調がすぐれないとの理由で、内勤の設計・積
算業務への配置転換を申し出た。
Ⅱ 亡aの右の配置転換の希望は実現され、亡aは、平成元年七月三日から現場業
務を離れ、住友電設中部支社内の積算業務を手伝うようになり、その後もしばらく
の間、税務大学校の現場事務所において図面作成等の内勤業務に従事した。ただ
し、これは正規の配置転換ではなく、亡aの身分は工事課配属のままであった。
 亡aは、白鳥住宅電気設備工事終了後、時間的余裕ができたことから、g内科に
通院して点滴治療を受けられるようになった。
 なお、前記(4)Ⅸのとおり、この当時の亡aには、目が充血し、顔がむくみ、
顔色が悪いなどの症状がみられたが、これは白鳥住宅電気設備工事に従事したこと
により悪化した亡aの気管支喘息が、わずかな期間の内勤業務によっては改善され
ないまま、重症の状態で継続していたことによるものである。
(6) 東郷サービスエリア電気設備工事における過重負荷
Ⅰ 現場代理人選任の経緯
 亡aは、内
勤になってわずか一か月半しか経過していないのに、平成元年八月一一日から一六
日までの盆休み後、再び東郷サービスエリア電気設備工事の現場代理人に任命され
た。
 これは、元請業者であるゼネコンから現場代理人の常駐を求められたため、住友
電設から現場代理人を出さざるを得ない状況となってその選任に苦悩したcが、亡
aに対して、当時の健康状態に強く不安を感じながらも現場代理人となるよう要請
し、亡aも、親しい間柄のcからの話であったため、これを断ることができずに承
諾したものである。
 cは、亡aの健康状態が心配であったため、当初現場代理人にすることを予定し
ていた、下請業者の社員であるfを現場副代理人に選任して亡aを補助させようと
したが、実際には、fは、平成元年九月一六日から同年一一月四日までの間、合計
一三日程度しか現場に顔を出さず、現場に来ても、他の現場との掛け持ちのためか
短時間で帰ることが多かった。そのため、亡aは、ほとんどfに代理人業務を手伝
ってもらえず、単独で現場代理人業務を遂行したといっても過言ではない状況であ
った。
Ⅱ 東郷サービスエリア電気設備工事の特徴
 東郷サービスエリア電気設備工事は、上下線それぞれのサービスエリアの工事を
並行して進めなければならず、現場が二つあるようなものであり、施工図面の作成
や職人の手配も、それぞれに行わなければならなかった。そして、一方の現場から
他方の現場へ移動するには、徒歩で遠回りして行かねばならなかった。
 また、発注者が日本道路公団と施設協会であったため、通常であれば口頭で変更
が可能なものまで図面化しなくてはならず、書き直しが多かったし、平常の現場以
上の細かいチェックが要求され、作業中であっても、豊川市内にある日本道路公団
の事務所まで出掛けて、打合せを余儀なくされることもあった。
 さらに、工期についても、当初は平成元年七月一日から平成二年二月八日までの
予定であったが、平成二年の正月には売店を使用できるようにとの日本道路公団の
要請に応じて、平成元年一二月末までと短縮されたことに加え、電気設備工事に先
行する建築工事の遅れや、職人の手配の難しさ等が原因で、更に工期に追われるこ
とになった。
Ⅲ 亡aの勤務時間は、平成元年八月二八日以降、終業時刻が一八時ないし一九時
という日が、土曜日を除くウィークデーは連日続くようになり、同年九月末の三日
間については一七時一五
分に終業しているが、一〇月に入ると、一九時までの残業が常態化し、同月一一日
から一三日までは連続して二〇時まで残業している。その後も、一七時一五分に終
業したのは三日あるのみで、それ以外は連日のように一八時ないし一九時まで残業
している。さらに、同年一一月三日から五日までの三連休のうち、三日及び四日は
連続して休日出勤している。しかも、そのうち同月四日については、g内科で点滴
を受けてから休日出勤をしている。
Ⅳ 亡aの健康状態等
 亡aは、豊川市内の日本道路公団の事務所に打合せに行ったとき、一宮市の自宅
まで帰る元気がないと言って、豊川市内の実家に泊まることがしばしばあった。
 また、平成元年九月に末娘の保育園の運動会があったが、亡aは、それまで例年
欠かさず見学していたのに、今年は体調が悪いと言って欠席した。
 さらに、平成元年九月三〇日、亡aの父の三回忌に出席するため、亡aは、原告
らとともに豊川市内の実家へ行ったところ、その晩に強い喘息発作が起きたことが
あった。
 平成元年一〇月になると、亡aは、帰宅後、風呂に入らずにすぐに就寝するもの
の、毎晩のように喘息発作が起きて睡眠を取ることができず、朝食もまともにとれ
ない状態となった。このように強い喘息発作に見舞われるため、亡aは、平成元年
一〇月一一日から同年一一月四日までの間に、g内科に九回通院し、そのうち七回
は点滴治療を受けた。目の充血は同年九月にいったんは引いたが、同年一○月にな
ると再び充血したため、m眼科を受診した。
 平成元年一〇月二二日には、住友電設の鬼岩への家族ハイキングがあり、亡aは
三人の娘と参加したが、疲労のため、ハイキングの間は自動車の中で寝ている有様
であった。
 そして、このころには、作業現場における亡aの気管支喘息発作の頻度も増え、
メジヘラを使用している姿や、目を真っ赤に充血させている姿が、下請業者の従業
員に目撃されている。
 白鳥住宅電気設備工事により重症の気管支喘息となった亡aにとって、このよう
な東郷サービスエリア電気設備工事の業務が過重であったことは明らかである。
Ⅴ 最後の配置転換希望
 亡aは、平成元年一〇月下旬ころ、賞与査定のための自己申告書、将来の配置希
望調査書において、仕事に体力がついていかないことを理由にして、設計業務への
配置転換を申し入れた。会社員たる亡aにとって、将来のことを考えれば、右の申
入れは大変勇気の
いることであったが、右は、東郷サービスエリア電気設備工事の現場代理人業務を
これ以上続けることは無理だと痛感し、将来の不利益を省みずになされたものであ
り、亡aの悲痛なまでの叫び声というべきものである。
(7) 亡aの健康状態等
Ⅰ 気管支喘息について
 亡aの死因は、気管支喘息の重篤な発作による呼吸不全であるが、気管支喘息
は、間欠的、発作的に喘鳴性の呼吸困難が繰り返し起こる症候群として把握される
呼吸疾患であり、当初は、気道の過敏性とその可逆性の二つを中心として定義され
てきたが、近年では、気道の過敏性の基礎に気管支の炎症という病態があることが
強調されるようになった。
 気管支喘息の主な症状は喘息発作であるが、喘息発作は夜間や明け方に起こるこ
とが多く、喘息患者の病状については、昼間の様子だけでは判断できない場合が少
なくないことに留意する必要がある。
 気管支喘息の重症度は、出現する喘息発作の強度並びに頻度の相関により判定さ
れるが、ステロイド剤を一定量以上使用する必要がある場合には、それだけで重症
と判断される。
Ⅱ 気管支喘息の発症について
 気管支喘息は、多因子性の疾患であり、発症のメカニズムとしては、アレルギ
ー、炎症、自律神経、精神・神経因子が統合的に理解されるようになってきた。
 そして、気管支喘息の発症に過労やストレスが影響を及ぼすことは、今日では医
学上明らかな事実となっている。
Ⅲ 気管支喘息の増悪について
 気管支喘息の増悪が過重な業務による過労・ストレスによってもたらされること
は、今では広く認知された医学的知見となっている。また、過労・ストレスが気管
支喘息の増悪をもたらすメカニズムについては、不明なことが多いと言われている
が、人間の持つホメオスターシス(平衡状態)を過労・ストレスが不安定にするこ
とによって、気管支喘息の発症あるいは増悪がもたらされるという考え方が有力に
主張されている。
 気管支喘息の増悪因子としての過労・ストレスについては、労働に伴う肉体的負
荷だけがストレッサーになるのではなく、精神的緊張や責任感等の精神的要素を含
めた様々な要素がストレッサーになりうることに留意する必要がある。
 また、職場環境におけるさまざまな要因が気管支喘息の増悪をもたらすことが指
摘されている。感冒、ほこり、寒さ、睡眠不足等が気管支喘息の誘発因子として高
い比率であげられている。そして、特殊な職業性
喘息をもたらす無機粉塵でなくても、建築現場に発生する粉塵等が気道を刺激して
炎症を誘発し、喘息発作を引き起こすことがあるといわれている。
Ⅳ 気管支喘息の特質(いわゆる「ずれ」について)
 強度の過労・ストレスが継続し、その継続時期が経過した後に気管支喘息が一層
増悪したり、喘息発作が頻発することは何ら不自然なことではなく、臨床上もしば
しばみられることである。特に、防御機能の破綻を伴うような重度化した気管支喘
息においては、強度の過労・ストレスがその原因となった業務の終了後も、ある程
度の期間にわたって継続することは当然であり、その後に一層の増悪が引き起こさ
れることは何ら不自然なことではない。
 したがって、被告が主張するように、平成元年六月前半の白鳥住宅電気設備工事
における過重な業務終了後に、亡aの発作回数、受診回数が増えたからといって、
業務と気管支喘息の増悪との間に対応関係がないとするのは誤りである。
(8) まとめ
 以上のとおり、亡aの気管支喘息は、平和ビル受変電設備工事における過重な業
務並びに多量の粉塵への暴露等の職場環境によって発症したものであるところ、白
鳥住宅電気設備工事の過重な業務により右の気管支喘息の症状は急速に増悪して中
等症から重症となり、その後の一か月半程度の内勤によっては改善されないまま、
再び東郷サービスエリア電気設備工事において過重な業務に従事させられたため更
に増悪し、亡aは、平成元年一一月六日、気管支喘息の重積発作により呼吸不全と
なって死亡するに至ったものである。
 このような気管支喘息の発症や増悪が、亡aの従事した右の過重な業務に起因す
ることは明白であり、業務起因性が認められることは明らかである。
 なお、労災保険法は、被災者の重過失等について給付制限をなし得る旨規定して
いるが(同法一二条の二の二の二項、ただし、通達により、遺族補償年金給付及び
葬祭料は支給制限の対象とされていない。また、労基法は、遺族補償については重
過失であっても給付制限をしていない。)、軽過失については業務上外の認定を左
右しないものとしている。したがって、仮に、被告主張のとおり、亡aのメジヘラ
大量使用が気管支喘息のコントロールを困難にしたとしても、また、亡aが喫煙を
継続したことに健康管理上の懈怠があったとしても、これらの軽過失を理由に業務
起因性を否定することはできない。
(9) 住友電設の亡
aに対する安全配慮義務違反について
Ⅰ 使用者に安全配慮義務違反が認められる場合は、当該疾病は業務に起因する危
険が現実化したことにより発症したものとして、業務と当該疾病との間には相当因
果関係があるというべきである。そうでなければ、使用者に過失があり、損害賠償
が認められるにもかかわらず、労災補償は受けられないという不当な結果を招来す
ることになるからである。
Ⅱ 気管支喘息の発症を防止すべき安全配慮義務違反
 平和ビルの電気設備工事は、大量の粉塵が発生する現場であったが、住友電設は
何らの防塵対策を講じなかった。また、cは、亡aが咳き込んでいた旨の報告を受
けていたのであるから、亡aに対し、医療機関で受診するよう指示するとともに、
亡aが療養に専念し、健康の回復に努めるよう代替者を配置すべきであったが、何
らの措置もとらなかった。
 このように、住友電設は、平和ビル受変電設備工事に伴って発生する粉塵を亡a
が吸引することにより、気管支喘息等の呼吸器疾患に罹患することを十分に予見で
きたにもかかわらず、何らの有効な安全対策をとらなかったことから、亡aの過
労・ストレスとあいまって亡aに気管支喘息を発症させたものである。
Ⅲ 気管支喘息の増悪を防止すべき安全配慮義務違反
 住友電設は、定期健康診断の結果等を通じて、亡aが気管支喘息に罹患し治療中
であることを知っていたのであるから、過労・ストレスにより亡aの気管支喘息の
症状が増悪しないように、亡aの労働時間、休憩時間、休日、労働環境等について
適正な労働条件を確保するとともに、亡aの健康状態を正確に把握したうえ、亡a
の気管支喘息の症状の推移に十分注意を払うとともに、その病状に応じて作業時間
及び作業内容の軽減、就労場所の変更等、適切な措置をとるべき義務を負ってい
た。
 しかるに、住友電設は、亡aに白鳥住宅電気設備工事の現場代理人業務を命じ、
過重な時間外労働、休日出勤を強いたり、亡aの補助者であるdが研修に出ている
間、代替要員を派遣するなどの措置をとらなかった。住友電設は、気管支喘息に罹
患している亡aの精神的・身体的負担を軽減するどころか、一層過重な負荷を負わ
せた。
 また、住友電設が、亡aを東郷サービスエリア電気設備工事に配置転換するに際
して、事前に精蜜な健康診断を受けさせるか、主治医のg医師に問い合わせるなど
して、亡aの健康状態を十分に把握し、産業医の意見を
聴取するなどの処置をとっていれば、亡aの喘息死は回避することができたもので
ある。
 さらに、使用者は、健康診断の結果、必要な者には精密検査を行い、その健康状
態を把握して就労制限の要否を判断する義務があるところ、白鳥住宅電気設備工事
終了後、亡aは内勤への配置転換を申し出たのであるから、住友電設は、この時点
において、亡aに精密な健康診断を受けさせ、その病状を把握すべきであった。
 右のとおり、住友電設は、亡aが気管支喘息に罹患していることを知っていたの
であるから、過重な業務をさせない義務、適正配置義務、健康状態把握義務を負っ
ていたにもかかわらず、これを怠り、その結果、亡aの気管支鳴息を増悪させて死
亡させたものである。
Ⅳ まとめ
 右ⅠないしⅢのとおり、住友電設に安全配慮義務違反がある場合には、業務起因
性の判断は通常の場合よりも緩やかにされるべきである。
 また、使用者の安全配慮義務違反は、被災者の過重負荷の判断要素とされ、住友
電設に本件のような安全配慮義務違反が存在する場合には、亡aには過重な負荷が
あったものと推認されるべきである。
 したがって、亡aの死亡には業務起因性があるというべきである。
(二) 被告の主張
(1) 条件関係の不存在
Ⅰ 発症因子
 亡aの気管支喘息発症当時の勤務場所は、平和ビル受変電設備工事現場である
が、一般的に、右のようなビル建築工事現場でのほこりが気管支喘息の発症原因に
なるとの医学的知見はないし、右のほこりと気管支喘息発症との間の因果関係を推
認させるような一般的統計資料も存在しないうえ、具体的事例としても、住友電設
の現場代理人において亡a以外に気管支喘息に罹患した者はいない。
 しかして、亡aの父親も喘息患者であり、亡a自身も慢性湿疹、じん麻疹等のア
レルギー疾患の既往歴があり、このことから亡aがアトピー素因を有していた可能
性は極めて高い。
 そして、g医師は、亡aから、「前の病院で(アレルゲンは)ハウスダストだと
言われた。」旨確かに聞いたと述べており、同医師自身も亡aのアレルゲン同定検
査を実施し、その結果は、やはりハウスダストだったと思うと述べていることから
すると、亡aのアトピー素因のアレルゲンはハウスダストであったと認められる。
 してみれば、昭和五二年に亡aが発症したのはアトピー型気管支喘息であり、同
人が先天的に有していたアトピー素因のために、アレルゲンとして
のハウスダストが相当期間、相当量の暴露を経て、抗原として感作を成立させ、発
症に至ったものであるから、亡aの業務と気管支喘息の発症との間には、条件関係
がそもそも存在しない。
Ⅱ 亡aの気管支喘息の増悪、発作誘発
① 増悪・死亡に至るまでの経緯
 昭和五二年に発症した亡aの気管支喘息は、まだステロイド剤が常用されるほど
の状態ではなく、症状は軽症の部類であったが、昭和五九年一月ころから薬の服用
が頻繁になってステロイド剤が常用されるようになり、このころから症状は中等症
以上に増悪した。
 亡aは、昭和六三年一月と同年八月に気管支喘息のため点滴治療を受けている
が、その翌月は点滴治療を受けていないから、その症状は、一時的な悪化はあった
が、以前より一段と増悪したわけではなかった。
 しかし、平成元年二月以降は、毎月点滴治療を受けるようになっていることか
ら、亡aの症状は、そのころから増悪したと推認できる。特に、平成元年六月中旬
以降は、診療実日数及び点滴回数が一段と増加していることから、症状が急激に悪
化していったものということができる。
 亡aは、死亡前日の平成元年一一月五日(日曜日)午前八時過ぎ、所属していた
ソフトボールチームの試合に出場するため自宅を出て、午前中の試合は「体調が悪
い。」と監督に申し出て出場しなかったが、午後の試合では、六回裏にピンチヒッ
ターで出場し、ヒットを打って一塁まで走り、七回表に守備につくなどの運動をし
た。
 そして、亡aは、平成元年一一月六日午前三時ころ、寝ていた原告を呼び、メジ
ヘラを持ってこさせて、自ら吸入し、その後、しばらくして呼吸困難となり死亡し
た。
② 亡aの気管支喘息の増悪因子
(い) 亡aは、たばこを一日一箱から二箱吸っており、人間ドックの診断結果で
何回か禁煙を指示されていたにもかかわらず、死亡するまで喫煙を続けたばかり
か、気管支喘息であってもたばこはやめられない旨公言していたほどであった。
 また、亡aは、昭和六〇年から六一年ころ、たばこを吸って咳き込んでは携帯用
の吸入器を使っていたことから、cからもたばこをやめるように注意されたが、こ
れを聞き入れなかった。
 したがって、亡aの気管支喘息の増悪原因は、たばこの問題を含め、患者として
の自己管理に問題があった可能性が高いというべきである。
(ろ) 亡aは、少なくとも昭和六三年三月から死亡する平成元年一一月まで、メ
ジヘラを
自宅近くのo薬局で毎月平均して約三〇本購入し、毎日これを携帯して常用してい
たが、この量は適正使用量の一五倍以上という余りにも過剰な量であった。
 しかも、亡aは、それ以前から、g内科で同様の吸入薬サルタノールを月に二本
ないし四本処方されており、g医師に無断で右のメジヘラを常用していたものであ
った。
 ところで、メジヘラは、長時間大量に使用すると、副作用のために気管支喘息の
コントロールが困難となり、場合によっては喘息死する可能性もあるため、昭和四
七年から医師の処方箋による要指示薬に指定されているものである。
 したがって、亡aは、平成元年六月時点では、既にメジヘラの過剰使用により、
気管支喘息のコントロールが難しく、発作が抑えられにくい状態にあった可能性が
高く、もはや亡aがどのような業務に従事していたか、その業務が忙しかったかと
は関係なしに、いつ重積発作が発生してもおかしくない状態であった。
 喘息死の発作誘因に関するアンケートの回答結果では、メジヘラと同様のβ刺激
薬の過剰使用との回答は全体の六・五パーセントにすぎず、疲労、過労や心因・ス
トレスよりは回答が少なかったが、本件では適正使用量の一五倍以上もの過大な量
が約二年間も継続的に常用されていること、亡aは、最近の薬剤より副作用の大き
い初期の段階のイソプロテレノールを含むメジヘラを使用していることから、本件
はまさにその六・五パーセントの中に入る可能性が非常に高いケースであるといえ
る。
③ まとめ
 右のとおり、亡aは、アトピー型気管支喘息発症後昭和六三年までの間に、自然
的経過の中で気管支喘息が増悪していたのが、長期喫煙及びメジヘラの大量長期継
続使用のために発作抑制が困難な状態になり、従事業務の如何を問わず、いつ重積
発作が発生してもおかしくない状態に陥っていたというべきである。
 そして、死亡前日の平成元年一一月五日にソフトボールで運動したことが誘発因
子となって、抑制困難な喘息発作が発生した可能性が高く、そこヘメジヘラを吸入
した後に気管支れん縮、狭窄を起こしたことが加わり、呼吸困難となって死亡する
に至ったというべきである。
 したがって、亡aの業務と気管支喘息の増悪との間には、条件関係がそもそも存
しない。
(2) 相当因果関係の不存在
 仮に、亡aの業務と気管支喘息の発症及び増悪との間に条件関係が存在するとし
ても、以下のとおり、亡aの業務と気
管支喘息の発症及び増悪との間には相当因果関係がないというべきである。
Ⅰ 亡aの業務の一般的状況
 現場代理人(副代理人も概ね同様である。)の業務内容は、電気設備工事現場の
管理者、責任者であって、その業務の大半は、住友電設ないし現場事務所での打合
せ、図面作成等の室内業務であり、工事現場を回って巡視するのは、概ね午前一
回、午後一回で、時間にして一日一時間ないし一時間半であり、平均して全業務時
間の二割弱にすぎない。
 また、現場代理人、副代理人とも、現場作業員の行う若干の軽作業を手伝うこと
はあっても、現場作業員と一緒になって作業を行うことはないし、軽作業を手伝う
といってもスラブ配管のときの墨出しの手伝い程度で、時間的に見ても業務全体の
わずか一、二パーセントにすぎなかった。
Ⅱ 昭和五二年ころの亡aの勤務状況等
 亡aは、昭和五二年ころ、平和ビル受変電設備工事の現場副代理人業務に従事し
ていた。右工事は、昭和五一年一一月から昭和五二年八月までの躯体工事及び内装
工事の期間は、ほぼ定時で勤務が終了し、竣工一か月前ころには、一日二時間ない
し三時間程度の残業をしていたことはあるが、それも通算して五日程度にすぎず、
残業日が連続していたということはなかったし、工期最終日の一日程度は午後一一
時ころまで現場にいたことがあるが、その実働は午後九時ころまでであった。
 なお、右工事現場では、竣工六か月前ころより週一回一斉清掃日が設けられ、各
業者がフロアーを分担して作業員全員で一時間程度の清掃を実施しており、その
際、各人はマスクや手ぬぐいで防塵対策をしていた。右フロアーには間仕切りがな
かったため、右清掃の際、一時的に現場全体にコンクリートのほこり等が漂ってい
たことがあったが、これは清掃の際の一時的なものにすぎず、通常は特にほこりが
ひどいという状態ではなかった。
 そして、亡aは、右工事期間一年半のうち最初の約半年間は、空調設備も換気扇
もある現場事務所で設計業務に従事していたものであるし、その後は、主として現
場における作業工程のチェック等の管理的な業務に従事していたが、常時現場にい
るということはなかったから、亡aが右工事期間中にひどいほこりに曝されている
ということはなかった。
Ⅲ 昭和五九年ころの亡aの勤務状況等
 このころの亡aの業務が過重であったと認めるに足りる証拠はない。
Ⅳ 昭和六二年八月から平成元年三月まで
の亡aの勤務状況等
 亡aは、昭和六二年八月ころから白鳥住宅電気設備工事に従事する昭和六三年三
月ころまで、別の工事現場の現場代理人業務に従事していたが、そのころの業務が
過重であったことを窺わせる証拠はない。
 その後、亡aは、昭和六三年三月から白鳥住宅電気設備工事の現場代理人業務に
従事し、dが現場副代理人となった。
 亡aは、白鳥住宅電気設備工事においては、その工事期間の前半は現場事務所内
での作業がほとんどであり、後半は事務所内と現場管理の作業の両方を行っていた
が、右現場事務所や工事現場のほこりが特にひどいということはなかった。
 白鳥住宅電気設備工事は、昭和六三年夏ころまではあまり忙しくなく、勤務はほ
ぼ定時で終了していたが、同年一〇月ころから忙しくなり、休みも日曜日くらいに
なった。
 亡aの気管支喘息が増悪した平成元年二月は、出勤日はほぼ毎日残業があった
が、一日当たりの残業時間はせいぜい三〇分から一時間三〇分の間がほとんどであ
り、それ以前の月と比較しても、終業時間、残業時間数とも勤務時間に大差はな
く、むしろ昭和六三年一〇月、一一月のそれよりは少ない勤務時間となっている。
Ⅴ 平成元年四月から六月までの亡aの勤務状況等
 dは、平成元年四月から研修で大阪に行くことになったが、白鳥住宅電気設備工
事程度の規模であれば、通常は現場代理人一人だけで十分やれる仕事であるから、
現場代理人の経験豊富な亡aにとっては、右工事は当然一人でできるものであっ
た。
 また、dは、住友電設の下請会社の社長の息子で昭和六三年三月に高校を卒業し
たばかりであり、現場副代理人として配置された目的は、電工としての業務研修及
び現場副代理人業務の見習いであって、亡aの補助が目的ではなかったのであるか
ら、dがいなくなったことにより亡aの作業負担が増えたということもない。
 さらに、住友電設は、dがいなくなった後、亡aの依頼に応じて下請の作業員を
増員したほか、平成元年五月一一日から同年六月一五日までの約一か月にわたっ
て、cや他の現場代理人二名を交代で亡aの応援に行かせたこと、亡a自身も、現
場代理人よりも職人の応援を求めていたことからすると、亡aの現場代理人業務自
体はそれほど応援を要するものではなかったと認められる。
 したがって、白鳥住宅電気設備工事での現場代理人業務が、dがいなくなったこ
とにより過重になったことはないというべき
である。
 亡aは、平成元年五月中旬から六月中旬までは一日しか休みをとらず、残業も多
くなっているが、六月中旬以降の勤務時間は通常に戻っている。
Ⅵ 平成元年七月から八月下旬までの亡aの勤務状況等
 亡aは、その当時、それまでのメジヘラの過剰使用等により、気管支喘息のコン
トロール不良の状態にあったが、平成元年六月下旬ころ、住友電設に対し、現場代
理人から内勤への配転希望を申し出た。
 そこで、住友電設は、平成元年七月一日以降、亡aをデスクワーク(積算業務)
に従事させたが、亡aは、なれないデスクワークに窮屈さを感じ、仕事がおもしろ
くない、現場の方が良いとの気持ちを抱いていた。
 cは、亡aに対し、そのころ数回にわたって、体調はどうかと聞いたが、亡a
は、いつも「どうもない。」との返事しかしなかったため、cは、亡aの体調が回
復してきていると考えていた。
 亡aは、右のとおり平成元年七月一日から業務が内勤のデスクワークに変わった
こともあって、残業時間は一日当たり三〇分ないし一時間程度と大幅に減り、土、
日の所定休日や八月一一日から一六日までのお盆休みもすべて休暇を取得した。す
なわち、同年七月は、一か月だけで土、日の二連休が四回、三連休が一回の合計一
一日間の休日を取得しているし、同年八月も、お盆休みの六連休を含め、合計一一
日間の休日を取得している。
 したがって、この約一か月半の間に、亡aの疲労は実際にも相当程度回復したも
のと認められる。
Ⅶ 平成元年八月下旬以降の亡aの勤務状況等
 平成元年のお盆明けの八月一七日ころ、住友電設中部支社において、cが東郷サ
ービスエリア電気設備工事の図面を見ていたところ、亡aがそれをのぞき込んで、
亡aの方から、「どこの現場か。」と尋ねてきたので、cが、工事の規模、工期等
を説明したところ、亡aは、「そんな現場だったら自分でもできる。」と言って、
自ら現場に復帰して右工事を担当したいとの意向を示した。そこで、当時右工事の
現場代理人の選定に困っていたcは、亡aを右工事の現場代理人に選任した。
 右工事は、その規模及び亡aの現場代理人としての経験からすると、亡a一人で
十分担当できるものであったが、cは、亡aの体調や工事期間が短縮されたことな
どを考慮し、協力会社の従業員のfを副代理人に選任して、亡aの補助をさせる手
配をした。
 亡aは、平成元年八月二一日から同月三一日までは住友電設中
部支社で施工図の作成等の準備作業をし、同年九月一日からは現場事務所に移り、
同年一〇月中旬以降の図面作成のピーク時には、fに図面の作成を手伝ってもらう
等して、現場代理人業務に従事していた。
 亡aの勤務状況は、平成元年八月下旬ころから二時間の残業をする日が出始め、
同年九月、一〇月はその日数が増えてきているが、死亡前々日である同年一一月四
日までの一日当たりの残業時間は、ほぼ○・五時間ないし二・五時間以内であっ
た。
 なお、平成元年九月の残業時間は合計二四・五時間であるのに対し、同年一〇月
のそれは四八時間と増加しているが、午前中にg内科で点滴注射を受けてから出勤
した日が六日間あり、これらの日は、現場へ着くのが一〇時から一〇時半となるの
で、その遅刻時間を差し引くと、残業時間の合計は三六時間となる。また、休日取
得状況を見ても、九月、一〇月とも、月に七日ないし八日の休日を取得している、
以上のような勤務状況は、昭和六三年夏以前の白鳥住宅電気設備工事がまだ忙しく
なかったころの状況と変わらない程度であり、過重な労働というほどのものではな
い。
 そして、亡aは、東郷サービスエリア電気設備工事において、咳き込んだりした
ときにメジヘラを使っていたことが目撃されているが、それ以外のときは、第三者
から見て、普通に仕事ができる状態と見られていた。
Ⅷ 亡aが死亡する直前の就業状況等
 亡aが死亡する二週間前から死亡日までの間も、工事の進捗状況は遅れていたと
いうほどではないし、残業時間もそれほど多くなく、概ね午後七時までには終了し
ていた。忙しくなったのは、むしろ亡a死亡後の平成元年一一月二〇日ころからで
あった。
 なお、平成元年一一月は、同月三日及び四日の祝日を休日出勤しているが、これ
らは金曜日及び土曜日であり、同月五日(日曜日)は休んでいるので、祝日のない
通常の月と比較すれば、特に過重なものとはいえない。
Ⅸ まとめ
 亡aの業務は、現場代理人という肉体的な重労働を伴わない性質のものであっ
て、昭和五二年の平和ビル受変電設備工事、昭和六三年からの白鳥住宅電気設備工
事のいずれにおいても、ほぼ残業時間も少なく、全体として業務を過重であると評
価するに足りる事情は見当たらない。白鳥住宅電気設備工事のうち、平成元年五月
中旬から同年六月中旬までの間は、休日出勤、残業とも極めて多くなり、過重な業
務となっていた可能性が高いが、亡
aは、同年六月下旬以降は内勤業務となって負担の軽いデスクワークとなり十分な
休暇も取得しているから、同年八月下旬からの東郷サービスエリア電気設備工事の
現場代理人業務に従事するまでの間に、右の疲労は十分回復していたとみるべきで
あるし、その後の勤務状況、休日取得状況に照らしても、東郷サービスエリア電気
設備工事の業務が過重であったということはできない。
 そして、気管支喘息の症状増悪と亡aの勤務状況等を時期的に比較してみても、
症状悪化は昭和六三年一月、八月及び平成元年二月以降であるが、昭和六三年一月
と八月に残業が特に多く休日も取得できないといった事情はなく、逆に、平成元年
六月中旬以降についてみると、勤務時間は少なくなったのに受診回数及び点滴回数
が増加している。したがって、症状悪化(喘息発作)と業務(勤務時間)との間に
は、相関関係は認められないというべきである。
 なお、発作が本当にひどければ受診せざるを得ないのが当然であるから、残業が
多く休日出勤も多かったために点滴治療を受ける時間が確保できなかったというこ
とは考えられない。
 このような事情を総合すれば、業務遂行過程において亡aの基礎疾病である気管
支喘息の症状が徐々に増悪していたとしても、それは右基礎疾病の自然的経過の範
囲内での増悪と判断されるべきものであり、仮に、亡aの従事していた業務と本件
疾病の発症及び増悪との間に条件関係があったとしても、亡aの業務が本件疾病の
発症及び増悪につき相対的に有力な原因であったということはできず、相当因果関
係はないというべきである。
 よって、いずれにしても、本件疾病の発症及び増悪は業務に起因するものとはい
えない。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
1 業務起因性の意義
(一) 労基法及び労災保険法に規定されている労災補償制度の趣旨は、労働災害
が発生する危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に通常内在ない
し随伴する危険性が発現し労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわ
らず被災労働者の損害を填補するとともに、被災労働者あるいはその遺族等の生活
を保障しようとするものであると解するのが相当である。
 そして、労基法及び労災保険法が、保険給付の要件として、労基法七五条におい
て、「業務上負傷し、又は疾病にかかった」、労災保険法一条において、「業務上
の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、
障害又は死亡」と各規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすれ
ば、業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには、当該業務により通常
傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち業務と傷病等との間に相当
因果関係が認められることが必要であり、かつ、これをもって足りると解するのが
相当であって(最高裁判所昭和五一年一一月一二日判決参照)、この理は、労基法
施行規則三五条別表第一の二第九号に定める「その他業務に起因することの明らか
な疾病」の認定、すなわち非災害性の気管支喘息等の業務起因性の有無の判断を行
ううえにおいても、何ら異なるところはないと解するのが相当である。
(二) 原告は、労基法及び労災保険法上の業務起因性の判断基準としては、業務
と結果発生との間に合理的関連性があれば足りる旨主張するが、業務上外の判断基
準は、右説示のとおり合理的関連性があるだけでは足りず、相当因果関係があるこ
とまで必要とするというべきである。
2 しかして、非災害性の気管支喘息の発症及び増悪については、被災労働者の従
事していた業務と直接関係のないアトピー素因やアレルゲン等の日常生活上の危険
因子が複合的、相乗的に影響しあって発症に至ることが多いことに鑑みれば、業務
と右気管支喘息の発症及び増悪との間に相当因果関係を肯定するためには、単に気
管支喘息が業務遂行中に発症したとか、あるいは業務が気管支喘息の発症及び増悪
の一つのきっかけを作ったなどという一事のみでは足りず、当該業務に通常内在な
いし随伴する危険が顕在化したものと認められることが必要であると解すべきであ
る。
 しかるところ、肉体的、精神的緊張等に基づくストレスないし疲労(以下「スト
レス等」ともいう。)の蓄積が、気管支喘息を誘発あるいは増悪させる危険因子の
一つであり、ことに気管支喘息の基礎疾患を有する者に対しては、一層悪影響を与
える可能性があることが認められるものの、ストレス等の発生要因は種々であっ
て、業務のみならず業務外の事情も考えられるほか、気管支喘息の発生機序につい
ては、医学上もいまだ十分に解明されていない分野であり、ストレス等の発生及び
その受容の程度並びに身体に与える影響についても個人差が存在し、現在の医学水
準からはストレス等の蓄積を客観的・定量的に数値化することは困難であることが
認められることからすると、現在の医学的知見よっては
、ストレス等の蓄積と気管支喘息の発症及び増悪との因果関係を、医学的に明らか
にすることは難しいものといわざるを得ない(甲第五七、第六五、第六七号証、第
七〇ないし第七五号証、第七七、第八九号証及び弁論の全趣旨)。
 しかしながら、訴訟上の因果関係については、かかる医学的な証明まで必要とさ
れるものではなく、論理法則、経験則に照らしての歴史的証明で足りるのであるか
ら、訴訟上の因果関係を肯定するにおいては、その事実的側面において、気管支喘
息等の発生機序が医学的に余すところなく証明されなければならないとするのは相
当でなく、また、ストレス等の蓄積が客観的・定量的に把握できない限り訴訟上の
因果関係を肯定できないと解することもまた相当でない。
 してみれば、業務と気管支喘息の発症及び増悪との間に相当因果関係があるとい
えるかどうかを判断するに当たっては、前記労災補償制度の趣旨に鑑み、当該被災
労働者の基礎疾患の内容、程度、発症前後の業務の状況、生活状況等の諸事情を具
体的かつ全体的に考察し、これを当該被災労働者の疾病発生原因及び増悪について
の医学的知見に照らし、社会通念上、当該業務が当該被災労働者にとって過重負荷
と認められる態様のものであり、これが被災労働者の基礎疾患を自然的経過を超え
て著しく増悪させ、それにより喘息発作による死亡の結果を招いたと認められる場
合に相当因果関係を肯定するのが相当である。
二 争点2について
 業務災害に関する遺族補償給付及び葬祭料は、労基法七九条、八○条に規定する
事由が生じた場合に、補償を受けようとする遺族又は葬祭を行う者の請求に基づい
て行われるところ(労災保険法一二条の八第二項)、右請求は、労働基準監督署長
に対し、請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に、これを証明する
ことができる書面を添付してしなければならないとされている(労災保険法施行規
則一三条一項、二項)ことからすると、遺族補償給付及び葬祭料を受けようとする
遺族あるいは葬祭を行う者は、右請求にかかる各給付について、自己に受給資格の
あることを証明する責任があるというべきであって、右遺族ないし葬祭を行う者が
遺族補償給付あるいは葬祭料を請求するには、「労働者が業務上死亡した」(労基
法七九条、八○条)ことを証明しなければならないものと解するのが相当である。
 そうすると、遺族あるいは葬祭を行う者は、労働基準監
督署長が、遺族補償給付及び葬祭料の請求に対し、業務起因性を有しないことをも
って不支給決定をしたときに、その効力を訴訟上争う場合においても、遺族あるい
は葬祭を行う者の側で、当該死亡が業務起因性を有することを主張・立証する必要
があるというべきである。
 もっとも、訴訟上の因果関係の立証は、自然科学的な証明ではなく、特定の事実
が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであ
り、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることで
足り(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日判決・民集二九巻九号一四一七頁参
照)、また、医学的に厳密な証明まで要求されるとすると、前記説示のとおり、ス
トレス等の蓄積と気管支喘息の発生機序について医学的にも十分に解明されていな
い現状においては、亡aの業務起因性の立証につき著しい困難を強いる結果とな
る。
 してみれば、亡aの業務と死亡との相当因果関係を立証するにおいても、亡aの
基礎疾患を自然的経過を超えて著しく増悪させたと認めるに足りる過重な業務の存
在を立証すれば足り、被告から、本件基礎疾患が重篤な状態にあったこと、あるい
は業務外の肉体的、精神的負荷等が原因となって本件疾病が発症及び増悪したこと
について特段の反証がない限り、本件疾病は労務に通常内在ないし随伴する危険性
が顕在化したものと認められ、業務と本件疾病の発症及び増悪との間に相当因果関
係を肯定することができるものと解するのが相当である。
三 争点3について
1 第二の一に摘示した「争いのない事実等」及び証拠(甲第五、第七、第八号
証、第一三号証の二、三、第一五号証の一ないし四、第一八、第二四号証、第二六
号証の一、第二七、第二八号証、第三〇号証の一、二、第三一号証、第三二号証の
一ないし三二、第三四号証の一、二、第三五号証の一ないし四、第三六号証、第三
七号証の一、二、第三八、第三九号証、第四〇号証の一ないし四、第四一、第四
六、第四八号証、第五二ないし第五五号証、第五八号証の一ないし四、六ないし
八、一〇ないし一三、第五九号証の一、五、第六一号証の一、三ないし七、第六三
号証の一、二、第六四号証の一ないし一五六、第八一号証、第八三ないし第八七号
証、乙第一号証の二、第三号証の一、三ないし一一、第一二号証の一、二、第一三
ないし第二八号証、第三一ないし第三三号証、第三七、第四一、第四五号
証及び証人c、同d、同g、同hの各証言並びに原告本人尋問の結果)並びに弁論
の全趣旨によれば、以下の事実が認められる(なお、各認定事実の冒頭の括弧内に
当該事実の認定に供した主な証拠を掲記した。)。
(一) 亡aの経歴・性格等(甲第四一、第五八号証の一、二、一二、第八一、第
八三、第八四号証、乙第一七号証)
 亡a(昭和二二年四月三日生まれ)は、名城大学を卒業後、昭和四五年四月、住
友電設の前身である太陽工藤工事株式会社に入社し、同社の電気設備工事技師とし
て勤務していた。
 亡aは、本件死亡までの約一九年間、主として、ビル、工場等の受変電設備や照
明、コンセント等の設置工事の現場副代理人又は現場代理人業務に従事していた。
 亡aは、明るく部下に慕われる性格である反面、人見知りをし、本音をなかなか
話さない性格であり、几帳面で仕事に対しては責任感が強かった。
(二) 亡aの業務内容等
(1) 亡aの担当業務(甲第三八、第五二ないし第五五号証、第五八号証の一、
二、五、第五九号証の一、第六一号証の四、乙第三一、第三三、第三七号一証)
 亡aは、現場副代理人又は現場代理人として、前記争いのない事実等5記載の業
務を遂行していた。
 現場代理人の業務内容は工事の進み具合にしたがって変動し、現場事務所の開設
から躯体の立ち上がりまでの間は、打合せ、事務処理、労務・資材等の手配、提出
書類の作成、図面、書類の作成など、現場事務所内での業務がほとんどを占める
が、躯体の立ち上がりから竣工までの間は、現場事務所内での業務に加えて現場巡
視が付け加わる、この現場巡視は、常時現場に詰めているわけではなく、午前、午
後の各一時間ほど、工事進行状況のチエック、施工内容の品質チェック、作業員等
の安全チェックのために現場を回るというものであり、それ以外の時間は現場事務
所内において、施工図の作成及び修正、月間工程表・週間工程表の作成及び修正、
日々の工事の進み具合に合わせた施工計画の修正、他の設備業者との打合せなどの
業務を処理していたが、このなかでも特に時間がかかるのは、施工図作成及び施
主、関係業者との打合せであった。
 現場代理人業務は、現場事務所の責任者として右の業務を処理するものであり、
責任の重い業務であった。
 なお、現場代理人は、現場の管理者、責任者であって、原則として、現場作業員
の行う若干の軽作業を手伝うことはあっても、現場作業員
と一緒に作業を行うことはなかった。
(2) 就業規則上の労働条件(乙第三二、第三三号証)
 就業規則上の休日は、祝祭日、メーデー、年末年始、日曜日、月に二回の土曜日
と夏季休暇であり、所定休日に出勤した場合は代休が与えられることとなってい
た。
 始業時間は午前八時四五分であり、終業時間は、月曜日から金曜日までは午後五
時一五分、土曜日は午後四時三〇分であり、昼の休憩時間は一時間であった。した
がって、月曜日から金曜日までの実労働時間は七時間三〇分であり、土曜日の実労
働時間は六時間四五分であった。なお、工事現場で就労する場合は、元請業者等と
の就業時間に合わせる必要があるため、始業時間は午前八時とされていることが多
かった、
(三) 平和ビル受変電設備工事期間中の亡aの就業状況等(甲第一五号証の一な
いし四、第三六、第三八号証、第五二ないし第五五号証、第五八号証の一ないし
三、八、一一、一二、第六一号証の四、第八一、第八三、第八四号証、乙第三号証
の四、第一七ないし第一九号証、第二四、第二七、第三三号証、証人cの証言、原
告本人尋問の結果)
(1) 工事の概要
 住友電設は、株式会社大林組から、平和ビル新築工事(地下一階、地上一一階、
塔屋三階建)のうち、受変電設備、幹線設備、動力設備、中央監視設備工事を請け
負った。平和ビル全体の工期は、昭和五〇年一〇月から昭和五二年九月までであ
り、昭和五〇年一二月ころに基礎工事に着工し、昭和五二年四月まで躯体工事が、
同年四月から同年九月まで内装工事が施工された。そして、住友電設は、昭和五一
年五月から同年一〇月までは設計業務を行い、同年一一月から昭和五二年九月まで
の間に躯体工事や内装工事と並行して電気設備工事を施工した。
 右平和ビル電気設備工事では、cが現場代理人、亡aが現場副代理人を担当した
が、右工事は比較的順調に進行し、亡aはほぼ定時に帰宅していた。なお、亡a
は、竣工期日の一か月前ころに、設備の試運転等で二時間ないし三時間の残業をし
たことがあったが、それも連続ではなく合計五日程度にすぎなかった。
(2) 清掃業務について
Ⅰ 平和ビル電気設備工事現場では、昭和五一年一一月ころから躯体工事が完成す
る昭和五二年四月ころまでの約半年間、毎週一回一斉清掃日が設けられ、午後一時
から二時までの約一時間程度、ゼネコンの割り振りに従い、各業者が分担して新築
ビルのフロアーを清掃してい
た。右一斉清掃のうち、コンクリート打ち用の仮枠を撤去した直後の清掃の際に
は、一時的(三〇分ないし一時間程度)に大量のほこりが発生した。ほこりの種類
は、コンクリートのほこり、石膏ボードの切り屑、砂などであり、水をかけてほこ
りが舞い上がらないようにするが、間仕切りがないので全体にほこりが舞い上がっ
てしまう状況であった。そのため、右仮枠撤去直後の清掃当番に当たったときは、
cや亡aを含め、作業者全員がマスクや手拭いを口元にあてて清掃作業をしてい
た。
 しかし、仮枠撤去直後の清掃は、各階につき一回であり、かつ、右清掃は五班で
分担したため、亡aの所属する班が右の清掃を担当したのは三回程度にすぎなかっ
た。また、内装工事が始まった昭和五二年五月以降は、内装業者が右の清掃を行う
ようになり、cと亡aらは右の清掃作業には参加しなくなった。
 なお、住友電設の現場代理人は、いずれも右のような新築ビルの工事現場におい
て業務に従事しているが、これまで亡a以外に気管支喘息に罹患した者はいなかっ
た。
Ⅱ 右仮枠撤去直後の清掃以外の一般清掃は、紙、木片等のごみが多く、ほこり、
粉塵は少なかった。また、清掃時以外にも、コンクリートのはつり工事の壁や仕上
工事の初期の段階には、一時的にほこりが舞うこともあったが、その程度は大した
ものではなかった。
 なお、屋上の特別変電室の壁には石綿が吹き付けてあったが、その石綿がとれて
空中を飛び交うということはなかった。
(3) 亡aの業務内容
 亡aは、電気設備工事着工までは設計変更に伴う施工図の作成や修正を担当し、
右工事が同年一一月に着工された後は、工事が予定どおり進行しているかをチェッ
クする工程管理を主に担当し、工事現場を午前と午後に各一時間ほど巡視したり、
現場事務所内で施工図の作成及び修正、月間・週間工程表の作成及び修正、資材の
手配などの業務に従事していた。
 このように、亡aの業務は、現場事務所内において行うものが大半であった。
(4) 亡aの健康状態等
 亡aは、昭和五二年七月ころ、咳が止まらない状態となり、当初は風邪をこじら
せたものと思っていたが、同年九月二三日、自宅でゼーゼーといいながら、汗を流
して息苦しそうな状態になったため、翌二四日、当時の自宅近くのj病院で診察を
受けたところ、気管支喘息と診断され、そのまま同月二九日まで入院した。
(四) 平和ビル受変電設備工事終了後から
、白鳥住宅電気設備工事に従事するまでの亡aの就業状況及び健康状態等(甲第一
八、第二四、第四五、第四六、第八一、第八三号証、乙第五号証の一、二、第六号
証の一、二、第一四、第三三号証)
(1) 亡aは、平和ビル受変電設備工事終了後、昭和五三年五月から昭和六三年
三月までの間、第二の一4記載のとおり、一八件の工事に現場代理人又は現場副代
理人として従事したが、いわゆる件名工事と呼ばれる大規模なものは、三洋岐阜G
I棟建設電気設備工事と恵那市まきがね公園体育館建設工事の二件であり、それ以
外は規模が小さく期間も短い比較的楽な工事ばかりであった。
(2) 亡aは、昭和五九年一二月から昭和六一年一〇月まで三洋岐阜GI棟建設
電気設備工事の現場副代理人業務に従事したが、このころから喘息発作の回数が増
え、時々、発作のため夜眠れない日もあるようになった。
(3)Ⅰ 亡aは、j病院に、昭和五九年一月から昭和六〇年五月まで継続的に通
院(実日数五七日)して、気管支喘息等の治療を受けていた。
Ⅱ 亡aは、実父が通院していたp医院に、昭和五九年一月一日から昭和六一年八
月三一日まで通院(実日数一二六日)して、気管支喘息の投薬を受けていた。
Ⅲ 亡aは、自宅近くのg内科に、昭和五九年一一月一七日から通院するようにな
り、死亡するまで主治医として気管支喘息等の治療を受けていた。
Ⅳ 亡aは、n病院に、昭和六〇年四月一七日から昭和六一年七月三日まで通院
(実日数四五日)したが、そのカルテには、昭和六〇年七月一五日「喘息発作」、
同年八月二日「喘息発作」、同年八月二六日「喘息発作」、同年九月九日「喘息発
作は軽いのある。」、同年一〇月七日「喘息の方がどうもいかん。」、同年一○月
(日時不明)「夜間時々喘鳴あり。サルタールでおさまるが、薬を夜間にも効くよ
うに長く作用するようにしましょう。」、同年一二月一三日「階段四階までで呼吸
困難ある。一週間前より風邪、労作時に呼吸困難、喘鳴少しあり。」、昭和六一年
一月二四日「喘鳴あり。」、同年二月一日「喘鳴あり。走ると呼吸困難」、同年二
月二一日「喘息発作時々あり。喘息のトリガーとしては、運動負荷、タバコ、食事
の食べすぎのとき。」、同年五月二六日「喘息発作」、同年七月三日「喘息発作、
呼吸音、ラッセル音なし。」と記載されていた。
Ⅴ 亡aは、三洋岐阜GI棟建設電気設備工事の現場近くのq診療所に、昭和六一
年二
月五日から同年九月二〇日まで通院(実診療日数一六日)して、気管支喘息の治療
を受けていた。
(五) 白鳥住宅電気設備工事(昭和六三年三月から平成元年六月まで)
(1) 白鳥住宅電気設備工事の概要(甲第三八、第三九号証、第四〇号証の一、
二、第五二ないし第五五号証、第六一号証の三、四、乙第一八ないし第二〇号証、
第三三号証、証人c、同dの各証言)
 住友電設は、名古屋市〈以下略〉所在の白鳥住宅新築工事のうち、第二A工区電
気設備工事(一四階建、住宅九〇戸及び二階建集会所の電灯・コンセント・弱電設
備・防犯設備の設置と、外溝の引き込み管路・街灯の工事)を住宅都市整備公団中
部支社から請け負った。右の工事は、いわゆる件名工事であり、住友電設としては
中型の工事であった。
 第二A工区電気設備工事の契約工期は、昭和六三年三月から平成二年六月まで
(ただし、一、二階住戸内電気工事を除く部分は平成元年六月三〇日までとす
る。)であり、昭和六三年四月から平成元年三月までの間に躯体工事が施工され、
昭和六三年一〇月からは三階から順次上方に内装工事が施工された。
 住友電設は、右の躯体工事、内装工事に合わせて電気設備工事を施工し、平成元
年六月三〇日に三階から一二階部分を竣工して、住宅都市整備公団中部支社に引き
渡した。
 なお、右の工期は、当初、平成元年五月末までとされていたが、途中で集会所の
建築が追加されたことにともなって、同年六月末まで延長された。
(2) 現場代理人等の選任について(甲第五二ないし第五五号証、乙第一八ない
し第二〇号証、第三三号証、証人c、同dの各証言)
Ⅰ cは、白鳥住宅電気設備工事の現場代理人を選任するに当たり、当時住友電設
中部支社に在籍していた三〇名程度の現場代理人の中から、ローテーションの順番
に従って亡aを選任した。
Ⅱ 住友電設では、原則として、大規模工事以外は現場副代理人を配置しておら
ず、白鳥住宅電気設備工事は、通常であれば現場代理人一人を配置する程度の規模
であったが、住友電設の協力会社である大晃電気工事株式会社からの依頼により、
同社の代表取締役の息子で昭和六三年四月に同社に入社したdを、新人研修のため
現場副代理人として配置した。
 dは、高校を卒業したばかりで現場経験がなく、専ら見習いのような地位であっ
たことから、亡aの指示を現場の職人に伝達したり、亡aに教わって図面を書いた
り、自分に分かる
範囲で現場に直接指示を出す等、いわば補助的業務に従事していた。
(3) 現場代理人の業務内容等(甲第八号証、第五二ないし第五五号証、第五八
号証の一ないし三、六、七、一一、一三、乙第三号証の三、第一八ないし第二〇号
証、第二三、第三三号証、証人c、同dの各証言)
Ⅰ 白鳥住宅電気設備工事は、平成元年七月に名古屋デザイン博(以下、単に「デ
ザイン博」という。)が開催される予定であり、右住宅がコンパニオンの宿舎に使
用されることが決定していたため、他の工事現場以上に完成時期の厳守が要求さ
れ、特に竣工検査直前の一か月程度は突貫工事を要するほどではなかったものの、
非常に繁忙であった、
 そのため、亡aは、前記(二)(1)記載の現場代理人の一般的職務の他に、仕
上段階では、電源の回路チェックやコンセント、スイッチのプレートの取付等の、
本来職人が行うべき簡単な現場作業にも従事しなければならなかった。
Ⅱ 亡aは、昭和六三年の夏ころから、一日に一回、三〇分から一時間程度、現場
巡視に出るようになったが、作業用エレベーターが使用できないときは、一四階ま
で徒歩で上がらなければならなかった。
(4) 現場事務所の環境等(甲第八、第三八号証、第五二ないし第五五号証、第
五八号証の一ないし三、一一、一三、乙第一八ないし第二〇号証、第二七、第三三
号証、証人dの証言)
Ⅰ 亡aは、昭和六三年四月一一日から同年一〇月二〇日ころまでは、空調設備、
換気設備の備わったプレハブ建物を現場事務所として使用していたが、そのころ、
建築中の建物の一階にある三LDK程度の現場事務所に移転した。
 右現場事務所は、仕上げがなされていないコンクリートの部屋に木パネルで間仕
切りをし、半分程度を現場事務所にし、残り半分を資材置場にしたものであり、空
調や換気についてはコンクリートの穴からの自然換気であった。また、右現場事務
所には、だるまストーブ一台しか設置されていなかったため、冬季は非常に寒く、
亡aは防寒着を着て作業をしていた。
Ⅱ 白鳥住宅電気設備工事の作業現場は、通常はそれほどほこりが出るわけではな
かったが、コンクリートのはつり工事や掃除等の際にはかなりのほこりが出ること
もあった。
(5) 白鳥住宅電気設備工事における亡aの就労状況及び健康状況等(甲第八号
証、第二六号証の一、第三六、第三八、第四六、第四八号証、第五二ないし第五五
号証、第五八号証の一な
いし三、第六一号証の四ないし六、第六三号証の一、二、第八一ないし第八四号
証、乙第三号証の四、七ないし九、第一七ないし第二〇号証、第二八、第三三号
証、証人c、同d、同gの各証言、原告本人尋問の結果)
Ⅰ 亡aは、昭和六三年四月ころまでは、定時に帰宅するか、残業しても三〇分程
度のことが多かったが、同年五月後半からは、連日平均一時間半程度の残業をし、
同年六月後半からは、それが連日約二時間の残業となり、さらに同年七月になると
三時間半の残業もするようになった。そして、後記同年八月八日の入院・静養から
復帰した同年八月二二日以降も、連日二時間半程度の残業が続き、同年九月一二日
まで定時で仕事を終えたことはなく、その後、同月中も定時で仕事を終えた日は一
日のみで、一時間ないし二時間程度の残業が続いていた。
 そして、同年一〇月は、同月一日及び同月八日から一〇日までの合計四日間休日
出勤し、このころより定時に帰宅する日はほとんどなくなり、一時間半、二時間、
二時間半といった残業時間がほぼ毎日続くようになった。
 なお、亡aが始業前にg内科に通院したときは、診療開始時間の都合上、二時間
程度遅刻せざるを得なかった。
Ⅱ dは、白鳥住宅建設現場に勤務中、亡aが咳き込んでメジヘラを一日に何回も
使用している姿を見かけていたが、昭和六三年の夏以降咳き込む時間が長くなっ
た。また、亡aが気管支喘息の発作により、しゃがみ込んで苦しそうにして息もで
きないため、救急車を呼ぼうと思い、亡aに止められたことが三回ほどあった。
 なお、亡aは、激しく咳き込むときだけでなく、咳をしていないときにもメジヘ
ラを使用していた。
Ⅲ 亡aは、白鳥住宅電気設備工事の現場代理人になってから、自宅に仕事を持ち
帰り、帰宅後や日曜日に自宅で図面作成等の業務をするようになった。
 原告は、亡aの健康状態を心配し、長期休暇を取るように勧めたところ、亡a
は、「休めたらいいなあ。」と答えたことがあった。
Ⅳ 亡aは、昭和六三年八月八日、自動車で帰宅途中、気管支喘息発作に見舞わ
れ、運転することができなくなり、救急車でj病院に運ばれ、翌九日まで同病院に
入院した。右入院時の亡aの症状は、「胸内苦悶、呼吸困難、喘鳴著しく、起挫呼
吸を行う、顔面には冷汗出現。」というものであり、酸素吸入、点滴治療を受け
た。そして、亡aは、右退院後、同月一七日まで自宅療養し、仕事の進行状況を
見るため同月一八日に一度出勤したが、同月一九日から二一日まで再度休みを取っ
た。
 また、亡aは、昭和六三年一〇月末か一一月初めころ、自動車を運転して帰宅す
る途中に喘息発作に見舞われて、電柱に自動車を衝突させるという事故を起こし
た。
Ⅴ 白鳥住宅は、昭和六三年一二月中旬ころには一四階まで躯体が立ち上がった。
 亡aは、一日一回現場巡視をしていたが、徒歩で一四階まで上がらなければなら
ないときもあった。亡aは、dに対し、階段を登る際、「えらい、しんどい、」と
漏らし、立ち止まって呼吸を整えていたことがあり、dは、亡aの健康状態を案じ
て、できるだけ亡aに代わって現場に出るようにしていた。
Ⅵ 平成元年一月一日から同年一一月六日までの亡aの出勤時間、退勤時間、労働
時間、g内科への受診状況及びメジヘラ購入本数は、別表一の「亡aの月別勤務状
況、受診状況及びメジヘラの購入本数」記載のとおりである。そして、右の労働時
間、発作回数、受診回数と、i医師が計算した後記吸入点数、ステロイド点数、発
作点数を月別に一覧表にしたものが、別表二の「時間外労働と喘息の状況」であ
る。
 右別表一によれば、平成元年一月前半は、正月休みもあり労働時間はそれほどで
もなかったが、同月後半からは再び一八時ないし、九時まで残業をするようにな
り、特に同月三一日から同年二月一七日までは、二月一二日に一日休みを取っただ
けで連日出勤し、右一八日間の労働時間は合計一五三時間に及んだ。右期間中は、
二月八日に一度受診しているのみであるが、メジヘラの購入本数は約二四本(ただ
し、二月一五日の一二本は、その大部分が右期間後に使用された可能性が高いの
で、二本として計算した。)で、一日当たりの平均使用量は一・三本となり、後記
の全期間を通じての平均使用量○・九一本よりも多かった。そして、亡aは、右連
日出勤後の二月一八日及び一九日に休みを取った後、同月二〇日から二二日まで三
日間連続して喘息発作を発症し、点滴治療を受けた。
 平成元年二月下旬は残業時間が大きく減少したが、同年三月三〇日に住宅都市整
備公団の中間検査が行われる予定であったため、同年三月に入ると再び一八時ない
し一九時まで残業し、同月四日及び二一日には休日出勤もした。同年三月は合計六
回受診しているが、そのうち三回は喘息発作があり点滴治療を受けた。
 右のように、亡aは、平成元年二月下旬から、喘息発作に
より点滴治療を受ける回数が多くなってきた。
Ⅶ 平成元年三月三〇日、住宅都市整備公団の中間検査が行われた。亡aは、同公
団の設備担当者やdらとともに現場を回り、パイプシャフトの収まり等不具合な点
について指摘を受けるなどしていたが、途中で具合が悪くなったため、dに対し、
後は頼むといって事務所に戻った。
 また、平成元年四月五日、原告の妹の義父が死亡したが、亡aは、体調が悪く、
仮通夜にも通夜にも出席できず、葬式の最後に出席して焼香をしただけであった。
Ⅷ 平成元年四月四日、dが大阪へ研修に行くことになった。dは見習いのような
立場ではあったが、前述のとおり、亡aの補助者として、職人に対する指示の伝
達、施工図の手伝い、現場作業のチェック等の業務を担当していたが、dがいない
間、これらの業務をすべて亡aが行わなければならなくなった。しかも、平成元年
四月ころからは仕上げの段階に入り、現場代理人は毎日一四階まで現場巡視に行か
ねばならない時期であったが、それまで亡aの健康状態を気遣って、できるだけ亡
aに代わって現場に行くようにしていたdがいなくなったことから、亡aは、自ら
現場巡視をする機会が多くなった。
 なお、dは、平成元年五月二〇日ころ研修から帰ってきたが、一週間程度他の現
場の応援に行き、同月下旬ないし同年六月上旬ころ、白鳥住宅電気設備工事の現場
に戻った。
 また、平成元年五月のゴールデンウィークのころには、下請の作業班が変更する
アクシデントがあり、亡aは職人の手配に苦労したことがあった。
 cは、亡aからの応援依頼を受けて、下請の作業員を増やしたほか、平成元年五
月一一日から同年六月一五日までの約一か月間、cを含む三名の現場代理人が午後
から交替で亡aの応援に行くようにした。
Ⅸ 亡aは、平成元年四月もほぼ一八時ないし一九時まで残業し、同月八日、二二
日及び二九日の三日間休日出勤した。亡aは、平成元年四月は合計五回受診し、そ
のうち三回は喘息発作により点滴治療を受けた。なお、四月九日からは、従前の投
薬内容に加えて、リザベル3K(抗アレルギー喘息発作予防剤)が投与されるよう
になった。
 平成元年五、六月には、工事は仕上げの段階に入り、亡aはさらに多忙となり、
図面の作成や書類の整理等を自宅に持ち帰ってすることも多くなった。
 また、平成元年六月一二日及び同月一三日、住宅都市整備公団による竣工検査が
行われたが、
右の検査後に住友電設中部支社のe検査部長が公団担当者から呼びだされて、各種
の指示を受けた。亡aは、右の指示事項を遵守するために、竣工検査後の同月一四
日二四時まで残業した。
 亡aは、平成元年のゴールデンウィークは、同年四月二九日、同年五月一日、同
月三日及び同月四日と休日出勤し、その後も、同年五月九日から二〇日まで連続し
て勤務した。しかも、その間は、連日一八時から二〇時までの残業であった。さら
に、同月二一日に休みをとった後も、同年六月一八日に休みを取るまで、二七日間
も休日なしの連続勤務に従事したが、この間、二〇時以降まで残業した日数は一二
日間もあり、特に、同月六日及び同月七日は二三時まで、同月一四日は二四時まで
残業をしている。
 右の五月九日から六月一七日までの四〇日間の労働時間は合計四一一時間にもお
よび、しかもその間一日しか休みが取れず、そのうえ右の期間は竣工検査を控えて
いて労働密度も濃かったものと推測されるから、亡aの右の期間の労働内容は極め
て過重なものであった。右の期間中、亡aは、五月二三日及び六月六日の二回と竣
工検査が終わって少し余裕の出た六月一六日及び一七日の二回受診し、後者の二回
は喘息発作により点滴治療を受けた。右の期間中の受診回数が少ないのは、その前
後の受診回数から判断して、気管支喘息の症状が軽快したためではなく、多忙な業
務により受診する余裕がなかったことによるものと考えられる。しかし、右の期間
中のメジヘラ購入本数は約四〇本(ただし、六月一五日の一五本は、その大部分が
右期間後に使用された可能性が高いので、二本として計算した。)であり、一日当
たりの平均使用量は一本となり、全期間を通じての平均使用量○・九一本と有意の
差は認められないから、右の過重な業務によりメジヘラの使用量が増えたとはいえ
ない。
 その後、平成元年六月一九日から同月三〇日までは、所定休日もきちんと取れ、
ほぼ定時に帰宅できるようになった。亡aは、その間、合計六回受診し、いずれも
喘息発作により点滴治療を受けた。
Ⅹ 亡aは、平成元年五月、六月になると、帰宅しても疲労がほとんど回復しない
状態であった。亡aは、帰宅すると風呂に入らず、すぐに就寝するが、深夜に喘息
発作で目が覚め、そのまま朝まで眠れない日が多くなった。そのため、食欲が減退
し、朝食も取れなくなり、温めた牛乳を一杯飲むのがやっとという日が多くなって
いた。
(六) 平成元年七月一日から同年八月二〇日までの亡aの勤務状況及び健康状態
等(甲第三八、第四八号証、第五二ないし第五五号証、第五八号証の一ないし三、
六、七、一一、第六一号証の四、第八一、第八三、第八四号証、乙第一八ないし第
二〇号証、第二三、第二八、第三三号証、証人c、同dの各証言、原告本人尋問の
結果)
(1) 配置転換の申入れ
 亡aは、cに対して、平成元年六月三〇日ころ、体調がすぐれないとの理由で、
内勤の設計・積算業務への配置転換を申し出た。cは、亡aの目が充血し、顔がむ
くんでいるなどの症状をみて、白鳥住宅電気設備工事の疲れが残っていると考え、
工事部長と相談して、亡aには工事課配属のままで積算業務の応援をさせることと
し、同年七月一日、中部支社内での内勤を命じた。
 しかし、亡aは、不慣れな内勤のため、自分の机に長時間座っていることができ
ず、頻繁に外出するなどし、そのため、設計積算課の従業員から苦情が出た。そこ
で、cは、亡aの職場を替えることとし、亡aの健康状態を考慮して、平成元年七
月一七日から同年八月二〇日までの間、税務大学校現場事務所において、「シティ
ーコープ滝の水」電気設備工事の準備作業を命じた。
 亡aは、右の期間中は、ほぼ定時に退社し、残業しても三〇分ないし一時間程度
であった。そして、土曜日、日曜日の所定休日や、お盆休みもすべて休暇を取得し
たため、平成元年七月及び八月は、合計すると各月とも一一日間の休みを取ったこ
とになる。
(2) 亡aの健康状態等
 右(1)のとおり、亡aの業務は軽減されたが症状はなかなか回復せず、顔色は
どす黒く、目は真っ赤に充血し、声もしやがれた感じであった。
 亡aは、平成元年六月一六日から同年七月一〇日まで、五日間に三回の割合で頻
繁に受診し、いずれも喘息発作による点滴治療を受けていたが、その後は、同月一
五(喘息発作による点滴治療)、同月二三日(同上)、同月二六日(発作なし)と
少し喘息発作の間隔があくようになった。しかし、同月二八日に感冒に罹患してか
ら、同日、同月二九日、同年八月二日、同月九日、同月一一日、同月一九日、同月
二一日及び同月二三日と再び頻繁に喘息発作を発症するようになり、いずれも点滴
治療を受けた。そして、同月二三日、投薬内容が変わり、ステロイド剤であるリン
デロン散○・六ミリグラムが処方されなくなるとともに、同月二五日から三〇日ま

連続六日間、喘息発作により点滴治療を受けた。
(七) 東郷サービスエリア電気設備工事
(1) 東郷サービスエリア電気設備工事の業務内容等(甲第三〇号証の一、二、
第三四号証の一、二、第三九号証、第四〇号証の三、四、第五二ないし第五五号
証、第五八号証の一、三、一一、証人cの証言)
 住友電設は、東名高速道路東郷サービスエリア上下線の売店、トイレ等の全面改
修に伴う電気設備工事を住友建設株式会社(以下「ゼネコン」という。)から請け
負った。
 東郷サービスエリア電気設備工事の全体の工期は、平成元年七月一日から平成二
年二月八日までであったが、平成元年八月初めころ、発注者である日本道路公団か
ら、売店については、平成二年の正月までに使用できるようにしてほしいとの申入
れがあったことから、住友電設は、これを承諾した。そして、平成元年八月二九日
から、ゼネコンの建築工事と並行して電気設備工事に着手した。
 また、東郷サービスエリア電気設備工事は、日本道路公団発注のいわゆる官庁工
事であったため、民間工事に比べて提出書類が非常に多いという特殊性があった。
(2) 亡aが東郷サービスエリア電気設備工事を担当するまでの経緯(甲第五二
ないし第五五号証、第五八号証の一、三、一一、乙第一八、第一九、第二一号証、
証人cの証言)
 cは、東郷サービスエリア電気設備工事の現場代理人として、当初、協力会社で
ある中央電機株式会社のfを予定していたところ、平成元年八月一〇日、fを同行
してゼネコンにあいさつに赴いた際、ゼネコンから、工期が迫っているので現場代
理人は現場事務所に常駐してほしい旨の要請がなされた。fは他の工事現場も担当
しており、東郷サービスエリア電気設備工事に常駐することは困難であったため、
cは、住友電設の従業員の中から現場代理人を選任する必要に迫られたが、当時は
いわゆるバブル景気の真っ最中であり、住友電設も多くの現場を抱え現場代理人が
不足していたことから、その選任に苦慮していた。
 cは、平成元年八月一七日、亡aと住友電設中部支社内であった際、亡aが当時
応援をやっていてフリーの立場にあったことから、亡aに対し、「そんな大きな仕
事やないけどどうだ。」と要請したところ、亡aは、当時の住友電設の現場代理人
不足を理解しており、かねて親しく交際していたcからの頼みでもあったことか
ら、「それくらいなら、わしできるわ。」とこれを承諾
した。
 cは、亡aの経歴からすれば、東郷サービスエリア電気設備工事程度の現場代理
人業務は負担にならないと考えていたが、亡aの健康状態に不安があったことと、
売店の工期が一二月末日までに短縮されたことから、fを現場副代理人に選任して
亡aの補助に当たらせることにした。
(3) 現場事務所の環境等(甲第五八号証の一)
 東郷サービスエリア電気設備工事の現場事務所は、空調設備もあり、窓もついて
おり、作業環境が特に悪いということはなかった。
(4) 東郷サービスエリア電気設備工事の現場代理人の業務内容等(甲第三二号
証の一ないし三二、第三四号証の一、二、第三五号証の一ないし四、第五二ないし
第五五号証、第五八号証の一、三、六、七、一○、一一、乙第三号証の三、六ない
し八、一〇、一一、第一八、第一九号証、第二一ないし第二三号証、第三三号証、
証人cの証言)
Ⅰ 亡aは、平成元年八月二一日から同月二九日までの間、住友電設中部支社にお
いて、施工図の作成、資材・機材の手配、職人の手配等の準備作業を行い、同年九
月一日からは、現場事務所に移動して図面等の作成に従事した。
Ⅱ 東郷サービスエリア電気設備工事は、前記のとおり、いわゆる官庁工事であっ
たため、材料のすべてについて写真を撮るようにとの指示があり、それだけでも半
日を要することがあった。また、図面変更の際にも、口頭で変更が可能なものまで
施工図面に表さなくてはならず、書き直しが多かった。
 亡aは、cに対し、死亡する一週間くらい前、「図面変更が多いんで大変
や。」、「書いても書いても変更がある。」と漏らしていた。
Ⅲ 平成元年一〇月中旬から下旬にかけて、図面書きがピークとなり、fも図面書
きを手伝うようになった。
 そして、平成元年一一月初旬ころから、建屋以外の埋設物の管路工事が始まり、
作業員数が増加した。なお、右の時点において、建築工事の遅れなどが原因で、電
気設備工事は予定よりも二日程度遅れていた。
 亡aは、平成元年一一月三日及び同月四日と二日間連続して休日出勤し、職人や
材料の手配をすべて終了させ、一一月六日から本格的な工事に入る予定であった。
 なお、亡aは、東郷サービスエリア電気工事では、自宅に仕事を持ち帰ることは
なかった。
Ⅳ 亡aは、別表一「亡aの月別勤務状況、受診状況及びメジヘラの購入本数」記
載のとおり、平成元年八月二一日以降残業時間が増え始め、同年一〇月に
入ると、連日のように一八時ないし一九時まで残業するようになり、同月七日には
休日出勤し、同月一一日から一三日までは連続して二〇時まで残業した。そして、
同月二八日の土曜日と同月二九日の日曜日は休みを取ったが、同年一一月三日及び
同月四日は連続して休日出勤した。
 亡aの死亡直前一か月間の労働時間は合計二四二時間であり、白鳥住宅電気設備
工事現場における平成元年三月当時と同じ程度の労働時間であった。
(5) 亡aの健康状態等(甲第二六号証の一、第四六、第四八号証、第五二ない
し第五五号証、第五八号証の一ないし三、一〇ないし一二、第六一号証の五、六、
第六三号証の一、二、第六四号証の一ないし一五六、第八一、第八三、第八四、第
八五号証、乙第三号証の六ないし九、第一六ないし第一九号証、第二一、第二二、
第二八、第三三号証、証人c、同gの各証言、原告本人尋問の結果)
Ⅰ 平成元年九月ころ、三女の運動会があり、亡aは、これまで子供の運動会は欠
かさず見学していたが、このときは体調が悪く運動会に行くことができなかった。
 また、亡aは、平成元年九月三〇日、実父の三回忌で豊川市内の実家を訪れた
が、同夜、強い喘息発作が起きたことがあった。
 さらに、亡aは、豊川市内の道路公団事務所に打合せに行ったときは、自宅まで
帰る元気がなく、同市内の実家に泊まったりした。
Ⅱ 平成元年一〇月になると、亡aは、設計図面作成の仕事が増加し、残業も増
え、帰宅時間が遅くなる日が多くなり、特に死亡する一〇日前ころから、白鳥住宅
電気設備工事の竣工間際のころと同じように、帰宅後風呂に入らないですぐ就寝す
るが、深夜毎晩のように発作が起き、睡眠を取ることができず、朝食もまともにと
れない状態となった。
 また、平成元年一〇月二二日、住友電設の行事で家族参加のハイキングがあり、
亡aは、三人の娘を連れて参加したものの、体調が悪く車の中で寝ていたことがあ
った。
Ⅲ 亡aは、平成元年八月下旬に頻繁に起きた喘息発作が同年九月二日まで続き、
同日は点滴治療を受けるとともに、投薬内容が従前のものに戻り、さらにリンデロ
ン散、〇・六ミリグラムが追加処方されたため、ステロイド剤であるリンデロン散
は合計一・二ミリグラム投与されることになった。その後、同月一三日(喘息発作
なし。)、同月一九日(喘息発作による点滴治療)、同月二九日(喘息発作な
し。)、同月三〇日(喘息発作による
点滴治療)と受診し、喘息発作の起きる間隔は少し長くなった。
 同年一〇月以降は、同月八日(喘息発作による点滴治療)、同月一一日(同
上)、同月一三日(同上)、同月一六日(同上)、同月一八日(同上)、同月二〇
日(喘息発作なし。)、同月二二日(喘息発作による点滴治療)、同月二五日(喘
息発作なし。)、同月二八日(喘息発作による点滴治療)、同年一一月四日(同
上)と受診し、再び頻繁に喘息発作が起きるようになった。
(6) 配置転換の申出(甲第五二ないし第五五号証、第五八号証の一ないし三、
一一、乙第一八、第三三号証、証人cの証言)
 住友電設は、平成元年一〇月中旬から下旬ころ、社員に将来の配置転換希望調査
を行ったが、亡aから提出された自己申告書には、「現在の職務に興味や働き甲斐
をかんじていますか。」との質問に対し、「あまり興味・働き甲斐を感じない。」
として、「(左記の理由)体力が仕事についていけない。」との回答が記載され、
また、「配置転換ー今後(二年ないし三年以内)経験してみたい仕事について」と
いう質問に対し、「いまの所属の中で仕事を変わりたい。」、「設計業務につきた
い。」との理由が記載されていた。
 また、亡aは、cに対し、「現場がそろそろえらくなるし、これ(東郷)が終わ
ったら設計の仕事に戻してくれな。」と話していた。
(八) 亡aの死亡直前の状況(甲第五八号証の一〇、第八一号証、乙第一号証の
二、第一二号証の一、二、第一三ないし第一七号証、原告本人尋問の結果)
(1) 一一月四日(土曜日)
 亡aは、午前四時か五時ころ起床したが、朝食をとることができず、午前八時こ
ろに自宅を出て、g内科で点滴治療を受けてから、休日出勤した。
 亡aは、現場での作業終了後、打合せのため、名古屋市〈以下略〉にある兼新電
気株式会社に立ち寄った後、午後八時ころ帰宅し、夕食をとって入浴してから、午
後九時ころ就寝した。
(2) 一一月五日(日曜日)
 亡aは、午前四時か五時ころ起床し、午前八時ころ、朝食はとらずに、自宅近く
の大和南小学校で行われたソフトボールの試合に出かけた。
 亡aは、前年度のソフトボールクラブの役員であり、同日の試合がシーズン最後
の試合となること、メンバーの二人が午後から欠席するという事情があったことか
ら、欠席することができなかった。
 亡aは、試合会場には行ったものの、監督に対し、体調が良くないからと言っ
て、
試合前の練習や午前の試合には参加せず、フェンスにもたれて体を休めていた。し
かし、午後の試合では、メンバーが二人抜けたことから、亡aはやむを得ず、六回
裏に打者として出場し、ヒットを打ったがゆっくり走って一塁でアウトになり、七
回裏に守備につくなどしたが、試合後、「えらいで帰らせてもらう。」と言って午
後二時ころ帰宅した。
(3) 死亡時の状況
 平成元年一一月五日、亡aは、ソフトボールの試合から帰宅した後、ほとんど自
分の部屋で過ごしていたが、午後四時半ころにうどんを、午後六時半ころに梨を一
個食べた後、自分の部屋に戻り、午後一二時過ぎに就寝した。
 そして、同月六日午前三時ころ、原告が、亡aに呼ばれて部屋に行くと、亡a
は、起座呼吸をし、頭から多量の汗を流していた。亡aは、原告に対し、「車の中
に薬があるから探してきてくれ。」と頼み、原告がメジヘラを探してきて渡したと
ころ、亡aは、自ら吸入した。亡aは、背中や脇の辺りが痛いと訴え、「苦し
い。」と言ったので、原告が、救急車を呼ぼうかと尋ねたところ、「うん。」と答
えたので、救急車を呼んだ。原告が衣類などを用意して背中をさすっていたとき、
亡aは、「もう駄目だ。呼吸ができない。」などと言い、救急車が到着し、原告
が、「お父さん。救急車が来たからもう大丈夫だよ。」と言うと、亡aは、「う
ん。」と答えたが、これが最後の言葉となった。
(九) 亡aの既往症等
(1) 亡aの既往症等(甲第八一、第八三号証、乙第一六号証、原告本人尋問の
結果)
 亡aは、慢性湿疹、じん麻疹等のアレルギー疾患の既往症を有していたが、亡a
の実父も気管支喘息に罹患していた。
(2) たばこについて(甲第二〇号証の三、第二二号証の四、第三八、第四四号
証、原告本人尋問の結果)
 亡aは、喫煙の習慣があり、少なくとも死亡する一五年以上前から毎日一箱程度
喫煙していた。
 亡aは、n病院の医師から、少なくとも昭和六〇年五月、昭和六三年四月及び平
成元年四月の三回にわたって禁煙指導を受けていたが、たばこをやめることができ
なかった。
 そして、禁煙を勧めるcに対し、「酒はやめても、たばこはやめれん。」などと
言っていた。
(3) メジヘラについて(乙第四五、第四六号証、原告本人尋問の結果)
 メジヘラは携帯用スプレータイプの気管支拡張剤であるが、その濫用が喘息死増
加の一因ではないかとの指摘がなされたことから、昭和四
七年に医師の処方箋による要指示薬に指定された。
 亡aは、昭和六三年三月ころから、医師に無断で近所のo薬局でメジヘラを購入
して使用していたが、平成元年一月以降の購入状況は、別表一「亡aの月別勤務時
間、受診状況及びメジヘラの購入本数」のとおりであり、それ以前も購入本数に著
しい変動はなかったところ、同表の購入本数合計二八二本を購入期間三〇九日で除
すると、一日当たりの購入本数は平均〇・九一四本となる。なお、亡aは、g内科
からも吸入薬(サルタノールインヘラー)を二週間に二本ないし四本処方されて、
これも右メジヘラと併用していた。
 ところで、別表二の「時間外労働と喘息の状況」によれば、亡aの労働時間の増
減に対応してメジヘラの吸入点数も変動しているように認められるが、これは、労
働時間の増加により過労・ストレスが蓄積されて喘息発作が誘発されやすくなった
ため、単にこれに対応してメジヘラの使用量が拡大した結果にすぎないと認められ
る。右のとおり、亡aがメジヘラの購入を開始した時期が、白鳥住宅電気設備工事
が忙しくなる前の昭和六三年三月ころであったこと、亡aのメジヘラ購入本数は当
初から死亡時まで著しい変動がなかったこと、亡aは咳をしていないときでもメジ
ヘラを使用していたことからすると、メジヘラ購入の動機は業務の過重性とは関係
がなく、また、通院する時間的余裕がないためメジヘラを大量に使用していたもの
でもない(このことは、平成元年六月一五日から同月三〇日までのメジヘラ購入本
数からも明らかである。)と認められる。したがって、亡aのメジヘラ使用は業務
が原因であるということはできない。
2 気管支喘息について
(一) 意義(甲第六二、第六五、第六九号証、乙第四二号証、証人hの証言)
 気管支喘息とは、気道の慢性炎症疾患であり、アメリカ胸部疾患学会では、「種
々の刺激に対する気管及び気管支の反応性の亢進を特徴とし、広範囲な気道狭窄に
より症状を生ずるが、その程度は自然にあるいは治療により変化する疾患」と定義
されている。
 気管支喘息は、「アトピー型気管支喘息」と「非アトピー型気管支喘息」に大別
できるが、成人の気管支喘息の約六割はアトピー型気管支喘息である。
 現在の医学的知見では、気管支喘息の発症因子として、その発症機序が明らかに
なっているのはアトピー型気管支喘息であり、非アトピー型気管支喘息は、アスピ
リン喘息を除いて
、その発症原因・発症機序ほとんど明らかとなっていない。
(二) アトピー型気管支喘息の発症因子(証人hの証言)
 アトピー型気管支喘息は、アトピー素因のある者がアレルゲンに暴露されて感作
が成立した後、再度同一のアレルゲンとの接触を持つことによって発症する。
 アトピー素因は、先天的・遺伝的素因であり、遺伝する可能性が高い。
 アレルゲンとしては、さまざまなものがあるが、タンパク質を含む物質であるこ
とが知られており、ハウスダストが最も一般的である。
 過労・ストレスは、気管支喘息の憎悪因子となり得るが、気管支喘息の発症因子
となるとの医学的知見は存在しない。
(三) アトピー型気管支喘息の発作誘発因子(増悪因子)
(1) 気温、運動、感冒、粉塵等(証人hの証言)
 アトピー型気管支喘息の増悪因子といえるものは、気温の急激な変化、運動、感
冒、粉塵など多数存在し、これを特定することはしばしば困難を伴う。
(2) たばこ(乙第四一、第四三号証)
 たばこの煙は喘息発作の誘発因子となる。長期の喫煙は慢性気管支炎や肺気腫の
合併を引き起こし、喘息を難治化させるものであるから、喘息の治療という観点か
らは禁煙をすべきである。
(3) メジヘラ(乙第四二ないし第四四号証、証人hの証言)
 メジヘラの使用方法は、発作が起きたときに頓用的に使用する場合と、慢性期の
治療方法として、発作予防のため定期的にレギュラーユース(一日数回、時間を決
めて使用する。)として使用する場合とがある。
 メジヘラの適正使用量は、通常一日に三~四回までとされており、副作用を考慮
すると、少なくとも四時間以内の再吸入は避けるよう指導されている。これによる
と、メジヘラの適正使用量は、一本で約二週間(一か月で約二本)使用する程度で
ある。
 ところで、右のような吸入薬に含まれる気管支拡張用薬β2刺激剤は、急性期に
は強力な効果を発揮するが、長時間大量に使用すると副作用のために気管支喘息の
コントロールが困難となり、場合によっては喘息死する可能性がある。すなわち、
β2刺激薬を毎日恒常的に使用すると、気管支組織に耐性が生じてかえって発作に
対するコントロールができなくなるという副作用が生じるからである。
 また、文献(乙第四四号証)によれば、吸入β刺激剤の重篤な副作用として、ロ
ックトラング症候群があるとの報告もなされている。これは、イソプロテレノール
の吸入を継続し
て行っている喘息性発作重積状態で、吸入により逆に気管支筋れん縮を起こすこと
があるというものであり、その機序としては、長期吸入によりその代謝産物として
の3ーメトキシイソブレナリンが血中に増加し、その遮断作用のため、気管支のβ
受容体が抑制され、気道狭窄が生じることなどが考えられている。
3 医師の意見等
 本件疾病の発症及び増悪に関する医師の意見等の概要は、以下のとおりである。
(一) g内科g医師
(1) 平成三年五月三日付け意見書(乙第八号証の一、二)
① 傷病名 気管支喘息・冠不全(狭心症)
② 初診年月日 昭和六一年七月六日
③ 療養期間 昭和六一年七月六日から平成元年一一月四日まで
④ 主訴及び自覚症
 呼吸困難、労作時の息切れ、発作時の咳嗽、喀痰、また感冒・気管支炎症等上下
気道の感染に罹患した場合の発作、気管支喘息重積発作時の狭心症の場合の胸痛発
作の出現
⑤ 治療内容
 気管支拡張剤、鎭咳疾喀剤、抗アレルギー剤、重積発作時に点滴静注、吸入器に
よる吸入
⑥ 基礎疾患
 気管支喘息以外については、特記すべきものは認めていない。
⑦ 所検査の結果
 本院、会社での検診等にて、アルコール性肝障害の瘢痕(γーGTPのみがやや
異常値)と思われる所見のみ
⑧ 最終診療日は平成元年一一月四日、重積発作のため呼吸困難が強く、点滴静注
を施行
⑨ 基礎疾患が死亡(呼吸不全)にどのように関与したか
 気管支喘息の重篤な重積発作が起こったために呼吸不全に陥り死亡したと思われ
る。
⑩ 工事現場の環境と気管支喘息との因果関係について
 喘息発作のtriggerとなるものとしては、アレルゲン、運動負荷、感染、
環境因子、ある種の薬剤、精神的ストレス、職業因子の七つの要因が考えられる
が、亡aの場合考えられる原因としては、職業因子(種々のアレルゲンの人体への
侵入)、運動負荷(過労)、精神的ストレス等が重積して発作を誘発したと考えら
れる。したがって、職場での地位が発症の原因と考え得る。
(2) 同医師の証言の要旨
 昭和五九年一一月一七日の初診時から死亡に至るまでの亡aの気管支喘息の症状
は、不変ではなく徐々に増悪した。受診回数、点滴回数及び治療内容から推測する
と、初期のころは軽く、薬物だけでコントロールできていたが、平成元年以降急激
に増悪し、同年三月からは気管支喘息重積発作となり、同年七月ないし八月は中等
症から重症の境目程度まで増悪していた

 当時は、右の増悪について、肥満体質のため体力を消耗するとともに、よく汗を
かき脱水症状となって喘息発作が誘発されたものと考えていた。点滴回数が三回に
減少したが、症状が改善された原因は不明である。同年一〇月になって点滴回数が
七回に増加したが、その原因も不明である。
 亡aの平成元年以降の気管支喘息の症状は、過労と職場でのストレスが加わって
増悪したものと考えられる。
 過労・ストレスなどの負荷が加わった後、気管支喘息が増悪するまでの間には時
間的なずれが生ずることがある。
(二) 中央労災病院k医師(平成五年一月二一日付け意見書・乙第四号証)
(1) 死因について
 気管支喘息発作による急性呼吸不全と考えられる。
(2) 気管支喘息発症の成因と業務起因性について
 気管支喘息とは、種々の刺激に対する気管及び気管支の反応性亢進を特徴とし、
広範囲な気道狭窄によって生ずる呼吸不全であり、種々の刺激のうち現在アレルゲ
ンとして確立しており、診断可能なものは花粉、真菌胞子、室内塵の三つである。
さらに、これらの外的要因に加えて、先天的な喘息素因があって生ずるものであ
る。したがって、個人差が極めて大きく、体質的背景として、喘息素因の他にアト
ピー素因、易感染性がある。亡aには、死亡前の既往歴に湿疹、じん麻疹、結膜炎
があり、不明のアレルゲンが起因するアトピー素因が存在していたことが推定され
る。また、亡aの父親も呼吸器が弱く、喘息のため病院へ通院しており、このこと
から、亡aも生来喘息素因を有していたことが強く推定される。さらにg医師の問
診により、ハウスダストテストが陽性であったという事実が確認された。
 以上の事実から、亡aには、喘息素因があり、アトピー性素因もあるほか、アレ
ルゲンとしてハウスダストが同定されており、業務起因性はまったく考えられな
い。
(3) 亡aの身体的状況について
 亡aは、平成元年八月二五日から同月三〇日まで連続六回の発作があり、この発
作の緩解には副腎皮質ホルモン剤が毎回必要とされたことから、亡aの重症度は、
日本アレルギー学会重症度委員会基準によると重症である。
 また、型としては通年型であるが、死亡前一年間を検討すると、六月、七月、八
月に多い。
(4) 過去一年間の喘息発作の頻度と労働条件及び労働環境について
平成元年一月 発作○回 マンション電気設備工事代理人業務
    二月 発作三回 同右
    三月 発作三回 同右
    四月 発作三回 同右
    五月 発作二回 同右
    六月 発作八回 同右
    七月 発作一一回 社内作業、室内での図面書き
    八月 発作一二回 六日間夏季休暇、サービスエリア電気工事代理人業務
    九月 発作三回 サービスエリア電気工事代理人業務
   一〇月 発作六回 同右
   一一月 発作二回 同右
 右の調査結果から、業務内容及び月別時間外労働と発作頻度との間には、相関関
係が認められない。
 労働環境については、亡aは直接掘削作業には従事しておらず、現場巡視と工事
進行状況のチェック(が主な業務内容)であり、常時現場の粉塵に暴露されてはお
らず、現場の粉塵が気管支喘息を悪化させたとは考えにくい。
(5) 結論
 亡aの身体的素因、ハウスダストテストの陽性の事実、労働条件、労働環境と喘
息発作との非相関性より、亡aの疾病と業務との間に相当因果関係を推定するのは
甚だ困難であり、さらに死因についても同様である。
(三) 三重労働基準局地方じん肺審査医l医師の平成八年三月八日付け鑑定書
(甲第四九号証の二)
(1) 本件気管支喘息の発症と業務(ビル建設現場のコンクリート片等の粉塵)
との因果関係について
 気管支喘息は、気道の広汎な狭窄によっておこる呼吸困難が特徴的であり、その
疾病の本態は生体の免疫学的機序にある。産業衛生学の立場では、職業に関係する
特定物質が抗原となって惹起される気管支喘息を職業性喘息と呼ぶ。この場合、職
業に関連する抗原物質への暴露から一定期間を経て感作され、生体に免疫応答が準
備された後、初めて発症する。生体側の応答には、即時型(TypeⅠ、Type
Ⅲ)・遅延型(TypeⅣ)・混合型などが存在し、抗原の暴露を低減すれば症状
は寛解する。
 本疾患に対して抗原物質の確定は、労働衛生管理上極めて重要であり、各種の免
疫学的診断技法が用いられている。
 現在、我が国において、職業性喘息の抗原として認められている物質は九四種類
であり、①植物性の微細粉塵、②動物の体成分(排泄物を含む。)、③花粉、胞
子、菌糸、④薬剤・化学物質粉塵の四つに分類されている。
 本件気管支喘息の業務起因性を証明するためには抗原の検索が必須であるが、受
診した各医療機関の診療録には、免疫学的診断の未実施、若しくは結果が未記載で
あり、過去のカルテの一つにハウスダストが抗原という
本人の申し出のみが残されている。コンクリート粉塵等の抗原性について考えた場
合、このような無機性物質は分子量が小さく単独で抗原とはなり得ない。メッドラ
インによる過去一〇年間の文献検索の結果、世界の学術誌に掲載された気管支喘息
に関する一万六〇〇〇余編の論文中にも、無機粉塵を抗原として取り上げた報告は
みられなかった。
 したがって、本件の気管支喘息は、家族歴、既往歴から考えて、アトピー素因の
上に、ハウスダストが抗原として感作し、発症したものと推定される。このため、
業務との間に相当因果関係は認められない。
(2) 本件疾病発生後の症状経過(増悪)と業務との因果関係について
 医学的資料によれば、疾病発生より死に至る一二年の間に、漸次症状が悪化した
ことが推定される。その間、虚血性心疾患、気道感染症に罹患しており、喘息の発
作誘発に関与した事が推測される。しかし、平成元年には、気道の感染を証明する
記述はみられない。また、その発作は年間を通じて認められており、平成元年六月
から九月に頻度が高い。
 亡aの業務から考えると、環境要因中に粉塵、寒冷、騒音などの物理・科学的因
子の存在が考えられる。コンクリート等の無機粉塵は、前述したように気管支喘息
の抗原とはなり得ないが、気管支粘膜の反応性が亢進している状況では、発作の誘
発因子となり得る。しかし、業務内容から判断して、常時高濃度の粉塵に暴露され
ていたとは考え難い。また、寒冷刺激も喘息発作の誘因となるが、本件の場合、気
温との間に強い関連はみられない。
 作業要因として、作業時間、作業密度、作業強度、緊張などの諸因子がある。亡
aの場合、技術管理的業務が主体をなしており、作業打合せ、図面作成、職場巡
視、事務的諸業務からなり、業務の自主管理が可能な立場にあると考えられる。し
たがって、労働過負荷の持続は考え難い。また、メンタルストレスは、個々人のス
トレス耐性の大小によって異なるため、客観的にストレス量を評価することは困難
である。
 健康管理として、私傷病の場合、産業医の指導・助言の下に自己管理されるべき
ものである。本件の場合、医療機関の変更はあったものの、発症以来ほとんど継続
して病院等で医学管理されており、その間、各主治医より健康管理上の適切な指導
や指示がなされていたものと考えられる。
 以上の経緯より、亡aの気管支喘息の増悪と業務との間に因果関係は認められな
い。
(3) その他参考となる事項
 平成元年の記録によると大量のメジヘラの購入が認められており、濫用による健
康への影響が懸念される。
 メジヘラは、気管支拡張剤イソプロテレノールを主剤とするものであり、本品の
誤用は生命にかかわる場合がある。
 喘息死は、呼吸不全が第一の原因であるが、β交感神経作動薬の過剰投与による
心停止の可能性も報告されている。また、低酸素下の心筋に対して、異常律動を招
くといわれており、虚血性心疾患患者への投与は慎重でなければならない。さら
に、ステロイド剤と併用する場合もミネラルバランスを乱すことがあり、特別の注
意が必要である。
 亡aの場合、その購入と吸入は本人の自主管理の中にあり、それが適切に管理さ
れていたかどうか疑問が残る。喘息発作時の不安からの回避のため、過剰吸入され
た可能性も否定できない。
(四) 協立総合病院i医師
(1) 平成四年七月一日付け意見書(甲第五七号証)
 亡aの喘息の重症度を「日本アレルギー学会重症度判定基準」でみると、発作強
度と発作頻度の組合せでは、「中発作が少なくとも一週間に平均四日未満」になり
中等症と位置づけられるか、あるいは「救急車を呼ぶ必要があると思われる大発
作」が起こっており、重症とも位置づけられる。
 しかし、g内科初診時には、既にリンデロン散(ステロイド剤)を○・六ミリグ
ラム服用しており、その状態でデザイン博の仕事に従事し、なお、発作沈静化のコ
ントロールが十分にはできず、抗アレルギー剤のリザベンの投与と各月平均で三な
いし八日間のアミノフィリンを含む点滴静注を受けている。さらに、その後、リン
デロン散の追加投与を受け、一日量一・二ミリグラムの内服(プレドニン換算で一
二ミリグラム)をしている。これらの事実により、アレルギー学会重症度判定基準
の「付記」で明記された「プレドニン換算量一日一〇ミリグラム以上のステロイド
依存症のある場合は、発作頻度の如何にかかわらず重症とする。」に該当し、重症
と位置づけられる。
 したがって、このような重症喘息患者を、本人からの配置転換の願いが出されて
いるにもかかわらず、白鳥住宅電気設備工事、東郷サービスエリア電気設備工事の
現場責任者として勤務させることに問題がある。
 職場における過重な責任のある労働と長時間労働は、強いストレスを与え、喘息
発作の原因及び誘因、さらには重症化・難治化の原因となる。
 亡aの白鳥住
宅電気設備工事での長時間労働及び大きな仕事の責任者としての立場から生ずるス
トレスは、疲労回復としての睡眠を削り、極めて強いものであったといえる。デザ
イン博の最中は、それでも喘息発作を必死に押さえていたが、その仕事を終えると
さらに悪化し、ステロイド剤の増量をせざるを得ない状況となった。
 亡aのg内科の診療録をみると、平成元年七月には一一日間の点滴、同月三日に
はストメリンインヘラーの追加使用、同年八月には一二日間の点滴、同年九月には
三日間の点滴、そして、同月二日からはリンデロン散○・六ミリグラムの追加使用
(合計一・二ミリグラム)が行われ、同年一〇月には七日間の点滴、同月一八日に
は発作コントロール不良のためベコタイドインヘラーの追加使用、同月二〇日には
サルタノールインヘラー二本処方、同月二五日にはサルタノールインヘラー二本処
方となっている。右のとおり、一〇月二〇日から一一月六日までのわずか三週間
に、実に六本のサルタノールインヘラーを使用している。この間の事態は、過剰適
応のために生体の防御機能を低下させ、能動的、受動的労働強化により、自己健康
管理の受診時間まで削られる状態を明らかにしているといえる。
 以上より、亡aの喘息発作による死亡と業務との関係は明らかである。
(2) 平成一〇年三月一七日付け補充意見書(甲第六五号証)
Ⅰ 過労・ストレスと気管支喘息の増悪
① 気管支喘息の基本的な病態
 気管支喘息の病態は、従来の気管支の反応性の亢進及び可逆的な気道狭窄を主体
とする定義から、気道の好酸球を中心とするリンパ球その他の細胞による慢性炎症
である「慢性剥離性好酸球性気管支炎」があり、その病態を基礎に気道の過敏性が
存在し、喘息発作が誘発されるという病態が明らかになり、この病態把握は既に世
界的に一致をみているといえる。
 この基本的な病態は、遺伝的素因(過敏性・アトピー・その他)に、その後の成
長による後天的・環境的要因(ストレス、過労、アレルギー、感染、大気汚染、生
活の事件、過剰適応など)が加わって発症するもので、この意味で、気管支喘息は
遺伝的・後天的要因が関与する疾患といえる。
② 疫学的研究における過労・ストレスと喘息
 疫学的研究は、過労・ストレスが気管支喘息と密接な関係があることを明らかに
した。また、過労・ストレスが気管支喘息の発症にとどまらず、喘息死の原因とし
ても重視されることを明らか
にした。
③ 実験におけるストレスと喘息
 過労・ストレスが、感染に対する抵抗性や免疫機能を低下させ、気管支喘息の悪
化をもたらすことはよく知られており、人や動物についての多くの報告があり、明
らかな医学的常識となっている。
④ ホメオスターシスの破綻と喘息
 本来、人間が持っているホメオスターシス(平衡状態)を、過労・ストレスが不
安定にすることによって、気管支喘息が発症あるいは悪化することが明らかになっ
てきている。生体には、このホメオスターシスを維持するための働きとして、大き
くは交感神経・副腎髄質系と視床下部・下垂体・副腎皮質系=HPA系の二つの機
構が存在するが、外界からのストレッサーによって体内にストレスが生ずると、こ
れらの系が作動してホメオスターシスが維持されることになるが、ストレッサーが
慢性的にあるいは断続的、持続的に作用して過重な負荷を受けたり、急激な過負荷
を受けることになると、これらの系は破綻しホメオスターシスが保てなくなる。ホ
メオスターシス維持のための過剰な適応の状況下では、炎症の一層の進行とともに
防御機能の働きが強まり、交感神経緊張優位でアドレナリン・カテコールアミン分
泌を亢進させ、バランスを保とうとする。さらに、慢性ストレッサーの加えられて
いる状態は、正常な相互関係を失いつつあるホメオスターシスが完全な破綻へと進
行する。この間、気道では、神経ペプチドを中心とする神経原性炎症が増強し、気
道過敏症のさらなる亢進と喘息発作増強をもたらす。
 ここでは、神経失調状態・ホルモン抑制・免疫機能低下となり、寒気・食欲不
振・不眠・抑鬱・顔色不良・易疲労などの症状を生じさせる。
 このホメオスターシスの破綻状態は、防御機構の破綻、喘息の悪化を導き、ま
た、過剰適応状態から、「ほっと」して過剰適応に対応した防御機構が弱まること
により、バランスは崩れ、副交感神経優位と防御機構の低下・破綻、そして発作重
積状態を誘発する。非常に仕事の忙しい時期には必死に発作を抑え、帰宅後、ある
いは翌日などに発作で医療機関を訪れる患者が多いことは、臨床の場面でよく経験
することである。
⑤ まとめ
 以上により、過労・ストレスが気管支喘息の発症・増悪因子であることは、既に
確立された医学的知見であるといえる。
Ⅱ 亡aの病状の推移と業務の関連性
① 白鳥住宅電気設備工事以前の症状
 亡aは、g内科初診時には既にリンデロンの
ステロイド剤を○・六ミリグラム服用しており、その状態で著しい発作もなく一定
の安定があったと考えられる。
 g内科のレセプトから判断した受診回数は、昭和六二年は二月が三回、三月が四
回、四月が二回、五月が三回、六月が二回、七月が三回、八月が二回、九月が四回
であり、点滴の投与や発作による受診は一度もない。昭和六三年一月は、六回の受
診で五回の点滴が投与されたが、その後もそれ以外は点滴の投与はなく、この間に
サルタノールMDIを一か月当たり二本投与された状態であった。ステロイドの上
記量を中心とする治療状況及び原告の証言をもとにした亡aの症状から、一応仕事
を含め日常生活を送ることができていたと判断することが可能であり、当時の喘息
の重症度は中等症と指摘するのが妥当である。
② 白鳥住宅電気設備工事開始後の症状
 亡aは、昭和六三年四月の白鳥住宅電気設備工事開始のころからメジヘラを購入
し始めたと考えられ、このころから同年七月までの間は、メジヘラを使用しつつも
大きな発作もなく業務と日常生活を送っていた。
 昭和六三年八月八日には、帰宅途中に発作を起こし、救急車で運ばれ一日入院
し、点滴を六回投与され、同年冬ころには、運転中の発作で交通事故を起こし、電
柱にぶつかるなどの状況が発生した。こうした状況にもかかわらず、引き続き仕事
を継続し、昭和六三年の末から平成元年二月までの間、寒い現場事務所で仕事を行
い、このころには自宅への持ち帰り残業までしていた。
 平成元年一月以降は、メジヘラの使用量が明らかとなっているが、治療内容を計
数的に見ると、平成元年一月はメジヘラ二○本、ステロイド点数一六八であり、同
年二月は点滴三回とメジヘラ三六本、ステロイド点数一九二、三月は点滴三回とメ
ジヘラ三三本、ステロイド点数一九二であった。なお、ステロイド点数とは、内服
薬や点滴に含まれているステロイド剤の投入量を評点として合算し、喘息発作や日
常生活・睡眠の遂行度とそれらの症状の背景となる薬剤の服薬回数、治療法を統一
的に点数化し、喘息の重症度を客観的に評価しようとする方法に基づいて計算され
たものである。
 このころの亡aの症状は、次第に過剰適応というべきメジヘラの使用回数の増加
と、それでも完全には発作をコントロールできないで点滴を受ける状態が時々見ら
れる。
③ 喘息の悪化
 平成元年四月四日から同年五月二〇日までの間、dが大阪へ研修に派遣
されたが、当時、工事はピークを迎え、同年四月は点滴三回とメジヘラ二三本、ス
テロイド点数二七六、五月は点滴二回とメジヘラ三六本、ステロイド点数一八四
と、次第にメジヘラの多量使用あるいはステロイド剤の増量投与による無理な発作
の抑制下での労働の継続が行われた。
 亡aは、平成元年五月九日から同年六月一七日までは、一日休んだのみで、休日
出勤を含み一日一時間から最高七時間の時間外労働に従事し、日常業務に比して過
重な業務に従事しており、このころは、十分通院する時間もとれないし、疲労困憊
していたことは明白である。
 このころの亡aは、外部環境に対してうまく適応しているように見えても、本人
は無理に過剰適応し、そのために疲労し、生体の防御機能を低下させている状況で
あった。
 そして、平成元年六月は点滴八回とメジヘラ五三本、ステロイド点数三一六とな
り、極限ともいえる無茶な過剰適応が行われている。
 平成元年六月中旬ころ、公団の竣工検査において厳しい指摘を受けた以後、一挙
に発作状況は悪化したことが、同年六月に受けた点滴八回のすべてが一五日以降で
あることからも肯ける。これは、過剰適応からホメオスターシスが破綻し、防御機
能低下した状態に至り、発作重積状態に陥ったといえるとともに、食欲低下・抑
鬱・顔色不良・易疲労などが生じている。
④ デザイン博以降から死亡に至るまで
 平成元年七月白鳥住宅電気設備工事の現場を離れた後も、d証言によれば、亡a
は、「目が充血し、具合が悪そうで、赤紫っぽいようで顔色がかなり悪い、どす黒
い顔色で、目の周りがむくんでいた」状態であったが、これはホメオスターシスが
破綻し、発作が繰り返されたためであった。同年七月は点滴一一回(月内の偏りな
し)とメジヘラ一四本、サルタノール二本、ストメリンD一本、ステロイド点数二
五六となり、八月は点滴一二回(前半が三回、後半が九回)とメジヘラ二六本、サ
ルタノール二本、ステロイド点数二三三となっている。六月後半以降七月一杯、g
内科で発作沈静のための点滴治療を受け、八月上旬には症状がやや小康状態とも考
えられる状態となっていた。
 ところが、平成元年八月のお盆明けに東郷サービスエリア電気設備工事の現場代
理人に従事するようになり、再び発作を誘発するようになり、点滴治療を受ける回
数が急増した。そして、同年九月は点滴三回とメジヘラニ五本、ステロイド点数三
二八の状態と
なった。この時期は、発作をメジヘラ、経口ステロイド剤、ステロイド剤入りの点
滴で抑制してきた状況で、やっと勤務を果たすというように、生体のホメオスター
シスが引き続き崩壊した状態で、完全にはまだ回復していない状況であった。
 平成元年一〇月は点滴七回(ほぼ偏りなく増加してきた。)とメジヘラ二六本、
サルタノール二本、ステロイド点数三〇〇で、点滴も増え、再び喘息発作自体も増
加してきた。
 そして、平成元年一一月は点滴一回、ステロイド点数一九二となり、死亡に至っ
ている。
Ⅲ 亡aの喘息の誘因としての過労・ストレス
① 過労・ストレスと喘息の経過
 右の経過のとおり、亡aの病状は、白鳥住宅電気設備工事以前は中等症であった
ものが、白鳥住宅電気設備工事の進展とともに喘息の病状は悪化し、特に平成元年
四月以降は悪化の一途をたどり、ほぼ生体の防御機能とホメオスターシスは破綻に
至った。
 さらに、この破綻が癒えずに疲弊した状態の中、十分な回復を待たずに東郷サー
ビスエリア電気設備工事に従事した結果、その仕事の負荷に耐えられずに喘息死に
至ったといえる。
 喘息の増悪の原因は、第一に、残業・休日出勤に現れている超過労働時間の延
長、期日の迫った仕事の労働密度の増加・労働強度の増加、現場監督の責任と工期
の期限などからの精神的緊張の増加、すなわち過重労働の量的、質的負荷による過
労・ストレスであり、第二に、工事中のほこりや寒い冬の環境の中での仕事などの
労働環境である。特に、平成元年四月から六月にかけての過重労働に従事した期間
を通して、喘息の病状が短期間では回復不可能な「生体のホメオスターシス・防御
機能の破壊」状況に到達した経過を明らかにしている。
② いわゆる「ずれ」について
 生体は、ストレスに対し適応しようと努力するものであり、破綻は、過剰適応の
過程の中、その極限で起きてくるものであり、喘息発作の起こり方は、過剰適用の
中では、時間的に「ずれ」を生ずるものであり、臨床的にはよく経験されることで
ある。起こった発作が重積状態となり、長引くことはよくあることである。このス
トレス負荷と喘息発作による影響から回復に要する時間は、決して一日や二日の短
期間ではない。すなわち、ストレス負荷により免疫能力は相当長く影響を受けるも
のであり、ましてやストレス負荷に対する過剰適応の中で、生体の防御機能が破壊
された状態からの回復はさらに長期の期
間を要すると考えられることから、亡aが白鳥住宅電気設備工事を通じて気管支喘
息を著しく悪化させ、自ら配置転換を申し出ているのに再び東郷サービスエリア電
気設備工事に従事させたことは、いまだ回復し得ない状況でやっと耐えている亡a
に致死的作用を与えたといえる。
(3) 平成七年(ワ)第四三六八号事件の同証人の証人尋問調書の要旨(甲第六
五、第六七、第八八号証)
 気管支喘息の増悪因子としては、風邪等の感染、ストレス、肺機能の低下が考え
られる。過労・ストレスは、生体の免疫機能を低下させ、通常よりも重篤な症状を
出現させる。過重な業務により過労・ストレスが非常に強くかかっているときは、
生体の防御機構が働いてなんとか耐えられるが、過重な業務が解消されほっとした
ときに、防御機構の働きが止まり大発作に移行することがある。亡aの過労・スト
レスの原因としては、長時間労働、検査に向けての現場監督の責任、工期の迫り、
冬の寒さ、階段上りの負担等が考えられる。なお、建築現場における粉塵は、発症
という点では直接の関連性はないが、発作の誘発因子とはなりうる。
 亡aが白鳥住宅電気設備工事に従事する以前の昭和六三年二月の症状は、ステロ
イド剤の使用状況から見て中等症であったが、平成元年四月から六月ころの症状
は、ステロイド剤の使用状況、メジヘラの使用頻度、点滴治療の回数から判断する
と重症に移行していたといえる。例えば、平成元年五月には、受診回数が減ってい
るのに対し、メジヘラの購入本数が増えていることなどからみて、亡aは全体とし
て発作を抑えるための努力を日常的に必死に行っているものの、症状は少しずつ蓄
積して悪化していったものと考えられる。
 メジヘラの使用頻度、点滴治療の回数等から見ると、平成元年七月一一日ころか
ら同年八月一○日ころまでの間は、一時的に落ち着きを取り戻したものと認められ
る。
 亡aの平成元年九月及び一〇月の症状は、ステロイド剤による強力な治療をした
が、メジヘラの本数が徐々に増えていることから、次第に悪化している段階といえ
る。
 要するに、亡aの気管支喘息の平成元年四月から六月ころの症状は、業務の過重
性のため中等症から重症に移行し、g内科を受診する余裕もないためメジヘラを中
心とした治療であったが、右の業務が終わると、受診する回数が増えて、連日のよ
うに点滴をするようになり、これは、右の時点で過剰適応の中の防御機
構のバランスが崩れて破綻したことによるものであると考えられるところ、右の症
状はいったん内勤に戻り少し改善されたが十分に回復しないまま、東郷サービスエ
リア電気設備工事に従事し、再び発作が増強され、ステロイド剤の増量、メジヘラ
多用により発作を抑制する努力が必死になって行われている中で、死亡に至ったも
のと考えられる。
 なお、気管支喘息の軽症患者は一週間くらいで回復するが、重症患者が回復する
には一か月程度の期間を要すると考えられる。
 亡aが喫煙していたことは、亡aの喘息症状を増悪させる一つの問題因子ではあ
るが、昭和六三年ころと平成元年以降の亡aの喘息の増悪については、喫煙では説
明がつかない。また、アルコールが気管支喘息に与える影響は個人差があり、亡a
の喘息の増悪因子となったかは不明である。
 一般論として、重症喘息、慢性喘息の状態にある患者にとって運動による負荷は
マイナスであり、発作を誘発する要因となる。亡aが平成元年一一月五日にソフト
ボールの試合に出場したことは、喘息を増悪させる要因とも考えられるが、当日の
状況からして、亡aは体に負担とならないようにコントロールしていたと考えられ
る。
(五) 藤田保健衛生大学医学部呼吸器・アレルギー内科h医師
(1) 平成一〇年八月一八日付け意見書(乙第四一号証)
Ⅰ 発症時期についての考察
 原告は、亡aが元来健康であったが、昭和五二年九月二三日、原告の知る限りで
は初めて喘息発作を起こし、翌日j病院で診療を受けた旨述べていること、j病院
のj医師の意見書によれば、同月二四日から気管支喘息により入院したという記載
があることから、亡aの気管支喘息の発症は、昭和五二年九月ころと推定するのが
妥当である。
Ⅱ 気管支喘息の発症の原因について
 一般的に気管支喘息の発症の原因は、決して単純なものではなく、いろいろな要
因が複雑に絡み合って、気管支喘息発症につながっていくとされるが、アレルゲン
など特に明らかな原因が認められない患者では、病因を特定すること自体が困難で
ある。
 亡aの場合、n病院の診療録に、父親が気管支喘息であったとの記載があること
から、気管支喘息の遺伝的素因から発症した可能性はある。
 一方、亡aが気管支喘息を発症した当時、亡aが設計業務及び現場副代理人業務
に従事していた平和ビル新築工事の作業現場から発生する粉塵に、気管支喘息発症
の原因となる物質(アレルゲ
ン等)が含まれていたかの特定は、現在では粉塵分析などが不可能であるため困難
であるし、同じ作業に従事する作業員に気管支喘息が発症した事実もないことか
ら、亡aの発症に関して、当時の業務が原因であったと特定または推定することは
困難である。
Ⅲ 昭和五二年九月から昭和六二年までの間の気管支喘息の増悪の有無、程度及び
原因について
 亡aの診療歴によれば、昭和五二年から昭和六二年までの間の診療実日数は増加
傾向にあり、また、j病院の昭和五二年一一月のレセプトによれば、当時はステロ
イド剤は常用されていなかったようであるが、p医院のレセプトによると、昭和五
九年一月から昭和六一年五月までプレドニゾロン散の記載があり、g内科のレセプ
トでは昭和五九年一一月から平成元年一一月までリンデロン散の記載があり、ステ
ロイド剤が常用されている。日本アレルギー学会気管支喘息重症度判定委員会基準
によれば、気管支拡張薬のみでコントロールできる場合は軽症、ステロイドを経口
又は注射で必要とする場合を中等症以上とするとしているが、一般にステロイドを
常用せざるを得ない気管支喘息は、常用しなくてもいい場合に比べて症状が重いと
いえるから、このようにステロイドを常用する必要が生じた場合ということは、増
悪したと推定できる。
 そして、昭和六二年ころの症状はステロイド剤を必要とする状態であるから、中
等症以上である。
 なお、現在の資料によって、増悪の原因を推定することは困難である。
Ⅳ 昭和六三年から平成元年にかけて、亡aの気管支喘息の症状の急激な増悪の有
無及びその原因について
① 昭和六三年一月から平成元年一月にかけては、g内科のレセプトによれば、昭
和六三年一月及び同年八月にそれぞれ静脈注射を受けているが、それぞれの月の翌
月である同年二月及び九月は静脈注射を受けていないことから、気管支喘息として
は、一時的に症状の悪化をみたが、一段と増悪したとは考えられない。
 これに対し、平成元年二月からは、毎月静脈注射を受けていることからみて、こ
のころより、症状が増悪したことが推定できる。特に、平成元年六月以降、診療実
日数及び静脈注射の回数は一段と増していることから、症状が急激に悪化していっ
たことが推定できる。
② 亡aは、昭和六三年二月から白鳥住宅電気設備工事の現場代理人業務に従事し
ているが、気管支喘息の症状が増悪したと考えられる平成元年二月前後で勤
務時間は大きく変化していない。また、平成元年六月の気管支喘息の急激な増悪に
ついては、発作回数、静脈注射回数は、勤務時間が長時間におよんだ同月一四日以
前よりも以後に増加しており、同月一八日以降についてみると、気管支喘息発作と
勤務時間には特に関係がみられない。
 一方、亡aは、遅くとも平成元年一月よりメジヘラを過剰使用した事実があり、
原告の本人調書によれば、さらにその二年前から使用していた可能性がある。仕事
中気管支喘息発作が起きた際に、メジヘラを吸入して再び仕事をすることを繰り返
していくことによって、吸入回数が増えていったことが推定される。
 一般的に、気管支喘息治療薬としての吸入β刺激剤は、急性期には強力な効果を
発揮するが、長時間大量に使用すると副作用のために気管支喘息のコントロールが
困難となり、場合によっては喘息死する可能性がある。
 本件の場合、主治医g医師は、亡aが過量のメジヘラを使用していた事実を知ら
ず、気管支喘息の症状を充分把握していない可能性があり、また、亡a自身もメジ
ヘラに対する過度の依存性を獲得し、メジヘラの副作用が発現していた可能性があ
る。
 したがって、メジヘラの過剰使用のみに原因を特定することはできないにして
も、平成元年六月以後は、気管支喘息に対するコントロール不良の状態となり、病
状が悪化していった可能性がある。
③ 気管支喘息は完治することが困難であり、治療の目的は症状の発現を抑制する
ことにあり、気管支喘息のコントロールとはこの症状の発現を抑制することをい
う。したがって、コントロール不良とは、気管支喘息発作などの症状を抑制できな
い状態にあること、すなわち、治療の目的を達成していない状態を意味している。
 一般的にβ刺激剤を長期に使用すると耐性がおこるとされ、効果が弱くなって発
作が抑えられなくなる可能性がある。亡aは、発作を抑えるためにメジヘラを使用
していたと推定されるが、長期に多量に使用したため、従前は治まっていた喘息発
作が次第に治まらなくなってきた可能性がある。
④ 以上により、亡aの気管支喘息の増悪と業務との関連性については、平成元年
六月において症状が急激に悪化した原因は、喫煙習慣や多量のメジヘラ使用による
気管支喘息のコントロール不良による可能性もあり、明らかに業務が病状を悪化さ
せる原因となったと判断することは困難である。むしろ、平成元年七月以降の症状

、気管支喘息自体のコントロール不良によると考えた方が、業務との関連性を考え
るよりも理解しやすい。
Ⅴ 死亡の業務起因性
 死亡前二週間の勤務状況における勤務時間及び休日の取得状況からみて、特に過
剰な勤務とは考えにくく、また、受診状況からみても業務により受診が抑制される
状況ではないことから、重積発作により死亡した主原因が業務であるとは考えにく
い。むしろ、メジヘラの大量使用による気管支喘息のコントロール不良から生じた
可能性の方が考えやすい。前述した吸入β刺激剤の重篤な副作用であるロックトラ
ング症候群が発症すれば、喘息死する可能性がある。
Ⅵ たばこが気管支喘息に与えた影響について
 亡aの喫煙習慣が気管支喘息の増悪に関与した可能性はある。
 また、亡aが毎日一箱から二箱喫煙していたことが、直ちに重積発作の原因とな
ったか否かについては、亡aの喫煙本数と気管支喘息の症状との関係に関する資料
がないので不明であるが、気管支喘息のコントロール不良の原因の一つとなった可
能性はある。
(2) 同医師の証言の要旨
Ⅰ 一般的に建設現場でのコンクリート粉塵にアレルゲン物質が含まれているとの
文献はない。建築現場で気管支喘息が発症したとの報告もない。したがって、コン
クリート粉塵がアレルギー性気管支喘息の発症因子となったとは考えられない。
 亡aの父親には気管支喘息の罹患歴があり、また、亡aの診療歴には慢性湿疹、
じん麻疹、急性結膜炎といったアレルギー疾患が存在していることから、亡aには
アトピー素因があったと判断できる。
 そして、g内科においてハウスダストが抗原であるとの問診結果があることか
ら、亡aはアトピ素因の気管支喘息であり、ハウスダスト、ダニなどの抗原が原因
になって気管支喘息が発症したと考えるのが普通である。
Ⅱ 気管支喘息は、発症そのものが感作という期間を経て発症するものであり、引
き続いて感作が起きるような患者の場合には、徐々にアレルゲンに対する反応性が
敏感になり、自然経過で症状の増悪が日常的に起こりうるといえ、亡aの気管支喘
息も自然経過で増悪した可能性もある。
 亡aがたばこを日常的に吸っていたことは、気管支喘息の症状を増悪させる要因
になった可能性が非常に高い。また、喫煙習慣は、気管支喘息のコントロール不良
を招きやすい。
Ⅲ 亡aは、平成元年二月以降毎月静脈注射を受けていることから、このころより
気管支喘息の
症状がさらに増悪したと認められるが、乙第二三号証の勤務報告表によれば、平成
元年二月及び三月の超過勤務時間と昭和六三年六月及び七月のそれを比較しても、
前者が特に多いとは判断されなかったし、平成元年六月一八日以降は、残業時間が
減って勤務時間が少なくなっているのに、発作、点滴回数がむしろ増えていること
から、発作と勤務時間との間に相関関係を認めることはできない。
 勤務時間の多い少ないと病状の推移を見比べてみて、相関関係が非常に緊密に認
められれば、仕事が過重あったから喘息が悪化したと推認できるが、亡aの場合は
その相関関係がはっきりしていない。
Ⅳ メジヘラの適正用法は、乙第四四号証によると、通常一日に三回から四回まで
とし、副作用を考慮すると少なくとも四時間以内の再吸入は避けるべきとされてい
るから、一回に二押しするとしても二週間から最大でも一週間に一本までが使用量
の限界である。このことからすると、亡aは、一か月当たり概ね三〇本ずつ一年間
継続使用しており、これは常識的な使い方からすると並外れた過剰投与であるとい
える。
Ⅴ 亡aの気管支喘息の症状からすると、いつ発作が起きてもおかしくない状態で
あり、亡aが勤務についていなかったとしても喘息死が起きる可能性があった。i
医師の見解は、そういう論法で喘息死の原因を特定することになれば、喘息の患者
はすべて過労・ストレスが原因であるとの説明ができるわけで、あいまいな表現す
ぎて受け入れ難い。亡aの喘息死については、過労・ストレスがすべてを説明する
に十分な原因とはいえない。
 過重な業務と気管支喘息の増悪との間のずれについても、あり得ない論法ではな
いが、亡aの場合にそれを当てはめてよいかというと、それだけの根拠はないと思
う。なお、入院患者については、重症の気管支喘息でも二週間程度で治まり、その
後は徐々に良くなっていくのが一般である。しかし、気管支喘息が重症となった場
合、過労がなくなっても症状が改善せずに悪い状態が続くことも稀にはある。
 過重労働は、気管支喘息の本来の原因ではなく、気管支喘息の状態を悪化させる
条件づくりをする因子であるところ、亡aについていえば、過重労働が一つの条件
づくりになった可能性はあるが、主な原因であったとはいえない。
Ⅵ 亡aの病状を判断するに際しては、g内科の受診回数等を根拠にしたが、受診
回数は必ずしも症状の程度にはつながらないの
で、かなり荒っぽい推測をしたといわれても仕方がない。亡aが受診が必要なのに
受診できなかった可能性もあり得るが、息が詰まるほどの非常にひどい発作が起き
れば受診せざるをえないから、受診していない期間中は最重症の発作までは起こっ
ていなかったと考える。
Ⅶ 亡aの喘息死の原因は、気管支喘息の自然的経過による増悪及びメジヘラの過
剰使用の可能性が極めて高く、過労・ストレスは全く関与しなかったとは言い切れ
ない程度である。
4 右1ないし3に認定の事実を総合すると、亡aの気管支喘息の発症及び増悪と
業務との間の相当因果関係の存否について、次のとおり認めることができる。
(一) 気管支喘息発症の業務起因性について
(1) k医師は、前記3(二)(2)のとおり、亡aには湿疹、じん麻疹、結膜
炎の既往症があり、アトピー素因が存在していたと推定されること、亡aの父親も
喘息のために病院へ通院していたことから、亡aも喘息素因を有していたことが強
く推定されること及びg医師の問診により、ハウスダストテストが陽性であったと
いう事実が確認されたことを根拠として、亡aの気管支喘息の発症と業務との関連
性を否定し、また、l医師も、前記3(三)(1)のとおり、k医師と同様の理由
で、亡aの気管支喘息は、アトピー素因のうえにハウスダストが抗原として作用し
て発症したものと推定し、業務との間に関連性はない旨判断し、さらに、h医師
も、前記3(五)(1)Ⅱのとおり、k医師と同様の理由から、亡aの気管支喘息
は遺伝的素因から発症したアトピー型気管支喘息の可能性がある旨判断していると
ころ、これらの所見はいずれも合理的なものと認められるから、亡aの気管支喘息
はアトピー型の気管支喘息であり、ハウスダストがアレルゲンとなって発症したも
のと推認するのが相当である。
 したがって、亡aの気管支喘息の発症には業務起因性がないというべきである。
(2) ところで、原告は、亡aの気管支喘息の発症は、平和ビル受変電設備工事
における過重な業務及び多量の粉塵への暴露が原因である旨主張している。
 しかし、右の工事は比較的順調に進行し、亡aはほぼ定時に帰宅しており、竣工
期日の一か月前ころに二時間ないし三時間の残業をしたことがあったが、それも連
日ではなく合計して五日間程度にすぎなかったから(1(三)(1))、右の工事
における亡aの業務が過重であったとは認められない。
 ま
た、右の工事現場の粉塵についても、l医師は、前記3(三)(1)のとおり、①
コンクリート粉塵等の無機性物質は分子量が小さく単独で抗原となりえないこと、
②メッドラインによる過去一○年間の文献検索の結果、世界の学術誌に掲載された
気管支喘息に関する一万六〇〇〇余編の論文中にも、無機粉塵を抗原として取り上
げた報告はみられないことを根拠として、右の工事現場の粉塵は亡aの気管支喘息
発症の原因とはなり得ない旨判断しているし、i医師も、前記3(四)(3)のと
おり、粉塵は発作誘発因子にはなり得ても、気管支喘息の発症因子にはならないと
の意見を述べているところ、前記1(三)(2)のとおり、右の工事現場において
大量の粉塵が発生するのは、コンクリート打ち用の仮枠撤去直後の一斉清掃の際で
あり、亡aは右の大量の粉塵の発生する一斉清掃には三回程度参加したにすぎない
こと、右の工事現場におけるそれ以外のほこりは大したものではないこと、住友電
設の現場代理人の中では亡a以外に気管支喘息を発症した者はいないことからする
と、右の工事現場の粉塵が亡aの気管支喘息の発症原因であるとは認められないと
いうべきである。
 したがって、原告の右の主張は採用することができない。
(二) 亡a死亡原因の業務起因性について
(1) 亡aの業務内容と気管支喘息増悪の経過
Ⅰ 亡aが気管支喘息を発症した昭和五二年九月から、白鳥住宅電気設備工事の現
場代理人となった昭和六三年三月までの間に、亡aが担当した工事は、三洋岐阜G
I棟建設電気設備工事(ただし、現場副代理人)と恵那市まきがね公園体育館建設
工事を除き、規模も小さく期間も短い比較的楽な仕事ばかりであった(1(四)
(1))。
 亡aの気管支喘息は、発症当初はステロイド剤の投与はなく軽症の部類であった
が、昭和五九年ころから喘息発作の回数が増加し、複数の病院に通院してステロイ
ド剤の投与を受けるようになり、中等症の段階まで進行した(1(四)の(2)、
(3)、3(四)(1)、3(四)(2)Ⅱ①、3(五)(1)Ⅲ)。
 たばこは喘息発作の増悪因子であるところ(2(三)(2)、3(五)(1)
Ⅵ、3(五)(2)Ⅱ)、亡aは長年にわたり一日一箱程度の喫煙をしていたこと
(1(九)(2)及びn病院の昭和六一年二月二一日のカルテには、「喘息のトリ
ガーとしては、運動負荷、タバコ、食事の食べすぎのとき。」と記載されているこ
と(1(四)(3)Ⅳ)からすると、亡aの気管支喘息が軽症から中等症に増悪し
たのは、喫煙等の日常生活が主な原因であり、業務との関連性はないものと認めら
れる。
Ⅱ 昭和六三年三月に白鳥住宅電気設備工事の現場代理人となってから、当初はほ
ぼ定時に退社していたが、同年五月後半から同年七月にかけて次第に残業時間が増
加し、同年八月及び九月は少し減少したが、同年一○月には再び増加し、同年一一
月及び一二月も同様の状態であった(1(五)(5)Ⅰ)。
 亡aは、昭和六三年八月八日、帰宅途中に喘息発作を起こして救急車でj病院に
搬送され、また、同年一〇月末か一一月初めにも帰宅途中で喘息発作を起こしたが
(1(五)(5)Ⅳ)、右は一時的に喘息症状が悪化したものにすぎず、一段の増
悪ではなかった(3(五)(1)Ⅳ)。
 メジヘラは、長期間、大量に使用すると、その副作用により、かえって気管支喘
息のコントロール不良となり、喘息発作が抑えられにくくなるが(2(三)
(3))、亡aは、昭和六三年三月ころから医師に無断でメジヘラを購入するよう
になり、激しく咳き込むときだけでなく、咳をしていないときにも使用し、その使
用量の平均は適正使用量の約一五倍であって、乱用といわざるを得ない状態であっ
た(1(九)(3)、1(五)(5)Ⅱ、3(五)(2)Ⅳ)。なお、亡aがメジ
ヘラの使用を開始したのが、業務の多忙な時期ではなかったこと、全期間を通じて
メジヘラの使用量が著しく変動したことはなかったこと及び咳をしていないときに
も使用していたことからすると、部分的にはともかく全体的にみれば、亡aは、g
内科に通院する時間的余裕がないためにメジヘラを使用せざるを得なかったのでは
なく、簡便なため安易にこれを使用していたものと認めるのが相当である(1
(九)(3))。
Ⅲ 平成元年一月前半は正月休みもあり労働時間は少なかったが、同月後半から再
び残業時間が増加し、特に同月三一日から同年二月一七日までの一八日間は、その
間に一日の休みしかなく、労働時間は合計一五三時間に及んだ。同年二月後半は残
業時間大きく減少したが、同年三月三〇日に中間検査が行われる予定であったた
め、同年三月には再び残業時間が増加し、同年四月は少し減少した(1(五)
(5)のⅥ、Ⅸ)。
 亡aは、平成元年二月、三月、四月とそれぞれ三回ずつ喘息発作を起こして点滴
治療を受け、同年四月九日からは従前の
投薬内容に加え、抗アレルギー喘息発作予防剤であるリザベン3Kが投与されるよ
うになり、このころから気管支喘息の症状が悪化しだしたものと認められる(1
(五)(5)のⅥ、Ⅸ、3(五)(1)Ⅳ②)。
 平成元年二月ないし四月の労働時間は、全体的にみれば、昭和六三年六月、七月
や同年一〇月の労働時間と比べて大差がない(乙第二三号証)ことからすると、右
の喘息症状の悪化は、亡aの喫煙習慣や長期間、大量のメジヘラ使用による気管支
喘息のコントロール不良によるものと考えるのが合理的であるが、平成元年二月二
〇日から二二日までの連続発作が、一八日間で合計一五三時間におよぶ勤務をし
て、二日間の休みを取った直後に発症していること(すなわち、3(四)(2)Ⅰ
でi医師が述べているように、集中して仕事をした後で、ホッとして喘息発作が発
症したものと認められること。)及び全体的な労働時間は同じでも、中間検査の直
前は、作業密度、作業強度及び精神的緊張が強まり、過労・ストレスの度合は平成
元年三月当時の方が高かったものと推認されることを考慮すると、かなりの時間外
勤務を含む右期間中の業務が、右の喘息症状の悪化にある程度の悪影響を及ぼした
ものと認めるのが相当である。
Ⅳ 平成元年五月からは、同年六月一二日及び一三日の竣工検査に向けて仕上げの
段階となり、残業時間及び休日出勤が増加したが、特に、同年五月九日から同年六
月一七日までの四〇日間は、その間に一日の休みしかなく、労働時間は合計四一一
時間にも及んだうえ、自宅への持ち帰り仕事も多くなっていた(1(五)(5)
Ⅸ)。しかも、右の期間は、デザイン博を控えていて特に期限の遵守を要求される
竣工検査の直前であり、そのため、亡aも本来職人が行うべき軽易な現揚作業を手
伝わざるを得なかったほどであるから(1(五)(3)Ⅰ)、その期間の作業密
度、作業強度及び精神的緊張は強く、中等症の気管支喘息に罹患していた亡aはも
とより、通常人にとっても極めて過重な業務であったと認められる。
 そのため、亡aは、帰宅しても疲労がほとんど回復せず、深夜に喘息発作で目が
覚め、そのまま朝まで眠れない日が多くなり、食欲も減退し、朝食もとれず温めた
牛乳を一杯飲むのがやっとという状態であった(1(五)(5)Ⅹ)。
 亡aは、平成元年五月は、同月一日と八日に喘息発作による点滴治療を受けた
が、同月九日から同年六月一五日までは
、五月二三日と六月六日に受診したのみである。しかし、右の期間中の受診回数が
少ないのは、気管支喘息の症状が軽快したためではなく、多忙な業務により受診す
る時間的な余裕がなかったことによるものと認められる(1(五)(5)Ⅸ)。
 そして、亡aは、仕事が一段落し、ほぼ定時に帰宅できるようになった平成元年
六月一六日から同月三〇日までの一五日間に、合計八回受診し、いずれも喘息発作
により点滴治療を受けた(1(五)(5)Ⅸ)。
 右の診療日数、点滴回数によれば、亡aの気管支喘息は、そのころ急激に悪化し
重症となったものと認められる(3(四)(3)、3(五)(1)Ⅳ②)。
 ところで、過重な業務による過労・ストレスは、生体の免疫機能を低下させて通
常よりも重篤な症状を出現させるものであるし(3(四)(3))、強度の過労・
ストレスが継続し、その継続時期が経過した後に症状が一層増悪したり、喘息発作
が頻発することは臨床上よく認められることである(3(四)(1)Ⅲ②)とこ
ろ、前記説示のとおり、平成元年五月九日から同年六月一七日までの業務は、中等
症の気管支喘息に罹患していた亡aにとっては極めて過重なものであったこと、右
過重な業務が一段落した直後から、頻繁な喘息発作による点滴治療が開始されてい
ること等を考慮すると、亡aの気管支喘息が重症となり難治化したのは、右過重な
業務、喫煙習慣及び長期間、大量のメジヘラ使用による気管支喘息のコントロール
不良が相乗的に影響し合った結果ではあるが、その中でも右過重な業務の影響力は
相当に大きかったものと認めるのが相当である。
Ⅴ 亡aは、体調がすぐれないことを理由にして配置転換を希望し、平成元年七月
一日から同年八月二〇日までデスクワークに従事し、その間はほぼ定時に退社する
とともに、所定休日やお盆休みをすべて取得したことにより、同年七月及び八月は
いずれも一一日間の休みを取った(1(六)(1))。
 しかし、亡aの症状はなかなか回復せず、顔色も悪く、声もしゃがれた感じであ
り、平成元年六月後半に引き続き、同年七月一日から同月一〇日までの間に七回受
診し、いずれも喘息発作により点滴治療を受け、その後は、同月一五日(喘息発作
による点滴治療)、同月二三日(同上)、同月二六日(発作なし)と少し喘息発作
の間隔があくようになったが、同月二八日に風邪をひいてから、同日、同月二九
日、同年八月二日、同月九
日、同月一一日、同月一九日、同月二一日、同月二三日と再び頻繁に喘息発作を発
症するようになり、いずれも点滴治療を受けた。そして、同月二三日に投薬内容が
変わり、ステロイド剤であるリンデロン散○・六ミリグラムが処方されなくなると
ともに、同月二五日から同月三〇日まで連続六日間、喘息発作により点滴治療を受
けた(1(六)(2))。
 右の期間の亡aの症状については、平成元年七月一○日ころまでは加重な業務に
よる過労・ストレスの影響力がまだ強く残っており、その後少し改善をみたが、同
月二八日に風邪をひいてから同年八月二日まで再び悪化したものと認められる(3
(四)(2)のⅡ④、Ⅲ①)。
 しかし、平成元年八月一九日以降の症状については、喫煙習慣によるものか、メ
ジヘラの長期間、大量使用による気管支喘息のコントロール不良によるものか、変
更され投薬内容が亡aに合わなかったことによるものか、肥満体質のため体力を消
耗するとともに、よく汗をかき脱水症状となったことによるものか、あるいはそれ
らが複合したものか、いずれとも断定することができない。
Ⅵ 亡aは、現場代理人が不足していた時期であり、かつ、親しく交際していたc
の要請であったため、東郷サービスエリア電気設備工事の現場代理人を引き受け、
平成元年八月二一日から住友電設中部支社内でその準備作業を行い、同年九月一日
から現場事務所に勤務するようになった(1(七)の(2)、(4)Ⅰ)。
 右工事は、そのうち売店について平成元年一二月末日までに竣工させることが強
く要請されていたうえ、いわゆる官庁工事であり、図面の書き直しが多く、細かい
チエックも必要であるなど、精神的なストレスの溜まる仕事であった(1(七)の
(1)、(4)Ⅱ)。
 亡aは、平成元年八月二一日以降残業が増え始め、同年一〇月は連日のように一
八時ないし一九時まで残業するようになり、同月七日は休日出勤し、同月一一日か
ら一三日までは連続して二〇時まで残業した。そして、同月二八日と二九日は休み
を取ったが、同年一一月三日と四日は連日して休日出勤した。右休日出勤は、工事
が二日程度遅れていたためと、一一月六日から本格的な工事に入るために職人や材
料の手配をすべて完了させるためであった。なお、亡aの死亡直前一か月間の労働
時間は合計二四二時間であり、白鳥住宅電気設備工事の平成元年三月当時と同じ程
度の労働時間であった(1(七)
(4)のⅢ、Ⅳ)。
 右の程度の業務は、通常人には過重なものではないが、重症の気管支喘息に罹患
していた亡aにとっては過重なものであり、亡aは、平成元年九月ころの三女の運
動会に行けなかったり、同年一〇月二二日の社内ハイキングに車内で横になってい
るほどに体調が悪く、死亡する一○日前ころからは、深夜毎晩のように発作が起
き、睡眠を取ることができず、朝食もまともにとれない状態になっていた(1
(七)(5)のⅠ、Ⅱ、1(八)の(1)、(2))。
 そして、亡aは、平成元年一〇月中旬から下旬ころ、住友電設に提出する自己申
告書に、体力が仕事についていけないため、設計業務への配置転換を希望する旨記
載した(1(七)(6))。
 亡aは、平成元年八月下旬からの喘息発作が同年九月二日まで続き、同日は点滴
治療を受けるとともに、投薬内容が従前のものに戻り、さらにリンデロン散〇・六
を追加処方された。その後、同月一三日(喘息発作なし。)、同月一九日(喘息発
作による点滴治療)、同月二九日(喘息発作なし。)、同月三〇日(喘息発作によ
る点滴治療)と受診し、喘息発作の起きる間隔は少し長くなった。しかし、同年一
〇月八日(喘息発作による点滴治療)以降は、同月一一日(同上)、同月一三日
(同上)、同月一六日(同上)、同月一八日(同上、同月二〇日(喘息発作な
し。)、同月二二日(喘息発作による点滴治療)、同月二五日(喘息発作な
し。)、同月二八日(喘息発作による点滴治療)、同年一一月四日(同上)と受診
し、再び頻繁に喘息発作が起きるようになった(1(七)(5)Ⅲ)。
 右の各事実によれば、九月二日に投薬内容が変更された後、亡aの気管支喘息の
症状は少し改善されたが、一〇月八日以降は再び悪化し、いつ重積発作が起きても
おかしくない状態になっていたものと認められる(3(五)(2)Ⅴ)。
 亡aが右のような状態になったのは、東郷サービスエリア電気設備工事を担当す
るようになってからの、亡aにとっては過重な業務と、喫煙習慣や、長期間、大量
のメジヘラ使用による気管支喘息のコントロール不良が相乗的に影響し合った結果
であり、前記説示の治療経過に徴すると、その中でも気管支喘息のコントロール不
良が大きな要因であったと考えられるが、他方、亡aは重症の気管支喘息に罹患し
ており、本人も希望していたように内勤への配置転換が必要であったところ、現場
代理人が不足してい
たため右の現場業務に従事せざるを得なかったこと、また、売店については平成元
年一二月末日までの竣工期日の厳守が要請されていたところ、工事が予定よりも二
日程度遅れていたこともあって、一一月三日、四日と連日して休日出勤をしなけれ
ばならなかったこと、すなわち、亡aは、一〇月下旬の時点では、重症の気管支喘
息の治療に専念するために早急に休養を取るべき状態であったのに、それが取れな
い実状にあったことを考慮すると、右の過重な業務もかなりの影響力を及ぼしてい
たものと認めるのが相当である。
(2) 亡aの死亡と業務との相当因果関係
Ⅰ 右(1)で説示したとおり、亡aは、同人の基礎疾病(気管支喘息)が、過重
な業務、喫煙習慣及びメジヘラの長期間、大量使用による気管支喘息のコントロー
ル不良の相乗効果によって重症化し、その状態の中で発生した重篤な発作による呼
吸不全により死亡したものであるが、気管支喘息が重症化したのは、白鳥住宅電気
設備工事における極めて過重な業務が相当大きな要因となっていたこと、そして、
短期間の内勤では右の症状が十分に改善されないまま再び現場代理人となり、死亡
直前の頻繁な喘息発作の発症についても、東郷サービスエリア電気設備工事におけ
る亡aにとっては過重な業務がかなりの影響を及ぼしていたことを総合的に考慮す
ると、亡aの死亡は、業務が基礎疾病をその自然的経過を著しく超えて悪化させた
ことにより発生したものと認めるのが相当である。
 したがって、亡aの死亡と業務との間には、相当因果関係の存在を肯認すること
ができる。
 なお、付言するに、亡aの死亡については、亡aにも、度重なる医師の禁煙指導
に従わなかったり、医師に無断でメジヘラを安易に乱用するなどの重大な過失が存
在するから、労災保険法一二条の二の二の二号により、保険給付の全部又は一部を
行わないことができる場合に該当する(なお、労基法は、遺族補償については重過
失であっても給付制限をしていないが、同法八四条により、労災保険法による補償
が行われる場合は、使用者は補償責任を免れると規定しているから、労災保険法に
より給付制限がなされても、使用者は残額について補償責任を免れることになり
〔最高裁判所昭和四九年三月二八日判決・判例時報七四一号一一〇頁〕、重過失で
あっても給付制限をしない旨の労基法の規定は、実質的に存在意義を失ってい
る。)。労働基準監督署長は、通
達により、遺族補償等については給付制限をしない取扱いのようであるが(甲第一
〇一号証)、原告代理人から、「民事損害賠償は過失相殺、あるいは割合的な因果
関係論により賠償額の調整が可能であるが、労災補償給付はこのような調整ができ
ないことを理由に因果関係の判断を厳しくしようとする。」との指摘がなされてい
るところでもある。右の指摘が杞憂であればよいが、当裁判所としては、疾病等の
発症、増悪に複数の要因が関与している場合は、むしろ因果関係の判断を緩やかに
して、前記労災保険法一二条の二の二の二号により給付制限をすべきであると考え
る。
Ⅱ h医師は、亡aの気管支喘息の発作回数、点滴回数は、平成元年六月前半の業
務が過重であった時期よりも、同月後半の業務に余裕のあった時期に増加している
から、業務と気管支喘息の増悪との間には相関関係が認められない旨述べている。
 しかし、h医師の指摘する発作回数、点滴回数は、g内科での診察結果にすぎ
ず、前記説示のとおり、平成元年六月前半は、それ以外にも喘息発作が起きていた
ものと推認されるし、また、同年六月後半の喘息発作は、六月前半の過重な業務に
よる過労・ストレスが回復していないことから発症したものと認めるのが相当であ
るから、h医師の右の見解は採用できない。
Ⅲ k医師は、亡aの業務内容及び月別時間外労働と発作頻度との間には相関関係
が認められない旨述べている。
 しかし、k医師は、表面的な数字によって右の判断をしているにすぎず、亡aが
平成元年五月後半及び同年六月前半は、g内科に通院する時間的余裕がなかったこ
とや、同年六月後半及び同年七月前半には、それ以前に蓄積された過労・ストレス
がいまだ残っていたことを考慮していないから、同医師の右の見解も採用できな
い。
Ⅳ l医師は、亡aの業務は自主管理可能であるから労働過負荷の持続は考え難い
として、気管支喘息の増悪と業務との間に因果関係は認められない旨述べている。
 しかし、現場代理人の業務は竣工期日の厳守を要求されるものであるところ、工
事は多くの人間の協同作業であり、亡aの一存で日程を決められるものではなく、
竣工期日の直前はどうしても時間外労働が多くならざるを得ず、現に白鳥住宅電気
設備工事において、竣工期日直前に極めて過重な労働状況となったことは前記認定
のとおりであるから、l医師の右の見解も採用できない。
第四 結論
 以上によれば、
亡aの気管支喘息の増悪とそれによる死亡には業務起因性が認められるから、本件
処分は違法である。
 よって、原告の請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政
事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第一部
裁判長裁判官 林道春
裁判官山本剛史、鈴木昭洋は、転補のため署名押印することができない。
裁判長裁判官 林道春

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