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平成18年(行ケ)第10271号審決取消請求事件
平成19年7月4日判決言渡,平成19年6月13日口頭弁論終結
判決
原告メルクエンドカムパニー
インコーポレーテッド
訴訟代理人弁理士川口義雄,小野誠,渡邉千尋,金山賢教,
大崎勝真,坪倉道明
被告特許庁長官中嶋誠
指定代理人塚中哲雄,横尾俊一,徳永英男,大場義則
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日
と定める。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2003−4585号事件について平成18年2月1日にした審決
を取り消す。
第2当事者間に争いがない事実
1特許庁における手続の経緯
原告は,平成10年7月1日,発明の名称を「タキキニン受容体拮抗薬2−
(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル)エトキ
シ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4−(3−(5−オキソ−1H,
4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリンの多形結晶」とする発明につい
て,特許出願(特願平11−507368号。優先権主張1997〔平成9〕年7
月2日・米国,1998〔平成10〕年1月7日・イギリス。以下,これらの優先
日を併せて「本件優先日」という。)したが,平成14年12月24日付けで拒絶
査定を受けたので,平成15年3月20日,拒絶査定不服審判を請求した。
特許庁は,これを不服2003−4585号事件として審理し,平成18年2月
1日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同月1
4日,原告に送達された。
2特許請求の範囲の記載
平成15年4月8日付け手続補正書により補正された明細書(甲2,以下「本
件明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願
発明」という。なお,請求項2∼21は省略する。)の要旨
【請求項1】化合物2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロ
メチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4−
(3−(5−オキソ−1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリンの
多形結晶であって,12.0,15.3,16.6,17.0,17.6,19.
4,20.0,21.9,23.6,23.8及び24.8゜(2シータ)に主要
な反射を有するX線粉末回折パターンを特徴とする,Ⅰ形と称される多形結晶。
3審決の理由
()審決は,別紙審決のとおり,本願発明は,国際公開第95/23798号1
(甲1,以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」とい
う。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法
29条2項の規定により特許を受けることができないとした。
()審決が認定した引用発明の要旨2
2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル)
エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4−(3−(5−オキソ−
1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリンの結晶
()審決が認定した,本願発明と引用発明の一致点及び相違点3
ア一致点
2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル)
エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4−(3−(5−オキソ−
1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリンの結晶
イ相違点
本願発明は「多形結晶であって,12.0,15.3,16.6,17.0,1
7.6,19.4,20.0,21.9,23.6,23.8及び24.8゜(2
シータ)に主要な反射を有するX線粉末回折パターンを特徴とする,Ⅰ形と称され
る多形結晶」の発明であるのに対し,引用発明には,多形結晶について特定されて
いない点
第3原告主張の審決取消事由
審決は,本願発明と引用発明の相違点についての容易想到性判断を誤り(取消事
由1),本願発明の顕著な物性を看過し(取消事由2),その結果,本願発明は当
業者が容易に発明をすることができたものであるとの誤った結論を導いたものであ
り,違法であるから取り消されるべきである。
1取消事由1(相違点についての容易想到性判断の誤り)
(1)審決は,「本願優先日前において,一般に,多くの有機化合物において,
再結晶の溶媒の種類,pH,再結晶時の温度,圧力の違いにより結晶多形が存在す
ることは周知であり,医薬として或いは医薬化合物の製造の上でより好ましい安定
性や溶解度等の物性を有する多形結晶を得ることを目的として,再結晶の諸条件を
変えてみることは当業者が当然に試みる周知の事項となっていた。」(3頁下から
第2段落)として,「本願発明の『Ⅰ形と称される多形結晶』は,引用発明の結晶
を,特別な再結晶化条件を採用することなく,通常の再結晶化条件で再結晶化を行
えば,過度の実験を行うことなく得られるものであり,『Ⅰ形と称される多形結
晶』を得ることは,当業者が,容易に想到し得ることである。」(4頁第4段落)
として,本願発明のⅠ形結晶について,製造方法の観点のみから,容易に想到し得
ると判断したが,誤りである。
(2)本願発明は,2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロ
メチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4−
(3−(5−オキソ−1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリンの
多形結晶であって,12.0,15.3,16.6,17.0,17.6,19.
4,20.0,21.9,23.6,23.8及び24.8゜(2シータ)に主要
な反射を有するX線粉末回折パターンを特徴とする,Ⅰ形と称される多形結晶(以
下,単に「Ⅰ形結晶」ともいう。また,2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビ
ス(トリフルオロメチル)−フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオ
ロ)フェニル−4−(3−(5−オキソ−1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)
メチルモルホリンの多形結晶であって,約12.6,16.7,17.1,17.
2,18.0,20.1,20.6,21.1,22.8,23.9及び24.8
°(2シータ)に主要な反射を有するX線粉末回折パターンと特徴とする,Ⅱ形と
称される多形結晶〔本件明細書の段落【0028】等〕を単に「Ⅱ形結晶」ともい
う。)であり,所定のX線粉末回折パターンで特定される「物」の発明である。
本件優先日前,有機化合物において,再結晶溶媒,pH,再結晶温度,圧力等々
の諸条件を変えて再結晶化を試みることが周知であったとしても,そのことは,特
定のⅠ形結晶の発明の進歩性とは直接の関連性はない。当業者が通常の再結晶化条
件で再結晶化を試みたとしても,Ⅰ形結晶が当然に得られるという関係にはなく,
どのような溶媒を使えばどのような結晶形が得られるのか,どのような温度範囲で
再結晶化を図ればどのような結晶形が得られるのかなどは,全く予測性がないもの
であり,引用例の結晶に,周知の再結晶化法を適用したとしても,Ⅰ形結晶に容易
に想到するとはいえない。まして,本件優先日当時,引用例の結晶が多形結晶であ
ることが知られていなかった(引用発明の結晶をⅡ形結晶としたのは,本件明細書
において,Ⅰ形結晶と区別するため,名称を付したものである。)ことからすると,
Ⅰ形結晶に容易に想到することはできなかった。
また,新規な結晶形を創出するのに,特別な再結晶化条件を採用しなければなら
ない必要はなく,製造方法が容易であるからといって,直ちにその製造物について,
容易に想到できたことにはならない。結晶化方法が慣用技術の範囲内であっても,
「物」の発明であるⅠ形結晶の進歩性判断に影響を及ぼすものではないことは,多
形結晶を得る際に結晶化の溶媒,温度等を適宜選択することが慣用手段であること
を示すために被告から提出された特許出願に係る発明(乙2,3)が特許査定され
ていることからも明らかである。
()審決は,「引用例の(a)に記載されている,・・・温メタノール(木炭脱3
色)や,引用例の(b),(c),(d)に記載の・・・7:1v/vエタノール/水,
酢酸/メタノール,水性エタノールといった溶媒,その類似する酢酸イソプロピル,
エタノール,2−プロパノール,水,メタノール/水混合物といった溶媒,あるい
はその他の通常,結晶化工程で使われる溶媒を用い,通常の再結晶化条件で再結晶
化を試みることは,当業者が,まず行うことである。」(4頁第2段落)とするが,
仮にそうだとすると,引用例における再結晶化段階において,Ⅰ形結晶に相当する
ものが得られていたはずである。それにもかかわらず,引用例には,上記溶媒中で
再結晶化して得られた結晶が多形結晶であるとも,Ⅰ形結晶ないしそれに相当する
ものであるとも記載されていないのであり,このことからすると,酢酸イソプロピ
ル,エタノール等の溶媒において,Ⅰ形結晶が再結晶化したことは,意外なことと
いえ,Ⅰ形結晶は,引用発明から容易には予測できなかった。
()被告は,本件メチルモルホリン化合物と同様の,ベンゼン環や複素環を有4
する化合物について多形が知られていたことを述べるが,ベンゼン環や複素環を有
する化合物であっても,多形の存在が確認されていないものが多数存在する。医薬
化合物のような複雑な化学物質の特性は,ベンゼン環や複素環などの化学構造のご
く一部分が共通することから単純に類推できるものではなく,本件メチルモルホリ
ン化合物の多形の存在が予測できたということはできない。
2取消事由2(顕著な物性の看過)
()審決は,本願発明のⅠ形結晶につき,「公知であった『Ⅱ形と称される多1
形結晶』の,0℃における2/1(v/v)メタノール/水に対する溶解度の比率
1.4は,当業者の予測を超えるものではない。」(4頁第5段落)としたが,誤
りである。
()0℃における2/1(v/v)メタノール/水に対する,Ⅰ形結晶の溶解2
度は0.9±0.1mg/mlであるのに対し,Ⅱ形結晶のそれは1.3±0.2
mg/mlであって,溶解度比は1.4であり,Ⅰ形結晶がより安定している。ま
た,制御された室温(約22℃)におけるⅠ形結晶の水に対する溶解度は550±
10ng/mlであるのに対し,Ⅱ形結晶のそれは680±50ng/mlであり,
Ⅰ形結晶の方が,Ⅱ形結晶に対して溶解度が低かった。Ⅰ形結晶は,溶解度比,熱
力学的安定性の点で,公知の引用例の結晶に比較して優れた特性を有し,医薬品製
剤とした場合,製品の均質性,バイオアベイラビリティー,安定性等々の面におい
て,有意な向上をもたらすものである。
2005〔平成17〕年5月発行94巻5号JournalofPharmaceuticalSciences
(甲3,以下「甲3文献」という。)の表1(931,932頁)には,55の化
合物の,結晶多形が存在するため81の物質についての溶解度比が掲載されていて,
ほとんどの場合,その溶解度比は,2以下であって,この範囲内で結晶の安定性の
大小が認められるのであるから,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶の溶解度比である,1.4と
の溶解度比は無視することができないものである。溶解度比が1.4程度,又は,
0.2Kcal/molの熱力学的数値の差があれば,医薬の安定性として格段に
向上することは,本件明細書にも記載されていて,このような安定性の差があれば,
当業者は,医薬製剤の均質性,バイオアベイラビリティー等の特性に影響が及ぶと
想起させるのに十分である。
()Ⅰ形結晶は,Ⅱ形結晶に比べ,0.2Kcal/mol熱力学的に安定で3
ある(段落【0033】)。
医薬の製剤化において,医薬活性成分の熱的安定性は極めて重要な要素である。
甲3文献には,「固形製剤に用いられる医薬化合物の結晶形が特徴づけられること,
及び生産性,安定性,バイオアベイラビリティーについての医薬品の品質が変化し
ないように適切な結晶形を選択することが重要である。」(929頁左欄11行目
∼同右欄4行目)との記載があり,その指標の1つが溶解度比にあることを示して
いる。また,「新規医薬物質及び新規医薬品の試験方法と許容基準:化学物質」と
題するICHハーモナイゼーション3極ガイドライン(甲4)には,「)結晶多形c
:新規医薬物質の中には,物性が異なる結晶多形として存在するものがある。結晶
多形といわれるものの中には,溶媒和又は水和したもの(擬似多形ともいわれる),
さらには非晶形のものまで含まれる。これらの多形の違いによって,新規医薬品の
品質ないし性能に影響がでる場合がある。多形の相違により,医薬品,その性能,
バイオアベイラビリティーまたは安定性に影響がでるようであれば,適切な固体状
態を特定しなければならない。」(8頁下から7行目∼最下行)との記載があり,
医薬物質が多形であれば,最適の結晶形を見出すことが重要であることを示してい
る。
そして,0.2Kcal/molの熱的安定性とは,1Kcalが水1Kgを1
℃上げるのに要する熱量であるから,本願発明のⅠ形結晶1molにつき,水20
0gを1℃上昇させる分だけ,Ⅱ形結晶1molよりも熱的に安定しているという
ことであり,無視し得ない有意な熱的安定性を示すものである。原告の臨床研究所
所長A医学博士作成の供述書(甲5)には,本願発明のⅠ形結晶とⅡ形結晶の,投
与後0∼72時間に亘る血漿中に含有される量の比(AUC)の測定の結果,0−72
その比が1.13(Ⅰ形/Ⅱ形)となることを確認し,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶との間
にはバイオアベイラビリティーに有意な差が認められることが記載されている。ま
た,本願発明の共同発明者の一人であるB博士作成の供述書(甲9,以下「甲9供
述書」という。)には,Ⅱ形結晶と比較し,Ⅰ形結晶の溶解度比が1.4であり,
熱力学的安定性からすると,0.2Kcal/mol安定であるとした上で,この
熱安定性がもたらす利益は,Ⅰ形結晶がⅡ形結晶よりも安定であって,いったん,
Ⅰ形結晶として製造すると,それはそのままⅠ形結晶のままにあって,決して熱的
に不安定なⅡ形結晶又はその他の安定性に劣る多形(公知か否かは不知)に転化さ
れることはなく,Ⅰ形結晶は,医薬製剤として確実に,かつ,一貫して単一の均質
な多形として製造可能であり,当該医薬を服用する患者の安全にとっても重要であ
ることが記載されている。また,固体状態における各結晶形が示す熱力学的安定性
に関する実験の結果(甲13)によれば,より不安定なⅡ形結晶からⅠ形結晶への
転化速度を測定したところ,固体状態において,室温程度の温度条件下では結晶の
転化がかなり遅い反応であることを予測させるものであり,この結果は,22℃に
おける水中での溶解度比率とあわせて,0∼220℃の範囲において本願発明のⅠ
形結晶がⅡ形結晶よりも熱力学的安定性が高いことを実証するものである。
()本願発明のⅠ形結晶は,米国食品医薬品局(FDA)から制吐剤として新4
薬承認された(甲10)。FDAは,制吐剤として承認するに当たり,当該化学物
質には,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶が存在することを認識した上で,Ⅰ形結晶の有用性を
認め,新薬として承認したものであり,このことからも,Ⅰ形結晶に進歩性がある
ことがうかがわれる。
第4被告の反論
審決の認定判断は正当であり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
1取消事由1(相違点についての容易想到性判断の誤り)に対して
原告は,審決が,有機化合物の再結晶化の方法が当業者に周知であるから,Ⅰ形
結晶に容易に想到し得るとしたとして,その判断が誤りである旨主張するが,失当
である。
本件優先日前,多数の医薬化合物について多形の存在が知られ,多形は,異なっ
た溶解速度を与えるなど,製剤の機能に影響を与えるものであるので,製剤上の問
題となっており,製剤の開発において,医薬化合物の多形の存在の有無を確認する
など,多形に着目して検討することは,医薬化合物の種類によらず,一般的に行う
製剤開発の基礎的事項であった。したがって,当業者であれば,医薬として有用な
化合物の結晶が得られた場合,この結晶の多形結晶が存在し,医薬としてより好ま
しいものである可能性があることは,当然に考えることである。医薬化合物につい
て,多形結晶について検討し,好ましい結晶形を探索することが周知の課題であっ
たことは,昭和59年4月25日南山堂発行「新製剤学」(乙1,以下「乙1文
献」という。)に多形が製剤上課題であることが記載されていること,特開昭57
−91983号公報(乙2),特開平7−316141号公報(乙3)に,いずれ
も医薬化合物の多形結晶に関する発明が記載されていることなどから,明らかであ
る。そして,多形結晶を得る手法として,再結晶溶媒,pH,再結晶温度,圧力等
々の諸条件を変えて再結晶を試みることは慣用手段であった。
審決は,このような周知事項及び慣用手段に基づき,「医薬として或いは医薬化
合物の製造の上でより好ましい安定性や溶解度等の物性を有する多形結晶を得るこ
とを目的として,再結晶の諸条件を変えてみることは当業者が当然に試みる周知の
事項となっていた。」(3頁下から第2段落)とするものであり,その認定判断に
誤りはない。審決は,再結晶化法が公知であり,再結晶化条件が通常のものである
ことをもって,「物」の発明である本願発明の進歩性がないと判断しているもので
はない。
引用例には,医薬として有用な化合物である本件メチルモルホリン化合物の結晶
が記載されているのであるから,当業者は,この引用例に接すれば,本件メチルモ
ルホリン化合物の結晶についても,多形結晶が存在し,それが医薬としてより好ま
しいものである可能性を当然に考えて,再結晶溶媒,pH,再結晶温度,圧力等々
の諸条件を変えるなどの慣用手段により,多形結晶を得ようとするのであり,引用
例に本件メチルモルホリン化合物の結晶が多形であるとの記載はなくとも,本件メ
チルモルホリン化合物の結晶について,結晶化方法を慣用技術の範囲で適宜変える
などして,多形の存在を検討することは,当業者が当然に行うことである。
そして,多形は,無機物から有機化合物にわたり結晶化する物質について広く見
られる事象であり,本件メチルモルホリン化合物と同様の,ベンゼン環や複素環を
有する化合物についても多形が知られているのであるから,本件引用例に多形結晶
であるとの記載がなくても,当業者ならば,多形が存在する蓋然性が高いと推定す
ると考えるのが自然であり,この推定を否定するような本件メチルモルホリン化合
物については多形が存在しないことが報告されているといったような特段の事情も
ない。
原告は,どのような溶媒を使えば,どのような結晶形が得られるのか,どのよう
な温度範囲で再結晶化を図ればいかなる結晶形が得られるのかなどは,全く予測性
がなく,本件優先日当時,引用例の結晶が多形結晶であることが知られていなかっ
たのであるから,溶媒等の条件を変えて再結晶してみることは当然に試みたとして
も,本願発明のⅠ形結晶には容易に想到し得なかった旨主張する。
しかし,当業者であれば,医薬として有用な化合物である本件メチルモルホリン
化合物の結晶が記載されている引用例に接すれば,引用例記載の結晶が多形結晶で
あるとの記載がなくとも,通常試みるであろう再結晶化条件で再結晶化を行い,得
られた結晶についてそのX線粉末回折パターンを測定したり,溶解度等の測定をし
てより医薬として好ましい結晶かどうかを検討することは過度の負担なく実施でき
る程度のことである。
また,原告は,引用例に記載されている溶媒やそれらに類似する溶媒を用い,通
常の再結晶化条件で再結晶化を試みることは,当業者がまず行うことであるとする
と,引用例の再結晶化段階で既に本願発明のⅠ形結晶に相当するものが得られてい
たはずであり,本願発明のⅠ形結晶が再結晶化したことは,引用例からは容易には
予測できなかった旨主張する。
しかし,引用発明の発明者が,引用発明の発明時にⅠ形結晶を得ていたか否か,
引用発明の特許出願時に,Ⅰ形結晶を出願したか否かが,本願発明の進歩性の判断
と関係するものではない。
2取消事由2(顕著な物性の看過)に対して
原告は,本願発明のⅠ形結晶とⅡ形結晶の溶解度の比率は1.4であり,Ⅰ形が
より安定であり,これは有意な差である旨主張する。
しかし,甲3文献の表1(931,932頁)には55の化合物の,結晶多形が
存在するため81の物質についての溶解度比が記載されているところ,81の溶解
度比のうち45が1.4以上であり,甲3文献には,本件優先日前に頒布されてい
た文献に記載された事項がまとめられていることからすると,溶解度の比率が1.
4を超えるものが通常存在することは,本件優先日前,周知事項であったといえる。
また,原告は,本願発明のⅠ形結晶は,Ⅱ形結晶に比べて0.2Kcal/mo
l熱力学的に安定であるとして,医薬の製剤化において,生産性,安定性,バイオ
アベイラビリティーについての医薬品の品質が変化しないように適切な結晶形を選
択することが重要であり,熱力学的に安定な結晶が医薬品製造に適している旨主張
する。
しかし,一般に,化合物の溶解度と熱力学的安定性は相関関係があり,本件明細
書においても,「(Ⅰ形とⅡ形の)溶解度の比率は1.4であり,Ⅰ形がより安定
な多形であることを示している。Ⅰ形は,Ⅱ形に比べて0.2kcal/mol安
定である。」(段落【0033】)と,溶解度の比率1.4が,0.2kcal/
molの熱力学的安定の差に相当すると記載している。
そして,本件明細書に記載されている本願発明のⅠ形結晶について,Ⅱ形結晶と
比較した溶解度比や熱力学的安定性は,当業者の予測の範囲を超えるものではなく,
これらの溶解度比や熱力学的安定性をもって,本願発明が進歩性を有するものと認
めることはできない。また,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶とが異なる溶解度,熱力学的安定
性を有するとしても,Ⅰ形結晶がⅡ形結晶と比較して,医薬製剤としての均質性,
アベラビリティー等の特性においてどの程度優れたものといえるかについては,本
件明細書には,具体的な記載はない。
第5当裁判所の判断
1取消事由1(相違点についての容易想到性判断の誤り)について
()審決が,「本願発明の『Ⅰ形と称される多形結晶』は,引用発明の結晶を,1
特別な再結晶化条件を採用することなく,通常の再結晶化条件で再結晶化を行えば,
過度の実験を行うことなく得られるものであり,『Ⅰ形と称される多形結晶』を得
ることは,当業者が,容易に想到し得ることである。」(4頁第4段落)としたの
に対し,原告は,本願発明のⅠ形結晶について,製造方法の観点のみから,容易に
想到し得ると判断したものであり,誤りである旨主張する。
()引用例には,2
ア「実施例702−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロ
メチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−フェニル−4−(3−(5−オキソ
−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリン
工程A:2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フ
ェニル)エトキシ)−3−(S)−フェニル−4−(2−(N−メチルカルボキシ
−アセトアミドラゾノ)モルホリン
2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル)
エトキシ)−3−(S)−フェニルモルホリン(実施例69)945mgと・・・
の・・・17ml溶液を・・・表題化合物1.12g(90%)が得られた。
工程B:2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フ
ェニル)エトキシ)−3−(S)−フェニル−4−(3−(5−オキソ−1,2,
4−トリアゾロ)メチルモルホリン
2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)フェニル)
エトキシ)−3−(S)−フェニル−4−(2−(N−メチルカルボキシアセトア
ミドラゾノ)モルホリン(実施例70,工程A)1.01gのキシレン15ml溶
液を2時間還流温度に加熱した。ジイソプロピルエチルアミンを所望により加えた。
反応液を冷却し,真空中で濃縮した。50:1:0.1のメチレンクロライド/メ
タノール/水酸化アンモニウム溶離液を用いて50gのシリカゲルフラッシュクロ
マトグラフィーにかけると,固体の表題化合物781(76%)が得られた。mg
冷却により,粗生成物を反応混合物から直接分離できる。温メタノール(木炭脱
色)からの結晶化および水研磨により精製生成物を得ることができる。」(175
頁4行目∼176頁5行目)」
イ「実施例752−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロ
メチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)−フェニル−4−
(3−(5−オキソ−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリン
表題化合物を,実施例70と同様にして2−(R)−(1−(R)−(3,5−
ビス(トリフルオロ)メチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオ
ロ)フェニルモルホリン(実施例74)から,79%の収率で得た。」(179頁
1行目∼9行目)
との記載があり,引用例に,「2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリ
フルオロメチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル
−4−(3−(5−オキソ−1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホ
リンの結晶」との引用発明が記載されていることは,当事者間に争いがない(審決
においては,引用例の実施例70が引用されているが,原告は,審決の引用箇所の
誤りを指摘し,引用例の実施例75に上記引用発明が記載されていることは争わな
い。)。
()他方,本件優先日当時の技術水準をみると,以下の文献がある。3
ア乙1文献には,以下の記載がある。
(ア)「1.医薬品の結晶
固体医薬品の大部分は結晶であり,X線による回折を示す。結晶は構成要素であ
る原子あるいは分子の空間における結合の形式によって,イオン結晶,金属結晶,
共有結合結晶,分子性結晶に分類される。医薬品は有機化合物が多く分子性結晶と
しての性質をもつ。
結晶薬品を考えるとき2つの立場がある。その第1は結晶自身について考える立
場であって結晶構造,結晶多形および結晶性などの問題があり・・・」(102頁
2行目∼8行目)
(イ)「2.多形
多形とは同じ化学組成をもちながら結晶構造が異なり,別の結晶形を示す現象ま
たはその現象を示すものをいう。すなわち結晶中の原子あるいは分子の空間的な配
列の違いによって多形がおこるので,融解したり溶解した場合には区別はできない。
多形を示す物質としては無機物では炭素(と),炭酸カルシウgraphitediamond
ム(と)など多くのものが知られている。医薬品では酢酸コルチゾcalcitearagonite
ン,プロゲステロン,プレドニゾロン,バルビタール,フェノバルビタールなどが
あり,とくに最近では多くの薬品に多形の存在が見出されている。
多形は結晶中での分子や原子の配列が異なるので,その存在はX線回折法,密度
測定法,偏光顕微鏡法,赤外吸収スペクトル法により知ることができる。また熱力
学的に多形は別の相として考えられ,各多形はそれぞれの融点や溶解度をもつ。あ
る薬品に多形があるとき,一般に融点の高い方が安定形であり溶解度は低い。融点
の低い方の準安定形は安定形よりも高い溶解度をもっているが実際には測定中に安
定形結晶が生じ易く,このときは溶解度は安定形結晶によって決められて準安定形
の溶解度は得られない。
薬品の確認試験を結晶を用いてKBr法による赤外吸収スペクトルで行なうとき,
多形が存在すると化学的に同一であっても標準品と異なるスペクトルを示すことが
多い。日局中に酢酸コルチゾンなどに対して赤外吸収スペクトル法による確認試験
が収載されているが,その中で標準品と吸収に差があるときは,それぞれをアセト
ンに溶かした後,アセトンを蒸発し再結晶し比較する指示がなされている。これは
標準品と試料とを同じ条件で結晶化し多形による赤外スペクトルの違いかどうかを
確かめているものである。
製剤上で多形が問題となるのは,それによって異なる溶解速度が与えられるから
である。パルミチン酸クロラムフェニコールの例のように安定形と準安定形との間
に著しい溶解速度に差がみられる。パルミチン酸クロラムフェニコールの安定形の
結晶は非常にとけにくく製剤の原料として使用することはできない。」(102頁
下から7行目∼103頁22行目)
イ平成15年1月27日シーエムシー出版発行「固形製剤の製造技術」普及版
(乙5,ただし,その初版第1刷は昭和60年3月5日発行であり,普及版に記載
された説明によって,上記普及版の記載内容は初版第1刷に記載されていたものと
認められる。)には,以下の記載がある。
(ア)「1.薬物の物性評価
製剤設計を行うに当たって,もっとも重要なステップは,有効成分たる薬物の物
性」(ここでは物理的性質,化学的性質および生物学的性質をまとめて物性と呼ぶ
こととする)を評価することである。薬物自身の水に対する溶解度や,酸化されや
すい化学構造かどうかなどの基礎的な物性を評価しないと,添加剤の選択や処方の
確立は,ほとんど不可能に近いといってよい。もっとも簡単な例をあげれば,薬物
の性状の1つである味が苦ければ,内服固形剤形としては,コーティング剤かカプ
セル剤を選択せざるを得なくなる。処方決定以前のこのステップのことを,通常,
と呼んでいる。」(9頁下から8行目∼末行)Preformulation
(イ)「1.2.4結晶多形
薬物には,2つ以上の結晶形を有するものが多く,無晶形をも含めて結晶形が異
なると,溶解速度,融点,密度,硬さ,結晶形状,光学的および電気的性質,蒸気
圧,安定性などの物性が異なってくることが知られている。結晶多形に関しては,
幾多の文献に報告されており,とくに溶解速度が異なることによるバイオアベイラ
ビリティに差のある例として,クロラムフェニコールパルミテートが有名である。
薬物に結晶多形が存在するかどうかを検知することは,のこの段Preformulation
階における重要な課題である。存在の有無を検出するための簡便な方法のいくつか
を以下に紹介する。
()溶融法1
少量の薬物をスライドグラス上で完全に溶融し,自然冷却中に結晶転移が起これ
ば,少なくとも2つ以上の結晶形が存在する可能性がある。ホットステージで検体
を加熱し,加熱中に固体から固体への転移が起こるかどうかを観察する(ホットス
テージ法)。
()昇華法2
少量の薬物を昇華させ,ついで昇華物をもとの検体と,いずれか一方の飽和溶液
1滴中で混和することにより,転移を起こさせる。もとの薬物結晶形と昇華物結晶
形とが多形である場合には,より安定な方がより溶解しにくく,より溶解しやすい
安定性の悪い結晶形を犠牲にして成長する。このプロセスは,安定性の比較的悪い
結晶形が,完全に安定な結晶形に転移し終るまで継続する。多形が無い場合には,
片方は溶解するが,もう一方は成長しない。両者が同じ結晶形なら何も起こらな
い。」(12頁18行目∼13頁8行目)
(ウ)「結晶多形が存在することがわかれば,異なった多形結晶を同定し,分離
するための方法が必要になってくる。以下にいくつかの方法をあげたが,単独で用
いるよりも,2つ以上の方法を併用することがすすめられる。
①顕微鏡法(ホットステージ法を含む)
②赤外吸収スペクトル
③粉末X線回折
④熱分析(差動走査熱量計による)
⑤体積膨張測定()」(13頁9行目∼同頁16行目)Dilatometry
(エ)「1.2.5溶解度
薬物の水に対する溶解度,とくに生理的pH領域といわれるpH1∼7における
溶解度が1以下の場合には,消化管吸収,すなわちバイオアベイラビリテmg/ml
ィに大きく影響するといわれているので,薬物の各種pHにおける溶解度を測定し
ておくことが必要である。・・・固形製剤の場合,いわゆる可溶化の必要性は,液
剤に比して少ないが,溶解度を高める方法としては・・・結晶多形に着目する方法
・・・などがあげられる。」(13頁18行目∼27行目)
(オ)「固形製剤の製剤設計において考慮すべき主な要因」と題する図2・1
(9頁)には,「主薬の生物学的性質」,「主薬の物理化学的性質」,「患者の生
理的要因」,「添加物」,「製剤特性・評価」,「製造工程」及び「その他」の項
目が順に並び,そのうちの「主薬の物理化学的性質」の項目には,「溶解性」,
「安定性」及び「その他」との項目が記載され,「溶解性」の項目には,「結晶多
形」との記載がある。
()上記()の文献の記載によれば,本件優先日前,医薬化合物を含む化合物43
には結晶多形が存在することが知られていて,そのような,結晶多形においては,
結晶形が異なることにより,溶解度,安定性,融点等の物性が異なってくること,
再結晶すると安定形が得られることがあること,結晶多形の検出及び同定手段とし
て,X線回折法,顕微鏡法,赤外吸収スペクトル法,融点測定等が,一般的に知ら
れていたことが認められる。
また,本件優先日前,医薬化合物について,結晶多形を示すものが多いことが知
られていたほか,結晶多形は,結晶形が異なることによって溶解速度等が異なると
ころ,溶解速度は医薬品としての効果に影響するものであることなどから,医薬化
合物の製剤設計において,結晶多形の存在を考慮すべきことが,周知であったと認
められる。
()引用発明は,「2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフル5
オロメチル)フェニル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4
−(3−(5−オキソ−1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリン
の結晶」というものである。
そして,原告自身も,本件明細書において,「疼痛,頭痛,具体的には,偏頭痛,
アルツハイマー病,多発性硬化症,モルヒネ禁断症状減弱,心血管変化,熱傷によ
る浮腫などの浮腫,慢性関節リウマチなどの慢性炎症性疾患,喘息/気管支過敏性
およびアレルギー性鼻炎を含むその他の呼吸性疾患,潰瘍性結腸炎およびクローン
病を含む腸の炎症性疾患,眼損傷および眼炎症性疾患,増殖性硝子性網膜症,過敏
性腸管症候群および膀胱炎および膀胱の排尿反射亢進を含む膀胱機能障害において
タキキニン受容体拮抗薬が有用であるという証拠が紹介されている。さらに,タキ
キニン受容体拮抗薬が以下の障害において有用性を有することが示唆されてきた。
うつ病,胸腺機能不全異常症,慢性閉塞性気道疾患,・・・。前述の様々な障害お
よび疾患をより効果的に治療するために,サブスタンスPおよびその他のタキキニ
ンペプチド類の受容体に対する拮抗薬を提供しようという試みが行われてきた。具
体的に,PCT公開WO94/00440号,EPO公告第0,577,394号,
およびPCT公開WO95/16679号は,サブスタンスP拮抗薬として,ある
種のモルホリンおよびチオモルホリン化合物類を開示している。具体的には,化合
物2−(R)−(1−(R)−(3,5−ビス(トリフルオロメチル)−フェニ
ル)エトキシ)−3−(S)−(4−フルオロ)フェニル−4−(3−(5−オキ
ソ−1H,4H−1,2,4−トリアゾロ)メチルモルホリンがPCT公開WO9
5/16679号の実施例75の表題化合物として開示されている。」(段落【0
007】∼【0009】)とするとおり,引用発明の化合物は医薬化合物である。
そうすると,前記()のとおり,医薬化合物の製剤設計においては,結晶多形の4
存在を考慮すべきことなどが知られていたことに照らすと,医薬化合物である引用
発明の化合物が知られていたとき,その結晶多形の存在を検討することは,当業者
が通常行うものであったといえる。
()ここで,前記()によれば,引用例には,引用発明の化合物について,実62
施例70と同様の方法によって,出発物質から得たことが記載され,実施例70に
おいては,該当の結晶が,メタノールを溶媒とする再結晶化により精製できること
が記載されていて,引用発明の化合物についても,メタノールを溶媒として,再結
晶化により精製できることが示唆されているともいえる。
そして,上記()のように,医薬化合物である引用発明の化合物が知られていた4
とき,その結晶多形の存在を考慮することは,当業者が通常行うものであり,再結
晶すると安定形が得られることがあることが知られていて,また,有機化合物にお
いて,再結晶溶媒等を変えて再結晶化を試みることが知られていたことは原告も争
わず,引用発明の化合物について,結晶多形の存在を検討するため,再結晶溶媒と
して,引用発明について示唆されているといえるメタノールをはじめとして,メタ
ノールに類似のエタノールや周知の溶媒を用いて,再結晶化を行うことは,当業者
が通常行うようなものであったと認められる。
本願発明のⅠ形結晶は,本件明細書の実施例21の記載によれば,Ⅱ形結晶を,
「25℃で酢酸イソプルピル中かき混ぜ,続いて得られた結晶をろ過によって単離
すること」(段落【0129】),「25℃でエタノール,2−プロパノール,水,
メタノール/水混和物またはアセトニトリル中かき混ぜ,続いて得られた結晶をろ
過によって単離すること」(段落【0130】)によって,得られるものである。
そして,上記のとおり,引用発明の化合物についても,結晶多形の存在を確認す
るために,メタノールに類似であるエタノールや溶媒としてもごく普通に用いられ
る水等を溶媒として,再結晶し,室温にも近い25℃程度の温度に,ある程度の時
間置くようなことは,当業者がごく普通に試みるものであり,また,結晶多形の検
出,同定のため,X線回折法を用いることも,周知慣用の手段であったといえると
ころ,そのような方法により,本願発明のⅠ形結晶を得て,これを同定することが
できたのであるから,引用発明の化合物が知られていたとき,当業者は,容易に本
願発明に想到することができたと認めることが相当である。
()原告は,有機化合物において,再結晶溶媒,pH,再結晶温度,圧力等々7
の諸条件を変えて再結晶化を試みることが周知であったとしても,そのことと特定
のⅠ形結晶の発明の進歩性とは直接の関連性がないこと,どのような溶媒を使えば
どのような結晶形が得られるのか,どのような温度範囲で再結晶化を図ればどのよ
うな結晶形が得られるのかなどは,全く予測性がないものであること,本件優先日
当時,引用例の結晶が多形結晶であることが知られていなかったこと,新規な結晶
形を創出するのに,特別な再結晶化条件を採用しなければならない必要はないこと
などを挙げて,当業者は本願発明に容易に想到することができない旨主張する。
確かに,医薬化合物について,結晶多形を示すものが多いことが知られていたと
しても,ある医薬化合物が知られていたときに,直ちにその結晶の多形が存在する
かどうかや多形としてどのような結晶形が存在するかが明らかになるものではない。
しかし,本件についてみると,前記()のとおり,医薬化合物である引用発明にお6
いて,結晶多形の存在を検討することは,通常,行う程度のことであっただけでな
く,引用例に示唆されている再結晶化の際の溶媒の種類等も考慮すると,本願発明
のⅠ形結晶は,結晶多形の存在を検討するに当たって,当業者がごく普通に試みる
ような方法,条件によって,得ることができるものであり,このような本件におけ
る諸事情を考慮すれば,原告主張の事実は,引用発明に基づいて本願発明に容易に
想到することができたとの上記()の判断を左右するするものではない。6
また,原告は,引用例には,上記溶媒中で再結晶化して得られた結晶が多形結晶
であるとも,Ⅰ形結晶ないしそれに相当するものであるとも記載されておらず,酢
酸イソプロピル,エタノール等の溶媒において,Ⅰ形結晶が再結晶化したことは,
意外なことであることから,Ⅰ形結晶は,引用発明から容易には予測できなかった
旨主張するが,引用例に上記記載がないことが直ちに,本願発明に想到することが
容易でないとの結論を導くものではなく,原告主張の事実が前記()の判断を左右す6
るものとは認められないから,採用することができない。
()したがって,原告主張の取消事由1は理由がない。8
2取消事由2(顕著な物性の看過)について
()原告は,本願発明のⅠ形結晶は,溶解度比と熱力学的安定性の点で,引用1
発明に比べ,顕著な効果を奏する旨主張する。
本件明細書には,「溶解度0℃における2/1(v/v)メタノール/水に対
するⅠ形の溶解度は,0.9±0.1mg/mlであった。0℃における2/1
(v/v)メタノール/水に対するⅡ形の溶解度は,1.3±0.2mg/mlで
あった。溶解度の比率は1.4であり,Ⅰ形がより安定な多形であることを示して
いる。Ⅰ形は,Ⅱ形に比べて0.2kcal/mol安定である。」(段落【00
33】)との記載があり,0℃における2/1(v/v)メタノール/水に対する
溶解度が,Ⅰ形結晶は0.9±0.1mg/ml,Ⅱ形結晶は1.3±0.2mg
/mlであって,溶解度の比率(溶解度比)は1.4であり,Ⅰ形結晶はⅡ形結晶
に比べて0.2kcal/mol安定であることが記載されている。また,制御さ
れた室温(約22℃)におけるⅠ形結晶の水に対する溶解度は550±10ng/
mlであるのに対し,Ⅱ形結晶のそれは680±50ng/mlであった(甲1
3)。
上記によれば,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶においては,溶解度が異なり,本件明細書に
記載された条件においては,溶解度比が1.4であることが認められる。しかし,
前記のとおり,結晶多形において,相互の溶解度が異なることは,予想外のもので
はなく,結晶多形がそのような性質を有するからこそ,医薬化合物の製剤設計にお
いては,結晶多形の存在を考慮すべきであるとされているのであり,結晶多形にお
いて,溶解度が異なることが,直ちに,予想外の顕著な効果を奏するものであると
認めることはできない。
()原告は,甲3文献の表1(931,932頁)には,55の化合物の,結2
晶多形が存在するため81の物質についての溶解度比が掲載されていて,ほとんど
の場合,その溶解度比は,2以下であって,この範囲内で結晶の安定性の大小が認
められるところ,本願発明のⅠ形結晶とⅡ形結晶の溶解度比は1.4であり,この
差は,無視することができないものであること,溶解度比の差が1.4程度,又は,
0.2Kcal/molの熱力学的数値の差があれば,医薬の安定性として格段に
向上していることは,本件明細書にも記載されていて,このような安定性の差があ
れば,当業者には,医薬製剤の均質性,バイオアベイラビリティー等の特性に影響
が及ぶと想起させるのに十分であり,医薬製剤の均質性,バイオアベイラビリティ
ー,安定性等々の面において有意な向上をもたらすものである旨主張する。
しかし,1.4という溶解度比が医薬の製剤の均質性,バイオアベイラビリティ
ー等の特性に影響を及ぼすものであるとしても,前記のとおり,結晶多形において,
相互の溶解度が異なることは予測されているのであり,また,甲3文献(なお,甲
3文献は本件優先日後に発行された文献であるが,同文献の記載によれば,結晶多
形の溶解度比を一覧して示す表1〔931,932頁〕のデータのうちの少なくな
いデータは,本件優先日前に知られていたものである。)に基づいても,55の化
合物の,結晶多形が存在するため81の物質において,半数以上の溶解度比が1.
4以上であり,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶の1.4という溶解度比が,結晶多形において,
予想外の顕著な効果と認められるものではない。
()原告は,本願発明のⅠ形結晶は,Ⅱ形結晶に比べ,0.2Kcal/mo3
l熱力学的に安定であり,Ⅱ形結晶よりも熱的に安定しているということであり,
無視し得ない有意な熱的安定性を示すものである旨主張する。
ここで,熱力学的安定性の0.2Kcal/molの値について,甲9供述書に
は,「・・・溶解度の比は1.4であり,Ⅰ形結晶がより安定な多形である。Ⅰ形
結晶とⅡ形結晶との自由エネルギーの差を,この相対的溶解度に基づき,当業界で
周知の数式を用いて求めた。式は,ΔG=RT(SS)である。ここで,Δlnii/i
Gは,1モルのⅠ形結晶が1モルのⅡ形結晶に変わるときの自由エネルギーの差
(kcal/mol)であり,Rは,ガス定数(1.98726×10kcal−3
lni/molK)であり,Tは,絶対温度(K)であり,は,対数関数を表し,S
は,Ⅰ形結晶の溶媒への溶解度であり,Sは,Ⅱ形結晶の同じ溶媒への溶解度ii
である。上記相対的溶解度では,Ⅰ形結晶はⅡ形結晶よりも0.2kcal/mo
l安定である。この熱力学的安定性の結果は,Ⅰ形結晶がより安定な多形であるこ
とを示している。」(2頁5行目∼21行目)との記載があり,また,本件明細書
においても「溶解度の比率は1.4であり,Ⅰ形がより安定な多形であることを示
している。Ⅰ形は,Ⅱ形に比べて0.2kcal/mol安定である。」(段落
【0033】)とされていて,熱力学的安定性の0.2kcal/molは,溶解
度比の1.4を自由エネルギーの差に換算して,形式を変えて表現したものである。
そうであると,原告主張の熱力学的安定性の差異についても,その差のみによって
は,Ⅰ形結晶とⅡ形結晶の1.4との溶解度比についてと同様,予想外の効果であ
ると認めるに足りないし,また,この自由エネルギーの差によって,直ちに,Ⅰ形
結晶が形結晶に比べ,室温保存での変質のしにくさなどの,実用上の安定性にII
優れていると認めるに足りる証拠はないから,熱力学的安定性が予想外の顕著な効
果と認められるものではない。
また,原告は,本願発明のⅠ形結晶は,米国食品医薬品局(FDA)から制吐剤
として新薬承認されたことを挙げ,これを根拠に本願発明の進歩性を主張するが,
Ⅰ形結晶についての新薬の承認の事実は,引用発明に基づいて本願発明に容易に想
到できたか否かの判断を直ちに左右するものではない。
()したがって,原告主張の取消事由2は理由がない。4
3以上のとおり,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
よって,原告の請求は棄却を免れない。
知的財産高等裁判所第1部
裁判長裁判官塚原朋一
裁判官宍戸充
裁判官柴田義明

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