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裁判例


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主文
1処分行政庁が,原告に対し,平成21年4月30日付けでした行政文書の一
部を開示しない旨の決定(ただし,平成23年3月18日付け裁決によって変
更された後のもの。)のうち,大阪労働局管内の各労働基準監督署長が平成1
4年4月1日から同21年3月5日までの間に,脳血管疾患及び虚血性心疾患
等(負傷に起因するものを除く。)に係る労働者災害補償保険給付の支給請求
に対して支給決定を下した事案につき,その処理状況を把握するために作成し
ている処理経過簿(ただし,平成16年4月1日から平成17年3月31日ま
での間に作成されたものを除く。)のうち被災労働者が所属していた事業場名
欄中の法人名記載部分を不開示とした部分を取り消す。
2原告のその余の請求を棄却する。
3訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
処分行政庁が,原告に対し,平成21年4月30日付けでした行政文書の一
部を開示しない旨の決定(以下「本件一部不開示決定」という。ただし,平成
23年3月18日付け裁決によって変更された後のもの。)のうち,大阪労働
局管内の各労働基準監督署長が平成14年4月1日から同21年3月5日ま
での間に,脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。以下
同じ。)に係る労働者災害補償保険給付(以下「労災補償給付」という。)の支
給請求に対して支給決定を下した事案につき,その処理状況を把握するために
作成している処理経過簿(以下「本件文書」という。)のうち被災労働者が所
属していた事業場名欄中の法人名記載部分を不開示とした部分を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が処分行政庁に対し,行政機関の保有する情報の公開に関する
法律(平成21年法律第66号による改正前のもの。以下「情報公開法」とい
う。)に基づき,大阪労働局管内の各労働基準監督署長が平成14年4月1日
から同21年3月5日までの間に,脳血管疾患及び虚血性心疾患等に係る労災
補償給付の支給請求に対して支給決定を下した事案につき,その処理状況を把
握するために作成している処理経過簿(本件文書)のうち,Ⅰ被災労働者が所
属していた事業場名欄のうち法人名が記載されている部分,Ⅱ労災補償給付の
支給決定年月日の開示を請求した(以下「本件開示請求」という。)ところ,
処分行政庁が,本件文書の一部は情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当
するとして,開示請求に係る行政文書の一部を開示しない旨の決定(本件一部
不開示決定)をしたため,原告が,同決定のうち被災労働者が所属していた事
業場名欄のうち法人名記載部分を不開示とした部分(ただし,後記2(5)ウの裁
決により一部を開示する旨の変更がされた後のもの。)は違法であるとして,
その取消しを求めた事案である。
1情報公開法の定め
(1)情報公開法1条は,国民主権の理念にのっとり,行政文書の開示を請求す
る権利につき定めること等により,行政機関の保有する情報の一層の公開を
図り,もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるよ
うにするとともに,国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政
の推進に資することを目的とする旨定めている。
(2)情報公開法3条は,何人も,同法の定めるところにより,行政機関の長に
対し,当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求することができる旨定
めている。
(3)情報公開法5条は,行政機関の長は,上記の開示請求があったときは,開
示請求に係る行政文書に同条各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)
のいずれかが記録されている場合を除き,開示請求者に対し,当該行政文書
を開示しなければならない旨定めている。
同条が定める不開示情報で,本件に関係するものは以下のとおりである。
Ⅰ1号
個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)で
あって,当該情報に含まれる氏名,生年月日その他の記述等により特定の
個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより,特定
の個人を識別することができることとなるものを含む。)又は特定の個人を
識別することはできないが,公にすることにより,なお個人の権利利益を
害するおそれがあるもの。ただし,次に掲げる情報を除く。
ロ人の生命,健康,生活又は財産を保護するため,公にすることが必
要であると認められる情報
Ⅱ2号
法人その他の団体(国,独立行政法人等,地方公共団体及び地方独立行
政法人を除く。以下「法人等」という。)に関する情報又は事業を営む個人
の当該事業に関する情報であって,次に掲げるもの。ただし,人の生命,
健康,生活又は財産を保護するため,公にすることが必要であると認めら
れる情報を除く。
イ公にすることにより,当該法人等又は当該個人の権利,競争上の地
位その他正当な利益を害するおそれがあるもの
Ⅲ6号
国の機関,独立行政法人等,地方公共団体又は地方独立行政法人が行う
事務又は事業に関する情報であって,公にすることにより,次に掲げるお
それその他当該事務又は事業の性質上,当該事務又は事業の適正な遂行に
支障を及ぼすおそれがあるもの。
イ監査,検査,取締り,試験又は租税の賦課若しくは徴収に係る事務
に関し,正確な事実の把握を困難にするおそれ又は違法若しくは不当
な行為を容易にし,若しくはその発見を困難にするおそれ
ロ契約,交渉又は争訟に係る事務に関し,国,独立行政法人等,地方
公共団体又は地方独立行政法人の財産上の利益又は当事者としての地
位を不当に害するおそれ
ハ調査研究に係る事務に関し,その公正かつ能率的な遂行を不当に阻
害するおそれ
ニ人事管理に係る事務に関し,公正かつ円滑な人事の確保に支障を及
ぼすおそれ
ホ国若しくは地方公共団体が経営する企業,独立行政法人等又は地方
独立行政法人に係る事業に関し,その企業経営上の正当な利益を害す
るおそれ
(4)情報公開法6条1項は,行政機関の長は,開示請求に係る行政文書の一部
に不開示情報が記録されている場合において,不開示情報が記録されている
部分を容易に区分して除くことができるときは,開示請求者に対し,当該部
分を除いた部分につき開示しなければならない旨定めているところ,当該部
分を除いた部分に有意の情報が記録されていないと認められるときは,この
限りでないとされている(同項ただし書)。
また,同条2項は,開示請求に係る行政文書に同法5条1号の情報(特定
の個人を識別することができるものに限る。)が記録されている場合において,
当該情報のうち,氏名,生年月日その他の特定の個人を識別することができ
ることとなる記述等の部分を除くことにより,公にしても,個人の権利利益
が害されるおそれがないと認められるときは,当該部分を除いた部分は,同
号の情報に含まれないものとみなして,同法6条1項の規定を適用する旨定
めている。
2前提事実(当事者間に争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容
易に認められる事実等。なお,証拠番号は特記しない限り枝番を含む。)
(1)処理経過簿の概要
ア処理経過簿は,各都道府県労働局において,各労働基準監督署の事務処
理の進捗状況を把握し,労働局と労働基準監督署間の連携を図ることによ
り,適正迅速な事務処理を行うことを目的として作成される文書である。
処理経過簿の様式は平成16年に変更され,その後も項目の順序等につい
ては変更されているが,「処理経過簿種別」,「地方労働局」,「労働基準監督
署名」,「労働者氏名」,「生年月日」,「性別」,「発症年月日」,「発症時年齢」,
「(請求時の)生死」,「死亡年月日」,「事業場名」,「労働保険番号」,「業種」,
「(標準)業種」,「職種」,「(標準)職種」,「請求年月日」,「請求号」,「(請
求内容)療養・休業・傷害・遺族」,「速報受付」,「決定年月日」,「(処分結
果)支給・不支給・取下等」,「処分号」,「認定要件」,「評価期間」,「平均
時間外労働時間数(時間・分)」,「疾患名(請求時)」,「脳・虚血疾患区分」,
「疾患名(決定時)」,「〈標準疾患名〉(決定時)」,「審査請求」,「裁量労働
制適用有無」,「処理期間」,「未処理状況」,「備考」,「〈標準〉業種(中)」,
「〈標準〉業種(小)」,「〈標準〉職種(中)」,「〈標準〉職種(小)」の各欄
がある。(甲5,乙2から8まで,20,弁論の全趣旨)
イ処理経過簿は,Ⅰ脳血管疾患及び虚血性心疾患等に基づく労災補償給付
請求の請求書を受け付けた労働基準監督署からの報告を受けた労働局監察
官が請求についてその段階で一度入力し,Ⅱ労災補償給付の支給・不支給
決定がされた後,労働基準監督署から決定内容の報告を受けた労働局監察
官がその結果を入力するという手順で作成される(弁論の全趣旨)。
ウ処理経過簿の事業場名欄には,労働局監察官が,労災補償給付請求書の
事業主証明欄の事業場名称,又は一括適用の取扱いをしている支店,工場
などであれば所属事業場名称・所在地欄に記載された名称,建設事業の場
合は元請け事業場の名称を移記する(弁論の全趣旨)。
(2)本件開示請求
原告は,平成21年3月5日,処分行政庁に対し,情報公開法3条,4条
1項に基づき,本件文書のうち,Ⅰ被災労働者が所属していた事業場名(法
人名のみ),Ⅱ労災補償給付の支給決定年月日を対象として,行政文書の開示
請求をした(本件開示請求)。なお,原告は当初,本件文書のうち大阪府内に
本社を置く企業13社に関するものに限定して開示請求をしたが,開示請求
書提出後に,当該限定部分を削除する補正をした。(甲3,4,乙1)
(3)本件一部不開示決定
処分行政庁は,本件開示請求について,本件文書は,個人に関する情報で
あって,当該情報に含まれる氏名,生年月日その他の記述等により特定の個
人を識別することができる情報又は特定の個人を識別することはできないが,
公にすることにより,なお個人の権利利益を害するおそれがある情報が記載
されており,情報公開法5条1号に該当し,かつ,同号ただし書イないしハ
のいずれにも該当しないとして,以下の部分を不開示とし,その余の部分は
開示する旨の決定をし(本件一部不開示決定。なお,原告が開示請求した部
分の関係では,事業場名(法人名のみ)は不開示とし,支給決定年月日は開
示としたことになる。),原告に対し,平成21年4月30日付け行政文書開
示決定通知書(大開第○-△号)により,その旨通知した(甲1,5,乙2
から8まで)。
Ⅰ労働者氏名,生年月日,性別
Ⅱ発症年月日,発症時年齢,請求時の生死,死亡年月日
Ⅲ事業場名,労働保険番号,業種,職種(標準業種,標準職種は除く)
Ⅳ請求年月日,請求内容,速報受付
Ⅴ評価期間
Ⅵ平均時間外労働時間数
Ⅶ疾患名(認定基準に示されていない疾患)
Ⅷ審査請求
Ⅸ裁量労働制適用有無
Ⅹ処理期間,未処理状況
ⅩⅠ備考
(4)大阪労働局の文書管理規定により,処理経過簿の保存期間は1年とされて
いるところ,本件文書のうち,平成16年度以前の処理経過簿については,
大阪労働局において本件開示請求に係る文書の特定を行った時点ですでに廃
棄されていたため,処分行政庁は,厚生労働省において報道発表資料作成の
ために利用した後に残されていた処理経過簿の電子データを同省から入手し,
これを印刷した上で本件一部不開示決定を行った(弁論の全趣旨)。
本件文書のうち,平成16年度の処理経過簿については,事業場名欄は存
在しない(乙4)。
(5)審査請求及び本訴の提起
ア原告は,平成21年6月29日,本件一部不開示決定につき不服がある
として厚生労働大臣に対して審査請求をした(甲2)。
イ原告は,平成21年11月18日,本件一部不開示決定のうち,事業場
名欄中の法人名記載部分を不開示とした部分の取消しを求めて,本訴を提
起した(顕著な事実)。
ウ厚生労働大臣は,本訴訟係属中の平成23年3月18日,本件一部不開
示決定を変更し,平成19年度及び平成20年度の各処理経過簿中の一部
の特定事業場(合計4か所)の名称を開示する旨の裁決(厚生労働省発基
労▽第□号。以下「本件裁決」という。)をした。同裁決を受けた処分行政
庁は,平成23年4月11日付けで,本件一部不開示決定を変更し,上記
各特定事業場名を開示することとした。(乙20から23まで)
エ原告は,本件訴え中,本件裁決により新たに開示された部分に対応する
請求に係る部分を取り下げた(顕著な事実)。
3争点
(1)事業場名が情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当するか。
(2)事業場名が情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報に該当するか。
(3)事業場名が情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当するか。
(4)事業場名が情報公開法5条2号ただし書所定の情報に該当するか。
(5)事業場名が情報公開法5条6号柱書所定の不開示情報に該当するか。
4争点に関する当事者の主張
(1)争点(1)(事業場名が情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当するか)
について
(被告の主張)
ア情報公開法5条1号に係る不開示情報に該当する個人に関する情報は,
氏名,生年月日などそれ自体として個人を識別し得る情報のみならず,他
の情報と照合することにより特定の個人を識別することができることとな
るものも含まれるところ,同法が何人にも開示請求権を認めており,当該
個人の近親者,地域住民等も開示請求する可能性があること,情報開示請
求はその理由,目的,情報の使途を問わずに行われるものであり,一度開
示されればいかなる経路で誰の手に渡るかも分からないこと,同法5条1
号では個人情報の保護に関する法律2条1項とは異なり照合の容易性は要
件とされていないことに照らせば,情報公開法5条1号にいう「他の情報」
とは,公知の情報や,図書館等の公共施設で一般に入手可能なものなど一
般人が通常入手し得る情報のみならず,仮に当該個人の近親者,地域住民
等であれば保有している又は入手可能である情報も含まれると解すべきで
ある。
イ大阪労働局管内における平成14年度ないし平成20年度の脳血管疾患
及び虚血性心疾患等に基づく労災補償給付請求並びにこれに対する認定の
各件数の絶対数及び労災補償給付新規受給者数全体に占める割合は極めて
少なく,本件文書に記載されている労働者の絶対数が極めて限定されてい
る上に,処理経過簿の記載事項のうち監督署名,職種,業種,疾患名等の
情報は開示されており,これらの情報だけでも被災労働者個人を相当範囲
にまで限定することが可能であるところ,さらに事業場名が開示されるこ
ととなれば,事業場名を加えた上記各情報と被災労働者の近隣者や勤務先
の関係者等が通常保有しているか又は入手し得る当該事業場で支給決定年
度から推測できる年度に死亡若しくは療養,休業した者の有無等の情報と
を照合することにより,被災労働者個人を特定することが可能となる。
よって,事業場名は情報公開法5条1号所定の個人識別情報に該当する。
ウ上記イのとおり他の情報と照合すれば被災労働者個人を特定することが
可能となるところ,原告が主張するように事業場名のみの開示請求があっ
た場合にそれ自体は個人識別情報に該当しないため開示すべきであるとす
ると,それぞれ監督署名,職種等についても別途情報公開請求を行い,全
ての情報を照合することによって個人識別情報の開示がされたのと同じ結
果となってしまい不当であることは明らかであって,原告の主張は失当で
ある。
エ原告は,事業場名が不開示情報に該当しても法人名については開示され
るべきであると主張するが,法人名も事業場名と同様の理由により情報公
開法5条1号に定める不開示情報に該当するといえるから,原告の主張は
失当である。
(原告の主張)
ア情報公開法の目的からすれば,個人に関する情報の全てを情報公開の対
象外とすることを想定していないことは明らかであるから,同法の規定を
解釈するに当たっては,行政機関が保有する情報の公開につながるように
解釈すべきであり,不開示情報の範囲については限定的に解釈すべきであ
る。したがって,同法5条1号にいう「他の情報」とは,一般人が通常入
手し得る情報に限定されると解すべきところ,一般人が通常入手し得る情
報とは,広く刊行されている新聞,雑誌,書籍や,図書館等の公共施設で
一般に入手可能な情報等をいい,特別の調査をすれば入手し得るかもしれ
ないような情報については「他の情報」に含まれないと解すべきである。
イ被災労働者個人が当該事業場に勤務している又はしていたことやその職
種や疾患名については,一般人が通常入手し得る情報には該当せず「他の
情報」には含まれない。そして,開示されている労働基準監督署名,職種,
業種,疾患名等の情報に加えて事業場名を開示したとしても,当該事業場
に脳血管疾患及び虚血性心疾患等により労災補償給付の支給決定を受けた
者がいるということ以上に特定の個人が識別されることにはならず,被災
労働者個人を特定することが可能となるとはいえないから,事業場名は他
の情報と照合することにより特定の個人を識別することができることとな
る情報には当たらず,このことは支給決定数が少ないという事情に左右さ
れるものではない。また,処理経過簿はデータで管理されているため,事
案の掲載順序を入れ替えることは容易であり,そのような処理を行った上
で開示すれば労働基準監督署名等の情報と照合することにより被災労働者
個人を特定することはできなくなるのであるから,これらの情報が開示さ
れていることは事業場名を不開示とする理由にはならない。
ウ当該行政文書に記載されている複数の情報を照合すれば個人識別情報に
該当し,かつ各情報のみでは個人識別情報には該当しない場合,各情報が
個人識別情報ではない以上,できる限り情報を開示すべきであるから,開
示請求者が開示を求める情報を限定している場合には,その情報以外の情
報を不開示として,開示を求めている情報については開示すべきである。
本件開示請求は,事業場名欄中の法人名及び支給決定年月日の開示を求
めるものであるから,これら以外の情報を不開示とした上で,事業場名欄
中の法人名を開示すべきであったのに,これを行わずにされた本件一部不
開示決定は違法である。
エ法人名は,それ自体で当該個人を識別できる情報ではなく,また,他の
情報と照合することによって当該個人を識別できる情報にも該当しない。
そして,法人名と事業場名はそれぞれ独立した情報であって分離すること
は可能かつ容易であり,法人名はそれ自体が有意な情報であり,また,法
人名を開示することにより,被災労働者個人又はその遺族等の権利利益が
害されるおそれも認められないから,仮に事業場名が個人識別情報に該当
するとしても,情報公開法6条1項または2項により法人名のみを部分開
示すべきであり,これを行わずにされた本件一部不開示決定は違法である。
オ大阪労働局管内の労働基準監督署は,労働者が死亡し,過労死として労
働災害認定がされた事例につき,送検事実及び労働災害認定がされた事実
に加え,当該被災労働者が所属していた事業場名を公表しているところ,
このような取扱いは行政庁においても事業場名は情報公開法5条1号の不
開示情報に当たらないと判断していることを裏付けるものである。
(2)争点(2)(事業場名が情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報に該当する
か)について
(原告の主張)
ア開示請求の対象である情報が情報公開法5条1号に該当する場合であっ
ても,同号ただし書ロに該当する場合には開示が義務付けられることにな
るところ,その該当性については当該情報の不開示により保護される利益
と開示により保護される利益の比較衡量を行い,後者が前者に優越すると
認められるか否かにより判断すべきである。
イ(ア)脳血管疾患及び虚血性心疾患等について労災補償給付の支給決定がさ
れた事案は,平成13年12月12日基発1063号厚生労働省労働基
準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除
く。)の認定基準」(以下「新認定基準」という。)を上回るか又はそれと
同程度と評価された過酷な長時間労働の継続等が労働災害発生の原因と
なっているものであるところ,そのような過重労働は企業の労働条件,
職場環境,労務管理等に起因して発生するものであるから,被災労働者
と同じ事業場で働く他の労働者も新認定基準を上回る過重労働下にある
可能性が高いといえる。このことは,過重労働による健康障害を発生さ
せた事業場に対する監督指導結果において,監督指導を実施した事業場
のうち93パーセントの事業場に法令違反が認められ,そのうち労働時
間に関する違反は69パーセントであったことからも明らかである。
事業場名を公表することにより,当該事業場で現に業務に従事してい
る労働者及び過去に従事していた元労働者に対して過重労働下にあって
脳・心臓疾患を発症する可能性があることにつき注意喚起することがで
き,これらの疾患の発症を未然に防ぐことができることや,当該事業場
が社会的監視の下に置かれることとなった結果,社会的信用を保持する
ために過重労働の発生原因となっている労働条件及び職場環境の改善に
取り組むこととなること,関係省庁及び地方公共団体等も,国民による
監視の下に置かれることとなる結果,当該事業場に対して適切な指導・
監督や改善状況に関する積極的な調査を行うようになることから,労働
災害の発生防止につながるといえる。
他方で,不開示により保護される利益は,個人が識別されるのではな
いかという被災労働者等の漠然とした不安感が除かれるという点にしか
存在せず,仮に被災労働者個人が識別される可能性があったとしてもそ
れは抽象的可能性にとどまるものである。
(イ)厚生労働省は石綿ばく露作業による労災認定等事業場一覧表の公表を
しているところ,新認定基準により労働災害と認定された過重労働者が
働いていた事業場名を公表する必要性は石綿ばく露作業が行われてい
た事業場を公表する場合と異なるところはないこと,前記(1)の原告の主
張オのとおり,労働基準監督署が送検事実のみならず過労死による労働
災害認定があった事実を企業名と併せて公表していることからすれば,
仮に事業場名が個人情報に該当するとしても,労働者の生命・健康等の
保護の必要性が開示により生じる不利益を上回ると判断されたものと
いえる。
被告は,送検事実だけでなく企業名等も公表したことにつき合理的な
説明をしないが,企業名が個人識別情報に該当するとした場合にそれが
公表された理由としては情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報に該
当すると判断されたとしか考えられず,そうであるならば他の労働災害
事件についても同様の理由により事業場名は開示されるべきである。
(ウ)被告は,被災労働者等のプライバシー保護の必要性が高いと主張する
が,特定の労働者が労災補償給付の請求をした事実等を相当の労力をか
けて調査する者は滅多に存在しないと考えられる上,被告が主張するよ
うな不都合が生じることはいずれも非常に抽象的で稀な事例にすぎない
から,被災労働者等のプライバシー侵害が生じるおそれは極めて低いも
のというべきである。
また,被告は,労働者は自らが過重労働下にあるかにつき認識するこ
とが可能であると主張するが,自己が従事している労働が労働災害につ
ながると認識することは困難であると考えられるし,企業も自社内で労
働災害が発生した事実を進んで公表はしないから,事業場名の公表によ
り自己の従事する労働を客観的に見直し,労働組合等が企業に対し労働
環境の改善を求める契機とすることが必要である。
ウ上記のとおり,事業場名の開示が,労働災害の防止につながり,現在又
は将来における生命,身体の安全という利益が保護されることとなると共
に,事業場名を開示しないことにより保護される個人の漠然とした不安感
の除去に優越することは明らかであるから,事業場名は情報公開法5条1
号ただし書ロ所定の情報に該当する。
(被告の主張)
ア情報公開法5条1号所定の情報が同号ただし書ロに該当するというため
には,当該情報が不開示とされることによって現実に人の生命等に侵害が
発生しているか,将来これらが侵害される蓋然性が高く,当該情報を開示
することによってこれらの侵害が除去される蓋然性がある場合であって,
かつ,当該情報を不開示とすることにより害されるおそれのある人の生命,
健康,生活又は財産の保護の必要性と,これを公開することにより害され
るおそれのあるプライバシー等の個人の権利利益の保護の必要性とを比較
衡量し,前者が後者に優越することが必要であると解すべきである。
イ(ア)事業場名を不開示とされることによって,現実に人の生命等に侵害が
発生しているか,将来これらが侵害される蓋然性が高いことについて具
体的な主張立証はされていない。過重労働についての判断は企業の労務
管理等のみならず,個々の被災労働者の地位,責任,担当業務等の状況
により個別的に行われるものであって,ある被災労働者が過重労働状態
にあったからといって必ずしも他の労働者について同様に新認定基準を
上回る過重労働状態にあったとはいえないのであるから,事業場名の開
示によって労働者の生命・身体を労働災害の危険から守るとする原告の
主張には論理の飛躍がある。原告は,過重労働による健康障害を発生さ
せた事業場に対する監督指導結果を根拠に,他の労働者も過重労働状態
にあると主張するが,同結果において記載されている法令違反の事実が
直ちに新認定基準を上回るような時間外労働の存在を示すわけではない
から,原告の主張には理由がない。
また,個々の労働者は自身の勤務時間や勤務状況等を把握しているの
が通常であって注意喚起をする必要はないこと,原告のいう事業場名の
開示により社会監視が働き企業による労働条件改善の取組みにつながる
という論理には飛躍があること,関係省庁や地方自治体が労働災害防止
のための施策を行うために個別の事業場名を把握する必要性はないこと
からすれば,事業場名を開示することが労働災害の再発防止につながる
とはいえない。
よって,事業場名が不開示とされることによって現実に人の生命等に
侵害が発生しているか,将来これが侵害される蓋然性が高いとはいえず,
当該情報を開示することによってこれらの侵害が除去される蓋然性があ
るとは認められないことは明らかである。
(イ)他方,事業場名を公開されることで,被災労働者若しくはその家族は,
脳血管疾患及び虚血性心疾患等を含む病気に罹患したこと,労災補償給
付請求を行ったこと及び当該請求に対する支給決定を受け,休業,療養
補償若しくは遺族補償年金等の相当額の金銭を受領したこと等の通常第
三者に知られたくない情報を知られる可能性があるところ,これらの情
報が第三者に伝われば,求職等に当たり不利に働いたり,受給した金銭
に係る無用な相談を持ちかけられたり,近隣者や同僚等の事業場関係者
からいわれのない誹謗中傷を受けたりする等のおそれがあるから,被災
労働者及びその家族のプライバシー等の権利利益を保護する必要性は極
めて高い。
(ウ)労働基準法等違反として捜査を行い,検察庁に書類送検した事案では
事業場名が公表されているが,これは書類送検した場合に当該送検事実
を公表することとしていることによるものであり,処理経過簿の事業場
名欄の開示が問題となっている本件とは場面が異なる。
ウよって,事業場名の不開示により現実に人の生命等に侵害が発生してい
るか又はその蓋然性が高いとはいえない上,仮に開示による利益があると
してもその程度は極めて小さいところ,これに比して開示により害される
プライバシー等の個人の権利利益の保護の必要性が優越することから,事
業場名が情報公開法5条1号ただし書ロ所定の情報に該当しないことは明
らかである。
(3)争点(3)(事業場名が情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当するか)
について
(被告の主張)
ア情報公開法5条2号イにいう「正当な利益」とは,当該法人等又は当該
個人の権利,競争上の地位,ノウハウ,信用等,法人等又は事業を営む個
人の運営上の地位を広く含むものとされ,当該情報を開示することで当該
事業場の権利や地位等を害するおそれがあるか否かによって判断されると
ころ,事業場名を開示することにより労働災害を発生させたことなどの企
業情報が明らかとなるが,それによって法令違反の有無にかかわらず法令
を遵守しない事業場などとして当該事業場に対する社会的信用を著しく低
下させ,各種の取引活動において不利な扱いを受け,人材確保等の面にお
いて影響が生じるなど,同業他社との競争上の地位その他正当な利益が害
されるおそれが高く,このことは客観的にも明らかであって,抽象的な可
能性の指摘にとどまるものではない。
イ原告は,脳血管疾患及び虚血性心疾患等による労災補償給付支給決定者
を出したという一事をもって当該事業場に「正当な利益」がないと主張す
るが,そのように解する根拠は不明であって独自の見解にすぎず,失当で
ある。
ウよって,事業場名は情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当する。
(原告の主張)
ア新認定基準により労働災害と認定された過重労働が存在した事業場につ
いては,労働災害の発生につき使用者として極めて重大な責任があり,そ
の事実を公表して労働環境の改善を図ることが必要であるから,企業にと
って事業場において労働災害が発生したことを秘する「正当な利益」は存
在しない。
イ情報公開法では行政文書は原則として公開しなければならないとされて
いることから,同法5条2号イ所定の不開示情報に該当するというために
は,主観的に他人に知られたくない情報というだけでは足りず,当該情報
を開示することにより当該事業者の権利や公正な競争関係における地位,
ノウハウ,信用等の利益を害するおそれが客観的に認められることが必要
であり,また,上記おそれが存在するか否かの判断に当たっては単なる抽
象的,確率的な可能性では足りず,法的保護に値する蓋然性が認められる
ことが必要である。
この点,ある事業場において脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症とい
う労働災害が発生し,労災補償給付の支給決定がされたとの事実のみから
直ちに法令を遵守しない事業場であるとの評価を受けるものではなく,事
業場名の開示により当該事業場の社会的信用が低下することが客観的に明
らかであるとはいえない。また,仮に社会的評価の低下が生じたとしても,
そこから直ちに取引先から取引を停止される等の不利な取扱いを受けると
は到底考えられないし,過去に労働災害を生じさせたことのみで当該企業
を就職希望の対象から外すことは社会通念上考え難く,実際に労働災害を
発生させた企業が取引先から不利な扱いを受けたり求職者から敬遠された
りしているといった事情も存在しない。仮に人材確保の点で多少の支障が
生じる可能性はあるとしても,そのことによって同業他社との間で競争上
の地位その他正当な利益を害するおそれが生じるとまではいえない。
ウよって,被告の主張は単なる抽象的な可能性をいうにすぎず,正当な利
益を害するおそれがあるということはできないから,事業場名は情報公開
法5条2号イ所定の不開示情報には該当しない。
(4)争点(4)(事業場名が情報公開法5条2号ただし書所定の情報に該当するか)
について
(原告の主張)
ア仮に事業場名が情報公開法5条2号イの不開示情報に該当するとしても,
同号ただし書に該当する場合には開示が義務付けられることになるところ,
その該当性については同条1号ただし書ロの場合と同様に不開示により保
護される利益と開示により保護される利益の比較衡量を行い,後者が前者
に優越すると認められるか否かにより判断すべきである。
イ事業場名の開示により,社会的監視の下で労働災害を発生させた企業の
労働条件や職場環境の改善を促すことでその再発を防止し,労働者の生命,
身体の安全を確保することができることについては,前記(2)の原告の主張
イ(ア)のとおりである。
一方,労働災害を発生させるような事業場運営を行っていたことを取引
相手や入社希望者に対して秘密にする正当な利益は存在せず,仮にあった
としてもその要保護性は極めて低い上,上記(3)の原告の主張イのとおり事
業場名の開示により競争上の利益が害されるおそれは抽象的なものにすぎ
ない。また,労働災害が発生してからの調査に不都合が生じることを理由
に情報を開示しないというのは本末転倒の議論であるし,事業場が労働災
害を発生させた事実を開示されることにより生じる不利益をおそれて労働
災害認定のための調査に非協力的になるおそれは抽象的なものにすぎず,
仮にそれがあるとしても労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」とい
う。)46条の文書提出又は出頭を命ずる権限及び同法48条1項の立入検
査権限などで対応可能であるから,支障はない。
ウよって,事業場名の開示により得られる利益が不開示により保護される
利益に優越しているから,情報公開法5条2号ただし書所定の情報に該当
する。
(被告の主張)
ア法人等情報が情報公開法5条2号ただし書所定の情報に該当するという
ためには,同条1号ただし書ロの場合と同様,当該情報が不開示とされる
ことによって現実に人の生命等に侵害が発生しているか,将来これらが侵
害される蓋然性が高く,当該情報を開示することによってこれらの侵害が
除去される蓋然性がある場合であって,かつ,当該情報を不開示とするこ
とにより害されるおそれのある人の生命,健康,生活又は財産の保護の必
要性と,これを開示することにより害されるおそれのある事業者の正当な
利益保護の必要性とを比較衡量し,前者が後者に優越することが必要であ
ると解すべきである。
イ事業場名を不開示とすることによって,現実に人の生命等に侵害が発生
しているか,将来これらが侵害される蓋然性が高いことについて具体的な
主張立証はされていない。
また,上記(2)の被告の主張イ(ア)のとおり事業場名の開示が労働災害の再
発防止のための労働条件改善につながるとはいえず,開示による利益の程
度は,開示と労働者の生命の保護との関連性の薄さに照らせば,極めて小
さい。
一方,事業場名を開示することで,当該事業場の競争上の地位その他の
正当な利益を害するおそれがあることは上記(3)の被告の主張アのとおり
である。また,事業場名につき各事業場が関与しないところで処分行政庁
が一方的に開示するということになれば,将来他の事業場で同様の脳血管
疾患及び虚血性心疾患等の事案が発生した場合,事業場名を開示され広く
社会に知れ渡ることを危惧し,労災補償給付の支給・不支給決定をするた
めの就労実態等調査に当たり事業場から積極的な情報提供がされなくなっ
たり非協力的な対応となったりして,迅速な労働災害認定が困難になるお
それが生じる蓋然性が高く,ひいては労働災害の被災者一般の不利益とな
りかねない。
ウ原告は,労災保険法上の調査権限等を行使すれば問題がないと主張する
が,結果として調査権限を使わざるを得ない状況を現出させた時点で認定
の遅延化を招くことは避けられず,被災労働者一般の不利益を招く可能性
が高いし,今後発生する労働災害との関係でも調査の不都合は極めて大き
な問題である。
また,石綿関連疾患に係る労災認定等事業場の公表がされたのは,潜伏
期間が非常に長く,石綿ばく露作業に従事した労働者自身が当該作業に従
事していたことを認識していない可能性があるため,関係労働者に石綿ば
く露作業に従事した可能性があることを注意喚起するために事業場情報の
公開が必要不可欠であるため,当該事業主の利益を害する可能性があって
もなお事業場名を公表しているところであり,事業場の公表に係る明文規
定が法律で定められているものであるから,これらの事情が当てはまらな
い脳血管疾患及び虚血性心疾患等の場合とは事案を異にする。
エよって,事業場名の不開示により現実に人の生命等に侵害が発生してい
るか又はその蓋然性が高いともいえない上,開示の必要性に比して,開示
により害される利益の保護の必要性が優越することから,事業場名は情報
公開法5条2号ただし書所定の情報には該当しない。
(5)争点(5)(事業場名が情報公開法5条6号柱書所定の不開示情報に該当する
か)について
(被告の主張)
ア情報公開法5条6号の文言からすれば,同号イないしホは限定列挙では
なく,開示により事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある
情報を含むことが容易に想定される事項を例示したものにすぎず,これら
の事務又は事業以外でも当該事務又は事業の性質上その適正な遂行に支障
を及ぼすおそれがあるものについては不開示情報に該当する。
そして同号にいう「当該事務又は事業の性質上」とは,当該事務又は事
業の目的や目的達成のための手法等に照らして,その適正な遂行に支障を
及ぼすおそれがあるかどうかを判断する趣旨であり,また,「適正な遂行に
支障を及ぼすおそれ」については,実質的な支障が発生することについて
の法的保護に値する蓋然性が必要となる。
イ労働災害補償制度は労働者に迅速かつ公正な保護をすることを目的とし
ているところ,労災補償給付の支給・不支給の決定をするためには,事業
主に報告を求め,被災労働者及びその同僚等の就労実態等についてその上
司や同僚等の関係者から詳細に調査する必要があり,この調査を迅速に行
うに当たっては当該事業場の関係者の任意の協力が不可欠であるが,事業
場名が開示されることによって,本件で開示されることとなる事業場はも
とより他の事業場においても労働災害を発症させた事業場としてその名が
広く社会に知れ渡ることを危惧して積極的な情報提供及び調査に対して非
協力的となる事態が生じる可能性があることは,上記(4)の被告の主張イの
とおりである。
よって,事業場名を開示することは,迅速かつ公正な労働者の保護を行
うために必要な保険給付を行うという労働局における労働者災害補償保険
事業(以下「労災保険事業」という。)の適正な遂行に支障を及ぼすといえ
るから,事業場名は情報公開法5条6号柱書所定の不開示情報に該当する。
(原告の主張)
ア情報公開法5条6号柱書にいう「支障を及ぼすおそれ」に当たるには,
同号イないしホ所定のおそれに類するような実質的支障が生ずるおそれが
必要であり,ここでいう「おそれ」については,抽象的な可能性では足り
ず法的保護に値する程度の蓋然性が必要であって,その判断につき行政庁
に広範な裁量を与える趣旨ではないと解すべきである。
イ任意調査に応じない場合の強制調査権限や罰則規定が労災保険法上設け
られていることからすれば,強制調査や罰則を受けることを回避するため
任意調査に応じることを選択する事業場も多いと考えられるし,任意調査
に応じないこと自体によって行政庁から不信感を抱かれることからすれば,
事業場名の開示により任意調査に応じない事業場が増加するとは考えられ
ない。事業主に労働災害が発生した事実を隠す意図があるような場合に任
意調査に応じるか,虚偽の事項を述べないかについては事業場名の開示と
は関係なく生じる問題であるし,そもそも任意調査の場合であっても行政
庁としては調査の結果得られた情報の真偽を検証する必要があるのである
から,事業場名の開示によって行政庁の業務を増大させることにはならな
いというべきである。
むしろ,労働災害を生じさせた事業場が公表されることになると,企業
は,これを避けるために労働災害の発生防止策を講じるようになるから,
将来的には労働災害の件数は減少し,それに伴い労災補償給付の請求件数
も減少して,かえって行政庁の負担を減少することになる。
よって,事業場名の開示により労災保険事業の適正な遂行に支障を及ぼ
すおそれがあるとはいえない。
第3争点に対する判断
1本件文書のうち平成16年度の処理経過簿には事業場名欄が存在しないこと
は前記前提事実(4)のとおりであるから,本件開示請求のうち平成16年度の処
理経過簿に係る部分については,開示請求の対象となる行政文書は存在せず,
この点についての原告の請求は理由がない。
以下では,本件文書のうち平成16年度以外の処理経過簿に記載された事業
場名が不開示情報に当たるか否かにつき検討する。
2争点(1)(事業場名が情報公開法5条1号所定の不開示情報に該当するか)に
ついて
(1)ア情報公開法5条1号は,個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業
に関する情報を除く。)であって,当該情報に含まれる氏名,生年月日その
他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照
合することにより,特定の個人を識別することができることとなるものを
含む。)又は特定の個人を識別することはできないが,公にすることにより,
なお個人の権利利益を害するおそれがあるものにつき原則不開示と定めて
いるところ,処理経過簿に記載されている事業場名はそれ自体で被災労働
者個人を識別できる情報に当たらないことは明らかである。そこで,事業
場名が,「他の情報」と照合することによって本件文書に記載されている労
災補償給付の支給決定を受けた被災労働者個人を識別することができるこ
ととなる情報に当たるか否かが問題となる(なお,被告は,本件訴訟にお
いて,同法5条1号後段の公にすることにより,なお個人の権利利益を害
するおそれがある情報に当たるとの主張はしていない。)。
イ情報公開法5条1号にいう「他の情報」の意義について検討するに,情
報公開法は,国民主権の理念にのっとり,政府の有するその諸活動を国民
に説明する責務が全うされるようにするとともに,国民の的確な理解と批
判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的としており
(1条),また,開示請求があったときは,5条各号に列記する不開示情報
が記録されている場合を除き,当該行政文書を開示することを義務付けて
おり,行政文書について公開を原則としている(5条)。一方で,行政文書
の公開によってプライバシー等の個人の権利利益が害されることのないよ
う,個人に関する情報のうち特定の個人を識別できる情報については原則
として不開示情報に当たるとしてその保護を図っているが(5条1号),こ
れは,個人のプライバシー等の概念はその外延が不明確な部分があるため,
特定の個人を識別できる情報を一律に不開示情報としているものである。
このように情報公開法が行政文書の公開を原則とし,個人に関する情報
であっても,特定の個人を識別できる情報に当たると認められない限り,
公開すべきものとしていることに鑑みれば,同法が開示請求の主体につき
何らの制約を設けていないため,当該個人の近親者等も開示請求をする可
能性があることを考慮しても,それと照合することにより特定の個人を識
別することができることとなる「他の情報」について,一般人が通常入手
し得る情報にとどまらず,特別の調査をして初めて入手可能な情報や,当
該個人の近親者や知人等の特定の者のみが保有する情報をも含むと解する
ことは,不開示とすべき範囲をあまりにも広範に認めるものであって,個
人に関する情報については基本的に不開示とすべきものというに等しく,
上記情報公開法の定める公開原則にそぐわないものというほかない。した
がって,同法5条1号にいう「他の情報」とは,広く刊行されている新聞,
雑誌,書籍や,図書館等の公共施設で一般に入手可能な情報等の一般人が
通常入手し得る情報をいうものと解するのが相当であり,特別の調査をす
れば入手し得るかもしれないような情報や,当該個人の近親者,知人等の
みが保有していたり,入手し得る情報についてはこれに含まれないという
べきである。
このように解しても,当該個人の近親者等が開示請求によって得た情報
を自己の保有する情報と照合することにより当該個人が識別され,その結
果当該個人の権利利益が害されるおそれがある場合には,情報公開法5条
1号後段にいう,公にすることにより個人の権利利益を害するおそれがあ
る情報としての不開示事由に当たり得ると考えられるから,当該個人の保
護に欠けることはないといえる。
(2)上記の検討を踏まえて,本件文書中の事業場名が情報公開法5条1号の不
開示情報に該当するか否かにつき以下判断する。
まず,本件文書中の監督署名,職種,業種,疾患名,支給決定年月日等の
情報については本件一部不開示決定により開示されたものであるから,一般
人が通常入手し得る情報に当たるといえる。一方,開示を求められている事
業場においてある年度に死亡又は療養,休業した者や,労災補償給付を申請
した者の氏名や人数については,当該事業場と関係を有しない一般人が特別
の調査を要せずに通常入手し得る情報であるということはできない。
そして,上記の監督署名,職種,業種,疾患名,支給決定年月日等に加え
て事業場名が開示されたとしても,上記のような当該事業場における脳血管
疾患及び虚血性心疾患等により死亡又は療養等をした者及びそれを原因と
する労災補償給付申請をした者の氏名や人数についての情報を有しない一
般人にとっては,被災労働者個人を識別することは不可能であるから,事業
場名は「他の情報と照合することにより,特定の個人を識別することができ
ることとなる」情報に当たるとは認められない。
被告は,大阪労働局管内における脳血管疾患及び虚血性心疾患等による労
災補償給付請求及びこれに対する認定の各件数の絶対数及び労災補償給付新
規受給者数全体に占める割合は極めて少なく,開示されている監督署名,職
種,業種,疾患名等の情報により相当程度被災労働者個人を限定することが
可能であるところ,これらの情報と事業場名とを照合することにより被災労
働者個人が特定される可能性が極めて高いとも主張するが,上記のように被
災労働者個人につながる具体的な情報を入手することは通常は不可能である
以上,当該被災労働者個人を特定することはできないというほかなく,この
点は上記判断を左右するものではない。
(3)したがって,本件文書中の事業場名は情報公開法5条1号所定の不開示情
報には当たらず,この点に関する被告の主張は理由がない。
3争点(3)(事業場名が情報公開法5条2号イ所定の不開示情報に該当するか)
について
(1)情報公開法5条2号イは,法人等に関する情報であって,公にすることに
より,当該法人等の権利,競争上の利益その他正当な利益を害するおそれが
あるものを不開示情報と定めているところ,当該不開示情報に該当するため
には,主観的に他人に知られたくない情報であるというだけでは足りず,当
該情報を開示することにより,当該法人等の権利や,公正な競争関係におけ
る地位,ノウハウ,信用等の利益を害するおそれが客観的に認められること
が必要であり,また,ここにいうおそれがあるといえるためには,単なる抽
象的,確率的な可能性が存するだけでは足りず,法的保護に値する蓋然性が
存することが必要であると解するのが相当である。
(2)被告は,本件文書に記載されている事業場名が開示されれば,労働災害を
発生させた事実のみから法令違反の事実の有無にかかわらず法令を遵守しな
い事業場であると認識され,当該事業場に対する社会的評価が低下する旨主
張する。
この点につき検討するに,近時,企業における法令遵守が重視され,労働
者の職場環境に対する関心の高まりもあいまって,過労死等の労働災害認定
を巡る紛争等が報道されることも多く,その中には使用者側に対し批判的な
報道がされることも少なくないこと,労働者が過重労働により死亡や発病等
した事案では長時間の勤務がその一要因と思われるものも少なくないこと等
の事情からすると,ある事業場において過重業務に起因する脳血管疾患及び
虚血性心疾患等の発症及びそれに基づく死亡等の労働災害が発生したという
事実が明らかになれば,そのこと自体から当該事業場について一定の社会的
評価の低下が生じる可能性は否定できない。しかしながら,労働者災害補償
保険制度は,業務上の事由又は通勤による労働者の負傷,疾病,障害,死亡
等に対して迅速かつ公正な保護をするため,必要な保険給付を行い,あわせ
て,業務上の事由又は通勤により負傷し,又は疾病にかかった労働者の社会
復帰の促進,当該労働者及びその遺族の援護,労働者の安全及び衛生の確保
等を図り,もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的とするものであ
り(労災保険法1条),その支給決定に当たって使用者に労働基準法等の法令
違反があったか否かを問題とするものではないから,ある事業場における労
働災害に対して労災補償給付の支給決定がされたとの事実が当該事業場にお
いて法令違反行為が存在したことを意味するものではなく,当該事実自体は
当該事業場に対する社会的評価の低下と直ちに結びつくものとはいえないと
ころであって,当該事実が明らかになることにより一定の社会的評価の低下
が生じ得るとしてもそれは多分に推測を含んだ不確かなものにすぎないとい
える。さらに,本件で問題となっている脳血管疾患及び虚血性心疾患等その
ものは,労働時間等の労働環境以外に年齢,生活習慣等の様々な要因が影響
するものとされており,一般的には単純に労働時間の長短や労働環境の影響
のみによって発生するものとまで認識されてはいないものと解されるところ
である。
また,上記説示の諸点に照らせば,仮に労働災害に対して労災補償給付の
支給決定がされたという事実により一定の社会的評価の低下が生じたとして
も,そのことが直ちに当該事業場が取引先からの信用を失い,あるいは,求
職者から当該事業場への就職を敬遠されるような事態を招く蓋然性が存する
ものと認めるに足りる的確な証拠はなく,そのようなおそれはあくまでも抽
象的な可能性にすぎないものというべきである。
(3)したがって,本件文書中の事業場名は情報公開法5条2号イ所定の不開示
情報には当たらず,この点に関する被告の主張は理由がない。
4争点(5)(事業場名が情報公開法5条6号柱書所定の不開示情報に該当する
か)について
(1)情報公開法5条6号は,国の機関,独立行政法人等,地方公共団体又は地
方独立行政法人が行う事務又は事業に関する情報であって,公にすることに
より,同号イないしホに掲げるおそれその他当該事務又は事業の性質上,当
該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるものを不開示情
報としているところ,ここにいうおそれとは,当該事務又は事業の根拠とな
る法令の規定の文言及び趣旨,当該事務又は事業の目的,その目的達成のた
めの手法等に照らして,その適正な遂行に支障を及ぼすおそれをいい,かか
るおそれが存在すると認められるためには,実質的,具体的に当該事務又は
事業の適正な遂行に支障が生じる蓋然性が存することが必要であると解す
るのが相当である。
(2)被告は,事業場名が開示されれば,当該事業場はもとより他の事業場にお
いても,労働災害を発生させた事業場として事業場名が広く社会に知れ渡る
可能性があることを危惧し,そのため,労災保険事業における被災労働者の
就労実態等に関する調査において上司及び同僚等からの積極的な協力が得
られないこととなり,迅速かつ公正な労働者の保護という労災保険事業の適
正な遂行に支障が生じる旨主張する。
しかしながら,前記3のとおり,業務に起因して脳血管疾患及び虚血性心
疾患等を発症し,労災補償給付の支給決定を受けた労働者に係る事業場名が
開示されたとしても,そのことによって当該事業場の社会的評価や信用が低
下する抽象的な可能性があるにすぎず,その競争上の地位その他正当な利益
が害される蓋然性が存するものとは認められないことからすれば,事業場名
の開示によって,当該事業場はもとより他の事業場においても,労働災害を
発症させた事業場であることが発覚することをおそれて就業実態の調査に
対し非協力的となるという事態が一般的に想定されるものとはいえないか
ら(被告提出に係る大阪労働局の主任労災補償監察官の陳述書(乙24)に
おいても,そのおそれが高いと述べられているものの,抽象的に懸念を述べ
るにとどまり,上記判断に何らの消長を来すものではない。),事業場名の開
示により労災保険事業の適正な遂行に支障が生じる蓋然性が存するものと
認めることはできない。
(3)したがって,本件文書中の事業場名は情報公開法5条6号柱書所定の不開
示情報には当たらず,この点に関する被告の主張は理由がない。
5以上によれば,本件文書(平成16年度の処理経過簿に係る部分を除く。)の
記載中,事業場名は情報公開法5条1号,2号イ,6号所定の不開示情報のい
ずれにも当たらないところ,事業場名欄中の法人名記載部分は,他の部分とは
区分可能であり,かつそれ自体有意の情報といえるから,処分行政庁はこれを
開示すべき義務を負うものであって,本件文書(同上)のうち事業場名欄の法
人名記載部分を不開示とした本件一部不開示決定(本件裁決により変更された
後のもの。)は違法であり,取消しを免れない。
6結論
よって,その余の点につき判断するまでもなく,原告の請求は本件文書のう
ち平成16年度の処理経過簿に係る部分以外についての本件一部不開示決定
(本件裁決により変更された後のもの。)の取消しを求める限度で理由がある
からこれを認容し,その余の請求(上記平成16年度の処理経過簿に係る部分)
は理由がないから(前記1参照)これを棄却することとし,訴訟費用の負担に
ついて行政事件訴訟法7条,民事訴訟法64条ただし書,61条を適用して,
主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第7民事部
裁判長裁判官田中健治
裁判官尾河吉久
裁判官長橋正憲

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