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主文
本件上告を棄却する。
理由
第1上告趣意に対する判断
弁護人神宮壽雄ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は
事実誤認,単なる法令違反の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認,単
なる法令違反の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
第2職権判断
所論にかんがみ,業務上過失致死罪の成否について,職権で判断する。
1本件の事実関係
原判決及びその是認する第1審判決の認定によると,本件の事実関係は次のとお
りである。
(1)被告人の地位
被告人は,昭和59年7月16日から昭和61年6月29日までの間,公衆衛生
の向上及び増進を図ることなどを任務とする厚生省の薬務局生物製剤課長として,
同課所管に係る生物学的製剤の製造業・輸入販売業の許可,製造・輸入の承認,検
定及び検査等に関する事務全般を統括していた者であり,血液製剤等の生物学的製
剤の安全性を確保し,その使用に伴う公衆に対する危害の発生を未然に防止すべき
立場にあった。
(2)薬務行政に関する法令上の規定
厚生省薬務局における医薬品等に関する行政事務の遂行は,薬務行政と称され,
その基本法として薬事法が存在していた。同法については,サリドマイド事件,ス
モン事件等のいわゆる薬害事件の発生を教訓として,昭和54年10月1日に公布
された薬事法の一部を改正する法律(昭和54年法律第56号)により,医薬品の
使用による被害発生を未然に防止するとの観点からの改正が行われた。同改正後の
薬事法(被告人が生物製剤課長に在任していた当時のもの。以下同じ。)には,医
薬品の品質,有効性及び安全性を確保するための諸規定が置かれ,厚生大臣には,
同法74条の2第1項の承認取消し等を前提とする同法70条の回収命令の権限,
同法69条の2の緊急命令の権限等が与えられていた。
(3)血友病及び血友病治療用製剤
血友病は,人体の血液凝固因子のうち第Ⅷ因子又は第Ⅸ因子の先天的欠乏又は活
性の低下のため,出血が止まりにくい症状を呈する遺伝性疾患であり,第Ⅷ因子の
先天的欠乏等によるものを血友病A,第Ⅸ因子の先天的欠乏等によるものを血友病
Bという。血友病には根治療法は存在せず,患者に対しその欠乏する血液凝固因子
を補充するいわゆる補充療法が行われるところ,その治療用血液製剤として,血液
中の血液凝固第Ⅷ因子又は同第Ⅸ因子を抽出精製した濃縮血液凝固因子製剤が開発
され,血友病A患者については濃縮血液凝固第Ⅷ因子製剤(以下「第Ⅷ因子製剤」
という。)が,血友病B患者については濃縮血液凝固第Ⅸ因子製剤(以下「第Ⅸ因
子製剤」という。)がそれぞれ使用されるようになり,我が国の医療施設でも,か
ねてより厚生大臣の承認を受けて製造又は輸入された米国等の外国での採取に係る
人血液の血しょうを原料とする外国由来の非加熱第Ⅷ因子製剤及び非加熱第Ⅸ因子
製剤が,血友病患者に投与されていた。また,非加熱第Ⅸ因子製剤は,その承認事
項である「効能又は効果」が「血液凝固第Ⅸ因子欠乏症」などとされ,先天性のみ
ならず,後天性の欠乏症にも適応があるとされており,特に,肝機能障害患者につ
いては,肝臓で産生される血液凝固因子が減少して出血しやすいことから,手術等
に際して同製剤を投与することが広く行われていた。
(4)被害者の死亡
ミドリ十字株式会社(以下「ミドリ十字」という。)は,米国から輸入した血し
ょうと国内血しょうとの混合血しょうを原料とした非加熱第Ⅸ因子製剤であるクリ
スマシンを製造販売していたものであるが,昭和61年1月13日から同年2月1
0日までの間,商事会社に対して,上記クリスマシン合計160本を販売し,同商
事会社は,同年3月27日及び同月29日,大阪医科大学附属病院に対し,これら
のうち合計7本を販売した。同病院医師は,同年4月1日から同月3日までの間,
同病院において,肝機能障害に伴う食道静脈りゅうの硬化術を受けた患者(以下
「被害者」という。)に対し,そのうちの合計3本(合計1200単位)を投与し
て,そのころ,被害者をヒト免疫不全ウイルス(以下「HIV」という。)に感染
させ,その結果,被害者は,平成5年9月ころまでに後天性免疫不全症候群(以下
「エイズ」という。)の症状である抗酸菌感染症等を発症して,平成7年12月,
同病院において死亡した。
(5)結果予見可能性及び結果回避可能性に関する事実
ア昭和57年に米国において予後不良の新たな疾患として定義されたエイズの
患者が同国において増加の一途をたどり,血友病患者におけるエイズ発症例も増加
するとともに,その後のエイズの本態に関するウイルス学的研究等の進展により,
エイズが血液等を媒介とするHIVの感染による疾病であり,血友病患者のエイズ
り患の原因が従来の血液製剤の投与にあると考えられることなどの知見が医学界に
広く受け入れられるようになった。そして,我が国においても,血友病患者中のH
IV感染者の割合が相当の高率に及んでいることが知られるようになるとともに,
昭和60年3月21日には帝京大学病院の血友病患者からエイズ患者2名が発生し
た等の新聞報道がされ,厚生省保健医療局感染症対策課が運営するAIDS調査検
討委員会においても,昭和60年5月30日には血友病患者3名(うち2名は帝京
大学病院の上記患者)が,同年7月10日には血友病患者2名が,それぞれエイズ
患者と認定され,うち4名は既に死亡しているという事態が生じていた。
イ米国立衛生研究所及び米国防疫センターと国連世界保健機関(WHO)とが
共同で企画したエイズに関する国際研究会議が,昭和60年4月15日から同月1
7日まで米国ジョージア州アトランタ市で開催され,日本からは厚生省AIDS調
査検討委員会会長塩川優一医師,同省エイズ診断基準小委員会委員長栗村敬医師,
国立予防衛生研究所外来性ウイルス室長北村敬医師が出席した。そして,同会議直
後の同月19日,WHOは,加盟各国に対し,血友病患者に使用する血液凝固因子
製剤に関しては,加熱その他,ウイルスを殺す処置の施された製剤を使用するよう
勧告し,同勧告を紹介した上記北村医師執筆に係る報告記事が,「日本医事新報」
誌同年6月8日号に掲載された。また,同年11月,当時の厚生省薬務局長は,国
会答弁で繰り返し「加熱第Ⅸ因子製剤についても大急ぎで優先審査していること,
年内には承認に至ること,そうなれば血友病患者に使用する血液凝固因子製剤はま
ず安全であること」等の認識にあることを表明していた。さらに,同年12月19
日の中央薬事審議会血液製剤特別部会血液製剤調査会(第8回)において,委員の
間から,「加熱製剤が承認されたときには,非加熱製剤は使用させないよう厚生省
は指導すべきである」旨の意見が出されて,座長の要望により,調査会議事録にそ
の旨の記載がされ,同月26日の血液製剤特別部会(第4回)においても,委員か
ら同旨の意見が出され,厚生省の係官によって,議事録には「血液凝固因子につい
ては,加熱処理製剤を優先的に審査し,承認していることから,非加熱製剤は承認
整理等を速やかに行うべきであり,また非加熱製剤のみの承認しかない業者には早
急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである」旨の意見としてまとめら
れ,被告人にも,各議事録は供覧されていた。
ウ被告人は,昭和60年3月下旬ないし同年4月初めころ,生物製剤課長とし
て,HIV不活化効果が報告され,当時臨床試験が行われていた加熱第Ⅷ因子製剤
の早期承認を図る方針を示し,その結果,同年7月には製薬会社5社の加熱第Ⅷ因
子製剤が承認された。さらに,被告人が,同月,生物製剤課長として,加熱第Ⅸ因
子製剤についても,その承認を急ぐ方針を示した結果,同年12月,カッター・ジ
ャパン株式会社(以下「カッター」という。)及びミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤
が輸入承認され,昭和61年1月までにはこの2社による同製剤の販売が開始され
た。加えて,その当時,非加熱第Ⅸ因子製剤中には,HIVが混入していないとさ
れていた我が国の国内で採取された血しょうのみを原料とするもの及びHIV不活
化効果が報告されていたエタノール処理がなされたものが存在していた(以下,加
熱第Ⅸ因子製剤及びこれら非加熱第Ⅸ因子製剤の3者を総称して「本件加熱製剤
等」といい,それ以外の非加熱第Ⅸ因子製剤を「本件非加熱製剤」という。)。し
たがって,加熱第Ⅸ因子製剤の供給が開始されるようになってからは,血液凝固第
Ⅸ因子の補充のためには本件加熱製剤等の投与で対処することが,我が国全体の供
給量の面からも可能になっており,また,カッター及びミドリ十字においても,そ
れぞれ従前の非加熱第Ⅸ因子製剤の販売量を上回る量の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が
可能であった。しかも,肝機能障害患者等に対する止血のためには,第Ⅸ因子製剤
の投与以外の手段による治療で対処することも可能であった。
2第1審判決及び原判決が認定した被告人の過失
前記1(5)ア,イのような事情によれば,被告人は,昭和60年末ころまでに
は,我が国医療施設で使用されてきた本件非加熱製剤の投与を今後もなお継続させ
ることによって,その投与を受けるHIV未感染の患者をしてHIVに感染させた
上,エイズを発症させて死亡させるおそれがあることを予見することができ,同ウ
のような事情は,被告人も現に認識していたか又は容易に認識することが可能なも
のであった。したがって,被告人には,カッター及びミドリ十字の2社の加熱第Ⅸ
因子製剤の供給が可能となった時点において,自ら立案し必要があれば厚生省内の
関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして,上記2社をして,非加熱第
Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止させるとともに,自社の加熱第Ⅸ因子製剤と置き換
える形で出庫済みの未使用非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させ,さら
に,第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師をして,本件非加熱製剤の不要不急の投
与を控えさせる措置を講ずることにより,本件非加熱製剤の投与によるHIV感染
及びこれに起因するエイズ発症・死亡を極力防止すべき業務上の注意義務があっ
た。しかるに,被告人は,この義務を怠り,本件非加熱製剤の取扱いを製薬会社等
に任せてその販売・投与等を漫然放任した過失により,前記1(4)のとおり被害者
を死亡させた。
3当裁判所の判断
所論は,要旨,行政指導は,その性質上,任意の措置を促す事実上の措置であっ
て,公務員がこれを義務付けられるものではないこと,薬品による被害の発生の防
止は,第一次的にはこれを販売する製薬会社や処方する医師の責任であり,厚生省
は,第二次的,後見的な立場にあるものであって,その権限の発動は,法律に定め
る要件に従って行わなければならず,また,民事的な国の損害賠償責任ではなく,
公務員個人の刑事責任を問うためには,法律上の監督権限の発動が許容される場合
であるなど,強度の作為義務が認められることが必要なところ,本件においては,
そのような要件が充足されていないこと,本件において発動すべき薬事法上の監督
権限の行使は生物製剤課の所管に属するものではないことなどを挙げて,被告人に
は,刑事法上の過失を認めるべき作為義務が存在しないと主張する。
確かに,行政指導自体は任意の措置を促す事実上の措置であって,これを行うこ
とが法的に義務付けられるとはいえず,また,薬害発生の防止は,第一次的には製
薬会社や医師の責任であり,国の監督権限は,第二次的,後見的なものであって,
その発動については,公権力による介入であることから種々の要素を考慮して行う
必要があることなどからすれば,これらの措置に関する不作為が公務員の服務上の
責任や国の賠償責任を生じさせる場合があるとしても,これを超えて公務員に個人
としての刑事法上の責任を直ちに生じさせるものではないというべきである。
しかしながら,前記事実関係によれば,本件非加熱製剤は,当時広範に使用され
ていたところ,同製剤中にはHIVに汚染されていたものが相当量含まれており,
医学的には未解明の部分があったとしても,これを使用した場合,HIVに感染し
てエイズを発症する者が現に出現し,かつ,いったんエイズを発症すると,有効な
治療の方法がなく,多数の者が高度のがい然性をもって死に至ること自体はほぼ必
然的なものとして予測されたこと,当時は同製剤の危険性についての認識が関係者
に必ずしも共有されていたとはいえず,かつ,医師及び患者が同製剤を使用する場
合,これがHIVに汚染されたものかどうか見分けることも不可能であって,医師
や患者においてHIV感染の結果を回避することは期待できなかったこと,同製剤
は,国によって承認が与えられていたものであるところ,その危険性にかんがみれ
ば,本来その販売,使用が中止され,又は,少なくとも,医療上やむを得ない場合
以外は,使用が控えられるべきものであるにもかかわらず,国が明確な方針を示さ
なければ,引き続き,安易な,あるいはこれに乗じた販売や使用が行われるおそれ
があり,それまでの経緯に照らしても,その取扱いを製薬会社等にゆだねれば,そ
のおそれが現実化する具体的な危険が存在していたことなどが認められる。
このような状況の下では,薬品による危害発生を防止するため,薬事法69条の
2の緊急命令など,厚生大臣が薬事法上付与された各種の強制的な監督権限を行使
することが許容される前提となるべき重大な危険の存在が認められ,薬務行政上,
その防止のために必要かつ十分な措置を採るべき具体的義務が生じたといえるのみ
ならず,刑事法上も,本件非加熱製剤の製造,使用や安全確保に係る薬務行政を担
当する者には,社会生活上,薬品による危害発生の防止の業務に従事する者として
の注意義務が生じたものというべきである。
そして,防止措置の中には,必ずしも法律上の強制監督措置だけではなく,任意
の措置を促すことで防止の目的を達成することが合理的に期待できるときは,これ
を行政指導というかどうかはともかく,そのような措置も含まれるというべきであ
り,本件においては,厚生大臣が監督権限を有する製薬会社等に対する措置である
ことからすれば,そのような措置も防止措置として合理性を有するものと認められ
る。
被告人は,エイズとの関連が問題となった本件非加熱製剤が,被告人が課長であ
る生物製剤課の所管に係る血液製剤であることから,厚生省における同製剤に係る
エイズ対策に関して中心的な立場にあったものであり,厚生大臣を補佐して,薬品
による危害の防止という薬務行政を一体的に遂行すべき立場にあったのであるか
ら,被告人には,必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促す
ことを含め,薬務行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったことも明らか
であり,かつ,原判断指摘のような措置を採ることを不可能又は困難とするような
重大な法律上又は事実上の支障も認められないのであって,本件被害者の死亡につ
いて専ら被告人の責任に帰すべきものでないことはもとよりとしても,被告人にお
いてその責任を免れるものではない。
以上と同旨の原判断は,正当なものとして是認できる。
よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,
主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官古田佑紀裁判官津野修裁判官今井功裁判官
中川了滋)

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