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平成15年(行ケ)第542号 特許取消決定取消請求事件(平成16年11月1
5日口頭弁論終結)
  判          決
   原      告   イー・アイ・デュポン・ドウ・
                  ヌムール・アンド・カンパニー
       訴訟代理人弁理士   谷   義 一
       同          阿 部和 夫
       同          岩 崎 利 昭
       同復代理人弁理士佐 藤 久 容
       同          田 村   正
       被      告   特許庁長官 小 川  洋
 指定代理人   後 藤 圭 次
同          板 橋 一 隆
   同          佐 藤   修
       同          一 色 由美子
       同          伊 藤 三 男
主          文
      特許庁が異議2001-70284号事件について平成15年7月1
7日にした決定を取り消す。
      訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
   原告は,名称を「インクジェットインク組成物」とする特許第306954
3号発明(平成9年12月26日特許出願,優先権主張平成8年12月27日〔以
下「本件優先日」という。〕・米国,平成12年5月19日設定登録。以下,この
出願を「本件出願」,その特許を「本件特許」という。)の特許権者である。
   本件特許につき,平成13年1月24日に特許異議の申立てがされ,異議2
001-70284号事件として特許庁に係属し,原告は,平成14年2月25日
に訂正請求をした。特許庁は,同事件を審理した結果,平成15年7月17日,
「訂正を認める。特許第3069543号の請求項1に係る特許を取り消す。」と
の決定をし,その謄本は,同年8月11日,原告に送達された。
 2 本件出願の願書に添付した明細書(平成14年2月25日付け訂正請求によ
る訂正後のもの,以下,この訂正後の明細書を「本件明細書」という。)の特許請
求の範囲の【請求項1】に記載された発明(以下「本件発明」という。)の要旨
  (a) 水性担体媒質と,
  (b) 前記水性担体媒質に不溶性である着色剤と,
  (c) 0.1~25重量%のポリマー分散剤と,
  (d) 有機溶媒中で合成された平均分子量が5,000~150,000の
範囲にある水不溶性ポリマーが,前記水性担体媒質中に分離層として分散されてな
る0.1~20重量%のハイドロゾルポリマーと,
    を含有するインクジェットインク組成物であって,
    20ダイン/cm~70ダイン/cmの表面張力を有するとともに,20
cP以下の粘度を有し,
    前記水性担体媒質が該インク組成物の全量の70~99.8重量%を占め
ることを特徴とするインクジェットインク組成物。
 3 決定の理由
 (1) 決定は,別添決定謄本写し記載のとおり,本件発明は,特開平8-183
920号公報(甲4,以下「刊行物1」という。)に記載された発明であり,本件
発明に係る特許は,特許法29条1項の規定に違反してされたものであるから,取
り消されるべきであるとした。
 (2) なお,決定は,上記の判断に当たり,本件発明と刊行物1に記載された発
明とは,「『水性担体媒質と,前記水性担体媒質に不溶性である着色剤と,ポリマ
ー分散剤と,平均分子量が5,000~150,000の範囲にある水不溶性ポリ
マーが,前記水性担体媒質中に分離層として分散されてなる0.5~20重量%のハ
イドロゾルポリマーと,を含有するインクジェットインク組成物』という点では同
じである」(決定謄本5頁第2段落)と認定し,決定が認定した両者の相違点1~
4は,いずれも実質的な相違ではないから,本件発明は刊行物1に記載された発明
であるとしている。
第3 原告主張の決定取消事由
   決定は,刊行物1に記載された「分散剤」を誤認して刊行物1に「ポリマー
分散剤」を含有するインクジェットインク組成物が記載されているとする誤った認
定をし(取消事由1),同じく刊行物1に記載された「自己水分散性樹脂」が水性
担体媒質中に分離層として分散されてなるものと誤って認定した(取消事由2)結
果,本件発明が刊行物1に記載された発明であるとの誤った判断に至ったものであ
るから,違法として取り消されるべきである。
 1 取消事由1(刊行物1記載の「分散剤」の誤認)
 (1) 決定は,「刊行物1には,『分散剤』の使用も任意であることが記載さ
れ,分散剤としてポリマー分散剤は周知のものであるから,両者(注,本件発明と
刊行物1に記載された発明)は,『水性担体媒質と,前記水性担体媒質に不溶性で
ある着色剤と,ポリマー分散剤と,平均分子量が5,000~150,000の範
囲にある水不溶性ポリマーが,前記水性担体媒質中に分離層として分散されてなる
0.5~20重量%のハイドロゾルポリマーと,を含有するインクジェットインク
組成物』という点では同じである」(決定謄本5頁第2段落)と認定したが,誤り
である。
 (2) 本件発明の「ポリマー分散剤」について
   ア本件発明の「ポリマー分散剤」
     本件発明の「ポリマー分散剤」は,水性担体媒質に着色剤及びハイドロ
ゾルポリマーを分散させるための分散剤である。
     すなわち,本件明細書(甲3添付)には,「(分散剤)本発明(注,本
件発明)の実施に好適なポリマー分散剤としては,・・・が含まれる。これらのポ
リマーは,性質がアニオン性,カチオン性またはノニオン性であってもよい。ラン
ダムポリマーは,構造性ポリマーほど着色剤分散液の安定化には有効ではなく,従
って,好ましくはない。しかしながら,水性での溶解性のための親水性部と,着色
剤との相互作用のための疎水性部との双方を有し,かつ分散安定性に寄与する平均
分子量を有するランダムポリマーは,本発明の実施に有効に使用することができ
る。・・・本発明の実施に好適なブロックポリマーは,AB,BABおよびABC
型構造のものである。疎水性および親水性ブロックを有し,かつ分散安定性に寄与
するようバランスされたブロックサイズを有するブロックポリマーは,本発明の実
施に有利に使用可能である」(5頁第3段落~最終段落)と記載されており,これ
らの記載から,本件発明の「ポリマー分散剤」は,親水性部を有する,水性担体媒
質(水性媒体)に着色剤等を分散させるための分散剤であることが明らかである。
イ 本件発明に係るインクジェットインク組成物の成分
     本件発明に係るインクジェットインク組成物は,(a)水性担体媒質,(b)
着色剤,(c)「ポリマー分散剤」,(d)水不溶性ポリマーが水性担体媒質中に分散さ
れてなるハイドロゾルポリマーの4成分からなるものであり,本件発明において,
「ポリマー分散剤」は,必須成分である。
 (3) 刊行物1に記載されたインクジェット記録用水性インク(以下「刊行物1
のインク」ということがある。)について
  ア 刊行物1に記載された「分散剤」について
     決定は,「刊行物1には『分散剤』の使用も任意であることが記載さ
れ,分散剤としてポリマー分散剤は周知のものであるから,両者は・・・ポリマー
分散剤と・・・を含有するインクジェットインク組成物』という点では同じであ
る」(決定謄本5頁第2段落)と認定したが,分散剤の意義を誤っている。
     決定が刊行物1(甲4)に「分散剤」を含有するインクジェットインク
組成物が記載されているとの認定の根拠としたのは,刊行物1の「上記合成樹脂溶
液には,添加剤として,必要に応じて分散剤,可塑剤,酸化防止剤,紫外線吸収剤
等を溶媒,樹脂,着色剤と共に用いても良い」(段落【0027】,下線付加)と
の記載であるが,この記載は,その直前の段落の「樹脂を溶解する際に用いられる
有機溶媒としては,・・・が良い。かかる有機溶媒の使用量は,・・・合成樹脂/
該有機溶媒の重量比が1/1~1/20となるような量が好ましい」(段落【00
26】)との記載に続くものであるから,そこにいう「分散剤」とは,樹脂を溶解
させるために有機溶媒を用いる際に,任意的成分として加える分散剤であって,有
機溶媒に樹脂と着色剤を分散させるためのものである。これは,水性担体媒質に着
色剤及びハイドロゾルポリマーを分散させる本件発明の「ポリマー分散剤」とは異
なるものである。
     すなわち,分散剤とは,「固体粒子を液体中に分散させて安定な懸濁液
をつくるために使用される第三成分をいう」(平成3年8月10日朝倉書店〔初版
第3刷〕発行「新版高分子辞典」408頁,甲5,以下「高分子辞典」という。)
ものであるから,水と有機溶媒という異なる種類の液体に使用される分散剤は,互
いに別のものである。
     また,刊行物1の段落【0027】に記載の有機溶媒中で使用される
「分散剤」は,高分子分散剤(ポリマー分散剤)ではなく,界面活性剤と解される
から,この点でも,刊行物1のインクが「ポリマー分散剤」を含有するものである
とする決定の認定は誤りである。
イ 成分について
     刊行物1(甲4)に開示されているのは,その請求項1の記載及び課題
を解決するための手段の項の「本発明は,・・・自己水分散性樹脂(A)によって
着色剤(B)が内包された着色樹脂粒子が,水を必須成分とする水性媒体(C)・・・
中に分散していることを特徴とする」(段落【0009】)との記載から明らかな
ように,着色剤粒子を自己水分散性樹脂に内包させた着色樹脂粒子が水性媒体中に
分散しているインクであって,自己水分散性樹脂,着色剤及び水性媒体の3成分か
らなるものである。
 (4) 決定の誤り
    以上のように,本件発明の「ポリマー分散剤」は,水性担体媒質(水性媒
体)に着色剤と水不溶性ポリマー(ハイドロゾルポリマー)を分散させるものであ
るのに対し,決定が指摘する刊行物1の「分散剤」は,着色樹脂を作る過程で任意
成分として添加される,有機溶媒に着色剤粒子を分散させる分散剤である。両者
は,水性媒体と有機溶媒という,互いに異なる分散媒に使用されるものであるか
ら,当然,種類が異なるものである。加えて,刊行物1に添加してもよい成分とし
て記載された「分散剤」は,界面活性剤と解されるから,この点でも,本件発明の
「ポリマー分散剤」とは異なる。
    そして,本件発明は,着色剤と水不溶性ポリマーないしハイドロゾルポリ
マーが,「ポリマー分散剤」によって水性媒体中に分散している,4成分からなる
インクジェットインクであるのに対し,刊行物1のインクは,着色剤を内包した自
己水分散性樹脂が水性担体媒質(水性媒体)に分散している,自己水分散性樹脂,
着色剤及び水性媒体の3成分からなるインクであるから,両者は,インクの組成に
おいても異なるものである。
 (5) 被告の主張について
   ア 被告は,インクジェットインクに関する技術的背景として,水性インク
ジェットインクは,基本的に,水性担体媒質,水性担体媒質に不溶性である着色剤
(顔料)及び分散剤とからなっており,また,顔料を紙に接着させる作用を有する
樹脂をバインダーとして添加することが行われていると説明した上,刊行物1(甲
4)に「上記合成樹脂溶液には,添加剤として,必要に応じて分散剤,可塑剤,酸
化防止剤,紫外線吸収剤等を溶媒,樹脂,着色剤と共に用いても良い」(段落【0
027】)と記載されていることから,当業者であれば,分散剤は添加すべき成分
であると理解すると主張する。
     しかし,刊行物1に記載された「分散剤」は,上記(3)のとおり,着色樹
脂粒子を作るときに,有機溶媒中で樹脂と着色剤を分散させる分散剤であり,しか
も,刊行物1に記載の発明は,自己水分散性樹脂により着色剤を内包させて着色樹
脂粒子とすることを本質とするものであるから,当業者は,この本質に反すること
になる水性媒体に着色剤を分散させるための「ポリマー分散剤」を,添加すべき成
分として理解することはあり得ない。また,刊行物1に記載された発明は,その特
許請求の範囲に記載された構成によって「分散安定性に優れる」(段落【003
9】)という効果が得られるものであるから,あえて着色剤を水性媒体に分散させ
るための「ポリマー分散剤」を添加する必要性もない。
   イ また,被告は,刊行物1の「分散剤」に関する記載について,「分散
剤」は,水性インク中の粒子を安定化する作用を有するものを採用すべきであるこ
とを当業者なら理解するとした上,刊行物1に,「界面活性剤や保護コロイドは最
終的に得られる粒子の物性を低下させる傾向があるので用いないことが好まれる」
(段落【0025】)という記載があることを根拠に,刊行物1のインクにおける
「分散剤」として,界面活性剤ではない分散剤,すなわち,高分子分散剤(ポリマ
ー分散剤)が選択されるべきことは,当業者が当然理解することであると主張する
が,これも,上記のとおり,刊行物1記載の発明の本質に反することになるから,
被告の主張は失当である。
ウ 被告は,さらに,「予備的主張」として,刊行物1に記載された発明に
おいては,自己水分散性樹脂により顔料を内包した着色樹脂粒子を分散安定性に優
れたものにすることも意図しているのであるから,添加剤として分散剤が用いられ
なくても,自己水分散性樹脂が粒子を安定に分散する分散剤としても作用すると主
張する。
     しかし,これは,刊行物発明が3成分からなるインクジェット組成物で
あって,本件発明の4成分からなるインクジェット組成物とは異なる組成であるこ
とを認めているに等しい。
 2 取消事由2(刊行物1記載の「自己水分散性樹脂」の誤認)
 (1) 決定は,刊行物1に記載された「自己水分散性樹脂」について,「水不溶
性で水性担体媒質に分離層として分散可能で,水性分散液を形成するものであるか
ら,刊行物1における『自己水分散性樹脂(A)』は,本件発明の『ハイドロゾル
ポリマー』に相当する」(決定謄本5頁第2段落)と認定し,刊行物1に開示の発
明は本件発明の「前記水性担体媒質中に分離層として分散されてなる・・・ハイド
ロゾルポリマー」について本件発明と同一であると認定した(同段落)が,誤りで
ある。
 (2) 本件発明のハイドロゾルポリマーは,顔料及び分散剤から分離した状態
で,一つの独立した成分として,水性担体媒質中に分散されて存在する。
    これに対し,刊行物1に記載された発明は,自己水分散性樹脂によって着
色剤が内包された着色樹脂粒子が,水を必須成分とする水性媒体中に分散したイン
クジエット記録用水性インクであり,自己水分散性樹脂は,着色剤を内包させた着
色樹脂粒子として存在する。すなわち,刊行物1に記載された発明において,決定
が「本件発明の『ハイドロゾルポリマー』に相当する」(決定謄本5頁第2段落)
という自己水分散性樹脂は,着色剤を内包させた着色樹脂粒子として,水性媒体中
に存在しているのであるから,顔料及び分散剤から分離した状態で,水性担体媒質
中に分離層(相)として分散されているものではない。したがって,刊行物1発明
は,本件発明とは同一ではない。
第4 被告の反論
   決定の認定判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
 1 取消事由1(刊行物1記載の「分散剤」の誤認)について
 (1) インクジェットインクに関する技術的背景
    水性インクジェットインクは,基本的に,水性担体媒質,水性担体媒質に
不溶性である着色剤(顔料)及び分散剤とからなっており,また,顔料を紙に接着
させる作用を有する樹脂をバインダーとして添加することが行われている。本件発
明は,上記の通常採用されていた水性担体媒質,着色剤(顔料),分散剤(ポリマ
ー分散剤)とからなるインクジェット組成物に,バインダーに相当する成分として
ハイドロゾルポリマーを選択した発明ということができる。
 (2) 分散剤について
  ア 刊行物1(甲4)に記載された「分散剤」は,確かに,合成樹脂溶液に添
加されるものではあるが,その作用として,有機溶媒中で樹脂と着色剤とを分散さ
せるものとして記載されているわけではない。むしろ,「分散剤」を添加された合
成樹脂溶液は,その後,中和により自己分散性樹脂となり,さらに水性媒体との混
合により転相乳化されて,水性インクジェットインクとなり,添加された分散剤が
系外に出ることはないので,当業者は,「分散剤」として,水性インク中に粒子を
安定化させる作用を有するものを採用すべきものと理解する。
    さらに,刊行物1には,自己分散性樹脂を水性媒体と混合して転相乳化を
行い,水性分散液を得るに当たり,「必要によっては界面活性剤を併用して,強制
的に乳化させて得ることもできる。しかしながら界面活性剤や保護コロイドは最終
的に得られる粒子の物性を低下させる傾向があるので用いないことが好まれる」
(段落【0025】)と記載されている。水性インクジェットインクにおける分散
剤として用いられるのは,高分子分散剤や界面活性剤であるが,刊行物1には,上
記のとおり,界面活性剤が好ましくないと記載されているのであるから,最終的に
水性インク中に含まれ,水性インクジェットインクの分散剤としても作用する刊行
物1の「分散剤」としては,高分子分散剤,すなわち,ポリマー分散剤が採用され
るべきものである。したがって,刊行物1に添加剤として挙げられている「分散
剤」は,「ポリマー分散剤」であると解される。
  イ 原告は,刊行物1の「上記合成樹脂溶液には,添加剤として,必要に応じ
て分散剤,可塑剤,酸化防止剤,紫外線吸収剤等を溶媒,樹脂,着色剤と共に用い
ても良い」(段落【0027】)との記載について,「分散剤」は,任意的に添加
してもよい成分として挙げられているにすぎないから,刊行物1には,本件発明の
ように必須成分として「ポリマー分散剤」を含有するインクジェットインク組成物
は記載されていない旨主張する。
    しかし,水性インクジェットインクは,基本的に,分散剤を含むものであ
るから,当業者は,他に任意成分として挙げられている可塑剤,酸化防止剤等とは
異なり,分散剤は添加すべき成分であると理解する。したがって,刊行物1に,
「ポリマー分散剤」を第4の成分として加えたものが記載されているとした決定の
認定に誤りはない。
    なお,インクジェットインクにおいて,高分子分散剤(ポリマー分散剤)
を,本件発明のように0.1~25重量%の範囲内で使用することは,通常採用さ
れる程度のことにすぎない。
(3) 予備的主張
    刊行物1に記載の発明は,添加剤として分散剤を用いることがないとして
も,自己水分散性樹脂により顔料を内包した着色樹脂粒子を分散安定性に優れたも
のにすることも意図しているのであるから,自己水分散性樹脂自体が粒子を安定に
分散する分散剤としても作用する。すなわち,刊行物1に記載された自己水分散性
樹脂は,分子中にイオンを有するポリマーであるから,粒子はイオンとして働き,
水性媒体で粒子間の電気的反発(イオン的技法)により粒子の凝集を阻止するので
あり,自己水分散性樹脂自体の性質からも,粒子を安定に分散させる物質,すなわ
ち分散剤として作用するものであるということができる。そして,刊行物1におけ
る自己水分散性樹脂は,ポリマー(高分子)であるから,ポリマー(高分子)分散
剤であるといえる。
    そうすると,刊行物1に記載されたインクジェットインクは,追加的に分
散剤を添加しなくても,水性担体媒質,着色剤,ポリマー分散剤,自己水分散性樹
脂とから実質的になるものといえるから,刊行物1には,水性担体媒質,顔料等の
水性担体媒質に不溶性である着色剤,ポリマー分散剤及び自己水分散性樹脂からな
るインクジェットインク組成物が記載されているということができ,刊行物1に記
載された発明が,水性担体媒質(a),着色剤(b),ポリマー分散剤(c),水不溶性ポリ
マーが水性担体媒質中に分散されてなるハイドロゾルポリマーを含有するインクジ
ェットインク組成物であるとした決定の認定に誤りはない。
    なお,本件発明のハイドロゾルポリマーは,本件明細書(甲3添付)に
「最適な耐汚れ性のためのポリマー特性を調整する」(6頁下から第2段落)もの
として記載されているが,それ以外の効果を有するハイドロゾルポリマーを排除す
るものではなく,その使用の目的・態様が限定されているわけでもなければ,使用
することができるポリマーの種類・範囲が限定されているわけでもないから,本件
明細書にハイドロゾルポリマーとポリマー分散剤とが,別々の成分として区別して
記載されていても,本件発明において,分散剤の作用を有するハイドロゾルポリマ
ーをポリマー分散剤として採用することが否定されるものではない。本件発明にお
いて,ポリマー分散剤としてハイドロゾルポリマーを採用した場合の態様は,水性
担体媒質,水性担体媒質に不溶性である着色剤,ポリマー分散剤及びハイドロゾル
ポリマー(すなわち,自己水分散性樹脂)からなるインクジェットインク組成物で
あるから,本件発明は,刊行物1に記載された発明と同一である。
 2 取消事由2(刊行物1記載の「自己水分散性樹脂」の誤認)について
 (1) 本件発明のハイドロゾルポリマーにおける,「水性担体媒質中に分離層と
して分散されてなる」(被告注,「分離層」は正しくは「分離相」と解される。)
とは,ハイドロゾルポリマーが,水性担体媒質中に溶解することなく,粒子として
存在しているということである。
    原告は,本件発明のハイドロゾルポリマーは,顔料及び分散剤から分離し
た状態で,一つの独立した成分として,水性担体媒質中に分散されて存在すると主
張するが,ハイドロゾルポリマーの状態は,水性担体媒質との関係で特定されてい
るのみであり,顔料・分散剤との間での状態が特定されているものではないから,
この点に関する原告の主張は,特許請求の範囲の記載に基づかないものであって,
失当である。したがって,本件発明においても,ハイドロゾルポリマーの粒子中に
着色剤を内包させたものが排除されるものではない。
    一方,刊行物1のインクは,「自己水分散性樹脂(A)によって着色剤
(B)が内包された着色樹脂粒子が,水を必須成分とする水性媒体中に分散してい
る」(【請求項1】)ものであるから,自己水分散性樹脂は,着色剤を内包した状
態で,水性媒体中に溶解することなく,粒子として存在するものである。したがっ
て,刊行物1のインクにおいても,ハイドロゾルポリマーの粒子に相当する自己水
分散性樹脂は,水性媒体に分離層(相)として分散されているものであるというこ
とができる。
 (2) 原告は,自己水分散性樹脂は着色剤を内包させた着色樹脂粒子として存在
しているのであるから,「水性担体媒質中に分離層として分散されてなる」ものと
はいえないと主張する。しかしながら,着色剤を内包しているとしても,自己水分
散性樹脂は,水性担体媒質との間の関係において,水性担体媒質中に分離相として
分散されている状態にあり,(着色樹脂)粒子として存在しているのであるから,
自己水分散性樹脂が水性担体媒質(水性媒体)に分離相として分散されていないと
する原告の主張は失当である。
第5 当裁判所の判断
 1 取消事由1(刊行物1記載の「分散剤」の誤認)について
 (1) 刊行物1(甲4)は,その【請求項1】に,「酸価が50以上280以下
の合成樹脂(a)の少なくとも一部の酸基が塩基(b)で中和されてなる自己水分
散性樹脂(A)によって着色剤(B)が内包された着色樹脂粒子が,水を必須成分
とする水性媒体中に分散していることを特徴とするインクジェット記録用水性イン
ク」と記載され,発明の詳細な発明欄の冒頭に,「本発明は,・・・着色剤を含有
する自己水分散性樹脂が水性媒体中に分散されたインクジェット記録用水性インク
に関する」(段落【0001】)と記載されるように,着色剤を内包する自己水分
散性樹脂を水性媒体中に分散したインクジェット記録用水性インクの発明について
記載するものである。
    原告は,このインクについて,決定が,「刊行物1には,『分散剤』の使
用も任意であることが記載され,分散剤としてポリマー分散剤は周知のものである
から,両者は,『水性担体媒質と,前記水性担体媒質に不溶性である着色剤と,ポ
リマー分散剤と,平均分子量が5,000~150,000の範囲にある水不溶性
ポリマーが,前記水性担体媒質中に分離層として分散されてなる0.5~20重量
%のハイドロゾルポリマーと,を含有するインクジェットインク組成物』という点
では同じである」(決定謄本5頁第2段落)と認定したことに対し,刊行物1に記
載された「分散剤」は,本件発明の「ポリマー分散剤」ではないから,決定の上記
認定は誤りであると主張する。
 (2) 刊行物1に記載された「分散剤」について
   ア 決定が,刊行物1のインクについて,「分散剤の使用も任意であること
が記載され」とする認定の根拠としたのは,刊行物1の段落【0027】の,「上
記合成樹脂溶液には,添加剤として,必要に応じて分散剤,可塑剤,酸化防止剤,
紫外線吸収剤等を溶媒,樹脂,着色剤と共に用いても良い」との記載と認められ
る。
     原告は,上記記載にいう「分散剤」は,有機溶媒に樹脂及び着色剤の粒
子を分散させるためのものであるから,水性媒体に粒子を分散させる本件発明の
「ポリマー分散剤」とは異なるものであって,刊行物1には,「ポリマー分散剤」
を含有してなるインクジェットインク組成物は開示されていないと主張する。
   イ そこで,検討すると,刊行物1には,以下の記載が認められる(以下の
各記載を「記載(ア)」などという。)。
   (ア) 「本発明では,着色剤は水性媒体中に分散される前に予め自己水分散
性樹脂を含む有機溶剤溶液中に分散または溶解せしめられるのが好ましい。即ち,
有機溶媒の存在下に合成樹脂(a),塩基(b)及び着色剤(B)を攪拌機や分散
装置を用いてよく混合して,着色剤の溶解又は分散と合成樹脂の自己水分散化とを
行った後,当該着色樹脂溶液と水性媒体とを混合することによって着色剤を含む自
己水分散性樹脂溶液の小滴が水性媒体中に分散される」(段落【0024】)
   (イ) 「本発明において好適な製造方法としては,一般にはミルベースと呼
ばれる合成樹脂(a)を含む有機溶剤溶液中に,着色剤を分散又は溶解せしめてお
き,この着色ミルベースに更に塩基を混合溶解し,中和して自己分散性樹脂とし
(第1段階),その後,滴下等で水を必須成分とする水性媒体と混合して乳化させ
る,即ち転相乳化を行なう(第2段階)のがよい。この場合,水を必須成分とする
水性媒体中に,自己水分散性樹脂を含む着色溶液を加えても良いが,逆に当該樹脂
を含む着色溶液中に水性媒体を加えるほうが,均一な粒子径の水性分散液が得られ
る点で好ましい。必要によっては界面活性剤を併用して,強制的に乳化させて得る
こともできる。しかしながら界面活性剤や保護コロイドは最終的に得られる粒子の
物性を低下させる傾向があるので用いないことが好まれる。転相乳化法によれば,
着色剤(B)が樹脂(A)に内包され,一体化した粒子が水性媒体中に分散される
ので好ましい」(段落【0025】)
   (ウ) 「樹脂を溶解する際に用いられる有機溶媒としては,例えば,・・・
 が良い。かかる有機溶媒の使用量は,本発明における効果を達成すれば特に規定
されないが,合成樹脂/該有機溶媒の重量比が1/1~1/20となるような量が
好ましい」(段落【0026】)
   (エ) 「上記合成樹脂溶液には,添加剤として,必要に応じて分散剤,可塑
剤,酸化防止剤,紫外線吸収剤等を溶媒,樹脂,着色剤と共に用いてもよい。上記
着色樹脂溶液と混合される,水性媒体において用いる水は,・・・が好ましい」
(段落【0027】)
   (オ) 「本発明の水性インクには,必要に応じて水溶性樹脂,pH調整剤,
分散・消泡・紙への浸透のための界面活性剤,防腐剤,キレート剤等の添加剤を加
えることができる。これら添加剤は,予め水性媒体中に添加しても,着色剤を含む
自己水分散性樹脂溶液と水性媒体とを混合するときに添加しても,また,それらの
混合後に添加してもよいが,好ましくは最終ろ過後の添加剤の添加は避けたほうが
よい」(段落【0029】)
    (カ) 「本発明でのインクジェット記録用水性インクは,・・・第1段階と
して塩基(b)で中和された合成樹脂(a)を含む溶液に着色剤が分散または溶解
した着色ミルベースを作成する。第2段階として,第1段階で得られた着色ミルベ
ースを過剰量の水性媒体と混合させることにより,着色剤を内包する水分散性樹脂
粒子を得るカプセル化工程を実施する」(段落【0030】)
     上記各記載によれば,刊行物1における「添加剤として,必要に応じて
分散剤・・・を溶媒,樹脂,着色剤と共に用いてもよい」との記載(エ)中の説明は,
刊行物1のインクの好適な製造方法として記載された工程中の「合成樹脂(a)を
含む有機溶剤溶液中に,着色剤を分散又は溶解」して調製される「着色ミルベー
ス」の製造工程に関するものであることが明らかである。
     ところで,「分散剤」とは,「固体粒子を液体中に分散させて安定な懸
濁液をつくるために使用される第三成分」(高分子辞典,甲5),あるいは「固体
微粒子を液中に分散させて,なるべく安定な懸濁液をつくるために加えられる第三
成分」(平成元年8月15日共立出版〔縮刷版第32刷〕発行「化学大辞典8」1
79頁,甲6)とされる物質であり,平成12年9月25日朝倉書店(初版第1
刷)発行「顔料の事典」(甲7,以下「顔料の事典」という。)の「分散剤は顔料
粒子と親和性の高い化学構造をもっており,顔料表面に吸着する作用を有してい
る。これによって顔料微粒子表面は分散剤の吸着層によって覆われる」(398頁
右欄第3段落)との説明及び「分散剤の作用機構」のモデル図(399頁,図Ⅲ.
2.2)によれば,分散剤は,個々の顔料(分散質)の表面に吸着し,分散質を層
状に覆い,顔料(分散質)相互が保護コロイド効果及び又は荷電により,分散媒に
おいて分散するようにする作用を有する物質である。
     そうすると,刊行物1の記載(エ)にいう「分散剤」は,着色ミルベースに
おいて存在する不溶性の粒子(着色剤)を,合成樹脂を含有する有機溶剤溶液中に
分散するために添加されるものであると理解される。すなわち,上記「分散剤」
は,合成樹脂含有有機溶剤溶液を分散媒とし,これに不溶性の粒子である,着色剤
粒子を分散質として分散させるための物質ということになる。
   ウ これに対し,被告は,インクジェット記録用水性インクにおいては粒子
を水性媒体中に分散させる必要性があること,及び記載(エ)において分散剤と並列し
て記載された添加剤(酸化防止剤など)は,最終的な「インクジェット記録用水性
インク」に必要なものであることから,記載(エ)にいう「分散剤」は,刊行物1の
最終的な「インクジェット記録用水性インク」(【請求項1】)中の粒子を分散す
るための分散剤であると主張する。
     しかし,最終的な「インクジェット記録用水性インク」において粒子を
分散させる必要があるとすれば,そのための分散剤は,最終的な「インクジェット
記録用水性インク」に添加するのが自然であり,あえて着色ミルベースを製造する
段階において添加する理由があるとは考え難い。むしろ,記載(オ)として,最終的に
製造されるインク中の粒子の分散等のために界面活性剤を必要に応じ添加し得るこ
とが,着色ミルベース製造工程における分散剤の添加とは別に記載されていること
からすれば,記載(エ)にいう「分散剤」は,最終的な「インクジェット記録用水性
インク」において粒子を分散させるために添加するものとは別の,合成樹脂を含む
有機溶媒中に着色剤粒子を分散させるためのものであると解される。
     そして,着色ミルベースの製造工程において用いられた「分散剤」は,
着色ミルベース中で,主に着色剤粒子表面に吸着して存在していると考えられると
ころ,その後に,着色ミルベースが中和されて自己分散性樹脂とされ,水性媒体と
混合され乳化されて,「着色樹脂粒子」として水性媒体に分散された状態となって
も,上記分散剤は,着色剤粒子の表面に付着した状態で自己水分散性樹脂に内包さ
れて存在すると考えられるから,最終的なインクジェット記録用水性インクにおい
て,水性媒体に粒子を分散させるための分散剤として機能するものとは認められな
い。
   エ 以上のとおり,決定が刊行物1に記載されているものとして指摘した
「分散剤」は,合成樹脂を含有した有機溶剤溶液に,これに不溶性の粒子である着
色剤粒子を分散させるための分散剤であると認められる。
 (3) 本件発明の「ポリマー分散剤」について
   ア 本件発明の「ポリマー分散剤」は,「分散剤」である以上,本件発明の
「インクジェットインク組成物」におけるいずれかの粒子を分散させるために用い
るものと解されるが,この「ポリマー分散剤」の技術的意義は,特許請求の範囲の
記載から一義的に明確であるとはいえない。
     そこで,「ポリマー分散剤」について,検討すると,本件明細書(甲3
添付)には,次の記載が認められる(以下の各記載を「記載(a)」などという。)。
   (a) 「(分散剤)本発明(注,本件発明)の実施に好適なポリマー分散剤
としては,ランダムポリマーや,該ランダムポリマーでない,ブロックポリマーや
分岐型ポリマーなどのポリマー・・・が含まれる。これらのポリマーは,性質がア
ニオン性,カチオン性またはノニオン性であってもよい」(5頁第3段落)
    (b) 「水性での溶解性のための親水性部と,着色剤との相互作用のための
疎水性部との双方を有し,かつ分散安定性に寄与する平均分子量を有するランダム
ポリマーは,本発明の実施に有効に使用することができる」(同第4段落)
    (c) 「本発明の実施に好適なブロックポリマーは,・・・着色剤とポリマ
ー分散剤とのより強い特異的相互作用のための疎水性(着色剤結合性)ブロックに
官能基を導入して,改善された分散安定性を付与してもよい」(同最終段落)
    (d) 「(インクの調製)インクは,選択した着色剤および分散剤を水性担
体媒質中で予備混合(プレミキシング)し,次いで,着色剤を分散または解凝集さ
せることにより製造する。この工程は,・・・担体媒質中に着色剤の均一な分散液
を得ることにより達成してもよい」(11頁第2段落)
    (e) 実施例11及び実施例13には,カーボンブラック顔料,ポリマー分
散剤水性溶液及び脱イオン水を混合して,顔料分散液を調製すること,これらの顔
料分散液に脱イオン水などを加えて,本件発明のハイドロゾルポリマーを含むイン
ク【表15】を製造することが記載されている。
   イ 本件明細書(甲3添付)の上記記載(a)~(d)及び(e)の実施例の記載によ
れば,本件発明の「ポリマー分散剤」は,着色剤粒子の水性分散液を調製するとき
に添加されるものであって,好ましくは「水性での溶解性のための親水性部と,着
色剤との相互作用のための疎水性部との双方」を有するもの,すなわち,疎水部で
着色剤粒子の表面と相互作用をした状態で水性担体媒質(水性媒体)に分散するも
のであると認められる。上記以外の分散質を分散媒に分散する「ポリマー分散剤」
については,本件明細書に記載も示唆もない。 そうすると,本件発明の「ポリマ
ー分散剤」は,水性媒体を分散媒とし,これに分散質として,水性媒体に不溶性の
着色剤粒子を分散させる物質であるというべきである。
 (4) 刊行物1の記載(エ)の「分散剤」と本件発明の「ポリマー分散剤」との対比
    上記(2),(3)の認定に基づいて,刊行物1に記載された「分散剤」と本件発
明の「ポリマー分散剤」が同じものであるかどうかについて検討する。
    本件優先日後に刊行されたものではあるが,顔料全般について解説した一
般文献と認められる「顔料の事典」(甲7)には,「表面改質と分散技術」と題す
る項に,「分散系を構成している分散質,分散媒は大別して次のようになる」とし
て,分散質は親水性のもの(例,無機顔料)と親油性のもの(例,有機顔料)に分
類され,分散媒も親水性のもの(例,水,アルコール)と親油性のもの(例,有機
溶媒)に分類されることが説明され(392頁左欄),これらの分散媒と分散質の
組合せによって,分散系を,①親水性分散質-親水性分散媒の系,②親水性分散質
-親油性分散媒の系,③親油性分散質-親水性分散媒の系,④親油性分散質-親油
性分散媒の系,の四つに分けて,各分散系における分散技術が説明されている。こ
の分類によれば,刊行物1の記載(エ)にいう「分散剤」の分散媒は「親油性」のもの
であり,他方,本件発明の「ポリマー分散剤」の分散媒は「親水性」のものである
から,両者は分散系を異にするということができる。
    さらに,同事典の「2.高分子分散剤とその作用」と題する大項目中の
「2.1 溶液用高分子分散剤」には,「ある固体の粒子を液体中に分散させよう
とする場合,考慮しなければならないことは,分散剤が固体粒子と液体の両方に親
和性をもつことである。・・・水の代わりに油性の液体を使用し固体を分散させよ
うとする場合には,油性の液体と親和性のある分散剤を選ばなくてはならない」
(398頁左欄最終段落~右欄第2段落)として,分散媒が親水性(水性)である
か親油性(油性)であるかによって,異なる分散剤を選ばなければならないことが
説明され,「表Ⅲ.2.1 代表的な高分子分散剤」(400頁)には,水系分散
剤と非水系分散剤に分けて,代表的な高分子分散剤の例が記載されている。
    このように,分散媒が水性か油性かによって,分散剤を使い分けること
は,インクの技術分野における当業者の技術常識であるということができ,分散媒
が親油性の「有機溶剤」である刊行物1の記載(エ)の「分散剤」と,分散媒が「水性
担体媒質」である本件発明の「ポリマー分散剤」とでは,分散させる着色剤(顔料
等)を同じであっても,分散媒が相違することにより,当然,異なる種類のものを
使用しなければならず,両者が物質として異なることは当業者には明らかというべ
きである。
    そうであれば,刊行物1の記載(エ)にいう「分散剤」は,本件発明の「ポリ
マー分散剤」に相当するものということはできない。したがって,刊行物1に「分
散剤」についての記載(エ)が存在することを根拠として,刊行物1に「ポリマー分散
剤」を含有するインクジェット用インクが記載されているとした決定の認定は,誤
りというべきである。
 (5) 被告の主張について
   ア 被告は,水性インクには,通常,顔料等の着色剤を水性媒体に分散させ
るための分散剤が使用されるから,当業者は,刊行物1のインクにも同様に分散剤
が使用されるべきことを当然理解すると主張する。
     刊行物1の記載(エ)の「分散剤」が顔料等の着色剤を水性媒体に分散させ
るための分散剤でないことは前示のとおりであるが,念のため,これとは別に,刊
行物1のインクに,顔料等の着色剤を水性媒体に分散させるための分散剤を含有さ
せることが刊行物1に記載されているに等しいといえるかどうかを,検討すると,
刊行物1には,「本発明のインクジェット記録用水性インクは,着色剤(B)を水
分散性樹脂(A)で内包させた着色剤樹脂粒子からなる着色マイクロカプセルが水
を必須成分とする水性媒体中に分散したものである」(段落【0011】),「合
成樹脂(a)の酸価が50未満の時は,得られた着色剤粒子の水分散安定性が十分
ではなく・・・合成樹脂(a)の酸基としては・・・カルボキシル基は一般的であ
り,良好な自己水分散性樹脂を与える」(段落【0013】,【0014】),
「樹脂(a)の分子量範囲について・・・かかる樹脂から得られた自己水分散性樹
脂が水性媒体との組み合わせで安定な着色樹脂粒子を形成するものであれば,これ
らに特に限定されるものではなく」(段落【0017】),「中和率が60モル%
以上であると,得られる着色樹脂粒子は微粒でかつ分散安定性に優れている」(段
落【0018】),「また,微小なマイクロカプセルを形成するために,本発明の
水性インクには必ずしも界面活性剤の併用は必要としない」(段落【002
3】),「本発明の水性インクには,必要に応じて・・・分散・消泡・紙への浸透
のための界面活性剤・・・等の添加剤を加えることができる」(段落【002
9】)と記載されており,これらの記載に照らすと,刊行物1に記載された発明
は,着色剤粒子を自己水分散性樹脂に内包させて着色樹脂粒子とすることを特徴と
する発明であって,この着色樹脂粒子自体の性質によって,優れた分散安定性を達
成しようとするものであることが認められる。そうすると,刊行物1のインクは,
顔料等の着色剤を水性媒体に分散させるための「分散剤」を添加することを必要と
しないというのが,刊行物1に接した当業者の通常の理解であると解される。
     そうである以上,たとえ,決定がいうように,顔料等を水性媒体に分散
させる場合,「分散剤としてポリマー分散剤は周知のもの」(決定謄本5頁第2段
落)であり,また,被告が主張するとおり,一般に,水性インクジェットインクに
は,顔料等の着色剤を分散させるための「分散剤」が使用されるものであるとして
も,刊行物1のインクにおいて「ポリマー分散剤」を必須成分として含有させるこ
とが刊行物1に記載されているに等しいということはできない。
   イ 被告は,また,予備的主張として,刊行物1のインクにおける自己水分
散性樹脂は,それ自体が分散剤として作用するものであるから,「ポリマー分散
剤」に相当すると主張する。この主張は,決定の認定判断の理由とは異なる新たな
主張であるが,念のため,検討すると,刊行物1の「着色剤はマイクロカプセルを
形成している樹脂の中に分散又は溶解する形で存在する」(段落【0022】)と
の記載によれば,「マイクロカプセルを形成している樹脂」である「自己水分散性
樹脂」は,着色剤粒子を内包する着色樹脂粒子として水性媒体に分散しているもの
であるから,個々の着色剤粒子を層状に覆うことによって着色剤粒子を水性媒体に
分散させる,通常の分散剤としての機能を果たしているものではない。したがっ
て,刊行物1の「自己水分散性樹脂」は,分散剤とはいえず,本件発明の「ポリマ
ー分散剤」に相当するものでもない。
 (6) 以上によれば,刊行物1には,本件発明の「ポリマー分散剤」に相当する
ものを含有するインクジェットインクの発明が記載されているということはできな
い。
したがって,本件発明が刊行物1に記載された発明であるとした決定は,誤
りであり,原告の取消事由1の主張は理由がある。
 2 以上のとおり,原告主張の取消事由1は理由があり,この点に関する決定の
誤りが結論に影響を及ぼすものであることは明らかであるから,その余の取消事由
について判断するまでもなく,決定は違法として取消を免れない。
   よって,原告の請求は理由があるから認容することとし,主文のとおり判決
する。
     東京高等裁判所知的財産第2部
   裁判長裁判官   篠  原  勝  美
   裁判官古  城  春  実
   裁判官   岡  本     岳

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