弁護士法人ITJ法律事務所

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主文
1被告は,原告に対し,230万円及びこれに対する平成22年4月13日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2原告のその余の請求を棄却する。
3訴訟費用は,被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,550万円及びこれに対する平成22年4月13日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1請求原因の要旨
本件は,原告が,収容されていた名古屋刑務所内において,同刑務所の刑務官らに,
コンクリートの床に引き倒され,頭部を踏み付けられるなどされた上,腹部を革手錠
で締め上げられ,これらによって骨盤骨骨折,腰椎変形,急性腹膜炎及び急性腎不全
等の傷害を負い,数か月間病舎に入病を余儀なくされ,多大な精神的損害を被ったと
して,被告に対し,安全配慮義務違反に基づき,慰謝料500万円及び弁護士費用5
0万円の合計550万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日である平成22年4
月13日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた
事案である。
2前提事実(証拠を掲記した事実以外は当事者間に争いがない。)
(1)事実経緯
名古屋刑務所は被告の管理・運営する施設であり,同刑務所の刑務官は国家公務
員である。
原告は,平成10年3月26日に懲役刑の執行のため名古屋刑務所に入所し,平
成12年7月30日まで同刑務所に収容されていた。入所当時,原告は,再審請求
を行うため,A弁護士会人権擁護委員会に救済を求めていた。平成10年3月27
日,同委員会の弁護士が,名古屋刑務所を訪れて原告と面会し,原告に対し,内容
を整理して書いた手紙をA弁護士会まで送るように伝えた。
原告は,同年4月17日午前中の休憩時間に,名古屋刑務所の第4C工場におい
て,上記手紙のことに関して,同工場の担当職員(以下「担当職員」という。)に話
し掛けた際,担当職員の脇腹付近をつかんだ。担当職員は,同工場内の非常ベルを
押し,通路床に原告をうつ伏せに制した。非常ベルの通報により,他の刑務官がそ
の場に駆けつけた。刑務官らは,原告に対し,その場で,両手後ろの状態で金属手
錠を使用した(乙4)。そして,原告は,保護房に収容され,保護房内で革手錠を右
手前左手後ろで使用された(乙6)。保護房の視察を行った刑務官が保護房内で原告
が嘔吐していることに気付き,同日午後7時3分頃,原告に対する革手錠の使用が
解除された(乙7,8)。
原告は,同日以降,急性腎不全を発症し,同月24日の診断では,食事が食べら
れない,顔色が悪い,同月17日から続く腹痛,ブルンベルグサイン(腹膜炎にみ
られる腹膜刺激徴候)ありといった病変が認められ,同日に行われた血液検査では,
炎症性反応をみるCRP(C反応性蛋白),WBC(白血球数)の各値が基準値を超
えており,細胞破壊を示すCK(筋肉内の酵素),LDH(糖代謝の酵素),GPT
(アミノ酸の変換酵素)値などの上昇があり,貧血を示すHb(ヘモグロビン),H
t(赤血球容積)値の減少があり,腎機能が低下している徴候もあった。また,同
月24日に行われた尿検査では,尿潜血が陽性とされた。そして,原告は,同日か
ら同年6月3日まで,病棟において休養加療を受けていた。
(2)革手錠及び保護房の形状等
ア革手錠
名古屋刑務所で用いられていた革手錠には,少なくとも,特大,大,中及び小
の大きさの異なる4種類が存在する。いずれの革手錠も,腹部に装着するベルト
部分に,両手に装着する手錠部分が取り付けられており,革手錠を使用した場合,
両手を腹部のベルトから離すことはできず,両手はその位置で固定される。革手
錠のベルト部分には,複数のベルト穴がある。ベルト穴の間隔は,特大,中及び
小のいずれも5センチメートルであり,ベルト穴の長さは,特大が5センチメー
トル,中及び小が4センチメートルであるから,ベルト穴の位置を1穴分ずらし
た場合,特大ではおよそ10センチメートル,中及び小ではおよそ9センチメー
トル,ベルトの内径が変わることになる。(甲3,乙25,29)
イ保護房
名古屋刑務所に設置されている保護房は,保護房内の広さが奥行き165セン
チメートル,幅285センチメートル,高さ286センチメートルで,出入口に
は鉄製扉が設置されており,内部から開けることができないように錠が設置され
ている。鉄製扉には,保護房内をのぞくための開閉式の窓が設置されており,天
井部分には,保護房内の様子を監視できるよう,ビデオカメラが設置されている。
(乙29)
3関連法令等
(1)革手錠関係
監獄法(平成17年法律第50号による改正前のもの。以下同じ。)19条1項
は,戒具の使用について,「在監者逃走,暴行若クハ自殺ノ虞アルトキ又ハ監外ニ
在ルトキハ戒具ヲ使用スルコトヲ得」と定めている。戒具の種類は,監獄法施行規
則(平成18年法務省令第58号による改正前のもの。以下同じ。)48条1項に
より,鎮静衣,防声具,手錠及び捕縄の4種類とされ,同規則50条1項は,「鎮
静衣ハ暴行又ハ自殺ノ虞アル在監者,防声具ハ制止ヲ肯ンセスシテ大声ヲ発スル在
監者,手錠及捕縄ハ暴行,逃走若クハ自殺ノ虞アル在監者又ハ護送中ノ在監者ニシ
テ必要アリト認ムルモノニ限リ之ヲ使用スルコトヲ得」と定めている。さらに,昭
和4年5月14日付け司法省訓令「戒具製式改定ノ件」(乙25)は,手錠の種類
として金属手錠及び革手錠を定めている。
昭和32年1月26日付け矯正局長通牒「手錠及び捕じようの使用について」(乙
20)は,「戒具は,法律に定められた事由のある場合に限り,各その使用目的に
従つて使用せられるべきであり,かつ,目的達成のための最少限度でなければなら
ない。」,「特に手錠及び捕じようは,とかく安易に使用され勝ちであり,また,そ
の使用方法も多岐にわたるため使用に適正を欠くおそれが多いので,左記事項を厳
守の上使用に遺憾のないように注意されたい。」とし,使用上の心得として,「3必
要以上に緊度を強くし,使用部位を傷つけ,又は著しく血液の循環を妨げる等のこ
とがないようにすること。」と定めている。
平成11年11月1日付け法務省矯正局長通達「戒具の使用及び保護房への収容
について」(乙18)は,保護房に収容されている者に対する戒具の使用について,
「保護房収容のみでは,逃走,暴行又は自殺を抑止できないと認められる場合に限
り,保護房に収容されている者に対して戒具を使用することができる」と定めてい
る。
平成10年2月18日付け法務省矯正局保安課長通知「戒具の適正な使用につい
て」(乙26)は,「1戒具の使用方法は,使用目的達成に必要な最小限度の方法
とすること。」,「2戒具の使用中は,被使用者の動静を綿密に視察し,状況に応
じて,より抑制度の低い使用方法に変更すべきこと,また,使用の要件が消滅した
と認めたときは,直ちに解除すべきこと。」,「3保護房拘禁と戒具の使用の併用
は,これらの併用によらなければ戒護上の目的が達成されないこととなるのか否か
の点を十分に留意すべきであり,併用した場合には,その理由を視察表等に記録し
ておくこと。」,「5戒具の使用,使用方法等が形式に流されることは厳に戒めな
ければならず,特に,戒具使用の記録に当たっては,使用の要件の存することを強
調するがあまり,常とう的,誇張的表現に終始すること等のないように留意するこ
と。」と定めている(乙26)。
(2)接見(面会)及び信書関係
監獄法50条は,「接見ノ立会,信書ノ検閲其他接見及ヒ信書ニ関スル制限ハ法
務省令ヲ以テ之ヲ定ム」と定め,監獄法施行規則127条1項本文は,「接見ニハ
監獄官吏之ニ立会フ可シ」と,同規則130条1項は,「在監者ノ発受スル信書ハ
所長之ヲ検閲ス可シ」と定めている。
4当事者の主張
(1)安全配慮義務の有無について
(原告の主張)
受刑者と刑務所との間には雇用関係はないが,受刑者と刑務所ひいては被告との
間には特別な社会的接触関係があり,被告は,受刑者に対し,刑罰以上の苦痛を与
えず,その身体生命の安全に配慮すべき安全配慮義務を負う。また,安全配慮義務
との名称にこだわらずとも,被告が受刑者たる原告に対して刑罰の行使以上にその
身体生命の安全を害さない義務を負っていることは明らかであり,被告に債務不履
行に類する責任として安全配慮義務違反による責任が発生することは明らかである。
(被告の主張)
懲役刑受刑者は,刑の執行として,強制的に刑務所に収容されるのであるから,
被告と懲役刑受刑者との関係は自由意思に基づくものではなく,この点において,
契約関係又はこれに準ずる法律関係ととらえる基礎を欠いている。そうすると,刑
務所における懲役刑受刑者との関係では,被告の安全配慮義務はそもそも認められ
ない。なお,刑務所において,受刑者の生命身体等を侵害しないように配慮する義
務があることはいうまでもないが,これらは,身体拘束に伴う国・公共団体の強制
力行使に本来的に内在する一般的な義務であって,契約関係又はこれに準ずる法律
関係を基礎とする安全配慮義務とは別個の義務というべきである。
(2)安全配慮義務違反の有無について
(原告の主張)
ア名古屋刑務所の刑務官による暴行の概要
名古屋刑務所の刑務官は,同刑務所内において,原告に対し,コンクリートの
床に引き倒す,頭部を踏み付ける,腹部を革手錠で締め付けるなどの暴行を行い,
原告に骨盤骨骨折等の傷害を負わせた。本件では,食堂内での暴行(引倒し,頭
の踏み付け),保護房内における暴行(引倒し,首締め),革手錠による過度の緊
縛の3つの暴行が存在する。
イ食堂内における暴行
原告は,A弁護士会に送る手紙に関して担当職員の注意を向けるために同人の
脇腹の「服」を軽くつまんだにすぎないものであり,仮にそれが暴行と評価され
るとしても,襟を持ち,引き倒し,頭部を踏み付ける等する必要性も相当性も存
在しない。むしろ口頭での注意がされるべきケースである。また,仮につまんだ
部分が服ではなく,身体そのものであったとしても,原告がそれ以上強度の有形
力の行使をしたことはないのであり,それに対する制圧行為としても全く行き過
ぎたものであり,違法な有形力の行使である。
ウ保護房内における暴行
保護房内では,7,8人の刑務官から,革手錠を装着される際に暴行を受けた。
その7,8人の中には,少なくとも工場主任,舎房主任,工場統括,舎房統括が
いた。そして,革手錠を装着した後,工場統括が原告の首を絞め,「お前は本当は
やっている。俺の眼の黒いうちは再審請求などさせない。」と述べた。
エ革手錠の使用
革手錠は,逃亡,暴行及び自殺等を抑制するために,被拘束者の自由を一定程
度制約するものであるが,その使用に当たっては当然に警察比例の原則が当ては
まり,真に必要が認められる場合に,やむを得ない必要最小限の範囲での使用が
認められるにすぎない。
本件では,名古屋刑務所の刑務官らは,工場において既に原告を制圧した上,
保護房に連行し,収容している。革手錠を使用したのは,保護房収容後である。
保護房に収容した以上,逃走や抵抗を懸念する必要などなく,革手錠使用の必要
すらなかった。実際には,名古屋刑務所では,革手錠は,制裁目的という本来の
目的とは異なる違法な目的で使用されていたのである。
しかも,刑務官らは,革手錠によって,原告の腹部を締め上げているのである。
この点は,原告の供述だけでなく,処遇票(乙7)に,「開房し革手錠を一穴ゆる
め」,「革手錠をもとにもどす」などの記載があることからも裏付けられる。バン
ドが腰腹部から抜け落ちない程度に密着する緊度であれば,その機能を十分に果
たすことが可能であり,革手錠のバンドを強く締め上げて,腹部を必要以上に圧
迫することなど,革手錠の使用方法として根本的に間違っている。
そして,平成10年4月17日の午前中から,原告の供述によれば同日深夜ま
で,処遇票(乙7)によっても午後7時3分まで,腹部を締め上げ続けたのであ
る。異常な暴行であるというほかない。
(被告の主張)
ア刑務官が原告を制圧したのは,原告が刑務官に暴行を加えたためで,革手錠を
使用したのは,原告の暴行を防止するためである。原告の主張は誤った事実関係
に基づくものであり,名古屋刑務所の職員が,原告の再審請求を妨げるために脅
迫した事実はない。
イ原告の襟をつかみ,体を左にひねって原告を食堂外の通路に引き出したという
担当職員の有形力の行使は,「大事な話があると言っとるだろう。」などと大声で
怒鳴るや担当職員に詰め寄りその右脇腹をつかむ暴行を行った原告に対する制
圧行為として,刑務所内の秩序維持のための必要な行為と認められ,その方法及
び程度についても,必要かつ相当な範囲内のものであった。
担当職員は,駆けつけた副看守長と共に,原告を通路床にうつ伏せにして制し
た。原告は,なおも「担当,こら,馬鹿野郎。」などと怒鳴り,両手拳を固く握
り締め,下半身を左右に激しく揺さぶるなどしており,制圧を振り切って引き続
き暴行に及ぶおそれが顕著に認められた。これを受けて,副看守長らは,首席矯
正処遇官(処遇担当)の指揮により,その場で,原告に金属手錠を両手後ろの形
で緊急使用した。
その後,処遇部門調室への連行の途中,原告は,なおも「放せえ,担当の野郎。
話を聞けえ。」などと怒鳴り,看守長が制止しても「うるせえ。」などと叫ぶとと
もに,身体を前後左右に激しく揺さぶって暴れるなどし,さらには,左足を大き
く前に踏み出し,体を右に反転させて,第4C工場南側出入口の方へ向かおうと
するなどの様子がみられた。これを受けて,看守長らは,首席矯正処遇官(処遇
担当)の指揮により,原告を保護房第2室に収容した。
ウ原告は,金属手錠を使用され,保護房に収容された後も,金属手錠から腕を引
き抜こうとして腕を激しくよじり,自身の左腕を制していた看守部長の右足下腿
部を左足で蹴り付け,面前にいた看守長の腹部めがけて突進するなどした。これ
を受けて,看守長らは,首席矯正処遇官(処遇担当)の指揮により,原告に対す
る戒具を金属手錠から革手錠右手前左手後ろに変更し,引き続き保護房に収容し
た。
以上のように,保護房に収容した後も,原告に暴行のおそれが顕著に認められ
たことから,革手錠を使用したものであって,革手錠の使用は正当なものである。
保護房に収容されていても,被収容者の布団の出し入れのため,又は被収容者
の状況や申出に応じて,職員が保護房に立ち入ることがあり,その際に被収容者
が職員に対して暴行に及ぶおそれが認められる場合がある上,保護房収容時に,
被収容者を取り押さえていた職員が保護房から退室する際にも同様のおそれが
認められる場合があるのであって,このような場合,保護房収容と併用して戒具
を使用する必要性が認められる。そして,革手錠使用の態様についても,必要か
つ相当な範囲内のものであり,革手錠の使用は適法である。
(3)因果関係及び原告の負傷状況
(原告の主張)
原告は,平成10年4月17日以降,急性腹膜炎及び急性腎不全を発症している
が,これは,名古屋刑務所の刑務官らが原告の腹部を不必要かつ不適切に革手錠で
強く締め付けたことによって生じたものである。
同月24日の診察では,診療録に,「2日前受診後投薬受くも食事不能」,「顔色が
悪く」,「腹痛」,「ブルンベルグサインあり」との記載があり,明らかな病変が認め
られる。さらに,同日の診療録に,「腹痛は4月17日より変わらず」との記載があ
り,これらの病変は同月17日から始まっていることが明らかである。ブルンベル
グサインは,腹膜炎にみられる腹膜刺激徴候である。そして,同月24日の血液生
化学検査の結果からみれば,CRP(C反応性蛋白),WBC(白血球数)値等の炎
症性反応の上昇が認められ,腹膜炎の発症が明らかである。さらに,CK(筋肉内
の酵素),LDH(糖代謝の酵素),GPT(アミノ酸の変換酵素)値などの細胞破
壊を示す値の上昇があり,他方で貧血を示すHb(ヘモグロビン),Ht(赤血球容
積)値の減少からみれば,腹腔内への出血も疑われる。
原告は,名古屋刑務所に入所した同年3月26日時点で健康診断を受けているが,
このときの検尿では糖も蛋白も検出されておらず,腎不全につながるような徴候は
見られない。本件の発症は,これより1か月以内に生じた急性の疾患である。原告
の持病などが腹膜炎,腎不全の原因となることはあり得ない。結局,これらの腹膜
炎,腎不全の発症原因としては,原告が明確に供述するとおり,同年4月17日に
革手錠で強く腹部を締め付けられたことによる外傷性のものであることは疑いよう
がない。要するに,名古屋刑務所の職員らは,革手錠によって,原告の腹部の筋肉
を融解させ,腹膜,腎臓といった内臓が破裂するまで締め上げたのである。
前記の刑務官らの一連の暴行によって,原告は骨盤骨骨折,腰椎変形,急性腹膜
炎及び急性腎不全等の傷害を負い,数か月間病舎に入院を余儀なくされた。
(被告の主張)
原告が骨盤骨骨折,腰椎変形,腸の血管損傷の傷害を負った事実はなく,急性腹
膜炎の発症は不明であり,急性腎不全及び急性腹膜炎は発症していたとしても軽症
である。
すなわち,原告は,平成10年4月24日及び同月28日の生化学検査における
BUN(血清尿素窒素),Cr(血清クレアチニン)の各値が,いずれも基準値を上
回るものであり,同月24日当時に急性腎不全を発症していたものと考えられる。
ただし,その後,BUN,Crの各値は順調に低下しており,同年5月6日の検査
では,BUNが20.7(基準値内)に低下し,同月19日の検査では,BUNが
15.9(基準値内),Crが1.6(基準値内)にそれぞれ低下している。その間,
利尿のための点滴を除き,特段の治療(透析等)はされていないことからすると,
原告の急性腎不全は軽症であり,遅くとも同年5月19日頃までには自然回復した
ものと考えられる。
急性腹膜炎発症の有無は不明というほかないが,仮に,原告が急性腹膜炎を発症
していたとしても,同年4月24日のエコー検査で「特に問題ない」とされるなど,
臓器の異常をうかがわせる事情はなく,また,その後,同年5月6日の検査では,
WBC(白血球数)は7.1(基準値内),CRP(C反応性蛋白)は0.4(基準
値内)にそれぞれ低下している。その間,輸液などの保存的治療を除き,特段の治
療はされていないことからすると,原告の急性腹膜炎は軽症であり,同年5月6日
頃には自然回復の傾向にあったといえる。
また,原告の急性腎不全又は急性腹膜炎の原因を特定することは困難である。仮
に,原告の急性腎不全又は急性腹膜炎が,革手錠使用により生じたものであるとし
ても,疾病の程度がいずれも軽症であり,革手錠使用時に原告が頻繁に足をばたつ
かせるなどしていたことからすると,上記疾病は,むしろ原告自身の動きによって
生じたことが十分に考えられるのであって,上記疾病と革手錠使用との間に相当因
果関係があるとまでは認められない。
(4)損害額
(原告の主張)
ア慰謝料500万円
原告は,前記の暴行により多大な精神的苦痛を被ったが,その精神的苦痛を慰
謝するに必要な金員は500万円を下らない。
イ弁護士費用50万円
原告は,本件訴訟を原告代理人らに委任したが,原告の損害・精神的苦痛の程
度のほか,本件訴訟の複雑さ,専門性等に鑑みれば,少なくともその弁護士費用
のうち50万円が,被告の安全配慮義務違反と相当因果関係のある損害である。
(5)消滅時効
(被告の主張)
ア時効の起算点について
安全配慮義務違反があったと原告が主張する平成10年4月17日が消滅時
効の起算点となるから,本訴が提起された平成22年3月23日の時点で,既に
時効期間である10年が経過している。被告は,原告に対し,同年6月10日の
本件口頭弁論期日において,時効を援用するとの意思表示をした。
原告は,名古屋刑務所を出所する平成12年7月30日までの間は,あたかも
時効が進行していないかのように主張する。しかし,原告の主張は,事実上の障
害をいうにすぎないことから,原告が名古屋刑務所を出所するまで時効が進行し
ていないとはいえない。
原告は,名古屋刑務所において,平成10年5月15日,同年8月4日,同年
10月20日,平成11年2月17日の合計4回にわたり,A弁護士会人権擁護
委員会宛てに文書(再審請求に関するものと思われる。)を発信し,平成10年
10月9日,平成11年2月25日には同委員会から文書を受領しており,この
ほか,同年1月22日には,同委員会から人権侵犯救済申立てに関する通知文を
も受領しているのであって,このことからしても,原告が,名古屋刑務所の職員
から再審請求を妨げる内容の脅迫を受けたため,権利行使が期待できなかったな
どとはいえないことは明らかである。
イ信義則違反,権利の濫用について
原告が名古屋刑務所に服役中,被告が原告の権利行使や時効中断行為に出るこ
とを妨害するなどして原告の権利行使を事実上困難にしたような事情は認めら
れない上,原告が名古屋刑務所を出所した後も長年にわたり権利行使をしなかっ
た点について,被告は何ら関与していないのであるから,被告による消滅時効の
援用を信義則違反又は権利の濫用と評価することはできない。
(原告の主張)
ア時効の起算点について
原告は,職員から「職員が暴行したとか余計なことは言うな。言ったら革手錠
をかける。」などと脅され,名古屋刑務所在監中に,同刑務所の人権侵害を裁判所
に訴えることは不可能であったところ,平成12年7月30日まで同刑務所に服
役し,在監していた。本件においては,原告が,訴えの提起をしようとすること
は,同刑務所内において,同刑務所の不法行為を外部に告発することと同義であ
った。
被告は,原告が,革手錠を使用されて以降に,A弁護士会人権擁護委員会に手
紙を送っていることなどをもって,権利行使が可能であったと主張するが,これ
らはあくまで本件とは別の再審請求に関するものである。被収容者の発送する書
簡は全て名古屋刑務所の職員の検閲を受けるものである。被収容者にとって,名
古屋刑務所自体の不法行為についての手紙を発信することと,再審請求などそれ
以外の手紙を発送することとの間には大きな違いがある。
したがって,消滅時効の起算点は,原告が名古屋刑務所を出所した平成12年
7月30日である。
イ信義則違反,権利の濫用について
本件の刑務官らの行為は,刑事責任が追及されてしかるべき,正に正義に反す
る許されざる行為である。その責任主体たる被告が時効を援用することは,信義
則違反又は権利の濫用として許されない。
第3裁判所の判断
1認定事実
前記前提事実,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)原告に対する保護房拘禁,革手錠使用等の事実経緯
原告は,昭和○○年○月○○日生まれの男性であり,平成9年6月9日,B地方
裁判所C支部において,常習累犯窃盗の罪により懲役3年の有罪判決を受けたとこ
ろ,同判決は平成10年2月4日に確定し,同年3月26日,同懲役刑の執行のた
めに名古屋刑務所に入所した。原告は,入所当時,再審請求を行うためにA弁護士
会人権擁護委員会に対して救済を求めていた。同委員会の弁護士は,同月27日,
名古屋刑務所を訪れて原告と面会し,原告に対し,原告の言い分を書面にしてA弁
護士会まで送るように伝えた。(乙1,原告本人調書16,17頁,弁論の全趣旨)
原告は,同年4月17日午前10時5分頃,名古屋刑務所の食堂内での休憩時間
中,席から立ち上がって食堂内にいた担当職員に近寄り,「大事な話がある。」,「人
権擁護委員会に手紙を書きたい。」などと声を掛けた。原告は,担当職員から席に戻
るように指示されて一旦は元の席に戻ったが,再び席を離れ,担当職員に,上記と
同様の内容で声を掛けた。担当職員が再度席に戻るように指示をしたところ,原告
は,「大事な話があると言っとるだろう。」などと言いながら,担当職員の右脇腹付
近をつかんだ。これを受けて,担当職員は,非常ベルを押し,原告を食堂外の通路
に引っ張り出した。そこへ20名ほどの刑務官が駆けつけ,担当職員と共に,原告
を通路床にうつ伏せにして制し,首席矯正処遇官の指揮により,同日午前10時7
分頃,その場で,原告に対して金属手錠を両手後ろの状態で使用した。(乙2~4,
原告本人調書20~22頁)
金属手錠使用後,刑務官らが原告の両腕を制して,原告を処遇部門調室ヘ連行し
ようとしたが,原告が両足を交互に蹴り上げ,「放せえ,担当の野郎。話を聞けえ。」
などと言いながら体を前後左右に激しく揺さ振るなどしていたことから,同日午前
10時9分頃,原告は,処遇部門調室ヘ連行されることなく,保護房に収容された。
このとき,原告は,金属手錠から腕を引き抜こうとし,両足をばたつかせて,「あの
担当の野郎を呼んできやがれ。」などと叫んでいた。そこで,同日午前10時10分
頃,保護房内において,戒具が金属手錠から革手錠に変更され,原告に対し,右手
前左手後ろの状態で革手錠が使用された。同日午前10時15分頃,原告は,保護
房内を歩き回りながら,「あの担当を呼んできやがれ。ふざけんなよ。勝負してやる
からな。さっさと呼んでこい。」などと叫んでいた。また,原告は,同日午前10時
48分頃以降,視察に来た刑務官に対して「ふざけんなよ。」などと言うことはあっ
たが,保護房の中央辺りで横になっていた。(乙5,6,7)
同日午後0時1分頃,保護房内に昼食が運び込まれた際に,革手錠のベルトが1
穴分緩められたが,原告は食事をとらなかった。その頃,服の着替えに際し,一旦
革手錠が外されて,着替え後に元の状態に戻されたが,革手錠が外れている間に原
告が暴れるようなことはなかった。それ以降,同日午後の視察の際に,原告は視察
に来た刑務官に気付くと,「覚えておけ。」などと述べ,足をばたつかせることがあ
ったが,保護房の中央に横になっており,立ち上がって動き回るようなことはなか
った。同日午後4時20分頃に,保護房内に夕食が運び込まれ,革手錠が1穴分緩
められたが,原告はこのときも食事をとることはなく,また,原告が暴れるような
こともなかった。(乙7)
同日午後6時45分頃,刑務官が原告の様子を視察した際,原告は布団の周辺に
嘔吐していた。同日午後7時3分頃,原告に対する革手錠の使用が解除された。同
日午後7時5分頃,原告が収容されていた保護房内が嘔吐物によって汚染されてい
たことから,原告は別の保護房に転房させられた。(乙7,8)
翌18日午前8時45分頃,原告に対する保護房拘禁が解除された(乙7,9)。
同月24日,名古屋刑務所の懲罰審査会において,原告に対し,軽屏禁50日等
の懲罰決定がされた。その前日である同月23日の懲罰審査会において,原告は,
担当職員の制服右脇腹付近をわしづかみにして手前に引っ張るなどの暴行をしたと
の容疑事実を認め,何ら弁解をしなかった。(乙10)
同月24日,この懲罰執行開始の際の健康診断により,原告は急性腎不全であり
病棟において休養の上加療の必要があると診断されたため,懲罰の執行は一時停止
され,原告は,同日から同年6月3日までの41日間,病棟において休養加療を受
けていた(乙10,12,13)。
原告は,名古屋刑務所に収容されている間に,A弁護士会人権擁護委員会の弁護
士との間で文書の発受をしていたが,その内容は懲役刑の対象となった事件につい
ての再審請求に関するものであり,前記の革手錠の使用について,同委員会の弁護
士との間で文書の発受をしたことはなかった(甲1,原告本人調書33頁,弁論の
全趣旨)。
(2)原告の症状
原告は,名古屋刑務所に入所した平成10年3月26日時点で健康診断を受けて
いるが,このときの検尿では糖も蛋白も検出されず,腎不全の徴候はみられなかっ
た(乙14)。
原告は,同年4月22日に吐き気を訴えたほか,腹部に浮腫が認められた。また,
前記の同月24日の診察に際し,原告は,腹痛を訴え,各種検査が実施された。血
液検査の結果,炎症性反応をみるCRP(C反応蛋白),WBC(白血球数)の各値
が基準値を超え,細胞破壊を示すCK(筋肉内の酵素),LDH(糖代謝の酵素),
GPT(アミノ酸の変換酵素)値などの上昇があり,貧血を示すHb(ヘモグロビ
ン),Ht(赤血球容積)値の減少がみられた。同日にされた診断では,原告の顔色
が悪く,食事が食べられない,同月17日から腹痛が続いているとの訴えが原告か
らあり,腹部の浮腫,ブルンベルグサイン(腹膜炎にみられる腹膜刺激徴候)あり
といった病変が認められた。(甲4,乙11)
原告は,同月26日の診察において,腰背部痛を訴え,同月27日の診察では,
腰背部痛の訴えのほか,吐き気のため食欲が乏しいと述べ,腰背部辺りに点状出血
が認められ,同月28日の診断では,急性腎不全,恐らくは拘束に伴う外傷性横紋
筋融解症が原因,腎損傷も鑑別必要だが肉眼的血尿がないので否定的とされた。(乙
17)
原告は,同年5月1日の診断では,腰痛は続く,急性腎不全改善傾向とされ,同
月4日の診断では,右腰背部痛軽度持続,食欲良好とされ,同月13日の診断では,
急性腎不全回復中とされた。原告が退院となった同年6月3日の診断では,腎機能
は完全な回復には至らなかったが,これ以上の安静によって回復する見込みも少な
く,また,この程度の腎機能があれば,生存には問題なしとされた。(乙17)
(3)原告による本件についての上申
原告は,平成12年7月30日に名古屋刑務所を出所し,同年8月22日,同刑
務所において職員から革手錠による暴行を受けたことなどについて記載した上申書
を,A弁護士会の弁護士宛てに送付した(甲1)。
2事実認定の補足説明
(1)処遇票の信用性
原告は,処遇票(乙7)の記載が虚偽を含むものであり,信用できないと主張し
ているので,その信用性について検討する。
原告は,名古屋地方裁判所平成22年5月25日判決(以下「別件判決」という。)
(甲3)を根拠として,名古屋刑務所においては,刑務官らの行為の正当性を基礎
付ける事実を証拠として残すべく,革手錠により拘束された者たちの行動を真実と
異なる態様で記載するという資料の改ざんが一般的に行われていたものであり,処
遇票は信用できないと主張する。しかし,別件判決によれば,名古屋刑務所におけ
る革手錠使用件数は,平成12年は34件,平成13年は61件,平成14年は1
60件で,平成13年夏頃から使用件数が増加し,平成14年3月から同件数が急
増しているのであり(甲3・59頁),平成13,14年に起きた出来事を対象とす
る別件判決と平成10年に起きた出来事を対象とする本件とでは,前提となる背景
事情が異なる。その上,同判決は,個別具体的な事情の下で刑務官が作成した報告
書の内容が虚偽のものであると判断したものであり,名古屋刑務所の職員が革手錠
の使用に際して一般的に資料の改ざんを行っていたことを推認させるものではない。
そして,処遇票には,「怒鳴ってくる」,「にらみつけてくる」等の常とう的な表現
が用いられているものの,原告の言動を数分おきに記載しており,数十か所にも及
ぶ原告の発言内容を記載した部分については具体的な発言内容が記載されているも
のであって,概ねその信用性を認めることができる。
(2)原告が暴れたことについて
原告は,食堂や保護房で原告が暴れるなどしたことは全くないと主張し,その旨
供述する(原告本人調書5~7頁)。しかし,原告に対しては,規律違反行為に対す
る取調べを介することなく,直接保護房に収容するという緊急的な処置が採られて
おり(乙5),原告が全く暴れていなかったことと整合しない。その上,原告は本件
の後に刑務所の職員に暴行をしたとして複数回保護房に収容されていることなども
あり(乙31,32,原告本人調書31頁),原告の供述をそのまま信用することは
できない。
したがって,前記認定事実に反する原告の供述は信用できない。
(3)刑務所の職員による暴行について
原告は,食堂及び保護房内で刑務官らから暴行を受け,保護房内で首を絞められ
たと主張し,それに沿う供述をしている(原告本人調書9,10頁)。
しかし,平成12年8月に原告が作成したA弁護士会の弁護士宛ての上申書(甲
1)には,食堂内や保護房内で刑務官に足で頭を踏み付けられたこと(2頁),保護
房内で殴る,蹴るなどの暴行を受けたこと(6頁)についての記載があるにもかか
わらず,保護房内で首を絞められたことについては何ら記載がないことから,原告
が刑務官らにより革手錠を使用される際に首を絞められたとの事実を認めることは
できない。
また,食堂及び保護房内での,殴る,蹴る及び頭の踏み付けなどの暴行について
も,原告を制止する際に,刑務官らが原告に対して何らかの有形力を行使したこと
が認められるとしても,それ以上に,原告が供述するような制止と無関係な暴行が
なされたことについては,何ら裏付けもなく,認めることはできない。
(4)革手錠の交換について
原告は,平成10年4月17日の昼食時頃,保護房内で服を着替えさせられた際
に,革手錠がより小さいものに交換されたと供述している(原告本人調書10頁)。
しかし,原告の供述によれば,原告に対しては,革手錠の使用開始時から,革手錠
が目一杯きつく締められていたというのであるから,革手錠を交換してよりきつく
締め上げるというのは不自然である。したがって,原告の当該供述は信用できず,
同日の昼食時頃に革手錠がより小さい種類のものに交換されたことは認められない。
(5)原告の症状について
原告は,骨盤骨骨折,腰椎変形の傷害を負ったと主張している。しかし,その旨
の記載のある診断書(甲2)は,平成21年6月15日の診断に基づき作成された
ものであり,そもそも平成10年4月当時の負傷状況を証明する証拠としての価値
に乏しい。その上,原告は,同診断書には原告が話した内容が書かれているだけで
はないかとの質問に対し,「そういう意味で取られてもいいですけどね。」と述べて
おり(原告本人調書28頁),同診断書は原告の述べたことを記載したものにすぎず,
原告が名古屋刑務所収容中に骨盤骨骨折,腰椎変形の傷害を負ったことを証明する
ものではない。そして,原告が骨盤骨骨折,腰椎変形の傷害を負ったことを認める
に足りる証拠はない。
原告は,平成10年4月17日以降,腹膜炎を発症したと主張するが,原告が提
出した医師の意見書(甲4)も「腹膜炎の存在も否定できない」との意見を述べて
いるにすぎず,原告が腹膜炎を発症していたと認めるに足りる証拠はない。また,
前記認定の原告の症状からすれば,革手錠によって腹部が長時間圧迫されたことに
より横紋筋融解症が引き起こされ,急性腎不全発症に至ったことは認めることがで
きるものの,腹膜,腎臓といった内蔵が破裂したことまでは認められない。
3安全配慮義務の有無について
被告は,刑事施設の安全及び秩序を維持するため,被収容者に対して直接的な強制
力,いわゆる戒護権を行使することが法律上許容されている。もっとも,これは上記
の目的を達成するために必要な限度において行使される場合に,法律によって特別に
適法な有形力の行使とされるものにすぎず,戒護権は,上記の目的を達成するために
必要最小限の範囲で行使される必要がある。
そして,戒護権の行使が被収容者の自傷行為等を防ぎ,被収容者の身体生命の安全
を確保することも目的としていることや,被収容者と被告との関係は,一定期間継続
することが予定されているものであり,戒護権の行使や移動の自由の制限といった特
別の制約が許されるという特殊なものであることからすれば,被告は,被収容者に対
して直接的な強制力を行使することが許される反面,被収容者の生命及び身体の安全
を確保し,危険から保護すべき義務を負い(以下,この義務を「安全配慮義務」と呼
称する。),刑務所の職員が法律によって許容される限度を超えて強制力を行使するな
どして,上記義務に違反した場合には,被収容者に対して損害賠償責任を負う場合が
あると解すべきである。
4安全配慮義務違反について
(1)戒具の使用及び保護房収容について
前記のように,監獄法は,在監者に逃走,暴行若しくは自殺のおそれがあるとき
又は監外にあるときには戒具の使用を許可している(同法19条1項)。戒具は,刑
事施設の安全及び秩序に対する侵害を制止し,あるいは被収容者の自殺等を防止す
るためのものであるから,保安的処置として用いられることのみが許されるのであ
って,懲罰目的で使用することは許されない。
前記認定事実によると,名古屋刑務所内の食堂付近及びそこから処遇部門調室へ
連行しようとする際中,原告は両足を交互に蹴り上げ,「放せえ,担当の野郎。話を
聞けえ。」などと言いながら体を前後左右に激しく揺さ振るなどしていたのであり,
原告に暴行のおそれがあったと認めることができる。したがって,原告に金属手錠
を使用したことや原告を保護房に収容したことが違法であるということはできない。
また,前記認定事実によると,保護房に収容された際,原告は,金属手錠から腕を
引き抜こうとし,両足をばたつかせて,「あの担当の野郎を呼んできやがれ。」など
と叫んでいたのであり,原告を保護房に収容した後に刑務官らが保護房から退去す
る際に原告から暴行を受けるおそれがあったものと認められるから,原告を保護房
に収容した上で革手錠を使用したことについても,保護房と革手錠を併用する必要
があったものといえ,このこと自体を違法ということはできない。
(2)刑務官らによる暴行について
前記のように,原告が,名古屋刑務所内の食堂及び保護房内で,刑務官らによっ
て,殴る,蹴る,首を絞められるなどの暴行を受けたことは認められない。刑務官
等が,興奮状態にあった原告を制止するために,何らかの有形力を行使したことは
あり得るが,それらが戒護権の行使として許容される限度を超えるものであったと
は認めることはできないから,このことをもって違法な有形力の行使があったとは
いえない。
(3)革手錠の具体的使用態様について
前記前提事実によると,革手錠は,腹部のベルトに接着する手錠部分により両手
が固定されるものである。したがって,金属手錠に比して身体拘束の程度が大きい
ものであり,できるだけ抑制的に用いられるべきものである。さらに,革手錠を保
護房の収容と併用する場合であれば,基本的には保護房に収容することにより戒護
の目的を達成することができるのであるから,革手錠の使用を継続することの必要
性については,慎重に検討すべきである。
そして,前記認定事実によると,原告が名古屋刑務所において保護房に収容され
た平成10年4月17日の午前10時48分頃以降は,原告は保護房で横になった
ままであることが多く,同日午後0時1分頃に刑務官が保護房内に昼食を運び入れ
る際や着替えのために革手錠が一旦外された際に原告が暴れるような態度を示した
ことはない。また,原告が,保護房内において,刑務官に対して怒鳴ったり,にら
みつけたりしたことについては,処遇票(乙7)の記載内容があいまいであり,そ
のままそれらの事実を認めることはできないが,仮にそのような事実があったとし
ても,上記のように刑務官が保護房に昼食を運び入れる際や着替えのために革手錠
が一旦外された際に原告が暴れるような態度を示したことはないことからすると,
保護房収容と併せて革手錠の使用を継続することを必要とさせる事情としては不十
分である。
以上からすれば,同日午前10時10分頃に原告を保護房に収容し,革手錠を使
用した時点においては,保護房収容と革手錠の使用を併用する必要があったといえ
るとしても,同日午後0時1分頃に刑務官が保護房内に昼食を運び入れ,着替えの
ために革手錠が一旦外された時点においては,革手錠を併用する必要性がなくなっ
たにもかかわらず,その後も革手錠の使用が継続されたものといわざるを得ない。
また,前記認定事実によると,原告に対しては,原告が嘔吐し,急性腎不全に至
る程度に革手錠がきつく締められていたものである。保護房に立ち入る際に刑務官
が暴行を受けることを防止するために革手錠を使用するのであれば,革手錠が外れ
ない程度に締められていれば十分であるから,目的達成のために必要最小限の範囲
を超える緊度で革手錠が用いられたものと認められる。
したがって,革手錠を使用した当初には保護房収用と併せて革手錠を使用する必
要があったとしても,革手錠の使用方法は,目的達成のために必要最小限の範囲を
超える程度に及んでいたものと認められ,刑務官らの行為は,安全配慮義務に違反
する違法なものである。
5因果関係について
前記認定事実によると,原告は,革手錠を使用された平成10年4月17日から急
性腎不全と診断された同月24日までの間に,急性腎不全を発症しているが,革手錠
を使用される以前においては特に健康上の問題はなく,革手錠を使用されたこと以外
に急性腎不全発症の原因となるような事情は認められず,同月28日の診断では,急
性腎不全,恐らくは拘束に伴う外傷性横紋筋融解症が原因とされたように,革手錠に
よって腹部が長時間圧迫されたことにより横紋筋融解症が引き起こされ,急性腎不全
発症に至ったと認めることに,何ら不合理な点は存在しない。したがって,原告の急
性腎不全は革手錠の使用により生じたものと認めるのが相当である。
被告は,革手錠使用時に原告が頻繁に足をばたつかせるなどしていたことから,疾
病はむしろ原告自身の動きによって生じたことが十分に考えられると主張するが,革
手錠は,暴れるなどすることが予想される被収容者に対して用いられるものであり,
その使用に当たっては,被収容者がある程度の身体動作を行うことが当然に予定され
ている。前記認定事実によると,原告の動作は,革手錠を使用する際に通常予想され
る身体動作の範囲を超えるものとは認められないから,このような事情は革手錠の使
用と原告の負傷結果との間の因果関係を否定する要因にはなり得ない。
6損害額について
原告は,前記のように,保護房内において,違法に革手錠を使用されたものであり,
これによって身体的,精神的に苦痛を被ったものと認められる。原告の症状は,手術
等が必要となるような重度なものではなかったが,入院期間は41日間にも及び,退
院時においても腎機能が完全な回復に至らない程度の急性腎不全を発症していること
など,本件における諸般の事情を総合考慮すれば,原告の上記苦痛に対する慰謝料は,
200万円と認めるのが相当である。
また,本件訴訟追行の難易及び認容額といった諸事情を総合考慮すれば,本件と相
当因果関係のある弁護士費用相当額は,30万円と認めるのが相当である。
7消滅時効について
前記認定事実によると,原告は,保護房収容後もしばらくは刑務官に対し反抗的な
態度をとっていたにもかかわらず,保護房拘禁が解除された後の平成10年4月23
日に行われた懲罰委員会においては,担当職員の制服右脇腹付近をわしづかみにして
手前に引っ張るなどの暴行をしたとの容疑事実を認めて何ら弁解をしなかったのであ
り,前記の違法な戒護権行使により,名古屋刑務所に収監されている間に再び革手錠
を使用されることに対して,相当程度の恐怖心を抱いていたものと推認される。
そして,前記のように,監獄法の下においては,刑事施設の被収容者に対し,刑務
所の職員による接見(面会)への立会い及び刑務所の所長による信書の検閲が認めら
れるため,刑事施設に収容されている間に,前記のような違法な戒護権の行使があっ
たことを外部に伝えようとすれば,刑務所の職員にその内容を知られることになる。
このような状況下において,被収容者が,刑事施設に収容されている間に,刑事施設
内での違法な戒護権の行使について訴えの提起等の権利行使をすることは,被収容者
の恐怖心に照らすと極めて困難であり,考え難い。したがって,上記の監獄法下にお
ける被収容者の特殊な身分関係を前提とすれば,刑務所の職員による違法な戒護権の
行使を受けた原告は,名古屋刑務所に収容されている間において,上記の違法な戒護
権の行使に対する損害賠償請求の訴えの提起等の権利行使をすることが法律上の障害
によりできなかったと解すべきである。
被告は,原告がA弁護士会人権擁護委員会と再審請求に関して文書の発受をしてい
ること,平成11年1月22日には同委員会から人権侵犯救済申立てに関する通知文
を受領していることから,権利行使が期待できなかったとはいえない旨主張する。し
かし,上記の日以外の原告と同委員会との文書の発受が再審請求に関するものであっ
たこと(乙24),原告は平成10年3月27日に面会した同委員会の弁護士に懲役刑
の対象となった事件について再審請求を考えていること並びに同事件の警察の取調べ
方法及び訴訟進行に人権侵害があったことを伝えていたこと(乙1)からすると,原
告が平成11年1月22日に同委員会から受領した上記通知文は,懲役刑の対象とな
った事件の取調べや訴訟進行における人権侵害についての記載がされていたものであ
ると推認される。そして,現に収容されている刑事施設内での職員による違法行為に
ついて文書を発信することと,それとは関係のない再審請求や警察の取調べ等の違法
性について文書を発信することとは,質的に異なるものであるから,原告が,名古屋
刑務所内で受けた違法な戒護権の行使について,同刑務所に収容されている間に損害
賠償請求の訴えの提起等の権利行使をすることが可能であったということはできない
(現に,原告は,前記認定事実のとおり,名古屋刑務所を出所した直後に,同刑務所
において職員から革手錠による暴行を受けたことなどについて記載した上申書を,A
弁護士会宛てに送付している。)。
したがって,時効の起算点は,原告が名古屋刑務所を出所した平成12年7月30
日というべきであり,原告はその時から起算して10年が経過するよりも前の平成2
2年3月23日に本件訴訟を提起しているから,原告の損害賠償請求権は時効によっ
て消滅していない。
8結論
以上によれば,被告は,原告に対し,安全配慮義務違反に基づき,損害賠償として
230万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である平成22年4月13日から支払
済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
よって,原告の請求は,上記の限度で理由があるから認容し,その余は理由がない
から棄却することとして,主文のとおり判決する。
なお,訴訟費用については,事案の経緯や本件訴訟の経過等に照らし,民事訴訟法
64条ただし書を適用して,全部被告の負担とする。仮執行宣言については,相当で
ないからこれを付さないこととする。
大阪地方裁判所第13民事部
裁判長裁判官北川清
裁判官加藤員祥
裁判官田之脇崇洋

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