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平成30年7月4日福岡高等裁判所第3刑事部判決
平成30年(う)第43号組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律
違反,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件
主文
本件控訴を棄却する。5
当審における未決勾留日数中130日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人後藤富和作成の控訴趣意書(なお,弁護人は,同書面
中の法令適用の誤り及び量刑不当に関する主張は,事実誤認をいう趣旨に尽きる旨
釈明した。)に記載のとおりであるから,これを引用する。10
第1控訴趣意中,原判示第1の組織的殺人未遂,けん銃発射,けん銃加重所持
(以下「元警察官事件」という。)に関する事実誤認の主張について
論旨は,要するに,被告人には,被害者である元A県警察警察官Bに対する殺意
がない上,元警察官事件がC会の活動として組織により行われたことはなく,また,
D(C会総裁),E(C会会長),F(C会理事長兼G組組長)との共謀は認められ15
ないのに,これらの事実を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな
事実の誤認がある,というのである。
そこで,記録を調査して検討する。
1原判決の概要
(1)元警察官事件の犯行態様は,約1.2mという近い距離から,人を殺傷する20
能力を十分備えた真正けん銃を用いて,Bの左腰部及び左大腿部という身体の枢要
部に近い部位に向けて銃弾を2発撃ち込んだというものである。犯行による負傷そ
のものは結果的に生命の危険を生じさせるには至らなかったが,わずかでも銃弾の
軌道がずれたり,Bが別の身体の動かし方をしたりしていれば,銃弾が重要な臓器
等を損傷して死に至らせる危険性があった。そのことは,自らBに近づき,けん銃25
を構えて発射するなどした被告人も認識していた。そうすると,被告人は,ことに
よればBが死亡する危険性はあるが,それでもやむを得ないという程度の殺意を有
していたと認められる。
(2)元警察官事件は,少なくとも,H(C会G組若頭)以下のG組の組員が,H
の指示により定められた役割分担に従って敢行したものであることが明らかである。
そして,H,被告人ら,犯行において一定の役割を担った者らは,いずれもBと面5
識がなく,Bとの間に怨恨等があったことはうかがわれない。また,長年C会の捜
査に携わった元警察官に対してけん銃を用いて襲撃するという犯行自体から,C会
によるものと疑われるのは明らかであることからすると,上層部の了解なくH以下
の者らが犯行を計画・実行することは考え難い。仮にそのようなことがあればC会
内で何らかの粛清や処分を受けてしかるべきであるが,そのようなこともなかった。10
このような事情も考慮すると,Dが,Bに対しけん銃を用いて襲撃するという強い
手段で報復することにより,警察や世間一般にC会の威力を見せつけて勢力を維持・
拡大させ,組織の結束を図ろうとすることは想定し得ることであり,それ以外にB
を襲撃する理由は考え難い。以上のほか,DとFとの間に特段親密な関係はなく,
Eを介さずにDとFが直接重要な事柄を決めることは考えにくいことなども考慮す15
ると,元警察官事件は,最上位にあったDが意思決定をした上で,序列2位のE,
3位のFと順次指揮命令が伝達され,Fから,自らが組長を務めるG組若頭のHに
指揮命令が行われたことが合理的に推認できる。よって,元警察官事件は,C会の
活動として,Dの指揮命令に基づき,あらかじめ定められた任務分担に従って敢行
されたものであると認定できる。20
(3)DからHまでの指揮命令については,元警察官をけん銃を用いて襲撃すると
いう犯行態様の核心部分についてHがその一存で決めたことはあり得ないから,少
なくともその点についてはD,E,Fとの間でも意思疎通があったと推認できる。
そして,そのような態様を取ることについて認識がある以上,ことによればBが死
亡することになるかもしれないという程度の認識すら有していなかったとは考えら25
れない。C会の組織構成やその性質を前提とすれば,Dらにおいても,犯行に当た
ってF以下のC会組員が指揮命令に従い役割を分担して実行に至ることの認識があ
ったことも疑いを容れない。D,E,Fについて元警察官事件の共謀があったと認
められる。
2原判決のこの認定判断は正当であって,論理則,経験則等に反する点はなく,
事実の誤認があるとは認められない。以下,所論にかんがみ,補足して説明する。5
(1)被告人の殺意について
ア所論は,まず,原判決が,わずかでも銃弾の軌道がずれる可能性があること
や,被告人が狙いどおりに銃撃できない可能性があること,Bが別の身体の動かし
方をする可能性を考慮して,被告人の殺意を認定したが,この認定は,仮定の上に
仮定を重ねて初めて成り立つ推論にすぎず,合理的な疑いを残すものであると主張10
する。
しかし,原判決は,被告人の銃撃行為が,Bを死亡させる危険があったことを認
定するために,現にBに生じた傷害結果だけでなく,その行為自体がどの程度人の
死亡という結果を発生させる危険を有していたのかを検討しているのであって,そ
の認定判断は何ら経験則等に反していない。すなわち,本件のように,離れた相手15
に対する銃撃は,比較的至近距離であっても,狙いどおりの箇所に銃弾を命中させ
ることができるとは限らず,原判決のいうように,銃弾の軌道がずれたり,相手が
身体を動かしたりする可能性がある。現に,被告人は,原審において,Bのひざ上
を狙ったと供述しているが,実際には,それよりかなり上方の左腰部及び左大腿部
に2発命中している。しかも,25口径という小型のけん銃とはいえ,本件けん銃20
による銃撃の威力は,人の身体の重要な臓器や血管等を貫通して,損傷させるに十
分なものである。そうすると,原判決が,このような可能性や,銃撃の威力を考慮
して,被告人が,ことによればBが死亡する危険性があり,それでもやむを得ない
という程度の殺意を有していたと認めたのは,正当である。
イ所論は,また,原判決が説示するように,大腿部に生命を維持する上で重要25
な血管があることが常識であることは,何ら立証がなされておらず,むしろ,大腿
動脈の位置や太さ等を一般人が把握しているとは考えにくく,これが常識であるな
ら,Hが被告人に,Bを殺さないために足を狙えという指示をすることや,被告人
がHに「ももを狙ってよいか」と尋ねることもしないはずであると主張する。
しかし,所論のいうように,一般人が大腿動脈の正確な位置や太さ等について知
らないとしても,大腿部に生命を維持する上で重要な血管があること自体は,原判5
決のいうとおり常識というべきである。確かに,ももを狙って銃撃することは,胸
部や腹部等の身体の枢要部を狙って銃撃することに比べ,一般的にみて相手を死亡
させる危険性が低いとはいえ,前記のとおり,大腿部であっても,銃弾が命中した
箇所によっては,相手を死亡させる危険性が十分にあるから,被告人とHとの間で
所論のいうような会話がなされたからといって,原判決が認定した程度の殺意があ10
ることを揺るがすものではない。
(2)元警察官事件がC会の活動として組織により行われたこと及びDらとの共
謀について
この点に関する所論は,①原判決は,C会内の「何者かにより」Bを襲撃するこ
とが企てられたと説示するが,襲撃を計画したのが誰なのか明らかではない以上,15
C会の組織による犯行として計画されたという認定はできるはずがない,②Dが元
警察官事件について意思決定したことや,DからHまでの指揮命令に関する証拠は
なく,原判決による組織性の認定は,原判決も認めているように,あくまでC会に
よるものと疑われるというレベルのものであり,合理的な疑いを差し挟む余地がな
い程度に強固な推認とはいえない,③むしろ,C会が元警察官を襲撃したならば,20
警察は組織を挙げてC会の壊滅に全力を挙げることが容易に想像できるから,C会
の組織としての利益はない,④功名を焦ったHが,Dらに相談することもなく,ス
タンドプレーとして犯行を計画したと考えるほうが合理的であるから,元警察官事
件がC会の活動として組織により行われたことや,被告人とDらとの共謀の成立を
認めた原判決の事実認定は誤っている,というものである。25
しかし,①の点について,組織的殺人未遂罪が成立するためには,殺人未遂罪に
当たる行為が,団体の活動として,当該行為を実行するための組織により行われた
と認められれば足り,当該団体内の特定の者が当該行為を計画したことまで具体的
に認定する必要はない。②の点について,原判決は,要するに,C会において,総
裁のDを最上位に序列が設けられ,統制が厳格であったことや,元警察官事件が,
C会傘下の二次団体G組の組員であるH以下の者が,Hの指示により定められた役5
割分担に従って敢行されたことを前提に,HらにBを襲撃する動機がない一方,D
らには動機があること,犯行によって,警察の捜査,取締り等,C会全体に重大な
影響が及ぶことが容易に想定されること,Hらが粛清,処分されるなど,HらがD
らに無断で犯行を計画,実行したことをうかがわせる事情が認められないことから,
元警察官事件は,D,Eの関与を想定しなければ合理的に説明することが極めて困10
難であるとした上で,DとFとの関係性から,Eを介さずにDとFが直接重要事項
を決定することは考えにくいとして,元警察官事件が,最上位のDが意思決定の上,
序列2位のE,3位のFと順次指揮命令が伝達され,FからHに指揮命令が行われ
たことが合理的に推認できることから,C会の活動として,組織により行われたと
認定し,Dらとの共謀の成立も認めたものである。原判決のこの認定判断は正当で15
あって,経験則等に反する点はない。③の点について,Dらが,従前のいきさつか
ら強い不快感を抱いていたBに対し,けん銃を用いて襲撃することで,警察等にC
会の威力を見せつけて勢力を維持拡大させようと考えて,予想される警察の捜査や
取締り等を意に介することなく,犯行に及ぶことも十分考えられるところであって,
C会としての利益がないなどとはいえない。④の点について,前記のような事情に20
照らせば,功名を焦ったHが,Dらに相談せずに,元警察官事件を計画,実行した
と考えることは,原判決が説示するように,合理的に説明することが困難といわざ
るを得ない。
元警察官事件に関する事実誤認の論旨は,理由がない。
第2控訴趣意中,原判示第2の組織的殺人未遂(以下「看護師事件」という。)25
に関する事実誤認の主張について
論旨は,要するに,実行犯であるI(C会専務理事兼G組若頭補佐)には,被害
者であるJに対する殺意がない上,看護師事件がC会の活動として組織により行わ
れたことはなく,また,被告人とD,E,Fらとの共謀は認められないのに,これ
らの事実を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があ
る,というのである。5
そこで,記録を調査して検討する。
1原判決の概要
(1)Iは,歩行中のJに背後から近づき,その頭髪をつかんだ上,刃物でその左
側頭頸部付近を切り付け,さらにもみ合いの後,Jの左臀部を刃物で突き刺した。
左側頭頸部付近への攻撃は,その態様からして,明らかにその部位を狙ったと認め10
られる上,その攻撃の結果Jが負った左眉毛上部挫創は筋層に達し浅側頭動脈を完
全に切断するほどの深さで,Jが外傷性出血性ショックにも陥っていることからし
て,相応に強い力を込めた攻撃であったと認められる。Iが臀部に刃物を突き刺し
たことにより生じた左臀部挫創も相応の深さがあり,Iが力を込めて攻撃していた
ことがうかがわれる。Iが犯行に用いた刃物の形状の詳細等は明らかでないが,J15
の負った重いけがの状況からすれば,十分鋭利で人の生命に危険を及ぼし得る刃物
であったことは明らかである。そうすると,Iの行為は,Jを死亡させる危険性が
あり,Iにおいても,少なくとも,ことによればJが死亡するかもしれないという
程度の殺意を有していたと認められる。
(2)看護師事件は,Hの指揮命令の下,G組を中心として組織的に敢行されたと20
認められる。他方,看護師事件に関わったG組関係者らはJとは面識すらないのに
対し,DとJとは,Dが美容形成外科医院で亀頭増大手術等の施術を受け,Jが看
護師としてDを担当するなどの関わりがあり,Dが自己の意に沿わないJの対応等
につき医院の別の職員に強い口調で不満を述べるなどしている。以上のような事情
からすると,看護師事件がDとJとの間のトラブルと無関係になされたとは到底考25
えられず,このトラブルを巡り,Jに対して報復ないし制裁としてなされたと見ざ
るを得ない。また,このトラブルは,Dの極めて私的でデリケートな事柄に関わる
ところ,看護師事件がC会組員の手によるものと疑われれば,直ちにDの関与が疑
われ,その私事も含めて捜査の対象とされるなど,Dの名誉が傷つけられ,ひいて
はC会全体にも重大な影響が及ぶことが容易に想定され得るにもかかわらず,Iは
看護師事件を実行したことについて何ら粛清,処分されていない。以上によれば,5
看護師事件がH以下の者らの一存で計画されたとは到底考え難く,Dの関与がない
とすると,犯行を合理的に説明することは極めて困難であり,Dの意思決定に基づ
き,その指揮命令の下,多数のC会組員が動員され,あらかじめ定められた任務の
分担に従って実行されたものと強く推認される。当時,看護師事件に関与したC会
組員が二次団体のG組やK組に所属し,DとFとの間に特段親密な関係はなかった10
ことからすると,C会内の指揮命令系統に基づき,その序列に従って,DからE,
Fへと指揮命令がなされ,さらに,FからK,Kが組長を務めるK組組員のLへと
指揮が伝達される一方,G組若頭のHにも指揮がなされ,H以下の組員へ順次指揮
命令が行われたことが推認される。また,こうした組織的な対応に加え,本件の経
緯や態様等にも照らせば,看護師事件は,世間一般に,D,ひいてはC会の威信を15
維持し,組織の結束を図るという利益や効果が団体としてのC会に帰属するものと
認められる。以上によれば,看護師事件は,団体であるC会の活動として組織によ
り行われたものと認められる。
(3)被告人は,IがJを襲撃することについて明確に知らされてはいなかったが,
M(当時C会専務理事兼G組筆頭若頭補佐)から仕事がある旨告げられた上,犯行20
における役割等について具体的に指示を受け,移動用の車を調達し,Lから受け取
った本件バイクを運搬し,これを使用して犯行現場付近までIを送るなどの準備行
為を実行しているほか,犯行前に2回襲撃が中止された際にも,Nが運転する車で
本件集合場所まで移動し,OからIを乗せるバイクを受け取るなどしていた。これ
らによれば,被告人は,看護師事件について,G組組員のみならず多数のC会組員25
が動員されて組織的に犯行を実行するための準備が行われたことを十分に認識して
いたといえる。加えて,犯行当時,既に,被告人は元警察官事件に実行役として関
与し,自らけん銃を発射して命中させた経験があった上,C会が起こしたとされる
殺人(未遂)事件について多数の報道がされていた。これらに照らせば,被告人は,
自らの準備行為に基づいて,団体であるC会が,組織により,人を襲撃し,場合に
よっては実行役であるIが刃物等の凶器を用いてその命を奪う可能性があることも5
当然に認識しており,それらについてMやIと意思を相通じていたと認められる。
(4)Dから,E,F,K,H,M,更には,Iや被告人への具体的な指揮命令や
謀議の内容は明らかでないが,少なくとも鋭利な刃物でJに襲い掛かるという核心
部分については,下位者が上位者の了承を得ずに決めるとは考え難く,上位者の間
でもその点に関する意思疎通があり,それが下位者らに伝達されたことが明らかで10
ある。もっとも,本件の発端はDとJの私的なトラブルであり,Jが死亡すれば,
Dを対象とする捜査の実行等,C会全体に重大な影響が及ぶことが容易に想定可能
であるから,Dらがそこまで意欲していたとまでは考えられないが,刃物を使用す
ることにより,ことによればJを死に至らせる危険性があることは十分認識,認容
していたものと考えられる。D,E,F,K及びHは,Iや被告人との間では直接15
のやり取りをしていないものの,同人らの指示役であるMらを介し,順次,I及び
被告人との間で,看護師事件について共謀したものと認められる。
2原判決のこの認定判断は正当であって,論理則,経験則等に反する点はなく,
事実の誤認があるとは認められない。以下,所論にかんがみ,補足して説明する。
(1)Iの殺意について20
この点に関する所論は,①Jの創傷が生じたのは,いずれも人体の枢要部でなく,
左眉毛上部への襲撃は,単に頭蓋外側の浅側頭動脈のうち1本を切断したにすぎず,
左臀部の刺創は,そもそも人の死につながるような傷ではないから,Iによる行為
は,Jを死に至らせる程度のものでなく,せいぜい「適切な治療をしなければ」と
いう,都市部で多くの人が活動している時間帯ではあり得ない仮定の条件の下で,25
ようやく死の危険の可能性が出てくるという程度にすぎない,②このようなIの行
為の危険性の程度からすると,原判決が,Iが使用した刃物を,十分鋭利で人の生
命に危険を及ぼし得るものと認定することには合理的な疑いが残るというものであ
る。
しかし,Iは,歩行中のJの頭髪をつかんだ上で,左側頭頸部付近を狙って,刃
物で相応に強い力を込めて切り付けるなどし,浅側頭動脈を完全に切断している。5
そして,浅側頭動脈は,比較的心臓に近い大きな動脈であり,これが切断された場
合,自然に止血することはなく,出血が続いて出血性ショックで死亡するとされて
おり,本件においても,Jは,血圧が下がり,極めて危険な状態に陥ったが,看護
師であるJが,被害直後に頭部左側を手のひらで圧迫して,ある程度出血量を減ら
したことや,早期に救急搬送されて適切な治療を受けたことから,幸いにして救命10
できたことが認められる。そうすると,原判決のいうとおり,Iの行為が,Jを死
亡させる危険性があることは明らかであって,所論のいうように,Jの創傷が人体
の枢要部ではないとか,Iの行為がJを死に至らせる程度のものではないとかいう
ことはできない。また,原判決が,このようなJのけがの状況から,Iが使用した
刃物を,十分鋭利で人の生命に危険を及ぼし得ると認定した点についても,誤りは15
ない。
(2)看護師事件がC会の活動として組織により行われたこと及びDらとの共謀
について
この点に関する所論は,①Dから被告人及び実行犯に至るまでの具体的な指示
の存在及び内容については,何らの立証がなされていない,②DとJとのトラブル20
は,亀頭増大手術や陰部脱毛という,通常他人には知られたくない極めてデリケー
トな問題であり,これが警察や一般市民に知られると,DのC会の総裁としての名
誉が深く傷つけられる一方,組織としては極めて小さな問題であり,C会総裁が,
このようなトラブルを巡って,組織を挙げて,一看護師を襲撃するというのは,通
常あり得ず,むしろ,Hが,Dがそのような問題でトラブルを抱え悩んでいる心情25
を忖度し,この機会に総裁に自分の働きを評価してもらい出世につなげたいと考
え,Dに相談することなく,いわばスタンドプレーとして,本件犯行を計画し実行
に移したと考えるほうが自然で合理的であるから,看護師事件がC会の活動として
組織により行われたことや,IとDらとの共謀を認めた原判決は誤っていると主張
する。
しかし,①の点について,原判決も,D以下の具体的な指揮命令の内容等につい5
ては,所論のいうように,明らかになっていないとしながらも,前記のようなC会
の組織統制の厳格さや,看護師事件が,Hの指揮命令の下,G組を中心として組織
的に敢行されたことを前提に,HらがJとは面識すらないのに対し,DとJとの間
には所論のいうようなトラブルがあり,看護師事件が,このトラブルを巡り,Jに
対する報復ないし制裁としてなされたと見ざるを得ないこと,看護師事件へのC会10
の関与が疑われれば,Dの名誉が傷つけられ,C会全体にも重大な影響が及ぶこと
が容易に想定されること,Iが粛清,処分されるなど,Iらが,Dに無断で,犯行
を計画,実行したことをうかがわせる事情も認められないこと等から,看護師事件
が,Dの意思決定に基づき,その指揮命令の下,多数のC会組員が動員され,あら
かじめ定められた任務の分担に従って実行されたと認定している。この認定判断も15
正当であって,経験則等に反する点はない。②の点について,C会総裁の極めて私
的でデリケートな問題であるからこそ,Hが,Dに全く相談しないで,スタンドプ
レーとして犯行を計画,実行することは考え難いといえるし,C会総裁に対しある
まじき態度をとった者に制裁を加えることで,世間一般にC会及びその総裁の威信
を維持し,組織の結束を図るという利益があったことからすると,C会総裁が組織20
を挙げて一看護師を襲撃することも,所論のいうようにあり得ないとはいえない。
(3)被告人の共謀について
この点に関する所論は,①看護師事件における被告人の関与は,犯行当日,実行
犯であるIをバイクに乗せて犯行現場付近まで運んだということだけであり,Iが
誰に対し何をするのか聞かされていなかったし,Iが刃物を持っていることすら認25
識しておらず,また,犯行自体目撃していない,②原判決は,犯行当時,被告人が,
既に元警察官事件に実行役として関与した経験があったことや,C会が起こしたと
される殺人ないし殺人未遂事件について多数の報道がされていたことを根拠に,I
が刃物等の凶器を用いてその命を奪う可能性があることを当然に認識していたと認
定するが,元警察官事件は,看護師事件の8か月以上前のことであるし,被告人に
対する指示者も異なるから,元警察官事件と同様の襲撃を指示されたと認識する合5
理的な根拠はなく,また,単に人を目的地まで運ぶという指示について,C会に関
する報道に接することで,同様に殺人を指示されたと認識するのは極めて技巧的か
つ強引で不自然な認定であるから,看護師事件に関し被告人とIらとの共謀は成立
していない,というのである。
しかし,①の点について,原判決が説示するように,被告人は,Mから犯行にお10
ける役割等について具体的に指示され,移動用の車の調達や,本件バイクの運搬等
の準備行為をしているほか,犯行に際しては,他の事件と同様,事前に準備された
ヘルメットや黒っぽい服等をわざわざ着用して,盗難車である本件バイクを運転し,
同様に着替えたIを犯行現場まで送迎し,犯行後は,M,Iとともに,事前に指示
されたとおり,本件バイクからナンバープレートを外して海中に投棄している。こ15
れらの事情からすると,被告人は,本件において,多数のC会組員が動員されて組
織的に犯罪を実行するための準備が行われたことを十分に認識していたと認められ
る。これに加えて,原判決が指摘するように,犯行当時,被告人が,既に元警察官
事件に実行役として関与した経験があったことや,C会が起こしたとされる事件に
ついて多数の報道がされていたことを併せると,被告人は,C会が組織により人を20
襲撃し,場合によってはIが刃物等の凶器を用いてその命を奪う可能性があること
を認識していたと認められる。したがって,被告人とIらとの間で看護師事件に関
する共謀があったと認められ,これと同旨の原判決の認定判断は,正当なものとし
て是認できる。②の点について,原判決は,何も被告人が確定的に人の襲撃や殺人
を認識していたと認定したわけではなく,前記のような事情から,C会が組織によ25
り人を襲撃し,場合によっては刃物等の凶器を用いて相手の命を奪う可能性がある
ことを認識していたと認定しているのであって,所論指摘の点は,この程度の被告
人の認識を認めた原判決の認定に,影響を及ぼすものではない。
看護師事件に関する事実誤認の論旨も,理由がない。
第3控訴趣意中,原判示第3の組織的殺人未遂(以下「歯科医師事件」という。)
に関する事実誤認の主張について5
論旨は,要するに,被告人には,被害者であるPに対する殺意がない上,歯科医
師事件がC会の活動として組織により行われたことはなく,また,D,E,Fとの
共謀は認められないのに,これらの事実を認めた原判決には,判決に影響を及ぼす
ことが明らかな事実の誤認がある,というのである。
そこで,記録を調査して検討する。10
1原判決の概要
(1)信用性が認められるPの証言によれば,被告人は無防備なPの背後から近付
いてその背部に刃物を突き刺した上,Pから両手をつかまれて抵抗された後も,胸
部,腹部,大腿部等という身体の枢要部を含む部位を目掛けて繰り返し突き刺すな
どした。Pの抵抗にもかかわらず腹部や大腿部にかなり深い刺創が生じていること15
に照らせば,被告人は相当強い力を込めて刃物を突き出したと認められ,Pの抵抗
状況次第では重要な臓器が損傷して死亡する危険性は相当高かった。刃物の形状,
大きさ,硬さなどは不明であるが,それが包丁又はナイフ様の鋭利なもので,人を
殺傷するに足りる大きさや硬さがあったことは明らかである。被告人が少なくとも,
ことによればPが死亡するかもしれないとの認識を持っていたことは明らかであり,20
殺意があったと認められる。
(2)歯科医師事件はG組を中心として組織的に敢行されたものであると認めら
れる。他方,歯科医師事件に関与した被告人らG組関係者は,いずれもPとは面識
がないばかりか,Pの親族との関わりがあった形跡もない。これに対し,DやEは,
平成3年ころからPの祖父Qや父Rと接点があり,より関係を深めようとしたもの25
の,Qらがそれに応じず,C会組員がQを殺害する事態に至っている。また,Eは,
Rらに不満を抱いていたRのいとこのSと親交があり,犯行直前にはSをT漁業協
同組合U支所の代表理事にしようと画策するものの,Rがその障害になっているこ
とを知り,場合によってはRに危害を加えてまでもそれを実現する意向を示してい
た。さらに,犯行後,EがSに対し,「Rが分からんけ,お前もうそんなんするしか
ねえやねえか」「あいつはまだもう分かっとらんふうやのう」などと述べたことは,5
歯科医師事件が,RがC会の要求に応じないことに対する見せしめとして実行され
たことを強くうかがわせるものである。これらによれば,歯科医師事件がMの一存
で企図,計画されたものとは到底考え難く,DやEの関与がないとすると合理的に
説明することが極めて困難であるし,C会序列3位の地位にあり,G組組長でもあ
ったFが関与せずになされたことも考えられない。歯科医師事件は,Dが意思決定10
をした上で,序列に従い,E,Fと順次指揮命令が行われ,Fから,直接または第
三者を介して,Mに対して指揮命令が行われたことが極めて強く推認される。また,
このような指揮命令と役割分担の上で,白昼,一般市民を襲撃する犯行態様からし
て,歯科医師事件は,世間一般にC会の威力を誇示し,勢力や影響力を拡大させ,
組織の結束を図るという利益や効果がC会に帰属するものと認められる。以上によ15
れば,歯科医師事件は,団体であるC会の活動として組織により行われたものと認
められる。
(3)DからMの間の具体的な指揮命令や謀議の内容は明らかでないが,少なくと
も刃物でPを襲うという核心部分については下位者の一存で決めることは考えられ
ず,D,E,Fらにおいても意思疎通があり,それが下位者に伝達されたと考えら20
れる。Dらにおいて,Pを殺害することを積極的に意欲していたとまでは認められ
ないが,前記のような方法をとれば,Pの抵抗状況次第ではPが死亡する危険性が
あることは認識,認容していたものと考えられる。D,E,Fは,被告人との間で
は直接のやり取りをしていないものの,Mを介して,順次,被告人との間で,歯科
医師事件について共謀したものと認められる。25
2原判決のこの認定判断は正当であって,論理則,経験則等に反する点はなく,
事実の誤認があるとは認められない。以下,所論にかんがみ,補足して説明する。
(1)被告人の殺意について
所論は,①Pの創傷は,いずれもが致命傷とはなり得ないものである,②被告人
はMから,Pの尻か大腿を五,六回刺せという指示は受けたものの,殺せと言われ
たわけではない,③仮に被告人に殺意があれば,Pにとどめを刺すべきであり,そ5
れができる状況にあったにもかかわらず,あえてそれをしていないから,被告人の
殺意を認めた原判決の事実認定には誤りがあると主張する。
しかし,①の点について,原判決が説示するように,被告人は,胸部,腹部,大
腿部という身体の枢要部を含む部位を目掛け,相当強い力を込めて刃物を突き刺し,
これによりPの腹部や大腿部にかなり深い刺創が生じ,大腿深動脈が完全に切断さ10
れていたというのである。Pは,被害後,血圧が低下して出血性ショックの症状が
出ており,短時間で死亡する危険があったが,医師が早期に大量の輸液をしたこと
や,歯科医師であるPが,大腿部をタオルで縛ってある程度の止血ができたことな
どから,幸いにして救命できたというのである。これらによれば,所論のいうよう
に,Pの創傷が致命傷とはなり得ないなどとは到底いえず,Pが死亡する危険性が15
相当高かったことは明らかである。②,③の点について,原判決も,被告人がPの
殺害を意欲していたとまで認めているわけではなく,ことによればPが死亡するか
もしれないとの認識を持っていたと認定しているにすぎないから,所論のいうよう
に,被告人がMから殺せと言われていないことや,Pにとどめを刺していないこと
は,原判決が認定した程度の殺意と矛盾するものではなく,原判決の認定を揺るが20
すものではない。
(2)歯科医師事件がC会の活動として組織により行われたこと及びDらの共謀
について
所論は,関係証拠を見ても,Dが本件に関与したことを明確に示す証拠は存在せ
ず,原判決は,あくまで推認によってDの関与を認めたにすぎず,Dの配下の部下25
が,Dに相談することなく,いわばスタンドプレーとして犯行を企画し実行に移し
たとする可能性を否定するには至っていないから,歯科医師事件がC会の活動とし
て組織により行われたことや,被告人とDらとの共謀の成立を認めた原判決の事実
認定は誤っていると主張する。
しかし,原判決は,前記のようなC会の組織統制の厳格さや,歯科医師事件がG
組を中心として組織的に敢行されたことを前提に,被告人らG組関係者にPを襲撃5
する動機がない一方,DやEには,U地区の利権に関し,C会の要求に応じないR
に対する見せしめという動機があること,犯行後にEが,Rに対する見せしめのた
めに犯行に及んだことをうかがわせる発言をしていることから,歯科医師事件がM
の一存で企図,計画されたとは到底考え難く,DやEの関与がないとすると合理的
に説明することが極めて困難であるとして,歯科医師事件は,Dが意思決定をした10
上で,E,F,Mと順次指揮命令が行われたことが極めて強く推認されると説示し
ている。この原判決の認定判断は正当であって,経験則等に反する点はない。そう
すると,所論のいうように,Dの配下の部下が,Dに相談することなく,いわばス
タンドプレーとして犯行を企画し実行することは,原判決が説示するとおり,合理
的に説明することが極めて困難というべきである。15
歯科医師事件に関する事実誤認の論旨も,理由がない。
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における未決
勾留日数の算入について刑法21条を,当審における訴訟費用を被告人に負担させ
ないことについて刑訴法181条1項ただし書をそれぞれ適用して,主文のとおり
判決する。20
(裁判長裁判官野島秀夫,裁判官今泉裕登,裁判官髙橋孝治)
以上

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