弁護士法人ITJ法律事務所

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主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 原告らの請求
  被告は,原告Aに対し1億0865万5351円,原告B及び原告Cに対し
それぞれ1000万円,並びに上記各金員に対する平成11年3月18日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 1事案の骨子
  本件は,被告の経営する県立病院において出生した原告Aが重度の脳性麻ひ
の障害が残ったことについて,同原告及びその両親である原告B及び同Cが,上記
障害は,同病院の担当医師の分娩管理における過失によって生じたものであるとし
て,医療契約上の債務不履行又は不法行為(民法715条)に基づき損害賠償を求
めた事案である。
 2 前提となる事実
  括弧内に証拠を記載したもの以外は,当事者間に争いがない。
  (1)当事者
ア原告Aは,平成11年3月18日,父原告B及び母原告Cの第一子長男
として出生したものである。
イ被告は,D病院を経営・管理するものである。
  (2)医療契約の締結
  原告Cは,平成10年8月5日に原告Aを妊娠していることが判明し,平
成11年2月18日,D病院において診察を受け,被告との間で,妊娠第35週目
から出産までの妊娠・分娩管理を内容とする医療契約を締結した。
  (3)本件出産の概括的経過
ア原告Cの入院
  原告Cは,平成11年3月16日(以下,日付については,特に断りの
ない限り,平成11年3月を意味するものとする。),前期破水を来している等の
診断を受けてD病院に入院し,入院初日から同病院で経過観察を受けた。
イ 分娩の不進行
  17日(入院2日目)には,陣痛促進剤の点滴静注法による分娩促進が
実施されたが,18日(入院3日目)の朝になっても,分娩は十分に進行しなかっ
た。
ウメトロイリンテルの使用
  そこで,D病院の担当医師E医師は,メトロイリンテルの使用を決定
し,18日午前9時30分ころ,メトロイリンテルを子宮内に挿入した。
エメトロイリンテルの自然抜去と胎児仮死状態の発生
  18日午後3時26分ころ,メトロイリンテルが自然抜去し,その直
後,分娩監視装置による所見は,持続性徐脈を示し,重症胎児仮死の状態となっ
た。
オ吸引分娩の試行
  そこで,E医師らは,一刻も早い急速遂娩が必要との判断から,まず,
直ちに吸引分娩を2回試みたが,分娩には至らなかった。
カ臍帯脱出の判明
  E医師は,2回目の吸引分娩試行後の内診所見により,臍帯脱出が発生
していることを確認した。
キ 緊急帝王切開の実施
  そこで,E医師は,緊急帝王切開を実施し,18日午後4時7分ころ,
原告Aを娩出させた。
  しかし,原告Aは,重度の胎児仮死の状態にあると診断された。
  (4)出生後の原告Aの状態
  原告Aは,上記胎児仮死の発生を原因として,重度の脳性麻ひの障害が残
った(甲5,原告C本人)。
 3 争 点
  本件の争点は,本件出産について,D病院の担当医師に過失があったか否か
(次の(1)ないし(4)),過失があったとすると,原告らの損害額は幾らか(次
の(5))である。
(1)原告側からの帝王切開の求めに応じなかった過失
(2) メトロイリンテルの使用及び帝王切開の実施に関する説明義務違反
(3)メトロイリンテル使用時に,臍帯脱出の発生に備えた適切な措置(ダブル
セットアップの実施及びエコーの併用)を怠った過失
(4) 胎児仮死の診断後,急速遂娩の方法として,直ちに帝王切開を実施すべき
であったのに,吸引分娩を2回試みたために,帝王切開の実施を遅らせるなどした
過失
(5) 原告らの損害額
第3争点に関する当事者の主張
 1争点(1)(帝王切開の求めに応じなかった過失)について
  (1)原告らの主張
  E医師は,次のとおり,原告側から,2回にわたり帝王切開を実施するよ
う申入れを受けたにもかかわらず,これを拒否し,経膣分娩を継続した過失があ
る。
   ア 原告側による帝王切開の申入れ
(ア) 1回目の申入れ
  原告Cは,入院から18日朝まで,連続2日間ほとんど睡眠を取って
おらず,また,食事も受け付けない状態で,体力的にかなり衰弱していた。
  その状態を見た原告Bは,18日午前10時ころ,F助産師に対し,
帝王切開の実施を求める旨E医師に伝えるよう頼んだ。
(イ) 2回目の申入れ
  さらに,同日午前12時ころ,原告Cの母が,再度,F助産師に対
し,帝王切開の実施を求める旨,E医師に伝えるよう頼んだ。
   イ原告らの自己決定権と担当医師の義務
    (ア) 一般論
  帝王切開が社会的に是認されるのは,医学的適応がある場合はもちろ
んのこと,社会的適応がある場合も含まれる。
そして,患者は医療行為の選択について自己決定権を有しており,か
かる権利の保障の見地からすれば,帝王切開が可能な場合で,患者が状況を理解
し,帝王切開のリスクを分かった上で,あえて帝王切開を希望する場合には,医師
はこれに応じる義務があるというべきである。
    (イ) 本件へのあてはめ
a 帝王切開の可能性及び医学的適応
(a) 本件において,原告Cは,18日午前12時の時点で,胎児の
母体外での生存が危ぶまれる事情は存在しなかったし,母体が帝王切開に耐えられ
ないという事情もなく,帝王切開が可能であった。
(b) また,前期破水,遷延分娩,メトロイリンテル使用による臍帯
脱出の危険などから,帝王切開の医学的適応もあった。
b まとめ
  以上のとおり,原告側から帝王切開の申入れがあり,その際原告C
には帝王切開の可能性及び医学的適応があったのであるから,E医師は,上記申入
れに応じる義務があったというべきである。
  ところが,E医師は,上記申入れに応じることなく,経膣分娩を続
け,本件結果を生じさせたものである。
  (2)被告の主張
   ア一般論
  帝王切開は,肺血栓塞栓症やその他の重篤な合併症を伴う危険を有して
いるため,その実施には医学的適応(胎児側適応及び母体側適応)が要求されてお
り,医師は,かかる医学的適応がない限り,仮に妊婦側から帝王切開の強い要請が
あったとしても,これに応じる義務はない。
  なお,上記医学的適応がなくても,患者側からの強い希望によって帝王
切開を実施するケースは,実際上あり得る。しかし,このような場合でも,帝王切
開を実施するか否かは,医師の合理的な裁量によって判断されるべきものであり,
患者側からの要請があったからといって,医師に帝王切開をすべき法的義務が生ず
るものではない。
   イ本件へのあてはめ
(ア)  帝王切開の医学的適応について
    18日午前10時ころないし12時ころの時点では,分娩監視装
置に基づく所見上児の状態は良好であり,帝王切開の母体側適応や胎児側適応を満
たす状態にはなく,帝王切開の絶対的な医学的適応はなかった。
(イ) 原告側からの帝王切開の申入れについて
a 同日午前10時ころに,原告Bから帝王切開の申入れがあったとの
事実は否認する。他方,18日午前12時ころ,原告Cの実母から帝王切開の申入
れがあったことは認める。
  しかし,原告側の申入れは,帝王切開を「熱望」していたといえる
ものではなかった。
b なお,仮に原告Cの母や原告Bが,原告Cの代理人として帝王切開
の申入れを行ったとしても,この申入れが原告Cの真意を反映していたとはいい難
く,また,当時の原告Cの帝王切開の希望の程度が強いものであったとも認められ
ない。
(ウ)まとめ
  以上のとおり,本件当時,原告Cには帝王切開の医学的適応がなく,
また,原告側からの帝王切開の申入れがあったとしてもその程度は強い
ものでなかったのであるから,E医師が原告側からの申入れに応じて帝王切開を実
施する義務を負っていなかったことは明らかである。
 2争点(2)(説明義務違反)について
  (1)原告らの主張
  患者の自己決定権を保障するためには,医師が,患者に対し,医療行為に
関して十分に説明を行わなければならない。
  本件において,E医師は,原告らに対し,メトロイリンテルの使用に際し
て,メトロイリンテルの使用が時として臍帯脱出を伴い,臍帯脱出が起これば児の
予後が極めて不良であるという危険性が付随していることを説明すべきであるとと
もに,原告側から帝王切開の申入れがあった際には,帝王切開によった場合の利害
得失等について説明する義務があった。
  もし,原告らが,E医師から,このような説明を十分に受けていれば,一
層強く帝王切開の実施を申し入れていたはずである。
  ところが,E医師は,上記説明を怠ったものである。
  (2)被告の主張
   ア説明義務の不存在
(ア) メトロイリンテルの使用に関する説明義務について
   メトロイリンテルの使用に伴う臍帯脱出の発生は,その頻度がまれで
あり,臨床上も一般的には経験されていないものであるから,医師が患者に対し,
そのような発生の危険性を説明する義務はない。
(イ) 帝王切開に関する説明義務について
   E医師が帝王切開によらずに経膣分娩の方法を選択したことは,医師
の合理的な裁量権の範囲内である以上,E医師が帝王切開の利害得失について,原
告らに説明する義務はないというべきである。
   イ 因果関係の不存在
  仮に,E医師が原告ら主張のような説明義務を負っていたとしても,帝
王切開の危険性等に照らせば,原告Cがメトロイリンテルの使用を断固として拒否
していた可能性が高いとはいえず,上記説明義務違反と結果発生との間に相当因果
関係はない。
 3争点(3)(臍帯脱出の発生に備えた措置を怠った過失)について
  (1)原告らの主張
  仮に,E医師が,帝王切開によらずにメトロイリンテルの使用による経膣
分娩を実施したこと自体に,過失が認められないとしても,同医師には,メトロイ
リンテルの使用に際して,次の各措置を怠った過失がある。
   アはじめに
  メトロイリンテルの使用は,臍帯脱出を伴うことが多く,一旦臍帯脱出
が起こった場合には,胎児仮死を起こすことが多いとされている。
  したがって,メトロイリンテルを使用する場合,担当医師には,臍帯脱
出を予見し,その発生に備えて即時に適切な対応ができるようにすべき義務があ
る。
  そのため,本件において,E医師は,具体的に次のイ,ウの措置をとる
べきであった。
   イ 帝王切開の事前準備(ダブルセットアップ)の実施
(ア) 一般に,臍帯脱出の認められた時の対応としては,子宮口がほぼ全
開大(10㎝以上)前であれば帝王切開が,全開大後であれば経膣的急速分娩術
が,最も妥当な処置であるとされている。
(イ) 本件の場合,原告Cは原告Aの出産が初産であったところ,一般
に,初産の場合に子宮頚部がなかなか軟化せず,子宮口が開大しない場合が多いこ
とは,医学的に極めて常識である。また,現に本件出産でも,メトロイリンテルの
使用開始後3時間以上経過した午後1時ころのE医師の回診時で,わずか約6㎝ま
でしか子宮口が開大していなかった。
  よって,E医師は,メトロイリンテル使用時の段階から,未開大での
臍帯脱出に備えて,いつでも帝王切開を行えるように準備しておくべき義務(ダブ
ルセットアップの実施義務)を負っていた。
   ウいわゆるエコー(超音波断層法)の併用
  また,メトロイリンテルの使用に際しては,分娩監視装置のみでは臍帯
脱出を判断することができないことから,E医師は,同装置に加えてエコー(超音
波断層法)を併用して監視する義務を負っていた。
   エ まとめ
  ところが,E医師は,上記イ及びウのいずれの措置も怠り,そのために
帝王切開の実施を遅らせ,本件結果を生じさせたものである。
  (2)被告の主張
ア帝王切開の事前準備について
(ア) 一般に,メトロイリンテルを使用する場合,医師には,臍帯脱出時
に備えて帝王切開を即時に実施できるように事前に準備すべき義務はない。その理
由は,次のとおりである。
a 一般に,本件のような頭位分娩における臍帯脱出の頻度は極めてま
れである。
b メトロイリンテルの使用は,臍帯脱出の危険因子ではあるが,その
発生頻度はまれである。
(イ) また,D病院では,緊急帝王切開の決定があれば迅速にこれを実施
する態勢があり,本件における帝王切開の準備態勢は適正なものであった。
(ウ)よって,本件において,E医師が,メトロイリンテルの使用に際し
て帝王切開の事前準備をすべき義務を負っていたとは認められない。
イエコーの併用について
(ア)エコー併用義務の不存在
    本件当時,メトロイリンテル使用時において,子宮口開大後で児
頭が嵌入していない状態や,分娩監視装置で臍帯脱出を疑わせる異常胎児心拍パタ
ーンの出現などがいまだ存在しない段階においては,分娩監視装置による監視と併
行して,エコーによる監視を実施するという医療水準は確立されていなかった。
  よって,E医師は,エコーを併用すべき法的義務を負っていなかっ
た。
(イ)因果関係の不存在
  メトロイリンテルの自然抜去の約1分前後に臍帯脱出が発生したと考
えられる本件では,メトロイリンテル抜去の前後で急激に臍帯の位置関係が変動し
た可能性が十分にある。
  よって,仮に本件でエコーを併用していたとしても,臍帯脱出の危険
な状態にあることをあらかじめ診断できていた可能性が高いとはいえず,臍帯脱出
の発生を回避できた高度の蓋然性があるとは認められない。
 4争点(4)(胎児仮死状態の発見後に吸引分娩を試みた過失)について
  (1)原告らの主張
  仮に,ダブルセットアップの実施が困難であったとしても,メトロイリン
テルの自然抜去直後に胎児仮死状態を発見した際(18日午後3時30分ころ),
子宮口が全開大前であった本件では,急速遂娩の方法として直ちに帝王切開を実施
すべきであった。
  ところが,E医師らは,吸引分娩を2回試み,これによって,帝王切開の
実施を遅らせるとともに,吸引分娩に伴い児頭が下降し,臍帯が一層強く牽引され
て締め付けられるなどして事態を悪化させたものである。
  (2)被 告
  E医師が,胎児仮死状態を発見した後に吸引分娩を試みたことは適正なも
のであり,過失はない。その理由は,次のとおりである。
ア 18日午後3時26分の高度変動一過性徐脈ないし高度遷延性徐脈出現
時,帝王切開の準備及びこれによる児の娩出には,30分程度の時間を要すること
が予想された。他方,吸引分娩及びクリステレル圧出法を併用した場合には,短時
間(5~10分程度)で子宮口全開大移行から児の娩出に至る可能性があると判断
された。
 そこで,E医師は,まず,第一に経膣的急速遂娩として吸引分娩を実施
することとし,同時に,その不成功に備えて帝王切開の準備も開始したものであ
る。
イ 結果的にも,高度徐脈出現から帝王切開による児の娩出までは41分で
実施されており,当初から緊急帝王切開を選択した場合の娩出時間とほとんど変わ
らない。
 5 争点(5)(原告らの損害額)
  (1) 原告らの主張
   ア原告Aの損害
 (ア)逸失利益4300万7991円
    原告Aは,脳性麻ひのため,就労可能な18歳から67歳までの49
年間にわたり,その労働能力を100%喪失した。そこで,平成10年賃金センサ
ス産業計・企業規模計男子労働者学歴計の平均年収額569万6800円を基礎
に,ライプニッツ方式により中間利息を控除して原告Aの逸失利益を計算すると,
次のとおり4300万7991円となる。
    569万6800円×7.5495=4300万7991円
 (イ)付添介護料3564万7360円
    原告Aは,その状態に照らし,日常生活上全面的な介護を必要とす
る。そこで,1日当たりの付添介護料相当額を5000円,原告Aの平均余命を7
7年とし,ライプニッツ方式により中間利息を控除して原告Aの付添介護料を計算
すると,次のとおり3564万7360円となる。
   5000円×365日×19.5328=3564万7360円
 (ウ)慰謝料 3000万円
 (エ)合 計 1億0865万5351円
   イ原告B及び原告Cの損害
   慰謝料 各1000万円
  (2)被告の認否
   原告らの主張はいずれも争う。
第4 当裁判所の判断
 1 事実関係
  前記第2の2(前提となる事実)に,証拠(甲5,乙1~5〔各枝番を含
む。〕,19,証人E,原告C本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が
認められる。
  (1)本件出産に至る経緯
   ア入院前
  原告C(昭和40年7月生)は,平成10年8月5日,公立G病院産婦
人科における診断により,原告Aを妊娠していることが判明し,同病院で妊娠の定
期診療を受けた。そして,原告Cは,妊娠35週目の平成11年2月18日,同病
院医師の紹介により,D病院に転院して定期診療を受け始めたが,妊娠37週まで
の妊娠経過には,特に異常は認められなかった。原告Cは初産であった。
   イ3月16日(入院初日)
(ア) 原告Cは,平成11年3月16日(妊娠38週6日),2日前に淡
赤色帯下を自覚したという訴えと,当日朝からの破水感を訴え,D病院田口医師の
診察を受けた。その結果,原告Cは,前期破水を来していると診断され,子宮口未
開大であることが認められたことから,厳重なる経過観察が必要との同医師の判断
により,D病院に即時入院した。
(イ)  入院当日は,外来診察時の超音波検査の結果から,胎盤や臍帯の
位置に異常は認められず,また,入院直後からの分娩監視装置によるモニタリング
(胎児心拍数の継続的観察と記録)等による経過観察上も,胎児仮死,感染に関す
る異常は認められなかった。
   ウ3月17日(入院2日目)
(ア) E医師は,17日午後1時50分の診察結果から,有効な陣痛発来
がないため,陣痛促進剤の点滴静注法により分娩を促進すべきと判断し,原告Cに
説明してその同意を得た上,午後3時ころ,上記点滴静注(プロスタグランディン
F2α2000単位の点滴静注)を開始した。その結果,同日夜から18日深夜に
かけて,軽度の陣痛発来が見られた。
(イ)同日の経過観察において,胎児仮死,感染に関する異常は認められ
なかった。
   エ3月18日(入院3日目)
    (ア)メトロイリンテルの使用等
     a 原告Cの使用前の状態
   原告Cは,入院以降,ほとんど睡眠をとることができず,食事もで
きない状態が続いていた。
     bメトロイリンテルの挿入
   E医師は,18日午前9時の診察において,分娩経過が進行してい
ないものと診断し,前日に実施した陣痛促進剤投与を繰り返すのみでは反応しにく
いと判断し,メトロイリンテルの使用を決定し,原告Cに説明してその同意を得た
上,同日午前9時30分ころ,メトロイリンテルを子宮内に挿入した。
   原告Cは,胎児が母胎内で頭を下にしている正常位(頭位)であっ
た(逆子ではなかった)。
     c E医師の説明
   E医師が,メトロイリンテルの使用に際し,原告Cに対して行った
説明の具体的内容は,次のとおりであった。
 (a) 破水を来しており,前日の入院の時点と比べて分娩が余り進行
していない。
 (b) 子宮口は1㎝しか開いておらず,陣痛も微弱である。
 (c) 羊水の漏出を防ぎ,陣痛を促進し,子宮口を開大する目的で,
ゴム風船のような器具を子宮内に挿入する。
 (d) 分娩監視装置による観察はこのまま続行し,胎児に疲れがでて
こないか見ていく。
     dメトロイリンテル挿入後の状況
   その後,18日午前10時30分の診察において,E医師は,午前
10時ころの段階で母体の軽度の体温上昇(37.9度)が認められたことや,感
染に関する血液検査の結果から,子宮内感染症への罹患を強く疑い,抗生物質の種
類を変更して投与を開始した。
       18日午後1時ころ,分娩監視所見上胎児仮死は認められず,子宮
口は約6㎝まで開大していたが,E医師は,陣痛がなお微弱であったことから,午
後1時すぎころから,再度,陣痛促進剤の点滴静注を実施した。
    (イ)メトロイリンテルの自然抜去,臍帯脱出等
     a メトロイリンテルの自然抜去
   18日午後3時26分ころ,助産師の観察中に,メトロイリンテル
が自然抜去した。その際,臍帯巻絡(臍帯絞扼)及び潜在性脱出が起こり,急激な
臍帯血流の循環不全ないし途絶が起こったものと推測される。
     b重症胎児仮死の診断
   その直後の18日午後3時27分ころ,分娩監視にて児心音が急激
に徐脈となり,胎児仮死の所見を示した。そこで,助産師は,原告Cを側臥位にし
て,酸素吸入を開始し,陣痛促進剤の点滴静注を中止するとともに,直ちに医師に
連絡した。
   午後3時28分ころ,E医師ほか医師2名が分娩室に入室して,E
医師ほか医師1名が内診を施行したところ,子宮口は6~7㎝開大し,ステーショ
ンは-2~-1,児頭未回旋という状態であったが,この時点の内診所見(視診,
触診)では,臍帯脱出は認められなかった。
   しかし,分娩監視所見は,最減少心拍数60bpm以下の状態が午
後3時28分ころから30分ころまでの約2分間持続する高度の持続性の徐脈を示
しており,極めて重症の胎児仮死の状態であると診断された。
     c急速遂娩実施の決定
   そこで,E医師ほか医師2名は,直ちに,全員一致の意見で,胎児
の救命のためには一刻も早い急速遂娩を実施することとした。しかし,同医師ら
は,子宮口全開大の少し前の状態ではあったが,この時点では緊急帝王切開の準備
におよそ30分前後の時間がかかると予測される一方,吸引分娩による場合には,
5~10分程度で分娩に至る可能性があるとの判断の下に,緊急帝王切開の準備を
進めながら,まずは吸引分娩術の実施を試みることを決定した。
     dダブルセットアップの実施等
   E医師らは,吸引分娩に際して,母児双方に対する即時的な対応・
処置を可能とすべく,直ちに,小児科医師及び麻酔医師各1名に連絡し,来室して
待機してもらった。
   また,同時に,吸引分娩実施が不成功の場合には直ちに帝王切開術
に切り替えるべく,手術室と麻酔科医師に連絡して,手術室を確保した上で,帝王
切開術実施の準備(ダブルセットアップ)を開始した。
   さらに,出生後の児の管理のためにNICU(新生児集中治療棟)
にも連絡して,同室の確保がなされた。
     e2回の吸引分娩の不功奏
   E医師は,18日午後3時35分ころから40分ころまでの間,会
陰切開の上,吸引分娩を2回試みた。すなわち,吸引カップを児頭に装着し,クリ
ステレル胎児圧出法の併用により,児頭を牽引して,経膣的娩出を図った。
   しかし,児頭の降下は得られず,2回とも児頭のカップの滑脱を来
し,分娩には至らなかった。
     f臍帯脱出の判明
   E医師は,18日午後3時40分ころ,2回目の吸引後の内診所見
で,児頭直下に臍帯を触知し,臍帯脱出が発生していることを確認した。
    (ウ)帝王切開
     a 緊急帝王切開の決定
   そこで,E医師は,吸引分娩が成功しなかったこと,臍帯脱出が判
明したことから,直ちに緊急帝王切開の実施を決定した。
   麻酔科H医師及び産婦人科I医師は,原告Bに対し,麻酔及び帝王
切開についての説明を行い,その承諾を受けた。
     b緊急帝王切開の実施
   原告Cは,18日午後3時43分ころ,分娩室から手術室へ搬送さ
れ,午後4時0分ころから,E医師の執刀により,帝王切開手術が開始された。
   その結果,午後4時7分ころに原告Aを娩出させ,午後5時15分
ころに手術が終了した。
   オ 原告Aの出生後の状態
     原告Aは,娩出後直ちに,小児科J医師による蘇生術を受けたが,重症
胎児仮死と診断され(アプガースコアが,出生後1分値が1点,同5分値が5
点),以後約4週間,D病院小児科で入院診療を受け,平成11年4月14日に退
院した後は,同科で通院診療を受けた。
     しかし,原告Aは,上記胎児仮死の発生を原因として,重度の脳性麻ひ
の障害が残った。
  (2) 帝王切開の申入れ等
   ア原告Bの申入れ(1回目)
  原告Bは,前記のとおり,原告Cが,入院以降2日間にわたり,陣痛が
なかなか進まず,睡眠や食事を十分にとることができない状況が続いていたことか
ら,18日午前10時ころ,F助産師に対し,帝王切開の実施を希望する旨申し入
れた。
  しかし,その際,原告Bは,原告Cとの間で,上記申入れをすることに
ついて事前に話し合うなどはしていなかった。
  また,原告Cは,本件出産に至るまで,原告Bが上記アの申入れを行っ
たことを聞いていなかった。
   イ原告Cの実母の申入れ(2回目)
  原告Cの実母は,18日午前12時ころ,原告Cの病室において,原告
Bが上記アのとおり,帝王切開の申入れをしたことをF助産師から聞き,同助産師
に「それでしたらそうして下さい。」と述べて,帝王切開の実施を希望する旨を申
し入れた。
  なお,原告Cは,原告Cの実母が上記イの申入れをしているのを病室で
聞いていたが,原告Cの実母と原告Cとの間で,上記申入れについて事前に話し合
うなどはしていなかった。
   ウE医師の対応
  原告Cの実母から帝王切開の申入れ(上記イ)があった旨の報告を受け
たE医師は,同日12時ころの時点では,胎児仮死徴候が見られず,帝王切開の医
学的適応がないと判断したことから,原告Cの実母に対し,現時点で帝王切開を実
施する必要はない旨伝え,帝王切開の申入れに応じなかった。
  これに対し,原告B及びCないしはその家族が,更に帝王切開の実施を
求めたり,帝王切開を実施しない理由の具体的説明を求めるなどすることはなかっ
た。
 2本件に関する医学的見解等
  証拠(甲3,4,6,7,乙1,6~24,証人E)及び弁論の全趣旨によ
ると,次のとおり認めることができる。
  (1)帝王切開について
   ア帝王切開の概要及びそのリスク等
(ア)概 要
 帝王切開は,急速遂娩法の一つであり,外科手術により子宮壁を切開
して,胎児等を娩出させる方法である。
(イ)リスク
  児への侵襲は経膣分娩に比べて大幅に小さいが,母体にとっては,開
腹手術であり,合併症(麻酔合併症,術後出血,術後感染症など)が生ずる危険が
あることから,経膣分娩に比べてリスクが高い。
  特に,帝王切開によった場合の血栓症の発生率は,経膣分娩によった
場合の約20倍に増加するとされている(乙16)。なお,血栓症は,帝王切開が
危険因子の一つとされており,約半数が突然発症し,突然死に至ることもあるな
ど,進行すれば予後が不良となる重篤な疾患である(乙17)。
   イ帝王切開の可能性
  胎児が生存しており,母体外生存が可能であること,及び母体が帝王切
開術に耐え得る場合には,帝王切開が可能である。
   ウ 帝王切開の適応
    (ア) 医学的適応
a 帝王切開の医学的適応は,経膣分娩が不可能か又は経膣分娩による
母児の障害が予測されるときであり,具体的に主な適応としては,次の(a)(b)の
場合が挙げられている。メトロイリンテルの使用は,これらのいずれにも該当しな
い。
(a) 母体側適応
    ① 児頭骨盤不均衡(CPD)
    ② 軟産道強靱,狭窄,瘢痕
    ③ 骨盤内腫瘍により経膣分娩が困難なとき
    ④ 子宮破裂の危険があるとき(前回帝王切開,子宮筋腫核出術な
どの既往)
    ⑤ 母体に危険が迫っているとき(重症妊娠中毒症,子癇,前置胎
盤,常位胎盤早期剥離,心疾患,肺疾患,腎疾患,肝疾患などの合併症など
    ⑥ 試験分娩,吸引分娩,鉗子分娩によっても経膣分娩不可能と考
えられるとき
(b) 胎児側適応
     ① 胎児ジストレス(胎児仮死)
     ② 臍帯脱出
     ③ 遷延横位,胎位,胎勢,回旋異常
     ④ 未熟児が予測される骨盤位
b以上のうち,児頭骨盤不均衡,切迫子宮破裂,全前置胎盤,常位胎
盤早期剥離,胎位・胎勢異常の一部などは,絶対的適応がある場合として指摘され
ており,それ以外の場合は,急速遂娩が必要であるにもかかわらず,その段階では
短時間内での安全な経膣分娩が不可能であると診断された場合にのみ適応になると
されている。
    (イ)社会的適応
  最近では,帝王切開の安全性の向上などから,その適応は拡大されて
きており,上記の医学的適応に厳密には該当しない場合であっても,いわゆるバリ
ュアブルチャイルドのケースで妊婦側が帝王切開の実施を希望する場合などには,
社会的適応があるものとして,帝王切開が実施されることも一般的に認められてい
る。
  しかしながら,前記のとおり,帝王切開は,母体に重篤な合併症を伴
うリスクを有していることから,その適応は慎重に検討されているのが一般的であ
る。
 なお,全分娩数に対する帝王切開の頻度は,5~10%程度との指摘
がある。
   エ 帝王切開の実施までに必要な時間
  医師が妊婦の帝王切開を決定してから執刀開始までに,次のような準備
 をしなければならないので,少なくとも30分前後の時間が必要である。
(ア) 手術室の準備
 (イ) 妊婦への説明・同意手続
 (ウ) 妊婦への術前措置(麻酔前投薬等)
 (エ) 麻酔実施
 (オ) 消毒・手洗い等
 (カ) 執刀開始
  (2)臍帯脱出について
   ア臍帯脱出とは
  臍帯脱出は,一旦起こると,たとえ早期に診断して急速遂娩に成功して
も,その臍帯圧迫による高度の循環不全のために,児の予後は極めて不良な疾患と
されおり,死亡率はおよそ30%くらいといわれている。
  臍帯脱出が起こると,臍帯は児先進部と産道壁との間で直接圧迫を受け
るので,陣痛の発作時のみではなく,間歇時にも児心音は悪化し,長時間(5~8
分)圧迫が続くと,仮死に陥り,遂に死亡する。
   イ臍帯脱出の発生頻度及び要因
(ア) 臍帯脱出の発生頻度については,全分娩数の0.22%あるいは
0.5%などとする報告があり,胎位別では,横位,骨盤位の順で多く,頭位(原
告Cの場合)が最も少ないとされている。
(イ)臍帯脱出の発生する危険の高い要因としては,胎位胎勢異常や早
産,多胎等が挙げられているほか,メトロイリンテルの使用もその一つとして指摘
されている。
   ウメトロイリンテル使用による臍帯脱出発生の危険性
    (ア) 上記のとおり,メトロイリンテルの使用が臍帯脱出の発生要因とな
ることが,文献上で指摘されているが,そのような文献でも,その頻度はまれであ
るとか(乙7の430頁),その危険が少ない(乙11の14頁)と指摘するもの
も少なくない。そして,メトロイリンテルの使用による臍帯脱出の発生率がどの程
度なのかに関する明確なデータは,証拠上存在しない。
      E医師も,これまでにメトロイリンテルを使用した経験を300~4
00例有しているところ,その中で臍帯脱出の発生した例は本件以外には経験した
ことがなく(乙19,証人E),文献にも,メトロイリンテル使用中の臍帯脱出の
発生を一度も経験していない旨の報告がある(乙18)。
    (イ) さらに,原告Cには,入院当初,胎盤や臍帯の位置に異常が認めら
れなかったのであり(入院当日の超音波検査から明らか〔乙1の13,21,22
頁〕),本件における臍帯脱出は,その後のメトロイリンテルの自然抜去が原因と
なって発生したものと推測される(前記1(1)エ(イ)a)。
      しかし,原告Cのように,正常な頭位分娩では,メトロイリンテルの
自然抜去の頻度自体が極めてまれであるので,原告Cのような条件での出産例で
は,メトロイリンテルの使用が原因となって臍帯脱出が起こる事例はほとんどな
い,といっても過言ではない。
   エ メトロイリンテルと帝王切開の医学的適応
     メトロイリンテルの使用が臍帯脱出の発生要因となることを指摘する文
献も多いが,これらいずれの文献でも,メトロイリンテル使用時において,当初か
ら帝王切開の適応があるとか,直ちに帝王切開が可能な状態で経膣分娩の管理を行
うべきであると説いているものは,証拠上見当たらない。
 3 争点(1)(帝王切開の求めに応じなかった過失)の検討
  原告は,患者の自己決定権に照らし,E医師が,原告側からの帝王切開の申
入れに応ずるべき義務があったのに,これに応じなかった点に過失があると主張す
るので,検討する。
  (1)医療行為の選択についての一般論
  患者は,医療行為を受けるに際して,自らの納得と自由な意思に基づき自
分の医療行為に同意し,選択し,あるいは拒否することができるという自己決定権
を有している。
  しかしながら,他方で,医療行為は,その性質上医師の高度な専門的・技
術的判断を要するものである上,療法には複数の選択肢がある場合が多く,どの選
択肢が最も適切であるかの判断は必ずしも単純になし得るものではないにもかかわ
らず,医師は何らかの有効と考えられる処置を迅速にとらなければならない立場に
あることからすれば,医師は,その専門的知識と経験等に基づいて,適切と判断す
る医療行為を行うことのできる合理的な裁量を有しているものということができ
る。
  そして,医師が患者に対して適切な医療行為を行うべき責務を負っている
のであるから,患者が医師の適切と判断する療法と相違する療法を求める場合であ
っても,医師が必ず患者の求めに従う義務を負うとするのは相当でないというべき
である。
  したがって,医師が,患者の自己決定権保障の見地から,患者の希望をど
の程度尊重すべきかは,当該医療行為の専門性の程度,患者の希望の趣旨・程度等
を総合的に考慮して判断するのが相当である。
  (2)本件についての検討
   ア分娩方法の選択について
    (ア)帝王切開適応の有無
a 証拠(乙2,3の1~4,4,19,証人E)によれば,原告側か
ら帝王切開の申入れがあった当時(18日午前10時ころないし午前12時こ
ろ),分娩監視装置上の所見では児の健康状態に問題はなく,母体側にもCPD等
の経膣分娩の障害となる因子はなかったことが認められ,かかる状況においては,
帝王切開の一般的な医学的適応(前記2(1)ウ(ア))に照らし,本件が帝王切開の絶
対的適応に当たる場合でないことはもちろん,その他の医学的適応として一般に挙
げられている事由にも該当しない。
  よって,原告側からの帝王切開の申入れがあった当時,原告Cに帝
王切開の医学的適応があったということはできない。
bもっとも,以上のとおり帝王切開の医学的適応がなかったとして
も,証拠(証人E)によれば,本件では,帝王切開の可能性の要件は満たしていた
といえること,破水から2日以上経過しても陣痛が進まない状況が続いており,早
期の分娩が必要な状態にあったこと,帝王切開の医学的適応がなくても一定の場合
にはその実施が認められていることが認められ,これらを考慮すれば,本件が,帝
王切開を実施することが明らかに不相当な場合であったということはできず,患者
側からの強い希望があるなどの事情があれば,帝王切開の社会的適応があるものと
して,帝王切開を実施することも許容される状況にあったと認められる。
    (イ) E医師が有する裁量権
  しかしながら,帝王切開は,その適応の範囲が拡大されてきていると
はいえ,依然として母体に対して重篤な合併症等を伴うリスクを有しており,その
選択が慎重に行われるべきとの認識が一般的であることは,前記2(1)ウ(イ)のとお
りである。それゆえ,帝王切開と経膣分娩のいずれの分娩方法によるかについて
は,医師の専門的知見や経験に基づいて適切な選択をすべき要請が高い場面である
ということができ,このような点から,医師の裁量の範囲も広く認められるとする
のが相当である。
  そうすると,本件においても,E医師が,当時の臨床経過,母児の状
況,母児の生命の安全に配慮するという観点から,経膣分娩の継続が相当とした判
断は,上記の観点に照らし,十分に尊重されなければならない。
   イ原告側の帝王切開申入れの熱意
(ア) ところで,原告B及び原告Cの実母が,帝王切開の一応の申入れを
行ったことが認められることは,前記1(2)ア,イで認定したとおりである。
  しかしながら,前記1(2)アないしウの認定事実によれば,原告側の上
記申入れは,いずれも妊婦本人である原告Cの意思を明確に確認した上でなされた
のものではない上,申入れの際の原告Bや原告Cの母の態度も,強いものであった
とはうかがわれないこと,さらに,原告B及びCやその家族らは,E医師が経膣分
娩の継続の意向を示したのに対し,消極的にではあるものの,特にそれ以上の異議
を唱えることはなかったことが認められる。
(イ) 以上によれば,原告側の帝王切開の希望の程度は,経膣分娩を断固
として拒否するほどにまで強固なものであったとは認められない。
   ウ総合的検討
  以上のとおり,E医師の分娩方法の選択についての判断は,医師の裁量
権に照らして十分に尊重されるべきであること,原告側の帝王切開の希望の程度が
必ずしも強いものではなかったことを総合的に考慮すれば,E医師が,原告側から
の帝王切開の申入れを拒否して経膣分娩の方針を変更しなかったことは,E医師の
合理的な裁量の範囲内の措置であるとともに,原告らの自己決定権を不当に侵害し
たものともいえず,医療契約上の義務違反ないし過失に当たるものではないという
べきである。
 4争点(2)(説明義務違反)の検討
  (1)一般論
  医師は,患者の自己決定権を保障する前提として,患者がある医療行為を
受けるかどうかについて,診療契約に基づき,特別の事情がない限り,患者に対
し,患者の状態,実施予定の医療行為の内容,これに伴う危険性,ほかに選択可能
な方法があればその内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があるもの
と解される。
  もっとも,医師が負う説明義務の内容・程度は,医療行為の種別・内容や
その必要性及びこれに伴う危険性の程度,説明することによる弊害のおそれの有無
等によって異なるというべきである。
  (2)検 討
   アメトロイリンテルの使用に伴う危険性の説明について
  原告らは,E医師が,メトロイリンテルの使用に伴う危険性について説
明をしなかった点の過失を主張する。
 しかしながら,メトロイリンテルの使用による臍帯脱出の発生率は明ら
かではなく,メトロイリンテルの使用が臍帯脱出の原因となることはまれであると
指摘する文献もあること,E医師自身も,これまでの多数のメトロイリンテル使用
経験の中で,本件まで臍帯脱出の発生の経験を有していなかったこと,原告Cのよ
うな条件での出産例では,メトロイリンテルの使用が原因となって臍帯脱出が起こ
る事例はほとんどない,といっても過言ではないこと(前記2(2)ウ)を考え併せる
と,原告Cへの告知を絶対的に必要とするかについては疑問が残るところである。
  さらに,証拠(乙19,証人E)及び弁論の全趣旨によれば,分娩にお
いては,妊婦の心理状態が分娩経過に影響することから,妊婦に対し,生起する可
能性が低い事項について詳細に説明することにより,かえって妊婦に無用な不安を
抱かせることを避けなければならないとの配慮も必要であることが認められる。そ
して,本件においては,メトロイリンテルの使用開始当時,既に2日間にわたって
陣痛が進まない状況が続いており,できる限り早期の分娩が必要な状況下にあった
ことからすれば,E医師が,メトロイリンテルの使用に伴う危険性について説明を
行わなかったことは,上記の観点からも合理性が認められるというべきである。
  以上の点に照らせば,E医師が,メトロイリンテルを使用するに際し
て,原告らに対し,その使用に伴う危険性を説明する義務を負っていたということ
はできない。
   イ帝王切開の利害得失等の説明について
  また,原告らは,E医師が,帝王切開の利害得失等について説明しなか
った点の過失を主張している。
  しかしながら,前記3(2)ア(イ)で判断したとおり,分娩方法の選択は,
医師の専門的知見に基づく裁量が広く認められる場面であるところ,このような場
面において,医師に対し,適切な方法として選択した以外の方法についてまで詳細
な説明義務を負わせることは,相当でないというべきである。
  そうすると,本件において,E医師が,原告側からの帝王切開の申入れ
に対し,原告側に帝王切開は必要ない旨伝えるにとどまり,それ以上の説明を行わ
なかったとしても,そのことが医師としての説明義務違反に当たるとはいえない。
   ウ小 括
  以上より,原告らの説明義務違反に関する主張は,理由がない。
 5 争点(3)(臍帯脱出の発生に備えた措置を怠った過失)の検討
  (1) 帝王切開の事前準備(ダブルセットアップ)の実施義務について
   ア 原告らの主張等
 (ア) 原告らは,メトロイリンテルの使用は臍帯脱出の要因の一つとされ
ていることなどを理由として,E医師には,メトロイリンテルの使用時の段階か
ら,帝王切開の事前準備をしておくべき義務があったと主張する。
 (イ) 確かに,メトロイリンテルの使用が臍帯脱出の要因の一つとして指
摘されていることは前記のとおりであり,その使用に関しては,臍帯脱出等の発生
に留意して経過観察することを促す趣旨の医学文献も存在するところである(甲
3,4)。
   イ 検 討
    (ア) しかしながら,メトロイリンテルの使用による臍帯脱出の発生率は
明らかではなく,メトロイリンテルの使用が臍帯脱出の原因となることはまれであ
ると指摘する文献もあること,E医師自身も,これまでの多数のメトロイリンテル
使用経験の中で,本件まで臍帯脱出の発生の経験を有していなかったこと,原告C
のような条件での出産例では,メトロイリンテルの使用が原因となって臍帯脱出が
起こる事例はほとんどない,といっても過言ではない(前記2(2)ウ)。
    (イ) そして,メトロイリンテルの使用が臍帯脱出の発生要因となること
を指摘する文献も多いが,これらいずれの文献でも,メトロイリンテル使用時にお
いて,当初から帝王切開の適応があるとか,直ちに帝王切開が可能な状態で経膣分
娩の管理を行うべきであると説いている文献は,証拠上見当たらない(前記2(2)
エ)。
(ウ) メトロイリンテルの使用による臍帯脱出発生の頻度がまれであるに
もかかわらず,メトロイリンテル使用中,常時,帝王切開の準備をしておくこと
は,それ自体が合理性を欠くばかりか,帝王切開を即時に実施できるようにするた
めには,あらかじめ次のような一連の医療措置を講じておく必要があり,患者と医
療機関ともに負担が大きい。
a 手術が実施される可能性がまれであるにもかかわらず,次のような
麻酔前投薬を実施しておかなければならない。
      (a) 全身麻酔の場合には,術前投薬として,30分前にアトロピン
0.5㎎を筋注する(乙17の404頁)。
      (b) 脊椎麻酔の場合には,術前投薬として,1時間前にジアゼパム
10㎎を筋注し,30分前に硫酸アトロピン0.5㎎を筋注する(乙17の406
頁)。
b 手術が実施される可能性がまれであるにもかかわらず,メトロイリ
ンテル使用中は,常時,手術室の空きを確保しておかなければならない。
c 手術が実施される可能性がまれであるにもかかわらず,メトロイリ
ンテル使用中は,常時,手術スタッフにあらかじめ連絡・確保し,手術の準備に取
りかかっておかなければならない。
   ウ まとめ
  以上のイの(ア)ないし(ウ)の諸点にかんがみると,E医師が,メトロイ
リンテルの使用に際し,臍帯脱出の発生に備えて帝王切開の事前準備を実施するこ
とが,法的義務として要求されていたとは認められない。
     よって,原告らの前記ア(ア)の主張も採用できない。
  (2)エコーの併用義務について
 ア 原告らは,メトロイリンテル使用時にエコーを併用して監視すべきであ
ったと主張する。
 イ しかしながら,メトロイリンテル使用時におけるエコーの使用の必要性
については,①変動一過性徐脈が認められた場合や,②骨盤位,横位,頭位で子宮
口が開大し児頭が嵌入していない状態の場合が指摘されているにとどまり(乙9,
15),このような場合以外に,一般的にメトロイリンテル使用時にエコーを併用
すべきとする医療水準が確立されていたと認めるに足りる証拠はない。
ところが,本件では,メトロイリンテルが自然抜去する前に,上記①②
のような事情があったものとは認められない。
 ウ しかも,本件では,18日午後3時26分ころ,助産師の観察中に,メ
トロイリンテルが自然抜去し,その際,臍帯巻絡(臍帯絞扼)及び潜在性脱出が起
こり,急激な臍帯血流の循環不全ないし途絶が起こったものと推測される(前記
1(1)エ(イ)a)。
それゆえ,本件では,メトロイリンテルの自然抜去前,あらかじめエコ
ーを併用して監視していても,事前に臍帯脱出の危険な状態にあると診断すること
はできなかったものといわざるを得ない。
 エ そうすると,E医師が,メトロイリンテルの使用時に,エコーを併用し
て分娩監視を行うべき義務を負っていたとは認められず,原告らの前記アの主張も
採用できない。
  (3)小 括
  以上より,E医師が,メトロイリンテルの使用時に臍帯脱出に備えた措置
を怠ったとする原告らの主張は,採用できない。
 6争点(4)(吸引分娩を試みた過失)の検討
(1) 原告らは,E医師が,胎児仮死診断後に直ちに帝王切開を選択せずに吸引
分娩を試みた点に過失があると主張する。
(2) しかしながら,一般に臍帯脱出が発見された場合の対処方法としては,頭
位の場合には,まず吸引又は鉗子分娩ができるかどうかを診断し,それが不可能な
場合に帝王切開に切り替えるものとされていること,このような方法は,子宮口が
全開大前の場合であっても承認されていることが認められる(乙15・282
頁)。
  そして,前記1(1)エ(イ)cの認定事実によれば,E医師は,吸引分娩によ
った場合には,帝王切開の準備に要する時間(30分程度)よりも短時間(5~1
0分程度)で娩出に至る可能性があるとの判断の下で,吸引分娩の方法を選択した
ものであって,このような措置は,上記一般的な見解に沿った合理的なものである
ということができる。
(3) また,前記1(1)エ(イ)d,同(ウ)の認定事実によれば,E医師らは,吸
引分娩の開始と並行して,直ちに帝王切開の準備を進めており,原告Cは,高度遷
延性徐脈出現から約41分程度で娩出に至っているのであるから,E医師らが吸引
分娩を試みたことが,帝王切開の実施を遅らせたとは認められない。
(4) 以上によれば,E医師が上記のとおり吸引分娩を試みた点に過失があると
はいえず,原告らの前記(1)の主張も理由がない。
第5 結 論
  以上によれば,原告らの本訴各請求はいずれも理由がないから,これを棄却
することとし,主文のとおり判決する。
    神戸地方裁判所第2民事部
   裁判長裁判官   紙 浦 健 二
   裁判官今 中 秀 雄
   裁判官五十嵐 章 裕

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