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平成22年12月22日判決言渡同日判決原本領収裁判所書記官
平成22年(行ケ)第10147号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成22年12月15日
判決
原告エフホフマン−ラロッシュ
アクチェンゲゼルシャフト
訴訟代理人弁理士河村洌
藤森洋介
谷征史
被告特許庁長官
指定代理人横井亜矢子
秋月美紀子
岩崎伸二
田村正明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と
定める。
事実及び理由
第1原告が求めた判決
特許庁が不服2008−9110号事件について平成21年12月21日にした
審決を取り消す。
第2事案の概要
本件訴訟は,特許出願拒絶査定を不服とする審判請求を成り立たないとした審決
の取消訴訟である。争点は,本願発明の進歩性(容易想到性)の有無である。
1特許庁における手続の経緯
原告は,平成13年10月1日,優先日を平成12年(2000年)10月6日,
優先権主張国を米国として,特願2001−305459号の特許出願をしたが,
平成16年(2004年)11月2日,上記特許出願を分割して,名称を「バイオ
センサおよびそれに用いる電極セット,ならびにバイオセンサを形成するための方
法」とする発明を分割出願した(特願2004−319511号)。
原告は,平成20年1月10日,上記分割出願(本件出願)につき拒絶査定を受
けたので,その後に特許庁に対して不服審判請求をし,不服2008−9110号
事件として係属したが,特許庁は,平成21年12月21日,「本件審判の請求は,
成り立たない。」との審決をし,この謄本は平成22年1月12日に原告に送達され
た。
2本願発明の要旨
本願発明は,血液中の検体の濃度の測定等のために使用されるバイオセンサに関
する発明で,平成19年9月26日付け手続補正書(甲4)に記載の請求項の数は
4であるが,そのうち請求項1に係る発明(本願発明)の特許請求の範囲は以下の
とおりである。
【請求項1】
「第1の表面と,該第1の表面上の所定の反応域,および該第1の表面において
該反応域に隣接し,かつ少なくとも外接して配置された凹部を包含して形成された
下部プレート要素と,前記反応域の少なくとも一部に被覆された試薬と,前記試薬
を横切って延び,隙間を画定するために前記下部プレート要素と共同する上部プレ
ート要素とを備え,
前記隙間が開口を有し,液体サンプルを該開口から試薬に移送する寸法を有し,
前記開口と試薬との間の隙間に前記凹部の少なくとも一部が配置され,当該凹部
の少なくもと
ママ
1つが1000μmの幅を有してなるバイオセンサであって,
前記上部プレート要素と下部プレート要素との間に,第1の部分(70)と第2
の部分(72)とを含むスペーサ(15)を備え,該第1の部分(70)および第
2の部分(72)のそれぞれの両端(60,62)間に延び,対向する縁(64)
が前記隙間を共同して形成し,該第1の部分および第2の部分の各端(62)が,
前記反応域に形成された電極アレイから間隔をおいて配置されてなるバイオセン
サ。」
3審決の理由の要点
本願発明は,下記刊行物1に記載された発明(以下「引用発明」という。)に下記
刊行物2の記載事項を組み合わせることにより,当業者が容易に発明できたもので
進歩性を欠く。
【刊行物1】特開平9−159644号公報(甲1)
【刊行物2】特開平2−1535号公報(甲2)
なお,審決が認定した引用発明の要旨,本願発明と引用発明の一致点及び相違点
はそれぞれ下記のとおりである。相違点について審決がした容易想到性判断は,そ
の判断誤りに関する後記取消事由の項で引用する。
【引用発明の要旨】
「2枚の絶縁性基板(1a)(1b)が,スペーサ(4)を介して反応層(3)が
面する空間部(6)を残すように積層された構造のバイオセンサであって,下側の
絶縁性基板(1a)に,全ての電極系と,反応層及びスペーサが形成され,接続端
子が露出するような切欠き部(11)及び排出口(62)を有する上側の絶縁性基
板(1b)が,スペーサ(4)により接着・積層され,下側の絶縁性基板(1a)
上に形成される電極系は,リード(21),電極(22),接続端子(23),及び絶
縁層(5)から構成され,酵素等の生体関連物質を含む反応層(3)は,塗液のデ
ィスペンサによる塗布で電極(22)上に設けられ,電極及びリードの露出不要部
は絶縁層(5)で覆われ,スペーサ(4)は反応層を試料液に接触させるための空
間部(6),導入口(61)及び導入口とは反対側の側端面部も開口するように,両
側に直線状のパターンとして下側の絶縁性基板に,部分的塗布により形成されたも
のである,バイオセンサ」。
【本願発明と引用発明の一致点】
「第1の表面と,該第1の表面上の所定の反応域が形成された下部プレート要素
と,前記反応域の少なくとも一部に被覆された試薬と,前記試薬を横切って延び,
隙間を画定するために前記下部プレート要素と共同する上部プレート要素とを備え,
前記隙間が開口を有し,液体サイン
ママ
プルを該開口から試薬に移送する寸法を有し
てなるバイオセンサであって,
前記上部プレート要素と下部プレート要素との間に,第1の部分と第2の部分と
を含むスペーサを備え,該第1の部分および第2の部分のそれぞれの両端間に延び,
対向する縁が前記隙間を共同して形成し,該第1の部分および第2の部分の各端が,
前記反応域に形成された電極アレイから間隔をおいて配置されてなるバイオセンサ
である点。」
【本願発明と引用発明の相違点】
「本願発明では,下部プレート要素が,第1の表面において反応域に隣接し,か
つ少なくとも外接して配置された凹部を包含して形成されたものであって,開口と
試薬との間の隙間に凹部の少なくとも一部が配置され,当該凹部の少なくとも1つ
が1000μmの幅を有しているものであるのに対し,引用発明は,このような凹
部を有さない点。」
第3原告主張の審決取消事由
1刊行物2の記載事項の認定の誤り(取消事由1)
(1)ア審決は,引用発明に組み合わせるべき刊行物2の記載事項に関し,次のと
おり認定する。
「刊行物2・・・には,酵素等の試薬のコーテイング(32)を測定電極(21)
上に形成した感知装置,つまりバイオセンサであって,測定電極(21)が,第2
図に示すように,『モート』(33)によって取囲まれたものが記載され,第2図及
び『コーティング32は,プラグ31の1つの表面をカバーし,そしてそこから短
い距離でプラグを取囲むモート33に至る』・・・との記載からみて,モートは,電
極と接触しないように電極を取り囲んで形成された凹部であるといえる。
さらに,モートの機能として,表面張力により,コーティング組成物のための鋭
い境界を形成し,その広がりを精確に電極の区域に限定することが記載されてい
る・・・。」(6頁)
イしかしながら,本願発明のバイオセンサでは,2つの電極からなるアレイを
含む反応域の周囲に部分的に「凹部」が設けられており,試薬が上記反応域からさ
らに外部に広がらないようにするためだけでなく,基板への接着力に影響するスペ
ーサの下への試薬の浸入を防止している。また,本願発明の「凹部」は,反応域で
略均一な化学反応が進むような厚さを有する試薬分布を形成し,正確な分析を可能
にすること,また試薬を外接する境界内に保持し,プレート要素上の液体の流れを
制御することを目的としている。
他方,刊行物2の「モート」は,複数の電極のうちの1つのみを試薬で被覆する
ことができるようにし,他の電極に試薬が広がらないようにするために設けられる
ものであり,2つの電極からなるアレイが試薬で覆われる本願発明の構成とは目的
及び効果が異なる。
また,刊行物2に記載の技術においては試薬の厚さを均一にすることが認識され
ていないし,試薬の厚さを均一にしようとするときに,試薬の広がりを精確に電極
の区域に限定する機能を有する構造である「モート」を採用するはずはない。
また,刊行物2のセンサーでは目盛り定め剤を流した後に試料を上部から流し入
れて使用するものであるから,開口部と試薬との間に「凹部」を設けるという構成
を有するものでもない。
そして,刊行物2のセンサーにはスペーサが設けられていないから,スペーサの
下に試薬が浸入することを防止するという発想が生じるものではない。
そうすると,本願発明の「凹部」と刊行物2の「モート」とは,これらが設けら
れる目的及びその効果が全く異なるのであって,後者の「モート」は前者の「凹部」
に当たるものではない。
しかるに,前記のとおり,審決は上記結論に反する認定をしたもので,審決のこ
の認定は誤りである。
2容易想到性判断の誤り(取消事由2)
(1)ア審決は,引用発明に刊行物2の記載事項を組み合わせることに関し,次の
とおり判断する。
「電極上に試薬を含む塗液を被覆して反応域を形成したバイオセンサにおいて,
電極上に塗液を供給し広げてた
ママ
際に,塗液が電極上全体に広がらず,被覆される塗
液の厚みが不均一となれば,電極上に試薬が不均一な状態で存在することとなり,
正確な分析が行えないことは,当業者であれば当然認識している技術常識である。
そうすると,引用発明において,電極上の反応域にディスペンサによる塗布が均
一になされるように,電極の周囲に,刊行物2に記載されるような凹部を形成して,
反応域に隣接し,かつ少なくとも外接して配置された凹部を,液体サンプルを導入
する開口と反応域との間の隙間も含めて形成されたものとし,その際に,凹部の幅
を,反応域の大きさ等のバイオセンサの構造に応じて,最適化し,1000μmと
することは,当業者が容易になし得たものといえる。
そして,本願発明の効果も,刊行物1及び2の記載事項から予測されるものであ
り,格別顕著なものとはいえない。」(6,7頁)
イ引用発明が解決すべき技術的課題は,構成部品であるスペーサシートを減ら
し,構造を簡単にしてコストを小さくすることにあり,そのために1枚の絶縁性基
板にスペーサを印刷又は塗布することで,スペーサシートを省略し得る構成が採用
されたものである。
そして,刊行物1には反応層の厚さについての記載は存せず,反応層の形成に当
たり,下側の絶縁性基板又は他の部材に何らかの加工を施す趣旨の記載も存しない
から,引用発明においては,反応層の厚さについての認識も,反応層の厚さを制御
するために他の構成を設けることの認識もなされていないというべきである。
そうすると,刊行物1においては,構造を簡単にしてバイオセンサを安価にする
ことが目指されているのみで,正確な分析を可能にするため,試薬の厚さを均一に
するべく,「凹部」を設けることは示唆されていない。
前記のとおり,刊行物2の「モート」と本願発明の「凹部」とは,これらの構成
を設ける目的,作用,効果が異なるから,「略均一な化学反応となる厚さを有する試
薬分布を形成する」ために,引用発明に刊行物2の「モート」を組み合わせて本願
発明の「凹部」に係る構成とする動機付けがない。
ウまた,そもそも本願発明の優先日当時,電極上に試薬を被覆して反応域を形
成するバイオセンサにおいて,正確な分析を行うために,試薬の厚さを均一なもの
とすることは当業者の間の技術常識ではなかった。
エそして,引用発明の反応層においては,一対の電極を含む反応層全体を試薬
が被覆するのに対し,刊行物2の反応域においては,3つの電極のうちの1つのみ
が試薬によって被覆され,コーティング組成物で覆われる電極以外の電極はモート
の機能によって試薬で被覆されない。そうすると,引用発明と刊行物2とでは,電
極が試薬によって被覆される態様が異なるから,引用発明に刊行物2の記載事項を
組み合わせる動機付けがない。
オしかるに,前記のとおり,審決は,本願発明の優先日当時,引用発明に刊行
物2の記載事項を組み合わせて相違点を解消することが当業者にとって容易である
旨判断しているが,この判断は誤りである。
(2)引用発明のバイオセンサでは,一対の電極を含む反応域の全部を覆うように
試薬が被覆するが,刊行物2のセンサーでは,他の電極の上に試薬が広がることを
制限するために「モート」が設けられている。
そうすると,引用発明のバイオセンサに刊行物2のモートを組み合わせた場合,
「モート」の部分で電極のリード線が断線してしまい,バイオセンサとして機能し
ないものになってしまう。
あるいは,仮に1つの電極側の外周を「モート」ですべて囲むようにしても,作
用する電極又はこれと対になる電極のいずれかの外周が「モート」で囲まれるだけ
であって,バイオセンサとして有効な反応域を形成することができない。
したがって,引用発明に刊行物2の記載事項を組み合わせることには阻害事由が
あり,上記組合せをすることはできない。
(3)以上のとおり,本願発明の優先日当時,引用発明に刊行物2の記載事項を組
み合わせることにより,当業者において相違点に係る構成に容易に想到することが
できないから,これに反する審決の判断は誤りである。
第4取消事由に関する被告の反論
1取消事由1に対し
本願明細書の段落【0010】,【0011】,【0020】の記載に照らせば,本
願発明の「凹部」は,下部プレート要素上に適正量の試薬を凹部に沿って境界内部
に拡散させる作用と,拡散を特定境界内に制限するためのブロックとしての作用を
有し,これらの作用により適正量の試薬は表面一杯に拡散し,略均一な化学反応と
なる厚さの試薬分布を形成するものであるということができる。
一方,刊行物2の「モート」は,「電極のへりにおいて鋭い表面を形成し,これに
よって,表面張力により,コーティング組成物のための鋭い境界を形成し,その広
がりを精確に電極の区域に限定する」ものであって,電極区域にコーティング組成
物を限定するだけでなく,コーティング組成物のための鋭い境界を形成し,電極の
境界内にコーティング組成物を広げるものである。
そして,本願明細書に記載された凹部に沿って試薬を拡散させる塗布方法と,刊
行物2に記載されたモートに沿ってコーティング組成物を拡散させる塗布方法とは,
実質的に同じ塗布方法といえるから,いずれの方法においても同様に略均一な厚さ
の塗膜が形成される。
そうすると,刊行物2の「モート」は,コーティング組成物のための鋭い境界に
より,コーティング組成物を電極の境界内の区域全体にまんべんなく広げるもので
あり,結果的にそのコーティングの厚さは略均一になる。
ここで,特定の小領域に液状材料を塗布するに当たって,塗液を領域全体に広げ
るために上記領域を凹部で囲む手法は,周知の技術手法である(乙1)。
なお,本願発明の「凹部」と刊行物2の「モート」とはともに,電極上の反応層
の境界を形成することを技術的課題とするものであって,反応層が覆う電極の数は
技術的課題の本質を左右するものではない。また,刊行物2の「モート」はコーテ
ィング組成物の広がりを精確に限定する機能を有しているものであるから,他の部
位に余分に試薬が広がらないようにしていることは当然であって,この点において,
スペーサの下に試薬が浸入しないようにする本願発明の構成と異なる発想に立つも
のではない。
結局,本願発明の「凹部」と刊行物2の「モート」とは異なる技術的課題を解決
するものではない。
したがって,刊行物2の「モート」が本願発明の「凹部」に当たるとした審決の
認定に誤りはない。
なお,刊行物2のセンサーと本願発明のバイオセンサの開口位置の相違は,発明
の組合せによる本願発明の容易想到性において考慮されれば足り,上記相違がある
からといって,刊行物2の「モート」が本願発明の「凹部」に当たらないとする必
要はない。
2取消事由2に対し
(1)ア刊行物1の段落【0001】の記載にかんがみれば,引用発明のバイオセ
ンサによって解決すべき技術的課題である,構造を簡単にして安価なセンサを提供
することが,迅速,容易かつ正確な定量を行うという技術的課題を前提にしている
ことは明らかである。したがって,引用発明が解決すべき技術的課題を構造の簡易
化,コスト低減にのみ求めるのは誤りである。
イバイオセンサにおいて,試薬を含む塗液が電極全体に広がらず,塗液(試薬)
の厚みが不均一となれば,正確な分析が行えなくなるのは,当業者であれば当然認
識している事柄である。そして,分析の技術分野で正確な分析を行うことは自明の
技術課題であり,電極上に試薬を含む塗液を被覆して反応域を形成したバイオセン
サにおいて,正確な分析を行うために,電極全体に均一な厚さで塗液を供給するこ
とは,乙第2,3号証にも記載された技術常識である。
審決はこの技術常識を前提として,引用発明のバイオセンサに対する刊行物2の
記載事項の適用の可能性を論じたにすぎない。
なお,当業者がセンサの構造につき試行錯誤を重ねてその改良等を行うことは通
常の事項であって,引用発明のバイオセンサに改良を加えてより正確な分析ができ
るようにすることは,当業者にとって何ら格別のものではない。
ウ前記1のとおり,本願発明の「凹部」と刊行物2の「モート」とはともに,
電極上の反応層の境界を形成することを技術的課題とするものであって,反応層が
被覆する電極の数は技術的課題の本質を左右するものではない。
エしたがって,本願発明の優先日当時,引用発明に刊行物2の記載事項を組み
合わせて相違点を解消することにつき動機付けがあったものである。
(2)引用発明のバイオセンサにおいて,センサの動作原理が電気化学的なもので
あり電極への配線による通電が必須であることは明らかであるから,電極の周囲に
凹部を形成する際,電極への配線を断線させないよう凹部を形成する位置を決める
ことは当業者の技術常識にかんがみて当然の事柄であるし,電極の周囲のごく一部
に凹部が欠けた部分を設けたとしても,凹部による機能(作用効果)がすぐさま阻
害されるものでないから,電極の全周にわたって凹部を形成することが必ずしも必
要とされるものでない。
また,引用発明のバイオセンサでは,作用極及び対極が櫛形に入り込んだ電極が
設けられており,その上に反応層が形成されることは明らかであるから,当業者で
あれば,モートつまり凹部を形成するに当たって,反応域の電極を形成する作用極
及び対極の双方の周囲を囲むように構成することは容易になし得ることである。し
たがって,引用発明のバイオセンサに刊行物2の記載事項を適用した場合に,バイ
オセンサとして有効な反応域を形成することができないものではない。
そうすると,引用発明に刊行物2の記載事項を組み合わせる上で阻害要因は存し
ない。
(3)以上のとおり,本願発明の優先日当時,当業者において,引用発明に刊行物
2の記載事項を組み合わせることにより,相違点に係る構成に容易に想到すること
ができたといえるのであって,これと同旨の審決の判断に誤りはない。
第5当裁判所の判断
1取消事由1(刊行物2の記載事項の認定の誤り)について
(1)原告は,本願発明の「凹部」と刊行物2の「モート」とは,これらが設けら
れる目的及びその効果が全く異なり,後者の「モート」は前者の「凹部」に当たる
ものではないと主張するところ,本願明細書(甲3)の段落【0010】には「本
発明のバイオセンサは,試薬の拡散を助ける凹部を有することにより,略均一な化
学反応となる厚さを有する試薬分布を形成し,正確な分析を可能にする。」との記載
があるから,反応域内の電極アレイの少なくとも一部に外接する「凹部」は,反応
域に塗布されるべき試薬の拡散を助け,試薬の厚さを好ましい概ね均一なものとす
る目的で設けられ,その効果が上記試薬の好ましい拡散,略均一な厚さの試薬分布
を実現し,もって正確な分析(計測)を可能にすることにあることは明らかである。
他方,刊行物2(甲2)中には,「モート」に関して,「測定電極を取囲むモート
は,電極のへりにおいて鋭い表面を形成し,これによって,表面張力により,コー
ティング組成物のための鋭い境界を形成し,その広がりを精確に電極の区域に限定
する。」(5頁右上欄下から3行∼左下欄上から2行。16頁左下欄1∼5行も同旨。)
との記載があるから,刊行物2に記載された「モート」(moat,濠)は,メチレ
ンブルー等のコーティング組成物である試薬の広がりを電極及びその周囲の所要の
区域(本願発明の「反応域」に概ね相当する。)に精確に限定する目的で設けられる
ものである。
ここで,刊行物2の「モート」(33)は,下記の図2及び5のように,バイオセ
ンサのプレート表面に設けられた凹みであるから,コーティング組成物を電極を含
む反応域内に注入ないし塗布するときは,コーティング組成物が水分を含む流動性
のある物質であるために,コーティング組成物が「モート」の壁の働きもあって反
応域全体に拡散すること,及びコーティング組成物自体の表面張力のために,反応
域上のコーティング組成物の厚さが測定の都合上好ましい概ね均一なものになるこ
とを容易に推認できる。
そして,半導体パッケージ装置に関する刊行物ではあるが,特開平10−150
127号公報(乙1)中には,プレート状の基板に溝を設けることにより,液状の
封止用樹脂の表面張力の働きで,封止用樹脂の広がりの範囲を容易かつ正確に制御
でき,封止用樹脂の高さ(厚さ)のばらつきを抑える構成(段落【0022】,【0
034】)が記載されているから,特定の領域に液状の材料(刊行物2でいえばコー
ティング組成物,本願発明でいえば試薬)を注入ないし塗布するに当たり,プレー
ト状の部材に溝ないし幅の狭い凹部を設けて,上記液状材料の広がりを制御したり,
上記液状材料の厚さを制御したりすることは,当業者にとって周知の手法であると
もいうことができる。
なお,化学物質たる検体の有無や濃度を検出する分析機器であるバイオセンサに
おいて,正確な測定,分析を行うことは当業者にとって自明の事柄にすぎず,正確
な測定,分析を実現するために,当業者が必要な措置,工夫を講じることは当然の
ことである。
そうすると,刊行物2の「モート」も,本願発明の反応域に注入ないし塗布する
コーティング組成物(試薬)の拡散を助け,コーティング組成物の厚さを好ましい
概ね均一なものとする目的で設けられ,その効果が上記コーティング組成物の好ま
しい拡散,略均一な厚さのコーティング組成物の分布を実現し,もって正確な分析
(計測)を可能にすることにある点で,本願発明の「凹部」と異なるものではない
ということができる。
したがって,本願発明の「凹部」と刊行物2の「モート」との間で,両者が設け
られた目的及びその効果が異なるとはいうことができない。
そうすると,刊行物2の「モート」について本願発明と引用発明との間の相違点
への適用可能性を認めた審決の判断に誤りがあるとはいえない。
(2)アこの点,原告は,本願発明のバイオセンサの「凹部」はスペーサの下への
試薬の浸入を防止する機能を有しているところ,刊行物2の「モート」はかかる機
能を有しない旨を主張する。
確かに,刊行物2のセンサーにおいては,本願発明の反応域に当たる部分を含む
プレート状の部材(キャリアー11)と上からこれを覆うプレート状の部材(板1
2)との間に設けられるプレート状の部材(小片)であるスペーサは設けられてお
らず,したがって刊行物2の「モート」もスペーサの下に試薬ないし試料が浸入し
ないようにする機能を有していない。
しかしながら,原告が上記のとおり主張する「凹部」の機能や,スペーサ下部に
浸入した試薬がスペーサと基板との接着性に影響することは,本願明細書に何ら記
載されていないのであって,本願発明の発明者において明確に認識していなかった
事項であるか,又は「凹部」の副次的な機能にすぎないものというべきである。
他方,刊行物2の「モート」も,コーティング組成物の広がりを精確に限定する
機能を有しているから,コーティング組成物が広がる必要のない他の部分にまでこ
れが広がることを抑止する機能があることは当然の前提となっているともみること
ができる。
そうすると,原告が上記のとおり主張する機能の有無は,スペーサの構成を具備
するか否かによって必然的に生じるものにすぎず,「凹部」や「モート」の主たる機
能である試薬ないしコーティング組成物の広がりを限定する機能の共通性にかんが
みれば,刊行物2の「モート」が本願発明の「凹部」に当たるか否かの結論を左右
するものではない。
イまた,原告は,刊行物2の「モート」は,複数の電極のうちの一つのみを試
薬で被覆するものであって,2つの電極からなるアレイが試薬で覆われる本願発明
の構成とは目的及び効果が異なる等と主張する。
確かに,刊行物2には,電極のうちの一つをコーティング組成物で被覆する旨の
記載があるが(3頁左上欄下から3行∼右上欄上から2行,14頁左上欄上から3
∼7行も同旨),前記のとおり,刊行物2の「モート」は,電極上の反応域の境界を
形成することを技術的課題とするものであって,複数の電極のうちの一つを試薬で
被覆することは,溶液中の化学物質を検出,測定するセンサーを設計する上で採用
し得る構成の一つを選択したにすぎず,この構成に限定しなければならない理由は
ないから,試薬によって被覆される電極の個数は上記の技術的課題の本質を左右す
るものではない。
ウまた,原告は,刊行物2のセンサーは開口部と試薬との間に「凹部」を設け
るという構成を有しない等と主張する。
しかしながら,開口部と試薬との間の「モート」の有無は,試薬ないしコーティ
ング組成物の広がりの限定を図る点において,本願発明と引用発明との間の相違点
の構成への適用可能性に何ら影響を及ぼすものではない。
そうすると,刊行物2のセンサーと本願発明のバイオセンサの開口位置の相違は,
引用発明に刊行物2の記載事項を組み合わせることにより本願発明の構成を容易に
想到できるか否かの点において考慮されれば足り,上記開口位置の相違をもって刊
行物2の「モート」が本願発明の「凹部」に当たらないといわなければならないも
のではない。
(3)以上のとおり,刊行物2の記載事項に係る審決の認定に誤りがあるとはいえ
ず,原告が主張する取消事由1は理由がない。
2取消事由2(容易想到性の判断の誤り)について
(1)引用発明のバイオセンサは血液中のグルコース等の化学物質を測定する機
器であり(刊行物1の段落【0001】),刊行物2のセンサーも水溶液中のグルコ
ース等の化学物質を測定する機器であって(1頁右下欄下から2行∼2頁左上欄上
から4行),両者は技術分野が共通するところ,化学物質の有無や濃度を検出する分
析機器であるバイオセンサにおいて,正確な測定,分析を行うことは当業者にとっ
て自明の事柄であり,正確な測定,分析を行うための機器の実現は当業者にとって
当然の技術的課題にすぎない。
そうすると,上記技術的課題を解決するために,刊行物2の「モート」の構成を
引用発明に組み合わせる動機付けがあるということができる。
(2)この点,原告は,引用発明においては,反応層の厚さについての認識も,反
応層の厚さを制御するために他の構成を設けることの認識もないし,引用発明では,
構造を簡単にしてバイオセンサを安価にすることが目指されているのみで,正確な
分析を可能にするため,試薬の厚さを均一にするべく凹部を設けることが示唆され
ていない等と主張する。
確かに,刊行物1の段落【0004】ないし【0006】によれば,引用発明の
技術的課題は,安価なバイオセンサを提供するため,構造を簡単にし,構成部品を
少なくし,製造工程を少なくすることにあり,引用発明による解決手段は,バイオ
センサを構成する2枚の絶縁性基板のうちの1枚に印刷等の方法でスペーサを形成
し,独立したスペーサシートを省略することにあるということができる。
しかしながら,化学物質の有無や濃度を検出する分析機器であるバイオセンサに
おいて,正確な測定,分析を行うことは当業者にとって自明の事柄であり,正確な
測定,分析を行うための機器の実現は当業者にとって当然の技術的課題にすぎない。
また,電極上の試薬の厚さが均一でなく,例えば反応域ないし反応層の一部にこ
れらが広がっていないような極端な場合には,当該センサを用いた正確な測定,分
析を行うことができないのは明らかであるから,引用発明の発明者や刊行物1に接
した当業者において,電極上の試薬の厚さを考慮しないとは考え難い。
特開平10−332624号公報(乙2)においても,バイオセンサの電極上の
試薬による塗膜の厚さを均一にして,センサの信号レベルを安定させる旨の記載(特
許請求の範囲,発明の詳細な説明の段落【0003】,【0005】,【0021】)が
あるし,特開2000−221156号公報(乙3)においても,バイオセンサの
電極上の試薬層の厚みにばらつきがあると検体との反応が不均一になって測定誤差
の大きな要因となる旨の記載(段落【0005】)があるところであって,これらの
記載は上記結論に沿うものである。
そうすると,仮に刊行物1に試薬の厚さについての記載が明示されていないとし
ても,当業者において当然に考慮すべき事柄であって,電極上の試薬の厚さを均一
にするべく,引用発明のバイオセンサに刊行物2の「モート」を組み合わせて,電
極の周囲に凹んだ部分すなわち「凹部」を設ける動機付けに欠けるところはないと
いうべきである。
なお,刊行物2の「モート」は電極上の試薬の広がりを限定して,結果的に試薬
の厚さを適切なもの,すなわち概ね均一かつ必要な厚さにする機能を果たすもので
あることは明らかであるし,試薬等の厚さに係る上記の観点からすれば,遅くとも
本願発明の優先日当時,正確な分析,測定を実現するために,電極上の試薬の厚さ
を均一にすることは当業者の技術常識であったと評価して差し支えない。
(3)また,前記のとおり,刊行物2の「モート」は,電極上の反応域の境界を形
成するものであって,試薬によって被覆される電極の個数はこの形成作用を左右す
るものではないから,引用発明の電極の個数と刊行物2の電極の個数の相違は,引
用発明に刊行物2の「モート」を組み合わせる上で,動機付けの障害となるもので
はない。
(4)そうすると,本願発明の優先日当時,当業者において,引用発明のバイオセ
ンサに刊行物2の「モート」を組み合わせることにより,電極の周囲であって,反
応域に隣接し,少なくとも反応域に外接する箇所に凹部を設け,試料液を導入する
開口部から反応域に至る区域も含めて,反応域を囲むように凹部を形成することは,
容易に想到し得えたことであるということができる。
また,上記組合せによる効果も,当業者が予測し得ない格別なものであるとまで
はいえない。
ここで,上記凹部の幅を,反応域の大きさ等のバイオセンサの構造に応じて最適
化し,例えば1000μm(1mm)とすることは,当業者が容易に選択できた設
計的事項であることは明らかである。
そうすると,本願発明の優先日当時,当業者において,引用発明に刊行物2の記
載事項を組み合わせることに基づいて,相違点に係る構成に容易に想到できたとい
うことができ,この旨をいう審決の判断に誤りがあるとはいえない。
(5)原告は,引用発明のバイオセンサに刊行物2のモートを組み合わせた場合,
モートの部分で電極のリード線が断線してしまい,バイオセンサとして機能しない
ものになってしまうとか,仮に1つの電極側の外周をモートですべて囲むようにし
ても,作用する電極又はこれと対になる電極のいずれかの外周がモートで囲まれる
だけであって,バイオセンサとして有効な反応域を形成することができないとして,
引用発明に刊行物2の記載事項を組み合わせることには阻害事由があると主張する。
しかしながら,引用発明のバイオセンサは電気化学的な原理を利用して動作する
ものであるところ(刊行物1の段落【0002】参照),電極と他の部位を結ぶリー
ド線が断線することのないよう各部材の構成,配置を考案するのは当業者にとって
当然である。また,刊行物2のセンサーにおいて「モート」(33)が電極(測定ア
ノード21)を概ね取り囲んでいるのは,電極がプレートの表裏を貫く導電部材で
あるグラファイトプラグ31の表側に接続され,グラファイトプラグ31の裏側に
設けられた配線部材である導電性トラック34によって電気的に接続されている構
造を有しており,したがってプレートの表側で配線する必要がないからにすぎない。
したがって,引用発明のバイオセンサに刊行物2の「モート」(「凹部」)を組み合わ
せる場合,原告が主張するように,電極から伸びるリード線を断線するように組み
合わせなければならないものではなく,原告の上記主張は不合理というべきである。
また,バイオセンサの電極の周囲に設ける「モート」ないし「凹部」の一部に,
小さな幅で「モート」ないし「凹部」が欠けた部分,すなわち「モート」ないし「凹
部」を作らない部分を設けたとしても,試薬の拡散を助け,試薬の厚さを好ましい
概ね均一なものとし,もって正確な分析(計測)を可能にするという「凹部」の作
用効果を奏し得ることは明らかであって,必ずしも電極の周囲を切れ目なく「モー
ト」ないし「凹部」で囲まなければならないものではない。
そうすると,引用発明のバイオセンサに刊行物2の「モート」を組み合わせる際
に原告主張の阻害事由があるとはいえない。
(6)結局,本願発明の容易想到性に係る審決の判断に誤りがあるとはいえず,原
告が主張する取消事由2は理由がない。
第6結論
以上によれば,原告が主張する取消事由はいずれも理由がないから,主文のとお
り判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官
塩月秀平
裁判官
真辺朋子
裁判官
田邉実

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