弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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平成28年5月30日判決宣告
各業務上過失致死傷被告事件
被告人a,同b,同c
主文
被告人aを罰金50万円に処する。
被告人aにおいてその罰金を完納することができないときは,金5000円を1日
に換算した期間,同被告人を労役場に留置する。
訴訟費用はこれを3分し,その1を被告人aの負担とする。
被告人b及び被告人cはいずれも無罪。
理由の要旨
(罪となるべき事実の要旨)
被告人aは,甲幼稚園(以下「本件幼稚園」という。)の園長として,同幼稚園の
園務全体を統括し,園児の生命・身体の安全を守る職務を行うに当たり,他の教諭
を監督する立場にあった。同被告人は,平成24年7月20日,愛媛県西条市内(以
下,場所は特に断らない限り,愛媛県内を指す。)所在の宿泊施設「乙」において,
本件幼稚園の活動として,同園の教諭7名とともに,同園の年長園児31名を引率
してお泊まり保育(以下「本件お泊まり保育」という。)を実施し,当該行事の中で,
同所付近を流れる河川である加茂川内で同園児らを遊泳させる(以下「本件遊泳」
という。)ことを予定していた。そもそも河川での遊泳については,急激な増水等に
より園児らが流されるなど,園児らの生命・身体に重大な危険が及ぶ可能性がある
のはもとより,加茂川は,山間部を流れる河川であり,その流域が広く,複数の支
流が交わった場所にあり,同所付近のみならず上流の山岳部での天候の変化によっ
て容易に急激な増水があり得る地形である上,同日には県内全域に雷注意報が発令
され,同日午後2時5分以降は山岳部を挟んだ同所の隣接町である上浮穴郡久万高
原町に大雨洪水注意報が発令され,同日午前中には西条市街地及び本件遊泳場所付
近でも一定の降雨があったことに加え,同日午前中から午後にかけて,加茂川上流
域で断続的な降雨があったことをインターネット等によって知ることができた。さ
らに,本件遊泳場所付近の加茂川は川幅が10m以上あり,その河床は岩や石が散
開して平らではなく,こけが生えており,他方で,同被告人らが引率する園児は,
いずれも年齢5歳から6歳で,その行動を統制することが容易ではない年齢である
上,その遊泳能力も未熟であった。以上の事情の下において,被告人aと同様の,
園児らを引率して前記河川で園児らを遊泳させる幼稚園園長の立場にあった者にと
って,同日,加茂川では増水の可能性があることを予見でき,かつ,増水等危難が
起きた場合には,園児らを安全に退避させることが著しく困難な状況になることを
予見することが可能であった。したがって,前記立場にある被告人aとしては,自
ら,あるいは同幼稚園主任教諭b又は同幼稚園年長組担任教諭cに指示するなどし
て,あらかじめ,河川での遊泳に伴う危険性について十分な知識を習得し,当日の
注意報等の確認のみならず,当日の遊泳開始直前までの降水量等を,本件遊泳場所
付近のみならず,その上流域についても確認し,増水等危難が生じる可能性を十分
に考慮し,遊泳を実施する際は,ライフジャケットを準備して園児らに適切に装着
させるなど,園児らの水難事故を未然に防ぐための計画及びその準備を整えるべき
業務上の注意義務があった。しかるに,被告人aは,これを怠り,あらかじめ,河
川での遊泳に伴う危険性について十分な知識を習得せず,前記加茂川上流域におけ
る断続的な降雨や当日の雷注意報,大雨洪水注意報等をいずれも十分に調査せずに
それらを認識せず,西条市街地及び本件遊泳場所付近で降雨があったことを認識し
ながら,加茂川の増水の可能性を予見せず,増水等危難は生じないものと軽信し,
本件遊泳を実施した際,ライフジャケットを準備せず園児らに適切に装着させなか
った過失により,同日午後3時38分頃,本件遊泳場所において,折からの上流に
おける降雨等により加茂川の水位が突如上昇したこと(以下「本件増水」という。)
により,同河川内を水から出るため移動中であったA(当時5歳)をして,増水し
た同河川の水流により下流に押し流されさせ,よって,同日午後4時24分頃,A
を同河川内で溺死させた。
(証拠の標目の要旨)
※括弧内の甲・弁の番号は,証拠等関係カードにおける検察官・弁護人請求の証拠番号を示す。
被告人3名の当公判廷における供述
証人B,同C,同D,同E,同F,同G,同H,同I,同J,同K及び同Lの当
公判廷における供述
H(甲14。不同意部分を除く。)及びM(甲94。不同意部分を除く。)の検察
官に対する供述調書
司法警察員作成の実況見分調書(甲1,58,71。甲1は不同意部分を除く。)
検察官(甲17。不同意部分を除く。),検察事務官(甲32,84)及び司法警
察員(甲2,15)作成の捜査報告書
住友共同電力株式会社総務環境部長(甲5)及び横浜地方法務局横須賀支局長(甲
57)作成の捜査関係事項照会回答書
松山地方気象台長作成の捜査関係事項照会書(回答)(甲7,11,80。甲11
は添付書面部分に限る。)
黒瀬ダム管理事務所長作成の「捜査関係事項照会書について」と題する書面(甲
9)
司法警察員作成の写真撮影状況報告書(甲59)
検察官作成の捜査関係事項照会書謄本(甲95)
一般財団法人日本気象協会管理課長作成の「平成28年2月5日付けで,」から始
まる書面(甲96。不同意部分を除く。)
水辺の安全ハンドブック(写し)(甲93)
報告書(弁4,5)
(争点に対する判断)
訴因変更後の本件公訴事実の要旨は別紙1(添付省略)のとおりである。当裁判
所は,被告人aについてはAの死亡結果と因果関係のある過失が認められるが,ほ
か2名の傷害結果と同過失との因果関係はなく,被告人b及び同cについては過失
が認められないと判断したので,以下,過失判断の前提となる事実関係について検
討し(第1,2),この事実関係及び当事者の主張(第3)を踏まえて,予見可能性
の有無を検討し(第4),これらを前提として,どのような根拠により検察官主張の
うちどの範囲で結果回避義務が認められるかを判断し(第5),各被告人ごとの過失
の有無を判断する(第6,7)。
第1前提となる事実関係
関係各証拠によれば,次の事実が認定できる(概ね争いがないか,証拠から
容易に認定できる。以下,付記した証拠のうち,氏又は氏名及び数字は,供述
調書の頁数を指し,被告人c①は第6回公判におけるもの被告人c②は第7回
公判におけるものを指す。)。
1被告人らの立場等
被告人aは,本件幼稚園教諭,同主任教諭を務めた後,平成18年8月から本
件当日の平成24年7月20日を含む同年9月19日までの間(以下,日付は
特に断らない限り,平成24年のそれを指す。),本件幼稚園の園長であり,
同幼稚園の園務全体を統括する責任者として他の教諭を指揮監督する立場にあ
り,被告人bは,本件当時,本件幼稚園の主任教諭として,他の教諭に対して
指導・助言し,園長を補佐する立場(被告人a1),被告人cは本件当時,年長
組の担任教諭であった。また,本件当時,同幼稚園には,幼稚園教諭としての
経験の長い順に,N,L,O(パート),K,P(パート)の5名の教諭が在
籍し(被告人b4),年長の園児は31名,全児童で100名前後であった。
なお,本件幼稚園にはインターネットに接続されたパソコンが1台あり,主に
被告人bが使用していた(被告人b6,7)。
2本件遊泳場所付近の状況
加茂川は,石鎚山系から山間部を,概ね南方から北方に向けて流れる河川で
あり,乙は,その右岸(上流から下流を見て右側を「右岸」,左側を「左岸」
という。)に面しており,そのやや上流で複数の支流が交わっている(甲1,
2)。その流域は石鎚山頂付近を含む山間部で,乙付近での流域面積は約83.
86㎢である(甲14〔資料1の3枚目〕)。なお,乙付近より上流域に細野
測水所があり,そのやや下流には兎之山発電所維持放流設備及び本流取水堰堤
(以下「本件固定堰」という。兎之山発電所に通じる取水口の取水量は最大毎
秒3.0㎥)が設置され,維持放流として毎秒0.056㎥が流出されている
(弁5)。
本件遊泳場所(その状況は,概ね別紙2現場見取図第4図〔甲1添付のもの,
添付省略〕のとおりであるが,本件増水前の川幅は同図面よりも狭い。)は,
乙西側の加茂川内であり,同所付近の川幅は十数mある。その右岸には,西向
きに下る法面に石積みされた護岸堤防があり,南北に2か所,石段が設置され
(以下,南寄りのものを「上流側石段」,北寄りのものを「下流側石段」とい
う。),これが乙から加茂川に入る際の経路となっている(甲1)。その左岸
には,主要地方道に沿って設置されたコンクリート擁壁との間に河川敷(高水
敷)が広がっているところ,河川敷は平坦でなく,河川側から擁壁側にかけて
徐々に高くなっており,その高低差は2m以上ある(甲71)。
増水していない状態の同所付近の加茂川の水深は,左岸側が浅く,乙側に向
けて徐々に深くなっており,右岸沿いは,上流側石段を下りた辺りで2m弱で
あり,そこから下流側石段に向かって徐々に浅くなってゆき,下流側石段下付
近では,大人のくるぶしから膝下程度となっている。また,水流は,右岸側が
速く,左岸側が緩やかであり,上流側石段付近の上流側と下流側石段付近の下
流側はやや水流が速いものの,両石段の間の流れは全体的に緩やかで,河川敷
に近いところは,ほとんど流れがない。両石段の間の河床は,下流側石段下付
近には,こけの生えた大きな石が幾つかあって滑りやすい一方,河川敷側は砂
利で埋められている。(D2から6)
3一般的な気象情報等
気象庁の地方機関で愛媛県を管轄する松山地方気象台は,県内の天気予報,
注意報・警報を発表するなどの予報業務や,その前提となるデータ観測等の
観測業務などの業務を行っている(E1,2)。天気予報は,県内を東予(四
国中央市,新居浜市,西条市,越智郡上島町,今治市),中予,南予の3地
方に区分して午前5時,午前11時,午後5時に定期的に発表し,注意報・
警報は随時発表していた(E29,31)。降水量の観測等としては,全国
約1300か所地点に設置された地域気象観測システム(通称アメダス)に
おいて転倒ます型雨量計により0.5mm単位で実測し,それをデータベー
ス化(表示時刻前1時間の降水量)したもの(E3,4),全国約20か所
に設置し全国をカバーする気象レーダーによる観測結果から雨粒と推定され
るものを選別し,その時刻の雨の強度(その雨雲による1時間当たりの雨量)
として1km四方のマス目ごとに表示しデータベース化したもの(E5から
8),観測時刻前1時間に積算されたレーダーの強度とアメダス等全国約1
万か所の雨量計で実測した降雨量を比較して実際の値に補正した解析雨量を
1km四方のマス目ごとに表示しデータベース化したもの(E9から12)
などがある。
気象庁が開設するホームページには上記気象情報が誰でも無料で閲覧でき
るよう公開されており,①天気予報は発表時刻になると最新の情報が閲覧で
き,②アメダスによる降水量のデータは1時間ごとの値が約10分の時間差
で,③気象レーダーによる雨雲のデータは5分ごとの値が約二,三分の時間
差で,④解析雨量は30分ごとの値が約20分の時間差で,それぞれ更新さ
れて閲覧できるほか,②は過去のデータも閲覧でき,③④は二,三時間前ま
でのものが閲覧できた。なお,NHKのニュースの際に放送される天気予報
においては気象台発表の予報が用いられていた(E18,19)。
本件当時,一般財団法人日本気象協会のウェブ・サイトである「tenk
i.jp」では,気象庁から入手するデータを使用し,アメダスによる降水
量(過去12時間から現在まで)については1時間に1回自動更新し,気象
レーダーによる雨雲の動き(過去2時間から6時間先の予測まで)について
は10分間に1回自動更新し,誰でも無料で閲覧することができた(I5,
7,甲17)。
第2本件事実経過
関係各証拠によれば,次の1ないし4の各事実を認めることができる。
1本件お泊り保育の準備状況,被告人らの役割等
本件幼稚園では,平成4年から,乙でお泊り保育を実施しており,その際
には,本件遊泳場所において園児らによる川遊びを実施していた(被告人a
2)。お泊り保育の準備については,例年,年長園児の担任教諭が担当して
おり,平成24年度は被告人cが4回目の担当となった。担当者の役割や権
限等については明確な定めがなく,スケジュールの作成,保護者への配布文
書等の作成,バスの手配,乙との連絡調整,食事の手配や買出し等の準備と
いったことを担当していた(被告人c①5,8,同a3,同b11)。また,
主任教諭は,本件お泊り保育の準備に当たり,担当者に助言するなどの立場
にあった(被告人b80,同a22)。お泊り保育の実施についての決定権限
は園長にあり,本件以前にお泊り保育や遊泳(水遊び)を中止した際は,園
長が主任教諭と相談した上で中止を決定していた(被告人b8,9)。
被告人cは,4月上旬に乙に下見に行き,同所までの経路や施設を確認し
たほか,本件遊泳場所の様子を下流側石段の上から見てこれまでとほぼ変わ
っていないことを確認した。被告人cは,同月中に,前年度までの例に倣っ
て本件お泊り保育のスケジュールを作り始め,被告人bと話し合いながら案
を考えた上,5月頃から週1回程度開かれる職員会議(パート職員以外の教
諭及び園長である被告人aが出席)において検討し,最終的には被告人aの了
解を得て決定されてゆき,6月19日までに遊泳(水遊び)を含め例年とほ
ぼ同様の活動内容のスケジュールが決定された。被告人cは,これを乙のス
タッフに電話で伝え,7月3日にはこれを記載した資料を保護者への説明会
で配布した。また,7月14日の職員会議において,例年どおり,本件遊泳
場所を前提に(被告人c①4,同②36),本件遊泳中の各職員の役割等に
ついて,被告人aが下流側,被告人cが上流側に立ち,その間で園児らを遊泳
させ,他の教諭は園児らを見守ることが決定された。なお,年長園児らの約
半数は,浮き具なしでは泳げなかった(被告人a36,同c②37)。
一方,雨天等の場合はお泊り保育自体あるいはその一部である遊泳(水遊
び)や山登りが実施できないため,被告人らにおいても本件当日の天候を気
にしていたが,これを確認する担当者や確認方法は決められず,各々が各自
で天気予報等を見るにとどまっていた。なお,お泊り保育2日目の山登りの
際,石鎚登山ロープウェイで成就社に園児らを引率する予定であったため,
被告人cが,本件の約1週間前にインターネットで山の降水量を確認しよう
としたこと,石鎚登山ロープウェイの従業員に山の状態を確認したこと(被
告人c②57),その後7月19日に乙に電話をして現地の天候や川の様子
を聞き,問題ないとの返答を得たこと(被告人c①5から13,同②1から
7,31から33,同b9ないし19),被告人bが,7月18日に加茂川
上流域にある成就社のアメダスのデータを閲覧したこと(被告人b57,7
9)があったが,その他に被告人らが本件当日及びその数日前からの加茂川
上流域の降水量を確認したことはない。
前記一連の職員会議において,川における危険について調査するか否か,
川遊びについて増水が起きた場合にどう対応するか,緊急時の退避方法をど
うするか,ライフジャケットは持っていった方がよいか,当日の上流域の天
候の確認の要否及び確認方法などの話題が出たことはなかった(被告人a4,
同b17)。
2本件当日の天候等
7月20日,県内は大気が非常に不安定になっていたため,松山地方気象
台により県内全域に雷注意報(落雷や急な強い雨に注意を呼び掛ける内容)
が発令され,同日午後2時5分から同日午後5時10分までの間,上浮穴郡
久万高原町及び伊予郡砥部町に大雨洪水注意報が発令されていた(甲80,
E15ないし17,20)。また,同日の東予地方の天気について,午前5
時発表の天気予報では「曇り時々雨ところにより雷を伴う」(時々雨とは,
5時から24時までの4分の1以上2分の1未満の時間が1時間に1mm以
上の雨と予想される場合を指す。)であり,1時間に1mm以上の降水確率
は6時から12時が50%,12時から18時が60%,午前11時発表の
天気予報では「曇り昼過ぎから夕方雨ところにより雷を伴う」,12時から
18時の降水確率が50%と予報されていた(E16,17)。
本件当日,本件遊泳場所よりも上流にある石鎚山周辺の加茂川上流域で降
雨があり,石鎚山頂周辺では強い雨が降った時間帯もあった。すなわち,本
件当日午前10時頃から午後1時30分頃までの間,石鎚山周辺の加茂川上
流域付近において,解析雨量で1時間に1mmから30mm程度の降雨(甲
84,E12から14)があり,石鎚山成就社(気象庁設置アメダス)では
午前9時から午前10時に2.0mm,午前10時から午前11時に3.5m
m,午前11時から午後零時に0.5mm,午後零時から午後1時に2.5m
m(甲7)の,大平(黒瀬ダム管理事務所設置雨量計)では午後零時から午
後1時に1mm(甲9)の,東之川(同事務所設置雨量計)では午前10時
から午前11時に3mm,午後零時から午後1時に1mm(甲9)の降雨が
あった(おおよその位置関係は別紙3「各地点の位置関係」〔甲2添付のも
の,添付省略〕のとおりである。)。なお,気象庁においては,1時間の雨
量が10mmから20mmを「やや強い雨」(傘をさしていても地面からの
跳ね返りで足下がぬれる程度の強さ),20mmから30mmを「強い雨」
(土砂降り)と表現している(E14,15)。また,気象台の基準によれ
ば,乙付近の西条市の山地においては,1時間に40mm以上の降雨が予想
される場合に大雨洪水注意報が発令される(E20,33)。
本件当日の午前中,西条市内にある本件幼稚園付近において十数分程度の
降雨があった(被告人c②9)ほか,昼前頃には乙付近においてもまとまっ
た降雨があった(D8,C1)が,その後,被告人らが本件幼稚園から乙に
移動する間を通じて晴れており,本件遊泳当時,本件遊泳場所上空は晴れて
いた(甲15,32)。なお,本件遊泳場所からは,石鎚山山頂を見通すこ
とができない(被告人a7)。
3本件当日の本件お泊り保育及び川遊びの状況
本件当日,午後1時過ぎに園児らは本件幼稚園を出発し,同日午後2時23
分頃,乙に到着した(被告人b20,甲15)。その頃,同所付近の地面は一
部ぬれ(甲15写真番号31),水たまりがあった(被告人c②11)。同日
午後2時45分過ぎ頃,園児ら31名は下流側石段から加茂川に入り,水面を
横断して河川敷に移動した。同日下見をしたKが川遊びの場所として上流側石
段寄りの左岸側がよいと提案したため,一同は移動したが,最終的には本件遊
泳場所に引き返し,同日午後3時頃,本件遊泳場所で本件遊泳(川遊び)を開
始し,被告人ら8名の教諭が監視をしていた。同日午後3時29分頃,被告人
bがすいか割りの準備のために川から上がり,下流側石段を通って乙に向かっ
た。その後,被告人cは,川の中や河川敷で遊んでいた園児らに対し,上がる
よう声をかけた(被告人c②14から18)。
4本件増水及び事故発生
一方,午前中からの前記降雨等により加茂川の流量は増加し始めており(前
日までの降雨の影響は不明である。),本件遊泳場所付近より約2.9km上
流にある細野測水所(位置関係は別紙3のとおり)において,加茂川の流量は,
本件当日零時から7時10分まで毎秒0.35㎥,7時20分から14時20
分まで毎秒0.31㎥であったが,14時30分には毎秒0.57㎥,同40
分には毎秒6.67㎥,同50分から15時には7.44㎥,15時10分か
ら同20分には8.25㎥に増加していた(甲2,5)。
引率教諭及び園児らは,被告人cの声掛けに応じて,下流側石段に向けて皆
ばらばらに加茂川を南西方向から北東方向に斜めに横断し始めていたところ,
被告人c,K,Lが上流で茶色の濁水が流れていることを視認した。被告人a
が下流側石段を数段上った時,その高さまで水かさが増していたため,川の方
を振り返り,Nが連れていた園児らを川から引き上げた。被告人cとPは,園
児らを連れ,水から上がるため下流側石段に向かい川の中を移動していた。川
幅の中央付近にいたLが水量の増加を察知し,後続の者に河川敷に戻るよう合
図をして引き返し,Kも園児らを伴い左岸の河川敷に引き返した。間もなく,
被告人cの膝辺りから腰ぐらいまで一気に水かさが増し,同日午後3時38分
頃,被告人cと一緒にいたA,Q,Rほか1名は,増水した濁流により流され
た(K19から26,L11から17,被告人a14から16,被告人c②18
から22等)。
5本件濁りの有無及び状況
検察官は,Sの供述等に依拠し,同日午後3時10分頃,本件遊泳場所付近
において,加茂川の水に濁りがあった旨主張し,弁護人らはこれを争う。
Sは,「15時頃から川遊びを始めたところ,15分前後で川底がぼやけ
て見える程度の白っぽい色で川が濁り出した。川の中にいたのは30分ぐら
いで,水かさが増えた気がしたので川から上がった」旨供述する。しかし,
その警察官に対する供述調書(弁18)においては,「川で遊び始めて30
分くらい経った時,透明だった川の水が少し茶色っぽく濁ったのが分かった。
その直後か,少し後だったかはっきりしないが,水位が上がった」旨供述し,
また,その検察官に対する供述調書(弁19)では,「川に入って遊び始め
てから20分くらい経過した後,それまで透明で綺麗だった川の水が,突然,
茶色く濁り始めた。その後,突然川の水かさが増えた」旨供述しており,川
の水が濁り始めた時間と同人の行動や増水との繋がりや濁りの色などの重要
な点で公判供述と齟齬している。
また,本件当日14時59分撮影の写真(甲32写真番号10)による加
茂川の水の色と比較すれば,Sが濁ってきたと気付いた時の川の色だと述べ
る同日15時10分撮影の写真(甲32写真番号39,40)による加茂川
の水はやや白っぽい色と見られるが,同日15時3分から6分にかけて撮影
された写真(甲15写真番号56ないし59)と比較してより白っぽい色と
判断できるまでの違いは見られない。さらに,その後の同日15時16分に
撮影された写真(甲15写真番号71及び甲32写真番号41)では,上記
各写真よりも川底の石の形状がよく見えており,各写真における加茂川の水
の色の違いの有無や,濁りの状況及び原因については不明というほかない。
したがって,Sの上記供述の信用性は高いとはいえず,本件当日の写真と
S供述を併せ考慮しても,加茂川の濁りの発生時点,範囲及び色等の具体的
な状況は不明であり,結局,同日午後3時10分頃,本件遊泳場所付近の加
茂川において水の濁りが発生していたと認めることはできない。
第3過失に関する当事者の主張等
1検察官の主張の骨子
検察官は,本件お泊まり保育開始前の計画準備段階において,①本件遊泳場
所付近において急激な増水を典型例とする河川の変化(増水等危難)が起こり
得る類型的可能性があること,当該場所で園児らを遊泳させている際にこれが
起きた場合には,園児らを安全に退避させることが著しく困難な状況となり,
これにより園児らの生命・身体に重大な危険が及ぶことの蓋然性が高いことの
予見が可能であった(以下「計画準備のための予見可能性」という。)上,本件
遊泳開始時点において,②客観的に,増水発生の確率・頻度に関して,増水が
生じる相当程度の蓋然性があると判断できるから,被告人らは,本件遊泳中に,
園児らの生命・身体に害を及ぼす程度の増水が生じることを具体的に予見し得
た(以下「遊泳中止のための予見可能性」という。)として,③本件遊泳を中止
すべき義務(以下「遊泳中止義務」という。)を負い,④仮に実施するとしても,
契約に伴う園児の生命・身体の安全を確保ないしこれに配慮すべき義務及び社
会生活上,河川に幼児を引率する者の負うべき安全配慮に関する条理に基づき,
被告人らが,本件幼稚園における業務として,ライフジャケット,浮き輪等の
用具を準備し,遊泳開始前に装着させる義務(以下「ライフジャケット等装着
義務」という。検察官は,平成27年5月7日付け「求釈明に対する回答書(3)」
において,公訴事実記載の「準備し」は遊泳開始前に適切に装着させておけば
結果回避が可能であるという趣旨であると釈明した。)や,あらかじめ,本件遊
泳場所付近を実地調査し,有事の退避方法・経路・場所等を十分に検討・確認
し,その情報を引率者及び園児全員に対して周知し,実際に増水等危難が発生
した場合には,各園児や各引率者にあらかじめ定めた退避方法等に従って速や
かに退避させる義務(以下「退避計画義務」といい,④の各義務を併せて「計
画準備義務」という。)を負う旨主張する(本件の事実関係の下では③④の両義
務は併存も競合もせず,一方を主位的訴因,他方を予備的訴因として構成すべ
きと解されるが,審判対象としての特定は十分である。)。
2弁護人らの主張の骨子
被告人3名の弁護人らは,予見の対象は一般的な「降雨による増水」ではな
く,本件遊泳開始後に,本件遊泳場所を突然襲った「急激な増水」でなければ
ならないが,①本件のような「急激な増水」は専門家にとっても予見が不可能
ないし著しく困難であり,幼稚園教諭である被告人らには,その予見はおよそ
不可能である,②急激な増水についての具体的な予見可能性がない場合にも「計
画準備のための予見可能性」により過失を認めるのは,抽象的な危惧感を前提
に予見可能性を認める議論であって失当である,③予見可能性がない以上,遊
泳中止義務はないし,④退避計画義務には本件死傷結果の回避可能性がなく,
⑤ライフジャケット等装着義務は法令上も条理上も認められない旨主張する。
第4予見可能性について
1増水等が起きた場合の危険性の予見について
前記認定事実によれば,本件お泊り保育では,例年どおり,園児を下流側
石段を通って加茂川に出入りさせる上,上流側石段と下流側石段の間で川遊
びを行うことが予定されていた。そして,被告人らは,これまでの乙におけ
るお泊り保育の経験等により,前記認定の本件遊泳場所付近の加茂川の河床
の状況を知っており,園児らが迅速に移動して川から上がることが困難な箇
所があることを認識していた。
また,8名の教諭で,5歳から6歳の園児31名を引率する予定であり,
園児らの年齢からして行動を統制することが容易ではなく,約半数は浮き具
を着けなければ泳げなかった。このことは,本件計画段階において被告人ら
も認識し又は認識できた。
したがって,本件遊泳場所で園児らを遊泳させている際に,ある程度の増
水等危難が生じた場合には,園児らを安全に退避させることが著しく困難な
状況となり,これにより園児らの生命・身体に重大な危険が及ぶ蓋然性が高
いことを容易に予見できた。
2増水等の予見可能性の有無及び内容について
前記第1の各事実及び上記1を踏まえ,予見可能性について検討する。
まず,本件お泊り保育開始前の計画準備段階における計画準備のための予
見可能性について検討する。
ア加茂川の流域には石鎚山付近の山間部が含まれ,本件遊泳場所は複数の
支流が交わった場所付近に位置しているところ,これは地図を見れば容易
に知ることができる。そして,河川が降雨によって増水することは一般に
知られており,被告人3名もこのことを認識していた(被告人a5,同b5
6,72,同c②46,52)。
イ次に,河川の状況は,周りの環境や気象条件等の影響によって変化しや
すく,水量は上流域での降雨に影響され,遊泳場所付近が晴れていたとし
ても,上流域での降雨により遊泳場所付近で増水が起こることがある(G
3から5)。このことは一般的にもある程度知られていると思われる。
さらに,本件お泊り保育の準備を行う時点において,公益財団法人河川
財団(当時財団法人河川環境管理財団)子どもの水辺サポートセンターが
インターネットで公開している「水辺の安全ハンドブック」(当時は20
08年版。甲93)には,「今いる場所が晴れていても,上流の雨で一気
に増水する可能性がある。急に濁りがでたり枝が流れてきたら注意。」(8
頁),「テレビやラジオ,新聞の他,最近ではインターネットや携帯サイト
からは狭い地域の天気予報をリアルタイムで手軽に入手できます。これら
の情報を活用し,活動する川での天候の変化等を予測できるよう心がけま
しょう。」,「突然の雷雨など,事前に予測できない気象変化もあります。
活動中にも観天望気や気象情報をできるだけ入手し,悪天候が予測できた
ら,中止又は予定を変更する勇気を持ちましょう」(12頁),「川では今
いる場所で雨が降っていなくても,上流で雨が降っていたりダムの放流な
どの影響で,水嵩が急に増えることがあります。上流側に雨雲が見えたり,
雷鳴が聞こえたりした時はもちろんのこと,普段流れてこないペットボト
ルや流木,落ち葉などが流れてきたり,水が冷たく感じたり,水位が急に
低くなった時には迷わず川から離れましょう。」(14頁)との記載があっ
た(G11から14,17)。これが検索エンジンでどの程度上位に表示
されるかは不明であるが,法人や情報の性質から,適切な語により検索す
れば,同情報に接することは困難でないと推認できる。インターネットを
利用できる環境にある一般人が河川の安全について調査すれば,同情報あ
るいはこれと同様の情報をさほど困難なく知ることができ,被告人らも本
件幼稚園のパソコン等により知ることができた。
ウしたがって,お泊まり保育開始前の計画準備段階(計画準備義務を履行
することが可能な時期)において,被告人らと同様の立場にある一般人で
あれば,本件遊泳場所付近において,同所付近が晴れていても,上流域の
降雨によっては,本件遊泳場所付近において増水するなどの河川の変化(増
水等危難)が生じ,水量・流速が増す類型的危険性があることを予見する
ことができた。これは単なる危惧感ではなく,具体的な根拠を伴う危険の
予見というべきである。したがって,被告人らは,本件遊泳中に急激な増
水を典型例とする河川の変化(増水等危難)が生じた場合,園児らを安全
に退避させることが著しく困難な状況となり,これにより園児らの生命・
身体に重大な危険が及ぶ蓋然性が高いことを予見できるから,計画準備の
ための予見可能性については,優に認めることができる。
次に,本件遊泳開始時まで継続したか否か,同開始時に
遊泳中止のための予見可能性が認められるかを検討する。
ア前記第2の2のとおりの本件当日の東予地方の天気予報,特に降水確率
が60ないし50%であったことや,県内全域に雷注意報が,午後2時5
分には久万高原町等に大雨洪水注意報が発令されていたことについては,
気象庁のホームページで常に確認することができ,ある程度は新聞やニュ
ース中の天気予報でも知ることができた。
そして,本件当日の午前中,本件お泊り保育に出発する前に,本件幼稚
園周辺で降雨があり,被告人b及び被告人cはその事実を認識していたし,
被告人らが乙に到着した際も地面が一部ぬれ,水たまりがあったから,こ
れらを契機に,被告人らは,本件遊泳開始に先立ち,前記天気予報等を確
認した上,又は直ちに,加茂川上流域の降雨について調査することができ
た。
イ次に,気象庁のホームページを閲覧すれば,本件当日,石鎚山頂付近に
おいて1時間に1mmから30mm程度の降雨があったこと,例えば,気
象庁のホームページ内の「愛媛県内の気象レーダー画像(石鎚山付近)」(甲
11の別紙6,7。ただしホームページにより閲覧した場合には画像枠内
に同書面よりも広範囲の地域が含まれるものとなる。)を閲覧すれば,本件
当日午前10時の気象レーダーによる雨量を示す画像には,画像の中央付
近,すなわち石鎚山に近い位置に40mmを越える地点を含む部分があり,
同日11時の画像においても同所付近には強い降雨があることを認識する
ことができた。また,「tenki.jp」のウェブサイト中「愛媛(松山)
の過去の天気」(甲17別紙資料10)の画像を閲覧することにより,石鎚
山付近に降雨(25mmを示すものが含まれる)があり,本件当日午前9
時,10時,11時までの各1時間の雨量(気象レーダー)について,そ
の頃から各2時間後までの間であれば,その状況を知ることができた。
そして,被告人らは,本件お泊り保育に出発する前までは本件幼稚園に
あったパソコンを用いて知ることができ,その後も引率者の一人であるO
がスマートフォンを所持していたから,本件遊泳開始時までに,これらを
閲覧して知ることができた(被告人b7)。
なお,気象レーダー及び解析雨量のデータベースについては過去2時間
程度のものしか閲覧することができないが,適時に調査すれば閲覧できる
以上,予見可能性の判断に際しては,全時間帯のデータを利用できるもの
として考慮されるのは当然である。
ウ以上によれば,被告人らは,上流域の天候を調査すれば,本件遊泳開始
時までに,本件遊泳場所の上流域において,少なくとも前記イ程度の降雨
があったことを知ることができた(ただし本件遊泳場所上流の加茂川流域
内における正確な降水量までは知ることができなかった)と認められる。
また,前記のとおり,被告人らは,本件お泊り保育の計画準備段階から,
本件遊泳場所の上流域における天候について調査し,増水等が発生する危
険性を予見すべき義務を負っていたことも明らかである。したがって,園
児らに死傷結果を及ぼすような増水等危難の予見可能性は,計画準備義務
を何ら果たしていない状況及びア・イの事情の下では,高まりこそ
すれ消滅することはなかったと認められる。この点,弁護人らは,乙の従
業員らを含め誰も本件増水を予想していなかったことを指摘し,どこに,
どれだけ雨が降れば急激な増水となるか,その基本データはどこかにあっ
たのかと疑問を呈し,気象や防災,水文学の専門家でない幼稚園教諭であ
る被告人らには急激な増水は予見できなかったと主張する。しかし,通常
人において,前記イ程度の本件当日の石鎚山頂付近での降雨を認識した場
合,加茂川の変化を何ら気にすることなく,何ら安全配慮のための準備を
することなく園児らを遊泳させても安全であると認識するのが通常である
とは到底思われないし,降雨が認識可能であり判断基底に含まれることは
前記のとおりであるから,本件遊泳場所の上空が晴れていたことや乙従業
員も増水を予見せず,何ら注意喚起がなかったことなどの事情を踏まえて
も,前記予見可能性が失われることはなく,弁護人ら指摘の点は,計画準
備のための予見可能性を否定するものではないというべきである。
しかしながら,前記認識可能な天気予報の内容,降雨状況や本件当日の
上流域の天候に照らせば,被告人らと同様の立場にある一般人がこれらを
調査し認識したとしても,本件遊泳場所付近において,予定していた本件
遊泳時間中に,どのような態様の増水が,どの程度の蓋然性(確率)で生
じるかについてまで明確に予測することは困難であって(専門家について
も本件後に加茂川での降雨による増水の到達時刻等を解析したものは証
拠として提出されているが,本件当時に解析されていたとの証拠はない。),
通常人であれば遊泳すること自体を直ちに断念するような,気付いてから
では退避できない態様の増水(本件増水は,本件濁りが認められない以上,
このような態様の増水であったと認められる。)が相当程度に高い蓋然性
で発生するといった予見は不可能であったというべきである。そして,お
泊り保育やそれに伴う遊泳には,園児らにとって相応の教育的な意義があ
ることも否定できない。そうすると,危険を許容できる程度まで減少させ
るための措置を義務付けることはあり得るとしても(抽象的には種々想定
できるが,検察官が計画準備義務以外には主張しないので具体的な検討は
しない。),この程度の予見可能性に基づいて,直ちに遊泳中止を義務付け
ることは困難であるというべきであり,検察官が主張するような,遊泳中
止のための予見可能性を認めることはできない。
3予見可能性に関する弁護人らのその他の主張について
予見の対象について,弁護人らは,遊泳開始時までに「降雨による増水」
が認められれば被告人らは本件遊泳を実施することはなく,本件は本件遊泳
開始後,急激な増水があったためであるから,本件のような「急激な増水」
についての具体的な予見可能性が必要であり,これがない場合に予見可能性
を肯定すれば,その内実は抽象的な危惧感を前提に予見可能性を認めるもの
であって失当である旨主張する。これは,増水が急激でなければ特段の措置
がなくとも増水に気付いてから園児らを退避させることができたことを暗黙
の前提に,それができないような急激な増水が因果関係の基本的な部分とし
て予見できることが必要であるとの主張とも考えられる。
しかしながら,業務上過失致死傷罪における予見の対象は死傷の結果であ
り,注意義務が問題とされる時点によって,その時点において認識可能な結
果発生の危険の内容・性質(危険性の結果への実現過程を含む)には差があ
り,現に結果を発生させた事象が発生する蓋然性の高さを予見可能性の有
無・程度として捉えるならば,問題とする時点によってこれに差があること
は当然であるし,想定される結果回避措置との関係においても,求められる
予見可能性の内容や程度には差があるというべきである。そして,園児らを
安全に退避させることが相応に困難になるような河川の変化(増水等危難)
が予見可能であれば,それに備えた計画準備を行った上で遊泳を実施するこ
とが期待できるのであるから,計画準備義務との関係では,弁護人らの主張
するような「急激な増水」は予見の対象とならないというべきである。弁護
人らの主張は採用できない。
また,本件増水と本件固定堰との関係について,弁護人らは,本件増水の
原因が,加茂川上流域で降った雨にあるとしつつ,本件固定堰があり,ここ
に越流が生じて本件増水に至ったことで本件遊泳場所付近における流水量増
加の程度が急激なものになったと主張する。
本件固定堰の構造上,流量が大きく増加している時点で上流からの流水が
堰を越えることになった場合,大きな流量の水が下流に向かうこととなるた
め,越流が生じる時点の流量の如何により,本件遊泳場所付近における流水
量増加の程度が左右されることは否定できない(H44,45)。
しかしながら,し,本件
増水の原因が加茂川上流域で降った雨にあると認められる以上,本件固定堰
の影響は前記2の予見可能な危険の範囲内にあるというべきであるから,予
見可能性の有無は左右されない(なお,本件固定堰は従前から設置されてお
り,本件遊泳場所付近における増水は,本件固定堰より上流域からの増水で
ある限り本件固定堰を越流するという過程を経て生じることになるから,当
然に予見可能な経過であるし,本件増水をなしたピーク流量伝播過程におい
て本件固定堰が及ぼした影響が大きいとは認められない〔H39〕。)。
第5結果回避義務について
本件事実関係及び前記予見可能性を前提として,被告人らが,業務として,
計画準備義務を負うか否かを検討する。(なお,想定できる結果回避措置は複
数あり得るが,予見可能な危険性を回避できるのであれば,どの措置を選択し
ても差し支えない。例えば,数日前から当日直前までの降水量等を,当該遊泳
場所のみならずその上流域についても詳細に確認し,降雨がなく,降水確率も
極めて低いなど,計画準備のための予見可能性が現実化しない事実関係が確認
できた場合にのみ遊泳を実施し,それが確認できない場合には遊泳を実施しな
いことも結果を回避するための合理的な方法の一つとして想定できる。しかし,
無視できる程度に危険を低下させるより小さな義務付けがあり得る場合,遊泳
中止まで義務付けることはできないと解される。)
1結果回避義務の根拠
本件幼稚園は,年長園児31名の保護者から登園契約により委任(準委任契
約と考えられる)を受けて幼児を保育しており,かかる契約に付随して,幼児
の生命身体に対する安全を確保すべき義務がある。そして,本件お泊り保育の
川遊びは,本件幼稚園の園外活動として行われる以上,その活動の際にも同様
の安全を確保すべき義務がある。なお,幼稚園の園外保育において遊泳を行う
場合の安全措置に関するガイドライン等の主張立証はなく,結果回避義務の具
体的内容は,上記契約関係から直ちに導くことはできないため,予見可能な危
険との関係で,条理上義務付けることのできる内容を検討する。
2計画準備義務について
まず,前記内容の増水等危難の予見可能性が認められる以上,本件遊泳場
所での川遊びを実施する際,かかる危険を防止するための措置に思い至るた
め,あらかじめ河川での遊泳に伴う危険性について十分な知識を習得する義
務を負うというべきである。
次に,水難事故防止にライフジャケットが有効であることは常識に属する
上,前記「水辺の安全ハンドブック」には「一見穏やかに見える流れも,川
底の影響で流水は一定ではない。川の事故の約90%はこの穏やかな流れで
発生している。近寄るときはライフジャケットを必ず着用するぐらいの心構
えを。」(8頁),「服装&装備」として「水に入る場合・ライフジャケ
ット:必ず着用する。体重の10%の浮力を持つものが適当。」(11頁)
との記載があり,通常人においてこれを着想する契機がある。そして,園児
らがライフジャケットを適切に装着していれば,頭部等が水面上に浮上した
状態を維持することができ,溺死や溺水による傷害を防ぐことができる蓋然
性が高いと認められるから,園児らの溺水による死傷結果についての結果回
避可能性はあると認められる(G10,11)。ただし,園児らがライフジ
ャケットを適切に装着していた場合であっても,増水に流されるなどする際,
河床や河川内の岩石等に接触することなどにより軽微な傷害結果を負うこと
はあり得る。したがって,かかる傷害の回避可能性には疑いが残るから,こ
の義務は,かかる機序による傷害を防止するために義務付けられるものでは
ないというべきである。
また,本件当時,財団法人河川環境管理財団(当時)の子どもの水辺サポ
ートセンターでは,ライフジャケットの貸出業務を行っていたこと,適切な
ライフジャケットの装着方法を園児に指導すること自体は比較的短期間で習
得可能であり,そのような者を確保した上で,同センターに申し込めば,僅
かな送料負担のみで園児の人数分のライフジャケットを調達することができ
たと認められる(G15,16。このことは同センターのホームページを通
して知ることができた。なお,通常の浮き輪等の利用は,増水等危難に対す
る結果回避措置として社会通念上相当とは認めがたい。)。そうすると,こ
れを義務付けたとしても,前記の類型的危険性に比して過大とはいえない。
以上によれば,本件幼稚園としては,前記計画準備のための予見可能性が
ある以上,増水による危険を防止できる措置として,ライフジャケットを準
備し,その予見可能性がより高まっていた以上,本件遊泳を実施するに際し,
ライフジャケットを園児らに適切に装着させる義務(以下「ライフジャケッ
ト準備装着義務」という。)を負っていたというべきである。
これに対し,弁護人らは,河川法では,自己責任の下で自由使用の原則が
あるためライフジャケットの着用義務を法的に定めることはできない旨主張
する。しかしながら,河川は,自然公物たる公共用物であり,河川法の自由
使用は私人と行政法上の公物管理責任との関係についての概念であって,河
川の利用者の自由な使用に伴う危険について,契約等に基づき保護者から委
任を受けて幼児の保育を行う者が,その河川での活動に際し,前記危険を回
避するために私法上又は刑法上の注意義務を負うこととは何ら齟齬しない。
また,弁護人らは,一般人や他の幼稚園においても,川遊びの際ライフジ
ャケットを装着させておらず,条理・社会通念上,その装着が義務付けられ
るものではないとも主張する。この点,一般人が自己又は法定代理人の判断
としてライフジャケットを装着せずに川遊びをする場合,その危険を自ら引
き受けることが許されるのは当然であり,本件と比較する対象とならない(お
泊り保育の参加に当たり,保護者らが「同意書」〔被告人c①別紙1〕を提
出しているとしても,その記載や事前の説明内容に照らし,園児や保護者ら
はその危険を引き受けていない。)。そして,情報環境が相当程度整備され
ている近年においては,ライフジャケットの装着をいとうのであれば,上流
域の天候等を直前まで調査し,降雨がある場合には念のため遊泳を中止する
など,他の選択肢が複数あり得ることは前述のとおりであり,ライフジャケ
ットの装着が社会的な共通認識とはいえないことは,これを義務付けること
の障害にならないというべきである。また,既知の危険であるが発生確率が
それほど高くない場合において,回避措置をとらない者が多いことを理由と
して,安全配慮の義務を負う者が結果回避義務を免れることもない。
次に,退避計画義務について検討する。
ア前記のとおり,本件当日午後3時10分頃,本件遊泳場所付近の加茂川
の濁りが発生したとは認められないところ,その他に退避行動をとる契機
となる予兆について検察官は具体的に主張立証しない。
イしたがって,河川の濁りの変化等を感知して,水の濁り等の増水の予兆
が認められた場合には直ちに遊泳を中止して退避する義務,園児の遊泳範
囲を園児であっても有事に迅速な移動が可能な水深の浅い範囲に限定させ
る義務,あらかじめ,本件遊泳場所付近を実地調査し,有事の避難方法・
経路・場所等を十分に検討・確認し,その情報を引率者及び園児全員に対
して周知し,実際に増水等危難が発生した場合には,各園児や各引率者に
あらかじめ定めた退避方法等に従って速やかに退避させる義務については,
仮にそれを履行したとしても,園児らが本件増水により流されることとな
った疑いを否定できず,結果回避可能性があったと認めることはできない。
(本件と異なり,退避計画義務を履行して結果発生の危険性を相応に低下
させていたが,増水が特に「急激」であったことにより奏功せず,園児が
流され死傷した事案であれば,過失責任を問うためには「急激な増水」で
あることといった,現に予見していた事情を基礎に含めた上で,予見した
危険を越える危険性の予見可能が問題となる。)
ウ以上のとおり,検察官の主張する退避計画義務については結果回避可能
性がなく,その違反による過失を認めることはできないというべきである。
第6各被告人の注意義務の有無
1被告人cについて
前記認定事実によれば,被告人cは,本件お泊り保育の担当者であり,そ
の具体的計画を立案するに当たり,園児らの安全に配慮して計画を立案すべ
き注意義務を負っていたというべきである。
しかしながら,前記事実関係に照らせば,お泊り保育の担当者が分掌して
いた職務内容は,飽くまでも,例年どおりの枠組みの中で,お泊り保育を実
施することを前提として,その活動細目の決定や準備に関するものに限られ
ており,その余の事項については,本件幼稚園の園務全体を統括する園長で
ある被告人aを含む教諭らが構成する職員会議において検討され,決まってい
くことが予定されていた。そして,従前,お泊り保育や遊泳を中止する際の
決定は園長が主任教諭に相談して判断しており,その前提情報でもある上流
等の天候について調査すべき役割を被告人cが分担したといった事情は見当
たらない。したがって,被告人cには,退避計画義務のような個々の活動の
実施細目に当たるものでない限り,例年の安全配慮とは異なる安全面の検討
を行うべき職務は分担されていなかったと認められる。そして,実際,被告
人a自身,被告人cが例年どおりに計画準備を進めるだけであることを認識し
ていたのであり,ライフジャケットを準備することが決まれば担当するのは
被告人cであると述べながらも,そのような決定はなかった,最終的な判断
は被告人aにあると述べ,被告人cがかかる職務上の義務を負うことを否定し
ている(被告人a84)。また,本件事実関係の下においては,被告人aと被
告人cとの間には安全配慮に関する前提事実について情報格差もなかったと
認められる。そうすると,被告人cは,職員会議における被告人aの決定に対
して更に安全配慮についての進言をすべき義務もなかったというべきである。
2被告人aについて
前記1によれば,被告人aは,ライフジャケット準備装着義務を内容として含
む安全配慮義務の職務,権限を本件幼稚園の教諭らに委ねていなかったことと
なるから,本件幼稚園において,この義務を負うのは被告人aであるというべき
である。実質的に見ても,これまでも,お泊り保育や遊泳の中止を決定してい
たのは園長であり,上流域の降雨により本件お泊り保育や本件遊泳を実施する
か否かの決定に影響があることからして,明確に分掌されていない以上,その
判断の基礎とすべき情報の収集は園長の職務というべきである。
3被告人bについて
被告人aが前記義務を他の教諭に分掌させていなかったことは前記のとおり
であり,被告人bには,被告人cに対する助言等の義務はない。
また,被告人bは,主任教諭として,被告人aを補佐する立場にあったと認め
られるが,本件お泊り保育の計画準備の内容は,園長である被告人aを含め他の
教諭が出席する職員会議の了解を経て決定され,被告人aと被告人bとの間に情
報格差はないこと,その他,主任教諭が本件お泊り保育に関し具体的にいかな
る事務を分掌していたかを明確に示す証拠もないことに照らすと,被告人bが
被告人aに対し,ライフジャケット準備装着義務に関し進言する義務を負ってい
たと認めるには合理的な疑いがあるというべきである。
第7注意義務違反と本件死傷との因果関係等
被告人aがライフジャケット準備装着義務を怠ったことは明らかであるとこ
ろ,本件事実経過の下において,被告人aがAにライフジャケットを適切に装着
させる義務を果たしていなかったことにより,本件増水により同児童が流され,
溺死したと認められるから,被告人aの過失と同児童の死亡との間に因果関係が
あることは明らかである。一方,ライフジャケット準備装着義務は溺水以外の
機序による傷害を回避するために課されるものではなく,これを適切に装着し
ていた場合であっても,増水により流される際,河床や河川内の岩石等に接触
することなどにより全治約1週間程度の頭部皮下血腫や左肘擦過傷等といった
比較的軽微な傷害が生じることは十分にあり得ることから,Q及びRが負った
各傷害については,被告人aの上記義務違反により生じたと認めるには合理的な
疑いが残る。よって,前記2名の傷害に関し,被告人aに業務上過失致傷罪は成
立しない。
第8結論
以上のとおりであるから,被告人aには,ライフジャケット準備装着義務違反
によりAを死亡させた業務上過失致死罪が成立する。他方,被告人aについて,
ライフジャケット準備装着義務以外の義務違反による過失責任に係る点及びラ
イフジャケット準備装着義務違反の過失により「Q(当時6歳)及びR(当時
6歳)をして,増水した同河川の水流により下流に押し流されさせ,よって,
その頃,前記Qに加療約1週間を要する頭部皮下血腫等の傷害を,前記Rに加
療約1週間を要する左肘擦過傷の傷害を各負わせた」点については,犯罪の証
明がないこととなるが,これらの点は,Aを死亡させた業務上過失致死罪と1
個の行為によるものとして1罪の関係にあるから,主文において無罪の言渡し
をしない。
被告人b及び被告人cについては,本件公訴事実について犯罪の証明がない
こととなるから,刑事訴訟法336条により,いずれも無罪の言渡しをする。
(法令の適用)省略
(量刑の理由)
本件は,幼稚園のお泊り保育の川遊びにおいて,増水により被害園児が流され溺
死した事案である。園児らを引率して川遊びを予定していたにもかかわらず,河川
の危険性について調査せず,上流域での降雨が水位等に影響するのは常識ともいえ
るにもかかわらず危険性を予見せず,上流域の天候を確認しないまま本件遊泳場所
が晴れていることで安易に増水等の危険性がないと軽信した点は,園児らを預かる
幼稚園園長として安易な態度であり,非難されるべきである。尊い幼い命が奪われ
た結果は誠に重大であると言わざるを得ず,被害園児の両親が今なお苦しみ,被告
人aに対し厳罰を希望していることも十分理解できる。そうすると,被告人aの責
任が軽いとはいえない。検察官は,二度と同様の事故を起こさせないためにも被告
人を厳しく非難することが必要であり,それを社会に対する警鐘とすべきと主張す
るが,様々な配慮をしつつ保育に臨むことを義務付けられる幼稚園教諭の個々の能
力や判断に即してみると,園児の安全確保にとって,必ずしも教諭個人に対する厳
しい刑罰が効果的であるとはいえず,幼稚園における保育の実態を踏まえた園外活
動の種々のガイドライン等の作成や事故事例に関する情報を容易に利用できるよう
な仕組み作り等といった,個々の教諭の努力を超えた部分での安全対策がなければ
十分な安全確保とならない場合も起こり得るのであって,そのような枠組みの中で
個々の教諭が十分な注意義務を果たすことが求められているというべきであり,殊
更厳しい非難をするのは当を得ないというべきである。
その他被告人aに前科前歴がなく,個人としては十分反省していることを考慮し,
被告人aには,主文の刑が相当であると判断した。
(求刑―被告人aにつき罰金100万円,同b及び同cにつき各罰金50万円)

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時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛