弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決及び第一審判決を破棄する。
     被告人は無罪。
         理    由
 弁護人下地裕の上告趣意は、憲法違反、判例違反をいうが、その実質は、単なる
法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
 しかしながら、所論にかんがみ職権により調査すると、原判決及び第一審判決は、
以下の理由により破棄を免れない。
 一 原判決及びその是認する第一審判決の認定によると、被告人は、昭和五九年
一〇月一〇日午後八時一五分ころ、業務として普通乗用自動車(以下「被告人車」
という。)を運転し、沖縄県沖縄市ab番地先国道三二九号線(直線の四車線道路)
の左側部分第二通行帯をc方面(北方)からd交差点方面(南方)に向かい時速約
四〇キロメートルで進行中、被告人車が進行中の右第二通行帯を無灯火のまま対向
進行して来たA(当時二九歳)運転の普通乗用自動車(以下「A車」という。)を
前方約七・九メートルに迫って初めて発見し、急制動の措置を講じたが及ばず、同
車右前部に自車右前部を衝突させ、その結果、同日午後一〇時ころ同人を胸腔内大
量出血に基づく呼吸循環不全により死亡させたというのである。
 二 本件においては被告人の過失の有無が争点であるところ、第一審判決は、被
告人には前方不注視の過失があったとし、原判決は、次の理由により、第一審判決
を是認した。(1)被告人は、第一通行帯への進路変更を予定して左前方に気を奪
われ、前方注視を欠いていた。(2)A車は衝突地点から約四〇・一メートル南方
の地点で既に中央線を越えて被告人車が進行中の右第二通行帯を進行しており、被
告人が前方を注視していれば、少なくとも被告人車の前方約二四・五メートルない
し三〇メートルの地点にA車を発見できた。(3)A車の速度を、被告人に最も有
利に、時速三五キロメートルとし、被告人車の速度を時速四〇キロメートル、被告
人がハンドルを進行方向左方に切って衝突を回避するのに必要な時間を〇・九秒と
すると、被告人がA車を確認して同車との衝突を避けるためには、両車両の間に少
なくとも一八・七四メートルの距離が必要である。(4) 衝突時、A車はその進
行方向に対しやや左方に向いていた上、事故当時現場付近の被告人車の進路左側の
第一通行帯には走行中の車両や駐車車両がなかったことは被告人の自認するところ
であるから、被告人において前方を注視していたならば、A車が被告人車の前方一
八・七四メートルに接近するまでにこれを発見し、進行方向左方へハンドルを切る
ことにより、A車との衝突を回避できたことは明らかである。
 三 右のとおり、原判決は、被告人が、一八・七四メートルに接近するまでにA
車を発見することができ、同車を発見した後進行方向左方へハンドルを切ることに
より本件事故を回避できたとするが、進行方向左方へハンドルを切ることにより回
避が可能であるというためには、被告人において回避措置を採るべき時点で、A車
がそのまま直進するのかあるいは左右いずれかに進路を変更し回避の措置を講ずる
のかなど、同車の進路を予測することが可能でなければならない。しかしながら、
本件においては、A車は、衝突の直前に至るまで、前照灯を点灯して進行中の被告
人車に気付いた様子もなく、被告人車の進行車線を無灯火で逆行するという異常な
行動を採っているため、対向車の運転者としては、A車がいつどのような行動に出
るかを判断できず、Aが衝突の危険を察知した場合にろうばいの余りかえって危険
な行動に出る可能性すら懸念されるところである。しかも、原判決が判示するよう
に、被告人車の時速は四〇キロメートル、A車の時速は三五キロメートル、視認可
能距離は約二四・五メートルないし三〇メートルであったとするならば、視認可能
となった時点から衝突までは約一・二秒ないし一・四秒しかなく、警音器を吹鳴す
るなどしてAの注意を喚起する時間的余裕のなかったことも明らかであって、結局、
被告人において原判決が視認可能とする地点で直ちにA車を発見し、これを注視し
ていたとしても、同車のその後の進路を予測することは困難であるというほかはな
い。まして、夜間、無灯火で自車の進行車線を逆行して来る車両があるなどという
ことは通常の予測を超える異常事想であって、突如自車の進路上に対向車を発見し
た運転者の驚がく、ろうばいを考慮すれば、到底、右約一・二秒ないし一・四秒の
間に回避が可能であるなどといえないことも、経験則上明らかである。もっとも、
被告人車及びA車と同車種の車両を使用した原審鑑定人Bの実験結果によれば約五
九・九メートルの距離で対向車をはっきり視認できたというのであるが、その場合
でも右速度で進行した場合の衝突までの時間は約二・九秒にすぎず、記録によれば
Aは当時血液一ミリリットル当たり一・七三ミリグラムという相当多量のアルコー
ルを身体に保有していたことが認められ、同人に状況に応じた適切な措置を期待し
難いことをも考慮すると、右距離でA車を発見してその動向を注視するとともに、
警音器を吹鳴するなどAの注意を喚起する措置を併せて講じたとしても、必ずしも
A車の進路の予測が可能となったとはいえず、被告人において本件事故を確実に回
避することができたとはいえない。
 四 以上のとおり、被告人において前方注視を怠っていなければ本件事故を回避
することが可能であったとはいえず、また、他に被告人に注意義務違反があったと
も認められないから、本件事故につき被告人に過失があったとはいえない。したが
って、その余の点について判断するまでもなく、被告人に前記過失があるとした第
一審判決及びこれを是認した原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令違反ないし
重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められ
る。そして、本件については、既に第一、二審において必要と考えられる審理は尽
くされているので、当審において被告事件について更に判決するのが相当である。
 よって、刑訴法四一一条一号、三号により原判決及び第一審判決を破棄し、本件
公訴事実については犯罪の証明がないから、同法四一三条ただし書、四一四条、四
〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 検察官杉原弘泰 公判出席
  平成四年七月一〇日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    大   西   勝   也
            裁判官    藤   島       昭
            裁判官    中   島   敏 次 郎
            裁判官    木   崎   良   平

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