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裁判例


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○ 主文
一、原判決主文第一項を取消す。
右取消にかゝる被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。
二、被控訴人(附帯控訴人)の本件附帯控訴を棄却する。
三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴入)の負担とする。
○ 事実
第一、当事者の求める裁判
一、控訴人(附帯被控訴人)(以下「控訴人」という。)
1、控訴につき
原判決中控訴人敗訴部分を取消す。
被控訴人(附帯控訴人)(以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
2、附帯控訴につき
本件附帯控訴を棄却する。
附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。
二、被控訴人
1、控訴につき
(一) 本件控訴を却下する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
(二) 本案について
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
2、附帯控訴につき
原判決中被控訴人敗訴部分を取消す。
控訴人は被控訴人が昭和四五年三月から同年八月までは一カ月金二、一〇〇円、同
年九月からは一カ月金二、六〇〇円の各割合による児童扶養手当の受給資格を有す
る旨の認定をしなければならない。
訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。
第二、当事者の主張及び立証
当事者双方の主張及び立証の関係は次に付加するほかは原判決事実摘示のとおりで
あるから、これを引用する。(但し原判決三枚目裏一一行目から一二行目の「第二
項」、同四枚目裏五行目、同五枚目表四行目の「各第二項」を削る。)
一、控訴人は、当審において、別紙(一)「控訴人の主張」のように、被控訴人
は、当審において同(二)「被控訴人の主張」のように各主張した。
二、三、立証(省略)
○ 理由
第一、本件控訴の適否について。
一、被控訴人は、「本件控訴は、控訴人の真意に基づかないものであるから不適法
である。」旨主張し、その理由とするところは、「控訴人は、原判決は正当である
から控訴すべきではない旨再三にわたり、公に表明していること、仮りに控訴人が
最終的には控訴の意思をもつていたとしても、それは控訴人において、国の利害に
関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律を誤解し、法務大臣の控
訴指示を適法と信じた結果、これに従つてなした控訴で、錯誤に基づくものであ
る。」というのである。
しかしながら、訴訟行為は民事(行政事件を含む)訴訟手続において裁判所に向け
てなされる公法的な行為であるから、手続の安定を尊重し、明確を期する必要上、
私法行為と異なり表示主義、外観主義が貫徹され、特別な場合(例えば民訴法第四
二〇条第一項第五号参照)を除いては、その行為について錯誤、虚偽表示、詐欺強
迫等のあつたことによつて効力が影響されない(管轄の合意のように訴訟外でなさ
れるものは格別)。したがつて又当事者が外形上訴訟行為として表示をする以上、
行為当時内心どんな意思に基づいてこれをしたか、その真意がどうであつたかを問
う必要はなく、専ら当事者の表示を標準としてその効力を判定すべきものと解する
のが相当である。そして、本件において、昭和四七年一〇月一一日控訴人が原判決
に対し控訴する旨記載した控訴状を当裁判所に提出していることは記録上明白なこ
とであり、控訴の提起という表示行為が控訴人によりなされている以上たとえ控訴
人知事が事前に裁判外で控訴しないことが適当と思われるとの意見を公表していた
としても、また、最終的には法務大臣の指揮に従つて本件控訴を提起するに至つた
としても(なお、都道府県知事は本件のような国の機関委任事務についての行政訴
訟については、いわゆる権限法第六条第一項、第五条第一項により法務大臣の指揮
を受ける立場にあるので、知事において、法律の解釈を誤り錯誤によつて、本件控
訴をしたと解する余地はない。)本件控訴の効力に消長を来すものでなく、被控訴
人の所論は採用できない。
二、被控訴人は、また「本件控訴は控訴の利益を欠くから不適法である。」旨主張
し、その理由とするところは、「控訴人は、原判決後、その趣旨に賛同し、みずか
ら障害(老齢)福祉年金と児童扶養手当との併給を実質的に認める児童養育見舞金
支給要綱を定めるなどし、更に立法府においても、原判決の判断を正当として、昭
和四八年九月二六日右併給を認める法改正を行い、改正法は同年一〇月一日より施
行されている。したがつて本件控訴は、本件係争の併給禁止条項が制度全体として
は既に問題が解決済であるのに、ひとり被控訴人の児童扶養手当の受給資格のみを
争うためになされたものであるから、最早や控訴をしてまで、争う実質上の利益は
ない。」というのである。
しかしながら、控訴の利益の存否は第一審判決が控訴人に不利益か否かによりきま
るのであり、不利益か否かは既判力な生じる判決主文を基準として判断すべきであ
る。これを本件についてみるに、被控訴人の控訴人に対する本訴請求中本件児童扶
養手当認定請求却下処分の取消請求部分が第一審判決において認容され、控訴人が
敗訴した以上、この判決に対し控訴人は控訴の利益を有すること明らかである。判
決理由中に判断された法令の違憲の存否は、本件控訴が理由あるか否かに関するこ
とであり控訴の利益とは関係がない。以上のとおり控訴の利益の存否は形式的にこ
れをとらえるべきであるから、これに反する被控訴人の所論は採用できない。
ちなみに所論、控訴人が原判決後、児童養育見舞金支給要綱を制定したといつて
も、各成立に争いのない甲第二九、第三〇号証を総合すれば、右は兵庫県が独自の
立場で県会の承認を得て知事が「昭和四七年度兵庫県児童養育見舞金支給要綱」を
制定したものであり、それは「国民年金法に基づく障害福祉年金を現に受給してい
るため、児童扶養手当法に基づく児童扶養手当が支給されないものに対し、兵庫県
児童養育見舞金を支給すること」をきめたものであり、本件併給禁止条項の存在を
前提として、「他の法令等によりこれに替るべき措置が講ぜられるまでの暫定措
置」とされたものであるから、その制定は本件控訴理由の当否についても無関係と
いわねばならない。また所論法改正が行われたとしても、右改正は、昭和四八年一
〇月一日より施行されたもので、遡及効が認められているわけでないから、これが
ため右改正前の本件併給禁止条項が問題となつている本件控訴理由の当否について
影響を及ぼすものでもない。
三、被控訴人は、更に「本件控訴は、控訴権の濫用である。」旨主張し、その理由
とするところは、「本件控訴は、児童扶養手当と障害福祉年金の併給を禁止した前
記改正前の条項が、原判決によつて違憲であると判断されたため、国において控訴
をさせたものであつて、本件控訴によつて求めるところは違憲の判断を受けたとい
う司法機関に対する形式的な面子以外のなにものでもない。控訴提起とうらはらに
控訴提起後、国会が右併給の正当性と必要性を認めて法改正が行われたので、本件
控訴は国会の意思とも矛盾するし、また下級裁判所の軽視と相俟つて、司法の違憲
審査制度、ひいては三権分立の制度に反する。単なる面子のために判決の確定を妨
げることは、貧困と差別に耐え、救済を求めている被控訴人に対する人権侵害行為
である。」というのである。
しかしながら、控訴権は第一審で一部又は全部敗訴した当事者が当然にもつ権利
(控訴裁判所に対し不服申立することの出来る訴訟上の権利)である。したがつ
て、たとえ第一審の裁判に瑕疵があつても当事者の上訴権の行使がなければ上訴審
は開かれないし、当事者の申立が裁判によつて全部認容されておれば、裁判の瑕疵
にかかわらず原則としてその当事者に上訴権は認められない。現行法は形式的不服
の存在を上訴の要件とし、これある限り、敗訴当事者には当然の権利として上訴権
を認めている。
そして控訴権の濫用とは、観念的にいえば、控訴権者が控訴の本来の目的である原
判決の誤謬の訂正による権利の防衛のためでなく、原裁判の正当なこと、従つてま
た控訴の理由ないことを認識しているにかゝわらず(主観的要件)、控訴の確定力
遮断効を利用し、訴訟引延し、又はこれに類する結果を意図して控訴権を行使する
ことである。このような濫控訴を防止する直接的な対策(これを不適法として却下
する如き)は現行法のもとでは考えられない。けだし濫控訴が主観的要件によるた
め控訴提起の当初、これを判定することは実際上不可能といつていい。控訴審の審
理過程をとおして控訴棄却の結論に達したとき右主観的要件の充足があつたとみる
ことが出来る場合があるにすぎないからである。ただこの防止対策として間接な方
法であるが、現行法は金銭による制裁(民訴法第三八四条の二)を規定しているに
留まる。
右のとおり、たとえ控訴権の濫用があつたとみられる場合でも、控訴を不適法とし
てその却下を求めることはできないから、これと異なる見地に立つ被控訴人の所論
は採用できない。
のみならず、第一審で一部敗訴の判決を受けた控訴人に対し、法務大臣が「国会で
制定された法律が違憲と判断されたことは重大な問題で、一審限りで判決を確定さ
せることは相当でなく上級審の判断を仰ぐ必要がある。」として本件控訴を指示
し、右指示に従つて本件控訴権の行使がなされたとしても、それは控訴人が審級制
を活用し、控訴により原判決の取消変更を求めたにすぎず、これを目して控訴権の
濫用とはいえず、又右指示に従つた本件控訴の目的が司法機関に対する形式的面子
以外にないともいえない。また所論法の改正が行なわれたことも、本件控訴理由の
存否にかかわりないこと前に説示したとおりであるから、これがため控訴権濫用の
問題を生じる余地がなく、本件控訴が司法機関に対する形式的面子の維持だけの目
的でなされたとはいえない。また本件控訴権の行使が司法による違憲審査、三権分
立の制度にそいこそすれ、右法の改正によつてその点に影響を及ぼすものでないこ
とも明らかである。なお、控訴人が他に何ら実質的利益がないのに、ただ訴訟完結
を遅延せしめる目的のみを以て本件控訴を提起したと目すべき事由は見当らないか
ら、本件控訴自体が、被控訴人に対する人権侵害となる余地もない。
第二、 本案について。
その一、控訴(本件取消訴訟についての原判決の当否)関係。
一、争いのない事実
被控訴人が国民年金法別表記載の一種一級に該当する視力障害者であり、国民年金
法に基づく障害福祉年金を受給していること、昭和二三年三月六日離婚し、それ以
来、二男a(昭和三〇年五月一二日生)を養育してきたこと、被控訴人が昭和四五
年二月二三日控訴人に対し、児童扶養手当の受給資格について認定請求をしたとこ
ろ、控訴人は同年三月二三日付で右請求を却下する旨の処分をし、これに対し、被
控訴人が同年五月一八日付で控訴人に対し異議申立をし、控訴人が同年六月九日付
で、右異議申立を棄却する旨の裁決をしたこと、その裁決理由は、被控訴人が障害
福祉年金を受給しているので、昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手
当法第四条第三項第三号(以下「本件併給禁止条項」という)に該当するというも
のであつたこと、以上は当事者間に争いがない。
二、本件併給禁止条項により、障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止するこ
とは憲法第一三条、第一四条第一項、第二五条に違反するか。
1、控訴人は、「裁判所が本件のような併給禁止ないしは調整条項を違憲であると
判断することは、結局は新たな立法を行うことと同じ効果をもち、しかもその結果
は当然国家予算の支出を伴うこととなるから、明らかに司法審査の限界を逸脱す
る。」旨の主張をする。
思うに、裁判所が違憲立法審査権をもつとはいつても、それは具体的訴訟事件にお
いて争訟の解決に必要な限りにおいて法令が憲法に違反するかどうかを判断するこ
とができるにすぎず、抽象的に法令の違憲審査をするものでない。本来司法権は受
動的、消極的な機能を果たすにすぎず、国の政策形成を積極的に行うべきものでは
ない。従つて違憲判決がなされたとしても、違憲とされた法令条項は対世的一般的
に無効となつてしまうのではなく、その事件について無効なるが故にその適用を排
除されたに留まる。違憲判決の効力は、右のとおり、当該事件および当事者を拘束
するが、対世的にその法令が直ちに無効となるのではない。憲法は司法権が果たす
抑制的機能としてはこれで十分としたものと解される。ただ立法府は違憲判決を尊
重し、その法令を廃止、改正するであろうし、行政府はその執行を自制するであろ
う。これが又憲法の予期するところでもある。しかしながら、このような予期から
生じる結果に違憲判決の直接の効果でなく、間接的事実上の結果にすぎない。従つ
て、裁判所が本件のような併給禁止ないし調整条項を違憲無効であると判断したた
め、年金等の支給要件や、支給額について右条項による制限が除去されたのと同じ
結果になるとしても、それは裁判所のもつ違憲立法審査権の行使がなされた当然の
結果でなく、違憲判決の有する右間接的事実上の結果にすぎない。従つて、違憲判
決により裁判所が積極的に国の政策を方向づける立法(法令の廃止、改正)を行う
ものではない。また裁判所の右違憲判断の結果、国家予算の支出を来たすことは必
然的であるけれども、これまた裁判所の違憲立法審査権の行使がもたらす間接的事
実的結果であり、裁判所が国会の権限(予算審議、決議権)や内閣の権限(予算作
成、国会提出権)を侵すものではなく、司法権がその受動的、消極的な本来の役割
の範囲を逸脱するものでもない。
以上のとおり、控訴人の主張するような理由をもつてしては、障害福祉年金と児童
扶養手当の併給を禁止した本件併給禁止条項についての裁判所の違憲審査権を否定
し去ることは出来ず、所論は採用の限りでない。
2、裁判所が、国民の直接選挙により選出された議員によつて構成された国会の審
議の結果、多数者の賛同によつて定立された法律について、違憲無効と判断するこ
とは重大なことであるから、違憲立法審査権の行使に当つては、慎重でなければな
らず、殊に係争の法令条項が国民に対し権利、利益を賦与するようないわゆる給付
行政に関するもので、立法府の立法裁量に属する事項に属するもの(一般に立法裁
量事項につき、裁量内でなした立法については違憲問題は生じない。)である場
合、これを違憲であると判断するがためには、立法府が恣意によるなどして、判断
を著しく誤り、その裁量権を逸脱し、憲法に違反することが明白な場合でなければ
ならない。
3、憲法第二五条と本件併給禁止条項
被控訴人は、わずかな額の障害福祉年金受給を理由に児童扶養手当を支給しないと
することは、身体障害者や母子家庭の生活実態に照らし、母と子の生存権を不当に
侵害するもので、本件併給禁止条項は憲法第二五条に違反すると主張するので、以
下この点について検討する。
(一) 憲法第二五条の解釈と社会保障
憲法第二五条第一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
を有する。」と規定しているが、この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低
限度の生活を営み得るように国政を運用すべきことを国の責務として宣言し、ま
た、同条第二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び
公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定する。この規定は社会
生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施策の拡充増強により、国民の社会
生活水準の確保向上に努力すべき国の責務を宣言したものである。憲法第二五条の
第一第二項を通じ、国はこれに対応して国民一般に対して概括的にかかる責務を負
担し、これを国政上の任務としなければならないのであるけれども、個々の国民
は、直接これにより、国に対し具体的、現実的な権利を有するものではない。国民
の本条による具体的権利は、本条の規定の趣旨を実現するために制定される個々の
法律によつて、はじめて与えられるのである。そして、本条第一項について、これ
をみれば、同項による国民の具体的な最低限度の生活保障請求権は同項の規定の趣
旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているとい
うべきである(生活保護法第一条、第三条、第四条、第八条、第九条参照、なお最
高法定廷判昭和二三・九・二九刑集二巻一〇号一二三五頁、同昭和四二・五・二四
民集二一巻五号一〇四三頁)。
被控訴人は、「本条をプログラム規定であると解する見解は、終戦直後の昭和二三
年頃の困難な経済社会のもとにおいては通用しえたかも知れないが、今日において
は通用しない論理であるとか、本条は裁判規範であるとか」の主張をする。
しかし、「健康で文化的な最低限度の生活」といつても、それは固定的なものでは
なく、確定的・不変的な概念でなく、抽象的な相対的概念であつて、その具体的な
内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上発展すべきもので、多数の不確
定的要素を総合考量してはじめて決定しうるのであつて、その具体的内容は時と所
によつてちがいうるものであり、憲法もこれを予定し、その基準の設定を固定化し
ているわけでないから、昭和二三年当時からみると、我が国の文化経済の発展には
めざましいものがあるからといつて本条が国の責務を規定したいわゆるプログラム
規定であることを否定し、国民は直接本条によつて具体的現実的請求権を取得する
ものとは考えられない。もつとも右憲法の規定を国の責務を宣言したものと解して
も、それがため憲法第二五条が裁判規範として機能することまでも否定するもので
はもちろんない。
以上のとおり、憲法第二五条第一項は国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み
得るように国政を運用すべき国の責務を宣言したものであり、又同条第二項は国民
の社会生活水準の確保向上に努めるべき国の責務を宣言しているものであるが、同
第二項に基づいて国の行う施策は、結果的には国民の健康で文化的な最低限度の生
活保障に役立つているとしても、その施策がすべて国民の生存権確保を直接の目的
とし、その施策単独で最低限度の生活の保障を実現するに足りるものでなければな
らないことが憲法上要求されているものとは解されない。むしろ憲法第二五条は、
すべての生活部面についての社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進を図
る諸施策の有機的な総合によつて、国民に対し健康で文化的な最低限度の生活保障
が行われることを予定しているものと考えられるのである。結局同条第二項により
国の行う施策は、個々的に取りあげてみた場合には、国民の生活水準の相対的な向
上に寄与するものであれば足り、特定の施策がそれのみによつて健康で文化的な最
低限度という絶対的な生活水準を確保するに足りるものである必要はなく、要は、
すべての施策を一体としてみた場合に、健康で文化的な最低限度の生活が保障され
る仕組みになつていれば、憲法第二五条の要請は満たされているというべきであ
る。
本条第二項の趣旨が以上のようなものであるとすると、同項に基づいて国が行う個
々の社会保障施策については、各々どのような目的を付し、どのような役割機能を
分担させるかは立法政策の問題として、立法府の裁量に委ねられているものと解す
ることができる。
また、本条第二項による国の責務の遂行には、当然に財政措置を伴うものであり、
而も財政には制約があるから、国は国家財政、予算の配分との関連において、でき
る限り、社会生活水準の向上及び増進に努めればよく、それをもつて同条項の規定
の趣旨に十分合致するものと解すべきである。
そうして、国が右のような努力を続けることによつて、国民の生活水準が相対的に
向上すれば、国民の最低限度に満たない生活から脱却する者が多くなるが、それで
もなお最低限度の生活を維持し得ない者もあることは否定することはできないの
で、この落ちこぼれた者に対し、国は更に本条第一項の「健康で文化的な最低生活
の保障」という絶対的基準の確保を直接の目的とした施策をなすべき責務があるの
である。すなわち、本条第二項は国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務の
あることを、同第一項は第二項の防貧施策の実施にも拘らず、なお落ちこぼれた者
に対し、国は事後的、補足的且つ個別的な救貧施策をなすべき責務のあることを各
宣言したものであると解することができる。
(二) 児童扶養手当制度の趣旨
次に児童扶養手当が憲法第二五条第一、第二項のいずれによる施策であるかを検討
する。
(1) 社会保障制度
いずれも成立に争いのない乙第一匹号証の一、二、成立に争いのない乙第一七号
証、当審人bの証言及び弁論の全趣旨によれば、憲法第二五条の以上のような趣旨
をうけて、これを具体化するための社会保障制度としては、(1)主として、疾
病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他生活困窮の原因に対し、保
険的方法又は直接公の負担による方法においてなす防貧施策としての経済保障と、
(2)生活困窮に陥つた者に対する国家扶助による健康で文化的な最低限度の生活
を保障する救貧施策としての生活保障の二本建てから成るけれども、もともと我が
国において「社会保障」ないし「社会保障制度」といつても、その趣旨は必ずしも
定かではなく、通常は右二つの保障施策の外に、国がその向上を図らねばならない
とされる(3)公衆衛生及び医療と(4)社会福祉の二部門をも含めた四部門を総
称しているものであることが認められる。
(2) 生活保障(国家扶助)と経済保障(社会保険)
右二本建ての制度のうち、救貧施策である生活保障については、既述のように生活
保護法による生活保護制度が憲法第二五条第一項の趣旨を直接実現する目的をもつ
て制定されているとみなければならない。そのことは生活保護法第一条に「この法
律は、日本国憲法第二五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国
民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障
するとともに、その自立を助長することを目的とする。」と定め、第三条に「この
法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持すること
ができるものでなければならない。」と定めていることから明らかであるが、更に
は同法第四条第一項に「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力
その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件と
して行われる。」同第二項に「民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養
義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して
行われるものとする。」と各規定し、いわゆる保護の補足性の原則を定め、同法第
八条第一項に「保護は、厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基
とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度
において行うものとする。」同第二項に「前項の基準は、要保護者の年齢別、性
別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低
限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでな
ければならない。」と各規定し、保護の基準及び程度の原則を定め、又同法第九条
は、「保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必
要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものとする。」と規定し、いわゆる必要
即応の原則を定めているが、これらの規定からすると、生活保護法に基づく生活保
護制度は、現に窮乏の状態にある者に対し、その現在の生活需要に着目して健康で
文化的な最低生活の保障を行おうとするものであつて、保障の実施は、窮乏の程度
に応じて個別的、具体的になされ、具体的には、あらかじめ国が最低生活の基準を
定めておき、所得がその水準に達しない者に対して、その不足分を金銭又は現物の
給付によつて補うという建前が採られていることがわかる。
このように生活保護法による生活保障は具体的、個別的救済を目的とするものであ
るため、その保障を行うに際しては、現に窮乏の状態にあるか否か、すなわち、自
力では健康で文化的な最低限度の生活を営み得ないか否か、営み得ないとすれば右
最低生活水準に達するにはどの程度の給付を必要とするか等に関する行政庁の認定
を必要とし、その認定を行うため資産調査及び収入調査(ミ^ンズ・テスト)等の
手段が講ぜられているのである。
而して生活保護法による生活保障制度が以上のように具体的、個別的な救貧施策で
あるということは、憲法第二五条第一項が「健康で文化的な最低限度の生活」を保
障しているということからくる極めて必然的な結果である。
そうだとすると、逆に、右のような具体的、個別的な保障施策としての規定が存在
しない法律によつて社会保障制度が設けられた場合それは憲法第二五条第一項に直
接関係しない、同条第二項に基づく防貧施策であると解することができる。すなわ
ち、前記補足性の原則等のような規定の存否が、憲法第二五条第一項に直接関係す
る法律ないし制度であるかどうかの判断の主要な目処になるということができる。
ところで、国民年金法の制定に至る経過をみてみるに、いずれも成立に争いのない
乙第一四号証の一ないし三、同第一五号証の一ないし三、同第一六号証の一ないし
四、同第一七号証、当審証人cの証言及び弁論の全趣旨によれば、次のことが明認
される。
我が国の経済保障(社会保険)制度の中心は公的年金制度であるが、同制度は、国
民年金、厚生年金の二制度を主体とするほか、船員保険、国家公務員共済組合、地
方公務員等共済組合、公共企業体職員等共済組合、私立学校教職員共済組合、農林
漁業団体職員共済組合の八制度にわかれていること、これを沿革的にみると、官公
吏に対する年金制度として知られている恩給が最も歴史が古く、明治初年に軍人恩
給制度として始まり、間もなく文官に対する恩給も設けられ、大正「一年に恩給法
に統一された。一方、現業官庁に勤務する者に対しては、大正八年ごろから官業共
済組合が設立されていたが、これらが旧国家公務員共済組合法に引き継がれ、前述
の恩給法と合体して、現在の国家公務員共済組合、地方公務員共済組合及び公共企
業体職員等共済組合となつた。民間の被用者の年金制度としては、昭和一四年に船
員保険法が制定され、まず海上労働者に対する年金制度が実施されたのが最初であ
り、昭和一六年の工場、鉱山等の一般労働者を対象とする労働者年金保険法がこれ
に続いた。更に後者は、昭和一九年には、適用対象も事務職員及び女子まで包含し
た被用者一般に拡大され、厚生年金保険法と改正された。しかし、これらの年金制
度は、いずれも被用者を対象とするものであり、農民等の自営業者や零細企業被用
者などは、依然として制度の外に取り残されてきた。これに対し、社会情勢の変化
に伴う家族制度の崩壊、人口の老齢化、社会保障意識の高揚、戦後の急速な経済復
興その他もろもろの社会的要因を背景として、これら既設の制度から取り残された
人々をすべて年金制度の網の目に包み込むという構想の下に、昭和三四年に国民年
金法が制定され、ここに我が国の年金制度においてもようやく国民皆年金の体制が
とられるに至つたのである。このように、国民年金法は、国民皆年金の理念に基づ
き、これまでの被用者を対象としていた公的年金制度による保護の及ばなかつた農
漁業者、自営商工業者、自由業者等を適用対象として制定されたものである。我が
国の年金制度は、それまで、一部国庫負担を加味した拠出制による社会保険方式を
原則としていたので、国民年金制度もこれにならい、拠出対給付という対応関係を
基本とし、老齢、障害、死亡などの保険事故に際して被保険者又はその遺族に保険
給付を行い、その所得能カの喪失又は減少に対し必要なてん補を行おうとするもの
である。しかしながら、拠出制一本で貫くと、制度実施の時点において既に老齢、
障害又は母子の状態にある者及び将来保険事故が生じても保険料納付期間が所定の
期間に達しないため拠出制の受給権に結び付かない者に対しては、国民年金制度の
保障する利益を及ぼすことができず、国民皆年金の理想が全うされない結果とな
る。そこで、右国民年金制度においては、この拠出制の欠陥を補うための経過的及
び補完的な無拠出の年金制度たる福祉年金制度を設けるに至つたのである。
而して、国民年金法の規定を検討してみても、前記補足性の原則等のような具体
的、個別的救貧施策であると認めるべき規定は見当らず、受給資格及び給付内容
は、保険事故の種別に応じて一般的に定型化され、保険事故により被保険者に生ず
る生活需要の有無及びその具体的な程度いかんにかかわりなく、いわば平均的需要
に着目して画一的な給付が行われる仕組みとなつており、且つ国民年金法第一条
は、「国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老
齢、廃疾又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯に
よつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とす
る。」と、第二条は、「国民年金は、前条の目的を達成するため、国民の老齢、廃
疾又は死亡に関して必要な給付を行うものとする。」と規定していること及び前認
定の立法の沿革に徴してみると、国民年金法による国民年金制度(本件で問題なの
は障害福祉年金及び母子福祉年金制度)は、明らかに憲法第二五条第二項に基づ
く、防貧施策制度であり、同条第一項には直接関しないものであるといえる。
(3) 児童扶養手当法と国民年金法
国民年金制度は原則が保険制度である以上、被保険者たる夫が死亡したときに母子
年金が、被保険者が廃疾の状煎になつたときに障害年金が支給される仕組みになつ
ており、右のような保険事故の発生が支給要件とされるため、制度発足時に既に死
別母子の状態にある者、重度の廃疾にある者は、拠出制年金の支給を受けることが
できないため、これらの者にも、皆年金体制を実りあるものとする意味で、無拠出
であつても、全額国庫負担で年金を支給する規定が設けられた。これが経過的福祉
年金である(国民年金法第八一条、第八二条)。また、拠出制年金の対象者であり
ながら、事故が発生した時に拠出期間が一定限度に満たず、拠出要件を充足しない
ため、拠出制年金を受けられない者を対象として、補完的福祉年金が設けられた
(同法第五六条、第六一条)。以上のとおり、国民年金法は全面的に拠出制を採用
するのではなく、拠出制を基本としつつ、拠出制を補うために、経過的に、あるい
は補完的に無拠出制の福祉年金制度を採用して、国民皆年金体制の即時実現を達し
ようとしたものである。夫死亡という事故による母子世帯の所得(稼得能力)喪失
ないし低下に対する所得保障を目的とする母子年金(遺族年金の一種)、又は廃疾
という事故による所得(稼得能力)喪失ないし低下に対する所得保障を目的とする
障害年金について、経過的、補完的に設けられたのが、母子福祉年金又は障害福祉
年金である。
右のように、死別母子については、国民年金法による母子年金あるいは母子福祉年
金又は年金関係各法による同様の給付を受けられるようになつたのであるが、夫と
離婚し、又は内縁関係を解消した場合のように夫と生別した場合には、右のような
給付は受けられない。これは、離婚その他夫との生別という人為的な事象が偶然性
を前提とする年金保険事故になじまないため、保険料拠出を建前とする年金制度に
取り入れられなかつたためであるが、死別と生別とを問わず、よつて生じた母子世
帯の社会的、経済的実態は同じであるため、これと死別母子世帯とくらべその公平
を図り、生別母子世帯について母子福祉年金に準ずる所得保障を実施することにし
たのが、児童扶養手当法の制定である。その際、実質的に生別母子世帯と同視し得
る世帯即ち児童の父が廃疾である場合等のような場合も同様の保障の対象とするこ
ととされた(法第四条第一項第一ないし五号)。
以上児童扶養手当法による手当制度は、年金制度ではないが、実質的に防貧施策と
しての母子年金、母子福祉年金制度を補完する目的をもつて、創設された所得保障
制度であると認めるのが相当である。
右のことは、児童扶養手当法の内容特に該手当の支給要件(公的年金給付との調整
条項)、給付額、財源(全額国庫負担)の対比において母子福祉年金との応答が等
しくなるよう配慮されていることからも明らかである。
もつとも、被控訴人は、「児童扶養手当の実質上の受給権者は、母でもなく、世帯
でもなく、正しく児童であり、また稼得能力の低下、喪失に対する所得保障の性格
をもつものではない。この点において母子福祉年金とは違う。」旨主張する。そう
して、児童扶養手当法第一条が手当法の目的を「児童の福祉の増進を図る」と規定
し、同法第二条が手当支給の趣旨を、その前段において「児童の心身の健やかな成
長に寄与すること」と規定し、その後段において「その支給を受けた者は、これを
その趣旨に従つて用いなければならない。」と規定し、更に同法第一四条第三号は
これを受けて、「受給資格者が、当該児童の監護又は養育を著しく怠つていると
き」は「その額の全部又は一部を支給しないことができる。」と規定していること
からすると、児童扶養手当は児童の健全な養育に資するという目的で支給されるも
のであることは明らかであるけれども、このことは前示のような立法の経緯及び同
法第一条に「父と生計を同じくしていない児童について」とあり、また同法第四条
第一項に手当は「母又はその養育者に対し」支給する旨の規定の存するところに徴
すると、児童扶養手当は稼得能力の低下、喪失に対し、母(又は養育者)を受給権
者とする所得保障の性格をもつと解することと矛盾するものではない。すなわち、
児童扶養手当は法第四条第一項所定の母又は養育者にこれを支給し、その所得保障
をすることによつて最終的には児童の福祉の増進が図られ、児童の心身の健やかな
成長に寄与することになるのである。母子年金、母子福祉年金も最終的には全く同
じ効用をもつものであると考えられる。
当審証人dの証言中、児童扶養手当の趣旨、目的に関する部分は、以上の理由から
採用できない。
母子年金及び母子福祉年金の場合には支給要件として、「夫によつて生計を維持し
ていた」者ということになつているのに対し、児童扶養手当の場合には、支給要件
規定のうちに同旨の文言がないことを根拠として、児童扶養手当は、稼得能力の低
下、喪失に対する所得保障の性格をもつものではないと結論づけるわけにはいかな
い。前者は保険的方法により所得保障をしようということから、規定上受給権者を
制限特定する上で必要であるため、入れられているものにすぎないし、児童扶養手
当法第一条に「父と生計を同じくしていない」との文言が入れられてあることによ
つてみれば、児童扶養手当も母子年金、母子福祉年金と別異に解すべき理由はな
い。また児童扶養手当法第五条の第二子からの加算規定は児童扶養手当が稼得能力
の低下とは無関係のことを示すものであるともいえない。児童扶養手当は、生別母
子ということから一般的に予測される稼得能力の低下、喪失によるその所得の一部
を保障するものであつて、一挙にそれによる所得の低下、喪失の全額を保障するも
のではないから、技術的に、児童数によつて支給額を按分していく方法をとつてい
るものと考えられないことはない。また当審証人cの証言によると、児童扶養手当
法の児童数に応じた加算の制度及び国民年金法の母子年金、母子年金福祉における
扶養家族がある場合の加給の制度は、ともに児童扶養手当または年金を受ける者の
生活実態にある程度見合つた給付をすることが適当であるという考え方に基づくも
のであることが認められるので、右加算制度のあることをとらえて、児童扶養手当
を母子福祉年金とは性質が異なるとか、稼得能力の低下、喪失とは関係ないなどと
断定するわけにはいかない。その他被控訴人が児童扶養手当が母子福祉年金とは性
質の異なるものであるとして挙示する事由は、いずれも、両者の関係をしかく決定
づけるものではないし、また前記解釈に抵触を来たすものではない。
(4) 児童扶養手当と児童手当
被控訴人は、「児童扶養手当は、父と生計を同じくしないという特殊な状態にある
児童に限定して設けられた児童手当制度の一種である。」旨、また「児童扶養手当
は、国際的な意味での家族手当としての児童手当であつて、他の年金給付などと併
給するのが原則である。」旨主張する。そこで以下この点について検討を加える。
我が国の児童手当法は、昭和四六年五月二七日制定され、昭和四七年一月一日から
施行されたものであるが、いずれも成立に争いのない乙第四三号証の五、同第四五
号証の二によると、同法による児童手当制度は、一般に家計における児童養育費は
養育する児童数に応じて増大する一方、所得は必ずしもこれに対応するものでない
ことから、一定数以上の児童を養育している者に対して、その養育している児童数
に準拠した所定の給付を行うことにより、児童養育費の負担を総体として減少さ
せ、所得と支出の不均衡を是正しようとするものであると観念されていることが認
められ、また、いずれも成立に争いのない乙第三三号証の二、同第五五号証の四に
よつて、世界各国の児童手当制度を概観してみても、右同様に、児童の養育費の負
担を軽減することを目的とする給付としてとらえ、給付は原則的には児童数(児童
の養育費の増減)に比例すべきものとして扱つていることが認められる。すなわ
ち、児童手当は児童の養育費の負担増に対応する支出保障としての給付であるとい
うべきである。このことは、児童手当法第一条中に「児童を養育している者に」児
童手当を支給する旨、「家庭における生活の安定に寄与する」とともに「次代の社
会をになう児童の健全な育成及び資質の向上に資する」ことを目的とする旨規定し
ていること及び同法第四条所定の支給要件規定の内容から十分に窺知できる。
これに対し児童扶養手当法は、前示のような立法経緯及びその内容からして、最終
的には児童の成長に寄与する効用をもつものではあるが、主として生別母子状態と
いう稼得能力の低下又は喪失に着目して、母(又は養育者)を受給権者として、母
子福祉年金に準ずる所得保障を行う制度を定めたものであると解することが出来
る。更に児童手当法の立法趣旨を考えるに、いずれも成立に争いのない乙第四八な
いし第五一号証の各一、二によると、我が国の児童手当法の制定の過程において、
児童扶養手当制度の外に児童手当制度を設けるに至つたのは、「多子」という負担
増加に着目し、すべての世帯にこれが手当を一律に支給するという必要からであつ
て、児童扶養手当との間における制度の目的趣旨が違うことを十分意識して扱つて
いたことが窺われる。
また、成立に争いのない乙第五五号証の四、五によれば、児童手当あるいは家族手
当は、世界各国の例をみても、子女の扶養を要件として一般家庭における平均的生
活状態に着目して給付を行うのが普通で「扶養」以外の両親の一方が欠けていると
か、児童が心身障害児であるとかいう特別の事由について支給要件、給付額を変え
ることをしているものはないことが認められる。いずれにしても児童扶養手当をも
つて、児童手当の一であるとはいい難い。
このように、児童手当が、児童を養育していることに伴う支出の増加に着目した制
度であるのに対し、児童扶養手当は、稼得能力の低下又は喪失に着目した制度であ
り、両制度は基本的に性格を異にしているから、それぞれの受給資格、支給要件、
支給額等を独自に規定し、かつ両制度相互の間で、受給資格、手当額等について何
ら併給調整を行つておらず、児童扶養手当の受給者についても、児童手当の支給要
件に該当すれば児童手当が支給されその場合に何れか一方の額が減額されることも
ない。
また、いずれも成立に争いのない乙第二五号証の一ないし六、同第五二号証の一な
いし五、同第五三号証の一ないし三、同第五四号証、同第五五号証の一ないし五及
び当審証人eの証言(一部)によれば、次のことが認められる。すなわち、ILO
一〇二号条約は、社会保障制度を社会保障上の事故別に九つに分類して、それぞれ
の基準を定めている。
すなわち(1)医療、(2)疾病給付、(3)失業給付、(4)老齢給付、(5)
業務災害給付、(6)家族給付、(7)母性給付、(8)廃疾給付、(9)遺族給
付の九部門である。そこで児童手当は右「家族給付」の中に分類される。そして同
条約第六九条は、「家族給付」を除いて、公的年金給付間の併給の調整ができる旨
定めているけれども、「家族給付」については同第四〇条において、単に「適用を
受ける事故は、所定の子に対する扶養の義務とする。」旨定めているのみであつ
て、それ以外の廃疾、死亡、稼得能力者との生別というような事故を家族給付の事
由とはしていない。したがつて、ILO一〇二号条約にいう家族給付のうちには、
夫(父)との生別を給付事由とする我が国の児童扶養手当は含まれず、また同条約
第六九条にいう併給調整の除外事由にも当らない。また、右のように同条約第四〇
条が家族給付について、「適用をうける事故は所定の子に対する扶養の義務とす
る。」との規定に関し、ILO第一〇二号条約に関する条約、勧告適用専門家委員
会の報告書も、両親が離婚、別居、あるいは死亡した場合等の子に対して一定の給
付を支給する立法について、その保護の範囲は、「条約の規定に適合するとは思わ
れない基準」であると述べている。南ア連邦、デンマーク、アメリカ合衆国などで
は、ILO一〇二号条約の家族給付部門に含まれない父又は母の死亡、離婚、別
居、廃疾、老齢などを給付事由とする規定を別に設けている。同条約は、遺族給付
の部門において、同条約第六〇条第一号中で「適用を受ける事故は、扶養者の死亡
の結果その寡婦又は子が被る扶養の喪失とする。」旨定めている(ILO一二八号
条約第二一条第一号同旨)。等しく労働者の生活上のニードに対する保障であつて
も、疾病(所得の中断)、老齢(所得の喪失)などによるような事故の場合に支給
すべき給付と、家族手当金というような給付とではその性格が異なり、前者は「失
つた所得に対する補償」というものであり、後者は子女の扶養という事故がある限
り、支給さるべきもので「所得への恒常的な補給」というものであるという区別が
あることは、国際的に理解されていて、ILO一〇二号条約の前記内容もこの意味
において解釈さるべきである。ILO一二八号条約中には「家族給付」についての
定義づけは見当らないが、同条約第三三条第二項には、この条約で定める給付は同
一の事故について「家族給付」を除く他の社会保障現金給付を受けている場合に
は、併給の調整ができると定めている。ILO一二八号条約にいう「家族給付」も
一〇二号条約のそれと差異がないとみるべきである。一九六九年当時、国際的に我
が国には、公務員に対する特別制度を除いては、家族手当と称し得るものが存在し
ないとされ、我が国の児童扶養手当は国際的にも家族手当として扱われていなかつ
た。以上のことが認められる。叙上認定の事実に前示のような我が国における児童
扶養手当の趣旨を比照すると、児童扶養手当は国際的な意味における家族給付の一
種ではなく、むしろ、ILO条約一〇二号、同一二八号各条約の遺族給付に近似し
たものであると認めるのが相当である。
したがつて、我が国の児童扶養手当において他の年金給付との併給調整を行つたか
らといつて、それが国際的常識に反し、不合理であるとはいい難い。
(5) 児童扶養手当と生活保護
児童扶養手当は無拠出であり、その財源は全額国庫負担となつているため、この点
では生活保護と違うところはないけれども、前示のような児童扶養手当制度創設の
経緯に照らすと、児童扶養手当が無拠出制であることは、無拠出制の年金(福祉年
金)が国民皆年金体制の早期実現という政策的配慮に基づく経過的補完的特別措置
によつて設けられたのと同趣旨において設けられたもので、生活保護の場合とは趣
旨が異なることが容易に認められる。
前述のとおり、年金制度は、老齢、廃疾又は生計中心者の死亡という所得能力の低
下又は喪失の原因となる事故が発生した場合に、所得保障としての年金を支給する
ものであるが、児童扶養手当制度も又防貧施策としての年金制度(母子福祉年金制
度)を補完する性質のものであり、夫(父)と生別という原因による稼得能力の低
下、喪失に対する所得保障としての手当を支給する制度である。
そして、児童扶養手当法には、具体的に稼得能力が低下、喪失した状態にあるかど
うか、資産状態はどうであるかなどのような個別調査(ミーンズ・テスト)をとつ
た規定はなく、生別母子という原因の発生によつて、一般的に所得能力の低下、喪
失があるとして手当を支給することにしているのである。前示生活保護法に見当た
る「補足性の原則」などのような具体的、個別的救貧施策であることを予定させる
諸規定は児童扶養手当法中には存在しない。もつとも、同法第九条ないし第一一条
にみられる前年度における所得制度の規定が存し、所得の喪失の程度についてある
程度の判断を経た上でなければ給付がなされないことになつているけれども、給付
の程度は所得の喪失の程度に対応せず、前年度の所得が一定の限度以上の者に対し
ては一切支給しないかわりに右の限度に満たない者に対しては所定の全額を支給す
る仕組みになつており、この点、生活保護とは趣を異にしている。
以上のようなことからすると、児童扶養手当法には国民年金法第一条のように憲法
第二五条第二項の趣旨を具体的に実現するものであるとするような目的規定はな
く、その第一条に、この法律の目的として、「この法律は、国が、父と生計を同じ
くしていない児童について児童扶養手当を支給することにより、児童の福祉の増進
を図ることを目的とする。」と規定しているにすぎないけれども、なお児童扶養手
当制度は憲法第二五条第二項の規定する理念に基づき、国民皆年金制度のもたらす
恵沢を国民年金給付の対象から漏れた人々に対してもひろく補填させる目的から設
けられた制度であるといえる。したがつて児童扶養手当制度は、国民の生活水準の
相対的向上を図るための憲法第二五条第二項に基づく積極的、事前的防貧施策の一
であつて、同条第一項の「健康で文化的な最低限度の生活」の保障には直接関しな
いと解することができる。換言すれば、児童扶養手当制度は、生別母子世帯の生活
は最終的には生活保護法によつて保障されるべきものであるとの前提に立つて、主
として所得能力の低下、喪失に対し、一般的総括的に、その所得の一部を保障しよ
うとする制度であるということができる。
(三) 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じた本件併給禁止条項は憲法第
二五条第一項に違反しない。その理由は次のとおりである。
憲法第二五条第一項にいう「健康で文化的な最低限度の生活」(生存権)の達成を
直接目的とする国の救貧施策としては、生活保護法による公的扶助制度がある。そ
して、国民年金法による障害福祉年金、母子福祉年金及び児童扶養手当法による児
童扶養手当、児童手当法による児童手当などは憲法第二五条第二項に基づく防貧施
策であつて、同条第一項の「健康で文化的な最低限度の生活」の保障と直接関係し
ないことは既に述べたとおりである。
したがつて、児童扶養手当法が障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止したと
しても、生活保護法による公的扶助たる生活保護制度がある以上、憲法第二五条第
一項違反の問題を生ずるものではない。すなわち、その被保障者の生活実体がもし
右併給を受けなければ、なお貧困の域を脱することができないというのであれば、
当該被保障者には生活保護法による生活保障の途が残されているのであつて、本件
併給禁止条項は憲法第二五条第一項とかかわりがないといわねばならぬ。
(四) 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じた本件併給禁止条項は憲法第
二五条第二項に違反しない。その理由は次のとおりである。
憲法第二五条第二項には同第一項のような「健康で文化的な最低限度の生活」の保
障という絶対的基準はなく、而も国は「生活水準の向上につき、財政との関連にお
いて、できる限りの努力」をすればよいのだから、国が同条同項に基づき、具体的
にどのような内容の法律を定立し、どのような施策をし、これにどのような性格を
与えるか、これによりどの程度の生活水準の向上を図るか、更には一の施策と他の
施策との関連をどうみるか、個々の施策について、その給付要件、対象を如何にす
るか、支給額をどの程度にするかは、いずれも立法政策の問題であつて、立法府の
裁量に任せられているといわなければならない。
そして、このような立法政策に属する事項については、政治上その当不当の批判を
受けることあるは格別原則として、違憲問題を生じる余地がない。只例外として立
法府の判断が恣意的なものであつて、国民の生活水準を後退させることが明らかな
ような施策をし、裁量権の行使を著しく誤り裁量権の範囲を逸脱したよような場合
であれば、憲法第二五条第二項に反することが明白となり、司法審査に服すること
となる。
ところで、いずれも成立に争いのない乙第二号証、同第一六号証の三、同第二二号
証の二、同第三一号証、同第五七号証、当審証人c、同b、原審証人fの各証言に
よれば、次のことが認められる。すなわち、(1)我が国の公的年金制度(児童扶
養手当制度も含む)はいくつかの制度に分立していることから、一つの事故の発生
によつて、いくつかの制度による給付の重複が生じることがある。また複数の事故
の発生した結果、給付が複数競合することもある。(2)しかしながら、国家財政
上、社会保障に支出され得る財源は無限ではあり得ないから、右のような複数の給
付の間における調整の問題が生じてくる。(3)このような場合において、第一は
併給を調整又は禁止する行き方であるが、これによると併給の調整又は禁止の結
果、浮いた財源は他に回して支給事由を増設し、支給対象者の範囲を拡大すること
ができ、大多数の国民層が何らかの支給事由に基づいて少なくとも一種類の年金、
手当等の公的給付を受けられるようにすることができることになる。第二は併給を
認める行き方であるが、これによると支給対象者の範囲を一部の者に限局する代り
に、その者には手厚い給付を行うことになる。(4)そして、母(又は養育者)が
障害福祉年金を受給できるときは児童扶養手当の支給を受けられないことになつた
のは、母(又は養育者)の児童扶養手当の消極的受給要件(障害事由)のうちに、
母又は養育者が公的年金受給者であることを規定したからで、結局これは右第一の
行き方をとつたものである。そしてこのような併給禁止措置がとられたのは両者と
も無拠出で全額国庫負担であり、共に稼得能力の低下、喪失に対する所得保障であ
り、右稼得能力の低下が事故数に必ずしも比例するものでないから、そのうち最も
重大な事故(ここでは廃疾)に対応する給付のみを行うとしても不合理ではないと
いう見解にもとづき右併給禁止の立法措置がとられるに至つた。以上のことを認め
ることができる。この認定に反する証拠はない。而して、右第一、第二のいずれの
行き方が国民の生活水準の向上増進を図る上で効果的であり、より適切であるかの
判断は、立法政策に属するところであるが、その判断をなすに際しては国の財政、
社会保障制度全般、各制度の目的、役割、国民感情などを考慮して、これを総合し
てなされるべきであり、このようなことを考慮して結論を出すことは立法府の裁量
の範囲に属する事項であるといわねばならない。これを本件についてみるに、以上
の認定によれば立法府が障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止したことが、
右のような点に立法府が考慮を払わず、恣意によるなどして裁量権の行使を著しく
誤り、またはその濫用の結果に出たものとは認め難いから、右併給を禁止した本件
併給禁止条項は憲法第二五条第二項に違反するものとはいえない。
(五) 被控訴人は、「母が被控訴人のような重度の身体障害者である生別母子世
帯の極貧状態の生活実態、殊に生活保護制度が生存権の保障の機能を十分発揮して
いないという現状と無拠出制の年金や手当が実際には、その支給額が低額過ぎるた
め、救貧の役割しか果たさず、年金や手当の支給を受けなければ生活していけない
という現実からして、母が僅かな障害福祉年金を受給しているという一事のみをも
つて、本来生存権保障のために設けられている児童扶養手当の支給をしないという
ことは憲法第二五条に違反する」旨主張する。
而して、右主張は憲法第二五条を、同条第一項では国民が生存権を有することを総
則的に規定し、同条第二項は第一項から生ずる国の当然の義務として、いわゆる社
会立法によつて国民の健康で文化的な最低生活を保障すべきことを規定しているも
のだとの解釈を前提にして、国民年金や児童扶養手当の制度ないし立法の趣旨内容
は、直接「健康で文化的な最低生活」を保障するものでなければならないとの考え
方に立脚するものであると解される。
しかしながら、憲法第二五条は前説示のように解すべく、即ち同条第二項は国が国
民の生活水準の向上に努めるべき責務のあることを、同条第一項はすべての国民が
健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべき責務のあること
を各規定したものであり、同、条第二項による具体的な施策は直接には「健康で文
化的な最低生活」の保障をするに足るものとして設けられたのでなく、右最低生活
は最終的には生活保護により実現されるべきものであると解すべきであるところ、
児童扶養手当も、障害福祉年金も共に「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を
直接の目的として設けられたものではなく、いずれも稼得能カの低下、喪失に対す
る所得の一部を保障しようとするもので、憲法第二五条第二項に基づく防貧施策に
属すると解すべきである。
したがつて、被控訴人のような母が重度の身体障害者である生別母子世帯の生活実
態が劣悪で「健康で文化的な最低限度の生活」に及ばないとすれば、その救済は、
本来救貧施策である生活保護制度に依存さるべきこととなる。そして本件併給禁止
がなされても、なお生活保護をうける途は残されているのであり、生活保護の問題
としては保護基準の適正化(保護基準の設定は厚生大臣の合目的的裁量にまかせら
れているが、その判断が現実の生活条件を無視するようなものであれば、裁量権の
ゆえつ、又は濫用にあたり違法である。最高大法廷昭和四二・五・二四民集二一巻
五号一〇四三頁)や、制度の運用の適正化などによつて達成し得るよう図るべきこ
とである。本件併給禁止条項はいずれも憲法第二五条第二項に由来するもの同志の
間におけるものであるから右生活実態を理由に「健康で文化的な最低限度の生活」
の保障を直接に目的としない障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止をもつて、憲
法第二五条に違反するとはいえない。また、救貧施策と防貧施策を混同し、いずれ
も後者に属する年金や手当が低額すぎて救貧の機能しか果たさず、その支給がなく
ては現実に生活ができないから、障害福祉年金と児童扶養手当を併給しなければ、
憲法第二五条に違反するとの被控訴人の主張は採用できない。
(六) 被控訴人は、「国がすでに立法によつて、一定水準の生存権保障施策を具
体化しているばあいに、それにも拘らず、国民のある部分について、正当な理由な
く、施策の対象から除外したり、より劣悪な処遇をしたりすることは生存権の侵害
である。即ち児童扶養手当法は一定以下の所得水準にある生別母子世帯等の児童を
対象に、児童の心身の健やかな成長に寄与することを趣旨として一定の手当を支給
する旨定めながら、同一の法律の中でとはいえ、母(養育者)が右手当とは全く趣
旨の異なる障害福祉年金を受給しているという一事のみによつて、右手当の支給を
禁じていることは、右手当や年金が母子世帯の児童や障害者の生存権を保障するも
のであることを無視して、これを侵害し、且つ一旦与えた国民の右手当受給権を奪
い、憲法第二五条の具体化として実現された一定の生活水準の後退を意味するもの
であつて、同条に違反する。」旨の主張をする。
しかしながら、右前段の主張(生存権の侵害である)は障害福祉年金制度や児童扶
養手当制度が「健康で文化的な最低限度の生活」(生存権)の保障を直接目的とし
た施策であることを前提にした主張であるが、右両制度共防貧施策であつて、直接
には右最低生活基準の実現を目的とする制度ではないと解すべきであるから、所論
はその前提において既に失当である。
また右後段の主張(生活水準の後退である)については、成立に争いのない乙第一
号証の一、二、原審証人gの証言によれば、本件併給禁止条項は児童扶養手当法制
定の当初から存在し、法の改廃によつてうまれたものではないことが認められ且つ
同条項の趣旨は母(養育者)が年金を受給し得るときは、もともと手当の受給権を
与えないというもので、児童扶養手当の消極的支給要件(障害事由)を定めたもの
と解すべきであるから、一旦賦与された手当受給権を後に奪つたものとはいえな
い。
(七) 以上、母(養育者)が障害福祉年金を受給できるときは、児童扶養手当を
支給しない旨の本件併給禁止条項及びこれに基づいてなされた本件処分は、憲法第
二五条に違反して無効である旨の被控訴人の主張は理由がない。
4、憲法第一四条第一項と本件併給禁止条項。
(一) 憲法第一四条第一項の解釈と公的年金を受けることができる地位。
憲法第一四条第一項は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別す
べき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるか
ら、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは何ら右法条
の否定するところでない(最高大法廷判昭和四五・六・一〇民集二四巻六号四九九
頁、同昭和三九・五・二七民集一八巻四号六七六頁)。そして同項前段のいわゆる
法の下の平等原則は法秩序全体の基本原則であつて、法の適用について行政、司法
を拘束するのみならず、立法についても立法府を拘束するものと解するを相当とす
る。
また、同項後段は、前段の原則をより具体的に示したもので、挙示の人種、信条、
社会的身分、門地等の差別事由は、重要事項を例示したもので、この例示にもれた
ものは、平等が保障されないという趣旨ではない、と解すべきである。そして、同
条項中の「社会的身分」とは、広く人が社会において占める或程度継続的な地位を
指すものであつて、人の出生によつて決定される社会的な地位または身分に限定さ
れるものではないと解するのが相当であるから、本件条項中の「公的年金を受ける
ことができる地位」もまた、右の「社会的身分」に類するものといい得るのであ
り、憲法第一四条第一項は、このような地位による差別をも禁止しているものとい
わなければならない。
(二) 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止した本件併給禁止条項は憲法
第一四条第一項に違反しない。その理由は次のとおりである。
本件において、被控訴人は夫と離婚し、児童を養育しているため、児童扶養手当を
受けられるべき筈のところ、被控訴人自身が国民年金法別表記載の一種一級に該当
する廃疾の状態にある者(視力障害者)として、障害福祉年金を受けているため、
本件併給禁止条項により、児童扶養手当の支給を受けられないことになるが、そこ
には障害福祉年金を受けることができる地位にある被控訴人が、そのような地位に
ない者との間において、等しく児童を養育していながら、児童扶養手当の支給を受
けられないという差別扱いがなされているものといわなければならない。
そこで、このような差別扱いが合理性を欠くかどうか、すなわち、障害福祉年金と
児童扶養手当との併給禁止をすることに合理的理由があるかどうかということにつ
いて判断を進めてみる。
右併給禁止条項が憲法第二五条との関係において立法裁量を逸脱したものでないこ
とはさきに認定したとおりである。ところで、法の下の平等原則はあらゆる立法に
ついても立法府を拘束するものであるから、ここに改めて憲法第一四条との関係に
おいて右立法の内容が憲法第一四条に適合するかどうかについて検討しなければば
ならない。そして右のように併給禁止条項が障害福祉年金の受給者か否かにより、
児童扶養手当を受けられるか否かに差別を設けたものと解するとせば、右差別につ
いて合理性の有無が憲法第一四条適否を決することになる公的年金相互間に重複が
生じた場合、財源には限度があるため、併給を調整又は禁止して、これにより浮い
た財源を他に広く給付することによつて、大多数の国民層が少なくとも一種類の年
金、手当等の公的給付を受けられるようにすることは、限りある財源を効率よく公
平に活用するという見地からは相当のことである。しかし一方、趣旨、目的が異な
り、役割の違う年金や手当相互間において、併給調整したり、併給禁止をしたりす
ることは、これを必要とする国民層のニードに対応した給付をしないことに帰し、
正当なことではない。したがつて、これらをいかに調和せしめるかが問題である。
而も、国の社会保障施策は多岐にわたつているが、これらが総合作用して、はじめ
て憲法第二五条の趣旨が具体的に実現されるよう仕組まれているのであるから、単
に一部門のみにおいて、国民のニードに対し憲法第二五条の趣旨が具体化されてい
るかどうかをみるだけでは不十分であり、こうした施策の全体系を考慮に入れて総
合的に考察するのでなければ、当該併給調整又は禁止が合理的であるかどうかの正
当な判断はできないものといわねばならない。
ところで、国民年金法第二〇条は、国民年金法所定の二以上の年金給付の受給権者
には、その者の選択により、その一つを支給し、他の支給を停止する旨、同法第六
五条第一項第一号は、障害福祉年金、母子福祉年金及び準母子福祉年金は受給権者
が公的年金給付を受けることができるときは、その支給を停止する旨各規定してい
る。そして、本件併給禁止条項の内容は、国民年金法第二〇条、同第六五条第一項
第一号の内容と同趣旨となつている。
また他の年金制度例えば、厚生年金保険法第三八条第一項及び船員保険法第二三条
の七第一項は、国民年金法第二〇条と同旨の定めをし、国家公務員共済組合法第七
四条は、退職年金と廃疾年金について、いずれか一つの給付を行う旨を定め、地方
公務員等共済組合法第七六条も同旨の定めをしているのである。
而して、いずれも成立に争いのない乙第五号証、同第一六号証の三、同第二二ない
し第二四号証の各二、同第三一号証、同第五七号証、成立に争いのない甲第七〇号
証、原審証大f、当審証人c、同bの各証言及び当審証人dの証言の一部並びに弁
論の全趣旨を総合してみると、立法府が右のような併給調整又は禁止をした立法的
根拠は、事故が複数であつてもそれによる稼得能力の低下、喪失という結果は同一
であること(例えば障害福祉年金と母子福祉年金又はこれを補完する児童扶養手当
とは併給されないが、前者は廃疾という事故による稼得能力の低下、喪失に対する
所得保障であり、後者は家計維持者との死別又は生別による母子状態を事故とする
稼得能力の低下、喪失に対する所得保障であり、結局事故は複数であつてもその結
果は同一であるということ)複数の所得低下、喪失を招来する事故が発生しても、
所得低下、喪失の程度は必ずしも比例的に加重されるものではないこと、同一人に
ついて二つ以上の事故が生じた場合にそれぞれの年金を支給することは、特定の者
に対してのみ二重三重の保障をすることになり、事故が重複していない者との間に
かえつて不均衡を生じ、全体的な公平を失することになること、特に障害福祉年金
と母子福祉年金更にこれを補完する児童扶養手当の併給禁止は、これら年金、手当
がいずれも無拠出制であつて、費用は全額国庫負担であり、一般国民感情が未だ併
給を当然視する迄に至つていないこと、憲法第二五条の趣旨を具体化しようとする
施策は年金や手当制度の外に、数多くの施策がなされているため、これらの総合的
な見地に立脚して、年金や手当の併給調整又は禁止をしても、そのことだけをとり
あげて、一概に国民のニードに応じない施策をしたものであるとはいえないこと、
例えば身体障害者、母子のように何らかの援護を必要とする者のためのその他の施
策としては、まず社会福祉施策として、身体障害者福祉法等に基づき公的機関によ
る相談指導、身体上の障害を軽減し、あるいは除去して日常生活能カ、職業能カの
向上を図るための更生医療の給付、身体上の欠陥を補うための補装具の交付、特別
の医学的治療、生活訓練を必要とする者を対象にリハビリテーシヨンを行うための
身体障害者更生援護施設への収容の措置、身体障害者家庭奉仕員の派遣等、各種の
更生援護の措置が採られているし、そのほかにも、他の制度による福祉措置があ
る。
雇用安定制度、税制度上の優遇措置、諸料金等の減免等である。母子に対しては、
母子福祉法等に基づき、母子福祉資金の貸付け、母子相談員による相談指導、母子
福祉施設の設置、母子寮への入所の措置等の福祉の措置が行われている。またこれ
らの者が病気をしたり、けがをした場合には、健康保険法、国民健康保険法等の医
療保険制度により、医療の給付がなされることになつているなどのこと、更には、
こうした諸施策にもかかわらず、なお生活困窮に陥つた者に対しては最終的には個
別的な救貧施策として生活保護制度が設けられているため、これにより救済がはか
られること、家族給付(我が国の児童扶養手当はこれに含まれない)を除いては併
給調整又は禁止しても国際的常識にもとるものではないこと、以上のようなことか
ら、立法府は財源の公平且効率的活用のため、複数の事故のうち、最も重大な事故
(本件の場合は廃疾)に対する給付のみを行うことにし併給を禁止したり、又その
調整を行うことには合理的理由があるとの見解に依拠したものであることが認めら
れる。
而して当裁判所も右併給禁止に合理性があるものとした右見解を是認できるのであ
つて、これによれば障害福祉年金と児童扶養手当との併給をも禁ずる本件併給禁止
条項が、立法府の恣意によるなどして、その合理性の判断を著しく誤つたものであ
るとは到底認め難い。したがつて前記のような差別扱いが合理性を欠くこと明らか
であるとはいえない。
もつとも、成立に争いのない甲第一二号証の一ないし四、同第一三号証、同第一四
号証、原審証大h、当審証人iの各証言から窺われる重度身体障害者、母子世帯の
生活実態からすると、右立法的根拠にあげられる諸施策が十分にそれぞれの役割に
応じた機能を発揮しているかどうか疑問がないとはいえないけれども、これらはこ
うした施策の運用において適切なものが欠けている故であると認められるから、こ
れをもつて、本件併給禁止が合理性を欠くことが明らかであるとする根拠とはなし
がたい。被控訴人は、「本件併給禁止条項は母が障害福祉年金を受給している児童
と、そうでない児童とによつて、児童扶養手当の支給の上で不合理な差別扱をうけ
ていることになる。」旨主張しているが、児童扶養手当の受給権者に母(養育者)
であつて、児童ではないと解せられること前説示のとおりであるから、右論旨は採
用できない。
被控訴人は、更にまた「本件併給禁止条項は、原判決理由中で判断されているよう
に世帯ごとの比較をしてみても不合理な差別である。」旨主張する。
原判決によると、障害福祉年金を受給している母が児童を養育している被控訴人の
家庭のような母子世帯と、父が障害福祉年金を受給し、健全な母が児童を養育して
いるような三人の世帯とを比較し、後者の場合には児童扶養手当が支給されるのに
反し、前者の場合には支給されないことになり、そこには児童扶養手当の支給につ
いて、性別による差別と、公的年金を受給し得る地位による差別と二重の差別が存
在するとしているのであるが、このような比較は正当ではない。性別による対比を
するとすれば、廃疾の父が児童を養育する場合における同手当の支給の有無をもつ
てすべきである。そして廃疾の状態にある父が児童を養育している場合、その父は
児童の養育者たる資格において児童扶養手当の支給をうけることができる(児童扶
養手当法第三条第一項第三号)が、父が障害福祉年金を受給しているときは、児童
扶養手当は本件併給禁止条項により支給されないのであるから、性別による差別は
ない。したがつて所論は採用できない。
5、憲法第一三条と本件併給禁止条項。
被控訴人は、「児童扶養手当は児童の心身の健やかな成長に寄与するために支給さ
れるものであるのに、この目的とは全く関係のない母が障害福祉年金を受給してい
るという事実により、同手当の受給資格を奪う本件併給禁止条項は、児童を個人と
して尊重しないものであり、憲法第一三条に違反する。」旨主張する。
右は憲法第一三条前段の違背を主張するものと解せられるところ、同条に「すべて
国民は、個人として尊重される。」とは全体主義、国家主義を斥けて、個人主義を
とることを宣言したものである。すなわち、個人主義思想の国家観によれば、国家
は人間が個人の尊重、個人の自由を基礎とする共同生活を営むために必要な秩序を
創設維持するためにあるのであり、「個人として尊重される」というのは、個人人
格の固有価値を認め、これを全法秩序の基礎として尊重する趣旨である。憲法はそ
の理念を原則規範として表明したものであると解することが出来る。
そして、児童扶養手当の受給権者は母であると解すべきこと、障害福祉年金と同手
当との併給を禁止したことはその立法的根拠に照らし、合理性を欠くことが明らか
であるとはいえないことからしてみると、右併給禁止だけをとらえて、直ちに個人
主義にもとるなどとは到底いい得ない。したがつて、所論は理由がない。
三、そうだとすると、本件併給禁止条項は憲法に適合しないとはいえないから、こ
れを適用して控訴人のなした本件却下処分は適法であり、何らの取消理由もない。
その二、附帯控訴(本件給付訴訟についての県判決の当否)関係
被控訴人は本訴において、処分の取消請求に併せて、「控訴人は被控訴人が昭和四
五年三月から同年八月までは一カ月金二、一〇〇円、同年九月からは一カ月金二、
六〇〇円の各割合による児童扶養手当の受給資格を有する旨の認定をしなければな
らない。」との請求(義務づけ訴訟、給付訴訟)をしているものである。思うに、
一般に許認可申請(認定請求)に対する行政庁の拒否処分(先行処分)に対して、
その取消しと申請(請求)内容の処分を求める訴について、右先行処分の取消判決
が確定した場合には、行政庁は行政事件訴訟法第三三条第一項により、これに拘束
され、同条第二項により右申請(請求)に対し、更に処分をやりなおすことになる
が、同条の拘束力は裁判所が違法としたと同一の理由に基づいて同一人に対し同一
内容の処分をすることを禁ずる趣旨にすぎないものであつて、行政庁が別の理由に
基づいて同一内容の処分をすること迄も妨げるものではないと解される。従つて、
行政庁が右取消判決の趣旨に従つて改めて申請に対する処分をするに当つては、判
決の趣旨に従つて、右申請(請求)に応じた内容の許認可もしくは認定処分をする
ことも、或はまた、判決が違法とした理由とは異たる点について自ら第一次的判断
を加え、その結果、判決とは異る理由により、再び同一の拒否処分をすることも許
されるというべきである。
果して然らば、右のような先行処分の取消請求に併せて義務づけ訴訟を提起してい
るような場合においても、行政庁に対する義務づけ訴訟は、三権分立の立場から、
なお原則的には不適法として許されないというべきである。しかしながら、例外的
に、先行処分の取消判決の違法とした理由以外の理由をもつて再び同一の拒否処分
をなす余地がなく、申請に応じた処分をなすべき行政庁の作為義務の存在が一義的
に明白であり、且つ事前の司法審査によらなければ、当事者の権利救済が得られ
ず、回復しがたい損害を及ぼすというような緊急の必要性があると認められる場合
には、行政庁に対する義務づけ訴訟も許されると解するのが相当である。もつと
も、この点については有力な反対説がある。それによると、「原告は処分の違法を
主張して、その取消を求めているのであるから、訴訟の対象は処分自体であつて、
処分理由ではない。そして被告行政庁としては、その違法ならざる所以を立証すべ
き立場におかれているのであつて、取消判決後、別の理由で再度同一の処分を行う
ことを認めるのは、防禦の手段を尽さなかつた被告行政庁に利益を与える結果とな
るばかりか、事件は裁判所と行政庁の間で往復を繰返し、最終的解決に役立たない
ものとなり、国民の権利救済に欠けるとの理由から、取消判決確定後、行政庁はい
かなる理由によるにせよ、再度拒否処分を行うことは許されないと解すべきであ
る。それ故、取消判決がある以上行政庁の作為義務が一義的に明白になつたとして
義務づけ訴訟を適法として許すべきである。」というのである。
そして、この反対説のように行政庁において当該拒否処分をした理由以外の理由を
取消訴訟において提出することも許されると解して差しつかえないであろうけれど
も、行政庁がその提出を怠つたことの故をもつて、直ちに行政庁に対し訴訟におい
て提出しなかつた理由による同一内容の処分のやりなおしを許さないという拘束を
認めるということは、訴訟法的にみて(特に訴訟物をいかに理解するか)講学上い
わゆる「新訴訟物理論」に基づかない限り首肯できないといわざるを得ない。また
実際問題として、行政宇は処分理由以外の理由があれば、その主張をも併せてなす
のが常であり、右防禦方法の提出の懈怠もしくは出しおしみの結果、いつまでも事
件を裁判所と行政庁の間でたらいまわしして、最終的解決を遅らしめるというよう
な事態がひきおこされるというおそれはないであろうし、更に右反対説によれば、
本件のように、義務づは訴訟を取消訴訟と併合提起している場合取消判決が確定す
れば当然申請(請求)に応じた内容の処分がなされるのだから、義務づけ訴訟を認
める訴の利益はないことになる。以上の点から右反対説には左祖できない。
以上の見地に立つて、これを本件についてみるに、児童扶養手当法第六条に基づ
き、都道府県知事のなす「受給資格及び手当の額」の認定については、同法第一二
条、第一四条、第二九条などの規定に照らし、なお都道府県知事の裁量判断の余地
が残されていると認められるので、本件認定処分が一義的になさるべきものという
を得ない。本件義務づけ訴訟は不適法であり、許されないものといわなければなら
ない。
第三、結論
そうだとすると、原判決中、被控訴人の本件児童扶養手当認定請求却下処分の取消
請求を認容した部分は失当であるから、これを取消し、右取消請求を棄却し、被控
訴人のその余の請求にかかる訴(義務づけ訴訟)を却下した部分は正当であるか
ら、被控訴人の本件附帯控訴は失当として棄却することとし、民事訴訟法第八九
条、第九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 増田幸次郎 仲西二郎 三井喜彦)
(別紙(一))
控訴人の主張
第一、被控訴人の本案前の主張について
一、「本件控訴は控訴人の真意に基づかないものである」との主張について
控訴人は一審判決に対する控訴の要否につき、「控訴しないことが適当と思料され
る。」との参考意見を付して法務大臣の指示を求めたが、法務大臣は、国の利害に
関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律(以下「権限法」とい
う)による指揮権に基づいて、控訴人に対し、第一審判決に対して上訴すべき旨を
指示した。そこで控訴人は、右の指示に従つて控訴することに決定し、本件控訴に
及んだものである。控訴人が最終決定に至る間にどのような見解を抱こうが、最終
的には控訴する意思を固めて控訴提起したものであることは明白である。
二、「本件控訴は国の強迫に基づくものである」との主張について
被控訴人は、法務大臣には本件控訴について控訴人に指示すべき何らの法的根拠も
権限もなく、かかる指示は地方自治の本旨にもとる強迫行為であると主張するけれ
ども、法務大臣の指示は権限法に基づくものであつて、地方自治の本旨にもとるも
のではない。
三、「本件控訴は控訴権の濫用に当たる」との主張について
被控訴人は、児童扶養手当と公的年金給付の併給禁止の一部撤廃を伴う改正法が成
立した以上、控訴人は実質的な控訴利益を欠き控訴権の濫用にあたる旨主張するけ
れども、児童扶養手当法及び特別児童扶養手当法の一部を改正する法律(昭和四八
年法律第九三号)の施行期日は昭和四八年一〇月一日であつて(同法附則一条)被
控訴人の児童扶養手当の受給資格の有無は、右法律によつて何ら影響を受けるもの
ではない。本件控訴には実質的な利益が存する。
第二、昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手当法四条三項三号(本件
併給禁止条項)は憲法一四条一項及び同二五条に違反するものではない。
一、社会保障制度における児童扶養手当法の性格と位置
1、我が国の社会保障制度について
いわゆる社会保障制度とは、社会保障制度審議会が昭和二五年一〇月に行つた「社
会保障制度に関する勧告」によれば、「疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失
業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障
の途を講じ、生活困窮に陥つた者に対しては、国家扶助によつて最低限度の生活を
保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もつてすべての国民が文
化的社会の成員たるに値する生活を営むことかできるようにすることをいう。」の
であり、同勧告は、このような考え方に基づき、社会保険、国家扶助、公衆衛生及
び医療、社会福祉の四部門からなる社会保障制度の体系を示している。そして、今
日でも、社会保障制度審議会の示したこの考え方が、社会医障制度に関する最も一
般的な考え方ということができる。
2、経済保障(社会保険)と生活保障(国家扶助)
社会保障の実施のための具体的方法としては、(1)疾病、負傷、分娩、廃疾、死
亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対する保険的方法又は直接公の負担によ
る経済保障(2)生活困窮に陥つた者に対する国家扶助による最低限度の生活保障
という二つの類型が考えられるわけであるが、通常、前者は社会保険(及び直接公
の負担に基づく財源の補充)制度による社会保障といわれ、後者は国家扶助制度に
よる社会保障といわれている。
各制度の目的及び性格並びに両制度の関係は、次のとおりである。
(一) 国家扶助制度は、現在、生活保護法による生活保護制度として実施されて
いる。その目的は、同法一条の定めるように、憲法二五条に規定する理念に基づ
き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護
を行い、その最低限度の生活を保障することにある。生活に困窮し、憲法二五条一
項の保障する健康で文化的な最低限度の生活を営むことができない状態にある者
は、その窮乏に陥つた原因のいかんを問わず、生活保護法によつて最低限度の生活
を保障される仕組みとなつており、この制度によつて、国はすべての国民に対し健
康で文化的な最低限度の生活を最終的に担保しているのである。
この意味において、国家扶助制度は、現に窮乏の状態にある者に対し、その現在の
生活需要に着目して最低生活の保障を行おうとするものであつて、保障の実施は、
窮乏の程度に応じて個別的、具体的になされる点に特色があり、具体的には、あら
かじめ国が最低生活の基準を定めておき、所得がその水準に達しない者に対してそ
の不足分を金銭又は現物の給什によつて補うという建前が採られている。したがつ
て、その保障を行うに際しては、現に窮乏の状態にあるか否か、すなわち、自力で
は健康で文化的な最低限度の生活を営み得ないか否か、営み得ないとすれば最低生
活水準に達するためにはどの程度の給付を必要とするか等に関する行政庁の認定を
必要とし、その認定を行うため資産調査及び収入調査等の手段が講ぜられる点に、
この制度の本質的な特徴が見いだされる。
(二) 社会保険制度は、国家扶助が最低生活の保障という絶対的な生活水準を確
保するための制度であるのとは異なり、通常その生活を脅かす老齢、廃疾、死亡そ
の他経済上の負担を招来する事故に対し、右事故から生ずる生活上、経済上の脅威
という危険を国家的な保険技術又は社会連帯の思想に基づく直接の公費負担を通じ
て大量的に分散することによつて、その救済を図ることを目的とする制度である。
前述の国家扶助がいわば事後的、具体的な救貧施策的性格を有するのに対し、社会
保険制度は事前的、一般的な防貧施策的性格を有するものということができる。
(三) 社会保険制度と国家扶助制度との基本的差異は、国家扶助の場合には、一
定の絶対的な生活水準を確保するという制度本来の目的からして、扶助にあつて
は、それが個々的な生活需要の程度に対応してなされることの特質上、扶助の受給
資格及び給付の程度が一定の基準に照らして個別的、具体的に認定することによつ
て初めて定まるのに対し、社会保険にあつては、受給資格及び給付内容は、保険事
故の種別に応じて一般的に定型化され、保険事故により被保険者に生ずる生活需要
の有無及びその具体的な程度いかんにかかわりなく、いわば平均的需要に着目して
画一的な給付が行われる仕組みとなつており、個々の事案について行政庁の判断の
介入する余地が極めて限られているということである。
給付に要する費用は、国家扶助の場合には必ず一般財源に依存しているのに対し、
社会保険にあつては、拠出制、国庫負担制及び両者の併用等等、政策的にはさまざ
まな選択が可能であつて、被保険者及び事業主からの保険料等の形式による拠出金
のみに依存する方式も考えられれば、国庫が保険料の一部または全部を負担する方
式も考えられる。社会保険の財源の求め方については、専ら国情に応じた政策的判
断に任せられている。我が国の社会保険制度は、拠出制に給付財源の一部国庫負担
制を加味したものが多い。
3、公的年金制度としての国民年金制度及びこれを補完する児童扶養手当制度
(一) 国民年金制度
公的年金制度は、老齢、障害、死亡など国民が個々人では事前に十分な備えをして
おくことが困難な事故によつて生活の安定が損なわれるのを、社会連帯の考え方に
立つて公的に救済し、国民生活の安定を図ろうとする制度である。
現在、我が国の公的年金制度は、国民年金、厚生年金の二大制度のほか、船員保
険、国家公務員共済組合、地方公務員等共済組合、公共企業体職員等共済組合、私
立学校教職員共済組合、農林漁業団体職員共済組合の八制度に分かれている。
国民年金法は、国民皆年金の理念に基づき、これまでの被用者を対象としていた公
的年金制度による保護の及ばなかつた農漁業者、自営商工業者、自由業者等を適用
対象として制定されたものである。
我が国の年金制度は、これまで、一部国庫負担を加味した拠出制による社会保険方
式を原則としていたので、国民年金制度もこれに倣い、拠出対給付という対応関係
を基本とし、老齢、障害、死亡などの保険事故に際して被保険者又はその遺族に保
険給付を行い、その所得能力の喪失又は減少に対し必要なてん補を行おうとするも
のである。しかしながら、拠出制一本で貫くと、制度実施の時点において既に老
齢、障害又は母子の状態にある者及び将来保険事故が生じても保険料納付期間が所
定の期間に達しないため拠出制の受給権に結び付かない者に対しては、国民年金制
度の保障する利益を及ぼすことができず、国民皆年金の理想が全うされない結果と
なる。そこで、国民年金制度においては、拠出制の欠陥を補うための経過的、補完
的な制度として、無拠出の年金制度たる福祉年金制度を設けている。
(二) 児童扶養手当制度
国民年金制度の発足により、死別母子世帯については、国民年金法による母子年金
若しくは母子福祉年金又は年金関係各法による同様の給付を受け得るようになつた
のであるが、夫と離婚し又は内縁関係を解消した場合のように夫と生別した場合に
は、給付の対象とならない。
しかし、生別母子世帯の経済的実態は、死別母子世帯と変りがない。この点から、
国の何らかの積極的施策が必要とされ、生別母子世帯について、母子福祉年金に準
ずる無拠出の所得保障を行うこととされた。これが児童扶養手当制度である。
したがつて、児童扶養手当制度は、国民年金制度を補完するものであり、経済保障
すなわち防貧的な所得保障施策の一環として位置づけられる。
4、身体障害者、母子に対する社会保障施策について
社会保障の施策には各種のものがある。身体障害者あるいに母子のように何らかの
援護を必要とする者のための施策として、身体障害者福祉法等に基づく施策、雇用
安定制度、税制上の優遇措置、母子福祉法等に基づく福祉措置などの社会福祉施
策、疾病傷害に対する医療保険制度による医療給付、稼得能力の低下に対する年金
制度等による防貧的な所得保障の施策等がそれであるが、これら施策等によつても
なお生活困窮に陥つた者に対しては、救貧的な生活保護の制度があり、これによつ
て、最低限度の生活が保障されている。而もこれらの諸施策は互いに有機的に補足
し合つて制度全体を効果的なものとする仕組みになつている。児童扶養手当法の位
置つけあるいは公的年金受給者には児童扶養手当を支給しないものとする規定の合
理性についても、このような仕組みの中で検討する必要がある。原判決はこの点の
考慮を欠くものである。
すなわち、障害福祉年金受給者には児童扶養手当を支給しないことの合理性である
が、障害福祉年金及び児童扶養手当は、身体障害者あるいは母子に対する極めて多
岐にわたる社会保障諸施策及び関連諸制度のうち、これらの者の稼得能力の低下に
対応する防貧的な所得保障施策という限局された一部門を構成するものにすぎな
い。このような一局面のみを微視的に取り上げて単純に対比し、夫と生別し児童を
養育する母と、これに更に身体障害という状態が加わつている者とに対する国の処
遇が平等原則に合致しているか否かをあげつらうことは、大きな誤りである。
身体障害者あるいは母子に対しては、防貧的な所得保障の施策のほかに、各種の社
会福祉の措置及び医療の給付等がなされており、これら国民の健康で文化的な生活
の維持、向上が図られている。そして、これらの施策にかかわらず、なお生活困窮
に陥つた者に対しては、最終的には救貧的な生活保障の制度が設けられており、こ
れによつてすべての国民の最低限度の生活が保障される構造となつている。
したがつて、障害福祉年金受給者には児童扶養手当を支給しないからといつて、決
して身体障害者あるいは母子の生活が顧みられず、放置されるということになるわ
けではない。殊に憲法二五条一項にいう健康で文化的な最低限度の生活は、すべて
の国民に絶対的に保障されているのである。
このように、国の社会保障施策の全体系を考慮に入れて総合的に考察するならば前
記のいずれの者に対する処遇、保護がより厚いかを論ずることは、到底不可能であ
る。
このように見てくると、被控訴人の本訴請求は、そもそもその出発点において失当
であり、社会保障施策の全体的考察を全く怠つているという点において既に棄却を
免れないものといわざるを得ない。
二、児童扶養手当法の趣旨
1、国民年金制度-特に母子福祉年金、障害福祉年金-の趣旨
国民年金制度は在来の公的年金制度から取り残されている国民に対して年金の保護
を及ぼし、もつて国民皆年金体制を確立するために創設されたものであるが、制度
の目的は、憲法二五条二項に規定する理念に基づき、老齢、廃疾又は死亡によつて
国民生活の安定が損なわれることを国民の共同連帯によつて防止しようとするもの
である。年金給付の種類としては、老齢、通算老齢、障害、母子、準母子、遺児及
び寡婦の七種類があるが、そのうち母子年金は夫が死亡した場合に(国民年金法三
七条)、障害年金は被保険者が廃疾の状態にある場合に(同法三〇条、三〇条の
二)支給される。
わが国の国民年金は拠出制(厚生年金保険その他の被用者年金制度に加入していな
い二〇才から六〇才までの自営業者、農民等を被保険者とし、毎月一定の保険料を
納付することとされている)を基本としつつ、拠出制を補うために、経過的、補完
的に無拠出制を採用することが国民年金体制の即時実現という目的を達するために
必要であると考えられたため、福祉年金制度は設けられたのである(国民年金法八
一条、八二条、同法五六条、六一条)。
2、児童扶養手当法制定の経緯
死別母子については、国民年金法による母子年金あるいは母子福祉年金又は年金関
係各法による同様の給付を受けられるようになつたのであるが、夫と離婚し、又は
内縁関係を解消した場合のように夫と生別した場合には、給付の対象とならない。
これは、生別という人為的な事象が年金保険事故になじまないため、年金制度に取
り入れられなかつたためであるが、死別と生別とを問わず母子世帯の社会的、経済
的実態は同じである。母子年金、母子福祉年金等のわく外にある生別母子世帯の要
望と死別の母子との公平を図る見地からも、生別母子世帯について母子福祉年金に
準ずる所得保障を行うことが要請された。これが、児童扶養手当法制定の主たる動
機である。
児童扶養手法は、母子年金、母子福祉年金等の支給の対象とならない生別母子世帯
及び実質的にこれと同視しうる世帯を対象としており(同法四条一項)、その意味
で、児童扶養手当法そのものは年金制度ではないが、実質的にそれを補完する目的
をもつて創設されたものである。
3、児童扶養手当法の内容
(一) 受給権者は父母が婚姻を解消した児童、父が死亡した児童、父が一定の廃
疾の状態にある児童、父の生死が明らかでない児童、その他右に準ずる状態にある
児童を監護する母又は母以外の養育者(児童と同居して、これを監護し、かつその
生計を維持している者)である。
(二) 児童扶養手当法の公的年金給付との調整に関する規定のうち、本件におい
て問題となつている改正前の四条三項三号の規定は、国民年金法二〇条六五条一項
一号に対応するものである。母子世帯において児童扶養手当支給の対象たる児童を
監護すべき母が公的年金給付を受けることができる場合というのは、母子福祉年金
において受給権者たる母が他の国民年金給付または公的年金給付を受けることがで
きる場合と事情は異ならないから、この場合と同一視してしかるべきものである。
(三) 手当額は母子福祉年金の額に準じて定められている。昭和四五年一〇月分
からは、すべての場合を通じて全く同一の金額となつている。
(四) 児童扶養手当は財源の面でも母子福祉年金との均衡を考え、全額国庫負担
の制度となつている。
4、無拠出の年金及び児童扶養手当を典型的な国家扶助の制度である生活保護制度
と対比すると、生活保護は、生活に困窮した者に対し健康で文化的な最低限度の生
活を保障するために行われるものであるが無拠出制の年金及び児童扶養手当は、国
民の生活水準の相対的向上を図るため、その所得の一部を保障するところのより積
極的な社会保障施策としての意義を有する。そして生活保護においては、保護は生
活に困窮する者がその利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度
の生活の維持のために活用することを要件として行うという、いわゆる補足性の原
則が採用されており、保護の実施に当たつては、資力調査を行つてこの点を明らか
にした上で開始されるのに対し、福祉年金及び児童扶養手当においては、本人、配
偶者及び現に生計を担当している扶養義務者に前年度に一定金額以上の所得があつ
たことが制限の要件となるのみで、労働能力の有無や財産等の活用の能否等は一切
問題とされない。また、生活保護は最低限度の生活を維持するために必要な費用中
の不足部分を全額保障するが、無拠出制の年金及び児童扶養手当は所得の一部を保
障する。すなわち、これらの給付の受給者には、年金、手当のほか、個人の貯蓄や
社会情勢に即応する程度の扶養義務者の扶養があることが前提とされているのであ
つて、このような前提を欠く者については、最低生活費の不足分は生活保護で補わ
れることとなる。
これらの点からみると、生活保護は救貧的制度であり、無拠出制の年金及び児童扶
養手当は所得能力の全部又は一部の喪失者に対し生活設計のよりどころを与えるも
のとして、防貧的制度の範ちゆうに属するものということができる。福祉年金及び
児童扶養手当制度が最低生活水準の確保を直接の目的としていると解するのは誤り
で間接的、結果的に最低限度の生活の維持に役立つているにすぎない。
原判決は、生別母子世帯においては児童扶養手当は救貧的機能を発揮していると述
べているが、原判決が生別母子世帯の生活実態についてるる述べ、それが極度に困
窮している旨判示していることにかんがみれば、生別母子世帯は一般的に既に貧困
状態に陥つているから、このような世帯に支給される手当は、正しく貧困状態から
の救済という機能を果たすものであり、救貧的役割を有するものであるとするもの
であろう。
しかし、このような論法からするならば、一定水準以下の経済状態にある者に対す
る社会保障給付は、その趣旨及び目的のいかんを問わず、すべて救貧的性格を有す
るものということになるらざるを得ないが、このような結論は到底是認することが
できない。原判決は、救貧的制度と防貧的制度の役割の差異を理解ぜす、また、生
別母子世帯の生活は最終的には生活保護法によつて保障されるべきものであり、児
童扶養手当はこれを前提に所得の一部を保障しようとするものであることを看過し
ているのである。
5、児童扶養手当と児童手当との関係
(一) 児童扶養手当は、生別母子状態という稼得能力の喪失、低下に着目して、
母子福祉年金に準ずる所得保障を行う制度であり、児童手当とは、一定数以上の児
童を養育している者に対して、その養育している児童数に準拠した所定の給付を行
うことにより、所得と支出の不均衡を是正しようとするものである。
そして、児童扶養手当は、このような児童手当制度の一種として位置づけられるも
のではなく、年金制度を補完するものであり、基本的には公的年金制度の一環とし
てとらえるべきものである。その根拠の第一は児童扶養手当法の既述のような制定
の経緯(立法過程)である。第二は児童扶養手当は母子世帯又は準母子世帯の中で
も一部の世帯すなわち公的年金給付を受給することができない生別母子世帯を主た
る支給対象としていることである。母子世帯の児童の養育費のみが多額に上るとい
うことはあり得ない。手当額は母子福祉年金に関連づけられて定められているし、
児童扶養手当と児童手当との間、相互間には受給資格、手当額等につき何ら調整を
行つていない。第三は児童扶養手当の給付の内容である。「児童の扶養料」(児童
の養育費の負担を軽減することを目的とする給付)であるならば、その給付は、現
在の児童手当法の持つているように、原則的には児童の数、すなわち児童の養育費
の増減に比例すべきものである。しかるに児童扶養手当の給付内容は右と違い、基
本的給付に、児童が二人以上の場合には児童数に応じた若干の給付が加算されると
いう構成を採つているのである。この給付の構造は母子福祉年金と共通であり、現
在は全く同一である。また母子福祉年金と母子年金の額は基本給付には差がある
が、子が二人以上のときの加算額は同一である。このように児童扶養手当の給付の
内容、仕組みが国民年金法の母子福祉年金、更には母子年金と同様であるというこ
とは、これら手当及び年金が同一の趣旨、目的の下に設けられた同一性質の給付で
あることを物語るものである。
(二) 児童扶養手当が児童手当ではないことは、児童手当制度の意義及び沿革に
徴しても疑いのないところである。
社会保障がその対象とする困窮の原因については、社会保障制度審議会の「社会保
障制度に関する勧告」において、「疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、
多子その他」とされているが、これらの原因は、大別すれば、収入の減少(稼得能
力の低下)を招くものと、支出の増加をもたらすものとに分けることができる。児
童手当は、このうち、支出の増加をもたらすところの「多子」に対応して設けられ
た制度である。
我が国の児童手当法は、昭和四六年五月に制定され、昭和四七年一月から実施され
たが、同法一条の内容は児童手当が児童を養育していることに伴う家計支出の増大
に対処するための制度であることを示している。
児童手当あるいは家族手当は、世界各国の例を見ても、子女の扶養を要件として、
一般家庭における平均的生活状態に着目して給付を行うのが普通であつて、「扶
養」以外の両親の一方が欠けているとか、児童が心身障害児であるとかいう特別の
事由について支給の要件、給付額を変えることはしていない。右のような特別の事
由に対しては、母子福祉対策、心身障害児対策として別の施策を講じているのが普
通である。
(三) 児童扶養手当は、被控訴人主張のような「特殊な児童手当」でもないし、
ILO第一〇二号条約の「家族給付」の一種でもない。これに当る給付は我が国に
おいてに児童手当のみであり、児童扶養手当は、同条約五九条の「遺族給付」に近
似したものとみる方が妥当である。
三、公的年金給付の受給者には児童扶養手当を支給しないことを定めた本件併給禁
止条項と憲法二五条
1、憲法二五条と我が国の社会保障
憲法二五条一項は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう
に国政を運用すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に
対して具体的権利を賦与したものではない。具体的な最低限度の生活保障請求権は
憲法二五条一項の規定の趣旨を実現するために制定された法律によつて初めて与え
られているものというべきである。また憲法二五条二項は、社会生活水準の確保向
上を国の責務として宣言しているが、同項に基づいて国の行う施策は、結果的には
国民の健康で文化的な最低限度の生活保障に役立つていることは疑いをいれないけ
れども、その施策がすべて国民の生存権確保を直接の目的とし、その複策単独で最
低限度の生活保障を実現するに足りるものでなければならないことが憲法上要求さ
れているものとは解されない。むしろ憲法二五条一項、二項の規定を総合的に理解
すれば、同条は、すべての生活部面についての社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
向上及び増進を図る諸施策の有機的な総合によつて、国民に対し健康で文化的な最
低限度の生活保障が行われることを子定しているものと考えられるのである。
したがつて、憲法二五条二項により国の行う施策は、個々的に取り上げて見た場合
にに、国民の生活水準の相対的な向上に寄与するものであれば足り、特定の施策が
それのみによつて健康で文化的な最低限度という絶対的な生活水準を確保するに足
りるものである必要はなく、要は、すべての施策を一体として見た場合に、健康で
文化的な最低限度の生活が保障される仕組みになつていれば、憲法二五条の要請は
満たされているというべきである。
我が国の社会保障の具体的方法としては、(1)疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、
老齢、失業、多子その他困窮の原因に対する保険的方法又は直接公の負担による経
済保障(2)生活困窮に陥つた者に対する国家扶助による最低限度の生活保障の二
本建て方式を採用し、右(1)の経済保障によつて、困窮の原因となる事故の生じ
た者についてその生活水準の相対的向上を図ることとし、経済保障その他あらゆる
手段を活用してもなお健康で文化的な最低限度の生活を維持し得ない者に対して
は、右(2)の生活保障によつて健康で文化的な最低限度という絶対的な生活水準
の確保を図つている。ここにいう経済保障方式の具体的な現れが国民年金その他の
各種年金制度及び児童扶養手当制度をはじめとする各種手当制度等であり、生活保
障方式の現れが生活保護法の定める生活保護制度である。
このように、社会保障制度を構成する諸施策は、互いに有機的に補足し合つて社会
保障制度全体を効果的なものとし、全体として憲法二五条の要請を満たすことが予
定されており、個々の施策は、それぞれの目的に照らしてその役割、分担を異にし
ているのである。個々の社会保障施策にどのような目的を付与し、どのような役
割、機能を分担させるかは、立法により適当に定め得る事項に属する。
被控訴人の主張する併給禁止条項の憲法違反の論議は、実は、公的年金の受給(有
資格)者に対しても、児童扶養手当の受給資格を認める立法措置を講じていないこ
とが、一国の社会保障施策としての憲法の標ぼうする社会保障の理念に反している
という議論に帰着し、被控訴人の主張は将来の立法政策にわたる事柄であつて、現
行法規の憲法違反の問題には本質的にかかわりがないというべきである。
2、憲法二五条一項と二項の差異憲法二五条一項は、国が最小限度の政治的責務と
して、すべての国民が少なくとも「健康で文化的な最低限度の生活」を営み得るよ
うに努力しなければならないことを明らかにしているのであるが、右憲法の規定を
受けて、生活保護における保護基準は、健康で文化的な最低限度の生活を維持する
に足りるものでなければならないと定められている(生活保護法三条、八条)。し
たがつて、この保護基準すなわち何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認
定判断は、一応厚生大臣の合目的的な裁量に任されているとはいつても、現在の生
活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨、目的
に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用し
た場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬがれないのであ
る。すなわち、国家扶助(生活保護)については、国のなすべき程度について、憲
法の要請に基づく絶対的基準の存することを否定することはできない。
これに対し、憲法二五条二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、
社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とするにとどま
り、その水準については何らの基準も示していない。国民の生活水準を前記最下限
以上にどの程度向上させるかは、専ら政治的責務の範ちゆうに属する事柄であり、
全面的に立法政策にゆだねられた問題といわなければならない。その給付水準は、
保険料の拠出の有無、高低、その他の社会保障施策の水準等を勘案した上、国民の
合意によつて、したがつて結局は立法府において決定されるべき事項である。
以上のところから、最低限度の生活保障としての国家扶助(生活保護制度)と経済
保障としての国民年金等の諸制度とは、憲法上の意味が異なることが明らかであ
る。
3、児童扶養手当制度は、母子家庭の健康で文化的な最低限度の生活を保護するこ
とを直接の目的として設けられたものではない。児童扶養手当制度は、国民年金制
度に付随するものとしてこれを補完するものである。生活保護法の規定と児童扶養
手当法の規定とを対比すると、条文にうたわれている制度の目的が異なり(生活保
護法一条、児童扶養手当法一条、二条)、前者には給付の絶対的基準が示されてい
る(生活保護法三条)のに、後者には具体的な手当額を定めるにとどまり、特段の
基準は示されていない(児童扶養手当法五条)。
また、国家扶助制度は、現に窮乏の状態にある者に対し、その現在の生活需要に着
目して最低生活の保障をおこなおうとするものであるから、右保障の実施は、窮乏
の程度に応じて個別的、具体的になされる点に特色があり、具体的には、あらかじ
め国が最低生活の基準を定めておき、所得がその水準に達しない者に対し、その不
足分を金銭又は現物の給付によつて補うという建前が採られている。したがつて、
国家扶助を行う前提として、自力では健康で文化的な最低限度の生活を営み得ない
か否か、営み得ないとすれば最低限度の生活水準に達するためににどの程度の給付
を必要とするかについての認定が必要であり、その認定は資産調査及び収入調査等
の結果に基づいて個別的、具体的に行われ、給付の額も個々の事案に応じて必然的
に異なつてくる。
しかるに、児童扶養手当に、一定の母等が児童を監護するときは申請さえあれば受
給資格が発生し、本人が健康で文化的な最低限度の生活を営み得ない状態にあるか
どうかは受給資格と無関係であり、また、給付の額も児童の数に応じた加算を含め
て受給者の生活状態にかかわらず一律平等である。
児童扶養手当については、受給権者本人又はその配偶者若しくは扶養義務者の前年
の所得が一定額に満たないときは、不動産や預金等の形で十分な資産、資力を有し
ていても全額支給され、国家扶助の場合と趣旨を異にしている。即ち生活保護制度
に見られるような補足性の原則は働かない。児童扶養手当法が拠出を前提としない
制度であつて、手当の給付に要する費用が国の一般財源で賄われているからといつ
て、生存権保障を直接の目的とする制度であるとはいえない。
4、児童扶養手当に、最低限度の生活は最終的には生活保護法により保障されるべ
きものであるとの前提に立ち、所得の一部を保障しようとするものである。他の公
的年金給付を受けてもなお最低限度の生活を維持し得ないとするならば、その生活
を最終的に保障すべきものは、生活保護制度であつて、児童扶養手当制度ではな
い。したがつて、児童扶養手当の支給は障害者ないし母子家庭の生活実態がどうで
あるかとは関係なく、その現状を根拠として本件併給禁止条項が憲法二五条に違反
するとすることは誤りである。この点において、原判決は失当といわざるを得な
い。
5、以上のとおり、児童扶養手当制度は、それ自体によつて母子家庭の最低生活の
保障を実現しようとする制度ではないから、児童扶養手当の給付額及び支給要件を
どのように定めても憲法二五条違反の問題を生ずる余地はないものというべきであ
る。
憲法二五条の生存権規定は、国に対してできる限り生存権の完全実現のために努力
すべき政治的責務を課するものではあるが、その「できる限り」ということは、本
来、国の経済的、財政的能力に基づいて立法府が判断すべきことであつて、司法権
が立法府に対して指示し得る性質のことではないのである。
四、公的年金給付の受給者には児童扶養手当を支給しないことを定めた本件併給禁
止条項と憲法一四条
1、児童扶養手当法及び国民年金法における併給調整条項の内容
本件併給禁止条項の内容は、国民年金法二〇条及び六五条一項一号の内容と同趣旨
となつている。
2、児童扶養手当法及び国民年金法における併給調整条項の根拠
(一) 国民年金と他の年金制度による給付との調整について
まず、公的年金制度が分立していることから、制度間の調整が問題となる。保険事
故が生じた場合には原則としてその加入している制度による給付のみがなされてお
り、かつ、なさるべきであることは加入者がその制変にのみ保険料を支払うことか
ら当然のことである。また一つの保険事故に対し復数の制度による複数の所得保障
が行われる制度というものは、限度のある財源を効率的に活用するものとはいえな
いし、また制度を複雑化するもとともなる。したがつて、福祉年金を含めて国民年
金制度による給付が原則として他の厚生年金保険法、国家公務員共済組合法等によ
る給付と併給されないとしても十分の合理性がある。国民年金制度を補完する児童
扶養手当が、同一事故について他の年金と併給されないことについても同様である
(児童扶養手当法四条一項二号、二項三号、四号)。
(二) 国民年金制度内における併給の調整について
複数の保険事故が発生した結果、複数の給付がなされる場合の給付の制限の問題が
ある。これは各種年金相互間でも、国民年金制度下においても共におこり得る(国
民年金法二〇条)。例えば障害福祉年金と母子福祉年金とがそれである。障害福祉
年金は重度の障害により稼得能力を喪失したため、その生活費等として支給される
ものであり、母子福祉年金は、一般的に家計維持者である夫と死別し、かつ、養育
しなければならない児童がいるため稼得能力を失つた妻に対して支給されるもので
ある。障害福祉年金は出費の増加に対応するものではなく、母子福祉年金は児童の
養育費として支給されるものではなく、いずれも稼得能力の低下又は喪失を事由と
して支給されるものである。そのよつてきたる原因(廃疾、母子状態)は異なるけ
れども、その結果は、稼得能力の喪失ということであつて、全く同一である。した
がつて、この同一の結果に着目して一つの給付しか行わないとしても不合理とはい
えない。
けだし、公的年金受給者には、既に老齢、廃疾その他所得低下を招来する事故が生
じており、それに生別母子状態という所得低下の原因となる事実が付加されても、
所得低下の程度は比例的に加重されるものではないからである。所得低下の原因と
なる事実が競合している場合には、これを各別に評価せず、総合的に評価してその
うちの最も重大な原因に対応する給付のみを行うこととしても、必ずしも不合理で
はない。
むしろ、同一人について二つ以上の事故が生じた場合にそれぞれの年金を支給する
ことは一、特定の者に対してのみ二重三重の保障をすることとなり、事故が重複し
ていない者との間にかえつて不均衡を生じ、全体的な公平を失することとなるので
ある。
以上のように障害福祉年金と母子福祉年金を併給しないこととしたことには十分の
合理性があり、本件で問題となつている母子福祉年金の補完制度である児童扶養手
当と障害福祉年金との併給の問題についても同様のことがいえるのである。
(三) 福祉年金及び児童扶養手当の特殊性に基づく併給調整の合理性について
両者とも全額国庫負担により支出されるもので、拠出制年金とは本来的に性格が違
い、したがつて、その支給要件及び額もおのずから異なつて然るべきである。限り
ある財源を一方に偏することなく、広範囲な国民層に対し広く適切な給付を行うこ
と、即ち限りある財源を公平かつ効率的に活用しな・ければならないという見地か
らして併給禁止も合理性がある。支給対象者の範囲の拡大を望む国民層の国民感情
も無視できない。
(四) 公的年金受給者に児童扶養手当を支給しないことは、また公的年金等の所
得保障の施策と併せて各種の福祉施策が行なわれており、最終的には国家扶助(生
活保護)により国民の生活が保障されている社会保障の体系の下においては、不合
理なものとはいえない。
(五) 以上、本件併給禁止条項には合理的な理由があり、憲法一四条法一項に違
反しない。
3、保険事故が重複した場合の併給調整の合理性は、国際的に見ても認められてい
るところである。
4、被控訴人は、視覚障害者世帯及び母子世帯の窮乏した生活の実態からして併給
しないのは不合理であると主張するのであるが、それは結局併給調整自体の合理性
の問題ではなく、公的年金等の給付水準が低きに失するという額の問題に帰着す
る。給付水準が低いというのは給付水準の在り方それ自体の立法政策の当否の問題
である。
5、原判決が父生別、母に廃疾で児童を養育している被控訴人の家庭と、父が廃
疾、母は健全で児童を養育している家庭とを対比して、両事例間には「性別による
差別」と「障害者であるとの社会的身分類似の地位による差別」が存するとしたこ
とは、比較事例を誤つたものである。両事例は、家族数、家族構成等を異にしてい
る。
6、児童扶養手当、特別児童扶養手当及び児童手当はその制度創設の動機、目的及
び社会保障制度における位置づけが相互に異なるものであるから、特別児童扶養手
当法四条四項三号が併給を認めているからといつて本件併給禁止条項には合理的根
拠がないとはいえない。特別児童扶養手当法は公的年金制度とは特に関連がなく生
れたものであつて、その本質は重度心身障害児童等の福祉対策の一環としての給付
であり、介護料的な手当であつて、防貧的な稼得能力の喪失等に着目した所得保障
たる公的年金ではない。また児童手当のような家族給付の一種でもない。
7、原判決後本件併給禁止条項は法改正により削除され(昭和四八年法律第九三
号)、児童扶養手当は国民年金法に基づく障害福祉年金又は老齢福祉年金を受ける
ことができるときでも支給されることになつた。しかし右改正は、本件併給禁止条
項が憲法に違反するものとして行つたものではなく、児童扶養手当法の内容が手当
額を初めとして順次改善、充実されてきているのであるが、右改正もその一環とし
て評価すべきものであり、立法府がその裁量の範囲内において採つた施策である。
児童扶養手当の受給者が障害又は老齢という事故により福祉年金受給者となつた場
合の生活実態を考慮して、障害福祉年金又は老齢福祉年金との併給を認めることと
したものである。
もつとも右のような併給をしないで、障害福祉年金に扶養加算の制度を設けるとい
う方策も考えられるけれども、そのいずれを採用するかは立法府の決定すべき立法
問題にほかならない。
8、児童扶養手当の支給要件の定め方と立法府の裁量
児童扶養手当の支給要件をどのように定めるかは、立法府の裁量事項に属し、立法
府がその裁量権を逸脱し、当該法的措置が著しく不合理であることの明白である場
合でなければ、これを違憲とすることにできないものというべきである。
(一) 経済保障(社会保険)の一環としての児童扶養手当については、その支給
要件をどのように定めるかは、正しく立法政策の問題であり、その受給権者の範囲
及び受給額をどこまで拡張しなければならないという憲法上の基準は全くないので
ある。もとより、児童扶養手当の支給要件の定め方も、し意的なものであつてはな
らないことは当然であつて、憲法一四条の定める法の下の平等の原則に従うべきも
のであるが、生活保護における保護基準の場合と比較して、裁量権をゆだねられた
のが行政庁でなくして立法府であること、また保護基準の場合のような最低限度の
生活を維持しなけばならないとする絶対的要請は存在しないことからして、当然そ
の裁量の幅が異なるのみならず、その裁量には質的な差異があるというべきであ
る。
(二) 国民の権利を制限し、国民に義務を課する消極的規制措置については、厳
格な司法審査を経る必要があろう、、しかし、国民に権利、利益を賦与する立法、
例えば社会政策及び経済政策上の積極的施策に関しては、立法府に広範な裁量権が
認められてしかるべきである。
児童扶養手当制度に、憲法二五条二項に基づく積極政策であり、国の経済的能力と
も深いかかわり合いをもつものであるから、立法府の裁量権の範囲は極めて広く、
国民の権利を制限する立法の場合と比べて平等原則、比例原則による制約も極めて
緩和されていることは疑いをいれない。
(三) 殊に、社会保障施策は、積極的政策の中でも、とりわけ政策的、技術的判
断を要する事柄である。経済保障制度の在り方は、限られた一般財源をどのように
効率的に配分するかという、専ら立法政策の問題である。
すなわち、社会保障の向上及び増進のための立法措置を講ずる必要があるかどう
か、その必要があるとしても、どのような対象者についてどのような支給要件の下
にそのような措置を講ずるのが適切妥当であるかは、主として立法政策の問題であ
つて、立法府の裁量的判断にまつほかはない。
(四) 司法権の機能、作用は、本来、受動的、消極的なものであつて、決して積
極的な政策形成を行うことではない。
ところが、併給調整条項を憲法一四条一項に違反すると判断することは、結局は新
たな立法を行うことと同じ効果をもつといわざるを得ないのである。公的年金制度
全体を見るならば、併給調整条項は数多いから、もし裁判所がその条項の妥当性、
合理性を一々判断し得るものとすれば、裁判所が各種年金の支給要件、支給額等を
憲法一四条一項という観点から調整する作用を営むこととなり、ある限度において
ではあるが裁判所が立法者の観を呈することとなる。しかも、その違憲判断の結果
は当然予算を伴うこととなり、国家財源の配分という立法府の専権事項を犯すこと
になるのであつて、このような事態は、明らかに司法審査の限界を逸脱するものと
いわざるを得ない。
したがつて、裁判所は、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的措置が著しく不合
理であることが明白である場合でなければ、これを違憲とすることはできないもの
というべきである。
(別紙(二))
被控訴人の主張
第一、本件控訴は却下されるべきである。
一、本件控訴は、控訴の利益を欠く。
本件控訴は、形式的には、原判決に対する不服があるとして提起されている。しか
し、控訴人知事は、原判決の結論に実質的な異議はなく、むしろ積極的にこれに賛
成し、従う意志、態度を公的にも私的にも明らかにしており、また、原判決の趣旨
に沿つた法改正も既に行われているのである。すなわち、控訴人は、みずから原判
決の意を受けて障害(老齢)福祉年金と児童扶養手当との併給を実質的に認める児
童養育見舞金支給要綱を制定するなどして、単に被控訴人との関係だけでなく、広
く一般に原判決の趣旨である障害福祉年金と児童扶養手当との併給を実現させる努
力をしているほか、本件控訴についての国への意見書において、「この事件は、j
個人の経済的な事情を考慮した判決であり、実情もそのとおりであるので、控訴し
ないことが社会のニードにもあい、かつ控訴しないことが適当と思料される」旨の
意思を表明している。控訴人は個人的にも控訴する意思はなく、原判決に服するつ
もりであつたことを明らかにしている。
また、昭和四八年九月二六日障害福祉年金と児童扶養手当との併給を認める法改正
が行われ、同年一〇月一日より施行されており、立法府においても原判決の趣旨、
結論を正当と認め、これに従う意思を明らかにしているのである。
この点につき控訴人は、被控訴人の受給資格の有無は前記法改正によつて何ら影響
を受けるものではないから、本件控訴には実質的な利益が存する、と主張する。
しかしながら、右主張は、控訴人が表明してきた態度と明らかに矛盾するものであ
るのみならず、併給禁止条項が改正され、制度全体として既に問題が解決されてい
るのだから、相当ではない。かような場合、被控訴人ひとりの問題に限つてみるの
ではなく、制度全体として控訴をして争う利益(しかもそれは、国ないし公共団体
としての利益)がなお存するのかどうかによつて決すべきである。そうだとすれ
ば、既に改正された併給禁止条項の違憲性をめぐつて控訴をしてまで争う実益は最
早ないというべきである。
したがつて、本件控訴は、控訴の利益を欠き、却下を免れない。
二、本件控訴は、控訴人の真意に基づかないものであり、不適当である。
控訴人は、前記のとおり、原判決に賛成し、控訴すべきでないという意向を内外に
表明しているので、本件控訴は控訴人の真意に基づくものでないことが明らかであ
る。したがつて、訴訟行為として不適法であり、却下すべきである。
控訴人は、本件控訴については、法務大臣が「権限法」により、控訴人に対し指示
をなしたこと、および控訴人が最終的には控訴する意思を固めたことを以つて、被
控訴人の右主張に対する反論としている。しかし、本件控訴に関し、法務大臣が県
知事に控訴の指示をなしうるというのは「権限法」の解釈適用を誤つたものであ
り、かつ、控訴人が「最終的には固めた」とされる控訴の意思は、右「権限法」の
誤つた解釈に基づき、錯誤に出たものであつて、やはり真意に基づくものとはいい
難いのである。
児童扶養手当の支給に関する事務は、地方自治法別表第三に定める機関委任事務で
あつて、その事務の執行は、すべて当該機関(控訴人)が「自らの判断と責任にお
いて」行われるべきものである(地方自治法一三八条の二)。
控訴人は、機関委任事務にかんする訴訟についても、「権限法」六条一項、五条一
項の適用があるというが、「地方自治の本旨」を無視し、国の機関である「行政
庁」と、国の機関委任事務を行う「地方公共団体の機関」とを同一視する誤りを犯
している。
国の機関委任事務の処理についても、地方自治の余地が全くないとすることは誤り
である。国の行政であつても、地方の実情にそくした裁量的判断の及ぶ余地があ
る。そして児童扶養手当の支給に関する事務とそれにかかわる訴訟事務についても
地方の実情に即した裁量の判断の余地がある事務であるというこができる。
国の委任を受けてその事務を処理する関係における地方公共団体長に対する指揮監
督につき、いわゆる上命下服の関係にある、国の本来の行政機構の内部における指
揮監督の方法と同様の方法を採用することに、地方自治の本旨にもとる結果となる
おそれがある。そこで、地方公共団体の長本来の地位の自主独立性の尊重と、国の
委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との間に調和を計
る必要があり、地方自治法一四六条は、右の調和を計るため、いわゆる職務執行命
令等、訴訟の制度を採用したものと解すべきである(最判昭三五・六・一七、民集
一四巻八号)(同旨、東京地判昭三八・三・二八、判時一二三一号)。
以上、国の機関たる行政庁と機関委任事務を処理する地方自治体の機関とを同視す
ることはできない。
また、控訴人の見解に従うと、国の機関委任事務について、都道府県知事は本来当
該事務を管轄する「主務大臣(本件の場合は厚生大臣)の指揮監督を受ける」(地
方自治法一五〇条)とされるのに対し、一旦当該事務に関する訴訟になれば、すべ
て法務大臣の指揮命令を受けることとなり、それ自体不当であるだけでなく、当該
事務についての地方の実情を主務大臣に比べてもはるかに知らないと思われる法務
大臣の指揮命令によることは、地方自治の本旨に反するだけでなく、当該事務の遂
行にも有害であると思われる。
権限法は、まず国を当事者または参加人とする訴訟につき、その訴訟を統一的に処
理するために、法務大臣をして訴訟を統括せしめんとしたものであり、この理は、
国から公権力の行使の権限を与えられ、訴訟において当事者となりうる各行政庁の
場合にも同様であるとして、五条一項および六条一項が規定されているのである。
ところで、地方公共団体の場合は、憲法上確立されている地方自治の原則があるの
で、七条で、法務大臣の指揮権の及ばないことを原則としつつ、例外的に、「その
事務に関する訴訟について、法務大臣にその所部の職員でその指定するものに当該
訴訟を行わせることを求めることができる」ことにより、その要請に基づいてのみ
法務大臣の介入が許されるにすぎない。しかし、国の機関委任事務に関する訴訟に
ついては、権限法は直接規定を設けていない。(五条二項但書の規定を根拠に五条
一1項、六条一項の適用があるとする説は、憲法九二条の地方自治の本旨に反する
解釈であるとのそしりを免れず、そのように解する場合には、法律自体が違憲無効
となるといわざるを得ない。)
権限法自体が違憲でないためには、地方自治の本旨を尊重して、「地方公共団体の
事務に関する訴訟」に準じて取扱われるのが妥当である。すなわち、五条、六条で
はなく、七条及び八条但書が準用されるべきである。現に本件控訴においても、控
訴代理人の主張とは異り、八条但書に従つて、控訴についての特別授権のため、改
めて指定手続きが履践されているものと思われる。
したがつて、法務大臣の控訴指示がなされたとしても、その指示は違法なものであ
り、県知事は当該指示(職務命令)の適法性について、実質的審査権をもつのであ
るから、控訴人はこれに従う義務はなかつたものであり、この点にかんし、法律上
の錯誤によつて「控訴の意思を固めた」のであるから、本件控訴は不適法であるこ
とは疑う余地がない。
三、本件控訴は、控訴権の濫用である。
控訴人坂井時忠知事は、原判決に対し、「盲目の障害者である堀木さんが、かよわ
い女手ひとつで子どもを育てなければならない実情は、まことに同情にたえないも
のがあつたと認め、法務省、厚生省には強硬に、原判決に対しては控訴すべきでは
ないし、したくないという県の意向を述べて善処方を迫つたが、『国会の議決を経
て制定された法律が、違憲だとの判決には控訴せざるをえない。』との政府見解を
覆えしえず、万やむを得ず、その指示に従わざるを得なかつた。」とのべ、他方、
国側においても、現になされている控訴は、法務大臣が「国会で制定された法律が
違憲と判断されたことは重大な問題であり、一審限りで判決を確定させることは相
当でなく、上級審の判断を仰ぐ必要がある」として、控訴をさせたのであつて、控
訴によつて求めるところは、違憲の判断を受けたという司法機関に対する形式的な
面子以外にないといえる。
このような控訴は、実質的な控訴利益を欠き、控訴権の濫用にあたるといわなけれ
ばならない。
しかも、控訴提起後間もなく、控訴提起という原判決に対する不服申し立てとはう
らはらに、当該違憲判断をされた法律の改正に着手し、昭和四八年九月二六日に法
改正を成立させ、同年一〇月一日より施行しているのであつて、もはや控訴を維持
する何らの実質的利益がないことは、更に明白となつた。
このうえなお控訴を維持することは、障害福祉年金と児童扶養手当の併給の正当性
と必要性を認めた国会の意思とも矛盾するし、下級裁判所の軽視と相まつて、後述
する司法による違憲審査制度、ひいては三権分立の制度の趣旨にも反することにな
ろう。
また、単なる面子のため判決の確定を妨げ、今なお貧困と差別に耐え、一日も早い
問題の解決を待ち望んでいる被控訴人に対し、裁判開始前からの権利侵害を維持継
続することは、控訴制度の趣旨にも明らかに反するもので、それ自体許しがたい人
権侵害行為であるといわなければならない。
第二、本件併給禁止条項に憲法一四条一項に違反し、無効である。
一、憲法一四条一項は立法者をも拘束するものであり法律の制定にあたつても、そ
の内容において平等原則に反してならないことが憲法上の要請そして働くのであ
る。同条項後段に列挙された差別事由は例示的に列挙されたものであり、これ以外
による差別も、それが不合理なものである限りは本条項に違反し、そのような内容
の法律は憲法に違反し、無効である。「障害福祉年金(公的年金)を受給する者」
として、児童扶養手当の支給に関して差別をすることが合理性を欠くものであると
すれば、かゝる差別扱いを定めた本件併給禁止条項は、その限りにおいて憲法一四
条一項に反し無効である。次にこれを詳述する。
1、児童扶養手当の形式的な受給権者は母ないし養育者とされているが、後にのべ
るように、同手当の実質的な受給権利者は児童であると解されるところ、同手当支
給の対象者たる児童の立場からみて、同じ生別母子家庭等の児童であるのに、母が
障害福祉年金の受給者である児童に対しては、同手当が支給されず、そうでない
(母が健全で、障害福祉年金を受けていない)児童に対しては、同手当が支給され
るという差別がある。而してここでは父が不在ないしはこれと同一の状態にある児
童相互間で、母が障害福祉年金を受給しているか否かの一事をもつて、「児童の心
身の健やかな成長に寄与することを趣旨として支給される」同手当の支給において
差別的取扱いをなすことの合理性の有無が検討されなければならない。
2、児童扶養手当の法律上の受給権者とされている母(養育者)の立場からみて、
同じく生別母子家庭等の要件を満たしているのに、健全な母(養育者)であれば同
手当が受けられ、障害福祉年金の受給者である母(養育者)であれば手当が受けら
れないという差別がある。而してここでは、重度の障害者であり、障害福祉年金を
受給しているという一事でもつて、その母(養育者)に対しては児童扶養手当の支
給をしないという差別的取扱いの合理性の有無が検討されなければならない。
3、のみならず、原判決のように世帯単位で比較し、「障害福祉年金を受給してい
る父と、健全な母と、児童との三人の世帯に対しては、障害福祉年金と手当とが支
給され得るのに反し、障害福祉年金を受給している母と、児童のみの二人の世帯に
対しては、障害福祉年金が支給されるのみであつて、手当は絶対に支給されないこ
とになつている」とし、両事例を対比すると、「手当の支給について、障害者とし
て公的年金を受け得る者が、母であるか又は父であるかということ、若しくは母が
障害者であるか又は健全であるかということの差異によつて」差別があり、そこに
は「性別による差別並びに障害者であるとの社会的身分類似の地位による差別とい
う二重の意味の差別が存在する」とみることもできないわけではない。
二、本件は、どのような差別のとらえ方をしても、差別に合理性がないことが明白
である。
1、本件併給禁止条項が合理的であつて憲法一四条一項に違反しないとの主張立証
責任は控訴人側に課さるべきである。
2、児童扶養手当の性格は、児童の福祉の増進を図る目的で、児童の心身の健やか
な成長に寄与することを趣旨として支給される手当であつて、その支給の実質的対
象は、世帯でもなければ、母でもない。正しく児童について支給されるものであ
る。
児童扶養手当制度は、国際的に児童手当制度の発達と普及が進むなかで、父と生計
を同じくしない等の特殊な状態にある児童に限定して生れてきた児童手当制度の一
種である。手当の性格は児童の養育という支出増(稼得能力の低下ではない)に対
応するもので、家族給付の一つである。その実質的受給権者は児童であると位置づ
けられるのである。
(一) 児童扶養手当法一条は、「父と生計を同じくしていない児童について児童
扶養手当を支給することにより児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」と定
め、同法二条は、児童扶養手当が、「児童の心身の健やかな成長に寄与することを
趣旨として支給されるものである」ことを明言し、更に同条後段は、「その支給を
受けた者は、これをその趣旨に従つて用いなければならない」と、社会規範とし
て、目的外使用を禁止し、同法一四条三号はこれを受けて「受給資格者が、当該児
童の監護又は養育を著しく怠つているとき」は「その額の全部又は一部を支給しな
いことができる」と定めている。
これらの規定は、手当支給の趣旨、目的が、「児童の心身の健やかな成長」にあ
り、その他のどこにも存在しないことを物語つて余りあるものである。右の一四条
三号にあたる規定は、国民年金法には全く存在しない。
(二) 児童扶養手当は、稼得能力の低下に対応する遺族給付の一種ではない。
遺族給付は、一般に死亡した者によつて生計を維持していた配偶者・子・父母・
孫・祖父母などの各遺族の扶養の喪失を支給事由とするものであるから、児童扶養
手当がその一種であるなら、「生計を維持していた」者という要件がなければなら
ないはずである。ところが、児童扶養手当の支給要件を定めた同法四条一項にはか
かる要件はない。このことだけでも、児童扶養手当が稼得能力の低下とは関係ない
ことは明らかである。
児童扶養手当法四条一項によれば、手当を支給されるのは、児童を監護する母もし
くは、児童を養育する者である。即ち、手当受給の母が、児童を第三者に養育して
もらうようになつた段階では、もし、遺族給付であれば、母親がひきつづきその給
付を支給されるものであるのに対し、児童扶養手当においては、母は給付を受けら
れなくなり、現実に児童を養育している者に支給されるのである。このように児童
扶養手当は、児童と共に移動し、児童についてまわる手当である。そして、このよ
うな場合、「養育者」であることには何の制約も定められていないのであるから、
「養育者」の稼得能力の低下を論ずる余地はない。
又、同項三号によれば、父が廃疾の状態にある児童の母もしくは養育者にも手当が
支給されるのであるが、かかる場合に、父の廃疾状態に対応する公的年金給付は、
児童加算の部分を除いては児童扶養手当と併給されるのであるから、これまた稼得
能力の低下を論ずる余地はない。
更に、同法五条によれば、児童扶養手当の額は第二子から加算されることになつて
いる。これまた、稼得能力の低下とは無関係のものであり、児童の数と関連をした
給付であることを認めるに足る。
児童扶養手当法が、その立法の動機においては確かに国民年金法において死別母子
世帯に母子福祉年金を支給することとのかねあいも考えられたこともあつたが、そ
れは法制定にあたつての当初のことであつて、野党側からの「国民年金法の一部改
正によつて生別母子世帯にも母子福祉年金を」という要求をふりきつて単独立法化
される中で、社会保障の考え方としては、国民年金とは切断され、立法段階におい
ても児童手当の萌芽と考えられるに至つたのである。即ち児童扶養手当は「普遍的
に児童の生計費を大巾に保障しようとする」ものではないから、本格的な児童手当
ではないが、その対象となる「極く限られた分野」では、児童手当の役割を果たす
ものというべきである。更にいえば、母子福祉年金の性格についても、必ずしも控
訴人の主張するような稼得能力の低下に対応する遺族給付とは断定し得ないものが
ある。それは補完的遺族年金の形式をとつているが、実質的には、母子・準母子世
帯に対する児童扶養のための手当とみるべきである。寡婦、遺児の両拠出年金を除
いて、母子・準母子についてのみ、補完的に福祉年金の制度を設けているのは、母
子・準母子世帯における苦しい生活実態のなかで、児童を養育する困難に着目して
のことといわなければならないからである。
(三) 本件併給禁止条項は、国民年金法二〇条・六五条一項一号とは対応しな
い。
児童扶養手当法の併給禁止には、二通りあり、その一は同法四条二項三号ないし五
号による「児童が公的年金給付を受けていたり、あるいは公的年金給付の加算(児
童加算)の対象となつている」ことを理由とするものであり、その二は、本件併給
禁止条項の母や養育者の公的年金給付を理由とするものである。
控訴人は本件併給禁止条項が国民年金法二〇条及び六五条一項一号と対応し、同趣
旨であると主張する。なるほど、形式的にのみみれば、一人の受給権者が、二以上
の年金を受けられない点で対応しているように見える。しかし、それならば、児童
扶養手当法四条二項三号ないし五号の規定は何故設けられているのか、国民年金法
でこれに対応する規定のないこととなり、全く不合理な二重の併給禁止である。
控訴人のいうように、併給禁止条項が、同一人に対し、同一事故について二重の支
給をしないという配慮からくるものであるとするならば、国民年金法二〇条六五条
一項一号に対応する規定は、児童扶養手当法四条二項三号ないし五号か、本件併給
禁止条項のいずれか一方でなければならないはずである。
右のいずれが対応すると考えられるかは、結局、手当の趣旨目的や、真の受給権者
は誰かということから判断せざるをえない。そして、手当の真の受給権者が児童で
ある以上、国民年金法二〇条六五条一項に対応しうるのは、児童扶養手当法四条二
項三号ないし五号であつて、本件併給禁止条項ではないことは明らかである。
(四) 実務上の扱いでも児童扶養手当の支給の対象が児童であることを前提にし
ている。
児童扶養手当の所管に、児童手当と同じく厚生省児童家庭局であり、母子福祉年金
のそれが厚生省年金局であるのと全く異つている。
特別児童扶養手当等の支給に関する法律等の一部を改正する法律案によれば、児童
扶養手当の支給額は、特別児童扶養手当、児童手当と共に一括して、一つの法律で
改訂され、しかもその提案理由として「児童扶養手当及び児童手当の支給対象児童
の福祉の向上を図るため」となつていることから、児童手当・児童扶養手当・特別
児童扶養手当という同一の所管に属する三制度が歩調を同じくしていること、児童
扶養手当が児童手当と同じく、児童福祉のために、支給されていることを厚生省を
はじめ、政府当局も認めているのである。
(五) その他にも児童扶養手当と母子福祉年金との間には実務上も法律上も幾つ
かの違いがある。たとえば(1)母子福祉年金の受給権は、請求に基づいて裁定さ
れるのに対し、児童扶養手当の場合は受給資格の認定を受けることになつている
(児童扶養手当法六条)。
(2)母子福祉年金の給付を受ける権利の消滅時効は五年であるのに対し、児童扶
養手当の場合は二年である。(3)手当の額は、制定当初は同額であつたが、昭和
三九年からは、児童扶養手当の方が低額に押えられ、現在のように、母子福祉年金
と同額になつたのは、本件訴訟提起後の昭和四五年九月以降である。
(六) 児童扶養手当は、国際的な意味での家族手当としての児童手当である。
元来家族手当としての児童手当は、児童の養育と多くの国では多子家族の生活の維
持を目的として設けられてきたものである。しかしながら、ILO一〇二号条約に
関する報告書は、両親が離婚・別居あるいは死亡した場合等の子に対して、一定の
給付を支給する法律が、家族給付の性格を有することを前提に、それのみでは、こ
の条約が要求する最低基準を満たしていないとしているが、ここでは、このような
限られた範囲の児童に対する給付も家族給付として位置づけているのである。すな
わち、家族手当としての児童手当は、現在では、ハンデイキヤツプを負つた家族に
おける児童の養育等のためにも支給されるように発展し、更に、児童の養育以外に
も範囲を広げられてきているのである。このことは国際的すう勢である。
わが国でようやく本格的な家族手当制度として発足した児童手当制度が、多子を理
由とする古典的な形の家族手当でしかなかつた以上、母子家庭ないしはそれに近い
状態というハンデイキヤツプに着眼した児童扶養手当とはニードが異なるのである
から、両制度は併存することが当然であり、そのことは、何ら児童手当と児童扶養
手当とが共に児童の養育のための家族手当であることを否定する根拠とはならな
い。
(七) また母子家庭の生活実態からみても、一般家庭に比べると著しく困窮して
いることが明らかであり、児童扶養手当はかゝる困窮家庭に対し、その児童の養育
という支出増に対応して支給されるもので、家族手当の性格を有する。
(八) 児童扶養手当は、母なるが故に受給しうるものではなく、児童を監護する
母、養育をする者が、児童の監護養育をするためにのみ受給しうるのである(児童
扶養手当法一条二条四条一項一四条三号)。その手当の使用の方法が右の趣旨目的
に拘束されることは社会規範であり、実務上も「支給対象児童」なる言葉が用いら
れているのである。つまり、児童の養育を受ける権利(児童福祉法一条二条参照)
に対応して支給される手当である。かかる性格の手当については端的にその児童に
対して与える(従つて親権者に支給する)よりも、監護養育する者に支給する方が
より確実にその目的を達しうることは明らかであろう(民法八三〇条一項参照)。
このように考えると、児童扶養手当は、実質的には児童を受給権者(究極的利益の
帰属者)とするものと断ぜざるを得ない。
3、障害福祉年金は低所得の重度障害者に対し、その者個人の主として稼得能力の
低下に、従として支出負担の増加に対応して支給される救貧的給付である。
(一) 重度の障害によつて生活の安定がそこなわれる最大のゆえんは、その者の
稼得能力の低下にあることは、だれしも争わぬところであるが、それと同時に、障
害者であるために様々な支出増が伴うことも明らかである。このような生活実態
と、国民年金法にいう一国民生活の安定」を比較するとき、障害福祉年金が主とし
て稼得能力の低下に、従として支出負担の増加に対応して支給される年金であるこ
とは明らかである。
(二) 障害福祉年金は障害者本人に対してなされる給付である。国民年金法が障
害者本人を受給権者としていること、夫婦とも障害福祉年金を受給する場合に併給
調整がなされていないこと、更には、児童加算の制度がないことからみて、世帯に
対する共通生活費的な性格はもつていない。
(三) 障害福祉年金は救貧的機能をもつている。原判決は「成立に争いのない甲
第一二号証によれば、身体障害者の内、特に視覚障害者の生活実態は極めて苦しい
ものであり、昭和四三年三月一日現在における都内の一級及び二級各視覚障害者合
計一二六八人の内約一三%が生活保護を受けており、これは昭和四三年三月現在の
全国の保護率一・五%の約八倍の高率であること、国民年金法の厳格な支給要件に
も拘らず、障害福祉年金を受けている者は、右の内、五一・七%にのぼつているこ
と、更に、何らかの職業についている者は、右のうち五三・八%であるところ、そ
の就業者中、七四・五%は、はり、きゆう、あんまなどのいわゆる三療に従事して
いること、右就業者の一カ月平均収入は、三万円未満の者が七一・七%であるこ
と、また、原告のような五〇才以上の女性(この点は成立に争いのない甲第一号証
によつて認めることができる)についてみれば、その六〇%が他の人に依存して生
活しなければならない現状であること、そのうえ、これらの視覚障害の女性は、一
般の女性と比べて、家政能力・作業能力が低く、通常の生活にさえも大変な困難が
伴つているといえるだけでなく、右能力の不足を補うために、他人の手助けを必要
とし、そのための出費をもしたければならない状況であることをいずれも認めるこ
とができる。この認定を左右するに足る資料はない。」と論じ、このように極度に
困窮している者に対する障害福祉年金が救貧的機能をもつものであることを認めて
いる。
4、同一人に対する複数の社会保障給付か併給調整されるのは、それらの給付が、
稼得能力の低下に対応する場合に限られるのであつて、その場合の基準は、その稼
得能力の低下の度合いが一般的平均的に加重される程度に応じて併給調整されるの
である。そうでなく、支出増に対応して支給される場合は、同一人に対する給付の
重複であつても併給されるべきである。
(一) 併給調整は二つの種類に分けられる。一つは同一人について、二つ以上の
生活事故が重複する場合であり、もう一つは同一事由により複数の受給権が生ずる
場合であるが、本件の場合は前者に該当する。
同一人に複数の事故が重なつた場合、そもそも年金給付が一般的には、老齢・廃
疾・遺族という主として稼得能力の低下喪失をもたらす事故別に定型的にとらえて
なされるところから、それら事故別に定型化されているものを、その場合の要保障
状態に近づける必要がある。これが併給調整のなされるゆえんである。従つて、併
給調整の基本原理は、複数の事故が重複したことによつて、稼得能力の喪失低下が
一般的平均的に加重される程度に応じて併給調整するということにならざるをえな
い。廃疾と廃疾の併合によつて、三級障害から一級障害へと加重した場合に給付が
三分の五倍になるのはその端的な例である。一方社会保障給付の中には、稼得能力
の低下に対してではなく、支出の増加に対応するものがある。かかる給付について
は、常に完全併給されるべきであることは当然である。児童手当が完全併給されて
いるのはその例である。
(二) 国際的にも障害・老齢・廃疾という主として稼得能力の低下を生ずる事故
に対応する社会保障給付の相互間の重複は、減額措置の対象としうるが、一方、家
族給付(わが国の児童扶養手当もこれに当る)は右のような減額措置の対象とすら
ならず、いかなる場合にも完全併給しなければならないということが、ILO一〇
二号及び同一〇八号各条約により国際規範化され、国際的良識となつている。
(三) 児童扶養手当の受給権者は実質的に児童であり、障害福祉年金の受給権者
は障害者(本件では被控訴人)であつて、支給対象者は別異であり、同一人ではな
いと解せられるから、本件の場合、同一人に対する給付の問題ではなく、併給調整
のありようがない。仮りにそうでなくても、児童扶養手当は、児童の監護養育とい
う支出増加に対応する給付であるから、本件は支出増対応給付完全併給の原則にあ
てはまる。
また、わが国の児童扶養手当は、国際的な意味での家族手当としての児童手当に該
当するので、前記国際規範に照らしても完全併給されなければならない。
以上のように、本件児童扶養手当と障害福祉年金の併給は当然のことであり、控訴
人の併給調整論は明らかに誤りである。
5、控訴人は「児童扶養手当その他無拠出制の年金給付の財源は、国民大衆の租税
負担によつてまかなわれるものであつて、財政上おのずから制約があり、その限ら
れた財源によつて、広範囲の国民層に対し適切公平な給付を実施しようとする社会
保障政策上の要請が存する」と主張して差別を合理化しようとする。しかしなが
ら、昭和四八年九月児童扶養手当法四条三項三号が改正され老齢福祉年金と、児童
扶養手当との併給が認められるに至つたが、その予算案によれば、右併給に要する
費用は、年間僅かに一四二四万三〇〇〇円にすぎず、これは昭和四八年度一般会計
の総予算額一四兆二八四〇億七三〇〇万円の〇・〇〇〇〇九九七一二%にすぎない
ことからすると、財政上の制約はなきに等しいものである。障害福祉年金は本件却
下処分のなされた昭和四五年二月当時において、月額僅か二九〇〇円、現在におい
ても月額一一、三〇〇円にすぎず、又児童扶養手当も昭和四九年二月当時において
月額わずか二、一〇〇円、現在においても月額九、八〇〇円にすぎない。このよう
な状態において、財源云々というは、児童の福祉の増進という児童扶養手当制度の
趣旨を没却するばかりか、国際良識からみても、全く許されないものである。国際
的には、ILO四三号同六七号各勧告によつて拠出制のみならず、無拠出制の年金
についても生活保障の原則がうちだされた。そして現在においては、経済大国とな
つた日本も含めて、先進工業国は、ILO条約だけでなく、ILO勧告のレベルま
で関係国内法規の水準を改善することが当然の責務となつている。一九六一年の社
会保障憲章においても、「保障すべき水準は、必要にしてかつ充分なものでなけれ
ばならない」旨宣言されている。このように、国際良識として、ILO勧告などに
規範化されている年金などの生活保障の原則を前にしながら、前記のような、生活
保障には遥かに足りない年金や手当の額にもかかわらず、財源を云々することは失
当である。
6、身障者就中重度身障者母子世帯の生活実態は、障害福祉年金と児童扶養手当の
併給禁止が如何に不合理なものであるかを証して余りがある。
(一) 肉体に障害があることによつて生じる社会的ハンデイキヤツプとしては、
大きくわけて、三種類のものに分けられる。すなわち、第一に身障者は、働く機会
が保障されておらぬか、あるいはその機会が著しく狭められている。第二にその必
然的結果として、所得が低く、また他方障害があるために、余分な支出を余儀なく
され(必要経費)るなどのため、その生活はきわわめて困難である。第三に経済的
以外の面で人手をかりなければ、自立していけない。こうしたハンデイキヤツプに
対し、社会的配慮がなされることが、社会保障の原点といえる。
障害福祉年金は、一般の貧困世帯とはまた違つた特徴を持つ重度障害者層に対し
て、最低生活保障の一部としての役割をはたしているということができ、控訴人が
主張するように、障害福祉年金と児童扶養手当を併給することは、二重三重の保障
になるといつた余裕のある給付ではまつたくないことは、重度身障者層の生活実態
からして明白である。
(二) 子供をかかえた母子世帯の生活に、貧困状態を超えて極貧状態である。低
雇用・低収入・子供の育児等のため母親の三人に一人は健康を害しているという調
査結果がでている。こうした母子家庭において子供を育てるうえでは当時二一〇〇
円と額は少いとはいえ児童扶養手当(支給額は昭和四九年九月から児童一人の場合
月額九八〇〇円、第二子一には八〇〇円加算、第三子以下は四〇〇円加算)は欠く
ことのできないものといえる。
控訴人は児童の扶養のためには児童手当があると主張するが、わが国の児童手当制
度は昭和四七年一月から実施されたが、現在第三子以降の児童(義務教育終了前)
のみを対象に支給されることになつており、わが国において義務教育前の子供を三
人以上育てることのできる世帯はかえつて所得に余裕のある世帯が多いといわれて
おり、その意味では母子世帯にとつて児童手当を受給することの可能な世帯は極少
数に限られており、かかる実態からみても児童扶養手当が児童手当の役割を現実に
はたしていることが明らかである。
(三) 重度障害者母子世帯のハンデイはそれぞれのハンデイを単にプラスしたも
のをはるかに上まわるものである。こうした二つの事故が重なつた場合、その生活
実態は単なる倍加以上の劣悪な生活状況に陥つている。
(四) 身障者就中重度身障者母子世帯の生活実態は、(1)著しい貧困層あるい
は、いわゆるボーダーライン層に位置すること(2)従つてそこでは、生活保護受
給者といつた控訴人がいうように一方が「救貧」施策を求める階層であり、他方が
「防貧」施策を求める階層であるといつた明確な階層区分が可能ではなく、生活保
護や障害福祉年金や児童扶養手当等々によつてやつとの思いで生存を維持している
といつた方が実情に合致しており、そのことは、当時児童扶養手当額が僅か月額二
〇〇〇ないし三〇〇〇円といつた少額のものであつてもそれを受給する層に対する
影響は想像を絶するぐらい重大な意味をもつこと(3)更には単に経済的面のみで
なく生活全般にわたつて困難を強いられていること(4)特に被控訴人のごとく重
度身障者母子世帯は単に重度身障者世帯と母子世帯をプラスしたものというもので
はなく、生活困難の度合いは複合的に加重する。
本件併給禁止条項は、通常の生別母子世帯が本来受給できる権利を、母親が重度身
障者で、障害福祉年金の受給者であることを理由にその権利を奪い去ることであ
り、その生活実態をふまえてみれば、「併給を認めると二重三重の保障になる」と
いつた「やりすぎ論」が憲法一四条二五条の決意を全く無視した議論であることは
明白である。
7、控訴人主張の立法裁量論は誤りである。
控訴人は、公的年金制度の根拠規定たる憲法二五条がプログラム規定であり、(生
活保護基準の設定における裁量権の逸脱のばあいを除いて)同条に基づく立法施策
はすべて、立法府の裁量的判断に委ねられているということを前提とし、かかる前
提から憲法一四条の合理性の判断にあたつても立法府に巾広い裁量権を認め、「裁
量権の逸脱」があり、「著しく不合理であることが明白」でなければ、違憲の問題
は生じないと主張する。
しかし、控訴人のかかる憲法解釈は独自の所論であつて、一般的妥当性を有しない
ばかりでなく、かくては憲法一四条を実質上空文化してしまうものであつて、誤り
といわざるを得ない。また仮りに百歩譲つても、本件は「立法裁量権の逸脱」であ
り、「著しく不合理であることが明白」な立法であつて、憲法一四条に違反すると
断せざるを得ない。
立法権の行使が、立法府の権限に属し、その自由裁量に委ねられているとしても、
その権限は憲法四一条に由来するのであり、憲法の定めなり諸原則を離れてまで自
由勝手に立法する権限まで与えられているものではない。法の下の平等の原則は憲
法上の重要な原則の一つであり、かつ立法権自体、もともと憲法一四条〇制約下に
おいて委ねられているのであり、平等原則違反の立法をする権限は、立法府といえ
ども元来与えられていない(立法者拘束説)。その意味で、立法に当つて平等原則
を侵すことは、認める余地がない。それ故、平等原則違反の立法かなされたとき
は、それだけでその立法は権限の踰越(逸脱)として、違憲である。立法される分
野が、社会保障施策にかんするものだからといつて、平等原則の適用について、他
の諸分野においてより、広い裁量の余地を認めなければならないとする法的根拠は
存しない。
具体的にいつて、憲法二五条自体としては制度の立法その他について立法府に広い
裁量の余地を持たせていることを否定するものではないが、そのことと、ほぼ同等
の状態にある国民相互間に、(当該立法によつて)合理的でない差別を持ちこむこ
とが許されるか否かとは、全く別問題である。いいかえれば、年金や手当の制度を
創設するか否か、支給額をいかに定めるかが立法府の裁量事項だとしても、そのこ
ととは別の次元で、支給対象とされる国民と対象外とされる国民との間に、不合理
な差別が持ちこまれていないかどうかを憲法一四条の観点からテストしなければな
らない訳であり、このテストは憲法二五条の解釈論的立場がどうあろと、結論を異
にするものではない。
生存権の保障をめざす社会保障の諸施策は、その出発点において、社会的経済的不
平等をなくし、すべての国民に人間としての生活の面における実質的平等を実現し
なければならないという理想から出発したものであるから、仮りにも不公平、不平
等と見られる取扱いは許されない分野の問題である。仮りに立法裁量権を肯定する
としても、本件併給禁止条項は立法府の裁量権の範囲を逸脱した著しく不合理な立
法によるものであることが明白である。著しく不合理なことが明白か否かは、客観
的な根拠に基づいて、国民大多数をして容易に首肯せしめるに足る健全な法感覚に
よつて判断されなければならないのはいうまでもない。被控訴人のような全盲の母
が、ひとりで子供を育てることが、いかに困難かつ苦渋に満ちたものであるか、こ
のような状況を前提にする限り、同じ生別母子家庭という要件を満たしているにも
拘らず、手当を支給しないことは、単に月何千円かの収入を得られないというにと
どまらず、直接にその児童なり母親の生活をおびやかす。貧困層における社会保障
給付の不支給は、他の国民層におけるばあいにも増して、経済的に著しい打撃であ
り、その影響は深刻である。そしてこのことは、兵庫県議会が原判決を支持し、法
律改正を含む改善をおこなわれるよう強く要望する旨の決議をなし、兵庫県は原判
決後「児童養育見舞金支給要綱」を制定して、実質的に児童扶養手当の併給を認め
る措置をとり、国においても原判決後三カ月を経ずして併給禁止を一部撤廃する旨
発表し、法案作成、昭和四八年九月二六日法改正がなされた。その外、原判決には
圧倒的な国民世論の支持があり、京都府議会でも原判決支持の決議を採択し、多数
の学者の支持を得ている。このように原判決即ち本件併給禁止条項が違憲であるこ
との判旨は広汎な国民的支持を得ているのであるから、国民大多数の健全な法感覚
によつて、本件併給禁止条項は客観的に著しく不合理な差別扱いであることが明白
であるというに足りる。控訴人の前記主張は特異かつ常識に反する見解にもとづく
もので採用するに値しないというべきである。
第三、本件併給禁止条項は憲法一三条二五条に違反し、無効である。
一、憲法二五条の解釈
1、本条は単なるプログラム規定即ち国の政治的責務を規定したものではなく、生
存権の現実的な権利性を明確にしているものであり、具体的な裁判規範である。
敗戦直後の困難な経済社会事情のもとでは本条をもつてプログラム規定(最判昭二
三・九・二九食管法違反被告事件の傍論参照)であるとして、「健康で文化的な最
低限度の生活」の権利の実現が棚上げされたのはやむをえなかつたとしても、わが
国のその後のめざましい経済復興が実現した現在においては、そのように解すべき
ではない。本条による国民の権利は具体的な法的権利であり、いいかえれば、現実
的に法的効力を有する権利であり、本条は具体的な裁判規範であつて裁判による権
利侵害排除の法的根拠たり得るものである。判例も裁判規範性を否定してはいな
い。
2、本条一項は、国民が生存権「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有
することを保障し、その旨を総則的に明示し、二項はそれに基づいて国が努力すべ
き施策のうち重要な事項を具体的に列挙したものであつて、一、二項は一体不可分
の関係に立つものである。即ち二項は一項から生ずる国の当然の義務として、各種
の社会立法によつて国民の健康で文化的な生活を保障すべきこと(ナシヨナル・ミ
ニマム)を規定したもので両者は一体不可分の規定である。
これを具体的にいえば、国民年金や児童扶養手当の制度ないし立法が右二項の社会
福祉、社会保障、公衆衛生などの何れに属するにせよ、その趣旨内容は一項の趣旨
をふまえて、「健康で文化的な生活」を保障するに足るものでなければならないの
である。
「最低生活の保障」を直ちに公的扶助とだけ結びつけることはできない。「健康で
文化的な最低限度の生活保障」をするためには、貧困の状態に陥つてからの公的扶
助よりも、むしろ貧困の危険に対処するための社会保険の方が中心となるべきもの
であるし、また所得保障にとどまらず、医療や福祉サービスも含めた種々の施策を
講じることによつて、それらが総合されて、はじめて「健康で文化的な」生活を保
障することができるのである。
3、本条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」とは、「人間の尊厳にふさわし
い生活」(世界人権宣言二三条三項)を意味し、その具体的な内容は時と所によつ
て、ちがいうるけれども、それは単なる「最低限度の生活」を意味するに過ぎない
ものではなく、「健康で文化的」ということが生活保障水準として設定されている
のである。
生存権の内容は、(1)国がすべての国民に人間の尊厳にふさわしい生活を保障す
ること、そして、(2)それは同時にすべての国民の間の実質的平等(同様のニー
ドにあり、同様の資格要件をみたす人々(人々の階層)は社会保障制度において同
じように扱われるべきであるということ)の実現を図るべきことを意味している。
また(3)本条一・二項の具体化として実現された水準を後退ないし奪われない、
あるいは後退させたり奪つたりしてはならないということである。
4、社会保障制度を論じるにあたつては、その全体を通ずる原則として、常に実質
的平等ないし公平の原則(憲法二五条の規範的内容をなしている原則である)に適
合しているか否かを検討しなければならない。一局面の問題である、あるいは他の
諸制度があるということは、右の原則をないがしろにしてもよい理由とはならな
い。控訴人は、「最終的には救貧的な生活保障の制度が設けられている」ことをほ
とんど唯一の根拠として、併給禁止の平等原則違反の有無の検討を避けようとする
のであるが、かかる考え方は、社会保障における平等原則についての無理解に基づ
くものであり、完全に誤つている。
二、本件併給禁止条項と憲法二五条
1、憲法二五条の解釈として、国が国民の生存権実現に障害となるような行為を自
ら行なうことは、同条違反として、是正の措置が講じられねばならない。国がすで
に立法によつて、一定水準(その高低を問わず)の生存権保障施策を具体化してい
るばあいに、それにも拘らず国民のある部分について、正当な理由なく施策の対象
から除外したり、より劣悪な処遇をしたりすることは、憲法二五条違反である。
一 定の所得水準以下の状態にある母子家庭の児童や、身体障害者に対して、児童
扶養手当や障害福祉年金を支給するのは、まさに憲法二五条の命ずるところによ
る。にもかかわらず、他の理由によるわずかな公的年金を受給しているという一事
でもつて、その者に年金や手当の支給を全面的に拒否することは、国民年金法や児
童扶養手当法の実現しようとする目的に反し、これらの支給を必要とする母子家庭
や障害者の生活実態に照らして、憲法二五条の命ずるところに反する。
2、母子家庭や障害者の生活実態に照らし、公的年金や児童扶養手当の支給を必要
とすることは明白であるのに、僅かな公的年金を受給しているという一事をもつて
年金や手当の支給を拒否することは、すでに形成されている一定水準の生存権保障
施策から落ちこぼれさせることであり、国民の間の実質的平等追求実現に逆行して
事故のない者との間の格差を固定させ、人間としての尊厳を傷つけるものであつ
て、明らかに憲法二五条に違反する。
3、わが国の生活保護制度は、生活保護それだけで最低生活保障の役割を果たして
いるとは到底いい難い現状であり、不十分ではあるが、年齢や手当の支給と相まつ
て、相互補完することによつて、はじめて最低生活の保障がなされるものであるか
ら、これらの併給を禁止することは児童扶養手当の支給が最低生活保障の一手段で
あることを無視するもので憲法二五条に反し、立法裁量権の範囲を逸脱するもので
ある。
第四、義務づけ訴訟について
一、被控訴人は、「控訴人が児童扶養手当の受給資格を有する旨の認定をしなけれ
ばならない」との請求をしているのであるが、これに対し、原判決は、「右請求は
控訴人に対し、作為を求めるものであるが、それは行政庁が行政権を発動するに際
して有する第一次的判断の権限を侵害するものであるから、三権分立の原則に反す
るものであつて、現行法上許されない訴えであるとして、被控訴人の右請求を不適
法却下している。
しかしながら、義務づけ訴訟に関しては、行政庁の給付義務が一義的に裁量の余地
がない程明瞭であつて、その第一義的判断権を留保する必要がなく、かつ個人の権
利が侵害される場合には許容されるとするのが判例学説の動向である。なお、ドイ
ツ行訴法一一三条四項では、事案が成熟しているときは、裁判所は義務づけ判決を
するとされているが、「当該行政処分をするための法律要件の全部が具備するとき
覊束処分において、事案が成熟する」と解されている。
本訴においては、児童扶養手当の認定請求をなした被控訴人が受給資格を有するか
否か、並びに手当の受給額については、それぞれ児童扶養手当法四条五条によつ
て、いずれも明瞭であり、控訴人の裁量を入れる余地は全くなく、また、認定がな
いことにより、被控訴人の手当の支給を受ける権利が侵害されていることは明白で
ある。
二、本訴で争いの対象となつているのは、本件却下処分の適否であり、却下理由の
適否でないことは処分時に示されなかつた処分の適法理由を訴訟段階で主張するこ
とについて制限がないことにより明らかである。そうすれば、控訴人としては、処
分の適法であることを立証すべき立場にあり、本件併給禁止条項以外の障害規定に
該当する事実があれば、当然控訴人としては主張すべきである。
しかるに、取消判決後、別の理由で、再度同一の処分を行うことを認めるのに、初
禦の手段をつくさなかつた控訴人に不当な利益を与える結果となるばかりでなく、
裁判が、事件の最終的解決には何ら役立たないということになつてしまう。
手当の受給資格について、同法四条により、手当の額については、同法五条により
一義的に決しうるのであるから、本件却下処分が取消された以上は控訴人は認定処
分をなすべき拘束をうけ、裁量の余地は全くない。したがつて裁判所が被控訴人の
右請求を認容し義務づけ判決をしたとしても、控訴人の第一義的判断権を侵害した
ということにはならない。
被控訴人は、児童扶養手当法四条一項一号に該当する児童を養育している母である
ことは明らかであり、他に同条二項三項に規定する障害事由に全くない。而も被控
訴人が、同法九条に定める所得額を越えていないことも証拠上明白である。

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