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平成21年(行ウ)第20号休業補償不支給処分取消請求事件
判決
主文
1広島中央労働基準監督署長が原告に対して平成19年11月15
日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給し
ない旨の処分を取り消す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項と同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,業務に起因して精神障害を発病し,休業を余儀なくされた
として,処分行政庁に対し,労働者災害補償保険法に基づき,休業補償給付の
支給を請求したところ,これを支給しない旨の処分を受けたので,その取消し
を求める事案である。
1前提事実(当事者間で争いがないか又は弁論の全趣旨及び後掲の証拠により
容易に認定できる事実)
(1)原告(昭和24年5月25日生)は,昭和43年3月,A工業高等学校土
木科を卒業し,同年4月,株式会社B(以下「B」という。)に入社して,広
島支店土木部工事課に配属された(乙1)。
(2)原告は,平成元年1月,C株式会社(以下「C」という。),B,株式会社
D,株式会社E及びF株式会社(以下「F」という。)の5社によるJV(共
同企業体)がG株式会社(以下「G」という。)から受注したb発電所(島
根県a市b町所在)護岸工事(以下「b発電所護岸工事」という。)の工事
事務所副所長に就くことを命じられた。このJVの代表企業はCであった。
なお,原告の同工事におけるB内部での地位は,B工事事務所の所長であっ
た。
さらに,原告は,平成7年10月,B,H株式会社(以下「H」という。),
株式会社I,F及びJ株式会社の5社によるJV(共同企業体)がGから受
注したc発電所(広島県豊田郡c’町所在)の桟橋工事(以下「c発電所桟
橋工事」という。)の工事事務所所長に就くことを命じられ,b発電所護岸
工事の工事事務所副所長と兼務することとなった。なお,発注者であったG
の責任者は,次長のKであった。
(3)c発電所桟橋工事は,平成8年7月に着工した。
(4)原告は,平成9年1月27日及び同年2月2日に自死を図ったものの,
未遂に終わり,医療機関において,「うつ状態」と診断され,その後,他の
医療機関において,「躁うつ病」ないし「双極性感情障害」(以下「本件疾
病」という。)と診断された。
(5)原告は,処分行政庁に対し,平成18年12月1日,本件疾病が業務に
起因するものであり,療養のため労働することができなかったと認められる
期間を平成18年10月1日から同月31日までの31日間として,休業補
償給付の支給を請求したところ,平成19年11月15日付けで,本件疾病
は業務上の事由によるものとはいえないとして,休業補償給付を支給しない
旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けた(乙1)。
(6)原告は,広島労働者災害補償保険審査官に対し,平成19年11月21
日,審査請求をしたものの,平成20年2月1日付けで,これを棄却する旨
の決定を受けた(乙1)。
さらに,原告は,労働保険審査会に対し,平成20年3月12日,再審査
請求をしたものの,平成21年2月25日付けで,これを棄却する旨の裁決
を受けた(甲2,乙1)。
(7)原告は,平成21年8月10日,本件処分の取消しを求めて本件訴えを
提起した。
2争点
原告の本件疾病が業務に起因するものであるか否か
3争点に関する当事者の主張
【原告の主張】
(1)業務起因性の判断基準
労働者災害補償制度は,生存権(憲法25条)及び勤労の理念(同法27
条)に基づく救済制度であるから,業務と疾病との因果関係(業務起因性)
の有無の判断にあたっては,民事の損害賠償制度における因果関係よりも緩
やかに解釈すべきであり,当該疾病の発病が業務の唯一の原因である必要は
なく,業務上の何らかの原因が他の原因と共同の原因となって生じた場合に
は,業務起因性を肯定できる。
そして,精神障害と業務との因果関係(業務起因性)については,環境由
来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神破綻が生じるという
「ストレス-脆弱性理論」を前提とすると,精神障害発病前の業務内容及び
生活状況,これらが労働者に与える心理的負荷の有無及び程度並びに当該労
働者の基礎疾患などの身体的要因や精神障害に親和的な性格等の個人的な
要因などを具体的かつ総合的に考慮し,医学的知見に照らして,社会通念上,
当該業務が労働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり,これによ
って,当該業務に精神障害を発病させる一定程度以上の危険性が存在する場
合には,業務起因性を肯定することができるというべきである。そして,精
神障害を発病させる一定程度以上の危険性の有無は,同種労働者(職種,職
場における地位や年齢,経験などが類似するもので日常業務を遂行できる健
康状態の者)の中で,その性格傾向が最も脆弱である者を基準として判断さ
れるべきである。
(2)本件疾病における業務起因性の有無
ア原告は,c発電所桟橋工事が着工して以降(平成8年7月以降),同工
事の工事事務所所長とb発電所護岸工事の工事事務所副所長を兼務して
いたところ,b発電所護岸工事を進める中で,次の(ア)ないし(カ)のとおり,
過度の業務上の負荷を重畳的に受け,心身の疲弊が積み重なっていたとこ
ろ,平成9年1月,次の(キ)のとおり,非常に重大な仕事上のミスが発生
し,そのフォローに困憊した結果,同月ころに本件疾病を発病し,その後,
同月27日及び同年2月2日の二度にわたって自死を図ったものである。
(ア)引っ越し及び単身赴任に伴う負荷
原告は,平成元年1月にb発電所護岸工事の工事事務所副所長に就く
ように命じられて以降,島根県a市b町に単身赴任していたところ,平
成8年7月にc発電所桟橋工事が着工すると同時に,同工事現場(広島
県豊田郡c’町所在)近くの宿舎に引っ越して,単身赴任した。
このような引っ越し及び単身赴任が,原告の心身に対する負荷となっ
たことは否定できない。
(イ)所長としての勤務に伴う負荷
a原告は,b発電所護岸工事において工事事務所の副所長の経験はあ
ったものの,c発電所桟橋工事において,初めて,工事事務所の所長
に就任した。
所長としての勤務は,副所長としての勤務と比べて,権限や責任の
点において格段の相違があり,特に工期(納期)の管理についての責
任は重大であった。
c発電所桟橋工事は,建設業界内では,BではなくCが受注するも
のと予想されていたところ,予想に反してBを代表企業とするJVに
特命発注されることなった。そのため,建設業界内では,この受注が
Gの幹部への営業活動(接待)に勤しんでいた原告の仕業として,受
け止められ,関心を集めていた。
原告は,このような状況の中で,初めて所長の重責を担うことにな
り,相応の負荷を受けていた。
bまた,原告は,所長として,c発電所桟橋工事の工事現場近隣の関
係者への対応を余儀なくされた。
原告は,c’,竹原市又は尾道市に在住するという者から,「島に
発電所を作るのだから地元の者を工事に参加させるべきだ」,「地元
は公害を我慢させられる」,「車両の通行を我慢させられる」などと
言われ,工事関係の仕事を引き受けさせるよう要求された。
原告は,これらの要求に安易に応じるわけにはいかない反面,大き
な問題を生じさせることも回避しなければならず,毎回,録音レコー
ダーをポケットに忍ばせて,上記の者らと面会,折衝し,緊張を常に
強いられた。
原告が,このような近隣問題への対応に緊張を強いられたのは,c
発電所桟橋工事の現場が初めてであった。
(ウ)c発電所桟橋工事の現場組織の脆弱性に伴う負荷
c発電所桟橋工事は,陸上工事とは異なる特有の知識と経験が要求さ
れる海洋工事であったところ,その現場組織は,所長であった原告を含
む合計12名(土木職員5名,事務職員3名,設計担当職員3名,安全
担当職員1名)の体制であった。
c発電所桟橋工事の現場組織は,副所長と工事課長が兼務となってお
り,本来必要な人員が不足していた。
また,副所長兼工事課長であったLは,海洋工事の経験が乏しかった
上に,Bの従業員ではなかったことから,現場での実働は期待できず,
工務課長であったMも,設計業務の担当者であり,現場における工事施
工業務の実働を期待できなかった。工事課長であったNは,Bの従業員
であり,工事の進ちょくに関わって現場で実働が期待できたものの,海
洋工事の経験が全くなく,知識も十分ではなかった。
このように,c発電所桟橋工事の現場組織は,現場での実働を期待で
きる人員が不足していた上に,海洋工事の経験者を欠いており,工事の
施工が困難であった。原告は,このような脆弱な現場組織に非常に強い
不安を感じており,心身に対する負荷となった。
(エ)c発電所桟橋工事自体の困難さ(過大なノルマ)に伴う負荷
c発電所桟橋工事は,c発電所で使用する石炭を荷揚げする桟橋等を
築造する工事であった。同工事においては,桟橋等を設置するために,
合計301本の杭を打設する必要があった。
同工事の着工前に策定された工事計画では,平成8年10月に試験杭
の打設を開始し,平成9年4月末までの約6ヶ月間で,杭の打設を含む
下部工工事を完了させることになっており,概ね1日当たり2本のペー
ス(1か月の稼働日数を25日と仮定した場合)で打設することになっ
ていた。しかし,1日当たり2本のペースで杭の打設を行うことは,現
実的に著しく困難であった。
原告は,上記のとおり,達成が著しく困難な工事計画(工程)の実
施を課されており,非常に過大なノルマを負っていた。
(オ)工事の遅れに伴う負荷
ac発電所桟橋工事の工事現場では,平成8年10月に試験杭が打
設された後,本設の杭の打設作業が開始された。
杭の打設作業開始から約1か月後の同年11月末時点において,
打設が完了した杭の本数は22本にとどまり,当初の計画(1日当
たり2本)とはかけ離れた遅いペース(実働28日間で22本)で
あった。同年12月時点においては,そのペースはさらに遅くなっ
た(3ないし4日当たり1本)。
作業の遅延を解消するため,ガンパイラー(水ジェットを併用し
ながら,振動杭打ち機によって鋼材を岩盤中に直接打設・貫入させ
る重機)を大きくするなどの対策が実行されたものの,その効果は
なかった。
また,この当時,杭の打設作業は,一つの杭打船団によって行わ
れており,打設のペースを上げるためには杭打船団を増設する必要
があった。しかし,杭の打設作業の現場付近では,杭の打設作業に
併行して,Cが浚渫工事を行っており,同工事のためにシルトプロ
テクター(浚渫により生じる汚濁の防止膜)が設置されていたこと
から,シルトプロテクターの内側で杭打船団が作業するためには,
シルトプロテクターの開閉やシルトプロテクター内で作業するCの
浚渫船との調整などCの協力が必要不可欠であったが,Cの協力は
得られず,杭打船団の増設は見込めない状況であった。
原告は,杭の打設作業の遅れが深刻となっていく一方で,その遅
れを解消する有効な対策を見出せない状況に追い込まれており,心
身に大きな負荷を受けていた。
b原告は,Kに対し,工事の進ちょく状況を報告しなければならず,
Kから,連日,工事の遅れ(杭の打設作業の遅れ)について責めら
れ,「お前はくびだ」,「部長を呼べ」,「支店長を呼べ」などと
罵倒された。
また,上記aのとおり,杭の打設作業の遅れは一向に解消されな
かったことから,原告は,Kから,叱責,罵倒を受け続けた。
原告は,このようなKからの叱責,罵倒によって,恒常的に緊張
を強いられ,精神的に疲弊していた。
c杭の打設作業の遅れに伴って,原告ら工事事務所のスタッフは,
所定の労働時間(朝8時から夕方5時)をはるかに超えて勤務して
いた。
また,原告ら工事事務所のスタッフは,プレハブ造りの宿舎に寄
宿し,夕食は賄いの者が作り置きした食事をとり,朝食は前日に準
備された食事を温め直してとるという生活をしていたところ,原告
やLは,朝食の準備(みそ汁を温め直して配膳する)もしていた。
そのため,原告は,通常,夜12時過ぎに就寝し,朝は午前6時半
ころに起床していたが,短いときには睡眠時間は4時間程度であっ
た。
原告は,このような長時間労働により,身体的な負荷を受けてい
た。
(カ)職務の兼務に伴う負荷
c発電所桟橋工事の工事事務所は,土曜日及び日曜日が休日であっ
た。しかし,原告は,b発電所護岸工事の副所長を兼務しており,下
請業者への代金支払に関する書類の決裁などの同工事に係る業務を,
土曜日ないし日曜日に行う必要があった。
そこで,原告は,金曜日の夜間に,フェリーと自動車でc発電所桟
橋工事の工事事務所からb発電所護岸工事の工事事務所へと移動し,
土曜日に,b発電所護岸工事の工事事務所で就業し,日曜日に,自動
車でb発電所護岸工事の工事事務所から広島市d区eにある自宅へと
移動し,着替えなど身の回りのものを整理するなどして,月曜日の早
朝5時30分ころに自宅を出発し,午前7時30分ころにc発電所桟
橋工事の工事事務所に出勤していた。b発電所護岸工事の工事事務所
での業務が,土曜日だけでなく日曜日にも及んだ場合には,原告は,
月曜日の早朝に,自宅に短時間立ち寄っただけで,c発電所桟橋工事
の工事事務所に出勤していた。
また,c発電所桟橋工事の工事事務所からb発電所護岸工事の工事
事務所までは,フェリーと自動車を用いても片道約4時間を要し,特
に,積雪や路面の凍結する冬場(12月や1月)は,片道約6時間を
要し,自動車の運転にも緊張を強いられた。
さらに,c発電所桟橋工事及びb発電所護岸工事の発注者であった
Gとの関係で,両工事の現場長を兼務することは禁止されていたので,
原告は,Kに対し,両工事の現場長を兼務していたことを秘密にして
いた。そのため,原告は,Kがc発電所桟橋工事の現場を離れた後に,
移動を開始しなければならず,その分,到着が遅れることもあった。
原告は,このような兼務状況の中で,休息を満足にとることができ
ず,心身共に疲弊していた。
(キ)工事のミスに伴う負荷
ac発電所桟橋工事には,石炭を荷揚げする桟橋を築造する工事の
ほかに,重量物を積み降ろしするための桟橋(以下「重量物物揚桟
橋」という。)及びこれと陸地とをつなぐ連絡橋(橋台及び橋脚等
から構成される。以下「連絡橋」という。)を築造する工事も含ま
れていた。
重量物物揚桟橋及び連絡橋を築造するために必要な杭の打設は,
平成8年11月27日に完了した。これと並行的に,連絡橋の橋台
部分にある杭の上から備え付ける鉄筋の組立作業が行われていたと
ころ,原告は,Nから,平成9年1月中旬ころ,同作業が終了した
旨の報告を受けた。
報告を受けた原告が鉄筋組立ヤードに赴いて状況を確認したとこ
ろ,組み立てられた鉄筋のうち,杭を貫通させるための開口部(ク
リアランス)が設けられた辺りの鉄筋(主要構造配筋,以下「主筋」
という。)及び開口部の周りの強度を補うためにその周りを囲むよ
うに斜めに組まれた鉄筋(斜め筋。これも主筋)が,8か所の開口
部周辺すべてにおいて,設計上は切断することになっていなかった
にもかかわらず,ガス溶断されていた(以下,このミスを「主筋切
断ミス」という。)。
連絡橋は,重量物を積載した車両が通行するための橋であったこ
とから,連絡橋を支える鉄筋コンクリート造の橋台には十分な支持
力が要求されていた。それにもかかわらず,切断してはならない鉄
筋の一部を切断し,常温で加工されなければならない材料である鉄
筋をガス溶断したことによって,橋台の支持力に大きな影響を与え
たことは明らかであるから,連絡橋の築造工事としては非常に重大
なミスであった。
b原告は,Mとの間で,主筋切断ミスについて,補強筋の増設によ
る対応策を策定した上で,Kに対し,報告,謝罪をし,対応策につ
いて了承を求めた。Kは,原告に対し,「部長を呼べ」,「支店長
を呼べ」などと言って,強く叱責した。これに対して,原告は,頭
をバッタの様に下げ続け,土下座までして謝罪をし,その結果,K
は,最終的に上記対応策を了承した。
c原告は,主筋切断ミスという重大な工事ミスの発生及びそれに対
する屈辱的な対応を余儀なくされたことによって,非常に強い心理
的負荷を受け,所長としての職責への自負心(プライド)や自信,
施工を工期に間に合わせようとの気概を完全に喪失した。
イ他方,原告は,本件疾病発病当時,夫婦仲は良好であり,家族や親族
の出来事によって心理的負荷をもたらす事情はなく,その他金銭問題等
もなく,業務以外の心理的負荷はなかった。また,原告は,仕事に前向
きで自信を持って臨んでおり,仕事ぶりについてはBの社内での評価も
高く,およそ精神的疾患に罹患しているような状況はなく,精神障害を
発病するような個体側要因もなかった。
ウこのように,原告が受けた業務上の心理的負荷が極めて強いものであ
り,他方で,原告に精神障害を発病させる危険のある業務以外の心理的
負荷や個体側要因がなかったことからすれば,上記(1)の判断基準に照ら
して,本件疾病が業務に起因するものであることは明らかである。
したがって,本件疾病の業務起因性を否定した本件処分は,違法であ
る。
【被告の主張】
(1)業務起因性の判断基準
ア業務起因性の意義
業務上の疾病であるとして労働者災害補償保険法に基づく休業補償給
付を受けるためには,労働基準法76条及び75条2項所定の事由があ
ることが必要である(労働者災害補償保険法7条1項1号,12条の8
第2項)。本件においては,本件疾病が,「その他業務に起因すること
の明らかな疾病」(労働基準法施行規則(平成22年5月7日厚生労働
省令第69号による改正前のもの。)別表第1の2第9号。以下,同じ。)
に該当するかが問題となる。
労働基準法による災害補償制度は,使用者の過失の有無を問わず,業
務上の傷病による労働者の損失を使用者が負担することを義務付け,刑
罰をもって使用者に対しその履行を強制している。このような災害補償
制度は,労働者が,従属的労働契約に基づいて使用者の支配監督下にあ
ることから,労務の提供をする過程において,業務に内在する危険が現
実化して傷病が引き起こされた場合には,使用者は,その傷病の発病に
ついて過失がなくても,その危険を負担し,労働者の損失の填補に当た
るべきであるとする危険責任の考え方に基づくものである。このような
災害補償制度の趣旨にかんがみれば,精神障害の業務起因性を肯定する
ためには,当該精神障害が業務によって生じたという条件関係だけでな
く,相当因果関係が肯定される必要があるというべきである。
条件関係を肯定するためには,「ストレス-脆弱性理論」を前提とし
て,業務上の一定以上の大きさを伴う客観的に意味のあるストレスが精
神障害の発病に寄与しており,当該ストレスがなければ精神障害は発病
していなかったとの関係が,高度の蓋然性をもって認められる必要があ
る。また,相当因果関係を肯定するためには,(a)当該業務による負荷が,
平均的な労働者,すなわち,日常業務を支障なく遂行できる労働者にと
って,客観的に精神障害を発病させるに足りる程度の負荷であると認め
られること(危険性の要件),(b)当該業務による負荷が,その他の業務
外の要因に比して相対的に有力な原因となって,当該精神障害を発病さ
せたと認められること(現実化の要件)が必要である。
イ判断指針
当時の労働省(現在の厚生労働省)は,業務によるストレスを原因と
して精神障害を発病し,あるいは自殺したとして労災保険給付請求が行
われる事案に対して,迅速適正に対処するための判断のよりどころとな
る一定の基準を明確化すべく,平成9年12月に,精神障害等の労災認
定に係る専門検討会を設置し,精神医学,心理学及び法律学の専門家に,
専門的見地からの検討を依頼した。
労働省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上
外の判断指針について」(平成11年基発第544号)(以下「判断指
針」という。)は,上記専門検討会の報告書を踏まえ,信頼すべき医学
的知見に基づき策定されたものであり,業務起因性の判断は,この判断
指針に依拠すべきである。
判断指針は,対象疾病を国際疾病分類第10回改訂版(ICD-10)
第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害とし,(a)対象疾
病に該当する精神障害を発病していること,(b)対象疾病の発病前おおむ
ね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務
による強い心理的負荷が認められること,(c)業務以外の心理的負荷及び
個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないことという
3つの要件をいずれも満たす精神障害を,労働基準法施行規則別表第1
の2第9号に該当する疾病として取り扱うこととしている。そして,業
務による心理的負荷の強度については,別表1「職場における心理的負
荷評価表」(以下,単に「別表1」という。)に基づき,当該精神障害
の発病に関与したと認められる「出来事」(突発的事件という意味では
なく,ある変化(緩徐であってもよい。)が生じその変化が解決あるい
は自己の内部で納得整理されるまでの一連の状態を意味する。以下同
じ。)の心理的負荷の強度を「Ⅰ」(日常的に経験する心理的負荷で一
般的に問題とならない程度の心理的負荷)から「Ⅲ」(人生の中でまれ
に経験することもある強い心理的負荷,なお,「Ⅱ」は「Ⅰ」と「Ⅲ」
の中間に位置する心理的負荷)のいずれかに評価し,その上で,心理的
負荷の強度を修正する視点に基づいて「Ⅰ」ないし「Ⅲ」の位置づけを
修正する必要がないかを検討し(なお,出来事の発生以前から続く恒常
的な長時間労働,例えば所定労働時間が午前8時から午後5時までの労
働者が,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っている
ような状態等が認められる場合には,それ自体で,心理的負荷の強度を
修正する。),その出来事に伴う変化等に係る心理的負荷がどの程度加
重であったかを,仕事の量,質,責任,裁量性,職場の人的・物的環境,
支援・協力体制等について検討して,業務による心理的負荷の強度を
「弱」,「中」,「強」のいずれに該当するかを総合評価する。上記(b)
の「客観的に精神障害を発生させるおそれのある程度の心理的負荷」と
は,この総合評価が「強」とされる場合であり,具体的は,(a)出来事の
心理的負荷が強度「Ⅲ」で,出来事に伴う変化等が「相当程度過重な場
合」,(b)出来事の心理的負荷が「Ⅱ」で,出来事に伴う変化等が「特に
過重な場合」である。ここで,「相当程度過重な場合」とは,同種の労
働者(職種,職場における立場や経験等が類似する者)と比較して業務
内容が困難で,業務量も過大である等が認められる状態をいい,また,
「特に過重」とは,同種の労働者と比較して業務内容が困難で,恒常的
な長時間労働が認められ,かつ,過大な責任の発生,支援・協力の欠如
等特に困難な状況が認められる状態をいう。なお,業務による心理的負
荷の強度は,基本的には上記により総合評価されるが,例えば次の事実
が認められる場合,すなわち,極度の長時間労働,例えば数週間にわた
り生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働
により,心身の極度の疲弊,消耗を来し,それ自体がうつ病等の発病原
因となるおそれのあるとの事実が認められる場合には,上記にかかわら
ず,総合評価を「強」とすることができる。そして,業務以外の心理的
負荷の強度については,別表2「職場以外の心理的負荷評価表」(以下,
単に「別表2」という。)に基づき評価し,また,個体側の心理面の反
応性,脆弱性を評価するため,精神障害の既往歴,性格傾向等について
評価し,それらが客観的に精神障害を発病させるおそれがある程度のも
のと認められるか否かを検討する。
なお,業務による心理的負荷の総合評価が「強」とならなければ,そ
もそも客観的に精神障害を発病させるおそれがある程度とはならないの
であり,業務以外の心理的負荷も特段認められず精神障害を発病したの
であれば,「ストレス-脆弱性」理論によって,その原因は,形に現れ
ない脆弱性という個体側要因が大きいものと理解される。
(2)本件疾病における業務起因性の有無
ア対象疾病該当性について
原告は,平成9年1月ころ,本件疾病(躁うつ病,双極性感情障害)
を発病したところ,本件疾病は,判断指針の対象疾病に該当する。
イ業務による心理的負荷の強度について
後記(ア)ないし(エ)のとおり,本件疾病の発病に関与したと認められる
業務上の出来事の心理的負荷の強度は,いずれも「Ⅰ」ないし「Ⅱ」で
あり,これらの出来事に伴う変化等に係る心理的負荷は,いずれも「相
当程度過重」とはいえないから,別表1に基づく業務による心理的負荷
の総合評価は「強」とはならない。
また,判断指針は,生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できな
いほどの極度の長時間労働が認められる場合などには,別表1によらず
業務による心理的負荷の総合評価を「強」としているものの,後記(オ)
のとおり,原告に恒常的な長時間労働があったとはいえないから,この
点からも,総合評価は「強」とはならない。
したがって,原告について,客観的に当該精神障害を発病するおそれ
のある業務による強い心理的負荷があったとはいえない。
(ア)工事のミスに伴う負荷
a心理的負荷の強度について
主筋切断ミスは,別表1の「会社にとっての重大な仕事上のミス
をした」に該当するので,その平均的な心理的負荷の強度は「Ⅲ」
となる。
しかしながら,上記【原告の主張】(2)ア(キ)aとは異なり,主筋
切断ミスは,切断してはならない主筋を切断したものではなく,杭
開口部(クリアランス)にはみ出していた主筋の端部をガス溶断し
たものにすぎない(なお,鉄筋をガス溶断すると強度が落ちるが,
鉄筋の端部をガス溶断した場合には,それが構造的に大きな欠陥に
なるとは限らない。)。
原告は,Kに対し,主筋切断ミスの発覚後,比較的短期間のうち
に報告をし,その1回の報告によって補強筋による対応策が了承さ
れており,また,Bの本社及び広島支店には主筋切断ミスについて
報告がされておらず,原告が責任を問われることもなかった。これ
らのことからすれば,主筋切断ミスは,発注者側との現場レベルで
の協議により解決を図ることができた程度の問題であった。
これらの事情を考慮すれば,主筋切断ミスは,重大なミスであっ
たとはいえず,その心理的負荷の強度を「Ⅱ」に修正するのが相当
である。
b出来事に伴う変化等に係る心理的負荷について
上記aのとおり,主筋切断ミス発覚後,短期間のうち,1回の説
明によって,対応策が了承され,現場レベルで問題が解決している
のであり,主筋切断ミスによって,原告の業務量が過大となったり,
業務内容が困難となったということはできない。
したがって,主筋切断ミスに伴う変化が「相当程度過重」とはい
えない。
(イ)引っ越し及び単身赴任に伴う負荷
a心理的負荷の強度について
原告が,平成8年7月にc発電所桟橋工事が着工すると同時に,
同工事現場(広島県豊田郡c’町所在)近くの宿舎に引っ越して業
務を開始したことは,別表1の「転勤をした」に該当し,その平均
的な心理的負荷の強度は「Ⅱ」となる。
しかしながら,c発電所桟橋工事は,b発電所護岸工事と同様の
海洋工事であったこと,転居を伴う単身赴任ではあったものの,原
告にはそれまで約10年間の単身赴任経験があったことなどからす
れば,c発電所桟橋工事の現場における業務を開始したことの心理
的負荷の強度は,それほど強いものではなかったというべきであり,
その強度を「Ⅰ」に修正するのが相当である。
b出来事に伴う変化等に係る心理的負荷について
原告は,c発電所桟橋工事の業務を開始し,b発電所護岸工事の
業務を兼務することになったことによって,同工事の現場への移動
や同工事の業務による一定の負担があったことは否定できないもの
の,これらの負担はいずれも過大であったとはいえない。
したがって,c発電所桟橋工事の現場における業務開始に伴う変
化が「相当程度過重」であったとはいえない。
(ウ)工事の遅れに伴う負荷
a心理的負荷の強度について
工事の遅れは,別表1の「ノルマが達成できなかった」に類似す
るものであり,その平均的な心理的負荷の強度は,「Ⅱ」である。
しかしながら,原告は,2,3の杭打船団を入れること,アンカ
ーのいらないスポット台船を使用することなどによって,杭の打設
作業の遅れを取り返して納期に間に合わせる自信を有していたこ
と,c発電所桟橋工事の最終的な工期は約定の工期から約1か月延
びただけであったことなどからすれば,杭の打設作業の遅れは,そ
れほど強い心理的負荷をもたらすものではなかった。また,上記【原
告の主張】(2)ア(ウ)とは異なり,c発電所桟橋工事の現場組織に大
きな問題があったとは言い難く,海洋工事の経験者が少なかったこ
とを考慮しても,杭の打設作業の遅れが強い心理的負荷をもたらす
ものであったとはいえない。
したがって,工事の遅れによる心理的負荷の強度は,それほど強
いものではなかったと評価され,その強度を「Ⅰ」に修正するのが
相当である。
b出来事に伴う変化等に係る心理的負荷について
上記aのとおり,工事の遅れはさほど大きなものではなく,これ
に伴い,原告の仕事の量,質,責任,職場の物的・人的環境等に変
化が生じたとはいえない。
したがって,工事の遅れに伴う変化が「相当程度過重」とはいえ
ない。
(エ)Kとの交渉・調整による負荷
a心理的負荷の強度について
原告がKから「部長を呼べ」,「支店長を呼べ」などと毎日怒ら
れたことは,別表1の「顧客とのトラブルがあった」に該当し,そ
の平均的な心理的負荷の強度は「Ⅰ」である。
なお,厚生労働省労働基準局長通達(平成21年4月6日付け基
発第0406001号)により一部改正された判断指針における「職
場における心理的負荷評価表」では,「顧客や取引先から無理な注
文を受けた」に該当し,その平均的な心理的負荷の強度は「Ⅱ」と
される。しかしながら,Kが怒っていたのは,杭の打設が1日1本
しかできていなかったことによる工事(杭の打設作業)の遅れに対
するものが主であったところ,上記(ウ)のとおり,杭の打設作業の遅
れによる心理的負荷がそれほど強いものではなく,また,原告自身,
Kの言動に心理的負荷を感じていたとはいえないことからすれば,
その心理的負荷の強度を「Ⅰ」に修正するのが相当である。
したがって,いずれにしても,Kとの交渉・調整による心理的負
荷の強度はそれほど強いものではなく,その強度は「Ⅰ」となる。
b出来事に伴う変化等に係る心理的負荷について
Kとの交渉・調整に伴い,原告の仕事の量,質,責任,職場の物
的・人的環境等に変化が生じたとはいえない。
したがって,Kとの交渉・調整に伴う変化が「相当程度過重」と
はいえない。
(オ)長時間労働による負荷
原告は,上記【原告の主張】(2)ア(オ)cにおいて,恒常的な長時間
労働があったと主張するが,原告のc発電所桟橋工事の現場における
勤務状況を示す客観的な証拠はなく,b発電所護岸工事の現場におけ
る勤務状況も明らかではない。
したがって,主筋切断ミスが判明した当時,原告に恒常的な長時間
労働があったとはいえない。
ウ業務以外の心理的負荷の強度について
原告には,精神障害を発病させる危険のあるほどの強い心理的負荷を
伴う業務以外の出来事はなかった。
エ個体側要因について
双極性感情障害は,うつ病とは異なり,ストレス要因よりも遺伝的素
因(脆弱性)が強く,発病のきっかけとなるストレスの強さはあまり関
係がなく,ストレスが弱くても発病の要因となりうる。また,双極性感
情障害に親和性のある性格傾向として,循環気質,すなわち,まじめで,
明るく,活動的で,人付き合いがよいというような性格傾向があるとさ
れ,双極性感情障害を発病した人には,循環気質を有する人が多い。
原告は,明るい,几帳面,頼られると断れないなど循環気質の性格傾
向であった。
このことからすれば,原告は,双極性感情障害を発病しやすい素因を
有していたといえる。
そして,上記イのとおり,原告の業務による心理的負荷の総合評価が
「強」となっていないことからすれば,本件疾病の発病は,原告の個体
側要因が大きいといえる。
オ以上によれば,本件疾病は業務に起因したものとはいえないから,本
件疾病の業務起因性を否定した本件処分は適法である。
第3当裁判所の判断
1認定事実
前提事実(第2の1)に加えて,証拠(甲1ないし3,6ないし11,1
3ないし16,19ないし21,乙1,6,10,12,14,証人N,同L,
同O,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
(1)原告の業務内容,遂行状況等
ア原告は,平成元年1月,Cを代表企業とし,Bほか合計5社によるJV
(共同企業体)がGから受注したb発電所護岸工事の工事事務所副所長
(B内部での地位はB工事事務所の所長)に就くように命じられ,広島
市d区にある自宅から島根県a市b町にある同工事現場付近の宿舎に引
っ越して,単身赴任をした。原告は,上記副所長として,工事現場のパ
トロール,工事工程の打合せ,下請業者への支払に関する決裁などの業
務を行っていた。
イ原告は,平成7年10月,Bを代表企業とし,同社ほか合計5社によ
るJV(共同企業体)がGから受注したc発電所桟橋工事の工事事務所
所長に就くように命じられ,平成8年7月から約2か月間,同工事の発
注者であったGとの間で,設計や工事計画の策定などを行う共同研究が
進められた。c発電所桟橋工事においては,Gの作成した設計図書に基
づいて受注者である上記JVが施工することが建前となっていたが,実
際には,設計作業はGの意向に沿ってBが行っていた。ただ,設計主体
が施主であるGであるという建前を守るために,「共同研究」という名
目で,工事着工前に,上記JVのスタッフとGの責任者らが協議をし,
設計作業,工事計画(工程)を立案,協議,確定させていたものである。
原告は,共同企業体で受注された工事に工事事務所の所長として就任
するのはこれが初めてであった。
c発電所桟橋工事の施主であるGの責任者は,次長のKであり,同人
は,桟橋工事現場近くに設置されたGc発電所建設工事事務所に常駐し
ていた。Kは,b発電所護岸工事における工事課長代理ないし工事課長
であった。
なお,c発電所桟橋工事については,従前,GからCに対し着工内示
がされその後解消されたところ,業界内では当然Cが受注するものと予
想されていたが,予想に反して,Bを代表企業とするJVに発注される
ことになったのであった。
ウc発電所桟橋工事の概要及び上記共同研究において策定された工事計
画は,次のとおりであった。
(ア)工事名
c発電所1号系列揚炭他桟橋工事及び揚運炭コンベアー基礎工事
(海上部)
(イ)工期
当初の工期は,平成8年7月1日から平成9年12月25日であっ
たが,後に変更され,平成8年7月1日から平成10年1月25日と
なった。
(ウ)発注者
G
(エ)施工者
B,H,I株式会社,F及びJ株式会社からなるJV(共同企業体)。
(オ)工事の内容
c発電所桟橋工事は,c発電所の建設工事のうち,発電に使用する
石炭・石灰石を荷揚げし,積出しを行う長さ300mの桟橋,重量物
の荷揚げを行う長さ60mの重量物物揚桟橋,石炭を運搬するベルト
コンベアーを設置するための基礎部分並びに重量物物揚桟橋と陸地と
を接続するための長さ48mの連絡橋を構築する工事であり,いわゆ
る海洋工事であった。
(カ)工事現場の組織体制
c発電所桟橋工事が着工した当時の現場組織は,所長であった原告
及び職員10名(土木職員4名,事務職員3名,設計担当職員2名,
安全担当職員1名)の合計11名であった。具体的には,原告が所長,
土木職員として,Lが副所長兼工事課長,Nが工事課長,P及びQが工
事主任,事務職員として,Rが事務長,Sがその助手,Tが事務員,設
計担当職員として,Mが工務課長,Uが工務主任,安全担当職員として,
Vが安全専任の職にそれぞれ就いていた。
土木職員4名のうち,原告と同じBの従業員はNのみであったが,
同人は,海洋工事の経験が全くなかった。副所長であったL(Hの従業
員)も,海洋工事の経験は乏しく,しかも工事課長の職を兼務してい
た。Mは,Bの従業員であったが,上記のとおり設計業務の担当者であ
り,工事施工業務の担当者ではなかった。Mの妻であるWは,平成8
年12月ころ,工務助手の職に就き,c発電所桟橋工事の組織は合計
12名となった。
なお,海洋工事は,船を用いての施工となること,潮位の変化に留
意しなければならないこと等,その施工管理,安全管理については,
陸上工事の場合とは異なる特有の知識と経験が必要とされていた。原
告は,そのこともあって,c発電所桟橋工事という海洋工事における
Bの組織体制が弱い,心許ないと感じ,Bに対し,スタッフの増強を相
談したりしていたが,叶わなかった。そんなこともあり,原告は,N
に対し,海洋工事に関する学習資料を作成して渡したりするなどして,
海洋工事に対する勉強をするよう促したりしていた。
(キ)工事計画(工事工程)
c発電所桟橋工事は,上記(オ)の桟橋等について,それぞれ海底への
杭打設を含む下部工工事及び上部工工事を行う工事であり,下部工工
事が完成した部分から,随時,上部工工事を行うことになっていた。
このうち,下部工工事については,平成9年4月末までの完成が予
定され,平成8年10月に試験杭の打設を開始し,その後,合計30
1本の杭を打設した上で,その他の工事を行うことになっていたとこ
ろ,このように,約6か月間で301本の杭を打設することになって
いたため,1か月当たりの実働日数を25日とすると,1日約2本(=
301÷6÷25)のペースで杭を打設する計画であった。原告は,
上記計画について,共同研究の場で,これまでの経験や海底の岩盤の
固さ等からして,1日に打設できる本数は1本とするのが無理がない
と考え,これを前提とする工程表をKに示したりしたが,聞き入れら
れなかった。
なお,桟橋工事のうち,揚炭桟橋と石炭灰・石炭石桟橋に係る工事
については,いくつかのブロックに分けてこれらが建設される計画で
あったところ,当時の海洋工事では,一つのブロックを4本×5本=
20本の杭で支えるというのが通常の施工方法であったが,Kは,経
費削減になるとして,3本×5本=15本の杭で支えるという施工方
法を主張し,原告は,これに対し,上記施工方法は通例ではなくリス
クを伴う旨説明したが,受け入れられず,結局,これらの工事につい
ては,一つのブロックを上記15本の杭で支える旨の設計変更がされ
た。
そして,重量物物揚桟橋及び連絡橋については,平成9年7月に供
用開始が予定され,c発電所桟橋工事は,同年12月までに,上部工
工事を完成させて,竣工することが予定されていた。
エc発電所桟橋工事は,平成8年7月に着工した。原告は,同月,島根
県a市b町から,c発電所桟橋工事の現場(広島県豊田郡c’町)から
自動車で5分程度のところにあるプレハブ宿舎へと引っ越し,引き続き
単身赴任となった。
原告は,b発電所護岸工事の基本的な部分が平成7年12月末ころに
竣工したものの,護岸の周囲に設置することになっていた「波返し壁」
や「消波ブロック」の設置工事などが残っていたことから,c発電所桟
橋工事が着工した平成8年7月以後は,c発電所桟橋工事の工事事務所
所長とb発電所護岸工事の工事事務所副所長を兼務することになった。
そのため,原告は,通常は,月曜日から金曜日までをc発電所桟橋工事
の工事事務所で業務を行い(土日は休日),金曜日の夜間に,c発電所
桟橋工事の現場(広島県豊田郡c’町)からb発電所護岸工事の工事事
務所(島根県a市b町)近くの宿舎まで,フェリーと自動車を用いて約
4時間かけて(積雪や路面の凍結する冬場は約6時間かかることもあっ
た)移動し,土曜日にb発電所護岸工事の工事事務所で下請業者への代
金支払に関する書類決裁などの業務を行い,日曜日に,自動車で広島市
d区にある自宅まで戻り,着替えなどの身の回りのものを整理するなど
して,月曜日の午前5時30分ころに自宅を出発し,高速道路とフェリ
ーを利用して午前7時30分ころにはc発電所桟橋工事の工事現場に出
勤していた。また,b発電所護岸工事の工事事務所での業務が日曜日に
まで及ぶこともあり,このときは,月曜日の早朝に原告の自宅に短時間
立ち寄っただけで,c発電所桟橋工事の工事現場へと出勤することもあ
った。
オ原告は,工事着工後,c発電所桟橋工事の現場での作業に携わる一方
で,工事事務所を訪ねてきたc’,竹原市,尾道市に在住する者らから,
「島に発電所を作るのだから地元の者を工事に参加させるべきだ」,「地
元は公害を我慢させられる」,「車両の通行を我慢させられる」などと
言われ,工事関係の仕事を引き受けさせるように要求を受けており,こ
のような要求行為への対応も余儀なくされた。
カ平成8年10月,試験杭が打設され,その後,本設の杭の打設作業が
開始された。
平成8年11月末の時点(実働28日)で打設された杭は合計22本
であり,工事計画(1日2本のペース)を下回るペースであった。翌1
2月末の時点で打設された杭は合計25本であり,実働13日で3本の
杭しか打設できず(3ないし4日で1本のペース),杭の打設のペース
は改善されないばかりか,さらに遅延した。その主たる原因は,海底の
岩盤が強固であったためであった。
原告らc発電所桟橋工事の工事事務所の職員は,杭の打設作業の遅れ
を解消するために,(a)ジェットパイプの数を増やす,(b)ジェットの補
助として,エアホースを取り付けてエアーを送る,(c)ガンパイラーを2
連ガンパイラーに変更するなどの対策をとったが,上記対策はいずれも
杭打設作業の遅れを解消する方法として有効ではなかった。
また,この当時,杭の打設作業を行う杭打船団(ガンパイラーを積載
した起重機船,杭加工台船及び杭運搬台船から構成される。)は1船団
のみであったので,打設のペースを上げるため,杭打船団を1船団増や
して,2船団体制とすることが検討された。しかしながら,杭の打設作
業の現場付近では,杭の打設作業に併行して,CがGから受注した浚渫
工事が行われており(なお,c発電所桟橋工事の着工前の共同研究段階
では,当初,上記併行施工は予定されておらず,まず,他の桟橋に先行
して供用開始が予定されていた重量物物揚桟橋の利用に必要な範囲のみ
Cが浚渫工事をし,その後一旦は浚渫工事を中断して,その間桟橋工事
のための杭打設工事を進め,杭打設完了後に浚渫工事を再び施工すると
いうことになっていたが,その後,原告は,Gの土木部長から,上記併
行施工を求められ,これを行うに至った経過にあった。),浚渫工事を
行うためのシルトプロテクターが設置されていたが,杭打設作業は,ガ
ンパイラーを設置した台船を海上に固定して行う必要があり,台船の周
囲に複数のアンカーを伸ばして固定しなければならず,アンカーが張っ
てある近辺では,アンカーとの接触の危険があるので,浚渫工事(シル
トプロテクターの設置等)が行えなくなってしまうため,杭打船団を増
やすためには,シルトプロテクターを設置,管理するCに対し,シルト
プロテクターの出入口を開扉してもらい,船の進入路の確保を求めるな
ど,同社との調整が必要不可欠であった。そこで,原告は,Cの浚渫工
事の所長(現場長)であったXとの間で,浚渫工事との調整をしたもの
の,C側は,上記出入口を1日2回開閉させてくれと求める原告側に対
し,1日に一度しか開閉を認めないなど,協力的ではなく,交渉は難航
し,結局,杭打船団を増やすことはできなかった。
なお,原告がc発電所桟橋工事の所長の職を退いた(平成9年2月)
後に,杭打船団は2船団体制となり,併せて,杭の打設の設計を見直す
ことによって,同年3月から4月の2か月間で102本の杭を打設する
ことができ,杭の打設のペースは大幅に改善されたものの,杭の打設作
業が完了したのは同年9月30日であり,当初の工事計画(同年4月末
までに下部工工事を終了させる)からは相当に遅れるものであった。ま
た,c発電所桟橋工事の当初の工期は平成8年7月1日から平成9年1
2月25日までであったが,その後,変更契約が締結され,工期が平成
8年7月1日から平成10年1月25日までとなったことは上記ウ(イ)
のとおりである。
キ原告は,杭の打設作業が開始された平成8年10月以降,ほぼ毎日の
ように,同工事の発注者であったGの工事事務所を訪ね,Gの責任者で
あったKに工事の進ちょく状況について報告や説明をした。その度に,
原告は,Kから,工事の遅れ(杭の打設作業の遅れ)について責められ,
「お前はくびだ」,「部長を呼べ」,「支店長を呼べ」などと酷く叱責,
罵倒され,気分が滅入ったが,そのときは,それでも,この工事を遂行
できるのは自分しかいない,自分ならできるという気持ちで,Kに対し
ては,遅れはいずれ何とか挽回すると説明して,その場をしのいでいた。
一方,原告は,工事現場において,打設した杭の先端部分にコンクリ
ートで蓋をする柱頭処理をしないままで,その周囲に基礎型枠の施工を
始めていたため,N課長にこれを是正するよう指示をしたが,このよう
な初歩的な工事の段取りも間違えてしまう現場の状態に焦りや不安を感
じていた。
原告は,平成8年10月以降,上記杭の打設作業の遅れに伴って,c
発電所桟橋工事の工事事務所の所定労働時間(午前8時から午後5時ま
で)を超えて,朝7時半ころから午後11前後ころまで勤務した後,工
事現場から約1km離れたプレハブの宿舎に戻って,午前0時すぎに就
寝し,朝食の準備のため,朝6時半ころには起きる(睡眠時間が短いと
きは4時間くらい)という勤務・生活を繰り返し,特に,同年12月以
降は,さらに多忙を極めていた。
ク重量物物揚桟橋及び連絡橋は,平成9年7月に供用開始が予定され,
同月からは,実際に重量物物揚桟橋を用いた輸送が行われることになっ
ており,それまでに必ずこれらを完成しなければならなかったため,c
発電所桟橋工事のうち,これらの下部工工事が他の工事に先行して行わ
れた。
連絡橋は,橋の両端(陸上部と海上部)に設置される橋台(このうち,
海上部の橋台を,以下「ブロックa橋台」という。)及び橋の中間に設
置される橋脚から構成されており,これらの下部工工事は,それぞれ,
(a)基礎杭を打設し,その周囲に基礎型枠を組み立てる,(b)(a)と併行し
て,陸上の鉄筋組立ヤードで,鉄筋を組み立てる(なお,組み立てられ
た鉄筋には,上記(a)の基礎杭を通すための開口部(杭頭周囲)が8か所
ある。),(c)組み立てた鉄筋を,海上運搬して,船に設置したクレーン
で吊り上げて,(a)の基礎杭と基礎型枠の上に据え付ける,(d)設置した
鉄筋の周囲に側面の型枠を組み立てる,(e)コンクリートを打設するとい
った手順で施工されることになっていた。
連絡橋部分の杭の打設(上記(a))は,平成8年11月27日に終了し,
併行して,ブロックa橋台の鉄筋の組立作業(上記(b))が行われていた。
原告は,平成9年1月中旬ころ,Nから,陸上で行われていたブロッ
クa橋台建造のための鉄筋の組立てが終了した旨の報告を受けたことか
ら,この鉄筋についてGの検査を受ける必要があったため,現地(陸上
にある組み立てヤード)に赴き,この鉄筋の状況を確認したところ,鉄
筋の下に敷かれた木製のパネルの一部(鉄筋のうち杭を貫通するための
穴を設けた箇所の下あたり)が黒く焼け焦げていた。原告は,詳しく観
察するため,組み立てられた鉄筋の上によじ登って見たところ,上記穴
が設けられた周囲の鉄筋(主筋)が白っぽくなっていたため,ガス溶断
されたことが判明した。また,設計上,穴の周りでも切断されるはずの
ない斜め筋(縦横に組まれた鉄筋のうち,穴の周りの強度を補うため,
穴の周りを囲むように斜めに組まれる主筋)もガス溶断されていること
にも気がついた。このような事態は,8つ設けられた穴のすべてについ
て生じていた。
この鉄筋は,陸地と重量物物揚桟橋とをつなぎ,重量物を積載した車
両が通行するための連絡橋を支える橋台(ブロックa橋台)の支持力を
十分なものとするために,鉄筋コンクリート造りで施工するためのもの
であって,常温で加工しなければならない部材である鉄筋を,大きな熱
を加えてガス溶断することは,その材質を害し,強度を弱め,上記橋台
の支持力を減殺することになりかねないミスであったし,設計上切断す
ることが予定されていない斜め筋(主筋)の一部を切断してしまえば,
橋台の支持力に大きな問題が生じるおそれがあった。原告は,上記切断
を見た瞬間,半分頭が飛ぶような衝撃を受けた。
原告は,上記見分後,工事課長であり,この作業の現場責任者であっ
たNに対し,上記のことを指摘したが,入らないから(やった)などと
言われ,不満に感じた。しかし,原告は,Nに対しては,海洋工事の経
験が全くないのに,一生懸命夜中まで仕事をしてくれたり,涙を流して
原告の部屋に入ってきたりしたことなどもあり(後記ケのとおり,Nは,
工期の遅れがあって,口数が少なくなり,ふさぎ込みがちになって,精
神的に疲れて見えた原告に対し,広島に帰って休まれるよう声をかけた
りしている。),将来ある若者であるNが傷つくのをおそれる気持ちも
あって,それ以上追及するようなことをしなかった。
原告は,上記のとおり上記ミスに大きな衝撃を受けながらも,工事が
これ以上遅れることがないよう,どうにかしなければならないと思い,
設計担当であったMとの間で,主筋切断ミスについての対応策を真剣に
話し合い,補強筋の増設による対応策を策定した上,上記ミスが判明し
た日から数日ないし1週間くらい後に,Gの責任者であったKのもとを
訪れ,上記ミスについての報告をし,了解を求めた。Kは,報告を受け
た途端,原告に対し,「なんでお前こんなことになっているのか」,「お
前は所長失格だ」,「くびだ」などと強く叱責した。原告は,「勘弁し
てください」などと言って,頭をバッタのように下げ続けながら,手を
ついて土下座までして,何度も謝罪し,上記補強筋による対応策につい
て了解を求めた。Kは,最終的に,上記対応策を了解したが,原告は,K
から上記了承を得た直後,今までは,JVの工事事務所長を任されたの
だという自負もあったし,Kに対し上手に対応してこの仕事をこなせる
のは自分しかいないとの思いもあり,ひたすら気持ちに張りを持って仕
事をし,さまざまなことにずっと我慢強く対応してきたが,もうこの人
の前ではひたすら屈服するしかなくなったという思いがあふれてきて,
全身の力が抜けたようになった。そして,原告は,そのころから,集中
して物事を考えるのが難しくなり,その反面で,工事に関するさまざま
なこと,特に過去への後悔と将来への不安が走馬燈のように頭の中に現
れては消え,消えては現れるといった状態になり,毎晩,ほとんど眠ら
れず身体がふらつき,b発電所に行っても,自宅に帰っても,疲れが取
れない状態となり,「責任をとらなければならない」との思いが募って,
「死」という言葉が頭に思い浮かぶようになり,さらに,それが頭から
離れないようになった。
ケ原告は,その後,ものを言わない日がしばらく続き,死ぬための準備
をしなければならないとの思いにとらわれるようになり,少しずつ身辺
の整理をしたりして,薬局で睡眠薬を買い求めたが,わずかしか売って
くれなかった。
そして,原告は,平成9年1月27日,最後に四男に会って死にたい
と思い,工事事務所に「家に帰る」と告げ,遺書らしきものを書いて,
自宅に戻り,途中睡眠薬を買い,自宅で四男と風呂に入った後,睡眠薬
を大量に飲んで,自殺を図ったが,やはり未遂に終わった。
原告は,Y病院に入院したが,現場を放り出してきてしまったことやM
やNのことが非常に心配になり,ベッドに寝ているわけにはいかないと,
早期の退院を希望し,5日間で退院したが,Bから,自宅で待機するよ
う言われ,原告のことがすべて知れてしまったと絶望し,死ぬしかない
と考え,平成9年2月2日,今度は包丁で胸や首を刺して死のうとした
が,未遂に終わった。
なお,Nは,平成19年5月24日,広島中央労働基準監督署の厚生
労働事務官の事情聴取に対し,「現場にいる者として一番心理的にプレ
ッシャーを感じるのは工期の遅れです。それは,遅れが発注者の計画や
コスト増など悪い影響を最も与えるからです。推測ですが,現場所長は
このプレッシャーを最も感じていたのではないでしょうか。」「原告が
自傷行為に及んだその前は,・・工期の遅れがあって,私には原告が精
神的に疲れて見えました。もともと愉快な話し好きな人でしたが,口数
が少なくなっており,ふさぎ込んだりされていましたので,私が広島に
帰って休まれるように言いました。」と述べている。
(2)本件疾病の発病
原告は,平成9年2月2日の自殺未遂後,Z病院に入院し,けがの治療
等を受けるとともに,同月3日から同病院の精神科で診察,治療を受ける
ようになった。同病院の医師αは,平成14年2月13日,原告について,
病名を「躁うつ病」と診断するとともに,発病の経緯等につき,入院当初
は焦燥感の強いうつ状態で,希死念慮が生じて自殺を企図がみられた,そ
の後平成11年1月ころから躁病相も出現し,躁うつ混合状態などがみら
れる,との診断をした(甲16の8枚目)。
原告は,その後,α医師の転勤に伴って,平成16年10月以降,α心
療内科クリニックで同医師の治療等を受けているが,同医師は,平成18
年12月25日,原告について,病名を「双極性感情障害」と診断すると
ともに,発病の経緯等につき,平成9年1月ころにうつ病を発病し,平成
11年1月ころには躁病相も呈するようになり,以後,躁病相とうつ病相
を繰り返す状態が続いている旨診断した。
広島大学大学院保健学研究科教授の医師Oは,原告について,平成9年
1月中旬ころの時点で「うつ病」を発症し,平成11年1月の時点で「双
極性感情障害(躁うつ病)」を発症し,それ以後は,うつ病相,躁病相の
両者が混在した混合病相を繰り返しているようだとしている。
(3)その他,原告の性格等
ア原告は,明るく,几帳面で,責任感が強く,頼られると断れない性格
であり,これまで真面目に仕事に取り組んでいた。
また,原告は,本件疾病発病当時,夫婦仲は良好で,家族や親族に関
して思い悩むこともなく,その他金銭問題等もなかった。原告に精神疾
患の既往はなく,精神科や心療内科に受診したこともなかった。
イ平成9年2月,原告に代って,Bのβがc発電所桟橋工事の工事事務
所の所長となり,海上工事の経験が豊富なFのγが副所長の職に就くと
ともに,増員によりδが工事課長(Lが副所長と兼務していた地位)の
職に就き,同年4月に,Lが副所長の職を退いた。また,同年3月から,
杭打船団も1船団体制から2船団体制に増団された。その結果,上記(1)
カの工期についての変更契約の約定どおり,平成10年1月25日,c
発電所桟橋工事は竣工した。
以上の事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。
2争点(原告の本件疾病が業務に起因するものであるか否か)について
(1)労働者災害補償保険法に基づく保険給付は,労働者の業務上の負傷,疾
病,障害又は死亡について行われるところ(同法7条1項1号),労働者
の負傷,疾病,障害又は死亡を業務上のものと認めるためには,業務との
間に相当因果関係が認められることが必要であるというべきである(最高
裁昭和50年(行ツ)第111号同51年11月12日第二小法廷判決・
集民119号189頁等)。
(2)上記1の認定事実によれば,原告は,JV(Bを代表企業とする5社の
共同企業体)を施工者とするc発電所桟橋工事という海洋工事において,
初めて,工期の管理や工事の安全管理等について大きな責任を担うJV工
事事務所の所長に就任し,Hの従業員であるLが副所長と工事課長を兼務
していたが海洋工事の経験に乏しく,施工業務を直接担当する工事課長で
あったN(Bの従業員)も海洋工事の経験が全くないなど,陸上における
工事とは異なる知識と経験が要求される海洋工事の現場組織としては,人
員や経験の点において脆弱といえる組織体制の中で,地元の要求への対応
を余儀なくされながらも,やる気と自負を持って,意欲的に仕事を始めた
こと,しかし,もともと一定期間に課せられた作業量が多く,計画どおり
に仕事を遂行することが困難な状況の中で,平成8年7月に工事が着工さ
れたが,同年10月から始まった杭打ち工事(作業)がその後大幅に遅れ,
同年12月の時点で計画の3割程度しか進まず,遅れを解消するための方
策もCの非協力的な姿勢等があって効果がなく,遅れは深刻さを日に日に
増していったこと,そのため,原告は,夜遅くまでに及ぶ恒常的な長時間
の時間外労働を余儀なくされる一方,島根県にあるb発電所の護岸工事と
の兼務による行き来等で休養も十分に取れず,発注者であるGの責任者で
あるKからは,工事の遅れについて,連日のように「お前はくびだ。」「部
長を呼べ。」などと叱責,罵倒されるなどしたことが重なって,工期管理
に大きな責任を負う工事事務所所長として,かなりの精神的,身体的負荷
を受け,そのころから,次第に,疲れがたまって,口数が少なくなったり,
ふさぎ込んだりするようになっていったこと,そんな折りの平成9年1月,
重量物を積載した車両が通行するため相応の強度が求められていた連絡橋
の橋台に係る鉄筋の組立作業に際し,主筋を8か所にわたりガス溶断する
という,鉄筋の材質を劣化させその強度に少なからず影響を与える「あっ
てはならない」重大な工事ミスが発生したため,原告は,大きな衝撃を受
け,一週間くらいかけて補強案を作成してKに示したが,同人から,ここ
でも「お前は所長失格だ。」などと叱責,罵倒を受けるに至り,土下座ま
でして謝罪して対処したものの,このような屈辱的な対応を余儀なくされ
るうち,Kの前では今後ひたすら屈服するしかないとの思いがあふれてき
て,今までの,工事事務所所長として工事を工期までになんとか間に合わ
せようとする気概,自信や所長としての自負心を失ってしまい,全身の力
が抜けたようになり,集中して物事を考えるのが難しくなり,毎晩,ほと
んど眠られず,身体がふらつき,疲れが取れない状態となって,「責任を
とらなければならない」との思いが募り,自殺念慮まで生じて,本件疾病
(躁うつ病,双極性感情障害)を発症するに至ったことが認められる。
そして,他方,上記1認定のとおり,原告は,本件疾病発病までに,精
神疾患の既往歴や精神科等への受診歴もなく,当時,夫婦仲は良好で,家
族や親族に関して思い悩むこともなく,その他金銭問題等もなかったもの
である。
以上説示した,原告の本件疾病発症前に従事していた業務の内容,態様,
遂行状況,本件疾病発症に至るまでの経緯等に加え,原告にはこれまで精
神疾患の既往がなく,上記業務以外の精神的負荷等をうかがわせる事情も
見当たらないことをも併せ考慮すると,原告は,本件疾病発症前に従事し
ていた業務による過重な精神的,身体的負荷により本件疾病を発症するに
至ったものと認められ,その間に相当因果関係の存在を肯定することがで
きるというべきである。
被告は,主筋切断ミスは,短期間のうちに関係者の了解を得られたこと
などから重大なミスとはいえないこと等を前提として,本件疾病のうちの
双極性感情障害は遺伝的素因(脆弱性)が強い病気であるところ,原告が
双極性感情障害に親和性のある性格傾向である循環気質(まじめで,明る
く,活動的で,人付き合いがよい等)を有していたことなどからすれば,
本件疾病の発病は原告の個体側要因(脆弱性)が強く反映したもので,本
件疾病発生につき業務起因性はない旨主張し,O医師作成に係る意見書(乙
14)の記載中及び証人Oの証言中にも,これに沿う部分がある。
しかしながら,主筋切断ミスが「あってはならない」重大なミスとみる
べきことは上記説示のとおりである上(短期間のうちにKの了解が得られ
たこと等は,上記ミスの内容・態様,この了解を得られるまでのKの原告
に対する言動・態度やこれに対する原告の応対の仕方等に照らすと,上記
ミスの重大性を否定する事実とは評価し得ない。),双極性感情障害は,
遺伝的素因(脆弱性)が強い病気であるとしても,遺伝的素因(脆弱性)
のみによって発病する精神障害ではなく,ストレスと脆弱性の双方が影響
して発病するものであるが,うつ病と比較して,発病につき遺伝的素因(脆
弱性)が強いというにすぎず,ストレスが強ければ当然発病の要因になる
ものである(証人Oの証言)。確かに,原告が明るく几帳面で,責任感が
強く,頼られると断れない性格を有していたことは上記のとおりであるが,
このような性格の人は世情まま存在するともいえるし,原告にはこれまで
精神疾患の既往歴はなく,これまでの生活史を通じて社会適応状況に特別
の問題があったなど原告の上記性格傾向に特徴的な偏りがあることをうか
がわせるような事情も見当たらないことからすると,原告が双極性感情障
害を発病しているとしても,その発病について,原告の遺伝的素因(脆弱
性)が強く起因,反映しているとまで認めるには,なおためらいを禁じ得
ない。むしろ,上記した,原告の本件疾病発症前に従事していた業務の内
容,態様,遂行状況,本件疾病発症に至るまでの経緯等からすると,原告
が本件疾病に罹患するまでの業務による精神的,身体的負荷は相当大きか
ったというべきであり,これら環境的な要因,負荷(ストレス)が大きく
影響して本件疾病を発症するに至ったとみるのが相当である。この点に関
する被告の主張は採用できない。
したがって,原告が発症した本件疾病は労働基準法施行規則35条,別
表第一の二第9号にいう「その他業務に起因することが明らかな疾病」に
該当するというべきである。
第4結論
以上によれば,本件疾病には業務起因性が認められるから,本件疾病が業
務上の事由によるものとはいえないとした本件処分は違法であり,取消しを
免れない。
よって,原告の請求は理由があるから,これを認容することとして,主文
のとおり判決する。
広島地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官植屋伸一
裁判官山口格之
裁判官中嶋邦人

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