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平成15年(行ケ)第498号 審決取消請求事件
平成16年10月20日口頭弁論終結
     判    決
 原 告 住友化学株式会社(旧商号住友化学工業株式会社)
 訴訟代理人弁理士 辻邦夫,辻良子
 被 告 特許庁長官 小川洋
 指定代理人 城所宏,中西一友,高橋泰史,大橋信彦,井出英一郎
     主    文
 特許庁が不服2002-12383号事件について平成15年9月29日にした
審決を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。
     事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
 主文と同旨の判決
第2 事案の概要
 本件は,特許出願をした原告が,拒絶査定を受けたので,上記査定に対する審判
を請求したところ,審判は成り立たない旨の審決があったため,同審決の取消しを
求めた事案である。
 1 特許庁における手続の経緯
 (1) 原告は,平成6年12月22日,発明の名称を「3-5族化合物半導体結晶
の製造方法」とする特許出願をした。
 (2) 原告は,平成14年5月17日に拒絶査定を受けたので,同年7月4日,拒
絶査定に対する審判を請求した(不服2002-12383号事件)。
 (3) 特許庁は,平成15年9月29日,「本件審判の請求は,成り立たない。」
との審決をし,同年10月14日,その謄本を原告に送達した。
 2 特許請求の範囲の記載(平成15年7月23日付手続補正書(甲2の4)に
よる補正後のもの)
【請求項1】反応管内で,原料として分子中に少なくともGaを有する3族有機金属
化合物と分子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として
少なくともGa,5族元素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶
を,該3-5族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板上に成長させるに当たり,
該化合物半導体結晶の成長開始前に,ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少な
くとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチングすることにより該内壁の
堆積物を除去することを特徴とする3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表面モル
フォロジーとを改善する方法。
【請求項2】反応管内で,後記の3-5族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板
上に,バッファー層を成長させ,その上に原料として,分子中に少なくともGaを有
する3族有機金属化合物と分子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給
し,3族元素として少なくともGa,5族元素として少なくともNを含有する3-5族
化合物半導体結晶を成長させるに当たり,該バッファー層の成長開始前に,ハロゲ
ン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気
相エッチングすることにより該内壁の堆積物を除去することを特徴とする3-5族
化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法。
【請求項3】バッファー層が,GaZAl1-ZN(式中,0≦Z≦1)またはZnOから選ばれ
たものからなることを特徴とする請求項2記載の方法。
【請求項4】反応管内壁に加えてさらに基板を気相エッチングすることを特徴とす
る請求項1~3いずれかに記載の方法。
【請求項5】3-5族化合物半導体がGaN,GaXAl1-XN(式中,0<X<1),GaXIn
1-XN(式中,0<X<1),GaXAlYIn1-X-YN(式中,0<X<1,0<Y<1,0<X
+Y<1),又は前記の化合物半導体の少なくとも2層の積層であることを特徴と
する請求項1~4のいずれかに記載の方法。
【請求項6】ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少なくとも1種のガスが,塩
化水素であることを特徴とする請求項1~5いずれかに記載の方法。
【請求項7】サセプタ上が1000~1200℃になるように加熱して実施するこ
とを特徴とする請求項1~6いずれかに記載の方法。
 3 審決の理由
 審決の理由は,以下のとおりであるが,要するに,請求項1に記載された発明
(以下「本願発明1」という。)は,後記の刊行物1,2記載の発明に基づいて当
業者が容易に発明をすることができたものであり,請求項2ないし7に記載された
発明について検討するまでもなく,特許法29条2項の規定により特許を受けるこ
とができない,というものである。
 (1) 審決が引用した刊行物
 刊行物1:特開平4-297023号公報(本訴甲4)
 刊行物2:特開昭59-65427号公報(本訴甲5)
 (2) 引用刊行物記載の発明
 ア 刊行物1には,
 (ア)「【請求項2】基板の上に,一般式がGaXAl1-XN(但しXは0<X≦1の範囲で
ある。)で示されるバッファ層を成長させ,このバッファ層の上に窒化ガリウム系
化合物半導体を成長させる請求項1記載の窒化ガリウム系化合物半導体の結晶成長
方法。
【請求項3】窒化ガリウム系化合物半導体の上に,一般式がGaXAl1-XN(但しXは0
<X≦1の範囲である。)で示されるバッファ層を成長させ,さらにこのバッファ
層の上に窒化ガリウム系化合物半導体を成長させる請求項1記載の窒化ガリウム系
化合物半導体の結晶成長方法。」(特許請求の範囲)
 (イ) 「本発明はサファイア等の基板上に,窒化ガリウム系化合物半導体の結晶を
成長させる方法に関し,特に結晶性の優れた窒化ガリウム系半導体化合物のエピタ
キシャル層の成長方法に関する。」(【0001】,産業上の利用分野)
 (ウ) 「また,MOCVD法を用いてサファイア基板上に直接成長された,例えばGaN層
の表面は,6角ピラミッド状,ないしは6角柱状の成長パターンとなって無数の凹
凸ができ,その表面モフォロジーが極めて悪くなる欠点がある。表面に無数の凹凸
がある表面モフォロジーの極めて悪い半導体の結晶層を使用して青色発光デバイス
を作ることは,非常に歩留が悪く,ほとんど不可能であった。このような問題を解
決するために,窒化ガリウム系化合物半導体の結晶を成長させる前に,基板上に
AlNのバッファ層を成長させる方法が提案されている{Appl.Phys.Lett
48,(1986).353,(アプライド フィズィックス レターズ 48巻,1986
年,353頁,および特開平2-229476号公報}。この方法は,サファイア
基板上に,成長温度400~900℃の低温で,膜厚が100~500オングスト
ロームのAlNのバッファ層を設けるものである。この方法はバッファ層であるAlN層
上にGaNを成長させることによって,GaN半導体層の結晶性および表面モフォロジー
を改善できる特徴がある。」(【0004】~【0005】)
 (エ) 「図8に示す装置を用いて窒化ガリウム系化合物半導体の結晶成長を行っ
た。[実施例1]下記の工程でサファイア基板にGaNのエピタキシャル層を4μmの
膜厚で成長させた。
① 洗浄された2インチφのサファイア基板をサセプター2の上に載せる。
② ステンレス製の反応容器1内の空気を,排気ポンプ6で排気した後,さらに内
部をH2で置換する。
③ その後,H2ガスを反応ガス噴射管4と,反応容器1上部の副噴射管5とから,
反応容器1内に供給しながら,サセプター2をヒータ3によって1060℃まで加
熱する。
④ この状態を10分間保持し,サファイア基板表面の酸化膜を除去する。
⑤ 次にサセプター2の温度を500℃まで下げて,温度が安定するまで静置す
る。
⑥ 続いて副噴射管5からH2とN2の混合ガスを供給し,反応ガス噴射管4からアン
モニアガスとH2ガスの混合ガスを供給する。副噴射管5から供給するH2ガスとN2ガス
の流量はそれぞれ10リットル/分,反応ガス噴射管4から供給するアンモニアガ
スの流量は4リットル/分,H2ガスの流量は1リットル/分とし,この状態でサセ
プター2の温度が500℃に安定するまで待つ。
⑦ その後,バッファー層を形成するため,反応ガス噴射管4からアンモニアガス
とH2ガスに加えて,TMG(トリメチルガリウム)ガスを2.7×10-5
モル/分で1
分間流す。
⑧ 次にTMGガスのみを止めて,バッファ層の成長を止める。ここで膜厚0.02μ
mのバッファ層が形成できた。さらに他のガスは流しながらサセプター2の温度を
1000℃まで上昇させる。
⑨ サセプター2の温度が1020℃まで上昇した後,反応ガス噴射管4からアン
モニアガスとH2ガスに加えて,TMGガスを5.4×10-5
モル/分の流量で60分間
供給して,GaNエピタキシャル層を,4.0μmの膜厚で成長させる。この間,副噴
射管5から常にH2とN2ガスを前述の条件で供給し続け,反応ガスで反応容器内が汚
染されないようにしている。またサセプター2は均一に結晶が成長するように,モ
ータ7で5rpmで回転させる。なお当然のことではあるが,ガスを供給している
間,排気ポンプ6の配管と分岐した排気管8から,供給しているガスを外部へ放出
している。上記のようにしてサファイア基板上に,膜厚0.02μmのGaNバッファ
層,その上に4μmのGaNエピタキシャル層を成長させた。」(【0023】)
 (オ) 「[実施例5]⑦のバッファ層を形成する工程において,実施例2と同様の
条件で,Ga0.5Al0.5Nのバッファ層を0.02μmの膜厚で形成し,⑨において,反応
ガス噴射管4からアンモニアガスとH2ガスに加えて,TMAガスを2.7×10-5
モル
/分,TMGガスを2.7×10-5
モル/分の流量で60分間供給して,Ga0.5Al0.5Nエピ
タキシャル層を4.0μmの膜厚で成長させる他は,実施例1と同様にして,サフ
ァイア基板上に,膜厚0.02μmのGa0.5Al0.5Nバッファ層と,その上に4μmのGa
0.5Al0.5Nエピタキシャル層を成長させた。」(【0031】)が,それぞれ記載され
ている。
 イ 刊行物2(特開昭59-65427号公報)には,
 (ア) 「コールドウォール型の成長装置では,原料ガスの分解そのものは加熱され
た基板部分のみで生ずるが,生成したⅢ-Ⅴ族化合物や,V族元素は,拡散および
反応容器内のガスの流れによって運ばれ,反応容器内壁一面に付着する。これら付
着物は…中略…基板設置時あるいは成長中に付着物の微少な粉末が基板上に落下す
ると表面状態を悪くする。…中略…このため通常は各成長ごとに反応容器を成長装
置から取り外して洗浄することが行われるが,これは単に煩雑で時間を要するばか
りでなく,反応容器内壁や基板設置台などが水分,空気にさらされるため成長結晶
の品質に悪影響を与える。」(1頁右下欄19行~2頁左上欄15行)
 (イ) 「本発明は,…中略…,反応容器を取り外すことなく内壁の付着物を完全に
気相エッチングによって取り除くことが可能となる気相成長装置を…中略…得るこ
とを目的とする。」(2頁右上欄16行~20行)
 (ウ) 「この付着物(7)を取り除くには,基板取出口(2)より基板を取出した
後,反応管加熱用発熱体(9)(10)を図に示した位置に置き,これを基板加熱
に用いたのと同じ高周波コイル(8)で加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流せ
ばよい…中略…反応管内壁全体を清浄にするには,発熱体(9)(10)の一部が
高周波コイル(8)からはずれるような位置におけばよい。」(2頁右下欄5行~
17行及び第1図)
 (エ) 「また,反応管を毎回取り外して王水などで洗浄して付着物を取り除いた場
合に比べ,GaAlAsのフォトルミネセンス強度は著しく強くなり,反応管内の汚染が
防止されていることが示された」(2頁右下欄18行~3頁左上欄1行)が,それ
ぞれ記載されている。
 (3) 対比・判断
 窒化ガリウム系化合物半導体が,3-5族化合物半導体として周知であることを
前提に,上記(2)ア(ア)~(オ)を総合すれば,
 刊行物1には,
「『① サファイア基板をサセプター2の上に載せる工程。
② 反応容器1内の空気を,排気ポンプ6で排気した後,さらに内部をH2で置換す
る工程。
③ その後,H2ガスを反応容器1内に供給しながら,サセプター2をヒータ3によ
って加熱する工程。
④ 該状態を一定時間保持し,上記基板表面の酸化膜を除去する工程。
⑤ 次にサセプター2の温度を下げて,温度が安定するまで静置する工程。
⑥ 続いて反応容器1内にH2とN2の混合ガスとアンモニアガスとH2ガスの混合ガスを
供給しサセプター2の温度が安定するまで待つ工程。
⑦ バッファー層を形成するため,アンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメ
チルガリウム)ガスを流す工程。
⑧ 次にTMGガスのみを止めて,バッファ層の成長を止める工程。』によって,サフ
ァイア基板上に,GaNのバッファ層を成長させ,3-5族化合物の結晶性および表面
モフォロジーを改善させる方法」の発明(以下「刊行物1記載の発明」という)が
記載されているといえる。
 本願発明1と刊行物1記載の発明とを対比すると,
 刊行物1記載の発明の「反応容器」,「TMG(トリメチルガリウム)ガス」,「ア
ンモニアガス」,「アンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメチルガリウム)
ガスを流す工程」,「3-5族化合物の結晶性および表面モフォロジーを改善させ
る」は,本願発明1の「反応管」,「分子中に少なくともGaを有する3族有機金属
化合物」,「分子中にNを有する化合物」,「同時に供給」,「3-5族化合物半導
体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する」に相当するから,両者は,
「反応管内で,原料として分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物と分
子中にNを有する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として少なくとも
Ga,5族元素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶を,該3-5
族化合物半導体結晶とは異なる材料の基板上に成長させることを特徴とする3-5
族化合物半導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法。」で一致
し,以下の点で相違している。
 相違点:本願発明1が,化合物半導体結晶の成長開始前に「ハロゲン化水素から
なる群から選ばれた少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチング
することにより該内壁の堆積物を除去する」のに対し,刊行物1記載の発明では,
その点がない点。
 以下,相違点について検討する
 上記(2)イ(ア)~(エ)によれば,刊行物2には,「反応容器内壁一面に付着したⅢ-
Ⅴ族化合物の微少な粉末が基板上に落下すると表面状態を悪くするので,加熱しつ
つ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチングによって取り除
く」旨記されており,前記「塩化水素ガス」は,「ハロゲン化水素からなる群から
選ばれた少なくとも1種のガス」である点,及び,刊行物2記載の発明も,刊行物
1記載の発明もともに3-5族化合物半導体結晶の成長方法である点は,当該記載
より明らかである。
 してみれば,刊行物1記載の発明である「3-5族化合物半導体結晶の結晶性と
表面モルフォロジーとを改善する方法」に刊行物2に記載の「Ⅲ-Ⅴ族化合物の微
少な粉末を加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチ
ングによって取り除く」発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要
件も認められないから,当業者が適宜なし得たことである。
 そして,本願発明1の構成による格別な効果も認められない。
 (4) まとめ
 上記のとおりであるから,本願発明1は,刊行物1,2記載の発明に基づいて当
業者が容易に発明をすることができたものと認められる。
 (5) むすび
 以上のとおりであるから,本願の請求項2~7に係る発明について検討するまで
もなく,本願発明1は,特許法29条2項の規定により特許を受けることができな
い。
第3 当事者の主張
 1 原告主張の審決取消事由
 (1) 取消事由1(刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明の適用容易性につ
いての判断の誤り)
 審決は,「刊行物1記載の発明である「3-5族化合物半導体結晶の結晶性と表
面モルフォロジーとを改善する方法」に刊行物2に記載の「Ⅲ-Ⅴ族化合物の微少
な粉末を加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチン
グによって取り除く」発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要件
も認められないから,当業者が適宜なし得たことである。」と判断したが,以下の
とおり,誤りである。
 ア 刊行物2には,MOCVD法によってGaAsあるいはGaAlAsの半導体(ガリウムヒ素
系化合物半導体)結晶を気相成長させるときに,反応管内壁に,GaAs,GaAlAs及び
As等からなる付着物が付着すること,この付着物は,反応管加熱用発熱体を高周波
コイルで加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流す操作(HClガスによるエッチン
グ)によって,取り除くことができることが記載されている。そして,HClガスによ
るエッチングによって付着物を取り除く操作は,反応管内壁に付着したガリウムヒ
素系化合物等を塩化水素と反応させて化学的に分解し,分解物をキャリアガスとと
もに反応管から排気するものであって,付着物の酸による化学的な分解(酸分解)
を本質とする。
 イ これに対し,刊行物1に記載されたMOCVD法による窒化ガリウム半導体結晶の
気相成長法では,コールドウォール型反応容器の内壁に,原料ガス(TMG(トリメチ
ルガリウム)ガスとアンモニアガス)の分解に伴って生成する窒化ガリウム(GaN)
が付着堆積するが,甲7,8によると,窒化ガリウムは無機酸に対し極めて安定的
であるとされており,このことは本願発明1の特許出願当時における当業者の常識
であった。
 刊行物2記載の発明は,上記のように,酸分解を本質とするものであるから,こ
れを適用するに当たっては,対象となる物質が酸に対し反応性を有することが不可
欠であり,酸に対し不活性であるということは,刊行物2記載の発明を適用するこ
との阻害要因となる。
 ウ したがって,刊行物1,2記載の発明が共にⅢ-Ⅴ族化合物半導体結晶の成
長方法であるとしても,技術常識上酸に不活性であるとされている窒化ガリウムを
対象とする刊行物1記載の発明に,酸分解を本質とする刊行物2記載の発明を適用
することは,当事者が容易に想到できるものではない。
 (2) 取消事由2(顕著な作用効果の看過)
 審決は,「本願発明1の構成による格別な効果も認められない。」とするが,誤
りである。
 本願発明1は,その構成によって,内壁の堆積物を除去し,生産性,製品物性の
安定性を損なわず,再現性よく結晶性及び表面モルフォロジーの優れたエピタキシ
ャル結晶層を得ることができるという顕著な技術的効果を奏するものであるが,こ
の技術的効果は,刊行物1及び2に記載された従来技術によって奏される効果では
なく,また,これらから予期することができた効果でもない。
 2 被告の反論
 (1) 取消事由1(刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明の適用容易性につ
いての判断の誤り)に対して
 ア 刊行物2には,Ⅲ-Ⅴ族化合物半導体結晶についての具体的な例示(例えば
GaN)はないが,本願出願前,Ⅲ-Ⅴ族化合物の気相成長において,Ⅲ族元素として
少なくともGa,Ⅴ族元素としてNを有するⅢ-Ⅴ族化合物半導体結晶は周知であった
から,刊行物2にも,実質的に,Ⅲ族元素として少なくともGa,Ⅴ族元素としてNを
有するⅢ-Ⅴ族化合物が記載されているということができる。
 そして,刊行物2は,従来技術に相当する記載として,Ⅲ-Ⅴ族化合物の気相成
長の際に,反応容器内壁の付着物を反応容器を取り外すことなく完全に取り除くに
は,付着物の付いた反応容器全体を加熱し,エッチング性のガス,例えば塩化水素
ガスを流せばよいことを示しているから,Ⅲ族元素として少なくともGa,Ⅴ族元素
としてNを有するⅢ-Ⅴ族化合物の気相成長の際にも,塩化水素ガスを流せばよいこ
とを示唆しているのである。
 イ また,窒化ガリウムが無機酸に対し極めて安定的であるということは,本願
発明の特許出願当時における当業者の常識ではなく,むしろ,当該技術分野におい
ては,酸の状態,すなわち,熱の加わり方,液体か気体かなどによって,溶解性,
分解性等の反応が変わることが知られており,これが当時の技術常識であった。
 そして,甲7,8は,液体状態における窒化ガリウムの酸に対する反応について
言及するにとどまり,気体状態における酸に対する反応についてまでは言及してい
ないところ,例えば,特開平1-94624号公報(乙9)には,ハロゲン化水素
の一つであるHF(フッ化水素)が液体状態と気体状態とでその性質を大きく異にす
ることが示されている。さらに,特開昭50-42785号公報(乙7)には,窒
化ガリウムがリン酸でエッチングされることが記載され,特開平1-278025
号公報(乙8)には,AlXGa1-XN(0≦X≦1)半導体に関するエッチングの従来技
術の一つとして,「リン酸と硫酸の混合比1:2~1:5の混合液を用いて,温度
180℃~250℃においてウェットエッチングする方法」があることが記載さ
れ,また,特開昭61-56474号公報(乙10)や特開平5-206088号
公報(乙11)には,窒化ガリウムが,塩化水素ガスを含む気体雰囲気中での熱処
理により,あるいはHCl,HBrの加熱反応によるガスエッチングにより分解除去され
るものであることが記載されているから,窒化ガリウムが酸に対し不活性であると
しても,このことが刊行物2記載の発明を適用することの阻害要因となるものでは
ない。
 ウ したがって,刊行物1記載の発明に刊行物2記載の発明を適用することは,
当事者が容易に想到できたものである。
 (2) 取消事由2(顕著な作用効果の看過)に対して
 窒化ガリウム系化合物半導体結晶の気相成長法において,再現性よく結晶性及び
表面モルフォロジーの優れたエピタキシャル結晶層を得ることができるという効果
自体,刊行物1に記載されているし,反応管内壁の堆積物を除去し,生産性,製品
物性の安定性を損なわず,再現性よく結晶性及び表面モルフォロジーの優れたエピ
タキシャル結晶層を得ることができるという効果も,刊行物2を含め本願出願前に
よく知られていた技術常識から,当業者が予測することができたのであるから,本
願発明1の効果は,刊行物1,2及び本願出願前の技術常識から予測できる程度の
もので,格別なものではない。
第4 当裁判所の判断
 1 取消事由1(刊行物1記載の発明に刊行物2に記載の発明の適用容易性につ
いての判断の誤り)について
 (1) 刊行物1記載の発明について
 刊行物1記載の発明は,
 「『① サファイア基板をサセプター2の上に載せる工程。
② 反応容器1内の空気を,排気ポンプ6で排気した後,さらに内部をH2で置換す
る工程。
③ その後,H2ガスを反応容器1内に供給しながら,サセプター2をヒータ3によ
って加熱する工程。
④ 該状態を一定時間保持し,上記基板表面の酸化膜を除去する工程。
⑤ 次にサセプター2の温度を下げて,温度が安定するまで静置する工程。
⑥ 続いて反応容器1内にH2とN2の混合ガスとアンモニアガスとH2ガスの混合ガスを
供給しサセプター2の温度が安定するまで待つ工程。
⑦ バッファー層を形成するため,アンモニアガスとH2ガスに加えて,TMG(トリメ
チルガリウム)ガスを流す工程。
⑧ 次にTMGガスのみを止めて,バッファ層の成長を止める工程。
⑨ サセプター2の温度が1020℃まで上昇した後,反応ガス噴射管4からアン
モニアガスとH2ガスに加えて,TMGガスを5.4×10-5
モル/分の流量で60分間
供給して,GaNエピタキシャル層を,4.0μmの膜厚で成長させる工程。』によっ
て,サファイア基板上に,GaNのバッファ層を成長させ,3-5族化合物の結晶性お
よび表面モフォロジーを改善させる方法」
である(当事者間に争いがない。)。
 そして,刊行物1記載の発明と本願発明1とを対比すると,両者は,「反応管内
で,原料として分子中に少なくともGaを有する3族有機金属化合物と分子中にNを有
する化合物とを用いてこれを同時に供給し,3族元素として少なくともGa,5族元
素として少なくともNを含有する3-5族化合物半導体結晶を,該3-5族化合物半
導体結晶とは異なる材料の基板上に成長させることを特徴とする3-5族化合物半
導体結晶の結晶性と表面モルフォロジーとを改善する方法」で一致し,「本願発明
1が,化合物半導体結晶の成長開始前に「ハロゲン化水素からなる群から選ばれた
少なくとも1種のガスを導入し,反応管内壁を気相エッチングすることにより該内
壁の堆積物を除去する」のに対し,刊行物1記載の発明では,その点がない点」で
相違する(当事者間に争いがない。)。
 (2) 刊行物2記載の発明について
 刊行物2(甲5)には,次の記載がある。
 「Ga,Al,InなどのⅢ属元素とP,As,SbなどのⅤ族元素よりなるⅢ-Ⅴ族化合物
半導体は高速動作素子,光素子用材料として極めて重要である。これらの材料の気
相成長方法の一つであるⅢ属元素のアルキル化合物と,Ⅴ族元素の水素化合物もし
くはアルキル化合物を用いるいわゆるMOCVD法(・・・)はその液晶組成,成長速度
などの制御性の良さや,量産性に優れている等の特長があり,極めて有力な気相成
長方法である。」(1頁左下欄19行ないし右下欄8行)
 「コールドウォール型の成長装置では,原料ガスの分解そのものは加熱された基
板部分のみで生ずるが,生成したⅢ-Ⅴ族化合物や,V族元素は,拡散および反応
容器内のガスの流れによって運ばれ,反応容器内壁一面に付着する。これら付着物
は多量に付くと,再蒸発や反応容器の熱的条件を変化させることにより組成や成長
速度の変動を引起こす。また基板設置時あるいは成長中に付着物の微少な粉末が基
板上に落下すると表面状態を悪くする。」(1頁右下欄19行ないし2頁左上欄8
行)
 「反応容器内壁の付着物を反応容器を取り外すことなく完全に取り除くには,付
着物の付いた反応容器全体を加熱し,エッチング性のガス,例えば塩化水素ガスを
流せばよい。」(2頁左上欄16行ないし19行)
 「本発明は,・・・反応容器を取り外すことなく内壁の付着物を完全に気相エッ
チングによって取り除くことが可能となる気相成長装置を極めて簡単,安価な方法
により得ることを目的とする。」(2頁右上欄16行ないし20行)
 「以下実施例を用いて本発明を詳細に説明する。第1図は本発明の一実施例であ
り,トリメチルガリウム(TMGa),トリメチルアルミニウム(TMAl)とアルシ
ン(AsH3)を用いたGaAsおよびGaAlAsのMOCVD装置の一例の断面図である。・・・原
料ガス導入口(3)からTMGaとTMAlおよびAsH3がキャリアガスと共に送られ,高周
波コイル(8)によって基板は加熱され,熱分解反応によりGaAsあるいはGaAlAsが
基板上に析出する。この時,すでに述べたように反応管内壁にはGaAs,GaAlAs,As
等からなる付着物(7)が付着する。
 次にこの付着物(7)を取り除くには,基板取出口(2)より基板を取出した
後,反応管加熱用発熱体(9)(10)を図に示した位置に置き,これを基板加熱
に用いたのと同じ高周波コイル(8)で加熱しつつ反応管内に塩化水素ガスを流せ
ばよい。」(2頁左下欄8行ないし右下欄9行)
 以上の記載によると,刊行物2には,「Ⅲ-Ⅴ族化合物であるGaAs又はGaAlAsの
半導体結晶(ガリウムヒ素系化合物半導体)の成長方法において,反応容器内に塩
化水素ガスを流し,反応容器内壁を気相エッチングすることにより該内壁に付着し
たGaAs,GaAlAs,As等からなる付着物を取り除くこと」が記載されていると認めら
れる。
 (3) そこで,刊行物1記載の発明に刊行物2に記載されていると認められる上記
の発明を適用することが容易であるか否かについて検討する。
 ア 審決は,「刊行物2には,「反応容器内壁一面に付着したⅢ-Ⅴ族化合物の
微少な粉末が基板上に落下すると表面状態を悪くするので,加熱しつつ反応管内に
塩化水素ガスを流すことにより完全に気相エッチングによって取り除く」旨記され
ており,前記「塩化水素ガス」は,「ハロゲン化水素からなる群から選ばれた少な
くとも1種のガス」である点,及び,刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明
もともに3-5族化合物半導体結晶の成長方法である点は,当該記載より明らかで
ある。」として,刊行物1記載の発明に刊行物2に記載されていると認められる発
明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要件も認められないとする。
 イ ところで,刊行物1に記載されたⅢ-Ⅴ族化合物半導体結晶は,Ⅲ族元素と
して少なくともGa,Ⅴ族元素として少なくともNを含有するⅢ-Ⅴ族化合物半導体結
晶,すなわち窒化ガリウム系化合物半導体結晶であるのに対し,刊行物2に記載さ
れたⅢ-Ⅴ族化合物半導体結晶は,ガリウムヒ素系化合物であるGaAs又はGaAlAsの
半導体結晶であって,刊行物2には窒化ガリウム系化合物半導体結晶についての記
載はない。
 Ⅲ族元素(B,Ga,Al,In)とⅤ族元素(N,P,As,Sb等)を含有する化合物であ
るⅢ-Ⅴ族化合物からなる半導体化合物には,多種の化合物が知られているところ
(このことは,例えば,株式会社サイエンスフォーラム発行の「最新化合物半導体
ハンドブック」(甲9)110頁左欄第4段落,右欄表-2,共立出版株式会社発
行の「薄膜作製ハンドブック」(乙2)270頁表2.5上欄の各記載から明らか
である。),化学物質の性質(質的な性質,量的な性質,物理的な性質,化学的な
性質など)は,一般的に,元素の種類が違えば同族の元素単体であっても異なるこ
とが多く,化合物となった場合にはさらに同じ族でも異なっていることが多いので
あって,このことは広く知られているところである。
 そして,窒化ガリウム系化合物とガリウムヒ素系化合物の酸に対する反応につい
てみるのに,ガリウムヒ素系化合物については,刊行物2に,前記(2)のとおり,
「Ⅲ-Ⅴ族化合物であるGaAs又はGaAlAsの半導体結晶(ガリウムヒ素系化合物半導
体)の成長方法において,反応容器内に塩化水素ガスを流し,反応容器内壁を気相
エッチングすることにより該内壁に付着したGaAs,GaAlAs,As等からなる付着物を
取り除くこと」が記載されているのに対し,窒化ガリウム系化合物については,例
えば,共立出版発行の「化学大辞典5」縮刷版(甲7)の窒化ガリウムの項に「酸
にはきわめて安定で,濃硫酸と熱時ゆっくり反応するだけである」と記載さ
れ,CHEMICALABSTRACTSSERVICE発行の「CHEMICALABSTRACTSVol.71,No10,
1969.9.8」(甲8)に「GaNは,concd.H2SO4,HClあるいはHNO3の作用をほとんど受
けない」と記載されているから,これらの記載によれば,両者は酸に対する反応が
相違することがうかがわれる。
 ウ 審決は,上記アのとおり,「刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明も
ともに3-5族化合物半導体結晶の成長方法である」として,刊行物1記載の発明
に刊行物2に記載された発明を適用して本願発明1を構成することに格別な阻害要
件も認められないとしたが,その際,窒化ガリウム系化合物とガリウムヒ素系化合
物の酸に対する反応の相違について,何ら検討していないし,本訴においても,こ
の相違を架橋するに足りる技術的要因を認めるべき主要,立証はない。すなわち,
刊行物2のガリウムヒ素系化合物を例示とするⅢ-Ⅴ族化合物に関する知見を一般
化して窒化ガリウム系化合物に適用することができるというような技術常識がある
ことは格別うかがえないから,刊行物2記載の発明も,刊行物1記載の発明も,共
にⅢ-Ⅴ族化合物半導体結晶の成長方法であるということのみを根拠として,刊行
物1記載の発明に刊行物2に記載の発明を適用することの容易性について判断した
審決は,当該技術分野における一般的な技術常識に基づくものであるとはいえず,
したがって,審決の判断には誤りがあるといわざるを得ない。
 (4) 被告の主張について
 ア 被告は,本願出願前,Ⅲ-Ⅴ族化合物の気相成長において,窒化ガリウム系
化合物半導体結晶は周知であったから,刊行物2にも,実質的に,窒化ガリウム系
化合物が記載されているということができるし,また,刊行物2は,窒化ガリウム
系化合物の気相成長の際にも,塩化水素ガスを流せばよいことを示唆していると主
張する。
 確かに,刊行物2にはⅢ-Ⅴ族化合物半導体結晶の成長方法が記載されており,
また,窒化ガリウム系化合物は,Ⅲ-Ⅴ族化合物の一つである(このことは,原告
も争わない。)。しかし,前記のとおり,化学物質の性質は,元素の種類が違えば
同族の元素単体であっても異なることが多く,化合物となった場合にはさらに同じ
族でも異なっていることが多いのであって,現に窒化ガリウム系化合物とガリウム
ヒ素系化合物とでは,酸に対する反応が相違することが認められるのである。そし
て,刊行物2のガリウムヒ素系化合物を例示とするⅢ-Ⅴ族化合物に関する知見を
一般化して窒化ガリウム系化合物に適用することができるというような技術常識が
あることは格別うかがえないから,窒化ガリウム系化合物も,ガリウムヒ素系化合
物も共にⅢ-Ⅴ族化合物であるとしても,刊行物2に,窒化ガリウム系化合物につ
いて実質的に記載されているということはできず,また,刊行物2が,窒化ガリウ
ム系化合物の気相成長の際,反応容器内壁の付着物を取り除くためには塩化水素ガ
スを流せばよいことを示唆しているということもできない。被告の上記主張は採用
することができない。
 イ また,被告は,甲7,8は,気体状態における窒化ガリウムの酸に対する反
応についてまでは言及していないし,乙7ないし11の記載によれば,窒化ガリウ
ムが酸に対し不活性であるとしても,このことが刊行物2記載の発明を適用するこ
との阻害要因となるものではないと主張する。
 しかし,甲7,甲8が液体状態における窒化ガリウムの酸に関する知見であり,
また,例えば,乙9によれば,HF(フッ化水素)が液体状態と気体状態とでその性
質を大きく異にすることが認められるとしても,このことから,窒化ガリウムが,
気体状態において酸に反応すると認めることはできない。そして,気体状態におい
て,ガリウムヒ素系化合物と窒化ガリウム系化合物とが酸に対し同様の性質をもつ
ものであり,かつ,このことが当業者の技術常識であると認めるに足りる証拠はな
いし,被告が本訴において提出した乙7ないし11によっても,本願出願当時にお
いて,刊行物2に記載された技術を刊行物1記載の発明に阻害要因がなく適用でき
ることを裏付けるような技術常識の存在を認めることはできない。
 そうであれば,Ⅲ-Ⅴ族化合物の溶解性,分解性等の反応が,酸の状態,すなわ
ち,熱の加わり方,液体か気体かなどによって,変わるものであるとしても,窒化
ガリウムが酸に対し不活性であるということは,通常,刊行物1の発明に刊行物2
記載の発明を適用することの阻害要因となるといわなければならない。
 したがって,被告の上記主張は採用することができない。
 2 以上によれば,刊行物1記載の発明に刊行物2記載の発明を適用することの
容易性についての審決の判断には誤りがあり,かつ,この誤りは審決の結論に影響
を及ぼすものであると認められるから,原告の主張する取消事由1は理由がある。
 したがって,その余の取消事由について判断するまでもなく,審決は取り消され
るべきである。
  東京高等裁判所知的財産第4部
        裁判長裁判官     塚  原  朋  一
           裁判官     塩  月  秀  平
           裁判官     髙  野  輝  久

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