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平成25年(ワ)第616号否認権行使請求事件
平成25年11月27日千葉地方裁判所民事第1部判決
口頭弁論終結日平成25年9月25日
主文
1被告は,原告に対し,161万5956円及びこれ
に対する平成25年3月29日から支払済みまで年5
分の割合による金員を支払え。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
本件は,被告の市長を実施機関とする生活保護の被保護者が,その資産を処
分するなどして金銭を得たことから,被告に対し,生活保護法63条に定める
費用返還義務の履行として金銭を納付した行為について,その後に被保護者に
ついて開始された破産手続の破産管財人である原告が,破産法162条1項1
号の否認権を行使して,被告に対し,上記納付額及びこれに対する最終納付日
の翌日以降の遅延損害金の支払を求める事案である。
1前提事実
次の事実は,当事者間に争いがなく,又は後掲各証拠若しくは弁論の全趣旨
から明らかである。
当事者等
ア原告は,平成24年11月30日午後3時に千葉地方裁判所において破
産手続開始決定を受けたA(以下,同決定の前後を通じ,「破産者」とい
う。)の破産管財人である。(甲1)
イ被告は,その市長において生活保護の実施機関となっている地方自治体
である。
破産者に対する生活保護の実施等
ア破産者は,被告の市長に対し,平成23年10月21日,生活保護法に
基づく保護の申請(以下「本件保護申請」という。)をした。(甲4,乙
1から4まで)
イ被告の市長は,平成23年10月21日を決定日として,破産者とその
妻との2名の世帯について,金銭給付の方法による生活扶助を開始する旨
の決定(以下「本件保護開始決定」という。)をし,同年11月22日付
け書面で,その旨を破産者に対して通知した。(乙4)
ウなお,被告の市長は,平成23年11月22日付け書面で,破産者に対
し,その加入する地元の県民共済について保険金等を受け取り,又は保有
している自動車,事業用資産の処分時に収入があったときは,給付を受け
た金銭の範囲内での返還義務がある旨を通知した(乙5。以下,生活扶助
その他の生活保護の方法としての金銭給付に係る金銭を「保護費」とい
う。)。
エ被告の市長は,その後,破産者に対し,本件保護開始決定に基づき,保
護費を給付した。(甲4,乙4)
生活保護法63条に定める費用返還義務の履行
破産者は,次のとおり,生活保護法63条に定める費用返還義務(以下,
単に「費用返還義務」という。)の履行として,破産者が被告に対して返還
すべき額を定める被告の市長の決定に従い,被告に対し,金銭の納付をした。
ア被告の市長は,平成23年12月1日,破産者から,その軽自動車を売
却して収入を得た旨の報告を受け,同月7日,上記軽自動車の売却収入と
自動車税還付金との合計額である16万3000円を返還すべき額と定め
る旨の決定をした。破産者は,同月12日付け書面でその旨の通知を受け,
同月30日に被告に対して上記金額を納付した。(甲3の1,乙1)
イ被告の市長は,平成24年2月10日,破産者の妻から,破産者が経営
していた工場の清算が終わり,手元にお金が残った旨や,破産者が地元の
県民共済について入院一時金の支給を受けた旨の報告を受け,同月15日,
工場の動産等の売却収入と入院共済金との合計額である137万7656
円を返還すべき額と定める旨の決定をした。破産者は,同月16日付け書
面でその旨の通知を受け,同年3月8日に被告に対して上記金額を納付し
た。(甲2,甲3の2,乙1)
ウ被告の市長は,破産者が上記の県民共済を解約し,解約返戻金の支払を
受けたことから,同年3月23日,その解約返戻金の額である7万530
0円を返還すべき額と定める旨の決定をした。破産者は,同年4月2日付
け書面でその旨の通知を受け,同月18日に被告に対して上記金額を納付
した(以下,破産者が上記アからウまでのとおり処分した軽自動車,工場
の動産等及び共済契約者の地位を併せて「本件資産」と,破産者が上記ア
からウまでのとおり売却収入,還付金,工場の清算により手元に残った金
銭,入院一時金及び解約返戻金を併せて「本件資産の対価等」と,破産者
が上記アからウまでのとおり被告に対してした金銭の納付を併せて「本件
弁済」と,それぞれいう。)。(甲3の3,乙1)
2争点
本件においては,本件弁済が破産法162条1項1号の否認の対象となるか
どうかに関連して,次の点が争われている。
破産者の支払不能,被告の悪意(争点1)
(原告の主張)
本件弁済は,破産者が支払不能になった後にした行為である。被告は,生
活保護の手続を通じ,破産者の支払不能の事実を知っていた。
(被告の主張)
否認ないし争う。
本件弁済の有害性,不当性(争点2)
(被告の主張)
本件弁済は,次のとおり,有害性及び不当性を欠くから,否認の対象とな
らない。
ア有害性について
本件弁済は,次の諸点に照らすと,破産者の責任財産を減少させるもの
には当たらず,有害性を欠く。
保護費の給付は,被保護者の最低限度の生活を維持するためにするも
のであり,その場合の費用返還義務の履行は,既に給付した保護費の範
囲内でするものであって,いずれも,一般債権の引当てとなる責任財産
の領域ではなく,自由財産の領域に属する事項である。
保護費の給付は,費用回収(費用返還義務の履行)の可能性を考慮し
ないでするものであって,回収を予定した信用供与行為とは異なる。
本件資産は,本来,破産者の最低限度の生活のために活用すべきであ
ったにもかかわらず(生活保護法4条1項),保護費の給付があったた
めに残存していたものである。本件弁済は,そのような本件資産の対価
等を保護費の範囲内で返還したものであって,破産者の責任財産を減少
させる性質のものではない。
イ不当性について
本件弁済は,次の諸点に照らすと,不当性を欠く。
生活保護法によれば,生活保護は,生活に困窮する者がその利用し得
る資産等をその最低限度の生活の維持のために活用することを要件とし
て行われるが(同法4条1項),このことは,急迫した事由がある場合
に必要な保護を行うことを妨げるものではなく(同条3項),被保護者
が急迫の場合等において資力があるにもかかわらず保護を受けたときは,
速やかにその受けた保護費等の範囲内で保護の実施機関の定める額を返
還しなければならない(同法63条)。このような保護の補足性の原則
の規定,その例外規定及びその例外により支弁された範囲内での費用返
還義務に関する規定をみると,費用返還義務の履行は,保護の補足性を
全うする機能を果たすものというべきである。
本件においても,本件資産は,破産者の最低限度の生活を維持するた
めに活用することが要請され,一般債権の引当てとなることが期待され
ないものであって,本件弁済は,そのような本件資産ないしその対価等
が破産者の最低限度の生活の維持を超えた使途に活用されることを防止
し,保護の補足性の原則を全うするものである。それにもかかわらず,
本件弁済が否認されるとすると,本件資産ないしその対価等は,破産者
の最低限度の生活の維持を超えた使途に活用されたかどうかにかかわら
ず,一般債権の引当てに取り込まれることとなり,破産債権者としては,
破産者について生活保護が実施されたことによって,本来であれば破産
財団を構成することを期待することができない資産を原資とする配当を
受けることができるようになる。そのようなことは,生活保護制度の趣
旨に反する。
被告の市長は,前提事実ウのとおり,破産者に対し,本件資産の対
価等を得たときは,これを費用返還義務の履行に充てるよう指導してい
る。仮に,本件弁済が否認され,これをもって,破産者が上記指導に違
反したものとして,保護費の減額等を内容とする保護の変更(生活保護
法62条1項,3項参照)がされることになると,破産者としては,本
件資産の対価等を生活費に充てることができるようになるわけではない
のに保護費が減額されるという不合理な事態を生ずる。
費用返還義務の履行が否認の対象となるとすれば,被保護者が破産手
続の開始決定の申立てを予定している場合とそうでない場合とで,費用
返還義務の履行を要するか否かの取扱いが異なることになる。これは,
生活保護法2条の無差別平等の理念に反する。
(原告の主張)
本件弁済は,次のとおり,有害性及び不当性に欠けるところはないから,
否認の対象となる。
ア有害性について
本件弁済は,有害性に欠けるところはない。
本件資産が破産者の責任財産であることは明らかである。
イ不当性について
本件弁済は,不当性にも欠けるところがない。
保護の補足性は,費用返還義務の履行を否認の対象とすることとは関係
がない。
また,仮に,費用返還義務の履行前に破産手続開始決定があった場合に
は,費用返還義務の問題は生じないか,少なくともその権利行使が事実上
困難となる。債務者が支払不能となれば破産手続が直ちに開始されるのが
本来的な姿であることに鑑みると,本件のように,費用返還義務の履行後
に破産手続開始決定があった場合にも,同様に取り扱うべきである。
第3当裁判所の判断
1争点1(破産者の支払不能,被告の悪意)について
認定事実
証拠(甲4,乙1から3まで)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認
められる。
ア破産者は,平成2年に有限会社を設立し,その経営に当たっていたが,
平成23年9月16日に入院し,病気のために仕事を続けることができな
くなったことなどから,同月30日に上記会社を事実上の廃業とし,同年
10月に本件保護申請をした。
イ破産者は,本件保護申請当時,上記会社の事業のために用いていた軽自
動車,工場の動産等と共済契約者の地位から構成される本件資産を有して
いたほかには,みるべき資産がなく,かえって,株式会社B銀行に対して
は約300万円の,株式会社C銀行に対しては約3700万円の借入金債
務を負担していた。破産者の妻にも,みるべき資産はなかった。
ウ被告の職員は,本件保護申請を受けた平成23年10月21日の当日,
破産者の妻から,破産者とその妻との2人の世帯の資産についての説明を
聴取し,被告の市長あての同日付け資産状況報告書の提出を受けた。この
資産状況報告書には,破産者の資産として,自動車,県民共済の契約者の
地位,現金1万円が記載されているほか,土地,家屋,有価証券等の資産
はない旨が記載され,負債としては,株式会社B銀行に対するカードロー
ン債務300万円が記載されていた。被告の職員は,この資産状況報告書
の記載事項のほか,破産者が入院して仕事ができなくなり,前記会社を廃
業したこと,年金に加入していないこと,破産者の妻も未就労で貯蓄もな
いことなどを聴取した。
エ被告の職員は,平成23年10月26日に破産者の世帯に赴いて実地調
査をして,上記の資産状況報告書の記載及び破産者の妻の説明に係る事実
を確認し,これに基づき,本件保護開始決定がされた。
オ被告の職員は,その後も,破産者方を訪問したり,入院中の破産者に代
わって市役所に往訪してきた破産者の妻から説明を聴取したりして,破産
者の生活状況を確認し,前提事実のアからウまでのとおり,破産者が本
件資産の対価等を取得した事実を確認し,これに基づき,生活保護法63
条に基づいて返還すべき額の決定がされた。
支払不能について
認定事実アからウまでによれば,破産者は,本件保護申請の当時,本件資
産のほかにみるべき資産がなく,少なくとも300万円の借入金債務を負い,
病気のために働くことができず,その経営する会社も事実上廃業していたの
であるから,支払不能の状態にあったというべきである。
なお,破産者は,本件保護申請から本件弁済までの間には,本件資産の対
価等を取得しているものの,その額は上記借入債務額を弁済するに足りるも
のではないし,このほかにも,破産者が他から資産を取得するなどして支払
不能の状態を脱したことは主張も立証もされていないのであるから,本件弁
済の時にも支払不能の状態にあったというべきである。
そうすると,本件弁済は,破産者が支払不能になった後にしたものに当た
る。
被告の悪意について
認定事実エ,オによれば,被告の職員は,本件保護申請から本件弁済まで
の間を通じ,本件保護開始決定に至る手続やその後の生活保護の実施上の手
続において,破産者の妻から資産状況報告書の提出を受けたり,その説明を
聴取したり,現地調査をしたりして,破産者の資産状態ないしその推移が上
記のとおりであることを認識していたと認められる。
そうすると,被告は,本件弁済の当時,破産者が支払不能であった事実を
知っていたものに当たる。
2争点(本件弁済は,不当性又は有害性を欠き否認の対象とならないか)に
ついて
有害性について
本件弁済に係る金銭は,その時点で破産者の有していた財産であるから,
本件弁済によって破産者の財産が減少したことは明らかである。これが破産
法34条3項又は4項に定める自由財産に属するとみるべき事実は主張も立
証もされておらず,かえって,本件弁済の額が合計161万5956円に達
しており,破産者が本件弁済の時点で本件保護開始決定に基づく保護費の給
付を受けていたことも踏まえると,破産者が入院を伴う病気にかかっていた
ことを考慮したとしても,破産者の最低限度の生活の維持等の観点から,本
件弁済に係る金銭を破産財団から除外すべき実質的な合理性も認め難い。さ
らに,費用返還義務の履行という事柄の性質上,例えば,本件弁済によって,
破産者の責任財産が一時的に減少しても,後日その増殖を及ぼして,最終的
には破産財団の減少を回避し,あるいはその増殖につながるというようなこ
とは期待し難い。そうであれば,支払不能の状態でされた本件弁済は,有害
性の要件に欠けるところはないというべきである。
この点を争う被告の主張は,要するに,本件弁済に係る金銭が保護費によ
って形成ないし維持されたものであることに加えて,保護費の給付ないし費
用返還義務の履行に係る金銭の特殊性をいうものに帰着する。しかしながら,
本件弁済に係る金銭の形成ないし維持に関する過去の経緯が被告の主張する
とおりであるとしても,それゆえに,自由財産の範囲が変更され,又は破産
者の責任財産の減少が回避されるものではない。被告の主張は,採用するこ
とができない。
不当性について
本件弁済は,上記のとおり,破産者の責任財産を減少させるところ,そ
れによって,破産者とその複数の債権者(被告のほか,認定事実ウの借入金
債務の債権者など)との間の権利義務関係のうち,専ら被告の権利のみを満
足させ,破産者の被告に対する義務のみを消滅させるものであって,そのほ
かには,破産者ないしその一般債権者に何らの利益も及ぼすところがない。
また,後述のとおり,被告が費用返還義務の履行を受けるに当たっては,一
般債権者に優越する何らかの地位にあると解すべき法令上の根拠も認めるこ
とができない。そうすると,支払不能の状況下でされた本件弁済は,不当性
の要件にも欠けるところがないというべきである。
この点を争う前記第2の2イの被告の主張は,本件弁済が否認される場
合の問題点として,保護の補足性を補完する機能を有する費用返還義務が
履行されず,生活保護の重要な原則に反する事態が生ずること,保護費の
減額等を内容とする保護の変更がされて,破産者に不利益が生ずる可能性が
あること,破産手続開始決定の申立てを予定する被保護者とそうでない被
保護者との間の取扱いの不公平が生ずることをいうものに帰着するが,次に
述べるとおり,いずれも採用することができない。
まず,上記については,確かに,生活保護法に定める保護の補足性,そ
の例外としてされる保護の特殊性,その場合の費用返還義務等について被告
の主張するところなどを踏まえると,都道府県又は市町村が被保護者の資産
(特に,保護費をもって形成又は維持された資産)から費用返還義務の履行
を受ける場合に,一般債権者の権利行使とは異なる特別の取扱いを認めるこ
とは,あながち合理性を欠くものではなく,少なくとも立法論として検討す
る余地がないではない。しかしながら,現行法は,破産手続において特定の
債権者に対して特別の取扱いをする場合には,別除権(破産法65条以下),
租税等の請求権等についての特例(同法134条)など,その根拠となる明
文規定を設けているのにもかかわらず,費用返還義務の履行については,特
別の取扱いの根拠となる明文規定を設けていない。それにもかかわらず,費
用返還義務の履行について,一般的な不当性の要件の問題に形を借りて特別
の取扱いをすることは,現行法の解釈論としては採用し難いというほかない。
上記については,本件弁済が否認されることは,破産者の意思とは無関
係の事柄であるところ,それにもかかわらず,これが破産者の指導違反行為
に当たることを前提として,保護の変更がされる可能性を説く被告の主張は
前提を誤るものである。
上記については,被保護者間の公平を問題とするのであれば,被保護者
が破産手続の開始決定の申立てを予定している場合とそうでない場合とを比
較するのではなく,被保護者について破産手続の開始決定がされて否認権が
行使される場合とそうでない場合とを比較すべきところ,被保護者について
破産手続の開始決定がされて否認権が行使される場合であっても,否認され
た行為に係る弁済額は破産管財人が受領し,被保護者の自由財産に何らの増
減も及ぼさないのであるから,被保護者間の不公平をいう被告の主張は当を
得たものではない。この点をひとまずおくとしても,一般に,破産手続の開
始決定がされた場合には,そうでない場合と比較して,債権者が満足を得る
ことができる債権の額が異なることは,破産法が予定するところであり,そ
のことから派生して,破産手続の開始決定の申立てが予定されている場合に
は,そうでない場合と比較して,債権者が後日の否認の対象となりかねない
債権の回収をためらうなどの差異が事実上生じてくることも,当然の事柄で
あって,これをもって債務者間の不公平ととらえるのは,相当でない。
3結論
以上のとおり,本件事実関係の下では,被告の市長による本件保護開始決定
に基づく保護費の給付を受けてきた破産者が,被告に対し,生活保護法63条
に定める費用返還義務の履行としてした本件弁済は,破産法162条1項1号
に該当し,その有害性及び不当性にも欠けるところがないから,その後に破産
者について開始された破産手続の破産管財人である原告が,被告に対し,本件
弁済についての否認権を行使する本件請求は,理由がある。もっとも,仮執行
の宣言は,相当でない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官金子直史裁判官阿部雅彦裁判官二宮正一郎)

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