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平成22年12月28日判決言渡
平成22年(行ケ)第10070号審決取消請求事件
平成22年10月12日口頭弁論終結
判決
原告メディキット株式会社
原告東郷メディキット株式会社
原告ら訴訟代理人弁護士田中成志
同平出貴和
同坂井典子
同山田徹
同森修一郎
原告ら訴訟代理人弁理士豊岡静男
同櫻井義宏
同高松俊雄
被告フェイズ・メディカル・
インコーポレーテッド
訴訟代理人弁護士片山英二
同本多広和
同中村閑
訴訟代理人弁理士日野真美
訴訟復代理人弁理士黒川恵
同杉山共永
主文
1特許庁が無効2009−800012号事件について平成22年1月
25日にした審決を取り消す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
3この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30
日と定める。
事実及び理由
第1請求
主文第1,2項同旨
第2当事者間に争いのない事実
1特許庁における手続の経緯
被告は,平成6年11月15日(パリ条約による優先権主張1993年(平
成5年)11月15日,米国。),発明の名称を「医療器具を挿入しその後保護
する安全装置」とする発明について,特許出願をし(特願平6−280754
号),平成8年12月5日,特許権の設定登録を受けた(特許第2588375
号。以下「本件特許」という。なお,登録時の請求項の数は10である。)。
原告らは,平成21年1月21日,本件特許の特許請求の範囲のうち請求項
1ないし5について特許無効審判を請求した(無効2009−800012号)。
特許庁は,平成22年1月25日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との
審決(以下,単に「審決」という。)をし,その審決の謄本は,同年2月4日原
告らに送達された。
2特許請求の範囲の記載
本件特許の特許請求の範囲の請求項1ないし5は,次のとおりである(以下,
これらの請求項に係る発明を項番号に対応して,「本件発明1」などといい,こ
れらをまとめて「本件発明」という。)。
【請求項1】カニューレの如き医療器具を患者の体内へ挿入し且つその後患
者の体内にあった該装置の部分に人が接触しないように保護するための安全
装置において,
患者を穿刺し,前記医療器具を患者の体内の適所へ案内して搬送する中空針
であって,少なくとも1つの鋭利な端部を有する軸を具備する中空針と,
人の指が届かないように,少なくとも前記針の鋭利な端部を包囲するように
なされた中空のハンドルと,
前記鋭利な端部を前記ハンドルから突出させた状態で前記軸を前記ハンドル
に固定する固定手段と,
前記固定手段を解除し,前記針の鋭利な端部を人の指が届かないように前記
ハンドルの中へ実質的に永続的に後退させる解除/後退手段であって,前記
針の軸よりも実質的に短い距離だけ簡単且つ単一の動作によって手操作で作
動可能な解除/後退手段と,
前記後退のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ吸収手段とを備えるこ
とを特徴とする安全装置。
【請求項2】請求項1の安全装置において,
前記エネルギ吸収手段は,前記針と前記中空のハンドルとの間に介挿される
粘性物質を備えることを特徴とする安全装置。
【請求項3】請求項1の安全装置において,前記エネルギ吸収手段が,
前記針と前記ハンドルの内部孔とのうちの一方に固定された表面と,
前記針と前記内部孔とのうちの他方に担持されて前記表面に圧接し,前記後
退の間に摩擦を生ずる要素とを備えることを特徴とする安全装置。
【請求項4】請求項1の安全装置において,
前記エネルギ吸収手段は,前記後退の際に前記針と共に運動するように固定
されたダッシュポット要素を備えることを特徴とする安全装置。
【請求項5】請求項1の安全装置において,
前記中空のハンドルは,前記針がそれに向かって後退する端部構造を有し,
前記エネルギ吸収手段は,前記針と前記端部構造とうちの一方に固定されて
前記端部構造に対する前記針の衝撃の一部を吸収する押し潰し可能な要素を
有することを特徴とする安全装置。
3審決の理由
審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。要するに,本件発明1,3
5は,いずれも特開平3−15481号公報(甲1。以下,甲1を「引用例」
と,甲1に記載された発明を「引用発明」ということがある。)に記載された発
明と同一の発明ではなく,また,本件発明は,いずれも引用発明,特表平5−
500621号公報(甲2)に記載された発明及び周知技術に基づいて当業者
が容易に発明をすることができたものとはいえないから,本件特許を無効とす
ることはできないとするものである。
審決は,上記結論を導くに当たり,引用発明の内容,本件発明1と引用発明
との一致点及び相違点を次のとおり認定した。
(1)引用発明の内容
aカニューレを患者の中に挿入しその後で患者内にあった装置部分との接
触から人々を保護するに当たって使用される安全装置であって,
b前記患者に突き刺し前記カニューレを前記患者内の定位置に案内し運ぶ
ための針であって,少なくとも1つの鋭い端を備えた軸を有する針と,
c前記人々の指が届かないように前記針の少なくとも鋭い端を封包するよ
うになされた中空のハンドルと,
d前記鋭い端がハンドルから突出した状態で前記軸をハンドルに固着する
ための手段と,
e前記固着手段を解除し且つ前記人々の指が届かないように前記針の鋭い
端をハンドル内へ実質的に永久的に後退させるための手段とから成り,前
記解除および後退手段は針の軸よりも実質的に短い振幅の単純な一体運動
により手動で作動可能であり,
f’針を保持するキャリヤブロックの外面とハンドルの内面とは,トリガー
が作動されていない時に流体密封しており,針を保持するキャリヤブロッ
クの後面はデルリン製であり,完全に後退したときにハンドルの内側スト
ッパ部分に着座する
gことを特徴とする安全装置。
〔判決注本判決における「f’」は,審決の表記に併せた。〕
(2)一致点
カニューレの如き医療器具を患者の体内へ挿入し且つその後患者の体内に
あった該装置の部分に人が接触しないように保護するための安全装置におい
て,
患者を穿刺し,前記医療器具を患者の体内の適所へ案内して搬送する中空針
であって,少なくとも1つの鋭利な端部を有する軸を具備する中空針と,
人の指が届かないように,少なくとも前記針の鋭利な端部を包囲するように
なされた中空のハンドルと,
前記鋭利な端部を前記ハンドルから突出させた状態で前記軸を前記ハンドル
に固定する固定手段と,
前記固定手段を解除し,前記針の鋭利な端部を人の指が届かないように前記
ハンドルの中へ実質的に永続的に後退させる解除/後退手段であって,前記
針の軸よりも実質的に短い距離だけ簡単且つ単一の動作によって手操作で作
動可能な解除/後退手段と,を備える安全装置。
(3)相違点
本件発明1では,前記後退のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ吸
収手段を備えるのに対し,引用発明では,そのような構成を備えていない点。
第3取消事由に関する原告らの主張
審決には,引用発明の認定の誤り(取消事由1),本件発明と引用発明との同
一性判断の誤り(取消事由2,3),本件発明の容易想到性判断の誤り(取消事
由4,5)がある。
1取消事由1(引用発明の認定の誤り)
審決は,引用発明について,「針を保持するキャリヤブロックの外面とハンド
ルの内面とは,トリガーが作動されていない時に流体密封をしており」と認定
した。しかし,甲1の図1(別紙図面1)の実施例において,トリガー41が
作動されていない時に流体密封されているということは,針を保持するキャリ
ヤブロックの円錐台状ストッパ部分32の直径を増大させた外面とハンドルの
内面とが流体密封されるように圧接しているということであるから,トリガー
41を作動させても圧接状態は変化せず,流体密封が解除されないのは明らか
である。このことについて,甲1には,キャリヤブロックがハンドル内を摺動
すると記載されている。したがって,審決の上記引用発明の認定は誤りであり,
「トリガーが作動されていない時に」との限定をせず,「針を保持するキャリヤ
ブロックの外面とハンドルの内面とは流体密封をしており」と認定すべきであ
る。
2取消事由2(本件発明1と引用発明の相違点認定の誤り)
審決は,本件発明1では,後退のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ
吸収手段を備えるのに対し,引用発明では,そのような構成を備えていない点
を相違点と認定した。
しかし,前記1のとおり,甲1には,図1(別紙図面1)に示す実施例につ
いて,針及びキャリヤブロックの後退時にキャリヤブロックの外面とハンドル
の内面とが摩擦摺動する構成が示されている。また,甲1の図9(別紙図面2),
図10(別紙図面3)に示す実施例によれば,ラッチ作動フィンガ446を押
すと,ラッチ耳435が厚い壁部分412cを外れ,コイルばね461の作用
によりキャリヤブロック431及び針が後退するところ,後退時に,ラッチ耳
435は,ばね436により半径方向外方に付勢されるため,厚い壁部分41
2c及びハンドル壁411の内面に摩擦接触しているといえる。さらに,甲1
の図1(別紙図面1)及び図6(別紙図面4)に示す実施例においては,円錐
台状のストッパ表面にキャリヤブロック・ストッパ部分の円錐台状の後面が係
合し,針が完全に後退した状態に保持される構成が示されており,針が停止す
るまでに,キャリヤブロック・ストッパ部分と内側ストッパの表面とが摩擦摺
動しているといえる。なお,甲4,5によれば,デルリンには,弾性率が高く,
柔軟性を有するものが存在し,衝撃吸収体としての機能を有するものであるこ
とは周知であり,当業者であれば,甲1において,デルリン製のキャリヤブロ
ックの後面は,衝撃吸収体としての機能を有するものとして記載されていると
理解することができる。
以上によれば,引用発明においても,後退のエネルギの一部を吸収するため
のエネルギ吸収手段を備えている。したがって,引用発明には,前記後退のエ
ネルギの一部を吸収するためのエネルギ吸収手段を備えていない点を相違点と
した審決の認定は誤りである。
3取消事由3(本件発明3,5と引用発明との同一性判断の誤り)
審決は,本件発明1が引用発明と同一の発明でないことを前提として,本件
発明1を限定した本件発明3,5も引用発明と同一の発明ではないと判断して
いるが,前提を誤っており,本件発明3,5と引用発明も同一の発明である。
4取消事由4(本件発明1についての容易想到性判断の誤り)
仮に,本件発明1では,後退のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ吸
収手段を備えるのに対し,引用発明では,そのような構成を備えていないとの
相違点があったとしても,引用発明に甲2に記載された発明を適用して本件発
明1の相違点に係る構成を想到することは容易である。その理由は,以下のと
おりである。
(1)甲2に記載された発明の本来の目的・課題は,安全な注射器を実現す
るために,使用後の注射針による汚染又は汚染のおそれを防止し,使用後の
注射針を刺して身体が損傷を受けるのを防止すること,更に1度使用した注
射器を誤って再び使用するのを防止することであり,患者の組織が傷つき,
患者の血液が吸引されることを防止するという解決課題は,上記本来の目
的・課題を解決するために,プランジャをばねなどで自動的に後退させる構
成を採用した場合に生じる副次的課題にすぎない。また,甲2に記載された
発明においても,針を急速に後退させることによって生じる危険を防止する
という解決課題を有していることは明らかであり,甲2に記載された弾性制
動手段がプランジャと針の後退を遅らせるという機能について,患者の組織
が傷ついたり患者の血液が吸引されるおそれがあることを防止するという課
題を解決するためのものと限定することは妥当を欠く。
(2)仮に,甲2に記載された弾性制動手段の解決課題が,患者の組織が傷
ついたり患者の血液が吸引されるおそれがあることを防止するというもので
あるとしても,引用発明においても,誤ってラッチ操作をして患者の組織を
傷つけたり,患者の血液が吸引されるおそれがあり,患者の保護という解決
課題が存在することは明らかであり,これはプランジャを備える注射器であ
るか否かとは関係がない。したがって,上記課題を解決するため,引用発明
に甲2に記載された弾性制動手段を適用する動機付けは存在する。
(3)本件特許出願の優先日当時,ばねとラッチ部材を備え,使用後にはば
ねにより針と針ホルダーを注射器本体内に後退させる注射器において,後退
のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ吸収手段を備えることは,甲1
2ないし16,17の1,32等のとおり,周知技術であった。また,本件
特許出願の優先日当時,ばねを付勢力として移動部材を移動させると,移動
が高速度となり危険が生じることから,エネルギ吸収手段を適用することは,
甲19,20,25,26のとおり,周知技術であった。さらに,粘性物質
によるエネルギ吸収手段は,甲21ないし23のとおり,多くのものが存在
する。
したがって,引用発明において,注射後に針を急速に後退させると生じる
様々な危険な状況を防止するため,注射器の技術分野やばねの付勢力を利用
する技術分野における周知のエネルギ吸収手段を適用することは容易である。
なお,原告らは,本訴において,上記刊行物を証拠として追加したが,エネ
ルギ吸収手段が周知技術であることについて,例示の追加ないし本件特許出
願の優先日当時における技術常識の内容及びその存在を立証するための証拠
を追加するものにすぎず,審理の範囲を広げるものではない。
5取消事由5(本件発明2ないし5についての容易想到性判断の誤り)
審決は,本件発明1が容易想到とはいえないことを前提として,本件発明1
を限定した本件発明2ないし5も,容易想到とはいえないと判断しているが,
前提を誤っており,本件発明2ないし5も容易想到である。
第4被告の反論
1取消事由1(引用発明の認定の誤り)に対し
甲1では,図1(別紙図面1)に示す実施例について,針の後退時にも流体
密封しているか否かは記載されていない。むしろ,甲1の図1(別紙図面1)
に示す実施例においては,キャリヤブロックの後退時に流体密封している必要
はない。また,甲1の図1(別紙図面1)に示す実施例において,針の後退速
度は,ブロック及びハンドルの寸法公差による変化や手の圧力による変化を受
けるのであって,トリガーが作動され,針が後退する時に,キャリヤブロック
の外面とハンドルの内面が流体密封しているとはいえない。
したがって,審決の引用発明の認定に誤りはない。
2取消事由2(本件発明1と引用発明の相違点認定の誤り)に対し
甲1には,図1(別紙図面1)に示す実施例について,針及びキャリヤブロ
ックの後退時にキャリヤブロックの外面とハンドルの内面とが摩擦摺動する
構成が示されているとはいえない。また,甲1には,図9(別紙図面2),図
10(別紙図面3)の実施例について,ラッチ耳435の半径方向外方への付
勢は,ハンドル壁411,412の厚い部分412cと係合してキャリヤブロ
ック431及び針の後方への運動を防止すること,後部ストッパ414と係合
して後退を停止させることが記載されているだけで,ハンドル壁411の内面
に摩擦接触しながら後退させることを示唆する記載はない。さらに,甲1には,
針が停止するまでにキャリヤブロック・ストッパ部分と内側ストッパ表面とが
摩擦摺動しているとの記載もない。甲1の図6(別紙図面4)に示す実施例に
おいては,針が完全に後退せしめられた時において,キャリヤブロック・スト
ッパ部分と内側ストッパ表面がぴったりと嵌った状態で停止している状態が
認識できるだけであり,両者が摩擦摺動しているとはいえない。なお,デルリ
ンは,性質が多様であり,一概に弾性率が高く,柔軟性を有するものと断定す
ることはできないから,甲1の図1(別紙図面1)の実施例において,デルリ
ン製のキャリヤブロックの後面が衝撃吸収体としての効果を有するとはいえ
ない。
したがって,引用発明は,後退のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ
吸収手段を備えているとはいえず,審決の相違点の認定に誤りはない。
3取消事由3(本件発明3,5と引用発明との同一性判断の誤り)に対し
原告らは,取消事由2に理由があることを前提に,取消事由3を主張してい
るが,前記2のとおり,取消事由2には理由がなく,取消事由3にも理由がな
い。
4取消事由4(本件発明1についての容易想到性判断の誤り)に対し
以下のとおり,引用発明に課題が異なる甲2に記載された発明を適用させる
ような動機付けは存在せず,引用発明及び甲2に記載された発明に基づいて本
件発明1が容易想到であるということはできない。
(1)引用発明は,カニューレ挿入装置であって,注射器におけるプランジ
ャが存在せず,針がハンドル内に一方通行で入るだけである。また,甲2に
記載された発明においては,引用発明とは異なり,針が後退する際,プラン
ジャが注射器本体の後端から後方に飛び出すという挙動を示すものである。
したがって,引用発明においては,プランジャを押し込むという動作が伴う
注射器に特有の課題,すなわち注射器が患者の身体から完全に去るまで,操
作者が押し込まれたプランジャを意識して保持しない限り,患者の組織が傷
つき,希望しないのに不随意に注射器内に患者の血液が吸引されるという課
題を解決する構成を適用する必要がない。
(2)甲2においては,使用後の注射器による汚染又は汚染のおそれを防止
し,使用後の注射針を刺して身体が損傷を受けるのを防止すること,1度使
用した注射器を誤って再び使用するのを防止することを解決課題とし,注射
針を注射器の本体内に自動的に後退させる代案を第1の要旨とし,更にこれ
に起因して,患者の組織が傷ついたり,患者の血液が吸引されるおそれがあ
ることを解決課題として,注射針の注射器本体内への後退の少なくとも最初
の段階で,その後退早さを遅らせる制動手段を設けることを第2の要旨とし
ている。甲2記載の発明において,第2の要旨にかかる中核的な課題は,患
者の組織が傷ついたり,患者の血液が吸引されるおそれがあることを防止す
ることにあって,引用発明の課題である医療関係者の安全を確保することに
あるわけではない。
また,甲2記載の弾性制動手段は,プランジャを押し込んだ状態に保持す
る手の圧力を除くと,プランジャと針が急速に後退することにより,患者の
組織が傷つき,希望しないのに不随意に注射器内に患者の血液が吸引される
おそれがあるとの課題を解決するため,プランジャ及び針の後退のタイミン
グをコントロールするものであり,医療関係者の安全を図ることを課題とす
るものではない。
(3)原告らが本訴において証拠として追加した刊行物は,審判手続におい
て表れていなかった資料であるが,本件特許出願の優先日当時における技術
常識を認定するためのものではなく,副引用例である甲2に代わるものであ
るから,本訴において審理の対象とすることは許されない。また,仮に,上
記刊行物に記載された発明を引用発明に適用しても,当業者が本件発明1を
着想することは容易ではない。
5取消事由5(本件発明2ないし5についての容易想到性判断の誤り)に対し
原告らは,取消事由4に理由があることを前提に,取消事由5を主張してい
るが,前記4のとおり,取消事由4には理由がなく,取消事由5にも理由がな
い。
第5当裁判所の判断
当裁判所は,原告らが主張する取消事由1ないし3には理由がないが,取消
事由4,5には理由があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。
1取消事由1(引用発明の認定の誤り)について
原告らは,甲1の図1(別紙図面1)に示す実施例において,トリガー41
を作動させてもハンドル内面の内径及びストッパ部分の外径は変化しない以上,
圧接状態は変化せず,流体密封が解除されないのは明らかであること,キャリ
ヤブロックはハンドル内を摺動すると記載されていることを根拠として,引用
発明について,針を保持するキャリヤブロックの外面とハンドルの内面とが,
流体密封をしているのは,トリガーが作動されていない時のみであるとの限定
を付した審決の認定に,誤りがあると主張する。
しかし,原告らの主張は,以下のとおり失当である。
すなわち,甲1には,図1(別紙図面1)に示す実施例について,「多分明瞭
には図示されていないこの好ましい実施例のもう1つの望ましい特徴を次に挙
げておく。トリガーが作動されていない時にハンドル10の内側孔12に対し
て流体密封を与えるように,キャリヤブロックの円錐台状ストッパ部分32の
大きな端の直径を僅かに増大させることが好ましい。この配置は,ストッパ部
分32の前方にあるばね,内部空洞等の多くの複雑な表面における衛生の維持
への信頼を最小限に抑えることにより中空針を介しての効果的な流体連通を容
易にする。」(14頁左下欄9∼20行)との記載が存在する。
これによれば,甲1の図1(別紙図面1)に示す実施例においては,トリガ
ーが作動されていない時に,キャリヤブロックのストッパ部分32の大きな端
が,ハンドル10の内側孔12に対して流体密封を与えるものであるが,トリ
ガーが作動された場合については何ら記載がされていない。また,上記配置の
目的について,ストッパ部分32の前方にあるばね,内部空洞等の多くの複雑
な表面における衛生の維持への信頼のためと記載されているとおり,トリガー
作動前の配置を示したものであって,トリガー作動後にも流体密封を維持する
必要性については記載も示唆もされていない。さらに,甲1には,図1(別紙
図面1)に示す実施例について,「トリガー近傍でのハンドル孔の内径0.42
01(cm)」,「後端近傍でのハンドル孔の内径0.4318(cm)」(13頁
左下欄16∼18行)と記載され,後端に向けてハンドル内径が拡大するよう
に設定されているものと認められる。そうすると,甲1の図1(別紙図面1)
に示す実施例において,トリガー作動後にも流体密封を維持するとの技術が開
示されていると認めることはできない。
したがって,上記原告らの主張は採用することができず,審決の引用発明の
認定に誤りはない。
2取消事由2,3(本件発明1,3,5と引用発明との相違点認定の誤り)に
ついて
原告らは,引用発明においても,後退のエネルギの一部を吸収するためのエ
ネルギ吸収手段を備えており,本件発明1との間に相違点はなく,本件発明1
及びこれを限定した本件発明3,5と引用発明は同一の発明であると主張する。
しかし,前記1記載のとおり,引用発明には,甲1の図1(別紙図面1)に
示す実施例において,トリガー作動後にも流体密封を維持するとの技術が開示
されていると認めることはできず,トリガーが作動されて針が後退する際に,
後退のエネルギを吸収する手段に関する記載や示唆はなく,原告らの上記主張
は,採用できない。
原告らは,甲1の図1(別紙図面1),図9(別紙図面2),図10(別紙
図面3)に示す実施例においても,針及びキャリヤブロックの後退時に,キャ
リヤブロックの外面ないしラッチ耳とハンドルの内面が摩擦摺動しているか
ら,エネルギ吸収手段を備えていると主張する。しかし,針及びキャリヤブロ
ックの後退時に,キャリヤブロックの外面ないしラッチ耳とハンドル内面が摩
擦摺動するとしても,過度の後退を阻止することができるか否かは,摩擦によ
り生じる摩擦力と後退エネルギの大小に係るところ,これをもって,本件発明
におけるエネルギ吸収手段が記載ないし示唆されていると認めることはできな
い。
なお,デルリンは,性質が多様であること(乙1参照)からすれば,甲1に
おいてキャリヤブロック後面を構成するデルリンが,衝撃吸収体としての機能
を有するものとして記載されているとは認められない。
したがって,後退のエネルギの一部を吸収するためのエネルギ吸収手段の存
否を本件発明1と引用発明の相違点とした審決の認定に誤りはなく,本件発明
1及びこれを限定した本件発明3,5と引用発明は同一の発明ではないから,
取消事由2,3には理由がない。
3取消事由4,5(本件発明の容易想到性判断の誤り)について
当裁判所は,以下のとおり,引用発明に甲2に記載された発明を適用して本
件発明1の相違点に係る構成を想到することは容易であると判断する。
(1)事実認定
ア引用例
引用例(甲1)には,前記第2の3の(1)のとおり,請求項中に,
「カニューレを患者の中に挿入しその後で患者内にあった装置部分との
接触から人々を保護するに当たって使用される安全装置であって,」と記
載されている。
また,甲1には,「本発明は一般に医療器具に関し,更に詳細には静脈
カニューレ等のカニューレを患者の身体に挿入するための装置に関す
る。」(3頁左下欄2∼4行),「医療関係者自体にとっては感染した患者
から引き抜いた後で針先端に不用意に触れることにおいて厳しい危険が
残る。」(3頁左下欄18∼20行),「本発明はカニューレを患者内に挿
入するに当たって使用される安全装置である。それはまたその後で,医
療者や,屑取扱い者や,使用後の装置と偶然の接触を有するかもしれな
い他の人々を保護するのにも役立つものである。この装置は患者内にあ
った装置部分との接触からかかる個人のすべてを保護するものである。」
(9頁左上欄18行∼右上欄5行)と記載されている。
イ甲2
甲2には,次の記載が存在する。
「請求の範囲
1.本体と,この本体内に取付けたプランジヤと,針ホルダと,前記プ
ランジヤの注射ストロークの後の再後退によって針を前記本体内の遮蔽
位置に引込むよう注射ストーロクの終わりに前記針ホルダに前記プラン
ジヤを連結する手段と,注射ストロークの後に挿入ストロークによって
付勢され前記プランジヤと前記針とを後退させるエネルギ貯蔵手段とを
具え,前記エネルギ貯蔵手段は前記プランジヤと前記本体との間に画成
した真空室を具え,前記注射ストローク中前記プランジヤの移動によっ
て前記真空室内に真空を発生し,注射圧力の除去後前記真空によって前
記プランジヤと前記針とを後退させることを特徴とする注射器。」
「3.本体と,この本体内に取付けたプランジヤと,針ホルダと,前記
プランジヤの注射ストロークの後の再後退によって針を前記本体内の遮
蔽位置に引込むよう注射ストーロクの終わりに前記針ホルダに前記プラ
ンジヤを連結する手段と,注射ストロークの後に挿入ストロークによっ
て付勢され前記プランジヤと前記針とを後退させるエネルギ貯蔵手段と
を具え,前記本体と前記プランジヤとの間に画成した空間内に弾性制動
手段を配置し,前記本体と前記プランジヤとの一方に前記弾性制動手段
を配置し,注射ストローク後前記プランジヤと前記針との後退を遅らせ
るのに十分であるが停止させない程度に前記本体と前記プランジヤとの
他方に前記弾性制動手段を圧着することを特徴とする注射器。」
「発明の分野
本発明は注射器,また特に使用後の注射針による汚染又は汚染の恐れを
防止し,使用後の注射針を刺して身体が損傷を受けるのを防止し,更に
1度使用した注射器を誤って再び使用するのを防止するようにした安全
な注射器に関するものである。」(2頁左下欄3∼7行)
「注射器の使用後,注射針を注射器の本体内に後退させ,或る方法でそこ
に注射針を拘束する構造の注射器の設計が非常に多く試みられている。
これ等の設計では,いずれも不注意により注射針を刺して損傷を受ける
こと及びそれに伴う接触感染の危険を防止するため,更に1度使用した
注射器を再度使用することがないよう防止するため,使用後の注射針を
覆うことをその目的にしている。多くのこれ等の先行技術では,注射器
の本体内に注射針を後退させるのを全部手で行い,しかもこのためには
プランジヤと本体との間を慎重に相対移動させることを,注射器の使用
者に記憶させることを要求している。また螺旋コイルばねを使用して,
本体内にプランジヤを自動的に後退させることがオーストラリヤ特許第
593513号,第594634号及び35676/89号に提案され
ている。本発明の第1の要旨では注射針を注射器の本体内に自動的に後
退させる代案を提案する。
プランジヤを自動的に後退させる上記の先行技術では,プランジヤを
押込んだ状態に保持する手の圧力を除くと,ばねが伸長した状態になろ
うとして直ちにプランジヤの復帰を開始し,同時に注射針の注射器の本
体内への後退が開始される欠点がある。このため,注射器が患者の身体
から完全に去るまで,操作者が押込まれたプランジヤを意識して保持し
ない限り,患者の組織が傷つき,希望しないのに不随意に注射器内に患
者の血液が吸引される恐れがある。本発明の第2の要旨では注射針の注
射器本体内への後退の少なくとも最初の段階で,その後退早さを遅らせ
る制動手段を設ける。
発明の開示
本発明の第1の要旨によれば,本発明注射器は,本体と,この本体内
に取付けたプランジヤと,針ホルダと,前記プランジヤの注射ストロー
クの後の再後退によって針を前記本体内の遮蔽位置に引込むよう注射ス
トーロクの終わりに前記針ホルダに前記プランジヤを連結する手段と,
注射ストロークの後に挿入ストロークによって付勢され前記プランジヤ
と前記針とを後退させるエネルギ貯蔵手段とを具え,前記エネルギ貯蔵
手段は前記プランジヤと前記本体との間に画成した真空室を具え,前記
注射ストローク中前記プランジヤの移動によって前記真空室内に真空を
発生し,注射圧力の除去後前記真空によって前記プランジヤと前記針と
を後退させることを特徴とする。
本発明の第2の要旨によれば,本発明注射器は,本体と,この本体内
に取付けたプランジヤと,針ホルダと,前記プランジヤの注射ストロー
クの後の再後退によって針を前記本体内の遮蔽位置に引込むよう注射ス
トーロクの終わりに前記針ホルダに前記プランジヤを連結する手段と,
注射ストロークの後に挿入ストロークによって付勢され前記プランジヤ
と前記針とを後退させるエネルギ貯蔵手段とを具え,前記本体と前記プ
ランジヤとの間に画成した空間内に弾性制動手段を配置し,前記本体と
前記プランジヤとの一方に前記弾性制動手段を配置し,注射ストローク
後前記プランジヤと前記針との後退を遅らせるのに十分であるか停止さ
せない程度に前記本体と前記プランジヤとの他方に前記弾性制動手段を
圧着することを特徴とする。」(2頁左下欄16行∼3頁右上欄1行)
また,甲2には,右側に使用前の状態と左側に注射ストロークの終わ
りの状態を,それぞれ示した実施例図面(別紙図面5)を掲載している。
(2)判断
上記によれば,引用発明は,カニューレを挿入する装置であり,医療関係
者が針先端に触れることによる感染等からの保護を解決課題とする発明であ
る。
これに対して,甲2記載の発明は,上記のとおり,使用後の注射針による
汚染等の防止のため,注射後の針を本体内の遮蔽位置に引き込むよう構成し
ている装置において,急速に針の後退を行うと,患者の組織が傷ついたり,
不随意に注射器内に患者の血液を吸引したりするのを防止することを解決課
題として,弾性制動手段で針の後退速度を減速するよう構成した発明である。
このように,甲2記載の発明において,弾性制動手段を設けることよって実
現しようとする解決課題は,患者の組織が傷ついたり,不随意に注射器内に
患者の血液を吸引したりするのを防止することであると認められる。
しかし,引用発明も甲2に記載された発明も,医療関係者が針を患者に穿
刺する操作を行うものであり,使用後の針が後退手段により自動的に後退し,
ハンドル内に収まる機構である点で共通する。そして,引用発明は,針が患
者の体内にある間にラッチ操作をした場合,患者の組織が傷ついたり,不随
意に注射器内に患者の血液を吸引したりするという危険性のあることを前提
としていると認められる。引用発明は,甲2に記載された従来技術と同様に,
後退手段を用いた患者からの急速な針の引抜きにより,患者の組織が傷つい
たり,不随意に注射器内に患者の血液を吸引したりするのを防止することを
解決課題としていると解するのが自然である。
以上によれば,引用発明においても,患者を保護するという解決課題を実
現するため,甲2に記載された弾性制動手段を用いることによって,針の後
退速度を減少させるとの構成を適用することが困難であるという理由はない。
引用発明に甲2に記載された弾性制動手段を用いることにより,本件発明1
の相違点に係る構成に想到することは容易といえる。
(3)これに対し,被告は,引用発明は,カニューレ挿入装置であって,針
がハンドル内に一方通行で入るだけであるから,プランジャを押し込むとい
う動作が伴う注射器に特有の課題を解決する構成を適用する必要がないと主
張する。
確かに,前記(1)のとおり,甲2においては,プランジャの操作により,
プランジャ及び針が後退することに付随する問題として,患者の保護の課題
が記載されている。しかし,前記(2)のとおり,甲1と甲2においては,
使用後の針が後退手段により急速に後退することにより,患者の組織が傷つ
いたり,不随意に注射器内に患者の血液を吸引したりすることを防止する課
題を有している点については,プランジャの有無に左右されるものでない。
被告の上記主張は採用することができない。
(4)以上によれば,引用発明に甲2記載の発明の構成を適用する動機付け
がないとして,本件発明1及びこれを限定した本件発明2ないし5について
容易想到性を否定した審決の判断には誤りがあり,取消事由4,5には理由
がある。
4結論
以上のとおり,原告主張に係る取消事由4,5には理由があり,審決には,
その結論に影響を及ぼす誤りがあることになる。
よって,原告らの請求は理由があるから,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官
飯村敏明
裁判官
中平健
裁判官
知野明
(別紙)図面1〔引用例図1〕
図面2〔引用例図9〕
図面3〔引用例図10〕
図面4〔引用例図6〕
図面5〔甲2FIG.1〕

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