弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

         主    文
     原決定を取消す。
     本件について青森地方裁判所の再審を開始する。
         理    由
           目     次
 第 一  再審請求に至る経緯等
   一  再審請求に至る経緯
   二  再審請求理由
 第 二  原決定と本件抗告理由
   一  原決定
   二  本件抗告理由
 第 三  当裁判所の判断のはじめに
 第 四  原判決
 第 五  証拠の新規性
 第 六  遺留精液斑の血液型判定
 第 七  共同墓地からの犯人目撃の能否
 第 八  甲および請求人の自白の信用性
 第 九  甲に対する起訴状
 第一〇  結論
 (略語例)
 本決定で用いる略語の一部を左に列記する。
 (記録)
 原審取寄にかかる甲に対する東京地方裁判所昭和四二年(合わ)第乙号強盗殺
人、強盗強姦未遂被告事件の記録(一八冊、ほかに総目録一冊)を「東地」
 同取寄にかかる右事件の第二審(東京高等裁判所昭和四三年(う)第乙1号)の
記録(三冊)を「東高」(なお、「東地」二の一、二冊は、本件再審請求にかかる
確定判決事件記録であるが、同事件第二審の仙台高等裁判所―以下「原第二審」と
いう。―の記録は、右「東地」二の二冊中に、同事件第一審の青森地方裁判所―以
下「原第一審」という。―の記録と合綴され、かつこれとは別個に丁数が付されて
いるので、右第二審記録を「東地二の二原第二審」として表わす。)
 本件再審請求事件の原審(青森地方裁判所昭和四二年(た)第乙2号)記録(五
冊)および当審記録(二冊、ほかに参考資料一冊)の全体を通じて単に「記録」
(したがつて「記録」六冊、七冊は、それぞれ当審記録第一冊、第二冊にあた
る。)
 として表わす。
 (証拠)
 鑑定人丙作成の
 昭和二七年三月五日付鑑定書(東地二の一―五九以下。原決定書添付別紙三参
照)を「丙第一鑑定書」
 同月一一日付鑑定書(同―三九以下。原決定書添付別紙四参照)を「丙第二鑑定
書」
 同月二〇日付鑑定書(同―六二以下。原決定書添付別紙五参照)を「丙第三鑑定
書」
 昭和二八年七月二七日受付の鑑定書(東地二の二原第二審一一八以下。原決定書
添付別紙六参照)を「丙第四鑑定書」
 昭和四一年一二月一六日付鑑定書(東地二の六―二五以下。記録一―一一以下は
その写。)を「丙第五鑑定書」
 丙の
 原第一審第三回公判(昭和二七年七月一八日)における証言(東地二の二―三八
二以下)を「丙第一供述」
 同第六回公判(同年一一月一七日)における証言(同―五七七以下)を「丙第二
供述」
 原第二審第六回公判(昭和二八年七月二五日)における証言(東地二の二原第二
審一〇四以下)を「丙第三供述」
 東京地裁第八回公判(昭和四二年一〇月一二日)における証言(東地一の四―一
四八以下)を「丙第四供述」
 東京高裁尋問期日(昭和四四年四月二三日)における証言(東高二―四九四以
下)を「丙第五供述」
 原審尋問期日(同年八月二八日)における証言(記録二―五一六以下)を「丙第
六供述」
 当審尋問期日(昭和五〇年三月五日)における証言(記録六―一九三七以下)を
「丙第七供述」
 同尋問期日(同年六月二五日)における証言(同―一九八八以下)を「丙第八供
述」
 鑑定人丙1作成の
 昭和四二年二月三日付鑑定書(東地二の六―四〇以下。記録一―二六六以下はそ
の写)を「丙1第一鑑定書」
 昭和四三年一〇月二二日付鑑定書(東高二―二八二以下。記録二―七三六以下は
その写)を「丙1第二鑑定書」
 昭和四七年一二月一〇日付鑑定書(記録四―一三一五以下)を「丙1第三鑑定
書」
 丙1の
 東京地裁第九回公判(昭和四二年一〇月二七日)における証言(東地一の四―二
二六以下)を「丙1第一供述」東京高裁第二回公判(昭和四四年二月二四日)にお
ける証言(東高二―二六八以下)を丙1第二供述」
 同第三回公判(同年三月三日)における証言(同―三四七以下)を「丙1第三供
述」
 原審尋問期日(同年一〇月二五日)における証言(記録三―七八六以下)を「丙
1第四供述」
 当審尋問期日(昭和四九年一二月四日)における証言(記録六―一八二六以下)
を「丙1第五供述」
 鑑定人丙2作成の
 昭和四三年一〇月二五日付鑑定書(東高二―三三二以下)を「丙2第一鑑定書」
 昭和四九年八月三一日付鑑定書(記録六―一七六六以下)を「丙2第二鑑定書」
 丙2の
 東京高裁第二回公判(昭和四四年二月二四日)における証言(東高二―二七九以
下)を「丙2第一供述」
 同第四回公判(同年三月一七日)における証言(同―四二四以下)を「丙2第二
供述」
 当審尋間期日(昭和四九年一二月四日)における証言(記録六―一八八八以下)
を「丙2第三供述」
 鑑定人丙3作成の昭和四五年二月八日付鑑定書(東高三―七四七以下)を「丙3
鑑定書」
 同人の原審尋問期日(昭和四七年一〇月五日)における証言(記録四―一〇四三
以下)を「丙3供述」
 鑑定人丙4作成の昭和四三年七月一九日付鑑定書写(東高三―七一一以下)を
「丙4鑑定書」
 同人の東京高裁尋問期日(昭和四四年四月二四日)における証言(同―六六七以
下)を「丙4供述」
 鑑定人丙5作成の昭和四一年五月一七日付鑑定書(東地二の六―八三以下。記録
一―三〇八以下はその写)を「丙5鑑定書」
原第一審が
 (1) 昭和二七年六月一七日青森県東津軽郡a1村大字b1字c1所在共同墓
地およびその付近につき実施した検証の調書(東地二の一―一五六以下の「検証並
証人尋問」調書中の検証部分。同―一七四以下)を「原第一審検証調書(一)」
 (2) 右同日に右同所d1番地乙3方およびその付近につき実施した検証の調
書(同―一七八以下の「検証および証人尋問調書」中の検証部分。同―一七八以
下)を「原第一審検証調書(二)」
 (3) 同年一〇月二一日に前記共同墓地内から同墓地北側路上の歩行者に対す
る目撃の能否を実験した検証の調書(東地二の二―五五〇以下)を「原第一審検証
調書(三)」
 原第二審が昭和二八年四月二日に実施した検証の調書(東地二の二原第二審六九
以下)を「原第二審検証調書」
 東京地裁が昭和四二年八月二二日に実施した検証の調書(東地一の二―二以下)
を「東京地裁検証調書」
 東京高裁が昭和四四年二月一七日に実施した検証の調書(東高一―一九五以下。
記録三―九一〇以下はその写)を「東京高裁検証調書」
 原審が昭和四六年二月二六日に実施した検証の調書(記録三―九七八以下)を
「原審検証調書」
 として表わす。
 第一 再審請求に至る経緯等
 原決定挙示(原決定書九丁)の関係各記録によれば、以下の事実が認められる。
 一 再審請求に至る経緯
 青森県東津軽郡a1村大字b1字c1d1番地の住家において一人暮しの寡婦乙
3(明治二八年二月二一日生。本件当時五七年)が、昭和二七年二月二五日(当日
は、同地方において旧暦二月一日に祝う三度目の正月で、三歳(さんとし)と呼ば
れる日であつた。)夕刻から夜一〇時ころまでの間に何者かによつて殺害された。
右事実は同女が普段のごとく布団をかぶつて寝ているように擬装されていたため、
同部落に住み当夜一〇時ころに用心のため同女方に泊りに来ていた同女の甥丁(当
時一六年)に気付かれず、同人は同女の寝床の隣に、常日頃敷いたままにしてある
自己の布団で就寝し、翌朝ようやくこれに気付いて、青森地区警察署の捜査が開始
されたが、同女の頸部には明らかに絞頸による索溝が認められたほか、その着衣は
甚しく乱れ、かつ腰巻や身体(下腹部等)に精液が付着していて、姦淫されたごと
き形跡があつた。捜査の結果同年三月二日当時同部落内に居住し、板金工であつた
請求人(当時三〇年)が容疑者として逮捕され、当初否認していた同人はやがて犯
行を自供したが、その後再び否認し、否認のまま同月二三日青森地方裁判所(原第
一審)に強姦致死、殺人罪で起訴され、公判においても否認を維持し、また請求人
の妻乙4や身内の者達が請求人の自宅におけるアリバイを証言したにも拘らず、原
第一審は同年一二月五日殺人の点は殺意を認めるに足りる証拠がないが、強姦致死
の事実は認められるとして(ただし、公訴事実において強姦は既遂とされていた
が、認定は未遂であつた。)、懲役一〇年(未決勾留日数二〇〇日算入)の判決を
言渡し、請求人はこれに対し控訴を申し立てたところ、仙台高等裁判所(原第二
審)は、昭和二八年八月二二日控訴棄却(未決勾留日数二〇〇日算入)の判決をな
し(同庁同年(う)第乙5号事件)、請求人において上告を断念し、原第一審の有
罪判決が確定した。
 請求人は昭和三三年二月一八日仮出獄により出所したが、その以前(昭和三二年
五月二一日)に妻乙4が死亡していたため、青森市e1に居住して板金工として働
き、同三四年四月再婚し、一女を儲うけ、また住居地を肩書地に移した。
 かくするうち甲こと甲(昭和八年三月三日生、当時一八年。丁の兄であり、父乙
6は乙3の実弟にあたる。)が、昭和四二年二月二三日に乙3殺害の真犯人として
東京地方裁判所に、強盗殺人、強盗強姦未遂罪で起訴された(同庁同年(合わ)第
乙号事件。以下同第一審を東京地裁という。)ことから、請求人は翌三月に乙7会
乙8委員会に自己の無実を晴らすための助力を申し出て、ここに同委員会所属弁護
士により、同年八月二五日原審青森地方裁判所に本件再審請求がなされた。
 ところが、甲は本事件発生当時、父乙6ら家族とともに、請求人が寄宿していた
乙4の実家の近隣に居住していたのであつて、右事件の捜査の際には、一応取調を
受けたが、アリバイを認められていた。そして昭和四一年四月以降右東京地裁に対
する起訴の直前までは、犯行を終始自供していたが、起訴直前に至つてにわかに否
認供述をなし、公判においてもその否認を続けていたところ、甲の捜査官に対する
自供は信用性がないなどの理由により昭和四三年七月二日無罪判決を言渡され、こ
れに対し、検察官が控訴し、東京高等裁判所において引き続き右事件を審理中(同
庁同年(う)第乙1号事件。以下同控訴審を東京高裁という。)、昭和四五年五月
五日自殺を遂げ、ここに右事件は同月二九日公訴棄却の決定をもつて終結した。
 二 再審請求理由
 再審請求の理由は原決定書(二丁表)に記載の弁護人津田騰三ら作成の再審請求
書等に記載のとおりであるが、要するに左記のような刑訴法四三五条六号所定の請
求人に対し無罪を言渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したというのである。す
なわち、
 1 東京地方検察庁検察官丁14作成の昭和四二年二月二三日付甲に対する起訴

 右起訴状は、東京地方検察庁検察官が甲を本件の真犯人と判断し、東京地裁に強
盗殺人、強盗強姦未遂の罪名のもとに起訴したことを内容とするものである。
 2 (1) 甲の司法警察員に対する昭和四一年四月八日付、同年五月一四日付
各供述調書
 (2) 同人作成の同年五月二四日付供述書
 (3) 同人の検察官に対する同年五月三〇日付、同月三一日付(二通)、同年
一一月一七日付各供述調書
 (4) 東京地裁裁判官の同人に対する同四二年二月二二日付勾留質問調書
 右(1)ないし(4)の各証拠は、甲が司法警察員、検察官および勾留質問の裁
判官に対し、乙3に対する強盗殺人、強盗強姦未遂の犯行を自白したことを内容と
するものである。
 3 (1) 丙第五鑑定書
 (2) 丙1第一鑑定書
 右各鑑定書は、乙3の屍体に認められた顔面、頸部、胸部の各創傷の成傷原因な
いし成傷用器および同女の屍体、着衣に付着していた犯人の精液からみた姦淫の証
跡について、請求人の自白内容と甲の自白内容とを比較すると、甲の自白する加害
手段ないし姦淫方法が請求人の自白するそれらよりも右各創傷の成傷原因および姦
淫の証跡等のいずれとも適合することを内容とするものである。
 4 (1) 丙1第二鑑定書
 (2) 丙2第一鑑定書
 右各鑑定書は、請求人の血液型はA型であるが非分泌型に属し、その精液あるい
は唾液中にABO式の血液型の判定を可能ならしめる物質(「型物質」あるいは
「抗原」と呼ばれるもの)が含まれているが、これが微量であることを内容とする
ものである。これによつて原第二審において取調べられた丙第四鑑定書にいう「請
求人の唾液はA型分泌型と認められる」との鑑定結果が誤りであることが明らかと
なつた。他方、甲の血液型はA型分泌型である(丙5鑑定書)。
 5 東京高裁検証調書
 原判決が本件乙3絞殺事件の犯人を請求人であるとし、その犯行時刻が午後七時
ころと認定するに当り、採用した証人丁1、同丁2、同丁3、同丁4の各証人尋問
調書およびこれらの各証人の指示による共同墓地付近における検証調書をみると、
右丁1らが右犯行時刻ころ右墓地内で、近くの道路を犯行現場の方向から歩いてく
る請求人を目撃したというのであるが、東京高裁が甲に対する控訴事件につき同四
四年二月一七日施行の検証調書(東京高裁検証調書)は、本件発生日と近似した天
象および気象下の午後七時ころの右共同墓地における明るさでは、人物の識別が不
可能であることの実験結果を内容とするものであり、これによれば右各証人の供述
が誤解であることが明らかである。
 以上の、証拠はいずれも請求人の無実であることを証明する、というのである。
 第二 原決定と本件抗告理由
 一 原決定
 原決定は本件各新証拠はいずれも刑訴法四三五条六号所定の「あらたに発見し
た」(以下証拠の新規性という。)という要件を備えるが、「無罪を言い渡すべき
明らかな証拠」(以下証拠の明白性という。)という要件を欠くとして、本件再審
請求を棄却しているところ、その判断の要旨は次のとおりである。
 すなわち
 (一) 甲の捜査官および勾留質問の裁判官に対する自白(新証拠2の(1)な
いし(4))はその任意性を肯定できる。しかし犯行現場における乙3の衣類の状
況、犯行時刻、丁1らの目撃時刻等の諸点において、請求人の自供は関係証拠によ
り認められる客観的事実と適合するのに対し、甲のそれは適合せず、しかも甲が乙
3のがま口から盗取したという金員の種別は、日本銀行発行前のものであつて、こ
の点は全く事実に適合しない。また乙3の屍体に認められた創傷に関しては、甲の
自供に不適合と断じうるものはないが、他方請求人の自供にも見方によつては事実
にそぐわないと解される面が一部にある程度であつて全体としては十分首肯でき
る。さらに甲には虚言を述べる資質が窺われること、請求人の捜査段階や公判にお
ける防禦の態度が消極的であることなどにかんがみると、結局、甲の自供よも請求
人の自供に信を措かざるを得ない。
 (二) 甲に対する起訴状(新証拠1)は、その記載の公訴事実は、本来検察官
の判断を表示したものに過ぎないのであるから、同事実についてなんら証拠価値を
有するものではない。
 (三) 丙第五および丙1第一各鑑定書(新証拠3の(1)、(2))は、甲の
供述に現われていない情況を想定し、さらには同供述を思いちがいとみることを仮
定したうえでの説明が多く、しかも請求人の供述中、不適合とする点は、証拠とさ
して矛盾しない条件を仮定すると、適合性を回復するとみられるから、右各鑑定書
は証拠の明白性を欠く。
 (四) 丙1第二および丙2第一各鑑定書(新証拠4の(1)、(2))にてら
すと、原第二審判決が原判決の判断の裏打ちとした、請求人の唾液の血液型はA型
の「分泌型」であるとする丙第四鑑定書は採用できない。
 しかし乙3の屍体および着衣に遺留された精液斑の量は到底微量というものでは
ないのに、右丙1第二および丙2第一各鑑定書は本件遺留精液斑の量をかなり少な
目にみた事実認識の上に立つていると考えられることなどにてらすと、右各鑑定書
は本件遺留精液斑を請求人のものとみることと格別矛盾しない。
 (五) 原判決およびこれを維持した原第二審判決は、丁1らの請求人目撃時刻
を昭和二七年二月二五日午後七時ころ(原判決)ないし同日午後六時五〇分ころ
(原第二審判決)と認定しているところ、右目撃による識別の能否につき実験した
東京高裁検証調書(新証拠5)は、前記共同墓地の入口から中へ一一・五一メート
ルおよびそれより更に四・二五メートル入つた両地点から、共同墓地入口に接する
道路上の歩行者の識別の能否を実験した結果を記載したものであるところ、右検証
調書によれば、実験開始時の昭和四四年二月一七日午後六時二八分より一〇分以内
(日没後の経過時間においては、原判決および原第二審判決認定の目撃時刻とほぼ
一致する。)においては、暗さのために歩行者を識別することが、付近住民の目を
もつてしても容易でなかつたことが知られる。しかし証拠を検討すると、丁3、丁
4、丁5の三名の目撃者は、右実験時の識別地点よりも遥かに識別が容易な位置に
いたこと、また目撃時刻も、原判決および原第二審判決認定の時刻よりかなり早
く、午後六時三〇分ころないし四〇分ころと認められるから、東京高裁検証調書
は、丁1らの識別が不能ないし困難であつたことを裏付ける資料となるものではな
い。
 二 本件抗告理由
 本件抗告の理由は、請求人の弁護人津田騰三ら連名の即時抗告の申立と題する書
面記載のとおりであり、要するに、本件各新証拠の明白性を否定した原決定には、
再審法規の解釈適用を誤つたか、または証拠の取捨判断を誤つた違法がある、とい
うのである。
 第三 当裁判所の判断のはじめに
 当裁判所は関係各記録および証拠物等を精査した結果、本件抗告は、結局理由が
あり、原決定は取消を免れないものと判断する。その理由は第四以下に述べるとお
りであるが、まずその検討に先立ち、証拠の明白性の基準および以下の検討の順序
等につき述べれば、
 (一) 証拠の明白性の存否は、当の証拠が有罪の確定判決における事実認定に
つき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性を有するか否か、別言
すれば、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して、もし当の証拠が有罪の確定
判決を下した裁判所の審理中に提出されていたならば、合理的な疑いを生ぜしめる
ことなくその確定判決における事実認定に到達したか否かの見地において判断され
るべきものである(昭和四六年(し)第六七号昭和五〇年五月二〇日第一小法廷決
定・刑集二九巻五号一七七頁以下参照)ところ、本件再審請求は、青森地方裁判所
(原第一審)がなした原判決に対するものであるから、まず(1)原判決の有罪判
断の基礎となつた認定事実と挙示の証拠を検討し、次に(2)弁護人らによつて新
証拠として提出された証拠のみならず、本件再審請求の理由の存否に関連して、原
審および当審に提出されたすべての証拠を検討しつつ、原決定の説示の当否を判断
すべきである。
 (二) そこで原決定の判断の順序にならい、遺留精液斑の血液型判定、共同墓
地からの犯人目撃の能否、甲および請求人の自白の信用性、次いで甲に対する起訴
状の順に新証拠(証拠の新規性については後記第五)の明白性の存否について判断
することとする。
 第四 原判決
 原判決謄本(東地二の六―一以下。記録一―二八以下)および原第一審公判記録
(東地二の一、二)によれば、
 (一) 請求人に対する公訴事実の要旨は、請求人が乙3に情交を迫つたが抵抗
にあい、同女を殺害するに如かずと決意し、「両手にて紐様なものにて同女の頸部
を絞め」て抵抗を抑圧し、「同女の陰部に陰茎を没入して性交を遂げ」たが、右頸
部圧迫により同女を窒息死に至らしめた(強姦致死、殺人の観念的競合)というも
のであつたが、原判決は、殺人の点については殺意を認めるに足りる証拠はないと
判断し、右公訴事実とも異る絞頸方法および姦淫の未遂を認定して、強姦致死の事
実のみを有罪とした。すなわち
 (二) (原判決認定事実)
 原第一審認定の罪となるべき事実は、「被告人は昭和二七年二月二五日午後七時
頃、青森県東津軽郡a1村大字b1字c1d1番地寡婦乙3(明治二八年二月二一
日生)方四畳半の間で同女と対談中俄に劣情を催し、同女に対し情交を迫つたが拒
否されたため強いて同女を姦淫しようと決意し、いきなり手掌を以て同女の胸部を
突きそのため同女が倒れると同女を隣室六畳間の寝床まで抱きかかえて仰向けに倒
したが、尚抵抗するので同女の頸部を着衣、(証第七号)の襟を両手で持つて絞め
たところ力余つてその場で同女を窒息死に致らせ(姦淫自体は結局所期の目的を遂
げず)たものである」。というものであり
 (三) (証拠)
 また、挙示の証拠の標目は次のとおりであつた(なお、便宣括孤内に証拠説明を
略記する。)。
 1 丙第一鑑定書(請求人の血液の血液型はA型N型であると鑑定したもの)
 2 丙第二鑑定書(乙3の死因、創傷の状況および成因、成傷用器、死亡推定時
刻および屍体に付着の遺留精液斑の血液型等を鑑定したもの。なお遺留精液斑の血
液型をA型と判定)
 3 丙第三鑑定書(乙3着用の腰巻に付着の遺留精液斑の血液型等を鑑定したも
の。遺留精液斑については右2と同様の判定)
 4 丙第一供述(毛布製上張り(証第七号))の襟の部分で圧迫することにより
窒息死に至らしめ、かつ乙3の屍体の頸部に残された索溝を生ずる可能性があるこ
となどを供述)
 5 証人丁1、同丁2、同丁3、同丁4、同丁6の各供述(原判決認定の犯行時
刻ころに現場付近の共同墓地前で、あるいは当日午後六時過ころ乙6方塀前で請求
人を目撃したことなどを供述)
 6 請求人の司法警察員に対する第四回(ただし、第六項を除く)および検察官
に対する第一回(ただし、第五項中二〇行目以下を除く)各供述調書(右除外した
部分はいずれも姦淫の既遂、膣内射精などを供述した部分であるが、その余の部分
は原判決認定事実にそう自供である。)
 7 原第一審検証調書(一)および(二)(乙3方住居、共同墓地および付近の
検証の調書)
 8 毛布製上張り(証第七号)(前記4の括孤内参照)、領置調書二通(丙第三
鑑定書の鑑定物件である腰巻等に関するもの)、乙3の除籍謄本
 以上のとおりである。
 (四) (原判決について)
 したがつて、原判決の事実認定の基礎は、請求人の自供、遺留精液斑と請求人の
血液の各血液型がA型である点において一致したこと、丁1らが請求人を目撃した
ことの三点にあるが、犯人と請求人の血液型が分泌型・非分泌型(血液以外の体液
中における血液型物質―抗原とも呼ばれる。―の分泌程度の差に基く血液型の分類
で、その判定の対象においては、唾液、精液は同様に扱われる。丙第三供述・東地
二の二原第二審一〇五ないし一〇七裏参照)の点において一致するか否かは考慮さ
れることがなかつた。
 (五) (原第二審判決について)
 しかるに原第二審判決謄本(東地二の六―四以下)および原第二審公判記録(東
地二の二原第二審)によれば、原第二審においては、右各血液型が分泌型・非分泌
型において一致するか否かの点のほか、丁1らの共同墓地における目撃の能否の点
なとも検討され(原第一審においても、右目撃能否の点は検討されたが、犯行当日
と異なる天象気象条件のもとに検証が行なわれたため明確な結論は得られなかっ
た。後記原第一審検証調書(三)の項参照)、右各血液型については、乙3の腰巻
付着の遺留精液斑はA型の分秘型であるという丙第三供述と請求人の唾液の血液型
は同じくA型の分秘型であると判定する丙第四鑑定書が公判に顕われ、また右目撃
の能否を実験するための検証を実施する(後記原第二審検証調書の項参照)などし
て、原判決維持の結論(ただし、原第二審は犯行時刻を原判決認定の午後七時ころ
より早め、午後六時五〇分前後と判断した。)に達したことが認められる。
 第五 証拠の新規性
 弁護人が提出した前記第一、二記載の各証拠は、いずれも原判決確定以後に作成
されたものであり、かつその内容等にてらし、あらたに発見されたものといえるか
ら、いずれも証拠の新規性を認めるべきであり、これと同旨の原決定の判断(原決
定書六丁表ないし七丁裏)は是認できる。
 第六 遺留精液斑の血液型判定
 一 この点に関する新証拠の丙1第二および丙2第一各鑑定書の明白性を否定し
た原決定の要旨は、次のとおりである(原決定書四二丁表ないし五八丁表)。すな
わち
 1 請求人の体液につきA型の非分秘型に属すると鑑定した丙1第二および丙2
第一各鑑定書の鑑定結果に疑問をさしはさむ余地はないから、請求人の唾液はA型
の分秘型とした丙第四鑑定書は請求人の唾液の血液型物質の量を検査したものとし
ては到底採用できない。
 2 しかし一般に非分泌型に属するとされる者であつても、血液型物質は微量な
がらも体液中に存在しているのであるから、本件においては、単に体液とりわけ精
液中の血液型物質の量が請求人につき具体的にどの程度のものであるかを判定する
ことが必要とされるに止まり、それが分泌型・非分泌型のいずれに分類されうるか
どうかは、直接的な意味がないのであつて、本件遺留精液斑を請求人のものとみる
ことに矛盾がないかどうかは、遺留精液斑につきこれをA型と判定した丙第二、第
三各鑑定書の結論を前提として、請求人の精液によつてA型と判定するに必要な程
度の精液量が乙3の屍体や着衣等に遺留されていたかどうかによつて判断すべきで
ある。
 3 乙3の屍体およびその着衣に遺留された精液斑の量は、これを概略的なもの
にもせよ数値をもつて確定することは困難であるが、その個々の付着部分に、男性
性器から直接射出され、ないし滴下した精液の少なくとも一滴(約〇・〇四ミリリ
ツトルと解される。因に、二ミリクラムの精液斑は、約〇・〇一ないし〇・〇二ミ
リリツトルの精液量に相当する。)程度の量は優にあつたとみてよいであろう。そ
して右精液量は、丙第二鑑定書の試験で使用されたものと同じ抗体価の血清〇・二
ミリリツトルを用いた場合には、請求人の精液からA型を判定するには十分過ぎる
量である。
 4 ところで丙1第二鑑定書では、「戊の精液が実際の事案における如く極めて
少量にしか存在しないか、あるいはその他の人の体液と混在して発見される場合に
あつては、これを普通常用の吸収試験法によりA型と判定される場合はむしろまれ
であろうと考える。」との鑑定主文が示され、また丙2第一鑑定書では、「戊の精
液および唾液からA型と判定することは不可能ではないが、分泌型の人に比して非
常に困難である。」との鑑定主文が示され、この両鑑定主文だけをみる限りにおい
ては、本件遺留精液斑が請求人のものである可能性の程度はかなり低いものと認め
なければならないもののようにみえる。しかし右の各鑑定主文に至る説明として、
丙1第二鑑定書では、「実際の事案における如き少量の精液斑の場合にあつてはそ
の検査からこれをA型と判定することは極めて容易であるとすることは妥当でない
と考える。若しある実際事案においてその精液斑が何の問題もなく簡単に『A型』
と判定されたとすれば、それはむしろ戊に由来する精液でない可能性の方が大であ
るとしなければならぬ。」と解説され、また丙2第一鑑定書では、「戊の精液斑を
用いて丙鑑定(丙第二鑑定書を指す。以下この引用部分において同じ。)の通りの
成績を得るためには凝集素に加える精液斑の量は四平方センチメートル(約四ミリ
グラム)以上なくてはならない。丙鑑定によると精液斑は恥骨縫合の上縁部に約二
倍栂指頭大の広さに渉り薄く付着しており、又陰毛にも処々に固着していると記載
されている。この二倍栂指頭大の面積は検査者により可成り差があるものであるが
大略五平方センチメートル位であろう。従つて乙3に認められた精液斑が戊のもの
とした場合にはその殆んど全量を用いなければ丙鑑定の検査結果通りにならないこ
ととなる。一般に精液斑、唾液斑に於て凝集素吸収試験を行う場合、凝集素に加え
る斑痕量はせいぜい多くても一ミリグラム前後(精液斑の面積にして一平方センチ
メートル位)である。一度に四~五ミリグラム(本件の場合略全量に当る)を使用
することは再検査の必要もあるためにも行なわないのが普通である。そして一ミリ
グラム前後の使用量では戊の精液ではA型とは判定困難である。一方抗血清によつ
て抗A、抗B凝集素の吸着され易さに難易があり、丙鑑定人が使つた抗血清との吸
着され易さを比べることはむずかしい。これ等の点から推定するに丙鑑定の精液斑
は戊の精液斑であつても差支えないが、その可能性は低そうに思われる。」と解説
されているのであつて、このことから右両鑑定主文は、いずれも本件遺留精液斑の
量を、さきに判示したところよりはかなり少な目にみた事実認識の上に立つて導き
出されたものであることが知られるのである。以上のように、丙1第二、丙2第一
各鑑定書は、本件遺留精液斑量について、さきに判断したところを前提として評価
すると、本件遺留精液斑を請求人のものとみることと格別矛盾しないものと判断さ
れる。
 というのである。
 二 そこで考察すると、体液中に分泌されている血液型物質の有無またはその程
度に基くいわゆる分泌型・非分泌型の区別は必ずしも絶対的なものではなく、また
遺留精液斑の血液型(ABO式血液型)判定に普通用いられる定性的吸収試験(凝
集素吸収試験)法においては、その判定対象である反応自体が検体精液の量および
検査方法などによつて左右されることも、原審および当審における審理の過程にお
いて明らかにされたところである(丙第五ないし第八、丙1第三ないし第五、丙2
第二、第三、丙4各供述丙4鑑定書中の説明等)。
 右のような見地からすれば、本件においては請求人の体液、とくに精液が分泌
型・非分泌型のいずれに分類されうるかどうかは直接的な意味はないとして丙1第
二、丙2第一各鑑定書(丙2第一供述参照)の明白性を否定した原審の判断は、請
求人の血液型はA非分泌型であるとする右両鑑定書の判定結果をもつて、直ちに本
件遺留精液斑の血液型(この血液型を鑑定した丙第二、第三各鑑定書の試験法は、
定性的吸収試験法である。丙第七、第八、丙2第三各供述、記録六―一八九六、一
九六七以下、一九九〇以下)と相異するという結論には到達し得ないとする限りに
おいては、一応首肯できるものである。
 しかし更に考察すると、右各鑑定書は単に請求人の血液型はA型の非分泌型であ
ると判定するに止まらず、前記のように、「本件遺留精液斑が何の問題もなく簡単
にA型と判定されたとすれば、それはむしろ戊に由来する精液でない可能性の方が
大である。」(丙1第二鑑定書)、または「本件遺留精液斑は戊の精液斑であつて
も差支えないが、その可能性は低そうに思われる。」(丙2第一鑑定書)との判定
をも示しているところ、関係証拠によつて認められる丙第二、第三各鑑定書の鑑定
当時における定性的吸収試験の技術(丙1第三鑑定書七五、七六頁、丙1第五供述
記録六―一八三一裏以下等)、経験ある試験者が右試験において通常設定する検査
条件(例えば、検体に関しては、試験者においてそれを一時に大量に使用すること
はなく、また通常、経験的に検体が分泌量の少い体液―非分泌型特性のもの―であ
つたならば判定が困難となり、分泌量の多い体液―分泌型特性のもの―であつたな
らば判定ができるような一定量を使用している。丙1第五、丙2第三、丙第三、第
六、第八各供述記録六―一八四〇、一八五二裏、一八五七裏、一八五八、一八九六
表裏、一九一九裏、東地二の二原第二審一〇六裏、一一四裏、一一五、記録二―六
三三表裏、同六―一九九四裏ないし一九九六、二〇四五ないし二〇四六。なお丙1
第三鑑定書二四頁四一頁四四頁、丙2第二鑑定書六頁以下参照)等の諸事情に、更
に右丙1・丙2各鑑定人においては、遺留精液斑に対する右丙各鑑定書の試験が定
性的吸収試験であつて、定性定量的吸収試験(凝集阻止試験)でないなどの事情か
ら遺留精液斑の分泌量を確定することには難点がある点(丙第七、第八各供述記録
六―一九四一以下、同―一九九〇裏以下)をも十分斟酌しているものであること
(丙1第二ないし第五、丙2第二、第三各供述東高二―二七四ないし二七七裏、三
七〇表裏、三八〇ないし三八二、記録三―八五〇表裏、記録六―一八七四ないし一
八七五裏、東高二―四二七表裏、四三〇、四三八裏、四五〇表裏、四五三、記録六
―一九一一裏、一九一二、一九一九表裏、右丙1・丙2各鑑定書および丙1第三鑑
定書中の説明)を合わせ考えると、右丙1第二、丙2第一各鑑定書の判定は、経験
的見地からの可能性を論じたものとしては、十分に首肯できるところである。
 しかも原決定は、遺留精液斑が請求人のものと一致するかどうかをみるために、
遺留精液斑の量が請求人の精液によりA型と判定するに必要な程度にあつたかどう
かを検討したうえ、丙1第二、丙2第一各鑑定書はいずれも遺留精液斑の量をかな
り少な目にみていると批判しているが、右批判は、確証がないのに推測によつて算
出した遺留精液斑の概括的数量などを根拠とするものであつて、客観性合理性を欠
き、全く失当であるばかりでなく、丙第二、第三各鑑定書の試験において用いた遺
留精液斑の量自体がそもそも不明であるから(丙第八供述記録六―二〇〇〇裏、二
〇〇一等)、現場に遺留されていた精液量を検討することによつて、右各鑑定書の
試験の反応結果を請求人の精液に由来するとみることに矛盾がないかどうかを判断
することは不可能というほかはない。
 これを要するに、後記のようにすべて明白性が認められる他の本件各新証拠と綜
合考察するにあたつては、丙1第二、丙2第一各鑑定書もまた、遺留精液斑と請求
人との結び付きに疑問を投げかける新証拠として、その明白性を肯定するのが相当
である。
 第七 共同墓地からの犯人目撃の能否
 一 原決定は、東京高裁検証調書の検証結果は、丁1らによる対象者(請求人)
の識別が不能ないし困難であつたことを裏付けるものではなく、かえつて識別が可
能であつたことを推測させるもの、すなわち請求人の有罪の事実を証するもので、
明白性の要件を欠くと説示しているが(原決定書五八丁表ないし七〇丁表)、右判
断は到底是認することができない。以下にその理由を述べる(なお、原判決が挙示
する証人丁6の目撃状況は、犯行当日の二月二五日午後六時過ころで、まだ同六時
半までにはならないころ、乙9商店の方向へいく請求人を乙6方塀前でみかけたと
いうものである(東地二の一―一七二表裏、一七三裏、一七四)が、右供述の信用
性は疑わしいばかりでなく、右目撃の時刻場所は共同墓地における右丁1らの目撃
のそれとは異るところであつて、以下に丁6を除く右丁1らの目撃につき検討す
る。)。
 二 原決定の右判断の要旨は次のとおりである。すなわち
 1 原判決(もしくは原第二審判決)は、犯行時刻を昭和二七年二月二五日午後
七時ころ(原第二審判決は午後六時五〇分ころ)と認定し、丁1らはその認定の犯
行時刻の直後ころに乙3方付近の共同墓地内において、請求人が同墓地前道路を乙
3方の方向より歩いてくるのを目撃した、と判断したものと解される。
 2 しかし関係各証拠によれば、丁1らの目撃時刻は午後六時三〇分ころないし
四〇分ころであると認められる。
 3 そして日没時刻からの経過時間を比較すると、右2の目撃時刻の方が東京高
裁検証調書の識別実験開始時刻より六分ないし一六分間早い。
 4 また右検証当日(昭和四四年二月一七日)と目撃当日(同二七年二月二五
日)との日没後同一時間経過の際の明るさは、冬至を過ぎ春分に向う時期の日没後
の残光の消え具合についての公知の事実に照らして、後者が前者より幾分明るかっ
たと推測できる。
 5 また関係各証拠によれば、丁1と一緒にいて、最初に請求人を識別した丁
3、丁4、丁5の三名については、東京高裁検証調書の検証の際の識別実験者の位
置よりも、遙かに識別が容易な共同墓地の入口付近にいたものと認められる。
 6 東京高裁検証調書の記載によれば、実験開始時点においても、ある程度の識
別が可能であつたことが認められる。
 以上の事情から、同検証調書は、かえつて丁1らにおいて識別が可能であつたこ
とを推測させる資料となる、というものであり
 7 さらに原審検証調書の検証結果も、右識別可能の結論を裏付けるものであ
る。
 ことを付加説示する。
 三 そこで考察するに
 (一) まず、犯行当日の、1乙3方および共同墓地ならびにその付近の地理的
状況、2右同所一帯の天象気象状況、3丁1らの目撃位置、4外灯の状況、5丁1
らの目撃の際の状況を検討すると次のとおりである。
 1 乙3方および共同墓地ならびにその付近の地理的状況原第一審検証調書
(一)(二)によれば
 (1) 本件犯行現場となつたa1村大字b1字c1d1番地乙3方住家の西方
約一六、七間(約三〇メートル)のところに杉林を隔てて共同墓地があり、東方の
同村大字f1部落方面から西方の同村大字b1部落(乙9商店所在地)方面に通じ
る道路が乙3方住家の北方約四間(約七メートル)先、および共同墓地北側の土堤
沿いを走つており、右乙3方北方路上から同墓地入口(北側のほぼ中央に位置す
る。)前までは約二四間(約四三メートル)離れていた
 (2) また墓地内からはその入口前の路上歩行者の全身はみえるが、同入口東
方の路上歩行者に対しては、右土堤(墓地敷地からの高さ約二尺、右道路敷地から
の高さ約三尺)によつてその下半身に対する望見は一部妨げられていた。
 以上のとおり認められる。
 2 右同所一帯の天象気象状況
 本件犯行当日(昭和二七年二月二五日)夕刻ころの右同所付近一帯における天象
気象状況については、原第一審証人丁1の供述、青森測候所長乙10作成の昭和二
七年一〇月一日付「日没時刻回答」(東地二の一―一五六裏以下、同二の二―五〇
六)、司法警察員作成の昭和二七年二月二六日付実況見分調書(東地二の二―三八
七以下、以下単に本件実況見分調書という。)、原第一審検証調書(三)によれば
 (1) 日没時刻、午後五時二一分(なお、日没時刻を午後五時二二分とする資
料もある(記録一―二六以下、東地二の六―二六八以下、記録三―九六七等)が、
一応原第一審当時の前掲証拠によつて右のとおり認定する。)
 (2)共同墓地内、同墓地北側道路およびその付近一帯には三、四尺の積雪があ
つた
 (3) 月は出ていなかつた
 また青森地方気象台作成の昭和四二年四月二八日付鑑定書写(記録一―二六以
下、東地二の六―二六八以下)によれば
 (4) 日中降雪があつたが、夕刻前から薄曇りとなつた
 (5) 午後六時現在の青森市油川町―青森測候所所在地―における気温マイナ
ス三・三度であつた
 以上のとおり認められる。
 3 丁1らの目撃位置
 丁1らが共同墓地内にいた際に、同墓地北側路上の歩行者を目撃し、その者を請
求人と判断した(ただし、目撃によりそれが請求人であることを直接識別できた旨
を供述する者は、丁3、同丁4、同丁5の三名のみである。)時点における同人ら
の位置、そのときの歩行者の位置等については、原第一、二審、東京高裁等におい
ていずれもその検証の際に丁1ら目撃者に指示させて特定しているのであつて、そ
の各位置関係は以下のとおり認められる(ただし、右各検証のすべてにおいて右丁
1ら全員が指示しているわけではない。)。
 (1) 丁1について
 同人(大正一二年九月五日生、当時二八年)は、東京高裁検証調書表示(本決定
書末尾の同検証調書見取図参照。以下同じ)の「イ」点にいて「1」点(共同墓地
東北隅の土堤北側の電柱付近の道路上の地点)の歩行者を目撃した(「イ」「1」
各点間の距離は約一五・一五メートル。右位置関係は、丁1の指示に基く原第一審
検証調書(一)および原第二審検証調書表示の位置関係と同一と認められる。原第
一、二審および東京高裁証人丁1の供述、東京高裁検証調書東地二の一―一五七、
一五九裏、同二の二原第二審六七表裏、東高一―二四九表裏、一九六表裏参照。な
お東京地裁検証調書はなんら右認定を左右するものではない。)。
 (2) 丁2丁3、丁4、丁5について
 丁2(昭和六年七月一八日生、当時二〇年)、丁3(昭和一三年三月三一日生、
当時一三年)、丁4(昭和一六年四月一一日生、当時一〇年)および丁5(昭和一
八年生、当時九年)は、東京高裁検証調書表示「イ」点と「ニ」点(「ニ」点は
「イ」点より共同墓地北側入口前の道路上の地点「3」点方向に約四・二五メート
ル隔つた同墓地内の地点)の間にいて、「1」点或は「3」点(「1」「3」各点
は、右入口前および墓地北側土堤沿いを走る道路上の地点で、その相互の間は約一
三・三メートル離れている。)付近の歩行者を目撃した(「イ」「3」各点間の距
離は約一五・七六メートル。したがつて「イ」「3」各点を結ぶ線上に位置する
「ニ」点と「3」点間は約一一・五一メートルである。右各人の位置関係は、丁2
および丁3については、原第一審証人丁2および同丁3の各供述、原第一審検証調
書(一)および東京高裁検証調書東地二の一―一六五表裏、一六六裏、一七四裏以
下、東高一―一九六以下に、また丁4および丁5については、東京高裁証人丁1、
原第一審および東京高裁証人丁4の各供述、丁5の昭和二七年六月一日付司法警察
員調書、原第一審検証調書(一)および東京高裁検証調書東高一―二四二裏、二四
九表裏、二五三裏、東地二の一―一六九表裏、東高三―七三四表裏、東地二の四―
一一七裏九、一〇行目、東地二の一―一七四裏以下、東高一―一九六以下にてら
し、右のとおり認定できる。東京地裁検証調書は右認定を左右するものでな
い。)。
 4 外灯の状況
 原第一審検証調書(三)および原第二審検証調書の立会人丙6あるいは同丁1の
各指示説明によれば、丁1らの目撃当時、東京高裁検証調書表示「1」点(原第一
審検証調書(三)の引用する同調書(一)表示の「ロ」点に相当)付近の電柱に
は、外灯が点灯していなかつたことが認められる。
 5 丁1らの目撃の際の状況
 原第一審証人丁1、同丁2(ただし、一部)、同丁3、同丁4の各供述(東地二
の一―一五六裏以下)および原第一審検証調書(一)によれば、丁1は、その子一
昭の墓参りに赴くため、妻丁2および弟丁3、同丁4、同丁5らとともに、昭和二
七年二月二五日午後六時過ころa1村大字b1字c1g1番地の自宅を出て、自宅
からおよそ二五〇間(約四五四メートル)離れた乙9商店で丁2らと別れて、一人
で同店付近の乙12方に木魚を返えしにいき、その間丁2らは同商店で菓子を買
い、間もなく丁1は同商店に戻って丁2らと一緒に共同墓地に赴いた(同商店入口
から墓地入口前の東京高裁検証調書表示「3」点(原第一審検証調書(一)表示の
(ホ)点に相当。原第二審検証調書参照)までは四八間二尺(約八七メートル)で
ある。)こと、丁1らは同墓地においては、一昭の墓に線香をたて、菓子を供え、
鉦をたたいたりしてお詣りをし、それから供えた菓子を全員で食べていたところ、
同墓地北側道路上を乙3方(東方)から乙9商店(西方)に向つて歩行する者を認
め、丁1にはそれが誰だか分らなかつたので、「あれは誰だ」と云うと、丁3や巖
が「あれは戊だ」と答えたが、戊とは乙4の亭主すなわち請求人の意味であるこ
と、その歩行者は半纏か、オーバーを頭から被つているようで、顔はよく見えず、
頭を傾け、急いでいるような足取りで通り過ぎていつたが、丁3や丁4は身体の格
好から請求人と判断したものであつたこと、その時刻は午後七時前後で、帰宅後三
〇分位してラジオの時報が八時を知らせたことが認められる(右証人丁2の供述中
「この人が乙4の婿かと思い乍らその横顔をみた。その人は請求人であつたと思
う。」旨の部分は、信用できない。同証人の東京地裁供述は、右供述の趣旨を訂正
するものと認められる。東地一の二―八八裏ないし八九裏、九一裏ないし九三参
照)。
 (二) 原決定認定の目撃時刻と目撃位置について(前記二2、5の原決定の判
断について)
 1 (目撃時刻)原決定は、「原判決は目撃時刻の判断を明示していないが、原
第二審判決においては、丁1らが自宅を出たのが午後六時ころ、共同墓地に到着し
たのが同六時一〇分ころ、同墓地にいた時間が約四〇分間、歩行者を目撃したのが
同六時五〇分ころと判断されている。しかし関係各証拠によれば、右自宅を出たの
は午後六時過ころ、右到着時刻が午後六時一五分ないし二〇分ころ、同墓地内にい
た時間が約一五分ないし二〇分間、歩行者を目撃したのが、同六時三〇分ころない
し四〇分ころと認められる」旨説示しているところ(原決定書六三丁表裏)、目撃
時刻についての原決定と原第二審判決の判断が相違する原因は、丁1らが共同墓地
内にいた時間(原第二審判決は右のとおり約四〇分間とする。)の認定の差にある
ものと解される。
 しかるところ、原第一審証人丁1は、共同墓地内にいた時間につき「四〇分以上
もいた」旨(東地二の一―一五七裏一六一裏)を供述し、同丁2も「墓所前で一把
の線香に火をつけて立て、持つていた供物をし、それから一〇分位も鉦をたたき、
それをやめて五分位もその場におり、それから供物の菓子を下げて皆に分けて食べ
ている最中に請求人が通りかかつた」旨(同―一六三裏)を供述しているのであつ
て、前記(一)5認定の同人らの帰宅時刻とも合わせ考えると、丁1らが共同墓地
内にいた時間を約四〇分間とし、目撃時刻を午後六時五〇分ころとした原第二審判
決の認定は肯認できるのである(なお、この点については、丁2、同巖の東京地裁
供述東地二の一―一六五、同一の二―七八裏、七九、一二四裏、一二五参照)。
 しかるに原決定は、この点について原第一審公判不提出の丁1の昭和二七年五月
一〇日付検察官調書を根拠として、丁1は原第一審の尋問の際に、墓地に着いたの
は午後六時過ころと供述したところ、検察官に対しては目撃時刻を午後七時前後と
供述していたため、この間の辻つまを合わせたい気持から、墓地滞在時間を四〇分
間といつたのではないかと疑われ、東京地裁で尋問をうけたとき、同人は「長くお
つても三〇分まではおらなかつたと思います」旨を供述している(東地一の二―六
二裏)ことに照らしても、四〇分間滞在の供述は信用できず、丁2の供述にしたが
い一五分ないし多くとも二〇分をこえることはないものと認められると説示する
(原決定書六五丁裏ないし六七丁裏)が、丁1の右東京地裁供述によつても一五分
ないし二〇分間の滞在が積極的に裏付けられるものでないのみでなく、丁2の前記
原第一審供述は、鉦をたたいていた時間と、その後供え物を食べ始めるまでの間の
時間のみをいうのであって、全体の墓地滞在時間にふれるところはないから原決定
の右説示は首肯できない。
 結局、原決定の、丁1らの墓地滞在時間の認定、ひいては目撃時刻の認定には、
証拠の評価を誤り、事実を誤認した疑いがある。
 2 (目撃位置)原決定は、原第一審公判不提出の丁1らの捜査官に対する昭和
二七年五月九日付ないし同年六月一日付各供述調書(東地二の四―八六以下、九一
以下、九七、一〇二、一〇九、一一三以下、一一九)を挙示して、「丁1、丁2、
丁3、丁4、丁5らの捜査官に対する各供述調書に徴すると、各目撃者中丁1、丁
2の目撃地点は、東京高裁検証調書における各立会人の指示地点にほぼ見合うもの
と認められるが、丁3、丁4、丁5の各目撃地点は、いずれも右指示地点よりもか
なり目撃された歩行者に近い、共同墓地の入口付近であつたと認められ、右検証の
際の識別実験者の位置よりも遥かに識別が容易な位置にいたものと認められる」旨
説示している(原決定書六一丁裏ないし六三丁表)。
 しかし右丁3、丁4、丁5の各供述調書(いずれも原第一審検証調書(一)の検
証以前に作成されたもの)を精査しても、右各人は、目撃した位置を「墓所の出入
口のところ」、「墓所の入口のところ」或は「墓所から出るとき」などというにと
どまり、なんら目撃位置を具体的に特定するに足りる供述をしていないのであつ
て、むしろこれを現地につき特定したものが、原第一審、東京高裁等の各検証現場
において実際に指示された地点と認めるべきである。したがつて前記のような捜査
官に対する漠然とした供述をもつて直ちに具体的目撃位置の証拠に供した原決定
は、証拠の評価を誤つたものといわざるを得ない。
 (三) なお、原決定においてはほとんど言及されていないが、識別の能否を検
証した原第一審検証調書(三)および原第二審検証調書の検証結果につき付言する

 1 原第一審検証調書(三)
 同調書によれば、原第一審は昭和二七年一〇月二一日午後五時三〇分から午後六
時〇分まで識別の能否を検証したが、当時、日没時刻は午後四時四九分、月なく、
全天雲なく星あり、前記(一)4の電柱の外灯を消灯する、との条件下で行われ
(同調書(三)に積雪の有無の記載なし)、したがつて丁1ら目撃当日の午後七時
が日没後九九分を経過した時点であり(前記(一)2(1)参照)、右検証時の日
没後同一時間経過時点は、午後六時二八分てあるところ、右検証時の午後六時にお
いては、原第一審検証調書(三)引用の同検証調書(一)表示(ニ)点から(ロ)
点の人影は全くわからず((ニ)点は丁2の目撃位置で、東京高裁検証調書表示の
「イ」「ニ」各点の間にある。前記(一)3(2)参照。(ロ)点は共同墓地東北
隅の土堤北側の電柱付近の道路上の地点で右調書表示「1」点に相当する。前記
(一)3(1)、4および原第二審検証調書参照)、ただ声をかけて確かめ、辛う
じて白つぽい服装の者の人影を判別でき、(ロ)点から(ホ)点(東京高裁検証調
書表示の「「1」から「3」点」に相当。前記(一)3(1)(2)、5参照)に
近づく者は、足音により位置を確かめ、注意してみることによつて人影をどうやら
認めることができたというものであつたことが認められ、
 2 原第二審検証調書
 同調書(および裁判所書記官乙13作成の電話聴取書東地二の二原第二審四四)
によれば、原第二審は昭和二八年四月二日午後六時四〇分から午後七時一〇分まで
の間識別の能否を検証したが、当時、日没時刻は午後六時〇三分、積雪は共同墓地
内に四、五寸から一尺位あつたが、墓地北側路上にはなく、月の出午後九時〇四
分、全天薄雲に覆われた曇天であり、また前記(一)4の電柱の外灯を消灯すると
の条件下で行われ、したがつて右検証時における日没後八九分(目撃当日の日没時
刻午後五時二一分から原第二審判決認定の午後六時五〇分迄の経過時間)を経過し
た時点をみると、それは午後七時三二分であるところ、右検証時の午後七時におい
ては、同調書表示(ハ)点(丁1の目撃位置で、東京高裁検証調書表示「イ」点に
相当。前記(一)3(1)参照)から(ロ)、(ホ)各点(東京高裁検証調書表示
「1」「3」各点に相当。前記(一)3(1)(2)、5、(三)1参照)の間の
歩行者を見通したところ、帽子の有無は識別できず、ただ姿により四名中一名を識
別できたのみであり、ただ午後七時〇二分に試みた墓地北側道路とは正反対の南側
残雪上の、右(ハ)点より八間二尺離れた地点の歩行者を見通したところ、姿によ
り四名全員を識別できたというものであつたが、午後七時一〇分で検証が打ち切ら
れ、右午後七時三二分の時点における検証は行われなかつたことが認められる。
 3 したがつて原第一審検証調書(三)、原第二審検証調書はいずれも丁1らの
識別可能を積極的に裏付けるものではないというべきである。
 (四) 東京高裁検証調書(新証拠)
 1 同調書によれば、その検証(昭和四四年二月一七日)実施の際の条件および
結果は、以下のとおりである(本決定書末尾の同検証調書見取図参照)。
 (1) 識別実験開始時刻 午後六時二八分
 (2) 日没時刻 午後五時〇三分
 (3) 共同墓地内、同墓地北側道路およびその付近一帯に約一メートル前後の
積雪あり
 (4) 薄雲が全天三分の一位にあつて月は既に入り、星か輝く
 (5) 同調書表示「1」点(原第一審検証調書(一)表示(ロ)点に相当。前
記(三)1参照)付近の電柱の外灯を消す
 (6) 識別地点 同調書表示「イ」点(丁1の位置)および「ニ」点(最も北
寄りにいた丁5の位置。以上につき前記(一)3(1)(2)参照)に識別実験者
が位置し、「1」点から「3」点(墓地北側路上の区間で約一三・三メートル。原
第一審検証調書(一)表示(ロ)(ホ)の各点間に相当。前記(一)3(1)
(2)、5、(三)1参照)に向つて歩行する者の識別の能否を試みる。
 「イ」―「1」の各点間 約一五・一五メートル
 「イ」―「3」の各点間 約一五・七六メートル
 「ニ」―「3」の各点間 約一一・五一メートル
 (7) 検証結果
 まず、「1」点東方目測二〇メートルの電柱「C」点(原第一、二審各検証調書
に記載がなく、犯行当時の同電柱の有無は不明であつた。)の外灯を点灯した状態
で午後六時二八分の時点において、「ニ」点からは、姿勢或は挙動のシルエツトに
よつて、ようやくにして平服の歩行者について何人かが識別できる程度で、顔、衣
服の色の識別は不能であり、八寸(半纏)を頭から羽織ると識別はできず、続いて
「イ」点からではシルエツトはみえるが、それによる人物の識別は頗る困難とな
り、以後右外灯を消灯した状態では「ニ」点、「イ」点のいずれからも人物の識別
は不能であつた。そして午後七時〇五分に右第一回の実験を終え、第二回の実験を
午後七時一〇分より実施したが、右外灯の点滅に影響なく、右各地点からの人物の
識別は不能との結果に終つた。
 2 右検証結果の評価
 (1) 原判決認定の犯行時刻(目撃時刻)は午後七時ころであり、同時刻は日
没後九九分経過したころであるが(前記(一)2(1)参照)、右検証当日の日没
後九九分経過した時刻は、午後六時四二分(原第二審判決が認定した目撃時刻であ
る午後六時五〇分を規準にすれば午後六時三二分)である。
 (2) ところで原決定は、前記二4のとおり、東京高裁検証調書の検証実施日
(二月一七日)と、丁1らの目撃当日(二月二五日)の、日没後の残光の消え具合
いの差を問題としているが、前記((一)2)青森地方気象台作成の昭和四二年四
月二八日付鑑定書写によれば、「(右目撃当日)a1村大字b1字c1近辺におい
ては、太陽は、その沈む方向が高頭森山の南側(約二五七度)に当るため、およそ
午後四時三〇分から四〇分の間には山岳の稜線下に、午後六時五〇分頃は地平線下
(高度マイナス一七・五度)にあつて天文薄明も終つた状態となり、戸外の視界状
況は雪あかりもほとんどなく、暗い状態にあつたと推定される」から、右当日の午
後七時ころ(ないし原第二審判決認定の午後六時五〇分ころ)においては、原決定
説示のごとき日没後の残光の消え具合を問題とすることには疑問がある。
 (3) したがつて、東京高裁検証調書の検証結果は、その検証当日の午後六時
四二分(ないし午後六時三二分)現在(右(1)参照)においては、半纒様のもの
を被つた歩行者について(前記(一)5参照)識が著しく困難もしくは不能であつ
たことを示すものであるから、同調書の記載は丁1らが請求人を識別した旨の同人
らの原第一、二審供述の信用性につき合理的な疑いを抱かせるに十分であつて、証
拠の明白性を肯定すべきであり、このことは前記のように原第一審検証調書(三)
および第二審検証調書(さらに後記原審検証調書)の検証結果がいずれも目撃の可
能性を肯定していないことによつても裏付けられているというべきである。
 (五) 原審検証調書
 原決定は、前記二7のとおり、原審検証調書の検証結果は、丁1らの識別可能の
結論を裏付けるものであると説示するから判断するに、同調書によれば、右検証
(昭和四六年二月二六日)実施の際の条件および方法は以下のとおりである。
 (1) 識別実験開始時刻 午後六時
 (2) 日没時刻 午後五時二三分
 (3) 四界積雪あり
 (4) 月の出 午後六時三一分 月令 〇・七
 午後五時二〇分現在  天空に雲なし
 午後五時五〇分現在  ほぼ天心に星の輝きをみる
 (5) 東京高裁検証調書表示「1」点付近の電柱の外灯は消灯し、同調書表示
「C」点の外灯は点滅させる(前記(四)1(5)および(7)参照)
 (6) 同調書表示「イ」点を識別者の基準位置とし、同表示「1」点から
「3」点に向い歩行する者の識別を試みる。
 暗さが増し識別が困難になるにしたがい「イ」点から「3」点に接近していき、
識別可能位置を測定する。
 およそ、以上のとおりである。
 したがつて、右原審検証時の日没時刻は東京高裁検証調書の検証時のそれより、
遥かに丁1らの日撃当日のそれに近似するものであつた。
 しかしその検証結果は、原決定が説示するとおり「被識別者が平服を着用した場
合に限定すると、午後六時五分の歩行の際、すでに一〇メートル以内の地点でも姿
以外の手がかりで識別できた者はなく、また識別できた距離は五、六メートルない
し一〇メートル、同六時三一分の際には、これが二、三メートルから七メートル、
同六時四六分と四七分の際には、いずれもこれが一メートルから三メートル、同七
時一分と三分の際には、いずれもこれが二メートルから四メートル、同七時一〇分
以降では不能との結果が出た(原決定書六九丁表ないし七〇丁表参照)ことがおお
むね認められる。
 したがつて右検証結果によれば、丁1らの目撃当日において、前記(一)3
(1)および(2)の各目撃位置(いずれも東京高裁検証調書表示の「3」点から
一〇メートル以上離れている。)からは同表示「1」および「3」の各点間の歩行
者の識別は午後六時二九分(同時刻までの日没後経過時間が原審検証実施日の午後
六時三一分におけるそれに相応する。)に、既に著しく困難ないし不能であつたと
推認すべきであり、右検証結果は決して原決定説示のように、丁1らの目撃につき
対象の識別は可能との結論を裏付けるものではないというべきである。
 (六) したがつて、東京高裁検証調書は丁1らにおいて識別が可能であつたこ
とを推測させるものであるとして明白性を否定した原決定の判断は、結局証拠の評
価を誤つたものといわなければならない。
 第八 甲および請求人の自白の信用性
 一 甲の自供が証拠の明白性の要件を備えるか否かについての判断にあたつて
は、まず請求人の自供と対比しつつ、その任意性、本件犯跡或は関係証拠との適合
性などの諸点について、検討をなすべきである。
 二 甲および請求人の各自供とその任意性
 (一) 請求人の自供に至る経緯
 原決定挙示の関係各証拠(原決定書九丁表参照)によれば、以下のとおり認めら
れる。
 1 (経歴)請求人は青森市e1において乙14の長男として出生し、同地の小
学校を卒業後、同市内のトタン屋に奉公し、その後兵役に服し、昭和二〇年八月復
員して鈑金工の職に戻り、昭和二一年一一月乙4(大正一三年一〇月一四日生)と
結婚後、トタン屋を自営するに至つたが、同女が脊髄カリエスに罹つてから、請求
人夫婦は、請求人の両親らとの間に気まづい状態となつたことなどのため、同女は
昭和二五年八月ころ実家のa1村大字b1字c1h1番地に戻り、請求人も自己の
実家の跡継は弟乙15に委ねて、乙4方に移り住み、本籍も同所に移し、同所から
青森市内に働きに出ていた。
 しかし請求人の仕事は少く、その合い間には乙4方の農業の手伝などをしていた
が、同人夫婦の食事代も昭和二六年暮ころに二、〇〇〇円を一度差し入れたのみ
で、殆んど同家の世話を受ける状況であつた。同家の家族は乙4の祖父母、母、弟
二人であつた。
 2 (捜査状況)青森地区警察署の捜査官は、本件犯行現場に遺留されていた折
鶴模様の日本手拭(領置調書東地二の一―三七。原第一、二審押収の証第一四号)
につき、昭和二七年二月末までには、丁から請求人が日常使用していたものに絶対
間違いない旨の供述(東地二の五―一三七以下)を、また別居中の乙3の長男丁7
などから、乙3のものでないなどの供述(東地二の四―三五、四五、五六表裏)を
得、その後も聞き込み捜査を継続して、請求人は同月初ころ乙3方の風呂を修理
し、同月二三日ころ入浴しにいつているなど情報を入手して同人に対し嫌疑を深め
ていた一方、右丁7から現金一、〇〇〇円位を盗まれていた旨の届出がなされ(東
地二の四―五八以下)、同年三月二日午前六時四五分請求人を強姦、強盗(現金
一、〇〇〇円位の強取)、殺人の被疑事実で乙4の実家において逮捕した。
 3 (前歴)請求人には前科はないが、昭和二五年夏ころ、乗車中の荷馬車内か
ら現金一万円余りを窃取し、弁償して警察沙汰にならなかつたことがあつたほか、
部落内では近隣の自転車を盗んだなどの評判もあつて、右逮捕前、既に犯人は請求
人ではないかとの噂すら流れていた。
 4 (供述内容)請求人は右逮捕後、起訴された昭和二七年三月二三日までの間
(同月二二日までは青森地区警察署留置場、その後は柳町拘置支所に勾留)におい
て取調をうけ、勾留質問調書一通のほか、一〇通の供述調書を作成されたが
 (1) 司法警察員丁8に対する同月二日付弁解録取書および同月三日付第一回
供述調書はいずれも犯行を否認するものであつた(東地二の三―一五五以下、同二
の二―四二五以下)。
 (2) しかるに同月四日午前一一時三〇分ころ青森地方検察庁において、乙1
6検事に対し自白し、「私がやりました」との簡単な自供を内容とする弁解録取書
が作成され、ついで青森地区警察署において丁8司法警察員に対し、次に記載する
ごとき詳細な自白をなし(第二回供述調書、東地二の二―四三五以下)、また同日
夕刻の裁判官による勾留質問に対しては、勾留請求書引用の逮捕状請求書記載の被
疑事実中、現金強取の点を否認するほか、その余の事実(要旨は「乙3の着ている
着物の襟で頸部を絞めて絞殺し、同女を姦淫したというもの」)を認めた(同日付
勾留質問調書、東地二の二―四六四以下、同二の五―四四、同二の四―七八裏、同
二の一―七五表裏)。
 ところで右丁8司法警察員に対する供述の要旨は、犯行時刻を午後七時ころと
し、金員強取の点にはふれず、姦淫、殺害の点について詳細に自白するものである
が、犯意の発生時点については「乙9商店を出たとき乙3は一人でいるから関係し
てやろうと思つた」旨、また犯行については「乙3の胸のあたりを右手挙で押し
た」「乙3を敷かれてあつた布団に寝せてから、姦淫し、膣内に射精してから顔を
知られてしまつたので、後が大変だと思い、同女の枕元にいき、紐の様なものを同
女の首にかけ後方から両手で引張つたら、同女がぐつたりした」「帰宅時刻は午後
八時前と思う。」旨をいうものであつた。
 (3) 丁8司法警察員に対する同月五日付第三回供述調書(東地二の二―四四
三以下)は、犯行時刻を午後六時過ころ乙3方を訪ね、五分位話をした後、と述
べ、金員強取、日本手拭遺留の点を否認し、自供内容は、犯意の発生時点について
右(2)の供述と同一であつたが、首絞めと姦淫の先後の順、首絞めの方法などに
ついては右(2)の供述を変え、また殺意を否認するものであつた。すなわち、そ
の要旨は、「乙3を布団に仰向けに寝せてから、自分の体を同女の上に覆せ、着て
いる着物を口のすぐ下で両方より上に絞めたら、同女は『うん』とうなつた。それ
から姦淫し、膣外にも射精したような記憶がある。首を絞めたのは、夢中でおどか
す気持でやつたので、殺す気持はなかつた。」というものである。
 (4) 丁9司法警察員に対する同月八日付第四回供述調書(東地二の二―四五
四以下)(原判決挙示)は、金員強取、日本手拭遺留の点にふれず、犯行時刻を六
時半ころから七時前後とし、犯意の発生時点について右(3)の供述を変えたが、
犯行内容については、ほぼ右供述にそうものであつた。
 すなわち、その要旨は、「乙9商店を出て乙3のところに遊びにいつた。炬燵に
入つて話しているうちに関係する気になつた。」「乙3の右胸のあたりを一回どん
と突いた。」「乙3を布団に寝せてから、両手で着ている着物の襟をしめ、動かな
くなつてから姦淫し、膣内射精した。」「帰宅時刻は午後七時半ころであつた。」
というものである(ただし原判決は、姦淫および膣内射精に関する第六項を除外し
ている。)。
 (5) 丁8司法警察員に対する同月一一日付第五回供述調書(東地二の二―四
六一以下)は、「乙3を殺して非常に済まない事をしたと考えている」旨を簡単に
述べるほかは、乙4との性交渉は、一週間に二回位ある旨などを供述するものであ
つた。
 (6) 乙16検察官に対する同月一七日付第一回供述調書(原判決挙示)(東
地二の二―四六六以下)は、金員強取、日本手拭遺留の点を否認し、自供内容は犯
意の発生時点について前記(3)の供述を変えたが、犯行内容については、ほぼ同
供述にそうものであつた。すなわち、その要旨は、「乙9商店を出たとき、甲が乙
3方にいつているかもしれないので、同女方へいつて話をしょうと思い、午後六時
半ころ同女方を訪ね、同女と炬燵にあたつて五分位話をしているうちに関係する気
になつた。」「右手拳で乙3の右胸のあたりを一回どんと突いた。」「乙3を布団
に寝せ、おとなしくさせようとして、両手で同女の着ている着物の襟で首を二、三
分絞めたら、おとなしくなつたので姦淫し、膣内射精した。」「殺意はなかつ
た。」「乙3方へ行つた時から帰るまでは大体三〇分位である。」というものであ
る(ただし原判決は、姦淫および膣内射精に関する第五項の一部を除外してい
る。)。
 (7) 丁10検察官に対する同月二二日付第二回供述調書(東地二の二―四七
三以下)は、自己の生い立ち、経歴などのほか犯行当日の二月二五日の夕食時(犯
行前)までの行動について供述するものであつた。
 (なお、右検察官の東京地裁証人供述(東地一の三―三〇六裏ないし三〇八裏、
三一二、三五一裏、三五五)よれば、請求人は乙16検察官に対し、従前の自供を
飜し、否認するに至つた後、右丁10検察官が、渡辺検察官から請求人の取調を引
継ぎ、右供述調書が作成されたことが認められる。)
 (8) 丁10検察官に対する同月二三日付第三回供述調書(東地二の二―四八
〇以下)は、二月二五日は乙3方に行つたことはないと、犯行を全面的に否認する
ものであつたが、従前自供した理由についは「警察官からお前を見た者がある、犯
行の現場にあつた物がお前の物であると云つて居る者もある。お前の妻や家族達に
聞いたが、現場にある物はお前の物だと云つて居ると云つた様な事を述べて尋ねら
れたから、それ程迄確かな証拠があるならば致方が無いやけ気味もあつて、裁判所
で取調べを受ける時に犯人は自分で無い事を云おうと思つて、仕方なしにでたらめ
な事を申して強姦したとか首を絞めて殺したとかいつた。」「検察官には警察で嘘
をいつたから、否認しても仕方ないものと思つてでたらめを云つた。」などと供述
するものであつた。
 (なお、現場に遺留の折鶴模様の日本手拭と同じ模様の日本手拭が二月二九日に
乙3方において発見され、遺留の手拭も乙3が使用していたものと思われる旨の丁
7の司法警察員調書および右発見の日本手拭の領置調書がいずれも同年三月一〇日
付をもつて作成され(束地二の四―六〇以下、六三、なお同人の同月二〇日付検察
官調書、同―七二裏ないし七三裏)、同月一一日付をもつて右発見の手拭は、右司
法警察員調書などと共に、検察官に追送されていたものである(東地二の三―一六
〇)。)
 以上のとおり認められる。
 (二) 右自供の任意性
 1 (公判における態度)
 (1) 前記第一、一および第四(一)のとおり検察官は昭和二七年三月二三日
青森地方裁判所(原第一審)に対し請求人を強姦致死、殺人の罪名のもとに起訴
し、請求人は第一回公判より終始、犯行を否認していたが、他方、関係各証拠によ
れば、検察官においては既に遺留の日本手拭は乙3所持の物件との疑いが濃く、そ
の公判維持において有力な物証を欠く状況であつたところ、第二回公判以後の同年
五月七日ころ高田巡査駐在所勤務の丁11郎巡査において、丁1らが共同墓地入口
付近で請求人を目撃したとの聞き込みを得(東地二の四―八二以下、同一の三―二
二裏)、同月九日から同年六月一日にかけて右丁1ら目撃者の捜査官調書が作成さ
れる(東地二の四―八四ないし一二二)とともに、検察官は右丁1らの証人申請を
して、原第一審においてその尋問がなされた(右捜査官調書はいずれも原第一審に
提出されることがなかつた。)が、請求人は右証人尋問の際に、丁1らが請求人を
目撃した旨を供述しているにも拘らず、裁判所から尋問の機会を与えられながら
「何も尋ねることはない」旨を述べるなど全く消極的な態度に終始し(東地二の一
―一六二、一六五裏一六八、一七一裏一七四)、原第二審公判においても、犯行否
認の態度には変りなかつたが、丁1らの再度の証言に対しても、これを攻撃する態
度はみせなかつた。
 (2) しかも請求人は原第一審第四回公判においては、「警察、検察庁や裁判
所のどこでも無理に調べられたことはなく、調書は後で読み聞かされて間違いなか
つたので私が署名指印しました」旨を述べていた(東地二の二―四二二表裏)。
 また請求人は同第六回公判においては、「初め自分は、行つた覚えはないと云つ
たが、警察ではお前が乙3の家へ行つてくるのを見た者が居る、ちやんと証拠も揃
つていると云つて、自分が何度もそうでないと云つたが、何度もそういつて責めら
れるので、頭がおかしくなり、自分は罪から免れることができないのか、聞かれる
通りになるより仕方ないと思つて検察官に自白し、また警察では『こうしたのだろ
う』『ハイ』『ああしたのだろう』『ハイ』と何でも聞かれるままに返事したので
ある。警察では自分が何を云つても、云うことをきいてくれなかつた。裁判所の勾
留尋問のときは、自分が犯人になるのではないかという気持で頭が一杯で、裁判所
であるかどうか判らなかつた。しかし警察で調べを受けるとき、暴行や脅迫をうけ
たことはない」旨を供述し(東地二の二―五八七裏ないし五八九裏)、原第二審第
七回公判においては、「警察では、手拭を持ち出し、いくら隠しても駄目だ、見た
人もあると云われ、弁解をきき入れてもらえなかつた。頭がぼうつとして尋ねられ
たとおりそうですそうですと返事した」旨を供述し(東地二の二原第二審一二四な
いし一二五裏)、また東京地裁証人丁10も、請求人は同検察官の取調の際「警察
ではお前いわんというとこつちは証拠がある証拠があるの一点ばりであつたんで思
いつきのまま述べた」と語つていた旨を供述する(東地一の三三一二)。
 2 ところで当時の警察官の取調べについては、かなり行き過ぎた点のあつたこ
とが窺われないではない。すなわち、東京地裁証人丁、同丁12、同丁10の各供
述、乙6の戸籍謄本(東地一の三―九六裏ないし九七裏、同一の六―一九九裏二〇
〇、同一の三―三四七裏三四八、同二の六―二三六)および前記第一、一認定の事
実に徴すれば、丁は犯行当夜の二月二五日午後一〇時ころ乙3方に泊りにいき、翌
朝同女の死を知つて直ちに父乙6に知らせたのであるが、警察官は当時一六年(昭
和一〇年一二月二三日生)の丁を強く疑い、同人を二六日午後四時か五時ころから
捜査本部の置かれた乙17小学校において取り調べ、お前がやつたのだろうと追及
し、当夜は令状もなしに同所に留め置いて帰宅を許さず、翌二七日は同本部が移さ
れたa1村の集会場において引き続き夜一一時ころまで取調を継続したことが認め
られる(しかも、丁が遺留の日本手拭につき、それが請求人のものである旨の供述
をしたのは、右留め置かれた翌二七日であることは、同人の丁8司法警察員に対す
る同日付供述調書に徴し明らかである。)。
 3 したがつて、右丁の取調を担当した丁8司法警察員が前記のとおり請求人の
取調をも担当していたのであるが、もとより請求人や丁の取調については、同人の
みが終始関与していたものではないとしても、かなり追及的な取調がなされたこと
が窺われる(前記東京地裁証人丁10の供述参照)ところ、請求人の自供が前記の
とおり、犯意の発生時点、犯行時刻、殺意、犯行態様等の重要な諸点において変遷
していることもあわせ考慮するならば、同自供は、同人の弁解するごとき警察官の
誘導ないし執拗な追及に影響されなかつたとはたやすくは云い難く、その任意性に
全く疑念がないわけではない。
 この点において、東京地裁証人丁8、同丁9、同丁13は、請求人が自供をはじ
めるとき廊下に手をついて号泣していたとか、その他その任意性を裏付けるごとき
事情を供述する(東地一の二―二〇九裏二一四、二七三表裏三一四裏等)が、いず
れもたやすくは採用し難い(右廊下に手をついた点につき、請求人の当審供述記録
七―二一一二ないし二一一三参照)。
 原決定においても、請求人に対しては、捜査官によるある程度の追及的な取調が
行われたことは容易に推認することができるとしているのであるが、それにも拘ら
ず、結論においてその自供の任意性を全面的に肯認している(原決定書一〇二丁表
裏)ことは、妥当を欠くものである。
 (三) 甲の自供に至る経緯
 また前記(一)冒頭の各証拠によれば、
 1 (経歴等)甲(昭和八年三月三日生)は東津軽郡a1村(現在青森市)大字
b1字c1i1番地の本籍地において父乙6の四男として出生し、昭和一三年ころ
一家で北海道釧路市に移住して同地の小学校高等科を卒業後、炭鉱の組夫として稼
働したが、昭和二三年ころ一家して右本籍地に戻り、同二五年秋ころ再び単身、釧
路市に赴いて炭鉱の組夫となつたが、そのころ的屋の組織に入つて不良交遊を深
め、窃盗事件を起して昭和二六年七月ころ本籍地に戻り、同所で家業の農業の手伝
いや日稼人夫に従事した。
 そのころ隣家に住む請求人は乙6方に足繁く出入していたが、甲とは年令の差が
開いていて、同人方においては、主に乙6がその話相手であつた。
 甲は乙3殺害事件の捜査の際、取調を受けたが、犯行当夜は、同部落内の乙12
方でトランプ遊びをしていたというアリバィを認められ、昭和二八年一月北海道帯
広市駐屯の保安隊に入隊し、同二九年八月依願退職後北海道、青森市内などでトラ
ツクやタクシーの運転手などを転々とし、その間の昭和二二年に乙18と結婚し
て、二児を儲うけたが、深酒に浸り、同女に乱暴を働くなどのため、同女との間に
溝を生ずるようになつた一方、乙19と知り合つて昭和三三年ころ帯広で同女と同
棲をはじめ、同年一〇月に乙18と協議離婚し、子供を同女が引き取り、甲は翌三
四年に乙19と結婚して同女との間にも二児を儲うけ、釧路、旭川、青森でタクシ
ーの運転手などをした後、昭和三八年初めころに神奈川県川崎市に移り、タクシー
運転手をしていた。
 しかし同年一二月ころ乙19も亦、甲の酔余の乱暴に耐えきれず、当時の横浜市
の住居に二人の子を残して同女の青森市の実家に戻り、甲の帰宅の申し入れをも、
かたくなに拒絶して、遂に昭和三九年五月甲と乙19は調停離婚をなすに至つた。
 その後甲は右二児を自己の実家に預けて、大阪、横浜、東京などでタクシー運転
手などをしていたが、深酒を飲み、生活はすさみ、昭和四一年二月二三日実家に戻
つたところを、脅迫事件(元勤務先の都内のタクシー会社役員らに対し解雇された
ことなどに言い掛りをつけて「殺しにきたなどと」脅迫した事件)で逮捕され、翌
二四日警視庁本所警察署に護送され、勾留中同年三月五日脅迫罪(右事件)、同月
一六日窃盗罪(自動車窃盗)で東京地方裁判所に起訴され、同年四月三〇日右両罪
につき懲役一年(未決勾留日数二〇日算入)の判決の言渡を受け(該判決謄本東地
二の六―二五〇以下)、同年五月一五日同判決は確定した。
 2 (前科等)甲は北海道において的屋の組織に入つている間に窃盗の非行に走
り、保護観察処分を受けたほか
 (1) 昭和三二年六月二五日蟹田簡易裁判所において窃盗(ワイヤーロープ等
の窃取)の罪により懲役八月執行猶予三年
 (2) 昭和三七年三月二六日帯広簡易裁判所において暴行罪により罰金三〇〇
〇円
 (3) 昭和四〇年八月一〇日青森地方裁判所において窃盗(自動車窃盗)詐欺
(無銭飲食)の罪により懲役一年六月執行猶予四年保護観察付
 に処せられた(右のほか、道路交通法規違反の科料、罰金などの前科四犯があ
る)。
 また
 (4) 昭和三二年四月三〇日窃盗(忍込)(5)同四〇年四月六日窃盗(自動
車窃盗)(6)同四一年二月七日詐欺(無銭飲食)によりいずれも起訴猶予処分を
受けた前歴があつた。
 3 (供述)
 甲は前記脅迫、窃盗事件につき東京地方裁判所において公判審理中本所警察署に
勾留されていた際、昭和四一年四月七日同署勤務の乙20巡査に対し、自分は乙3
殺害の真犯人である旨を告白するに及んで、翌日以降同殺害事件につき取調を受け
ることとなつたが、次のとおり昭和四二年二月二二日までの長期間にわたつてその
自供をひるがえすことがなかつた(なお、右取調の間の昭和四一年八月六日には、
前記青森地方裁判所において言渡されていた執行猶予付懲役刑についてのその猶予
の取消決定が確定した。東地二の六―二四一以下)。すなわち
 (1) 乙21司法警察員に対する昭和四一年四月八日付供述調書(東地二の六
―九一以下。新証拠)は、乙3の殺害、姦淫、犯行の動機、金員強取の点などにつ
いて自供するほか、捜査官に対し、虚偽のアリバイを主張した旨供述するのである
が、その自供の要旨は「金員を奪う目的で、乙3の背後からマフラーでその首を絞
めて殺した後、同女のももをみてにわかに姦淫する気になつたが、射精が早くてそ
の目的を遂げなかつた。その後室内を物色してガマロから現金二百六、七十円を奪
つた。」というものであり、また告白の動機については「犯行を忘れようと思つて
次第に深酒を飲むようになつたが忘れられず、乙3の夢をみては苦しい思いをして
いた。これまで何度も警察に捕り、その度に話そうとしたが、度胸が出なかつた。
一度は罪のつぐないをしなければならないし、それには子供が大きくなつてからで
はかわいそうだと思い、この際、苦しい思いから逃れるため申し上げることにし
た。」というものである。
 (2) 乙22司法警察員に対する同年五月一四日付供述調書(東地二の六一二
三以下。新証拠)は、犯行前後の状況(捜査官に対する虚偽のアリバイの主張を含
む)について詳細に供述するものであるが、犯行自体については、簡単に「叔母を
やつた」というものである。
 (3) 丁14検察官に対し、同月一七日から同月二四日の間に四回にわたつて
詳細なる自供をなし、録音テープ全六巻(録音時間延約九時間三〇分。東京地裁昭
和四二年押第六八六号の五ないし一〇)に採録されたが、犯行状況、告白の動機な
どの供述内容は、前記(1)のそれと全く同旨であつた(東地二の七ないし九はそ
の録取書)。
 また右自供の採録開始にあたつては、同検察官から、事案が重大である旨、警察
で虚偽の自白をしたのなら撤回するようにと、告げられていた(検察事務官乙23
の報告書東地二の六―二六三以下)。
 (4) 甲作成の同月二四日付供述書(東地二の六―二二〇以下。新証拠)は、
自己の生い立ち、犯行の動機、犯行後の心境などを詳細に述べるものであり、同書
面中「一四年前の事件のことであるのではつきり想い出せない事が多い。しかし自
分が起した事件であることに相違いない。自分の気持は現在どんな刑を受けようと
もすつかり覚悟はきまつている。可愛い子供の顔を一日も早くみたい、暮したいと
想う気持である。今は刑を終えて再会する日を待つばかりである」旨を述べるとこ
ろがある。
 (5) 丁14検察官に対する同月三〇日付供述調書(乗地二の六―一三四以
下。新証拠)は、「乙3を殺した」旨を簡単に述べるほかは、自己の生い立ち、経
歴などを述べるものである。
 (6) 丁14検察官に対する同月三一日付供述調書(A)および(B)(二
通)(東地二の六―一四六以下、一七六以下。いずれも新証拠)のうち、(A)の
調書は、前記(1)同様、姦淫、金員強取、告白の動機、虚偽のアリバイなどにつ
いて詳細に自供するものであるが、姦淫については「乙3を殺した後、にわかに同
女を姦淫する気になつたが、射精が早くてその目的を遂げなかつた」旨、また時効
に関しては「乙3殺害事件の時効は来年の二月に切れることは知つていたが、今で
はそれにこだわる気持はなく、死刑でも無期でも服する気持でいるが、又一方で
は、このまま表面化しないで済まして貰えるものならこれ程ありがたいことはな
い」旨を述べるものであり、(B)の調書においても、生い立ち、経歴、犯行の動
機、殺害の状況などを詳細に述べ、前記(1)の供述との間に殆んど差異はない。
 (7) 乙22司法警察員に対する同年六月一二日付供述調書(東地二の六―一
三〇以下)は、犯行後の心境を供述するものであるが、同調書中には「二度目の妻
と別れてからは、どうせ俺は懲役に行かなければならない身だと心がすさび、やけ
気味になつてしまつて深酒をしたり、人にからんだりして、一定のところに働くこ
とができなかつた」旨を述べるところがある。
 (8) 乙24検察官に対する同年一一月一七日付供述調書(東地二の六―一九
九以下。新証拠)は、犯行およびその前後の状況を供述するものであるが、同調書
中には「親兄弟、別れた妻、世間などに対する反感や恨みから嘘の自供をしている
のでない。本当に良心的な苦痛から逃れて、罪の償いをしたい気持からである」旨
を述べるところがある。
 (9) 丁14検察官に対する昭和四二年二月二一日付供述調書(東地二の六―
二〇六以下)は、犯行およびその後の状況を供述するものであるが、同調書中には
「今では事件の告白をしたことについていらぬ事を喋つたと内心後悔しており、こ
の前乙24検事が調べに来たときもやつていないと云い直そうと思つたが、実際に
自分でやつたことだし、既に言い出してしまつた以上仕方がないと思つて思い直し
た」旨を述べるところがある。
 (10) 甲は同月二一日午後七時四〇分乙3に対する強盗殺人、強盗強姦未遂
罪で逮捕された(該逮捕状東地三の一―一)が、同日付の丁14検察官に対する弁
解録取書は「逮捕状記載の犯罪事実について弁解の余地はない」旨の供述を内容と
するものであり、右逮捕状記載の犯罪事実の要旨は、金員強取の決意のもとに乙3
を背後から絞殺し、その後俄かに劣情を催し姦淫しようとしたが、射精が早くて未
遂に終り、次いで屋内より現金三〇〇円位を強取した、というものである。
 (11) 東京地方裁判所裁判官に対する同月二二日付勾留質問調書(東地二の
六―二二七以下。新証拠)は、勾留請求書記載の犯罪事実(逮捕状記載の犯罪事実
と同一、東地二の六―四以下)をすべて認めるものであり、さらに「事件が古いこ
となので細かいことで自分の想像で云つた事もある」旨を付加して述べるものであ
る。
 (12) しかし甲は、同月二三日に至り丁14検察官に対し、「乙3を殺した
といつていたことは嘘である」とこれまでの自供をひるがえし、嘘の自供をなした
動機については「乙19を諦め切れず、飲んだりしてでたらめをやつているうちに
事件を起して捕り、いつそうこのまま中にいた方がよいと思つてやりもしないこと
を自分がやつたように云つた」旨を述べ、さらに「これまでに述べてきた犯行の模
様については、新聞記事や部落内の噂などをもとにして想像をまじえて作つたが、
戊の公判には一度も傍聴にいつたことはない。犯行の日には夕方六時か七時ころ乙
3方に一度しかいつていない。」などと述べた(同日付検察官調書乗地二の六―二
一三以下)。
 なお、甲は前記東京地裁判決が昭和四一年五月一五日確定した後同年六月一三日
本所警察署から東京拘置所に移監され、以後同署に戻ることなく同拘置所や乙24
刑務所において右刑や前記執行猶予の取消された刑につき服役していたものである
(前記1、2(3)、3冒頭、東地三の一―四、同一の一―三八裏参照)。
 以上のとおり認められる。
 (四) 右自供の任意性
 1 (公判における態度)
 前記第一、一のとおり検察官は昭和四二年二月二三日東京地裁に対し、甲を乙3
殺害の真犯人として強盗殺人、強盗強姦未遂罪で起訴し、該起訴状(東地一の一―
一以下。新証拠)記載の公訴事実は、「被告人は、一人暮しの伯母乙3(当時五七
年)が小金を蓄えているものと見込み、遊興費欲しさから同女を殺害してでもその
金員を強奪しようと決意し、昭和二七年二月二五日午後九時過頃青森県束軽津郡a
1村大字b1字c1d1番地の同女方に赴き、四畳半の居間で針仕事中の同女の隙
を窺い、いきなり背後からマフラーをその頸部に引つかけて俯伏せに押し倒しなが
ら絞めつけ、失神状態に陥つた同女を奥六畳の寝室に運び込んだところ同女の裾が
乱れているのを見て俄かに劣情を催し、強いて同女を姦淫しようとしたが射精が早
くて未遂に終り、その儘間もなく同女を右頸部絞圧によりその場で窒息死させて殺
害し、次いで同屋内を物色し同女所有の現金三〇〇円位を強取したものである。」
というものであつた。
 しかし、関係証拠によれば、甲は第一回公判より終始犯行を否認し、嘘の自供を
した心境については、「乙19に行かれてしまい、この世に生きていたくないとい
う気持から、破れかぶれとなつて、どうでもよかつたからである」旨(東地一の一
―九九、一六七表裏等)、また警察署の食事が少く、極度の空腹状態にあつたこと
もその原因の一つである旨(東地一の七―一二三ないし一二六、二四七裏二四八)
を述べていたが、同人の東京地裁公判における供述の態度には、一見、投げやり、
或は他人事のように振舞うところがみられ、第一一回公判においては、嘘にして
も、伯母を姦淫しようとしたといつて、しかもその状況を微細な点にまでわたつて
述べているのはどうしたことかなどと検察官から尋ねられるや、その理由を明らか
にしようとせず、ただ「全く馬鹿らしくて話になりませんよ、自分の父親の姉にそ
んなことをするなんてばかな」「みんな想像ですよ、大体ばからしくて話にもなら
ない」などと答えて、遂には裁判長からたしなめられる一幕もあつた(東地一の七
―一六二ないし一七一、殊に一六六裏一六七)ことが認められる。
 2 ところで甲が、警察署の食事が少く極度の空腹状態にあつたことも嘘の自供
の一因であるという点は、東京高裁証人丁15の供述および甲の東京地裁第一一回
公判における供述(ただし一部)(東高二―四五八裏以下。東地一の七―一五〇以
下)および前記のとおり甲は昭和四一年六月一三日以降は本所警察署より東京拘置
所等に移監され、その後は服役していて警察署には移監されていない事実(東地一
の一―三八裏)などに照らして、明らかに採用し難いところ、前記自供および関係
各証拠(殊に東地一の七―五五以下、八五裏以下)によれば、同人の自供は捜査官
側に全く資料がなかつた状態において始められたものであり、その内容も詳細にわ
たりながら、しかも長期間の多数回の自供の間において絞殺の方法、姦淫行為、金
員強取などの重要な諸点において変更がなく維持されていたことが認められ、右事
情のほかさらに、その自供の内容(殊に犯行後の心境)、録音供述から窺われるそ
の供述態度等に照らすと、その任意性はまことに高度のものであつたというべきで
ある。
 (五) これを要するに、請求人および甲の各自供の任意性の程度には格段の差
が認められ、むしろ前者については任意性自体に疑念が抱かれるものであるから、
請求人の自白について原決定が、任意の具体的かつ実質的程度は、甲の自供証拠と
較べると低いことは否めないとしながら「請求人の自供証拠にも任意性を肯定する
ことができる」と説示している点(原決定書一〇二丁裏)は、相当でない。
 三 甲および請求人の各自供と本件犯跡との適合性
 原決定は右各自供の信用性の検討に際し、本件犯跡との適合性を比較している
(原決定書七一丁以下)が、本件犯跡中、右適合性の検討において重要な点は、
(1)創傷の状況、(2)姦淫の有無であるから、以下に右各点につき、原決定の
説示の当否を検討する。
 また甲の前記自供証拠中、新証拠とされたものと、されなかつたものとの間に、
本質的な内容上の差異は認められないから、右検討にあたつては、主として甲の自
供中新証拠とされた証拠のみを挙示する。
 (一) 創傷の点について
 原決定は乙3の屍体に認められた合計八箇所の創傷中、主として両者の各自供の
信用性判断につき重要と思われる頸部と大胸筋部の二箇所の創傷およびそれらの成
因と関連する創傷について検討している(原決定書七二丁裏ないし八五丁裏)の
で、当裁判所も以下においては、頸部と大胸筋部の二箇所の創傷を中心とし、新証
拠とされた丙第五、丙1第一各鑑定書の吟味をなすこととする。
 1 丙第二鑑定書の各創傷の部位、性状についての記載によれば、
 (1) 頸部の創傷は、「甲状軟骨突起部の左方約〇・五センチメートルより略
水平に正中線を越えて右方に走り、正中より右方約一横指径の所より、約五・〇セ
ンチメートルの部分は、極く軽く上方に凸湾し、更に右後方に約六・五センチメー
トルで側頸部に終る長さ約一三・〇センチメートル、巾は正中部で約一・〇センチ
メートル、湾曲部で約〇・八センチメートル、側頸部で約一・〇乃至一・三センチ
メートルの革皮様化した帯状の表皮剥脱」というものであり、すなわち右創傷(索
溝)は前頸部から右側頸部に及ぶが、左側頸部にまでは続いていないというもので
あること
 (2) 大胸筋部の創傷は、「右大胸筋に、右第二肋骨の胸骨附着部より、その
筋繊維の走向に右腋窩前極部まで長さ約一三・〇センチメートル、巾約〇・五セン
チメートルの線状の筋肉内出血」というものであること
 (3) また「左頸部で左鎖骨上部に右上より左下方に走る長さ約〇・五センチ
メートルないし約三・五センチメートル、巾約〇・一センチメートルの直線状の六
本の表皮剥脱」がみられること
 以上のとおり認められる。
 2 (1) 右1(1)の頸部の創傷
 イ 同創傷に関連する甲の供述の要旨は
 A 「長さ一メートル位、巾二五センチメートル位のネルのマフラーの両はじを
両手に持つて輪を作るようにし、これを四畳半間の炉端に座つて針仕事中の乙3の
背後からいきなり頸部に掛けて、そのまま両手を交差させるように逆方向に引き、
且つ同女の肩先で両手を押えつけながら力一杯絞め上げ、同女がその左側にあつた
針箱の方の畳の上に突込むように俯伏せに倒れた後もなお三、四分位(あるいは、
一分位、しかし絞めつけていた時間はあわせて三、四分位)後ろから覆いかぶさつ
て絞めつけていると同女は動かなくなつた」(昭和四一年四月八日付司法警察員調
書、同年五月三一日付(B)および同年一一月一七日付各検察官調書東地二の六―
一〇三裏ないし一〇五、一〇九裏、添付図面(一二一)、一九一裏、一九二、一九
六表裏、一九七、二〇一)
 というものであり、他方請求人の供述の要旨は、
 a 「左手で乙3の首にしがみついた」(昭和二七年三月一七日付検察官調書東
地二の二―四七〇裏)
 b 「両手(両腕)を(乙3の前から後に)乙3の首に巻きつけた」(右検察官
調書同―四六九、同月八日付司法警察員調書同―四五六)
 C 「仰向けに寝ている乙3の枕元の方に行き、紐の様なものをその首に掛け、
後より両手で引張つた」(同月四日付司法警察員調書東地二の二―四四〇)
 d 「自分の身体を乙3の上に覆せて、自分の両手をのばして乙3の着衣の一番
上の方の一枚の襟をとつて口のすぐ下で両方より上に絞め上げた」(昭和二七年三
月四日付勾留質問調書、同月五日付、同月八日付各司法警察員調書、同月一七日付
検察官調書東地二の二―四六四裏、同二の一―七六裏、同二の二―四四五裏四四
六、四五一裏四五二、四五七裏、四六九裏)
 というものである。
 ロ そこで考察するに、原決定は結局において請求人の右各供述中原判決の認定
にそう請求人の供述dの方法と甲の供述Aの方法とを比較検討しているので、当裁
判所もこれにならうことにする。
 丙第五および丙1第一各鑑定書は、本件頸部の創傷に対し甲の供述Aは適合する
が、請求人の供述dは適合しないとし、その主な理由として同創傷の部位、殊にd
の方法では、創傷が顎の直下に位置することとならなければならない点を指摘して
いる。
 ところで、甲の供述Aの方法によつた場合、本件頸部の創傷が具体的に生ずる経
過については、右各鑑定書は、若干相違し、丙第五鑑定書は、ネルのマフラーでは
右創傷は生じ難いが、マフラーと皮膚との間に乙3着用の毛布製上張りの襟が介在
したことを前提とすると極めて適合性があるとし、丙1第一鑑定書は、マフラーで
も、これを引き絞つた際の皮膚面との作用面が〇・八ないし一・三センチメートル
前後となれば、索引による移動擦過によつて右創傷を生ずる可能性があるとする。
また丙1第一供述は、当審昭和四八年押第三四号(原審昭和四五年押第二三号、東
京地裁昭和四二年押第六八六号、東京高裁昭和四三年押第四五四号)の符号一、二
の襟巻(甲は本件犯行に使用したマフラーを自宅裏の川に捨てた旨供述し、右襟巻
二本は乙3の娘丁16より参考物件として任意提出されたものである。同人の任意
提出書、領置調書、甲の昭和四一年五月三一日付(A)(B)および同四二年二月
二一日付各検察官調書、同人および証人丁16の各東京地裁供述東地二の六―八
五、八六、一六一表裏、一九一裏一九二、二一一以下、同一の七―一四七ないし一
五〇、一五六裏、同一の六―九一ないし九三裏)のうち、符号二の方についてはそ
の可能性は認め難いが、符号一の方には可能性が認められるというのであり(東地
一の四―二三九表裏)、丙第四供述も、マフラーによつて絶対できないとはいえな
い旨をいうのである(東地一の四―一六二、一九一裏)が、他方丙1鑑定人は、丙
鑑定人指摘の着衣の襟(それは「毛が脱け、面が粗く、固めで、一センチメートル
内外の巾に折れるようになつていた」丙第一、第三各供述、東地二の二―三八三
裏、同二の二原第二審一一二。前記第四(三)8の毛布製上張り―証第七号―の襟
のことである。)がマフラーと皮膚との間に介在したことによる創傷の発生を否定
しているものとは解されない(要は、索条の作用面の巾と、それの皮膚面に対する
移動擦過に重点があると解されるのである。)。したがつて右各鑑定書は、甲の供
述Aによる創傷の可能性について、それぞれが最良の条件を考慮して見解を述べて
いるのであるが、相互の見解を排斥するものでは決してないのである。
 ところで右各鑑定書が本件頸部の創傷との適合性を検討するうえでの重要点とし
て、同創傷の部位を指摘し、しかも請求人の供述d中には、明らかに「口のすぐ下
で両方より上に絞め上げた」という部分があるにも拘らず、原決定は「口のすぐ下
で絞めた」ということが、頸部の中央部を否定する趣旨であるとは到底受け取れな
いから、右各鑑定書が、同供述を不適合とすることは根拠を欠くと説示する(原決
定書七七丁裏)が、右説示は請求人の右供述の趣旨を正しく把握しないもので、失
当と云わざるを得ない。請求人の供述dは本件頸部の創傷の地位に照らしてむしろ
不適合とみるべきである。
 そして本件実況見分調書(殊に同調書添付の写真、東地二の二―四一三裏)によ
れば、犯行当時、乙3は上半身において七枚の衣類をまとい、やや着ぶくれた状態
であり、その一番上の衣類が毛布製上張りであつたこと、そして同女の頭髪は、後
頸部に十分達するものであつたことが認められるところ、かかる状態の乙3が針仕
事中、その背後から咄嗟にマフラーをその頸部に掛け、交叉すれば、前頸部から右
側頸部にかけて右毛布製上張りの右襟が、また項部の部分では、頭髪がそれぞれマ
フラーと皮膚との間に介在することは十分に考えられるところである。
 そうすれば、甲の供述Aによる力の加え方(なお、東京地裁証人丁14の供述東
地一の七―九四裏九五、一一一表裏)からみて、きき腕側の右側頸部においてより
強く擦過が生じ(丙1第四供述記録三―八〇六ないし八〇七裏。なお、甲は右きき
であることにつき、東地二の七―六七裏)て本件頸部の創傷を生起し、項部の交叉
部附近では頭髪が介在したり、マフラーが浮き上つたりし(丙第六、丙3各供述記
録二―六四〇表裏、同四―一二二八裏)、また左側頸部ではマフラーが皮膚面と巾
をもつて接触し、或は乙3がこれを引張る(後記参照)などして、索痕が残らなか
つたことが不合理なく説明できる(丙第一供述東地二の二―三八四表裏)。
 原決定は右各鑑定書に付記された見解の根拠のないこと、或は見解に矛盾がある
ことなどを説示する(原決定書七六丁裏ないし七九丁裏)が、本件頸部の創傷の発
生についての右認定を動かすに足りない。
 しかも甲の供述Aにしたがい、マフラーによる背後からの絞頸の場合には、前記
1(3)の左鎖骨上部の直線状の六本の表皮剥脱は、「乙3がマフラーを取ろうと
して首の両側に両手をもつていき、マフラーを引張るようにした」(甲の昭和四一
年五月三一日付(B)、同年一一月一七日付各検察官調書東地二の六―一九六、二
〇一表裏等)際に、その手の指の爪がマフラーを飛び越して皮膚に損傷を与えたも
のと考えることにより、まことによく適合する(丙1第一鑑定書)のに対し、請求
人の供述dによれば、乙3の前方から襟絞めしたというのであるから、この場合に
は、右表皮剥脱の位置が、本件頸部の創傷を左側頸部に延長した線より遥かに下方
であることに照らして、その成因を説明することがまことに困難となる(丙1第
一、第三各鑑定書)。
 この点について、原決定は、「襟絞めの攻撃が着手後直ちに完全有効に成立し、
これが被害者の抵抗喪失時点までそのまま維持されるということは、常になされ得
るものとは考え難い」と説示する(原決定書七九丁表裏。丙3鑑定書も、乙3が絞
められている左襟の下に自分の左手の指を入れて左下方に引張ろうとすることによ
つて左鎖骨上部の表皮剥脱を生ずる可能性があるとする。)が、しかし老婆の襟を
掴み、上に絞め上げている若者の力をおしのけて襟の下に指をさし込む力は、いか
に必死とはいえ老婆に残つているとは考え難い(丙1第三鑑定書。この点において
丙3供述記録四―一一八九、一二一〇裏ないし一二一二は採用できない。)ばかり
でなく、請求人の供述を仔細に検討しても、「乙3は絞めている私の手を払いのけ
るようにして両手を私の手のあたりに掛けて身体や足をもがくように動かしてい
た」旨(昭和二七年三月八日付司法警察員調書、同月一七日付検察官調書東地二の
二―四五八、同―四七〇)を供述するにとどまり、乙3が襟の下に自分の手の指を
入れて下方に(指先が鎖骨上部に達するほどに)引張つたという事実を窺わせると
ころは全くないのである。
 これを要するに本件頸部の創傷に関し、甲の供述は適合するが、請求人の供述は
適合しないとした丙第五および丙1第一各鑑定書の結論は十分に首肯できるもので
ある。
 (2) 前記1(2)の右大胸筋部の創傷
 イ 同創傷に関連する甲の供述の要旨は、前記2(1)イ記載のとおりであり、
他方請求人の供述の要旨は
 e 「坐りながら乙3の右胸(または胸の真中)の辺りを右手拳で(余り強くな
く)一回どんと突いたら、同女ははずみを喰つて後の方に横に(または請求人の左
横へ仰向けに)転んだ」(昭和二七年三月四日付、同月五日付、同月八日付各司法
警察員調書、同月一七日付検察官調書東地二の二―四三八、四四四裏四五六、四六
九)
 f 「(乙3は顔を炬燵の方に向けて横に転んでいたので自分はその場でやる積
りで)上から覆いかぶさつて仰向けになつた乙3を動かないようにした」(昭和二
七年三月五日付、同月八日付各司法警察員調書、同月一七日付検察官調書東地二の
二―四四五、四五六、四六九)
 g 「乙3を障子際の布団が敷いてあつたところに仰向けに寝せたが(叫ばれた
り騒がれたりすると困ると思つて)自分の体を乙3の上にかぶせた」(昭和二七年
三月五日付、同月八日付各司法警察員調書、同月一七日付検察官調書東地二の二―
四四五裏、四五七裏、四六九裏)
 h 「乙3の陰部に自分の陰茎を入れて同女の体に覆いかぶさつた」(昭和二七
年三月四日付司警察員調書、同月一七日付検察官調書東地二の二―四三九表裏、四
七〇裏)
 というものである。
 ロ そこで検討するに、丙第五および丙1第一各鑑定書は、本件右大胸筋部の創
傷に対し、甲の供述A後段は適合するが、請求人の供述eないしhは不適合或はや
や不適合というべきであるとし、その主な理由として、兇器は、少くとも約一三セ
ンチメートルの長さを有する直線的稜角のある鈍体(丙第五鑑定書)、または細長
の作用面とかなりの硬度をもつ鈍体(丙1第一鑑定書)とみるべきである旨を指摘
する。
 ただ、右各鑑定書は、甲が乙3を針箱の方の畳の上に俯伏せに倒した際に、針箱
の稜角が乙3の右大胸筋部に衝突したことを前提とする点において同一であるが、
丙第五鑑定書は、「乙3が右肩を前に出るようにして倒れたとした場合」を、丙1
第一鑑定書は「甲の供述は左側に倒したというが、これは記憶違いの可能性が大き
く、むしろ右側に倒したとした場合」をそれぞれ最良の条件として考慮するもので
ある。
 しかし甲の供述A後段によれば、当時四畳半間で針仕事中の乙3が左側に突込む
ようにして倒れた後も、なお後ろから覆いかぶさつて絞めつけていた、というので
あるから、右絞めつけの最中に針箱の稜角が乙3の右大胸筋部に強く押しつけられ
ることは十分考えられることであり、右各鑑定書が、その際における創傷の発生を
否定する趣旨でないことは明らかである。
 そして本件実況見分調書によれば、犯行当時、乙3は、その上半身に、本ネル肌
着、コツトン肌着、長襦袢、真綿胴着、絣上張り、毛糸胴着、毛布製上張りを着用
していたことが認められるから、請求人の供述eでは不適合或はやや不適合という
べきであり(丙第五および丙1第一各鑑定書)、またf、g、hにいう請求人の前
腕あたりの圧迫によるという点は、前腕の有する作用面の巾、硬度という点で不適
合というべきである(丙1第一鑑定書、右に反する丙3鑑定書は採用できな
い。)。
 しかるに原決定は、本件右大胸筋部の創傷が針箱との衝突によるとすることは、
甲の供述に現われていない情況を想定し、或はその供述を思いちがいとみる仮定を
置くものであるとして丙第五および丙1第一各鑑定書の見解を排斥する(原決定書
八四丁裏。なお、丙第五鑑定書が本件右大胸筋部の創傷の成因に関し、丙第二鑑定
書の見解を変更したのは理由が乏しいとする原決定の非難(原決定書八三丁裏以
下)は、丙第四供述を正解しないものであつて、首肯できない。東地一の四―二一
七裏二一八、なお同―一五七裏ないし一六〇、一七七表裏、一七九ないし一八〇
裏、一八九等)。
 しかし、関係各証拠を検討すれば、甲の供述A後段にいうごとく、乙3を針箱の
方の畳の上に倒した状況において、針箱が乙3の胸部の下に位置することを、単な
る想定などとして排斥すべきではなく、十分可能性のあることとして肯認すべきで
ある。すなわち関係各証拠によれば、
 (イ) 本件犯行当時のころ、乙3が日常使用していたと認められる木製の針箱
(当審、原審、東京地裁、東京高裁前各回押号の四、本件実況見分調書添付の写
真、丁7作成の任意提出書、領置調書、東京地裁証人丁7の供述東地二の二―四一
〇裏、同二の六―八九、九〇、東地一の六―一六〇裏ないし一六二裏。右針箱は、
厚さ〇・七センチメートルの板で作られた、蓋の部分は縦二四・三センチメート
ル、横一八・二センーチメートル、高さ六・八センチメートル、本体の部分は縦二
二・五センチメートル、横一六・五センチメートル、高さ六・四センチメートルの
長方形のものである。)は、犯行の翌日(二月二六日)警察官による本件実況見分
時において、乙3方玄関から入つたすぐの四畳半間に、蓋が取られて、本体の底に
裏側から重ねられた状態で置かれてあつたほか、その付近に靴下、ストツキング、
モンペなどがまとめられてあつたこと(本件実況見分調書)
 (ロ) 本件実況見分時における右針箱の位置は、右四畳半間内の炬燵の位置か
ら離れているが、乙3は普段、針箱を炬燵の側においているのみでなく、同女の死
亡が発見された直後、多数の縁者や部落の者が同室内に入り、その者達の中には、
針箱が炬燵の近くにあつたことを認め、また同室内の状況は右見分時前にかなり変
更を加えられたと供述する者がいること(丁の昭和二七年二月二七日付、同月二八
日付、乙6の同日付各司法警察員調書、丁7の同年三月二〇日付、乙25の同日
付、丁12の同月二一日付各検察官調書、原第一審証人丁17、東京地裁証人丁1
1郎、同丁18、同丁19の各供述東地二の五―一三一、同二の三―一五表裏、同
二の五―五五裏、五六、同二の四―七五表裏、同二の五―一〇二裏、七九東地二の
一―二六〇裏、同一の三―六裏、一六八、一七二表裏、東地一の七―一二、二四表
裏、二五裏、三六裏四五裏、四六等。なお、丁12の昭和二七年二月二八日付司法
警察員調書東地二の五―七二裏ないし七四によると、同女が二六日の午前一〇時こ
ろ乙3方に巡査とともに来たときは、縁者や部落の者など八名いたことが認められ
る。また本件実況見分調書が、乙3の屍体発見直後の状況を正確に記載していない
ことは、丁17の昭和二七年二月二八日付司法警察員調書東地二の五―一〇六にみ
られる台所のストーブ付近に置かれてあつたみかんのむいた皮若干(みかんは乙3
の解剖所見の胃の内容物である。丙第二鑑定書)、女用足袋一足などについて全く
記載のないことからも窺われる。)
 (ハ) 前記2(1)イ掲記の甲の各供述調書によれば、乙3は右四畳半間の炬
燵(右各供述は「炉端」と表現)に坐り針仕事をしていたというのであるから、同
女のかたわらに針箱が置かれてあつたとみるのが自然であること(本件実況見分調
書および添付の写真によつて認められる電灯の位置も炬燵の傍である。)
 などの事情が認められるのであつて、以上の事情に照らせば、前記の可能性は到
底否定できないところというべきである。
 これを要するに本件右大胸筋部の創傷については、甲の供述は請求人のそれより
も各証拠により適合するという丙第五および丙1第一各鑑定書の見解は、針箱との
衝突をその成因とする結論において十分是認できるところである。
 3 しかるに原決定が、結局乙3の頸部および右大胸筋部の各創傷について、甲
および請求人の供述する加害方法は、絶対的とはいえないにしても、高度の蓋然性
をもつて不適合とは断じえないと判断するにとどまつた(原決定書八五丁表)の
は、結局、証拠の評価を誤つたものというべきである。
 (二) 姦淫の点について
 1 丙第二、第三各鑑定書および本件実況見分調書によれば、乙3の着衣や屍体
下腹部等に精液が付着していたこと(前記第一、一参照)、また犯行現場に精液以
外の分泌物が付着した折鶴模様の日本手拭(前記二(一)2および4末段参照)が
置かれてあつたことが認められるところ、姦淫および事後の処置に関する甲および
請求人の各供述をみると、まず甲の供述の要旨は
 B 「自分の陰茎が乙3の陰部に触つたときに急に気分が出て射精してしまつ
た。精液は乙3の陰部の中や瞬の方に流れ出た」(昭和四一年四月八日付司法警察
員調書、同年五月三一日付(A)検察官調書東地二の六―一〇六、同―一四七裏)
 C 「乙3の首からマフラーを外して、それで同女の陰部の辺についた精液を拭
いた後、その付近の畳の上にあつた日本手拭をとつて、それで陰部や精液がついた
ところを拭き、さらに右手拭を長さ一寸位に丸めるようにして陰部の中に差し込ん
で拭きとつてから、それをその辺に置いた」(前同各捜査官調書東地二の六―一〇
六、同―一四七裏一四八)
 というものである(原決定は甲の供述として、「そのとき入れたことは入れたと
思うが、精液まで入れたか入れないか、それはわからない」という部分と、「中に
も精液が入つたと思つた」という部分を挙示して甲の膣内射精の可能性を認めてい
る(原決定書八六丁裏八八丁裏)。しかし前者は甲の録音供述中テープ第五巻の一
部(東地二の八―一六四裏六行目ないし八行目)、後者は同第六巻の一部(東地二
の九―一八裏四行目)であると解されるところ、右各供述の前後をみれば、前者は
膣内射精の有無はわからないという趣旨をいつていることは明らかであり、後者
は、必ずしも膣内射精の事実を述べているとは解されない(東地二の九―一八裏五
行目ないし九行目))。
 他方、請求人の供述の要旨は
 i 「自分の陰茎を乙3の陰部に挿入して、抜差ししているうちに気分が出て膣
内に射精した(昭和二七年三月四日付、同月五日付、同月八日付各司法警察員調
書、同月一七日付検察官調書東地二の二―四三九表裏、四四七、四五九裏、四七
一)
 j 「やつてからすぐ付近にあつた布切れの様なもので自分の陰茎を拭いた。そ
の布切れは布団の何処かにかくしたが、何処か記憶にない」(昭和二七年三月四日
付、同月五日付各司法警察員調書、同月一七日付検察官調書東地二の二―四三九
裏、四四七裏四四八、四七一表裏)
 というものである(なお、原決定は請求人の供述として「二、三回抜けた時も気
分が出てたらしてあつたような記憶がある」という部分(昭和二七年三月五日付司
法警察員調書東地二の二―四四七以下)を挙示して、膣外射精の可能性を認めてい
る(原決定書八七丁八八丁裏)が、右供述の前後の内容に照らせば、膣内射精の点
は明確であるが、膣外射精の点は不明とみるべきである。)。
 2 (1) そこで検討するに、丙第五および丙1第一各鑑定書は、本件姦淫の
犯跡に対し、甲の供述B、Cは適合するが、請求人の供述ijは不適合であると
し、その主な理由として、乙3の屍体所見からは腟内射精の事実はなかつたとみる
べきであり、また日本手拭の状態は、甲の供述Cに微妙に適合するのに対し、請求
人の供述jにいう布切れは、現場所在の物件中に見出すことができないことを指摘
するものであり、右鑑定結果は十分に首肯できる(因に、甲の血液型は、前記本件
遺留精液斑のそれと同じく、A型である。丙5鑑定書)。原判決も姦淫既遂の起訴
に対し、これを認定していない。
 (2) しかるに原決定はまず右各鑑定書が、甲について膣内射精、請求人につ
いて膣外射精の可能性を考慮していないことを非難するが(原決定書八八丁裏八九
丁表)、前記1のとおり、甲については膣外射精の認識は明確であるが、膣内射精
の認識は不確かであり、請求人については膣内射精の明確な認識を供述しているの
であるから、原決定の非難は失当である。
 (3) また原決定は、丙鑑定人が膣内容を採取する以前に丁20医師が膣内容
を採取した事実があるから、右各鑑定書が乙3の膣内容から精子が証明できなかつ
た一事をもつて、腔内射精を否定したことは行き過ぎであると説示する(原決定書
八八丁ないし九〇丁)。
 しかし丙鑑定人が乙3の屍体解剖をなす以前に丁20医師が綿球三、四箇を膣内
に挿入してその内容物を採取した事実は証拠上認められるが(原第一審証人丁2
0、東京地裁証人丁8の各供述東地二の一―二四八裏、二四九、同一の二―一九
九。しかし右綿球の鑑識結果は不明。右丁20、丁8の各供述東地二の一―二四九
表裏、同一の二―二〇〇)、同医師の右綿球による採取によつて、完全に膣内容が
取り去られなかつたことは、右屍体解剖の結果に照らして明確な事実であり(丙1
第三鑑定書五〇頁、東京地裁証人丁8、同丁20の各供述および丙第四供述東地一
の二―二三二裏、同一の三―五八、七六表裏、七七、同一の四―二〇六参照)、丙
第五および丙1第一各鑑定書も乙3の屍体解剖の時点(昭和二七年二月二七日午後
二時三五分より午後六時四五分まで)においてその膣上部に汚灰白色の粘液少許が
認められ、その中に精子が認められなかつた事実(丙第二鑑定書)に基づいて、請
求人(有精子者であることにつき丙1第三鑑定書)の腟内射精の供述を不適合と判
断しているのであり、右判断は首肯できるものである。その他原決定が、精子が発
見されなかつたことをもつて腟内射精の事実を否定することは行き過ぎであるとし
て掲げる諸々の理由(原決定書八八丁表裏)は、丙1第三鑑定書、丙1第五供述
(記録六―一八五五表裏、一八五六)に照らしてすべて是認できない。
 (4) さらに、姦淫の事後の処置に関し、丙第五および丙1第一各鑑定書が、
甲の供述Cにいうごとく、同人がまずマフラーで乙3の陰部を拭いたため、精液が
全部拭きとられていたことが考えられるから、その後さらに同部位を拭いた日本手
拭に精液が付着していなくても矛盾がないとする点(日本手拭に精子が認められな
かつたことにつき丙第三鑑定書参照)について、原決定は、証拠上乙3の屍体の外
陰部にかなりの精液が付着していたことが認められるから、マフラーですつかり拭
きとつたとはいえないことは明瞭であるとして、同部位を拭いたとする日本手拭に
精液の付着が認められないことは、甲の供述の不適合を示すという(原決定書八九
丁表裏)が、右判断は必ずしも前記各鑑定書の見解を否定するに足りるものとは認
め難い(なお、日本手拭には五箇所に血液型B型の汚黄色の乾燥せる精液以外の分
泌物が付着して、その乾燥に伴うと考えられる皺がのこつており、また乙3の血液
型はB型で屍体検案の際同女の膣内からおり物が採取されたことが認められるとこ
ろ、かかる状況に対し、日本手拭に関する甲の供述Cは、微妙に符合すると解され
る。この点につき、丙第二、第三、第五各鑑定書、原第一審証人丁20、東京地裁
証人丁8の各供述東地二の一―六三裏、二四八裏、二四九、同一の二―二四二裏、
二四三)。
 3 これを要するに、丙第五および丙1第一各鑑定書の本件姦淫の犯跡に関する
前記甲の供述の適合性についての見解は、十分是認できるものであるから、「甲の
供述の方が請求人のそれより多少適合度が高いとは云えるかも知れないが、程度の
差でしかなく、この点についての右各鑑定書の判定をそのまま是認することはでき
ない」とする原決定の判断(原決定書八九丁裏)は、失当である。
 (三) さらに原決定は、1乙3の死亡時刻、2金員強取の有無、3乙3の着衣
はく脱その他の情況などの諸点につき、甲および請求人の各自供の適合性を検討し
ているから、右の各点につき以下に判断する。
 1 死亡時刻の点について
 原決定は乙3の食後死亡時までの経過時間を大体二、三時間とする丙1第一鑑定
書(新証拠)および丙1第一、丙第二各供述などにより、乙3は午後五時三〇分こ
ろ食事を終え、午後六時三〇分ころ殺害されたものと認められ、右死亡時刻は請求
人の自供と符合するという(原決定書九三丁表以下、九七丁裏)が、原決定の挙示
する証拠によつては右死亡時刻の認定は困難である。
 2 金員強取の点について
 原決定は、金員の強取を肯定する甲の供述と、これを否定する請求人の供述とを
比較し、請求人の供述は証拠により認められる客観的事実と矛盾しないが、甲の供
述は右事実に符合しないとする(原決定書九七丁裏以下)。
 しかし金員強取の点は、請求人に対する公訴事実(強姦致死、殺人)中に含まれ
ておらず、原判決もこれを認定していないのに対し(前記第四(一)、(二)参
照)、甲に対する公訴事実(強盗殺人、強盗強姦未遂)中には現金約三〇〇円の強
取が含まれているが(前記二(四)1参照)、右被害事実そのものが証拠上容易に
確定し難いのであつて、このような事実関係のもとにおいて、金員強取に関し相反
する前記各供述と客観的事実との適合性を比較検討することは、ほとんど不可能で
あるばかりでなく、無意味である。
 3 乙3の着衣はく脱、その他の情況
 原決定は、乙3の着衣はく脱その他犯行前後の情況などに関する請求人と甲の各
自供を検討しているが(原決定書九八丁裏以下)、これらの点は両者の信用性を大
きく左右するとは考えられない。
 四 甲および請求人の各自供の信用性
 原決定は、
 (一) 請求人の自供について、右自供が事実に符合しない加害方法(絞頸方
法、大胸筋内出血の原因行為等)があるほか、犯行時刻、犯意の発生時点、犯行の
細部の態様、犯行時およびその前後の被害者の具体的言動、帰宅時刻等ほとんど自
供の全般にわたり供述内容が変動していること(この点につき前記二(一)4
(1)ないし(6)参照)、その供述内容には捜査官の想定の範囲を越え、犯人で
なければ分らないと思われる事項について言及したところが極めて乏しいこと、捜
査官の誘導によるとみられる供述部分もあることを肯定しながら、
 1 請求人は逮捕された日の二日後に自供をしていること
 2 請求人逮捕のきつかけとなつた現場で発見された折鶴模様の日本手拭につい
ては、その後捜査官は右手拭が被害者のものではないかとの判断を持つに至つたも
のであるが、請求人自身は捜査官に対しそれ以前から右手拭が自己のものでないこ
とを明確に主張していること
 3 捜査官は、請求人が右犯行自白の当初捜査官に対し廊下に手をつき号泣して
謝罪した旨証言し(東京地裁証人丁8の供述東地一の二―二〇九)、請求人自身も
積極的にこれを否定していないこと(請求人の東京地裁供述東地一の三―二三〇、
記録五―一四五六裏、一四五七)
 4 請求人は捜査官に真相を弁明することをあきらめ、公判廷でこれをしようと
考えて自白したというが、その後の捜査段階で否認し、公判廷でも格別の防禦をし
ていないこと
 5 請求人は仮釈後も乙7会に対し本件再審請求をなすための援助を要請するま
での間において、自己の無実を明らかにしょうとする積極的な言動を示したことが
なかつたこと
 などを根拠として、請求人の自供の信用性を否定し難いとし(原決定書一〇二丁
裏以下)
 (二) 他方甲の自供については、本件発生十数年後の供述であるのに事実に適
合する個所が多いとしながらも
 1 甲の自供には意図的な創作部分が多く含まれているとみられること
 2 甲が事件発見直後の段階で被害者の近親者として犯行現場に赴き、請求人の
逮捕後その共犯者の嫌疑を受け取調を受けたこともあり、甲は本件について同部落
の者の中でもとくに多くの情報を入手しえた立場にあつたこと
 3 甲が自供をなすに至つた動機は、同人が当時拘禁生活中であり、自供により
直ちに実質的な苦痛を受ける立場になかつたことに関係があると考えられること
 のほか、遺留精液斑の鑑定結果、共同墓地からの目撃者の供述内容および請求人
の供述の信用性とを考え合わせると、甲の自供はすべて無責任な虚構のものである
と断定している(原決定書一〇七丁以下)。
 (三) 思うに、原判決およびこれを支持した原第二審判決が、請求人の捜査官
に対する自供につき全体としての信用性を肯定していることは明らかであり、関係
記録により認められる当時の証拠資料を前提とする限り、右判断は首肯できるもの
である。
 しかしその後真犯人とされる甲の自供などの新証拠が提出された本件において、
更に両者の自供の信用性を検討すると
 1 何よりもまず甲の自供は、任意性に全く欠けるところがないばかりでなく、
その内容は犯行そのものについては勿論、その前後の事情に関する部分をも含め、
詳細にして具体的であり、十数年以前の犯行をあたかも最近の事件であるかのよう
に、「その場の光景を眼前にするかのような印象を受けるほどの鮮明さ」(原決定
書一〇七丁裏、一〇八丁表)を有し、乙3方居宅および付近の詳細な図面二通(東
地二―二―一七四、一七五)をも作成するなど迫真性を十分に備えた供述というこ
とができる。
 2 しかも甲は当時身柄拘束中であつたとはいえ、自発的に捜査官に対して自白
した後、起訴の直前までの一〇か月以上の長期間にわたり自供を維持し、事件直後
捜査官の取調を受けたころには否認していた態度をひるがえして自白を決意するに
至つた動機についても、「親兄弟や別れた妻とか世間等に対する反感や恨みから虚
偽の自供をしたものではなく、良心の苛責を免れ罪の償をしたいという気持」によ
る旨を明確に述べているのであり(昭和四一年一一月一七日付検察官調書(新証
拠)東地二の六―一九九裏以下)、素直な気持の表現とみることが可能である。
 3 甲は、起訴直前の昭和四二年二月二三日検察官に対し自白を撤回し、「二度
目の女房乙19に逃げられ、郷里に帰つて再三乙19を連れ戻そうとしたが果さ
ず、諦め切れないで飲酒などしているうちに事件を起して逮捕され、一層のことこ
のまま刑務所にいた方がよいと思つて虚偽の自白をしたのであり、犯行の模様は、
新聞記事や部落内の噂などに想像を交えた作り話である」旨供述するのであるが
(同二一四裏、二一六)、前記のような迫真性をもつ自供を撤回する動機としては
余りにも不自然であるのみならず、この点に関する甲の法廷供述も理由にならない
ような弁解を付加するほかは、全く右同様の内容を繰り返えすのみである(前記二
(四)1、2参照)。
 4 前記のように、甲の自供が、犯行の重要部分である絞頸方法および姦淫の点
について犯跡に適合し、請求人の自供は適合しないとの鑑定がなされ(丙第五、丙
1第一各鑑定書)、右鑑定結果が是認できるのであるから、このことは甲の自供が
単なる記憶ないし想像による虚構なものと断じ難いものであることの証左であると
ともに(甲は、前記のように検察官に対し自白を撤回しながらも、自白当時の「事
件が起つた晩には午後六時か六時半ころに家を出て乙3方に五分か一〇分位いて帰
つた。そのころ乙3方の隣の墓地に墓参りに来た丁1の家の者に会つた」旨の供述
(昭和四二年二月二一日付検察官調書東地二の六―二〇九、昭和四一年四月八日
付、同年五月一四日付各司法警察員調書、同月三一日付各検察官調書(A)(B)
同―一〇一、一〇二、一一〇表裏、一二五、一二六、一五五ないし一五七、一九一
ないし一九三裏)を維持し(前回二一五裏、二一六、二一八裏)、右供述は、事件
当日午後六時過ころ墓参のため共同墓地にきて午後七時ころに右墓地を出たとする
前記丁1らの供述と一部符合することも、甲の自供の信用性を高めるものというこ
とができる。)、他方、請求人の自供は、大筋において一貫性を有する甲の自供と
比較して、前記のように、犯行時刻、犯意の発生時点、犯行の細部の態様、犯行時
における被害者の言動などほとんど自供の全般にわたり供述が変動し際立つた対照
を示しているばかりでなく、請求人の自供のうちには、膣内射精(原判決および甲
に対する起訴状はいずれも強姦自体は未遂とする。)、紐様のものによる絞頸など
明らかに事実と異なる供述を含んでいるのであり、また共同墓地内からの犯人目撃
の能否に関する新証拠の東京高裁検証調書により犯行直後に請求人を目撃したとさ
れる者の供述に疑問が生じ、遺留精液斑に関する新証拠の丙1第二、丙2第一各鑑
定書により請求人が犯人でないことの可能性が認められることも請求人の自供の信
用性を動揺させる事由ということができるのである。
 5 したがつて、犯人と請求人とを結ぶ最有力な証拠が請求人の自白であるとさ
れてきた本件において、新証拠の甲の自供の信用性を否定しさることはできず、他
方これまで信用性を肯定されてきた請求人の自供の信用性に動揺ないし低下がみら
れ、原決定が前者を否定し後者を肯定すべきものとして示した事由はすべて根拠が
薄弱であつて首肯し難いものであるから、甲の自供は、「原判決の事実認定につき
合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠」としてその明
白性を肯定するのが相当である。
 第九 甲に対する起訴状
 検察官は甲を本件の真犯人と断定し、昭和四二年二月二三日同人を強盗殺人、強
盗強姦未遂の罪名のもとに東京地方裁判所に起訴し(前記第八、二(四)1参
照)、その起訴状(東地一の一―一以下)が新証拠とされている(新証拠1)。
 原決定は、右起訴状について、検察官の起訴行為を立証するものとしては最良の
証拠というべきではあるが、起訴状に記載の公訴事実(その内容につき前記二、
(四)1参照)の関係では、これが検察官の判断を表示したものにすぎないから、
公訴事実に対して何らの証拠価値を有するものではない、として明白性を否定した
(原決定書一一〇丁)。
 しかし既に述べたように、本件については、甲の自供その他の関係証拠により、
同人が本件の真犯人であつて、請求人は犯人ではない疑いが濃厚であるばかりでな
く、検察当局も甲を本件の真犯人と断定して(東京地裁証人丁14の供述東地一の
七―一〇二裏以下、一〇六表裏)、同人を起訴し、更に同人に対する一審の無罪判
決に対しては、控訴を申立て事実誤認を理由として強く争つていることが認められ
(東地一の七―二九七、東高一―一一以下)るのであり、このような事実関係のも
とにおいては、甲に対する本件起訴状は、請求人に対する有罪の心証を動揺させる
一資料ということができるから、これを単なる検察官の判断の表示として明白性を
否定した原決定の判断は失当である。
 第一〇 結論
 以上のとおり本件各新証拠は結局、甲の自供を中心としていずれも刑訴法四三五
条六号所定の新規性および明白性を具備し、本件再審請求を認容するのが相当と認
められるから、明白性を否定し右請求を排斥した原決定は取消を免れない。論旨は
理由がある。
 よつて刑訴法四二六条二項、四三八条、四四八条一項を適用して原決定を取消
し、本件について原判決をした青森地方裁判所において再審を開始すべきものとし
て、主文のとおり決定する。
 (裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 林田益太郎 裁判官 鈴木健嗣朗)
検証調書見取図
<記載内容は末尾1添付>

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛