弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 被告は、原告全国税関労働組合東京支部に対し、金一一〇万円及び内金一〇〇
万円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支
払え。
二 被告は、原告番号一番から同七番、同九番から同一一番、同一三番、同二一番
から同二三番及び同二六番の各原告に対し、各金三三万円及び内金三〇万円に対す
る昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払
え。
三 被告は、原告番号八番、同一四番から同一九番、同二四番、同二九番から同三
二番までの各原告に対し、各金二二万円及び内金二〇万円に対する昭和四九年六月
二三日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
四 被告は、原告番号三四番から同三八番、同四二番から同四八番、同五〇番から
同六〇番、同六二番から同六七番までの各原告に対し、各金一一万円及び内金一〇
万円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員をそ
れぞれ支払え。
五 原告番号一二番、同二〇番、同二五番、同二七番、同二八番、同三三番、同三
九番、同四〇番、同四九番、同六一番、同六九番から同一〇四番までの各原告の請
求をいずれも棄却する。
そのほかの原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
六 訴訟費用は、原告番号一二番、同二〇番、同二五番、同二七番、同二八番、同
三三番、同三九番、同四〇番、同四九番、同六一番、同六九番から同一〇四番まで
の各原告と被告との間に生じた分は同原告らの負担とし、その余の原告らと被告と
の間に生じた分は、これを六分し、その五を同原告らの負担とし、その余を被告の
負担とする。
七 この判決は、第一項から第四項に限り、仮に執行することができる。
 ただし、被告が右各原告に対し、各請求認容元本額相当の金員の担保を供すると
きは、右仮執行を免れることができる。
       事実及び理由
第一章 各原告の請求
 被告は、原告全国税関労働組合東京支部に対し、金五五〇万円及び内金五〇〇万
円に対する昭和四九年六月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を、そ
の余の原告らに対し、各原告に対応する別紙債権目録「合計額」欄記載の各金員及
び右各金員から同目録「弁護士費用」欄記載の各金員を控除した金員に対する前同
日から支払済みまで年五分の割合による金員を、各支払え。
第二章 事案の概要
第一 事案の要旨
 本件は、原告各個人が東京税関長から全国税関労働組合東京支部(以下「原告組
合」という。)組合員であることを理由に昇任、昇格及び特別昇給において不当な
差別を受け、これにより原告各個人が経済的及び精神的損害を被ったとして、原告
各個人において国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項により昭和四〇年
四月一日から同四九年三月末日(以下「本件係争期間」という。)までに生じた損
害の賠償を求め、また、原告組合が団結権侵害による精神的損害を被ったとして、
原告組合において国賠法一条一項により慰謝料の支払を求めた事案である。
第二 争いのない事実等
一 当事者
1 東京税関
 税関は、大蔵省の地方支分部局として被告により設置された国の行政機関であ
り、東京税関、神戸税関、大阪税関、名古屋税関、門司税関、長崎税関、函館税関
及び沖縄地区税関がある。各税関は、各区域内における輸出入貨物の取締、貨物の
輸出入通関及び関税の徴収等の業務を処理している。
 被告は、行政機関として東京税関を設置し、その長たる東京税関長は、所掌の統
括と職員の昇任、昇格、昇給の決定その他人事及び給与に関する事務について権限
を有している。
2 原告組合
 税関には、沖縄を除く全国の税関に勤務する職員を対象に全国単一の労働組合と
して全国税関労働組合(以下「全税関」という。)が組織されており、各税関に支
部が設けられている。原告組合は、東京税関に勤務する職員一四六名で構成された
労働組合であり、全税関の東京支部である。
 東京税関には、昭和四〇年二月に原告組合から脱退した職員等で結成された東京
税関労働組合(以下「税関労」あるいは「第二組合」という。)がある。
3 各原告
 原告番号一番から一〇四番の各原告(以下「原告」又は「各原告」という。)
は、いずれも本件係争期間中東京税関に勤務していた国家公務員であり、かつ、本
件係争期間中原告組合に所属していた組合員(原告組合に所属する組合員を「原告
組合員」という。)である。各原告は、その後に退職した一部を除き、現に原告組
合に所属する組合員である。
二 昇任、昇格、昇給の法的仕組み
1 昇任
(一) 昇任とは、人事院規則(以下「人規」という。)八-一二・五条二号によ
ると、「同一の職種のより上位の職級の官職に任命すること」をいい、同条は職階
制の実施を前提としているが、職階制が実施されていない本件係争期間中は、人規
八-一二・八一条、「人事院規則八-一二(職員の任免)の運用について(通
知)」(昭和四三年六月一日人事院事務総長通達任企-三四四)五条、八一条関係
(2)により、①「職員を昇格させること」、②「級別の定めのある官にある職員
を上級の官に任ずること」、③「または職員を法令その他の規定により公の名称の
与えられている上位の官職に任命すること」をいうとされている。本件における
「昇任」については、右のうちの③、すなわち狭義の昇任の意味で用いる。
(二) 国家公務員法(法下「国公法」という。)三三条一項は、「すべて、職員
の任用は、この法律及び人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤
務成績又はその他の能力の実証に基づいて、これを行う」と規定し、これを受けて
同法三七条一項、二項は、昇任については、競争試験又は当該在職者の従前の勤務
実績に基づく選考によりこれを行なうと規定する。しかし、現状においても競争試
験は行われておらず、昇任はすべて選考によることとされている。
 人規八-一二・九〇条一項並びに「人事院規則八-一二(職員の任免)の運用に
ついて(通知)」(昭和四三年六月一日人事院事務総長通達任企-三四四)四二
条、四五条、九〇条関係によると、人規八-一二・八五条二項所定のいわゆる指定
官職以外の官職についての選考は、任命権者が選考機関としてその定める基準によ
り行なうものとされ、人規八-一二・八三条、九〇条一項によると、本省庁課長級
官職以上は、人事院がその定める審査基準により選考し、その他の官職は、任命権
者がその定める基準により選考することとされている。東京税関においては、任命
権者たる東京税関長が職員に対する選考機関として昇任の選考を行なっているが、
明文で定められた選考の基準は存しない。
2 昇格
(一) 昇格とは、「給与制度上、職員職務の等級を同一の俸給表の上位の職務等
級に変更すること」(人規九-八・二条三号)をいう。
 国家公務員の俸給は俸給表によって定められ、職員の俸給額は俸給表のいずれか
のうちの級と号俸に格付けされることによって決定される。(昭和六〇年法律第九
七号による改正前の「一般職の職員の給与等に関する法律」(以下「旧給与法」と
いう。)六条)。
 前掲人事院事務総長通達任企-三四四・五条、八一条関係(2)は、「昇格は任
用制度上の昇任の一形態」とされ、昇格は広義の昇任の一形態として位置付けられ
ている。
(二) 旧給与法六条三項によると、職員の職務は、その複雑、困難及び責任の度
合に基づきこれを俸給表に定める職務の等級に分類するものとされ、分類の基準と
なるべき標準的な職務の内容は、人規九-八・三条により同別表第一の「等級別標
準職務表」に規定されている。
 旧給与法六条の分類はあくまで「給与」についての分類であり、本件係争期間は
職階制が実施されていないが、国公法二九条五項により、給与法六条の職務の分類
(俸給表の種類と職務の等級)が職階制の計画で、職階制に代わるものとされる。
 昇格のためには、人規九-八・二〇条によると、① 昇格させようとする職務の
等級がその職務に応じたものであること、② 「等級別資格基準表」に定めのある
職務の等級に昇格させる場合は定められた資格(必要経験年数又は必要在級年数)
を有していること、③ 昇格前の職務の等級に二年以上在級していること(人規九
-八・二〇条三項)が、また、旧給与法八条二項、人規九-八・四条二項により、
昇格させようとする職務の等級について定められている等級別定数の範囲内である
ことのほか、④ 勤務成績が良好であること(「人規九-八(初任給、昇格、昇給
等の基準)の運用について(通知)」昭和四四年五月一日給実甲三二六・二〇条関
係1)が必要と規定されている。
3 昇給
(一) 昇給とは、同一の職務の等級内において、職員の俸給月額を上位の俸給月
額に変更すること(旧給与法八条)をいう。旧給与法八条七項によると、職員の勤
務成績が「特に良好な場合」には、①昇給期間を短縮し、もしくは②二号俸以上上
位の号俸に昇給され、又は③その双方を併せて行なうことができるとされ、これを
特別昇給(以下「特昇」という。)というが、これには、(a) 特昇定数枠内の
特昇(人事院規則九-八・三七条)によるもの、(b) 研修、表彰等による特昇
(同三九条)によるもの、(c) 特別の場合の特昇(同四二条)によるものがあ
る。本件で問題となるのは、(a)の三七条の定数枠内の特昇である。すなわち、
特昇とは、職員の勤務成績が特に良好である場合に、特昇定数の範囲内で、普通昇
給期間を短縮して直近上位の俸給月額に昇給させること(給与法八条七項、人規九
-八・三七条)をいう。昇給のうち、特昇を除いたものを普通昇給(以下「定昇」
という。)という。
(二) 定昇の仕組と要件は次のとおりである。
 旧給与法八条六項、人規九-八・二条五号によると、「職員が、現に受けている
号俸を受けるに至った時から、一二月を下らない期間を良好な成績で勤務したとき
は、一号俸上位の号俸に昇給させることができる。」とされ、昇給させようとする
者の職務について監督する地位にある者による「勤務成績の証明」が必要であり
(人規九-八・三四条一項)、① 昇給期期の六分の一に相当する期間の日数を病
気休暇、欠勤等により勤務していない職員、② 停職、減給及び戒告の処分を受け
た職員は、勤務成績の証明が得られないものとして扱うこととなっている(人規九
-八・三四条、給実甲三二六)。
(三) 特昇の仕組みと要件は、次のとおりである。
 人規九-八・三七条二項によると、特昇の定数は、昭和三四年までは毎年定員の
五パーセントを超えない範囲内、同三五年から同四二年までは定員の一〇パーセン
トを超えない範囲内、同四三年からは定員の一五パーセントを超えない範囲内と定
められている。
 特昇の積極的要件(人規九-八・三七条一項)は、(ア) 勤務成績が特に優秀
であることにより表彰を受けた場合、(イ) 勤務評定による勤務実績の評語が上
位の段階に決定され、かつ、執務に関連してみられた性格、能力及び適性が優秀で
ある場合、(ウ) 勤務評定を実施しないこととされている職員にあっては、
(イ)に相当する勤務成績を有すると認められる場合、(エ) 右(イ)に該当す
る職員若しくはこれに準ずる職員又は(ウ)に該当する職員が昇格した場合であ
り、消極的要件(人規九-八・三八条)として、職員が、(ア) 条件付採用期間
中の職員、(イ) 休職中や専従許可期間中の職員、(ウ) 懲戒処分を受け、当
該処分の日から一年を経過していない職員、(エ) 勤務しない日が一定数を超え
る職員、の一つに該当するときは特昇は許されない。
三 各原告の地位、号俸の推移
 各原告の本件係争期間中における昇任、昇格、昇給の推移は、別紙「昇給、昇
任、昇格及び非違行為一覧表」(以下「原告別非違行為等一覧表」という。)の
「勤務記録」欄記載のとおりである。
四 各原告の処分歴
 東京税関においては、国公法八二条以下が規定する懲戒処分とは別に、税関長が
職務上の上司の部下職員に対する指導監督のための具体的措置として訓告、文書に
よる厳重注意、口頭による厳重注意を行なっている。
 東京税関長が、本件係争期間中に各原告に対し行なった懲戒処分、前記訓告、文
書による厳重注意は、原告別非違行為等一覧表の「処分等」欄記載のとおりであ
る。
第三 争点
一 本件係争期間中、各原告とそれ以外の同期同資格入関者との間に給与格差があ
ったか。
二 職員間に給与格差を生じさせる差別は違法であるか。
三 東京税関長は、各原告が全税関の組合員であることを理由に各原告に対して争
点一の給与格差の全部又は一部を生じさせたか。
1 差別意思の有無(東京税関会議議事録、大蔵省関税局会議資料によって差別意
思の存在が認められるか。大蔵省関税局ないし東京税関長によって原告ら主張の全
税関ないし原告組合又は原告組合員に対する種々の差別政策が実行されたか。)
2 格差と差別意思との間の因果関係の有無(各原告に格差の発生に影響を及ぼす
非違行為等があったか。)
四 被告の差別的取扱いによって損害が生じたか。
五 原告らの損害賠償請求権は時効により消滅したか。
第三章 争点に対する当事者の主張
第一 (争点一)本件係争期間中、各原告とそれ以外の同期同資格入関者との間に
給与格差があったか。
(原告らの主張)
一 給与格差
本件係争期間中の各原告と同期同資格入関者との間の給与格差は、別表「損害額計
算表」のとおりである。
二 昇任、昇格及び特昇の推移
 各原告と同期入関者の昇任、昇格及び特昇の状況は、昭和五五年五月九日付け全
税関東京支部作成の別表「昇任・昇格・特昇実態表」(以下「昇任等実態表」とい
う。)のとおりである。
三 格差の立証
 各原告のうち、P1、P2、P3、P4、P5、P6、P7、P8、P9、P10、P11、P
12を除くその他の各原告は、定昇を延伸されたことはないから、本件係争期間を通
じて、常に定昇の要件、すなわち、個々の原告の職務について監督する地位にある
者による「良好な成績」で勤務したことの証明を得ていたことになる。
 したがって、定昇の要件である「良好な成績があった以上、昇任及び昇格の勤務
成績の証明においても、各原告が「良好な成績」で勤務したものであることの証明
がなされたものとして扱われるべきことを示している。
(被告の主張)
一 格差の存在の主張、証明
 各原告の格差についての主張は、原告組合員ら及び婦人以外の同期同資格者のう
ち、半数目に昇任、昇格、昇給した者という観念的な人物の給与総額と各原告の給
与総額を比較するものに他ならない。そうだとすると、格差の存在を立証するため
には、かかる「標準」人物の給与総額、すなわち、各等級、号俸について原告組合
所属組合員並びに婦人以外の同期同資格入関者の半数以上が到達した時期及びその
給与額を各原告において立証しなければならないが、標準的給与総額が立証された
とは到底いい得ない。
二 昇任等の適格者であることの証明
 原告組合員らの勤務実績に差異がないことの立証における比較対象者は、「格差
の存在」の立証における比較対象者と範囲は一致しない。すなわち、格差の存在の
場合は、同期同資格の者と比較すべきであるとしても、勤務実績の差異の場合は、
昇任、昇格、昇給の各々の性質に応じ、それぞれの昇任、昇格、昇給の時期毎に実
際に昇任、昇格、昇給した者あるいは、その可能性(形式的要件等を満たす者)の
ある者全員を比較対象者として、各原告が定数枠内に入るだけの成績、実績があっ
たことを立証するべきである。
 昇任の場合は、昇任が問題となる官職の下位官職にある者全員が形式的な対象者
であり、原告らの主張する時期における当該上位官職に実際に昇任した職員を比較
対象者として勤務実績に差異がないことか、当該上位官職の下位官職に在職する職
員全員を比較対象者として、選考基準において昇任枠内に入る程度に上位の評価を
受けるべきことのいずれかを主張立証すべきである。
 昇格の場合は、当該時期に実際に昇格した職員を比較対象者として、勤務成績等
の選考要素において、同等若しくはそれ以上の評価を受けるべきであったことか、
当時形式的資格要件を充足する全職員を対象に昇格枠に入る程度の評価を受けるべ
きことかのいずれかを立証すべきである。
 特昇の場合は、現に特昇した職員を比較対象者として、自己の勤務成績が同等若
しくはそれ以上であるとの評価を受けるべきことか、その時期に積極的要件を充足
し、消極的要件が存在しない全職員を対象に各原告の勤務成績が特昇の枠内に入る
ほど特に優秀であるとの評価を受けるべきことのいずれかを具体的に立証すべきで
ある。
 定昇の場合は、当該時期に自己と同一の職務を担務する全職員を比較対象者とし
て、その中で自己の勤務成績が良好と評価されるべきことを具体的に立証すべきで
ある。
 しかしながら、各原告は、せいぜい、一部の原告による陳述書、本人尋問におい
て、「勤務成績は悪くなかった」等の具体性のない漫然とした記述、供述をしてい
るにすぎない。
第二 (争点二)職員間に給与格差を生じさせる差別は違法であるか。
(原告らの主張)
一 差別の違法性
 昇任、昇格、昇給は給与や処遇、地位に直結する重要な利益であり、職員はこれ
らにつき不合理な差別を受けないことが国公法上も明定されている(国公法二七
条、一〇八条の七)。したがって、昇任、昇格、昇給の人事査定において平等な取
扱いを受ける等の利益は、国賠法上の保護に値する法益であることは明らかであ
る。
 原告組合は、国公法一〇二条の二の「職員団体」であり、在職専従も認められて
いる。また、各原告の団結は、国公法二七条の平等原則、同一〇八条の七の不利益
取扱禁止の規定で法的保護の対象となる。特に同法一〇八条の七が規定された趣旨
は、当然のことにもかかわらず当局が公務員労働者に対する不当な干渉を繰り返す
ので、特に規定したものであり、この趣旨からすると、被告の差別攻撃を構成する
諸行為がこれらの法条に反する違法行為となるというべきである。
二 税関長の作為義務について
1 差別扱いと税関長の作為義務
 人事権行使による差別とは、もともと、相対的なものであり、一方に対する優遇
と他方に対する冷遇という相関関係のなかで差別が生じる。すなわち、一方に対し
ては昇任、昇格、昇給を行ない、他方に対してはこれらを行わないという人事権行
使の総体によって差別が行われる。
 したがって、国家賠償請求訴訟における違法性評価の対象たる行為は、作為、不
作為の総体としての人事権の行使である。被告のように差別されたものだけを取り
出して作為義務の有無を論じることは、差別の本質を理解しないものである。
2 昇任、昇格及び昇給の運用実態
(一) 昇任の運用実態
(1) わが国では一般的に終身雇用・年功序列の雇用慣行が支配的であり、この
ような慣行に基づいて、昇任の際に、年功や経験年数が重視されるケースが少なく
ない。
 実際上も、各省庁においては、かなり上位の官識への昇任の場合は別として、通
常は、勤務成績が不良でない限りは、年功序列や経験年数によって具体的な昇任人
事がなされるか、または昇任の際の判断基準要素として年功や経験年数が大きな比
重を占めているというのが一般的である。
(2) 初級管理者昇任の実態については、昭和四〇年四月の時点において、六等
級七号俸以上の職員で、昇任していないのは原告組合員と女性職員である。昇任者
はほとんどが昭和三八年から同四〇年に集中している。その意味で、この時点です
でに原告組合員とそれ以外の職員との間で格差が生じつつあるが、昇任者のグルー
プ内では、年功序列的に昇任がなされていることがわかる。昭和四〇年から同四八
年までについては、入関資格によって若干のばらつきがあるが、最も人数の多い高
校卒入関者の場合、号俸では六等級六号俸ないし八号俸、在職年数一三年ないし一
五年、六等級在級年数一、二年で昇任している。他方、原告組合員については、昭
和四四年度までは昇任者はゼロ、同四五年度に一名、同四六年度に三名、同四七年
度に七名、同四八年度に一三名が昇任している。原告組合員の場合は、六等級の一
三号俸ないし一五号俸あたりの高位号俸から昇任し、在職年数は二〇年前後、在級
年数は七、八年に集中する傾向を示している。二つのグループ間に著しい昇任格差
が存在していること及び各グループ内では概ね年功序列的運用がなされていること
がわかる。
(3) 昇任における年功序列的運用の実態は、次のとおり、わが国の人事行政の
実態をふまえた場合、それなりの合理性を有しているのである。
 第一に、わが国においては、職階制の未実施という状況に示されるように、成績
主義を純粋に貫くための制度的・社会的前提条件が十分に確立されておらず、ま
た、そのこととも関わって、勤務成績の客観的評価のための技術的蓄積がきわめて
不十分であるというのが現実である。このような現状の下では、それを補うものと
して、年功や経験年数が昇任の基準として一定の有効な役割を果たしているという
ことである。
 第二は、年功と経験年数を昇任の基準とすることについては、単にそれが慣行と
なっているというだけではなく、内容的にも、そのことには以下のような合理性を
認めることができるのである。
 その一つは、年功・経験年数はほとんどの職種に統一的、均一的に妥当しうる明
確な基準であるため、個別の昇任人事における恣意的運用を排除することが可能で
ある。法令上昇任の基準や手続きがほとんど存在せず(東京税関において昇任の基
準が明文化されていない)、昇任の判断が任命権者の広範な裁量に委ねられている
という状況の下では、年功や経験年数は、このような恣意的人事に対して歯止めと
しての効果的な機能を一応果たしうる。本件で争われているように、組合活動を行
なったものに対しては、成績主義に基づく総合的な勤務評定の結果であるとして昇
任拒否がなされながら、他方で、それ以外の者の昇任については、とりたてて成績
主義が問題とされずにほぼ当然のごとく年功と経験年数を基準として行われている
という現実が存在する。ここで、成績主義が当局の部合のいいように恣意的に利用
されているのである。
 年功・経験年数が有するもう一つの合理性は、過去の勤務成績によって職務遂行
能力や適性をある程度把握できる、という点である。経験年数が長くても勤務成績
が不良の場合も当然ありうるわけであるが、経験年数によって、能力・適性をある
程度把握しうることは経験的事実として確認できることである。
(二) 昇格の運用実態
 昇格の場合も、実際の運用においては、級別資格基準さえ満たしていれば、ほぼ
年功序列的に昇格させるという取扱いがなされている。
 まず、五等級昇格者は、第二組合員に集中し、昭和四〇年度は六等級九、一〇号
俸、同四二年度は六等級九号俸ないし一一号俸、同四三年度、同四四年度、同四五
年度も右と同じ号俸に集中していること、右年度以降も一定の号俸に集中する傾向
が見られる。すなわち、一定の号俸に到達すると、ほぼ順繰りに昇格していく実態
であることがわかる。他方、原告組合員については、昭和四〇年度から同四六年度
までの七年間の昇格者はゼロ、同四七年度に二名、同四八年度に九名が五等級に昇
格するが、六等級一二号俸ないし一六号俸からであり、高位号俸にならないと昇格
しない。昭和四〇年度では六等級八号俸ないし一〇号俸から五等級に昇格し、在職
年数は一四年から一六年、在級年数四、五年という傾向であり、以後各年度の傾向
をみると、六等級九号俸ないし一一号俸で、在職年数、在級年数がほぼ同じ水準で
五等級に昇格している。
 第二組合員については、六等級在級年数が四年から六年で昇格しているが、原告
組合員については、八年から一二、三年となっている。これから、原告組合員が昇
格について第二組合員との間で著しい格差をつけられていること、第二組合員は一
定の在級年数を経過すると昇格するということが読みとれる。
 勤続年数が何年で五等級に昇格したかをみれば、入関年数によって若干の違いは
あるが、比較検討しやすい高卒入関者(昭和二四年入関以降)の五等級昇格時の勤
務年数をみると、第二組合員男子については、ほぼ勤続一六年ないし一八年に集中
していること、原告組合員男子はそれから二年から数年遅れに集中していること、
しかも第二組合員男子が全員昇格してからの昇格であること、女子はほとんど未昇
格であること(昭和五五年五月九日時点)、そして第二組合員男子の昇格は三年か
ら五年の期間にほぼ順番に年功序列的に昇格が行われていること、これは原告組合
員の昇格の場合も同じ傾向であること、がわかる。
 このように本件係争期間中の昇格の運用実態をみると、原告組合員とその他の間
でグループ間に著しい格差を生じつつ、その各グループ内部では、年功序列的に順
繰りの昇格がなされていることがわかる。
 このような年功序列的運用がなされているのは、わが国の人事行政においては、
年功や経験年数による昇格が一定の合理性をもっているからである。とりわけ、本
件の昇格は、任用上の昇任を伴わない純粋の給与上の概念であり、職員の俸給額
は、俸給表の等級、号俸に格付けされることによって決まる構造になっているか
ら、昇格は、まさに給与額そのものを左右することになるのである。したがって、
昇任の場合よりも、年功・経験年数を基準に運用することの合理性は高いというこ
とができる。
(三) 定昇の運用実態
 定昇は、実情は、「一二月を下らない期間」を通常の成績で勤務すれば、ほぼ自
動的に昇給する。これまで、国家公務員の場合、定昇の欠格事由に当たる場合(人
規九-八第三四条)を除き、定昇が延伸された例は、本件で問題となっている数例
以外には存在しない。地方公務員の場合に、地方公共団体の財政難などを理由にす
べての職員に対して一律に昇給延伸がなされた例はあるが、個々の職員について、
良好な成績の証明が得られないとして一部の者だけを定昇させなかった例はない。
 したがって、定昇の要件とされている良好な成績とは、通常の成績と等置されて
解釈、運用されていることは明らかである。また、このことを別の観点でみれば、
職員が、欠格事由に該当する事由がなく右の期間を勤務すれば、通常は、良好な成
績で勤務したとみなされることを意味している。
 仮に、右の点をしばらく措いても、本件の場合、数例を除き、定昇を延伸された
例はなく、原告組合員はほぼ全員が定昇の要件に該当して昇給しているのが実情で
ある。このことは、逆に、右の数例を除き、原告組合員が、本件係争期間を通じ
て、常に良好な成績で勤務したことの証明が得られていることを意味している。こ
のことは、既に述べた昇任、昇格の際の勤務成績の証明においても、原告組合員ら
が「良好な成績」で勤務したものであることの証明がなされたものとして扱われる
べきことを示しているといえる。
 ただ、ここで、原告組合員に対する差別の例として、いわゆる双子号俸からの昇
格(特昇も同じ)があり、これは、実質的には、一年間の定昇の延伸と同じ結果を
もたらしていることに注意すべきである。昭和四〇年度から同四八年度までの実情
をみると、六等級から五等級への昇格者三四一名のうち、大部分(三二五名、全体
の九五・三パーセント、うち原告組合員は二名)は、六等級双子号俸になる前に昇
格している。これ以外の一四名(全体の四・七パーセント)が双子号俸以上からの
昇格であり、このうち九名が原告組合員男子、四名が女子職員、一名が非組合員男
子である。
 さらに、昭和四九年四月の時点で、六等級双子号俸以上に在職する五等級未昇格
は全部で一〇名いて、うち原告組合員男子が三名、その他はすべて女子職員であ
る。このように、良好な成績の証明が得られたとして定昇させてはいても、双子号
俸になるまで昇格させず、結果的に一年間昇給延伸させたと同じ効果をもたらす差
別が、原告組合員と女子に対して加えられているのが実情である。
(四) 特昇の運用実態
(1) 勤務評定による特昇は、組合分裂前までは、定数枠が少なかった(昭和三
四年度までは五パーセント、昭和三五年度から同四二年度までは一〇パーセント)
こともあり、実態としては、給与のアンバランスの是正や損失の補填のために用い
られてきた。昭和三八年三月一一日付大蔵省大臣官房秘書課長通知(秘秘四〇六
号)によれば、特昇の運用として、「勤務成績が優秀である」場合と並んで「現に
受けている職務の等級及び号俸が部内の同一官職、又は同等と認められる官職を占
める者の学歴、資格、経験年数に比し同程度の学歴、資格、経験年数を有するにか
かわらず、不利となっていることが明らかな場合」、「昇格を伴う特昇を実施した
者と比較し不利となる場合」等を掲げており、アンバランスの是正のために運用す
べきことを通知している。
 また、組合分裂前は、特昇者は組合に知らされており、その意味では公表され、
公然と行われていたから、特昇の運用が著しく恣意的に行われることは少なかっ
た。
(2) 組合分裂後の特昇の運用は、まさに組合所属による差別が顕著である。原
告組合員の特昇者は、昭和四〇年度から同四五年度まではゼロ、同四六年度に一名
(組合員数に占める割合は〇・八パーセント)、同四七年度はゼロ、同四八年度に
三名(同二・二パーセント)、同四九年度に七名にしかすぎない。この間の特昇定
数枠は昭和四二年度までは一〇パーセント、同四三年度以降は一五パーセントであ
るから、その差別が顕著であることは明らかである。また、原告組合を脱退した者
や組合分裂に積極的役割を演じた者に対する特昇の面での優遇も顕著である。
次に、この間に特昇した者の等級別分布を見ると、上に厚く下に薄い傾向がみられ
る。
 昭和四〇年以降の特昇者のうち、入関以来初めて特昇した者の特昇時の勤続年数
をみると、昭和四七年度から同四九年度のいずれも、原告組合員以外の者は六年か
ら八年で大部分が特昇している。他方、原告組合員と女子は、早い者で九年、その
他のほとんどは入関一五年から二五年目に初めて特昇している。
 この点に関し、第二組合の実情をみると、昭和五四年一一月時点では、第二組合
員は、同四六年入関者(勤続八年)までは全員特昇しており、同四七年入関者につ
いては、総数四一名中、第二組合員は四〇名で、うち三七名が特昇しており、未特
昇者は三名(うち二名が女性)である。なお、同年入関者のうち残る一名が原告組
合員の女性で未特昇である。
 これに対し原告組合員については、昭和四〇年入関者以降未特昇者が残存してお
り、同年から同四七年までに入関した原告組合員は三一名いて、そのうち特昇した
ものは、同四一年入関者二名、同四三年入関者一名、同四四年入関者一名の合計わ
ずか四名にしかすぎない。
3 裁量権の限界
 被告は、国公法二七条や同法一〇八条の七を理由に、裁量権の濫用を根拠づける
ことは失当とするが、昇任、昇格、昇給に関する税関長の裁量権も無限定なもので
なく、その判断が合理性を持つものとして許容される限度を超えた不当なものであ
るときは、裁量権の行使を誤った違法なものというべきであり、違法性を有するか
どうかについては、裁判所の審査に服するものである。
 昇任、昇格、昇給を決定するか否かの判断が東京税関長の裁量に属しているとし
ても、税関長は、右裁量権の行使、人事権の行使に当たっては国公法二七条の平等
原則、同法一〇八条の七の不利益取扱禁止の原則にのっとり、組合所属を理由とし
て差別することなく査定し、昇給等を決定すべき義務を負っているところ、関税局
及び東京税関当局が一貫して全税関を敵視し、原告組合を分裂、弱体化させ、その
消滅を図るために、その所属組合員に対するあらゆる差別・不利益取扱いを組織
的、継続的に行なってきた。殊に、その不法行為の最たるものとして原告組合員に
対して徹底した昇任・昇格・昇給の差別取扱いを行ない、第二組合員もしくは原告
組合に所属しない職員と差別して大幅な賃金差別をしてきた行為は、東京税関長の
裁量権の範囲を逸脱し濫用した不法行為である。
「標準的給与額」の設定は、各原告が被った損害額を算定するための一方法として
採用したものにすぎない。
三 作為義務発生要件の主張立証責任
1 本件は格付訴訟ではないし、各原告自らが人事権を行使する立場にはなく、ま
た人事に関係する必要なすべての資料が開示されているわけではない。こうした事
情の下で差別を問題にしているのであるから、原告らは、定数枠すなわち欠員があ
ったことを主張立証する必要はなく、各原告が同期同資格入関者の中で原告組合所
属を理由に差別的取扱いを受けてきたことを主張立証すれば足りると解すべきであ
る。原告らは、具体的にどの職員に代えて各原告を昇任、昇格及び昇給をさせるべ
きであったかについて主張立証する必要はない。
2 被告が、不当労働行為意思をもって昇任、昇格及び特昇の定数枠を原告組合員
以外の者で充足した場合、それ以上昇任、昇格及び特昇の定数枠はないのであるか
ら、その枠の存在を要件とすることは、各原告を差別という被告の違法行為から救
済する途をとざしてしまうこととなる。被告の定数枠についての主張は失当であ
る。
(被告の主張)
一 税関長の作為義務の不存在
1 税関長の作為義務
 公務員の不作為が国賠法上違法と評価されるには、その前提として当該公務員に
作為義務のあることが必要であり、その作為義務は、公務員が国民全体に対して負
担すべき一般的抽象的義務ではなく、当該公務員が個別の国民である原告組合員に
対して負担する職務上の具体的義務でなければならない。
2 作為義務の不存在
 任命権者たる税関長が、ある特定の職員をある特定の時期に昇任、昇格等させな
いことが、税関長の裁量権の逸脱・濫用に該当し、作為義務が生じるということは
あり得ないことである。
 完全な年功序列型の場合は、同じ時期に昇給、昇格しなければ、特段の事情のな
い限りなんらかの恣意が働いたことが推認できるが、国家公務員の任用及び給与制
度は成績主義を根本基準としており、同期同資格者でも判断要素において差異のあ
る職員を昇給、昇格について異なる取扱いをすることが当然許容されている。そし
て、任命権者の昇給、昇格についての判断は広範な裁量行為であるから、任命権者
が、裁量の範囲内で判断要素を適正に考慮したうえ同期同資格者の一方を昇任、昇
格させ、他方をさせなかったとしても、任命権者のその行為は、国賠法一条の違法
の評価を受けることはない。
 したがって、任命権者の右行為が違法と評価されるためには、原告組合員らが比
較対象者と同等若しくはそれ以上の勤務実績、能力等を有していること、及び任命
権者の裁量権の存在を考慮してもなお自己が比較対象者と同等若しくはそれ以上の
評価を受けるべきであったことの立証が必要であると解すべきである。
(一) 一般に、いつ、どの職員を昇任させるかという任命権者の判断は、その性
質上、単に職員の過去の勤務実績の評価にとどまらず、当該昇任の対象となる上位
の官職において、その職務を全うし得るかという将来的な判断も必要となるから、
潜在的な能力、資質等をも当然考慮しなければならない。したがって、東京税関長
は、選考対象者の経歴、知識、学歴、資格、能力、適性、勤務実績等の要素を総合
的に検討し、組織全体の運営全般を考慮したうえ、昇任枠(欠員)の範囲内で最も
適任の職員を昇任させている。
(二) 旧給与法、人規は一定の昇格要件を定めるが、任命権者は、この要件が充
足されることを当然の前提としたうえ、狭義の昇任の場合と同様、幾多の選考要素
を総合的に検討して欠員の範囲内で昇格すべき職員を決定する。したがって、いつ
どの職員をより複雑、困難で責任の大きい職務内容に対応する上位等級に昇格させ
るかという任命権者の判断も、右のような旧給与法及び人規による制約を受けるほ
かは、任命権者の広範な裁量に委ねられたものというべきである。
(三) 定昇には定数枠のないこと、定昇制度には職員の生活保障的要素が含まれ
ているとも解されることから、定昇の場合は、昇任、昇格及び特昇に比べ、任命権
者の裁量の幅は相対的には狭まると考えられるが、なお、職員を昇給させるか否か
の判断は任命権者の裁量に委ねられているというべきで、仮に「勤務成績良好」の
要件が充足されても、昇給させるか否かは任命権者の裁量に委ねられているのであ
る。
 また、昇給の最短期間である一二か月を経過して「いつ」職員を昇給させるかを
定めた行為規範もなく、任命権者の裁量に委ねられている。
(四) 特昇の積極的要件の全部又は一部は不確定概念をもって定められており、
これらの要件に該当する職員を一義的に決定することはできない。したがって、要
件存否の判断は、任命権者の裁量に委ねられているものというべきである。
 また、特昇には、その定数について制限が存するから、積極的要件のいずれかに
該当し、消極的要件のいずれにも該当しない職員であっても、当然に全員が特昇し
得るものではない。要件充足者の中からだれを特昇させるかは、勤務成績の特に良
好な職員について昇給期間を短縮するという制度目的を踏まえた任命権者の固有の
裁量判断というべきである。
3 裁量権の逸脱・濫用
(一) 公務員の権限が法規に定められ、その権限の不行使(不作為)が違法行為
とされるためには、その不行使が、その結果損害を被ったと主張する国民に対する
関係で職務上の法的義務に違反すると評価される必要がある。
 すなわち、権限規定がその国民の利益を個別に保護する趣旨で定められ、一定の
場合にその目的を達成するため権限が義務化する場合でなければ、職務上の法的義
務違反は生じないというべきである。
 職員は、昇任、昇格又は昇給を請求する権利を有しないばかりか、職員の主観的
期待が客観的に法律上保護されるべき期待権ないし法的利益として評価されること
はない。
 したがって、昇任、昇格及び昇給について、税関長が職務上の法的義務に違反し
たものと評価される余地はない。
(二) 昇任、昇格等に国公法一〇八条の七の不利益取扱いがあるというために
は、本来任命権者が昇任、昇格等をさせるべきであったにもかかわらず、組合所属
等を理由にこれをしなかったという場合でなければならない。
 しかし、職員は一定の要件が満たされれば当然昇任、昇格等し得るものではな
く、任命権者が昇任、昇格等をさせるべき義務を負うことはあり得ないのであるか
ら、昇任、昇格等の不作為が国公法一〇八条の七の不利益取扱いに該当することは
あり得ない。
 また、税関長が作為義務を負っていない客観的条件が同一の複数の者に対して、
両者を昇格させなかったとき、他方は組合員であることが主観的には理由となって
いたとしても、組合員の方だけ裁量権の濫用となるとすると、結果的に組合員であ
る職員の場合はそうでない職員より作為義務が発生し易くなるという不合理な結果
となる。つまり、組合員であることが作為義務の発生に積極的に影響してはならな
いのであり、仮に例外的に理論上作為義務が発生するとしても、作為義務の発生要
件又は作為義務発生の基礎となる事情の中に任命権者が主観的に職員の組合所属を
考慮したか否かという事情を含めることはできないのである。
 したがって、職員が組合員であるか否かと昇任等をさせる義務の発生とは無関係
である。任命権者が、主観的に組合所属を理由に昇任、昇格等をさせなかったとの
一事により、その他の諸条件を考慮することなく当然に作為義務が発生したものと
はいえない。
4 勤務実績等の差異
 仮に任命権者の裁量権の濫用を基礎づけることができるとしても、任命権者に広
範な裁量権が認められている趣旨からすれば、差別意思や差別行為の認定は厳格に
されなければならず、安易に裁量権の濫用を認めるべきではない。平等取扱いの原
則や不利益取扱禁止の原則の違反を認定する前提として、非組合員に比べて能力や
勤務実績等昇任等の際に考慮すべき種々の要素に格別の差異がないことを厳格に認
定すべきである。
 また、勤務成績等が他の職員と同等であるという認定ができない以上、給与格差
のある部分は任命権者の差別的取扱いの結果生じたものであるという認定もできな
いはずであるから、この勤務実績等に差異がないことは、単に標準的給与と各原告
が現実に受け取ってきた給与との差額を損害と認定するための要件であるにとどま
るものではない。
二 被侵害利益の不存在
1 昇任、昇格等請求する権利の存否
 ある時期にある職員を昇任、昇格又は昇給させるかどうかの税関長の判断は、い
ずれも固有の裁量行為というべきであり、職員は、昇任、昇格又は昇給を請求する
権利を有しない。
2 法律上保護されるべき期待権の存否
 昇任、昇格及び特昇は、任命権者が、成績主義を根本基準として組織全体の運営
全般を考慮したうえ、多数の選考対象者の中から選考要素を総合的に検討し、定数
枠(欠員)の範囲内で最も適格・適任と判断される職員を選考するものであり、あ
る一定の要件、資格を満たした全職員が一律自動的に昇任、昇格及び特昇する制度
とはなっていない。
 したがって、仮にある職員が、自らがある時期に昇任、昇格又は特昇すべきであ
ると考えたとしても、それは当該職員の一方的な希望、期待にすぎないものという
べく、これをもって、法律上保護されるべき利益と解する余地はないし、この期待
は客観的に法律上保護されるべき期待権として評価されることはない。
 また、定昇については、定数枠の制約がないこと、定昇制度に職員の生活保障的
要素が含まれていることから、任命権者の裁量の幅が相対的に狭まると解する余地
があるとしてもなお任命権者の裁量判断が働く点では、特昇等と同様である。
第三 (争点三)東京税関長は、各原告が全税関の組合員であることを理由に各原
告に対して争点一の給与格差の全部又は一部を生じさせたか。
(原告らの主張)
一 給与差別の意思
1 差別扱いの事実
(一) 全税関の活動と当局の攻撃
(1) 分裂攻撃の経過
 税関職員は、全国八つの各税関毎に労働組合を結成し、昭和二二年一一月一一
日、税関に勤務する公務員労働者の単一体の全国組織として全税関を結成した。
 昭和三三年五月、全税関は、全国労働組合総評議会(総評)に加盟した。同年一
〇月に国会に上程された警察官職務執行法(以下「警職法」という。)の改悪案に
対し、警職法改悪反対国民会議が結成され、全税関も同国民会議の指導のもとで統
一行動に参加した。
 昭和三四年、全税関は日本国家公務員労働組合共闘会議の結成に参加し、右会議
は、地方公務員労働組合共闘会議とともに、公務員労働組合共闘会議を結成した。
 昭和三五年二月二五日、全税関とその組合員は、公務員労働組合共闘会議が呼び
掛けた第一次統一行動(三〇〇〇円の統一賃金要求)に参加した。また全税関は、
安保条約改定阻止運動にも積極的に参加した。
 昭和三五年七月に発足した池田内閣の所得倍増政策に伴う生産性向上運動(「マ
ル生運動」とも呼ばれた。)は、生産点における「合理化」を追求した。マル生=
「合理化」は、労働者に対しては労働の強化、労働の過密化をもたらさずにはおか
ず、貿易の自由化とともにわが国の貿易量の増大となってあらわれるとともに、直
ちに税関業務の質量にわたる過密化と増大をもたらさずにはおかなかった。
 しかし、このころから、労働運動、特に官公労働運動に対する、公然、隠然たる
当局側による攻撃が始まった。
 昭和三四年暮れから同三五年にかけて、税関当局は各税関に庁舎管理規則を制定
した。東京税関においては、「東京税関所属庁舎等の管理に関する規則」(以下
「本件庁舎管理規則」ともいう。)が制定された。また、昭和三六年に入ると、税
関当局は総務部制を敷き、管理課を設けるなど労務管理機構を再編、強化し、組合
活動をとらえては全税関の幹部等に対して懲戒処分等を行なった。当局は、昭和三
四年末、「年末年始休暇完全消化運動にご協力かた要請」文を関連業界に配布した
ことを理由に全税関のP13本部委員長およびP14神戸支部長を訓告処分に処し、昭
和三五年七月、勤務時間にくいこむ職場集会をあおり、そそのかしたという理由
で、本部書記長、神戸支部長、横浜支部長等合計二〇名の幹部を減給および戒告処
分に処し、神戸・横浜両支部の組合活動家一三名に一時間の賃金カットを行なっ
た。
 当局は、少ない人員で増大する業務を処理していく合理化策の強行推進のため
に、全税関神戸支部の活動を弾圧する措置をとり、さらに、全税関神戸支部の指導
部と一般組合員との離反を図るため、当局の指示どおりに動く職員を組合執行部に
送り込み、組合を乗っ取ることを画策した。
 昭和三六年一二月、当局は、五〇〇〇円の大幅賃上げ・物価値上げ反対・政暴法
粉砕・職場の諸要求の解決を求めてなされた同年一〇月五日及び同月二六日の全税
関神戸支部の早朝職場集会、輸出職場における人員増加要求・強制残業反対の同年
一一月一日及び同月二日並びに翌一二月二日の同支部における組合活動等を理由と
して、全税関神戸支部P15支部長、P16書記長、P17組織部長を懲戒免職処分に処
した。
 その後、当局は、免職された者を抱えた組合とは交渉できないとして、全税関神
戸支部との団体交渉を拒否するとともに、職制を管内の支署出張所に派遣して全税
関神戸支部執行部をアカ攻撃で中傷し、部長会議・課長会議・係長会議等職制会議
を頻繁に招集して意思統一を続けた。その結果、職制組合員は、全税関全体の決定
による右三名の不当処分に対する闘争資金としての一人一〇〇円の臨時徴収組合費
の納入を一斉に拒否した。
 当局は、昭和三七年四月、労働組合対策として各部に管理課を設置して、総務
課・管理課を中心に、組織的に「組合対策」を開始した。続いて、同年六月の全税
関神戸支部役員選挙に向けて、労働問題研究会(略称、労研)が結成され、「労研
ニュース」を発行配布し、その中心メンバーが支部役員選挙に名乗りをあげた。し
かし、全税関神戸支部長選挙では八七八票対五一四票で、P18労研会長は免職とな
ったP15支部長に敗退した。かくして、神戸支部乗っ取りに失敗した当局は、次い
で組合分裂、第二組合作りに方針を転換するに至った。
 昭和三七年八月になると、神戸税関鑑査部の課長クラスからガリ版で印刷された
脱退届が一斉に出されたのを皮切りに、猛烈な脱退工作が勤務時間内外を問わず行
われ、脱退者は課長クラスから係長クラスへと拡がり、同年一二月に開かれた労研
臨時総会では、労研会員は「各自の自由意志に基づいて」神戸支部から脱退するこ
とを決議した。昭和三八年二月一四日には脱退者は七四五名にも達した。
(2) 原告組合の活動と分裂攻撃の経過
(イ) 原告組合の結成とその活動
 昭和二八年八月一日、東京税関が横浜税関から独立したのに伴い、一支部一組合
という全税関労働組合規約に基づく組織の方針により、同日、従来の全税関横浜支
部の東京分会所属組合員により原告組合が結成された。原告組合も、全税関と同様
に、人事院に登録された職員団体である。
 東京税関は、原告組合結成当時は仮庁舎であったため職場の労働条件が悪く、さ
らに、航空貨物が増大してきたこともあって、仕事量の伸長が著しく、職員の労働
条件も厳しい状態が続いた。そこで、原告組合は、職場の労働条件改善、賃金の引
上げを中心として活動していった。
 昭和三〇年三月四日には原告組合婦人部が結成された。同三三年、東京税関の本
館が第二大蔵ビルに移転の際に原告組合事務所が設けられ、同三四年には、原告組
合は、羽田分会、鑑査分会、業務分会、芝浦分会など各分会組織を確立させ、賃上
げを基本に共済掛金の値上げ反対、労働時間の短縮を要求した。
 このころ、原告組合が要求書を出すと同時に税関長交渉を申し入れると、税関長
は、時間のある限り原告組合と交渉し、一回二、三時間の割合で話し合い、問題解
決の努力をしていた。税関長の都合の悪いときは、官房主事が対応し、議題の内容
も予め決めることもなく、問題がいろいろあるときには、ほぼ一か月に一回の割合
で頻繁に交渉が行われた。
 昭和三六年には、原告組合江東分会が、同年七月には同青年部が、それぞれ結成
された。江東分会は、宿直廃止、扇風機の増設、食事代一部官負担などの職場要求
を、青年部は、青年の文化、スポーツ、学習、サークル活動、通学生の諸要求を前
進させた。さらに、同三五年に闘った賃上げ以降、人事院勧告という形で賃上げ要
求が実現し、人員についても増員、赴任旅費、計算管理室設置に伴う労働条件の改
善が実現した。
 昭和三八年ころ、原告組合は、羽田支署の泊まり勤務時間体制の変更を中止さ
せ、共済掛金の引上げ阻止、警務関係に働く人たちの夏の官服の洗濯代の請求や洗
濯機と洗剤の支給を勝ちとり、江東出張所での宿日直の廃止の要求を実現し、階段
に手摺りを設置するよう要求し、実現を図っていった。このように、原告組合は、
職場の声を一つ一つ集め、その要求実現のために努力をしていった。
 当時、神戸税関及び横浜税関では組合分裂の事態が生じていたが、東京税関で
は、原告組合と当局との関係も、文化祭や運動会などを両者共催で行なうなど、そ
れほどの問題はなかった。当局から年四回作成される号俸等が全部記載されている
職員録を原告組合において知ることができる状況にあって、原告組合は、特昇した
者、昇任した者を把握することができ、その意味では民主的な職場慣行が成立して
いた。
 昭和三九年三月、本関が品川埠頭に完成した新庁舎(現庁舎)に移転した。新庁
舎は、品川駅から徒歩で四〇分かかり、当時は路線バスも通っていない状態で、交
通問題、通勤時間、厚生施設をはじめ様々な支障が予想された。原告組合は、組合
員個々の要求をくみ上げ、当局に対し種々の要求を掲げるとともに、東京交通局品
川営業所等に出向いてバスの増発等による本関勤務者六〇〇名の通勤の足の確保を
図ることなどに努力し、休憩室、運動場、バス路線の創設、妊婦や通学のための通
勤緩和の保障を得たのである。
(ロ) 原告組合の分裂の経過
 昭和三九年四月、東京税関当局は、元全税関委員長のP19を総務課長に、元中央
執行委員のP20を総務課長補佐にそれぞれ抜擢し、労働組合対策のために総務課に
総務第二係を新設した。右P19、P20らは、労働組合のニュースを分析した資料や
関税局から出る組合対策資料、函館、横浜、長崎等の他関の動き、あるいは、それ
に関連して関税局等で行なう労務政策の内容などを各署所の支署出張所長、管理課
長、主要課長クラスに流した。
 当局は、組合費未納等の分裂策動を進め、「全税関労組は総評に見放されてい
る」等の策動を行ない、また、団体交渉を引き延ばしはじめ、民主的サークル活動
についても庁舎管理規則を利用して制限を強めてきた。そして、昭和三九年七月の
支部大会において、従来労働組合活動に関心のなかったP21、P22ほか一名を使っ
て、関税局作成の資料をもとに全税関に対する中傷を行わせ、原告組合の方針変更
を迫った。
 P21は、当局の意を体して、代議員に立候補し、鑑査部管理係は、比較的組合活
動に熱心でない者が集まっていたため、対立候補もなく、同人が選出されるに至っ
た。しかし、P21の意見は大会で支持を受けず、右支部大会では組合費三〇円の値
上げが圧倒的多数で決定され、その後、開催された全国大会で、昭和三九年一〇月
から値上げされた組合費を徴収することが決まり、各職場に報告された。
 昭和三九年九月ころから、当局は、その指導のもとに外郵出張所長P23、新橋出
張所長P24等を準備委員にした課長会議を組織し、同会議は労働組合の体費改善、
組合費の不払い計画を練った。席上当時の監視部管理課長P25は、チェックオフ拒
否を強く主張し、監視部では同年一〇月からこれを実行に移した。このため三交替
制を敷く当直勤務者の多い監視部では原告組合の組合費徴収の作業が困難をきわめ
ることとなった。
 昭和三九年一一月一三日から二六日までの間、出張所長、各管理課長、各総括係
長、総務係長を集め、関税局の労務担当P26考査管理官、国税庁の労務担当遠山審
議官によって、組合費未納の動きを煽る内容の職制研修が開かれた。その後、全課
長に対する研修が二日間ずつ二回開かれ、同年一二月一日には、全係長を対象とし
て、反組合教育が行われた。同月には一名を除く全課長が組合費を納入しなくなっ
た。
 一方、課長会の動きに呼応するかのように、各部の管理課総括係長等が、刷新有
志会を結成し、総務第二係と連絡をとりながら、秘密裡に分裂反共の宣伝文書を発
行し、刷新有志会の会員の獲得運動に乗り出した。当局は、刷新有志会に対し、本
関五階の会議室を会議用に、二階研修所の機械を資料印刷用にそれぞれ提供するな
どの便宜を供した。組合費未納策動がすすめられ、未納者は、昭和三九年一〇月に
は監視部課長一六名、同年一一月には九〇名に激増し、全課長が組合費を払わなか
った。さらに、未納者は係長クラスに及び、同年一二月には一二〇名、同四〇年一
月には一六〇名となった。刷新有志会会長であるP21鑑査部総括係長は鑑査部長室
に、P27副鑑査官は羽田支署長室に、それぞれ職員を一人一人呼びつけ、刷新有志
会への加入を迫った。当局は、昭和三九年一二月一四日以来、原告組合との団体交
渉を拒否していた。
 昭和四〇年一月二二日、神戸税関労働組合と横浜税関労働組合が蒲郡において税
関労働協議会を開いた際、東京税関当局は、官費による研修出張として刷新グルー
プのP28、P29、P30、P27を同協議会に出席させて全国的な組織破壊攻撃の意思
統一をはかり、同年二月からの公然活動の準備に入った。
 昭和四〇年二月一日、各出張所において管理係長が、「国公共闘は共産党系」
「全税関は階級闘争主義」などと記載され、当局の掲示許可済みの印が押してある
反共ビラを玄関前で一斉に撤き、声明文などを壁やドアーに貼り付け、当局と刷新
有志会は、公然たる分裂策動を開始した。
 昭和四〇年二月一三日、当局は、刷新有志会の総会において、職制一二〇名及び
委任状一〇〇枚余で第二組合結成の決議をさせた。総会に出席した百余名のうちの
九五パーセントの者が役付きであった。同席上で刷新有志会は、目的を果たして発
展的に解消し、第二組合の東京税関労働組合(税関労)を作ると宣言し、刷新有志
会幹事メンバーは、第二組合の結成準備会にそのまま横滑りし、以後当局は、第二
組合結成のために予め大量に印刷しておいた「脱退届」を職制機構を総動員して配
布させた。当局から脱退者数のノルマを課された職制は、その部下を勤務時間中に
権力を利用して勧誘、強要し、脱退させていった。職制の脱退強要は、「バスに乗
り遅れるな」を合言葉に、組合員の昇給、昇格、人事異動、仕事上の差別などで脅
しながら、印刷された脱退届に署名させるという手口であった。同月一九日、一一
八名分の脱退届が、P21名義で、原告組合支部長宛の配達証明付で送付されてき
た。かくして、原告組合から多くの組合員が脱退させられ、同月二七日、第二組合
である税関労が結成された。海員会館で行われた第二組合の結成総会には職制が動
員させられ、バスで職制が運びこまれた。右結成総会には百四十数名が参加した
が、九〇パーセント以上が課長や係長であった。
(ハ) 被告による脱退攻撃
 昭和三九年三月には九六六名、同年七月支部大会時には一〇二二名いた原告組合
の組合員は、同年一二月末には一〇〇〇名、昭和四〇年一月九八〇名、同年二月五
八三名、同年三月四七七名と減少し、組合分裂時である昭和四〇年二月に脱退者数
は三九七名と頂点に達し、その後も続々と原告組合を脱退していった。脱退者が多
くなったのは、昭和四〇年二月一三日から一五日にかけて、同月一三日には一四五
名、同月一五日には八十数名、二月だけでも三五〇名位脱退した。脱退届は、毎日
のように郵便で原告組合に届けられたが、脱退者本人が脱退届を郵送してくるので
はなく、まとめて百何十通もの脱退届が郵送されてきた。その脱退届は、わら半紙
に謄写版で刷ったものに脱退者が記名捺印したもので、管理課の総括関係職員にい
ったん提出された上で、郵送されてきた。脱退強要は、本関のみならず、全職場
で、時期を同じくして一斉に行われた。
 第二組合結成後も、当局による全税関組合員に対する脱退強要は引き続き強めら
れ、職制機構を総動員し、職務権限を濫用して、脅かし、すかし、利益供与などの
あらゆる手口を使って脱退攻撃が行われた。原告組合員も大半が脱退攻撃を受けて
いる。
 これらの脱退強要の態様は以下のとおりにまとめることができる。
(a) 職制機構を通じた脱退強要
 職制上の上司が所属の組合員を、職務上の上下関係を利用して脱退強要したこと
が第一の特徴である。しかも、係長、課長らが東京税関の全職場を通じて同時期に
一斉に組織的かつ同様の手口を用いて脱退強要をした。
(b) 勤務時間中
 脱退工作は勤務時間中に行われた例が多い、上司は、勤務時間中に会議室や部長
室に呼んで、いわば公然と脱退勧誘した。勤務時間中の仕事の話にかこつけての脱
退強要は、明白な不当労働行為である。
 また、上司が、勤務時間外に自宅に呼んだり、飲み屋等に誘ったり、あるいは休
日に原告組合員の自宅を訪問し喫茶店等に誘い出して脱退強要するなどの例も多
く、いわば時と所をかまわず脱退強要が行われたのである。
(c) 利益誘導
 昇格、昇任、特昇等は直接収入に関係する。当局はこれを利用して利益や便宜の
供与を保障し、もしくは不利益をほのめかして脱退強要を行なった。脱退すれば
「昇格させてやる」「特昇させてやる」あるいは「脱退しなければ昇格、特昇もし
ない、役付きにもなれない」という形での利益の約束あるいは不利益の脅しが脱退
強要の手段として用いられた。そして、昇任、昇格、特昇の他ありとあらゆる利益
や便宜の供与を職権を濫用して約束し、また不利益で脅して脱退工作を行なった。
 当局の職制機構をあげた組織的な勤務時間内外を問わない熾烈な脱退強要及び第
二組合への加入勧誘のため、職員は、誰でもが全税関を脱退することこそが税関当
局の意思に適うものであることを知っていた。だからこそ、脱退強要を行なう職制
等は、「バスに乗り遅れるな」と説いて脱退を強要し、全税関に残ることが将来の
不利益につながることを述べたのである。
 組合員数は激減したが、脱退した組合員のほとんどは、諸々の脅し、すかしに心
ならずも負け、その意に反してやむをえず脱退していったものであった。
 原告組合からの脱退が当局の関与に基づいて行われたことは、①第二組合員でも
ない輸入部長や鑑査部長、人事課長が関与していること、②脱退勧誘の文言が昇任
昇格をはじめとする利益誘導を内容とし当局の専権事項に属する言葉を使用してお
り、当局の関与なくしては右言辞を用いることができないこと、③脱退勧誘の文言
には原告組合の問題点を具体的に指摘したものはなく、いわゆる「アカ」であると
か、「容共路線」であるとか、全く事実に相違する中傷だけであったこと、④脱退
勧誘を同僚から受けた人間がいないこと等の事実から明らかである。
 昭和四七年六月二四日全税関本部に拾得物として送られてきた横浜税関山下埠頭
出張所輸出通関第二部門統括審査官P31の作成のメモ(以下「P31メモ」とい
う。)によると、当局が職制を使って脱退強要をしたことは明白である。
 P31メモには、リボン・プレートに対する対処の仕方、現認書の書き方、全税関
組合員から質問を受けたときの答え方などが記載されている。昭和四七年六月八日
に開かれた山下埠頭出張所の課長会議で次長から管理課長会議の結果内容について
の報告として、「旧勧誘解除」「特昇等は約束しない」との記載がある。これは、
すなわち、全税関組合員に対する脱退勧誘を今後はしなくてもよいと指示されたと
いうこと、全税関組合員に対する脱退勧誘の際、特昇等を約束しないという指示が
されたということである。この記載は、逆に右時点まで、当局が、職制を使い、全
税関からの脱退勧誘に際しては特昇等の約束をしていたことを端的に示している。
しかも、この指示は管理課長会議という第二組合の活動とは無縁の場での報告結果
に基づいている。
 横浜税関に関するP31メモの記載内容と各原告が陳述書等で述べた東京税関での
現認書の作成体制、リボン・プレートに対する職制の対応の内容、あるいは原告組
合員が質問をしたときの職制の返答の仕方とは同一であり、右謀議の内容は全国の
税関に共通するというべきである。
 組合分裂後も当局による脱退強要は、右課長会議の日付である昭和四七年六月ま
で延々と続けられていたのである。
(二) 特定職員の昇任・昇格
 昭和三四年から同三九年までの高卒入関者の初級管理者、旧四等級の昇任、昇格
状況をみると、原告組合員は、早い者で一般職員の第三選抜に重ねられており、昭
和六一年三月一九日の総務部長会議及び同年四月一〇日の人事課長会議の四・五・
六級昇格の特定職員に対する基準と実質的に同一であること、また、差別は、継続
して初めて実効性を有し、差別が差別として顕著となるという性格を有するところ
からして、右両会議の内容は、昭和四二年から同四三年と同六〇年から同六一年の
ものにすぎないが、それ以前から、また、それ以後においても差別が継続されてい
ることは明らかである。
 すなわち、当局が、昭和四〇年以降継続的に行なってきた昇任、昇格差別の結
果、その歪みが顕著となり、同六一年に特定職員の上席官昇任・七級昇格の問題と
して浮上してきたことを示している。
(三) 仕事上の差別
(1) 総務管理部門からの排除
 昭和四一年一月、関税の納付制度が賦課課税制度から申告納税制度に変わるとと
もに、東京税関の機構が改革され、官房が総務部に、秘書課が総務課に、また、各
部に管理課が設けられ、課制度が部門制に改められ、総括部門が設けられた。総
務、人事、管理、総括部門に仕事の総合的企画運営、人事の権限のほとんどが集中
され(スタッフ部門)、この下のラインの各部門は、それらの指示に基づき日常的
な業務を処理する体制となった。
 昭和四〇年七月二日時点で、行(二)職員、タイピスト等の職員を除いた総務部
に配置された原告組合員は、総務部の職員八四名中一二名、同年九月時点で七名い
た。しかし、原告P32は、同年七月に、総務部会計課から新橋出張所貨物課に配転
となり、原告P33は、同月に、総務部会計課厚生係で一一年間従事していた共済組
合の短期経理(健康保険)、長期経理(年金)及び共済各経理の総括事務(元帳、
伝票、支払等)の担当から希望もしていないのに新橋出張所へ配転となり、また、
当時、組合活動を始め、総務分会を作るための結成準備委員長であると同時に青年
部常任委員だった原告P34は、昭和四一年九月に、当時大学に通っていたため始業
時に間に合わない羽田にだけは行きたくないと身上書に書いていたにもかかわらず
人事課から羽田税関支署収納課に配転になり、原告P35は、同四二年七月に、総務
部人事課給与係から業務部航空輸出通関第二部門へ配転となり、原告P36は、同月
に、総務部会計課厚生係から芝浦出張所に配転となるなどして、同年一〇月二日ま
でに総務部に配置されていた原告組合員らの全員が配転によって同部門から排除さ
れた。これ以後は、原告組合員は希望しても、総務部総務課、人事課、会計課、厚
生課、各部管理課には配置されなくなり、スタッフ部門から全く排除され、通関部
門では窓口業務、保税部門では出先の保税実査官等の機械的単純業務に従事させら
れている者が多い。
(2) 監視部門からの排除
 税関は、取締官庁としての性格が強く、監視取締部門、事後調査部門、審理部門
(犯則取締)などが重視されてきた。原告P37は、昭和四〇年七月監視部警務課海
務係から羽田税関支署監視官付に配転され、原告P38は、同月、監視部警務課から
羽田外郵出張所に配転となるなど、羽田の旅具部門を除き、これらの部門からも原
告組合員は、意図的に排除されている。監視、警務部門は、新規採用者が研修終了
後すぐに配属される部署であり、新入職員と原告組合員とを接触させない当局の方
針のあらわれである。
(3) 部下をつけない職場配置
 昭和五三年九月一日時点において、五〇数名の原告組合員が役付となっている
が、部下のいるものは一名もいない。そのなかには、仕事の流れ、机の配置などか
らして、どうしても部下が必要な部署であったり、前任者には部下がいたのに、原
告組合員がそのポストに就くと部下をつけないといった扱いをしている。
 また、直属の部下を持っていた役付きである原告組合員P39は、原告組合に加入
すると、次の異動では部下のいない職責に配転された。
 当局は、原告組合員に対し、労務管理的仕事、勤務評定の第一次評定者、部下に
影響を与えるような立場に置かないという徹底した方針に基づいて配置しているこ
とは明らかである。
(4) 単純業務への配置
 当局は、原告組合員が役付になっても、経験や経歴を無視した一般職員なみの単
純労務にしか服させない。現在でも、原告組合員は、役付になってもインボイス整
理のような単純作業をさせられている。
 他にも、審査官の場合は、通関ライン、通関業務の現場に発令して一人一貫処理
担当に、保税実査官の場合は、上屋検査担当に、その他調査官、分析官、監視官な
どは、直属職員がなく、概して単純な仕事を担当させられている。また、原告P
40、同P41、同P42らは、勤続二五年以上の役付であるにもかかわらず、通常入関
間もない職員が担当する申告書の整理という単純業務を担当させられている。
 原告組合員のうちの女子の多数は、統計事務等の単純な事務に長年従事させられ
ている。
(四) 隔離分断政策
(1) 特別派出所勤務
 保税あるいは保税倉庫、保税地域の派出所(民間会社等にある)に一名ないし二
名で勤務する「特派職員」と呼ばれる職種がある。特派職員は、関税法上の派出職
員と異なり、輸出入の許可権限がなく、また、屋外や危険な工場内など労働環境が
悪く、福利厚生施設も乏しく、遠距離にあるため、組合活動が著しく制限される職
種である。
 原告組合員、特に組合の役職者は、この特派職員勤務に集中的かつ長期的に配転
されている。昭和四四年以降、東京税関全職員中原告組合員が占める割合は一〇パ
ーセントにすぎないのに、特派職員全体(役付きを除く)の七割を原告組合員が占
めている。また、一度特派職員に配転されると、派出所をたらい回しにされ、長期
化する。
(2) 新入職員の隔離政策
(イ) 新人職員に対する基礎科研修での全税関敵視教育と隔離政策
 当局は、第二組合の保護育成政策の一つとして、新入職員を第二組合に加入さ
せ、原告組合への新入職員の加入を断つことを特に重視した。当局は、昭和四〇年
度の新入職員から、大蔵省税関研修所に全新入職員を集め、基礎科研修を実施し、
その場を使って、徹底した反全税関教育を行ない、新入職員の中に原告組合に対す
る恐怖意識を植えつけ、敵視・嫌悪意思の再生産を行なうとともに、第二組合への
加入の便宜を図っていた。
 右研修の教育内容は次のようなものであった。すなわち、当局は、各税関から指
導官を任命し、基礎科研修の中で、全税関は悪い組合だ、全税関は当局に楯突く組
合だ、そういう組合に入ったのでは昇任等いろいろ保障できない、そういう組合に
加入しない方がいい、全税関の組合員は職場においても仕事をしない、早く食事に
行く、官服を着ない、といった全税関に対する一方的なデマ宣伝、中傷を徹底した
もので、これにより、新入職員を原告組合には一切加入させないようにし、原告組
合の組織を潰していこうとした。
 昭和四二年四月一日における東京税関の講堂での入関式に際し、原告組合員が、
加入を訴えるビラを新入職員に対し門前で配布したところ、控室での待機時に、総
務の職員が、右ビラを「入関式の平穏を乱すもの」「君たちに全く不要なもの」と
して新入職員から回収した。さらに、新入職員は、授業終了後も寄宿舎の中で指導
官からのミーティング、午後七時から午後九時位までの自学自習の時間など様々な
席で、いわゆる全税関に関する話しを受けさせられる。
 そして、当局は、原告組合員を宿舎専任管理官、指導官、勤務時間管理員などか
ら徹底して排除し、基礎科研修の終了間際に、東京税関労働組合と打ち合わせたう
え、新入職員に対し第二組合のみの説明会を行わせた。他方において、当局は、基
礎研修期間中、原告組合員が新入職員に対し、面会の申入れをしても、原告組合員
の研修所への入場を拒否し、原告組合の新入職員との接触の場を完全に断ち切っ
た。研修を終え品川寮に入寮した新入職員全員に対し、品川寮において、当局が指
定した各部屋の部屋長(先輩職員)、寮管理人、寮副管理人などが、第二組合への
加入を勧誘した。かくして、原告組合に対する恐怖意識、敬遠意識の新入職員に対
する醸成は完成をみるのである。
 当局は、研修終了後の寮においても新入職員と原告組合との接触を断ちきるた
め、四等級の寮管理人を置き、宿舎においても全税関敵視の対策、原告組合に対す
る恐怖意識の涵養に努めた。その結果、新職員に対する基礎科研修の実施以降、新
職員から原告組合へ加入する者は、ほとんどいなくなった。
 この基礎科研修は、税関ブラザー制度と呼ばれ、研修期間中は労働組合に加入さ
せず、そして、職場に配置されると、今度は第二組合に一括して加入させるという
工作の場であり、指導官を含めて税関側と第二組合が一体となったものである。
(ロ) 新入職員の配置
 当局は、原告組合員の影響を排除する新入職員の職場配置の方針をとり、昭和四
二年度の新入職員は、原告組合員が配置されていない羽田支署と本関の監視部警務
課警務担当(ただし、旅具担当、業務担当は除く)に配属された。
 その後も、当局は、実務の仕事に慣れてきた新入職員に対し、上司に、原告組合
員から仕事を教わるなと指示させ、仕事上でも新入職員と原告組合員との接触の妨
害を図った。当審証人P43は、昭和四六年二月、東京税関の羽田税関支署の監視部
門から輸入通関第四部門に配置換えになったが、同部門には原告組合員が四名配置
されていたところ、同人とP44は、P45統括審査官から原告組合員とは付き合わな
いように、原告組合員からは仕事のことも聞かないように注意された。P43は、昭
和四六年五月の連休の一日、輸入通関第四部門で原告組合員四名を含めてハイキン
グに行ったところ、休みが明けるとすぐにP45課長から注意を受けた。
 当局は、仕事上だけでなく、職員親睦の場においても、原告組合員と第二組合員
とが接触することを妨害したのである。
(五) 不当配転
(1) 組合役員、活動家の隔離配転
 昭和四〇年七月三日、当時原告組合の鑑査分会長であった原告P1を羽田支署に、
同じく業務分会長だった原告P46を立川の貨物係の特派職員(高尾の山の中の保税
工場)に、それぞれ配転した。以後、原告組合の分会三役に就任すると、配転させ
られた。
 同日、当時の原告組合婦人部長の原告P33は、前述のように総務部会計課厚生係
で特昇等が特定できる共済総括事務を担当していたところ、新橋出張所に配転とな
った。これは、総務管理部門からの原告組合員を排除するとともに、原告組合の婦
人部の幹部を排除しようとしたものである。
 原告P40は、昭和四二年七月二五日、当時の原告組合の晴海分会長であったが、
大宮宿舎に居住しているにもかかわらず羽田支署輸入通関第二部門に配転となっ
た。このため、同原告は、三時間の遠距離通勤を強いられることとなった。
 原告P47は、昭和四四年及び同四七年に、原告組合の執行委員に就任したとこ
ろ、いずれも任期中に配転させられた。
(2) 懲罰的配転
 元原告組合員のP48は、演劇サークル「麦の会」の会長であり、「麦の会」の昭
和四三年一一月八日の公演で重要な二役を演じる予定であったところ、同年一〇月
一六日、新潟税関支署に配転させられた。これは、「麦の会」を解体させる目的に
よる配転であった。
 原告組合員P49は、昭和四二年一〇月、当時栃木に在住し、東京外郵出張所に勤
務していたところ、品川の本関へ配転となり、そのため通勤に往復六時間かかるこ
ととなった。
 原告P46は、昭和四四年一一月、当時緑内障の診断を受けていたが、立川出張所
から東京外郵出張所に配転となった。これにより、同原告は、通勤に片道二時間か
かるようになり、仕事の内容も大量の小包を選別したり、開披検査したりするもの
で埃が非常に多い環境となった。そこで、同原告は、健康上の理由による立川出張
所への配転を希望したが、受け入れられなかった。
 原告P50は、昭和四四年一一月、羽田税関支署監視官付に配転されたが、当時慢
性多発性リューマチに罹患しており、夜勤に耐えられないので日勤への配転換えを
上申したが、当局は、診断書に夜間勤務に耐えられない旨の記載がないとの理由で
一年三か月もの間、夜間勤務を強いた。
 原告P42は、昭和四四年三月二〇日、東京外郵出張所に配転となり、配転先の上
司が後輩となるような異動をさせられた。
 原告P47は、昭和四八年七月、妻が妊娠六か月の身重でしかも前年流産したばか
りという時期に、本人の希望を無視して東京外郵出張所から立川出張所に配転とな
った。原告P10は、昭和四二年七月二五日、北品川から大森町へ引っ越したばかり
でしかも妊娠中に、突如通勤時間が倍かかる晴海出張所へ配転された。原告P
36は、逆に昭和四六年四月長女が保育所に入所したため保育所に近い東京外郵出張
所への異動を希望したのに二年以上芝浦出張所から異動させてもらえなかった。こ
のように当局は、原告組合員の家族の状況を無視した配転をした。
(六) 宿舎入居差別
(1) 新入職員からの隔離入寮差別
 当局は、新入職員の研修後の入寮だけでなく、独身寮についても、原告組合員が
希望しても入寮することのできない寮を設けた(かつては品川寮、現在は稲毛
寮)。
 原告P51は、昭和四二年ころ、品川寮に入居申込をしたが、返事がないので、P
52管理課長に尋ねたところ、「君は第一組合に入っているから品川寮には無理だ
よ。萩中寮なら入れるんじゃないか。」といわれた。
 原告P53は、上司であるP54から「原告組合を抜けなければ寮には入れない」と
いわれていたところ、生活の苦しさから原告組合を脱退して品川寮に入寮した。そ
の後昭和四一年八月に配置転換となり、同年一〇月原告組合に再加入した。当局
は、品川寮から唯一の原告組合員の入寮者である同原告を排除するため、昭和四三
年一〇月、同原告を酒田支署に配転した。この配転は、本人の意思、生活上の困難
を無視し、なんの理由の説明もなく行われ、一八〇名の品川寮の寮生のうち一〇四
名が同原告の配転撤回の署名をするほど不当なものであったが、署名者は勤務時間
中に所属課長や寮の管理人から注意を受けた。同原告は、酒田支署勤務中、栄養失
調及び腎炎で二度入院した。
(2) 脱退攻撃・嫌がらせの入居差別
 組合分裂前は、宿舎入居は、抽選で決定されていたが、分裂後は秘密裡に当局が
決定するようになった。
 原告P55は、結婚して宿舎入居の希望を出しても数年アパート暮らしを余儀なく
され、昭和四二年七月にようやく宿舎に入居できた。当時の小ない給料の中から家
賃を支払うのは大変で、当局の嫌がらせの意図は明らかであった。また、原告P
34と同P35は、昭和四三年結婚し、追浜宿舎入居を希望しながらアパートに住んで
いたにもかかわらず、同原告らよりも四か月後に結婚した第二組合員P56、同P
57の両名は、それぞれ結婚と同時に追浜宿舎に入居した。
 昭和四二年ころ、大田区<以下略>に羽田税関支署の泊まり勤務者を優先的に入
居させる目的で新宿舎が完成したが、入居希望者が少なかったため、原告P58は、
担当係から入居を勧誘された。そこで、同原告が、同じ班の同僚六、七名とともに
入居の希望を出したところ、同原告だけが入居できなかった。
 原告P59は、昭和四五年一〇月結婚するにあたり、宿舎入居希望を出していたに
もかかわらず、昭和四六年二月まで宿舎入居が適わなかった。当局は、同原告に対
し、空室がないと説明していたが、結局、同原告が入居した大宮宿舎WB一二三号
は、昭和四五年六月から空室になっていたものであり、原告組合員に対するいやが
らせであることは明瞭である。
(七) 研修差別
(1) 研修からの全面的排除
 人規一〇-三(職員の研修)一条、二条によると、名省庁の長は、職員の勤務能
率の発揮及び増進のために、職員の職務と責任の遂行に密接な関係のある知識・技
能等を内容とする研修を実施するように努めなければならないとされ、研修の受講
は、国公法の原則に則り、労働組合の所属により差別が行われてはならないもので
ある。
 組合分裂以前は、一定の資格があり、職員の希望があれば誰でも研修を受講する
ことができた。しかし、分裂後、当局は、昭和四〇年から同四四年の間はほぼ全面
的に原告組合員をあらゆる研修受講から排除した。
 昭和四二年度の調査によると、全体の研修受講者数は二六八名であるにもかかわ
らず、原告組合員で研修を受講したのは、通関実務研修を受講した原告P60一名に
すぎない。原告組合員は、積極的に研修の要求をしているにもかかわらず、受講さ
せてもらえなかったのである。
(2) 普通科研修の差別
 普通科研修は、七、八等級の職員を対象とし、広く一般職員のレベル向上のため
に法学等の基礎講義及び実務一般を教授する研修で、期間は七二日間(昭和四一年
から七五日間となった。)であった。いわば税関職員の義務教育的内容の研修であ
り、昭和四五年から「中等科研修」と名称が変更となった。
 昭和三七年から同三九年の間に、同二八年以前に採用された職員のほとんどが受
講しているように、分裂以前には、職員は、入関後一〇年以内に、採用年次の順に
従って受講していた。
 しかし、昭和四〇年の組合分裂以後、全国的にみても、全職員の七分の一にあた
る一〇七二名が普通科研修ないし中等科研修を受講しているが、全税関組合員に限
ると、昭和四四年まではただ一名を除いて誰も受講していない。これに対し、非全
税関組合員は分裂前と同様に採用年次の順に受講している。採用年次からすると、
昭和二九年入関者から同三六年入関者まで全税関組合員は一名を除いて受講してい
ないことになる。
 なお、原告組合の粘り強い要求行動により、昭和四五年以降、中等科研修を原告
組合員も受けられるようになった。しかし、同年の中等科研修受講時における原告
組合員と非組合員との入関年次の差は、二年から三年であったが、その後格差は拡
大し、昭和四八年には、入関年次で四年から六年の差が生じていた。
(3) その他の研修差別
 昭和四五年以降、原告組合員も研修を受講できるようになったといっても、昭和
五二年時点の調査によれば、なお三五科目の研修の受講から原告組合員は、排除さ
れている。
 新任管理者研修については、原告組合員の非組合員に対する入関年次の差は昭和
四五年で七年、同四八年で五年あり、五年から一〇年の遅れとなっている。
 専門研修、委託研修は、当局の指名によるもので、昭和四〇年から同四五年まで
は例外的な場合を除いて全く受講できなかった。同年以降全税関組合員が受講でき
るようになった研修というのは、仕事の種類が変ったときに、日常の業務に必要
な、どうしても当局としては受けさせておきたい実務的な研修が主であり、大学派
遣とか日米会話学院への委託研修等の高度に専門的に勉強し能力の向上をはかる種
類の研修は受講できない状態で、現在まで継続している。
 特に当局は、高等科研修の受講から原告組合員を排除している。当局は、「高等
科研修は普通科研修を受けた人を対象とするのであるから、普通科研修を受講して
いない者には受講資格はない」と説明するが、普通科ないし中等科研修の受講自体
を原告組合員に受けさせていないのであるから、これを理由とするのは不当であ
る。
(八) レクリエーション
(1) 費用配分の差別
 サークル活動は、職員の任意の集りによるものであるが、共済組合からの補助が
あり、従前、それを当局が配分していた。組合分裂後、昭和四三年には、原告組合
員が加入あるいは多数を占めるサークルに対する費用配分がゼロになった。これに
対し、柔剣道、水泳等の当局の肝入りで、第二組合員で構成されているサークルに
は多額の費用が配分されている。
 昭和四三年七月二九日付東京税関時報号外によると、二四のサークルのうちラグ
ビー、空手、テニス、ボディビル、山岳の各サークルには原告組合員が加入してい
るところ、いずれも費用配分はゼロである。特に原告組合員が熱心に活動していた
演劇サークル「麦の会」は昭和四一年から、卓球、囲碁、コーラスは同四二年か
ら、それぞれ費用配分はゼロになっている。同年九月二七日の東京税関幹部会議の
方針どおりに実行されたことが、サークル費の配分から歴然とする。当局による新
旧労働組合間の差別扱いは明白である。
(2) 「麦の会」
 当局は、昭和四三年、サークル活動の中心だった会長P48を新潟税関支署に配置
転換し、また、分裂後、従来使用させていた会議室等の使用を禁止し、「麦の会」
の大道具を置く場所を貸さなくなった。
(3) 音楽隊
 昭和四二年秋ころ、音楽隊に所属していた原告組合員P61は、刷新有志会の有力
メンバーであり、かつ、音楽隊のマネージャーをしていたP62副関税審査官から、
当局に音楽隊を辞めるという意思表示をすれば、高価な楽器を無駄にすることはで
きないから、当局も音楽隊に熱意を示すだろうと話しを持ちかけられ、音楽隊から
の脱退届を提出した。ところが、昭和四三年一二月の東京税関時報には、音楽隊が
演奏している模様が掲載されていた。すなわち、原告組合員の隊員を脱退させたう
えで新しい音楽隊を編成するための偽装解散だったのである。
(4) 江東出張所の油絵サークル
 昭和三七年に江東出張所に油絵サークルが設立されたが、同四〇年の組合分裂
後、原告組合脱退者は、油絵サークルにも出席しなくなり、残った大半は原告組合
員という状態となった。
 昭和四一年一〇月、江東出張所が晴海に移転した後、油絵サークルは、イーゼル
やキャンバス、絵の具箱を置いておくスペースがなくなり、これらを持参して通勤
せざるを得なくなり、そのうえ、当局は、庁舎管理規則を持ち出して出張所の会議
室の借用につき部外者の参加を問題にするうえ、会計報告の提出を求めたり、サー
クルの代表者は役付きでなければならないなど細かい注文をつけるようになった。
そして、昭和四三年には、油絵サークルに対する補助費の費用配分がゼロとなった
ため、油絵サークルは、外の職場と交流して出張所外で活動するようになった。
(5) レクリーダー
 当局は、昭和四一年一〇月に、レクリーダーの制度を発足させ、当初当局が一六
名を指定したが、同四三年三月から所属長が任名することとなり、二九名が任命さ
れた。当局は、このレクリーダー、厚生委員などの福利厚生関係の役職から原告組
合員を排除した。
(6) 水泳大会の選手選考
 全国の税関規模で水泳大会がレク行事の一環として開催されるが、昭和四二年、
東京税関にも永泳部が設けられた。当局は、水泳大会の選手の選考に当たって、内
々に選考をしていたため、原告組合員P61及び原告P63は、当局の選考は非民主的
であると抗議した。
(九) 大臣表彰からの排除
 昭和四三年一月、原告P64は、外国人女性による金の延板密輸事件を摘発した。
このような行為は毎年一一月の税関記念日に大臣表彰されるのが通例であった。と
ころが、表彰職員は東京税関時報に登載される(東京税関表彰内規)ことになって
いるのに、同原告の名前は、登載されず、また、税関記念日にも表彰されなかっ
た。
(一〇) 職場での差別
 原告組合員は、職場の同僚から「君と親しくしているところをみられると当局に
にらまれる。」「個人的付き合いまで干渉されるのは嫌だが、私の生活を考えると
君と付きあえない。」といわれたりした。
 昭和四一年一二月、統計課の忘年会も原告組合員には知らされずに開催された。
また、同四二年六月に開催された統計課の課内ボーリング大会も原告組合員を抜き
にして開催された。
(一一) 私生活での差別
 昭和四二年から同四四年にかけて、長野県出身者による県人会が開催されたが、
長野県出身の原告組合員には案内状さえ届けられなかった。
 原告P8は、昭和四五年五月、結婚したが、主賓挨拶を快諾していたP65保税課長
は、結婚式の前日になって、突然「急用ができた」と出席を断ってきた。同様に原
告P66は、昭和四四年に結婚したが、結婚式に出席の回答をしていた当時の上司P
67は、結婚式の前日になって、「子どもと約束していたから」といって出席を断っ
てきた。これらの上司による結婚式の出席拒否は、いずれも前日にするといった共
通点があり、当局の指導があったと判断せざるを得ない。結婚式に上司が出席しな
いという扱いを受けた原告組合員としては、原告P68、同P69、同P70、同P71ら
が挙げられ、また、原告P72、同P73、同P74ら、結婚式に出席しようとする同僚
らに対して上司から出席しないようにとの妨害を受けた。
 また、原告P71は、昭和四六年五月一三日に同人の父親が死亡したときに、従前
は職場から香典を出すことになっていたにもかかわらず、突然、第二組合分会長か
ら職場の香典は出さないことになった旨の通知を受けた。
 これらは、当局の指導による冠婚葬祭等の場を通した嫌がらせ、いじめといって
もよいものである。
(一二) 敵視政策の強化
(1) 組合交渉の制限あるいは拒否
(イ) 税関長交渉
 税関長交渉は、組合分裂以前には、年間六、七回の割合で、一回午後半日位をか
けて、組合側は、執行委員全員、東京税関側は、税関長、官房主事、三部長、羽田
支署長、官房三課長が出席し、交渉議題も賃金、共済合組の関係、人員要求、人事
異動、昇任・昇格などの労働条件に関するあらゆることについて行われていた。職
場に問題があれば、税関長交渉の場を通して解決していく状況があった。
 しかし、当局は、昭和四〇年は、税関長交渉の開催を若干延ばす程度であった
が、その後、回数を年二、三回に減らし、一回の交渉にかける時間も一時間から一
時間三〇分に減少し、出席者についても労使同数と制限した。当局は、議題につい
ても、特に昭和四一年以降、賃金関係、個別の人事等は交渉の議題としなくなり、
そのため、職場に関係する要求を解決する状況ではなくなった。
(ロ) 分会交渉
 分会交渉は、組合分裂以前には、原告組合が分会交渉の開催を申入れると、その
翌日ないし翌々日には開催され、昼休みあるいは午後四時以降に、組合側は、分会
三役及び分会組合員二名位が、当局側は、所長と業務課長が出席して開催された。
議題は、年末年始の要求、人員要求、物品要求のほか仕事のやり方(通関の仕方や
それに関わる検査のやり方など)などについて行われ、決定されていた。当時は、
多くの組合員を抱えて労働条件など当局と交渉して解決する問題が多く、当局にも
それに応える姿勢があった。
 ところが、組合分裂後、当局は、昭和四〇年は各分会とも分会交渉を開催したも
のの、翌四一年以降は、分会交渉は年一回と制限し、品川分会、東京外郵分会は事
実上分会交渉を拒否した。昭和四八年から同五〇年の間は、羽田分会を除き、各分
会とも分会交渉は開催されておらず、それ以降も数えるほどしか分会交渉は開催さ
れていない。当局は、交渉議題も極端に制限し、物品要求、昇任・昇格の要求、人
事異動の要求は、すべて「管理運営事項である。予算が伴うので、部長に権限がな
い。」との理由で議題とすることを拒否している。東京外郵分会は、昭和四二年四
月二二日、当局が四つの条件を出して交渉に応じないので、P25所長あてに抗議文
を出している。
 当局は、各分会の開催要求に対し、担当部長が会うことを拒否し、分会交渉拒否
の名目に、予備折衝が多く開かれるようになった。原告組合各分会の年末の要求
が、晴海分会では一三回の、芝浦分会では二〇回近くの予備折衝が行われて漸く春
に実現するという状態である。
 これに対し、当局は、第二組合に対しては、要求が原告組合より遅くても、交渉
は原告組合より先に交渉を行なっている。特に羽田分会では、原告組合の交渉日の
前日に第二組合との交渉を行なうという慣行ができている。
(2) 原告組合の団結行動に対する弾圧
(イ) 職場集会
 組合分裂以前には、原告組合の職場集会は、昼休み、事務室等において、自由に
頻繁に開催され、原告組合は、要求の確認や決議をしていたが、当局は、一度も介
入したり、弾圧することはなかった。
 ところが、昭和四二年一月二七日、国公共闘の春闘要求の統一行動に従い、原告
組合は、本関において、賃金要求を中心にして職場内昼休み集会を開催し、原告組
合員五〇名がこれに参加したところ、当局は、職制一二〇名を動員して、マイク、
プラカード、カメラを使用し、職制が怒鳴りちらすなどして集会を妨害し、職場集
会を事実上開催できなくした。その後、当局は、庁舎管理規則を理由に職場集会に
対する妨害行為を続けるようになった。
(ロ) 昭和四一年新橋分会大会の妨害
 原告組合新橋分会は、昭和四一年八月一五日、新橋出張所の事務室内で午後六時
から分会大会を開催しようとし、事前に新橋出張所長に対して火の始末や戸締りは
分会が責任を持つので開催させてほしいと申し入れたところ、所長は、庁舎管理規
則を理由にその開催を認めないと回答していた。ところが、分会大会開催時刻直前
になって、管理係長が、原告P71に対し、守衛の前で「P71さん、後を頼みます
よ、鍵は守衛に預ける」といって、鍵を同原告に渡したので、同原告は、これによ
り分会大会開催の許可を得られたと判断し、分会大会を開催した。ところが、分会
大会において、経過報告がなされている途中に、各出張所の職制たちが新橋出張所
事務室に入ってきて、写真撮影をしたり、解散を要求したりしたため、事実上分会
大会を続行することができなくなった。
 原告組合の新橋出張所分会は、右の分会大会の続行大会を同年一〇月六日午後六
時に、新橋出張所事務室において開催したところ、当局は、新橋出張所の向かいの
大阪ビルに対策室を設置し、各出張所から数十名の職制を集合させたうえ、分会大
会に侵入させた。職制らが、マイクを使用したり、机の上に土足で乗って写真撮影
をしたり、解散を命じたりしたため、分会大会は、騒然とした状態となった。
 これらの事態に関し、当局は、同月二二日、新橋分会長P75を厳重注意処分に処
した。
(ハ) 組合の印刷行為の妨害
 昭和四一年当時、晴海出張所の庁舎内には、組合の分会ニュース等の印刷をする
ことができる場所がなく、印刷場所の確保を組合として要求するとともに昼休みや
就業時間後に原告組合員の事務机の上で分会ニュースを謄写版印刷していた。ま
た、このように勤務時間外に事務机の上で印刷したりすることは組合分裂以前は自
由とされていた。ところが、同年四月、原告組合員が昼休みや就業時間後に原告組
合員の事務机の上で分会ニュースを謄写版印刷をしていると、当局は、全職制に写
真撮影させたり、大声を出させたりして原告組合員の印刷行為を妨害し、同年一〇
月六日、庁舎管理規則違反として、原告組合員六名を厳重注意処分に、その他三名
を説諭処分に処した。当局との交渉によると、たとえ印刷行為により具体的な業務
支障が生じなくても秩序違反となるから処分する。との回答であった。
(ニ) 組合対策としての庁舎管理規則
 当局は、昭和三九年一一月、品川に税関専用庁舎を開設するのに合せて庁舎管理
規則を制定した。同年中の税関長交渉において、東京税関長は、同規則は労働組合
活動を対象としたものではないと明言したにもかかわらず、組合分裂後、同規則を
原告組合の組合活動に適用してきた。
 税関の職場には通関業者が来るだけで一般市民の来訪はなく、通関業務が行われ
ない早朝や昼休みには通関業者すら職場にはいない。原告組合は、外部者がいなく
なる早朝勤務時間前、昼休みもしくは退庁時間後に、輸出入通関や貨物課の事務
室、通関業者のためのロビーあるいは玄関横の広場において、職場集会を行なって
きたのであり、これにより業務への支障は全くないといってよい。業務への支障も
ないのに、組合分裂後である昭和四一年になってから突然庁舎管理規則を厳しく適
用するようになったのは、庁舎の管理が目的ではなく、原告組合の組合活動の妨害
が目的であったことを示している。
(3) 矯正措置の多発・濫用
 当局は、庁舎管理規則を利用して原告組合の組合活動を弾圧し、原告組合員らに
対し、庁舎管理規則違反を理由に矯正措置を加えた。例えば、当局は、昭和四一年
九月に原告P5を訓告処分に処したときには、翌月同人の昇給を延伸し、翌四二年三
月には勤勉手当のカットをしたが、同人を昭和四九年二月二七日に訓告処分に、昭
和五〇年に厳重注意に処したときには、昇給延伸も勤勉手当のカットもしなかっ
た。矯正措置の発令はきわめて恣意的なものである。
(4) 現認制度による監視・密告体制
 当局は、主に職制を使って現認書を作成させて、原告組合員を監視し、原告組合
員の活動を密告させる体制を敷いた。
 例えば、昭和四二年、統計課に配属された五名の原告組合員全員を特別統計係の
担当として集めたうえ、同係係長をして、トイレに行ったこと、新聞を読んだこ
と、電話が掛かってきたことなど些細なことまで一〇分刻みの表を作成して、五名
の原告組合員の行動を記録した。
 また、昭和四二年六月一五日、原告P76が退庁後忘れ物を取るため統計課事務室
に戻ったところ、P77統計課長、P78輸出統計係長及びP79係員の三名が、同課所
属の原告組合員の日常会話を録音したテープレコーダーを聞いていた。右テープ
は、P79係員が自分の机の上から二番目の引出しにテープレコーダーを密かに忍ば
せ、少し引出しを開けておいて、同課所属の原告組合員の普段の会話を録音したも
のであった。昭和四五年には、羽田支署の総務課係長が、羽田の早朝集会を隠しマ
イクで盗聴した。
(一三) その他の賃金差別
(1) 定昇延伸
 昭和四〇年の組合分裂後から同四三年までに、定昇を延伸された者は一二名いる
が(甲二一四)、それはすべて原告組合員である。一二名中一〇名は延伸以前一二
か月間に訓告、厳重注意等の矯正措置を受けているが、なんら矯正措置を受けてい
ないのに定昇を延伸された者もいる。
(2) 勤勉手当の減額
 組合分裂以前には、勤勉手当の支給は、基本的に年功序列的な運用がなされてい
た。ところが、当局は、昭和四三年から同四五年にかけて、女子職員、原告組合
員、退職勧奨等を受けたが応じない者に対して集中的に勤勉手当を減額した。すな
わち、従来は、勤勉手当は〇・五か月と決められていたが、人事院規則等によって
幅が設けられ、約〇・三か月から〇・八か月までの幅で成績査定をすることができ
るようになったところ、昭和四三年三月には一七名、同年六月には九名、同年一二
月には五名、同四四年三月、同年一二月、同四五年三月には各一名が勤勉手当を減
額され、その削られた原資を第二組合員に回したのである。
(3) 八等級から七等級への昇格
 従来、東京税関は、職員が八等級七号俸となってから三か月を経過すると七等級
へ昇格させる、すなわち実質的に定期昇給期間一二か月を三か月に短縮させるとい
う運用を行なってきた。
 ところが、昭和四二年七月、原告P12、同P11及び原告組合員P80は、八等級七
号俸となってから三か月を経過し、同期入関者が七等級に昇格したにもかかわら
ず、八等級七号俸のまま据え置かれ、三か月後の同年一〇月に七等級に昇格した。
この処遇の差は、右の三名が原告組合員であることと、原告P12及び原告組合員P
80については九か月前に庁舎管理規則違反で厳重注意処分を受けていたためと考え
られる。この取扱いは、その職員に対し三か月の昇給延伸と同一の効果を生じるこ
ととなる。
(4) 応答マニュアル
 横浜税関のP31メモには、全税関組合員から質問があった際の応答参考例が当局
から具体的に指示されていたことが明瞭に認められるところ、その記載と同様の応
答が東京税関においてもなされてきた。
 これは、職制に対し応答例を示さねばならないほど、職制が原告組合員らの質問
に対し説明に困るからであり、とりもなおさず、組合所属による差別政策を敢行し
ていることを十分承知していた職制が昇任、昇格、特昇をしない理由を具体的に明
示して説明することはできなかったことを示すものである。
2 東京税関会議議事録、大蔵省関税局会議資料
(一) 昭和四二年度東京税関各会議議事録
 東京税関各会議議事録(甲三三三から甲三六一、以下「税関会議議事録」とい
う。)によると、昭和四二年中に、右議事録に記載された内容の幹部会議、部長会
議、部課署所長会議が開かれた。
 税関会議議事録の体裁は、当時の東京税関当局の使用用紙であるC、Dの用紙を
使用しており、東京税関当局の作成名議が明示され、実在の当時の課長の職印が押
印されている。また、税関会議議事録の内容をみると、東京税関当局のみしか知り
得ない関税業務に関する内容が記載されており、その内容は歴史的事実に即してい
る。したがって、税関会議議事録は、民訴法三二三条で真正な公文書と推定すべき
文書である。
(二) 昭和六〇年度大蔵省関税局各会議資料
 大蔵省関税局の各会議資料(甲三二八から甲三三二、以下「本省会議資料」とい
う。)によると、昭和六〇年度に右資料に記載された内容の税関長会議、総務部長
会議、人事課長会議が開催された。
 本省会議資料には、大蔵省関税局の作成名義が明示されており、当時の大蔵省の
用紙が使用されており、さらに当時の関税局長P81の署名がある。内容的にみる
と、大蔵省関税局当局のみしか知り得ない関税業務に関する内容、データが記載さ
れており、しかもその記載内容は歴史的事実に即している。したがって、本省会議
資料は、民訴法三二三条により真正な公文書と推定すべきである。
(三) 税関会議議事録、本省会議資料にあらわれた差別意思
(1) 特定職員の昇任・昇格
 昭和六一年三月一九日の総務部長会議及び同年四月一〇日の人事課長会議におい
て、特定職員の上席官昇任、七級昇格、四・五・六級昇格の各問題について討議さ
れた。
 右各会議資料(甲三三二の一ないし四)には、「今後上席官要求が強まるであろ
うことに対する対策が検討されたこと、上席官への昇任の選考対象は年齢・在級と
も若干広げ、前広に選考すべきであるとする考え方もあるが、あまり昇任時の年齢
を下げると選考対象者が著しく増加すること、退職時までの配置ポストとの絡み
(経験させるポスト数)、八級昇格への期待感の増幅等が考えられるところから前
年度基準(五五歳かつ在職六年)のままで運用することについて」検討されたこと
(人事課長会議)、「上席官昇任については特定職員の五〇歳以上のほとんどは資
格基準表の要件を満たしており、また一般職員の上席官への任用及び職場での上席
官の運用実態並びに特定職員の年齢構成等から、現状(六〇年任用六人・占有ポス
ト九)程度では対内外とも説明が難しい」こと(部長会議)、「仮に欠格条項に該
当する者を除く全員を昇格させたとしても占有ポスト数は七〇官から八〇官位であ
り、全上席官数の一割にもみたないので上席官任用は可能であろうとする考え方」
について検討されたこと(部長会議)が記載されている。
 また、特定職員の七級昇格について、「七級は従来の四等級でもあり、上席官は
基本的には七級であるという職員感情から上席官であれば退職時までには七級に格
付すべきであるという考え方と一般職員との均衡(一般の上席官が全て退職時まで
に七級に格付されるとは限らない。)から選考を行うべきであるとする考え方」を
検討したこと(総務部長会議)、「①一般職員の昇格との均衡上、上席官在任二年
以上の者とすることについてどうか。この場合上席官昇任の上限年齢はどのように
考えるのか。②在任期間に関係なく退職前一、二年前に昇格させることについて」
検討したこと(人事課長会議)が記載されている。四・五・六級昇格についても、
「四・五・六級における一般職員と特定職員の昇格時期については勤務成績が一般
職員と比べて遜色のない特定職員は超一選抜として一般の最終選抜に重ね、さらに
優れている者は一般の第三選抜に重ねることとすることを確認事項としてよい
か。」との記載がある。
 昭和六〇年七月一日付での上席官昇任者及び既に上席官だった者の数と討議内容
に出てくる任用者数及び占有ポストの数とが一致することから、ここにいう「特定
職員」とは、全税関所属職員のことであると解されるところ、これらの会議におい
て、全税関組合員を「特定職員」として一般職員と区別して上席官昇任、七級昇
格、四・五・六級昇格の要件を検討すること自体に当局の差別意思があらわれてい
るというべきである。しかも、その各昇任及び昇格の要件の内容は、個人の勤務成
績とは無関係な厳しい形式的基準であり、当局が、全税関組合員を一般職員と厳し
く差別しようとしていたことが明らかである。この会議は、昭和六〇年のものであ
るが、組合分裂以後継続されてきた差別の結果、対内外ともに説明が難しくなった
問題についての議論であり、昭和四〇年ころから継続してきた当局の差別意思がこ
こにあらわれている。
(2) 本省の組織的関与
 昭和四二年四月一一日開催された東京税関部長会議議事録(甲三四〇の一)に
は、本省のP82総務課長が出席、挨拶をしているうえ、総務部長は、「八等級から
七等級への昇格の場合差別をつけることについて」の税関長会議の様子の報告、勤
務成績不良の事実の記録化、勤勉手当の減額について、税関長会議の結果を踏まえ
た報告をしたことが、また、同年五月二九日開催された東京税関部長会議議事録
(甲三四四の二)には、税関長会議の結果の報告として「各関の新旧労組の組織人
員、活動状況」について報告されたことが、同年八月一六日開催された東京税関幹
部会議議事録(甲三三三)には、水泳大会について、本省の回答を報告したこと
が、それぞれ記載されている。
 これらの会議録等の記載をみると、当局は、単に東京税関単独でなく、大蔵省と
一体となって、組織的、継続的に、原告組合に対する対策をたて、原告組合の所属
組合員を調査し、原告組合を敵視し、その組合員を差別してきた事実をみることが
できる。
(3) 新労育成と新入職員の隔離政策
 昭和四二年九月一一日、その直後に開催された全国税関長会議を踏まえて東京税
関幹部会議が開かれ、その議事録(甲三三五の一)には、旧労すなわち原告組合を
含む全税関に対する対策が討議されたこと、ここにおいて、税関長が、「旧労古手
の対策としてある税関長が専門官の設置の意見を出したが本省から甘い考えだと批
判された。」「旧労対策には官は懸命にやっているがもっと大事なことは新労を強
くすることであると官房長に言っておいた。」と発言し、総務課長が、横浜税関長
の官房長への「新職員の基礎研修は良い。組合を追いつめて行くのに効果があるの
で毎年新職員を採用し研修を実施してほしい。」という要望があったことを紹介し
たことが記載されている。
 当局が、全国的な全税関対策として第二組合の育成と新入職員の隔離政策を討議
しているのである。当局の原告組合に対する端的な差別意思を示すものである。当
局が右のような対策をたてたことは、以下の資料の記載で明らかである。
 昭和四二年三月三〇日開催の東京税関部長会議の議事録(甲三三九の二)には、
研修課長が、新職員の受入れ行事について、「入関式に旧労がビラを配付するから
研修教室に入場の際に回収したい」と発言したことが記載されている。
 同年五月一日開催の東京税関部長会議において、新職員の配置について討議さ
れ、その議事録(甲三四三の一、二、甲三四九の一)には、第二案の内容として
「一部新職員については、旧労職員の影響等を考慮して配置する方針である。」と
記載されている。
 同年九月二七日開催の東京税関幹部会議の議事録(甲三三六)には、レクリーダ
ーのあり方について、「人員を増加して新しくレクリーダーとなったものについて
は、正式に発令を行い任期を定め、なるべく多く新労職員がレクリーダーの経験を
もちうるよう措置する。」と討議されたことが記載されている。従前自主的だった
レクリエーション活動を、原告組合を排除し第二組合を保護育成するために、官主
導型に替え、レクリーダーを官の指名制としたのである。
 昭和四三年一一月二九日開催の東京税関幹部会議の議事録(甲三五四の一)に
は、「船員保険の値上げ新労が根回しやる予定であるので協力を」と指示されたこ
とが記載されている。この記載は、当局は、新労と緊密な協力体制を組んでいたこ
とを示している。
(4) レクリエーション
(イ) 音楽隊
 昭和四二年九月二七日開催の東京税関幹部会議の議事録(甲三三六の四)には、
監察官が「音楽隊は旧労分子の活動の場となってしまったので解散した」と、厚生
課長が「新職員の希望調査をしたが演劇とコーラスをやりたいとの希望が多いので
二部制として新しい演劇コーラスのサークルを結成させることが必要と思う」と発
言した旨の記載があり、対応部分に「決定」と記載されている。
 会議の席上においてこのような発言が許されるような雰囲気が当時の当局の中に
蔓延していたのである。当局の原告組合に対する差別意識が明白に読み取れる。
(ロ) 油絵サークル
 昭和四二年九月二七日開催の東京税関幹部会議において、企画室長、広報官、特
別調査室長、研修課長、輸出部のP83審査官が出席してレクリエーション行事につ
いて討議されており、その議事録(甲三三六の二)には、「サークル部門の新、旧
の構成比からみてこれを基盤としたレク行事には危険が伴う。具体的にいえば文化
活動については、官としては積極的に取り組まない。(例 コーラス、油絵、華
道、演劇)」と記載されている。当局が一体的、組織的、継続的に原告組合を敵視
し、差別していたことを示すものである。
(ハ) レクリーダー
 昭和四二年九月二七日に開催された東京税関幹部会議のメモ(甲三三六の二)に
は、「人員も増加して新しくレク・リーダーとなったものについては、正式に発令
を行い、任期を定め、なるべく多く新労職員がレク・リーダーの経験をもちうるよ
う措置する。」「レクリーダーのあり方について…旧労分子の排除、旧労職員に対
しては、レクリーダーはなんら積極的に直接に接触しないようにする」との記載が
ある。当局がレクリーダーについても新労の育成という明白な差別意思をもって組
合間差別をしていたことは明瞭である。
(ニ) 水泳大会
 昭和四二年八月一六日開催の東京税関幹部会議において、水泳大会の選手選考に
ついて討議され、その議事録(甲三三三)には、次長から「本省の考え方では旧労
選手でも名選手がいる場合、二~三名入れるのはやむを得ないと考えるとの回答
だ」「本省の質問は旧労参加の実害についてであった」と報告があり、総務課長
は、「差別もしてもよいのではないか」と発言し、総務部長も「できるだけ排除方
法をとるが、二~三名まぎれこんできた場合はやむを得ないだろう」と発言したこ
とが記載されている。
(5) 大臣表彰からの排除
 昭和四三年四月二日開催の東京税関幹部会議において、大臣表彰について討議さ
れ、その議事録(甲三五一の二)には、税関長は、「当人は勤勉手当の受領を拒否
しているそうだが、大臣表彰まで受領を拒否した場合上申した当関の面目がなくな
ることとなるが」と発言し、総務部長も「給与法に定める勤勉手当の受領を拒否し
ているものは大臣表彰を受けるに価しない」と発言したことが記載されている。こ
れは、原告P64の密輸検挙者表彰についてのものである。そこには、羽田支署長が
「本件は二月の受領拒否の問題が絡んできたのだから、表彰せざるを得ないのでは
ないか」と述べ、税関長も「腹では旧労職員を表彰したくないが、永年勤続者表彰
の場合は永年勤務の事実が充足すれば表彰しているから本件だけを除外することは
筋が通らぬだろう」と述べたことが記載されているが、ここにも旧労すなわち原告
組合員に対する明確な差別意識が見られる。
 さらに、昭和四三年七月一七日東京税関幹部会議の議事録(甲三五三の一)に
は、「第二四回密輸検挙者表彰について」と題し、密輸検挙者の表彰基準について
以下のような討議をしたことが記載されている。すなわち、表彰の対象者が
「(1)特定の組合に所属していること、(2)その者のそこにおける程度の如
何」を議論の対象とし、「羽田支署旅具担当職員については、その職場の実態を考
慮して、かつ、好ましくない職員を排除するため上記の功績得点が一〇点以上の場
合でも、評定期間中における当該職場における平均摘発件数(摘発件数÷旅具担当
全職員数)以下、またこれに近接する件数の場合は除外した」「好ましくない職員
七名が内申されていたが、そのうち一名(P84)が表彰の対象となった」「羽田支
署旅具担当職員については、他の職務にある職員に比し、さらに条件が付されてい
るが、これは『運用内規』に抵触するものである」というもので、差別を自認して
いる。そして、「他の職員の模範とするにふさわしくない行為のあった職員につい
ては運用内規を改正する必要がある。この方針は、今回の表彰にも適用することと
したいので、次のように運用内規を改正したい。イ 官の政策・方針に対する反抗
または不服従(①勤勉手当の受領拒否、②寮規則の違反)、ロ 職務命令に対する
反抗または不服従(庁管違反)、ハ 上司の指導に対する反抗または不服従(着用
リボンの取り外し関係、着衣の指導)」と記載され、本来仕事上の成果により客観
的基準で判断されるべき表彰制度に組合活動をマイナス要因として導入し、内規を
改正してまで、原告組合員の表彰を阻止しようとしたのである。
(6) 八等級から七等級への昇格等
 昭和四二年四月一一日開催の東京税関部長会議の議事録(甲三四〇の一)には、
総務部長が、「八等級から七等級への昇格の場合差別をつけることについて、当関
と神戸は矯正措置があった者に対してのみ慎重にやるべきだとの意見であったが、
横浜は当然やるべきだとの意見だった。矯正措置をつけただけでは必ずしも成績不
良と判定するのは問題だから成績不良の事実を逐一記録をとっておく必要があると
の意見があった。この問題は、大蔵省全体として検討のうえ慎重に実施すべきであ
ると意見を述べておいた」、「若年層の特別昇給については八等級職員に対して行
っても余りメリットがないとの結論が出た。」「勤勉手当の減額については、本省
はX割だけでなくもっと突っ込んだ減額措置を検討したいといっていた。大多数の
税関はやるべきだとの意見であった。」と総務部長会議の結果を報告したことが記
載されている。また、昭和四二年一一月二四日の東京税関幹部会議の議事録(甲三
三八の一)には、税関長が「勤勉手当により差別をつけるよりも現行の昇給延伸の
方策が必罰の効果は大きい。」と述べたことが記載されている。
 ここには、八等級から七等級への昇格において差別を行なうことを協議している
こと、当局が、勤勉手当の減額を原告組合差別のために用いていた、大蔵省本省と
東京税関が打ち合わせのうえ差別の方法を討議、検討していたことが明らかにされ
ている。
(7) 現認体制
 昭和四二年五月一五日部課署所長会議開催通知(甲三四六の一)には、労務関係
報告として、「1 リボンをつけて執務することは執務態様として適当でないと指
示する。2 とらない場合は記録にとどめておく。3 業務命令かと問われたら、
そうだとのみ答える。」との記載がある。
 昭和四三年の幹部会議資料(甲三五五)には、特別庁費の内訳として、レクリー
ダー養成経費、若年層対策費とともに労務対策整備経費として、現認体制のための
カメラ等の購入費用が記載されている。
二 格差の存在を正当化する非違行為等
1 墨塗現認書の証拠能力、証拠力
(一) 民訴法三二二条一項違反
 被告の提出した墨塗現認書は民訴法三二二条一項に反し、不適法である。本件訴
訟に提出された墨塗現認書は、報告者が作成した原本ではない。原本をコピーし、
そのコピーの一部の者の氏名を抹消して「抄本」とし、この「抄本」を「原本」と
して提出するというものである。しかし、その「抄本」なるものはあくまでもオリ
ジナルの文書のコピーをとって、その一部を抹消したものであるから、いかなる意
味でも「原本」ではありえない。そして、原告らは写しを証拠として提出すること
に対して異議を述べているのであるから、被告の書証の申出は不適法である。
 万一、被告の本件証拠申出のごとく、原本が存在しているにもかかわらず、その
一部を抄本として作成し、これを「原本」とする扱いがたやすく許容されるなら
ば、民訴法三二二条一項が書証の提出を原本等に限った趣旨が全く無にされてしま
う。およそ、文書の中で自らに都合の悪い部分を抹消して提出することを認めてし
まえば、民事訴訟における真実の発見は全く不可能となってしまうのである。
(二) 墨塗現認書の証拠能力
 本件現認書は、もともと存在する現認書について、本件訴訟との関連で右現認書
作成者でない者が、その者の判断でほしいままにその一部を抹消して、これを原本
として提出しているものである。一定の文書を、その作成者に非ざるものの判断の
もとに、一部を抹消することを是認することは文書の変造を是認することに帰着す
る。変造は、右抹消行為者にとって不利益な既存の文書を墨で抹消することによっ
ても可能である。民訴法四二〇条一項七号が判決の証拠となる文書の変造を再審事
由として掲げていることを考えると、文書の一部を墨で抹消することによって変造
することは、裁判の公正を害し、裁判を誤らせる危険性のきわめて大きい行為であ
る。
 そうとすれば、本件証拠の一部抹消による変造行為は反社会的な不法行為であ
り、このような不法行為によって作出された書証は、証拠能力を否定されるべきで
ある。
(三) 氏名の抹消の真の理由
 原告組合に所属する各原告と、原告組合を脱退して第二組合に走ったものとの間
の昇給・昇格の格差の理由が、組合所属を理由とするものなのか、あるいは、各原
告の「非違行為」によるものなのかについて判断するためには、当初、原告組合に
所属して「非違行為」を行なっていながら、その後原告組合を脱退して第二組合に
加入した者と各原告との間に、昇任、昇格等の格差が生じているのかどうかを比較
対象することが是非とも必要である。そして、その比較対象を行なうのに最も重要
な資料が、本件現認書によって抹消されている者の氏名である。抹消者の氏名が判
明し、しかも、抹消者のその後の昇任・昇格の経過が判明すれば、各原告との比較
対象はきわめて容易となる。
 しかし、被告はプライバシー保護等の名目により、氏名を抹消してしまい、本件
における重要な判断の材料を隠してしまった。しかし、その抹消の理由はきわめて
恣意的であり、民事訴訟における真実の発見という目的から見たら、取るに足らな
いような理由にすぎない。それにもかかわらず、被告が無理な理由付けで、民事訴
訟上もきわめて異例な墨塗現認書を書証として提出してきたのは、現認書が被告の
主張を基礎づける唯一の書証でありながら、現認書をすべてそのままの形で提出す
れば、各原告の「非違行為」の事実が明らかとなるばかりでなく、各原告以外の、
現在の第二組合員の「非違行為」の事実も明らかとなってしまうことによって、か
えって被告の立てた筋書自体がくずれてしまうというジレンマを抱えていたからに
ほかならない。
 もし、被告のいうが如き理由によって文書の一部抹消が許容されるとするなら
ば、その論理は公務員の証言拒絶にも妥当することにならざるを得ない。被告が主
張するような程度の理由付けによって証拠の一部抹消、証言拒絶が容認、看過され
るとするならば、そもそも本件のような訴訟のみならず、国、地方公共団体を相手
方当事者とする多くの裁判が不当な証拠論によって妨げられ、裁判の存立そのもの
が危うくなるであろう。証拠の一部変造によってほしいままに自分の有利な方向へ
裁判を導くことが可能であるとしたら、およそ裁判制度そのものが成立しなくな
る。
(四) 墨塗現認書の証拠力
 仮に墨塗現認書の証拠能力は一応認定されたとしても、それによって立証できる
事柄は、たかだか各原告が「非違行為」と呼ばれる労働組合活動を行なっていたと
いうことにとどまる。しかし、本件では、各原告も、その評価は別にして、庁舎内
集会やリボン・プレート着用などの労働組合活動に参加していたこと自体を争うも
のではない。その意味で、墨塗現認書を証拠として採用したとしても、それは、各
原告と第二組合員との賃金格差が、「非違行為」を理由とするものであるのか、組
合所属を理由とするのかという因果関係の重要な争点の事実認定にほとんど寄与し
ないものである。
2 非違行為の特徴
(一) 被告が主張する非違行為のきわだった特徴は、被告において各原告の賃金
等の格差の理由として主張する事実のほとんどが、原告組合の活動に各原告が組合
員として参加したという点である。具体的な職務上のミスといったものは皆無であ
る。もし、各原告に日常の職務態度、職務上の能力に問題があり、ミスを犯すよう
な事実があれば、各原告の日常の行動を監視するために作成された膨大な現認書の
なかに、その旨の記述があらわれるはずである。しかし、現認書には、そのような
内容のものはない。
 この事実は、具体的な職務に関連した事実においては、各原告を賃金・職位上低
位に格付けする事実はなかったことを意味する。
(二) 組合活動についても、原告組合が組織決定を経た上でした組織的な行動
に、各原告が一組合員として参加した行為を問責している。しかも、各原告ごとに
挙示された事実の中で主張されている具体的行為も必ずしも当該原告がしたと主張
されているものではない。原告個人の当該行為における行為態様を問題とするより
も、当該原告が組合の組織的行動に参加したそのこと自体を、被告は問責している
のである。この事実は、税関当局が、各原告の個々の行為の内容そのものではな
く、全税関組合員が組合員として活動すること、それ自体を問題としてきたことを
表わしている。
3 現認書にあらわれる不当労働行為意思
(一) 膨大な現認書はそのほとんどすべてが原告組合員の組合活動に関するもの
であって、それ以外の一般的な非行行為などというものはほとんど含まれていな
い。この事実からも、現認書が原告組合員の組合活動そのものを対象とし、組合活
動を監視し、記録するために作成されたことは明らかである。
(二) 右の点は、現認書の記述からも、認められる。現認書が、原告組合員に限
らず、職員一般の「重要かつ異例」な非違行為を対象として作成されたという前提
に立った場合、なぜそのような現認書が作成されたのかについて説明がつかない記
述が多数存在する。個々の現認書の記述内容の分析からも、現認書が組合活動その
ものを監視し、記録するためのものであることが明白となる。
 昭和四〇年一〇月二二日の羽田分庁舎における職場集会に関する現認書(乙五七
の一)の記載からみても、この集会の開催自体は適法とされた。そうであるなら
ば、集会の開催そのものは「公務員関係秩序の維持・確保に抵触」する行為である
はずもなく、したがって、本来ならば現認の対象とはならないはずである。しか
し、この集会は、P85業務第一課長によって集会開催の許可を与えるところから逐
一現認されている。本来、適法な集会でありながら、P85は何とかこの集会を違法
なものにしようと、庁舎管理規則を片手に、規則違反の事実を鵜の目鷹の目で探し
ている。このP85の監視ぶりは、現認書の以下の記載内容からもはっきりうかがえ
る。
「私は、カウンターの向こうの公衆溜の椅子にAGS(エアポートグランドサービ
ス)の職員たちが座っているのに気がついた。一〇数名、旗、のぼり、拡声器の類
は持っていなかった。私は、急いで庁舎管理規則を調べたが退去させるに十分な条
項を発見することはできなかったので、そのまま黙過することとした。」「AGS
の指揮者が『歌をうたいます』と言ったので(他のものも椅子から立ち上がってい
た)私は、庁舎管理規則第一八条八号の『放歌高唱しようとする者』にあたるもの
とみとめ、席から立ち上がり集会参加者のところまでいって参加者の頭越しに指揮
者に向かって『歌をうたうのは止めてくれ』と叫んだ。」
 この現認書においてP85は、職員の非違行為があったから現認しているのではな
い。P85がこの集会を庁舎管理規則違反と判断したのは、参加者が歌を歌おうとし
たからである。しかし、それ以前の集会の状況も現認されている。P85はその活動
の合法性、違法性いかんにかかわらず、とにかく原告組合が開催した集会の経過を
観察し、現認しているのである。
 膨大な現認書の冒頭にあらわれたこの一通の現認書を見るだけで、現認書の性格
が明白に読み取れる。それは決して職員の非違行為一般を現認して報告するもので
はない。まさに、当局の不当労働行為意思のあらわれとして、各原告の組合活動を
逐一監視して、記録するためのものなのである。そのように判断できる根拠となる
現認書は、ほかにも多数存在する。
4 現認体制と不当労働行為意思
(一) マル秘文書にみる現認体制
 各原告の行動を逐一監視し、密告する現認体制は組織的なものであり、現認書は
当局の統一した指導・方針のもとに作成されていた。そして、それは、原告組合を
徹底的に差別し、不利益取扱いをし、組合活動に介入するための、当局の政策的道
具であった。そのことは、前記のとおり、当局の作成したいわゆるマル秘文書の記
載の中に明確にあらわれている。
(二) P31メモに見る現認体制
 横浜税関のP31メモには、例えばリボン・プレートに関する注意、現認について
詳細に記載されている。その内容は東京税関においてもそのまま当てはまる内容で
ある。例えば、一率に注意を与えること、注意の回数は二回とすること、リボン着
用者の氏名、時間、場所、態様、文言を現認書に記載すること、注意の際に立会人
をつけることなどは東京でもそのまま実行された。注意の際の文言も「国家公務員
としての執務態様として好ましくないので注意する」と、東京と全く同じである。
これは決して単なる偶然の一致ではない。現認体制が東京だけでなく、全国一率に
統一した方針のもとに取り組まれていたことは、このP31メモの記載でも明らかで
ある。
(三) 些細な行動の現認
(1) このような現認体制のもとでは、原告組合員のほんの些細な行動までが、
微に入り細をうがって、現認される。原告P86が勤務時間中に二分間、しかも昼休
み終了直後に、分会ニュースを配布したことについて現認書がある。税関に限らず
どの職場でも、休み時間終了直後から全員が即座に勤務につくなどということはあ
りえない。また、勤務時間をすべて勤務に集中して過ごすなどということも考えら
れないことである。勤務に支障のない限りで、お茶を飲む、雑談をするなどという
気分転換は税関でも当然許容されていたし、それが現認されるなどということはな
かったはずである。数分間組合ニュースを配布するという行為もそれと同等であ
る。それが職務上好ましくないと判断されれば、上司が注意を与えればそれですむ
のである。現に同原告は上司より注意を受けて、配布をやめている。しかし同原告
の、この程度の行為が「非違行為」と評価され、現認されている。そして、それが
後日、同原告の賃金、処遇上の格差の口実となるのである。
(2) リボン・プレートの現認では、その大きさ、記載内容、着脱時刻までもが
こと細かに現認され記録されている。無断離席があると直ちに所在をさぐるために
探索がなされる。日常の業務そっちのけの熱心さである。まさに一挙手一投足の監
視というに等しい厳密さで、現認体制が組まれ、そして実行されてきた。
(四) 日常業務の阻害
(1) このような日常的監視は、税関の本来の業務の遂行上も、問題とすべき異
常な事態となっている。例えばリボン・プレートの着用についての現認では、ほと
んどが午前・午後の二回、現認されている。しかし、「退庁時まではずさなかっ
た」などという現認書も多い。また、取外しの注意の際にわざわざ立会人を立てて
いる現認書も多い。税関各職場で一斉にとり行われたリボン・プレート闘争で、日
に二回注意がなされ現認書が作られる、その際に立会人を立てる、勤務時間終了時
まで取外しの有無を見張られる、たかが職員がリボンを胸に付けて勤務をしている
というだけで、その現認にこれだけの労力が費やされるのである。
 リボン着用として勤務を行なっても、なんら職務に支障を生じないことは明らか
である。仮に非違行為にあたるとしても、その程度のものである。業務上なんの支
障も与えていないものに対して、多くの職員の時間とエネルギーを費やし、かえっ
て肝腎の職務がおろそかになるという本末転倒の事態が、税関の全職場で、公然と
繰り広げられていたのである。この本末転倒は、当局があくまでも原告組合の弱体
化を狙って、組合活動を妨害・弾圧したことの結果である。
(2) 非違行為の監視、報告ということを口実に、税関本来の業務を脇に置い
て、膨大なエネルギーが費やされた。「公務員関係秩序の維持・確保に抵触する」
行為の現認と称しながら、現認体制を遂行することによってかえって日常業務の阻
害という結果が生じている。このような本末転倒を強行して恥じないところに、税
関当局の強固な不当労働行為意思、そしてその異常性を見てとれる。
(五) 現認体制の違法・不当性
 このような現認体制は国公法一条に反するものである。職員の執務状況や組合活
動を当局の全面的な監視下に置く現認体制のもとで、職員は安んじて職務に当たる
ことができなくなり、ひいては公務の民主的、能率的運営を阻害することになる。
いうならば当局の手によって職場秩序を乱し、民主的な公務員制度を破壊している
のである。この現認体制は職場を暗いものにし、近代的、民主的な公務員の職場管
理に逆行する前近代的なものである。
 さらにこの現認体制は、原告組合員のみを特別の監視下において不利益扱いにす
るものであり、職員の分限、懲戒、保障について公平の原則を定めた国公法七四条
と、不利益取扱いを禁止した同法一〇八条の七に反するものである。重要な点は、
この監視と現認書提出、その保存管理について全く法律的根拠がないことである。
法律的根拠なしにこのような前近代的なことを大々的に行なってきたことに税関の
労務管理の異常さがある。
 そして、これらの現認書は一切原告組合員の目に触れないところで行われてき
た。誤った記載がなされようとも原告組合員らには訂正する機会が与えられていな
いし、弁明する機会もない。自己に関する不利益な情報が、対象者の全く知らない
ところで作成され、蓄積され、それが人事上の不利益取扱いの理由とされるのは、
憲法三一条の適正手続きの規定からみても、違憲であり、違法きわまりないといえ
るのである。
(六) 庁舎管理規則と労働組合活動
(1) 組合活動への庁舎管理規則適用の経過
(イ) 庁舎管理規則改正前は、職場内における時間外の集会等は、全くなんの干
渉もなく、一切自由に行われていた。庁舎管理規則が制定されたのは、昭和三九年
一一月の組合分裂直前である。しかし、制定当初は、無許可の集会の開催それ自体
を違法とするものではなかった。昭和四〇年二月の本関の集会において、当局は外
部の共闘の参加を理由としてこれを違法とし、支部長、書記長が処分された。税関
のそれ以外の職場においても、同日、同様に集会が開催されたが、これらはいずれ
も無許可であったにもかかわらず、特に違法視されることもなく、通常どおり開催
できた。続いて、組合分裂後の同年一〇月二二日に羽田で開催された集会におい
て、歌を歌ったことを理由に干渉され、処分がなされた。このことは、当局が庁舎
管理規則を組合活動に適用するについて、その方針がいまだ定まっていなかったこ
とを示しているが、いずれにせよ無許可で集会を開催すること自体は認められてい
たのである。
(ロ) 昭和四一年になってからは、庁舎管理規則によって分会大会の開催に干渉
が加えられるようになる。従前は、分会大会の開催のために会議室の使用が例外な
く認められてきた。ところが、羽田、芝浦、新橋で、庁舎内での分会大会の開催
が、許可されないという事態が発生した。羽田では、不許可の理由として「部外者
の参加」が挙げられた。しかし、昭和四四年四月一二日になると、第二組合青年部
の第三回大会が本関講堂において行われたときには、外部の者が参加して挨拶をし
ているが、なんら問題になっていない。さらに、サークル活動においては、庁舎内
で外部から講師を呼ぶことが認められていた。芝浦、新橋では、庁舎管理上責任が
持てないという理由によって会議室の使用が拒否された。しかし、当時の税関各職
場では、鍵の管理も火の始末も最後に退庁する者がそれぞれ責任を持って行なって
おり、それで全く不都合がなかった。退庁時間後、トランプをしたり、酒を飲んだ
りということは自由に行われており、それが問題とされたことはない。
 従前、なんら問題とならずに認められてきた庁舎内での分会大会の開催が、合理
的な理由が示されることなく、この年からいきなり拒否されたということは、庁舎
管理規則を悪用した労働組合活動への干渉、抑圧であった。
 しかし、このころは当局の庁舎内集会に対する対応はまだ終始一貫したものとは
いえず、同年一〇月二一日の昼休みに開かれた集会では本関と新橋以外では妨害を
受けることなく開催することができた。本関では、当局が組合に対して一方的に許
可条件を示した上で、この条件に反したということを理由に妨害が行われたのであ
るが、羽田、晴海、芝浦、外郵ではなんら問題なく集会を開けたのである。
(ハ) ところが、昭和四二年になると事態はさらに悪化する。同年一月二七日に
税関各職場で一斉に開かれた昼休みの庁舎内集会が、あらゆる職場で庁舎管理規則
に違反する「無許可集会」ということで違法とされ、激しい弾圧、干渉を受けると
ともに、多くの者が処分を受けたのである。
 このときは、集会開催前から集会弾圧のために、集会参加者に匹敵するあるいは
それ以上の人数の職制が動員された。それぞれがプラカードやカメラ、テープレコ
ーダー、ハンドマイクを持って、役割分担を決め、組織的な弾圧体制がしかれた。
組合の集会は肉声で整然と行われた。これに対して当局は、集会開催直後から庁内
放送で解散命令を流し、また、ハンドマイクで中止命令を繰り返した。さらには、
カメラで参加者の写真を撮る、テープレコーダーで集会の模様を録音する、解散命
令が書かれたプラカードを掲げるなどの妨害がされたため、集会は騒然となった。
(ニ) 同年一〇月二六日にも早朝、始業前に一斉職場集会が予定されていたが、
これ以上処分を出さないために、組合が各支部における集会の開催を当局に対して
包括的に申し入れ、当局がこれに対して包括的に許可するという形式で、一応、許
可を得て集会を開催した。
 この、当局からみても合法的な集会に対してすら、羽田では、庁舎敷地への入口
の鉄の柵に、ロープがぐるぐる巻にされて、組合員が入るのを妨害するという全く
いわれのない嫌がらせが行われた。集まった組合員が、許可を得ている集会であり
不当な妨害はやめるよう抗議をすると、ようやく柵は開けられた。ところが、中に
入ると、今度は集会が予定されていた輸出検査場前に四角の白線が引かれ、その枠
内で集会を開くよう指示された。このようなことは全く許可条件に入っておらず、
不当な指示であったが、組合員はやむなくその狭い枠内での集会の開催を余儀なく
された。
 当局が許可条件にもない枠を指定する合理的理由は全くない。この一件によっ
て、当局は庁舎管理規則の名のもとに、労働組合活動をあくまでも屈服させようと
する強い意志を組合に対して示したのである。
(ホ) その後、今日に至るまで、集会はすべて当局の許可を得て、第二組合員の
目に入らない会議室で行われるようになった。集会開催に関する労働組合の権利
は、庁舎管理規則によって後退させられ、奪われてきた。
 職場内集会は組合分裂以前はなんら問題なく認められており、これは労使間の慣
行として確立していた。それが、昭和三九年一一月の庁舎管理規則の改正、そし
て、同四〇年二月の組合分裂を契機に、大幅に干渉、妨害されるようになった。庁
舎管理規則は、原告組合の活動を弾圧するために制定され、そして、そのために最
大限濫用されてきたのである。
(2) 庁舎管理規則の組合活動への適用の特徴
 庁舎管理規則の適用の第一の特徴は、それが原告組合分裂後になって初めて、原
告組合の活動に対してのみ適用されたということである。
 組合分裂を契機にして、庁舎内の集会、大会に庁舎管理規則を適用する必要が生
じたとする合理的理由は全く存在しない。組合分裂以前から、庁舎内での時間外の
集会は自由に行われていたのであり、それによって、執務になんらかの支障が生じ
るとか、他人に迷惑がかかるなどといった不都合は全くなかった。庁舎管理規則自
体が組合分裂以前の昭和三九年一一月に制定されていたにもかかわらず、組合分裂
を契機に、合理的理由もなく、それが原告組合の活動に適用されるようになったと
いう事実からも、これが原告組合に対する弾圧を目的として制定され、適用されて
きたことは明らかである。
 そして、庁舎管理規則適用の第二の特徴は、それが恣意的に適用されてきたとい
うことである。
 組合分裂後も、前述したように、昭和四〇年二月及び一〇月の各集会は、その開
催自体を違法とされたわけではない。それぞれ「部外者の参加」「放歌高唱」の事
実が認められて初めて違法な集会と認定されたのである。また、同四一年一〇月二
一日の集会は、一部の分会でのみ違法とされただけで、大半の分会ではなんらの干
渉も受けることなく、開催できた。当局の干渉が激しくかつ徹底したものとなった
のは、同四二年になってからである。
 このように、庁舎管理規則制定後も当局の対応にはばらつきがあり、右規則は全
く恣意的に適用されてきたのである。そして、このことは庁舎内での時間外集会の
開催それ自体を一律に禁止する合理的必要性が存在しないことの一つの大きな証拠
である。
 右の二つの特徴からも、そして右二点についてそのような適用がされなければな
らない合理的根拠が全く存在しないことからも、庁舎管理規則は原告組合の弾圧を
目的として制定され、そしてそのために、原告組合活動に最大限濫用されてきたと
解さざるを得ないのである。
(七) リボン・プレート着用等の組合活動の正当性
(1) 公務員労働者がリボン・プレート闘争を行なうようになったのは、官公労
働者が労働基本権の一つである争議権を剥奪されていることと密接な関連がある。
官公労働者は政令二〇一号によってスト権を奪われた。そしてその代償措置として
設けられたはずの人事院勧告や仲裁裁定は、政府がこれを無視してはばからない。
そのような中で官公労働者も自らの力で自らの権利を勝ち取るべく、様々な戦術を
編み出してきた。
 ストライキに至らない争議手段として、創意工夫によって、一斉休暇戦術、時間
内職場集会、超勤拒否闘争などの戦術が生まれたが、リボン・プレート闘争もその
ような中で編み出された一つの戦術であった。これらは、労働基本権制約の代償措
置として政府が用意した人事院勧告制度等が代償措置としての機能を全く果たさな
いという現実の中で、労働者自身が要求実現、権利実現のために作り出した、いわ
ゆるストライキの代償活動とでもいうべき意味を持つ活動なのである。また、特に
税関職場においては、リボン等の着用が盛んに行われるようになったのは、庁舎内
集会が庁舎管理規則によって弾圧され、開催不可能となることとも関連している。
昭和四二年ころから庁舎内集会が開催できなくなったが、集会の替わりに労働組合
として職場に要求等をアピールする手段として、リボン等の着用が戦術として盛ん
に採用されるのである。
(2) リボン・プレート等の着用は、第一に、その時期の組合活動の具体的課題
を職場の内外に宣伝する機能を有している。それによって、リボン等に表示されて
いる労働組合の要求や抗議内容に対する、組合員以外の者の認識と理解を得ようと
するものである。第二の機能は、労働組合の要求や抗議内容をリボン等で表示する
ことによって、組合の代表者を通じて当局に対して行なっている要求や抗議の内容
を組合員の共通の認識とし、かつ、組合員の共通の組織的意思によって支持されて
いたものであることを顕在化させ、それによって使用者に一定の示威を与えるとい
う点にある。さらには、同じ職場の非組合員あるいは他の組合員に対しては、労働
者としての仲間意識に基づいた暗黙の了解、協力、支援を要請することも意味す
る。
 このように、リボン・プレート等の着用は、組合活動上さまざまな機能を果たし
ているうえ、その着用によって、具体的に職務の遂行が妨げられることなく、かつ
費用もほとんどかからないことから、労働組合の戦術としてきわめて有効なものと
され、原告組合も戦術として多用していたものである。
(3) このようなリボン等の着用行為は職務専念義務に違反しない。リボンをつ
ければ組合活動を意識し、そうすれば職務への集中が妨げられるという理屈は、観
念的には成り立つとしても、およそ現実的ではない。リボン・プレートを着用して
いたとしても、四六時中組合活動のことを考えて職務に従事するなどということは
ありえないし、また、不可能である。また、もしそのような職員がいれば、具体的
に職務に支障が生じるであろうし、その段階で注意し、取外しを命じればよいだけ
のことである。また、リボン等の着用を離れて考えても、およそどのような勤務に
つく者も、その勤務時間中に職務以外のことを全く考えないということはありえな
いことである。リボン等の着用によって、仮に若干の精神力集中の妨げがあったと
しても、その程度は他の職員が勤務時間中に他事を考えるのとなんら変わりない。
職務専念義務を持ち出して、一律にリボン等を禁止するのは、全く労働の実態から
離れた観念的で現実離れした見解である。
 およそ、労働組合活動の限界を画するためには、その活動の形態、意義、趣旨
と、それによって侵害される他の法益との比較によって決していかなければならな
い。公務員労働者にとってのリボン等着用行為の持つ意味からみれば、具体的な業
務阻害の事実が認定できないままに、一般的かつ抽象的な職務専念義務なる概念を
持ち出してその行為を禁止することは、憲法上の基本権である労働基本権を余りに
も軽視する見解といわねばならない。
 そして、ここにいう職務専念義務は、労働者が労働契約に基づいてその職務を誠
実に履行しなければならない義務であって、その義務となんら支障なく両立し、労
働者の義務を具体的に阻害することのない行動は、職務専念義務の違反にはならな
いというべきである。労働組合の行なうリボン・プレート着用行動も、具体的な業
務阻害が考えられない以上、このように解すべきことは改めていうまでもない。
(4) 特に、原告組合員が身に付けたリボンは、幅が二センチ、長さが八センチ
から一〇センチ程度、プレートも通常の市販されている名札で、縦四センチ、横六
センチ程度のプラスチックケースであり、これに各人が文字を書き込んだものであ
る。したがって、近寄らなければ記載内容も確認できない程度の大きさであって、
これの着用が職務専念義務に違反するとは到底いいがたい。現に、これを現認する
職制も、近寄ってみなければその内容を確認できないほどである。
(5) 仮に、百歩譲って、現段階ではリボン等の着用行動が違法であるとの見解
が確立していたとしても、それがそのまま昭和四〇年代に行われたリボン等の着用
行動の合法性、違法性の判断にはつながらないし、また、それが非違行為として賃
金等の格差の理由とすることを合理化する根拠とはならない。
 本件で問題となっている昭和四〇年代においては、むしろ勤務時間中のリボン等
の着用行為を適法とする見解が有力であった。全医労福島支部は、昭和四一年一〇
月二一日の闘争の際、当局が行なったリボン着用への不当な介入について、人事院
への照会を行なった。これに対して、人事院職員局長は、「リボン・プレートを勤
務時間中に着用することは違法ではない」と正式に回答している。また、昭和四
二、三年においては、第二組合も戦術の一つとしてリボン闘争を行なっていた。当
局がこれに対して注意を行なったとか、現認したということはない。これは、当局
の組合に対する差別的取扱いの一つの例であるとともに、当時の判例等の状況の反
映である。
 このように、昭和四〇年代においては、リボン等の着用を適法とする常識的見解
が支配的であり、それ故に、原告組合も、認められた労働組合活動の一手段と解し
て、盛んに行なってきたのである。これに対して当局も、明確に職務命令違反とい
うことで取外しを命令することはできなかった。「不体裁だから取外すように」だ
とか「みっともないからやめてくれないか。特に命令はしないが。」などというあ
いまいな注意の仕方が主流であった。また、組合も取外しが職務命令であるかどう
かを確認するという方針をとっていたが、職務命令であることを明確に否定する職
制も多かった。
 また、当局もリボン・プレートについての現認書作成に際しては、「取り外すよ
う命令する」という記載をせずに、「取り外すよう注意する」という記載にするよ
う統一した扱いを行なっていた。リボン・プレートを適法とする判断が多数示され
る中で、当局も明確にこれを違法とするだけの自信がなかったことのあらわれであ
る。また、昭和四七年の関税局長交渉においても「リボン闘争は最終審の判断が出
ていないので違法とはいえない」との見解が示されている。
 このような状態であるから、仮に現段階で当時を振り返って、リボン闘争が違法
であると判断されるとしても、それがそのまま当時の組合員のリボン着用行為をも
って賃金格差の理由とすることを正当化することにはつながらない。
 およそ公権力によってなんらかの不利益を受ける場合は、その行為の時点でその
行為が違法とされていなければならないことは憲法三一条の適正手続条項に照らし
てみても、当然の法理である。その行為時点で、その行為が適法であった場合ある
いは特に違法と解されていなかった場合に、その行為に対する評価が後に変更さ
れ、違法とされるようになっただけで、なんらかの不利益を受けなければならない
としたら、およそ法規範に照らして自らの行為を律していくことなど不可能にな
る。その理は、法律の変更の場合も、判例等の公権的解釈の変更の場合も、変わり
はない。どちらも、現実的には行為規範として機能するからである。それ故に、仮
に現時点でリボン等の着用が違法であると解されるとしても、それを理由に、行為
時点で適法と解されていたリボン闘争を、違法な「非違行為」として賃金等の格差
の理由とすることは許されないのである。
5 非違行為と昇任、昇格の格差との因果関係の不存在
(一) まず、原告番号一番から三四番までの各原告は、ほとんどが昭和四七、八
年に初級管理者昇任を果たし、翌四八、九年に五等級昇格となっている。しかし、
昭和四七年から同四九年にかけては差別の是正を求めて、原告組合が激しく闘った
時期であり、各原告の選考に影響を及ぼしたとされる「非違行為」が最も多く行わ
れている時期である。前記番号の原告組合員らは例外なく、すべてこの時期になん
らかの「非違行為」を行なっている。しかも、その回数も多い。
 一方、右原告らのうち、昭和二九、三〇年入関者(原告番号二〇番から三三番)
についてみると、同期同学歴の第二組合員の大半は昭和四三年から同四六年にかけ
て、昇任、五等級昇格が実現している。この時期は右原告らの「非違行為」が最も
少ない時期であるが、右原告らは昇任、昇格の対象から除外されている。右原告ら
は、昭和四〇年から同四七年の間には、同四六年にただ一名の例外を除いて、特昇
を受けられなかった。ところが、昭和四八年に三名、同四九年には七名の原告組合
員が特昇を受けた。しかし、同四八、九年は「非違行為」の現認が数多くなされた
年である。
 つまり、選考に影響を及ぼしたと被告が主張する事実がないときには、昇任、昇
格、特昇が全く行われず、そのような事実が多くなると、述に昇任・昇格、特昇が
行われるという結果になっているのである。しかも、右原告らそれぞれについて
「非違行為」の回数は異なっているにもかかわらず、その昇任、昇格の時期はほぼ
同時期である。
(二) 昭和四三年、四四年には原告番号七〇番から一〇四番の各原告が一斉に七
等級に昇格した。「非違行為」が多数現認されている原告組合員も、「非違行為」
が少ない原告組合員と同時期に昇格しているのである。もし、本当に非違行為が昇
任、昇格の選考に影響を及ぼす重要な事項であるとしたならば、このようなことは
あり得ないことである。右の事実からは、非違行為の事実は昇任・昇格の選考に際
して全く考慮されていないと断定せざるを得ないのである。このことは、組合分裂
後もしばらく原告組合にとどまって原告組合員とともに組合活動に参加し、「非違
行為」を行なって現認されていた者が、当局の脱退攻撃に抗しきれずに原告組合を
脱退するや、直ちに昇任・昇格をしている事実からも一層明らかである。
 典型的な事例でいうと、元原告P87は昭和五九年六月一六日に本件訴えを通り下
げ、そのころ原告組合を脱退した。しかし、同人はリボン・プレート以外にも一四
回もの「非違行為」を現認されており、リボン・プレート行動にも積極的に参加
し、組合の中心的なメンバーであった。ところが同人は、組合脱退前の旧四等級昇
格までは他の組合員と同様に、第二組合員より遅れて昇格したものの、上席昇任は
昭和六二年であり、原告組合員より三、四年早く昇任し、平成三年には課長に昇任
した。現在までのところ、同期入関者の課長昇任者はいない。同人と同期に同資格
で入関した原告P69は、リボン・プレートを除き、昭和四九年に一回「非違行為」
を現認されたにすぎない。しかし、同原告とP87は初級管理者昇任、旧四等級昇格
まではほぼ同時期であったにもかかわらず、その後の上席昇任以降は大きく差がつ
いてしまった。このような事実から、両者の処遇の差を分けた原因は、P87が組合
を脱退したことにあるとしか考えられない。
(三) 非違行為が格差の理由とはなっていないことは、別の観点からも明らかと
なる。即ち、本件訴訟になる前には、非違行為が格差の理由であるなどということ
を、税関当局はただの一度も口にしなかった。訴訟においても、被告が突如として
原告組合員の組合活動に関する非違行為の事実を主張立証し出したのは、本件訴え
提起後六年以上も経過してからである。このような重要な主張及び証拠資料が、い
つでも提出できるにもかかわらず、提訴後六年間も訴訟にあらわれなかったのは、
被告自身も、このような非違行為では格差の合理性を立証できないと判断していた
からである。
(被告の主張)
一 差別意思について
1 差別扱いの事実
(一) 原告組合の活動と分裂の経過
(1) 東京税関の機構等の経緯
 横浜税関東京支署は、昭和二八年八月一日、東京税関として横浜税関から分離独
立した。
 独立当初は、一房二部制(税関長官房、監視部、業務部)の本関と羽田税関支署
を中心とした機構で東京都を管轄区域とするのみであったが、昭和三〇年八月に至
り、横浜税関から新潟税関支署及び酒田税関支署の移管を受けるとともに、埼玉、
群馬、山梨、新潟、山形の五県が管轄区域に加えられ、さらに一房三部制(鑑査部
を増設)の機構となり、首都税関としての体制の整備と充実が図られてきた。
 昭和三五年から貿易自由化が本格的に促進されたこともあって、税関の業務量の
急激な伸びは定員の伸びをさらに大幅に上回っていたので、必然的に業務の簡素
化、合理化等が重点的に図られることとなった。
(2) 原告組合の活動と分裂の経緯
(イ) 初期の活動
 昭和二八年八月一日の東京税関の独立と時期を同じくして原告組合が結成された
が、当時、東京税関内には、原告組合のほかに労働組合はなく、ごく少数の幹部職
員(昭和四四年の原告組合規約によれば、組合員資格を得られない。)及びわずか
な未加入者を除くほとんどの職員が、特別強い働きかけもないまま、入関と同時に
ほぼ自動的に原告組合に加入していた。このため、組合員の中に、職制(課長、係
長、巡察といった役付職員)と非職制(一般職員)とが混在する形となっていた。
 原告組合は、昭和三二年ころまでは職場の諸要求に重点を置き、当局との話合い
の場で問題の解決を図る、労働条件改善を主体とした組合活動を行なってきた。と
ころが、昭和三三年五月、全税関は、第二一回全国大会において、社会主義社会の
建設を期すことなどを基本綱領とした総評への加盟を決定し、また、職制支配の排
除、税関行政の民主化を図るためには、対米従属の政府の政策変更を促すことが必
要であるとして、政治闘争の重要性を強調し、社会主義圏との協調を唱えた。
(ロ) 安保条約改定期の活動
 昭和三四年当時、同三五年六月の安保条約改定をめぐって「安保改定阻止国民会
議」を中心に、一連の激しい改定反対闘争が行われていた。全税関及び原告組合も
これに同調し、政治闘争を精力的に展開していくとともに、当局の事務のやり方な
どに反対し、順法闘争と称して業務規制を呼びかける活動に積極的に取り組むよう
になった。また、原告組合は、同じ組合員であるにもかかわらず、末端の職制に対
して、職制は労働者の敵であり、職制支配に対決するとして、諸々の要求等におい
て組合員である課長らを激しく突き上げ、またこれに抗議した。このため、昭和三
四年末、当時課長職にあった組合員らによって構成されていた課長会の面々が、原
告組合の闘い方を批判し、反旗を翻したが、脱退にまでは至らなかった。
 このような原告組合の運動方針に疑問を持つ批判的な組合員は他にも多かった。
しかし、昭和三四年八月の賃金闘争アンケートにおいて、ストライキを含む実力闘
争を支持した者はわずか二九パーセント、合法の枠内で闘うべきとした者五八パー
セントであったにもかかわらず、全税関中央闘争本部は、実力行使で意思統一せよ
との指令を出して組合員の意向を無視している。
 全税関は、昭和三五年に至り、安保闘争の最大のヤマ場であるとの認識のもと、
改定阻止の闘いに全力を注いだ。当局は、事前に原告組合に対して、国家公務員
は、法律によって勤務時間内職場大会等を含む一切の争議行為は禁じられているの
で、違法にわたる職場大会等を行わないよう警告したが、原告組合は、安保改定反
対のスローガンを中心とした早朝職場集会を強行した。なお、同じころ、全税関横
浜支部、同神戸支部では、勤務時間内に食い込む早朝職場集会を強行する違法行為
があったので、横浜、神戸各税関長から指導的役割を果たした者に対する懲戒処分
及び矯正措置が行われた。
 このようにして、原告組合は、全税関の指令のもとに、外部団体との提携を強め
つつ、地対空ミサイル・エリコン56及びサイドワインダーの持込み、警職法改
正、国公法改正、政暴法改正、安保改定などに対する反対闘争に積極的に参加し、
殊に安保闘争において国民的な盛り上がりが得られたとの評価を前提に、これを契
機に経済闘争から政治闘争への傾斜を強め、以後、国公法改正反対、ポラリス原潜
寄港反対、安保体制打破、アメリカのベトナム侵略反対等の政治闘争に大きな力を
注ぐようになった。
(ハ) 当局の合理化推進と原告組合の対応
 昭和三六年に入り、税関定員の増加と機構の拡充が図られるとともに、税関事務
処理体制の一連の簡素化及び合理化が積極的に推進された。当局は、これらの施策
の実施に当たって、職員の勤務条件の悪化を招くことのないよう十分配慮した。こ
れに対し、全税関は、同年二月の中央委員会において合理化反対が春闘の最重要課
題の一つであると春闘方針を決定し、公労協(国鉄、全逓、電通等)のストの積極
的支援、新島闘争(ミサイル基地の設置反対)の全面的支持、支援を指令した。
 また、全税関は、同年七月開催の第二四回全国大会において、大幅賃上げ、労働
基本権奪還、合理化反対、行政民主化を闘いの中心とし、反安保へ結集していくこ
と、職場闘争を強化し、労働三権奪還、公務員法改悪阻止、ILO八七号条約批准
の闘いを強化することを運動方針として決定し、続く八月には、この運動方針のも
と、合理化強行の根元は日米安保条約にあり、合理化には権利剥奪が付きものであ
るとして、合理化をはね返すための勢力の結集、特に国公法改悪、政暴法等あらゆ
る反動立法の阻止を指令した。
 昭和三六年四月二五日、原告組合は、国公共闘の統一行動として国公法改悪反対
のスローガンを掲げ、第二大蔵ビル東側及び芝浦出張所庁舎前において、当局から
の事前の警告を無視して勤務時間内に食い込む違法な早朝職場大会を強行した。そ
こで、東京税関長は、原告組合役員として違法な集会に積極的に参加し、指導的役
割を果たした者に対し、訓告の矯正措置をした。同年六月二九日及び翌三〇日の昼
休みの二回にわたり、原告組合員十数名が鉢巻姿で、同年四月二五日の統一行動に
対する訓告の撤回を要求して、本関庁舎内税関長室前の第一会議室入口附近に座り
込み、処分撤回等を書いたプラカードを掲げ、要求をすぐ実現せよなどとシュプレ
ヒコールを繰り返し、喧騒にわたる抗議を行なった。
 当局は、昭和三六年六月、計算管理室を本関に設置し、また、申告書、許可書等
の処理のため、複写機(リコピー)を業務部に導入した。そして、当局は、原告組
合と話し合い、労働条件の悪化にならないよう配慮してこれらの簡素合理化の実施
に当たったにもかかわらず、原告組合は、同年七月ころから同年一〇月ころまでの
間、機械化による合理化は労働条件を悪化させるなどとして早朝職場大会や昼休み
職場大会を開催し、合理化反対闘争を行なった。
 なお、そのころ、全税関神戸支部では、政暴法反対、勤評反対、給与引上げ、計
算センター設置反対等を掲げた勤務時間内に食い込む職場集会及び庁内テモ、並び
に執務命令無視による業務停滞及び超過勤務命令拒否による業務妨害等の違法行為
が強行されたため、神戸税関長は、違法行為を行なった三名を懲戒免職処分にし
た。
(3) 批判勢力の拡大と原告組合の分裂
(イ) 昭和三三年ころから、政治闘争を中心として活発な行動を展開するように
なった原告組合執行部の運動方針等に納得できないとして、脱退騒ぎや組合費の納
入を保留する者が散発的に出ていた。昭和三四年末の課長会の反乱もその一つであ
る。また、同年の全税関全国大会において政治闘争に偏重しているとの全税関批判
の声が挙っており、このころから、組合員間に意見の対立があり、意思の統一が欠
けていたのである。
 そして、その後も原告組合の運動方針は安保闘争以来なんら改まるところがな
く、国公法改正反対闘争、ポラリス反対闘争、身上申告書反対闘争等の活発な闘争
を繰り返し、組合による業務規制を企図し、このような活動に協力的でない組合員
である役付職員に対する激しい攻撃が行われ、また、下部の組合員は、なんら組合
執行部の動きを知らされないまま置き去りにされた。
 一方、三名の懲戒免職者を出した全税関神戸支部においては、昭和三七年二月の
臨時支部大会において、免職者三名を守るべきであるとの意見も出た半面、法を無
視した闘いに対する執行部批判の声も続出した。右臨時支部大会後、執行部の方針
に批判的な職員によって自発的に労研が作られ、対立が顕著となった。執行部に不
満を抱く組合員は次々と同支部を脱退し、やがて労研も、極左的政治偏向に陥った
同支部にはとどまれないとして、同年一二月同支部を脱退し、昭和三八年二月には
脱退者は七四五名になった。その後、脱退者の有志によって作られた新労働組合結
成準備委員会及び労研代表と神戸支部代表者とによっていくたびか協議が行われた
が、意見の一致は見られず、同年三月九日に神戸税関労働組合が結成されるに至っ
た。しかし、全税関及び原告組合の執行部はなんら反省することなく、改革も行わ
れなかった。
 昭和三九年三月、東京税関は、新橋から本関を品川ふ頭に庁舎を新築して移転し
た。これに対し原告組合は、合理化反対闘争の一環として取り組み、あらゆる要求
を掲げ、受け入れられないならば移転そのものに反対するとする闘争を行なった。
これに対しては、下部組合員から批判の声が挙っただけでなく、移転に当たっての
要求確認投票の際に、組合員の意見の半数近くが、本関移転を組合員の利益になる
と捉らえ、執行部を批判した。
 昭和三九年七月に開催された原告組合定期大会において、団結が協調され、討議
の中では闘争経過報告が可決、運動方針が承認されたものの、一方で内部における
意見の対立が激化し、執行部批判が続出した。右支部大会における各代議員の発言
内容に、分裂をねらって組合又は執行部を誹謗、中傷したと目されるような部分は
ないし、強く批判を行なった者が内部改革を目指した刷新有志会の先頭に立ったの
は、至極当然のことと思われるばかりか、全く同様の批判が既に二年前の昭和三七
年の支部大会においても多くの代議員から出されていること、さらに、こうした批
判の声は安保闘争を契機とした支部及び全税関の闘争方針の転回により常に内在し
てきたものであることは、まぎれもない事実なのである。このように、執行部は、
口では団結、組合民主主義を唱えながら、その実、執行部に向けられた批判に聞く
耳を持たず、すべて当局の指示のもとに批判分子が策動したものであるとしてしま
う独善的姿勢を持っていた。
 右定期大会前後から原告組合執行部の運動方針に対し、組合内には不満、不信感
を持つ者がさらに多くなり、これら批判的組合員の有志が内部から改革を図ろうと
企て、原告組合内において刷新有志会なるものを自発的に結成し、東京支部に対し
てその運動方針の改善と執行部の退陣を要求するに至った。そして、原告組合及び
全税関の職制対決、職制不信という闘争方針に対して、批判勢力の中心となった末
端の職制である係長クラスの職員が中心となって、刷新有志会は結成されたのであ
る。刷新有志会は、昭和四〇年二月九日には執行部に対し退陣要求書を提出した。
しかし、同執行部は、それらの要求をことごとく無視し、従来の姿勢を改めようと
しなかった。このころには、原告組合を自発的に脱退する者又は組合費を納めない
者が、相当数にのぼるようになり、刷新有志会の会員は四〇〇名に及んだ。
 刷新有志会の会員らは、当初の目的である組合内部からの体質改善はもはや不可
能であると断定し、刷新有志会を解散し、組合内にとどまるも脱退するも会員個人
の自主的判断によることを決定した。その結果、組合脱退者によって、二月中旬に
は新労結成準備会が発足し、会員を募り、昭和四〇年二月二七日、税関労が結成さ
れた。結成直後の税関労組合員数は三三四名であり、中立が六四名であり、一方、
全税関組合員は約六七〇名であった。税関労は、結成後、組織の拡大に積極的に取
り組むとともに、税関長交渉などを通じて職場の要求解決を図るなど活発な組合活
動を展開したため、組合員数を急速に拡大し、原告組合と組合員数は逆転した。
(4) 分裂後の活動
 昭和四〇年代に入ってからも、貿易量の拡大や出入国旅客が急激な増大を続けた
中で、当局は、機構整備拡充、増員を図りつつ、制度面においても、羽田税関支署
の三直制から五直制への変更、効率的取締りを行なうための警務新体制の導入、賦
課課税方式から申告納税方式への移行等の簡素化及び合理化等の種々の措置を講じ
た。
 昭和四〇年以降、全国の輸出入申告件数が増加したのに対し、税関定員は微増に
とどまった。しかしながら、全国税関の中で突出して業務量の伸びの著しい東京税
関にあっては、職員数が昭和四〇年の約一一〇〇名から同四三年約一二〇〇名、同
四六年約一三〇〇名と増員され、全国の定員増のほとんどが東京の増員に回された
結果となっている。このような中で、職場における少数組合へと逆転した原告組合
は、当局に対する反発を強め、合理化反対、ベトナム侵略反対、小選挙区制反対、
不当配転反対、賃金大幅値上げ、春闘勝利、その他のスローガンを掲げて国公法及
び庁舎管理規則に違反する行為を続発した。
 このように、原告組合は、当局の施策に対して事ある毎に反対運動を繰りひろ
げ、時には違法な取組みを含んだ闘いを展開し、その一方で、施策が実施される
や、それまでの反対の声が嘘のように消え又は小さくなってしまうといった闘争を
繰り返してきたものであり、その後も座り込み等を含んだ無許可集会を反復したほ
か、多数の抗議行動、職務妨害、騒擾行為、職務離脱、庁舎の目的外使用、不法文
書貼付、リボン・プレート等着用、円柱・角柱等掲出、器物毀損、その他の違法な
組合活動を、当局の事前の警告や、その場における中止解散命令、職場復帰命令、
取外し・撤去命令等を無視して反復継続し、東京税関における職場の秩序を乱し、
業務の運営を阻害し、信用を失墜させた。
 原告組合が分裂し、その後組合員が減少の一途をたどったのは、運動方針及びそ
の行動のあり方が組合員の支持を得なかったもので、殊に政治闘争に走りすぎ、内
部の批判を無視した幹部闘争を行ない、批判する者に対してはこれを無視するか又
は激しい個人攻撃を繰り返し、要求目的達成のため違法不当かつ過激な行動を続け
たため職場内に異常な不和感が生まれたのが分裂の原因である。
(二) 仕事上の差別
(1) 総務管理部門からの排除
 東京税関当局は、職員の配置換え等については、組合所属とは無関係に公務の必
要性に基づき適材適所の原則に立って適正に行なっているから、原告らの主張は失
当である。
 総務部門は、税関業務全般にわたる総合調整機能を果たす役割を担っており、と
りわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請される。したがって、そのような観点
から公平適正な人事配置が行われたものであり、その結果、たまたま上司の注意、
命令に従わず、非違行為を繰り返していた原告組合員がそれらの職場に配置される
ことが少なかったとしても、それは組合所属を理由とするものではないというべき
である。
 原告P33は厚生係に一一年間勤務していたから、一か所にある程度長期にわたり
勤務した場合に配置換えの対象となったとしても、なんら異とするに足りない。
 また、原告P88は、昭和四六年六月一日から同四九年三月三一日までの間、芝蒲
出張所の管理課に配置され、原告P89は、本件係争期間を通じて総務部総務課に配
置されていて、管理部門の経験を有しているのであって、この点からも原告らの主
張は失当である。
 原告P34は、人事課勤務当時から年末には連日深夜まで勤務するなど通学に困難
な事情があり、また、羽田支署には同原告以外にも通学していた者が五名ほどいた
のであるから、羽田支署だけは行きたくないというのは自己の都合のみにとらわれ
た一方的なものといわざるを得ない。
(2) 監視部門からの排除
 監視部門の職員は、質問検査権等の広範な公権力行使の権限を行使して密輸の取
締り等に当たるものであるから、とりわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請さ
れる。したがって、そのような観点から公平適正な人事配置が行われたものであ
り、その結果、たまたま上司の注意、命令に従わず、非違行為を繰り返していた原
告組合員がそれらの職場に配置されることが少なかったとしても、それは組合所属
を理由とするものではないというべきである。
(3) 部下をつけない職場配置
 昭和五一年一二月当時、原告P41及び同P90を含む一三名は部下職員を配属され
ていない。また、原告P91が保税審査官に配置された直後の同四八年八月一日の時
点における輸出部保税課には、保税審査官として二〇名の職員が配置されていた
が、そのうち部下職員を配属されていたのはわずか八名のみであり、同原告及び原
告P92を含む一二名は部下職員を配属されていなかった。したがって、原告組合員
のみが部下職員を配属されていなかったのではない。
(4) 単純業務への配置
 仕事が単純であるかどうかは、当事者の主観によるところが大きいばかりでな
く、仮に原告組合員が配属された仕事が単純であるとしても、仕事が単純であると
いうこととその仕事の重要度とはまったく別異の次元に属するものである。
(三) 隔離分断政策
(1) 特別派出所勤務
 保税地域へ搬出入される外国貨物、輸入の許可を受けた貨物及び輸出しようとす
る貨物並びに保税地域に蔵置されている外国貨物等については、税関がその取締り
を行なう必要があるので、この取締りを行なうとともに、その保税地域において所
用の許可、承認等の事務を行なうため、税関職員が保税地域に派出されるのであ
る。
 東京税関においては、管轄区域内に多くの支署、出張所、派出事務室等を配置し
ており、それぞれの官署あるいは派出先において、行政需要に応じて適正円滑に税
関業務を執行していくためには、職員は必ずしもその希望するところでない部門で
の勤務を受忍しなければならない場合が生じることは、やむを得ないところであ
る。
 この税関職員の保税地域への派出は、公務の必要性に基づき適材適所の原則に立
って適正に行われており、組合所属を理由とする集中配置等が行われたことはな
く、支部長、財政部長等組合の役員であったとしても、それを理由に人事上他の職
員とは違った特権的な扱いが許されるものではない。
(2) 新入職員の隔離政策
 新職員に対する短期の研修は、昭和三九年以前から行われており、その後研修期
間が長期化されたのは、優れた公務員、社会人としての基盤育成に努めるため、公
務員としての服務規律、基礎知識及び実務の入門知識を養うことを目的としたもの
であって、決して全税関対策のために行われるようになったものではない。
 また、全税関の申立てに係る基礎科研修の処遇改善に関する行政措置要求に対す
る人事院の判定は、部外者の取扱い、超過勤務手当の支給、日額旅費の支給等につ
いて、全税関の要求は認めることができない、としている。
(四) 不当配転
(1) 組合役員、活動家の隔離配転
 東京税関当局は、公務の必要性に基づき適材適所の原則に立って適正な配転を行
なっており、原告らの主張するような組合所属を理由とする集中配置等が行われた
ことはなく、組合役員あるいは活動家であるからといって、それを理由に人事上他
の職員と違った特権的な扱いが許されるものではない。
(2) 懲罰的配転
 原告P50の配転については、同原告が、昭和四四年一一月当時リュウマチを患っ
ていた事実を踏まえた上で、羽田税関支署での勤務に十分耐えられると判断したか
らこそ同原告を配置したものであり、いやがらせ目的にその勤務に耐えられない職
員を、東京税関における第一線の職場として最も重要な職場の一つである羽田税関
支署監視官付に配置換えするなどということはあり得ない。
(五) 宿舎入居差別
(1) 新入職員に対する入寮差別
 全国各地から上京して東京税関に入関した新職員を、交通事情、諸設備等におい
て同一条件で入寮させることが最も望ましいところ、昭和四一年に新築された品川
寮があり、しかも当時三五名もの新職員を一括して入寮させることができるのは唯
一品川寮のみだったのであるから、新職員全員を品川寮に入寮させたとしてもなん
ら異とするに当たらない。
 また、昭和四一年には全税関組合員が品川寮に入寮していたことは明らかであ
り、昭和四二年一月の時点でも品川寮を含むすべての寮に原告組合員が入寮してい
たというのであるから、原告組合からの隔離という状況にはなかった。
 原告P51に対して差別的発言をしたというP52は、当時管理課長ではなく、管理
係の係員として入寮希望の内容について本関へ引き継ぎを行なっていたにすぎず、
また、宿舎の貸与は国家公務員宿舎法一四条、同法施行令一二条等の規定に基づ
き、国の事務の円滑な運営の必要に基づき適正に行われており、宿舎に一時的な空
きがあったとしても、調整の必要上等から生ずる過渡的な現象であることが多く、
しかも、当局が許可した萩中寮は、同原告の当時の住居及び当時の勤務場所に最も
近いところであることからすれば、当局が萩中寮をあっせんしたことは不当ではな
い。原告P53は、新職員科研修終了後、監視部警務課で監視取締事務を二年三か
月、業務部航空貨物第一課及び輸出部関税審査官(航空輸入許可部門担当)付で許
可事務を二年二か月、それぞれ経験した後、昭和四四年一〇月一六日付けで酒田税
関支署に配置換えになり、支署事務を二年四か月、羽田外郵出張所で輸入通関事務
を四年五か月経験して、同五〇年七月一日、晴海出張所統括保税実査官付に異動し
たものであり、右配置換えも適材適所の基本的観点に立った公正妥当な発令の結果
であり、なんら不当なものではない。
(2) 脱退攻撃・嫌がらせの入居差別
 東京税関においては、当時、世帯宿舎への入居を待つ職員は原告P55のほか相当
数存在していたのであり、きわめて宿舎事情の逼迫していた時期に当たる。すなわ
ち、昭和四二年当時、いまだ平屋又は二階建ての木造宿舎がかなりの戸数を占め、
ようやく木造から鉄筋コンクリート造り宿舎への建替えが盛んになりつつあった時
期であって、現在東京税関職員の世帯入居者の多い順にみても、東習志野住宅(昭
和四六年供用開始)、成田住宅(同四七年以降供用開始)、長作住宅(同四九年供
用開始)等はこの当時まだ供用されていないのである。
 東京税関においては、宿舎の貸与については、国家公務員宿舎法に基づき、宿舎
を貸与する職員の職務の性質、住居の困窮度、宿舎の充足状況その他の事情を総合
的に勘案し、適正に実施しているところであるから、宿舎への入居を希望すれば直
ちに入居できるというものではない。
(六) 研修差別
(1) 研修から全面的排除
 当局は、税関研修所で実施する研修に職員を受講させる場合、国公法七三条一項
一号、人規一〇ー五及び税関研修所研修規則の趣旨に従い、個々の職員について研
修を必要とする度合い、本人の資質、将来性を考慮した人事管理上の要請等を総合
的に勘案し、研修の効果が最も期待される職員を選考の上で履修させている。
(2) 普通科研修の差別
 税関研修所東京支所の普通科研修ないし中等科研修については、一般職員に対す
る税関業務に必要な知識と能力の修得を図るため、行政職(一)七等級及び八等級
の職員で採用後五年以上の職員を対象とし、受講生を選考して研修を実施している
のであって、組合所属を理由として原告組合員を研修から排除したことはない。普
通科研修は、研修施設や研修人員に制限があるから、研修の対象となり得る職員が
すべて同一時期に受講できるとは限らないものである。普通科研修については、原
告組合員の中に受講者もいる。また、中等科研修は、昭和四五年に普通科研修が改
称されたものであるが、本件係争期間中に、原告らの一部も中等科研修を受講して
おり、研修において組合所属による差別的取扱いなど存在しないことは明白であ
る。
(3) その他の研修差別
 高等科研修については、行政職(一)六等級の職員で年齢三五歳以下の勤務成績
及び健康状態の良好な職員を対象とし、受講生を選考して研修を実施しているので
あって、組合所属を理由として原告組合員を研修から排除したことはない。高等科
研修は、税関の中枢となるべき幹部の養成に主眼を置き、全国の税関から税関の将
来を担う、勤務成績良好な職員を限定された人数だけ選抜の上で実施しているもの
であり、希望どおり自由に受講できるものではない。
(七) レクリエーション
(1) 費用配分の差別
 職員の自主的なサークルに対する補助金は、レクリエーションサークル部内委員
会において調査、審議し、その決定事項を東京税関厚生委員会に付議したうえ、決
定されることになっていたものであり、補助金の交付は、定められた条件を満たし
たサークルに対し、その必要度、緊急度に応じ、予算の範囲内で行われていたもの
である。
(2) 「麦の会」
 行政財産である庁舎を本来の行政目的以外の目的に使用することとなるサークル
活動に対しては、当然一定の制約が課せられることとなるのはやむを得ないことで
あり、確たる責任者を置くこと、サークル費の配分を受ける以上会計報告を提出し
なければならないことなどは当然の責務であって、こうした条件を充足しない「麦
の会」のようなサークルがサークル費の援助を受けられなくなるのは当然のことで
ある。また、部外の者も加わったサークルが庁舎施設の使用を認められないこと
も、きわめて当然のことである。
 原告組合員であったP48の配転については、「麦の会」会長であるからといっ
て、人事において他の職員とは違った特権的な扱いが許されるものではない。
(3) 音楽隊
 当時の音楽隊の状況をみると、昭和三八年ころから隊員の熱意がなくなり、本関
が移転した同三九年から同四二年秋ころまで練習も困難な状態が続いていたことが
窺える。
 また、昭和四三年には活動していた音楽隊も、その後再び活動が停滞したのか、
同四九年には総務部長の発意で再び新メンバーで発足しており、しかも新メンバー
には全税関組合員も多数含まれていて何回か練習も行なっており、なんら組合差別
など行われていない。
(4) 江東出張所の油絵サークル
 油絵サークルのように外部の者も加わったサークルが庁舎の使用を認められず又
は条件を付けられるなどということは、庁舎管理上当然のことであるにもかかわら
ず、各原告はその手続をとらなかったにすぎない。
(5) レクリーダー
 職員のレクリエーション活動に関しては、昭和三九年の人事院規則一〇ー六の制
定、同四〇年の国公法七三条一項三号の改正及び同四一年の総理府通達の発出に伴
い、職員のレクリエーション行事を適正に運営するための整備が行われ、各省各庁
を通じて同行事の計画的実施及び実施責任者の設置と併せて、レクリエーション指
導者の養成活用等が図られることとなったので、東京税関においてもこれに積極的
に取り組んだものである。
(6) 水泳大会の選手選考
 原告らの主張する水泳大会については、水泳部の予選は、昭和四二年八月の第一
回全国税関水泳大会の選手選考を指しているとすれば、予選会の日程は、庁内放送
により職員に知らされていた。
(八) 大臣表彰からの排除
 密輸検挙者表彰については、事件の難易性、危険性、処理の適切性、犯則の規模
等、諸々の要素を総合的に判断して行われるものであり、法令違反事件の検挙をも
って必ず表彰されなければならないというものではない。現に原告P64は、別件の
摘発事件について昭和四三年一一月二八日に大蔵大臣表彰を受賞しており、組合所
属による差別などではない。
(九) 職場での差別
 課内の忘年会もボーリング大会も、いずれも課内の有志によって行われるもので
あり、また、そのときの幹事や発言力の強い職員の意向によって、これら行事等の
内容や規模等は随時変わり得るものであるから、それらがどのような内容、規模等
で行われるかについて、当局は一切関知しないし、干渉したこともない。
(一〇) 私生活での差別
 県人会のような私生活上の付き合いの関係については、私人としての全く自由な
意思に基づいて行われるものであるから、どのような資格の者を会員として定めよ
うとも全く自由であって、当局は一切関知しない。したがって、仮に原告組合員を
加えずに県人会を構成することも自由である。また、職員らが、趣味などを同じく
する同好の士を募って、クラブ活動なり同好会なりを編成することもまた自由であ
り、こうした自由な集りに当局は一切関知していない。
(一一) 敵視政策の強化
(1) 原告組合の団結行動に対する弾圧
 東京税関長は、東京税関に所属する土地、建物等について、これを良好な状態で
保全するとともに、庁舎等における秩序の維持を図り、行政事務の円滑な遂行とい
う庁舎等の本来の目的を達成するため、昭和三四年達第二〇号をもって庁舎管理規
則を制定している。庁舎等を目的外に使用しようとする者は、予め管理者に使用許
可の申請をし、その許可を受けなければならない(同規則一二条)が、管理者は、
右の申請があった場合、庁舎等の適正な管理、秩序の維持等に支障がないと認める
ときは、使用の許可をすることになるが、その際、必要な条件を付し、又は指示を
することができるところ、もとより庁舎等は、その本来の目的のために使用すべき
ものであるから、職員その他の者が、庁舎等をその目的外に使用する場合は、一定
の制約を受けるのは当然である。
 職員団体が庁舎を職務外の無許可集会に利用する場合にもこの制約は及び、組合
活動だからといって庁舎管理規則による規制の対象外とはならない。
 当局は、従来から、集会その他各種の会合のために会議室、講堂その他の施設に
ついて使用許可の申請があった場合、できるだけ許可しているが、原告組合が右の
手続を無視し敢えて無許可で職場集会を強行した場合には、庁舎管理規則を無視し
た国家公務員としてふさわしくない行為として、集会の解散を命じ、また、職場の
秩序を維持する見地から、指導的役割を果たした者等に対し、矯正のための措置を
もって臨んだものである。当局は、原告組合の正常な組合活動まで制約するもので
はない。
(2) 現認制度による監視・密告体制
 現認書は、職員に義務違反があり、又は国家公務員としてふさわしくない行為が
あった場合に、所属の長において公務員関係秩序の維持のために適切な指揮監督権
の行使ができるように、義務違反等を現認した職員が上司に対してその実態の報告
を行なうもので、特に全税関組合員を対象として作成を意図しているものではな
い。
(一二) その他の賃金差別
(1) 定昇延伸
 定昇延伸は、組合の所属を問わずに行われるものであり、仮に昇給延伸を受けた
者の割合が非原告組合員より原告組合員の方が多いとしても、原告組合員には非違
行為が多数存在することからすれば、なんら異とするに足りない。一方、組合所属
を理由とする昇給延伸であれば、原告組合員の大多数が昇給延伸されていなければ
ならないところ、原告組合員らのうち成績不良を理由として昇給延伸を受けたのは
一〇名であって、そのいずれもが昇給を延伸されてもやむを得ない事実下にあった
のであり、また、非原告組合員の中にも昇給延伸を受けた者が存在している。な
お、職員に懲戒処分を行なうに至らない程度の非違行為があった場合には、その者
の昇給期間中の勤務成績を総合的に勘案する際考慮することとしており、矯正措置
を受けたことのみを理由として昇給を延伸しているものではない。
(2) 勤勉手当の減額
 勤勉手当の支給については、給与法一九条の四に「基準以前六箇月又は一二箇月
以内の期間における勤務成績に応じて支給する」旨規定されており、勤勉手当を減
額された原告らは、右の期間内に多数の非違行為及び矯正措置を受けており、それ
らの行為が原告らの勤務成績に影響を及ぼした結果他の職員に比べ成績率が低く査
定されたとしても、税関長の裁量権に濫用はなく、なんら違法性はない。
2 税関会議議事録、本省会議資料
(一) 東京税関会議
 原告らは、税関会議議事録を東京税関当局作成のものと主張し、原告P1は、昭和
六二年一二月中旬ころに全税関本部に郵送されてきた文書であると供述するが、被
告が、調査したところでは、その存在について確認できない。
 税関会議議事録の入手経路、内容等に不自然なところがあり、その存在、成立は
きわめて疑わしい。原告P1は、昭和六二年当時原告組合中央執行副委員長であった
にもかかわらず、税関会議議事録が郵送されてきたことを人に聞いただけで、誰が
受け取ったのか、差出人、郵送の方法、形態等については知らない、とあいまいな
供述をしている。また、税関会議議事録の外観は、きわめて不鮮明で形式も整って
おらず、筆跡もまちまちで判読が困難であり、内容的にも不自然な部分が多い。
(二) 全国人事課長会議
 大蔵省関税局、各税関当局は、本省会議資料について調査したが、その存在を確
認できなかった。また、文書そのものの体裁、内容からしても、果たして真正に成
立したものか疑問があり、少なくとも会議で使用されたものとは考えられない。
(三) 税関会議議事録、本省会議資料の内容
 それぞれの会議において、税関会議議事録、本省会議資料の内容のとおりに実際
に議事が運営されたのかを明らかにすることは、国公法一〇〇条の秘密を守る義務
に抵触する。
(1) 当局の組合対策
 原告らは、昭和四二年五月二九日東京税関部長会議の議事録(甲三四四の二)の
記載から、当局が組合対策を全国的、組織的に行なってきたというが、従来、当局
は、職員の組合所属について調査したこともなければ、届出制をとっていたわけで
もないから、組織人員等については税関長交渉、組合発行ニュース等から概括的に
把握していたにすぎず、当局が原告組合の組織人員を知らないとしてきたのは推測
の域を出ないからである。
(2) 特定職員
 本省会議資料の内容は、本件係争期間とは関係がなく、また、その職場の実態を
明らかにしようとすれば、それらの事実関係の中に多数含まれている原告組合員以
外の職員の等級・号俸、昇任、昇格等についても明らかにする必要が生じることと
なり、この点について、被告は、人事制度の運用に円滑を欠くとともに、国公法上
の守秘義務に反するため、反論を差し控える。
 原告組合員は、本件係争期間中のみならずその前後にも、後述のように国公法、
人規、庁舎管理規則等に違反する行為を重ね、その都度上司の注意、命令にも従わ
ず、反抗的な態度を示すなどの非違行為を長年繰り返してきたもので、成績主義、
能力主義に基づく現行の人事制度の下では、非違行為を行わずにまじめに勤務して
きた職員との間には、長年の勤務実績の中で大きな差異が生ずるのは致し方のない
ことである。本省会議資料のような内容の資料をもって、当局の全税関及びその所
属組合員に対する差別意識の徴憑であるなどと速断すべきではない。
(3) 新入職員の隔離政策
 原告らは、昭和四二年五月一日東京税関部長会議における新職員の配置に関する
本省会議資料(甲三四三の一、二)を問題とするが、同文書中には、「公務員倫
理、服務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることの理由により警務関
係の職場に優先配置を計画している」との記載もあるように、税関において海(監
視部警務課)と空(羽田税関支署警務関係)の第一線に新職員を配置することはき
わめて当然の措置であって、原告組合員からの隔離ではない。
(4) レクリエーション
(イ) 音楽隊
 原告ら主張の議事録(甲三三六の四)の記載と、現実の音楽隊の推移とは事実に
著しい相違があり、証拠として採用するには足りないというべきである。
(ロ) 油絵サークル
 油絵サークルについて原告らの指摘する具体的事実は、誤解又は事実のわい曲に
基づくものであって、東京税関当局が原告組合員の自主的活動を敵視し、不当に介
入した事実はないから、原告らの右主張に符合する議事録(甲三三六の二)の記載
をもって当局の不当介入事実の証拠であるなどと速断すべきではない。
(ハ) レクリーダー
 原告らが指摘する会議メモ(甲三三六の二)の記載内容は、東京税関が、職員の
レクリエーション行事の計画的実施及び実施責任者の設置と指導者の養成活用に積
極的に取り組んだことを示すものであり、右資料の記載をもって組合間差別を示す
とするのは当を得ない。
(5) 大臣表彰
 原告ら主張の議事録(甲三五一の二)に記載されている大臣表彰についての討議
は、その前に記述されている発言内容をも勘案すると、文脈上、当該会議におい
て、職員が勤勉手当の受領を拒否していることを理由として、永年勤続者表彰から
除外できるかどうかについて、表彰規定の解釈上、当人の日常の行為が模範になる
ものであるかどうかを基準とすることができるかどうかという、一連の討議に関す
る記述の一部として位置付けられているにすぎないものである。文章の解釈として
も、原告組合員であることを理由に表彰について差別することが討議されていると
いうことの意味まで示してはいない。
(6) 定昇延伸
 昇給延伸は、組合の所属を問わずに行われるものであり、非原告組合員の中にも
昇給延伸を受けた者が存在するのであり、昭和四二年一一月二四日開催の東京税関
幹部会議の議事録(甲三三八の一)の記載は、組合員であることのみを理由とする
差別意思に関連付けられるものでないことは明らかである。
 なお、ここで「差別をつける」という言葉が使われているが、文脈からしても
「差をつける」との意味で使われているのが明白である。
(7) 七等級への昇格
 昭和四二年四月一一日東京税関部長会議の議事録(甲三四〇の一)中に「差別を
つけることについて」とあるが、この記載にある各税関の出席者の発言なるものが
全税関組合員に関するものであると認め得る根拠はないし、また、「差別をつけ
る」という言葉は、せいぜい、当該昇格の有資格者について、勤務成績等により必
ずしも一律には扱わないという程度の意味を有するにすぎない。
 さらに、東京税関において、その後、八等級から七等級への昇格について、原告
組合員の中に昇格における期間短縮の利益において差異のある者は数名存在するも
のの、格差など存在せず、内容と事実と一致していない。
(8) 現認体制
 昭和四三年幹部会議資料(甲三五五)は、資料としての連続性に欠け、どのよう
な性質のものか判断できないものであるうえ、昭和四〇年ころ以降国家公務員の能
率向上、元気回復のためレクリエーションについての体制整備が進められていたこ
とを考えれば、レクリーダーについての予算が計上されたとしてもなんら不自然で
はないし、当局が労務対策上必要な備品を整備することもきわめて当然のことであ
る。
二 格差の存在を正当化する非違行為等
1 現認書の証拠能力及び証拠価値
(一) 現認書の証拠能力
 本件において、被告は、本件文書について、これを作成する基になった報告書等
を証拠調べの対象とする趣旨で本件文書を提出したものではなく、税関訟務官P
93の思想内容が表示されている本件文書そのものを証拠調べの対象とする趣旨でこ
れを原本として提出した。したがって、本件文書の成立について認否の対象となる
のは、これを右P93が作成したか否かなのである。
 また、本件文書は、税関訟務官P93の「上記は抄本である」との思想内容を表示
した文書であると主張し提出したものであるから、本件文書は、まさしく「原本」
そのものにほかならず、「抄本」ではない。
 本件文書は、税関訟務官P93がその権限に基づいて、報告書等を基にして自己の
作成名義の文書として作成したものであり、なんら作成名義を偽ったものではな
い。したがって、P93がどのような部分を抹消した文書を作成しようと「変造」に
は当たらない。
 被告は、原告組合員ら個々人について、他の職員との間に仮に格差があったとし
ても、それは原告組合員ら自身の非違行為が勤務成績等に影響を及ぼした結果であ
ることの立証のためにP93作成の本件文書を提出したものであって、本訴におい
て、各原告以外の者の非違行為の有無、内容を主張立証することは、全く意味がな
い。
 以上のとおり、税関訟務官が本件文書を作成した行為及び被告がこれを書証とし
て提出する行為に、訴訟法上の信義則、公正の原則に反する等の違法不当な点はな
い。
(二) 現認書の証拠価値
 また、現認書の証拠価値は、きわめて高いものと評価することができる。すなわ
ち、所属の長は、職員が公務員関係秩序の維持・確保に抵触し、あるいはそのおそ
れがあると思われる行為をした場合には、公務員関係秩序の回復あるいは維持・確
保のために指揮監督権を行使しなければならないし、また徴戒権発動の当否等を検
討しなければならないのであるから、このような行為を現認した職員は、上司ひい
ては所属の長に対し、当該行為及びこれに対する措置等の具体的な事実を報告しな
ければならないところ、現認書は、右行為を現認した職員が上級の監督的立場にあ
る職員に対しその実態を遅滞なくありのまま報告したものであり、その記載内容を
みても、主観をできるだけ避け、客観性を保ち、しかも具体的に述べられているも
のであるから、その内容は正確であるというべきである。
2 各原告の非違行為と勤務成績との関係
(一) 勤務関係の特質及び税関業務の公共性
 国家公務員は、憲法一五条二項、国公法九六条一項に基づき多くの服務規律が設
けられているほか、国公法九七条では服務の宣誓が義務付けられ、さらに同法八二
条では、国公法上の服務規定に違反した場合には懲戒処分を行なうとの規定も設け
られている。
 このように国家公務員に対して厳しい規定を設けているのは、右の勤務関係の特
質から、この職責を全うするためには、国家公務員である職員が有能であるか否
か、公正、誠実及び勤勉であるかどうかということのほかに、職場の秩序が維持さ
れ、職員の能力が十分に発揮されるべく良き職場環境の確立が必要であるという理
由からである。
 とりわけ税関職員の職務は、国の玄関口において、諸外国との間で輸出入取引き
される膨大な貨物について審査、検査及び許可を行ない、その他貨物の輸出入に関
する規制を最終的にチェックし、国民経済の円滑な活動と健全な発展に貢献すると
ともに、国民の健康及び安全に寄与するというきわめて公共性の高い重要な責務を
負っている。
 これらのことを背景に、税関には、法令上、(イ)貨物の輸出入の許可権限(関
税法六七条)、(ロ)外国貿易船等及び貨物の取締権限(質問検査、船内検査、見
本採取権、検問、帳簿書類の検査権、貨物の施封権、車両の停止権を含む。)(同
法六七条、一〇五条一項一号ないし四号)、(ハ)貨物の輸入者等への質問検査権
(いわゆる事後調査権限)(同法一〇五条一項六号)、(ニ)関税等の賦課徴収と
滞納処分権限(同法三条、一一条)、(ホ)保税上屋等の許可権限(同法四二条、
五〇条、五六条)、(ヘ)犯則事件の調査、処分権限(同法一一九条ないし一四〇
条)、(ト)通関業の許可権限(通関業法三条)等の権限が認められている。
 以上のように税関には高度の公権力の行使が認められており、殊に麻薬、覚醒
剤、武器等の密輸を水際で防止するため、これを摘発、検挙、調査、処分するとい
う警察、検察権力に類似した強力な公権力の行使が認められ、さらに、一定の場合
には武器の携帯及び使用さえも認められている(関税法一〇四条)ほか、制服の着
用が義務付けられているのである(同法一〇五条二項)。
 以上のことから、特に税関の職場においては、一般の国家公務員に比して、公
正、適正かつ円滑な業務運営の確保と職場秩序の維持ということが、さらに強く要
請されているということができるのである。
(二) 勤務評定制度
 東京税関における職員の勤務成績に関する評価は勤務評定記録書の評定結果によ
って行われているが、国家公務員の勤務評定については、国公法七一条がその根本
基準を定め、それを受けた人規一〇―二第二条一項が「勤務評定は、職員が割り当
てられた職務と責任を遂行した実績(以下「勤務実績」という。)を当該官職の職
務遂行の基準に照らして評定し、並びに執務に関連して見られた職員の性格、能力
及び適性を公正に示すものでなければならない。」旨規定している。
 勤務評定の具体的方策については、国公法七二条一項は、「職員の執務について
は、その所轄庁の長は、定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果に応じた
措置を講じなければならない」と定め、同条二項は、「前項の勤務成績の評定の手
続及び記録に関し必要な事項は、政令で定める」とし、これを受けて、勤務成績の
評定の手続及び記録に関する政令(昭和四一年政令第一三号)が定められ、さら
に、同政令九条が「この政令に定めるもののほか、勤務評定の手続及び記録に関し
必要な事項は、総理府令で定める」としているのを受けて、勤務成績の評定の手続
及び記録に関する総理府令(昭和四一年総理府令第四号。)四条は「評定者は、評
定の結果その他必要な事項を記録し、調整者に提出しなければならない」旨規定し
ている。
 ところで、勤務評定については、昭和四〇年の国公法改正で昭和四一年二月一八
日まで実施されていた人規一〇-二(以下「旧人規一〇―二」という。)が、勤務
評定の根本基準に当たる部分(現行人規一〇―二)と勤務評定の手続及び記録に関
する部分(政令・総理府令)に分けられ、それぞれ人事院と総理府が所管すること
となった。このような二つの法体系(人規の系及び政令・総理府令の系)の分割、
改正の経緯からしても、総理府令四条にいう「その他必要な事項」とは、旧人規一
〇―二第一一条二項で規定されていた「報告書には、前項の記録の外、評定期間中
における職員の指導に関する事項その他の職員の人事を行う上に必要と認められる
事項を記録するものとする」と、同趣旨であると解釈される。したがって、単に職
務の遂行実績のみならず、法令、規則等の違反行為やその他の服務規律違反行為等
についても、人事管理上必要な場合には、評定者は、それらの事項をも考慮して各
職員の勤務成績の評価を行なってきたものであって、各原告の非違行為について
も、勤務評定の対象となる事項であるということができるのである。
(三) 非違行為と勤務成績との関係
 右のことを考慮すれば、各原告が行なった非違行為については、それが勤務時間
中に行われたものであるか否か、職場内外で行われたものであるか否かにかかわら
ず、国公法上の服務規律に違反し、あるいは職場秩序、公務秩序を阻害し、公務の
執行能率を低下させるおそれがある場合には、勤務成績の評価においてマイナスの
影響を及ぼすことは当然というべきである。以下、各原告が行なった非違行為の内
容は、別紙「原告別非違行為等一覧表」(無許可集会)(その他)(プレート等闘
争)のとおりであり、これに即して、具体的に述べる。
(1) 勤務時間中の非違行為
 原告組合員らが勤務時間中に行なった非違行為の態様は、①リボン等を着用し、
上司の取外し注意、命令等に従わなかった行為、②無断で離席し当局の違法ビラ撤
去に抗議し、上司の職場復帰命令に従わなかった行為、③上司の指示に従わず勤勉
手当の受領を拒否し、やむなく当局をして法務局に供託させた行為等、実に多様で
あるが、これらの行為は国公法九八条(法令及び上司の命令に従う義務)、一〇一
条(職務専念義務)、一〇八条の六(職員団体のための職員の行為の制限)等に抵
触する行為であり、職場秩序及び公務秩序を混乱させ、公務の円滑、適正な遂行に
も支障を及ぼしたことは明らかであるから、勤務成績の評価に影響を及ぼすことは
当然である。
 また、各原告は、勤勉手当に差別支給があった旨主張して、勤勉手当の受領を拒
否するという行為を繰り返し行ない、やむなく税関長をして、法務局に勤勉手当を
供託させているが、これらの行為についても、公務員が給与を受けることは公法上
の権利であると同時に義務であり、これを放棄することは許されないものであり、
しかも、上司の再三の注意や指示にも従わず受領を拒否し、多忙な給与支払事務を
混乱させ、公務の秩序を混乱させたものであり、国家公務員としての自覚に欠ける
ものであることは明らかである。
 さらに、勤勉手当の支給については、人規九―四〇第九条により、「職員の期間
率と成績率を乗じて得た割合により支給する。」と定められているのである。しか
るところ、各原告は、本件係争期間中に多くの非違行為を繰り返す等の事情が存す
るのであるから、税関長が他の勤務成績良好な職員と比べ、成績率を低く査定した
としても、それは右規定の趣旨からしても相当であって、またその理由の説明を要
しないのである。
(2) 勤務時間外の非違行為
 原告組合員らが職場内において勤務時間外に行なった非違行為の態様は、①無許
可で組合集会を行ない、当局の解散命令にも従わなかった行為、②所属長等に対し
て大勢で面会を強要したり激しい抗議を行ない、当局の解散命令にも従わなかった
行為、③右行為により勤務中(臨時開庁中、会議中等)の職員の業務を妨害した行
為等、実に多様で回数も多いが、これらの行為についても国公法九八条(法令及び
上司の命令に従う義務)、同九九条(信用失墜行為の禁止)、人規一七―二第七条
二項、庁舎管理規則等に違反し、職場秩序を乱すものであり、勤務時間外の行為と
いえども勤務成績に影響を及ぼすものであることは、前記の理からも明らかであ
る。
 さらに付言すれば、公務員は国民全体の奉仕者であり(憲法一五条二項、国公法
九六条一項)、「その官職の信用を傷つけ又は官職全体の不名誉となるような行為
をしてはならない」(国公法九九条)のであって、かかる行為は勤務時間の内外を
問わないものと解されるが、各原告の右非違行為は、勤務時間前、昼休み時間中若
しくは勤務時間終了後、又は勤務時間中年次有給休暇を取得し、職場においてされ
たものであり、しかも、職場において(現に執務中の職員がいたこともある。)シ
ュプレヒコールをし、若しくは大勢で大声をあげるなどの職場秩序をびん乱する行
為であるとか、庁舎管理規則違反行為であるとか、あるいは上司に対する難詰・侮
辱等を内容とするものであって、職務とも密接に関連しているのである。
 したがって、右のような事実は、勤務評定を行なうに当たり前記総理府令四条で
規定する「その他必要な事項」に該当し、当該職員の勤務成績を判断する上におい
て当然考慮されるべきものであり、勤務成績判定のためのマイナス要素となるとい
うべきである。
 しかして、前記原告組合員らの行為は、服務規律に違反し、実質的には懲戒処分
の対象となり得るものであるから、仮に形式的に、懲戒処分がなされなかったとし
ても、勤務成績を評価する上で当然に考慮されるべきものである。
(四) 非違行為と評価期間との関係
 原告らが主張するように仮に各原告と「標準」との間に昇任、昇格又は昇給の格
差があるとしても、それは、各原告に係る非違行為が、評価対象期間である昭和四
〇年四月一日以降、同四九年三月三一日までの九年間における勤務成績、あるいは
昇任、昇格又は特昇の選考に影響を及ぼした結果であって差別ではない。
(1) 昇任
 昇任については、多数の対象者の中から限られた数の職員を選考するという任命
権者の裁量が行われるのであるが、その際に考慮される諸々の要素のうち経験年
数、学歴、資格等自明のものは別として、実質的な評価事項である勤務実績、適性
(適格性)についてはその評価がきわめて重視されるのである。そして、右実質的
評価事項のうち、勤務実績の評価対象期間は直近下位の官職における全期間である
が、適性(適格性)の評価対象期間は採用後の全期間である。
 したがって、昇格と結びつかない昇任の評価対象期間と非違行為の関係を論ずる
意味はない。
(2) 昇格
 昇格についても、多数の対象者の中から限られた数の職員を選考するという任命
権者の裁量が行われるのであるが、その際に考慮される諸々の要素のうち必要在級
年数、必要経験年数、学歴、資格等自明のものは別として、実質的な評価事項であ
る勤務成績、適性(適格性)についてはその評価が重視されるのである。そして、
右実質的評価事項のうち、勤務成績の評価対象期間は直近下位の等級における全期
間であるが、適性(適格性)の評価対象期間は採用後の全期間である。
 したがって、勤務成績に関しては、原告らが特定した昇格の作為義務発生時期を
基準として、その時点の等級の直近下位の等級に各原告が在職した期間の各原告の
各非違行為が斟酌されることになる。
 しかし、適性(適格性)については、各原告が東京税関に採用されて以降右作為
義務発生時期までの間の各原告の非違行為一切が斟酌されることとなる。
(3) 特昇
 特昇についても、多数の対象者の中から限られた数の職員を選考するという任命
権者の裁量が行われるのであるが、その際に考慮される要素は実質的な評価事項で
ある勤務成績そのものである。そして、右勤務成績の評価対象期間は、特昇日の前
日に適用される勤務評定記録書の有効期間のうち、当該前日以前の期間である。
 したがって、特昇の評価対象期間との関係で考慮されるべき非違行為は、特昇日
の前日に適用される勤務評定記録書の有効期間のうち、当該前日以前の期間になさ
れた非違行為であるということができる。
(4) 定昇
 定昇についても、昇給させるか否かの判断は任命権者の裁量であり、給与法八条
六項は昇給の最短期間を一二か月と定めていることから、評価対象期間は右期間で
ある。
 したがって、定昇の評価対象期間との関係で考慮されるべき非違行為は、右期間
内の非違行為であるということができる。
(五) 勤務成績に影響を及ぼし得る非違行為
(1) 庁舎管理規則違反行為
(イ) 庁舎管理規則制定の適法性
 庁舎管理規則は、原告組合の差別を意図して制定されたものでない。税関が管理
運営する土地、建物、工作物及びその他の物的施設(以下「庁舎等」という。)
は、いうまでもなく国有財産法上の行政財産である。大蔵大臣からその管理権限の
委任を受けている税関長は、税関の行政目的に沿うよう維持、保存及び運用する義
務及び権能を有し、職員に対して公務秩序に服するよう求めることができ、その一
環として、職場環境を適正良好に保持し、規律のある業務の運営体制を確保するた
め、庁舎等の使用については許可を受けなければならない旨を一般的に規則をもっ
て定め、又は具体的に指示、命令することができ、これに違反する行為をする者が
あるときは、当該行為者に対し、その行為の中止、原状回復等必要な指示・命令を
発し、又は所定の手続に従い制裁として懲戒処分を行なうことができるものと解す
べきである。
 したがって、税関長が、庁舎等の適正な管理と秩序維持のため庁舎管理規則を制
定することは適法であり、なんら疑義はない。
(ロ) 庁舎管理規則の制定
 東京税関長は、東京税関に所属する庁舎等について、これを良好な状態で保全す
るとともに、庁舎等における秩序の維持を図り、行政事務の円滑な遂行という庁舎
等の本来の目的を達成するため、昭和三四年達第二〇号をもって庁舎管理規則を制
定した。なお、同規則の円滑な運用を図るために、管理者(例えば、東京税関本関
庁舎等については、総務部会計課長)を定め、庁舎等の適正な管理、秩序の維持等
に努めさせることとしている(同規則一条の三、二条)。
(ハ) 庁舎管理規則の内容について
 庁舎管理規則は、庁舎等の適正な管理、秩序維持等のため、庁舎等を目的外に使
用しようとする者は、予め管理者に使用許可の申請をし、その許可を受けなければ
ならないとしている(同規則一二条)。
 なお、この目的外使用には、庁舎を職務外の無許可集会に利用する場合のほか、
庁舎内に募金箱やカンパ箱を設置したり、庁舎の設備を利用して職務外の印刷行為
を行なう場合なども含まれるところである。
 したがって、庁舎等における職員団体の諸活動に対しても、この制約は及ぶもの
であり、組合活動だからといって庁舎管理規則による規制の対象外とすることはで
きない。ただし、原告らの主張するように正常な組合活動まで制限するものではな
い。
 また、庁舎管理規則は、庁舎等において掲示を行なう場合、管理者の定める場所
以外の場所への掲示は許可制としている。ただし、職員団体が行なう掲示について
は、管理者が職員団体用の掲示場所として掲示板を指定し、当該掲示板に掲示する
場合は許可を要しないこととしている。しかし、庁舎管理規則上、右のいずれの場
所であっても、管理者は、法令に違反するもの、庁舎等における業務を妨害し又は
妨害するおそれのあるもの、行政官庁の信用を傷つけ又は傷つけるおそれのあるも
の、個人を誹謗するものに該当すると認められる文書、図画、ポスター等は、掲示
を行わせてはならないとされている(同規則一四条の二)。
 これらの文書等の掲示の禁止措置は、庁舎等の適正な管理、秩序維持を図り、あ
るいはこれらに対する障害を排除し、行政事務の円滑な遂行という庁舎本来の目的
を達成するための当然の措置であって、管理者が職員団体に使用を認めた掲示板の
掲示物にも及ぶものであり、組合が当該掲示板を使用することに関して、当局の管
理権が排除され、又は制限されるという性質のものではない。ちなみに、各原告が
掲示した「ストライキ宣言」ビラは、国公法により禁止されているストライキを行
なうことを宣言するもので、ストライキをあおりそそのかすものであるから、同規
則に定められた「法令違反」文書に該当し、これを掲示することは、たとえ組合用
掲示板を使用する場合であっても許されないのである。なお、東京税関において
は、昭和三九年一一月、本関庁舎の移転に伴い、掲示の禁止、掲示物の撤去に係る
規定など庁舎管理規則を整備し、東京税関時報別冊をもって全税関職員にその内容
の周知徹底を図ってきたところであり、法令違反等に該当する文書等の掲示が禁止
されていることは職員の十分承知しているところである。
(2) リボン・プレート闘争の違法性
 国家公務員にあっては、私企業の労働者の場合と異なり、勤務時間及び職務上の
注意力のすべてをその職務遂行のために用い、職務以外の行為をしてはならないと
いう職務専念義務が法定されている(国公法一〇一条一項)。
 しかして、原告らも自認するように、本件において被告が非違行為として主張す
るリボン・プレート闘争はいずれも組合活動としてなされたものであり、プレート
等に表示されているのは専ら組合の要求及び抗議である。プレート等を着用した職
員は、職務に就いていながら、他方で組合活動として当局に対し示威行為をしてい
るにほかならないのであって、これが職務に専念しているといえないことは明らか
であり、職務に専念すべき職場内の規律秩序を乱すものというべきである。
 そもそも職務専念義務とは、勤務中はその肉体的及び精神的活動力のすべてを職
務の遂行にのみ集中し、職務にのみ従事しなければならない義務であり、職務以外
のことを行えば、現実に職務の遂行が阻害される等の実害が発生したか否かにかか
わらずこれに違反するものというべきところ、右のとおりリボン・プレート闘争は
職務以外の組合活動であるから、これが職務専念義務に違反することは明らかであ
り、これに反する原告らの右主張は失当である。
 したがってまた、上司がプレート等を着用した職員に対し、取外しの職務命令を
発することが適法であることも疑問の余地がなく、職員がこれを拒否すれば、国公
法九八条一項に違反することが明らかである。
 加えて、税関業務は高度の公共性を有し、かつ、税関職員は強力な公権力の権限
を付与されていることから、税関の職場においては、厳正な規律及び秩序の維持が
強く要請されている。また、税関職員の多くは、前述のとおり職務上日常的に通関
業者あるいは船舶の船長、船員等部外者と接触する機会がきわめて多い。しかも、
その過程で、強力な公権力を行使して職務を遂行するものである。このような職務
の特質に鑑み、税関職員は所定の職務を執行するときは、相手方等に対し、税関職
員であることを識別させ、不快感を与えず、また、税関職員として公正、中立及び
品位を保持して執務することが必要であることから、制服の着用が関税法により義
務付けられている(一〇五条二項、同条項に基づく昭和三四年五月八日大蔵省令三
三号)。
 しかるに、税関職員がリボン・プレート闘争を行なうことは、それ自体職場内部
の規律秩序を乱すとともに、右のような第三者に対し、違和感あるいは緊張感を引
き起こし、あたかも勤務時間中の組合活動を当局が容認し、公務秩序の乱れを印象
付ける結果となり、ひいては税関行政に対する不信感を抱かせるおそれが十分あ
る。
 右の諸点に鑑みると、税関におけるリボン・プレート闘争は、特に違法性が強
く、これが職務専念義務に違反することはもちろん、信用失墜行為(国公法九九
条)に該当するものとも評価し得る。
 以上の次第で、リボン・プレート闘争を行なった各原告は、職務専念義務、職務
命令遵守義務等法令に定められた公務員の職務上の義務に違反したことが明らかで
あり、かつ、上司の取外し命令や注意にもかかわらず、これを反復継続したのであ
るから、その違法性の程度も軽微とはいえず、この事実が、昇任、昇格又は昇給を
させるか否かの判断に当たって不利益に考慮されても当然というべきである。
 なお、以上述べたところは、腕章、円柱、ステッカー等の闘争についても全く同
断であり、これが職務上の義務違反行為として、当該各原告に不利益に評価される
べきことはいうまでもない。
(3) 非違行為の内容
 各原告がした非違行為の内容は、別紙「原告別非違行為等一覧表」(無許可集
会)(その他)(プレート闘争等)記載の非違行為欄記載のとおりであり、これに
対する懲戒処分、矯正措置の経過は、別紙「原告別処分状況一覧表」記載のとおり
である。
 各原告は、本件係争期間を通じて、国家公務員としての自覚に欠け、国民全体の
奉仕者として公共の利益のために勤務し、かつ、職務遂行に当たっては全力を挙げ
てこれに専念しなければならないにもかかわらず、職務に際して誠実さと責任感が
みられず、同僚、上司との協調性をも欠くなど、国家公務員として国民が期待する
平均的な執務態度を持していたものとは到底いいがたい。
 したがって、原告らが主張するように、仮に各原告各自の等級・号俸の推移及び
昇進と「標準」なるものとの間に差があったとしても、それは、別紙「原告別非違
行為等一覧表」(無許可集会)(その他)(プレート闘争等)記載の非違行為及び
別紙「原告別処分状況一覧表」記載の懲戒処分及び矯正措置が本件係争期間中にお
ける各原告各自の勤務成績あるいは昇任、昇格若しくは特昇の選考に影響を及ぼし
た結果であって、差別ではない。
第四 (争点四)被告の差別的取扱いによって原告らにいかなる損害が発生した
か。
(原告の主張)
一 損害の証明
1 被告は、職員を原告組合所属の職員と第二組合所属の職員の二つのグループに
分け、昇任、昇格、特昇等において著しい差別的取扱いを行ない、それによって、
継続的、計画的、組織的に、給与上の格差を生じさせた。本件の係争期間内に、二
つのグループ間において、量的かつ質的に顕著な給与上、処遇上の格差が生じてい
ることは明らかな事実であり、これは、本件係争期間後も拡大している。そしてこ
の格差が解消されないまま、多くの原告組合員が退職しつつある。
 各原告に生じさせた給与上の格差は、本件提訴後も、そして退職してからも、退
職金、退職年金さらには遺族年金にも影響を及ぼし、その生涯から死後に至るま
で、各原告本人及びその家族にまで深刻な損害を与えるものである。
2 本件のような組合所属によるグループ間差別については、いわゆる大量観察方
式により、格差の存在とその合理的根拠の不存在を認定し、その格差是正の救済方
法としては、差別されていないグループにおける平均的な者の処遇を標準として、
その標準と差別されているグループに所属する者の現実の給与額との差額を損害と
評価する方法が合理的である。このような集団間の比較による格差の存在の認定と
救済方法の合理性が肯定された裁判例や労働委員会命令は多数存在する。
 本件は、典型的な組合所属による顕著な賃金・処遇上の差別のケースであり、原
告組合員が大量に継続的に差別されていること、二つのグループ間に勤務成績にお
いて明確な差がないこと、格差が誰の目にも顕著であること、さらに被告には原告
組合員に対する明確な差別意思の存在及び原告組合に対する強い嫌悪の情が認めら
れること等の事実からすれば、原告らが主張する方法による損害賠償が認められる
べきは当然のことである。
二 各原告の損害
1 給与相当損害金
 各原告の給与上の損害の算出の範囲は、本来の給与法の適正な適用によって各原
告に支給されるべき給与の総額と現に各原告に支給された給与の総額との差額に相
当する金額であり、具体的には、昇格、昇給(定昇、特昇)差別による損害であ
る。算出期間は、昭和四〇年四月一日から同四九年三月三一日までの期間である。
また、差額算出の基礎となる標準は、同期同資格入関者の半数以上が到達した給与
である。標準をとるに当たっては、当然のことながら、合理性のない差別を受けて
いる者、つまり原告組合員と婦人を除外した。したがって、標準は、原告組合員及
び婦人を除いた同期同資格入関者の半数以上が到達した等級、号俸をもって標準等
級号俸と設定している。また、各原告について、組合分裂前に受けた処分及び病気
休暇等による昇給延伸等は、本件損害算定に当たっては差別からは除外してある。
 このようにして算定した各原告の給与相当損害金は、別紙債権目録の「差額賃金
相当金」欄記載のとおりであり、その内訳は別紙損害金計算表記載のとおりであ
る。
2 慰謝料
 各原告は、本件の昇格、昇給(定昇、特昇)の差別(これらは直接給与上の損害
に結びつく)及び昇任をはじめとする諸々の差別により、職員として平等に取り扱
われるという権利、利益を侵害された。また給与は、労働条件の根幹をなし、各原
告とその家族の生存を支えるものであるが、被告の行なった差別は、この給与を直
撃し、標準的給与からみて著しく低額な給与にとどめてきた。これにより各原告と
その家族は人並み以下の生活水準を余儀なくされた。
 給与上の差別が過酷なものであることは多言を要しないが、そればかりでなく、
本件において行われた昇任差別、仕事上の差別、不当な差別による職場の秩序・人
間関係の破壊等の差別攻撃の数々は、各原告の人間としての誇りや尊厳を著しく傷
つけた。勤務成績、勤務能力が劣らないのに、同期の者から著しく遅れて昇任、昇
格、昇給をし、また何年も後輩の職員に追い抜かれていくということ、やっと昇任
しても各原告には部下を一人もつけない等の処遇上の差別が、いかに各原告一人一
人の人格・名誉を傷つけたか想像に難くない。また、本件差別は、各原告が原告組
合に所属し活動したことを理由とするものであるから、一面、各原告が団結し、団
体行動をする権利を侵害したことになる。
 各原告の精神的苦痛を慰謝するための金額は、別紙債権目録の「慰謝料」欄記載
の金額を下廻ることはありえない。
3 予備的主張
 仮に、損害算定の方法をめぐる技術的問題等により給与相当損害金の賠償が認め
られないとしても、本件差別による精神的苦痛に対する慰謝料の賠償は認められる
べきであり、その額は、右1、2の合計損害金に相当する別紙債権目録の「予備的
慰謝料」欄記載の金額を下廻ることはない。
4 弁護士費用
 本件訴訟の遂行には専門的知識と技術を要するため、各原告はいずれも、原告ら
訴訟代理人に本件訴訟の遂行を委任した。その費用のうち別紙債権目録の「弁護士
費用」欄記載の金額は、本件不法行為と相当因果関係のある損害である。
三 原告組合の損害
 被告は、今日まで一貫して、原告組合を敵視、嫌悪し、原告組合員が原告組合に
所属し、その活動に従事したことを理由として昇任、昇格、昇給等の差別を行な
い、さらに分裂策動、脱退強要、団体交渉の制限、組合活動の規制等を行ない、原
告組合の団結権等を侵害した。
 被告の不法な攻撃により、原告組合の構成員が昇任、昇格、昇給等で違法な差別
を受けたことは、原告組合員に対する不法行為となると同時に、原告組合の団結権
に対する重大な侵害行為となることは論をまたない。原告組合は、被告の不法行為
により、組合を脱退するものが増加して組合員が激減し、また新規加入を妨げ、組
合の運営に著しい支障をきたした。分裂前一〇〇〇名を超えていた原告組合の構成
員は、分裂によって五九三名、昭和四〇年末には二〇三名、そして同四九年一月に
は一三八名に激減した。
 原告組合は、国公法上の登録団体として団結権等を保障されているが、被告の不
法行為はこれを侵害するものであり、損害賠償として慰謝料を支払う義務がある。
その慰謝料の額は金五〇〇万円を下廻ることはない。また原告組合についても弁護
士費用の賠償が認められなければならないことは、各原告と同じである。
(被告の主張)
一 損害の不存在
1 「標準」設定の無意味性
 成績主義を根本基準とする国家公務員の任用制度及び給与制度の下においては、
同期同資格者であっても、個々の職員の勤務成績等により昇格、昇給及び昇任の時
期及び回数に差異が生じるのは必然であるから、同期同資格者を一定の集団とみな
し、その中で「標準」を設定することは、合理性を有しない。したがって、かよう
な「標準」を基準に損害額を算定することには合理的根拠が全くない。
2 比較適格性の証明不存在
 仮に右の点をおくとしても、原告らがいう「標準」を設定するためには、各原告
についてそれぞれ同期同資格者が正しく抽出され、それらの経年的な昇任、昇格等
の状況が正確に明らかにされることが必要であるが、この点についての証明はな
い。
 したがって、いずれにせよ原告ら主張の「標準」を基準に損害額を算出するのは
失当である。
3 各原告の慰謝料請求
 各原告の慰謝料請求の請求原因の一つとして、喪失賃金相当額の財産的損害を被
ったことによる精神的苦痛を挙げるが、一般に財産的損害については、それが回復
されれば、それによってその精神的苦痛は慰謝されるものと解すべきであるから、
各原告の右主張は失当である。
二 不法行為と損害との相当因果関係の証明不存在について
 原告らは、「差別がなければ、原告組合員及び婦人以外の同期同資格者の半数以
上が昇格又は昇給した時期に各原告も昇格又は昇給した」という前提の下に、右時
期に昇格又は昇給した場合に得られたはずの給与と各原告が現実に受給した給与と
の差額を損害として主張するが、右主張が肯認されるためには、「差別なかりせば
原告ら主張の時期に昇格又は昇給した」という因果関係が証拠によって認められな
ければならないのは当然である。
 しかし、ある職員をある時期に昇格、昇給させるか否かの税関長の判断は、固有
の裁量行為であり、法令によりどの職員をどの時期に昇格、昇給させるかが一義
的、覊束的に決定されることはない(昇格と結びつく昇任についても同様であ
る。)。
 また、昇任、昇格及び特昇については、一種の相対比較により、右昇任等をする
かが決定される。一定水準以上の能力及び勤務成績を有する職員がいても、その時
期により優秀な職員が他に存在すれば、定数の関係で昇任、昇格等できない場合が
あることはいうまでもないであろう。
 しかも、一般に昇任、昇格等の人事は、他の職員の人事に積極又は消極の波及的
影響を与える。例えば、ある職員が昇任、昇格したことによって当然定数の関係か
ら昇任、昇格できなくなる職員が出てくるし、また、昇任、昇格が当該職員及び他
の職員の配置換に結びつくことのあることも説明するまでもない。
 右のとおり、職員の任用は、通常その対象となった職員ばかりでなく、他の職員
の任用にも影響を及ぼすものであり、換言すれば、ある職員が昇任、昇格するか否
かは、他の職員の任用に影響される。およそ人事の計画はこのような総合的、全体
的見地から決定されるものであり、他の職員の人事やポストの関係等を無視して、
ある一職員だけを見て、これを昇任、昇格等させるか否かを判断するものではない
し、また、それはできることではない。
 以上のとおり、昇任、昇格、昇給をさせるか否かの判断が税関長の裁量に属する
ものであるうえ、任用人事は複雑多岐な諸々の要素の絡み合いによって決定される
ものであって、しかも、ある職員を巡る任用人事に影響する諸要素は、不変ではな
く、常に変化していくものなのである。したがって、仮に任命権者の差別意思がな
かったとすれば、ある職員がある時期に昇任、昇格等したというためには、当然、
当該時期における右のような諸事情をもすべて勘案した上で、なおかつ当該時期に
昇任、昇格等したといえる場合でなければならないが、本件においては、この点に
ついての立証はなんらされていない。また、本件においては、差別がなければ、あ
る時期に昇格、昇給等したという原告らの主張は失当である。すなわち、ある時期
にある職員が昇格、昇給等した、又はしたはずであるというためには、前述の税関
長の裁量等の問題以前に、少なくとも、当該時期における昇格、昇給及び昇任にお
ける形式的積極的要件の存在と消極的要件の不存在が証明されなければならないこ
とは当然であるが、原告らはこの点について主張立証していないから、その余の点
について判断するまでもなく、ある時期に昇格、昇給等をした、又はしたはずであ
るという原告らの主張は失当である。
 以上の次第であるから、「差別なかりせばある時期に昇格、昇給した」という因
果関係についてはその証明がないというべきであり、したがって、また、原告ら主
張の税関長の不法行為と損害との間には相当因果関係があると認めることはできな
い。
第五 (争点五)原告らの損害賠償請求権は時効により消滅したか。
(被告の主張)
一 各原告の損害賠償請求権の消滅時効
 ある特定の時期に昇任、昇格等をさせなかった不作為により財産的損害を被った
ことを理由とする不法行為は、その時点で成立すると同時に終了しており、あとは
その効果が残存するにすぎない。それを過ぎた時期に昇任、昇格等したところで意
味がない。
 また、各原告の慰謝料請求は、右財産的損害を被ったことによる精神的苦痛及び
昇任、昇格等において劣位評価を受けたことによる精神的苦痛に対する慰謝料を請
求するというのであるから、結局そこでの不法行為の内容及び成立時期は、財産的
損害についての賠償請求について述べたところと同じ結論に帰着する。
二 消滅時効の援用
 各原告は、原告組合闘争の一環として、従前より東京税関当局に対する賃金差別
反対闘争を展開していたことから、不法行為成立時に損害及び加害者を知っていた
ということができる。したがって、各原告の被告に対する各損害賠償請求権は、仮
にそれが存在するとしても、前記不法行為の時、すなわち、各原告が昇格、昇給又
は昇任すべきであったと主張するそれぞれの時期から三年の消滅時効が進行すると
解すべきである。
 したがって、各原告の損害賠償請求権のうち、その発生原因となった不法行為の
日、すなわち、各原告が、昇任、昇格等させるべきであったと主張する日が、各原
告が本訴を提起した昭和四九年六月一一日(時効完成日は遅くとも訴え提起の前日
であることを要する。)から三年前の同四六年六月一一日より前のものは、仮にそ
れが存在するとしても、すべて時効消滅しているというべきである。換言すれば、
同四六年六月一〇日以前の不法行為、すなわち、各原告主張の日に昇任等させなか
った不法行為に基づく損害賠償請求権は、すべて本訴提起前に時効消滅している。
 被告は、右消滅時効を援用する。
三 原告組合の損害賠償請求権の消滅時効
 原告組合の主張は、税関長のいかなる具体的作為又は不作為を不法行為とするの
か不明確であるが、いずれにせよ、原告組合の主張に係る不法行為の成立時期並び
に損害及び加害者を知った時期は、性質上昭和四六年六月一〇日以前と解すべきで
あるから、これに基づく損害賠償請求権は、仮にそれが存在するとしても、本訴提
起前に消滅時効が完成している。
 被告は、本訴において、右消滅時効を援用する。
四 損害賠償請求権の行使が可能となった時期
 昭和四二年八月一日付全税関東京支部ニュースには、「昇任、昇格、特昇の差別
をやめ、直ちに、発令を行え」という見出しの下に昇任、昇格、特昇の差別の問題
が取り上げられ、また、同四六年六月二日付全税関東京支部執行委員会名の印刷物
には、「六月人事発令の結果について」という見出しの下に「今回の発令の結果は
この差別が『全税関組合員』であることを理由とする差別であることを一層明白に
示しました。」という記載がある。これらの記載は、少なくともこれらの時期には
原告らが原告ら主張の損害賠償請求権の行使が可能であったことをうかがわせるも
のである。
(原告らの主張)
一 不法行為の継続性、一体性
1 東京税関長の原告組合員に対する統一的な差別意思に基づく、長年にわたった
継続的な差別的取扱いの集積が、本件不法行為である。したがって、各原告に対す
る差別的不利益取扱いは、少なくとも訴訟提起時には、税関当局の統一的な差別意
思、不当労働行為意思のもとに継続していて、いまだ終了していなかったのである
から、本件においては、消滅時効期間の進行を問題とする余地はない。
2 各原告が、昇任、昇格及び特昇に関し、「ある特定の時期」を主張しているの
は、もし東京税関長の人事上の差別的取扱いがなければ、非組合員標準者との対比
において、遅くともこの時期まで各原告が昇任、昇格及び特昇を得られていたはず
であるという意味においてである。これを本件不法行為との関係でいえば、各原告
が被った損害の金額は、右の「特定の時期」に各原告主張の昇任、昇格及び特昇が
なされたと仮定した場合に得られたであろう賃金額を基準にして算出するのが相当
であるという趣旨である。
二 消滅時効の起算点
1 本件不法行為は、東京税関長が個々の原告に対して、その組合所属を理由にし
て昇任、昇格を延伸させ、特昇を行わなかったことであり、その結果、原告組合員
たる各原告と非組合員との間に、賃金、処遇上で大きな格差が生じたことが、各原
告の損害となる。
2 しかしながら、人事考課や成績査定の権限は任命権者の専権に属し、その内容
は完全に秘密とされ、原告らにとっては全くうかがい知ることのできないことであ
る。しかも、人事行為や成績査定の基準や方法が明示されていないため、個々の職
員にとって自己に対する人事考課、成績査定の不当性を的確に把握することは容易
ではない。とりわけ、昇任、昇格及び特昇等の差別は、当初はごく僅かな程度であ
り、長年にわたって累積して初めて格差の存在が明らかとなるのである。そして、
それが組合所属を理由とする違法なものであることを知るためには、原告組合と第
二組合にそれぞれ所属する同期同資格入関者に対する系統的な調査が必要である。
それは容易なことではない。しかもかかる税関長の不当労働行為によって、昇任、
昇格及び特昇等の差別が生じている疑いが生じても、当初は個別的な苦情の申立て
や労働組合としての団体交渉により事態の究明を行なうのが通例であって、訴訟に
よる救済が可能な法的権利の存在を確信しうるには、さらに相当な時間的経過を要
するものといわなければならない。
三 短期消滅時効の援用と権利の濫用
1 消滅時効の援用がなされても、当該事件にあらわれた具体的事情が時効制度の
存在理由に反していて、その援用を許すことが正義・公平の理念に反する場合に
は、時効の援用は権利の濫用であって許されるべきではない。
 本件においては、時の経過による立証の困難性を問題にする余地はない。原告組
合員を含む職員の人事管理上の資料はすべて税関当局の手中にあり、原告組合員が
昇任、昇格及び特昇において差別を受けてきたことの理由を被告が立証することは
容易なことである。次に、被害者の被害感情であるが、本件訴え提起後も税関当局
による引き続く徹底した差別によって、賃金等の格差は拡がる一方であり、原告組
合員の被害感情は増幅されこそすれ、鎮静化することなどありえない。また、原告
らは、訴え提起前から税関当局に対して格差の是正を要求してきており、決して権
利の上に眠っていたわけではなく、加害者である被告が、もはや損害賠償の請求を
受けないであろうと信ずるような事情は存しない。
よって本件においては、短期消滅時効援用の前提を欠いているのである。
2 組合所属を理由とする差別人事は、関税局の指導のもと、全国の税関長や幹部
職員が共謀し、綿密な計画を立て、長期にわたって系統的に実施してきたものであ
って、きわめて悪質な不法行為である。これに対して、原告らはやむを得ず、最後
の手段として本件訴訟を提起したのである。このような事情を考慮するならば、被
告の消滅時効の援用は、権利の濫用であって許されるべきではない。
第四章 争点に対する判断
第一 争点一(格差)について
一 格差の認定資料
 原告P2は、昭和二四年度から同三九年度までの入関者について、各原告と同期同
資格の入関者の名簿に基づいて、原告組合員と第二組合員との比較という観点か
ら、各人ごとに同四〇年一月より同四九年六月までの昇任、昇格、定昇及び特昇の
推移を、入関年月日、入関時の資格とともに調査した結果に基づき、同五五年五月
九日付けで「入関年度別昇任・昇格・特昇実態表」と題する一覧表にまとめたこと
が認められる(甲二五二の一ないし二〇、原告P2)。右一覧表によれば、各原告と
同期同資格入関者として比較された職員の中には、入関時期に一年近い隔たりがあ
るものが少なからず存すること、また、初任給について統一的な把握がされている
わけではないことを認めることができるので、必ずしも正確な意味で同期同資格入
関者とはいえないが、この点を念頭に置いて、甲二四八の一ないし九、二四九の一
ないし九、二五〇の一ないし九に照らしつつ、また、本件係争期間中に中途退職又
は転出したため比較対象するに相応しくない職員を除くと、同期同資格入関者に関
する本件係争期間中の昇任、昇格及び昇給の一般的状況を把握する資料として、
「昇任等実態表」を得ることができ、これをもって原告組合員と非原告組合員との
間で集団的、全体的にみた場合の本件における格差の存否の事実認定の用に供する
ことができる。ただし、原告らに関する昇任・昇格・特昇の内容は、原告別非違行
為等一覧表記載の勤務記録のとおりであるから、その記載のとおり読み替えること
とし、また、二八年度入関者の昇任等実態表中のP94につき四六年七月の号俸を五
-九と改め、同表中のP95につき四八年七月の号俸欄を削除し、三七年度入関者の
昇任等実態表中のP96、P97につき資格を選考と改め、同表中のP98につき資格の
「三七中級」を削除し、同表中のP99につき資格欄に「中級」を加入する。各昇任
等実態表中の号俸等欄の◎は特昇を、○は昇格を示す。
二 同期同資格入関者の昇任、昇格及び昇給の状況
 昇任等実態表から明らかな同期同資格入関者の本件係争期間中の昇任、昇格及び
昇給に関する各入関年次ごとの状況は、次のとおりである。
1 昭和二四年度入関者(一六名、うち原告組合員は一名〈原告一名〉)
(一) 同期同資格入関者のうち、昭和四四年七月までに原告P100を除く全員が五
等級に昇格したが、同原告は同四八年七月に五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち、昭和四二年七月までに同原告を除く全員が初級
管理者に昇任したが、同原告は同四七年三月に昇任した。
(三) 同原告は、本訴提起直後の昭和四九年七月に入関後はじめて特昇を受け、
最終号俸は五等級一二号俸であたが、同期同資格入関者は同四八年一月までに少な
くとも一回以上の特昇を受けており、同原告を除き最も最終号俸の低い同期同資格
入関者は五等級一四号俸であった。
2 昭和二五年度旧専・五級職入関者(一二名、うち原告組合員一名〈原告一
名〉)
(一) 同期同資格入関者のうち原告P41及び第二組合員P101を除く全員が、昭和
四一年七月までに五等級に、同四八年七月までに四等級にそれぞれ昇格したが、P
101が同四七年七月に五等級に昇格し、同原告はこれにさらに遅れて同四八年七月に
五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち同原告を除く全員が昭和四〇年四月までに初級管
理者に昇任したが、同原告は同四七年七月に昇任した。
(三) 同原告及びP101は、本件係争期間中、特昇を一度も受けることがなかった
が、その間にその余の同期同資格入関者は過半数以上が二回以上の特昇を受けてい
た。同原告の最終号俸は五等級一二号俸であったが、同原告を除き最も最終号俸の
低い同期同資格入関者は五等級一三号俸であった。
3 昭和二五年度高卒入関者(二〇名、うち原告組合員三名〈原告三名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は全員が六等級で、五号俸から七
号俸であったが、原告P102、同P103、同P46及び女子職員を除く全員が同四五年
七月までに五等級に昇格し、本件係争期間中に同期同資格入関者の全体の六割が四
等級に昇格した。原告P103は同四七年七月に、その余の原告二名は同四九年一月に
それぞれ五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告ら三名を除く全員が昭和四三年四月までに
初級管理者に昇任したが、原告P103は同四五年六月に、その余の原告二名は同四八
年七月に初級管理者に昇任した。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、四名が一回、二名が二回以上の特
昇を受けていたが、原告P103は本訴提起後の昭和四九年七月にはじめて特昇を受
け、その余の原告二名はこの間に特昇を受けたことがなかった。特昇を受けていな
いのは、原告ら以外には、第二組合の女子一名がいるだけであった。最終号俸は、
原告P103、同P46が五等級一二号俸、同P102が同級一一号俸であり、同原告らを
除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者は女子一名を除くと五等級一三号俸であ
った。
4 昭和二六年度旧専・五級職入関者(三〇名、うち原告組合員五名〈原告五
名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は五等級と六等級が約半数ずつで
あったが、原告P1、同P2、同P3、同P4、同P42及び非原告組合員P104(昭和三
二年退職し、同三七年再採用)を除く全員が同四二年七月までに五等級に昇格し、
P104も同四四年七月に五等級に昇格し、本件係争期間中に同期同資格入関者のうち
第二組合員一名を除く全員が四等級に昇格した。原告P42は同四八年一月に、同P
1は同四九年一月に、その余の原告は同四八年七月にそれぞれ五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告ら二名を除く全員が昭和四二年七月までに
初級管理者に昇任していたが、原告P42は同四六年六月に、同P2、同P3、同P4は
同四七年三月ないし七月に、同P1は同四八年一〇月に初級管理者に昇任した。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、ほとんど全員が特昇を受け、その
うち一六名が二回以上、八名が一回の特昇を受けていたが、原告五名及び第二組合
員一名はこの間に特昇を受けたことがなかった。原告P3、同P42が本訴提起直後の
同四九年七月にはじめて特昇を受けた。最終号俸は、原告P1が五等級一一号俸、同
P2及びP4が同級一三号俸、同P42及びP3が同級一二号俸であり、同原告らを除き
最も最終号俸の低い同期同資格入関者は五等級一五号俸であった。
5 昭和二六年度高卒入関者(四〇名、うち原告組合員三名〈原告三名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は原告P88、同P105を含めてほと
んど全員が六等級五号俸又は六号俸であり、ごく少数の職員が七等級であったが、
右原告二名及び女子職員五名を除く全員が同四五年七月までに五等級に昇格した。
右女子職員のうち二名は同四八年七月に五等級に昇格したが、その余の女子職員三
名及び原告P88は、本件係争期間中には五等級に昇格しなかった。原告P105は本訴
提起直前の同四九年一月に五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち原告P105を除く男子全員が昭和四三年六月までに
初級管理者に昇任したが、原告P105は同四八年七月に昇任した。女子職員について
は、同四六年七月までに三名が初級管理者に昇任したが、一名は本訴提起直後の同
四九年七月に昇任し、残り一名は昇任しなかった。原告P88は本訴提起直後の同四
九年七月に初級管理者に昇任した。
(三) 原告P106については、構内電話交換手の認定を受けて電話交換業務に従事
していたところ、本件係争期間中、電話交換手としては四名在職していたものの、
同原告と同じ行政職俸給表(二)の適用を受ける同期同資格の非原告組合員は存在
しなかったが、同表(二)該当技能職場である自動車運転手のうちの同期同資格入
関者四名の半数以上が到達した給与は、同原告の別表「損害計算表」中、「3 標
準昇給昇格及び原告との対比表」の「標準」欄記載のとおりであった(甲一〇一
二)。
(四) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、女子職員のうちの二名を除き、一
九名が二回以上、そのほか全員が一回特昇を受けていたが、右原告P88、同P105の
二名はこの間に特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、右原告二名とも六等級
一四号俸であり、同原告らを除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者は、男子の
場合は五等級一三号俸であり、女子の場合は六等級一二号俸が一名であった。原告
P88に昇任、最終号俸で遅れている女子職員一名は、昭和四〇年二月当時七等級六
号俸であって、既に同原告よりも下位に位置付けられていた。
6 昭和二八年度高卒入関者(五七名、うち原告組合員六名〈原告五名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は原告P5を除く全員が七等級七号
俸又は八号俸であった(同原告は七等級六号俸)が、原告組合員六名を含む全員が
同四一年一〇月までに六等級に昇格した。原告P40は、その中で二番目に早く昇格
した。ところが、原告組合員六名及び女子を除く全員は同四七年七月までに五等級
に昇格したが、原告P91は同四八年七月に、原告P107は同四九年四月に、その余の
原告は同年七月にそれぞれ五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告組合員六名を除く全員(女子一名を除く)
が昭和四六年六月までに初級管理者に昇任したが、原告P91は同四七年七月に、そ
の余の原告五名は同四八年七月に初級管理者に昇任した。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中に全員特昇を受けており、一四名が
一回、その余が二回以上特昇を受けていたが、原告六名はこの間に特昇を受けたこ
とがなく、原告P91が本訴提起後の昭和四九年七月にはじめて特昇を受けた。最終
号俸は、原告P91及び同P107が五等級一〇号俸、同P92及び同P40が六等級一四号
俸、同P55が同級一三号俸、同P5が同級一二号俸であり、同原告らを除き最も最終
号俸の低い同期同資格入関者は女子一名を除くと五等級一一号俸であった。
7 昭和二九年度旧専、五級職入関者(七名、うち原告組合員四名〈原告四名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は原告組合員より入関が半年遅い
第二組合員一名(七等級八号俸)を除き全員が六等級五号俸ないし七号俸であった
が、原告四名を除く全員が同四四年七月までに五等級に昇格した。しかし、原告P
108、同P109、同P58が五等級に昇格したのは同四八年七月であり、原告P110は、
本件係争期間中は昇格せず、本訴提起直後の同四九年七月にはじめて五等級に昇格
した。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告四名を除く全員が昭和四二年七月までに初
級管理者に昇任したが、原告P110は同四八年七月に、その余の原告三名は同四七年
七月に初級管理者に昇任した。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争中、全員が一、二回特昇を受けていたが、
原告四名はこの間に特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、原告P5及び同P
58が五等級一二号俸、同P109が同級一二号俸、同P110が六等級一四号俸であり、
同原告らを除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者は五等級一二号俸であった。
8 昭和二九年度高卒入関者(二七名、うち原告組合員三名〈原告三名〉)
(一) 昭和四〇年二日当時、同期同資格入関者はほぼ全員が七等級五号俸又は六
号俸(原告組合員より入関が半年遅い第二組合員一名が七等級四号俸)であり、右
第二組合員一名を除き原告組合員三名を含めて全員が同四二年一〇月までに六等級
に昇格した。ところが、原告組合員三名を除く男子全員は同四八年七月までに五等
級に昇格したが、原告P50は本訴提起直後の同四九年七月に五等級に昇格したにす
ぎなかった。原告P6、同P90は第二組合の女子職員三名と同様に本件係争期間中に
は五等級に昇格しなかった。
(二) 同期同資格入関者のうち原告組合員三名を除く男子全員が昭和四五年七月
までに初級管理者に昇任したが、原告P50は同四八年七月に昇任した。その余の原
告二名は、第二組合の他の女子職員二名と同様に本件係争期間中には初級管理者に
昇任しなかった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、第二組合の女子職員二名を除き全
員が特昇を受けており、そのうち一七名が二回以上特昇を受けていたが、原告三名
はこの間に特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、原告P50が六等級一三号
俸、その余の原告二名が同級一一号俸であり、右原告三名を除き最も最終号俸の低
い同期同資格入関者は、男子の場合は五等級九号俸であり、女子の場合は六等級一
〇号俸であった(女子職員三名のうち中間位にある者は同級一一号俸であった)。
9 昭和三〇年度高卒入関者(二九名、うち原告組合員六名〈原告六名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は第二組合員一名。(七等級二号
俸)を除き全員が七等級四号俸ないし六号俸であったが、原告組合員六名及び第二
組合の女子職員四名を除く全員が同四七年七月までに五等級に昇格した。しかし、
原告組合員六名は右女子職員とともに本件係争期間中に五等級に昇格せず、本訴提
起直後の同四九年七月にはじめて原告P111、同P33を除く原告組合員四名がそれぞ
れ五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告組合員六名を除く男子全員が昭和四五年六
月までに初級管理者に昇任したが、原告組合員六名は第二組合の前記女子職員とと
もに本件係争期間中に昇任しなかった。原告P111、P33を除く原告組合員四名は、
本訴提起直後の同四九年七月に初級管理者に昇任した。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、第二組合の女子職員一名を除く全
員が特昇を受けており、一六名が二回以上特昇を受けていたが、原告六名はこの間
に特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、原告P86、同P7、同P111、同P
33が六等級一〇号俸、原告P66、同P112が同級一一号俸であり、同原告らを除き最
も最終号俸の低い同期同資格入関者は、男子の場合は同級一一号俸であり、女子の
場合は同級八号俸であった(女子職員三名のうち中間位にある者は同級一一号俸で
あった)。
10 昭和三二年度大卒入関者(四名、うち原告組合員一名〈原告一名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は全員が七等級六号俸であった
が、原告P113を除く全員が同四五年七月までに五等級に昇格した。しかし、原告P
113は同四九年一月に至って五等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告を除く全員が昭和四三年一〇月までに初級
管理者に昇任したが、右原告は同四八年七月に初級管理者に昇任した。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、全員が既に二回特昇を受けていた
が、右原告は特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、右原告が五等級九号俸で
あり、同原告を除く他の同期同資格入関者は同級一二号俸であった。
11 昭和三二年度高卒入関者(七名、うち原告組合員二名〈原告一名〉)
(一) 原告組合員P114は、入関資格を異にするので、比較対象から除外すべきで
あるところ、昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は全員が七等級三号俸又は四
号俸であったが、原告P115を除く全員が同四四年一月までに六等級に、同四八年七
月までに五等級にそれぞれ昇格した。しかし、原告P115は同四四年一〇月に六等級
に昇格したが、本件係争期間中には五等級に昇格しなかった。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告を除く全員が昭和四六年六月までに初級管
理者に昇任したが、右原告が初級管理者に昇任したのは本訴提起直後の同四九年七
月であった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、ほとんどが二回以上特昇を受けた
が、右原告は特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、右原告が六等級九号俸で
あり、同原告を除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者は五等級八号俸であっ
た。なお、原告組合員P114の最終号俸は、六等級一二号俸であったが、比較すべき
同資格入関者が見当らない。
12 昭和三三年度高卒入関者(一一名、うち原告組合員四名〈原告三名〉)
(一) 原告P116は、第二組合員の女子職員一名とともに他の職員と入関資格を異
にするので、比較対象から除外されるべきであるところ、昭和四〇年二月当時、同
期同資格入関者は全員が七等級二号俸又は三号俸であったが、原告P8、元原告P
117を除く全員が同四五年七月までに六等級に昇格した(原告P68は右同月に同級に
昇格した)。しかし、元原告P117は同四五年一〇月に、原告P8は同四六年一月
に、それぞれ六等級に昇格した。また、右原告組合員四名を除く全員が同四九年一
月までに五等級に昇格したが、右原告組合員四名は本件係争期間中には五等級に昇
格しなかった。なお、原告P116は同四六年一〇月に六等級に昇格したが、同資格の
第二組合員の女子職員一名との間には、本件係争期間中、特昇がない点は同じであ
るが、昇格に二年三か月の遅れがあり、常に一、二号俸の格差があった。
(二) 同期同資格入関者のうち原告組合員三名(原告P116以外)を除く全員が同
四七年三月までに初級管理者に昇任したが、右原告三名は本件係争期間中には初級
管理者に昇任しなかった(原告P68は本訴提起直後の同四九年七月に初級管理者に
昇任した)。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、全員が特昇を受け、しかもそのほ
とんどが二回以上受けていたが、右原告組合員三名はこの間に特昇を受けたことが
なかった。最終号俸は、原告P116が六等級七号俸、その余の原告が同級八号俸であ
り、右原告四名を除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者は男子の場合は五等級
六号俸であり、女子職員の場合は六等級九号俸であった。
13 昭和三四年度高卒入関者(二〇名、うち原告組合員五名〈原告二名〉)
(一) P87は、原告として本訴を提起した後に原告組合を脱退し、本件訴えを取
り下げたが、本件係争期間中は原告組合員であった。また、P118は、元原告組合員
であったが、昭和四五年に原告組合を脱退した。
 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は原告組合員P119を除く全員が七等級一
号俸ないし三号俸であり、半年近く遅れて入関した右P119は八等級六号俸であった
が、P87を含む原告組合員五名を除く全員が同四六年一〇月までに六等級に昇格し
た。原告組合員五名については、P87が同四六年七月に、原告P69が同年一〇月
に、元原告組合員P120が同四七年一月に、原告P121が同年四月に、原告組合員P
119が同四八年四月にそれぞれ六等級に昇格した。また、右原告組合員を除く同期同
資格入関者のうち、五名が本件係争期間中に五等級に昇格したが、右原告組合員五
名はこの間には全員五等級に昇格しなかった。
(二) 同期同資格入関者のうち右原告組合員五名及びP118を除く男子全員が昭和
四八年七月までに初級管理者に昇任したが、元原告組合員P120はP87及びP118と
ともに本訴提起直後の同四九年七月に初級管理者に昇任したが、その余の原告組合
員三名は本件係争期間中には初級管理者に昇任しなかった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、右原告組合員三名及びP118は特昇
を受けたことがなかったが、その余の全員が特昇を受けていた。最終号俸は、原告
組合員P119が六等級五号俸、原告P121が同級六号俸、元原告組合員P120及び原告
P69が同級七号俸、P87が同級八号俸であり、右原告組合員を除き最も最終号俸の
低い同期同資格入関者はP118(同級七号俸)を除くと同級八号俸であった。
14 昭和三五年度高卒入関者(一六名、うち原告組合員八名〈原告八名〉)
(一) 原告P122は昭和三六年に中級職に合格したので、同期同資格入関者と資格
を異にすることになったが、同原告と同一経歴を持つ同期同資格入関者にP123(同
年中級職合格)がいるところ、同四〇年二月当時、同期同資格入関者は、原告P
72(八等級七号俸)及び同P122(七等級三号俸)を除き全員が八等級六号俸であっ
た。原告P122(同四五年一月に六等級に昇格)を除く全員が同四七年七月までに六
等級に昇格したが、同P72は同年四月に、同P124、同P125及び同P126は同年一〇
月に、同P10及び同P9は同四八年一月に、同P64は同年四月にそれぞれ六等級に昇
格した。また、P123は同年七月に五等級に昇格したが、原告P122は本件係争期間
中に五等級に昇格しなかった。
(二) 同期同資格入関者(P123を含む)のうち右原告八名を除く半数が昭和四八
年七月までに、残り半数が本訴提起直後の同四九年七月までに初級管理者に昇任し
たが、原告八名はいずれも本件係争期間中に初級管理者に昇任せず、原告P122が右
同月に昇任した。
(三) 同期同資格入関者(P123を含む)は、本件係争期間中、原告八名を除く全
員が特昇を受け、そのうち過半数が二回以上特昇を受けたが、原告八名はいずれも
この間に特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、原告P122が六等級九号俸、同
P72が同級七号俸、その余の原告六名が同級六号俸であり、同原告らを除き最も最
終号俸の低い同期同資格入関者は六等級七号俸であった。原告P122と同資格である
が、入関は一年近く遅いP123は、五等級七号俸であった。また、同原告と同期同資
格入関者で昭和三八年に中級職に合格したP127は、同四七年七月に初級管理者に昇
任し、最終号俸は同原告と同じであるが、同四九年七月に五等級に昇格し、本件係
争期間中に四回特昇を受けた(甲二五三の一六)。なお、原告P10については、比
較対象すべき女子職員が同期にはいなかったが、前年に同資格で入関した女子職員
二名は六等級八号俸であった。
15 昭和三六年度高卒入関者(三二名、うち原告組合員一一名〈原告一〇名〉)
(一) 昭和四〇年二月当時、同期同資格入関者は、全員が八等級六号俸であった
が、原告組合員一一名及び第二組合員三名(P128、P129、P130)を除く全員が同
四七年一〇月までに六等級に昇格した。右第二組合員三名及び原告P131、同P
132、同P32、同P133、同P59及び同P134は同四八年四月に、原告P135及び同P
136は同年七月に、原告組合員P137は同年一〇月に、原告P138は同四九年一月にそ
れぞれ六等級に昇格した。
(二) 同期同資格入関者のうち第二組合員八名が本訴提起直後の同四九年七月ま
でに初級管理者に昇任したが、原告組合員一一名は右同月までに初級管理者に昇任
しなかった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、原告組合員一一名を除く全員が特
昇を受け、そのうち半数が二回以上受けているが、原告組合員はこの間に特昇を受
けたことがなかった。最終号俸は、原告P138が六等級四号俸であり、その余の原告
組合員が同級五号俸であり、原告組合員を除き最も最終号俸の低い同期同資格入関
者は六等級六号俸であった。原告P136については、同期同資格入関の女子職員と比
較して昭和四四年一月の時点で既に一号俸低位にあった。なお、原告P89は、その
余の同期同資格入関者らと入関資格を異にし、最終号俸は七等級七号俸であった
が、同資格入関者(女子)の最終号俸は六等級五号俸であった。
16 昭和三七年度高卒入関者(三六名、うち原告組合員九名〈原告八名〉)
(一) 昭和四三年四月当時、同期同資格入関者は全員が七等級一号俸であった。
もっとも、当時、元原告P96、元原告組合員P97及び原告P76はいずれも八等級六
号俸であり、非原告組合員P139、同P140、同P99及び原告P141(入関後に中級試
験に合格した)は七等級二号俸であったが、いずれも資格を異にするので、比較の
対象から除外すべきである。原告組合員を除く全員が同四八年一〇月までに六等級
五号俸以上に格付けされており、原告P141が同四八年七月に、同P142、同P70、
同P47及び原告組合員P98が同四九年四月にそれぞれ六等級に昇格したが、その余
の原告組合員は全員が本件係争期間中には六等級に昇格しなかった。
(二) 同期同資格入関者は、本件係争期間中には初級管理者に昇任した者はいな
かった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、全員が少なくとも一回特昇を受け
たが、原告組合員は、原告P141が政治四八年七月に特昇を受けた以外、この間に特
昇を受けたことがなかった。最終号俸は、原告P141が六等級六号俸、同P12及び同
P11が七等級七号俸、同P76が同級五号俸、その余の原告組合員が六等級四号俸で
あり、原告組合員を除き最も最終号俸の低い同期同資格入関者は六等級五号俸であ
った。なお、原告P141と同資格入関者の最終号俸はいずれも六等級七号俸であっ
た。また、原告P76については、同資格入関者のうちで最も最終号俸の低い者は七
等級六号俸であったが、比較対象すべき女子職員が同期にはいなかった。
17 昭和三八年度高卒入関者(五七名、うち原告組合員二一名〈原告一九名〉)
(一) 昭和四三年四月当時、同期同資格入関者については、元原告組合員P143を
除く原告組合員二〇名を含む全員が八等級六号俸であった。元原告組合員P143は、
当時七等級一号俸であったが、初任給が八等級三号俸で入関資格を異にしていた。
 同期同資格入関者のうち、原告組合員(元原告組合員P143を除く)及び第二組合
員七名を除く全員が同四九年一月までに六等級に格付けされていたが、右第二組合
員七名及び原告組合員は、本件係争期間中に六等級に昇格しなかった。もっとも、
そのうち原告P36、同P35、同P144及び第二組合員三名は、入関時期が六か月以上
遅れていた。
(二) 同期同資格入関者中には、本件係争期間中には初級管理者に昇任した者は
いなかった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、ほとんどが少なくとも一回は特昇
を受けていたが、元原告組合員P143を除く原告組合員全員及び第二組合員六名はこ
の間に特昇を受けたことがなかった。最終号俸は、原告P144が七等級五号俸であ
り、その余の原告らが同級六号俸であり、原告組合員を除き最も最終号俸の低い同
期同資格入関者は七等級六号俸が三、四名いる程度であった。なお、原告P36、同
P145、同P35については、比較対象すべき女子職員が同期にはいなかった。
18 昭和三九年度高卒入関者(五七名、うち原告組合員一八名〈原告一六名〉)
(一) 昭和四四年七月当時、同期同資格入関者はほぼ全員が七等級一号俸(原告
P146、非原告組合員三名は八等級七号俸)であった。しかし、本件係争期間中の最
終号俸は、第二組合員については、一二名が七等級五号俸で、その余の二七名が同
級六号俸以上であるが、原告組合員については、一四名が七等級五号俸で、その余
の四名が同級六号俸であった。
(二) 同期同資格入関者は、本件係争期間中には初級管理者に昇任したものはい
なかった。
(三) 同期同資格入関者は、本件係争期間中、第二組合員についてはその四分の
三の二八名が特昇を受けたが、原告組合員についてはその六分の一が特昇を受けた
にすぎなかった。
三 格差の存在
1 右認定した事実を昇任等実態表に照らして各原告について本件係争期間中の格
差を具体的にみると、以下のとおりである。なお、昇任等実態表及び弁論の全趣旨
によれば、原告らの主張する標準対象者の等級・号俸は、これに対応する各原告と
同期同資格入関者のうち原告組合員及び女子を除いた職員中の概ね半数以上が到達
したものであることが認められる。
(一) 原告P100は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、常
に昇任・昇格・昇給に関して低位の格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較し
てほぼ恒常的に一号俸ないし三号俸程度低く査定され、最終的には二号俸低位に置
かれていた。
(二) 原告P41は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、昇
給に関して常にほぼ同等の査定を受け、昇任・昇格に関して低位の格付けを受け、
原告ら主張の標準号俸と比較して常に一号俸以上低く査定され、最終的には四号俸
程度低位に置かれていた。
(三) 原告P102、同P103、同P46は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い
職員と比較して、昇給に関して当初はほとんど格差がなかったものの次第に昇任・
昇格・昇給に関して低位の格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較してほぼ恒
常的に一号俸ないし三号俸程度低く査定され、最終的には原告P102は二号俸、その
余の原告は三号俸それぞれ低位に置かれた。
(四) 原告P1、同P2、同P3、同P4、同P42は、同期同資格入関者の最も最終
号俸の低い職員と比較して、昇給に関して当初は一、二号俸の格差にすぎなかった
ものの次第に昇格・昇給に関して低位の格付けを受け、原告らの主張の標準号俸と
比較して、常に二号俸ないし四号俸程度低位に置かれていた。ただし、原告P1につ
いては、当初から昇給が一号俸遅れていたうえ、損害額計算表を提出しないから、
右格差はその分だけ少ないものとなる。
(五) 原告P88は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い女子職員と比較し
て、当初は号俸が上位であったが昭和四六年七月からは昇給が遅れ、さらにその後
昇任も遅れ、過半数の女子職員と比較して同四四年以降一号俸以上下位に査定さ
れ、原告ら主張の標準号俸と比較して、常に一号俸以上低く査定され、最終的には
三号俸低位に置かれていた。原告P105は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い
職員と比較して、昇任・昇格・昇給に関して常に低位の格付けを受け、原告ら主張
の標準号俸と比較して恒常的に一号俸以上低く査定され、最終的には二号俸低位に
置かれていた。原告P106は、原告ら主張の標準号俸と比較して、同四二年一〇月こ
ろから常に一号俸以上低く査定され、最終的には二号俸程度低位に置かれたが、同
期同資格入関の女子職員間においてどの程度の格差が存したかは明らかでない。
(六) 原告P91、同P55、同P107、同P92、同P5、同P40は、同期同資格入関
者の最も最終号俸の低い職員と比較して、当初の一年間位は一部が昇給に関して上
位にあったがその後は全員が昇任・昇格・昇給について常に低位の格付けを受け、
原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P92は昭和四五年一月から、同P40は同四
四年七月から、その余の原告は当初から、いずれも恒常的に一号俸以上低く査定さ
れ、最終的には三号俸ないし四号俸程度低位に置かれた。
(七) 原告P108、同P109、同P110は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い
職員と比較して、昇任・昇格・昇給に関して常に低位の格付けを受け、また、原告
P58は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、当初は昇給に関
して上位にあったが昇任・昇格については低く格付けされ、最終的にはほぼ同じ号
俸であった。右原告らは、原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P110は当初か
ら、その余の原告は昭和四二年七月から、いずれも恒常的に一号俸以上低く査定さ
れ、最終的には三、四号俸程度低位に置かれた。
(八) 原告P6、同P90は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い女子職員と比
較して常に上位に査定され、女子職員中の中間位にある者と昇格・昇給について同
等の査定を受けているが、原告ら主張の標準号俸と比較して、常に二号俸以上低く
査定され、最終的には四号俸程度低位に置かれていた。原告P50は、同期同資格入
関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、当初は号俸が上位であったが最終的に
は昇任・昇格・昇給ともに遅れ、原告ら主張の標準号俸と比較して、昭和四四年七
月から恒常的に一号俸以上低く査定され、最終的には四号俸程度低位に置かれた。
(九) 原告P111、同P33は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い女子職員と
比較して、当初は二号俸上位にあった差異がそのまま推移して最終的にも二号俸上
位にあったにすぎず、女子職員中の中間位にある者の号俸と比べると最終的に一号
俸程度下位に査定されていて、原告ら主張の標準号俸と比較して、常に二号俸以上
低く査定され、最終的には四号俸程度低位に置かれていた。原告P66、同P7、同P
86、同P112は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、昇任・昇
格・昇給に関してほぼ同等(原告P66、同P112)又はそれ以下(その余の原告)の
格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較して、ほぼ恒常的に一号俸以上低く査
定され、最終的には四号俸程度低位に置かれた。
(一〇) 原告P113は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、
常に昇任・昇格・昇給に関して低位の格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較
して、恒常的に一号俸以上低く査定され、最終的には四号俸低位に置かれていた。
(一一) 原告P115は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、
常に昇任・昇格・昇給に関して低位の格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較
して、恒常的に一号俸以上低く査定され、最終的には三号俸程度低位に置かれてい
た。
(一二) 原告P68、同P8は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較
して、当初は昇給について上位にあったものの昭和四五年後半から昇給について低
位に査定され、その後昇任・昇格についても低位の格付けを受け、原告ら主張の標
準号俸と比較して、原告P68は同四四年一〇月から、同P8は同四三年一〇月から、
いずれも常に一号俸以上低く査定され、最終的には三号俸程度低位に置かれた。原
告P116は、同期同資格入関者と比較して常に一、二号俸程度低く査定され、原告ら
主張の標準号俸と比較して、同四四年七月から恒常的に一号俸以上低く査定され、
最終的には三号俸低位に置かれた。
(一三) 原告P121、同P69は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比
較して、昭和四六年後半から昇給・昇格について低位に格付けされ、その後は昇任
についても低位に置かれ、原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P121は昭和四四
年一〇月から、同P69は同年七月から、いずれも一号俸低く査定されることが多く
なり、本件係争期間中の最終時点では、原告P121に号俸上の格差はなかったが、同
P69は二号俸低位に置かれた。
(一四) 原告P122は、同じころに中級職に合格した同期同資格入関者の最も最終
号俸の低い職員と比較して、最終的には号俸が同じであったが、昇任が二年遅れ
た。原告P124、同P9、同P125、同P126、同P72、同P64は、同期同資格入関者
の最も最終号俸の低い職員と比較して、昭和四八年後半から昇給・昇格について低
位に格付けされた。右原告らは、原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P122は昭
和四五年七月から、同P124、同P125、同P126は同四四年一月から、同P9は同四
三年一〇月から、同P72は同年七月から、同P64は同四五年一月から、いずれもほ
ぼ恒常的に一号俸以上低く査定され、最終的にはいずれも二号俸低位に置かれた。
原告P10は、原告ら主張の標準号俸と比較して、昭和四二年一〇月からほぼ恒常的
に一号俸以上低く査定され、最終的には二号俸低位に置かれたが、前年に同資格で
入関した女子職員と比較して、一年間程度昇給が遅れていた。
(一五) 原告P131、同P132、同P32、同P133、同P138、同P59、同P134、同
P135は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較して、昭和四七年後半
から昇給・昇格について低位の格付けを受け、原告P136は、同四四年以降同期同資
格入関の女子職員よりも昇給について低位であったところ、原告らの主張の標準号
俸と比較して、原告P135は同四五年一〇月から、その余の原告は同年七月から、い
ずれも常に一号俸以上低く査定され、最終的にはいずれも二号俸低位に置かれた。
原告P89は、同期同資格入関の女子職員と比較して、同四七年後半から昇給・昇格
について低位の格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較して、同四五年七月か
ら常に一号俸以上低く査定され、最終的には二号俸低位に置かれた。
(一六) 原告P11、同P142、同P70、同P12、同P47は、同期同資格入関者の最
も最終号俸の低い職員と比較して、昭和四八年後半から昇給・昇格について低位の
格付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P11、同P12は同四二年七
月から、原告P142、同P70、同P47は同四五年七月から、いずれもほぼ恒常的に一
号俸低く査定された。原告P141は、途中で中級職に合格した同期同資格入関者の最
も最終号俸の低い職員と比較して、同四五年後半から昇給・昇格について低位の格
付けを受け、原告ら主張の標準号俸と比較して、同年七月から常に一号俸低く査定
された。原告P76は、初任給を同じくする同期同資格入関者と比較して、昭和四四
年後半から昇給について低く査定され、原告ら主張の標準号俸と比較して、同年四
月からほぼ恒常的に一号俸低位に置かれたが、女子職員間における格差は明らかで
ない。
(一七) 原告P73、同P38、同P147、同P71、同P37、同P148、同P149、同P
150、同P151、同P34、同P152、同P51、同P153、同P74、同P154、同P144、
同P36、同P145、同P35は、同期同資格入関者の最も最終号俸の低い職員と比較し
て、同等の査定を受けたが、このような査定は非原告組合員においてはその約一割
にすぎず、原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P73は昭和四六年七月から、原
告P154は同四五年一〇月から、原告P144は同四四年四月から、原告P36、同P
145、同P21は同四六年一月から、その余の原告は同四五年七月から、いずれも一号
俸低位に置かれたが、原告P36、同P145、同P21につき女子職員間における格差は
明らかでない。
(一八) その余の原告(原告番号八九番から同一〇四番)は、原告P155と昭和四
一年に中級号俸の決定を受けた同P156を除き、同期同資格入関者のうち号俸の低い
職員と同等の査定を受けたが、その査定は非原告組合員についてはその約三割にす
ぎず、原告ら主張の標準号俸と比較して、原告P146は同四七年一〇月から、原告P
156は同四五年七月から、原告P157は同四八年一月から、その余の原告は同四七年
七月から、いずれも常に一号俸低位に置かれた。
2 右の事実を原告組合員と非原告組合員との総体の比較においてみれば、原告組
合員の本件係争期間中の昇任、昇格及び昇給は、男子の場合についてみると、いず
れも原告組合員がそれ以外の職員のうち最も昇任、昇格及び昇給が遅れている者と
同じ査定を受けていたか、又は、それ以下に格付けされていたか、あるいは下位約
三割の者と同じ低位に置かれていた状況にあったものということができる。これを
女子に限ってみると、女子職員を除いた同期同資格入関者と比較して昇任、昇格及
び昇給のすべてに格差があるが、女子職員間で比較してみると、昇任、昇格及び昇
給が遅れていたか、又は、平均以下に格付けされていた状況にあったものというこ
とができる者が約半数あり、同期同資格者との比較対象資料ないしこれに代わる資
料にも欠け、その格差の存在を認めることはできない者、原告ら主張の標準号俸と
比較して格差が生じていたといえるが、同期同資格入関の女子職員と比較して特に
下位に格付けされていたものとはいえない者、原告ら主張の標準号俸と比較して格
差が生じていたといえるが、比較対象すべき同期同資格入関の女子職員に欠けるた
め、その女子間の格差の存在は明らかとならない者、また、同期同資格入関者との
比較対象資料に欠けるが、同じ俸給表の適用を受ける同期同資格入関者と比較して
昇格及び昇給において劣位の査定を受け、昇任、昇格及び昇給に格差が生じていた
ものということができるものの、比較対象すべき同期同資格入関の女子職員に欠け
るため、その女子間の格差の存在は明らかとならない者等をあわせて約半数あった
ものということができる。
 そうすると、各原告と原告組合に所属しない同期同資格入関者との間には、原告
ら主張の標準号俸と比較して前記資料の正確性を考慮においても、昇任、昇格及び
昇給について格差があることが明らかであるというべきところ、その格差は、前記
1に示したとおり、入関年次の古い者ほど大きく、また、女子間より男子間の方が
大きいものということができる。
 そして、本件係争期間に直近の昭和三八年度及び同三九年度各高卒入関者を除く
各原告に限ってみれば、原告組合に所属しない同期同資格入関者のうち、最も昇
任、昇格及び昇給が遅れている者と比較して、男子の場合はそれよりも低い査定を
受け、女子の場合はそれとほぼ同じ査定を受けていたか、又は、それ以下に格付け
されていたものということができ、集団的、全体的にみて、原告組合員と非原告組
合員との間に有意の格差があったものということができる。
第二 争点二(違法性)について
一 昇任、昇格及び昇給の査定基準
1 昇任、昇格及び昇給制度の趣旨、内容については、第二章の第二(争いのない
事実等)の二(昇任、昇格、昇給の法的仕組み)に判示したとおりである。
 右事実によれば、国家公務員の任用及び給与制度の趣旨、内容からすると、昇
任、昇格及び昇給については、次のとおり、職員各自の能力、適性、勤務実績等を
総合的に勘案して、合目的的に決定すべき性質のものであるから、任命権者たる東
京税関長の裁量に任されているものと解すべきである。
(一) 昇任は、昇任すべき上位の官職の欠員の有無、当該職員の知識・能力・適
性、過去の勤務実績等を総合して、昇任に適する対象者を選定するものである。
(二) 昇格は、昇格すべき上位の等級の欠員の有無、当該職員の知識・能力・適
性、過去の勤務実績等を総合して、職務の内容がより複雑、困難で、責任の程度の
より大きい上位の等級に昇格させるのが適当である対象者を選定するものである。
(三) 定昇は、定数枠の制約はないものの、一二か月を下らない期間を勤務した
職員のうち、この期間を良好な成績で勤務したものを必ず昇給させなければならな
いものではなく、昇給させることが相当であると判断された者を対象とする。
(四) 特昇は、所定の定数の枠内で、当該職員の知識・能力・適性・性格、過去
の勤務実績等を総合して、勤務成績が特に優秀である者の中から、昇給させること
が相当であると判断された者を対象とする。
2 この点に関し原告らは、東京税関においては、昇任、昇格及び昇給について、
組合分裂前は、画一的な成績主義ではなく、年功序列的な運用がされてきた実態に
あった旨を主張する。
(一) 証拠(甲二二七の一ないし一〇、甲二四八の一ないし九、甲二四九、甲二
五〇の一ないし九、甲二五二の一ないし二〇、甲二五四、原告P2)によれば、次の
事実が認められる。
(1) 本件係争期間中、高校卒入関者の場合、年度による若干の差異はあるもの
の、初級管理者については、六等級六号俸ないし八号俸、在職年数一三年ないし一
五年、六等級在級年数一、二年で順番に昇任していることが多く、また、昇格につ
いては、六等級九号俸ないし一一号俸、在職年数一四年ないし一六年、六等級在級
年数四年ないし六年で五等級に順番に昇格していたことが多いが、原告組合員につ
いては、六等級一三号俸ないし一五号俸、在職年数二〇年前後、六等級在級年数
七、八年で順番に昇任していた者が多く、また、六等級一二号俸ないし一六号俸、
在職年数一八年ないし二〇年、六等級在級年数八年ないし一二年で五等級に順番に
昇格していたことが多かった。これを昭和四〇年四月時点でみると、その当時の初
級管理者は同三八年から同四〇年にかけて昇任した者がほとんどであり、右とほぼ
同じ取扱いによって昇任、昇格していた。
(2) 定昇については、従来から、ほとんどが一年に一回の割合で定期的に行わ
れていた。特昇については、組合分裂前は、任用から概ね七年を経過した段階から
ほぼ七年間隔で、順送りに行われていたが、本件係争期間中は、第二組合員につい
てはほぼ輪番制で七、八年に一回の割合で行われていた一方、原告組合員について
は第二組合員より数年遅れて同じくほぼ輪番制で行われていた。
(3) もっとも、同期同資格入関者であっても、昇任、昇格及び特昇について
は、男女間の格差があり、また、原告組合員及び第二組合員のいずれにおいても、
初級管理者への昇任時期、五等級への昇格時期、特昇時期について、少なからずば
らつきがあった。
(二) 右事実と昇任等実態表を照らし合せると、同期同資格入関者の昇任、昇格
及び特昇については、必ずしも常に経験年数によってのみ一律に実施されてきたと
いうことはできないが、高位昇任・等級は別として、組合分裂前では男女同性間に
おいてほぼ均一に処遇する年功序列的運用がなされ、また、本件係争期間中では、
男女同性間という枠内で、原告組合員及び第二組合員のそれぞれの間において、ほ
ぼ均一に処遇する年功序列的運用がなされていたことが窺われる。
(三) しかしながら、国家公務員の昇任、昇格及び昇給については、前記のとお
り、職員各自の能力、適性、勤務実績等を総合的に勘案して、合目的的に決定すべ
き性質のものであるから、これについて、年功序列的運用がされていたからといっ
て、今後ともこれに拘束されなければならないという理由はなく、その時々の組織
の管理運営の必要性に応じ、東京税関長の裁量により、いずれを重視するかを決定
することができるものというべきである。
二 昇任、昇格及び昇給の裁量権の限界
1 右のとおり、昇任、昇格及び昇給をさせるかどうかの判断は、人規で定められ
た資格要件による制約の範囲内で、任命権者の裁量に属するものであるが、右裁量
権が、国公法二七条の平等取扱いの原則、同法一〇八条の七の不利益取扱禁止の原
則に違反して、原告組合に所属することを理由として行使されたときは、原告組合
員を昇任、昇格及び昇給をさせなかったことが原告組合員の昇任、昇格及び昇給に
関する法律上の利益を侵害するものとして不法行為を構成するとともに、原告組合
との関係においても、その団結権を侵害するものとして不法行為が成立するものと
いうべきである。
2 被告は、昇任、昇格及び昇給をさせるべきかどうかの判断が裁量行為である以
上、任命権者に昇任、昇格及び昇給をさせるべき作為義務はないとして、その不作
為が裁量権濫用として違法となることはない旨主張する。
 しかし、特定の時期において、能力、適性、勤務成績等に差がないにもかかわら
ず、原告組合に所属していることを理由として昇任、昇格及び昇給について不利益
な取扱いをすることが法律上許されないものである以上、原告組合員と在職年数、
経験年数、在級年数を同じくする原告組合に所属しない職員と昇任、昇格及び昇給
の取扱いを均一にしなければならない義務があるものと解され、これに反した取扱
いをした場合には裁量権の濫用となるものといわなければならない。
3 もっとも、昇任、昇格及び昇給の制度が当該職員の能力、適性や勤務成績を反
映させるものとなっている以上、原告組合員が他の非原告組合員に比べて昇任、昇
格及び昇給において差別扱いを受けたといえるためには、その差別扱いを受けたと
する特定の査定時期において、当該組合員について、比較の対象とされた非原告組
合員との間で勤務実績や能力等に差がないことが個別的、具体的に立証されなけれ
ばならないのであって、成績主義を基本原則とする任用及び給与制度のもとにおい
ては、入関資格や経験年数が同じであっても、年数を経るに従って勤務実績ないし
その評価に影響を及ぼす事情に相応した格差が生じることになるのは当然のことで
あり、単に原告組合員と同期同資格入関者たる非原告組合員との間に、集団として
対比してみると、昇任、昇格及び昇給の格差が存在していることから、直ちに各原
告について、原告組合員であることを理由とする差別扱いがされたということはで
きない。
第三 争点三の1(税関会議議事録、本省会議資料の成立・内容)について
一 税関会議議事録
1 文書の成立
(一) 原告らは、東京税関で昭和四二年から同四七年に開かれた幹部会議、部長
会議、部課署所長会議の議事録として、当審に甲三三三から同三六一を提出した。
(二) 右甲号各証の文書は、その入手経路を明らかにするに足りる証拠はない
が、文書の形式、「人事極秘」「人事秘」又は「取扱注意」の赤印、取扱基準印、
氏名の筆跡の形状、閲覧印及び記載内容に照らし、東京税関当局が各文書に記載さ
れた年月日に開かれた幹部会議、部長会議等各種会議の議事録として作成したもの
であると認めることができ、成立及び記載内容について特段の反証がないことに鑑
みると、右文書を東京税関作成のものとして本件の事実認定の資料とすることがで
きるものというべきである。
2 東京税関における幹部会議等の内容
 右甲号各証によれば、昭和四二年に開かれた東京税関の幹部会議等において、関
税業務、人事政策、労務対策等について協議したことが認められ、全税関に関する
内容として、以下の事実が認められる。
(一) 昭和四二年九月一一日に開催された東京税関の幹部会議の議事録には、東
京税関長が、税関長会議の結果として、「旧労古手の対策としてある税関長が専門
官の設置の意見を出したが、本省から甘い考えだと批判された。」「旧労対策には
官は懸命にやっているが、もっと大事なことは新労を強くすることであると官房長
に云っておいた。」と説明したとの記載がある(甲三三五の一)。
 右記載によれば、東京税関長が、この会議に先立って開かれた全国税関長会議と
いう関税局最高幹部が出席する会議の結果について、右記載のとおり東京税関の幹
部に説明したものであるということができ、これによれば、右説明は、東京税関長
の個人的意見を表明したものにすぎないと断ずることはできない性質の内容であ
り、関税局自体が右説明を容認していたものと推認することができる。このような
発言がされたことは、後記第四の一(原告組合の活動と分裂)に認定の事実の経緯
に鑑みれば、関税局及び東京税関当局が、原告組合を含む全税関対策として、一般
的に、全税関を嫌悪し、新しく組織された第二組合の税関労を好ましい組合として
育成する方針をとっていたことを裏付ける事実の一つであるというべきである。
(二) 昭和四二年四月一一日開催された東京税関の部長会議の議事録には、総務
部長会議の結果として、開税局のP82総務課長が、労務問題について、「本省は同
盟の線で行くべきだとの意見であれば、誰もが納得ゆく明解な論理を展開のうえ打
ち出すべきであって、ただ神戸を讃え東京を批判する書き方に一言意見を述べてお
いた。公務員労働組合に対しての管理者の温かい配慮の必要性、信賞必罰の実行の
必要を明記すべきであり、現在の本省指針はあまり技術的なことのみを示している
旨の批判を述べておいた。労務対策は各関一律のやり方を強いるのはおかしいし、
数をもって批判するのもおかしいと指摘しておいた。」「大蔵職組の中の一部には
容共的行動もあり、その中に税関労組が入っていることは危険であり、大蔵職組へ
の単なる付き合いとはいえ情勢は変化しつつあるので、その点について当関の幹部
職員は注意してほしいと要望された。東京税関の幹部の基本路線はどうなのかとき
つい質問があった。」と発言したとの記載がある(甲三四〇の一)。
 右記載によれば、開税局の総務課長が、右会議に先立って開かれた関税局主催の
総務部長会議の結果について、右記載のとおり東京税関の各部長に説明したもので
あるということができ、これによると、右発言は、開税局が各税関の個別事情を考
慮しないで一律に同盟に加入する方向で労務対策を行なっていることに対して総務
課長の立場で批判を表明したこと、あるいは、関税局が運動方針を危険視している
原告組合に対する東京税関幹部の漫然とした基本路線に不満を表明していたもので
あることを認めることができる。このような発言がされたことは、原告組合を含む
全税関に対する東京税関の労務政策が関税局の指示に従ってされていたことを示し
ているものと窺われる。
 また、右議事録には、総務部長が「昇給昇格については八等級から七等級への昇
格の場合差別をつけることについて、当関と神戸は矯正措置があった者に対しての
み慎重にやるべきだとの意見であったが、横浜は当然やるべきだとの意見だった。
矯正措置を受けただけでは必ずしも成績不良と判定するのは問題だから、成績不良
の事実を逐一記録にとっておく必要があるとの意見があった。この問題は大蔵省全
体として検討のうえ慎重に実施すべきであると意見を述べておいた。」と発言した
との記載がある(甲三四〇の一)。
 右記載によれば、東京税関の総務部長が、矯正措置を受けた職員を昇給昇格にお
いてどう扱うかについて、右のとおりの意見を表明したことを認めることができ、
これによると、昇給昇格の運用問題としての成績不良の判定基準について、関税局
がその主催する総務部長会議を介して各税関の意見を組織的に聞いていたものとい
うことができる。
(三) 昭和四二年八月一六日に開催された東京税関の幹部会議の議事録には、水
泳大会について、「本省の考え方では旧労選手でも名選手がいる場合二~三名入れ
るのはやむを得ないとの回答だ。」「本省の質問は旧労参加の実害についてであっ
た。レクレーション問題について、時間をかけて検討する必要がある。」と、ま
た、総務課長が「差別してもよいのではないか」とそれぞれ発言したとの記載があ
り、これに対応した右欄には、「最終的に旧労四、五名でもよかろう」「今回は四
名の旧労を入れたまま締め切ることとする」との会議結果の記載がある(甲三三三
の二)。
 右記載を後記第四の八5(水泳大会の選手選考について)に認定の事実に照して
みれば、東京税関の幹部会議において、同税関が幹事庁として開催する全国水泳大
会に全税関組合員を出場させることについて、右記載のとおり意見が表明され、こ
の意見に従って全税関組合員の出場人数が決められたことを認めることができ、こ
れによると、全税関組合員は関税局の承認なしには関税局の関与するレクリエーシ
ョンに参加することができず、関税局は、全税関対策の一つとして、全税関組合員
の参加を他の職員と差別して制限する目的を有していたものといわざるを得ない。
(四) 昭和四三年七月一七日に開催された東京税関の幹部会議の議事録には、密
輸検挙者の表彰について、「表彰基準について対象者が、(1)特定の組合に所属
していること、(2)その者のそこにおける程度の如何を問題として」との議題に
ついて、税関長が「永年勤続表彰は永年勤続プラス特別功労になってはいても、永
年勤続だけで表彰しているのだから、密輸の方もそのこと単独でやってよいと思
う。大臣表彰であろうと税関長表彰であろうと、表彰に対する思想、基準は統一し
ておくべきだ。」と、総務部長が「所属組合によって扱いを異にするのは奇異だ。
検討中ということで保留し、十分調査し意見を固めたほうがよい。」と、羽田支署
長が「表彰基準を変えることはよくないし、私意に流れて決めるのもおかしい。保
留するという点については、むしろ表彰のあるべき姿を本省に上げ説得し、先制攻
撃をかけるべきだ。」と、さらに総務部長が「表彰についての他関、他省庁の客観
的資料を準備、検討し、理論武装してあたるのがよいので、当関の意見をいきなり
ぶつけるよりも、勝てそうになるまで準備して待つということだ。」とそれぞれ発
言したとの記載があり、決定として、「客観的資料を多く集め、総務部長と羽田支
署長が協議すること。それまで表彰見送る。」との記載がある(甲三五二)。
 また、右同日付の「第二四回密輸検挙者表彰について」と題する書面には、「羽
田支署長旅具担当職員については、その職場の実態を考慮して、かつ、好ましくな
い職員を排除するため、上記の功績得点が一〇点以上の場合でも、評定期間中にお
ける当該職場における平均摘発件数(摘発件数÷旅具担当全職員数)以下、または
これに近接する件数の場合は除外した。」との記載があり、「結果」として、
「(1)予備審査における評定の結果、別紙(1)のとおり、内申人員六三名のう
ち、四二名が表彰の対象となった。(2)好ましくない職員、七名が内申されてい
たが、そのうち一名(P84)が表彰の対象になった。」との記載があり、欄外には
「全部見送り」との記載がある(甲三五三の二)。
 右各記載によれば、東京税関の幹部会議において、密輸検挙者の表彰について、
税関長をはじめとする幹部が、全税関組合員を表彰対象者に含めることの当否に関
して、右各記載のとおり意見を表明したことが認められ、これによると、全税関組
合員に対する右表彰について、東京税関が、関税局の意向を受けながら関税局と一
体となって、組織的・継続的に全税関組合員を排除する意思を示していたものとい
うことができる。
(五) 昭和四二年九月二七日に開かれた東京税関の幹部会議の議事録には、レク
リエーション活動について、監察官が「音楽隊は旧労分子の活動の場となってしま
ったので解散した。」と、厚生課長が「新設を検討したい。」「新職員の希望調査
をしたが、演劇とコーラスをやりたいとの希望が多い。しかし、現在のサークルは
旧労分子が中心で活動しているので、二部制として、新しい演劇コーラスのサーク
ルを結成させることが必要と思う。」とそれぞれ発言したとの記載があり、右厚生
課長発言欄の右横に「決定」との記載がある(甲三三六の四)。また、右当日に配
布されたものと認められる「記」と題する書面には、レクリーダーのあり方につい
て、「旧労職員に対しては、レクリーダーは何ら積極的に直接に接触しないように
する。」との記載があり、サークル活動について、「(1)サークル部門の新、旧
の構成比から見て、これを基盤としたレク行事には危険が伴う。具体的にいえば、
文化活動については、官として積極的に取り組まない(例 コーラス、油絵、華
道、演劇)、(2)したがって、官として取り組むなら体育部門乃至はレジャー的
なものとする。例えば、登山、バーベキュー、釣、のようなものとし、かつ、新労
の若年層対策に主眼をおく。」との記載がある(甲三三六の二)。
 右記載によれば、東京税関の幹部会議において、レクリエーション活動及びレク
リーダーのあり方として、右のとおりの対応をとることが望ましいものとして受け
入れられたことが認められる。これによると、東京税関当局は、一体となって、全
税関の影響力を弱める目的で、全税関組合員がレクリエーション活動で新入職員そ
の他の職員と接触する機会を少なくするため、全税関組合員をレクリエーション活
動から排除し孤立化する政策をとる意思を有していたことが明らかである。
(六) 昭和四二年三月三〇日に開催された東京税関の部長会議の議事録には、新
入職員の受入行事について、研修課長が「入関式に旧労がビラを配布するから、研
修教室に入場の際に回収したい。」と発言したとの記載がある(甲三三九の二)。
 右記載と後記第四の三2(一)(新入職員の隔離政策)の認定事実に照らしてみ
れば、東京税関の部長会議において、新入職員が全税関のビラの影響を受けないよ
うにするために、研修課長が右のとおりの対策を報告したことが認められる。この
事実は、東京税関当局が新入職員を全税関に加入させない政策を遂行する意思を持
っていたことを示すものである。
(七) 昭和四二年五月一日に開催された東京税関の部長会議において配布された
ものと認められる資料には、「当関は、先の総務部長会議において示した方針のと
おり、公務員倫理、服務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることの理
由により、警務関係の職場に優先配置を計画している。しかしながら、三五名の新
職員を全員警務関係に配置することは、警務関係の定員及び職員構成等から考えて
難しい。したがって、一部新職員については、旧労職員の影響等を考慮して配置す
る方針である。」との記載がある(甲三四三の一、二)。
 右記載によれば、右部長会議において新入職員の職場配置について右のとおりの
方針が説明されたことを認めることができ、これによると、東京税関当局は新入職
員を全税関組合員から隔離する対策をとる必要があるとの考えを持っていたものと
みることができる。
二 本省会議資料
1 文書の成立
(一) 原告らは、昭和五八年九月から同六一年四月までに大蔵省関税局が主催し
て開かれた税関長会議、税関総務部長会議、税関人事課長会議の資料として、当審
に甲三二八から三三二(甲三三二は原本に代えて写し)を提出した。
(二) 右のうち、甲三二八から三三一の文書については、その入手経路を明らか
にするに足りる証拠はないが、文書の形式、取扱基準印及び記載内容に照らし、関
税局が各文書に記載された年月に開かれた税関長会議、税関総務部長会議の資料と
して作成したものであると認めることができ、成立及び記載内容について特段の反
証がないことに鑑みると、右文書を関税局作成のものとして本件の事実認定の資料
とすることができるものというべきである。
(三) 甲三三二について検討する。
(1) 甲三三二の一は、「人事課長会議の開催及び議題について」と題する一体
の四葉の文書であり、同文書には、「1 開催予定等 (1)開催日 六一・四・
一〇(木)全体会議(於本館第一会議室)四・一一(金)個別協議(於本館第二会
議室)(2)出席者 各税関人事課長及び担当官 東京、横浜、神戸、大阪税関人
事専門官」「2 議題(案)〔全体会議〕」(以下略)と記載されていることが認
められる。右文書の形式及び記載内容に照らすと、この入手経路を明らかにするに
足りる証拠はないが、これに対応する関税局作成の文書が存在することを認めるこ
とができる。
(2) 甲三三二の二は、「議題3 特定職員の上席官昇任及び七級格付等につい
て」と題する一体の二葉の文書であり、「先般の総務部長会議における討議を踏ま
え、六一年度の上席官昇任及び七級昇格基準等について討議する。」との書き出し
で、「(1)上席官昇任」「(2)七級格付」「(3)四、五、六級格付」の各見
出しのもとに、各討議事項の記載があることが認められる。
 甲三三二の二は、二葉からなっているが、二葉目の「(3)四、五、六級格付」
欄記載部分以下は、それ以外の部分とは筆跡が明らかに異なるうえ(もっとも、甲
三三一、三三二によれば、関税局作成の会議資料は、一体として作成されたもので
あっても、必ずしも同一筆跡で記載されているとは限らないことが看取できる)、
一葉目の冒頭に記載された議題内容との関連性に乏しく、また、直前部分との間に
用紙の罫線に連続性を欠いていることが看取できるのであり、しかも、二葉目の欄
外の下には「大蔵省」と印刷されているのに対して、一葉目の該当部分にはその印
刷がない。したがって、一葉目及び二葉目の「(2)七級格付」記載部分と二葉目
の「(3)四、五、六級格付」記載部分とはその一体性に合理的な疑いが残るもの
といわざるを得ないところ、その入手経路を明らかにするに足りる証拠は見当たら
ないものの、一葉目及び二葉目の「(2)七級格付」記載部分は、その形式及び記
載内容に照らし、関税局が昭和六一年三月三一日に作成したものであると推認する
ことができるから、これに対する文書の存在を認めることができる。しかし、右二
葉目の「(3)四、五、六級格付」記載部分については、一葉目と一体のものとし
て関税局作成の文書の存在を認めることはできないというべきである。
(3) 甲三三二の三は、「(参考)総務部長会議(六一・三・一九)の討議概
要」と題する一葉の文書であり、「議題 特定職員の上席官昇任及び七級格付につ
いて」との書き出しで始まるものであることが認められる。
 右文書の形式及び記載内容に照らすと、その入手経路を明らかにするに足りる証
拠はないが、これに対応する関税局作成の文書が存在することを認めることができ
る。
(4) 甲三三二の四は、「昭和六〇年度(第二回)総務部長会議討議概要」と題
する一体の三葉の文書であり、同文書には、「1 退職勧奨実施状況について」
「2 新俸給表への切替え結果について」「3 六一年度人事異動の留意事項につ
いて」「人事異動実施上の問題点について」の各見出しのもとに、説明・意見が記
載されていることが認められる。
 右文書の形式及び記載内容に照らすと、この入手経路を明らかにするに足りる証
拠はないが、これに対応する関税局作成の文書が存在することを認めることができ
る。
2 税関長会議、総務部長会議、人事課長会議の内容
 右甲号各証によれば、関税局は、昭和五八年九月に税関長会議を、同年一〇月に
税関総務部長会議を、同五九年二月に税関長会議を、同年三月に税関総務部長会議
をそれぞれ主催し、当面の人事管理上の諸問題について討議したこと、同六一年三
月一九日に税関総務部長会議を、同年四月一〇日、一一日に人事課長会議をそれぞ
れ主催し、各記載のとおり討議し又は討議事項としたことが認められ、全税関に関
する内容として、以下の事実が認められる。
(一) 昭和六一年三月一九日の総務部長会議において、特定職員の上席官昇任及
び七級格付について討議されたが、その概要として、甲三三二の三には、「(1)
俸給表の一一級制移行により、七級昇格の足がかりとして今後上席官要求が強まろ
う。(2)上席官の昇任については、特定の職員の五〇歳以上のほとんどは資格基
準表の要件を満たしており、また、一般職員の上席官への任用及び職場での上席官
の運用実態ならびに特定職員の年齢構成等から、現状(六〇年 任用六人 占有ポ
スト九)程度では対内・外ともに説明が難しい。
(3)仮に、欠格条項に該当するものを除く全員を昇格させたとしても、占有ポス
ト数は七〇名から八〇名くらいであり、全上席官数の一割にも満たないので上席官
任用は可能であるとする考え方と、一般職員との均衡上(上席官未昇任者の存在)
及び特定職員に対する上席官運用の継続性からも少なくとも二〇年次を中心とする
年齢構成については、上席官昇任にあたって絞りをかけ選考すべきであるとする考
え方があった。(4)七級昇格については、七級は従来の四等級でもあり、上席官
は基本的には七級であるという職員感情から上席官であれば退職時までには七級に
格付すべきであるという考え方と一般職員との均衡(一般の上席官がすべて退職時
までに七級に格付されるとは限らない。)から選考を行なうべきであるとする考え
方があった。」と記載されている。
 他方、関税局が昭和六一年三月三一日付で作成した「特定職員の上席官昇任及び
七級格付等」についての討議資料として、甲三三二の二には、「(1)上席官昇任
 ①上席官の昇任は、欠格条項に該当するもの以外はその全員を昇任させるとする
考え方、他方、一般職員でも専門官のままでの退職があり得る現状においては、昇
任時に選考を行なうべきであるとする考え方がある。これらの考え方についてどう
か。②上席官昇任の選考対象は年齢、在級とも若干前広に選考すべきであるとの考
え方もあるが、あまり昇任時の年齢を下げると選考対象が著しく増加すること、退
職時までの配置ポストとの絡み(経験させるポスト数)、八級昇格への期待感が増
幅等が考えられるところから、前年度基準(五五歳かつ在級六年)のままで運用す
ることについてはどうか。③上記①前段の考え方を踏まえ、任用数は、六〇年度の
任用数(六人、占有九ポスト)の五割増程度(九人~一〇人、占有一五~一六ポス
ト)とすることはどうか。仮に、特定職員の年齢構成等からみてさらに増やすとし
た場合、任用数の上限はどの程度が適当と考えられるか。④選考基準及び任用数等
について、上記以外の意見があれば、あらかじめ報告を求め討議する。(2)七級
格付 ①一般職員の昇格との均衡上、上席官在任二年以上の者とすることについて
はどうか。この場合上席官昇格の上限年齢をどのように考えるか。②在任期間に関
係なく退職前一~二年前に昇格させることにしてはどうか。」と記載されている。
そして、関税局が作成した「昭和六〇年度(第二回)総務部長会議討議概要」と題
する文書には、「4 人事異動実施上の問題点について」の項目中に「(2)上席
官昇任及び七級昇格 ①当局から図表で示した上席官昇任及び七級昇格の運用の姿
に対しては、各税関とも、『現状では妥当な姿である。』との意見であった。②
(特定職員関係…別途連絡)」「(3) 5級及び6級昇格(別途連絡)」と記載
されている(甲三三二の四)。
 また、関税局が昭和六一年四月一〇日に主催した税関人事課長会議について、甲
三三二の一には、「議題4 特定職員の上席官昇任及び七級昇格について」と記載
され、討議内容は「(別紙)」と記載されている。
(二) 甲三三二の一ないし四の各関税局作成文書中に記載されている「特定職
員」「一般職員」の意味について検討すると、甲三七九の三によれば、昭和六〇年
七月一日に上席官に昇任した全税関組合員は、P158、P4、P159、P160、P161、
P162の六名であり、同日現在で上席官に在職中だったP39、P163、P164の三名の
全税関組合員と合わせると、全税関組合員である上席官は合計九名となることが認
められるところ、甲三三二の一、二に記載されている「特定職員」に関する「六〇
年任用六人・占有ポスト九」とは、同六〇年の新たな上席官への任用者が六人で、
上席者の占用ポストが累計で九となる意味であるから、この条件を満足する職員を
特定するものとしては、全税関組合員をおいてほかにはないというべきである。そ
ればかりでなく、甲三七九の七によれば、昭和六一年当時、五〇歳以上でかつ在級
六年の資格を有する全税関組合員は合計八一名であったことが認められ、「特定職
員」に関する甲三三二の三中の「昇格させたとしても占有ポスト数は七〇名から八
〇名くらい」との記載とほぼ符合することからみて、「特定職員」とは関税局ない
し税関内部で全税関組合員を呼称する際に使用されていたものであるといわざるを
得ない。そして、「一般職員」とは、その記載からみて、全税関に所属しない職員
を意味するものであるということができる。
(三) 甲三三二の一ないし四によれば、関税局は、昭和六〇年度の時点におい
て、全税関組合員の上席官昇任につき、その昇任資格として年齢五五歳かつ在級六
年という資格基準を設定し、一般職員には全税関組合員の五〇歳以上のほとんどが
要件を満たす資格基準によって上席官の昇任を運用していたが、同六一年度の上席
官昇任の人事方針を決定するに当たり、全税関組合員とそれ以外の一般職員との間
の上席官昇任の格差があまりにも拡大し、合理的な説明が困難になったため、一般
職員との格差の存在自体は維持しながらもこれを縮小する方針でその資格基準につ
いて討議したこと、また、七級昇格についても、全税関組合員については一般職員
とは別の昇格基準を設ける必要があるとの方針のもとに、その内容を討議したこと
が認められる。なお、甲三三二の四によれば、同六〇年度総務部長会議において、
全税関組合員の五級及び六級昇格について、関税局からなんらかの連絡があったこ
とを推認することができるが、一般職員と差別された昇格基準を設定することが討
議されたものと確認するには至らない。
三 東京税関及び関税局の労務政策
1 税関会議議事録に関する前記認定事実によれば、東京税関は、昭和四二年から
同四七年にかけて、その主催する幹部会議等を通じて、全税関ないしその組合員を
敵視し、嫌悪する意思をもって労務政策を実施していたものと認めることができ、
右事情のもとにおいて本省会議資料を照らし合せると、東京税関の全税関に対する
労務政策は少なくとも本件係争期間中継続していたものと推認することができる。
2 本省会議資料に関する前記認定事実によれば、関税局は、昭和六〇年度の時点
で、少なくとも上席官昇任、七級昇格について全税関組合員に対し差別基準を設定
していたこと、右基準が従前からの継続性を有するものであったこと及び全税関組
合員とそれ以外の一般職員との間に拡大した格差が同六〇年度以前からの差別基準
の蓄積によるものであることが認められ、右事実からみて、本件係争期間中におい
ても、昇任、昇格及び昇給につき、全税関組合員に対してそれ以外の一般職員とは
別の差別基準が設定されていたことを容易に推認することができる。
第四 争点三の2(差別行為)について
一 原告組合の活動と分裂
1 全税関労組の活動
 証拠(甲一ないし三、五ないし八、一七、一八、三三、五〇、乙三ないし五、二
一六一、原告P3)によると、次の事実が認められる。
 税関は、昭和二一年六月、横浜、神戸、大阪、名古屋、門司、函館において、戦
争中閉鎖されていた税関業務を再開した。全税関は、翌年一一月一一日、税関に勤
務する公務員労働者の単一体の全国組織として結成された。当初、全税関は、労働
条件の改善の要求を中心とした活動をしていたが、同三三年、全国労働組合総評議
会(総評)に加盟し、同三四年には日本国家公務員労働組合共闘会議の結成に参加
したのちは、同三三年の「警職法導入反対」(総評等によって結成された警職法改
悪反対国民会議の統一行動)、同三五年の「安保条約改定阻止」(公務員労働組合
共闘会議の統一行動)の各反対闘争に積極的に参加し、エリコン陸揚げ阻止、サイ
ド・ワインダー陸揚げ阻止の闘争を決議するなど、政治闘争に積極的に参加するよ
うになった。
 これに対し、税関当局は、昭和三四年末、全税関が「年末年始休暇完全消化運動
にご協力かた要請」と題する文書を通関業者に対して配付したことによって税関の
信用を著しく失墜せしめたことを理由に、全税関本部委員長及び神戸支部長をそれ
ぞれ訓告処分に、また、同三五年七月、勤務時間に食い込む職場集会をあおり、そ
そのかしたことを理由に、全税関本部書記長、神戸支部長以下執行委員一四名、横
浜支部長以下執行委員七名に対し、減給若しくは戒告処分、同年七月一六日、右両
部のその他の組合員一三名を一時間の賃金カットの処分をした。さらに、神戸税関
当局は、同三六年八月一九日の抗議行動、同年一〇月五日の勤務時間内職場集会及
び庁内デモ、同月二六日の勤務時間内職場集会をそれぞれ指導したこと、通関業務
の処理を妨害したこと等を理由に、同年一二月、全税関神戸支部の支部長、書記
長、組織部長を懲戒免職処分にした(なお、右神戸支部長他二名に対する懲戒免職
処分については、その取消を求める行政訴訟が提起されたが、最高裁判所におい
て、同五二年一二月二〇日、右処分を適法とする判決が確定した。)。
 その後、当局が免職された者を抱えた組合とは交渉できないとして全税関神戸支
部との団体交渉を拒否したこともあり、全税関神戸支部の執行部に対する批判派が
台頭し、同三八年三月九日に神戸税関で、翌年五月九日には横浜税関で、それぞれ
第二組合の税関労が結成されるなどして、同四〇年八月六日には全国八税関に税関
労が結成され、全税関の各支部はそれぞれ分裂し、翌四一年九月各税関労は、税関
労働組合連絡協議会を発足させた。
2 原告組合の活動
 証拠(甲一、五、三四、五〇ないし五二、五四、五六、五七、五九、六一ないし
六四、六七、六九、七三、七四、七九、二一一ないし二一三、乙一ないし三、六、
八、乙九の一ないし五、乙一〇、一一、一七ないし一九、二一ないし二六、三五な
いし三九、五五、三八〇、二一五二、二一五六ないし二一五九、証人P165、原告P
55、同P3)によると、以下(一)ないし(三)の事実が認められる。
(一) 昭和三三年までの原告組合の活動
 横浜税関東京出張所は、昭和二一年六月、職員数二九名で業務を再開し、翌二二
年五月、横浜税関東京支署となった。その後、同二五年の民間貿易の全面再開、朝
鮮動乱による特需景気以来、東京港、羽田空港の需要が増大し、横浜税関東京支署
の税関業務量は著しく伸び、同二八年八月一日、同支署は、東京都全域を管轄区域
として、職員五二九名、一房二部の本関(税関長官房、監視部、業務部)と羽田支
署、立川分室、大島監視署を擁する東京税関として、横浜税関から分離独立した。
その後、東京税関は、同三〇年八月、横浜税関から新潟税関支署、酒田税関支署の
移管を受け、管轄区域も埼玉、群馬、山梨、新潟、山形の五県を加えるに至り、ま
た、本関には鑑査部が新設され、一房三部制となった。
 東京税関の独立に伴い、全税関の一税関一支部の方針に基づいて、原告組合が結
成され、人事院に職員団体として登録された。当時、東京税関には、原告組合の他
に労働組合がなかったこと、税関長、各部長、総務課長、会計課長、その他大会で
定めた者だけが原告組合の規約五条により組合員資格を得られないとされていたこ
とから、課長、係長などの役付職員(職制)も原告組合に加入しており、原告組合
の組合員数は、東京税関の職員数五二四名中五一〇名を数え、組織率は九七・三パ
ーセントに達していた。その後、昭和三〇年三月四日、原告組合に婦人部が結成さ
れた。
 東京税関は独立当初、仮庁舎で執務するなど執務環境が貧弱であったこともあ
り、原告組合が、執務環境の整備、改善、備品の支給要求等、労働条件の改善要求
を主体とした組合活動をした。
(二) 昭和三八年までの原告組合の活動
 昭和三三年には、東京税関は、第二大蔵ビルに移転し、年々定員数も増員されて
いたが、税関の業務量は、同三五年以降の貿易自由化の影響によって急激に伸び、
定員の伸びをさらに上回った。そこで、税関当局は、税関業務全般にわたる総合調
整機能及び業務運営の円滑を確保する管理機能を強化するため、同三六年一一月、
各税関の税関長官房を廃止し、総務部制を採用した。また、東京税関は、同年六
月、業務の簡素化、機械化を図るために、本関に設置した計算管理室に電動計算
機、加算機及び会計機を配備して輸入通関関係計算事務及び納税告知書作成などを
集中処理し、業務部に申告書、許可書等の処理のため複写機を導入した。
 しかし、税関の業務量の増勢は、将来も永く続くことが予想され、これに対して
増員の見通しはますます困難となっていくことが推測されたので、長期的な観点か
ら、総合的、抜本的な業務能率の増進をはかることが急務と考えられるようにな
り、昭和三七年四月、東京税関の総務部総務課に企画係が新設され、税関の機構、
定員及び事務処理体制について本格的かつ組織的な調査と分析を開始した。同月、
東京税関は、本関そのものの業務量の増加とともに、署所において処理される業務
量の比重も大きくなってきたため、本関及び署所を通じて、各部の所掌する事務運
営の統一をはかり、必要な調整等を行なうため、鑑査部に管理課を新設し、翌年に
は、監視、業務の各部にも管理課を新設した。
 原告組合は、昭和三三年の庁舎移転の際に、原告組合事務所が設けられ、同三四
年には、羽田分会、鑑査分会、業務分会、芝浦分会を、同三六年には江東分会を結
成し、また、同年七月に原告組合の青年部を結成した。同三三年の庁舎移転後も、
東京税関における業務量の増大に比して増員がままならない執務環境の下で、原告
組合は、賃上げ要求のほか、各分会における官服の洗濯代の支給、江東出張所での
宿日直の廃止(同三七年一二月)、大森の浴場新設、江東出張所でのシャワーの設
置、階段の手すりの設置(同三八年四月)など、労働条件改善の活動を継続した。
また、同三八年ころまでは、東京税関当局と原告組合との共催で「サークルと映画
の会」が催されるなど、当局と原告組合との関係は険悪なものではなかった。
 しかしながら、他方において、原告組合は、昭和三三年ころから、地対空ミサイ
ル・エリコン56及びサイドワインダーの持込禁止、警職法改正反対等の政治闘争
にも取り組むようになり、安保条約改定阻止闘争、原水爆禁止運動、内閣打倒等を
目的とした職場外の集会への参加、職場集会の開催、ビラ等の配付、国会請願等を
行なうようになった。
 また、全税関は、昭和三三年五月の全税関第二一回全国大会において、闘争の基
本的考え方として「職制支配の強化による搾取強化に対しては職制支配への反撃を
賃金要求、労働軽減、労働基本権奪還等を主柱とした強固な職場闘争で対決しなけ
ればならない。」「職制支配排除の職場の闘いは、日常不断に職場で職制機構の末
端と対決して進められる。」「同一組合内に、同一組合員として存在する管理補助
者としての末端職制の意義と位置付けを明らかにし、職制抵抗の闘いを組まなくて
はならない。」と分析し、同じ組合員である末端の職制に対する対決を呼びかけ
た。
 昭和三七年の原告組合の支部大会において、これらの動きに対し、審理代議員か
ら「職制も組合員であることを念頭においてよく話し合っていくべきだ。話せば大
体判るし、一緒に要求できる場合が多いのだから。」との批判が出た。これらの行
動に対し、東京税関は、原告組合による勤務時間内の職場大会の開催が予想される
ような場合には、事前に各房部署所長に対し、「違法行為の防止について」と題す
る回覧を発し、各房部署所長は、原告組合に対し、事前に違法行為をしないよう警
告した。また、東京税関長は、同三六年五月二二日、原告組合が同年四月二五日国
公法改正阻止の統一行動として勤務時間内に食い込む職場大会を開催した際に右職
場大会を指導したことを理由に、原告P3、同P1、同P2、同P4、同P7を訓告処分
に処した。これに対し、原告組合は、同年六月二九日及び翌三〇日の昼休みに本関
庁舎内税関長室前で座込みなどの矯正措置撤回のための抗議行動をした。
 原告組合は、東京税関の計算管理室の設置などに対し、昭和三六年七月ころから
同年一〇月ころまでの間、機械化による合理化は労働条件を悪化させるなどとして
早朝職場大会や昼休み職場大会を開催して、合理化反対闘争を行なった。
(三) 昭和三九年以後の原告組合の活動
(1) 東京税関は、輸出入申告等の事務が年々増加し、職員も増え、庁舎が手狭
となったため、昭和三九年三月、本関庁舎を第二大蔵ビルから品川埠頭に移転し
た。原告組合の調べによると、同年当時の東京税関の職員数は一〇四五名、原告組
合員数は九七〇名で組合組織率は、九二・八パーセントであった。
 東京税関は、昭和三九年四月、かつて全税関中央執行委員長であったP19を総務
課課長に、元中央執行委員であったP20を総務課課長補佐に配置し、総務課に総務
第二係を新設した。
(2) 原告組合は、東京税関の品川埠頭への本関の庁舎移転に対し、合理化反対
闘争の一環として、交通問題、通勤時間、厚生施設等についての要求をし、これら
の要求が受け入れられない場合は移転そのものに反対するとの闘争をした。
 原告組合は、昭和三九年七月、定期支部大会を開催したが、「原水禁やポラ潜な
ど政治闘争が多すぎる。」「四月一七日スト以降政治的偏向はないといってるが、
総評に加盟していながら批判を加えている。これは分派活動であり責任の所在は一
体どこにあるのか。また第二組合や分裂の動きについても官の攻撃ばかりに終始し
ている。執行部にも批判があってよい。現在の組合は政治的に偏向している。」
「組合のニュースやビラをみると、本来組合はみんなのものなのに一部少数の見解
を取り上げ宣伝しているようだ。」など原告組合執行部に対する批判が貨物代議員
や鑑査代議員からなされた。
 これに対し、原告組合の執行部は、総評批判については、総評は日本の労働運動
の中核となってきたが必ずしもよいことばかりやってはいないと説明し、政治闘争
が多いという批判に対しては、職場要求につながる政治的要求は正しく解決してい
かなければならず、一歩譲って考えても、どれが政治闘争でどれが経済闘争かとい
うことは全体的な政治情勢の中で明らかにされるものだと思うなどと応え、従前の
方針を変更することはなかった。
 この大会において、原告P55、同P7、同P8、同P66、同P124、同P46、同P
32、同P132らは、七七・三パーセントから六五・五パーセントの得票率で全税関全
国大会の代議員に選出された。
(3) 昭和三九年一〇月、全税関の全国大会が開催され、組合費の三〇円の値上
げが決定された。ところが、このころから、本関監視部が組合費のチェックオフに
よる天引きを拒否し、同部の課長クラスから組合費の未納者が出始め、同年一二月
には、組合費の未納が係長クラスにまで及び、未納者は一二〇名となり、同四〇年
一月には一六〇名に達した。
(4) 昭和四〇年二月一日、鑑査部管理課総括係長P21を会長として、原告組合
の執行部批判者である鑑査部、監視部、業務部の各管理課総括係長クラス約四〇名
を中心に、原告組合の方針変更をせまって「刷新有志会」が結成され、原告組合の
執行部批判を公然と始めた。刷新有志会は、「全組合員の皆さんに訴えます」と題
するビラを連日作成し、当局の掲示許可済みの判を押したものを東京税関の掲示板
に貼り出し、また、組合員に配付した。刷新有志会は、第二組合の結成を前提にす
るものではないとしつつ、同月八日、原告組合執行部に対し、「昭和三二年以来中
央執行部の指導方針に極左的傾向が見られるようになり、それが漸次全国各支部に
波及し始め、東京支部もまたその影響を受けるところとなった。」として、退陣要
求書を提出した。
 これに対し、原告組合執行部は、昭和四〇年二月一〇日、刷新有志会の退陣要求
を拒否した。原告組合は、翌一一日昼休み、本関において統一職場大会を開催した
(原告らは、職制による妨害であると主張し、甲七〇の記載及び原告P55の供述中
には右主張に沿う部分があるが、職制も原告組合の組合員であったのであり、乙二
〇に照らすと、職制は組合員として右大会に参加したものと認められ、必ずしも当
局の業務命令として右大会に参加、妨害したとは認められない。)。
 刷新有志会は、昭和四〇年二月一三日、総会を開催し、同会の発展的解散を決議
した。同月一五日付の「全組合員の皆さんに訴えます」(刷新有志会のビラ)にお
いて、刷新有志会は、一大飛躍にそなえて発展的解放を行なう旨を声明した。
(5) 昭和四〇年二月一三日、一四五名の組合員から、わら半紙に謄写版で印刷
された用紙に署名のされた脱退届が原告組合にまとめて郵送されてきた。以後、同
月一五日には、八〇数名分の脱退届が、同月一九日には一一八名分の脱退届がまと
めて郵送され、同年二月だけでも約三五〇名の組合員が原告組合を脱退した。刷新
有志会のメンバーだった者達は、職員に印刷された脱退届の用紙を配り署名押印を
求め、脱退届を集めた。脱退届は、個別にではなく、まとめて原告組合に向けて郵
送にされてきた。刷新有志会の会員は、勤務時間の内外を問わず部長室や羽田支署
の支署長室などで原告組合の脱退或いは刷新有志会への加入を勧誘した。
 原告組合の執行部は、脱退する人の状況を検討したり、脱退者の家に赴いて説得
をしたりしたが、脱退者は増加する一方だった。
3 税関労の結成
 次の(一)、(二)の事実が認められる(甲三四、二一一、乙一、原告P55)。
(一) 昭和四〇年二月一九日、解散した刷新有志会のメンバーを中心に新労結成
準備会が結成され、新労結成準備会ニュースが配付されるようになった。同月二七
日、第二組合の税関労が、三三四名の組合員で結成された。その後も同四二年中旬
ころまで、税関労による原告組合からの脱退勧誘及び税関労への加入勧誘が続い
た。
 なお、昭和四〇年二月二七日、名古屋、長崎の各税関においても第二組合が結成
され、さらに同年三月には大阪、函館の各税関で、同年五月には門司税関でも第二
組合が結成された。
(二) 昭和四〇年以降も税関定員の増加は微増にとどまる中、全国税関の中でも
業務量の伸びの著しい東京税関は、職員数が同四〇年の一〇八五名から同四三年一
一四六名、同四六年一三一一名と特に増員されたが、貿易量の拡大と出入国旅客が
増大を続け、税関当局及び東京税関当局は、業務の簡素化、合理化のため、同四一
年四月の羽田支署における三直交代勤務から五直交代勤務への変更、同年六月の新
警務体制の発足、同年一〇月の申告納税制度の実施、新輸入通関体制の発足(事務
官、技官の区別のない一人一貫処理方式)等の対策をとった。
 これに対し、原告組合の組合員数は、昭和四〇年の東京税関の職員数一〇八五名
のうちの四一一名となり、前年には九二・八パーセントであった組織率は三七・八
パーセントと激減し、翌年には職員数一一二八名中一九五名、組織率一七・二パー
セントとなった。職場の中で次第に少数組合となってきた原告組合は、東京税関当
局に対して、合理化反対、ベトナム侵略反対、小選挙区制反対、不当配転反対等の
スローガンを掲げ、庁舎管理規則に反する無許可集会、勤務時間に食い込む集会な
どの行為を繰り返すようになった。その結果、原告組合の組合員数は激減し、同四
二年は、職員数一一四六名中一七三名、組合組織率一五・一パーセント、同四八年
の段階では職員数一三六一名中一三九名、組合組織率一〇・二パーセントとなっ
た。
4 原告組合の分裂
(一) 原告らは、東京税関当局が職制機構を通じて原告組合を分裂させたもの
で、職制らの原告組合の組合費の未納、原告組合からの脱退勧誘、刷新有志会への
加入勧誘、原告組合の職場集会等の妨害が東京税関当局の指示によるものである、
と主張する。
 しかしながら、東京税関当局が、職制に対し、これらの活動を指示したことを直
接窺わせる証拠は存しない。既に認定したように、原告組合は、結成当初より組合
員に職制も含んでいたうえ、全税関の末端職制に対する対決の方針の下で活動して
いたものであり、昭和三七年の支部大会、同三九年の支部大会において、原告組合
の職制に対する対応について執行部に対する批判がされていたのであって、職制ら
がその不満から組合費の未納、刷新有志会の結成、第二組合の結成、原告組合から
の脱退勧誘などに動いた結果、原告組合の組織に亀裂が生じたことが原告組合の分
裂という事態を招いたとみることができるのである。
 また、原告らは、昭和三九年からの総務部、管理課制度の発足、総務課総務第二
係の新設が全税関及び原告組合を弾圧する意図で行われたと主張するが、当時の東
京税関及び税関全体の業務量の増大と好転しない増員対策の中で、業務の簡素化、
合理化を図る一環として、これらの制度発足等が必要となったことは、前記事実関
係から明らかであり、これが原告組合への対策であるとは一概に断定することはで
きず、この主張は採用することができない。
(二) 甲一〇〇二、一〇〇九、一〇一六ないし一〇一八、一〇二一、一〇二二、
一〇二六、一〇二八、一〇三九、一〇四八、一〇五二、一〇五八ないし一〇六〇、
一〇六四、一〇六八ないし一〇七四、一〇七六ないし一〇七九、一〇八一、一〇八
七、一〇八八、一〇九〇、一〇九一、一〇九三ないし一一〇四の各原告の陳述書
は、脱退勧誘を受けた状況などが記述されているが、自己の体験ではなく他人から
の伝聞を伝えるもの(原告P106、同P111、同P76の各陳述書)、内容がきわめて
抽象的なもの(原告P89の陳述書)、刷新有志会への加入の勧誘についてのもの
(原告P147、同P155、同P166の各陳述書)、原告組合役員への立候補の中止を求
めるもの(原告P167の陳述書)のほか、内容的に漠然としたものが多いが、これら
によると、昭和三九年暮ころから同四二年ころまでの間に激しく原告組合員らに対
する脱退勧誘がなされたことが窺われる。原告らは、これらの脱退勧誘が、東京税
関当局の指示により職制機構を通じてなされたものであると主張する。
 既に認定したように、原告組合が分裂した原因の一つは、全税関及び原告組合の
末端職制に対する対決姿勢に対する職制の不満であり、税関労結成の中心となった
のも職制であったのであり、職制が脱退勧誘をしたからといって、それが直ちに東
京税関当局が職制機構に指示命令して脱退勧誘をしたことにはならないし、勤務時
間中に会議室等に呼び出されたからといって、それだけで東京税関の指示として脱
退勧誘がなされたことには結びつかない。また、昇格、特昇等の利益誘導をしたと
の点についても、全税関神戸支部においては、懲戒免職処分を受けた者を支部長に
選任したため当局から団体交渉を拒否されて職場要求を話し合う場を失ったこと、
分裂後原告組合が当局に対して激しい対決姿勢をとり庁舎管理規則違反行為や国公
法違反行為を繰り返している事実をみれば、原告組合にとどまったのでは、昇格、
昇任、特昇等で現実に不利益を受けることは容易に予測できるのであるから、脱退
しないと不利益になるとの勧誘は必ずしも利益誘導とはいえないし、税関労の組合
員でない者からの勧誘もそれが東京税関当局の指示によるとは一概にいえない。他
方、昇格、昇任、特昇のほかに、異動、宿舎への入居を脱退の見返りとして許可す
るような態様の誘導を受けたとの記載も陳述書中には認められるが、これらの記載
のみでは東京税関当局の関与を認めることはできない。
(三) しかし、他方において、原告組合の組合活動は、昭和三三年以降政治闘争
をも行なうようになったとはいえ、依然として厳しい執務状況の中、職場要求等の
労働条件改善の要求も行なっていたのであり、東京税関当局による原告組合に対す
る矯正措置も、同三九年以前には、同三六年五月二二日の原告P3らに対する訓告処
分を記録するだけであり、原告組合ににわかに内部分裂を引き起こす程の過激な活
動があったものとはいえず、他に原告組合が分裂せざるを得ない内部の緊急事情も
認めがたい。
 にもかかわらず、昭和三九年に至って、職制らから、原告組合の執行部に対して
政治闘争に偏向しているとの批判が噴出し、同年七月の支部大会から翌年二月まで
の短期間に分裂に至っていること、その批判の内容ももっぱら全税関の方針に対す
る批判が中心で、原告組合の具体的活動についてのものは少ないこと、刷新有志会
が公然と「全組合員に訴えます」を配付して活動を始めてから同会が発展的に解散
し税関労が結成されるまでの期間は同四〇年二月一日から同月一九日までわずか一
九日間の短時間であることに鑑みると、当初から当局が職制をそそのかして分裂を
意図した活動ではなかったかとの疑いを払拭できず、原告組合執行部に対する批判
が自然に高まって内部的に分裂したというにはきわめて不自然な経過を辿ってい
る。そして、原告組合からの脱退者の脱退届は、謄写版で刷られた用紙に各人の署
名がなされた体裁のものであること、まとめて郵便で原告組合に送られてきたこと
が認められ(甲七八の一ないし九、証人P165、原告P55)、したがって、この用紙
は予め大量に印刷され用意されていたことを推認することができるのであり、ま
た、税関労が結成された同四〇年二月二七日、名古屋及び長崎の両税関においても
第二組合が結成され、翌三月には大阪、函館、同年五月には門司の各税関において
第二組合が結成されており、全国的に時期を同じくして第二組合が結成されている
ことは、税関当局の全国的に統一した指示があったことを仮定すると、容易にその
関連を理解することができる。
(四) 右の関連は、以下の事情を考慮すると、一層の現実性を帯びてくるものと
いわざるを得ない。すなわち、大蔵省関税局考査管理官P168は、昭和三九年一一月
一三日から同月二六日までの間、東京税関の職制に対して労務対策の指導をした
が、同人は、同年九月一八日にも大阪税関において職制に対して管理者としての組
合対策について講話をしたこと(甲六七一)、神戸税関労働組合及び横浜税関労働
組合による税関協議会が同四〇年一月二二日に開催されたが、東京税関当局は、刷
新有志会のメンバーであるP28、P29、P30、P27を研修出張として官費で出席さ
せたこと(甲三四、原告P55、同P3)、横浜税関山下埠頭出張所輸出通関第二部門
統括審査官P31のメモに、同四七年六月八日開催の山下埠頭出張所の課長会議にお
ける次長からの管理課長会議の結果内容の報告として「旧勧誘解除」、「特昇は約
束しない」などの記載があり、これは横浜税関における全税関横浜支部に対する対
策についてのものであるが、右時点以前においては、横浜税関当局が全税関横浜支
部組合員に対し脱退勧誘をするよう指示し、その際に特昇させることを約束するこ
とを容認していたこと(甲九、原告P3)、右P31メモは、直接には東京税関におけ
る原告組合に対する対策を示すものとはいえないが、前記各原告の陳述書に示され
た脱退勧誘の態様と一致していることに照らすと、東京税関当局においても同様の
態様による脱退勧誘を指示していたことを推認することができること、大蔵省関税
局総務課課長補佐P169は、同四四年一月に開催された建設省における研修におい
て、税関における労務管理について報告した中で「昭和三八年五月から第二組合づ
くりがはじまった。」等と述べていること(甲一一、原告P3)、以上の事実が認め
られ、それにもかかわらず東京税関当局の関与を否定するためには、十分な説明を
必要とする事情であるといわざるを得ないが、本件においては首肯するに足りる反
証はない。
5 以上の各事実に照らすと、原告組合には、結成当初から職制と一般職員の混合
という分裂に至る素因があり、原告組合執行部が職制を中心とした同執行部の方針
への批判に対し理解を示そうとせず、あくまで従前の方針を固持した点に分裂の一
半の要因があるとしても、それだけで右分裂が短期間に進行したものとみるのは相
当でなく、税関当局及び東京税関当局が職制を中心とした分裂の動きを助長し、支
援するなどして関与したことを推認することができる。
二 仕事上の差別の有無
1 総務管理部門
 原告らは、東京税関当局が意図的に総務部から原告組合員を排除したと主張する
ところ、行(二)職員、タイピスト等の職員を除いた東京税関総務部に配置された
原告組合員は、昭和四〇年七月二日の時点で合計一二名であったが、同年九月時点
では七名であったこと、同年七月、原告P32が総務部会計課から新橋出張所貨物課
に、また、原告P33は、一一年間にわたり総務部会計課厚生係において共済組合の
短期経理(健康保険)、長期経理(年金)及び共済各経理の総括事務(元帳、伝
票、支払等)を担当していたところ、新橋出張所にそれぞれ配置換えとなったこ
と、原告P34は、同四一年九月当時大学に通学していたところ、総務部人事課から
羽田税関支署収納課に配置換えになったが、同所については始業時間に間に合わな
いため特に配置を避けてほしい旨希望していたこと、同四二年七月、原告P35が総
務部人事課給与係から業務部航空輸出通関第二部門に、また、原告P36が総務部会
計課厚生係から芝浦出張所にそれぞれ配転となるなどして、結局、同四二年一〇月
二日までに、行(二)職員、タイピストを除いて総務部に配置されていた原告組合
員は他所に配置換えになっていなくなったことが認められる(甲四二四、一〇一
九、一〇三三、一〇五四、一〇七九、一〇八五、一〇八七、原告P8、同P34)。
 しかし、原告P33は、総務部会計課厚生係に一一年間という長期間勤務していた
のであるから、配置換えの対象となったからといって一概に不当とはいえない。ま
た、原告P34は、通学に遠いといいつつも大学を卒業していることが認められ(甲
一〇七九)、果して羽田税関支署への右配転が著しい障害であったのかどうかも疑
わしい。
 また、総務部門は、税関業務全般にわたる総合調整機能を果たす役割を担ってお
り、とりわけ規律の維持及び公務秩序の確保が要請される部門であるから、後記の
とおり上司の注意、命令に従わずに非違行為を繰り返していた原告組合員を配置換
えすることには、合理的な理由があり、これが直ちに組合所属によるものであると
いうことはできない。さらに、タイピストである原告P89は本件係争期間を通じて
総務部総務課に配置されていることが認められ(甲一〇五九)、総務部門から原告
組合員が全く排除されたものでないことは原告らの自認するところである。
 したがって、これら二、三の事情をみても、東京税関当局が意図的に総務部から
原告組合員を排除したということは当たらないのであって、原告らのこの点につい
ての主張は失当である。
2 監視部門
 昭和四〇年七月、原告P37が監視部警務課海務係から羽田税関支署監視官付に、
また、原告P38が監視部警務課から羽田外郵出張所に配転となったことが認められ
る(甲一〇七四、一〇七一、原告P8)。
 しかしながら、監視部門は、質問検査権等の広範な公権力の権限を行使し密輸の
取締り等にあたるものであり、総務部門とともに規律の維持及び公務秩序の確保が
要請される部門であるから、後記のとおり上司の注意、命令に従わずに非違行為を
繰り返していた原告組合員を配置換えすることには、合理的な理由があり、これが
直ちに組合所属によるものであるということはできない。
3 職場配置
(一) 原告らは、東京税関当局は、原告らには部下をつけない配置をしていると
主張し、右主張に沿う記述及び供述がある(甲一〇〇五、一〇一四、原告P40、同
P8)。
 しかしながら、右記述及び供述は、いずれも自分には部下がいないというものか
あるいは原告組合員に対しては部下のいない職場への配置をされているという抽象
的な記述及び供述にとどまり、いつの時点でのことか、原告組合員以外の者の場合
はどのようになっているのかについても不明であり、これらの記述及び供述のみで
は、原告組合員を組合所属を理由に部下のいない配置をしているものと認めること
はできない。
(二) 原告らは、東京税関当局は、原告組合員らには経験や経歴を無視した単純
労務にしか服させないと主張し、これに沿う記述及び供述がある(甲一〇〇五、一
〇一三、一〇一四、一〇六九、原告P40、同P8)。
 しかしながら、いかなる業務が単純業務であるかは軽々に判断できないものであ
るから、原告らが服する業務が単純業務であるか否かについてもにわかには速断で
きず、また、仕事の単純性とその仕事の重要性も必ずしも結びつくものではないか
ら、このことが組合差別によるものとは認められない。
三 隔離分断政策の有無
1 特別派出所勤務
 証拠(甲二一八、一〇一五、一〇二九、一〇三二、一〇四四、一〇四六、一〇五
四、一〇五七ないし一〇八〇、一〇九四、原告P8、同P40、弁論の全趣旨)によれ
ば、以下(一)ないし(三)の事実が認められる。
(一) 税関長は、保税地域(指定保税地域、保税上屋、保税倉庫、保税工場及び
保税展示場)に税関職員を派出して、税関の事務の一部を処理させることができる
とされ(関税法二九条、三五条)、これらの保税地域の派出所(民間会社等)に勤
務することは特別派出勤務と呼ばれていたところ、保税地域の派出所は一人か二人
という小人数で勤務することとされ、執務環境も劣るため、希望する職員はいなか
った。
(二) 東京税関職員中原告組合員が占める割合は、昭和四四年以降約一割強にす
ぎないのに、特別派出職員についてみると、同四〇年は三五名中一六名、同四一年
は三一名中一四名、同四二年は三三名中一四名、同四三年は三八名中一九名、同四
四年は三一名中一五名、同四五年は四〇名中一九名、同四六年は三六名中一八名、
同四七年は三五名中一六名、同四八年は二五名中一四名、同四九年は二六名中一〇
名、同五〇年は二二名中八名をそれぞれ数え、役付職員(方面主任)を含めた特別
派出勤務者の中で原告組合員数は、一一年間で延べ三五二名中一六三名となり、そ
の占める割合が約四六パーセントであり、しかも派出先は遠隔地が多かった。
(三) 原告P55は、昭和三四年六月から同三七年七月まで及び同三八年八月から
同四八年七月まで約一三年間(同三七年七月から同三八年八月までは専従休暇)も
特別派出勤務についていた。そのほか、原告P112は同三四年四月から同四九年七月
まで一五年余り、原告P124は同四〇年一〇月から同五〇年二月まで約一〇年間、原
告P32は同四〇年七月から同四九年四月まで約九年間、同P151は同四二年一二月か
ら同五一年二月まで約九年間、原告P125は同四一年八月から同四八年二月まで約六
年半、原告P66は同三九年六月から同四四年一一月まで五年半、原告P59は同四四
年六月から同四九年四月まで約五年間それぞれ特別派出勤務についていた。このよ
うに、原告組合員の特別派出勤務は長期に及ぶ傾向があった。
 右事実によれば、原告P55、同P112についてみると、原告組合の分裂が生じる前
からある程度長期間の特別派出所勤務となっているが、特に分裂以後は税関職員全
体の原告組合員の割合と特別派出所勤務職員中の原告組合員の割合の間には著しい
不均衡があるといわなければならず、特別派出所が、小人数の勤務であるうえ、税
関官署、出張所等から場所的に離れているものが多く、その性格上、他の税関職員
との日常的な接触は希薄となりがちであることからすれば、この不均衡は、適材適
所の方針のもとに行われた結果にすぎないと説明しうる限度を越えて不自然であ
り、東京税関当局が原告組合員を一般の職員から隔離するために意図的に特別派出
所勤務にしたのではないかとの疑いがあり、この疑いを完全に払拭するに足りる事
情は見当たらない。
2 新入職員に対する研修・配置
(一) 基礎科研修
(1) 証拠(甲三三九の二、三、甲三八六ないし三八九、乙二一一七、証人P
43、原告P124)によると、次の事実が認められる。
 国公法七三条一項一号、人規一〇-三、同一〇-五、税関研修所研修規則による
と、税関では、税関職員として必要な一般的知識の修得を目的とする一般研修と専
門知識の修得を目的とする実務研修とがあり、一般研修には、新規採用者を対象と
する基礎研修、一定の実務経験を有する職員を対象とする普通科研修(昭和四五年
以降「中等科研修」という。)と勤務成績の特に優秀な職員を対象とする高等科研
修とがある。このうち新規採用者を対象とする基礎科研修は、優れた公務員、社会
人としての基礎育成に努めるため、公務員としての服務規律、基礎知識及び実務の
入門知識を養うことを目的としていたが、その期間は、昭和四〇年は九〇日間、同
四一年には四か月間、同四二年には六か月間、同四五年には九か月間と次第に長期
化した。
 昭和四二年当時の基礎科研修は、新規採用の職員すべてが全員入寮制の下で大蔵
省税関研修所(東京都新宿区<以下略>所在)に集められ、四月一日から九月下旬
まで実施された。そして、同年四月一日の東京税関の入関式に際し、原告組合員が
全税関のビラを配付したところ、新入職員が控え室にいるときに東京税関総務課職
員が新入職員から右ビラを回収した。
 基礎科研修においては、国公法の講義の一環として、指導官から全税関について
触れる内容の講義がなされた。また、寄宿舎においては、全国の税関から係長クラ
スの者が指導官(教育官)として派遣され、私生活上のことも含めて指導にあたっ
た。そして、指導官は、講議終了後の午後四時から五時までのミーティングの時
間、午後七時から午後九時位までの自習時間においても、新規採用者の指導にあた
ったが、その際、全税関の活動について触れる内容の説明があった。基礎科研修終
了後、新入職員は、指導官から近くの戦傷病者会館において税関労の説明会に参加
することを勧められた。
 新入職員は、基礎科研修が終了すると、品川寮に入寮した。品川寮では、寮管理
人、寮副管理人、部屋長らから税関労への加入を勧誘され、同労組への加入用紙を
渡された。その結果、昭和四二年度の新入職員はほとんどの者が税関労に加入し
た。
(2) 原告らは、基礎科研修は、税関当局が、原告組合と新入職員との接触を遮
断し、その間に原告組合に対する一方的なデマ、中傷を加え、新入職員に原告組合
に対する嫌悪感を植え付けると同時に、他方において、税関労への加入を働きかけ
て、原告組合に新たな組合員が加入するのを防ぐことにより、原告組合の組合員数
が増加しないようにして、同組合の組織を潰そうとしたものである、と主張する。
 右(1)の認定事実によると、新入職員は、基礎科研修の期間は、事実上原告組
合との接触が断たれていることにはなるが、これは、税関業務の基礎的研修の間、
全寮制をとって研修するという形態をとったための結果であり、新入職員が集中し
て研修をするために右の仕組は必ずしも不合理なものではなく、この制度が原告組
合と新入職員とを隔離分断するために計画されたものとは認められない。また、研
修の一環として、税関における労務対策等についての講話がなされることも不適切
なものとはいえないし、寄宿舎において、指導官からされた原告組合についての指
導は、ミーティングの時間、自習時間等の対話においてなされたものであり、当局
からの指示によりそのような内容の指導がなされたものとは一概にはいえないので
ある。
 しかしながら、前記第三の一2(六)に認定のとおり、昭和四二年三月三〇日の
東京税関の部長会議において、研修課長が「入関式に旧労がビラを配付するから研
修教室に入場の際に回収したい」旨を発言したことからすれば、全税関のビラが新
入職員から回収されたことは、東京税関当局が新入職員を全税関に加入することを
制限する目的でしたものであると推認することができ、また、新入職員が指導官か
ら税関労の説明への参加を勧誘されたことは、各指導官の単なる個人的意見として
みなされたとみるのが不自然であって当局が意図的に原告組合への新入職員の加入
を防ぐために行われたものであると推認することができる。
(3) なお、原告らは、税関当局は、あくまで原告組合と新入職員との接触を遮
断しようとし、原告組合員が、基礎科研修中の新入職員に対する原告組合への加入
の呼びかけのため、寄宿舎での研修生への面会を要求したが、指導官により拒否さ
れた、と主張する。
 人事院総裁は、昭和五一年二月三日、全税関中央執行委員長であった原告P3が同
四七年三月二三日に提出した「研修生の処遇改善に関する行政措置の要求」に対し
て、判定を下したが、その判定の中で、寄宿舎規則一四条の規定(部外者は予め班
担当指導官の許可を受けた場合のほかは寄宿舎に立ち入ってはならないこと、基礎
科研修生が部外者と面会しようとするときは班担当指導官の指定した場所において
しなければならないこと)について、「当院の調査によれば、研修生を特定して面
会を求めた場合これを許可しなかった事例は認められない。」と認定し、右措置要
求を却下したことが認められるところ(乙二〇六七)、同規定は、研修のための寄
宿舎を管理する必要から、部外者の無断立ち入りを原則的に禁止する趣旨で定めら
れたものであり、部外者との面会を不当に制限した事例もないのであって、指導官
は特定の研修生を対象に面会を求めた場合には面会を許可していることが窺われ、
特定の研修生を対象としないで、一般的に研修生に対して原告組合員らが面会を求
めることを不許可とすることも、寄宿舎の管理という観点から必ずしも不合理とは
いえないのであるから、原告組合への加入の呼びかけのために寄宿舎での研修生へ
の面会要求を拒絶したからといって、当局が原告組合員と新入職員との接触を遮断
するために不許可にしたものとまでは認められない。
(二) 新入職員の配置
 原告らは、東京税関当局は、原告組合員と新入職員の接触を遮断するよう新入職
員の配置をしたと主張し、証人P43の証言には、昭和四六年二月、P43が羽田税関
支署の監視部門から輸入通関第四部門に配置換えとなるまでは、ほとんど原告組合
員のいない職場であったこと、輸入通関第四部門には原告組合員が四名いたが、P
45統括審査官から原告組合員とはつきあわないようにと指示されたこと、仕事のこ
とも原告組合員には聞かないようにと指示されたこと、同年五月の休日に原告組合
員とともにハイキングに行ったところ、P45統括審査官から注意を受けたことなど
原告らの主張に沿う部分がある。他方、同四六年のメーデーに原告組合員二名と税
関労の組合員二名が参加しようとしたところP45統括審査官から参加者が多すぎる
といわれて原告組合員二名と税関労の組合員一名が参加したことが認められ(乙二
一一八)、これに照らすと、必ずしも証人P43の供述するように原告組合の所属を
理由にその交流を制限されたものとまでは認められない。
 しかし、前記認定のとおり、昭和四二年五月一日に開催された東京税関部長会議
(甲三四三の一、二)において、新入職員の配置について議題とされ、新入職員は
公務員倫理、税務規律の修得と税関の基本業務で理解が容易であることから警務関
係の職場に優先配置する方針であるが、新入職員全員を警務関係に配置することは
定員数、職員構成から困難であることから一部新入職員については、原告組合の影
響等を考慮して配置する方針をとることとされたのであり、ここには、東京税関当
局が新入職員を原告組合の影響を受けないような配置を考慮していたことが端的に
窺うことができる。
(三) 新入職員の入寮
(1) 原告らは、新入職員を基礎課研修の後、原告組合員のいない寮に集めて、
寮生活においても新入職員を原告組合員から隔離しようとしたと主張するところ、
証拠(甲一一一、一四四、甲三四三の一、二、甲三四九の一、甲一〇九〇、証人P
43、同P52、原告P8、同P124)によると、次の事実が認められる。
 品川寮は、昭和四一年三月港区<以下略>に完成したもので、鉄筋五階建ての棟
が三棟で構成され、部屋数は約九〇室あり、六畳(七〇室)、四畳半(二〇室)及
び三畳(三〇室)の三種類の部屋があり、各室の定員は六畳間は二名、四畳半及び
三畳間は一名であった。一階部分は世帯者が副管理人として入室し、二階以上は独
身者が入室する運営となっており、定員は一九〇名であった。同寮の管理人には、
厚生課課長補佐が専任として配置されていた。同四一年度の品川寮には原告組合員
二名が入居していた。
 ところで、昭和四二年五月一七日付で独身寮に関し作成された資料中には、各独
身寮の入寮者のうちの組合別人員構成についても示されていた。これによると、同
年一月当時、東京税関の管理する独身寮としては、巣鴨寮(定員八名)、大森寮
(同一四名)、萩中寮(同一八名)、芝寮(同二〇名)、四谷寮(同三四名)があ
り、他に関東財務局財産の青山寮(同四名)があった。当時、品川寮には一四七名
が入寮し、四三名の欠員があり、うち原告組合員は一名であった。萩中寮の欠員は
三名であった。
 昭和四二年五月一日の東京税関の部長会議において、新入職員を基礎科研修終了
後全員を品川寮に入居させること、八等級六号俸以上の先輩室長を各戸に配し、私
生活全般について指導及び相談に応じさせること、主として役付職員の寮副管理人
を各棟の一階に入居させ、配偶者の協力により寮生の世話及び一切の相談に応ずる
よう配慮することなどを検討した。同年度の東京税関の新入職員は、基礎科研修終
了後、全員品川寮に入寮した。
 原告P51は、昭和四二年、品川寮への入寮の申込みをしたが、その結果について
の通知がないので、当時の羽田税関支署総務課管理係員P52に尋ねたところ、品川
寮への入寮は難しい旨いわれた。その後萩中寮への入寮許可通知が届いたが、当
時、品川寮には空き室があった。
 原告P53は、昭和四〇年ころ、原告組合を脱退し、税関労に加入し、その後品川
寮に入寮した。同人は同四一年一〇月原告組合に復帰したが、その後、当時の会計
課長補佐P170から友人を寮管理人に無断で宿泊させたことが寮管理規則違反となる
ことを理由に口頭で厳重注意を受けた。原告P53は、同四三年一〇月一三日、P
171東京税関輸出部長から本関輸出部から酒田税関支署への異動の内示を受けた。こ
の配転内示に対し、当時の品川寮に入寮していた一八〇名の職員のうち一〇四名が
配転撤回の署名をした。同原告は、同四四年一〇月一六日付で酒田税関支署に異動
した。
(2) 右事実に基づいて検討すると、まず、東京税関の新入職員三五名につい
て、交通事情、諸設備等において同一条件で一括して入寮させることのできる寮
は、昭和四二年当時、品川寮のみであったから、新入職員を一括して品川寮に入寮
させたことには一応の合理性がある。
 また、大蔵省関税局総務課課長補佐P169は、昭和四四年一月に建設省で開催され
た研修において、税関における労務管理について、「独身寮についてもわれわれは
赤組宿舎、白組宿舎と区分して入れている。そして寮管理人は厚生課長補佐をあて
ている。」と報告したことが認められ(甲一一)、これによると、東京税関当局に
おいても、原告組合対策として、独身寮について組合差別をしていたのではないか
との疑いが生じるが、新入職員の中から原告組合に加入する者がいなかった結果と
して新入職員の集中した品川寮に原告組合員の割合が少なくなったとしても、それ
は、新入職員と原告組合員を隔離するという目的の下になされたものということに
はならないから、右の森本課長補佐の発言のみからは、直ちに原告組合員らに対す
る差別を目的とした取扱いであるものと推認することはできない。
 次に、原告P51について考えると、昭和四二年一月当時の品川寮の欠員は四三名
であり、その後同年度の新入職員全員が品川寮に入寮したとしても計算上八名の欠
員があることとなるが、新入職員だけを一括して一つの寮に入居させることに一応
の合理性があり、また、新入職員と原告組合員とを隔離するために原告P51を品川
寮に入居させなかったものとまではいえない(証人P52)。
 また、原告P53の場合については、昭和三九年東京税関に入関後、同年六月本関
監視部警務課、同四一年八月本関輸出部航空貨物課を経て、同四三年一〇月酒田税
関支署に配転となり、同四六年二月には酒田税関支署から羽田税関支署羽田外郵出
張所へ配転となっていることが認められ(甲一〇九〇)、このような異動経過をみ
ると、東京税関が特に異常な時期に特定の目的をもって同原告を酒田税関支署へ配
転したものとは認められない。
四 配転
 原告らは、東京税関当局が、組合役員に就任した原告組合員について、通勤困難
な職場へ配置換えをし、あるいは健康状態や家庭状況を無視した配転をしたと主張
するので、以下検討する。
1 組合役員等
 証拠(甲一〇〇四、一〇一〇、一〇一九、一〇二三、一〇三三、一〇四四、一〇
六七、乙二〇八二ないし二〇八九、原告P8、同P40、同P66)によると、以下
(一)、(二)の事実が認められる。
(一) 東京税関当局は、昭和三九年六月、原告組合の財政部長に同三八年に就い
た原告P66を本関監視部貨物課(派出勤務)に配転したが、そのため原告組合では
前財政部長で当時副支部長であった原告P3が財政部長を兼ねざるを得なくなった。
そして、同四〇年七月三日、当時原告組合鑑査分会長であった原告P1を本関鑑査部
から羽田税関支署に、同三五年から同四〇年まで業務分会長であった原告P46を本
関業務部から立川出張所に、同四〇年度の原告組合婦人部長となった原告P33を本
関総務部から新橋出張所にそれぞれ配転し、さらに、同四一年度の原告組合晴海分
会長の原告P40を同四二年七月二五日晴海出張所から羽田税関支署輸入部門に配転
し、また、原告P47について、いずれも原告組合の執行委員の任期中、同四四年六
月に羽田税関支署から新橋出張所輸出第二部門へ、同四八年七月に東京外郵出張所
輸入第二部門から立川出張所にそれぞれ配転した。
(二) 他方、東京税関では、毎年七月に大規模な人事異動があったところ、特に
昭和四二年七月は、従来東京税関では事務系の職員を業務部に、技術系の職員を鑑
査部にそれぞれ配置してきたが、通関事務量の増大と大蔵省の組織規程等の一部改
正が原因で鑑査部が現在の輸入部に、業務部が現在の輸出部に名称変更されたた
め、東京税関は、この従来の配置をとりやめて、事務系、技術系にこだわらずに職
員を配置することとなり、同月二五日、右の趣旨の下に三〇〇名位の多数の職員を
異動した。原告P40の異動も右の大異動の一環として発令されたものであり、当時
原告P40は、晴海分会長に就任して一期分(約半年)の任期を務め終えていた。
 以上の事実によると、原告組合の役員であるからといって、定期の異動の対象と
ならない特権があるわけではないところ、いずれの異動も東京税関の定期の異動時
期に行われたものであり、また、確かに各原告は当時原告組合の役員ではあった
が、必ずしも、役員になった直後に異動となったわけではなく、相当期間を経過し
て発令されていることを考慮すると、原告組合の役員であることを理由に東京税関
当局が不当に配転したとの原告の主張は、いまだ根拠に乏しいといわざるを得な
い。
 また、原告P40は、右配転について、原告組合に所属しているがために通勤困難
な場所へ配転された旨を主張するところ、大宮市所在の大宮宿舎から蒲田経由での
通勤所要時間は約三時間となるが、原告P40は、羽田税関支署輸入部門へ異動当時
大宮宿舎に居住していて、そのころから一般にモノレールを通勤に使用するように
なっており、モノレールを利用すると原告P40の通勤時間は片道約二時間であるう
え、当時大宮宿舎から羽田税関支署に通っている職員は、ほかにも数名いたことが
認められ(原告P40)、これらの事実によると、原告P40の主張は根拠があるとは
いえない。
2 遠距離通勤
 証拠(甲一一〇、一〇〇四、一〇一三、一〇一九、一〇二四、一〇四九、原告P
8、同P9)によれば、昭和四二年一〇月、東京税関当局は、原告組合員P49を東京
外郵出張所から本関へ異動させたが、当時P49は、栃木県栃木市<以下略>に居住
しており、品川埠頭の本関まで片道通勤時間として約二時間四〇分を要することと
なったところ、父親と弟と三人で暮しており、隣家に出産予定の姉夫婦とその子供
が居住していたが、父親は脊髄を傷め、右手をリューマチに罹患していたことが認
められる。
 しかしながら、栃木市から東京に通うとすれば、通勤先が都内のいずれの場所で
あっても遠距離通勤となることは十分予測できるところである。遠距離通勤となら
ない勤務先でなければいけないとすると、P49の通勤先はきわめて限られてしまう
ことになるのは明らかである。同女も、東京都、埼玉、群馬、山梨、新潟、山形の
五県を管轄とする東京税関に勤務する以上、ある程度転勤があることは予定すべき
で、遠距離通勤だから、一切配転を認めないというわけにはいかず、遠距離通勤の
点については別の手段で解消をはかるべきであったというべきである。
3 健康状態
 昭和四四年一一月、東京税関当局は、当時緑内障に罹患していた原告P46を立川
出張所から東京外郵出張所に異動したが、その結果、武蔵村山市の官舎に居住して
いた原告P46は通勤に片道約二時間を要することとなったことが認められる(甲一
〇〇四)。しかしながら、東京税関の職員中には片道二時間の通勤時間をかけてい
る職員がほかにもいたことが認められ(原告P40)、また、長距離の通勤、大量の
小包の区分け及び開披検査などの同原告の作業が緑内障にどのような影響を及ぼす
ものであるかを明らかにする証拠はない。
 昭和四四年一一月、東京税関当局は、原告P50を、晴海出張所から羽田税関支署
監視官付に異動したが、右異動により、原告P50には夜勤、泊まり勤務が増えたこ
と、当時原告P50は、慢性多発性関節リューマチに罹患していて、右病名の診断書
を提出して日勤の職場への配転換えをP172統括監視官に申し出たが、東京税関当局
は診断書に夜間勤務に耐えられない旨の記載がないとして配置換えを認めなかった
ことが認められる(甲一〇二四)。しかしながら、慢性多発性関節リューマチに罹
患していると夜間勤務に耐えられないのか否かについては、なんらの証拠もなく、
結局、原告P50の配置換えの申出内容も耐えられないことはないができれば避けて
欲しいという趣旨の配転希望であると解される。東京税関当局も業務上の必要性に
基づいて配転しているのであるから、配転についての本人の希望が必ず通るとは限
らないのはやむを得ないところであり、東京税関当局において原告P50が原告組合
員であることを理由にことさらの配転をしたものとは認められない。
4 家族状況
 昭和四八年七月、東京税関は、原告P47を東京外郵出張所から立川出張所に異動
したが、当時原告P47の妻は妊娠六か月であり、前年には流産したことが認められ
るが(甲一〇六七)、右事情が原告P47の配転に影響を与える重大な事情とは認め
られない。
 昭和四二年七月二五日、東京税関当局は、原告P10を本関業務部から晴海出張所
へ異動したが、同原告は、右異動の半月程前に北品川から大森町へ転居し、右の異
動の結果、通勤時間は従来三〇分ないし四〇分だったところ、一時間一五分から二
〇分かかることとなったうえ、同年八月同人が妊娠していることが判明したことが
認められるが(甲一〇四九、原告P10)、他方、同原告は、同四九年四月一日、晴
海出張所から本関へ配転となった際にも、その当時の住居から品川埠頭の本関の庁
舎までは通勤に二時間もかかり、小学校一年生と保育園に通う子供をかかえて生活
が破壊されたと述べていることが認められ(甲一〇四九)、また、同四二年当時東
京税関の職員中には、通勤片道二時間程の職員は他にもいたことが認められ(原告
P40)、原告P10の通勤時間のみが特に長いわけではない。また、同原告が妊娠し
ていることが判明したのは異動後の同四二年八月であり、東京税関当局において同
原告が原告組合員であることを理由に特に家族状況を敢えて無視した異動をしたも
のとは認められない。
 原告P36は、昭和四六年四月ころ、長女が保育所に入所したため、保育所に近い
東京外郵出張所への異動を希望していたが、同四八年二月に至って東京外郵出張所
に異動したことが認められる(甲一〇八五)。同原告は、自身の異動の希望が直ち
に認められなかったのが、組合差別であると主張するもののようであるが、同人の
陳述書によっても、同原告は、当時の上司から、東京外郵出張所は異動の希望者が
多いところであるから難しいが努力する旨の回答を受けており、そして、二年後と
はいえ、同原告の希望通りの異動がなされていることが認められる。職員の異動
は、職員が希望すれば直ちに希望通りの異動が認められるものでなく、各職員の希
望の調整だけでなく、名職場の欠員の状況、必要とする職員の能力などを総合的に
考慮したうえで決められるものであるから、結局、希望がかなうまで二年かかった
からといって直ちに差別ということはできず、他に右異動の遅れが原告組合員であ
ることを理由とする差別であると認めるに足りる証拠はない。
5 職務内容
 東京税関当局は、昭和四四年三月二〇日、原告P42を本関輸入部から東京外郵出
張所に配転した(甲一〇一三)が、同原告は同出張所において入関後わずか数年の
若い職員と同じ内容の仕事をさせられた旨を陳述するが、能力主義の下では配転の
際に後輩職員と同じ内容の仕事に就くこともあり得ることであり、東京税関当局に
おいて、原告P42が原告組合員であることから差別の一環としてことさら右のよう
な内容の配転をしたと認めるに足りる証拠はない。
五 宿舎入居
 原告らは、宿舎への入居にあたっても東京税関当局が組合所属を理由に原告組合
員を差別した旨主張するので、以下検討する。
1 原告P58は、組合分裂前の昭和三七年当時、横浜市<以下略>所在の室の木公
務員宿舎の入居者は、希望者の中から抽選で決定されていた旨を陳述する(甲一〇
二六)。しかしながら、同三四年一〇月ころ、原告組合と東京税関当局とが宿舎の
入居基準について協議をした際、東京税関当局側は、①職務の等級、②勤続年数、
③住居過密度、④通勤圏、⑤住居費と収入との比、の五項目について点数システム
で決定する入居基準案を原告組合に提示したところ、原告組合は、職階による基準
を作らないで、困窮度を中心に①家族数と収入の比、②住居過密度、③住居費と収
入の比、④申込み順位、⑤勤続年数、⑥通勤費、⑦年齢の七項目について点数シス
テムで決定する基準案を提示したが、当局側で受け入れられなかったこと、同三六
年ころにおいては、申込順位、等級、勤続年数をそれぞれ点数に分けた基準によっ
ていることが窺えるが、なおも原告組合は、支部ニュースを通じて、宿舎への公平
な入居基準を決定すべきことを訴えていることが認められ(甲三一六、三一七)、
これらの事実に照らすと、原告組合の分裂前において、宿舎の入居者の決定に当た
って、抽選の形式が採られていたとは認められず、同三七年ころにおいては、主と
して五項目の事項について点数方式で検討する方式が採用されていたことが窺え
る。
 他方、証拠(証人P52)によると、昭和四四年ころの宿舎入居に関する事務手続
は、管理係長が、宿舎貸与希望者の号俸、職種、家族関係、希望宿舎名等を記載し
た一覧表を作成したうえ、空いている宿舎を見較べてその時々に応じた宿舎貸与の
素案を作成し、本人の希望状況、宿舎の空き、宿舎の貸与基準を参考にして決定し
ていたこと、宿舎貸与の基準としては、国家公務員宿舎法一四条で国の事務運営の
必要から公平に行なう旨定められ、同法施行令一二条においては、①部長クラス、
②課長クラス、③五等級、④犯罪捜査に従事する者、⑤国税の徴収事務に係わる
者、⑥その他の順序で貸与し、同順位の職員がいる場合は職務内容、住宅の困窮度
等を勘案して定める旨規定され、さらに、同法施行細則において各号俸に応じて貸
与される住宅の広さについての基準が定められていたこと、しかし、大蔵省あるい
は東京税関において、具体的な独自の貸与基準は特に定められておらず、本人の希
望に優先して宿舎貸与の法定基準をもって運用していたが、基準通りにいかないと
きには、管理係長は、総務課課長補佐あるいは同課長に相談のうえ宿舎入居者を決
定していたこと、以上の事実が認められる。
2 ところで、各原告が当審に提出した陳述書には、宿舎入居に当たって組合員で
あることを理由に差別されたとの意見が記載されているので、個々に判断する。
(一) 原告P55は、昭和四二年七月宿舎に入居したが、この際激しく抗議しては
じめて入居することができたと陳述するが(甲一〇一五)、抽象的な指摘に留ま
り、右事実についての具体的主張もなく、これを認定するに足りる証拠もない。
(二) 原告P76は、自分より年齢が若くて号俸も低い第二組合員(P56)が平塚
宿舎に入居できたにもかかわらず、希望する同宿舎に入居できなかったのは、組合
所属による差別である旨陳述する(甲一〇六九)。原告P58は、平塚宿舎への入居
を希望したところ、東京税関当局から空室がないとの理由で入居を認められなかっ
たが、その後も萩中寮には空室があったと聞いた旨を陳述する(甲一〇六二)。ま
た、原告P64も、宿舎への入居希望を上申したが、宿舎への入居は認められなかっ
た旨を陳述する(甲一〇五〇)。
 原告P76は、昭和四一年四月に結婚し、その数か月前から宿舎入居を希望してい
たが、東京税関当局から空室がないとの理由で宿舎入居を認められなかったとこ
ろ、妊娠中であった同四二年三月、再度、保育園への入園に便利で職場まで一時間
位で通勤できる平塚宿舎への入居を希望したが、東京税関当局から空室がないとの
理由で入居を許可されなかったことが認められる(甲一〇六九)。東京税関当局
は、昭和四二年ころに大田区<以下略>に完成した木造の萩中宿舎に、羽田税関支
署の泊まり勤務者を優先的に入居させようとしたが、同宿舎への希望者が少なかっ
たところ、当時羽田税関支署の泊まり勤務をしていた原告P58は、係員に勧誘され
て同原告所属の班に所属する職員六、七名と共に同宿舎への入居を希望したもの
の、入居が許可されなかったことが認められる(甲一〇二六)。また、原告P
64は、民間アパートに妹と共に居住していた同四一年ころ、P173総務課長補佐に対
して官舎への入居希望を上申したが、同補佐から、既に羽田税関支署の分について
の入居者は決定した旨の返答を受け、さらに、その後同四三年八月以降、P174関税
審査官に宿舎への入居希望を上申したが、宿舎への入居は認められなかった(甲一
〇五〇)。
 しかしながら、原告P58は、勧誘を受けた平塚宿舎への入居を認められなかった
後も萩中寮には空室があったと聞いた旨を陳述するが、昭和四二年一月の時点で萩
中寮の欠員は三名であったことが認められるものの(甲三四三の一、二)、同原告
が入居の勧誘を受けた時点が本件証拠上判然としないため、その当時に空室があっ
たか否かは不明である。同年当時、東京税関においては、定員の増加にもかかわら
ず、施設、設備が整わず、宿舎事情も逼迫しており、ようやく鉄筋コンクリート造
りの宿舎が建築されるようになってきた時期であるが、平屋又は二階建ての木造宿
舎が多く、世帯宿舎への入居を希望しながらも入居できないでいた職員が多数いた
ことが認められる(証人P52、原告P55)。
 これらの事実に照らすと、右の各原告らの各陳述は、一方的に自己の希望が入れ
られなかったことについての不満をいうもので、当時の東京税関では逼迫した宿舎
事情にあったこと、大蔵省あるいは東京税関においては宿舎入居について本人の希
望に優先して宿舎貸与の法定基準をもって運用していたことからすると、希望どお
りの宿舎に入居できなかったからといって、これをもって組合所属による差別であ
るとは認められない。
(三) 原告P59は、昭和四五年一〇月に結婚し、宿舎入居を希望したところ、東
京税関当局は、空室がないと説明し、同年七月ころから空室となっていた大宮宿舎
のWB一二三号室への入居を許可しなかったことが認められる(甲一〇五七)。
 しかし、昭和四五年当時、宿舎希望者は四〇名から五〇名はおり、入居までの期
間としては半年から一年かかる人もいたこと、そのうえ、同年ころ、東京税関にお
いては、翌年四月に成田空港の開港が予定され、成田空港の税関要員として他税関
から数十名の職員を東京税関に転入させる計画があり、その職員を受け入れるため
の宿舎を確保する必要があったこと、成田空港に勤務する職員用の宿舎を早急には
確保できず、東京税関では、既存の宿舎をできるだけ確保しようとしていたため、
外形的には空き室ではあっても、右の成田空港勤務職員用に押さえてあるため、他
の職員の入居を容易に認めることはできないという事情にあったこと、その後、同
四六年に至り、横浜市港南台の宿舎が完成し、相当数の宿舎が確保でき、成田空港
勤務職員用の既存の宿舎を解放したので、同年二月以降は、宿舎への入居が認めら
れやすくなり、同原告も同月に大宮宿舎のWB一二三号室への入居を許可されたこ
とが認められる(証人P52)。
 右事実に照らすと、昭和四五年ころ、東京税関においては、一見宿舎に空いてい
る部屋があるように見えたとしても、成田空港開設を前に他税関から東京税関に多
くの職員を転入させなければならないという特殊な事情のため、容易に職員の入居
を認めることのできない状況にあったものというべきであり、同原告の場合も入居
した宿舎が以前から空き室になっていたからといって、直ちに東京税関当局が組合
所属によって差別した事例とは認められない。
(四) 原告P110は、昭和四六、七年ころ、前記萩中宿舎に入居していたが、同じ
萩中の鉄筋建ての税関宿舎への転居を希望した際、厚生課長から「あそこはやめて
くれ。いわなくてもわかるだろう。」といわれた旨陳述する(甲一〇二三)。
 しかし、当時の厚生課長の発言は、氏名の特定もなく、どのような状況でなされ
たものか明らかとならず、直ちにそのような発言があったのか否かも、発言の趣旨
も不明である。さらに、右陳述書によると、同原告は、前記萩中宿舎に入居してい
たところ、東京税関当局から宿舎転居の斡旋を何回か受けていたが、萩中の鉄筋建
ての税関宿舎に移転したいとの希望を出してこれを固辞していたのであって、しか
も、萩中宿舎は昭和四一年に建築され羽田税関支署の近くという場所柄、職員の入
居率が高く競争率の高いところであったが、同原告は、結局一年数か月後、右の鉄
筋建ての税関宿舎に転居することができたことが認められる。
 そうすると、同原告は、自らの希望に固執して東京税関当局からの宿舎斡旋を拒
んだが、結局のところ希望通りの宿舎に入居できたのであるから、この点について
差別扱いを受けたという根拠に乏しいといわざるを得ない。
(五) 原告P151は、東京税関当局が理由を示さずに同原告の独身寮の入寮希望を
認めなかったこと、同原告が結婚後の宿舎入居希望に対しても、原告組合の追及に
より約一年経過後に許可したにすぎなかったが、これは組合差別である旨陳述する
が(甲一〇七八)、いずれも時期の特定もなく、抽象的な陳述に止まり、同原告の
陳述を裏付けるに足りる証拠はない。
(六) 原告P40は、昭和三八年六月、木造住宅の大宮宿舎に入居したが、当時大
宮宿舎に入居していた同等級の職員の一部が東京税関当局のあっせんにより鉄筋建
ての宿舎へ移転したことが認められる(甲一〇一九)。
 しかし、他方、右陳述書自体によっても、同原告自身、妻の勤務の関係から大宮
宿舎から転居する希望がなかったこと、昭和四五年五月ころ東京税関当局から同原
告に対し千葉市所在の東宿舎への入居をあっせんされた際にも、家庭の事情からこ
れを断ったことが認められ、これによると、同原告が大宮宿舎から移転しなかった
ことは同原告自身の家庭の事情によるものであるというべきであり、少なくともこ
れについて東京税関当局による差別扱いの事実は認められない。
(七) 原告P35は、昭和四三年、原告P34と結婚し、アパートに居住しながら追
浜宿舎への入居を希望していたが、右原告らより四か月後に結婚した第二組合員P
56、P57らが結婚と同時に同原告らより先に追浜宿舎に入居した旨を陳述する(甲
一〇八七)。
 しかし、原告P76の陳述書(甲一〇六九)中には、P56が平塚宿舎に入居したこ
とを指摘していることに照らすと、比較対象となる第二組合員の入居事実を明確に
は認定できないのみならず、既に認定したように、宿舎への入居基準については、
国家公務員宿舎法一四条、同法施行令一二条、同法施行細則等において貸与基準が
定められていたところ、原告組合との協議においても、申込順序のみに基づいて貸
与の有無が決定されていたわけではないことが認められるのであるから、入居申込
の先後と実際の入居の先後とが対応していないからといって、直ちにこれが組合所
属によるとは認められない。
六 各種研修
 原告らは、原告組合員が、東京税関当局によって、昭和四〇年から同四四年まで
は研修から全面的に排除され、原告組合の抗議、研修差別徹廃の要求行動により、
同四五年から原告組合員も中等科研修を受講できるようになったが、受講年次の点
で差別され、また、それ以外の研修の受講についても差別を受けたと主張するの
で、以下検討する。
1 国公法七三条一項一号、人事院規則一〇―三(職員の研修)一条、二条による
と、各省庁の長は、職員の勤務能率の発揮及び増進のために、職員の職務と責任の
遂行に密接な関係のある知識・技能等を内容とする研修を実施するよう努めなけれ
ばならないとされているところ、証拠(甲一一二ないし一一五、二〇五、三八六な
いし三八九、四一九、弁論の全趣旨)によると、以下(一)ないし(三)の事実が
認められる。
(一) 大蔵省設置法一四条、一六条の二によって、大蔵省の付属機関として東京
都新宿区<以下略>に税関研修所の本所が、その他九税関所在地に支所が設置さ
れ、税関職員に対する研修が実施されている。税関においては、管理者研修とし
て、幹部研修、上級・中級・初級管理者・新任管理者の各研修が、一般研修として
高等科・中等科・基礎科研修が、専門研修のうち専攻科研修として、研究科研修、
大学委託研修、各種の実務研修が、同じく特修研修として、特別英語委託研修、簿
記通信研修などが実施されている。
(二) 高等科研修は、税関の幹部職員として必要な一般教養と、税関行政全般に
関する実務知識を習得させることを主な目的とし、六等級相当の役付直前の職員を
対象に大学教養課程程度の学力を前提とされ、普通科研修を受講した者の中の成績
優良者も高等科研修の受講対象とされた。
(三) 東京税関においては、各研修の受講者の選定にあたっては、国公法七三条
一項一号、人事院規則一〇―五、税関研修所研修規則の趣旨に従い、個々の職員に
ついて研修を必要とする度合、本人の資質、将来性を考慮した人事管理上の要請等
を総合的に勘案し、研修の効果が最も期待される職員を選考することとしていた。
2 昭和四〇年から同四四年までの研修の実態については、証拠(甲一二、二六、
二〇五、三八六ないし三八九、四一九、原告P66、同P8)によると、次の(一)、
(二)の事実が認められる。
(一) 普通科研修は、一般職員に対する税関業務に必要な知識と能力の習得を図
り、広く一般職員のレベル向上のため法学等の基礎講義及び実務一般を教授するも
のとされ、行政職(一)七等級及び八等級の職員で採用後五年以上の職員を対象と
して実施され、普通科研修の受講者のうち成績優良者は高等科研修の対象とされ
た。当初、期間は七二日間であったが、昭和四〇年度からは七五日間となり、ま
た、同四五年度からは名称が「中等科研修」と変更された。同三九年以前は、東京
税関の職員は、採用年次順に普通科研修を受講し、同三七年から同三九年までの間
に同二八年以前採用の東京税関の職員はほとんど普通科研修を受講し終わってい
た。
(二) 昭和四二年度の各種研修についてみると、東京税関において合計二六八名
の職員が各種研修を受講しているにもかかわらず、全税関組合員は原告P60のみが
通関実務研修を受講したにすぎなかった。昭和二九年から同三六年に入関した原告
組合員は、一人を除いて普通科研修を受講していないが、東京税関当局は、これら
の職員は、同四五年の時点で旧六等級に昇格しており、八等級及び七等級の職員を
対象とする普通科研修の受講資格がなくなると説明した。また、高等科研修は、行
政職(一)六等級の職員で年齢三五歳以下の勤務成績及び健康状態の良好な職員を
対象として実施されていたが、東京税関当局は、高等科研修は普通科研修を受講し
た者を対象とするから普通科研修を受講していない原告組合員には受講資格がない
と説明した。
 なお、神戸税関においては、普通科研修生の推薦に当たり、「なお思想穏健な者
を推せんされたく活動家はなるべく御遠慮下さるよう併せて申し添えます」との記
載のある文書が発見されている。
 しかしながら、他方、証拠(乙二〇九五ないし二一一六)によると、昭和四〇年
度の普通科研修には原告P107が、同四一年度の普通科研修には原告P134が、同四
四年度の普通科研修には原告P157がそれぞれ参加していること、その他の研修につ
いてみると、同四〇年度の統計実務研修には原告組合員P49が、同四一年度の監査
実務研修には原告P68、同P138、同P150が、同四一年度の通関実務研修には原告
組合員P175が、同四四年度の統計実務研修には原告P111、当時原告組合員であっ
たP87がそれぞれ参加していることが認められる。原告P66は、当審において、こ
れらの研修のほとんどが実務研修で四、五日の短期間の実務に配置して、基礎的な
必要最小限のことを教える程度のものであった旨を供述するが、研修の内容はとも
かくとして、右に認定したように普通科研修を受講している原告組合員がいたので
あるから、原告らが主張するように同四〇年から同四四年の間原告組合員が全面的
に研修から排除されていたものとは認められない。
 また、高等科研修は、受講資格のある職員のうち勤務成績の良好な者が選考され
ていたものであるから、原告組合員が選考されなかったとしても、それだけで組合
所属により東京税関当局が原告組合員らを差別したものとまでは認められない。
3 昭和四五年以降の研修の実態についてみると、同四五年以降は、中等科、新任
管理者、中央分析委託、商品学、統計、輸入通関、事後調、評価、保税実務、経営
分析、通関事務、基礎科学、鑑査実務、審理、輸出、分析、製造歩留、貿易取引価
格、輸入実務、経営学、分類、接遇、英会話、中級英会話の各研修を、原告組合員
らも受講しており、同年度には原告P154、同四七年度には同P176、同四八年度に
は同P60、同P177、同P166、同四九年度には同P148、同P74、同P178、同P
149、同P152、同P153、同五〇年度にはP167、同P53、同P71、同P144、同P
179が、その他同P70、同P12、同P142、同P34がそれぞれ中等科研修を受講して
いることが認められるのであるから(甲二〇五、一〇六四ないし一〇六六、一〇七
三、一〇七五、一〇七六、一〇七九、一〇八〇、一〇八二ないし一〇八四、一〇八
八ないし一〇九一、一〇九六、一〇九七、一一〇二、一一〇四、一一〇五)、原告
組合員は、中等科研修を始め、各種の研修を受講しているのであり、原告らの主張
するような差別があったものとはいえない。
 また、原告らは希望した研修を受講させてもらえなかったことをもって組合差別
であると主張するが、右各種の研修は、職員の希望に従って受講を認めるものでは
ないのであるから、この点をもって差別ということもできない。さらに、原告ら
は、仮に中等科研修を受講できた場合であっても、受講の機会を遅らされ、後輩と
ともに受講させられたと主張し、前記各原告の陳述書には、三年以上遅れて受講さ
せられた旨の陳述があるが、中等科研修を始めとして各種研修には定員の定めがあ
り、同期入関者がすべて同一年度に各種研修を受講できるものではないことが認め
られ(甲三八六ないし三八九、四一九)、この点の原告らの主張は失当である。
七 レクリエーション
 原告らは、東京税関当局が、レクリエーション、サークル活動について原告組合
員の多く所属するサークルに対して差別扱いをした旨を主張するので、以下検討す
る。
1 費用配分
(一) 東京税関においては、職員のサークル活動に対し、共済組合を通じて補助
金を交付しており、その配分については、東京税関厚生委員会運営規程(昭和四〇
年達第二二号)、東京税関厚生委員会運営規程九条に基づく部門別委員会の運営に
関する細則(昭和四〇年総会二〇号)により、レクリエーションサークル部内委員
会において調査、審議し、その決定事項を東京税関厚生委員会に付議して決定され
ていたが、昭和四一年、東京税関当局は、東京税関時報号外において、サークル費
は厚生委員会で税関行政の発展に寄与するサークルに配分すると決定された旨報
じ、翌年には、原告組合員が多く加入していた演劇サークル「麦の会」に対する補
助金の交付がなくなり、同四三年ころには、二四サークル中、原告組合員が多く加
入しているか活動の中心となっていた写真、卓球、囲碁、油絵、舞踏、コーラス、
演劇などの一二のサークルに対しては補助金の交付がされないという状況となった
(甲三八、一四二、一四三、乙二〇七〇、原告P149、同P8、弁論の全趣旨)。
 このような状況は、前記認定のとおり、昭和四二年九月二六日の東京税関幹部会
議において、レクリエーション・年間行事について検討された際、「旧労分子の排
除」が議題とされ、また、サークル活動について、サークル部門の新、旧労の構成
比からみてこれを基盤としたレク行事には危険が伴うから、例えばコーラス、油
絵、華道、演劇等の文化活動については、官としては積極的にとりくまないとする
レクリエーション活動のあり方が討議され、東京税関の幹部会議において、右のと
おりの対応をとることが望ましいものとして受け入れられたことが認められ(甲三
三六の二)、当時、東京税関当局が、全税関組合員をレクリエーション活動から排
除し孤立化する政策をとる意思を有していたことと符合するものである。
(二) 右の事実によると、サークルに対する補助金の配分について、東京税関当
局は、全税関の影響力を弱める目的で、レクリエーション行事を通じて原告組合員
が他の職員に接触することを避けるべく、原告組合員が活動しているサークルに補
助金を交付しないこととしたことを推認することができる。
2 「麦の会」及び油絵サークル
(一) 証拠(甲三八、三三六の二、原告P8、同P149)によれば、次の事実が認
められる。
 昭和二九年九月四日、東京税関内にサークルとして演劇部「麦の会」が設立さ
れ、同三一年三月には、原告組合の評議会の副支部長、執行委員候補に「麦の会」
の会員が多数推挙され、同三二年六月には原告組合婦人部の部長(原告P88)、副
部長(P180)を「麦の会」の会員から出した。同三九年になると、東京税関当局
は、「麦の会」に対し稽古場の使用に当たっては当局の許可を得ることを要請し、
その際には「麦の会」には税関職員以外の者がいることを理由に本関庁舎内の会議
室等を稽古場として使用することを許可しなくなり、同じころ、「麦の会」の大道
具を置いていた場所の使用も認めなくなった。「麦の会」は、同三一年ころから原
告組合と東京税関当局との共催による文化祭を演劇発表の場としてきたが、同三九
年秋には右文化祭の共催を東京税関当局が解消し、同四一年、「麦の会」へのサー
クル費の配分がわずか一六〇〇円となり、当局から会計報告の提出を要求され、翌
年にはサークル費の配分がなくなった。また、東京税関当局は、同四一年一〇月に
江東出張所が晴海に移転した後、同出張所における油絵サークルがイーゼル、キャ
ンバス、絵の具箱等を置いておくスペースの使用を認めなくなり、同サークルの会
議室の使用許可申請に対し同サークルに部外者が参加することを理由に使用を認め
なくなった。そして、同四一年ころから、各サークルに対し、サークルの代表者を
役付職員とすることを要求するようになり、同年一月、「麦の会」に対してサーク
ルの部長は職制でなければならない旨指示したが、「麦の会」は職制ではない原告
組合員P48を会長に選任した。その後の同四三年一〇月一六日、東京税関当局は、
同人を新潟税関支署に配転した。
(二) 原告らは、東京税関当局が原告組合員の多く所属するサークルに対して差
別扱いをした旨を主張するが、前記のように国公法等の改正により、職員のサーク
ル活動に対し、共済組合から補助金が交付されるほか、東京税関当局からその普及
のための援助がされていたのであるから、東京税関当局が補助等を受ける対象とな
るサークルに対して会計報告などを求めることは、別段、不当なこととはいえない
し、また、本関が品川埠頭の新庁舎に、江東出張所が晴海にそれぞれ移転し、庁舎
が新しくなるに伴い庁舎の管理のため従来と異なる取り扱いがされるようになった
としても、これが直ちに著しく不当なものとは認められない。また、P48の異動に
ついては、当時「麦の会」の会長の地位にあったとしても、時間的な関連性が薄
く、右の事実関係のもとでは、原告組合に対する差別の一環としてのものであると
は認定できない。
3 音楽隊
(一) 証拠(証人P61、甲三八五、四三九、乙二〇六九、二一二七、原告P124)
によると、次の事実が認められる。
 東京税関音楽隊は、昭和三二年ころ、官房主事の発意で創立され、発足当初は三
〇名から四〇名の隊員が所属していた。当初は芝浦出張所の監視部警務課の分室
で、同三九年の本関移転後は本関の講堂で東京芸術大学音楽部のP181助教授の指導
を受けて毎週金曜日の勤務時間内に二時間の練習を行なっていた。
 昭和三八年ころには、定期練習に参加する隊員が一〇名内外となり、音楽隊の活
動に熱心でない者に対して自発的に退部することを勧告すべきか否かが検討される
までになったが、その後同三九年から同四一年ころまでは新入隊員もあり、原告組
合員が中心となって常時二〇名位が音楽隊の練習に参加するようになった。しか
し、同四二年ころには、練習場が制約されたり、練習時間が勤務時間内であったこ
とから、隊員以外の職員から不満が高まり、また、機構改革に伴う大幅な人事異動
などのために隊員が練習に参加することが困難となってきた。
 もっとも、昭和四三年一一月二八日の税関記念日の式典及び表彰式では、音楽隊
の演奏がなされ、その旨の記事が同年一二月二三日付の東京税関時報に掲載され
た。また、同四九年一一月七日の東京税関音楽隊公報第一号には、同年九月一〇日
に総務部長の発意で東京税関音楽隊が発足したが、同年度予算での楽器購入が不可
能となり、隊長のP182氏が退部するなどしたことが記載されている。その時点での
隊員名簿には原告組合員であるP61、原告P90らの名があった。
(二) ところで、前記認定のとおり、昭和四二年九月二七日に開かれた幹部会議
において、音楽隊活動について、「音楽隊は旧労分子の活動の場となってしまった
ので解散した。」「新設を検討したい。」「現在のサークルは旧労分子が中心で活
動しているので、二部制として、新しい演劇コーラスのサークルを結成させること
が必要と思う。」などと議論したうえ、その方針が決定されたのであって、東京税
関当局は、当時、全税関の影響力を弱める目的で、全税関組合員をレクリエーショ
ン活動から排除し孤立化する政策をとる意思を有していたことが明らかである。そ
して、証人P61の証言中には、昭和四二年、音楽隊のマネージャーであったP62副
関税審査官から、音楽隊の隊員がいなくなれば高価な楽器を購入した東京税関当局
も音楽隊の活動に改めて熱意を示すであろうからいったん音楽隊からの脱退届けを
出さないかとの相談を受け、脱退届けを出したが、これは、原告組合員を排除した
うえで音楽隊の活動を行なうための偽装解散のための工作であった、との供述部分
がある。同証言によっても、同人以外の原告組合員に同様の工作があったのかは不
明であるし、同人もその後数か月音楽隊の状況について関与していなかったという
のであって、東京税関当局の指示によりP62がP61を音楽隊から排除しようとした
ものとまでは認定できないが、当時、音楽隊の活動に東京税関当局が熱意を持た
ず、P62は東京税関当局の意を体して右行動をしたものと推認することができる。
 以上の事実に照らすと、原告組合員を中心に活動していた音楽隊は、昭和四二年
秋ころはその活動が衰えていた時期であるが、自然にサークルとしての組織が自然
消滅するような状況にあったわけではなく、そのころこれが解散に至ったのは、東
京税関当局が、原告組合員が多数参加していた音楽隊を嫌悪し、従来の活動の停止
を余儀なくさせたものであると推認することができる。
4 レクリーダー
(一) 証拠(甲三八三、三八四、乙二〇七〇、原告P8)によると、次の事実が認
められる。
 職員のレクリエーション行事については、昭和三九年人事院規則一〇-六が制定
され、また、同四〇年国公法七三条一項三号が改正され、同四一年総理府通達が出
されたのに伴い、これを適正に運営するための整備が行われ、各省庁を通じてレク
リエーション行事の計画的実施及び実施責任者の設置と併せて、レクリエーション
指導者の養成活用等が図られることとなった。これに対応するため、同四一年一〇
月、東京税関においてもレクリーダー制度を発足させた。当初は、レクリーダーは
指名制で一六名であったが、同四二年三月には二七名が指名された。さらに、同四
三年三月にレクリーダーに任命制がとられるようになったところ、原告組合員がレ
クリーダーに任命されたことがほとんどなく、レクリーダーに任命されたP183は、
同四七年七月に原告組合に加入したが、その後の同年九月一一日にレクリーダーか
らはずされた。
(二) ところで、昭和四二年八月一六日の東京税関の幹部会議において、「若年
層対策としてレクリーダーには旧労は入れてはいけない。」との意見が明示され、
また、同年九月二七日に開催された東京税関の幹部会議において、レクリーダーの
あり方について、「旧労職員に対しては、レクリーダーは何ら積極的に直接に接触
しないようにする。」「なるべく多く新労職員がレクリーダーの経験をもちうるよ
う措置する。」などと討議されたことが認められる(甲三三三の二、三三六の
二)。
 これらの事実に照らすと、レクリーダー制度は、職員のレクリエーションを普及
させるための制度であるが、東京税関当局は、レクリーダーにはできるだけ第二組
合の東京税関労の組合員を任命し、原告組合員を排除しようとし、その結果として
原告組合員はレクリーダーに任命されなかったことを推認することができ、東京税
関当局が原告組合員を組合員であることを理由にレクリーダーに任命しない差別扱
いをしたものといわざるを得ない。
5 水泳大会の選手選考
(一) 証拠(乙二一二八、乙二一二九の一、二、三、四、証人P61)によると、
税関においては、昭和四二年から全国税関水泳大会が開催されるようになり、同年
九月九日に第一回大会が行われたが、東京税関においては、同年八月二一日にその
代表選手の予備選考会が行われ、庁内放送で選考会参加希望者を募集した上で開催
されたこと、同年一二月一一日に東京税関水泳部が設立され、同四三年五月二一日
に東京税関水泳部発足式が行われたことが認められる。原告P63の陳述書(甲一〇
九三)、証人P61の証言中には、東京税関当局が右P61及び原告P63らに対し、予
備選考会の日程を知らせず、また、水泳部への入部を断られたとの部分が存する
が、そのような事情を認めるに足りる証拠はない。
(二) もっとも、前記認定のとおり、昭和四二年八月一六日に開催された東京税
関の幹部会議において、水泳大会につき、「本省の考え方では旧労選手でも名選手
がいる場合二~三名入れるのはやむを得ないとの回答だ。」「本省の質問は旧労参
加の実害についてであった。レクレーション問題について、時間をかけて検討する
必要がある。」「差別してもよいのではないか」などと発言がなされ、「最終的に
旧労四、五名でもよかろう」「今回は四名の旧労を入れたまま締め切ることとす
る」との結論が出されたのであってみれば、関税局は、全税関対策の一つとして、
全税関組合員の水泳大会参加を他の職員と差別して制限する目的を有していたもの
といわざるを得ないが、東京税関の幹部会議の結論は今回は原告組合員でも水泳大
会への参加を認めざるをえないとの趣旨のものであり、具体的に特定の原告組合員
の選考を不利益にしたものとはいえないから、水泳大会の選手の選考にあたって現
実に原告組合員に対する差別がなされたと認めることはできない。
八 大臣表彰
 原告らは、東京税関当局は原告組合員が組合に所属していることで大臣表彰の推
薦について差別した旨を主張するので、判断する。
1 証拠(甲三五三の一、一〇五〇、乙二〇七一ないし二〇七三、弁論の全趣旨)
によると、東京税関表彰内規一一条二項によると「表彰された職員の官職、氏名、
その他の表彰事項(関税局長及び大蔵大臣により表彰された職員を含む。)は、東
京税関時報に登載して公示する。」と規定されているところ、昭和四三年一月、羽
田税関支署勤務の原告P64が外国人女性による金の延べ板密輸事件を摘発したが、
これについて大臣表彰がされなかったこと、東京税関では、密輸検挙者の表彰は監
視取締業務に従事する税関職員表彰準則に基づく運用内規により「犯則検挙の得点
基準表」による評定によって行われるものとされていた(東京税関表彰内規一〇
条)ことが認められる。そして、前記認定のとおり、東京税関の同年七月一七日開
催の会議において、密輸検挙者の表彰について、税関長をはじめとする幹部が、全
税関組合員を表彰対象者に含めることの当否を議論し、好ましくない職員を排除す
るために運用内規に抵触する他の条件を付すこととして、全税関組合員を大臣表彰
から排除しようとしていたのであって、東京税関が組織的・継続的に原告組合員を
差別する意思を有していたことに鑑みると、原告P64が前記摘発について大臣表彰
を受けられなかったことは東京税関の原告組合員に対する差別意思のあらわれであ
ると推認することができるようにも考えられる。
2 しかしながら、密輸検挙者表彰については事件の難易性、危険性、処理の適切
性、犯則の規模等を総合的に判断して行われるべきもので、事件の検挙をもって必
ず表彰されなければならないものではなく、また、同原告は同年一二月二三日に別
の案件で大臣表彰(密輸検挙者表彰団体の部)を受けたことが認められるのである
から、前記事情だけでは、同原告が原告組合員であることを理由に大臣表彰につい
て差別を受けたということはできないというべきであり、ほかに原告組合員が組合
員であることを理由に大臣表彰について差別を受けたという具体的事実を認めるに
足りる証拠はない。
 また、昭和四三年四月二日に東京税関において幹部会議が開催され、大臣表彰に
ついて検討されたが、席上、「当人は勤勉手当の受領を拒否しているそうだが、大
臣表彰まで受領を拒否した場合上申した当関の面目がなくなる」との税関長の発
言、「給与法に定める勤勉手当の受領を拒否しているものは大臣表彰を受けるに値
しない。」との総務部長の発言、「本件は二月上旬に上申していたのに今日まで延
ばしていたため勤勉手当受領拒否の問題が絡んできたのだから表彰せざるを得ない
のではないか。」との羽田税関支署長の発言がなされたことが認められる(甲三五
三の一)が、これらの意見は、勤勉手当の受領拒否者が大臣表彰を拒否する可能性
を考慮して大臣表彰への推薦をしないことにすべきかを検討しているものであり、
直ちに原告組合に所属していることをもって表彰の推薦について差別しようとして
いるものではないし、右の発言が原告P64についてのものと認めるに足りる証拠は
ない。
九 職場行事
 原告らは、課内の忘年会・ボーリング大会等でも原告組合員を外して開催される
など、東京税関当局による村八分の扱いを受けたと主張し、証拠(甲一〇二三、一
〇二五、一〇四九、一〇七八、一〇八一、原告P34)中には右主張に沿う部分があ
る。
 しかし、右供述ないし供述書の内容をもってしても、当時の組合の分裂による職
員間の対立状況のもとにおいては、いずれも、各職員による個人的な発言や行動で
あるとみる余地が十分にあり、また、供述にかかる扱いが職場における親睦のため
のものであったりすることがうかがわれ、東京税関当局が各職員個人の交流に干渉
したことを認めるに足りる証拠はなく、東京税関当局による原告組合員に対する差
別扱いの事実を認めることはできない。
一〇 私生活
 原告らは、私生活の場においても、昭和四二年から同四四年までの長野県出身者
による県人会からの排除、結婚式における上司の欠席、親族が死亡したときの慶弔
規定の適用における差別などがされたと主張し、証拠(甲一〇一九、一〇二九、一
〇三七、一〇三八、一〇四〇、一〇四二、一〇四八、一〇六五、一〇七〇、一〇七
三、一〇八三)には右主張に沿う部分が窺える。
 この中には、確かにいったん結婚式への出席を承諾した上司が式の前日になって
断ってきたものもあるが、その理由が個人的な事情によるものかどうか明らかでは
なく、必ずしもすべての事例において作為的な共通の特徴があるわけでもなく、東
京税関当局が、組織的に私的な会合(県人会)・結婚式や各職場における慶弔規定
の適用についてまで原告組合員を差別することを指示したことを窺わせる証拠はな
く、この点の原告らの主張は認められない。
一一 組合敵視政策の有無
1 原告組合との交渉
 原告らは、組合分裂前は、税関長交渉が年間六、七回、いずれも午後半日位の時
間をとってあらゆる労働条件に関して行われたが、分裂後は、回数も時間も減り、
交渉の議題も制限されるに至った、と主張する。
(一) 証拠(甲二六〇ないし二六六、証人P165)によれば、昭和四〇年度は、原
告組合と税関長との交渉は年五回以上行われ、また、総務部長が原告組合との交渉
に当たることもあり、同四四年から同四六年の間についても年間三、四回は団体交
渉が行われたこと、しかし、同四一年六月に施行された改正国公法一〇八条の五第
三ないし六項により、団体交渉の交渉手続きが明確化され、交渉に先立って当事者
間で議題、場所、時間、人員その他必要事項を予め取り決めて行なうことになった
が、その後右の予備交渉がまとまらなかったり、また、出席者の都合があったりし
たため、団体交渉の要求があってから実際に団体交渉が開催されるまでに時間がか
かるようになったこと、また、右の国公法の改正によりいわゆる管理運営事項が団
体交渉の対象でないことが明確化され、右の手続きに沿って団体交渉に当たったた
め、議題についても東京税関当局が団体交渉の議題として取り上げることが適当で
ないと判断したものについては削除・制限するようになり、原告組合が同四六年三
月六日に団体交渉を申し入れた際、東京税関当局は、以前に交渉された議題と同一
事項であることを理由に直ちには団体交渉、予備交渉に応じず、同年五月一四日に
なってようやく団体交渉が開催されたこと、以上の事実が認められる。
 右の事実によると、組合分裂後である昭和四一年以降、団体交渉の回数、その議
題、出席者などについてそれ以前に比べて変化があったことは、改正された国公法
の規定に従って交渉が行われるようになった結果であるものと認められ、原告組合
に対する団体交渉の態様の変化が第二組合の税関労に対する場合とその回数、内容
について差別をした結果であるとの事実を窺わせる証拠は存しない。
(二) また、証拠(甲一二三、甲二一九ないし二二三、原告P8)によると、昭和
三八年三月二五日、原告組合業務分会は、統計課の人員減少の問題について職場大
会を開催して議論し、翌二六日には業務部長と右問題の組合としての要求事項につ
いて団体交渉を行なったことがあり、また、同年六月二一日、原告組合業務分会
は、同日気温が三〇度を超えたので職場における扇風機の使用について業務部長に
団体交渉を求めたところ、即日業務部長と団体交渉が実現したことがあったが、組
合分裂後の同四二年四月二二日には、原告組合東京外郵分会は、東京外郵出張所長
に対して所長交渉を求めた際、同所長からその前提条件を示されたので、無条件で
応じるように抗議文を出したこと、その後も、同四八年四月五日、原告組合品川分
会代表は、輸入部長に対して要求書を手渡そうとしたところ部長不在のため手渡す
ことができず、同日午後五時三〇分ころから約一時間にわたって管理課長と分会要
求事項について話し合いをしたが、輸入部長との団体交渉はできなかったこと、同
月一九日、原告組合が税関長と団体交渉をしたところ、関税局の総務部長は、総務
課長が窓口となるからとして原告組合の品川分会との交渉を拒否したこと、以上の
事実が認められる。
 右事実によると、東京税関当局は、原告組合の分会との交渉に当たっても、担当
部所署長との団体交渉の前に予備折衝を行ない、直ちに部所署長との団体交渉に入
る方法を認めなかったところ、その予備折衝に当たり、原告組合は東京税関当局に
対してなんらの条件を付けないで団体交渉に応じることを求め、この点で東京税関
当局と対立したため、団体交渉を開催することができなかったものということがで
きる。そうすると、原告組合と東京税関当局との団体交渉が円滑に進められなかっ
たのは、改正された国公法の規定による方法の団体交渉を求める東京税関当局とこ
れに反対する原告組合との間で、交渉方法に関する意見の相違・対立があったこと
にあり、東京税関当局に非難すべき点が認められないのであり、少なくとも原告組
合に対して理由なく団体交渉を拒否したものとまでは認められない。
2 庁舎管理規則
 原告らは、東京税関当局は、昭和三九年に庁舎管理規則を改正し、原告組合の分
裂後、右改正された本件庁舎管理規則を理由に原告組合の団結行動に対して妨害、
弾圧を加えたと主張し、その例として、職場集会の妨害、分会大会の妨害、分会ニ
ュース等の印刷行為に対する妨害を挙げる。
(一) 東京税関は、昭和三四年達二〇号をもって、東京税関の庁舎等(その管理
運営する土地、建物、工作物及びその他の施設)の管理について必要な事項を定め
るものとして、本件庁舎管理規則を制定し、同年一二月七日からこれを施行した
(乙三四)。そして、同三九年一一月二五日、本関が品川埠頭の庁舎に移転するに
当たり、従来の第二大蔵ビルとは施設の内容が異なることから、東京税関当局は、
施設の実態に合わせるため本件庁舎管理規則を改正し、その内容を周知した(乙四
〇、証人P165。乙四〇の東京税関時報別冊日付が同三二年となっているが、これは
同三九年の誤りと認められる。)。右改正は、管理者のほかに新たに職場毎に使用
責任者を置き、両者が協力して庁舎等の管理に当たるとともに、庁舎等の目的外使
用等について両者の許可を要することを明示し、税関業務を阻害する一定の行為を
禁じ、違反行為には当局が中止等を命じ、これに従わないときは、自ら除去するこ
とができるというものであった。
 そして、証拠(証人P165)によれば、庁舎の使用については従来から許可制であ
ったこと、東京税関当局は、右改正前から職場集会等については許可証を発するこ
とがあったが事務室での小集会等については許可申請をすることがなくとも集会の
開催を認めたことがあったこと、東京税関当局は、昭和四二年二月四日、東京税関
時報の号外として「庁舎等における集会等について」との文章を掲載し、従来事務
室での小集会を認めてきたのは庁舎事情が悪く、満足な会議室が一つもないための
慣行であったこと、同三九年に品川埠頭に本関を移転して以後本関その他の庁舎事
情が整備され、会議室等も用意できたため、行政執行の場であり、国民大衆に公開
されており、緊急の公務を執行している職員がいる事務室及び公衆溜まりについて
は、今後原則としてその使用を許可しない方針であることを周知させたことが認め
られる。
 右の事実によると、庁舎施設の改善という事情のもとに、東京税関当局が、昭和
三九年一一月、本件庁舎管理規則を改正し、庁舎の使用についての許可制の運用を
従前と変更したとしても、それには合理的な理由があり、直ちに不当なものとはい
えない。
 昭和四一年九月二日発行の支部ニュース(乙二八)には、原告組合の声明とし
て、当局が本件庁舎管理規則は労働組合活動には適用しないと言明してきたし、以
前は集会の開催について届出をしたことは一度もない旨が記載されており、また、
証拠(原告P9)中には、税関長交渉の場において本件庁舎管理規則は組合活動を対
象としたものではない旨の回答があったし、同四〇年暮れ、総理府人事局長が国公
共闘役員との交渉において本件庁舎管理規則は組合活動を対象としたものではない
旨回答したとの部分があるが、同原告の供述はいずれも伝聞であり、同四一年一〇
月八日付原告組合の支部ニュースには、総理府人事局長と国公共闘役員とのやり取
りにおいて、「事実上組合活動ないしは団結権に影響がありうる」「国公の組合活
動がまったく無制限であるというのではない。制限はある。そういう範囲内での制
限というか影響はある。」との記載があること(乙二一三三)に照らすと、東京税
関当局が、本件庁舎管理規則を組合活動には一切適用しないと言明したものと認め
ることは到底できず、他に東京税関長が本件庁舎管理規則を労働組合には適用しな
いと言明したことを認めるに足りる証拠はない。
(二) 証拠(甲八九、九三、乙二七ないし二九、乙三一の一ないし四、乙三二、
四二ないし四四、二一三五、二一三六、原告P8、同P71)によると、昭和三九年以
前、原告組合は、職場集会を昼休みなどに事務室で開催して要求事項の確認・決議
をしていたが、東京税関当局は、勤務時間内に食い込むものでないかぎり、特にこ
の集会を禁止したり、実行者を処分したことがなかったこと、東京税関当局は、同
四〇年一月二七日の昼休みに開催された原告組合の職場集会を職制をして排除しよ
うとしたうえ、同年三月三一日には、職場集会を許可なく同年二月一一日に開催
し、部外者を入れて集会を積極的に指導したことを理由に、原告組合支部長であっ
た原告P4に対し訓告、書記長であった原告P7に対し厳重注意の各処分をし、これ
以降、原告組合が事務室で職場集会を許可なく開催することを本件庁舎管理規則違
反として禁止する態度をとったこと、以上の事実が認められる。
 しかしながら、既に認定したように、本来庁舎内で行なう集会には東京税関当局
の許可が必要であったが、従来は施設が十分でないために職場事務室内での集会も
事実上認められてきたものの、昭和三九年に本関の庁舎が移転したことに伴い集会
を行なう場所として会議室等の確保ができたため、以後は庁舎管理規則上許可なく
事務室及び公衆溜まりを集会のために使用することを認めないことになったもので
あり、さらに、東京税関当局は部外者が多数を占める集会についても事務室及び公
衆溜まりの使用を許可しない方針であったこと、また、原告組合も組合内部の意志
統一などのための集会は従前から許可を得て会議室で開催してきたが、統一行動な
ど職場内外の人達に行動をアピールするための集会はあえて許可を得ずに事務室や
公衆溜まりで事実上行なっていたことが認められる(乙四〇、四一、二〇五四、二
〇五五、証人P165の証言、原告P40)。
 これによると、東京税関当局が、施設の充実に伴い、原告組合に対し、集会を会
議室で行なうことを求め、公共施設である税関の事務室、公衆溜まりでの集会を原
則として許可せず、部外者の立ち入りを認めない方針をとるに至ったことは、一応
の合理性があり、いずれも不当とはいえない。そうすると、右のような庁舎の移転
といった状況の変化等を考慮せず、従前の取扱いをすることを要求する原告組合に
対し、東京税関当局がこれに応じないで本件庁舎管理規則に基づく許可制を運用し
て対立するに至ったことをもって、原告組合に対する差別であると認めることはで
きない。
(三) 証拠(甲一〇〇、一一七、原告P71、同P8)によると、原告組合新橋分会
が昭和四一年八月一五日午後六時から新橋出張所で分会大会を開催しようとした
際、新橋出張所長は庁舎管理規定に基づいてこれを許可しなかったため、原告P
71らはあくまで分会大会を開催する姿勢を示していたところ、同出張所管理係長
は、「鍵は守衛に預ける。P71さん頼みますよ。」といったうえで、同出張所の鍵
を守衛に預けたこと、同原告は、右の管理係長の言動をもって分会大会の開催を認
めたものと速断し、守衛からその鍵を受け取り、同日午後六時から、分会大会を開
催したところ、経過報告中に多数の職制が入ってきて無許可集会として分会大会の
中止を求められたため、これを中止したが、その後同年一〇月六日に新橋分会大会
の続行大会を改めて許可を得ることなく開催したところ、再び多数の職制が入室し
てマイクで解散を求められ、続行不可能となったこと、同月二二日、東京税関当局
は、新橋分会長に対して右無許可集会を指導したことを理由に厳重注意処分を行な
ったこと、以上の事実が認められる。
 これによれば、本件庁舎管理規則の改正及びその運用の変更はいずれも決して不
当なものではないのであるから、これに反してあくまで許可を受けずに新橋分会大
会を挙行しようとした原告組合新橋分会の行動は、明らかに右庁舎管理規則に反す
るものであって、東京税関当局がこれを職制をして中止させようとし、また、右違
法な分会大会を指導した者に対して注意処分を行なうことは正当なものというべき
であるから、右の事実をもって原告組合を差別してその活動を制限しようとするも
のとは認められない。
(四) 証拠(甲九八、一一八、一一九、乙七八の一、乙二〇五〇、乙二〇五一の
一、二、乙二〇五二、二〇五三、四〇五〇、証人P165、原告P8、同P40)による
と、次の事実が認められる。
 原告組合晴海分会は、昭和四一年八月から同年九月にかけて、職場に組合の印刷
場所を確保するため、東京税関当局に対し、印刷場所を提供するように要求すると
ともに、昼休み中に輸出課事務室のカウンターのそばの組合員の机の上に新聞紙を
敷き、その上に印刷機を置いて分会ニュースを謄写版印刷した。晴海出張所長は、
庁舎管理規則に従い、許可を受けてから印刷することを右分会に求めたが、同分会
はこれに応じなかった。同年九月六日、晴海出張所長と原告組合晴海分会との間で
話し合いが持たれた際、当局は同出張所の屋上への出口踊り場を印刷場所として提
供することを提案した。同分会は、印刷場所の提供を受けることは了承したが、右
踊り場は電気もなくて暗く、広さも職員一人で一杯になってしまい、印刷場所とし
て適当でなく受け入れられないとして、右踊り場を印刷場所として許可申請するこ
とはしなかった。原告組合晴海分会員は、その後も職場の原告組合員の机の上で分
会ニュースの印刷行為を続けたため、東京税関当局は、同年一〇月六日に原告P
40、同P131、同P12、同P156、同P155、同P149に対し文書により厳重注意処分
に処したが、原告P40が右厳重注意書の受領を拒否したため、同月九日、これを内
容証明郵便をもって通知した。にもかかわらず、さらに、原告組合員が同月一八日
から一九日まで印刷行為を継続したため、東京税関当局は、原告P40に対し、同月
二七日、文書により厳重注意をした。なお、同六三年当時では、江東出張所におい
て事務室の机においてミニプリンターで印刷を行っても格別東京税関当局が注意し
たり、矯正措置をとったりすることはなかった。
 以上の事実によると、印刷行為に対する本件庁舎管理規則違反を理由とする処分
が昭和四一年当時に特に集中しており、原告組合の活動に対する制限が厳しく行わ
れたものということができるが、当時、東京税関晴海出張所においては、原告組合
晴海分会からの印刷場所提供の要求に対して団体交渉を行なっていた時期であり、
東京税関当局が印刷場所を提供する案を提示して話し合いに向けた努力をしていた
にもかかわらず、原告組合が性急に組合の要求を実現させるための行動に出たもの
といわざるを得ず、その後同六三年当時に処分がないのも同四一年当時は謄写版印
刷が行われていたのに対し、その後はいわゆるミニプリンターによって印刷される
ようになったという印刷方法の変更が影響していると考えられ、これらの事情に照
らすと、東京税関当局が原告組合の組合活動に対する妨害として印刷行為に対する
妨害、処分をしたものとまでは認められない。
3 矯正措置
 原告らは、東京税関当局が恣意的に矯正措置を多発・濫用した旨を主張するとこ
ろ、東京税関当局が昭和四一年九月に原告P5を訓告処分に処し、翌一〇月同人の昇
格を延伸し、翌四二年三月に勤勉手当をカットしたことが認められるが(甲一〇一
八)、他方、同四九年二月二七日に同原告を訓告処分に、翌五〇年に厳重注意処分
に処した際は同原告に対する昇給延伸ないし勤勉手当てのカットもされなかったこ
とが認められる(甲一〇一八)。
 もともと、訓告処分あるいは厳重注意処分があったことのみで、定昇のための
「良好な勤務成績」の証明が得られなくなるというものではなく、また、勤勉手当
の成績率の決定にあたって影響を与えたとしても、同原告についてこれ以外の事情
が考慮されたのか否かについての確たる証拠はなく、恣意的に矯正措置が多発・濫
用されたことを認めるに足りる証拠はない。
4 現認制度
 証拠(甲一三、一四、二二四、四三〇、一〇六九、原告P8、同P10)によると、
昭和四二年ころ、本関統計課に配属されていた原告組合員五名をすべて特別統計係
に集め、同係長が、同原告組合員らに関して、トイレに行ったこと、新聞を読んだ
こと、電話がかかってきたことなどにつき一〇分刻みの表を作成してその行動を記
録したり、同年六月一五日には、本関輸出統計係に勤務していた原告P76が、勤務
時間終了後、P79係員が職場の机の引き出しに入れておいたテープレコーダーで同
原告らの会話を録音しておいたものをP77課長、P78輸出統計係長とともに再生し
て聞いているところを目撃したことがあり、また、羽田税関支署のP184総務課長
は、原告組合羽田分会が同四六年七月一五日午前八時から同八時三〇分までに開い
た時間外集会において、集会が時間内に及んだ場合にこれを現認するために、P
185同課係長にテープレコーダーを所持させ、集会場所である同税関支署輸出検査場
のシャッターの内側でテープレコーダーで同集会の様子を録音するよう指示したほ
か、東京税関当局は、原告組合の集会において原告組合員の活動について主に職制
を用いて現認書を作成させて記録を残したこと、以上の事実が認められる。
 右に認定した事実によると、東京税関当局は、些細な事実を詳細に記録しようと
して原告組合員をいたずらに刺激し、仕事中の私語について記録するにしても机の
中にテープレコーダーを忍ばせて録音しようとする職員の行動を容認する姿勢を示
したり、組合活動としての集会が勤務時間に食い込み違法となる場合に備えるにし
ても事前にテープレコーダーを用意して密かにその様子を録音しようとするなど、
その方法に若干行き過ぎがあったのではないかとの疑問を禁じ得ない。しかし、そ
の方法はともかくとして、原告組合員らに非違行為など勤務成績に影響するような
行為があった場合、これを現認書等を用いて記録すること及び非違行為を行なう蓋
然性がある場合にはそれを予測して行動したことをもって、ことさらに違法な反組
合行為をしたということはできない。
一二 勤勉手当
 原告らは、勤勉手当の減額に際しても差別的取扱いがあった、と主張する。
1 勤勉手当は、基準以前六か月又は一二か月以内の期間における勤務成績に応じ
て支給する旨規定されているところ(給与法一九条の四)、証拠(甲二一七、一〇
一九、一〇二〇、一〇四九、一〇五二、原告P8、同P66)によると、昭和四三年三
月一五日に、原告P186、同P12、同P131、同P5、同P112、同P55、同P3、同P
92、同P8、同P88、同P107、同P40、同P11他四名の一七名が、同年六月一五日
には原告P144、同P53、同P92、同P88、同P37、同P73、同P6、同P11他一名
の九名が、同年一二月五日には原告P8、同P76、同P10他二名の五名が、同四四年
三月一五日には原告P63が、それぞれ勤勉手当を減額されたことが認められる。
2 しかしながら、証拠(乙二〇四二、二〇四三、二〇四四、二〇四五、二〇九
二、原告P66、同P40)によれば、昭和四三年七月四日、原告P40は人事院総裁に
対し同四三年三月一五日支給の勤勉手当の不当なカットを撤回すること及びカット
分の賃金を全額補填することを求めて行政措置要求を申し立てたが、人事院は、同
四四年一二月一二日、横浜税関職員からの同種の内容の申立てに対し、執務中上司
の職務上の命令または注意に従わない行為があったこと等が勘案されて勤務評定が
行われ、成績率が決定されたものである旨を判断して、不当とすべき点は見い出せ
ないとの判定を下しており、勤勉手当を減額された右各原告らは、右期間中に勤務
成績に影響を及ぼす非違行為(後記認定判断のとおり)をしたこと、また、同四三
年ころ、第二組合の税関労の組合員や非組合員の中にも勤勉手当を減額された職員
がいたことが認められる。また、同四二年四月一一日に開催された東京税関の部長
会議において、関税局の総務課長が関税局主催の総務部長会議の結果として、「勤
務手当の減額については、本省は×割でなく、もっと突っ込んだ減額措置を検討し
たいといっていた。大多数の税関はやるべきだとの意見であった。」と報告したこ
とが認められるが(甲三四の一)、これによって関税局ないし東京税関当局の政策
がそのとおりに確定されたことを推認することはできないし、他方、同年一一月二
四日に開催された東京税関の幹部会議において、税関長が「勤勉手当により差別を
つけるより、現行の昇給延伸の方策が必罰の効果が大きい。」と発言したことが認
められる(甲三三八の一)。これらの事実に照らすと、東京税関当局による原告組
合員に対する勤勉手当の減額は、原告組合に所属していることを理由として差別し
たものとは認められない。
第五 争点四(非違行為)について
一 非違行為の存在
1 現認書の証拠能力
(一) 原告らは、被告の提出したいわゆる黒塗現認書が民訴法三二二条一項に反
して抄本をもって提出されたものであり、かつ、文書の重要部分をその一部抹消に
より変造したものであるから不適法である、と主張する。
 しかしながら、民訴法三二二条一項が文書の提出について原本以外のものとして
は正本又は認証謄本に限定した趣旨は、正本及び認証謄本がその作成の経緯からみ
て原本と同一視できることにあり、したがって、当該文書の写しの提出によって正
本又は認証謄本の提出と同一視することはできないが、文書の写しそのものを原本
として提出することは、写しの作成者が原文書を基にして新たに自己の作成名義の
文書として写しを提出するものであるから、同項の許容するところであることは明
らかである。
 また、本件文書は、原告以外の税関職員の氏名部分が消除されていることが展示
上明らかであるが、本件文書の作成名義人としての税関訟務官P93がその権限に基
づいて原文書に記載されている内容を確認したことを報告するために作成されたも
のであるから、この文書作成にあたり、その基になった原本の一部分を抹消するこ
とは、原文書の記載内容の一部を報告する趣旨の意思を表示したものであり、した
がって、文書の変造という不法行為に当たらないことはいうまでもない。
 本件文書は、税関訟務官P93が「上記は抄本である」との意思内容を表示した文
書であると主張して提出されたものであることは記録上明らかであるから、本件文
書は右訟務官作成名義の文書を原本として提出されたものというべきであり、この
証拠申出及び証拠調べになんらの違法はない。
(二) 原告らは、本件文書が黒塗の対象となった者の氏名をことさら秘匿し、被
告のした原告らに対する賃金差別が明らかになるのを防ぐ意図で提出されたもので
あって、信義則に反して許されない旨主張する。
 しかしながら、本件文書は、もともと東京税関の管理職の地位にある職員が上司
に報告する目的で作成した文書を原本として、同人が本件訴訟の証拠とするため
に、これを複写機で複写したうえで、プライバシーの保護ひいては人事管理上の秘
密保持の観点から、原告以外の職員の氏名を秘匿できるように当該氏名部分を黒く
塗りつぶして消除したものであることが認められる(証人P93)。したがって、本
件文書は、黒塗り部分を除き、原文書が機械的に現状のまま写されたものであるか
ら、黒塗り部分を除いた部分につき、原文書と証拠価値において異なるものではな
い。このような書証の申出をもって、信義則に反するものとはいいがたく、他に原
告ら主張の違法不当をいう事情を認めるに足りる証拠はない。
2 非違行為の内容
(一) 証拠(乙五七ないし二〇〇六)によれば、原告らが本件係争期間中、原告
別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に記載された行為、具体的には、原告別非違
行為一覧表(無許可集会)(その他)(プレート等闘争)に記載のとおりの行為
(以下「本件非違行為」という。)をし、これに対して、原告らが被告から右一覧
表の「処分等」欄に記載された矯正措置又は懲戒処分、具体的には、原告別処分状
況一覧表のとおりの処分を受けたことが認められる。ただし、原告別非違行為等一
覧表及び原告別非違行為一覧表(プレート等闘争)中の原告P148(原告番号七五)
の昭和四二年一〇月三日の非違行為を削除し、同表(その他)中の原告P66(原告
番号二九)の昭和四八年四月一三日に関する行為時間を「一三:一五頃~一三:二
〇頃」に改め、同表(その他)中の原告P124(原告番号四四)の昭和四三年三月一
九日に関する行為時間を「一六:四六頃~」に改め、同表(その他)中の原告P
64(原告番号五〇)の昭和四九年三月二三日に関する行為時間を「〇八:四〇頃~
〇八:五〇頃」に改め、原告別処分状況一覧表中の原告P105(原告番号九)の昭和
四七年八月一八日の処分日時を同月一九日に改める。
(二) 本件非違行為の内容は、多岐にわたるが、行為の態様別に分類すると、次
のとおりとなる。
(1) 庁舎内・庁舎敷地内で原告組合が無許可で行なった座り込み闘争又は集会
に参加し、当局から解散・退去するよう命令を受けたが、これに従わなかった行
為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「集」の記号で示されたもの。
(2) 当局がした業務命令・職務執行を不満として、多数で抗議行動に参加し、
上司等を取り囲んで難詰するなどして職場の秩序を乱した行為。原告別非違行為等
一覧表の「非違行為」欄に「抗」の記号で表示されたもの。
(3) 当局が原告組合の無許可ビラ、ポスターを撤去しようとした際に、その前
に立ちはだかるなどして、その作業を妨害した行為。原告別非違行為等一覧表の
「非違行為」欄に「妨」の記号で示されたもの。
(4) 庁舎内において原告組合が行なった職場集会で放歌高唱をした行為。原告
別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「歌」の記号で示されたもの。
(5) 執務中の職員を取り囲み、当局の制止にもかかわらず、口々に大声で怒鳴
り、難詰し、執務室内を騒然とさせ、職場秩序を乱した行為。原告別非違行為等一
覧表の「非違行為」欄に「騒」の記号で示されたもの。
(6) 勤務時間中に無断で職務又は自席を離れ、職務を離脱した行為。原告非違
行為等別一覧表の「非違行為」欄に「離」の記号で示されたもの。
(7) 事前に承認を得ないで年次休暇を取得した行為。原告別非違行為等一覧表
の「非違行為」欄に「年」の記号で示されたもの。
(8) 特別休暇の承認を受けていたにもかかわらず、原告組合員と食堂で談合
し、特別休暇制度の趣旨に反していた行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行
為」欄に「特」の記号で示されたもの。
(9) 無断で欠勤した行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「欠」
の記号で示されたもの。
(10) 勤務時間中、他の職員に対して大声で暴言を吐くなどした行為。原告別
非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「専」の記号で示されたもの。
(11) 出納員が提示した勤勉手当の受領を拒否した行為。原告別非違行為等一
覧表の「非違行為」欄に「拒」の記号で示されたもの。
(12) 勤務時間中、庁舎事務室内で政党機関紙、分会ニュースを職員に配布し
た行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「配」の記号で示されたも
の。
(13) 無許可で庁舎事務室内の机上等で謄写印刷を行ない又はこれを援助した
行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「目」の記号で示されたもの。
(14) 庁舎内の柱、壁、ドア、窓ガラス、机、カウンター等に無許可でビラを
貼付した行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「ビ」の記号で示され
たもの。
(15) 勤務時間中に職場内で原告組合の要求が書かれたリボン、プレート、バ
ッジ、腕章を着用し、上司から取り外すよう命令を受けたが、従わなかった行為。
原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「リ」「プ」「バ」「腕」の記号で示
されたもの。
(16) 勤務時間中にステッカーを机上に貼付し、上司から取り除くよう命令を
受けたが、これに従わなかった行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に
「ス」の記号で示されたもの。
(17) 勤務時間中に円柱、角柱、角錐等を机上に置き、上司から撤去するよう
命令を受けたが、これに従わなかった行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行
為」欄に「柱」の記号で示されたもの。
(18) 勤務時間中に、カンパ用の募金箱、缶を自己の机に置いて執務し、上司
から撤去するように注意されたが、これに従わなかった行為。原告別非違行為等一
覧表の「非違行為」欄に「募」の記号で示されたもの。
(19) 庁舎前で原告組合の横断幕掲出行為に参加し、当局の中止・退去命令に
従わなかった行為。原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「示」の記号で示
されたもの。
(20) 駐車中のタクシーに損傷を与え、器物毀損で現行犯逮捕された行為。原
告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「器」の記号で示されたもの。
(21) 電柱等に吊り看板を取り付け、軽犯罪法違反で現行犯逮捕された行為。
原告別非違行為等一覧表の「非違行為」欄に「逮」の記号で示されたもの。
二 非違行為の違法性
1 庁舎管理規則違反行為
(一) 庁舎管理規則の内容
 税関の庁舎等は、国において国の事務又は事業に供する公用財産たる行政財産で
あり(国有財産法三条)、その管理権は、税関長に属するところ(同法五条)、本
件庁舎管理規則一条の三及び二条は、この規則の円滑な運営を図るため統括管理者
及び管理者を置き、管理者として、本関は総務部会計課長、羽田支署は羽田支署総
務課長、その他の支署は支署長、出張所は出張所長等と定め、庁舎等の管理につい
ての事務に努めさせている。
 そして、本件庁舎管理規則六条の二第二項は、「管理者等(管理者及び管理者か
ら庁舎等の管理に関する事務の一部の委任を受けた貸与庁舎等管理者)は、庁舎等
の管理運営上支障なく、かつやむを得ないと認められる場合に限り、その管理に属
する庁舎等を庁舎等又は貸与庁舎等において勤務する職員に、その使用目的以外の
ため、一時使用させることができる。」と定めている。
 同八条は、「管理者は、庁舎等において勤務する職員のため会議室及び講堂を使
用させることができる。」(一項)、「管理者は、庁舎等において勤務する職員の
柔剣道、その他これに類するものの訓練のため柔剣道場を使用させることができ
る。」(二項)、「管理者は、庁舎等において勤務する職員の囲碁、将棋、生け花
その他のレクリェーション活動のため、和室及び特別供用室を使用させることがで
きる。」(三項)、「管理者は、庁舎等及び貸与庁舎等に勤務する職員の休息又は
休憩のため屋上、構内の広場等を使用させることができる。」(四項)と定め、九
条は、「庁舎等に勤務する職員は、前条の規定により会議室、講堂、柔剣道場、和
室等及び屋上等を使用しようとするときは、あらかじめ、所定の使用承認申請書を
提出し、管理者の承認を受けなければならない。」(一項)、「管理者は、この承
認をする場合において必要な条件を付し又は指示することができる。」(二項)と
定めている。
 また、一二条は、「管理者等は、庁舎等をその目的外に使用しようとする者があ
るときは、所定の使用許可申請書を提出させ、許可を受けさせるものとする。」
(一項本文)、「管理者等は、この許可をする場合において必要な条件を付し又は
指示することができる。」(三項)と定めている。さらに、一四条は、「管理者等
は、庁舎等において管理者等の定める掲示場所以外の場所で掲示を行なわせてはな
らない。」(一項本文)、「管理者等は、定められた掲示場所以外の場所に掲示し
ようとするものがあるときは、その掲示について、所定の掲示許可申請書を提出さ
せ、許可を受けさせるものとする。」(二項)、「管理者等は、この許可をする場
合において、必要な条件を付し又は指示をすることができる。」(三項)と定め、
一四条の二において、「管理者等は、次の各号の一に該当すると認められる文書、
図画、ポスター等の掲示を行なわせてはならない。(1) 法令に違反するもの、
(2) 庁舎における業務を妨害し又は妨害するおそれのあるもの、(3) 行政
官庁の信用を傷つけ又は傷つけるおそれのあるもの、(4) 個人を誹ぼうするも
の。」と定め、一四条の三は、「掲示を行なった責任者又は行為者は、掲示期間の
満了後、直ちにこれを撤去しなければならない。」(一項)、「管理者等は、この
規則に違反する掲示のあるとき又はその許可の内容に相違する掲示をし、あるいは
一四条三項の規定による条件若しくは指示に違反した掲示をしたときは、当該掲示
を行なった責任者又は行為者にその徹去を命ずることができる。」(二項)と定め
ている。
 一六条は、「管理者等は、集団をなして陳情しようとする者に対して、庁舎内の
秩序を維持し又は災害を防止するため必要があると認めるときは、その人数、面会
時間又は面会場所を指定するものとする。」(一項)、「管理者等は、集団をなし
て陳情しようとする者に対して、その人数、行動その他の事情から判断して示威運
動となるおそれがあると認めるときは、庁舎等への入場を禁止するものとする。」
(二項)と定めている。一八条は、「管理者等及び使用責任者は、次の各号の一に
該当すると認められる者に対して、庁内の秩序を維持し、災害を防止し若しくは庁
舎等における業務の妨害を排除するため必要があるときは、その行為を禁止し又は
庁舎等から直ちに退去若しくは解散することを命ずるものとする。(1) 職員に
面会を強要する者、(2) 銃器、凶器その他の危険物を庁舎等に持ち込む者又は
持ち込もうとする者、(3) 旗、のぼり、宣伝ビラ、プラカードの類及び拡声
器、宣伝カー等を庁舎等において所持し、使用し若しくは持ち込み又は持ち込もう
とする者、(4) 立入を禁止した区域に立ち入り、又は立ち入ろうとする者、
(5) 庁舎等において、文書、図画等を領布し若しくは掲示し、又はこれらの行
為をしようとする者、(6) 庁舎等において、テントその他これに類する施設を
設置しようとする者、(7) 庁舎等において多数集合した者、(8) 庁舎等に
おいて、放歌高唱し又はねり歩く等の行為をし又はこれらの行為をしようとする
者、(9) 庁舎等において、座り込みその他通行の妨害になるような行為をし又
はしようとする者、(10) 庁舎等において、金銭、物品等の寄付を強要し又は
押売りをした者、(11) 庁舎等において、たき火等火災予防上危険を伴う行為
をし又はしようとする者、(12) その他庁内の秩序を乱すような行為、災害の
発生するおそれのある行為若しくは庁舎等における業務を妨害するおそれのある行
為をし又はしようとしたもの。」(一項)と定めている。
 一九条は、「管理者等及び使用責任者は、次の各号の一に該当するものがある場
合において、庁内の秩序を維持し、災害を防止し若しくは庁舎等における業務の妨
害を排除するため必要があると認めるときは、直ちにその所有者、占有者又は当該
各号に規定する行為をした者にその撤去又は搬出を命ずるものとする。(1) 庁
舎等に持ち込まれた銃器、凶器その他の危険物、(2) 庁舎等に掲揚され、掲示
され、貼られ若しくは搬入された旗、のぼり、宣伝ビラ、文書、図画、プラカード
の類又は庁舎等に搬入された拡声器、宣伝カーの類、(3) 庁舎等において設置
されたテントその他これに類する施設、(4) その他庁内の秩序を乱し若しくは
乱すおそれのある物、災害を発生し若しくは発生するおそれのある物、又は庁舎等
における業務を妨害しもしくは妨害するおそれのある物と認められる物。」と定め
ている。
(二) 庁舎管理規則の効力
 税関長は、職場環境を適正良好に保持し、規律のある業務の運営態勢を確保する
ため、庁舎等の使用については許可を受けなければならない旨を一般的に規則をも
って定め、又は具体的に指示、命令することができ、これに違反する者に対し、そ
の行為の中止、原状回復等必要な指示・命令を発することができるものと解すべき
である。
 したがって、東京税関長が、庁舎等の適正な管理と秩序維持のため本件庁舎管理
規則を制定することは適法であり、機構整備の一環として行われた改正部分を含
め、その内容になんら不当と評価される点はない。
(三) 庁舎管理規則の制定・運用の目的
 原告らは、本件庁舎管理規則が原告組合の活動を弾圧するために制定され、原告
組合の活動を干渉、抑圧する目的に恣意的に適用されてきたものであって、従前は
職場集会等が違法視されることはなかった旨を主張する。
 しかしながら、労働組合又はその組合員が国の所有し管理する物的施設であって
定立された公の業務秩序のもとに事業の運営の用に供されているものを使用者の許
諾を得ることなく組合活動のために利用することは許されないものというべきであ
るから、労働組合又はその組合員が国の許諾を得ないで国の物的施設を利用して組
合活動を行なうことは、これらの者に対しその利用を許さないことが当該物的施設
につき国が有する権利の濫用であると認められるような特段の事情がある場合を除
いては、職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保しうるよう
に当該物的施設を管理利用する国の権限を侵し、公の業務秩序を乱すものであっ
て、正当な組合活動として許容されるところであるということはできない(最高裁
昭和五四年一〇月三〇日第三小法廷判決・民集三三巻六号六四七頁)。
 そして、前記認定のとおり、東京税関当局は、従来事務室での組合の小集会を認
めてきたのは庁舎事情が悪く、満足な会議室が一つもないための慣行であったが、
昭和三九年に品川埠頭に本関を移転した以後本関その他の庁舎事情が整備され、事
務室及び公衆溜まりについては今後原則としてその使用を許可しない方針であるこ
とを周知させたのであるから、庁舎施設の改善という事情のもとに、東京税関当局
が、本件庁舎管理規則を改正し、庁舎の使用についての許可制の運用を従前と変更
したとしても、それには合理的な理由があり、直ちに不当なものとはいえない。
 原告らは、昭和三九年一一月の本件庁舎管理規則改正後においても、同四二年ま
での間、特に組合が分裂するまでの間は、無許可集会を通常どおり開催することが
でき、違法視されることはなかった旨を主張し、これに沿う供述(原告P9)がある
が、無許可集会に対して当局から具体的に中止・解散の命令が出されなかったから
といって、そのような労務政策をとることに根拠がないわけではないから、直ちに
これが違法視されていなかったと認めることはできない。
2 職務専念義務違反
(一) 国家公務員たる職員は、法律又は命令の定める場合を除いては、その勤務
時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、政府がなすべき責
を有する職務にのみ従事しなければならないとされ(国公法一〇一条一項前段)、
いわゆる職務専念義務を負っている。勤務時間中に組合活動としてリボン・プレー
ト・バッジ・腕章等を着用する行為及びステッカー・円柱等を掲出する行為は、他
の職員に対して訴えかけるという性質の行動であって、職員がその注意力を職務に
集中することを妨げるおそれのあるものであるから、右職務専念義務に違反するも
のであるというべきである(最高裁昭和五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集
三一巻七号九七四頁)。
(二) したがって、右行為が正当な組合活動であるとする原告らの主張は失当で
あり、また、右職務専念義務に違反した職員に対して、上司がその取外しをするよ
う命令することは適法であって、その命令を受けたにもかかわらず、これに従わな
い場合は、国公法九八条一項所定の命令違反に当たるものであることは明らかであ
る。
3 各非違行為の違法性
(一) 前記一の2(二)(1)(4)(13)(14)(18)(19)の行為
は、本件庁舎管理規則一二条、一四条一、二項、一六条一、二項、一八条に違反す
る。
(二) 前記一の2(二)(2)(3)(5)の行為は、人事院規則一七条の二に
違反する。
(三) 前記一の2(二)(5)(11)(15)ないし(19)の行為は、国公
法九八条一項に違反する。
(四) 前記一の2(二)(6)(9)(10)(12)(15)ないし(18)
の行為は、国公法一〇一条一項前段に違反する。
(五) 前記一の2(二)(20)(21)の行為は、国公法九九条に違反する。
(六) 前記一の2(二)(7)の行為は、服務規律に違反する。
(七) 前記一の2(二)(8)の行為は、これを違法であるとする根拠は見当た
らない。
三 非違行為と勤務成績との関係
1 国家公務員の勤務成績の評定については、国公法七二条一項は、「職員の執務
については、その所轄庁の長は、定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果
に応じた措置を講じなければならない。」と、また、同条二項は、「前項の勤務成
績の評定の手続及び記録に関し必要な事項は、政令で定める。」と定めている。そ
して、勤務成績の評定の手続及び記録に関する政令(昭和四一年政令一三号)九条
は、「この政令に定めるもののほか、勤務評定の手続及び記録に関し必要な事項
は、総理府令で定める。」とし、勤務成績の評定の手続及び記録に関する総理府令
(昭和四一年総理府令四号)四条は、「評定者は、評定の結果その他必要な事項を
記録し、調整者に提出しなければならない。」とし、また、人規一〇-二第二条一
項は、「勤務評定は、職員が割り当てられた職務と責任を遂行した実績を当該官職
の職務遂行の基準に照らして評定し、ならびに執務に関連して見られた職員の性
格、能力および適性を公正に示すものでなければならない。」と定めている。右総
理府令四条にいう「その他必要な事項」とは、旧人規一〇-二第一一条二項及び人
規一〇-二第二条一項の規定により、評定期間中における職員の指導に関する事項
その他の職員の人事を行なう上に必要と認められる事項をいうものと解することが
できる。したがって、勤務成績の評定は、単に職務の遂行実績のみならず、法令、
規則等の違反行為やその他の服務規律違反行為についても、人事管理上必要な場合
には、それらの事項をも考慮して行なうべきものであるということができる。
2 ところで、昇任、昇格及び昇給については、職員の能力、勤務実績に照らして
任命権者の適正な裁量に基づく判断によって決定されるべきものであるところ、国
家公務員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、かつ、職務の
遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならないとされ(国公法九
六条一項)、人規等に定められた服務規律に従うことが義務付けられているが、税
関は、貨物の輸出入の通関業務、取締り等を主たる職務するのであるから、これを
担当する職員が国民の信頼を得て、しかも、その業務の正常な運営を確保されるこ
とが必要不可欠なものであり、したがって、その職員の能力、勤務実績を評価する
に当たり、前記非違行為がその内容に応じて当該職員に対して不利益に評価される
ことは、当然の事理であるというべきである。
3 そこで、前記非違行為が勤務成績に及ぼす影響について検討する。
(一) 前記一の2(二)(1)の無許可集会は、勤務時間外に庁舎内で行われた
ものであるが、職場の秩序を乱すものであるから、従前は無許可の集会に対して当
局から中止・解散の命令が出されていなかったからといって、これが正当な組合活
動であるということはできないのであって、このような集会に参加した職員につい
て、その参加の頻度・態様に応じて、勤務成績の評価において不利益な事情として
考慮されてやむを得ないものというべきである。
(二) 前記一の2(二)のリボン・プレート・バッジ・腕章等の着用行為は、職
務専念義務に違反し、正当な組合活動であるとはいえないものであるが、当時、こ
れを違法であるとする認識が定着していたわけではなく、人事院も職務専念義務に
違反するものではないとの判定をしたこともある。しかしながら、右非違行為に対
しては、上司からその取り外しをするよう注意、指示を受けていながらこれに従わ
なかった態度は、ことさら組織の規律に反し、業務の円滑な運営を阻害するもので
あって、右着用行為に出なかった職員及び右着用行為後に上司の注意、指示に従っ
てこれを取り外した職員と比較して、その着用行為の頻度・態様に応じて、勤務成
績の評価において不利益な事情として考慮されてやむを得ないものというべきであ
る。
(三) 他方、原告らの勤務成績の評価において不利益に考慮されてやむを得ない
事情は多岐にわたるが、その大部分が組合活動としての団体行動の一員として行わ
れたものであるところ、その故をもって原告ら個々人の勤務成績の判定の要素から
除外すべき理由はない。
四 格差と勤務実績との因果関係
1 原告組合員の勤務態度
(一) 原告組合員の勤務態度・実績については、各自のそれが同期同資格入関者
と同等ないしそれ以上であると認定するに足りる的確な客観的資料はない。
(二) 昭和五八年九月付の「当面の人事管理上の諸問題について」と題する税関
総務部長会議資料、同年一〇月付の「当面の人事管理上の諸問題について」と題す
る税関長会議資料には、いずれも「給与等損害賠償事件の現状と問題点について」
との項目で、「当局側は、個別立証として、現認書等を書証として提出するととも
に当時の職場の管理者を証人に立てて現認書等記載事実の存在及び原告らの勤務成
績不良の事実を補強して立証していくこととしているが、現認書等の大部分は原告
らの組合活動に係るもので、給与等に最も影響を及ぼす勤務成績不良の事実を証す
るものが少なく、また、訴外者の氏名を抹消した書証については訴訟手続上税関訟
務官作成の報告文書として提出しているため、抹消していない原本の提出に比べて
証拠力が劣るという問題がある。このため、証人の証言によりこれらを補強し、裁
判官の心証形成が当局側に有利に働くよう努めているが、当時の職場管理者の大部
分が既に退職し、現職にあっても退職年齢が近づいているため、証人の適格者の確
保が難しい状況となってきている。」と記載されている(甲三二八の一、三二九の
一)。
(三) 被告が原告組合員の非違行為として主張立証した各非違行為中には、無断
欠勤、法令違反逮捕等、組合活動とは無関係の職務内外の勤務成績の判定に影響を
及ぼすような日常行動はごく少数採り上げられているにすぎない。
 原告別非違行為等一覧表によれば、各原告の本件係争期間中の出勤状況につき、
以下のとおり病気休暇を取得したことがうかがわれる。原告P102は昭和四七年九月
一九日から同年一一月三日、原告P41は同四六年九月二七日から同年一一月二日、
原告P92は同四三年一〇月二四日から同年一二月一〇日、原告P109は同四四年三月
二六日から同年九月二五日(肺結核)、原告P86は同年四月二一日から同年六月一
六日(公務災害)、原告P112は同年三月一一日から同年四月一二日、原告P8は同
四二年九月一四日から同年一〇月二二日、原告P121は同四五年八月三一日から同四
六年二月二八日、同年四月六日から同年八月二三日、同四七年七月七日から同年八
月八日、原告P122は同年一〇月一八日から同年一二月一〇日、原告P64は同四四年
一月三〇日から同年六月七日、原告P138は同四六年五月一五日から同四七年一一月
一四日、原告P73は同四三年一〇月一四日から同年一一月一六日、同四五年二月二
四日から同年六月一〇日、原告P154は同四四年三月一八日から同年四月八日、同四
七年八月三〇日から同年一〇月一一日、原告P146は同四三年八月三〇日から同年一
一月二一日、原告P178は同年二月一三日から同年三月一二日。非原告組合員につい
ては本件記録上は明らかでない。
(四) 右(一)ないし(三)の事情、原告組合員の各陳述書(甲一〇〇一ないし
一一〇四)の記載内容に関する原、被告双方の弁論の全趣旨及び、本件記録上、本
件非違行為以外に原告組合員の勤務成績の判定に影響を及ぼすべき無断欠勤、遅
刻、早退、職務上の過誤等の客観的事情その他能力、適性の評価にかかわる事情等
について明らかとされなかった事実に照らすと、原告組合員の勤務成績は、原告組
合員としての活動を除外してみれば、非原告組合員と比較して集団的、全体的に著
しく劣るものであるとまでいえなかったというほかない。
2 非違行為と格差との具体的関連性
(一) 昭和四〇年から同四三年までの間に定昇を延伸された者は、合計一二名で
あり、いずれも原告組合員であったが、そのうち原告P4、同P7、同P3、同P1、
同P9、同P5、同P12及び原告組合員P187は、定期昇給の評価対象期間である昇給
の前の一二か月間に訓告処分あるいは厳重注意処分の矯正措置を受けており、ま
た、原告P10、同P6、同P8及び同P11は、右評価対象期間内に矯正措置は受けて
いないものの、非違行為があった(原告別非違行為等一覧表、甲一九九、二一四、
原告P10、同P2)。 
(二) 原告番号一番から同三四番までの原告らについては、女性を除く全員が、
昭和四七年から同四八年にかけて初級管理者に昇任し、同四八年から同四九年にか
けて五等級に昇格したが、その三年の期間中の非違行為はその直前の三年間のそれ
に比べて格段に多かった(原告別非違行為等一覧表、甲六七三、昇任等実態表)。
(三) 原告P141は、昭和四一年から同四五年まで毎年非違行為が一回ないし二一
回現認されていたが、同四六年以降は一回もなかったところ、同四八年七月に特昇
を受けた。
 しかし、他方、原告組合員に関しては、以下の特昇状況があった。すなわち、原
告P100は、非違行為が昭和四四年に二回、同四五、四六年に各一回あったにすぎな
かったが、同四七年には三回、同四八年には一一回、同四九年二、三月には一四回
の非違行為が現認されたにもかかわらず、同年七月に特昇を受けた。原告P103は、
非違行為が同四四年に二回、同四五年に一回あったにすぎず、同四六年には一回も
なかったが、同四七年には七回、同四八年には一九回、同四九年三月には非違行為
が一回現認されたにもかかわらず、同年七月に特昇を受けた。原告P3は、非違行為
が同四四年に二回、同四五、四六年に各一回あったにすぎなかったが、同四七年に
は三回、同四八年には一九回、同四九年二、三月には八回の非違行為が現認された
にもかかわらず、同年七月に特昇を受けた。原告P42は、非違行為が同四四年に二
回、同四五年に一回あったにすぎず、同四六年には一回もなかったが、同四七年に
は四回、同四八年には二〇回、同四九年二、三月には七回の非違行為が現認された
にもかかわらず、同年七月に特昇を受けた。原告P91は、非違行為が同四四年に一
回、同四五年に三回あったにすぎず、同四六年には一回もなかったが、同四七年に
は七回、同四八年には二三回、回四九年三月には九回の非違行為が現認されたにも
かかわらず、同年七月に特昇を受けた。原告P126は、非違行為が同四四、四五年に
各一回あったにすぎず、同四六年には一回もなかったが、同四七年には七回、同四
八年には一九回、同四九年には一一回の非違行為が現認されたにもかかわらず、同
年七月に特昇を受けた。原告P155は、非違行為が同四四年から同四六年まで一回も
なかったが、同四七年には一回、同四八年四、六月には四回の非違行為が現認され
たにもかかわらず、同四九年一月に特昇を受けた(以上の事実につき、原告別非違
行為等一覧表、甲六七三、昇任等実態表)。
(四) 東京税関では、職員が八等級七号俸に昇給して三か月を経過すると、七等
級に昇格させ実質的に定昇期間一二か月を三か月に短縮する扱いをしていたもの
で、右扱いには法令上の根拠はないものの運用として確立していたところ、原告P
12、同P11、当時原告組合員であったP80を除く昭和三七年度入関者は、八等級七
号俸に昇給してから三か月を経過した同四二年七月に七等級に昇格したが、右三名
は昇格せず、同年一〇月に至って七等級に昇格したこと、右三名以外の職員は原告
組合員も含めて八等級七号俸に昇給して三か月を経過すると七等級に昇格する扱い
を受けていたこと、原告P12と右P80は、同四一年一〇月六日及び同月二七日、庁
舎管理規則違反により東京税関長から厳重注意処分を受けたこと、原告P12及び同
P11は、右の矯正措置以外にも八等級在級中に非違行為があったこと、原告P76及
び同P144は同四四年四月一日八等級七号俸在級三か月となったがその時点では昇格
せず、七等級には同年七月一日に昇格したことが認められる(原告別非違行為等一
覧表、甲二五五、甲三四〇の一、甲一〇六二、一〇六六、一〇六九、一〇八八、弁
論の全趣旨)。
 しかしながら、他方、原告番号七〇番ないし同八三番の原告らは、昭和三八年四
月一日に入関し、同四三年七月に同時に七等級に昇格したが、それまでには一度も
非違行為を現認されていない原告P151及び一回だけ非違行為を現認された原告P
150と、その間に大部分が二〇回以上も非違行為を現認されているその余の原告らと
が同じ処遇を受けた。また、原告番号八九番ないし同一〇四番の原告らは、昭和三
九年四月一日に入関し、同四四年七月に同時に七等級に昇格したが(病休した者、
中級任用者を除く)、それまでには一度も非違行為を現認されていない原告P157、
同P166と、その間に大部分が二〇回以上も非違行為を現認されているその余の原告
らとが同じ処遇を受けた(以上の事実につき、原告別非違行為等一覧表、甲六七
三、昇任等実態表)。
(五) 以上によれば、定昇については非違行為の存在が延伸の原因となったこと
を一応推認することができるものの、定昇の延伸が非違行為の存在のみを理由とす
るものかどうか疑問の生じるところである。昇格、特昇についてみると、非違行為
が多く現認されたにもかかわらず、その時期に昇格、特昇が行われ、非違行為が現
認されなかったにもかかわらず、その時期に昇格、特昇が行われないという結果と
なっており、また、非違行為が多数現認されている原告らも、非違行為が少ない原
告らと同時期に昇格するという結果が生じている。右の事実からは、非違行為の事
実は昇任、昇格及び特昇の選考に際して考慮されていると説明することが難しい場
合が少なくないものといわざるを得ない。
五 格差と差別意思との因果関係
 右一ないし四によると、原告らの非違行為はそのほとんどが組合活動の一環とし
て行われたものであるが、各原告個人の勤務成績の判定に当たり不利益に評定され
るべき性質の事情であるというべきところ、各原告の日常の勤務実績が他の職員と
比較して著しく劣るものではなく、他方、各原告の非違行為と昇任、昇格及び昇給
との間に対応関係がない運用がされていたことがあるものということができる。そ
して、前記第二に認定したとおり、組合分裂前までは男女同性間においてほぼ均一
に処遇する年功序列的運用がなされ、また、本件係争期間中では、男女同性間とい
う枠内で、原告組合員及び第二組合員のそれぞれの間において、ほぼ均一に処遇す
る年功序列的運用がなされていたこと、前記第三の一に認定したとおり、関税局及
び東京税関が、全税関組合員ないし原告組合員に対する嫌悪、差別の意思に基づく
昇任、昇格についての差別基準を設定していたこと、少なくとも本件係争期間中、
昇任、昇格及び特昇について原告らの非違行為を常に重視した人事管理政策を展開
していたわけではなく、もっぱら右差別基準を維持するための労務政策をとってき
たこと、また、前記第三の二に認定したとおり、東京税関においては少なくとも特
定の場面において原告組合員に対する差別意思に基づく差別扱いが組織的に行われ
た実態があったことを否定できないことに照らすと、前記第一に認定した格差は、
各原告の行なった非違行為を含むそれぞれの能力、適性、勤務実績等に対する東京
税関長の裁量に任された人事査定の結果による部分に尽きるということはできず、
東京税関の原告組合及び原告組合員に対する差別意思に基づく人事査定の結果によ
る部分も含まれているものと推認することができ、そのように判断することによっ
てのみ右格差の全体を理解することが可能となるといわざるを得ない。
第六 争点五(損害)について
一 各原告の給与相当損害金
1 昇任、昇格及び昇給の制度が当該職員の能力や勤務実績を反映させるものとな
っている以上、原告組合員が他の非組合員に比べて昇任、昇格及び昇給において差
別扱いを受けたことを理由とする各原告の右請求が認められるためには、その差別
扱いを受けたとする特定の査定時期において、当該組合員について、比較の対象と
された同期同資格入関者との間で勤務実績や執務に関してみられる性格、能力、適
性等に差がないことを個別的、具体的に立証することを要するものというべきであ
る。
 ところで、原告らは、各原告が、本件係争期間中、税関長の差別意思に基づく査
定によって、原告組合員及び女性職員を除く同期同資格入関者の半数以上が到達し
た等級、号俸の各給与の総額と各原告に支給された給与の総額との差額に相当する
金額の損害を受けたと主張するが、右格差の存在は、各原告ら各人において確定す
べき性質のものであるから、本件係争期間中はほぼ年功序列的運用がされていたと
しても、その時々の昇給人数や予算の枠内での選別上、必ずしも同時期に昇任、昇
格ないし昇給する蓋然性は高いとはいえないし、また、右標準者の設定は、比較対
象者の入関年月日、入関資格、初任給のみならず、格差が生じたと主張する特定の
時期の正確な等級、号俸が把握されることによってはじめて個別的な格差の有無、
程度を判断する資料となり得るのである。
 しかるに、本件においては、原告らの主張する標準者の等級、号俸がどのような
方法によって具体的に確定されたものであるのかについての主張が明確ではなく、
客観的資料の裏付けを欠くといわざるを得ない。のみならず、原告らが比較対象者
として選択した者は、その者らの間においても、また、各原告との間においても、
本件係争期間の当初において既に格差が生じている場合があり、その格差の存在自
体は本件の審理の対象とされていないのであるから、そのあるがままを前提とする
以上、それ以後の昇任、昇格及び昇給に関する標準者は入関当時の状況のみを基準
としただけでは正確に設定することができないというべきである。
 そうすると、右各原告が税関長の違法な特別行為によって原告ら主張の同期同資
格入関者の半数以上が到達した給与を基準としてその損害を受けたと認めることは
できないといわざるを得ない。
2 しかしながら、差別扱いを受けたとする特定の査定時期において、各原告とそ
の比較の対象とされた同期同資格入関者のうち最も昇任、昇格及び昇給につき劣位
に査定された者との間で勤務実績や能力等に差がないことが個別的、具体的に認め
られるにもかかわらず、昇任、昇格及び昇給につきその者よりもさらに低く処遇さ
れた場合、他に合理的な理由が認められない限り、原告らは右の限度で違法な差別
を受けたものということができる。
 ところで、原告P106、同P6、同P188、同P90、同P111、同P33、同P10、同
P76については、前記第一に認定した事実によれば、同期同資格入関の女子の非原
告組合員との間に右の格差があったことを認めるには至らない。なお、原告P10に
ついては、前年入関の女子職員の昇任、昇格及び昇給の推移からみると右格差があ
ったといえないこともないが、入関時期が異なれば、昇任、昇格及び昇給を判定す
る事情が同じでないことに帰するから、これをもって右格差の認定根拠とすること
はできない。また、原告P116、同P136については、それぞれ、同期同資格入関の
女子の非原告組合員が、本件係争期間の当初から昇任、昇格及び昇給につき低く処
遇されていたり、途中退職しているために格差の全体が比較できないものであって
(昇任等実態表)、やはり右の格差があったことを認めるには至らない。
 また、原告P121については、同原告の主張においても、標準者との間に本件係争
期間中の、最終時期において格差がないことを自認しているうえ、同原告は前記認
定のとおり昭和四五年から同四七年にかけて三回にわたり長期間(合計約一年)の
病気休暇を取得している事情に鑑みると、同原告が同期同資格者のうち最も昇任、
昇格及び昇給につき劣位に査定された者との間に格差があったとしても、それには
合理的な理由があったものということができる。
 さらに、昭和三八年度及び昭和三九年度各高卒入関者については、前記第一に認
定した事実によれば、昇任、昇格及び昇給につき当該原告らと同じ処遇を受けてい
る同期同資格入関の非原告組合員が一定割合の人数で存在するのであって、原告組
合員と非原告組合員とを集団的、全体的にみた場合に原告組合員の勤務成績が著し
く劣るものではなかったとしても、右原告ら各自が全員これよりも上位に査定され
るべきとする根拠はないから、結局、右各高卒入関者である原告らが同期同資格入
関者のうち最も昇任、昇格及び昇給につき劣位に査定された者との間に格差があっ
たと認定することはできないものというべきである。
3 原告P106、同P6、同P188、同P90、同P111、同P33、同P10、同P76、同
P116、同P136、同P121及び昭和三八年度、同三九年度入関の原告ら(原告番号七
〇番から同一〇四番までの各原告)を除くその余の原告らについては(以下「格差
のある原告ら」という。)、前記第一に認定した事実によれば、本件係争期間中、
昇任、昇格及び昇給につき、同期同資格入関者のうち最も昇任、昇格及び昇給につ
き劣位に査定された者よりもさらに低く処遇されたものというべきである。
 しかしながら、格差のある原告らには、本件係争期間のうち給与差別を受けたと
する期間中に、多かれ少なかれ非違行為が現認されているのであるから、これが勤
務成績の評価に影響を及ぼすことは当然のことであって、昇任等の適否は当該職員
が在職した全期間中の勤務成績に関する諸事情が考慮されるべきものであって、非
違行為もその一事情であるから、格差のある原告らが他の職員と比較してそれ以外
の日常の勤務実績に劣るところがないからといって、格差のある原告らが特定の時
期において同期同資格入関者の半数以上が到達した地位、等級及び号俸に昇任、昇
格及び昇給すべき同等の勤務成績を有していたものということはできない。
 また、格差のある原告らに生じた前記第一に認定の格差は、差別行為による部分
と非違行為等(長期の病気休暇を含む)に対する適法な査定による部分とが含まれ
ているのであり、格差のある原告らが差別による損害として主張する額のうちどの
部分が右差別行為によって生じたものであるかを特定することはできない。
4 以上によれば、格差のある原告ら主張の特定の時期に、非違行為がなかったと
したならば昇給したであろう号俸について判断するまでもなく、格差のある原告ら
の給与相当損害金の支払を求める各請求部分は理由がない。
 そうすると、各原告が税関長の違法な差別行為によって同期同資格入関者の半数
以上が到達した給与を基準とする損害あるいは同期同資格入関者のうち最も昇任、
昇格及び昇給につき劣位に査定された者の給与を基準とする損害を受けたと認める
ことはできないし、また、右差別行為によって受けた給与相当損害額を算定するこ
とは不可能であるといわざるを得ない。
二 各原告の慰謝料損害
1 格差のある原告らは、税関長が、格差のある原告らに対して昇任、昇格及び昇
給についてした違法な差別的査定によって、右各原告が同期同資格入関者のうち最
も昇任、昇格及び昇給につき劣位に査定された者の給与よりも低額な給与を支給さ
れたにすぎなかったものであり、これは、本件係争期間中において、原告らが同期
入関者との間で格差が発生していると主張する時期において少なくとも一回以上行
なわれた結果であるものということができるところ、右各原告は、右違法行為によ
り、精神的苦痛を被ったことが認められる。したがって、被告は、国賠法一条一項
により、右各原告個人に対し、これに対する慰謝料を支払うべき義務がある。
 右精神的苦痛は、格差のある原告らが職場の内外において社会的評価を低下させ
られ、組合員としての存在価値を否定され、その結果、自己及び家族に物心両面で
多大の犠牲を強いられたことに関するものであるが、原告組合所属を理由に右各原
告と同等の勤務実績・能力を有する非原告組合員との間に昇任、昇格及び昇給につ
いて差別的取扱いを受けないという基本的な期待利益にかかわる事柄であり、税関
長の差別査定による賃金相当損害金は、前記のとおり、その額を算定することがで
きないため、あるべき財産的損害を回復することが不可能なこと自体が現に精神的
苦痛として存在するものであるということができる。格差のある原告らの賃金相当
損害金額の算定を困難にした原因となっている非違行為はその大部分が原告組合員
としてその組合活動として行われたものであるが、原告組合の組合活動が本件係争
期間前から国公法、庁舎管理規則等に違反して過激なものになるに至り本件係争期
間中を通じてこれが継続したことについては、原告組合及び原告組合員の負うべき
責任は小さくないというべきであり、当局が本件係争期間を通じて全税関及び原告
組合を嫌悪、敵視、差別してきたのはこのような違法行為に対する対抗手段として
採られたものであるという一面があることも否定することはできないのであって、
一概に当局のみが一方的に非難される筋合のものではない。
 そして、格差のある原告らの入関時期・資格その他本件にあらわれた一切の事情
を総合考慮すると、右各原告の精神的苦痛を慰謝する額として、原告番号一番から
同七番、同九番から同一一番、同一三番、同二一番から同二三番及び同二六番の各
原告については各金三〇万円、原告番号八番、同一四番から同一九番、同二四番、
同二九番から同三二番の各原告については各金二〇万円、原告番号三四番から同三
八番、同四二番から同四八番、同五〇番から同六〇番、同六二番から同六七番まで
の各原告については各金一〇万円を相当と認める。なお、慰謝料額に対する遅延損
害金は、違法な差別的査定の都度それぞれ発生する慰謝料請求権につき発生するこ
とになるが、各時点における慰謝料額を認定することは困難かつ不適切であるか
ら、これら各遅延損害金の発生分を考慮して右各慰謝料を算定するのが相当であ
る。
2 原告組合
 東京税関長は、本件係争期間中、原告組合員に対する嫌悪、差別の意思に基づく
昇任、昇格についての差別基準を設定し、もっぱら右差別基準を維持するための労
務政策をとり、差別扱いを組織的に行なってきたのであって、原告組合員が原告組
合に所属し、その活動をしてきたことを理由として昇任、昇格及び昇給について違
法な差別的査定をしたものであって、原告組合の団結権を違法に侵害したものであ
るから、被告は、国賠法一条一項により、原告組合に対し、これに対する慰謝料を
支払うべき義務がある。
 右慰謝料額は、東京税関長の本件にあらわれた違法行為が組織的で継続的なもの
であるという実態のものであること、原告組合はこれによって組合運営・組合活動
に著しい支障を受けたこと、原告組合の本件係争期間中の組合活動は国公法、庁舎
管理規則等の違反を頻発してかつ過激なものであったこと、そして、当局が本件係
争期間を通じて全税関及び原告組合を嫌悪、敵視、差別してきたのはこのような違
法行為に対する対抗手段として採られたものであるという一面があることも否定す
ることはできないのであって、一概に当局のみが一方的に非難される筋合のもので
はないこと等諸般の事情を考慮すると、金一〇〇万円が相当であると認められる。
三 弁護士費用
 原告組合及び格差のある原告らが本訴の提起、追行を訴訟代理人に委任したこと
は当裁判所に顕著な事実である。本件訴訟の提起、追行が弁護士の関与を要するこ
とは明らかであるから、右委任に伴う相当程度の弁護士費用の出捐は、税関長の違
法行為と相当因果関係のある損害と認められ、本件訴訟の難易度、審理期間等を考
慮すると、右弁護士費用は、前記認容額の約一〇パーセントと認めるのが相当であ
る。
四 予備的慰謝料
 原告らは、賃金相当損害金が認められない場合の予備的請求として、別紙債権表
の予備的慰謝料欄の金額の支払いを主張するが、右主張にかかる精神的苦痛は、前
記二1において慰謝料として斟酌したうえ損害額の算定に加えており、これとは別
に慰謝料として評価して認容すべき損害は認められない。
第七 争点六(時効)について
一 被告は、原告らの被告に対する損害賠償請求権が、各原告が昇格、昇任及び昇
給すべきであったと主張するそれぞれの時期から三年の消滅時効が進行するから、
本訴提起日の三年前の昭和四六年六月一一日の前日以前のものは短期消滅時効によ
って消滅した、と主張する。
 被告の原告組合員に対する昇格、昇任及び昇給の差別行為は、東京税関長が本件
係争期間中に一貫した組合所属を理由とする差別意思に基づいて行われたものであ
るが、各原告に精神的苦痛を与えた原因となった加害行為は、税関長の個々の人事
査定における不法行為であるから、これによる慰謝料請求権はその都度成立し、消
滅時効期間が進行するものであることは明らかである。
二 ところで、本件における加害行為の内容は、他の同期同資格者の昇格、昇任及
び昇給の状況を認識し、それとの比較においてのみ明らかにすることができる性格
のものであり、税関長の裁量に委ねられた限度を越えるものであるかどうかは必ず
しも直ちに判別し得るものではなく、相当期間の経過によって実態が明らかになる
性質のものであるから、原告らが損害の原因事実を知ったといえるためには、他の
同期同資格者の昇格、昇任及び昇給の状況を正確に認識する必要がある。
 昭和四二年八月一日付全税関東京支部ニュースには、「昇任、昇格、特昇の差別
をやめ、直ちに、発令を行え」という見出しの下に昇任、昇格及び特昇の差別の問
題が取り上げられ、また、同四六年六月二日付全税関東京支部執行委員会名の印刷
物には、「六月人事発令の結果について」という見出しの下に「今回の発令の結果
はこの差別が『全税関組合員』であることを理由とする差別であることを一層明白
に示しました。」という記載がある(甲四六六、五二一)。しかしながら、これら
の記載があるからといって、被告が本件係争期間中及び本件審理期間中を通じて一
貫して税関長の人事査定差別はなかったと説明している事情のもとにおいては、こ
れらの時期に原告らが他の同期同資格者の昇任、昇格及び昇給の状況を正確に認識
し、原告ら主張の損害賠償請求権の行使が可能であったものということはできない
というべきである。
 よって、被告の消滅時効の主張は採用できない。
第八 結論
 以上によれば、原告組合及び格差のある原告らの請求は、主文一項から四項の限
度で理由があるから認容し、格差のある原告らのその余の請求及びそのほかの原告
の請求はいずれも失当であるから棄却する。
(裁判官 遠藤賢治 吉田肇 塩田直也)
別紙「損害額計算表」、同「昇給、昇任、昇格及び非違行為一覧表」、同「原告別
処分状況一覧表」、同「原告別非違行為一覧表」各省略
債権目録
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弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
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