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平成29年7月7日宣告福岡高等裁判所第3刑事部判決
平成29年(う)第82号殺人,覚せい剤取締法違反被告事件
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中90日を原判決の刑に算入する。
理由
第1事案の概要等
本件公訴事実の要旨は,被告人が,平成27年9月4日午前5時頃から同日午後
0時20分頃までの間,熊本市東区内のホテルの客室において,A(当時生後3箇
月)に対し,殺意をもって,覚せい剤若干量を口から投与して身体に摂取させ,同
人を覚せい剤中毒による循環障害等により死亡させて殺害するとともに覚せい剤を
使用した,というものである。
本件では,被告人が,公訴事実記載の日時に,上記A(以下,「被害者」という。)
及びその母親であるBとともに上記客室(以下「本件客室」という。)に滞在してい
たこと,被害者が死亡したこと,その体内から覚せい剤の成分が検出されたことに
は争いがなく,証拠上も明らかである。原審における争点は,被害者の死因,被告
人の犯人性,殺人の故意の3点であったが,原判決は,概ね公訴事実に沿う認定を
して殺人罪及び覚せい剤取締法違反(被害者に対する覚せい剤の使用)の罪が成立
することを認め,被告人を懲役16年に処した。
本件控訴の趣意は,弁護人岡崎信介作成の控訴趣意書及び控訴趣意書補充書に記
載されたとおりであるから,これらを引用する。論旨は事実誤認と量刑不当である。
以下,順に当裁判所の判断を示す。
第2事実誤認の論旨について
1被害者の死因
弁護人は,被害者の死因につき,体内から検出された覚せい剤が致死量に達して
いたことの客観的な証拠がない上,顔面や鼻孔部に布団が被さり,その上にBの手
足が乗ったことで窒息した可能性があるから,これを覚せい剤中毒によるものと認
定した原判決には事実誤認があるという。
そこで検討する。まず被害者の体内から検出された覚せい剤成分の濃度について
みると,司法解剖を担当したC医師は,確実な致死濃度とはいえないが,生理的反
応に伴う症状を生じる可能性が高く,覚せい剤中毒を起こした状態にあるという意
味で,これを「中等度レベル」と判定した。そして,このレベルでも死亡に至るケ
ースはあり,被害者が乳児で呼吸機能や循環機能が未熟なことから,その危険は成
人と比較して大きくなるとの見解を示した上で,被害者の臓器等にみられる解剖所
見からしても,同人の死因を覚せい剤中毒と認めることができるとの結論に至って
いる。この証言は専門的な知見に基づくもので,前提条件等に何ら問題は窺われず,
他の専門家証人による説明とも合致しているから,十分に信用できる。
そして,上記C医師は,窒息の可能性について,現場状況を加味せずにいうと完
全には否定できないものの,密閉性の高い方法で体全体をくるみ,外から空気の流
入がない状態におくなど,絶対に呼吸ができない非常に特殊な状況さえなければ考
えられない旨証言した。また,法医学を専門とするD医師,E医師の両名は,被害
者には窒息死を示す所見や痕跡が全くないとしてその可能性をより強く否定し,急
性覚せい剤中毒以外の死因は考えられないと述べている。これらの証言に疑問を差
し挟む要素は見当たらず,本件客室において非常に特殊な密閉状況が現出したと窺
わせる具体的な事情もないから,被害者が覚せい剤中毒による循環障害等により死
亡したとした原判決に事実誤認は認められない。
所論は,Bと被害者が同じベッドで寝た際,布団が被害者の顔面を覆い,その上
にBの手足が乗るなどして窒息死に至った可能性が考えられるという。しかし,被
害者に窒息の所見は認められないし,所論のいう経過は上記の特殊な密閉状況に当
たらず,C医師も死斑の状況からして被害者が鼻や口を布団等で塞がれたとは考え
難いとしているから,上記の結論は揺るがない。
なお,原判決は,被害者が覚せい剤を摂取した時間帯を平成27年9月4日午前
5時頃から同日午前8時40分頃,死亡した時間帯を同日午前9時頃から同日午前
11時40分頃と各々限定しているところ,基本的には上記の医師らによる証言に
沿った認定となっており,この点でも判決に影響する事実誤認があるとはいえない。
2事件性
弁護人は,被害者が覚せい剤中毒で死亡したとしても,偶然覚せい剤を摂取した
ことによる事故である可能性が否定できないという。
そこで検討するに,証拠によれば被害者は口から覚せい剤を摂取したことが推認
されるが,小児科医の説明によると,生後3箇月程度の乳児が周りの物をつかんで
口に入れることはないとされている。また,被告人及びBは,本件前後の時期に覚
せい剤を繰り返し使っており,事件当日も,Bが覚せい剤をブラジャーの中に入れ
て本件客室に持ち込んでいたことは認められるが,被告人とBが本件客室で覚せい
剤を使用していないことについては両名の供述が合致し,これを疑う理由もないか
ら,本件客室では覚せい剤を取り出していないとするBの証言は信用することがで
きる。すると,本件客室において覚せい剤がこぼれ落ち,それを被害者が偶然口に
するなどの経過があったとは考えられず,被害者は,覚せい剤を人為的に摂取させ
られたとみるほかない。
所論は,本件客室に入る前に両名が覚せい剤を使った際,それがBのバッグや衣
服等にこぼれ落ち,それらを介して哺乳瓶に付着し,その吸い口を洗わないまま被
害者がくわえるなどの可能性が常識的に考えて十分にあり得るというのであるが,
具体的根拠を欠く仮定を積み重ねた無理のある推論といわざるを得ず,採り得ない。
3犯人性
弁護人は,何者かが被害者に故意に覚せい剤を摂取させたとしても,その犯人が
被告人であるとは認められないという。原判決は,①被告人と知人のFとの遣り取
りが被告人の犯人性を強く推認させる,②知人のGとの遣り取り等も被告人の犯人
性を一定程度推認させる,③Bが犯人だとすると説明できない事実関係があるとい
う理由から被告人を本件の犯人と認定したところ,所論は,これら3点のいずれも,
被告人の犯人性を肯定する理由にはならないというのである。
まず①の点をみる。Fによる証言の要旨は,平成27年11月頃,被告人と偶然
パチンコ店で会って近況を尋ねたところ,被告人が女性とラブホテルに泊まって朝
起きたら赤ちゃんが死んでいたと述べた,その理由を聞くと,何かを飲ませたと言
っていた,というものである。また,Fは,同年12月6日,被告人が乳児に覚せ
い剤を与えて殺害したとのニュース報道を知人から聞かされた際,被告人から以前
聞いていた話と辻褄が合い,その知人との話が違和感なく進んだという趣旨の証言
もするところ,これはFと当該知人のLINEによる通信内容とも合致する。する
と,上記のパチンコ店における被告人の発言は,「覚せい剤」と明示したかはともか
く,被告人が何らかの物を口から与えたところ乳児が死亡したという趣旨であった
と考えられ,このことは被告人の犯人性を強く推認させるというべきである。
弁護人は,親交のなかった相手に重大な告白をする筈がないから,被害者の死に
ついてFに話をしたことは,却って被告人が犯人でないことを示すと主張するが,
被告人は単に一緒にいた乳児が死亡したと告げたわけではなく,その原因が自分の
行動にあるという意味の発言をしたのであるし,親しくない相手に犯罪を告白する
ことがその犯罪の犯人でないことに結びつくとの論理自体も採用し難い。
更に,弁護人は,パチンコ店での話で「何かを飲ませた」のが被告人であるとは
特定されていないと指摘するほか,被告人も,Fに話をしたとすれば,同宿した女
性が覚せい剤を食べさせたという内容であった旨,原審公判廷において供述した。
しかし,Fは,誰が飲ませたかは聞いていないものの,それが被告人以外の者であ
るとは言われておらず,後に上記ニュースに接した際もパチンコ店で聞いた話とす
ぐにつながって理解できたというのであるから,件の会話は「何かを飲ませた」主
体が被告人であることを前提にしたものであったと認められる。また,被告人の上
記公判供述は,核心的な内容であるにもかかわらず審理終盤で唐突に展開されたも
のである上,Fの証言やLINEの通信内容とも矛盾するから,信用できない。
次に②の点をみる。Gの証言は,要旨,平成27年8月から9月初頭にかけて3
回ほど,被告人から,被害者に覚せい剤を食べさせたという話を聞いた,というも
のである。これらは飽くまでも本件以前のエピソードであって,被告人の犯行を直
接裏付ける関係にはないが,乳児に覚せい剤を摂取させるという俄に想起し難い極
めて特異な行為を内容とするもので,その話と近い時期に,同じ被害者に,同じ違
法薬物が与えられたのであるから,被告人が本件の犯人であることを一定の程度推
認させる事情と位置付けることができる。
弁護人は,Gが覚せい剤を常用していた上に,Bと親しい関係にあり,現に,平
成27年9月4日未明,本件ホテルに投宿する少し前に,被告人,B,被害者及び
Gらが乗車する車内でBが覚せい剤を使っていたことを否定するなど同人を庇って
いるから,証言自体が信用できないという。しかし,Gは質問に的確に応答してお
り,覚せい剤を常用していたとの一事で証言の信用性が全面的に損なわれるもので
はないし,同人は被告人及びBの双方と友人関係にあり,殊更被告人にのみ不利な
説明をする理由はない。また,GはBも日常的に覚せい剤を使用していたことを前
提に証言をしており,上記の機会に同人が覚せい剤を使用していなかった旨述べた
ことは,同人を庇ったものとはみられない。
ところで,弁護人は,被告人が被害者に覚せい剤を与えていたとの話をGから聞
いたBの様子について縷々主張し,このとき伝達された内容が憶測に過ぎないもの
であったという。しかし,犯人性の判断に際して意味があるのはGがBに伝えた話
ではなく,被告人がGに伝えた話の内容である。被告人が,本件発生前,即ち,当
然ながら被害者の死因が覚せい剤中毒と公表される以前に,被害者に対し覚せい剤
を与えたことがある旨をGに述べたこと自体,犯人性を一定の程度推認させるとい
え,その後,これをGがBに如何に連絡したかは判断に影響しない。
最後に③の点をみる。原判決は,Bが事件後に110番ないし119番通報をし
た際にパニック状態にあったこと,同人の妹との相談内容等からすれば,Bが本件
の犯人とは考えられず,他に犯行の機会があった者はいないから,ここからも被告
人の犯人性が認められるとする。この説示には論理則,経験則等に照らし格別不合
理なところがなく,支持できる。
弁護人は,Bが被害者に覚せい剤を与え,予想外に重篤な状態に陥ったために動
転して通報したことが十分に考えられると主張する。たしかに通報の場面だけを取
り上げればその可能性も完全には排除できないが,妹との相談状況(LINEの通
信として客観的に記録された箇所を含む。)等,他の諸事情と整合しない。また,弁
護人は,母乳を経由して覚せい剤が摂取された可能性をBが考慮した筈はなく,妹
との相談は,むしろ,B自身の行為で被害者の体内に覚せい剤が入ったことを危惧
する内容となっているとも指摘する。しかし,薬物等についての専門知識を持たな
いBとしては,妊娠中から覚せい剤を使用し,生後1箇月頃まで授乳していたこと
が被害者の死因かも知れないと案じても不自然とはいえず,妹との相談の中で自身
の覚せい剤使用に言及したことを問題視すべき理由はない。
以上①ないし③によれば,被告人が本件の犯人であることを強く推認させる間接
事実があるといえる。即ち,被告人は,事件発生前から,知人に対し,乳児である
被害者に覚せい剤を食べさせたとの話を繰り返し,事件発生後は,別の知人に対し,
自分が赤ちゃんに何かを飲ませたところ朝になったら死んでいた旨を告白し,更に,
事件の直後に被害者の異常に気付いたBが周章狼狽しながら緊急通報をしたのであ
るが,仮に被告人が犯人でないとしたならば,これら一連の事実経過を合理的に説
明することは極めて困難である。
そうすると,被害者に覚せい剤を摂取させた犯人が被告人であるとした原判決の
認定に誤りがあるとはいえない。
4殺人の故意
覚せい剤は,人体に重大な害悪があるとして分量に関わらずその使用等が法律で
禁止されている危険な薬物で,用法や用量の次第では成人も容易に死亡するもので
ある上に,乳幼児は成人に比べ薬物の影響を非常に強く受けることも明らかである。
これらは社会常識に属するから,僅かであれ乳児に覚せい剤を摂取させることを認
識していれば,殺意に欠けるところはないといえる。被告人は当然この点を認識し
ていたから,原判決が殺人の故意を認めたことは至極正当である。
弁護人は,被告人には覚せい剤の致死量に関する知識がなかったというが,別段
危険性の認識を妨げるものではない。被告人は自らも頻繁に覚せい剤を使っており,
成人が微量を摂取しても薬理効果があることを身を以て理解していたから,むしろ
一般人以上に,被害者が死に至る現実的な可能性を認識していたものと考えられる。
また,弁護人は,被告人が本件以前から被害者に覚せい剤を与えたことが何回も
あったとすれば,本件でも被害者は死ぬことはないと考えた筈であるとも主張する。
しかし,以前にも被害者に覚せい剤を摂取させたことがあったにせよ,それにより
乳児に対する安全な用法等を確立したわけでは勿論なく,たまたま死亡しなかった
に過ぎないし,そのことは被告人も当然に承知している筈であるから,かかる経緯
が故意を阻却することもないというべきである。この他弁護人の主張する,被告人
が被害者の世話をしていたこと,被害者の母であるBを金づるとして利用していた
こと等も,故意の認定に影響するものではない。
5以上によれば,殺人罪及び覚せい剤取締法違反の罪のいずれについてみても,
事実誤認をいう論旨には理由がない。
第3量刑不当の論旨について
論旨は,仮に被告人に殺人罪等が成立するにせよ,懲役16年に処した原判決の
量刑は重過ぎて不当である,というのである。
そこで検討する。犯行の態様は説示したとおりであり,抵抗の術を持たない生後
僅か3箇月の乳児に違法薬物を摂取させるという手口は危険にして衝撃的なものと
いうほかなく,積極的に被害者の死亡を望んだとは認められないことを考慮しても,
被告人の刑事責任は相当重いというべきである。弁護人は,被告人が真面目に就業
していたこと,今後の監督にあたる近親者がいること等を挙げるものの,そもそも
被告人は犯行を全面的に否定して全く反省の態度がないのであり,それらの事情は
量刑に影響しない。落ち度のない被害者1名に対する殺人事件における量刑傾向を
みても,被告人を懲役16年に処した原判決の量刑は相当であり,これが重過ぎて
不当であるとはいえない。
量刑不当をいう論旨にも理由がない。
第4結論
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における未決
勾留日数の算入について刑法21条を,当審における訴訟費用を被告人に負担させ
ないことについて刑訴法181条1項ただし書をそれぞれ適用して,主文のとおり
判決する。
平成29年7月7日
福岡高等裁判所第3刑事部
裁判長裁判官鈴木浩美
裁判官岩田光生
裁判官岡田龍太郎

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