弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
1原判決を破棄し,第1審判決のうち上告人に関する
部分を取り消す。
2前項の部分に関する被上告人の請求を棄却する。
3訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人大竹たかしほかの上告受理申立て理由について
1本件は,国民年金法において大学の学生等につき国民年金への加入が任意と
されていた当時,21歳で大学在学中に統合失調症(当時の呼称は「精神分裂
病」。以下,時点を問わず「統合失調症」という。)の診断を受けた被上告人が,
東京都知事に対し,障害基礎年金の裁定を請求したところ,被上告人は,上記診断
を受けた時点で20歳に達しており,また,国民年金への任意加入をしていなかっ
たことから,障害基礎年金を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を
受けたため,同知事から本件処分に係る権限を承継した上告人に対し,その取消し
を求めている事案である。
国民年金法30条の4は,同条所定のいわゆる無拠出制の障害基礎年金(以下
「20歳前障害基礎年金」という。)の支給要件として,「疾病にかかり,又は負
傷し,その初診日において20歳未満であった者」であることなどを定めていると
ころ,本件においては,被上告人がその支給要件のうち「その初診日において20
歳未満であった者」との要件(以下「初診日要件」という。)を満たしているかど
うかが争われている。
2原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1)被上告人の病状及び本件処分に至る経緯
ア被上告人(昭和35年3月▲日生まれ)は,A大学在学中の昭和56年5月
27日,B病院精神科を受診して悪性症候群と診断され,さらに,同日,統合失調
症の診断を受けてC病院に入院した。被上告人は,同大学に入学後間もない同54
年5月の時点で妄想着想や妄想知覚が現れ,遅くとも19歳の時点で統合失調症を
発病し,精神科医による診療を必要とする状態にあったとみられるが,上記のとお
り20歳に達した後の同56年5月27日に診断を受けるまで,統合失調症に起因
する症状について医師の診療を受けたことはなかった。
イ被上告人は,20歳に達した際,上記大学に在学中であり,当時施行されて
いた国民年金法(昭和60年法律第34号による改正前のもの)7条2項8号の規
定により,国民年金のいわゆる強制加入による被保険者に当たらず,任意加入の申
出もしていなかったため,上記の診断を受けた昭和56年5月27日の時点で,国
民年金の被保険者ではなかった。
ウ被上告人は,平成10年8月15日の時点で,抑うつ状態,分裂病等残遺状
態が認められ,身の回りのことは辛うじてできるが,適当な援助や保護が必要な状
態にあった。そこで,被上告人は,同年10月8日,東京都知事に対し,統合失調
症により障害等級に該当する程度の障害の状態にあるとして,障害基礎年金の裁定
を請求したが,同11年1月28日,同知事から,障害基礎年金を支給しない旨の
本件処分を受けた。
(2)統合失調症の病理及び特質
統合失調症は,素質や遺伝等による内因性の精神病で,発病が最も多いのは17
歳ころから27歳ころまでであるとされる。統合失調症の経過は,通常,前駆症状
として,神経衰弱様状態を呈し,強迫症状,抑うつ状態を示すこともあるが,その
段階においては妄想知覚や妄想着想などといった統合失調症に特徴的な症状は出現
せず,この時期に診断を受けた場合には,神経症性障害,うつ病などと診断されや
すい。このような状態で数日ないし数年間が経過するうち,上記のような統合失調
症に特徴的な症状が現れる。統合失調症は,初期の段階では思春期,青年期特有の
悩みと病的な症状との区別が困難で,本人に病識がないのが通常であることなどか
ら,発病から医師の診療を受けるに至るまでの期間が長期化しがちであるという特
質がある。
3原審は,上記事実関係の下において,被上告人は初診日要件を含めて20歳
前障害基礎年金の支給要件を満たしていると判断し,本件処分は違法であるとし
て,被上告人の上告人に対する請求を認容すべきものとした。原審が被上告人にお
いて初診日要件を満たしていると判断した理由の要旨は,次のとおりである。
(1)国民年金法30条の4が,20歳前障害基礎年金の支給要件の判定日を傷
病の発生日(以下「発症日」という。)ではなく初診日としているのは,国民年金
の保険者が個々の傷病につき発症日を確認するのは困難であるという専ら技術的な
理由によるものであり,大部分の傷病において発症日と初診日が接着しているとい
う前提ないし擬制の下に,初診日をもって画一的に発症日と取り扱うことにしたも
のと解される。
(2)ところが,統合失調症については,発症から医師の診療を受けるに至るま
での期間が長期化しがちであるという特質があるから,20歳に達する前に発症し
ても,その段階で医師の診療を受けるに至らず,病状が進行して20歳を過ぎてか
ら初めて医師の診療を受けることとなるという事例は,類型的に十分予想し得る。
このような者について,初診日要件を形式的に解釈して国民年金法30条の4の適
用を拒むのは,同条の本来の趣旨に反するのであって,統合失調症を発症し,医師
の診療を必要とする状態に至った時点において20歳未満であったことが,医師の
事後的診断等により医学的に確認できた者については,初診日要件を満たすものと
解するのが相当である。
(3)被上告人は,医師の診断により,20歳に達する前に統合失調症を発症し
て医師の診療を必要とする状態に至ったことを医学的に証明しているから,初診日
要件を満たしているものと認められる。
4しかしながら,被上告人が初診日要件を満たしているとした原審の判断は是
認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1)国民年金法30条1項は,いわゆる拠出制の障害基礎年金の支給要件とし
て,障害の原因となった疾病又は負傷及びこれらに起因する疾病について初めて医
師又は歯科医師(以下「医師等」という。)の診療を受けた日において被保険者で
あることなどを定めている。そして,同項は,疾病又は負傷及びこれらに起因する
疾病について初めて医師等の診療を受けた日をもって「初診日」という旨規定して
おり,20歳前障害基礎年金の支給要件を定めた同法30条の4にいう「その初診
日において20歳未満であった者」とは,その疾病又は負傷及びこれらに起因する
疾病について初めて医師等の診療を受けた日において20歳未満であった者をいう
ものであることは,その文理上明らかである。
上記のとおり,国民年金法は,発症日ではなく初診日を基準として障害基礎年金
の支給要件を定めているのであるが,これは,国民年金事業を管掌する政府におい
て個々の傷病につき発症日を的確に認定するに足りる資料を有しないことにかんが
み,医学的見地から裁定機関の認定判断の客観性を担保するとともに,その認定判
断が画一的かつ公平なものとなるよう,当該傷病につき医師等の診療を受けた日を
もって障害基礎年金の支給に係る規定の適用範囲を画することとしたものであると
解される。
原審は,統合失調症について,発症から医師の診療を受けるに至るまでの期間が
長期化しがちであるという特質があることなどを理由として,統合失調症を発症し
医師の診療を必要とする状態に至った時点において20歳未満であったことが,医
師の事後的診断等により医学的に確認できた者については,初診日要件を満たすも
のと解するのが相当であるとするのであるが,このような解釈は,前記各条項の文
理に反するものであり,また,国民年金法が画一的かつ公平な判断のために当該傷
病につき医師等の診療を受けた日をもって障害基礎年金の支給に係る規定の適用範
囲を画することとした前記の立法趣旨に照らしても,採用することができない。
(2)前記事実関係によれば,被上告人は,20歳に達した後の昭和56年5月
27日に診断を受けるまで,統合失調症に起因する症状について医師の診療を受け
たことはなかったというのであるから,当該疾病につき初診日要件を満たしている
ものということはできない。なお,昭和60年法律第34号による国民年金法の改
正に際し,同改正前の国民年金法による障害福祉年金の受給権を有していた者につ
いては,所定の条件の下で20歳前障害基礎年金を支給することとされたが(昭和
60年法律第34号附則25条),障害福祉年金について定めた同改正前の国民年
金法57条1項においても,20歳前障害基礎年金の場合と同様に,「その初診日
において20歳未満であった者」であることなどがその支給要件とされており,被
上告人はこれを満たしていたものということもできない。
5そうすると,被上告人は,20歳前障害基礎年金の受給権を有するものでは
なく,また,前記の初診日において国民年金の被保険者ではなかったため拠出制の
障害基礎年金の支給要件も満たしていないから,被上告人に対し障害基礎年金を支
給しないこととした本件処分に違法はないというべきである。
以上によれば,原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反が
ある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,被上告人の上告人に
対する請求は理由がないから,第1審判決のうち上告人に関する部分を取り消し,
同請求を棄却すべきである。
よって,裁判官今井功の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文の
とおり判決する。
裁判官今井功の反対意見は,次のとおりである。
私は,被上告人は,20歳前障害基礎年金の受給権を有するものであって,被上
告人に対し,同年金を支給しないこととした本件処分は違法であるから,この点に
関する被上告人の請求を認容した原判決は正当であって,本件上告は棄却すべきも
のと考える。その理由は次のとおりである。
1国民年金制度は,加入資格を20歳以上60歳未満の者とし,所定の事由が
発生したときに,保険原理に基づいて老齢基礎年金,障害基礎年金等の給付をする
ことを基本としている。この制度の加入者(被保険者)に対する障害基礎年金は,
拠出制の年金であって,社会保険原理に基づき,被保険者が疾病等により所定の障
害の状態になったときに支給されるものである。これに対して,20歳前障害基礎
年金は,国民年金の被保険者資格を取得する年齢に達する前に疾病にかかり又は負
傷し,重い障害の状態になった者について,稼得能力の回復が期待できないことか
ら,このような者に対し,拠出制年金の補完として,社会福祉原理に基づき,一定
の範囲で国民年金制度の保障する利益を享受させるべく制定されたものである。
このような制度の趣旨からすると,拠出制年金についても,被保険者である者が
疾病等により障害を負って稼得能力を失った場合にこれを保険事故として補償する
のが保険制度の本来の在り方であると考えられるが,特に,20歳前障害基礎年金
については,社会福祉原理に基づく給付という性格にかんがみ,20歳未満の者が
疾病等により障害を負って稼得能力を失った場合に一定の給付をするのが制度本来
の在り方であるということができ,これによれば,給付をするか否かの基準時とし
ては,疾病についていえば,発病時を基準にして支給要件を定めるのが相当である
と考えられる。
ところが,障害基礎年金の支給要件について,国民年金法は,初診日において被
保険者であること(拠出制年金)又は20歳未満であること(無拠出制年金)と
し,疾病又は負傷及びこれらに起因する疾病について初めて医師等の診療を受けた
日をもって「初診日」とする旨を定めている。
初診日要件が定められたのは,多数意見の述べるように,国民年金事業を管掌す
る政府において個々の傷病につきその発生日を的確に認定するに足りる資料を有し
ないことにかんがみ,医学的見地から裁定機関の認定判断の客観性を担保するとと
もに,その認定判断が画一的かつ公平なものとなるよう,当該傷病につき医師等の
診療を受けた日をもって障害基礎年金の支給に係る規定の適用範囲を画することと
したものであると解される。この規定は,疾病についていえば,発病の時期と医師
の診療を受ける時期とが近接している一般の疾病については,大量の事務を迅速に
行う必要があることから,客観性の担保,画一的かつ公平な処理という見地から定
められた基準として合理的な根拠を有するということができる。なぜなら,一般の
疾病においては,発病すれば何らかの自覚症状があり,医師の診療を受けるのが通
例であり,発病により医師の診療を要する状態になった時期と初診の時期とはそれ
ほど遠くはないのが通例であることから,発病の時期と医師の診療を受ける時期と
は近接しているという事実が存在するからである。しかし,類型的に見て,発病と
近接した時期に医師の診療を受けることが期待できない特段の事情がある疾病につ
いては,初診日要件を厳格に守ることが制度の趣旨からして必ずしも合理性がある
とは考えられない。
2上記のように,一般の疾病については,発病すれば何らかの自覚症状があ
り,発病後遠くない時期に医師の診療を受けるのが通例であるのに対し,統合失調
症の場合には,患者に病識の欠如があるのがこの疾病の特色であること,発病当初
は統合失調症に特有の症状は現れにくく,ある程度の期間が経過した後に特有の症
状が現れることから,患者はもちろん,周囲の者からも発病したことが認識し難
く,場合によっては医師でも正確な診断は困難な場合があること等の疾病の性質か
ら,類型的に見て,発病後速やかに医師の診療を受けることが期待し難いため,一
般の疾病と違い,発病したからといって,早期に医師の診療を受けるという実態は
少なく,医師の診療を受けるのは,発病後ある程度の期間をおいてからであること
が通例である。
このような統合失調症の特殊性からすれば,発病の時期と初めて医師の診療を受
ける時期との間には,相当の時間の差があり,一般の疾病と同様に,初診日を基準
として,受給要件を定めることには,医学的な根拠を欠くといわざるを得ず,初診
日要件を厳格に遵守する結果,制度の趣旨に沿わない場合が生ずることは否定でき
ない。特に社会福祉原理に基づく無拠出制の年金については,発病の時期が20歳
前であることが事後的にではあっても医学的に確定できれば,支給要件を満たした
とすることには十分な合理性がある。むしろこの解釈の方が,20歳前に稼得能力
を失った者に対する社会福祉原理に基づく給付という立法趣旨に合致するというこ
とができる。
3以上のような解釈は,国民年金法が支給要件として定める「初診日」につい
ての拡張解釈であることは否定できない。しかし,法律の文言を厳格に遵守するこ
とによって,制度本来の趣旨に大きく反する結果を招く場合に,その結果を回避す
るために拡張解釈が許容される場合があることも事実である。本件のような統合失
調症に係る20歳前障害基礎年金の支給要件の解釈については,拡張解釈が許容さ
れ,むしろ拡張解釈をすることが制度本来の趣旨に沿うものと考える。年金行政の
実務の運用として,知的障害及び先天性の身体障害については,20歳前に医師の
診療を受けたかどうかを問うまでもなく,一律に,初診日において20歳未満であ
った者として,20歳前障害基礎年金を支給する取扱いがされていることも,上記
のような拡張解釈の一例ということができる。
4原審の適法に確定するところによれば,被上告人は,20歳に達した後の昭
和56年5月27日(当時の年齢は,21歳2か月)に診断を受けるまでは,統合
失調症に起因する症状について医師の診療を受けたことがなかったのであるが,遅
くとも19歳の時点で統合失調症を発病し,精神科医による診療を必要とする状態
にあったことが医学的に証明されているというのであるから,20歳前障害基礎年
金の受給要件を満たしているということができる。
5よって,被上告人は20歳前障害基礎年金の受給資格を有しているというべ
きであり,被上告人の請求は理由があるから,これを認容した原判決は正当であっ
て,本件上告は棄却すべきである。
(裁判長裁判官古田佑紀裁判官津野修裁判官今井功裁判官
中川了滋)

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