弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする。
         理    由
 上告代理人福田力之助、同佐藤正三の上告理由第一点について。
 上告会社の支配人Dが、被上告会社の製菓原料店主任Eらの権限濫用の事実を知
りながら、本件売買取引をなしたものである旨の原審の認定は、原判決挙示の証拠
関係から是認できないものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、原審の
裁量に委ねられた証拠の取捨判断および事実の認定を非難するものであつて、採用
することができない。
 同第二点について。
 代理人が自己または第三者の利益をはかるため権限内の行為をしたときは、相手
方が代理人の右意図を知りまたは知ることをうべかりし場合に限り、民法九三条但
書の規定を類推して、本人はその行為につき責に任じないと解するを相当とするか
ら(株式会社の代表取締役の行為につき同趣旨の最高裁判所昭和三五年(オ)第一
三八八号、同三八年九月五日第一小法廷判決、民集一七巻八号九〇九頁参照)、原
判決が確定した前記事実関係のもとにおいては、被上告会社に本件売買取引による
代金支払の義務がないとした原判示は、正当として是認すべきである。したがつて、
原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の法律的見解を前提とする
か、もしくは、原審認定の事実と相容れない事実関係を主張して、原判示を非難す
るものであつて、採用することができない。
 同第三点について。
 民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務の執行行為そ
のものには属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範
囲内の行為に属するものと見られる場合をも包含するものと解すべきであることは、
当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和三五年(オ)第九〇七号、同
三七年一一月八日第一小法廷判決、民集一六巻一一号二二五五頁、同昭和三九年(
オ)第一一一三号、同四〇年一一月三〇日第三小法廷判決、民集一九巻八号二〇四
九頁、なお大審院大正一五年一〇月一三日民刑連合部判決、民集五巻七八五頁参照)。
したがつて、被用者がその権限を濫用して自己または他人の利益をはかつたような
場合においても、その被用者の行為は業務の執行につきなされたものと認められ、
使用者はこれにより第三者の蒙つた損害につき賠償の責を免れることをえないわけ
であるが、しかし、その行為の相手方たる第三者が当該行為が被用者の権限濫用に
出るものであることを知つていた場合には、使用者は右の責任を負わないものと解
しなければならない。けだし、いわゆる「事業ノ執行ニ付キ」という意味を上述の
ように解する趣旨は、取引行為に関するかぎり、行為の外形に対する第三者の信頼
を保護しようとするところに存するのであつて、たとえ被用者の行為が、その外形
から観察して、その者の職務の範囲内に属するものと見られるからといつて、それ
が被用者の権限濫用行為であることを知つていた第三者に対してまでも使用者の責
任を認めることは、右の趣旨を逸脱するものというほかないからである。したがつ
て、このような場合には、当該被用者の行為は事業の執行につきなされた行為には
当たらないものと解すべきである。
 本件につき原審の確定した事実によれば、前述のように、被上告会社製菓原料店
主任Eは、同人らの利益をはかる目的をもつて、その主任としての権限を濫用し、
被上告会社製菓原料店名義を用いて上告会社と取引をしたものであるが、上告会社
支配人Dは、Eが右のようにその職務の執行としてなすものでないことを知りなが
ら、あえてこれに応じて本件売買契約を締結したというのである。そうすれば、被
上告会社が右契約により上告会社の蒙つた損害につき民法七一五条により使用者と
しての責任を負わないものと解すべきことは、前段の説示に照らして明らかである。
すなわち、本件売買取引による損害は、Eが被上告会社の事業の執行につき加えた
損害に当たらないと解すべきであり、これと同趣旨の原審の判断は正当として是認
することができ、原判決に所論の違法は認められない。なお、所論のように右Dが
Eの背任行為に加担したという事実は原審の認定しないところであるから、所論引
用の判例は本件と事案を異にして適切でない。論旨は、独自の法律的見解に立脚す
るか、もしくは、原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するに帰し、
採ることができない。
 よつて民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大隅健一郎の意見がある
ほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
 裁判官大隅健一郎の意見は、つぎのとおりである。
 上告理由第二点に関する多数意見の結論には異論はないが、その理由については
賛成することができない。
 被上告会社の製菓原料店主任Eは商法四三条にいわゆる番頭、手代に当たり、同
条により、右製菓原料店における原料の仕入に関して一切の裁判外の行為をなす権
限を有するものと認められる。そして、ある行為がその権限の範囲内に属するかど
うかは、客観的にその行為の性質によつて定まるのであつて、行為者Eの内心の意
図のごとき具体的事情によつて左右されるものではない。このことは、商法が番頭、
手代の代理権の範囲を法定するのは、これと取引する第三者が、取引に当り、一々
具体的事情を探求して、その行為が相手方の代理権の範囲内に属するかどうかを調
査する必要をなくする趣旨に出ていることに徴して、窺うにかたくない。そうであ
るとすれば、本件売買契約は、前記Eが何人の利益をはかる目的をもつて締結した
かを問わず、その権限内の行為であつて、これにより被上告会社が責任を負うのは
当然といわなければならない。この場合に、相手方たる上告会社の支配人Dが右契
約がEの権限濫用行為であることを知つていても、それがEの権限内の行為である
ことには変りはない。しかし、このような場合に、悪意の相手方がそのことを主張
して契約上の権利を行使することは、法の保護の目的を逸脱した権利濫用ないし信
義則違反の行為として許されないものと解すべきである。その意味において、多数
意見の結論は支持さるべきものと考える。
 多数意見は、この場合に心裡留保に関する民法九三条但書の規定を類推適用して
いるが、いうまでもなく、心裡留保は表示上の効果意思と内心的効果意思とが一致
しない場合において認められる。しかるに、代理行為が成立するために必要な代理
意思としては、直接本人について行為の効果を生じさせようとする意思が存在すれ
ば足り、本人の利益のためにする意思の存することは必要でない。したがつて、代
理人が自己または第三者の利益をはかることを心裡に留保したとしても、その代理
行為が心裡留保になるとすることはできない。おそらく多数意見も、代理人の権限
濫用行為が心裡留保になると解するのではなくして、相手方が代理人の権限濫用の
意図を「知りまたは知ることをうべかりしときは、その代理行為は無効である、」
という一般理論を民法九三条但書に仮託しようとするにとどまるのであろう。すで
にして一般理論にその論拠を求めるのであるならば、前述のように、権利濫用の理
論または信義則にこれを求めるのが適当ではないかと考える。しかも、この両者は
必ずしもその結論において全く同一に帰するものでないことを注意しなければなら
ない。すなわち、多数意見によれば、相手方が代理人の権限濫用の意図を知らなか
つたが、これを知ることをうべかりし場合には、本人についてその効力を生じない
ことは明らかであるが、私のような見解によれば、むしろこの場合にも本人につい
てその効力を生ずるものと解せられる。そして、代理人の権限濫用が問題となるの
は、実際上多くは法人の代表者や商業使用人についてであることを考えると、後の
見解の方がいつそう取引の安全に資することとなつて適当ではないかと思う。
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    大   隅   健   郎
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    長   部   謹   吾
            裁判官    松   田   二   郎
            裁判官    岩   田       誠

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