弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
     被告人を懲役9年に処する。
     未決勾留日数中670日をその刑に算入する。
     押収してある文化包丁1本(平成13年押第166号の1)を没収す
る。
理由
(罪となるべき事実)
 被告人は,
第1 平成13年6月2日午前9時25分ころ,神戸市a区b通c丁目c番所在の
d公園西側路上先に駐車中の軽四乗用自動車内において,A(当時53歳)に対
し,殺意をもって,所携の文化包丁(刃体の長さ約17.2センチメートル。平成
13年押第166号の1)でその左頸部を1回突き刺して,同人に左後頸外側部刺
創による左鎖骨下動脈切損及び左椎骨動脈切断等の傷害を負わせ,よって,同日午
前11時20分ころ,神戸市e区f町g丁目h所在のi病院において,同人を前記
傷害により失血死させて殺害した
第2 業務その他正当な理由による場合でないのに,前記日時場所において,前記
文化包丁1本を携帯した
ものである。
(証拠の標目)―括弧内の頭書きのない数字は検察官請求証拠番号―
省略
(補足説明)
第1 公訴棄却の主張について
1 弁護人は,検察官が平成13年6月20日午後1時ころから翌21日午前3
時ころまで行った被告人の取調べは,深夜にわたる取調べである点において令状主
義の精神に反する重大な違法捜査であり,この違法は本件公訴提起の違法,無効を
招来するから,本件公訴を棄却すべきであると主張する。
2意見書(弁護人請求証拠番号27。なお,以下,検,弁で始まる数字は,そ
れぞれ検察官及び弁護人請求の証拠を証拠等関係カード記載の証拠番号で示したも
のである。)その他の関係証拠によれば,検察官の被告人に対する取調べが概ね弁
護人主張の時間帯に行われたことが認められるところ,かかる深夜に及ぶ取調べは
相当性を欠くと言わざるを得ないが,前掲関係各証拠によれば,被告人が同人の警
察官調書を閲読したいという意向を表明し,担当検察官がこれに応じる経過で前記
取調べが深夜にわたるに至ったこと,同検察官は被告人の心身の状況に配慮して取
調べを行ったこと,その際に作成された検察官調書(検84)は問答形式の被告人
の弁解を聴取したいわゆる否認調書であることに徴すると,前記検察官調書は強制
により作成されたものとは認められないし,その取調べに少なくとも重大な違法は
認められない。そして,捜査手続に違法があったとしても,必ずしも公訴提起の手
続が無効となるものとはいえないと解すべきところ,前記深夜に及ぶ取調べが本件
公訴提起の違法,無効を招来するものではないと認めるのが相当であるから,弁護
人の主張は理由がない。
第2 その余の弁護人の主張等
1 被告人は,判示第1の事実につき,最終的には,当公判廷において,判示日
時場所でA(以下「被害者」という。)とその妻Bとの間で被告人と被害者との別
れ話をしたことはあるが,判示文化包丁(以下「本件包丁」という。)で被害者を
刺した記憶はないとし,また,公判当初は,本件包丁を自殺するため判示d公園に
持っていった等と陳述していたが,第9回公判期日において,本件包丁を持ってい
った理由についても記憶が定かでないと陳述を変更し,殺意の点を含め犯罪事実の
成立を争うごとくであり,弁護人は,同旨の主張をするほか,被告人は,本件犯行
当時,心因性うつ状態に加え,睡眠薬や精神安定剤の長期連用と本件犯行前に睡眠
薬を大量に服用したことの影響により心神喪失ないし心神耗弱の状態にあった旨主
張する。
2 当裁判所は,関係証拠によれば,殺意を含め判示第1の事実は優に認められ
るし,被告人は本件犯行当時心神喪失又は心神耗弱の状態にはなかったものと認め
られると判断したので,以下,その理由につき補足して説明する。
第3 殺意の有無等について
1 前掲関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
(1) 本件凶器の性状等
 本件包丁は,刃体の長さ約17.2センチメートル,刃体の最大幅約4.
45センチメートルの鋭利な刃物である。
(2) 創傷の部位,程度,死因
被害者は本件包丁で1回刺されて左後頸外側部に刺創の傷害を負った。そ
の刺創口の長さは約4.4センチメートルで,上部が湾曲し,鋭い切れ込みが認め
られ,近辺に表皮切創を伴っていた。同刺創の刺創管は深さ約9.6センチメート
ルで,その向きは被害者の身体後方から前方やや右方向であり,被害者の死因は,
左鎖骨下動脈を切損及び左椎骨動脈を切断されたことによる失血死である。また,
被害者には,防御創と認められる創傷はなかった。
(3) 本件犯行当日早朝までの状況
被告人は,平成7年ころ,当時稼働していた風俗店の客であった被害者と
知り合い,被告人が同店を退職した平成9年ころから,妻子ある被害者と付き合う
ようになり,被害者は,その実母が所有する不動産の収入を自由に使うことができ
る立場にあったことから,その後,被告人に対し,生活費として月に約50万円の
金銭を援助するようになって,被告人は,ほとんど働くことなく,被害者からの金
銭的援助により生活していた。
被害者の実母が死亡した平成12年7月ころ以降,被害者は,被告人に渡
す金銭に窮し,知人や消費者金融会社から借金するなどして,被告人に対し月に約
20万円を渡していたが,次第にそれも困難になって,平成13年2月から,被告
人は生活保護を受給することとなった。
被告人は,同年(以下年号の記載がないものは平成13年をさす。)5月
29日,被害者から1万円を渡され,同月31日に家賃を持って行くと言われた
が,31日になっても,被害者が家賃を持って来なかったため,翌6月1日早朝,
被害者宅に電話をかけ,電話に出たBに対し,自分が被害者の内縁の妻であると名
乗って被害者を電話に出すよう要求し,「何で隠すの。昨日お金を持って来る約束
しているのに,持って来ない。」等と述べた上,「今からそっちに行こうと思って
ます。家の前で死にます。包丁で死ぬ。」などと述べた。
(4) 本件犯行直前までの状況
被害者は,同日,B及び娘2人と話し合い,Bらに被告人と別れることを
約束し,翌2日午前8時ころ,被告人に電話して,Bと一緒に話し合いたい旨告げ
て,判示d公園で会うこととなった。
被告人は,その後自宅台所の流し台下から本件包丁を取り出してバッグに
入れ,これを持って自動車を運転して判示公園付近に至り,同日午前9時すぎこ
ろ,やや遅れて同所に到着した被害者が運転しBが助手席に同乗する判示軽四乗用
自動車(以下「本件自動車」という。)に乗り込んだ。
被告人は,本件自動車の後部座席の真ん中付近に座り,「私の4年間どう
してくれるんや。」などと怒鳴り,Bが被害者に別れ話をするよう促すと被害者に
対し,持参した被告人の実母の遺影を掲げ,「お母ちゃんの前で言えるのか。」な
どと迫ったが,被害者が娘も交えて話し合いをしており,すでに被告人と別れる決
意を固めていることを知るや,かねて被害者との間で約束していた店舗付住宅を持
たせてもらうとの話がどうなったのかを詰問し,被害者が「無理や,あかん。」な
どと拒絶すると,いきなり乳房を露わにしてキスマーク様の赤い瘢痕をBに示し,
あるいは,被害者に対し,「あんた,嫁さんのことおかめ言うてたやろ。」などと
言って,Bに対して,「おかめ,おかめ。」と連呼したが,これに対して,被害者
は,「そんな何回も言うてない。」などとBをかばう素振りを示し,被告人はさら
に「何言うとるねん,あんた。」と言った。
(5) 犯行状況
被告人は,その直後,そのころまでに前記バッグから取り出した本件包丁
を右手で握って,腰を浮かせ,運転席に座って上体をやや左斜め後ろに向けて座っ
ていた被害者の左頸部付近を本件包丁で1回突き刺した。
(6) 犯行直後の被告人の言動等
 Bは,被害者の「アッ」という声を聞いて同人の方を向いたところ,同人
が首から激しく出血していたため,咄嗟に被告人が右手に持っていた本件包丁を右
手で払いのけ,直ちに被害者の止血をすると同時に付近にいたガードマンに対し救
急車の手配を依頼したが,被告人は,Bの救命措置を手伝うことなく,本件自動車
の後部座席に座り,「殺人犯になってもええねん。あんたが来たからこうなって
ん。」などと言いながら,手にしていた本件包丁で自らの足を数回刺した。被告人
は,その後,現場に駆けつけた警察官から「刺したのか。」と問いかけられると,
「私を死刑にして,人を殺した,車の中で私が刺した。」などと答え,居合わせた
知人に対し,「Aを殺しちゃった。」などと言い,あるいは友人のCに被告人の子
供の世話を頼む趣旨の発言をした。被告人はその後警察官に殺人未遂の現行犯人と
して逮捕された。
以上のとおり認められる。
2 被告人は,捜査段階において,自分は被害者と別れたかったが被害者が別れ
てくれないので,自殺をするために本件包丁を持って本件自動車に乗り込んだが,
本件包丁を取り出したところ,体を左に捻って被告人の方を振り返って後ろを向い
た被害者と目が合った,その際,被害者から自殺するのを止められると感じ,これ
をさせないよう時間稼ぎのために被害者を刺した旨供述する。
しかし,後ろを向いた体勢の被害者を本件包丁で刺したという被告人の供述
は,そもそも本件犯行時の記憶がないとする被告人の公判供述とも矛盾するもので
あるし,被告人の弁解にかかる本件犯行時の姿勢では,被害者の左頸部に前記認定
の創傷を負わせることは極めて困難であると認められることや,刺突直後,Bが被
害者の方を見た際本件包丁を目にしてこれを払いのけようとすることができたこと
等,客観的にあるいはBの供述から認められる被害者の受傷状況に反するもので信
用できない。なお,この点をはじめとするBの供述についてみると,同人は被告人
が被害者を刺す瞬間を見ていないと述べるなど,その供述態度は真摯であって,そ
の供述内容も具体的詳細であり,覚えていないこと,捜査途中で思い出したことに
ついても,捜査段階から公判を通じ一貫して述べていると認められ,そこに不合理
な変遷も全くない。そうすると,Bの供述の信用性は極めて高いというべきであ
る。被告人の前記弁解は,このように信用できるBの供述など関係証拠に照らし,
信用性が乏しい。
3 前記1認定事実を前提に検討すると,被害者は左頸部に創傷を受けており,
一般常識に照らしても,かかる部位は本件包丁のごとき鋭利な刃物で強く傷つけれ
ばほとんど確実に死亡する急所であるところ,被告人が手元を狂わせて被害者の頸
部を傷つけたことを窺わせる事情は全くなく,被害者に防御創と認められる創傷が
ないことからすると,被告人は,至近距離から,ほぼ前を向き無防備な状態にある
被害者の首付近を狙って突然攻撃を加えたものと認められる。そして,本件創傷の
深さは約9.6センチメートルであって本件包丁の長さ(約17.2センチメート
ル)の約半分であるが,死体を解剖した医師の供述(検5)や,犯行場所が狭く身
動きの不自由な自動車内であること等に徴すると,被告人は相当の力を込めて被害
者を刺突したものと認められる。
  また,被害者の金銭的援助で経済的に安定した生活を送っていた被告人が,
被害者側の事情のため金銭に窮するようになり,被害者方に電話をしてBに自己の
立場を明かして金銭を要求したところ,逆に,Bの面前で,被害者から,金銭的援
助の拒絶を意味する別れを告げられ,母の遺影まで持ち出してこれを翻意させよう
としたが,被害者が娘ら家族とも相談して被告人と別れる決意をしたことを知って
憤激し,さらに,被告人がBを罵倒したのに対して,被害者がBをかばう態度をと
ったため激高し,ついに犯行に及んだ旨の前認定の事情は,本件殺意発生の動機と
して十分首肯しうるものである。加えて,被告人は,現に,本件犯行前,「私は,
4年間Aさんにだまされました Aさんを殺し私も殺にます。うそで,かためられ
た私の4年間許せません。」との内容の手紙(以下「本件手紙」という。)を作成
しているところ,被告人が捜査段階で供述するとおり,6月2日早朝被害者から本
件現場での話し合いにBも同席する旨告げられてこの手紙を作成したものであると
断定するまでには至らないにせよ,被告人において本件犯行の比較的直前に,場合
によっては被害者を殺害することも辞さない旨の決意を書面に記載し
ていたことが認められるのであって,この事情を併せ考慮すると,被告人が本件犯
行直前の被害者の言動に激高し,同人を殺害しようと決意したことは自然であっ
て,十分に了解可能である。弁護人は,被告人が被害者を殺害すれば被告人は被害
者からの経済的援助を受けられなくなるのであるから,被告人が被害者を殺害しよ
うと考えるのは不合理であると主張するが理由がない。
  さらに,被告人は,犯行後も,Cに被告人の子供の世話を頼む旨の発言をし
ている一方で,被害者の救命活動には一切助力していない。
  被告人は,時間稼ぎのために被害者を刺したものである,あるいは本件犯行
当時のことを覚えていないとして殺意を争うが,この被告人の供述は殺意認定の障
害となるものではない。
4 以上のとおり,本件凶器の種類,形状,その用法,受傷の部位・程度,犯行
に至る経緯,犯行前後の被告人の言動等によれば,犯行当時,被告人に確定的殺意
の存したことは疑いない。前掲関係各証拠によれば,殺意の点を含め判示第1の事
実を認めるに十分である。
第4 責任能力の有無について
 1 被告人は,当公判廷において,本件犯行前日までの睡眠薬などの服用状況や
精神状態について,概要,以下のとおり供述する。
   被告人は,平成6年ころからハルシオンを常用するようになり,次第にその
使用量を増やし,平成10年9月ころからDクリニックに,平成12年11月ころ
からはE内科にも重ねて通院して,睡眠導入剤であるロヒプノール(ロヒプノール
1)や精神安定剤であるコンスタンなどを処方され服用を続けていたが,平成13
年2月実母が死亡したことや,同年3月ころ子宮内膜症により子宮摘出手術を受け
たことによる精神的打撃や体調不良に加え,前認定のとおり被害者から十分な経済
的援助が受けられなくなったことも相まって,精神的に疲弊し,前記ロヒプノール
やコンスタンの服用量は増大し,本件犯行の前ころには,1回につきロヒプノール
2(ロヒプノール1の2倍の効果が得られるもの)を2錠,ベンザリンを1錠,コ
ンスタンを8錠飲んでおり,足元がふらつくことやタンス等にぶつかってできる生
傷が絶えないようにな状態に陥っていた。また,被告人は,実母が死亡したころか
ら,しきりに自殺を口にするようにもなっていた。
   被告人は,平成13年5月31日,被害者が家賃を持って来ると言ったの
に,連絡がとれなくなったことから,被害者に電話をして文句を言うなどし,同日
夜,自殺をするため,それまでためていたベンザリンを2週間分,ロヒプノール2
を30錠くらい,コンスタンを100錠くらい一気に飲んだ。また,その途中,妹
に対し自殺をほのめかす手紙(弁16)を書いたと思う。被告人は,翌6月1日,
前日に薬を飲みきってしまったため,同日服用する薬がないとして,Dクリニック
に行き,1日分のロヒプノール2(1錠)とコンスタン(2錠)をもらった。その
後,被告人は,たぶん同日夕方から自宅近くのマージャン店に赴いたと思う。な
お,同日,被害者方に電話をしてBと話した記憶はない。
 2 次に,本件犯行当日の行動等について,被告人が当公判廷においても記憶が
あるとして供述するものは,概要以下のとおりである。
   被告人は,本件犯行当日の6月2日朝,被害者からの電話を受け,「今から
嫁さんを連れて行くから。」と言われ,その後,判示公園で話し合うことになり,
自動車で同所に向かった。その途中か出かける前かは覚えていないが,Cと電話で
口論になった。判示公園付近に着いてから,被害者の携帯電話に電話し,Bに対し
早く来るよう言って怒って電話を切った。なお,本件包丁を持って家を出たことは
覚えていない。その後,その場に来た被害者やBと話し,被害者が別れると言った
後,母の遺影を取り出し何か言った記憶はあるが,何を言ったかは記憶にないし,
その後被害者から買ってもらう約束になっていた家の話をしたかどうかも覚えてい
ない。また,Bに「おかめ」と言ったことは記憶しているが,乳房のキスマークを
見せた記憶はない。その後被害者を刺すことになったが,本件包丁を取り出した記
憶はない。また,被害者を刺した時,被害者は体を被告人の方に向けていたと思う
が,被害者を刺した記憶はない。その後何が起こったのかは分からないが,被害者
が被告人に刺された後「絶対死ぬなよ。」と説得するような感じで言ったのでびっ
くりした。
 3 判断
  (1) 被告人が長期間にわたり相当量の睡眠薬や精神安定剤を連用してきたこと
は弁護人提出の証拠等によっても概ね裏付けられている。特に,被告人は,本件直
前の5月26日,E内科から,ロヒプノール2を14錠,ベンザリン14錠,コン
スタン126錠の処方を受け,6月1日には,コンスタンを大量に服用してふらふ
らする,昨日コンスタンとロヒプノールの残りをすべて服用したと述べ,Dクリニ
ックで1日分のロヒプノール2とコンスタンの処方を受けている(弁17)。
 そして,Cの供述(第6回公判調書中の供述部分,検59)によれば,被
告人は,5月ころからは,これらの薬を飲んだとして,Cに電話をかけ自殺をした
いなどと言うようになって,Cが被告人の様子を心配して被告人宅に様子を見に行
くこともあり,また,被告人は,5月31日,Cに電話をして,被害者がお金を持
って来ないと言ったり,被害者宅の前で自殺するので付いてきてほしいなどと頼
み,Cにこれを断られている。さらに,被告人は,本件犯行の前(被告人によれば
5月31日夜),妹,父,C,さらに被害者を相手方とする,自殺をほのめかす手
紙を作成している(弁13ないし16)。加えて,前記マージャン店の経営者F
(第6回公判調書中の供述部分,検48)によれば,被告人は,6月1日夕方同店
に来て,翌2日午前2時ころまでマージャンをするなどしたが,その際,被告人
は,Fに対し,睡眠薬を5,60錠飲んだ,被害者と別れたいなどと述べており,
普段よりよくしゃべり,ハイな感じであり,マージャンの打ち方もむちゃくちゃで
あったという。
 また,本件犯行による逮捕後なされた被告人に対する簡易鑑定の結果で
は,被告人について,心因反応(精神安定剤等依存症)との診断名のもと,「理非
の弁別は認められるが,弁識に従って判断する能力はやや制限されていたと思料さ
れる。」とされており(検89),被告人が通院していた病院等でも,被告人につ
いて不安神経症等の病名で治療がなされている(弁17等)。
(2) しかしながら,被告人の本件犯行前の被害者やBに対する言動は,前記第
3の1(3),(4)のとおりと認められ,被告人は,本件自動車内における被害者やB
との話し合いの際,Bに対して乳房を見せ,「キスマークつけるな言うたのにつけ
てんねん。」などと言ったり,「おかめ,おかめ」と連呼したと認められるとこ
ろ,これは非常識で大人げない言動ではあるが,被告人がかかる言動にでたことを
もって特に異常,不自然な言動とはいえず,むしろ,被告人は,本件犯行前,被害
者との話し合いの場にBが来ると知った後,実母の遺影を持ち出し,被告人と別れ
るという被害者の発言に対し,即座にこの遺影を持ち出して翻意を迫るような言動
をとっているほか,被害者やBの発言に正常に反応しており,被告人の本件犯行時
における意識は清明であったと認められる。
  加えて,前述のとおり,犯行動機自体が合理的で十分了解可能である上,
被告人は,少なくとも本件犯行以前に被害者の殺害を意識して本件手紙を作成して
おり,この点からみても自己の意識に沿った行動をとっている。そして,被告人
は,前記認定(第3の1(6))のとおり,犯行後もBや知人に自分が行った行動の意
味を認識していることを示す旨の発言をし,Cに対しては子供の世話を頼むなど自
分が本件犯行により逮捕等されるであろうことをも理解していることを前提とした
依頼までしているのであって,被告人の人格が犯行の前後にわたり変容したことも
窺われない。
  また,被告人は,本件犯行前に,自宅から本件現場まで約20分間比較的
大型の自動車を運転しており,被告人の身体的な行動能力にも特に問題はなかった
と認められる。
  ところで,Cの供述によれば,被告人が睡眠薬や精神安定剤を多量に服用
したときは,飲酒してろれつが回らなくなるような状態になり,そのうち寝てしま
うというのであり,被告人同様これらの薬を服用していたというC自身がロヒプノ
ール2を10錠あるいは20錠服用した場合には,パック入り食品をパックごと食
べようとしたり,何をやっているのか分からなかったりする状況になったというの
であるが,Bの供述によれば,6月1日午前5時ころにBと電話で会話をした際の
被告人は,口調は興奮していたが,語尾や話し方ははっきりしていたと認められ,
また,Cの供述(検59)によれば,被告人は同日夜再びCに電話をかけ,「死
ぬ。睡眠薬を50錠以上飲んだ。」と言っていたものの,その口調はしっかりして
いたというのであり,6月2日午前8時ころ被害者と電話した後の被告人の言動に
ついても,前認定のとおり,そこにCがいうような状況は見受けられないのであっ
て,仮に5月31日夜に被告人がその供述どおりの大量の睡眠薬を服用したものと
しても,それから1日以上経過した(しかもその間に被告人が服用できた睡眠薬等
は前記のとおり1日分にすぎない。)本件犯行当時には,その影響はさ
ほど残っていなかったと認めるのが相当である。
  さらに,被告人やCの供述,前記妹らへの手紙等によれば,被告人は,実
母の死亡や自己の体調不良あるいは被害者から金銭的援助を受けられないことによ
り厭世的気分に陥り,あるいは抑うつ的になり,睡眠薬などを服用した際には自殺
念慮ないし自殺願望も有するようになっていたものと認められるが,自殺願望に支
配されていたというような状況にはなく,この点を含めこれまで検討した諸事情に
照らすと,被告人に抑うつ傾向があり,これに前記服薬事実が加わったとしても,
これらは本件当時の被告人の精神状態に異常をきたすほどの影響を与えてはいなか
ったものと認められる。
  弁護人は,被告人が,本件犯行直後被害者から「絶対死ぬなよ。」と言わ
れたと記憶しているところ,これは幻聴であるという。しかし,被告人は,6月2
日の逮捕後捜査段階の当初からこのことを述べていたのではないのであって,少な
くとも本件犯行の具体的状況を順に供述している6月11日付け検察官調書(検8
1)では,そのような特殊なことがあり,特に被告人が公判廷で述べるように被害
者の発言に驚いたという記憶があるのであれば,当然供述されているはずであるの
に,同調書にはその記載がなく,この点がはじめて録取されているのは同月15日
付警察官調書(検74)であり,しかも,同調書においても,被告人は被害者の発
言を聞いて驚いた等とは供述していない。また,通常であれば,多量に出血し死に
瀕している被害者から「絶対死ぬなよ。」等と言われたと認識したとすれば,これ
に対し返事をするなど何らかの反応をするのが通常であると思われるが,Bの供述
によれば,被告人は,被害者を刺した後,それに類するような行動を示してはおら
ず,むしろBに対してのみ「殺人犯になってもええねん。あんたが来たからこうな
ってん。」などと言っていたことが認められる。そうすると,被告人
が犯行直後に被害者において発言したと主張して止まない「幻聴」の存在自体が疑
わしいと言うべきであって,仮に被告人に現在その旨の記憶があるとすれば,これ
は犯行後に構築された誤った記憶である可能性が高いと言うべきである。
(2) なお,被告人は,当公判廷において,犯行前の5月28日以降のことにつ
いて記憶がほとんどない旨供述するが,捜査段階における供述内容に照らすと,被
告人の健忘の主張には誇張があると言うべきであり,加えて,前記Cの供述によれ
ば,睡眠薬を大量に服用すれば記憶が消えることがあるというのであるから,健忘
があることをもって,被告人の犯行当時の意識が清明でなかったとはいえない。
(3) そして,これまで検討してきた点に照らすと,「被告人は,犯行当時,自
己の弁識に従って判断する能力はやや制限されていた。」旨の前記簡易鑑定は,そ
の文言どおり,自己の弁識に従って行動する能力が若干低下していたことを鑑別し
たに止まるものであって,被告人が,本件犯行当時,心神喪失あるいは心神耗弱の
状態にあったことを疑わせる資料となるものではない。
  (4) 以上のとおり,被告人は本件犯行前において,継続的に多量の睡眠薬や精
神安定剤を服用し,本件犯行日の2日前には,多量の睡眠薬等を服用していた可能
性が高く,精神的に疲弊し,厭世的気分に陥り,あるいは抑うつ的になり,睡眠薬
などを服用した際には自殺念慮ないし自殺願望も有するような状態にあったことが
認められるけれども,関係証拠により認められる犯行の動機・原因,その了解可能
性,犯行の手段・態様,被告人の犯行前後の行動の異常性の有無,犯行及びその前
後の状況についての被告人の記憶の有無・程度,意識状態,被告人の本件犯行時及
び犯行前後の合目的的言動に照らすと,犯行当時の被告人の精神状態は,事理を弁
別し,それに従って行動する能力が若干低下していたに止まるものであって,その
能力を欠き,あるいはそれが著しく減退した状態にはなかったと認めるのが相当で
ある。
第5 結論
以上のとおりであって,被告人及び弁護人の主張は理由がない。
(法令の適用)
 被告人の判示第1の所為は刑法199条に,判示第2の所為は銃砲刀剣類所持等
取締法32条4号,22条に該当するところ,各所定刑中判示第1の罪については
有期懲役刑を,判示第2の罪については懲役刑をそれぞれ選択し,以上は刑法45
条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重い判示第1の罪の刑
に同法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役9
年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中670日をその刑に算入し,押収
してある文化包丁1本(平成13年押第166号の1)は,判示第1の殺人の用に
供した物で被告人以外の者に属しないから,同法19条1項2号,2項本文を適用
してこれを没収し,訴訟費用は刑事訴訟法181条1項ただし書を適用してこれを
被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
 本件は,被害者の不倫相手であった被告人が,被害者と自動車内で別れ話をした
際に,同人の妻の目の前で,被害者に対し,その頸部を所携の文化包丁で1回突き
刺して殺害した殺人及びその際前記包丁を携帯した銃砲刀剣類所持等取締法違反の
事案である。
 本件各犯行に至る経緯等は前記認定のとおりであるが,被告人は,金銭的援助を
期待していた被害者から別れる旨言い渡されるや激高して本件各犯行に及んだもの
であり,その短絡的で身勝手な動機に酌量の余地はなく,仮に被告人に無理心中の
意思があったものとしても,何ら本件各犯行を正当化するものではない。犯行態様
は,前を向き無防備な状態にあった被害者の頸部を,殺傷能力の高い鋭利な文化包
丁で一突きにしたもので,犯行現場である軽四乗用自動車内には多量の血液が飛び
散るなど凄惨で残忍な犯行である。被害者は,妻子がありながら被告人との交際を
続けていたものではあるが,もとより生命を奪われるべき落ち度は全くなく,被告
人と別れ,平穏で幸せな家庭生活を取り戻そうと決意した矢先に,これまで経済
的,精神的に様々な犠牲を払ってきた被告人から,妻の目の前で,全く事態を予想
できないまま,一瞬のうちに殺害されたものであって,働き盛りの53歳という年
齢で,最愛の子供たちの成長を見守ることもできず,突如その生命を絶たれた苦痛
や無念さは想像に難くない。目の前で浮気相手に夫を包丁で刺されるという驚愕の
事態にあい,また必死の救命活動もむなしく夫の悲惨な死を目の当たり
にさせられることになった被害者の妻や,突如父親を奪われた子供たちなど遺族の
被害感情に極めて厳しいものがあるのは当然であるが,これに対して,被告人から
は何ら効果的な慰謝の措置がなされていないばかりか,被告人は,当公判廷におい
て,被害者遺族の感情を逆撫でするとしか評しようのない言動に及び,最終陳述に
至っても,被害者や遺族に対する哀悼の念などは一切示さず,検察官を非難するこ
とに終始して公判を終えたものであって,遺憾ながら,公判を通じて,自己の責任
を顧みる態度が極めて不十分であったといわざるを得ず,これらの事情を考慮する
と,本件犯情は誠に悪質で,被告人の刑事責任は重大である。
 他方,あらかじめ包丁を持ち出してはいるものの本件各犯行が計画的なものとま
では認められないこと,犯行当時,被告人は,責任能力に影響はないものの,事理
を弁別し,それに従って行動する能力が若干低下していた精神状態にあったこと,
被告人には前科前歴がなく,養育すべき子供があることなど,被告人のためにしん
酌すべき事情も認められるので,これらの事情を十分に考慮した上,主文の刑に処
するのが相当であると判断した。
 よって,主文のとおり判決する。
  平成15年10月24日
神戸地方裁判所第1刑事部
裁判長裁判官  杉 森 研 二
   裁判官橋 本   一
   裁判官沖   敦 子

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